散歩

2021年10月16日 (土)

べったら市は中止

今日は、愛機(カメラ)が壊れ修理中、古いデジカメを持ち出し散歩に出た。 曇り空の中、浅草橋から東京駅方向に歩き始めたが、途中、日本橋三越付近にて雨となり、散歩はココまで! 6千歩。 




● 我が家の氏神さま銀杏岡八幡神社に朝のご挨拶にお立ち寄り。 神社は浅草橋駅の裏にある、知る人は『人形の久月』と江戸通りを挟み反対側、知らない人は『自分で探せ』、、、、銀杏岡八幡神社の由緒では、創建は源頼義・義家の奥州征伐にはじまり、江戸時代には松平家の邸内社となり、享保10年(1725)公収され町内(福井町、=雅万歩の出生地で現在は台東区浅草橋)の産土神となった。

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浅草橋駅(台東区)前をとおり、浅草橋(台東区と中央区の境、神田川に架かる)を渡り、浅草橋交差点(中央区)に出る。

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・・・・・・・・・・・・浅草橋交差点から江戸通りに平行する横山町の問屋街を抜ける。、、、、まだ8時前、どこの店も開いてない、静かな問屋街を歩く。、、、、江戸通りの両側は、衣料品の問屋が並ぶ横山町・馬喰町。 ところで「横山町」の由来は? 町名から察するところ、昔、『村の横に山があった』、『村から横長の山が見えた』などがもっともらしく思えるが、この辺りは扇状地で堆積地、山なんて無かった! 名の由来は、『横山さんが住んでいた』、これが正解。 北条家が支配していた頃、知行していたのが横山氏で、それにちなむ村名(町名)と考えられている。 江戸時代になると、馬喰町・横山町は地方から江戸に来る商人の為の旅籠として栄え、一大旅館街となる。 さらに町は商人の利便のため、呉服・瀬戸物・紙・小間物・塗物・荒物などなどの問屋が集中した。 明治末期あたりから旅館街は廃れはじめ、問屋街は隆盛し現在に至っている。

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● 大伝馬町の裏通りに「宝田恵比寿神社」がある。 社殿は小さな神社だが、毎年10月19日・20日は神社の周辺で開かれる「べったら市」は有名。、、、、江戸時代の中頃から、宝田恵比寿神社の門前で10月20日の夷講にお供えするため、前日の19日に市が立ち、魚や野菜、小宮(神棚)などが売られたのが始まり。 糀をべったりつけた浅漬け大根がよく売れたので「べったら市」と呼ばれているとのこと!、、、、でも、今年はコロナの為、中止と決定したようだ、残念!

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「江戸通り」と「昭和通り」が交差する「本町三丁目交差点、、、、ここまでは、曇り空の下を歩いてきたが、交差点を過ぎると、しっとり濡れてきた。

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● 昭和通りから日本橋三越に向かうと、雨粒が大きくなってきた。 “しっとり”から“びっしょり”に変わった! 「COREDO室町」の裏の「日本橋福徳神社」で雨宿りを期待したが、やすむ場所なし、残念!、、、、福徳神社の創建年代は不詳だが、貞観年間(清和夫皇・859~876)には鎮座していたといわれている。 福徳村と称されていた村の村名から社名を福徳神社と称したといい、源義家・太田道灌など武将からの尊崇も篤く、徳川家康・秀忠も参詣に訪れたそうだ。 明治7年(1874)村社に列格した。 主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、、、、平成18年(2006)日本橋室町の再開発による建て替えに伴い、4度の遷座を行い。 平成26年(2014)に現在の新社殿が竣工した。 新しく綺麗な神社だが、チョイト雨宿りできる休憩スペースが備えられているとGood! そこでお茶のサービスがあると、なおよろし!

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● 雨は止みそうにない、三越前からバスで帰ることにした。、、、、時刻は8時半、しばらくライオン像の脇でバスを待つ、寂しいね!

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2021年10月 9日 (土)

復興小学校

23区で面積が最も大きいのは大田区の60.42㎢、最も小さいのは台東区の10.08㎢。 大田区は台東区の6倍の広さである。 今日は、その小さな区の南端の町浅草橋から、北端の町三ノ輪(地下鉄日比谷線三ノ輪駅)まで歩いてきた。 端から端まで直線でおよそ4kmの距離。 行ったり来たり、右へ左へ、ブラブラと、歩いた歩数は1万4千歩。




● コミュニティバスの始発もまだ運行していない朝7時、散歩に我が家を出る。 今日は北に向かって気ままに歩くことにした。

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● 我が家を出て北に向かうと、徒歩3分で、否が応でも蔵前橋通りに面した「鳥越神社」に出る。 チョイト、散歩前の御挨拶をしていくことにした。、、、、鳥居脇の神社名を記した石柱を見て、大発見! この神社名の石柱は、かつての文部大臣(その後第52・53・54代内閣総理大臣 )鳩山一郎の書で、昭和7年(1932)に建てられたことは、かなり以前から知っていた。 今日は何気なしに裏面を見てみた、この石柱を奉建したのは、近隣6校の尋常小学校の職員・生徒だった。、、、、調べてみると6校は氏子域内の小学校で、育英尋常小学校(浅草区猿屋町、明治32年)、柳北尋常小学校(浅草区向柳原町、明治9年)、新堀尋常小学校(浅草区北三筋町、明治34年)、小島尋常小学校(浅草区小島町、明治41年)、精華尋常小学校(浅草区北富坂町、明治7年)、練塀尋常小学校(下谷区二長町、明治11年) (  )内は昭和初期の所在地と創立年。、、、、なんと“ビックリ、驚き、徳利でヒャックリ”、6校全て明治期の創立である。 さらに、大正12年(1923)の関東大震災で校舎は被災し、6校全て昭和5年(1930)までに鉄筋コンクリート造の「震災復興小学校」として再建されたのだ。 復興後の校舎で建物が現存するのは、小島尋常小学校柳北尋常小学校。 また、育英尋常小学校と柳北尋常小学校と新堀尋常小学校は現在の台東育英小学校(台東区浅草橋2)に統合された。 小島尋常小学校と精華尋常小学校は蔵前小学校(台東区蔵前4)として統合。 残る練塀尋常小学校は御徒町小学校、竹町小学校と統合し平成小学校(台東区台東4)となる。 氏子域内に残ったのは、台東育英小学校と蔵前小学校の2校のみで、児童の数はおそらく昭和初期の2/6以下であろう。 23区で最も狭い台東区だが、戦前の人口は浅草区+下谷区で40万人を抱える人口No.1の区であった。

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● 復興小学校の一つ「小島小学校」の建物が現存する。、、、、明治41年6月に創立した小島小学校は、大正12年(1923)の関東大震災で総崩れした東京の建物を堅牢にすべく、鉄筋コンクリート造で建てられた円柱状の特徴的なデザインの震災復興小学校である。 竣工は昭和3年(1928)8月27日、外観の上部の縁取りや塔部分のアール、室内のアール面の多用など、全体的にアールデコの影響が感じられる建物、、、、、現在、小学校は閉校し、建物玄関にはTaito Designers Villageと書かれている。 創造的活動を行っている企業が入居したコミュニティと思われる。 校庭も駐車場に変わり、チョイト悲しいね!

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● 旧小島小学校西側に「如意輪観音」が祀られている。 かつて、この界隈に祀られていた石仏をここに集めたものかもしれないが、花が供えられ、線香・蝋燭が立てられ、水で清められ、ご近所に大切にお世話する人がいるようだ。、、、、しっかりと手を合わせてきた!

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● 地下鉄銀座線の中では、最も乗降客の少ない駅が「稲荷町駅」、一日の乗降客数は2万人に満たない。、、、、地上出口(もしかしたら入口かも?)はレトロなデザインで、昭和2年(1927)12月30日開業時のままらしい。、、、、方向別の出入口なので、浅草行きのホームから渋谷行きに乗ることはできない、逆も同じ。、、、、駅名の「稲荷町」は、駅開設当時の地名:下谷区南稲荷町に由来する。 その南稲荷町の“稲荷”は下谷神社に由来する。 つまり、この付近一帯は下谷神社の“縄張り”

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・・・・・・・・・・・・稲荷町駅の南側(台東区東上野3)に下谷神社がある。、、、、古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれた都内最古の稲荷神社。 例大祭で近隣町内を渡御する本社神輿は台輪幅4尺1寸の千貫神輿といわれている。 毎年6月頃から、神田明神・下谷神社・鳥越神社・浅草神社(三社さま)と、大きな神輿の祭りが続く。

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・・・・・・・・・・・・下谷神社の地元で、最寄り駅は稲荷町、というわけでも無いのだろうが、この辺りは、お稲荷さんを祀る処が多い。 その一つ、下谷神社の南側に「地護稲荷神社」がある。、、、、訳の判らん由緒書きがあった、私の頭の中で・?・・?・・?

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● 国道4号(=日光街道、昭和通り)と言問通りが交差する入谷交差点にある、朝顔市で有名な入谷鬼子母神にお立ち寄り。、、、、鬼子母神は、法華宗本門流の仏立山真源寺のこと。 真源寺は、光長寺第20世高運院日融上人が開山となり、万治2年(1659)に創建した。、、、、太田蜀山人の狂歌の中で、『恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、そうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様、嘘を築地のご門跡』と洒落ているのは有名だ!

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・・・・・・・・・・・・鬼子母神参りは適当に済ませ、隣の「旧 台東区立坂本小学校」へ寄る。 ここも、復興小学校の一つで、大正15年(1926)に竣工した。 当時の校名は「入谷尋常小学校」。 今日は校庭開放日(?)、中をチョイト拝見!

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● 下谷の2社1寺、法昌寺、小野照崎神社、三島神社に参る。(こちらを見て!)

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● 昭和通りと明治通りが交差する「大関横丁交差点」に到着。 交差点の地下は東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」、、、、今日の散歩はココまで!

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2021年10月 7日 (木)

浅草橋へ戻る

今日の散歩は西大島駅から浅草橋の我が家まで、1万3千歩です。




● 都営新宿線「西大島駅」は、昭和53年(1978)12月21日、新宿線の最初の開業区間である岩本町~東大島間の開業時に設けられた駅である。、、、、西大島駅は、地下1階がコンコース・改札口、地下2階が島式ホーム1面2線の地下駅である。 一日の乗降者数は、コロナ禍の昨年実績で2万人強で多くはないが、来る電車は満員でここから通勤する人は座れないね!

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・・・・・・・・・・・・西大島駅出口前の植え込みに「五百羅漢跡」の石柱が建っている、、、、横断歩道脇の植込みに石柱が建っている。碑の両側面と裏面には、『元禄八年この付近に黄檗宗松雲禅師作の羅漢像五百体を安置する広壮な羅漢寺が創立せられ五百らかんという名所として知られてきたが羅漢寺は明治二十年に墨田区へさらに同四十二年目黒区へ移転したが、なお当時の羅漢像の多くを残している 昭和三十三年十月一日 江東区第18号』と記されている。、、、、ここは、目黒の羅漢寺があった処、五百羅漢像も目黒へ引っ越した!

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・・・・・・・・・・・・駅前の新大橋通りを挟み石柱の前に、オヤ!「羅漢禅寺」がある、、、、明治38年(1905)に都下氷川村に曹洞宗祥安寺として創立、昭和11年(1936)現在地(江東区大島3)に移転してきて、元あった羅漢寺を名乗ったもので、五百羅漢寺とは関係がない。 『チョイトお名前拝借か!』

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● 西大島駅前の「新大橋通り」を西へ歩く、、、、駅前で交差する明治通りを北へ歩けば亀戸駅に出る。

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・・・・・・・・・・・・越中島貨物線の「幹線29号架道橋」の下を西へ、、、、架道橋の設置年代は不明だが、貨物線の開通は昭和4年(1929)なのでその近辺か?

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・・・・・・・・・・・・ 「本村橋」は新大橋通りを通し、東詰めの江東区大島と西詰の江東区毛利・住吉を結び横十間川に架かる橋。 昭和4年に初代の本村橋が震災復興橋として架けられ、三代目の現橋は昭和52年(1977)に架替られた。、、、、橋の上からはスカイツリーが良く見える。

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●  本村橋の西側に広がる「猿江恩賜公園」の中をブラブラ、、、、猿江恩賜公園は、その名のごとく江東区猿江にある都立公園。 開園は昭和7年(1932 と古く、昔から貴重な緑地として周辺住民に知られていた。 元々この地は、江戸時代から続く徳川幕府による貯木場であった。 その後、明治政府御用達の貯木場になり、関東大震災後その一部が埋め立てられ「猿江恩賜公園」となった。 公園の北側の地区は、戦後しばらく貯木場として使用されていたが、貯木場は江東区潮見に移転し、昭和56年(1981)に追加開園した。、、、、広い公園で都会のオアシス! 今日はのんびりと公園を通り抜ける。

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● 猿江恩賜公園を抜けるとJR錦糸町駅までは600m程、近い!、、、、錦糸町駅・京葉道路の南側、場外馬券売り場の裏に、小さな寺、天台宗の五徳山江東寺がある。 江東寺は、昭和15年(1940)に坂東16番札所水澤観世音(伊香保町)の別院として創建された。 本尊は千手観世音で、境内には清昌稲荷、出世弁財天、水洗観音、地蔵尊、馬頭観音、戦災慰霊碑など、いろいろと祀られている。、、、、本堂は昭和55年(1980)に鉄筋コンクリート造で再建された。

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● 錦糸町駅前からは京葉道路(=国道14号)を歩く。 この道は、両国を通り浅草橋まで一直線。、、、、これより先は、歩く方向は逆さまだけど、こっち見て!

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● 両国橋を渡り、柳橋を渡ると台東区にはいる。 もう地元だ!

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・・・・・・・・・・・・地元でも、“知ってるようで 知らない 隣の家”、、、、柳橋の町に小さな古本屋「古書 みつけ」が、明日(10/8)オープンするようだ! 浅草橋(柳橋の隣り町)に生まれ育って70余年、柳橋に可愛らしい本屋ができるのは初めて、びっくりしたけど、多いに期待しよう!

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・・・・・・・・・・・・「浅草橋駅」に到着、、、、駅から我が家は300m、『ただいま!』

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2021年10月 5日 (火)

今はなき小名木川駅

東西線南砂町駅から明治通り沿いの裏道にチョコチョコ入り、北へ向かって都営新宿線西大島駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 東西線「南砂町駅」は昭和44年(1969)に営団地下鉄東西線東陽町~西船橋間延伸時に開業した。、、、、当時、ホームがある位置には洲崎川という運河があり、南砂町駅は洲崎川の川底にトンネルを沈め、トンネル内にホームを造ることとなった。 トンネルは、陸上で13個に分割して作った鉄筋コンクリート製のトンネル筐体を川底に沈め、さらにトンネル筐体の下部を掘削して地中に沈め込む「ケーソン工法」にて建設された。 川底の軟弱地盤に造られた駅・ホームは狭い空間で、1面2線の島式ホーム両端に1か所ずつ改札口(出口)があるのみだった。、、、、開業後50年を経過した現在、乗降客も増え駅構内の混雑も激しく、ホームの拡張が求められてきた。 そこで、現在のホームの隣りに、島式ホームを増設し、2面3線の島式ホーム構造に改良することとなった。 現在のホーム前の壁の向こうでは新しいホームが造られているそうだ。 工事の完成はまだ数年先となるらしい。 (注:現在は洲崎川は埋め立てられ道路に変わっている)

・・・・・・・・・・・・朝、西船橋方面に向かう列車は空いている、都心に向かう列車は混んでいる。

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・・・・・・・・・・・・ホーム前の壁はコンクリートがむき出しとなり、その壁の向こう側では新ホームを増設中。

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・・・・・・・・・・・・3機の自動改札がある西側の改札口。 その先、地上への出口は1か所のみ。 出口を出ると、そこは工事現場の中!

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● 南砂町駅を出て、「永代通り」と「明治通り」が交差する「日曹橋交差点」から、明治通り沿いに北上する。

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・・・・・・・・・・・・明治通りの東側(南砂3)に7棟の集合住宅一列に並んだ、総戸数175戸の「都営南砂3丁目第2アパート」がある。 この向かい側に小ぢんまりしたお稲荷さん「仙気稲荷大明神」がある。、、、、仙気稲荷大明神は江戸百稲荷の一つで、江戸時代から「砂村疝気(せんき)稲荷」として名高く参詣者が多く繁栄していた。 砂村稲荷神社は、昭和20年(1945)の米軍の無差別空爆により全焼、その後仮社殿が建てられたものの、昭和42年に千葉県習志野市谷津に移転した。 神社の跡地には都営住宅が建てられ、その一隅に昔の名前を留める小祠が仙気稲荷大明神だ。、、、、大明神は文化文政の頃から、“疝気”という、大小腸・子宮などの下腹部が痛む病気に、霊験あらたかだった。 現代は、胃腸の痛みにはラッパのマークの『正露丸』(我が家の常備薬)

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● 仙気稲荷大明神から北へ約250m、「葛西橋通り」と「明治通り」が交差する「南砂四丁目交差点」を通過。

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・・・・・・・・・・・・南砂四丁目交差点からチョイトばかり北へ歩くと、明治通りが仙台堀川を越える処に「弾正橋跡」がある。、、、、「弾正橋」は大正時代に城東電機鉄道の鉄道橋として砂町運河に架設され、その後明治通りの道路整備に伴い、昭和5年に道路及び鉄道橋として鋼橋に生まれ変わった。 橋の名前の由来は、元々境川(葛西橋通り)に架っていた橋(境川交差点のところ)の名前だったが、大正13年(1924)からの震災復興事業のため境川が埋立てられて撤去されたことを惜しみつけられたもの。 今は、橋名板、レリーフを残すのみ。、、、、仙台堀川は「仙台堀川公園」として親水公園に生まれ変わってる。

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● 明治通りを北へ歩く、「清州橋通り」と交差する「境川交差点」に出る。

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・・・・・・・・・・・・交差点の近くに、「志演尊空神社(しのぶそんくうじんじゃ)」がある。、、、、志演神社は寛永元年(1624)に創建され、菅原道真の末裔の菅原長寛が稲荷神を勧請した。 その後、徳川綱吉が当社を参拝し「志演神社」と命名した。 その後、昭和31年(1956)になると、近くの尊空稲荷神社を合併し、社名は現在の志演尊空神社となる。、、、、歴史ある神社のようだ、しかし、歴史を感じさせるものが少ないね!

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・・・・・・・・・・・・志演尊空神社から一軒飛んで西隣に日蓮宗寺院「妙久寺」がある。、、、、妙久寺は天霊山と号す。 小湊誕生寺16世日領上人(慶安元年1648年寂)が寛永7年(1630)に創建したと伝えられている。、、、、こちらに、横綱:大鵬の墓があるそうだ。 手を合わせてきたかった!、、、、古くはないが木造の楼門が印象に残る寺。

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● 妙久寺の西側に「越中島貨物線」が通っている。 越中島貨物線は総武線小岩駅と越中島貨物駅を結ぶJR東日本の貨物支線である。 現在は平日に3往復の貨物列車が運行され、越中島の東京レールセンターにレールを運んでいる。、、、、妙久寺の北側にある複合商業施設「アリオ北砂」は、平成12年(2000)まで運営していたJR貨物の小名木川駅の跡地である。

・・・・・・・・・・・・妙久寺側から北を望む。、、、、写真右端のマンションの後ろに「アリオ北砂」がある。また手前の公園も小名木川駅の跡地である。 公園にはモニュメントとして小名木川駅の歴史を語る車輪が置かれている。 道路奥の線路が越中島貨物線。

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・・・・・・・・・・・・小名木川駅の建物が線路脇に残っている(写真中央) 現在は駅名を表示したものはなく、JR貨物の関係会社が使用中。 この建物は「小名木川駅統合詰所」であった。

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・・・・・・・・・・・・妙久寺の西側を越中島貨物線が通っているが、寺の横から南の越中島方面に線路に沿って「南砂線路公園」と名付けられた遊歩道がある。 運が良ければ一日3往復する貨物列車を見ることができるかも?

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● 越中島貨物線沿いに北へ向かうと小名木川に架かる「小名木川橋梁がある。、、、、小名木川橋梁は、可愛らしい白いトラス橋なのだが、今日は錆に汚れてチョイト可哀そう! 本橋梁は複線対応であるが、レール自体は単線のみの敷設されている。 鉄道省の設計、東京石川島造船所の橋桁製作により、昭和4年(1929)に竣工した。、、、、鉄道遺産でもあり、文化財に指定し保存してほしいね!

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● 再び明治通りを歩き、都営新宿線「西大島駅」に着いた。 今日の散歩はココまで! 帰ろ!

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2021年10月 3日 (日)

食用蛙供養塔?

長かった長かった、やっと解除です、待ちに待った緊急事態宣言が解除された! これで、自由になるかと思いきや、まだマスクを着用する、まだアクリル板越しに会食する、まだ他県への移動は自粛するなど、引き続きの感染対策が求められているのです。 でも、気持ちは緩み、行動もコロナ以前の状態に戻ってきたようだ!、、、、これから“秋”を堪能したいね!

今日は、都営新宿線一之江駅から東西線西葛西駅を目指して歩いたが、体力に余裕があり、葛西橋を渡り東西線南砂町駅まで歩いた。 1万6千歩。




● 日曜の早朝、ガラガラ電車で「一之江駅」に到着。 通勤・通学客もおらず、ホームも空き空き。、、、、今日は、一之江駅から南西方向に東西線の西葛西駅を目指し駅前を出発!

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● 一之江駅前の「環七通り」を南へ300m程歩くと「新大橋通り」との交差点がある。 この交差点から裏通りを西へしばらく歩く。

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・・・・・・・・・・・・二之江町で、地元のお年寄りによって、綺麗に清掃し整備された「一之江境川親水公園」に出た。 コイやカメが泳ぐ小川の両側が歩道となっている親水公園沿いに、南西に向かって歩く。

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● 一之江境川親水公園沿いの江戸川区船堀6丁目には、船堀日枝神社、光明寺、法龍寺の順に一社二寺が並んでいる。 チョイトお立ち寄り!

・・・・・・・・・・・・まずは「船堀日枝神社」に参拝。、、、、 旧船堀村東組の鎮守。 祭神は国常立尊、左右相殿に春日大明神と稲荷大明神を合祀している。 慶長19年(1614)、船堀新田開発の際に守護神として山王権現を祀ったのが始まりらしい。 別当寺は隣接の光明寺で、明治6年に日枝神社と改称しました。、、、、本殿脇には、旧船堀村の登山講の人たちが、明治25年(1892)に築いた、高さ約2mの「船堀の富士塚」がある。 この富士さんは誰れでも登山可能で、今だ遭難者はいないらしい!

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・・・・・・・・・・・・船堀日枝神社の隣りには、真言宗豊山派寺院の「光明寺」がある。、、、、光明寺は、稲香山横道院と号す。 光明寺は、覚仙上人が開山となり慶長19年(1614)に創建した。 当寺本尊の不動明王は、門前の道が横丁に入る通路となっていたことから、 「横道の不動様」とも呼ばれ、眼病に御利益があるといい、成田山へ向かう人も参詣したと言われているそうだ。(初めて聞いた!)

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・・・・・・・・・・・・光明寺の隣りは「法龍寺」、、、、浄土宗寺院の法龍寺は、幸雲山道観院と号す。 法龍寺は、幸蓮社雲誉道観法龍上人(元和2年1616年寂)が開山となり慶長年間に創建したという。、、、、古びた山門前には舟形の月日青面金剛三猿の庚申塔や、珍しい「食用蛙供養塔」(写真:右端)が建っていた。 食用蛙は昭和の初め頃から区内に生息し、蓮田や水田が多かったので、自然繁殖を続け、輸出するほど捕れたそうだ。 終戦後は蛙を捕え、加工業者に渡し、生計を保つものも現れ、供養塔は「東京都食用蛙組合」(こんな組合があったのか!)によって、昭和27年(1952)に建てられた大変珍しい供養塔。

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● 中川と旧江戸川を結ぶ人工河川(運河)の「新川(しんかわ)」を「新渡橋(しんわたりはし)」で越える。、、、、新川は桜の名所で、川沿いに「新川千本桜」が植えられている。 一度見てみたい!

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・・・・・・・・・・・・新川を渡ると「宇喜田町」に入る、、、、宇喜田町の町名が気になるね! そこで、チョイト由来を調べると、、、、“宇喜田”は、“田川兵衛新”を略したもので宇喜多秀家とは無縁である。 なお、江戸川区の隣り浦安市には、宇喜田姓が多くあり、浦安の宇喜田姓は、八丈島に流されていた秀家の子孫が、明治になって本土定住を許されて移り住んだ先だったそうだ!

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・・・・・・・・・・・・宇喜田町の南隣の北葛西に、都立宇喜田公園江戸川区立行船公園が広がっている。 どちらも広い敷地で、都立公園はスポーツ施設、区立公園は庭園と自然動物園を主体としており、コロナで疲れた若者、親子の多くが利用していた。

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・・・・・・・・・・・・公園を抜けると、西葛西駅までは約700m。 今日は、『まだ歩ける!』ので、予定変更し葛西橋を渡って南砂町駅まで歩くことにした!




葛西橋は荒川および中川にかかる橋で、都道10号東京浦安線と都道475号永代葛西橋線(葛西橋通り)を通す。、、、、旧葛西橋は昭和3年(1928)に架けられたが昭和25年(1950)に崩壊、その後、木製の橋が架けられたが、今の橋が出来ると解体された。、、、、現在の葛西橋は、橋長 727.4m、幅員15m、補剛ゲルバー桁(最大支間長142m)、総事業費は19億3200万円で昭和38年(1963)完成。

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● 葛西橋を渡ると、東西線「南砂町駅」は近い、、、、昭和44年(1969)3月29日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、混雑度の高い東京メトロ東西線、その南砂町駅では、島式ホーム2面3線に改良する工事が進められている。 総事業費は300億円程が見込まれているそうだ。 完成すると、ホーム/線路が増え、朝の都心方面行の列車の運行がスムースにでき、混雑緩和、遅延防止が図られると言われている。、、、、まだ工事完了までの時間はかかるが、完成が待ち遠しい人も多いと思う!

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2021年9月28日 (火)

役者寺

都営新宿線の篠崎駅から、首都高7号線沿いに歩き瑞江(みずえ)の町に入り、明和橋通りを歩き、大雲寺、瑞江葬儀所に寄る。 新中川を明和橋で越える。 川の先は新宿線の一之江駅。 1万2千歩の散歩です。




● 都営新宿線「篠崎駅」は、昭和61年(1986)9月14日に開業した。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 ホームは駅ビルの地下にあり、駅ビルにはスーパーの「ライフ」、ベーカリー、クリーニング店、公共施設の図書館やカフェ等がある便利そうな駅だ!、、、、浅草橋の我が家からここ篠崎駅までは、乗換案内で調べると、①浅草橋→(浅草線)→馬喰横山→(新宿線)→篠崎のルートで、所要31分、料金272円 ②浅草橋→(総武線)→本八幡→(新宿線)→篠崎のルートで、31分、398円 どちらのルートでも所要時間は同じ、料金は都営線のみの方がお得。 私は、年間乗り放題の都営敬老パスを持っているので、無条件に都営線のみのルートを利用、これで272円の儲け(?)。

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・・・・・・・・・・・・【ここで問題】 東京都内で、東西南北で各最端部の駅は何処? 4駅当てたらニューヨークへ自腹でご招待、、、、答えは、最東端は都営新宿線の篠崎駅(江戸川区) 最西端はJR青梅線の奥多摩駅(奥多摩町) 最南端は東急田園都市線の南町田グランベリーパーク駅(町田市、旧南町田駅が昨年駅名改称)  最北端はJR青梅線の古里駅(奥多摩町、青梅線は多摩の北部を運行している)

・・・・・・・・・・・・【追加の問題】 では、23区内で、東西南北で各最端部の駅は何処?、、、、最東端は篠崎駅。 最西端は西武新宿線の武蔵関駅(練馬区) 最南端は京急線の六郷土手駅(大田区) 最北端は日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅(足立区) 




● 篠崎駅の南側を走る首都高7号小松川線沿いに南西に向かう。、、、、都心では普段あまり見ることのない車もあるね!

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・・・・・・・・・・・・首都高沿い(裏通りも含めて)に、『都立 篠崎公園〇〇号地』と記した雑草ボウボウの公園用地が点在する。 最大48号用地まで確認できたが、いったい何号まであるのか?????、、、、平成24年(2012)の篠崎公園整備計画答申に基づく公園用地を確保しているそうだ。 いつまで続く、用地確保!

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・・・・・・・・・・・・瑞江3丁目と春江3丁目の町境で、首都高と別れ、「明和橋通り」を歩き一之江駅方面に向かう。

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● 都営新宿線瑞江駅から西へ500m程に、浄土宗寺院の「大雲寺」がある。 長行山専称院と号し、本尊に阿弥陀如来を祀る。、、、、大雲寺は、天蓮社梵誉上人が元和6年(1620)浅草森田町に創建、寛文8年(1668)に本所押上(現業平公園東隣)へ、昭和6年(1931)現在地へ移転した。、、、、山門に新しい恵比寿様と大黒様の石像が収まっている、めずらしい寺。

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・・・・・・・・・・・・大雲寺が押上にあったことから歌舞伎役者の墓所が多数安置されており、「役者寺」と呼ばれている。、、、、本堂裏の墓地には、歌舞伎役者の墓碑が並んでいる。 市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓初代尾上菊五郎供養碑寺島家門弟一同建立碑寺島家門弟代々墓瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)、松本幸四郎累代墓(四代より六代合葬)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓福地家墓坂東彦三郎墓(初代より二代合装)など。 数日前には、お彼岸で坂東家の墓参りがあったらしい(墓地を整備している方の話)

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● 大雲寺の正面には、都内唯一の公営(都営)火葬場である「瑞江葬儀所」がある。 名は“瑞江”葬儀所だが、住所は江戸川区“春江町”。 お寺の前に火葬場とは、なんとなく都合良さそうだ!、、、、ここは葬儀用の式場はなく、火葬設備のみとなっている。 昭和13年(1938)2月1日より使用が開始された。 火葬炉 20基を備え、火葬受付件数:一日25件。、、、、コロナ禍が影響していると思うのだが、ここ1・2年の間に葬儀の様式も変わり家族葬が多く、お別れの機会も減ってきたようだ。 ナントも切ない感じ!!

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● 再び明和橋通りを歩き、「明和橋」を渡る。 明和橋(めいわばし)は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸(左岸)の江戸川区西瑞江三丁目と西岸(右岸)の一之江三丁目を結ぶ。、、、、初代の橋は昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋され、昭和45年(1970)には歩道が増設された。 しかし、橋の老朽化、幅員が狭く取り付け道路が両岸で急カーブしており、事故などがあったため、新中川橋梁整備計画の第一弾として平成4年(1992)に架け替えられ、現在の川に斜めに架かる橋となった。、、、、現橋の形式は、3径間連続下路式ブレースドレスアーチ橋、橋長は137.0m、幅員16.0m。、、、、特徴的なデザインのアーチ橋で面白い!

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・・・・・・・・・・・・明和橋の上流に架かる「涼風橋(すずかぜばし)」、、、、東岸の江戸川区春江町三丁目と西岸の一之江三丁目を結ぶ橋。 平成18年(2006)に道路の築造とともに新たに架橋された。、、、、橋名の“涼風橋”は、江戸川の名物:風鈴を思い出させるいい名だ!

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● 明和橋を渡れば「一之江駅」、、、、一之江駅は、昭和61年(1986)9月14日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、駅前のロータリーから発着するバスは、駅の規模化に比べると多い。 都営バス5系統、京成バス6系統もあり、成田・羽田への空港バスもある。 便利そうだ!

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2021年9月25日 (土)

東小岩の三寺

今日の散歩は、小岩駅から江戸川沿い(東小岩)の三寺を訪ね、浅間神社に寄って篠崎駅まで、1万3千歩。




● コロナ感染者も減り、気分は自粛解除(ゴメン・ゴメン!)、土曜の早朝であり、電車も駅も人は少ない。 「小岩駅」で下車する。

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・・・・・・・・・・・・自動券売機前にある、ご当地の出身横綱:栃錦の土俵入りを見ながら小岩駅を出る。 栃錦の像は彫刻家:古川武治により平成2年(1990)の制作。

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・・・・・・・・・・・・現在の小岩駅は、高架島式1面2線構造。 改札は地上1階にあるが、道路面から1階までは数段の階段があり、短いエスカレーターも設置されている。 また、高架下にはショッピングモール「PoPo小岩」もある。

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・・・・・・・・・・・・南口のロータリーから3本の商店街が放射状に伸びている。 そのうちの1本:「昭和通り商店街」をまっすぐ歩き、国道14号(=千葉街道)を越える。、、、、商店街の長さは約1.2㎞ある。 長い商店街だが、チョイト昔と比べると、シャッターを下ろした店も増え疲れてきたようだ! 

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● 千葉街道を越えて東小岩の町に入る。 昭和7年(1932)に創設された、459床の地域密着型の総合病院「江戸川病院」前から、江戸川土手に上がり対岸の市川市を望む。 河川敷のグランドでは早朝から元気に少年野球が行われてる。、、、、一雨降りそうな空模様、『降るなよ』と天に言う!

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● 江戸川病院の隣りに今日の散歩の目的地、真言宗豊山派の星住山地蔵院と号す「善養寺」がある。 足利時代の大永7年(1527)に山城(京都)醍醐山の頼澄法印が霊夢のお告げによって、小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのがこの寺の開基と伝えられているそうだ。 しかし、永正6年(1509)の書に当寺の記述があることから、開基は寺伝よりもさかのぼるらしい。 慶安元年(1648)徳川家から寺領十石の御朱印を受けた名刹で古くから「小岩不動尊」とも呼ばれている。

・・・・・・・・・・・・境内南側には、数本の松の大木が並ぶ参道とその正面に仁王門がある

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・・・・・・・・・・・・境内西側には不動門がある

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・・・・・・・・・・・・境内中央に、樹齢600年の黒松「影向(ようごう)の松」が迎えてくれる。 東西30m、南北28m、茂っている広さが約900㎡(272坪)におよぶ。根元の幹まわり4.5m、高さ平均3m、一番高いところで8m、幹を支えるための支柱82本。 巨大な松は繁茂面積では日本1,2を競うと言われている。

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・・・・・・・・・・・・松の奥に本堂があり、本尊は地蔵菩薩。 本堂前には、撫で仏の「おびんずるさま」が置かれている。、、、、最近、頻尿になり夜起きるのが辛い、今日はチンチンの位置を撫でてきた。 さすが仏さま、撫で撫でしても大きくならず!

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・・・・・・・・・・・・松にかくれて、堂の全体が撮影しにくい不動堂。 安置されていると思われる「小岩不動尊」お姿を拝めず、残念!

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● 善養寺不動門から西へ100m程、真言宗豊山派寺院の「東養寺」がある。 山号は薬王山光明院。 東養寺は、国府台合戦(1563・1564)で里見家滅亡の際に家老の持仏であった木造薬師如来立像(通称「入谷の薬師様」)を本尊として、覚裔和尚が創建したと言われている。 東養寺は、もと善養寺末。

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・・・・・・・・・・・・本堂前の延命地蔵尊はもと小岩駅前の通称地蔵通りにあったが、昭和38年(1963)ここに移された。

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● 東養寺から南へ250m程、真言宗豊山派で五社山明寿院と号し、天文5年(1536)宥唯上人が開山した「萬福寺」がある。 本尊は鎌倉時代に作られた木造阿弥陀如来立像で、寺宝として文政12年(1829)に政寛和尚が伝法灌頂を行った時の両界曼荼羅を所蔵している。、、、、
内の手入れは行き届いており、清々しい寺だ。

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・・・・・・・・・・・・境内には、近隣から集めたのか(?)、庚申塔・野仏など
多くの石仏が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・萬福寺は、明治15年(1882)に区内で2番目の公立小学校「明物小学校」(現在の小岩小学校)が本堂を借りて開校したので区登録史跡となっています。 また、何といっても、小岩生まれで近代相撲の開祖といわれる第44代横綱:栃錦(春日野清隆)の菩提寺でもある。

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● 東小岩の三寺を参り、その後、さらに南下し、観正院墓地の石仏・庚申塔篠崎公園を抜け、浅間神社に寄って、都営新宿線の篠崎駅まで歩く。 2年前(19/8/7)に、このルートを逆の順に歩いて小岩駅まで。

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2021年9月23日 (木)

栃錦の像

京成線青砥駅から、青砥橋、細田橋を渡り東へ歩き、京成小岩駅付近からは柴又街道を南下し総武線小岩駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 今日は秋分の日、成田空港行きの電車はキャリーバッグを持った人で混んでるかと思ったが、期待に反して空いている。 青砥駅もホームに人影は少なく、皆さん自粛中か?、、、、今日の散歩はここ「青砥駅」から、出発進行!

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● 青砥駅から東へ300m程歩くと中川に架かる「青砥橋(あおとばし)」がある。、、、、青砥橋は環七通りの一部で、工事は1979年(昭和54年(1979)10月に着工し、昭和60年(1985)1月に橋梁が完成した。 橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 mの鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。

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・・・・・・・・・・・・三層の高架駅:青砥駅ホームから青砥橋が見える、もちろん、逆に青砥橋から青砥駅も見える。

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・・・・・・・・・・・・青砥橋から上流側を眺める。 写真左端が中川上流で、ここには斜張橋の高砂橋がある。 写真右端の樹木が茂る処は新中川通水記念公園である。 この公園は中川新中川が分岐する、お股の“急所”に位置する。、、、、「新中川」は昭和13年(1938)の東京東部で発生した浸水を教訓に、計画・工事が行われた中川放水路である。 工事は昭和38年(1963)に完成した、私が高校生の頃。 何だか判らず、細長い掘削工事現場が連なる現場を見に行った記憶がある。

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・・・・・・・・・・・・「新中川通水記念公園 」には、東京都が建てた記念碑がある。、、、、記念碑の裏側にはチョイト長い文章で次のように彫られている。 『中川放水路のあらまし   この地方は昔から高潮や洪水による水害をしばしばうけてきましたので、東京府は昭和十三年に中川 綾瀬川および芝川の三角川総合政?計画をたて 二千四百十九万円の事業費をもって着工しました とくに中川改修事業は足立 葛飾および江戸川の各区と埼玉県の一部にわたる地域の洪水をふせぎ かつその排水と舟運のため着工しましたが 第二次世界大戦のため昭和一九年には工事が中止されて一部の用地買収と一部の護岸工事ができただけでした。しかしこの地方が昭和二十二年九月のカスリーン台風による洪水のため利根川の堤防がこわれて大きな被害をうけましたので ふたたび中川改修工事を再開する声がたかまり 東京都はさきの計画に再検討を加え財政上の理由から 九億九千五百万円の事業費を?つて中川放水路の…を実施する事になり昭和二四年から工事を再開しました この工事中に物価の値上り 用地の買収などといろいろ困難な問題がおきて工事はしだいにおくれ たまたま昭和三十四年の伊勢湾台風による高潮の水位が意外にたかかったことから この事業の一部を変更し事業費…額されて?ましたが ついに昭和三十八年三月十六日第一期工事を完成し通水に成功しました。この放水路は着工以来長い歳月と多額の事業費と多くの人員が投入されて完成… また祖先伝来の土地を提供された地元民の協力と 工事?当の建設業者の尽力とこの事業関係の都職員の努力によってできあがったもので この地方をながく水害から守る事ができるようになりました この放水路の概要は左記の通りですが第二期工事の完成によってその流量はさらにふえることになります。  記  一 位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から   (吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで   一 延長 八○八九メートル   一 計画流量 毎秒一二○トン(第一期計画)   一 巾員 河川敷一四八メートル   一 堤防 高さAPプラス五・二メートル   天端巾 六・○メートル   一 主要建造物 道路橋 一六橋   鉄道橋 二橋   排水所 四箇所   伏越 三箇所   水門 一箇所   一 総工費 五十三億八千百万円   昭和三十八年九月一日建立 』

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● 新中川通水記念公園から新中川の右岸を歩き、高砂諏訪橋細田橋を歩く。、、、、どちらの橋も、戦後、高度成長期に合わせ架けられた“昭和レトロ”の橋だ!

・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋(たかさごすわばし)は、新中川の最上流部に架かる長さ135mの橋で、東岸(左岸)の葛飾区高砂2丁目と西岸(右岸)の高砂1丁目を結ぶ。 昭和36年(1961)に新中川掘削工事に伴い架橋される。 幅員が4.5mしかなく、歩道のない一車線の橋。 危ないのでその後、下流側に高砂諏訪橋人道橋が設置され人車分離された。

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・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋から350m程下流に、同時期に架けられた橋長119.0mの細田橋がある。 東岸(左岸)の葛飾区細田3丁目と西岸(右岸)の細田2丁目を結ぶ。新中川掘削工事に伴い架橋。 昭和54年(1979)下流側に細田橋人道橋を設置。

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● 細田橋人道橋を渡り、葛飾区細田の町に入る。 まずは、細田橋の東詰に、新金貨物線細田踏切がある。、、、、平日、数本の貨物列車が走る踏切。、、、、新金貨物線の線路敷きは複線分の用地が確保さてれおり、旅客化の話は昔からあるが、いつまでたっても具体化しない! ここに電車が走る日はまだまだ先のようだ!

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● 線路沿いに南へ少し歩くと、細田村が開村した元禄8年(1695)頃に細田村の鎮守社として稲荷を勧請した細田神社」がある。、、、、現在の社殿は昭和4年(1929)に修復された。

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● 細田からは、道路拡張工事が行われ歩きやすくなった都市計画道路補助264号線(長ったらしく覚えにくい道路名!)を歩き京成小岩駅を目指す。

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・・・・・・・・・・・・京成小岩駅近くに愛国学園がある。 「愛国学園」は、大学、短期大学、高等学校、中学校、保育専門学校などを設置する学校法人。 京成小岩駅近く(江戸川区西小岩)には、大学を除く各校舎がある。、、、、伝統ある女学校。

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● 京成小岩駅から帰るつもりで歩いてきたが、愛国学園の先で柴又街道に出たので、街道を歩き総武線小岩駅からJRで帰ることにした。

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・・・・・・・・・・・・JR小岩駅北口に到着。 広いコンコースには、当地出身のかつての名横綱栃錦の像がある。 待ち合わせ場所として最適!、、、、尻かげで 遅い友待ち 尻撫でる(尻滅裂)

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・・・・・・・・・・・・小岩駅は明治32年(1899)5月24日、総武鉄道の駅として開業。 明治40年1907)に国有化される。 現在は総武線緩行列車しか停車しない、開業後100年超経過した古い駅。 1面2線の島式ホームの高架駅。

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2021年9月19日 (日)

ここは旧水戸街道?

連日、コロナ感染者数減少の報道が続き、気持ちは緩みっぱなし。 早くの緊急事態宣言解除を願いつつ、『今日は、多少歩いてもいいだろう!』と、自分で自分を納得させ散歩に出た。

JR常磐線金町駅から、水戸街道沿いに都心方向に歩き、京成本線青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 今日は西日暮里で東京メトロ千代田線に乗り換えて、JR金町駅に到着。 金町駅は盛土上に1面2線の島式ホームがあり、改札は盛土下を南北に貫く穴に直結し、出入口は南北にある。 南口の駅前ロータリーは広くバス・タクシーが発着する、また京成金町駅も目の前だ!、、、、金町駅は明治30年(1897)12月27日に日本鉄道の駅として開業した。 創業124年余りの歴史を有する老舗駅。、、、、金町駅は埼玉(三郷)と千葉(松戸)に隣接している県境の駅。

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・・・・・・・・・・・・“
駅前の駅”は京成金町線の京成金町駅、、、、単式ホーム1面1線の地上駅。 ホーム長さは4両編成分しかない、小さな駅である。 しかし金町駅は、金町線の前身である帝釈人車軌道が明治32年(1899)に開業した、こちらも老舗駅。

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● 今日は、金町線とはまったく関係ないが、この京成金町駅の西側の町:葛飾区金町5丁目、4丁目、葛飾区新宿4丁目、2丁目の裏通りを中川大橋に向かって歩いてみた!

・・・・・・・・・・・・緊急車両が通り難い細い道が折れて続く“私好みの道”、ここは金町5丁目!

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・・・・・・・・・・・・緊急事態宣言下、酒場は涙を呑んで休業中。 いつまで続くこの休み。 貼り紙に貼り紙だ! 狸も退屈そうだ!、、、、店主は大変そうだ、頑張って!

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・・・・・・・・・・・・京成金町駅近くをとおり、南西に向かうと“お江戸日本橋”に着く国道6号(=水戸街道)。 その国道から北側に一本入ると旧水戸街道がある。、、、、旧東海道は街道巡りの旅人で賑わっているが、旧水戸街道は『ココが旧街道』である案内すらなく、チョイトもの足りない道である。(Googleマップには旧街道の表示あり)

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・・・・・・・・・・・・その旧水戸街道が新金貨物線(新小岩~金町間のJR貨物線)と交差する「浜街道踏切」、、、、踏切名の「浜街道」とは、現在の国道6号(=水戸街道)の旧道である「陸前浜街道」のことを指す。

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・・・・・・・・・・・・浜街道踏切から100m程都心によると、旧水戸街道の拡幅の際にここに移された「地蔵菩薩石仏群」がある。 享保、宝永といった江戸でも古い年号が彫られている13基の石仏群と帝釋道標と八大龍神碑である。 

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・・・・・・・・・・・・新宿2丁目の浄土宗寺院「浄心寺」は林光山称名院と号す。 慶長19年(1619)廓蓮社然誉潮呑和尚が開山、明呑が開基となり創建、江戸時代には両国回向院(墨田区)および小塚原回向院(荒川区)住持の隠居寺であった。 古い本堂は明治20年(1887)焼失、同22年再建されたが、昭和46年(1971)に現本堂を新築した。、、、、境内の墓地には、2・26事件で殉職し、岡田啓介元首相が建てた清水与四郎巡査の墓がある。

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・・・・・・・・・・・・旧水戸街道は中川の手前:新宿4丁目にて、国道6号(=水戸街道)とは離れ、中川橋にて中川を越え、亀有駅の南側を抜け、小菅、北千住を通り、千住大橋で国道4号(=日光街道)に合流する。




● 国道6号(=水戸街道)は、中川橋の下流に架かる「中川大橋」を渡り、四ツ木橋、言問橋をとおり、日本橋へ向かう。、、、、中川大橋は葛飾区青戸8丁目と葛飾区新宿2丁目を結び、昭和10年(1935)にカンチレバー式プレートガーダー橋として開通した。 現在の橋は昭和60年(1985)に架替え工事が開始された2代目の橋。 平成元年(1989)に竣工。

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・・・・・・・・・・・・中川を望む

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● 中川を越え、葛飾区青戸の町に入る。、、、、葛西城跡に寄り、青砥駅まで歩く

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2021年9月13日 (月)

飯塚富士は登山禁止

緊急事態宣言は、本日から延長期間に入り、9月30日までとなった。 何だかんだと いつまで続く “緊急事態” 聞き飽きた(今日も、コッソリ散歩する)

東京メトロ千代田線「北綾瀬駅」から、東に向かい、飯塚橋で中川を越え葛飾区にはいる。 東京理科大の金町キャンパスを抜けて、常磐線「金町駅」まで、1万3千歩の散歩です。




綾瀬駅は千代田線それとも常磐線(?)どちらでもいいけど、北綾瀬に行くには、綾瀬駅で北綾瀬行きの電車に乗り換える。 綾瀬駅1番・2番線ホームの東端に綾瀬行きの0番線ホームがある。 ここから3両編成の北綾瀬行きワンマン運転の電車でGoー!、、、、『つぎは終点北綾瀬』、一駅間の短い千代田線支線に乗り換える。

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● 「北綾瀬駅」(昭和54年(1979)開業)は、環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線の高架駅。 ホームは西側の線路に取り付けて設置されている。 平成31年(2019)からは、これまでの区間運転用の3両編成の列車以外に、代々木上原方面直通の10両編成の列車も停車できるようにホームが延長された。、、、、1面1線のホーム構造を持つ駅は、都区内ではここの他に大師前駅京成金町駅の三駅だけで、珍しい駅の一つ。

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・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅は「環七通り」に面している。、、、、今日の散歩では、この環七通りを東に向かい歩き始める!

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● 環七通りを東へ歩くと「大谷田橋交差点」がある。 大谷田橋交差点は、足立区東和・大谷田にある交差点で、主要道路は、環状7号線と都道307号線などで、7本の道路が集中する、“七差路”、“七辻”となっている。 環七がオーバーパスになっており、道路幅も広いので、この場所を通った人でも、ここが“七差路”であることに気づきにくい。、、、、疑い深い人は地図で調べて、現地に行って!

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・・・・・・・・・・・・この大谷田交差点の一角に、高さ26mの「銀河の塔」がある。 葛西用水親水水路完成を祈念して、平成8年(1996)に建てられたシンボルタワーであり、交差点を挟み東和4丁目と大谷田1丁目を結ぶ歩行者・自転車用の地下道の出入口を兼ねている。 塔の中程まで階段で登ることができるが、登る人を見ることはなかった!

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● 大谷田交差点で環七通りからはずれ都道を東に歩く。 中川に架かる「飯塚橋」を渡る。 飯塚橋は東岸の葛飾区南水元2と、西岸の足立区大谷田1・中川5を結び架けられた。(両区を結び人・車が通れる唯一の橋である)、、、、橋長:303.0m 幅員:20.2m 形式:鋼箱桁、鋼鈑桁 開通:平成4年(1992)、、、、江戸時代よりここには、両岸を結ぶ渡し舟「飯塚の渡し」があった。 近隣地域では中川両岸を結ぶ唯一の連絡交通手段として重宝されたが、夜間は運行されず、時に急患を対岸の病院へ搬送するために特別に出されることもあった。 昭和30年(1955)に旧飯塚橋が架橋されたため廃止された。(現橋は二代目)

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・・・・・・・・・・・・橋の先(葛飾区)には葛飾清掃工場の煙突が見える

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・・・・・・・・・・・・橋から上流側を眺める。 右に葛飾区、左に足立区、目ぼしい建物は何もない!

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● 葛飾区に入り、中川の土手沿いに南下し、金町駅方面に向かうと、比較的新しい神社がある。 これぞ、葛飾区南水元の「富士神社」(飯塚富士)である。 神社は、木花咲耶姫命を祭神として、正慶元年壬申(1332)6月創建といわれ、江戸時代には旧飯塚村(現在の、水元、南水元、西水元、水元公園あたり)の鎮守だった。 2010年代(平成)に整備工事が行われ、社殿や富士塚は一新された。 、、、、高さ約20m、東西径約22mの富士塚は拝殿の裏にある浅間山の上に、さ らに盛土をして築かれ、まるで古墳である。 立派だ!

・・・・・・・・・・・・中川の土手上から見る富士神社

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・・・・・・・・・・・・広々とした境内に富士神社はある、、、、飯塚富士は登山禁止!

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● 中川沿いに歩き常磐線線路の手前(旧三菱製紙工場跡地)に「東京理科大学 葛飾キャンパス」がある。 理科大の神楽坂キャンパスが手狭になってきたため葛飾キャンパスが計画され、平成25年(2013)竣工した。 キャンパスは周囲を「葛飾にいじゅくみらい公園」に囲まれ、公園とキャンパスの敷地境界には何もなく、まさに公園と一体となって、地域に開かれたキャンパスとなっている。、、、、今日は、公園の芝生を歩かず、キャンパス内を歩き抜けた!

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● 理科大から徒歩10分、JR金町駅北口に到着。、、、、広い駅前ロータリー、その奥には高度成長期の公団住宅、高架下には南北通り抜け通路、通路に沿って券売機が並び改札がある、なんだか見るもの全てに“昭和”の香り。、、、、私の住む浅草橋と同様で、駅ビル・駅ナカのない駅。 今時の都心の駅とは思えない!

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