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2025年6月

2025年6月28日 (土)

アリャ・コリャ・困った!

 高湯温泉へ行くときは首回りが痒く“汗疹(あせも)”と思っていたが、帰ってきた翌々日の月曜日、身体全体に赤いポツポツが発生、ヤタラメッタラ痒い、『助けて先生!』と近所の皮膚科クリニックに駆け込む。 4日分の痒み止め、軟膏を処方してもらい、湿疹かアレルギーか原因追及もお願いし帰宅する。 
 その後、薬を飲み・塗りするが一向に治らず、ますます痒い! 四日後の金曜日(昨日)早速、クリニックへ行くと『血液検査の結果、アレルギーは無いようだ、肝臓・腎臓などの身体の機能も悪くない。 原因は掴めない! 私には診られない、紹介状を書くので大学病院へ行け!』と言われた。
 午後、御茶ノ水の医科大学付属病院へ駆け込む。 担当の女医さん(30歳ぐらい?)に『服を脱いで見せてください』と言われる。 小太りの高齢男性が、パンツ一丁になり、全身赤いブツブツだらけの身体を晒す。(恥ずかしいことこの上なし!) さらに、『念のため写真を撮らせてください』と言われ、別な女性カメラマン(20代と思われる?)を呼び、ブツブツ・ブヨブヨの身体を撮影。 こちらも恥ずかしい。 続いて、「皮膚生検」と称する、赤いボツボツの皮膚を切り取り検査する。(結果は後日) さらに採血され、会計を済ますと、病院で調合したと思われる強めの薬を手土産にもらい、もう治ったかと勘違いしてるようなウキウキ顔で病院を後にする。
 一夜明け、昨日もらった病院の薬の効きは、今一つ。 まだまだ赤いボツボツは消えず、痒い痒い痒~~い!
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 ・・・・・と言うことで、散歩はしばらく休みます。

2025年6月21日 (土)

のんびり高湯温泉

東京は梅雨入りしてから連日の猛暑日・真夏日で、年寄りの外出はひかえてきた。 しかし、気持ちは外に向かい、20日からの一泊で、吾妻連峰の高地にある、福島市の高湯温泉に夫婦で行ってきた。



● 夫婦二人旅なので、今回は高湯温泉の宿だけ予約し、観光する目的地を決めずに出発した。、、、、、新幹線車中で、今旅の行動予定を話し合う。 福島駅から高湯温泉行のバスは、朝昼晩にそれぞれ1本、一日に合計3本しか運行されていない。(宿の送迎はあるが、事前連絡はしていなかった) 昼2時頃に福島駅を出るバスで行くことにした。 バスが出るまでの3時間余り『どうする?』 『とりあえず昼食で1時間、残り2時間はどうしましょう?』 妻の祖母が眠る、駅から徒歩20分程の「長楽寺」へ墓参りすることにした。 二日目は、観光タクシーで「浄土平」へ行ってみようと話はまとまる。



● 私達が乗った新幹線は「やまびこ・つばさ129号」、、、、数日前の山形新幹線「E8系」不具合で、「やまびこ」の車両は連結されておらず、「つばさ」の車両のみで運行。 しかも全車自由席の扱い。 ガラガラの貸し切り状態で福島着。 のんびり旅のスタートとなった。
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● 福島市も猛暑、暑い・暑いとボヤキながら駅の東側を県庁の方に向かって歩く。 福島県警察本部の近く、建物の陰に煉瓦造りの建物が見えた。   チョイト気になり撮影する。、、、、、大正5年(1916)3月に日本赤十字社福島支部の倉庫として建てられた建築物である。 妻側に赤十字のマークが標されている。 現在は福島県庁の書庫として活用中。 
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● 旧赤十字病院の倉庫の東側に長楽寺がある。、、、、、「長楽寺(ちょうらくじ)」は、福島市にある曹洞宗の寺院。 山号は萬年山で、本尊は聖観世音菩薩。 室町時代に上杉氏の重臣本庄氏の菩提寺として、越後小泉庄の中心地本庄(現新潟県村上市)に創建された。 慶長5年(1600)、4世中興傑山雲勝の代に越後から現在の福島の地に移転。 中興開基は、初代福島城主(当時は上杉家城代)で本庄氏31代当主の本庄繁長。、、、、、長楽寺は福島城三の丸の郭内の東隅にあった。

・・・・・・・・・・ 山門をぬけて、本堂で合掌。、、、、、 その後、妻の祖母の墓に線香を供える。 
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・・・・・・・・・ 墓地に建てられた「福島城代本庄繁長一族之碑
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・・・・・・・・・・ 福島の目明しとして名を売り、明治時代に入ってからも消防組織の中心となって活躍した、福島一の侠客といわれた浅草屋宇一郎の墓。 隣には、仙台藩烏天狗組の慰霊碑がある。 烏天狗組は正式名称を《衝撃隊》と言い、仙台藩士・細谷十太夫によって結成された義勇軍。
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● 福島駅からバスに揺られて40分、吾妻連峰に抱かれひっそりと佇む高湯温泉に到着。、、、、、高湯温泉は福島駅の西約18kmの、吾妻連峰に連なる標高約750mの高地に位置する。 磐梯吾妻スカイライン入口に温泉街が所在する高湯温泉は、ほぼ全域が磐梯朝日国立公園内にある。 高湯温泉は信夫高湯ともいい、山形の白布高湯(白布温泉)や最上高湯(蔵王温泉)と並んで奥羽三高湯と称される。 9本の源泉があり、「滝の湯」「熱湯」「仙気の湯」など、それぞれに名前が付けられている。源泉によって湯花が多いものや、砂を吐くものなど特徴に違いがある。江戸時代から地形の高低差を利用した自然流下による引き湯が行われており、加温、加水を一切せず、6軒の宿と1軒の公衆浴場に供給されている。 泉質は、全国有数の硫黄成分濃度の高さで知られてる。 天文年間(1532~1555)温泉が発見され、慶長年間(1596~1615)には湯治場として広くしられることになった。、、、、、終点の高湯温泉バス停は共同浴場「あったか湯」の前。 この湯は地元(6軒の宿があるのみ)の人用というよりは、吾妻連峰に訪れる観光客用だと思われる。
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・・・・・・・・・・ チョイト、チェックインには早かったかも、でものんびり湯に浸りたいので宿へ直行。、、、、、『たいせつな人と過ごしたい宿』がキャッチフレーズの「旅館 ひげの家」にお世話になる。、、、、、部屋good!、温泉good!、料理good!、お客は全て夫婦二人連れ2506201413040
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● 二日目は観光タクシーで、磐梯吾妻スカイラインを走りぬけて、福島駅に行くことにした。、、、、かっては社内旅行(バス旅行)で数回来たことがある磐梯吾妻スカイラインだが、東日本大震災、コロナ禍以降の今では観光バスが走ることもなくなったそうだ。 たしかに、行き交う車は乗用車とツーリングのバイク、そして体力勝負の自転車、観光バスを見ることはなかった。 
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・・・・・・・・・・ 磐梯吾妻スカイラインの途中、「つばくろ谷」に架かる「不動沢橋」。、、、、、この橋は2000年に老朽化の為に架替えられた2代目で初代橋は「不動沢橋跡」として残されている。 2代目のこの橋は、橋長170m、幅員6.0m(11.0m)、形式:銅上路式ローゼ桁橋、総工費15億2300万円。 吾妻八景の一つであるつばくろ谷を跨いでおり、谷底から約80mの高さにある橋を遠望する姿は絶景だ!

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・・・・・・・・・・ 磐梯吾妻スカイラインの中間地点「浄土平」でチョイトひと休み。 ここ浄土平は磐梯吾妻地域に属し、磐梯吾妻スカイラインの中間地点の標高1,600mに位置している。 一切経山、吾妻小富士、桶沼に囲まれたこの一帯は、一切経山の火山噴火により生成された火山荒原と、オオシラビソを主とする針葉樹林の原生林となっています。 また、高山植物群落や亜高山帯の針葉樹林湿原なども点在し、ビジターセンター、休憩所、自然探勝路が設置・整備されている。、、、、、浄土平レストハウスから徒歩20分程で、直径約500mの吾妻小富士の火口(お釜)を眺めることができるのだが、私たち夫婦は無理せず、諦めた!
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福島駅に戻り、遅め昼食、妻の楽しみ土産の購入を済ませ、帰京する。
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2025年6月12日 (木)

西川口から南鳩ケ谷まで

今日は久しぶりにJR京浜東北線の西川口駅で下車し、途中で鎮守氷川神社に寄り、東の方角に当たる埼玉高速鉄道の南鳩ヶ谷駅まで歩いて見た。 1万歩



● 「西川口駅」は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 2階には、橋上駅舎となっており、コンコースと自由通路がある。、、、、、西川口駅は昭和29年(1954)9月1日に橋上駅舎としては日本国有鉄道最初の駅として開業した。 約70年前の駅舎建築の設計仕様なのか、朝8時前後の通勤通学時間帯は乗降客が多く、ホーム幅の狭さ、狭いトイレ、自動改札の混雑具合、自由通路の狭さなど、全体的に手狭な規模が気になる駅だ。、、、、、出入口は東西2ヵ所あるが、駅西口側は大人の歓楽街として有名である。 駅東口は、駅前ロータリーから放射状に商店会が伸び、店も多い。 今日の散歩は東口から東の方角にある鎮守氷川神社に向かって歩くことにした。
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● バス通りである「西川口陸橋通り」を歩き、川口オートレース場の方に向かう。、、、、、流石に“サスガ”、ここは鋳物の川口市、歩道沿いには町名を示す鋳物の案内板がたっている。 錆びて茶色くなった案内板は、“これぞ鋳物”と存在感を出している。、、、、、戦後、事業を拡大してきた、濃淡2系統の緑色で塗装した国際興業バスとすれ違うと、『オゥ~~、ここは埼玉だ!』と不思議な感動を感じる!
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・・・・・・・・・・ 途中に、鎮守氷川神社の案内があり、それに従い裏道へ入る。
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● 氷川神社へ行く途中に、「龍泉寺 地蔵堂」があった。 地蔵堂と言っても、小さな祠があるだけ。 祠の周囲には、墓石が建ち並び墓地と思われる。 堂の脇の立札によると、この地蔵堂は近くの龍泉寺が見守っているようだ。、、、、、地蔵堂の詳細は判らない!
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● 来たついで、これも何かの縁、チョイト寄ってみよう「龍泉寺」、、、、、真言宗智山派寺院の龍泉寺は、大聖山広傳院と号す。 龍泉寺の創建年代等は不詳だが、正和2年(1313)の青石塔婆が残されていることから中世の創建かも(?)、、、、、歴史ある建物は無く、近代的な納骨堂と檀信徒会館、本堂は鉄筋コンクリート造。
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● 「鎮守 氷川神社」に面白い厄落としの作法があると聞いたことがあり、いずれ参拝してみようと思っていた、それが今日の散歩となった。、、、、、鎮守氷川神社は、川口市青木にあるので青木氷川神社とも言う。 鎮守氷川神社の創建年代は不詳だが、応永年間(1394~1428)の創建と伝えられ、江戸時代には本山修験宗般若院が別当寺を務め、下青木村の鎮守社となっていたと言われてる。、、、、、現在の社殿は昭和61年(1986)造営。、、、、、歴史と伝統の光が神徳を照らし続ける鎮守氷川神社は、年間を通して全国各地より多くの参拝客があり、『小さな大社』といわれてる。(神社のHPより) ヤマタノオロチを退治した神話で知られる、『邪』を裂き『魔』を祓う強い力を持つ『スサノオノミコト』を
祀ることから、厄除け・除災招福に神徳があるとされ、また祭神に夫婦神である『クシナダヒメ』と共にまつられていることから、縁結び・安産にも強い霊験があるといわれてる。
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・・・・・・・・・・ 境内にありました。 「厄割石」と「厄割玉」、、、、、厄落としの作法とは、まず、不安・恐れを手放したい、プライドを取り戻したい、勇気や希望を持ちたい、自分を信じたい、こんな人は“黒玉”、ストレス・怒りを発散させたい、勝負に勝ちたい、モチベーションを上げたい、大好きな人へ告白したい、こんな人は“赤玉”を取る。 次に、厄割石の前で一礼し、厄割玉を胸の前で両手で持ち、『厄よ去れ!』と念ずる。 そして、厄割玉を厄割石に投げつけ厄を落とす。 最後に厄割石に一礼して終わる。、、、、ストレス発散にGood! 面白いね!
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川口オートレース場の南側を通り、鳩ケ谷駅に向かう。、、、、、今日は開催日ではないようで、レース場に人影なし!
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● 川口オートレース場を過ぎると鳩ケ谷の町に入る。 南鳩ケ谷5丁目に、十二柱の神々を祀った事から名付けられた「十二神社」がある。、、、、、
十二所神社の創建年代等は不詳である。 平成5年(1993)に再建された新しい社殿で、境内も綺麗によく手入れされている。 宮司は、鳩ヶ谷総鎮守氷川神社(青木の鎮守氷川神社とは異なる)で兼務している。
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● 埼玉高速鉄道の「南鳩ケ谷駅」は平成13年(2001)3月28日に開業。 開通前までは鉄道空白地帯であり、この地区への鉄道開通は悲願であった。、、、、、駅は島式ホーム1面2線の地下駅で、構内はチョイト狭い感じがする。 令和5年(2023)度の1日平均乗車人員は8,131人と少ない。
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2025年6月 7日 (土)

松戸のあじさい寺

梅雨入り前の暑い真夏日、夫婦で松戸の花の寺「本土寺」へ行ってきた。 8千歩



● 常磐緩行線(東京メトロ千代田線が乗り入れてる)で松戸から4駅目の「北小金駅(きたこがねえき)」で下車する。、、、、、“北小金”という地名は歴史的には存在せず、水戸街道の小金宿の北側に駅はあり、名付けられたものと思う。、、、、、北小金駅は明治44年(1911)3月18日に鉄道院の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 当駅から都心の大手町までは、常磐緩行線に乗り、途中から千代田線に乗り入れ、約40分で到着する。 通勤に便利な町で、駅周辺は東京のベッドタウンとして、マンション、戸建て住宅などがたつ住宅地となっている。
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● 北小金駅から本土寺参道を歩く
・・・・・・・・・・ “参道”と言っても、道の両側に土産物屋、飲食店が並んでいるわけではない。 駅前から参道は始まり途中までは、“狭い裏通り”と云うような道である。 
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・・・・・・・・・・ 行程の半ばから、“参道”らしい並木道が現れた。、、、、、この並木道は、水戸光圀が伯父武田信吉(家康五男)の生母:於都摩の方(家康の側室)の墓所の改葬にあわせて本土寺参道に松や杉を植えて整備したものだ。 昭和30年代、参道は松戸市に寄付され舗装されて道路となった。 しかし、参道の交通量が増えたためか、両側の樹木は劣化し、痛々しい状態となった。、、、、、寺に近づくと、団子、漬物などを売る数件の店が営業してる。 店員は忙しそうに動きまわり、この週末は稼ぎ時のようだ。
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● やって来ました「本土寺(ほんどじ)」へ、、、、、日蓮宗寺院の本土寺は、長谷山と号し、日蓮宗由緒寺院の一つ。 本土寺は、豪族の平賀忠晴の屋敷内に、日蓮聖人の弟子日朗を導師として建治3年(1277)創建された。 天正19年(1591)徳川家康寺領10石の御朱印状を拝領、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本の本山」と称されている。 「朗門」とは日蓮の弟子日朗の門流という意味であり、「三長三本」とは、上記3か寺の山号寺号にいずれも「長」「本」の字が含まれることによる。、、、、近年、境内には茶室も整備され、1000本のカエデ・5000株のハナショウブ・10000株のアジサイの名所として人気を集め、鎌倉の明月院とともに「あじさい寺」として親しまれている。

・・・・・・・・・・ まずは仁王門をぬけ、五重塔を見上げ、正面の本堂に向かう。 建造物としての文化財はない。、、、、、さらに、本堂右奥には家康五男:信吉の生母:於都摩の方(秋山虎康の娘:秋山夫人)の墓がある。
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・・・・・・・・・・ 本堂で合掌したあとは、花の観賞!、、、、、まずは、境内に咲き始めたアジサイ。 まだ咲きはじめで、チョイト彩付きがわるいようだ。
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・・・・・・・・・・ 本堂脇から下って来ると菖蒲池に咲き誇るハナショウブ
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・・・・・・・・・・・ 池にはスイレンも!
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● 花を終え、次は腹、食事処を探しながら駅に向かう・・・・・

2025年6月 5日 (木)

青砥から関屋まで

京成本線の青砥駅から本線沿いに歩いて京成関屋駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 青砥(あおと)駅開業以前は、立石~高砂間には駅は設置されていなかった。 昭和3年(1928)11月1日の日暮里~青砥間開通時に分岐駅として開業した。 青砥駅の開業により、現在の押上線(押上~立石~青砥)は当駅で京成本線(上野~青砥~成田)から分岐することになる。、、、、、青砥駅は昭和48年(1973)から、昭和61年(1986)まで高架化工事が進められた。 現在の青砥駅は、ホームが二層構造の高架駅となっている。 2階と3階にそれぞれ島式1面2線のホームを持ち、2階が上野・押上方面に向かう1・2番線、3階が成田・千葉方面に向かう3・4番線となっている。 改札口は中2階の1カ所のみである。

・・・・・・・・・・ 朝の3階ホームは成田・千葉方面に向かう乗客が点在する程度。 2506050801550
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・・・・・・・・・・ 都心に向かう2階ホームは人・人・人でラッシュ状態
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・・・・・・・・・・ 2階ホームからさらに階段を下りると中2階の改札口。 乗る人、降りる人で8台の自動改札機はフル活動。
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・・・・・・・・・・ 中2階から階段を下りると高架下の青砥駅出口がある。 1階はショッピングセンター。 その入口前にはバイオリンを弾く男性の像がある。 台座に「ワルツの塔」と刻まれている。 ウィーンの音楽家ヨハン・シュトラウス2世の像だ。
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・・・・・・・・・・ 下町にある狭い駅前の通りから見上げるとデカイ、邪魔な駅だ!
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京成本線沿いに上野方面に向かって歩く、、、、、暑い! 今日の東京は夏日、汗を拭いながらの歩き、暑い!
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● 葛飾区の中央部に位置する、普通しか止まらない下町の駅がお花茶屋駅である。 駅は相対式ホーム2面2線で、橋上駅舎を有する地上駅である。 昭和6年(1931)12月19日開業。、、、、、駅の前には地元密着型の商店街があり、昭和の雰囲気も味わえる。
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● 線路に沿って歩く。 暑い、汗が流れてきた! 
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● 5月末から始まった葛飾 菖蒲まつり」が開かれている堀切菖蒲園、その最寄り駅である「堀切菖蒲園前駅」。、、、、、当駅は昭和6年(1931)12月19日開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。 改札口・出口は1ヶ所のみで高架下の地上1階にある。、、、、、今日は菖蒲園に寄らず、素通り。 
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● 堀切菖蒲園駅を出た電車は、京成本線荒川橋梁にて荒川を越える。 その京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低い。 もし、荒川が氾濫するとしたら、この位置からといわれており、治水上の弱点といわれてる。 この京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始められている。 東京の下町が浸水することが無きよう、一刻も早く完成することを願うのみ!
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● 本日の散歩の終点は「京成関屋駅」。 京成関屋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、、暑い暑い散歩であった。 汗臭さい身体で、電車に乗るのはチョイト気が引けた!
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