荒川ロックゲート
都営新宿線の東大島駅で下車し、久しぶりに大島小松川公園をとおりぬけ総武線平井駅まで、1万1千歩の散歩です。
● 都営新宿線の「東大島駅」は、ホームが旧中川の真上に在る、珍しい“河川橋上駅”の一つ。 “河川橋上駅”は、東京の埼京線北赤羽駅、兵庫県の阪神電鉄武庫川駅、高知県の土讃線土佐北側駅、愛媛県の伊予鉄道石手川公園駅ぐらいしかない。、、、、、東大島駅は昭和53年(1978)12月21日に開業した相対式ホーム2面2線の河川橋上駅。 ホーム下を流れる旧中川は江東区と江戸川区の区境となっており、東大島駅の大島口(西側)は江東区、小松川口(東側)は江戸川区にある。 出口を間違えると、川を渡って戻るのが大変!



● 東大島駅の小松川口を出て、マンション、高層アパートの脇を歩いて、駅の南側にある「大島小松川公園 風の広場」に行く。 風の広場は、荒川と旧中川が合流する位置にあり、三角州の先端状の所に整備された高台の公園である。 公園内にある「旧小松川閘門」は、昭和5年(1930)に完成した、水位の異なる水面を調節して船を通行させる特殊な水門の遺跡。


・・・・・・・・・・ 旧小松川閘門は、水位の異なる2つの水面(荒川と旧中川)を調節して船を通行させる特殊な水門であった。 本来、この閘門は、2つの扉(小松川閘門と船堀閘門)の開閉によって機能を果たしていましたが、現存する旧小松川閘門はそのうちの1つで、もう1つの扉(船堀閘門)は現在はない。 また、旧小松川閘門も全体の約2/3程度が土の中に埋まり、頭部のみが地上に出ている状態だ。 両閘門は共に昭和5年(1930)の竣工である。 工費は小松川閘門が約101万円、船堀閘門が約88万円。 当時、帝都の発展により新川(中央区)・小名木川(江東区)を利用し、荒川に出入りする船の通航量が増大し、これに応えるため小松川閘門・船堀閘門が建設された。 二閘門の間には電力ケーブルが整備され、電力会社(東京電燈)から供給を受ける小松川閘門、自前で100馬力ディーゼルエンジンと発電機を持つ船堀水門でどちらかの停電時は互いにバックアップする仕組になっていた。また、各門の桁上には60馬力電動機が装備され、8m/分の速度で重さ80tのゲートを昇降した。 船堀閘門は昭和54年(1979)に撤去された。、、、、、頭だけ地上に出ている小松川閘門は、なんとなく“晒し首”を連想させ、チョイと可哀そう!


● 旧小松川閘門から南へ300m程歩くと、荒川と旧中川を結ぶ閘門「荒川ロックゲート」がある。、、、、、荒川と隅田川を連絡し、両川に挟まれた、墨田区、江東区、江戸川区の各地域の水上交通の確保を目的として、小名木川が旧中川に合流する地点の下流部に、平成17年(2005)に完成した閘門である。 荒川と旧中川は江東地区の地盤沈下のため水位の差が最大3.1mに達することもあり、長い間船舶の運航が出来ない状況となっていた。 しかし、水上交通が大震災時等に有効であるということから改めて水路が見直されることになり、この地に閘門が作られることとなった。 このような背景から、荒川ロックゲートは阪神・淡路大震災クラスの地震にも耐えるように設計されている。、、、、、工事概要:前扉室 は高さ29.5m、幅28.2m 後扉室は高さ22.5m、幅30.0m 閘門の高さ9.4m、幅18.5m、延長65.0m 施工は戸田建設、、、、、閘門に船が通過する様子を眺めていると、時間を忘れてしまう!(船の通過には約20分程度かかる)



● 東大島駅の北側に広がる「大島小松川公園 自由の広場」を歩く。、、、、、東京ドーム1個分相当の芝生が広がる公園最大の広場が中心である。 芝生の周囲には、ランニングコースや大花壇などがあり、親子連れで多くの方が利用していた。 この公園は、災害時の防災拠点としても活用されるよう、物資の備蓄倉庫と防災設備もある。 災害時には、約20万人の被災者を公園内に一時避難させることを想定しているそうだ。 ヘリコプターも利用できるらしい。、、、、、公園に避難するような災害が起きないことを願うばかりなり!


● JR総武線の平井駅は明治32年(1899)4月28日に、私鉄である総武鉄道の駅として開業した。 明治40年(1907)に総武鉄道が鉄道国有法により買収、国有化され、官設鉄道の駅となる。 島式ホーム1面2線の高架駅である。、、、、、駅前には商店街があるが、地元密着型で隣りの亀戸駅や新小岩駅と比較するとチョイと寂しいね!


