都電荒川線

2017年5月27日 (土)

南千住~町屋

今日は南千住駅から歩き始めたが、三ノ輪橋停留場で都電を見たら、乗ってみたくなる。 乗ったら今度は歩きたくなり、町屋駅前から町屋の町をブラブラ。 尾竹橋際にてコミュニティバスに乗り帰宅のすることに! 1万1千歩。




南千住から三ノ輪橋へ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・ 毎度のことだが、今日も駅前で東西南北いずれに向かうか悩む。 とりあえず西に向かうことにした。、、、、ひょっとすると、一雨くるかも? いやな、空模様だ!
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・・・・・・・・・・ 裏道に小さなかわいらしい千住基督教会があった。 大正3年(1914)にこの地に設立した教会。 戦時中は、建物も壊され教会は閉鎖していた。 昭和25年(1949)に再出発したそうだ。 小さいがパイプオルガンを備えている。
 
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・・・・・・・・・・ おや、南千住一帯は来週(6/2・3・4)、千住大橋の近くに鎮座する素戔雄神社のお祭り「天王祭 」だ。 町中にはポスターが貼られている。 古い家には、除災・招福のお札が貼られている。、、、、、浅草橋駅裏の銀杏岡八幡神社 も来週お祭りだ、我が妻も町内の御神酒所の準備で忙しそう。 私はのんびり散歩をするだけ!
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・・・・・・・・・・ 三ノ輪橋の日光街道に面する浄土宗の公春院は、寛文10年(1670)に創建した古寺である。 ここには、かつて、周囲約4m、高さ14m程の樹齢500年を超える「証拠の松」と言われた大木があった。 この松は、寺の境内にあり、寺の古さを示す証拠として名づけられたそうだ。 松は昭和9年(1934)に枯死したため伐採された。

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都電荒川線 ・・・・・・・・・専用軌道を走る荒川線の線路沿いには、バラの花が咲き誇っている

・・・・・・・・・・ 現在は梅澤写真館、、、、、、昭和2年(1927)に完成した旧王子電気軌道の本社ビル。 関東大震災後の東京では、鉄筋コンクリート造、3階建てのモダンなビルだった。 正面1階をとおり抜けると奥に“三ノ輪”の停留場がある。

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・・・・・・・・・・ 三ノ輪橋停留場、、、、、沿線にはバラの手入れをする多くの人がいた、ありがとう!

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・・・・・・・・・・ 『あ~~乗りたいな!』と思ったら、乗ってしまった

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・・・・・・・・・・ 『二人が降りた! ヨシ、私も!』と、町屋駅前停留場で下車。
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③町屋2~6丁目・・・・・・・・・・都電荒川線町屋駅前停留場の北側一帯が町屋の町である。 その町の中央を南北に尾竹橋通りがある。 今日は尾竹橋通りの西側をぶらついてきた。

 
・・・・・・・・・・ 町屋2丁目、町屋駅前の飲食街のチョイト奥にある原稲荷神社は、天正18年(1590)、徳川家康の江戸入府にともなって、三河国(愛知県)の百姓が町屋に移住してきたときに創建されたと言われている。、、、、、素戔雄神社の天王祭では、神輿が泊まる御旅所となっている。

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・・・・・・・・・・ 神社の北側の裏道に入る。 道は曲がりくねり、工場・住宅が密集する下町である。 昭和の木造アパートが多い。 中には朽ちた住宅もある。 曲がる裏道は、私の方向感覚を鈍らせ、『アレ?さっき歩いた道だ!』

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●・・・・・・・・・・・・ブラブラ歩き、隅田川に架かる尾竹橋 の南詰付近で、ちょうど荒川区のコミュニティバスが来た。 瞬間見えた「町屋駅前」の文字、『アツ、これに乗れば帰れる』。 躊躇せずに飛び乗り帰宅する。

2017年5月16日 (火)

東尾久の通り

西日暮里駅から京成本線新三河島駅前をぬけて、都電荒川線東尾久三丁目停留場付近に出た。 ここから、「大門通り」と称する裏道を歩いて、尾久の原公園にぶつかる。 さらに「石門通り」を歩き日暮里舎人ライナー熊野前駅まで、1万2千歩の散歩です。



西日暮里駅 ・・・・・・・・昭和44年(1969)12月20日、地下鉄千代田線の西日暮里駅が開業し、2年後の昭和46年(1971)4月20日に乗換駅として国鉄の西日暮里駅が開業した。 現在は、近くに日暮里舎人ライナーの西日暮里駅も開業しており、朝は乗換客で混雑する。

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新三河島駅・・・・・・・・JR西日暮里駅の東側を京成本線が走る

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・・・・・・・・・・ 京成本線は常盤貨物線 を高架で越え新三河島駅へ向かう。 ちなみに、踏切は貨物線の「日暮里八丁目三号踏切」、、、、こんな名前覚えても、何の役にも立たず、ただただ鉄道オタクであるのみ!

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・・・・・・・・・・ 新三河島駅 、、、、、昭和6年(1931)に開業した京成本線の駅。 都内の京成本線の駅では最も乗降客の少ない駅。 スグ、忘れられる駅。

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尾久の原防災通り・・・・・・・・・荒川区東尾久1(明治通り冠新道入口交差点)から北へ東尾久6(都立尾久の原公園前)まで伸びる約1.36kmの道路。

・・・・・・・・・・ 手前の明治通りから北へのびる防災通り

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・・・・・・・・・・ 防災通りをチョイト歩くと、スーパーの前に「消防道路」の碑が立っている、、、、、、防災通りは、戦時中に空襲による延焼防止を目的に建物を強制疎開させ造られた疎開道路である。 その跡地を整備し昭和48年(1973)に地元では「消防道路」となった。 平成24年(2012)に荒川区は「尾久の原 防災通り」と命名したそうだ。

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・・・・・・・・・・ 防災通りが都電と交差する手前に、天台宗の寺院:満光寺(まんこうじ)がある。 創建は南北朝末か室町時代と伝えられてる、、、、、歴史ある寺院だが、建物は新しい。 現本堂は昭和44年(1969)に建て替えられた。

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・・・・・・・・・・ 都電荒川線を横切り、東尾久3丁目に入る

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・・・・・・・・・・ 東尾久6丁目の草陰に地蔵尊が寂しげに祀られていた。

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・・・・・・・・・・ 町屋4丁目では、荒川区唯一の美術館:「ぬりえ美術館」の前を通る。 館長:金子マサさんは、「きいちのぬりえ」で有名な蔦谷喜一さんの姪である。 館長は、ぬりえを文化として保存するために、平成14年(2002)に美術館を開館した。、、、、、残念であるが、本日は休館日。 一度入館してみたいものだ!

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・・・・・・・・・・ 防災通りの北の端は、大門小学校のチョイト先で都立尾久の原公園で終わる。、、、、、公園は、かつて旭電化工業(現:ADEKA)尾久工場があったところ。 昭和52年(1977)に東京都が跡地を買収し、跡地の東半分が公園として整備され平成5年(1993)に開園した。 広々とした明るい公園である。

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都電荒川線・・・・・・・・町屋二丁目停留場、東尾久三丁目停留場付近でパチリ! 

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大門通り・・・・・・・・・・・・尾久三丁目停留場の北側に「大門通り」があった。 “大門”と聞くと、吉原の大門を思い出し、“大門”=“花街”の連想しかできない私は、早速この町の銭湯のおばあさんに聞いてみた。、、、、、おばあさんの話では、昔から大門町(=大門村)と呼ぶ地名であったそうで、花街とは縁がないらしい、、、、、、南の端(尾久三丁目停留場)から、北の端(ぬりえ美術館から尾久の原公園前までは防災通りと重複)まで歩いてきた。総延長約416m。 


・・・・・・・・・・ 写真順に、、、、、、尾久三丁目停留場前、大門通りの南端、、、、、大門湯、、、、、チョイト古い医院の看板、診療科目に「気管食道科」。(奥には、新しい立派な医院がある)、、、、、道中程に祀られている子育地蔵尊、、、、曲がりくねり進むと、ぬりえ美術館の前に出る。

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石門通り・・・・・・・・尾久の原公園の西側100m程行くと、「石門通り」の北端(東尾久6-34)で、ここから南へ道は伸び、東尾久6-39が南端となる。 全長345mの道で、かつては商店街であったが、今日訪れてみると、商店街はなくなっていた。 “石門”は、近くの下尾久石尊という石を祀る社があり、その参道であったことに由来するらしい。


・・・・・・・・・・ 写真順に、、、、、、石門通りの北端、、、、、撤去されていた、かつての商工会の門柱(2013年撮影)、、、、、ここにも子育地蔵尊が祀られている、、、、、、地蔵の後ろは北豊島高等学校、、、、、、商店街の店はシャッターが閉じてる、、、、、車歩分離した道路のカラータイルが続く、、、、、、石門通りの南端

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熊野前駅・・・・・・・・・平成20年(2008)に開業した、日暮里舎人ライナーの熊野前駅。、、、、、今日の散歩はここまで!

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2016年12月12日 (月)

王子~西巣鴨

京浜東北線王子駅から、都電沿いに都営三田線西巣鴨駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



王子駅前停留場 ・・・・・・・・・新幹線の高架下に都電荒川線の王子駅前停留場がある。 JRの王子駅は、日本鉄道の駅として明治16年(1883)に開業した。 都電の王子駅前停留場は大正4年(1915)に王子電気軌道(現:都電荒川線)によって設置され、今年で101年経ったことになる。、、、、、、、“昭和の光景”が残る荒川線を、ぜひとも、文化財として登録したいね。
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・・・・・・・・・・・JRのガードを抜け、明治通り(大坂)を上り、飛鳥山交差点から専用軌道となる。

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飛鳥山停留場・・・・・・・・・・・・飛鳥山交差点から専用軌道に入ったところに、明治44年(1911)に開業した飛鳥山停留場がある。

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酒類総合研究所・・・・・・・・・・・・・飛鳥山停留場近くの酒類総合研究所東京事務所に寄ってみた。 なんと貼り紙では、研究所の東京事務所は広島に移転し、広島事務所と統合された。 つまり、只今は空き家状態である。 日本橋を手掛けた妻木頼黄(つまきよりなか)の設計で、明治35年(1902)に竣工した、貴重な煉瓦造の酒造工場ははどうなるのだ? 急に心配になり、隣地に事務所を構える日本醸造協会の方に聞いてみたら、『煉瓦造の建物は当協会が管理を委託され、今後、内部を整備し一般公開します』と云うことで、一安心。

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滝野川一丁目停留場・・・・・・・・・・・明治44年(1911)年8月20日に開業

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西ヶ原四丁目停留場・・・・・・・・・・・明治44年(1911)年8月20日に開業。 開業当初は滝野川停留場と呼ばれた

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善養寺・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場から裏道を歩き豊島区西巣鴨4丁目に入ると、天台宗の善養寺がある。 天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、手を合わせる信者の心の内を見つめている。 チョイと見、怖いが、じ~~いと見、ユーモラスな顔である。、、、、、ちなみに三大閻魔のあと二つは、杉並区松ノ木の華徳院、新宿区新宿の太宗寺 の閻魔である。

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・・・・・・・・・・・・境内には、江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓もある。、、、、、京都生まれの乾山だが、晩年は江戸下谷の入谷村に移り住んだ。 そのころ善養寺は、下谷坂本にあり、死後善養寺に葬られたそうだ。

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妙行寺・・・・・・・・・・善養寺の隣に法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は寛永元年(1624)に赤坂で起立し、四谷へ移転し、明治40年(1907)に現在地へ移転した。

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・・・・・・・・・・・・・・境内に浅野家遥泉院供養塔がある。 妙行寺は赤穂浅野家の菩提寺で、浅野長直の室高光院(写真:中央)、浅野長広の室蓮光院の墓(右)があり、そして左端に 浅野長矩の室瑤泉院の供養塔がある。、、、、、一週間前には瑤泉院の墓に参り、今日は供養塔に参る。 私と瑤泉院は、不思議な赤い糸で結ばれていたのか?

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・・・・・・・・・・・・・・浅野家の墓の後ろには、四谷怪談のお岩さんの墓がある。 こちらは、田宮家の墓で、お岩様が夫伊右衛門との折合い悪く病身となり、その後亡くなったのが寛永13年2月22日である。 爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれたそうだ。、、、、一段高い処にお岩さんの墓があり、その手前に田宮家の墓がある。、、、、お岩さんの墓は、瑤泉院の供養塔より立派に見える。、、、、、(こちらは、四谷のお岩さん霊岸島のお岩さん

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新庚申塚停留場・・・・・・・・隣の庚申塚停留場は明治44年(1911)に開業したが、新庚申塚停留場は昭和4年(1929)4月19日に開業した。

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●・・・・・・・・・・・・・西巣鴨駅より帰宅

2013年8月16日 (金)

都電荒川線(大塚駅前~早稲田)

向暑の時期は過ぎ、既に残暑となるが、連日の暑さは猛暑・酷暑・極暑・激暑・厳暑・炎暑・大暑のどれだ? ヨイショ、コラショ、ドッコイショと腰を上げ、暑気払いの散歩に出る。

都電荒川線の散歩も残りは、大塚駅前~早稲田間となった。 1万歩、7km。

王子電気軌道は大正14年(1925)に大塚駅前~鬼子母神前を開業し、昭和3年(1928)には鬼子母神前~面影橋の開業と、王子駅前~面影橋の直通運転を開始した。 昭和7年(1932)には早稲田まで開業。 昭和17年(1942)、王子電気軌道の電力事業・交通事業の統制により、軌道事業は東京市電となる。 また、王子電気軌道は会社を清算することになった。・・・・・・・・以上、本日の散歩区間の概要。(私って、親切な人間だね!)

①大塚駅前停留場・・・・・・・・・・・・JR大塚駅の高架下が停留場である。この停留場は明治44年(1911)、王子電気軌道の大塚駅前~飛鳥山間の開業時に設けられた。・・・・・・・・・・・駅前の坂を下り、月末の「大塚 阿波おどり」の提灯を背景に、停留場に入る都電。

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・・・・・・・・・・・・・駅前の飲食街は、暑気払いの店を探して右往左往。

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・・・・・・・・・・・・・天祖神社・・・・・・・・・飲食店街の一角に、昔の巣鴨村(現:豊島区のほぼ半分)の鎮守さまの天祖神社がある。 現在でも縄張りは広く、南大塚・北大塚・巣鴨・西巣鴨・上池袋・東池袋などが氏子である。サンシャインシティも縄張りの中である。 鎌倉時代末の元亨年間(1321~4)の創建。

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②向原停留場・・・・・・・・・・大塚方面から坂を上がってくると向原停留所だ。

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・・・・・・・・・・ホームは、互いに春日通りを挟んだところに向かい合わせに設置されている。

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・・・・・・・・・・・・・・向原停留場から隣りの東池袋四丁目停留所にかけ、専用軌道の両側に一般道の拡幅工事を実施中。 軌道はフェンスに囲まれ、サンシャインシティから見下ろされてる。

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・・・・・・・・・・・・裏通りの靴屋さんでは、親爺さんがシャッターを下ろしていた。

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③東池袋四丁目停留場・・・・・・・・・・・・・頭上は首都高5号線、地下は有楽町線東池袋駅、それぞれと交差する形で荒川線が走り停留場が在る。

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④都電雑司ケ谷停留場・・・・・・・・・・・・・隣りの鬼子母神前停留場にて地下鉄副都心線の雑司が谷駅と接続しており、都電の「雑司ヶ谷」停留場は平成20年(2008)から「都電雑司ヶ谷」と名称を変更した。・・・・・・・・・・近くには雑司ケ谷霊園があり、チョイト夏向けに幽霊が出そうな停留場だ!

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・・・・・・・・・・・・・都電雑司ヶ谷停留場から隣りの鬼子母神前停留場にかけては、道路下に地下鉄副都心線が開通し、道路は整備された。線路の背後にはサンシャインシティを望む、有名な撮影ポイントとなる。

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⑤鬼子母神前停留場・・・・・・・・・・・・・近くに法明寺の鬼子母神がある。・・・・・・・・・チョイト寄ってみたが、境内は施錠されていた。参道もゲートの灯りだけ!

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・・・・・・・・・・・・・大鳥神社・・・・・・・・・・停留場の近く軌道沿いの大鳥神社は、かつて鷺明神と称し正徳2年(1712)に鬼子母神境内に創祀された。

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・・・・・・・・・・・・・・千登世橋 ・・・・・・・・・・・橋上に目白通りを通し、下には明治通りが通る。明治通りの隣りに、千登世橋に連続する千登世小橋の下を都電荒川線が通っている。・・・・・・・・・・ここで、西島三重子の「池上線」、「飛鳥坂」とラブソングの三部作を構成する「千登勢橋」を、、、、、、♪♪ 駅に向かう学生達と 何度もすれ違いながら あなたと歩いた目白の街は 今もあの日のたたずまい 指を絡めいつもと違う あなたのやさしさに気付き もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった  電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね  ♪♪・・・・・・・・・彼女の透明な声がせつない情景にピッタシ、癒しの珈琲の香だ!

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⑥学習院下停留場・・・・・・・・・・・・・学習院大学の南東側に位置する停留場。

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⑦面影橋停留場・・・・・・・・・・・・・高戸橋交差点で神田川を渡り、左折して新目白通りに入る。 停留場はすぐだ!

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・・・・・・・・・・・・・・停留場名の面影橋は神田川に架かる小さな橋。

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⑧早稲田停留場・・・・・・・・・・・・・散歩の終点は、電車の終点、早稲田停留場。 早稲田は、もともと東京市電の方が早く、大正7年(1918)に開業していた。 遅れて、昭和7年(1932)に王子電気軌道が早稲田まで開業した。・・・・・・・・現在は新目白通りの中央に2面1線の停留場がある。・・・・・・・・・・お客も少なく、チョイト寂しいね!

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●・・・・・・・・・・・・・・・・・これにて、都電荒川線の踏破は終了。 おやすみなさい!

●●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の前段は・・・・・・【三ノ輪橋~熊野前】、【熊野前~王子駅前】、【王子駅前~大塚駅前

2013年8月14日 (水)

都電荒川線(王子駅前~大塚駅前)

王子電気軌道の飛鳥山上(現:飛鳥山)~大塚間の軌道事業は、ほぼ102年前の明治44年(1911)8月20日に開業した。 今日の散歩は、この区間を歩いてみた。 1万歩、7km。

①王子駅前停留場・・・・・・・・・・・・荒川線の停留場は新幹線高架下である。 王子駅の開業は日本鉄道の駅として明治16年(1883)である。その王子駅に王子電気軌道(現:都電荒川線)の停留場が設置されたのは大正4年(1915)。・・・・・・・もちろん開業時には新幹線の高架橋はないので、駅に隣り合うのんびりとした停留場の雰囲気が漂っていたであろう。・・・・・・・・・・停留場を出ると、すぐにJRのガードをくぐり、飛鳥山を回って上る。

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・・・・・・・・・・・・・全線均一の160円の運賃は格安だ! 親子で終点まで往復してもワンコインで足りるので、夏の暑いときは子供と納涼電車もいいね。

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・・・・・・・・・・・・・飛鳥大坂・・・・・・・・・・・王子駅から飛鳥山を左手に見て、グルリと回る大きな坂道が飛鳥大坂(あすかおおさか)である。・・・・・・・坂名を、飛鳥大“阪”と書くと、関西の地名と間違える。・・・・・・・・“飛鳥坂”と書くと、水森かおりが歌う、西島三重子:作曲のチョイト演歌調の ♪♪ 今年もきれいに咲いたよね それきりあなたは 何も言わなくなる 都電が走る この街が ふたりはとても 好きだったのに この坂道を のぼる途中で ふりむく私を 黙ってみつめてた これきりで お別れですか 四年の月日が もうすぐ終わるというのに ああ 舞い上がる花びらのむこうに 夢が 夢が続いている 飛鳥坂 ♪♪

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・・・・・・・・・・・・・清水質店・・・・・・・・・・飛鳥大坂に面して建つ、歴史のありそうな建物。

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・・・・・・・・・・・・飛鳥大坂を上った交差点で、都電は一般道から専用軌道へ入る。

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・・・・・・・・・・・・・・酒類総合研究所・・・・・・・・・・清水質店の裏側に残る、赤煉瓦の3階建て酒造工場は明治35年(1902)に竣工。設計は横浜赤レンガ倉庫、日本勧業銀行本店(現:千葉トヨペット本社)日本橋を手がけた妻木頼黄(つまきよりなか)。・・・・・・・・・明治37年(1904)大蔵省醸造試験所が、この地に設置された。醸造試験所は平成7年(1995)に「国税庁醸造研究所」(現:独立行政法人酒類総合研究所)となり、平成13年(2001)には近代的な研究所を東広島市に建設し、移転した。移転後は一部公園となっているが、赤煉瓦の工場は酒類総合研究所の東京事務所の管理となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・創立当初の醸造試験所(酒類総合研究所広報誌「NRIB」より)・・・・・・・周囲は畑で、まさに“滝野川村”か?

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②飛鳥山停留場・・・・・・・・・・・・飛鳥山交差点から専用軌道に入ったところに停留場はある。 当停留場から大塚駅前停留場までは、王子電気軌道が明治44年(1911)に開業した。 昭和17年(1942)には、王子電気軌道を東京市が買収し、市電となる。

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③滝野川一丁目停留場・・・・・・・・・・・寂しい停留場に、塾帰りらしき学生が一人、スマホのゲームに集中していた。 ますます寂しくなるね!

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・・・・・・・・・・・・・踏切の先には上弦の月。

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・・・・・・・・・・・・・畳屋の親爺!・・・・・・・・明日の仕事の準備中、きっと、いい仕事するね!

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④西ヶ原四丁目停留場・・・・・・・・・・・誰も降りず、誰も乗らず、それでも電車は止まる!

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⑤新庚申塚停留場・・・・・・・・・・・・・お隣の庚申塚停留場と同時(明治44年)に開業したが、何故か停留場名に“新”を冠している。・・・・・・・・・・道路幅の広い白山通りを挟みホームが対峙している。

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庚申塚停留場 ・・・・・・・・・・・・・巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場(休憩所)として栄えた処。・・・・・・・・・・現代版の立場として、停留場のホーム続きで、甘味処と呑み屋がある! 甘味処はすでに閉店、呑み屋は営業中だった。

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・・・・・・・・・・・・・猿田彦大神庚申堂・・・・・・・・・停留場名となった庚申堂。現在は庚申堂に猿田彦大神を合祀している。 猿田彦大神は日本神話に登場する神で、天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされている。

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・・・・・・・・・・・・旧中仙道(現:地蔵通り)の踏切

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巣鴨新田停留場 ・・・・・・・・・・・・池袋・大塚の町が近いのに、停留場は場末か?

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・・・・・・・・・・・・・このあたり、都会の中の郊外といった雰囲気、踏切は絵になるね!

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・・・・・・・・・・・・・・停留場脇の塔のあるところ(現:東京電力大塚支社)には、王子電気軌道の本社が大正12年(1923)に京橋区より移転し、昭和17年(1942)に東京市に合併されるまで置かれた。また変電所もあったそうだ。

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⑧大塚駅前停留場・・・・・・・・・・・・JR高架下に停留場が設けられている。 明治44年(1911)、王子電気軌道大塚駅(現:大塚駅前停留場)として開業し、昭和17年(1942)に市電の停留場となる。・・・・・・・・・・昭和46年(1971)までは、チョイト長い距離だが大塚駅前~錦糸町間の都電(16系統)も走っていた。 

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●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の前後は・・・・・・【三ノ輪橋~熊野前】、【熊野前~王子駅前】、【大塚駅前~早稲田

2013年8月13日 (火)

都電荒川線(熊野前~王子駅前)

都電荒川線の熊野前停留場から王子駅前停留場まで、1万歩、7kmの散歩です。

①熊野前停留場・・・・・・・・・王子電気軌道(株)は明治44年(1911)の飛鳥山~大塚間の開業に続き、大正2年(1913)に飛鳥山下~三ノ輪間を開通させた。 熊野前停留場も大正2年に同時開業した。・・・・・・・・・・停留場名:熊野前は、かつて、近くに熊野神社があったことに由来しているらしい。神社は明治初期に廃社され、その後に開業した停留場名が熊野前にどうしおてなったのか?

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②宮ノ前停留場・・・・・・・・・・・・停留場:宮ノ前の“宮”は、尾久八幡神社である。

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・・・・・・・・・・・・・・センターポール化された架線柱。

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・・・・・・・・・・・・尾久八幡神社・・・・・・・・・・・創建年代不詳であるが、 尾久の地が鎌倉時代末期(1312)に、鎌倉鶴岡八幡宮に寄進された頃に遡るようだ!

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③小台停留場・・・・・・・・・・・・・・小台停留場から熊野前停留場のあたりは大雨の度に出水し、東尾久に都の尾久ポンプ場ができるまでは、出水のつど電車は運転中止となったそうだ。 昭和33年(1958)の狩野川台風のときは、線路は浸水し見えず、ひどかったらしい! 今の姿からは想像できないね。

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・・・・・・・・・・・・・・アデ川質店・・・・・・・・・・・小台停留場の北側:裏道にお立ち寄り!・・・・・・・・・・年季の入ったコンクリート造の質蔵がしっかり構える古そうな質屋さんがある。

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・・・・・・・・・・・・・300m続く煉瓦塀 ・・・・・・・・・・・・裏道に入ったついでに、あらかわ遊園の近くに、途中途切れながら300m程続く煉瓦塀が残っている。・・・・・・・・あらかわ遊園は、明治5年に設立された広岡煉瓦工場の跡地で、遊園沿いの住宅は煉瓦塀により囲まれている。

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④荒川遊園地前停留場・・・・・・・・・・・・・その名のとおり、「あらかわ遊園」の最寄の停留場。 遊園は、元は王子電気軌道の経営であったが、戦後は区の施設となり、幼児主体の遊園地となっている。・・・・・・・・・・・・TDLのように大人中心の遊園地ではないので、17時には閉門だ。 夜はホームで待つ人も少ないね。

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・・・・・・・・・・・・・・都電6000系・・・・・・・・・・・遊園正門前に保存されている6000系の車両、愛称は「一球さん」。 昭和24年(1949)製造の車両。

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⑤荒川車庫前停留場・・・・・・・・・・・・・こちらも、その名のごとく都電の車庫前だ。大正2年(1913)王子電気軌道:三ノ輪~飛鳥山下間、開業に伴い船方車庫として開設された。昭和17年(1942)、東京市電気局荒川電車営業所に改組され、現在は、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地・車庫・保守基地となっている。・・・・・・・・・・還暦過ぎた親爺が、車庫の前でワクワク、ドキドキ、ニコニコするのは私だけか?

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・・・・・・・・・・・・・・疾走する都電

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⑥梶原停留場・・・・・・・・・・・・・JR上中里駅の北方で、明治通りとの交差点に在る停留場。・・・・・・・・・・停留場(早稲田方面行きホーム)のホームに上がる石段に接して古書店がある。まるでキヨスクのようだが、個人経営の店。いわく、「日本で一番駅に近い古書店」。

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・・・・・・・・・・・・・・・三ノ輪橋方向のホームは明治通りを挟み反対側。

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・・・・・・・・・・・・・お客さんが、ケッコウ乗ってるね!

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⑦栄町停留場・・・・・・・・・・・・近くには東京書籍など大きな工場もがあるが、JR王子駅にも近いので、お客は少ないようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・軌道は東北新幹線の高架下を王子駅前へ向かう

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⑧王子駅前停留場・・・・・・・・・・・・高架下の停留場は、相対式ホーム2面2線で、ホームの長さは複数の電車を停められるように長くなっている。 また、折り返し運転ができるように、渡り線を設けられている。

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●●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の前後は・・・・・・【三ノ輪橋~熊野前】、【王子駅前~大塚駅前】、【大塚駅前~早稲田

2013年8月11日 (日)

都電荒川線(三ノ輪橋~熊野前)

猛暑・猛暑と二日続き、今日も我が家でごろ寝で過ごす予定でいた。 夕方、ゴロゴロ、ピカピカが始まり、ポツポツと落ちてきた。 短時間の雨で、丁度良いお湿り状態となり、気温も32℃となり熱中症の危険も多少遠退き、散歩をすることにした。

都電荒川線沿いに、三ノ輪橋から熊野前まで停留場を順に歩いて、1万歩、7kmの散歩です。

①三ノ輪橋停留場・・・・・・・・・荒川線の始発停留場。 開業当初の停留場名は「三ノ輪」であったが、戦中および昭和44年以降は「三ノ輪橋」と呼んでいる。 チョイトややこしい!

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・・・・・・・・・・・・・梅澤写真会館・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。王子電気軌道は明治44年(1911)に飛鳥山~大塚間を、大正2年(1913)に飛鳥山下~三ノ輪橋間を開通させた。 現在の荒川線の生みの会社だ!・・・・・・・・建物は、震災後の東京では目立つ、鉄筋コンクリート造3階建てのモダンなビルだった。正面1階を抜けると奥に三ノ輪橋の停留場がある。

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・・・・・・・・・・・・・・・都電に並行する商店街「ジョイフル三ノ輪」。盆の日曜日、店の半分は閉店してた。

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②荒川一中前停留場・・・・・・・・・・・・・・平成12年(2000)に開業した、荒川線の中では最も新しい停留場。

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③荒川区役所前停留場・・・・・・・・・・・電車を待つのは、向かいのホームにおばあさんが一人。 こちらのホームには、電車好きの幼児とお母さんと誰か?・・・・・・・・・車内には何人かの人影が見える!

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④荒川二丁目停留場・・・・・・・・・・・東京都下水道局の三河島水再生センターの前にある寂しい停留場。 女性はチョイト怖いかも?

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・・・・・・・・・・・・・停留所近くに残る、昭和10年(1935)建立の「皇太子殿下御降誕記念」のアールデコ風の国旗掲揚塔。・・・・・・・現在の天皇陛下誕生したのは、昭和8年12月23日である。 地元商工会が記念に建てたようだ、当時は国民の祝賀ムードも最高潮となったのであろう。

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⑤荒川七丁目停留場・・・・・・・・・・・・・時刻表を見ると、23時台まで走っており、飲んで帰る人も安心だ!

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⑥町屋駅前停留場・・・・・・・・・・・京成電鉄、東京メトロの「町屋」駅に乗り換えできる停留場。・・・・・・・・今日、歩いた停留場の中では最も賑わいを感じた停留場。 飲食店は結構お客が入っていたね。

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⑦町屋二丁目停留場・・・・・・・・・・・・町屋駅前停留場からは、道路中央に専用軌道がひかれている。 

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⑧東尾久三丁目停留場・・・・・・・・・・・・荒川線の軌道沿いには花が植えられ、下町の景観を演出している。

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⑨熊野前停留場・・・・・・・・・・尾久橋通りと交差する地点で、尾久橋通りでは日暮里・舎人ライナーと熊野前陸橋が頭上を横切る。 停留場は尾久橋通りの交差点を挟んだ位置に上下離れてある。

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・・・・・・・・・・・・・:日暮里・舎人ライナー熊野前駅・・・・・・・・夜の熱中症も怖いので、今日はココまで!

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おまけ・・・・・・・・・・・・猛暑の中、我が家のベランダで、小さな鉢の中に咲いた!

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●●・・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線の続きは・・・・・・【熊野前~王子駅前 】、【王子駅前~大塚駅前 】、【大塚駅前~早稲田