西光寺と西光寺
京成押上線の四ツ木駅で降り北へ歩いて、天台宗の西光寺へ参り、さらに北へ向かい真言宗豊山派の西光寺へ参る。 さらに北上し京成本線のお花茶屋駅まで歩いてきた。 両西光寺とも葛飾区内にある。
● 京成押上線の「四ツ木駅」は、現在の押上線が京成の本線であった大正元年(1912)11月3日に開業した。 その後、大正12年(1923)荒川放水路開削に伴い現在地に移転。 平成3年(1991)1月5日、旧荒川橋梁にタンカーが衝突し、上下線ともレールが折損するほどの事故が発生した。 その事故を受けて、荒川橋梁掛け替えおよび、荒川橋梁当駅の両岸にあった、当駅と荒川駅(現:八広駅)間の高架化工事が開始され、平成11年(1999)四ツ木駅は現在の姿で高架化された。、、、、駅周辺は木造住宅の密集地で、集客力のある大規模施設は何もない。 道路も区画整理ができておらず、緊急車両も通りにくい細い曲がりくねった道である。 いわゆる木蜜地域(=木造住宅密集地域)である。 地震・火災の発生が心配になるね! 



● 四ツ木駅から寂れかけた「まいろーど四つ木商店街」を歩き西光寺に参る。
● まいろーど四つ木商店街の中程から脇道に入ると天台宗寺院の「西光寺(さいこうじ)」(葛飾区四つ木)がある。、、、、、西光寺は、江戸氏・豊島氏と並ぶ関東の三大勢力であった葛西氏(鎌倉幕府創建の忠臣:葛西三郎清重)の館跡である、ただし遺構など確認できるものは残ってない。 葛西氏は後に、三陸の大名に栄転して当地からいなくなってしまうがその居館跡は西光寺として今も残る。、、、、、寺伝によれば、葛西清重の居館であった当地に関東教化中の親鸞が50日余り逗留し、自筆の阿弥陀如来画像を残した。 この間に清重は親鸞の弟子となり剃髪して西光房と称したという。 そして館内に堂舎を建て、親鸞の滞在していた期間、雨続きだったことにちなんで『雨降山西光寺』と名付けた。 以来、浄土真宗として法灯を続けたが、永禄年間頃には、兵火やいくたびかの水害でほぼ無住状態となった。 寛永年間になり、天台宗の旅僧が止宿して、由緒ある法灯の絶えることを惜しみ、村民とはかって浅草伝法院の門末の天台宗の寺として再興し、さらに相続く洪水に山号を雨降山から超越山と改めた。、、、、、本尊の阿弥陀如来立像、親鸞筆といわれる三方真向阿弥陀如来画像、葛西清重作といわる木造聖徳太子立像(秘仏)などの文化財を所蔵するが、散歩でブラッと立ち寄った私には拝見することができなかった。

・・・・・・・・・・・ 境内西側100m程の所に、葛西清重の墳墓跡と呼ばれる場所がある。 門扉で仕切られた6畳程の空き地で、中央には墓があったと思われる処に大きな穴が掘られてた。 調べてみると、寛永8年(1631)建立の五輪塔1基と明治に大槻文彦らが建てた墓碑があったそうだ。 私の憶測では、墓地を整理し建て直すものと思われる。

● 四つ木の西光寺から、宝町の西光寺に向かう、、、、、河津桜は散り始めた、、、、、昭和32年創業の末広湯。ザ・銭湯と言える造り!、、、、、曲がりくねった道は方向感覚が狂う!


● 四つ木の西光寺から直線距離で北へ1.1㎞、葛飾区宝町にもう一寺の西光寺がある。、、、、、こちら(宝町)の西光寺は、真言宗豊山派寺院で、渋江山清重院と号す。 寺伝によると、元仁元年(1224)西光房善慶(葛西清重)の草庵にはじまり、のち浄土真宗の一寺となって西光寺と名づけた。 慶長18年(1613)再興のとき真言宗に転じた。、、、、、四つ木、宝町の両西光寺とも、始まりは浄土宗でその後改宗した、さらに葛西三郎清重・親鸞聖人ゆかりの地として、さまざまな共通する伝説がある。 チョイト謎多き二寺の歴史?

・・・・・・・・・・ 本堂前の植え込みの中に「丹頂塚」と彫られた石碑があった。 “丹頂”の塚とは? 私の頭の中では、鶴の“丹頂”が浮かんだが、こんな下町でまさか鶴の塚とは思えない。 次に浮かんだのは、年配の人ぞ知る“丹頂チック”・“丹頂ポマード”などかつての整髪料の“丹頂”だ、誰かが懐かしみ碑を建てたのかと思った。、、、、、後に調べてみると、天保12年地元の人々が将軍放鷹のとき死んだツルの供養のために「丹頂塚」を建てたらしい。 昔は、この葛飾区にも丹頂がいたのだ!
● 今日の散歩は、京成本線の「お花茶屋駅」から帰ることにした。、、、、、お花茶屋駅は普通列車のみ停車する駅で、昭和6年(1931)12月に開業した。 駅の所在地は葛飾区宝町2丁目であるが、北側には「お花茶屋1~3丁目」の名が広がっている。 かつて、この辺りは幕府の所有地で将軍が鷹狩をするために訪れていた。 8代将軍徳川吉宗がここに訪れた時、腹痛を起こし三軒あった茶屋のひとつで、娘のお花が手厚く看病し回復したといわれてる。この話からこの地を「お花茶屋」と呼ぶそうだ。、、、、、この辺りは鷹狩の地であった。 だから丹頂もいた! これにて「丹頂塚」も納得!



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