台東区

2023年1月 7日 (土)

久しぶり

今日は松の内の最後、明日から2023年の活動を開始する人もいるかも、私も今日から『雅万歩』を再開しようと思う。

年末はしばらくの間、家の中でうろちょろ、外であたふた、夜はよたよた、寝床に入ればぐうぐう。 歩く機会が少なかった、足が退化したかも? 今日は足慣らしで、浅草橋の我が家から京成押上線の八広駅まで歩いた。 1万3千歩

 

 

● まずは、我が家の氏神様にご挨拶、、、、浅草橋駅裏の「銀杏岡八幡神社」に詣でる、、、、我が家では、昨年春に私と妻の身内が続けて他界し仏事に追われ、夏から秋には遺品整理と相続手続きに追われ、年末はリホームで居場所を追われ、気の休まる日は無かった。 今年は、のんびりできることを願うのみ! お賽銭、チャリン・チャリン(100円硬貨2枚) 

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● 浅草橋駅前から江戸通りを北へ向かう、、、、通勤する人、配送するトラック、正月気分は抜け普段と変わらぬ景色。

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● 駅から約400m、浅草橋3丁目のビル前にある「メタセコイア」の木。 見上げる高さで、25m(都内最大級)。 メタセコイアは常緑樹に似ているが、冬になるときれいな褐色に色づき落葉するのでメタ(超越した)セコイア(ヒノキ科の常緑針葉樹)と名付けられたそうだ。(知ってても、あまり役立たない知識)

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● 江戸通りからそれて「厩橋」を渡り、対岸の墨田区に入る、、、、朝8時、冬空の下、静かに流れる隅田川

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● 墨田区東駒形1丁目のビルの植え込みに「将棋名人 木村義雄誕生の地」の案内板が建てられてる、十数年前に建てられた案内板で文字がかすれ読みずらい。(墨田区教育委員会で作り直して!) 読めた部分を紹介すると、『将棋の十四世名人木村義雄は、明治38年(1905)に本所区表町39番地(当地?)に生まれ、明徳尋常小学校(現本所中学校)を卒業した。 子どもの頃から将棋や囲碁が強く、大正5年(1916)に十三世名人関根金次郎の下に入門し、頭角を現わしました。昭和13年(1938)に第一期実力制名人となり、その後4期連続で名人位を防衛しました。昭和22年(1947)に塚田八段に敗れたものの、昭和24年(1949)には再び名人位に就き、通算8期10年の間、その地位を守りました。 昭和27年(1952)に大山八段に敗れて以後、公式戦休場を表明し、十四世永世名人を襲位しました。』、、、、現在の藤井五冠と比べると、どっちが強い?

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● 8時45分、北十間川に架かる「源森橋を渡り隅田公園(墨田区)に向かう。、、、、長く伸びた人影が冬を感じさせる

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● チョイト、隅田公園の一角に鎮座する「牛嶋神社」によって行く、、、、丑(うし)年はすでに遠く去り今年は卯年、でも御利益を期待し参拝する人は多そうだ! 私も12億円の宝くじに御利益を期待し、賽銭を入れる。

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● 向島からは水戸街道(国道6号)沿いに歩く、、、、寒さ感じず、足は軽快、スタコラサ!

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● 東向島の東武伊勢崎線ガード下には東武鉄道開業時の蒸気機関車(B1形6号蒸気機関車)が展示されてる。、、、、案内文は『6号機関車  東武鉄道記念物12号  明治32年(1899)の開業にさきだち、明治31年(1898)英国ピーコック社から輸入した機関車で、この6号機関車は、5号機関車とともに昭和40年(1965)まで伊勢崎線で活躍していました。 東武鉄道では昭和41年(1966)7月貨物全線の電気化が完成するまでは、多くの蒸気機関車が在籍。 貨物線の電化が進むに従って蒸気機関車は、次々と姿を消していきました。』、、、、動くように整備しSL大樹と共に鬼怒川線で走らせると楽しそうだ!

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● 京成押上線が荒川を越える西詰、荒川土手に接して「八広駅」がある。、、、、八広駅は大正12年(1923)7月11日に荒川駅として開業。 平成3年(1991)1月5日に、旧荒川橋梁にタンカーが衝突し、上下線ともレールが折損するほどの事故が発生し、四ツ木~八広駅間が数日間運休となる。この事故を契機に、四ツ木~八広駅間の高架化工事が開始される。 平成6年(1994)駅名を八広駅に改称。、、、、単式ホームの1番線が上り線ホーム、島式ホームの2・3番線はそれぞれ下り線ホームと予備ホームの高架駅である。 コンコースも高架下の2階中央にあるが、駅出入口はバスが走る大通りから高架下の脇道をチョイト歩いた薄暗い奥にある。 夜は怖いかも?

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2022年11月16日 (水)

お酉さま

今日は「二の酉」、夫婦でお酉さまに行ってきた。、、、、以前授与された、鷲神社の熊手型の「開運御守」、長国寺の纏型の「開運火除御守」を妻は持ち、いざ出発。 浅草橋から台東区のコミュニティバスで千束に向かい。 「お酉さま」の、鷲神社(おおとりじんじゃ)、長国寺(ちょうこくじ)に詣で、帰りは浅草六区、浅草寺に立ち寄って、浅草松屋でお買い物、蔵前を抜けて我が家まで歩く。 1万1千歩の歩き。



● 神社周辺に来ると警察車両が並んでる。 多くの人出で隣の国と同様の事故が起きないか、そんな予感でチョイト何だかワクワクしてくる(野次馬根性が出てきた)。 ところが、どっこい、今日は鳥居まで人が並んでいない、すんなり境内に入れた、拝殿前はチョイト混んでいたが、ほぼ順調に参拝で来た。(こんな人出の少ないお酉さまははじめてだ、拍子抜け。) 境内の情景は毎年同じで、写真撮影も手抜き。

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● 新しい御守りを授与され、境内を抜けると、道路の両側には屋台がズラリ! この景色も例年同じ!、、、懐かしい、カルメ焼きも売ってる!

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● コロナの影響か? 例年と比べ、人出の少ないお酉さまだった。 帰りは、浅草寺に詣で、我が家まで歩く。 疲れた!!

2022年11月 3日 (木)

天王寺

先日は天台宗の大本山:寛永寺の子院である、上野の「護国院に行き、一昨日は真言宗豊山派大本山「護国寺に行ってきた。、、、、そこで疑問は、“院”と“寺”の違いとは? 調べてみたら・・・・寺の名前には、山号、院号、寺号があり、これら全てを持つ場合、このうちのいくつかを持つ場合など、寺によって様々である。 もともと“寺”とは客を宿泊させる場所を意味し、転じて僧侶が居住する建物を指すようになった。 一方、院は寺の一部の建物を指すことが多く、特に寺の中にあって人が居住することもできる施設のことでもあった。 さらに、院号は平等院鳳凰堂で有名な平等院などのように、貴人の建立した寺院の称号としてつけられる場合もあった。 山号は、昔、寺院を山中に建てることが多かったことから、寺のある山の名を別称としてつけたそうだ。、、、、山号+院号+寺号の例:浅草の浅草寺は金龍山伝法院浅草寺、山号+ 寺号の例:比叡山延暦寺、また法隆寺・興福寺・東大寺など奈良時代以前に建立された寺に山号はない。 要するに、山号、院号、寺号の適当な組み合わせで寺院名を表しているのだ!

ココまで調べたら、“護国”つながりで「護国山」と名乗る寺院があるか、チョイト調べてみたくなり、さらに調査。 結果は、ナント身近にあった。 しかも、以前に何回か訪れたことがある寺院だ! 私が住む“東京都台東区”、同じ区内で台東区谷中の天台宗寺院「護国山天王寺」・・・・と、言うことで、今日の散歩はJR日暮里駅に近い天王寺に行き、護国院経由で上野駅まで、7千歩の散歩。


● 日暮里駅で祝日の空いた電車から降りる。 今日は谷中の天王寺へ行くので、行先選定に悩むことなく「
日暮里駅南口」へ向かう。 南口は緑のトンガリ屋根の橋上駅舎が可愛らしい。 駅前の人道跨線橋は、西側(崖上)の紅葉坂と東側(崖下)の日暮里駅東口を繋ぐ利用度の高い歩道橋で、昭和3年頃に架設され、昭和45年(1970)に現在の幅に拡張された。

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・・・・・・・・・・ もみじばしに続く「紅葉坂」 坂の上は天王寺。 坂の名は、この辺りの紅葉の美しさから名付けられたそうだ、現在は坂の傍に樹木はないが、情緒ある景色だ。

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● 現在の台東区谷中7丁目は、江戸時代その大部分が天王寺の寺域であった。 谷中7丁目は、現:天王寺はもとより、都立谷中霊園の全域を含む広い町である。 言い換えると、現在の谷中霊園は天王寺のものであった。、、、、天王寺の歴史は、鎌倉時代後期、日蓮上人に帰依した土豪関長燿の草創にはじまる。 当時は「長耀山感応寺」と称した。 早くから日蓮宗不受不施派に属し、江戸幕府から弾圧された。 元禄11年(1698)には強制的に改宗させられ、以後天台宗寺院として、比叡山より毘沙門天像を迎え本尊とした。 元禄13年(1700)から江戸幕府公認の富くじが興行され、目黒不動、湯島天神と共に「江戸の三富」として賑わっていたが、天保13年(1842)には禁止される。 また、天保4年(1833)には、名称を「護国山天王寺」に改める。 明治元年(1868)彰義隊の兵火により本坊、五重塔以外は焼失となり、明治7年(1874)境内地の一部を東京府に移管され、これが現在の「都立谷中霊園」(園内には、寛永寺、天王寺の墓所が入り組んでる)となっている。

 

・・・・・・・・・・ 紅葉坂を上がると天王寺がある。 天王寺は、度々の火災で建物を焼失し、現在の本堂は昭和57年(1982)の再建である。、、、、山門は木造の古いものと、平成10年(1998)に新築のモダンな新山門がある。、、、、境内の樹々は秋の色に染まってきた!、、、、鉄筋コンクリート造の本堂だが、威圧感もなく、静かに迎えてくれる、、、、木造の毘沙門堂

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・・・・・・・・・・ 境内の
銅造釈迦如来坐像」は、像背面銘文によって、元禄3年(1690)に神田鍋町に住む太田久右衛門が鋳造したもの。 日蓮宗時代の鋳造である。 青銅を材料とし、割型の製法で鋳造されたもの。 大きさは像高2.96m。 この像ははじめ旧本堂の脇に建てられ、明治7年(1874)の谷中墓地開設のため、墓地西隅に残されていた。 さらに、昭和8年(1933)現在地に基壇を新築し、修理を加えて移され、基壇には納骨堂が設置されてる。

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・・・・・・・・・・ 天王寺山門の脇にある地蔵尊。 江戸時代には富みくじをしていたから、地蔵も一儲けできたかな?

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・・・・・・・・・ 山門前の「さくら通り」は、かつて天王寺詣りの参道であった、今は桜の名所として谷中霊園のメインストリート。、、、、この道を、道なりに800m程南に歩くと上野公園の東京藝術大学に至る。 東京藝術大学の隣りに「東叡山寛永寺 護国
」がある。 “護国山”と“護国院”を結ぶ道だ!

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・・・・・・・・・・ 天王寺山門とさくら通りを挟み向かいに天王寺墓地がある。 東西を都立谷中霊園に挟まれているが、一般人にはそれぞれの霊園の境界が判らない。、、、、今日は、天王寺霊園の敷地内にあると思われる、植物学者:牧野富太郎、彫刻家:朝倉文夫、浅草「神谷バー」の創設者でハチブドー酒を出荷した:神谷伝兵衛の墓 を紹介。 いずれも、立派な墓だ!

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・・・・・・・・・・ 天王寺墓地の区域に、ひときわ目立つ仏塔がある。 それは「東京大学医学部納骨堂」。 東京大学医学部で、解剖に供した遺体を弔う施設。

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・・・・・・・・・・ 谷中霊園内に残る天王寺の銅造釈迦如来坐像台座跡」 天王寺の銅造釈迦如来坐像は、はじめ旧本堂の左手に建てられ五重塔と向かい合っていた。 明治7年(1874)の谷中墓地開設のため、墓地西隅に残されていたところ、昭和8年(1933)現在地に基壇を新築、修理を加えて移された。、、、、移される前の台座跡は、虚しい状態で公営の墓地の中に残っている。

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・・・・・・・・・・ こちらは、谷中霊園内に残る「天王寺五重塔跡」、、、、谷中霊園の中央付近には、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルになった「
天王寺五重塔の跡」がある。 天王寺の最初の五重塔は、寛永21年(1644)に建立されたが、130年ほど後の明和9年(1772)目黒行人坂ぎょうにんさかの大火で焼失した。 罹災から19年後の寛政3年(1791)に再建された五重塔は、震災・戦災をくぐり抜け、長く谷中のランドマークになっていたが、昭和32年(1957)7月6日、残念ながら放火により焼失し、現在はその基礎部分のみが残されている。

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● 天王寺から、さくら通りを南に向かい、東京藝術大学の方へ歩く。、、、、「旧吉田屋酒店」(明治43年築)前を通り、藝大前の和菓子屋「桃林堂」に出る。

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・・・・・・・・・・ 桃林堂から、チョイト西へ100m「護国院」に来た! 護国山から護国院へ、ゴコクロ~サン、お疲れさん!

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2022年10月29日 (土)

寛永寺

先日、川越の喜多院へ行ってきたので、今日は、喜多院と縁のある上野の寛永寺まで歩いてきた。 浅草橋の我が家から、御徒町、動物園通り、清水坂、寛永寺、輪王寺と歩き、上野駅まで、1万3千歩の散歩です。



● 朝7時過ぎ、我が家に近いコミニティバス「浅草橋駅北」バス停前から歩きはじめる、、、、上野松坂屋前の交差点、人通りは少なく、来日50周年のパンダが見つめてる、、、、車も少ない、ABAB前の交差点(古い人は知っている「赤札堂前の交差点)、、、、上野の山と不忍池の間を抜ける、誰が名付けた「動物園通り」を行く、、、、行く道の右手を見上げれば、明治9年、上野に誕生、フランス料理の「精養軒」、、、、左手に、取り壊される「水月ホテル鴎外荘」(森鴎外旧居跡)、、、、かつて“花園町の白鷺城”といわれた「旧忍旅館」(昭和4年築 木造3階建て)

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● 引き続き、動物園通りから右に折れ、動物園に沿って上がるは「清水坂」(別名:暗闇坂)、、、、坂の上り口に残る煉瓦造りは「旧東京都電池之端変電所」、現在は動物園所有の倉庫、、、、坂を上がると、東隣は東京藝術大学美術学部、南隣は上野動物園ゴリラの檻で、勉強には恵まれた環境にある「東京都立上野高等学校」がある。 ここも都立の名門高校、昔は東大に受かる人がたくさんいたが、現在はチョイト減ってきた!

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● 都立上野高校の北側に隣接するのは、天台宗の「東叡山 寛永寺 護国院」 護国院は寛永寺の子院の一つで、現在の東京国立博物館の右手奥に寛永2年(1625)天海僧正により東叡山が開かれたのと同時に建立さた。 承応2年(1653)・延宝8年(1680)に寺地を西方へ移転し、さらに宝永6年(1709)現在地へ移転した。 本堂は釈迦堂(本尊は釈迦牟尼如来)とも呼ばれ、享保7年(1722)の再建。、、、、三代将軍家光から贈られたと伝えられる大黒天画像は谷中七福神の一つとなっている。 来る正月には「谷中七福神巡り」もいいかもね!

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・・・・・・・・・・ 庫裏の1階部分は、昭和2年(1927)の新築。 東京美術学校(東京藝術大学美術学部)教授岡田信一郎の設計で、昭和初期の住宅建築の風潮を良く伝えており、平成13年(2001)国登録有形文化財に指定された。 岡田信一郎は、旧鳩山一郎邸(大正13年竣工)・旧歌舞伎座(大正13年竣工)等を手がけ、和風建築の設計に手腕を発揮した人物である。

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・・・・・・・・・・ 護国院の玉垣の寄進者として、三遊亭金馬、一龍齋貞丈、三升屋小勝、長谷川一夫など著名芸能人の名が刻まれている。 芸能界とかたい縁があるのかも?

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● 護国院前の道を東に150m程歩くと、東叡山寛永寺の子院である「円珠院」がある。 寛永寺が徳川家によって創建されると、 有力大名は競って上野山内に、 将軍家の法要参列のための装束着替所としての寺院を建立。  これらの寺院は子院(宿坊)と呼ばれ、その数は三十六坊にもなった、円珠院もそのひとつで、承応元年(1652)に創建された。 ここも、護国院と同じように、現在の国立博物館の近くから移転してきた。 元禄10年(1697) に火災で全焼したが、 直ちに長州藩第4代藩主毛利吉廣によって復興した。 その後戊辰戦争の結果、 寛永寺境内が上地され、円珠院境内地も縮小され、 現在は350坪ほどとなった。 しかし山門である総欅造の薬医門はそのまま現在も残されている。

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● 円珠院前から北東へ約200m、寛永寺の正面に出る。 「東叡山 寛永寺」は天台宗関東総本山の寺院。 東叡山寛永寺円頓院と号す。 開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。 徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。(【おまけの説明】 東京芝の増上寺は家康・秀忠の代から菩提寺であったが、家光の代からは寛永寺と増上寺が交互に墓所を造営することとなった)、、、、17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇った。 江戸時代後期には、上野の山の全域が寛永寺であった。 当時の本坊は現在の東京国立博物館付近に、博物館前の大噴水の位置には根本中堂があった。 また36院の支院があった。 慶応4年(1868)の上野戦争で主要伽藍を焼失し、明治以降境内は縮小した。 現在の支院は19院。 現在の寛永寺は、かつて子院だった大慈院の地だ。 大慈院は最後の将軍慶喜が朝廷に恭順の意を表すために謹慎した場所としても知られている。 その部屋は現存しているそうだが、私は見たことがない、残念!

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・・・・・・・・・・ 現本堂「根本中堂」は、明治3年から12年にかけて、川越:喜多院の本地堂が移築されたものである。 寛永15年(1638)の建造といわれる。 間口・奥行ともに7間(17.4m)。 屋根は入母屋造、本瓦葺。 本尊は、伝教大師最澄上人の自刻とされる薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)を秘仏として祀ってる。 

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● 東京国立博物館の裏側(北側)に寛永寺の霊園がある。 そこに「徳川綱吉霊廟勅額門」を見ることができる。 宝永6年(1709)に建立された、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉公(「生類憐みの令」などを施行した迷将軍?)の霊廟の勅額門である。 勅額門とは天皇直筆の額を賜った門のことだが、この門の上には勅額は上がっていない。 額はいずこに?

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・・・・・・・・・・ もうひとつ、こちらは四代将軍「徳川家綱霊廟勅額門」、、、、家綱は、慶安4年(1651)、父:家光の死に伴って、わずか10歳で将軍の座につき、延宝8年(1680)に39歳で没した。 重要文化財、、、、こちらは、霊園から門の内側も見ることができた。 表も裏も変わらんね!

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● 東京国立博物館の周囲を北の寛永寺、東の霊園と回り、南の輪王寺に行く、、、、「輪王寺」は、天台宗寺院であり、山号は東叡山。(今流に言えば、東叡山企業グループ内の輪王寺) 本尊は阿弥陀如来。 一般には通称の「両大師」で知られる。この通称は天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)を祀ることに由来する。、、、、輪王寺は東京で唯一の門跡寺院である。 後水尾天皇の第3皇子:一品守澄法親王は、承応3年(1654)に東叡山主の座につき、次いで、翌明暦元年には天台座主となり、東叡、比叡、日光の三山を兼帯した。 世に言う「三山管領宮」の始めである。 更に、翌明暦2年には、守澄法親王に対し、「輪王寺宮」の称号が勅賜された。 ただ、寺としては、江戸時代には輪王寺という寺は存在しない。 上野は寛永寺であり、日光は満願寺であって、その両山の山主が輪王寺宮という訳である。 言い換えれば、“輪王寺”は、宮様個人の称号であった。 しかし、戊辰戦争の結果、最後の輪王寺宮、十五世公現法親王が還俗されたため、輪王寺の称号は一時中絶の止むなきに至った。  やがて、これを惜しんだ、東叡、日光両山からの要請により、明治16年(1883)にこの両山に輪王寺という名の寺が再興され、二年後には門跡寺院としての再興を許された。、、、、寛永寺の開山:天海(慈眼大師、若き頃は川越の喜多院住職であった)は寛永20年(1643)に死去し、翌正保元年(1644)、現:輪王寺の地に天海を祀る開山堂が建てられた。 天海が崇敬する良源(慈恵大師、元三大師、平安時代の僧、天台宗座主)を併せ祀ったことから「両大師」と呼ばれるようになった。  開山堂は慶応4年(1868)の上野戦争では焼け残ったが、平成元年(1989)に火災で焼失した。 現在の本堂は平成5年(1993)に再建されたものである。

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・・・・・・・・・・ 輪王寺境内に「寛永寺旧本坊表門」がある。 切妻造り本瓦葺、潜門付きの薬医門である。通称・黒門。 現在の東京国立博物館の敷地はもと寛永寺本坊であり、その正面にあった門である。 明治15年(1882)東京国立博物館の前身である博物館が上野公園に移転・開館した際にその正門として使用された。 関東大震災の後、博物館改築に伴い現在地に移築された。 国指定重要文化財

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両大師橋を渡り、上野駅から帰る。

2022年10月 8日 (土)

かっぱ橋道具まつり

この頃は、三連休になると空は雨模様。 今日は『つかの間の晴れ間』である。 玄関に花を活ける花瓶が欲しく、昼食後、夫婦でブラリ『かっぱ橋 道具まつり』に行ってみた。 まつりの情報はブログの読者の方から事前に頂いており、花瓶を安く買うことに期待し、今日の晴れ間がチャンスと飛び出した! 1万歩



● まずは、合羽橋道具街の入口脇にある「東本願寺」に寄って『いい花瓶を買えますように、阿弥陀さま、よろしく』。

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● 花瓶の他にも、敷き物、湯飲みなども求め、かっぱ橋道具街を歩く。、、、、どこの店も人・人・人!

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● 『かっぱ橋 道具まつり』は明後日(10/10)まで、皆さんも傘を持参し、行ってみよう!

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● 妻は気に入った花瓶には遭遇できず残念(しかし、その他の物はシッカリ購入)、「かっぱ橋道具街」と直交する「かっぱ橋本通り」を歩いて、浅草寺経由で帰宅。

2022年8月12日 (金)

本の買い出し

猛暑日が終わると、大雨が降り、その中を週に一二回程は医者に通い(循環器内科、眼科、泌尿器科は月一回、整形外科は週一回、その他に歯科、皮膚科、心臓血管外科は年数回)、さらにこの春から野暮用も増え、なかなか散歩に出る機会が来ない。 基礎疾患のある私にとっては、散歩に出たいが“熱中症”・“コロナ”が怖い(今はやりの、“さる痘”・“梅毒”は“もう歳なので”心配ない) 日中は、扇風機ブンブン回し、エアコンでガンガン冷やし、畳の上で本を片手にゴロゴロ“ごろ寝”。 こんな毎日、足が退化するのは当たりまえ、週一の病院通いも辛くなる。

 

今日は、小説(井上ひさしの『十二人の手紙』)も読み終え、読む本が無くなった。 3時過ぎ、涼しくなった(?)“浅草”へ、退化した足を引きずり本を買いに行く(私の住む浅草橋では、10年ほど前から本屋が無くなり、最寄りの本屋は秋葉原か浅草か日本橋となった)

チョイト浅草寺に参り、コロナの終息を願い、さらに“サンバカーニバル”の再開を願い、合掌!

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新仲見世で、可愛い娘を見て行こう! 浅草に外人が戻ってきた、嬉しいね。

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東武浅草駅の駅ビル(=古い人は「浅草松屋」という)にある本屋さんで、ごろ寝用の小説を買って帰る。 当分の間、本を読む時間は有りそうだが、散歩する時間は無いかも? 

2022年7月21日 (木)

冷やし中華の発祥地

九段下から靖国通り沿いに歩き浅草橋(我が家)まで、1万歩の散歩です。



● 浅草橋駅から都営浅草線に乗り次の東日本橋駅(=馬喰横山駅)で乗り換え、都営新宿線の九段下駅で下車する。 今日の散歩は「九段下駅」からスタートする。、、、、、九段下駅は、東京メトロ東西線・半蔵門線、都営地下鉄新宿線の駅である。 駅名はその名のごとく九段坂の坂下に位置することに由来する。 昭和40年代頃までは、須田町方面と渋谷方面を結ぶ都電が走っており、30年代には私も通学に利用していた、懐かしの路線。、、、、地下鉄の開通は、昭和39年(1964)12月23日の東京メトロ東西線開通、昭和55年(1980)3月16日の都営新宿線、平成元年(1989)1月26日の東京メトロ半蔵門線が、順次開通した。 ホームは地下2階に相対式2面2線の東西線ホームがある、地下4階には半蔵門線と新宿線のホームが相対式2面2線の間に島式1面2線の構造で配されている。、、、、昭和47年(1972)、私が勤めるゼネコンが九段下駅~市ヶ谷駅間のシールドトンネル工事を施工しており、当時新人の私は、研修で九段下から工事現場に入らされた。 生まれて初めて、恐る恐る、ワクワク・ドキドキ、トンネルの工事現場に入った思い出ある地。

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・・・・・・・・・・・・ 地上に出ると、普段であれば『東西南北どちらに向かう?』と悩むのであるが、今日は、熱中症が心配なので寄り道せずに、靖国通り沿いに浅草橋(我が家まで)まで歩くことにする。、、、、九段下駅を出て、チョイト横丁に入ると、懐かしい構えの住宅(千代田区九段南1)があった。 2階の丸窓、最高!

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● 九段下から神保町に向かうと、まず首都高の下、日本橋川に「爼橋」が架かっている。 橋名の「爼橋(まないたばし)」は難読だ。 名前の由来は、橋が2枚の爼(まないた)を渡したような板橋であったことによるとする説と、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとする説がある。、、、、最初の爼橋は江戸時代初期に架けられたそうだ。 関東大震災後は、大正通り(=靖国通り)の拡幅に合わせ、昭和4年(1929)に爼橋も長さ25.6m、幅42.0mの鉄筋コンクリートのアーチ橋に架け替えられた。 昭和42年(1967)上部に首都高が建設され、さらにその後、地下には地下鉄が建設されたのに伴い、昭和58年(1983)に現在の鋼桁橋に架け替えられた。

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● 専大前交差点から駿河台下交差点までは、靖国通りの南側に平行する「さくら通り」・「すずらん通り」を歩く。

・・・・・・・・・・・・ 専大(=専修大学)前交差点の南側「さくら通り」入口前にある、うなぎ専門店「今荘」 玄関は角地を切り欠いて設けられ、正面には唐破風、その上の2階には丸窓、最上部は神社のような破風がある、遊郭のような建物。 昭和初期(昭和8年らしい)の建築。、、、、建物もいいが、蒲焼もいいね!

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・・・・・・・・・・・・ さくら通りの神保町側入り口脇に、社会鍋でおなじみの「救世軍日本本営」の建物がある。 以前の建物は、現在と同じ場所に4階建て(?)の中世のヨーロッパの城のような雰囲気の建物だった。 当時中学生であった私にとっては、軍服を着た人が出入りする建物なので、チョイト怖そうで近寄りがたかった。

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・・・・・・・・・・・・ 白山通りを横断し、すずらん通りに入ると「揚子江菜館」がある。、、、、神保町交差点を中心に、さくら通り・すずらん通り界隈は、明治・大正期から華人が住み中華料理店を営み“中華街”であった。 現在でも約30店の中華料理屋が点在する。 その内の1店が揚子江菜館だ。、、、、夏になると、ここが発祥の店と言われている「冷やし中華」を食べに行く。 今年は、先週末に家族で食べてきた。 旨い!

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・・・・・・・・・・・・ すずらん通りの駿河台下側の入口には、「文房堂(ぶんぽうどう)」がある。、、、、明治20年(1887)神田小川町に創業。 日本で初めて大学ノート、便箋、五線譜などの文房具を製造発売した。 現在は画材関係の店として有名だ! 現在の建物は大正11年(1922)に完成した名建築。

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● 駿河台下からは靖国通りを歩き浅草橋へ・・・・・そろそろ暑くなってきた、熱中症の予防に「ソルティライチ」を飲みながら歩く。 小川町、岩本町を過ぎると浅草橋の交差点。

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浅草橋駅高架下のPCR検査場、予約なし・無料にもかかわらず、いままで閑古鳥が鳴いていたが、今日は行列ができていた。 東京都の感染者3万人超となれば、怖くなったのか!

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2022年7月 9日 (土)

ポンポン船の音

昨日は、昼から衝撃的なニュースが飛び込み、夜までテレビに釘付けとなった。 安倍元首相 ご苦労様でした。



今朝4時に起床し、静かに資源ごみを出してから散歩に出た。

・・・・・・・・・・・・ ご近所の皆さん熟睡中、、、、田舎であれば、早起き鶏がコケコッコー!

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・・・・・・・・・・・・ 車の少ない江戸通り(国道6号)を横断する。 交番ではお巡りさんが二名お話中。 徹夜の勤務明けか?

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・・・・・・・・・・・・ 蔵前の「榊神社」で手を合わせる、、、、誰もいない、賽銭箱がある、チャンスか? 人間「つい、出来心」となるかも?

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・・・・・・・・・・・・ 隅田川に出る、日の出を拝み、ブラブラ、、、、昔なら、カモメの鳴き声と、ポンポン船の音が聞こえる時刻だ!

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2022年7月 2日 (土)

白鳥明神の加護

今日も猛暑日かも、熱中症が怖く日中の散歩は中止。 早朝の散歩で、鳥越神社に手を合わせてきた。、、、、蔵前橋通りを挟み、南に台東区浅草橋、北に台東区鳥越。 「浅草橋」と「鳥越」は隣町。 



・・・・・・・・・・・・ 早朝の「蔵前橋通り」は車も少ない、通りに面し緑の樹々が茂るは鳥越神社。、、、、蔵前橋通りは、文京区湯島の本郷通り(順天堂病院の北側)から、蔵前橋、亀戸天神前、平井大橋をとおり、江戸川区北小岩の千葉街道に至る延長14kmの道路。

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・・・・・・・・・・・・ 前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。 江戸時代までは約2万坪の広大な敷地だったが、徳川幕府にほとんどの土地を取り上げられてしまった。 鳥越神社が土地を失ったのは、江戸城築城と隅田川や当時鳥越のすぐ近くにあった姫が池の埋め立てのためにたくさんの土が必要になり、鳥越の丘を崩して使用したそうだ。 その後、江戸城の城下町を形成するのと、旗本や大名屋敷の御用地とするために 幾度となく幕府に土地を没収された。 それまで、鳥越の山にあった鳥越大明神と熱田神社と第六天神の鳥越三所明神のうち、 熱田神社が今戸に、第六天神が蔵前にそれぞれ移動させられた。 鳥越大明神だけがその地に残されて、今の「鳥越神社」になった。 第六天神は今の「第六天榊神社」である。 第六天榊神社の紋も鳥越神社と同じ七曜紋である。、、、、今日は、まだ、ラジオ体操の時間前なので、だれもいない静かな境内

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・・・・・・・・・・・・ 「鳥越神社」の例大祭は、都内最大級を誇る“千貫神輿”と、夜に行われる宮入“夜祭りで有名。、、、、千貫≒4ton、チョイト重たすぎるね!


・・・・・・・・・・・・ 【蛇足】 鳥越には、江戸時代初期頃まで、「鳥越刑場」(現:陣内神社付近かも?)があったそうだ。 鳥越刑場はその後、小塚原刑場(南千住)へ移転した。、、、、我が家の地面を掘り起こすと人骨が出て来るかも、くわばらくわばら! 

2022年7月 1日 (金)

朝だ! 朝だよ!

猛暑日が続く東京、日中の外出は年寄厳禁。 連日、早朝散歩で足の退化を予防。 今朝も4時に起き、我が家(浅草橋)の近くをブラブラ!



・・・・・・・・・・・・ ご近所はまだ寝てるようだ、人影は見えず!

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・・・・・・・・・・・・ 我が家の氏神様「銀杏岡八幡神社」も、しっかり戸締りして爆睡中(?)、、、、賽銭盗まれないか心配だ!

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・・・・・・・・・・・・ 早朝のエンジン音は民間の廃品回収車だ、企業が出す事業系のごみ収集。 早々と仕事がはじまってる。

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・・・・・・・・・・・・ 車の少ない江戸通り(=国道6号)、人影少ない駅周辺!、、、、終電に乗り遅れた酔っ払いもいない、静かな浅草橋駅周辺だ!

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・・・・・・・・・・・・ 柳橋に回って隅田川

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・・・・・・・・・・・・ ♪♪ 朝だ 朝だよ 朝日がのぼる 空にまっ赤な 日がのぼる みんな元気で 元気で起きよ ・・・・・ ♪♪ (昭和16年、ラジオ放送で発表された国民歌謡、作詞:八十島稔、作曲:飯田信夫)

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