散歩

2021年1月 4日 (月)

浅草橋ナイナイないもの

雅万歩が住む“浅草橋周辺”(想定する地域はコチラを参照)には、『ナイ・ナイ・有るべきものが無い!』、、、、そうなんです、都心の町ではどこにでも普通に有るはずのものが無いのです。 そんなものを紹介します。、、、、(注:雅万歩は、只今、コロナの為、外出自粛中)

 

①「マック」が無い!・・・・・・江戸通りに面し、浅草橋駅の近くにあった「マクドナルド」が10年程前に撤退し、“浅草橋周辺”からは消え去った。 マクドナルドの店舗一覧を見ると、“浅草橋周辺”は完全な空白域となっている。 マクドナルドが撤退した跡には「バーガーキング」が入居し、『安くて、美味しいバーガー』で営業中。、、、、浅草橋駅周辺には、フライドポテトを入れる紙の容器が道端に捨てられていることもなく、マックは町の美化に貢献しているようだ!

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②「スタバ」が無い!・・・・・・こちらもマックと同様に店舗一覧を見ると、“浅草橋周辺”は完全な空白域。 さらに異様なことは、江戸通り(=国道6号)沿線に、銀行・店舗・ビジネスホテルが建ち並んでいるにもかかわらず、中央区室町の交差点から、東武浅草駅までの約3.5kmの区間には、店舗が一軒もないのだ!、、、、スタバでコーヒーを片手に休憩する“カッコイイ美人OL”が、見られないのは寂しいかぎり!、、、、ちなみに、「ドトールコーヒー」は、“浅草橋周辺”には都営浅草橋駅入口横(江戸通り)に1店舗あるのみ。 江戸通りには馬喰町・小伝馬町・蔵前にもある。

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③書店が無い!・・・・・・・“浅草橋周辺”から、書店が消えて久しい。 50年前は駅周辺だけでも5軒程あった。 今は本を買うには、秋葉原・浅草・錦糸町・日本橋と、いずれにしても電車で行かねばならない、書店から見放された町。、、、、江戸通りに面し、駅の隣りにあった書店は「マツモトキヨシ」に変わったが、その隣りには同業の「ココカラファイン」がある。 この両薬局は今年10月に経営統合すると云われてる。 さて、この2店舗は統合後どうなるのかな? 1店舗にして、書店が復活すると、私のように知識に飢えている読書家には嬉しいね!

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④泌尿器科が無い!・・・・・浅草橋の住人も高齢化し、尿漏れ・膀胱炎・前立腺癌など“泌尿器科”にお世話になる機会も増えてきたが、“浅草橋周辺”には泌尿器科の専門医院が無くなった。 ついでに、婦人科・産科も無くなった。 眼科、小児科の医院は各1軒だけ。 チョイト外れた総合病院に行けば、診てもらえるが、待ち時間・費用が大変だ!、、、、私も、数年前、排尿ができなくなり苦しみ、総合病院へ救急搬送してもらった経験がある。 先生曰く『家の近くの医院で、定期的に診てもらいなさい』 私『その近くの医院より、こちらの病院の方が近いのです。 普段診てもらえそうな医院は、こちらの病院より遠い処にしかありません』、、、、ちなみに、町の歯科医は15軒以上ある。 病院は「永寿総合病院 柳橋分院」(内科・整形外科が主)があるのみ。、、、、浅草橋は医療崩壊ではなく、医療アンバランスなのだ!

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⑤寺が無い!・・・・・・台東区は谷中・浅草と寺の多い区であるが、“浅草橋周辺”の地域内には一寺も無い。、、、、大正12年の関東大震災までは、浅草橋二丁目に華徳院と云う寺があったが被災し昭和4年に杉並区へ移転した。 この寺には、江戸三閻魔の一つがあった。 寺があった処には「閻魔堂跡」の碑がある。 華徳院の移転後、寺らしい寺は皆無となった!、、、、最近は、わけの判らない、〇〇教̻▢▢教会がポツ・ポツと生まれ、何やら怪しげな人が集まる処もある。 できることなら、閻魔さまに戻ってきて欲しいものだ!

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⑥タワマンが無い!・・・・・都心でも、郊外でも、再開発の目玉は超高層ビル、タワーマンション。 “浅草橋周辺”には30階以上の大きな建物が無い、土地の地盤が悪いわけではない、なぜだ?、、、、浅草橋5丁目に、30年前に建てられた「CSタワー」ビル(地上18階建て)は、今でも町のランドマークである。 蔵前1丁目の旧東京貯金事務センター跡地に建設中の建物は、23階建て(高さ91m)のタワーマンションと13階建て(高さ58m)の高層オフィスビル。 チョイト区域外だが浅草橋5丁目の向かい側(千代田区神田和泉町)に建設中の「日本通運本社ビル」は地上14階建て(高さ58m)。、、、、世間では30階を超える建物も珍しくなくなり、アチラ・コチラで、空に向かってニョキニョキと伸びている。 “浅草橋周辺”の住民は、私を含めて、皆、高所恐怖所なのかも?、、、、写真は順に、CSタワー、貯金事務センター跡地の再開発現場、日本通運本社ビル建設現場

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⑦その他、ありそうで無いのは・・・・・・公団(UR都市機構)の住宅団地が無いのは理解できるが、区営住宅・都営住宅など小規模公営住宅がない。、、、、ビジネスホテルはドンドン建設中だが、ラブホテルが無い、不便を感じる人は居ないようだ、皆、ジジイとババアになったのか?、、、、“〇〇商店街”が皆無となった。 終戦直後は、私が知るだけでも、駅前に2つの商店街があり、年末の“福引大売り出し”で賑わっていた。、、、、最後に、エスカレーターのあるビルが無い。 エスカレーターなんて、どこにでもありそうだが、“浅草橋周辺”域内のビルで、設置されているビルは私の記憶では皆無。(注:都営の浅草橋駅構内には設置されている。JRの浅草橋駅には設置されてない) 



我が家から、秋葉原までは徒歩20分、浅草雷門までは徒歩45分、日本橋までは徒歩45分、ナンダカンダと云っても、“浅草橋”は足を使えば便利なところである。、、、、高齢者施設に強制収容されるまでは、この地に住むつもりだ! 

 

2021年1月 1日 (金)

浅草橋七社巡り

明けましておめでとうございます・・・・今年も『雅万歩』をよろしく

大晦日、東京都の新型コロナ感染者数は、とうとう1000人を超えた! 我が家では、都内に住む娘二家族の全員が、時間をずらしてやって来た。 年始の会食は避け、用意していた三段重の“おせち料理”を、一段づつ持って帰ってもらい、それぞれ家族単位で正月を迎えることにした。 今日は、私達夫婦と97歳の母、三人でチョイト寂しいお正月。 

祝いの膳を済ませ、私:『今年は、“浅草橋七社巡り”に行こう!』 妻:『なに?それ!』 私:『誰云うとなく、神代の昔から言い伝えられた“浅草橋七社”を知らずして、ここに住めないぞ!』 妻:『じゃ~~、どこに住むの?』 私:『・・・・・?』、、、、「浅草橋七社」、こんな名所はガイドブックにも載ってない! これは雅万歩の好き勝手な命名である。

今日は浅草橋周辺にある全ての神社(七社)を巡ってきた。、、、、「浅草橋周辺」とは、東は隅田川、西は美倉橋通り、南は神田川、北は蔵前橋通り、で囲まれた、東西約1.0km、南北約0.6kmの矩形範囲が対象域。 この矩形の中には、台東区浅草橋と台東区柳橋の全域、北東の隅に台東区蔵前一丁目、南西には千代田区東神田三丁目が含まれる。 ちょうど矩形の中央に浅草橋二丁目の我が家が位置する(我が家が“浅草橋の中心だ!”、“天動説”の雅万歩) 浅草橋一丁目にはJR・都営の浅草橋駅、蔵前一丁目には蔵前警察署がある。

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● 浅草橋七社巡りの一番は、まず我が家の氏神様である「銀杏岡八幡神社(いちょうがおかはちまんじんじゃ)」、、、、浅草橋駅裏に静かに、誉田別命を祀る小さな神社。、、、、歴史は古く、平安時代後期、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願した。 奥州平定の後、再び立ち寄ると銀杏の木は大きく成長していた、義家は神に感謝し、この処に大刀一振を捧げ八幡宮を勧請した。 時は康平5年(1062)のことである。 江戸時代に入ると、現在のJR浅草橋駅の北側一帯は福井藩松平家屋敷地となり、神社も松平家の邸内社となる。 享保10年(1725)公収され町内(福井町)の産土神となった。 明治維新後には村社に列格した。、、、、毎年、6月と12月の大祓では、人型に家族の名を書き息を吹きかけ、半年の穢れを祓い清めてくれる、ありがたい神社。 今年も、我が家族の心身を、清く正しく美しくしてもらい、正月を迎えた。(残念なことに、容姿は美しくならないそうだ)

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● 二番は「須賀神社(すがじんじゃ)」、、、、神社は私の住む浅草橋二丁目にあり、江戸通り(国道6号)に面して鎮座する。、、、、神社の歴史は銀杏岡八幡神社よりさらに古く、推古天皇九辛酉年(601)に遡る。 このあたり(武蔵国豊島郡)に疫病(当時の新型コロナかも?)が流行した折、郷人が牛頭天王(素戔嗚尊の化身)に病難平癒を願ったところ、ことごとく快気を得たので、この所に祠をたてたのが創始とされている。 江戸期には祇園祠牛頭天王社と称していたが、明治元年に須賀神社と改称した。 その後、震災・戦災で被災し、昭和36年(1961)に社殿・社務所等の建物を全て完成。、、、、祭神は、もちろん素戔嗚尊。、、、、今日は、人類を代表して、“新型コロナの撲滅”を祈願する。

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・・・・・・・・・・・・・・須賀神社前の江戸通り(国道6号)も、今日は空いている!

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● 三番は柳橋一丁目の「篠塚稲荷神社(しのづかいなりじんじゃ)」、、、、祭神は、穀物・食物の神様である倉稲魂命。 神社は南北朝時代(室町時代)に、新田義貞の家臣篠塚重広(武勇に秀でた人物で、新田四天王の筆頭と言われた武将)が当地にあった稲荷社に祈願を続けていたことから、「篠塚稲荷」と称されるようになった。、、、、江戸時代には篠塚山玉蔵院宗林寺というお寺になったが、しかしその後、明治維新の神仏分離令により、廃寺となる。 その後は、大正時代に寺子屋として子供達の教育の場になるが、今度は廃校となってしまう。 そのような中、篠塚稲荷神社だけが残され、現在もこの地に鎮座しています。、、、、寺も学校も廃止となり、事業は失敗続き! 御利益期待できるのかチョイト心配だ? 一応、“金運上昇”、“一攫千金”の御利益を期待し、賽銭をはずんできた。

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● 四番は柳橋一丁目にある「石塚稲荷神社(いしづかいなりじんじゃ)」、、、、祭神は、こちらも倉稲魂命。 石塚稲荷神社の創建年代は不詳だが、浅草御蔵前元旅籠町(現:蔵前三丁目、江戸時代には隅田川岸に御蔵が並んでいた処)の人々は町内の安全と火除けを祈り、創建したと云われている、元禄元年(1688)には、御蔵の拡張により現在地へ移転した。、、、、戦後に柳橋料亭組合と柳橋芸妓組合などが寄進して再建した玉垣には、「亀清楼」「柳光亭」「柳水」「津久松」「はやし」「稲がき」など、隅田川沿いに建っていた料亭の名前が、当時の並び順に彫られている。、、、、私が知る戦後の柳橋では、神社は料亭街の中央に位置して、近くには銭湯・見番もあり、行き帰りにチョイト手を合わせることができた。 今日は、もしコロナで入院したら、柳橋芸者のような美人看護士に巡り合えることを祈願した。

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● 五番は蔵前一丁目の「榊神社(さかきじんじゃ)」、、、、榊皇大神を祀る榊神社は、浅草橋七社の中では、境内も広く最も参拝客の多い神社で、古くから「第六天神宮」と呼ばれてきたが、明治6年(1873)に社号を「榊神社」へ改称した。 笹塚稲荷神社・石塚稲荷神社は、こちら榊神社の兼勤社である。 、、、、第六天榊神社は、日本武尊が、景行天皇40年(110、日本書紀の時代だ!)に創建したと云われてる。 もと第六天神社と称し、森田町(現:蔵前三丁目)に鎮座していたが、享保4年(1719)浅草不唱小名(柳橋一丁目)へ遷座。 明治維新の廃仏毀釈により社号を「榊神社」へ改称。 現在の所在地(蔵前一)には、かつて官立の図書館浅草文庫があった。 浅草文庫は明治14年(1881)に閉館し、その後は東京職工学校(後に東京高等工業学校、現:東京工業大学)の校地となっていた。 関東大震災後に東京高等工業学校が目黒区大岡山へ移転したことから、昭和3年(1928)にはその跡地の一部(東京高等工業学校正門付近)に榊神社が移転し現在に至っている。、、、、頭が良くなりそうな神社なので、夫婦揃って“ボケ防止”を祈願してきたが、効果があるか疑問?

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● 六番は浅草橋三丁目の「加賀美久米森稲荷神社(かがみくめのもりいなりじんじゃ)」、、、、正月元日と云うのに、参拝する人は居ないのか? 浅草橋七社の中では、最も貧弱な神社。 祭神は倉稲魂命。、、、、その昔、加賀美太夫、条太夫という越後国猿屋村の猿曳が諸国漂泊の末、江戸にやってきた。やがて本業の芸と加持祈祷の評判が高まった。 そのころ、徳川将軍が不治の病にかかり、すぐれた祈祷師を天下に求めた。さっそく、彼らは城中に招かれ病気平癒の祈禱をした。すると、将軍の病はみるみる快癒にむかったので褒賞として、現在、神社のある土地に猿楽町の名を賜わって、永住することを許された。この両太夫の邸内に、それぞれ祀られたのが当稲荷社である。その後、小島屋西之助の持地となり合祀奉斎された。寛永7年(1630)にすでに猿屋町の町名が見られるため、そのころに勧請されたものと思われる。、、、、加賀美久米森稲荷神社は現在鳥越神社の境外末社となっている。(鳥越神社は我が家からも近い距離にあるが、今回の浅草橋周辺の定義域に入らないので除外)、、、、神社の大きさに比べ、やたら大きな鋼製の賽銭箱に、複数枚の硬貨を放り込んだら、ガラガラと大きな音を発し、正月の静かな町を目覚めさせた、恥ずかし~~い! 神社の規模から推定し、御利益は期待薄であるため、控えめに、年末はダメだったジャンボ宝くじ、『今年こそ一等当選しますように!』

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● 最後の七番は浅草橋三丁目の「甚内神社(じんないじんじゃ)」、、、、甚内神社は、「甚内霊神」を祭神とする。 伝承によれば、甚内は武田家の家臣高坂弾正の子で、主家滅亡後、祖父に伴われ諸国を行脚するうち宮本武蔵に見出されて剣を学び奥義を極めた。 武田家再興をはかり盗賊の首領となって、開府早々の江戸市中の治安を乱したため、瘧(マラリア)に苦しんでいたところを幕府に捕えられた。 鳥越の刑場で処刑されるとき「我瘧病にあらずば何を召し捕れん。我ながく魂魄を留、瘧に悩む人もし我を念ぜば平癒なさしめん」といったことから、病の治癒を祈る人々の信仰を集めたという。 “新型コロナ”で苦しむ人にも効くかも?、、、、ここは素直に“コロナ撲滅”を祈願した!

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● コロナ禍で、遠出は出来ず、地元の浅草橋七社巡りで、初詣とした。、、、、七社は、どの神社も社殿は戦後の建物(浅草橋周辺は関東大震災で被災し、昭和20年の空襲でも被災した)だが、歴史ある神社ばかりで、由緒を調べると面白いものである。、、、、七社巡りは4千歩の散歩でした。

2020年12月29日 (火)

浅草橋の三迷橋

コロナの感染者数は『我慢の三週間』から大幅に増え、英国製・南ア製の新型モデルも発表・渡来した。 『不要不急の外出自粛』、『三密の回避』など感染対策の徹底がより強く求められ、雅万歩も今まで以上に自重することにした。 しばらくの間、散歩は我が家の周辺をチマチマ歩くことにする。

雅万歩が住むのは台東区浅草橋。 今日は、地元「浅草橋駅」に近い柳橋・浅草橋・左衛門橋の三橋と、隣りの千代田区に架かる美倉橋の、四橋を歩いてきた。 1万歩には程遠い5千歩の散歩。

日本橋(東京)、錦帯橋(岩国)、眼鏡橋(長崎)の『日本三名橋』に対抗して、誰が言ったか『浅草橋の三迷橋』、、、、とは、誰も言ってない! 雅万歩が勝手に言った! その『浅草橋の三迷橋』は、神田川に架かる三橋のことで、隅田川に注ぐ最下流から、柳橋・浅草橋・左衛門橋である。 左衛門橋の上流に架かる美倉橋は、“付録”とする。




● まずは、神田川が隅田川に合流する手前に架かる「柳橋(やなぎばし)」、、、、現在の橋は、右岸の中央区東日本橋と左岸の台東区柳橋を結ぶ震災復興橋のひとつで、昭和4年(1929)に工事費12万1千円で完成した、長さ37.9m、幅11.0mの鋼製タイドアーチ橋。 永代橋をモデルにしたと言われる小型のアーチ橋で、全体的に緑色に塗られている。(たまたま、今月から来年3月まで、塗装の塗り替え工事中)、、、、初代の柳橋は、江戸時代後期に架設された木橋で、はじめは「川口出口の橋」と呼ばれたそうだ。 「柳橋」の名は、享保年間(1716~1735)の頃、土手の両岸に柳の木が植えられていたことに由来するようだ。、、、、江戸時代から今日まで、橋畔は船宿が並んでいる。 昔は日本堤の遊里、新吉原へはここから隅田川を舟で昇り今戸の山谷堀まで行った。 また、幕末・明治以降、昭和40年代頃までは、柳橋は花柳界として名を馳せた。 現在では、この付近の護岸は非常に高くカミソリ護岸となっているが、船宿に屋形船も繋留されていて、江戸情緒は残っている。、、、、私が知る、戦後の花柳界のあった頃は、暗くなると黒塗りの乗用車が並ぶ町で、芸者さんが人力車で行き交っていた。 路地裏の我が家の前にも、芸者さんを迎えに人力車が入って来た。 美人芸者がイッパイ、あの良き時代に戻りたいね!

・・・・・・・・・・・・塗装工事中の今日の柳橋

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● 柳橋の上流に架かるは「浅草橋(あさくさばし)」、、、、その名のごとく、浅草寺の門前橋であるが、浅草寺までは北へ約2km程ある。、、、、浅草橋は江戸36見附の一つで、浅草橋御門として寛永13年(1636)頃(詳細は不明)に架けられた。 奥州街道の起点となっていたため、徳川時代、神田川に架かる橋としては重要な位置づけを与えられていた。明治7年には見附門の石を利用して石造アーチ橋として架け替えられましたが、これは何故か長持ちせず、すぐに他の形式に架け替えられた。、、、、現在の橋は、これも震災復興橋として、昭和5年(1930)1月に開通した。 右岸は中央区日本橋馬喰町、左岸は台東区浅草橋。 工事費27万7千円、下部工は間組(現:安藤ハザマ)の施工による鋼製アーチヒンジ橋。 アーチ構造の橋ということだが、アーチ(円弧)の形状が緩やかなためか、水平の桁橋に近い印象を受けう極めて単純な橋で、面白味に欠ける。 親柱や欄干などは、お金をケチったのか貧弱で、センスも悪く印象が薄い、存在感が無いね!

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・・・・・・・・・・・・浅草橋南詰(中央区側)に開智日本橋学館中学高等学校がある。 その校舎の一角に、浅草橋御門の石垣の石が発掘され残されている。 貴重な石らしいが漬物石より大きく、一見しただけでは石垣の石には見えないね!

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● 次は「左衛門橋(さえもんばし)」、、、、左衛門橋の上流側は千代田区東神田、下流側右岸は中央区日本橋馬喰町、下流側左岸は台東区浅草橋、なんと三区を結ぶ橋。 さらに地名だけ読むと、“神田”、“日本橋”、“浅草”と、江戸っ子が喜びそうな地域を結ぶ橋。、、、、左衛門橋の北詰一帯(現:JR浅草橋駅西口周辺)に、慶長3年(1598)から明治維新までずっと、徳川譜代大名庄内藩酒井左衛門尉(さえもんのじょう)の下屋敷があった。 橋の由来は、後に、神田川に望むこの地を左衛門河岸と呼んだことにちなむ。、、、、左衛門橋の創架は、明治8年(1875)、東京府の認可を受けた賃取橋(有料橋)として、民間人により架けられたものである。 その後、明治34年(1901)、下路式プラットトラスの鉄橋に架替えられた。、、、、現在の橋は、昭和5年(1930)に、工事費13万5千円で、架けられた鋼製アーチ橋である。(平成12年大規模補修工事が行われた) 次の美倉橋と左衛門橋・浅草橋の三橋は、いずれも似た構造の鋼製アーチ橋で、震災復興橋でもある。、、、、30年ぐらい前の話だと思うが、高度成長期には汚れていた神田川が浄化され、隅田川からボラの大群が上ってきた。 その時は、我が家から最も近い左衛門橋から川を覗いて、水が清くなったことを実感した! いつだったか、クラゲの大群が上がってきたこともあったね!

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● 左衛門橋の上流には「美倉橋(みくらばし)」が架かっている。、、、、美倉橋は右岸の千代田区東神田と左岸の千代田区神田佐久間町に架かる橋。 現在の橋は、昭和4年(1929)2月の架設、長さ35.35m、幅23.31mの鋼製アーチ橋。 工事費は17万9千円也。、、、、神田美倉町はもと佐柄木町・本銀町・紺屋町の蔵地からなり三倉地と呼ばれ、橋の営繕は町の費用で行われていた。 明治2年(1869)に“三”を“美”に改め、町名及び橋名にした。 橋の南詰には、この命名に因んで、倉が三棟建っているが、実体は公衆便所で、男・女・車椅子の各用のトイレ。 味噌を処理する“味噌蔵”だ!

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2020年12月26日 (土)

日本の原点!

年末の土曜日、今日は都心に向かう電車も空いている。 都営浅草線に乗り大門駅で下車し、増上寺、東京タワーと通り、ロシア大使館のある港区麻布狸穴町の周辺を歩き、大江戸線麻布十番駅まで、1万歩の散歩です。




いつもは大勢の通勤客が乗降する「大門駅も、今日は人影まばら。 チョイト異様な感じだが、何はともあれ、“3密”の心配なく駅を出ることができた。

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● 大門駅の近く「芝神明宮(芝大神宮)」に寄って行く。、、、、芝神明宮は、天照大御神と豊受大神の二柱を主祭神とする。 鎮座は遠く平安時代、寛弘2年(1005)に創建された。 古くは飯倉の地にあって「飯倉神明宮」と称し、現在地に移って「芝神明宮」に変わった。 鎌倉時代は源頼朝の手篤い信仰の下で社地の寄贈を受け、江戸時代においては徳川幕府の篤い保護の下に、江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢様」として数多くの人々に崇敬されたそうだ。、、、、正月の準備、社殿では大掃除が始まっていた! 

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芝増上寺は本堂屋根瓦の総葺き替えで、フェイスシールドをした状態。 今日は手を合わせて、早々と境内を抜ける。、、、、時刻は午前8時半、東京タワーはオープン前。 下から見上げての撮影は、何やら助平っぽいね!

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● 今日の散歩の目的地、その一つ、東京タワー前にある『あの金地院崇伝の金地院』である。、、、、金地院崇伝とは、徳川家康の政治的ブレーンを務めた僧侶で、その絶大な権力によって「黒衣の宰相」とも称された人物。 家康の天下取りの総仕上げ「大坂の陣」のきっかけとなる、歴史上最大のいいがかり「方広寺鐘銘事件」を考えた頭の良い僧侶である。 そして家康の死後、崇伝はもう一人の「黒衣の宰相」天海と激突する。 徳川幕府の根幹となる武家諸法度・禁中並公家諸法度・寺院諸法度の制定にも関わった僧なんです。、、、、臨済宗南禅寺派寺院の金地院は、崇伝和尚が、元和5年(1619)江戸城北の丸内に創建、寛永16年(1639)芝の現在地へ移転した。 崇伝和尚は、福厳寺や禅興寺、建長寺、南禅寺の住職を務めた高僧で、京都南禅寺金地院と当芝の金地院を兼務、江戸幕府の幕政に深く関与し、寛永寺の天海大僧正と共に「黒衣の宰相」と称された。 寛永10年には寺領500石の御朱印状を拝領、元禄7年には更に200石の加増を受けている。(影の実力者は、今も昔も、実入りがいいね!)、、、、江戸時代の堂宇と本尊の如意輪観世音菩薩坐像は、東京大空襲で全て焼失した。 現在の八角形の本堂は昭和31年(1956)に再建され、白檀一木造の本尊:聖観世音菩薩立像が新刻された。 


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・・・・・・・・・・・・金地院へ来たのは、境内右墓地の手前にある閻魔堂の閻魔大王(石像)に会うためである。 江戸時代、大名「南部家」にあった閻魔大王を金地院に祀った。 増上寺の西の切通に金地院があったことから、通称「切通し閻魔」と呼ばれている。(江戸四十四閻魔の一番)、、、、江戸時代の作で50cm程の小さな像、見つめていると好々爺のようだ!

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● 東京タワー方面から飯倉交差点に下ってくると、ランドマークとして楕円形の「ノアビル」が見える。、、、、白井晟一(芸術院賞受賞者)の設計、竹中工務店の施工により、昭和49年(1974)に竣工した。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地下2階・地上15階建ての事務所ビルである。、、、、50年経っても斬新で興味深い建物。

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● 今日の散歩の第二の目的地が、ロシア大使館の南側(裏側)にある「日本経緯度原点」である。、、、、日本の法令である「測量法施行令」によると、日本経緯度原点は「東京都港区麻布台二丁目18番1地内日本経緯度原点金属標の十字の交点」と定められている(第2条第1項第1号)。 さらに、基準数値を以下のように定めている。 経度: 東経139度44分28秒8869 緯度: 北緯35度39分29秒1572 原点方位角: 32度20分46秒209 以上の数値は2001年の測量法改正で採用された世界測地系にのっとり、最新の宇宙測地技術を用いて測定したものを、2011年の東北地方太平洋沖地震の影響により定義し直したものである。、、、、ここが、日本各地の位置を、北緯〇度、東経〇度と表現する、測量座標の原点である。
・・・・・・・・・・・・施行令が示す、麻布台の地がココである、、、、この場所には、明治7年(1874)から海軍の観象台が置かれていたが、明治21年(1888)になって赤坂区溜池葵町の内務省地理局天象台と合併し、東京帝国大学附属東京天文台が置かれた。 原点の位置は天文観測に用いられた機器である「子午環」の位置に当たります。 その後東京天文台は大正12年(1923)に三鷹に移転したが、子午環跡は国土地理院が日本経緯度原点として引継ぎ、現在もわが国の地図測量原点として利用されている。


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・・・・・・・・・・・・施行令が示す、原点金属標がコレである、、、、御影石の中央に直径10cm程の金属標が埋め込まれている。

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・・・・・・・・・・・・日本経緯度原点の前には、アフガニスタン大使館がある。 ヨーロッパ風の白い屋敷のようだ!


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● ここまで来たら、チョイト、ロシア大使館前の几号水準点を見て行こう!、、、、ロシア大使館の西角、狸穴坂の入口に警察の見張所(簡易の交番のような建物)があるが、その直下の歩道上に“不”の字に似た几号水準点がある。 見張りの警察官が立っている足下にあるため、悪い事していないのだが、写真を撮るのが恐かった。、、、、警察官(写真中央)に『これは何ですか』と尋ねられ、明治時代の水準測量のポイントであることを説明してきた。 短い時間の会話であったが、興味を示してくれたね。

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● ロシア大使館の西側から東麻布に下る、約250m程の急な「狸穴坂(まみあなざか)」がある。 坂の謂れは『まみ とは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、むかし その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。 』と、標識に描かれてる。、、、、今でも東麻布は窪地のようでもあり、タヌキが居たかも?

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・・・・・・・・・・・・狸穴坂の西側に「鼠坂」と、それに続く「植木坂」がある。 東麻布に下った私は、鼠坂、植木坂を上り麻布永坂町に出た。、、、、鼠坂の謂れは『細長く狭い道を江戸で ねずみ坂 と呼ぶふうがあったといわれる』、、、、植木坂の謂れは『この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという』

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● 麻布永坂町から、またまた坂道を下り麻布十番駅に着いた。、、、、今日の散歩はココまで!

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2020年12月23日 (水)

瑞江の寺社

混んだ交通機関の利用は避けて、馬喰横山駅から都営新宿線に乗り、瑞江駅で下車する。 今日は、沿線の寺社に立ち寄りながら一之江駅まで、1万歩の散歩です。




● 都営新宿線の馬喰横山駅にて、コロナには感染しそうにないガラガラの本八幡行きに乗り、瑞江駅(みずええき)で下車する。 

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・・・・・・・・・・・・朝の瑞江駅は都心方面(岩本町・新宿方面)に向かう通勤客がゾロゾロ! コロナに注意しながらの通勤、神経を使いご苦労様!

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● 瑞江駅から南へ500m程、まずは豊田神社(江戸川区東瑞江)に参る。、、、、豊田神社は旧下鎌田村の鎮守である。 創建は不詳であるが、天照大御神と経津主命をまつり、もと神明社といった。 明治の初期に同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。 境内には、神木の大きなケヤキがある。 樹齢200年ともいわれ(幹の径150cm、樹高23m)神木にふさわしい枝ぶりの樹形をなしている。 昔はこの神木のそばに池があったそうだが、今はその面影がない。、、、、神社名の“豊田”の謂れは不明。 車の“トヨタ”とは無関係と思うが?謎だ!

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● 東瑞江の裏道を歩いていると、泉福寺の西側の住宅地に小さな神社がある。 最近建てられたような新しい社殿である。 神社の名は「内手八幡宮」(東瑞江2)、、、、境内の手水鉢には、右側面に「内手若者中」、左側面に「宝暦四申戌天九月吉日」と刻まれている。 『チョイトまて!』、年号の割には新調したように見える手水鉢だ。 宝暦四年は西暦1754年、約260年前の年号。 昔の手水鉢を模して作ったのか?謎だ!、、、、神社名の「内手」とは、調べてみたが旧地名ではなさそう、これも謎だ!

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● 東瑞江2丁目の住宅地の中に浄土宗寺院の泉福寺がある。 泉福寺は、法器山智海院と号す。 創建年代は不詳。 京都東山の知恩院を総本山、東京芝の増上寺を大本山とする。 本尊は阿弥陀如来。 開基は天文20年(1551)で、室町後期、織田信長の父信秀が没した年。、、、、明治15年10月29日落雷により本堂・庫裡とも一瞬にして灰になったと記録にあるが、同17年には茅葺きの本堂を再建した。、、、、現在の堂宇は、開基450年記念事業として建設され、平成16年(2004)に竣工した。 木造のスッキリした本堂である。

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● 泉福寺から西へ150m程に、浄土宗で西方山報土院と号す「安養寺」(東瑞江2)がある。 永禄10年(1567)の開山と云われている。、、、、この寺には、「こんにゃく閻魔」と云われる、仏身45cmの閻魔像があり、昔は歯の病や眼疾の人々の信仰を集めたそうだ。 閻魔好きの私としては、この像を拝見したかったのだが、突然の訪問では無理だ!、、、、なお、「こんにゃく閻魔」は文京区の源覚寺にもある。

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● 小さな社殿の「山王神社」(江戸川区江戸川3)が、安養寺の南にある。 鳥居、狛犬、社殿、水盤などすべて最近新築したと思われる。、、、、神社の由緒がわからず、何だか、どうでもいいや!

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● 江戸川3丁目の浄興寺は、浄土宗の古刹で龍亀山清泰院と号し、もとは芝増上寺の末寺であった。 文永3年(1266)源清和尚が草庵を結んだのが始まりで、弘安年間(1278~1287)に記主禅師が鎌倉の光明寺から下総の光明寺に赴く途中この寺に一宿したとき住持が開山を願ったものといわれてる。 浄興寺の元末寺に、泉福寺、安養寺、他二寺がある。、、、、この辺りでは大きな寺である。 コロナ禍の大晦日、除夜の鐘を撞くのかな?

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● 上記の他に数寺・数社を巡り、今井街道が新中川を越える「瑞江大橋」に出た。、、、、瑞江大橋は、新中川掘削工事に伴い、昭和35年(1960)に架橋された。 橋長158.5mの、純プレートガーダー桁橋。、、、、昭和43年(1968)まではトロリーバス(上野公園~今井間)が走っていた、その懐かしい情景を思い出す人もいるでしょう!

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・・・・・・・・・・・・新中川の上流側には平成4年(1992)に架け替えられた明和橋が見える

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● 瑞江大橋を渡ると、都営新宿線の一之江駅。 ここから地下鉄で浅草橋(我が家)へ帰れば素直なのだが、根性曲がりの私は、亀戸行きのバスで亀戸に向かう。 所要時間35分、乗り応えあるね!

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2020年12月20日 (日)

客の少ない足立小台

近頃は連日、最悪の感染者数を記録している“コロナ”、高齢者に属する私も外出自粛を心がけている。 でも、内緒で、少しぐらい、密を避けて、の散歩なら許されるだろう! 今日は、日曜なので通勤通学客も少ないので、日暮里舎人ライナーの足立小台駅で下車し、尾竹橋経由で京成本線の町屋駅まで歩いてきた。 1万歩。




● 日暮里舎人ライナーの「足立小台駅(あだちおだいえき)」と聞いて、駅を思い出せる人は少ないと思う。 それもそのはず、足立小台駅は、北の荒川と南の隅田川に挟まれた狭い中洲状の土地に位置しており、駅から1km圏内には、戸建て住宅はほとんどなく、隅田川岸にマンションが数棟ある程度。 観光名所は飛んでも“無い” 駅の並びに、家電量販店の「ケーズデンキ」とホームセンター「島忠ホームズ」がある。 駅から西へ1km程歩くと、「小台」、「宮城」の住宅地となる。

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・・・・・・・・・・・・昨年春に公開された、東京都の駅別乗降客数(2018年 平成30年度)のデータによると、足立小台駅の一日当たりの乗降客数は3,938人。 JR、私鉄、三セク、都電、ケーブルカーなど都内の全749の駅・停留所を対象にした中で、下から数えて“堂々の54位”である。 54の中には、都電の停留場が27、ケーブルカーの駅が4含まれている。 実質的にはワースト20にランク入りできそうだ! ちなみに、下から60位前後には、小田急線の南新宿、多摩都市モノレールの万願寺、東武亀戸線の亀戸水神、東武伊勢崎線の堀切、東京モノレールの新整備場などの駅がランクインしている。

・・・・・・・・・・・・足立小台駅は平成20年(2008)3月30日に、日暮里舎人ライナーの開通と同時に開業した。 ホームは島式1面2線構造で3階にある。 出口は1ヶ所のみで、尾久橋(隅田川)と扇大橋(荒川)の間に出る。 駅前にはロータリーがあるが、このロータリーは堤防の最上部を走る道路面の高さである。 実はこの下に、旧来の道路面がある。

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・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーから下の道路に下る階段、、、、川沿いの工場、事務所などは全て、この下の道路に面している。

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・・・・・・・・・・・・隅田川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、後ろの尾久橋には都道が通っている

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・・・・・・・・・・・・荒川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、並行するのは扇大橋

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・・・・・・・・・・・・足立小台駅から堤防上を東に向かい歩く、チョイト寒いね。、、、、写真:右側のマンションの後ろには隅田川が流れている。 左側は荒川。、、、、足立小台駅を利用するのは右側の住人と、工場などに勤める人ぐらい!

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・・・・・・・・・・・・マンション前を通り過ぎ、工場、倉庫がある辺り、堤防上から眺めると、、、、最上段の堤防上の道路に私がいる、その下にバス通りがある、さらに下にマンション・倉庫・工場が並び面する道路がある。、、、、三段腹の道路!

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・・・・・・・・・・・・二段目のバス道路から眺めると、上にも、下にも道路がある。(あたり前田のクラッカー!) 

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● 足立小台駅から堤防上を1km程歩き、下の道路を歩くと、UR都市機構の「リバーサイド桜木団地」がある。 昭和56年(1981)に完成した団地。、、、、隅田川と荒川に挟まれた団地は、気のせいか、寒い! ホットコーヒーを買うコンビニがない! 何やら、落ち着かない! このままだとズボンを濡らし、大変なことになる! 恥ずかしさをこらえ、通りがかりの主婦に聞いた『この辺にトイレありませんか?』 親切に公園を教えてくれた、これにて一件落着!!
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・・・・・・・・・・・・この先は、尾竹橋を渡り町屋駅まで歩く。、、、、尾竹橋を渡ると荒川区

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2020年12月17日 (木)

コロナ避けて平井まで

“3密”を避け、浅草橋の我が家から、歩く人も少ない「蔵前橋通り」を東へ歩きJR総武線の平井駅まで、1万4千歩の散歩です。

・・・・・・・・・・・・・「蔵前橋通り」は、文京区本郷の順天堂病院の北で国道17号(本郷通り)から東に伸び、末広町交差点、蔵前橋、亀戸天神の前を通り、旧中川、荒川を渡って、江戸川区西小岩1丁目で奥戸街道に接続する路線。 その先、奥戸街道をそのまま進むと、市川橋の手前で国道14号(千葉街道)に接続する。 今日、散歩した鳥越神社前から平井駅前まで(約5.5km)は、都道315号御徒町小岩線の一部である。




● 我が家から北に歩いて4分程で、蔵前橋通りに面する「鳥越神社」前に出る。 “道中の無事”と“コロナ撲滅”を願い手を合わせる。 どうも、“コロナ撲滅”の願いは、賽銭が少ないのか、いつまで経っても願いは叶わない!

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● 蔵前一丁目交差点で江戸通りを横断し、家を出発して25分経過、蔵前橋を渡り墨田区に入る。、、、、隅田川の空は晴天、風はなし、気温は寒し、私の懐も寒し!

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● 蔵前橋を渡ったら、チョイト、震災・戦災の犠牲者を悼む東京都慰霊堂にお立ち寄り。、、、、ついでに、厠にもお立ち寄り、冷えると回数も多くなるんです! いずれは、オムツのお世話になりそうだ!

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●東京都慰霊堂前の清澄通り、冷え冷えの寒さの中、小学生が集団登校する。 時刻は朝8時、20人程の元気な子供たちだ!

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● 蔵前橋通りは錦糸町の町の手前で、大横川に架かる法恩寺橋を越える。、、、、現在、大横川は暗渠化され川底は親水公園となっているが、大正14年(1925)に竣工した震災復興橋の法恩寺橋は健在である。、、、、橋長32.8mのアーチ型ラーメン橋台付き鋼桁橋

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・・・・・・・・・・・・法恩寺橋を渡ると、橋名となった日蓮宗の寺院「平河山法恩寺」がある。、、、、法恩寺は長禄2年(1458)大田道灌が江戸城を築城時、丑寅の方角に城内鎮護の祈願所として建立された。 境内には、大田道灌の墓や平河清水稲荷大明神、鐘楼三重塔などがある。 現住所の“太平”は、太田道灌と平河山法恩寺の頭文字から命名された。 蔵前橋通りから入る参道沿いには、4か寺の子院が並んでいる。、、、、本堂の後ろからは、日蓮上人に変わりスカイツリーが参拝人を見下ろしているような寺だ!

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● スカイツリーを正面に見る「タワービュー通り」、錦糸町駅前を通る「四ツ目通り」を過ぎ、横十間川に架かる「天神橋」(橋を渡ると江東区)を渡り、亀戸天神にも寄って行く。、、、、学問の神様:天神さまに、是が非でも年末ジャンボ一等当選が叶うよう手を合わせてきた。 これで、年明けには億万長者になっているかも? その折はブログ『雅万歩』は静かに終わり、私はヨーロッパ旅行で長期不在。

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● 「明治通り」との交差点を過ぎ、東武亀戸線の線路を越えると、旧中川に架かる「江東新橋」を渡る。 橋を渡れば江戸川区なり!、、、、江東新橋の下流250m程には、並行するJR総武線の橋梁が見える。

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● 江東新橋を渡ると平井駅は近い。 “3密”を避けて、鳥越神社前から歩いてきたが、「平井駅出口交差点」で蔵前橋通りから外れ、駅に向かう。、、、、駅も、電車も、空いている。 今日も、コロナに感染せずにすんだようだ!

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2020年12月14日 (月)

汐入公園

ガラガラ・空き好き電車に乗って、東武伊勢崎線の牛田駅で下車。 牛田駅から千住汐入大橋を渡り足立区から荒川区に入り、隅田川の右岸を歩いて石浜神社まで、9千歩の散歩です。




● 昭和7年(1932)9月1日に開業した、東武伊勢崎線の「牛田駅  牛田駅は足立区の南端部にある駅で、浅草~北千住間の全ての駅に停車する列車(つまり各駅停車)のみが停車する駅。 牛田駅前に京成本線の京成関屋駅があり、多数の乗換客が利用する。、、、、牛田駅と聞いて、イメージが浮かぶ人は、おそらく戦後生まれの牛田育ちか、乗換で当駅を利用する人であろう。 一日当たりの乗降客数は約22,000人、その内の半数ぐらいは乗換客と思われるので、実質の乗降客はかなり少なそうだ。、、、、北千住駅の隣り駅である「牛田」は、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、そこから駅名を頂戴したらしい。

・・・・・・・・・・・・空いている南栗橋行き区間準急(北千住まで各駅に停車)から降り、改札を出ると・・・・・

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・・・・・・・・・・・・京成関屋駅から、ゾロ・ゾロ・快傑ゾロと乗換客が牛田駅に向かってくる。

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・・・・・・・・・・・・『チョイト失礼します!』と京成関屋駅構内を通り抜けると、そこは都道461号(墨堤通り)である。

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● 墨堤通りを南へ250m程歩くと千住曙町交差点がある。 そこを、西へ曲がれば隅田川に架かる「千住汐入大橋」、、、、千住汐入大橋は隅田川に架かる橋の中でも新しく、平成18年(2006)2月19日に開通した。 その名のごとく、足立区千住地区と荒川区汐入地区を結ぶ、橋長158.6mの2径間連続鋼床鈑箱桁橋。 都道314号を通す。、、、、隅田川が大きく蛇行する処に架かり、対岸には汐入公園がある、景色はGood!


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● 隅田川を越えると元の荒川区南千住汐入(隅田川が弓のように大きく東側に張り出した処で、鉄道の貨物基地、工場などがあった)である。 現在は再開発により、工場は無くなり、貨物基地は縮小しJR貨物の隅田川駅となり、川沿いには都立汐入公園、その奥にはタワーマンションを含む高層住宅が建ち並んでいる。

・・・・・・・・・・・・面積13hrの汐入公園は冬支度。 芝の緑も落ち葉で黄彩に変る!

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・・・・・・・・・・・・公園内を縦断する都道314号は、胡録トンネル瑞光トンネルの2ヶ所で芝生の下を抜けて行く!、、、、荒川区にトンネルがあることを知らない人が多いかも?

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・・・・・・・・・・・・公園の中程にある水神大橋の北側に、「隅田川旧防潮堤」の一部がモニュメントとして残されている。、、、、隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっている、このため都では、高潮や洪水の対策として昭和32年(1957)から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和50年(1975)に概成した。 その結果、高潮や洪水に対する危険は大幅に減少したが、カミソリ堤防によって隅田川と町は分断され、親しみある隅田川から都民を遠ざけることとなった。 そこで、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある水辺環境に配慮したスーパー堤防へと造り替えている。、、、、モニュメントを見ていると、コンクリートの味気ないカミソリ堤防が、川岸に延々と伸びていたのと、メタンガスが発生する汚れた昭和(高度成長期)の隅田川を思い出すね。

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・・・・・・・・・・・・汐入公園の中央から対岸の墨田区東白鬚公園に架かる「水神大橋」を見ながら、土手を行く。、、、、水神大橋は平成元年(1989)に竣工した、橋長157.0mの3径間連続ニールセンローゼ桁橋。

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● 汐入公園に続き「荒川区立瑞光橋公園」がある。 瑞光橋公園は、鉄道と貨物船を結ぶための運河跡地(入江)に造られた公園です。 隅田川のスーパー堤防と入江を利用した公園で、面積は約13,000㎡、平成18年(2006)に開園した。 入江に架かる瑞光橋に因む公園名とした。

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・・・・・・・・・・・・公園内に汐入水門跡がある。 この水門跡は、隅田川貨物駅(現:JR貨物隅田川駅)と隅田川を結びつける唯一の遺構である。、、、、隅田川貨物駅は明治30年(1897)に石炭の集散地として開設された駅である。 常磐線で運ばれてくる石炭を、隅田川の水運で東京市中へ配送するため、荷の揚げ下ろしをする運河が造られた。 元来この汐入地域は土地が低く、運河の護岸は荷物の揚げ下ろしの関係上、低く造られていたため、満潮時には付近に浸水し、さらに台風などの異常な高潮時には南千住ばかりでなく、浅草方面まで被害をこうむっていた。 水門は、この水害を防ぐために昭和28年(1953)に建造されたのである。 しかし貨物の輸送が船による河川輸送から鉄道 ・トラックによるコンテナ輸送に切り替わると、運河は不用となり昭和45年頃には全て埋め立てられ、水門もその役割を終えた。 現在は水門のゲートを支えていたコンクリート製の柱が2本、門柱のように残されている。 

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● 堤防の上を歩くと、球形のガスタンクが3基見える。 このガスタンクは明治26年(1893)から、この地(荒川区南千住3)に工場を建てた東京ガスのガスタンクだ。 終戦直後は円筒形のガスタンク3基であったが、昭和60年頃から球形のガスタンクに変わった。 形は変われども3基のガスタンクは、昔も今も、この南千住のランドマークである。、、、、北千住の「おばけ煙突」とランドマークを競ったのか?

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・・・・・・・・・・・・近づくと、ガスタンクの手前に社が見える、ここが「石浜神社」である。

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・・・・・・・・・・・・「石浜神社」は、神亀元年(724)聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社です。 祭神は天照大御神・豊受大御神。 源頼朝が藤原泰衡討伐の折に当社に祈願、大勝したことから社殿を造営されたといいます。、、、、本殿は伊東忠太設計で、昭和12年(1937)落成の木造神明造り、拝殿は昭和63年(1988)落成の木造銅板葺神明造り。 以前は川岸寄りにあったが、昭和63年に護岸工事のため移転を余儀なくされ、現在地に移された。 本殿は曳家で移されたそうだ。、、、、境内の紅葉は今が最高!

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・・・・・・・・・・・・境内からガスタンクを見ると、『アレ? 御神体はガスタンク!』

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● 石浜神社前の明治通りから南側は私の住む台東区。 区内を循環するコミュニティーバスが、タイミングよく、やって来た。 100円で浅草橋の我が家まで、空いて座れて楽々帰宅!、、、、今日も“コロナ”に感染せずに、散歩ができたようだ!

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2020年12月12日 (土)

高砂からお花茶屋

『我慢の三週間』の三週目、家で“ウジウジ・グズグズ”、やっぱりストレスが溜まる。 今日は、“密”を避け、観光地とは縁遠い葛飾区高砂から葛飾区お花茶屋まで歩いてきた。 1万歩




● 「雅万歩」では、毎度おなじみの「京成高砂駅」、、、、土曜日の今日は通勤・通学客も少なく、すいた電車で朝8時に到着。 駅前の大通り沿いに青戸・白鳥方向に歩くことにした。、、、、この付近、人通りも少なく、マスクなしでも感染の恐れなし!

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● 京成高砂駅より西へ徒歩5分の地に鎮座する高砂天祖神社。 中世、当地が葛西御厨だった頃、領主が勧請したと伝えられている。、、、、現在の社殿は、昭和36年(1961)の造営である。 大きくはないが、総檜・神明造の拝殿は端正で整っている。

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・・・・・・・・・・・・境内には、東京23区では珍しくなった火の見櫓が残っている。 チャンと、半鐘もぶら下がっている。 東京では、見られなくなった懐かしい風景。、、、、高さ約14m、昭和初期の設置と思われる。

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● 中川に架かり、高砂と青戸を結ぶ「高砂橋」は、初代が昭和7年に架けられ、二代目の現橋は平成15年(2003)に架け替えられた。、、、、橋長186.5m、有効幅員15.8mの2径間連続鋼斜張橋。

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・・・・・・・・・・・・上流側には京成中川橋梁が架かっている。、、、、京成線の撮影スポットとして、いいね!

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● 環七通りを横断し青戸の町に入ると、総戸数1119戸の青戸第一団地(UR都市機構)がある。 京成の青砥駅が開設されたのは昭和3年(1928)である。 しかし、青戸が町として発展したのは戦後のことで、日本住宅公団が青戸団地の入居者を募集した昭和31年(1956)からだ。

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・・・・・・・・・・・・周辺には都営住宅も建ち並び、人口増加に伴い、住環境は整備されていった。

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● 青戸の団地を抜けると、国道6号(水戸街道)が走っている。 国道を横断すると葛飾区白鳥(しらとり)の町で、お花茶屋駅前の通りまで続く。

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・・・・・・・・・・・・「白鳥」の由来は、、、、大正ころまでお花茶屋駅の北方に沼地があり白鳥が群棲していた。 安永2年(1773)将軍家治が亀有の鶴狩のとき、沼の白鳥を捕らえようとしたところ何処からともなく白髪の老人が現れて目的を果たすことができなかった。 そこで四ツ木の白髭神社に願を掛けて再び挑むと今度は多くの白鳥を得る事ができた。 この霊験に驚いた鳥見役たちは、鷲が白鳥を咥えた構図1m四方の大絵馬(現存)を奉納してご利益に感謝した。 裏面に福島八左衛門ら11名の名が連ねてある。 以来人々はこの沼を「白鳥沼(しらとりぬま)」呼ぶようになった。 白鳥沼は埋め立てられて今はないが、2丁目の白鳥小学校・白鳥公園からお花茶屋駅の辺りにかけてあったようだ。 沼は市街地化によって次第に縮小し、大正の初め頃までに消滅したと云われている。 現在は、「白鳥」という綺麗な名のみが残っている。

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・・・・・・・・・・・・白鳥の町にある「東京博善四ツ木斎場」は民営の葬儀場。 現建物は平成28年(2016)にリニューアルオープンした超近代化した火葬場である。 最高クラスの火葬料金は一体28万円也。 ちなみに、一般の普通料金は5万8千円ぐらいらしい。、、、、値段違いは、施設の造りの違いだ。 けして、レア、ミディアム、ウエルダンなど、焼き方の違いではないよ!

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お花茶屋駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 昭和6年(1931)12月19日に開業した、私の住む浅草橋駅より古い。 JR浅草橋駅は昭和7年(1932)の開業、負けた!

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● 帰りの電車もすいていたので、コロナには感染しなかったと思うね。

2020年12月 9日 (水)

西小山から碑文谷

この世に生を受け70余年、長い年月東京に住んでいるが、下車する機会の少なかった東急目黒線西小山駅で降りてみることにした。 降りたら『さて、どっち方面に歩こうか?』 駅で地図を見ると、“円融寺通り”の文字が眼に入る。 『あっ!以前来たことがある大きな寺だ! ヨシ、円融寺へ行ってみよう』 これで決まり。 円融寺へ参った後は、近くに「目黒サレジオ教会」があるので、こちらにも参り。 帰りは、都立大学駅へ向かうが、途中、環七通り付近で丁度来た目黒駅行きのバスに乗る。 9千歩の散歩です。




● 都営三田線に乗り、電車はそのまま東急目黒線に乗り入れる。 『何年ぶり、イヤ、何十年ぶりかもしれない』、下車した記憶がない東急目黒線の西小山駅で降りる。、、、、昭和3年(1928)8月1日、地上駅として開業。 平成18年(2006)7月2日に地下駅となる。 平成20年には駅ビルの完成する。、、、、ピンクのホームドアが明るい感じでいいね!

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● 駅前から西に向かって歩く・・・・・
・・・・・・・・・・・・西小山駅付近では、東急目黒線が品川区と目黒区のほぼ境となっている(駅を含め東急目黒線は品川区に属す) その西小山駅前に、二つの「西小山商店街」がある。 駅の改札を出て、すぐ左手(東側)見えるアーケードのある「西小山商店街」は品川区。 反対に右側(西側)の空が良く見える開放的な「西小山商店街」は目黒区。、、、、どちらも、活気ある元気な商店街らしい。、、、、私は、目黒区側の商店街を西へ歩く。

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・・・・・・・・・・・・西小山商店街を抜け、目黒区原町1丁目付近で、昭和36年(1961)に立会川を暗渠化し、その後造られた立会川緑道に出る。(立会川は、碑文谷・清水の両池を水源とし、目黒区・品川区を流れ東京湾に注ぐ川) この緑道は碑文谷八幡宮から始まり、円融寺山門前を通り、西小山駅付近まで続いてる。 春には嬉しい約1kmの桜並木である。、、、、ここを歩いて円融寺山門に向かう。

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● 碑文谷1丁目、立会川緑道から北側を見ると円融寺の山門が見える。 昨年の夏に寄った時は、緑豊かで森の中にあるような寺、今日は木の葉が散り晩秋の風情である。、、、、円融寺は、かつて、妙光山法服寺と称し、天台宗の寺院であった。 寺伝では仁寿3年(853)慈覚大師が法服寺を建立した。 弘安6年(1283)日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。 中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、坊舎18、末寺75箇寺を数えた。 寛永7年(1630)身池対論には法華寺から日進が臨んでいる。 法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、元禄11年(1698)再び天台宗の寺院となった。 天保5年(1834)経王山円融寺に改称する。、、、、広い境内に、堂宇がゆったりと配され、訪れた人には心地よい安らぎを与えると思う。

・・・・・・・・・・・・・山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邦造邸から移築されたもの。 天保4年(1833)、元播磨国の寺の山門として造られた。、、、、山門をくぐると参道が続く。

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・・・・・・・・・・・・・・参道を過ぎ、仁王門の右手に平成2年(1990)に新築された鐘楼がある。、、、、梵鐘は寛永20年(1643)の鋳造。

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・・・・・・・・・・・・・・参道の先には、簡素な造りの仁王門がある。 建立時期は不明だが、 唐風に和風を取り入れ、虹梁、蟇股、懸魚などにも様々な装飾が加えられている。、、、、両脇の仁王像は、永禄2年(1559)の作。(二重のガラス張りの中にあり、光が反射して仁王像の姿が見えない! どうにかして欲しいね)

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の先には、入母屋造の釈迦堂。 釈迦堂は室町初期の建立とされ、23区内最古の木造建築でる。 明治44年(1911)に関野貞博士による調査があり、国の古社寺保存法により国宝に指定された。 戦後は、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きでしたが、火災予防の見地から昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。、、、、円融寺では山門、仁王門、釈迦堂、阿弥陀堂が一直線に並ぶ伽藍配置となっている。 優美な配置は、境内の奥行の深さを感じる。

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・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂の後ろに阿弥陀堂(本堂)が控えている。 阿弥陀堂は、昭和50年(1975)の建立で、設計は佐々木嘉平、設計顧問に早稲田大学名誉教授工学博士・田辺泰をむかえ、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された。、、、、本尊の阿弥陀如来は、堂の扉が閉じられており姿は見えず!

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● 円融寺から西へ直線で250m程に、「カトリック碑文谷教会(目黒サレジオ教会)」がある。 過去に数回訪れているが、ここまで来たら、寄らねばなるまい。、、、、、この教会は、昭和22年(1967)にここ碑文谷に創設されたサレジオ修道会によって、同29年(1954)に建築された教会である。 ローマ・カトリック教会の男子修道会「サレジオ修道会」に所属するため「サレジオ教会」と呼ばれて親しまれている。聖堂はロマネスク式で、壮大と優美の点で日本1、2を争う。祭壇には十字架のキリスト像、ヨハネ・ドン・ボスコの木像、悲しみの聖母の絵などが祀られている。奥行き47m、幅16m、高さ36m。、、、、木彫りの美しい聖マリア像に、しばしの間、恋してしまった。

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● 教会から都立大学駅へ向かうが、環七通りの手前まで来ると、丁度バスが来た。、、、、乗車オーライ!

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