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2026年5月

2026年5月27日 (水)

謎の風邪

先週の水曜日頃から喉がいがらっぽくなり、木曜日には鼻水がダラダラ、金曜日には鼻水と喉の痛みと咳が頻発、熱はない。 金曜日の午後、医者に駆け込み診てもらう。 今、流行している「謎の風邪」と呼ばれる症状とドンピシャ一致。 一週間分の薬を処方してもらい、ただいま家で療養中。 四六時中、ティシュを持って鼻水ぬぐい、咳はゴホンゴホン、これじゃ恥ずかしくて外出できない! 週明けの一昨日あたりから薬も効いて、鼻水、咳、喉の痛みいずれれも半減してきたが、まだ外出はできないね!・・・・・急な暑さや寒暖差で自律神経の乱れなどが起き、免疫力が落ちたため感染症にかかりやすくなったのではないかと医者は指摘する。 皆様、気を付けてね。
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2026年5月20日 (水)

四ツ木から新小岩へ

京成押上線の四ツ木駅からJR総武線の新小岩駅まで歩いてきた。


● 京成押上線の四ツ木駅は大正元年(1912)11月3日に開業した。 現在は荒川・綾瀬川岸に相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。、、、、、駅名は「四ツ木」、地名は「四つ木」。 四ツ木(四つ木)の由来は諸説あり、もっとも単純なのは大木が4本あったから“四ツ木”という。 次は、源頼朝がこの地を通った時の時刻が“四つ過ぎ”であったから。 誰のことだか解らんが“世継”と呼ばれていたという説など、いずれも真偽不明。
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● 駅を出て、寂れた渋江商店街をとおり東へ歩くと、渋江村の鎮守の「渋江白髭神社」(葛飾区東四つ木4)がある。 渋江白髭神社は、江戸時代には葛西の客人大権現と呼ばれ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々の崇敬を集めました。 創建年代は不詳ながら、旧別当寺の観正寺が延徳3年(1491)創建とあり、室町時代の創建と推定されます。、、、、、江戸期には「葛西の客人大権現〔まろうどだいごんげん〕」と称され、江戸市中の遊郭や水茶屋などからの参詣者で賑わった。 特に、六代将軍家宣公の御側室左京の局が当社の信仰によって七代家継公を授かってからいっそう万都の人気を呼び、江戸名所のひとつとして参詣人が絶えなかったといわれてる。 文化文政から天保に至る時代には最も隆盛を極め、遠近より参詣するもの雲集したとのことであり、境内の鳥居、灯篭、手水舎等にそのおもかげを遺している。 客人の神は、もと越の白山より比叡の山に飛び移ったので「まろうど」大明神と称し、のち大権現にまつられた。 日吉山王二十一社のひとつである客人社(日吉大社白山宮)との関係が想起されますが、同社を勧請した確かな記録は残っていないそうだ。 現在の境内には近郷各所に置かれたと思われる客人大権現への道標が集められている。、、、、、現在の拝殿は嘉永5年(1853)の造営、本殿および高欄は大正5年(1916)の再建である。 
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● 中川を見ながら平和橋を渡る。、、、、、 平和橋は、中川に架かり、都道308号(平和橋通り)の橋である。 右岸 (北詰)の葛飾区東立石および東四つ木、左岸 (南詰) の東新小岩および西新小岩を結んでいる 。 現在の橋は、昭和35年(1960)竣工の2代目である。形式:PC単純桁橋、全長:134.4 m、幅:15.0 m。、、、、、初代の橋は終戦間もない昭和22年(1947)6月に開通した、橋長144.2 m、幅員6 mの仮設木製であった。 この橋は関東大震災の後の帝都復興事業に対応する形で昭和2年(1927)の東京府の都市計画に盛り込まれていたが、橋の竣工は戦後とんった。
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・・・・・・・・・・平和橋から見る中川
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● 平和橋を渡り、天祖神社、上品寺に参り、新小岩駅に向かう。

・・・・・・・・・・ 天祖神社は鎌倉時代 源頼朝の家臣 葛西三郎が創建したと言われてる。 
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・・・・・・・・・・ ゑんま大王を祀る真義真言宗の上品寺 
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● JR総武線の新小岩駅に到着すると、ナント!  船橋駅で人身事故が発生し、総武緩行線、総武快速線共に遅れが発生。 ホームの上は電車を待つ人で超満員!、、、、、ホームの上で待つこと30分、満員電車に詰め込まれ帰宅。
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2026年5月17日 (日)

友遠方より来る

今日は「友 名古屋より来る また楽しからずや」と言いたくなる。 退職してから17年が経過し再会である。 名古屋在住の旧友が、連休後の休日を利用して会いにに来てくれた、感謝である。 久しぶりの再会は、互いの元気を確認し、年寄りの大好きな病気自慢、家族の中の居場所、かっての職場の上司を評価、音信不通の同僚の安否、高齢者が推奨する観光地、等々話題は尽きない。 語られることがなかった話題は、今後の大望、異性への思いなど、先の短い年寄りには不要の話。、、、、、、『今日は浅草の三社祭、案内するので見に行こう!』 

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・・・・・・・・・・ 友のお宿は鶯谷のラブホ街を背にするビジネスホテル(今宵一人で眠れるかな? )

2026年5月 2日 (土)

茶ノ木稲荷神社

数日後に迫った妻の白内障手術、妻本人は目の手術ということで不安な日々を過ごしている。 夫の私は、10年程前に白内障の手術を受け、2年前には後発白内障の手術も受けた経験者。 その経験者が妻に『怖がることはない』と言っても、妻の不安は解消せず。 今日は不安を和らげるため、市ヶ谷の市谷亀岡八幡宮(摂社の茶ノ木稲荷神社)へ夫婦で参ってきた。



・・・・・・・・・・ JR中央線市ヶ谷駅ホームに立つと、濠の向こう、ビルとビルの間にチョッピリ「市谷亀岡八幡宮」の屋根が見える。(写真赤丸の中)
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・・・・・・・・・・ ビルの間の参道に立つと、正面にチョイト長い石段が見える。 亀岡八幡宮はこの石段の上奥にある。 摂社の茶ノ木稲荷神社は石段の中程から左に入ると社殿がある。
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・・・・・・・・・・ まずは、「市ヶ谷亀岡八幡宮」に参る。 市谷亀岡八幡宮は太田道灌が文明11年(1479)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。 「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。 当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。 しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地(元々ここに茶ノ木稲荷があった)に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。 明治に入ると、神仏分離令により別当寺であった東円寺が廃寺となり、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。 その後、第二次世界大戦による戦火により神木なども含め焼失。 昭和37年(1962)に現在の社殿が再建される。、、、、、市谷亀岡八幡宮の祭神は誉田別命(応神天皇)、気長足姫尊、与登比売神。、、、、、本殿での祈祷は、メニューが豊富で、家内安全・商売繁盛・厄除け・交通安全・初宮詣・必勝祈願・家運隆昌・社運隆昌・身体健全・心願成就・病気平癒・合格祈願・厄除け・無病息災・方位除け・工事安全・旅行安全など、何でも御座れ!
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・・・・・・・・・・ 摂社の「茶ノ木稲荷神社」に参る。 こちらは、祭神は稲荷大神で、眼病平癒・技芸上達・商売繁盛に御利益を期待する。、、、、、市谷亀岡八幡宮の境内、石段左側に鎮座してる茶ノ木稲荷神社。 創建の詳しい年代は不明だが、今から約一千年余前(平安時代前期)に、弘法大師空海が創建したと伝えられている。 当社の鎮座地は、古来より稲荷山と呼ばれていたそうです。 昔この稲荷山には稲荷大神のお使いである白狐がいましたが、ある日誤って茶の木で目を突いてしまった。 それ以来崇敬者は茶を忌み、茶を絶って願掛けをする風習が生まれたそうだ。 特に眼病の人には、茶を絶って願うことでご利益があるとされ、眼病平癒に特別な信仰がある神社。、、、、、神社の脇には、眼病の回復を願う人の絵馬がたくさん掛けられてた。 我が妻と同様に、白内障の人が良くなってくれることを願っているのが、読み取れた。 自分同様に多くの人が訪れているんだと思うと、妻も一安心!
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・・・・・・・・・・ 市谷亀岡八幡宮には、私が探し歩いてる「几号水準点がある。 当神社の手水鉢台座に几号水準点があるので、チョイト見て行こう!、、、、、几号水準点のある場所は、度々来て知っているが、あらためて見ると何となく安心するものだ!
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・・・・・・・・・・ もう一つ、ここ市谷亀岡八幡宮に残されているものを紹介する。 境内の裏参道に、「陸軍省所轄」と書かれた標柱が残されている。 社殿の北側には戦前、陸軍士官学校があり、その境界となっていた場所である。 地図を広げてみれば、神社の地は現在の防衛省本省と隣接しており、この地は“軍”に関係しているのか(?)
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・・・・・・・・・・ 眼病平癒の願いをしたあとは、年寄り二人でブラブラ散歩。 防衛省をぐるり一周して帰る。

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