私の住む台東区では、17日から高齢者向けワクチン接種の予約が始まった。 我が家は、母と私達夫婦の三人の高齢者世帯である。 母のワクチン接種はかかりつけ医が第一回目を今週実施してくれることとなった。 一安心である。 さて私達夫婦の分は、先週二日がかりで電話をかけて、ヤットコサットコ、来月中旬に第一回目の接種予約ができた。 たかがワクチン されどワクチン 予約するまで一苦労!、、、、また連休明けの五月は、母のクリニック通いの付き添い以外に、私自身の診察が多く、泌尿器科の病院、心臓血管外科の病院、循環器内科のクリニック、眼科の病院、整形外科のクリニックと“休む暇なし”。 医者通いで疲れて倒れたら、医者に診てもらえるか心配だ!
今日は天気も良く、早朝から、浅草橋~人形町~兜町~銀座~大門まで歩いてきた。 一週間ぶりの散歩で、足がつった! 1万5千歩
● 雨も上がり青空が見える7時15分、浅草橋の我が家を出る。 江戸通り(=国道6号)は人も車も少ない! コロナの心配は不要かな?


● 薬研堀不動院(東日本橋)、笠間稲荷神社(日本橋浜町)、大観音寺(日本橋人形町)と一社二寺に立ち寄って行く。、、、、お不動さまに、お稲荷さんに、観音さま、朝から良いことありそうだ! 御利益期待!!
・・・・・・・・・・・・七味唐辛子の“薬研堀”に川崎大師からお不動さまが単身赴任。

・・・・・・・・・・・・久松署の前で、笠間の狐が化かし合い。

・・・・・・・・・・・・大観音寺の本尊:観音さまは、北条政子が京都をまねて、鎌倉の地に「新清水寺」を創建し、その本尊として奉祀したもの。 それが、なぜ?人形町に現れた?

● 人形町から兜町へ、久しぶりに建物拝見!
・・・・・・・・・・・・昭和レトロな建物が並ぶ人形町2丁目。 木造モルタルの旧神谷商店、和風造りの旧多和田歯科、出桁造りの加島酒店。



・・・・・・・・・・・・チョイト、雨上りの路地(人形町1)へ、店の前には金魚鉢、いいね!



・・・・・・・・・・・・路地の一軒「よし梅 芳町亭」 建物は国の登録有形文化財。、、、、緊急事態宣言で、今は『お酒は提供できません』

・・・・・・・・・・・・人形町の隣り、日本橋小網町では、、、、「三田商店 東京支店」は、東京駅を設計した辰野金吾と建築事務所を運営したことで有名な、葛西萬司の建築作品として貴重である。 昭和5年(1930)に竣工。 タイル貼りの外壁、中央塔屋の丸窓などが個性的な外観である。 建物の裏には、かつて東堀留川が流れており、河畔の利を生かした地下1階地上一部3階の鉄筋コンクリート造で、松クイを地下一帯に打ち込み、RC柱を太く、玄関など開口部はすべてスチールシャッターで防火対策を施して建てられたそうだ。 川は空襲のガレキで埋められてしまった。

・・・・・・・・・・・・「日清製粉 小網町ビル 本館」はチョイト見には、現代のビルに見えるが、大正12年(1923)に日清製粉本社として建造された。 建物の一部は昭和12年(1937)に増築され、5階部分は同26年(1951)に増築された。

・・・・・・・・・・・・日本橋小網町に残る銅板建築の長屋。 2階の窓の上部に半円形のデザインが施され印象的。

・・・・・・・・・・・・こちらは洋館風の洋食屋「桃乳舎」 創業は明治22年(1889) 金融の街:茅場町に近く、シャレた店である。 建物は昭和8年(1933)に建てられた。 2階の窓の上には“桃”のレリーフがある。

・・・・・・・・・・・・日本橋小網町のビルの裏に残る「うなぎ 喜代川」 明治7年創業の老舗。 昭和2年(1927)建築の風情ある木造家屋は国の登録有形文化財。

・・・・・・・・・・・・日本橋小網町から日本橋川に架かる鎧橋(よろいばし)を渡ると、証券取引所のある日本橋兜町。、、、、

・・・・・・・・・・・・東京証券取引所の南側に、スパニッシュ風の「山二証券ビル」がある。 建物は西村好時の設計、清水組の施工、昭和11年(1936)竣工、鉄筋コンクリート造3階建て。、、、、平日の営業中に来て、株取引の熱気を感じてみたい!


・・・・・・・・・・・・山二証券の隣りには、こちらも西村好時が設計した「旧成瀬証券」(現:フィリップ証券)のビルがある。 こちらは昭和10年(1935)の竣工。


・・・・・・・・・・・・フィリップ証券の南隣のビルは「みずほ銀行 兜町支店」である。、、、、前を通っただけでは、どこの町にも有りそうな普通の銀行建物。、、、、実は、ここは明治6年(1873)渋澤栄一が我が国初の近代銀行である「第一国立銀行」を開業した地である。「国立」という名称だが、これは「国立銀行法」に基づく銀行ということで、完全な民間銀行である。 この当時は開業する全ての銀行に順次番号が付けられ、「第〇〇国立銀行」と命名された。 現在でもこの当時の行名を残している銀行がある。 初代の「第一国立銀行」の建物は、銀行開業前年の明治5年に建てられた「三井組ハウス」であった。 この建物は 清水組(現:清水建設) が建てた和洋折衷のモダンな建物で、錦絵にも描かれている。、、、、「みずほ銀行 兜町支店」の建物の一角には「銀行発祥の地」 のプレートが嵌め込まれている。


● 日本橋1丁目と日本橋兜町から日本橋1丁目に向かうと、首都高の下に、かつて楓川(紅葉川)に架かっていた千代田橋がある。 楓川は昭和37年に埋立てられ、同39年オリンピックに合わせて開業させる首都高が建設された。 首都高は橋の頭上を通り、川は埋め立てられたままである。、、、、現在の橋は大正15年(1926)に着工し、昭和2年(1927)に竣工した。 橋の橋台は半分ほど埋まっているが、側面からみると橋台桁が現存していることを確認できる。 橋は改修工事が行われているが、石造の親柱、袖柱、袖高欄は竣工当時のままで残っている。、、、、橋脚の半分までが埋め立てられたままの、チョイト可哀そうな橋だ!

● 開店前のウインドウを覗きながら、銀座1丁目から8丁目まで歩く。、、、、時刻は9時半、まだ人も車も少ない。 コロナの心配は無さそうだ!、、、、“銀座9丁目は水の上 今宵は船で過ごしましょう ~~”は神戸一郎が唄う昭和33年の歌。 9丁目は実在しない!








● 新橋を過ぎたあたりから足がつり、イテテ! 帰ろう!、、、、大門駅から都営浅草線で帰宅
