散歩

2025年6月12日 (木)

西川口から南鳩ケ谷まで

今日は久しぶりにJR京浜東北線の西川口駅で下車し、途中で鎮守氷川神社に寄り、東の方角に当たる埼玉高速鉄道の南鳩ヶ谷駅まで歩いて見た。 1万歩



● 「西川口駅」は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 2階には、橋上駅舎となっており、コンコースと自由通路がある。、、、、、西川口駅は昭和29年(1954)9月1日に橋上駅舎としては日本国有鉄道最初の駅として開業した。 約70年前の駅舎建築の設計仕様なのか、朝8時前後の通勤通学時間帯は乗降客が多く、ホーム幅の狭さ、狭いトイレ、自動改札の混雑具合、自由通路の狭さなど、全体的に手狭な規模が気になる駅だ。、、、、、出入口は東西2ヵ所あるが、駅西口側は大人の歓楽街として有名である。 駅東口は、駅前ロータリーから放射状に商店会が伸び、店も多い。 今日の散歩は東口から東の方角にある鎮守氷川神社に向かって歩くことにした。
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● バス通りである「西川口陸橋通り」を歩き、川口オートレース場の方に向かう。、、、、、流石に“サスガ”、ここは鋳物の川口市、歩道沿いには町名を示す鋳物の案内板がたっている。 錆びて茶色くなった案内板は、“これぞ鋳物”と存在感を出している。、、、、、戦後、事業を拡大してきた、濃淡2系統の緑色で塗装した国際興業バスとすれ違うと、『オゥ~~、ここは埼玉だ!』と不思議な感動を感じる!
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・・・・・・・・・・ 途中に、鎮守氷川神社の案内があり、それに従い裏道へ入る。
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● 氷川神社へ行く途中に、「龍泉寺 地蔵堂」があった。 地蔵堂と言っても、小さな祠があるだけ。 祠の周囲には、墓石が建ち並び墓地と思われる。 堂の脇の立札によると、この地蔵堂は近くの龍泉寺が見守っているようだ。、、、、、地蔵堂の詳細は判らない!
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● 来たついで、これも何かの縁、チョイト寄ってみよう「龍泉寺」、、、、、真言宗智山派寺院の龍泉寺は、大聖山広傳院と号す。 龍泉寺の創建年代等は不詳だが、正和2年(1313)の青石塔婆が残されていることから中世の創建かも(?)、、、、、歴史ある建物は無く、近代的な納骨堂と檀信徒会館、本堂は鉄筋コンクリート造。
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● 「鎮守 氷川神社」に面白い厄落としの作法があると聞いたことがあり、いずれ参拝してみようと思っていた、それが今日の散歩となった。、、、、、鎮守氷川神社は、川口市青木にあるので青木氷川神社とも言う。 鎮守氷川神社の創建年代は不詳だが、応永年間(1394~1428)の創建と伝えられ、江戸時代には本山修験宗般若院が別当寺を務め、下青木村の鎮守社となっていたと言われてる。、、、、、現在の社殿は昭和61年(1986)造営。、、、、、歴史と伝統の光が神徳を照らし続ける鎮守氷川神社は、年間を通して全国各地より多くの参拝客があり、『小さな大社』といわれてる。(神社のHPより) ヤマタノオロチを退治した神話で知られる、『邪』を裂き『魔』を祓う強い力を持つ『スサノオノミコト』を
祀ることから、厄除け・除災招福に神徳があるとされ、また祭神に夫婦神である『クシナダヒメ』と共にまつられていることから、縁結び・安産にも強い霊験があるといわれてる。
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・・・・・・・・・・ 境内にありました。 「厄割石」と「厄割玉」、、、、、厄落としの作法とは、まず、不安・恐れを手放したい、プライドを取り戻したい、勇気や希望を持ちたい、自分を信じたい、こんな人は“黒玉”、ストレス・怒りを発散させたい、勝負に勝ちたい、モチベーションを上げたい、大好きな人へ告白したい、こんな人は“赤玉”を取る。 次に、厄割石の前で一礼し、厄割玉を胸の前で両手で持ち、『厄よ去れ!』と念ずる。 そして、厄割玉を厄割石に投げつけ厄を落とす。 最後に厄割石に一礼して終わる。、、、、ストレス発散にGood! 面白いね!
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川口オートレース場の南側を通り、鳩ケ谷駅に向かう。、、、、、今日は開催日ではないようで、レース場に人影なし!
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● 川口オートレース場を過ぎると鳩ケ谷の町に入る。 南鳩ケ谷5丁目に、十二柱の神々を祀った事から名付けられた「十二神社」がある。、、、、、
十二所神社の創建年代等は不詳である。 平成5年(1993)に再建された新しい社殿で、境内も綺麗によく手入れされている。 宮司は、鳩ヶ谷総鎮守氷川神社(青木の鎮守氷川神社とは異なる)で兼務している。
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● 埼玉高速鉄道の「南鳩ケ谷駅」は平成13年(2001)3月28日に開業。 開通前までは鉄道空白地帯であり、この地区への鉄道開通は悲願であった。、、、、、駅は島式ホーム1面2線の地下駅で、構内はチョイト狭い感じがする。 令和5年(2023)度の1日平均乗車人員は8,131人と少ない。
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2025年6月 7日 (土)

松戸のあじさい寺

梅雨入り前の暑い真夏日、夫婦で松戸の花の寺「本土寺」へ行ってきた。 8千歩



● 常磐緩行線(東京メトロ千代田線が乗り入れてる)で松戸から4駅目の「北小金駅(きたこがねえき)」で下車する。、、、、、“北小金”という地名は歴史的には存在せず、水戸街道の小金宿の北側に駅はあり、名付けられたものと思う。、、、、、北小金駅は明治44年(1911)3月18日に鉄道院の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 当駅から都心の大手町までは、常磐緩行線に乗り、途中から千代田線に乗り入れ、約40分で到着する。 通勤に便利な町で、駅周辺は東京のベッドタウンとして、マンション、戸建て住宅などがたつ住宅地となっている。
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● 北小金駅から本土寺参道を歩く
・・・・・・・・・・ “参道”と言っても、道の両側に土産物屋、飲食店が並んでいるわけではない。 駅前から参道は始まり途中までは、“狭い裏通り”と云うような道である。 
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・・・・・・・・・・ 行程の半ばから、“参道”らしい並木道が現れた。、、、、、この並木道は、水戸光圀が伯父武田信吉(家康五男)の生母:於都摩の方(家康の側室)の墓所の改葬にあわせて本土寺参道に松や杉を植えて整備したものだ。 昭和30年代、参道は松戸市に寄付され舗装されて道路となった。 しかし、参道の交通量が増えたためか、両側の樹木は劣化し、痛々しい状態となった。、、、、、寺に近づくと、団子、漬物などを売る数件の店が営業してる。 店員は忙しそうに動きまわり、この週末は稼ぎ時のようだ。
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● やって来ました「本土寺(ほんどじ)」へ、、、、、日蓮宗寺院の本土寺は、長谷山と号し、日蓮宗由緒寺院の一つ。 本土寺は、豪族の平賀忠晴の屋敷内に、日蓮聖人の弟子日朗を導師として建治3年(1277)創建された。 天正19年(1591)徳川家康寺領10石の御朱印状を拝領、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本の本山」と称されている。 「朗門」とは日蓮の弟子日朗の門流という意味であり、「三長三本」とは、上記3か寺の山号寺号にいずれも「長」「本」の字が含まれることによる。、、、、近年、境内には茶室も整備され、1000本のカエデ・5000株のハナショウブ・10000株のアジサイの名所として人気を集め、鎌倉の明月院とともに「あじさい寺」として親しまれている。

・・・・・・・・・・ まずは仁王門をぬけ、五重塔を見上げ、正面の本堂に向かう。 建造物としての文化財はない。、、、、、さらに、本堂右奥には家康五男:信吉の生母:於都摩の方(秋山虎康の娘:秋山夫人)の墓がある。
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・・・・・・・・・・ 本堂で合掌したあとは、花の観賞!、、、、、まずは、境内に咲き始めたアジサイ。 まだ咲きはじめで、チョイト彩付きがわるいようだ。
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・・・・・・・・・・ 本堂脇から下って来ると菖蒲池に咲き誇るハナショウブ
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・・・・・・・・・・・ 池にはスイレンも!
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● 花を終え、次は腹、食事処を探しながら駅に向かう・・・・・

2025年6月 5日 (木)

青砥から関屋まで

京成本線の青砥駅から本線沿いに歩いて京成関屋駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 青砥(あおと)駅開業以前は、立石~高砂間には駅は設置されていなかった。 昭和3年(1928)11月1日の日暮里~青砥間開通時に分岐駅として開業した。 青砥駅の開業により、現在の押上線(押上~立石~青砥)は当駅で京成本線(上野~青砥~成田)から分岐することになる。、、、、、青砥駅は昭和48年(1973)から、昭和61年(1986)まで高架化工事が進められた。 現在の青砥駅は、ホームが二層構造の高架駅となっている。 2階と3階にそれぞれ島式1面2線のホームを持ち、2階が上野・押上方面に向かう1・2番線、3階が成田・千葉方面に向かう3・4番線となっている。 改札口は中2階の1カ所のみである。

・・・・・・・・・・ 朝の3階ホームは成田・千葉方面に向かう乗客が点在する程度。 2506050801550
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・・・・・・・・・・ 都心に向かう2階ホームは人・人・人でラッシュ状態
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・・・・・・・・・・ 2階ホームからさらに階段を下りると中2階の改札口。 乗る人、降りる人で8台の自動改札機はフル活動。
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・・・・・・・・・・ 中2階から階段を下りると高架下の青砥駅出口がある。 1階はショッピングセンター。 その入口前にはバイオリンを弾く男性の像がある。 台座に「ワルツの塔」と刻まれている。 ウィーンの音楽家ヨハン・シュトラウス2世の像だ。
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・・・・・・・・・・ 下町にある狭い駅前の通りから見上げるとデカイ、邪魔な駅だ!
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京成本線沿いに上野方面に向かって歩く、、、、、暑い! 今日の東京は夏日、汗を拭いながらの歩き、暑い!
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● 葛飾区の中央部に位置する、普通しか止まらない下町の駅がお花茶屋駅である。 駅は相対式ホーム2面2線で、橋上駅舎を有する地上駅である。 昭和6年(1931)12月19日開業。、、、、、駅の前には地元密着型の商店街があり、昭和の雰囲気も味わえる。
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● 線路に沿って歩く。 暑い、汗が流れてきた! 
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● 5月末から始まった葛飾 菖蒲まつり」が開かれている堀切菖蒲園、その最寄り駅である「堀切菖蒲園前駅」。、、、、、当駅は昭和6年(1931)12月19日開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。 改札口・出口は1ヶ所のみで高架下の地上1階にある。、、、、、今日は菖蒲園に寄らず、素通り。 
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● 堀切菖蒲園駅を出た電車は、京成本線荒川橋梁にて荒川を越える。 その京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低い。 もし、荒川が氾濫するとしたら、この位置からといわれており、治水上の弱点といわれてる。 この京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始められている。 東京の下町が浸水することが無きよう、一刻も早く完成することを願うのみ!
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● 本日の散歩の終点は「京成関屋駅」。 京成関屋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、、暑い暑い散歩であった。 汗臭さい身体で、電車に乗るのはチョイト気が引けた!
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2025年5月28日 (水)

下尾久石尊

数日前、地図を見てると荒川区にある「下尾久石尊」と呼ばれる不動堂が眼に入った。 十数年前に行った記憶があるが、うろ覚えなので今日の散歩はここへ行ってみようと決めた。 日暮里・舎人ライナーの熊野前で下車し、裏道を歩き下尾久石尊へ、再び裏道を歩くと子育て地蔵があり、そこで関係する寺へ足を伸ばし、JR西日暮里駅まで、1万歩の散歩となった。



● 日暮里・舎人ライナーの「熊野前駅(くまのまええき)」で下車する。 熊野前駅は平成20年(2008)3月30日の日暮里・舎人ライナー開通と同時に開業した駅。 尾久橋通りの頭上に島式ホーム1面2線を持つ高架駅。 駅名の“熊野”は、近くの熊野神社にちなむ。、、、、、駅前には都電荒川線の熊野前停留場もある。
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● 熊野前駅から都電の北側を東の方向に歩くと、「石門通り」というかつて下町の商店街であったと思われる裏通りがある。
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・・・・・・・・・・ この石門通りに面して、私立の女子校「北豊島中学校・高等学校」(女優:丘みつ子、大原麗子の出身校)がある。
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・・・・・・・・・・ 北豊島中高等学校の敷地に食い込むような形で、石門通りに面した一画に「子育地蔵堂」がある。、、、、、よく街中に見られる地蔵堂と同じようだ。 由緒書のようなものはなく、由緒・年代不詳。 弥陀様の前に立つ子連れの地蔵尊が堂内にまつられてる。 私は、比較的新しい仏像と判断した。
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● 北豊島中高等学校から南東に100m程入った裏道の角に、今日散歩で目指した「下尾久石(しもおぐせきそん)」(荒川区東尾久6)がある。、、、、、境内にある案内板には以下のように記されている。 『暦応(1338-42)の頃、しばしば起こる地震に、村人が不思議に思ってこの地を訪れたところ、地より2尺(約60cm)ばかりの異形な石が生えていたという。一名「出世石尊」。石神と崇め、祀るようになったと伝える。文政11年(1828)成立の「新編武蔵風土記稿」には「阿遮院(あしゃいん)」と記載。天保14年(1843)の書上帳には、境内25坪(約80平方メートル)と記録されている。  この石尊を祀る講は「出世講」と呼ばれ、現在でも続けられている。石神信仰は関東周辺に広く分布しており、下尾久字石神といわれたこの周辺の字名も、これに因んだものと思われる。  社殿左側の庚申塔には、元禄11年(1698)11月吉祥日の紀年銘がある。(荒川区教育委員会掲示より)』、、、、、扉の格子から中を覗くと、榊の後ろに石神(不動尊)らしき像がある。 老いた私は、出世を願う気持ちは無く、ささやかに宝くじ一等当選を願うばかり、手を合わせ“よろしく”!
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・・・・・・・・・・ 不動堂左側の庚申塔には、元禄11年(1698、吉良邸討ち入りの4年前)11月吉祥日の紀年銘がある。
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● 下尾久石尊前の裏道を200m程歩くと、通りの一画に下町の風景を十分感じさせる「子育地蔵尊」(東尾久6)がまたまたあった。、、、、、玉垣には「昭和十年九月一日 阿遮院」という文字が彫り込まれている。 また、敷地内に「大震災一周年記念碑」があり、その石碑の脇には、大正13年9月1日建立とある。 関東大震災の記念碑だ! 堂内には丸彫の地蔵尊と舟型の小さな地蔵があった。 造立年は不明だが、大正13年(1924)7月、石神子育地蔵尊とあった。、、、、、私が気になったのは、玉垣の「阿遮院」の文字、直前の下尾久石尊でも案内板に「阿遮院」の名が記されていた。 急遽、スマホで「阿遮院」を調べてみると、近くの東尾久3丁目にあるお寺らしい、この後寄って見ることにした。
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● 東尾久6丁目と東尾久3丁目の界を行き交う都電荒川線。 (「東尾久三丁目停留場」付近にて)
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● 東尾久3丁目の「阿遮院(あしゃいん)」に来ると、参道前の鉄の門扉が閉まってた。 門扉からは奥の山門は見えるが本堂は見えない。 散歩途中に突然立ち寄った私には、閉まってる扉を開けてまで奥に進む勇気はなく、本堂に行くのは諦めた。、、、、、真言宗豊山派の阿遮院は、阿遮羅山蓮華寺と号す。 阿遮院は、尾久における最古の寺院と伝えられ、本尊は阿遮羅明王(不動尊、梵名アシャラナータ)。、、、、、折角立ち寄ったのに、本堂に行けず残念無念、アジャパー!
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● JRの「西日暮里駅」は道灌山下の窪地に、昭和46年(1971)4月20日に開業した。(当時は国鉄の時代) 開業2年前の昭和44年(1969)に、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)千代田線の西日暮里駅が開業している。 JR(当時:国鉄)の西日暮里駅は、地下鉄千代田線との乗り換えのために新設された駅で、隣の日暮里駅からは500m程しか離れていない。 西日暮里駅は島式ホーム2面4線の高架駅、改札口は1ヶ所のみで1階にある。 駅前の道灌山通りの地下には千代田線のホームがあり、JRと千代田線を直接乗り換えるための改札が地下1階にある。
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2025年5月26日 (月)

谷津バラ園

バラの花が見頃と聞いて、夫婦で千葉県習志野市にある谷津(やつ)バラ園に行ってきた。



● 京成本線の「谷津駅」で下車する。、、、、、京成船橋駅から3駅目、京成津田沼駅の1駅手前、各駅停車しか停まらない東京近郊の住宅街の駅である。 今の爺さん婆さんには、「谷津遊園」の駅と言えば、知る人もいると思う。 私も小学生の頃、近くの船橋ヘルスセンターや谷津遊園に連れてきてもらった。 その頃の谷津遊園は東京湾に面し、海水浴、潮干狩りもできたと記憶している。 その谷津遊園のあった駅が名を変えて「谷津駅」となった。、、、、、現在の谷津駅は、大正10年(1921)7月17日、谷津海岸駅として開業。 昭和2年(1927)から昭和9年(1934)までは、京成遊園地(後の谷津遊園)のために支線が存在し、その支線上に谷津遊園地駅が存在した。  昭和11年(1936)に支線は廃止され、谷津海岸駅が谷津遊園駅と名称変更した。 昭和14年(1939)、戦時下のため谷津海岸駅と名称を戻す。 昭和23年(1948)再び谷津遊園駅と名称変更。 昭和59年(1984)には、その前々年に谷津遊園が閉園していたため谷津駅に名称変更。 今日までに4回の駅名変更をした。、、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は駅ホームの真上にあり、ホーム北側には台地が迫っている。 山側の北口は崖上の住宅地に続いている。 海側の南口は、昔の海岸側でホームの隣りの国道14号(千葉街道)をまたぐ階段を下り道路面に立つことになる。、、、、、私も妻も、谷津遊園時代に来たが、それ以降来たことのない駅で、数十年ぶりに下車した駅だ! “当時の面影は?”と問われても、何も覚えていないので、答えようなし!
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● 谷津駅から徒歩5分、住宅地の中に「谷津バラ園」がある。、、、、、谷津バラ園は、昭和32年(1957)に京成電鉄の谷津遊園バラ園として設立された。 当時東洋一の大バラ園と言われた。 昭和57年に谷津遊園の閉園によりバラ園も閉鎖された。 その後、隣接する団地建設にともない、再び谷津バラ園が習志野市の都市公園として、昭和63年(1988)に開園した。、、、、、約12,600平方メートルの敷地内には800種、7,500株のバラが噴水を中心に整然と咲き、植栽されているバラは名花・名品種と呼ばれるものや、原種及び歴史的にも優れた価値を持つ品種が多くある。 5月中旬~6月下旬頃と10月中旬~11月中旬頃が見頃と言われてる。 私達が来た今日の日は、園内のバラ全てに花が咲き、鮮やかな色と香りで歓迎してくれた。
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・・・・・・・・・・ 色も形も異なるバラが800種、呆けが心配になってきた私はバラの名前なんて覚えられない! ただただ美しければそれで良し! パチリ、写真を撮ってきた。
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・・・・・・・・・・ 多くの人がバラを楽しんでる
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2025年5月20日 (火)

五から六まで歩く

東京の気温は30度を超える真夏日の予想が出た! 熱中症が気になる時期となったが。 健康のためと思い、足立区の“反野駅”(東武伊勢崎線)から“町”(つくばエクスプレス)まで、9千歩の散歩です。




● 知る人ぞ知る 知らない人はまるっきり知らず、山手線の五反田駅と間違える東武伊勢崎線の五反野(ごたんの)駅。 五反野駅は北千住駅の次の次。 駅所在地は東京都足立区足立三丁目、大正13年(1924)10月1日の駅開設時の住所は東京府南足立群綾瀬村。 駅周辺は戦後形成された東京の下町である。 駅周辺には他区から人を呼び込むほどの施設は無く、五反野駅は地元完全密着型の駅である。、、、、、五反野駅は島式ホーム1面2線を有する高架駅。 緩行線のみホームがあり、緩行線外側を急行線が走る。 1日平均乗降人員は約36,000人ぐらいで、普通列車(地下鉄日比谷線直通)しか停まらない駅。
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● 駅前の商店街五反野駅前通り銀座会」を駅に向かう通勤客に逆らい北へ歩く。 この商店街は、昭和40年代前半に駅前通りに沿って存在していた用水路(俗称:どぶ川)が暗渠化され、駅前道路周辺に商店も増え昭和45年(1970)に商店会として発足したとのこと。、、、、、時刻は8時30分過ぎ、もう通勤・通学のピークは過ぎたのか、行き交う人も少なくなったように思われる。
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・・・・・・・・・・ この商店街の途中に、「
四ッ家町バス停」がある。 何気なしに時刻表を見ると、ナント驚くことに、ここに停まるバスは、土休日の朝一本のみだ! 平日は停車せず。 このバスは、五反野駅と花畑車庫の間を土休日1往復のみ運行しているらしい。(私は利用したことが無く詳細は不明)、、、、、誰が何のために、このバスを利用するのか知りたいね?
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・・・・・・・・・・ 五反野駅前通り銀座会商店街の北端は、六叉路の「四家(よつや)交差点(パノラマ写真で撮影したが、判るかな?) 6か所の信号が混乱なく点滅する六叉路だ。、、、、、四家交差点の “四家”とは、江戸時代この地域に住んでいた四家族、鶴飼、市川、高橋(兄弟)からついたと言われている。

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四家交差点から北東方向に裏道を歩くと住宅地の奥に「四ツ家稲荷神社」(足立区青井2)がある。、、、、四ツ家稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂命と徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 東の宮は青井3付近にあったそうだが、近代になって、1村1社政策が進められ、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀された。 その際、四家の一つ鵜飼家の屋敷神だった徳川家康(権現さま)も合祀されたと言われてる。、、、、タヌキ(家康)とキツネ(稲荷)を祀る神社。 蕎麦屋には御利益がありそうな神社!
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● 四ツ屋稲荷神社からさらに北東に歩くと、「青井
愛宕神社」(青井1)がある。 創建年代不詳。、、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 『江戸愛宕三社』の1つで港区芝の愛宕神社と練馬区田柄の愛宕神社の三社が該当神社となるそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の例祭日は、「秋の彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのかな?
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● 環七道路と都道102号がぶつかる交差点角に「西加平神社」(西加平1)がある。 西加平神社の創建年代は不詳だが、嘉兵衛新田の開拓に伴い創建されたと言われてる。 明治時代には加平天祖神社の摂社となったが、昭和29年(1954)稲荷神社としてとして分離独立、昭和49年(1974)西加平1丁目にあった天祖神社を合祀し、西加平神社と改称した。、、、、境内周辺は区画整理され平成28年(2016)に社殿は新しくなる、しかし境内にはいまだ樹木が少なくスッポンポンの状態である。、、、、石の鳥居には寛政11年(1799)の銘。 また、嘉永7年(1854)に新吉原角町(現:台東区千束)の安房屋から奉納された手水鉢もある。
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● つくばエクスプレスの「六町(ろくちょう)駅」は、秋葉原を起点として7番目に位置し、東京都内最北の地下駅。 駅部は三層構造であり、第1出入り口とともに平成16年(2004)に完成した。 駅の開業は平成17年(2005)8月24日。、、、、、駅周辺は、古さを感じさせる物は無く、駅前の広いロータリー、広い道路に面し立ち並ぶマンション、密集しない住宅、いかにも近年開発された町といった場所。
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2025年5月 8日 (木)

秋山から本八幡へ

北総線の秋山駅から、ほぼ南に向かってJR総武線の本八幡駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 早朝7時半に北総線「秋山駅」に降り立つ。 そろそろ通勤通学時間、駅にはゾロゾロと乗客が歩いて、走って、バスで、来る!、、、、、秋山駅は地下鉄の出入口のように、地下へ向かって階段を下ると地下1階に改札がある。 さらに階段を下り地下2階に半地下の堀割構造で造られた相対式2面2線のホームがある。、、、、、駅名標には、最寄りの学校名「聖徳小・光英VERITAS中高前」 が表示されている。 2校とも私立の学校なので、広告なのかも?
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● 秋山駅前にはマンションが立ち並んでいるが、南側の高台に上ると、戸建て住宅が多い住宅街となる。 住宅街からは通勤通学する人が途切れることなく階段を降り駅に向かう。 
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・・・・・・・・・・ 高台の上には、松戸市秋山、市川市稲越の街が広がる。 空き地からは、市川市国府台方面を見下ろすことができる。 江戸川は見えるようで、見えないね! 
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・・・・・・・・・・ 稲越の住宅地の奥に隠れるように厳島神社がある。 主柱を4本の支柱で支える朱塗りの両部鳥居が迎える小さな神社だ。   神社の創建年代は不明。、、、、、、由緒を知りたい、気になる神社だ!?
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・・・・・・・・・・ 千葉県立国分高等学校前を通過し、市川市曽谷7丁目に入る。 約600mの桜並木が伸びる曽谷小学校前の道を進む。
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・・・・・・・・・・ 曽谷6丁目には、首をブルブル震わす置物がズラリと並ぶ住宅がある。 何体あるのか数えてみたくなる。 また、どうして集めたのかな? よくぞ集めたね、壮観!
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・・・・・・・・・・ 宮久保橋を渡り、真間川を越える。 真間川は千葉県西部で江戸川から分かれ東京湾に注ぐ利根川水系の一級河川であるが、橋の上から覗くと川幅は狭く農業用水路のようだ!
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・・・・・・・・・・ 真間川を越えると市川市東菅野の町。 昭和学院中・高等学校がある。、、、、、昭和学院は昭和15年(1940)創立、現在は幼稚園から短期大学までを一貫して併設する総合学園に発展した。
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・・・・・・・・・・ 京成八幡駅前を通過、まもなくJR本八幡駅だ! チョイト足が棒になってきた!
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● 本日のゴール「本八幡駅」に到着。 
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2025年5月 7日 (水)

大根と巾着の寺

連休明けの初日、今日は泌尿器科の定期診断で浅草寺裏のクリニックへ行く。 今日は前立腺癌の検査結果を聞くと、“異常なし”と一言。 昨年秋には大腸癌の検査を行い、こちらも“異常なし”。 泌尿器科関連の癌は、今のところ発症していないようだ、一安心。、、、、、 帰りに、近くの「待乳山聖天」に寄ってきた。



● 台東区浅草にある「本龍院(ほんりゅういん)」は天台宗の流れをくむ聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつである。 山号は待乳山。 本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」とも称される。、、、、、本龍院は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にある。 この丘は推古天皇3年(595)9月に出現してが守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと言われてる。 推古天皇9年(601)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたそうだ。 待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れていたそうだが、現在はスカイツリーがよく見える東京で一番低い標高10mの山である。
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境内各所に印された巾着大根は、信心で祈願することにより得られるその御利益を端的に表したものである。 大根は身体を丈夫にしてもらい、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表している。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天の信仰の御利益の大きいことを示されたものだ。 境内のあちこちに大根と巾着のシンボルを見ることができる。
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・・・・・・・・・・ 大根は心身を清浄にする聖天さまの「おはたらき」を象徴するものとして、聖天さまのご供養に欠かせないお供物とされている。 参拝する人は、本堂(聖天宮)で歓喜天(聖天さま)に大根を供え、お供えの大根を持って行く。 ご祈祷のあと、お下がり(おさがり)の大根を頂くことによって、聖天さまのお徳をそっくり頂戴し、身体と、心の健康を得ることが出来る。
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・・・・・・・・・・ 歓喜天に手を合わせ、無病息災を願い帰る。

2025年5月 3日 (土)

GWの川越

ゴールデンウィークの真只中、川越(埼玉県)の街を歩いてきた。、、、、、先日、私の長女(40代、既婚)と話してると、“川越”に行ったことがなく、『ぜひ行ってみたい』と言うことになった。 連休中は混雑が予想されるが、『その混雑する川越を見てみたい』と言う。 蔵造りの街並みは人混みで歩けず、昼食に名物“うなぎ”は行列待ちで食べられず、川越名物「芋菓子」は並んでも購入できず、民芸品の店は満員の客で入れず、これら予想される場面を事前に納得させての川越行きとなった。、、、、私達夫婦、長女とその子(私の孫、小6)の計4名にて出発!




● 高田馬場から西武新宿線の特急「小江戸」で川越へ向かう、、、、連休中の観光地行きの電車だというのに、車内はガラガラ。 西武は儲かっているのかな? 
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・・・・・・・・・・ 駅の観光案内所で“散策マップ”をもらい、大筋の行程を決めた。 本川越駅➡仙波東照宮➡喜多院➡大正浪漫夢通り➡蔵造りの街並み➡時の鐘➡川越氷川神社➡菓子屋横丁➡蔵造りの街並み➡本川越駅  『この順で歩こう!』



● 東照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮と久能山東照宮が有名だが、「仙波東照宮」は日本三大東照宮の一つで、喜多院の南側に隣接している。、、、、、元和2年(1616)駿府で徳川家康が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、寛永10年(1633)建立された。 それから5年後の寛永15年(1638)、「寛永の大火」と呼ばれる大火事によって、喜多院山門を残し、焼け落ちたが、徳川家光より喜多院復興の命令が下ると、まず東照宮の再建が行われ寛永17年(1640)に完成した。、、、、、朱色の東照宮随身門(左右に控える随身像は見当たらず“もぬけの殻”)、その先にある石の鳥居を潜りジャスト50段ある石段を上がると葵紋が嵌め込まれた金属の門の先に拝殿・幣殿がある。 さらに奥に瑞垣に囲まれ漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかな本殿がある。 これらの建造物全てが重要文化財。、、、、、本殿内部には甲冑を身に着けた馬上の家康の像が祀られていると、ボランティアの案内人が教えてくれたが、非公開で拝見できず、残念!、、、、、仙波東照宮は観光客に人気が無いのか、人影はチラホラ
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● 仙波東照宮の隣りには、慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹で、正式名「星野山無量寿寺喜多院」がある。、、、、、江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として有名。 徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築された。 客殿・書院・庫裏・慈眼堂・山門などは国指定重要文化財。、、、、、我が家の一同、厄除祈願でナンマイダ!
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● 喜多院を参拝したらランチタイム。 ココまで来たら並んでも「うなぎ」を制覇したい、女の執念には逆らえず、30分待ちで鰻重を食す。 食べた後は、皆ニコニコ。
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● 蔵造りの街並みを通り抜け「川越氷川神社」を訪れた。、、、、、川越総鎮守氷川神社は、約1500年の歴史を持つ埼玉県川越市にある古社で、「縁結びの神」として親しまれています。夫婦神を祀っていることから、特に家庭円満や夫婦円満のご利益があるとされている。 それゆえか、若いカップルがやたら多い!、、、、、ジジ、ババの姿は少なく、チョイト場違いかな? 早々に立ち去る。
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● 川越と言えば、「大正浪漫夢通り」、「蔵造りの街並み」、「時の鐘」、「菓子屋横丁」が連なる、川越の中心地に入る。 “期待通り”ものすごい人混み、どの店も行列状態、年寄りは店内に入ることも難しい、スゲェ~~!、、、、、ひたすら通り抜けることに意識は集中、、、、、それでも、我が妻・長女はここでも女の執念か(?)、チャンと買い物を済ませる。 帰りの電車で、3つの膨らんだレジ袋に土産がイッパイ!
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● 川越の散策は1万5千歩、、、、、チョイト疲れたね!  

2025年4月30日 (水)

ジジ・ババのGW

今年のゴールデンウィークは11連休。 年寄り二人の我が家では連休中は家に籠っている予定であったが、世間は人出のニュースで賑わっている。 万博、桜にツツジに藤の花、観光地の賑わいを見てると、なんとなく、チョイト陽の当たる外に出たくなり、夫婦二人で調布市の深大寺へ散歩することにした。(妻の心は、寺より蕎麦?)



● 朝9時に我が家(浅草橋)を出て、中央・総武緩行線で乗り換えなしで三鷹駅まで、約45分。 深大寺方面行のバス停には中高年のグループがズラリ列をつくってる。 バスの車内は、若い人はいない、ジジ・ババで超満員。 もし、このバスが事故ったら、年寄りの大量死亡事故となる、考え過ぎであったが嫌な予感がした。(GW中の平日、多くの年寄は暇を持て余しているようだ!) 三鷹駅から調布駅行きのバスに乗り、神代植物公園前で下車。 『チョイト、植物園に寄って行こう!』

・・・・・・・・・・ 神代植物公園の入場料は大人500円、ただし65歳以上は半額の250円、皆さんが券売機機で買うのは250円。 
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・・・・・・・・・・ シャクヤクの花はそろそろお終いなのか、しおれた花、切り取られた幹が多い。 遅咲きの花が少し残っていた。
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・・・・・・・・・・ 大温室に入ってみた。 定番の熱帯植物、鉢植えのランとベコニア、トゲトゲのサボテン。 写真撮影に夢中で、先に進まない年寄りの列。(口には出さず、チョイト通して!)
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・・・・・・・・・・ 大温室前のバラ園。 まだ、つぼみの状態のバラが多くチョイト早いみたいだ。 広いバラ園には、早咲きと思われるバラもチラホラ。、、、、、今日のバラ園は“ジジ・ババ園!”
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・・・・・・・・・・ 木陰で持参した弁当を広げ、のんびり語り合う幸せそうな老夫婦。 『お互い 長生きしようね!』
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・・・・・・・・・・ 深大寺門を出ると、そこは深大寺の境内につづく。
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● 天台宗寺院の深大寺は、浮岳山昌楽院と号す。 深大寺は、満功上人が天平5年(733)に堂宇を建立、750年に深沙大王像を安置して創建したと言われてる。 その後、朝廷の命を受けた比叡山の僧が、道場として天台宗に改め、991年には元三慈恵大師(がんざんじけいたいし)が自刻像を当寺に移したと言われてる。 江戸時代には寺領50石の御朱印状を拝領し、現在は天台宗の別格本山に列格。、、、、境内は、私達夫婦を含め、ジジ、ババの姿が8割程。
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・・・・・・・・・・ 只今、本堂の脇にある「元三大師堂」(慶応3年(1867)建立)にて、日本最大の厄除け大師の「元三大師御開帳」が行われてる。
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・・・・・・・・・・ 深大寺にもあったなんじゃもんじゃの木
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● 植物園、深大寺と巡った後は、「深大寺そば」を食べるだけ! どこの店も行列ができてる、私達もその列に並び、深大寺そばを食す。、、、、お年寄りは、喉につかえないよう、ゆっくり食して!
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