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2025年12月

2025年12月30日 (火)

奥戸街道

奥戸街道(おくどかいどう)は、都道60号(市川四ツ木線)のうち、平和橋通り交点(奥戸街道入口交差点・葛飾区立石1丁目)から、蔵前橋通り交点(江戸川区西小岩2丁目)まで区間の愛称として用いられている。 奥戸(おくど)は、葛飾区南部の地名である。現行行政地名は奥戸一丁目から九丁目。 地名「奥戸」の謂れは、町域西端には古くより中川が流れており、船による河川を利用した水運が発達していたことから、「奥津」となっていたものが転訛して「奥戸」になったといわれてる。
今日は京成押上線の立石駅から奥戸街道を歩きJR総武線の小岩駅まで、年末30日に1万歩の散歩です。



京成立石駅は高架化工事の真っ最中だが、年末年始は作業も休み!
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・・・・・・・・・・ 立石駅の北側は再開発で仮囲いに囲まれた更地となっている。 南側も再開発の計画はあるそうだが、「立石駅通り商店街」、「立石仲見世」の両商店街は共に健在であった。 正月の準備で、普段と比べ人出も多い!
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● 商店街を抜けると奥戸街道に出る。 この道を歩いて行けば小岩駅に着く。
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・・・・・・・・・・ 中川に架かる「本奥戸橋」の手前(西側)に、千日詣の大願成就御礼で建立した「喜多向観音菩薩」と、街道3点セットの「地蔵尊・馬頭観音・道しるべ」が祀られている。 両石仏に手を合わせ、本奥戸橋を渡り奥戸の町に入る。
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・・・・・・・・・・ 奥戸2丁目の「奥戸スポーツセンター公園」の一画に小さな社の「奥戸水神社」がある。、、、、、奥戸水神社は中川の畔に鎮座している。 この神社の創建年代は不明ですが、享保14年(1729)に幕府の勘定役が河畔に祀ったといわれてる。 奥戸水神社の御祭神は水波能売神(みずはのめのかみ)である。
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・・・・・・・・・・ 水神社から300m程東に歩くと、初詣の参拝客を迎える準備が整った「
奥戸天祖神社」がある。 伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守である。、、、、、地元の人々が“紅白”を見た後、深夜に初詣に乙津れる神社だ!
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・・・・・・・・・・ 奥戸街道は環七道路と交差する、その奥戸陸橋の下を通り抜ける。
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・・・・・・・・・・ 奥戸8丁目に入ると妙法寺・宝蔵院と二寺がある。、、、、、日蓮宗寺院の「妙法寺」は、玄久山玄乗院と号し、天正年間(1573~1591)に創建されたと伝えられている。、、、、、 真言宗豊山派寺院の「宝蔵院」は、青旧山和光寺と号し、応永2年(1395)に創建された。
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・・・・・・・・・・ 新中川に架かる奥戸新橋を渡ると、江戸川区西小岩の町となる。 あと800m程歩くと蔵前橋通りとの合流点だ!
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・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りとの合流点。 奥戸街道はここまで!
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● JR総武線の「小岩駅」到着!
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2025年12月22日 (月)

日本橋

“年寄の年末は暇だろう!”と思っていたが、今年の年末は医者通いが多く結構忙しい。 12月に入り、循環器内科、心臓血管外科、泌尿器科、耳鼻科のいずれもが、日時指定の検査があり寒くても雨が降っても医者通いさせられた。(さらに合間をぬって、腰痛でリハビリ通い。) これだけ検査したら少なくとも一人の医師ぐらいは、“重症です、手遅れです、余命〇〇日です”と言ってくれてもいいだろう。 どの医者も『検査結果は異状なし、このまま健康を維持してください』と言い、帰りには手土産に大量の薬を処方してくれた。 中には、処方された薬の種類も多く、私が間違えて飲まないように、親切に“一包化”と記した処方箋もある。

今日は妻のお供でデパートへ“御年賀”の品物を買いに行ってきた。 買う物を買ったら『ハイ! お別れ、先に帰って、私はもう少し買い物をしてから帰るから。 ア~~チョイト! これ持って帰って!』と紙袋を手渡され一人デパートを出る。 久しぶりに日本橋に来たので、帰りに“お江戸日本橋”の日本橋を見て帰る。



● 妻と別れたデパートは、高島屋日本橋店。 年末の書き入れ時、1階には大きなクリスマスツリーを飾り客集め。 ジュエリー売場は、クリスマスプレゼントを買う人の行列ができてた。、、、、、 高島屋の創業は江戸時代末期、時を経て日本橋に全館冷暖房装置を備えた店舗を構えたのは昭和8年(1933)のこと。 当時の建物の名称は日本生命館。 日本生命が建設し高島屋が借り受け、一部を日本生命東京総局が事務所として使用していた。 昭和38年(1963)に日本生命が建物から転出した。 戦後復興から高度経済成長期に、建物のデザインを従来の建物のデザインに合わせた増築、改築を繰り返し、昭和40年(1965)には1街区を占める店舗となった。 時が経ち平成21年(2009)、高島屋日本橋店は、百貨店建築初、国の重要文化財に指定された。、、、、、 建物は、中央通りに面したエントランスから続く、1階と2階2層分の大理石の柱が並ぶ吹き抜け。シャンデリアは、戦時中の金属類回収令により供出したため、現在は村野藤吾がデザインしたものになっていますが、創建時同様の豪華な輝きをはなつ。 竣工は昭和8年(1933) 設計は片岡安・高橋貞太郎・前田健二郎 施工は大林組 鉄骨鉄筋コンクリート造8階建て、地下2階。 昭和27年(1952)の増改築は村野藤吾(1891~1984)が担当。、、、、、髙島屋日本橋店は、西欧の歴史様式に日本的な要素を加味した重厚で、繊細なデザインと、近代建築の手法を駆使した村野の設計による増築部分からなり、見ごたえある建物である。
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● 頭上を走る首都高を地下(日本橋川の川底)に移し、青空の下で日本橋の姿を見ることができるようにと、首都高の地下化工事が着手された。 日本橋の頭上から首都高の高架橋が撤去され、工事か完了するのは2040年度と予定されている。 その頃、私は90歳を超え青空の中から日本橋を見下ろしているかも(?) 今日は、とりあえず日本橋の姿を目に焼き付けておくことにした。、、、、、
中央区の日本橋川に架かる日本橋は明治44年(1911)完成の石造2連アーチ橋。 米元晋一が設計し、妻木頼黄が装飾を担当した。橋長49m、橋幅28m、アーチ径間が21m。 壁石は「切石積み」であり、翼壁上に湾曲形の「袖壁」をめぐらせている。 装飾用材は全て青銅で、橋の中央及び橋台部の4隅に「花形ランプ付方錘柱」を建て、各柱座に麒麟の像を配置している。 ルネッサンス式橋梁の本体に和漢洋折衷の装飾が調和している。 平成11年(1999)には、技術的にも意匠的に優れた明治期を代表する石造アーチ道路橋であることが評価され、国の重要文化財に指定された。 
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・・・・・・・・・・ 橋の中央ド真ん中に、国道1号・20号・4号・6号・14号の起点となる道路元標が埋め込まれている。(車道の中央で、死を覚悟しないと見に行けない!) 日本橋北詰「元標の広場」には、その道路元標の複製があり、若いカップル、親子が立ち止まって、話題は『自分の家までここから何キロ?』 「東京市道路元標」の役割を担った物体は、道路元標としてだけでなく同時に東京都電の本通線の架線の柱としても利用されていたが、昭和47年(1972)に道路改修を行った際に「元標の広場」が造られそこに移設され、柱状の元標が撤去された跡には、代わりに(金属プレート製の)「日本国道路元標」が埋め込まれた。、、、、、日本橋は江戸時代から東海道の基点とされていた。 明治6年(1873)、明治政府は各府県ごとに「里程元標」を設けることを定めた。 明治44年(1911)、政府は当時の道路法施行令に基づいて、日本橋の架橋工事を行った際に橋の中央に「東京市道路元標」を設置した。 大正8年(1919)に制定された旧道路法でも「東京市道路元標」の位置は日本橋の中央と定められていた。 さらに、大正9年の道路法にもとづいて認定された「国道の一覧」という文書でも「国道の起点は日本橋」とされている。
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・・・・・・・・・・ 道路元標のある「元標の広場」の向かい側に「日本橋魚河岸跡」の碑がある。、、、、、徳川家康が江戸に入府した後、摂津から漁民が佃島に移り住み、江戸近辺で漁業を営む許しを得て、徳川家に魚介類を献上した。 日々上納する鮮魚の残りを舟板の上で並べて一般に販売するようになり、これが日本橋魚河岸の始まりとなった。 大正12年(1923)の関東大震災で被災するまで、日本橋の東側河岸に「魚河岸」があったが、その後は築地に移った。、、、、、日本橋も、夏場はさぞ臭かったことであろう。
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● 三越前から宝町・本町・小伝馬町を歩き浅草橋へ帰る。
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2025年12月19日 (金)

薄暗い日だ!

京成本線の青砥駅から新中川沿いに歩きJR総武線の小岩駅まで、1万歩の散歩です。


三層構造の青砥駅は1階が出口、中2階が改札口、2階は上り(上野方面、都営浅草線方面)のホームで1面2線、3階は下り(成田方面)のホームで1面2線。 私は朝7時45分頃に、3階ホームに降り立った。 早朝の下り列車(成田方面、北総線方面)は通勤通学客も少なく、乗客の大半は着席できる程度の混雑度。 2階の都心に向かうホームは、乗車する通勤通学客で人があふれてる。 もちろんホームに入ってくる列車も、すべて満員状態で座って通勤はとても無理。
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・・・・・・・・・・ 中2階の改札口は行き交う人でぶつかりそうだ!
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・・・・・・・・・・ 今日は東口から駅を出る
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● 冬至に近いからか、まだスカッとした夜明けにはならず、薄暗い空模様。 チョッピリ寒いが青砥橋を渡る。、、、、、青砥橋は昭和54年(1979)10月に工事着手、昭和60年(1985)1月に橋梁が完成した。 橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 mの鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。 橋上は環七通りである。 下に流れるのは中川。
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・・・・・・・・・・ 青砥橋から見る中川の分岐点。 写真左から流れ下る中川は、中央で中川新中川に分岐する。 右奥(木立の背後)に流れ下るのは新中川。 中川は手前に流れてくる。 (木立の処は新中川通水記念公園
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● 青砥橋を渡ると高砂1丁目。 高砂1丁目は、なぜか、高砂駅、高砂2~8丁目とは新中川で隔てられ、チョイト飛地のような状態となっている。 その高砂1丁目、中川と新中川が分岐する先っぽに新中川通水記念公園がある。、、、、、東京都(東京府)は、戦前から中川の洪水対策として中川放水路(現:新中川)の建設を計画し、一部着工していた。 戦後、カスリーン台風による洪水で甚大な被害をこうむり、放水路建設を再着工した。 新中川は昭和38年(1963)に第一期工事が完成し通水に成功した。 その時の記念に、公園内に立派な記念碑が建てられている。 碑には、細かい字でウンジャラ・カンジャラ・ゴチャゴチャ書かれているが、その概略は『放水路の
位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から (吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで  放水路の延長は8089m  計画流量は毎秒120t  放水路の巾員は河川敷148m  堤防の高さAPプラス5.2m  天端巾6.0m  主要建造物として、道路橋16橋、鉄道橋2橋、排水所4箇所、伏越3箇所、水門1箇所  総工費は53億8千1百万円』と記されている。、、、、、戦後の大工事であったことがうかがえる。
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● 新中川通水記念公園から右岸の土手上を歩く。
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・・・・・・・・・・ 高砂諏訪橋は新中川掘削工事に伴い昭和36年(1961)に架橋された。 後に下流側に人道橋を設置され人車分離された。 架け替え計画があると以前聞いたが、いまだ実現していない。(葛飾区の予算不足?)
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・・・・・・・・・・ 高砂諏訪橋の350m程下流には、諏訪橋と同様の細田橋が架かっている。 こちらも人道橋が併設されている。 
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● 細田橋を渡り葛飾区細田の町に入る。 新金貨物線の脇に真言宗豊山派の寺院、東覚寺(とうがくじ)がある。 東覚寺は、元和3年(1617)法印慶雄の開基である。 新金貨物線を挟み向かえ側の細田神社の別当寺であった。  寺宝として、葛飾区の文化財に指定されている「紙本着色十王図」がある。、、、、、素朴な感じの小さな寺
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・・・・・・・・・・東覚寺の前を走る新金貨物線。 新金貨物線とは、江戸川区にある小岩駅と葛飾区にある金町駅を結ぶ8.9㎞の総武本線の貨物支線である。 現在は一日に数本の貨物列車が運行されているだけだが、この路線の旅客路線化構想があり、成り行きが注目されている。
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・・・・・・・・・・ 細田神社は、その名のごとく葛飾区細田にある神社。 細田神社は、曲金村(現:葛飾区高砂)から分村して細田村が開村した元禄8年(1695)頃に細田村の鎮守社として稲荷社を勧請したものといいます。 現在の社殿は昭和4年に修復されている。,、、、、神社は初詣の準備で忙しそうだ!
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● JR総武線小岩駅まで歩き帰宅する。 今日は、冬至も近く、なんとなく薄暗い陰気な天気で、歩く足取りもチョイと重たかった!
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2025年12月15日 (月)

最東端の商店街

JR総武線新小岩駅からバスで江戸川区の最東端にある商店街へ行った!

 

● 寒さも一休み、今日はチョイと暖かいので散歩にGO!、、、、、行先のあてもなくJR総武線新小岩駅前からバスに乗って『どこかに行こう!』
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・・・・・・・・・・ バス停の行列が一番長そうなところに並ぶと、すぐにバスが来た。
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・・・・・・・・・・ 乗ってから『どこで降りようか?』 普段利用していないバス路線のバス停の名前なんか出てくるはずがない。 バスの終点まで乗車することにした。 バスは都営新宿線の篠崎駅を過ぎると、江戸川沿いに走る。 終点のバス停は「江戸川スポーツランド」 終点なので強制的に降ろされる、ここまで乗ってきた乗客は私一人。
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・・・・・・・・・・ 江戸川スポーツランドとは、23区唯一の区立アイススケート場。 60m×30mのスケートリンク(夏はプール)がある。 建物は昭和57年(1982)に竣工し、すでに40余年経過した。、、、、、 東京に区立のスケート場があるなんて知らなかった! 浅田真央さんも利用しているらしい。 
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● 江戸川スポーツランドの前には都営住宅「東篠崎一丁目第2アパート」がある。 最近建て替えられたと思われる、全10棟(900戸程)の高層集合住宅が並んでいる。 大きな団地、どこの住戸にも洗濯物は干してあるが人影はない。 年寄が多いのかな(?)それとも、みんな勤めに出たのか(?) 静かな団地だ!
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● 団地の近く、江戸川の土手沿いには数社の造船所が並んでる。 河口から5㎞以上上ったこんな所に造船所があるんだ! 河川用の船、観光船などを造っているらしい。
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・・・・・・・・・・ 造られた船はそのまま進水できるように、造船所は江戸川に土手にある。 造船所前を流れる江戸川。
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● 団地の西側に16店舗で構成する「篠崎新町商店街」がある。 江戸川区の最東端にあり、東京都の最東端でもある商店街だ。 商店街は完全に地域密着型で、客の大半は東篠崎一丁目第2アパートとその周辺の住民と思われる。 昭和43年(1968)に創設された商店街で、どこか懐かしいのんびりとした時間が流れています。 、、、、、今日の散歩では、10時前に商店街を歩いたので多くの店はまだシャッターを下ろしたままであったが、数件の店舗はすでに店を開け、頑張って営業中!
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篠崎街道に面する、篠崎新町商店街の入口には「六斎地蔵尊」が祀られている。 六斎地蔵尊は、天和2年(1882)、江戸幕府第五代徳川綱吉の時代に造立された。 江戸川区内では、最も古い地蔵像の一つである。 無量寺別院旧六斎の本尊仏であって、当所には昭和40年(1965)に下篠崎町会会館隣りの六斎堂から遷座、開眼供養が行われた。 商店街の守り地蔵尊!
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● 商店街の最寄りバス停「新町商店街入口」からバスで新小岩駅に向かう。
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2025年12月10日 (水)

東岳寺・薬師寺

東武伊勢崎線竹ノ塚駅から、東岳寺、薬師寺に寄って、日暮里舎人ライナー舎人公園駅まで、9千歩の散歩です。



● 平成17年(2005)3月15日に竹ノ塚駅南側の大踏切で踏切保安係の遮断機誤開による事故が発生し、2人が死亡、2人が負傷した。 この事故がきっかけとなり、連続立体交差化事業を施行することとなった。 それから20年、竹ノ塚駅の高架化と、駅の南北にあった2か所の踏切の立体交差が完成し、延長約1.2kmの高架線路に変わった。、、、、、竹ノ塚駅は、外観も内観も新しくなり、清潔感ある立派な駅に変わった。また高架下では、商業施設のオープンし地元の期待も大きいと思うね!、、、、、竹ノ塚駅は明治33年(1900)3月21日に開業した歴史のある駅。 昨年度の1日平均乗降人員は約68,000人である。 伊勢崎線の駅では北千住駅・新越谷駅・とうきょうスカイツリー駅・草加駅に次ぐ第5位である。 それなのに何故か(?)、急行も準急も全ての優等列車が停まらずに通過する。 停まるのは普通列車のみ!
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竹ノ塚駅から北西へ500m程(伊興本町1)、尾竹橋通りに面して、曹洞宗の南昌山東岳寺がある。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建した(鳥越とは、浅草橋の我が家の近くだ!) 関東大震災や東京大空襲などの罹災に遭い、ついに昭和36年(1961)に現在地に移転した。 境内は広くないが、日本庭園の趣で、本堂や細い参道の周りには多くの木が並んでいる。
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・・・・・・・・・・ 「東海道五十三次」、「名所江戸百景」など風景を描いた浮世絵師で、その作品はゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた初代安藤広重(1797~1858)の墓と記念碑が境内にある。 墓所は昭和33年(1958)の再建で、記念碑は大正13年(1924)に建てられた。 震災後、墓も寺と共に移転してきた。 広重の墓がここ竹ノ塚にあるとは知る人は少ないであろう!、、、、、念のため、今は安藤広重ではなく、歌川広重という呼称が一般的らしい。 私は、安藤広重しか知らん!
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● 東岳寺から西北に700m程、区立伊興中学校の手前に、曹洞宗寺院の医王山薬師寺がある。 薬師寺は、肅州巌和尚が開山となり、万治2年(1659)創建したといわれてる。、、、、、 私は数年ほど前に、ここ薬師寺に訪れたことがあり、知る人ぞ知る“もみじ寺”として、私も知った。 今日はおそらく今が見頃と推測しやって来た。 色鮮やかな紅葉の数々に、心を奪われました。 お近くにお住いの方は、ぜひ早めに!
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・・・・・・・・・・ 薬師寺の山門前にある駒型の庚申塔は、文化13年(1816)のもの。 足立区の有形民俗文化財。
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● 薬師寺から西に約1㎞歩くと「舎人公園(とねりこうえん)」がある。 舎人公園は約65ヘクタールの敷地を有する、都立の総合公園である。   舎人公園は昭和15年(1940)に防空緑地として、戦時においては都市空襲による戦災被害を軽減し、平時においては地域住民の保健・衛生に利用して体位の向上を図るために、都心から20km圏内に総面積20万-50万坪の防災緑地が内務省(当時)にて計画決定された。 計画用地(102.1ha)買収は驚異的な速さで進められ、昭和15年末には99%に達する101.5haの土地が買収がされ、昭和16年末には全用地の買収が完了した。しかし太平洋戦争(第二次世界大戦)の戦局が悪化することで、買収された用地は食糧増産計画の一環で旧地主やその小作農に貸与され、耕作地として利用される。 戦後は、公園用地が都から国に買収され、公園として整備されることとなった。 昭和56年(1981)に造成が終了した一部区域から順次一般開放された。、、、、、広い公園は4区画に分けられ、テニスコート、野球場などのスポーツ施設、水鳥が見られる大池や親水広場などの自然と親しむスペースやキャンプ場、陸上競技場などが整備されている。、、、、、今日は公園の中央に位置する、日暮里舎人ライナーの舎人公園駅まで園内をブラブラ歩いてきた。
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・・・・・・・・・・ 舎人公園の中にある「舎人公園駅」から帰る。
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2025年12月 6日 (土)

生と死の画家

● 今日は妻と、千葉市美術館で開催してる「千葉美術散歩」(25/11/1~26/1/8)を観てきた。 この美術展は“千葉”という土地に縁のある画家の作品を展示したものである。 多くの作品の中に、洋画家:宮嶋美明(みやじま みめい1912~1985)の大作が展示されていた。 宮嶋美明は千葉医科大学(現:千葉大医学部)の技官として勤務しながら絵を描き続けた大正生まれの洋画家である。 昨年ヒョンナことから、宮嶋美明の関係者と縁ができ、この度の展示会の招待券を頂戴した。
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・・・・・・・・・・ 展示されてる作品「いつかはやってくる」は100号の大きな絵で、横長のキャンバス下部に納棺され横たわる女性、キャンバス上半分には棺を覗き込み別れを惜しむ多くの人が描かれている。 医療現場に携わり日々生と死に向かい合ってきた画家ならでは描けることのできる大作である。 私は初めて見る作品ですが、輪郭線のはっきりしたタッチで描かれた人々の顔はイタリアの画家:モジリアニを思い出した。 また棺を覗き込む多くの人の構図は、ダ・ヴィンチ の「最後の晩餐」を連想させられた。 私も好きになった絵だ!、、、、、画家でもないズブノ素人の私が、宮嶋美明と作品について述べることはできないが、ぜひ興味があらば千葉市美術館へ足を運んでみて下さい。 ショップに作品集もあるので、こちらもどうぞ!
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千葉市美術館(千葉市中央区中央)のある建物は、昭和2年(1927)竣工の旧川崎銀行千葉支店(設計:矢部又吉)を曳き家により移動させ、鞘堂方式にて建物ごと保存し市民ホールとして再生してる。、、、、、美術館に来たら帰りに、旧川崎銀行の内部を観て帰ろうと思ったが、あいにく『さや堂 貸切中』の貼紙があり、見学できず残念!、、、、、2014年に撮影した、千葉市美術館と旧川崎銀行(市民ホール)の内部
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● こちらは美術館の近くにある「千葉教会教会堂」(中央区市場町、県指定有形文化財)、、、、、明治12年に伝道を開始した千葉教会は、その7年後講義所を設けた。 しかし何かと不便が多く、明治28年(1895)に本格的洋風の教会堂の献堂に至った。 当時活躍していたドイツ人建築家リヒアルトゼールが設計。
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● 『天にそびえる白亜の天守!』と、言いたいところだが、ここは天守型の千葉市郷土博物館(中央区亥鼻)。 そもそも千葉城は中世の城郭であり、天守は初めから存在していません。、、、、、 千葉市にある千葉城は、昭和42年(1967)と古くから建っているので、ちゃんとした由来のある天守なのかと思ってしまうのだが、そんなものではないということは、実際にここを訪れてみるとよく分かる。 城跡の遺構とこの天守がアンバランスなのだ。 千葉城の天守内部は、郷土資料館・プラネタリウムとなっている。 早くに公園化されたせいか、千葉市街地内という立地条件にしては、よく遺構が残されている方だろう。 同館は、1967年、四層五階建ての天守閣様式、つまり"城郭"の形で千葉市より工事が発注され、築城には大成建設があたった。 高さ約30m、「現代の千葉城」として、市民はもとより、県民にも広く親しまれてる。
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● こちらも千葉市美術館の近くに鎮座する「千葉神社」(中央区院内)。、、、、、神社の創建年代は不詳ですが、千葉氏の祖平良文が妙見(北辰)を篤く崇拝していたことから千葉氏も妙見を崇拝、当地には千葉家三代忠常が勧請したと伝えられ、忠常の次男、覚算大僧正により伽藍整備、長保2年(1000年)、北斗山金剛授寺と号して中興開山したといいます。 天正19年には妙見社として社領200石の御朱印状を拝領、明治元年千葉神社と改称、明治7年県社に列格していました。、、、、、七五三参りで数組の親子が参拝してた。 おめでとう!
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● 今日の散歩は1万歩でした。

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