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2025年11月

2025年11月28日 (金)

空飛ぶ飛不動

圧倒的に爺さんが多く通う泌尿器科。(婆さんは老いても恥ずかしいのか少ないね!) 私もその一人、上野の病院から始まり、浅草のクリニックに回され、泌尿器科通いはかれこれ10年以上になる。 特に病気ということもないのだが、上野の病院時代に『先生、もう通わなくてもいいですか?』と問うと、先生から『前立腺が多少腫れているので、浅草のクリニックを紹介するから、予防だと思って通いなさい。』と言われた。 場所は“浅草観音様の裏”で、身体の方は“病気”と思い落ち込む必要も無いので、散歩気分で楽しく通っている。

今日は泌尿器科の定期健診日、診察が終わり「異状なし」の言葉を聞いた帰り、台東区竜泉にある「飛不動」に寄ってきた。


● 「飛不動(とびふどう)」は通称、正式には「龍光山三高寺正寶院」が寺の名前。 享禄3年(1530)創建の天台宗の修験寺院。本尊は木造不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。 由来は、昔、寺の住職が大和の大峰山に本像を背負って修行に行ったところ、江戸の寺では本尊が留守のため、お不動様の分身に祈った。 すると、お不動様は一夜にして当地へ飛び帰り、人々の願いを叶えたと伝えられている。、、、、、現在は、『お不動様が飛行機に乗って帰ってきたようなものだ!』ということで、航空安全の守護神として祀られている。
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・・・・・・・・・・ 飛不動の絵馬には、空飛ぶ飛行機が描かれてる、、、、、御利益ありそうな絵馬だ!
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● 飛不動はお酉さまで有名な鷲神社・長国寺の北に位置するので、チョイと帰りにこちらにもお立ち寄り。

・・・・・・・・・・ 鷲神社は、4日前に終わった“お酉さま”の後片付けの真っ最中
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・・・・・・・・・・ お隣、長国寺は片づけ終わり、スッキリ!
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2025年11月24日 (月)

お酉さま

今日は二の酉。 毎年のことであるが、夫婦で浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)に参拝した。、、、、、台東区千束にある鷲神社は、大鳥大社(大阪府堺市)を総本社とする大鳥信仰の神社である。 日本武尊、天日鷲命などを祀り、古くから武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰を集めてきた。 平安時代には源頼義・義家父子が戦勝祈願を行ったとされ、江戸時代以降は庶民の信仰の場としても栄えてきました。、、、、、今年も夫婦で参拝する酉の市。 長生きできますように、よろしく! 

江戸時代後期から、最も著名な酉の市は、浅草の鷲在山長国寺(じゅざいさん ちょうこくじ、法華宗本門流)境内の鷲神社で行われた酉の市である。 「本酉」と呼ばれた花又(武蔵国南足立郡花又村、現:足立区花畑)の大鷲神社の酉の市に対して「新酉」と呼ばれた。 当時浅草の鷲神社は妙見大菩薩とも呼ばれて、鷲に乗った妙見菩薩の姿として描かれ、長国寺境内の番神堂(鷲大明神社)に安置された。 11月の酉の日には鷲妙見大菩薩が開帳され、酉の市が盛大に行われるようになる。 鷲神社は「鷲宮(わしのみや)」、長国寺は「酉の寺」とも呼ばれた。明治初年には神仏分離令により、長国寺と鷲神社とに引き分けられた。 この「本酉」「新酉」の他、千住の勝専寺(赤門寺。浄土宗)が「中酉」と呼ばれ、それぞれ盛大な酉の市が開かれたが、現在では勝専寺の酉の市は行われない。


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2025年11月19日 (水)

秋の京都 2

今回の京都旅行では、東京を出る時まで、“京都の紅葉を観たい!”、“Ⅽ国人・K国人の多い処は嫌だ!”、“行ったことがない処にしよう!”など条件も多く、具体的な行先が決まらずに旅に出た。 昨日行った比叡山・延暦寺も東京からの新幹線車中で決めた行先であった。 昨夜、京都駅前のホテルで夕食を食べながら、妻と『明日はどこへ行こうか?』と話す。 ガイドブックにあった写真を妻が思い出す、鮮やかな緑の苔の上に真っ赤な紅葉が一葉落ちている美しい苔寺の写真である。 『よし! 苔寺に行こう!』 部屋に戻り地図を眺め、京都駅から西に向かって桂川を越えた先にある阪急嵐山線の上桂駅で下車すると、浄住寺、地蔵院(竹寺)、西芳寺(苔寺)、華厳寺(鈴虫寺)、松尾大社と並んでいる。 いずれも、“紅葉で有名な寺 ベストテン”にランクインしておらず、どちらかというと今の時期ではマイナーな観光地と思われる。 これで決まりだ!



● 阪急電鉄の上桂駅は、昭和3年(1928)11月9日、新京阪鉄道嵐山線開通と同時に開業した。 昭和18年(1943)には京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。 相対式ホーム2面2線のこじんまりとした地上駅である。 通年平均の乗降人員は約7,000人である。
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・・・・・・・・・・ 駅から閑静な住宅地の中を浄住寺へ向かう
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葉室山浄住寺は、平安時代の弘仁元年 (810)、嵯峨天皇の勅願寺として第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開創されたと伝わる。 弘長年間(1261~1263)藤原家の流れを汲む公家の葉室定嗣卿が奈良の西大寺の僧・叡尊を請じて再建し、以降有力な真言律宗の寺院として栄えた。 南北朝時代以後、度重なる兵火により荒廃、元禄2年(1689)に黄檗宗の僧である鉄牛禅師を中興開山として再興され、黄檗宗寺院となり現在に至る。、、、、、京都市街から離れ、嵯峨嵐山からもチョイと離れ、観光客の姿は見えない。 寺の門前に来ると、住職と思われる方が拝観の受付をしていた。 私達が今日最初の観光客らしく、早速、山門の封鎖を解除してくれた。 楓が覆いかぶさる参道が正面の本堂へ続き、京都らしい風情ある寺だ!、、、、、拝観後に知ったことだが、寺の“秋の特別公開”パンフレットによると、11月下旬から12月上旬の間が、参道が真っ赤に染まる紅葉の見頃らしい。 私達は1週間早かった! この寺は“京都の隠れた紅葉の名所”だった!
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・・・・・・・・・・ 境内には孟宗竹の変異種と言われてる亀甲竹・四方竹などが植えられている。
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● 浄住寺から北へ200m程歩くと、「竹寺 地蔵院」がある。 地蔵院の山号は衣笠山(えりゅうざん)。 本尊は最澄作といわれる延命安産の地蔵菩薩像。 周囲が竹林で囲まれていることから竹寺、竹の寺の通称で知られる。 竹の緑が多く、秋の紅葉とは無縁の寺だ!、、、、、この場所は、もともと鎌倉時代に衣笠内大臣といわれた歌人の藤原家良が山荘を営んでいたところである。 当地は貞治6年(1367)には尼僧・妙性の所有となっていたが、同年に室町幕府の管領細川頼之がそれを買取って、新しく寺院が創建された。 それが当院の始まりである。 当院は崇光天皇、後光厳天皇、後円融天皇の御願寺に準ぜられ、境内は17万平方メートル、末寺も26ヵ寺、諸国に領地54ヵ所をもつ一大禅刹となった。 また、一休宗純(一休さん)は当院の近くで生まれた後、6歳で出家するまで母・伊予局とともに当院で過ごしたと伝えられている。 隆盛を誇った当院であったが、応仁の乱の兵火により伽藍が焼失し寺運も衰えた。江戸時代までは境内にわずか2つの末寺が残っているだけだったが、皇室の深恩と細川氏の援助等により貞享3年(1686)に方丈が再建されるなどして寺観が整備された。 明治時代になると竜済寺・延慶寺を合併している。 当院はそれまで臨済宗天龍寺派に属していたが、昭和43年(1968)に独立して単立寺院となっている。、、、、、境内には天高く伸びた竹林があるが、嵐山の竹林のように竹に傷つけた跡もなく、竹の美しさが強調されている。 見事な竹林だ!

・・・・・・・・・・ 約400年前の安土桃山時代に建立された総門、、、、、総門に続く竹林
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・・・・・・・・・・ 竹林の先に地蔵菩薩を祀る本堂が見える
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・・・・・・・・・・ 方丈庭園
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● 地蔵院から400m程歩くと「苔寺 西芳寺」に着いた。 ナント、門前で拝観を拒否された! 西芳寺は、参拝される方が、心静かに自分自身と向き合う時間を過ごせるよう、少人数参拝を実施しているとのことであった。 そこで、事前予約のない人は参拝を断っているとのこと。 知らなんだ、残念であるが致し方なし。 私達は静かに立ち去るのみ。 門前の写真ぐらい撮らせてね!
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● がっかりした気持ちを切り替えて、次なる寺は西芳寺の北に位置する「鈴虫寺 華厳寺」、、、、、 華厳寺の山号は妙徳山。 本尊は大日如来。 鈴虫(約5000匹、撮影禁止)を四季を通して飼育しているため、通称「鈴虫寺」と呼ばれている。 
享保8年(1723)、学僧:鳳潭(ほうたん)が華厳宗の復興を志して当寺を創建した。 慶応4年(1868)、華厳寺は臨済宗に改められた。、、、、、 昭和52年(1977)に隣接する人気寺院である西芳寺(苔寺)が、苔庭を守るために拝観人数を大幅に絞った完全予約制に移行すると、苔寺の参拝者の「おこぼれ」拝観者が多かった華厳寺は、寺宝などがあまりないこともあり、拝観者の大幅な落ち込みが予想された。それに前後して積極的な拝観者招致策が始まることになる。 今では鈴虫と、様々な種類の竹を集めた庭園や、わらじを履き願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」の人気により、参拝者の招致に成功したそうだ。、、、、、参拝するには、まず山門前に並び参拝者がまとまると客殿に通され、鈴虫が鳴いている客殿で説法を聞く、その後幸福地蔵のお守りの販売があり、順次境内(庭園)を廻り退出する。 私は、20~30分の説法を聞いてる間、不徳にも足がシビレ、終わったときは立つことができなかった。 地獄の説法であった。
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● 華厳寺から北へ約1㎞歩くと、
洛西総鎮守 松尾大社がある。 松尾大社は京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。 元来は松尾山(標高223m)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。 境内は、神体の松尾山の麓に位置し、本殿国の重要文化財)は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造である。、、、、、酒の神様で、境内で“酒かす”、“甘酒”なども売られてる。 酒が飲めない私にはどうでもいい話。 雨が降ってきたので、境内の茶店で一休み。 熱いぜんざいとみたらし団子で大満足!
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● 松尾大社の住所は“西京区嵐山”ここまで来たら嵐山の渡月橋を見て行こう! 小雨降る降る嵐山。 人・人・人で歩きずらいね!
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● 京都の旅の最後は、二条城にチョイとお立ち寄り。 時間も無いので、場内を急ぎ観てまわる。、、、、、今日は2万3千歩の歩き、今日も疲れたね!
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2025年11月18日 (火)

秋の京都 1

18日・19日の二日間、夫婦二人で京都に行ってきた。 18日は、京都市側からケーブル、ロープウェイで比叡山山頂・延暦寺へ、参拝済ませてケーブルで大津市側へ下山した。 



● 朝8時に東京を発ち、京都駅からは、京都~(JR西)~東福寺~(京阪電車)~出町柳~(叡山電車)~八瀬比叡山口の順に電車を乗り継ぎ、11時半に比叡山の京都側山裾に到着した。
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・・・・・・・・・・ 叡山電車の八瀬比叡山口駅は、大正14年(1925)9月27日の開業時(旧駅名は八瀬駅)以来からの木造駅舎である。 ホームは頭単式3面2線の櫛型ホーム、ホーム部分の上部にはドーム状の屋根(トレイン・シェッド)もあり、開業時の栄光を偲ばせている。、、、、、叡山ケーブルのケーブル八瀬駅は、八瀬比叡山口改札から300メートルほど離れたところにある。 川沿いの紅葉を眺めながら歩く。
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● 八瀬からは京福電気鉄道が運営するケーブル、ロープウェイと乗り継いで、比叡山山頂に向かう。、、、、、ケーブル八瀬駅は、
大正14年(1925)12月20日に京都電燈叡山鋼索線の開通に伴い西塔橋駅として開業し、平成14年(2002)にケーブル八瀬駅と改称した。 頂の終点駅はケーブル比叡駅である。 このケーブルは高低差は561 mあり、ケーブルカーとしては日本最大である。 路線距離は1.3㎞。 所要時間9分は乗り応えある。
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・・・・・・・・・・ ケーブルの次はロープウィ、こちらは全長486m、所要3分と短い。 始点はロープ比叡駅、終点は比叡山頂駅
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・・・・・・・・・・ 比叡山頂駅で降りても、アルプスの山々のように、360度の視界があるわけでなく。 木立の合間から京都の町(?)らしき世界がチラチラと見えるだけ。 延暦寺にはここからバスで行くのだが、バス停までは山頂の小道をチョイと10分程歩く。
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● 標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山「延暦寺」に着いた! 延暦寺の山号は比叡山。本尊は薬師如来。正式には比叡山延暦寺と号する。 ここに来るまでは、延暦寺は“京都の寺”と思っていたが、地図で位置を確認すると滋賀県大津市にある、“滋賀県の寺”であった。、、、、、平安時代初期の僧・最澄(767年~ 822年)により開かれた天台宗の本山寺院である。 住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。 延暦寺の堂宇は、比叡山山中、東塔、西塔、横川の3か所の地域に分散してる。 東塔地域には、根本中堂(総本堂)、大講堂、文殊楼などの建物があり、延暦寺の中心的な場所である。 私たち夫婦は電車・バスの旅で、車が利用できず多くを巡ることが難しく、今回の旅行では東塔地域のみ観てきた。 
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・・・・・・・・・・ 延暦寺と言えば、総本堂の「根本中堂」(国宝)が有名である。 根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788)に建立したことを起源とする。 現在の建物は寛永19年(1642)、徳川家光により再建された。 国宝の本堂と重文の回廊を有する建物であるが、平成28年(2016)より「平成の大改修」が行われていた。 本堂、回廊を含め、全体を覆屋(工事フェンス)に囲まれていたため、建物の外観を見ることはできなかったが、屋根の吹き替え工事塗装彩色の修理など、工事用の足場から拝見できた。、、、、、根本中堂に内部には1200年灯り続ける「不滅の法灯」が安置されている。 不滅の法灯のように、私の命も不滅なら、工事が終わり完成した根本中堂を見ることができるのだが(?) 
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● 延暦寺を拝観した後は、琵琶湖が見える坂本ケーブルで山を下り、大津市内のJR比叡山坂本駅へ向かうことにした。、、、、、坂本ケーブルは山頂のケーブル延暦寺駅から山裾のケーブル坂本駅まで、全長2025mを11分で結ぶ日本一長いケーブルカー

・・・・・・・・・・ 山頂のケーブル延暦寺駅、、、、、大正14年(1925)の建設。 大正モダンの駅舎は国の登録有形文化財。 駅舎から見る琵琶湖もいいね!
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・・・・・・・・・・ ケーブルで山を下り、ケーブル坂本駅へ。 ケーブル坂本駅も大正14年(1925)に建てられ、国の登録有形文化財に指定されている。
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● JR西日本湖西線の比叡山坂本駅から京都駅の向かう。 比叡山坂本駅は昭和49年(1974)7月20日、日本国有鉄道湖西線の開通と同時に、叡山駅として開業。 平成6年(1994)に比叡山坂本駅に改称。 島式ホーム1面2線高架駅。
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● 
今日は駅前のホテルにお泊り・・・・・疲れた!(1万3千歩)

2025年11月15日 (土)

東京唯一の国宝

先日『東京都で唯一の木造国宝建造物』と聞いて、ぜひ一度拝観したくなった。 今日はその建造物を観に、東村山の正福寺へ行ってきた。 東村山駅から西武園駅まで、1万歩の散歩です。



● 浅草橋(我が家)からJRで高田馬場へ、西武新宿線に乗り換えて東村山駅(東京都東村山市)に到着した。(所要時間、約1時間20分) 東村山駅で下車すのは初めてで、期待にワクワク。、、、、、 東村山駅は新宿線、西武園線、国分寺線の3路線が乗り入れ、4方向の列車が発着している。 只今、駅は大規模な高架化工事中で、よそ者の私には迷路状態である。 駅前に出るため、駅構内の階段を上ったり下ったり、年寄りにはチョイと辛いね!、、、、、東村山駅は明治27年(1894)12月21日に川越鉄道の久米川停車場として開業した。 国分寺駅、小川駅と並び西武鉄道最古の駅の一つでもある。 今は開業時の面影なし。
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● 東村山駅東口脇に、国民的コメディアンの「志村けんの像」(銅像の高さ184cm)がある。(像の背後には、昭和の時代、東村山を「東村山音頭」で有名にしたので、市から感謝されその時に植えた「志村けんの木」もある)、、、、、新型コロナによる肺炎で亡くなられて1年チョッと、2021年6月に志村けんさんの銅像が完成した。 代表的なギャグ『アイーン』のポーズをした銅像は笑顔をたたえ、道行く人の見る表情もニッコリ和らいでいるようだ。
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● 東村山駅から正福寺へ向かう途中に、天台宗寺院の「恵日山 大善院」がある。 大善院の創建年代等は不詳ながら、高月円通寺(八王子市)の塔頭として、天正元年(1573)には寺格を有していたといわれてる。 東村山周辺の檀信徒の希望により明治32年(1899)に移転願を提出、当地へ移転した。 現在「野口のお不動さま」として知られているとのこと。、、、、境内の築山には三十六童子の像が建っている
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● 東村山駅から北西に約1㎞、住宅地の中に「正福寺」がある。、、、、、臨済宗建長寺派寺院の正福寺は、金剛山と号す。 創建年代は不詳だが、心月禅師(文永年中1264~1274示寂)を請じて、北条時頼(或いは北条時宗)が開基となり創建したと伝えられている。
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・・・・・・・・・・ 正福寺の山門(東村山市指定有形文化財)は元禄14年(1701)の建立。 この山門の建築形式は、四脚門で、切妻、昭和48年の修理の際に茅葺から茅葺形銅板葺に改修された。柱、桁、冠木、束等に朱の痕跡が見られることから、かつては全体が朱で塗装されていたものとみられる。禅宗寺院では、伽藍の中門は正式には三解脱門、略して三門と呼んでいるが、正福寺の門は、単独であり、かつて複数であった痕跡も今のところ認められないので、山門としている。
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・・・・・・・・・・ この正福寺千体地蔵堂は東京都で唯一の木造国宝建造物です。 内部に安置されている地蔵堂本尊及び小地蔵尊像は、市指定文化財となっている。、、、、、千体地蔵堂は、鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様建築を代表する建物です。波形欄間、花頭窓、屋根の反りなどに特徴があります。昭和8年-9年に屋根の茅葺きをこけら葺きに改修した際に発見された墨書銘により、室町時代の応永14年(1407)の建立とわかった。 寺の縁起では鎌倉幕府の執権北条時宗が鷹狩りの際病気になり、夢の中で地蔵菩薩からもらった丸薬で病が治ったことから地蔵堂を建立したといわれている。、、、、、内部に安置されている地蔵堂本尊は、昭和48年の修理のとき文化8年(1811)、江戸神田須田町万屋市兵衛弟子善兵衛と書かれた墨書銘が発見されました。 また小地蔵尊像(大ささは10cmから30cm程)については、江戸時代の地蔵信仰が盛んなとき、多くの小さな地蔵尊の木像が奉納され、堂内の天井に近い長押に置かれ、千体地蔵堂の名もここに由来します。文化財に指定された小地蔵尊像は900体程、近年追加された小地蔵尊像が500体程安置されている。、、、、、地蔵本尊および小地蔵尊像は年に数回、公開されているとのこと。 今回は拝見することできず、残念!
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● 国宝の地蔵堂を観た後は、新興の住宅地の中を歩き、「西武園駅」(西武西武園線、東村山駅から一駅目)まで歩いた。、、、、、 西武園駅は西武多摩湖線と西武新宿線が乗り入れる駅で、東村山市の中心エリアに位置しています。 駅前には西武園競輪場があり、ギャンブラーには、生活しやすい環境である。 また、西武園ゆうえんちも近く、ギャンブルに飽きたら、家族サービスとして子供連れで楽しめる所もある。、、、、、西武園駅は昭和5年(1930)4月5日、西武村山線村山貯水池前駅として開業。 単式1面1線と島式1面2線のホームを併せ持つ地上駅で、橋上駅舎を持つ。 通常使われるのは島式ホーム(2・3番ホーム)の部分で、単式ホーム(1番ホーム)は臨時ホームとなっている。 改札前のコンコースは競輪開催日の大勢の乗降客に対応するためか、かなり広いスペースが確保されている。
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2025年11月10日 (月)

熊野前から上中里

日暮里舎人ライナーの熊野前駅から歩き始め、JR尾久駅前をとおり、JR京浜東北線の上中里駅まで、9千歩の散歩です。


● 今朝、散歩に出るとき、妻に『今日はどこへ行くの?』と問われ、『特に決めていないが、どこへ行こうかな?』と返す。 『どこでもいいけど、熊に気を付けてね!』と言われ、『熊か、クマか、そうだ熊に会いに、熊野前に行こう!』と返し、散歩の行先を決めた。、、、、、「熊野前」はJR日暮里駅から日暮里舎人ライナーで3駅目、荒川区にあって、都電荒川線と交差する位置にある。 熊が出没するとは思えない下町の駅である。 駅名の“熊野”は、かつて駅の北側にあった熊野神社に由来する。、、、、、日暮里舎人ライナーの熊野前駅は平成20年(2008)3月30日に開業した。 尾久橋通りの中央頭上に位置する島式ホーム1面2線の高架駅。
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● 熊野前から都電荒川線沿いに一駅、隣の「宮ノ前(みやのまえ)停留場」へ向かう。 宮ノ前停留場の名称は、尾久八幡神社の前に位置することによる。、、、、、都電荒川線の前身:王子電気軌道の三ノ輪~宮ノ前~飛鳥山下間が開業したのは、約110年前、大正2年(1913)4月1日である。 昭和17年(1942)に東京市に事業譲渡され、東京市電荒川線となった。
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● 宮ノ前停留場の正面に鎮座する「尾久八幡神社」。 尾久八幡神社は応神天皇を主祭神とする。 神社の正確な創建の年は不詳だが、鎌倉時代末期の正和元年(1312)に尾久の地が鎌倉鶴岡八幡宮の神領になった頃と考えられている。 神社に残る棟札から至徳2年(1385)に社殿が建てられたことが確認できる。古くから農工商の神様として尾久の人々に信仰されてきた。、、、、、熊野前駅の近くにあった熊野神社は、明治11年(1878)に当社に合祀された。、、、、、境内のあちらこちらに『七五三詣』の旗が立ち、引き続き正月詣で、神社は超大忙しとなるのかな?
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● 都電の線路を挟み尾久八幡神社の向かいに、曹洞宗の寺院「碩運寺(せきうんじ)」(西尾久2)がある。 碩運寺は、慶長元年(1596)に創建されたといわれている。 大正年間に本所石原町から当地へ移転した。 大正3年(1914)に寺内に温泉が湧き、寺の湯「不老閣」の営業を開始した。 ラジウム鉱泉で、周辺には保生館、清遊館、大河亭、小泉園などの旅館も開業し、都電の開通と相まって寺の周辺は温泉街として賑わい、商店街も形成されたそうだ。 
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・・・・・・・・・・ ところが、ギッチョン・チョン、話はこれが始まりで、周辺の温泉旅館、商店街の発展は、尾久三業地(現:西尾久、料亭・芸者置屋・待合のあった所)発展の幕開けとなり、色街へと変わって行く。

・・・・・・・・・・ 昭和11年(1936)2月、陸軍将校のクーデターである2・26事件が起きる。 世の中は大きく変わって行くことになる。 その年の5月18日、尾久三業地の待合「満佐喜」で殺人事件が起きた。 粋で鯔背な格好の40歳代の遊び人:名は石田吉蔵と、30代の玄人美人:阿部定が宿泊した。 翌朝、女は外出したが、男は起きてこず、女中が部屋に確認に行くと、蒲団の中で死んでいた。 ナント!男の一物が切り取られ、太股には血で「定、吉二人」と書かれていた。 こうして、猟奇的殺人事件の幕が開いた。、、、、、これぞ有名な阿部定事件である、、、、、この後、事件の顛末は、皆さん自分で調べて!

・・・・・・・・・・ 戦後、尾久三業地は周辺の工業化で地下水を汲み上げすぎて温泉は出なくなり廃業していった。 現在は産業地の面影も消えた!



尾久八幡神社の周囲、碩運寺の前などに、江戸時代から大正時代まで、八幡堀」という石神井川用水が流れていたそうだ。 その水路は今は無くなったが、主に西尾久1丁目・2丁目の裏道が交差する部分にタイルが埋め込まれ水路跡が標されている。 また水路跡は「すいろみち」として整備されている。
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● 荒川区西尾久の町を歩き、JR尾久駅前に出てきた。 まだ、体力、時間に余裕があり『もう少し歩いてみよう』と思い、駅前の明治通りを西に向かう。
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・・・・・・・・・・ 明治通りが都電荒川線と交差する梶原交差点の手前で、寂れた「上中銀座商店会」を歩き上中里駅に向かう。
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JR上中里駅に到着。 チョイと疲れた!
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2025年11月 8日 (土)

高円寺の高円寺

JR中央線の高円寺駅で下車し、高円寺、蚕糸の森公園を巡り、中野駅まで、8千歩の散歩です。



● 中央・総武緩行線で新宿から4駅目に、1日平均の乗車人員が約48,000人の「高円寺駅」がある。 毎年8月に行われる「東京高円寺阿波おどり」で有名な駅だ!、、、、、大正11年(1922)7月15日、国鉄の駅として開業した。 島式ホーム2面4線の高架駅。、、、、、JRの乗車人員数は私の住む浅草橋駅の方が約50,000人と少々多いのだが、駅と駅周辺の雰囲気は高円寺駅の方が山の手らしく洗練されている、浅草橋駅は誰が何と言おうとも下町の駅でチョイとガサツ、上品さでは負けてる感じ!
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● 高円寺駅から南東へ約100m、ビルの間に素盞嗚尊を祀る「高円寺氷川神社」が鎮座する。 創建年代は不詳であるが、同じ村内にある曹洞宗高円寺の創建と同じ頃の天文年間(1532~1515)の創建といわれてる。、、、、、戦災で社殿は焼失し、現社殿は昭和46年(1971)に再建された。 総鋼鉄製の社殿はシンプルでモダンな感じがする。
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・・・・・・・・・・ 境内社の一つに、馬橋4丁目の陸軍気象部に祀られていた気象神社が、戦後、昭和23年(1948)に氷川神社の境内に遷座された。 全国唯一の神社である。 気象予報士を目指す受験生、脱雨男・脱雨女を願う人で、結構、参拝する人が多いようだ。、、、、、神社の絵馬は、天気占いの下駄とテルテル坊主。 当たるも予報・当たらぬも予報 所詮は雲(運)だ!
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JR高円寺駅の南東300m程に宿鳳山高円寺」がある。 高円寺は、弘治元年(1555)に開山した曹洞宗の寺院である。 本尊は観音菩薩で、寺の周辺に桃の木が多くあったことから「桃園観音」と呼ばれている。(チョイと艶っぽい名で、ぜひ一度、拝んでみたい) 将軍徳川家光が鷹狩りの際、度々立ち寄り、お茶の接待をした徳川家ゆかりの寺でもある。 山門、本堂の瓦に三つ葉葵の紋が見られる。 また、高円寺のある地は、かつて小沢村と呼ばれていたが、家光によって高円寺村と改めさせられたそうだ。 寺の高円寺が地名となり、駅名となった。、、、、、高円寺は寛保2年(1742)、弘化4年(1847)、明治33年(1900)、昭和20年(1945)と4度罹災した。 現在の本堂は昭和28年(1953)に、木彫りの名人でもある気仙沼の宮大工:中村青雲により再建された。

・・・・・・・・・・ 山門を入ると、両側に楓の木が並ぶ。 チョイト紅葉には早かった!、、、、、参拝する人影はなく、静かな、緑豊かな境内である。
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・・・・・・・・・・ 扁額と中村青雲の彫刻が迎える本堂。 本尊の桃園観音はこの中に! ぜひとも、拝観したいが無理だな!
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・・・・・・・・・・ 本堂の手前には地蔵堂がある。 中央に「桃園子育地蔵尊」、右に三匹のサルと小さな子供の石仏、左に子づくり道具の石仏。、、、、手を合わせるが、子育てはとっくに終わり、子作りは相手がおらず、子守するより介護される身。 
はて(?)私は何を願っていいのやら。
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● 高円寺の山門前から南へ250m程歩くと、曹洞宗の「瑞祥山鳳林寺」がある。 本尊は釈迦牟尼仏。 鳳林寺は、江戸牛込御門外舟河原(現:新宿区市ヶ谷飯田橋駅周辺)に永禄元年(1558)草創、駒込吉祥寺の和尚が開山、旗本荒川長右衛門重照(1657年歿)が開基したといわれてる。 寛永12年(1635)牛込に移転、明治7年(1874)西早稲田夾山寺を合併、大正3年(1914)当地へ移転した。
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・・・・・・・・・・ 境内には延命地蔵尊がある。 当地蔵尊は行者晴雲が願主となり諸国の神社仏閣巡拝でうけたお札を納めるため元文2年(1737)夾山寺に造立され、「大石仏の地蔵」(高さ4m程)といい伝えられたそうだ。
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● 高円寺陸橋を過ぎると、青梅街道沿いに「蚕糸(さんし)の森公園」がある。 ここはもともと、蚕糸の試験場があり、その跡地にこの公園ができたことが由来する。 かつて、試験所の本館など貴重な建物もあったが、防災上の理由によりほとんどが取り壊されて、今は、歴史を感じさせるレンガ造りの門柱と大正元年(1912)に建てられた守衛所が、管理棟として残されている。 優美なデザインの門扉と門柱。 門柱の照明がかわいい。 レンガ造りの管理棟は、門柱と同じく、赤レンガの間に帯を配したデザイン。 小さいながらもどっしりとした風格がある。 屋根は歴史を感じさせる銅葺き。 アーチ形のドーマ・ウィンドウが設けられている。 
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● 蚕糸の森公園から裏通りを歩き、中野駅へ出て帰る。
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2025年11月 4日 (火)

荒川ロックゲート

都営新宿線の東大島駅で下車し、久しぶりに大島小松川公園をとおりぬけ総武線平井駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 都営新宿線の「東大島駅」は、ホームが旧中川の真上に在る、珍しい“河川橋上駅”の一つ。 “河川橋上駅”は、東京の埼京線北赤羽駅、兵庫県の阪神電鉄武庫川駅、高知県の土讃線土佐北側駅、愛媛県の伊予鉄道石手川公園駅ぐらいしかない。、、、、、東大島駅は昭和53年(1978)12月21日に開業した相対式ホーム2面2線の河川橋上駅。 ホーム下を流れる旧中川は江東区と江戸川区の区境となっており、東大島駅の大島口(西側)は江東区、小松川口(東側)は江戸川区にある。 出口を間違えると、川を渡って戻るのが大変!
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● 東大島駅の小松川口を出て、マンション、高層アパートの脇を歩いて、駅の南側にある「大島小松川公園 風の広場」に行く。  風の広場は、荒川と旧中川が合流する位置にあり、三角州の先端状の所に整備された高台の公園である。 公園内にある「旧小松川閘門」は、昭和5年(1930)に完成した、水位の異なる水面を調節して船を通行させる特殊な水門の遺跡。
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・・・・・・・・・・ 旧小松川閘門は、水位の異なる2つの水面(荒川と旧中川)を調節して船を通行させる特殊な水門であった。 本来、この閘門は、2つの扉(小松川閘門と船堀閘門)の開閉によって機能を果たしていましたが、現存する旧小松川閘門はそのうちの1つで、もう1つの扉(船堀閘門)は現在はない。 また、旧小松川閘門も全体の約2/3程度が土の中に埋まり、頭部のみが地上に出ている状態だ。 両閘門は共に昭和5年(1930)の竣工である。 工費は小松川閘門が約101万円、船堀閘門が約88万円。 当時、帝都の発展により新川(中央区)・小名木川(江東区)を利用し、荒川に出入りする船の通航量が増大し、これに応えるため小松川閘門・船堀閘門が建設された。 二閘門の間には電力ケーブルが整備され、電力会社(東京電燈)から供給を受ける小松川閘門、自前で100馬力ディーゼルエンジンと発電機を持つ船堀水門でどちらかの停電時は互いにバックアップする仕組になっていた。また、各門の桁上には60馬力電動機が装備され、8m/分の速度で重さ80tのゲートを昇降した。 船堀閘門は昭和54年(1979)に撤去された。、、、、、頭だけ地上に出ている小松川閘門は、なんとなく“晒し首”を連想させ、チョイと可哀そう!
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● 旧小松川閘門から南へ300m程歩くと、荒川と旧中川を結ぶ閘門「荒川ロックゲート」がある。、、、、、荒川と隅田川を連絡し、両川に挟まれた、墨田区、江東区、江戸川区の各地域の水上交通の確保を目的として、小名木川が旧中川に合流する地点の下流部に、平成17年(2005)に完成した閘門である。 荒川と旧中川は江東地区の地盤沈下のため水位の差が最大3.1mに達することもあり、長い間船舶の運航が出来ない状況となっていた。 しかし、水上交通が大震災時等に有効であるということから改めて水路が見直されることになり、この地に閘門が作られることとなった。 このような背景から、荒川ロックゲートは阪神・淡路大震災クラスの地震にも耐えるように設計されている。、、、、、工事概要:前扉室 は高さ29.5m、幅28.2m 後扉室は高さ22.5m、幅30.0m 閘門の高さ9.4m、幅18.5m、延長65.0m 施工は戸田建設、、、、、閘門に船が通過する様子を眺めていると、時間を忘れてしまう!(船の通過には約20分程度かかる)
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● 東大島駅の北側に広がる「大島小松川公園 自由の広場」を歩く。、、、、、東京ドーム1個分相当の芝生が広がる公園最大の広場が中心である。 芝生の周囲には、ランニングコースや大花壇などがあり、親子連れで多くの方が利用していた。 この公園は、災害時の防災拠点としても活用されるよう、物資の備蓄倉庫と防災設備もある。 災害時には、約20万人の被災者を公園内に一時避難させることを想定しているそうだ。 ヘリコプターも利用できるらしい。、、、、、公園に避難するような災害が起きないことを願うばかりなり!
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JR総武線の平井駅は明治32年(1899)4月28日に、私鉄である総武鉄道の駅として開業した。 明治40年(1907)に総武鉄道が鉄道国有法により買収、国有化され、官設鉄道の駅となる。 島式ホーム1面2線の高架駅である。、、、、、駅前には商店街があるが、地元密着型で隣りの亀戸駅や新小岩駅と比較するとチョイと寂しいね!
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