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2025年2月

2025年2月27日 (木)

岡崎城・熱田神宮

名古屋駅前のホテルで寝覚めた私たち夫婦の今日の予定は、妻の希望で『熱田神宮へ行く』。 夕刻の新幹線まで時間がタップリあるので、午前中から岡崎城へ行き、帰りに熱田神宮へ寄ることにした。、、、、岡崎城は、城好きな人でなければ、わざわざ東京から見に来ることはないと思われる。 夫婦二人旅、自由にのんびり好きな処に行ける、この機会に見ておくことにした。



● 名古屋から名鉄名古屋本線に乗り約45分「東岡崎駅」で下車。、、、、東岡崎駅は市名を冠するJR東海の岡崎駅に比べると岡崎市役所や岡崎城などに近く、駅周辺は中心市街地が広がることから、岡崎市の中心駅としての役割を担っているそうだ。 2030年度の竣工を目指し駅前の再開発が進行中で、明るく近代的な駅舎に生まれ変わるそうだ。、、、、東岡崎駅は大正12年(1923)8月8日、岡崎電気軌道(後の岡崎市内線)是字寺駅所在地に、愛知電気鉄道により開業したのが始まり。 現在の一日当たり平均乗降者数は約6万人で、名鉄の駅の中では、名鉄名古屋駅、金山駅、栄町駅に次いで、4番目に利用者が多いらしい。 、、、、失礼ながら、こんなに近代的な駅とは思っていなかった。 来てビックリ、見てビックリ!
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・・・・・・・・・・ 東岡崎駅の北側を流れる乙川(おとがわ)は川幅も広く、両岸の土手は遊歩道として整備され、そこに架かる橋もなんとなく城下町の風情を感じさせる、住んでみたくなる情景だ!
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● 岡崎城下、乙川岸に鎮座する「菅生神社(すごうじんじゃ)」、、、、菅生神社は岡崎最古の神社、日本武尊命により(西暦110年)創建。祭神は、天照皇大神・豊受姫命・須佐之男命・徳川家康・菅原道真。 松平家・徳川家康ゆかりの神社で家康が25歳の時、厄除開運祈願をし、社殿・寄進田など厚く崇敬した。 その後、江戸幕末まで、岡崎城主代々の祈願所として城主より社殿・鳥居など寄進を受け、岡崎城内鎮守の守護神とされた。
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● 「岡崎城」は、徳川家康が生まれた「神君出生の城」。 龍にまつわる伝説も多く別名 龍ヶ城とも呼ばれ、竹千代(のちの家康)が誕生した折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れたと伝えられている。 昭和34年(1959)に再建された鉄筋コンクリート造3層5階の復興天守は、岡崎市のシンボルとなっている。 いにしえより、東海道を舟運による交通の要衝として栄え、「五万石でも岡崎様は お城下まで舟が着く」と歌われ、岡崎城の発展や城下町の繁栄を築いた。 平成14年(2006)に「日本100名城」に選定された。、、、、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に岡崎城を移築した。 天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生した。 家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごし、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立した。(家康19歳) 以後、岡崎城を拠点に天下統一という偉業へ突き進む。 元亀元年(1570)家康は本拠を遠江浜松に移し、嫡男信康を岡崎城主とした。 天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代とする。 天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政が城主となる。 家康が江戸に幕府を開いてからは、本多氏、水野氏、松平氏など、家格の高い譜代大名が城主となった。 明治維新を迎えると情勢は変わり、新しい時代には不用とされた城郭の大部分は明治6年から7年にかけて取り壊されてしまった。 このあとは、堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりであったが、岡崎の象徴である天守閣がないままではしのびないと、昭和34年(1959)にほぼ昔どおりの外観の天守閣が復元された。、、、、復元された現在の岡崎城は、鉄筋コンクリート造3層5階、高さ28m、設計は名古屋工業大学工学博士 城戸 久(故人)、施工は清水建設、、、、昨日行った名古屋城ほどのスケールはないが、整備された美しい街中に想像していた以上に立派な城があって感動させられた。 「天守閣」と家康の一生をを語る「家康館」に入館し、チョイト勉強させてもらった。 天守閣からの眺望はgood!
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● 岡崎城を見たあとは、東岡崎駅で教えてくれた八丁味噌の工場見学に行くことにした。 岡崎城から徒歩20分程、愛知環状鉄道の中岡崎駅近くにある「カクキュー 八丁味噌」に行く。、、、、江戸時代初期より、八丁町(旧八丁村)で造り続けるカクキュー(屋号)の八丁味噌。 その工程を会社のガイドさんの説明で見て歩く。 最後に、みそ汁の試飲、味噌田楽の試食、お土産付で、妻は満足顔。 売店で味噌を購入、チョイト重たいな!、、、、 西欧のバシリカ式教会堂のような構造で、黒と白を基調とした木造の建物は本社屋。 昭和2年(1927)に建てられた国の登録有形文化財。
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● 岡崎から名古屋(神宮前)へ戻り、「熱田神宮」へ参る。、、、、熱田神宮は、1900年以上続く古社で「熱田さん」と呼ばれている。 創建は景行天皇43年(113)。 広い静かな参道を拝殿目指して歩くだけで、身が清められるような清浄な空気に満たされている。 拝殿の奥に見える社殿が本殿(撮影不可)で、ここにご祭神である熱田大神が鎮まっている。 熱田大神は、三種の神器の1つ「草薙神剣」を神体とする天照大神とされてる。、、、、約6万坪(約19万㎥)の境内は、樹齢1000年を超えるという楠が生い茂り、心身ともに英気を養うことができる。 広すぎる境内はチョイト端折って歩くことにした。 写真は、東門参道、日本三大燈籠の一つ「佐久間燈籠」、神楽殿本宮拝殿(二枚)の順。
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● 名古屋駅から東京へ、、、、チョイト、年寄りには疲れる旅であった。 無事に帰り、一安心。

2025年2月26日 (水)

名古屋城・大須観音

最強最長寒波が続き、家でグダグダしている時、妻が『名古屋城と熱田神宮、よく知らないので行ってみたい』とつぶやいた。 すかさず、私が『よし、行こう』と応え、その場でホテルを予約。 これにて、名古屋行きは確定! 寒波が終わり、春の陽気に変わった26日・27日、夫婦で名古屋・岡崎の城を巡ってきた。



● 東京を8時半に出て10時には名古屋着。 名古屋駅で下車するのは久しぶりだ、サラリーマン時代は年に数回、出張で降りた駅。 懐かしい駅だ!、、、、今日は、真直ぐ名古屋城に向かう。
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● まずは旅の目的地「名古屋城」にやって来た!、、、、名古屋城は、関ケ原の戦いに勝利した家康が、慶長14年(1609)、豊臣方への備えとして築城を決めた。 翌慶長15年、家康は九男義直の居城として、加藤清正。福島正則らの西国大名に命じ、普請を開始。 慶長20年(1615)にはほぼ完成した。 以来、名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えた。、、、、昭和5年(1930)、城郭建築では最初の国宝に指定されたが、昭和20年(1945)の空襲で本丸の大半を焼失した。 昭和34年(1959)、金のシャチをいただく五層の大天守閣と小天守閣が鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された。 外観は昭和の実測図に基づき正確に再現されたそうだ。、、、、残念ながら、現在は耐震性が低いことに対応するため、天守閣は閉館されている。 天守は、河村たかし前市長の肝いりで木造復元工事(後に木造での復元は断念する)が計画されていたが、障碍者対応のエレベーターの設置に関して意見が分かれ、現在は計画が進んでいないようだ。、、、、何時になったら、私が天守閣に上れる日は来るのか?
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・・・・・・・・・・ 慶長20年(1615)に建てられた「本丸御殿」は、城主が居住する御殿だったが、元和6年(1620)将軍上洛時の御成専用に改造された。 以後、藩主は二之丸御殿に居住した。 本丸御殿を使った将軍は秀忠、家光、家茂の3人で、上洛の途中に宿泊している。御成御殿となった後の本丸御殿は、尾張藩士により警備と手入れが行われるのみで、名古屋城主である尾張藩主ですら本丸に立ち入るのは巡覧の時のみであった。 こちらも天守閣と同様に、昭和5年、国宝に指定されていたが、空襲により焼失してしまった。、、、、本丸御殿は御成専用だけあって、格式の高さは当時の二条城本丸御殿に匹敵した。 日本を代表する近世書院造の建物で総面積3,100㎡、13棟の建物で構成されている。 優美な外観とともに、室内は花鳥風月などを題材とした障壁画、飾金具などで豪華絢爛に造られている。、、、、復元工事は平成21年(2009)に150億円の予算で着工し、平成29年度(2017年度)に工事完了し、平成30年(2018)より一般公開された。、、、、ヒノキなどまだ木材も白く輝き、新しさが強調されている御殿であるが、一見しての豪華さが驚きを発せさせる。 年寄りは冥途の土産に見ておくと良い!
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● 名古屋城を見たあとは昼食に“きしめん”を食し、午後は何処へ行こうか?、、、、年寄りの気まま旅、多くの観光地を巡る予定を立てると、時間に追われ疲れるので、今日は名古屋城だけを必見することにしていた。 それにしても時間が余り過ぎたので、名古屋城から大須観音(妻が行ってみたいと言った)まで歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 名古屋城から堀川沿いに歩き、途中、「四間道(しけみち)」と呼ばれる古い町並みを歩く。、、、、慶長15年(1610)の名古屋城築城と共に商人達がこの地に住み着いて作られた商人の城下町として始まり、名古屋で最初に誕生した街である。 元禄13年(1700)の大火で1600軒余りが焼失し、その後尾張藩4代藩主徳川吉通は、堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、道幅を4間(約7メートル)に拡張したのが「四間道」と呼ばれる謂れとなった。 この通りは、当時の熱田から岐阜へ向かう街道「美濃路」の1つ西側にあり、土蔵造りの並ぶ街並みとなる。、、、、古い佇まいを残し、多くは飲食店として営業中。 チョイト一休み!
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・・・・・・・・・・ 堀川に架かる納屋橋の際に、正面にアールがついている「旧加藤商会ビル」がある。 地上3階地下1階建ての鉄筋コンクリート造。 竣工は昭和6年(1931)で、外壁は大正期の意匠が残されている。(内部は入ったことが無いので不明) 国の登録有形文化財。
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・・・・・・・・・・ 都会の真ん中、御園座(劇場)に裏(栄1-7)にチョイト昭和レトロな建物で、雰囲気のある眼科医「葛谷眼科院」があった。 ネットで調べると、優しい女医さんが対応してくれる、評判の良い医院らしい。 私も眼科医院に通っているが、名古屋じゃチョイト遠いいね!
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・・・・・・・・・・ 名古屋城から約4㎞、「
大須観音」にやって来た。、、、、私は“大須”と言えば、「大須ういろう」しか浮かばないが、どこで聞いたか? 妻が行ってみたいと言った観音さまだ!、、、、大須観音は真言宗の寺院。 正式には北野山真福寺宝生院。 大須観音と呼ばれ親しまれている。 美濃の大須にあったものが慶長17年家康により当地に移された。 本堂は戦災焼失したが、昭和45年に再建。、、、、何だか私の地元:東京浅草の観音様によく似た下町の雰囲気の寺だ。 賽銭をはずんで「旅行安全」、「夫婦円満」を願う。、、、、周辺の商店街も浅草の仲見世商店街によく似てる。 クレープ、たこ焼き、ソフトクリームなど食べ歩く、中韓の若者が多いね。
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● 歩き疲れて名古屋駅前のホテルにチェックイン。 夕食は“ひつまぶし”、、、、good night!
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2025年2月23日 (日)

寒い 寒い 大寒い!

大寒波の襲来。 連日の寒さは年寄りには辛い、腰痛は激しくリハビリも効果なし。 家でゴロゴロ、外出する気になれぬ!

連日、日本海側の大雪情報を見てると、平成25年(2013)1月14日の大雪を思い出す。 東京もかなりの積雪量であった。 当時の浅草橋・柳橋・両国の写真がある、見てね!  
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2025年2月16日 (日)

流鉄流山線

暖かな日となった今日、妻と久しぶりに「流鉄流山線」に乗ってきた。 常磐線馬橋駅から流鉄に乗って流山まで、歴史ある流山本町を散策し、新興住宅地であるつくばエキスプレスの「流山おおたかの森駅」まで歩いた。 1万1千歩


流鉄流山線とは?
、、、、流鉄の流山線(ながれやません)は、千葉県松戸市の馬橋駅と流山市の流山駅を結ぶ、両端を含む6駅、単線5.7kmの短い路線である。 運行会社の「流鉄(りゆうてつ)株式会社」は平成20年(2008)の社名変更まで「総武流山電鉄株式会社」と称していた。 私を含め年配の人は“流山電鉄”と呼んでいた。 起点はJR常磐線の馬橋駅に隣り合う流鉄の馬橋駅、終点は流山市の中心部にある流山駅。 列車は全て2両編成の電車である。 沿線は首都圏のベッドタウンとして宅地化が進み、農地・山地の景色は消え去り、住宅地に変わった。


● JR常磐線の馬橋駅で下車し常磐線ホームに立つと、5本の線路を隔て流山線のホームが見える。、、、、橋上の改札を抜ける、、、、跨線橋から、右に常磐線ホーム、左に流山線ホームを見る。、、、、黄色の「菜の花」号が到着
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・・・・・・・・・・ 跨線橋から流山線のホームに下りると、ホーム上に券売機と改札がある。(終点:流山までは運賃220円也)、、、、木組みの上屋に時刻表ある。 日中は20分間隔で運行してる。(全線所要時間は11分)
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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの開業、新型コロナの影響などで、年々乗客は少なくなっている。 一日の輸送人員は約4000人で少ない。ピーク時(1993年)の1/3となってしまった! 残念ながら、2000年代に入ると営業損益は赤字となり続いている。
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・・・・・・・・・・ 流山線は単線であるが、途中の小金城址駅では、列車交換が行われる。 やって来たのはピンク色の「さくら」号
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・・・・・・・・・・ 馬橋駅を発して10分とチョイトで終点流山駅到着。 流山駅の本屋は流山線敷設当初の大正5年(1916)の建築である。 構内には、黄緑色の
「若葉」号、橙色の「流星」号、臙脂色の「あかぎ」号などの車両も見える。
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・・・・・・・・・・ 流山駅ホームですれ違った方は、山高帽にマント(トンビ)姿で大正時代へカムバック!
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● 江戸川沿いに位置する流山の町は、江戸時代から明治大正にかけて商業の中心地として栄えてきた。 夫婦でブラリ町歩き。

・・・・・・・・・・まずは、「新選組陣屋跡」、、、、慶応4年(1868)に新選組が本陣とした醸造家の跡地。 現在は修繕工事中。
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・・・・・・・・・・ つぎは「閻魔堂」、、、、江戸時代の閻魔像を祀るお堂。 当時の義賊:金子市之亟と恋人の三千歳の墓もある。
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・・・・・・・・・・ 歴史ある建物が並ぶ江戸時代の街道(流山本町通り)脇を流れる「江戸川」2502161124520


・・・・・・・・・・ 「浅間神社」、、、、江戸時代初期の創建。 新選組を包囲した新政府軍が境内裏に仮本陣を敷いたと言われてる。
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・・・・・・・・・・ 「呉服 新川屋」、、、、流山本町通りに東面して建つ、弘化3年(1846)創業の老舗呉服屋。 蔵づくりの現店舗は、大工の土屋熊五郎によって明治23年(1890)に建築され、国登録有形登録文化財に指定された。 特徴的なのは鬼瓦が招福の恵比寿、大黒天で、店内は太い梁や漆喰の白壁で趣のある日本建築となっている。、、、、女主人が出てこられ、昔話、建物建設時の写真、古い小屋組、NHKの取材話など、私達にいろいろとお話を聞かせてくれた。 有難うございます。
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・・・・・・・・・・ 百数十年の歴史ある老舗が点在する流山の古き建物をブラリと見てまわる。
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・・・・・・・・・・ ブラリの後は、創業70年の歴史を刻む“地焼き”のうなぎ店「江戸屋」で昼食。 メニューはもちろん“うなぎ”
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● 流山本町を歩いた後は、食後の運動を兼ね、つくばエキスプレスの「流山おおたかの森」駅まで歩く。
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・・・・・・・・・・ 駅前の大型ショッピングセンターが並ぶ光景を見て、妻は『浅草橋より住みやすそうね』(あたり前田のクラッカー! 浅草橋にはショッピングセンターなんてありゃしない!)と声が出た「流山おおたかの森駅」に到着。 駅はつくばエクスプレスと東武野田線が乗入れる接続駅となっている。、、、、つくばエキスプレスの駅は、島式ホーム2面4線を有する高架駅である。 開業は平成17年(2005)8月24日。、、、、“おおたかの森”とは、当駅から見て西方にある、約50ヘクタール(ha)の森林「市野谷の森」のことであり、絶滅危惧種にかつて指定されていたオオタカが生息することから、駅名の一部に採用された。
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2025年2月14日 (金)

草加から見沼代親水公園へ

朝、今日は三月並みの陽気になると、お天気お姉さんのお告げがあった。 早速『散歩してくる!』と妻に告げ、押上で行先定まらないまま電車に乗った。 とりあえず草加駅で下車し、思案の末、日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩いてきた。 1万歩



● 押上で半蔵門線から乗り入れる南栗橋行きに乗り、『どこで降りようか』考えがまとまらないまま草加に着いた。 しばし駅で思案し、西に向かって裏道を歩き日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。、、、、草加駅は明治32年(1899)に開業した古参の駅。 急行も停まる主要な駅である。 都心への通勤通学客も多いが、下車する人も多い。 行き交う人の多い駅でカメラを持ってブラブラしていると、“盗撮マニア”と疑われそうなので、足早に駅を離れる。
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● 草加駅西口から西に向かって裏道を歩き、草加市西町の西町小学校(昭和42年開校)前をとおり、国道4号(=草加バイパス)を横断する。
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● 草加バイパスからチョッピリ西に入ると、真言宗智山派の真蔵院がある。 寺は長渓山興精寺と号す。 真蔵院の創建年代は不詳、当寺の本尊背面の銘には享保5年(1720)に完成したと記されているそうだ。 甲斐武田氏の元家臣吉沢氏が当地に定着し、一族の菩提寺として創建したと言われてる。、、、、、小さな本堂に、緑の多い境内、民話に出てくる山寺を思い出させる素朴な風景を創り出している。 いいね!
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● 「新郷スポーツセンター通り」と称するバス通りを歩き、辰井川に架かる「沖田(おきだ)橋」(平成4年(1992)竣工)を渡り、草加市から川口市に入る。、、、、辰井川(たついかわ)は、川口市東部に源を発し東へ流れ、草加市に入り南へ転じ、草加市谷塚上町で毛長川に合流する一級河川。流路延長は約5.4㎞。 沖田橋から見る辰井川は農業用水路のようだ、どう見ても一級河川とは思えない!
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川口市榛松に入り、再び裏通りを歩く。 ここらは新興住宅地なのか、比較的新しい住宅がの並んでいる。
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● 川口市榛松の真言宗智山派寺院の不動院は、三嶋山龍蔵寺と号す。 創建年代は不詳。 住宅街の中にあり、静かな佇まいで落ち着いた雰囲気の寺である。、、、、山門脇に4基の石仏がある。 右から、寛保3年(1743)の馬頭観音立像、庚申塔 元文5年(1740)の庚申塔、寛保3年(1743)の庚申塔、延宝8年(1680)の庚申塔。
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● 不動院から約1㎞歩くと、毛長川を越えて東京都足立区に入る。 川の先には日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。
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2025年2月11日 (火)

伝通院

飯田橋駅から、伝通院、こんにゃく閻魔、シビックセンター、後楽園を巡り、水道橋駅まで、1万歩の散歩です。



● JR飯田橋駅で下車する。 JR飯田橋駅は島式ホーム1面2線の高架駅。 駅舎は東西に出口があるが、地形が傾斜しているため、東口側は高架駅舎のようになっており、西口側は橋上駅舎となっている。、、、、今日は東口から歩くことにした。 飯田橋駅では、中央・総武線のホームが令和2年(2020)に西側(新宿寄り)に約200m移設され、秋葉原寄りの東口に出るには、電車が停まらなくなったホームの部分を100m程歩くようになった。 年寄りには、短い距離も長く感じるホームである。
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● 飯田橋駅から、神田川を越え北へ歩く。 坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで「安藤坂」(距離:約250m)と呼ばれる坂を上る。 正面に伝通院の山門が見える。
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・・・・・・・・・・ 文京区小石川3丁目の高台にある伝通院(=傳通院、でんづういん)は、正式には「無量山 傳通院 寿経寺」という、浄土宗の寺。 徳川将軍家の菩提寺である。、、、、創建は応永22年(1415、室町時代)。 慶長7年(1602)に徳川家康の生母於大の方(水野氏)が京都見物中に伏見城で亡くなると、家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬した。 位牌は安楽寺(愛知県蒲郡市)に置かれ、光岳寺(千葉県関宿町)など各地に菩提寺を建立した。 慶長8年(1603)に家康は母の遺骨を現在の墓地に埋葬し、寿経寺をここに移転して堂宇を建て始め、生母於大の法名「伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」にちなんで院号を伝通院とした。、、、、昭和20年(1945)5月の米軍による空襲で小石川一帯は焼け野原となり、伝通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失した。 かつての将軍家の菩提所としての面影は完全に消え去ったが、昭和24年(1949)に本堂を再建。 さらに、現在の本堂は、昭和63年(1988)に戦後2度目に再建されたものである。 平成24年(2012)には山門が再建された。
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・・・・・・・・・・ 伝通院の墓所には、於大の方以外に、千姫、三代将軍家光の正室孝子など、徳川家にゆかりのある女性や、将軍の三歳以下の子供たちが眠っている。、、、、侍女の墓もある。 死んでも徳川家の墓所に弔われるとは、羨ましいね!
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・・・・・・・・・・ 生母於大の墓と千姫の墓
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● 伝通院から東へ善光寺坂の途中に、浄土宗の「慈眼院(じげんいん)」がある。、、、、慈眼院の創建年代は不詳だが、元和6年(1620)に沢蔵司稲荷の別当寺になっていることから、この頃には慈眼院が創建していたと推定される。
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・・・・・・・・・・ 境内の崖下には「沢蔵司稲荷(たくぞうすいなり)」が祀られている。 別当寺は慈眼院。 「沢蔵司(たくぞうす)」とは、大田道灌によって千代田城(後の江戸城)に勧請され、その後元和年間に伝通院において仏法や学問を学んだとされる狐神。、、、、沢蔵司は。僅か3年で浄土宗の奥義を極めたという秀才で、「沢蔵司 てんぷらそばが お気に入り」と川柳に読まれたほど著名な僧(狐)だったといわれてる。 きつね蕎麦が好きだと共喰いになるからね!
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・・・・・・・・・・ 慈眼寺前の善光寺坂の道路の真ん中に一本の巨大な「椋の木」(樹高:約13m、主幹:約5m、樹齢:約400年)残っている。 この場所は江戸時代、伝通院の境内であった。 その後、伝通院の鎮守であった沢蔵司稲荷の神木として現在に至っているそうだ。、、、、今にも倒れそう、そろそろ樹命が来たかも?
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● 慈眼寺の隣りには善光寺坂の謂れとなった「善光寺」がある。、、、、浄土宗の善光寺は、慶長7年(1602)に伝通院の塔頭縁受院として創建、明治17年(1884)善光寺と改称し、信州の善光寺の分院になったといいます。
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● 善光寺坂を下り都道436号にでると、「こんにゃく閻魔」で有名な「源覚寺(げんかくじ、文京区小石川2)」にもお立ち寄り。、、、、浄土宗寺院の源覚寺は、常光山西向院と号す。 源覚寺は、寛永元年(1624)創建された。 本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩)。 特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていた。  江戸時代には四度ほど大火に見舞われ、特に天保15年(1848)の大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。 しかし、こんにゃくえんま像や本尊は難を逃れた。 再建は明治時代になったが、その後は、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れられた。しかし老朽化が進み現在の本堂は1979年に再建されたものである。
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・・・・・・・・・・ 当寺の別称にもなっている「こんにゃく閻魔像」は、鎌倉時代の作といわれ、像内から寛文12年(1672)に修復された記録が発見されている100.4センチの木造の閻魔大王の坐像である。 運慶派の仏師が造立した仏像である。、、、、閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴で、その原因となる伝説が残されている。 それは、宝暦年間(1751~1764)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔像に日々祈願していたところ、老婆の夢の中に閻魔が現れ、「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて、治してあげよう」と告げたという。 その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔に供え続けたといわれている言い伝えによるものである。 以来この閻魔像は「こんにゃく閻魔」の名で人々から信仰を集めている。 現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。(お供えのこんにゃくが山となって積まれていた。 住職の今宵の食事は、おでんと味噌田楽に、こんにゃくの芋煮かな?)
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● 文京区の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に平成11年(1999)に竣工。 地上28階・地下4階、高さ142m。 東京23区の区役所の中でも高い建物である。、、、、設計は日建設計、施工は清水建設・戸田建設・五洋建設・浅沼組・岩田建設・日本建設のJVによる。 文京シビックセンタービル単体の建築費は389億円といわれてる。、、、、『今日は、建国記念日で祝日、公開されていないかも』と心配しながら、展望台に寄って見ることにした。、、、、地上25階の無料展望台は公開されており、高所恐怖症の私にはチョイト怖いシースルーのエレベーターで、地上105mの展望台に上った。 東京の街並が一望できるほか、遠くは富士山なども望むことができ、眺望バツグン!
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● 後楽園ドーム球場をとおり抜けJR水道橋駅から帰宅。
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2025年2月 6日 (木)

寒い 寒い 大寒い!

2月に入り、最強・最長寒波の到来。 この寒さで、私は予約したクリニックには行かざるえないが、あとは終日家に籠ってテレビにゲーム。 家に籠っていては体力が落ちると思い、今朝は散歩に出てみた。、、、、京成押上線の高砂方面に向かうつもりで家を出たが、今朝の外気は気温2℃風も吹き付け、寒い寒い大寒い! 遠くに行くのは止めた! 京成曳舟で降り亀戸まで、寒中の散歩。 9千歩



● 朝8時、通勤通学客がゾロゾロ歩く京成曳舟駅で乗り降りする。 『この寒い日に通勤通学は大変だ、ズル休みしちゃいなよ!』と声をかけたくなるね。、、、、駅の上下線の高架化が完成したのは平成27年(2015)、10年前に高架駅となったが、いまだ駅前の整備は終わっておらず、広い駐車場となっている。
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● 京成曳舟駅から、木造住宅密集地域として名を馳せた京島地区を、北から南へクネクネと曲がり抜ける2車線道路を歩く。、、、、駅へ向かう人の姿は寒そうだ。 若いカップルも手はつないでいるが、無口、早足。 
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・・・・・・・・・・ もちろん早朝なので営業はしていないが、墨田区京島3丁目に「電気湯」という名の銭湯がある。 大正11年(1922)の創業だそうで、今年で103年目、銭湯の老舗である。 開業当時は電気で沸かしていたから「電気湯」というらしい。 今はガスで沸かしている「電気湯」。、、、、営業してれば、チョイト温まってゆきたいこの寒さ!
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・・・・・・・・・・ 下町の元気な商店街「キラキラ橘商店街」をとおる。 この商店街は90店舗程が営業している、その中でも食料関係の店が多く、地域の台所となっている。 関東大震災・東京大空襲等の被害から奇跡的に難を逃れた為、古くから地域の皆様に愛される商店街である。、、、、朝8時、商店街は通学路。
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東武亀戸線の小村井(おむらい)の踏切を渡り、「香取神社」へ向かう。、、、、2両編成の電車は通勤通学客で混んでいる。
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・・・・・・・・・・ 小村井の「香取神社」は旧小村井村の鎮守で、平安時代末期、下総国香取郡から開拓のために移住してきた6軒の人々が香取神宮の分霊を勧請したと言われてる。 経津主大神を祭神とする。 現在の社殿は、昭和29年(1954)の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋流れ造りの総桧造り。、、、、江戸時代、当神社の東側には江戸近郊の梅の名所として知られた小村井梅園があった。敷地は約3,300坪で、築山・池・多数の名石を組んだ庭園に紅梅白梅が咲き乱れ、毎年梅の盛りには将軍の御成りもあったという。しかし、残念なことに明治43年(1910)の大水で廃園となった。 この小村井梅園を偲び、平成6年(1994)境内に梅が植えられ小さな梅園が開設された。 既に一部の木には花が咲いてる。 節分も過ぎ、まもなく春だ!
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● 明治通りに架かる
福神橋」(昭和58年架橋)を渡る。 橋は全長21.3m、幅22mで、墨田区立花と江東区亀戸を結ぶ。、、、、橋から東京スカイツリーが良く見える!、、、、空は青空、風はビュービュー、寒い寒い!
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●明治通りを歩きJR総武線亀戸駅に到着。 今日は寒い、早く帰って暖まろう!
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