散歩

2023年9月25日 (月)

南千住

今日の散歩は、北の隅田川、南の都電荒川線に挟まれ、国道4号(=日光街道)の西側に広がる荒川区南千住1丁目と6丁目をブラブラしてきたので、気になった数件を紹介する。 1万2千歩 




● 江戸時代に“南千住”という地名はなかった。 慶長9年(1604)日本橋を起点として五街道が定められ、奥州街道の第一の宿場が千住宿であった。 千住宿の中心は本宿と呼ばれ、現在の北千住(足立区)である。 千住宿は次第に発達し、南北に伸びていった。 南に伸びた千住宿は、大川(=現:隅田川)の南(対岸)にあった当時の小塚原村・中村など村にも広がり、明治時代には“南千住町”となる。 つまり、南千住は千住の南外側に位置する町である。、、、、現:南千住駅は、JR常磐線、東京メトロ日比谷線、つくばエキスプレス線が乗り入れるターミナル。 西側の駅前には賑わいはなく、静かな駅だ!(駅の東側、汐入地区にはタワマンが建ち並び、ショッピング街もある) 

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● 南千住6丁目には、昭和37年に完成したプロ野球大毎オリオンズ(現:ロッテ)の「東京球場(=東京スタジアム)」があった。 35000人収容の東京球場は当時大毎オリオンズのオーナーで大映映画社長、永田雅一の発案により、竹中工務店の施工で、28億円の巨費を投じて建設され、その年から大毎オリオンズ(昭和39年から東京オリオンズ)のホーム球場となる。、、、、その後、球場は下町のファンに愛され続けたが、集客は伸び悩み、昭和46年(1971)、大映は球団の経営権をロッテに譲渡し本社の経営再建に乗り出すものの倒産。 関連子会社の東京スタジアムも赤字が膨らみ、経営権は翌47年に国際興業社主の小佐野賢治の手に移った。 小佐野は球場を使用するロッテに球場の買取を求めたが、ロッテとの交渉は決裂し、昭和47年球場の閉鎖となる。 開場からわずか11年目のことだった。、、、、昭和52年(1977)都が買収し、球場を撤去し、跡地は大半が荒川区の管理する荒川総合スポーツセンター・南千住警察署などに変わった。(現在、球場跡を示す遺構は何も残っていない)


・・・・・・・・・・ 東京救助跡地に建つ荒川総合スポーツセンター南千住警察署
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・・・・・・・・・・ 東京球場の建設は戦後の話、では建設前の東京球場の敷地は?、、、、ここ荒川区南千住には、明治12年(1879)に操業を開始した官営の千住製絨所(明治新政府によって設立され、被服生地を製造 )があった。 同工場は戦後は民間に払い下げられ、大和毛織が所有する生地工場となったが、昭和25年代(1950年代)に入ると業績が悪化。 工業用水として使用していた井戸の枯渇や様々な規制、労使間争議の慢性化などによって経営難に陥り、昭和35年(1960)に閉鎖された。 閉鎖された大和毛織の跡地は、当時の大映の永田雅一が約10億円で取得し、東京球場が建設されることとなった。、、、、東京球場跡の北側にある、スーパーマーケットのLIFE、都立荒川工科高等学校なども千住製絨所の跡地である。


・・・・・・・・・・ LIFEの脇に残る製絨所の煉瓦壁の一部。 都立荒川工科高等学校のグランド脇にも煉瓦塀の一部が残っているが、今日は煉瓦塀が仮囲いで覆われて、何やら改修工事してるようだ。、、、、貴重な文化財であり、産業遺産、風景遺産でもある煉瓦塀、大切に保存してもらいたい。

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南千住6丁目にある、私好みのチョイト古そうで興味をそそる建物

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● 南千住6丁目の南隣は1丁目。 南千住1丁目には都電荒川線始点・終点である三ノ輪橋停留場(みのわばしていりゅうじょう)がある。、、、、明治44年(1911)4月16日、東京鉄道の停留場として開業。当時は終点。 大正2年(1913)には、王子電気軌道の停留場が開業、東京市電との接続地点となる。 昭和17年(1942)に王子電気軌道が東京市に買収され、東京市電三河島線(現・荒川線)となる。、、、、お年寄りが多く利用する、昭和の下町の停留場。 バラが咲くころはカメラマンも多くなるね!

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● 三ノ輪橋停留場の脇には、長さ約400mの下町商店街「ジョイフル三の輪」があります。 都電荒川線の前身である王子電気軌道の開通が大きく影響して形成された商店街。 映画・TVドラマのロケ地としても使われている、昭和レトロな商店街。、、、、午前9時、どちらの店もまだ営業準備中で、静かな商店街!

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・・・・・・・・・・ 商店街の中程に、嘉永年間(1848~1854)創業のそば屋「砂場総本家」がある。 日本で1番古い「砂場」である。 営業時間内に来たら、ぜひぜひ食することをお薦め!

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・・・・・・・・・・ 商店街から一本裏道に入ると、開運・芸術・延寿の神として中島弁財天が祀られている。 東日本大震災で配管が壊れ廃業した至近の銭湯「弁天湯」から像を譲り受けた商店街が、ほこらを作って祭ったそうだ。 高さ70cm程、大正時代創業の「弁天湯」女湯脱衣場の庭にあった弁天さまらしい。 女を視る目には相当の年季が入っている神さまかも?
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● 南千住6丁目を中心に歩き疲れ、南千住駅前からバスで帰る!

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2023年9月15日 (金)

下町商店街

今日は10週間ぶりに、上野駅近くの総合病院で泌尿器科の検診日。 特別悪いところなし、前立腺肥大の薬をもらい、また来てね!、、、、9時過ぎ外は暑そうだが、浅草橋駅近くの我が家まで歩いて帰ることにした。




● 昭和31年(1956)紀元節(2月11日)に地下鉄銀座線の稲荷町駅付近に開院した、チョッピリ古い永寿病院。 その後、名前は永寿総合病院と変わり、現在地の東上野へ移転した。 病院の運営母体である公益財団法人ライフ・エクステンション研究所は、生活習慣病検診の草分けであり、「活動年齢の延長」が理念である。 病院は、内科系・外科系・産科、婦人科・小児科等の科を有し、400床の総合病院。 台東区唯一の中核病院でもある。、、、、我が家の隣りの老夫婦、我が家の向かいの御老体、我が家から二軒先の御老人、みんなこの病院で亡くなった(合掌)

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● 病院から南東へ春日通りに面し、つくばエキスプレスと都営大江戸線の新御徒町駅出口の脇に佐竹商店街のアーケードが見える。 春日通りは商店街の北端で南端は清州橋通り。 全長330mの全蓋式アーケードの商店街である。、、、、佐竹商店街は、台東区台東3丁目・4丁目の東側に、明治31年(1898)に商店街組合を結成した、金沢の片町商店街に続き日本で2番目に古い商店街である。 ちなみに、都内では人形町の商誠会は明治42年(1909)、渋谷道玄坂商店街が明治45年(1912)である。、、、、商店街名の“佐竹”は、江戸時代に当地に出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)があったことに由来する。、、、、私が記憶している佐竹商店街は、戦後の下町情緒豊かな商店街であったが、今は近くにできた大型量販店・スーパー等に負け、店主の高齢化もあり廃業した店も多い。 地元の住人としてはチョイト寂しいね!

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● 佐竹商店街を抜けた先にある都営住宅「台東小島アパート」は、東京五輪の昭和39年(1964)に建てられた。 整然と窓が並ぶ四角い巨大な建物は、頑固爺のような威厳を感じさせる。 そろそろ建て替えの時期かも? この建物の1階には、かつて三味線堀マートというスーパーがあったが、今は無い。、、、、名前の“三味線堀”は、寛永7年(1630)に近くの鳥越川を掘り広げて造られ、その形状から三味線堀とよばれた物資の集積場に由来する。  

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● 佐竹商店街南端から南へ150m程歩くと、コレマタ、おなじみの「おかず横丁」(台東区鳥越1)がある。 蔵前橋通りの北側に平行する通称「おかず横丁」、正式名は「鳥越本通り商盛会」。 戦火を免れた古い建物(看板建築・銅板建築・出桁造り)も残る下町の商店街。 何かとTVでおなじみの人も多いかと思う。、、、、しかし、この商店街も変わった! 商店街には私の小学校の同級生も多くいたが、どこも代が変わり、客も変わり、店は変わり、建物も変わり、知る人も居ない。

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● おかず横丁を抜けると、鳥越神社までは約150m。 手を合わせて帰ろう。、、、、さいふの中の小銭を全部、賽銭箱に投入。 紙幣はポッケにナイナイ。、、、、我が家までは徒歩3分、タダイマ!

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2023年9月12日 (火)

環七南通り

朝4時に起床した私、隣のベッドでは、平和な夢でも見て妻が熟睡中。 まだ薄暗い外に出てみると、爽やかな秋風が吹いていた。、、、、今日は朝食後散歩に出た。 何処へ行くか迷った挙句、東武伊勢崎線の梅島駅で下車し、西に向かって歩いてきた。 日暮里舎人ライナーの江北駅まで、9千歩の散歩。




● 押上駅で都営浅草線から東武伊勢崎線に乗り換え、車中で『どこで降りようか?』、なんとなく北千住駅から3駅目「梅島駅」で下車する。 今日の散歩はココからだ!、、、、梅島駅は大正13年(1924)10月1日に開業し、平成7年(1995)からは高架駅となる。 駅のホームは、高架島式1面2線構造だが、やや特殊な構造をしている。 ホームは幅が狭く異様に長い、長さは2編成分以上あり、上下線の電車が互い違いに停車するようになっている。 電車が停まる反対側の面は壁で塞ぎ線路が見えない。 長いホームの中央に階段・エスカレータ・エレベーターがある。 駅の出入口(改札口)は高架下で、旧日光街道に面した1ヶ所のみ。

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● 梅島駅で降りてはみたが、『さて! 何処に向かって歩こうか?』、、、、地図を見ると、駅の南側に、途中未完成部分がある「環七南通り」と言うチョイト広い道がある。 この道沿いに西に向かって歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 旧日光街道との交差点から環七南通りを歩く

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・・・・・・・・・・ 足立区梅田5丁目~関原3丁目の区間は道路未完成。 用地取得は済んでいるようだ。 工事説明板には令和6年度(2024年度)完成と書かれてた。

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・・・・・・・・・・ 関原3丁目の中央地点から西に向かって尾竹橋通り(関原小入口交差点)まで、再び環七南通りの完成部分が伸びる。、、、、歩く身体に汗が流れ下着まで濡れてきた、熱中症の危険を感じる。 ここで死ぬのはイヤダ! 急ぎ、公園で手拭いを濡らし首に巻き、さらに水分補給する。

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・・・・・・・・・・ 愛称:環七南通り(正式名:東京都市計画道路補助第138号線)は、足立区内の環状7号線にほぼ平行(南側約800m)に位置しており、足立区江北2丁目から葛飾区東金町2丁目を結ぶ道路。 足立区内の補助第138号線の道路延長は8,620mあり、綾瀬川以東の一部並びに梅田5丁目及び関原3丁目の一部については完成してるが、他の区間は工事中または計画中である。 (足立区のHPから)



・・・・・・・・・・ 尾竹橋通り西側から本木新道(興野公団住宅バス停)までの興野1丁目の区間は工事中

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・・・・・・・・・・ 本木新道から西へ江北2丁目までは、用地取得もまだか? 私にはこの先のルート不明! 環七南通り沿いの歩きはココまで!




● 本木新道から、引き続き西に歩く。 足立区西新井本町4丁目の裏通りに入る。、、、、今は廃業した店舗が数軒並んでいる。

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● 裏通りの奥に東京都住宅供給公社の興野町住宅がある。 この団地は、昭和33年(1958)に建設された4階建ての集合住宅全27棟760戸の団地。 緑に囲まれた住みやすそうな団地である。

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・・・・・・・・・・ 団地の中央にある公園では、中高年の方が20人ぐらい集まってラジオ体操?、、、、ラジカセから流れる曲は私の知るラジオ体操ではない。 じっくり聞くと、朝鮮半島の曲のようだ。 もしかしたら、この付近には朝鮮人が多いかも。

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● 尾久橋通りを走る日暮里舎人ライナーの江北駅が見えた! 駅の向かいに高野胡録神社がある。、、、、高野胡録神社の創建年代は不詳。 江戸時代には第六天社と称して高野村の鎮守であったといい、神仏分離令の際に胡録神社と改称したそうだ。

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● 尾久橋通り上にある日暮里・舎人ライナーの江北駅、、、、平成20年(2008)3月30日の日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた駅。 ホームは道路の頭上に島式1面2線構造である。、、、、開業してから15年、駅も車両もキレイだ!

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2023年9月10日 (日)

浅草で試し撮り

普段、私が散歩に出るときの持ち物は、財布、小物入れ、ipad、スマホ、カメラをバッグに入れて家を出る。 財布には緊急時に自宅までタクシーで戻れる程度の現金を入れ、医療機関の診察券と都内の交通機関の敬老パスが入ってる。 小物入れには、自宅のカギと補聴器の予備電池が入ってる。 ipadは迷子になったらGoogleマップで居所確認できるよう、それと休憩時の暇つぶしにネット利用。 スマホは緊急時に妻との連絡用(ほとんど使用せず)、SUICAの利用が主たる用途。 カメラはもちろん行動記録。 バッグの全重量は1㎏以上。 何といってもカメラが重たい。 ボディとレンズ一体で900g以上ありそうだ。、、、、ここで、チョイト考える! 私は母から『男は外に七人の敵在り』と教わり、家から出るとどんな敵(街の女性を含め)がいるかも知れない、“それなりの現金を常に持ってろ”と言うことだ。 でも、70歳を超えた今、勝負事はやらず、女の話もなく、もし支払いが必要ならクレジットカードが2枚、おさいふ携帯もある。 現金は持ち歩く必要ないかも?、、、、さらにチョイト考える! 若い時から外出時には腕時計をはめてる。 でも、今の時代、ipad、スマホ、カメラに時計機能が内蔵されてる。 腕時計は余分かも? 年老いて毎日が日曜日の人間が時刻を気にすることもない!、、、、ついでにチョイト考える! 迷子になったら居所確認用の地図、ipadで見てるが、同じ機能はスマホにもある。 二つは必要ないかも、でも老眼なので画面のでかい方が見やすいね!、、、、チョイトじっくり考える! 今の時代、写真撮影は、若い人を中心にスマホがお手軽、年配のご婦人はipadが便利、フイルムカメラを愛用したお年寄りは一眼レフにこだわり続ける。 私の散歩には、スマホ、ipad、一眼レフが御同行! 3つも要らね~な!

・・・・・・・・・・ と言うことで、散歩の持ち物を整理しようと思ったが、どれもこれも手放せず! やっぱり、持って歩きたい、整理できないね!、、、、しかし、腰痛で整形外科に通う私には、カメラの重さが腰に堪える。 そこで、昨日、軽いカメラに買い替えた。、、、、これまではSONYの「α7Ⅲ」、新しい機種はSONYの「α6700」 フルサイズカメラからAPS-Cカメラに変更し、チョッピリだけど、重量を200g程の軽量化した。

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今日は、カメラの試し撮りで浅草をブラブラ。 9千歩


● 只今7時30分、地下鉄浅草駅にある地下商店街に行ってみた。、、、、昭和28年(1953)に完成した地下街には、呑み屋、雑貨屋、すし屋、床屋、マッサージ店、占い館など20軒程の店舗が並ぶ。 レトロな昭和の雰囲気が残る空間として、最近人気上昇中。、、、、立ち食い蕎麦屋は営業中、他の店はまだ熟睡中。

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新仲見世通り、まだシャッターが下りてる

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雷門前に外人さんが集まってきた! 仲見世は人通りも少ない

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● 朝8時、本堂は開門し早起きの外人さんの姿も見られる

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● 9時、そろそろ店も営業開始。 雷門前でも多くの外人さんが記念撮影中。

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● 雷門前の浅草文化観光センターの8階からパチリ!

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・・・・・・・・・・ 今日も暑い、これ以上ブラブラすると熱中症間違いなし、帰宅する!

2023年9月 6日 (水)

木根川薬師

9月に入っても、猛暑、熱帯夜が続いた。 今朝の天気予報では、最高気温は猛暑日以下の31℃、午前曇り、午後雨。 『この天気なら、熱中症のリスクは低く、雨も降らんだろう、午前中は散歩ができそうだ!』と言うことで、久々に散歩に出た。 京成押上線の四ツ木駅からJR総武線の新小岩駅まで、1万1千歩の散歩。




四ツ木駅で下車すると、『アレ、傘さしてる人がいる?』、チョイト落ちてきたようだ。、、、、今日は四ツ木駅から高砂駅まで、押上線高架化工事の進捗を確かめながら歩くつもりで家を出たが、急遽予定変更、途中で雨が降ってもスグ散歩を中止できるように新小岩駅に向かって歩くことにした。

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● 四ツ木駅前から東に蛇行しながら伸びる「渋江商店街」を歩く。 “渋江”は昔の地名である。 約400m程の商店街の両側に会員店舗全19店が、ポツポツと点在し営業している、チョイト寂しい商店街。、、、、下町の古い商店街は寂れていくね。

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● 渋江商店街を抜け、東四つ木の裏道を歩く。 裏道は狭く曲がりくねり、高層の建物は見られない、最大3階建てだ!、、、、玄関前の柿の木に青い実を発見、秋だ!!

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● 東四つ木一丁目の裏道に王子白髭神社の参道がある。 参道の奥で多くのやぶ蚊に守られ、静かに鎮座するご祭神の“貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)” 、、、、清和天皇の第七皇子貞辰親王が東国遊行の途中、元慶元年(937)、この地で亡くなった。 たまたま浄光寺に留錫中の比叡山慈覚大師は、親王の遺骸を葬り、王子権現として慰霊を行って以来、浄光寺がその古墳を管理したことに始まると伝えられている。、、、、神社は、もと上木下川村にあり、その地が荒川放水路(現:荒川)の敷地となり、大正8年(1919)、浄光寺とともに現在地に移った。、、、、参拝には蚊取り線香の持参をお勧めする。

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● 王子白髭神社の参道を戻ると、天台宗に属し都内で最も由緒ある古い寺と言われてる「青龍山薬王院 浄光寺」がある。 その創立は貞観2年(860)と伝えられている。 本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、昔から「木根川薬師(きねかわやくし)」として世に知られている。 応永年間(1394~1427)の兵火のため焼失したが、僧別当証円が法燈の絶えるのを悲しみ、領主奥津家定に願い出て再び薬師堂を建てた。 以来関東屈指の古い寺院として一千年の法燈を伝え、天正19年(1591)徳川氏薬師供料として五石御朱印を賜りながくその祈願所とされた。 江戸名所の一つとして文人墨客の訪れるのも多い。、、、、現在の浄光寺は大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)開削のため、上記の王子白髭神社などと一緒に現在地に移転した。

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・・・・・・・・・・ 仁王門にある金剛力士像は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。 胎内に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したとされている。「阿形」「吽形」の両金剛力士像の大きさはともに275cmで、怒りを顔にあらわし、全身にに力がみなぎっている。

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● 浄光寺から南へ歩くと中川に架かる上平井橋がある。 橋の下流側で中川に綾瀬川が合流し、その先には、頭上に架かる「かつしかハープ橋」に首都高中央環状線が走り、中川には「上平井水門」がある。、、、、ハープ橋と水門を横に見て上平井橋を渡る。 上平井橋は右岸 (西詰) の葛飾区東四つ木一丁目と左岸 (東詰) の西新小岩三丁目および五丁目の間を結んでいる。 橋は、2連の下路曲弦ワーレントラス橋で、昭和40年(1965)竣工である。 

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・・・・・・・・・・ 上平井水門かつしかハープ橋

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● 西新小岩の町を歩き、新小岩駅に到着。

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2023年8月31日 (木)

夜明けの隅田川

毎日が猛暑・酷暑でドッコイショ! まだまだ日中は暑く、散歩に出る勇気なし! 今朝は4時前に起き、夜明けの散歩に行ってきた。 浅草橋の我が家から、鳥越神社 → 蔵前橋 → 東京都慰霊堂 → 刀剣博物館 → 隅田川テラス → 両国橋 → 柳橋 → 浅草橋駅と、ぐるりと回ってきた。 7千歩




● 昨夜は9時に眠りに入り、今朝は3時45分に目が覚める、眠り疲れたのでそのまま起床。 『そうだ、夜明けの散歩をしよう!』と家を出る。 夜空には星が輝き、まだ暗い。 ご近所さんは熟睡中、静かに我が家をあとにする。

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● 我が家から数分で鳥越神社に到着。 賽銭泥棒が活躍する時刻だ! 間違われないように賽銭を奮発し、堂々と参拝。

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蔵前一丁目交差点、東の空はチョイト明るくなった、そろそろ夜明けかな? 只今の時刻4時31分、国立天文台の計算値では今日の日の出は5時12分、東京の空は日の出の40分程前から明るくなるようだ!

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● 隅田川に吹く風がチョッピリ涼しげな蔵前橋を渡る。 橋から上流側には、夜明けの空にスカイツリーのシルエットが映る。

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● 明日は9月1日、震災記念日だ、『チョックラ、震災記念堂に寄って行こう!』 下町の年寄は“震災記念堂”、今の若い人は“東京都慰霊堂”と呼んでいる。 旧震災記念堂(現:東京都慰霊堂)には、震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されている。 明日は関東大地震から100年目、大勢の参拝が見込まれるので、私は今日手を合わせていく。 合掌

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・・・・・・・・・・ 東京都慰霊堂前、東の空は赤く染まってきた! 山頂とは違うので、御来光は見えないね!

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● 震災記念堂から隅田川へ出る道沿い(全て墨田区横網町)に、大きな建物がいくつか、、、、写真の順に、①国際ファッションセンタービル(地上25階、第一ホテルが入居)、②NTTドコモ墨田ビル(地上27階、遠くからでも目立つ背の高いビルです)、⓷アパホテル&リゾート 両国駅タワー (地上31階、客室数1111室)

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● 震災記念堂の西側に安田庭園があり、その一角に刀剣博物館がある。 私は、近くに住むからか(?)いまだ、内部見学してません、ゴメン!

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隅田川テラスとは、上流の北区から下流の江東・中央両区まで、隅田川岸両岸に整備された親水テラス(台風が来ると“浸水”テラスになる)、、、、両国国技館前のテラスを歩き、両国橋まで、、、、総武線隅田川橋梁では、5時チョウド浅草橋発の一番列車が通過する、、、、体操で鍛えるお年寄り

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● 今日の日の出時刻の5時15分、両国橋を渡る。 すでに空は明るい。 

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● 「贅沢な人の涼みや柳橋これは正岡子規の句。 チョイト昔は夏の夕涼みができた川岸も、今は日が落ちてもムシムシ、ダラダラ、ベトベトの熱帯夜。 モ~嫌!

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浅草橋駅の到着。 駅裏の銀杏岡八幡神社にも朝の御挨拶、『今日も一日平穏でありますように』、あたりさわりのない言葉で神頼み。、、、、5時35分、我が家に到着。

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2023年8月28日 (月)

夏休みも終わり

そろそろ夏休みも終わり、まもなく二学期が始まる。 雅万歩も散歩を再開する予定。 今日は、循環器内科の定期診察日。 “足慣らし”で浅草橋の我が家から、水道橋のクリニックまで歩いて来た。 久しぶりに1万1千歩。




● 朝7時40分、出勤で駅から出てくる人はまだ少ない。 浅草橋駅西口は静かな都心のローカル駅。、、、、真っすぐ西に伸びる高架橋、その先には隣りの秋葉原駅がある。 今日は“足慣らし”のつもりで無理せず、線路沿いに歩いて水道橋へ向かうことにした。

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・・・・・・・・・・ 浅草橋駅西口の近くに奇妙なビルが建つ!、、、、竣工まじかのようだ。 道路からから見ると、窓が一つも見えない。 高架を走る電車から見ると窓はあるが、逆さまに造られた庇(?)で遮られ見下ろすことのできない窓! チョイト好奇心から覗いてみたくなる建物だ!、、、、建物は「MONOSPINAL」というオフィスビル、設計は山口誠デザイン、施工は清水建設、地下1階地上8階建てらしい。

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・・・・・・・・・・ 大きなアーチが特徴的な高架橋(昭和7年(1932)完成)を過ぎると、先に秋葉原駅がある。

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● 高架下に秋葉原駅昭和通り口がある、次はヨドバシカメラ前の中央改札口、そしてアトレがある電気街口と続く。、、、、昭和通り口には総武線が開通した昭和7年からエスカレーターが設置されていた。 中央改札口はつくばエキスプレスが開業した、平成17年(2005)に新設された出入口である。 電気街口のアトレは、戦後、アキハバラデパートが営業してた処である。、、、、私の祖父母が秋葉原駅の近くに住んでいて、毎日のように遊んでた青果市場は今は無い!

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・・・・・・・・・・ 秋葉原駅から御茶ノ水へ向かう高架橋の下で、“アマチュア無線”の文字を見る。 ネットの時代に廃れたと思っていたアマチュア無線が健在だった! 

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・・・・・・・・・・ 総武線は秋葉原駅を過ぎ昌平橋交差点では、日本最初のタイドアーチ式鉄道橋となった松住町架道橋(昭和7年(1932)竣工)を渡る。 交差点を対角線状に跨ぐため中間に橋脚を立てられないことから、支間を大きく取ることのできるアーチ橋が採用された。、、、、私が幼き頃、迷子になったのはこの近く、当時の旅籠町交番に保護された(うろ覚え!)

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・・・・・・・・・・ 松住町架道橋の次は、ハの字の形をした鋼製ラーメン形式の神田川橋梁。 この橋も昭和7年(1932)に完成した。

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● 昌平橋から淡路坂を上って聖橋の手前に、御茶ノ水駅の臨時改札口がある。 この改札は朝の通勤時間帯に使用する出口専用の改札である。 昭和62年(1987)に設置された。、、、、開設されて36年経過、いまだに“臨時”改札口?

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・・・・・・・・・・ これまでの聖橋口は只今建て替え工事中! 仮の聖橋口が使用されている。

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・・・・・・・・・・ 御茶ノ水橋口の駅舎は改装・増築されているが、昭和7年(1932)竣工当時の姿が残されている。 駅舎の設計は鉄道省、施工は大倉土木(現:大成建設)

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・・・・・・・・・・ 御茶ノ水駅を過ぎ、線路の南側「かえで通り」を歩き水道橋駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ かえで通りが皀角坂(さいかちさか)となる処に、著名なフランス語学校「アテネ・フランセ」がある。 昭和37年(1962)に完成した建物は、ル・コルビュジエの弟子である吉阪隆正が設計した。 

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・・・・・・・・・・ 皀角坂からは、中央線快速・中央総武緩行線がよく見える。 しばし立ち止まり、数本の電車を見送る。

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● 皀角坂を下ると水道橋駅東口。、、、、東口の前は「白山通り」、私の中高学生時代は、ここから都電で白山方面に通学していた。 50数年程前の思い出多い通学路であった。

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・・・・・・・・・・ 水道橋駅西口はドーム球場に近い、JRAの場外馬券売り場には至近、そして私が受診するクリニックの最寄り駅。

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・・・・・・・・・・ 大動脈解離の手術を受けて今年で10年目、ドクターに『まだまだ長生きできる』と言われ、ニコニコ! 心臓をコントロールする薬の処方箋をもらい、アリガトウゴザイマシタ!



・・・・・・・・・・ 帰りは水道橋から電車で帰る

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2023年8月17日 (木)

夜明けの浅草橋

今日までの東京都心の猛暑日(35℃以上)は20日となり、過去最多を更新してる。 また雨にも悩まされる夏となった。 70代後半の私にとっては、熱中症が怖く日中の散歩は“お預け”。 外出してもデパート、量販店、病院とエアコンのある所ばかり。、、、、そんな夏休み期間中、私の足が退化すると困るので、8月に入ってからは、毎日、早朝の御近所散歩をしている。 朝4時半頃起床し30分程、浅草橋の御近所を歩いてくる。 5時半頃からテレ朝の『グッド!モーニング』(斎藤ちはるアナのファン)を見て、一日が始まる!

今日はカメラ持参で、ご近所の散歩をしてきた。




● 今日の日の出は5時1分、ちょうどその頃我が家を出る。、、、、まだ、皆さん寝てるね、我が妻も熟睡中。

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浅草橋駅は営業開始、一番列車の到着待ち。、、、、駅裏の銀杏岡八幡神社はまだ熟睡中。、、、、日本橋と浅草を結ぶ江戸通り(国道6号)も、車は少ない。

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● 神田川を越えると中央区、中央区側にある浅草橋交差点(江戸通りと靖国通りの交差点)も車は少ない。

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● 昭和4年(1929)完成の現:柳橋を渡る。 欄干の“かんざし”を見ると、多くの柳橋芸者で華やかであった花柳界当時を思い出す。

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・・・・・・・・・・ 橋の脇には柳の木

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隅田川でチョイ休憩!、、、、まだ薄暗いが、川岸は涼しいね!

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● 柳橋の町を抜けて我が家へ戻る。、、、、東京の夜明けだ!

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2023年7月14日 (金)

東武亀戸線

朝の天気予報では、今日の東京は最高気温29℃で曇りであった。 『久しぶりの30℃割れ、しかも曇り空なら、熱中症の心配も薄らいだ。 ヨシ、歩いてくる!』と、自分に言い聞かせ、東武亀戸線の全駅制覇に出立。


東武亀戸線の歴史は ・・・・・・ 東京と関東北部を結ぶ東武鉄道は、明治30年(1897)に設立された。 当初、起点を東京湾に近い越中島とする予定で免許を申請したが、越中島~北千住間は審査に時間を要し、すぐには免許が下りなかった。 そこで、日本鉄道(現:JR常磐線)の北千住駅を起点に久喜駅までを東武鉄道の最初の区間として、明治32年(1899)に開業した。 明治35年(1902)には北千住駅から吾妻橋駅(後に浅草駅、業平橋駅と改称し、現在はとうきょうスカイツリー駅)まで延伸された。 越中島~北千住間の免許は明治32年(1899)に認可され、明治37年(1904)4月5日には、その一部である亀戸~曳舟間が開業した。 この開業と同時に、東武鉄道は総武鉄道(現:JR総武本線)亀戸~両国橋(現:両国)間へ乗り入れ、直通運転を行う。 また、東武鉄道の吾妻橋~曳舟間は廃止され、亀戸~曳舟間が本線格の扱いとなった。 明治40年(1907)乗り入れ先の総武鉄道が国有化されるが、引き続き東武鉄道の乗り入れは継続する。 東武鉄道は、ターミナルを開業当時の吾妻橋駅に戻すことになり、明治41年(1908)に吾妻橋~曳舟間が貨物線として再開する。 明治43年(1910)3月に吾妻橋駅を浅草駅に改称、そして浅草~曳舟間の旅客営業を再開。 これにて、亀戸~曳舟間は支線となる。 また、同年8月には、亀戸~越中島間の免許は失効した。



・・・・・・・・・・ 今日は東武鉄道亀戸線(全長3.4km)に、廃止、統合、現営業中を含め、10駅が存在した。 起点の曳舟駅から終点の亀戸駅まで全駅を歩いて来たので、順に紹介する。



曳舟駅 ・・・・・ 曳舟駅は明治35年(1902)4月1日、吾妻橋~北千住間開業時にできた駅。 明治37年(1904)4月5日、亀戸~曳舟間が開業。、、、、現在は東武伊勢崎線、亀戸線の停車場で、ホームは高架複合式3面5線構造。 伊勢崎線が発着する1~4番線(島式ホーム2面)と、亀戸線が発着する5番線(短い片面ホームが1面)から成っている。 2両編成の亀戸線が10分間隔で運行している。 通勤通学客で満員だ!

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・・・・・・・・・・ 亀戸線の使用車両は、8000系が中心。 昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラーとして朱色や緑色に塗られたものも存在し、来る列車、来る列車毎に色が変わる。

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虎橋通駅跡 ・・・・・ 現存の曳舟駅と小村井駅の間に、かつては虎橋通駅(とらばしどおりえき )と十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)があった。 その一つ、虎橋通駅は墨田区京島2の住宅と線路の間の狭い処にあった。 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和20年(1945)3月10日である。、、、、駅跡に何か残ってないか? キョロキョロ探すと、線路脇に並ぶコンクリート土台(?)跡があった。 おそらく70数年前に廃止となったホームの基礎部分であったと思う。 

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十間橋通駅跡 ・・・・・ 次は、
十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)の跡。 駅は、十間橋通と交差する踏切の北側(墨田区京島2)の線路脇にあった。 下町の元気な商店街:キラキラ橘商店街の入口に近い処だ! 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和33年(1958)10月22日である。、、、、線路脇には曳舟起点9㎞ポストがあった。 その周囲のバラストの中にコンクリート構造物が見える、ここもホームの基礎部分が埋まっているのか?

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天神駅跡 ・・・・・ 曳舟駅、虎橋通駅跡、十間通駅跡とみて、次は、小村井駅の手前にある天神駅跡を探す。、、、、天神駅(てんじんえき)は、かつて東京都墨田区文化に存在した亀戸線の廃駅。 天神駅は、明治37年(1904)4月5日に開業し、昭和32年(1957)5月20日に廃止された。、、、、曳舟たから通りに面する「
iU 情報経営イノベーション専門職大学(墨田区文化1)」の建物の東側あたりに天神駅はあったと思われる。 この付近の線路敷きは、気持ち分だけ幅広になっており、ここに駅があったのかも(?) 線路敷きの両側は建物が並んでおり、線路内に立ち入って詳細に見ることはできず諦める。、、、、駅名の“天神”は亀戸天神のことだが、ここから亀戸天神までは1㎞以上あり、歩いて20分はかかるであろう。

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小村井駅 ・・・・・ 曳舟駅から1.4㎞にある小村井駅(おむらいえき)は、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあり、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 開業は昭和3年(1928)4月15日、、、、都会の中の小さな駅で、“ローカル”、“昭和レトロ”、“のんびり”などの言葉が合う駅だ! 駅名はチョイト読みづらいかな?

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東あずま駅・・・・・小村井駅の次は東あずま駅。 駅名は付近一帯がかつて吾嬬町(あづまちょう)だったことに由来し、周辺の東吾嬬小学校、第一吾嬬小学校などの学校や吾嬬神社にその地名が残っている。 本来は「東あづま」と表記すべきところ「東あずま」となった。 その理由は不明だが、たぶん誰かが“づ”を“ず”と間違えたのだろう!、、、、昭和3年(1928)4月15日 、平井街道駅として開業。 昭和20年(1945)5月20日、平井街道駅廃止。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業、、、、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は丸八通り(=都道476号)に面す、各ホーム間の連絡は構内踏切を利用。

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北十間駅跡 ・・・・・ 曳舟から亀戸へ向かい北十間川を越えた所(橋の南詰)、マンション脇のチョイ広の線路敷きに北十間駅があったと思われる(?) 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和21年(1946)12月5日。 70数年前の廃駅は何も残っていないようだ! 

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亀戸水神駅 ・・・・・ 現在の亀戸水神駅は北十間駅と旧亀戸水神駅を統合して、両駅の中間に昭和21年12月5日に移転した。、、、、“亀戸水神”は“亀戸天神”と紛らわしいが、全く別物で
駅の西方にある亀戸水神宮に由来する駅である。 お間違いなきよう!、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホーム間には構内踏切あり。

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旧亀戸水神駅跡 ・・・・・ 亀戸へ向かう電車は、亀戸水神駅を出て右に大きくカーブする、そのカーブ地点の線路脇にキレイに並ぶコンクリート造の遺構がある。、、、、旧亀戸水神駅は昭和
3年(1928)4月15日に開業。 昭和20年には戦災を受け、昭和21年(1946)12月5日に北十間駅と統合し、現在の亀戸水神駅へ移転した。

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亀戸駅 ・・・・・ そして亀戸線の終点は亀戸駅。、、、、島式ホーム1面2線を有する地上駅。 改札は駅ビル「アトレ亀戸」内にある。 ちょこっとスロープを上ればホーム。 この構造はまさに都会のローカル線!

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● 東武鉄道亀戸線はコチラも見てね!・・・・・・・・・・ 昼の亀戸線(1918/6/25) ・・・・ 夜の亀戸線(1920/8/17)

 

 

● 東武鉄道亀戸線の全駅を歩いた、1万2千歩。 時刻は10時だが、すでに全身は汗でビショビショ。 やはり、真夏の散歩はチョイト、キツイね!

2023年7月 5日 (水)

南千住から鶯谷へ

連日の30℃超えも今日はひと休みで、熱中症警戒レベルも下がったらしい。 早速、朝から散歩に出てきた。 我が家のある浅草橋駅前から、南千住行きの都バスに乗り、終点の南千住から散歩を始める。 荒川区東日暮里の町をとおり抜けJR鶯谷駅まで、9千歩の散歩。



● 「南千住駅」は、荒川区にあるJR常磐線・地下鉄日比谷線・つくばエクスプレス線の3線が乗り入れる駅である。 明治29年(1896)12月25日、日本鉄道の駅として開業。 以来、明治39年(1906)には、日本鉄道が国有化され官設鉄道の駅となる。 昭和36年(1961)に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線の駅が開業。 平成17年(2005)首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の駅も開業する。、、、、駅周辺の再開発も進み、駅もキレイになり、多くのタワーマンションもたち、住みやすい町となり、通勤通学客が多い。(かつては、日雇い労務者の街“山谷”に近く、ガラの悪い駅であったが、変わった!)

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● 南千住と言えば、江戸時代から明治初期にかけ、「小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)」が存在していた。 江戸時代にはそれぞれ江戸の入り口に存在した大和田刑場(八王子)、鈴ヶ森刑場(大田区)とともに三大刑場といわれた。 刑場では、死体は丁寧に埋葬せず申し訳程度に土を被せるくらいだったので夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような有様だったらしい。 この刑場での刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に本所回向院の住職が隣接する場所に常行堂(後に回向院となる)を創建した。 小塚原刑場の跡には、首切り地蔵のある「延命寺」、多くの刑死者を弔った「回向院がある。 、、、、今日、私は朝8時前に来たので、延命寺は開門前であった。 門の隙間から首切り地蔵をパチリ。 回向院では、吉田松陰・鼠小僧などの刑死者が弔われている史蹟エリアをパチリ。

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● 南千住5丁目の裏道を歩き、南千住駅と三河島駅の間に、明治29年(1896)開通の日本鉄道土浦線(現:常磐線の旧呼称)の煉瓦造のガードが3ヶ所残っている。 その一つ、アーチ型の「第3三の輪ガード」の前に出てきた。、、、、トンネル上部の笠石には、雁木(がんぎ)といわれる煉瓦を傾けて凹凸をつける装飾的な煉瓦積みが施されているのだが、煉瓦積みが劣化し脱落を防止するためネットで覆われている(チョイト判りにくいね) 貴重な鉄道遺産なので、キレイに改修してほしいね!

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● ガードを抜けると浄閑寺の裏だ!、、、、浄土宗寺院の「浄閑寺は栄法山清光院と号す。 明暦元年(1655)に創建、近くに吉原遊廓が誕生した明暦3年(1657)よりも2年早い。 病気などで死んだ遊女は、吉原遊廓の場合、投げ込み寺と呼ばれた浄閑寺に、文字通り投込まれたそうだ。 また、大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の東京大空襲で死んだ遊女の霊もまつられている。 吉原遊女約11,000人を埋葬。、、、、遊女を祀る「新吉原総霊塔」の石垣には、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句が刻まれている。、、、、また、近くの“山谷”の労務者を弔う「ひまわり地蔵」もある。 

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● 地下鉄日比谷線の三ノ輪駅に近い浄閑寺から、荒川区東日暮里の町を南西方向に歩く。 千住の方から来た常磐線が上野駅に入る手前:日暮里駅付近で大きくカーブする処である。 東日暮里の町は、町工場の多い下町であり、朝鮮半島の人の多く住む町であり、かつては昭和レトロな建物も多く残っていたが最近は建て替えが進んでいる。

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● 東日暮里の町には、私の足を止めるようなものもなく、ただただ歩いて来た! そのまま、JR「鶯谷駅に到着。、、、、明治45年(1912)7月11日に、東北本線の駅として開業。 北口は地上駅舎のようになっているが、南口は橋上駅舎になっている。、、、、北口はラブホテル街のイメージが強いが、根岸の方から都道をまっすぐ歩いてくると、キョロキョロしない限り、そこまでラブホ・風俗の雰囲気はない。

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