台東区

2023年9月15日 (金)

下町商店街

今日は10週間ぶりに、上野駅近くの総合病院で泌尿器科の検診日。 特別悪いところなし、前立腺肥大の薬をもらい、また来てね!、、、、9時過ぎ外は暑そうだが、浅草橋駅近くの我が家まで歩いて帰ることにした。




● 昭和31年(1956)紀元節(2月11日)に地下鉄銀座線の稲荷町駅付近に開院した、チョッピリ古い永寿病院。 その後、名前は永寿総合病院と変わり、現在地の東上野へ移転した。 病院の運営母体である公益財団法人ライフ・エクステンション研究所は、生活習慣病検診の草分けであり、「活動年齢の延長」が理念である。 病院は、内科系・外科系・産科、婦人科・小児科等の科を有し、400床の総合病院。 台東区唯一の中核病院でもある。、、、、我が家の隣りの老夫婦、我が家の向かいの御老体、我が家から二軒先の御老人、みんなこの病院で亡くなった(合掌)

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● 病院から南東へ春日通りに面し、つくばエキスプレスと都営大江戸線の新御徒町駅出口の脇に佐竹商店街のアーケードが見える。 春日通りは商店街の北端で南端は清州橋通り。 全長330mの全蓋式アーケードの商店街である。、、、、佐竹商店街は、台東区台東3丁目・4丁目の東側に、明治31年(1898)に商店街組合を結成した、金沢の片町商店街に続き日本で2番目に古い商店街である。 ちなみに、都内では人形町の商誠会は明治42年(1909)、渋谷道玄坂商店街が明治45年(1912)である。、、、、商店街名の“佐竹”は、江戸時代に当地に出羽国久保田(秋田)藩の上屋敷(藩主:佐竹氏)があったことに由来する。、、、、私が記憶している佐竹商店街は、戦後の下町情緒豊かな商店街であったが、今は近くにできた大型量販店・スーパー等に負け、店主の高齢化もあり廃業した店も多い。 地元の住人としてはチョイト寂しいね!

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● 佐竹商店街を抜けた先にある都営住宅「台東小島アパート」は、東京五輪の昭和39年(1964)に建てられた。 整然と窓が並ぶ四角い巨大な建物は、頑固爺のような威厳を感じさせる。 そろそろ建て替えの時期かも? この建物の1階には、かつて三味線堀マートというスーパーがあったが、今は無い。、、、、名前の“三味線堀”は、寛永7年(1630)に近くの鳥越川を掘り広げて造られ、その形状から三味線堀とよばれた物資の集積場に由来する。  

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● 佐竹商店街南端から南へ150m程歩くと、コレマタ、おなじみの「おかず横丁」(台東区鳥越1)がある。 蔵前橋通りの北側に平行する通称「おかず横丁」、正式名は「鳥越本通り商盛会」。 戦火を免れた古い建物(看板建築・銅板建築・出桁造り)も残る下町の商店街。 何かとTVでおなじみの人も多いかと思う。、、、、しかし、この商店街も変わった! 商店街には私の小学校の同級生も多くいたが、どこも代が変わり、客も変わり、店は変わり、建物も変わり、知る人も居ない。

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● おかず横丁を抜けると、鳥越神社までは約150m。 手を合わせて帰ろう。、、、、さいふの中の小銭を全部、賽銭箱に投入。 紙幣はポッケにナイナイ。、、、、我が家までは徒歩3分、タダイマ!

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2023年9月10日 (日)

浅草で試し撮り

普段、私が散歩に出るときの持ち物は、財布、小物入れ、ipad、スマホ、カメラをバッグに入れて家を出る。 財布には緊急時に自宅までタクシーで戻れる程度の現金を入れ、医療機関の診察券と都内の交通機関の敬老パスが入ってる。 小物入れには、自宅のカギと補聴器の予備電池が入ってる。 ipadは迷子になったらGoogleマップで居所確認できるよう、それと休憩時の暇つぶしにネット利用。 スマホは緊急時に妻との連絡用(ほとんど使用せず)、SUICAの利用が主たる用途。 カメラはもちろん行動記録。 バッグの全重量は1㎏以上。 何といってもカメラが重たい。 ボディとレンズ一体で900g以上ありそうだ。、、、、ここで、チョイト考える! 私は母から『男は外に七人の敵在り』と教わり、家から出るとどんな敵(街の女性を含め)がいるかも知れない、“それなりの現金を常に持ってろ”と言うことだ。 でも、70歳を超えた今、勝負事はやらず、女の話もなく、もし支払いが必要ならクレジットカードが2枚、おさいふ携帯もある。 現金は持ち歩く必要ないかも?、、、、さらにチョイト考える! 若い時から外出時には腕時計をはめてる。 でも、今の時代、ipad、スマホ、カメラに時計機能が内蔵されてる。 腕時計は余分かも? 年老いて毎日が日曜日の人間が時刻を気にすることもない!、、、、ついでにチョイト考える! 迷子になったら居所確認用の地図、ipadで見てるが、同じ機能はスマホにもある。 二つは必要ないかも、でも老眼なので画面のでかい方が見やすいね!、、、、チョイトじっくり考える! 今の時代、写真撮影は、若い人を中心にスマホがお手軽、年配のご婦人はipadが便利、フイルムカメラを愛用したお年寄りは一眼レフにこだわり続ける。 私の散歩には、スマホ、ipad、一眼レフが御同行! 3つも要らね~な!

・・・・・・・・・・ と言うことで、散歩の持ち物を整理しようと思ったが、どれもこれも手放せず! やっぱり、持って歩きたい、整理できないね!、、、、しかし、腰痛で整形外科に通う私には、カメラの重さが腰に堪える。 そこで、昨日、軽いカメラに買い替えた。、、、、これまではSONYの「α7Ⅲ」、新しい機種はSONYの「α6700」 フルサイズカメラからAPS-Cカメラに変更し、チョッピリだけど、重量を200g程の軽量化した。

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今日は、カメラの試し撮りで浅草をブラブラ。 9千歩


● 只今7時30分、地下鉄浅草駅にある地下商店街に行ってみた。、、、、昭和28年(1953)に完成した地下街には、呑み屋、雑貨屋、すし屋、床屋、マッサージ店、占い館など20軒程の店舗が並ぶ。 レトロな昭和の雰囲気が残る空間として、最近人気上昇中。、、、、立ち食い蕎麦屋は営業中、他の店はまだ熟睡中。

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新仲見世通り、まだシャッターが下りてる

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雷門前に外人さんが集まってきた! 仲見世は人通りも少ない

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● 朝8時、本堂は開門し早起きの外人さんの姿も見られる

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● 9時、そろそろ店も営業開始。 雷門前でも多くの外人さんが記念撮影中。

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● 雷門前の浅草文化観光センターの8階からパチリ!

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・・・・・・・・・・ 今日も暑い、これ以上ブラブラすると熱中症間違いなし、帰宅する!

2023年8月31日 (木)

夜明けの隅田川

毎日が猛暑・酷暑でドッコイショ! まだまだ日中は暑く、散歩に出る勇気なし! 今朝は4時前に起き、夜明けの散歩に行ってきた。 浅草橋の我が家から、鳥越神社 → 蔵前橋 → 東京都慰霊堂 → 刀剣博物館 → 隅田川テラス → 両国橋 → 柳橋 → 浅草橋駅と、ぐるりと回ってきた。 7千歩




● 昨夜は9時に眠りに入り、今朝は3時45分に目が覚める、眠り疲れたのでそのまま起床。 『そうだ、夜明けの散歩をしよう!』と家を出る。 夜空には星が輝き、まだ暗い。 ご近所さんは熟睡中、静かに我が家をあとにする。

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● 我が家から数分で鳥越神社に到着。 賽銭泥棒が活躍する時刻だ! 間違われないように賽銭を奮発し、堂々と参拝。

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蔵前一丁目交差点、東の空はチョイト明るくなった、そろそろ夜明けかな? 只今の時刻4時31分、国立天文台の計算値では今日の日の出は5時12分、東京の空は日の出の40分程前から明るくなるようだ!

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● 隅田川に吹く風がチョッピリ涼しげな蔵前橋を渡る。 橋から上流側には、夜明けの空にスカイツリーのシルエットが映る。

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● 明日は9月1日、震災記念日だ、『チョックラ、震災記念堂に寄って行こう!』 下町の年寄は“震災記念堂”、今の若い人は“東京都慰霊堂”と呼んでいる。 旧震災記念堂(現:東京都慰霊堂)には、震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されている。 明日は関東大地震から100年目、大勢の参拝が見込まれるので、私は今日手を合わせていく。 合掌

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・・・・・・・・・・ 東京都慰霊堂前、東の空は赤く染まってきた! 山頂とは違うので、御来光は見えないね!

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● 震災記念堂から隅田川へ出る道沿い(全て墨田区横網町)に、大きな建物がいくつか、、、、写真の順に、①国際ファッションセンタービル(地上25階、第一ホテルが入居)、②NTTドコモ墨田ビル(地上27階、遠くからでも目立つ背の高いビルです)、⓷アパホテル&リゾート 両国駅タワー (地上31階、客室数1111室)

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● 震災記念堂の西側に安田庭園があり、その一角に刀剣博物館がある。 私は、近くに住むからか(?)いまだ、内部見学してません、ゴメン!

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隅田川テラスとは、上流の北区から下流の江東・中央両区まで、隅田川岸両岸に整備された親水テラス(台風が来ると“浸水”テラスになる)、、、、両国国技館前のテラスを歩き、両国橋まで、、、、総武線隅田川橋梁では、5時チョウド浅草橋発の一番列車が通過する、、、、体操で鍛えるお年寄り

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● 今日の日の出時刻の5時15分、両国橋を渡る。 すでに空は明るい。 

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● 「贅沢な人の涼みや柳橋これは正岡子規の句。 チョイト昔は夏の夕涼みができた川岸も、今は日が落ちてもムシムシ、ダラダラ、ベトベトの熱帯夜。 モ~嫌!

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浅草橋駅の到着。 駅裏の銀杏岡八幡神社にも朝の御挨拶、『今日も一日平穏でありますように』、あたりさわりのない言葉で神頼み。、、、、5時35分、我が家に到着。

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2023年8月28日 (月)

夏休みも終わり

そろそろ夏休みも終わり、まもなく二学期が始まる。 雅万歩も散歩を再開する予定。 今日は、循環器内科の定期診察日。 “足慣らし”で浅草橋の我が家から、水道橋のクリニックまで歩いて来た。 久しぶりに1万1千歩。




● 朝7時40分、出勤で駅から出てくる人はまだ少ない。 浅草橋駅西口は静かな都心のローカル駅。、、、、真っすぐ西に伸びる高架橋、その先には隣りの秋葉原駅がある。 今日は“足慣らし”のつもりで無理せず、線路沿いに歩いて水道橋へ向かうことにした。

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・・・・・・・・・・ 浅草橋駅西口の近くに奇妙なビルが建つ!、、、、竣工まじかのようだ。 道路からから見ると、窓が一つも見えない。 高架を走る電車から見ると窓はあるが、逆さまに造られた庇(?)で遮られ見下ろすことのできない窓! チョイト好奇心から覗いてみたくなる建物だ!、、、、建物は「MONOSPINAL」というオフィスビル、設計は山口誠デザイン、施工は清水建設、地下1階地上8階建てらしい。

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・・・・・・・・・・ 大きなアーチが特徴的な高架橋(昭和7年(1932)完成)を過ぎると、先に秋葉原駅がある。

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● 高架下に秋葉原駅昭和通り口がある、次はヨドバシカメラ前の中央改札口、そしてアトレがある電気街口と続く。、、、、昭和通り口には総武線が開通した昭和7年からエスカレーターが設置されていた。 中央改札口はつくばエキスプレスが開業した、平成17年(2005)に新設された出入口である。 電気街口のアトレは、戦後、アキハバラデパートが営業してた処である。、、、、私の祖父母が秋葉原駅の近くに住んでいて、毎日のように遊んでた青果市場は今は無い!

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・・・・・・・・・・ 秋葉原駅から御茶ノ水へ向かう高架橋の下で、“アマチュア無線”の文字を見る。 ネットの時代に廃れたと思っていたアマチュア無線が健在だった! 

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・・・・・・・・・・ 総武線は秋葉原駅を過ぎ昌平橋交差点では、日本最初のタイドアーチ式鉄道橋となった松住町架道橋(昭和7年(1932)竣工)を渡る。 交差点を対角線状に跨ぐため中間に橋脚を立てられないことから、支間を大きく取ることのできるアーチ橋が採用された。、、、、私が幼き頃、迷子になったのはこの近く、当時の旅籠町交番に保護された(うろ覚え!)

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・・・・・・・・・・ 松住町架道橋の次は、ハの字の形をした鋼製ラーメン形式の神田川橋梁。 この橋も昭和7年(1932)に完成した。

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● 昌平橋から淡路坂を上って聖橋の手前に、御茶ノ水駅の臨時改札口がある。 この改札は朝の通勤時間帯に使用する出口専用の改札である。 昭和62年(1987)に設置された。、、、、開設されて36年経過、いまだに“臨時”改札口?

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・・・・・・・・・・ これまでの聖橋口は只今建て替え工事中! 仮の聖橋口が使用されている。

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・・・・・・・・・・ 御茶ノ水橋口の駅舎は改装・増築されているが、昭和7年(1932)竣工当時の姿が残されている。 駅舎の設計は鉄道省、施工は大倉土木(現:大成建設)

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・・・・・・・・・・ 御茶ノ水駅を過ぎ、線路の南側「かえで通り」を歩き水道橋駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ かえで通りが皀角坂(さいかちさか)となる処に、著名なフランス語学校「アテネ・フランセ」がある。 昭和37年(1962)に完成した建物は、ル・コルビュジエの弟子である吉阪隆正が設計した。 

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・・・・・・・・・・ 皀角坂からは、中央線快速・中央総武緩行線がよく見える。 しばし立ち止まり、数本の電車を見送る。

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● 皀角坂を下ると水道橋駅東口。、、、、東口の前は「白山通り」、私の中高学生時代は、ここから都電で白山方面に通学していた。 50数年程前の思い出多い通学路であった。

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・・・・・・・・・・ 水道橋駅西口はドーム球場に近い、JRAの場外馬券売り場には至近、そして私が受診するクリニックの最寄り駅。

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・・・・・・・・・・ 大動脈解離の手術を受けて今年で10年目、ドクターに『まだまだ長生きできる』と言われ、ニコニコ! 心臓をコントロールする薬の処方箋をもらい、アリガトウゴザイマシタ!



・・・・・・・・・・ 帰りは水道橋から電車で帰る

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2023年8月17日 (木)

夜明けの浅草橋

今日までの東京都心の猛暑日(35℃以上)は20日となり、過去最多を更新してる。 また雨にも悩まされる夏となった。 70代後半の私にとっては、熱中症が怖く日中の散歩は“お預け”。 外出してもデパート、量販店、病院とエアコンのある所ばかり。、、、、そんな夏休み期間中、私の足が退化すると困るので、8月に入ってからは、毎日、早朝の御近所散歩をしている。 朝4時半頃起床し30分程、浅草橋の御近所を歩いてくる。 5時半頃からテレ朝の『グッド!モーニング』(斎藤ちはるアナのファン)を見て、一日が始まる!

今日はカメラ持参で、ご近所の散歩をしてきた。




● 今日の日の出は5時1分、ちょうどその頃我が家を出る。、、、、まだ、皆さん寝てるね、我が妻も熟睡中。

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浅草橋駅は営業開始、一番列車の到着待ち。、、、、駅裏の銀杏岡八幡神社はまだ熟睡中。、、、、日本橋と浅草を結ぶ江戸通り(国道6号)も、車は少ない。

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● 神田川を越えると中央区、中央区側にある浅草橋交差点(江戸通りと靖国通りの交差点)も車は少ない。

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● 昭和4年(1929)完成の現:柳橋を渡る。 欄干の“かんざし”を見ると、多くの柳橋芸者で華やかであった花柳界当時を思い出す。

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・・・・・・・・・・ 橋の脇には柳の木

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隅田川でチョイ休憩!、、、、まだ薄暗いが、川岸は涼しいね!

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● 柳橋の町を抜けて我が家へ戻る。、、、、東京の夜明けだ!

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2023年7月 5日 (水)

南千住から鶯谷へ

連日の30℃超えも今日はひと休みで、熱中症警戒レベルも下がったらしい。 早速、朝から散歩に出てきた。 我が家のある浅草橋駅前から、南千住行きの都バスに乗り、終点の南千住から散歩を始める。 荒川区東日暮里の町をとおり抜けJR鶯谷駅まで、9千歩の散歩。



● 「南千住駅」は、荒川区にあるJR常磐線・地下鉄日比谷線・つくばエクスプレス線の3線が乗り入れる駅である。 明治29年(1896)12月25日、日本鉄道の駅として開業。 以来、明治39年(1906)には、日本鉄道が国有化され官設鉄道の駅となる。 昭和36年(1961)に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線の駅が開業。 平成17年(2005)首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の駅も開業する。、、、、駅周辺の再開発も進み、駅もキレイになり、多くのタワーマンションもたち、住みやすい町となり、通勤通学客が多い。(かつては、日雇い労務者の街“山谷”に近く、ガラの悪い駅であったが、変わった!)

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● 南千住と言えば、江戸時代から明治初期にかけ、「小塚原刑場(こづかっぱらけいじょう)」が存在していた。 江戸時代にはそれぞれ江戸の入り口に存在した大和田刑場(八王子)、鈴ヶ森刑場(大田区)とともに三大刑場といわれた。 刑場では、死体は丁寧に埋葬せず申し訳程度に土を被せるくらいだったので夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような有様だったらしい。 この刑場での刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に本所回向院の住職が隣接する場所に常行堂(後に回向院となる)を創建した。 小塚原刑場の跡には、首切り地蔵のある「延命寺」、多くの刑死者を弔った「回向院がある。 、、、、今日、私は朝8時前に来たので、延命寺は開門前であった。 門の隙間から首切り地蔵をパチリ。 回向院では、吉田松陰・鼠小僧などの刑死者が弔われている史蹟エリアをパチリ。

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● 南千住5丁目の裏道を歩き、南千住駅と三河島駅の間に、明治29年(1896)開通の日本鉄道土浦線(現:常磐線の旧呼称)の煉瓦造のガードが3ヶ所残っている。 その一つ、アーチ型の「第3三の輪ガード」の前に出てきた。、、、、トンネル上部の笠石には、雁木(がんぎ)といわれる煉瓦を傾けて凹凸をつける装飾的な煉瓦積みが施されているのだが、煉瓦積みが劣化し脱落を防止するためネットで覆われている(チョイト判りにくいね) 貴重な鉄道遺産なので、キレイに改修してほしいね!

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● ガードを抜けると浄閑寺の裏だ!、、、、浄土宗寺院の「浄閑寺は栄法山清光院と号す。 明暦元年(1655)に創建、近くに吉原遊廓が誕生した明暦3年(1657)よりも2年早い。 病気などで死んだ遊女は、吉原遊廓の場合、投げ込み寺と呼ばれた浄閑寺に、文字通り投込まれたそうだ。 また、大正12年(1923)の関東大震災、昭和20年(1945)の東京大空襲で死んだ遊女の霊もまつられている。 吉原遊女約11,000人を埋葬。、、、、遊女を祀る「新吉原総霊塔」の石垣には、「生まれては苦界 死しては浄閑寺」の花又花酔の句が刻まれている。、、、、また、近くの“山谷”の労務者を弔う「ひまわり地蔵」もある。 

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● 地下鉄日比谷線の三ノ輪駅に近い浄閑寺から、荒川区東日暮里の町を南西方向に歩く。 千住の方から来た常磐線が上野駅に入る手前:日暮里駅付近で大きくカーブする処である。 東日暮里の町は、町工場の多い下町であり、朝鮮半島の人の多く住む町であり、かつては昭和レトロな建物も多く残っていたが最近は建て替えが進んでいる。

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● 東日暮里の町には、私の足を止めるようなものもなく、ただただ歩いて来た! そのまま、JR「鶯谷駅に到着。、、、、明治45年(1912)7月11日に、東北本線の駅として開業。 北口は地上駅舎のようになっているが、南口は橋上駅舎になっている。、、、、北口はラブホテル街のイメージが強いが、根岸の方から都道をまっすぐ歩いてくると、キョロキョロしない限り、そこまでラブホ・風俗の雰囲気はない。

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2023年6月25日 (日)

日曜の朝

沖縄は梅雨明け、東京も梅雨明けしたかのような陽気、朝からギンギラギンの晴天。 今日は浜松町から、銀座、日本橋をとおり抜け、浅草橋の我が家まで、1万4千歩の散歩です。




● 通勤通学客の少ない日曜日の朝8時前、山手線の「浜松町駅」は人影も少ない。 浜松町駅は隣りの世界貿易センタービルの建て替え工事に合わせ、今後の混雑緩和の為、浜松町駅北口、地上3階に橋上駅改札が建設されている。 只今工事の真っ最中、完成まではあと数年、完成が待ち遠しい。

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・・・・・・・・・・ 浜松町駅のホームに立って思い出した! 『最近話題にならないが、あの小便小僧は健在か?』 チョイト御挨拶していこう! 居ました、レインコートを着て傘持って、相変わらず立ち小便してる。 昭和30年(1955)に新橋駅の嘱託歯科医だった小林光氏から寄贈され設置された。 ホームで立ちションをはじめて70年近い、“小便小僧”も“小便ジジイ”に変わったかな? 長い間疲れたでしょう、小便の出はいかが? 出が悪くなったら、泌尿器科で診てもらってね!

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● 浜松町駅から北へ、チョッピリ古いものを見ながら歩き、新橋まで

・・・・・・・・・・ 金井醫院(浜松町1)、、、、すでに閉院してますが、温かみある昭和初期の建物か?

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・・・・・・・・・・ 葵ビル(浜松町1)、、、、昭和52年(1977)竣工のビル

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・・・・・・・・・・ JR東日本 変電所(東新橋2)、、、、大正15年(1926)には存在していた、鉄道省時代の新橋変電所(旧:汐留変電所)

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・・・・・・・・・・ 新銭座ガード(東新橋2)、、、、変電所の脇にある山手線・京浜東北線のガード。 煉瓦造の橋台は明治43年(1910)頃に造られたか?

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・・・・・・・・・・ 左の盛土は東海道新幹線、右の高架橋はゆりかもめ、足の下には見えないが都営地下鉄大江戸線が走る「都道481号線」  正面に見えるは汐留の超高層ビル群。

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・・・・・・・・・・ 日比谷神社(ひびやじんじゃ、東新橋2)、、、、豊受大神・瀬織津比売大神・速開都比売大神・気吹戸主大神・速佐須良比売大神を祀る神社。 創建年代は不詳。 元は現在の日比谷公園内の大塚山に鎮座していた。 慶長年間、江戸城の拡張に当たり、氏子とともに芝口(現在の東新橋)に移され、明治時代、鉄道(東海道線)の敷設に当たり新橋4丁目に遷座した。 さらに、境内地全域が計画道路の予定地にかかっていたことから、平成21年(2009)に東新橋2丁目の国道1号(第一京浜)沿いに遷座した、歴史は古く社殿は新しい神社。

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・・・・・・・・・・ 新橋駅前ビル2号館ゆりかもめ新橋駅(新橋2)、、、、JR新橋駅の東側にある新橋駅前ビル1号館・2号館は昭和41年(1966)にオープンした。 この2棟のビルを中心に新橋駅前(東側)の再開発が予定されており、いずれ取壊しがはじまると思われる。 1号館と2号館の間に割り込むようにゆりかもめの新橋駅がある。

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・・・・・・・・・・ 新橋の親柱(新橋1)、、、、新橋は汐留川に架かる橋であったが、昭和36年(1961)に埋め立てられて姿を消した。 現在残っているのは大正14年(1925)の架け替え時の親柱である。、、、、親柱の脇には銀座の柳(二世)銀座の柳碑がある。 石碑には『植えてうれしい 銀座の柳』で始まる、四家文子(よつやふみこ)が歌って大ヒットした曲が記されてる。 この歌は、昭和7年発売された『銀座の柳』(作詞・西條八十、作曲・中山晋平)で、昭和4年発売のヒット曲『東京行進曲』の続編にあたる歌である。 『東京行進曲』は、『昔恋しい 銀座の柳』という出だしで始まる。 昭和43年(1968)には銀座通りの改修工事によって、柳の街路樹はすべて撤去されてしまった、都電もなくなり銀座の風情が変わった時代だ!

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● 日曜日の朝、8時半過ぎ、人も車も少ない中央通り(=銀座通り)を歩く

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店は開店前の清掃中。 『営業開始は10時30分です!』

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・・・・・・・・・・ 銀座四丁目交差点も静か、まだ眠たそうなライオン像

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・・・・・・・・・・ “銀座”の北端は、1丁目の「銀座一丁目交番」、、、、道路を挟んで交番前に保存されてる京橋の親柱(大正)をモチーフにした交番、いいね!

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● 銀座を抜けて、京橋日本橋を歩く、、、、9時過ぎた、人も車も動き始めたようだ、、、、気温も上昇し30℃。 汗びっちょり、熱中症が心配になってきたが、我が家まではあと30分程、もう一歩き、頑張るぞ!

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室町三丁目交差点で江戸通りに入り、浅草橋の我が家を目指す、、、、我が家の近く「浅草橋駅北バス停」に10時過ぎに到着! 『ただいま~!』 『スゴイ汗、早く、服を取り換えて!』

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2023年5月26日 (金)

ワクチン接種

長かったコロナ禍の日々は終わり、私も世間もウキウキ浮かれて『もうコロナは終わった!』 でも、念のためか『65歳以上の第6回ワクチン接種』のお知らせが先月、区役所から送られてきた。 私は5月初めにワクチン接種の予約をしたが、最短で取れた予約が“本日”だった。 今日は、新型コロナワクチン接種の日。 接種場所は浅草寺の境内にある浅草寺病院ということで、午後から夫婦で病院へ




● 接収会場の「浅草寺病院」は、私の住む浅草橋とは同じ台東区にあるが、我が家からは徒歩40分程の距離にある。、、、、その名の如く浅草寺直営(?)の病院。 金龍山浅草寺の御本尊:観世音菩薩の抜苦与楽のお誓いをいただき、浅草寺が始めた医療社会福祉事業である。 病院の歴史は、明治43年(1910)に浅草寺境内念仏堂において浅草寺診療所が設立されたのに始まる。 大正13年(1924)には病床36床で浅草寺病院が落成した。 さらに、昭和12年(1937)には病院の建物も新築された。 平成13年(2001)には現在の浅草寺病院の建物が落成した。 現在は内科、小児科など、7科を有する総合病院。、、、、お寺と病院、助かって良し、成仏して良し、どちらに転んでも安心できる組み合わせ!、、、、正面玄関部分のタイル張り外壁、左右の丸窓など、デザインは旧病院のデザインを踏襲したらしい。 旧病院を知る私には懐かしいね!

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・・・・・・・・・・ 浅草寺病院と浅草寺本堂は互いに背中合わせでたっている。 浅草寺本堂側から見る病院

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● ワクチン打たれ、15分休まされたが夫婦そろって異常なし、早々に病院を出る。 発熱するか、腕が痛むか、泡吹いて倒れるか、チョイト心配になる。 心配事は、神さま、仏さまに任せましょう!、、、、浅草寺境内の神仏に手を合わせて帰りましょう!

・・・・・・・・・・ まずは、本堂裏の西側に祀られてる「銭塚地蔵、、、、享保年間(1726~1735)摂津国有馬郡の山口某の妻が、庭先で寛永通宝がいっぱい入った壺を掘り当てたが、これに頼って働かずにいては家が滅びると思い、土中に埋め戻した。 この心掛けによって一家は繁栄したので、その壺の上に地蔵尊をまつったという。 銭塚地蔵尊は、その分身を勧請したもの。 ワクチンの副作用とは関係ないか!

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・・・・・・・・・・ 銭塚地蔵尊の脇に祀られてる「カンカン地蔵」にも手を合わせる。 この地蔵さま、姿は原型をほとんど残していない。 古来より参拝の方が、付随の小石で御身を軽く「たたき」祈願する。 石で軽く打ち祈ると「カンカン」という音が鳴るので俗にこのように称されてる。 私の願いは一つ『コロナで死ぬことがないように、南無阿弥陀仏!』

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・・・・・・・・・・ 次は浅草神社の裏にある、新門辰五郎が勧請した伏見稲荷。安政元年(1854)辰五郎の女房が重病で床に伏した時、山城の伏見稲荷社に祈願した。 その効果があって病気は全快、翌年お礼の意味を込めて勧請し、小社を創建して「被官稲荷社」と名付けたという。 被官は“出世”の意味だとか。 今や70歳を越えた我が身『出世は諦めた、健康をくれ!』

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・・・・・・・・・・ 先週、“三社祭り”で賑わった「浅草神社」、、、、明治初年の文書によると、祭神は土師真中知命、桧前浜成命、桧前竹成命、東照宮である。 浜成と竹成は隅田川で漁猟中、浅草寺本尊の観音像を網で拾い上げた人物、真中知はその像の奉安者といわれている。 三神を祀る神社なので「三社様」と呼ばれた。 しかし鎮座年代は不詳。 東照宮は権現様すなわち“どうする家康”のことで、慶安2年(1649)に合祀された。 以来、三社大権現といい、明治元年(1868)三社明神、同6年浅草神社と改称した。、、、、御利益はなんでもありで『コロナに罹りませんように、ついでに宝くじ一等当選よろしく!』

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・・・・・・・・・・ そして最後は「浅草寺」、、、、『今日も賽銭を持ってきました、たまには宝くじ当選の御利益ください!』

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2023年4月14日 (金)

川柳発祥の地

今日は上野の病院で泌尿器科の定期検診日。 浅草橋の我が家から北北西に進路をとって、徒歩40分程で病院に着く。 検査結果はもちろん“問題なし”。 親切な医者で、帰りにはいつも3ヵ月分の薬の処方箋をくれる。 こちらも『どうも有難うございます』と頭を下げて退出する。 帰宅し調剤薬局へ行くと、薬代は約5000円。 病院の診察代は約500円、薬代はその10倍、何だか、フトコロに悪い薬だ!

病院の帰りも、我が家まで元浅草経由でチョイトぶらりと歩いてきた。 往復1万2千歩



● 私が通う「永寿総合病院」は台東区の中核病院(400床)で、私が急患として運ばれたことは数回あり。 『毎度、毎度お世話になります』と、お得意様になってる病院。

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● 病院の帰りに立ち寄ることが多い「下谷神社(東上野3)、、、、今日もチョイト祈願『一度でよいから、宝くじ一等当選しますように!』

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● 元浅草2にある日蓮宗
寺院の「長遠寺(ちょうおんじ)」に参る。 長遠寺は安立山と号し、文禄3年(1594)に創建された。 池上本門寺堀ノ内妙法寺とならぶ江戸の三大祖師の一つで、土富店(どぶだな)の祖師(自開眼開運日蓮大菩薩)。 「どぶだな」とは浅草新寺町、現在の元浅草二丁目辺りの俗称だった。、、、、「自開眼開運日蓮大菩薩」は、弘長元年(1261)伊豆に配流されていた日蓮聖人を尋ねてきた普門禅師(南禅寺開山の大明国師)に、日蓮聖人が自ら刻んで与えたものと伝えられている。 禅師が遷化した後、要法寺に伝わったという。 日樹上人がこの像を奉じて江戸に下り、養珠院(徳川家康の側室・お萬の方)などの外護を受けて祖師堂を建立し、天拝妙符を授与した。 この天拝妙符は6月6日の開運会においてのみ授与される。 以来、土富店のお祖師様として広く信仰を集め、寺観も整い、江戸屈指の巨刹して繁栄したが、文化年間、火災のために焼失した。その後、ようやく再建された伽藍も関東大震災、さらに先の大戦の空襲により三度灰燼に帰した。 しかし、自開眼日蓮大菩薩の尊像は大火の中でも一指も損ずることなく現在に伝わるという。 、、、、ありがたそうな話だ、一度でいいから祖師像を見てみたい。

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・・・・・・・・・・ 長遠寺山門前には、「二宮彦可墓碑跡」の案内板がある。、、、、“二宮彦可”(にのみやげんか)とはどんな人物だ? 私は知らなかった!、、、、説明文には、『二宮彦可墓碑跡  二宮彦可は江戸時代後期に活躍した医師。 宝暦四年(1754)三河国〈愛知県〉岡崎藩主の侍医で国学者でもある小篠敏の長男として、遠江国(静岡県)浜松近郊の又楽村に生まれる。名は献。字を彦可・齢順といい、号を印又米・擁鼻と称した。幼少時に乳母から梅毒が感染して、病弱のため廃嫡となるが、明和四年(1767)同藩の口中科医である二宮元員の養子となり家督を継いだ。 明和六年(1769)藩主の転封により石見国(島根県)浜田に移る。十九歳の頃から各地で医学を学び、口中科を山県良班(広島)、内科を忠美三自(広島)、眼科を三井玄猫(大坂)、産科を賀川玄五月(京都)、内科を山脇東門(京都)に学んだ。また赤松漁洲(赤穂)湯浅常山(岡山)、亀井南漠(福岡)を歴訪している。天明八年(1788)には長崎に留学して吉雄耕牛にオランダ外科を学び、さらに吉原杏陰境のもとで、収骨術の秘訣を伝えられた。 寛政三年(1791)帰国して浜田藩主の侍医を務め、同五年(1793)藩主に随行して江戸に赴き、木挽町五丁目(中央区銀座)に住居した。文化五年(1808)に『正骨範』二巻を出版したが、これは吉原書法陰支原に学んだ整骨術に改良を加え、中国・西洋の諸書を参考としてまとめたもので、骨術の古典として評価されている。 文政十年(1827)十月十一日没。七十四歳。浅草長遠寺に葬る。法号は従院了服目治居士。墓碑は大正12年の関東大震災などで焼失し、共同墓地に埋葬される。ほかに一族の墓碑の一部が残る。  平成18年3月  台東区教育委員会』、と書かれてる。、、、、口中科医とは、秘伝の治療法で公家や大名を治療する歯科医。 室町時代から存在したそうだ。 その歯科医が、内科、眼科、産科、外科の技術を学び活躍したのが“二宮彦可”、江戸時代のスーパードクターか?

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● 長遠寺の東(元浅草2)に、真言宗智山派寺院の「吉祥院」がある。 吉祥院は、摩尼山隆全寺と号す。 創建年代は不詳だが、慶長16年(1611)に中野寺町に寺地を拝領、寛永21年(1644)当地へ移転したと伝えられている。 小さな寺であるが、手入れの行き届いた緑多い庭が、非常に落ち着いた雰囲気を醸し出し、街中とは思えない。、、、、都会の庭の竹林にタケノコが伸びていた、素晴らし~~い!

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● 蔵前4丁目、三筋二丁目交差点の南東角に、「川柳発祥の地」の茶色の石碑がある。、、、、川柳は五七五の十七文字の定型で成り立つ短詩で、口語が主体。季語や「や、かな、けり」などの、所謂「切れ字」の制制約がない、詠む対象は社会諷刺や人間模様などが多い、などの点で俳句と趣を異にする。 本来七七の題(前句)に五七五の句を付ける遊び=「前句付」から七七を省略し、五七五として独立したとされ、江戸時代、柄井川柳が選んだ句から呉陵軒可有という人物が『誹風柳多留』にまとめて刊行したことにより盛んになった。 このことから「川柳」という名前で呼ばれるようになった。 この時代は前句付が非常に盛んで、川柳はその選者として活躍し、その選句の数は33年間に260万句という驚異的な数にのぼるという。 その柄井川柳の墓は、碑の近く、川柳横丁と書かれた裏道の龍宝寺にある。

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・・・・・・・・・・ 熱心に 歩いているが 腹は出る

2023年3月27日 (月)

桜は満開

先週、小田原で花見をしたつもりでいたが、その時は二分咲き程で寂しい花見であった。 妻が『やはり満開の花見もしたい!』と言うわけで、本所吾妻橋駅から隅田公園・牛嶋神社・桜橋・浅草と巡り、隅田川の両岸を歩いて来た。 1万歩の散歩




浅草橋から都営浅草線で三駅目「本所吾妻橋駅」から散歩を始める。 源森橋北十間川を越えれば、その先は「隅田公園」、、、、江戸の運河“北十間川”とは、下町らしいネーミングで好きだ!、橋名“源森橋”なんとなく職人ぽい名前で、これまたいいね!、、、、橋の手前には、我が母が私の大学受験合格祈願で幾度も通った「清雄寺」がある(50年以上前のこと)

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● 我が家を出てから15分「隅田公園」に到着。 「隅田公園」は、名前のとおり隅田川沿いにある公園で、川の両岸、墨田区側(左岸)は向島、台東区側(右岸)は花川戸・浅草に広がる。 公園は、大正12年(1923)の関東大震災により壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一部として整備された。 今は川岸に八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられた、約1㎞に渡る桜並木が花見の名所となってる。、、、、「隅田公園」と言うと、墨田区側?、台東区側?どちらも「隅田公園」です!

● まずは、墨田区側の「隅田公園」、、、、墨田区側の隅田公園は、江戸時代、ここに徳川御三家のひとつ、水戸藩の下屋敷「小梅御殿」があった。 関東大震災後で下屋敷が全壊し、その後隅田公園として整備され、日本庭園に姿を変えた。

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● 隅田公園内に所在する「牛嶋神社」にお立ち寄り。 牛嶋神社は、貞観2年(860)創建。 本所地区の総鎮守で、墨田区のほぼ南半分と大変広い地域が氏子となっている。 祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命。 社殿は総檜権現作りの荘厳にして風格のあるもので、本殿前の木製の鳥居は、中央の鳥居の左右に小さい鳥居の付いた三輪鳥居。 江戸時代より牛嶋神社は「牛御前」と書かれ、その名の通り古くから牛にまつわる信仰がある。、、、、昭和7年(1932)、関東大震災後の隅田公園の整備により、現在の桜橋近くの隅田川東岸にあったのを隅田公園の北側に移された。 その後、昭和20年の東京大空襲により神楽殿は焼失したが、本殿はじめその他の建物は一部被害を受けたが、概ね昭和7年移転当時のものである。、、、、拝殿では神前結婚! 我妻は撫で牛の頭を撫で撫で(どこが悪いの?)

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● 隅田川岸を歩く。 満開の桜並木。 桜橋を渡り墨田区(左岸)から台東区(右岸)へ。、、、、満開の桜を今年も堪能『余は満足じゃ!』 

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● コロナ規制も緩み、外人ばかりの「浅草寺」 『異国になったASAKUSA!』

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