散歩

2024年7月17日 (水)

古代東海道を歩く

今朝の東京は、雨は止んだが太陽は顔を出さずの曇り空、湿度が高く歩きはじめると、スグに服の中は汗でびっしょりとなる。 気温は28度ぐらい熱中症を心配しながら、京成小岩駅から立石駅まで歩いてきた。 1万1千歩




● 久しぶりに京成本線の「京成小岩駅で下車し歩くことにした。、、、、京成小岩駅は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 出口は駅前にバス停がある北口と路地の奥にある裏口のような南口の2ヵ所。 駅の開業は、90年以上前の昭和7年(1932)5月15日。(開業当時はおそらく畑の中の駅だったと思うね?)、、、、JR総武線の小岩駅と京成小岩駅は、直線距離で1.0㎞程離れており、乗換は現実的ではない。 乗換えるなら、隣のJR市川駅と京成の市川真間駅で乗り替えた方が楽だ!

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● 京成小岩駅北口を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 北口付近から西に向かって奥戸橋を渡り、京成押上線の立石駅方面に伸びるバス通りがある。 歩いてる途中で雨が降ってきたらバスに乗れそうなので、今日の散歩はこの道を歩くことにした。 

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● 京成小岩駅から数分の所に「愛国学園」(江戸川区西小岩)の中学校・高等学校がある。 学校は昭和13年(1938)設立の女子校。 千葉県四街道市には系列の大学もある。、、、、『ちょいと、女学生のお顔を拝見!』と校門近くに行ってみたが、時刻は8時数分前、まだ通学時間には早すぎる、誰もいないので校舎だけ拝見して早々に立ち去る。

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● 愛国学園正門から50m程西に歩くと、「鎌倉かなえ通り」と交差する角に「古代東海道道標」なるものがある。 石碑自体は比較的新しいものと思われる。 碑文には『日本は七世紀以降、都を中心に畿内参道の整備を行いました。都から東国へは東海道と東山道の二本の官道が敷設され、人や文物が往来していました。墨田区隅田と江戸川区小岩を結ぶ道は、武蔵国と下総国を連絡する古代東海道の一部と考えられます。』と彫られてる。

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・・・・・・・・・・ バス通りに出てしばらく歩き、新中川に架かる「三和橋」を渡ると「奥戸小学校」がある。 小学校の正門の脇に、同様の要旨の案内図がある。 地図は南北逆さまであるが、京成小岩駅の先から隅田川岸まで赤い線で古代東海道が標されてる。(地図はクリックすると拡大します)、、、、今日の散歩は、まさしく古代東海道を歩いてた。

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● 新中川に架かる「三和橋(さんわばし)」は、昭和36年(1961)の新中川掘削工事に伴い架橋された。 その後、橋の劣化も進み、 平成24年(2012)現在の橋に架け替えられた。 橋の形式は、3径間連続プレビーム合成桁橋、橋長119.0m、幅員18.0m。

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● 三和橋に続き、中川に架かる「奥戸橋(おくどばし)」を渡る。、、、、奥戸橋は、右岸 (西詰) の東京都葛飾区立石八丁目と左岸 (東詰) の奥戸七丁目の間を結んでいる。 現在の橋は、昭和47年(1972)竣工であり、過去に幾度かの架け替えが行われている。 現橋は、旧橋の下流に、6億7500万円で建設された。 形式はゲルバー式鋼I桁 + 活荷重合成I桁・H鋼桁 + PCホロースラブ橋、全長299.6m、幅11.0m。

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● 奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つである。 本殿は総公孫樹材を用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年(1961)に、夫々改築造営された。、、、、古代東海道沿いの古社なので、チョイト参拝していく。

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● 「立石」の地名は、葛飾区立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、現在児童公園に併設する祠の中に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より当地に持ち込まれたと推定される。 また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたらしい。 江戸時代には高さ60センチ以上の大きさだったらしいが、後に、立石様を欠いて持つと病気に効くという信仰や日清・日露戦争時に弾よけのお守りとして欠いて持つ人が現れたこと、また地盤沈下などの結果、現在では地表に頭だけだしてる、チョイト悲しい状況だ。

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● 古代東海道の一部を歩き、工事中の京成押上線「立石駅に到着。 今日はここまで! 

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2024年7月13日 (土)

小菅から六町まで

連日の猛暑に続き豪雨、今日は梅雨の中休み、久々の散歩となった。 東武伊勢崎線の小菅駅から北へ歩きはじめ、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩です。




東武伊勢崎線の小菅駅(こすげえき)は、大正13年(1924)10月1日に開業した。 小菅駅は足立区足立の所在であるが、“ほぼ駅前”と言ってもいい、東京拘置所の所在地は葛飾区小菅である。 “小菅”と言えば、年配の人は“高い塀の刑務所”を思い出すかも、現在は“刑務所”ではなく、日本最大の3000人収容の開放的・モダンな“拘置所”である。、、、、駅は荒川岸に位置し、ホームの東側には東京拘置所があり、一日当たりの乗降客は約6000人で、都区内の駅としては少ない方だ。、、、、今日の散歩は、この小菅駅から拘置所を囲む堀(古隅田川)に沿ってスタートする。

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● 東京拘置所の北側に「五反野親水緑道」があり、緑道は五反野駅まで約900m続くそうだ。 途中にJR常磐線のガードがある。 ガードの脇に、昭和24年(1949)に起きた下山事件の記念碑「下山国鉄総裁追憶碑」がある。、、、、下山事件とは、昭和24年(1949)7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則は午前8時20分頃迎えの公用車で出勤した。 途中、銀行等により、9時30分頃、日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住~綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 下山総裁は0時20分頃現場を通過した貨物列車により、轢断された事が判明したが、検視の結果、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。、、、、70余年前の事件であるが、今だ真相は解明されておらず、謎となってしまったか?

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● 足は北に向かって歩く。 西綾瀬3丁目弘道2丁目の都営住宅が点在する、入り組んだ裏通りを歩き環七通り「青井五丁目交差点」に出る。

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・・・・・・・・・・ 途中に、真言宗豊山派の寺で安龍山正法院増福寺(足立区青井2)がある。 増福寺の本尊は阿弥陀如来。、、、、当寺は、正和元年(1615)に、慶龍和尚により開山されたと伝えられている古寺。、、、、小さな境内に、小さな本堂、チョイト可愛らしい寺。

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●  環七通りを横断し、足立区一ツ家4丁目に入ると「一ツ家稲荷神社」がある。 一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592~1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかと言われている。 境内には数基の供養塔、地蔵、庚申塔がある。、、、、地元有志の氏神様のようだ!

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● 熱中症に注意をはらい、汗をかきかき1万歩。 つくばエキスプレスの「六町駅」に到着。、、、、六町駅は都内で最も北に位置する地下駅で、ホームはかなり深い処にありエスカレータを4回のって下りる。

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2024年6月24日 (月)

昔の名前で出ています

天気予報では今日も30℃超の気温、熱中症に気をつけ、京浜東北線の東十条駅から都営三田線の本蓮沼駅まで、9千歩の散歩です。




● 朝8時、京浜東北線東十条駅に降り立つ。 東十条駅のホーム東側は東北新幹線の高架橋と下十条運転区がある、西側は東北本線の列車線と貨物線が並行して走り、その先は線路際まで武蔵野台地が迫り崖となっている。 今日の散歩はホームの西側、台地の上から歩きはじめることにした。

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● 東十条駅から埼京線十条駅へ向かう「演芸場通り(=十条中央商店街)」がある。 今日は、演芸場通りに平行する裏道を歩き、埼京線の踏切を越え「十条銀座商店街」にぶつかる道を行く。

・・・・・・・・・・ まだ8時過ぎなのに、強烈な日差しで裏道を歩いても暑い!

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・・・・・・・・・・ 埼京線の「富士道踏切」がある。 “富士道”と言うのは、残念ながら富士山が見えるのではなく、この道の東端付近に「十条富士神社(北区中十条2)」があり、そこへ至る道ということ。 富士山を見たい人は、神社境内には「富士塚」があるから、それで我慢!、、、、踏切の南側には十条駅が見える。

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、「十条銀座商店街」の中程で、商店街を横切るようにぶつかる。、、、、朝8時半、十条駅に向かうサラリーマン、学生が足早に抜けて行く。

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● 十条銀座を横切って西へ歩く。 北区上十条3丁目に、鮮やかな赤い門のある「聖観音堂」なる小さな堂がある。 中には山下覚道(?)作という中国風の観音像が安置されているそうだが私は見たことはない。、、、、堂の前には、天明3年(1783)銘の大日如来像、延宝5年(1677)銘の青面金剛像の庚申塔などが祀られている。、、、、門の中に浮浪者が侵入して宿泊しているそうだ、それゆえ門は施錠されてる。 参拝する人は門の外から合掌!

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● さらに西へ歩き、環七通りと本郷通りが交差する姥ヶ橋交差点に出てきた。 交差点の角に、「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。 “姥ヶ橋”とは、石神井川用水の稲付川に架けられていた橋で、その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。 この乳母を憐れんで村人が供養のために建てたのが「延命地蔵尊」である。、、、、この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像だ。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘文が刻まれている。

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● 西が丘の、官舎の前をキョロキョロ、公営住宅の団地の中をウロウロ、ナショナルトレーニングセンターの前をブラブラ。 大きな建物ばかりで、首を空に向けて歩き、疲れた!、、、、「西が丘」は、戦後、米軍の管理下で東京兵器補給所、稲付射場などがあった処だ。 返還後は、国立西が丘サッカー場などの公共施設、集合住宅などが建設された。

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● 西が丘を抜け、北区清水町の裏道を歩き、中山道(=国道17号)に出る。

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・・・・・・・・・・ 中山道の地下に都営三田線「本蓮沼駅がある。 本蓮沼駅は板橋区に所在する。、、、、本蓮沼駅は昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、駅名の“本蓮沼”は、本線の計画段階では、駅名の仮称は“蓮沼駅”だったそうだ。 しかし、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅があったため採用されず、昭和36年(1961)までの駅所在地における地名であった志村本蓮沼町より名前を採った。 つまり、♪ 昔の名前で出ています ♪

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2024年6月20日 (木)

汚い春木川?

我が家のある都営浅草線浅草橋駅から北総線の印旛日本医大行きに乗ると、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線と乗りれて秋山駅まで乗り換えなしに行くことができる。 今日の散歩は北総線秋山駅から、京成本線の菅野駅まで歩いてきた。 1万1千歩の散歩




● そろそろ通勤通学時間にとなる朝8時、北総線「秋山駅」で下車する。 秋山駅は、平成3年(1991)3月31日、北総線の京成高砂駅~新鎌ヶ谷駅間開業のとき、同時に秋山駅も開業した。 秋山駅は北総台地の住宅地に、掘割による半地下構造で、相対式ホーム2面2線のホームを有する駅である。、、、、駅前は10数年前とチットモ変わらず、コンビニ、喫茶店などはなく、マンションに囲まれた静かなロータリーがあるのみ。 

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● 秋山駅から南のJR総武線市川駅・本八幡駅方面には幾度か歩いているので、今日はなるべく歩いたことのない裏道を散歩する。 駅前から大型スーパーの横を抜け、戦後宅地化されたと思われる住宅地(松戸市秋山)を歩く。

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・・・・・・・・・・ この辺りには地名を表すものは少なく、たまに見る住宅の表札に示された住所がたより。 マンホールの蓋に示された「まつどし」の文字、矢切の渡しのイラストをみて、『私は今、松戸市を歩いてる!』と実感する。

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● 松戸市秋山から市川市稲越に入ると、商店の建物がチラホラ現れ、自分が何処を歩いているか判断できて一安心! 千葉県立国分高校の裏から市川市曽谷の町へ。

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● バス通りに出ると、「曽谷春雨橋」のバス停、その脇に用水路のような川に架かる「春雨橋」、川の名は「春木川」。、、、、“春木川”と知ると、思い出すのは故松尾和子の歌う、湯村温泉(兵庫県、夢千代日記の舞台)をイメージした「春来川慕情」(昭和65年リリース)、私の好きな歌だ!

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・・・・・・・・・・ 歌のイメージとは大きく異なるが、この先、春木川に沿って歩くことにした。、、、、春木川は、千葉県市川市・松戸市を流れる利根川水系国分川の旧称。 市川市内を流れる春木川は度々、名誉の「日本一汚い川」にランクインしてる。 それゆえ、現在でも水質改良工事が行われている。 『春木川を、きれいにしましょう』の看板も剥げてきた!

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・・・・・・・・・・ 市川市東国分の町を南下した春木川は、「春木川排水機場」の先で「真間川」に合流し、東京湾へ流れ込む。

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● 外郭環状道路がホーム下を走る、京成本線の「菅野駅(すがのえき)」に到着。 菅野駅は大正5年(1916)2月9日に開設された。 開設当初の駅は相対式ホーム2面2線で、上りホーム側に駅舎があったそうだ。 しかし現在は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームの頭上に橋上駅舎がある。、、、、この付近は、砂地に松並木が映える江戸〜大正期の別荘地の名残が今も残る、都心から東に位置する高級住宅街だが、駅周辺には店舗も、スーパーも見当たらない。

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2024年6月17日 (月)

西糀谷・大森中

近ごろ起床時間が早くなり、4時過ぎには目が覚めていることが多い。 今朝も4時半過ぎに起床し、5時には新聞を読んでいた。 私が早起きになったため、妻もつられて起きてくる。 6時には朝食も済ませ、『さて、今日は何処へ散歩に行こうかな?』と声をかけると、妻は『私も一緒に行くよ!』と返事。 しかし、5分後には『やっぱり、行かない。 一人で行ってきな!』 その妻の心は『高島屋(デパート)で孫の服を買ってくる』、、、、と、云うことで、今日は一人で散歩する。

6時半に浅草橋の地下鉄ホームに立ち『どこへ行こうか』思案橋。 次の電車は『羽田空港行だ。 ヨシ、これに乗ろう』、、、、乗っては見たが『どこで降りよか?』迷い橋。 いつの間にか、京急蒲田を過ぎ “次は 糀谷!こうじや”と、聞いて慌てて飛び降りて、気まりが悪い、照れ屋橋。 糀谷で降りてみたが、東西南北何処へ行く? 気ままに歩いて9000歩、着いたところは「大森町」(京急の駅)

 

● 京浜急行の「糀谷駅(こうじやえき)」は、明治35年(1902)6月28日に羽田支線として蒲田~稲荷橋間 (3.6km) の開通と同時に開業した。 思った以上に古い駅である。 現在の高架駅に変わったのは平成22年(2010)~平成24年(2012)。、、、、“糀谷”の地名の由来は判らないが、現在は糀谷駅の北側が“西糀谷”で、西糀谷と羽田空港に挟まれた一帯が“東糀谷”。 東西を冠しない、単なる“糀谷”の地名は消滅した。

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● 糀谷駅から駅前商店街をさけて、西糀谷の裏通りを歩く

・・・・・・・・・・ まずは、“裏通り”と言うより“裏路地”(西糀谷4)を歩いて見たら、ズ~ット奥で行止まり。 

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・・・・・・・・・・ 西糀谷4丁目に「糀谷神社」がある。 糀谷神社の創建年代は不詳だが、村民久左衛門が創建したといわれてる。(久左衛門と言われても、知ってる人はいるのだろうか? もちろん私も知らない) 明治維新後には村社に列格した。、、、、ここの神社の鳥居の横には天祖神社の社号標がある。(この糀谷・羽田地区付近には天祖神社が多いので間違いやすい)

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・・・・・・・・・・ 糀谷小学校の前を歩き、右に曲がって、また右に、次は左に歩いていたら、「叶仏堂(かなぶつどう)」(西糀谷1)の前に出た。、、、、堂内の中央に「庚申塔」がある。延宝6年(1678)に糀谷村庶民有氏で造立。 右隣には大日如来像がのった「六十六部供養塔」がある。 糀谷村の信仰を物語る石仏だ!

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・・・・・・・・・・ 叶仏堂から北へ歩くと、住宅地の路地の奥に「仲江名天祖神社」と刻まれた社号標がある神社が見える。 小さな境内だが、踏石が敷かれた参道を進むと鉄筋コンクリート造の社殿があります。 社殿も含めて境内が近年整備されたようだ、この神社も村民久左衛門が創建したと伝えられてる。 現在の社名は「東仲江名天祖神社」(西糀谷2)である。

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● 西糀谷の北端に流れる呑川。 そこに架かる「北糀谷橋」を渡ると北糀谷の町。

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● 北糀谷小学校の前をとおり、「大森中(おおもりなか)」の町に入る。 下町の雰囲気が残る町。

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・・・・・・・・・・ またまたあった小さな神社「堀之内三輪神社」、、、、大森周辺は武蔵国大森と称し、堀之内は大森の本村として伝承された古い地名だ。 堀之内は本村として早くから開け、住民は農業と漁業を生業として集落を形成し、氏神が住民の支柱だった。 三輪神社は、享徳年間(1452~1456)に土地開拓の神として大国主命を祀り、村人の崇敬を集めたのが創始と伝わる。

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● 大森中の町を抜けると第一京浜(=国道15号)に出る。 国道を横断すれば京急の「大森町駅」

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● 「大森町駅(おおもりまちえき)」は、明治34年(1901)2月1日、六郷橋~官設大森駅間開通時に開業。 開業時は道路上の停留所であったが、明治39年(1906)に新設軌道上に移行し、のちに大森山谷駅と改称した。 現在は高架駅となった。、、、、綺麗で立派な駅だが、普通列車しか停車しない駅、チョイト可哀そう!

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2024年5月22日 (水)

朽ちかけた閻魔堂

閻魔さまが好きな私は、南蔵院(練馬)の閻魔大王を思い出し、久々に寺を訪れてきた。 大江戸線の練馬駅から、南蔵院に参拝し、帰りは西武新宿線の都立家政駅から帰宅。 1万歩の散歩



練馬駅(ねりまえき)は、西武池袋線と都営大江戸線の駅である。 両線の練馬駅は至近距離にあり乗り換え駅であるが、駅舎は西武池袋線の高架駅、大江戸線の地下駅で、別々な構造となっている。 どちらの練馬駅とも、一日当たりの乗降客は、西武の約11万人、都営の約7万人と多い。、、、、近くには立派な練馬区役所が有る、駅周辺には昼のお店、夜のお店が半端なく多く、さすが練馬区の中心の駅。
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● 駅前の飲食店が並ぶ裏通りを抜ける。
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・・・・・・・・・・ 目白通りに面して高くそびえる、練馬区役所本庁舎は平成8年(1996)3月竣工。 地上21階・地下3階、高さ93.82 m。 東京23区の区役所の中では文京区役所(通称・文京シビックセンター、地上28階・高さ142 m)に次ぐ高さ。 最上階(20階)は展望ロビー、展望レストランがあるらしい。(一度は行ってみたいね!)
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● 真言宗豊山派の南蔵院(練馬区中村1) は、瑠璃光山医王寺と号す。 南蔵院は、永正年間(1504~1520)或いは延文年間(1356~1361)、いずれにしても室町幕府の時代に開創したと言われてる。 江戸期には12石8斗の御朱印領を拝領、西光寺(廃寺、中村八幡神社境内にあった)、大日堂(廃寺)を末寺に擁していた。、、、、寺は、古くから、万病にきく「白龍丸」という薬を製造・頒布していた。「南蔵院の投げ込み」と称され、諸病に効験があるとして名高かったが、明治10年(1877)の「売薬規則」の発布により中止された。、、、、境内は街中にありながら緑にあふれ広い、その中に諸堂が並ぶ。 薬師堂は宝永4年(1707)、本堂・庫裏・閻魔堂などは宝暦3年(1753)の再建。 また、鐘楼門は江戸中期の様式と推定されており、区指定の文化財である。

・・・・・・・・・・ 南蔵院通りに面する山門
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・・・・・・・・・・ 文禄年中(1592~1596)火災にあい堂塔伽藍、諸記録をほとんど焼失した。 宝暦3年(1753)には寺内の設備を整え、現在の本堂も完成した。 御本尊の薬師如来は秘仏で、33年毎に御開帳されるそうだ。、、、、、明治9年(1876)には、本堂を利用して豊玉小学校が開設された。
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・・・・・・・・・・ 本堂の右には、同時期に建てられた庫裏がある
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・・・・・・・・・・ 本堂の左には、宝永4年(1707)に再建された薬師堂
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・・・・・・・・・・
薬師堂の前には、宝暦3年(1753)に建立された閻魔堂がある。 6年ほど前に南蔵院に訪れた時、朽ちた閻魔堂、剥げ落ちた閻魔大王を見てから、閻魔大王の住環境が気になっていた。 今日の散歩は、その後どうなったか知りたく、訪れた次第なり。、、、、早速、中を覗いてみた。 照明のない薄暗い朽ちた堂内に、埃にまみれ剥げ落ちた閻魔大王が静かに座していた。 閻魔大王の後ろの壁には病気平癒祈願成就によって奉納された15cmほどの木彫の地蔵尊がズラリ千躰程並んでいるが、こちらもなんとなく薄汚れているみたい。、、、、悲しいかな、閻魔大王の住環境はますます悪化してるようだ! 閻魔堂は仏堂というよりガラクタ倉庫という感じ!
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・・・・・・・・・・  江戸時代中期に建てられた鐘楼門。 三間一戸、入母屋造りで赤く塗られている。 門の左右には仁王像、上階には正徳5年(1715)銘の梵鐘がある。
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・・・・・・・・・・ 昭和7
年(1932)首のない地蔵様が中村の道端にあった。 近所の住人が地蔵の首を酒代の形に持っていたので、継ぎ合わせたところピッタリと合った。 この不思議な仏縁から、「首継地蔵尊」と呼ばれている。 バラバラ事件の被害者となった地蔵さま、首が繋がり一安心。、、、、、首継地蔵尊は昭和60年頃(1985)までは、中村の八幡神社に祀られていたが、その後南蔵院に移された。
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● 所々にマンションと畑が残る練馬区を南に向かって歩く。 道端には道標を兼ねた庚申塔もある。 新青梅街道を横断し中野区に入る。
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● 西武新宿線の都立家政駅から帰る
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2024年5月14日 (火)

普通列車だけ停まる

『さて、今日の散歩、何処に行こうか?』と、都営地下鉄の浅草橋駅ホームで思案する。 ホーム上の路線図を眺め、押上駅で接続する京成本線の駅を目で追うと久しく降りてない海神駅が目に入り、今日の散歩は海神駅で下車し歩くことにした。 海神駅で下車し北へ向かい、行田公園を抜けてJR武蔵野線の船橋法典駅まで、1万歩の散歩となった。


● 京成船橋駅の一つ上野寄りに海神(かいじん)駅がある。 大正8年(1919)10月25日 に開業した駅で、現在の駅舎出入口は下り線ホーム側に一か所あるのみ。 たった1ヶ所の改札口には、自動改札機は2基あるのみ。 トイレは上りホーム上にある1ヶ所のみ。 停車するのは普通列車のみ。 2023年度の1日平均乗降人員は5,812人で、京成線内69駅中第49位と少ない。
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・・・・・・・・・・ 【チョイト一言】 京成本線の普通列車が全て6両編成なのは?、、、、京成本線全線で、ホームの有効長が6両編成分しかないのは、ここ海神駅と京成中山駅の2駅のみ。 両駅ともホームの両端に踏切が在り、ホームを延長できないため。 他駅では8両編成分のホームが確保されており、この2駅の有効長が解消しないと普通列車の8両編成は難しい。

・・・・・・・・・・ 【チョイト一言】 海神駅はかって乗り換え駅であった?、、、、海神駅から現在の東武野田線の船橋駅まで、かつて総武鉄道海神線(海神~船橋間、1.4㎞)という路線があった。 京成と東武の船橋駅が離れているため、客の乗り換えをスムーズにできるよう、海神駅から(東武の)船橋駅まで総武鉄道海神線が開業した。 昭和4年(1929)に開業し、昭和9年(1934)に廃止された。 廃止理由は利用者が少ないから。

・・・・・・・・・・ 【チョイト、もう一言】 海神の駅名由来は?、、、、駅の東側の海神山(海神山緑地)に由来するらしい。 海神山には昭和初期に富裕層の別荘が建ち、大邸宅の多い高級住宅街となっている。 現在は大邸宅が分割し、小規模住宅地となった。、、、、もともと「海神(かいじん)」は、「船橋海神(わたつみ)」と呼ばれていたらしい。



● 海神駅前の寂れた狭い商店街(バス通り)を道なりに北へ歩く。 200m程歩くと店舗は無くなり普通の住宅地。 一日に5往復しか走らないバス停を見ると「山手二丁目」と言う所だ。 この先に行田公園がある。
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・・・・・・・・・・ 山手二丁目の
細い路地の中程に、「海軍」と標記したコンクリート製の標柱がある。 おそらくこの先「行田公園」にあった旧日本海軍の無線基地に関連するものと思われる。
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● 行田公園に着いた! あの有名な、真珠湾攻撃開始を告げた『ニイタカヤマノボレ1208 』の電文を発信した海軍の無線電信施設の跡地である。 行田公園は、終戦後米軍により接収されていた旧日本海軍の無線電信施設の跡地(約53ヘクタール)が、
昭和41年(1966)日本に返還され、その内の11.9ヘクタールが千葉県へ無償借与され都市公園として整備された。 昭和46年(1971)に行田公園として開園した。 公園は中央の大通りにより東側と西側に分かれており、歩道橋にて接続されている。、、、、現在は地元住民の体力作りの場として利用されているようだ!
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● 行田公園から武蔵野線沿いに北へ歩き船橋法典駅に向かう。
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・・・・・・・・・・ 中山競馬場の最寄り駅「船橋法典駅」に着いた! 今日は競馬の開催もなく、駅は混んでない。 
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2024年5月10日 (金)

国道から総持寺へ

今日の散歩は、JR鶴見線の国道駅で下車し、曹洞宗大本山総持寺に行ってきた。 1万1千歩




● JR鶴見線の国道駅(京浜国道に面する)で下車する。 国道駅は、大きくカーブする相対式ホーム2面2線の高架駅で、改札口のある高架下は、開業時の面影が残るレトロな駅だ。 無人駅で駅員の代わりに簡易Suica改札機が設置されている。、、、、国道駅は昭和5年(1930)10月28日、鶴見臨港鉄道の駅として開業した。 昭和18年(1943)には鶴見臨港鉄道線の国有化により、国鉄鶴見線の駅となる。 開業時には臨港デパートが高架下で営業していたそうだ。 今はべニア板で閉ざされた廃業した店舗が並んでいる。 20年程前に訪れた時と、ほぼ同じ情景が残された“時の止まった駅”である。

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・・・・・・・・・・ 薄暗い高架下の天井にツバメの巣を発見、巣の近くでは家主のツバメが監視中!

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● 国道駅から東海道線を横断し、反対側にある曹洞宗寺院の総持寺に参る。 総持寺は諸嶽山と号し、福井の永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山である。、、、、元亨元年(1321)瑩山禅師が能登半島の櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)にある諸嶽観音堂に入山し、諸嶽山総持寺と改号、元亨2年(1322)後醍醐天皇より紫衣を拝領、曹洞宗の大本山となった。 明治31年(1898)火災により堂宇を焼失、当地(横浜市鶴見区)にあった成願寺の寺地を譲り受け、明治40年(1907)移転した。 境内の敷地面積は約50万m2と広い。 境内には多くの諸堂の他、鶴見大学などの学校施設もある。

・・・・・・・・・・ 緩やかな上り坂の参道。 チョイト、ダラダラの坂道で、肺活量の少ない私には歩き難い参道だ!

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・・・・・・・・・・ 昭和44年(1969)に落成した三門は、鉄筋コンクリート造りでは日本一とのこと。

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・・・・・・・・・・ 總持寺は、後醍醐天皇の頃から歴代天皇より勅願寺として仰がれ、勅使門として向唐門(むかいからもん)が造られた。

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・・・・・・・・・・ 長さ164m、東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑とを分ける廊下(大正4年頃建築)。 通称「百間廊下」と呼ばれている。、、、、毎日朝昼2回、雑巾がけが行われているのでピカピカ。 でも、雑巾がけする人は大変な労力かも?

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・・・・・・・・・・ 大祖堂は昭和40年(1965)に竣工。 大祖堂は、一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。 高さ36m、千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及びます。、、、、本山開祖・太祖瑩山禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する霊場。

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・・・・・・・・・・ 大粗堂の左に並ぶ、大正4年(1915)に竣工した仏殿。 本尊釈迦如来像を安置する。

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・・・・・・・・・・ 他の諸堂も巡り、奥の墓地へ“裕次郎に逢いに行く”、、、、石原裕次郎が没して30余年、今でも忘れられない大スターに合掌。

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・・・・・・・・・・ 参詣の終わりに三門の脇にある三松閣に立ち寄る。 切妻造り鉄筋コンクリート造、地上4階、地下2階、広さ9400m2の建物、平成2年(1990)竣工。、、、、檀信徒研修道場、各種セレモニー会場となっており、宿泊施設もある。、、、、こちらの喫茶室で、コーヒー飲んでひと休み。

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2024年5月 6日 (月)

招き猫の豪徳寺

連休は家で“じっと我慢の男の子” 最終日の今日、夫婦で世田谷の豪徳寺(ごうとくじ)に行ってきた。




● 新宿から小田急線の各駅停車で10駅目、豪徳寺駅で下車する。 豪徳寺駅は昭和2年(1927)4月1日に開業した。 駅は、東急世田谷線(大正14年(1925)開業 )と立体交差するため、当初から盛土の上にあり高架化されていた。 現在の豪徳寺駅は、複々線化された高架駅で、緩やかなカーブ上に相対式ホーム2面4線を有する。、、、、駅名は、そのものズバリ、近くの古寺の名を拝借。(ただし、寺の豪徳寺最寄り駅は世田谷線の“宮の坂駅”)、、、、私は大学生頃から小田急線を利用しているが、下北沢、経堂、成城学園前などの駅と比べると、乗り換え駅であるにもかかわらず目立たない地味な駅である。 いつまでも、各駅停車しか停まらない駅!

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・・・・・・・・・・ 豪徳寺駅ホーム下を走る東急世田谷線

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・・・・・・・・・・ 豪徳寺駅から東急世田谷線沿いの商店街を歩いて豪徳寺に向かう

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豪徳寺(ごうとくじ)は、元臨済宗の寺院で、今は曹洞宗の寺院。 山号は大渓山(だいけいざん)。、、、、世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために臨済宗弘徳院として創建したと伝えられている。 天正12年(1584)に曹洞宗に改宗。 高輪泉岳寺初世の門奄宗関が中興開山、寛永10年(1633)世田谷領が彦根藩領となり、豪徳寺が井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士 」より豪徳寺と改号した。、、、、緑で覆われた広い境内の空気は爽やかなり。

・・・・・・・・・・ 松が並ぶ参道を通り「山門」に至る。 山門の扁額には「碧雲関」という文字が書かれてる。 「外の世界と境内を隔てるために建てられた門」を意味するらしい。

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・・・・・・・・・・ 山門を入ると正面に延宝5年(1677)建立の「仏殿」がある。 仏殿の正面に篆額「弎世佛」があり、現在・過去・未来の三世を意味する諸佛などが安置されている。

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・・・・・・・・・・ 仏殿の奥に、昭和42年(1967)に造営された「法堂(本堂)」がある。 堂内には聖観世音菩薩立像、文殊菩薩坐像、普賢菩薩座像、地蔵菩薩立像が安置され、さらに寺宝の「井伊直弼肖像画(井伊直安作)」が飾られているそうだ。

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・・・・・・・・・・ 法堂のさらに奥に「開祖堂」があるが、開放されておらず、見ることができなかった。 堂内には、豪徳寺を開山した和尚や大師の像、歴代住職、藩主の位牌が安置されているそうだ。



・・・・・・・・・・ 境内のシンボル的な建物として、平成18年(2006)に落慶した、高さ22.5mの「三重塔」がある。 塔には釈迦如来像、迦葉尊者像、阿難尊者像、招福猫児観音像が安置されているらしい。

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・・・・・・・・・・ 豪徳寺と言えば“”、、、、さて、豪徳寺と猫の繋がりは、寺のHPには『ある日、この地を通りかかった鷹狩り帰りの殿様が、お寺の門前にいた猫に手招きされ、立ち寄ることに。 寺で過ごしていると、突然雷が鳴り雨が降りはじめました。 雷雨を避けられた上に、和尚との話も楽しめた殿様は、その幸運にいたく感動したそうです。 それが彦根藩主の井伊直孝でした。 豪德寺は、直孝に支援され、寛永10年(1633年)に再興しました。 その後、豪德寺では、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祀りする招福殿が建てられました。招福殿には、家内安全、商売繁盛、開運招福を願うたくさんの参詣者が訪れています。 堂内には招福観音菩薩立像が安置されています。』と記されてる。、、、、その「招福殿」の周囲には、参拝者が奉納した招き猫がウジャウジャ。 堂には、アニメの聖地となったのか(?)、外人がウジャウジャ。 ちなみに奉納する招き猫は、一匹500円(小)から7000円(大)なり。 我が家の妻は、1000円の小ぶりの招き猫を奉納。 猫に奉納するより、亭主に奉納した方が御利益あると思うよ! 

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・・・・・・・・・・ 豪徳寺は井伊家の菩提寺、墓所には幕末の大老13代直弼の墓、豪徳寺中興開基2代直孝の墓をはじめ、歴代藩主や正室たちの墓が並んでいます。 平成20年(2008)に国史跡に指定された。 広い墓所に、一家合計300基の墓石が並んでいるそうだ。

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● 豪徳寺から再び豪徳寺駅に戻るのはつまらないので、一駅新宿寄りの梅ヶ丘駅まで歩いてきた。、、、、梅ヶ丘駅は昭和9年(1934)4月1日 に開業。 2面4線を保有する高架駅で、乗降人員は1日あたり3万人を数えているが、各駅停車しか停まらない駅。

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2024年4月29日 (月)

谷塚から八潮まで

東武伊勢崎線の谷塚駅から東に歩いて、つくばエキスプレスの八潮駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ゴールデンウィーク前半の最終日、何処にも行く予定の無い私は谷塚駅で降り、東の八潮駅まで散歩することにした。 連休中とあって、通勤通学客はいないが行楽地に行く人が多いのか、電車はチョッピリ混んでいた。

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● 谷塚駅の東、県道を越えると真言宗豊山派寺院の寶光山安楽院善福寺がある。 善福寺の創建年代は不詳だが、江戸時代中期までには既に存在していたものと推測されている。 昭和15年(1940)まで西新井大師の総持寺の末寺であったが、同宗派総本山の長谷寺に変更した。、、、、道を歩いていると立派な山門が目に入る、静かな境内に入ると本堂の優美な姿がまたまた目に入る。

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・・・・・・・・・・  門前に正徳3年(1713)銘の庚申塔、境内に元禄4年(1681)奉納の六地蔵がある
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● 草加市瀬崎の裏通りを歩く。瀬崎(せざき)の町は毛長川を境にして東京都足立区と接する住宅地。

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・・・・・・・・・・ 瀬崎の町の東端、伝右川の際に立派な「草加市スポーツ健康都市記念体育館」がある。、、、、草加市は昭和53年(1978)に「スポーツ健康都市宣言」を行った。 市民のスポーツ運動に関する基礎調査を行い、市民スポーツの拠点と国際大会等の公式試合が行える施設として「総合スポーツセンター」構想をまとめて、総工事費は23億8800万円を投じ、建設した体育館。 昭和59年(1984)に着工し、昭和61年(1986)供用開始。、、、、収容人数 1,277人のメインアリーナ、サブアリーナ、柔道場、剣道場、相撲場、卓球場、弓道場、1周220mのランニングコースなど施設も充実してる。

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● 伝右川を越えると、埼玉県草加市と八潮市の境に割り込むように「都営花畑第四アパート」(東京都足立区)がある。 おそらく23区で最北端の都営アパートと思われる。 大きな団地だが、団地内の多くの商店はシャッターをおろしたみたいだ! 近くの大型スーパーに負けたか?

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● 都営アパートを抜け、桑袋大橋(くわぶくろおおはし)を渡り綾瀬川を渡ると八潮市に入る。

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● 八潮市大曾根にある「大曽根八幡神社」に寄って行く、、、、大曽根八幡神社の創建は文亀2年(1502)の勧請といわれてる。 古くより当地の鎮守社であった。 江戸時代には当地の領主旗本森川家の崇敬を受けていた。 明治期には村社に列格していた。、、、、現社殿は明治28年(1895)の再建で、本殿は総欅一間社流れ造り、向拝正面を唐破風、上部を千鳥破風、桂間の壁面は神話を題材とした浮彫りをはめこむ。 拝殿は入母屋造りの銅板葺き屋根、向拝中央を唐破風、上部を千鳥破風とし、八幡太郎義家父子等の武将の活躍を浮彫りで表現してる。 社殿周りの彫刻は素晴らしい!

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● 大曽根八幡神社の南側に、真言宗豊山派寺院の光林山福壽院がある。 こちらにもチョイトお立ち寄り。 福壽院の創建年代は不詳だが、江戸時代前期には創建していたらしい。

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● 福壽院から八潮駅までは約2㎞、新興住宅地の中を駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの八潮駅に到着。 連休だからか(?)つくば方面に向かう親子連れが多い。 

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