台東区

2022年5月 5日 (木)

GWの第一京浜

ゴールデンウィークは東京で静かに過ごすつもりだが、昨日のニュースでは都内各所で最高の人出となったそうだ。 今日も五月晴れで、チョッピリ歩いてみたくなり、我が家(浅草橋)から日本橋・銀座・新橋をとおり泉岳寺まで歩いてきた。 1万9千歩の散歩



● 朝7時、『人っ子一人歩いていない』と言いたいが、一人だけ歩く人がいた浅草橋駅前から散歩をスタート。 駅前の国道6号(江戸通り)を日本橋に向かって歩く

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● ゴールデンウィークの真っただ中、人も車も少ない馬喰町の問屋街や日本橋本町のビジネス街、まだ店開きには早すぎる時刻(7時半)に日本橋三越前を通過。 

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・・・・・・・・・・・・今日は『こどもの日』、チョイト前までは『端午の節句』、いずれにしても国民の祝日。 「三越デパート」の玄関先には大きな日の丸が掲げられていた。 昭和の時代頃までは、国民の祝日に一般家庭でも玄関先に国旗を掲揚し祝ったものだが、今の時代は国旗を掲げる家は少なくなった。(我が家もその仲間)、、、、三越の日の丸を見て感動!

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● お江戸の中心「日本橋」に到着。 チョイト「道路元標」を見て行くことにした。 丸いプレート状の本物は橋の中央に嵌め込まれてる(車道中央で写真を撮るには死を覚悟)、複製は橋のたもとにある。 日本橋の頭上を走る首都高にも道路元標がある!

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● 日本橋の「高島屋」では、玄関に国旗の掲揚をしていない。 デパート近くの「日本橋三丁目八日通り」では、街路灯に国旗がなびいてる。 いいね!

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● 時刻は8時、銀座一丁目から八丁目まで営業中の店は無く、キョロキョロすることもなく通過。、、、、資生堂の横の「花椿通り」でも国旗が掲げられていた!、、、、日の丸ではなく旭日旗にすると、韓国人は銀座に来ないかも?

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● 新橋から大門交差点・三田駅前と国道15号(第一京浜)を歩く。 時刻は9時、行き交う車は少なく『ゴールデンウィークだから』と感じる。 

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・・・・・・・・・・・・途中、金杉橋際の「浜松町交番」でも日の丸が出ていた。、、、、連日「ウクライナ侵攻」のニュースを見ていると、国旗への思いが深まり、今まで以上に国旗に敬意を示したいものだ! 

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● 都営浅草線泉岳寺駅の北端に「高輪大木戸跡」がある。 宝永7年(1710)、東海道から江戸府内の入口として、また南の出入口として設けられた大木戸の跡である。 東海道から江戸府内に出入りする人・物を管理するため、道の左右に土塁を設け、その間に柵と門が造られた管理用のゲートである。 その土塁の片側が残されている。

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・・・・・・・・・・・・この土塁の石垣に「几号水準点」がある。 几号水準点は車道側の石垣にあり、チョイと危険なので、見るには勇気がいる。、、、、付近には、清正公山門前西光寺などに几号水準点が残っている

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・・・・・・・・・・・・大木戸跡から高輪ゲートウェイ駅側に10m程行くと、駅前再開発用地を囲むフェンスが目に入る。 その中では、明治5年(1872)にわが国初の鉄道が開業した際に、高輪付近の海上に線路を敷設するために築かれた「高輪築堤」の発掘現場がある。 チョイト、フェンスの隙間からその現場を覗いてきた。 

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● 都営浅草線の「泉岳寺駅」は、昭和43年(1968)6月21日に開業した。 JRの高輪ゲートウェイ駅とは至近で、駅前再開発の最寄り駅となる。 現在はホーム幅の狭い2面4線の地下駅であるが、ホーム幅を大きく広げ、地下コンコースも設ける大改良工事が始まった。

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2022年2月 3日 (木)

ワクチン接種

連日各地で“過去最多”の記録を更新している新型コロナの感染者数。 私は、正月過ぎあたりから外出が怖くなり、家に籠ってパソコンゲームと写真整理で時間をつぶし、外に出るのは医療機関とコンビニに行く程度。 しかし、今週はチョイト忙しくなりそうだ。 三日前と昨日は、母を介助して病院へ、帰ってからは自分のリハビリで整形外科へ。 今日は午後から夫婦そろってワクチン接種、家の近くの区民館へ。 明日は上野の病院で泌尿器科の検診、明後日は中野の病院で眼科検診。 連日家に籠っての暗い自粛生活に比べると、医療機関が多いけど暇な年寄りには“良い気分転換”となる。



● 先週(1月下旬)、高齢者のワクチン接種券が送られてきた。 早速、予約センターに電話すると、『ファイザーは3月以降になります。モデルナは2月以降の接種が可能です』との返事。 我が夫婦は1回目・2回目はファイザーであった、モデルナを打つと交互接種となり、チョイト怖かった。 『急がば回るな、すぐに行け!』で、『何でもいいから打ってくれ!』と、今日の接種予約となった。 会場は我が家(台東区浅草橋)から、ゆっくり歩いても15分程の区民館(台東区台東)、接種会場には医師・看護師も含め、年寄りばかりで色気なし、14時の予約で40分程の時間で接種完了。、、、、このブログを書いている、只今時刻は22時、いまだ夫婦ともに副反応は出ていない。 いろいろ心配してみたが、終わってしまえば、ハイそれまでよ~~。 




● 接種会場となった「台東一丁目区民館」は、蔵前橋通りと凸版印刷本店の間に位置する複合施設。 低層階が台東地区センター、図書館、老人ホームなどで上層階はUR賃貸住宅のアクシス台東(106戸)になっている。、、、、この地は、平成2年(1990)に廃校となった二長町小学校の跡地である。 植え込みには、二長町小学校の校歌の碑がある。、、、、「二長(二丁)町」の由来は、この地が江戸時代より「二丁町」と呼ばれていたが、明治5年(1872)に、対馬の宗家厳原藩と伊勢国の久居に陣屋を構えた久居藩の邸地そして周辺の武家地を合併して「下谷二長町」とした。 「にちょう」とは、この地を東西に横切る小路に付けられたとされているが、その謂れは明らかではない。、、、、二長町の名は、昭和39年(1964)に消滅し、現在は台東区台東となっている。

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・・・・・・・・・・・・区が設置した案内板には旧町名:二長町の町域が緑で示されている。

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● 区民館の南側には、凸版印刷本社がある。 この地には江戸時代の芝居小屋「市村座」があった。、、、、凸版印刷の向いがわには、東京帝国大学附属病院の跡地で、明治39年(1906)に三井家総代三井八郎右衞門により設立した「三井慈善病院」(現:三井記念病院)がある。 私の腹を切り開いてくれた病院。

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● 三井記念病院の東側(千代田区神田和泉町2)には、終戦時まで「国立衛生試験所」があった。、、、、現在はスパーの「
LIFE」が建っている、、、、歩道に設置された案内板には、『国立衛生試験所発祥の地  国立衛生試験所(現、国立医薬品食品衛生研究所)は、わが国最初の国営の医薬品試験研究機関、東京司薬場として、1874年(明治7年)3月、現在の中央区日本橋馬喰町に発足し、1875年(明治8年)に現在の千代田区神田和泉町2番地で本格的業務を開始しました。 1945年(昭和20年)3月の東京大空襲に罹災し、世田谷区上用賀に移転したのち、2017年(平成29年)10月に川崎市に移転しています。』と記されている。、、、、写真では立派な建物だ、残念ながら、戦後生まれの私には記憶に無い建物である。

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・・・・・・・・・・・・三井記念病院の西側には、大正11年(1922、関東大震災の前年)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建てを、煉瓦造り風に改修した「東京都下水道局和泉町ポンプ所」がある。、、、、建物は古いが、重要なインフラ施設。

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● 今日の東京の感染者は20,679人、身の回りに感染者がいても、おかしくない状態になってきた。 まだしばらく自粛は続きそうだ!

2022年1月 5日 (水)

寅さんの柴又へ

この正月は、元旦から昨日まで家にこもって寝正月。 人混みの中を歩きコロナに感染し死ぬのはイヤだ!、、、、でもそろそろ、今日あたりは仕事始めの企業も多く初詣の人も少なくなったと思い、夫婦で柴又の帝釈天に行ってきた。



● 浅草橋駅裏の「銀杏岡八幡神社」の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。 江戸時代には、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったが、享保10年(1725)公収され町内(福井町、現:浅草橋1・2丁目)の産土神となった。 神社は我が家の氏神様である。 まずは氏子として、神社に新年の挨拶をしてから、帝釈天に向かう。(神様を怒らせると天罰が怖いからね!)

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● 都営浅草線の浅草橋駅から約40分で京成金町線の柴又駅に到着。、、、、高砂駅から乗った乗客の9割は当駅で下車。 電車がホームから走り去ると、一斉に構内踏切を横断する乗客、その光景を見て『コリャ、混んでいるかも?』 チョイト、不安がよぎる。

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・・・・・・・・・・・・駅前に出ると、多少の人出はあるが、不安に思った程ではない。 駅前の寅さん像もゆっくり見れる。 『寅さんとツーショットもできる!』

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・・・・・・・・・・・・参道は空いてるでもなく、混んでるでもなく、初詣にちょうど良い人出だ。 また、天気は良く、店は賑わい、正月らしい。 『いい時に来たね!』

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・・・・・・・・・・・・時刻は12時チョイ前、『帰りは混みそうだから、参拝前に食べて行こう!』、、、、『正月だ、“”だ!』

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・・・・・・・・・・・・参道では、「はしご乗り」も行われ、正月気分は上々!

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・・・・・・・・・・・・団子屋、飴屋、佃煮屋、どこの店も売り子はマスク美人! 客は顔半分しか見えず残念、売り子は半分隠れて一安心!

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・・・・・・・・・・・・山門前から行列が始まった、お堂前まで10分程の待ち時間、、、、三ヶ日は寺の境内を囲むように行列ができたらしい!

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・・・・・・・・・・・・帝釈堂も祖師堂も、黄色い仮囲いに囲まれて屋根しか見えない『何じゃコレは?』 目の前にあるのは賽銭箱のみ!

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・・・・・・・・・・・・駅前の「さくらの像」に別れを告げて、我が夫婦の初詣はココまで!

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2021年12月31日 (金)

今日も浅草へ

年越し蕎麦」を食べないと、一年が終わらない! 我が家では、数年前までは、毎年大晦日の夕暮れになると、浅草寺へ一年のお礼参りを兼ね、蕎麦屋へ行っていた。 しかし只今は、来年「白寿」の我が母と、「喜寿」に近づいた我、「還暦」は数年前に通り越した我が妻、老老老の三人暮らしである。 頭は呆けて、口は達者で、足はヨタヨタの母を残して蕎麦屋に行けず、蕎麦を買って家で食することにした。、、、、と言うことで、今日は私が浅草へ蕎麦を調達に行ってきた。 



・・・・・・・・・・・・こちらの「並木 藪蕎麦」は、おそらく1時間以上の待ち行列。 細く長く生きたいが、行列並んでノビないように!

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・・・・・・・・・・・・・今日も人出は多そう、、、、、昨日と比べると、着物姿の日本人は少なく、ミニスカにブーツ姿の韓国女性、着物姿のベトナム女性が目立つね! 皆さん、寒波の直撃で寒そうだ!

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・・・・・・・・・・・・ナント! 昨日までの賽銭箱を囲むように大きく衝立で仕切られ、白い布を被せて巨大賽銭箱に変身! 何億円入るのか(?)知りたいね

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・・・・・・・・・・・・浅草寺裏の駐車場に「はとバス」が並んでる! 久しぶりに見る光景

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・・・・・・・・・・・・「六区」の旧映画館街を抜けて、蕎麦屋で「年越し蕎麦」を買い、雷門通りに出ると、ラッキー我が家(浅草橋)の近くに停まるバスが来た!

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2021年12月30日 (木)

浅草、賑わい戻れ!

新年を迎える準備もほぼ終わり、あとは妻におまかせ! 今年もあと一日を残しているが、夕刻、ブラリ散歩を兼ねて浅草寺参りしてきた。、、、、近隣諸国の観光客は少なく日本語の会話が多いので安心し、年末だからか(?)コロナのせいか(?)若い人が多い特に女性が多く楽しいね、店の前には長い行列が商売繁盛で良かったね。 来年はかつての“浅草”が戻ってくる予感がする、景気回復も期待できそうだ、チョイト嬉しくなってきた。 



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2021年10月28日 (木)

皇居までブラブラ

今日は、浅草橋の我が家から、神田、大手町、東京駅と歩いて、1万3千歩。




● 朝食を済ませ7時過ぎ、まだ昨夜の雨で濡れた道を、乗降客の少ない浅草橋駅西口神田川は左衛門橋で渡り、靖国通りに出る、ガードを抜けると神田駅北口交差点。、、、、この辺の散歩は、こっちを見てね!

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● 今まで歩いてきた通りは、神田駅前から「神田警察通り」と称し、名前は変わるが通りの雰囲気は変わらず。 西の一ツ橋方向に向かう。


・・・・・・・・・・・・ここ“神田”の表通りはオフィスが並ぶ商業地、いくら歩いても面白いものを発見できないね。、、、、「美土代町交差点」に出た! 「美土代町」は難読ではないと思うが読みは“みとしろちょう”。 現在の住居表示の町名は「千代田区神田美土代町」 神田美土代町の由来は、江戸時代、この辺りは重要な武家屋敷地であると同時に、新たな風俗・流行を生み出すこともできる江戸っ子の町だった。 そんな町に“美土代”という名がついたのは明治5年(1872)のことである。 かつて、この周辺に伊勢神宮にささげるための初穂を育てる水田「みとしろ」があった故事にちなんで生まれた名前でした。 ちなみに、“神田”という名前も同じ故事に従ってつけられた。 明治期の美土代町は、一丁目~四丁目まである広大な町域をもっていたが、その後、美土代と称する地域は縮小され昭和22年(1947)より神田美土代町となる。 令和3年(2021)10月1日現在の世帯数と人口は86世帯、128人。、、、、私が中学生の頃、この交差点には都電「美土代町」停留場があり、2系統(三田~白山曙町)が走っていた。 私は、中学校(指ヶ谷町)から、この都電で塾(芝園橋)通いしていた、思いである町だ! 当時は木造建築の中に、ポツリポツリと低層ビルが建っている商業地であった。(60年前の話)

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・・・・・・・・・・・・神田警察通りの一ツ橋寄りに、歴史ある学校が二校並んでいる。 「錦城学園」と「正則学園」である。 両校とも、創立は明治で、中学・高校の男子校として始まった。 田中角栄、椎名悦三郎、稲山嘉寛、赤堀四郎、島崎藤村、木村義男などは錦城学園の創業生。 石橋湛山、川島正次郎、十河信二、江戸英雄、石川啄木、斎藤茂吉、伴淳三郎などは正則学園の卒業生。 スゲ~、錚々たる著名人ばかり!、、、、写真手前の5階建て校舎が錦城学園、奥の7~8階建て(?)校舎が正則学園。

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● 神田警察通りから南に折れて「千代田通り」(別名:明大通り、=駿河台の明治大学の前から南下する)を歩き大手町へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・日本橋川に架かる復興橋のひとつ「錦橋」がある。 昭和2年(1927)に震災復興事業の一環として、神田錦町と大手町を結び架けられた鉄筋コンクリートのアーチ橋である。 3連のアーチ橋であるが、中央径間部分が広くなっており、両脇のアーチは二分の一のアーチという、少し珍しい構造である。、、、、橋名は橋の北詰の町名「神田錦町」に由来する。 その「錦町」は町内に「一色家」が2軒あったから(いっしき×2=にしき)、と言うことらしい。 嘘か真か、どうでもよいか!、、、、ここも、頭上には首都高が走り、邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・錦橋を渡り大手町に入ると「気象庁前交差点」である。 その名のごとく、気象庁庁舎前の交差点であったが、気象庁は令和2年(2020)12月7日に虎ノ門に引っ越した。 写真は、左に鉄塔が乗っている旧気象庁、右の白い建物は東京消防庁、気象庁の建物の後ろ茶色い建物は現在、自衛隊によるコロナワクチン接種会場となっている。

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・・・・・・・・・・・・気象庁前交差点に「和気清麻呂像」が大手濠の外から皇居を眺めるように立っている。、、、、和気清麻呂は宇佐八幡から持ち帰った託宣により当時権勢を誇っていた道鏡の皇位簒奪を食い止める働きをした。 いわば現在まで続いている皇統を救った人物である。 昭和15年の皇紀2600年に際して、彫刻家:佐藤清蔵により作成された。、、、、皇統が途絶えることのないよう、見つめているのかも?

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皇居近く、大手町1丁目、大手町三井ホールビル脇の一角にある平将門の御首(みしるし)を祀っている「将門塚」、、、、最近の大手町開発事業により、将門塚も新調されモダンな塚となった。 いろいろと都市伝説がある有名な場所。 平将門は東国の英雄とうたわれる武将で、現在では神田明神の祭神でもある。 見てると、多くの出勤前のサラリーマンが手を合わせて行く。

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● 皇居の大手門前に来た。 『そうだ! 大手門には几号水準点がある、チョイト見ていこう』、、、、大手門の几号水準点は大手高麗門
扉外側で、右側石垣の最下段側面にある。(写真赤〇の中)、、、、門の中(二の丸庭園)に入らず、門の下にカメラを向けて何やら撮っている不思議な男、警備のお巡りさんに、チョイト怪しまれたかも?

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● 大手門周辺を見て、東京駅に向かう。

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2021年10月25日 (月)

奥浅草寺町通り

奥浅草」て知ってる?、、、、私は旧浅草区に生まれ住んで70余年、“奥山”なら知ってるが、“奥浅草”は問われても知らなかった。 どうやらここ数年の間に生まれた言葉のようだ、昔は「観音裏」と呼ばれていた、浅草寺の北側一帯の地域のこと。 “裏”という呼称はあまりよくないので、“奥”に変え「奥浅草」としたらしい。 奥浅草は、東に隅田川、西に国際通り、北に明治通り、南に言問通りで囲まれるほぼ四角い地域。、、、、奥浅草の中央東側に「奥浅草寺町通り」があると聞いた。 今日の散歩はここにしよう! 家を出る前に台東区の「道路通称名一覧」で調べてみた。 『起点:今戸2-39、終点:橋場1-2、路線番号:台第68号線』と書いてある。




● 奥浅草寺町通りの起点である今戸2-39に近い「東浅草」までバスで行く。 浅草に“寺町通り”なんてあったかな、車中でも疑心暗鬼?

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・・・・・・・・・・バスを降りると、スグ「奥浅草寺町通り」の名称が見つかった。 『ナンダ! ここは普段よく歩いている道だ! こんな名前だったかな?』、、、、“寺町通り”と言えば、普通、5、6ヵ所以上の寺院が、道の両脇に並んでいる通りをイメージするが、ここは道路に面する寺院は甘く数えて4ヵ寺のみ。 しかも、寺院らしい構えの寺はない。『だまされた!』

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・・・・・・・・・・・・散歩の後で調べてみたら、道路名は区で数年前に変更したそうだ。 旧名称は「今吉柳通り」、、、、変更理由は『地元町会から、現在の街路樹は「柳」から「ハナミズキ」に植え替えられており、道路通称名と一致していないこと、この沿道には、由緒あるお寺が多く、昔から「寺町」と言われていることなどの理由で変更して欲しいとの強い要望を受け、今回変更するものです(2017/12/13)』 




● せっかく奥浅草寺町通りに来たのだから、付近の寺院を巡ってみるか!、、、、台東区清川の町の寺院巡りをしてみたが、時刻は朝8時前、まだ開門していない寺院もある。 写真の順に、千松山本性寺(法華宗)、当麻山念仏院(浄土宗)、金智山宝蔵院(新義真言宗)、朝日山浄雲寺(浄土真宗本願寺派)、紫雲山通入寺(真宗大谷派)、明星山出山寺(曹洞宗)

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・・・・・・・・・・・・清川の町で「奥浅草ぶらり散策マップ」なるものが、商店の軒下に貼られていた。、、、、せっかくだから、妙亀塚、おばけ地蔵、平賀源内墓所も巡ってみるか!

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● 清川の東隣、隅田川沿いの町が「橋場」である。 橋場1丁目に「妙亀塚」と呼ばれる塚がある。、、、、妙亀塚は、平安時代、人買いにさらわれた吉田少将惟房の子梅若が当地付近で死去、梅若を探して当地付近にきた母が、梅若の死を知り剃髪して妙亀尼と称して庵を結んだと伝えられ、この梅若伝説に因んで妙亀塚と呼ばれている。 梅若に因む梅若塚は、隅田川対岸の木母寺(墨田区)にある。、、、、この妙亀塚のある地は、かつて浅茅ヶ原(あさじがはら)と呼ばれた荒涼とした原野で、近くを奥州街道が通じていたと言う。 今は、下町の中の小公園。

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● 妙亀塚から北へ120m程、「おばけ地蔵」が立っている。、、、、お化け地蔵のある右隣の民家風の松吟寺は、寛永2年に総泉寺の末として創建した。 境内には、もと総泉寺の「お化け地蔵」があり、総泉寺が昭和4年(1929)に板橋区に移転した時に、この寺に遺されたそうだ。「お化け地蔵」の名には、かつて大きな笠をかぶり、その笠が向きをかえたから、あるいは高さ3m余の並はずれて大きいからなど、いくつかの伝承がある。 お化け地蔵の台石によれば、この石仏は享保6年(1721)の建立。関東大震災で二つに折れたが、補修し現在にいたっており頭部も取りかえられている。常夜灯は、寛政2年(1790)に建てられた。 総泉寺は、板橋区へ移転した。「お化け地蔵」近くにある「元総泉寺境内諸仏供養の為」の碑は移転に際し建てられたものと思われる。、、、、おばけ地蔵の前に立つ小さな地蔵が普通のサイズ。 比べるとデカイ!

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● おばけ地蔵からさらに北へ200m、天才科学者「平賀源内の墓」、、、、平賀源内の菩提寺、総泉寺が昭和4年(1929)に板場区に移転した後の昭和5年(1930)に建立されたもの。 おばけ地蔵と同じ、置き去りにされた可哀そうな墓。、、、、平賀源内は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した発明家で、エレキテル(摩擦起電機)の復元製作や、火浣布(石綿の耐火布)の発明で著名です。 安永8年(1779)に殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で獄死、当地にあった総泉寺に葬られた。 総泉寺が移転した後も墓は当地に保存、昭和6年(1931)には松平頼壽(源内の出生地である旧高松藩当主)により築地塀が整備され、昭和18年に国史跡に指定された。

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● 源内の墓から東へ250m程、ナンダ・カンダ毎年訪れている「橋場不動尊」に寄って行く、、、、天台宗寺院の不動院は、砂尾山橋場寺と号す。 不動院は、天平宝字4年(760)に創建、寂法相宗昇和尚が宝亀4年(774)に当寺住職となり開山。 寛元年間に砂尾長者が開基となり、天台宗に改めた。、、、、明治末年の大火や関東大震災、戦炎などに、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰の的となっている。 現在の本堂は、弘化2年(1845)建立、小堂ながら江戸時代の建築様式を保ち、美しく簡素なたたずまいをしめしている。 画になる小堂だ!

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● 来月は酉の市」、鷲神社(千束3)も奥浅草にある。 コロナも終息の気配あり、またまた人出が多くなりそう!、、、、「奥浅草」は見どころが多い! 

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2021年10月18日 (月)

浅草橋~御茶ノ水

今朝5時の気温は12℃、寒い! 秋を飛び越して、冬が近づいてきた! 慌ててジャケットを取り出し、デジカメ持って散歩に出る。

浅草橋の我が家から、総武線の高架橋沿いに歩いて神田明神へ。 時刻は9時、チョイト早いが、98歳の我が母を医者へ連れていくため散歩はココまで。 今日は8千歩のミニ散歩。




● JR総武線浅草橋駅から高架橋沿いに、スタコラ歩くと隣の秋葉原駅までは20分程で着く。 秋葉原から神田明神までは10分程。 ナンダカンダ言っても、我が家から神田明神までは所要30分。、、、、今日は、朝の爽やかな空気の中を、1時間かけてのんびりと参拝した、、、、このルートは、今年の5月3日に歩いているので詳細はこちらで!



・・・・・・・・・・・・朝7時過ぎ、浅草橋駅西口(裏口?)は静かだ! まだご近所の通勤・通学客は家で朝食中?

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・・・・・・・・・・・・浅草橋駅~秋葉原駅間(正しくは、両国駅~御茶ノ水駅間)の高架橋は昭和7年(1932)に開通した。 90年の歴史を有する高架橋である。 東京駅周辺の煉瓦造の高架橋と比べると、鉄筋コンクリート造でデザイン的にもあまり特徴のない、面白みのないシンプルなものだ。、、、、高架橋は浅草橋から秋葉原に向かって徐々に高くなり、秋葉原駅手前では4階分くらいの高さとなっている、、、、昭和40年代頃までは、高架下に定住する家庭もあった。 私の同級生も高架下に住んでいて、家に泊めてもらったこともある。 慣れていないので、電車・汽車が通過すると眠れなかったことを思い出す。 今は、倉庫・事務所・駐車場・飲食店として利用され、住んでる人はいないようだ。 

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・・・・・・・・・・・・首都高1号線が頭上を通る昭和通り(=国道4号)に面し、高架下に出入口がある「秋葉原駅 昭和通り口」、、、、そろそろ8時、通勤・通学客の姿も多くなってきた!

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・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口の南側に、歩道を広くしたような「秋葉原公園」がある。、、、、秋葉原公園は、明治時代、神田川と秋葉原貨物駅の船溜まりを結ぶ運河の一部であった。 その後、運河は埋め立てられたが、公園の両側には、当寺の護岸の石垣が残されていた。 また、公園の南端には、運河に架かっていた佐久間橋の親柱が残されている。

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・・・・・・・・・・・・秋葉原駅の西側、中央通り付近の高架下は電機屋・パソコン屋などが並んでいる、、、、店が開いている時間帯は、この付近にメイド姿の若い娘を見ることが多い。 一度は入ってみたいね、メイド喫茶に!(70歳過ぎたら恥ずかしくて入れない)

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神田明神に到着!、、、、社務所を覗いてみたが、巫女さんはまだ出社前だ! 楽しみが半減したので、賽銭も半分にした! 

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聖橋からニコライ堂を眺め、御茶ノ水駅に到着!、、、、時刻は8時50分、そろそろ通勤ラッシュかな。 

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2021年10月16日 (土)

べったら市は中止

今日は、愛機(カメラ)が壊れ修理中、古いデジカメを持ち出し散歩に出た。 曇り空の中、浅草橋から東京駅方向に歩き始めたが、途中、日本橋三越付近にて雨となり、散歩はココまで! 6千歩。 




● 我が家の氏神さま銀杏岡八幡神社に朝のご挨拶にお立ち寄り。 神社は浅草橋駅の裏にある、知る人は『人形の久月』と江戸通りを挟み反対側、知らない人は『自分で探せ』、、、、銀杏岡八幡神社の由緒では、創建は源頼義・義家の奥州征伐にはじまり、江戸時代には松平家の邸内社となり、享保10年(1725)公収され町内(福井町、=雅万歩の出生地で現在は台東区浅草橋)の産土神となった。

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浅草橋駅(台東区)前をとおり、浅草橋(台東区と中央区の境、神田川に架かる)を渡り、浅草橋交差点(中央区)に出る。

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・・・・・・・・・・・・浅草橋交差点から江戸通りに平行する横山町の問屋街を抜ける。、、、、まだ8時前、どこの店も開いてない、静かな問屋街を歩く。、、、、江戸通りの両側は、衣料品の問屋が並ぶ横山町・馬喰町。 ところで「横山町」の由来は? 町名から察するところ、昔、『村の横に山があった』、『村から横長の山が見えた』などがもっともらしく思えるが、この辺りは扇状地で堆積地、山なんて無かった! 名の由来は、『横山さんが住んでいた』、これが正解。 北条家が支配していた頃、知行していたのが横山氏で、それにちなむ村名(町名)と考えられている。 江戸時代になると、馬喰町・横山町は地方から江戸に来る商人の為の旅籠として栄え、一大旅館街となる。 さらに町は商人の利便のため、呉服・瀬戸物・紙・小間物・塗物・荒物などなどの問屋が集中した。 明治末期あたりから旅館街は廃れはじめ、問屋街は隆盛し現在に至っている。

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● 大伝馬町の裏通りに「宝田恵比寿神社」がある。 社殿は小さな神社だが、毎年10月19日・20日は神社の周辺で開かれる「べったら市」は有名。、、、、江戸時代の中頃から、宝田恵比寿神社の門前で10月20日の夷講にお供えするため、前日の19日に市が立ち、魚や野菜、小宮(神棚)などが売られたのが始まり。 糀をべったりつけた浅漬け大根がよく売れたので「べったら市」と呼ばれているとのこと!、、、、でも、今年はコロナの為、中止と決定したようだ、残念!

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「江戸通り」と「昭和通り」が交差する「本町三丁目交差点、、、、ここまでは、曇り空の下を歩いてきたが、交差点を過ぎると、しっとり濡れてきた。

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● 昭和通りから日本橋三越に向かうと、雨粒が大きくなってきた。 “しっとり”から“びっしょり”に変わった! 「COREDO室町」の裏の「日本橋福徳神社」で雨宿りを期待したが、やすむ場所なし、残念!、、、、福徳神社の創建年代は不詳だが、貞観年間(清和夫皇・859~876)には鎮座していたといわれている。 福徳村と称されていた村の村名から社名を福徳神社と称したといい、源義家・太田道灌など武将からの尊崇も篤く、徳川家康・秀忠も参詣に訪れたそうだ。 明治7年(1874)村社に列格した。 主祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、、、、平成18年(2006)日本橋室町の再開発による建て替えに伴い、4度の遷座を行い。 平成26年(2014)に現在の新社殿が竣工した。 新しく綺麗な神社だが、チョイト雨宿りできる休憩スペースが備えられているとGood! そこでお茶のサービスがあると、なおよろし!

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● 雨は止みそうにない、三越前からバスで帰ることにした。、、、、時刻は8時半、しばらくライオン像の脇でバスを待つ、寂しいね!

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2021年10月 9日 (土)

復興小学校

23区で面積が最も大きいのは大田区の60.42㎢、最も小さいのは台東区の10.08㎢。 大田区は台東区の6倍の広さである。 今日は、その小さな区の南端の町浅草橋から、北端の町三ノ輪(地下鉄日比谷線三ノ輪駅)まで歩いてきた。 端から端まで直線でおよそ4kmの距離。 行ったり来たり、右へ左へ、ブラブラと、歩いた歩数は1万4千歩。




● コミュニティバスの始発もまだ運行していない朝7時、散歩に我が家を出る。 今日は北に向かって気ままに歩くことにした。

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● 我が家を出て北に向かうと、徒歩3分で、否が応でも蔵前橋通りに面した「鳥越神社」に出る。 チョイト、散歩前の御挨拶をしていくことにした。、、、、鳥居脇の神社名を記した石柱を見て、大発見! この神社名の石柱は、かつての文部大臣(その後第52・53・54代内閣総理大臣 )鳩山一郎の書で、昭和7年(1932)に建てられたことは、かなり以前から知っていた。 今日は何気なしに裏面を見てみた、この石柱を奉建したのは、近隣6校の尋常小学校の職員・生徒だった。、、、、調べてみると6校は氏子域内の小学校で、育英尋常小学校(浅草区猿屋町、明治32年)、柳北尋常小学校(浅草区向柳原町、明治9年)、新堀尋常小学校(浅草区北三筋町、明治34年)、小島尋常小学校(浅草区小島町、明治41年)、精華尋常小学校(浅草区北富坂町、明治7年)、練塀尋常小学校(下谷区二長町、明治11年) (  )内は昭和初期の所在地と創立年。、、、、なんと“ビックリ、驚き、徳利でヒャックリ”、6校全て明治期の創立である。 さらに、大正12年(1923)の関東大震災で校舎は被災し、6校全て昭和5年(1930)までに鉄筋コンクリート造の「震災復興小学校」として再建されたのだ。 復興後の校舎で建物が現存するのは、小島尋常小学校柳北尋常小学校。 また、育英尋常小学校と柳北尋常小学校と新堀尋常小学校は現在の台東育英小学校(台東区浅草橋2)に統合された。 小島尋常小学校と精華尋常小学校は蔵前小学校(台東区蔵前4)として統合。 残る練塀尋常小学校は御徒町小学校、竹町小学校と統合し平成小学校(台東区台東4)となる。 氏子域内に残ったのは、台東育英小学校と蔵前小学校の2校のみで、児童の数はおそらく昭和初期の2/6以下であろう。 23区で最も狭い台東区だが、戦前の人口は浅草区+下谷区で40万人を抱える人口No.1の区であった。

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● 復興小学校の一つ「小島小学校」の建物が現存する。、、、、明治41年6月に創立した小島小学校は、大正12年(1923)の関東大震災で総崩れした東京の建物を堅牢にすべく、鉄筋コンクリート造で建てられた円柱状の特徴的なデザインの震災復興小学校である。 竣工は昭和3年(1928)8月27日、外観の上部の縁取りや塔部分のアール、室内のアール面の多用など、全体的にアールデコの影響が感じられる建物、、、、、現在、小学校は閉校し、建物玄関にはTaito Designers Villageと書かれている。 創造的活動を行っている企業が入居したコミュニティと思われる。 校庭も駐車場に変わり、チョイト悲しいね!

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● 旧小島小学校西側に「如意輪観音」が祀られている。 かつて、この界隈に祀られていた石仏をここに集めたものかもしれないが、花が供えられ、線香・蝋燭が立てられ、水で清められ、ご近所に大切にお世話する人がいるようだ。、、、、しっかりと手を合わせてきた!

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● 地下鉄銀座線の中では、最も乗降客の少ない駅が「稲荷町駅」、一日の乗降客数は2万人に満たない。、、、、地上出口(もしかしたら入口かも?)はレトロなデザインで、昭和2年(1927)12月30日開業時のままらしい。、、、、方向別の出入口なので、浅草行きのホームから渋谷行きに乗ることはできない、逆も同じ。、、、、駅名の「稲荷町」は、駅開設当時の地名:下谷区南稲荷町に由来する。 その南稲荷町の“稲荷”は下谷神社に由来する。 つまり、この付近一帯は下谷神社の“縄張り”

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・・・・・・・・・・・・稲荷町駅の南側(台東区東上野3)に下谷神社がある。、、、、古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれた都内最古の稲荷神社。 例大祭で近隣町内を渡御する本社神輿は台輪幅4尺1寸の千貫神輿といわれている。 毎年6月頃から、神田明神・下谷神社・鳥越神社・浅草神社(三社さま)と、大きな神輿の祭りが続く。

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・・・・・・・・・・・・下谷神社の地元で、最寄り駅は稲荷町、というわけでも無いのだろうが、この辺りは、お稲荷さんを祀る処が多い。 その一つ、下谷神社の南側に「地護稲荷神社」がある。、、、、訳の判らん由緒書きがあった、私の頭の中で・?・・?・・?

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● 国道4号(=日光街道、昭和通り)と言問通りが交差する入谷交差点にある、朝顔市で有名な入谷鬼子母神にお立ち寄り。、、、、鬼子母神は、法華宗本門流の仏立山真源寺のこと。 真源寺は、光長寺第20世高運院日融上人が開山となり、万治2年(1659)に創建した。、、、、太田蜀山人の狂歌の中で、『恐れ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺、そうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様、嘘を築地のご門跡』と洒落ているのは有名だ!

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・・・・・・・・・・・・鬼子母神参りは適当に済ませ、隣の「旧 台東区立坂本小学校」へ寄る。 ここも、復興小学校の一つで、大正15年(1926)に竣工した。 当時の校名は「入谷尋常小学校」。 今日は校庭開放日(?)、中をチョイト拝見!

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● 下谷の2社1寺、法昌寺、小野照崎神社、三島神社に参る。(こちらを見て!)

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● 昭和通りと明治通りが交差する「大関横丁交差点」に到着。 交差点の地下は東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」、、、、今日の散歩はココまで!

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