台東区

2019年11月 8日 (金)

今年も、酉の市

今日は11月に入り、最初の酉の日。 夫婦で鷲神社(おおとりじんじゃ、台東区千束)の「一の酉」へ行く。 毎年参拝するので、酉の市はこのブログにも毎年アップしている。、、、、今年は手抜きで、写真だけアップ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨年の「酉の市」はコチラ、、、、、、一昨年の「酉の市」はコチラ

 

 

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2019年11月 1日 (金)

我が家は浸水するか?

赤羽駅の北東、荒川の岩淵水門の近くに在る「荒川治水資料館」(北区志茂)に行ってきた。 一昨日、電車が動いておらず、行けなかったので、今日となった。 JR赤羽駅から脇目も振らずに歩けば20分程で行けるが、神社・地蔵様・美女に脇見しながら歩いて40分程である。




●キョロキョロ、脇見しながら歩く! ・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・今日は『どこで降りようか?』と迷うこともなく赤羽駅で下車。 これから出社する通勤客で駅は人・人・人の流れ、その流れに逆らい駅前に出る。、、、、これより、岩淵町を通り志茂、脇見しながら向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅近くで、気になった築50年のビル。 駅前の雑居ビル「赤羽パレスビル」は昭和45年(1970)の建物。 なぜか、キャバレーを思い出す名前に引かれた!、、、、もう一つは、昭和44年(1969)築、ツタの絡まるマンション。 間取り“2k”で家賃は6万円前後らしい、安いね!

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・・・・・・・・・・・・・・八雲神社の南側(北区岩淵町22)、住宅の塀の前に、チョイト風化した三基の石塔が並んでいる。 きれいな花が供えられている。、、、、右側に、寛保3年(1743)の庚申塔、「奉造立庚申供養塔」と彫られ、下部に三猿がいる。 中央は、元禄6年(1693)の庚申塔で、「奉待庚申供養二世安楽処」と彫られ、下部に三猿がいる。 左側は、 天保15年(1844)の巡禮供養塔である。

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・・・・・・・・・・・・・・岩淵町の八雲神社にも手を合わせて行く。 八雲神社は、荒川堤防の南側近くに鎮座する。 この神社は、江戸時代、日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社であった。 祭神には須佐之男尊が祀られている。 創建年代は不詳。、、、、今日は、拝殿前の黒塗りの賽銭箱(昭和2年製)、天水桶(明治37年製)の古さに感動!、、、、ついでに、境内社の水神社。 こちらは、石造りの小さな社であるが、正面扉部分には「水神宮」「岩渕本宿」と彫られ、横には寛政12年(1800)とある。 凝った造り、古い社である。

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・・・・・・・・・・・・・・新河岸川に架かる新志茂橋の際、護岸の前に、シュールな地蔵尊が立っている。 由来には『この地蔵は 昔水難事故が多く供養のため 地元有志により建てられました』と書かれているが、“昔”ていつ? “水難事故”て何?、、、、固有の名もないこの地蔵、身体は石で、顔は木製のこけし。 チョイト、気持ち悪いね!

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・・・・・・・・・・・・・・地蔵尊の前には、昭和10年(1935)に建てられた、木造2階建ての洋館がある。 黒田機器株式会社の事務所棟である。

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●19号の爪跡残る荒川 ・・・・・・・・・・・・・荒川と新河岸川を隔てる土手上に荒川治水資料館がある。 近くには、隅田川が荒川から分岐する岩淵水門もある。 赤い水門は旧岩淵水門で、水門の機能なし。 青い水門は、現在の岩淵水門

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、荒川治水資料館で掲示されていたこの写真をご覧あれ、平常時と先の台風19号時(2019年10月)の岩淵水門付近の航空写真。 台風時には、荒川の川幅いっぱいに水が流れ下っている。、、、、しかし、新河岸川と隅田川の水位は大きく変化していない。水門を閉じた効果が出ているようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・今日、荒川土手の河川敷は、流木、泥で公園としての機能は停止。 車が通ると土埃が舞い上がる。 河川敷の泥は水で流し、流木は撤去。

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・・・・・・・・・・・・・・土手を歩いた後は、荒川治水資料館に行き。 我が家が洪水で水没しないか? パネル・写真をジックリ見ながら学習してきた。、、、、老いて学ぶは呆け防止!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その1、、、、普段、荒川と隅田川の水位はほぼ同じであるが、19号の時は荒川の水が隅田川に流れ込まないように岩淵水門を閉めたそうだ。 その結果、ピーク時には荒川の水位は7m以上に上昇したが、同時刻の隅田川の水位は1m以下で水位差が5.5m以上あった。 水門を閉めると、荒川の水が隅田川に流れ込まないことを確認できた。、、、、イザと云う時に、閉め忘れしないでね!
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その2、、、、我が家のある浅草橋付近は、資料館のパネルでは標高3m程で、満潮時には高潮の脅威にさらされる可能性がありそうだ。 ちなみに、散歩の帰り浅草橋駅付近の標高を確認したら3.7m。 これくらいなら、まあ床下浸水程度かな!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その3、、、、もし、ここ岩淵水門で荒川の堤防が決壊したら、北区、荒川区、台東区、中央区は浸水が想定されている。 我が家の付近は0.5~3.0m程の浸水となりそうだ。、、、、3mなら我が家の3階に逃げればOK! 『油断大敵、今夜はビフテキ!』
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その4、、、、もし、荒川が氾濫するとしたら、京成本線の荒川橋梁(京成関屋~堀切菖蒲園間)の付近はヤバそうだ! この付近の“現況堤防高”は、本来防災上必要と想定される“必要堤防高”より、地盤沈下のため3.7m程低い位置にあるそうだ。 同様なケースは四ツ木橋、西新井橋などであるも生じている。 この辺は、大雨の時に要注意!、、、、早いとこ、橋を架け替えてもらいたいね!




●安心した気分! ・・・・・・・今日の散歩で、台風への心構え、洪水の基礎知識はOK? 安心した気分になってしまった! 自分に言い聞かせる、『油断してはダメだ!』、、、、1万1千歩の散歩でした。

2019年10月24日 (木)

きつく辛い女坂

以前からチョイト気になっていた、神田明神の男坂と女坂、どちらが急か現地調査に行ってきた。 ついでに、帰りに秋葉原のヨドバシカメラで、腕時計の電池交換してもらう。 我が家(浅草橋)から神田明神まで往復歩いて、9千歩。




●離れられない駅! ・・・・・・・我が家からJR浅草橋駅西口まで、素直に歩いて徒歩3分、ご近所の人に会うと徒歩5分、途中で忘れ物に気付くと徒歩8分、途中で気が変わり地下鉄に乗りたくなるとトホホのホ!、、、、70余年、同じ駅のそばで暮らしていると、たまには違う駅のそばで暮らしてみたくなる。 「どこがいいかな?」 風光明媚で、静かで、山に近く、海もあって、交通の便が良く、大型スーパーに近く、駅前にコンビニがあって、女子大が近くに在って・・・・・いくら考えても、浅草橋しか浮かばない、チョイト悲しいね!

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●頭上の電車に手を振って! ・・・・・・・JR総武線の高架橋(昭和7年開通)に沿って秋葉原へ。 浅草橋から秋葉原まで徒歩15分。 今日は、キョロキョロ脇見しながら、電車に手を振って、徒歩30分。、、、、浅草橋駅は台東区、浅草橋駅前のガードから先は千代田区である。、、、、途中、高架橋脇の佐久間公園は早起きラジオ体操発祥の地。、、、、秋葉原駅の「アトレ1」がある処には、昭和26年(1951)から駅直結の「アキハバラデパート」があった。 入口では家庭用品の実演販売も行われていた“庶民のデパート”だった!

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●漆塗りの社殿! ・・・・・・・まずは、神田明神へ、、、、神田明神は、千代田区外神田に鎮座する神社で、正式名称は「神田神社」。 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。 毎年5月に行う御祭礼、「神田祭」は有名である。 旧社格は府社で、現在は別表神社である。 また旧准勅祭社の東京十社の一社である。 商売繁盛の御利益を期待し、正月になると企業の初詣で大賑わい。、、、、古い江戸時代の社殿は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した。 その後、3年の歳月をかけて昭和9年(1934)に権現造・鉄骨鉄筋コンクリート造・総朱漆塗で現在の社殿が完成した。 日本初の鉄骨鉄筋コンクリート製社殿となった。 この社殿は、建築家:大江新太郎(1875~1935)と早稲田大学大隈講堂の作品が残る佐藤功一(1878~1941)の設計、請負師:木田保造(1885~1940) の施工で建てられた、桃山建築風の豪華絢爛な造りである。 社殿は国の登録有形文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・・・・・神田神社は、天平2年(730)、武蔵国豊島郡芝崎村(現:千代田区大手町、将門塚の地)に創建された。 元和2年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸総鎮守として歴代の将軍はもとより江戸の庶民たちにも崇敬された。 神田神社を愛する氏子に銭形平次・八五郎もいたか(?) 二人の碑が境内にある。、、、、摂社・末社も多く10社程が本殿を囲むように並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・Googleマップを見ると、神田明神の東側に「明神男坂」と「明神女坂」が載っている。 この階段坂は以前からあるのだが、勾配は女坂の方がキツイようだ。 一般に男坂と女坂というと、勾配のキツイい方が男坂で、緩やかな方が女坂なのだが? さらに、話をややっこしくすると、神田神社の北側、社殿の裏側に蔵前橋通りに下る「裏参道」がある。 ここも階段坂で勾配はキツイ。 今日は、この3つの坂を現地調査した。

・・・・・・・・・・・・・・まず「明神男坂」、、、、神社の境内の標高は20mほどで、ほぼ平らだ。 神社の東側、一般に明神下と呼ばれている部分の標高は7m程で、約13mの標高差がある。 ここに男坂と女坂が造られている。、、、、明神男坂は江戸時代の名所絵図にも描かれてる古くからの坂。 上から見ても、下から見ても、一直線の立派な階段坂で上りやすい。

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・・・・・・・・・・・・・・・「明神女坂」、、、、神社の隋神門をくぐらずに右(東側)に折れて、細い道を入ると「坂のホテル トレティオお茶の水 」というホテルがありその前から天神下に下る坂である。 チョイト判りずらい処に在る、折れ曲がった坂だ。、、、、男坂と上り比べると女坂の方が自分にはきつく、辛い。 上り終えると、ハアハア、ゼイゼイ!

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・・・・・・・・・・・・・・「裏参道」、、、、社殿後ろの祖霊社の脇を蔵前橋通りに下る。 神社の公式案内図では、この参道は「旧女坂」と標されている。、、、、明神男坂、明神女坂に比べ長さは短いが、勾配は一番キツイ!

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・・・・・・・・・・・・・・さて自分勝手な調査の結論は、「明神男坂」は昔からある坂で一番“男っぽく、立派な坂”なので現状の名でいいだろう。、、、、「明神女坂」は明治以降に造られた坂で、神社は公式に「女坂」と認めていない。 どうやら、誰かが勝手に女坂と言ってしまったようだ。 タフな人向けの「猛女坂」と名付けたらどうだろう。、、、、「裏参道」は、昔ここに女坂があったそうだ。 よって、今あれば100歳を超えた「老女坂」と呼んだらどうだ!、、、、いずれにしても、“女坂”と呼ぶような男性に優しく、心地よい坂ではないことは確かである。




●チクタック・チクタック! ・・・・・・・・神田明神を後に、帰りは腕時計の電池を交換して我が家に戻る。

2019年10月16日 (水)

カエルの寺

台風19号に騒がせられ、驚かされ、踊らされ、疲れさせられた一週間。 我が家では幸い被害はありませんでしたが、被災した方にはお見舞い申し上げます。

今日は朝から東上野の病院で泌尿器科の定期検診。 結果はもちろん異状なし、看護婦さんが『年が明けたらまた来てね!』。 その後、病院の近所を散歩してきた。




●寄席発祥の地 ・・・・・まずは、病院の近くの神社。 上野駅前から駒形橋方向に伸びる浅草通りに面し、朱塗りの大きな一の鳥居が建つ下谷神社。、、、、天平2(730)上野の忍ヶ岡に創建されたと云われてる。 寛永4年(1627)寛永寺建立のため山下に移された(現:上野駅入谷口前)。 しかし土地が狭く、延宝8年(1680)に広徳寺前通り(現:浅草通り)の南側に移る(現在地の近く)。 その周囲には武家の屋敷や長屋が建ち並んでいた。 本社は下谷の鎮守として広く信仰を集め、「下谷稲荷社」などとよばれた。 稲荷町(現:地下鉄銀座線の駅名でもある)という地名も、本社に由来する。 江戸時代には開帳・人形芝居などがおこなわれ、祭礼の時には盛大な行列がみられた。 「下谷神社」と改称したのは明治5年である。 関東大震災の後、昭和3年(1928)の区画整理により、東南に50mほどの現在地(台東区東上野3)に移る。、、、、都内最古の“お稲荷さん”で、浅草通りに面する一の鳥居は、昭和8年5月の建立で朱塗りである。 扁額の字は元帥:東郷平八郎の書。 東郷元帥は、翌年の昭和9年5月に87歳で亡くなった。 現社殿は昭和9年の完成。

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・・・・・・・・・・・・・・・境内には、「寄席発祥之地」の碑と正岡子規の句碑「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」がある。、、、、寛政10年(1798)山生亭花楽(3代目三笑亭可楽)が境内で初めて寄席興行を打ってから200周年目の平成10年、落語協会、落語芸術協会と上野鈴本・新宿末広亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場の寄席が心を合わせて建立した碑。 興行は有料で行われたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・社殿左手隅にある境内社:陸栄稲荷神社(下谷稲荷神社)。 鳥居前の石の上に神使(狐の石像)が何匹もいる。、、、、これが全て生きた狐だと、チョイト怖いね! 

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●昭和の建築 ・・・・・チョイト、下谷神社周辺の「昭和の残照」、、、、看板建築・長屋建築を拝見! 

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●柔道発祥の地 ・・・・・下谷神社から浅草通りを横断し、地下鉄銀座線稲荷町駅出入口前の交番横(東上野5)に、朝日山願成院永昌寺の門がある。 永昌寺は、朝日長者が尊譽榮全を招いて永禄元年(1558)下谷御成小路辺長者町に創建、寛永14年(1637)に現在地へ移転した。 慈恵大師が厄除のため彫刻し、後に朝日長者の守護仏となったと伝える千手観音が秘仏として祀られている。 俗に「厄除本尊」といわれる。、、、、境内はさほど広くはないが、樹木は少なく、石畳の参道が本堂へ導いてくれる。 また、本堂裏にはビルの谷間に整然と墓石が並ぶ墓地がある。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂に向かい左側に丸みをおびた自然石に「講道館柔道発祥之地」と彫った碑がある。、、、、その横に発祥の地を説明する石柱がある。 『明治14年嘉納治五郎は、東京大学を卒業、学習院に奉職したが、翌15年2月より、当寺内に居住して、同寺書院を道場として学生を養柔道を中心とする訓育を始めた。 これが、今日国際的な広がりを持つに至った。 唯一の国技講道館柔道の発祥である。時に治五郎は、年23才。 道場の広さは12畳初年の入門者は9名。 当時住職は、朝舜法大和尚であった。 平成8年吉祥日  朝日山願成院永昌寺中興廿八世 白蓮社純誉貞晋上人』と説明している。、、、、地下鉄駅に近い場所に道場に開くとは、交通便利で入門者も通いやすく、さすが先見の明ある治五郎君!

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●池の寺 ・・・・・・・浅草の方向に歩いて行くと、かっぱ橋道具街の手前(松が谷1)に、日蓮宗寺院の妙音寺がある。 妙音寺は妓楽山と号す。 慶長15年(1611)日本橋馬喰町に創建、富田半七(華光院日性)を開基とする。 明暦3年(1657)の大火で伽藍を焼失し現在地(松が谷1)に移転した。、、、、 江戸十祖師の一つとして著名である。、、、、境内には、小さいながらも鯉の泳ぐ池があり、「池の妙音寺」とも云われているそうだ。 立派な錦鯉が優美な泳ぎを披露している。 

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●格調高い寺 ・・・・・・妙音寺と同じ松が谷1丁目に、曹洞宗萬年山祝言寺(しゅうげんじ)がある。 祝言寺は、太田道灌が天文20年(1551)に創建したとも弘治2年(1556)の創建だともいい、祝言村(千代田区)に建立。、、、、もと駒込吉祥寺末の寺で、入口に「当山開山 太田道灌公顕彰碑」と彫られた碑がある。 寺は天正18年(1590)に徳川家康より萬年山の山号と松平家と同じ「丸に一つ葵」の紋所を賜り、江戸城大手門前から後に神田、日本橋を経て現在地の浅草に移った。、、、、寺は明暦の振袖火事、関東大震災、戦災などで何度も焼けたので、古文書や宝物は残っていないけれども、太田道灌の位牌「静勝軒春苑道灌居士」がある。、、、、祝言寺本堂は、内井昭蔵の設計、大成建設の施工で、昭和60年(1985)に竣工した。 また、燻したような光沢のボーダータイル張りの山門永代供養堂は、テツク建築設計事務所の設計、大成建設の施工で、平成18年に竣工した。 重厚で格調高い雰囲気を演出している、いいね!
・・・・・・・・・・・・・・山門から本堂へ

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・・・・・・・・・・・・・・納骨堂、、、、上部は鐘楼となっている

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・・・・・・・・・・・・・・墓地への入り口近くに、鉄鍋を被せた「鍋被り地蔵」がある。 地震の時にたまたま地蔵の上に落ちてきた鍋が被さって難を逃れたことからずっと鍋を被り続けている。 災害除けの霊感もあるとか。 直参旗本酒井家に祀られていたもので、眼病に利益あるとか。、、、、眼病より災害除けのほうが御利益ありそうだ! 

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●蛙の寺 ・・・・・・さて、本日の散歩の最後は、祝言寺の北側(松が谷2)にある日蓮宗寺院の龍嶋山本覚寺。 本覚寺は、天正19年(1591)馬喰町に創建、明暦3年の大火の後、現在地へ移転した。 江戸十大祖師の一つ日限祖師として著名。、、、、【蛇足】江戸十大祖師とは、江戸にある10ヶ寺の日蓮宗寺院を参拝することにより祖師(日蓮)のご利益にあずかろうとする民間信仰。 江戸時代は盛んであったが、現在では大がかりには行なわれていない。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂は昭和34年(1959)に城郭研究の第一人者だった東工大教授:藤岡通夫の設計で再建された。 カラフルでモダンな建築である。

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・・・・・・・・・・・・・・祖師堂は、昭和10年(1935)鉄筋コンクリート造で建立、戦災で焼損し昭和50年(1975)に改修された。

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・・・・・・・・・・・・・・数日前の台風19号、サンマの不良、どれもこれも地球温暖化による異常気象が原因らしい。 この寺でも類似の現象か(?)カエルの大発生である。、、、、本堂横の蟇大明神には、数えきれないほどの蟇(カエル)がイッパイ。 何じゃ、コリャ! よく見ると、陶器のカエル。 本堂で売ってる置物のカエルである。、、、、蟇大明神の横に、『蟇塚由来記   天保の頃、當山の檀家に秋山某なる人があった。故あって稼業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う。大正一二年関東大震災の折、東京は一瞬にして焦土となり當山も又烏有に帰したがその時の墓守関某という人が霊感する所あって土の中より件の碑を探し出し小さな堂を建てて祠った。 丁度その頃下谷に千八という人がおり、この蛙蟇塚に願をかけた所大きなご利益を得、遂に一念發起して現在の地に蟇堂を建て、人に逢うことに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した。 千八師は自らも歌舞をよくしこの方面に宣伝した為に花柳界歌舞演劇界映画芸能界等金銭物質の出入や人気稼業方面に信者が多い。昭和二十年三月の大空襲で全焼したが戦後いち早く下谷の高田家保袋家氏等の尽力で復興し今日に至っている。動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである。昭和五十一年に至り堂宇の傷み甚だしくここに恒久的堂宇の再建を發願した所詣者多数の賛同と協力を得て昭和五十三年七月二十日新蟇堂の完成を見た。』と記されている。、、、、山のように積み重なったカエル。 ジーッと見ていると、チョイト不気味だ!

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●便利なバス ・・・・・・・ちょうど、浅草橋方面行のバスがやってきた。 このバス、我が家(浅草橋)の近くで止まってくれる、しかも運賃100円也。 下車して家までは徒歩1分。 世の中、便利でいいですね!

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2019年9月 7日 (土)

暗い夜道も面白い!

残暑とは言え、日中の30℃超えは暑い! 朝はごろ寝、昼は昼寝で、家から出ずに我が家でゴロゴロ様。 夕刻になり『散歩してくる!』。 私が住む、台東区浅草橋1丁目~5丁目の町を適当に2時間ばかり散歩してきた。



・・・・・・・・・・・・・・日も落ち、暗くなってきた。 裏道は人影もなく静かである。 

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・・・・・・・・・・・・・・夕食で満席の鳥越神社近くの中華料理屋さん。 美味しいと評判の店。

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・・・・・・・・・・・・・・ 甚内神社は、武田家再興をはかって江戸市中を荒らした盗賊:高坂甚内を祀る神社。 御利益は泥棒除けか?

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・・・・・・・・・・・・・・私も何度か乗せて頂いた救急車が待機する浅草消防署浅草橋出張所

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・・・・・・・・・・・・・・消防署前には、都内最古の銭湯:鶴の湯がある。 あいにく本日定休日。、、、、もう一軒、こちらはマンションの1階にある帝国湯。 創業は明治時代と古い、本日営業中。、、、、どちらの湯も、私が子供のころから利用させてもらった銭湯。

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・・・・・・・・・・・・・・カトリック浅草教会は小さな教会だがモダンな建物。、、、、私が幼き頃は、付属の幼稚園があり、私も入園したかった!

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・・・・・・・・・・・・・・明治36年に、私立日本女子美術学校として芝公園に開校し、その後、本郷千駄木に移り、東京市立第一女子技芸学校となる。 大正時代には池之端に移転。 昭和15年に、現在地(浅草橋5)に移転。 戦後は都立忍岡高等学校となる。、、、、南隣りの私の母校と共に、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、約2,600坪の蓬莱園と称する庭園があった処。


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・・・・・・・・・・・・・・私の母校:旧台東区立柳北小学校。 建物は大正15年の竣工。 小学校は少子化により廃校となり、現在は空き家。 校庭ではテニスをする人もいる。、、、、浅草橋駅に近く、どこぞの女子大でも誘致したらいいと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも古い建物で、大正か昭和初期に完成した、旧日光商事建物。、、、、同時期に建てられたもう一つの建物は旧福井ビル。、、、、我が母校:柳北小学校、旧日光商事、旧福井ビル、そして我が家(浅草橋2)も、この辺りは東京空襲で被災を免れた一帯である。 

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・・・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)7月1日に総武線の浅草橋駅が開業した。 開業当初から高架駅として造られ、現在もおおむね当時のままである。、、、、私がまだ小学生の昭和30年代頃までは、早朝には蒸気機関車に牽かれた貨物列車が走っていた。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋の町は只今ホテルの建設ラッシュ、浅草・上野・銀座に近く交通の便よし、中国・ベトナム・台湾などの観光客向けに、ビジネスホテル・民泊がアッチャ・コッチャにポコポコ建っている。 駅周辺には、食事を求め徘徊する外人さんが多い、中には露出度の高い人も!

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・・・・・・・・・・・・・・鯛焼きやはまだ営業中。 外人さんの客も多いね!

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・・・・・・・・・・・・・・そろそろバスも終わりかな?、、、、台東区のコミュニティーバスは最終。 都営バスはもう少しありそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・散歩の〆に、駅裏の氏神さま銀杏岡八幡神社に手を合わせて帰る。 神様は、女神の夢を見て、すでに熟睡中。

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2019年8月19日 (月)

巾着腹と大根足

そろそろ夏バテする時期だ。 私は、隅田川花火大会で孫を抱き腰がイテテ、連日のアイスコーヒーの飲み過ぎでお腹はピーピー、昼寝が多く不規則な睡眠でお眼目シバシバ、熱中症と戦いエアコンと扇風機でガンガン躰はヒエビエ、リバブル先生に見とれ鼻血ブー(病院で血管を焼いてもらった)、、、、どうやら、私もバテてきた!

今日は、浅草寺の支院の一つ本龍院(待乳山聖天)と、浅草寺に行ってきた。




●巾着腹・大根足の寺? ・・・・・・浅草寺の北東650m程離れた隅田川沿いの小高い丘にある、浅草寺の支院で、聖観音宗の寺院である本龍院(ほんりゅういん)。 “小高い丘”は待乳山(まつちやま)と呼ばれ、寺は別名「待乳山聖天」と呼ばれている。、、、、この丘は推古天皇3年(595)に突然小高く盛り上がりできた。 そして、この山に金龍が舞い降り守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となった。 この不思議な降起は、十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」が出現するめでたい先触れで、それから6年後村人は天候不順に悩まされ、永い旱魃(ひでり)のために飢えと焦熱の地獄に陥っていた。その時大聖歓喜天が出現し、雨を降らせて村人を苦しみから救ったという。それ以来民衆の篤い尊信が集まり、天安元年(857)慈覚大師円仁が東国巡拝の折、この山に籠もって21日の間浴油修法して国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、自ら十一面観世音菩薩像を彫んで奉安したと伝えられている。、、、、本堂などの建築物は震災・戦災で焼失し、現在の本堂は昭和36年(1961)に権現造りで再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・境内各所に印されてあります巾着大根は、信心し祈願することによって得られるその御利益を端的に表したもの。 大根は身体を丈夫にし、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合の御加護える功徳を表している。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰の御利益の大きいことを示している。 境内のあちらこちらに大根と巾着のシンボルを見ることができる。、、、、巾着のようにフックラした腹、大根のようにスラッとした足が、御利益ではないので、誤解なきように! 


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・・・・・・・・・・・・・・境内には、足利末期(1600頃)の作と云われてる出世観音、、、、昭和18年(1943)に浪曲協会が建てた浪曲相輪塔、、、、江戸時代の名残をとどめる築地塀、、、、いろいろ見るべきものがある。 戦前・戦後の美人女優:花柳小菊が献燈した燈籠もある。


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・・・・・・・・・・・・・・境内から見るスカイツリー。 チョイト木が茂り、判りづらいが隅田川も見える。

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●猿若三座? ・・・・・待乳山聖天と浅草寺の間の町、現在の浅草6丁目。 この地はその昔、丹波国(京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保12年(1841)、徳川幕府は天保の改革の一環として、この屋敷を公収し、その跡地に境町・葺屋町・木挽町(現中央区)にあった芝居小屋の移転を命じた。 芝居小屋は、天保13年から翌14年にかけて当地に移り、猿若町はできた。 芝居小屋の移転とともに猿若町は、一丁目から三丁目にわけられ、一丁目には中村座および薩摩座、二丁目には市村座および結城座が移った。 そして、三丁目には河原崎座が移転してきた。このうち中村座、市村座、河原崎座が世にいう「猿若三座」である。 町名は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名に由来する。、、、、現在は、芝居小屋の跡に碑が建つのみ。 


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●カッコイイ侠客が勧請した ・・・・・・浅草寺の裏手に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏した時、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効果があって病気全快、安政2年(1855)お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。、、、、江戸後期の町火消、鳶頭、侠客で、映画、芝居では、カッコイイね!


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●チョイト暑さもやわらいだ浅草寺 ・・・・・・・このブログでは、毎度おなじみの浅草寺。


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2019年7月31日 (水)

暑い暑い散歩

連日の猛暑、今日は特に暑い。 この暑さの中、朝一番にて上野の病院で定期検診。 9時半には病院を出て、蒸し風呂状態で、上野公園、寛永寺、浄名院と巡り鶯谷駅まで歩いてきた。




●暑い暑い! ・・・・・・痛い痛い夏の日射しはなく、暑い暑い空気がどんより漂う、、、、帰省時の賑わいは遠い昔の話となった上野駅も静かに暑さに耐える、、、、中国か韓国か台湾か、お姉ちゃんは尼(雨)傘で日除け、、、、日陰がなくては暑くて歩けない、東京国立博物館前の広場は人影もまばら、、、、熱中症に注意し、風の流れる木立の陰を歩く、、、、「旧奏楽堂に入って一休みするか?」、300円の入館料がもったいないので素通り、、、、東京藝大美術学部の陳列館音楽学部の赤レンガ1号館、外から覗いて「また来ます!」

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●この木なんの木 ♪ ・・・・・♪♪ この木なんの木 気になる木 名前を知らない木ですから 隣りの説明読みました ♪♪、、、、上野公園のムクノキ(椋の木)で、木の説明書きでは、『ムクノキは、関東以西の山地から低地に普通に見られる落葉高木で、しばしば大木になります。 また、この木に見られるように、樹洞(じゅどう)という幹に穴ができやすいのも特徴です。 冬は葉が落ちるので、枯木のようですが、夏は葉が茂り元気な姿となります。』、、、、それにしても凄い穴だ! 突き抜けているので、熊も冬眠できないと思う。

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●川越から来た本堂 ・・・・・藝大音楽学部の北側に天台宗の寛永寺がある。 寛永寺は天台宗関東総本山で、東叡山寛永寺円頓院と号す。 開基は徳川家光、開山は天海和尚で、徳川将軍家の祈祷所・菩提寺となっている。 本尊は薬師如来。 寛永寺の堂宇は、慶応4年(1868)の上野戦争で多くを焼失した。、、、、寛永寺の本堂(根本中堂)は、明治12年(1879)に川越喜多院の本地堂を移築したものである。
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●数えてみたい地蔵さん! ・・・・・・寛永寺とは、言問通りをはさみ向かい合わせの浄名院。 浄名院は寛文6年(1667)に寛永寺36坊の一つとして開かれた。、、、、境内にズラ~ット並ぶ八万四千体地蔵は圧巻である。 本当に84,000体あるかは確認していないが、写真には一つのアングルでは納まらない。 境内の至る所に“〇〇地蔵”が安置され、さしずめ地蔵博物館と云う処。

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●汗もひたたる色男! ・・・・・寛永寺陸橋を渡り、JR鶯谷駅から帰宅。 我が家に着くと、パンツの中まで汗でビショビショ。 

2019年7月13日 (土)

チョイト早かった蓮

梅雨のチョイ間の雨上り、我が家(浅草橋)からブラリ、上野の不忍池に蓮の咲き具合を見に行き、根津・千駄木の裏道を歩いて、地下鉄千代田線の千駄木駅までの散歩です。 1万3千歩



●雅万歩の歴史? ・・・・・下町の歴史的建造物を見ながら不忍池へ向かう、、、、自分の歴史を振り返るようだ!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、我が家から徒歩1分半、私の母校「旧東京市柳北尋常小学校(区立柳北小学校)」(台東区浅草橋5)、、、、次は、さらに3分歩いて「三井記念病院」(千代田区和泉町)、、、、病院前の「凸版印刷」本社前(台東区台東)に、「市村座跡」がある。 市村座は歌舞伎の芝居小屋で、寛永11年(1634)日本橋葺屋町に市村座創始し、中村・森田(のち守田)座とともに、江戸三座と呼ばれた。 天保13年(1842)浅草猿若町に移り、ついで当地に再転。 当地での市村座は、明治25年(1992)から昭和7年(1932)まであった。、、、、(この3か所はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・市村座跡跡から西へ80m程歩くと、大正11年(1922)に建てられた煉瓦造風の下水道局和泉町ポンプ所がある。 私が幼き頃は、妖怪の住む怖い建物に思えた処。

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・・・・・・・・・・・・・・秋葉原~御徒町間のJR「御徒町高架橋」(台東区上野5)は大正13年(1924)に完成した。 現在は、山手線・京浜東北線・上野東京ラインが走る。(地下には東北新幹線が走る)、、、、終戦直後の蔵前橋通りに架かる薄暗いガードの周辺には、秋葉原の市場周辺に食べ物を求め、ガード下に寝床を求め、周辺の焼け跡には金目の金属を求め、ばたや・浮浪者・孤児が集まっていた。 幼い私にはここも怖い処に思えた。 いつの間にか“ばたや”、“浮浪者”の姿も見えなくなり、言葉も死語となったのか?

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・・・・・・・・・・・・・・上野松坂屋の方に向かい歩くと、朝湯で有名な燕湯がある。 建物は昭和25年(1950)の建築だが、国の登録有形文化財に指定されている。 私の幼き頃、地下鉄末広町駅の近くに住んでいた祖父母に連れられ度々利用した銭湯。 昔は白く濁った薬湯(くすりゆ)などもあって、湿疹などができると「白湯へ入ってきな!」と言われた記憶も残っている。、、、、燕湯から中央通りに出ると、最近建て替えられた新広小路ビルがある。 1階のコンビニの脇に「日本最初の喫茶店 可否茶館跡地」という碑が建っている。 ここは明治21年(1888)に、この地(当時・上野西黒門町)に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店した場所だ!、、、、(ここの詳細はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・可否茶館跡から中央通りを40m程北に向かうと、松坂屋の斜め前あたりに、東京3大どら焼きで有名な「うさぎや」がある。 大正2年(1913)創業の和菓子の老舗で、昔からどら焼きを売っている。 味わってみたい人は、並ぶの覚悟、1時間待ち覚悟、売り切れ覚悟でお店へ行くべし。、、、、ちなみに我が家では平日の午前中に、ママチャリに乗って私が買いに行く担当。

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・・・・・・・・・・・・・・池之端「仲町通り」の「黒沢ビル」前を通り不忍池に向かう。 黒沢ビルは毎日、早朝から玄関前を綺麗に掃除し水がまかれ、歩いても気持ちがいい。 オーナーが綺麗好きなのかも?

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奇遇ですね! ・・・・・不忍池の蓮、咲き始めたばかりだ。 まだチョイト早かった、来週の梅雨明けが過ぎた頃、一番の見頃かも?、、、、去年の今日、不忍池を散歩していた。 
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●まだ残っているぞ“下町” ・・・・・不忍池から千駄木駅まで、根津・千駄木の“下町”を求めて裏道を歩く。 裏道にもマンションなどが建ち、“下町”も少しづつ消えて行くようだ。

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2019年7月 2日 (火)

上野から観音さままで

連日の梅雨空、ここ数日散歩する機会もなく我が家でゴロゴロ状態。 今日は小雨がぱらつく中、朝一番に上野駅前の区役所に書類を貰いに行き、その足で浅草までチョイト散歩してきた。 (井の頭線沿線の散歩は休み)




●ステキな案内嬢? ・・・・・・霧雨の中、台東区役所に到着、一番乗りで入庁。 すかさず60歳前後の案内嬢(?)がやって来て「今日はどのような・・・」、夫婦の課税(非課税)証明書を貰いに来た旨を告げると、「こちらの申請書に記入してください」。 夫婦の名前、性別、生年月日などを記入するのだが、アレ? 妻の生年月日が月日は判るが、“昭和・・年”の記憶が怪しい! 普段はスラリと出てくる誕生日、今日は昭和28年だったか29年だったか、迷いが出た。 一度迷うと困ったもんで考えるほど怪しくなる。 書く手が止まると、再び案内嬢「どうしました?」 「アノ、家内の誕生日教えてください」 「え?・・・・!」 「家内は午年(うまどし)なんです、昭和28年ですか?29年ですか?」 案内嬢、指を折って計算している、自分の歳から逆算している、足し算か引き算か、チョイト間があいて「29年ですね」 「助かりました、ありがとう・・・」、、、、私も、そろそろ惚けてきたか! 昭和48年(1973)に竣工した庁舎も老朽化?

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●雨上がり、ムシムシ暑い! ・・・・・区役所を出る頃には雨も上がり、蒸し風呂状態。 上野から浅草に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・・・区役所の北側に残る区立旧下谷小学校。 関東大震災の震災復興小学校として、昭和3年(1928)竣工の鉄筋コンクリート造校舎。 施工は安藤組(現:安藤ハザマ)。 現在は廃校となり、南側にたつ区役所で使用しているようだ。 いずれは、取り壊され区役所庁舎と共に再開発される運命かも?

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・・・・・・・・・・・・・・台東区役所の北側にポツリと建つ、銅板建築の民家。 昭和初期の建物と思われる、2階の半円形の窓も洒落ている。 全面銅板で黒い建物だが、建てられた時は銅の色で輝き、金閣寺みたいなものだ!

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・・・・・・・・・・・・・・東上野界隈の昭和の建築。 関東大震災では、台東・墨田・江東・中央の各区はほぼ全焼した。 ここ東上野の一帯も全焼した地域である。

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・・・・・・・・・・・・・・かっぱ橋道具街の西側に矢先稲荷神社がある。 徳川家光が寛永19年(1642)に、江戸浅草の地に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とする。 三十三間堂は、元禄11年(1698)の大火後に深川へ移転したが、稲荷大明神は当地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場、通し矢が行われた)の由来から、矢先稲荷神社と称した。 昭和20(1945)年3月9日の空襲では神輿庫を残し社殿は焼失し、戦後、昭和35(1960)年にRC造の現社殿が再建された。、、、京都にならって建てられた、浅草の三十三間堂。 今残っていれば観光名所にプラス・ワン。

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・・・・・・・・・・・・・・上野駅前から浅草に向かう浅草通り。 この通りは東本願寺の表通りで、南側には仏具屋さんがズラリと並んでいる。(南側に並んでいるのは、仏具に直射日光が当たらないように配慮したため) その仏具屋さんの一軒。 東本願寺の参道正面に、昭和4年(1929)に建てられた、丸窓とビルの上の寺院風の塔屋が特徴的な難波佛具店がある。、、、、榎本徳蔵の設計で、鉄筋コンクリート造、戸田組(現:戸田建設)の施工。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草通りから参道に入り、正面の東本願寺に寄って、手を合わせる。、、、、慶安4年(1651)に神田で、京都東本願寺の別院として開創。 明暦の大火により焼失し、現在の浅草に移転し、浅草本願寺となる。 昭和56年(1981)真宗大谷派から独立し、「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」となる。(お東さん騒動)、、、、木造の旧本堂は関東大震災で焼失し、昭和14年(1939)鉄筋コンクリート造で現本堂を再建。 その後空襲で被災し内部を焼失したが、再建され、現在の荘厳な趣となっている。
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●判らん稲荷! ・・・・・浅草に到着、観音さまに行く前に、チョイト小さなお稲荷さんへ。 雷門の大通りから中に1本入った“食通街”(浅草1-14)に祀られている無事富稲荷神社。 由緒・謂れを記した案内板もなく、なにもわからないが、ご近所の店で信仰しているのであろう。、、、、“無事富”は“ぶじとみ”と読むのか? 判らん! さて、その意味は、“事無きを得る、富を得る”か? こちらも、判らん!

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●今日も観音さまに祈る ・・・・・観音さまに参り今日も願うは、金運招福、家内安全、夫婦円満、延年天寿など。 100円の賽銭で全て叶えば安いもの!

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2019年5月22日 (水)

緋牡丹に会いに東照宮へ

私のスケジュールは、今だに10連休の余波が続いている。 何かと言えば、医療機関の診察が全て10連休明けの先週・今週に集中したのだ。 先週は、中野の病院で眼科検診、秋葉原の病院では心臓血管外科の検診、ご近所のクリニックで整形外科の検診とリハビリ。 今日は、上野の病院で泌尿器科の検診と、飯田橋のクリニックで循環器内科の検診、明日は再びご近所の整形外科。 さらに“おまけ”で、10連休中は予定外の風邪でダウンし、ご近所のクリニックで診てもらった。 散歩に出るより、病院通いのほうが多いようだ! 幸い、どこの医療機関でも“異常なし”と言ってくれるが、必ず次回の予約をさせられ、“またのおこしをお待ちしてます”とカモにされているのかも?

朝8時に家を出て、上野の病院で朝一の診察を受けた後、上野東照宮へ行ってきた。 9千歩の散歩。




●上野に来た、日米の軍人 ・・・・・・・・・・病院を後に上野駅を抜けて上野公園に出ると。 平日の朝にもかかわらず、ゾロゾロ駅から美術館・動物園に向かって歩く人・人・人。 子供の姿は見えず、暇な中高年ばかり、しかも女性が多いね!、、、、私も暇な人間の一人で、東照宮の看板が目に入る。 そうだ「牡丹の東照宮」に行ってみよう! チョイト小股が切れ上がった『緋牡丹のお竜』姐さんに遇えるかも!、、、、ここで問題。「小股」とはどこのこと?(答えは、ブログを最後まで読んで!)

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・・・・・・・・・・・・・・東照宮参道の鳥居前に「小松宮彰仁親王銅像」がある。 なぜここにあるの?、、、、小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう、弘化3年(1846)1月16日~明治36年(1903)2月26日)は、日本の皇族、陸軍軍人で、彰義隊の上野戦争時の官軍征討総督だった。、、、、戊辰戦争に従軍した後、明治10年(1877)、西南戦争の負傷者救護団体として、博愛社が創立され、その総長に就任した。明治20年(1887)、博愛社が日本赤十字社と改名すると、総裁として赤十字活動の発展に貢献した。、、、、今日(22日)、皇后雅子さまは、日本赤十字社の名誉総裁として赤十字全国大会に出席されたが、総裁の座はこの当時から皇族が務めていたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・小松宮彰仁親王銅像の後ろに、昭和4年(1929)に建てられたグラント将軍植樹碑がある。 グラント将軍は南北戦争時代の北軍の将軍で、南軍のリー将軍と並ぶ有名な将軍。、、、、明治10年(1877)から約2年間、グラント将軍は家族同伴で世界を周遊した。 その際、来日し、明治12年8月25日、上野公園で開催の大歓迎会に臨み、将軍はロウソン檜、夫人は泰山木を記念に植えた。 碑は、正面に将軍の胸像を刻み、左右に和文、英文で、将軍の略歴・日本滞在中の歓迎の模様、植樹の由来を記している。、、、、南北戦争と言えば、私には、ジョン・ウェインが主演した西部劇「黄色いリボン」、「アパッチ砦」の時代である。 その頃、家族同伴の世界旅行とは贅沢であり、危険であり、勇気のいる行動だったであろう。 スゴイ!

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●緋牡丹のお竜に会えず、昇り龍と降り龍を拝見! ・・・・「ぼたん苑」を期待して来てみたら春の開園は先週までで閉苑していた。 “小股の切れ上がったお竜さん”にも会えず、残念無念また来年!、、、、じっくりと東照宮を拝観することにした。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、東照宮の正面に延びる表参道の大石鳥居。 盤石の基礎工事により、安政の大地震にも、関東大震災にもビクともしなかった御影石の鳥居である。 この鳥居は、寛永11年3代将軍家光が上洛の折、西の丸で火災があり、留守居の老中酒井忠世は責任を感じ寛永寺に蟄居謹慎したが、家光の逆鱗に触れ失脚した。 そのためか天和年間(1681~1684)に解体され土中に埋められてしまった。 7代の末裔忠知が、100年後の享保19年、先祖の建てたこの大鳥居を、幕府の許可を得て土中より掘出し清掃研磨、改修整備し再建したした。、、、、国指定重要文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・大石鳥居をくぐると、水舎門(みずのやもん)が見える。 水舎門は慶安4年(1651)阿部重次が建築奉納したもので、本来は門ではなく、社殿右前にあった御水舎の屋根だけを、昭和39年(1964)に移して門の屋根とした。、、、、国宝かと思ったが、価値は低そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・水舎門をくぐると、参道の左右に石灯籠が並んでいる。 200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年、慶安4年(1651)に諸大名より奉納されたもの。 大きいものは、寛永8年(1631)に佐久間勝之より奉納されたもので、高さ6.8m程である。、、、、200基あれば、家庭のインテリアに1基ぐらい無くなっても判らないかも? 

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・・・・・・・・・・・・・・石灯籠が並ぶ参道の南側に「ぼたん苑」がある。 参道に面したぼたん苑の出入口は閉ざされていた。

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・・・・・・・・・・・・・・石灯籠の後ろ、柵の中に五重塔が見える。 旧寛永寺五重塔(重要文化財、=旧東照宮五重塔)である。 寛永8年(1631)建立の初代の塔が寛永16年(1639)に焼失した後、同年ただちに下総・古河城主 土井利勝によって再建された。 現在、塔は上野動物園の敷地内にあり、所有者は東京都である。、、、、初代の五重塔はもともと上野東照宮の一部として建てられたが、明治になってから神仏分離令により、塔は東照宮から寛永寺の所属となり、さらに昭和33年(1958)に同寺より東京都に寄付され(塔が動物園の敷地内にあるため)、現在では上野公園の管理下にある。、、、、塔を拝観したい人は、拝観料ならぬ入場料を払い動物園に入園する。 帰りにはパンダを只で見ることができる、おまけ付き!

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・・・・・・・・・・・・・・・石灯籠の奥には、諸大名から奉納された48基の銅灯籠がある。 灯籠は劣化がひどく痛々しいものもあるが、国指定重要文化財だ。、、、唐門両側に3基ずつある6基の銅灯籠は、紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より寄進されたもの。

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・・・・・・・・・・・・・・参道正面に慶安4年(1651)の造営の唐門(国指定重要文化財)がある。 正式名称は唐破風造り四脚門である。 柱内外の四額面には左甚五郎作の昇り龍・降り龍の彫刻がある。 室町桃山時代の技術を集大成したものと云われている。、、、、日光東照宮の陽明門と比較しては失礼に当たるかも?

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・・・・・・・・・・・・・・ 菱格子の向こう側が透けて見えるので、透塀とよばれている拝殿をぐるりと囲う塀。 慶安4年(1651)造営。 こちらも国指定重要文化財。 上段には野山の動物と植物、下段には海川の動物の彫刻が内外両面に200枚以上、色鮮やかに生き生きとした表現で彫られている。

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・・・・・・・・・・・・・・慶安4年(1651)に造営された、拝殿、幣殿、本殿で構成される権現造りの社殿。 国指定重要文化財。 文化財保護の為と社殿内は非公開となっている。、、、、金色の社殿は、ぜひ中を見てみたいね!

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・・・・・・・・・・・・・・東照宮から階段を下り不忍池の方に向かう参道がある。 この参道の階段下に、明治6年(1873)、江戸城内紅葉山東照宮より移築した不忍口鳥居がある。 御影石で造られた大きな鳥居だ。、、、、この鳥居の足元(〇印)には、明治時代の水準測量に使用した“不”の字に似た几号水準点が残されている。 この水準点、現在は使用されていない珍しいもの。

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●「小股」を“おまた”と読むな!・・・・・“おまたの切れ上がった”と読むと、チョイト卑猥だね。、、、、「小股の切れ上がった」とは、「スタイルがバツグン」、「凛とした態度」、「色っぽい仕草」などを感じさせる言葉。 ところで、女性の「小股」とは、イロイロな説があるらしい。 主な説を紹介すると、、、、①「うなじ」を指す。(女性の綺麗なうなじは色気ムンムン。 私はこの説をいままで信じてきた!)  ②そのものズバリ「股」を指す。(女性の股は見るのが難しいね?)  ③「脚」を指す。(着物の裾から、チラチラ見える部分、色気を感じるところだ!)  ④「足首」を指す。(世の中には、足首フェッチもいるからね!)  ⑤特定の場所ではなく、女性の動作・仕草を指す。(“小股”の二字と結びつけるが難しそうだ!)、、、、どうやら、これが正解と云えるものはないそうだ!

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