旅行・地域

2025年1月30日 (木)

雪景色で露天風呂

昨年の年末、掃除をしながら妻に一言『鬼怒川温泉あたりで、雪景色の露天風呂に入り、美味いものを食べ、一日のんびりしたいね!』 妻の即答『いいね!』 早速、行く日は雪の積もっていそうな真冬の1月下旬、曜日は空いてる平日できれば水・木曜日、行先は鬼怒川温泉、お宿は中国人・韓国人の少なそうな静かな和風の宿、等の条件でネット検索・予約する。 大晦日、浅草寺参りに行ったついでに浅草駅で特急スペーシアXのプレミアムシートを予約。 あとは行くだけ!、、、、一ヶ月後の昨日(29日)夫婦二人で一泊二日の温泉旅行へ出発。



● 鉄道大好きな私にとってスペーシアXには初めての乗車、小学生の遠足気分で、嬉しさいっぱい。 浅草駅から乗車。、、、、プレミアムシートは、2号車に備えられた2人用+1人用の座席でゆったり感がある。 しかし、発車すると車内放送で、1号車のカフェカウンターでコーヒー等を販売していることが告げられると、3・4・5・6号車の乗客がゾロゾロと車内を通り抜けて買いに来る。 私が座る2号車の通路は行き交う人で落ち着かず、ゆったり感はすっ飛んだ!、、、、9時に浅草を出て、11時に鬼怒川に到着する、お宿のチックインにはまだ早い。 妻と車中で相談し、東武ワールドスクウェアへ寄って行くことにした。
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東武ワールドスクウェア駅で下車する。 降りる乗客は少なく、チョイト寂しいね。 駅前に「東武ワールドスクウェア」がある。 雪は積もっていないが、小粒の雪がチラチラ舞い落ちてくる。 TVコマーシャルなどで知ってはいたが、来園したのは初めて。 寒い平日午後、チケット売り場に人がいない。 私たちの姿を見て飛んできた! 園内の来場者の姿は少ない、ガラガラだ! 欧米よりも中韓の観光客がチラホラ。、、、、東武ワールドスクウェアは、「世界の遺跡と建築文化を守ろう」をテーマに平成5年(1993)に開園した。 制作年数5年、総工費170億円をかけて世界の100点以上の有名建造物を25分の1の縮尺で再現した世界が広がる屋外テーマパーク。 園内は現代日本・アメリカ・エジプト・ヨーロッパ・アジア・日本の順に6つのゾーンに分けられている。 各ゾーンではエジプトの三大ピラミッド、パルテノン神殿、東大寺などの47の世界遺産登録物件の他、世界の有名建築物が展示されている。 精巧にできた屋外展示模型で、『雨が降ったら、風が吹いたら、どうするの?』と、要らぬ心配する夫婦。、、、、要らぬ心配もう一つ。 来園者の少なさに驚いて、利益が出るのかな?、、、、2時間ほど楽しめた『これで世界旅行は終わったね!』
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東武ワールドスクウェア駅から一駅隣の鬼怒川温泉駅まで電車に乗る。 駅で待つてると、観光列車「SL大樹ふたら(C11 325)」が通過、さらに鬼怒川温泉駅では転車台を使い方向転換を見る。 ラッキー!、、、、妻は駅前のバームクーヘン屋さん(人気の店らしい)へ急ぎ足! 『機関車よりもバームクーヘン』
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鬼怒川温泉のお宿にチェックイン。 宿は鬼怒川のほとりに建つ、木々に囲まれたシンプルな外観の中規模な温泉ホテル。 部屋には内湯と露天風呂が付いている。 もちろん共用の大浴場もある。、、、、部屋から見える景色は、粉雪は舞っているが、雪は積もっていない! 今回の旅の目的「雪景色を見ながら露天風呂に入る」は達成できず、残念無念!

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・・・・・・・・・・ 夕食は、房総の海の幸をメインに美味しく食す。 妻と二人の食事も、旅先で食べるとより美味い!
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・・・・・・・・・・ 二日目(30日)は、ゆっくりお目覚め、ゆっくり朝食、ゆっくりチェックアウト、、、、日光へ寄って帰ることにした。
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● 粉雪の舞う日光、数年ぶりに輪王寺、東照宮、二荒山神社と巡る。

・・・・・・・・・・ まずは、輪王寺三仏堂に参る、、、、妻がぜひ見たいと言う、世界遺産登録25周年記念の秘仏初開帳で「五大明王」を拝観。 秘仏は身長10㎝程の青い肌の五体の明王像であった。(秘仏で撮影禁止) 妻が想像していた大きさに比べ、あまりにも小さな仏像であったため、公開していた場所を通りすごし、再び三仏堂に戻り拝観する。 御利益あるかも?
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・・・・・・・・・・ つづいて東照宮に参る、、、、拝殿に上がり二礼二拍手一礼。 久しぶりに鳴龍を見る。2501301050260
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・・・・・・・・・・ 東照宮に沿って参道を歩き二荒山神社へ参る、、、、風が強く吹き、粉雪舞い、寒い!
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● 年寄りは「無理は禁物」 疲れを生じぬよう、帰りは特急「リバティ」で早めに帰京する。
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● いずれまた「雪景色を見ながらの露天風呂」に再挑戦したい!

2025年1月 3日 (金)

三が日は京都旅行(3)

京都旅行の三日目は、京都駅に近い東寺に参り、最後に孫が見たかった清水の舞台に行って、東京へ戻る。



● 東寺は京都駅に近く、宿泊したホテルから20分程、歩いて行く。、、、、「東寺(とうじ)」は、真言宗総本山で山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」とも呼ばれる。 教王護国寺は、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場として今に至る。、、、、東寺の見所は、京都駅前のビルの林立する中に、木造建築のシルエットを空に向けてそびえたつ。 高さ約55mの日本最高の五重塔(国宝)。 塔は、寛永21年(1644)に、徳川家光が再建奉納したもの。 さらに、講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、大師堂(国宝)など広い境内に多くの見所が点在する。
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・・・・・・・・・・ 東寺の五重塔は、京都のシンボルで、日本一の高さ55mを誇る。 天長3年(826)空海による創建に始まるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。 雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644)、徳川家光の寄進で建てられたもの。、、、、今正月の9日までは「新春特別拝観」として五重塔初層の内部を特別公開してる。 内部には四如来と八大菩薩が安置され、仏の顔を拝み、アリガタヤ~~!
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・・・・・・・・・・ 金堂は、東寺の中心堂宇で諸堂塔のうち最も早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823)までには完成していたと推定される。 当初の堂は文明18年(1486)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。 現存の建物(国宝)は慶長8年(1603)に豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建された。 内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩が安置されている。(内部の撮影はダメ!)
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・・・・・・・・・・ 金堂の背後(北側)に建っているのは、重要文化財の
講堂」。 東寺が空海に下賜された弘仁14年(823)にはまだ建立されておらず、天長2年(825)に空海により着工されて、承和6年(839)に完成した。 しかし、この創建当初の堂は文明18年(1486)の土一揆による火災で焼失するが、わずか5年後の延徳3年(1491)に現在の講堂が再建されている。、、、、金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした21体の密教尊を安置し、立体曼荼羅を構成する。 21体の仏像の内、16体が国宝、5体が重文。 スゲェ~~!
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・・・・・・・・・・ 国宝の御影堂(大師堂)は、かつて空海が住房としていた境内西北部の「西院」と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂である。 前堂、後堂、中門の3部分からなる複合仏堂で、全体を檜皮葺きとする。 当初の堂は康暦元年(1379)の火災による焼失後、その翌年に後堂部分が再建された。 10年後の明徳元年(1390)、弘法大師像を安置するために北側に前堂、その西側に中門が増築され、現在の姿となった。 堂内には、不動明王坐像(国宝、9世紀)、弘法大師坐像(国宝)が安置されている。
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● 東寺を拝観した後、旅の最後は清水寺へタクシーで向かうが道路は渋滞、超満員のバスがノロノロ運転、観光客がゾロゾロ横断。 まさにオーバーツーリズムを体験する。、、、、バス通りから寺に向かう坂道は、肺活量の少ない私にはチョイト辛い! ハアハア・ゼイゼイ・マイッタね! 茶屋でひと休み!
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・・・・・・・・・・ やってきました清水寺へ。 清水寺は、北法相宗の本山。 宝亀9年(778)延鎮上人が開山、延暦17年(798)坂上田村麻呂の創建と伝える。 音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。 現在の主な堂塔は、寛永10年(1633)徳川家光の再建。 ‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。、、、、舞台の上は満員状態、チョイト斜めに水勾配のある床が壊れるかも? 高所恐怖症の私は、足がすくむ。
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● 楽しい旅もここまで、15時6分発の新幹線に乗車し帰京する。

2025年1月 2日 (木)

三が日は京都旅行(2)

一月二日、今回の旅行の最大の目的地である京都鉄道博物館へ行く。、、、、旅行のきっかけとなったのは、鉄道オタクの孫が京都鉄道博物館に行きたいといったことから始まった。 私の娘(孫の母)も“鉄オタ”、そして私も“鉄オタ”、三人揃えば話は早い! 『正月に行こう!』 入場券の前売り、運転シュミレーターの予約、全て娘が手配済み。、、、、時間が余ったら、近くの京都水族館へ行くことにした。



● 京都駅前のホテルから徒歩30分程で、かつての梅小路機関区の跡地に、平成26年(2014)にオープンした「京都鉄道博物館」に到着。 開館30分前というのに、入口前は既に行列ができている。 子連れ、若者が多い、後期高齢者はまだ並んでいないね!(チョイト恥ずかしい)
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・・・・・・・・・・ 京都鉄道博物館はJR西日本が運営する博物館で、0系新幹線電車の第1号車や、時速300kmでの営業運転を実現しギネスブックにも掲載された500系新幹線電車、戦後の特急列車を牽引した国鉄最大級のC62形蒸気機関車など、歴史的な価値を持つ車両を含め、54両の車両を収蔵・展示してる。 JR東日本が運営する、さいたま市大宮の「鉄道博物館」に同規模程である。 勝るとも劣らない!、、、、まずは屋内展示場を見て回る
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・・・・・・・・・・ 円形の転車台、扇形の蒸気機関車庫(梅小路運転区)に並ぶ日の丸を掲げた蒸気機関車群は圧巻で、子供も老人も、男も女も、イケメンも美人も、皆が感嘆する。 来て見てビックリ、嬉しい施設だ! 
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・・・・・・・・・・ 本物の蒸気機関車が牽引する客車に乗車することもできる、体験展示「SLスチーム号」に乗ってきた! 往復1kmを走る間、蒸気機関車の旅気分を満喫。
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・・・・・・・・・・ 明治37年(1904)に建設され、現役時代は日本最古級の木造駅舎といわれていた「旧二条駅舎」。 平成8年(1996)に京都市指定有形文化財に指定された、現在は京都鉄道博物館の出口を兼ねたミュージアムショップとなっている。、、、、たっぷり楽しませてもらい、3時間の見学となった。
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● 昼食を済ませ、京都鉄道博物館と同じ梅小路機関区跡地に造られた「京都水族館」を見る。、、、、平成24年(2012)に開業した内陸型水族館であり、日本初の完全な人工海水利用型水族館である。 オリックス不動産が公園の一部と隣接地を京都市から借用し経営している。 総合管理業務は大京グループ内ビル管理事業会社のオリックス・ファシリティーズ株式会社が、運営業務はオリックス水族館株式会社が行う。 地元を流れる鴨川に生息する国の特別天然記念物・オオサンショウウオを始め、ゴマフアザラシやケープペンギンなどを含む動物約250種・総数約1万5000匹を展示している。 水槽総容量は約3,000 t。 全水量中の約90%に及ぶ必要海水量は、設計と建設を手掛ける大成建設の高性能濾過システムによって生み出される人工海水で全て賄っている。 建築物は地上3階建て・塔屋1階建て、建築面積5,948.25m2、延べ床面積10,974.29m2、最大収容人数5,000人。 建築費は約60億円。、、、、こちらも、子連れ、カップル、インバウンド客が大半、ここも後期高齢者はチョイト恥ずかしいかも? でも、ここも時を忘れて楽しませてくれて、退館したのは4時半過ぎ。
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● 楽しんだ後は、美味しい夕食とホテルに戻り熟睡だ!

2025年1月 1日 (水)

三が日は京都旅行(1)

今年の三が日は長女の家族と京都旅行に行ってきた。 一月一日、朝東京を出て、伏見稲荷大社、東福寺に初詣。 二日は京都鉄道博物館、京都水族館の見学。 三日は東寺に清水寺を巡る、二泊三日の旅行。 



● 10時半、満員の新幹線にゆられ京都駅に到着。 新幹線改札を出ると目の前には奈良線のホーム、電車が発車直前、人の流れに流され乗車、京都駅から二駅目:JR西日本の稲荷駅で下車。 駅前には伏見稲荷大社の鳥居が見える。
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● 京都の初詣ベスト2にランクする「伏見稲荷大社」、初詣客でスゴイ! 私の住む東京の浅草寺と混みようは変わらず、例年初詣客の人出は250万人らしい。、、、、朱塗りの楼門は、天正17年(1589)に豊臣秀吉が寄進したと伝えられている。 重要文化財の本殿は明応8年(1499)に再興された檜皮葺きの社殿。 どちらも、人混みの中、全体像を撮影できず、ただただ人の頭を見ながら社殿に向かう。
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・・・・・・・・・・ 拝殿で手を合わせ、後背にある稲荷山の千本鳥居を歩く。 我が孫は、朱塗りの鳥居が続く情景に期待を膨らませ京都に来たようだ。 インスタ映えする鳥居の景色は期待を裏切らなかった。、、、、山頂まで続く鳥居の参道には、年末のこむら返りの痛みが残る私の足が悲鳴をあげ、中腹の「
熊鷹社」で引き返すことにした。
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● 伏見稲荷大社を後にして、山裾の住宅地を歩き抜けると、東福寺の山門が見えた。、、、、東福寺は臨済宗東福寺派の本山。 摂政九條道家が聖一国師を開山として菩提寺建立を発願、嘉禎2年(1236、鎌倉時代)より19年の歳月をかけて建長7年(1255)に七堂伽藍を完成した。 京都五山の一つ。 壮観を極めた伽藍であるが、度重なる兵火と明治14年(1881)の失火で仏殿、法堂、庫裏などを焼失、以後、逐次再建された。 禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が残る。 境内の通天橋は紅葉の名所。、、、、伏見大社に比べると極めて少ない参拝客(まばらな人影)に、我が家の一行はホットする。
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・・・・・・・・・・ まず目に入ったのは、禅宗寺院としては最古最大最優の国宝である「三門」。 室町時代の国宝建造物。 和様、大仏様(天竺様)の建築様式を取り入れてる。 棟高は22m余の三門、楼上からは洛南一帯を一望できる。 一目見て、スゲ~~!
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・・・・・・・・・・ 東福寺の法堂(本堂)は、明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年から再建工事にかかり、昭和9年(1934)に完成した。 高さ25.5m、間口41.4mの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。 国宝に指定されている。 堂内には、本尊の釈迦如来像(鎌倉時代の作)が座している。
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・・・・・・・・・・ 秋の紅葉の名所「通天橋」も、葉が落ちた冬は訪れる人も少ない。、、、、仏殿から常楽庵に至る渓谷に架けられた橋廊で、天授6年(1380)に架けたと伝えられる。 昭和34年(1959)台風で崩壊したが2年後再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリート造となった。(秋の通天橋の写真は、14年前に撮影)
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・・・・・・・・・・ 方丈は明治23年(1890)に再建された。、、、、本坊庭園「八相の庭」は近代の造園家、重森三玲によって昭和14年(1939)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。 釈迦成道を表現した枯山水庭園。
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● 夕刻、京都駅前の「都ホテル」にチェックイン。 正月気分で夕食となる。
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2024年11月21日 (木)

老いの修学旅行 2

老いの修学旅行二日目は、法隆寺、平等院へ行くことにした。


● 昨夜はJR奈良駅西口前のホテルに泊まってた。、、、、JR奈良駅は関西本線、奈良線、桜井線、片町線の4路線が乗り入れる、島式ホーム3面5線の高架駅。 現在の駅舎は3代目で、平成22年(2010)に完成した3階建ての駅舎。 虹の七色のグラデーションを施したモダンな駅舎。
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法隆寺行きのバス停は東口にある。、、、、奈良駅の東口には、平成15年(2003)まで使われていた2代目駅舎が、現在の駅舎前に曳家され、奈良市総合観光案内所として保存活用されている。 この旧(2代目)駅舎は昭和9年(1934)に完成したもので、周囲の景観に配慮して方形屋根に相輪を持つ和洋折衷様式が採用されている。 大阪鉄道局建築課が京都帝室美術館懸賞設計に応募し落選した設計案を再利用したものだったそうだ。 平成23年(2011)に土木学会選奨土木遺産となっている。、、、、私は50数年前にこの駅に降り立ったことを覚えてる、懐かしいね!
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● 奈良駅前からバスに揺られて50分、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺前バス停に到着。 人影の少ない参道を歩く。、、、、南大門をくぐり境内に足を踏み入れると、いつの間にか大勢の参拝客がいることに気づく。、、、、法隆寺は聖徳宗の総本山の寺院。 山号は無い。 本尊は釈迦如来。 創建当時は斑鳩寺(鵤寺 = いかるがでら)と称し、後に法隆寺となった。 法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える寺であり、聖徳太子ゆかりの寺でもある。、、、、法隆寺は世界最古の木造建築を有し、五重塔、金堂、夢殿など知る人も多いはず。 法隆寺が所有する宝物類は国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、約2500点もあるそうだ、スゴイ!
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・・・・・・・・・・ 拝観料払って西院伽藍に入ると、わが国最古の五重塔、釈迦三尊像を祀る金堂、薬師三尊像を祀る大講堂が目の前に現れる。 見るもの全て“国宝・重文”、触って壊したら一大事! 
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・・・・・・・・・・ 法隆寺で修学旅行生に遭遇、バスガイドさんが旗を持って先導してきた。 よく見ると、黄色い通学用の帽子をかぶった小学生だ、全員手作りと思われる「修学旅行」(日帰りか?)と表示した資料を持ってる。 滋賀県の小学校の生徒らしい。 バス数台分の生徒だ、200人ぐらいかな? 金堂前では記念撮影もしてる。
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・・・・・・・・・・ 修学旅行の小学生御一行様の列は法隆寺東院の夢殿まで続く。 一般の拝観者は、小学生の列に混ざり遠慮がちに拝観してる。『チョイト中を見せてね!』
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・・・・・・・・・・ 主要な建物・宝物を見たあと、小学生の列とも別れ、静かに境内から去る。、、、、『柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺』、、、、法隆寺の最後は“柿の葉ずし”で〆る
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● 老いの修学旅行、最後はチョイト京都に入って、平安の極楽浄土:宇治「平等院」に寄って見た。

・・・・・・・・・・ JR宇治駅は、明治29年(1896)1月25日に奈良鉄道の桃山駅~玉水駅間延伸時に開業した。 明治38年(1905)、奈良鉄道は合併により関西鉄道となる。 1907年(明治40年(1907)には、関西鉄道の国有化により官営鉄道の駅となる。 平成12年(2000)のホーム改良により、島式ホーム2面4線の橋上駅となる。、、、、駅舎の外観は平等院鳳凰堂をモチーフとしていると言われているが、私はそれを聞くまで気づかなかった。(感性が鈍いのか?)
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・・・・・・・・・・ 駅から平等院への参道は、外人が多く浅草の仲見世通りを歩いているようだ!
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・・・・・・・・・・ 平等院山門の拝観受付はもの凄い行列!、、、、単純な我が夫婦はJR東海のCMに魅せられ、真赤に色付いた紅葉の平等院を静かに鑑賞できることを期待したが、期待はチョイト裏切られたようだ。
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・・・・・・・・・・ 平等院の宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属しておらず、塔頭である本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している。 本尊は阿弥陀如来。、、、、ここでJR東海のCMの文書を引用すると、『京の都ができるより遥か早く拓けた宇治。宇治川を中心とした美しい景観に恵まれ、やがて多くの平安貴族の別荘地へ。平等院も元は藤原道長の別荘でした。やがて自然災害、内乱、疫病などで社会に不安の兆しが現れます。ついに道長没後25年目の一〇五二年、末法初年に長男頼通が寺への改修に踏み切り、名前も平等院へ。高さ3m近い阿弥陀如来坐像や周りの「雲中供養菩薩像」を揃えた彼の願いは、極楽の様子をこの世に具現化して、人心の不安を救うことだったのでしょうか。』
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● 東大寺・春日大社・興福寺・法隆寺・平等院と、修学旅行の定番コースを巡ってきたが、私たちの知る“50年前の修学旅行”は姿を消した。 今の中学生・高校生の修学旅行はどんな内容で実施されているのか知りたいね!(帰りの新幹線車中で夫婦の話題)、、、、楽しかった、京都・奈良の修学旅行を思い出す

2024年11月20日 (水)

老いの修学旅行 1

私も妻も70歳代、共に中学の修学旅行は京都・奈良だった。 それから50数年程経過したが、“奈良”には行く機会も少なかった。 “奈良”と言えば、詳しいことは何も知らないが、“古都奈良”から連想される“大仏”、“鹿”は知ってるつもり。 知ってるようで知らないのが“奈良”である。、、、、20日、21日の二日間、老いの修学旅行として、中学生の頃を思い出しながら、奈良を代表する寺社を巡ってきた。




● まず二人で向かうのは、奈良の代表格である「東大寺」へ

・・・・・・・・・・ 奈良公園に入り、まず驚いたのは、修学旅行の生徒がいない! 見渡す限り周囲は、“外人”と“鹿”ばかりだ! 私も妻も、記憶にあるのは旗を持ったバスガイドさんに引率されて歩く修学旅行の生徒の姿。 当時の面影は何処に? それにしても、インバウンド客の多いことにもビックリだ!、、、、よく見ると少数の修学旅行生(グループ)の姿が見えた、それにしても少なすぎるね。 今時の修学旅行も変わったようだ! 
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・・・・・・・・・・ 鹿に“せんべい”を与え、なくなれば鹿に追われ、鹿の糞を避けてよろめき、鹿に遊ばれイザ大仏へ
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・・・・・・・・・・ やってきました「大仏殿」(現在の大仏殿は江戸時代の宝永6年(1709)に再建されたもの )、、、、大仏殿前にも学生服を着た修学旅行御一行様の姿は見えず、時代の変化を再び感じる、、、、大仏様とは、かれこれ60年ぶりの御対面、、、、外人さんにカメラを渡し『撮ってチョウダイ、ツーショット』
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・・・・・・・・・・ 大仏殿から「二月堂」へ、、、、二月堂は、旧暦2月に「お水取りが行われることからこの名がある。 堂は、寛文7年(1667)、お水取りの最中に失火で焼失し、2年後に再建されたのが現在の建物である。、、、、若草山を背にして、丘の上に建つ二月堂の舞台から奈良の街が一望できる
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・・・・・・・・・・ 二月堂の隣りに「三月堂」、三月堂の前に「四月堂」、五月堂は“どこにも
無いどー”、、、、三月堂は、華厳経を講じ法華堂と言われてる。 旧暦3月に法華会が行われることから三月堂と呼ばれてきた。 不空羂索観音立像はじめとする、奈良時代の仏像が安置されている仏堂。 740年代頃の建立。、、、四月堂は、三昧堂とも言い法華三昧会が旧暦4月に行われることからこの名がある。 延宝9年(1681)建立、二重寄棟造の小さな堂である。
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・・・・・・・・・・ 二・三・四月堂から春日大社へ向かう地続きに、「手向山八幡宮」がある。 かつての東大寺の鎮守社で、明治4年(1871)の神仏分離の際に東大寺から独立した。、、、、校倉造の宝庫などもあり、さすがは歴史ある東大寺の鎮守社だ!
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● 東大寺から若草山の裾を歩いて春日大社へ向かう、、、、色付いた紅葉の下、鹿と遊ぶのは隣の国(?)の女の子。
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● 「春日大社」は、全国に約1千社ある春日神社の総本社。 奈良時代の神護景雲2年(768)に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀る。 主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。

・・・・・・・・・・ ここ春日大社の参道で行き交う人は“皆”外人と思えるほど、インバウンド客が多い。、、、、ここにも、修学旅行の学生は見当たらず。 どうしたのか考えて、私の出した答えは『インバウンドの外人が多く、京都・奈良の宿は宿泊料が高騰し、修学旅行で泊まれる宿が無くなった!』 それと『京都・奈良は外人人気が高まり、交通も人も渋滞は激しく、修学旅行のスケジュール調整が難しくなった!』 きっとこんな理由で、修学旅行の学生が消えてしまったのかも?
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・・・・・・・・・・ 境内の建物、全てが国宝・重要文化財と言っても過言ではないような朱塗りの荘厳な社である。、、、、巫女さんまで国宝に見える!
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● 今日の最後は「興福寺」に参拝。、、、、興福寺は、法相宗の大本山の寺院。山号はない。本尊は中金堂の釈迦如来。 藤原鎌足夫人(鏡王女)が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669)に山背国山階(現:京都市山科区)で創建した山階寺が興福寺の起源である。 壬申の乱のあった天武天皇元年(672)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺と称した。 和銅3年(710)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。 この和銅3年が実質的な興福寺の創建年。

・・・・・・・・・・ 興福寺と言えば、猿沢池に映る五重塔(高さ50.1m)を期待して来たが、ナントナント只今修理中で足場に覆われ姿は見えず、ガッカリ! 鎌倉時代前期に建てられた高さ19mの三重塔(国宝)を見て自分で自分を慰める。
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・・・・・・・・・・ 興福寺の中心的な建物は「中金堂」と呼ばれる建物で、創建1,300年となる平成22年(2010)に再建工事に着工し、平成30年(2018)に落慶した。
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・・・・・・・・・・興福寺の仏像と言えば「阿修羅」に代表される多くの国宝・重要文化財がある。 その多くの仏像は興福寺国宝館に収納され公開されていた。、、、、もちろん有料(拝観料は700円)、撮影はダメ、多くの仏像を見ても、かろうじて覚えているのは「阿修羅」と「仏頭」ぐらい。 年とると記憶力も衰えるね!
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・・・・・・・・・・ 弘仁4年(813)に創建された華やかな八角形の「南円堂」を回って興福寺を後にする。
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● 今宵の宿は、クリスマスツリーも飾られた「ホテル日航奈良」、、、、美味しい和食、夫婦で満足し『
Good Night!』
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2024年10月29日 (火)

秋の北上線 2

北上線の旅、二日目、今日は湯川温泉(岩手県西和賀町湯川)から、和賀川沿い(北上線も平行して走る)に下り北上駅へ戻ることにした。 しかし、北上線は運行本数が少なくダム見学してると今日中に帰ることができなくなるため、今日も“男の決断”で北上駅までタクシーを利用することにした。 午後は北上駅に近い「みちのく民俗村」へ行ってきた。



● 宿から迎えのタクシーに乗り、まずは「ほっとゆだ駅」の近く「湯田貯砂ダム」へ行く。、、、、湯田ダムの堆砂は、昭和40年(1965)のダム完成から40年近く経過して、ほぼ計画通りに推移してきたが。 上流部の山地崩壊が進行していることから、湯田ダムの上流側に湯田貯砂ダムを建設し、流入土砂を貯め込んで堆砂を防ぐことを最大の目的とし平成14年(2002)に完成した。(貯砂ダムは砂防堰堤と同様の役割を果たす)、、、、この貯砂ダムは内部に通廊が設けられ、通り抜け可能。 夏から秋にかけて水のカーテン越しに湖面が見える。 錦秋湖(ダム湖)の中程に位置し、水のカーテンは「錦秋湖大滝」と命名されているそうだ。 滝の裏側を歩いてきた、裏見の滝だ、感動! なお、錦秋湖の水位が高くなると通廊は水没し、さらに湯田ダムの常時満水位では貯砂ダム自体が水没するらしい。
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● 毎年秋の紅葉シーズンには一面真赤に染まった山々と錦秋湖の風景を眺めることができるそうだが、私達夫婦もその景色を期待して来たのだが、今年の暑さで紅葉は彩付かず、枯葉となって落ちてしまうそうだ。 さらに、今年は湯田ダム完成60周年で、錦秋湖の水位を下げて各種の補修工事が行われているとのこと。 観光案内所の案内嬢いわく『運がいい時(?)来ましたね。 今は10年に一度の水位を下げている時で、普段見られない水没した旧北上線の線路跡などが見られますよ。 ぜひよく見て行ってください』

・・・・・・・・・・ 茶色く焼けた樹々と水位の下がった錦秋湖
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・・・・・・・・・・ 湯田ダムの取水塔も足元まで丸見え
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・・・・・・・・・・ 水位が下がり横黒線(北上線の前身)のトンネルの遺構(トンネルの窓が横に連なっている)が見える(現在の北上線は後ろの山を走る)
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● 複雑な形をしたユニークな堤体面の湯田ダムは、国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで、「北上川五大ダム」(田瀬、石淵、湯田、四十四田、御所の各ダム)の第三番手として計画・建設された。 堤高89.5m、堤頂長265m、型式は全国に12基しか存在しない重力式アーチダムで、東北地方では唯一の存在。 水没住民との補償交渉が難航した初期事例としても知られている。 本体は鹿島建設の施工により、昭和28年(1953)に着手し、昭和39年(1964)に竣工した。(今年は60周年にあたる、おめでとう!)
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● 北上駅にてタクシーから降り、『帰りの新幹線は夕方だ! チョイト、北上市内を歩こうか?』 駅の観光案内所にて、昼食処と、ぶらつき先を教えてもらう。、、、、北上駅の東側に北上川が流れ、その対岸付近に「みちのく民俗村」という施設がある。(入村料は無料、うれしいね!) 谷間と丘陵地からなる約7万平方メートルの村内には、北上川流域の古民家10棟(江戸時代以降の民家)と古代の復元住居、さらに民俗資料館として公開されている「黒沢尻実科高等女学校旧校舎」(国登録有形文化財)などの建造が点在する。、、、、駅から直線距離は近いのだが、北上川が邪魔をして遠回りして川を渡ってこなければならず、さらにバスなどの交通機関もないので、チョイトどころではなく滅茶苦茶不便な所にある。 平日のだからか(?)来村者は少なく、広い園内に人の姿は探さないと見つからない!
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旧菅野家は、江戸時代、南部領と境を接する伊達領側の村(下口内村)にあった上層農家。 伊達領の住宅規定が書かれた「御郡方式目」(享保4年・1719)との照合から、大肝入(村長のなかでもさらに上役の村長)のものと考えられている。 国指定重要文化財
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・・・・・・・・・・仙台藩にとって戦略的に重要な場所は「要害」と呼ばれ、譜代の重臣を配置し、仙台の縮刷版のような城下を形成していた。 口内要害も同様で、伊達一族の格式をもつ中嶋氏が、浮牛城と呼ばれる城の城主となり、城下を形成していた。 旧大泉家の主・大泉氏は、城主・中嶋氏の家老職を代々歴任した家柄。 旧大泉家は城下の要となる大手門の前にありました。正式な玄関となる式台、控えの間となる下座敷、書院造りの上座敷など、武家住宅ならではの特徴が見られる。
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・・・・・・・・・・ 旧菅原家は、奥羽山脈の山懐にあり、雪が大変多い湯田地方(現西和賀町)の農家。 旧菅原家の馬屋は家の中にある。 旧南部領の特徴は、このような内馬屋と呼ぶ形式の民家が多いことだ。 特に「南部曲り家」は有名であるが、旧菅原家は曲り家ではなく、直ご家と呼ばれる形状の民家である。 屋根に勾配をつけて雪を落ちやすくさせたり、軒に「船枻造り」という工法を用いて、雪の重みに対する耐久力をつけるなど、豪雪地帯ならではの工夫が見られる。
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・・・・・・・・・・旧星川家があった紫波郡は、盛岡から10kmほど南に位置し、旧南部領の中でも、特に曲り家が多い地域である。 旧星川家は、幕末の建築と推定されており、主に明治以降のくらしを伝える民家。 台所から馬屋の様子がよく見えるつくりになっています。 南部曲り家の特徴は馬の飼育に便利なことといわれてる。
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・・・・・・・・・・旧黒沢尻高等女学校の校舎を移築して、中に農作業道具、手仕事、生活用品、信仰関係などの民俗資料が展示されている。 現在の岩手県立北上翔南高等学校(県立黒沢尻南高等学校)は、県立黒沢尻高等女学校を引き継いだもの。 その前身である黒沢尻実科女学校は、大正8年創立でこの地域の女子教育を担っていた。 校舎は昭和2年(1927)に建てられた木造2階建て。 国登録有形文化財。
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● 市内ブラブラの最後は、北上市役所とJR北上駅の狭間にある諏訪神社にお立ち寄り。 今回の夫婦旅行が無事に終わることを祈り、最後の神頼み。、、、、大同2年(807)、桓武天皇の勅命で坂上田村麻呂将軍が東夷征定の時、当地方の開発と産業の発展を祈願し、信濃の諏訪大社から勧請されたのが創建とされ、その後時代とともに五柱の神が合祀された。 その後、慈覚大師(円仁)が諸堂を建立し、冷泉天皇の勅命で源頼義が安倍頼時を征定する際に祈願をし、報賽によって社殿を修築した。 諏訪神社は元来、元宮の地(市内幸町)に鎮座していたが、八代盛岡藩主・南部利視の崇敬が篤く、享保19年(1734)に現在地に社領を賜った。
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● 北上駅から「はやぶさ110号」で無事帰京
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2024年10月28日 (月)

秋の北上線 1

28・29日の二日間、夫婦で紅葉を見に、北上線に乗ってきた! 東北新幹線で北上駅へ、北上駅から北上線で車窓の景色を楽しみながら横手駅まで行き。 横手城をチョイト見学。 その日の宿は、ほっとゆだ駅の近く湯川温泉に泊まる。 二日目は、北上線沿線の貯砂ダム、湯田ダムを見て北上市に戻る。 午後は北上市のみちのく民俗村を見学し、その後帰京した。



北上線は、北上駅(岩手県)と横手駅(秋田県)を結ぶ、路線距離 61.1 km、全線単線非電化のローカル線である。 起点の北上駅から、終点の横手駅まで全15駅をキハ100系気動車により、所要1時間20分程でワンマン運転が行われてる。 乗客は1両編成の車内にチョウド全員が着席できる程度である。、、、、北上駅を出ると北上川の支流:和賀川沿いに上り、途中ダム湖の錦秋湖などが車窓に見える。 今年は夏の暑さで紅葉の彩付きは悪いそうだ。 また錦秋湖の水位は低く、こちらも湖底が見えるほど。 絵葉書のような湖に映る紅葉は、チョイト無理だった! 県境を越え秋田県に入ると農村の景色に変わり、しばらくすると終点の横手になる。

・・・・・・・・・・ 北上駅の0番線ホームから、9時55分横手行きの1両編成の100系気動車が発車する。 この列車に乗り遅れると次は約4時間後の昼過ぎの列車まで待たなければならない。(北上線は一日に7本程の運転だ)、、、、北上線は、西横黒軽便線・東横黒軽便線として開業し、大正13年(1924)11月15日の全線開業の際に横黒線(おうこくせん、昭和41年北上線に改称)となった。 今年は開通100周年である。 それを記念して、北上、ほっとゆだ、横手の3駅で記念の鉄道カード(鉄道マニアには御宝カード)がもらえる。 私は、北上、ほっとゆだの2駅で入手できた、うれしい!
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・・・・・・・・・・ 北上駅から9駅目、ほっとゆだ駅は大正11年(1922)に鉄道省(国鉄)の西横黒線陸中川尻駅として開業した。 現在の駅舎は平成元年(1989)に建設された木造2階建てのもので、駅舎内に温泉施設のある珍しい駅。 総工費は1億2千万円。 2年後の平成3年(1991)には駅名を「ほっとゆだ」に改称した。、、、、北上駅で乗車した乗客のほとんどは途中駅で下車することもなかったが、この駅では10数人が下車した。 残りの乗客は私達を含めて、終点の横手まで乗車。
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・・・・・・・・・・ ほっとゆだ駅を過ぎると、北上線は県境を越えて秋田県に入る
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・・・・・・・・・・ 終点の横手駅へ到着。 横手駅は奥羽本線と北上線が乗り入れている。 明治38年(1905)6月15日に国有鉄道の駅として開業。 大正9年(1920)10月10日には西横黒軽便線(後の北上線)が開業。 単式ホーム2面2線と島式ホーム1面2線、合計3面4線のホームを持つ地上駅で、平成23年(2011)からは新築された橋上駅舎となっている。
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● “横手名物”と言えば、冬の“かまくら”、桜の“横手城”、昼食には“横手やきそば”。 思い出すのこのぐらい。、、、、せっかく横手に来たのだから、横手城を見に行こう!、、、、横手城は、その昔朝倉城といい、戦国時代(1550年頃)、現在の秋田県南部に勢力を築いた小野寺氏によって造られたと言われてる。 横手城は朝倉山を包むように横手川が流れ、背後は山、また山と奥羽山脈につづく独立した一箇の要害に建てられた平山城である。 城の普請は、石畳を用いないで土居削崖とし、土くずれを防ぐ土止めと、敵が這い登ることができないように韮(にら)を植えた築城だったので、別名「韮城」とも言われてる。 慶応4年(1868)の戊辰戦争の際に横手城は落城し、二の丸跡には、昭和40年(1965)に三層の天守閣を模した展望台(通称:横手城)が建てられた。 天守4階からは横手盆地が一望できる!GOOD!
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・・・・・・・・・・ 横手城の登城口として現在まで残る高さ50m程のつづら折りの古道「七曲」はキツイ!
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・・・・・・・・・・ 城址公園のレストハウスでB級グルメの“横手やきそば”を食す。 一目見て、『アレ? ナポリタン!』2410281253220


● 城下に残る武家屋敷通りを歩く、、、、江戸時代、横手城から見て横手川の内側は内町と呼ばれる武家町で、羽黒町には中級武士が配置されていた。 しかしながら幕末の戊辰戦争で、庄内・仙台連合軍の攻撃を受けた横手城は炎上し、横手城下の内町は過半が焼失してしまった。 昭和60年(1985)代より地域の人達がまちなみ保全の活動を始め、平成の「街なみ環境整備事業」により街並みが整備され、黒塀や植栽などデザインを統一することで、かつての武家屋敷の趣きが一層感じられるまちなみが形成されている。
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● チョイト、モダンな建物を見て来た!
・・・・・・・・・・ 城下の高台に建つ旧日新館。 旧日新館は明治35年(1902)、旧制横手中学校(現:横手高校)の英語教師として赴任してきたアメリカ人チャールス・C・チャンプリ(喜劇俳優のチャップリンではない!)の住居として建てられたものだ。 建設:小坂亀松、大工:藤村初五郎の作。 建物は洋館にはきわめて珍しく、木肌も美しい素木造りの簡潔な住宅。 また、すぐれたデザインの玄関・バルコニーの柱頭飾り・窓の額縁・櫛(くし)型の庇(ひさし)など、明治期の洋風建築の特色をよく残している。
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・・・・・・・・・・ 町中に、横手の歴史とともに百有余年という老舗。 明治以来、平源旅館として数々の著名人が訪れ大切に受け継がれてきた本館と蔵は、国の登録有形文化財。(昭和天皇も宿泊した旅館) 蔵は明治初期、本館は大正時代の建築。本館正面は人造石塗り、薄いベージュのタイル張り、浮彫装飾などを施した大正ロマンを感じさせる外観で、内部は全てに天然秋田杉を用いた純和風という2つの趣を持っている。 現在は、ウェディングスペース「平源」となっている。、、、、もう一度、結婚式を挙げてみたくなる建物!
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● 今宵の宿は、ほっとゆだ駅から山の方に入る湯川温泉に予約済。、、、、ところが、只今の時刻は15時、宿には16時頃に到着すると伝えておいたが、横手発北上線の上り列車は17時半までナシ、これでは夕食に間に合わない。 妻と“男の決断”で、横手駅からタクシーで宿まで行くことにした。、、、、岩手県和賀郡西和賀町(旧湯田町)の土畑鉱山にはかつて3,000人以上の従業員とその家族が暮らしていた。 しかし昭和51年(1976)の閉山に伴い多くの従業員が鉱山を去り、過疎化が進んだ。 その土畑鉱山に古くから湧き出る良質な温泉を利用して温泉旅館が営業していた。 そのうちの一軒が、今宵御世話になる宿である。、、、、山の中腹に、廃墟化した土畑鉱山の跡が見えるが、3000人以上の人々が住んでいたとは思えない。 宿で、最盛期の鉱山住宅が並び建っている写真を見せてもらったら、本当の話であったと実感できた。 納得!、、、、温泉に入り、ゆったり まったり のんびりと 疲れを取って 明日も元気に頑張るぞ!
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2024年9月13日 (金)

高岡旅行 2

13日は雨晴温泉で御目覚め。 早朝の露天風呂で、“今日も頑張るぞ!”、、、、今日の目標は、瑞龍寺とともに“越中高岡三寺”を構成する、国泰寺と“伏木”の勝興寺への参拝。 さらに、北前船の寄港地“伏木”の貴重な建物を見学。 最後は高岡の千本格子の家並みである金屋町を歩いてみる。



● 高岡市と氷見市の境付近に位置する国泰寺は、雨晴温泉の近くではあるがバスなどの公共交通機関が無く、宿からタクシーで行くことにした。 山の静寂に包まれた国泰寺(こくたいじ)は、臨済宗国泰寺派の大本山である。、、、、国泰寺は、永仁2年(1296)に立てられた草庵に始まるとされる。 その後、種々の歴史があったが、明治の初め、全国に広がった廃仏毀釈の嵐は国泰寺にも広がり、寺は荒廃した。 窮状を直に見た山岡鉄舟は、再興を願い自らの揮毫で広く浄財を集め、寺を復興させた。、、、、三重塔、日本一の大きさを誇る石庭など見るべきものも多い。 しかし、今正月の地震による、伽藍の損傷、白壁の崩落や瓦の落下、墓石や灯籠の倒壊等、多大な被害に見舞われた。 方丈などの内部は修復工事中で、主な建物を外から見てきた。 チョイと残念だが、寺の再興を願うばかりなり! 
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● 高岡市を流れる小矢部川の河口に“伏木(ふしき)”の町がある。 その伏木の高台に浄土真宗本願寺派の寺院、雲龍山勝興寺(しょうこうじ)がある。、、、、勝興寺の起こりは文明3年(1471)の蓮如が越中砺波郡に創建した土山御坊に始まるが、現在の伏木に築かれたのは、天正13年(1584)である。 佐々成政が富山の役で敗退した後、一帯は前田利家が領し、1618年には前田利常により25石の寺領が加増されるなど、江戸時代にかけて加賀藩前田家の庇護を受けて境内が整備された。、、、、寺の敷地は土塁・空濠で囲まれており、越中の国府跡と言われてる。 境内は東を正面とし、総門、唐門を入った敷地南寄りに大規模な本堂が建ち、北寄りには大広間、書院、台所など寺僧の居住・接客用の建物群が軒を列ねる。 近世建立の堂舎群がまとまって残り、近世寺院の景観を残す点に価値が認められる。 建造物は、本堂と大広間・式台が国宝、唐門や経堂など十棟が重要文化財に指定されている。、、、、建造物の文化財が多く大きな建物だが、この猛暑では建物の中までサウナ状態、一通り見学すると汗びっしょり、国宝の良さを知るよりも、一風呂浴びた感じ! 今度来るときは雪の積もった冷蔵庫状態の時に来てみたい!
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● 勝興寺から300m程歩くと、高台に「高岡市伏木気象資料館」がある。 ここは、かつて越中国守大伴家持が住んでいた館のあったところらしい。、、、、明治10年(1887)、北前船の有力廻船問屋であった能登屋藤井能三氏が岩崎彌太郎と約束して設置した伏木港の灯台兼測候所が初代のもので伏木港のすぐ近くにあった。 その後2度移転し、明治末期に現在の地に移転した。 現存する建物は明治42年(1909)に建てられた洋風木造建築で、旧伏木測候所である。 鉄筋コンクリート造3階建ての建物は、昭和13年(1938)建築の測風塔。 2棟とも国の重要文化財。、、、、こちらも、正月の地震で被災し、内部の壁には亀裂が入っている。 修復予算が付き次第、修理したいそうだ!
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● こちらも高台にある「伏木北前船資料館」、江戸時代から廻船問屋を営んできた旧秋元家の邸宅である。 屋敷の部屋数は全部で16室。 江戸時代に建てられた土蔵には、屋根の上から港への船の出入りを見張る望楼が設けられている。、、、、狭い急な階段を上り望楼から伏木の町を眺めてきた!(小泉元首相も上ったそうだ!)
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高岡商工会議所伏木支所の建物は明治43年(1910)に建てられた。 土蔵造りの洋風建物。 こちらは正月の地震で大きく被災し、『要注意』の貼紙がある。 閉鎖されてる。 修復可能か?不可能か?
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● 伏木を歩いた後は市内中央に戻り、高岡の地場産業の基礎を築いた鋳物発祥の地「金屋町(かなやまち)」を歩いてきた。、、、、「高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区」として、平成24年に国から選定された。 400年の伝統が息づく金屋町は、昔の面影を“千本格子”で残している。 風情ある石畳に、千本格子の家が軒を連ね、いいね! 鋳物の町は、暑い熱い!
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● 古き伝統の残る町“高岡”の夫婦二人旅はここまで! 記念に仏壇の“おりん”を買ってきた。 チン~~~~~

2024年9月12日 (木)

高岡旅行 1

12日から1泊2日で、富山県高岡市へ夫婦で行ってきた。 二日間で、万葉線全線乗車と沿線観光、高岡市内三ヵ所の重要伝統的建造物群保存地区巡り、市内三ヵ所の大寺院参拝、雨晴温泉泊りを、猛暑の下で旅してきた。



● 7時20分東京発の北陸新幹線に乗車し、9時50分新高岡駅に到着。 二日間の夫婦旅の始まり。、、、、新高岡駅は在来線の高岡駅からは約1.6㎞南に街の中心からはずれた所にある。 駅の外は残暑の続きで、暑い、暑い! 汗が噴き出る!
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● 新高岡駅と高岡駅の中間あたりに、曹洞宗の仏教寺院、瑞龍寺(ずいりゅうじ)がある。 山号は高岡山(こうこうざん)。 本尊は釈迦如来。 瑞龍寺の開基は前田藩3代目当主前田利常。 高岡城を築城してこの地で亡くなった前田家2代目当主、前田利長を弔うために建立された。、、、、仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、平成9年(1997)に富山県初の国宝に指定されている。 昭和60年(1985)から、総工費約23億円を掛けて大規模な修理(昭和・平成の大修理)に着工し、平成8年(1996)までの約10年をかけて完了した。、、、、暑さが影響してるのか?観光客も少なく、整備された広くて大きな境内を、じっくり拝見し、感動!
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万葉線は高岡駅から終点の越ノ潟まで全線25駅(12.9㎞)を約45分程で運行する、万葉線株式会社(第三セクター)の高岡市内の路面電車である。 数人の乗客と共に高岡駅から乗車し、途中からは私達夫婦の貸し切り状態で終点越ノ潟まで完全乗車。 今回の旅の目的の一つである“万葉線全線乗車”を達成する。、、、、万葉線の開業は越中鉄道による、昭和5年(1930)10月12日、西越ノ潟駅(現存せず)~新湊東口駅(現:東新湊駅)間1.2 ㎞の開業に始まる。 その後、富山地方鉄道、加越能鉄道をへて現在の万葉線株式会社の所有となった。 路線も高岡駅まで延伸した。 車両は超低床構造の2車体連接車(アイトラ))で主に運行してる。 、、、、「万葉線」の名は、かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで、現在の万葉線(当時は高岡軌道線・新湊港線 と呼称)を加越能鉄道が経営していた時代の昭和55年(1980)に「万葉線」という愛称が付けられた。、、、、乗った気分は、東京の都電荒川線と宇都宮のLRTを足して2で割ったような印象だった。 満足!

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・・・・・・・・・・ 終点の越ノ潟駅は富山湾に面しその先は富山県営渡船発着場
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・・・・・・・・・・ 沿線の広場の一画に、昭和25年(1950)製造(日立製作所製)、平成24年(2012)までの62年間にわたり主力車両であった、「デ5022号車」が展示されてる。
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● 万葉線の終点、越ノ潟の近く、富山湾に面して架けられた「新湊大橋」がある。 新湊大橋は日本海側最大の斜張橋で、上層は車道、下層は歩行者通路の2層構造になっている。 主塔の高さ:127m、海面から橋桁までの高さ約47m、総工費は約494億円で平成24年に開通した。
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・・・・・・・・・・ 新湊大橋の近くには、商船学校の練習船として誕生した帆船海王丸が停泊してる。
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● 万葉線の吉久(よしひさ)駅の近くに、「高岡市吉久重要伝統的建造物保存地区」がある。 伝統的建造物(建築物)50件、伝統的建造物(工作物)4件、環境物件4件が指定対象である。、、、、県の案内によると、『江戸時代前期の加賀藩最大の年貢米等を収めた米蔵(御蔵)設置に伴い成立し、農業を営みつつ、御蔵の業務を兼業する住民により発展した在郷町。 御蔵が廃止された明治以降、伏木で米穀商や倉庫業に進出した有力町民が現在の町並みを整備した。 吉久御蔵を中核として形成された江戸後期の地割を良好に残しつつ、明治以降に米穀商を中心に整えた町並みを継承している。 江戸後期から明治期に建てられた当地域独特の農家風の間取や造りを残した町屋建築が良好に保存されている。』、、、、飲食店・土産屋などもなく、道幅は狭く、保存地区が小規模であり、チョットした散歩気分で歩ける場所だ。 通り雨も上がり濡れた道に、細かい格子の並んだ昔ながらの家並みの雰囲気を味わいつつ、散策できた。
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● 2ヵ所目の伝統的建造物保存地区は、万葉線の片原町駅の近くにある「高岡市山町筋伝統的建造物群保存地区」、、、、こちらは県の案内によると、『高岡城が廃城になり、衰退した城下町の再興のため、加賀藩3代藩主前田利常は元和6年(1620)に町人の転出禁止の布告を発し、商業都市高岡が発足した。この山町筋は再興された高岡を通る北陸道に沿って形成され、商業の中心地として栄えた。明治33年(1900)6月の大火で市域の6割が焼失し、山町筋も大被害を被った。その後、防災性能の向上のため、明治32年に発布された「建築制限令」に従い、土蔵造りの町屋群として再興し、現在の姿に至っている。保存地区は、東西約600m、南北90m、面積5.5haで、建物周囲を不燃材で覆う構造、すなわち土蔵造りの町家に特徴がある。土蔵造りの町屋は2階建て、切り妻造り、平入り、瓦葺きで軒裏を漆喰で塗り込める。保存計画では、土蔵造りの町屋等の建築物を92件、防火壁等の工作物を12件、伝統的建造物に選定し保存の措置を講じている。』、、、、関東の人には、埼玉県の川越の街をチョイト小さくした町と言えばイメージできそうだ! 高岡も川越も、火災で強くなった町!
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● 奈良、鎌倉につぐ日本3大仏に数えられる「高岡大仏」は、伝統の銅器製造技術の粋を集め、明治40年(1907)から26年の歳月をかけて作られたもの。 総高16m、重量65tというスケールの大きさは圧巻。 日本一の美男と呼ばれる大仏(阿弥陀如来坐像)は、高岡の象徴として市民に愛されているらしい。、、、、高岡駅の近く、民家が建ち並ぶ裏通りに大仏は鎮座している。 拝観料も撮らず、道行く人の健康を見守っているようだ!
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● 高岡駅からJR氷見線に乗り、宿のある「雨晴駅(あまはらしえき)」へ向かう。、、、、晴れた日には富山湾越しに立山連峰の3,000m級の山々を望むことができ、景勝地として人気がある「雨晴海岸(あまはらしかいがん)」が駅の近くにある。 「雨晴駅」は平成30年頃に、青春18きっぷのテーマ駅に選ばれ、駅からの風景がポスターやチラシに用いられた。、、、、ホームの前に富山湾が広がるローカル駅。 下車したのは、私達夫婦を含めて数名だった。 最高の景色!
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● 宿は駅前の山の上にある雨晴温泉のホテル。 海を見下ろす露天風呂につかり、海鮮の美味を味わい、猛暑の疲れを癒し、Good Night!
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