向島百花園
“梅が咲いてる”と聞いて、観に行ってきた。 東向島駅から向島百花園に行き、帰りは押上駅まで歩いてきた。
● 東武伊勢崎線の「東向島駅」は、明治35年(1902)4月1日、「白鬚駅」として開業。 明治38年(1905)から、白鬚駅は一時営業休止となり、明治41年(1908)には白鬚駅廃止となる。 その後大正13年(1924)に、「玉ノ井駅」として営業を再開する。 昭和20年(1945)には東京大空襲で被災したため、再び営業休止となり、昭和24年(1949)10月1日に営業を再開した。 昭和62年(1987)に「東向島駅」に改称。、、、、、 現在は、高架相対式2面2線のホーム構造で、改札口・出口は1ヶ所のみで地上1階にある。 また、平成元年(1989)に高架下に東武博物館が開館した。、、、、、当駅のすぐ東側には、大正時代から昭和33年(1958)の売春防止法施行まで、永井荷風その他の文学作品にも取り上げられた有名な私娼街「玉の井」があった。 当駅はその最寄り駅として賑わったそうだ!(できれば、私も当時の駅に降りてみたかった)

● 東向島駅から徒歩10分程で「向島百花園」に着く。、、、、、向島百花園は、仙台出身の骨董商:佐原鞠塢(さはらきくう)がもと「多賀屋敷」と呼ばれていた土地を入手し、文化2年(1805)に開園した。 360本もの梅の木を植えたことから当時亀戸(現:江東区)にあった「梅屋敷」に倣って「新梅屋敷」とも、「花屋敷」とも呼ばれていたが、文化6年(1809)頃より「百花園」と呼ばれるようになった。 江戸時代には文人墨客のサロンとして利用され、著名な利用者には「百花園」の命名者である絵師:酒井抱一や門の額を書いた狂歌師:大田南畝らがいた。 当初梅園として営まれたが、その後、園主や文人たちの構想で詩歌にゆかり深い草本類を多数栽培した。 園内には多数の野草が植えられ、とくに秋の七草その他、秋の草花の美しさで知られた。 また、池泉、園路、建物、30余基の石碑などを巧みに配した地割でも有名であった。 その後も民営の公園としての長い歴史を経たが、明治以降、周辺地域の近代化や度重なる洪水などの被害を受け、明治末年頃よりその影響で草木に枯死するものがあり、一時は園地も荒廃したが、のちに東京市に譲渡されて昭和14年(1939)には公営の公園として出発した。、、、、現在は面積:約11,000㎡の都立庭園である。 入園料は65歳以上は70円、安い!、、、、、平日の午後に来たのだが、客はまばらで、ご老体ばかり、若いピチピチがいない、チョイト寂しいね。 しかし、梅の咲く庭園を落ち着いて見ることができ満足! 梅や椿やボケが綺麗に咲き、写真のモデルとなってくれた。









・・・・・・・・・・ 粥でいただく春の七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)が植えられていた。 
● 向島百花園を出て、押上駅に向かう途中、白鬚神社、高木神社に寄って行く。
・・・・・・・・・・ 白鬚神社は墨堤通り沿いにある向島総鎮守の神社。 天暦5年(951)に、琵琶湖中の大鳥居で有名な白鬚神社から勧請した神社で主祭神は白鬚大明神(猿田彦大神)である。 隅田川七福神の一つ、寿老神も祀られている。

・・・・・・・・・・ 二社目は、押上2丁目の高木神社。 高木神社は、応仁2年(1468)第六天社として創建、旧寺島村大字新田の鎮守だった。、、、、、縁結びの御利益を期待して、多くの参拝者がるようだ。 私の前で、欧州系のカップルが手を合わせ、御朱印を頂いてたのを見て、チョイト驚いたね!

● スカイツリーの足元にある都営浅草線(京成電鉄が管轄)の押上駅に着いた。 押上駅には、京成押上線と都営地下鉄浅草線が乗り入れている。 京成押上線の押上駅は大正元年(1912)11月3日に開業したが、昭和35年(1960)に都営地下鉄との相互直通運転開始により、直接浅草・都心方面への乗り入れの接続駅となる。 



























































































































