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2024年12月

2024年12月31日 (火)

大晦日は浅草寺

クリスマス前後からこむら返りが頻発し、一昨日の朝はとうとう両足同時に“痛い・痛い・助けて~・死にそうだ!”状態となった。 今日も、ふくらはぎが筋肉痛のような痛みで、歩くこともままならず。(どうやら自分が推定するには、泌尿器科でもらった夜間頻尿の治療薬の副作用と思われる。 昨日から服用を止めた!)、、、、今日は大晦日、妻が『年越し蕎麦どうする? 浅草行く? それとも、家で食べる?』(我が家では例年、年の終わりには浅草寺参りを兼ね、浅草で蕎麦を食している) 老々の二人だけでの年越し、我が家で食べるのも味気ないので、私の一言『浅草へ行こう!』 痛みをこらえ、ビッコの足で、夕刻二人で浅草へ・・・・・



● 浅草寺へ行く前に、まずは我が家の氏神様、浅草橋駅裏に鎮座する「銀杏岡八幡神社」に、一年大過なく過ごせたことを御礼する。、、、、  銀杏岡八幡神社の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。 江戸時代に入り、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったものの、享保十年(1725)公収され我が町内(福井町)の産土神となったと言われてる。
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● 浅草寺は今日もインバウンドが多いこと! 雷門から仲見世通りを抜け、仁王門、本堂へ向かう人の列。、、、、痛い足をひきずりながら、横目で美人をチラチラ眺め、人を避けて歩くことの難しさを実感する。
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● 御参り済ませて、年越し蕎麦を食べながら、『来年もまた年越し蕎麦を食べようね!』
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● スカイツリーを遠くに眺め、家路を急ぐ。
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2024年12月26日 (木)

尾久駅構内ガード

山手線の田端駅からJR東日本の尾久車両センター沿いに歩いて尾久駅へ。 尾久駅周辺をブラついて、8千歩の散歩です。



● 外はチョイ寒、田端駅北口を出て散歩を始める。、、、、駅を出て、左側(西側)に新幹線基地、右側(東側)に在来線の尾久車両センターがある道を上中里方向に歩く。 新幹線基地も在来線の尾久車両センターも停留してる車両は少ない。 朝の稼ぎ時で、どの車両も“お仕事・お仕事 出稼ぎ中” ガランとした車両基地はチョイト残念!
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・・・・・・・・・・ 基地のフェンスに駅名表示板を模した「首都圏本部 技術訓練センター」なる施設の入口案内板が貼ってある。 手前の駅“見習い”から次の駅“一人前”まで、厳しい訓練が待っているのかな?
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・・・・・・・・・・ なぜか車両センターに囲まれた位置に北区立特別養護老人ホーム「上中里つつじ荘」がある。 立派な建物だ、ここに入居すると窓から車両センターが見渡せそうだ! 私もその時が来たらココに入れてもらえるかな?、、、、地元の人の話では、施設の建つこの地には、かつて円形の蒸気機関車庫があったそうだ。 
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・・・・・・・・・・ つつじ荘の斜め前には「中里貝塚」があるが、貝の層は地中に埋め戻され、地表は芝の公園となっている。、、、、縄文時代中期中頃から後期初め(約4600~3900年前)の貝塚。 最大で厚さ4.5m以上の貝層が広がる、縄文時代の海浜低地に形成された巨大な貝塚らしい。(見えないので何とも言いようなし)
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● つつじ荘前の細い裏通りを尾久車両センターのフェンス沿いに歩いて行くと、広大な車両センターを横切り、車両センターの反対側(尾久駅側)に抜けられる地下道「尾久駅構内ガード」(長さ約160m)の入口がある。 新幹線の基地と車両センターに挟まれた所には、一般住民が生活する上中里2丁目の町があり、その住民が尾久駅側に抜けられるように造られた地下道なのかも? 入り口部分は階段になっており、車は入れないが、自転車は通ることができる。 地下道の幅は広い。 地下道途中には、JR関係者が通れる出入口も数か所ある。
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・・・・・・・・・・ ガード内に約2mぐらいの長さの「東北本線 尾久駅平面図 縮尺五百分之壱」(製作時期不明)がある。 現在の尾久車両センターとほぼ同一と思われる敷地全体が描かれている。 金属版に彫りこんだようで、写真写りは悪いが、要所だけ撮ってきた。、、、、特別養護老人ホーム「つつじ荘」がある位置には、蒸気機関車庫と転車台が描かれている。、、、、構内図中央には地下道(ガード)と思われる線が2本、多くの線路を横断して上から下へ描かれている。 
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・・・・・・・・・・ 地下道は尾久駅の脇に出口がある。 横にはホームがあり、電車を待つ乗客がこっちを見てる。 チョイト意識するね!
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尾久駅(おくえき)は昭和4年(1929)6月20日に開業した。 乗り入れている路線は、宇都宮線・高崎線である。 15両編成が停車する長い島式ホーム1面2線の地上駅。 1日平均乗車人員は10000人強で、都内のJR駅の中では利用客数が少ないベスト5にランクインしてる。 しかし、平成27年(2015)の上野東京ライン開業以降は利用者が増加しているようだ。、、、、ホームに立つと尾久車両センターが目の前に広がり、嬉しいね!
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2024年12月24日 (火)

閻魔さまとお不動さま

のんびり我が家(浅草橋)から深川の不動堂まで、年末の御礼詣りに行ってきた。 1万歩の散歩

● 朝9時45分、浅草橋の我が家から歩きだす。、、、、浅草橋駅周辺の人形屋では、クリスマスは飛ばして、雛人形が既に店頭に並んでいる。 季節の先取りかな? 
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● 神田川に架かる浅草橋を渡り台東区から中央区に入る。、、、、浅草橋交差点にある、昭和4年(1929)建築の、装飾付タイル張りの古風なデザインがイイ感じの「玉置文治郎ビル」、1階は老舗の玉置薬局。 外壁のスクラッチタイルの装飾もイイ、1階から3階アーチ窓までの縦の並びもイイね!(一見は百聞に如かず)
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● 10時、都営浅草線の東日本橋駅前を通過。、、、、近くの薬研堀不動院(川崎大師東京別院)にチョイト立ち寄る。 薬研堀不動院は、天正13年(1585)豊臣秀吉による根来攻めに際して、根来寺の大印僧都が不動尊像を背負って東国へ逃れ、当地に創建したと伝えられている。 境内には、順天堂の始祖と仰がれている佐藤泰然(たいぜん)が、天保9年(1838)に和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所と記した「順天堂発祥之地」の石碑が建っている。
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● 我が家を出てから30分:時刻は10時15分、明治座前を通過。 東京で最も長い歴史を持つ劇場である明治座は、明治6年(1873)の創業。 昨年は創業150周年を迎えた。 150年の歴史の中では幾たびもの災厄に見舞われながらも、その都度再建され復興を遂げてきた明治座。 現在は、18階建ての「浜町センタービル」の中に劇場がある。
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● 明治座から清州橋へ向かう途中、浜町神社、金刀比羅宮の二社がある。、、、、浜町神社は天明年間(1781~1789)島津家下屋敷に島津稲荷大神を祀ったのが始まり、安政4年(1857)島津家が付近一帯の土地を拝領したとき、一堂を建立して地域発展のために大いに寄与し、以来「島津稲荷」として人々から敬篤された。関東大震災で焼失、昭和5年再建、同20年戦災、同27年再建され名称も浜町神社と改められた。、、、、金刀比羅宮は、天明3年(1783)創建、隅田川往来の船人の守護神として信仰を集めたと言われてる。 今も残る玉垣には、料亭の名や、「葭町(よしちょう、現:人形町)芸妓組合」の文字が多く刻まれている。 きっと、芸者さんの多くも手を合わせた神社かな?
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● 10時30分、隅田川に架かる清州橋を渡り、中央区から江東区に入る。、、、、清洲橋は両岸の町名の日本橋中州と清澄から一字づつとって名付けられました。構造は日本で唯一の自碇式チェーン吊り橋で、モデルは当時美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋と言われてる。 関東大震災の復興橋で、橋長 186.3m、幅員 22.0m、昭和3年(1928)3月竣工、設計は鈴木精一(意匠面では建築家の山田守や山口文象の関与があった)。 国の重要文化財。
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● 清澄公園を抜ける。 清澄公園の隣りには清澄庭園がある、こちらは有料の庭園。 かつて、清澄公園と清澄庭園は一体で、三菱の創始者である岩崎弥太郎が明治期に完成させた庭園である。
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● 深川2丁目の心行寺に寄る。 心行寺は深川七福神の福禄寿を祀る寺。 
浄土宗寺院の心行寺は、雙修山養源院と号す。 心行寺は、光蓮社団誉一露屋道が開山、吉川監物殿内室が開基となり、元和2年(1616)八丁堀に創建、寛永10年(1633)現在地に移転したと言われてる。、、、、福禄寿が安置されている六角堂は、正月の“深川七福神巡り”に向けて、準備はOKか?
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 11時、本日の散歩の目的地である“深川ゑんま堂”に到着。 深川ゑんま堂は、真言宗豊山派の法乗院で賢台山賢法寺と号す。 法乗院は寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年(1641)には現在地(深川2丁目)に移転した。 江戸三閻魔の一つらしいが、昔の閻魔堂は戦災で焼けた。 現在は平成元年(1989)に再建された“ハイテク閻魔様”で、賽銭を入れるとコンピューター制御で堂内には煌びやかに照明が灯り、スポットライトが回り、願い事に応じた説教が流れてくる見世物小屋並みの、高さ3.5mの大きな閻魔がある。、、、、、、、笑っちゃいけないが、笑いたくなる、これぞ“笑い地獄”か? 古さを感じることができない、現代風のモダンな寺だ!、、、、知らず・気づかずの悪行を詫びて、『今年も一年、ゴメンナサイ』
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● 閻魔さんの次はお不動さん。 お不動さんが祀られているのは成田山新勝寺の東京別院。 この別院は、元禄16年(1703)に始まった成田新勝寺の出開帳が深川不動の起こりで、明治14年(1881)不動堂が完成した。、、、、勇ましいいでたちの不動明王は仏法を守護し、人々を災いや迷いから救ってくれる有難い仏です。 災い・迷いの少ない私であるが、『来年も、災い迷いの無いことを願い』手を合わせてきた。
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● 閻魔さま、お不動さまに手を合わせ、散歩の終わりは12時だ!、、、、あとはバスで帰るだけ!

2024年12月20日 (金)

埼玉から東京へ

今日も行先が定まらず、何となく東武伊勢崎線で押上・北千住と進み、草加の一駅手前「谷塚駅」で下車する。 駅前で東西南北いずれに歩くか? 足の向くまま、気の向くままに、何となく西に向かって歩く。 辿り着いたのは日暮里舎人ライナーの「舎人駅」。 1万歩の散歩です。



東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)である。 谷塚駅の駅前は西口と東口で大きく印象が異なる。 東口は広々としたロータリーがあり、タワーマンションもある、銀行、スパー、飲食店、交番など多くの施設があり、生活に困ることもないと思われる。 一方の西口は、広い更地が駅前に構え、これから再開発でもするのかと思わせるように閑散としている。 今日の散歩は西口からスタート。
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● 谷塚駅から、人通りの少ない裏道を南西方向(歩いてる時は西に向かってると思った)に歩く。 駅から500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の寶持院がある。 『お~、この寺は以前来たことがある!』数年前に立ち寄った寺だ!、、、、寶持院は、寺の本尊十一面観音の背面の銘から推定すると、江戸時代中期には創建していたそうだ。 創建以来、谷塚地区の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。、、、、現在の本堂は、平成4年(1992)に建設された。 また、山門の左手には御堂が、右手には六地蔵、本堂裏には庚申塔と不動尊が並んでる。 チョッピリ歴史を感じる寺だ!

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● 創建年代は不詳だが、地元の鎮守さま「谷塚氷川神社」の前を通る。 氏子らしき数人の男性が境内の大掃除、正月を迎える準備かな?
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● “のどかな田園風景”とは言わないが、チョッピリ農村の匂いが残る谷塚の裏道を歩く。
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● 埼玉県草加市と東京都足立区の界を流れる毛長川、そこに架かる谷塚橋を渡り足立区に入る。 毛長川に架かる毛長橋の西側まで川沿いを歩く。、、、、1車線の道で交通量も少なく、年寄りには歩きやすいね。 冬の青空の下、のんびり歩く!
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● 「見沼代親水公園」の大きな木が迎える古千谷橋(こじやばし)交差点に出てきた。 近くには「古千谷氷川神社」もある。、、、、古千谷氷川神社の創建年代は不詳だが、古千谷村が出来た頃の創建で、古千谷村の鎮守社であったらしい。
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● 古千谷氷川神社からさらに西へ、日暮里舎人ライナーの「舎人駅が見えた。 今日の散歩はここまで。
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2024年12月16日 (月)

笹塚から東高円寺まで

昨日の早朝、我が家では夜明けのカラスより大きな声で『ギャー・イテ・イテテ・イテテオ~』と叫び声が響く。 隣で寝てる妻も目を覚まし、キョトン『どうしたの?』 私の足が“つった”(こむら返り)のだ! 刺すような痛みは1分程で引いたが、筋肉痛の痛みは残り、散歩に出る余裕はなかった。
今朝は慎重に起き、何事も起こらずに起床。 しかし筋肉痛は残ってる、『この程度なら歩いてるうちに痛みは取れるだろう』と散歩に出ることにした。 東日本橋駅から都営新宿線に乗り、京王線の笹塚駅で下車する。 チョイト足が痛むが、駅から北の方角に歩き、丸ノ内線の東高円寺駅まで、1万1千歩の散歩となった。、、、、家に帰り、このブログを書いてる今も筋肉痛は治らず、老いたせいで治りも鈍くなったようだ!



笹塚駅は島式ホーム2面4線と福本線(京王新線)側へ繋がる引上線2線を有する高架駅。、、、、大正2年(1913)4月15日に京王電気軌道線(現:京王線)の開業と同時に当駅も開業。 京王電鉄で最も古い駅の一つ。 昭和53年(1978)には駅は高架化された。、、、、駅のある当地は内藤新宿からの距離により、一里塚が甲州街道の両脇にあって、その塚が笹やぶで覆われていたことから、「幡ヶ谷村笹塚」と命名され、駅名の由来ともなっている。、、、、朝8時、下りホームは空いている、上りホームは混んでるね! 笹塚から上りの始発電車が出てるので、それを待ってる人もいるようだ! 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 通勤客』
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● 笹塚駅から甲州街道を渡り、「十号通り商店街」を北へ向かって歩く。、、、、十号通り商店街は、甲州街道から北へ入る細い通りの商店街。 チェーン店も見かけるが、ほとんどが昔からこの地に根づいて商売を営んできた店ばかり、にぎやかそうな商店街だ。 行列のできるカレー店や、昔ながらのそば屋、中華料理屋といった下町情緒をたっぷり感じさせてくれる店も揃っている。、、、、朝は駅に向かうサラリーマンと、駅から学校へ向かう女学生が、それぞれ南へ北へ歩き、狭い商店街に人影が途切れることはない。
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・・・・・・・・・・ 十号通り商店街は水道道路にぶつかり、女学生は校舎に吸い込まれて行く。、、、、「水道道路」とは、明治31年(1898)、淀橋浄水場の新設に伴い、現在の和泉給水所地点から分岐し浄水場まで、ほぼ真直ぐな一本の水路が開削された。 水路は、関東大震災で決壊し、その後は並行して通る甲州街道の下に管を埋設し、淀橋浄水場に水を供給した。 そして、水路跡のほとんどは「水道道路」と都営住宅に転用されている。、、、、今日の散歩は水道道路を横断し、校舎脇の「十号坂」を下り、さらに北へ。、、、、影が長く伸び、まもなく冬至だ、寒いはず!
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● 笹塚から北北西へ約1.0kmの所(中野区南台3)、チョイとした高台に「多田神社」がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物) 当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、現在の社殿は昭和35年(1960)に再建された。
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● 多田神社の北側(社殿の後ろ側)に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 本尊は聖徳太子。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。 多田神社の旧別当寺である。 、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂も再建された。
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● 宝福寺から300m程北に歩くと、東京メトロの「
中野車両管理所」がある。 丸ノ内線の車両基地である。 寄った時刻は午前9時、車両の多くは通勤時間に合わせ、稼ぎで走りまくっていると思われる。 基地内に残っている車両はわずか、空いた線路が目立つね!
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● 中野車両管理所の北側を流れる神田川。 神田川を「和田見橋」で越える。 この橋は、杉並区の和田、中野区の富士見(旧町名)の区界に架かっており、両区の顔を立てて“和田”+“見”=“和田見”と命名された。
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● 神田川を越えて杉並区に入り、細い裏道を歩いていると「長延寺」があった。 長延寺は曹洞宗のおで、山号は万昌山。 文禄3年(1594)市谷(現:新宿区市ヶ谷)に十世喚英長応によって開山。 当地には明治42年(1909)に移転した。 今川義元の曾孫直房が寛文元年(1661)当寺に葬られて以来、今川家の菩提寺にもなっています。 本尊は釈迦如来坐像。
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・・・・・・・・・・ 境内には江戸時代市ヶ谷でとくに有名だった「ぼたもち地蔵」が祀られている。 その由来は、当時門前に信心深い夫婦が住んでおり、この地蔵に願いをかけて男児を得たが、産後の肥立ちが悪く、母子ともに明日をも知れない状態になったところ、地蔵が化身した小僧がぼた餅を持って現れ、それを食べた母子がともに元気になった。 以来この地蔵は子育て地蔵として信仰を集めたと伝えられている。
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● 長延寺の北側(杉並区和田1)には曹洞宗寺院の「常仙寺」がある。 山号は石雲山。 常仙寺は、中野竜昌寺四世祥岩存吉和尚(慶長19年寂)が開山となり慶長7年(1602)麹町に創建、明治41年(1908)当地へ移転した。 存吉和尚は出家前に山麓で狼に襲われた折、鳳来寺山麓に祀られていた薬師が虎(寅)に化身して救われたことから、存吉和尚は出家、この薬師を当寺の本尊に迎えたといい、このことから「災難除けの寅薬師」と呼ばれている。、、、、足の筋肉痛を治してもらいたく、念入りに手を合わたが、効き目は?
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● 筋肉痛で痛い痛い足をなだめすかして裏道を歩き、着いた駅は丸ノ内線の「東高円寺駅」。 荻窪線(現:丸ノ内線)新中野~南阿佐ヶ谷間延伸から約3年後の、昭和39年(1964)9月18日に追加開業した。 ホームは相対式2面2線で地下1階にある。、、、、比較的古い駅で地上に近いところを通っているため、池袋方面と荻窪方面の行き来には地下2階の連絡通路を通る必要がある。 エスカレーターの無い昇り降りは、年寄りには辛いね!
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2024年12月11日 (水)

餓死者を葬った四寺

久しぶりに閻魔さまの顔を見たくなり北千住に行ってきた。 北千住駅からスタートし、北千住1・2丁目界隈を歩き、東武伊勢崎線の牛田駅まで、9千歩の散歩です。


北千住駅はJR常磐線、東京メトロ日比谷線・千代田線、東武鉄道伊勢崎線、首都圏新都市鉄道つくばエキスプレス4社5路線が乗り入れており、1日あたりの乗降客数は約160万人と言われてる大ターミナル駅である。 この首都圏有数のターミナル:北千住駅であるが、ここから“新宿”、“池袋”の大ターミナルへ向かう路線は一本もない! これは何とも不思議なことだ?、、、、明治29年(1896)12月25日に日本鉄道線(現在の常磐線)の駅が開業。 明治32年(1899)8月27日には東武鉄道の駅が開業。 明治39年(1906)、日本鉄道の駅が国有化される。 昭和37年(1962)5月31日に帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線の駅が開業。 昭和44年(1969)12月20日 、千代田線の駅が開業。 平成17年(2005)8月24日、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの駅が開業。 ついでに、現:駅ビルの「ルミネ北千住」が開業したのは、昭和60年(1985)である。 開業当時は「北千住ウイズ」という名であった。
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● 北千住駅から歩いて5・6分程の所に、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺がある。 金蔵寺は、建武2年(1335)の創建と伝えられている。  、、、、本尊は、かつては地蔵菩薩であったが、現在は閻魔大王と言われてる。 私は、今までに数回この寺には来たが、いつも本堂は閉められ、本尊の姿を拝したことがない。 ネットで調べてみても本尊の写真は載ってない。 ぜひ一目拝んでみたい閻魔さま!
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・・・・・・・・・・ 金蔵寺では本尊の閻魔さま以上に有名なのが、山門を入ってすぐ左手に2基の供養塔が並んでいる。 向かって左側の南無阿弥陀仏を刻んだものが「千住遊女供養塔」。 この供養塔は、千住宿の多くの飯盛旅籠に勤めそこで亡くなった遊女が、当時「投げ込み寺」であったこの寺に葬られた。 その薄幸な遊女生涯を哀れみ供養するため建てられた。、、、、右側に無縁塔と彫られた供養塔は「天保餓死者供養塔」。 こちらは、有名な天保の大飢饉(1833~1837)で亡くなった者を供養するため建てられた。 塔は当時の名主:永野長右衛門が天保11年(1840)に建立したものでその碑文によれば、天保8年の年当地では828名の犠牲者が出た。 その犠牲者を近隣の寺に葬ったとされている。 勝専寺に321人、慈眼寺に61人、不動院に76人、そしてこの金蔵寺に370人を葬ったそうだ。(そこで今日の散歩は、この4寺を巡ることにした!) 

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● 金蔵寺から西へ約250m歩くと、赤く塗られた山門の三宮神山大鷲院勝専寺(浄土宗)がある。 勝専寺は文応元年(1260)の創建。 勝専寺を開いた新井政勝の父・新井政次が荒川(現:隅田川)に網を投じたところ、千手観音像が網にかかったのが寺の由緒だという。 この千手観音は寺の寺宝となっており、地名「千住」の由来といわれている。、、、、勝専寺の本堂は明治39年(1906)に建てられたコンクリート造で化粧レンガで覆われています。
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・・・・・・・・・・ 勝専寺の本尊は阿弥陀如来であるが、この寺にも閻魔さまが居る。 ここの閻魔さまは、閻魔堂に一人住い。 像は寛政元年(1789)の木像。
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● 勝専寺から南に300m程歩くと、慈眼寺(じげんじ)と不動院が隣り合わせにある。 新義真言宗の慈眼寺は、千龍山妙智院と号す。 慈眼寺は、行覚上人が関東巡錫の時の正和3年(1314)に創建した。 当寺の本尊であった観音菩薩像は東京大空襲で焼失してしまった。 また、諸堂も戦災で被災し、残っていたのは現在の山門だけだそうだ。
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● 新義真言宗の不動院は、白幡山薬師寺と号す。 不動院は、元弘2年(1332)秀天上人が開山となり創建した。 創建の翌年には鎌倉が陥落し南北朝の戦乱が始まると言うまさにその時期です。 本来は慈眼寺の護摩堂であったが独立して一寺となったといわれてる。 本尊は不動明王。
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・・・・・・・・・・ 境内には、千住宿旅籠屋一同が万延元年(1860)に建てた遊女の無縁塔がある。 遊女も、飢餓者も、南無阿弥陀仏。
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● 四寺を巡った後は、「北千住大踏切」を渡り牛田駅に向かう。、、、、「北千住大踏切」は、北千住駅の南側にある、JRと東武鉄道が走る踏切をいう。 4社5線が乗り入れる北千住駅であるが、東京メトロ千代田線と日比谷線、つくばエクスプレス線の3線は、高架または地下で立体交差しており、踏切を通ることはない。 JRと東武鉄道は地平を走り、両路線は運行本数も多いため、ここの踏切は「開かずの踏切」となっている。、、、、地元の足立区ではこの大踏切の除却を議論しているが、ここを通る鉄道に加え周辺道路も交通量が多く難しそうだ。 2018年末には、鉄道の高架化・地下化それぞれの立体交差化にかかる事業費を、前者は1000億円、後者は3000億円と試算している。 
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・・・・・・・・・・ 大踏切は、JR常磐線の「北千住一丁目踏切」(注:北千住一丁目という地名は無い)と東武伊勢崎線の「22番踏切」の2本が並んでいる。 両踏切は非常に近接しているので、両社とも係員を配置している。 しかし、踏切横断の危険は常にあり油断できない!
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● 大踏切から牛田駅まで歩き、ここから帰る!
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2024年12月 6日 (金)

変わる京成立石駅

去る11月30日、京成押上線の連続立体化工事に伴う、四ツ木~青砥間の下り線切り替えが行われた。 それにより京成立石駅では、これまでの下りホームが閉鎖され、新たに仮下り線ホームが利用されるようになった。 今日の散歩は、立石駅の様子を見たのち亀有まで歩く、1万1千歩の歩きです。



京成押上線の「京成立石駅」は大正元年(1912)11月3日に開業した。 先月までは相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有していた。 駅名は、“京成立石”が正式な駅名で、旅客向け案内では“京成”を省略して「立石」としている 。、、、、午前8時前、通勤時間にはチョイト早い、下り電車から降りる人はまだ少ない。、、、、私は初めて降りた、仮の下りホーム。 幅が狭くて、危ないな!
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京成押上線高架化事業は、四ツ木~青砥間(約2.2㎞)を連続立体高架化し、11か所の踏切をなくし、あわせて側道を整備するもの。 京成立石駅では、下り線の切り替えが行われ。 11月30日の始発から、これまで上下線を合わせ、相対式ホーム2面2線の構造であったホームから、これまでの下り線ホームに背を合わせるように仮の下り線ホームを設置し、ホームの切り替えが行われた。
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・・・・・・・・・・ 仮下りホームの前は、仮囲いで囲まれた広大な駅前北口再開発の用地がド~~ンと広がり、立石の風景が一変した!、、、、ここには2棟の高層ビルが建ち、葛飾区役所も入る予定だ! 駅前にあった「呑んべ横丁は跡形もなくなくなった。
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・・・・・・・・・・ 現在、立石駅は上下線それぞれ改札(出入口)が別になっており、上下線の行き来はできない。、、、、以前使用していた橋上駅舎も閉鎖され、取壊しが進められている。
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・・・・・・・・・・ 踏切で足止めをくらい遮断機が上がると、上りの改札口へ一斉に向かう通勤通学客。
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・・・・・・・・・・ 駅前北口再開発は、敷地面積 約2.1haで、42階建ての住宅棟、20階建ての公益サービス棟を建設する構想で、現在既存建物の解体が仮囲いの中で進められている。
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● 立石から亀有までは、概ねバス通りをひたすら歩く。

・・・・・・・・・・ 立石駅前のバス通りからスタート
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・・・・・・・・・・ 京成本線の青砥~お花茶屋間の高架下を抜ける
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・・・・・・・・・・ 国道6号(水戸街道)を横断
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・・・・・・・・・・ 天台宗寺院の延命寺に立ち寄り手を合わせる。 延命寺は、三圍山真珠院と号す。 近江国三井寺の大僧都源慶(~1352)が三囲神社の別当寺として創建、寺社地が御用地となったため元禄6年(1693)小梅村へ移転した。 明治維新後の神仏分離令により、三囲神社と分離、関東大震災に罹災し、昭和2年(1927)当地へ移、、、、当山の山号「三圍山」は墨田区本所三圍神社に由来する。
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・・・・・・・・・・ UR都市機構の「すまいる亀有」前を通過
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・・・・・・・・・・ 亀有駅前の「亀有 上宿商店会」を抜ける
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● 人気マンガのキャラクターが迎えてくれる亀有駅、、、、鉄道開業の当初は隣接する新宿地区に「新宿駅」(にいじゅくえき)を設ける予定だった。 しかし、亀有~新宿間にある中川にかかっていた有料橋を利用する客が激減するとの理由で同地区の者が亀有地区への設置を主張し、その一方で亀有地区の地主が土地を寄贈したため、この地に駅が置かれることになったそうだ。 駅の開業は明治30年(1897)5月17日。 明治39年(1906)に、日本鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる。
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2024年12月 3日 (火)

大久保から中野

我が家(浅草橋駅)からJR中央・総武線で乗り換えなしの23分、JR大久保駅で下車、今日の散歩の始まり。 いつものように裏通りを歩き、途中で宝仙寺(中野)によって、JR中野駅まで1万1千歩の散歩です。



● 中央・総武線の大久保駅は、明治28年(1895)5月5日に甲武鉄道の駅として開業した。 明治39年(1906)には甲武鉄道の国有化により国鉄の駅となる。 大久保駅は昭和6年(1931)に高架化工事があ完成する。 現在は、島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は北口と南口の2ヶ所。、、、、ホーム上屋は古いレールと木組みでできてる、歴史を感じるね!
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・・・・・・・・・・ 南口(新宿寄り)は大久保駅の裏口である。 裏通りの高架下に口を開けたスタイルの出入口がある。 また、自動改札機は何やら怪しげな古レールに囲まれている。 古レールが高架の天井を支えているようだ?
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・・・・・・・・・・ 北口は大久保通りに面する高架下にある。 大久保駅の表玄関、チャント売店もある。 山手線の新大久保駅までは約300mだ!
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● 大久保駅から大久保通りを西(中野方面)に歩き、神田川の手前で裏通りに入る。
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● 「柏橋」は新宿区と中野区の区界(神田川)に架かる橋。 
新宿側の現町名は「北新宿」という味気ない名前になってしまっているが、以前は「柏木」であった。 「柏木」という旧地名は「柏木小中学校」などに残っているが、JR中央・総武線東中野駅も昔は「柏木駅」という名前であった。 中野区側の町名は「東中野」、これまた、味気ない名前だ!
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・・・・・・・・・・ 柏橋から神田川の上流側を眺めると、先の橋(末広橋)の手前に開口部が見える。 この開口部は、杉並区、中野区を流れる桃園川(ももぞのがわ、別名:中野川)が神田川に合流する出口である。 桃園川は全区間暗渠化され、流れを見ることはできない。
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● 柏橋を渡り、道なりに歩くと正面に小さな社の「第六天神社
」がある。、、、、この神社、元々は中野区内有数の旧家が奉納した屋敷神で江戸時代には耕作地の片隅に奉られていた。 しかし後に小作人たちの多くがここに参詣するようになった為、明治の初めに共同祭祀とされ社格も与えられた。 境内の石碑には、『御由緒 悠久の昔江戸蔵前の第六天神宮(榊神社)御分霊を奉斎 古来より第一 の別宮として尊祀せられて居ります』と彫られてる。
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● 第六天神社から西へ300m程歩くと、「氷川神社」がある。 今年3月に訪れた神社だ!
 、、、、今日は、年末ジャンボの当選を祈願してきた。、、、、境内のイチョウの黄葉は御見事!
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● 氷川神社からは、暗渠化された桃園川の上に造られた桃園川緑道を歩き、宝仙寺に向かう。
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● 中野区中央2丁目にある「宝仙寺(ほうせんじ)」は、真言宗豊山派の寺院。 山号は明王山。 千年近くの歴史を誇る古刹で、境内も広い寺院。、、、、広い境内には、戦前、中野町役場が置かれていた。、、、、後三年の役(1083~)の時、護持していた不動明王像を安置するために寛治年間(1087~1094)に源義家によって現在の杉並区・阿佐ヶ谷にて開かれた。 本尊は鎌倉時代には秘仏になった。室町時代になり、現在の位置に移転した。 江戸時代には、優れた僧を出し、歴代の将軍から厚い保護を受け発展した。 また、当寺院の僧侶が将軍の御前論議に参加することもあった。、、、、堂宇は戦災を被ったものの、戦後再建され、三重塔や本堂を見ることができる。、、、、寺の周囲には付属の宝仙学園が運営する、こども教育宝仙大学、宝仙学園中学校・高等学校、宝仙学園小学校、宝仙学園幼稚園の校舎が取り囲んでいる。 寺より大きな敷地面積を有しているかも? 賽銭・お布施より入学金・授業料かな?
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● 宝仙寺の墓地の向かいに小さな公園がある。 そこには、「山政醤油醸造所のレンガ塀」の一部が残されてる。 塀の建造は、明治32年(1899)と推定されている。 中野での初期洋風レンガ構造物と言われている浅田銀行本店を手掛けた中野在住の棟梁と弟子たちによって、 醸造所の蔵とともに築かれました。 石灰、海草のつのまた、砂などで固める日本の伝統的なしっくい壁の技術とフランス積みといわれるレンガ積み工法で造られている。 当時、レンガ塀の築かれた青梅街道沿いは、中野の商工業の中心地として賑わっていたらしい。 また、みそ・醤油の醸造は、そば粉製造とともに中野の代表的な地場産業であったそうだ。
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● 宝仙寺から裏道を、右に・左に・折れ・曲がり、「
中野区立紅葉山公園」に着いた。、、、、その名の如く、紅葉見物。 ついでに、園内に保存されている「C11蒸気機関車」もパチリ!
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中野駅南口に到着。、、、、これまでの南口は北口と比べると大きな施設もなく、商店街・飲食街とも規模も小さく、元気がなかった。 しかし、ここ数年の間に、駅前の公団住宅が壊され巨大な中野駅前ビルが建てられ、駅前ロータリーの再整備が行われた。 活気が出てきた!
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