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2025年1月

2025年1月30日 (木)

雪景色で露天風呂

昨年の年末、掃除をしながら妻に一言『鬼怒川温泉あたりで、雪景色の露天風呂に入り、美味いものを食べ、一日のんびりしたいね!』 妻の即答『いいね!』 早速、行く日は雪の積もっていそうな真冬の1月下旬、曜日は空いてる平日できれば水・木曜日、行先は鬼怒川温泉、お宿は中国人・韓国人の少なそうな静かな和風の宿、等の条件でネット検索・予約する。 大晦日、浅草寺参りに行ったついでに浅草駅で特急スペーシアXのプレミアムシートを予約。 あとは行くだけ!、、、、一ヶ月後の昨日(29日)夫婦二人で一泊二日の温泉旅行へ出発。



● 鉄道大好きな私にとってスペーシアXには初めての乗車、小学生の遠足気分で、嬉しさいっぱい。 浅草駅から乗車。、、、、プレミアムシートは、2号車に備えられた2人用+1人用の座席でゆったり感がある。 しかし、発車すると車内放送で、1号車のカフェカウンターでコーヒー等を販売していることが告げられると、3・4・5・6号車の乗客がゾロゾロと車内を通り抜けて買いに来る。 私が座る2号車の通路は行き交う人で落ち着かず、ゆったり感はすっ飛んだ!、、、、9時に浅草を出て、11時に鬼怒川に到着する、お宿のチックインにはまだ早い。 妻と車中で相談し、東武ワールドスクウェアへ寄って行くことにした。
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東武ワールドスクウェア駅で下車する。 降りる乗客は少なく、チョイト寂しいね。 駅前に「東武ワールドスクウェア」がある。 雪は積もっていないが、小粒の雪がチラチラ舞い落ちてくる。 TVコマーシャルなどで知ってはいたが、来園したのは初めて。 寒い平日午後、チケット売り場に人がいない。 私たちの姿を見て飛んできた! 園内の来場者の姿は少ない、ガラガラだ! 欧米よりも中韓の観光客がチラホラ。、、、、東武ワールドスクウェアは、「世界の遺跡と建築文化を守ろう」をテーマに平成5年(1993)に開園した。 制作年数5年、総工費170億円をかけて世界の100点以上の有名建造物を25分の1の縮尺で再現した世界が広がる屋外テーマパーク。 園内は現代日本・アメリカ・エジプト・ヨーロッパ・アジア・日本の順に6つのゾーンに分けられている。 各ゾーンではエジプトの三大ピラミッド、パルテノン神殿、東大寺などの47の世界遺産登録物件の他、世界の有名建築物が展示されている。 精巧にできた屋外展示模型で、『雨が降ったら、風が吹いたら、どうするの?』と、要らぬ心配する夫婦。、、、、要らぬ心配もう一つ。 来園者の少なさに驚いて、利益が出るのかな?、、、、2時間ほど楽しめた『これで世界旅行は終わったね!』
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東武ワールドスクウェア駅から一駅隣の鬼怒川温泉駅まで電車に乗る。 駅で待つてると、観光列車「SL大樹ふたら(C11 325)」が通過、さらに鬼怒川温泉駅では転車台を使い方向転換を見る。 ラッキー!、、、、妻は駅前のバームクーヘン屋さん(人気の店らしい)へ急ぎ足! 『機関車よりもバームクーヘン』
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鬼怒川温泉のお宿にチェックイン。 宿は鬼怒川のほとりに建つ、木々に囲まれたシンプルな外観の中規模な温泉ホテル。 部屋には内湯と露天風呂が付いている。 もちろん共用の大浴場もある。、、、、部屋から見える景色は、粉雪は舞っているが、雪は積もっていない! 今回の旅の目的「雪景色を見ながら露天風呂に入る」は達成できず、残念無念!

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・・・・・・・・・・ 夕食は、房総の海の幸をメインに美味しく食す。 妻と二人の食事も、旅先で食べるとより美味い!
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・・・・・・・・・・ 二日目(30日)は、ゆっくりお目覚め、ゆっくり朝食、ゆっくりチェックアウト、、、、日光へ寄って帰ることにした。
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● 粉雪の舞う日光、数年ぶりに輪王寺、東照宮、二荒山神社と巡る。

・・・・・・・・・・ まずは、輪王寺三仏堂に参る、、、、妻がぜひ見たいと言う、世界遺産登録25周年記念の秘仏初開帳で「五大明王」を拝観。 秘仏は身長10㎝程の青い肌の五体の明王像であった。(秘仏で撮影禁止) 妻が想像していた大きさに比べ、あまりにも小さな仏像であったため、公開していた場所を通りすごし、再び三仏堂に戻り拝観する。 御利益あるかも?
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・・・・・・・・・・ つづいて東照宮に参る、、、、拝殿に上がり二礼二拍手一礼。 久しぶりに鳴龍を見る。2501301050260
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・・・・・・・・・・ 東照宮に沿って参道を歩き二荒山神社へ参る、、、、風が強く吹き、粉雪舞い、寒い!
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● 年寄りは「無理は禁物」 疲れを生じぬよう、帰りは特急「リバティ」で早めに帰京する。
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● いずれまた「雪景色を見ながらの露天風呂」に再挑戦したい!

2025年1月27日 (月)

千葉街道に沿って

京成本線の海神駅から、千葉街道沿いに歩いて、総武線下総中山駅まで、1万歩の散歩です。



● 都心から京成本線で千葉方面に向かうと、京成船橋駅の一つ手前に海神駅(かいじんえき)」はある。、、、、海神駅は千葉街道(国道14号)の北側の一段高い丘陵部に位置している。 この付近は昭和初期に富裕層の別荘が建ち始めたことに由来する大邸宅の多い高級住宅街として開発されたが、約100年を経た現在は小規模住宅も増えたようで、一般の住宅街に変わってきた。 海神駅は大正8年(1919)10月25日に京成電気軌道の駅として開業した。 住宅街の駅で1日平均乗降人員は約6,000人、京成線内では乗降人員の少ない駅である。 もちろん、普通列車しか停車しない、私好みの駅である。
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● 今日は海神駅の近くに在る龍神社(船橋市海神6)へ、几号水準点を見に行く。、、、、龍神社(りゅうじんじゃ)は、西海神の鎮守で大綿津見命(仏名:娑竭羅龍王、別名:阿須波の神)を祀る。 明治以前まで近くの大覚院が別当をしていたと伝えられ、同寺の山号を龍王山と称する。 万葉集巻二十に「庭中の阿須波の神に小柴さし 我れは斎はむ帰り来までに」の歌が伝えられている。、、、、明治中期に造営された総欅造の本殿には、技巧をこらした彫り物があり、一見の価値あり!
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・・・・・・・・・・ 龍神社の鳥居の内側で狛犬台座前に独立して几号水準点らしき標石が設置されている。 この標石は一辺15㎝、地上高さ30㎝程の花崗岩でできた角柱。 上面には球状のふくらみがあることから、明治初期に内務省の設置した几号水準点よりも比較的新しい時期(私の推定では、昭和に入って設置されたものか?)に設置されたものと思われる。 標石の一面に6㎝角の「不」に似た記号が彫られている。 各地の几号水準点を見て歩いてる私にとっては、偽物もどきの標石にチョイトがっかり。、、、、【注記】几号(きごう)水準点とは、明治9年前後に内務省地理寮(国土地理院の前身の一つ)が高低測量を行うために設けた基準となる測量点。 イギリス式の測量法に従い、漢字の「不」に似た記号を恒久的に残るであろう石等に刻印し、水準点としたものである。 しかし、明治17年(1884)に陸軍の陸地測量部がドイツ式の測量方式を採用したため、この方式は使われなくなった。 現在、設置された几号水準点の一部は各地に現存しているが、水準点としては機能していない。
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● 千葉街道に出て、東京方面に向かうと、船橋中央病院の北側の小高い処に、木花咲耶姫命を祭神とする「山野浅間神社」(船橋市西船1)がある。 千葉街道から階段を上り、船橋市内で最も長い参道と言われてる約200mの参道を進むと社殿がある。 神社は、奈良・平安時代から山野浅間神社と称するといい、明治時代には村社に列格していたといいます。 現社殿は昭和47年(1972)に新築された。
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● 再び千葉街道に戻り、西船橋駅の北側でJR武蔵野線のガードを抜けると、一昨年(23/10/31)歩いた「印内春日神社」、「葛飾神社」、「東明寺」、「多聞寺」、「稲荷神社と続く。(一昨年の記事を見てください!)
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● 千葉街道から南に折れて、JR総武線の下総中山駅に到着。 下総中山駅は日蓮宗本山の中山法華経寺へ続く参道が駅前から伸びる。 参道はチョイトした商店街となっている。、、、、下総中山駅は明治28年(1895)4月12日に総武鉄道の中山駅として開業した。 明治40年(1907)には鉄道国有法により買収され国有鉄道の駅となる。 大正4年(1915)下総中山駅に改称する。、、、、普通列車しか停まらない駅。 なんとなく薄暗く、不思議な静けさを感じるのは私だけか?
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2025年1月22日 (水)

南砂町から亀戸へ

東京メトロ東西線の南砂町駅からJR総武線の亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。


● 今日は、昭和44年(1969)3月29日に開業した「南砂町駅」から散歩を始める。、、、、これまでの南砂町駅は島式ホーム1面2線の地下駅であった。 全国ワースト混雑率の東西線、その抜本的な輸送力増強策の一つとして、南砂町駅の島式ホーム2面3線化工事が進められている。 当初は2020年度完成の予定でしたが、現在は2027年度予定に改められ工事中。

・・・・・・・・・・ 朝の西船橋方面行の電車は、さほど混まずに南砂町駅に到着
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・・・・・・・・・・ 大手町、中野方面行の電車は超満員状態で到着
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・・・・・・・・・・ 部分的に新しくなった、改札口、出入口をとおり地上に出る。、、、、工事はまだまだ続く!
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● 南砂町駅から北へ600m程歩くと、「仙台堀川公園」がある。、、、、仙台堀川公園は、小名木川(おなぎがわ)から分流し大横川に合流する仙台堀川に沿った全長約3.7㎞の公園。 “仙台堀” は、堀に沿って仙台藩伊達氏の蔵屋敷があったことに由来する。 仙台堀川の多く部分を埋め立てて造られた親水公園で、規模は都内最大の親水公園である。、、、、公園は川沿いに遊歩道が続き、ところどころにはベンチもあり、のんびり散歩が楽しめそうだ!
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・・・・・・・・・・ 公園の一画に「旧大石家住宅」が保存されている。、、、、旧大石家住宅は、江東区で一番古い民家で、建てられたのは江戸時代後期で、半農半漁の典型的な住宅建築と言われている。、、、、現在は地元の人たちがボランティアで維持管理しているそうだ。
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● 旧大石家住宅から北西に700m程の処(江東区北砂4)に、真言宗智山派寺院の「持宝院」がある。 持宝院は薬光山と号す、創建年代は不詳であるが、寛永3年(1626)とも元亀・天正年間とも言われてる。 ピンクと白の本堂は遠くからも目立つ!

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● 下町の商店街「砂町銀座通り」の裏に「亀高神社」がある。、、、、亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624~1644)に五穀豊穣祈願の為に創建された。 昔の“亀高新田村”の地名を残す鎮守さま。 寛保元年(1741)には将軍徳川吉宗が白馬(?)にまたがり、鷹狩でこの地に訪れた際に参拝したそうだ。、、、、昭和43年に現在のコンクリート社殿が完成した。
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● 亀高神社から砂町銀座を横切って、600m程北へ向かうと小名木川にぶち当たる。 「進開橋」で小名木川を渡る。、、、、進開橋(しんかいばし)は、昭和42年(1967)に架橋された。 橋上には都道306号線(明治通り)が通る。 橋長:44.1m、幅員:22.0m
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● 進開橋を渡ると、明治通りを北へ真直ぐ歩けば、都営新宿線の西大島駅をとおり、堅川に架かる五の橋を渡り、JR総武線の亀戸駅に到着。
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・・・・・・・・・・ 亀戸駅から我が家の最寄り駅:浅草橋駅までは3駅、7分。 車中では、チョイト疲れても、座席に座らず、立ってるぞ!
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2025年1月18日 (土)

“和樂備”?

このところ、寒さに負けて出不精となっていた、『今日は寒くても歩くぞ!』と気合を入れて散歩することにした。 散歩は、京浜東北線の蕨駅からスタートすることにした。



● 京浜東北線の蕨駅(わらびえき)は、明治26年(1893)7月16日に日本鉄道の駅として開業した。 明治39年(1906)には、鉄道国有法により国有化された。 開業130年以上経た“老舗の駅”だ! 現在の駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 改札は橋上の1ヶ所だけだが、出入口は東西にそれぞれ1ヶ所ずつある。、、、、令和5年(2023)度のJR東日本エリア内の1日平均の乗車人員では、私が住む浅草橋駅は90位の48,054人であるが、蕨駅はなんと78位で53,921人、完敗である。(チョイト悔しいね!)、、、、【蛇足】駅名(市名も同じ)の『蕨』を“わらび”と読める人は多いが、漢字を書ける人は少ないと思うね! 私もその一人である。 ついでの話で、蕨市は全国で最も面積の小さな市、全国で最も人口密度の高い市である。
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・・・・・・・・・・ さて、相変わらず散歩の行先を具体的に決めていない私は、改札を出て東口に出るか?西口に出るか?悩んでしまう。 駅コンコースから町を眺め、以前東口に出て歩いたこと
思いだした。 そして『今日は西口から歩くことにする!』、、、、西口の階段脇には「蕨駅 開設記念碑」がある。
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● 蕨駅西口正面の「駅前通り」を歩くが、人通りも少なく、店もオープン前、キョロキョロする楽しみも無い。 チョイト裏道を歩く。
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・・・・・・・・・・ 「和樂備神社」の前に出た。 “和樂備”? 何て読むのだ! “わがくび”かな? “我が首”とは? チョイト悩んだが、神社の案内を呼んで納得!、、、、和樂備神社の社名は、全国的な神社合祀令により蕨町内に元々あった八幡社と18の鎮守社を明治44年(1911)に合祀して減らした際に、各集落の合意を得るため町長の草案を基に万葉仮名を用いた「和樂備(わらび)神社」と名付けられたそうだ。 境内に末社や石碑、歌碑、力石などが多くあり、合祀によって集約した名残と思われる。、、、、大正2年(1913)から本殿の覆屋を新築、引き続き社務所を建設。 さらに、昭和25年(1950)からは神楽殿の新築、昭和39年(1964)に幣殿・拝殿の改築、昭和49年(1974)に社務所の改築と続く。 また、平成8年(1996)には不審火により社殿全焼し、翌9年には再建を果す。 よって、和樂備神社の建造物は比較的新しい建物である。 また、境内は広く、大きな池などもある。 おそらく蕨市民にとっては、お宮参り七五三、初詣などで参拝した人も多いことと思われる。
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● 和樂備神社に参拝した後は、裏通りを抜けて再び「駅前通り」に出た。 駅前通りと旧中山道が交差する、蕨市中央5丁目の交差点の歩道部分に、「中山道 六十九次 蕨宿」(“蕨”の部分欠落)と標されている。 中山道は日本橋から京三条大橋まで、蕨宿は最初の宿場である「板橋」の次、二番目の宿場であった。 現在は何となく旧街道らしい雰囲気の街並みが残っているが、その当時の建物などは残っていないらしい。
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・・・・・・・・・・ “蕨宿”の標示の脇に「蕨町道路元標」が残っている。 この道路元標は、「蕨町」のときに造られたもの。 明治22年(1889)に蕨宿・塚越村が合併し、蕨町として発足した。 その後、一度も市町村合併を経験せず、昭和34年(1959)4月1日市制施行する。
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● 国道17号(=中山道)を越えると戸田市となる。 戸田市に入るとJR埼京線の戸田駅がある。、、、、戸田駅は、昭和60年(1985)9月30日に、国鉄の駅として開業する。 昭和62年(1987)JR東日本の駅になる。 島式ホーム1面2線の高架駅。 1日平均乗車人員は約2万人。
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・・・・・・・・・・ 埼京線の隣りを、新幹線が疾走する
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● 今日の散歩はここまで、戸田駅から帰る。 9千歩の散歩

2025年1月13日 (月)

大井の大佛

今日は成人の日で祝日、浅草橋駅から都営浅草線西馬込行きに乗る。 学生はいない、サラリーマンの姿も見えず、朝8時の電車は空いている。 ガラガラの浅草線は久しぶりだ! 『さてさて、何処で降りようか?』 特に行先のあてもなく終点の一つ手前馬込駅で下車する。 駅前で地図を見て、JR大井町まで歩くことにした。 9千歩の散歩です。
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● 「馬込(まごめ)駅」は、昭和43年(1968)11月15日、浅草線(当時は都営1号線)西馬込~泉岳寺間開業時に設けられた駅。この区間の開業によって、浅草線は全通した。 ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。 改札口は地下1階に2か所あり、その内の1ヶ所の出入口は環七通りと第二京浜が交差する日本初の立体交差点「松原橋交差点」の下にある。(今日は、別の出入口を利用した)、、、、駅は第二京浜(=国道1号)の地下にあり、国道の交通量は多いと思うが、駅前には大きな店舗はなく、比較的静かな落ち着いた駅である。
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・・・・・・・・・・ 駅前の第二京浜
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● 南北に伸びる第二京浜を挟んで、東側は東馬込の町、西側は北馬込の町。 JR大井町駅を目指す私は、東馬込の町を抜け、品川区西大井の町を北東方向に歩き、大井町駅に向かうことにした。 馬込駅から東馬込の町に入ると、起伏の多いことに気が付いた。 到る所に階段・坂道があり、登ったり下ったり、年寄りにはキツイ町である。
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● 大田区東馬込から隣の品川区西大井の町に入ると天台宗寺院の「帰命山養玉院如来寺」がる。 この寺は、かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が大正12年(1923)に合併して成立し、前身二寺の名称から「帰命山養玉院如来寺」と号した。、、、、如来寺は寛永年間(1624~1644)に芝高輪に創立されら寺で、五智如来が安置されているところから、俗に高輪の大佛と呼ばれ、明治41年(1908)に現在地に移転した。 大壇越に大和高取藩主植村侯があり、歴代の墓域がある。、、、、養玉院は寛永12年(1635)に創立され、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身である。 元禄11年(1698)に下谷坂本に移って養玉院と改め、この頃対馬の領主宗家の菩提寺となる。 大正12年(1923)如来寺と合併して、現在の場所に移った。、、、、私は、この寺に5年程前にも訪れてる。 久しぶりです!

・・・・・・・・・・ 平成元年(1989)に落慶した山門、、、、山門をから本堂まではチョイトした上り坂
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寛永5年(1628)頃建立された養玉院の本堂。 大正12年(1923)下谷坂本から移築したものである。 現在の本堂
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・・・・・・・・・・ 本堂の隣りに、
五智如来堂の瑞應殿(ずいおうでん)がある。 瑞應殿には五智如来像(大日如来、薬師如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来)が安置されている。 五智如来とは密教の主尊である大日如来の有する5種の智恵を象徴したものである。 5体とも像高:約3mで、「大井の大佛(おおいのおおぼとけ)」として親しまれている。 ただし、薬師如来像以外は享保10年(1725)と延享2年(1745)の火災で焼失、その後再興された。
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・・・・・・・・・・墓地には
対馬厳原の藩主宗対馬守を弔う宗家墓所がある。、、、、宗氏(そうし)は、日本の氏族のひとつ。中世から近世にかけて対馬国を支配した守護・戦国大名・近世大名の氏族。秦氏の末裔惟宗氏の支族だが、室町時代中期頃より平知盛を祖とする桓武平氏を名乗るようになった。
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・・・・・・・・・・ また植村家墓所もある、、、、植村家保は天保8年(1837)、近江膳所藩主・本多康禎の七男として生まれる。 嘉永6年(1853)に高取藩の第12代藩主・植村家興が急死したため、その末期養子となって家督を継ぎ、第13代藩主となる。
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● 如来寺から300m程北東に歩くと、新幹線高架橋の下に金子跨線橋
(品川区西大井4)がある。 ごく普通のコンクリート橋で、これといった特徴もない。 建設年は不明であるが、昭和39年(1964)以前の東海道新幹線建設時に架けられたものと思われる。 新幹線は高架の上で、その高架下に跨線橋が架かり、跨線橋の下には堀割の底を横須賀線の電車が通るという三層構造になっている。

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● 裏道を歩き北東に向かうと、カメラのニコン本社のある「光学通り」に出た。、、、、ニコン本社の建物は、「本社/イノベーションセンター」と、既存の自社施設を改修した「イーストサイト」「ウエストサイト」の合計3棟から成る。 約400億円を投じて竣工した本社/イノベーションセンターには、本社勤務社員の7割超を占める約3000人がここで働く。 建物は鉄骨造6階建て。 全長約150mの東西に長い形状をしており、延べ面積は約4万2000m2。 設計は三菱地所設計、施工は安藤ハザマ。、、、、スマートな感じの建物だ!
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● ニコン本社ビルの向かい側、歩道の中に「元禄八年銘道標」がある。 脇の案内板には以下のように書かれてる。 『本道標は、元禄8年(1695)に品川用水に石橋を架けた大井村の寂証ら58名の念仏講中が、石橋の安寧と通行者の安全を願って建立。 正面に「南無阿弥陀仏」、側面には「従是(これより)池上本門寺道」「従是奥澤九品佛道」という行先を刻んでいる。 この道は東海道と中原街道を結ぶ道の途中にあり、池上本門寺と九品仏方面に至る分岐点に建てられたもの。 (以下略)』、、、、建てられてから300年以上経過し、彫られた文字も読みにくくなったようだ!
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● 光学通りを歩いて、JR大井町駅に到着。、、、、駅周辺には振袖の娘が目立つ『そうだ! 今日は成人の日』 大井町駅前の区民会館で祝の集いがあるようだ。、、、、私の成人式は60年程昔のこと、何をどこでやったかスッカリ忘れた!
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・・・・・・・・・・ 大井町駅から電車で帰宅
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2025年1月 8日 (水)

江戸三座の猿若町

年末から私の足が、度々つる(こむら返り)ので、泌尿器科でもらった頻尿の治療薬が原因かと思い、早速、泌尿器科へ行ってきた。 医者の話では、そのような副作用は考えにくいらしいが、とりあえず服用を止めることにした。 これにてこむら返りは“一件落着”となれば良いのだが?
ところで、私が通う泌尿器科は、浅草の「浅草寺」裏(馬道交差点)にあり、江戸時代の猿若町(さるわかちょう)付近にある。 現在の住居表示では台東区浅草6丁目である。、、、、診療後にチョイト猿若町をブラブラし、浅草寺を裏から抜けて、帰宅した。 8千歩



● 旧猿若町の街角に台東区で設置した「旧町名由来案内 下町しるべ 旧浅草猿若町」によると、次のように記されている。 『この地はその昔、丹波国(現在の京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保十二年(1841)、徳川幕府は天保の改革の一環として、この屋敷を公収し、その跡地に境町・葺屋町・木挽町(いずれも現・中央区)にあった芝居小屋の移転を命じた。芝居小屋は、天保十三年から翌四年にかけて当地に移り、猿若町はできた。芝居小屋の移転とともに猿若町は、一丁目から三丁目にわけられ、一丁目には中村座および薩摩座、二丁目には市村座および結城座が移った。そして、三丁目には河原崎座が移転してきた。このうち中村座、市村座、河原崎座(=守田座)が世にいう「猿若三座(江戸三座)」である。  町名は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名をとってつけたという。
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・・・・・・・・・・ “天保の改革”を推進した、老中:水野越前守忠邦は、①幕府内部の質素倹約、②庶民生活の統制、⓷農民の都市流入抑制、④経済安定を目標とて政治を行った。 その一つ庶民生活の統制を目指し、奢侈取締・風俗粛正策の一環として、江戸中の芝居小屋をここ一ヵ所に集めるために新しくつくられた町が、猿若町である。、、、、水野越前守は当初、芝居小屋を廃止するつもりであったらしい。 その時の北町奉行:遠山左衛門尉景元(あの、桜吹雪の金さん)の献言により一ヵ所に集めて、取り締まりを強化する方針に変更されたと言われてる。

・・・・・・・・・・ 各芝居小屋は、天保十三年から十四年(1842~1843)にかけて、現在の中央区人形町、銀座東から、台東区浅草へ相次いで移転した。 将軍様の御膝下から、外濠の先にある浅草の田圃に移転させられた。 もう少し北へ歩くと「べらぼう」の蔦屋重三郎の舞台である吉原がある。

・・・・・・・・・・ “猿若町”の名は、江戸歌舞伎芝居の始まりといわれる猿若勘三郎(現歌舞伎の名門:中村勘三郎の先祖)の名前から、つけられたと言われてる。猿若勘三郎は、「猿若」という名の歌舞伎狂言を創作した。

・・・・・・・・・・ 明治十年頃までに芝居小屋は各地に移転し、町の賑わいは終わり。 その後は、震災、戦災をへて、浅草の履物や革製品の問屋街に変わって行った。 中村座は明治17年に現:台東区鳥越へ、市村座は明治25年に現:台東区台東1丁目の凸版印刷本社がある処に移転した。 守田座は明治5年に中央区新富町に移転し新富座と改称。 三座とも、その後火災、震災により廃座となる。


・・・・・・・・・・ 旧猿若町の中央を南北に伸びる道を歩くと、西側に中村座(写真2番目の雪洞型)、市村座(3番目の石碑)、守田座(=河原崎座、4番目の石碑)の跡がある。
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・・・・・・・・・・ 震災、戦災で復興した現在の猿若町には、芝居小屋を当時をイメージできるものは残っていない。



● 猿若町から被官稲荷神社・浅草神社・浅草寺に参り帰宅する。
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2025年1月 3日 (金)

三が日は京都旅行(3)

京都旅行の三日目は、京都駅に近い東寺に参り、最後に孫が見たかった清水の舞台に行って、東京へ戻る。



● 東寺は京都駅に近く、宿泊したホテルから20分程、歩いて行く。、、、、「東寺(とうじ)」は、真言宗総本山で山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」とも呼ばれる。 教王護国寺は、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場として今に至る。、、、、東寺の見所は、京都駅前のビルの林立する中に、木造建築のシルエットを空に向けてそびえたつ。 高さ約55mの日本最高の五重塔(国宝)。 塔は、寛永21年(1644)に、徳川家光が再建奉納したもの。 さらに、講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、大師堂(国宝)など広い境内に多くの見所が点在する。
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・・・・・・・・・・ 東寺の五重塔は、京都のシンボルで、日本一の高さ55mを誇る。 天長3年(826)空海による創建に始まるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。 雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644)、徳川家光の寄進で建てられたもの。、、、、今正月の9日までは「新春特別拝観」として五重塔初層の内部を特別公開してる。 内部には四如来と八大菩薩が安置され、仏の顔を拝み、アリガタヤ~~!
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・・・・・・・・・・ 金堂は、東寺の中心堂宇で諸堂塔のうち最も早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823)までには完成していたと推定される。 当初の堂は文明18年(1486)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。 現存の建物(国宝)は慶長8年(1603)に豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建された。 内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩が安置されている。(内部の撮影はダメ!)
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・・・・・・・・・・ 金堂の背後(北側)に建っているのは、重要文化財の
講堂」。 東寺が空海に下賜された弘仁14年(823)にはまだ建立されておらず、天長2年(825)に空海により着工されて、承和6年(839)に完成した。 しかし、この創建当初の堂は文明18年(1486)の土一揆による火災で焼失するが、わずか5年後の延徳3年(1491)に現在の講堂が再建されている。、、、、金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした21体の密教尊を安置し、立体曼荼羅を構成する。 21体の仏像の内、16体が国宝、5体が重文。 スゲェ~~!
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・・・・・・・・・・ 国宝の御影堂(大師堂)は、かつて空海が住房としていた境内西北部の「西院」と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂である。 前堂、後堂、中門の3部分からなる複合仏堂で、全体を檜皮葺きとする。 当初の堂は康暦元年(1379)の火災による焼失後、その翌年に後堂部分が再建された。 10年後の明徳元年(1390)、弘法大師像を安置するために北側に前堂、その西側に中門が増築され、現在の姿となった。 堂内には、不動明王坐像(国宝、9世紀)、弘法大師坐像(国宝)が安置されている。
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● 東寺を拝観した後、旅の最後は清水寺へタクシーで向かうが道路は渋滞、超満員のバスがノロノロ運転、観光客がゾロゾロ横断。 まさにオーバーツーリズムを体験する。、、、、バス通りから寺に向かう坂道は、肺活量の少ない私にはチョイト辛い! ハアハア・ゼイゼイ・マイッタね! 茶屋でひと休み!
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・・・・・・・・・・ やってきました清水寺へ。 清水寺は、北法相宗の本山。 宝亀9年(778)延鎮上人が開山、延暦17年(798)坂上田村麻呂の創建と伝える。 音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。 現在の主な堂塔は、寛永10年(1633)徳川家光の再建。 ‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。、、、、舞台の上は満員状態、チョイト斜めに水勾配のある床が壊れるかも? 高所恐怖症の私は、足がすくむ。
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● 楽しい旅もここまで、15時6分発の新幹線に乗車し帰京する。

2025年1月 2日 (木)

三が日は京都旅行(2)

一月二日、今回の旅行の最大の目的地である京都鉄道博物館へ行く。、、、、旅行のきっかけとなったのは、鉄道オタクの孫が京都鉄道博物館に行きたいといったことから始まった。 私の娘(孫の母)も“鉄オタ”、そして私も“鉄オタ”、三人揃えば話は早い! 『正月に行こう!』 入場券の前売り、運転シュミレーターの予約、全て娘が手配済み。、、、、時間が余ったら、近くの京都水族館へ行くことにした。



● 京都駅前のホテルから徒歩30分程で、かつての梅小路機関区の跡地に、平成26年(2014)にオープンした「京都鉄道博物館」に到着。 開館30分前というのに、入口前は既に行列ができている。 子連れ、若者が多い、後期高齢者はまだ並んでいないね!(チョイト恥ずかしい)
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・・・・・・・・・・ 京都鉄道博物館はJR西日本が運営する博物館で、0系新幹線電車の第1号車や、時速300kmでの営業運転を実現しギネスブックにも掲載された500系新幹線電車、戦後の特急列車を牽引した国鉄最大級のC62形蒸気機関車など、歴史的な価値を持つ車両を含め、54両の車両を収蔵・展示してる。 JR東日本が運営する、さいたま市大宮の「鉄道博物館」に同規模程である。 勝るとも劣らない!、、、、まずは屋内展示場を見て回る
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・・・・・・・・・・ 円形の転車台、扇形の蒸気機関車庫(梅小路運転区)に並ぶ日の丸を掲げた蒸気機関車群は圧巻で、子供も老人も、男も女も、イケメンも美人も、皆が感嘆する。 来て見てビックリ、嬉しい施設だ! 
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・・・・・・・・・・ 本物の蒸気機関車が牽引する客車に乗車することもできる、体験展示「SLスチーム号」に乗ってきた! 往復1kmを走る間、蒸気機関車の旅気分を満喫。
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・・・・・・・・・・ 明治37年(1904)に建設され、現役時代は日本最古級の木造駅舎といわれていた「旧二条駅舎」。 平成8年(1996)に京都市指定有形文化財に指定された、現在は京都鉄道博物館の出口を兼ねたミュージアムショップとなっている。、、、、たっぷり楽しませてもらい、3時間の見学となった。
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● 昼食を済ませ、京都鉄道博物館と同じ梅小路機関区跡地に造られた「京都水族館」を見る。、、、、平成24年(2012)に開業した内陸型水族館であり、日本初の完全な人工海水利用型水族館である。 オリックス不動産が公園の一部と隣接地を京都市から借用し経営している。 総合管理業務は大京グループ内ビル管理事業会社のオリックス・ファシリティーズ株式会社が、運営業務はオリックス水族館株式会社が行う。 地元を流れる鴨川に生息する国の特別天然記念物・オオサンショウウオを始め、ゴマフアザラシやケープペンギンなどを含む動物約250種・総数約1万5000匹を展示している。 水槽総容量は約3,000 t。 全水量中の約90%に及ぶ必要海水量は、設計と建設を手掛ける大成建設の高性能濾過システムによって生み出される人工海水で全て賄っている。 建築物は地上3階建て・塔屋1階建て、建築面積5,948.25m2、延べ床面積10,974.29m2、最大収容人数5,000人。 建築費は約60億円。、、、、こちらも、子連れ、カップル、インバウンド客が大半、ここも後期高齢者はチョイト恥ずかしいかも? でも、ここも時を忘れて楽しませてくれて、退館したのは4時半過ぎ。
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● 楽しんだ後は、美味しい夕食とホテルに戻り熟睡だ!

2025年1月 1日 (水)

三が日は京都旅行(1)

今年の三が日は長女の家族と京都旅行に行ってきた。 一月一日、朝東京を出て、伏見稲荷大社、東福寺に初詣。 二日は京都鉄道博物館、京都水族館の見学。 三日は東寺に清水寺を巡る、二泊三日の旅行。 



● 10時半、満員の新幹線にゆられ京都駅に到着。 新幹線改札を出ると目の前には奈良線のホーム、電車が発車直前、人の流れに流され乗車、京都駅から二駅目:JR西日本の稲荷駅で下車。 駅前には伏見稲荷大社の鳥居が見える。
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● 京都の初詣ベスト2にランクする「伏見稲荷大社」、初詣客でスゴイ! 私の住む東京の浅草寺と混みようは変わらず、例年初詣客の人出は250万人らしい。、、、、朱塗りの楼門は、天正17年(1589)に豊臣秀吉が寄進したと伝えられている。 重要文化財の本殿は明応8年(1499)に再興された檜皮葺きの社殿。 どちらも、人混みの中、全体像を撮影できず、ただただ人の頭を見ながら社殿に向かう。
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・・・・・・・・・・ 拝殿で手を合わせ、後背にある稲荷山の千本鳥居を歩く。 我が孫は、朱塗りの鳥居が続く情景に期待を膨らませ京都に来たようだ。 インスタ映えする鳥居の景色は期待を裏切らなかった。、、、、山頂まで続く鳥居の参道には、年末のこむら返りの痛みが残る私の足が悲鳴をあげ、中腹の「
熊鷹社」で引き返すことにした。
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● 伏見稲荷大社を後にして、山裾の住宅地を歩き抜けると、東福寺の山門が見えた。、、、、東福寺は臨済宗東福寺派の本山。 摂政九條道家が聖一国師を開山として菩提寺建立を発願、嘉禎2年(1236、鎌倉時代)より19年の歳月をかけて建長7年(1255)に七堂伽藍を完成した。 京都五山の一つ。 壮観を極めた伽藍であるが、度重なる兵火と明治14年(1881)の失火で仏殿、法堂、庫裏などを焼失、以後、逐次再建された。 禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が残る。 境内の通天橋は紅葉の名所。、、、、伏見大社に比べると極めて少ない参拝客(まばらな人影)に、我が家の一行はホットする。
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・・・・・・・・・・ まず目に入ったのは、禅宗寺院としては最古最大最優の国宝である「三門」。 室町時代の国宝建造物。 和様、大仏様(天竺様)の建築様式を取り入れてる。 棟高は22m余の三門、楼上からは洛南一帯を一望できる。 一目見て、スゲ~~!
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・・・・・・・・・・ 東福寺の法堂(本堂)は、明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年から再建工事にかかり、昭和9年(1934)に完成した。 高さ25.5m、間口41.4mの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。 国宝に指定されている。 堂内には、本尊の釈迦如来像(鎌倉時代の作)が座している。
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・・・・・・・・・・ 秋の紅葉の名所「通天橋」も、葉が落ちた冬は訪れる人も少ない。、、、、仏殿から常楽庵に至る渓谷に架けられた橋廊で、天授6年(1380)に架けたと伝えられる。 昭和34年(1959)台風で崩壊したが2年後再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリート造となった。(秋の通天橋の写真は、14年前に撮影)
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・・・・・・・・・・ 方丈は明治23年(1890)に再建された。、、、、本坊庭園「八相の庭」は近代の造園家、重森三玲によって昭和14年(1939)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。 釈迦成道を表現した枯山水庭園。
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● 夕刻、京都駅前の「都ホテル」にチェックイン。 正月気分で夕食となる。
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