五から六まで歩く
東京の気温は30度を超える真夏日の予想が出た! 熱中症が気になる時期となったが。 健康のためと思い、足立区の“五反野駅”(東武伊勢崎線)から“六町”(つくばエクスプレス)まで、9千歩の散歩です。
● 知る人ぞ知る 知らない人はまるっきり知らず、山手線の五反田駅と間違える東武伊勢崎線の五反野(ごたんの)駅。 五反野駅は北千住駅の次の次。 駅所在地は東京都足立区足立三丁目、大正13年(1924)10月1日の駅開設時の住所は東京府南足立群綾瀬村。 駅周辺は戦後形成された東京の下町である。 駅周辺には他区から人を呼び込むほどの施設は無く、五反野駅は地元完全密着型の駅である。、、、、、五反野駅は島式ホーム1面2線を有する高架駅。 緩行線のみホームがあり、緩行線外側を急行線が走る。 1日平均乗降人員は約36,000人ぐらいで、普通列車(地下鉄日比谷線直通)しか停まらない駅。
● 駅前の商店街「五反野駅前通り銀座会」を駅に向かう通勤客に逆らい北へ歩く。 この商店街は、昭和40年代前半に駅前通りに沿って存在していた用水路(俗称:どぶ川)が暗渠化され、駅前道路周辺に商店も増え昭和45年(1970)に商店会として発足したとのこと。、、、、、時刻は8時30分過ぎ、もう通勤・通学のピークは過ぎたのか、行き交う人も少なくなったように思われる。
・・・・・・・・・・ この商店街の途中に、「四ッ家町バス停」がある。 何気なしに時刻表を見ると、ナント驚くことに、ここに停まるバスは、土休日の朝一本のみだ! 平日は停車せず。 このバスは、五反野駅と花畑車庫の間を土休日1往復のみ運行しているらしい。(私は利用したことが無く詳細は不明)、、、、、誰が何のために、このバスを利用するのか知りたいね?
・・・・・・・・・・ 五反野駅前通り銀座会商店街の北端は、六叉路の「四家(よつや)交差点」(パノラマ写真で撮影したが、判るかな?) 6か所の信号が混乱なく点滅する六叉路だ。、、、、、四家交差点の “四家”とは、江戸時代この地域に住んでいた四家族、鶴飼、市川、高橋(兄弟)からついたと言われている。
● 四家交差点から北東方向に裏道を歩くと住宅地の奥に「四ツ家稲荷神社」(足立区青井2)がある。、、、、四ツ家稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂命と徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 東の宮は青井3付近にあったそうだが、近代になって、1村1社政策が進められ、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀された。 その際、四家の一つ鵜飼家の屋敷神だった徳川家康(権現さま)も合祀されたと言われてる。、、、、タヌキ(家康)とキツネ(稲荷)を祀る神社。 蕎麦屋には御利益がありそうな神社!
● 四ツ屋稲荷神社からさらに北東に歩くと、「青井愛宕神社」(青井1)がある。 創建年代不詳。、、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 『江戸愛宕三社』の1つで港区芝の愛宕神社と練馬区田柄の愛宕神社の三社が該当神社となるそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の例祭日は、「秋の彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのかな?
● 環七道路と都道102号がぶつかる交差点角に「西加平神社」(西加平1)がある。 西加平神社の創建年代は不詳だが、嘉兵衛新田の開拓に伴い創建されたと言われてる。 明治時代には加平天祖神社の摂社となったが、昭和29年(1954)稲荷神社としてとして分離独立、昭和49年(1974)西加平1丁目にあった天祖神社を合祀し、西加平神社と改称した。、、、、境内周辺は区画整理され平成28年(2016)に社殿は新しくなる、しかし境内にはいまだ樹木が少なくスッポンポンの状態である。、、、、石の鳥居には寛政11年(1799)の銘。 また、嘉永7年(1854)に新吉原角町(現:台東区千束)の安房屋から奉納された手水鉢もある。
● つくばエクスプレスの「六町(ろくちょう)駅」は、秋葉原を起点として7番目に位置し、東京都内最北の地下駅。 駅部は三層構造であり、第1出入り口とともに平成16年(2004)に完成した。 駅の開業は平成17年(2005)8月24日。、、、、、駅周辺は、古さを感じさせる物は無く、駅前の広いロータリー、広い道路に面し立ち並ぶマンション、密集しない住宅、いかにも近年開発された町といった場所。