散歩

2021年4月21日 (水)

谷塚の寺社

連日の晴天で、気分はコロナを忘れそう。 今日は東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅:谷塚駅から歩くことにした。 谷塚駅から伊勢崎線の西側を南下し、谷塚橋を渡り足立区に入る。 足立区入ると伊勢崎線の東側に建ち並ぶ都営竹の塚7丁目アパートを抜けて竹ノ塚駅まで歩いた。 1万1千歩




● 東武伊勢崎線で最も東京寄りの駅が谷塚駅である。 「谷塚」は“たにづか”とは読まず、“やつか”と読む。 所在地は埼玉県草加市で、浅草から所要30分と近い、もちろん駅周辺には、マンション、アパート、住宅などが並ぶ、東京のベッドタウンであるが、知名度は低い。 都会の人間を呼び込むような施設は何もない駅! 東口側は駅前ロータリーがあるが、西口側は広い空き地となっている。、、、、駅は大正14年(1925)10月1日に開業。

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● 谷塚駅から南西へ500m程、住宅地の中に真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 宝持院は、江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚地区の方々の菩提寺として、宝灯を守っている。 本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した御丈八尺有余の金色に輝く大観音さま。 現本堂は、平成4年(1992)に建てられた。、、、、緑豊かな境内には四季折々の花が咲くそうだ。 今はツツジ。

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● 宝持院から国道4号(日光街道)を越えると「谷塚氷川神社」がある。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代の創建と思われる。

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● 谷塚仲町を流れる辰井川に朱塗りの氷川橋がある。 氷川橋は「草加八景」に選ばれた「辰井川十橋」のうちの1つ(隅田川十三橋は知ってるが、辰井川十橋なんて知らないね!)、、、、橋の際には小さな社の氷川神社がある

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● 氷川橋の際には寺もある、その名は曹洞宗寺院の「中野山常福寺」、、、、常福寺は、心應祖傳和尚(天正19年寂)が開山となり天正7年(1579)に創建した。、、、、参道の脇には、彫りの深いスバラシイ庚申塔(天文8年(1539)の銘あり)が2基で御出迎え。

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● 埼玉県と東京都の境を流れる毛長川を谷塚橋で越えて、寺院が軒を連ねる足立区東伊興の町に入る。、、、、伊興寺町はコチラ

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● 足立区に入り、伊勢崎線の東側にまわると、都営西保木間四丁目アパート、都営竹の塚七丁目アパート、都営竹の塚アパート、竹の塚第3団地など、都営住宅・旧公団住宅が線路沿いに竹ノ塚駅まで続く!、、、、昭和40年代は憧れの集合住宅だった。 そんな住宅も今は老朽化し、アチラコチラで建て替えラッシュ。

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竹ノ塚駅東口に着いた、高架化工事が終わるまでは仮駅舎。

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2021年4月19日 (月)

カネボウからミツワ石鹸へ

“緊急事態”が終わり、今度は“まん防”と忙しく変わり、自粛生活にも飽きがきて、そろそろ世間さまについていけなくなった! 今日もナイショで散歩。 東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅からほぼ南の方向に歩きJR総武線の平井駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 私の好きな典型的な下町の駅「鐘ヶ淵駅」で下車する。 小田急線・東横線沿線の駅のようなシャレッ気はまるでない駅で、下駄履きで乗降しても恥ずかしくない雰囲気の鐘ヶ淵駅。

・・・・・・・・・・・・早朝の鐘ヶ淵駅では、館林行きの区間快速(北千住までは各駅停車)に乗降する人は少ないようだ。

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・・・・・・・・・・・・上下線それぞれに、木造平屋の駅舎がある、、、、ここは、カネボウ(旧鐘淵紡績)の創業の地

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・・・・・・・・・・・・・上り(曳舟・半蔵門線・浅草・銀座線)は踏切の反対側にある東口駅舎から乗降の為、踏切前に人が溜まる!

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● 町のあちらこちらから子供が集まり、登校時間だ!

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● 今も残るカマボコ兵舎、、、、、墨田区墨田3の「日本オープンバイブル教団 墨田聖書教会」は昭和29年(1954)創設。 創設の当初から米軍のかまぼこ型兵舎をリノベーションした、かわいらしい教会である。、、、、現在の牧師さんは地元出身らしい。

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● 「玉の井いろは通り商店街」に出てきた。 昭和の作家:永井荷風が足繁く通った玉ノ井私娼街。 玉ノ井の地名は今は無くなり、商店街名、町会名などに残るのみ。 商店街から裏道に入って行くと、少なくなったが、まだ赤線時代の面影を残す建物がある。、、、、戦後生まれの私は経験がないが、『チョイト、お兄さん・・・・』と声かけられる街だったようだ。 もう少し、早く生まれていたら・・・・残念!

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・・・・・・・・・・・・いろは通りの真ん中あたりから北側にチョイトはいると曹洞宗の東清寺がある。 門前には「玉の井稲荷 豊川稲荷尊天 身代わり不動尊 東清禅寺」と書かれている。 鉄筋コンクリートの寺は、本堂の階段を上がると一対のお狐様が鎮座ましましている。 こちらは、昔は娼婦達の駆け込み寺であったそうだが、今はそれらしき面影を残すものは見えない。

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● 墨田区八広で京成押上線の高架下を抜けると、今はシャッターの下りた店が並ぶ八広新中商店街がある。 かっては、映画館「南龍館」があり商店街は「南竜館商栄会」と呼んでいたそうだ。 また、現在の押上線高架橋脇の八広5丁目都営住宅の所には、♪♪ ワワワ 輪がみっつ ワワワ 輪がみっつ ミツワ ミツワ ミツワ石鹸 ♪♪の工場があり、商店街は昭和60年代までは大いに賑わっていた。

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・・・・・・・・・・・・東郷元帥を描いた東郷ハガネの看板、こんにゃく稲荷の三輪里稲荷神社、などを見ながら、墨田区八広の町を抜けて行く。

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● 八広の町から旧中川岸の東墨田に入ると、平成10年(1998)に333億9千万円の建設費をかけて開所した「墨田清掃工場」の高さ150mの煙突が天を突いてる。 デカイ、高い!

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・・・・・・・・・・・・清掃工場の前を流れる旧中川。 川の両岸は「旧中川岸辺公園」(墨田区東墨田~立花、2.8km)として整備され、綺麗な水と豊かな緑の親水公園となっている。 コロナを避け、公園を歩き平井駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・ 「立花白髭神社」付近にて旧中川から離れる。、、、、立花白髭神社は、葛西川村の鎮守社として天和2年(1682)に創建した。 現本殿は大正12年(1923)の造営。、、、、住宅地の中にあるが、長い参道、緑の多い境内には癒しの効果がありそうだ!

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・・・・・・・・・・・・平井橋は、昭和55年(1980)架橋で墨田区立花と江戸川区平井を結んでいる。 橋を渡ればJR平井駅はすぐ。

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● JR総武線平井駅から我が家の最寄り駅:浅草橋までは、4駅、所要9分。 近い!

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2021年4月15日 (木)

七曲がり

“まん延防止等重点措置”が適用され、ますます散歩に出づらくなってきた。 高齢者はワクチン接種するまで家に引っ込んでいればいいのかも、でもそんな巷の風潮に流されず、今日も散歩を決行! 浅草橋から押上経由で東武伊勢崎線に乗り、車中で『どこで降りようか?』の思案橋! 県を跨ぐ移動はひかえ、埼玉県の手前、足立区の北の端「竹ノ塚駅」で下車した。 駅からは気ままに歩いて、西新井大師に到着。 1万歩の散歩です。、、、、竹ノ塚駅、実相院、若宮八幡宮はコチラを見て!




● 押上で東武伊勢崎線の急行に乗り、西新井で普通に乗り換え竹ノ塚駅で下車。 自分が乗ってきた下り電車は空き空き、ホーム向かい側の上り電車は混み混み、詰め込み。

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・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅は明治33年(1900)3月21日に開業した。 開業後、100年超経過し、現在は“開かずの踏切”解消に向け、高架化工事の真最中。 地上の仮設ホームに立つと、まだ完成していないが、隣りに高架のホームが見える。

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・・・・・・・・・・・・仮の地上ホームから地下に降りると改札がある。 地下から、地上に出ると高架橋の前。

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● 駅の南側には「赤山街道」と呼ばれるバス通りがある。 この通りを北西へ歩くと足立区舎人方面に向かうことになる。 『ヨシ、今日はこの道を歩いてみよう!』と決めた。 開かずの踏切から赤山街道を300m程歩くと「尾竹橋通り」との交差点。
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・・・・・・・・・・・・「尾竹橋通り」との交差点から20m程先に「七曲がり」と表示された裏道があった。 道幅の広い赤山街道よりも、裏道の七曲がりの方が面白そうだ、歩く道を急遽変更、七曲がりを歩くことにした。(後に調べたところ、「七曲がり」は足立区伊興4-1から足立区栗原3-10までの、細く曲がりくねった道路で、このように命名されたそうだ。)、、、、しばらく歩いたが、期待した七ヵ所の“曲がり”らしき“曲がり”がなく、ゴク普通の道で期待ハズレ!

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・・・・・・・・・・・・途中の伊興3に「六万部経塚」がある。、、、、 六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来となっている。 この塚の南東にある寿福山長勝寺の和尚が宝永2年(1705)に平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたと云われている。 写真右側の古い小さな石柱が宝永2年の経塚碑。

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・・・・・・・・・・・・七曲がりは、真言宗豊山派寺院の実相院(足立区伊興4)の前に出た!、、、、2年ほど前に来た寺だ! 山門前の仁王の石像が印象的で、忘れられない!

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・・・・・・・・・・・・実相院山門横の電柱には七曲がりの表示を見ることができたが、この先は見つけることができず、七曲がりの踏破はアキラメタ! ここまで!!

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● 七曲がりを見失い、細い裏道、名もなき道を西新井方向に歩く。 

・・・・・・・・・・・・こんな処に! 細い道を入った奥に、全戸数50戸程の小さな「都営伊興二丁目アパート」があった。 昭和60年代の建物らしい。

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・・・・・・・・・・・・道なりに歩いて行くと、『ここ、以前に来た、若宮八幡宮』 広い境内と、松、イチョウなどの大木が特徴的だ!

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・・・・・・・・・・・・さらに道なりに歩くと、真言宗豊山派寺院の「源正寺」があった。 源正寺の創建年代は不詳だが、かつて『延徳三年(1491)辛亥六月三日相阿弥陀佛』と刻した古碑があったそうで、鎌倉時代に時宗玄性寺として創建されたらしい。

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・・・・・・・・・・・・源正寺の先にはURの「フレール西新井中央公園」団地がある。 URは公団住宅をドンドン建替え、団地名もマンション風に命名され、懐かしい『戦後の団地』が消えていく。 戦後70年超、時代は変わって行く。

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・・・・・・・・・・・・行く手の先に、大きな瓦葺きの屋根が見えた。 『あれは、お大師、総持寺さまだ!』 なんと、西新井大師の裏手に出てきた。

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・・・・・・・・・・・・後の調べで判ったことだが、「七曲がり」は実相院の前から直角に折れて、西新井大師の東側に伸びていた。 私は、実相院から七曲がりの西側150m程を並行して歩いていた。、、、、今度は下調べしてから、改めて「七曲がり」を踏破するぞ! 


● ここまで来たら、西新井大師にチョイト手を合わせて帰ることにした。
・・・・・・・・・・・・・・本堂の裏側から境内に入ると、「奥之院」と呼ばれる小堂がある。、、、、堂は、文化2年(1805)弘法大師が高野山奥の院をこの地に招いた、関東の高野と称され高野山の代拝所として江戸時代より現在まで参拝者が多い。 コロナの影響か(?)今日は参拝者どこにいる!
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・・・・・・・・・・・・そして、本堂
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・・・・・・・・・・・・境内には、見ごろとなった藤の花

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・・・・・・・・・・・・総檜2層銅板葺き入母屋造りの仁王門は、江戸時代初期の建物。、、、、仁王門前で草団子を買って我が家へ帰る!

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2021年4月11日 (日)

祐天寺の祐天寺

ヤン坊・マー坊は気象予報士、小池さんは千葉坊・神奈坊・玉坊とも別れ、明日から一人で“まん防”に取り組み、都民はじばらく辛抱するのだ!、、、、まん防がはじまると、またまた勝手気ままな散歩がしずらくなる。 “まん防”前日の今日は、チョイト武蔵小山から祐天寺まで歩いてきた。 1万1千歩




● 東急電鉄目黒線の「武蔵小山駅」は、今から98年と1ヵ月前の大正12年(1923)3月11日、小山駅として開業。 現在は、島式ホーム2面4線の近代的な地下駅である。、、、、駅前にタワーマンションも建ち、何だか名も似てる、武蔵小杉駅に似てきたな?

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・・・・・・・・・・・・駅の西側、都立小山台高校のグランド沿いに店舗が並ぶ「西口通り」を抜けると、品川区から目黒区に変わる。

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● 西口通りを抜け、「林試の森公園」の西側を迂回するように、目黒本町3丁目を北西に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・私が好きになりそうな路地、子供が飛び出してくるような路地が、目黒本町3丁目(入間湯の脇)にあった。 四角のブロックを並べた長い路地は行き止まりになることもなく、抜けられた!、、、、この辺りは、かって「月光町」という町名だったそうで、町会名に残っている。 きっと、月がよく見える夜空の綺麗な町だったのか? また、近くには「月光原小学校」もある。 (ベートーベンとは無関係だ!)

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・・・・・・・・・・・・林試の森公園の西隣、大木に囲まれた国家公務員用の小山台住宅(約3hr)があるが、現在は空き家である。 今年取り壊されるようだ、跡地は林試の森公園の拡張と、荏原消防署小山出張所の新設、品川区の福祉施設の新設などに充てられるそうだ。 前面の道路が品川区(公務員住宅側)と目黒区(一般住宅)の境。

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● 目黒本町3丁目から北へ下目黒6丁目の住宅地に、三角の国旗がはためく駐日ネパール大使館があった。 ネパールと云えば、ヒマラヤ登山の国として知るのみ(知識不足で申し訳ない)、、、、かつては王制であったが、平成20年(2008)に共和制移行した。 退位した元のギャネンドラ国王は富豪としてネパールで過ごしているらしい。

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・・・・・・・・・・・・同じ下目黒6丁目、こちらは目黒通りに面する6階建てと思われるビル。 タイ王国大使館駐在武官事務所である。 タイ国の陸・海・空三軍の軍人詰所なり。 大使館そのものは、品川区大崎にある。、、、、ネパールとは国力が違うようだ!

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● 中町(なかちょう)1丁目に、「日本基督教団 新栄教会」がある。、、、、新栄教会は明治3年(1873)に創立された東京最初の教会である。 (創立時の場所は現在地とは異なる)、、、、現在の教会は可愛らしい建物。

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● 中町1丁目と目黒4丁目の町境に「油面(あぶらめん)地蔵通り」という商店街がある。 目黒通りの「油面交差点」から祐天寺方面へ約600m延びている商店街。 この通りの中程に「油面子育地蔵尊」が鎮座している。 元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。 そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。 それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。、、、、この地蔵さまは、子育て・眼病にも霊験あらたからしい、私も(今さら子育てはしたくないが、眼は美人が美人に見えるように)手を合わせてきた。、、、、【油面の由来】 油面(あぶらめん)は目黒区中町から中央町2丁目に及ぶ目黒村の旧字名。 江戸時代中ごろ菜種の栽培が盛んになり、採取された菜種油は芝増上寺などに奉納され、そのため租税が免除されていたので「油免」の名が生まれ「油面」に転化したという説と、韓国では「面」は村を意味し、油面は菜種油の採れる村の意だとする説がある。

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● 油面地蔵通りから、北に向かうと、谷戸前地域安全センターがある。 さらに、道なりに北へ歩くと駒沢通りに面し、浄土宗寺院の「祐天寺(ゆうてんじ)」がある。、、、、祐天寺は、中目黒5丁目にある寺院で山号は明顕山。 本尊は、阿弥陀如来で阿弥陀堂に安置される。 本堂には、開山祐天上人坐像が安置されている。 広い境内と墓地を持ち、東急東横線の駅名になるほどの寺だ!、、、、祐天寺は目黒区一の大地主でらしい!(噂)

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・・・・・・・・・・・・表門(山門)は祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建てられ、格式高い門構えであることから国の登録有形文化財となっている。 只今、大林組にて改修工事中。

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・・・・・・・・・・・・仁王門は仁王像とともに、享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。
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・・・・・・・・・・・・鐘楼梵鐘は6代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進された。 現在でも、朝6時と正午前には撞かれているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・阿弥陀堂は享保9年(1724)に、こちらも竹姫から寄進された。 江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物。 堂内には阿弥陀如来座像が安置されている。

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂は天明8年(1788)の建立。 寛政12年(1800)に増築して現在の姿となった。 堂内には本尊の地蔵菩薩像が安置されている。 延命と火消しのご利益があるとして信仰を集めた。

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・・・・・・・・・・・・創建時の本堂は明治27年(1894)の火災で焼失し、明治31年(1898)に現:本堂が再建された。 本堂の大きな賽銭箱には江戸・町火消しのまといの図柄が描かれている。、、、、賽銭箱の大きさから推測すると、数十億円は入りそうだ!

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● 東横線祐天寺駅から帰宅!、、、、祐天寺駅は昭和2年(1927)8月28日に開設した。 その後駅舎の改修、高架化工事などがあり、平成30年(2018)には現駅ビルが完成した。、、、、現在は、相対式ホーム2面3線の高架駅で、各駅停車の電車以外は全て通過するチョイト悲しい駅。 一日当たり約32,000人が乗り降りする駅。 

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2021年4月 8日 (木)

珍しい庚申五層塔

コロナ感染者数が大阪より少なくなった東京、このまま黙っていることはない、首都の面目をかけ(?)、東京は感染者数トップの座に帰り着くと思われる。 東京に住み、ワクチン接種を待っている高齢者の一人としては、外出を避け、おとなしく家に籠っているのが一番安全であろう。 でも、マスクを着用し、“密”な場を避け、チョットの時間なら、『外出もOK』と勝ってに決めつけ、今日も人知れず散歩に行ってきた。、、、、通勤・通学とは逆の方向に向かう空いてる電車で、JR武蔵野線の船橋法典駅で下車し、隣りの市川大野駅まで、郊外の散歩。 1万1千歩




● 西船橋で武蔵野線に乗り換えて、隣りの「船橋法典駅」で下車。、、、、昭和53年(1978)10月2日、国鉄の駅として開業した。 駅は台地に位置しており、ホームは掘割に1面2線の島式で造られ、その上の地上面に駅舎がある。、、、、駅名の“船橋法典”は、“ふなばしほうてん”と読む。 地名としての読みは、この地域の前身が千葉県東葛飾郡法典村(ほうでんむら)であり、“ほうでん”が正しい。 地名“法典”の由来は諸説(私は知らん!)あるそうだが、その昔、この地域を日蓮上人が通った時に法を伝えたことから、法伝が法典となったという説もある。 この付近、中山法華経寺を拠点とし、日蓮宗の勢力圏内だ!

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・・・・・・・・・・・・・・新松戸方面府中本町行きは『多少空席あり』、西船橋方面南船橋行きは『満員御礼』

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● 船橋法典駅から市川大野駅に向かい、武蔵野線の東側を歩きはじめる・・・・・・

・・・・・・・・・・・・この付近では、古い農家の建物は見あたらず、広い敷地を囲むチョイト侵入しにくい塀と門。 温泉旅館のような建物に、外車ならぬ、三菱トラクタ!

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・・・・・・・・・・・・住宅展示場のように、新しいモダンな住宅が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・こちらはモダンな低層マンション。 現代版の長屋かも?

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・・・・・・・・・・・・畑の先には、新しそうな住宅と大きなマンションがみえる。

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● 船橋法典駅から、市川市柏井1丁目の住宅地を歩き、しばらく歩くと『史跡 姥山貝塚・姥山会館』の道標があった。 住宅地の坂道を上ると、森の中に「八幡神社」がある。 鳥居奥の拝殿と思われる処が「姥山会館」で、集会所となっているようだ。 八幡神社は姥山会館の裏に本殿らしき姿で祀られている。、、、、何だか、怪しげであり、神秘的であり、素朴であり、お粗末な神社! 神社の由緒などは、もちろん不明!

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● 八幡神社の裏に広大な草地がある。 ここが「史跡 姥山貝塚」(国指定史跡)だ。、、、、姥山貝塚は、千葉県市川市柏井町にある縄文時代中期~後期(今から約5000年~3000年前)に形成された貝塚で、大柏川左岸の標高約24mの台地上に広がった東西130m・南北120mの南に開口した馬蹄形である。 現在は、姥山貝塚公園として整備されている。、、、、貝塚からは、ハマグリを主体としてアサリ、シオフキなど30種以上の貝が出土し、比較的早い時期からその存在が知られ、明治26年(1893)以後何度か調査が行われていたが、本格的な調査は昭和元年(1926)の東京人類遠足会及び東京帝国大学人類学教室による発掘調査である。 その結果、縄文時代の竪穴式住居跡が完全な形で発掘されたばかりではなく、計5名の人骨なども発掘され、当時の生活を推測する手掛かりとなった。 発掘品は東京大学・南山大学・明治大学などに保管されているほか、同じ市川市内の堀之内貝塚に隣接して建設された市川考古博物館にも展示されている。、、、、大事な発掘品は博物館、住居跡は土の中。 史跡に立って見えるのは、下に埋まっているものを説明する案内板だけ。 見るものもなく、つまらないね!

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● 姥山貝塚から北へ約1km、樹木に囲まれて「子安神社」(市川市柏井3)がある。 県道9号(船橋松戸線)に面し石の鳥居が建ち、奥へ進むと参道中程に朱塗りの木の鳥居、さらに奥に進むと拝殿・本殿が見えた。、、、、拝殿横の木陰に、「庚申五層塔」という珍しい庚申塔がある、元禄3年(1690)の銘あり。、、、、この神社も神秘的で、安産の御利益ありそうだ。(高齢の爺には、安産の御利益いらないよ!)

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県道船橋松戸線を歩き、大柏川(おおかしわがわ)に近づくと視界が開けた。、、、、歩く左手には武蔵野線の高架橋が見える。、、、、大柏川を越えれば市川大野駅は近い!

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● 万葉植物園前の跨線橋を渡り、市川大野駅へ到着。、、、、市川大野駅から私の住む浅草橋駅までは、西船橋経由で約40分。 意外と近いね!

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2021年4月 7日 (水)

高野から梅島へ

コロナは“第4波に突入”したと思われる。 密を避けながら、不要不急の外出は人目を誤魔化し、今日もコッソリ散歩に行ってきた。、、、、日暮里舎人ライナーの高野駅で下車し、東に向かい東武伊勢崎線梅島駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーは、荒川を越えて二駅目に高野(こうや)駅がある。 高野駅は平成20年(2008)3月30日に日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 ホームは島式1面2線構造で地上3階にある。、、、、駅名の“高野”(駅の現所在地は足立区扇2)の由来を探ってみると、現在は“高野”の地名は存在しないが、江戸時代には足立郡高野村があった。 村域は現在の江北と西新井、扇、西新井本町の各一部でおおむね現在の尾久橋通り沿いに南北に広がっていた。 明治22年(1889)に江北村大字高野となり、昭和7年(1932)の足立区成立で高野町となり、昭和51年(1976)まで町名は存在した。 今では、幻の地名となった!

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・・・・・・・・・・・・駅周辺には、「生産緑地地区」と称し、畑や空地が点在する。 日暮里からライナーで12分は通勤・通学に便利、マンション用地に最適、この辺りには億万長者の地主もいるようだ!

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● 高野駅は、足立区の南側(都心寄り)に位置するが、まだ農村の面影が残る・・・・・

・・・・・・・・・・・・尾久橋通りの裏には「成田山高野講」の祠が、畑の一画にある。 不動明王が睨みをきかす!

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・・・・・・・・・・・・付近には“レンコン畑”と思われる池のある農家が点在している。

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・・・・・・・・・・・・住宅の角には庚申塔がある。 右側は寛文10年(1670)、中央は正徳4年(1714)に造立された庚申塔。 今でも地元の人が守り祀っているのであろう。

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・・・・・・・・・・・・私の好きな裏道も、昔の畦道をそのまま舗装してしまったらしい。 曲がりくねった線形、行き止まりの道、方向感覚は狂う、私は迷路を歩いているようで楽しいのだが、よそ者には歩きづらいかも! 途中で地元の人に会うと、『この先は行き止まりだよ』と親切に教えてくれる!

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● 行きつ戻りつ、右へ左へ、しばらく歩くと興野神社(足立区興野2)の前に出た!、、、、神社は創建年代不詳。 元は八幡社として創建、その後氷川社を合祀し氷川神社になり、そして昭和15年に興野神社と改称。、、、、広い境内中央、一対の御神木の銀杏は荘厳で圧巻される。

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● 栗原3丁目で尾竹橋通りを横切り、関原通り商店街の「ひらさわ呉服店」の前に出た。 ひらさわ呉服店のペンキ塗りのトタン看板は、形がライオンのたてがみに似ていることから別名をライオン看板と言い戦後復興の証し。 今や東京都内で唯一最大級のものである。、、、、戦後の東京には、こんな看板の店がアッチコッチにあったが、いつの間にか無くなった。 ネオン管のピカピカする看板も無くなったね!

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● お帰りは、梅島駅から電車に乗って・・・・・

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2021年4月 3日 (土)

閻魔と顔なじみに!

週末で電車も空き『コロナには感染しない』と自分に言い聞かせ、新宿・明大前経由、井の頭線の西永福で下車し、大宮八幡宮、和田堀公園を歩き、華養院の閻魔大王を拝んできた。 1万1千歩




井の頭線の西永福駅は、私にはまったく縁のない駅で、散歩で数回来たことがあるだけだ。 今日は降りてみることにした。、、、、昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 現在は島式ホーム1面2線の地上駅であるが、平成20年(2008)にモダンなデザインの橋上駅舎となった。

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● 駅の北側に
法華宗陣門流の法真山理性寺がある。、、、、理性寺は、承応3年(1654)、大久保越中守忠辰・甚兵衛尉忠陰兄弟が両親の父荒之助忠富(法眞院日堯)、母久世氏(理性院日然)のため、久世氏より土地を譲り受けて内藤新宿に創建した。 大正3年(1914)に現在地へ移転した。、、、、浜田山の地名の起源となった新宿の米問屋浜田屋弥兵衛の墓、杵屋三五郎の三味線塚、初代杵屋三五郎夫妻の墓、芝居作者伊庭可笑の墓、徳川家康の側室で紀伊頼宣・水戸頼房を生んだお万の方(養珠院)の墓がある。、、、、朱塗りの山門に、散る桜の花びらが風情を添える。

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● 駅前の西永福商店街を抜け、方南通りの北側に大宮八幡宮がある。 23区内では、明治神宮(約21万1750坪)、靖国神社(約2万8000坪)に次いで、3番目に大きい大宮八幡宮境内の総面積は約1万5000坪。、、、、大宮八幡宮は、康平6年(1063)、源頼義凱旋の際、記念の地として、岩清水八幡宮を勧請し創建されたといわれている。 江戸時代には、別当寺であった大宮寺(明治期に廃寺)と併せて30石を拝領していた。 明治5年に郷社、明治18年に府社に昇格、また戦後には別表神社に定められた。、、、、「大宮」の名は埼玉県大宮とは無関係で、この神社の社域が広大であるところから「大宮」と呼ばれ、地名(町名)にもなった。
・・・・・・・・・・・・・・・一の鳥居から参道は樹々に覆われ森に入るのだが、参道両側に駐車する車もありチョイト静寂さに欠ける!

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・・・・・・・・・・・・・・神門をくぐると拝殿が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・何やら、境内は慌ただしく、巫女さんは掃除、神職一同整列し行進、記念撮影もあり、今日は何の日だ? (後にWebで神社を検索し、調べてみたが特別な行事はなさそうだ。 毎朝の日課なのか?)

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿脇に植えられた菩提樹、、、、松平秀康(1574~1607)は、徳川家康の次男として生まれ、初め豊臣秀吉の養子となり結城の姓を授かる。 慶長5年(1600)関ケ原の戦功により越前藩主に封ぜられ松平秀康と名乗る時に清涼院を側室に迎える。 清涼院は当神社を崇敬し、参拝の折に、この菩提樹を植樹したと伝えられているらしい。


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● 大宮八幡宮の北側付近から善福寺川に沿って下流側に広がる公園が「和田堀公園」である。 なお、上流側に広がる公園は「善福寺川緑地」、、、、戦後は氾濫する川、汚い川として有名だった善福寺川も、今は水害対策も整備され、水質改善もなされ、水鳥が遊び、魚が見られる川に変身した。 綺麗だ!

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● 和田堀公園から離れ、松ノ木2丁目の住宅地の一角に庚申塔・馬頭観音などが祀られている。、、、、杉並区の案内では、「民間信仰石塔」として『6基の石塔は、右から元禄4年(1691)銘の聖観音塔、享保8年(1723)銘の地蔵塔、宝永5年(1708)銘の庚申塔、そして大正14年銘・嘉永4年(1851)銘・明治11年銘の馬頭観音塔』である。 この他にも、墓石などもある。、、、、この土地は「ほっけばか(法華墓)」と呼ばれているそうだ!


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● 松ノ木3丁目、五日市街道沿いに天台宗寺院「華徳院(けとくいん)」がある。 華徳院は下野国佐野に創建されました。 天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。 浅草蔵前(現:台東区浅草橋2)では「閻魔堂」と呼ばれていた。 しかし大正12年の関東大震災によりこれら仏像も伽藍とともに焼失してしまい、その跡には日光輪王寺より閻魔王を迎え、境外堂としてお堂が建てられた。 伽藍は大正2年より区画整理のために墓地を現在地に移していたことから、移転先を現在地と定め、昭和3年本堂を再建し、牛込千手院行元寺の閻魔王像を本尊として迎えました。 蔵前のお堂は昭和20年の戦火により焼失しましたが、閻魔王像は焼失を免れ、現:華徳院に安置されています。、、、、今日は本堂に上がらせてもらい、本尊の閻魔王像、蔵前にあった閻魔王像の二閻魔像と御対面、これで閻魔王とますます顔なじみとなり、地獄へ行っても特別待遇で楽させてもらえるだろう!

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● 華徳院の近く、杉並車庫前のバス停からバスに乗り中野駅に出て帰宅。

2021年3月30日 (火)

ありゃ、こりゃ、庚申塔

東京では10年ぶりに黄砂が観測され、視界の悪い曇り空のような日となった。 今日は夫婦で、北総の「百庚申」を見ながら、北総線の千葉ニュータウン中央駅から隣りの小室駅まで歩いてきた。 1万3千歩、約7kmの散歩です。



【チョイト予備知識】・・・・・・・庚申信仰は、中国の道教「三尸(サンシ)説」に由来するもので人の体内に棲む三尸という虫が庚申の夜に人が熟睡している間に抜け出し、天帝にその人がした悪事などを告げて寿命を縮めてしまうので、その夜は村人が集まり飲食をしながら眠らずに夜を明かし、人々の無病息災や長寿などを祈願するもの。 室町時代ごろから庚申講が行われるようになり、その供養の証として庚申塔を建てるようになった。 この風習は江戸時代に各地に定着した。 千葉県北部の下総地区では、江戸時代前期から三猿、地蔵像、観音像、如来像などを彫った石塔が造られる。 中期に入ると、青面金剛像の石塔が主流となり、江戸時代後期に入ると「青面金剛」銘、「庚申塔」銘など文字塔が主流となる。 千葉県の北総では、青面金剛像の石塔が10基、その各石塔の間にそれぞれ9基づつ「庚申塔」銘の石塔を計90基配し、全部で100基の庚申塔を一度に造り並べる「百庚申」が江戸時代後期から明治時代まで流行したそうだ。 「百庚申」は、より多くの庚申塔を建てることにより、より多くの功徳を得たいという人々の気持ちの表れである。、、、、印西市、柏市、鎌ケ谷市などの北総では、現在でも各所に「百庚申」が残っている。 しかし、石塔は風化・破損したもの、地震などで倒壊し埋もれたものなどがあり、100基揃っているものは少ない。

 

 

 

● 北総線千葉ニュータウン駅で下車し、駅の南西側、東京電機大学千葉ニュータウンキャンパス(印西市武西1183-2)の前の武西学園台南街区公園内にある「武西の百庚申」を見に行く。 武西の百庚申は文久3年(1863)の造立で、刻像塔10基、文字塔90基から成り、当時の形態を最も良く残しています。、、、、ちなみに我が妻が100基あるか疑い、数えてみたら、間違いなく100基あった! 景観、壮観、奇観で、スバラシイ~~! 

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・・・・・・・・・・・・千葉ニュータウン駅の北側、印西市小倉鳥見神社にも数は少ないが庚申塔が並んでいる。 100基揃っているのは、鎌ケ谷大仏前の鎌ケ谷八幡神社こちらもパーフェクト!



● 駅前の住宅街を外れると、一気に田畑が広がる田舎の匂いがしてきた。 サクラはそろそろ散りはじめた。

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道(ししばふなおかいどう)」と称する道に出た処。 「武西観世音堂」という建物と小さな大師堂、月待塔・供養塔・庚申塔・出羽三山参拝記念碑などの数基の石塔が並んでいる。、、、、おそらく、昔から村の祠があった処であろう。

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・・・・・・・・・・・・観世音堂の前に広がる畑。 何を育てるのか、ジャガイモ? 落花生? ネギ? 

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・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」を、観世音堂から北東方向に300m程歩くと、8基の地蔵像が路傍に並んでいる(印西市武西954付近) 交通事故の地蔵か? 水子地蔵か? それとも餓死・水死・病死か? いずれにしても、南無阿弥陀仏。、、、、チョイト横に3基の石塔が、右端は庚申塔、中央は不明、左にナント!猫が彫られている、そして「明治二十四年」と刻まれている。 どうみても、猫だ、コリャ何だ!(私には判らない)


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・・・・・・・・・・・・再び「神々廻・船尾街道」を歩くと、印西市から白井市谷田の町に入る。 ここでも、路傍に20基ほどの庚申塔が基壇の上に並んでいた。、、、、写真3枚目の左端の庚申塔は「谷田の三猿庚申塔」と称し、寛文10年(1670)に造立されたもので、総高191cm、笠付角柱型で下部には三猿を彫出する三猿庚申塔。 白井市内には数多くの庚申塔があるが、この庚申塔は市内でも最古かつ最大のものである。 庚申信仰の歴史を理解する上で重要なものだそうだ。

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・・・・・・・・・・・・さて、ここでクエスチョンです。 歩いてきた「神々廻・船尾街道」の『神々廻』は何と読むのでしょうか? 地元の関係者以外で読める人は変人か、神様か、どちらにしても普通の人ではない!、、、、読みの正解は『ししば』で、北総線小室駅のある小室町(船橋市)の北側に隣接する町。 どうやら元禄14年(1702)には既に「神々廻」という言葉は存在していた。 江戸時代から明治22年(1889)までは「神々廻村」として、その後は複数の村と合併して「白井村」となってからは大字名として残ったそうだ。 また、地名「神々廻」の由来は諸説あり・ありで、本当のところは不明らしい!

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・・・・・・・・・・・・北総線を南から北に越えて、さらに「神々廻・船尾街道」を歩く。


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・・・・・・・・・・・・北総線を越え谷田地区の北側に天台宗の西福寺がある。 寺は無人らしい。、、、、境内に所在する、公孫樹(イチョウ)は子育て観音の「乳房公孫樹」と呼ばれ、『観音にすがり乳柱の一部を削って煎じ、これを愛飲すると忽ち乳が出る』とされ信仰を集め、近郷からも乳飲み子を抱えた母親の参詣で賑わったと云われてる。 特に第二次大戦前は東京からも人々が訪れたそうだ。 幹周り510センチメートルは市内でも最大級のもので、市内を代表する巨樹のひとつです。、、、、境内は苔むし、点在する石碑・石仏にも苔が生え、風情あり・ありの寺。

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・・・・・・・・・・・・西福寺から北西へ約300m、短い階段を上がると、創建が大同年間(806~809)といわれてる薬王寺がある。 天台宗の古刹である。 本尊は阿弥陀如来。、、、、平成13年(2001)に現本堂が新造された。境内には薬師堂もある。、、、、よく吠える犬がいて、静かに参拝できない寺!

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」の歩きもここまで、白井市清戸の宗像神社に参る。 貞観18年(876)の創建と伝わる。慶長8年(1604)と天保2年(1831)に再建された。 印旛沼の北岸台地周辺に多くある宗像神社の総鎮守といわれていて、当地の宗像神社の中で最古の社といわれている。、、、、平成27年(2015)頃に、老朽化した本殿の解体修復を行い、境内の諸施設の整備、参道の拡幅・敷石の敷設替え事業が行われた。 境内には、鳥居右側に江戸時代中期の享保9年(1724)銘のある、両側面に童子像のある青面金剛像や、天明7年(1787)銘の仏像碑などがある。、、、、総鎮守と云う割には、境内も本殿も小さい、しかし本殿の彫刻は圧巻である。

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● 宗像神社本殿の後ろ奥に、「清戸の庚申塚」がある。、、、、並ぶ石塔の前の道路は只今工事中! 柵があり、チョイト離れて見る!

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● 田舎道を歩き北総線小室駅へ向かう。 スカット晴れていれば青空の下で気持ち良いのだが、黄砂の影響か視界不良なり、残念!

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・・・・・・・・・・・・小室駅到着。 北総線の駅では唯一船橋市にある駅であり、市内の駅としては最も北に位置する(JR船橋駅近くの海岸線から約14km離れている、あらためて船橋市の広さを実感できるね!)、、、、昭和54年(1979)3月8日に開業した、島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線の計2面3線の地上駅。 駅舎は橋上で、出入口は北口のみである。、、、、北総線内の駅では、乗客の少なさはワースト2!

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2021年3月27日 (土)

“密”より桜

“密”を避けるつもりで、朝、千鳥ヶ淵へ花見に行った。 行ってビックリ、見てドッキリ、赤ちゃんシャックリ、爺さんギックリ、千鳥ヶ淵は満員御礼。 春の陽気の下、一年ぶりの花見である。、、、、飯田橋駅から、千鳥ヶ淵、最高裁判所、国会議事堂をめぐり桜田門駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 昨年7月、ホームを市ヶ谷寄りに移設し急カーブを解消した飯田橋駅は、西口(神楽坂側)の駅舎もモダンなデザインの橋上駅舎に新調した。、、、、黒を基調とした駅舎は、神楽坂の料亭のイメージかな?

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● 飯田橋駅斜め前の「日本基督教団 富士見町教会」、、、、、富士見町教会は、明治20年(1887)に創立され、120余年の歴史を持つ教会。 最初は麹町一番町にあったが、明治39年(1906)に富士見町に移転した。 移転後、建物は度々建替えられ、現在の教会は平成25年(2013)に竣工した。 祈りを捧げる人の手の形をイメージし、天を頂きとする三角形状が幾重にも重なるデザインの教会である。 ステキな教会です。

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・・・・・・・・・・・・教会前の早稲田通りを200m程南へ歩くと、いつ解体されてもおかしくないような、忘れ去られるような、地味な建物「共済ビル」がある。、、、、建築年代は不明だが、昭和初期の建物と思われる。 20~30年前までは、タイル張りの外塀であったが、剥がれ落ちるるのか、修復したようだ。、、、、ビル名の“共済”は、“国家公務員共済組合連盟”の関連かも?

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● 靖国神社の大鳥居前を通り、田安門付近にはカメラを持った人があちらにも、こちらにも! 時刻はまだ朝8時前だ!

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・・・・・・・・・・・・千鳥ヶ淵には既に大勢の人が、、、、アリャリャ、コレではコロナに感染するかも? 注意・注意と思えども、ソーシャルディスタンスは難しい。 2m離れると、間に割り込む人がいる!、、、、感染覚悟を決めて、花見を楽しむことにした。

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● 千鳥ヶ淵の南端の堤上に、第二次大戦中に皇居を護るために据えられたB29迎撃用の高射機関砲の台座跡が残っている。 台座は7基残っているが、今はちょうど丸いベンチとして、休憩用に使用されている。、、、、ここに据えた高射砲で、高々度を飛ぶB29を本当に撃ち落とせたのだろうか?


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● 千鳥ヶ淵から英国大使館前の半蔵濠に沿って歩く。

・・・・・・・・・・・・英国大使館は、昭和4年(1929)に建てられたもので、英国工務局設計によるもおの。 また、新館と呼ばれている、オフィス用の建物は昭和62年(1987)の建築である。 天皇の住いである吹上御所に、皇居外から最も近い位置にある建物。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらもサクラが見事に咲いている。

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● 半蔵門から先は、久しぶりに皇居周辺の名所巡り・・・・・

・・・・・・・・・・・・皇族が日常出入りする半蔵門。 半蔵門から眺める警視庁(正面)方面。 緑が美しい!

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・・・・・・・・・・・・国立劇場、、、、劇場建物は敷地、諸元等が決定した後、昭和37年にコンペが開始され、翌38年竹中工務店のチームによる設計案が選ばれる。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階/地下2階、延床面積26,989㎡にて、昭和41年(1966)竣工。、、、、かれこれ、築60年になる低層の建物で、周辺の高層ビルが目障りになって来た!

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・・・・・・・・・・・・国立劇場のお隣には最高裁判所、、、、こちらもコンペが実施され、鹿島建設のチーム(岡田新一ほか16名)が当選した。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階/地下2階、延床面積59,671㎡にて、昭和49年(1974)竣工。

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・・・・・・・・・・・・最高裁判所の敷地東側の付近には、かつて三河田原藩の上屋敷があった。 江戸時代の文人画家・蘭学者であった渡辺崋山は、寛政5年(1793)この上屋敷内で誕生した。、、、、現在は三宅坂小公園となっている。

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・・・・・・・・・・・・次は憲政記念館、、、、国会議事堂前、永田町1丁目1番1号に建つている、尾崎行雄を記念する会館。 昭和47年(1972)に我が国の議会開設80年を記念して建てられた。 海老原一郎の設計、大成建設の施工。、、、、憲政記念館は、このたび取り壊されることとなり、新しく国立公文書館と合築して建設・移転することになった。、、、、お別れのため、内部をチョイト拝見!

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・・・・・・・・・・・・憲政記念館の隣り国会前庭園には、日本水準原点庫がある。、、、、都教育委員会の説明では、『日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24年5月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第1期生の佐立七次郎。建物は石造で平屋建。建築面積は14.93㎡で、軒高3.75m、総高4.3m。 正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンターブラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフ装飾で特徴づけられる。日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。』と記されている。

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・・・・・・・・・・・・・・国会前庭園にもう一つ大事な基準点がある。 それは、巨大な鉛筆型の電子基準点「東京千代田」である。、、、、電子基準点「東京千代田」とは、『この電子基準点は、我が国の準天頂衛星システムや米国のGPSなどの星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な三次元位置を計測・モニタリングする施設である。国土地理院は全国に電子基準点網を構築して、土地の測量や地図の調整に必要な位置の基準を提供するとともに、国土の地殻変動をモニタリングしている。また、受信した信号は高精度なリアルタイム位置情報サービスにも利用されている。電子基準点「東京千代田」は日本の基準となる日本水準点の近傍にあり、その標高を常時モニタリングする役割も担っている。』 なにやら、判ったような判らないような、チンプンカンプンの説明である。
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● 国会前庭園に来たら、本宅である国会議事堂を見て行かねば罰が当たる!!、、、、内部には入れてくれないので外からパチリ!、、、、現在の建物は昭和11年(1936)に帝国議会議事堂として建設された。 鉄骨鉄筋コンクリート造り地上3階(中央部分4階)、地下1階。

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● 今日の散歩は桜田門まで。 警視庁の地下から、地下鉄で逃走!
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2021年3月25日 (木)

三色の桃の花

北総線の矢切駅から、「じゅん采池緑地」の北東側の中国分の町を歩き下総国分寺へ、さらに京成本線の市川真間駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 江戸川を越えて、矢切の渡しで有名な矢切駅から歩くことにした。 矢切駅は北総線では唯一の地下駅。 上下線に待避線のある2面4線の地下ホームは、人影は少ない(一日平均乗降客数は約8000人)

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● 今日は、これまで歩いたことがない「じゅん采池緑地」の北東側の住宅地を歩いてみることにした。・・・・・

・・・・・・・・・・・・まず、駅の東側にある「国際医療福祉大学 市川病院」の方へ歩く。 国際医療福祉大学市川病院のある敷地には、戦前から「化学療法研究所附属病院」(通称:化研病院)があった。 化研病院は、昭和14年(1939)、当時国民病といわれた結核の化学療法研究を目的に設立さた。 その社会的重要性から三井財閥の支援を受ける一方、明治天皇ゆかりの「恩賜館」を宮内省(当時)より下賜されるほど、結核の治療において多大なる貢献を果たしてきた。 戦後は結核患者減少に伴い一般病棟を建設し、地域の病院としても貢献してきた。 平成19年(2007)には、モダンな現在の国際医療福祉大学市川病院が建てられ、より広い医療領域で貢献している。

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・・・・・・・・・・・・・・国際医療福祉大学市川病院の敷地を回るように北へ歩くと、松戸市と市川市の市界の路傍に庚申塔(市川市国府台)がある。、、、、青面金剛像と三猿の組み合わせの庚申塔の、右側面には「右 市川道」「元文三戌午天(1738年)」と刻まれ、道標の役割も果たしている。 左側面は、何やら刻まれているようだが、私には判読できない。、、、、約300年、この地の歴史を見てきた庚申塔だ!

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・・・・・・・・・・・・庚申塔の脇をチョイト歩くと、市川病院の駐車場に向かい裏道がある。 その裏道の写真を見ると、中央奥に病院の建物が見え、左手前の住宅の後ろから道路を横切るように、草が生えた法面がある。 見えないけれど、この地下に北総線が走っているのだ!

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・・・・・・・・・・・・再び、病院の周囲を歩き、北側から東側に廻ると、国府台6丁目、北国分1丁目の町に入る。 この辺りは、北総台地の面影を残しているのか、住宅地はアップ・ダウンがキツイく、所々には雑木林の名残がある。

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・・・・・・・・・・・・中国分5丁目で、アレ? 一本の木に紅白の花、いやいやよく見ると赤・ピンク・白の三色だ! 『 サクラのようで サクラでない ウメのようで ウメでない それは何かと尋ねたら ゲンペイシダレモモ 源平枝垂れ桃 』 綺麗だ!お見事!
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・・・・・・・・・・・・【連想】梅・桜・桃の三つ揃うと思い出す都都逸の名作(?)、、、、『梅もきらいよ 桜もいやよ ももとももとの間(あい)が良い』 私も若い頃はモモが好きだった、年老いた今は・・・・・


・・・・・・・・・・・・中国分の町は綺麗で静かな住宅地である。 豪邸、屋敷と呼ぶような建物は無く、どの家も戦後の中産階級の住宅であるが、小さな庭のあるモダンなデザインの建物。

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・・・・・・・・・・・・中国分の住宅地を抜けると、「和洋国府台女子中学校」の前に出た。 校門前には守衛さんがいる、女学生狙いの変質者と間違えられるとヤバイので、チョイト、守衛さんを外してパチリ!

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● 和洋国府台女子中学校から先は、下総国分寺跡下総国分寺、宝珠院 と巡る。

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● 国分の台地の南端から眺める市川市。 右端に市川駅前のタワマン、左端に本八幡駅前のタワマン。 180度、視界良好! 

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