散歩

2026年6月 2日 (火)

小岩菖蒲園

台風6号が沖縄を通過し、明日は関東に近づくとの予報である。 台風接近により被害が心配であることはもちろんであるが、70余年住み慣れた浅草場の地は、過去(昭和30年頃)に床下浸水が一度あったぐらいで、大規模な台風被害は経験したことがない。 戸建て住宅の我が家であるが、台風の備えと言えば、玄関先の植木鉢・屋上にある植木鉢と園芸用具が吹き飛ばされないように固定することである。 明日の接近に備え、朝食前に念のための点検を行った。・・・・・・数日前に、堀切菖蒲園(葛飾区)ではショウブの花が咲いたと聞いた。 台風で花が散っては可哀そうと思い、台風襲来前に観ておくことにした。 堀切菖蒲園のある葛飾区の隣り、江戸川区の小岩菖蒲園に行ってきた。


● 都営浅草線の浅草橋駅から、押上・京成高砂をとおる電車で約25分、京成本線の江戸川駅で下車する。 江戸川駅は駅名のごとく、江戸川に隣接して設けられた駅である。 ホームの先には江戸川に架かる橋梁が見える。、、、、、当駅は大正元年(1912)11月3日、押上~江戸川間が開業するときにできた終着駅である。 当時の駅名は「伊予田(いよだ)」で、大正3年に現役名の「江戸川」となった。 江戸川にまだ橋梁が架かっていなかった頃の話で、ここ江戸川駅から渡し船で対岸の市川(国府台)に渡っていた。、、、、、江戸川駅は相対式ホーム2面2線を有する高架駅。 直ぐ傍に江戸川の土手があり、ホームからは江戸川を挟んだ隣の国府台駅を望むことができる。
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・・・・・・・・・・ 江戸川土手から江戸川駅を望む
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● 京成本線の江戸川駅で下車し、江戸川の河川敷に小岩菖蒲園がある。 小岩菖蒲園は、昭和57年(1982)の開園で、約4900㎡の敷地に地元住民から寄贈されたものを基に、約100種・
50,000本の花菖蒲が植えられている。 河川敷であるため開放的で、誰でも、何時でも、無料で観ることのできる区営の植物園である。、、、、、 今日は曇り空であるが、桜のように“満開”と言っていいのだろうか? 一斉に綺麗に花を咲かせ迎えてくれた!、、、、、、咲き誇る花を見ていると まさに「いずれ菖蒲か杜若(いずれアヤメかカキツバタ)」 の言葉ピッタシ!
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● 帰りは京成小岩駅までぶらぶら歩いてきた!
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2026年5月20日 (水)

四ツ木から新小岩へ

京成押上線の四ツ木駅からJR総武線の新小岩駅まで歩いてきた。


● 京成押上線の四ツ木駅は大正元年(1912)11月3日に開業した。 現在は荒川・綾瀬川岸に相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。、、、、、駅名は「四ツ木」、地名は「四つ木」。 四ツ木(四つ木)の由来は諸説あり、もっとも単純なのは大木が4本あったから“四ツ木”という。 次は、源頼朝がこの地を通った時の時刻が“四つ過ぎ”であったから。 誰のことだか解らんが“世継”と呼ばれていたという説など、いずれも真偽不明。
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● 駅を出て、寂れた渋江商店街をとおり東へ歩くと、渋江村の鎮守の「渋江白髭神社」(葛飾区東四つ木4)がある。 渋江白髭神社は、江戸時代には葛西の客人大権現と呼ばれ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々の崇敬を集めました。 創建年代は不詳ながら、旧別当寺の観正寺が延徳3年(1491)創建とあり、室町時代の創建と推定されます。、、、、、江戸期には「葛西の客人大権現〔まろうどだいごんげん〕」と称され、江戸市中の遊郭や水茶屋などからの参詣者で賑わった。 特に、六代将軍家宣公の御側室左京の局が当社の信仰によって七代家継公を授かってからいっそう万都の人気を呼び、江戸名所のひとつとして参詣人が絶えなかったといわれてる。 文化文政から天保に至る時代には最も隆盛を極め、遠近より参詣するもの雲集したとのことであり、境内の鳥居、灯篭、手水舎等にそのおもかげを遺している。 客人の神は、もと越の白山より比叡の山に飛び移ったので「まろうど」大明神と称し、のち大権現にまつられた。 日吉山王二十一社のひとつである客人社(日吉大社白山宮)との関係が想起されますが、同社を勧請した確かな記録は残っていないそうだ。 現在の境内には近郷各所に置かれたと思われる客人大権現への道標が集められている。、、、、、現在の拝殿は嘉永5年(1853)の造営、本殿および高欄は大正5年(1916)の再建である。 
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● 中川を見ながら平和橋を渡る。、、、、、 平和橋は、中川に架かり、都道308号(平和橋通り)の橋である。 右岸 (北詰)の葛飾区東立石および東四つ木、左岸 (南詰) の東新小岩および西新小岩を結んでいる 。 現在の橋は、昭和35年(1960)竣工の2代目である。形式:PC単純桁橋、全長:134.4 m、幅:15.0 m。、、、、、初代の橋は終戦間もない昭和22年(1947)6月に開通した、橋長144.2 m、幅員6 mの仮設木製であった。 この橋は関東大震災の後の帝都復興事業に対応する形で昭和2年(1927)の東京府の都市計画に盛り込まれていたが、橋の竣工は戦後とんった。
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・・・・・・・・・・平和橋から見る中川
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● 平和橋を渡り、天祖神社、上品寺に参り、新小岩駅に向かう。

・・・・・・・・・・ 天祖神社は鎌倉時代 源頼朝の家臣 葛西三郎が創建したと言われてる。 
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・・・・・・・・・・ ゑんま大王を祀る真義真言宗の上品寺 
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● JR総武線の新小岩駅に到着すると、ナント!  船橋駅で人身事故が発生し、総武緩行線、総武快速線共に遅れが発生。 ホームの上は電車を待つ人で超満員!、、、、、ホームの上で待つこと30分、満員電車に詰め込まれ帰宅。
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2026年5月17日 (日)

友遠方より来る

今日は「友 名古屋より来る また楽しからずや」と言いたくなる。 退職してから17年が経過し再会である。 名古屋在住の旧友が、連休後の休日を利用して会いにに来てくれた、感謝である。 久しぶりの再会は、互いの元気を確認し、年寄りの大好きな病気自慢、家族の中の居場所、かっての職場の上司を評価、音信不通の同僚の安否、高齢者が推奨する観光地、等々話題は尽きない。 語られることがなかった話題は、今後の大望、異性への思いなど、先の短い年寄りには不要の話。、、、、、、『今日は浅草の三社祭、案内するので見に行こう!』 

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・・・・・・・・・・ 友のお宿は鶯谷のラブホ街を背にするビジネスホテル(今宵一人で眠れるかな? )

2026年5月 2日 (土)

茶ノ木稲荷神社

数日後に迫った妻の白内障手術、妻本人は目の手術ということで不安な日々を過ごしている。 夫の私は、10年程前に白内障の手術を受け、2年前には後発白内障の手術も受けた経験者。 その経験者が妻に『怖がることはない』と言っても、妻の不安は解消せず。 今日は不安を和らげるため、市ヶ谷の市谷亀岡八幡宮(摂社の茶ノ木稲荷神社)へ夫婦で参ってきた。



・・・・・・・・・・ JR中央線市ヶ谷駅ホームに立つと、濠の向こう、ビルとビルの間にチョッピリ「市谷亀岡八幡宮」の屋根が見える。(写真赤丸の中)
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・・・・・・・・・・ ビルの間の参道に立つと、正面にチョイト長い石段が見える。 亀岡八幡宮はこの石段の上奥にある。 摂社の茶ノ木稲荷神社は石段の中程から左に入ると社殿がある。
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・・・・・・・・・・ まずは、「市ヶ谷亀岡八幡宮」に参る。 市谷亀岡八幡宮は太田道灌が文明11年(1479)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。 「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。 当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。 しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地(元々ここに茶ノ木稲荷があった)に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。 明治に入ると、神仏分離令により別当寺であった東円寺が廃寺となり、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。 その後、第二次世界大戦による戦火により神木なども含め焼失。 昭和37年(1962)に現在の社殿が再建される。、、、、、市谷亀岡八幡宮の祭神は誉田別命(応神天皇)、気長足姫尊、与登比売神。、、、、、本殿での祈祷は、メニューが豊富で、家内安全・商売繁盛・厄除け・交通安全・初宮詣・必勝祈願・家運隆昌・社運隆昌・身体健全・心願成就・病気平癒・合格祈願・厄除け・無病息災・方位除け・工事安全・旅行安全など、何でも御座れ!
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・・・・・・・・・・ 摂社の「茶ノ木稲荷神社」に参る。 こちらは、祭神は稲荷大神で、眼病平癒・技芸上達・商売繁盛に御利益を期待する。、、、、、市谷亀岡八幡宮の境内、石段左側に鎮座してる茶ノ木稲荷神社。 創建の詳しい年代は不明だが、今から約一千年余前(平安時代前期)に、弘法大師空海が創建したと伝えられている。 当社の鎮座地は、古来より稲荷山と呼ばれていたそうです。 昔この稲荷山には稲荷大神のお使いである白狐がいましたが、ある日誤って茶の木で目を突いてしまった。 それ以来崇敬者は茶を忌み、茶を絶って願掛けをする風習が生まれたそうだ。 特に眼病の人には、茶を絶って願うことでご利益があるとされ、眼病平癒に特別な信仰がある神社。、、、、、神社の脇には、眼病の回復を願う人の絵馬がたくさん掛けられてた。 我が妻と同様に、白内障の人が良くなってくれることを願っているのが、読み取れた。 自分同様に多くの人が訪れているんだと思うと、妻も一安心!
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・・・・・・・・・・ 市谷亀岡八幡宮には、私が探し歩いてる「几号水準点がある。 当神社の手水鉢台座に几号水準点があるので、チョイト見て行こう!、、、、、几号水準点のある場所は、度々来て知っているが、あらためて見ると何となく安心するものだ!
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・・・・・・・・・・ もう一つ、ここ市谷亀岡八幡宮に残されているものを紹介する。 境内の裏参道に、「陸軍省所轄」と書かれた標柱が残されている。 社殿の北側には戦前、陸軍士官学校があり、その境界となっていた場所である。 地図を広げてみれば、神社の地は現在の防衛省本省と隣接しており、この地は“軍”に関係しているのか(?)
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・・・・・・・・・・ 眼病平癒の願いをしたあとは、年寄り二人でブラブラ散歩。 防衛省をぐるり一周して帰る。

2026年4月25日 (土)

葉桜の密蔵院

昼から散歩に出た。 『どこへ散歩に行こうか?』 行く当て無し、とりあえず敬老パスで乗車できる日暮里舎人ライナーに乗る。 乗車中に、終点の見沼代親水公園駅(東京都足立区、23区内最北端の駅)まで行き、そこから北(埼玉県川口市)に歩くことにした。 見沼代親水公園駅から直線で3㎞程北にある“安行桜”で有名な密蔵院まで歩いてきた。 



見沼代親水公園駅は、平成20年(2008)3月30日に開業、足立区ならびに東京23区内の最北端の駅である。、、、、、隣接する埼玉県川口市・草加市側からは路線の延伸を希望する声があるようだが、具体化するには至っていない。
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・・・・・・・・・・ 【おまけの話】 23区内の最東端の駅は都営新宿線の篠崎駅(江戸川区)。 最西端の駅は西武新宿線の武蔵関駅(練馬区)。 最南端の駅は京急線の六郷土手駅(大田区)。、、、、、大学入試問題に出るかも?



● 見沼代親水公園駅の北側で、毛長川に架かる舎人二ツ橋を渡ると埼玉県草加市に入る。 草加市内を200m程歩くと川口市となる。
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・・・・・・・・・・ 北に向かって(後で判ったことだが、北西に向かってた)裏道を歩く。、、、、、川口市役所新郷支所に出る手前の五差路に小堂が立っていた。 堂内に
四基の庚申塔が並んでいる。 元禄2年(1689)銘の青面金剛立像もある。
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● 「東本郷氷川神社」に出た、ここで、『アレ?北へ歩いているつもりが、北西に歩いてた! 失敗・失敗!!』 、、、、、東本郷氷川神社は、もともと東本郷の南方にある本郷谷下に鎮座していたが、大風が吹き、北の本郷の水田に飛ばされ、現在地に鎮まったとされる。(風で吹き飛ぶ程度の、軽い神社だったのか?!) 創建年代は不明。 祭神は、豪華な顔ぶれで、素戔嗚尊、奇稲田姫命、大己貴命、宇迦之御魂命、菊理媛神の五神。
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・・・・・・・・・・ 東本郷氷川神社鳥居の前に、「新郷村道路元標」がある。 道路元標は、大正8年(1919)制定の旧道路法施行令で道路の起終点として使用するため設置された柱で、日本橋におかれたのは有名ですが、各市町村にも1箇所ずつ置くこととされ、役場前や街の中心地の交差点に設置された。 旧新郷村は、昭和15年(1940)に川口市に編入された。 神社の近くには、村役場から変わったと思われる新郷支所がある。
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● 進路を北に向ける気持ちで歩き続ける。

・・・・・・・・・・ 川口市立新郷小学校、川口市新郷浄水場前の道を歩く
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・・・・・・・・・・ 曹洞宗寺院の宝泉寺門前の道を歩く、、、、、宝泉寺は、長久山と号す。 宝泉寺は、安行吉岡金剛寺の和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が創建したと言われてる。
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・・・・・・・・・・ 新郷貝塚と記した案内板がある。 貝塚の部分は地下に埋め戻され、全体に散策用の公園となっている。
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・・・・・・・・・・ 川口市立安行小学校前を通る
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● 安行小学校の先で「蜜蔵院入口」と書いた看板があった。 『安行桜で有名な密蔵院か? 行ってみよう!』 桜の時期は過ぎたが、TV中継などで有名な寺なので、拝観しておくことにした。、、、、、 真言宗智山派寺院の密蔵院は、海壽山萬福寺と号します。密蔵院の創建年代等は不詳ながら、永海法印(明応2年1493年寂)が中興、開山したといいます。 德川秀忠より寺領11石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁していた中本寺格の寺院だったといいます。 本尊は延命地蔵菩薩像。

・・・・・・・・・・ 両側にピンクの安行桜が咲いていたであろう参道も、今は葉桜で緑一色、、、、、桜の木は数十本あるそうだ。
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・・・・・・・・・・ 明治19年(1884)に旧薩摩藩江戸屋敷の門を移築した山門を抜けると、正面に本堂が見える
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・・・・・・・・・・ 広い境内には鐘楼不動堂など、多くの建物が並んでいる。
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● 時刻も15時を過ぎ帰宅時間。 峯八幡宮バス停から川口駅行き乗り帰る。
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2026年4月22日 (水)

よろしく薬師さま

GW明けに妻が白内障の手術をすることになった。 普段は気の強い妻も、手術となると気が弱くなり、一人妄想が始まった。 手術開始には眼球に麻酔注射、手術は眼球の引っ張り出し、そして眼球を削りレンズの埋め込み、想像すると極度の痛み、最高の恐怖である。 多くの人がかかる病気で、周囲には手術を受けた人がたくさんいるのに、そんな妄想で寝不足になるらしい。(隣で寝てる私には、大きないびきが聞こえるだけだが?) 『心配するな、短時間で終わる手術だよ!』と私も慰める。、、、、、そこで、今日は夫婦で、眼病に御利益が期待できる新井薬師へ行ってきた。



・・・・・・・・・・ 新井薬師は、西武新宿線「新井薬師前」で下車し、門前の通りを歩いて10分
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・・・・・・・・・・ 「新井薬師」は通称、正式には「新井山 梅照院 薬王寺」で、真言宗豊山派の寺院である。 新井薬師の本尊は薬師瑠璃光如来と如意輪観世音菩薩で、二仏を背中合わせに一体とした霊験あらたかな像である。 江戸幕府2代将軍徳川秀忠の五女で後水尾天皇中宮の和子(東福門院)が当寺の薬師如来に眼病平癒を祈願したところ、たちまち回復したとされることから、特に眼病治癒の御利益に関して有名になった。、、、、、妻も薬師如来に一目会い、祈願したかったが、秘仏であることから断念、残念!
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・・・・・・・・・・ お不動様、観音様にも『よろしく!』(合掌)
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・・・・・・・・・・ お守りを授けてきた。 効き目がありそうだ!
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・・・・・・・・・・ お参りすませば、JR中野駅にからお帰り。(さすが我が妻、家に直行せずデパートに直行。 病院へ行くための服を買いに?)
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2026年4月17日 (金)

小さな大仏

北総線の新鎌ヶ谷で、京成松戸線(つい最近までは新京成線であった)乗り換え鎌ヶ谷大仏駅で下車した。 駅名となった鎌ヶ谷大仏、駅の隣の八幡神社によってから、西に向かい根頭神社、妙蓮寺、道野辺八幡宮に参拝し、東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅まで歩いてきた。



鎌ヶ谷大仏駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 昭和24年(1949)1月8日、新京成電鉄新京成線の延伸に伴い、同時開業した。 昨年(令和7年)4月、新京成電鉄が京成電鉄への吸収合併に伴い、京成電鉄松戸線の駅となる。 駅名は、駅前に祀られている鎌ヶ谷大仏に由来する。 その駅名により、平成10年(1998)には「関東の駅百選」に選定された。 選定理由は「駅前の阿弥陀如来像の大仏に因んで付けられた駅名で歴史を感じさせてくれる駅」。 (駅名の“大仏”によって選ばれた駅)
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駅の北側には、寛永年間(1624~1645)に木下街道(駅前の県道59号)の宿場として設置され、鎌ケ谷村の鎮守として寛永6年(1629)に創建された村社「鎌ヶ谷八幡神社」がある。 明治維新後の社格制定に際し村社に列格した。 また、稲荷(商売繁盛)・天満宮(学問)・妙正大明神(病気)・道祖神(旅行安全)・浅間神社(安産・子育)・三峰神社(盗難除け)・古峰神社(火防)などの諸社を境内に遷して、いかなることにも御利益がありそうな神社である。
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・・・・・・・・・・ 神社の長い参道沿いにズラリ並んだ庚申塔が出迎えてくれる。 庚申塔は全部で100基あり、「百庚申」と呼ばれている。 百庚申とは、庚申塔を百基並べ男性が中心となって巡礼する、地域の安全や延命長寿、無病息災などを祈願した地域信仰の一つ。

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● 鎌ヶ谷大仏に手を合わせた後は、西に向かって歩く。

・・・・・・・・・・ まずは裏道を歩き、京成松戸線の踏切をこえる。
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・・・・・・・・・・ 農家の庭先には、青空に鯉のぼりが泳いでる。  民家の上空には、自衛隊の哨戒機かな(?)、頻繁に飛んでいる。
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・・・・・・・・・・ 東武アーバンパークラインの高架橋を抜ける。
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● 鎌ヶ谷市道野辺の裏道・坂道を歩くと。 根頭神社(ねずじんじゃ)の階段と鳥居が見える。 『コリャ、参拝せずばなるまい』、階段を上がると、長~い、長~い、参道。 “森の奥へ進んでいく参道だ、凄いね・怖いね!”と思いつつ、参道を鍵の手に折れるとさらに参道は続く。 正面に社殿が見えた、「根頭神社」(祭神は土着の神:根頭之大神)である。、、、、根頭神社が鎮座している地域は道野辺村(現:鎌ケ谷市道野辺)、この辺りは、鎌倉時代以前からの古い集落で、江戸時代は大名:本多氏の領地であった。 根頭神社の創建年代等は不詳ながら、三橋氏(藤原左衛門丞)が元亀年間(1570~1573)ころ京都から当地に移住した際、その氏神として奉斎したと伝えられます。 明和8年(1771)に三橋孫六が土地を寄贈し、道野辺の鎮守として祀られてきました。 明治維新後の社格制定に際し村社に列格、現社殿は千葉県護国神社の仮本殿を譲り受けたものだそうです。
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● 根頭神社から北東へ300m程歩くと、日蓮宗の寺院:妙蓮寺がある。 妙蓮寺は、日蓮の母親、妙蓮尼がここで生まれたという話が残っている由緒ある寺。 日蓮聖人から道野辺は妙蓮誕生の地と聞かされた弟子の日進上人(総本山身延山久遠時 第三世)は、鎌倉期(1329年)に妙蓮尼追善供養の意を表して妙蓮寺と称し建立したそうだ。、、、、日蓮上人のパパは「妙日」(法名)といい、ママは「妙蓮」(法名)、二人の子が「日蓮」である。
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● 妙蓮寺から東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅へ向かう途中に、鎌ケ谷市の総鎮守「道野辺八幡神社」がある。 誉田別尊を祭神とする立派な社殿の神社で、こちらも
長い参道がある。 創建は資料もなく不詳であるが、鎌倉時代と伝えられているそうだ。 現在は鎌ケ谷市及び近隣の総鎮守とされている。、、、、、御神徳として、厄除開運、殖産興業、学芸成就、子守育成、安全息災、勝運守護に著しく霊験あらたかなものがあるらしい。 社務所では各種おみくじが売られており、参拝する人も多そうだ!
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● 散歩の終点は東武アーバンパークラインの鎌ヶ谷駅。 ここから一駅先の新鎌ヶ谷に出て、東武から京成(北総線)に乗り換えて帰ることにした。
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2026年4月 6日 (月)

高野から梅島

日暮里舎人ライナーの高野駅から、東武伊勢崎線の梅島駅までの散歩です。 5千歩



● 日暮里舎人ライナーの高野駅(こうやえき)で下車し散歩を始める。 高野駅は平成20年(2008)3月30日に開業した。 ホームは島式1面2線構造で尾久橋通り中央の上空3階にある。、、、、、駅名の「高野」は現行の住居表示名としては存在しないが、江戸時代に登場した足立郡高野村が基であり、明治22年(1889)に江北村大字高野となり、昭和7年(1932)の足立区成立で高野町として存続したが、昭和51年(1976)の住居表示では消失した。 日暮里舎人ライナーの開業時には、すでに消失した地名であるが、駅名として再登場した「高野」である。
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・・・・・・・・・・ 高野駅からは東に向かい興野関原の町を抜けて梅島駅まで歩くことにした。 



● 高野駅から200m程離れた、裏道に「吉祥院阿弥陀堂」がある。 吉祥院は真言宗豊山派の寺院で、正応元年(1288)僧円真が開山しました。古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといい、盛時には多くの寺領と末寺33を有していたといわれてる。、、、、、吉祥院阿弥陀堂は、足立区扇にある阿弥陀堂で、吉祥院の境外仏堂である。 現在、吉祥院関係の境外仏堂は4カ所残っており、地蔵菩薩や阿弥陀如来が安置されています。 吉祥院の境外仏堂の中で一番立派なのが、この阿弥陀堂である。 この堂には、本尊として身の丈45㎝の阿弥陀像、また地蔵菩薩と弘法大師像と聖徳太子があります。
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興野・関原の町は、主要幹線道路以外は緊急車両が通り難い細く入り組んだ道路が町全体に広がっている。 私のようなよそ者は、地図を持って歩かないと道に迷いそうだ。、、、、、日差しの強い今日(東京は23.7℃)、裏通りにはコンビニがない、自販機もない、汗をかきながら歩く!
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● 興野2丁目の入り組んだ町中に、真言宗豊山派寺院「瑠璃山 善応寺」がある。 善応寺は、寛朝上人が開基となり貞治2年(1363)創建、明治11年(1878)清光寺を合寺した。また、明治の初めには興野の教育をになっていた公立興野学校がおかれていました。 現在の本堂は昭和40年(1965)に建立され、本尊聖観世音菩薩、両座に弘法大師・興教大師を安置している。、、、、、チョイと寄って、合掌! 境内の桜は散りはじめた!
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● 高野駅から歩き始めて約2時間、梅島駅に着いた。、、、、、老いたせいか、思ったほど歩数は少なく、チョイト万歩計を疑う?
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2026年4月 3日 (金)

権現堂桜堤

数日ぶりの散歩日和。 埼玉県幸手市にある権現堂桜堤に夫婦で行ってきた。



● 東武スカイツリーラインの押上駅から、南栗橋行に乗り約1時間、幸手駅に到着。、、、、、幸手は東武日光線の駅である。 昭和4年(1929)4月1日、東武日光線杉戸駅~新鹿沼駅間の開業と同時に開設された。 平成31年(2019)には、現在の橋上駅舎に変わった。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅。
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・・・・・・・・・・ 関東地方での有数な桜の名所で、連日の雨も上がり、今日は電車から大勢の客が降り、私達夫婦も交え皆さんがゾロゾロと駅からはき出された!
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● 駅前から権現堂までのバスは、臨時便を含め1時間に1本。 これでは、大勢の花見客をさばききれず、タクシー乗り場も長蛇の列。 私達は駅から権現堂まで約50分の行程を歩くことにした。 日光街道の宿場町であった頃の面影も残る道。
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・・・・・・・・・・ 桜堤へ行く途中、「熊野神社」と記された神社があった。 境内の石碑に次のように書いてあった。 『熊野神社と権現堂という地名の由来  当社の創建は天正年間(1573〜92)と伝えられ、古くは熊野権現社と号した。…(略)…江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」権現堂村の項に「村内に熊野、若宮、白山の権現を合祀せし旧社あれば、この村名起これりと云う」とあり、村内の権現三社を合祀した古い神社から「権現堂村」という名になったことが記されている。』、、、、、つまり、権現村の地名の由来だ!
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権現堂堤は、埼玉県幸手市内国府間にある、県内有数の桜の名所。 そのことから、権現堂桜堤とも呼ばれる。 中川の堤防上約1 kmにわたって、約1000本の桜並木が続く。 桜はソメイヨシノで、4月上旬が見ごろであるが、近年は開花時期が早まっている。桜の開花と同時期に堤下に広がるアブラナ(菜の花)も咲くため、ピンクと黄色のコントラストが素晴らしい。、、、、、今日は大勢の人が花見に訪れている。
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● 桜を楽しんだ後は、超・超満員、乗車率500%、乗ったら身動きできず、試練のバスで幸手駅へ戻る。
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2026年3月27日 (金)

隅田公園は三分咲き

歳をとると医者通いも多くなり、今日は午前中に内科、午後は泌尿器科の定期診断。 結果はどちらも『特に問題はなく、いいですね!』 しかし、お土産の薬は多種あり、内科では6種、泌尿器科では3種、処方された。 この他に、耳鼻科で2種処方されており、一日に服用する内服薬は全部で11種、17錠もある。 このままでは、間違って服用することもある。(実際に、以前、間違って倍の量を服用した薬もある) そこで、内科では処方箋に“一包化”と記してもらい、薬局で朝服用する5種の薬を一纏めにしてもらってる。 これで、間違えて服用することもなくなったが、それでも毎朝、毎昼、毎晩、お薬タイムになると、間違えて服用しないよう頭を使い、注意・注意・注意してる。、、、、病院や施設に入れば、若い看護士・介護士さんが『お薬タイムですよ、ア~~ンして』と服用させてくれるかと、妄想をいだき期待している。(今日の診断結果では、どこも悪いところなし。 当分、病院・施設には入ることもなさそうだ!)

浅草の泌尿器科クリニックへ行った帰り、隅田公園に寄ってみた。 桜は三分咲き。 この週末は見頃になるかも?
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