散歩

2024年2月26日 (月)

梅の白幡天神社

今日は散歩の帰り新小岩の眼鏡屋へ行く用があり、新小岩に近いJR総武線の市川駅から歩くことにした。 市川駅から平行する京成本線の北側(菅野地区)を歩き、総武線の本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。




● JR総武線の市川駅に降りると、北風が強くチョイト寒い。 ホームを歩く乗客は皆、無言で、防寒着にマスク・襟巻、冬支度で寒そう!

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● 市川駅北口から、千葉街道(=国道14号)を横断し、自然幼稚園( 敬虔なクリスチャン石田締により、昭和6年に開園。 幼児を自然の中で教育しようという理念に基づき命名された幼稚園 )前の小路を北へ向かい、京成本線の市川真間駅の脇に出る。

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● 京成本線の市川真間駅は大正3年(1914)8月30日に開業した。 現在は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅名は“真間(まま)”という地名に由来する。、、、、JR市川駅から直線で500m程、駅周辺にはファミレスや飲食店、居酒屋もあるが、普通列車しか停車しない駅。 乗降客も少なく、うら寂しい駅だ。

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● かつては、どこの小学校にもあった二宮金次郎像だが、今は消え去る運命にあるようだ。 そんな金次郎像が、真間の住宅の門の脇にあった。 雨で濡れていたが石像のようだ。 多少劣化しているので、作られてからだいぶ経っているものと思われる。 よく見ると、背負ってる薪は本物の“木”だ。、、、、薪を背負いながら学習をつづけ、やがては農村出の金次郎が幕臣にまで出世し偉人となったことを通し、現代の子供たちに“質素”・“勤勉”を教える手本として、再登場するかな。

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● 京成本線菅野駅の北側に広がる市川市菅野(すがの)の町、、、、大豪邸の並ぶ高級住宅街ではないが、静かに洒落た住宅が並ぶ高級住宅街である。 幸田露伴、永井荷風、幸田文などの小説家や、随筆家が居住した地でもある。、、、、実際に歩いて見ると、人影は少なく、緑豊かで、静かで清潔な町だ、文豪に愛されたことを感じることができる。

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● 市川市菅野1丁目、住宅地の奥に2000坪の境内を持つ白幡天神社がある。 広い境内には、緑の木々が生い茂り、梅、桜、椿、ツツジ、サツキ、ユリ、萩、彼岸花、サザンカと四季折々に花々が咲き、訪れる人には安らぎのひとときを提供している。 梅を期待して訪れてみたが、どうやら遅かったようだ(残念)、、、、今よりおよそ850年前の治承4年(1180)に、源頼朝が下総に入った際、当地に源氏の御印である白旗を掲げたことが社名の由来と伝えられている。 その後、天正12年(1584)正親町天皇の代に、本殿が再建された。 現在の本殿は明治13年(1880)の造営で、拝殿・幣殿は、昭和36年(1961)に造営された。

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・・・・・・・・・・ 境内には「幸田露伴 文学之碑」、「永井荷風 文学碑」などもある

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● 白幡天神社から東へ250m程歩くと、市川市東菅野1丁目に真言宗豊山派の山王山不動院がある。 不動院の創建年代等は不詳。 天慶3年(940)の平将門の乱に際して京都より房総へ下向した寛朝大僧正が、不動明王像一体を成田山新勝寺に、もう一体を当地に安置、その一体が当寺本尊とされている。 豊臣秀吉も小田原征伐に際して当寺本尊に祈念、寺領の寄進を受け、火災に際しても本尊は免れたことから火防の不動として信仰を集めたらしい。

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● 不動院から本八幡駅へ向かう途中で葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)にもチョイト立ち寄って行く。 葛飾八幡宮は寛平年間(889~898)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられている。 下総の国を守護する総鎮守として崇敬されている。 武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士の信仰を集めた。、、、、誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依比売命を祭神とする。

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● 昭和10年(1935)9月1日、総武本線の駅として本八幡駅が開業した。 平成3年(1991)からは、都営地下鉄の本八幡駅とも、駅ビルの連絡通路で結ばれていて、便利になっている。 JR、都営の両線を合わせると、隣の市川駅よりも乗降人員は多く、また市川市役所も当駅の近くに新築し、名実ともに市川市の中心となってきた。

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2024年2月20日 (火)

リベンジで市川まで

昨日は何となく、いつの間にか小岩まで歩く予定になり、平井まで歩いてギブアップ。 今日はそのリベンジで、平井から歩き、新小岩、小岩と通り過ぎ、隣の千葉県に入って市川まで、1万5千歩の散歩となった。




● 昨夜降った雨でまだ道路は濡れているが、今日の午前中は晴天となる予報を信じて、平井駅(総武緩行線)に降り立つ。、、、、昨日痛かった足も、今日は調子良さそうだ!

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● 今日も蔵前橋通りを東(小岩方面)へ歩くつもりだ。 蔵前橋通りに出る。

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● 荒川に架かる平井大橋は歩道の幅員を2mから3mに広げる工事が進められている。 工事は橋の中間部分まで完成したようだ、中程で施工前と施工後の違いがよく判る。 歩行者も自転車も快適に通れるようになった! 完成は来年の春らしい。

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● 平井大橋を渡ると、大きな新小岩公園がある。 園内にはまだ水溜りが残ってる。 私のお腹に残った水溜りは溢れそうだ、緊急事態! チョイト、トイレを拝借。

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● 新小岩駅前、通勤で小走りに駅に向かう人も見える。 「北口商店会」を横切る。 

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● 暗渠化されコンクリート造の欄干だけ残された巽橋。 その巽橋跡がある「たつみ橋交差点」 こちらも、新小岩駅に向かう多くの人が信号待ち!、、、、、ここまで平井駅から約40分歩いた。 私の足は快調だ、この状態なら次の小岩駅までは楽勝だ! 

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● 葛飾区東新小岩の町を蔵前橋通りが貫いていく。、、、、通りの両側はカーディーラーと、ファミレス、マンションが並び、歩く私には面白みが無い! 単調な歩きで疲れてきたかな? 

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● 一日2~3本の貨車しか通らない新金貨物線のガードを抜ける。 ガードは昭和33年(1958)に熊谷組の施工で竣工した。
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● 続いて新中川に架かる上一色橋(かみいっしきばし)を渡る。 橋は昭和41年(1966)に架橋(既に50年以上経過した)、、、、この橋を渡ると小岩駅がある。 季節外れの暖かさ、歩く私は汗ばんできた。

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● 小岩駅に向かう商店街「西小岩通り会」の曲がり角。 『ここを曲がれば小岩駅、今日の目標を達成する。 でも、次の市川駅まで歩くと、さすが男だ、よく頑張ったと妻の一言! 市川まで歩くか、ここで止めるか、これが問題だ!』 心の葛藤があったが、市川まで歩くことにした。(チョイト、足と腰が痛くなってきた。 我慢、我慢、やせ我慢!)

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● 小岩駅前の通過は9時半、平井駅からは1時間半ほど経過した。 柴又街道との交差点を通過する。、、、、『もう少しで市川橋だ、ガンバレ!』チョイト疲れた自分にいいきかせる。

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● 市川橋の西詰(小岩側)で、蔵前橋通り千葉街道(国道14号)とぶつかる。 ここが蔵前橋通りの東端になる。 道路名を表示している案内板も、蔵前橋通りを示す矢の方向が一方だけとなっている。(ヤ~ね!)

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● 江戸川に架かる市川橋まで来た! 全長399mの橋は、歩いて渡るには長~~い。 『歩けど 歩けど 橋の上 川に飛び込みたくもなるね』 

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● 市川橋を渡り市川市に入ると、高宮山観音寺がある。天正17年(1362)に開山した真言宗豊山派の寺。 『疲れたが、駅まであと少し、無事帰れますように(合掌)』

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● 足・腰の痛みこらえて市川駅に到着。 1万5千歩、歩いたぞ!

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2024年2月19日 (月)

意地で1万3千歩

最近歩く機会が少なく、体力が落ちてきたかも?? 今朝、食事をしながら『チョイト、歩いてくるね』 TVの天気予報は、文京区の椿山荘からLIVE中継。 『アレ、傘さしてる!』 食事が済んで外を見ると、我が家の周辺は濡れているが、雨は止んでる。 妻『傘を持って行ってね!』 私『雨は降らない、もし降ったらすぐに帰って来る。 男の散歩に傘は邪魔だ!』 傘を持たずに飛び出した。




● 家を出たが、さてさて何処へ行こうかな? 家を出て1分『アレ、雨粒が落ちてきた。 コリャ、遠くに行けないな』 本降りになっても、すぐにバスに乗って帰れるように浅草方面に歩きだす。 我が家と同じ町にある「須賀神社」に手を合わせ、『雨がやみますように!』と神頼み。

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蔵前一丁目交差点に来ると、傘をさす人も多い。 ココまで、我が家から真直ぐ歩いて、徒歩8分。 いまさら、我が家に戻って『散歩は止めた!』と妻に言うのは男として情けない! もう少し歩いて、本降りになったら帰ることにしようと決める。、、、、『この雨、本降りになるかも?』チョイト、不安がよぎる。 『そうだ、川向こうの東京都慰霊堂に行こう!』雨が降っても雨宿りできる。 これより、蔵前橋通りを歩く。

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● 小雨がパラパラ。 カメラが濡れるのを拭きながら蔵前橋を渡る。

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東京都慰霊堂に来ると、傘をさす学生も少ない。 雨は霧雨となった。 これなら、もうチョイト歩いて見よう!

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石原三丁目交差点まで来ると、雨は止んだ。 服は湿っぽくなったが、『ヨシ、もう少し散歩を続けよう!』 

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法恩寺橋を渡る頃には、道は乾き、雨は完全に止んだ。 これで、今日散歩に出た、男の面目が立った!

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錦糸町駅近くを通過。 傘をさす人はいない。

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天神橋を渡り、くず餅屋さん亀戸天神前を通過。 男の意地で小岩駅まで歩くつもり。

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東武亀戸線を越える頃、チョイト足が痛くなってきた。 アリャ、コリャ、歳だな、脚力が弱くなったか?、、、、江東新橋を渡り、江戸川区に入る。

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● 江戸川区に入り、平井駅前のタワマン工事現場まで来ると、足の疲れが出た! 我が家の家訓(?)、“年寄りの 無理は禁物”を思い出し、今日の散歩はここ平井駅までとする。 小岩まで歩くつもりが平井でギブアップ、1万3千歩の散歩でした。

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2024年2月15日 (木)

住みやすい谷塚

天気も良さそうなので、『歩いてくる!』と一言残し家を出る。 『さて、どこへ行こうか?』 迷える爺は、とりあえず浅草線に乗り押上で降り。 東武伊勢崎線に乗り西新井で降り。 再び伊勢崎線に乗り谷塚で降り。 ここから歩こうと決めたが、東西南北いずれに向かう? またまた迷える爺となり。 駅前の地図を眺めて、見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万1千歩の散歩です。




谷塚駅は東武伊勢崎線が東京都足立区から埼玉県草加市に入って最初の停車駅。 私にとっては、『東京から埼玉に行ってきた』と言える駅だ。 我が家のある浅草橋から30分程の処にあり、お手軽に来られる駅でもある。、、、、東口は駅前ロータリーがあり、バスも停まり、スーパーや100年ショップなどもあり整備されている。 西口は駅前に空き地が広がり、車は入りずらく、これから整備するようだ。、、、、駅前の地図を眺めて、今日は県道104号線の北側を西へ向かって日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。

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● 住宅情報サイトの記事によると、谷塚駅東側は『①駅前に交番がある ②スーパーや日用品店が揃っていて買い物に困らない ⓷コンビニと飲食店は少なめ ④全体的に人通りが少なく静かな雰囲気』と書かれているが、今日歩いた西側の特徴は『①全体的に店が少なくて田舎の雰囲気 ②家賃は低いがやや古い物件が目立つ ⓷自然が多くてのどかな住宅街が広がる ④スーパーが少なくて買い物が不便』と書かれてる。 たしかに、歩いてみて西側は、まさに田舎の雰囲気が残る新興の住宅地である。 店は少なく、道路は狭く、歩く面白みに欠ける町。

・・・・・・・・・・ 駅近くで県道104号線を横断し、北側(谷塚町・柳島町)の裏道を歩く。

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・・・・・・・・・・ さっそく農地が現れた! セールストークで『高い建物がないので、見晴らしが良いです。人通りも少なく、緑が多いのどかな住宅街が広がってます』 

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・・・・・・・・・・ 新しいアパートが並ぶ! セールストークで『戸建てに混ざって、一人暮らし向けの低層アパートも多いですよ』

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・・・・・・・・・・ 畑の向こうにマンションがある! セールストーク『眺望の良い1LDK、家賃は7万円で、安いですよ』

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・・・・・・・・・・ 草加市を南北に貫く国道4号線 セールストーク『国道に出れば お店がいっぱい並んで便利です』

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・・・・・・・・・・ チョイト狭い裏道。 セールストーク『住宅街は人通りが少なく、静かな雰囲気です』

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・・・・・・・・・・ 草加南高等学校(草加市柳島町)がある。 セールストーク『学校も近く 東大受験まちがいなし』

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・・・・・・・・・・ 高等学校の西には、素朴な感じの柳島氷川神社がある。 セールストーク『お受験の神頼みもできますよ』

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・・・・・・・・・・ 氷川神社の裏には柳島コミニティセンターがある。 セールストーク『地域との触れ合いはこちらでできます 谷塚での充実した生活をおくってみてはいかがですか』

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● 東京都足立区と埼玉県草加市の境を流れる毛長川(けながかわ)に出た。 毛長川は利根川水系綾瀬川支流の一級河川。、、、、昭和23年(1948)より40年にかけて改修拡張された。 人口急増による生活排水の増加などの影響により20世紀後半に水質がきわめて悪化したが、流域の下水道の普及などにより水質は次第に改善した。 現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み、綾瀬川同様、毛長川に注ぐことで水質を改善する試みが行われている。、、、、川を越えたら、見沼代親水公園駅がある

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● 日暮里舎人ライナーの終着駅「見沼代親水公園駅」に到着。 東京23区内最北端の駅、平成20年(2008)の開業。

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2024年2月13日 (火)

八広から南千住

天気予報では、暖かくなり散歩日和となるそうだ。 今日は、京成押上線の八広駅で降り、東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅前をとおり、南千住駅まで1万歩の散歩です。



● 関東大震災があった大正12年(1923)9月1日より2カ月程前の、7月11日に「荒川駅」として開業したが「八広駅」の始まりである。 荒川駅は荒川(当時は荒川放水路)の土手上に位置していたことに由来している。 駅名は平成6年(1994)4月1日に「八広駅」に改称したが、駅の位置は変わっておらず、ホームの先には荒川橋梁がある。、、、、駅名の「八広」は町名の八広に由来する。 町名の「八広」は、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い寺島町6・8丁目、隅田町4丁目・吾嬬町西5~9丁目の8地区が合併して成立したため、「八」の字を採り、その字体から「末広がり」の縁起を担いで命名された。、、、、駅の高架化が完成した平成11年(1999)からは、ホームは3階となり、1番線が片面、2・3番線が島式の2面3線構造。 朝ラッシュ時には1番線が通過列車専用となり、2番線が上り、3番線が下りホームとなる。 改札は2階で1ヶ所のみ。

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・・・・・・・・・・ 駅周辺には大きなスーパーは無く、駅前の喫茶店は無く、パチンコ屋も無く、カラオケも無く、下町の家並みだけが目に入る!

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● 八広駅から鐘ヶ淵駅に向かう、鐘ヶ淵通り(都道:補助第120号線)の拡幅工事が始まっている。 現在は「Ⅰ期区間」として、墨田区墨田3丁目~東向島5丁目の約370mの幅員を20~23m(既存の道路幅の倍以上)に拡幅してる。 拡幅の目的は、防災拠点への避難路(補助120号線)の整備と沿道の不燃化促進による延焼遮断帯の形成を目指し、街路整備と沿道まちづくりの一体的な整備を行っているそうだ。、、、、いずれ起きると思われる、大震災に向けての対策か? 整備を着実に進めて欲しいね。

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鐘ヶ淵駅前を歩く。 この駅前踏切を見ると、必ず“自らの脱臼事件”を思い出し、以来、踏切の横断、写真撮影などに注意するようになった。、、、、思い出多い踏切である。

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● 隅田川に架かる「水神大橋」を渡り、墨田区堤通から荒川区南千住の町に入る。、、、、水神大橋(すいじんおおはし)の橋名は東岸の墨田区堤通2にある「隅田川神社(水神宮)」に因む。 橋が架けられたのは平成元年(1989)3月で、隅田川の橋としては新しい方だ。 工事は橋の組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという方法を利用した。、、、、両岸の汐入公園(荒川区)、東白鬚公園(墨田区)は東京都の防災拠点として位置づけられており、そのため双方を繋ぐ連絡橋として千住汐入大橋と共に計画された。 当初は歩行者専用橋で、接続する道路の整備が完了した平成8年(1996)より自動車道路供用が開始された。、、、、橋の諸元は、種別:鋼道路橋、形式:3径間連続ニールセンローゼ桁橋、橋長:157.0m、最大支間:102.0m、幅員:17.0m、着工:昭和59年(1984)、竣工:平成元年(1989)

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● 水神大橋の上から汐入公園の方を見ると、川岸に「隅田川旧防潮堤」の一部が残されている。 公園が整備される以前は、この防潮堤が川の両岸に構築され、高度成長期の“どぶ川”として隅田川は親しみある川ではなかった。 今は、川下の中央区まで「隅田川テラス」が整備され親しみやすい川となった。

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● 汐入公園を抜けると、JR南千住駅の東側に広がるJR貨物の隅田川駅がある。 フェンスの隙間から覗きながら南千住駅へ向かう。 電気機関車が並んでる、鉄道オタクにはたまらん光景!

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南千住駅に到着。 駅前に、東京駅行きのバスが停車してる。 『ラッキー このバスは浅草橋駅前を通る しかも敬老パスで料金は払わずOK』 我が家までのんびりバスに揺られて帰ることにした。

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2024年2月10日 (土)

天神で観梅

今週は久々に雪の東京で、寒さもひとしお。 でも、ニュースを見てると、あっちで咲いた、こっちで咲いたと、ウメとサクラの話題が出てくる時期となった。 今日は夫婦で亀戸天神の梅を観てきた。

亀戸天神は、正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして寛文元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。 当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして寛文2年(1662)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。 古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。、、、、“亀戸天神社”などの言い方は聞いたことがない、江戸っ子は“亀戸天神”で誰もが判る!




● 駅から天神までの商店街は、『梅まつり』の旗を飾って盛り上げる。(午前10時半、これから店開きの商店もあり、人影はまばら)
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天神様にやって来た。 中高年の参拝客が目立つ。 太鼓橋から境内を眺めると、参拝客も多そうだ、拝殿前は行列ができてる。

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● 梅が咲いてた、5分咲きぐらいかな? 境内には300本の梅の木があるそうだ(数えたことはないが)、、、、「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」菅原道真が太宰府への左遷直前に詠んだ和歌

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日光猿軍団は商売・商売・出張商売! 境内で、日光から上京した猿が、一芸を披露!

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● 今日は散歩日和であった。 そこで一句思い出す、、、、松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪の詠んだ有名な句「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ

2024年1月31日 (水)

梅は咲いたか

京成曳舟駅から墨田区京島・文花、江東区亀戸の町を歩き亀戸駅まで、1万歩の散歩です。




● 我が家のある浅草橋駅から都営浅草線に乗り5駅目(駅から駅まで約10分)、スカイツリーのある押上駅の次が京成曳舟駅。、、、、京成曳舟駅は平成25年(2013)頃までは地上駅であったが、平成27年(2015)には上下線の高架化が完了した。 高架化後は相対式ホーム2面2線を有する高架駅となり、駅前のロータリーも整備され、周囲には数棟のタワマンも建ち並んでる。 1日平均乗降人員は約18,000人で、大きな駅ではないが、“やぼったい京成らしさ”が抜け落ち、明るいスマートな駅に変わった。

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● 駅前から南に歩く。 駅の南に広がる京島地区は、第二次世界大戦による戦災から免れた地域で、戦後は緊急車両も通れない木造密集地区として重点的に整備が行われてる。、、、、京島地区には大正時代からの昭和初期の長屋などが現存し、古い家屋と町工場が混在し、東京でも下町の古い街並みが色濃く残っている地域である。 一方で狭い路地による車の通行の問題や、大規模地震などの災害時の対策も課題となっていた。 最近では、整備の効果が徐々に出始めており、救急車、消防車が通れなかった道も幅を広げ、少しづつ通れるようになってきた。 古い木造住宅は耐火建築に建て替えが進んでる。 小道の要所要所(小公園など)には、消防用の貯水槽、ポンプも設置されてる。

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● 京島地区を抜け向島警察署を過ぎると、東武亀戸線小村井(おむらい)駅がある。 駅前の踏切を渡り、墨田区文花2丁目に入る。

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● 小村井駅の南西200m程の処に、旧小村井村の鎮守で、平安時代末期、下総国香取郡から開拓のために移住してきた6軒の人々が香取神宮の御分霊を勧請したと言われてる、小村井香取神社がある。、、、、現社殿は昭和29年(1954)の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りの総檜造りである。、、、、
江戸時代、当社の東側には江戸近郊の梅の名所として知られた小村井梅園があった。「梅屋敷」と呼ばれた敷地は約3千3百坪で、築山・池・多数の名石を組んだ庭園に紅梅白梅が咲き乱れ、毎年梅の盛りには将軍の御成りもあったそうだ。 しかし残念なことに明治43年(1910)の大水で廃園となった。 平成6年(1994)には、境内に「香梅園」が開設された。 梅の季節には80余種・約120本の梅が咲き、梅祭りが開催される予定だ! 今日、境内の梅は既に開花してた! 来週あたりは見ごろかも?

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● 小村井香取神社の斜め向かいに「都営文花一丁目第二アパート」がある。 昭和47年(1972)に建てられた、12階建て、235戸が入る大きなアパート。、、、、チョイト最上階から、青空に伸びるスカイツリーに向かってパチリ! 

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● 小村井香取神社から300m程歩くと北十間川が流れてる。 この川を越えると墨田区文花から江東区亀戸に入る。

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● 亀戸天神はまたの機会として、今日は亀戸香取神社に寄って行く。、、、、由緒では、『その昔、亀戸は亀の形をした小さな島で、亀島とか亀津島と呼ばれていたという。 社伝によれば、天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが当社の起源であるという。 承平天慶の乱に際し、平将門の追討に向かった藤原秀郷は、戦勝祈願のために当社に参籠した。乱の鎮定後、奉賽として弓矢を奉納し、勝矢と命名した。5月5日に行われる勝矢祭は、この故事に因むものである。このような由緒や武道の神として崇敬された香取大神の神徳に因み、現在ではスポーツ振興の神として広く崇敬を集めているとのことである。 明治5年(1872)村社に列格。昭和20年(1945)空襲で社殿が焼失し、同23年(1948)再建。現在の社殿は同63年(1988)に落成したものである』、、、、池江璃花子、内村航平と書かれた灯篭が参道にあった。 祈願に来たのかな?、、、、亀戸香取神社は桜でも有名な神社だが、『梅は咲いたか 桜はまだっかいな』 『まだまだですよ!』

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● 総武線の亀戸駅に到着、、、、今日は歩きやすい陽気だった! まだまだ歩く体力が残ってる!

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2024年1月28日 (日)

東京駅八重洲口まで

寒波の影響で連日東京の気温は10℃に達せず、都心(大手町)では今朝9時の気温は7.7℃、外出するのを躊躇(ためら)う寒さだ! 『今日の散歩は、寒いから近場にしよう!』と思い、我が家(浅草橋)から東京駅まで、1万歩の散歩となった。




● 朝8時、浅草橋駅前をスタートする

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● 浅草橋駅前の「人形の久月」は、天保6年(1835)創業。 江戸時代からの三階建ての大きな土蔵造りの旧店舗は、昭和51年(1976)に現在のビルに建て替えられたが、正面玄関に掲げられている「久月総本店」の看板は昭和初期に作られたもの。 この看板は、当時蔵前の華徳院(現在の浅草橋2丁目付近にあった、閻魔王を本尊とする寺。 関東大震災後、杉並区松ノ木へ移転)の住職でもあった書家、豊道春海師の揮毫(きごう)によるものだ。、、、、私の知る戦後の久月では、土蔵造りの黒光りした重厚な旧店舗に、この看板が掲げられていた。 まさに江戸時代からの老舗である。 

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● 神田川を越えて中央区に入り、中央区日本橋横山町4丁目に「大原第5ビル」がある。 この建物は、昭和4年(1929)、清水組(現:清水建設)の設計施工で竣工した。 現在は、ヘアーサロン、飲食店、ブティックなどが入居しているテナントビルだ。

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● 日曜日の朝、人影のない日本橋富沢町。 日本橋富沢町は、寝具メーカーの「西川」など繊維関係の企業が多いビジネス街。

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・・・・・・・・・・ 日本橋富沢町の一角に残る国登録有形文化財の旧川崎貯蓄銀行富沢町支店(昭和7年(1932)竣工、3階部分は後に増築)。、、、、現在は「ハリオグラス」の所有となっているが、旧川崎貯蓄銀行富沢町支店→旧常陽銀行東京支店→旧常陽銀行堀留支店→ハリオグラスと変遷した。 外観は、明治から昭和初期にかけて多く見られる銀行建築の建物、西欧古典主義様式によるデザイン。 隅切りされた角に正面玄関を配した設計は、この建物を特徴的なものにしている。

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● 日本橋富沢町の隣り、日本橋堀留町に“宝くじの神様”がいる、椙森神社(すぎのもりじんじゃ)がある。、、、、椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が戦勝祈願をした所といわれている。 室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために伏見稲荷の「伍社の神」を勧請して厚く信仰した神社である。 そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めた。、、、、また、しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その再建の費用のために、有力寺社で当たりくじである富興行が行われ、当椙森神社の富も人々に人気があった。 早い話、神社で宝くじを発行し、江戸の復興財源とした。 現在でも、“〇〇地震復興宝くじ”などを発売して災害復興支援するのと同じだ。 私も、チョイト協力して宝くじを買わせてもらっているが、チットモ当たらない。 今日も拝殿横にある「富塚」にも手を合わせ、『欲張って10億とはいいません、1億でいいです。 ナニトゾ、ヨロシク』と祈る。

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● 椙森神社のある日本橋堀留町も、日本橋富沢町と同じように繊維・衣料関係の企業が並ぶ商業地である。 地名の“堀留”とは、江戸時代に堀留町に日本橋川から舟運物資の荷揚げ用に堀割がつくられたが、町中の先で堀割が行止まりとなっていたことに由来する。 この堀割(東堀留川)は戦後まで残っていたが、昭和20年の終戦を迎え、戦災で被害を受けた東京を復興するため、戦災で発生した残土・ガラ・廃材などを処分する場所として東堀留川が埋め立てられた。 東堀留川の埋立ては昭和23年(1948)から始まり、翌年には完了した。 埋め立てられた跡地は、現在は堀留児童公園として整備されている。、、、、白黒写真は堀留児童公園にある、東堀留川の説明板に表示されてた、昭和23年の東堀留川

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本町2丁目交差点昭和通りを越えると、日本橋三越前に出る。

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・・・・・・・・・・ 三越本店の建物(国指定重要文化財)は、昭和10年(1935)に完成、ルネッサンス式建築の威容を誇り、当時は国会議事堂、丸ビルに次ぐ大建築物であった。 本館正面玄関には待ち合わせの場所として親しまれる「三越の守護神」とも言うべき「ライオン像」が客を迎える。

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・・・・・・・・・・ 三越の隣りには、こちらも国の重要文化財である旧三井本館の建物がある。 この建物は、米国のトローブリッジ&リヴィングストン事務所が設計、ジェームズ・スチュワート社が施工をする形で大正15年(1926)に着工、昭和4年(1929)に竣工した。 完成した建物はアメリカンボザールと呼ばれ、新古典主義様式による鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階(現在は7階)で地下2階という当時では丸ノ内ビルヂングに次ぐ大きなビルであった。、、、、【余談だが】“新NISA”をやるにあたり、銀行発行の書類が必要となり三井住友銀行の浅草橋支店にもらいに行った。 しかし、三井住友銀行浅草橋支店は昨年から、建物とATMだけ浅草橋に残し、店舗の窓口業務はここ三井本館内の日本橋支店で行うことになっていた。 仕方なく、先週、私はこの建物の中にある日本橋支店に初めて入ってきた。 内部は、高い天井と大きな太い柱が並ぶ広い宮殿のような建物で、ビックリ、感動だった。 これからは、家の近くの浅草橋支店はATMだけの扱いとなり、窓口業務は日本橋支店となりチョイト不便になったが、この建物の内部が見られるのは嬉しいね。

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・・・・・・・・・・ 三井本館の西隣には日本銀行本館がある。 こちらも国の重要文化財。、、、、明治初期、国家の主要な建築物の設計は、お雇い外国人によって行われていた。 日本銀行は、日本人建築家が設計を手がけた最初の国家的な建物である。 日本銀行の設計を担う辰野金吾は、1年間欧米の銀行建築を視察・調査し、コンドルの師であるロンドンのバージェス事務所で計画案をつくった。 建物は、ベルギー国立銀行を参照したともいわれる。 バロック様式をもちながら迫力に欠けた建物とも評されているが、その理由は、大オーダーや軒高欄などバロック様式の要素をもちながらも、基壇にあたる1階部分が高すぎ、大オーダーが小さく見える点にあるらしい。 だが誰が何と言おうとも日本人が最初に手掛けた近代日本の代表的明治建築である。、、、、建物の諸元は建築年:明治29年(1896)、設計者:辰野金吾、構造:煉瓦造・石造、規模:地下1階・地上3階、、、、内部を見てみたいが、日銀総裁か警備員にならないとダメかも?

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● 日本銀行から南へ歩くと、日本橋川に架かる一石橋(いっこくばし) がある。 三週間ほど前に歩いて来た常盤橋の下流側に架かる橋。、、、、江戸時代から存在した橋であるが、大正時代に架けられた石積みの橋も、平成11年(1999)までに現在の2径間連続RC床版鈑桁橋に架け替えられた。 大正時代の橋の面影は現存する親柱だけである。、、、、下流側に架かる日本橋の景観を守るため、一石橋の頭上を走る首都高の撤去工事が始まっていた。 数年後には首都高が無くなった一石橋が見られるかも、生きていたら(?)

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・・・・・・・・・・ 江戸期から明治期にかけて一石橋の付近はかなりの繁華街であり、迷い子が多く出た。 当時は迷い子は地元が責任を持って保護するという決まりがあり、地元西河岸町の人々によって安政4年(1857)に「満よひ子の志るべ(迷い子のしるべ)」が一石橋南詰に建てられた。 しるべの右側には「志(知)らする方」、左側には「たづぬる方」と彫られて、上部に窪みがある。使用法は左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、それを見た通行人の中で心当たりがある場合は、その旨を書いた紙を窪みに貼って迷子、尋ね人を知らせたという。 この石標と同じようなものが、浅草寺境内や湯島天神境内(奇縁氷人石)に残されている。

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● 一石橋から東京駅八重洲口は近い。 白い大きなテントを張った「グランルーフが見えた。

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・・・・・・・・・・ 駅前から、日本橋、浅草橋経由、南千住車庫前行きのバスで帰ることにした。 『オヤ? 誰も乗ってない、貸し切りか!』 出発間際に年寄りが一人乗って来た、私と同じ『敬老パス』の利用者だ。

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2024年1月24日 (水)

浅草の三十三間堂

日本列島に寒波到来、北陸は大雪、今朝の東京は北風が強く寒い! 遠出は避けて近場の散歩と決めた。 浅草橋の我が家から浅草まで歩いて来た。 9千歩




● 朝7時半過ぎ、運転手不足で1時間当たり4本から3本に減便中のコミニティバスの浅草橋駅北バス停(我が家の最寄りのバス停)前を出発。 外は寒い!

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● 近くの鳥越神社に朝の御挨拶。 持ってる小銭の全て17円を賽銭箱に入れ、二礼二拍手一礼して『本日もよろしく!』、、、、風が強い、散歩止めようかと思ったが、行けるとこまで行こう!

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● 鳥越神社の先から、浅草方面に伸びる「新堀通り」に入ると。 昭和40年前後(1960~1970)に「JUN」と共に一世を風靡した、ジャケットのブランド「VAN」のロゴが目に入る。 『懐かしいロゴだ!』、当時私は高校生、VANのロゴが付いた服にあこがれた思い出がある。、、、、蔵前4丁目に「VAN SHOP」があった。 早朝で店は閉まっていたが、ガラス越しに見る、アイビールックが懐かしい!(懐かしいけど、70過ぎた今の私には似合わない)

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● 「かっぱ橋道具街通り」を歩く。 時刻は朝8時半、まだ多くの店は開いておらず、シャッターが下りたままの道具街。、、、、見るものもなく、つまらないので裏道を歩くことにする。、、、、相変わらず、北風は強く寒い! 日差しが欲しい!

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地下鉄銀座線稲荷町駅と田原町駅の中程(台東区松が谷1)に、曹洞宗萬年山祝言寺(しゅうげんじ)がある。 太田道灌が室町時代に建立したと言われている祝言寺は、祝言村(現在の日比谷あたり)に建てたが、徳川幕府は江戸城の拡張により祝言寺を含め複数の寺を移転させ、現在の地に移った。 寺は、振袖火事、震災、戦災などで被災し、記録・遺物など一切残っていないようだ。、、、、現在の祝言寺の本堂は、昭和60年(1985)に竣工した(設計は内井昭蔵、施工は大成建設) 渋い黒を基調に繊細なデザインと丁寧な仕上げによる、落ち着いた感じの建物。、、、、また、山門と永代供養塔は平成18年(2006)の竣工(設計はテツク建築設計事務所、施工は大成建設) 特殊な形状のボーダータイルは、燻したような光沢が印象的で、重厚で格調高い雰囲気を演出している。、、、、私の好きな寺院建築の一つ

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● 祝言寺の北、台東区松が谷2に矢先稲荷神社がある。、、、、寛永19年(1642)、時の三代将軍徳川家光は京都の三十三間堂にならって、国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立した。 三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われた。 矢先稲荷神社は、この三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とする。 浅草の三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転するが、稲荷大明神は当地に残った。 神社は三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、矢先稲荷神社と称した。、、、、矢先稲荷神社は、その後も関東大震災、東京大空襲などで幾多の困難に遭うが、いずれも難をくぐりぬけて現在に至る。 昭和20年(1945)3月9日の空襲では神輿庫を残し焼失する。 戦後早々に仮殿にて復興後、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリート造の現社殿が再建された。、、、、浅草に三十三間堂があったことを知る人は少ないと思うね。 聞いてビックリ、知ってドッキリ、忘れてサッパリ!

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● 北風ビュンビュン、寒さは変わらず、『もう今日の散歩は止めた、観音様に手を合わせて帰ろう!』

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2024年1月19日 (金)

船堀から新小岩

都営新宿線の船堀駅から、総武線の新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 都営新宿線の船堀駅は、東大島駅からの延伸に伴い終着駅として、昭和58年(1983)12月23日に開業した。 駅は相対式ホーム2面2線の高架駅。 令和4年の1日平均乗降人員は約54,000人 、、、、駅舎の壁面には大きな金魚が描かれているが、船堀駅周辺は金魚の養殖が盛んな地であった。 駅が開業した昭和50年代には、周辺に養殖業者が20軒ほどあった。 今は都内でも、養殖業者は2軒だけになったそうだ。 50年歳月は都会の環境を大きく変えていくね!

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● 船堀駅の正面に「タワーホール船堀(タワーホールふなぼり)」(別称:江戸川区総合区民ホール)がある。 高さ115m、展望台は103mのタワーがある区民ホールである。 タワー下のビルの中には、大ホールをはじめ、17室の会議室や映画館、結婚式場などもある。、、、、展望台は9時から上れるが、時刻は今8時半、またの機会に上ることにした。、、、、ホールの内部は吹き抜けのある洒落た造りとなっている。

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● 船堀駅前の大通り「船堀街道」を北へ歩くと、新小岩駅に行くことができる。 

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・・・・・・・・・・ 道なりにストレートに歩くと、約4.2㎞で新小岩駅に着くのだが、私は船堀街道の西側の裏通りを歩いて新小岩駅に向かうことにした。




● 東小松川4丁目に「渡し場 水神宮」がある。、、、、当地区は昔は低湿地帯であったので、洪水に悩まされていたため洪水除けの神として、さらに川を交通の場として利用していたので水難除けの神として祀られていた。 旧東小松川村には、上之庭、新道、中之庭、入之庭、大江川、渡し場、品清の集落があり、それぞれに水神様が祀られていたそうだ。 (竜神様(水神宮)の脇に観音堂が建てられ観音様が祀られているが、その由緒は不明)

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● 東小松川、迷路のように曲がりくねった住宅地の裏道を歩く。、、、、おや、色褪せた文字で「たばこ」の看板が見える。 廃業したタバコ屋さんだが、なんとなく“昭和の匂い”だ! 向かいの家の角には、錆びてきた「ファミリープラン」の自販機が置かれ、“昭和”にワンポイント添えている。 

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● 東小松川2丁目に、真言宗豊山派寺院の無量山 光明院 永福寺がある。 本尊は行基作と伝えられる木造阿弥陀如来坐像。 開基年月は不詳だが、開山の宥賢上人は永禄11年(1568)正月15日に入寂した。 はじめは長福寺と称したが、九代将軍家重の幼名長福丸をはばかって永福寺と改称した。、、、、綺麗に手入れされた参道をとおり、木立の奥に本堂がある。 癒される寺だ!

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● 永福寺の西側から「小松川境川親水公園」を歩く。 江戸川区内の親水公園は、どこも地元の方が清掃・整備し、いつ歩いても、ペットボトル、空缶、ポリ袋などゴミのない公園として維持されてる。 今日も、数名の方が川筋の笹を刈って、整備されていた。(いつも綺麗にしていただき、ありがとうございます!) 首都高下のトンネルもご覧のとおり、ゴミが1つも落ちておらず、気持ちよく歩けるように清掃されていた。

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● 親水公園をとおり抜け、松島2丁目の「五分一通り」の一画に「五分一橋跡」がある。 “五分一(ごぶいち)”とは(?)、チョイト気になるネーミングなので、地名の由来について調べてみたが、結論は不明。、、、、江戸時代から五分一橋は既に架けられていたらしい。 この地は、江戸と下総佐倉を結ぶ元佐倉道の要衝にあり、古くから賑わっていたそうだ。 昭和5年(1930)に、五分一橋は鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。 昭和57年(1982)には、下に流れていた川が埋め立てられ、五分一橋の使命も終えた。、、、、今は五分一橋の親柱が残るのみ。

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● 江戸川区松島の町の北に、江戸川区と葛飾区にまたがる「ルミエール」商店街のアーケードがある。、、、、ルミエール商店街はJR新小岩駅の南口正面に出る、全長約420m、約140店舗の専門店が軒を連ねる東京・下町の超元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置されたアーケードは葛飾区内で初めてのもの。、、、、時刻は10時過ぎ、すでに店を開けた商店もある。 この時間帯は中高年の客が中心のなのか、年寄りが目立つね!

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● 総武線の新小岩駅に着いた、ここから我が家(浅草橋)までは15分。 今日は、チョイト疲れたね!

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