散歩

2021年7月24日 (土)

エライヤッチャ!

オリンピック開会式のTV中継をジーッと見ていた寝不足の目を擦りながら、朝一番の眼科診察(8時半)に間に合うよう、中野の病院へ行ってきた。、、、、眼科検診では異常なし、また1カ月後にお会いしましょうと、約束して終了。

時刻は9時、このまま帰るのはもったいないので、チョイト、高円寺と、氷川神社に立ち寄ってきた。 病院から跨線橋を渡り、中央線の南側を歩き、高円寺・氷川神社に参るルートは、まったく同じルートを以前に歩いていた。→→→ 当時の記事はコチラ! 詳しい解説もコチラを読んで!

 

 

● 『世間では四連休なのに、病院はなぜ今日も営業しているの?』てな、疑問が頭をかすめ、つまらんことを考えながら駅を出る。 連休で中野駅前は通勤・通学の人は少ない。 オヤ、雨が降ってきた。、、、、病院までは歩いて10分、雨が降ってきたので、バスに乗る。

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● 病院を出ると雨はやみ、跨線橋から線路を眺め、電車より線路が好きな私には“至福の時間”

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高円寺南5丁目の住宅地の抜けると、環七通りに出る。 通りの向こうは高円寺のある4丁目。、、、、雨は完全にあがったが湿度は高く、ムシムシの蒸し風呂状態。 汗が吹き出し、下着はベットリ!

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● まずは、『ご本尊の観音菩薩に手を合わそう』と本堂へ、扉は閉まり姿は拝めず。、、、、生身の観音様もいない、静かな境内。

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・・・・・・・・・・・・本堂前の地蔵堂、「子育地蔵尊」の脇に、大きな“子作り珍宝”が祀られている。 最近、ご利益が無くなってきたので、珍宝の頭を撫で撫でする。

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● 高円寺駅近くの氷川神社にも寄っていく。 こちらの境内社に「気象神社」が祀られている。 戦時中、旧馬橋4丁目にあった陸軍気象部内にあったもので、戦後、関係者の要請で当氷川神社の境内に遷された。、、、、最近の異常気象は困ったもんだ! 多少なりとも、まともな天気となるよう祈願する。、、、、下駄の絵馬にテルテル坊主、いいね!

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● 去年は中止だったけど、“エライヤッチャエライヤッチャ ”「高円寺の阿波踊り」今年は開かれるのか?、、、、毎年8月の最終土曜日が開催日で、浅草のサンバカーニバルと同じ日だ! 今年も、屋外での開催は中止になったらしい!(屋内会場での開催を検討中とか?) 楽しみにしているファンの皆様、どうなるのかね? “エライヤッチャ”が“えらいこっちゃ”!

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2021年7月22日 (木)

給水塔のある町

今日は、細心の熱中症対策を講じて、『安心・安全・安直な散歩』 

東京メトロ有楽町線「千川駅」から、板橋区大谷口を抜け、東武東上線「大山駅」をとおり、都営三田線の「板橋区役所前駅」まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋からJRで飯田橋へ、有楽町線に乗り換えて「千川駅」へ約30分で到着。 今日は4連休の初日なのだが、頭の中は『今日は何の日?』 今日が『海の日』だって、知らなかった! だから、電車がすいていた。、、、、地上に出ると『今日も暑そうだ!』 早速、熱中症対策で、スポーツドリンクの購入、体温調節で頭と首を濡らす、ついでにボケ防止で妻の誕生日を思い出す(忘れていたら殺される!)

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● 千川駅は豊島区だが、駅出口から300m程北に歩くと「板橋区大谷口」の町だ。 「大谷口(おおやぐち)」とは珍しい地名、石神井川の地形に由来するらしいが、命名の経緯はさっぱり判らん!、、、、町の中央を南北に都道420号線が通る、静かな普通の町。、、、、私は2丁目の裏道を歩いてみた。 

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・・・・・・・・・・・・屋根の向こうに「大谷口の給水所」が見える! そうだ、チョイト見に行こう!

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・・・・・・・・・・・・給水塔の方に向かうと、道を挟んで台座が庚申塔になっている地蔵尊庚申塔2基がある。 北側に西光寺という寺があり、西光寺参道というべきところにある。、、、、左右に庚申塔を配し、道路正面には西光寺の山門と本堂の屋根が見える。 なぜか懐かしい風景に思える。

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・・・・・・・・・・・・ここまできたら、「西光寺」に寄っていこう!、、、、観世音菩薩を本尊とする、真言宗豊山派の西光寺。 宝樹山盛徳院と称する。 古くからこの地にあった一観音堂に大野清右衛門が田畑を寄進し、堂宇を建設したことから始まるという。 開山は1640年代(江戸時代初期)と思われる。 明治3年(1870)、住職広沢賢隆は、境内に一棟を建てて寺子屋を開設し、同9年に上板橋学校が開設されるまで近所の子供に教育をおこなった。、、、、時間を止めたような佇まいの寺。 境内には爽やかな風が吹いている。

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● 西光寺の東側、都道420号線に面して「大谷口給水所」がある。、、、、板橋区大谷口1丁目には、大谷口給水塔が建てられていたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。 その給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に取り壊された「大谷口給水塔」は、東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。 地域のシンボル的な建物であった。(写真は当時の給水塔)

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● 都道は川越街道(国道254号)にぶつかる。 川越街道を横断すると、アーケードのある商店街「ハッピーロード大山」を歩き、東武東上線大山駅に出る。 元気な商店街だ!

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● ハッピーロード大山商店街の東端に「大山駅」がある。 昭和6年(1931)8月25日に開業。 相対式2面2線の地上駅。、、、、地元密着型の商店街と駅、下町の雰囲気漂い、ピッタシ相性が良さそうだ!

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● 大山駅から帰ろうかと思ったが時刻はまだ9時半、『もう少し歩こう!』と思う。 線路を越えて大山駅の東側に続く「遊座大山」商店街を抜け、山手通り(国道317号)に出る。、、、、こちらの商店街も元気そうだ!

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● 山手通りに面し板橋区役所があり、庁舎前は都営三田線の「板橋区役所前駅、、、、地下1階に相対式ホーム2面2線の小さな地下駅。 方面別に改札があり、方面を間違えて地下に潜ると、地下2階の連絡通路を利用することになり、年寄りには階段の上り下りが辛い駅だ!

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2021年7月21日 (水)

猛暑は散歩に不向き!

『猛暑は散歩に不向き』、、、、今日の散歩はこの一言であった。

西武池袋線江古田駅から歩きはじめ、直線距離で東へ1.5㎞程先の東京メトロ有楽町線の千川駅まで、1万歩の散歩です。




● 出がけの天気予報では、東京は朝6時に27℃、今日の最高気温は34℃。 35℃以上の「猛暑日」にはならないと信じ、出かけることにした。、、、、口の周囲が蒸れ息苦しいが、マスクをして電車に乗って、江古田駅に降りた。 ホームに立つと強烈な日差しでまぶしい!(車中に、まぶしい美人がいたが、日差しのまぶしさはそれ以上!)、、、、学生は休みになったのか、ホームには人影は少ない。 武蔵野音大側の北口に出るが、歩く人も少ない。 

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● 江古田駅北口正面に「茅原浅間神社(江古田浅間神社)」はある、、、、茅原浅間神社の創建年代は不詳だが、社伝によれば承平元年(931)からと言われている。 社名は、かつてこの辺りは茅原だったことにより、その名がある。、、、、昔、小竹町(神社の北側)と江古田町(神社の南側)の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。 これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。 なお、このあと訪れる、別当寺である能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

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・・・・・・・・・・・・江戸時代の中頃になると、富士講の盛んな上板橋・中新井・下練馬の人々の信仰も集めるようになった。天保10年(1839)には小竹丸祓講の人々により「江古田の富士塚」が築かれた。 高さ8m、直径約30m。 富士塚の頂にある石祠はこの時の建立。 昭和54年(1979)江古田の富士塚は台東区下谷の下谷坂本富士、豊島区高松の長崎富士、川口市東内野の木曽呂富士とともに国の重要有形民俗文化財に指定された。、、、、本殿の後ろに隠れるように富士塚がある。 本日は、登山禁止!

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・・・・・・・・・・・・境内にある、高さ27m、幹の太さ3.1mのケヤキは、“練馬大根”ならぬ“練馬の巨木

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● 「江古田」と云えば“大学の街”、駅の東には「日本大学 芸術学部」、北には「武蔵野音楽大学」、西には「武蔵大学」がある。、、、、チョイト「日本大学 芸術学部」に寄ってみる。 守衛さんが入口で検温中、大学関係者以外は入校できず。 そ~だ!コロナ禍の今、どこの大学も関係者以外構内立入禁止。 今日もあきらめ、キャンパスの外を回る。、、、、日本大学芸術学部は、写真学科・映画学科・美術学科・音楽学科・文芸学科・演劇学科・放送学科・デザイン学科の8学科からなる芸術総合学部。 大正10年(1921年) 、東京神田三崎町に日本大学法文学部内に美学科(芸術学部の前身)が誕生し、昭和14年、板橋区江古田(現在の江古田校舎)に移転した。

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの外周に沿って歩き出したが、気温が上がり大変なことを忘れてた! 『アッ!コンビニで飲料水を買ってない』 駅を出て目の前の神社に気を取られ、大学構内には入れず、水なしで線路沿いを歩く。 どこかで“水分補給”しないと、ヤバイ! 大学東側の住宅地を歩けどもコンビニはなく、自販機でお茶を買う。 命をつないだ気分になり、一安心!

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●  日大の東側(練馬区旭丘2)に真言宗の寺院「能満寺」があった。 駅前の茅原浅間神社の別当寺である。、、、、能満寺は、「元和の頃(1615~1623)、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした。 のち数代を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)再建し、あわせて大日堂を造営した」との記録がある。、、、、寺はあったが、山門手前のゲートが閉じられている。 目の前に山門が見えるが入れない。 『今日は、暑いので寺も休みか? 残念だが、あきらめよう!』

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・・・・・・・・・・・・能満寺に来たのは午前9時、気温は上がり30℃は超えていると思われる。 私の頭の天辺は暑い、汗も出ている、水分摂取より体を濡らしたい! いつもなら、公園か、コンビニか、どこかで、濡れた手ぬぐいで汗を拭くのだが、今日は公園もコンビニもなく手ぬぐいは乾いたままだ! 頭の中を熱中症の恐怖が襲う、どこかに“水道”はないものか? “水分補給”用に買ったペットボトルのお茶で手ぬぐいを濡らし体温を下げる。 これで、再び一安心! 猛暑の中の散歩は、水分補給に体温調節が必須、面倒だ!




● 汗とお茶のミックスで濡れた体の雅万歩、歩みは元気で、豊島区に入り都立千早高校の前に出てきた。 日陰になった学校側の歩道を歩く。 学校のフェンスの脇に「千早庚申塔」がある。、、、、しっかりとした台座の上に4基ある石造物の内、左側の大きな三基が庚申塔。掲げられた由緒によると、この庚申塔はかつて千川上水にかかる橋(庚申橋)の脇に祀られていた。 併し昭和40年から50年代前半にかけて、千川通り周辺で道路の拡張や建物の建て替えなどの工事が行われているうちに、いつのまにか行方不明になってしまった。 その後、豊島区外(練馬区北大泉)の山林に放棄されていたのが発見され、現在地に戻されたが、元々橋際にあった5基の内1基(庚申塔)はみつからなかった。、、、、よく見つかったと思うね。

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● 太陽はギラギラ、身体は汗でビショビショ・グシャグシャだ! チョイト、万歩計を見ると、1万歩クリヤー! 熱中症が怖いので、「千川駅」から帰ることにした。、、、、東京メトロ千川駅は昭和58年(1983)6月24日、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通により同時開業。 平成20年(2008)には副都心線の駅も開業。、、、、千川駅は上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 要町通りの直下にある。 現在の副都心線ホームは有楽町線建設時に既に構築済みであったが、副都心線開業までは未供用(通過)とされた。このため、有楽町線ホームから副都心線ホームへの階段用スペースは蓋で覆われていた。、、、、駅の近くには、飲食店も多く、スーパーや商店街もあり、池袋へは2駅、生活するには良さそうだ。

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2021年7月19日 (月)

新宿線から池袋線へ

梅雨も明け、いよいよ猛暑到来。、、、、『チョックラ、散歩に行ってくる、あとは頼んだ!』と、家を出るのは銭形平次気取りの雅万歩。 『あいよ、お前さん』と、右の背に切り火する妻のお静は我が女房。、、、、昔は主人が家から出るときに奥さんが後ろから火打石でカンカンと火花を作り、清めてくれた。、、、、我が家では、さすがに“切り火”はしないけど、出がけの玄関先で注意が多いこと! 『車に気を付けて』、『傘持った』、『財布持った』のフェレーズは昨日まで。 今日からは、『日陰を歩いてね』、『水分補給してね』、『首を冷やしながら歩いてね』、『気分悪くなったらスグ帰っておいで』

今日の散歩は、西武新宿線の沼袋駅から北に向かって、西武池袋線の江古田駅まで、汗をかきかき1万1千歩。




● 「沼袋駅」ではホームも駅舎も仮のものとなり、狭いホームに、狭い改札、安全に、早く工事が終わることを願うばかり。

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・・・・・・・・・・・・下りホームに降り南口から出て、踏切を渡って駅の北側の商店街を歩く。 商店街の狭い道路は渋滞中、どうやら毎度のことらしい。、、、、新宿線が地下化すれば、渋滞解消、それまであと数年の辛抱! 

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● 沼袋4丁目に真言宗豊山派の「実相院」がある、、、、正平7年(1352)に新田一族が足利軍と戦ったとき、 新田六郎左衛門政義の三男、矢島三郎信氏の子孫である矢島内匠、同図書が戦いに破れ、結城氏一族とともに沼袋村に来て 一家屋を建立したのが起源であるらしい。 現在でも矢島姓を名乗る檀信徒が半数以上を占め、別名「矢島寺」とも呼ばれているそうだ。、、、、軒先に黄金の燈籠が連なっている本堂は昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造で改築された。 明かりが灯ったときに、ぜひ見てみたい!、、、、境内には、歴史を物語るような苔むした、馬頭観音、庚申塔、石仏が多く並んでいる。

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沼袋2丁目には、いくつかの寺がある。 今日は3ヵ寺に寄ってきた。

・・・・・・・・・・・・まずは「明治寺(めいじでら)」、、、、明治寺は真言宗東寺派の寺院。山号は、「新浮侘落山」(しんふだらくさん)、院号は「世尊院」、本尊は如意輪観世音菩薩、創建は大正元年(1912年)12月17日。 明治45年に明治天皇の病気平癒を祈るため、榮照法尼によって観音菩薩石像の建立されたのがそもそもの始まりである。 しかし観音開眼を待たずして明治天皇が崩御されたため、明治天皇のご冥福と明治時代という波乱の時代を振り返り、大正元年に観音開眼供養が行われた。 その後当寺に一大観音霊場を築きたいと呼びかけたところ、政財界から庶民に至るまで多くの賛同者が現れ、大正5年までに百観音が整った。 百観音とは近畿一円に広がる西国三十三箇所と、関東地方の坂東三十三箇所、それに秩父の周辺に広がる秩父三十四箇所の札所の合わせて百箇所の札所を総称したもので、それらの仏像の写しを当寺院の境内に祀ったものである。 境内本堂前の「観音霊場」には百体の以上の石仏がありそうだ!、、、、現本堂は、銅板葺き、コンクリート造、宝形造り屋根で、シンプルな美しい造りである。

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・・・・・・・・・・・・真言宗御室派の「密蔵院」は、十善山蓮花寺と号す。 密蔵院は徳川家康の招きにより、慶長16年(1611)矢之倉(現:中央区東日本橋)に寺地を拝領して創建した。 明治43年(1910)に現在地に移転した。、、、、小さな寺で、山門の冠木門が珍しい。 本堂は普通の家で、中央の広間を本堂にして仏壇を置き、開けっ放しにしている。

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・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の「久成寺」は、法光山と号します。 久成寺は、慶長12年(1607)に創建、明治44年(1911)現在地へ移転した。

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● 中野区沼袋から新青梅街道を横断し、江古田通りを北上し、江古田3丁目に入ると、真言宗豊山派寺院の「東福寺」がある。 東福寺は、金峯山世尊院と号す。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと伝えられます。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、3代将軍吉宗は御膳所に指定した。、、、、この東福寺がある小高い処は、御嶽山と呼ばれている。 この寺の上には、かつて「国立療養所中野病院」があったが、平成5年(1983)に閉院した。 跡地は東京警察病院看護専門学校、国立医療センター宿舎などに変わった。 また、東福寺の北隣りにあるマンション「ベルテ中野江古田」は、大スター三波春夫の邸宅跡である。

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● 目白通りをこえて練馬区に入ると、豊玉北1丁目のビルの1階玄関脇に機関車が置かれている。、、、、機関車は「旧陸軍鉄道聯隊 E18型 蒸気機関車」である。 大正10年(1921) ドイツのOrenstein&Koppe社製 機番9538 陸軍鉄道聯隊に納入。 千葉市の兵器補給廠で活躍したそうだ。 昭和20年、大蔵省に移管され西武鉄道に譲渡。同47年からユネスコ村に保存展示された。 ユネスコ村で見た人も多いと思う、懐かしい機関車だ!

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● 西武池袋線「江古田駅」に、汗ダラダラで熱中症にならず無事到着。 雅万歩、いたって快調、体調に問題なし。 早く帰ってシャワーを浴びたい!

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2021年7月17日 (土)

熱中症の夏が来た!

今日は、中野駅から新井薬師に寄って江古田駅まで歩くつもりで家を出た。 新井薬師に参った後、西武新宿線の地下化工事に興味は移り、新井薬師前駅から沼袋間を歩いてみた。 外の気温はグングン昇り、目はまぶしく、頭のてっぺんはアッチッチ、これ以上歩いていると救急車の世話になるかも(?)、散歩は沼袋駅で止めて帰ることにした。 9千歩




● JR中央線の「中野」は、明治22年(1889)4月11日に、新宿駅~立川駅間の開通と同時に甲武鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)に甲武鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。 昭和41年(1966)には営団地下鉄東西線が乗り入れる。、、、、駅周辺は北も南も大規模再開発が始まり、大きく変わろうとしている。

・・・・・・・・・・・・浅草橋駅(我が家)からは中央・総武緩行線(各停)に乗り、土曜早朝のガラガラ電車で、乗り換えなしの約28分。 中野駅も通勤客は少なく、近くの女子高の生徒が目立つほどだ!

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・・・・・・・・・・・・中野駅西側では、西口改札・南北通路・新駅ビルなどの工事が進んでいる。 令和元年(2019)に工事に着手し、南北通路と橋上駅舎の完成は令和8年(2026)12月を目指す。 橋上駅舎の商業施設などは令和9年度開業予定。、、、、ホームの上に鉄骨が組まれてきた!

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・・・・・・・・・・・・駅の南側では、これまであった「東京都住宅供給公社 中野駅前住宅」は取り壊され、「中野二丁目地区第一種市街地再開発事業」が進んでいる。 37階建て150mの住宅棟と20階建て120mのオフィス棟で構成され、令和6年(2024)の完成予定、、、、この工事は中野駅ホームから見ることができる。

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・・・・・・・・・・・・この他に、駅前の「中野サンプラザ」が、2028年度末の完成を目指し、高さ約235mの超高層複合ビル「中野サンプラザシティ」に生まれ変わる計画がある。 隣の中の区役所は令和6年(2024)の完成を目指し、11階建ての新庁舎に変わる。 また、線路北側の明大中野キャンパスに近い一画でも24階建て集合住宅が計画されている。、、、、数年後には、中野駅ホームに立って見える世界が一新するぞ!

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● 中野駅前のサンモール、中野ブロードウェイを通り抜け、早稲田通りに出ると、「新井薬師参道」商店街がある。 どこの店もまだ開いていない、『店が開かなきゃ客は来ない、客が来なけりゃ店は開かない』 はて、どっちが先やりゃ?

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・・・・・・・・・・・・「新井薬師」に手を合わす。 腰痛が悪化したのか、チョイト痛すぎる、早く治してと哀願・祈願・懇願す!、、、、今日は腰に湿布、さらにもう一つ、コルセットで締め、この暑い日に、腰は汗だく! 夏の散歩は楽でない!

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● 西武新宿線新井薬師前駅に来たら、「新宿線の地下化工事」のその後の進捗が気になり、隣の沼袋まで歩いてみることにした。 工事は中井駅付近から野方駅の付近までを地下化して、新井薬師前駅と沼袋駅は地下駅に、途中の7か所の踏切は無くなり交通渋滞を解消する。 昨年2月に工事状況を確認に来たがその頃と比べると、沼袋駅は仮駅となり、上下線別の出入口となった。 その他では、地上の見える範囲では大きな変化はない。(仮囲いで現場内を覗くことが難しかった!)

・・・・・・・・・・・・新井薬師前駅、、、、現駅の北側に地下約15m、幅16m~17m、ホームの長さ170mの地下駅が構築される

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・・・・・・・・・・・・新井薬師前駅と沼袋駅の間、、、、この両駅間は現況線の真下にシールド工法でトンネルを構築する。 トンネルは直径約7m(1本)、深さは10mから20mで、上下線別に2本の構築する。、、、、地上では大きな変化なし。

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・・・・・・・・・・・・沼袋駅、、、、現駅の地下約18mに、幅28m~36m、ホームの長さ170mの地下駅が構築される、、、、ホームから見ると路面覆工の下の様子は判らないが、掘削が始まっているかも。

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● 今日の暑さは年寄りには堪える、熱中症が心配になり、まだ意識あるうちに帰ることにした。 このまま沼袋駅から帰宅!

2021年7月15日 (木)

大きな大聖堂!

昨日の続き。 東京メトロ丸ノ内線方南町駅から北へ、立正佼成会大聖堂、立法寺、蚕糸の森公園に立ち寄って、JR中央線中野駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 四ツ谷駅で中央線から丸ノ内線に乗り換えると、浅草橋(我が家の玄関先)から方南町駅までは45分程である。 案外近いものだ!、、、、丸ノ内線分岐線の終点「方南町駅(ほうなんちょうえき)」は“杉並区方南”にある。 駅周辺の一帯は明治時代には“和田村字方南”と称していた、字名“方南”は江戸時代から存在していたと思われる。  その字名“方南”は、どこから生まれたか? その答えの一つ、“野方領(今の中野、杉並、練馬、豊島、板橋の各区にまたる広い領域)の南端”の意味で“方南”になった。 確証はないが、当たらずしも遠からずで納得しよう! 『ほうなんですか?』 『ほうなんですよ!』、、、、方南町駅は頭端式ホーム1面2線の地下駅で、環七通りと方南通りに小さな出入口がある。

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・・・・・・・・・・・・今朝は方南通りに出た! 駅から北へ、裏通りを歩いてみよう! 目の先には、同じ道を男子高校生(?)が数人歩いてる。 『オヤ、男バッカシ、女子高生はいないのか? どこの学校だ?』 しばらく、後について歩くと円形の巨大な建物が見えた。 『ナットク、あれは立正佼成会の大聖堂。 高校生は、キット「佼成学園」の生徒だ!』 途中から高校生は善福寺川沿いにたつ校舎へ向かった。

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● 佼成学園の東側に、善福寺川を越える、立派な鉄筋コンクリート造の歩道橋がある。 この歩道橋は、方南町から来る信者の為に架けたと思われる。 歩道橋正面には、金色の宝珠を戴いたインド風 の「立正佼成会大聖堂」(昭和39年完成)が堂々たる姿で迎えてる。 私は信者ではないが、大聖堂の中を見たく、チョッピリ玄関から中へ入ってみた(聖堂内は何やら使用中でダメ) 『スゲェ~~、素人でも判る金をかけた建物だ!』、、、、大聖堂前の池に咲く蓮の花も、特別仕様なのか大きく・色鮮かに見える。

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・・・・・・・・・・・・せっかくの機会、ほかの建物もチョイト撮影。 動きが怪しいと、守衛さんがこちらを見てる!、、、、まずは、世界の宗教者をはじめ各界の指導者が平和について語り合う場としての「法輪閣」(昭和53年完成)とその庭園、、、、建物1階では新型コロナのワクチン接種が行われていた。 2回目の接種を終えた私だが、最近のインド株の拡大をみると、もう1回接種したくなるね! 

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・・・・・・・・・・・・参拝する信者が旅の疲れを癒し、心安らかに修行できるよう配慮された2000人収容の宿泊施設「第二団参会館」、、、、この他、周辺には、事務庁舎、病院、看護学校、発祥の地など、諸施設が点在する。

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● 大聖堂の東、杉並区和田2丁目の二寺に寄る。

・・・・・・・・・・・・まずは、真言宗豊山派寺院「東円寺」、、、、東円寺は、天正元年(1573)に、村民半六が開基、備後国の僧祐海が当地に開山した。 江戸時代からこの地にある寺。

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・・・・・・・・・・・・次は、東円寺の北東に隣接する日蓮宗寺院「長廣山立法寺」、、、、立法寺は、長廣院日立上人を開山、秋里氏が開基となり、永正3年(1506)赤坂に創建、その後青山権田原(元赤坂)への移転を経て、元文2年(1732)当寺七世境妙院日性上人の代に千駄ヶ谷村(現国立競技場内、場内のどのへんか知りたいね)へ移転、明治神宮外苑造営に伴い寺地を接収されて大正8年当地へ移転した。、、、、本堂は昭和56年(1981)、仁王門は平成15年(2003)の造営。

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● 立法寺の山門前には「救世軍ブース記念病院」がある、、、、年末の社会鍋で有名なプロテスタントの救世軍が運営する病院。 明治45年(1912)東京市下谷区仲御徒町に『救世軍病院』開設された。 大正5年(1916)和田堀村(現:杉並区和田1)に日本初の一般市民を対象とした結核サナトリウムの『救世軍杉並療養所』を開設(50床)。 昭和43年(1968)には、救世軍の創立者ウイリアム・ブースを記念し『救世軍ブース記念病院』と改名し、医療二一ズの変化に合わせて一般病院へ転換。、、、、この病院の周辺には、特別養護老人ホーム、老人保健施設、婦人保護施設、教会などの諸施設が裏通りの奥まで点在する。

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● 杉並区和田の裏道を左へ右へ歩き蚕糸(さんし)の森公園の南側に出てきた。 環七通りに面する「蚕糸の森公園」は、昭和55年(1980)に筑波に移転した農林省の蚕糸試験場の跡地である。 公園入口には、歴史を感じさせるレンガ造りの門柱と大正元年(1912)に建てられた守衛所が、管理棟として残されている。 優美なデザインの門扉と門柱。 門柱の照明がかわいい。、、、、レンガ造りの管理棟は、門柱と同じく、赤レンガの間に帯を配したデザイン。 小さいながらもどっしりとした風格があり、歴史を感じる。 銅葺きの屋根にはアーチ形のドーマ・ウィンドウが設けられている。

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・・・・・・・・・・・・公園内には、涼を求め散策する人もいる

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● 蚕糸の森公園から、裏通りの小さな商店街を抜けて、中野駅に出る、、、、今日の散歩はココまで!(ナイショの話:中野駅で、東京行の電車に乗るのを違えて、高尾行きに乗ってしまい、我が家は遠くなりにけり。 失敗!)

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2021年7月14日 (水)

島津藩菩提寺

京王線明大前駅から、築地本願寺和田堀廟所、永福寺、大圓寺と巡り地下鉄丸ノ内線方南町駅まで、1万1千歩の散歩。




● 朝8時前の京王線「明大前駅、、、、これから都心へ出社のサラリーマン、多摩の方へ通う学生が電車に乗る時刻となった。 上りも下りも、ホームには人が並ぶ。 新宿と多摩方面を結ぶ京王本線、渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線の乗り換え駅でもあり、駅構内を行き来する人も多い。、、、、明治大学学生の登校時間にはまだ早い! 8時半頃になると、明治の可愛い女子大生も登校してくるはずだが、待てない!

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● 明大前駅は世田谷区、駅前の甲州街道を渡り明治大学は杉並区にある。 明大前駅が誕生した大正2年には「火薬庫前駅」という名であった。、、、、この“火薬庫”というのは、明治大学和泉キャンパスと大学の西隣にある築地本願寺和田堀廟所の敷地にあった、江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)の跡のこと。 塩硝蔵は、当初、多摩郡上石原宿(調布市)にあったと伝えられ、宝暦年中(1750代)に「和泉新田御塩硝蔵」としてこの地に設置され、敷地はおよそ18,896坪(約62,000㎡)あり、御蔵地(貯蔵庫)は5棟・2町2反9畝5歩(約23,000㎡)の規模であったといわれている。 当時塩硝蔵は、御鉄砲玉薬方同心3人が年番で交代居住し、警備や雑用には付近の16ヶ村に対して、昼夜交代で3人づつの課役が徴せられていた。 明治維新の際、塩硝蔵は官軍に接収され、その弾薬は上野彰義隊や奥州諸藩の平定に使用され、その威力を発揮したといわれている。 その後兵部省管理を経て、陸軍省和泉新田火薬庫として再開され、中に当番官舎、衛兵所等が設けられ、麻布の歩兵連隊が警備を任されていたが、大正12年の軍縮で廃止された。、、、、現在は遺構らしきものもなく、大学のフェンスの前に説明版が設置されているだけ。

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・・・・・・・・・・・・明治大学の西隣に浄土真宗築地本願寺の墓地「築地本願寺 和田堀廟所」がある。、、、、大蔵省から払い下げを受けた12,000坪の陸軍火薬庫跡地に京橋区内にあった檀家墓地を移し、富士が望める閑静な我国初の近代的公園式墓地(霊園)を作って一般から墓地の分譲を募集し霊園経営の新形式を作り、昭和11年(1936)に真宗寺を置いた。 入口直ぐの建物は光寿閣といい信徒会館。 正面の極楽橋を渡った先の建物は本堂。、、、、広い墓苑には多くの著名人が眠っている。 一世を風靡したお笑い芸人のレオナルド・熊、横綱吉葉山、内閣総理大臣佐藤栄作、明大マンドリン倶楽部創設者古賀政男、作家樋口一葉、青い山脈の服部良一、ブギの女王笠置シズ子、俳人中村汀女、などなど書ききれない!

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● 和田堀廟所の西側、永福橋で神田川を越えて北へ300m程歩くと、町名「永福」、駅名「永福町」の由来元である、「万歳山永福寺」がある。、、、、万歳山永福寺は曹洞宗の寺。 本尊は十一面観音像で、脇侍の不動・毘沙門両像とともに、鎌倉期の仏師快慶の手になるものと伝えられている。 寺伝によれば、開創は大永2年(1522、室町時代)、、、、寺の歴史は古いが、昭和20年(1945)被災し建物は鉄筋コンクリート造にて昭和36年(1961)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・また寺の西門脇には正保3年(1646)・天和元年(1681)銘の庚申塔元禄4年(1691)銘の地蔵石像が安置されている。、、、、400年余りこの地で祀られている像であるが、保存状態良好。 仏を大事にしましょう!

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・・・・・・・・・・・・永福寺西門前には「永福稲荷神社」がある。 永福稲荷神社は、享禄3年(1530)に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として創建した。

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● 井の頭線永福町駅前を通過し、井の頭通りを横断し、北へ向かう。

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● 永福町駅から北へ700m程、杉並区和泉3丁目の「泉谷山大圓寺」に立ち寄る。 この寺には2年ぶりだ。、、、、大圓寺(だいえんじ)は曹洞宗(禅宗)の寺院で、本尊は阿弥陀如来。 慶長8年(1603)赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって建立され、開山は諦巌桂察和尚(武田信玄の弟)とされる。 寛永18年(1681)正月、江戸の大火に遭い伊皿子に移転。 その頃から大渕寺の寺名を大圓寺に改める。延宝元年(1632)薩摩藩主島津光久の嫡子綱久の葬儀を行って以来、島津家の江戸における菩提寺となり、福寿院・門能院の塔頭二院もそれぞれ大名保科・旗本五井・松平・本多・土方の諸家中、町人衆を檀家として隆盛を極めた。 明治41年に塔頭二院を併合して現在地(杉並区和泉)に移転した。、、、、今日も山門前の石像の仁王がお出迎え。 顔を見ていると、浅草仲見世で売っている人形焼きを思い出した。、、、、山門には徳川の葵紋、本堂にはさらに島津の十字紋、苔むした墓地には明治元年戊辰の役戦死者没者の墓、日向都城主島津筑後守の墓及び殉死者の墓、大刀八木八郎の墓(君命にて巨石を捧げ、死後墓石となす十九才)、赤﨑海門・鞍岡蘇山(共に儒学者)の墓、横山正太郎安武(政府に建白、自刃)の墓などがある、徳川家や島津家とも縁のある寺院である。 また、飯野藩保科家墓所もある。 しかし、いずれの墓も案内がなく、どれが誰の墓か、この墓は誰のか、この人はいずれの士か、いずれの姫か、さっぱり判らん! 教えて欲しいが、墓の数がありすぎて聞いても馬の耳に念仏かも?

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● 大圓寺から東へ歩き、東京メトロ丸ノ内線の「方南町駅」から帰宅する。、、、、熱中症予防に歩きながら飲んだ、「ソルティーライチ」、「コカ・コーラ」の合計500㎖×2本=1000㎖が効きすぎて、熱中症の症状はなし。 でも、腹痛と尿意は限界に達する! 急げ!!

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2021年7月13日 (火)

ツリーの下の博物館

今朝はチョイト用事ができ、散歩に行く時間がなかった。 10時過ぎに用事は片付き解放された。 外は蒸し暑そうだ! 『サテサテ、今日はどうしよう?』 ひまな高齢者は時間の過ごし方が下手で思い悩む。 よくよく考え、夫婦で、昼食を兼ねスカイツリーの下のショッピングモール『東京ソラマチ』に行くことにした。 ここなら我が家(浅草橋)から地下鉄で4駅目、所要10分、『雨にも負けず 暑さにも負けず 空調のきいたビルの中 食事ができ 買い物OK 疲れた時にはコーヒータイム 今なら騒々しい観光客も少ない モール内で散歩をすれば一万歩達成可能 美人も多く目に優しい』 言うことなし、これで決まり!

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● ひまな夫婦は、9階にある「郵政博物館」に行ってみた。 案内では、『「心ヲツナグ 世界ヲツナグ」をコンセプトに、日本最大約33万種の切手や郵政と通信の関係資料約400点を展示します 』とある。 早い話、日本郵便が運営する、“郵便と世界の切手”の博物館。、、、、郵政博物館の起源は、明治35年(1902)に万国郵便連合加盟25周年記念祝典行事の一環として当時の逓信省が京橋区木挽町(現:銀座8丁目)に開館した「郵便博物館」にさかのぼる。 その後、郵便博物館は芝公園に移り、「単に郵便、電信、電話に限らず電気、海運、航路標識等逓信事業全般にわたる逓信省関連の参考資料の展示を」という主旨で「逓信博物館」と改称した。 麹町区富士見町(現在の千代田区)に移転した。 この時の建物は木造の洋館で、昭和39年(1964)まで博物館として使用した。 私が中高校生の頃だ、当時は切手収集が流行し、記念切手が発行されると博物館内の郵便局に買いに行ったのを記憶している。 博物館の玄関を入ると木造の階段が中央にあり、2階に上がると世界の切手が展示されていたが、木造の床がミシミシ鳴るのでチョイト怖かったのも思い出。 千代田区大手町に移り、郵政省(現在の日本郵政株式会社)、日本電信電話公社(現在の日本電信電話株式会社)、日本放送協会及び国際電信電話株式会社(現在のKDDI株式会社)四機関共同運営による「逓信総合博物館」としてオープンした。 平成の時代になると、日本郵便、NTT、NHK、KDDIとして独立し、逓信総合博物館は実質解体し、日本郵便関係はの資料は「郵政博物館」として、ここスカイツリーの下で展示されている。、、、、今日は、逓信博物館の頃を懐かしみながら、展示物を拝見!

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● 郵政博物館を見て、8階に下りると「千葉工業大学 東京スカイツリータウン キャンパス」がある。 ここには大学が研究している災害対応ロボット(福島原発対応)、画像認識など各種ロボット技術、「はやぶさ2」の実物大模型(想像以上に大きい!)など宇宙開発技術が展示されている。、、、、美しい女性(学生/院生?)が丁寧に解説してくれた、ありがとう!

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● 今日はのんびり、ゆっくり、7千歩の散歩(?)でした

2021年7月11日 (日)

井の頭通りを直線に!

早朝の下北沢の街をブラブラ、井の頭通りをテクテク、和田堀給水所をグルリ、代田橋駅をイッタリキタリ、京王線の踏切をウロウロ、明大前からサッサと帰る。 1万歩の散歩




● 今日の散歩は下北沢駅からはじめることにした、、、、小田急線「下北沢駅」は3層構造で、1階は出口(改札)・駅事務室など、地下1階は緩行線ホーム、地下2階は急行線ホームとなっている。

・・・・・・・・・・・・新宿で空いている各駅停車に乗って、朝7時半、通勤通学客のいない下北沢駅ホームに降りる。 地下1階のホームに乗客の姿は数人だけ! ガラガラ電車にガラガラホーム、いずれもコロナ感染の心配無用!、、、、地下1階は地上から掘削して造る開削工法により駅が造られた。 床・壁・天井が箱型に構成され、中央に島式ホーム1面2線がある。

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・・・・・・・・・・・・地下2階は、2本の円筒を並べた、メガネ型シールド工法により掘られている。 壁に丸みがある。 中央に島式ホーム1面2線を有する。

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・・・・・・・・・・・・1階は、広いコンコースに、京王井の頭線への乗り換え改札、出口などがある。 井の頭線は高架で2階を走る。

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下北沢の街はまだ寝ているようだ! 店はもちろん閉まってる、人影は少ない、騒々しい雰囲気もなく、静かなものだ。、、、、細い裏道が入り組んで、よそ者の自分は、“現在地不明”、“方向感覚鈍し”の症状が出る。 “どうせ散歩だ、適当に歩こう!”

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● 広い通りに出た! 地図を出し調べると「井の頭通り」だ、この道を西に歩くと京王線代田橋駅に近い「和田堀給水所」にぶつかる。 『ヨシ、給水所に行ってみよう!』

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・・・・・・・・・・・・井の頭通りは、渋谷駅前を起点とて和田堀給水所をとおり、武蔵野市の境浄水場を終点とする道路。 全体的には、かつての“水道道路”をベースとする、ほぼ直線の道路である。 しかし、和田堀給水所の処だけは、直線とはならず、四角い給水所の外周(北側)を半周する部分があり、かつ道幅も狭くネックとなっている。 道路を管理する東京都では、井の頭通り直線化に取り組み、具体的には、和田堀給水所の南側に道路用地を確保して、環七通り「大原2交差点」から甲州街道「松原交差点」へつなげるらしい。(赤線部分は私の推定したルート)

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・・・・・・・・・・・・環七通りと交差する「大原2交差点」、、、、ここから先は給水所の北側を回り、道幅も狭くなる。

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・・・・・・・・・・・・給水所西側の住宅地の一部では、用地取得が済んだようで、フェンスに囲われた空き地が見える。 同じようにフェンスで囲われた空き地は、京王線を越え、甲州街道の手前まで点在する。

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・・・・・・・・・・・・「和田堀給水所」は只今老朽化により整備工事の真っ最中、、、、フェンスの隙間から、チョイトのぞき見。 昭和9年(1934)に完成した円形の1号配水池が見える。

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京王線「代田橋駅」にも寄ってみる。 こちら京王線でも、笹塚~仙川間の連続高架化工事が始まった。 その新宿寄りの第一工区(大林・京王JV)に代田橋駅が含まれる。 チョイト駅周辺を歩いてみたが、まだ本格的には着工していないようだ。

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● 代田橋駅で、『まだ帰るには早い、もっと歩ける』と自身に言って、隣の明大前駅まで京王線高架化工事の第二工区(大成・竹中土木JV)を見ながら歩くことにした。、、、、踏切から左右の現場をチラチラ。 こちらも工事は本格的には進んでいない。 

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● 京王線と井の頭線の接続駅「明大前駅」に到着。 地下1階は井の頭線のホーム、1階は改札口、2階は京王線ホーム。 ホームはいずれも相対式ホーム2面2線。 大正2年(1913)4月15日 陸軍の火薬庫に近かいことから、京王電気軌道の火薬庫前駅として開業した。 駅名が「明大前」となったのは昭和10年(1935)のことである。 その名のごとく、駅近くの甲州街道沿いに明治大学の和泉キャンパスがある。、、、、平日は改札から学生がどっと流れ出てくる。 その中には、結構ドキッとする娘もいるね!

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2021年6月30日 (水)

柿の木坂は駅まで何里?

時おり雨粒が落ちてくるが、傘を必要とするほどでもない、チョイトいやな空模様である。 一昨日の散歩の終点、都立大学駅から歩きはじめ、最初は西へ、途中から北へ、たどり着いたは東急田園都市線の三軒茶屋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 朝7時半、通勤・通学客が行きかう「都立大学駅」で下車、、、、東急東横線は、電車通学する小中高の子女が多いようだ。 沿線には有名私立が多く、資産家・セレブも多く、わかる・判る・なんとなく判るね! 女学生が可愛く見えるね!

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● 駅から東西南北どっちへ歩こうか? とりあえず、駅から西へ目黒通りを横断し、以前参拝したことがある「八雲氷川神社」(目黒区八雲2)に寄ってみた。、、、、チョイト長い参道を歩き、緑多い境内の八雲氷川神社に参る。 神社は古くより創建され、旧衾(ふすま)村(八雲周辺)の鎮守である。 祭神は素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴命の三柱。 創建の年代は詳らかではないが、内陣に文化14年(1817)奉納の記載があり、また社殿の改築が安政2年(1855)に行われているところからみて、かなり古いと推察できる。、、、、この神社は、古くから「癪封じの神」として広く知られ、下総や相模からも参詣人が詰めかけたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・【地名の八雲?】明治22年頃、この辺りは碑衾(ひぶすま)村大字衾(ふすま)であった。 昭和7年には、目黒区衾町・宮前町。 昭和39年の新住居表示により衾町・宮前町の全部に大原町・芳窪町・中根町の各一部をあわせた町域を現行の「八雲」とした。、、、、何処から「八雲」の名を持ってきたか? 新住居表示の時、当然のこととして「衾町」としたかったし誰にも異論はなかったが、「衾」が当用漢字にないので却下された。 さらに、“衾”を「ふすま」と読むことが時の日本人に難しいということで、「それでは別の名前」というんで思いついたのが〝八雲〟だった。 由来は、明治4年太子堂郷学校(現世田谷区立若林小学校)の分校として創立した衾村分校が、明治7年に独立するとき、村の鎮守の氷川神社に伝わる奉納舞「剣の舞」、素盞雄尊が奇稲田姫を救うために八岐大蛇を退治してその尾から天叢雲剣を得て、奇稲田姫と新居を持つときに詠んだ歌。『八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその八重垣を』から校名を拝借して「八雲学校」(現八雲小学校、目黒区最古の学校)とした。 地名はこの八雲を採用した。 小学校の校名でパクリ、地名でパクリ!



・・・・・・・・・・・・八雲氷川神社の西隣に真言宗智山派の寺院「金蔵院」がある。 金蔵院は、氷川山虚空蔵寺と号す。 慶長5年(1600)頃に頼栄上人が創建、明治7年に一旦廃寺となったものの明治14年(1881)には再興された。 氷川神社の別当寺。、、、、檀家のない寺で、無住となった時(明治4年)、八雲小学校が創立して、この寺を教室としたという。

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● 氷川神社で近くに吉良家の菩提寺があると聞いた。 “吉良”と聞いて、私の頭は“上野介” 忠臣蔵の話が好きな私にはとっては、行かねばならない菩提寺だ! その名は「東光寺」、来た道を戻る方角にある。 金蔵院から再び氷川神社の境内を横切り、足は東へ、、、、曹洞宗寺院の東光寺は、泰陽山霊徳院と号します。東光寺は、世田谷城主吉良冶部大輔冶家が、その嫡子祖朝の追福のために臨済宗東岡寺として貞治4年(1365)に創建したといいます。その後東光寺と改め、天文19年(1550)には寺領30石の御朱印状を拝領、後曹洞宗に宗旨を改めています。、、、、東光寺が祀る“吉良家”は、忠臣蔵よりはるか昔、南北朝時代の世田谷城主:吉良治家と子の祖朝の時代のことであった。 ちなみに、忠臣蔵の上野介の墓は中野の万昌院功運寺にある。

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● 東光寺の東隣にもう一寺あった、、、、日蓮宗寺院の「小杉山常円寺」である。 常円寺は、江戸谷中の感応寺(現谷中天王寺)の住僧日長上人の師でもあった日信上人が営んでいた庵室をはじめとし、日信上人の没後の天正18年に、世田谷城主の近臣:小杉甚七が開基となり、常円寺と号した。

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● 常円寺は「柿の木坂通り」に面してる。 ここまで来たら、柿の木坂通りを歩いてみることにした、、、、、柿の木坂通りは、都立大学駅付近から北にのびて環七通りの目黒区と世田谷区の境「野沢交差点」までである。 道路の愛称となった「柿の木坂」があるのは、環七通りと目黒通りの交差点“柿の木坂陸橋”付近から,東横線のガードをくぐって南西側までの目黒通り上の350m程。 つまり、“柿の木坂通り”には“柿の木坂”はない! なぜだ? 実は、目黒通りと柿の木坂通りと環七通りで囲まれる三角形の地域の地名が「目黒区柿の木坂」で、“柿の木坂通り”はその町の一辺となる、、、、整理すると、昔からあったのは目黒通りの坂で「柿の木坂」、その柿の木坂の北側の町が「目黒区柿の木坂」(昭和7年命名)、その柿の木坂の町を囲う道路の一本を「柿の木坂通り」とした。、、、、ついでに、都立大学駅は昭和2年(1927)に開業し、開業後4年間の駅名は「柿の木坂」であった。、、、、さらに、話はややっこしく、青木光一のヒット曲『柿の木坂の家』の柿の木坂はモデルが広島県で目黒区柿の木坂とは無関係!

さて、「柿の木坂通り」を歩いてビックリ、見てビックリ、なんと小さな店が並ぶシャレた通りで、高級住宅地を歩いてる感じだ! 道の途中にはコンサートホールもあり、文化の薫りも漂うね!

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● 野沢交差点で環七通りを横断し、世田谷区に入ると野沢3丁目に臨済宗妙心寺派寺院の「大沢山龍雲寺」がある。、、、、龍雲寺は、節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が廃寺となっていた下馬引沢村(下馬)の智見寺を引き継ぐ形で野沢に元禄12年(1699)創建した。、、、、現本堂は昭和38年(1963)に起工。 同40年(1965)に鉄筋コンクリート平屋造りの本堂をはじめ、山門、鐘楼、庫裡の諸堂を落慶した。、、、、広い境内に、美しい樹木が良く手入れされている。 落ち着いた静かな寺。

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● 龍雲寺の山門前を北東に歩くと下馬4丁目に、天台宗系単立寺院の「世田谷山観音寺」がある、、、、古い由緒ある寺かと思ったら、観音寺は、事業家であった大僧正睦賢和尚(パン屋「静養堂」の主人:太田陸賢)が昭和25年に創建した寺(?) 本尊は聖観世音菩薩、他に不動明王・阿弥陀如来・仁王尊・特攻観音をまつる御堂があります。  パン屋の主人は金を持っていたらしく、保有する文化財は関東一といっても過言ではないそうだ。 仏教オタクのパン屋が創った、私設仏教博物館といったところ。、、、、広い大きな境内には、三重塔のほか数々の建物があります。 また、特攻隊の慰霊碑もあり、都会の中の静かなお寺で平和を祈るとともに、英霊の安らかな眠りを祈るほかない場所でないかと思います。、、、、百聞は一見に如かず!

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● 観音寺から裏通りを抜けて、東急田園都市線の「三軒茶屋駅から帰宅、、、、改札から出てくるのは、若い娘バッカシ、なんだ!コリャ! しばし、改札前で“
茫然自失”、顔は“喜色満面”、そして“顔厚忸怩”  何はともあれ、嬉し楽しい駅だ!

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