薄暗い日だ!
京成本線の青砥駅から新中川沿いに歩きJR総武線の小岩駅まで、1万歩の散歩です。
● 三層構造の青砥駅は1階が出口、中2階が改札口、2階は上り(上野方面、都営浅草線方面)のホームで1面2線、3階は下り(成田方面)のホームで1面2線。 私は朝7時45分頃に、3階ホームに降り立った。 早朝の下り列車(成田方面、北総線方面)は通勤通学客も少なく、乗客の大半は着席できる程度の混雑度。 2階の都心に向かうホームは、乗車する通勤通学客で人があふれてる。 もちろんホームに入ってくる列車も、すべて満員状態で座って通勤はとても無理。

・・・・・・・・・・ 中2階の改札口は行き交う人でぶつかりそうだ!
・・・・・・・・・・ 今日は東口から駅を出る
● 冬至に近いからか、まだスカッとした夜明けにはならず、薄暗い空模様。 チョッピリ寒いが青砥橋を渡る。、、、、、青砥橋は昭和54年(1979)10月に工事着手、昭和60年(1985)1月に橋梁が完成した。 橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 mの鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。 橋上は環七通りである。 下に流れるのは中川。

・・・・・・・・・・ 青砥橋から見る中川の分岐点。 写真左から流れ下る中川は、中央で中川と新中川に分岐する。 右奥(木立の背後)に流れ下るのは新中川。 中川は手前に流れてくる。 (木立の処は新中川通水記念公園)

● 青砥橋を渡ると高砂1丁目。 高砂1丁目は、なぜか、高砂駅、高砂2~8丁目とは新中川で隔てられ、チョイト飛地のような状態となっている。 その高砂1丁目、中川と新中川が分岐する先っぽに新中川通水記念公園がある。、、、、、東京都(東京府)は、戦前から中川の洪水対策として中川放水路(現:新中川)の建設を計画し、一部着工していた。 戦後、カスリーン台風による洪水で甚大な被害をこうむり、放水路建設を再着工した。 新中川は昭和38年(1963)に第一期工事が完成し通水に成功した。 その時の記念に、公園内に立派な記念碑が建てられている。 碑には、細かい字でウンジャラ・カンジャラ・ゴチャゴチャ書かれているが、その概略は『放水路の位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から (吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで 放水路の延長は8089m 計画流量は毎秒120t 放水路の巾員は河川敷148m 堤防の高さAPプラス5.2m 天端巾6.0m 主要建造物として、道路橋16橋、鉄道橋2橋、排水所4箇所、伏越3箇所、水門1箇所 総工費は53億8千1百万円』と記されている。、、、、、戦後の大工事であったことがうかがえる。

● 新中川通水記念公園から右岸の土手上を歩く。

・・・・・・・・・・ 高砂諏訪橋は新中川掘削工事に伴い昭和36年(1961)に架橋された。 後に下流側に人道橋を設置され人車分離された。 架け替え計画があると以前聞いたが、いまだ実現していない。(葛飾区の予算不足?)


・・・・・・・・・・ 高砂諏訪橋の350m程下流には、諏訪橋と同様の細田橋が架かっている。 こちらも人道橋が併設されている。 


● 細田橋を渡り葛飾区細田の町に入る。 新金貨物線の脇に真言宗豊山派の寺院、東覚寺(とうがくじ)がある。 東覚寺は、元和3年(1617)法印慶雄の開基である。 新金貨物線を挟み向かえ側の細田神社の別当寺であった。 寺宝として、葛飾区の文化財に指定されている「紙本着色十王図」がある。、、、、、素朴な感じの小さな寺

・・・・・・・・・・東覚寺の前を走る新金貨物線。 新金貨物線とは、江戸川区にある小岩駅と葛飾区にある金町駅を結ぶ8.9㎞の総武本線の貨物支線である。 現在は一日に数本の貨物列車が運行されているだけだが、この路線の旅客路線化構想があり、成り行きが注目されている。
・・・・・・・・・・ 細田神社は、その名のごとく葛飾区細田にある神社。 細田神社は、曲金村(現:葛飾区高砂)から分村して細田村が開村した元禄8年(1695)頃に細田村の鎮守社として稲荷社を勧請したものといいます。 現在の社殿は昭和4年に修復されている。,、、、、神社は初詣の準備で忙しそうだ!

● JR総武線小岩駅まで歩き帰宅する。 今日は、冬至も近く、なんとなく薄暗い陰気な天気で、歩く足取りもチョイと重たかった!