旅行・地域

2026年6月 9日 (火)

西ノ京

奈良で二日目、我が妻は二年前東大寺で鹿と戯れた感動が忘れられず、再び鹿と遊びたいと言い出し、今日はまず奈良公園に行って鹿とご対面することにした。 その後、60年前の修学旅行を思い出し、西ノ京の唐招提寺・薬師寺を参拝することにした。



● ホテルの朝食は、「奈良の朝ごはん」と称して三輪素麺/柿の葉寿司/興福寺の粕汁/興福寺の精進汁/茶粥など、奈良名物のバイキング。昨日、大神神社で食べることができなかった三輪素麺も食すことができ妻は満足、朝から機嫌良し!、、、、、チェックアウト後、奈良公園へ向かう。
“鹿せんべい”を片手に、鹿に追い回され楽しむ“婆さん” 
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● 平城京の右京(朱雀大路の西側)で、唐招提寺・薬師寺・西大寺などがある一帯を“西ノ京”という。 鹿と遊び終えた私達は、その中心的な寺院である唐招提寺・薬師寺(両寺とも平成10年(1998)世界遺産登録)に行ってきた。 修学旅行から60年程経過し、“知っているが忘れてしまった”寺院である。



唐招提寺(とうしょうだいじ)は南都六宗の一つである律宗の総本山である。 山号はない。 本尊は盧舎那仏。 開基は鑑真。 多くの苦難の末、来日した唐出身の僧鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開いた。 「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけであった。 金堂は8世紀後半に完成した。

・・・・・・・・・・ 昭和35年(1960)に天平様式で再建された、五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物である「南大門」から入山する。
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・・・・・・・・・・ 南大門をくぐると正面に奈良時代(8世紀後半)の建築で、荘厳な姿の「金堂」(国宝)が見える。 堂内には、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並び、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気が漂う。
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・・・・・・・・・・ 金堂の後には、奈良時代(8世紀後半)の建築で国宝の「講堂」が並ぶ。 
平屋の入母屋造で、天平時代の平城宮の面影をとどめる唯一の貴重な建築物。 内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されている。
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・・・・・・・・・・校倉造の二棟の建物は「宝蔵」と「経蔵」(ともに国宝) 日本最古の校倉である。
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・・・・・・・・・・ 境内の北東の奥まった静かな場所で、苔が緑の絨毯を敷き詰めたような景観で迎えてくれる鑑真和上の墓所「開山御廟」がある。 雨上がり、苔の緑に癒されながら御廟に進む。
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● 唐招提寺から南へ約700m歩くと薬師寺の興楽門(表門は南側の南門で、こちらは裏門かも?)がある。 拝観受付がある。
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・・・・・・・・・・ 薬師寺は法相宗大本山寺院。 山号はなし。 本尊薬師三尊。 南都七大寺の一つ。、、、、、薬師寺の歴史は天武天皇9年(680)に天武天皇が皇后鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願したことに始まる。 しかし、天武天皇は薬師寺の完成を待たずに崩御し、持統天皇が即位し新都藤原京に薬師寺(元薬師寺、現在は廃墟)が造営されました。 697年には、本尊薬師如来の開眼が行われた。 710年、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都される。 遷都にともなって薬師寺も平城京右京六條二坊の現在の地へと遷る。 当時の薬師寺は、天平時代までは天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要な堂には裳階がつけられ、 その壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていた。 しかし、歴史の中で多くの堂塔が火災や地震で失われ、特に、享禄元年(1528)の兵火は激しく、金堂、西塔、大講堂などが焼失した。 そのなかで唯一創建時から現存するのが国宝の東塔である。
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・・・・・・・・・・ 薬師寺の伽藍配置は、中央に本尊を祀る金堂と、東西に二基の塔を配する「薬師寺式伽藍配置」という。 この伽藍配置は薬師寺が日本で最初である。 伽藍の中央に配された現存の「金堂」は、昭和51年(1976)の再建である。、、、、、金堂に白鳳時代の仏像で、本尊である薬師如来を中央に安置し、その右には日光菩薩、左には月光菩薩を配し、「薬師三尊像」として祀られている。 いずれも国宝。 仏様を見ていると、『何となくスゲー!』
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・・・・・・・・・・ 創建当時から残る唯一の建物である「東塔」 白鳳時代の建物で、もちろん国宝。 塔は各層に裳階を付けているため六層に見えるが、三重塔である。
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・・・・・・・・・・ 金堂の西側にある「西塔」は昭和56年(1981)の再建。
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・・・・・・・・・・ 多くの学僧が仏教の教学を学んだ古代の伽藍では、金堂よりも講堂が大規模であったそうだ。 その「講堂」は平成15年(2003)に再建された。
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・・・・・・・・・・ 今でも薬師寺は修学旅行で人気の訪問先だ! 多くの生徒が、法話を聴いてから境内を回る。
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・・・・・・・・・・ 薬師寺を去る前に、私達も記念撮影!
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● 西ノ京の二寺を巡り、イザ!東京へ戻ることにした。 近畿日本鉄道(近鉄)橿原線の西ノ京駅から、京都に出て東京へ。、、、、、西ノ京駅は大正10年(1921)4月1日に大阪電気軌道畝傍線(現在の橿原線)の西大寺~郡山(現:近鉄郡山)間開通時に開業した。 その後、関西急行鉄道の駅となり、昭和19年(1944)により近畿日本鉄道の駅となる。 駅は相対式2面2線のホームを持つ地上駅。
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2026年6月 8日 (月)

女人高野

五月の連休は遠出せずに過ごし、月末に夫婦で奈良に行く予定を立て、切符の確保、ホテルの予約を済ませておいた。 しかし、旅行の3日程前に私が“謎の風邪”を患い、急遽6月2日に変更した。 切符は取り直し、ホテルは予約変更をして一安心。 ところがギッチョン、6月2日・3日と台風6号の襲来。 急遽、直前になって再び予定変更、今度は6月8日・9日とした。 再三、出鼻をくじかれた旅行だが、8日に室生寺・大神神社へ、9日には西ノ京の唐招提寺・薬師寺へ、妻と二人で旅してきた。



● 名古屋から近鉄特急に乗り換え名張駅へ、名張で各駅停車に乗り換え室生口大野駅で下車する。 下車する人は数人(乗降人員は約1350人/日)で寂しい限り。、、、、、「室生口大野駅(むろうぐちおおのえき)」は、奈良県宇陀市のにある山間の駅。 同駅は昭和5年(1930)10月10日、参宮急行電鉄の榛原~伊賀神戸間開通時に開業。 昭和16年(1941)には大阪電気軌道との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。 昭和19年(1944)に会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。   相対式2面2線のホームを持つ地上駅。 ホームは築堤上にあるため、駅舎(無人)はホームよりも下にある。 駅前には広いロータリがあるが、発着するバスは1時間に1本(平日7便、土休日は8便)の室生寺行のバスだけ。、、、、、バスで室生寺までは所要15分、山間を奥へ奥へと入っていく。
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● バスを降り門前の店を抜けると、室生川に架かる朱塗りの太鼓橋が出迎えてくれる。 私は30年程前に一度来たことがある、今回は2度目の参拝である。 長い年月が当時の記憶をほとんど消してしまい。 以前来たときは、大きな台風の後で、五重塔の屋根が一部破損していたことぐらいしか記憶に残ってない。 今回は記憶に頼らず、夫婦ともに新たな気持ちで参拝する。、、、、、室生寺(むろうじ)は、宇陀市室生の地にある山岳寺院で、真言宗室生寺派の大本山。 山号は宀一山(べんいちさん)または檉生山(むろうさん)。 本尊は如意輪観音。、、、、、平安時代を通じて興福寺別院としての性格が強く、俗世を離れた山林修行の場、また、諸宗の学問道場としての性格も持っていた。 中世以降の室生寺は密教色を強めるものの、なお興福寺の末寺であった。 興福寺の傘下を離れ、真言宗寺院となるのは江戸時代のことである。 真言宗の拠点である高野山は南西に55キロメートル離れるが、かつては女人禁制であったことから女性の参詣が許されていた室生寺には、「女人高野」の別名がある。
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・・・・・・・・・・ 太鼓橋を渡ると室生寺表門山門と続く、、、、、ここは奈良市内からも外れ、訪れる人は少ないようだ。
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・・・・・・・・・・ 室生寺はシャクナゲの名所としても知られ、境内には約3,000本ものシャクナゲが育てられているそうだ。 シャクナゲは5月までで、今はすべて散った後である。 その代わりかも(?)、池の周囲にはアジサイが!
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・・・・・・・・・・ 仁王門をくぐり池を過ぎると、自然石積みの幅広い石段の参道「鎧坂」がある。 石段の両脇には低木のシャクナゲが植えられ、それらを見守るように高木の枝々が茂っています。 石段を登り始めると頂きに金堂の屋根が見える。 この景観は多くの写真で見慣れている人も多いはずだ!
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・・・・・・・・・・ 鎧坂を上ると、金堂(平安時代、国宝)の柿葺寄棟造りの屋根が次第に迫り上がって見え、登りきると金堂が正面に見える。 金堂の内陣には、中央に釈迦如来立像(国宝)、右手には薬師如来立像(重文)、左手には文殊菩薩立像(重文)の三尊が並んでいる。 その手前には従者である十二神将立像の内、六体が安置されている。 丁度「金堂特別拝観」が実施されており、入堂でき仏様を身近に拝観(撮影は禁止)することができた。
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・・・・・・・・・・ 金堂の斜め前に三間四方の杮葺きの弥勒堂(鎌倉時代、重文)がる。 弥勒菩薩立像(重文)を安置する堂である。
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・・・・・・・・・・ 金堂から石段を上ると、本堂(鎌倉時代、国宝)がある。 室生寺の本尊、如意輪観音菩薩像(重文)が安置されている。、、、、、この山の中で700年以上の年月を静かに過ごし、諸堂、諸仏が現在に残っているのは驚きである。、、、、、本堂の後には五重塔が見える
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・・・・・・・・・・ さて、本堂から見えた五重塔(平安時代初期、国宝)に向かう。 五重塔は総高16.1m、屋外に建つ五重塔では国内最少である。、、、、、今回の旅行で、最も見たかった景観である。 『やっと着いた! 感動した!』 妻とツーショット!
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● 室生寺を後にして、宿のある奈良市内に向かう途中、本場の三輪素麵を食べたくて、大神神社に寄って行くことにした。 JR桜井駅の着いた頃(時刻は4時過ぎ)より雨粒が落ちてきた。 小雨降る中、大神神社に着いたが、参道の素麺屋さんはどこも店じまいしており食することはできず、妻はガッカリ! せっかくだから土産に素麺を購入。、、、、、、大神神社(おおみわじんじゃ)は雨中の参拝となる。 大神神社は、桜井市三輪にある、三輪山を神体山とする神社。 日本最古の神社。 旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社と呼ばれた。中世以降は三輪明神と呼ばれ、両部神道の一つ三輪神道の本拠地であった。 明治時代になり「大神神社」と改名された。
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● JR三輪駅(みわえき)から、JR西日本の桜井線(万葉まほろば線)で奈良駅に向かう。、、、、、三輪駅は明治31年(1898)5月11日に奈良鉄道が京終駅~桜井駅間で開業した際に設置された。 その後明治40年(1907)に国有化された。 相対式ホーム2面2線を有する無人の地上駅だある。 1日平均乗降人員は1,300人程でチョイト寂しい雰囲気が漂う駅。
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● 泊りは奈良駅前の「ホテル日航奈良」、度々直前に宿泊日を変更して御免なさい! その都度、気持ち良く対応していただき、ありがとう!
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2026年4月10日 (金)

京都)雨中の仁和寺で花見

京都駅前のホテルでお目覚め。 外は大雨。 『困ったな、どうしようか?』  『ここ京都駅に近い京都国立博物館に行って雨をしのぐか?(観光ガイドブックで開館中と確認済み)』・・・・・・とりあえず朝食を食べにレストランへ行く、途中のロビーには京都市内の名所の開花情報が案内されていた。 昨日の醍醐寺は“散りはじめ”の表示、萬福寺は情報なし。 満開の表示が仁和寺、天竜寺、鞍馬寺などに表示されていた。・・・・・・ゆっくり朝食を済ませ、部屋の窓から見ると外は小雨。 咄嗟の判断で『小雨だ、今ならタクシーで仁和寺まで行ってみよう。 桜が見られるかも?』 急ぎチェックアウトを済ませ。 タクシーで仁和寺に向かう。
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仁王門前(重文)でタクシーから降りると、雨は小雨。 『このまま大雨にならなければ良いのだが?』、、、、、仁和寺は宇多天皇が仁和4年(888)に創建して以来、法親王が住持し「御室御所」と呼ばれた。 歴代住職の多くは天皇家から迎えられたことから、門跡寺院として知られている。 
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・・・・・・・・・・ まずは仁和寺の本坊である「本坊御殿」へ。 ここでは、池泉式庭園と宸殿などの御殿群建造物が調和のとれた景観を描いてる。 まさに、天皇をはじめ皇族の住まいとして使用されてきた場所である。、、、、、小雨の時に入ったが拝観してる間に大雨となり、宸殿の縁先にてしばし時間を過ごす。 優雅な一時と言いたいが、雨が気にかかり絶望的だ!
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・・・・・・・・・・ 本坊を出て、朱塗りの中門(重文)をくぐると、御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)の他、五重塔(重要文化財)や観音堂(重文)、御影堂(重文)等が見えてくる。、、、、、♪♪ 土砂降りの雨の中で カメラは濡れた やさしい人の想い出を 写真に収めて みんな知ってたの いつかこうなると(和田アキ子の声で)♪♪
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・・・・・・・・・・ 御室はの名所としても知られ、境内の背丈の低い桜は「御室桜」として有名である 。 御室桜観桜の記録は万治4年(1661)まで遡るとのこと。、、、、、仁和寺はまた、宇多天皇を流祖とする華道「御室流」の家元でもある。
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● 仁和寺の門前で、雨宿りを兼ね昼食をとる。 店の人に聞くと、仁和寺の前に京都駅行きのバスが来るそうだ。 帰りの新幹線は17時、今は12時前、『京都国立博物館に行こう!』・・・・・・バスに揺られて40分、京都駅前着。 さらに、バスを乗り換え15分、博物館三十三間堂前に到着。 バス停は三十三間堂と博物館の真ん前だ『博物館に行く前に三十三間堂を観て行こう!』(神の知らせか?虫の知らせか? 土砂降りの雨も止まぬ中で、博物館は後回しにして、三十三間堂に寄って行く)



三十三間堂は、正式には「蓮華王院(れんげおういん)」で、天台宗の古刹。 鎌倉時代に再建された本堂(国宝)は南北約120メートルの長大なお堂である。 中央に安置されている本尊千手観音坐像が1体と、左右に5百体の千体千手観音立像が並ぶ、合計1001体(全て国宝)の観音様が圧倒してくる。 さらに観音様の前には、二十八部衆像と風神・雷神像が配されている。 (堂内でのカメラ撮影は禁止、残念なり)、、、、、外は土砂降り。 この雨じゃ~、外に出られない。
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● 小雨になったので、三十三間堂の前にある京都国立博物館に向かう。 チケット売場の女性が『ただいま展示会の準備で、展示室は閉室しています。 庭園のみご覧いただけます。』の一言・・・・・・朝、ホテルで見たガイドブックには開館中となっていたが、展示品入れ替えの休館までは考慮されていなかった。 この雨の中、朝一で来ていたらどうなっていたことやら? 仁和寺、三十三間堂と観て廻ってきたのが正解だった!・・・・・・チケット売場の女性が、もう一言『70歳以上の方は、無料で庭園のみご覧いただけます。』 私と妻は雨の中でニッコリ。 チョイと入れてもらって、明治古都館旧帝国京都博物館本館、重文)の写真を撮ってきた。 明治古都館は、当時ヨーロッパ各地を訪問し、洋風建築を学んだ片山東熊の設計によるものです。 赤レンガの壁面が美しい建築物です。
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● 雨の京都は辛かった!
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2026年4月 9日 (木)

京都)醍醐の花見、残念!

昨年は満開の姫路城、今年は醍醐の花見に行こう!』と、夫婦で3月初旬に計画した。 3月末のホテル予約を済ませたが、中旬なると満開にはチョイと早いかもと思い、ホテルの予約を4月9日に変更してしまった。 これが大失敗、醍醐寺の桜は散りはじめていた。 満開の醍醐寺を想像しながら参拝する。 続いて、黄檗宗の大本山である近くの萬福寺にも参拝してきた。 夫婦二人旅です。



● 京都駅から醍醐寺行のバスで、12時に境内に到着。 目に入ってきたのは散りはじめた“桜”、『やっぱりチョイト遅かった!』 
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・・・・・・・・・・ まずは、総門の西側に一画を占める「三宝院」を拝観する。 三宝院は醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により、永久3年(1115) に創建された。 以来、醍醐寺座主の居住する本坊として醍醐寺の中核を担ってきた。、、、、、秀吉が自ら設計したという緑豊かな庭園が広がる。 桜は少ないが、京都らしさが漂う。
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・・・・・・・・・・ 醍醐寺は貞観16年(874、平安時代初期)、空海の孫弟子理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのに始まる。 200万坪におよぶ広大な境内地に現存する堂宇のほとんどは桃山時代以降のものだが、金堂(国宝)は平安時代後期の建立(和歌山県満願寺の本堂を移築)、どっしりと落ちついた五重塔(国宝)は天暦6年(952)の建立で、府内最古の木造建築物。 また、国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵している。 真言宗醍醐派の総本山である。 豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られている。、、、、、今日、二人の“醍醐の花見”は“醍醐の葉桜見”となった、残念!
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● 醍醐駅から市営地下鉄、JRと乗り継ぎ黄檗駅(おうばくえき)で下車。 乗降する人も少なく、静かな駅である。 駅から住宅地を抜け、徒歩5分程で萬福寺総門前に出る。 駅から近い!、、、、、、萬福寺は私が学生であった頃、一度来たことがある。 その時の印象も残り今回再度拝観する機会となった。
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・・・・・・・・・・ 黄檗宗大本山「萬福寺」(山号は黄檗山)は寛文元年(1661)に中国僧「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創。 その後幕府の政策等により、宗派を黄檗宗と改称し現在に至ります。 日本でいう「禅宗」は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類される。 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた左右対称の伽藍配置である。 創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例が無く、代表的禅宗伽藍建築群として、天王殿・大雄宝殿・法堂3棟が国宝、他主要建物20棟・回廊・額などが国の重要文化財にそれぞれ指定されている。、、、、、隠元禅師が伝えた中国風精進料理「普茶」は、300数十年の伝統を受け継ぐ料理である。 萬福寺で頂くことができるのだが要予約、ぶらり立ち寄った私達はダメ!、、、、、境内には“桜”ではなく“松”が多く、京都の春夏秋冬を花で愛でる寺院とは趣を異なるものとしている。

・・・・・・・・・・ 総門を入ると、すぐに三門が見える。 三間三戸で、重層の楼門造り。 左右に裳階(もこし)、山廊があります。
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・・・・・・・・・・ 山門をくぐると、真っ直ぐに敷石が伸び、その先に萬福寺の玄関となる天王殿(国宝)が設けられている。 内部には、高さ110.3㎝の布袋様が祀られている。 布袋は弥勒菩薩の化身といわれてる。 
布袋は名を契此(けいし)といい、南宋の高僧で、定応大師と号した。
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・・・・・・・・・・ 天王殿を抜けると、その先に萬福寺の本堂にあたる大雄寶殿(だいおうほうでん、国宝)がある。 日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物として、大変重要かつ貴重な建物である。 本尊は釈迦牟尼佛。 両脇侍は迦葉、阿難の二尊者。両脇に十八羅漢像を安置。 正面入口は魔除けとされる桃の実の彫刻を施した「桃戸」、左右に円窓。 上層の額「大雄寶殿」は隠元書。
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・・・・・・・・・・ 大雄寶殿の奥には法堂(国宝)がある。 法堂は禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所。
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・・・・・・・・・・・ 三門の左側に開山堂(重文)がある。 白壁・卍の勾欄・白砂などが目前に広がる、特徴的な建物。
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・・・・・・・・・・ 叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器である魚鼓。 諸堂を結ぶ回廊。 境内で多く見られる印象的な松の木
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● 萬福寺を拝観した後は、京都駅前のホテルに向かう。 明日の天気が気になる二人・・・・・でも、寝つきは良く。 Good night!

2026年1月15日 (木)

修善寺旅行

14日・15日、夫婦で伊豆修善寺温泉に行ってきた。 修善寺温泉には10年ぶりの旅行で、以前に来た時のことを思い出しながら、ボケてないことを互いに確認しあう旅となった。


● 東京ー三島間は往復新幹線を利用し、三島から修善寺までは伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)を利用してのんびり旅。 路線名の駿豆とは駿河国と伊豆国を意味するが、これはかつて同線が駿河国に属する沼津市と伊豆国に属する三島市の間に軌道線(路面電車、1963年廃止)を運行していた駿豆電気鉄道の路線だったことに由来する。、、、、、現在の駿豆線は、営業キロ : 19.8 km、軌間 : 1067 mm、駅数 : 起終点駅含め13駅、全線単線電化の路線である。、、、、、普通列車は日中おおむね20分間隔で三島駅 - 修善寺駅間を運行している。 東京から東海道本線を経由して特急「踊り子」(5両編成)が平日2往復・土休日3往復乗り入れてる。 JRが乗り入れてる路線であるから、Suica、PASMOなどのICカードを利用できるかと思ったら、ダメだった。 切符を購入して乗車すること!

・・・・・・・・・・ 昭和9年(1934)開業の現在の伊豆箱根鉄道三島駅から乗車。 JR三島駅からは連絡改札がある。 頭端式ホーム2面3線の地上駅。 南側の単式ホームが7番線、北側の島式ホームが8番線と9番線である。、、、、、特急「踊り子」号は直通運転の関係からJRの1番線を発着する。

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・・・・・・・・・・ 三島駅から二駅目の三島田町駅。 明治31年(1898)に開業した古参駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線の地上駅で、三嶋大社への最寄り駅である。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から八駅目が、
明治31年(1898)5月20日開業の駅伊豆長岡駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線を有する地上駅。 各ホームは富士山がよく見える跨線橋で結ばれている。、、、、、 駅から100m先の青い橋(狩野川に架かる千歳橋)を渡ると、伊豆長岡町の町で、古奈温泉・長岡温泉の湯の町となる。、、、、、私達は駅前からバスで「伊豆パノラマパーク」へ行った。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から十二駅目は、駿豆線の終点駅、
大正13年(1924)に開業した修善寺駅。 頭端式ホーム3面5線の地上駅。、、、、、 ホームには懐かしの洗面台があった。 汽車に揺られて長旅の終着駅、ホームに降りて煙の煤で汚れた顔を洗い、口もすすいで、イザ温泉へ! 
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● 伊豆長岡駅からバスで20分程、「伊豆パノラマパーク」へお立ち寄り。 伊豆パノラマパークは、伊豆長岡駅から南西に約4㎞の所にある標高452mの葛城山の山頂と北麓を利用した観光リゾート施設である。 傾斜長1,791.95m、最大高低差411.11mのゴンドラで山頂に登り、山頂では「碧テラス」と称する展望台がある。 展望台からは
富士山と駿河湾の望める360度の大パノラマが望める。 富士山の眺望は素晴らしい!
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・・・・・・・・・・ 山頂から、、、、、円形のデッキの外側には、人が入らないように水が張られてる
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● 修善寺駅からバスで10分、修善寺温泉で降りる。 温泉街の中心はなんと言っても曹洞宗の寺院「修禅寺」

・・・・・・・・・・ 修禅寺は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院。 山号は福地山。 正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」で、略して福地山修禅寺と呼んでいる。 修善寺温泉街の中心に位置する。 地名は「修善寺」、寺名は「修禅寺」で、表記が異なるが、両方とも「しゅぜんじ」と読む。 初期には「桂谷山寺」と呼ばれており、鎌倉時代より「修善寺」と呼ばれていたが、鎌倉時代中期に臨済宗に改宗し「善」を「禅」に変更したとの説がある。 鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたことでも知られている。、、、、、現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものである。 修禅寺には国の重要文化財に指定された木造大日如来坐像がある、また県の文化財が2点あるが、そのほかには目ぼしい文化財はない。 せめて、山門、本堂などの建物が文化財であったら良かった、チョイと寂しいね!
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・・・・・・・・・・ 修禅寺の東側100m程に、見応えある
大きな杉の木とトチノキがある「日枝神社」が鎮座する。 ここは、かつて修禅寺の信功院があった場所で、源範頼が兄・源頼朝から幽閉された場所。 
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・・・・・・・・・・ 日枝神社の西側600m程の山腹に、「源範頼の墓」がある。 幽閉後、梶原景時率いる兵の不意打ちにあい、防戦の末に自刃したと伝わる。、、、、、民家の裏山にある古ぼけた墓だが、“源範頼の墓”と言われると、一見すべき墓なのかも?
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・・・・・・・・・・ 修禅寺山門前に流れる桂川の中に、空海が修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ心うたれ、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させた(?)といわれてる「独鈷の湯」がある。 この湯が修善寺温泉発祥の湯ともいわれてる。
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● 桂川沿いの竹林を抜け「〇久旅館」で一泊。 この宿は10年前にも泊まらせてもらった、食事は美味しい懐石料理、素敵な宿だ!
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● 二日目はのんびり湯につかり、遅めに宿を発ち、「
三嶋大社」に寄ってみた。 三嶋大社は、大山祇命、積羽八重事代主神を主祭神とする。 式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社。 旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。、、、、、社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。 当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。 中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。 近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
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・・・・・・・・・・ 境内で縁起餅「福太郎」を食す。 参拝を済ませ、神社前で三島名物「うなぎ」(ウナギ一匹分がのった鰻重)を食べる。 しかし大失敗、福太郎が腹に残り、ウナギなかなか入らず、苦し~~い! この苦しさは東京まで続いた!! 最後は哀れな夫婦旅行となった!!!
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2025年11月19日 (水)

秋の京都 2

今回の京都旅行では、東京を出る時まで、“京都の紅葉を観たい!”、“Ⅽ国人・K国人の多い処は嫌だ!”、“行ったことがない処にしよう!”など条件も多く、具体的な行先が決まらずに旅に出た。 昨日行った比叡山・延暦寺も東京からの新幹線車中で決めた行先であった。 昨夜、京都駅前のホテルで夕食を食べながら、妻と『明日はどこへ行こうか?』と話す。 ガイドブックにあった写真を妻が思い出す、鮮やかな緑の苔の上に真っ赤な紅葉が一葉落ちている美しい苔寺の写真である。 『よし! 苔寺に行こう!』 部屋に戻り地図を眺め、京都駅から西に向かって桂川を越えた先にある阪急嵐山線の上桂駅で下車すると、浄住寺、地蔵院(竹寺)、西芳寺(苔寺)、華厳寺(鈴虫寺)、松尾大社と並んでいる。 いずれも、“紅葉で有名な寺 ベストテン”にランクインしておらず、どちらかというと今の時期ではマイナーな観光地と思われる。 これで決まりだ!



● 阪急電鉄の上桂駅は、昭和3年(1928)11月9日、新京阪鉄道嵐山線開通と同時に開業した。 昭和18年(1943)には京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。 相対式ホーム2面2線のこじんまりとした地上駅である。 通年平均の乗降人員は約7,000人である。
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・・・・・・・・・・ 駅から閑静な住宅地の中を浄住寺へ向かう
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葉室山浄住寺は、平安時代の弘仁元年 (810)、嵯峨天皇の勅願寺として第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開創されたと伝わる。 弘長年間(1261~1263)藤原家の流れを汲む公家の葉室定嗣卿が奈良の西大寺の僧・叡尊を請じて再建し、以降有力な真言律宗の寺院として栄えた。 南北朝時代以後、度重なる兵火により荒廃、元禄2年(1689)に黄檗宗の僧である鉄牛禅師を中興開山として再興され、黄檗宗寺院となり現在に至る。、、、、、京都市街から離れ、嵯峨嵐山からもチョイと離れ、観光客の姿は見えない。 寺の門前に来ると、住職と思われる方が拝観の受付をしていた。 私達が今日最初の観光客らしく、早速、山門の封鎖を解除してくれた。 楓が覆いかぶさる参道が正面の本堂へ続き、京都らしい風情ある寺だ!、、、、、拝観後に知ったことだが、寺の“秋の特別公開”パンフレットによると、11月下旬から12月上旬の間が、参道が真っ赤に染まる紅葉の見頃らしい。 私達は1週間早かった! この寺は“京都の隠れた紅葉の名所”だった!
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・・・・・・・・・・ 境内には孟宗竹の変異種と言われてる亀甲竹・四方竹などが植えられている。
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● 浄住寺から北へ200m程歩くと、「竹寺 地蔵院」がある。 地蔵院の山号は衣笠山(えりゅうざん)。 本尊は最澄作といわれる延命安産の地蔵菩薩像。 周囲が竹林で囲まれていることから竹寺、竹の寺の通称で知られる。 竹の緑が多く、秋の紅葉とは無縁の寺だ!、、、、、この場所は、もともと鎌倉時代に衣笠内大臣といわれた歌人の藤原家良が山荘を営んでいたところである。 当地は貞治6年(1367)には尼僧・妙性の所有となっていたが、同年に室町幕府の管領細川頼之がそれを買取って、新しく寺院が創建された。 それが当院の始まりである。 当院は崇光天皇、後光厳天皇、後円融天皇の御願寺に準ぜられ、境内は17万平方メートル、末寺も26ヵ寺、諸国に領地54ヵ所をもつ一大禅刹となった。 また、一休宗純(一休さん)は当院の近くで生まれた後、6歳で出家するまで母・伊予局とともに当院で過ごしたと伝えられている。 隆盛を誇った当院であったが、応仁の乱の兵火により伽藍が焼失し寺運も衰えた。江戸時代までは境内にわずか2つの末寺が残っているだけだったが、皇室の深恩と細川氏の援助等により貞享3年(1686)に方丈が再建されるなどして寺観が整備された。 明治時代になると竜済寺・延慶寺を合併している。 当院はそれまで臨済宗天龍寺派に属していたが、昭和43年(1968)に独立して単立寺院となっている。、、、、、境内には天高く伸びた竹林があるが、嵐山の竹林のように竹に傷つけた跡もなく、竹の美しさが強調されている。 見事な竹林だ!

・・・・・・・・・・ 約400年前の安土桃山時代に建立された総門、、、、、総門に続く竹林
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・・・・・・・・・・ 竹林の先に地蔵菩薩を祀る本堂が見える
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・・・・・・・・・・ 方丈庭園
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● 地蔵院から400m程歩くと「苔寺 西芳寺」に着いた。 ナント、門前で拝観を拒否された! 西芳寺は、参拝される方が、心静かに自分自身と向き合う時間を過ごせるよう、少人数参拝を実施しているとのことであった。 そこで、事前予約のない人は参拝を断っているとのこと。 知らなんだ、残念であるが致し方なし。 私達は静かに立ち去るのみ。 門前の写真ぐらい撮らせてね!
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● がっかりした気持ちを切り替えて、次なる寺は西芳寺の北に位置する「鈴虫寺 華厳寺」、、、、、 華厳寺の山号は妙徳山。 本尊は大日如来。 鈴虫(約5000匹、撮影禁止)を四季を通して飼育しているため、通称「鈴虫寺」と呼ばれている。 
享保8年(1723)、学僧:鳳潭(ほうたん)が華厳宗の復興を志して当寺を創建した。 慶応4年(1868)、華厳寺は臨済宗に改められた。、、、、、 昭和52年(1977)に隣接する人気寺院である西芳寺(苔寺)が、苔庭を守るために拝観人数を大幅に絞った完全予約制に移行すると、苔寺の参拝者の「おこぼれ」拝観者が多かった華厳寺は、寺宝などがあまりないこともあり、拝観者の大幅な落ち込みが予想された。それに前後して積極的な拝観者招致策が始まることになる。 今では鈴虫と、様々な種類の竹を集めた庭園や、わらじを履き願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」の人気により、参拝者の招致に成功したそうだ。、、、、、参拝するには、まず山門前に並び参拝者がまとまると客殿に通され、鈴虫が鳴いている客殿で説法を聞く、その後幸福地蔵のお守りの販売があり、順次境内(庭園)を廻り退出する。 私は、20~30分の説法を聞いてる間、不徳にも足がシビレ、終わったときは立つことができなかった。 地獄の説法であった。
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● 華厳寺から北へ約1㎞歩くと、
洛西総鎮守 松尾大社がある。 松尾大社は京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。 元来は松尾山(標高223m)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。 境内は、神体の松尾山の麓に位置し、本殿国の重要文化財)は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造である。、、、、、酒の神様で、境内で“酒かす”、“甘酒”なども売られてる。 酒が飲めない私にはどうでもいい話。 雨が降ってきたので、境内の茶店で一休み。 熱いぜんざいとみたらし団子で大満足!
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● 松尾大社の住所は“西京区嵐山”ここまで来たら嵐山の渡月橋を見て行こう! 小雨降る降る嵐山。 人・人・人で歩きずらいね!
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● 京都の旅の最後は、二条城にチョイとお立ち寄り。 時間も無いので、場内を急ぎ観てまわる。、、、、、今日は2万3千歩の歩き、今日も疲れたね!
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2025年11月18日 (火)

秋の京都 1

18日・19日の二日間、夫婦二人で京都に行ってきた。 18日は、京都市側からケーブル、ロープウェイで比叡山山頂・延暦寺へ、参拝済ませてケーブルで大津市側へ下山した。 



● 朝8時に東京を発ち、京都駅からは、京都~(JR西)~東福寺~(京阪電車)~出町柳~(叡山電車)~八瀬比叡山口の順に電車を乗り継ぎ、11時半に比叡山の京都側山裾に到着した。
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・・・・・・・・・・ 叡山電車の八瀬比叡山口駅は、大正14年(1925)9月27日の開業時(旧駅名は八瀬駅)以来からの木造駅舎である。 ホームは頭単式3面2線の櫛型ホーム、ホーム部分の上部にはドーム状の屋根(トレイン・シェッド)もあり、開業時の栄光を偲ばせている。、、、、、叡山ケーブルのケーブル八瀬駅は、八瀬比叡山口改札から300メートルほど離れたところにある。 川沿いの紅葉を眺めながら歩く。
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● 八瀬からは京福電気鉄道が運営するケーブル、ロープウェイと乗り継いで、比叡山山頂に向かう。、、、、、ケーブル八瀬駅は、
大正14年(1925)12月20日に京都電燈叡山鋼索線の開通に伴い西塔橋駅として開業し、平成14年(2002)にケーブル八瀬駅と改称した。 頂の終点駅はケーブル比叡駅である。 このケーブルは高低差は561 mあり、ケーブルカーとしては日本最大である。 路線距離は1.3㎞。 所要時間9分は乗り応えある。
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・・・・・・・・・・ ケーブルの次はロープウィ、こちらは全長486m、所要3分と短い。 始点はロープ比叡駅、終点は比叡山頂駅
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・・・・・・・・・・ 比叡山頂駅で降りても、アルプスの山々のように、360度の視界があるわけでなく。 木立の合間から京都の町(?)らしき世界がチラチラと見えるだけ。 延暦寺にはここからバスで行くのだが、バス停までは山頂の小道をチョイと10分程歩く。
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● 標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山「延暦寺」に着いた! 延暦寺の山号は比叡山。本尊は薬師如来。正式には比叡山延暦寺と号する。 ここに来るまでは、延暦寺は“京都の寺”と思っていたが、地図で位置を確認すると滋賀県大津市にある、“滋賀県の寺”であった。、、、、、平安時代初期の僧・最澄(767年~ 822年)により開かれた天台宗の本山寺院である。 住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。 延暦寺の堂宇は、比叡山山中、東塔、西塔、横川の3か所の地域に分散してる。 東塔地域には、根本中堂(総本堂)、大講堂、文殊楼などの建物があり、延暦寺の中心的な場所である。 私たち夫婦は電車・バスの旅で、車が利用できず多くを巡ることが難しく、今回の旅行では東塔地域のみ観てきた。 
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・・・・・・・・・・ 延暦寺と言えば、総本堂の「根本中堂」(国宝)が有名である。 根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788)に建立したことを起源とする。 現在の建物は寛永19年(1642)、徳川家光により再建された。 国宝の本堂と重文の回廊を有する建物であるが、平成28年(2016)より「平成の大改修」が行われていた。 本堂、回廊を含め、全体を覆屋(工事フェンス)に囲まれていたため、建物の外観を見ることはできなかったが、屋根の吹き替え工事塗装彩色の修理など、工事用の足場から拝見できた。、、、、、根本中堂に内部には1200年灯り続ける「不滅の法灯」が安置されている。 不滅の法灯のように、私の命も不滅なら、工事が終わり完成した根本中堂を見ることができるのだが(?) 
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● 延暦寺を拝観した後は、琵琶湖が見える坂本ケーブルで山を下り、大津市内のJR比叡山坂本駅へ向かうことにした。、、、、、坂本ケーブルは山頂のケーブル延暦寺駅から山裾のケーブル坂本駅まで、全長2025mを11分で結ぶ日本一長いケーブルカー

・・・・・・・・・・ 山頂のケーブル延暦寺駅、、、、、大正14年(1925)の建設。 大正モダンの駅舎は国の登録有形文化財。 駅舎から見る琵琶湖もいいね!
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・・・・・・・・・・ ケーブルで山を下り、ケーブル坂本駅へ。 ケーブル坂本駅も大正14年(1925)に建てられ、国の登録有形文化財に指定されている。
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● JR西日本湖西線の比叡山坂本駅から京都駅の向かう。 比叡山坂本駅は昭和49年(1974)7月20日、日本国有鉄道湖西線の開通と同時に、叡山駅として開業。 平成6年(1994)に比叡山坂本駅に改称。 島式ホーム1面2線高架駅。
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● 
今日は駅前のホテルにお泊り・・・・・疲れた!(1万3千歩)

2025年10月23日 (木)

二日目は丸岡城と永平寺

芦原温泉で目覚めた二日目、今日は丸岡城を見て、永平寺へ行く。 帰りの新幹線は福井駅から乗車。



● 旅館から芦原温泉駅まで送ってもらい。 駅前から永平寺行のバスに乗る、途中の丸岡城で下車。、、、、、今回の旅では、東尋坊、三国、丸岡城、永平寺、それに、芦原温泉駅、福井駅をそれぞれ結ぶ路線バス「京福バス」が2日間乗り放題のフリーパス(一人2,500円)を購入した。 バスはそこそこの本数が運行され、便利で利用しやすく、割安感を感じた。(昨日、フリーパスの購入を教えてくれた、観光案内所の女性に感謝!)
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丸岡城は、天正3年(1576)に織田信長の重臣だった柴田勝家の甥の柴田勝豊によって築城された。 日本に現存する12天守で最も古いとされている城です。 また、北陸地方唯一の現存天守であり、非常に貴重な歴史的建造物だ!、、、、、天守の高さ12.6m、石垣の高さ6.0m、城山の高さ17.0mで、丸岡の町の中にポコンと建っている感じで、城から見る町はビルの屋上から見る町のようだ!、、、、、外観で特徴的なのは、「野面積み」という石垣の造り方である。 これは自然のままの石をほとんど加工せず、石の形を活かして積み、隙間が生まれやすい石と石の間を間詰め石という小石で埋めて安定させるというもので、初期の城郭に見られる簡易な石垣の造り方である。、、、、、丸岡城は昭和9年(1934)に国宝に指定されたが、昭和23年(1948)の福井大震災で倒壊し、昭和25年(1950)重要文化財に指定された。 その後昭和30年(1955)に修復再建された。 小さな城だが風格がある!
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・・・・・・・・・・ 丸岡城は二層三階なので城内の階段を2回上り下りする必要があるが、この階段の急勾配ぶりは現存天守の中で一番です。 1階から2階への階段は勾配65度で、2階から3階への階段の勾配は67度もあり、“階段”というより“梯子”という感じだ! 危険なので、手摺の他にロープも付いている。 年寄・女性は階段を見てあきらめるかも?、、、、、さらに一番危険なのは、城内の階段よりも城の出入りに石垣を上り下りする階段で、この階段(石段)は、段差もバラバラで足元注意が必要、さらに手摺がないから摑まるものがないので要注意! 年配のご夫婦がこの階段を見て城内に入るのをあきらめていた、残念ですね!
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● 丸岡城から再びバスに揺られて40分、福井市の東、四方を山に囲まれた深山幽谷の地に曹洞宗大本山の永平寺がある。 永平寺は山号を吉祥山と称し、寛元2年(1244)に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である(現在、百人ほどの雲水が修行をしているそうだ )。 本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。 永平寺には大小70棟余りの建物が並んでいるが、一般の人が拝観できるのは、法堂、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司、浴室の七堂伽藍を中心とするエリアである。 主要な建物19棟は国の重要文化財。

・・・・・・・・・・ バス停から永平寺まで参道がある
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・・・・・・・・・・ 通用門で拝観料を払い、昭和46年(1971)に建てられた地上5階地下1階の宿泊研修施設「吉祥閣」(飛島建設施工)で、スリッパに履き替える。
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・・・・・・・・・・ 「
傘松閣(さんしょうかく)」は、昭和5年(1930)の二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築された。 2階に156畳敷きの大広間があり、折上格天井にはめ込まれた花鳥彩色画230枚の天井画は小室翠雲ら計144名の画家によって描かれた。 参拝者へのもてなしの間として作られた部屋である。
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・・・・・・・・・・「山門」は七堂伽藍の中で最も古い寛延2年(1749)の造立、約300年前の建物だ! 修行僧が毎日楼上に登り、お経をあげているとのこと。
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・・・・・・・・・・ 主要な建物が階段・回廊でつながれ、走って通り抜ける修行僧もいた。 床は磨かれピッカピカ、滑って転んで危ないかも?
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・・・・・・・・・・ 明治35年(1902)に改築された「僧堂」。 正面には「雲堂」の額が掛けられている。 堂内中央には智慧の象徴である文殊菩薩が安置されている。
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・・・・・・・・・・ 明治35年(1902)に改築された「仏殿」。 中央に曹洞宗の本尊であるお釈迦様が祀られている。 像は三体あり、向かって右側からそれぞれ過去・現在・未来の三世を現わしている。
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・・・・・・・・・・ 山の斜面に配されている七堂伽藍、その最も高い位置に「
法堂(はっとう)」がある。 天保14年(1843)の建築。 本尊として平安時代作の聖観音像を安置する。 天井から中国宋代の形式を伝える大型の八葉蓮華鏡が吊るされている。、、、、、朝のおつとめなど、各種法要はが行われる処。 下からここまで上がってくるだけで疲れる、さらに、おつとめする修行僧には、ご苦労様だ!20251023120957
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・・・・・・・・・・ 永平寺の参拝を終え、帰りは土産物屋、蕎麦屋の並ぶ門前通りを歩いてバス停に向かう。、、、、、途中の店で、永平寺蕎麦、ごま豆腐を味わう、おいしかった!
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● 福井駅は明治29年(1896)7月15日に官設鉄道の北陸線として敦賀駅~福井駅間が開業した際に一般駅として開業した。、、、、、現在は、西日本旅客鉄道(JR西日本)・ハピラインふくい・えちぜん鉄道の駅である。、、、、、新幹線は県庁所在地の駅であるにもかかわらず、通過線や待避線のない島式ホーム1面2線のみの小規模な駅である。 チョイと可哀そう!
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2025年10月22日 (水)

一日目は東尋坊と三国

10月20日は上皇后陛下の誕生日、翌21日は私の誕生日。 一週間ほど前、夫婦で私の誕生日に『カニを食べに行こう!』と話しがまとまった。 早速、どこへ食べに行こうかと話すうちに、『日本海側、越前ガニ、温泉』とキーワードが並び、結局、芦原温泉に行こうと決めた。 ネットで宿を検索し、21日はどこも満室。 22日なら空室があり、迷わず予約。、、、、、宿が決まれば、新幹線往復の予約もどうにかできたが、観光地の行先は東尋坊と永平寺の2か所だけ決めて。 出発進行!



● 東京から3時間10分、時刻は10時半、北陸新幹線の芦原温泉駅(あわらおんせんえき、JR西日本)で下車する。 新しい新幹線駅は綺麗な駅舎であるが、最速特急「かがやき」の停車駅である金沢、福井に比べると、新幹線の各駅停車「つるぎ」しか停まらない芦原温泉駅は閑散としている。
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・・・・・・・・・・ 年寄二人の気まま旅で、最寄りの交通機関・観光地など下調べせずにやって来た。 頼りにするのは現地の観光案内所。 駅の売店横にある小さな観光案内所に行くと、女性が一人座ってた。 『今日は東尋坊、明日は永平寺に行きたいのです。 今夜の宿は芦原温泉に予約してます。 さて、どのように行ったらよいか教えてください。』 応えは『今日はここからバスで東尋坊に行って帰りに三国の古い町を歩き、芦原温泉に行かれたら良いです。 明日は、温泉の送迎バスで芦原温泉駅まで送ってもらい、駅からバスで丸岡城、永平寺と観て福井駅に出られたらよいでしょう。 このコースで利用できるバスのフリー切符もありますよ!』 地図にマーカーで示し、時刻表もくれ、親切丁寧なる対応、ありがとうございます。 東京を出るときは、三国の町、丸岡城は話題にもでず、楽しそうなコースを紹介してもらった。 案内所の女性に感謝!
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● 芦原温泉駅からバスで約40分、自殺の名所(?)東尋坊に着いた。 バス停から岩場までの約300mは、両側に海鮮丼などを食べさせる食事処、土産物を売る店が並び、呼び込みするお姐さん(?)もいる。 なんとなく懐かしさを感じ、中高校生時代の修学旅行を思い出した。
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・・・・・・・・・・ 絶壁に日本海の荒波が打ち寄せる景色で知られる、国指定名勝「東尋坊とうじんぼう )」。 日本海に面した海食崖で、険しい岩壁が約1㎞にわたり続き、最も高い場所で約25mの垂直の崖がある。 東尋坊を構成する岩は、輝石安山岩の柱状節理で、これほどの規模を持つものは世界に3ヶ所だけであり、地質学的に極めて貴重とされている。、、、、、地名「東尋坊」の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされたの僧の名前による。、、、、、『自己責任』でお任せなのか、崖上の岩場には柵がなく、行こうと思えば崖上の先端から飛び降りることができる。 まだ長生きしたい私は、先端に行って足を滑らしたら大変、まだ死にたくない!
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・・・・・・・・・・ 東尋坊を目に焼き付けた後は、イカ、サザエ、ホタテ、ハマグリを焼いてもらい、旅の味を堪能する。 美味い!
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● 東尋坊から三国港駅まで約30分の歩き。 三国港駅(みくにみなとえき)は、えちぜん鉄道三国芦原線の駅で同線の終着駅である。 もともと三国港(みくにこう)の貨物取り扱いの駅として、鉄道院によって既設の三国駅より三国線を海岸へ延伸することで大正2年(1913)に設置された。 昭和2年(1927)一般駅となり、旅客取り扱い営業が開始された。 昭和19年(1944)三国港駅は国鉄から京福電気鉄道に貸与された。、、、、、駅舎・ホームは線路の北(市街地)側に設置されている。 単式ホーム1面1線の地上駅である。 1日平均の乗車人員は130人前後と少ない。、、、、、今は乗降客も少なく静かな無人の終着駅である。 映画のワンシーンとなるような情景で趣があるね!
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・・・・・・・・・・ 三国港駅の手前(東側100m程)に、煉瓦造りの小さなアーチ橋が架かっている。 大正2年(1913)から100年以上に渡って使われている橋で、国の登録有形文化財「眼鏡橋」だ。 橋上の道路と線路が直角でなく、斜め60度で交差しているのが特徴。 このため、トンネル上部のアーチ部分では、煉瓦がねじるような形で積まれています。 この技法を「ねじりまんぽ」と言うそうだ。
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● 三国の町の古い建物が残る通り「出村町並み」、「三国湊きたまえ通り」などを歩いてきた。 伝統的建造物群保存地区には指定されていないが、その昔を忍ばせる情緒ある通り。
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・・・・・・・・・・ 町中に残る、三国町随一の豪商森田家が創業した森田銀行本店の建物(登録有形文化財)。 大正9年(1920)に本店として落成されたこの建物は、近年まで福井銀行三国支店として営業されていた。 しかし建物の老朽化にともない三国町の所有となり詳細な調査を踏まえ復元保工事が行われ、平成11年(1999)に三国町の文化遺産としてオープンした。、、、、、内部も見学でき、当時の建物の意匠を楽しむことができる。
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● 東尋坊、三国の町を歩き見て疲れた! 今宵の宿は、三日前に藤井聡太竜王と佐々木勇気八段の竜王戦第2局(藤井竜王の勝ち)が行われた、芦原温泉の「美松」。、、、、、私達夫婦は、のんびり・ゆったり・湯につかり・疲れ癒して・カニを味わい・おやすみなさい!
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2025年10月 6日 (月)

四度目の別所温泉 2

朝風呂に入り、ゆったり気分で目覚めた、別所温泉から始まる二日目です。、、、、、私『今日の行動予定は?』(帰りは、4時、長野駅発の新幹線を購入済) 妻は『善光寺に行こう、土産物も買いたいし!』 私は、旅館に飾ってあった国宝の三重塔の写真を見て、『青木村の大法寺へ行ってみたい!』 そこで、別所温泉から隣りの青木村の「大法寺」に寄って上田駅までタクシーで行き。 長野の善光寺に参拝して東京へ帰ることにした。



● “思わず振りかえる(国宝)見返りの塔”をぜひ見てみたい。 北向観音から北へ約4㎞離れた位置に大法寺はある。 別所温泉から大法寺のある青木村までは、途中には峠越えもあり歩いて行くにはチョイと無理。 電車もバスも無いのでタクシー一択である。、、、、、大法寺(だいほうじ)は、長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院。 山号は一乗山。、、、、、大法寺は奈良時代の大宝年間(701〜704)に藤原鎌足の子である定恵によって創立されたとされる、信州でも有数の古刹である。 その後、平安時代の大同年間(801〜810)に坂上田村麻呂の祈願により、義真(天台宗座主)によって再興された。 鎌倉時代には、大法寺は周辺に住んだ有力地頭による崇敬を受けた。特に国宝に指定されている三重塔や、重要文化財に指定されている厨子、須弥壇などの文化財は、浦野氏、北条氏などの地頭の支援により造られた。 江戸時代には戸隠の勧修院の末寺となっており、天台修験による山岳仏教の寺として栄えた。、、、、、大法寺は、村から見上げる小高い山の中腹にある田舎の山寺だ、訪れる人も少なそうだ。
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・・・・・・・・・・ 大法寺観音堂の本尊は十一面観音菩薩立像(秘仏)で脇侍の普賢菩薩立像と共に重要文化財に指定されている、平安中期(藤原時代)の作である。 室町時代の厨子及び須弥壇(重要文化財)も、木製のものとしては日本最古といわれてる。
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・・・・・・・・・・ 山腹に点在する伽藍の最も高い地点に位置する三重塔。 大正9年(1920)の解体修理時に軒下の斗栱から正慶2年(1333)の墨書が発見されたことから建築年代が判明した。明治32年(1899)に旧古社寺保存法による国宝指定を受けた後、昭和23年(1953)の文化財保護法の新法により改めて国宝指定された。 塔の様式は和様で「見返りの塔」の名で親しまれてきた。、、、、、下から見上げる塔も良い、上から見る塔も良い、どこから見ても素晴らしい、感動! 
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● 長野駅からは“妻に引かれて善光寺参り”、、、、、善光寺は無宗派の単立仏教寺院。 住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。 本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)で、絶対秘仏である(開帳は前立本尊で行う)。 本尊の善光寺如来は由緒ある像として権威の象徴とも見なされ、戦国時代には大名がこぞって自領(本拠地)に善光寺如来を遷座させ、各地を転々とした。 昔から多くの人々が日本中から善光寺を目指して参詣し、「一生に一度は参れ善光寺」と言われた。(私は十度程参っていると思う)、、、、、妻の参拝目的は、参道の店で栗と蕎麦を食べ、土産を買う楽しみ。 まずは本堂へ。
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・・・・・・・・・・ 本堂で手を合わせたら、参道の店を覗いてブラブラ
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● 長野駅から、Good-by!
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