鹿骨街道
都営新宿線の篠崎駅で下車し散歩を始める。 篠崎駅の北側を東西にのびる鹿骨街道に出て西に歩き、鹿骨新橋で新中川を越え、その後は鹿骨街道と分かれてJR総武線の新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。
● 都営新宿線の篠崎駅は昭和61年(1986)9月14日、新宿線船堀~篠崎間延伸時に設けられた。 その後、平成元年(1989)3月に新宿線が本八幡駅まで延伸し、以来篠崎駅は中間駅となった。 ホームは島式1面2線構造で地下2階にある。 朝は都心へ向かう通勤通学客が多く、新宿方面行の電車は座れないかも? 反対方向行きの、隣の本八幡行き電車はガラガラ!
● 篠崎駅から北へ400m程歩くと鹿骨街道(ししぼねかいどう)に出る。(「鹿骨」を“しかほね”・“しかぼね”と読むのはよそ者である、地元では“ししぼね”と、、、、江戸川区の地名:鹿骨の由来は、その昔、常陸国(現:茨城県)の鹿島大神という神様が大和国(奈良県)の春日社に向かう途中でお供の鹿が病死した。 この時、地元(鹿骨)の人々が手厚く埋葬したことから名付けられたといわれてる。 その鹿のために作られた塚を「鹿見塚(ししみづか)」といい、今も「鹿見塚神社」に残されている。、、、、今日の散歩では、この鹿骨街道を西へ歩くことにした。
・・・・・・・・・・ 上篠崎4丁目付近から西へ向かう、、、、“街道”と言っても、街道らしき昔の面影が残っていない!
・・・・・・・・・・ 上篠崎3丁目の一隅に庚申塔がある「柳島の庚申塔 河原道石造道標」である。、、、、文化13年(1816)建立の道標で、正面に「右かわら道、講中」、左側面に「左江戸道」と刻まれている。 上部に青面金剛像の庚申塔を載せ、その台座が道標部分となっている。、、、、庚申塔の猿は消され、金剛像は劣化し、台座の彫りは読みづらく、チョイト悲しい運命の庚申塔!
・・・・・・・・・・ 柴又街道との交差点を越えて200m程歩くと、「鹿骨」の発祥地:鹿見塚神社(ししみづかじんじゃ)がある。 ここには鹿を葬って祀ったと言われてる鹿見塚が昭和44年(1969)頃まではあった場所である。 現在は、「鹿骨発祥の地 鹿見塚」の碑がある。 また近くには鹿骨鹿島神社もある。、、、、本店が鹿島神宮、その支店が鹿骨鹿島神社、その営業所が鹿見塚神社というような関係だ、最近は知られざるパワースポットとして売り出し中とか、ホントかな?
・・・・・・・・・・ 鹿骨街道をさらに西へ300m程歩くと、バス停「鹿骨」の前に、真言宗豊山派寺院の密蔵院がある。 密蔵院は、本命山明光寺と号す。 密蔵院の創建年代は不詳だが、江戸時代中期の創建と伝えられます。 明治期に小岩善養寺の境外仏堂となったものの、平成2年(1990)に宗教法人となった。、、、、境内の一画に、閻魔大王が鎮座してる。 その脇に『・・略・・ 嘘をついても屁と思わず、否それおも正当化しようとする昨今の風潮にいたく立腹され、このたび憤怒の姿をこの地にあらわされた。 心からの反省の念をもって水をかけ、願うべし。「どうか私のついた嘘を水に流してください」と。』書かれてた。 私もチョイト水をかけ、これまで70数余年の嘘を流そうと思ったが、柄杓では流しきれないので諦めた。
・・・・・・・・・・ 新中川に架かる鹿骨新橋を渡り、東岸の江戸川区鹿骨6丁目から西岸の江戸川区松本2丁目の町に入る。 鹿骨新橋は、平成7年(1995)12月に架橋された。 橋長119.3m、幅員18.0mの3径間連続非合成箱桁橋。 工事費は16億4千万円だったそうだ、高いか安いかサッパリ判らん!、、、、対岸にはスカイツリーが見える
・・・・・・・・・・ 鹿骨新橋を渡り松本2丁目で鹿骨街道と分かれ、JR新小岩駅に向かって歩く。
● 駅前の商店街を抜けると新小岩駅。 JR総武線の新小岩駅から浅草橋の我が家までは所要約15分。 今日の散歩はここまで!
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