神田川

2015年1月16日 (金)

神田川(都橋~水門橋)

一昨年の12月、神田川の橋を最下流の柳橋から歩き始めたが、昨年の夏の暑さと入院により途中で中断した状態となっていた。 一昨日、隅田川の橋梁を制覇したことで、今日は神田川の橋を制覇すべく、残り12橋をめぐってきた。 9千歩、7㎞。

①久我山橋・・・・・・・・・神田川に架かる人が自由に通れる橋を下流から見てきたが、その127番目が、京王井の頭線久我山駅前に架かる久我山橋。 今日はここからスタートです。

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②都橋
・・・・・・・・・・・・128番目は都橋(みやこばし)。 両側の欄干には、なぜか緑のボロボロとなったシートが掛けられている。 橋名も透けて見える、存在感の薄い橋だ。 せっかく名づけられた、いい橋名だが、名前負けしているね! 

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・・・・・・・・・・・・・・・この辺りは、住宅街だが高層マンションは無く、低層の親しみやすい感じのマンションが多い。 でも、川筋を歩いていると、洗濯物が見えるのは好きになれないね!

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③宮下人道橋
・・・・・・・・・・昭和53年(1978)完成の人間様専用の橋。 犬もOK!

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④宮下橋
・・・・・・・・・久我山駅から350m程西に寄った地点に、昭和53年(1978)に完成した130番目の宮下橋がある。 その名のとおり、“宮”(久我山稲荷神社)の下に位置する橋だ。 

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・・・・・・・・・・・・・・橋の北側、小高い処に久我山稲荷神社がある。 創建年代は不詳だが、古くから久ヶ山村の鎮守さまであった。 “村の鎮守の神様”の雰囲気が残っている神社だ、湯立て神事の奉納も残っている神社。

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⑤緑橋
・・・・・・・・・これまたイージーな命名の緑橋(みどりばし)。 昭和54年(1979)完成。

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・・・・・・・・・・・・・・橋の左右は桜の名所? 太い幹の桜が川筋を覆っている神田川には多い光景だ。 花見の頃にまた来てみたいね!

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⑥みすぎ橋
・・・・・・・・・132番目の橋。 “みすぎ”って何? 答えは、、、、、右岸は三鷹市井の頭、左岸は杉並区久我山で、三鷹の“三”と杉並の“杉”で「みすぎ」と言うこと! 漢字で“三杉橋”と称すれば納得できるが、ひらがなで“みすぎ橋”とは解りにくいね。 これより上流は三鷹市でござる!
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⑦神田橋
・・・・・・・・・・・・・・昭和55年(1980)完成のこの橋の名もチョイとイラつくね! 神田川には、中野区、杉並区、三鷹市に、それぞれ「神田橋」が架かり3本ある。 本家・本元と思われる、千代田区神田近辺の神田川には「神田橋」はなく、千代田区は日本橋川に「神田橋」が架かっている。、、、、、“なんだかんだと 役所仕事の 神田橋 ややっこしくて 舌噛んだ”

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⑧三鷹台駅
・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)帝都電鉄の駅として開業。 近くには立教女学院があり、可愛い学生さんが下車する駅。 ウロチョロすると変態爺と思われるので、静かに、足早に、通過!

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・・・・・・・・・・・・・・駅の渋谷寄りに、井の頭線が神田川を越える橋梁が架かる。 新しそうなコンクリート橋である。 橋梁の端からは駅はスグだ。

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⑨丸山橋
・・・・・・・・・・・・134番目の橋は、三鷹台駅前踏切の北側に架かる橋。 昭和58年(1983)の竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台駅から350m程は、中央の遊歩道を挟み、右に神田川が流れ、左に井の頭線が走る。 いいね、欲を言うと神田川の護岸をもうチョイと低くして、川と親しみやい遊歩道だと、モンクないのだが!

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⑩あしはら橋
・・・・・・・・・・・昭和57年(1982)に竣工した「あしはら橋」。

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⑪神田上水橋
・・・・・・・・・上流側に井の頭公園の森を見る神田上水橋。 昭和58年(1983)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・神田上水橋から上流側は井の頭公園となる。

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⑫夕やけ橋
・・・・・・・・・・公園内のせせらぎに造られた橋だ。 ここでは、護岸がなくなり、自然に近い景観となっている。 

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⑬井の頭公園駅
・・・・・・・・・・公園内にある井の頭公園駅。 昭和8年(1933)に、帝都電鉄渋谷~井の頭公園間が開業した。 その後、昭和9年(1934)に、井の頭公園~吉祥寺間が延伸開業した。 約一年間は井の頭線の終点駅であった。 駅舎は平成18年(2006)に改装された。

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・・・・・・・・・・・・駅を出た井の頭線は、すぐに神田川を越え、吉祥寺に向かう。 そこに架かる橋梁。 鋼桁には昭和7年(1932)製作の表示が残されていた。

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⑭よしきり橋
・・・・・・・・・・・井の頭線の脇に架かる橋。 公園内の橋。

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⑮水門橋
・・・・・・・・・・・東京都が掲げている案内板によると、神田川の最上流端はこの水門橋である。 ここから上流側は、川ではなく井の頭公園の「井の頭池」と言うことになる。 これで私も、神田川で人が自由に行き来できる橋梁(139橋)すべてを制覇したことになる。 ご苦労様でした!

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・・・・・・・・・・・・・・・橋の横に建つ「水門橋」の碑

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・・・・・・・・・・・・・・水門橋から見る、井の頭池の水門。

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⑯ひょうたん橋
・・・・・・・・・・オイ、チョイトまて! 水門の直前に橋があるぞ! どうやら、この橋は池の橋として扱われ、神田川に架かる橋ではないようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・公園の散策は、暖かくなったらゆっくり夫婦で来ることとしよう。 今日はここまで!

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●神田川の全橋梁は、隅田川寄りの最下流から13回の散歩に分けて踏破しました。・・・・・・・・・・ブログ『雅万歩』のカテゴリーから「神田川」を選択すれば、すべてを見ることができます。

2014年6月21日 (土)

神田川(佃橋~久我山橋)

あ神田川を遡り、今日は京王井の頭線高井戸駅前の佃橋から久我山駅前の久我山橋まで、11橋を歩いてきた。 1万歩、8km。


①佃橋
・・・・・・・・・・・前回の神田川橋歩きの最後の橋、最下流の柳橋からは117番目の橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・高井戸駅・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)、帝都電鉄の駅として築堤上に開業した。 現在は、環八通り上にある島式ホーム1面2線有する高架駅。

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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺側のホーム端部から見ると、渋谷方面行の線路は築堤上に残り、吉祥寺方面行の線路は高架となっている。

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②あずま橋
・・・・・・・・・・118番目は、高井戸駅の裏手、佃橋からは50m程上流で、川筋に斜めに架かる橋。 昭和51年(1976)完成。

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・・・・・・・・・・・・・・この辺りの神田川は、川底まで見える清流となり、鯉が泳いでいる。

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③やなぎ橋
・・・・・・・・・・・・・・神田川最下流の柳橋中野新橋駅近くの柳橋、そして最後は仮名表記の「やなぎ橋」。

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・・・・・・・・・・・・・・日本基督教団高井戸教会・・・・・・・・・・明治22年(1889)、現在の新宿駅西口付近で伝導を開始し、角筈教会として発展してきた。 戦災で被災したため、戦後は昭和36年(1961)に、現在地に聖堂を建て移転した。 ここの、パイプオルガン(昭和53年(1978)奉献)は、日本のプロテスタント教会のオルガンとしては、代表的なものらしい。 聴いてみたい、見てみたい、、、、、扉は閉じられていた、残念!

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④錦橋
・・・・・・・・・・・・都営住宅:高井戸西一丁目アパートに付近の架けられた歩行者専用橋。  昭和51年(1976)完成。

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⑤むつみ橋
・・・・・・・・・・こちらも、神田川には同名の橋が3橋ある。 方南町駅近くの学校専用橋「睦橋」、下高井戸の「むつみ橋」、そして、ここの「むつみ橋」。 この橋は車道橋らしいが、車は通れず、歩道部分はぺんぺん草が茂り、中途半端な橋だ。

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⑥浴風会
・・・・・・・・・・・むつみ橋の南に広がる浴風園は、震災後、扶養者のいない罹災老人を保護する目的で立てられた施設で、現在は老人医療・介護などの総合施設となっている。 外周を一周歩いてみたが、2万7千坪の広い敷地にはビックリ、入り口だけで6~7箇所、建物の数は多くて数えられない! 構内には、平成になり建てられた、複数の老人ホームと病院、研究施設などの新しい施設がある。 その中で、歴史を語る施設として本館と礼拝堂が保存されている。

・・・・・・・・・・・・・・浴風会本館・・・・・・・大正15年(1926)に内田祥三と土岐達人により設計された。 中央に塔を配し、両翼を広げたプランの建物。 内田祥三は東大の建物を多く手掛けている。

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・・・・・・・・・・・・・・本館裏の中庭に建つ礼拝堂。 設計者は不詳、昭和2年(1927)の竣工。 本館を意識したデザインと思われるが?

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⑦あかね橋
・・・・・・・・・・・・・・122番目の橋。 人、車が分離された橋の幅は、川幅より広いようだ。

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⑧高砂橋
・・・・・・・・・・・チョイト変わった平面形状は、車をスムーズに通行させる工夫か? 面白い形の橋だ! 昭和51年(1976)完成。

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⑨月見橋
・・・・・・・・井の頭線富士見ヶ丘駅前の通りに架かる橋。 昭和49年(1974)完成。 橋名の“月見”の由来は解らない。 区役所の担当者が近くの蕎麦屋で“月見そば”を食べながら思いついた名前かも?

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・・・・・・・・・・・・・・富士見ヶ丘駅・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に開業した、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。

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⑩京王電鉄専用橋
・・・・・・・・・・・・神田川に架かり、井の頭線富士見ヶ丘検車区へ向かう京王電鉄の専用橋。 専用橋だが、一般の人も自由に通行できるので、125番目の橋としてカウントすることにした。 (ちなみに、隅田川からここまでは21.7km) 

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・・・・・・・・・・・・・専用橋を渡り、検車区の門の前を左に曲がると、神田川もホンノチョイト渓谷の雰囲気が出てきた。 川の水も綺麗で、ホタルも飛んでいるそうだ! 久我山は、東京のホタルの名所となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・・検車区はフェンスが邪魔で、覗きにくいね!

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⑪清水橋・
・・・・・・・・・・検車区の西端付近に架かる橋。

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⑫久我山橋
・・・・・・・・・・久我山駅前に架かり、「人見街道」を通す橋。 127番目の橋。

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・・・・・・・・・・・・・久我山駅・・・・・・・・・・・昭和8年(1933)に開業した、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、駅舎は橋上である。

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・・・・・・・・・・・・・・・昭和30年代前半の久我山駅

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●・・・・・・・・今日は、127番目の久我山橋で散歩は終わり。 残りは12橋、次回、乞うご期待!

2014年6月13日 (金)

神田川(永福橋~佃橋)

2ヶ月ぶりに神田川の散歩です。 最下流(隅田川寄り)に架かる柳橋から数えて、100番目の永福橋(杉並区)までは、前回(4月9日)までに歩き、今日は続きです。 100番目の「永福橋」から、117番目の「佃橋」まで。 1万歩、8km。

永福橋・・・・・・・・・・・・前回はここまで、今日はここから。 永福橋は、下流側から100番目の橋。 この辺りは川幅も狭くなり、川沿いの遊歩道は散策にちょうど良いね!

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸駅・・・・・・・・・永福橋に近い京王線、東急世田谷線の駅。 大正2年(1913)、京王電気軌道の下高井戸駅として開業した。 東急世田谷線は、大正14年(1925)に開業。 両線とも、地上駅で隣接しており、さらに軌間は同じ1,372mmである。 戦時中は、線路がつながって物資輸送に直通運転がされたそうだ。 もし今もつながっていたら、“三軒茶屋発高尾山口行”が運転されているかも?

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・・・・・・・・・・・・・・柏木精米店・・・・・・・・・・・・下高井戸駅前の市場を抜けた先、甲州街道の手前にある、りっぱな造りの米屋さん。 店先のガラス戸、2階の雨戸、綺麗に並びいいね!

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸橋・・・・・・・・・・・甲州街道のきわを流れていた玉川上水に架かる橋。 現在は暗渠化され、川は遊歩道にと化した。 昭和2年(1927)完成のコンクリート橋。 橋の前後にある、コンクリート製の柱に鉄パイプを通した柵が素朴な味を出し、いいね!

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②かんな橋
・・・・・・・・・・・・・101番目は、かんな橋。 “かんな”とは、植物のカンナのことらしい。 橋が多いと役所も命名に困り、無難なところで植物の名を橋名にするのだろう。 橋名のプレートが古くなったのか、字が読みず楽なってきたので、チョイト取り替えてほしいね!

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③神田橋
・・・・・・・・・・・・・またまた出ました! 神田川に架かる神田橋。 神田川には神田橋が3橋ある下流側から、中野区南台の神田橋、当地の神田橋、さらに上流の神田橋である。 本橋は昭和47年(1972)完成したが、その後交通量も増え左右に人道橋が増設された。

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・・・・・・・・・・・・・・川沿いを歩いていると、ジャスミンのような香りが、、、、、、一瞬、すれ違った女性の香水かな? 正体は道沿いに咲いていたクチナシだ!

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④幸福橋
・・・・・・・・・・・・103番目は、イージーなネーミングの幸福橋。 かんな橋と同じような構造の橋で、同時期に架けられたようだ。

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⑤向陽橋
・・・・・・・・・・・・昭和46年(1971)完成の向陽(こうよう)橋。 この辺りの自治会は向陽町友会と称している、近くには向陽中学校もある、“向陽”の由緒は?、、、、、解りません!

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⑥弥生橋
・・・・・・・・・・・・またまた花に関連した橋名だ! かんな橋と同じ構造の単純桁橋。

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⑦むつみ橋
・・・・・・・・・・・“仲良し”のイメージで“むつみ”橋、どうでもいいや! 橋の正面には、瀟洒なプロテスタントの「永福南キリスト教会」がある。

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⑧八幡橋
・・・・・・・・・・・・浜田山1丁目と下高井戸3・4丁目を結ぶ橋で、現橋は昭和48年(1973)に架けられた。 近くには「下高井戸八幡神社」があり、橋名はここに由来する。

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・・・・・・・・・・・・・・下高井戸八幡神社・・・・・・・・・・・・太田道灌が江戸城を築く際、鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して長禄元年(1457)に創建した。 下高井戸宿の鎮守さま。 森の中にある、落ち着いた鎮守さま。

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⑨藤和橋
・・・・・・・・・・・・・・・この橋も、昭和48年(1973)に架けられた。 橋の欄干は「藤」をイメージして、よじれた枝が波打つデザインとなっている。 なぜ“藤”なのか?、、、、、私には、解らない!

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⑩梢橋
・・・・・・・・・・・・・・・・梢(こずえ)橋とは、コレマタ、名の由来が不明だ! 昭和50年(1975)頃の架橋。 親柱は何をデザインしたのか?・・・・・・・・以前、横浜のキャバレーに『こずえ』ちゃんがいたね!(関係ないけど思い出した) 

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⑪鎌倉橋
・・・・・・・・・・・・110番目は、鎌倉街道に架かる鎌倉橋。 大正3年(1914)頃の鎌倉橋は長さ3間、幅1間程の木橋であった。 その後架け替えられ、さらに昭和50年(1975)に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・・・鎌倉橋の西側には塚山公園があり、園内に縄文時代の塚山遺跡がある。 竪穴住居が復元され、内部には人形もいた! 人形の肌は色白で、すべすべお肌、顔つきは現代風、髪は床屋で調髪済み、衣装は腰に巻いた毛皮だけ、チョイト時代考証が不足しているかもね!

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⑫塚山橋
・・・・・・・・・・・・・・塚山公園の下に架かる、石造りで重厚な感じの、歴史のありそうな橋。 完成時期不明? レトロで、ロマンチックで、、、、いいね!

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・・・・・・・・・・・・・・・川幅も狭く、両側には緑が、、、、、、

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⑬堂ノ下橋
・・・・・・・・・・・昭和49年(1974)完成の堂ノ下橋。 「堂ノ下」は、かっての字名で、橋の北側の高台に「堂ノ上」の字名があった。

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⑭乙女橋
・・・・・・・・・・・・・乙女橋の左岸一帯は、かつて徳川御三卿(田安、清水、一橋)の鷹場であった。 将軍が定めた場所で「お留め場」と呼ばれ、つまり立ち入り禁止地区であった。 橋は当時、「お留橋」と呼ばれていたが、慶應3年(1868)に鷹狩が廃止となり、橋の呼称も音を合わせ「乙女橋」となった。 現在の乙女橋は薄いピンクに塗られ、チョイト艶っぽい橋だが、昭和49年(1974)の完成だから、“姥桜”の橋かもね!

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・・・・・・・・・・・・・昭和初期の乙女橋付近

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⑮池袋橋
・・・・・・・・・・・・ここは杉並区高井戸東である、豊島区池袋との関わりは?、、、、無関係で、「池袋」とは川が蛇行し袋状になった地形を指すそうだ。 つまり、神田川が蛇行し水が溜まって処だ! 解りやすい解説、納得! 橋は昭和50年(1975)完成。

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⑯正用下橋
・・・・・・・・・・・江戸時代の字名「正用下(しょうようしも)」からつけられた名前らしい。 こちらの橋も昭和50年(1975)完成。 橋の先には京王井の頭線が走る。

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・・・・・・・・・・・・・・杉並清掃工場の解体・・・・・・・・・・・・神田川、京王井の頭線の脇に、巨大な煙突と鉄骨の大屋根が見える。 これは清掃工場の建替え工事で、大屋根の中で既存の建物を壊していたのだ。 ほぼ、建物の取り壊しは終わったようだ。 完成は平成29年(2017)を予定。
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⑰高井戸橋
・・・・・・・・・・・・・高井戸駅に近い、人車専用橋。 昭和53年(1978)完成。

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⑱佃橋
・・・・・・・・・・・117番目は、今日の最後で、高井戸駅前に架かる、昭和48年(1973)完成の佃橋。

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2014年4月 9日 (水)

神田川(たつみ橋~永福橋)

神田川の最下流に架かる柳橋(台東区と中央区を結ぶ)から数えて、83番目の向田橋(中野区)までは、前回(3月12日)の散歩により制覇し、今日から杉並区に入る。 今日は、84番目の「たつみ橋」から、100番目の「永福橋」まで歩いてきた。 1万1千歩、8km。

①方南町駅・・・・・・・・・・・・・東京メトロ丸ノ内線支線の終着駅。 3両編成の列車が停まる頭端式ホーム1面2線。 出入口はホーム西端の環七通りと方南通りとの交差地点に1か所、ホーム東端の方南通り沿いに1か所、共に狭い計2ケ所である。・・・・・・・・・丸ノ内線支線の中野富士見町駅から方南町までの延伸は昭和37年(1962)に行われた。・・・・・・・・・・・・ホームは6両編成が停車できるように、出入口はバリアフリー化に、それぞれ改良計画があるようだ、乞うご期待!

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②たつみ橋・・・・・・・・・・下流から84番目の「たつみ橋」。 現橋は昭和62年(1987)の完成。 “たつみ”の謂れは知りません!

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③上水橋・・・・・・・・・・たつみ橋の上流50m程の処に架かる上水橋(じょうすいばし)。

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④方南橋・・・・・・・・・・・・・・環七通りが上を通る橋で、昭和39年(1964)の完成。

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・・・・・・・・・・・・・神田川・環状七号線地下調節池・・・・・・・・・・・方南橋の際にある円形の建物は、環状七号線の地下約40mに造られた直径12.5m、長さ4.5kmの巨大な池の取水口である。 神田川が氾濫することを防ぐため、大雨の時はここから地下調節池に雨水を流し、一時的に貯水する施設。 大きな取水口が隣りの緑地の下で口を開けている。 平成9年(1997)の完成。

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⑤方南第一橋・・・・・・・・・・・“第一”があって、“第二”、“第三”と続かない、「方南第一橋」。 いつの日か“第二”ができるのかな?

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・・・・・・・・・・・・・・この付近、護岸も整備され、所々には緑地もあり、年寄りの休憩所だ! 川の水も澄んで川底まで良く見える、何年か前の神田川は消えたようだ!

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⑥弁天橋・・・・・・・・・・・・杉並区和泉4丁目のほぼ中央に位置する、平成21年(2009)に架け替えられた弁天橋。 橋名の由来となった弁天様は、橋の南300m程行った高校の裏手に祀られているそうだ。

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⑦和泉橋・・・・・・・・・・・昭和53年(1978)に架けられ、平成22年(2010)に架け替えられた「和泉橋(いずみばし)」。 

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⑧一本橋・・・・・・・・・・・90番目の橋は「一本橋」。 旧橋は昭和41年(1966)に完成したが、平成24年(2012)に現在の橋に架け替えられた。 きっと、大昔はホントに丸太の一本橋だったのかも?

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⑨番屋橋・・・・・・・・・・・和泉2丁目と和泉4丁目の境に架かる、昭和42年(1967)に完成したコンクリート造の「番屋橋(ばんやばし)」。 そろそろ架け替え時期かも?

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⑩中井橋・・・・・・・・・・・・平成24年(2012)に架け替えられた「中井橋」。

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⑪宮前橋・・・・・・・・・・・名前のとおり、宮前橋は和泉熊野神社の前にある。 

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・・・・・・・・・・・・・和泉熊野神社・・・・・・・・・・杉並区和泉にある熊野神社で、創建は文永4年(1267)、和泉村の鎮守様である。 鎮守の森の面影が残る境内は、癒しの空間である。 隣りの幼稚園児のお母さんの話し声が、ベラベラ、ペラペラ聞こえ、チョイト、五月蠅いのが玉に傷!

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・・・・・・・・・・・・・和泉貴船神社・・・・・・・・・・和泉熊野神社の200m程北にある貴船神社。鳥居と小さな社が在るだけだが、境内に小さな池があり地名“和泉”の由来となっている。

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・・・・・・・・・・・・・龍光寺・・・・・・・・・・熊野神社、貴船神社の別当であった龍光寺が、熊野神社の隣りにある。 真言宗室生寺派の龍光寺は、承安2年(1172)の開創。・・・・・・・・・散り始めた枝垂れ桜が興を添えてくれる美しい寺だ!

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⑫栄泉橋・・・・・・・・・・・・龍光寺の前に架かる「栄泉橋(えいせんばし)」。 木製の欄干の橋だ!

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⑬神泉橋・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に完成した、井の頭通りを渡す橋。 橋の近くに京王井の頭線が走っているが、井の頭線の神泉駅は5kmぐらい先の渋谷の隣りだ、関係あるのか、無いのか?

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・・・・・・・・・・・・・神泉橋から見る、上流の蔵下橋と井の頭線。もちろん、下を流れるのは神田川。

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⑭蔵下橋・・・・・・・・・・昭和42年(1967)完成の橋。 農道に架かる橋のようだ!

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⑮明風橋・・・・・・・・・・・・・井の頭線を越え杉並区永福に入ると、竹林など緑の多い静かな住宅地となる。 「明風橋(みょうふうばし)」は、昭和44年(1969)に完成した。

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⑯永高橋・・・・・・・・・・・・旧都立永福高校の前に架かる橋で、「永福高校」を縮めた「永高」が名の由来となっているそうだ。 橋は高校の設立に合わせて架けられたそうだ。 ところで、永福高校は平成16年(2004)に閉校し、跡は永福学園養護学校となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・・上流側

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⑰ひまわり橋・・・・・・・・・昭和46年(1971)に架けられた歩行者専用橋。 北側に永福小学校があり、名前は児童向けに命名されたのかも?

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⑱永福橋・・・・・・・・・・・・本日の最後で、下流側から100番目の橋は「永福橋」。 昭和43年(1968)完成。 橋名、地名の「永福」は、北側の永福寺に由来するそうだ。

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2014年3月12日 (水)

神田川(千代田橋~向田橋)

神田川を下流から遡り、今日で9日目となる。 地下鉄丸ノ内線の中野新橋駅から方南町駅まで、8千歩、6kmの散歩です。

①千代田橋・・・・・・・・・・前回は最下流の柳橋から数えて74番目の千代田橋で終了した。 今日はこの橋から上流へ歩くことにした。・・・・・・・・・昭和56年(1981)完成。

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②本郷氷川神社・・・・・・・・・千代田橋の下流に現在架け替え中の氷川橋、その名の由来となった本郷氷川神社が北側の高台(中野区本町4)に在る。・・・・・・・・・神社は、文明元年(1469)太田道潅が江戸城築城にあたり、その鎮護のため大宮氷川神社より勧請した。江戸時代には当地:旧本郷村の鎮守であった。祭神は須佐之男命。・・・・・・・・・昭和20年(1945)には戦災により社殿が焼失、現在の社殿は昭和30年(1955)の再建である。

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③柳橋・・・・・・・・・・・・一つの川に、同名の橋が複数あった。 我が家に近い、神田川の最下流に架かる柳橋芸者の艶っぽい「柳橋」。 ここの柳橋は柳の木もなく、芸者にも縁のない、チョイト汚れた「柳橋」。 さらに上流に、まだ私が訪れていない、ひらがな表記の「やなぎ橋」がある。・・・・・・・・・昭和53年(1978)完成。

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④本郷橋・・・・・・・・・・・橋名の“本郷”とは、一帯の旧町名。 100m程の間隔で橋が架けられると、命名に苦労し、♪♪昔の地名で出ています~~♪♪。・・・・・・・・昭和54年(1979)完成。 ジュディ・オングの「魅せられて」がヒットした年だ! この付近の橋は昭和50年代に架けられたものが多い。 

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⑤壽橋・・・・・・・・・・・・橋上はJR中野駅に向にかう中野通りが走っている。近くの交差点は「寿橋」交差点だが、橋名は「壽橋」。 橋名の由来は?、、、『何でもいいけど、めでたい名前にしておけ!』と区長が言ったのかも?・・・・・・・・主要道路の橋なので完成は古く、昭和12年(1937)竣工のプレートガーダ橋。

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・・・・・・・・・・・・・・橋上から本郷橋方向をパチリ! 川底が見えるような神田川。

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⑥高砂橋・・・・・・・・・78番目の橋は、コレマタ!めでたい「高砂橋」。 プレートガーダの桁に、低いコンクリート製の欄干、さらに鉄骨でかさ上げした欄干、いかにも古そうなこの橋は昭和7年(1932)の完成。 

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⑦富士見橋・・・・・・・・・・・・・橋名も、“壽”、“高砂”、“富士見”と続けば、結婚式披露宴のテーブル名だ。 めでたい、めでたい! 橋は地下鉄の中野富士見町駅近くに架かっている。・・・・・・・・現在の富士見橋は昭和50年(1975)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・・富士見橋から上流側をパチリ!

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・・・・・・・・・・・・・中野富士見町駅

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⑧立正佼成会の建物・・・・・・・・・・中野富士見町駅の周辺には、昭和13年(1938)に設立された宗教法人立正佼成会の発祥地で、関連する建物が多い中で一部を拝見。

・・・・・・・・・・・・・・・杉並区和田の発祥の地には、立正佼成会の設立者:庭野開祖と長沼脇祖の銅像と共に発祥の地記念碑が建てられています。

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・・・・・・・・・・・・・・発祥の地に建つ妙佼殿・・・・・・・・・昭和15年(1940)から昭和26年(1951)まで、長沼脇祖が暮らしていた建物で、主に幹部育成の場として使われた。

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・・・・・・・・・・・・・昭和24年(1949)に建てられた修養道場

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・・・・・・・・・・・・・・仏教の精神を基盤とした教育施設「行学園」。戦後の建物と思われるが、昭和の味が出ている。

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・・・・・・・・・・・・佼成病院・・・・・・・・・・昭和27年(1952)、立正佼成会により設立した病院。 昭和34年(1959)に現在の建物が建ち、総合病院としての機能も充実している。・・・・・・・・・私は、チョイト、小用で厠を拝借!

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⑨和田見橋・・・・・・・・・・・・この橋が架かる位置は、杉並区和田と中野区富士見(旧町名)の区界で、両方の顔を立てて、「和田見橋」。 竣工時期不詳?・・・・・・・・・橋の上流250m程の地点で神田川と善福寺川は合流している。

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⑩東京地下鉄中野車両基地・・・・・・・・・・・・丸ノ内線と銀座線の車両基地で、昭和36年(1961)、180両の留置能力を有する基地として発足した。 

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⑪栄橋・・・・・・・・・・81番目の橋は、「方南(ほうなん)通り」を渡す橋。昭和30年(1955)の完成。・・・・・・・・・「栄橋」は下流の新宿「淀橋」の隣りに架かる橋が同名の栄橋だ。 神田川には同名の橋が多いね。

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⑫睦橋・・・・・・・・・・この橋は上流側の「角田橋」と下流側の「栄橋」の間に架かり、「都立中野養護学校」の門に突き当たる。 つまり養護学校の専用橋である。・・・・・・・・・専用橋なので、橋の数にカウントしないことにした。

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⑬角田橋・・・・・・・・・82番目の「角田橋(つのだばし)」は、昭和31年(1956)の竣工。・・・・・・・・栄橋から上流の向田橋までは、ほぼ100m間隔で橋が架かり、多すぎる!

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⑭神田橋・・・・・・・・・・・神田川に架かる「神田橋」、わかりやすね、即ナットク! 昭和35年(1960)竣工。

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⑮向田橋・・・・・・・・・・83番目の「向田橋」が、中野区を流れる神田川に架かる最後の橋だ。 この橋の上流は杉並区となる。 昭和34年(1959)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・・・川幅はだいぶ狭くなり、杉並区側へ遡る。

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⑯方南町駅・・・・・・・・・・・・昭和37年(1962)、荻窪線(現:丸ノ内線)の支線の終点駅として開業した。 頭端式ホーム1面2線の地下駅。

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩の終点。

2014年2月17日 (月)

神田川(淀橋~千代田橋)

中野坂上駅から淀橋へ、淀橋からは神田川に沿って千代田橋(中野新橋駅)へ、そこから北上し中野駅まで、1万2千歩、9kmの散歩です。

①淀橋・・・・・・・・・・前回の神田川橋めぐりの終点。 隅田川に最も近い最下流の柳橋から数えて59番目の橋。

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・・・・・・・・・・・・・橋の上を通るのは青梅街道

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・・・・・・・・・・・・・中本一稲荷神社・・・・・・・・・・青梅街道から急な石段を15段くらい登ると、チョイトした高台に神社はある。 創建時代は不明だが、300年の歴史ある神社らしい、ほんとかな~~。 社殿は昭和31年(1956)の再建。 神社の名「中本一(なかほんいち)」は、当神社のある旧地名が「中野本町通り一丁目」であった。 なんだ~~つまらない!

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②豊水橋・・・・・・・・・・・初めて橋が架けられたのは戦前のようだ。 現在の橋は平成11年(1999)に完成した。

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・・・・・・・・・・・・橋から東方の「十二社通り(じゅうにそうどおり)」に向け、「けやき橋商店街」が在った。 今は商店街の街路灯だけが残り、道の両側は西新宿5丁目再開発の工事用仮囲いで覆われている。

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●・・・・・・・・・・・・・神田川の上流は、豊水橋からほぼ100m間隔で橋が架けられ、橋の上から次の橋が間近に見える。 このあたりでは川から離れてブラブラすると、見落とす橋が出てきそうなので、一気に中野新橋まで歩くことにした。 豊水橋から相生橋を見る。

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③相生橋・・・・・・・・・・・現在の橋は平成11年(1999)の完成。 相生橋(あいおいばし)は下流から61番目の橋。

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④菖蒲橋・・・・・・・・・・・・62番目は菖蒲橋(あやめばし)。 この橋も、平成11年(1999)の完成。・・・・・・・・・小滝橋から菖蒲橋までの神田川は、中野区と新宿区の区界となっている。 菖蒲橋から上流はしばらく中野区内を流れることになる。

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⑤宝橋・・・・・・・・・・室町時代の商人:鈴木九郎は、神田川が流れる現在の中野坂上から西新宿一帯を開発し財を成した。 その中野長者も喜びそうな橋名だ! この橋も、平成11年(1999)に完成した。

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⑥長者橋・・・・・・・・・・・山手通りを通す橋。 この橋の北側に成願寺という寺があり、中野長者(鈴木九郎)の住居跡とされている。・・・・・・・・・現橋は平成15年(2003)前後の完成。おそらく山手通りの整備と並行して完成したようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・山手通り・・・・・・・・道路中央に長く建つ、首都高中央環状線の換気塔がシンボリックだ!

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⑦東郷橋・・・・・・・・・・65番目は、平成12年(2000)に完成した東郷橋(とうごうばし)。

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⑧桔梗橋・・・・・・・・・・66番目は、同じく平成12年(2000)完成の桔梗橋(ききょうばし)。

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⑨皐月橋・・・・・・・・・・67番目は、これまた平成12年(2000)完成の皐月橋(さつきばし)。・・・・・・・・・・・橋の袂には富士山型した鉄筋コンクリート造の神社らしからぬ神社が在った!

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⑩中ノ橋・・・・・・・・・・・68番目は、またまた平成12年(2000)完成の中ノ橋(なかのはし)。

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⑪月見橋・・・・・・・・・69番目は、まだ続く平成12年(2000)完成の月見橋(つきみばし)。・・・・・・・・・・・完成時期が同じとは、、、、、護岸工事に合わせすべての橋を架けかえているようだね。

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・・・・・・・・・・・・・・・月見橋から見る新宿超高層ビル

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⑫花見橋・・・・・・・・・70番目は、まだある平成12年(2000)完成の月見橋(つきみばし)。 なんだか、橋名もいい加減に付けたような気がして来たね!

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⑬桜橋・・・・・・・・・・・・・71番目は、この橋も平成12年(2000)完成。 川岸は花見するような桜が見渡らない桜橋(さくらばし)。・・・・・・・・・橋が多く、命名に苦労しているのかも? 

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⑭新橋・・・・・・・・・・・72番目は、平成23年(2011)に完成し、架け替えられた新橋。 この付近は昭和60年頃までは花街だったそうだ(知らなかった!)、朱塗りの欄干が風情を残している。 後日、花街の面影を求めてこの付近を探索することにしよう!・・・・・・・・・・橋の袂の公園には、旧橋の擬宝珠(ぎぼし)が残されていた。・・・・・・・・・橋の近くには地下鉄丸ノ内線の中野新橋駅が在る。

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・・・・・・・・・・・・・・・中野新橋駅は只今改良工事中! これまでの男女兼用便所は無くなり、別々になるようだ。 まだ、あったの、兼用便所、これは驚き!

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⑮氷川橋・・・・・・・・・・只今、架け替え工事中。 合わせて護岸工事中。 総工事費5億8千万円也。・・・・・・・・・神田川の下流側から護岸工事と橋の架け替えを行い、現在、氷川橋付近を工事中ということだ! これで、平成の橋がまた一つ増えるね!

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⑯千代田橋・・・・・・・・・・74番目の橋は千代田橋(ちよだばし)。 昭和56年(1981)に完成した橋。 やっと、昭和に架けられた橋に逢えた、本日の散歩で最も古い橋だ、感動したね。

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・・・・・・・・・・・・・・千代田橋から見る上流側。 護岸が古い造りだ! 氷川橋の次は千代田橋が工事対象となると、私は読んだ! 

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・今日は千代田橋まで、16橋を制覇。 残り66橋、まだまだ神田川の橋めぐりは続く、、、、、、いつ終わることやら。

2014年2月 3日 (月)

神田川(大東橋~淀橋)

JR東中野駅近くの大東橋から、メトロ中野坂上駅近くの淀橋まで、神田川を遡ってきた。 1万1千歩、8km。

①東中野駅・・・・・・・・・・・・明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅(かしわぎえき)として開業する。 同年10月1日には、国有化され官鉄となる。 開業時の駅は現:東口のみで、西口は無かった。 大正6年(1917)、柏木駅は東中野駅と改称する。 昭和3年(2928)、西口が開設される。・・・・・・・・・現在は山手通りに面する西口の方が立派で、都営地下鉄大江戸線の乗り換え口でもある。 東口は“裏口”になったかも?

・・・・・・・・・・・・・・西口・・・・・・・・・・・・・平成26年度の共用開始を予定し、ただいま駅前の整備中。

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・・・・・・・・・・・・・東口・・・・・・・・・・輸送量の増加、車両の長編成化に対応して、昭和2年(1927)に現在地に昭和の新駅舎が完成した。 写真は順に、昭和2年、昭和29年、現在、の東口である。 (古い写真は西口工事現場の仮囲いに掲示されていたもの)

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・・・・・・・・・・・・・昭和2年当時のホーム上屋は、古レールで組まれている。

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・・・・・・・・・・・・・・東口の交番前では、列車の運転本数が増え“あかずの踏切”であった「桐ケ谷踏切」が昭和37年(1962)廃止された。 写真の正面が踏切跡。 

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・・・・・・・・・・・・・踏切の反対側から見ると、ホームが踏切の位置まで伸び、踏切の復活は完全に無理だ!

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②リアル!・・・・・・・・・・・ユニゾンスクエア(旧:日本閣)前のカラオケスナック「富士の里」には、ミニスカで熱唱する等身大(?)のシルバーの像がある。 この像はスナックのママがモデルといわれている。 私はママに会ったことはないが、そっくりなの? 結構、リアルな作りだ。

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③大東橋・・・・・・・・前回、最後に渡った52番目の橋。 今日はこの橋から上流に向かうことに!

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④JR神田川橋梁・・・・・・・・中央線緩行線・急行線の上下4本が神田川を越える。 フジタ工業の施工で、PC桁により昭和61年(1986)架け替えられた。 

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⑤万亀橋・・・・・・・・・・この万亀橋(まんきばし)と下流の亀齢橋(きれいばし)、ともに「亀は万年」にあやかり、長寿を願ってつけられた名前のようだ。 ちなみに、“鶴”の字がつく橋は神田川にはないようだ! 現橋は平成元年(2012)に完成。

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⑥新開橋・・・・・・・・・・・最下流の柳橋から54番目は新開橋(しんかいばし)。 橋名の由来は? 

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・・・・・・・・・・・・・橋上から下流を眺めると、北の方角にJR神田川橋梁を遠望して、桜の木が続く。 早く咲け、桜!

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⑦第六天神社・・・・・・・・・・・・神田川は、西側の中野区と東側の新宿区の区境を流れている。 西側(中野区)の奥まって裏道に神社はある。 神社は元々、中野区内の旧家:秋元家が奉納した屋敷神であった。 江戸時代、田畑の隅に祀った天神様を、近所の小作人が参拝するようになり、明治時代に共同祭祀することになった。・・・・・・・小さな一間の社殿が在るのみ。 鳥居脇の石碑には、由緒書きがあり、、、、神社は、我が家の近く(台東区蔵前)の第六天神宮(榊神社)の分霊を祀ったそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・参拝しようと思ったら、先着のホームレスが、暖かな陽の射す社殿の前でお昼寝中。 起こしたらわるいので、鳥居の下で頭を下げてパス!

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⑧柏橋・・・・・・・・・新宿区側は現在「北新宿」という味気ない名前であるが、以前は「柏木」と称していた。 その柏木地区の橋で「柏橋」。 解りやすい、納得! 現在の橋は平成2年(1990)に完成した。・・・・・・・・・この橋から隅田川までは11Km、井の頭公園の水源までは13.6km、まだ半分に満たない。

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・・・・・・・・・・・・・・・橋の近くに梅が、、、、、ここでチョイト、歩きながら唄うは、、、、、♪♪ 梅は咲いたか桜はまだかいな 柳やなよなよ風しだい 山吹や浮気で色ばっかりしょんがいな ♪♪

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⑨末広橋・・・・・・・・・大久保通りが神田川越える処に架かる末広橋。 現在の橋は平成3年(1991)に完成した。 橋の下で、暗渠化された桃園川(ももぞのがわ)が神田川に合流している。

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・・・・・・・・・・・・・・末広橋から上流を眺めると、今日は霧(靄?)で霞んで副都心の超高層ビルが見える。 この右側が中野区で、橋の袂に「神田川」の歌碑がある。、、、、、ここでも、南こうせつが驚くほどの音痴が歌う、一節、、、、、♪♪ 貴方は もう忘れたかしら 赤い手拭 マフラーにして 二人で行った 横丁の風呂屋 一緒に出ようねって 言ったのに いつも私が 待たされた 洗い髪が芯まで 冷えて 小さな石鹸 カタカタ鳴った 貴方は私の 身体を抱いて 冷たいねって 言ったのよ 若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった ♪♪

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⑩伏見橋・・・・・・・・・・初めて架橋された年代は不詳、現橋は平成5年(1993)に完成した。 橋名は、明治時代後半、この神田川の西側の地に皇族:伏見宮家の広大な邸宅があったことにちなんでいるそうだ。

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⑪北新宿の裏道・・・・・・・・・・・・北新宿は、JR大久保駅の西側、中央線の南側、神田川の東側、地下鉄丸ノ内線西新宿駅の北側、一帯である。 古くからの小さな商店、工場、住宅が密集しているが、最近はマンション化などで大きなビルが建ち始めている。

・・・・・・・・・・・・・・ガスの検針でおじさんが自転車で入っていく路地、私も続く、、、、

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・・・・・・・・・・・・・この狭さ、車はダメだ! 続いて階段、車は絶対ダメだ!

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・・・・・・・・・・・・・高層ビルの足下で、アパートが建ち並ぶ一帯もある、、、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、こちらのアパート覗かしてもらう、、、、、、整理・整頓・清掃が行き届き、感激!

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⑫栄橋・・・・・・・・・・現在の橋は平成8年(1996)に完成した。 橋の近くは再開発工事が始まっていた。

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⑬淀橋・・・・・・・・・・今日の最後は、下流から59番目の、青梅街道が通る淀橋(よどばし)。 橋は江戸時代には既に架けられていたようだ、この橋もよくある『将軍がこの地を訪れ、、、、、』で始まる話がある。 将軍家光は鷹狩でこの地を訪れ、京都の淀川に似ていることから淀橋と命名したらしい。・・・・・・・・淀橋浄水場、ヨドバシカメラも、この橋が命名の元である。

・・・・・・・・・・・・・・川幅より、道路幅のほうが広い!

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・・・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に完成した現橋の親柱は、大正14年(1925)架橋の先代のものを流用した。

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2014年1月31日 (金)

神田川(せせらぎ橋~大東橋)

高田馬場駅からせせらぎ橋にでて、大東橋から東中野駅まで、神田川を遡る散歩です。1万2千歩、9km。

①チョイト、昭和レトロの香・・・・・・・・・・・・高田馬場で撮影

・・・・・・・・・・・・・・・タッパの低いコンクリート製の門柱、一時代前の玄関のガラス扉。 中から、サザエさんのカツオ君がバットを持って飛び出してきそうな雰囲気だ!

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・・・・・・・・・・・・・・銅板建築の3軒長屋。 

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②茶道会館・・・・・・・・・・高田馬場3丁目に、昭和25年(1950)に完成した、数寄屋作りの茶道会館がある。ここは、裏千家の稽古場のようだ。敷地内にはゆったりとした緑の庭園があり、静かに、一服所望できそうだ!

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③せせらぎ橋・・・・・・・・・・前回はここまで、今日はここから、神田川下流から47番目の橋。

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④落合水再生センター・・・・・・・・・・・処理場屋上を拝見! 公園風に造られているが、ところどころには、開閉装置のハンドルのようなものが出ている。 この下で、汚水が綺麗な水に再生されているのだ!・・・・・・・・・・・落合水再生センターは、昭和39年(1964)の処理場建設当初から、周辺住宅地のことを考慮して臭気が発生しないように、処理施設をコンクリートでふたをして、その上に公園を造り緑の空間にした。 さすが、首都東京の下水道局だね!

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⑤久保前橋・・・・・・・・・・・再生センターの前に架かる、48番目の橋。 現橋は昭和61年(1986)に架けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・橋の近くに、「大正拾五年六月竣工 久保前橋 新設 記念碑」なる碑が残されている。 碑の裏には寄付者芳名と、「落合町金千六百四拾円」、「戸塚町金千六百四拾円」と刻まれている。 川の両側の町で同額の寄付金を出し合って架橋したのであろう。

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⑥小滝橋・・・・・・・・・・小滝橋は江戸時代には既に架けられていたらしい。 名の由来は、下流に堰があって小さな滝のようだったという。 解りやすい命名だ!・・・・・・・・現橋は昭和61年(1986)に架けられて。橋上は早稲田通りである。・・・・・・・・・小さな橋だが、近くに戦前から都営バス小滝橋営業所があり、「小滝橋車庫」行きの表示をしばしば目にしたので、変に有名な橋だ!

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⑦亀齢橋・・・・・・・・・・・綺麗な川に綺麗な橋(?)、その名は亀齢橋(きれいばし)。 

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⑧旧中野区立東中野小学校・・・・・・・・・・・・・・・亀齢橋の西側に高台の上に、昭和31年(1956)に開校し、平成21年(2009)に閉校した旧中野区立東中野小学校がある。 50年前の近代的なデザインで建てられた学校である。

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・・・・・・・・・・・・・学校の横に在る坂。(無名の坂のようだ) 真直ぐ伸びるキツイ勾配の坂。 坂の上には何か期待できる喜びがあるような雰囲気の坂だ! いいね。

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⑨南小滝橋・・・・・・・・・・・・新宿区北新宿と中野区東中野を結ぶ橋の一つ。

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・・・・・・・・・・・・・・南小滝橋から眺める神田川

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⑩竹中工務店家族寮・・・・・・・・・・・南小滝橋の横に、垢抜けた共同住宅があった。 竹中工務店の家族寮だ。 商売柄、いい建物だね!

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⑪大東橋・・・・・・・・・・・今日、最後の橋は52番目の大東橋(だいとうばし)。 昭和63年(1988)の竣工。 JR中央線が神田川を越えるスグ北に位置し、橋の西側はかつての結婚式場「日本閣」である。

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⑫ユニゾンスクエア・・・・・・・・・・・・年輩の人で知る人の多い、東中野駅前のかつての「日本閣」は平成16年(2004)に休業し、跡地を再開発した。 跡地はユニゾンスクエア(Unison Square)と称し、2棟の高層マンションとスーパーマーケットなどの商業施設さらに、「West 53rd 日本閣」としてリニューアルされた日本閣で構成されている。・・・・・・・・大正9年(1920)に当地で創業した日本庭園のある日本閣の姿は消え、超高層マンション下の5階建ての式場に変わった。

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2014年1月23日 (木)

神田川(神田川橋梁~せせらぎ橋)

神田川の最下流に架かる柳橋から上流に向け歩き。 今日は、西武線・JR線の神田川橋梁から、落合水処理センターのせせらぎ橋まで、途中寄り道して歩いてきた。1万1千歩、8km。

①神田上水橋梁(西武新宿線)・神田川上水橋梁(JR山手線)・・・・・・・・・・高田馬場駅北側で、並行して神田川を越える西武新宿線・JR山手線の橋梁。 山手線の橋梁は名前に“川”が入っている。 

・・・・・・・・・・・・・・下流の神高橋(かみたかばし)から眺めると、新宿線の橋梁は目の前に見えるが、山手線の橋梁は新宿線の桁に隠れてしまう。

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・・・・・・・・・・・・・神田上水橋梁(西武新宿線)・・・・・・・・・平成20年(2008)に現在の橋梁に架け替えられた。 施工は、当然、西武建設と鉄建建設のJⅤ。

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・・・・・・・・・・・・・神田川上水橋梁(JR山手線)・・・・・・・・・橋台および盛土部分を煉瓦積みで造った、かなり古い橋梁である。 この部分の路線は、明治18年(1885)に日本鉄道の品川~赤羽間の開業時に造られたものと思われる。 橋梁もその時のものか?・・・・・・・神田川の川面と盛土部の天端とはかなりの高低があり、難工事であったかも?

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②清水川橋・・・・・・・・・・・下流(隅田川)から数え、一般人が渡れる橋として41番目は清水川(しみずがわ)橋である。・・・・・・・・・・橋の北側200m程の位置に、神田川と並行して新目白通りが通っている。この通りの北は目白の高台(下落合2)となる。高台からの流れ出た湧水が近くにあり、橋名の由来となっているそうだ。 現在の橋は昭和50年(1975)の完成。・・・・・・・・・・この橋と上流に架かる田島橋、通勤時間帯に渡る人の半数以上(数えたわけではないが私の目測)は若い女性だった。 嬉しいことだが、気になるね!、、、、、調べてみたら、新目白通りの両側に、「日本外国語専門学校」、「東京教育専門学校」、「中央理美容専門学校」、「東京美容専門学校」、「東京アニメ―ジョンカレッジ」など、専門学校がズラリ、、、、、納得! 

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③田島橋・・・・・・・・・・・・・・江戸時代に橋の北方(現:豊島区)に安藤但馬守の屋敷があり、よくこの橋を通ったので、「但馬」を「田島」に変えて橋名としたらしい。 江戸時代からここには橋が架けられていた。

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・・・・・・・・・・・・・この玉葱型の親柱、なんだ!? センスが悪いね! ゴメン!

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④おとめ山公園・・・・・・・・・・若い女性の行く方向に誘われて、新目白通りを越え下落合の「おとめ山公園」に着いた。 名前がいいね、気に入った! しかし公園は整備中、ガックリ! “おとめ”がいないので写真は撮りません。

⑤日立目白クラブ・・・・・・・・・・おとめ山公園まで来たので、近くの日立目白クラブにお立ち寄り。・・・・・・・・・・・・スパニッシュ・スタイルの白亜の建物は、かつては学習院の寄宿舎として建てられ、現在は日立製作所の所有で「日立目白クラブ」となっている。 大正末期まで近衛公爵邸であった敷地に、昭和3年(1928)、宮内省の設計で、鉄筋コンクリート造により建てられた。

・・・・・・・・・・・・・・本館・・・・・・・・・白い壁と赤いスペイン瓦、縦長のアーチ窓や段々状に変化をもたせたスカイライン、その先に高く伸びた煙突である。

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・・・・・・・・・・・・・・別館・・・・・・・・・現在は結婚式の教会として使用。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本館・別館の奥に第一~第四までの寮がある。デザインは本館に合わせ、白を基調として、アーチ型の窓がある端正なものである。

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⑥東京富士大学連絡橋・・・・・・・・・・・・・大学の施設は神田川を挟み、下落合と高田馬場の両岸に分散している。両岸の校舎を繋ぐ連絡橋が神田川に架かっている。

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⑦宮田橋・・・・・・・・・・・・・・・43番目は宮田橋。 コンクリート製の親柱は年代物だ!

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⑧落合橋・・・・・・・・・・・宮田橋の上流に似たデザインの落合橋がある。 「落合」の名の由来である現:神田川と妙正寺川がかつて“落ち合う”場所の下流にかかる橋。

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⑨滝澤橋・・・・・・・・・・下落合1と高田馬場3を結ぶ滝澤橋は、下落合側では橋の正面にマンションが建ち、車は直進できず、橋を渡ると大きく迂回しなければならない配置となっている。人間さまはマンションの軒下をすり抜け直進可。・・・・・・・・現在の橋は平成元年(1989)の完成である。・・・・・・・・この橋から上流は川岸に桜が咲き並ぶ名所である。

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⑩新堀橋・・・・・・・・・・・・橋のすぐ下には高田馬場分水路に続くトンネルがある。神田川が大雨などで増水したときに、水を分水路へ流し、本流の氾濫を防ぐことを狙っている。 分水路の水は、暗渠の中を流れて下流の高田橋で再び合流する。

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・・・・・・・・・・・・・・・写真左側が分水路の口

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⑪せせらぎ橋・・・・・・・・・・・47番目の橋は、下水道局の落合水再生センターにつながる「せせらぎ橋」。 東京都下水道局の施工で、昭和62年(1987)竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・・落合水再生センターで処理された水は、神田川はもとより、都内の渋谷川、目黒川、呑川などにも流され河川の浄化に貢献しているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・平成12年、桜の季節に歩いた写真

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2014年1月11日 (土)

神田川(豊橋~神高橋)

今日は早稲田から高田馬場まで、神田川を上る散歩です。 1万3千歩、10km。・・・・・・・前回までに豊橋(ゆたかばし)まで歩いたので、今日はつづきです。

①豊橋・・・・・・・・・都電早稲田停留所から豊橋を渡り、豊島区高田の街に入ると、看板建築の家具屋、飲み屋、パテでガラスを押さえたスチールサッシの工場など、古くなった建物が目に入る。 昭和の残る町だ。

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②仲之橋・三島橋・・・・・・・・・・・・・・最下流の柳橋から数えると、人が渡れる橋としては31番目になる仲之橋。 そして、32番目の三島橋。 下流の豊橋と欄干のデザイン・色がにており、個性を感じられない橋が続き、まことに残念だ。

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・・・・・・・・・・・・・・三島橋から川を覗くと、左右の桜の枝が川を覆うように伸びている。花見のシーズンはいいね!

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③甘泉園公園・・・・・・・・・・仲之橋・三島橋の南、西早稲田にある新宿区立の回遊式庭園。 甘泉園公園の、「甘泉園」とは、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われている。・・・・・・・・・・・ここは、江戸時代宝永年間(1704~1711)に尾張徳川家の拝領地となり、明治になると相馬子爵邸の庭園となり、昭和13年(1938)には早稲田大学の付属施設となった。 昭和36年(1961)、早稲田大学が都に売却し、その後新宿区に移管され公園となった。・・・・・・・・・・湧水でお茶を飲んだら下痢になりそうだが、公園としては整備され、四季の変化を楽しめそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・水稲荷神社・・・・・・・・・・甘泉園の隣りに鎮座する神社である。 旧称冨塚稲荷と命名されたが元禄15年(1702)、神木の根元から霊水が湧き出し、水稲荷神社と改名した。眼病のほか水商売および消防の神様として評判である。・・・・・・・・昭和38年(1963)に、早稲田大学と土地交換を行い、甘泉園の隣りの現社地に遷座した。

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④面影橋・・・・・・・・・33番目の橋は都電面影橋(おもかげばし)停留所前の橋。 この橋もデザイン・色が下流の橋と同じで、ガッカリするね! 綺麗な名前から想像できる橋のデザインにならないものか。・・・・・・・・・・「於戸姫(おとひめ)」伝説と言うものがあるそうだ。 戦国時代に、この地に来たという和田靱負という武士の娘於戸姫の伝説である。結婚を断った武士にさらわれ、気を失ったところを杉山三郎左衛門夫婦に助けられ、やがて近所の小川左衛門に嫁いだ於戸姫は、夫の友人に夫を殺され、仇はとったものの、自分の身に相次いで起こる不幸から、家を出て神田川の川辺でわが身を水に写し、亡き夫を想いながら川に身を投げて夫の許に急いだ。里人は於戸姫の心情を思いやり、面影橋・姿見橋と名付けたという。・・・・・・・・・この手の伝説で身を投げるのは女性ばかりだ、たまには親爺が身を投げる伝説を訊きたいね!

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⑤曙橋・・・・・・・・・「曙橋」といえば、都営新宿線の曙橋駅近くの陸橋が有名だが、こちらは小柄な橋である。 江戸川の桜は下流の江戸川橋からこの曙橋までが見どころである。

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⑥白十字販売・・・・・・・・・・曙橋の北側に疲れたビルがみられる。明治29年(1896)に創業し、脱脂綿・包帯などを生産している「白十字」の旧本社ビル。 建物は昭和34年(1959)の建築で、開口部が大きく、当時としてはモダンなビルだったと思われる。 玄関には創業者のレリーフもある。・・・・・・・現在は高戸橋の際に新本社ビルが建ち、こちらは子会社のビルとなっている。・・・・・・・・最近家庭では見ることが少なくなったが、私の若い頃は、赤い丸の中に白抜きの十字のマークのマスク、包帯、眼帯、絆創膏が薬箱に必ず入っていた。 チョイト、昔を思い出す会社だ!

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⑦都電荒川線神田川専用橋梁・・・・・・・・・・都電荒川線は、ここで神田川を越えて、池袋方面へ向かう。現在の橋桁は昭和51年(1976)に架け替えられた。

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⑧高戸橋・・・・・・・・・・・・・高戸橋(たかとばし)は、都電専用橋を横に見て、神田川に架かる35番目の橋。 橋名は橋の両側の旧町名である、豊島区「高田」と新宿区「戸塚」から一字ずつを頂戴したようだ。 橋の上は明治通り。

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⑨高田橋・・・・・・・・・・明治通りと新目白通りの高戸橋交差点では、北側に高戸橋があり西側に高田橋がある。神田川は交差点を巻くように両橋の下を流れる。・・・・・・・・・・高田橋の下で、神田川に妙正寺川が合流する。 妙正寺川は下落合付近で新目白通りの地下にもぐり、ここ高田橋で顔を出す。(写真右の分水路の吐水口が妙正寺川。左は神田川。)・・・・・・・・この辺りの水も綺麗になって、高度成長時代の川は想像できないね! あと10年もしたら泳げる川になるか?

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⑩源水橋・・・・・・・・・・・橋は最近の護岸工事で、新しく作り変えられた。 この橋の名は、この辺りの地名「源兵衛村」と、村にあった「水車」から、一字ずつパクリ「源水橋(げんすいばし)」となった、ウソのような話だ。・・・・・・・・南こうせつの「神田川」にでてくる“三畳一間の小さな下宿”はここ辺りにあったそうだ。 こちらは、本当のような話。

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⑪戸田平橋・・・・・・・・・・・・・・大正8年(1919)に架橋され、現在の橋は平成11年(1999)に架け替えられた。 橋の名は地名の戸塚から“戸”を、高田から“田”を、架橋に貢献した淀橋区議会議員の平野与三吉から“平”を頂戴し、「戸田平橋(とだひらばし)」となったそうだ。・・・・・・・これまた、ホントの話。橋の近くに石碑が残されている。

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⑫高塚橋・・・・・・・・・・・・39番目は高塚橋。高塚橋は地名の「高田」と「戸塚」から一字ずつパクリ命名したようだ!

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⑬神高橋・・・・・・・・・今日の最後は40番目の神高橋。 高田馬場駅から西武線沿いに北へ向い、神田川に架かる橋。 現在の橋は平成15年(2003)に架けられた。

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