« 秋の京都 1 | トップページ | お酉さま »

2025年11月19日 (水)

秋の京都 2

今回の京都旅行では、東京を出る時まで、“京都の紅葉を観たい!”、“Ⅽ国人・K国人の多い処は嫌だ!”、“行ったことがない処にしよう!”など条件も多く、具体的な行先が決まらずに旅に出た。 昨日行った比叡山・延暦寺も東京からの新幹線車中で決めた行先であった。 昨夜、京都駅前のホテルで夕食を食べながら、妻と『明日はどこへ行こうか?』と話す。 ガイドブックにあった写真を妻が思い出す、鮮やかな緑の苔の上に真っ赤な紅葉が一葉落ちている美しい苔寺の写真である。 『よし! 苔寺に行こう!』 部屋に戻り地図を眺め、京都駅から西に向かって桂川を越えた先にある阪急嵐山線の上桂駅で下車すると、浄住寺、地蔵院(竹寺)、西芳寺(苔寺)、華厳寺(鈴虫寺)、松尾大社と並んでいる。 いずれも、“紅葉で有名な寺 ベストテン”にランクインしておらず、どちらかというと今の時期ではマイナーな観光地と思われる。 これで決まりだ!



● 阪急電鉄の上桂駅は、昭和3年(1928)11月9日、新京阪鉄道嵐山線開通と同時に開業した。 昭和18年(1943)には京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。 相対式ホーム2面2線のこじんまりとした地上駅である。 通年平均の乗降人員は約7,000人である。
20251119091352
20251119091557


・・・・・・・・・・ 駅から閑静な住宅地の中を浄住寺へ向かう
20251119092903
20251119093016



葉室山浄住寺は、平安時代の弘仁元年 (810)、嵯峨天皇の勅願寺として第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開創されたと伝わる。 弘長年間(1261~1263)藤原家の流れを汲む公家の葉室定嗣卿が奈良の西大寺の僧・叡尊を請じて再建し、以降有力な真言律宗の寺院として栄えた。 南北朝時代以後、度重なる兵火により荒廃、元禄2年(1689)に黄檗宗の僧である鉄牛禅師を中興開山として再興され、黄檗宗寺院となり現在に至る。、、、、、京都市街から離れ、嵯峨嵐山からもチョイと離れ、観光客の姿は見えない。 寺の門前に来ると、住職と思われる方が拝観の受付をしていた。 私達が今日最初の観光客らしく、早速、山門の封鎖を解除してくれた。 楓が覆いかぶさる参道が正面の本堂へ続き、京都らしい風情ある寺だ!、、、、、拝観後に知ったことだが、寺の“秋の特別公開”パンフレットによると、11月下旬から12月上旬の間が、参道が真っ赤に染まる紅葉の見頃らしい。 私達は1週間早かった! この寺は“京都の隠れた紅葉の名所”だった!
202511190933302025111909355620251119095610202511190945042025111909465520251119094916


・・・・・・・・・・ 境内には孟宗竹の変異種と言われてる亀甲竹・四方竹などが植えられている。
20251119093937



● 浄住寺から北へ200m程歩くと、「竹寺 地蔵院」がある。 地蔵院の山号は衣笠山(えりゅうざん)。 本尊は最澄作といわれる延命安産の地蔵菩薩像。 周囲が竹林で囲まれていることから竹寺、竹の寺の通称で知られる。 竹の緑が多く、秋の紅葉とは無縁の寺だ!、、、、、この場所は、もともと鎌倉時代に衣笠内大臣といわれた歌人の藤原家良が山荘を営んでいたところである。 当地は貞治6年(1367)には尼僧・妙性の所有となっていたが、同年に室町幕府の管領細川頼之がそれを買取って、新しく寺院が創建された。 それが当院の始まりである。 当院は崇光天皇、後光厳天皇、後円融天皇の御願寺に準ぜられ、境内は17万平方メートル、末寺も26ヵ寺、諸国に領地54ヵ所をもつ一大禅刹となった。 また、一休宗純(一休さん)は当院の近くで生まれた後、6歳で出家するまで母・伊予局とともに当院で過ごしたと伝えられている。 隆盛を誇った当院であったが、応仁の乱の兵火により伽藍が焼失し寺運も衰えた。江戸時代までは境内にわずか2つの末寺が残っているだけだったが、皇室の深恩と細川氏の援助等により貞享3年(1686)に方丈が再建されるなどして寺観が整備された。 明治時代になると竜済寺・延慶寺を合併している。 当院はそれまで臨済宗天龍寺派に属していたが、昭和43年(1968)に独立して単立寺院となっている。、、、、、境内には天高く伸びた竹林があるが、嵐山の竹林のように竹に傷つけた跡もなく、竹の美しさが強調されている。 見事な竹林だ!

・・・・・・・・・・ 約400年前の安土桃山時代に建立された総門、、、、、総門に続く竹林
20251119103241
20251119100542


・・・・・・・・・・ 竹林の先に地蔵菩薩を祀る本堂が見える
20251119100923


・・・・・・・・・・ 方丈庭園
20251119102006
20251119102135



● 地蔵院から400m程歩くと「苔寺 西芳寺」に着いた。 ナント、門前で拝観を拒否された! 西芳寺は、参拝される方が、心静かに自分自身と向き合う時間を過ごせるよう、少人数参拝を実施しているとのことであった。 そこで、事前予約のない人は参拝を断っているとのこと。 知らなんだ、残念であるが致し方なし。 私達は静かに立ち去るのみ。 門前の写真ぐらい撮らせてね!
20251119104709
20251119104400



● がっかりした気持ちを切り替えて、次なる寺は西芳寺の北に位置する「鈴虫寺 華厳寺」、、、、、 華厳寺の山号は妙徳山。 本尊は大日如来。 鈴虫(約5000匹、撮影禁止)を四季を通して飼育しているため、通称「鈴虫寺」と呼ばれている。 
享保8年(1723)、学僧:鳳潭(ほうたん)が華厳宗の復興を志して当寺を創建した。 慶応4年(1868)、華厳寺は臨済宗に改められた。、、、、、 昭和52年(1977)に隣接する人気寺院である西芳寺(苔寺)が、苔庭を守るために拝観人数を大幅に絞った完全予約制に移行すると、苔寺の参拝者の「おこぼれ」拝観者が多かった華厳寺は、寺宝などがあまりないこともあり、拝観者の大幅な落ち込みが予想された。それに前後して積極的な拝観者招致策が始まることになる。 今では鈴虫と、様々な種類の竹を集めた庭園や、わらじを履き願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」の人気により、参拝者の招致に成功したそうだ。、、、、、参拝するには、まず山門前に並び参拝者がまとまると客殿に通され、鈴虫が鳴いている客殿で説法を聞く、その後幸福地蔵のお守りの販売があり、順次境内(庭園)を廻り退出する。 私は、20~30分の説法を聞いてる間、不徳にも足がシビレ、終わったときは立つことができなかった。 地獄の説法であった。
20251119110130
20251119120544
20251119115603



● 華厳寺から北へ約1㎞歩くと、
洛西総鎮守 松尾大社がある。 松尾大社は京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。 元来は松尾山(標高223m)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。 境内は、神体の松尾山の麓に位置し、本殿国の重要文化財)は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造である。、、、、、酒の神様で、境内で“酒かす”、“甘酒”なども売られてる。 酒が飲めない私にはどうでもいい話。 雨が降ってきたので、境内の茶店で一休み。 熱いぜんざいとみたらし団子で大満足!
20251119123139
20251119123253
20251119123343
20251119123729
20251119123524
20251119125349
20251119130918



● 松尾大社の住所は“西京区嵐山”ここまで来たら嵐山の渡月橋を見て行こう! 小雨降る降る嵐山。 人・人・人で歩きずらいね!
20251119134427
20251119134823
20251119135621



● 京都の旅の最後は、二条城にチョイとお立ち寄り。 時間も無いので、場内を急ぎ観てまわる。、、、、、今日は2万3千歩の歩き、今日も疲れたね!
20251119144132
20251119144835
20251119145221
20251119145735

« 秋の京都 1 | トップページ | お酉さま »

旅行・地域」カテゴリの記事

京都府」カテゴリの記事