散歩

2020年8月 8日 (土)

アスリートの町

JR京浜東北線の東十条駅から、環七通りに出て埼京線を越え、西が丘を抜け本蓮沼駅前から北東に歩き、都営三田線志村坂上駅まで、1万2千歩の散歩です。


● 京浜東北線東十条駅は島式ホーム2面3線の地上駅。 ホーム両端に改札口があり、それぞれ北口、南口と称している。 北口は橋上駅舎で改札を出ると、東西方向に行ける。 今日は駅前の狭い道を抜け、駅西側の北区中十条から散歩を始める。

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● 駅の北側にある真言宗智山派の寺院:無量山龍谷院西音寺。 本尊は不動明王。 文明年間(1469~1486)の僧玄仲による創建と伝えられる。 3代将軍家光が日光社参の都度ここで休み、畳・襖・雪隠などを寄進したほか灯明料・普請料の名目で若干の金子を奉納したこともあった。、、、、立派な山門は江戸時代後期の建築。 山門横の観音堂も江戸時代後期の建築。 本堂は正徳2年(1712)の建立。 木造洋風の檀徒会館は、昭和5年(1930)に建築された旧和光学園幼稚園舎を移築したもの。、、、、近くの北区立荒川小学校は、明治6年(1873)に児童数15名で西音寺で開校したそうだ。

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環七通りに出る。 「富士見橋」にて埼京線を越える。

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・・・・・・・・・・・・埼京線の西側(十条仲原2)の環七通りの裏、小さな社の「日枝神社」がある。、、、、祭礼のようだが、コロナの影響で自粛するそうだ。 日本中の神社で、祭礼は自粛ムード、今年は神輿を見るのが難しいかも?、、、、祭神に大山咋命を祀り、社殿には「山王大権現」と記している。 元禄2年(1689)創建とある。、、、、また、境内右奥の延宝4年(1678)の「十条仲原庚申塔」は、手入れも良く残されている。 昭和50年(1975)に地元有志によって昭和初年以来途絶えていた庚申講が復活したそうだ。

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● 環七通りの北側、十条仲原3丁目の裏道を歩き、方向感覚が怪しくなってきたとき、♪♪この道は いつか来た道 ああ そうだよ 暮れに来た坂だ覚えてる♪♪ 「游鯉園の坂を下り、同じ道を歩きたくないので西に折れた。 ツタの絡まるチャペル風の廃屋がある。 いつの間にか住所は西が丘2丁目、懐かしい木造の目隠し塀もある。

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西が丘トレーニングセンター国立スポーツ科学センターなどの大規模施設が並ぶ、オリンピックのアスリート育成拠点に出てきた。、、、、凄い施設だ、相当“金”も掛かっている、これでオリンピック中止になると、どうなるのか?????

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中山道に出た、都営三田線の本蓮沼駅を通り、一つ先の志村坂上駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・志村坂上駅の手前、中山道の左右に対になった一里塚がある。 けっこう大きな塚で、江戸時代に築かれた。、、、、一里塚の隣りには、明治22年(1889)創業の原木商「斎藤商店」がある。昭和8年(1933)に建てられた現建物は、町のランドマークとなっている。(登録文化財)

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・・・・・・・・・・・・一里塚の隣りに志村坂上駅もある。、、、、昭和30年代、私の中・高等学校は白山にあり、水道橋方面から都電18番(神田橋~志村坂上)に乗って通学していた。 当時は、巣鴨から北の志村坂上とはどんな処なのか知ることもなく、興味もない町だった。 都電が「志村坂上」行きなので、名前だけは頭にこびりついていた!

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2020年8月 6日 (木)

都内最後のスターハウス

今日は午後から中野の病院で白内障手術後の診察日。 先生から、綺麗に回復しているので問題なし、との言葉をもらう。、、、“綺麗”と云うことは、私の瞳は10000ボルトで見る人を悩殺する力がついたか? チョイト、眼科受付のお姉さんを見つめてみたが、怪しまれた! 恥ずかしい!!




● 診察が早く終わったので、暇な人間は、野方駅近くの「野方団地」へ行ってみることにした。 病院前のバス停から野方駅行きに乗る。(バス代は敬老パスで無料?)

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● 外は晴天、気温は30℃超、熱中症に注意しながら「野方団地」に行く。、、、、団地は西武新宿線野方駅の南側(徒歩7分ぐらい)、住宅地の中にある。 昭和34年(1959)に建設された住宅公団の団地で、総戸数92戸(全5棟)の小さな団地である。 10年程前には全面建て替えの話があったが、築後60余年経過した今、建て替えの話はどこか消えて、リニューアル工事も終わり団地は健在のようだ! この団地の特徴は、古さだけでなく、Y字型の平面形状で1フロア3住戸を有するスターハウスが2棟ある。 かつては全国的にみられたスターハウスも、平成時代に入ると次々と建て替えられ、ここ野方団地が都内最後の入居可能なスターハウスとなった。(注:赤羽台団地にあったスターハウスは登録有形文化財に指定され保存されている) 各戸の面積は44㎡2~48m2で、単身者またはお二人さん向き。 家賃は10万円強。、、、、なお、この団地の敷地は、明治の元勲山本権兵衛の別荘跡だった。

・・・・・・・・・・・・駅前の商店街を抜け住宅地をチョッピリ歩き、妙正寺川の手前(中野区野方5)に団地はある。 団地入り口にはオシャレな書体で「野方団地」と標されている。

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・・・・・・・・・・・・入り口の脇には、団地案内図、公衆電話、ゴミ集積場が並んでいる。、、、、案内図には、中層フラット型の1~3号棟、スターハウスの4、5号棟、管理集会所が標されている。 全体的にゆとりある配置で、緑が多い。

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・・・・・・・・・・・・3号棟から、1、2、5号棟を眺める。、、、、緑も多く、“新型コロナ”には縁のなさそうな環境だ!

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・・・・・・・・・・・・1~3号棟、、、、ベランダ前の庭も芝が綺麗だ、野菜を植えた個人農園が無いのは気持ちいいね!、、、、公園まで芝が占領しているのは、遊ぶ子供がいないのか?

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・・・・・・・・・・・・スターハウスの4、5号棟、、、、スターハウスは全2棟24戸で、入居するにはあくのを待つ以外にはなさそうだ。、、、、スターハウスの階段は三角形をつくり上っていく。

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・・・・・・・・・・・・1号棟前に古くて大きな石灯籠がある。 これは、山本権兵衛の別荘であった当時からのもの。

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● 野方駅前の「野方本町通り」を歩いてみると「野方文化マーケット」の文字が見えた。 懐かしい“マーケット”の響きで、狭い路地を入りチョイト覗いてみた。 路地はV字型になって入った通りに戻るようになっている。 終戦直後のバラックから始まったマーケットらしい。 呑み屋、おでん屋、玩具屋、骨董品屋などの店がある。、、、、“昭和”が残っている街!

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● 熱中症を避け、野方駅から早めに帰ることにした。

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2020年8月 5日 (水)

死の散歩?

東京の最高気温35℃の予報がでた! 今日の散歩は、“三密”を避け、人混みがなさそうな都営新宿線一之江駅から新小岩駅まで歩くことにした。 1万3千歩の散歩。




● 都心から本八幡行きに乗り、終点本八幡の3駅手前「一之江駅」で下車する。 空いてる電車から、降りる人は少ない。 ホームでは都心に向かう通勤客がスマホ片手に電車待ち。 在宅勤務が多いのか、改札を通る人も少ないようだ! 地上に出ると、まだいくらも歩かないのに、もう汗が出ている。 『今日は暑そうだ、散歩に出てきたのは失敗だったかも?』と、熱中症への不安がよぎる。

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● 駅からは、とりあえず北に向かって歩く。 今井街道を横切り、一之江4丁目の裏道を北へ目指す。 

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・・・・・・・・・・・・数軒の住宅で玄関に「笑門」(しょうもん)の注連飾りが見えた。、、、、「笑門」は、しめ縄飾りにつける魔除けの木札のこと。 三重県伊勢地方では通年で飾っておくのが一般的である。 風習の起源は素戔嗚尊(スサノオノミコト)が伊勢に訪れた時、蘇民将来(そんみしょうらい)の家に泊めてもらい、宿を貸りたお礼に「注連飾りを年中掛けておけば、後世疫病から免れることが出来る」と言い残して立ち去ったことによるものらしい。、、、、私も伊勢・近江に行ったとき、多くの家で飾ってあるのを見たが、最近、その風習が東京でも見られるようになったみたいだ。

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● 一之江5丁目に、真言宗豊山派の医王山不動院妙音寺がある。 建久元年(1190)の開山といわれ、江戸川区内でも有数の古刹。 本尊は桃山時代に作られた木造十一面観音立像。 
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・・・・・・・・・・・・境内、右手に薬師堂があり、薬師如来がまつられている。、、、、この寺にのこる片目の鮒の伝説:『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。すると満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、池に八つ目鰻を放つと、七つ目鰻になるのか、新種誕生だ!

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● 首都高7号小松川線を横切り、西一之江2丁目に入る。 シャツは汗で濡れ身体はサウナ風呂。 そろそろ熱中症が心配になり、自販機でコーラを買い水分補給。 日陰を探しながら歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・京葉道路に出たが、太陽は頭上真上にあるようだ。 日影が無い! 冬の八甲田ならぬ夏の江戸川区、死の行軍ならぬ死の散歩である。 『まだ死にたくない、ああ、“氷あずき”を食べたい!』

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・・・・・・・・・・・・・・人影のない公園があった! 広い公園だ「大杉一丁目公園」、、、、公園正面に女神像? 『捨てる神あれば拾う神あり』 公園の手洗いで水を頭からかぶる、どうせ服は汗でビショビショ、歩いていれば乾くだろう!、、、、チョイト、休憩して“死の散歩”は続く!

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● 北へ向かい歩くと大杉天祖神社(大杉1)がある。、、、、大杉天祖神社の創建年代は不詳だが、もと神明社と称し、葛西御厨の一つだった。 旧西一之江村の鎮守で、将軍家康鷹狩の際は参詣の後、境内の東方にあった腰掛山という小高い所で、休憩したそうだ。、、、、私も、境内のベンチに座り幼稚園の先生らしき女性を横目で見つめながら休憩。

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● 再び新小岩駅を目指し歩きはじめる。 首に巻いた濡れ手拭が乾きはじめた、『頑張ろう!』自分に言い聞かせる。、、、、新小岩駅行きのバス停があった。 『バスで新小岩駅に行くか?』と、時刻表を見ると1時間に1本、次は30分後。 この炎天下で30分待ちは辛い、ヤッパリ歩くぞ!、、、、東小松川香取神社前(中央4)にでる、チョイト手を合わせて、駅までももう一頑張り。

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・・・・・・・・・・・・・・やっと、新小岩駅前の「新小岩ルミエール商店街」(葛飾区新小岩)に到着。 アーケイドが日射しを遮り、商店の冷房が冷えた空気を送ってくれる、『幸せだな~~?』と一言。、、、、気持ちに余裕が出てきた。 薬局があったので、コロナに効く“うがい薬”「イソジン」があるか聞いてみると、ヤッパリ売り切れで在庫なし!

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● “死の散歩”は終わり、無事、新小岩駅へ到着。、、、、そろそろ自分の歳も考え、無理のない散歩に心掛けよう!

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2020年8月 4日 (火)

夏の大田黒公園

梅雨が明けて一気に夏到来。 まだ、猛暑日ではないが身体が慣れておらず、マスクをしているだけで全身から汗が噴き出ている感じだ! 今日は、家内と荻窪へ行ってきた、行ったついでに駅周辺の文化財級の建物巡り。




● JR中央線荻窪駅は、明治24年(1891)12月21日に甲武鉄道の駅として開業した。 明治39年、甲武鉄道は国有化される。 昭和7年(1932)7月、中央線・総武線の直通運転が開始され、我が家のある浅草橋からも緩行線で乗り換えなしの一本で行けるようになる。 昭和37年(1962)には、地下鉄荻窪線(現:丸ノ内線)が開業。 昭和41年(1966)には、地下鉄東西線も中野駅から荻窪まで緩行線に乗り入れ、ターミナル駅に変身していく。、、、、荻窪駅は島式ホーム2面4線を有する地上駅。 新宿側は地下部分に駅舎があり、改札口から南北にそれぞれ出入口があり、地下駅のようになっている。 また、三鷹側は橋上駅舎で、南北双方に出入口が設けられている。、、、、今日は、新宿寄りの改札から南口に出た。 

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● 南口を出て150m程東に歩くと、「明治天皇荻窪御小休所」(杉並区荻窪4)の碑が建つ長屋門がある。、、、、ここは、明治16年(1883)の行幸の際、明治天皇が2度にわたり休憩した場所と云われている。 今は屋敷の建物は姿を消し、江戸時代に建造された門だけが残されています。 門の中は高層のオフィスビルが建ち、チョイト違和感を感じる。、、、、以前はこの門の説明板があったのだが、今日行って見ると無くなっていた。 また、歴史的建造物なんだけど、なぜか公的な文化財には登録されていないようだ。

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● 長屋門の前の道をさらに150m程歩くと、昭和レトロな旅館「西郊」(荻窪3)の前に出る。 建物は、ドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築、現:西郊ロッヂング)と、和室の本館(昭和6年築)が連結された造りになっている。 和室の本館は旅館として営業中。 新館は集合住宅として利用しているようだ。、、、、本館・新館とも国登録の有形文化財。 昭和初期の表現主義風建物であるが、内部は自腹で泊まって、見てね!
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● 旅館:西郊から南へ歩くと、杉並区立「大田黒公園」(荻窪3)がある。 今日は4年ぶりに訪れたが、公園の静寂と美しさは以前と変わっていない。、、、、公園は音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた。 約2719坪の面積を有する公園で、ケヤキ・クロマツ・アカマツ・シイノキなどの巨木がうっそうと茂っている。 池には、多くの“お高そうな”錦鯉が悠々と泳いでいる。、、、、大田黒元雄氏(明治43年(1910)~昭和54年(1979)) 大正初期から、ドビッシー、ストラビンスキーを日本に紹介し、欧米音楽の普及に努めた。 戦後は、NHKラジオ番組「話の泉」のレギュラー出演者として歯切れの良い語り口で人気を博した。 私が知るのは、この番組の回答者としての大田黒氏である。 残念だが音楽の世界での大田黒氏の活躍は、よく知らなかった。

・・・・・・・・・・・・総檜造りの正門を入ると、70mの御影石敷かれ、両側には樹齢100年を経た27本のイチョウが並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・イチョウ並木の先には、茶室と和風の管理事務所がある。 ここで、茶会など行われるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・その奥には、大木が茂る芝の庭と、鯉の遊ぶ池、秋には60本以上の紅葉が色づくそうだ。、、、、今は、セミの音と、石組みの間を水が流れ落ちる音のコラボで、森の中にいるようだ!

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・・・・・・・・・・・・公園のシンボル的建物は、大田黒氏の仕事部屋であったベンガラ色の記念館。 昭和8年(1933)に建築された当時としては珍しい西洋風の建物。(国の登録有形文化財) 内部には生前氏が愛用していたスタインウェイ製のピアノ、蓄音機などが残されている。

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● ここまで来たら、もう一ヵ所! 俳人で、角川書店創設者の角川源義氏の邸宅(荻窪3)が、ご遺族から寄贈され、「角川庭園・幻戯山房(すぎなみ詩歌館)」として公開されている。、、、、建物の幻戯山房(すぎなみ詩歌館)は、建築家:加倉井昭夫が設計した、近代数奇屋造りの建物。 平成21年(2009)に、国の登録有形文化財に指定された。
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2020年8月 2日 (日)

商店街と団地

JR亀戸駅から南に歩く、商店街・団地・商店街・団地・商店街と続き、江東区北砂の亀高橋バス停まで、1万1千歩の散歩。



● 我が家のある浅草橋駅からは、両国・錦糸町・亀戸で、3つ目の駅(所要7分)である。 コロナの感染リスクを考慮し、今日は亀戸駅東口に降り立った。、、、、亀戸駅は総武鉄道の駅として、明治37年(1904)に開業。 駅は島式ホーム1面2線の高架駅。 出入口は、亀戸天神に近い北口と京葉道路側に東口の2カ所。 北口が表玄関なら、東口は勝手口という感じ。、、、、一日平均12万人程が乗り降りする駅である。 今日は日曜で通勤・通学客も少ない。 東口は、越中島貨物線の高架下に出る。 駅前は狭く、駐輪場が動線を限定する。

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● 亀戸駅の南側をとおる国道14号(京葉道路)を横断し、「昭和橋通り」と書かれた商店街を歩く。 時刻は午前8時前、店のシャッターは何時開くのか? ひょっとすると、『昔、商店街 今、シャッター街』?

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・・・・・・・・・・・・商店街の脇に区立亀戸平岩公園がある。 公園の一角には、小さな「平岩稲荷神社」が祀られている。、、、、神社脇の由来碑には次のように記されていた。 『この地は徳川家康の家臣であった平岩家の先祖が、三河より徳川幕府に従って江戸の居を定めてから、大正の中頃まで、約300年に亘って平岩家代々の居所であった。 幕末より明治にかけて竹問屋として名を成した6代目平岩甚助の死後、昭和16年に楠にかこまれた広大な敷地内にあった1000坪の池が埋めたてられ、その一部約340坪が公園として東京市に寄付された。 その後、昭和25年に東京都より江東区に移管され現在に至る。 現存する稲荷神社は古くから祀られていたものを元の築山の上に移したものである。 平成元年11月  改修にあたりこれを記す平岩』、、、、現在の公園は、屋敷の池の1/3と云うことだ! 屋敷の広さが何となく解るね。

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・・・・・・・・・・・・昭和橋通りの南端には、埋め立てられた堅川に架かる「昭和橋」がある。 川はなくなり、頭上は首都高が走り、橋は残っても、橋としての役目は終わった。

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● 昭和橋を渡ると、西側は大島3丁目の「UR 大島3丁目団地」、東側は大島6丁目の「UR 大島6丁目団地」。 でっかそうな「UR 大島6丁目団地」に寄ってみた。、、、、大島6丁目団地は中央の広場を7棟の14階建ての建物が“コ”の字型に囲む団地。 建物は昭和45年3月~昭和46年8月に完成した7棟で、約2900世帯が入居している。 チョイト古いデータによると、平成23年(2011)の団地内の実態調査では、60歳以上の世帯主が72%、20歳・30歳代の世帯主は8%。 居住者は60歳・70歳代の合計がほぼ半数の50.1%。 当団地に25年以上住んでいる人は半数の55%にもなるそうだ。 現在は、もっと高齢化が進んでいるものと思われる。、、、、夏休みなのに、子供の声が聞こえない!


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● 大島6丁目団地を突き抜けると新大橋通り、この下には都営新宿線が走っている。 大島駅が近くに在るはずだと思い、キョロキョロ。 駅よりも「中央銀座」のアーチが目に飛び込み、駅を忘れて“銀座”に足が入っていく。、、、、中央銀座商店街は大島駅の南側で、新大橋通りと並行する商店街である。 私が入って来たアーチは商店街のアプローチ部分であった。 91店舗で構成する商店街、まだ8時半どの店舗も開店前。

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● 中央銀座を足早に抜けると小名木川にぶつかる。 昭和54年(1979)に完成した1径間鋼製箱桁の歩行者・自転車専用橋「砂島橋(すなしまばし)」を渡り、大島5丁目から対岸の北砂5丁目に向かう。、、、、川の両岸はマンション・高層アパートが並ぶ。 小名木川は江戸時代の運河で、流れは穏やかである。 

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・・・・・・・・・・・・・・ 砂島橋を渡った北砂5丁目側に「小名木川旧護岸」が残されている。 地盤沈下が続いた町を水害から守るため、度重なる護岸のかさ上げ工事が行われ、その歴史を知ることができる。

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● 砂島橋の南側は「UR 北砂5丁目団地」である。 橋を渡り、そのまま南へ向かえば団地の中。、、、、団地は、旧日本住宅公団の時代、昭和52年(1977)から、順次入居が始まった。 総戸数2809戸(10棟)の団地。 中央の広場は野球もできる程広い!

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・・・・・・・・・・・・団地内の公園でセミ採りをする兄妹がいた。 しばし忘れかけていた情景がよみがえり、思わずニッコリしていたら、女の子が虫カゴを持ってきて、二匹のセミを見せてくれた。 いつまでも仲良くね!

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・・・・・・・・・・・・北砂5丁目団地の公園の木立の中に、「我国精製糖発祥之地」の碑がある。 碑の裏面に「昭和十五年十二月十三日 大日本精糖株式会社建之」とある。、、、、小名木川両岸は東京有数の工業地区だった。 日本における最初の精製糖工場もこの地に建てられた。 明治23年(1890)、この地に建てられていた鈴木藤三郎の製糖所で漸く成功し、砂村(現:北砂)において日本で初めて純白の砂糖が誕生しました。 鈴木藤三郎は、安政2年(1855)遠江国(静岡県)に生まれ、明治17年より氷砂糖を製造した。 同22年上京し、砂村に工場を移し、同25年から本格的に精製糖の製造を開始した。 明治28年(1895)同志とともに日本精製糖株式会社を設立したそうだ。 北砂が精糖の発祥地とは意外であった。 

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● 北砂5丁目団地を抜けると、150m程南に歩くと地域密着型の商店街「砂町銀座」がある。 時刻はまだ10時前、多くのどの店も開店準備中。 お客もこれからのようだ! 私も買い物するわけではないので、商店街の東端(丸八通り)に抜けた。

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● 時刻は10時過ぎ、気温もあがり汗が出る、マスクの中はムレムレ状態、チョイト熱中症が心配になる。 地下鉄東西線の南砂町駅までは、あと30分ぐらいかかりそうだ。 まだ梅雨が明けて二日目、身体が暑さに不慣れなため、今日はこの辺で引き上げることにした。 北砂4丁目の亀高橋バス停から帰る。

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2020年8月 1日 (土)

京成に沿って

一日当たりの東京の新型コロナ感染者数が500人に近づいた。 また、今日(8月1日)は梅雨開けで30℃超、熱中症も心配な季節となった。 外出時のマスク着用は必須、熱中症対策も必要、こうなると必然的に、散歩するのも躊躇する。 でも、今日は久しぶりの青空、『チョットぐらい散歩してもいいだろう!』と自問自答する。 “三密”を避けて、青砥駅で下車し、京成本線に沿って南側を歩き、堀切菖蒲園駅まで1万歩の散歩。


青砥駅の開業は昭和3年(1928)11月1日、日暮里~青砥間の開通時に分岐駅として、それまでの立石~高砂間に設置された。 昭和48年(1973)から昭和61年(1986)までは、立体交差化工事が行われ、二層構造の高架駅となった。 現在は特急「スカイライナー」も停車する下町のターミナル!、、、、二層構造の青砥駅は、2階と3階にそれぞれ島式1面2線のホームを持ち、2階が上り線(上野、押上方面行き)、3階が下り線(成田、千葉方面行き)となっている。

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・・・・・・・・・・・・高架下の駅入口の横に、高架の柱を利用したベンチ形式のモニュメントがある。 その名は「ワルツの塔」。 立ってバイオリンを弾く人の像を中央に据え、柱の上部には複数の天使がラッパを吹いている。 チョイト、下町の駅には似つかわしくないモニュメントである。、、、、この像のモデルである、バイオリンの奏者は「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世だそうだ。 このヨハン・シュトラウス2世の像は、彼の出身地であるオーストリア・ウィーンの市立公園にオリジナルがあり、そちらは黄金の像となっているそうだ。 この像は、東京都葛飾区とオーストリア・ウィーンのフロリズドルフ区と友好都市提携を結んだ記念として製作されたようだ。

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・・・・・・・・・・・・脇の道路から見上げると、巨大な立体駐車場のようにも見える青砥駅。 駅の端から上野方を見ると、多少カーブしながら京成本線の高架橋が伸びていく。 また、同じように本線の南側では、京成押上線の高架橋が押上方に直線的に伸びている。 この押上線の先では、只今、青砥~四ツ木間の高架化工事が進められている。

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● 葛飾区文化会館(かつしかシンフォニーヒルズ)と呼ばれる音楽ホールの前をとおる道は「シンフォニー通り」と名付けられている。 そのシンフォニー通りの植え込みに童謡「通りゃんせ」の歌詞が標された石碑があった。、、、、この歌とこの場所、何の関係が? 調べてみたが謎である。 「通りゃんせ」の舞台は埼玉県川越市、作詞者は不明、作曲者は本居長世または野口雨情ともに葛飾区とは取り立てて縁はなさそうだが??? 謎の碑だ!

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● 京成本線沿いに南側の町「葛飾区立石六丁目」を歩く。 特別変わったものがあるわけでもない、ゴク普通の下町である。 

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● 白鳥一丁目交差点で国道6号(水戸街道)を越える。 南側の正面にスカイツリーが見える。 北側、京成の架道橋にスカイライナーが通過。、、、、スカイライナーのデザインは、先日(7/21)亡くなったファッションデザイナーの山本寛斎氏によるものだ。 同氏は京成職員の制服、ヘッドマークなども手掛けた。 私が勤めていた某ゼネコンの制服も寛斎氏が手掛けた。 スカイライナーを見て『寛斎さん ありがとう

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● 国道を渡り白鳥1丁目の町を抜けるとお花茶屋駅に出る。 お花茶屋駅は、昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、駅周辺のスナック、クラブには“お花ちゃん”がいるかも?

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● 今年はコロナの影響で、今日(8/1)から夏休みの小・中学校が多いそうだ。 京成の踏切には、休みに入り早速、活躍しだした撮り鉄がカメラを構えていた。、、、、『小学生のくせに、私のカメラより高そうなものを持って、コノヤロー!』と言いたい気持ちを抑えて・抑えて、ニッコリ笑って『夢中になって怪我するなよ!』と優しい一言。、、、、数年前、踏切で撮影に夢中となり、不幸にも脱臼して救急搬送された人を知ってるからね!

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● お花茶屋から地上を走っていた電車は、手前で盛土を上り高架駅の堀切菖蒲園駅に着く。、、、、堀切菖蒲園駅は昭和6年(1931)12月19日の開業。 駅は相対式ホーム2面2線の構造。 改札口・出口は1ヶ所のみで地上1階にある。、、、、一日当たりの平均乗降客数は2万3千人弱と少ない。

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2020年7月29日 (水)

単調な道を行く

“新型コロナ”の第2波に突入し、感染者は連日“最高記録”を出している。 私も散歩を自粛し家に籠もろうとするが、気が緩み、チョイトだけならいいだろうと今日も散歩に出てしまった。、、、、行き先の当てもなく地下鉄浅草橋駅のホームに立ち、空いている成田空港行き電車に乗る。 車内で、『今日は松原団地でも見に行こう』と決める。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えたが、車中でまたまた気が変わり草加から2駅先の新田で下車し、埼玉高速鉄道の戸塚安行駅まで歩いてきた。 1万2千歩の散歩。



● 空いてる電車はどっち? 地下鉄浅草橋駅で、品川方面行き、押上方面行き、どちらに乗るか迷っていると、島式ホームの両側に西馬込行きと成田空港行きが入って来た。 時刻は7時20分、西馬込行きは途中、日本橋・銀座・新橋を通るので、ケッコウ混んでいる。 向かいの成田空港行きは都心から離れるので、スキ・スキ・空きの空席あり。 “密”を避け、空いている成田空港行きに乗る。、、、、それにしても、まだ7時半前、今からだと、おそらく8時前後に会社に着くのでは? 皆さん出社が早いのでは? それとも、家に居られない事情でもあるのか?

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● 草加駅から北へ2つ目、普通電車しか停車しない「新田駅」。 しかし、駅の開業は早く、明治27年(1894)12月20日に埼玉県北足立郡新田村に開業した。 その後、駅は廃止となるが、大正14年(1925)11月10日に再開する。、、、、島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームの両外側には特急・急行など通過列車用の線路がある。、、、、時刻は8時、ホームには通勤・通学客が電車を待つ。 今から都心に向かえば、9時過ぎには出社できそうだ!

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・・・・・・・・・・・・駅東口は、駅前ロータリーがある“昭和チック”な郊外の小さな駅と云う感じだ。 大型の商業施設などは無く、飲み屋が並ぶ横丁が駅前にある。

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・・・・・・・・・・・・駅西口は、これまたビックリ・シャックリ・おくちパックリ。 駅前広場が無く、タクシーも止められない。 私営の駐輪場が並んでいる。 1台1ヵ月2200円の料金は、オーナーにとってはいい収入になるね! 100台の利用で月収22万円、笑いが止まらん!

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● 新田駅の北側に、市道「金明通り」がとおっている。 通りは国道4号線と交差すると、「川戸通り」と名を変えさらに西へ向かう。 今日は、天気も悪そうなので、この市道沿いに歩くことにした。 市道は草加市長栄で、県道161号との交差点する。 ここより県道に足を移して戸塚安行駅に向かう。、、、、この辺りは新興住宅街で、私を喜ばせる、変わったもの、楽しいもの、面白いものは無い。 歩き終われば、残念ながら単調な道であった。

・・・・・・・・・・・・まずは、駅から裏道を歩き金明通りに向かう。、、、、所々に田畑が残る。

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・・・・・・・・・・・・金明通りに出る。、、、、草加せんべいのイメージで、草加市のコミニティバス「パリポリくん」のバス停を通過。(残念ながらバスは見られず)

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・・・・・・・・・・・・国道4号を交差し「川戸通り」と名を変える。、、、、「新栄」バス停まで、スタコラサ! 途中、柿の実があった、『アレ、もう秋か? 夏がまだ来てないぞ!』

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・・・・・・・・・・・・県道に入ると、霧雨が肌を湿らす。 『アリャ・コリャ・困った 駅へいそごう!』 草加市と川口市の境である伝右川伝右橋で越える。 伝右川は埼玉県さいたま市見沼区を源に、草加市、八潮市を流れ、東京都足立区で毛長川とともに綾瀬川に合流する一級河川。 この川が、ここ辺りでは川口市と草加市の境界である。、、、、ドブ川ではないが、ホタルが飛ぶ川でもない。

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・・・・・・・・・・・・霧雨は続き、お肌はしっとり潤う。 まだ、すれ違う人も傘はさしていない、いそごう!

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● 着いた、戸塚安行駅! 平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道の駅。 駅名は現在の地区名の「戸塚(とづか)」と「安行」をくっ付けた。、、、、島式1面2線のホームをもつ地下駅で、地下1階が改札階、地下2階がホーム階になっている。

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2020年7月28日 (火)

寂しい浅草!

昨日、浅草雷門に寄ったが雨が激しく、そのまま帰宅した。 今日は昼の晴れ間に、チョイト夫婦で浅草寺に、手術後のお礼参りに行ってきた。、、、、賑やかな「浅草」が懐かしい!

 

● 時刻は12時、昼の浅草だ!、、、、観光客の姿が見えない“新仲見世”、、、、入場する人はチラホラ“演芸ホール”、、、、映画館がなくなり、競馬ファンもいない平日の“六区”

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● いつもと逆さま!、、、、今日は奥山をとおり本堂へ、本堂から雷門に抜ける。

・・・・・・・・・・・・コロナ対策で全ての扉を開け、風通し良くした本堂には参拝する人も少なくガラ~~ンとしている。 アジア近隣諸国の観光客が見えず静かな堂である。 欧米の美人がいないのはチョイト寂しい! 

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・・・・・・・・・・・・宝蔵門(仁王門)から仲見世を通し雷門まで見える! こんな景色はめったに見られない。

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・・・・・・・・・・・・今だ休業中の店もある仲見世。 裏側は一層寂しく見える。

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・・・・・・・・・・・・雷門の周りから人影が消えた! 只今、昼の2時。 一番観光客の多そうな時間帯なのだが?
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2020年7月27日 (月)

三島三兄弟!

昼から、チョイト用事で下谷方面に行き、その足で二社二寺に寄ってきた。 帰りは浅草に出て、大雨に遭遇。



● 台東区のコミニティバス(区内循環バス)で、浅草橋から下谷へ向かう。 大人100円は安く、運行本数も多く、便利で重宝している。、、、、これで、高齢者は半額にしてくれると、次期区長選挙で一票はかたいのだがね!

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● 根岸一丁目交差点から北東へ伸び三ノ輪交差点まで金杉通りを歩く。 この通りの東側に「下谷」、西側に「根岸」の町がある、金杉通りは“町の境”である。

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● 根岸一丁目交差点近くに、下谷七福神の大黒天を祀る、浄土宗寺院の紫雲山常倫院英信寺(下谷2)がある。 知恩院第三十二世霊巌上人を開山とし慶長年間(1596~)に現在地に草創。 当時は紫雲院と称し、草庵に近いものであったが明暦2年(1656)丹波國亀山城主松平若狭守康信公の子:英信公が23才で逝去し、遺骸を当寺墓地に葬る。 英信公の姉である松平市正公の奥方は、逝去を深く悲しみ嘆き英信公の木像を造り当寺に安置(現存)、開基とし寺号を英信寺と改める。、、、、現本堂は安永年間(1772~)に完成、その後数度の修理改修を施し、昭和48年大改修落慶した。 境内は小さく狭い。

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・・・・・・・・・・・・寺には弘法大師御真作と伝えられる三面大黒天が本堂左側の大黒堂に安置されている。 下谷七福神の一つ。 三面大黒天は、出世・開運・商売繁昌等の徳を授けてくれる御尊体で、中央の大黒天、右側に弁財天、左側に毘沙門天の三つの顔を持っ大黒さま。 一度で三倍ありがたい神様か?

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・・・・・・・・・・・・境内にある大灯籠二基は、上野寛永寺の通称お化灯籠を戦后整理の折に当寺に移置したものである。 八代将軍吉宗公(有徳院殿)が逝去の折、寛延4年(1751)奉献されたもの。 寛永寺の“お下がり”?

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● 英信寺の東側にある法華宗本門流寺院の法昌寺は、日照山と号す。 法昌寺は、日照(元禄3年(1690)寂)が開山となり慶安元年(1648)下谷御切手町付近に創建、元文2年(1737)当地へ移転したといいます。、、、、境内の一角に毘沙門堂があり、下谷七福神のひとつ毘沙門天が祀られている。

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● 法昌寺の北側(下谷2-13)に小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)がある。 小野篁(おののたかむら)を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る、最高のラインナップによる学問の神社。、、、、篁(802~853)は平安時代の歌人・学者で、小野妹子の子孫、小野小町と小野道風の祖父。 仁寿2年(852)、住民が上野照崎(現:上野公園)の地に小野篁を奉斎したのが起源である。 寛永年間(1624~43)には、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現在地に遷座した。、、、、現社殿は慶應2年(1866)の建築で、関東大震災、東京大空襲を免れた、運の強い神社。


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・・・・・・・・・・・・境内にある下谷坂本の富士塚は、入谷東講によって文政11年(1828)築造されたもので、高さ約5m、直径約16m、塚全体を富士の熔岩でおおっている。 塚の上の登山道に合目石を建て、一合目の岩屋に役行者像、五合目付近に富士講の祖と崇められる藤原角行(1646年没)の像をまつる石祠を置く。、、、、拝殿わきのチョイト薄暗いジメジメした処にある、ゲートは閉められ普段は登山禁止のようだ!、、、、この富士塚は昭和54年(1979)に国の重要有形民俗文化財の指定を受けた。

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・・・・・・・・・・・・境内の庚申塚には、数基の庚申塔が建ててあり、不動明王をはじめ幾つか石仏が安置されている。 力石も三つ並んで置かれている。、、、、日本三大庚申の一つとして、現在11基の塔が祀られており、最古のものは正保2年(1647)の作であり、青面金剛の塔は大阪四天王寺と同作の霊像と云われ、聖徳太子作(チョイト嘘っぽいね)と伝えられています。

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● 根岸の建物二棟、、、、まずは、古民家を改造してアートギャラリーとして利用している「そら塾」(根岸3-13) 昭和の時代までは、このような住宅があちらこちらにあった! 下町の懐かしい雰囲気が漂う建物。

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・・・・・・・・・・・・金杉通り沿いの「矢島写真館」、、、、写真館は大正7年(1918)に開業。 洋風の建物は、昭和5年(1930)ごろ板張りの外壁をスクラッチタイル張りに改装した。 しかし、玄関や内部は大正期のままで、1階を住居、2階をスタジオとして使っていた。 タイルと赤い屋根の組み合わせが可愛らしい写真館であったが、残念なことに写真館の営業は平成25年に閉じた。

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● 金杉通りを北へ、下谷3丁目に三島神社がある。 神社は、弘安の役で勇名を馳せた河野通有の発願により、彼の出身地に鎮座する三島神社を、弘安4年(1281)に勧請、創建したと言われている。 当社と、鶯谷駅前はラブホテル街のド真ん中にある元三島神社と、台東区寿の三島神社の三社は、元が一つの神社であり、由緒も共通している。 つまりは、兄弟神社である。、、、、河野通有は氏神である大山祇神社(三島大明神)に戦勝祈願をして九州に出征し戦功を上げた。 伊予に帰国した後、夢に大山祇神が現れ、「武蔵国に我を祀れ」というお告げがあり、そこで、上野の山内にある河野氏の館に奉斎したことに始まる。 慶安3年(1650)寛永寺の造営に伴って社地移転を命ぜられ、金杉村に遷座した。 さらに宝永7年(1710)社地が御用地とされたため、浅草小揚町(現在の寿)に遷座した。 これが寿の本社三島神社である。 しかし、氏子地域から遠いのは困るということで、根岸・金杉村の氏子一同が協議し、根岸の熊野神社に勧請・合祀したのが、根岸の元三島神社である。 さらにその後、金杉村字金杉町にも勧請したのが当社である。 こうして三社が誕生した。

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・・・・・・・・・・・・三島神社の北門の敷石に几号水準点がある。(赤〇印)

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● 三ノ輪交差点に出た。 これより浅草方面へ歩こうとしたら、雨粒が落ち始める。 濡れたくないので、雷門行きのバスに乗る。

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・・・・・・・・・・・・・・雷門はドシャ降り。 この雨で“コロナ”が流されくれることを願いながら、浅草橋(我が家)方面行きのバスに乗り継ぐ!

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2020年7月22日 (水)

表玄関は東口?西口?

今日は、午後から循環器内科の検診日。 JR水道橋駅と飯田橋駅の中間に位置するクリニックへ行ってきた。(もちろん、診察結果は異状なし)、、、、クリニックへ行く前に、新しいホーム・駅舎となった飯田橋駅をチョイト拝見。

 

JR中央緩行線の飯田橋駅は、昭和3年(1928)に市ヶ谷寄りにあった牛込駅と甲武鉄道時代のターミナル駅:飯田町を統合して現在地に誕生した。 統合時に設置されたホームは、曲線半径300mの急カーブで造られ、電車が停車すると、ドアとホームの隙間が最大約33cm、高低差が最大20cm生まれ、毎年10件前後の転落事故が発生したそうだ。(数年前、私の母(当時90歳)も降りる時に転んだ。ケガも無く、禍を転じて福と為したか、今でも健在で、私を悩ませている!) このため、JR東日本はホームを市ヶ谷寄りに200m程移動させ、直線に近いホームとする改良工事を平成26年(2014)に発表した。 その後、工事は進み、今年の7月12日より、改良されたホームに電車が発着し、市ヶ谷寄り(神楽坂側)の西口駅舎もオープンした。

・・・・・・・・・・・工事前の急カーブ部分(2016/6/12撮影)と、フェンスで両側を仕切られ連絡通路となった同カーブ部分(今日撮影)

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・・・・・・・・・・・千葉方面行き電車の最後尾車両が停車していた位置付近(ホームの先に西口に向かう斜路が見える)に、7月からは先頭車両が停車することとなった(斜路があった位置には、西口橋上駅舎に向かう階段が見える)。
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・・・・・・・・・・・・写真は今は無くなった、西口改札からホームに向かう懐かしの斜路(2016/6/12撮影)、、、、50年前、私の勤務先の最寄り駅は、ここ飯田橋であった。 毎朝、ホームから斜路を歩き上ると勤務地に到着した感がありチョッピリ緊張した。 帰りの下りは、開放感でホッとしたもの。

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・・・・・・・・・・・新旧の西口駅舎。 以前は平屋の可愛らしい駅舎、7月からブラックのシックな2階建て駅舎。 新旧とも、駅舎は早稲田通り(牛込橋)に面する橋上駅舎。

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・・・・・・・・・・・牛込橋からホームが市ヶ谷寄りに延伸された部分を撮影。 Before/After。

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・・・・・・・・・・・・延伸されたホームの市ヶ谷寄りから眺めると、ホームは多少カーブしているが、直線に近づいた!

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・・・・・・・・・・・目白通りに面し、これまでは飯田橋駅の表玄関であった東口は、可哀そうに、表玄関の座を西口に奪われたようだ。 東口にあった「みどりの窓口」は西口に移転。 東口の券売機には「新ホームまで約3分」の貼り紙。 哀れ、東口。(ちなみに、トイレも西口の方が綺麗で広い)

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