旅行・地域

2026年1月15日 (木)

修善寺旅行

14日・15日、夫婦で伊豆修善寺温泉に行ってきた。 修善寺温泉には10年ぶりの旅行で、以前に来た時のことを思い出しながら、ボケてないことを互いに確認しあう旅となった。


● 東京ー三島間は往復新幹線を利用し、三島から修善寺までは伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん)を利用してのんびり旅。 路線名の駿豆とは駿河国と伊豆国を意味するが、これはかつて同線が駿河国に属する沼津市と伊豆国に属する三島市の間に軌道線(路面電車、1963年廃止)を運行していた駿豆電気鉄道の路線だったことに由来する。、、、、、現在の駿豆線は、営業キロ : 19.8 km、軌間 : 1067 mm、駅数 : 起終点駅含め13駅、全線単線電化の路線である。、、、、、普通列車は日中おおむね20分間隔で三島駅 - 修善寺駅間を運行している。 東京から東海道本線を経由して特急「踊り子」(5両編成)が平日2往復・土休日3往復乗り入れてる。 JRが乗り入れてる路線であるから、Suica、PASMOなどのICカードを利用できるかと思ったら、ダメだった。 切符を購入して乗車すること!

・・・・・・・・・・ 昭和9年(1934)開業の現在の伊豆箱根鉄道三島駅から乗車。 JR三島駅からは連絡改札がある。 頭端式ホーム2面3線の地上駅。 南側の単式ホームが7番線、北側の島式ホームが8番線と9番線である。、、、、、特急「踊り子」号は直通運転の関係からJRの1番線を発着する。

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・・・・・・・・・・ 三島駅から二駅目の三島田町駅。 明治31年(1898)に開業した古参駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線の地上駅で、三嶋大社への最寄り駅である。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から八駅目が、
明治31年(1898)5月20日開業の駅伊豆長岡駅。 単式ホーム・島式ホーム計2面3線を有する地上駅。 各ホームは富士山がよく見える跨線橋で結ばれている。、、、、、 駅から100m先の青い橋(狩野川に架かる千歳橋)を渡ると、伊豆長岡町の町で、古奈温泉・長岡温泉の湯の町となる。、、、、、私達は駅前からバスで「伊豆パノラマパーク」へ行った。
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・・・・・・・・・・ 三島駅から十二駅目は、駿豆線の終点駅、
大正13年(1924)に開業した修善寺駅。 頭端式ホーム3面5線の地上駅。、、、、、 ホームには懐かしの洗面台があった。 汽車に揺られて長旅の終着駅、ホームに降りて煙の煤で汚れた顔を洗い、口もすすいで、イザ温泉へ! 
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● 伊豆長岡駅からバスで20分程、「伊豆パノラマパーク」へお立ち寄り。 伊豆パノラマパークは、伊豆長岡駅から南西に約4㎞の所にある標高452mの葛城山の山頂と北麓を利用した観光リゾート施設である。 傾斜長1,791.95m、最大高低差411.11mのゴンドラで山頂に登り、山頂では「碧テラス」と称する展望台がある。 展望台からは
富士山と駿河湾の望める360度の大パノラマが望める。 富士山の眺望は素晴らしい!
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・・・・・・・・・・ 山頂から、、、、、円形のデッキの外側には、人が入らないように水が張られてる
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● 修善寺駅からバスで10分、修善寺温泉で降りる。 温泉街の中心はなんと言っても曹洞宗の寺院「修禅寺」

・・・・・・・・・・ 修禅寺は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院。 山号は福地山。 正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」で、略して福地山修禅寺と呼んでいる。 修善寺温泉街の中心に位置する。 地名は「修善寺」、寺名は「修禅寺」で、表記が異なるが、両方とも「しゅぜんじ」と読む。 初期には「桂谷山寺」と呼ばれており、鎌倉時代より「修善寺」と呼ばれていたが、鎌倉時代中期に臨済宗に改宗し「善」を「禅」に変更したとの説がある。 鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになった。また、源頼朝の弟の源範頼と、頼朝の息子で鎌倉幕府2代将軍の源頼家が当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたことでも知られている。、、、、、現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したものである。 修禅寺には国の重要文化財に指定された木造大日如来坐像がある、また県の文化財が2点あるが、そのほかには目ぼしい文化財はない。 せめて、山門、本堂などの建物が文化財であったら良かった、チョイと寂しいね!
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・・・・・・・・・・ 修禅寺の東側100m程に、見応えある
大きな杉の木とトチノキがある「日枝神社」が鎮座する。 ここは、かつて修禅寺の信功院があった場所で、源範頼が兄・源頼朝から幽閉された場所。 
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・・・・・・・・・・ 日枝神社の西側600m程の山腹に、「源範頼の墓」がある。 幽閉後、梶原景時率いる兵の不意打ちにあい、防戦の末に自刃したと伝わる。、、、、、民家の裏山にある古ぼけた墓だが、“源範頼の墓”と言われると、一見すべき墓なのかも?
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・・・・・・・・・・ 修禅寺山門前に流れる桂川の中に、空海が修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ心うたれ、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させた(?)といわれてる「独鈷の湯」がある。 この湯が修善寺温泉発祥の湯ともいわれてる。
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● 桂川沿いの竹林を抜け「〇久旅館」で一泊。 この宿は10年前にも泊まらせてもらった、食事は美味しい懐石料理、素敵な宿だ!
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● 二日目はのんびり湯につかり、遅めに宿を発ち、「
三嶋大社」に寄ってみた。 三嶋大社は、大山祇命、積羽八重事代主神を主祭神とする。 式内社(名神大社)、伊豆国一宮、伊豆国総社。 旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。、、、、、社名の「三嶋」とは伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神である。 当社は、古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬された。 中世に入ると、伊豆国の一宮として源頼朝始め多くの武家からの崇敬を集めた。 近世以降は三島が東海道の宿場町として発達したことに伴い、東海道を往来する庶民からも篤く信仰された神社である。
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・・・・・・・・・・ 境内で縁起餅「福太郎」を食す。 参拝を済ませ、神社前で三島名物「うなぎ」(ウナギ一匹分がのった鰻重)を食べる。 しかし大失敗、福太郎が腹に残り、ウナギなかなか入らず、苦し~~い! この苦しさは東京まで続いた!! 最後は哀れな夫婦旅行となった!!!
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2025年11月19日 (水)

秋の京都 2

今回の京都旅行では、東京を出る時まで、“京都の紅葉を観たい!”、“Ⅽ国人・K国人の多い処は嫌だ!”、“行ったことがない処にしよう!”など条件も多く、具体的な行先が決まらずに旅に出た。 昨日行った比叡山・延暦寺も東京からの新幹線車中で決めた行先であった。 昨夜、京都駅前のホテルで夕食を食べながら、妻と『明日はどこへ行こうか?』と話す。 ガイドブックにあった写真を妻が思い出す、鮮やかな緑の苔の上に真っ赤な紅葉が一葉落ちている美しい苔寺の写真である。 『よし! 苔寺に行こう!』 部屋に戻り地図を眺め、京都駅から西に向かって桂川を越えた先にある阪急嵐山線の上桂駅で下車すると、浄住寺、地蔵院(竹寺)、西芳寺(苔寺)、華厳寺(鈴虫寺)、松尾大社と並んでいる。 いずれも、“紅葉で有名な寺 ベストテン”にランクインしておらず、どちらかというと今の時期ではマイナーな観光地と思われる。 これで決まりだ!



● 阪急電鉄の上桂駅は、昭和3年(1928)11月9日、新京阪鉄道嵐山線開通と同時に開業した。 昭和18年(1943)には京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)の駅となる。 相対式ホーム2面2線のこじんまりとした地上駅である。 通年平均の乗降人員は約7,000人である。
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・・・・・・・・・・ 駅から閑静な住宅地の中を浄住寺へ向かう
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葉室山浄住寺は、平安時代の弘仁元年 (810)、嵯峨天皇の勅願寺として第3世天台座主・慈覚大師円仁によって開創されたと伝わる。 弘長年間(1261~1263)藤原家の流れを汲む公家の葉室定嗣卿が奈良の西大寺の僧・叡尊を請じて再建し、以降有力な真言律宗の寺院として栄えた。 南北朝時代以後、度重なる兵火により荒廃、元禄2年(1689)に黄檗宗の僧である鉄牛禅師を中興開山として再興され、黄檗宗寺院となり現在に至る。、、、、、京都市街から離れ、嵯峨嵐山からもチョイと離れ、観光客の姿は見えない。 寺の門前に来ると、住職と思われる方が拝観の受付をしていた。 私達が今日最初の観光客らしく、早速、山門の封鎖を解除してくれた。 楓が覆いかぶさる参道が正面の本堂へ続き、京都らしい風情ある寺だ!、、、、、拝観後に知ったことだが、寺の“秋の特別公開”パンフレットによると、11月下旬から12月上旬の間が、参道が真っ赤に染まる紅葉の見頃らしい。 私達は1週間早かった! この寺は“京都の隠れた紅葉の名所”だった!
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・・・・・・・・・・ 境内には孟宗竹の変異種と言われてる亀甲竹・四方竹などが植えられている。
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● 浄住寺から北へ200m程歩くと、「竹寺 地蔵院」がある。 地蔵院の山号は衣笠山(えりゅうざん)。 本尊は最澄作といわれる延命安産の地蔵菩薩像。 周囲が竹林で囲まれていることから竹寺、竹の寺の通称で知られる。 竹の緑が多く、秋の紅葉とは無縁の寺だ!、、、、、この場所は、もともと鎌倉時代に衣笠内大臣といわれた歌人の藤原家良が山荘を営んでいたところである。 当地は貞治6年(1367)には尼僧・妙性の所有となっていたが、同年に室町幕府の管領細川頼之がそれを買取って、新しく寺院が創建された。 それが当院の始まりである。 当院は崇光天皇、後光厳天皇、後円融天皇の御願寺に準ぜられ、境内は17万平方メートル、末寺も26ヵ寺、諸国に領地54ヵ所をもつ一大禅刹となった。 また、一休宗純(一休さん)は当院の近くで生まれた後、6歳で出家するまで母・伊予局とともに当院で過ごしたと伝えられている。 隆盛を誇った当院であったが、応仁の乱の兵火により伽藍が焼失し寺運も衰えた。江戸時代までは境内にわずか2つの末寺が残っているだけだったが、皇室の深恩と細川氏の援助等により貞享3年(1686)に方丈が再建されるなどして寺観が整備された。 明治時代になると竜済寺・延慶寺を合併している。 当院はそれまで臨済宗天龍寺派に属していたが、昭和43年(1968)に独立して単立寺院となっている。、、、、、境内には天高く伸びた竹林があるが、嵐山の竹林のように竹に傷つけた跡もなく、竹の美しさが強調されている。 見事な竹林だ!

・・・・・・・・・・ 約400年前の安土桃山時代に建立された総門、、、、、総門に続く竹林
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・・・・・・・・・・ 竹林の先に地蔵菩薩を祀る本堂が見える
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・・・・・・・・・・ 方丈庭園
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● 地蔵院から400m程歩くと「苔寺 西芳寺」に着いた。 ナント、門前で拝観を拒否された! 西芳寺は、参拝される方が、心静かに自分自身と向き合う時間を過ごせるよう、少人数参拝を実施しているとのことであった。 そこで、事前予約のない人は参拝を断っているとのこと。 知らなんだ、残念であるが致し方なし。 私達は静かに立ち去るのみ。 門前の写真ぐらい撮らせてね!
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● がっかりした気持ちを切り替えて、次なる寺は西芳寺の北に位置する「鈴虫寺 華厳寺」、、、、、 華厳寺の山号は妙徳山。 本尊は大日如来。 鈴虫(約5000匹、撮影禁止)を四季を通して飼育しているため、通称「鈴虫寺」と呼ばれている。 
享保8年(1723)、学僧:鳳潭(ほうたん)が華厳宗の復興を志して当寺を創建した。 慶応4年(1868)、華厳寺は臨済宗に改められた。、、、、、 昭和52年(1977)に隣接する人気寺院である西芳寺(苔寺)が、苔庭を守るために拝観人数を大幅に絞った完全予約制に移行すると、苔寺の参拝者の「おこぼれ」拝観者が多かった華厳寺は、寺宝などがあまりないこともあり、拝観者の大幅な落ち込みが予想された。それに前後して積極的な拝観者招致策が始まることになる。 今では鈴虫と、様々な種類の竹を集めた庭園や、わらじを履き願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」の人気により、参拝者の招致に成功したそうだ。、、、、、参拝するには、まず山門前に並び参拝者がまとまると客殿に通され、鈴虫が鳴いている客殿で説法を聞く、その後幸福地蔵のお守りの販売があり、順次境内(庭園)を廻り退出する。 私は、20~30分の説法を聞いてる間、不徳にも足がシビレ、終わったときは立つことができなかった。 地獄の説法であった。
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● 華厳寺から北へ約1㎞歩くと、
洛西総鎮守 松尾大社がある。 松尾大社は京都盆地西部、四条通の西端に鎮座する。 元来は松尾山(標高223m)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。 境内は、神体の松尾山の麓に位置し、本殿国の重要文化財)は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造である。、、、、、酒の神様で、境内で“酒かす”、“甘酒”なども売られてる。 酒が飲めない私にはどうでもいい話。 雨が降ってきたので、境内の茶店で一休み。 熱いぜんざいとみたらし団子で大満足!
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● 松尾大社の住所は“西京区嵐山”ここまで来たら嵐山の渡月橋を見て行こう! 小雨降る降る嵐山。 人・人・人で歩きずらいね!
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● 京都の旅の最後は、二条城にチョイとお立ち寄り。 時間も無いので、場内を急ぎ観てまわる。、、、、、今日は2万3千歩の歩き、今日も疲れたね!
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2025年11月18日 (火)

秋の京都 1

18日・19日の二日間、夫婦二人で京都に行ってきた。 18日は、京都市側からケーブル、ロープウェイで比叡山山頂・延暦寺へ、参拝済ませてケーブルで大津市側へ下山した。 



● 朝8時に東京を発ち、京都駅からは、京都~(JR西)~東福寺~(京阪電車)~出町柳~(叡山電車)~八瀬比叡山口の順に電車を乗り継ぎ、11時半に比叡山の京都側山裾に到着した。
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・・・・・・・・・・ 叡山電車の八瀬比叡山口駅は、大正14年(1925)9月27日の開業時(旧駅名は八瀬駅)以来からの木造駅舎である。 ホームは頭単式3面2線の櫛型ホーム、ホーム部分の上部にはドーム状の屋根(トレイン・シェッド)もあり、開業時の栄光を偲ばせている。、、、、、叡山ケーブルのケーブル八瀬駅は、八瀬比叡山口改札から300メートルほど離れたところにある。 川沿いの紅葉を眺めながら歩く。
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● 八瀬からは京福電気鉄道が運営するケーブル、ロープウェイと乗り継いで、比叡山山頂に向かう。、、、、、ケーブル八瀬駅は、
大正14年(1925)12月20日に京都電燈叡山鋼索線の開通に伴い西塔橋駅として開業し、平成14年(2002)にケーブル八瀬駅と改称した。 頂の終点駅はケーブル比叡駅である。 このケーブルは高低差は561 mあり、ケーブルカーとしては日本最大である。 路線距離は1.3㎞。 所要時間9分は乗り応えある。
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・・・・・・・・・・ ケーブルの次はロープウィ、こちらは全長486m、所要3分と短い。 始点はロープ比叡駅、終点は比叡山頂駅
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・・・・・・・・・・ 比叡山頂駅で降りても、アルプスの山々のように、360度の視界があるわけでなく。 木立の合間から京都の町(?)らしき世界がチラチラと見えるだけ。 延暦寺にはここからバスで行くのだが、バス停までは山頂の小道をチョイと10分程歩く。
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● 標高848mの比叡山全域を境内とする天台宗の総本山「延暦寺」に着いた! 延暦寺の山号は比叡山。本尊は薬師如来。正式には比叡山延暦寺と号する。 ここに来るまでは、延暦寺は“京都の寺”と思っていたが、地図で位置を確認すると滋賀県大津市にある、“滋賀県の寺”であった。、、、、、平安時代初期の僧・最澄(767年~ 822年)により開かれた天台宗の本山寺院である。 住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。 延暦寺の堂宇は、比叡山山中、東塔、西塔、横川の3か所の地域に分散してる。 東塔地域には、根本中堂(総本堂)、大講堂、文殊楼などの建物があり、延暦寺の中心的な場所である。 私たち夫婦は電車・バスの旅で、車が利用できず多くを巡ることが難しく、今回の旅行では東塔地域のみ観てきた。 
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・・・・・・・・・・ 延暦寺と言えば、総本堂の「根本中堂」(国宝)が有名である。 根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788)に建立したことを起源とする。 現在の建物は寛永19年(1642)、徳川家光により再建された。 国宝の本堂と重文の回廊を有する建物であるが、平成28年(2016)より「平成の大改修」が行われていた。 本堂、回廊を含め、全体を覆屋(工事フェンス)に囲まれていたため、建物の外観を見ることはできなかったが、屋根の吹き替え工事塗装彩色の修理など、工事用の足場から拝見できた。、、、、、根本中堂に内部には1200年灯り続ける「不滅の法灯」が安置されている。 不滅の法灯のように、私の命も不滅なら、工事が終わり完成した根本中堂を見ることができるのだが(?) 
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● 延暦寺を拝観した後は、琵琶湖が見える坂本ケーブルで山を下り、大津市内のJR比叡山坂本駅へ向かうことにした。、、、、、坂本ケーブルは山頂のケーブル延暦寺駅から山裾のケーブル坂本駅まで、全長2025mを11分で結ぶ日本一長いケーブルカー

・・・・・・・・・・ 山頂のケーブル延暦寺駅、、、、、大正14年(1925)の建設。 大正モダンの駅舎は国の登録有形文化財。 駅舎から見る琵琶湖もいいね!
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・・・・・・・・・・ ケーブルで山を下り、ケーブル坂本駅へ。 ケーブル坂本駅も大正14年(1925)に建てられ、国の登録有形文化財に指定されている。
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● JR西日本湖西線の比叡山坂本駅から京都駅の向かう。 比叡山坂本駅は昭和49年(1974)7月20日、日本国有鉄道湖西線の開通と同時に、叡山駅として開業。 平成6年(1994)に比叡山坂本駅に改称。 島式ホーム1面2線高架駅。
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● 
今日は駅前のホテルにお泊り・・・・・疲れた!(1万3千歩)

2025年10月23日 (木)

二日目は丸岡城と永平寺

芦原温泉で目覚めた二日目、今日は丸岡城を見て、永平寺へ行く。 帰りの新幹線は福井駅から乗車。



● 旅館から芦原温泉駅まで送ってもらい。 駅前から永平寺行のバスに乗る、途中の丸岡城で下車。、、、、、今回の旅では、東尋坊、三国、丸岡城、永平寺、それに、芦原温泉駅、福井駅をそれぞれ結ぶ路線バス「京福バス」が2日間乗り放題のフリーパス(一人2,500円)を購入した。 バスはそこそこの本数が運行され、便利で利用しやすく、割安感を感じた。(昨日、フリーパスの購入を教えてくれた、観光案内所の女性に感謝!)
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丸岡城は、天正3年(1576)に織田信長の重臣だった柴田勝家の甥の柴田勝豊によって築城された。 日本に現存する12天守で最も古いとされている城です。 また、北陸地方唯一の現存天守であり、非常に貴重な歴史的建造物だ!、、、、、天守の高さ12.6m、石垣の高さ6.0m、城山の高さ17.0mで、丸岡の町の中にポコンと建っている感じで、城から見る町はビルの屋上から見る町のようだ!、、、、、外観で特徴的なのは、「野面積み」という石垣の造り方である。 これは自然のままの石をほとんど加工せず、石の形を活かして積み、隙間が生まれやすい石と石の間を間詰め石という小石で埋めて安定させるというもので、初期の城郭に見られる簡易な石垣の造り方である。、、、、、丸岡城は昭和9年(1934)に国宝に指定されたが、昭和23年(1948)の福井大震災で倒壊し、昭和25年(1950)重要文化財に指定された。 その後昭和30年(1955)に修復再建された。 小さな城だが風格がある!
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・・・・・・・・・・ 丸岡城は二層三階なので城内の階段を2回上り下りする必要があるが、この階段の急勾配ぶりは現存天守の中で一番です。 1階から2階への階段は勾配65度で、2階から3階への階段の勾配は67度もあり、“階段”というより“梯子”という感じだ! 危険なので、手摺の他にロープも付いている。 年寄・女性は階段を見てあきらめるかも?、、、、、さらに一番危険なのは、城内の階段よりも城の出入りに石垣を上り下りする階段で、この階段(石段)は、段差もバラバラで足元注意が必要、さらに手摺がないから摑まるものがないので要注意! 年配のご夫婦がこの階段を見て城内に入るのをあきらめていた、残念ですね!
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● 丸岡城から再びバスに揺られて40分、福井市の東、四方を山に囲まれた深山幽谷の地に曹洞宗大本山の永平寺がある。 永平寺は山号を吉祥山と称し、寛元2年(1244)に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場である(現在、百人ほどの雲水が修行をしているそうだ )。 本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。 永平寺には大小70棟余りの建物が並んでいるが、一般の人が拝観できるのは、法堂、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司、浴室の七堂伽藍を中心とするエリアである。 主要な建物19棟は国の重要文化財。

・・・・・・・・・・ バス停から永平寺まで参道がある
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・・・・・・・・・・ 通用門で拝観料を払い、昭和46年(1971)に建てられた地上5階地下1階の宿泊研修施設「吉祥閣」(飛島建設施工)で、スリッパに履き替える。
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・・・・・・・・・・ 「
傘松閣(さんしょうかく)」は、昭和5年(1930)の二祖国師・孤雲懐奘650回忌を記念して建築された。 2階に156畳敷きの大広間があり、折上格天井にはめ込まれた花鳥彩色画230枚の天井画は小室翠雲ら計144名の画家によって描かれた。 参拝者へのもてなしの間として作られた部屋である。
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・・・・・・・・・・「山門」は七堂伽藍の中で最も古い寛延2年(1749)の造立、約300年前の建物だ! 修行僧が毎日楼上に登り、お経をあげているとのこと。
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・・・・・・・・・・ 主要な建物が階段・回廊でつながれ、走って通り抜ける修行僧もいた。 床は磨かれピッカピカ、滑って転んで危ないかも?
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・・・・・・・・・・ 明治35年(1902)に改築された「僧堂」。 正面には「雲堂」の額が掛けられている。 堂内中央には智慧の象徴である文殊菩薩が安置されている。
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・・・・・・・・・・ 明治35年(1902)に改築された「仏殿」。 中央に曹洞宗の本尊であるお釈迦様が祀られている。 像は三体あり、向かって右側からそれぞれ過去・現在・未来の三世を現わしている。
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・・・・・・・・・・ 山の斜面に配されている七堂伽藍、その最も高い位置に「
法堂(はっとう)」がある。 天保14年(1843)の建築。 本尊として平安時代作の聖観音像を安置する。 天井から中国宋代の形式を伝える大型の八葉蓮華鏡が吊るされている。、、、、、朝のおつとめなど、各種法要はが行われる処。 下からここまで上がってくるだけで疲れる、さらに、おつとめする修行僧には、ご苦労様だ!20251023120957
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・・・・・・・・・・ 永平寺の参拝を終え、帰りは土産物屋、蕎麦屋の並ぶ門前通りを歩いてバス停に向かう。、、、、、途中の店で、永平寺蕎麦、ごま豆腐を味わう、おいしかった!
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● 福井駅は明治29年(1896)7月15日に官設鉄道の北陸線として敦賀駅~福井駅間が開業した際に一般駅として開業した。、、、、、現在は、西日本旅客鉄道(JR西日本)・ハピラインふくい・えちぜん鉄道の駅である。、、、、、新幹線は県庁所在地の駅であるにもかかわらず、通過線や待避線のない島式ホーム1面2線のみの小規模な駅である。 チョイと可哀そう!
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2025年10月22日 (水)

一日目は東尋坊と三国

10月20日は上皇后陛下の誕生日、翌21日は私の誕生日。 一週間ほど前、夫婦で私の誕生日に『カニを食べに行こう!』と話しがまとまった。 早速、どこへ食べに行こうかと話すうちに、『日本海側、越前ガニ、温泉』とキーワードが並び、結局、芦原温泉に行こうと決めた。 ネットで宿を検索し、21日はどこも満室。 22日なら空室があり、迷わず予約。、、、、、宿が決まれば、新幹線往復の予約もどうにかできたが、観光地の行先は東尋坊と永平寺の2か所だけ決めて。 出発進行!



● 東京から3時間10分、時刻は10時半、北陸新幹線の芦原温泉駅(あわらおんせんえき、JR西日本)で下車する。 新しい新幹線駅は綺麗な駅舎であるが、最速特急「かがやき」の停車駅である金沢、福井に比べると、新幹線の各駅停車「つるぎ」しか停まらない芦原温泉駅は閑散としている。
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・・・・・・・・・・ 年寄二人の気まま旅で、最寄りの交通機関・観光地など下調べせずにやって来た。 頼りにするのは現地の観光案内所。 駅の売店横にある小さな観光案内所に行くと、女性が一人座ってた。 『今日は東尋坊、明日は永平寺に行きたいのです。 今夜の宿は芦原温泉に予約してます。 さて、どのように行ったらよいか教えてください。』 応えは『今日はここからバスで東尋坊に行って帰りに三国の古い町を歩き、芦原温泉に行かれたら良いです。 明日は、温泉の送迎バスで芦原温泉駅まで送ってもらい、駅からバスで丸岡城、永平寺と観て福井駅に出られたらよいでしょう。 このコースで利用できるバスのフリー切符もありますよ!』 地図にマーカーで示し、時刻表もくれ、親切丁寧なる対応、ありがとうございます。 東京を出るときは、三国の町、丸岡城は話題にもでず、楽しそうなコースを紹介してもらった。 案内所の女性に感謝!
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● 芦原温泉駅からバスで約40分、自殺の名所(?)東尋坊に着いた。 バス停から岩場までの約300mは、両側に海鮮丼などを食べさせる食事処、土産物を売る店が並び、呼び込みするお姐さん(?)もいる。 なんとなく懐かしさを感じ、中高校生時代の修学旅行を思い出した。
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・・・・・・・・・・ 絶壁に日本海の荒波が打ち寄せる景色で知られる、国指定名勝「東尋坊とうじんぼう )」。 日本海に面した海食崖で、険しい岩壁が約1㎞にわたり続き、最も高い場所で約25mの垂直の崖がある。 東尋坊を構成する岩は、輝石安山岩の柱状節理で、これほどの規模を持つものは世界に3ヶ所だけであり、地質学的に極めて貴重とされている。、、、、、地名「東尋坊」の由来は、乱暴あるいは恋愛関係で恨みを買って此処から突き落とされたの僧の名前による。、、、、、『自己責任』でお任せなのか、崖上の岩場には柵がなく、行こうと思えば崖上の先端から飛び降りることができる。 まだ長生きしたい私は、先端に行って足を滑らしたら大変、まだ死にたくない!
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・・・・・・・・・・ 東尋坊を目に焼き付けた後は、イカ、サザエ、ホタテ、ハマグリを焼いてもらい、旅の味を堪能する。 美味い!
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● 東尋坊から三国港駅まで約30分の歩き。 三国港駅(みくにみなとえき)は、えちぜん鉄道三国芦原線の駅で同線の終着駅である。 もともと三国港(みくにこう)の貨物取り扱いの駅として、鉄道院によって既設の三国駅より三国線を海岸へ延伸することで大正2年(1913)に設置された。 昭和2年(1927)一般駅となり、旅客取り扱い営業が開始された。 昭和19年(1944)三国港駅は国鉄から京福電気鉄道に貸与された。、、、、、駅舎・ホームは線路の北(市街地)側に設置されている。 単式ホーム1面1線の地上駅である。 1日平均の乗車人員は130人前後と少ない。、、、、、今は乗降客も少なく静かな無人の終着駅である。 映画のワンシーンとなるような情景で趣があるね!
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・・・・・・・・・・ 三国港駅の手前(東側100m程)に、煉瓦造りの小さなアーチ橋が架かっている。 大正2年(1913)から100年以上に渡って使われている橋で、国の登録有形文化財「眼鏡橋」だ。 橋上の道路と線路が直角でなく、斜め60度で交差しているのが特徴。 このため、トンネル上部のアーチ部分では、煉瓦がねじるような形で積まれています。 この技法を「ねじりまんぽ」と言うそうだ。
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● 三国の町の古い建物が残る通り「出村町並み」、「三国湊きたまえ通り」などを歩いてきた。 伝統的建造物群保存地区には指定されていないが、その昔を忍ばせる情緒ある通り。
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・・・・・・・・・・ 町中に残る、三国町随一の豪商森田家が創業した森田銀行本店の建物(登録有形文化財)。 大正9年(1920)に本店として落成されたこの建物は、近年まで福井銀行三国支店として営業されていた。 しかし建物の老朽化にともない三国町の所有となり詳細な調査を踏まえ復元保工事が行われ、平成11年(1999)に三国町の文化遺産としてオープンした。、、、、、内部も見学でき、当時の建物の意匠を楽しむことができる。
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● 東尋坊、三国の町を歩き見て疲れた! 今宵の宿は、三日前に藤井聡太竜王と佐々木勇気八段の竜王戦第2局(藤井竜王の勝ち)が行われた、芦原温泉の「美松」。、、、、、私達夫婦は、のんびり・ゆったり・湯につかり・疲れ癒して・カニを味わい・おやすみなさい!
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2025年10月 6日 (月)

四度目の別所温泉 2

朝風呂に入り、ゆったり気分で目覚めた、別所温泉から始まる二日目です。、、、、、私『今日の行動予定は?』(帰りは、4時、長野駅発の新幹線を購入済) 妻は『善光寺に行こう、土産物も買いたいし!』 私は、旅館に飾ってあった国宝の三重塔の写真を見て、『青木村の大法寺へ行ってみたい!』 そこで、別所温泉から隣りの青木村の「大法寺」に寄って上田駅までタクシーで行き。 長野の善光寺に参拝して東京へ帰ることにした。



● “思わず振りかえる(国宝)見返りの塔”をぜひ見てみたい。 北向観音から北へ約4㎞離れた位置に大法寺はある。 別所温泉から大法寺のある青木村までは、途中には峠越えもあり歩いて行くにはチョイと無理。 電車もバスも無いのでタクシー一択である。、、、、、大法寺(だいほうじ)は、長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院。 山号は一乗山。、、、、、大法寺は奈良時代の大宝年間(701〜704)に藤原鎌足の子である定恵によって創立されたとされる、信州でも有数の古刹である。 その後、平安時代の大同年間(801〜810)に坂上田村麻呂の祈願により、義真(天台宗座主)によって再興された。 鎌倉時代には、大法寺は周辺に住んだ有力地頭による崇敬を受けた。特に国宝に指定されている三重塔や、重要文化財に指定されている厨子、須弥壇などの文化財は、浦野氏、北条氏などの地頭の支援により造られた。 江戸時代には戸隠の勧修院の末寺となっており、天台修験による山岳仏教の寺として栄えた。、、、、、大法寺は、村から見上げる小高い山の中腹にある田舎の山寺だ、訪れる人も少なそうだ。
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・・・・・・・・・・ 大法寺観音堂の本尊は十一面観音菩薩立像(秘仏)で脇侍の普賢菩薩立像と共に重要文化財に指定されている、平安中期(藤原時代)の作である。 室町時代の厨子及び須弥壇(重要文化財)も、木製のものとしては日本最古といわれてる。
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・・・・・・・・・・ 山腹に点在する伽藍の最も高い地点に位置する三重塔。 大正9年(1920)の解体修理時に軒下の斗栱から正慶2年(1333)の墨書が発見されたことから建築年代が判明した。明治32年(1899)に旧古社寺保存法による国宝指定を受けた後、昭和23年(1953)の文化財保護法の新法により改めて国宝指定された。 塔の様式は和様で「見返りの塔」の名で親しまれてきた。、、、、、下から見上げる塔も良い、上から見る塔も良い、どこから見ても素晴らしい、感動! 
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● 長野駅からは“妻に引かれて善光寺参り”、、、、、善光寺は無宗派の単立仏教寺院。 住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務める。 本尊は日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)で、絶対秘仏である(開帳は前立本尊で行う)。 本尊の善光寺如来は由緒ある像として権威の象徴とも見なされ、戦国時代には大名がこぞって自領(本拠地)に善光寺如来を遷座させ、各地を転々とした。 昔から多くの人々が日本中から善光寺を目指して参詣し、「一生に一度は参れ善光寺」と言われた。(私は十度程参っていると思う)、、、、、妻の参拝目的は、参道の店で栗と蕎麦を食べ、土産を買う楽しみ。 まずは本堂へ。
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・・・・・・・・・・ 本堂で手を合わせたら、参道の店を覗いてブラブラ
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● 長野駅から、Good-by!
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2025年10月 5日 (日)

四度目の別所温泉 1

信州の別所温泉に、5日、夫婦で一泊の温泉旅行をしてきた。 平成の時代に家族旅行で別所温泉に泊まり。 令和4年(2022)に「善光寺の御開帳」で家族旅行、昨年令和6年(2024)は「東京~上田間の新幹線切符が当たり」夫婦二人旅、と短期間に四度目の別府温泉泊まりとなった。、、、、、今回の旅行は一週間ほど前に、突然、夫婦で決めた旅行である。 先月末、夫婦で話していると妻『松茸食べたいね?』 私『どこかへ松茸料理を食べに行こうか。 どうせ行くなら、10月5日(日曜日)の結婚記念日にしよう』 妻『いいね賛成!』と話はまとまりかけたが、サテ・どこに行く? 記念日当日まで一週間しかない中で、松茸料理を食べさせる温泉旅館を探す。 栃木県・群馬県・長野県の目ぼしい温泉旅館を30軒程ネット検索する。 宿泊日間近なので何処も“満員”、やっと見つけた宿が松茸料理を売りにする別所温泉の旅館。 『また別所か! チョイと飽きたが、しょうがない予約しよう!』 早速、新幹線の切符もゲット!、、、、、立ち寄る観光地を決めず、とりあえず出発!


● 行の新幹線車内で、昼前に上田駅に着くけど、どこへ行こうか? 六文銭の上田城、北国街道の街並み、いずれも行ったが、『もう一度行くか』、、、、、駅前の通りを歩き、の「池波正太郎 真田太平記館」を拝観。 真田太平記は池波正太郎が、昭和50年代に9年間かけ、「週刊朝日」に連載された小説。 そのタイトルのごとく、有名な真田父子二代(昌幸、信之、幸村)を中心に書きあげたものである。 館内は2階の常設展示と、からくり芝居、土蔵のシアター、ギャラリーなどがある。 池波ファンは十分楽しめるものと思われる。202510051027491
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・・・・・・・・・・ 上田駅の北に残る、「旧北国街道」沿いの家並みを歩く。 戦国の世に生まれた上田城の城下町で、江戸時代は北国街道上田宿として栄えた。 大きな柳の木が残る旧街道には、旅籠屋や商家が軒を連ね、呉服屋だけでも25軒あったといわれてる。 今は、白い土塀に格子戸のある民家、古道具店、杉玉のある造り酒屋などがあり、さらに古民家再利用の喫茶店などもある。、、、、、昼食はここで“新そば”を味わう。 美味い!
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・・・・・・・・・・ 旧北国街道から上田城に廻り上田駅へ向かう。 上田城も見飽きたが、せっかくここまで来たら上田城も見ておくか!、、、、、上田城は天正11年(1583)、真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地のほぼ中央に位置してる。 堀と土塁で囲まれ、虎口(出入口)に石垣を使った簡素な城である。 現在は、櫓3基と櫓門1基を見ることができ、天守閣なるものは無い。 また、石垣や土塁が到る所に残されている。 (城内には真田神社がある)
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上田駅から「上田電鉄 別所線」で、のんびり、ゆっくり、ガッタン・ゴットンと揺れて終点の別所温泉駅に到着。、、、、、別所温泉駅では、3人の女性が大正ロマンの装いでお出迎えしてくれた。 嬉しいね!
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● 別所温泉に着いたら、まずは北向観音(きたむきかんのん)にご挨拶。 北向観音は、近くの天台宗の寺院:常楽寺が本坊であり、その伽藍の一部となっている。 寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825)、円仁(慈覚大師)によって、常楽寺とともに開創されたといわれてる。 安和2年(969)大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興された。 鎌倉時代の建長4年(1252)には北条国時によって再建された。 正徳3年(1713)に焼失し、8年後の享保6年(1721)に現在の堂が再建された。 その後度々修復を加え、昭和36年(1961)に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となる。、、、、、今年は開創1200年にあたり、この10月11日から11月9日まで、64年ぶりに北向観音御開帳が行われるそうだ。(一週間来るのが早かった!)
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● 旅館の夕食は、待望の「松茸料理」。 食事処には私達と同様に、松茸料理に期待する20組ほどの客がいた。、、、、、席に着くと、料理の品書きが置かれてる。 チョイと見ると、「松茸酒 松茸寿し 土瓶蒸し 鯛松茸和え 松茸姿焼き 松茸ホイル焼き 松茸天婦羅 松茸御飯」の文字が並ぶ。 ウハウハこれは大いに期待する。、、、、、ところが、こんなに多くの松茸料理が目の前に並んでいるが、松茸の香りがしない! 仲居さんに「この松茸どこで採れたの?」聞くと、「この近くの山らしいです」との返事。 次に「松茸の香りがしないね?」と問うと、別の仲居が「今年は猛暑で不作なんです」と返す。 別所温泉の町全体が、松茸料理、松茸販売でにぎわっているが、本当にここは松茸の産地なのか、観光客の分だけここで採れるのか、疑心暗鬼!になる。、、、、、夕食後、露天風呂に入り、今度松茸料理を食べるときは、カナダへ行ってみようかと思いをいだく。
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・・・・・・・・・・ あの香、あの歯ごたえ、美味しい松茸の夢を見たくて、Good night!

2025年9月27日 (土)

500棟の伝統建築

今回の旅の予定は、一日目に長谷寺へ、二日目に橿原神宮と神武天皇陵へ行くことに決めていた。 そのため、宿泊先に橿原神宮駅前のホテルを予約しておいた。 しかし昨日、長谷寺と橿原神宮に参拝したので、二日目の今日は時間に余裕ができ妻と相談して、畝傍御陵前駅から神武天皇陵、綏靖天皇陵を見て、重要伝統的建造物群保存地区の今井町を歩き、大和八木駅から大阪経由(妻がグリコの看板を見たい!)で東京へ帰ることにした。



● 宿泊した橿原神宮前駅の北隣にある、近鉄の畝傍御陵前駅(うねびごりょうまええき)から今日の旅は始まる。、、、、、畝傍御陵前駅は、近鉄橿原線の駅で、大正12年(1923)3月21日に大阪電気軌道畝傍線(現在の橿原線)の平端~橿原神宮前間の開通時に「畝火山駅(うねびやまえき)」として開業した。 大正13年(1924)には、一字違いの「畝傍山駅(うねびやまえき)」に改称。 昭和12年(1937)には「神武御陵前駅」に改称。 昭和14年(1939)には、駅を現在地に移動し「畝傍御陵前駅」と改称した。 『開業から現在まで4回、名を変えてご奉公』 駅名のごとく、畝傍山が駅の正面に見え、その裾に神武天皇陵(御陵)がある。 現駅舎は橿原神宮前駅に似た大和棟風の重厚なデザインだ!
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● 国の創始者である神武天皇の御陵は、畝傍山の東側の森に位置する、即位したとされる橿原神宮の北隣である。 畝傍御陵前駅から500m程歩くと、宮内庁が管理する御料の入り口(参道)がある。 参道は緩やかに右カーブし、曲がると正面に拝所が見える。 参道両側は高い木立に囲まれ、神聖な空気が漂う中を拝所に進む。、、、、、神武天皇陵の陵(みささぎ)の名は「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」で、遺跡名・俗称は「四条ミサンザイ」と呼ぶそうだ。 陵の形式は円丘。、、、、、神武天皇がこの地に生まれ、ここ四条ミサンザイに葬られているかは、確たる証拠もないらしい。 中世には陵墓の位置はわからなくなっていたそうだ。 江戸時代になり、水戸光圀が「大日本史」の編纂を始めた頃に幕府も天皇陵を立派にすることで幕府権威をより一層高めようとして、元禄時代に陵墓の調査をし、歴代の天皇の墓を決めて修理する事業が行われた。 その時に神武天皇陵に治定されたのは、畝傍山から東北へ約700 mの所にあった小さな円墳であった(現在は第2代綏靖天皇陵に治定されている)。 しかし畝傍山からいかにも遠く、山上ではなく平地にあるため、もう少し畝傍山に少し近い「四条ミサンザイ」という小さな塚を神武天皇陵としたという説がある。 神話の時代のことで、私には真実が何かは別にして、神武天皇の実在とこの地が天皇陵であったことを信じ、崇敬し拝むこと自体に意味があると思われる。、、、、、拝所の脇に管理事務所のような建物があるが、お守り、神武天皇饅頭などの土産物は売ってない。 飲料水の自販機も無し、「さすが宮内庁!」
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● 神武天皇陵の北側徒歩10分程で、第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の陵墓がある。 こちらも、鬱蒼とした樹木に囲まれているが、神武天皇御陵と違い訪れる方も少ないようだ。 御陵は約30mの円墳状と推測され宮内庁が管理してる。 陵の名は、桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)です。 天皇名、陵名ともに難読だ、私には読めない、書けない、情けない!
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● 奈良県橿原市の中央(近鉄:八木西口駅の南西)に「
今井町(いまいちょう)」がある。 今井町は、戦国時代天文年間(1532~1555)この地に一向宗の門徒が自衛上武力を養い、濠をめぐらせ、御坊(称念寺)を中心とした町づくりをしたことに始まる。 江戸時代には、東西約600m、南北約310m、戸数1,100軒、人口約4000人強の町に成長した。 現在も今井町は1丁目から4丁目まであり、1,500棟程の建物があり、そのうち約500棟が江戸時代以来の伝統様式による建物が残っている。 伝統的建造物が全国で最も多い地区となっており、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 また、国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件、市指定文化財が5件あり、平成29年(2017)に日本遺産に認定された。

・・・・・・・・・・ 神武天皇陵から歩いて今井町に来ると、町の入口に「今井まちなみ交流センター:華甍」がある。 ここで、情報を仕入れてから町歩きすることにした。 センターでは、案内の女性が親切に『今日、内部を見学できる建物は、こちらとこちら、さらにこちらも』と、地図に10か所ほどマークして教えてくれた。 ありがとう!、、、、、センターの建物は、明治36年(1903)高市郡教育博物館として建てられ、昭和4年から今井町役場として使用されていた。 現在は資料館として公開されている。
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・・・・・・・・・・ 今井町は堀(環濠)に囲まれた中に、道が格子状に作られているが、
敵の侵入を防ぐため堀の外からは見通せないように、道の一部を屈折させている。 道幅は狭く、現在も一車線の道路である。
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・・・・・・・・・・ どこの家も重要文化財に見えてしまう今井町の住宅。 どこの家も、愛情込めて皆さん住んでます、商売もしてます。
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・・・・・・・・・・ 称念寺は、浄土真宗本願寺派に属し、今井御坊とも南之御堂とも呼ばれている。 現在の今井町は、この寺の境内地を中心として発達した武装宗教都市:寺内町である。 寺の草創は室町末期の天文年間織田信長が誕生したあたりで、本願寺の一家衆今井兵部卿豊寿がここに本願寺の道場を建てたのに始まる。、、、、、称念寺の本堂(重要文化財)は、入母屋造・本瓦葺・向拝付で浄土真宗初期の建築様式を残している。 創建年代は不明だが寛文11年(1671)に修理された記録が残っており、江戸時代初期の建立と推定される。 東を正面とし、桁行20m、梁間21m。 表門(山門)は多武峰談山神社(妙楽寺)より移築された門である。 廃仏毀釈の折、年代ははっきりしないが、明治2年から9年頃である。それ以前は長屋門であったと言われている。 山門脇の太鼓楼は弘化2年(1845)の建築。
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● 今井町を歩き回り、食事も済ませて『イザ・大阪へ!』、、、、、近鉄「大和八木駅」まで歩き疲れて、大阪難波までは特急で30分。

・・・・・・・・・・ 道頓堀は凄い人・人・人  グリコの看板を見てると、聞こえる会話は中国語、韓国語、英語、ドイツ語、解らん言葉!
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・・・・・・・・・・ 人込みを避けたつもりが法善寺  水掛地蔵に手を合わせ『長生きできますように! ついでに宝くじ一等当選もよろしく!!』
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2025年9月26日 (金)

60年ぶりに長谷寺へ

50年程前、結婚するころに妻に、私の好きな寺の一つである“奈良の長谷寺”へ連れて行く約束をしていた。 今回、長い猛暑日が終わったので、我慢していた旅の虫が騒がしくなり、急遽一週間前、『長谷寺に行こう!』と妻に言うと、もちろんOKの返事。 行先は長谷寺と、私が行ってみたかった橿原神宮・神武天皇陵の3か所を予定し、26・27日の一泊二日旅をしてきた。 
私が長谷寺に参ったのは60年ほど前、建築学科の学生の頃、京都・奈良の寺社巡り、遺跡巡りをしていて、その旅の一つで室生寺、長谷寺、談山神社などを歩き、長谷寺では長い登廊、京都清水寺に似た本堂の舞台、本堂から見る五重塔などの美しさに魅せられた。 今回は、学生の頃を思い出しながら、60年ぶりの参拝が実現した。(妻は初めての参拝)



● 朝7時発の新幹線に乗り、名古屋からは難波行の近鉄に乗り換え、10時45分真言宗豊山派総本山がある長谷寺駅に到着。 乗降する人は数人と少なく、無人の改札を出ると、駅前には店は無し、長谷寺への案内図があるのみ。 昭和58年(1983)頃は、一日の乗降客は5,900人程度であったが、現在は一日700人程らしい。 総本山に参る人の多くは、電車から車に変わり駅も寂れてしまったようだ。、、、、、長谷寺駅は昭和4年(1929)10月27日の参宮急行電鉄の桜井~長谷寺間開通と同時に開業。 翌年、昭和5年(1930)2月21日には長谷寺~榛原間が開通した。 昭和16年(1941)、大阪電気軌道との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる。 昭和19年(1944)には会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。 相対式2面2線の地上駅。 駅は山の中腹にあり、山裾に流れる大和川沿いの民家・国道に向かって急な坂をくだるようになっている。 坂の下りもきついが上りはモットきつい! 年寄殺しの坂だ!
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● 駅から坂を下り、大和川を越えると、長谷寺への参道である“旧初瀬街道”がある。 歩く人は見られず、車は私をよけて走り去る。 かつては道の両側に旅館・土産物屋が並んでいたと記憶していたが、今は旅館が数件、店も数件が営業している程度で、チョイと寂しい。 時代は変わったが、街道の面影残す建物もまだ残っている。
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・・・・・・・・・・ 長谷寺参拝客の駐車場がある付近からは、急に人影が目に入る。 『皆さんお車でお越しですか? 楽で良いですね!』
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● やってきました真言宗豊山派総本山「長谷寺」 長谷寺は、大和国と伊勢国を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。 朱鳥元年(686)、僧道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置したことが始まりと言われてる。 平安時代には貴族、江戸時代には徳川家の崇敬を集め帰依を受けて栄えた。 舞台造の本堂(国宝)は徳川家光による再建。寺宝類としては、本尊十一面観音像をはじめ、約千点にも及ぶ文化財を所蔵する。 仁王門を抜け、本堂へと続く登廊(重要文化財)は399段に渡る石段になっており、天井には楕円形の灯籠が吊られている。 登廊は4月下旬から5月上旬に見頃をむかえるボタンに彩られる。 今の時期は、ボタン、アジサイ、桜、紅葉のどれもこれも無し、あるのは緑鮮やかな樹々のみ。(できれば花の時期に来たかった!)

・・・・・・・・・・ 参道から長谷寺の総門である仁王門(国登録重要文化財)へ向かう。 三間一戸入母屋造り本瓦葺きの楼門である。 両脇には仁王像が出迎える。  現在の建物は明治22年(1889)に再建されたもの。
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・・・・・・・・・・ 仁王門をくぐると登廊(のぼりろう、国登録重要文化財)となる。 平安時代の長歴3年(1039)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、108間、399段、上中下の三廊に分かれてる。 下、中廊は明治22年(1889)再建で、風雅な長谷型の灯籠を吊るしている。、、、、、階段の上りはキツイ! 汗をかきかきボヤくのは『エスカレーターにして欲しい!』 
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・・・・・・・・・・ ゼイゼイ息を切らして上ってきた先に国宝の本堂がある。 小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。正面(内陣)は桁行(間口)の柱間9間、梁間(奥行)同5間、入母屋造本瓦葺で、また礼堂(外陣)は正堂よりやや低く、桁行9間、梁間4間、正面入母屋造本瓦葺。  夏の緑の陰で本堂の全景は撮影できず、チョイと残念。、、、、、堂内に祀られている、本尊である約10mの「十一面観世音菩薩」も撮影禁止。 観音様に合掌し家族の健康を願ってきた。
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・・・・・・・・・・ 本堂から眺める五重塔。 昭和29年(1954)、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、昭和の名塔と呼ばれております。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っています。 度々絵になる五重塔!
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● 妻と長年の約束であった「長谷寺詣で」も済ませ、本日の宿がある橿原神宮前駅へ移動。、、、、、橿原神宮前駅の歴史は古く、3線が乗り入れている。 南大阪線(大阪阿部野橋~橿原神宮前駅、狭軌)と橿原線(大和西大寺~橿原神宮前駅、標準軌)の終点駅、吉野線(橿原神宮前駅~吉野駅、狭軌)は起点駅。 南大阪線と吉野線は直通運転しているが、橿原線は軌間が異なるため南大阪線、吉野線に乗り入れることはない。 橿原神宮前駅の開業は大正12年(1923)3月21日、大阪電気軌道畝傍線(現在の橿原線)平端~橿原神宮前間延伸時に橿原神宮前駅開業に始まる。 駅は2面4線のホームが2つある地上駅。 中央口を挟み東側の1 - 3番のりばは標準軌の橿原線、西側の4 - 7番のりばは狭軌の南大阪線・吉野線である。 改札口は
東、西、中央と3か所ある。、、、、、中央口の駅舎は初代新歌舞伎座の設計で有名な建築家・村野藤吾の設計である。 中央口は橿原神宮の参道に近く皇室の利用もあり、貴賓室を備えた橿原神宮前駅のメインの建物となっている。 建物は神社かお寺かと思わせる外観で、大きな急斜面の屋根が特徴の大和棟を模したコンクリート駅舎である。 駅舎の竣工は昭和15年(1940)、村野藤吾建築事務所が設計し、大林組が施工した。 紀元2600年の式典に合わせて作られたものである。、、、、、今宵泊まるホテルの窓からは橿原神宮前駅を見下ろすことができ、鉄オタの私にはうれしいことであった。
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● 夕食までには時間があり、夫婦そろって橿原神宮(かしはらじんぐう)へ参る。 橿原神宮は橿原神宮は、大和三山の一つ「畝傍山」の麓にあり、神武天皇陵の南に隣接する。 旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。、、、、、明治22年(1889)、初代天皇である神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる橿原の地に、神武天皇と皇后の媛蹈鞴五十鈴媛命を祀るための神宮を創建することを民間有志が請願し、感銘を受けた明治天皇によって明治23年(1890)4月2日官幣大社として創建された。 橿原神宮の設計は、東京帝国大学(現:東京大学)名誉教授を務めた伊東忠太によって行われた。 創建当初の名は橿原神社であったが、明治23年神宮号宣下を受けて橿原神宮に改称された。、、、、、霊峰と崇められる畝傍山を背景に53万m2(甲子園球場約13個分の大きさ)を有する神宮。 境内は信仰の杜として、約76,000本の樹木が植栽され、うち22,000本は全国から寄せられた献木である。 行ってビックリ、見てビックリ、なにしろ広い神社だ!、、、、、第一鳥居第二鳥居とぐぐり、南神門を入ると外拝殿前に砂利を敷き詰めた広場がある。 私が入れたのは、ここ外拝殿まで。
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・・・・・・・・・・ 外拝殿から内拝殿を望む(拝殿前のテントは秋季例大祭の参列者用の準備中) 幣殿、本殿はさらに奥、見えない!、、、、、神様は見えないが、遠路はるばるここまで来たら賽銭も奮発してきた。 金額はナイショ!
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・・・・・・・・・・ 境内のもデカすぎる!
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・・・・・・・・・・ 外拝殿の後ろに畝傍山が見え、ホテルの窓からも畝傍山が見える。
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2025年6月21日 (土)

のんびり高湯温泉

東京は梅雨入りしてから連日の猛暑日・真夏日で、年寄りの外出はひかえてきた。 しかし、気持ちは外に向かい、20日からの一泊で、吾妻連峰の高地にある、福島市の高湯温泉に夫婦で行ってきた。



● 夫婦二人旅なので、今回は高湯温泉の宿だけ予約し、観光する目的地を決めずに出発した。、、、、、新幹線車中で、今旅の行動予定を話し合う。 福島駅から高湯温泉行のバスは、朝昼晩にそれぞれ1本、一日に合計3本しか運行されていない。(宿の送迎はあるが、事前連絡はしていなかった) 昼2時頃に福島駅を出るバスで行くことにした。 バスが出るまでの3時間余り『どうする?』 『とりあえず昼食で1時間、残り2時間はどうしましょう?』 妻の祖母が眠る、駅から徒歩20分程の「長楽寺」へ墓参りすることにした。 二日目は、観光タクシーで「浄土平」へ行ってみようと話はまとまる。



● 私達が乗った新幹線は「やまびこ・つばさ129号」、、、、数日前の山形新幹線「E8系」不具合で、「やまびこ」の車両は連結されておらず、「つばさ」の車両のみで運行。 しかも全車自由席の扱い。 ガラガラの貸し切り状態で福島着。 のんびり旅のスタートとなった。
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● 福島市も猛暑、暑い・暑いとボヤキながら駅の東側を県庁の方に向かって歩く。 福島県警察本部の近く、建物の陰に煉瓦造りの建物が見えた。   チョイト気になり撮影する。、、、、、大正5年(1916)3月に日本赤十字社福島支部の倉庫として建てられた建築物である。 妻側に赤十字のマークが標されている。 現在は福島県庁の書庫として活用中。 
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● 旧赤十字病院の倉庫の東側に長楽寺がある。、、、、、「長楽寺(ちょうらくじ)」は、福島市にある曹洞宗の寺院。 山号は萬年山で、本尊は聖観世音菩薩。 室町時代に上杉氏の重臣本庄氏の菩提寺として、越後小泉庄の中心地本庄(現新潟県村上市)に創建された。 慶長5年(1600)、4世中興傑山雲勝の代に越後から現在の福島の地に移転。 中興開基は、初代福島城主(当時は上杉家城代)で本庄氏31代当主の本庄繁長。、、、、、長楽寺は福島城三の丸の郭内の東隅にあった。

・・・・・・・・・・ 山門をぬけて、本堂で合掌。、、、、、 その後、妻の祖母の墓に線香を供える。 
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・・・・・・・・・ 墓地に建てられた「福島城代本庄繁長一族之碑
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・・・・・・・・・・ 福島の目明しとして名を売り、明治時代に入ってからも消防組織の中心となって活躍した、福島一の侠客といわれた浅草屋宇一郎の墓。 隣には、仙台藩烏天狗組の慰霊碑がある。 烏天狗組は正式名称を《衝撃隊》と言い、仙台藩士・細谷十太夫によって結成された義勇軍。
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● 福島駅からバスに揺られて40分、吾妻連峰に抱かれひっそりと佇む高湯温泉に到着。、、、、、高湯温泉は福島駅の西約18kmの、吾妻連峰に連なる標高約750mの高地に位置する。 磐梯吾妻スカイライン入口に温泉街が所在する高湯温泉は、ほぼ全域が磐梯朝日国立公園内にある。 高湯温泉は信夫高湯ともいい、山形の白布高湯(白布温泉)や最上高湯(蔵王温泉)と並んで奥羽三高湯と称される。 9本の源泉があり、「滝の湯」「熱湯」「仙気の湯」など、それぞれに名前が付けられている。源泉によって湯花が多いものや、砂を吐くものなど特徴に違いがある。江戸時代から地形の高低差を利用した自然流下による引き湯が行われており、加温、加水を一切せず、6軒の宿と1軒の公衆浴場に供給されている。 泉質は、全国有数の硫黄成分濃度の高さで知られてる。 天文年間(1532~1555)温泉が発見され、慶長年間(1596~1615)には湯治場として広くしられることになった。、、、、、終点の高湯温泉バス停は共同浴場「あったか湯」の前。 この湯は地元(6軒の宿があるのみ)の人用というよりは、吾妻連峰に訪れる観光客用だと思われる。
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・・・・・・・・・・ チョイト、チェックインには早かったかも、でものんびり湯に浸りたいので宿へ直行。、、、、、『たいせつな人と過ごしたい宿』がキャッチフレーズの「旅館 ひげの家」にお世話になる。、、、、、部屋good!、温泉good!、料理good!、お客は全て夫婦二人連れ2506201413040
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● 二日目は観光タクシーで、磐梯吾妻スカイラインを走りぬけて、福島駅に行くことにした。、、、、かっては社内旅行(バス旅行)で数回来たことがある磐梯吾妻スカイラインだが、東日本大震災、コロナ禍以降の今では観光バスが走ることもなくなったそうだ。 たしかに、行き交う車は乗用車とツーリングのバイク、そして体力勝負の自転車、観光バスを見ることはなかった。 
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・・・・・・・・・・ 磐梯吾妻スカイラインの途中、「つばくろ谷」に架かる「不動沢橋」。、、、、、この橋は2000年に老朽化の為に架替えられた2代目で初代橋は「不動沢橋跡」として残されている。 2代目のこの橋は、橋長170m、幅員6.0m(11.0m)、形式:銅上路式ローゼ桁橋、総工費15億2300万円。 吾妻八景の一つであるつばくろ谷を跨いでおり、谷底から約80mの高さにある橋を遠望する姿は絶景だ!

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・・・・・・・・・・ 磐梯吾妻スカイラインの中間地点「浄土平」でチョイトひと休み。 ここ浄土平は磐梯吾妻地域に属し、磐梯吾妻スカイラインの中間地点の標高1,600mに位置している。 一切経山、吾妻小富士、桶沼に囲まれたこの一帯は、一切経山の火山噴火により生成された火山荒原と、オオシラビソを主とする針葉樹林の原生林となっています。 また、高山植物群落や亜高山帯の針葉樹林湿原なども点在し、ビジターセンター、休憩所、自然探勝路が設置・整備されている。、、、、、浄土平レストハウスから徒歩20分程で、直径約500mの吾妻小富士の火口(お釜)を眺めることができるのだが、私たち夫婦は無理せず、諦めた!
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福島駅に戻り、遅め昼食、妻の楽しみ土産の購入を済ませ、帰京する。
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