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2026年4月

2026年4月25日 (土)

葉桜の密蔵院

昼から散歩に出た。 『どこへ散歩に行こうか?』 行く当て無し、とりあえず敬老パスで乗車できる日暮里舎人ライナーに乗る。 乗車中に、終点の見沼代親水公園駅(東京都足立区、23区内最北端の駅)まで行き、そこから北(埼玉県川口市)に歩くことにした。 見沼代親水公園駅から直線で3㎞程北にある“安行桜”で有名な密蔵院まで歩いてきた。 



見沼代親水公園駅は、平成20年(2008)3月30日に開業、足立区ならびに東京23区内の最北端の駅である。、、、、、隣接する埼玉県川口市・草加市側からは路線の延伸を希望する声があるようだが、具体化するには至っていない。
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・・・・・・・・・・ 【おまけの話】 23区内の最東端の駅は都営新宿線の篠崎駅(江戸川区)。 最西端の駅は西武新宿線の武蔵関駅(練馬区)。 最南端の駅は京急線の六郷土手駅(大田区)。、、、、、大学入試問題に出るかも?



● 見沼代親水公園駅の北側で、毛長川に架かる舎人二ツ橋を渡ると埼玉県草加市に入る。 草加市内を200m程歩くと川口市となる。
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・・・・・・・・・・ 北に向かって(後で判ったことだが、北西に向かってた)裏道を歩く。、、、、、川口市役所新郷支所に出る手前の五差路に小堂が立っていた。 堂内に
四基の庚申塔が並んでいる。 元禄2年(1689)銘の青面金剛立像もある。
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● 「東本郷氷川神社」に出た、ここで、『アレ?北へ歩いているつもりが、北西に歩いてた! 失敗・失敗!!』 、、、、、東本郷氷川神社は、もともと東本郷の南方にある本郷谷下に鎮座していたが、大風が吹き、北の本郷の水田に飛ばされ、現在地に鎮まったとされる。(風で吹き飛ぶ程度の、軽い神社だったのか?!) 創建年代は不明。 祭神は、豪華な顔ぶれで、素戔嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命、宇迦之御魂命、菊理媛神の五神。
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・・・・・・・・・・ 東本郷氷川神社鳥居の前に、「新郷村道路元標」がある。 道路元標は、大正8年(1919)制定の旧道路法施行令で道路の起終点として使用するため設置された柱で、日本橋におかれたのは有名ですが、各市町村にも1箇所ずつ置くこととされ、役場前や街の中心地の交差点に設置された。 旧新郷村は、昭和15年(1940)に川口市に編入された。 神社の近くには、村役場から変わったと思われる新郷支所がある。
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● 進路を北に向ける気持ちで歩き続ける。

・・・・・・・・・・ 川口市立新郷小学校、川口市新郷浄水場前の道を歩く
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・・・・・・・・・・ 曹洞宗寺院の宝泉寺門前の道を歩く、、、、、宝泉寺は、長久山と号す。 宝泉寺は、安行吉岡金剛寺の和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が創建したと言われてる。
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・・・・・・・・・・ 新郷貝塚と記した案内板がある。 貝塚の部分は地下に埋め戻され、全体に散策用の公園となっている。
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・・・・・・・・・・ 川口市立安行小学校前を通る
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● 安行小学校の先で「蜜蔵院入口」と書いた看板があった。 『安行桜で有名な密蔵院か? 行ってみよう!』 桜の時期は過ぎたが、TV中継などで有名な寺なので、拝観しておくことにした。、、、、、 真言宗智山派寺院の密蔵院は、海壽山萬福寺と号します。密蔵院の創建年代等は不詳ながら、永海法印(明応2年1493年寂)が中興、開山したといいます。 德川秀忠より寺領11石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院だったといいます。 本尊は延命地蔵菩薩像。

・・・・・・・・・・ 両側にピンクの安行桜が咲いていたであろう参道も、今は葉桜で緑一色、、、、、桜の木は数十本あるそうだ。
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・・・・・・・・・・ 明治19年(1884)に旧薩摩藩江戸屋敷の門を移築した山門を抜けると、正面に本堂が見える
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・・・・・・・・・・ 広い境内には鐘楼不動堂など、多くの建物が並んでいる。
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● 時刻も15時を過ぎ帰宅時間。 峯八幡宮バス停から川口駅行き乗り帰る。
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2026年4月22日 (水)

よろしく薬師さま

GW明けに妻が白内障の手術をすることになった。 普段は気の強い妻も、手術となると気が弱くなり、一人妄想が始まった。 手術開始には眼球に麻酔注射、手術は眼球の引っ張り出し、そして眼球を削りレンズの埋め込み、想像すると極度の痛み、最高の恐怖である。 多くの人がかかる病気で、周囲には手術を受けた人がたくさんいるのに、そんな妄想で寝不足になるらしい。(隣で寝てる私には、大きないびきが聞こえるだけだが?) 『心配するな、短時間で終わる手術だよ!』と私も慰める。、、、、、そこで、今日は夫婦で、眼病に御利益が期待できる新井薬師へ行ってきた。



・・・・・・・・・・ 新井薬師は、西武新宿線「新井薬師前」で下車し、門前の通りを歩いて10分
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・・・・・・・・・・ 「新井薬師」は通称、正式には「新井山 梅照院 薬王寺」で、真言宗豊山派の寺院である。 新井薬師の本尊は薬師瑠璃光如来と如意輪観世音菩薩で、二仏を背中合わせに一体とした霊験あらたかな像である。 江戸幕府2代将軍徳川秀忠の五女で後水尾天皇中宮の和子(東福門院)が当寺の薬師如来に眼病平癒を祈願したところ、たちまち回復したとされることから、特に眼病治癒の御利益に関して有名になった。、、、、、妻も薬師如来に一目会い、祈願したかったが、秘仏であることから断念、残念!
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・・・・・・・・・・ お不動様、観音様にも『よろしく!』(合掌)
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・・・・・・・・・・ お守りを授けてきた。 効き目がありそうだ!
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・・・・・・・・・・ お参りすませば、JR中野駅にからお帰り。(さすが我が妻、家に直行せずデパートに直行。 病院へ行くための服を買いに?)
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2026年4月17日 (金)

小さな大仏

北総線の新鎌ヶ谷で、京成松戸線(つい最近までは新京成線であった)乗り換え鎌ヶ谷大仏駅で下車した。 駅名となった鎌ヶ谷大仏、駅の隣の八幡神社によってから、西に向かい根頭神社、妙蓮寺、道野辺八幡宮に参拝し、東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅まで歩いてきた。



鎌ヶ谷大仏駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 昭和24年(1949)1月8日、新京成電鉄新京成線の延伸に伴い、同時開業した。 昨年(令和7年)4月、新京成電鉄が京成電鉄への吸収合併に伴い、京成電鉄松戸線の駅となる。 駅名は、駅前に祀られている鎌ヶ谷大仏に由来する。 その駅名により、平成10年(1998)には「関東の駅百選」に選定された。 選定理由は「駅前の阿弥陀如来像の大仏に因んで付けられた駅名で歴史を感じさせてくれる駅」。 (駅名の“大仏”によって選ばれた駅)
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駅の北側には、寛永年間(1624~1645)に木下街道(駅前の県道59号)の宿場として設置され、鎌ケ谷村の鎮守として寛永6年(1629)に創建された村社「鎌ヶ谷八幡神社」がある。 明治維新後の社格制定に際し村社に列格した。 また、稲荷(商売繁盛)・天満宮(学問)・妙正大明神(病気)・道祖神(旅行安全)・浅間神社(安産・子育)・三峰神社(盗難除け)・古峰神社(火防)などの諸社を境内に遷して、いかなることにも御利益がありそうな神社である。
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・・・・・・・・・・ 神社の長い参道沿いにズラリ並んだ庚申塔が出迎えてくれる。 庚申塔は全部で100基あり、「百庚申」と呼ばれている。 百庚申とは、庚申塔を百基並べ男性が中心となって巡礼する、地域の安全や延命長寿、無病息災などを祈願した地域信仰の一つ。

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● 鎌ヶ谷大仏に手を合わせた後は、西に向かって歩く。

・・・・・・・・・・ まずは裏道を歩き、京成松戸線の踏切をこえる。
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・・・・・・・・・・ 農家の庭先には、青空に鯉のぼりが泳いでる。  民家の上空には、自衛隊の哨戒機かな(?)、頻繁に飛んでいる。
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・・・・・・・・・・ 東武アーバンパークラインの高架橋を抜ける。
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● 鎌ヶ谷市道野辺の裏道・坂道を歩くと。 根頭神社(ねずじんじゃ)の階段と鳥居が見える。 『コリャ、参拝せずばなるまい』、階段を上がると、長~い、長~い、参道。 “森の奥へ進んでいく参道だ、凄いね・怖いね!”と思いつつ、参道を鍵の手に折れるとさらに参道は続く。 正面に社殿が見えた、「根頭神社」(祭神は土着の神:根頭之大神)である。、、、、根頭神社が鎮座している地域は道野辺村(現:鎌ケ谷市道野辺)、この辺りは、鎌倉時代以前からの古い集落で、江戸時代は大名:本多氏の領地であった。 根頭神社の創建年代等は不詳ながら、三橋氏(藤原左衛門丞)が元亀年間(1570~1573)ころ京都から当地に移住した際、その氏神として奉斎したと伝えられます。 明和8年(1771)に三橋孫六が土地を寄贈し、道野辺の鎮守として祀られてきました。 明治維新後の社格制定に際し村社に列格、現社殿は千葉県護国神社の仮本殿を譲り受けたものだそうです。
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● 根頭神社から北東へ300m程歩くと、日蓮宗の寺院:妙蓮寺がある。 妙蓮寺は、日蓮の母親、妙蓮尼がここで生まれたという話が残っている由緒ある寺。 日蓮聖人から道野辺は妙蓮誕生の地と聞かされた弟子の日進上人(総本山身延山久遠時 第三世)は、鎌倉期(1329年)に妙蓮尼追善供養の意を表して妙蓮寺と称し建立したそうだ。、、、、日蓮上人のパパは「妙日」(法名)といい、ママは「妙蓮」(法名)、二人の子が「日蓮」である。
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● 妙蓮寺から東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅へ向かう途中に、鎌ケ谷市の総鎮守「道野辺八幡神社」がある。 誉田別尊を祭神とする立派な社殿の神社で、こちらも
長い参道がある。 創建は資料もなく不詳であるが、鎌倉時代と伝えられているそうだ。 現在は鎌ケ谷市及び近隣の総鎮守とされている。、、、、、御神徳として、厄除開運、殖産興業、学芸成就、子守育成、安全息災、勝運守護に著しく霊験あらたかなものがあるらしい。 社務所では各種おみくじが売られており、参拝する人も多そうだ!
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● 散歩の終点は東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅。 ここから一駅先の新鎌ヶ谷に出て、東武から京成(北総線)に乗り換えて帰ることにした。
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2026年4月10日 (金)

京都)雨中の仁和寺で花見

京都駅前のホテルでお目覚め。 外は大雨。 『困ったな、どうしようか?』  『ここ京都駅に近い京都国立博物館に行って雨をしのぐか?(観光ガイドブックで開館中と確認済み)』・・・・・・とりあえず朝食を食べにレストランへ行く、途中のロビーには京都市内の名所の開花情報が案内されていた。 昨日の醍醐寺は“散りはじめ”の表示、萬福寺は情報なし。 満開の表示が仁和寺、天竜寺、鞍馬寺などに表示されていた。・・・・・・ゆっくり朝食を済ませ、部屋の窓から見ると外は小雨。 咄嗟の判断で『小雨だ、今ならタクシーで仁和寺まで行ってみよう。 桜が見られるかも?』 急ぎチェックアウトを済ませ。 タクシーで仁和寺に向かう。
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仁王門前(重文)でタクシーから降りると、雨は小雨。 『このまま大雨にならなければ良いのだが?』、、、、、仁和寺は宇多天皇が仁和4年(888)に創建して以来、法親王が住持し「御室御所」と呼ばれた。 歴代住職の多くは天皇家から迎えられたことから、門跡寺院として知られている。 
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・・・・・・・・・・ まずは仁和寺の本坊である「本坊御殿」へ。 ここでは、池泉式庭園と宸殿などの御殿群建造物が調和のとれた景観を描いてる。 まさに、天皇をはじめ皇族の住まいとして使用されてきた場所である。、、、、、小雨の時に入ったが拝観してる間に大雨となり、宸殿の縁先にてしばし時間を過ごす。 優雅な一時と言いたいが、雨が気にかかり絶望的だ!
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・・・・・・・・・・ 本坊を出て、朱塗りの中門(重文)をくぐると、御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)の他、五重塔(重要文化財)や観音堂(重文)、御影堂(重文)等が見えてくる。、、、、、♪♪ 土砂降りの雨の中で カメラは濡れた やさしい人の想い出を 写真に収めて みんな知ってたの いつかこうなると(和田アキ子の声で)♪♪
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・・・・・・・・・・ 御室はの名所としても知られ、境内の背丈の低い桜は「御室桜」として有名である 。 御室桜観桜の記録は万治4年(1661)まで遡るとのこと。、、、、、仁和寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道「御室流」の家元でもある。
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● 仁和寺の門前で、雨宿りを兼ね昼食をとる。 店の人に聞くと、仁和寺の前に京都駅行きのバスが来るそうだ。 帰りの新幹線は17時、今は12時前、『京都国立博物館に行こう!』・・・・・・バスに揺られて40分、京都駅前着。 さらに、バスを乗り換え15分、博物館三十三間堂前に到着。 バス停は三十三間堂と博物館の真ん前だ『博物館に行く前に三十三間堂を観て行こう!』(神の知らせか?虫の知らせか? 土砂降りの雨も止まぬ中で、博物館は後回しにして、三十三間堂に寄って行く)



三十三間堂は、正式には「蓮華王院(れんげおういん)」で、天台宗の古刹。 鎌倉時代に再建された本堂(国宝)は南北約120メートルの長大なお堂である。 中央に安置されている本尊千手観音坐像が1体と、左右に5百体の千体千手観音立像が並ぶ、合計1001体(全て国宝)の観音様が圧倒してくる。 さらに観音様の前には、二十八部衆像と風神・雷神像が配されている。 (堂内でのカメラ撮影は禁止、残念なり)、、、、、外は土砂降り。 この雨じゃ~、外に出られない。
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● 小雨になったので、三十三間堂の前にある京都国立博物館に向かう。 チケット売場の女性が『ただいま展示会の準備で、展示室は閉室しています。 庭園のみご覧いただけます。』の一言・・・・・・朝、ホテルで見たガイドブックには開館中となっていたが、展示品入れ替えの休館までは考慮されていなかった。 この雨の中、朝一で来ていたらどうなっていたことやら? 仁和寺、三十三間堂と観て廻ってきたのが正解だった!・・・・・・チケット売場の女性が、もう一言『70歳以上の方は、無料で庭園のみご覧いただけます。』 私と妻は雨の中でニッコリ。 チョイと入れてもらって、明治古都館旧帝国京都博物館本館、重文)の写真を撮ってきた。 明治古都館は、当時ヨーロッパ各地を訪問し、洋風建築を学んだ片山東熊の設計によるものです。 赤レンガの壁面が美しい建築物です。
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● 雨の京都は辛かった!
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2026年4月 9日 (木)

京都)醍醐の花見、残念!

昨年は満開の姫路城、今年は醍醐の花見に行こう!』と、夫婦で3月初旬に計画した。 3月末のホテル予約を済ませたが、中旬なると満開にはチョイと早いかもと思い、ホテルの予約を4月9日に変更してしまった。 これが大失敗、醍醐寺の桜は散りはじめていた。 満開の醍醐寺を想像しながら参拝する。 続いて、黄檗宗の大本山である近くの萬福寺にも参拝してきた。 夫婦二人旅です。



● 京都駅から醍醐寺行のバスで、12時に境内に到着。 目に入ってきたのは散りはじめた“桜”、『やっぱりチョイト遅かった!』 
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・・・・・・・・・・ まずは、総門の西側に一画を占める「三宝院」を拝観する。 三宝院は醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により、永久3年(1115) に創建された。 以来、醍醐寺座主の居住する本坊として醍醐寺の中核を担ってきた。、、、、、秀吉が自ら設計したという緑豊かな庭園が広がる。 桜は少ないが、京都らしさが漂う。
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・・・・・・・・・・ 醍醐寺は貞観16年(874、平安時代初期)、空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まる。 200万坪におよぶ広大な境内地に現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のものだが、金堂(国宝)は平安時代後期の建立(和歌山県満願寺の本堂を移築)、どっしりと落ちついた五重塔(国宝)は天暦6年(952)の建立で、府内最古の木造建築物。 また、国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵している。 真言宗醍醐派の総本山である。 豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られている。、、、、、今日、二人の“醍醐の花見”は“醍醐の葉桜見”となった、残念!
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● 醍醐駅から市営地下鉄、JRと乗り継ぎ黄檗駅(おうばくえき)で下車。 乗降する人も少なく、静かな駅である。 駅から住宅地を抜け、徒歩5分程で萬福寺総門前に出る。 駅から近い!、、、、、、萬福寺は私が学生であった頃、一度来たことがある。 その時の印象も残り今回再度拝観する機会となった。
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・・・・・・・・・・ 黄檗宗大本山「萬福寺」(山号は黄檗山)は寛文元年(1661)に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創。 その後幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改称し現在に至ります。 日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類される。 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた左右対称の伽藍配置である。 創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例が無く、代表的禅宗伽藍建築群として、天王殿・大雄宝殿・法堂3棟が国宝、他主要建物20棟・回廊・額などが国の重要文化財にそれぞれ指定されている。、、、、、隠元禅師が伝えた中国風精進料理「普茶」は、300数十年の伝統を受け継ぐ料理である。 萬福寺で頂くことができるのだが要予約、ぶらり立ち寄った私達はダメ!、、、、、境内には“桜”ではなく“松”が多く、京都の春夏秋冬を花で愛でる寺院とは趣を異なるものとしている。

・・・・・・・・・・ 総門を入ると、すぐに三門が見える。 三間三戸で、重層の楼門造り。 左右に裳階(もこし)、山廊があります。
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・・・・・・・・・・ 山門をくぐると、真っ直ぐに敷石が伸び、その先に萬福寺の玄関となる天王殿(国宝)が設けられている。 内部には、高さ110.3㎝の布袋様が祀られている。 布袋は弥勒菩薩の化身といわれてる。 
布袋は名を契此(けいし)といい、南宋の高僧で、定応大師と号した。
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・・・・・・・・・・ 天王殿を抜けると、その先に萬福寺の本堂にあたる大雄寶殿(だいおうほうでん、国宝)がある。 日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物として、大変重要かつ貴重な建物である。 本尊は釈迦牟尼佛。 両脇侍は迦葉、阿難の二尊者。両脇に十八羅漢像を安置。 正面入口は魔除けとされる桃の実の彫刻を施した「桃戸」、左右に円窓。 上層の額「大雄寶殿」は隠元書。
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・・・・・・・・・・ 大雄寶殿の奥には法堂(国宝)がある。 法堂は禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所。
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・・・・・・・・・・・ 三門の左側に開山堂(重文)がある。 白壁・卍の勾欄・白砂などが目前に広がる、特徴的な建物。
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・・・・・・・・・・ 叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器である魚鼓。 諸堂を結ぶ回廊。 境内で多く見られる印象的な松の木
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● 萬福寺を拝観した後は、京都駅前のホテルに向かう。 明日の天気が気になる二人・・・・・でも、寝つきは良く。 Good night!

2026年4月 6日 (月)

高野から梅島

日暮里舎人ライナーの高野駅から、東武伊勢崎線の梅島駅までの散歩です。 5千歩



● 日暮里舎人ライナーの高野駅(こうやえき)で下車し散歩を始める。 高野駅は平成20年(2008)3月30日に開業した。 ホームは島式1面2線構造で尾久橋通り中央の上空3階にある。、、、、、駅名の「高野」は現行の住居表示名としては存在しないが、江戸時代に登場した足立郡高野村が基であり、明治22年(1889)に江北村大字高野となり、昭和7年(1932)の足立区成立で高野町として存続したが、昭和51年(1976)の住居表示では消失した。 日暮里舎人ライナーの開業時には、すでに消失した地名であるが、駅名として再登場した「高野」である。
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・・・・・・・・・・ 高野駅からは東に向かい興野関原の町を抜けて梅島駅まで歩くことにした。 



● 高野駅から200m程離れた、裏道に「吉祥院阿弥陀堂」がある。 吉祥院は真言宗豊山派の寺院で、正応元年(1288)僧円真が開山しました。古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといい、盛時には多くの寺領と末寺33を有していたといわれてる。、、、、、吉祥院阿弥陀堂は、足立区扇にある阿弥陀堂で、吉祥院の境外仏堂である。 現在、吉祥院関係の境外仏堂は4カ所残っており、地蔵菩薩や阿弥陀如来が安置されています。 吉祥院の境外仏堂の中で一番立派なのが、この阿弥陀堂である。 この堂には、本尊として身の丈45㎝の阿弥陀像、また地蔵菩薩と弘法大師像と聖徳太子があります。
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興野・関原の町は、主要幹線道路以外は緊急車両が通り難い細く入り組んだ道路が町全体に広がっている。 私のようなよそ者は、地図を持って歩かないと道に迷いそうだ。、、、、、日差しの強い今日(東京は23.7℃)、裏通りにはコンビニがない、自販機もない、汗をかきながら歩く!
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● 興野2丁目の入り組んだ町中に、真言宗豊山派寺院「瑠璃山 善応寺」がある。 善応寺は、寛朝上人が開基となり貞治2年(1363)創建、明治11年(1878)清光寺を合寺した。また、明治の初めには興野の教育をになっていた公立興野学校がおかれていました。 現在の本堂は昭和40年(1965)に建立され、本尊聖観世音菩薩、両座に弘法大師・興教大師を安置している。、、、、、チョイと寄って、合掌! 境内の桜は散りはじめた!
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● 高野駅から歩き始めて約2時間、梅島駅に着いた。、、、、、老いたせいか、思ったほど歩数は少なく、チョイト万歩計を疑う?
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2026年4月 3日 (金)

権現堂桜堤

数日ぶりの散歩日和。 埼玉県幸手市にある権現堂桜堤に夫婦で行ってきた。



● 東武スカイツリーラインの押上駅から、南栗橋行に乗り約1時間、幸手駅に到着。、、、、、幸手は東武日光線の駅である。 昭和4年(1929)4月1日、東武日光線杉戸駅~新鹿沼駅間の開業と同時に開設された。 平成31年(2019)には、現在の橋上駅舎に変わった。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。
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・・・・・・・・・・ 関東地方での有数な桜の名所で、連日の雨も上がり、今日は電車から大勢の客が降り、私達夫婦も交え皆さんがゾロゾロと駅からはき出された!
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● 駅前から権現堂までのバスは、臨時便を含め1時間に1本。 これでは、大勢の花見客をさばききれず、タクシー乗り場も長蛇の列。 私達は駅から権現堂まで約50分の行程を歩くことにした。 日光街道の宿場町であった頃の面影も残る道。
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・・・・・・・・・・ 桜堤へ行く途中、「熊野神社」と記された神社があった。 境内の石碑に次のように書いてあった。 『熊野神社と権現堂という地名の由来  当社の創建は天正年間(1573〜92)と伝えられ、古くは熊野権現社と号した。…(略)…江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」権現堂村の項に「村内に熊野、若宮、白山の権現を合祀せし旧社あれば、この村名起これりと云う」とあり、村内の権現三社を合祀した古い神社から「権現堂村」という名になったことが記されている。』、、、、、つまり、権現村の地名の由来だ!
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権現堂堤は、埼玉県幸手市内国府間にある、県内有数の桜の名所。 そのことから、権現堂桜堤とも呼ばれる。 中川の堤防上約1 kmにわたって、約1000本の桜並木が続く。 桜はソメイヨシノで、4月上旬が見ごろであるが、近年は開花時期が早まっている。桜の開花と同時期に堤下に広がるアブラナ(菜の花)も咲くため、ピンクと黄色のコントラストが素晴らしい。、、、、、今日は大勢の人が花見に訪れている。
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● 桜を楽しんだ後は、超・超満員、乗車率500%、乗ったら身動きできず、試練のバスで幸手駅へ戻る。
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