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2025年4月

2025年4月30日 (水)

ジジ・ババのGW

今年のゴールデンウィークは11連休。 年寄り二人の我が家では連休中は家に籠っている予定であったが、世間は人出のニュースで賑わっている。 万博、桜にツツジに藤の花、観光地の賑わいを見てると、なんとなく、チョイト陽の当たる外に出たくなり、夫婦二人で調布市の深大寺へ散歩することにした。(妻の心は、寺より蕎麦?)



● 朝9時に我が家(浅草橋)を出て、中央・総武緩行線で乗り換えなしで三鷹駅まで、約45分。 深大寺方面行のバス停には中高年のグループがズラリ列をつくってる。 バスの車内は、若い人はいない、ジジ・ババで超満員。 もし、このバスが事故ったら、年寄りの大量死亡事故となる、考え過ぎであったが嫌な予感がした。(GW中の平日、多くの年寄は暇を持て余しているようだ!) 三鷹駅から調布駅行きのバスに乗り、神代植物公園前で下車。 『チョイト、植物園に寄って行こう!』

・・・・・・・・・・ 神代植物公園の入場料は大人500円、ただし65歳以上は半額の250円、皆さんが券売機機で買うのは250円。 
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・・・・・・・・・・ シャクヤクの花はそろそろお終いなのか、しおれた花、切り取られた幹が多い。 遅咲きの花が少し残っていた。
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・・・・・・・・・・ 大温室に入ってみた。 定番の熱帯植物、鉢植えのランとベコニア、トゲトゲのサボテン。 写真撮影に夢中で、先に進まない年寄りの列。(口には出さず、チョイト通して!)
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・・・・・・・・・・ 大温室前のバラ園。 まだ、つぼみの状態のバラが多くチョイト早いみたいだ。 広いバラ園には、早咲きと思われるバラもチラホラ。、、、、、今日のバラ園は“ジジ・ババ園!”
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・・・・・・・・・・ 木陰で持参した弁当を広げ、のんびり語り合う幸せそうな老夫婦。 『お互い 長生きしようね!』
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・・・・・・・・・・ 深大寺門を出ると、そこは深大寺の境内につづく。
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● 天台宗寺院の深大寺は、浮岳山昌楽院と号す。 深大寺は、満功上人が天平5年(733)に堂宇を建立、750年に深沙大王像を安置して創建したと言われてる。 その後、朝廷の命を受けた比叡山の僧が、道場として天台宗に改め、991年には元三慈恵大師(がんざんじけいたいし)が自刻像を当寺に移したと言われてる。 江戸時代には寺領50石の御朱印状を拝領し、現在は天台宗の別格本山に列格。、、、、境内は、私達夫婦を含め、ジジ、ババの姿が8割程。
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・・・・・・・・・・ 只今、本堂の脇にある「元三大師堂」(慶応3年(1867)建立)にて、日本最大の厄除け大師の「元三大師御開帳」が行われてる。
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・・・・・・・・・・ 深大寺にもあったなんじゃもんじゃの木
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● 植物園、深大寺と巡った後は、「深大寺そば」を食べるだけ! どこの店も行列ができてる、私達もその列に並び、深大寺そばを食す。、、、、お年寄りは、喉につかえないよう、ゆっくり食して!
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2025年4月24日 (木)

藤まつり

江戸時代から続く都内随一の藤の名所「亀戸天神」の「藤まつり」は、今週が見頃と聞いて今年も夫婦でチョイト見てきた。、、、、、亀戸天神には、現在は50株以上の藤が植えられ、花の紫の姿と甘い香りで多くの人々を惹きつけている。 (去年の「藤まつり」はコチラ!



● JR総武線亀戸駅から、駅前の商店街を歩いて亀戸天神へ向かう。 時刻は午前10時過ぎ、まだ人出は少ないようで歩く人も少ない。
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● 今年も飽きずに来ました! 境内には多くの参拝者の姿が見える。 鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、修理中の社殿前の行列に並び、まずは二礼二拍手一礼。 
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● 祭神に手を合わせた後は、ゆっくり藤の花見。 
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・・・・・・・・・・ 藤に紛れて、珍しい花が咲いていた。 花の名は「なんじゃもんじゃの木」。 正式名は「ヒトソバダゴ」である。 自生している処は、国内数か所らしい。 6月下旬ごろに白く細い筒状の花が木全体に群がって咲くそうだ。 境内で一本だけ咲いていた。
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くず餅で著名な老舗の和菓子店「船橋屋」も、行列ができてた。 『行列待ちはイヤダ! 今日は諦めよう!』
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● 亀戸天神からは、隣駅の錦糸町駅に向かって歩く。

・・・・・・・・・・ 横十間川に面し亀戸二丁目団地を背にして東京都水道局の「
亀戸給水所」がある、その南西角に黒色の石碑「日清紡績創業の地」が建っている。 碑文には以下のとおり記されていた。 『日清紡績株式会社は明治40年1月創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地2万余坪に、最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。最盛期には、紡機107,800錘、織機360台を擁した本工場は、昭和16年軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、45年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。 この間明治43年、大正6年、昭和13年の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正12年には関東大震 災に逢ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。 昭和20年大戦下の空襲により焼 土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。偶々昭和42年東京都浄水場、日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。 今般この地に記念碑を建立し会社 創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共にした多数従業員各位の功績を偲ぶ ものである。   日清紡績株式会社   昭和46年、、、、、日清紡は現在、綿紡績としては国内最大手の企業だが、紙製品・自動車ブレーキ部品・エレクトロニクスなどの分野に事業を拡大しているそうだ。
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・・・・・・・・・・ 日清紡跡の碑の斜め前に、もう一つ石碑がある、「亀戸銭座跡」である。、、、、、江戸時代の寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間、一時休止した時期もありましたが約100年間、ここで寛永通宝という銭貨が作られていた。 その後、明治40年(1907)に日清紡績の本社工場が建設された。、、、、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の亀戸2丁目団地が建設されたが、 その際、寛永通宝が多数発見されたそうだ。 写真は、亀戸銭座跡の石碑と亀戸2丁目団地。
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錦糸町駅に到着、これより昼食・買い物をして帰ることにした。
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2025年4月20日 (日)

平和橋通り

昨日から羽田空港アクセス線の整備工事により、JR山手線、京浜東北線が運休している。 浅草橋の我が家からは、JR総武線で新宿方面には行けるが混みそうだ、隣駅の秋葉原から山手線・京浜東北線に乗換え、東京・上野方面には行けない。 また、都営浅草線を利用して銀座・品川・羽田方面は振替輸送で混みそうだ。・・・・・と言う自己判断で、今日の散歩は京成電鉄の沿線からスタートすることにした。  久しぶりに四ツ木駅で下車し、南東の新小岩方面へ、いつものように裏道を歩くことにした。 ところが、駅前から裏道を南東方向(新小岩方面)に向かっていると思ったら、北東方向に向かって歩いてた。 間違いに気付いたのは、「平和橋通り」(=都道308号)という大通りに出た時である。 『アリャコリャ失敗だ! 新小岩に行くはずが遠ざかってる!』 『ならば裏道散歩は諦めて、この道(平和橋通り)を真直ぐ歩き新小岩に行こう!』 結局、新小岩駅まで平和橋通りを歩いてきた。 9千歩



アニメ「キャプテン翼」でラッピングした派手な四ツ木駅で下車し、散歩をはじめる。 裏道を歩き、目指すは新小岩駅。
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● 駅前の寂れた商店街を歩き、銭湯の煙突を目指し裏道を歩き、タワマンを見上げて路地を歩き、町工場の油の匂いに懐かしみ、錆びた非常階段に恐怖を感じ、出てきたところは、平和橋通りの「東立石水道道路入口」交差点(長ったらしい名前だ!)、、、、、平和橋通りを歩けば、新小岩駅前に出るので、裏道散歩は諦め、このまま道なりに新小岩駅に向かうことにした。
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● 平和橋通りを歩き見つけた、これ何?
・・・・・・・・・・ 東四つ木2丁目にあった道祖神、、、、、平和橋通りを歩き、交差点を渡ろうとすると、地蔵さま(?)か思われる石仏らしきものの後ろ姿が見えた 正面に向かうと、ナント、スカーフをかぶり、シャツを着こみ、顔の一部しか拝めない石仏だ! 地蔵様か?、庚申塔か?、道祖神か?、案内の立札もなく、道端で服を脱がすとセクハラになるのも困るので、とりあえず写真だけ撮ってきた。、、、、帰宅後、Googleマップで調べて判明したのは、道祖神と言うことだ。 (造立年、経緯は不明)  どなたか知らねど、花を添え供養されているようだ!
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・・・・・・・・・・ 道祖神からチョイト南に歩くと、UR都市機構の「アクシス東四つ木」がある。 その角に石で組まれた井戸のようなものがあった。 昔の井戸かな?、、、、よく見て考えてみたら、どうやら幼児が水遊びするジャブジャブ池のように見える。 井戸から水が出て、周囲の円形の石組み部分に溜り、幼児が遊ぶ。 でも、井戸の角に頭をぶっけて怪我するね! 単なるオブジェかも?

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● 都道308号は、足立区足立1丁目と江戸川区臨海町を結ぶ主要地方道である。 その一部、足立1丁目から千葉街道までを「平和橋通り」の愛称で呼ばれている。 その平和橋通りが中川を越える橋を「平和橋」と呼ぶ。、、、、、平和橋が架けられたのは、終戦間もない昭和22年(1947)である。 橋長144.2 m、幅員6 mの仮設木製であった。 2代目の現橋は、昭和35年(1960) 5月に竣工した。 全長134.4 m、幅15.0 mのPC単純桁橋である。、、、、橋名の由来は不明だが、戦後間もなくして架けられた橋であることから、平和を願い名付けられたのかも? 橋の親柱、欄干に鳩がいる。
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● 平和橋を渡ると左側に天祖神社がある。 天祖神社は鎌倉時代 源頼朝の家臣 葛西三郎が創建したと言われてる。 江戸時代には「皇太神宮社」・「葛西神宮社」と称し、明治4年(1871)に「天祖神社」と改称された。 社殿は昭和46年(1971)5月造営。
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● 天祖神社からチョイト南へ歩くと、「上品寺」・「ゑんま大王安置堂」と書かれた二本の大きな石柱がある。 ここは、真義真言宗にして八幡山 来迎院という。 上品寺の創建年代は不詳だが、室町時代以前からの古刹とのこと。、、、、、この閻魔堂に安置する閻魔大王坐像は、高さ206cmあり、かつては江戸16閻魔の一つとして栄え、区内最大のものである。 閻魔大王は、地獄に住み18の将良と8万の獄卒を従え、死して地獄に堕ちくる人間の生前の善意を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い。 当寺の閻魔は、江戸中期にもっとも盛んに信仰され、昭和47年(1972)に閻魔堂は新築された。 見ごたえのある閻魔像だ!
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新小岩駅に到着、JR総武線で帰る
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2025年4月17日 (木)

根津のツツジ

今朝食事中に『散歩してくる』と言うと、妻『どこへ行くの?』 私『判らない、駅へ歩きながら決めるよ!』 ちょうどその時、テレビでツツジが咲く根津神社から生中継。 それを見た妻『根津神社へ行ってきたら』 私『ヨシ 根津神社へ行ってくる』 妻『私も行くよ!』 これにて決定、今日の散歩は夫婦で根津神社へ、Let’s go!



● 浅草橋の我が家からJR総武線で二駅、御茶ノ水で乗り換え、新御茶ノ水から東京メトロ千代田線で二駅、根津で下車する。、、、、、昭和44年(1969)12月20日に開業した根津駅は、単式ホーム1面1線上下2層構造の地下駅。 地下2階のホームから階段を上がると、地下1階のホームで出る。 地下1階の改札を抜けて階段を上ると地上に顔を出す。 電車から降りた客は、何だか高齢者が多い感じだ!(後で知ったが、皆さん、テレビを見て根津神社へ来たみたい!)、、、、、駅前の通りには「つつじまつり」と染め抜いた旗がなびき、『いらっしゃいませ!』
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● 根津神社へ行く途中、チョイト裏通りにある「日本基督教団根津教会」(国の登録有形文化財)へ寄って見た。 、、、、、根津神社の鳥居前の裏通りの一角に、小さな尖塔をいただいた木造の教会建築がある。 下見板をはった薄い水色の外観は、なぜか下町の周囲の景観と調和している。 もともとは、米国福音派系の礼拝堂として、大正8年(1919)に建てられたそうだ。 震災、戦災をくぐり抜け、大正期の日本の洋風建築を今日に伝える貴重な建物として今に至る。 聖堂の扉は閉まっていたので、内部は拝見せず。
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根津神社は日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社として選ばれた「東京十社」の一社に数えられている。、、、、、現在の社殿は宝永3年(1706)、甲府藩主の徳川綱豊(後の第6代将軍徳川家宣)が献納した屋敷地に造営されたものである。 権現造(本殿、幣殿、拝殿を構造的に一体に造る)の傑作とされている。 根津神社の社殿7棟が国の重要文化財に指定されている。 根津神社は、江戸時代には山王神道の権現社であり、「根津権現」とも称された。、、、、、祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命、、、、朝のテレビ中継と25℃の晴天が影響したのか、物凄い人出だ! 参拝するのに行列に待ち! 
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・・・・・・・・・・ 境内の小高い斜面には、約100種、3,000株のツツジが色鮮やかに咲き、目一杯ツツジを堪能した、最高、beautiful !
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● ツツジに感動した後、道灌山下まで歩き、そこからバスで浅草へ行く。 妻の狙いは昼食だ!、、、、、散歩はここまで。

2025年4月11日 (金)

うすくち醤油と素麺の街

雨になったら姫路城見学も辛いので、11日は予備日として残しておいたが、昨日姫路城見学が無事終了し、『さて今日は何処へ行こうか?』、、、、、妻は神戸へ行こうと言ったが、私の希望で姫路市の西隣、たつの市(以前は龍野市)の中心地、龍野の街をブラブラ散歩することにした。

龍野の街は、、、、、市中心部“龍野町”には武家屋敷や白壁の土蔵が今も残っており、龍野藩5万3千石の城下町の面影から「播磨の小京都」と呼ばれている。 市名は周辺の街と合併したことで「たつの市」と呼んでいるが、駅名は「竜野」、歴史的固有地名は「龍野」である。 古文書によれば、龍野の由来は野見宿禰が揖保郡(現:たつの市)で没した際、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだという故事から「立野」と呼ばれ、「龍野」に変化したとされている。 



● 姫路駅からJR姫新線(きしんせん)に乗り、4駅目「本竜野駅」で下車する。、、、、、姫新線は、姫路駅から中国山地を走り津山駅を経て、岡山県の新見駅に至るJR西日本のローカル線である。 ローカル線と言っても、朝の通勤通学時間帯は20分間隔ぐらいで、2両編成の列車が運転されている。 ほぼ満員状態であった。、、、、、本竜野駅はたつの市の代表駅である。 昭和6年(1931)12月23日、鉄道省姫津線(当時)余部駅 ~ 東觜崎駅間の延伸に伴い開業した。 2010年(平成22年(2010)に現在の橋上駅舎(総工費約11億円)が使用開始となる。 相対式ホーム2面2線を有し、列車交換可能な橋上駅。 直近の1日平均乗車人員は約2,000人である。
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・・・・・・・・・・ ホームの脇には、童謡「赤とんぼ」の作詞者の三木露風の出身地ということで、歌詞を彫った銅像がある。(街を歩いて解ったことだが、赤とんぼの歌詞、銅像などは、龍野の街の至る所に見ることができる)
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・・・・・・・・・・ 朝9時30分の営業開始を待ち、駅の観光案内所で龍野の見どころ、散歩ルート、食事処など一通り教えてもらい。 ブラブラ街歩きの開始!、、、、、本竜野駅は揖保川の東側にあり、龍野橋を渡り揖保川の西側(城下町)へ向かう。 駅から徒歩15分程の龍野橋までは、たつの市に本社を置くうすくち醤油の代表的メーカであるヒガシマル醤油(株)の本社、工場などがある。 揖保川沿いに、社紋のデザイン「東に丸」を掲げた工場も見える。 
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● 龍野橋を渡ると、そこは龍野の城下町(国の重要伝統的建造物群保存地区)である。 道沿いに歴史ある建物が細長く並ぶ宿場町とは違い、ここは面的に広がりある城下町全体が保存地区となっている。、、、、、龍野藩五万三千石の城下町である。 江戸時代から昭和戦前期までに建てられた建物が今なお残されており、白壁や町家造りの建物が多く残る町並みで、「播磨の小京都」とも呼ばれてるそうだ。、、、、、老舗の和菓子屋さんで名物“醤油まんじゅう”と練羊羹を味わう、美味い!、、、、、“小京都”なのに外人観光客は見当たらず、静かに街並みを散歩でき、すてきな街だ!
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● 伝統的な街中に残る「うすくち龍野醤油資料館」(国登録有形文化財)を見学、、、、、昭和初期の建物は元ヒガシマルの本社だった、現在は400年の歴史がある龍野の醤油造りを解説する専門の資料館。 入館料は、ナント10円!
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● 「うすくち龍野醤油資料館」の近くにもう一つ文化財がある。、、、、、その建物は「醤油の郷 大正ロマン館」で、龍野醤油同業組合が大正13年(1924)に建設した旧組合事務所である。 敷地内の旧醸造工場とともに国の登録有形文化財に登録された。、、、、館内はギャラリーとして利用され、本日はイラスト作家の個展が開かれていた。
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● 童謡「赤とんぼ」の作詩者:三木露風の生家は、龍野城の埋門(うずみもん)前にあり、明治4年頃から明治22年の間に建築されたものと推察されている。 露風は明治22年(1889)6月23日にこの家で生まれた。 露風が6歳の時、両親が離縁し、母親は弟を連れて実家の鳥取に帰ってしまい、露風も祖父の家に引き取られました。 この生家は、露風が母と過ごした思い出が残る大切な場所である。、、、、、平屋、8帖3間、4.5帖1間の小さな家である。 今流に言うと“3LDK”だ!

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● 三木露風の生家前から、龍野城へ向かう。、、、、、龍野城は、鶏籠山(けいろうざん)山頂の山城と麓(現在地)にある平山城の2期に分けられる。 山城は約500年前、赤松村秀によって築かれ天正5年(1577)豊臣秀吉に開け渡された。 その後平山城となり数回の城主交代の後、寛文12年(1672)に信州飯田から脇坂安政が入封した。 龍野藩は明治初年まで続き、城主では赤穂城請取りの脇坂安照などがいる。、、、、昨日見た姫路城とは“雲泥の差”。 遺構として残っているのは石垣のみ、天守は元来無く、御殿、武具櫓、隅櫓、埋門が再建されている。 でも、桜は姫路城に負けず満開だ!
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● 城を見て時刻は12時、昼飯だ!、、、、、観光案内所のお姉さんが教えてくれた「そうめん処 霞亭」で冷やし素麺をいただく。、、、、、たつの市内を南流する揖保川の中流域は、約600年の歴史を誇る手延べ素麺「揖保乃糸」の生産地である。 今回の旅では行かなかったが、市内には「揖保乃糸資料館 そうめんの里」という観光施設もあるらしい。 (素麺つゆはヒガシマルかも?)
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● 食後の運動は、城の西に位置する熊野神社詣で。、、、、、賤ヶ岳七本槍が一人脇坂安治公を祭神とする神社。 安治は龍野藩の脇坂家初代ということで祀られていると思われる。 脇坂家では、十代安董(やすただ)は外様大名でただ一人老中になった傑人。 十一代の安宅(やすおり)は寺社奉行となった。、、、、神社は山麓にあり、階段を上り、また階段を上り、さらに階段を上り、疲れ切ったところで再び階段を上り、社殿に出た! 小さな社殿だ!
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・・・・・・・・・・ 神社から「文学の小径」と名付けられた桜道を下って城下町へ向かう。 桜は散りはじめた!
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● 静かな城下町を抜け、本竜野駅から姫新線で姫路駅に戻り、今回の旅行は終了。
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2025年4月10日 (木)

これぞ 世界遺産

先月中旬、妻が『国宝の姫路城を見てみたい』と言い、この10日・11日、一泊二日で夫婦で行くことにした。 彼岸に入り夫婦ともに風邪をひき、さらに一週間ほど前から“当日の天気は雨”との予報があり、旅行に行けるか否か不安であったが、思いで残る素晴らしい景色を堪能することができた旅行となった。


● 老々の二人旅、無理をしないよう、東京8時45分発の新幹線でのんびり出発! 3時間後の11時48分姫路着。 初めて降りた姫路駅は、2000年代に高架化事業が進められ、在来線は島式ホーム3面8線と下り通過本線1線、新幹線は島式・相対式ホーム2面3線および上下通過本線の構成となった。 高架化に合わせ駅舎も変わり、屋上からは姫路城を見渡せる大きな駅ビルとなっている。、、、、駅舎出入口の正面からメイン道路が伸びその先には姫路城が見える。 観光客で混雑する雑踏もなく、国宝の姫路城が出迎える、その景色は素晴らしい!
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● 駅から徒歩15分程で、姫路城の入口である大手門へ到着。 石垣に沿って約1600本の桜が咲き、今や満開。 姫路城は見たかったが、さらに桜の咲き誇る姫路城が見られるとは、来るまで想像していなかった。 想うに、日頃の行いが良いので神さまがご褒美に見せてくれた景色だ! 堀の外や城内の各所の桜は、“今日が最後”と咲いていた。 どこから写真撮っても桜が必ず映ってしまう、嬉しい悲鳴!
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・・・・・・・・・・ 別名「白鷺城」と呼ばれる姫路城は、「平成の修理」によって大天守の保存工事が完了し、世界遺産、国宝としての価値をより高めた。 6層の大天守に上り、日本最高峰の木造建築をより身近に接し、完成度の素晴らしさに驚き、ビックリ、Wonderful!
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・・・・・・・・・・ 姫路城に来て驚いたのは、海外の観光客の多いこと、特に欧米系の人と思われる外人が半数以上だ! 私の住む浅草では、中韓を含む東南アジア系の外人で7割ぐらい占め、欧米系は3割ほどと思えるのだが。  東南アジアの観光客は、身近な日本、桜の日本、買い物の日本を楽しんでいるので、桜の名所、大都会に集中している。 それに比べ、欧米の観光客は、“世界遺産巡り”など、世界中の著名な観光地巡りを楽しんでいるようだ。
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・・・・・・・・・・ 良い思い出ができ大満足の二人。 
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● 姫路城を見たあとは、姫路市の芸術文化振興を目的として昭和58年(1983)に開館した「姫路市立美術館」にお立ち寄り。 地元の医者・國富奎三が集めた近代西洋美術コレクションを、拝見する。、、、、、、姫路城跡の一画に建つ、赤レンガ造の美術館は、姫路陸軍兵器支廠(のち第十師団兵器部)の西倉庫として明治38年(1905)に建築、大正2年(1913)に増築されたものである。 敗戦後に姫路市役所として利用したのちに美術館として再生利用された。 建物は陸軍省技官の宮本平治、井田熊吉の設計で、煉瓦造2階建、日本瓦葺、切妻屋根を有しL字型に2棟を接続した配置となっている。 平成15年(2003)には国の登録有形文化財に登録された。
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● 今宵のお宿、ホテルの部屋から望む姫路城、、、、、、Good night!
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2025年4月 7日 (月)

散り始めた桜

そろそろ桜も散る頃と思い、今日は隅田公園を抜けて、向島方面に歩いて見た。 しかし運悪く、向島あたりから霧雨が、小粒の雨となりポツリポツリと落ちてきた。 『コリャダメだ! 散歩は中止!』で、京成曳舟駅に駆け込み電車でGO! 浅草橋駅に着いた頃には、『雨、いつ降ったの?』と聞きたくなる晴天。



隅田公園(台東区)で、そろそろ散り始めた桜とスカイツリーを眺め、桜橋を渡り墨田区に入る。、、、、桜の下の花見は、昨日で最後か(?)、今日は人出も少なく、場所取りする人もいない。 足元の花びらを踏みながらの散歩である。
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● 向島では、黄檗宗の弘福寺にお立ち寄り。、、、、延宝元年(1673)黄檗宗の僧鉄牛道機の開山、稲葉正則の開基により香積山弘福寺を現在地に移して建てられた寺院である。 江戸時代には鳥取藩池田氏の菩提寺であった。 関東大震災で罹災したが、本堂である大雄宝殿は昭和8年(1933)に再建された。 寺は黄檗宗特有の唐風結構で、特に本堂の両翼にある円窓、堂前の月台、処々柱に掛かる聯額(れんがく)等、他の寺院建築に余り例を見ない特異なもの。 私好みの寺院建築である。
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・・・・・・・・・・ 黄檗宗
は禅宗の中でも中国色の強い宗派として知られ、当寺に布袋尊の御像が安置されたのも、実はその黄檗宗の性格にかかわるのである。 布袋尊は唐時代の実在の禅僧である。常に大きな布の袋を持ち歩き、困窮の人に会えば袋から財物を取り出しては施し、しかも袋の中身は尽きるころがなかった。 その無欲恬淡として心の広い人柄は、真の幸福とは欲望を満たすことだけではないことを、身をもって諭した有徳として、世人の尊崇を受け、七福神の一神としても敬われたのである。
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・・・・・・・・・・ 境内には、風外和尚禅師(寛永年中の人)自刻の父母の石像があります。 風外禅師は相州真鶴(神奈川県真鶴町)山中の一洞穴で求道生活をしていましたが、自ら刻んだ父母の像に、朝夕の孝養を怠らなかったといわれています。その後小田原城主の当山開基稲葉正則公が、風外和尚の温情に胸打たれて、江戸下屋敷にて供養をしておりましたが、同公の転封に伴い、菩提所である弘福寺に祀られたものだある。 風外和尚の「風邪の外」の文字より風邪除けのご利益があろうと民間信仰を集めてる。 人呼んで「咳の爺婆尊(せきのじじばばそん)」と称し、口内にやむものは爺に、咳をやむものは婆に祈願し、全快の祈り、煎り豆に番茶を添え供養する習わしがある。、、、、風邪が治った私は、再発せぬようねんごろに手を合わせてきた。
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● 料亭の玄関先に咲く枝垂れ桜も散り始めた。
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● 『アレ! 霧雨だ、チョイト神社で雨宿り!』と、国道6号線から少し入った住宅街の中に鎮座する秋葉神社にお立ち寄り。、、、、社伝によれば、正応2年(1289)五百崎〔いおさき〕の千代世〔ちよせ〕の森と呼ばれていた当地に千代世稲荷大明神を祀ったことを創祀とするという。 江戸時代の初め、善財という霊僧が秋葉大神の神影を刻んで社殿に納めたとされる。 元禄年間(1688~1704)、葉栄という修験者が霊告によってこの社に参詣し、霊験を得た。 そこで寺社奉行に願い出、元禄15年(1702)、上野国沼田城主・本多正永の寄進によって社殿を造営し、秋葉稲荷両社と称するようになった。 また、別当として千葉山満願寺を建立した。以来、鎮火・産業・縁結びの霊験により、庶民から大名まで広く信仰を集めた。享保2年(1717)には神祇管領より正一位の宣旨を受けている。 明治初めの神仏分離により、秋葉神社と称するようになり、別当の満願寺は廃寺となった。 大正12年の関東大震災、昭和20年の東京大空襲の被害を受け、現在の社殿は昭和41年(1966)に再建されたものである。、、、、霧雨が小粒の雨に変わってきた。 アリャリャ、困ったね傘は無い、服は濡れ始めた。
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・・・・・・・・・・ 京成曳舟駅へ駆け込み帰宅することにした。 地下鉄の浅草橋駅に着くと、日差しは強く、晴天だ! 
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2025年4月 5日 (土)

2週間遅れの墓参り

先の彼岸の時期に夫婦そろって風邪で寝込み、東京郊外にある我が家の墓に参ることができなくなった。 先月末に、風邪は治り遅ればせながら墓参りしようと思ったが、寒波と雨で様子見状態が続いた。 桜も散り始める本日、夫婦そろって墓参りすることができた。
我が家の墓は、秋川の山麓にある。 都心の我が家からは、中央線八王子駅で下車し、さらにバスに揺られ、片道2時間強、往復では6時間程を要する、チョイトした小旅行だ! 山の傾斜に沿って造られた霊園には、墓石がズラリと並び壮観であるが、彼岸も開けた今の時期に訪れる人は少ない。 園内の桜は満開、道端の花も咲き、春の陽気に気分はGood!、、、、墓に手を合わせ、『チョイト遅れた来ましたが、ゴメンなさい!』

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