浅草寺の東門
猛暑日の今日も通院、浅草は浅草寺裏(馬道)にある泌尿器科へ行ってきた。 帰り、チョイト浅草寺にお立ち寄り。・・・・・今日は、浅草寺本堂の東側にある「二天門」から境内に入った。 この朱も鮮やかな二天門は浅草寺の東門である。 有名な雷門は浅草寺本堂正面に伸びる仲見世(参道)の入口に位置する南門である。 個人の観光客や主に欧米からの少人数の団体客などは、雷門から参拝することが多いが、国内の修学旅行、C国の団体客など観光バスでやって来る団体さんは、二天門の周辺に観光バスの駐車場があるので、ここから境内に入って来ることが多いようだ。
● 「二天門」は、慶安2年(1649、徳川家光の時代)頃に浅草寺の東門として建立された。 江戸時代を通じて浅草寺観音堂の西側に建てられた東照宮(元和4年(1618)建立、寛永19年(1642)焼失)の随身門と伝えられ、随身像が安置されていた。 明治17年(1884)、神仏分離によって随身像は浅草神社に遷座されて、鎌倉の鶴岡八幡宮から増長天と持国天の像が奉納された。このとき名称を随身門から二天門と改めた。、、、、本瓦葺・切妻造り木造朱塗り八脚門の二天門は、昭和25年(1950)に国指定重要文化財に指定された。

・・・・・・・・・・ 明治期に二天門と改称した門には、随身像から、仏教を守護する四天王のうち増長天・持国天の二天像を安置している。 現在安置されている二天像は京都七条の仏師、吉田兵部が江戸時代初期(17世紀後半)に制作したもので、昭和32年(1957)に寛永寺の厳有院殿(4代将軍徳川家綱)霊廟の勅使門から移されたものである。 (写真順に、増長天、持国天)


・・・・・・・・・・ 門に掲げられている「二天門」額は、太政大臣 三条実美(1837~1891)の筆により、明治16年(1883)2月1日に掲げられた。 以降、「二天門」と称されている。
・・・・・・・・・・ 二天門前に残されている手水鉢は、安永6年(1777)に奉納されたもの。 手水鉢前面の銘文には「金龍山随身門前」と彫られていることから、江戸時代の随身門であった当時から、この場所に置かれていたものと推察される。
・・・・・・・・・・ 今日も来た来た、C国の団体さん。 日本に来たら、マナー厳守!
● 本堂へ参る


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