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2026年1月

2026年1月23日 (金)

浅草寺を裏から

連日の大寒波、老いた足は外出を嫌い家に籠って休足状態。 とは言え、予約済みのクリニックには行かざるを得ず、寒さの中「馬道(うまみち、浅草寺の北東に位置する交差点)」のクリニックに行ってきた。 今日は、腎臓のエコー検査があり、もちろん“異状なし”。
帰りは、浅草寺本堂の裏側から境内に入り仁王門・雷門まで一直線に抜けて帰った。



● 浅草寺本堂の北側(裏側)は広い広場になっており、時おり、野外イベント、臨時の駐車場などの用途で使用されている。 この辺りまで入り込む観光客は少なく、浅草寺境内にあって比較的静かな場所である。
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・・・・・・・・・・ 本堂の回廊は建物を囲う様に一周ぐるりと作られているが、裏側から回廊伝いに参拝することはできない。
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・・・・・・・・・・ 東側の階段を上り参拝する。、、、、、国宝に指定されていた浅草寺の旧本堂は昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲により焼失したため、昭和33年(1958)に現在の本堂が再建された。 本堂再建の工事期間:昭和26年起工式~昭和33年落慶、設計:大岡實、構造設計:小野薫・日下部東一郎、施工:清水建設、構造:鉄筋コンクリート造である。 また規模は、建坪:1,368.8m2(414.8坪)、間口:34.5m、奥行:32.7m、軒高:29.4mで、デカイ!
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・・・・・・・・・・ 一般の参拝客は床面積478.5m2(145坪)の本堂外陣で手を合わせる。,、、、、外陣の正面には幅4m程の額「施無畏」が掛かってる。 施無畏(せむい)とは、他者から不安や恐怖を取り除き、恐れのない状態にすることを指す。 
観音さまはこの「施無畏者」と称され、誰しもが持つ不安や恐れを和らげる存在とされている。 健康や生活費不安の多い私には頼れる仏様だ。 できれば、高所恐怖症も取り除いてほしいものだ!
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・・・・・・・・・・ 本堂の向拝には「志ん橋」と書かれた大提灯が架かっている。 志ん橋は「
新橋」の異表記で、東京大空襲で焼失した本堂が再建された昭和33年(1958)から東京新橋組合(銀座に本部を置く花街の組合)により奉納されている。 本堂の大提灯は令和2年(2020)に9回目の掛けかえが行われており、高さ4.5m、幅3.5m、重さ約600㎏である。 浅草寺の提灯の中で最も大きい提灯らしい、我が家にぶら下げたら天井が抜け落ちるであろう!
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● 本堂を後にして、昭和39年(1964)に大谷重工業社長:大谷米太郎夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート造り、本瓦葺きで再建した「宝蔵門(仁王門)」を通り抜ける。 宝蔵門の高さは21.7m。 本堂よりチョイト低いが、一般のビルの7階に相当する高さだ。、、、、、このに架かる「小舟町」の提灯は、日本橋小舟町の信徒から寄進されたのが最初で、以来、日本橋小舟町奉賛会によって奉納が続けられ、ほぼ10年ごとに新調されている。 この提灯は重さ450㎏、このサイズでも我が家にはつるせない!
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● 本堂から仲見世通りを歩いてくると、先に
雷門の裏側が見える。 裏側をじっくり見る人は少ないと思う。、、、、、中央には「風雷神門」と書かれた、重さ700㎏の大提灯が架かってる。 両脇には、昭和53年(1978)松下グループ有志により寄進された、高さ約2.8m前後の天龍像(男性の姿)と金龍像(女性の姿)が奉安されている。 表側に奉安されている風神・雷神の像は知っているが、裏側の天龍・金龍の像を知る人は少ないであろう!
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・・・・・・・・・・ 雷門の表側はこちら!
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・・・・・・・・・・・・ 雷門から我が家まで歩いて40分

2026年1月15日 (木)

修善寺旅行

14日・15日、夫婦で伊豆修善寺温泉に行ってきた。 修善寺温泉には10年ぶりの旅行で、以前に来た時のことを思い出しながら、ボケてないことを互いに確認しあう旅となった。


● 東京ー三島間は往復新幹線を利用し、三島から修善寺までは伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)を利用してのんびり旅。 路線名の駿豆とは駿河国と伊豆国を意味するが、これはかつて同線が駿河国に属する沼津市と伊豆国に属する三島市の間に軌道線(路面電車、1963年廃止)を運行していた駿豆電気鉄道の路線だったことに由来する。、、、、、現在の駿豆線は、営業キロ : 19.8 km、軌間 : 1067 mm、駅数 : 起終点駅含め13駅、全線単線電化の路線である。、、、、、普通列車は日中おおむね20分間隔で三島駅 - 修善寺駅間を運行している。 東京から東海道本線を経由して特急「踊り子」(5両編成)が平日2往復・土休日3往復乗り入れてる。 JRが乗り入れてる路線であるから、Suica、PASMOなどのICカードを利用できるかと思ったら、ダメだった。 切符を購入して乗車すること!

・・・・・・・・・・ 昭和9年(1934)開業の現在の伊豆箱根鉄道三島駅から乗車。 JR三島駅からは連絡改札がある。 頭端式ホーム2面3線の地上駅。 南側の単式ホームが7番線、北側の島式ホームが8番線と9番線である。、、、、、特急「踊り子」号は直通運転の関係からJRの1番線を発着する。

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・・・・・・・・・・ 三島駅から二駅目の三島田町駅。 明治31年(1898)に開業した古参駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線の地上駅で、三嶋大社への最寄り駅である。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から八駅目が、
明治31年(1898)5月20日開業の駅伊豆長岡駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線を有する地上駅。 各ホームは富士山がよく見える跨線橋で結ばれている。、、、、、 駅から100m先の青い橋(狩野川に架かる千歳橋)を渡ると、伊豆長岡町の町で、古奈温泉・長岡温泉の湯の町となる。、、、、、私達は駅前からバスで「伊豆パノラマパーク」へ行った。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から十二駅目は、駿豆線の終点駅、
大正13年(1924)に開業した修善寺駅。 頭端式ホーム3面5線の地上駅。、、、、、 ホームには懐かしの洗面台があった。 汽車に揺られて長旅の終着駅、ホームに降りて煙の煤で汚れた顔を洗い、口もすすいで、イザ温泉へ! 
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● 伊豆長岡駅からバスで20分程、「伊豆パノラマパーク」へお立ち寄り。 伊豆パノラマパークは、伊豆長岡駅から南西に約4㎞の所にある標高452mの葛城山の山頂と北麓を利用した観光リゾート施設である。 傾斜長1,791.95m、最大高低差411.11mのゴンドラで山頂に登り、山頂では「碧テラス」と称する展望台がある。 展望台からは
富士山と駿河湾の望める360度の大パノラマが望める。 富士山の眺望は素晴らしい!
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・・・・・・・・・・ 山頂から、、、、、円形のデッキの外側には、人が入らないように水が張られてる
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● 修善寺駅からバスで10分、修善寺温泉で降りる。 温泉街の中心はなんと言っても曹洞宗の寺院「修禅寺」

・・・・・・・・・・ 修禅寺は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院。 山号は福地山。 正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」で、略して福地山修禅寺と呼んでいる。 修善寺温泉街の中心に位置する。 地名は「修善寺」、寺名は「修禅寺」で、表記が異なるが、両方とも「しゅぜんじ」と読む。 初期には「桂谷山寺」と呼ばれており、鎌倉時代より「修善寺」と呼ばれていたが、鎌倉時代中期に臨済宗に改宗し「善」を「禅」に変更したとの説がある。 鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたことでも知られている。、、、、、現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものである。 修禅寺には国の重要文化財に指定された木造大日如来坐像がある、また県の文化財が2点あるが、そのほかには目ぼしい文化財はない。 せめて、山門、本堂などの建物が文化財であったら良かった、チョイと寂しいね!
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・・・・・・・・・・ 修禅寺の東側100m程に、見応えある
大きな杉の木とトチノキがある「日枝神社」が鎮座する。 ここは、かつて修禅寺の信功院があった場所で、源範頼が兄・源頼朝から幽閉された場所。 
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・・・・・・・・・・ 日枝神社の西側600m程の山腹に、「源範頼の墓」がある。 幽閉後、梶原景時率いる兵の不意打ちにあい、防戦の末に自刃したと伝わる。、、、、、民家の裏山にある古ぼけた墓だが、“源範頼の墓”と言われると、一見すべき墓なのかも?
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・・・・・・・・・・ 修禅寺山門前に流れる桂川の中に、空海が修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ心うたれ、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させた(?)といわれてる「独鈷の湯」がある。 この湯が修善寺温泉発祥の湯ともいわれてる。
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● 桂川沿いの竹林を抜け「〇久旅館」で一泊。 この宿は10年前にも泊まらせてもらった、食事は美味しい懐石料理、素敵な宿だ!
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● 二日目はのんびり湯につかり、遅めに宿を発ち、「
三嶋大社」に寄ってみた。 三嶋大社は、大山祇命、積羽八重事代主神を主祭神とする。 式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社。 旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。、、、、、社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。 当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。 中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。 近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
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・・・・・・・・・・ 境内で縁起餅「福太郎」を食す。 参拝を済ませ、神社前で三島名物「うなぎ」(ウナギ一匹分がのった鰻重)を食べる。 しかし大失敗、福太郎が腹に残り、ウナギなかなか入らず、苦し~~い! この苦しさは東京まで続いた!! 最後は哀れな夫婦旅行となった!!!
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2026年1月 9日 (金)

西日暮里・谷中

明日(10日)、明後日(11日)は寒波襲来で、日本全国寒さが増すらしい。 ここ数日、寒さで散歩せずにいたが、今日はチョイと寒くても歩いて来ようと家を出た。 行先は“谷中”、JR西日暮里駅で降り、道灌山から諏訪台通りを歩き鶯谷駅まで、寺社を巡って1万1千歩の散歩です。



● 昭和44年(1969)12月20日、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)千代田線の西日暮里駅が開業。 昭和46年(1971)4月20日、地下鉄千代田線との乗り換え駅として国鉄の「西日暮里駅」が開業した。 山手線のなかで、唯一“昭和”、それも“戦後の昭和”に開業した駅である。(令和2年(2020)に山手線には「高輪ケートウェイ駅」が開業) 西日暮里駅は島式ホーム2面4線を有する高架駅で、千代田線構内でJRへの乗り換えを可能にするための中間改札が地下にある。

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・・・・・・・・・・ 開成学園(写真左側)と西日暮里公園(写真右側)を結ぶ歩道橋から撮影したJR西日暮里駅。中央の道路は道灌山通り。 東京メトロ千代田線の西日暮里駅は道灌山通りの地下。
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・・・・・・・・・・ 「開成学園」は、開成中学校・高等学校からなる中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校。 令和7年(2025)の入試では、東大文系の合格者48名(現役32名、OB16名)、東大理系の合格者102名(現役75名、OB27名)という、超進学校! ちなみに、硬式野球部はあるが、あまり強くないみたい! 
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開成学園や西日暮里公園のある台地は「道灌山」とよばれ江戸時代には眺めがよく、筑波や日光の連山、そして下総国府台(現市川市)などをのぞむことができる。 道灌山は、上野から飛鳥山へと続く台地上に位置する。 道灌山の地名の由来として、中世、新堀(日暮里)の土豪、関道閑が屋敷を構えたという説、江戸城を築いた太田道灌が出城を造ったという説などがある。、、、、、「西日暮里公園」のあるこの地は、明治7年(1874)、この一帯が旧加賀藩前田家に売却され同家の墓地となり、昭和48年(1973)その跡地に西日暮里公園が開設された。、、、、、公園は西日暮里駅ホーム前の崖上にあり、公園から電車を見下ろすことができる。
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● 西日暮里公園の南側に「諏方神社(すわじんじゃ)」が鎮座する。、、、、、諏方神社は、元久2年(1202)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建した。 江戸期には慶安2年(1649)には社領5石の御朱印状を拝領、日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守として崇敬を集めただけでなく、日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地としても有名だったといいます。、、、、、社名の「諏方神社」は、“諏訪”ではなく“諏方”としているのは、古来の表記である。 かつては“諏訪神社”の名には、“諏方神社”の方が多かった。 古来の表記を採用している“諏訪神社”は、現在全国で一万有余あるうち、三~四社のみになったとのこと。、、、、、境内は都心の神社にしては広く、木々が多く、静かでいい雰囲気。
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・・・・・・・・・・ 神社の境内からJR西日暮里駅の西側脇に屈曲して下る急な階段坂地蔵坂」がある。 坂の名は、諏方神社の隣りにある別当寺であった浄光寺の江戸六地蔵の三番目が安置されていることにちなむ。
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・・・・・・・・・・ 諏方神社の隣りには、江戸六地蔵の三番目を祀る、真言宗豊山派寺院の「浄光寺」がある。 法輪山法幢院と号す。 山門の左手には元禄4年(1691)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像(江戸六地蔵の三番目)、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像がある。、、、、、浄光寺は眺望にすぐれた諏訪の台地上にあり、特に雪景色がすばらしいというので「雪見寺」ともよばれたそうだ。 現在は眺望が良いか、私には(?) “雪見大福”でも売ると人気が出そう!
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● 諏方神社、浄光寺の前の道「諏訪台通り」を歩いて南に向かう、、、、、諏訪台通りの付近は寺町で、たくさんの寺院があって風情があり、寺院巡りをするインバウンド客の姿もチラホラ見える。 高台であることから、昔は眺望が良かったと思われるが、今はどうだろう?
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● 西日暮里公園から300m程歩いたところに、
真言宗豊山派の寺院養福寺」がある。 養福寺は補陀落山観音院と号す。 開創の確かな年代はわからないが、初代住職という乗蓮は寛永3年(1626)に没したと伝えられている。、、、、、養福寺の山門奥に朱塗りの仁王門が見える。 もとの本堂や観音堂などほかの建造物は戦災で失われましたが、宝永年問(1704~1711)建立と伝えるこの仁王門は焼失を免れて、江戸期の木造建造物として現在に残ったものだ。 門の表側には阿吽の表情の仁王像一対が出迎えてくれる。、、、、、境内は樹木も多く、落ち着いた雰囲気が感じられる寺院である。
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● 諏訪台通りを南に歩き、日暮里駅北口から谷中銀座に向かう通りに出た。 ここには、慶応4年(1868)の上野戦争に敗れた彰義隊士が寺へ隠れたため、新政府の攻撃を受けた。 天保7年(1836)建立の山門には銃撃を受けた弾痕が今も残る、日蓮宗の寺院「経王寺」がある。 経王寺は明暦元年(1655)創建の日蓮宗の寺院で大黒山と号し、境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られています。、、、、、 門前は谷中銀座へ行く人が多く歩いているが、境内は静かで梅の花が咲いていた。
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● 西日暮里駅から経王寺までは荒川区西日暮里。 
諏訪台通りをそのまま延伸し、これより台東区谷中の町に入る。

・・・・・・・・・・ 写真の右側は「吉川錻力店」。 ブリキ屋である。 ブリキなどで屋根や壁を貼ったり雨どいを取り付けるような仕事かと思うが、なにか生活用具なども作っていたのかもしれない。、、、、、左側は、大丸松坂屋百貨店の創造型マーケティング組織「未来定番研究所」。 以前は、「銅菊」と称し、谷中で3代にわたって銅細工を手がけた職人の屋号です。、、、、、“お江戸”の“下町”だ!
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・・・・・・・・・・ 「朝倉彫塑館」は、彫刻家朝倉文夫の住宅兼アトリエ(大正12年(1923)竣工)を、美術館として公開している。 この家の主、朝倉文夫は日本の近代彫塑の技法を確立し、生涯驚異的ともいえる数々の作品を製作した。 この建物は昭和3年(1928)から7年の歳月をかけて新築し、朝倉氏自らの設計によるものです。 本館は西洋建築のアトリエ棟と竹をモチーフとした日本建築の住居棟で構成されている。、、、、、今日は前を素通り、日を改めて来ます!
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・・・・・・・・・・ 赤穂浪士ゆかりの寺 観音寺、、、、、新義真言宗の「観音寺」は、蓮葉山妙智院と号し、慶長年間(1596~1615)の創建。 赤穂浪士討入りに名を連ねた近松勘六行重と奥田貞右衛門行高が当寺第6世朝山大和尚の兄弟であったことから、赤穂浪士討入りの会合にもよく使われ、討入り後には赤穂浪士供養塔が建立された。
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・・・・・・・・・・ 観音寺築地塀は国指定有形文化財、、、、、観音寺は明和9年(1772)の火災で灰燼に帰した後,文政年間頃に再興された。築地塀は境内の南面を画する延長37.6mのいわゆる練り塀で、瓦と粘土を交互に積み重ねて造り潜り戸一所を備える。 浅草と並ぶ江戸有数の寺町であった当時の面影を伝える。
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・・・・・・・・・・ 観音寺から南へ100m程歩くと、浄土宗総本山知恩院の末寺である「功德林寺」がある。 その境内に、江戸時代から伝わるわらべ歌『向こう横丁のお稲荷さんへ一銭あげて ざっと拝んでお仙が茶屋へ……米の団子か 土の団子か』で知る人ぞ知る「お仙が茶屋」の笠森お仙がいた水茶屋(道端や寺社の境内で湯茶を飲ませた茶屋)で、笠森稲荷の赤い鳥居前にあった「鍵屋」のこと。 「鍵屋」を開いたのはお仙の父・五兵衛で、年頃となった彼女(お仙は“江戸三美人”の一人となる)が店で茶くみをするようになると、お仙を目当てにした客で大変繁盛した。 お仙のブロマイドならぬ錦絵は飛ぶように売れ、鍵屋では彼女をモデルに手ぬぐいや絵草紙などのグッズも販売したそうだ。 現在のアイドルのような存在でした。 功德林寺の境内には、そのお仙ゆかりの「笠森稲荷」が祀られている。 
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● 谷中4丁目に安産飯匙(しゃもじ)の祖師を祀る瑞輪寺の祖師堂(東京七面山)がある。、、、、、堂に祀るは、江戸十大祖師の一人で、除厄・安産の飯匙祖師である。(“飯匙”と書いて“しゃもじ”と読む) 文永11年(1274)3月13日、日蓮が佐渡流罪から放免となって鎌倉に向かう途中、武蔵国の久米川あたりに関善左衛門という人がいて、その妻が難産に苦しんでいて、日蓮に助けを恋うた。日蓮は家にあった飯匙に御本尊をしたためて妊婦にいただかせた。するとたちまち母子ともにつつがなく安産となった。 そして一家一門感激して入信し、日蓮像を彫って、谷中に善性寺を恋うたて安置しました。後に感応寺に移して、庶民の間に安産のご利益が広まり信仰を集めた。 感応寺が改宗することになり、瑞輪寺に勧請して、現在までご利益を求める方々の信仰を集めている。、、、、、しゃもじを抱いて安産ができる、どこぞのマタニティクリニックで実行してみたら流行すかも?
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● 真言宗豊山派寺院の「長久院」は、瑠璃光山薬師寺と号す。 長久院は、慶長16年(1611)2月宥意が神田北寺町に開山、慶安11年(1658)当地へ移転した。、、、、、 本堂前に、「六十六部造立石造閻魔王坐像及び両脇侍像」が祀られている。 その説明板には、『この石仏は、中央に閻魔王像、右左にそれぞれ司命、司録像を配しています。閻魔王は死者の生前の行いに応じて死後の行き先を決めるという冥界の王で、司命は閻魔王の判決を言渡し、司録は判決内容を記録する従者であるとされています。台座に刻まれた銘文によると、この三躰は六十六部聖(六部聖ともいう)の光誉円心という人物が享保11年(1726)に造立したものです。六十六部聖とは「法華経」を六十六部書写し、全国六十六箇所の霊場に一部ずつ奉納した聖のことをいいます。江戸時代になると経典の奉納の他に、石塔・石仏を各地に造立するようになりました。経典の書写や石塔・石仏の造立を重ねることは、生前の罪障を滅し、死後の往生に近づくこととされたためです。都内に現存する六十六部聖が造立した石仏を調べてみると、地蔵菩薩像が圧倒的に多く、閻魔王像は極めて稀であることが分かります。本像は六部聖が江戸時代の谷中でも活動していたことを裏付けるとともに、希少な石仏として貴重な文化財の一つです。』と記されてた。 この閻魔は、にこやかな顔をしており、「笑い閻魔」とも呼ばれているそうだ。 ウハウハ!
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● 西日暮里から寺社巡りをして
鶯谷駅(うぐいすだにえき)」に到着。、、、、、明治45年(1912)7月11日に鉄道院東北本線の駅として開業。 ホームは既に電車運転を開始していた運転系統としての山手線のみに設置された。 このため実際上は上野駅 - 田端駅 -池袋駅 - 新宿駅 - 品川駅 - 烏森駅間に運転された山手線の駅としての開業であった。 大正14年(1925)には山手線の線路を利用し京浜線の運転が田端まで延長され、乗入路線数が2路線となる。、、、、駅正面にラブホテルが密集している“大人の駅”(?)でも、治安は悪くないようだ。(よく知らないが!)
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2026年1月 4日 (日)

初詣は西新井大師

正月三が日は静かに過ごし、今日は夫婦で西新井大師に初詣に行く。

・・・・・・・・・・西新井大師」は通称で、「五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)」と称する真言宗豊山派の寺である。 空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826)に寺院を建立したことに始まるといわれてる。 江戸時代中期に建立された本堂は昭和41年(1966)火災により焼亡したが本尊は難を逃れた。 現在の本堂は昭和46年(1971)に、鉄筋コンクリート造にて再建された。 真言宗の弘法大師を祀る「関東厄除け三大師」として、川崎大師(神奈川県川崎市)・観福寺大師堂(千葉県香取市)と共に数えられている。 中野区にある新井薬師と同じ真言宗豊山派の寺院、名も似ており間違いやすいね!

昨年は、真言宗豊山派の総本山:長谷寺(奈良県桜井市)へ夫婦で参拝し、数年前に大本山:護国寺(東京都文京区)も参拝し、今年はチョイト身に“老い”を感じ、厄除けしておいた方が我が身の為になると思い、西新井大師に初詣することにした。

『今年も健康に一年が過ごせますように! ついでに、宝くじ一等当選が実現しますように!』合掌

毎年の正月には初詣の参拝客で賑わうようだ。 今年も、西新井駅から大師線に乗り換えて行ったが、電車も参拝客で満員。 境内に入れば、本堂に向かう参道の両側には露店が並び、これまた、混んでた! 門前の草だんご屋にも行列!
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