旅行・地域

2024年3月15日 (金)

近江商人の町(2)

近江旅行の2日目は、近江八幡駅前のホテルを出て、午前中に五個荘(ごかしょう)の街並みを歩き、午後は再び近江八幡に戻り近江八幡市内の散策、夕方にJRで京都に出て新幹線にて帰京。 チョイト厳しい行程だった。




● 朝9時、通勤通学客が利用する近江鉄道五個荘駅に降り立つ。 駅はもちろん無人駅。 運転手さんが改札係を兼務。 駅前には、コンビニ、喫茶店、パチンコ屋など一切なし! あるのは、町の中心に向かう道路と民家。 

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・・・・・・・・・・ 五個荘の街並みに向かう途中、旧中山道(こんなところに中山道(?)東海道ではありません)に面して「旧五個荘郵便局」(国登録有形文化財)の建物がある。 大正14年(1925)に建てられた幾何学的デザインの郵便局は、昭和39年(1964)まで使用された。 

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● 駅から徒歩30分程で「五個荘金堂の街並み」(重要伝統的建造物群保存地区)がある。(注:“五個荘金堂”とは地名である)、、、、五個荘金堂地区は、近代日本経済の基礎を築いた近江商人の発祥地として広く全国に知られ、現在も商人たちの本宅と伝統的な農家住宅が調和のとれた美しい町並みをつくり出している。 五個荘金堂地区の歴史は古く、奈良時代に寺院が建てられている。 江戸時代には、大和郡山藩の金堂陣屋を中心に古代の条里制地割に沿って、弘誓寺や勝徳寺・浄栄寺などが町の周囲に配置され、集落が形成された。 五個荘金堂地区の近江商人は、主に江戸時代後期から明治・大正・昭和戦前期にかけて、呉服や綿・絹製品を中心に、革新的商法によって商圏を全国に広げた。

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● 五個荘金堂の近江商人屋敷「外村繁邸」、「中江準五郎邸」、「藤井彦四郎邸」も拝見。

・・・・・・・・・・ 外村繁邸、、、、外村繁は、昭和10年「草筏」が芥川賞候補、昭和13年池谷賞を受賞、昭和31年(1956)「筏」が野間文学賞を受賞した滋賀を代表する作家。 外村宇兵衛家の分家として江戸時代末期に建てられた屋敷で、総面積2395平方メートル・建物面積496平方メートルもあり、門を入ると川の水を取り入れた川戸と呼ばれる水屋があり、玄関に続く石畳の右手には広い庭がある。

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・・・・・・・・・・ 中江準五郎邸、、、、中江準五郎は、大正時代から戦前まで朝鮮半島で次々に百貨店を開設し『百貨店王』と呼ばれた三中井一族の末弟中です。 屋敷は切妻瓦葺で、蔵が2棟あり、庭は池泉回遊式で池のまわりには石灯籠や巨石を配しています。 蔵には、滋賀県唯一の郷土民芸品「小幡人形」が常設展示されています。

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・・・・・・・・・・ 藤井彦四郎邸、、、、五個荘町大字宮荘の出身で、「スキー毛糸」で知られる豪商、藤井彦四郎(1876~1956)の生家でもある旧宅。 現在は資料館として、総面積8155.3m2の中に屋敷・土蔵・展示館があり、現在の日本経済の礎を築いたといわれる近江商人の暮らしぶりはもとより、歴史や商法などがわかりやすく展示されている。 この旧宅は、住居というより迎賓館的に建てられたらしい。

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五個荘駅に戻り再び近江鉄道で近江八幡駅に向かう。 JRの近江八幡駅(近江鉄道の駅舎はホームの上)は立派!

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● 近江八幡市内は建築家ヴォーリズ夫婦が住んだ地で、町の随所に彼の作品が残されている。

・・・・・・・・・・ ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories、日本名:一柳米来留〈ひとつやなぎ めれる〉、1880/10/28~1946/5/7)は、米国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、キリスト教信徒伝道者。、、、、明治38年(1905)、滋賀県立商業学校に英語教師として八幡町(現:近江八幡市)に着任。 宗教活動が問題となり学校を去る。 その後、関西を中心に建築家や事業家として活動を広げた。 明治41年(1908)、京都で建築設計監督事務所を設立し、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。 大正2年(1913)には、病気療養のため米国へ帰国し、メンソレータムの創業者:ハイドと再会し、日本でのメンソレータム販売代理店となる。 ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者となる。



・・・・・・・・・・ 急ぎ足で回ったヴォーリズ建築  写真の順に、日本基督教団近江金田教会(1950)、吉田悦蔵邸(1913)、ウォーターハウス記念館(?)、ハイド記念館(1931)、ヴォーリズ記念館(ヴォーリズの居宅)、旧八幡郵便(1921)、アンドリュース記念館(1907)、旧近江兄弟社 地塩寮(1940)、日本基督教団 近江八幡教会(ヴォーリズが建てた最初の教会の跡地)

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・・・・・・・・・・ メンソレータムの本家:近江兄弟社本社1階ロビーを「メンターム資料館」として開放し、創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の歩んだ足跡を写真パネル展示している。 チョイトお立ち寄り。、、、、メンタームはその昔「メンソレータム」と呼んでいたが、現在はロート製薬の商標となっている。、、、、本社建物の向かいにはヴォーリズの像もある(鼻筋とおったいい男だ!)

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● ヴォーリズの建築を堪能し、もう一つ近江八幡の古い街並みも拝見。、、、、近江八幡市は、豊臣秀次が築いた城下町を基礎として、近世は商業都市として発展した。いわゆる近江商人の発祥の地である。  近世の風情がよく残る新町通り、永原町通り、八幡堀沿いの町並みおよび日牟禮八幡宮境内地は「近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、時代劇の撮影場所としてもよく使われる。、、、、見何処の多い町で時間が足りない、また来よう!

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● JR近江八幡駅から京都に行き、新幹線で東京へ、、、、チョイト疲れた!!

2024年3月14日 (木)

近江商人の町(1)

14日、15日と滋賀県の近江の町を夫婦で歩いてきた。 米原から、近江鉄道を利用し、彦根、多賀大社、豊郷(とよさと)、五個荘(ごかしょう)、近江八幡の順に沿線の街歩きです。




近江鉄道は、明治29年(1896)6月16日に設立された滋賀県下で最古の私鉄である。 会社は近隣の鉄道会社やバス会社などと何度か合併を行ったが、親会社は変わっても、社名は設立時から一切変わることもなく今日まで続いている。 昭和18年(1943)には、箱根土地(現在の西武グループ)の経営傘下となり、鉄道、バス、観光などの事業を手掛けている。、、、、鉄道の現有路線は、本線:米原駅~高宮駅~八日市駅~貴生川駅 47.7 km、多賀線:高宮駅~多賀大社前駅 2.5 km、八日市線:近江八幡駅~八日市駅 9.3 kmの3路線。 全線電化され、2両編成のワンマン運転で運行している。、、、、主要駅である近江八幡駅や八日市駅でも1日の乗車人員は2008年度でそれぞれ2,000人チョイで、3,000人にも満たない。 米原駅~彦根駅~近江八幡駅にはJR西日本の東海道本線も運行しており、JRには大きく水を開けられ、鉄道営業は赤字となってる。 そのため、沿線自治体が財政支援している。 2019年には、近江鉄道の鉄道事業赤字問題で、鉄道の存廃について検討している滋賀県と沿線5市5町の会合が開催されたが、2020年に全線の存続が決定した。 2024年度(今年度)の上下分離方式への移行を目指している。 運行は近江鉄道が引き続き担い、施設は県と沿線10市町で構成される一般社団法人近江鉄道線管理機構が保有・管理する見通しとなっている。、、、、私も近江鉄道を応援する気持ちで、14日は電車、バス一日乗り放題の『お〜み満喫パス 』。 15日は電車一日乗り放題の『1デイ・スマイルチケット 』を購入して沿線の街歩きをしてきた。(運賃の元は取れたと思う)

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・・・・・・・・・・ 米原駅で新幹線から近江鉄道に乗換える。 近江鉄道の駅舎・ホームは在来線の隣りに小さく寄り添ってる。 乗車する客は私達夫婦を含めて10人程、『コリャ、赤字になるわ!』

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● 米原から近江鉄道で3駅目、彦根駅で下車。 彦根駅から徒歩15分、彦根城の入口にある滋賀県護国神社で旅の安全祈願。

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● 井伊直継により元和8年(1622)に完成した彦根城は、江戸時代以前からの天守が現存している12城の一つで、全国に5つしかない国宝の城の一つである。平野の中にある山に築城された「平山城」であり、石垣や堀・櫓など当時の遺構が多く残る貴重な城。 多くの大老を輩出した譜代大名 井伊氏の居城である。、、、、山頂に向かい長い急な石段を上り天守に到着。 しかし運悪く、訪れた日は天守の耐震対策工事中で、内部の見学はダメ、残念なり。

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・・・・・・・・・・ 天守の下には、江戸時代前期に作庭された大きな池泉回遊式庭園の「玄宮楽々園」がある。 このでっかい庭園、スゴイね井伊家!

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多賀大社前駅前大鳥居をくぐり、古い家並みが迎えてくれる参道を20分程歩いて多賀大社へ向かう。 参道の家々には、笑顔の絶えない明るく幸せな家庭を願う、『笑門』と書いた笑門絵馬が玄関に飾られている。(家々に飾られた絵馬が街並みのワンポイントとなってる)

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多賀大社は、御祭神に伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)を祀る、旧社格が官幣大社の神社本庁の別表神社。 古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。 日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々を誕生させた。 生命(いのち)の神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えるそうだ。、、、、私たち夫婦は延命長寿を願い、縁結びの願いはパス!

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・・・・・・・・・・門前の茶屋では糸切餅という、こし餡を餅で巻いて、その表面に青・赤・青の3本の縞模様を描いた菓子も売ってる。 一口でいただいた、美味い!

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● 14日も夕方になり、急ぎ豊郷町の見学だ。 まずは、豊郷駅の北にある「豊郷小学校」を見てきた。、、、、豊郷小学校は、明治6年(1873)に近隣7ヶ村により設立された「成文学校」を引き継ぐ形で明治22年(1889)に設立された。 明治20年(1887)には当地出身の豪商・薩摩治兵衛などの地元有力者から寄付を得て校舎の新築(初代校舎)がなった。 昭和12年(1937)には丸紅の専務取締役であった古川鉄次郎が学校の新築費用の寄付を申し出、2代目校舎が建築された。 2代目校舎は、設計:ヴォーリズ建築事務所、施工:竹中工務店による、白亜の壮麗な鉄筋コンクリート造校舎である。 校舎のシンボルとして階段手すりにウサギとカメの像が設置されてる。 初代、2代目の両校舎とも国登録有形文化財である。、、、、平成の世になると、この校舎を取り壊して新しい校舎を建てる話が出て、一躍有名になった。(結果は保存することになった)、、、、私たちが訪れた日は耐震対策工事がおこなわれてた。 またまた残念であったが、2代目校舎の内部は見ることができた。

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● 豊郷駅の西側にある「伊藤忠兵衛記念館」を見に行く。、、、、その名の如く、商社:伊藤忠商事丸紅も同じ)の創業者の家である。 伊藤忠商事&丸紅の創始者、初代伊藤忠兵衛の旧邸、二代忠兵衛の生家を豊郷本家として当時のまま保存し、貴重な様々な資料が残されている。 屋敷内には蔵が二棟、茶室もある近江商人の大きな屋敷である。 “伊藤”と丸紅のマークを染抜いた染物が印象に残る。、、、、伊藤忠商事と丸紅のルーツが同じだったとは知らなんだ!

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● 今日はココまで、暗くならないうちに、近江八幡の予約したホテルへ向かう。 豊郷駅から近江鉄道で近江八幡駅へ。

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2024年2月 4日 (日)

草津よいとこ~

昨年の暮れ『正月は温泉で新年を祝おう』と娘達と話し宿を探したが、既にどこも満室であきらめた。 ならば、正月過ぎて客の少なくなった頃、家族揃って温泉旅行しようと話はまとまった。 昨年末、草津温泉の宿も予約がとれた。、、、、一昨日より、娘達の二家族と私達夫婦の、三家族七人で草津温泉に行ってきた。



● 電車とバスに揺られ、情緒あふれる温泉街へ、熱い露店風呂に、綺麗に盛られた料理を食し、夜は静かに雪景色、チョイトうるさいイビキの音色、、、、こんな情景を想像し、期待して、2月3日(土)出発進行!




● 上野発10時、5両編成の特急「草津・四万1号」に乗る。 特急だが、赤羽、浦和、大宮と停まり、大宮を過ぎると、全車指定席の列車には空席がない、乗車率100%だ! 車内はカップルが多いこと、団体さんはいないね。、、、、途中、伊香保温泉のある渋川、四万温泉のある中之条などに停車したが降りる人は少ない。 9割近くの乗客はそのまま終点の長野原草津口駅まで、何だか不安になって来た。

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・・・・・・・・・・ JR吾妻線「長野原草津口」駅からは、JRバスで草津温泉まで行くのだが、このバスも増発に増発をかさね、電車の乗客(数百人ぐらいか?)をピッストン輸送。、、、、大きなキャリーバッグの人もいる、『そうだ春節だ!』(嫌な予感がした)

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● まずは「湯畑」を見に行く。 ナント、人の多いこと! 家族連れ、カップル、そしてインバウンド、コリャまいったね! 飲食店は全て行列、まんじゅう屋まで行列。 湯畑の脇で行われてる「湯もみショー」も1時間待ちの行列、あきらめて翌日来ることにした。

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● 湯畑を見下ろす高台には、白根明神の別当寺として正治2年(1200)に草津領主湯本氏が再建したと言い伝えられている、真言宗豊山派の密教寺院である草津山光泉寺がある。、、、、行基建立の薬師堂は古くから日本三大温泉薬師の一つとして著名であった。東の草津、西の有馬は吾が国の温泉の二大双璧でこれに山中の湯、城崎の湯、道後の湯のいづれかが加わって日本温泉三大薬師と呼ばれたそうだ。、、、、草津の観光名所の一つ、多くの観光客が参拝する寺と思われる。 観光客の浄財で建てたのか(?)、昨年落成式をしたらしい新しい五重塔もある。

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● 草津は湯量豊富な温泉場、当然、外湯(共同浴場)も数多くある。 写真は、
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● 今宵は湯畑に近い、明治35年創業の
昔心の宿 金みどり」でお世話になる。 部屋数は少なく、静かな佇まい、きめ細やかなサービスが魅力の老舗旅館は、心静かにゆっくりとくつろぎたい人にぴったり。(草津温泉人気の宿にランクインしてるそうだ)、、、、料理は間違いなく美味しい。 風呂は熱々。 泊まって満足!、、、、(料理・部屋・風呂などは、勝手にホームページを見てね)

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● 夕食を食べた後は、幻想的な光に包まれる夜の湯畑、、、、夜は寒い、宿へ戻って風呂に入り直しだ!

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● 二日目、今日はチェックアウトし、昨日見ることができなかった「湯もみショー」をみる。 “草津”と言えば、湯畑に湯もみショー。 見ておかないと話しにならぬ!、、、、50歳前後と思われる、ガールズグループによる“草津節”、“草津湯もみ唄”をジックリ聞いて、次は湯もみの実演。 約30分、一人700円のショーでした。

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● 湯畑から「西の河原通り」と呼ばれる小路を歩き「西の河原公園」に行ってきた。 

・・・・・・・・・・ 西の河原通りは鎌倉の“小町通り”や江の島に、観光客の雰囲気が似てる。 両側に飲食店・土産屋・饅頭屋・旅館が並び、観光客がゾロゾロ。

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・・・・・・・・・・ 西の河原公園は、園内の随所から湯が湧き出し、湯けむりが立ち、川となって流れてる。 大露天風呂あり、足湯あり、稲荷神社もあり、一風変わった公園だ。

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長野原草津口駅から帰りの特急で上野まで。 昨日は気づかなかったが、改札の頭上に“春節”を意識したと思われる赤い提灯が、ここは日本の草津だ! 何か変だな!(これもオーバーツーリズムの一種か?)

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2023年12月14日 (木)

秩父(町歩き)

昨夜は和銅鉱泉に泊まり、今日(12/14)はのんびり秩父の町を歩いて見た。




● 宿の車で和銅黒谷駅まで送ってもらい、2つ先の駅:秩父駅へ向かう。

・・・・・・・・・・ 和銅黒谷駅で電車を待っていると、ホーム向かいの待避線に秩父鉄道デキ100形電気機関車が石灰石を積んだ貨車を牽引して入線してきた。 デキ100形は、第二次世界大戦後(1951~1956)に日立製作所が日本各地の私鉄や専用線に供給した50t級電気機関車の一つで、秩父鉄道には3両が現存している。、、、、シャッター・チャンス!

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・・・・・・・・・・ 秩父鉄道の秩父駅は、大正3年(1914)10月27日に当時の上武鉄道(現:秩父鉄道の前身)が秩父までの延伸に伴い開業した。、、、、現在は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームと改札口は地下通路により連絡している。 駅舎はホームの西側にあり、秩父地域地場産業振興センター(地場産センター)を兼ねている。、、、、かつての木造駅舎(国登録有形文化財)は昭和59年(1984)に、駅北東の公園内に移築し保存されている。 見に行きたいと思ったが、平日は内部を公開していないそうで諦めた。 残念!

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● 秩父市内観光の始めは、昨日訪れた浦山ダムの天端(本体の一番上の部分)のデザインで、モチーフにした旧秩父橋を見に行くことにした。、、、、旧秩父橋(二代目の秩父橋)は、昭和6年(1931)に竣工した鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋で、橋長134.6m、幅員6m、現在は人道橋として利用している。 県内では初期の大型コンクリートアーチ橋で、貴重な近代化遺産の一つである。 旧秩父橋の隣りには、明治18年に架設された初代秩父橋の橋脚部分が残されている。、、、、(小さな写真は、浦山ダムの天端)

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● 旧秩父橋から秩父駅に戻り、駅の近く、秩父夜祭の屋台を展示する「秩父まつり会館」を見学。、、、、高さ15m前後の屋台の展示と3Ⅾ立体映像による秩父市内の各祭りの紹介、そして夜祭りの資料展示。、、、、祭りの雰囲気を十分堪能でき、祭り気分で会館前の秩父神社へ直行!

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秩父神社は秩父まつり会館の前に鎮座する。、、、、秩父地方の総社で、創建は二千年前と言われています。 知恵の神様とされる八意思兼金命をはじめ四柱の神々をお祀りする本殿は埼玉県重要文化財。 徳川家康が再建した権現造りの本殿、幣殿、拝殿が並び、なかでも左甚五郎作の「つなぎの龍」は有名。また、「子育ての虎」、「お元気三猿」も人気があります。 秩父神社の例大祭は世に名高い秩父夜祭(12月2・3日)である。、、、、社殿の彫刻は、派手な色使いで綺麗で、表情は漫画チックで面白い! 一言、冗談でもいいたくなるね!

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● 秩父神社の周辺には、江戸、明治、大正、昭和の建築が数多く残されている。 ダイジェストのダイジェストで、チョッピリ紹介する。 なお、全て国登録有形文化財。、、、、順に、秩父ふるさと館そば処入船旧大月旅館別館旧岩田醫院小池煙草店カフェ・パリー安田屋旧片山醫院御花畑駅(副駅名:芝桜駅)

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● 街歩きも疲れてきた、夫婦で蕎麦屋に入りひと休み。 疲れが取れ、腹ごしらえもOKだ! 観光客が行きそうな処からチョイトはずれて、市役所の近くにある「ちちぶ銘仙館」へ行く。、、、、ちちぶ銘仙館は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管及び展示し、これらの資料を永く後世に伝え、あわせて、伝統的技術を継承することを目的として設置された施設。 秩父銘仙の製作工程のガイド、体験教室や製品のショップなどもある。、、、、建物は、秩父絹織物同業組合(現:秩父織物商工組合)が昭和5年(1930)に建築したもの。 埼玉県繊維工業試験場として使われてきたが、秩父銘仙を伝承する施設として、平成28年(2016)にリニューアルオープンした。 建築家フランク・ロイド・ライトが考案した大谷石積みの外装や昭和初期の装飾を生かした建物として、国の登録有形文化財に登録されている。、、、、見学者は少なく、私達夫婦の為に銘仙の作り方をレクチャーして頂いた。 御礼のつもりか(?)帰りには妻が銘仙の生地を買い求めていた。

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● 帰りは西武秩父駅から特急で池袋へ、、、、秩父鉄道の秩父駅とは離れた位置にあり、乗換はできない。 近くに秩父鉄道の御花畑駅があり、ここで乗り換えができる。、、、、西武秩父駅は昭和44年(1969)10月14日に、埼玉県立秩父農工高等学校(現:埼玉県立秩父農工科学高等学校)跡地に開業した。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線の地上駅。 平成35年(2017)にリニューアルされた西武秩父駅はグッドデザイン賞を受賞したモダンな駅だ!

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2023年12月13日 (水)

秩父(浦山ダム)

今年は、ほぼ毎月のように夫婦で温泉旅行をしてきた。 その〆として、今年最後の旅行先を埼玉県秩父の和銅鉱泉とし、13日に行ってきた。 近場の温泉(鉱泉)なので宿の予約だけ優先し、観光ルートなどは決めておらず、当日のぶっつけ本番旅となった。

 

● 目的地の和銅鉱泉は秩父市にあるので、東京(池袋)から西武鉄道(池袋線・秩父線)を利用すれば2時間弱で着く処だ。 しかし閑な夫婦の旅なので、東武東上線を利用して寄居まで行き、寄居から秩父鉄道に乗換え、車窓から長瀞を眺め荒川沿いに遡り秩父へ行くことにした。、、、、寄居には10時頃到着し、このまま秩父鉄道の和銅黒谷駅で下車して宿に向かうには早すぎる。 秩父の町は明日観光することにしていたので、今日は秩父駅から3駅先にある浦山口駅で下車し、浦山ダムを見に行くことにした。

・・・・・・・・・・ 東武鉄道の8000系リバイバルカラーの車両(1981年製)で寄居駅に到着。 旧東急のステンレスカーであった、秩父鉄道の車両に乗換える。、、、、東武鉄道、秩父鉄道、JR八高線が乗り入れる寄居駅、山並みが見える構内は広い! 

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・・・・・・・・・・ 秩父鉄道の浦山口駅(うらやまぐちえき)にて下車する。、、、、昭和5年(1930)3月15日に開業した駅は、昨年まで業務委託駅であったが、ICカード「PASMO」の利用が可能となり、無人駅となった。 ここ数年、1日平均乗車人員は約90人である。、、、、木造の小さな駅舎に、誰もいないホーム、のんびりした雰囲気が流れる駅。、、、、ホームから正面の山中にダムの堤頂を眺めることができる。

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・・・・・・・・・・ 駅からはダムの下まで歩いて行く(タクシー、バスなんてありません!) 歩く道には、人影は無し、車は数台、猿は数十匹。 ダムの下まで緩やかな上り坂を歩くこと20分。 チョイト疲れた!

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・・・・・・・・・・ ダムの下に、一般開放された監査廊(浦山ダムの歴史を解説したパネル展示)があり、さらにダムの底部に設置されているダムのたわみを計測するプライムラインを見ることができる。、、、、妻はダムの監査廊を歩くのは初めて、ワクワク、ドキドキ!

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・・・・・・・・・・ ダムの底部から堤頂まで、ダム本体の中を一気に上る昇降行程132.6mのエレベータがあり、あっという間にダム堤頂に出ることができる。

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・・・・・・・・・・ 浦山ダム(うらやまダム)は、埼玉県秩父市、荒川水系浦山川に建設された重力式コンクリートダムである。 浦山ダムは、荒川の洪水調節・東京と埼玉の水道用水・埼玉県営の発電・河川環境の保全を目的として造られたそうだ。 ダム建設は昭和47年(1972)の予備調査開始から始まり、昭和65年(1990)から本体工事が進められ、平成10年(1998)に28年の歳月を掛けて完成にこぎ着け、翌平成11年(1999)より使用を開始した。、、、、ダムの諸元は、ゲート:自然調節方式、堤高:156m(重力式コンクリートダムとしては、奥只見の157mに次ぐ全国2番目の高さ)、堤頂長:372m、総貯水容量:5,800万㎥m3、管理者:水資源機構、本体施工業者:飛島建設・間組・竹中土木、、、、堤頂を歩き、ダムの大きさを実感する、スゲ~~!! 秩父の町が一望できる。

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・・・・・・・・・・ 浦山ダム資料館のレストランでは「浦山ダムカレー」を、美味しく頂く。、、、、隣でダム管理所の職員も美味しそうに食べてた、浦山ダムラーメンも名物らしい!

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・・・・・・・・・・ ダム見学も終え浦山口駅に戻る

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● 再び秩父鉄道に乗り、和銅黒谷駅(わどうくろやえき)で下車する。、、、、和銅黒谷駅は、大正3年(1914)10月27日、黒谷駅として開業し、平成20年(2008)に和銅黒谷駅と改称した。 島式ホーム1面2線の地上駅。 一日の平均乗車人員は200名程と少なく、無人駅である。、、、、日本通貨発祥の地とされている。「和銅開珎」で有名な和銅はこの駅の近くで採掘されていたそうだ。 ホームには「和同開珎」のモニュメントが置かれてる。

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和銅鉱泉は、武田信玄公が和銅金山を開始した当時より開業したと称する古き歴史を有しているそうで、昔、この鉱泉を目薬や切傷に使用し特効したという伝承から、“薬師の湯”と呼ばれているそうだ。 本日のお宿「ゆの宿 和どう」で、熱い湯に入り、美味しい食事に、暖かいもてなし、今年の夫婦二人旅を締めくくる。

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2023年11月15日 (水)

白石 まち歩き

昨日は鎌先温泉に泊まり、今日(11月15日)は在来線の白石駅まで送ってもらい。 白石駅から、白石城(昨日見学済み)を囲むように、街をブラブラしながら新幹線の白石蔵王駅まで歩いた。




● 東北本線の白石駅は、明治20年(1887)12月15日に開業した。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅。 ホームの脇には待避線・留置線がある。、、、、令和4年度の1日平均乗車人員は2,452人である。 白石蔵王駅の1日平均乗車人員:約700人の3.5倍程である。 白石駅は市の中心部にあり、地元住民の通勤・通学に利用される在来線に強みがあるようだ。

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・・・・・・・・・・ 白石駅の駅舎は一昨年(2022)に「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に認定されている。 “DOKOMOMO”とは、1988年に設立された近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織(日本では日本建築学会の中にWGがある) 白石駅舎(設計:日本国有鉄道仙台鉄道管理局 竣工:1959年)は、全国から選定された約280件の近代建築の一つである。、、、、駅前広場に面して横長に建つ駅舎の全体は端正なプロポーションで整えられていて、外壁面に表れている細い黒い鉄骨がファサードにリズムを創り出し、待合室と事務室の境界の部位に張られた大谷石がアクセントになっているほか、建設当時から残存する駅名標も特徴的である。(認定理由から一部抜粋)

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・・・・・・・・・・ 白石駅の1番線ホームには、明治20年(1887)に建てられた煉瓦造りの油倉庫(ランプ小屋)が残されている。、、、、平成20年(2008)に、鉄道関連グッズのギャラリー「れんがの油庫」として公開し、国鉄時代の駅名標や時刻表が展示されているとのこと。、、、、歴史を感じる可愛らしい建物で、じっくり見てると味もあるね!

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● 白石駅前から西に向かって(白石城に向かって)300m程歩くと、チョイト古びた町家建築がある。 門には「壽丸屋敷(すまるやしき)」と記されてる。 町の中心に位置する屋敷は、かつて豪商が商いをしていた、国の登録有形文化財の建物だ!、、、、門の前には、ゴチャゴチャと内部で展示している催しの御案内が、妻は興味津々『人場無料、入ってみよう!』、、、、現在の建物は、明治から大正にかけて建てられた店蔵や母屋を活用し、白石和紙の作品・手作り甲冑・写真などの展示、イベント会場として活用しているそうだ。 今日は写真展・白石和紙展を開催中。

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・・・・・・・・・・ ひととおり展示物を拝見し、門を出たら呼び止められ、再び屋敷の中へ、縁側で夫婦そろって写真のモデル。 撮影時に光を反射させるレフ板まで向けられて、緊張、緊張、金鳥蚊取りでナオ緊張!、、、、旅行のいい思い出になりました。

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● 市内を流れる堀に沿って、白石城の周辺を散策、、、、清らかな水の流れる堀、塀が続く屋敷、見上げれば白石城、どれもこれも歴史ある城下町の風情を感じる

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・・・・・・・・・・ 堀沿いに「片倉家中 旧小関家武家屋敷」がある、、、、吉永小百合も訪れた武家屋敷、私達も小百合にあやかり入場。、、、、白石城主片倉家の家臣小関家の屋敷で、享保15年(1730)の建築。 平成3年(1991)に白石市に母屋、門、塀が寄贈されたのを機に創建当時の姿に復原された。、、、、武家屋敷と言えども、ピンキリで、ここの屋敷は2LDK程の大きさだ! 質素な造り!!

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● 今日も昼食はう~めんにしよう!、、、、ところで、温麺(うーめん)とは、素麺(そうめん)の一種で、白石市で製造される特産品。 白石温麺とも呼ばれ、「うーめん」あるいは「ううめん」と仮名で表記されることも多い。 一般の素麺は生地を延ばす際、麺生地同士の付着防止と表面の乾燥を防ぐために油を塗る。 一方、温麺は油を用いないでうち粉(でんぷん)を振りかけながら製麺するのが特徴。 椀に収まるよう、長さ9センチメートル程度で束にして売られることが多い。 醤油や味噌で作った汁につけて食べるのが一般的。 熱くしても冷やしても食べるが、夏に冷して食べるのが主流の素麺とは異なり、温麺は通年で食べられている。 私は冷やして食べる方が好きだ!、、、、茅葺屋根の古民家を生かした食事処で、伝統の“手延”白石温麺を食す。 美味しかった!

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● 市内を歩き、う~めんも食べ、これより白石蔵王駅に向かう。 東北本線の踏切手前に功徳山当信寺があった。 当信寺の山門(国登録有形文化財)は白石城の二ノ丸大手二ノ門を移築したもの。 木造入母屋造りの本堂も国登録有形文化財です。、、、、静かな境内では、歩き疲れも忘れ、一刻、歴史も感じられgood!

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白石蔵王駅に到着、、、、土産にう~めん、こけしも買って、重いリックに思い出詰めて帰ってきました!

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2023年11月14日 (火)

七ヶ宿ダム

毎年秋になると、当たり前だが我が夫婦の結婚記念日がやって来る。 今年は娘が、宮城蔵王の山裾にある鎌先温泉の「湯主一條」という宿を予約してくれた。 一泊の温泉旅行だが、宿泊先が先に決まったので『さてさて何処を観光しようか?』 初日(11月14日)は私の好きなダム見学で「七ヶ宿ダム」、二日目は宿泊先の最寄り町である白石市の街歩きを予定し、出発進行!




● 9時過ぎに東北新幹線の白石蔵王駅に降り立つ。 在来線の白石駅とは離れており、新幹線専用の駅である。 白石蔵王駅の令和4年(2022)度の1日平均乗車人員は約700人と少ない、閑散とした駅である。 当駅は東北新幹線の福島駅~仙台駅間(79.0㎞)の中間地点として、昭和57年(1982)6月23日の東北新幹線(大宮駅~盛岡駅)暫定開業に合わせて開業した。 中央に通過線(上下各1線)があり、その外側に上り線側が島式ホーム1面2線と下り線側が単式ホーム1面1線で合計2面3線を有する高架駅。、、、、駅名には“蔵王”の文字があるが、蔵王山頂行きのバスは廃止され、“蔵王”へ行くのは山形からがメインルートである! 駅名から“蔵王”が消えるかも?

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● 白石蔵王駅から一日5往復(土日は3往復)の七ヶ宿町営バスに乗る。、、、、宮城県の南西端、蔵王連峰の南に位置する七ヶ宿町(しちかしゅくまち)は福島県と山形県に接する小さな町である。 白石市から新潟方面に抜ける国道113号線が七ヶ宿町に入った処(渓谷)に「七ヶ宿ダム」がある。 町営バスは白石市からダム堤体、ダム湖に沿って七ヶ宿町へ向かう。 運賃はナント、全線均一の200円だ! 乗客は私達夫婦を含め4人、白石蔵王駅から約40分、ダム管理所のある処で私達を降ろしてくれた。

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・・・・・・・・・・ まずは、ダムの全体が見える展望台へ、、、、ここには誰もいない! チョイト寂しい展望台、、、、ダムのプロフィールは、型式:中央コア型ロックフィルダム、堤高:90m、堤頂長:565m、総貯水容量:1億900万m3、管理者:国土交通省、本体着工:昭和56年(1981)8月24日、完成:平成3年(1991)10月22日、本体施工:佐藤工業・フジタ・青木あすなろ建設。 当ダムの目的は、洪水調整、灌漑用水供給、水道用水供給。 特に水道用水は仙台市を中心に8市9町に供給してる。、、、、ダム湖の湖底には七ヶ宿町の町名の由来となった七つの宿場の一つ渡瀬宿が沈んでいる。

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・・・・・・・・・・ 洪水吐を望む、、、、湖水の水量は少なく、洪水吐ゲートから流れ落ちる水はナイ、チョイト残念!

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・・・・・・・・・・ 堤頂にも人影はナシ、、、、堤頂から眺める、ダム湖(七ヶ宿湖)、下流側の渓谷

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・・・・・・・・・・ ダム湖の岸に七ヶ宿ダム管理所がある、、、、ダム情報・建設資料など展示物を拝見し、ダムカード(蒐集する人も多いそうだ)もいただいてきた。 ちなみに、本日の見学者の一番乗り。 日暮れになれば、最終の見学者になっているかも?

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● 約1時間ダムを見学し、只今時刻は11時過ぎ。 帰りの町営バスは、本日3本目の13時半までナシ、まだ2時間以上先だ!、、、、私『どうしよう?』 妻『タクシー呼ぼうよ、こんな処まで来てくれるかな?』 私『まだ昼前だ、とりあえず白石の町の方に歩いて見よう!』 、、、、ハイキング気分で国道113号線を夫婦が歩く!、、、、歩くこと1時間余り、やっと民家が見えてきた、されどバスは来ず、、、、さらに歩いて30分、農家のおじさんが声をかけてきた。 『どこから来たの? 何処へ行くの? バスは来ないよ!』 別れて、再び歩く!、、、、そして、ナント、農家のおじさんが、車で追っかけてきた『白石へ行くから乗んな!』、、、、白石のう~めん屋さんまで乗せていただき、有難うございます!

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● 車に乗せていただき、予定より早く白石でう~めんを食べることができた。 『ヨシ、時間も余ったから、白石城へ行こう』


・・・・・・・・・・ 白石城は、中世の頃は白石氏(刈田氏)の居館だった。 戦国時代末期には城主が何度か変わり、江戸時代には仙台藩家臣の片倉氏の城となり、明治維新まで存続した。  その後、白石城は陸軍省、大蔵省の管轄を経て、明治7年(1874)に民間へ売却され取り壊された。 明治33年(1900)には城跡が益岡公園となった。、、、、昭和62年(1987)、NHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送されたのを機として、正宗の家:臣片倉景綱が注目され、景綱が預かった白石城の復元の機運が高まる。 城の復元は原型に忠実に行うよう計画された。 復元工事は平成4年(1992)に始まり、平成7年(1995)に三階櫓、大手の一ノ門と二ノ門、土塀の復元が完了した。 その後も、東日本大震災などで被害が出たが、市の熱意で復旧工事が行われ完了した。、、、、木造による復元で学術的にも評価されている。 天守閣に登る階段は木造で滑りやすく、ものすごく急である、滑って落ちそうで危ない階段だ。 年寄りには無理かも? スカート姿の女性も、上り下りには要注意!(盗撮されるかも?)

 

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・・・・・・・・・・ 白石城のある公園内に、天照大御神を主祭神とし伊達政宗と片倉景綱が合祀されてる「神明社」がある。 創建は大同2年(807)、本来は白石の別の地に鎮座していましたが、度重なる大火で社殿を失ったため、明治33年(1900)に現在の地(白石城二の丸跡)に移転した。、、、、地元の神様、鎮守様だそうだ。 参拝して行こう!

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● 本日の宿は鎌先温泉「湯主一條」、、、、今から約600年前の室町時代、白石の木こりが鎌の先で岩の隅を打ったところ温泉が湧き出たことから、「鎌先温泉」という名がつけられた。 「湯主一條」は、この地で綿々と歴史を紡いできた老舗旅館だそうだ。 大正、昭和の時代までは、湯治場として賑わっていたそうで、現在個室料亭(食事処)となっている木造本館2棟(国の登録有形文化財)は、湯治場時代の相部屋であったとのこと。、、、、泊まった後で知ったことだが、“じゃらんnet”では「泊まって良かった宿ランキング第1位」の宿だった!!

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明日は白石市でも散策して帰ろう! おやすみなさい!

2023年10月27日 (金)

新庄、良いとこ!

27日、鳴子温泉駅を10時10分発の列車で新庄(山形県)に向かう。 今日の観光の予定は定まっておらず、妻に『今日はどこへ行こうか?』 『天気が悪いかも、とりあえず新庄駅に行こうよ。それから考えましょう!』 『そうしょう!』   (26日の鳴子温泉はコチラ

 

 

鳴子温泉駅はチョイト薄曇りの天気(一雨降りそうで心配だった)、、、、昨日私達夫婦が乗ってきた列車が到着すると、今日も多くの観光客がゾロゾロと下車した。 入れ替わりに空いたガラガラ列車に乗る乗客は数人。 『これぞ、ローカル線だ!』 列車は陸羽東線を宮城県から山形県へ入り、のんびりゆったりガタゴトと新庄へ向かう。、、、、どこぞの旦那も、旅の記録をスマホでパチリ!

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● 11時頃新庄駅に到着、天気は晴れそうだ! 帰りの新幹線は17時過ぎの発車なので、約6時間余裕がある。 『さてさて、どうしよう?』 駅の観光案内所に相談すると、お姉さんが、観光プランを作成してくれた! 『時間が十分あるので、ちょっと遠い所ですがバスで金山町に行ってきたらいいですよ! バスの時間までは新庄城址、ふるさと歴史センターをみてきてください』 ありがたく、その提案に従うことにした。

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・・・・・・・・・・ 観光案内所のお姉さんは、私が鉄道好きと知ると、新庄駅構内に保存されている明治36年竣工の「旧新庄機関区 機関庫」(平成20年に近代化産業遺産に認定)が遠望できる場所まで案内してくれた。 『有難うございました、感謝です』、、、、まだ現役として使用されてるため、建物には近寄れないとのこと。

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● 新庄駅前の大通りを真直ぐ歩いて約20分、新庄城跡がある。、、、、新庄城は、新庄藩祖戸沢政盛が築いたもので、寛永2年(1625)に完成したそうだ。 本丸は東西52間、南北127間、正面奥に天守櫓がそびえ、周囲は堀と土居で囲まれ、三隅に櫓を有する平城であったと言われてる。 寛永13年(1636)に火災で天守櫓を焼失した。 その後、戊辰戦争では庄内勢に攻められ、市街地もろとも消失してしまった。 現在は戸澤神社などが祀られ、最上公園として市民に親しまれているらしい。、、、、石垣が高く積みあがった城跡ではないので迫力に欠けるね!、、、、戸澤神社は明治26年創建にかかり、翌27年(1894)に完成しました。 祭神は、戸沢家始祖衡盛と藩祖政盛、十一代正実を祀っている。

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● 戸澤神社の向かいに「新庄ふるさと歴史センター」がある。 次はコチラを見学。、、、、当センターは、260年の歴史をもつ新庄まつりの山車2台を展示するほか、新庄の歴史・民俗・観光・芸術文化など、いろいろ新庄自慢の史料や作品を展示している観光拠点施設。 2階は新庄の歴史を語る資料展示。 1階は新庄まつりの山車を展示。 そして、人間国宝の金工鍛金家「奥山峰石」の作品を展示。 地下には、雪国の暮らしぶりを伝える民俗資料が約1万点(?)展示されている。、、、、大人300円で十分楽しめる。(私の思いで、新庄にはこの施設以外に見るべきものなし!) 

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● 1時過ぎのバスで金山町へ向かう。、、、、金山町(かねやままち)は、新庄からバスで約40分、山形県の北東部にある町で、一部は秋田県に接してる。 町域の4分の3を占める森林からの金山杉と白壁を用いた「美しく古びる」を目指した金山型住宅、また石造りの大堰と呼ぶ農業用水路には錦鯉を放流するなど、景観施策に意欲的な町である(観光案内所のお姉さんが紹介してくれた理由がここの美しい町並みにある)、、、、金山町は、江戸時代には羽州街道に沿って金山宿と中田宿が置かれ、宿場町として栄えた。 金山宿から先は、秋田県まで金山峠(森合峠) - 主寝坂峠 - 雄勝峠と厳しい峠が続くため、参勤交代をする秋田・津軽の諸大名が必ず泊まる宿場であり、本陣・脇本陣が置かれていた。

・・・・・・・・・・ 古い宿場町の金山町は、昭和58年頃から“街並みづくり”のプロジェクトを立ち上げ、『自然(風景)と調和した美しい町並み』づくりに取り組んできたそうだ。 古くからの建物をそのまま残すことではなく、新しい素材で統一されたデザインポリシーの基に良質の建物が並ぶ町が造られてきた。、、、、国の重要伝統的建造物群保存地区に似た印象を受ける街並みで、石畳みの道、鯉がお泳ぐ堀、白壁の蔵などが散策を楽しませてくれる。 観光客は少なかったが、街のいたるところに休憩所・カフェなどがある。、、、、バスの終点「金山」から街並み地図に従って、バス停5か所分を妻と二人でブラブラ散策。 私と妻の『もう一度来たい町』に登録確定!

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● 新庄駅から山形新幹線で東京へ帰る、、、、チョイト疲れた!

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2023年10月26日 (木)

鳴子温泉

以前から一度は行ってみたかった、秋の鳴子峡に夫婦で行くことにした。 26日から一泊二日で、東北新幹線の古川から陸羽東線で鳴子温泉に行き、鳴子峡を見て鳴子温泉に泊まり、翌日は新庄に出て山形新幹線で帰る工程で出発進行!、、、、今回の旅では、陸羽東線に乗ること、紅葉の鳴子郷を見ること、鳴子ダムに行くことをの3つを目標とした。



● 東北新幹線古川駅に到着。 『たくさんの人が下車するね!』『ここからローカル線の陸羽東線に乗り換えだ。あわてず、ゆっくり行こう!』、、、、新幹線の高架ホームから1階の陸羽東線の地上ホームに降りたら、ナント!乗り換え客で人・人・人 『アリャリャ・コリャリャ、これでは乗れるが座れないぞ!』

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・・・・・・・・・・ 2両編成ワンマンカーの陸羽東線に乗れた、運良く座れた、しかし列車の乗車率は150%ほど、観光客が多く。 皆さま鳴子温泉を目指してる。、、、、ローカル線でのんびり夫婦二人旅は、妄想だった、、、、約45分、中国語・韓国語が聞える列車に揺られ、鳴子温泉駅に到着。 

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● 駅前から鳴子峡方面行きのバスが出てるが、1時間に1本程の運行で、『アリャ・またこちらも行列だ!』 1台のバスには乗客全員乗り切れず、バスも急遽増便した! 満員のバスに揺られて鳴子峡に着きました!

・・・・・・・・・・ 紅葉が始まった鳴子峡に感動、天気も上々、綺麗だ!、、、、展望台から下を見れば峡谷が見える

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・・・・・・・・・・ 鳴子峡のポスターに度々登場する「大深沢橋」は、鳴子峡に昭和36年(1961)に架橋された橋長約100mの橋。 平成10年(1998)からは、幅員を広げるなどの補強・補修工事も行われた。

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・・・・・・・・・・ 鳴子峡には陸羽東線の橋梁もある。 こちらはトンネルから出るとスグに峡谷に架かる橋梁を列車が通ることから、鉄道オタクの撮影スポットでもある。 私がココに到着した頃は、“時すでに遅し”列車が通過した後だ、次の列車までは3時間『撮影はあきらめよう!』

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・・・・・・・・・・ 鳴子峡レストハウスは観光客で“千客万来”、、、、ここでも、中国語、韓国語らしき言葉が聞える

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● 再びバスに揺られて鳴子温泉駅へ戻り、今度はここからタクシーで鳴子ダムを見に行く。、、、、鳴子ダムは、北上川水系江合川(級河川)に建設された国土交通省直轄ダム。、、、、高さ94.5mのアーチ式コンクリートダム、堤頂長は215 m、堤体積は180,000 m³、総貯水容量は50,000,000 m³。 洪水調節・不特定利水・発電を利用目的としている。 鹿島建設の施工で、昭和26年(1951)に着工、昭和33年(1958)に竣工した。 複雑なカルデラ地形の地に外国の技術者を招かずに日本の技術者だけで建設した、日本初の100m級アーチ式コンクリ-トダムであり、2016年度土木学会選奨土木遺産に認定された。、、、、ダム見学の人は少なくチラ・ホラ程度。 鳴子峡のような賑わいもなく、夫婦でのんびりと堤頂を歩く。 100mの堤頂から下を覗くと高所恐怖所の足がすくむ、恐る恐る顔を前に出し再び下を覗いて身体がブルブル。 でも最後は『来て良かった、見て良かった、ネ!』

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● 製造元でこけしを買って、温泉神社に立ち寄って、今日の泊りは、もちろん鳴子温泉。

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・・・・・・・・・・ 今宵の宿は、高台のホテル、見晴らしも良いね!

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明日は陸羽東線で新庄に向かう。 観光はお天気次第で、予定なし!

2023年10月20日 (金)

目の温泉

マイナンバーでもらったマイナポイントをJR東日本の“JRE POINT”に貯めておいた。 当然20000ポイン以上貯まっており使い方に迷っていたら、JR東日本の『どこかにビューン!』(乗車日の3週間前から、ランダムに選ばれた1つの新幹線停車駅を往復できるチケット)という新幹線の旅のチケットが一人6000ポイントでもらえると知り。 20日ほど前に、夫婦で東京~越後湯沢間の往復チケットが入手できた。 これまで越後湯沢には、夏も冬も幾度か訪れたこともあるが、今回は二人だけの旅(19日から一泊二日)なので秘湯の一軒宿「貝掛温泉」に行ってきた。




● 東京から約1時間、越後湯沢駅で降りる、、、、越後湯沢駅は、大正14年(1925)11月1日、現:上越線の前身である上越北線の塩沢駅~越後湯沢駅間開通時に開業した。 昭和6年(1931)には上越線が水上駅まで開通し、越後湯沢駅は中間駅となる。 昭和57年(1982)11月15日に上越新幹線が開通する。、、、、新幹線は中央に通過線2本を挟んだ島式ホーム2面4線の高架駅。 高架下には駅ビルがあり、土産物店、飲食店、観光案内所などが軒を連ね、駅前の商店に比べ活気がある。 駅前から空を見上げれば天気は上々、旅行日和だ!

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● 今宵の宿:貝掛温泉は、越後湯沢駅から苗場スキー場へ向かう国道17号の途中、ちょうど中間あたりで脇道に入った処にある。 時刻は午前11時、宿に行くにはだいぶ時間があるので、苗場(なえば)スキー場から“苗場ドラゴンドラ”で山頂の田代高原に上がり、続いて“田代ロープウェー”で下山することにした。

・・・・・・・・・・ 苗場プリンスホテルの北側に“苗場ドラゴンドラ”の山麓駅がある。 山麓駅から全長5,481mは日本最長のゴンドラで、片道約25分乗せられ揺られて、山頂の田代高原まで空中散歩をした。、、、、山肌に沿ってアップダウンの激しいゴンドラだが、高度が増すにつれ樹木は赤く色づき、高度恐怖症であることも忘れる25分間であった。 眼下には二居湖も見えた!

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・・・・・・・・・・ ゴンドラを降りると、そこには田代高原(標高1,413m)が広がってる。 山の上の湖:田代湖もある。、、、、あまり聞かない地名だが『田代高原なんて、どこにあるの?』 もともとは“かぐら・みつまたスキー場”と“かぐら・田代スキー場”という2つのスキー場だったが、平成18年(2006)に“かぐらスキー場”として合併、再発足したとのこと。 田代高原はかぐらスキー場の一地区の名称。

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・・・・・・・・・・ 田代高原からは“瞬間地上高日本一”と謳う「田代ロープウェー」で下山。 全長2,175m、瞬間地上高230mを、定員91名のロープウェーで片道約10分の絶景展望。、、、、通勤電車のようなロープウェーから二居湖二居ダムを見下ろす。

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● 『ここまで来たら、二居ダム(ふたいだむ)を見て行こう』と妻を誘い、二居ダム堤体下にダム見学施設のある「奥清津発電所」にお立ち寄り。

・・・・・・・・・・ 田代ロープウェー山麓駅から清津川を渡りトンネルを抜けると二居ダム洪水吐の下にでる。 目の前には電源開発株式会社の奥清津発電所がある。 大きな建物が二棟あり、奥清津発電所奥清津第二発電所だ。 この二つの発電所を合わせた最大出力は160万kwで、日本最大級の揚水式水力発電所。 内部もチョイト拝見!、、、、私達夫婦には発電所の規模・凄さが理解できず、只々『デカイ~~ スゴイ~~』の連発!、、、、ちなみに、私たちが訪れた10月19日、朝から14時までの見学者数は5組9名程だった。 多いか、少ないか?

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・・・・・・・・・・ 二居ダムの堤体上部には、時間の都合で上るのを断念、残念!、、、、ダム諸元は、河川名:信濃川水系清津川、型式:ロックフィルダム、堤高:87m、堤頂長:280m、総貯水容量:1,830万m3(東京ドーム約15杯分)、管理者:J-POWER、完成年:昭和53年(1978)、施工:大成建設、、、、ロープウェーからの写真と洪水吐の写真

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● 再びトンネルを歩いて、ロープウィー山麓駅のバス停へ、本日の宿“貝掛温泉”へ行くバスは17時過ぎまで無し! 『コリャ ダメだ!』 タクシーに来てもらい宿へ向かう、、、、貝掛温泉(かいかけ おんせん)は、苗場山の北東中腹の渓谷沿いにある一軒宿。 宿は鎌倉時代から700年の歴史があり、江戸時代からは『目の温泉』として遠路はるばる数多き人々が訪れているらしい。 泉温が37°C前後であり、ぬる湯として知られている。 ほとんどど無色透明で、チョイトしょっぱい味がした。 眼病に対する効能が高く、古くから姥子温泉(神奈川県箱根町)と微温湯温泉(福島県福島市)と共に「日本三大眼の温泉」の一つと言われてるそうで、湯で眼を洗うと良いらしい。 洗ってみたが、変化なし?、、、、眼病はともかく、宿は標高約800メートルの山中に、重厚な庄屋造の一軒宿:貝掛温泉が営まれている。 宿を経営する株式会社貝掛温泉は日本秘湯を守る会の発足会員の一つ。 清津川から支流に入ってすぐの渓谷にあり、両川の合流点にある貝掛橋を渡ると、その先には貝掛温泉と谷間の自然だけがある。、、、、“貝掛”はこの地の地名だそうだ、昔は“金掛”と呼ばれていたらしい。 “金掛”とは、この地が険しい処にあり、安全のため鎖を金(鎖)で打ち付けて、そこにつかまって道を通ったてきたので“金掛”と呼ばれたそうだ。 “金掛”転じて“貝掛”となる。

・・・・・・・・・・ 国道17号から、急な坂道を下り、昭和42年(1967)に竣工した貝掛橋を渡ると、趣きのある宿がある。

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・・・・・・・・・・ 温泉は撮影禁止でチョイト残念! 目に良いとされる食材を集めた薬膳玄米粥や川魚料理など、次々に運ばれてくる地元の素材にこだわったメニューは嬉しい限り。 もちろん地元産の“こしひかり”も美味しく頂き、御馳走さま!

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● 二日目(10/20)は、ゆったり・たっぷり・のんびりして宿を出発。 越後湯沢の温泉街から湯沢高原を結ぶ、全長1,303m、標高差500mの“湯沢高原ロープウェィ”に乗る。 世界最大級のロープウェイらしく、定員は166名、コレマタでっかいね! 湯沢の温泉街を眼下に一望する。

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・・・・・・・・・・ 湯沢高原でパチリ!

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● 午後から雨がパラパラ。 土産に“笹だんご”を買って越後湯沢から東京へ戻る。

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