台東区

2020年1月 3日 (金)

どこの神社も長蛇の列

穏やかな正月三が日、我が家もこの一年何事も無く穏やかに正月を迎えた。

今年は、二組の娘夫婦と孫が元日より我が家に集まり賑やかな幕開けとなった。 おとそ気分、おせち腹をスッキリさせようと、家族全員で昼過ぎに近くへ初詣することにした。 浅草寺は行かなくても超満員と判り、パスする。 近くで、比較的すいていそうな神田明神へ行くことにした。 来て・見て・ビックリ、神田明神の鳥居前の湯島坂に大行列、延々と坂下の明神下交差点まで続いている。 社殿まで2時間待ちの大行列。 「アリャ・コリャ・ダメだ! ヨシ、近くの湯島天神へ行こう!」、、、、神田明神から、湯島天神正面に向かう清水坂を上り、三組坂の上まで来ると。 再び、来て・見て・ビックリ、こちらも物凄い大行列、行列の最後は三組坂坂下交差点まで続いている。 2時間並んでも拝めるか? 結局、元日の参拝はあきらめ、我が家へ戻り夕食となる。

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正月二日目、前日の疲れを癒すため、“一日寝てよう日”

本日、正月三日目、夫婦でとりあえず浅草橋駅裏の我が家の氏神さま:銀杏岡八幡神社へ詣でる。 その足で、チョイト柴又帝釈天に行ってきた。




●我が家の氏神さま ・・・・・・【まずは前置】 「氏神」とは、本来は氏名(うじな)の神であり、一族一統の神であった。 しかし現在では、鎮守や産土神(うぶすなかみ)と区別せず、神社周辺の土地に住む地域の人々を守ってくれる神を氏神という。 氏神の周辺に住み祭礼などに参加する人々を氏子と呼んでいる。 祭礼は町内会で単位で参加するので、ある処に住めば、どの町会属し、どの神社の氏子となるか一意的に定まる。 つまりは、“神社が小さくて気に入らない”、“宮司と仲が悪く顔も見たくない”、“巫女さんに美人がいないからいやだ”など、あーでもない、こーでもないと言って氏神さまを勝手に決めることはできない。 また、自分の気に入った神社の周辺には住んではいないが、その神を信仰する人を崇敬者(すうけいしゃ)と称する。

・・・・・・・・・浅草橋1丁目に鎮座する銀杏岡八幡神社の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。 江戸時代に入り、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったものの、享保10年(1725)公収され町内(福井町)の産土神となった。 明治維新後には村社に列格していました。、、、、我が家の家族は、全員この神社で罪穢(つみけがれ)を祓ってもらっている。 私の穢れはどうもしっこくこびりついているようだ! いつまでたっても穢れたまま。 いまだに、宝くじ一等が当たらない!、、、、今日はお賽銭も奮発したので、今年こそ一等が当たるようにお願いした。

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●何処も同じ、人・人・人! ・・・・・・・・氏神さまに詣でた後は、チョイト甘味を味わいたくなって、夫婦で柴又の帝釈天に参詣。、、、、ここも、行ってビックリ・見てビックリ・婆さん餅がつまってシャックリ・爺さん餅がつまってポックリ! 参道は超満員、でも行列で並ぶこともなく、ヨチヨチ歩いて本堂まで。、、、、参道の店は飛ぶように売れ、食事処・甘味処はこれまた超満員。 ここでも、食べるのはあきらめ、お土産の草だんごを買って帰る。 
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2019年12月31日 (火)

大晦日の浅草寺

毎年、大晦日の夜は家族で、浅草に出て蕎麦を食べ、浅草寺にお参りし、お汁粉を頂て帰り、除夜の鐘を生で聴きながら「ゆく年くる年」を見て、床につくのは元日の夜中であった。、、、、今年は、96歳となった母が歩くことが億劫となり、夜の御礼参りをやめることにした。 明るいうちに、浅草寺に行って、蕎麦は我が家で食することにした。、、、、我が散歩、一年の〆は浅草寺参り。




●今日は大晦日! ・・・・・・・・浅草寺へ行く前に、チョックラ買い物出た。 デパートのショウウインドウは既に新春モード。 デパート前では年末恒例の救世軍の社会鍋。 暮れの風物詩である。、、、、【チコちゃんに褒められる知識】 明治42年(1909)に、日本で始められた社会鍋のルーツは、遠くアメリカのサンフランシスコにある。 それはいわゆる「一八九三年恐慌」の翌年のこと、不況下で失業した船員が多くなり、その家族に温かいスープを提供しようと、救世軍の大尉が始めた、失業困窮者の救済活動である。 スープ鍋を三脚に吊るしてその中へ街頭募金の投入を依頼するというスタイルは、全世界の救世軍部隊に伝わった。 日本では、芋煮をする和風の鉄鍋を三脚に吊るして始められた。 明治の頃は集金鍋、大正時代は慈善鍋、戦後は社会鍋と呼ばれ、英語ではクリスマス・ケトル(Christmas kettle)と呼ばれている。、、、、俳句の季語にもなっている。  慈善鍋昼が夜となる人通り 中村汀女

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●大晦日の浅草寺! ・・・・・・・今日は、繁華街の飲食店は営業しているだろうが、チョイト場末の飲食店は閉まっている。 さらに、博物館・美術館などの施設は休館しているかも、外人観光客の皆様は行く処が無いのか、浅草は外人で超満員! どこを歩いていても、聞こえる会話は、中国語・韓国語・インドネシア語・ヒンズー語・英語・フランス語、すべて私にはチンプンカンプン、何語で何を喋っているのやら、『ここは日本だ、日本語で喋れ!』怒鳴りたくなるね。 でも、かわいい娘は許す!

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・・・・・・・・・・・・お土産をさがすカップル。 フランス人か、長い足が羨ましいカップル。 イスラムの若いカップル。 賽銭箱の前で記念撮影のカップル。 大金持ちか、栄養満点のカップル。  和服に和傘、日本に憧れたカップル。

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・・・・・・・・・・・・最後のカップルは、私の目の前で、写した自分が恥ずかしくなる、なんとも羨ましいカップル。 この二人は、きっとチュー国人だと思うよ! 

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・・・・・・・・・・・・本堂の東南、弁天山と呼ばれる小高い丘に、江戸時代の「時の鐘」の一つで、松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」で有名な鐘がある。 鐘楼は昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失し、昭和25年(1950)に再建されたものであるが、元禄5年(1692)に鋳造された鐘は幸いにも無事に残り、現在でも毎朝6時に役僧によってつき鳴らされている。 もちろん、今宵も撞かれる。、、、、昭和40年代頃までは、我が家で耳を澄ますと、早朝、ゴ~~ンと時の鐘の音が聞こえた。 鐘の音の前には、浅草橋駅に入ってくる蒸気機関車(貨物列車)の汽笛も聞こえた。 今思う、懐かしい音、もう一度聞いてみたい!

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2019年12月13日 (金)

スタコラ、京葉道路

台東区浅草橋の我が家から中央区の浅草橋交差点に出て、京葉道路をひたすら東へ墨田区、江東区を抜け、江戸川区の中央二丁目交差点で曲がり、近くの大杉小学校前バス停まで、1万5千歩、約10kmの散歩です。




●何処も彼処も“浅草橋”  ・・・・・・我が家から徒歩45秒、浅草橋一二丁目交差点に台東区のコミュニティバス乗り場「浅草橋駅北」がある。、、、、ここから徒歩2分で江戸通りの下を走る都営地下鉄浅草線の「浅草橋駅」、そこから徒歩40秒JR総武線の「浅草橋駅」東口。、、、、さらに徒歩1分で神田川に架かり台東区浅草橋と中央区日本橋馬喰町を結ぶ橋「浅草橋」がある。 「浅草橋」は、江戸通り(=水戸街道)が神田川を渡る橋で、橋の全長と同じくらいの幅員を持つ幅広の橋梁である。 江戸時代初期この場所は、奥州方面から江戸中心部への入口となるため、江戸城の見附「浅草橋御門」が設置され、同時に見附橋としての木橋「浅草橋」が架けられた。 最初の橋は寛永13年(1636)頃の架橋と伝えられている。(私が誕生する以前の話で、本当かどうか知らない!) 現在の橋は大正12年(1923)の架橋で、私の母と同年で、今年で96年目(橋も母も、いまだ健在!)、、、、中央区に側に、京葉道路、靖国通り、江戸通り、清杉通りが交差する「浅草橋交差点」がある。

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●京葉道路をスタコラサッサ! ・・・・・・・・今日は10時半までの間、京葉道路をひたすら歩区ことにした。 “10時半”とは、我が家を出てから約3時間、私に疲れが出る頃だ! そして、あまり長く歩くと、靴底の減りも早く、また高価な靴を買うことになるので!

・・・・・・・・・・・・中央区の浅草橋交差点は、新宿から伸びてきた靖国通りの終点で、その延長上を東に向かう京葉道路の始点である。

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・・・・・・・・・・・・両国橋で隅田川を越える。 橋の東詰(墨田区側)には、明日(12月14日)に義士祭が行われる赤穂浪士の一人:大高源吾の「日の恩やたちまちくだく厚氷」の句碑がある。 この句は、討ち入りの夜、向島に住む俳句の師匠宝井其角と両国橋で出会い詠んだものといわれている。 句碑は昭和3年(1928)に建立されたもの。

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・・・・・・・・・・・・・・・両国3丁目の京葉道路の歩道上に建っている「本所松坂町跡」の碑。 もともとこの周辺は、吉良邸のあった本所松坂町と呼ばれていたが、関東大震災後の区画整理により町名が消えた。 この碑は「松坂町」を偲んで、昭和7年(1932)に住民によって建立された。、、、近くには、明日の義士祭・吉良祭のポスターもある。 チョイトついでに、吉良邸跡の本所松坂町公園にお立ち寄り!

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・・・・・・・・・・・・清澄通り三ツ目通り江東橋と通り過ぎ、錦糸町駅前は我が家を出てから1時間後に通過。

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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町と亀戸の間を流れる運河:横十間川を昭和44年(1969)に完成した松代橋で越えて、墨田区から江東区に入る。 亀戸駅の手前で越中島支線(JR貨物)のガードをくぐり、亀戸駅前では歩道橋で交差点を横断し、亀戸七丁目交差点で丸八通りと交差する。

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・・・・・・・・・・・・・中川新橋(平成15年完成)で旧中川を越える。 この橋を渡ると江東区亀戸から、江戸川区平井・小松川に入る。、、、、中川新橋では、大勢のユリカモメが私を歓迎してくれた。

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・・・・・・・・・・・・・・旧中川の次は、荒川越えだ! 小松川橋で荒川と中川を一挙に越える。 全長約500mの小松川橋を渡りきるのに15分を要した、長い橋だ! 歩く先には首都高が、振り返ればスカイツリーが見える。、、、、渡り終わると時計の針は10時を回っていた!

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・・・・・・・・・・・・・・署員数480名の大きな小松川警察署の前を通り、境川橋を渡る。 境川橋はその名のごとく境川に架かる橋で、昭和15年(1940)に完成した。 只今、橋の下の親水公園と共に修復中。 東小松川交差点の角には、宝くじが良く当たると評判の宝くじセンターがある。 年末ジャンボの時期である、10億円ゲットするには何処で買うか迷うね?

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・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、京葉道路の「中央二丁目交差点」(江戸川区)までとする。 時刻は10時半を過ぎ、お帰りの時刻となった。、、、、交差点角のチョイト裏側(江戸川区松江3-31)に、昭和初期に建てられたと思われる同潤会の木造住宅が、朽ちて残っている。 おそおらく、いずれ取り壊されると思うね!

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●ラッキー! ・・・・・・お帰りは、何処から乗るか? 新小岩方面に歩くと、「大杉小学校前」バス停にバスが来た。 ラッキー、これで新小岩駅に出ることにした。

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2019年11月18日 (月)

観音さまに狸がいた!

日の入時間も早くなり3時過ぎると薄暗くなる時期となった。 今日は午後から買い物をかね、ぶらり、浅草を一回り。

明治時代まで浅草にはタヌキ(狸)がいたそうで、今日はその証を紹介する。



●狸がいた観音さま ・・・・・・まずは、浅草寺御本尊に手を合わせてから!

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●お狸さまの御乱行! ・・・・・・・雷門から浅草寺本堂向かい真っ直ぐ伸びる仲見世。 その仲見世は途中で新仲見世・伝法院通りと交差する。 伝法院通りを西(浅草六区)へ向かうと、浅草公会堂の斜め前に鎮護堂(ちんごどう)がある。 ここは広い浅草寺境内の一角で、伝法院(浅草寺の本坊)の庭園に続く敷地内である。、、、、この鎮護堂の由来については、浅草寺の案内に以下のように記されている。、、、、『 江戸市中に「狸阪」「狸穴」などという地名があったとおり、かつて江戸には狸が多く棲んでいた。上野の山や、浅草の奥山にも狸が棲んでいたが、官軍と彰義隊が戦った上野戦争や奥山の開拓などで逃げ出して、明治の初めには浅草寺の伝法院あたりに棲みつくようになった。一説には狸らは、草履を釜に投げ入れたり、座敷に砂をまいたりなどのいたずらをしたという。 浅草寺も狸らの乱行に困っていたが、時の住職、唯我韶舜大僧正の夢枕に狸が現れ、「われわれのために祠を建てて保護してくれれば、伝法院を火災から守り、永く繁栄させましょう」というお告げがあった。そこで、明治16年(1883)に鎮護大使者として祀ったのがこの鎮護堂である。その霊験あってか、伝法院、鎮護堂ともに関東大震災や東京大空襲での焼失を免れている。 火除け祈願のほか、この祠に祈ったところ失せものが見つかったという霊験から、盗難除けの祈願をするご信徒も多い。また、狸を「他を抜く」という語呂としてとらえて、特に落語家や歌舞伎役者など、芸能関係者の信仰が篤いことで知られている。』、、、、これにて鎮護堂が、狸の御乱行を鎮めるために明治時代に建立されたことが判る。  

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・・・・・・・・・・・・・・鎮護堂の門をくぐり左手奥に鎮護堂の拝殿・本殿がある。 拝殿には「鎮護大使者」の提灯がかかり、ここで燈明をあげる。 さらに、拝殿の奥には入母屋造りの本殿がある。 これらの建物は大正2年(1913)の建立。、、、、この御狸さんは、当初、伝法院の鎮守としてまつられたが、福徳を願う信者の参詣が多いので、一般にも開放され、火防・盗難除の守護神として知られている。

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿わきには信楽焼の狸の置物が、まさがこれが御本尊ではないだろう!

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・・・・・・・・・・・・・・・・鎮護堂の境内には数体の地蔵尊が願掛けのお客をお待ちしている。、、、、綺麗どころを順に紹介すると、、、、亡くなった子を救済してくれる水子地蔵尊、、、、破損した頭部をつないであるため加頭地蔵の名がある。 “首がつながる”と言われサラリーマンらの信奉を集めている。、、、、出世・子育にパワーを発揮する「おやす地蔵尊」、、、、開運の目白地蔵尊、、、、さらに加藤観世音菩薩もしかえている。、、、、これだけ揃うと、どんな願い事もいずれかの地蔵尊が叶えてくれそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、もう一つ戦後昭和38年(1963)に建立された、“たいこもち”を供養した幇間塚碑がある。 碑には浅草生まれの作家:久保田万太郎の俳句がある。 「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」 、、、、芸妓も少なくなったが、いまの時代、“幇間”(男芸者)をする人は少なくなり、東京と岐阜で数名の人がいるだけらしい。 絶滅寸前!

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●待ってました! 辰五郎たぬき! ・・・・・鎮護堂の南にある新仲見世(商店街)のさらに一本南側に、全長50m程の「浅草たぬき通り商店会」がある。 この商店会の案内には、『 明治の頃まで浅草一帯は、田圃に囲まれた薮野原でたくさんのたぬきが住んでいました。 戊辰戦争が勃発し、戦火を免れた上野の山のたぬき達は四方八方へ逃げのび、中にはたぬき横丁で安堵をとるものもいました。 しかし、ここには浅草の地たぬき達がいて、縄張りが荒らされるという思いから睨み合いがはじまり、合戦という雰囲気になってきました。 そこへ浅草たぬきの長老「辰五郎たぬき」が現れ、浅草の地たぬき達に、今までのいたずらを反省し、観音様の御慈悲とご加護で安穏に暮らせていることを悟り、平和を守ることや人の役に立つことの大切さを悟しました。たぬき達の荒れていた心に暖かい気持ちが生まれ、戦いもいたずらもなくなりました。 その中の使命感を持った十二匹のたぬきは人の役に立とうと一念発起し、人々の願い事が叶えられる力が持てる仙人修行を積み、それぞれが願かけたぬきとなってまちの人々からも慕われ、お参りされるようになりました。』と書かれている。、、、、辰五郎たぬきの登場で、急に話はウソッポクなってきたね! でも、観音さまの地元だから、信じよう!、、、、通りの街路灯には12体の「願かけたぬき」が祀られている。

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●狸がトラに化ける! ・・・・・・・最後に、狸が毎夜通いコミュニケーションを良くする“場”が、浅草西参道の北側「初音小路飲食店街」に用意されていた。、、、、ここに集う、多くの狸は、トラに化けて帰るそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 明治時代まで、浅草には狸がいたのは間違いない! 

2019年11月 8日 (金)

今年も、酉の市

今日は11月に入り、最初の酉の日。 夫婦で鷲神社(おおとりじんじゃ、台東区千束)の「一の酉」へ行く。 毎年参拝するので、酉の市はこのブログにも毎年アップしている。、、、、今年は手抜きで、写真だけアップ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨年の「酉の市」はコチラ、、、、、、一昨年の「酉の市」はコチラ

 

 

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2019年11月 1日 (金)

我が家は浸水するか?

赤羽駅の北東、荒川の岩淵水門の近くに在る「荒川治水資料館」(北区志茂)に行ってきた。 一昨日、電車が動いておらず、行けなかったので、今日となった。 JR赤羽駅から脇目も振らずに歩けば20分程で行けるが、神社・地蔵様・美女に脇見しながら歩いて40分程である。




●キョロキョロ、脇見しながら歩く! ・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・今日は『どこで降りようか?』と迷うこともなく赤羽駅で下車。 これから出社する通勤客で駅は人・人・人の流れ、その流れに逆らい駅前に出る。、、、、これより、岩淵町を通り志茂、脇見しながら向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅近くで、気になった築50年のビル。 駅前の雑居ビル「赤羽パレスビル」は昭和45年(1970)の建物。 なぜか、キャバレーを思い出す名前に引かれた!、、、、もう一つは、昭和44年(1969)築、ツタの絡まるマンション。 間取り“2k”で家賃は6万円前後らしい、安いね!

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・・・・・・・・・・・・・・八雲神社の南側(北区岩淵町22)、住宅の塀の前に、チョイト風化した三基の石塔が並んでいる。 きれいな花が供えられている。、、、、右側に、寛保3年(1743)の庚申塔、「奉造立庚申供養塔」と彫られ、下部に三猿がいる。 中央は、元禄6年(1693)の庚申塔で、「奉待庚申供養二世安楽処」と彫られ、下部に三猿がいる。 左側は、 天保15年(1844)の巡禮供養塔である。

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・・・・・・・・・・・・・・岩淵町の八雲神社にも手を合わせて行く。 八雲神社は、荒川堤防の南側近くに鎮座する。 この神社は、江戸時代、日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社であった。 祭神には須佐之男尊が祀られている。 創建年代は不詳。、、、、今日は、拝殿前の黒塗りの賽銭箱(昭和2年製)、天水桶(明治37年製)の古さに感動!、、、、ついでに、境内社の水神社。 こちらは、石造りの小さな社であるが、正面扉部分には「水神宮」「岩渕本宿」と彫られ、横には寛政12年(1800)とある。 凝った造り、古い社である。

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・・・・・・・・・・・・・・新河岸川に架かる新志茂橋の際、護岸の前に、シュールな地蔵尊が立っている。 由来には『この地蔵は 昔水難事故が多く供養のため 地元有志により建てられました』と書かれているが、“昔”ていつ? “水難事故”て何?、、、、固有の名もないこの地蔵、身体は石で、顔は木製のこけし。 チョイト、気持ち悪いね!

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・・・・・・・・・・・・・・地蔵尊の前には、昭和10年(1935)に建てられた、木造2階建ての洋館がある。 黒田機器株式会社の事務所棟である。

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●19号の爪跡残る荒川 ・・・・・・・・・・・・・荒川と新河岸川を隔てる土手上に荒川治水資料館がある。 近くには、隅田川が荒川から分岐する岩淵水門もある。 赤い水門は旧岩淵水門で、水門の機能なし。 青い水門は、現在の岩淵水門

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、荒川治水資料館で掲示されていたこの写真をご覧あれ、平常時と先の台風19号時(2019年10月)の岩淵水門付近の航空写真。 台風時には、荒川の川幅いっぱいに水が流れ下っている。、、、、しかし、新河岸川と隅田川の水位は大きく変化していない。水門を閉じた効果が出ているようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・今日、荒川土手の河川敷は、流木、泥で公園としての機能は停止。 車が通ると土埃が舞い上がる。 河川敷の泥は水で流し、流木は撤去。

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・・・・・・・・・・・・・・土手を歩いた後は、荒川治水資料館に行き。 我が家が洪水で水没しないか? パネル・写真をジックリ見ながら学習してきた。、、、、老いて学ぶは呆け防止!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その1、、、、普段、荒川と隅田川の水位はほぼ同じであるが、19号の時は荒川の水が隅田川に流れ込まないように岩淵水門を閉めたそうだ。 その結果、ピーク時には荒川の水位は7m以上に上昇したが、同時刻の隅田川の水位は1m以下で水位差が5.5m以上あった。 水門を閉めると、荒川の水が隅田川に流れ込まないことを確認できた。、、、、イザと云う時に、閉め忘れしないでね!
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その2、、、、我が家のある浅草橋付近は、資料館のパネルでは標高3m程で、満潮時には高潮の脅威にさらされる可能性がありそうだ。 ちなみに、散歩の帰り浅草橋駅付近の標高を確認したら3.7m。 これくらいなら、まあ床下浸水程度かな!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その3、、、、もし、ここ岩淵水門で荒川の堤防が決壊したら、北区、荒川区、台東区、中央区は浸水が想定されている。 我が家の付近は0.5~3.0m程の浸水となりそうだ。、、、、3mなら我が家の3階に逃げればOK! 『油断大敵、今夜はビフテキ!』
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その4、、、、もし、荒川が氾濫するとしたら、京成本線の荒川橋梁(京成関屋~堀切菖蒲園間)の付近はヤバそうだ! この付近の“現況堤防高”は、本来防災上必要と想定される“必要堤防高”より、地盤沈下のため3.7m程低い位置にあるそうだ。 同様なケースは四ツ木橋、西新井橋などであるも生じている。 この辺は、大雨の時に要注意!、、、、早いとこ、橋を架け替えてもらいたいね!




●安心した気分! ・・・・・・・今日の散歩で、台風への心構え、洪水の基礎知識はOK? 安心した気分になってしまった! 自分に言い聞かせる、『油断してはダメだ!』、、、、1万1千歩の散歩でした。

2019年10月24日 (木)

きつく辛い女坂

以前からチョイト気になっていた、神田明神の男坂と女坂、どちらが急か現地調査に行ってきた。 ついでに、帰りに秋葉原のヨドバシカメラで、腕時計の電池交換してもらう。 我が家(浅草橋)から神田明神まで往復歩いて、9千歩。




●離れられない駅! ・・・・・・・我が家からJR浅草橋駅西口まで、素直に歩いて徒歩3分、ご近所の人に会うと徒歩5分、途中で忘れ物に気付くと徒歩8分、途中で気が変わり地下鉄に乗りたくなるとトホホのホ!、、、、70余年、同じ駅のそばで暮らしていると、たまには違う駅のそばで暮らしてみたくなる。 「どこがいいかな?」 風光明媚で、静かで、山に近く、海もあって、交通の便が良く、大型スーパーに近く、駅前にコンビニがあって、女子大が近くに在って・・・・・いくら考えても、浅草橋しか浮かばない、チョイト悲しいね!

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●頭上の電車に手を振って! ・・・・・・・JR総武線の高架橋(昭和7年開通)に沿って秋葉原へ。 浅草橋から秋葉原まで徒歩15分。 今日は、キョロキョロ脇見しながら、電車に手を振って、徒歩30分。、、、、浅草橋駅は台東区、浅草橋駅前のガードから先は千代田区である。、、、、途中、高架橋脇の佐久間公園は早起きラジオ体操発祥の地。、、、、秋葉原駅の「アトレ1」がある処には、昭和26年(1951)から駅直結の「アキハバラデパート」があった。 入口では家庭用品の実演販売も行われていた“庶民のデパート”だった!

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●漆塗りの社殿! ・・・・・・・まずは、神田明神へ、、、、神田明神は、千代田区外神田に鎮座する神社で、正式名称は「神田神社」。 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。 毎年5月に行う御祭礼、「神田祭」は有名である。 旧社格は府社で、現在は別表神社である。 また旧准勅祭社の東京十社の一社である。 商売繁盛の御利益を期待し、正月になると企業の初詣で大賑わい。、、、、古い江戸時代の社殿は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した。 その後、3年の歳月をかけて昭和9年(1934)に権現造・鉄骨鉄筋コンクリート造・総朱漆塗で現在の社殿が完成した。 日本初の鉄骨鉄筋コンクリート製社殿となった。 この社殿は、建築家:大江新太郎(1875~1935)と早稲田大学大隈講堂の作品が残る佐藤功一(1878~1941)の設計、請負師:木田保造(1885~1940) の施工で建てられた、桃山建築風の豪華絢爛な造りである。 社殿は国の登録有形文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・・・・・神田神社は、天平2年(730)、武蔵国豊島郡芝崎村(現:千代田区大手町、将門塚の地)に創建された。 元和2年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸総鎮守として歴代の将軍はもとより江戸の庶民たちにも崇敬された。 神田神社を愛する氏子に銭形平次・八五郎もいたか(?) 二人の碑が境内にある。、、、、摂社・末社も多く10社程が本殿を囲むように並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・Googleマップを見ると、神田明神の東側に「明神男坂」と「明神女坂」が載っている。 この階段坂は以前からあるのだが、勾配は女坂の方がキツイようだ。 一般に男坂と女坂というと、勾配のキツイい方が男坂で、緩やかな方が女坂なのだが? さらに、話をややっこしくすると、神田神社の北側、社殿の裏側に蔵前橋通りに下る「裏参道」がある。 ここも階段坂で勾配はキツイ。 今日は、この3つの坂を現地調査した。

・・・・・・・・・・・・・・まず「明神男坂」、、、、神社の境内の標高は20mほどで、ほぼ平らだ。 神社の東側、一般に明神下と呼ばれている部分の標高は7m程で、約13mの標高差がある。 ここに男坂と女坂が造られている。、、、、明神男坂は江戸時代の名所絵図にも描かれてる古くからの坂。 上から見ても、下から見ても、一直線の立派な階段坂で上りやすい。

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・・・・・・・・・・・・・・・「明神女坂」、、、、神社の隋神門をくぐらずに右(東側)に折れて、細い道を入ると「坂のホテル トレティオお茶の水 」というホテルがありその前から天神下に下る坂である。 チョイト判りずらい処に在る、折れ曲がった坂だ。、、、、男坂と上り比べると女坂の方が自分にはきつく、辛い。 上り終えると、ハアハア、ゼイゼイ!

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・・・・・・・・・・・・・・「裏参道」、、、、社殿後ろの祖霊社の脇を蔵前橋通りに下る。 神社の公式案内図では、この参道は「旧女坂」と標されている。、、、、明神男坂、明神女坂に比べ長さは短いが、勾配は一番キツイ!

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・・・・・・・・・・・・・・さて自分勝手な調査の結論は、「明神男坂」は昔からある坂で一番“男っぽく、立派な坂”なので現状の名でいいだろう。、、、、「明神女坂」は明治以降に造られた坂で、神社は公式に「女坂」と認めていない。 どうやら、誰かが勝手に女坂と言ってしまったようだ。 タフな人向けの「猛女坂」と名付けたらどうだろう。、、、、「裏参道」は、昔ここに女坂があったそうだ。 よって、今あれば100歳を超えた「老女坂」と呼んだらどうだ!、、、、いずれにしても、“女坂”と呼ぶような男性に優しく、心地よい坂ではないことは確かである。




●チクタック・チクタック! ・・・・・・・・神田明神を後に、帰りは腕時計の電池を交換して我が家に戻る。

2019年10月16日 (水)

カエルの寺

台風19号に騒がせられ、驚かされ、踊らされ、疲れさせられた一週間。 我が家では幸い被害はありませんでしたが、被災した方にはお見舞い申し上げます。

今日は朝から東上野の病院で泌尿器科の定期検診。 結果はもちろん異状なし、看護婦さんが『年が明けたらまた来てね!』。 その後、病院の近所を散歩してきた。




●寄席発祥の地 ・・・・・まずは、病院の近くの神社。 上野駅前から駒形橋方向に伸びる浅草通りに面し、朱塗りの大きな一の鳥居が建つ下谷神社。、、、、天平2(730)上野の忍ヶ岡に創建されたと云われてる。 寛永4年(1627)寛永寺建立のため山下に移された(現:上野駅入谷口前)。 しかし土地が狭く、延宝8年(1680)に広徳寺前通り(現:浅草通り)の南側に移る(現在地の近く)。 その周囲には武家の屋敷や長屋が建ち並んでいた。 本社は下谷の鎮守として広く信仰を集め、「下谷稲荷社」などとよばれた。 稲荷町(現:地下鉄銀座線の駅名でもある)という地名も、本社に由来する。 江戸時代には開帳・人形芝居などがおこなわれ、祭礼の時には盛大な行列がみられた。 「下谷神社」と改称したのは明治5年である。 関東大震災の後、昭和3年(1928)の区画整理により、東南に50mほどの現在地(台東区東上野3)に移る。、、、、都内最古の“お稲荷さん”で、浅草通りに面する一の鳥居は、昭和8年5月の建立で朱塗りである。 扁額の字は元帥:東郷平八郎の書。 東郷元帥は、翌年の昭和9年5月に87歳で亡くなった。 現社殿は昭和9年の完成。

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・・・・・・・・・・・・・・・境内には、「寄席発祥之地」の碑と正岡子規の句碑「寄席はねて上野の鐘の夜長哉」がある。、、、、寛政10年(1798)山生亭花楽(3代目三笑亭可楽)が境内で初めて寄席興行を打ってから200周年目の平成10年、落語協会、落語芸術協会と上野鈴本・新宿末広亭・浅草演芸ホール・池袋演芸場の寄席が心を合わせて建立した碑。 興行は有料で行われたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・社殿左手隅にある境内社:陸栄稲荷神社(下谷稲荷神社)。 鳥居前の石の上に神使(狐の石像)が何匹もいる。、、、、これが全て生きた狐だと、チョイト怖いね! 

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●昭和の建築 ・・・・・チョイト、下谷神社周辺の「昭和の残照」、、、、看板建築・長屋建築を拝見! 

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●柔道発祥の地 ・・・・・下谷神社から浅草通りを横断し、地下鉄銀座線稲荷町駅出入口前の交番横(東上野5)に、朝日山願成院永昌寺の門がある。 永昌寺は、朝日長者が尊譽榮全を招いて永禄元年(1558)下谷御成小路辺長者町に創建、寛永14年(1637)に現在地へ移転した。 慈恵大師が厄除のため彫刻し、後に朝日長者の守護仏となったと伝える千手観音が秘仏として祀られている。 俗に「厄除本尊」といわれる。、、、、境内はさほど広くはないが、樹木は少なく、石畳の参道が本堂へ導いてくれる。 また、本堂裏にはビルの谷間に整然と墓石が並ぶ墓地がある。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂に向かい左側に丸みをおびた自然石に「講道館柔道発祥之地」と彫った碑がある。、、、、その横に発祥の地を説明する石柱がある。 『明治14年嘉納治五郎は、東京大学を卒業、学習院に奉職したが、翌15年2月より、当寺内に居住して、同寺書院を道場として学生を養柔道を中心とする訓育を始めた。 これが、今日国際的な広がりを持つに至った。 唯一の国技講道館柔道の発祥である。時に治五郎は、年23才。 道場の広さは12畳初年の入門者は9名。 当時住職は、朝舜法大和尚であった。 平成8年吉祥日  朝日山願成院永昌寺中興廿八世 白蓮社純誉貞晋上人』と説明している。、、、、地下鉄駅に近い場所に道場に開くとは、交通便利で入門者も通いやすく、さすが先見の明ある治五郎君!

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●池の寺 ・・・・・・・浅草の方向に歩いて行くと、かっぱ橋道具街の手前(松が谷1)に、日蓮宗寺院の妙音寺がある。 妙音寺は妓楽山と号す。 慶長15年(1611)日本橋馬喰町に創建、富田半七(華光院日性)を開基とする。 明暦3年(1657)の大火で伽藍を焼失し現在地(松が谷1)に移転した。、、、、 江戸十祖師の一つとして著名である。、、、、境内には、小さいながらも鯉の泳ぐ池があり、「池の妙音寺」とも云われているそうだ。 立派な錦鯉が優美な泳ぎを披露している。 

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●格調高い寺 ・・・・・・妙音寺と同じ松が谷1丁目に、曹洞宗萬年山祝言寺(しゅうげんじ)がある。 祝言寺は、太田道灌が天文20年(1551)に創建したとも弘治2年(1556)の創建だともいい、祝言村(千代田区)に建立。、、、、もと駒込吉祥寺末の寺で、入口に「当山開山 太田道灌公顕彰碑」と彫られた碑がある。 寺は天正18年(1590)に徳川家康より萬年山の山号と松平家と同じ「丸に一つ葵」の紋所を賜り、江戸城大手門前から後に神田、日本橋を経て現在地の浅草に移った。、、、、寺は明暦の振袖火事、関東大震災、戦災などで何度も焼けたので、古文書や宝物は残っていないけれども、太田道灌の位牌「静勝軒春苑道灌居士」がある。、、、、祝言寺本堂は、内井昭蔵の設計、大成建設の施工で、昭和60年(1985)に竣工した。 また、燻したような光沢のボーダータイル張りの山門永代供養堂は、テツク建築設計事務所の設計、大成建設の施工で、平成18年に竣工した。 重厚で格調高い雰囲気を演出している、いいね!
・・・・・・・・・・・・・・山門から本堂へ

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・・・・・・・・・・・・・・納骨堂、、、、上部は鐘楼となっている

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・・・・・・・・・・・・・・墓地への入り口近くに、鉄鍋を被せた「鍋被り地蔵」がある。 地震の時にたまたま地蔵の上に落ちてきた鍋が被さって難を逃れたことからずっと鍋を被り続けている。 災害除けの霊感もあるとか。 直参旗本酒井家に祀られていたもので、眼病に利益あるとか。、、、、眼病より災害除けのほうが御利益ありそうだ! 

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●蛙の寺 ・・・・・・さて、本日の散歩の最後は、祝言寺の北側(松が谷2)にある日蓮宗寺院の龍嶋山本覚寺。 本覚寺は、天正19年(1591)馬喰町に創建、明暦3年の大火の後、現在地へ移転した。 江戸十大祖師の一つ日限祖師として著名。、、、、【蛇足】江戸十大祖師とは、江戸にある10ヶ寺の日蓮宗寺院を参拝することにより祖師(日蓮)のご利益にあずかろうとする民間信仰。 江戸時代は盛んであったが、現在では大がかりには行なわれていない。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂は昭和34年(1959)に城郭研究の第一人者だった東工大教授:藤岡通夫の設計で再建された。 カラフルでモダンな建築である。

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・・・・・・・・・・・・・・祖師堂は、昭和10年(1935)鉄筋コンクリート造で建立、戦災で焼損し昭和50年(1975)に改修された。

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・・・・・・・・・・・・・・数日前の台風19号、サンマの不良、どれもこれも地球温暖化による異常気象が原因らしい。 この寺でも類似の現象か(?)カエルの大発生である。、、、、本堂横の蟇大明神には、数えきれないほどの蟇(カエル)がイッパイ。 何じゃ、コリャ! よく見ると、陶器のカエル。 本堂で売ってる置物のカエルである。、、、、蟇大明神の横に、『蟇塚由来記   天保の頃、當山の檀家に秋山某なる人があった。故あって稼業を助ける神として蛙蟇塚という碑を建てて崇めていたと云う。大正一二年関東大震災の折、東京は一瞬にして焦土となり當山も又烏有に帰したがその時の墓守関某という人が霊感する所あって土の中より件の碑を探し出し小さな堂を建てて祠った。 丁度その頃下谷に千八という人がおり、この蛙蟇塚に願をかけた所大きなご利益を得、遂に一念發起して現在の地に蟇堂を建て、人に逢うことに蟇の分身を與えて利益のあることを宣伝した。 千八師は自らも歌舞をよくしこの方面に宣伝した為に花柳界歌舞演劇界映画芸能界等金銭物質の出入や人気稼業方面に信者が多い。昭和二十年三月の大空襲で全焼したが戦後いち早く下谷の高田家保袋家氏等の尽力で復興し今日に至っている。動物信仰の一形態としても誠に珍しいものである。昭和五十一年に至り堂宇の傷み甚だしくここに恒久的堂宇の再建を發願した所詣者多数の賛同と協力を得て昭和五十三年七月二十日新蟇堂の完成を見た。』と記されている。、、、、山のように積み重なったカエル。 ジーッと見ていると、チョイト不気味だ!

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●便利なバス ・・・・・・・ちょうど、浅草橋方面行のバスがやってきた。 このバス、我が家(浅草橋)の近くで止まってくれる、しかも運賃100円也。 下車して家までは徒歩1分。 世の中、便利でいいですね!

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2019年9月 7日 (土)

暗い夜道も面白い!

残暑とは言え、日中の30℃超えは暑い! 朝はごろ寝、昼は昼寝で、家から出ずに我が家でゴロゴロ様。 夕刻になり『散歩してくる!』。 私が住む、台東区浅草橋1丁目~5丁目の町を適当に2時間ばかり散歩してきた。



・・・・・・・・・・・・・・日も落ち、暗くなってきた。 裏道は人影もなく静かである。 

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・・・・・・・・・・・・・・夕食で満席の鳥越神社近くの中華料理屋さん。 美味しいと評判の店。

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・・・・・・・・・・・・・・ 甚内神社は、武田家再興をはかって江戸市中を荒らした盗賊:高坂甚内を祀る神社。 御利益は泥棒除けか?

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・・・・・・・・・・・・・・私も何度か乗せて頂いた救急車が待機する浅草消防署浅草橋出張所

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・・・・・・・・・・・・・・消防署前には、都内最古の銭湯:鶴の湯がある。 あいにく本日定休日。、、、、もう一軒、こちらはマンションの1階にある帝国湯。 創業は明治時代と古い、本日営業中。、、、、どちらの湯も、私が子供のころから利用させてもらった銭湯。

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・・・・・・・・・・・・・・カトリック浅草教会は小さな教会だがモダンな建物。、、、、私が幼き頃は、付属の幼稚園があり、私も入園したかった!

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・・・・・・・・・・・・・・明治36年に、私立日本女子美術学校として芝公園に開校し、その後、本郷千駄木に移り、東京市立第一女子技芸学校となる。 大正時代には池之端に移転。 昭和15年に、現在地(浅草橋5)に移転。 戦後は都立忍岡高等学校となる。、、、、南隣りの私の母校と共に、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、約2,600坪の蓬莱園と称する庭園があった処。


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・・・・・・・・・・・・・・私の母校:旧台東区立柳北小学校。 建物は大正15年の竣工。 小学校は少子化により廃校となり、現在は空き家。 校庭ではテニスをする人もいる。、、、、浅草橋駅に近く、どこぞの女子大でも誘致したらいいと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも古い建物で、大正か昭和初期に完成した、旧日光商事建物。、、、、同時期に建てられたもう一つの建物は旧福井ビル。、、、、我が母校:柳北小学校、旧日光商事、旧福井ビル、そして我が家(浅草橋2)も、この辺りは東京空襲で被災を免れた一帯である。 

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・・・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)7月1日に総武線の浅草橋駅が開業した。 開業当初から高架駅として造られ、現在もおおむね当時のままである。、、、、私がまだ小学生の昭和30年代頃までは、早朝には蒸気機関車に牽かれた貨物列車が走っていた。

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋の町は只今ホテルの建設ラッシュ、浅草・上野・銀座に近く交通の便よし、中国・ベトナム・台湾などの観光客向けに、ビジネスホテル・民泊がアッチャ・コッチャにポコポコ建っている。 駅周辺には、食事を求め徘徊する外人さんが多い、中には露出度の高い人も!

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・・・・・・・・・・・・・・鯛焼きやはまだ営業中。 外人さんの客も多いね!

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・・・・・・・・・・・・・・そろそろバスも終わりかな?、、、、台東区のコミュニティーバスは最終。 都営バスはもう少しありそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・散歩の〆に、駅裏の氏神さま銀杏岡八幡神社に手を合わせて帰る。 神様は、女神の夢を見て、すでに熟睡中。

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2019年8月19日 (月)

巾着腹と大根足

そろそろ夏バテする時期だ。 私は、隅田川花火大会で孫を抱き腰がイテテ、連日のアイスコーヒーの飲み過ぎでお腹はピーピー、昼寝が多く不規則な睡眠でお眼目シバシバ、熱中症と戦いエアコンと扇風機でガンガン躰はヒエビエ、リバブル先生に見とれ鼻血ブー(病院で血管を焼いてもらった)、、、、どうやら、私もバテてきた!

今日は、浅草寺の支院の一つ本龍院(待乳山聖天)と、浅草寺に行ってきた。




●巾着腹・大根足の寺? ・・・・・・浅草寺の北東650m程離れた隅田川沿いの小高い丘にある、浅草寺の支院で、聖観音宗の寺院である本龍院(ほんりゅういん)。 “小高い丘”は待乳山(まつちやま)と呼ばれ、寺は別名「待乳山聖天」と呼ばれている。、、、、この丘は推古天皇3年(595)に突然小高く盛り上がりできた。 そして、この山に金龍が舞い降り守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となった。 この不思議な降起は、十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」が出現するめでたい先触れで、それから6年後村人は天候不順に悩まされ、永い旱魃(ひでり)のために飢えと焦熱の地獄に陥っていた。その時大聖歓喜天が出現し、雨を降らせて村人を苦しみから救ったという。それ以来民衆の篤い尊信が集まり、天安元年(857)慈覚大師円仁が東国巡拝の折、この山に籠もって21日の間浴油修法して国家安泰、庶民の生活安定を祈願し、自ら十一面観世音菩薩像を彫んで奉安したと伝えられている。、、、、本堂などの建築物は震災・戦災で焼失し、現在の本堂は昭和36年(1961)に権現造りで再建されたものである。

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・・・・・・・・・・・・・・境内各所に印されてあります巾着大根は、信心し祈願することによって得られるその御利益を端的に表したもの。 大根は身体を丈夫にし、良縁を成就し、夫婦仲良く末永く一家の和合の御加護える功徳を表している。 巾着は財宝で商売繁盛を表し、聖天さまの信仰の御利益の大きいことを示している。 境内のあちらこちらに大根と巾着のシンボルを見ることができる。、、、、巾着のようにフックラした腹、大根のようにスラッとした足が、御利益ではないので、誤解なきように! 


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・・・・・・・・・・・・・・境内には、足利末期(1600頃)の作と云われてる出世観音、、、、昭和18年(1943)に浪曲協会が建てた浪曲相輪塔、、、、江戸時代の名残をとどめる築地塀、、、、いろいろ見るべきものがある。 戦前・戦後の美人女優:花柳小菊が献燈した燈籠もある。


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・・・・・・・・・・・・・・境内から見るスカイツリー。 チョイト木が茂り、判りづらいが隅田川も見える。

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●猿若三座? ・・・・・待乳山聖天と浅草寺の間の町、現在の浅草6丁目。 この地はその昔、丹波国(京都府)園部藩主小出氏の下屋敷であった。天保12年(1841)、徳川幕府は天保の改革の一環として、この屋敷を公収し、その跡地に境町・葺屋町・木挽町(現中央区)にあった芝居小屋の移転を命じた。 芝居小屋は、天保13年から翌14年にかけて当地に移り、猿若町はできた。 芝居小屋の移転とともに猿若町は、一丁目から三丁目にわけられ、一丁目には中村座および薩摩座、二丁目には市村座および結城座が移った。 そして、三丁目には河原崎座が移転してきた。このうち中村座、市村座、河原崎座が世にいう「猿若三座」である。 町名は、江戸芝居の始祖といわれた猿若勘三郎の名に由来する。、、、、現在は、芝居小屋の跡に碑が建つのみ。 


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●カッコイイ侠客が勧請した ・・・・・・浅草寺の裏手に、新門辰五郎が勧請した被官稲荷社がある。、、、、安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏した時、京都の伏見稲荷社に祈願した。 その効果があって病気全快、安政2年(1855)お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。、、、、江戸後期の町火消、鳶頭、侠客で、映画、芝居では、カッコイイね!


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●チョイト暑さもやわらいだ浅草寺 ・・・・・・・このブログでは、毎度おなじみの浅草寺。


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