旅行・地域

2023年9月17日 (日)

善光寺

夫婦二人旅の空模様は、晴天なれど日は暑し、16日に続き今日17日も猛暑日。 湯田中温泉を出て、まずは小布施へ、その後善光寺に参拝して帰京した。




● 午前中から31℃越えの小布施駅で下車。、、、、単式ホームと島式ホーム、計2面3線のホームを有する地上駅。 昭和60年(1985)に改築された駅舎は平屋建てで、小布施総合案内所が入居しており、観光案内のコンシェルジュが常駐している。、、、、電車から降りる人も少なく、小布施でのんびり町歩きできると思いきや、大変なことになる!

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● 小布施で降りた妻の狙いは二つ、まず一つ葛飾北斎の歴史を語る北斎館の見学、そして最大の目的である桜井観甘精堂のモンブランを食すこと。 駅から北斎館に向かう。

・・・・・・・・・・ 北斎館に向かう途中、桜井甘精堂、小布施堂、竹風堂などの有名和菓子屋の前を通ると、どこの和菓子屋も店の前はスゴイ人だかり。 『ナンジャ! みんなモンブラン、栗ソフト、栗おこわを食べに来た観光客だ!』 みなさん車で観光旅行。 電車で旅するは我が夫婦だけか! 道理で、駅前に人が少ない訳だ!、、、、妻の狙いであったモンブランは諦めることにした、残念!

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・・・・・・・・・・ 北斎館はスムースに入館できた。 どうやら、観光客には葛飾北斎より栗が勝るようだ!、、、、北斎館は内部撮影禁止

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● 再び長野電鉄に乗り善光寺へ、、、、善光寺には昨年6月、御開帳で訪れている。 今回も手を合わせて帰ることにした。

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・・・・・・・・・・ チョイト問題、、、、善光寺の宗派は何?、、、、善光寺は、一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を本尊として、寺院が宗派に別れる時代以前から創建され、以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として、また民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ておる。 善光寺は特定の宗派に属さない無宗派の寺であり、全ての人々を受け入れる寺として全国に知られてるが、現在その護持運営は大勧進を本坊とする天台宗と、大本願を本坊とする浄土宗の両宗派によって行われている。




善光寺参道の近代建築・・・・・大門町周辺の近代建築を数件紹介

・・・・・・・・・・ 旧藤屋旅館、、、、設計は藤井平五郎、大正13年(1924)竣工、国の登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 五明館、、、、現在は善光寺郵便局、昭和7年(1932)竣工

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・・・・・・・・・・旧信濃中牛馬合資会社、、、、現在は楽茶れんが館、中沢与左衛門の設計、明治45年(1912)完成、国の登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 第八十二銀行 大門支店、、、、平成9年(1997)に復元された銀行建築。 施工:瀬水建設

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・・・・・・・・・・ 日本聖公会 長野聖教主教会、、、、教会のホームページによると『この教会は1892(明治25)年長野で宣教を始めたカナダ人宣教師ジョン・ゲージ・ウォーラー(J.G.Waller)師により創立されました。長野県内唯一最古のレンガ造りの聖堂は1898(明治31)年、ウォーラー師を中心として建設され聖別されました。以来百余年、この静かなたたずまいの聖堂は信仰の砦として、また「レンガの教会」として親しまれてきました。私たちは地域に開かれた教会をめざして、地域の子どもの自由な遊びの空間として会館を開放しています。』と説明されている。、、、、チョイト内部を拝見!、、、、外観の素晴らしさに魅せられ、素朴で癒される内部空間に驚いた。

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● 歩き疲れ、汗はダラダラ、足は棒、参道沿いの竹風堂でひと休み。 小布施で見送った栗みつまめを食す。 妻は笑顔、ニッコリ!

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2023年9月16日 (土)

旧志賀高原ホテル

まだ連日猛暑日が続く中、16日から一泊二日で志賀高原・小布施・善光寺へ行ってきた。、、、、旅行は三週間ほど前に、東京~長野間の新幹線切符が入手できた。 急遽、50年程前、何度か妻と泊まった旧志賀高原ホテルのその後が見たくなり、夫婦で長野へ行ってきた。




● 朝7時頃の新幹線で東京を立ち、8時半長野着。 長野電鉄に乗り換え湯田中へ。

・・・・・・・・・・ JR駅舎から出て、エスカレーター・階段・エレベーターを用いて地下1階の長野電鉄改札口へ、さらに地下2階のホーム階へ下る。 櫛形ホーム2面3線 (85m) の地下駅である。 この地下が造られたのは昭和56年(1981)だ。、、、、長野電鉄長野線の長野駅~権堂駅間の開通は昭和3年(1928)6月24日、に伴い、あと数年で100周年となる。

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・・・・・・・・・・ 現在の長野電鉄は、長野駅~須坂駅~信州中野駅~湯田中駅間の一路線だけの営業だが、かつては屋代駅~須坂駅、信州中野駅~木島駅の路線も運行していた。 私が小学校高学年(1957年頃)の時、屋代から長野電鉄に乗り山田温泉へスキーに行った記憶がある。 写真は今の須坂駅

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・・・・・・・・・・ 終着:湯田中駅に到着。 昭和2年(1927)4月28日、信州中野駅~湯田中駅間の開通に伴い開業。 単式ホーム1面1線の地上駅。 線路を挟み東側には旧駅舎、西側に現在の駅舎(昭和30年(1955)完成)がある。、、、、現駅舎には駅務室・待合室・観光案内所などがあり、駅前はバス乗り場もある。

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・・・・・・・・・・ 現ホームとは線路を挟み反対側に国の登録有形文化財として旧駅舎が保存されてる。

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● 湯田中駅からバスに揺られて志賀高原へ。 バスの終点蓮池で下車。 高原の爽やかな風を期待したが、厳し残暑の暑い・熱い・灼熱の空気。

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・・・・・・・・・・ 折角ここまで来たからには、3本のゴンドラを乗り継いで標高2000mの東館山(ひがしたてやま)の山頂を目指す。、、、、スキー場にとっては夏はオフシーズン、4人乗りのゴンドラは客も少なく我が夫婦のみ。 四方をガラスで覆われたゴンドラ内部はサウナ状態。 高所恐怖所の私は、恐怖とサウナで汗が滴り落ちる、助けてくれ~~!

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・・・・・・・・・・ 写真中央の頂が東館山(標高2000m)、、、、山頂が、1998年長野オリンピックのアルペンスキー大回転コースのスタート地点。 勇気ある者が滑るコースだ!

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● 東館山から蓮池に戻り、丸池の近くにあった旧志賀高原ホテルを訪ねる。 私たちが結婚後二人で、子供ができて三人で、泊まったホテル。、、、、旧志賀高原ホテルは、全国で11番目の国策ホテルとしてスキー場とともに開発され昭和12年(1937)に開業した。 客室数は174室であった。 ドイツ人の指導のもと清水組(現:清水建設)の設計・施工で造られた。 ホテルは、山小屋をイメージしたデザインで、中央玄関の奥にエントランスホール、ホールの左右両翼に客室が配置されていた。 正面玄関を入ると、3階までの3層吹き抜け空間に大きな暖炉が客人を出迎えてくれる。 木の梁と石材をふんだんに使用した空間は、白い壁と赤い絨毯と相まって、温かみと美しさのある高級感を兼ね備えていた。 2階と3階にはステンドグラスや日本画が飾られ、上品で落ち着いた内装である。 戦前から1960年代にかけて、皇族をはじめ国内外から多くの観光客が同ホテルを来訪し、1970年代以降は、スキーの大衆化と宿泊客の増加に合わせホテルの一部を改築。 平成のスキーブーム、その後のバブルの崩壊、そしてスキーブームの終焉により客足が遠のき平成11年(1999)に廃業した。 その後、建物はエントランスホールと一部客室を残して解体された。 現在、残った施設は平成14年(2002)に「志賀高原歴史記念館」として一般公開されている。 平成19年度、近代化産業遺産に指定された。、、、、二人で、ここでなに食べた?、泊まった部屋はどこだった? いろいろと思い出話をしながら見学。

・・・・・・・・・・ 志賀高原歴史記念館のパンフレットにあったホテル当時の写真
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・・・・・・・・・・ 現在の建物

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・・・・・・・・・・ 内部は、暖炉も、椅子も、照明も、全てホテル時代のまま

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・・・・・・・・・・ 旧志賀高原ホテルをあとに、丸池の先、サンバレーのバス停からバスに乗る。

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● 旅の疲れは、湯田中温泉で、、、、三連休の初日、どこのお宿も満員御礼! 

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2023年8月 6日 (日)

仙台も猛暑

仙台の七夕祭りを見に、土曜日から一泊二日で二組の娘家族と家族旅行。 土曜は、松島で観光船乗船、瑞巌寺参拝、秋保温泉泊まり。 日曜は、瑞鳳殿参拝、七夕まつり見物。 ギラギラの炎天下、どこも超満員、食べるも買うも長行列、汗をかきかき『スゲ~ これぞ日本の夏休み!』



● 「はやぶさ」で東京から約1時間半で仙台到着、仙石線に盛替えて松島海岸で下車。、、、、改札を出ると汗が流れはじめた、娘がウエットタオルを手渡したので、何気なく顔を拭うと、ギャ~顔じゅうひりひり、“ひんやり感”を演出する薬品がしみ込んでる。 あらためて首に巻く。 

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松島湾観光船の桟橋は乗船する人の行列。 ほぼ満席の状態で出航。、、、、頭によぎる “セオウル号”、“KAZU1” そして“南無阿弥陀仏” 

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・・・・・・・・・・ 観光船は何事もなく桟橋に戻る。 ホット一安心!、、、、腹が減った、どこの店も行列。 やっと入った店で、牛タンカレーで腹ごしらえ。

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● 観光船の次は、瑞巌寺に参拝。 瑞巌寺の正式名称は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」である。 9世紀初頭に開創された天台宗円福寺が、瑞巌寺の前身である。 現在は臨済宗妙心寺派に属する禅宗寺院。 関ヶ原の戦い後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の築城と併せて、領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営を行った。 中でも戦国時代を経て衰退していた円福寺の復興に力を注ぎ再興した。、、、、瑞巌寺は伊達政宗公の創建で、5年の歳月をかけて慶長14年(1609)に完成した。 本堂は正面38m、奥行24.2m、棟高17.3m、入母屋造の本瓦葺。 昭和28年(1953)に国宝に指定された。、、、、桃山様式の粋をつくし、5年の歳月をかけて完成させたもので、政宗が心血を注いだ荘厳な大伽藍です。 ビックリ、ヒャクリ、さすがは伊達のお殿様!(内部は写真撮影禁止でチョイト残念)

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● 仙台駅から今宵の宿:秋保温泉「緑水亭」に向かう。、、、、宿は七夕モードで飾り付け、歓迎ムードを演出!、、、、記念撮影も忘れずに!

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● 翌日(6日)は、“湯ったり のんびり 御出立” 七夕まつりを見る前に、瑞鳳殿に寄ることにした。、、、、広瀬川の蛇行部を挟んで、仙台城の本丸跡と向かい合う経ヶ峯にある瑞鳳殿(ずいほうでん)は、寛永13年(1636)、70歳で生涯を閉じた伊達政宗の霊廟。 瑞鳳殿は、本殿、拝殿、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として昭和6年(1931)、国宝に指定されたが、昭和20年(1945)の戦災で惜しくも焼失した。 現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、昭和54年(1979)に再建されたもの。、、、、瑞鳳殿の周辺には伊達忠宗の霊廟である感仙殿(かんせんでん)、伊達綱宗の霊廟である善応殿(ぜんのうでん)、妙雲界廟(みょううんかいびょう)、御子様御廟(おこさまごびょう)といった伊達氏に関連する霊廟や付属施設があり、一帯が「経ヶ峯伊達家墓所」として仙台市指定史跡となっている。

・・・・・・・・・・ 山麓にある霊廟へは、キッイ階段を上る! 汗はダラダラ、息はゼイゼイ、心臓バクバク、足はパンパン、心中はイヤダ・イヤダ・来なければヨカッタ!

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・・・・・・・・・・ 瑞鳳殿の豪華絢爛な造りに、伊達家の力を感じる、、、、霊廟に、七夕飾りがある!アレ????(チョイト違和感)

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瑞鳳殿から奥に進むと、二代忠宗廟の感仙殿、三代綱宗廟の善応殿がある。、、、、木立の中の霊廟、蝉も熱中症になったのか、小さな声で『ジイ~~・ジイ~~・アジィアジィ~』

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・・・・・・・・・・ 瑞鳳殿への上り口に臨済宗妙心寺派の瑞鳳寺がある。 山号は正宗山。 開基は伊達忠宗、本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像。 江戸時代初期の寛永14年(1637)、仙台藩2代藩主・伊達忠宗によって、藩祖・伊達政宗廟「瑞鳳殿」が造営された際に香華院として創建された。 仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となった。 大正15年(1916)に復興された。、、、、瑞鳳殿と瑞鳳寺は、現在、縁切れ状態らしい。

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● 今度の旅行の目的地『仙台 七夕まつり』にやって来た!、、、、七夕まつりの“お目当て”は、孫は“こけしの絵付け”、娘夫婦は“ずんだ餅と笹かまぼこの賞味”、妻は“老舗でこけしの購入”、皆それぞれの目的を楽しむ。 私は夏の美人観賞!(残念ながら美人は少なかった!)

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仙台駅から帰路につく、、、、現在の仙台駅西口駅舎は昭和52年(1977)に竣工し、新幹線関連部分を除いて、まず在来線の駅として供用を開始した。 昭和53年(1978)には駅併設の商業施設エスパルが開店し、また駅の東西を横断する東西自由通路が開通した。 東北新幹線は昭和57年(1982)に大宮駅と盛岡駅の間で暫定開業し、この時に新駅舎は全面的に供用を開始した。 駅の利用客は昭和61年(1986)に新幹線と在来線を合わせ1日平均17万5000人となった。 現在の利用客は20万人を超えるそうだ!(大都会のターミナル)

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2023年6月29日 (木)

福島の旅2

飯坂温泉の夜は静かに熟睡し、今朝は露店風呂でサッパリし、のんびり朝食し、言うことなし! 旅は二日目となった。 今日の目標は、摺上川(すりかみがわ)の上流に位置する摺上川ダムを見に行くこと。 伊達郡桑折町にある旧伊達郡役所の建物を見に行くことである。



● 宿から車で20分、摺上川を遡り、ダムサイトまでやってきた。 私達夫婦以外は、訪れる観光客はいない。 インフォメーションセンターの職員と、公園の芝刈りをする人だけだ! 堤頂に立つと鳥の声が聞えるだけ!、、、、「摺上川ダム」は、以前私が勤めていたゼネコンの仲間が造ったダム(私は工事に参加していない) 飯坂温泉に行くと決めた時、“摺上川”の名を見つけ、なんとなく昔の仲間に遭えるような気持でやって来た! もちろん、知る人が居るはずはないが、20年・30年前のゼネコン勤めを思い出しチョッピリ感傷的な気分。、、、、ダムの諸元は、河川名:阿武隈川水系摺上川、ダム形式:中央コア型ロックフィルダム、ゲート:オリフィスローラゲート×2門/ジェットフローゲート×1門、堤高・堤頂長:105m・718.6m、総貯水容量:1億5300万m3、管理者:国土交通省、本体着工/完成年:1994/2006年、施工会社:飛島建設+大林組、総事業費:1953億円、、、、貯水量は東北で4番目の規模。 福島市をはじめとする3市3町の飲み水など生活に必要な水道用水を供給しているそうだ。

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● ダムのあとは、再び福島駅に出て、
朝ドラ「エール」のモデルになった「古関裕而記念館」へ行く、、、、「長崎の鐘」「オリンピックマーチ」「とんがり帽子」や「栄冠は君に輝く」など、昭和を彩る名曲を生んだ作曲家:古関裕而の功績をたどる記念館です。 古関裕而のゆかりの品々や愛用のハモンドオルガン等を展示し、昭和63年(1988)にオープンした。 建物は“とんがり帽子”をイメージした外観が特徴らしい。、、、、楽器を使うことなく曲想を練り、頭に湧き上がるメロディーを五線譜に書きとっていたり、忙しい時は3つ並べた机で別々の曲を並行して作曲したそうだ。 こうして「君の名は」「高原列車は行く」などの多くの名曲が誕生したとのこと。

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● 古関裕而記念館の近くから桑折町方面に行くバスに乗り、「旧伊達郡役所」の建物を見に行く。、、、、旧伊達郡役所は、令和3年と令和4年の福島県沖地震により大きな被害を受け、令和4年4月から災害復旧保存修理工事が行われた。 昨年末に修理も完了しリニューアルオープンした国指定重要文化財である。、、、、総二階建で、塔屋を頂く大規模な疑洋風様式による近代役所建築。 明治16年(1883)に建てられた建物。 建築当初その威容を示していた塔屋は振動が大きい理由で明治20年解体撤去されていたが、昭和54年の工事によって塔屋が復元された。 基礎は切石を積み、北海道および東北地方の重要建造物と同様に、ベランダを張り出したペンキ塗下見板壁になっています。 正面は総二階建、中央塔屋を設け、軒は化粧垂木様飾りに円形刳り蛇腹、窓はすべてガラス入りの上げ下げ窓と洋風を模した建物。 その中で宿直室などいくつか和風を取り入れた「擬洋風建物」となっている。、、、、桑折町を南北に貫く旧街道の正面にデンと構える建物は町のシンボルであること、間違いなし!

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・・・・・・・・・・ 【チョイト雑談】 “桑折町”を“こおりまち”と読めた人はエライ! 私は読めなかったが、福島出身の私の妻は知ってた。、、、、“桑折”の語源は“郡(こおり)”で、奈良時代の郡衙(ぐんが=郡司が政務を執った役所)があった村落を意味し、全国に多く見られる地名。 “郡”が“桑折”になったのは、この地方は養蚕が盛んで、桑畑が多くあったことから改められたと言われてるそうだ。、、、、現在は「献上桃の郷」として知名度をアップしてる。



・・・・・・・・・・伝来寺・大安寺など歴史ある寺にも立ち寄り、駅に向かう

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● JR東北本線の「桑折駅」から、福島駅へ、そして東京へ。、、、、桑折駅は、明治20年(1887)12月15日に開業。 伊達郡内の駅では最も早く開業した。 単式ホーム2面2線の地上駅である。 かつては単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅であったが、中線は横取線となったため、フェンスで閉鎖されている。互いのホームは跨線橋で連絡している。 1番線ホームに煉瓦造りのランプ小屋(?)のような建物がある。

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2023年6月28日 (水)

福島の旅1

28日から一泊2日で、妻と福島へ行ってきた。 一日目は、阿武隈急行線と福島交通飯坂線の完全乗車を目指し、飯坂温泉に泊まり、二日目は飯坂温泉から摺上川を上って摺上川ダムを見て、福島へ戻り古関裕而記念館、桑折町の旧伊達郡役所を見てきた。 梅雨時の蒸し暑い中、チョイト通り雨にも遭いながらの旅である。、、、、まずは、旅の一日目



● 10時、福島駅到着、、、、冷え冷えの新幹線から、蒸し蒸しのホームに立つ、旅の始まり

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阿武隈急行線は第三セクター阿武隈急行が所有・運営する、福島(福島県)から槻木(つきのき、宮城県)までの24駅、54.9kmの交流:単線である。 国鉄時代は仙台方面から槻木までは東北本線、槻木から丸森までは丸森線として運行していた。 昭和63年(1988)丸森から福島まで延伸工事が完了し、第三セクターとなっていた阿武隈急行線が全面開通した。、、、、福島交通飯坂線は、福島駅から飯坂温泉駅までの12駅、9.2kmの直流:単線である。 温泉地への足として、大正13年(1924)開業。、、、、阿武隈急行線と福島交通飯坂線は、資本・会社系列など無関係の別会社、福島駅の券売機は別々、改札は共同利用、JR在来線隣りの島式ホームをそれぞれの線で片面ずつ使用。、、、、今回、私の旅の目的の一つは、廃止、バス転換がささやかれる前に、この両線の完全乗車にある。

・・・・・・・・・・ 両線共用の福島駅

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・・・・・・・・・・ まずは、阿武隈川に沿って走る阿武隈急行で槻木駅(つきのき)を目指す。 途中、大泉駅で下車。 また、中間の簗川駅では電車の乗り換えがあり。 福島から約1時間で、東北本線槻木駅に到着、阿武隈急行線の完全乗車達成!、、、、槻木駅から福島駅までJRで戻る。

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・・・・・・・・・・ 次は飯坂線、こちらは、車内に“飯坂温泉”の暖簾がさがる電車に乗って、約30分で福島駅から飯坂温泉駅に到着。 楽々、楽勝の完全乗車。、、、、今日は飯坂温泉で疲れを癒す!

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● 阿武隈急行に乗って大泉駅で下車したのは、チョイト寄りたいところがあった。 駅の近くにある国登録の重要文化財「旧亀岡家住宅」が見たかったのだ!、、、、この建物は、明治37年(1904)頃には完成していたそうで、もとは桑折町伊達崎にあったが、平成7年(1995)3月に現在地(保原総合公園)に移築復原された。 施主の亀岡正元は蚕種製造で財をなした豪農で、後に県会議員や郡会議員を務めるなど政治家としても活躍している。 この建物も正元の住居として建築されたが、社交や集会の場も兼ねていたと思われる。 もとは約4,600平方メートルの敷地に土蔵などが建ち並ぶ広大な屋敷であったが、今は主屋の一部のみが移築されている。 建物は座敷部と居住部からなる。座敷部は、桁行17.7m、梁間12.3mの木造二階建。正面中央に塔屋がある。居住部は桁行14.9m、梁間12.5mの木造平屋建で、土間と板間の炊事場と、井戸と石敷きの洗場を持つ台所がある。 内部は、一部に洋室を設けたりガラス障子を多用するなど洋風技法を採用するもの大部分は和風の座敷からなり、洋風の外観とは対照的な造りとなっている。 外から見ると洋風、内部は和風の、美しい、面白い、ハイカラな建物だ!

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● 飯坂温泉駅の前には阿武隈川水系摺上川(すりかみがわ)が流れてる、そこに架かる「十綱橋(とつなばし)」はわが国現存最古級の鋼製アーチ橋で国の有形文化財である。 スパン長40mの2ヒンジ鋼製アーチの両岸側にI形鋼桁を取付け、全長52mとする。 山形鋼を組合せたブレースドリブアーチと垂直材からなる繊細な外観が特徴。 大正4年(1915)完成。、、、、温泉街を代表するランドマークだ! その昔、この橋の上で記念写真を撮った新婚カップルも多かったであろう!

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・・・・・・・・・・ 飯坂温泉の街は、駅前から始まっており、チョイト歩くと、大きな共同浴場がある。 1000年を越える
歴史の「波来湯(はこゆ)」に「鯖湖湯(さばこゆ)」、入浴したかった、残念!

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● これまた街のシンボル、土蔵造りの「なかむらや旅館」は国登録の有形文化財。、、、、なかむらや旅館は飯坂温泉発祥の地、湯沢地区にあり「鯖湖湯」に近い。 江戸末期建築の「江戸館」、明治時代中期建築の「明治館」の2棟からなり、白壁土蔵造りの木造三階建てである。 ここにも泊まってみたいもの!

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● まだまだあります街のシンボル「旧堀切邸」、、、、旧堀切邸は、江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家で、1775(安永4)年建築の県内で現存する最大で最古の土蔵「十間蔵」や近代和風住宅の主屋など、歴史的価値の高い建物が現存しています。 主屋の他にも、「新蔵」「中の蔵」「道具蔵」などがある。、、、、温泉街のちゅうしんに位置し、訪れる人も多そうだ!

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● 旧堀切邸を拝見してると、ものすごい雨。 アリャコリャ困った、これから今宵のお宿に行かなければならない。 電話し、迎えに来てもらう・・・・・将棋の名人戦が行われた宿だった、『一晩お世話になります!』

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2023年5月22日 (月)

おいでませ山口へ 3

山口での三日目。 昨夜は長門湯本温泉に泊まり、今日は美祢線で厚狭まで行き、そこから新幹線で東京へ帰る予定で出発した。 美祢線で1時間揺られてる間に、ここまで来たらチョイト錦帯橋を見て帰ろうと気分が変わる。 厚狭から新幹線に乗り新岩国で下車し、錦帯橋、岩国城を巡り、再び新岩国に戻り、帰京した。




● 一夜の宿は、7年前故安倍前首相とプーチン大統領による日露首脳会談が行われた「大谷山荘」だった。 渓流に面した大きな建物で、従業員の接客が行き届いた宿とは感じたが、天皇陛下も泊まる宿だとか、そんなことまで知らなかった。、、、、また泊りに来たいが、チョイト遠い!

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● 10時4分に長門湯本に到着する厚狭行きの列車で、今日の二人旅を始める、、、、「長門湯本駅」は大正13年(1924)3月23日に美禰線(現:美祢線)於福駅 ~ 正明市駅(現:長門市駅)間延伸により同時開業した。 コロナ前の2018年の一日平均乗車人数は21人。上下線の列車本数は18本なので、一列車の平均乗車人数は1.2人。 ちなみに、コロナ禍の2020年の一日平均乗車人数は、さらに減って11人。、、、、駅自体は長門湯本温泉の温泉街から北へ約500メートル(徒歩で10分程度)のやや離れた所にあるため、駅周辺は温泉街の雰囲気が全く無い。 田舎の無人駅だ! 温泉街へは駅前から徒歩で行くか、もしくは迎えを頼む以外手段無し。 鉄道よりもマイカーや観光バスを利用する温泉客が多いうえ、鉄道利用でも新山口駅などから温泉旅館の送迎サービスなどを利用する旅客も多く、温泉客が長門湯本駅を利用することは少ないそうだ。、、、、わざわざ地元駅まで鉄道を利用してやって来た、私たち夫婦はナンジャイナ!

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● 黄砂で薄く霞む中、11時、美祢線を完全乗車して厚狭駅に到着。 新幹線に乗換え、新岩国へ向かう。

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● 「錦帯橋」に着いた。 私は40年ぶりぐらいか? 妻は初めて!、、、、錦帯橋は、錦川に架かる5連の木造アーチ橋、、、、『何だか見慣れた景色だ!』 『TVの旅番組でよく見る景色だからね!』

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・・・・・・・・・・ 錦帯橋の北西に城山があり、その山頂(標高200m)に岩国城がある。 錦帯橋を渡ると、岩国城のある山頂にまでロープウェーが運行されている。 『ここまで来たら、岩国城も見て行こう!』ということで、ロープウェーで登山。 

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・・・・・・・・・・ ロープウェーを降り、山頂尾根を歩くこと10分、「岩国城」に到着。、、、、岩国城は、初代岩国藩主吉川広家によって慶長13年(1608)に造られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山に位置してる。 三層四階の桃山風南蛮造りでしたが、築城後7年で一国一城令により取り壊されました。現在の天守は、昭和37年(1962)に再建されたものです。 落城しにくい鉄筋コンクリート造の城。、、、、天守閣から城下が一望できる、、、、こんな山の上に城を作ったら、城下から通勤する家臣は登城するのが大変だ! 城に着いたら、帰るのが嫌になるだろう!

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・・・・・・・・・・ 城下の一画に「岩国徴古館」がある、、、、岩国徴古館は藩政時代の貴重な宝物・錦帯橋に関する資料・所蔵品を展示する岩国市立博物館。 本日は月曜日であいにくの休館日、残念!、、、、建物は、最後の岩国藩主吉川経健の弟の吉川重吉が「郷土に図書館と博物館を」という遺志を実現したものと伝えられ、太平洋戦争中の昭和17年(1942)に起工し、終戦直前の昭和20年(1945)に竣工した。 陸軍燃焼廠治療所、図書館として一時利用を経て、昭和25年(1950)に開館し、翌昭和26年に岩国市に寄贈された。 現在の山口県立岩国高等学校出身で、早稲田大学教授の佐藤武夫の設計。 フランスの新古典主義建築型で、戦争中は灯火管制があったため、天窓から自然光を採用した。 構造は、鉄筋が無い時代で、竹筋コンクリート造り。 平成10年(1998)に国の登録有形文化財に指定された。、、、、趣きある建物で、一見の価値あり!

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● “おいでませ山口へ”の言葉に乗って、三日間の山口県旅行も終わり、新岩国から帰京する。、、、、今日は1万1千歩、歩いた、疲れた!、、、、“また行きまっせ山口へ”

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2023年5月21日 (日)

おいでませ山口へ 2

山口の二日目は、旅立つ一週間前まで、萩から津和野に出て一泊し、三日目に東京へ帰るつもりでいた。 津和野のホテルを予約するにあたり、地図を見て気が変わった。 津和野に行かず、萩から西隣の長門に行きたくなったのだ。 理由は簡単、長門市駅から日本海に向かって伸びてる盲腸線の仙崎線と、長門市から山陽新幹線の厚狭駅までを結ぶ美祢線に乗りたくなった。 そこで、二日目の宿は長門湯本温泉に泊まることにした。、、、、ということで、二日目は午前中に婿どのお母さんの実家がある、藩の経済の中心地として栄えた「浜崎」の町を見て、午後に長門へ向かうことにした。




● 朝8時半に宿を出て、まずは「萩城跡」に向かう、、、、萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が指月山麓に築城したことに始まる。 明治7年(1874)に、天守閣、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部を残すのみとなった。 現在は指月公園として600本のソメイヨシノが咲く公園になってる。 今は「城(白)がなく ピンクで彩る 指月城」 、、、、綺麗に整備された公園だ! 

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・・・・・・・・・・ 城跡を見たら「旧厚狭毛利家萩屋敷長屋」も見て行こう!、、、、厚狭毛利家は、毛利元就の5男元秋を祖とし、毛利氏の萩移封後、厚狭(現山陽小野田市)に知行地を与えられたことから、このように呼称され、8371石余りを受領した。 萩屋敷は約15,500㎡の広大な敷地を誇っていたが、主屋などは明治維新後に解体され、安政3年(1856)に建てられたこの長屋のみが残っている。 梁間5m、桁行51.5mの長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、萩に現存する武家屋敷のなかでも最大の規模を誇り、国の重要文化財に指定されている。、、、、“長屋”と言っても、ここで居住したわけではなく、役人の詰所であったらしい。 冬は寒そうだ!

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・・・・・・・・・・ 天守閣から上級武家の城下町を抜けると「北の総門」がある、、、、上級武家の屋敷は、どの屋敷も長が~い塀が続き、広そうだ!(我家の敷地の何十倍もありそうだ!)、、、、北の総門は城下から三の丸に入る城門として設置された。 北の総門は城下町から萩城三の丸に入るために設けられた大手三つの門のひとつで,他の二つは中の総門、平安古の総門があります。 現在の門は、平成16年(2004)に「萩開府400年」を記念して復元されもの。

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● 江戸時代、港町として栄えた「浜崎」エリア。 江戸・明治・大正・昭和とと続いた伝統的建物が、一本の道沿いに約130棟残されている「浜崎伝統的建造物群保存地区」を見る。 家並みが続く通りは、ちょうど「浜崎伝建おたから博物館」と銘うって、まつりが開かれていた。、、、、街の入口近くにある網元であった婿どののお母さんの実家では、家の造り、家具、調度どれもこれも歴史ある貴重なものを拝見した。 ここで、婿どのの御一家、娘夫婦と別れ、私たち夫婦の二人旅となる。 

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● 浜崎エリアから夫婦二人旅となり、妻が見たい松陰神社・松下村塾と、私が見たい明倫学舎と萩駅舎へ向かう。

・・・・・・・・・・ 萩まで来たら、吉田松陰を祀った「松陰神社」と、境内にある「松下村塾」を見る。

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・・・・・・・・・・ 私好みの建物は、日本最大級の木造校舎「萩・明倫学舎本館」、、、、萩・明倫学舎本館は文化庁登録有形文化財山口県第1号である。 藩校明倫館跡地に昭和10年(1935)10月10日に建てられた木造2階建の小学校舎。 東西両端と中央玄関の棟に藩校明倫館の聖廟せいびうと同じように鴟尾しびが置かれ、外壁は1階部分は簓子下見板張ささらこしたみいたばり、2階部分は白漆喰しっくい塗りである。屋根のフランス瓦や連続する窓の意匠が特徴的だ! 平成29年(2017)に改修し「萩・明倫学舎」としてオープンした。、、、、木造校舎は平成に至るまで明倫小学校の校舎として使用されていたそうだ。 私の娘婿も、歴史のあるこの校舎で学ぶことのできたそうで、チョイトうらやましいね。 明倫小学校は昭和30年代に3000人を数える児童数がいたそうで、4棟の校舎から構成される大きな木造小学校であった。

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・・・・・・・・・・ 木造校舎の次は木造駅舎「萩駅」、、、、萩駅は、大正14年(1925)の現:山陰本線の開業に合わせ建てられた、現存する数少ない鉄道開通時の駅舎。 平成8年(1996)駅舎が登録有形文化財に登録された。 現在は無人駅で、白く美しい外観が目を引くレトロな萩駅舎の中には展示室が整備され、萩市出身で日本の「鉄道の父」と称される井上勝(駅舎前に銅像あり)に関する資料をはじめ、萩の美しい自然や歴史を紹介している。、、、、「萩駅」を名乗っているが、萩市役所へは隣の東萩駅のほうが近く、またかつてこの区間に運行されていた特急・急行列車も東萩駅に停車し、ごく一部の急行を除いて当駅は通過していた。 萩市の中心駅は、実質上、当駅ではなく東萩駅である。 ちなみに令和元年(2019)の両駅における一日当たりの平均乗車人員は、萩駅が50人、東萩駅が217人である。、、、、大正ロマンの香りたっぷり、ノスタルジックな郷愁を誘い、静かに佇む木造駅舎、いいね!

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● 東萩駅で、山陰本線の列車に乗り遅れ、バスで長門へ移動。 バスは長門市駅前、仙崎駅前を経由青海大橋行きだった。 私達は終点の青海大橋で下車し、仙崎駅まで歩くことにした。


・・・・・・・・・・ 私がバスの終点:青海大橋バス停まで来たのには理由がある。 バス停前の「海外引揚げ上陸跡地」を見たかったのだ、碑が立っているだけである。、、、、昭和20年8月15日、太平洋戦争は日本の降伏で終わった。 当時、外地にいた日本人は、600万人以上といわれ、これらの人々を帰国させるため、国は博多、下関、舞鶴など数ヶ所の引揚港を決めた。 ところが、下関港の場合、関門海峡に沈没船や米軍が投下した機雷が残っていて危険なため、これに代わる仙崎港が選ばれた。 引揚船としては、最初、関釜連絡線の興安丸(7079トン)が当てられた。 敗戦の翌月から、外地で悲惨な終戦をむかえた復員の軍人や一般の人々7千人が、第一次の引揚者として仙崎港に上陸した。 仙崎では、寺や学校が、引揚援護の事務所や救護所、宿泊所に当てられ、応急のバラック住宅も建てられたが対応しきれず、仙崎や正明市駅(現長門市駅)付近の民家にも多くの引揚者を泊めまたそうだ。 また一方、ここ仙崎港から故国朝鮮に帰る人々も多くいたそうだ。 昭和21年末、仙崎が引揚港の役割を終えるまで、この港に上陸した人々は約41万人、ここから朝鮮に帰った人々が約34万人。、、、、戦後の昭和21年生まれの私には、仙崎港の様子は知る由もなし。 しかし、遠く満州、シベリアから引き上げる人の情報を、当時数年間、毎日、ラジオで放送されていたのは子守歌を聞くように覚えてる。 『出身地〇〇の×××雄、×××子は〇月〇日、××丸にて〇〇港に上陸する』と言う内容を、毎日アナウンサーが読み上げるのだ、大勢の引揚者の情報が延々と読み上げられ忘れられない独特の放送であった。 私は20数年前から、この放送を再び聞きたくて録音されたものを探し歩いたが、“個人情報”に該当するので公開されていないらしい。 以来、引揚船のことに興味を持つことになった。

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・・・・・・・・・・ 青海大橋もバス停前から遠望できる。 橋の向こうは青海島

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・・・・・・・・・・ バス停から仙崎駅に向かう「みすず通り」を歩く。 通り名の“みすず”は、童謡詩人:金子みすゞに由来する。、、、、平成15年(2003)、みすゞが幼少期を過ごした仙崎の書店:金子文英堂跡地に「金子みすゞ記念館」がオープンした。 チョイトお立ち寄り。、、、、記念館は、みすゞ通りに面したおもてに金子文英堂の建物や庭を復元し、その奥の本館棟は、遺稿集や着物などの遺品を展示した常設展示室、パソコンによる資料の検索室、みすゞの詩の世界を音と光で体感できるみすゞギャラリーなどを備え、みすゞの生涯や生きてきた時代を偲ぶことができる。、、、、私の知る金子みすゞは、ドミノ倒しのコマーシャルで有名な非破壊検査株式会社のもう一つのコマーシャルで流れる詩「星とたんぽぽ」だけだ、不勉強で申し訳ない、ゴメン!

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● みすず通りの突き当りに仙崎線(=山陰本線支線)の「仙崎駅」がある、、、、仙崎駅(せんざきえき)は、昭和5年(1930)5月15日に鉄道省美禰線の貨物専用の支線として正明市駅(現:長門市駅)~仙崎駅間が開通した。 昭和8年(1933)2月、山陰本線全通に伴い、正明市駅 ~ 仙崎駅間が山陰本線支線に編入され、山陰本線支線の駅となり、さらに同年7月、旅客営業を開始する。、、、、列車はキハ120形気動車により1日6往復が運転されている。 仙崎駅 ~ 長門市駅間の1駅間(仙崎線として2.2㎞)運転の系統と、美祢線厚狭駅まで乗り入れる系統がある。 

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・・・・・・・・・・ 線路の先は雑草が茂る行き止まり

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・・・・・・・・・・ 私が乗ってる列車は長門市駅から美祢線に入り、終点の厚狭駅まで向かう。 私達夫婦は仙崎から3駅目の長門湯本駅で下車する。 長門湯本駅で降りた乗客は、たった2名、我が夫婦だけ!、、、、駅前にお宿の迎えの車が待っていた!

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● 今日の歩数は、1万5千歩!

2023年5月20日 (土)

おいでませ山口へ 1

じっと“我慢のコロナ”であったが、コロナ禍も終息に向かい、年が変わって一気に開放された。 私達夫婦も、20日から二泊三日の予定で、山口県萩の娘の嫁ぎ先の実家へご挨拶に伺うことにした。 旅の途中、秋吉台・長門・美祢線・錦帯橋と巡ってきた。




● 20日、8時過ぎの東京発に乗車し約4時間、12時過ぎに「新山口駅」に着いた。、、、、新山口駅は、明治33年(1900)12月3日、山陽鉄道の三田尻駅(現:防府駅)~厚狭駅間の開通と同時に、小郡駅(おごおりえき)として開業。 昭和50年(1975)には新幹線が開通。 平成15年(2003)に新山口駅に改称した。、、、、私は約50年前に出張をさぼり、新幹線で小郡駅に下車し秋吉台に行ったことがある。 その時の駅の面影は全く無く、モダンで綺麗な駅となってる。 驚いたね!

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・・・・・・・・・・ 瀬戸内海側の新山口駅から日本海側の萩市までは車で1時間ほどを要する。 定期バスもあるが、タクシーで萩市へ向かう。 運転手さんに一言『秋吉台に寄って行ってちょうだい!』

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・・・・・・・・・・ 【雑談】 県名を漢字で書くと一番簡単なのは? そうです、山口県の6画! 二番目は大分県で7画! では、三番目は? (答えは、自分で考えて!)




● 新山口駅と萩市の中間ぐらいに秋吉台がある。 展望台のある山の上でひと休み。 日本最大のカルスト台地「秋吉台(あきよしだい)」は、北東方向に約16 km、北西方向に約6 kmの広がりを有し、台地上の総面積54 ㎢、『広い、見渡す限り秋吉台だ!』、、、、ところで、私はカルスト台地を“秋吉台(あきよしだい)”、その地下にある鍾乳洞を“秋芳洞しゅうほうどう)”と覚えてきたが、道路標識には秋芳洞(あきよしどう)となっていた。 『アレ、鍾乳洞の呼び名が変わったのか?』 調べてみたら、鍾乳洞の正式名称は“あきよしどう”、慣用的に“しゅうほうどう”と呼ばれているそうだ、寛容ある使用法なり。 なお、漢字名は“秋洞”が正、“秋洞”は誤。

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● 婿どのの実家に伺うまで、チョイト時間があり、萩の城下町をブラブラ、、、、菊屋住宅、旧久保田家住宅、木戸孝允旧宅、高杉晋作誕生地などが、静かな町に続いてる。 『当時のにぎわい 足音が聞こえてきそうな 史跡、文化財の数々 歩きたくなる 歴史のまち』と観光案内に書いてあったが、その通り! 

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● 城下町のお宅に伺い、歓待を受ける。 楽しい、美味しい、一刻(詳細は極秘)を過ごした後、、、、 本日のお宿は、娘夫婦が予約してくれたこちら、、、、宿からは見える指月山(しづきやま)『絶景かな 絶景かな!』

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● 列車に、タクシーに乗り、本日の歩数はチョイト少な目の6千歩。

2023年4月 5日 (水)

豪商の別邸

昨夜は弥彦温泉に泊まり、今日は越後線で新潟に出た。 行く先の宛てのないまま、まずは日本海に出た。 その後は、市内をブラブラしながら駅まで歩き、1万6千歩の新潟散歩。




● 越後線に揺られて約1時間、11時に「新潟駅」に下車する。  新潟駅は16年間にわたり高架化工事が進められ昨年完了した。 しかし、高架下の店舗の整備、駅前の整備などは現在進行形。 まだまだ、利用者には“工事中”と理解されていると思われる。 よそ者の私には、タクシー乗り場はどこだ? 観光案内所はどこだ? とウロウロするだけ。、、、、とりあえず、日本海を見に行こうと、タクシーで海に向かう。 

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● 新潟駅から最も近いと思われる「寄居浜」で日本海を見る。 ただ、静かな海が広がっているだけ、日本海の荒海はお休みらしい。、、、、記念に海岸の石を拾ってきた(ただの石っころだ!)、、、、『ここから、駅まで歩こう!』

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● 海岸の公園、松林の中に「竹内式部(たけのうちしきぶ,1712~1767)の座像」があった。 竹内式部は、新潟出身で、江戸中期の思想家らしい。 私は、ここで初めて名を知ったので、いつ何をした人物か全く知らなかった。(知識がなく、ゴメン!)

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・・・・・・・・・・ チョイト歩くと、西大畑公園の一画に「旧新潟刑務所跡地」のモニュメントがある。 モニュメントがあるこの小路を「地獄極楽小路」と呼ぶらしい。、、、、海沿いの住宅地に刑務所跡があった、冬は寒そうだね!

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・・・・・・・・・・ ここまで来て、観光案内所でもらった地図を見ると、近くには見るべき処も多くありそうだ。 何ヶ所か観て行こう!




● みなとまち新潟の豪商:斎藤家が大正時代に建てた迎賓館であった「旧斎藤家別邸」を見学。 1300坪の広大な敷地に築いた日本庭園と木造和風建築をみる。 京都の寺に来たような佇まい。、、、ガイドの方いわく『秋の紅葉は最高に素晴らしい処』

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● 旧斎藤家別邸の向かいには「北方文化博物館 新潟分館」がある。 こちらもお立ち寄り。、、、、油田採掘で知られる清水常作が明治28年(1895)に、別宅として建てたもの。 その後、伊藤家が取得し、歌人・美術史家の會津八一が晩年暮らした邸宅である。 国登録有形文化財。

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● 北方文化博物館新潟分館の南、1軒おいた隣に「旧金井写真館本店」の建物がある。 明治21年に創業した写真館で、北側に壁がガラス張りのスタジオを備えているそうだ。 現在は非公開で、内部は拝見できず。 創業者の金井弥一が、明治30年(1897)に写真館本店として建設した木造2階建ての洋風建築。、、、、改修工事中なのか足場が架かってる、ぜひ内部を見てみたい!

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● 旧斎藤家別邸の近くを歩いてると、2本の尖塔がある「カトリック新潟教会」の建物が見えた。 教会好きの私は躊躇なく、内部を拝見する。、、、、カトリック新潟教会は、ローマカトリック教会の新潟司教区(秋田県・山形県・新潟県)の司教座聖堂(カテドラル)となっている。 聖堂は、チューリッヒ出身の建築家マックス・ヒンデル(1887~1963)の設計で、ロマネスク様式を取り入れた和洋折衷の木造建築として、昭和2年(1927)に献堂された。、、、、シンプルで、可愛らしい教会だ!

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古町の商店街人情横丁などをブラつき信濃川に出る、、、、何となく東京の“浅草”に似た雰囲気の街だ! 

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● 信濃川に架かる「萬代橋」、、、、信濃川にかかる六連アーチ橋。 御影石の化粧張りがされた橋の姿は新潟市のシンボルである。、、、、明治19年(1886)竣工の木造の初代萬代橋は、明治41年(1908)の新潟大火により半分以上が焼失した。 翌年に2代目が架橋された。 現在の3代目鉄筋コンクリート橋は昭和4年(1929)に完成し、昭和39年(1964)の新潟地震にも耐えた。 現橋の橋長306.9m、橋幅22m。 平成16年(2004)には、国の重要文化財に指定された。、、、、“新潟”と言ったら名所は“萬代橋”、土産は“笹だんご”、夜遊びは“古町花街”

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● 夕刻、新潟駅から新幹線でサヨウナラ!

2023年4月 4日 (火)

またまた桜

一週間程前に彌彦神社の桜が開花と聞いて、近くの岩室温泉にも行ってみたいと、夫婦で話をした。 直後に岩室温泉の宿泊を調べると『空室無し』だが、弥彦温泉は『宿泊可』が有り、急遽予約して行くことにした。

JR弥彦線に乗ることもでき、運良く満開の彌彦神社へ参拝することもでき、さらに弥彦山に登り日本海意を望むこともでき、お宿は弥彦温泉の割烹旅館で疲れを癒し、大満足。 




● 上越新幹線燕三条駅で、2両連結の弥彦線に乗り換え、盲腸線の終点「弥彦駅」で下車する。 弥彦駅は越後国一宮である彌彦神社の最寄駅で、大正5年(1916)10月16日に越後鉄道(弥彦駅~吉田駅)間開通と同時に開設された。 駅は、単式ホーム1面1線の地上駅である。彌彦神社の本殿を模した木造寺社造り(入母屋造)の駅舎は大正5年の開業時からのもので、門柱や梁などが朱色に塗色され、鬼瓦には兎が彫り込まれるなど凝った造りの駅である。 春の花見と秋の紅葉狩りシーズンには乗客も増えるが、通年では1日平均乗車人員は152人(令和3年度)と少ない。、、、、駅前は満開の桜で出迎えてくれた、綺麗で、お見事!

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● 弥彦駅前から彌彦神社へ向かう参道沿いには満開の桜、、、、参道沿いの店にも客が集い、春が来たであろう

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・・・・・・・・・・ 参道からチョイト脇道に入ると、「弥彦公園トンネル(弥彦隧道)」がある。 このトンネルは、紅葉で名高い弥彦公園内にある。 レンガ造り、馬蹄形アーチの周縁、壁柱、笠石を花崗岩で飾った延長55m、幅員3.1mの人道トンネルで、大正7年頃の築造。 国の登録有形文化財、、、、彌彦神社は、明治45年に社殿を焼失し、大正5年(1916)に現在地に再建され、弥彦公園は大正7年に越後鉄道常務・久須美東馬が私財を投じて築いたそうだ。 このトンネル、もしかしたら軽便鉄道を通すために造られたものかも?

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● 弥彦山山麓の
鎮守の森に鎮座する「彌彦神社」は、樹林に覆われ神聖な空気が漂っていた。、、、、越後一宮として古くから信仰を集めてきた彌彦神社。 祭神は天照大神の曾孫の天香山命(あめのかごやまのみこと)。 創建は古く、詳細は不明らしい、2400年以上の歴史を有すると言われてる神社で、日本最古の万葉集にも詠われている。、、、、神社の日本海側(西側)の弥彦山(標高634m)山麓に鎮座し、弥彦山を神体山として祀る神社である。、、、、本殿・幣殿・拝殿・瑞垣・裏門・神饌所、その他摂社なども含め、大正5年(1916)建造で、平成10年に国の登録有形文化財に指定された。、、、、境内参道では桜の花は見ることが無かった、杉などの常緑樹で覆われている。

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・・・・・・・・・・ 神社の駐車場周辺には50種の桜が、車を隠すように見事に咲いていた、、、、今年は各所の“桜”を堪能した、これ以上は消化不良を起こすかも!

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● 彌彦神社の御神体山「弥彦山」にロープウェイで登る。 標高634mは東京スカイツリーと同じ高さ、『大したことのない低い山だ!』と、言ってはみたが、高所恐怖所の私にはロープウェイが怖い。 クワバラクワバラ! ツルカメツルカメ!、、、、日本海の先に佐渡ヶ島を望む

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● 温泉で疲れをとって明日に備える! 『写真で不快な思いしたら、ゴメン!』

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