再び弥彦・新潟へ (2)
新潟市内でお目覚めし、今日はのんびり市内をブラブラし、午後3時発の新幹線で帰京する。 新潟市内は一昨年、彌彦神社の帰りにチョイト歩いたので、今日は歩いていない処を見て回る。
● 萬代橋際のホテルを出て、国道7号を海側に歩くと「本町交差点」(新潟市中央区)がある。 この交差点は、5本の国道の起点、3本の国道の終点であり、合計8本の国道が集合している「日本一 国道が集まる 交差点」として、多くの国道好きな道路オタクの聖地である。 交差点角に、8路線の起終点を示す標識である、道路元標が設置されている。、、、、、 当交差点を起点とする国道は、国道7号(終点:青森市)、国道8号(終点:京都市)、国道113号(終点:相馬市)、国道289号(終点:いわき市)、国道350号(佐渡島経由、終点:上越市) 当交差点を終点とする国道は、国道17号(起点:お江戸日本橋)、国道116号(起点:柏崎市)、国道402号(海岸線経由、起点:柏崎市)、、、、、要するに、ここ新潟は日本海側の交通の要所であることが実感できる!
● 道路元標のある交差点から北の方にチョイト歩くと、「古町花街」と呼ばれる一角がある。 路幅の狭い縦長の小路に何軒も料理屋や居酒屋が連なる古町の花街。 いわゆる三業地であったと思われる。 今風の店に変わった建物もあるが、所々に往時を偲ぶような渋い建物も残っている。、、、、、午前8時、綺麗に清掃された、まだ静かな小路、アルコールはダメな私でも、夜歩いて芸妓に会いたかったね!
・・・・・・・・・・ 花街の中で、ひときわ大きな料亭があった、創業は弘化3年(1846)の「鍋茶屋」。 建物は国の登録有形文化財。
● 古町花街から西へ、西堀通り沿いに寺院が並ぶ「寺町」がある。 西堀通だけで,20数か寺あるそうだ。 これらの寺院は、戦国時代から江戸時代初めにかけて、北陸や信州から移転してきたものが大半を占めているらしい。、、、、、今旅では、夫婦で数カ寺に参ってきた。(多くの寺を回ると賽銭貧乏になるので、ほどほどに!)
・・・・・・・・・・・ まずは、曹洞宗の「宗現寺」。 宗現寺は、元亀年間(1570~1573)真言律院として開創。 その後、慶長元年(1596)に曹洞宗に改宗した。
・・・・・・・・・・ 続いて隣の「金潮山 真城院」へ参る。 鎌倉時代の建保4年(1216)、鑁照阿闍梨によって開創されたのが始まりと言われてる。 戦国時代には新潟城主も寄居土佐守の祈願所として庇護され隆盛したとのこと。 真言宗のお寺。
・・・・・・・・・・ さらに続いて「勝楽寺」に参る。、、、、、天福元年(1233)、三州安城村の城主、安藤権頭が親鸞聖人に帰依したことに始まる。 新潟へは、慶長年間に安宅関より多くの壇中と一緒に移ってきた。 当時、勝楽寺を守った武士団の鎧や槍を保存している檀家も多く、その品々が当時を偲ばせるという。 江戸から明治への転換期には、会津軍事顧問のスネイルが宿泊して指揮をとった。アメリカ軍公使やフランス軍艦長などとの会見にも使われ、西洋料理が供されたという。 開港にともない、イギリス領事館が置かれた。 幕末の激動期を見守ってきた本堂も、明治13年の大火で焼失した。
・・・・・・・・・・ 寺巡りの最後は、「真宗寺」、、、、、長崎山真宗寺は、1000年の歴史を持つ寺。 真宗大谷派(東本願寺)を本山に持つ。、、、、、鎌倉幕府の執権北条高時の家臣「長崎為基」 主家滅亡の後、出家。 本願寺覚如上人に帰し円海と称し正平8年、加賀国能美郡に一宇を創建し称名寺と号した。 その後、寺号を改め真宗寺と称した。 慶長年間当地新潟に移転した。 本堂は明治19年(1886)建立。
● 寺町から次なる目的地「旧小澤家住宅」に向かう道筋に、チョイト興味ある建物があった。
・・・・・・・・・・ 古町通りにあった「吉野活版所」なる建物、、、、、吉野活版所は大正5年(1916)に建てられた印刷所の建物らしい。 古くなり取壊し直前に、「ARTEFAKT」という会社が所有し、この貴重でとても魅力ある建物を将来に残す活動をしているそうだ。、、、、、吉野活版所は2代目当主である吉野松次郎氏の設計によって、大正5年に建てられた。 木造3階建て洋風ファサードからは想像できないほど中は無造作に増築されていて、応接室、事務所、作業場、住居と奥へと続く迷路のようです。 新潟初のエレベーターもあるらしい。 チャレンジ精神旺盛でモダニストで評判だった吉野氏のこだわりが詰まったこの建物は、まさに新潟に存在する数少ない看板建築の一つ。
・・・・・・・・・・ 本町通りを歩くと、妻入で、正面2階に半円アーチと矩形の窓が並ぶ、銅板張りの建物があった。 料亭「大橋屋」の本館建物である。 を並置し,壁面を銅板網代張り,その上部に2重の入母屋屋根を見せる。内部は二・三階に客室を設け,各座敷の天井や開口部などに意匠を凝らし変化に富む造作を見せる。 昭和10年(1935)頃の建物らしい。 全国から銘木を集め、他に類のない意匠を配した本館は国の登録有形文化財。、、、、、大橋屋の歴史は慶応2年(1866)初代大橋太吉が新潟奉行川村修就の屋敷を買い取り、鮮魚仲買商を始めたことに端を発するそうだ。 大正9年(1920)には四代目慎太郎が、婚礼料理と精進料理の仕出しを始め、料亭の礎を築いたそうだ。
・・・・・・・・・・ 旧小澤家住宅に近い中央区上大川前通に、古くからの港町新潟の風情を残す建物があった。 築110年を超える漁業家「片桐家住宅」である。 平屋の商家が港町の景観を形成している。 この建物も国の登録有形文化財。
● 「旧小澤家住宅」は、江戸時代後期から新潟町で活躍していた商家:小澤家の店舗兼住宅。 平成14年(2002)に、小澤家から新潟市へ土地と建物が寄贈され、新潟市の文化財として公開されている。、、、、、上大川前通に面する敷地(約1600平方メートル)の中に、主屋や土蔵などの建物(延床面積約860平方メートル)がある。 敷地の南側には、思案小路に沿うように主屋・道具蔵が並びます。 道具蔵は、開口部に残る焦げ跡や鬼瓦のヘラ書きなどから、明治13年(1880)8月の大火以前の建設、主屋はその直後に再建されたものと推測されます。旧新潟町に現存する町家では最も古いものの一つ。、、、、、内部、庭園などを一巡し、その巨大さに驚き、当時の商家は『金持ちだったね!』
● 高麗犬を廻して願掛けをする「願懸の高麗犬」があることで知られている、「湊稲荷神社」に来た。、、、、、湊稲荷神社は、18世紀始めに前川三城が出羽国の米沢より新潟の地に、この地を開拓するようにとの御神託を授かり鎮座したものだ。 江戸末期より花柳界の信仰を集めて通称、道楽稲荷様と呼ばれている。、、、、、この神社の“売り物”は、ます願いごとを心に念じながら願懸の高麗犬を回すと願いが叶うと言われている。 願懸けは、男性は向かって右の高麗犬を、女性は左の高麗犬を、願い事を念じながら回し所願成就を祈願するのが習い。 昔、花街の女性達が港から船乗りが出て行かないよう、高麗犬の向きを変え、荒天祈願をしたのがはじまりとか(?)、、、、、私の願いはただ一つ“世界平和”と言おうとしたが、やはり素直に“宝くじ一等当選”を祈願した。 石の狛犬は回すのも、かなりの力仕事だ! 願いが叶えば御礼参りにまた来よう!
● 旅の最後の観光スポットは、昭和47年(1972)に開館した「新潟市郷土資料館」。、、、、、新潟市郷土資料館は、開館後の昭和57年(1982)には当時の本館(旧新潟税関庁舎)に隣接して旧新潟税関石庫(いしぐら)が復元された程度で、チョイト展示物としては寂しい状態であった。 その後、郷土資料館としては平成15年(2003)に一旦閉館し、新築・改装など工事が行われた後、平成16年(2004)に新たに建設された博物館本館と、移設・復原された旧第四銀行住吉町支店の公開を開始し、名前も「新潟市歴史博物館」となり、「みなとぴあ」の愛称も命名された。
・・・・・・・・・・ 「旧新潟税関庁舎」は、開港五港の中で唯一現存する、開港当時の運上所(税関)の遺構。いわゆる擬洋風建築の一例で、赤瓦葺きの屋根とナマコ壁の外観にアーチ状の玄関口と塔屋などの洋風の意匠を取り入れている。 戊辰戦争終結後の明治2年(1869)10月に「新潟運上所」として開所した。 国の登録有形文化財。、、、、、この建物は当館前身の新潟市郷土資料館の本館として使用されていた。
・・・・・・・・・・ 「旧新潟税関石庫」は、運上所の開所以来、保税倉庫として使用していた。 しかし、石庫の老朽化が著しくなったため昭和38年(0963)に解体され、一時保管された。 石庫の復元工事は1年半掛かりで行われ、昭和57年(1982)に竣工した。
・・・・・・・・・・ 「旧第四銀行住吉町支店」は、昭和2年(1927)10月に竣工した第四銀行住吉町支店が、平成15年(2003)にみなとぴあ敷地内へ移築されたもの。 移築が難しい鉄筋コンクリートの骨格部分は新たに作り直されたが、花崗岩製の外壁や列柱、ロビー部の大理石製のカウンターなどが建設当初の姿に復原された。 平成17年(2005)に国の登録有形文化財に登録されている。
・・・・・・・・・・ 「博物館本館」は、かつて西堀通六番町に所在した、二代目新潟市庁舎の外観をモチーフに建設された。 柾谷小路と西堀通に面した角地で古町からも至近の市内中心部に所在した二代目庁舎は、初代庁舎が明治41年(1908)の大火で焼失したのを受けて同地で再建されたもので、明治44年(1911)に竣工した木造モルタル仕上げのL字型の建物であった。この二代目庁舎は昭和8年(1933)に焼失したが、市庁舎はその後も四代にわたって同地で再建された。現在の本館は平成16年(2004)に新たに建設された。、、、、建物内部はシアタールーム、展示室、セミナー室などで構成されている。
● 新潟駅から、お帰りです~~