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2025年10月

2025年10月28日 (火)

墨田の寺

東武の堀切駅で下車し、墨田区の北部:墨田地区の4カ寺をめぐり、京成曳舟駅まで、1万歩の散歩です。



● 今日は、足立区と墨田区の境に位置する東武伊勢崎線の堀切駅から南の墨田区墨田の町を散歩する。、、、、、堀切駅は、明治35年(1902)の吾妻橋(現:とうきようスカイツリー)~北千住間開業時にできた駅であるが、開業当時の堀切駅は今よりやや東で、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 開業当時はまだ現在の荒川がなかったためで、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って堀切駅が現在の位置に移転してきたのは大正12年(1923)7月1日のことである。 駅の東側は荒川が流れ、西側も400m程歩くと隅田川にぶつかる。 川と川に挟まれくびれた所に堀切駅はある。 1日平均乗降人員は約4000人で、都会の中の秘境駅である。、、、、、下町情緒漂う、静かな雰囲気の駅。 改札を出るとすぐ首都高が見え、荒川土手もあり、散歩の起点としては、いいね!
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● 堀切駅から荒川沿いに600m程歩くと、真言宗智山派寺院の「多聞寺」(墨田区墨田5)がある。、、、、、多聞寺は隅田山吉祥院と号す。 創建年代は不詳だが、天徳年間(957~960)には現隅田川神社付近にあり、大鏡山明王院隅田寺と称していたとのこと。 天正年間(1573~1591)に本尊を毘沙門天として隅田山吉祥院多聞寺と改称した。 寺の前の道は古代から続く街道の名残らしい
。 木造茅葺(かやぶき)の山門は切妻造四脚門の様式をとるもので、多聞寺に残る唯一の江戸期木造建築である。 享保3年(1718)に焼失し、現在のものはその後に再建されたもの。 江戸時代の風情を残す寺だ!、、、、、本尊の毘沙門天は、隅田川七福神の一つとなっている。 まもなく来る正月は、“七福神巡り”でご本尊の出番となり、大忙しとなるだろう!
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・・・・・・・・・・ 山門前の阿弥陀如来像寛文4年(1664)造立。 隣には子安地蔵が並んでる。、、、、、また、本堂手前の六地蔵座像は、都内でも珍しい座像形態の尊像である。 仏教における地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のどこにいても救いの手をさしのべてくれるという地蔵尊。 造立は正徳3年(1713)~享保元年(1716)と刻まれている。
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● 
多聞寺門前の古くは街道の面影残る道を南に歩くと、チョイと趣のある建物が目に入る。、、、、、「成田山隅田参拝講事務所」の看板を掲げてる出桁造の建物、、、、、住宅の並ぶ町中にひっそりと祀られている稲荷神社。 石造りの鳥居は年季もの?、、、、、以前は蕎麦屋であった、今は民泊kisoba」。玄関には「生蕎麦」という古い看板が残されている。
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● 多聞寺からは南へ500m程、鐘ヶ淵駅からは北西に150m程、曹洞宗の醍醐山円徳寺がある。 、、、、、慶長18年(1613)に文京区駒込にある吉祥寺の和尚が開山した。 本尊は薬師如来。、、、、、朱塗りの山門が目立ち、赤門寺とも呼ばれているそうだ。 “赤門”の謂れが判らず、なんとなく特徴をつかみずらい寺だ!
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・・・・・・・・・・ 境内に祀られている大きな舟型の庚申塔は、蓮華座に薬師如来を配し台座に三猿を掘った見ごたえあるものだ。 寛文12年(1672)の銘あり。
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● 墨田2丁目の真言宗智山派寺院の正福寺は、月光山薬王院と号す。 正福寺は、慶長7年(1602)に創建されたと伝えられている。 建物は新しく近年建て替えられたと思う。
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・・・・・・・・・・ 寺内にある首塚地蔵尊は首から上の病気にご利益ありと言われ、多くの参詣者があるそうだ。、、、、、天保4年(1833)洪水の危険をふせぐため、隅田川橋場附近の川浚い工事において、川床より多くの頭骨が発掘された。 当時の正福寺の和尚は、この地に合葬、碑をたてて「首塚」といったと伝えられている。 この縁で、首から上の病いに功験があるからと、参詣の香華がたえないそうだ。、、、、、首から上の病とは? ボケ、ハゲ、蓄膿、顔面神経麻痺、ブス、白内障、私のつたない知識で思いついたまま書いてみた。
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● 墨田の町から東向島の町に入り向島百花園の脇をとおり都立墨田川高等学校の前に出ると、真言宗智山派寺院の蓮花寺(墨田区東向島3)がある。、、、、、創建の経緯については諸説あるが、一説には寛元4年(1246)、北条時頼の開基である。時頼の兄の北条経時の菩提を弔うために、鎌倉佐介谷(現・神奈川県鎌倉市佐助)に創建されたという。 その後、経時の子の頼助によって、弘安3年(1280)に現在地に移転した。 蓮花寺の本尊は空海自筆の弘法大師画像と伝えられている。、、、、、当寺は「寺島(昔の地名)大師」とも呼ばれ、川崎大師、西新井大師とともに「江戸三大師」と呼ばれていたそうだ。(ゴメン、そんなこと知りませんでした!)
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・・・・・・・・・・ 蓮花寺門前に二基の道標がある。 かつて「寺島大師」として、江戸三大師の一つとして栄えていた頃、ここにある道標は大師参りの人々の為に建てられたものである。 川崎大師、西新井大師への道しるべである。
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水戸街道(=国道6号)を横断し、京成曳舟駅から帰る。
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2025年10月23日 (木)

二日目は丸岡城と永平寺

芦原温泉で目覚めた二日目、今日は丸岡城を見て、永平寺へ行く。 帰りの新幹線は福井駅から乗車。



● 旅館から芦原温泉駅まで送ってもらい。 駅前から永平寺行のバスに乗る、途中の丸岡城で下車。、、、、、今回の旅では、東尋坊、三国、丸岡城、永平寺、それに、芦原温泉駅、福井駅をそれぞれ結ぶ路線バス「京福バス」が2日間乗り放題のフリーパス(一人2,500円)を購入した。 バスはそこそこの本数が運行され、便利で利用しやすく、割安感を感じた。(昨日、フリーパスの購入を教えてくれた、観光案内所の女性に感謝!)
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丸岡城は、天正3年(1576)に織田信長の重臣だった柴田勝家の甥の柴田勝豊によって築城された。 日本に現存する12天守で最も古いとされている城です。 また、北陸地方唯一の現存天守であり、非常に貴重な歴史的建造物だ!、、、、、天守の高さ12.6m、石垣の高さ6.0m、城山の高さ17.0mで、丸岡の町の中にポコンと建っている感じで、城から見る町はビルの屋上から見る町のようだ!、、、、、外観で特徴的なのは、「野面積み」という石垣の造り方である。 これは自然のままの石をほとんど加工せず、石の形を活かして積み、隙間が生まれやすい石と石の間を間詰め石という小石で埋めて安定させるというもので、初期の城郭に見られる簡易な石垣の造り方である。、、、、、丸岡城は昭和9年(1934)に国宝に指定されたが、昭和23年(1948)の福井大震災で倒壊し、昭和25年(1950)重要文化財に指定された。 その後昭和30年(1955)に修復再建された。 小さな城だが風格がある!
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・・・・・・・・・・ 丸岡城は二層三階なので城内の階段を2回上り下りする必要があるが、この階段の急勾配ぶりは現存天守の中で一番です。 1階から2階への階段は勾配65度で、2階から3階への階段の勾配は67度もあり、“階段”というより“梯子”という感じだ! 危険なので、手摺の他にロープも付いている。 年寄・女性は階段を見てあきらめるかも?、、、、、さらに一番危険なのは、城内の階段よりも城の出入りに石垣を上り下りする階段で、この階段(石段)は、段差もバラバラで足元注意が必要、さらに手摺がないから摑まるものがないので要注意! 年配のご夫婦がこの階段を見て城内に入るのをあきらめていた、残念ですね!
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● 丸岡城から再びバスに揺られて40分、福井市の東、四方を山に囲まれた深山幽谷の地に曹洞宗大本山の永平寺がある。 永平寺は山号を吉祥山と称し、寛元2年(1244)に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である(現在、百人ほどの雲水が修行をしているそうだ )。 本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。 永平寺には大小70棟余りの建物が並んでいるが、一般の人が拝観できるのは、法堂、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司、浴室の七堂伽藍を中心とするエリアである。 主要な建物19棟は国の重要文化財。

・・・・・・・・・・ バス停から永平寺まで参道がある
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・・・・・・・・・・ 通用門で拝観料を払い、昭和46年(1971)に建てられた地上5階地下1階の宿泊研修施設「吉祥閣」(飛島建設施工)で、スリッパに履き替える。
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・・・・・・・・・・ 「
傘松閣(さんしょうかく)」は、昭和5年(1930)の二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築された。 2階に156畳敷きの大広間があり、折上格天井にはめ込まれた花鳥彩色画230枚の天井画は小室翠雲ら計144名の画家によって描かれた。 参拝者へのもてなしの間として作られた部屋である。
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・・・・・・・・・・「山門」は七堂伽藍の中で最も古い寛延2年(1749)の造立、約300年前の建物だ! 修行僧が毎日楼上に登り、お経をあげているとのこと。
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・・・・・・・・・・ 主要な建物が階段・回廊でつながれ、走って通り抜ける修行僧もいた。 床は磨かれピッカピカ、滑って転んで危ないかも?
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・・・・・・・・・・ 明治35年(1902)に改築された「僧堂」。 正面には「雲堂」の額が掛けられている。 堂内中央には智慧の象徴である文殊菩薩が安置されている。
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・・・・・・・・・・ 明治35年(1902)に改築された「仏殿」。 中央に曹洞宗の本尊であるお釈迦様が祀られている。 像は三体あり、向かって右側からそれぞれ過去・現在・未来の三世を現わしている。
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・・・・・・・・・・ 山の斜面に配されている七堂伽藍、その最も高い位置に「
法堂(はっとう)」がある。 天保14年(1843)の建築。 本尊として平安時代作の聖観音像を安置する。 天井から中国宋代の形式を伝える大型の八葉蓮華鏡が吊るされている。、、、、、朝のおつとめなど、各種法要はが行われる処。 下からここまで上がってくるだけで疲れる、さらに、おつとめする修行僧には、ご苦労様だ!20251023120957
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・・・・・・・・・・ 永平寺の参拝を終え、帰りは土産物屋、蕎麦屋の並ぶ門前通りを歩いてバス停に向かう。、、、、、途中の店で、永平寺蕎麦、ごま豆腐を味わう、おいしかった!
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● 福井駅は明治29年(1896)7月15日に官設鉄道の北陸線として敦賀駅~福井駅間が開業した際に一般駅として開業した。、、、、、現在は、西日本旅客鉄道(JR西日本)・ハピラインふくい・えちぜん鉄道の駅である。、、、、、新幹線は県庁所在地の駅であるにもかかわらず、通過線や待避線のない島式ホーム1面2線のみの小規模な駅である。 チョイと可哀そう!
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2025年10月22日 (水)

一日目は東尋坊と三国

10月20日は上皇后陛下の誕生日、翌21日は私の誕生日。 一週間ほど前、夫婦で私の誕生日に『カニを食べに行こう!』と話しがまとまった。 早速、どこへ食べに行こうかと話すうちに、『日本海側、越前ガニ、温泉』とキーワードが並び、結局、芦原温泉に行こうと決めた。 ネットで宿を検索し、21日はどこも満室。 22日なら空室があり、迷わず予約。、、、、、宿が決まれば、新幹線往復の予約もどうにかできたが、観光地の行先は東尋坊と永平寺の2か所だけ決めて。 出発進行!



● 東京から3時間10分、時刻は10時半、北陸新幹線の芦原温泉駅(あわらおんせんえき、JR西日本)で下車する。 新しい新幹線駅は綺麗な駅舎であるが、最速特急「かがやき」の停車駅である金沢、福井に比べると、新幹線の各駅停車「つるぎ」しか停まらない芦原温泉駅は閑散としている。
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・・・・・・・・・・ 年寄二人の気まま旅で、最寄りの交通機関・観光地など下調べせずにやって来た。 頼りにするのは現地の観光案内所。 駅の売店横にある小さな観光案内所に行くと、女性が一人座ってた。 『今日は東尋坊、明日は永平寺に行きたいのです。 今夜の宿は芦原温泉に予約してます。 さて、どのように行ったらよいか教えてください。』 応えは『今日はここからバスで東尋坊に行って帰りに三国の古い町を歩き、芦原温泉に行かれたら良いです。 明日は、温泉の送迎バスで芦原温泉駅まで送ってもらい、駅からバスで丸岡城、永平寺と観て福井駅に出られたらよいでしょう。 このコースで利用できるバスのフリー切符もありますよ!』 地図にマーカーで示し、時刻表もくれ、親切丁寧なる対応、ありがとうございます。 東京を出るときは、三国の町、丸岡城は話題にもでず、楽しそうなコースを紹介してもらった。 案内所の女性に感謝!
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● 芦原温泉駅からバスで約40分、自殺の名所(?)東尋坊に着いた。 バス停から岩場までの約300mは、両側に海鮮丼などを食べさせる食事処、土産物を売る店が並び、呼び込みするお姐さん(?)もいる。 なんとなく懐かしさを感じ、中高校生時代の修学旅行を思い出した。
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・・・・・・・・・・ 絶壁に日本海の荒波が打ち寄せる景色で知られる、国指定名勝「東尋坊とうじんぼう )」。 日本海に面した海食崖で、険しい岩壁が約1㎞にわたり続き、最も高い場所で約25mの垂直の崖がある。 東尋坊を構成する岩は、輝石安山岩の柱状節理で、これほどの規模を持つものは世界に3ヶ所だけであり、地質学的に極めて貴重とされている。、、、、、地名「東尋坊」の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされたの僧の名前による。、、、、、『自己責任』でお任せなのか、崖上の岩場には柵がなく、行こうと思えば崖上の先端から飛び降りることができる。 まだ長生きしたい私は、先端に行って足を滑らしたら大変、まだ死にたくない!
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・・・・・・・・・・ 東尋坊を目に焼き付けた後は、イカ、サザエ、ホタテ、ハマグリを焼いてもらい、旅の味を堪能する。 美味い!
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● 東尋坊から三国港駅まで約30分の歩き。 三国港駅(みくにみなとえき)は、えちぜん鉄道三国芦原線の駅で同線の終着駅である。 もともと三国港(みくにこう)の貨物取り扱いの駅として、鉄道院によって既設の三国駅より三国線を海岸へ延伸することで大正2年(1913)に設置された。 昭和2年(1927)一般駅となり、旅客取り扱い営業が開始された。 昭和19年(1944)三国港駅は国鉄から京福電気鉄道に貸与された。、、、、、駅舎・ホームは線路の北(市街地)側に設置されている。 単式ホーム1面1線の地上駅である。 1日平均の乗車人員は130人前後と少ない。、、、、、今は乗降客も少なく静かな無人の終着駅である。 映画のワンシーンとなるような情景で趣があるね!
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・・・・・・・・・・ 三国港駅の手前(東側100m程)に、煉瓦造りの小さなアーチ橋が架かっている。 大正2年(1913)から100年以上に渡って使われている橋で、国の登録有形文化財「眼鏡橋」だ。 橋上の道路と線路が直角でなく、斜め60度で交差しているのが特徴。 このため、トンネル上部のアーチ部分では、煉瓦がねじるような形で積まれています。 この技法を「ねじりまんぽ」と言うそうだ。
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● 三国の町の古い建物が残る通り「出村町並み」、「三国湊きたまえ通り」などを歩いてきた。 伝統的建造物群保存地区には指定されていないが、その昔を忍ばせる情緒ある通り。
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・・・・・・・・・・ 町中に残る、三国町随一の豪商森田家が創業した森田銀行本店の建物(登録有形文化財)。 大正9年(1920)に本店として落成されたこの建物は、近年まで福井銀行三国支店として営業されていた。 しかし建物の老朽化にともない三国町の所有となり詳細な調査を踏まえ復元保工事が行われ、平成11年(1999)に三国町の文化遺産としてオープンした。、、、、、内部も見学でき、当時の建物の意匠を楽しむことができる。
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● 東尋坊、三国の町を歩き見て疲れた! 今宵の宿は、三日前に藤井聡太竜王と佐々木勇気八段の竜王戦第2局(藤井竜王の勝ち)が行われた、芦原温泉の「美松」。、、、、、私達夫婦は、のんびり・ゆったり・湯につかり・疲れ癒して・カニを味わい・おやすみなさい!
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2025年10月17日 (金)

横十間川

JR総武本線の錦糸町駅から、横十間川沿いに歩いて東西線の東陽町駅まで、1万1千歩の散歩。



錦糸町駅は、昔のターミナル駅:両国駅の隣り、私の住む浅草橋駅から2駅目、オタクの秋葉原駅からは3駅目、総武本線のターミナル駅である。、、、、、明治27年(1894)12月9日に総武鉄道の本所駅(ほんじょえき)として開業。 明治40年(1907)に国有化される。 大正4年(1915)、錦糸町駅に改称。 現在は、東京メトロ半蔵門線も乗り入れてる。、、、、、駅周辺は、ショッピングモールや飲食店それに映画館もある、JRAの場外馬券売場、ラブホ街もあり、人出も多くいつも賑やかだ。 それゆえ、駅はチョッピリ混雑する。 特に朝晩の通勤時間帯は、通勤通学客でホームだけでなく、駅前のバス乗り場などに、人の多さを感じる。
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● 錦糸町駅南口から、江東区を南北に流れる横十間川に沿って南へ歩く。 駅から東南に600m程、江東区を東西に流れる堅川が横十間川にぶつかる処に、昭和4年(1929)に架けられた関東大震災の復興橋「松本橋」がある。 旧地名の松代町と本村町を結んだので松本橋と名付けられたトラス橋。 
橋長35.52m、幅11mの橋である。、、、、、歴史を感じるトラス橋だが、頭上には高速道路が走っており、橋下の堅川は埋め立てられ、橋の本来の役割は終えたようだ。 橋の手入れも十分行われていないようで、全体に錆が出ている姿は痛々しい。 メンテナンスし、重要文化財にでも登録してほしいね!
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● 松本橋を渡ると、正面に「猿江恩賜公園
(さるえおんしこうえん)」がある。 猿江恩賜公園は、江東区猿江にある都立公園である。 野球場、日本庭園のある落ち着いた雰囲気の南園(江東公会堂も含む)とテニスコート、広場、遊具のある開放的な北園に分かれている。、、、、、公園の歴史は、享保18年(1733)に江戸幕府公認の貯木場として開かれたことから始まる。 大正13年(1924)皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚を記念して、猿江貯木場の一部を東京市に下賜(現在の南園部分)。 昭和7年(1932)には南園部分が、猿江恩賜公園として開園した。 昭和20年(1945)には、東京大空襲の焼死者の仮埋葬地となる。 昭和47年に現在の北園部分にあった猿江貯木場が廃止され、東京都が跡地を買収する。 昭和56年(1981)、北園の一部が開園。 昭和58年(1983)に北園が完成し現在の公園が全面開園された。 公園の面積は14.5ha(東京ドーム約3個分)。 、、、、、雨上がりの今朝は、ジョギング・太極拳する人が数人、散歩する人も少なく、のんびりゆっくり歩いてきた。 紅葉にはまだ早いようだ!
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● 猿江恩賜公園の東側に流れる横十間川。 横十間川は江東区亀戸と墨田区業平の境界で北十間川から分かれ南へ流れる。 途中で堅川、小名木川、仙台堀川と交差し、江東区東陽で大横川に合流する。 この川は万治2年(1659、江戸時代)に徳山重政・山崎重政両名(翌年本所奉行に任命)によって開削された運河である。 江戸城に対して横に流れ、川幅が十間(18m)あったことから「横十間川」と命名された。、、、、、江戸時代はのどかな田園の中を流れる川であったと思うが、今は両岸にマンションが並ぶ中を流れる川となった。
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 横十間川と小名木川が十字に交差する地点に、X型に架かる歩行者自転車専用橋の「小名木川クローバー橋」がある。 平成6年(1994)に架けられた、橋長 140.5m、幅員 4.8~12.8mの1径間鋼製箱桁橋である。、、、、、川の中央部で十字に交差し、四方へ向かうことができるためか、自転車の交通量は多く、ヨタヨタのお年寄りはチョイと怖いかも。
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● 小名木川クローバー橋から大横川に合流する地点までの区間は埋め立てられ、総延長は1970mの大規模な横十間川親水公園として整備された。 公園は昭和59年(1984)に開園。 園内にはボート乗り場や、和船乗船体験ができる施設もあり、川を身近に感じることのできる親水公園となっている。、、、、、園内の草藪に「ヘビに注意」の貼紙があった。 こんな都会の公園にヘビが出るとは、ヘビが大嫌いな私は恐る恐る歩くことになった。 さらに熊も出たら、『こんな公園絶対に二度と来ない!』と叫ぶであろう!
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東陽町駅に到着! 中柱のある相対式ホーム2面を有する地下駅。 おや?電車が停まっているが走らない? 事故があったようだ、イライラして待つこと10分、『お待たせしました、発車します』のアナウンス。 やっと我が家に帰れる、一安心!
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2025年10月10日 (金)

熊野前から上中里

熊野前バス停から、尾久駅前を過ぎ上中里駅まで、9千歩の裏道散歩



● 『今日はどこから歩こうか?』 毎度のことだが、散歩の行先が決まらず家を出た。 駅へ向かう途中、なんとなく日暮里からバスに乗って遠くへ行ってみようと考えた。(日暮里が思い浮かんだのは、駅前から多方面に行くバスが出ているため) 日暮里駅前のバス停うろうろしていると、最も遠くそうな「江北六丁目団地行」がちょうど来たので“ラッキー”と思い急いで乗る。 乗客は3人、なんと空いてるバスだ! バスの車内で路線図を確認すると、このバスは日暮里舎人ライナーの下を、並行して走るバスだった。 日暮里舎人ライナーと同じ経路をはしるバス、だから乗客が少ないのだ! しかも、江北六丁目団地とは、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅の正面にある団地で、私が何度も歩いたところ。 このまま終点まで行っても面白くないので、とりあえず途中の熊野前で下車する。 
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● 熊野前バス停で降りたけど、『サテ、どうしようか?』 熊野神社は現存しないが尾久八幡神社なら知ってるし、都電通りも知ってるし、どこへ行こうか思案橋。 『ヨシ、今日はここから、私の好きな裏通りを気ままに歩こう!』と決める。

・・・・・・・・・・ 時刻は8時。 熊野前の裏通り「はっぴーもーる 熊野前」商店街の中程にある小学校の登校時間。 集団登校か、みんな仲良く笑顔で登校。 ご近所の人も笑顔で見送り。
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・・・・・・・・・・ 「はっぴーもーる 熊野前」を抜けると、引き続き「おぐぎんざ」商店街が続く。 どちらも、地域密着型の商店街。
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・・・・・・・・・・ 「おぐぎんざ」商店街の中程、スパーの2階に『尾久セントラル劇場 冷暖房完備 毎週土曜日オールナイト 松竹、東映、東宝の3社のロゴマーク 各社特選映画上映』と書いてある、映画館だ。 1990年ごろに閉館したと思われる、30年以上経過したのか? かつて、「ゴジラ」、「クレイジーキャッツ」、「駅前旅館」、「男はつらいよ」、「網走番外地」、日活ロマンポルノなど、やってたのかな? 当時を知る人には懐かしい映画館で、思い出も多いことであろう。
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・・・・・・・・・・ 尾久セントラル劇場前の裏道(荒川区東尾久4)に入っていく。 尾久呑龍堂なる小さな社に子育地蔵尊が祀られている。 さらにチョイと歩くと、老人ホーム(荒川区西尾久1)の植え込みに聖母マリヤの像が。 神の御加護がありそうな通り。
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・・・・・・・・・・ 西尾久1丁目のバス停付近で都道を横断する。 チョイと歩くと、二階建て煉瓦造りの小柄な蔵がある。 明治中頃の建物らしい。 建物の劣化も見られず、美しい造りの蔵だ!、、、、、真っ赤なスポーツカーもいいね!
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・・・・・・・・・・ 裏道を歩いてると小台銀座」商店街(旧小台通り)の南端に出た。 商店街は歩かず、そのまま直進する。
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・・・・・・・・・・西尾久4丁目で、野菜の移動販売に遭遇。 近所のお母さんが品定め。、、、、、近くでは町工場から出る産廃の収集トラックもいる。、、、、、そうだ、この辺りは町工場が多く、下町の雰囲気残る優しい街だ!
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● 歩く先に尾久駅が見える。 尾久駅は昭和4年(1929)6月20日開業、乗り入れている路線は線路名称上は東北本線の日暮里駅 - 当駅 - 赤羽駅間の支線(尾久支線)である。 運行系統上は、宇都宮線高崎線列車が停車する。、、、、、尾久駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町に位置している。 駅の所在地でないにも関わらず「尾久」が駅名として付けられたのは、開業当時、隣接する尾久町が温泉を中心とした東京郊外の遊興地として栄えていたので、「尾久」という地名を拝借したそうだ。 駅名の「尾久駅」は濁らず“おくえき”と読むが、地名である「尾久」(東尾久・西尾久)は“おぐ”である。

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・・・・・・・・・・ 今日は尾久駅で散歩を終えることはなく、上中里駅まで歩くことにした。 尾久駅舎の脇にある、約150mの尾久構内架道橋(車両基地の下を抜ける地下道)を歩き上中里駅に向かう。
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● 上中里駅の東、道路沿いに小堂があり庚申塔が祀られている。 庚申塔の年代不明。青面金剛立像と足元の三猿がしっかり彫られている。両脇にもいくつか石塔が並んでいる。、、、、、庚申塔の脇には赤い灰皿が置かれ、正面には椅子となる切り株が置かれてる、愛煙家は庚申塔に向かって一服し、疲れをいやすのか? 
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● 上中里駅に到着。、、、、、上中里駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、ホームの端、東京寄りに橋上駅舎を有している。 大宮寄りの車両に乗るには、10両編成の全車両分を歩かなければならない。 乗降客は少なく、見た目には細長い静かなホームである。
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2025年10月 6日 (月)

四度目の別所温泉 2

朝風呂に入り、ゆったり気分で目覚めた、別所温泉から始まる二日目です。、、、、、私『今日の行動予定は?』(帰りは、4時、長野駅発の新幹線を購入済) 妻は『善光寺に行こう、土産物も買いたいし!』 私は、旅館に飾ってあった国宝の三重塔の写真を見て、『青木村の大法寺へ行ってみたい!』 そこで、別所温泉から隣りの青木村の「大法寺」に寄って上田駅までタクシーで行き。 長野の善光寺に参拝して東京へ帰ることにした。



● “思わず振りかえる(国宝)見返りの塔”をぜひ見てみたい。 北向観音から北へ約4㎞離れた位置に大法寺はある。 別所温泉から大法寺のある青木村までは、途中には峠越えもあり歩いて行くにはチョイと無理。 電車もバスも無いのでタクシー一択である。、、、、、大法寺(だいほうじ)は、長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院。 山号は一乗山。、、、、、大法寺は奈良時代の大宝年間(701〜704)に藤原鎌足の子である定恵によって創立されたとされる、信州でも有数の古刹である。 その後、平安時代の大同年間(801〜810)に坂上田村麻呂の祈願により、義真(天台宗座主)によって再興された。 鎌倉時代には、大法寺は周辺に住んだ有力地頭による崇敬を受けた。特に国宝に指定されている三重塔や、重要文化財に指定されている厨子、須弥壇などの文化財は、浦野氏、北条氏などの地頭の支援により造られた。 江戸時代には戸隠の勧修院の末寺となっており、天台修験による山岳仏教の寺として栄えた。、、、、、大法寺は、村から見上げる小高い山の中腹にある田舎の山寺だ、訪れる人も少なそうだ。
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・・・・・・・・・・ 大法寺観音堂の本尊は十一面観音菩薩立像(秘仏)で脇侍の普賢菩薩立像と共に重要文化財に指定されている、平安中期(藤原時代)の作である。 室町時代の厨子及び須弥壇(重要文化財)も、木製のものとしては日本最古といわれてる。
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・・・・・・・・・・ 山腹に点在する伽藍の最も高い地点に位置する三重塔。 大正9年(1920)の解体修理時に軒下の斗栱から正慶2年(1333)の墨書が発見されたことから建築年代が判明した。明治32年(1899)に旧古社寺保存法による国宝指定を受けた後、昭和23年(1953)の文化財保護法の新法により改めて国宝指定された。 塔の様式は和様で「見返りの塔」の名で親しまれてきた。、、、、、下から見上げる塔も良い、上から見る塔も良い、どこから見ても素晴らしい、感動! 
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● 長野駅からは“妻に引かれて善光寺参り”、、、、、善光寺は無宗派の単立仏教寺院。 住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。 本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)で、絶対秘仏である(開帳は前立本尊で行う)。 本尊の善光寺如来は由緒ある像として権威の象徴とも見なされ、戦国時代には大名がこぞって自領(本拠地)に善光寺如来を遷座させ、各地を転々とした。 昔から多くの人々が日本中から善光寺を目指して参詣し、「一生に一度は参れ善光寺」と言われた。(私は十度程参っていると思う)、、、、、妻の参拝目的は、参道の店で栗と蕎麦を食べ、土産を買う楽しみ。 まずは本堂へ。
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・・・・・・・・・・ 本堂で手を合わせたら、参道の店を覗いてブラブラ
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● 長野駅から、Good-by!
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2025年10月 5日 (日)

四度目の別所温泉 1

信州の別所温泉に、5日、夫婦で一泊の温泉旅行をしてきた。 平成の時代に家族旅行で別所温泉に泊まり。 令和4年(2022)に「善光寺の御開帳」で家族旅行、昨年令和6年(2024)は「東京~上田間の新幹線切符が当たり」夫婦二人旅、と短期間に四度目の別府温泉泊まりとなった。、、、、、今回の旅行は一週間ほど前に、突然、夫婦で決めた旅行である。 先月末、夫婦で話していると妻『松茸食べたいね?』 私『どこかへ松茸料理を食べに行こうか。 どうせ行くなら、10月5日(日曜日)の結婚記念日にしよう』 妻『いいね賛成!』と話はまとまりかけたが、サテ・どこに行く? 記念日当日まで一週間しかない中で、松茸料理を食べさせる温泉旅館を探す。 栃木県・群馬県・長野県の目ぼしい温泉旅館を30軒程ネット検索する。 宿泊日間近なので何処も“満員”、やっと見つけた宿が松茸料理を売りにする別所温泉の旅館。 『また別所か! チョイと飽きたが、しょうがない予約しよう!』 早速、新幹線の切符もゲット!、、、、、立ち寄る観光地を決めず、とりあえず出発!


● 行の新幹線車内で、昼前に上田駅に着くけど、どこへ行こうか? 六文銭の上田城、北国街道の街並み、いずれも行ったが、『もう一度行くか』、、、、、駅前の通りを歩き、の「池波正太郎 真田太平記館」を拝観。 真田太平記は池波正太郎が、昭和50年代に9年間かけ、「週刊朝日」に連載された小説。 そのタイトルのごとく、有名な真田父子二代(昌幸、信之、幸村)を中心に書きあげたものである。 館内は2階の常設展示と、からくり芝居、土蔵のシアター、ギャラリーなどがある。 池波ファンは十分楽しめるものと思われる。202510051027491
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・・・・・・・・・・ 上田駅の北に残る、「旧北国街道」沿いの家並みを歩く。 戦国の世に生まれた上田城の城下町で、江戸時代は北国街道上田宿として栄えた。 大きな柳の木が残る旧街道には、旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといわれてる。 今は、白い土塀に格子戸のある民家、古道具店、杉玉のある造り酒屋などがあり、さらに古民家再利用の喫茶店などもある。、、、、、昼食はここで“新そば”を味わう。 美味い!
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・・・・・・・・・・ 旧北国街道から上田城に廻り上田駅へ向かう。 上田城も見飽きたが、せっかくここまで来たら上田城も見ておくか!、、、、、上田城は天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置してる。 堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城である。 現在は、櫓3基と櫓門1基を見ることができ、天守閣なるものは無い。 また、石垣や土塁が到る所に残されている。 (城内には真田神社がある)
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上田駅から「上田電鉄 別所線」で、のんびり、ゆっくり、ガッタン・ゴットンと揺れて終点の別所温泉駅に到着。、、、、、別所温泉駅では、3人の女性が大正ロマンの装いでお出迎えしてくれた。 嬉しいね!
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● 別所温泉に着いたら、まずは北向観音(きたむきかんのん)にご挨拶。 北向観音は、近くの天台宗の寺院:常楽寺が本坊であり、その伽藍の一部となっている。 寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825)、円仁(慈覚大師)によって、常楽寺とともに開創されたといわれてる。 安和2年(969)大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興された。 鎌倉時代の建長4年(1252)には北条国時によって再建された。 正徳3年(1713)に焼失し、8年後の享保6年(1721)に現在の堂が再建された。 その後度々修復を加え、昭和36年(1961)に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となる。、、、、、今年は開創1200年にあたり、この10月11日から11月9日まで、64年ぶりに北向観音御開帳が行われるそうだ。(一週間来るのが早かった!)
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● 旅館の夕食は、待望の「松茸料理」。 食事処には私達と同様に、松茸料理に期待する20組ほどの客がいた。、、、、、席に着くと、料理の品書きが置かれてる。 チョイと見ると、「松茸酒 松茸寿し 土瓶蒸し 鯛松茸和え 松茸姿焼き 松茸ホイル焼き 松茸天婦羅 松茸御飯」の文字が並ぶ。 ウハウハこれは大いに期待する。、、、、、ところが、こんなに多くの松茸料理が目の前に並んでいるが、松茸の香りがしない! 仲居さんに「この松茸どこで採れたの?」聞くと、「この近くの山らしいです」との返事。 次に「松茸の香りがしないね?」と問うと、別の仲居が「今年は猛暑で不作なんです」と返す。 別所温泉の町全体が、松茸料理、松茸販売でにぎわっているが、本当にここは松茸の産地なのか、観光客の分だけここで採れるのか、疑心暗鬼!になる。、、、、、夕食後、露天風呂に入り、今度松茸料理を食べるときは、カナダへ行ってみようかと思いをいだく。
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・・・・・・・・・・ あの香、あの歯ごたえ、美味しい松茸の夢を見たくて、Good night!

2025年10月 2日 (木)

八広の裏道

70代後半になり、医者通いも多くなってきた。 先日、区から新型コロナ(2,500円)とインフルエンザ(無料)の予防接種の案内が来たので、昨日、内科の定期診断のついでに接種してきた。 右肩にインフルエンザ、左肩にコロナのワクチン接種したら、昨夜から両肩が痛く、横向きに寝ることができず、『アリャリャ 困ったな、二・三日の辛抱か!』 先週の長谷寺詣で、リックを背負って歩いたせいで、脚も腰も痛く。 アッチャコッチャ・痛いところだらけで、ここ数日は年齢を強く感じる生活になりそうだ。 
今日の散歩は京成曳舟駅で下車し、明治通りの東側、墨田区の八広、東墨田、立花の町を歩いて、東あずま駅まで。 脚・腰の痛みは隠し、元気な年寄を演じながらの9千歩の散歩です。


京成曳舟駅けいせいひきふねえき)は東京スカイツリーのある押上駅の隣駅。 京成押上線の押上~曲金(現:京成高砂)~伊予田(現:江戸川)間が大正元年(1912)11月3日に開業した時に、曳舟駅(現:京成曳舟駅)も同時開業した。 平成25年(2013)8月までは地上駅であった。 それ以降、上り線、下り線の順に高架化され、現在は相対式ホーム2面2線の高架駅。 一日平均乗降人員は約20,000人程である。、、、、、駅周辺は、有名な大規模施設などが近くに無いが、入り組んだ細い裏通りに木造住宅が密集する昭和レトロな下町である。、、、、、今日は明治通り側の出入口に出た! 
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・・・・・・・・・・ 駅前に出ると高校生が明治通りを横断し、八広の町の裏通りに入っていく。 『どこの学校の生徒かな?』 私も学生の後について八広の町を歩くことにした。
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● 学生は、駅からスグの「都立日本橋高等学校」の生徒さんであった。、、、、、ここは墨田区八広、墨田区には“日本橋”なる地名・橋名は無い、中央区“日本橋”とは隅田川を挟みチョイと遠い! なぜここに、“日本橋”高等学校が? その答えは、昭和15年(1940)に葛飾区亀有にて設立した府立十七中学校が前身で、昭和17年(1942)に墨田区向島に移転(この時、校名は府立葛飾中学)。 昭和19年(1944)に中央区日本橋箱崎に移転。 昭和22年(1947)、箱崎の葛飾中学は都立日本橋中学と改称。 昭和23年(1948)に都立日本橋新制高等学校に改称。 昭和25年(1950)に都立日本橋高等学校に改称(この時まで所在地は中央区日本橋箱崎である)。 平成11年(2009)に現在地墨田区八広に移転した。(校名はそのまま持参) 『沿革は判った!』だけど、場所も名前もチグハグで、どうなってるの? “都立八広高等学校”にしたら地名と一致するのだが、“日本橋”の方がカッコ良く、知名度も高いからか!
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● 八広2丁目・3丁目の裏道をブラブラ、真っ直ぐな道がなく、勝手気ままに右左! 家の中から機械油の匂いがする町。
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● 東墨田の町に入ると、高い煙突が見える。 あの煙突は、何の煙突? それは、それは、墨田清掃工場の煙突 墨田清掃工場は建設費333億円で平成10年1月に竣工した、全連続燃焼式火格子焼却炉(設計最高発熱量:13,000KJ/kg 規模(炉基数):600トン/日)の清掃工場である。 煙突の高さは150mと高い!、、、、、工場の隣には温水を利用した「すみだスポーツ健康センター」がある。 
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● 墨田区立花の町を抜けると、東武亀戸線の「東あずま駅がある。 足が痛い! 今日の散歩はここまで、亀戸経由で帰ろう!、、、、、駅名は付近一帯がかつて吾嬬町(あづまちょう)だったことに由来し、周辺の東吾嬬小学校、第一吾嬬小学校などの学校や吾嬬神社にその地名が残っている。 本来は「東あづま」となるはずなのに「東あずま」となったのだが、理由は不明。(単なる書き間違えが原因では!)
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