台東区

2021年6月12日 (土)

ワクチン接種した!

今日は午後から浅草花川戸(浅草寺の東側)にて、遅まきながら夫婦で、第一回目のワクチン接種をしてもらった。




● 昼過ぎ、浅草の花川戸にある「台東区浅草保険相談センター」に行って、新型コロナのワクチン接種を受けてきた。、、、、テレビで見ていたのと同じで、受付・問診・接種・経過観察をうけ、異常なし、無罪釈放となった。 接種は痛くも痒くもなく、アナフィラキシーも発症せず、終わってみれば『あっけない事であった!』、、、、これで、多少の人混みでも安心して散歩できる身になった!

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・・・・・・・・・・・・「花川戸」(はなかわど)は、台東区にある町名で、浅草寺の東側の町で、現在は花川戸一丁目と花川戸二丁目で構成される町。 花川戸一丁目は東武伊勢崎線の「浅草駅」と「松屋浅草店」が入る建物がある。 浅草を訪れた観光客の多くが乗る「水上バス」の乗船場もある。 花川戸二丁目は一丁目の北側で、町の東端は隅田公園(台東区側)、北には言問通りがある。 花川戸一帯は履物問屋が多く、草履・下駄・靴などを並べた店が目立つ。 最近は、観光客向けの着物のレンタル店も多い。 花川戸の地名は、“花”は“桜”を指し、「桜並木のある川端通り」ということに由来するそうだ。、、、、「花川戸の助六」とは、実在せず虚構上の人物。 江戸時代、花川戸に住む侠客で、吉原三浦屋の遊女揚巻となじみ、揚巻の客と喧嘩した人物と設定されている。、、、花川戸に住んでいた実在の人物としては、江戸時代末期の火消しであり侠客であった「新門辰五郎」は有名。




● ワクチン接種が済んだので、夫婦で浅草寺へ参拝。、、、、『何だこの人出は?』、コロナは忘れ、賑わいが戻りつつある浅草だ!!

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2021年5月26日 (水)

最短ルート

“密”を避け川風に触れ隅田川テラスを歩いて浅草まで、そこから東武伊勢崎線沿いに北十間川を押上(スカイツリー)まであるいてきた。 昨年6月に整備された、浅草とスカイツリーを結ぶ最短ルートである。 1万1千歩 5km




JR浅草橋駅から隅田川(東方)に向かい高架橋沿いに歩くと、突き当りの護岸に「隅田川テラス入口」の案内が見える。 隅田川右岸を上流に向かうにはここから入る。(下流に向かう場合は、柳橋を渡り、両国橋西詰の際からテラスに出ることができる)、、、、高架橋脇の「石塚稲荷神社」は、かつての花街:柳橋の中心地にある。 玉垣には「柳橋藝妓組合」「柳橋料亭組合」、そして「亀清」「栁光亭」「深川亭」といった料亭の屋号を見ることができる。 この辺りまでは、私の小学生時代の同級生の家も多く、花街の華やかなりし頃を思い出させる神社である。 一度は芸者遊びをしてみたかった!

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● 「隅田川テラス」を、JR総武線隅田川橋梁から上流に向かって歩く。 天気は良く、川風は爽やか、人は少なく、コロナの心配無用なり! 車は走らず、信号はなし、立ち止まることなく安全歩行! 

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● 吾妻橋を過ぎると、「東武伊勢崎線隅田川鉄橋」がある。 この鉄橋に「すみだリバーウォーク」と称する歩行者専用通路が、昨年6月に増設された。 この通路は、浅草とスカイツリーを最短ルートで結ぶ観光コースの一つとして造られたそうだ。、、、、東武伊勢崎線隅田川鉄橋の下流側に、延長323m、通路幅2.5mの通路が設置された。 もちろん、車は通行できず、朝7時から夜10時まで通行可、通行料は無料。、、、、東武電車の下を覗くように歩くのだが、電車の下は見えない、覗きはダメだ!

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● すみだリバーウォークを通り対岸の墨田区に入ると、引き続き高架下に「東京ミズマチ」と称する、商業施設と宿泊施設が一体となった高架下複合施設が、こちらも昨年6月にオープンした。 東京ミズマチも浅草とスカイツリーを結ぶ最短ルートの一部である。 隅田公園北十間川の親水テラスに囲まれた場所で、浅草とスカイツリーの間で、ショップやカフェを楽しめる店舗が並んでいる。、、、、今日はオープン前の時間で、店内には入れず、店の前を空しく通過! いつか、可愛い娘と歩くと、ロマンスが期待できるかも?

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● 東京ミズマチを通り抜けると、スカイツリーの「東京ソラマチ」。 東京ソラマチの北側には東武伊勢崎線の「とうきようスカイツリー駅」、東端には都営浅草線・京成押上線と、東京メトロ半蔵門線の「押上駅」がある。、、、、私は押上駅から、“蜜”になる前に帰宅する。

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2021年5月15日 (土)

蔵前橋通りを東へ

“コロナ自粛”で散歩の機会は減り、足は退化、腹は肥大、脳は劣化、家でゴロゴロ、身体に良いわきゃナイヨ!、、、、今日は、我が家から「蔵前橋通り」を東へ、ひたすら歩いてみた。 しかし、新小岩で足が痛み、散歩はココまで! (1万5千歩、8km)

・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは文京区の湯島から、千代田区、台東区、墨田区、江東区、葛飾区を経由し、江戸川区の市川橋手前の国道14号(千葉街道)との交差点までの都道315号の通称。 JR総武線の北側に並行して通っている。




● 我が家(浅草橋)から徒歩2分程で、「蔵前橋通り」に面して鎮座する鳥越神社に出る。 ここから今日の散歩が始まる。、、、、何か良いめぐり逢いでもあるように祈願し、散歩に出発!

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・・・・・・・・・・・・神社の境内一隅に、こんな石碑がある。 正面に「土地区画整理測量基本標」と刻まれた、オベリスク型形の石塔。 側面には、この地点の緯度・経度「東經 百三十九度四十一分十九秒九一 北緯 三十五度四十一分三十六秒〇二」が刻まれていた。 また、反対側の側面には、大正12年に発生した関東大震災の後の土地区画整理のために置かれた旨が刻まれていた。 この石碑を起点に、土地区画整理事業が進められたようだ。 ちなみに、蔵前橋通りは関東大震災後に整備された幹線道路である。

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● 蔵前警察署前を通過し、蔵前橋を渡り、墨田区に入ると、東京都慰霊堂(震災記念堂)のある横網町公園。、、、、元気よく、スタコラサッサと通り過ぎていく!

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● 今は暗渠化され親水公園となった大横川に架かる「法恩寺橋」(大正14年(1925)架橋)を渡る。、、、、橋の先には、橋名となった法恩寺への参道がある。 スカイツリーを背にして参道正面に本堂が見える。、、、、四ツ目通りとの交差点には、オリナスという超高層ビルがある。 オフィスとレジデンス、商業施設からなる複合施設で、元々ここには、時計のセイコー(精工舎)の工場が明治26年(1893)から平成9年(1997)まで、100年以上あった。 最盛期には従業員約3,000人が働いていたそうだ。

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横十間川天神橋で渡り、墨田区から江東区に入る。、、、、亀戸天神の参道を横に見ながら通過。、、、、明治通りとの交差点も通過。 チョイト暑くなったきた。 上着を脱ぎたい、邪魔だ!、、、、東武亀戸線を越える。

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旧中川に架かる「江東新橋」を渡り、江東区から江戸川区に入る。、、、、蔵前橋通りは、JR総武線平井駅前を抜けて、平井大橋に向かう。、、、、この辺で、コロナで体力が落ちた私の足が痛みだす。 『散歩を平井で止めるか、もう少し歩くか、それが問題だ!』自問自答しながら、前を歩く可愛い娘につられ平井駅を通り過ぎる!

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荒川に架かる「平井大橋」、手前は江戸川区平井、対岸は葛飾区西新小岩。、、、、江戸川区側の河川敷にはポピーが真っ赤な花を咲かせてる。 痛い足で河川敷に降り、花を見ながらしばし休憩!

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・・・・・・・・・・・・平井大橋を渡ると、新小岩駅に近い「新小岩陸橋」がある。、、、、足が痛い、今日はココまで! 駅に向かう。

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新小岩駅に到着!、、、、駅前は賑やかだ! “密”を避けて電車に乗ろう!

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2021年5月12日 (水)

上野池之端

今日は泌尿器科の診察日。 浅草橋の我が家から上野の病院へ、診察後は不忍池の西側歩き地下鉄千代田線の根津駅まで歩いてきた。 1万歩




● 9時の診察開始、一番に診てもらおうと、タップリ余裕をもって7時過ぎに我が家を出る。 病院までは徒歩40分程。

・・・・・・・・・・・・我が家から徒歩1分、廃校となった旧柳北小学校(大正15年竣工)、、、、校舎前の柳北公園と小学校跡地をまとめると、かなり広い敷地(共に区の管理地)である。 廃校となって20年が経過したが、なかなか恒久的な跡地利用が決まらない! 大規模商業施設でもできると嬉しいのだが、無理か!

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・・・・・・・・・・・・病院までの途中(台東区台東)に、「佐竹商店街」がある。 出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)跡地に、明治31年(1898)結成・誕生した、日本で2番に古い商店街である。 ちなみに、一番古い商店街は金沢の「片町商店街」(明治27年結成)、、、、商店街の賑わいは薄れ、店じまいした店舗、マンションに変わった店舗が目立つ。

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・・・・・・・・・・・・佐竹商店街の中程、チョイト奥まって小さな「佐竹秋葉神社」が鎮座する。 佐竹秋葉神社は、秋田佐竹藩上屋敷跡地に明治22年秋葉神社の分霊を勧請して創建した。 火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)を祭神とする秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市)を本社とする火防・火伏せの社である。 町の鎮守さま!

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・・・・・・・・・・・・8時前、東上野の永寿総合病院に到着、『早すぎた!』 コロナの予防で、8時30分頃までは院内に入れず、外で開くのを待つことになった。 病院裏の公園に行ってみると、ワクチン接種用のプレハブの会場が建てられていた。、、、、台東区は何故か接種時期が遅く、高齢者の接種予約は来週からである。 我が家には高齢者が3人居るが、97歳の我が母はかかりつけ医で接種してくれることになっており、電話連絡待ちの状態。 我が夫婦(高齢者)は、来週以降予約を取ってココの病院へ来ることになる。 自粛も疲れた、一刻も早く注射してもらい、自由に歩きまわりたいけど、予約を取るのが難しそうだ! おそらく一回目の接種は6月になるだろう、まだまだ続く自粛生活!

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● 不忍池の西側、東大池之端門の方向に歩く。

・・・・・・・・・・・・睡蓮の花が咲くのを楽しみに待つ不忍池。 

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・・・・・・・・・・・・岩崎邸庭園入口前に、真宗大谷派寺院の高承山教証寺がある。 教証寺(きょうしょうじ)は、徳川忠長に嫁いだ教証院殿(長姫)が、その子息久遠寿院殿(後の東叡山寛永寺二世)に従って、上野下の当地に教証院と号して起立、教証院殿の二十五回忌の寛文7年(1667)教証寺と改めた。、、、、土蔵造りの本堂には、欄間に龍図と天女図の漆喰彫刻が施されてる。 今の御時世、土蔵造りの本堂を維持するのは、職人の手配、維持費の確保とも、大変らしい。

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・・・・・・・・・・・・岩崎邸庭園の煉瓦塀が続く無縁坂。 無縁坂(むえんざか)は、台東区池之端から文京区湯島へ登る坂。 森鴎外の小説『雁』の舞台となった坂である。

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・・・・・・・・・・・・東大池之端門の脇に、境稲荷神社がある。、、、、境稲荷神社(さかいいなりじんじゃ)は、文明年間(1469~1487)足利九代将軍義尚公により創祀されたと伝えられている。 忍が岡(上野台地)と向が岡(本郷台地)の境に鎮座していることから境稲荷と称された。、、、、境内本殿裏の井戸は、かなり昔からの湧水であることが知られ江戸の地誌にも「弁慶鏡ヶ井」と在り名水らしい。(私は飲んだことないので?)

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・・・・・・・・・・・・東大病院に近い東大池之端門。 東大の“裏口”、“勝手口”と言うような門。

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・・・・・・・・・・・・池之端門から200m程歩くと、臨済宗妙心寺派の寺院「東淵寺」と言う、キリスト教会のようなモダンな造りの寺がある。 そこから北に向かう道は、途中に「台東区立忍岡小学校」があることより「忍小通り(しのぶしょうとおり)」と呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・忍小通りの中程に「七倉稲荷神社」がある。、、、、当神社は古く江戸幕府の米蔵のあった浅草蔵前に鎮座し、7つの倉の守護神として崇められこれが社号の由来となっている。 その頃の社伝によれば阿部豊後守が当社に祈願、その加護により隅田川馬上渡河の功を奏したと伝えられ霊験新たかな神社として江戸町民の振興篤かった。 明治維新後蔵前より池之端七軒町に遷り更に明治9年(1876)に現在地に遷座。 現社殿は平成元年(1989)の造営。

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● 忍小通りの北端は、地下鉄千代田線の根津駅の脇。、、、、根津駅は、昭和44年(1969)12月20日に開業した。 単式ホーム1面1線が上下2層になった地下駅で、1番線ホーム(大手町方面行き)の下に2番線ホーム(北千住方面行き)が設置されている。 改札口は1番線ホームのある地下1階の湯島寄り「不忍池方面改札」と、千駄木寄り「根津交差点方面改札」の2か所である。、、、、湯島寄りの出入口は肉屋さんの隣りで、大小三匹の豚が出迎えてくれる。

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2021年5月 9日 (日)

コロナ太り?

これまでは、ライザップのお世話になることもなく美しい体型であったが、コロナ禍、長期の自粛によりチョッピリ下腹が出てきたようだ、大変だ醜い体型に変化してきた。 『今なら間に合う 早めの対応』、、、、今日は7時に浅草橋の我が家を出て、国道6号(=水戸街道、浅草言問橋までは“江戸通り”)を葛飾区青戸まで歩いてきた。 約10km、1万8千歩



● 7時05分・・・・・・・・・・浅草橋駅前を出発。 朝食がまだ消化していないのか、それともコロナ太りか、チョッピリ胃がダブつき歩きづらい気がする???、、、、国道6号(江戸通り)は空き空き!

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● 7時15分・・・・・・・・・・“蔵前一丁目交差点通過”と言いたいが、交差点で『ラッキー』叫びたくなった。 財布を拾った、中には一万円と少々、キャシュカードもある、運転免許証もある。 免許証から落とし主は30歳前後の女性。 アレアレ・コリャ、落とし主は困るだろうと、警察にお届けに参上。 婦人警官もいるので、ここは男っぷりを見せ、報労金(謝礼)・所有権などを放棄して、落とし主に財布が戻ることを願い警察をあとにする。、、、、チョッピリ良いことをしたので、足取りも軽くなった!

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● 7時40分・・・・・・・・・・駒形堂を過ぎ、東武伊勢崎線「浅草駅」前通過。、、、、駒形堂の扉は開いてる!、、、、まだ駅前の人通りは少ないね!

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● 7時55分・・・・・・・・・・「言問橋西詰交差点」通過。 「江戸通り」の愛称はココまで、言問橋を渡り墨田区に入ると、単に国道6号(水戸街道)となる。、、、、言問橋で隅田川を越えると、向島の町。 すれ違う女性は向島美人、私もチョイト振り返る!

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● 8時30分・・・・・・・・・・8時を過ぎ青空が見えるようになってきた。 明治通りと交差する「東向島交差点」通過すると、引き続き東武伊勢崎線のガードを抜ける。、、、、久しぶりの散歩、チョイト足に疲れが出てきた。 ガンバレ、雅万歩!

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● 8時55分・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り荒川を越える。 川向こうは葛飾区四つ木。、、、、大正11年(1922)、荒川放水路開削に伴い木製の四ツ木橋(旧橋)が架橋された。 現在の四つ木橋は、昭和27年(1952)に永久橋が開通した。 橋長:507.4mである。、、、、四つ木橋の下流側に、曳舟川通りを延長する形で新四ツ木橋が架かっている。 コチラは昭和48年(1973)の竣工。

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● 9時10分・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り、葛飾区に入ると「四つ木駅 600m」の案内板が見えた。 足の疲れに自問自答し、『まだ歩ける、死ぬことはない!』と、先を目指す!

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● 9時20分・・・・・・・・・・「新田広小路交差点」通過

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● 9時40分・・・・・・・・・・京成本線:お花茶屋~青砥間のガードを通過。 ガードの先に「白鳥二丁目交差点」がある、ここで国道6号から外れ、京成線青砥駅へ向かうことにした。 足の退化を実感し、疲れた! 

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● 10時10分・・・・・・・・・・国道6号から外れ、青戸第一団地内を抜けて青砥駅に到着。、、、、コロナ感染には注意しなければならないが、コロナ太りにも要注意!

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2021年5月 3日 (月)

我慢は辛い!

感染力が強い「N501Y」が東京を襲いはじめ、先週から外出をひかえ、自宅軟禁状態が続く。 TVでは、ゴールデンウイークと重なり、観光地・繁華街の人出の増加情報が連日放送され、何となく“外出OK”の雰囲気だ。 しかしニュースは引き続き、今日の感染者数・重症者数が“過去最高”であったことなど報道し、不要不急の“外出自粛”を再認識させられる。 ところがさらに、ニュースの後に医療崩壊の特集番組が続き、医療の危機的状況を知ると、気持ちは決定的に“外出不可”となる。、、、、そんな毎日、散歩はできず、我慢は限界!

・・・・・・・と、思いながら、今朝7時に浅草橋の我が家から神田明神まで早朝の散歩。 往復で1万1千歩




● JR総武線の高架橋に沿って、浅草橋から隣りの秋葉原に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・朝7時、通勤通学客のいない浅草橋駅。 駅高架下の店は休み、どこも開いていない。 歩く人もなく、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・JR総武線の両国~御茶ノ水間は昭和7年(1932)7月1日の開通。 また、浅草橋駅および浅草橋~秋葉原間の高架橋・架道橋は、同時期に完成した。、、、、秋葉原側の高架橋は、三階建ての建物が内部に造れる巨大なアーチ形状の構造となっていいる。

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・・・・・・・・・・・・高架橋の南側に区立の佐久間公園(千代田区神田佐久間町)がある。、、、、この公園の周辺には、江戸時代、町人地と武家の屋敷地とが混在していた。 「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされている。、、、、佐久間公園はラジオ体操会発祥の地としても知られ、「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和5年(1930)に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めたそうだ。、、、、【蛇足】 ラジオ体操の発祥地は、ここ佐久間公園の他、文京区の大塚公園、足立区の千住本氷川神社にも、それらしき謂れを標した記念碑がある。(どこが本当の発祥地か? 知る人ぞ知る!)

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● 秋葉原駅前に到着。、、、、秋葉原駅は明治23年(1890)11月1日に日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。 明治39年(1906)に国有化され、大正14年(1925)11月1日に東北本線上野~東京間の高架線が開業し旅客営業が開始された。 昭和7年(1932)に総武本線、御茶ノ水~両国間が開業し、総武本線のホーム(3階)が山手線・京浜東北線のホーム(2階)の上にでき、立体交差する二重高架構造の駅となっている。、、、、昭和40年(1965)に設置された総武線ホーム(3階)と昭和通り口(1階)を結ぶ日本最長のエスカレータは有名で、知る人も多い。 また昭和60年頃(?、私の記憶で不確か)までは、総武線ホームと電気街口を結ぶエレベータもあった、こちらは知る人ぞ知る。

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・・・・・・・・・・・・時刻は8時、駅前の電気街には、まだ人影は少ない!

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・・・・・・・・・・・・メイド喫茶の多い電気街の中(千代田区外神田1)に、「講武稲荷神社」がある。、、、、講武稲荷神社は、安政4年(1857)の鎮座で、運慶作と伝えられる神体を祀っている。 この地は、住居表示改正以前は旅籠町(はたごちょう)と称していた。、、、、戦後、昭和40年頃(?)までは、神社の近くに「旅籠町交番」(昌平橋際、現存せず)があった。 この交番は、私(雅万歩)が4歳ぐらいの頃迷子になり、保護された思い出の交番である。 メイド喫茶に行って、ミルクでも飲むつもりだったのかも(?)

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● 秋葉原から昌平坂を上り、神田明神へ、、、、神田明神は、千代田区外神田に鎮座する神社で、正式名称は「神田神社」 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。、、、、江戸時代の社殿は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失。 その後、3年の歳月をかけて昭和9年(1934)に権現造で、日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造・総朱漆塗で現在の社殿(国の登録有形文化財)が完成した。、、、、ここでも、早朝の神社は人影はまばら。 境内では、禰宜・巫女さんが、掃除や開店準備で忙しそうだ!、、、、拝殿では早速、お賽銭を奮発し新型コロナ感染症鎮静を祈願して、二礼二拍手一礼。

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● コロナに感染しないよう、早々と来た道を戻る。、、、、我が家にもどれば、再び自粛生活、我慢・我慢はチョイト辛い!

 

2021年4月26日 (月)

退屈だ!

東京では昨日から三回目の「緊急事態宣言」が出た! 都民に対しては、日中も含めた不要不急の外出自粛、都県をまたぐ不要不急の移動は控える、飲食店は酒類の提供を控える、大型商業施設の休業要請、イベントの無観客開催要請など、徹底した対策を短期集中で実施する。 しかし、三回目の“緊急事態”では、都民も慣れっこになり、国や都の言うことを聞かないようだ!、、、、浅草橋に住む我が老夫婦は、“コロナ生活”に慣れっこに成ってしまい、コロナの怖さを感じながらも、こじつけの理由を作り息抜きの外出を楽しんでいる。

今日は、マイナンバーカード作成申請の為、夫婦で台東区役所へ行き、帰りは浅草へ「緊急事態宣言」の効果を確認しながら、チョイト買い物を楽しんできた。

 

● マイナンバーカードは今月までに申請すると5000ポイント貰えるそうなので、連休前に手続きをしに行ってきた。 上野の台東区役所へ行くと、順番待ちで待たされたが、写真も撮ってくれて、簡単に手続き完了!、、、、それにしても区役所内は、何やらの手続きに大勢の人が来庁し、忙しそうだ。 2メートル以上の距離を確保するのは難しいね!

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● 上野の区役所から、浅草へ向かい人出を確認。、、、、“午後3時”人出の一番多そうな時刻、六区は人影まばら、浅草寺はガラガラ、鯉のぼりが悠々と泳いでる、仲見世もシャッターが下りている。 この調子なら“コロナ”の心配は無用かも!

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● 家に帰れば、またまた自粛生活・・・・・・・・昨年、あるホームページにこんな川柳があった (私の心境を語ってる)

             コロナより 退屈怖い 高齢者 (打々っ鼓)

2021年2月25日 (木)

ラブホテル街の神社

我が居住地の台東区役所へ所用で行かねばならず、今日の散歩は浅草橋の我が家から、上野駅前の区役所に寄って、鶯谷を通り日暮里駅まで歩いてきた。 1万1千歩


● 我が家(浅草橋)から、上野の台東区役所まで、気温3度の早朝の町を歩いて行く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・JR浅草橋駅の北側で生まれ育って75年、いつの間にか周囲にはマンションが並び、知らない人が増えてきた。

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・・・・・・・・・・・・浅草橋5丁目に「都立忍岡高等学校」がある。 明治36年(1903)に、私立日本女子美術学校として芝公園に開校し、その後、本郷千駄木に移り、東京市立第一女子技芸学校となる。 大正時代には池之端に移転。 昭和15年に、現在地に移転。 戦後は都立忍岡高等学校となる。、、、、南隣りの我が母校である「旧柳北小学校」(平成13年閉校)と共に、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、約2,600坪の蓬莱園と称する庭園があった。 庭園は関東大震災で壊滅したそうだ。 当時を偲ぶものは、校庭の大イチョウの木だけ、校舎の西隅に蓬莱園跡の石碑がある。

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・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りを横切って、鳥越の町に入り「おかず横丁」を抜ける。 おかず横丁は、鳥越1丁目にある商店街の通称。 長さは200m程で、惣菜店、日用品などの店舗が並んでいる。 周辺は、戦前から家内制手工業が集積する軽工業の町であったため、多くの女性も働いていたことから、必然的に総菜類を提供する店舗が並ぶ商店街となった。 今では、半数近くの店舗はシャッターを下ろしたようだ。、、、、今朝は、可燃ゴミの収集日、店の前にはゴミ袋が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・おかず横丁を抜けると、台東区台東3丁目・4丁目には、「佐竹商店街」が続く。 清洲橋通りと春日通りを結ぶ全長330mの全蓋式アーケードの商店街で日本で二番目に古い商店街といわれている。 明治の初年に秋田藩(藩主:佐竹氏)の屋敷跡に見せ物小屋、寄席、飲食の屋台等が並び、盛り場として賑わい、下町情緒豊かな商店街として発展した。、、、、朝8時、まだ商店街は寝ている。

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・・・・・・・・・・・・東上野4丁目、浅草通りに面して洋風建築の「比留間歯科醫院」がある。 昭和4年(1929)に建てられた木造3階建ての可愛らしい歯科医院。 空襲の戦火に巻き込まれずに残った建物。 よくぞ残った!

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● 昭和通りを挟み上野駅の正面裏に「台東区役所庁舎」がある。 久米設計の設計により、昭和48年(1973)に竣工した建物。 今年で築48年になる。 数年前に大規模な改修工事が行われ、まだしばらく利用するようだ。 建て替えの話はまだ出ていない!、、、、庁舎の建っているこの地は、かつて臨済宗紫野大徳寺末の円満山〝びっくり下谷の広徳寺〟のあったところだ。 関東大震災で寺域を縮小し、戦後に柳生宗矩・三厳(十兵衛)・宗冬3代、立花宗茂の墓とともに、広徳寺は練馬区桜台へ移転した。

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● 区役所庁舎の北側に「旧下谷小学校」の校舎が残っている。、、、、旧下谷小学校校舎は、関東大震災後の昭和3年(1928)に復興小学校の一つとして安藤組(現:安藤ハザマ)の施工で竣工した。 鉄筋コンクリート造3階建て。 この地も広徳寺の跡地である。、、、、下谷小学校は明治19年(1886)創立。 平成2(1990)年4月に清島小学校と合併して上野小学校となり閉校。、、、、ツタに覆われた校舎は区で(倉庫として?)使用しているようだ!

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● 上野から鶯谷へ・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・上野駅には出入口が多いが、一番北側のマイナーな出入口が「入谷口」であろう!、、、、ここから入って山手線のホームまでは、構内をタップリ歩かされて10分ぐらい要するかも? 疲れる駅だ!

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・・・・・・・・・・・・上野駅入谷口の正面に、鉄道オタクにはピンとくる日本最古の鉄道学校「岩倉高等学校」がある。、、、、「岩倉」の校名は、鉄道創設に貢献した岩倉具視に因んだもので、学校の校章は岩倉家の家紋「笹竜胆」と鉄道のレールを組み合わせたデザインである。、、、、平成26年(2014)から、男女共学となり、鉄道の営業・技術を教える運輸科と普通科の2科となった。 女性運転士・車掌の時代に対応したのかも?

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・・・・・・・・・・・・上野郵便局前から、常磐線の線路沿いに狭い道を入っていく、、、、、「新坂跨線橋」という、鶯谷駅南口へ向かう跨線橋の下をくぐり鶯谷駅北口を目指す、、、、、しばらく、ラブホテル街が続き、すれ違う人は皆、下を向いて足早に消える、、、、、鶯谷駅北口前の元三島神社に寄って行くことにした。(ハンチングにマスクした私が、カメラを持ってこんな処を歩いてると、何だか怪しい人物と思われているかも?)

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・・・・・・・・・・・・ラブホテル街のド真ん中にある「元三島神社」、、、、元三島神社の社殿はコンクリート造の人口地盤の上に建てられ、一階は居酒屋だ。、、、、境内の由緒書によると、『当社はご祭神は大山祇命、伊佐那岐命を頂き、和足彦命、身島姫命、上津姫命、下津姫命を配祀申すものである。 例大祭はご祭神勧請の時にちなみ5月14、15日とする。 元三島神社は円融天皇御代日本総鎮守の称号を賜って名高い愛媛大三島の元国幣大社大山祇神社を御本社頂くものである。 当社由来の源は弘安4年の役の勇将河野道有大山祇神社に必勝祈願し出陣したる処神恩加護の下武功赫々として帰陣したところ夢中に神のお告げを得て大山祇大明神を武蔵国豊島郡に勧請の願を発し上野山内に分霊を鎮座申上げた事に始まったと伝えられる。』、、、、境内の河津桜が見事に開花し、参拝客がカメラに収めていた。

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● 元三島神社をあとにして日暮里駅に向かうと、台東区根岸2丁目に民家と間違えるような寺院「根岸薬師寺」がある。、、、、根岸薬師寺の近辺にはかつて御隠殿址があり、輪王寺宮一品法親王が、公務外時の休息の場として利用する、輪王宮の別邸「御隠殿」があったと云われてる。 輪王寺宮一品法親王は、天台座主に就き、東叡山・日光山・比叡山の、各山主を兼帯したので「三山管領主」とも呼ばれ、第3世から幕末の第15世まで、親王あるいは天皇の猶子(養子)を迎え継承されてきた。 つまりは、天台宗のトップの別邸があった処。、、、、今の世なら、上野の歓楽街、鶯谷のラブホテル街にも近く、絶好の場所だ!

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● 薬師寺から日暮里駅まで歩き、電車で帰宅、、、、、家に着いたら、『うがい・手洗い』忘れずに!

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2021年2月10日 (水)

前立腺ガン心配なし!

上野の総合病院にて、3カ月ごとに泌尿器科の定期検診を受けている。 今日はその検診日、朝一番の予約。 先生から、前立腺ガンの検査結果は『PSA値が1.57だ、心配はいらないよ!』の一言。(血液検査のPSA値が4.0以下なら陰性で“心配なし”、4.0以上な陽性で“疑いあり”)、、、、最後に、いつものように、お土産に前立腺肥大を抑える薬、尿を出しやすくする薬を3種類3ヵ月分、処方してしてもらう。

【おさらい】「前立腺肥大」と「前立腺ガン」は、排尿障害など似ている症状があるが、発症メカニズム、発症部位はいずれも異なり、全くの別ものであるらしい。、、、、前立腺ガンになると、治療後の後遺症として“排尿障害”や“勃起障害(ED)”があるそうだ。 70歳を超えた私は、“勃起障害”は我慢できても、“排尿障害”は辛そうだ。 症状が出ないことを祈るばかり!、、、、詳しくは自分で調べて!


今年も、前立腺ガンの心配なし、安心して病院を出た! チョイト、東本願寺にでも寄って、我が家まで歩いて帰ろう! 



● 上野の病院から仏具屋が並ぶ「浅草通り」を歩き、西浅草1丁目の東本願寺に参る。、、、、慶安4年(1651)に神田で、京都東本願寺の別院として開創。 明暦の大火により焼失し、現在の浅草に移転し、浅草本願寺となる。 昭和56年(1981)には、「お東さん騒動」として有名なお家争いの末、真宗大谷派から独立し、「浄土真宗東本願寺派 本山東本願寺」となる。、、、、境内は広く本堂の他に、4階建ての門信徒会館、宗祖親鸞聖人七百回御遠忌を記念して建立された会館、幼稚園、浄土真宗を教える学校、墓地などが点在する。 しかし、空襲で焼失したのか(?)樹木は少なく緑の無い境内は、どうも私は落ち着かない!、、、、木造の旧本堂は関東大震災で焼失し、昭和14年(1939)に、皇室関係の建物を多く手掛けた木子幸三郎(きごこうざぶろう、1874年~1941年)により設計された鉄筋コンクリート造の現本堂が再建された。 しかし、再建された本堂は昭和の空襲で被災したため、戦後になって焼失した内部は改修され、現在の荘厳華麗な造りとなった。

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● 東本願寺に参拝し、寺から南に歩くと、元浅草三丁目に小さな境内の「孫三稲荷神社
(まごぞういなりじんじゃ)」がある。、、、、孫三稲荷神社は、天正年間(1573~1592)徳川家康が、「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川を渡ったが、後にその孫三を探したところ該当者はなく、安倍川の川辺に「孫三」の名を持つ祠があったことから、この稲荷の化身であったという霊験により、天正18年(1590)関東入国の際、家康の命により稲荷の神体ごと川村某の手により江戸の神田三河町に遷座、慶安年中当地(安倍川町)に鎮座したと云われている。 現社殿は昭和26年(1951)の再建。、、、、ここの稲荷のお供えは、“油揚げ”ではなく“安倍川餅”かも?

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● 孫三稲荷の西、元浅草4丁目に浄土宗寺院の「誓教寺」がある。、、、、本堂はモダンな形の建物。 起立は不詳だが、開山した善蓮社貞誉上人浄求閑悦和尚が慶安元年(1648)に亡くなっていることから、寛永17年(1640)頃には現在地に創建されたと推定される。

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・・・・・・・・・・・・誓教寺の境内には東京都指定旧跡の葛飾北斎の墓がある。 葛飾北斎は宝暦10年(1760)に江戸本所割下水(現:墨田区亀沢)で生まれ、「富岳三十六景」をはじめ多くの傑作を描き、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えた。 葛飾北斎は、生涯に住居を93回も引っ越し、嘉永2年江戸浅草聖天町の長屋で三女の阿栄(おえい)、に看取られて没した。 北斎の墓は、幕末まで北斎の父と合葬されていましたが、現在の墓は、後に他家の養子となっていた次男の崎十郎が建てた説と、崎十郎の娘 白井多知が建てたという説がある。 誓教寺墓地の中央付近に、多くの一般の墓と共に北斎の墓がある。 墓石には「画狂老人卍墓」とあり、右側面には『ひと魂の行く気散じや夏の原』の句が刻まれている。、、、、また、本堂前には平成2年(1990)に、生誕230年を記念して関口昌孝作の胸像が建てられた。 何となく、若々しく見える北斎の像

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誓教寺の正面(元浅草2)には、真言宗智山派の吉祥院がある。 吉祥院は摩尼山隆全寺と号す。 創建年代は不詳。 慶長16年(1611)に中野に寺領を得て、寛永21年(1644)には現在地へ移転した。、、、、、こちらの寺は、街中の小さな寺であるが、何時も境内は手入れが行き届き、綺麗に刈られた植栽と、掃き清められた庭が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。 いい雰囲気の私好みの寺だ!

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● この他、台東区元浅草、寿の寺を歩きながら、浅草橋の我が家に帰宅。

2021年2月 5日 (金)

閻魔さまに祈願

“緊急事態宣言”が延長され自粛生活がさらに続くこととなった。 家に籠る毎日に飽き、立春も過ぎ暖かくもなり、歩きたい! 今日は、チョイト禁を破り、我が家から錦糸町までナイショで不要不急の散歩をしてきた。

我が家(浅草橋)から、江戸通りを厩橋まで、厩橋からは春日通りを東へ向かい横川一丁目交差点まで、その後南へ折れて錦糸町駅から電車で帰宅。 1万3千歩




● まずは、毎度おなじみの江戸通りを厩橋交差点に向かう。

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・・・・・・・・・・・・厩橋交差点にある「東京厚生信用組合浅草支店」、、、、この建物は昭和4年(1929)に、安藤組(現:安藤ハザマ)の設計・施工で建てられた。 外観はほぼ竣工時の姿を残している、レトロな建物である。、、、、シャッターが下りているのは、まだ営業時間前(am7:45)のため。

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・・・・・・・・・・・・もう一つ、厩橋の西詰(台東区側)、交番の隣りに人​の​顔​を​デ​ザ​イ​ン​し​た​、遊び心のある​公​衆​ト​イ​レがある。 ​顔​の​あ​る​側​に​、​男​、​女​別​れ​て​入​り​口​が​あ​る、チョイト寄ってみたくなるね。 でも、内部は普通のトイレ、隣りにお巡りさんも居るので、安心してゆっくり用を済ませてね。、、、、平成4年(1992)台東区の「まちかど賞」受賞

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● 隅田川に架かり、台東区蔵前・駒形と墨田区本所を結ぶ「厩橋(うまやばし)」、、、、橋名は西岸にあった「御厩河岸(蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があった)」に因む。 もともと元禄年間ごろから続いていた「御厩の渡し」のあった処。、、、、現在の橋は、3径間下路式タイドアーチ橋、橋長 151.4m、幅員 22.0m。 工費114万5千円にて、大正15年(1926)に着工し、昭和4年(1929)に竣工した、震災復興橋の一つ。 橋の所々には、馬を連想させるレリーフなどが施されている。、、、、橋の下の川底には都営大江戸線が走っているが、上下線は厩橋を挟むように、橋台を避けて迂回している。 たぶん、古い橋の橋台に影響を生じないように避けたものと思われる。 

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● 厩橋を渡り、春日通りを東へ歩き、本所1丁目と2丁目の交差点に来ると、大通りの角に小さな「厩橋交番」がある、、、、現在は“交番”ではなく、「厩橋地域安産センター」に変わっている。 小さな三角形の角地に合わせ昭和3年(1928)に建てられた、小さく狭い交番建築である。 石造りを模したコンクリート造の交番は、チョビ髭のお巡りさんが警棒を持って立っているような、懐かしい雰囲気を漂わせている。

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● 本所2丁目の若宮公園の一角に摂社若宮牛嶋神社がある。 その鳥居前の木陰に隠れるように満州事変忠魂碑がある。 おそらく、戦前はもう少し目立つところに堂々と置かれていたと思われるが、今は目立たぬようにか(?)木の陰にひっそりと置かれている。、、、、昭和6年(1931)に始まった満州事変では本所区から700余名が出征した。 その中で戦死した霊を祀り昭和10年(1935)に遺族が碑を建てたものだ、塔頂部は満州らしい七重塔が飾られている。

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華厳寺は本所2丁目にある浄土真宗大谷派の寺。東本願寺の末の名刹で、権大僧正光円法印が慶長8年(1598)に本所中之郷に創建し、延享4年(1774)に本所の現在地へ移転した。、、、、華厳寺のお閻魔様は、延宝7年(1679)から境内に安置され、江戸六十六ヶ所えんま詣り第二十番目にあたり、「厄除けえんま堂」として広く庶民に信仰されてきた。 堂には、室町時代中期の作と思われる老婆の鬼「奪衣婆の像」もまつられている。 “怖い”というより、愛嬌を感じ、親しみの湧く2体の像が閻魔堂に祀られている。、、、、本堂は、只今工事中!、、、、今日は閻魔さまに、日本全国民の代表として小銭38円を賽銭箱に投じ、コロナ退散を祈願してきた。

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● 本所4丁目には、勝海舟の父親の小吉が参拝していた日蓮宗の能勢妙見山別院がある。、、、、“能勢の妙見さん”と聞くと勝海舟を思い出し、昭和49年(1974)のNHK大河ドラマ「勝海舟」を思い出す。 大河ドラマでは、松方弘樹が海舟(勝麟太郎)で、二代目尾上松緑が父親の勝小吉。 松緑の小吉が素晴らしい“江戸っ子”だった。、、、、小吉は麟太郎の病(犬にチン玉を喰われた)の時、ここ本所の妙見さんで水垢離をして祈ったと言われている。、、、、妙見山別院は小ぢんまりとした小綺麗な寺で、境内には四季の野草などが花を咲かせている。 境内の海舟の像が花を楽しんでいるようだ!

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● 現在は暗渠化し、その上に親水公園が整備された大横川に架かる2橋に寄った・・・・・

・・・・・・・・・・・・妙見山別院の東側にある紅葉橋、、、、石原4丁目と横川1丁目を結ぶ橋で、昭和5年(1930)に架設された。 全長35.11m・幅11m。 紅葉橋という名は、このあたりに楓川という細い流れがあったので、それにちなんで付けられた。 アールデコ風の親柱が印象的だ!

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・・・・・・・・・・・・紅葉橋の上流側(北側)に架かる横川橋、、、、橋上は春日通り、本所4丁目と横川1丁目を結ぶ橋で、昭和3年(1928)に架設された。 全長32.65m・幅22.7m。 親柱には外灯・装飾などがあったと思われる台座が残っているが上部は無い!

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● 横川1丁目、日本たばこ産業の正門前で南に折れ、スカイツリーを背にして錦糸町駅に向かう。、、、、散歩中の濃厚接触者はいないと思う。 コロナに感染していないと思うね!

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