旅行・地域

2025年5月16日 (金)

再び弥彦・新潟へ (2)

新潟市内でお目覚めし、今日はのんびり市内をブラブラし、午後3時発の新幹線で帰京する。 新潟市内は一昨年、彌彦神社の帰りにチョイト歩いたので、今日は歩いていない処を見て回る。


● 萬代橋際のホテルを出て、国道7号を海側に歩くと「本町交差点」(新潟市中央区)がある。 この交差点は、5本の国道の起点、3本の国道の終点であり、合計8本の国道が集合している「日本一 国道が集まる 交差点」として、多くの国道好きな道路オタクの聖地である。 交差点角に、8路線の起終点を示す標識である、道路元標が設置されている。、、、、、 当交差点を起点とする国道は、国道7号(終点:青森市)、国道8号(終点:京都市)、国道113号(終点:相馬市)、国道289号(終点:いわき市)、国道350号(佐渡島経由、終点:上越市)  当交差点を終点とする国道は、国道17号(起点:お江戸日本橋)、国道116号(起点:柏崎市)、国道402号(海岸線経由、起点:柏崎市)、、、、、要するに、ここ新潟は日本海側の交通の要所であることが実感できる!
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● 道路元標のある交差点から北の方にチョイト歩くと、「古町花街」と呼ばれる一角がある。 路幅の狭い縦長の小路に何軒も料理屋や居酒屋が連なる古町の花街。 いわゆる三業地であったと思われる。 今風の店に変わった建物もあるが、所々に往時を偲ぶような渋い建物も残っている。、、、、、午前8時、綺麗に清掃された、まだ静かな小路、アルコールはダメな私でも、夜歩いて芸妓に会いたかったね!
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・・・・・・・・・・ 花街の中で、ひときわ大きな料亭があった、創業は弘化3年(1846)の「鍋茶屋」。 建物は国の登録有形文化財。
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● 古町花街から西へ、西堀通り沿いに寺院が並ぶ「寺町」がある。 西堀通だけで,20数か寺あるそうだ。 これらの寺院は、戦国時代から江戸時代初めにかけて、北陸や信州から移転してきたものが大半を占めているらしい。、、、、、今旅では、夫婦で数カ寺に参ってきた。(多くの寺を回ると賽銭貧乏になるので、ほどほどに!)

・・・・・・・・・・・ まずは、曹洞宗の「宗現寺」。 宗現寺は、元亀年間(1570~1573)真言律院として開創。 その後、慶長元年(1596)に曹洞宗に改宗した。
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・・・・・・・・・・ 続いて隣の「金潮山 真城院」へ参る。 鎌倉時代の建保4年(1216)、鑁照阿闍梨によって開創されたのが始まりと言われてる。 戦国時代には新潟城主も寄居土佐守の祈願所として庇護され隆盛したとのこと。 真言宗のお寺。
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・・・・・・・・・・ さらに続いて「勝楽寺」に参る。、、、、、天福元年(1233)、三州安城村の城主、安藤権頭が親鸞聖人に帰依したことに始まる。 新潟へは、慶長年間に安宅関より多くの壇中と一緒に移ってきた。 当時、勝楽寺を守った武士団の鎧や槍を保存している檀家も多く、その品々が当時を偲ばせるという。 江戸から明治への転換期には、会津軍事顧問のスネイルが宿泊して指揮をとった。アメリカ軍公使やフランス軍艦長などとの会見にも使われ、西洋料理が供されたという。 開港にともない、イギリス領事館が置かれた。 幕末の激動期を見守ってきた本堂も、明治13年の大火で焼失した。
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・・・・・・・・・・ 寺巡りの最後は、「真宗寺」、、、、、長崎山真宗寺は、1000年の歴史を持つ寺。 真宗大谷派(東本願寺)を本山に持つ。、、、、、鎌倉幕府の執権北条高時の家臣「長崎為基」 主家滅亡の後、出家。 本願寺覚如上人に帰し円海と称し正平8年、加賀国能美郡に一宇を創建し称名寺と号した。 その後、寺号を改め真宗寺と称した。 慶長年間当地新潟に移転した。 本堂は明治19年(1886)建立。
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● 寺町から次なる目的地「旧小澤家住宅」に向かう道筋に、チョイト興味ある建物があった。

・・・・・・・・・・ 古町通りにあった「吉野活版所」なる建物、、、、、吉野活版所は大正5年(1916)に建てられた印刷所の建物らしい。 古くなり取壊し直前に、「ARTEFAKT」という会社が所有し、この貴重でとても魅力ある建物を将来に残す活動をしているそうだ。、、、、、吉野活版所は2代目当主である吉野松次郎氏の設計によって、大正5年に建てられた。 木造3階建て洋風ファサードからは想像できないほど中は無造作に増築されていて、応接室、事務所、作業場、住居と奥へと続く迷路のようです。 新潟初のエレベーターもあるらしい。 チャレンジ精神旺盛でモダニストで評判だった吉野氏のこだわりが詰まったこの建物は、まさに新潟に存在する数少ない看板建築の一つ。
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・・・・・・・・・・ 本町通りを歩くと、妻入で、正面2階に半円アーチと矩形の窓が並ぶ、銅板張りの建物があった。 料亭「大橋屋」の本館建物である。 を並置し,壁面を銅板網代張り,その上部に2重の入母屋屋根を見せる。内部は二・三階に客室を設け,各座敷の天井や開口部などに意匠を凝らし変化に富む造作を見せる。 昭和10年(1935)頃の建物らしい。 全国から銘木を集め、他に類のない意匠を配した本館は国の登録有形文化財。、、、、、大橋屋の歴史は慶応2年(1866)初代大橋太吉が新潟奉行川村修就の屋敷を買い取り、鮮魚仲買商を始めたことに端を発するそうだ。 大正9年(1920)には四代目慎太郎が、婚礼料理と精進料理の仕出しを始め、料亭の礎を築いたそうだ。
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・・・・・・・・・・ 旧小澤家住宅に近い中央区上大川前通に、古くからの港町新潟の風情を残す建物があった。 築110年を超える漁業家「片桐家住宅」である。 平屋の商家が港町の景観を形成している。 この建物も国の登録有形文化財。
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● 「旧小澤家住宅」は、江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家:小澤家の店舗兼住宅。 平成14年(2002)に、小澤家から新潟市へ土地と建物が寄贈され、新潟市の文化財として公開されている。、、、、、上大川前通に面する敷地(約1600平方メートル)の中に、主屋や土蔵などの建物(延床面積約860平方メートル)がある。 敷地の南側には、思案小路に沿うように主屋・道具蔵が並びます。 道具蔵は、開口部に残る焦げ跡や鬼瓦のヘラ書きなどから、明治13年(1880)8月の大火以前の建設、主屋はその直後に再建されたものと推測されます。旧新潟町に現存する町家では最も古いものの一つ。、、、、、内部、庭園などを一巡し、その巨大さに驚き、当時の商家は『金持ちだったね!』
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● 高麗犬を廻して願掛けをする「願懸の高麗犬」があることで知られている、「湊稲荷神社」に来た。、、、、、湊稲荷神社は、18世紀始めに前川三城が出羽国の米沢より新潟の地に、この地を開拓するようにとの御神託を授かり鎮座したものだ。 江戸末期より花柳界の信仰を集めて通称、道楽稲荷様と呼ばれている。、、、、、この神社の“売り物”は、ます願いごとを心に念じながら願懸の高麗犬を回すと願いが叶うと言われている。 願懸けは、男性は向かって右の高麗犬を、女性は左の高麗犬を、願い事を念じながら回し所願成就を祈願するのが習い。 昔、花街の女性達が港から船乗りが出て行かないよう、高麗犬の向きを変え、荒天祈願をしたのがはじまりとか(?)、、、、、私の願いはただ一つ“世界平和”と言おうとしたが、やはり素直に“宝くじ一等当選”を祈願した。 石の狛犬は回すのも、かなりの力仕事だ! 願いが叶えば御礼参りにまた来よう!
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● 旅の最後の観光スポットは、昭和47年(1972)に開館した「新潟市郷土資料館」。、、、、、新潟市郷土資料館は、開館後の昭和57年(1982)には当時の本館(旧新潟税関庁舎)に隣接して旧新潟税関石庫(いしぐら)が復元された程度で、チョイト展示物としては寂しい状態であった。 その後、郷土資料館としては平成15年(2003)に一旦閉館し、新築・改装など工事が行われた後、平成16年(2004)に新たに建設された博物館本館と、移設・復原された旧第四銀行住吉町支店の公開を開始し、名前も「新潟市歴史博物館」となり、「みなとぴあ」の愛称も命名された。

・・・・・・・・・・ 「旧新潟税関庁舎」は、開港五港の中で唯一現存する、開港当時の運上所(税関)の遺構。いわゆる擬洋風建築の一例で、赤瓦葺きの屋根とナマコ壁の外観にアーチ状の玄関口と塔屋などの洋風の意匠を取り入れている。 戊辰戦争終結後の明治2年(1869)10月に「新潟運上所」として開所した。 国の登録有形文化財。、、、、、この建物は当館前身の新潟市郷土資料館の本館として使用されていた。
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・・・・・・・・・・ 「旧新潟税関石庫」は、運上所の開所以来、保税倉庫として使用していた。 しかし、石庫の老朽化が著しくなったため昭和38年(0963)に解体され、一時保管された。 石庫の復元工事は1年半掛かりで行われ、昭和57年(1982)に竣工した。
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・・・・・・・・・・ 「旧第四銀行住吉町支店」は、昭和2年(1927)10月に竣工した第四銀行住吉町支店が、平成15年(2003)にみなとぴあ敷地内へ移築されたもの。 移築が難しい鉄筋コンクリートの骨格部分は新たに作り直されたが、花崗岩製の外壁や列柱、ロビー部の大理石製のカウンターなどが建設当初の姿に復原された。 平成17年(2005)に国の登録有形文化財に登録されている。
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・・・・・・・・・・ 「博物館本館」は、かつて西堀通六番町に所在した、二代目新潟市庁舎の外観をモチーフに建設された。 柾谷小路と西堀通に面した角地で古町からも至近の市内中心部に所在した二代目庁舎は、初代庁舎が明治41年(1908)の大火で焼失したのを受けて同地で再建されたもので、明治44年(1911)に竣工した木造モルタル仕上げのL字型の建物であった。この二代目庁舎は昭和8年(1933)に焼失したが、市庁舎はその後も四代にわたって同地で再建された。現在の本館は平成16年(2004)に新たに建設された。、、、、建物内部はシアタールーム、展示室、セミナー室などで構成されている。
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新潟駅から、お帰りです~~
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2025年5月15日 (木)

再び弥彦・新潟へ (1)

今日は、夫婦二人旅。 上越新幹線燕三条駅で下車し、彌彦神社・弥彦山へ、夕方新潟市内に入り一泊する。 彌彦神社・弥彦山は一昨年の4月の花見に来て、今回は二回目の訪問となった。



● 東京8時22分発の新幹線に乗り、燕三条駅に10時8分着。、、、、、 燕三条駅は、新潟県三条市と燕市に位置し、北側の燕市・南側の三条市にまたがっている。 上越新幹線と、在来線の弥彦線が交差する地点にあり、両路線の接続駅である。 昭和57年(1982)11月15日、上越新幹線大宮~新潟間の開通に合わせ、新幹線駅・在来線駅ともに開業した。 新幹線ホームは、下り側に単式ホーム1面1線と上り側に島式ホーム1面2線の計2面3線を有し中央に通過2線を挟む、高架駅である。 
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・・・・・・・・・・ 在来線の弥彦線との接続は、当然あるものと予想して来たが、『アリャ~~、12時過ぎまで弥彦方面に行く列車はない!』  困ったな、駅におられた地元の方に聞くと、弥彦に行くバスもない、『お急ぎなら、タクシーで行かれては・・・』 とのこと。 閑散とした駅での2時間待ちは辛いので、彌彦神社までタクシーでGO!、、、、、タクシーは彌彦神社へ向かう途中、「日本一の大鳥居」と表していた鳥居(高さ30.2m、昭和57年建立)の下を通過。 現在は、熊野本宮大社の大鳥居(33.9m)、大神神社の大鳥居(32.2m)に抜かれ、第3位となった。 参拝した後、帰りの弥彦線車中からも大鳥居は見えた!(2枚目の写真)
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彌彦神社(やひこじんじゃ)は、桜も散り参拝客も少なくなったそうだ。 新緑の木立に囲まれた参道を進み社殿に参る。 夫婦揃って彌彦神社神社は二年ぶりの参拝。、、、、、越後国一宮である彌彦神社は、越後平野西部の弥彦山(標高634m)山麓に鎮座し、弥彦山を神体山として祀る神社である。 祭神は、天香山命 (あめのかごやまのみこと)。 弥彦山頂にある御神廟(奥の宮)が神廟にあたるとされる。 神社の社殿は明治45年(1912)に焼失し、大正5年(1916)に現在地に移って再建された。 今日は、拝殿前の敷石を改修工事中であった。 拝殿の背後に弥彦山を仰ぐ。、、、、、健康と身の上の安全を祈願して、夫婦それぞれの干支御守を頂戴する。 『これで長生きできるが、ボケたら悲しいね!』
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● 参拝終えたら弥彦山へ、、、、、弥彦山の標高は、東京スカイツリーと同じ634m。 神社近くの表参道登山口から山頂まで初心者でも1時間30分と登りやすい山だそうだ。 しかし、私たち夫婦は楽して、ロープウェーを利用。 山頂のからは、越後平野、日本海や佐渡を一望できるのだが、あいにく今日は薄曇り、佐渡はよくよく目を凝らし見える姿はぼんやりと、越後平野も霞んでる。
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● JR弥彦線は、起点の弥彦から、吉田、燕三条をとおり、終点の東三条まで8駅、17.4㎞の単線の路線である。 彌彦神社来るとき乗ったタクシーの運転手さんが、『お客さん、帰りにはぜひ弥彦駅から弥彦線に乗ってください。 弥彦から吉田までは、ひどい赤字路線で廃止となるかも?』 調べてみたら2021年度の営業係数は1998だった。 弥彦駅から弥彦線で吉田に出て、吉田から越後線で新潟へ行くことにした。 『
弥彦駅をしっかり見ておこう!』、、、、、弥彦駅は、大正5年(1916)10月16日、越後鉄道により当駅~西吉田駅(現:吉田駅)間開通と同時に開設され、その後、昭和2年(1927)に国有化された。 単式ホーム1面1線の地上駅である。 彌彦神社の本殿を模した木造寺社造り(入母屋造)の駅舎は大正5年(1916)の開業時からのもので、門柱や梁などが朱色に塗色され、鬼瓦には兎が彫り込まれるなど特徴的な意匠を持ち、「ふるさとの駅100選」にも選出されている。 令和3年度(2021)の1日平均乗車人員は152人である。、、、、、『弥彦駅、三度目の訪れる機会はあるかな?』
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● 弥彦線から越後線に乗換え新潟駅に到着。 新潟駅は16年間にわたり高架化工事が進められ令和4年(2022)完了した。 しかし、駅前の整備は現在進行中で、仮囲いが建ち並び駅舎の全景が見えにくい。
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● 駅前の大通りを歩き、信濃川に架かる萬代橋(ばんだいばし)を渡る。、、、、、現在の萬代橋は三代目。 平成16年(2004)に重要文化財に指定された。 初代の趣を継承した全長300m余りの六連の橋桁のアーチ、鉄筋コンクリートの構造物に御影石を施した姿、街灯などの照明も美しく、徒歩で渡ると川面も近く雄大。 完成は
昭和4年(1929)。 新潟の風情を感じることができる橋。 情緒的で新潟の風情を感じられるスポットです。橋の両岸も散歩に好適な憩いの場が広がっています。、、、、、現橋は当初、車道の中央部に路面電車を通す軌道が設計されていたが、実現に至らず、軌道部も車道として利用され上下計4車線の道路となっている。 幅の広い橋梁だ!
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・・・・・・・・・・ 今日のお宿は、萬代橋際にあるホテル、、、、、明日は、新潟市内を歩いてみよう!
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2025年4月11日 (金)

うすくち醤油と素麺の街

雨になったら姫路城見学も辛いので、11日は予備日として残しておいたが、昨日姫路城見学が無事終了し、『さて今日は何処へ行こうか?』、、、、、妻は神戸へ行こうと言ったが、私の希望で姫路市の西隣、たつの市(以前は龍野市)の中心地、龍野の街をブラブラ散歩することにした。

龍野の街は、、、、、市中心部“龍野町”には武家屋敷や白壁の土蔵が今も残っており、龍野藩5万3千石の城下町の面影から「播磨の小京都」と呼ばれている。 市名は周辺の街と合併したことで「たつの市」と呼んでいるが、駅名は「竜野」、歴史的固有地名は「龍野」である。 古文書によれば、龍野の由来は野見宿禰が揖保郡(現:たつの市)で没した際、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだという故事から「立野」と呼ばれ、「龍野」に変化したとされている。 



● 姫路駅からJR姫新線(きしんせん)に乗り、4駅目「本竜野駅」で下車する。、、、、、姫新線は、姫路駅から中国山地を走り津山駅を経て、岡山県の新見駅に至るJR西日本のローカル線である。 ローカル線と言っても、朝の通勤通学時間帯は20分間隔ぐらいで、2両編成の列車が運転されている。 ほぼ満員状態であった。、、、、、本竜野駅はたつの市の代表駅である。 昭和6年(1931)12月23日、鉄道省姫津線(当時)余部駅 ~ 東觜崎駅間の延伸に伴い開業した。 2010年(平成22年(2010)に現在の橋上駅舎(総工費約11億円)が使用開始となる。 相対式ホーム2面2線を有し、列車交換可能な橋上駅。 直近の1日平均乗車人員は約2,000人である。
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・・・・・・・・・・ ホームの脇には、童謡「赤とんぼ」の作詞者の三木露風の出身地ということで、歌詞を彫った銅像がある。(街を歩いて解ったことだが、赤とんぼの歌詞、銅像などは、龍野の街の至る所に見ることができる)
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・・・・・・・・・・ 朝9時30分の営業開始を待ち、駅の観光案内所で龍野の見どころ、散歩ルート、食事処など一通り教えてもらい。 ブラブラ街歩きの開始!、、、、、本竜野駅は揖保川の東側にあり、龍野橋を渡り揖保川の西側(城下町)へ向かう。 駅から徒歩15分程の龍野橋までは、たつの市に本社を置くうすくち醤油の代表的メーカであるヒガシマル醤油(株)の本社、工場などがある。 揖保川沿いに、社紋のデザイン「東に丸」を掲げた工場も見える。 
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● 龍野橋を渡ると、そこは龍野の城下町(国の重要伝統的建造物群保存地区)である。 道沿いに歴史ある建物が細長く並ぶ宿場町とは違い、ここは面的に広がりある城下町全体が保存地区となっている。、、、、、龍野藩五万三千石の城下町である。 江戸時代から昭和戦前期までに建てられた建物が今なお残されており、白壁や町家造りの建物が多く残る町並みで、「播磨の小京都」とも呼ばれてるそうだ。、、、、、老舗の和菓子屋さんで名物“醤油まんじゅう”と練羊羹を味わう、美味い!、、、、、“小京都”なのに外人観光客は見当たらず、静かに街並みを散歩でき、すてきな街だ!
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● 伝統的な街中に残る「うすくち龍野醤油資料館」(国登録有形文化財)を見学、、、、、昭和初期の建物は元ヒガシマルの本社だった、現在は400年の歴史がある龍野の醤油造りを解説する専門の資料館。 入館料は、ナント10円!
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● 「うすくち龍野醤油資料館」の近くにもう一つ文化財がある。、、、、、その建物は「醤油の郷 大正ロマン館」で、龍野醤油同業組合が大正13年(1924)に建設した旧組合事務所である。 敷地内の旧醸造工場とともに国の登録有形文化財に登録された。、、、、館内はギャラリーとして利用され、本日はイラスト作家の個展が開かれていた。
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● 童謡「赤とんぼ」の作詩者:三木露風の生家は、龍野城の埋門(うずみもん)前にあり、明治4年頃から明治22年の間に建築されたものと推察されている。 露風は明治22年(1889)6月23日にこの家で生まれた。 露風が6歳の時、両親が離縁し、母親は弟を連れて実家の鳥取に帰ってしまい、露風も祖父の家に引き取られました。 この生家は、露風が母と過ごした思い出が残る大切な場所である。、、、、、平屋、8帖3間、4.5帖1間の小さな家である。 今流に言うと“3LDK”だ!

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● 三木露風の生家前から、龍野城へ向かう。、、、、、龍野城は、鶏籠山(けいろうざん)山頂の山城と麓(現在地)にある平山城の2期に分けられる。 山城は約500年前、赤松村秀によって築かれ天正5年(1577)豊臣秀吉に開け渡された。 その後平山城となり数回の城主交代の後、寛文12年(1672)に信州飯田から脇坂安政が入封した。 龍野藩は明治初年まで続き、城主では赤穂城請取りの脇坂安照などがいる。、、、、昨日見た姫路城とは“雲泥の差”。 遺構として残っているのは石垣のみ、天守は元来無く、御殿、武具櫓、隅櫓、埋門が再建されている。 でも、桜は姫路城に負けず満開だ!
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● 城を見て時刻は12時、昼飯だ!、、、、、観光案内所のお姉さんが教えてくれた「そうめん処 霞亭」で冷やし素麺をいただく。、、、、、たつの市内を南流する揖保川の中流域は、約600年の歴史を誇る手延べ素麺「揖保乃糸」の生産地である。 今回の旅では行かなかったが、市内には「揖保乃糸資料館 そうめんの里」という観光施設もあるらしい。 (素麺つゆはヒガシマルかも?)
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● 食後の運動は、城の西に位置する熊野神社詣で。、、、、、賤ヶ岳七本槍が一人脇坂安治公を祭神とする神社。 安治は龍野藩の脇坂家初代ということで祀られていると思われる。 脇坂家では、十代安董(やすただ)は外様大名でただ一人老中になった傑人。 十一代の安宅(やすおり)は寺社奉行となった。、、、、神社は山麓にあり、階段を上り、また階段を上り、さらに階段を上り、疲れ切ったところで再び階段を上り、社殿に出た! 小さな社殿だ!
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・・・・・・・・・・ 神社から「文学の小径」と名付けられた桜道を下って城下町へ向かう。 桜は散りはじめた!
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● 静かな城下町を抜け、本竜野駅から姫新線で姫路駅に戻り、今回の旅行は終了。
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2025年4月10日 (木)

これぞ 世界遺産

先月中旬、妻が『国宝の姫路城を見てみたい』と言い、この10日・11日、一泊二日で夫婦で行くことにした。 彼岸に入り夫婦ともに風邪をひき、さらに一週間ほど前から“当日の天気は雨”との予報があり、旅行に行けるか否か不安であったが、思いで残る素晴らしい景色を堪能することができた旅行となった。


● 老々の二人旅、無理をしないよう、東京8時45分発の新幹線でのんびり出発! 3時間後の11時48分姫路着。 初めて降りた姫路駅は、2000年代に高架化事業が進められ、在来線は島式ホーム3面8線と下り通過本線1線、新幹線は島式・相対式ホーム2面3線および上下通過本線の構成となった。 高架化に合わせ駅舎も変わり、屋上からは姫路城を見渡せる大きな駅ビルとなっている。、、、、駅舎出入口の正面からメイン道路が伸びその先には姫路城が見える。 観光客で混雑する雑踏もなく、国宝の姫路城が出迎える、その景色は素晴らしい!
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● 駅から徒歩15分程で、姫路城の入口である大手門へ到着。 石垣に沿って約1600本の桜が咲き、今や満開。 姫路城は見たかったが、さらに桜の咲き誇る姫路城が見られるとは、来るまで想像していなかった。 想うに、日頃の行いが良いので神さまがご褒美に見せてくれた景色だ! 堀の外や城内の各所の桜は、“今日が最後”と咲いていた。 どこから写真撮っても桜が必ず映ってしまう、嬉しい悲鳴!
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・・・・・・・・・・ 別名「白鷺城」と呼ばれる姫路城は、「平成の修理」によって大天守の保存工事が完了し、世界遺産、国宝としての価値をより高めた。 6層の大天守に上り、日本最高峰の木造建築をより身近に接し、完成度の素晴らしさに驚き、ビックリ、Wonderful!
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・・・・・・・・・・ 姫路城に来て驚いたのは、海外の観光客の多いこと、特に欧米系の人と思われる外人が半数以上だ! 私の住む浅草では、中韓を含む東南アジア系の外人で7割ぐらい占め、欧米系は3割ほどと思えるのだが。  東南アジアの観光客は、身近な日本、桜の日本、買い物の日本を楽しんでいるので、桜の名所、大都会に集中している。 それに比べ、欧米の観光客は、“世界遺産巡り”など、世界中の著名な観光地巡りを楽しんでいるようだ。
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・・・・・・・・・・ 良い思い出ができ大満足の二人。 
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● 姫路城を見たあとは、姫路市の芸術文化振興を目的として昭和58年(1983)に開館した「姫路市立美術館」にお立ち寄り。 地元の医者・國富奎三が集めた近代西洋美術コレクションを、拝見する。、、、、、、姫路城跡の一画に建つ、赤レンガ造の美術館は、姫路陸軍兵器支廠(のち第十師団兵器部)の西倉庫として明治38年(1905)に建築、大正2年(1913)に増築されたものである。 敗戦後に姫路市役所として利用したのちに美術館として再生利用された。 建物は陸軍省技官の宮本平治、井田熊吉の設計で、煉瓦造2階建、日本瓦葺、切妻屋根を有しL字型に2棟を接続した配置となっている。 平成15年(2003)には国の登録有形文化財に登録された。
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● 今宵のお宿、ホテルの部屋から望む姫路城、、、、、、Good night!
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2025年2月27日 (木)

岡崎城・熱田神宮

名古屋駅前のホテルで寝覚めた私たち夫婦の今日の予定は、妻の希望で『熱田神宮へ行く』。 夕刻の新幹線まで時間がタップリあるので、午前中から岡崎城へ行き、帰りに熱田神宮へ寄ることにした。、、、、岡崎城は、城好きな人でなければ、わざわざ東京から見に来ることはないと思われる。 夫婦二人旅、自由にのんびり好きな処に行ける、この機会に見ておくことにした。



● 名古屋から名鉄名古屋本線に乗り約45分「東岡崎駅」で下車。、、、、東岡崎駅は市名を冠するJR東海の岡崎駅に比べると岡崎市役所や岡崎城などに近く、駅周辺は中心市街地が広がることから、岡崎市の中心駅としての役割を担っているそうだ。 2030年度の竣工を目指し駅前の再開発が進行中で、明るく近代的な駅舎に生まれ変わるそうだ。、、、、東岡崎駅は大正12年(1923)8月8日、岡崎電気軌道(後の岡崎市内線)是字寺駅所在地に、愛知電気鉄道により開業したのが始まり。 現在の一日当たり平均乗降者数は約6万人で、名鉄の駅の中では、名鉄名古屋駅、金山駅、栄町駅に次いで、4番目に利用者が多いらしい。 、、、、失礼ながら、こんなに近代的な駅とは思っていなかった。 来てビックリ、見てビックリ!
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・・・・・・・・・・ 東岡崎駅の北側を流れる乙川(おとがわ)は川幅も広く、両岸の土手は遊歩道として整備され、そこに架かる橋もなんとなく城下町の風情を感じさせる、住んでみたくなる情景だ!
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● 岡崎城下、乙川岸に鎮座する「菅生神社(すごうじんじゃ)」、、、、菅生神社は岡崎最古の神社、日本武尊命により(西暦110年)創建。祭神は、天照皇大神・豊受姫命・須佐之男命・徳川家康・菅原道真。 松平家・徳川家康ゆかりの神社で家康が25歳の時、厄除開運祈願をし、社殿・寄進田など厚く崇敬した。 その後、江戸幕末まで、岡崎城主代々の祈願所として城主より社殿・鳥居など寄進を受け、岡崎城内鎮守の守護神とされた。
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● 「岡崎城」は、徳川家康が生まれた「神君出生の城」。 龍にまつわる伝説も多く別名 龍ヶ城とも呼ばれ、竹千代(のちの家康)が誕生した折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れたと伝えられている。 昭和34年(1959)に再建された鉄筋コンクリート造3層5階の復興天守は、岡崎市のシンボルとなっている。 いにしえより、東海道を舟運による交通の要衝として栄え、「五万石でも岡崎様は お城下まで舟が着く」と歌われ、岡崎城の発展や城下町の繁栄を築いた。 平成14年(2006)に「日本100名城」に選定された。、、、、享禄4年(1531)に松平清康(家康の祖父)が現在の位置に岡崎城を移築した。 天文11年(1542)12月26日、徳川家康は、ここ岡崎城内で誕生した。 家康は、6歳で織田信秀(信長の父)、8歳で今川義元の人質となり、少年期を他国で過ごし、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、今川義元が戦死したことを契機に自立した。(家康19歳) 以後、岡崎城を拠点に天下統一という偉業へ突き進む。 元亀元年(1570)家康は本拠を遠江浜松に移し、嫡男信康を岡崎城主とした。 天正7年(1579)に信康が自刃したあとは、重臣の石川数正、ついで本多重次を城代とする。 天正18年(1590)に家康が秀吉によって関東に移されると、秀吉の家臣田中吉政が城主となる。 家康が江戸に幕府を開いてからは、本多氏、水野氏、松平氏など、家格の高い譜代大名が城主となった。 明治維新を迎えると情勢は変わり、新しい時代には不用とされた城郭の大部分は明治6年から7年にかけて取り壊されてしまった。 このあとは、堀と石垣が昔日の面影をわずかに伝えるばかりであったが、岡崎の象徴である天守閣がないままではしのびないと、昭和34年(1959)にほぼ昔どおりの外観の天守閣が復元された。、、、、復元された現在の岡崎城は、鉄筋コンクリート造3層5階、高さ28m、設計は名古屋工業大学工学博士 城戸 久(故人)、施工は清水建設、、、、昨日行った名古屋城ほどのスケールはないが、整備された美しい街中に想像していた以上に立派な城があって感動させられた。 「天守閣」と家康の一生をを語る「家康館」に入館し、チョイト勉強させてもらった。 天守閣からの眺望はgood!
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● 岡崎城を見たあとは、東岡崎駅で教えてくれた八丁味噌の工場見学に行くことにした。 岡崎城から徒歩20分程、愛知環状鉄道の中岡崎駅近くにある「カクキュー 八丁味噌」に行く。、、、、江戸時代初期より、八丁町(旧八丁村)で造り続けるカクキュー(屋号)の八丁味噌。 その工程を会社のガイドさんの説明で見て歩く。 最後に、みそ汁の試飲、味噌田楽の試食、お土産付で、妻は満足顔。 売店で味噌を購入、チョイト重たいな!、、、、 西欧のバシリカ式教会堂のような構造で、黒と白を基調とした木造の建物は本社屋。 昭和2年(1927)に建てられた国の登録有形文化財。
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● 岡崎から名古屋(神宮前)へ戻り、「熱田神宮」へ参る。、、、、熱田神宮は、1900年以上続く古社で「熱田さん」と呼ばれている。 創建は景行天皇43年(113)。 広い静かな参道を拝殿目指して歩くだけで、身が清められるような清浄な空気に満たされている。 拝殿の奥に見える社殿が本殿(撮影不可)で、ここにご祭神である熱田大神が鎮まっている。 熱田大神は、三種の神器の1つ「草薙神剣」を神体とする天照大神とされてる。、、、、約6万坪(約19万㎥)の境内は、樹齢1000年を超えるという楠が生い茂り、心身ともに英気を養うことができる。 広すぎる境内はチョイト端折って歩くことにした。 写真は、東門参道、日本三大燈籠の一つ「佐久間燈籠」、神楽殿本宮拝殿(二枚)の順。
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● 名古屋駅から東京へ、、、、チョイト、年寄りには疲れる旅であった。 無事に帰り、一安心。

2025年2月26日 (水)

名古屋城・大須観音

最強最長寒波が続き、家でグダグダしている時、妻が『名古屋城と熱田神宮、よく知らないので行ってみたい』とつぶやいた。 すかさず、私が『よし、行こう』と応え、その場でホテルを予約。 これにて、名古屋行きは確定! 寒波が終わり、春の陽気に変わった26日・27日、夫婦で名古屋・岡崎の城を巡ってきた。



● 東京を8時半に出て10時には名古屋着。 名古屋駅で下車するのは久しぶりだ、サラリーマン時代は年に数回、出張で降りた駅。 懐かしい駅だ!、、、、今日は、真直ぐ名古屋城に向かう。
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● まずは旅の目的地「名古屋城」にやって来た!、、、、名古屋城は、関ケ原の戦いに勝利した家康が、慶長14年(1609)、豊臣方への備えとして築城を決めた。 翌慶長15年、家康は九男義直の居城として、加藤清正。福島正則らの西国大名に命じ、普請を開始。 慶長20年(1615)にはほぼ完成した。 以来、名古屋城は御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えた。、、、、昭和5年(1930)、城郭建築では最初の国宝に指定されたが、昭和20年(1945)の空襲で本丸の大半を焼失した。 昭和34年(1959)、金のシャチをいただく五層の大天守閣と小天守閣が鉄骨鉄筋コンクリート造で再建された。 外観は昭和の実測図に基づき正確に再現されたそうだ。、、、、残念ながら、現在は耐震性が低いことに対応するため、天守閣は閉館されている。 天守は、河村たかし前市長の肝いりで木造復元工事(後に木造での復元は断念する)が計画されていたが、障碍者対応のエレベーターの設置に関して意見が分かれ、現在は計画が進んでいないようだ。、、、、何時になったら、私が天守閣に上れる日は来るのか?
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・・・・・・・・・・ 慶長20年(1615)に建てられた「本丸御殿」は、城主が居住する御殿だったが、元和6年(1620)将軍上洛時の御成専用に改造された。 以後、藩主は二之丸御殿に居住した。 本丸御殿を使った将軍は秀忠、家光、家茂の3人で、上洛の途中に宿泊している。御成御殿となった後の本丸御殿は、尾張藩士により警備と手入れが行われるのみで、名古屋城主である尾張藩主ですら本丸に立ち入るのは巡覧の時のみであった。 こちらも天守閣と同様に、昭和5年、国宝に指定されていたが、空襲により焼失してしまった。、、、、本丸御殿は御成専用だけあって、格式の高さは当時の二条城本丸御殿に匹敵した。 日本を代表する近世書院造の建物で総面積3,100㎡、13棟の建物で構成されている。 優美な外観とともに、室内は花鳥風月などを題材とした障壁画、飾金具などで豪華絢爛に造られている。、、、、復元工事は平成21年(2009)に150億円の予算で着工し、平成29年度(2017年度)に工事完了し、平成30年(2018)より一般公開された。、、、、ヒノキなどまだ木材も白く輝き、新しさが強調されている御殿であるが、一見しての豪華さが驚きを発せさせる。 年寄りは冥途の土産に見ておくと良い!
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● 名古屋城を見たあとは昼食に“きしめん”を食し、午後は何処へ行こうか?、、、、年寄りの気まま旅、多くの観光地を巡る予定を立てると、時間に追われ疲れるので、今日は名古屋城だけを必見することにしていた。 それにしても時間が余り過ぎたので、名古屋城から大須観音(妻が行ってみたいと言った)まで歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 名古屋城から堀川沿いに歩き、途中、「四間道(しけみち)」と呼ばれる古い町並みを歩く。、、、、慶長15年(1610)の名古屋城築城と共に商人達がこの地に住み着いて作られた商人の城下町として始まり、名古屋で最初に誕生した街である。 元禄13年(1700)の大火で1600軒余りが焼失し、その後尾張藩4代藩主徳川吉通は、堀川沿いにある商家の焼失を避けるために、道幅を4間(約7メートル)に拡張したのが「四間道」と呼ばれる謂れとなった。 この通りは、当時の熱田から岐阜へ向かう街道「美濃路」の1つ西側にあり、土蔵造りの並ぶ街並みとなる。、、、、古い佇まいを残し、多くは飲食店として営業中。 チョイト一休み!
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・・・・・・・・・・ 堀川に架かる納屋橋の際に、正面にアールがついている「旧加藤商会ビル」がある。 地上3階地下1階建ての鉄筋コンクリート造。 竣工は昭和6年(1931)で、外壁は大正期の意匠が残されている。(内部は入ったことが無いので不明) 国の登録有形文化財。
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・・・・・・・・・・ 都会の真ん中、御園座(劇場)に裏(栄1-7)にチョイト昭和レトロな建物で、雰囲気のある眼科医「葛谷眼科院」があった。 ネットで調べると、優しい女医さんが対応してくれる、評判の良い医院らしい。 私も眼科医院に通っているが、名古屋じゃチョイト遠いいね!
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・・・・・・・・・・ 名古屋城から約4㎞、「
大須観音」にやって来た。、、、、私は“大須”と言えば、「大須ういろう」しか浮かばないが、どこで聞いたか? 妻が行ってみたいと言った観音さまだ!、、、、大須観音は真言宗の寺院。 正式には北野山真福寺宝生院。 大須観音と呼ばれ親しまれている。 美濃の大須にあったものが慶長17年家康により当地に移された。 本堂は戦災焼失したが、昭和45年に再建。、、、、何だか私の地元:東京浅草の観音様によく似た下町の雰囲気の寺だ。 賽銭をはずんで「旅行安全」、「夫婦円満」を願う。、、、、周辺の商店街も浅草の仲見世商店街によく似てる。 クレープ、たこ焼き、ソフトクリームなど食べ歩く、中韓の若者が多いね。
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● 歩き疲れて名古屋駅前のホテルにチェックイン。 夕食は“ひつまぶし”、、、、good night!
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2025年1月30日 (木)

雪景色で露天風呂

昨年の年末、掃除をしながら妻に一言『鬼怒川温泉あたりで、雪景色の露天風呂に入り、美味いものを食べ、一日のんびりしたいね!』 妻の即答『いいね!』 早速、行く日は雪の積もっていそうな真冬の1月下旬、曜日は空いてる平日できれば水・木曜日、行先は鬼怒川温泉、お宿は中国人・韓国人の少なそうな静かな和風の宿、等の条件でネット検索・予約する。 大晦日、浅草寺参りに行ったついでに浅草駅で特急スペーシアXのプレミアムシートを予約。 あとは行くだけ!、、、、一ヶ月後の昨日(29日)夫婦二人で一泊二日の温泉旅行へ出発。



● 鉄道大好きな私にとってスペーシアXには初めての乗車、小学生の遠足気分で、嬉しさいっぱい。 浅草駅から乗車。、、、、プレミアムシートは、2号車に備えられた2人用+1人用の座席でゆったり感がある。 しかし、発車すると車内放送で、1号車のカフェカウンターでコーヒー等を販売していることが告げられると、3・4・5・6号車の乗客がゾロゾロと車内を通り抜けて買いに来る。 私が座る2号車の通路は行き交う人で落ち着かず、ゆったり感はすっ飛んだ!、、、、9時に浅草を出て、11時に鬼怒川に到着する、お宿のチックインにはまだ早い。 妻と車中で相談し、東武ワールドスクウェアへ寄って行くことにした。
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東武ワールドスクウェア駅で下車する。 降りる乗客は少なく、チョイト寂しいね。 駅前に「東武ワールドスクウェア」がある。 雪は積もっていないが、小粒の雪がチラチラ舞い落ちてくる。 TVコマーシャルなどで知ってはいたが、来園したのは初めて。 寒い平日午後、チケット売り場に人がいない。 私たちの姿を見て飛んできた! 園内の来場者の姿は少ない、ガラガラだ! 欧米よりも中韓の観光客がチラホラ。、、、、東武ワールドスクウェアは、「世界の遺跡と建築文化を守ろう」をテーマに平成5年(1993)に開園した。 制作年数5年、総工費170億円をかけて世界の100点以上の有名建造物を25分の1の縮尺で再現した世界が広がる屋外テーマパーク。 園内は現代日本・アメリカ・エジプト・ヨーロッパ・アジア・日本の順に6つのゾーンに分けられている。 各ゾーンではエジプトの三大ピラミッド、パルテノン神殿、東大寺などの47の世界遺産登録物件の他、世界の有名建築物が展示されている。 精巧にできた屋外展示模型で、『雨が降ったら、風が吹いたら、どうするの?』と、要らぬ心配する夫婦。、、、、要らぬ心配もう一つ。 来園者の少なさに驚いて、利益が出るのかな?、、、、2時間ほど楽しめた『これで世界旅行は終わったね!』
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東武ワールドスクウェア駅から一駅隣の鬼怒川温泉駅まで電車に乗る。 駅で待つてると、観光列車「SL大樹ふたら(C11 325)」が通過、さらに鬼怒川温泉駅では転車台を使い方向転換を見る。 ラッキー!、、、、妻は駅前のバームクーヘン屋さん(人気の店らしい)へ急ぎ足! 『機関車よりもバームクーヘン』
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鬼怒川温泉のお宿にチェックイン。 宿は鬼怒川のほとりに建つ、木々に囲まれたシンプルな外観の中規模な温泉ホテル。 部屋には内湯と露天風呂が付いている。 もちろん共用の大浴場もある。、、、、部屋から見える景色は、粉雪は舞っているが、雪は積もっていない! 今回の旅の目的「雪景色を見ながら露天風呂に入る」は達成できず、残念無念!

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・・・・・・・・・・ 夕食は、房総の海の幸をメインに美味しく食す。 妻と二人の食事も、旅先で食べるとより美味い!
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・・・・・・・・・・ 二日目(30日)は、ゆっくりお目覚め、ゆっくり朝食、ゆっくりチェックアウト、、、、日光へ寄って帰ることにした。
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● 粉雪の舞う日光、数年ぶりに輪王寺、東照宮、二荒山神社と巡る。

・・・・・・・・・・ まずは、輪王寺三仏堂に参る、、、、妻がぜひ見たいと言う、世界遺産登録25周年記念の秘仏初開帳で「五大明王」を拝観。 秘仏は身長10㎝程の青い肌の五体の明王像であった。(秘仏で撮影禁止) 妻が想像していた大きさに比べ、あまりにも小さな仏像であったため、公開していた場所を通りすごし、再び三仏堂に戻り拝観する。 御利益あるかも?
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・・・・・・・・・・ つづいて東照宮に参る、、、、拝殿に上がり二礼二拍手一礼。 久しぶりに鳴龍を見る。2501301050260
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・・・・・・・・・・ 東照宮に沿って参道を歩き二荒山神社へ参る、、、、風が強く吹き、粉雪舞い、寒い!
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● 年寄りは「無理は禁物」 疲れを生じぬよう、帰りは特急「リバティ」で早めに帰京する。
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● いずれまた「雪景色を見ながらの露天風呂」に再挑戦したい!

2025年1月 3日 (金)

三が日は京都旅行(3)

京都旅行の三日目は、京都駅に近い東寺に参り、最後に孫が見たかった清水の舞台に行って、東京へ戻る。



● 東寺は京都駅に近く、宿泊したホテルから20分程、歩いて行く。、、、、「東寺(とうじ)」は、真言宗総本山で山号は八幡山。本尊は薬師如来。真言宗の根本道場であり、「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」とも呼ばれる。 教王護国寺は、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場として今に至る。、、、、東寺の見所は、京都駅前のビルの林立する中に、木造建築のシルエットを空に向けてそびえたつ。 高さ約55mの日本最高の五重塔(国宝)。 塔は、寛永21年(1644)に、徳川家光が再建奉納したもの。 さらに、講堂(重要文化財)にあるわが国現存最古の密教彫刻の一群や金堂(国宝)、大師堂(国宝)など広い境内に多くの見所が点在する。
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・・・・・・・・・・ 東寺の五重塔は、京都のシンボルで、日本一の高さ55mを誇る。 天長3年(826)空海による創建に始まるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。 雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644)、徳川家光の寄進で建てられたもの。、、、、今正月の9日までは「新春特別拝観」として五重塔初層の内部を特別公開してる。 内部には四如来と八大菩薩が安置され、仏の顔を拝み、アリガタヤ~~!
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・・・・・・・・・・ 金堂は、東寺の中心堂宇で諸堂塔のうち最も早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823)までには完成していたと推定される。 当初の堂は文明18年(1486)の土一揆で焼失し、その後1世紀近く再建されなかった。 現存の建物(国宝)は慶長8年(1603)に豊臣秀頼の寄進により、片桐且元を奉行として再建された。 内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩が安置されている。(内部の撮影はダメ!)
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・・・・・・・・・・ 金堂の背後(北側)に建っているのは、重要文化財の
講堂」。 東寺が空海に下賜された弘仁14年(823)にはまだ建立されておらず、天長2年(825)に空海により着工されて、承和6年(839)に完成した。 しかし、この創建当初の堂は文明18年(1486)の土一揆による火災で焼失するが、わずか5年後の延徳3年(1491)に現在の講堂が再建されている。、、、、金堂が顕教系の薬師如来を本尊とするのに対し、講堂には大日如来を中心とした21体の密教尊を安置し、立体曼荼羅を構成する。 21体の仏像の内、16体が国宝、5体が重文。 スゲェ~~!
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・・・・・・・・・・ 国宝の御影堂(大師堂)は、かつて空海が住房としていた境内西北部の「西院」と呼ばれる一画に建つ住宅風の仏堂である。 前堂、後堂、中門の3部分からなる複合仏堂で、全体を檜皮葺きとする。 当初の堂は康暦元年(1379)の火災による焼失後、その翌年に後堂部分が再建された。 10年後の明徳元年(1390)、弘法大師像を安置するために北側に前堂、その西側に中門が増築され、現在の姿となった。 堂内には、不動明王坐像(国宝、9世紀)、弘法大師坐像(国宝)が安置されている。
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● 東寺を拝観した後、旅の最後は清水寺へタクシーで向かうが道路は渋滞、超満員のバスがノロノロ運転、観光客がゾロゾロ横断。 まさにオーバーツーリズムを体験する。、、、、バス通りから寺に向かう坂道は、肺活量の少ない私にはチョイト辛い! ハアハア・ゼイゼイ・マイッタね! 茶屋でひと休み!
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・・・・・・・・・・ やってきました清水寺へ。 清水寺は、北法相宗の本山。 宝亀9年(778)延鎮上人が開山、延暦17年(798)坂上田村麻呂の創建と伝える。 音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。 現在の主な堂塔は、寛永10年(1633)徳川家光の再建。 ‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)がある。、、、、舞台の上は満員状態、チョイト斜めに水勾配のある床が壊れるかも? 高所恐怖症の私は、足がすくむ。
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● 楽しい旅もここまで、15時6分発の新幹線に乗車し帰京する。

2025年1月 2日 (木)

三が日は京都旅行(2)

一月二日、今回の旅行の最大の目的地である京都鉄道博物館へ行く。、、、、旅行のきっかけとなったのは、鉄道オタクの孫が京都鉄道博物館に行きたいといったことから始まった。 私の娘(孫の母)も“鉄オタ”、そして私も“鉄オタ”、三人揃えば話は早い! 『正月に行こう!』 入場券の前売り、運転シュミレーターの予約、全て娘が手配済み。、、、、時間が余ったら、近くの京都水族館へ行くことにした。



● 京都駅前のホテルから徒歩30分程で、かつての梅小路機関区の跡地に、平成26年(2014)にオープンした「京都鉄道博物館」に到着。 開館30分前というのに、入口前は既に行列ができている。 子連れ、若者が多い、後期高齢者はまだ並んでいないね!(チョイト恥ずかしい)
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・・・・・・・・・・ 京都鉄道博物館はJR西日本が運営する博物館で、0系新幹線電車の第1号車や、時速300kmでの営業運転を実現しギネスブックにも掲載された500系新幹線電車、戦後の特急列車を牽引した国鉄最大級のC62形蒸気機関車など、歴史的な価値を持つ車両を含め、54両の車両を収蔵・展示してる。 JR東日本が運営する、さいたま市大宮の「鉄道博物館」に同規模程である。 勝るとも劣らない!、、、、まずは屋内展示場を見て回る
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・・・・・・・・・・ 円形の転車台、扇形の蒸気機関車庫(梅小路運転区)に並ぶ日の丸を掲げた蒸気機関車群は圧巻で、子供も老人も、男も女も、イケメンも美人も、皆が感嘆する。 来て見てビックリ、嬉しい施設だ! 
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・・・・・・・・・・ 本物の蒸気機関車が牽引する客車に乗車することもできる、体験展示「SLスチーム号」に乗ってきた! 往復1kmを走る間、蒸気機関車の旅気分を満喫。
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・・・・・・・・・・ 明治37年(1904)に建設され、現役時代は日本最古級の木造駅舎といわれていた「旧二条駅舎」。 平成8年(1996)に京都市指定有形文化財に指定された、現在は京都鉄道博物館の出口を兼ねたミュージアムショップとなっている。、、、、たっぷり楽しませてもらい、3時間の見学となった。
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● 昼食を済ませ、京都鉄道博物館と同じ梅小路機関区跡地に造られた「京都水族館」を見る。、、、、平成24年(2012)に開業した内陸型水族館であり、日本初の完全な人工海水利用型水族館である。 オリックス不動産が公園の一部と隣接地を京都市から借用し経営している。 総合管理業務は大京グループ内ビル管理事業会社のオリックス・ファシリティーズ株式会社が、運営業務はオリックス水族館株式会社が行う。 地元を流れる鴨川に生息する国の特別天然記念物・オオサンショウウオを始め、ゴマフアザラシやケープペンギンなどを含む動物約250種・総数約1万5000匹を展示している。 水槽総容量は約3,000 t。 全水量中の約90%に及ぶ必要海水量は、設計と建設を手掛ける大成建設の高性能濾過システムによって生み出される人工海水で全て賄っている。 建築物は地上3階建て・塔屋1階建て、建築面積5,948.25m2、延べ床面積10,974.29m2、最大収容人数5,000人。 建築費は約60億円。、、、、こちらも、子連れ、カップル、インバウンド客が大半、ここも後期高齢者はチョイト恥ずかしいかも? でも、ここも時を忘れて楽しませてくれて、退館したのは4時半過ぎ。
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● 楽しんだ後は、美味しい夕食とホテルに戻り熟睡だ!

2025年1月 1日 (水)

三が日は京都旅行(1)

今年の三が日は長女の家族と京都旅行に行ってきた。 一月一日、朝東京を出て、伏見稲荷大社、東福寺に初詣。 二日は京都鉄道博物館、京都水族館の見学。 三日は東寺に清水寺を巡る、二泊三日の旅行。 



● 10時半、満員の新幹線にゆられ京都駅に到着。 新幹線改札を出ると目の前には奈良線のホーム、電車が発車直前、人の流れに流され乗車、京都駅から二駅目:JR西日本の稲荷駅で下車。 駅前には伏見稲荷大社の鳥居が見える。
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● 京都の初詣ベスト2にランクする「伏見稲荷大社」、初詣客でスゴイ! 私の住む東京の浅草寺と混みようは変わらず、例年初詣客の人出は250万人らしい。、、、、朱塗りの楼門は、天正17年(1589)に豊臣秀吉が寄進したと伝えられている。 重要文化財の本殿は明応8年(1499)に再興された檜皮葺きの社殿。 どちらも、人混みの中、全体像を撮影できず、ただただ人の頭を見ながら社殿に向かう。
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・・・・・・・・・・ 拝殿で手を合わせ、後背にある稲荷山の千本鳥居を歩く。 我が孫は、朱塗りの鳥居が続く情景に期待を膨らませ京都に来たようだ。 インスタ映えする鳥居の景色は期待を裏切らなかった。、、、、山頂まで続く鳥居の参道には、年末のこむら返りの痛みが残る私の足が悲鳴をあげ、中腹の「
熊鷹社」で引き返すことにした。
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● 伏見稲荷大社を後にして、山裾の住宅地を歩き抜けると、東福寺の山門が見えた。、、、、東福寺は臨済宗東福寺派の本山。 摂政九條道家が聖一国師を開山として菩提寺建立を発願、嘉禎2年(1236、鎌倉時代)より19年の歳月をかけて建長7年(1255)に七堂伽藍を完成した。 京都五山の一つ。 壮観を極めた伽藍であるが、度重なる兵火と明治14年(1881)の失火で仏殿、法堂、庫裏などを焼失、以後、逐次再建された。 禅宗伽藍を代表する室町最古の三門(国宝)をはじめ、浴室、東司(便所)禅堂(いずれも重文)など室町時代の禅僧の生活を知る上で貴重な建築が残る。 境内の通天橋は紅葉の名所。、、、、伏見大社に比べると極めて少ない参拝客(まばらな人影)に、我が家の一行はホットする。
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・・・・・・・・・・ まず目に入ったのは、禅宗寺院としては最古最大最優の国宝である「三門」。 室町時代の国宝建造物。 和様、大仏様(天竺様)の建築様式を取り入れてる。 棟高は22m余の三門、楼上からは洛南一帯を一望できる。 一目見て、スゲ~~!
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・・・・・・・・・・ 東福寺の法堂(本堂)は、明治14年(1881)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年から再建工事にかかり、昭和9年(1934)に完成した。 高さ25.5m、間口41.4mの大規模な堂で、昭和期の木造建築としては最大級のもの。 国宝に指定されている。 堂内には、本尊の釈迦如来像(鎌倉時代の作)が座している。
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・・・・・・・・・・ 秋の紅葉の名所「通天橋」も、葉が落ちた冬は訪れる人も少ない。、、、、仏殿から常楽庵に至る渓谷に架けられた橋廊で、天授6年(1380)に架けたと伝えられる。 昭和34年(1959)台風で崩壊したが2年後再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリート造となった。(秋の通天橋の写真は、14年前に撮影)
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・・・・・・・・・・ 方丈は明治23年(1890)に再建された。、、、、本坊庭園「八相の庭」は近代の造園家、重森三玲によって昭和14年(1939)に作庭され、方丈を囲んで四方に配される。 釈迦成道を表現した枯山水庭園。
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● 夕刻、京都駅前の「都ホテル」にチェックイン。 正月気分で夕食となる。
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