散歩

2019年12月 8日 (日)

足立の薬師寺

今日は、無数の古墳が点在し悠久の歴史を物語る、かつての武蔵国足立郡竹塚村の古刹「薬師寺」に紅葉狩りに行ってきた。 東武伊勢崎線竹ノ塚駅から、日暮里・舎人ライナー舎人公園駅まで、1万歩の散歩です。




●まだ工事は続く! ・・・・・・竹ノ塚駅は、明治33年(1900)3月21日に、当時の伊興村に開業した。 駅名は伊興村より音の響きが良い東隣:竹塚村の名を拝借。、、、、竹ノ塚駅周辺では連続立体交差事業がすすめられ、竹ノ塚駅も改良工事が行われ高架駅となる予定。 完成までにはまだまだ!

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●立派な松のある寺 ・・・・・・・薬師寺へ行く前にチョイトお立ち寄り、駅から西へ都営伊興三丁目アパートを抜けると、万治2年(1659)創建の日蓮宗寺院:寿福山長勝寺がある。、、、、本堂は瓦葺き総檜造り、境内は樹木が生い茂り、樹齢400年以上の巨松がある。 境内はさほど広くはないが綺麗な寺だ!、、、、境内には下総の国を領した豪族:千葉勝胤の墓もある。

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●本堂が見えない! ・・・・・・・もう一軒、近くの寺にお立ち寄り、伊興5丁目の日蓮宗寺院の真国寺。 真国寺は蓮栄山と号し、創建は建武2年(1335)といわれている。、、、、こちらも境内は広くないが、山門から真っ直ぐ正面にある本堂、その全景が見えないほど、松、楓など樹木に覆われている。 ちなみに、墓地にも回ってみたが、本堂の全景は拝めず、アレレ・コリャダメだ!

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・・・・・・・・・・・・・・2年前の春の真国寺

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●今が見頃、ブラボー! ・・・・・今日の散歩のハイライト、足立区伊興5の小さな寺院、曹洞宗の医王山薬師寺。 薬師寺は、肅州巌和尚が開山となり万治2年(1659)の創建。 元浅草橋場総泉寺(板橋区に移転)の末寺。開山は万治2年(1659)。 本尊の薬師如来は、眼病に効験があるそうだ。 、、、、ここは、地元の人には有名な “もみじ寺” 。 今日も、数名の夫婦が紅葉見物、二人のカップルは紅葉の前で撮影会、数名の独り者は寂しく三脚かついで紅葉撮影。 てなことで、境内はチョイトした賑わい。 住職もお出ましし、いろいろとお話をしてくれました。、、、、境内には95種の紅葉があるそうで、色も赤あり、黄あり、ミックスありとまさに彩とりどり。 住職は20年・30年かけ小さな苗木から育てているそうだ。、、、、門前に“もみじ饅頭”の売店でもあれば文句ないのだが、チョイト残念!

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●中学校に長屋門! ・・・・・・・・薬師寺の西に、足立区立伊興中学校の一画に、生徒が彰風園と名付けた屋敷林がある。、、、、中学校の校地の地主であった横山氏の屋敷林で、明治30年(1897)建造の長屋門がそのまま残されていた。 学校の中の屋敷林、ベンチで語らう二人、青春の思い出が創れそうだね!

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●舎人公園から帰る! ・・・・・・・・・薬師寺の帰りは、舎人公園駅から日暮里・舎人ライナーに乗ることにした。、、、、舎人公園(とねりこうえん)は、足立区の北西に広がる都立の総合公園。 舎人公園は昭和15年(1940)に防空緑地として、内務省の設置した都市計画にて決定した。 戦時においては都市空襲による戦災被害を軽減し、平時においては地域住民の保健・衛生に利用して体位の向上を図るために、都心から20km圏内に総面積20万-50万坪の防災緑地として東京府知事の責任の下、複数の防災緑地が設置され、その一つであった。、、、、戦後は、昭和56年の開園から順次開放された、514,000㎡の緑地公園。 最終的に695,000㎡になるが、葛飾区にある水元公園の3分の2程度の広さである。、、、、テニス、野球などのコート、グランドはもちろんあるが、広い森、大きな池などもあり、釣り、バードウォッチングなどを楽しむ人もいる。 

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・・・・・・・・・・・・・・公園の前に舎人公園駅がある、便利だね。、、、、今日の散歩は、足立区の紅葉巡りとなった!

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2019年12月 6日 (金)

狐狸に化かされ篠崎公園へ

都営地下鉄新宿線の瑞江駅から、柴又街道(都道307号)に沿って歩きはじめたが、数ヵ月前に散歩した時と同じ処に出てきた。 同じ処を再度歩いても面白くないので、途中から篠崎公園に回り、南小岩2丁目よりバスで帰宅。 1万2千歩




●とうとう呆けたか? ・・・・・・瑞江駅から谷河内日枝神社までは、今年の4月に歩いていた。(その時の記事はコチラ!)

・・・・・・・・・・・・・・数ヵ月前に下車したことも忘れ、新宿線瑞江駅で降りてみた。 駅で地図を見て、東西南北どっちに向かう? 近くに柴又街道が通っているので、街道沿いの裏通りを歩いてJR総武線の小岩駅を目指すことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・瑞江駅周辺はアパート、マンションが並ぶ新興住宅街。 歩きながら『この辺は、新しい建物ばかりで面白くないな!』と、一人愚痴る。

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・・・・・・・・・・・・・・瑞江1丁目で、首都高速7号小松川線の下を抜け、京葉道路を横断すると、東京都住宅供給公社の春江町住宅が見える。 ここで気がつく、『アッ、数ヵ月前に来た団地だ! とうとう、自分も呆けが始まったな、同じ処に来るなんて!』 『脇道に入り、知らない処を歩くぞ!』と、裏道に入り込んでいく。

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・・・・・・・・・・・・・・『数か月前と同じ処を歩く自分に、チョイトがっかり!』しながら、裏道を曲がりくねり谷河内日枝神社に出てきた。 『どこか見たことある神社だ?』と、手持ちの地図を取り出し確認すると、間違いなくこの神社も来たことがある。、、、、なんだか、狐狸に化かされているようだ!

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●一人撮影会! ・・・・・・・今日は、どうもおかしい? また裏道を歩くと、どこか知っている処に出るような気がする。、、、、今日は、新しい発見を求めて歩くのは諦めた。 近くの篠崎公園に行って気分転換することにした。、、、、篠崎公園の起源は昭和15年(1940)に紀元2600年の事業の一つとして計画された防空大緑地である。 戦時中は高射砲陣地などか置かれた。 当初は面積約154haの大緑地帯であったが、当時は公園ではなく、多くは農地などに転用し利用されていた。 戦後、公園化の計画があがったが、付近の都市化・宅地化の流れが進んでいたこともあって計画面積は86.8haに見直され、都立公園として昭和42年(1967)に開園した。 現在では運動場や多目的広場なども完成しているが、公園自体は複数個所に点在している。、、、、人影の少ない公園で、狐狸に化かされることもなく、のんびり秋の一人撮影会。

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●駅までは遠い! ・・・・・・公園を後にして、柴又街道を歩き南小岩二丁目からバスに乗り帰る。

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2019年12月 5日 (木)

生麦・生米・生卵

秋葉原で京浜東北線鶴見行きの電車に乗ったので、今日は終点:鶴見で降りることにした。 鶴見駅からは、旧東海道を歩いて京急新子安駅まで、1万1千歩の散歩です。



●歴史ある駅! ・・・・・・明治5年、日本初の鉄道として新橋~横浜間が開業した。 この時(1872年10月14日)同時に開業したのが鶴見駅である。 駅の古刹であるが、現在、鶴見駅に停車するのは京浜東北線と鶴見線の電車のみである。、、、、駅構内の跨線橋から眺めると線路は多い。 西側に鶴見線の高架ホームがあり、隣りから地上に移り東に向かい順に、横須賀線(湘南新宿ライン)の線路、そして京浜東北線の島式ホーム、東海道線(上野東京ライン)、東海道貨物線(高島線・南武線)などの線路がある。、、、、出口は総持寺に近い西口と、京急鶴見駅のある東口の2か所。 一日当たりの乗車人員はJR東日本内で57位で81,000人程、ちなみに私の住む浅草橋駅は55,000人程で90位、負けた!

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●旧東海道を歩く! ・・・・・・・京急鶴見駅前から京急新子安まで。旧東海道を歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・JR鶴見駅前のロータリーを挟み東側に京急鶴見駅がある。 京急鶴見駅東口の前の通りが旧東海道で、駅前商店街「ベルロード」と名付けられている。 ベルロードは、加盟店舗数約80店舗で構成されている、チョイトおしゃれな商店街。、、、、この商店街の正式名称は「鶴見銀座商店街」というそうだ。 時代も変わり、“銀座”から今風の“ベルロード”としたのかも?、、、、ついでに、この商店街の東側に並行して第一京浜国道が通っている。 商店街と国道の間は、かって「鶴見三業地」があったそうだ。 現在は、飲み屋、パチンコ屋などが並ぶ普通の繁華街である。 いずれ再訪する機会があれば、この繁華街を歩いてみたいものだ!(今日は早朝で、店もまだ寝ているいるのでパス!)

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の先は、普通の裏道のような雰囲気で第一京浜国道を斜めに横切り、鶴見線の国道駅へ向かう。、、、、歩きながら、チョイト心配になる。 駅からここまで、どこにも『旧東海道』の文字が見えない! 品川宿の旧東海道を歩くと、五月蠅ほど『旧東海道』の文字が目に入り、街道を歩いている実感が沸いてくるのだが、ここ鶴見では全くなし、『もしかして、旧東海道とは別の道を歩いているのか、心配だ!』

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・・・・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)に鶴見臨港鉄道の駅として開業した、鶴見線国道駅の裏側(?)を通る。 旧東海道側には駅名の表示はない、第一京浜国道側には駅名が表示されている。 チョイト、高架ホーム下のかつてのアーケードの店舗跡を覗いて行く。 昭和の人間には、嬉し泣きしたくなるほど“昭和”の香りが漂う駅。、、、、現状のまま、世界遺産にしてほしいね!

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・・・・・・・・・・・・・・国道駅を過ぎると、鶴見川に沿って「生麦魚河岸通り」(鶴見区生麦5)となる。(ここでも、『旧東海道』の文字は見えない)、、、、通りには鮮魚を扱う店が、300m程の間に40店舗程軒を連ねている。 そのほとんどが生鮮魚貝類または関連の商品を店頭に並べていた。 客は、寿司屋の大将、料理屋の板前らしきプロの料理人が多いみたいだ、軽自動車を店の前につけ品物を買っていく。、、、、海鮮丼が食べられる店もあるが営業は昼から、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・漁師町(生麦4・5丁目)の寺社を紹介(写真順に)、、、、浄土宗寺院の慶岸寺は天正9年(1582)頃創建、、、、真言宗智山派寺院の正泉寺は寛永元年(1624)の創建、、、、水神宮は正泉寺の院内社であったが昭和2年(1927)に分離された、、、、道念稲荷神社は江戸時代末期の創建

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・・・・・・・・・・・・・・旧東海道沿いの住宅の塀に取り付けられた一枚の案内板、ここが生麦事件の現場(鶴見区生麦4-25)である。、、、、生麦事件は、文久2年(1862)9月14日、薩摩藩の島津久光の一行が江戸からの帰路、東海道の生麦村で騎馬の英国人4人と遭遇。 英国人が馬を下りずに行列を乱したのを無礼とし、薩摩藩士が1人を惨殺し、2人に負傷させた。 薩摩藩は賠償請求と藩士の引き渡しを拒んだため、その後薩英戦争に発展した。 戦争に敗北した薩摩藩は近代化の必要性を痛感し、攘夷論から開国論に転じ、これを機に開国、明治維新へと時代の流れができたと言われている。、、、、この重要な事件現場として、立て看板一枚の史跡では、チト寂しいものである。 殺人事件現場なので、住民に配慮したのかも?

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・・・・・・・・・・・・・・事件現場から旧東海道を800m程横浜方に行った、第一京浜と交差する首都高の高架下に生麦事件の碑がある。 斬られた英国人が深傷を負ったまま逃げてきたが、トドメを刺され絶命した地点だとか。

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●バンバン通過する駅! ・・・・・・旧東海道は第一京浜と重なり、新子安駅方面に向かう。 私の散歩もここまで、京急新子安駅から帰ることにする。、、、、京急新子安駅は明治43年(1910)3月27日に、新子安駅として開業するが、昭和18年(1943)に国有鉄道に新子安駅が開業したため、“京浜”を冠して京浜新子安駅に改称、さらに昭和62年(1987)には京急新子安駅に改称した。 駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、ホーム上に橋上駅舎がある。 当駅の乗降客は京急全72駅中61位と少なく、1日平均乗降人員は8,596人。 当然のことで、特急他優等列車は全て通過する、止まるのは普通だけ!

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●最後の最後! ・・・・・・今日の散歩では、とうとう『旧東海道』の文字を見ることはなかった。 この辺りでは、『旧東海道』は客寄せの単語にならないのか、それとも旧街道らしい歴史遺産が少ないことが要因かも?

2019年12月 4日 (水)

北国分トンネル

北総線秋山駅から北西に歩き常磐線松戸駅まで、1万2千歩の散歩です。




●チョイト寂しい秋山駅! ・・・・・・朝の秋山駅は、都心から来る電車からは降りる人は数えるほど、都心へ向かう電車に乗る人もさほど多くはない。 一日当たりの乗降客数は7,300人程で、北総線内の駅で下位から6番目だ。 一ヵ所しかない出入口も利用する人はまばらで寂しい駅。

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●たかが門柱されど門柱! ・・・・・・駅の北側、住宅地の裏道を松戸駅方向に歩く。 小高い所に松戸市立東部小学校(松戸市高塚新田)があった。 門は閉まっていたが、石の門柱に学校の古さを感じパチリ!、写真を撮ってきた。 調べてみると、明治6年(1873)の創立で、約150年続く歴史ある小学校である。 現在地には大正13年(1924)に移転したそうだ。 石の門柱も、この時期の物であれば、約100年の歴史が沁みこんでいる。、、、、もう一つおまけの話題で、小学校の近くに在る松戸市立第五中学校と統合し、小中一貫校「東部学園」を創る構想が松戸市教育委員会にあるそうだ。 実現すると、生徒数:東部小学校700名+第五中学校1,300名=合計2,000名の超マンモス校が誕生するらしい。 2000名にもなると、運動会・学芸会で生徒の出番が少なくなり、個人演技はなしで、全て集団演技になるのか、どうするの?

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●遺跡を踏んで台地を歩く! ・・・・・・・のどかに青空の下、北総台地(松戸市紙敷)を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ? こんな処に遺跡が?、、、、ネギ畑の脇に「新田前遺跡」の表示がある。 松戸市は縄文遺跡の宝庫で、市内には140か所の縄文遺跡があるそうだ。 ネギの下に国宝級の土偶が埋まっているかも? ネギを引き抜くときは“お宝”探しで、注意深く行動すると良いかも?

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●仲間を失ったトンネル! ・・・・・・・松戸市和名ヶ谷に入ると、北東の八柱駅方向から国分川が北総台地を流れ下り、この地で流れは曲がり南の市川方面に向かう。 総武線本八幡駅の南で、国分川は真間川に合流し東京湾に注いでいる。 ここ和名ヶ谷に国分川上流の洪水を江戸川に放流するバイパス「国分川分水路」の地下トンネル坑口がある。
・・・・・・・・・・・・・・八柱方面から国分川が流れ下る。 ここ和名ヶ谷で国分川(写真奥から中央手前に流れる)の越流提(写真中央の仕切り状の壁)を越えた水は国分川分水路(写真左へ流れる)に流れる。

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・・・・・・・・・・・・・・分流した分水路は和名ヶ谷水門を抜けその奥にあるトンネルに流れ下る。、、、、水門は清水建設の施工で平成6年(1994)完成。

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・・・・・・・・・・・・・・水門に続いて国分川分水路トンネルがある。 トンネルは長さ2555mで、松戸市二十世紀が丘のとちの木通りの下を抜けて、松戸市中矢切で坂川に合流する。 その後、坂川は江戸川に注ぐ。、、、、平成5年(1993)7月にトンネル工事が完了、平成6年(1994)3月22日に通水開始。 飛島建設施工。 

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・・・・・・・・・・・・・・トンネルの坑口の上部に国分川分水路竣工記念碑トンネル水没事故の犠牲者慰霊碑がある。 記念碑の後ろの高台には展望台がつくられており、ここからは国分川分水路と水門が直下に見える。 

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・・・・・・・・・・・・・・この分水路トンネルの工事では、平成3年(1991)9月19日、台風による豪雨の影響で作業中の作業員4名と係員3名の計7名を水死させてしまった。 台風であふれた水が坑口に設置した仮締切を決壊させ坑内に流れ込んだ。 坑口から約1600m離れた場所で作業をしていた7名を、濁流が襲ったのである。 この事故では、台風時の危険を予知し作業を中断すべく指示を出す発注者側の責任者の過失責任を問われた。、、、、事故の慰霊碑には7名の名が刻まれている。 この中に、私が勤務していた会社の仲間の名もある。 慰霊碑に小さな野花をひとつ添えて、手を合わせてきた。 治水対策として造った分水路も、その工事に尊い命がかかっていたのだ。



●スタコラ・サッサ! ・・・・・・・・・・・松戸市和名ヶ谷クリーンセンター野菊野団地聖徳大学と、歩き松戸駅に向かう。 
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●住宅の下に倉庫! ・・・・・・・・聖徳大学の西隣に、閉鎖された公務員住宅(相模台住宅)がある。 この住宅の一号棟近くの階段を少し下ると、斜面に口を開けるように旧陸軍工兵学校の倉庫跡がある。 倉庫は軽油保管庫だったらしい。 錆びた鉄扉が時間の経過を物語っている。、、、、上り階段が分岐する角には「陸軍用地」と書かれた境界杭が残っていた。

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●帰るぞ! ・・・・・・・・・松戸駅に到着。

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2019年12月 3日 (火)

疲れた大嘗宮

やっと晴れた! 10時半、夫婦で東京駅到着、駅構内のトイレは超満員、『なんじゃこりゃ?』と驚いた。 構内アナウンスで『大嘗宮(だいじょうきゅう)へ行かれる方は・・・・・(うんじゃら・かんじゃら)』と叫んでる。 我が夫婦の考えは『今日は久々の秋空、しかも平日、皇居大嘗宮と乾通りの見学には絶好の日』、ところがドッコイ、誰しも考えは同じだった。 “絶好の日”が“最悪の日”となったようだ。 東京駅から長蛇の列に引き込まれ、見学が終わり皇居から出るまで3時間強、人並みに揉まれ、足はパンパン、腰はイテテ、気持ちはイライラ、腹はペコペコ。、、、、見学終えて市ヶ谷まで歩き、遅めの昼食の中華料理は、大嘗宮のおかげで美味しく食べることができた。 




●中高年がゾロゾロ! ・・・・・・・東京駅前の「行幸通り」はイチョウが色づき、『Oh! Beautiful!  Wonderful! インフルにはタミフル!』、、、、行幸通りは東京駅中央口から皇居前の和田倉門までまっすぐに伸びる全長約200メートル、幅約74メートルの道路。 皇室の行事などに使われてきたため、この名で呼ばれている。 道路は関東大震災の復興事業として、大正13年(1924)に着工し大正15年(1927)に完成した。 工事費は約62万円(当時)、設計は復興局技師:川地陽一、河野通靖、施工は橋本組工業合資会社。、、、、歩道には、毎日が日曜日の中高年がゾロゾロ。 道路中央の分離帯には若い娘がキャッキャ。

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●気持ちはイライラ! ・・・・・・皇居前広場に幾重にも蛇行する長い行列。 私も仲間入りしたが、『コリャ、皇居の中に入るまで1、2時間かかるかも?』心配になってきた。 後から、おばさんが私の前に出てくる、コンチクショウ! 『女は度胸、男はやせ我慢!』、、、、予想に反し、行列は止まることなく進み、30分ぐらいで皇居の入口:坂下門から入場できた。、、、、坂下門の先には宮内庁庁舎があるため、皇居に出入りするのに一番使用されている門である。 江戸時代には枡形城門であったが、明治21年(1888)に第一門は撤去されて、現存する門は移設された第二門。 一見小さな門のように見えるが、左右に見附がある大きかった第一門が無くなったためである。 

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●一刻は仮宮殿! ・・・・・・坂下門を入ると正面に宮内庁庁舎がある。、、、、設計は宮内省内匠寮、施工は清水組・大林組、鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て。 この宮内庁庁舎は、昭和10年(1935)に建てられた建物。 昭和27年(1952)庁舎3階が改装され昭和43年(1968)の新宮殿落成までの間、仮宮殿として使用されていた。、、、、庁舎玄関には立派な車寄せを張り出し外壁は全面石張りで、格調高い仕上げである。

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●屋台なしの紅葉狩り! ・・・・・平成に続き、令和初! 皇居「乾通り」秋の一般公開に参加。 宮内庁庁舎前から乾門に至る乾濠及び蓮池濠沿いの約750mの通り「乾通り」が紅葉に染まっている。、、、、町中の公園とか城址だと、歩く道沿いに、“焼きそば”、“イカ焼き”、“ビール”など屋台が出てるのだが、ここはただただ歩くだけ。 ソースの臭いがなく、気持ちよく歩けていいね!

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●大赤字(?)の大嘗宮 ・・・・・ゾロゾロ人の後について大嘗宮(だいじょうきゅう)に向かう。 江戸城本丸跡付近で、ポリスのアナウンス『ここから大嘗宮の正面までは、あと1時間ぐらいかかります。 すこしでも急いで前に歩いてください!』 たしかに、大嘗宮は見えているのだが、本丸跡をぐるりと人の列が囲み、『近くて 遠い 大嘗宮』、、、、大嘗宮は、今回の即位に伴う儀式のためだけに造営された、この一般公開後は取り壊される。 宮内庁は平成の時と比べて敷地面積を縮小したり、屋根は簡素な板ぶきを採用し、経費削減を図ったそうだ。 大嘗宮は約6,500㎡で、私には用途がよく判らないが、悠紀殿(ゆきでん)や主基殿(すきでん)など大小30近くの建物で構成されてる。、、、、建物の撤去費用などを含めた建設関係費は約24億4千万円程かかるそうだ。 清水建設が施工した大嘗宮の造営は、9億5700万円で落札したらしい。 予定価格の6割の値段だって、大赤字! 太っ腹!、、、、解体した大嘗宮は、その大部分の木材を再利用する方向で調整が進められているそうだ。 出来れば、我が家をリホームして欲しいね。

・・・・・・・・・・・・・・1時間待ちの行列。 芝生の先に全景がみえる大嘗宮。、、、、行列に並ぶことに意義がありそうだ。 私も大人になったね!

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・・・・・・・・・・・・・・やっと大嘗宮の正面に到着。 しかし、ポリスの声『立ち止まらないでください』、『先へ進んでください』、、、、30程の建物、何処に、どの建物が、サッパリ判らず。 ただただ人の流れに乗って、ドンブラコ!

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・・・・・・・・・・・・・・グッタリ疲れ、皇居を後にする。
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2019年11月29日 (金)

芸妓のいない池袋三業地

かつて池袋にも三業地があった。 その名も「池袋三業通り」と名付けられた通りが、今もある。 5年ほど前に歩いた処を、今日歩いてみた。 池袋駅で下車し、東武東上線の大山駅まで、1万2千歩の散歩です。




●区民全員が一日一回乗降 ・・・・・・JR池袋駅は、島式ホーム4面8線を有する地上駅。 山手線・埼京線・湘南新宿ラインの3路線が乗り入れており、東側の2面4線を埼京線・湘南新宿ラインに、西側の2面4線を山手線にそれぞれ割り当てている。、、、、一日当たりのJR乗降客数は566,000人程。 これは、池袋駅が所在する豊島区の人口(約281000人)のほぼ倍。 つまりは豊島区在住の、誕生したばかりの赤子から、ヨタヨタ歩き・寝たきりの御老人までが、一日一回池袋駅からJRに乗り、JRで帰ってくる勘定である。、、、、他社線への乗り換えも多く、改札口は5か所あり、北口・中央北口・中央南口・南口は池袋駅を東西に結ぶ3本の地下道に直結している。 ホーム南端(目白寄り)のメトロポリタン口は跨線橋に併設され、西口(東武東上線側)方面のみに出ることができる。 年を取り田舎者になった私には、迷路に近い通路から地上に出るのに一苦労!

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・・・・・・・・・・・・駅前の地上に出ても通行人は少ない、皆さん改札に直結している地下通路を利用し勤務先に行くようだ。

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・・・・・・・・・・・・飲食店街、ラブホテル街、仕事帰りにはいろいろ悩ましい誘惑を受ける街を抜けていく。、、、、『触れるように なでるように 極上の癒しを貴方に ひざまくら みみかき』なんて読むと、朝からゾクゾク、コリャ仕事帰りにぜひ寄ろう! 負けそうだ!

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●消えた三業地! ・・・・・・・池袋2丁目(劇場通り)から池袋3丁目(山手通りの手前)までを結ぶ裏通りに、「池袋三業通り」と名が付いている。(豊島区設定の名称) この池袋三業通りの西側、池袋御嶽神社周辺の一画にかつて「池袋三業地」があった。、、、、“三業”とは料亭、芸子屋、待合茶屋の総称である。 つまり、赤坂、柳橋、浅草、向島などと同じ花柳界である。 池袋三業地は、昭和3年(1928)に待合の許可が下り正式な三業地となり、昭和10年(1935)前後の最盛期には、料亭・待合が40数軒、置屋10数軒が狭い路地に並んでいたそうだ。 その後、戦渦に巻き込まれ街は衰退したが、戦後再び復活し、昭和30年代には料亭39軒、芸妓数200名を数えたそうだ。 しかし、ピークは過ぎ再び衰退の一途をたどり、現在はその面影もほとんどなく、数軒のスナックやバーが散在するだけとなった。、、、、5年前までは面影を残していた建物も取り壊され消えた!

・・・・・・・・・・・・「池袋三業通り」は、ゴク普通にどこにでもある裏通りとなった。、、、、最盛期には、多くの芸者が通っていた道。 旦那を乗せた人力車も通っていたかも?

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・・・・・・・・・・・・数軒の建物に、それとなく面影が残っているようだ。

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・・・・・・・・・・・・閑静な住宅街という雰囲気に変わった三業地の一角に、狭い境内、赤い鳥居の「三社神社」がある。 “三業”を生業とする人たちが信仰対象としていたらしい。 三業地で働らく芸妓や遊女はここで手を合わせたであろう。、、、、三社神社の近くの電柱に“三業”の文字を発見!、、、、町内会の名は「池袋三業町会

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・・・・・・・・・・・・三業地の鎮守さまか(?)、池袋3丁目の「御嶽神社」。 池袋駅西口一帯の氏神様だが、創建年代は不詳。 祭神は倭建命、神武天皇、武甕槌命。 倭健命の草薙の剣の話(駿河の野火の難を逃れた)により古くより災難除・厄除・防火の神徳有り。 鎮座した年代は不詳だが、天正年間頃に鎮座し、貞享4年(1687)に社殿が創建されたといわれる。 昭和13年(1938)には村社に昇格し、社名を三嶽神社から御嶽神社に改める。 嘉永6年(1854)に社殿が造営され、昭和34年(1959)に改築。、、、、境内社の「子育稲荷神社」では御祭神:保食神(うけもちのかみ)に願いを書いて吊るしてた。

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●スタコラ通過! ・・・・・・・池袋三業通り(豊島区)を抜け、山手通りを横断すると、板橋区中丸町と南町の境に「中丸通り」が北に向かい伸びている。 中丸通りの北端は、板橋区大山西町で川越街道にぶつかる交差点である。、、、、面白いもの、珍しいもの、喜ばせるもの、商店街、コンビニ、何もない極々普通の通りである「中丸通り」である。 端から端まで中丸通りの素顔を公開する。

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・・・・・・・・・・・・中丸通りからチョイト脇に入ると、板橋区南町に新義真言宗豊山派の寺:医王山西光院薬圓寺がある。 本尊は阿弥陀如来。 創建は慶長年間(江戸時代初期)とされているが、無住時代があったことや火災にあったために、開山が覚慧大和尚であること以外は全く不明。、、、、本堂横に薬師堂があり、これは正徳元年(1711)の建立。、、、、参道には大きな仁王像が立ち、その後ろには天然記念物である樹齢400年の椎の木と、区の保存樹木に指定されてる公孫樹3本が聳え立っている。 山門を入ると、右手に鐘楼、左手が墓地と薬師堂。 正面の本堂は古く落ち着きのある寺だ。

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●元気な商店街! ・・・・・・大山駅昭和6年(1931)8月25日に開業した。(私が住む浅草橋駅より1年前に開業している。 負けた!) 相対式2面2線の大きくカーブするホームの地上駅。、、、、駅前のハッピーロード大山商店街は活気あるね、午前11時、お年寄りがカートを押しながら、つるんで元気に買い物に来ている。 午後は若い人が来るのだろう!

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2019年11月25日 (月)

もやもやの宇喜田

三日間降り続いた雨も今朝6時頃にやっと止んだ。 7時半過ぎに散歩に出る。 道路は雨で濡れあちらこちらに水溜まり。、、、、都営新宿線に乗車、東大島駅手前で電車が地下から地上に顔を出すと、雨上がりの霧と荒川からの水蒸気がブレンドされ視界不良。 コリャ、何かが起きることを期待して次の船堀駅で下車した。 船堀駅から南へ、宇喜田の町を歩いてみた。 散歩中に視界は良くなり、期待に反し何も起きず。 多少の靄(もや)の中、西葛西駅近くの「宇喜田」バス停まで。 1万歩の散歩です。




●金魚の船堀 ・・・・・・・船堀駅は、昭和58年(1983)12月23日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。

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・・・・・・・・・・・・船堀は、かつて金魚の養殖が盛んだった街で、駅舎の壁面には金魚の絵が描かれている。 私は、「江戸川区の名物は、船堀の金魚、鹿骨のシクラメン、篠崎の風鈴」と記憶しているが、今では養殖業者は数軒となったそうだ。
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・・・・・・・・・・・・駅前のタワーホール船堀」は、平成11年(1999)にオープンした江戸川区のシンボル施設です。 高さ103mの展望室は靄の中。

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●秋の新川 ・・・・・・・駅前の篠崎街道を南に歩く。、、、、枯れ葉が舞い落ち、秋を感じる。、、、、♪♪秋が来た 飽きが来た どこに来た 鼻に来た 口にきた 眼にも来た♪♪ 枯れ落ちないよう、すぐに整形しましょう!
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・・・・・・・・・・・・・童謡を口ずさみながら、中川と旧江戸川を結ぶ運河:新川に架かる宇喜田橋(昭和32年完成)を渡る。、、、、続いて、隣りに架かる擬宝珠橋(平成20年完成)の際を歩く。

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●ボウボウの3社 ・・・・・・・北葛西1丁目の「第一三共 葛西研究開発センター」の南側、北葛西1丁目から2丁目にかけ半円状に通る「棒茅場通り」がある。 この通り名「棒茅場」は、難読地名と有名である。 さて何と読むのでしょうか?、、、、答えは、かつての宇喜田村の小名:「ぼうしば」。 由来は不明であるが、「棒」の音読みは“ぼう”、「茅」の音読みも“ぼう”で、“ ぼうぼうば ”なのだが、茅を“し”と読み“ぼうしば”と読む。、、、、北葛西八雲神社前のバス停名にその名が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・棒茅場通りの小さな三社を紹介する。、、、、まずは、家と家の間に鎮座する七軒町水神宮(北葛西1-20)。 謂れは知らないが、私の推測では、昔、この付近の農業用水の守り神だったのかも?

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・・・・・・・・・・・・次は、第一三共の研究所に隣接する豊栄稲荷神社(北葛西1-16)。 豊栄稲荷神社は、元禄3年(1690)に創建された、歴史ある小さい神社。 豊受姫命を主神とし誉田別神を合祀する。

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・・・・・・・・・・・・最後は、“赤いポストと緑のバス停”に鳥居が挟まれた北葛西八雲神社(北葛西1-6)。 ここが棒茅場バス停

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●眺望良し! ・・・・・・・半円状の棒茅場通り、その半円の中心(北葛西2-19)に都住宅供給公社の宇喜田第二住宅がある。 ここは、昭和46年(1971)に建てられた、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上12階、5棟(710戸)の団地である。 

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・・・・・・・・・・・・・・12階から見下ろすと、写真中央奥に「第一三共 研究開発センター」の高層ビルが数棟、右端奥には「タワーホール船堀」の展望塔、左端奥には中川とその堤防上を走る首都高がある。

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●隣接する公園 ・・・・・・宇喜田第二住宅から船堀街道に出ると都立宇喜田公園(北葛西3)がある。 野球場、草花広場など、身近なスポーツ、レクリエーションが楽しめる、広々とした公園である。

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・・・・・・・・・・・・・・都立宇喜田公園の隣りに区立行船公園(ぎょうせんこうえん)がある。 両公園は一体化されてるようで、都立公園がスポーツ中心、区立公園が庭園・釣り堀が中心。、、、、行船公園は、昭和8年(1933)地元の府会議員田中源が、区民福祉の増進と生活文化向上のための公園用地として東京市に寄付したことにより開園。 行船の名は、田中家の屋号「行船」に由来する。 昭和25年(1950)には区に地上権・管理権が移管された。 昭和58年(1983)に無料で動物に触れられる「江戸川区自然動物園」が、平成元年(1989)には築山池泉回遊式庭園として「江戸川平成庭園」が、それぞれオープンした。、、、、今日の散歩の〆として、ユックリ庭園を散策。

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●秀家とは無縁! ・・・・・行船公園の南側:葛西橋通りに「宇喜田」バス停がある。 今日は、ここから帰ることにした。、、、、ところで、「宇喜田」の地名は、“宇”田川“喜”兵衛新“田”を略したもので、戦国武将:宇喜多秀家とは一切無縁。 宇喜田の地は慶長元年(1596)、宇田川定氏によって開発された。 元は小松川地先の海辺であり、旧中川や旧江戸川の三角州の南端にあった萱(かや)生地・荒地だった。、、、、今日の散歩は、視界不良で靄靄(もやもや)だった。

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2019年11月20日 (水)

一二三四、五反野、六町

北風ビュ~ン・ビュ~ン、いよいよ冬が近づき散歩にも出辛くなってきた。 今日は、近場の散歩にしようと家を出たが、行く先のあてもなく、結局東武伊勢崎線五反野駅で下車。 駅前の通りを北に向かい歩き、途中でチョイト東に寄れて、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩の散歩。




●五反田は知ってる、五反野ってどこ? ・・・・・・東武伊勢崎線で北千住の次は小菅、小菅の次が五反野駅。 急行は通過する駅、準急も通過、区間準急も乗客を無視して通過、普通電車が親しみをこめのんびりと停車する駅。、、、、
大正13年(1924)10月1日に開業。 現在は島式ホーム1面2線を有する高架駅で、ホームの外側に優等列車が通過する急行線がある。、、、、チョイト知名度では五反田に負ける駅!

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・・・・・・・・・・・・・改札口は高架下の一ヵ所のみ。 

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・・・・・・・・・・・・・駅前に立ち、『さて、東西南北、右左、どっちへ歩こうか?』考えても決まらないのに考えて、ヤッパリ決まらない。 悩んだ時は『美女に従え!』と神のお告げ。 朝の通勤時間、電車に乗る人は多いが、改札から出てくる人は少なく、まして美女がいない! 条件を緩め、『女性なら誰でもいいや!』 パートのおばさん風の人が改札から出て右へ行った。 『ヨシ、自分の運命をあのおばさんに託し、自分も右へ歩こう!』 駅から右、北の方角に歩くことにした。

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●銀ブラの後はコンチクショウ! ・・・・・・駅前の商店街「五反野駅前通り銀座会」を歩いてみる。、、、、商店街は駅前から北に伸び「四家交差点」までの約600mで、50店舗程が加盟しているそうだ。 昭和45年(1970)に発足した、下町の“銀座”?、、、、早朝なので、店のシャッターは下りているが、活気のありそうな商店街だ! 北の端には銭湯もあり、熱気も感じられる。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の端は「四家交差点(よつやこうさてん)」、、、、「四家」の地名は、江戸時代この地域に住んでいた、鶴飼、市川、高橋(兄弟)さんの四家族から名付けられたそうだ。、、、、この交差点、名は“四”でも、“六”差路となっている。 駅から歩いて来た自分だが、まっすぐ先(草加方面)に行こうと思って、イザ交差点に立ったら『あれ、どの道を行くのだ?』 判らなくなった。 しっかり確かめず、自分の鋭い勘に過信し先へ進んだ。、、、、写真中央右側の道を歩いた。 草加方面には写真中央左側の道を歩かなければならなかった。 間違いに気付いたのは、「後の祭りだ! 山鉾も帰り コンチキチンのコンチクショウ」 我が進路は、北から北東に変わった。 

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●一、二、三、四? ・・・・・・四家交差点から北東へ向かう道は足立区西加平で、都道102号(足立区と越谷を結ぶ道路)にぶつかり、その先でつくばエキスプレス六町駅に出る。、、、、道路沿いの迷所を巡る

・・・・・・・・・まずは、四ツ家稲荷神社(足立区青井2)、、、、祭神は、宇迦之御魂命とチョイト異色な徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 明治にり、1村1社政策が進められたため、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀され、その際、四家の一つ鶴飼家の屋敷神だった徳川家康「権現さま」も合祀した。、、、、創建年代は不明だが、安土桃山時代の文禄年間(1592~1596)頃の創建と考えられているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・続いては、愛宕神社青井1)、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の祭日は、「彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのか?

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・・・・・・・・・・・・・・愛宕神社の近く(青井1)には「二ツ家町」バス停がある。、、、、チョイト興味が湧いたので調べてみると、愛宕神社の北300m程に環七通りが東西に走り、その北側の地名は「一ツ家」であった。 「二ツ家」はバス停として残り、「四家交差点」の南側には「三ッ家堀」があったそうだ。 そして「五反野」、この後向かった駅は「六町」。 “一”から“六”まで揃い踏み!

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・・・・・・・・・・・・環七通りを横断し足立区西加平に入ると、東電の花畑変電所がある。 自分のような素人には、設備の名称も機能も判らず、大きな鉄塔をスゲーと叫び、変な機械・装置を見てナンジャコリャ?

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・・・・・・・・・・・・都道102号とぶつかる角に西加平神社がある。、、、、西加平神社の創建年代は不詳だが、嘉兵衛新田の開拓に伴い創建された。 明治時代には加平天祖神社の摂社となったが、昭和29年(1954)稲荷神社としてとして分離独立、昭和49年(1974)西加平1丁目にあった天祖神社を合祀し、西加平神社と改称した。、、、、境内周辺は区画整理され平成28年(2016)に社殿は新しくなる、しかし境内にはいまだ樹木が少なくスッポンポンの状態である。、、、、石の鳥居には寛政11年(1799)の銘。 また、嘉永7年(1854)に新吉原角町(現:台東区千束)の安房屋から奉納された手水鉢もある。

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●なんで深いの? ・・・・・・お帰りは、平成17年(2005)開業のつくばエキスプレス六町駅から。 ホームは、都心の地下鉄並みに地下3階の深い位置にある!

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2019年11月18日 (月)

観音さまに狸がいた!

日の入時間も早くなり3時過ぎると薄暗くなる時期となった。 今日は午後から買い物をかね、ぶらり、浅草を一回り。

明治時代まで浅草にはタヌキ(狸)がいたそうで、今日はその証を紹介する。



●狸がいた観音さま ・・・・・・まずは、浅草寺御本尊に手を合わせてから!

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●お狸さまの御乱行! ・・・・・・・雷門から浅草寺本堂向かい真っ直ぐ伸びる仲見世。 その仲見世は途中で新仲見世・伝法院通りと交差する。 伝法院通りを西(浅草六区)へ向かうと、浅草公会堂の斜め前に鎮護堂(ちんごどう)がある。 ここは広い浅草寺境内の一角で、伝法院(浅草寺の本坊)の庭園に続く敷地内である。、、、、この鎮護堂の由来については、浅草寺の案内に以下のように記されている。、、、、『 江戸市中に「狸阪」「狸穴」などという地名があったとおり、かつて江戸には狸が多く棲んでいた。上野の山や、浅草の奥山にも狸が棲んでいたが、官軍と彰義隊が戦った上野戦争や奥山の開拓などで逃げ出して、明治の初めには浅草寺の伝法院あたりに棲みつくようになった。一説には狸らは、草履を釜に投げ入れたり、座敷に砂をまいたりなどのいたずらをしたという。 浅草寺も狸らの乱行に困っていたが、時の住職、唯我韶舜大僧正の夢枕に狸が現れ、「われわれのために祠を建てて保護してくれれば、伝法院を火災から守り、永く繁栄させましょう」というお告げがあった。そこで、明治16年(1883)に鎮護大使者として祀ったのがこの鎮護堂である。その霊験あってか、伝法院、鎮護堂ともに関東大震災や東京大空襲での焼失を免れている。 火除け祈願のほか、この祠に祈ったところ失せものが見つかったという霊験から、盗難除けの祈願をするご信徒も多い。また、狸を「他を抜く」という語呂としてとらえて、特に落語家や歌舞伎役者など、芸能関係者の信仰が篤いことで知られている。』、、、、これにて鎮護堂が、狸の御乱行を鎮めるために明治時代に建立されたことが判る。  

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・・・・・・・・・・・・・・鎮護堂の門をくぐり左手奥に鎮護堂の拝殿・本殿がある。 拝殿には「鎮護大使者」の提灯がかかり、ここで燈明をあげる。 さらに、拝殿の奥には入母屋造りの本殿がある。 これらの建物は大正2年(1913)の建立。、、、、この御狸さんは、当初、伝法院の鎮守としてまつられたが、福徳を願う信者の参詣が多いので、一般にも開放され、火防・盗難除の守護神として知られている。

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿わきには信楽焼の狸の置物が、まさがこれが御本尊ではないだろう!

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・・・・・・・・・・・・・・・・鎮護堂の境内には数体の地蔵尊が願掛けのお客をお待ちしている。、、、、綺麗どころを順に紹介すると、、、、亡くなった子を救済してくれる水子地蔵尊、、、、破損した頭部をつないであるため加頭地蔵の名がある。 “首がつながる”と言われサラリーマンらの信奉を集めている。、、、、出世・子育にパワーを発揮する「おやす地蔵尊」、、、、開運の目白地蔵尊、、、、さらに加藤観世音菩薩もしかえている。、、、、これだけ揃うと、どんな願い事もいずれかの地蔵尊が叶えてくれそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、もう一つ戦後昭和38年(1963)に建立された、“たいこもち”を供養した幇間塚碑がある。 碑には浅草生まれの作家:久保田万太郎の俳句がある。 「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」 、、、、芸妓も少なくなったが、いまの時代、“幇間”(男芸者)をする人は少なくなり、東京と岐阜で数名の人がいるだけらしい。 絶滅寸前!

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●待ってました! 辰五郎たぬき! ・・・・・鎮護堂の南にある新仲見世(商店街)のさらに一本南側に、全長50m程の「浅草たぬき通り商店会」がある。 この商店会の案内には、『 明治の頃まで浅草一帯は、田圃に囲まれた薮野原でたくさんのたぬきが住んでいました。 戊辰戦争が勃発し、戦火を免れた上野の山のたぬき達は四方八方へ逃げのび、中にはたぬき横丁で安堵をとるものもいました。 しかし、ここには浅草の地たぬき達がいて、縄張りが荒らされるという思いから睨み合いがはじまり、合戦という雰囲気になってきました。 そこへ浅草たぬきの長老「辰五郎たぬき」が現れ、浅草の地たぬき達に、今までのいたずらを反省し、観音様の御慈悲とご加護で安穏に暮らせていることを悟り、平和を守ることや人の役に立つことの大切さを悟しました。たぬき達の荒れていた心に暖かい気持ちが生まれ、戦いもいたずらもなくなりました。 その中の使命感を持った十二匹のたぬきは人の役に立とうと一念発起し、人々の願い事が叶えられる力が持てる仙人修行を積み、それぞれが願かけたぬきとなってまちの人々からも慕われ、お参りされるようになりました。』と書かれている。、、、、辰五郎たぬきの登場で、急に話はウソッポクなってきたね! でも、観音さまの地元だから、信じよう!、、、、通りの街路灯には12体の「願かけたぬき」が祀られている。

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●狸がトラに化ける! ・・・・・・・最後に、狸が毎夜通いコミュニケーションを良くする“場”が、浅草西参道の北側「初音小路飲食店街」に用意されていた。、、、、ここに集う、多くの狸は、トラに化けて帰るそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 明治時代まで、浅草には狸がいたのは間違いない! 

2019年11月15日 (金)

まごまごせずに馬込を歩く

都営浅草線中延駅(なかのぶえき)から、裏通りを歩き途中で大田区立郷土博物館に寄り、二駅先の西馬込駅まで、9千歩の散歩です。




●乗れても座れない! ・・・・・・・朝8時過ぎ、私が乗ってきた西馬込行きはガラガラ状態で中延駅に到着。 逆に、都心に向かう電車は、始発駅(西馬込駅)から二駅目の当駅で既に満員状態。 通勤する皆さま、朝からお疲れさま。

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・・・・・・・・・・・・・・改札は西馬込寄りに1か所、押上寄りの東急大井町線中延駅に近い1か所、計2か所。 今日は西馬込寄りの改札から地上に出てみた。 出入口は第二京浜(国道1号)に面している。、、、、国道を歩いても面白くないので、裏通りを歩くことにする。

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●バス通りに出る! ・・・・・・・第二京浜沿いの裏通りを南へ歩く。 かつて源氏の陣屋前であったことに由来する地名「源氏前」。 その源氏前小学校裏を通り坂を上ると、品川区中延から大田区北馬込となる。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、右に折れて、左に折れると、第二京浜と並行するバス通りに出る。 

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・・・・・・・・・・・・・・バス通りには、曹洞宗寺院の金光山宗福寺(北馬込)がある。 天正年間(1575年頃)の開山。、、、、この寺の名物(?)は、見守り地蔵の「登志子地蔵」である。 この地蔵は、昭和10年(1935)、近くの八幡様の祭礼の日に、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、建立しその霊を祀ったものである。 当時は、寺に捜査本部が設置され、犯人は24日目に逮捕された。 

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●新馬込橋の変遷 ・・・・・・・バス通りは、環状7号線を跨ぐ新馬込橋を渡る。、、、、この新馬込橋は
昭和14年(1939)に竣工し、北馬込地区と中馬込地区を南北に結ぶ生活道路として架けられた。 しかし、架橋後70余年経過し劣化もあり、平成23年から架け替え工事が行われ、平成27年(2015)に現在の橋に架け替えられた。
・・・・・・・・・・・・・・今日撮影した新馬込橋。 橋際の説明板にあった昭和15年の新馬込橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・架け替え直前の平成24年に撮影した新馬込橋の旧橋。 コンクリート製の欄干が印象的。


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●馬の背を行くバス通り! ・・・・・・馬込の台地上をバス通りは抜けていく。

・・・・・・・・・・・・・・ちょうど馬の背のようにバス通りの左右は下り坂だ!

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・・・・・・・・・・・・・・バス通りは第二京浜を東海道新幹線が跨ぐ馬込架道橋の下に出る。、、、、馬込架道橋は昭和39年(1964)3月、大田区馬込で東海道新幹線の陸橋架設工事が夜を徹して行われ、当時話題となった。 地下には地下鉄浅草線、その上に貨物線、さらに国道の第二京浜、そしてさらに新幹線が重なる複雑な四重立体構造。 国道は1日の交通量が8万台もある工事の難所で、あらかじめ造った全長86.4m、重さ約580トンのアーチ橋を午前0時から夜明けまでにかけてしまう「引き出し式架設工法」が採用された。 当時私は高校生、工事を見たかったが、勉強に没頭して寝てしまった!



●有料でも見たくなる! ・・・・・湯殿神社の東に大田区立郷土博物館がある。 只今ココで、『嶺の御嶽山と一山行者』と題する特別展が開かれていた。 チョイト寄り道。、、、、木曽御嶽山の関東第一分社である御嶽神社(大田区北嶺町)について、社宝・文化財の扁額・絵馬などど多くの資料によって紹介されてる。 ナント無料、見ないと損する展示だ!

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