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2025年3月

2025年3月27日 (木)

春到来!

医者に処方してもらった10日分の抗生物質、咳止め、痰切りの薬を全て服用し、昨日から風邪薬無しとなった。(妻は、まだ薬を服用中) 私はそろそろ完治すると自己判断し、妻に『気晴らしに隅田公園に花見に行くか?』と問うと、『まだ治ってないのに、ぶり返したらどうするの!』と怒られた。 ここは素直に『ハイ、そうですね』と返事。、、、、もうしばらく散歩は、我慢我慢!

午後、我が家から徒歩1分、私の母校でもある「旧台東区立柳北小学校」(明治9年:第五中学区第十四番公立小学柳北女学校として設立、大正15年:現存する鉄筋コンクリート三階建校舎が竣工、平成13年(2001):少子化により閉校)の前にある「柳北公園」で、数本の桜を眺め“日向ぼっこ”。、、、、春到来!
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2025年3月25日 (火)

老々風邪

我が家は老々の夫婦二人暮らし。 彼岸の入り頃から、私は風邪で寝込み。 数日後、介護する妻も、風邪で寝込み始めた。 老々で寝込み、老々で介護し、二人の世界は、喉はガラガラ、鼻はグズグズ、咳はゴンゴン、目は虚ろ。 彼岸明けも過ぎ、早く治って二人で墓参りに行きたいね!
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2025年3月17日 (月)

おや! 城がある

今日は、浅草橋の我が家から、両国橋を渡り、両国国技館をとおり本所の町を抜け、東京スカイツリーの押上駅まで歩いてきた。 1万1千歩



● まだ眠い人もいる朝の7時40分、散歩に出る。 妻が玄関で『今日は、何処へ行くの?』と聞いてくる。 応えは『まだ決めてない、駅に行くまでに考えるよ! だけど、近場がいいな!』 妻が『隣の駅、両国なら近いよ』 その一言がヒントになり、両国橋を渡り、押上まで歩くことにした。、、、、浅草線の浅草橋駅前柳橋をとおり、両国橋隅田川を越える。
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・・・・・・・・・・ 総武線隅田川橋梁の西詰(台東区柳橋)に「石塚稲荷神社」がある。 かつて、石塚神社から50m程歩いた川岸に銭湯があり、柳橋芸妓組合(見番)があった。 戦後生まれの私は、我が家に内風呂が無く、近くの銭湯を利用していたが、その内の一軒が柳橋の銭湯だった。 昭和30年・40年頃の柳橋は、まだ華やかな花柳界であった。 夜は、人力車・黒塗りの車が料亭前にズラリと停まり、銭湯に来るたびに“何だか知らぬが凄いな~”と思う光景が印象に残ってる。 当時の料亭の名が今も残る玉垣は、私に半世紀以上昔の華やかであった柳橋を思い出させる。、、、、石塚稲荷神社の創建年代は不詳だが、浅草御蔵前元旅籠町の居住者有志が創建したといい、元禄元年(1688)当地へ移転したと言われてる。
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● 両国駅前をとおる。 両国駅も私の幼き頃を思い出させる駅である。 昭和30年・40年頃の両国駅は房総方面に向かう列車(蒸気機関車が牽引)の始発駅であった。 私の父方の本家が外房にあり、幼少の私は、夏・冬には両国から汽車に乗って連れて行ってもらった。、、、、現在ある両国駅は昭和4年(1929)12月30日に営業を開始した駅舎である。 開業当時は頭端式ホーム2面4線の構造であった。 当時は乗車口と降車口が分離されており、外から駅舎に向かって左側に乗車口、右側に降車口があったそうだ。 駅舎の竣工:昭和4年(1929)、設計:鉄道省建築課、施工:銭高組、構造:鉄筋コンクリート造2階建て。
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両国国技館東京都慰霊堂を横目で眺め、今日は前を素通りする。
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● 隅田区石原1丁目の裏通りに、小さな「徳之山稲荷神社」がある。、、、、本所築地奉行徳山五兵衛重政の屋敷跡の屋敷跡。 五兵衛は掘割の開拓や湿地の埋め立て、道路整備と市街地の造成などで、今の本所の基礎を作り上げ、その功績により、この地に屋敷を賜った。 五兵衛の死後、屋敷内に祀られていた稲荷と五兵衛の御霊が合祀され、徳山稲荷神社となった。、、、、また、孫の徳山五兵衛(秀榮)は、火付盗賊改方の在任中、歌舞伎の白波五人男の一人、日本駄衛門のモデルになった盗賊、日本左衛門らを捕えたことで有名である。 境内には、その「日本左衛門首洗い井戸跡之碑」なんてのも残ってる。
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● 本所2丁目には、都心の公園としてはチョイト広い「墨田区立若宮公園」がある。 その公園の一画に「牛嶋神社」が鎮座する。、、、、神社の鳥居前、木陰に隠れるように「満州事変忠魂碑」がある。 昭和6年(1931)に始まった満州事変では700余名が戦死し、その霊を祀り昭和10年(1935)に遺族が碑を建てたらしい。 塔頂部は満州らしい七重塔となっている。、、、、きっと戦前は、木陰でなく、もっと目立つところに堂々と置かれていたものと思われる。 戦後、公園の整備に合わせ移動されたのではないか(?) 
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● 東京スカイツリーを見上げる墨田区業平1に『おや、こんなところに城がある。 業平城かな?』、、、、昭和8年(1933)創業以来、昔ながらの伝統ある菓子作りをしている「お城森八本舗」である。 売れ筋の商品は「大粒栗最中」らしい、まだ営業前なので店は閉まっており、買うことはできなかった、残念!
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東京スカイツリーの膝下を歩き押上駅に向かう。 スカイツリーを撮るのだが、縦に長すぎて、素直にカメラに映らなくなってきた。(見上げる首もいたくなってきた!)
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● 東京スカイツリーの地下にある、浅草線の押上駅から電車で帰る。

2025年3月11日 (火)

花卉の町:鹿骨

今朝の散歩は、江戸川区鹿骨から、新堀・春江・瑞江と歩いてきた。 8千歩



● 相変わらず散歩の行先は決まっていないが、JR総武線の新小岩駅から散歩をはじめる予定で家を出た。 新小岩駅前には多くのバスが停まっており、行先が特定していない私は、チョイト、バスに乗ってみたくなり、適当に発車しそうなバスに飛び乗った。(都の敬老パスを持っているので、都内のバスは載り放題!)、、、、『どこ行きだ? 瑞江駅行きか、どこで降りようか?』車中で自問自答。 新小岩駅と瑞江駅の間に新中川が流れてる、このバスはどこかで新中川を越えるはずだ、『よし、新中川を越えた処で降りよう!』
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● バスを降りたのは、新中川を越えて最初のバス停「鹿骨五丁目」、初めて降りた! 『さて、どっちへ向かって歩こうか?』 乗ってきたバスは瑞江駅行きなので、とりあえずバスが向かった方向へ私も歩くことにした。、、、、“鹿骨”は“ししぼね”と読む。 奈良時代(8世紀)、藤原氏によって奈良の春日大社の創建に際し、常陸の鹿島神宮から分霊されたが、その際に多くの神鹿を引き連れておよそ1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられており、その途中、鹿が死んだためこの地に葬った。(鹿を葬った「鹿見塚」や「鹿骨鹿島神社」がある) これが「鹿骨」の地名の由来と言われてる。、、、、鹿骨は園芸の町としても有名で、ビニールハウスが点在する。
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・・・・・・・・・・ 花卉農家の多い町として、特産野菜や花卉類の研究栽培を行う「東京都農林総合研究センター 江戸川分場」がある。 構内の見学はできるそうだ。
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● 鹿骨1丁目に、真言宗豊山派寺院の円勝院がある。 金霊山神明寺と号す。 円勝院の創建年代は不詳であるが、享禄3年(1530)に中興、元禄2年(1689)に火災で焼失し別当を勤めていた鹿骨鹿島神社の地から当地へ移転、明治7年に観音寺、乗勝寺、薬王寺の三寺を合併した。、、、、歴史を語るものは少ないようだが、“鹿骨”の場所柄、緑や花については話題も多く、時期によっては古代蓮が見事に咲くそうだ!
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● 春江町に入ると、耐震補強と外部塗装を終えた、東京都住宅供給公社の「春江町住宅」が見える。 昭和47年(1972)から翌年にかけ完成した、地上11階建ての建物3棟からなる住宅は、総戸数398戸の団地。、、、、11階は見晴らしが良く、市川・本八幡・下総中山方面が一望できる無料の展望台(?)
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● 都営新宿線の瑞江駅に近い処にも、“
生産緑地”と呼ばれる農地が点在する。 駅に至近なこの農地、更地にして売ったらいくらになるか? 億万長者になれそうだ!
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● 瑞江駅に到着したが、駅前のバス乗り場には小岩駅行きのバスが停まってる。 帰りは、このバスで小岩駅に行き、総武線で帰ろう!、、、、今日は、行きも帰りもバス利用!
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2025年3月 7日 (金)

高砂から小岩

ここ数日の寒さで、歩くことが無く家でゴロゴロ、足が退化しそうだ。 『今日は晴れる』とお天気お姉さんが言っていた。 とりあえず、散歩することにした。 家を出て地下鉄に乗ったが、散歩の行先決まらず、京成本線の高砂駅で下車。 天気予報は当たった、空は青く澄んでる、しかし風は強い。 気温10℃、風速10m/s、差し引き体感気温0℃、『コリャ寒い!』 寒い寒い北風の中、高砂駅から裏通りを南に向かい、JR総武線の小岩駅まで歩いてきた。 8千歩



● 「京成高砂駅」は京成本線・金町線・成田空港線と、北総鉄道の北総線が乗り入れている。 本線・成田空港線・北総線は、2面4線の地上島式ホームを利用。 金町線は高架ホーム1面1線を専用。、、、、地上ホームでは、多くの電車が行き交う中で、北総線へ乗り入れる電車や、当駅止まりの電車では、乗務員交代が行われ、素人の私が見ていると時間に追われ忙しそうな駅である。 駅員・乗務員の手慣れた行動に感服!
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● 京成高砂駅は、京成本線と金町線および北総線の分かれる一大ジャンクションで、加えて高砂検車区への入出庫線もあるために非常に多くの線路が交錯している。 出入りする電車も多く、駅の東側にある「高砂1号踏切」・「高砂2号踏切」は常に人や車の滞留が発生している状況で、いわゆる“開かずの踏切”である。、、、、“開かずの踏切”解消について、高架化・地下化などの案があるが、駅の東には高砂車両基地が広がっており、この基地の扱いが最大の問題点であるらしい。 隣接する都営高砂団地建替え整備後の跡地に、基地を移転するかも? いずれにしても具体的な計画が定まっておらず、“開かずの踏切”解消は10年以上先になるかも?
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● 京成高砂駅から南(小岩方面)に向かって裏通りを歩く。 特筆する程の施設・工場などは無く、一般の商業地・住宅地である葛飾区細田の町を歩く。 ときおり北風が強く吹き付け、チョイト寒いね! でも花は咲き、春はやって来た!
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・・・・・・・・・・ 細田の町に寺院があった! 寛永5年(1628)に創建された、真宗大谷寺院派の宗念寺である。、、、、墓地には、嘉永年間、江戸品川の台場築造に功績を残した旧細田村の名主杉浦与右衛門の墓があるそうだ。
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● 北風がより強く吹き、寒さは増してきた。 JR総武線の「
小岩駅」に到着。 寒い、早く家でコーヒーを飲みたい!
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