北区

2020年10月12日 (月)

赤ちゃん寺

台風一過の青空とはならず、熱帯低気圧に変身し、曇り空で夜が明けた。 今日は王子駅で下車し、石神井川の最下流である隅田川付近から遡り歩く予定で家を出た。 王子駅に着いたら計画は変わり、王子駅から板橋駅へ向かって歩くことにした。 この計画も散歩の途中で変わり、最終的には、西巣鴨駅までの散歩となった。、、、、散歩の目的地が無く、気ままに歩くので、計画変更は毎度のこと!




● 京浜東北線の王子駅南口(東京駅寄りの出入口)は、いま一つ存在感が薄い。(我が家の最寄り駅、浅草橋駅西口と同じだ) 駅前は狭く、道はそのまま裏通りとなり、住宅密集地へ伸びている。、、、、南口は、間違いなく、王子駅の裏口である。

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・・・・・・・・・・・・南口から西側の東北本線の線路側に向かうと、跨線橋が見える。 この跨線橋を渡ると飛鳥山公園の中央に出ることができる。 この跨線橋は「飛鳥山下跨線人道橋」と名付けられて、橋上の通路はJR東日本の管理下となっていてあくまで王子駅の施設の一部であり、道路としては認定されていない。 大正14年(1925)竣工で、今は少なくなった古レールを再利用した跨線橋。 橋は中路ブレースドリブ固定アーチ橋と云う形式で、橋長 41.0m、幅員 2.74m。

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● 跨線橋を渡ると、王子1丁目と西ヶ原2丁目に跨る区立飛鳥山公園の中だ。 飛鳥山は滝野川村の範疇だったが王子権現に寄進されたため王子村となった。 公園は、八代将軍徳川吉宗の指示で1270本の桜を植え大岡越前の時代、江戸庶民のためにこの地を花見の地としたのが始まりといわれる。 まさに、日本最初の公園で、桜の名所でもある。、、、、現在も桜の名所はかわらないが、園内に北区飛鳥山博物館・紙の博物館・渋沢史料館が並んでいる。、、、、公園内には、多くの石碑・像がある。 石碑は漢文調の文章で読めない、像はココに置かれている意味不明?など、チョイト整理して欲しいね! 

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● 飛鳥山公園の西、北区滝野川2丁目に醸造試験所跡地公園がありその一角に国重要文化財である「旧醸造試験所第一工場(赤煉瓦醸造工場)」が保存されている。 、、、、明治37年(1904)大蔵省醸造試験所として設置された。 建物は明治35年(1902)施工の煉瓦造3階建て。 設計の妻木頼黄(つまきよりなか、大蔵省営繕課)は日本酒の仕込みを四季を通じて行えるようにするため、ドイツ留学時のドイツの近代化されたビール工場を参考に設計したそうだ。 妻木は、コンドルに学び、横浜赤レンガ倉庫や日本橋を造った。、、、、醸造試験所は、国税庁から独立して行政法人となった平成7年(1995)に、主力は最新設備を備えた広島に移った。
、、、、3枚目の写真は、酒類総合研究所広報誌【NRIB】に載っていた創立当初の醸造試験所。 周囲には畑があったようだ!

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● 赤煉瓦醸造工場から西へ100m程歩くと、浄土宗寺院「正受院」の長い参道がある。 参道途中に、第二次大戦の戦禍を免れた、明治35年(1902)建立の竜宮門形式の鐘楼門が出迎えてくれる。 鐘楼門の下部は大谷石造で特徴的。 本堂は大正3年(1914)築。、、、、正受院は、弘治年間(1555~1558)大和国に住み不動即我の密法を修していた学仙房という僧が霊夢によって武蔵国に来て開いたといわれ、本尊阿弥陀如来像は行基の作と伝えられている。

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・・・・・・・・・・・・本堂前には、江戸時代に北方(択捉島)を探検した近藤重蔵の甲冑姿石像がある。、、、、顔がチョイト崩れているが、イメージは掴めるね! 韓国で整形してもらうと、韓流スター並みの顔になるかも? 

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・・・・・・・・・・・・本堂横の慈眼堂は平成に建て替えられた、赤子供養の仏堂。 ここを「赤ちゃん寺」と云うそうだ、『北区史』によると由来は、江戸時代から札所として独立した観音堂を持っていたことから、昭和23年の優生保護法施行を機に、昭和29年頃に東京都の衛生局と、赤子の納骨及び供養をする寺として話がまとめられたことに由来するという。、、、、慈眼堂にはおもちゃ・お菓子・ぬいぐるみが供えられている。 供養される赤子が多いのか?、、、、慈眼堂の横に、「地蔵大菩薩 赤ちゃんの供養塔」もある。

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・・・・・・・・・・・・本堂裏の不動の滝にあった不動明王像を祀る不動堂。 建物は昭和初期の建造。

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● 正受院の北側を流れる石神井川に出てみた!、、、、松橋・紅葉橋から見ると、昨日までの雨で水量は多そうだ。 しかし、川底は周囲に比べ深い位置にあるね。 昔はもっと浅い位置に川底があり、周囲の景観と調和した親しみある川だったと思うね。

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● 紅葉橋の際(滝野川3)にある真言宗豊山派の寺院「金剛寺」、、、、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177~1181)に源頼朝がこの辺りに布陣したとも記されている。 この寺の弁財天は、「岩屋弁天」「松橋弁天」とも呼ばれ、多くの信仰を集めた。 また、紅葉の名所であったことから「紅葉寺」とも呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・山門の後ろに、外から見えないように、石造の仁王像が恥ずかし気に立っている。 二神ともに筋肉隆々、力強く、たくましく神からは、ほど遠い! ここの仁王は、身体ブヨブヨ、背丈は短く、チョイト弱々しい、一刻も早くライザップで身体を整えることを薦める!

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● 金剛寺の南に、大小15棟(762戸)が建ち並ぶ「都営滝野川3丁目アパート」がある。 昭和40年代の建物だ。、、、、建物のデザインに統一性が見られない団地だ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地の一画に、チョイト薄暗く、荒れたような「四本木稲荷神社」がある。 “四本木”は“よもとぎ”と読む。 境内の石碑によると、滝野川3、4丁目にかかるこの辺り一帯は「雷汞場(らいこうば)」と呼ばれた陸軍第一造兵廠滝野川工場の跡らしい。 神社は、十条工場の北東隅(稲荷公園)に建っていた東京陸軍第一造兵廠の守護神社で、滝野川にあるこの社はその分祠だが、戦中に本祠が焼失したためここだけが残り、戦後本祠も遷したそうだ。 鳥居は「昭和12年建立」とあり、この神社が戦争一色の時代に建てられたことが判る。、、、、“四本木”の地名の由来は、簡単!、ここに四本の大木があったから工場の人たちが命名した。


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● 滝野川5丁目に入り、滝野川八幡神社に参る。 八幡神社は旧滝野川村の鎮守。 祭神は品陀和氣命(ほんだわけのみこと・第15代 応神天皇)で、創建は建仁2年(1202)と云われてるが、詳細は不明。  社殿の裏手からは縄文時代後期の住居址が発見されており、考古学的にも貴重な遺跡に立地しています。 神仏分離以前は金剛寺が別当寺であった。 本殿は総欅造り、明治18年(1885)に改築されており、拝殿は大正11年(1922)に修築された。、、、、地元の人が、ひっきりなしに参拝に来るので、実入りの良さそうな神社と“お見受けした”

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● 八幡神社の脇から、半分シャッター商店街となった思われる「八幡通り商店街」を歩いて板橋駅に向かう。、、、、商店街を抜けると、国道17号(中山道)に出た。 ここで、前を歩く数人の人は板橋駅とは反対方向に曲がった。 『アレ、みんな駅へ行かないのか』、チョイト気になり地図を見ると、板橋駅へ行くより、都営三田線西巣鴨駅が近くに在ることが判り、納得! 私も、板橋駅まで歩くのは止めた、西巣鴨駅から帰ることにした。

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2020年8月31日 (月)

団地が甦るか?

今日の散歩は、JR京浜東北線赤羽駅から、駅の西側の丘に広がるUR都市機構のヌーヴェル赤羽台団地(旧住宅公団の赤羽台団地)を抜けて、都営住宅桐ヶ丘団地を見てきた。

 

 

● 朝の赤羽駅、京浜東北線ホームは上下線とも思ったほど混んではいなかった。 向かいの上野東京ラインのホームは整列乗車する人・人・人。 どちらも都心に向かうのだが、京浜東北線で通う人は時間に余裕があるのか“のんびり・ゆったり”、上野東京ラインで通う人は寝坊したのか時間に焦りを感じる。

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・・・・・・・・・・・・朝の赤羽駅は、川口・高島平方面からバスで来る人もかなり多く、バス停には絶えることなくバスが到着している。 一日に約20万人が乗り降りする大きな駅だ!

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● 駅からヌーヴェル赤羽台団地(かつて住宅公団赤羽台団地)へ向かう途中、「亀ヶ池弁財天」に立ち寄った。 赤羽台団地のある高台の下の住宅地の一角にある小さな弁天さま。、、、、昔、赤羽駅の西口一帯に大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていた。 この池は稲付城(今の静勝寺西側の、天然の防御であった。 昼なお薄暗く、一角のほこらには無数の亀がすんでいました。 特に大亀は甲の周囲8.9尺もあり、 小さな子供はその上に乗って戯れたが、大人が行けば隠れてけっして出てこなかったといわれている。 現在の亀ヶ池弁財天の池はその亀ヶ池の名残りといわれ、中の島に祀られている祠はかつて亀ヶ池の一角にあった物で、中には弁天像が納められている。 現在の池には亀がイッパイ、鯉は皆無。 この弁財天では願いが叶ったらお礼の印に細い絵馬型の御札をかけることになっているそうだ。
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● 亀ヶ池弁財天の裏から坂を上ると、UR都市機構のヌーヴェル赤羽台団地がある。 ここは、住棟の老朽化が進んだ赤羽台団地の建て替え事業として、平成18年(2006)から順次建て替えが進んでいる。 総戸数1400戸程の町並みはほぼ整備されたが、現在も工事は行われている。、、、、従来の公団の団地とは違い、高層マンションのようなモダンで、スッキリした外観となっている。 数年前にはグッドデザイン賞を受賞したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・団地の一画に、ここの敷地が明治時代の陸軍被服本廠の跡地であったことを標し、掘り出されたレンガでベンチの基礎を作り再利用している。

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● ヌーヴェル赤羽台の西側に、「赤羽緑道公園」がある。 この公園は、陸軍兵器補給廠や陸軍被服本廠等かつての軍事施設における物資輸送のために、JR赤羽駅付近から敷かれた軍用鉄道「東京陸軍兵器補給廠専用線」の線路跡に造られた公園だ。 緑道の道には、線路をイメージしたタイルが敷かれている。 終戦まで、陸軍の兵器や物資を満載した貨物列車がこの緑道公園を行き来していた。、、、、できれば、当時のように鉄道を復活してもらいたいね!

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桐ヶ丘団地は公団赤羽台団地の西側に造られたマンモス団地。 大きく、「桐ヶ丘一丁目アパート」(建設年度:1998~2009 総戸数:1941戸 約40棟)と「桐ヶ丘アパート」(建設年度:1959~1975 総戸数:2169戸 約140棟)で構成される。、、、、現在、都ではこの団地の建て替え計画を推進中で、アチラコチラに雑草が生えた更地があり、その先には建て替えられた高層住宅が見える。 また公園は荒れ放題、これまでの古い建物はボロボロ、そのボロボロを取り壊す重機、商店街は客も少なくシャッターは下りたまま。 団地が甦るまでの過渡期の混乱状態か? 我慢しよう!

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・・・・・・・・・・・・桐ヶ丘アパートの南側に、道路を挟み「都営赤羽西5丁目アパート」がある。 このアパートの向かいには、桐ヶ丘団地のショッピングセンター「桐ヶ丘中央商店街」があるのだが・・・・・

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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘中央商店街」、名はカッコイイが、実態はシャッター商店街か? 昭和30年代、団地建設当時のままの姿で残っている、化石のような商店街。 営業してる店舗もあり、“廃墟ではない”


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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘中央商店街」を俯瞰する。 背後の高層住宅は、建て替えられた桐ヶ丘団地の住居棟。

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・・・・・・・・・・・・商店街に隣接する「桐ヶ丘郷小学校」は、生徒数500名弱。 少子化により、平成14年(2002)に桐ヶ丘の2校が合併し誕生した小学校。 生徒数が減らないといいのだが、無理かな?

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・・・・・・・・・・・・中央公園は、暑さのせいか?、コロナのせいか?、手入れの悪さのせいか? 遊ぶ子はいない! 雑草は生え放題!、、、、公園の向こうに、給水塔と建て替えられた59号棟が見える。

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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘アパート」の公園でも雑草が元気に成長している。 脇の公衆便所ではコンクリート屋根の上で、雑草が伸び伸びと成長していた!

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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘アパート」も、昭和30年・40年代の棟が並び、老朽化が目立つ!  

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・・・・・・・・・・・・広い団地のあちら・こちらで建て替えが進められているが、広すぎて工事現場は目立たない!、、、、ところで、「桐ヶ丘団地」の整備計画は何時完了するのか? まだまだ時間がかかりそうだ!、、、、整備され、元気になった団地を早く見たいものだ!

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2020年8月 8日 (土)

アスリートの町

JR京浜東北線の東十条駅から、環七通りに出て埼京線を越え、西が丘を抜け本蓮沼駅前から北東に歩き、都営三田線志村坂上駅まで、1万2千歩の散歩です。


● 京浜東北線東十条駅は島式ホーム2面3線の地上駅。 ホーム両端に改札口があり、それぞれ北口、南口と称している。 北口は橋上駅舎で改札を出ると、東西方向に行ける。 今日は駅前の狭い道を抜け、駅西側の北区中十条から散歩を始める。

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● 駅の北側にある真言宗智山派の寺院:無量山龍谷院西音寺。 本尊は不動明王。 文明年間(1469~1486)の僧玄仲による創建と伝えられる。 3代将軍家光が日光社参の都度ここで休み、畳・襖・雪隠などを寄進したほか灯明料・普請料の名目で若干の金子を奉納したこともあった。、、、、立派な山門は江戸時代後期の建築。 山門横の観音堂も江戸時代後期の建築。 本堂は正徳2年(1712)の建立。 木造洋風の檀徒会館は、昭和5年(1930)に建築された旧和光学園幼稚園舎を移築したもの。、、、、近くの北区立荒川小学校は、明治6年(1873)に児童数15名で西音寺で開校したそうだ。

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環七通りに出る。 「富士見橋」にて埼京線を越える。

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・・・・・・・・・・・・埼京線の西側(十条仲原2)の環七通りの裏、小さな社の「日枝神社」がある。、、、、祭礼のようだが、コロナの影響で自粛するそうだ。 日本中の神社で、祭礼は自粛ムード、今年は神輿を見るのが難しいかも?、、、、祭神に大山咋命を祀り、社殿には「山王大権現」と記している。 元禄2年(1689)創建とある。、、、、また、境内右奥の延宝4年(1678)の「十条仲原庚申塔」は、手入れも良く残されている。 昭和50年(1975)に地元有志によって昭和初年以来途絶えていた庚申講が復活したそうだ。

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● 環七通りの北側、十条仲原3丁目の裏道を歩き、方向感覚が怪しくなってきたとき、♪♪この道は いつか来た道 ああ そうだよ 暮れに来た坂だ覚えてる♪♪ 「游鯉園の坂を下り、同じ道を歩きたくないので西に折れた。 ツタの絡まるチャペル風の廃屋がある。 いつの間にか住所は西が丘2丁目、懐かしい木造の目隠し塀もある。

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西が丘トレーニングセンター国立スポーツ科学センターなどの大規模施設が並ぶ、オリンピックのアスリート育成拠点に出てきた。、、、、凄い施設だ、相当“金”も掛かっている、これでオリンピック中止になると、どうなるのか?????

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中山道に出た、都営三田線の本蓮沼駅を通り、一つ先の志村坂上駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・志村坂上駅の手前、中山道の左右に対になった一里塚がある。 けっこう大きな塚で、江戸時代に築かれた。、、、、一里塚の隣りには、明治22年(1889)創業の原木商「斎藤商店」がある。昭和8年(1933)に建てられた現建物は、町のランドマークとなっている。(登録文化財)

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・・・・・・・・・・・・一里塚の隣りに志村坂上駅もある。、、、、昭和30年代、私の中・高等学校は白山にあり、水道橋方面から都電18番(神田橋~志村坂上)に乗って通学していた。 当時は、巣鴨から北の志村坂上とはどんな処なのか知ることもなく、興味もない町だった。 都電が「志村坂上」行きなので、名前だけは頭にこびりついていた!

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2020年2月12日 (水)

小台と宮城

日暮里・舎人ライナー足立小台駅で下車し、荒川と隅田川に挟まれた中洲状の町:足立区小台・宮城を歩いてきた。 帰りは豊島橋を渡り、豊島五丁目からバスで帰宅。 1万1千歩




●お客は少ない! ・・・・・・・荒川と隅田川に挟まれた、“狭い土地”と言うべきか、“広い土手上”と言うべきか、どちらにしても住宅からはチョイト離れた尾久橋の北詰(足立区小台1)に、日暮里・舎人ライナーの足立小台駅はある。 平成20年(2008)3月30日のライナー開業と同時にできた。 平成30年(2018)度の一日平均乗降人員は3,931人であり、日暮里・舎人ライナー13駅中最下位だった。、、、、朝の足立小台駅では、乗降客が少ないにもかかわらず、2名の警備員がホームにいた。 『いやに、厳しいな!』と思ったら、ライナーが超満員で入線してきた、ココ足立小台駅では乗れない人もいるようだ。 その人達のための、“尻押し”をしているらしい。 押すところ間違えないように!

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・・・・・・・・・・・・ホームは、隅田川・荒川を見下ろす高い位置にある。

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●車窓は絶景! ・・・・・・・足立小台駅の北側、荒川に日暮里・舎人ライナー荒川橋梁扇大橋が架かっている。、、、、日暮里・舎人ライナー荒川橋梁は、橋長610.8m、4径間鋼箱桁の構造で、平成18年(2006)に竣工した。 何と云っても、日暮里・舎人ライナーが橋の北側で首道路中央環状線の上を跨ぐため、ライナー高架橋の最高地点で、高さは約30mあり、眺めは最高!、、、、扇大橋は、尾久橋通り(都道58号台東川口線)を通す。 こちらは、長さ445.4m、幅員26.0mの3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋。 昭和49年(1974)竣工。、、、、日暮里・舎人ライナーに乗り、ココを通過する時、いつも思うのは、絶景に感動し、電車の停止に怯えること。 もし、橋上で電車が止まったら、約30mの橋上を歩いて退避することになる、怖~~い!

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●昔は台地、今は土手下! ・・・・・・・足立小台駅から西へ、足立区小台の町を歩く。、、、、小台も、隣りの宮城も、大正時代に荒川放水路開削事業で河道となるため住民が立ち退かされた町である。 それまでは、さほど高くはない台地で、畑地であったそうだ。 そこで“小さな台地”ということから「小台」と呼ばれたらしい。、、、、荒川放水路(現:荒川)ができたため、小台・宮城の町は中洲のような細長い狭い町となってしまった。 現在は工場がが多く、下町の工業地帯。

・・・・・・・・・・・・まずはブラブラ。 建設関連の、〇〇建設、〇〇工業、〇〇塗装などの会社名が多いね!

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・・・・・・・・・・・・小台2丁目に曹洞宗の寺:珠明院がある。 金龍山と号し、本尊は聖観音像(浅草の浅草寺も、金龍山で本尊は聖観音像、似てるね!) 珠明院は、然室存廓(弘治元年(1555)寂)が開山となり創建した。、、、、本堂前には、板碑型庚申塔、地蔵菩薩がある。 地蔵には『六地蔵弐番目武州江戸講中 元禄十二己卯年七月十五日』の銘がある。

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・・・・・・・・・・・・珠明院の北東、荒川土手の前に立派な庚申塔が七基ある。、、、、説明板には、 小台七庚申  庚申信仰は、大陸から伝来した儒・仏・道の三教の内、道教を軸に平安時代の初め僧侶によって貴族社会に伝わり、のち次第に庶民に及んで固有の民俗信仰と習合し、広まったものである。ここ一か所に集まっているのは、大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で、立退きの対象となった地から下川家と共にここに移転安置したものである。承応三年(1654)から元文元年(1736)に造立された堂々とした造りで、江戸期庚申信仰が盛んであったことを物語っている。武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって小台の七庚申と呼ばれ、人々の信仰を集めている。多くの民俗資料が消滅していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。 平成4年3月 東京都足立区教育委員会 』と、記されている。 、、、、昔は、道端にこんな立派な庚申塔が多く祀られていたであろう。 今では、お宝だ!

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●豪族の館があった町! ・・・・・・小台の隣りは足立区宮城の町、こちらもブラリ散歩、、、、三方を荒川・隅田川に囲まれ、残る一方は小台の町に隣接する。、、、、町名の由来は、豊島氏の一族で太田資正に仕えた宮城政業の居館が現在の江北橋側の氷川神社にあり、寛永の頃には宮城の村落が出来ていたとそうだ。

・・・・・・・・・・・・町をブラブラ、こちらも小台と同じで下町の工業地帯。

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・・・・・・・・・・・・・・・町中にあるはずの、真言宗の福壽山地蔵院。 あまり広くない境内に墓石がポツンと残り、堂宇は一切ない。 アレ? 寺の夜逃げか? 本堂があったと思われるところは整地されジャリ・ジャリ。 どうしたのかな?、、、、残されている墓石を見ると、どの墓も「下川家」だ、一族か? チョイト、ミステリアスな寺。

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・・・・・・・・・・・・・・江北橋の橋詰めに宮城氷川神社がある。 氷川神社は、豊島重信の子重中が南北朝時代に足立郡宮城の地を開発、守護神として武蔵国一宮氷川神社の分霊を勧請して創建、北條氏滅亡時に宮城氏も滅亡したものの、江戸時代初期の村落成立時に改めて村落の鎮守社として祀ったと言われている。、、、、この地には、豪族宮城氏の居館があったそうだ。 “砦”と言う程度のものか?

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●北区から帰宅! ・・・・・・・・豊島橋を渡り足立区から北区に入る。 豊島五丁目団地の前からバスでに乗る。 北区から帰宅。

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2019年12月20日 (金)

都心のローカル駅、十条

私には、埼京線(正式には赤羽線)十条駅はなじみが薄く私用・公用を問わず、当駅で下車することはまず皆無。 そこで、今日の散歩は十条駅で下車し、そこから歩いてみようと家(浅草橋)を出た。、、、、浅草橋から、中央・総武緩行線で新宿へ出て、埼京線で十条駅へ行くことにした。 電車が途中で動かなくなった、アレレ? 中央・総武線に乗り入れてる東西線で車両点検があり、さらに、別の駅で何かトラブルがあったようで、電車は亀の歩みで新宿に着いた。 新宿の乗り換えでは、チョウド埼京線が出るところ、いそいで飛び乗った、ラッキー・ミッキー・ポッキー・ついてるね! ところがギッチョン、新宿を出た直後の車内アナウンス『新宿駅での信号トラブルと、板橋・十条駅間で線路内に人が立ち入り安全確認のため、この電車は10分遅れで新宿を発車しました。 ご迷惑をおかけし申しわけ御座いません』 まあこの後順調に走ってくれればいいかと思った矢先、池袋の手前で、この電車も亀になった。 なんと、池袋駅で急病人が発生したそうだ。 さらに、川越方面からの電車がトラブって時間調整。 浅草橋から30分で着くはずの十条まで、今日は1時間、歩く前から疲れた!、、、、十条駅周辺を一周し、その後、赤羽駅まで歩いて、1万歩。




●都心のローカル駅? ・・・・・・赤羽線の全通は明治18年(1885)の品川~赤羽間の開業時である。 十条駅は、赤羽線の開業からはだいぶ遅れて、明治43年(1910)11月1日に追加開業した。 ホームは相対式2面2線構造で、両ホームは跨線橋で結ばれている。 2本のホームを結ぶだけの純粋な跨線橋がある駅は、都区内のJR駅では十条駅だけである。 改札口・出口は表玄関の北口と勝手口の南口の2ヶ所。

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・・・・・・・・・・・・駅の周辺には、帝京大学医学部、東京家政大学、東京成徳大学などの学生が多く下車する。 池袋・新宿方面行きは超満員、あきらめて次の電車に乗る人も!
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・・・・・・・・・・・・ホームの両端は踏切。 南側は都道でバスも通る、北側は商店街を結ぶ生活道路。、、、、今日は踏切付近で電車が停まり、遮断機が下りたまま。 線路の向こう側に私も行きたく待つこと10分、イライラする踏切だ!

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・・・・・・・・・・・・十条駅の脇に建つ「十条駅開業70周年記念碑」、、、、十条駅は明治38年に、東京砲兵工廠の貨物を取り扱う日本鉄道の貨物駅として開業したが、翌年には廃止となった。 5年後、明治43年(1910)の開業は2代目の駅で、この時から旅客扱いすることになった。 この記念碑は1980に建てられたので、70年引くと1910年、この年は旅客扱いする駅として開業した年で、初代の貨物駅の開業はカウントされていない、チョイト悲しいね!

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・・・・・・・・・・・・【チョイト、ないしょの話】十条駅の前後、約1.5kmを高架化する計画があるそうだ! 計画では2033年完成らしいが、あと14年先のこと。(私は居ないかも?)、、、、高架化に反対する人もいるようだ! 地下化ならOK?

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●まだ睡眠中! ・・・・・十条駅から、「十条銀座」、「富士見銀座」を抜けて環七通りに出る。 2つの銀座も、まだ寝ているか、寝ぼけ状態で店は開いていない。、、、、十条銀座は昭和初期から商店街が結成された歴史ある商店街。 富士見銀座は十条銀座に続いて伸びる商店街だが、アーケードが無いのでチョイト残念。 途中には戦後間もない頃の店舗と思われる店が残っている。

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●憧れの洋風! ・・・・・・十条仲原4丁目で見つけた擬洋風の建物。 まずはT邸、どうやら元医院の建物のようだ。、、、、もう一軒は、木造の建物N邸で、玄関部分は塀で隠されてる。、、、、どちらも、庶民の洋風への憧れを感じさせる。

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●坂・坂・坂! ・・・・・・・游鯉園の坂」、「水車の坂」、「野間坂」の、3か所を紹介

・・・・・・・・・・・・まずは、十条仲原4丁目の「游鯉園の坂」、、、、案内によると『十条仲原の台地から稲付川(現在は暗渠)に下る坂です。大正時代から戦前まで、坂下の川下にあった川魚料亭が遊鯉園で、この坂の名前は、その料亭の名に因んで付けられた俗称です。明治の頃、坂下に水車小屋があり、旧稲付村(ほぼ、現在の赤羽西、西が丘、赤羽南にあたります)の農家がよく利用していました。 』、、、、道幅の狭い、長さ50m程のかなり急な坂である。 

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・・・・・・・・・・・游鯉園の坂を下り、道なりにまっすぐ進むと「水車の坂」(西が丘2-27)がある。、、、、ここも案内に、『現在は石段となっていますが、昔はこの下に水車小屋があり、近くの農家が利用していました。水車に荷を運んできた馬が坂の途中から落ちて死んだこともあり、お稲荷さんと馬頭尊とが並んで立っていました。現在は稲付川も暗渠となってしまい、水車もありませんが、石段は西が丘から十条銀座を通って十条駅へ向かう通勤の人でにぎわっています 』、、、、長さ45m程の急な階段坂で、途中の踊り場でクランク状に曲がる。 この階段を上ると、稲付公園まで200m。

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・・・・・・・・・・・・「水車の坂」を上がり、西が丘の丘陵を東に200m程行くと稲付公園がある。 公園の前を赤羽駅の方に下る坂が「野間坂」である。、、、、この公園は昔、講談社の創立者である野間清治の旧別邸であった。 「野間坂」という名はそこに由来する。 現在、別邸跡は区立公園といて整備され、眺望はすこぶる良い。

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●浅草橋より大きな駅! ・・・・・・・赤羽駅の南口に到着。 南口は赤羽駅の裏口のようなもの! それでも、私が住む浅草橋駅の改札と同じ台数ぐらいの自動改札機がある、コリャ負けた!

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2019年12月18日 (水)

川口の文化財

京浜東北線赤羽駅で下車し、国道122号(北本通り、岩槻街道)沿いに歩いて南鳩ケ谷へ行くつもりで出たが、川口市に入ると、裏道に古い建物を見つけた。 今日の散歩は、この建物の発見に始まり、京浜東北線川口駅までとなる。 9千歩



●出社前からお疲れさん! ・・・・・・通勤・通学客で混雑する赤羽駅。 赤羽駅ホームは、平成10年(1998)に高架化工事が完成し、島式4面8線の大規模な高架駅となった。 東側から1・2番線の京浜東北線南行きと北行きホーム、3・4番線は宇都宮線・高崎線の上下線ホーム、5・6番線は湘南新宿ラインの南行きと北行きのホーム、7・8番線は埼京線の北行きと南行きホームで、各ホームとも緩行・快速・通勤快速の総てが停車する。 各ホームでは、乗換客であふれている。、、、、大宮方面から来る南行きの京浜東北線電車はすでに満員状態、赤羽から乗るのは難しそう。 向かいのホームの上野行きの宇都宮線・高崎線も満員のようだ!

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●国道122号(北本通り)に出る! ・・・・・・戦後、赤羽駅前の焼け跡に誕生した商店街:「一番街」も、多くの店はまだ休眠中、開いてる店も準備中。、、、、一番街を抜け、東京地下鉄南北線の赤羽岩淵駅に出る。 平成3年(1991)11月29日駒込~赤羽岩淵間開業と同時に設けられた。 この駅から北は、平成13年(2001)に埼玉高速鉄道が開業し、浦和美園駅まで直通運転されている。、、、、北本通りに面してたつ、シブい銅板建築の建物は吉安自転車店。 昭和初期の木造2階て、銅板葺きの典型的な看板建築である。 銅板の緑青がいい味を出している。

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●タワマンが消える! ・・・・・・国道122号(北本通り)を歩き、荒川の近くまで来ると濃霧が発生していた。 新河岸川(隅田川の上流)と荒川に架かる新荒川大橋の上から見ると、川口のタワマンの上層階が消えている。、、、、国道122号の愛称:北本通りはこの橋まで、ココから岩槻街道となる。

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●目的地の変更! ・・・・・・濃霧の新荒川大橋を渡り終えると、チョイト裏道が歩きたくなり国道からそれた。

・・・・・・・・・・・・川口市本町の路地を歩くと、チョイとした空き地の裏に煉瓦塀が見える。 よく見ると煉瓦塀の奥には蔵が見えた。 『煉瓦塀に蔵、コリャ御大尽様の屋敷かな?』 塀を頼りに表に回ってみると、木造の主屋を改装した浜田接骨院。、、、、地元の旦那に聞いてみると、蔵は明治40年(1907)の建てられたもの、母屋は大正期の建築であった。 

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・・・・・・・・・・・・地元の旦那の話では、この接骨院の裏には大砲がある。 またここからもう少し歩くと、鋳物問屋の邸宅が残っている、内部も見せてくれると、教えてくれた。 『一見の価値あり』だ、そうだ!、、、、これにて、南鳩ヶ谷へ向かう散歩は、急遽中止。

・・・・・・・・・・・・浜田接骨院の裏の方へ入って行くと、増幸産業という会社の一画に「18ポンド カノン砲」が展示されてる。、、、、案内文によると、『この大砲は幕末の嘉永5年 (1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(増幸産業の代表の増田家初代)が、後の砲術奉行となった高島秋帆と協力して作り上げたものの復元品で、当時は制作不可能とされていた大型砲です。 嘉永5年から安政5年の5年間に213門の大砲と41,323発の砲弾が製造され、諸外国から日本を守るため全国各地に配備された。 全長3.5m  重量3トン  口径15cm  射程距離2500m 』、、、、せっかく復元したのだから、チョイト、試し撃ちしてみたら迫力あるだろう!

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●文化財のトイレ! ・・・・・・川口市金山町の「川口市母子・父子福祉センター」は、市内の母子・父子家庭の生活向上を図ることを目的とした施設。 これは、この建物を所有していた、旧鋳物問屋「鍋平」の4代目嶋崎平五郎氏が、昭和57年(1982)に建物を川口市に寄付する時の希望であったそうだ。、、、、建物は旧鋳物問屋の別邸として明治後期に建てられた和風建築。 鋳物商人の接待用施設だったためか、内装は、随所にこだわり、贅を尽くしている。 特にステンドグラスやタイルの装飾にこだわったトイレには思わず圧倒された。 現在は国の登録有形文化財。、、、、玄関のある主屋は明治末期の和風建築。 10畳の座敷に、床、棚、書院を備えた「離れ」は、昭和14年(1939)の建築。 「離れ」には、“ウン”で汚しずらい匠の技がピッカピカに光るトイレが配されている。 また、邸内には昭和2年(1927)に建てられた土蔵もある。、、、、訪れたのは私一人、じっくり内部を拝見できたが、文化財のトイレは汚したら処罰されるかもしれず、使用はひかえたよ!

・・・・・・・・・・・・・まずは、玄関のある母屋から。、、、、何処にでもありそうな和風建築。 

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・・・・・・・・・・・・・・次は離れ。 黒檀の床柱、色ガラスが嵌め込まれた窓、竹細工が組み込まれた廊下の壁、見るべきものは多い。

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・・・・・・・・・・・・・・次は必見!離れのトイレ。 トイレ入口の壁には帆掛け舟のモザイクがあり、帆の部分は鏡が嵌め込まれている。 入口からの正面には手洗いがある。 カタツムリの焼き物が組み込まれ、鉢も合わせたデザインだ。

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・・・・・・・・・・・・・・さてさて、男子用の個室。 床壁は大理石張り、小便器の上にはステンドグラスの窓がある、天井にもガラスが嵌め込まれている。 用をたしながら、キョロキョロ、窓・天井・床を見ていると、チョイト、脇に飛び散るかも?

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・・・・・・・・・・・・・・つぎは、男女兼用の個室。 こちらは、松に帆掛け舟の丸いステンドグラス、天井は臭気抜きか?細工が施された板張り。 洋式に慣れた方は、小さな便器の脇に落とさないように注意・注意! くれぐれも、文化財であることをお忘れなきように!

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・・・・・・・・・・・・・・トイレ部分の外観、そして最後にを拝見。

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●アッ、帰えろう! ・・・・・・川口市母子・父子福祉センターで、タップリ時間を掛け、拝見したので、そろそろお帰りの時間。 帰りは、川口神社に寄り、川口駅から帰宅。

2019年11月 1日 (金)

我が家は浸水するか?

赤羽駅の北東、荒川の岩淵水門の近くに在る「荒川治水資料館」(北区志茂)に行ってきた。 一昨日、電車が動いておらず、行けなかったので、今日となった。 JR赤羽駅から脇目も振らずに歩けば20分程で行けるが、神社・地蔵様・美女に脇見しながら歩いて40分程である。




●キョロキョロ、脇見しながら歩く! ・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・今日は『どこで降りようか?』と迷うこともなく赤羽駅で下車。 これから出社する通勤客で駅は人・人・人の流れ、その流れに逆らい駅前に出る。、、、、これより、岩淵町を通り志茂、脇見しながら向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅近くで、気になった築50年のビル。 駅前の雑居ビル「赤羽パレスビル」は昭和45年(1970)の建物。 なぜか、キャバレーを思い出す名前に引かれた!、、、、もう一つは、昭和44年(1969)築、ツタの絡まるマンション。 間取り“2k”で家賃は6万円前後らしい、安いね!

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・・・・・・・・・・・・・・八雲神社の南側(北区岩淵町22)、住宅の塀の前に、チョイト風化した三基の石塔が並んでいる。 きれいな花が供えられている。、、、、右側に、寛保3年(1743)の庚申塔、「奉造立庚申供養塔」と彫られ、下部に三猿がいる。 中央は、元禄6年(1693)の庚申塔で、「奉待庚申供養二世安楽処」と彫られ、下部に三猿がいる。 左側は、 天保15年(1844)の巡禮供養塔である。

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・・・・・・・・・・・・・・岩淵町の八雲神社にも手を合わせて行く。 八雲神社は、荒川堤防の南側近くに鎮座する。 この神社は、江戸時代、日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社であった。 祭神には須佐之男尊が祀られている。 創建年代は不詳。、、、、今日は、拝殿前の黒塗りの賽銭箱(昭和2年製)、天水桶(明治37年製)の古さに感動!、、、、ついでに、境内社の水神社。 こちらは、石造りの小さな社であるが、正面扉部分には「水神宮」「岩渕本宿」と彫られ、横には寛政12年(1800)とある。 凝った造り、古い社である。

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・・・・・・・・・・・・・・新河岸川に架かる新志茂橋の際、護岸の前に、シュールな地蔵尊が立っている。 由来には『この地蔵は 昔水難事故が多く供養のため 地元有志により建てられました』と書かれているが、“昔”ていつ? “水難事故”て何?、、、、固有の名もないこの地蔵、身体は石で、顔は木製のこけし。 チョイト、気持ち悪いね!

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・・・・・・・・・・・・・・地蔵尊の前には、昭和10年(1935)に建てられた、木造2階建ての洋館がある。 黒田機器株式会社の事務所棟である。

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●19号の爪跡残る荒川 ・・・・・・・・・・・・・荒川と新河岸川を隔てる土手上に荒川治水資料館がある。 近くには、隅田川が荒川から分岐する岩淵水門もある。 赤い水門は旧岩淵水門で、水門の機能なし。 青い水門は、現在の岩淵水門

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、荒川治水資料館で掲示されていたこの写真をご覧あれ、平常時と先の台風19号時(2019年10月)の岩淵水門付近の航空写真。 台風時には、荒川の川幅いっぱいに水が流れ下っている。、、、、しかし、新河岸川と隅田川の水位は大きく変化していない。水門を閉じた効果が出ているようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・今日、荒川土手の河川敷は、流木、泥で公園としての機能は停止。 車が通ると土埃が舞い上がる。 河川敷の泥は水で流し、流木は撤去。

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・・・・・・・・・・・・・・土手を歩いた後は、荒川治水資料館に行き。 我が家が洪水で水没しないか? パネル・写真をジックリ見ながら学習してきた。、、、、老いて学ぶは呆け防止!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その1、、、、普段、荒川と隅田川の水位はほぼ同じであるが、19号の時は荒川の水が隅田川に流れ込まないように岩淵水門を閉めたそうだ。 その結果、ピーク時には荒川の水位は7m以上に上昇したが、同時刻の隅田川の水位は1m以下で水位差が5.5m以上あった。 水門を閉めると、荒川の水が隅田川に流れ込まないことを確認できた。、、、、イザと云う時に、閉め忘れしないでね!
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その2、、、、我が家のある浅草橋付近は、資料館のパネルでは標高3m程で、満潮時には高潮の脅威にさらされる可能性がありそうだ。 ちなみに、散歩の帰り浅草橋駅付近の標高を確認したら3.7m。 これくらいなら、まあ床下浸水程度かな!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その3、、、、もし、ここ岩淵水門で荒川の堤防が決壊したら、北区、荒川区、台東区、中央区は浸水が想定されている。 我が家の付近は0.5~3.0m程の浸水となりそうだ。、、、、3mなら我が家の3階に逃げればOK! 『油断大敵、今夜はビフテキ!』
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その4、、、、もし、荒川が氾濫するとしたら、京成本線の荒川橋梁(京成関屋~堀切菖蒲園間)の付近はヤバそうだ! この付近の“現況堤防高”は、本来防災上必要と想定される“必要堤防高”より、地盤沈下のため3.7m程低い位置にあるそうだ。 同様なケースは四ツ木橋、西新井橋などであるも生じている。 この辺は、大雨の時に要注意!、、、、早いとこ、橋を架け替えてもらいたいね!




●安心した気分! ・・・・・・・今日の散歩で、台風への心構え、洪水の基礎知識はOK? 安心した気分になってしまった! 自分に言い聞かせる、『油断してはダメだ!』、、、、1万1千歩の散歩でした。

2019年10月 5日 (土)

近藤勇の滝野川

京浜東北線王子駅から石神井川沿いに歩いて埼京線板橋駅まで、10月だというのに熱中症に注意して、1万歩の散歩です。




●最古の駅!・・・・・・・京浜東北線(東北本線)の王子駅は、日本鉄道上野駅~熊谷駅間の開業時に、上野駅の次の駅として同時に、明治16年(1883)7月28日に開設された。 現在の東北本線で最も古い駅の一つである。、、、、築堤上に島式ホーム1面2線を有する高架駅で、改札口は北口・中央口・南口の3ヶ所。 駅前ロータリーがあり、バス停があり、地下鉄の出入口があるメイン改札は北口の東側である。 今日、私が利用したのは北口の西側、音無親水公園に出る通称:親水公園口である。 土曜日なので通勤客は少なく、改札も楽に通過!

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●痒い痒い公園! ・・・・・・石神井川は、小平市の東部を源にして王子駅の下を流れ隅田川に注いでいた。 北区付近では“音無川”と呼ばれ、古くからの春の桜・夏の青楓と滝あび・秋の紅葉など四季を通し、行楽・景勝の地として親しまれてきた。 しかし戦後は、生活排水などで汚れた臭い川となり、洪水の危険度も増したため、昭和30年代から改修工事が行われた。 石神井川の新ルートとしては、音無橋の上流側から飛鳥山の下をトンネルで抜け隅田川へ流れていくようになった。 音無橋から王子駅に至る旧ルートは、昭和63年(1988)に音無親水公園として整備された。、、、、親水公園となって約30年、流域はゴツゴツした石に苔がへばりつき、あちらこちらに誰が捨てたかビニール袋、渓谷のように造られた薄暗い公園で遊ぶ子供は一人もいない。 もう少し、日常の手入れに努め、明るい公園にすると良いと思うね! 写真を撮っていたら、やぶ蚊にヤラレタ、手も足も痒くて痒くて、ウナコーワでも、キンカンでも、何でもいいから塗ってくれ!

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・・・・・・・・・・・・・・公園の上に架かる音無橋。 昭和5年(1930)、隅田川に架かる白鬚橋を設計した橋梁技術者:増田 淳の設計、総工費149,976円也で造られた、コンクリート製三連アーチ橋。 橋の中程には半円形のテラスが設けられ、モダンな照明もある優美な橋。

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●水子の寺! ・・・・・・・北区役所庁舎と石神井川を挟み向かい合う浄土宗の正受院(北区滝野川2)  思惟山浄業三昧寺と号し、正受院は不動即我の密法を修していたという僧学仙房(弘治3年(1557)寂)が、霊夢によって武蔵国に来てこの寺を創建したと伝えられている。、、、、本堂は新しそうだ! 昭和の建築かも?

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・・・・・・・・・・・・・・参道に建つ鐘楼門は、明治35年(1902)建造の竜宮門形式の山門。下部は大谷石造り。

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・・・・・・・・・・・・・・正受院は、一般に「赤ちゃん寺」として知られており、嬰児や水子のための納骨堂である慈眼堂がある。 慈眼堂は平成になって建て替えられた赤子供養仏堂。 赤ちゃん寺の名の由来は、江戸時代から札所として独立した観音堂を持っていたことから、昭和23年の衛生保護法施行を機に、同29年(1954)頃に都衛生局と赤子の納骨供養をする寺として話がまとまったことによるそうだ。 慈眼堂の他に、赤ちゃんの供養塔:地蔵大菩薩の銅像、六地蔵などもある。、、、、私には、嬰児も水子もいないが、念ごろに手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前に、幕末択捉島を探検した近藤守重の武者姿の石像がある。 間宮林蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれた。 現在の千島列島から北海道までの蝦夷地を探検し、エトロフ島に「大日本恵土呂府」という標柱を建てたのが近藤守重である。 守重は明和8年(1771)江戸町奉行与力の次男として生まれ、家督を継いで、通称を重蔵、号を正斎と称しました。 寛政10年(1798)、幕府から蝦夷地の調査を命じられ、北方交易の海商高田屋嘉兵衛の協力で、石像のように、甲冑に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽くした。 文政5年(1822)から9年までの4年間を正受院の東隣に、瀧野川文庫という書斎を設けて住んでいた。 石造近藤守重坐像は、この記念に、江戸派の画家として著名だった谷文晁に下絵を依頼して製作したと伝えられている。

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●橋の向こうに紅葉の寺 ・・・・・・石神井川に出て川沿いを歩く。 紅い欄干の紅葉橋(もみじばし)が見える。 この橋は、大正4年(1915)に初代の木橋が架けられた。 王子・滝野川間の交通のため、地元の商人が府知事の許可を得て、ここに賃取橋(有料橋)を架けたのが始まりである。 橋名は、橋の南詰にある紅葉寺(金剛寺)に由来する。、、、、深いコンクリート護岸が続くのは、チョイト味気ないね!

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●弁天様だけ堂の中! ・・・・・・・紅葉橋南詰(滝野川3)、真言宗豊山派寺院の金剛寺がある。 瀧河山松橋院と号す。 金剛寺は、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177~1181)に源頼朝がこの辺りに布陣したとも記されている。 寺は紅葉の名所であったことから「紅葉寺」とも呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・・・金剛寺の弁財天は、岩屋弁天、松橋弁天とも呼ばれ、多くの信仰を集めたそうだ。 弁天堂の参道には、弁財天を除く七福神6神の石仏がある。、、、、また、山門脇には石造の仁王像もある。

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●かつては軍用鉄道橋! ・・・・・・紅葉橋の上流に架かる滝野川橋。 ここには、かつて軍用鉄道橋「西高橋」が架かっていたそうだ。 現橋は昭和36年(1961)3月完成。

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●近藤勇の菩提寺! ・・・・・・石神井川の左岸(滝野川4)の裏道を歩くと、真言宗豊山派寺院の寿徳寺がある。 南照山観音院と号す。寿徳寺は、建保2年(1214)早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で観音像を水中から拾いあげ、 これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのに始まると伝えられている。 本尊は、谷津子育観音と親しまれているらしいが、秘仏となっており拝見できず。、、、、寿徳寺は、新撰組の近藤勇、および隊士の菩提寺でもあり、境外寺地には、谷津大観音、近藤勇と新撰組隊士供養塔があります。

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・・・・・・・・・・・・・・寿徳寺の山門前から石神井川に出ると観音橋の脇に、寿徳寺の住職が建てた、台座を含め高さ7.7m程の谷津大観音が座している。 観音様は平成20年(2008)12月開眼供養が行われた。、、、、ちなみに、この観音像の原型を製作したのは、仏師:渡邉雅文氏である。 お顔を拝見したことはないが、何となく、私と兄弟のような気がするね! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、観音橋の全景をどうぞ、、、、

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●元気出して! ・・・・・石神井川の散歩は観音橋で終わり、ここから南に折れ板橋駅に向かう。 国道17号(中山道)を横切り、「きつね塚通り」を抜け板橋駅前に出る。、、、、この商店街も寂れてきたようだ! 『客がコン・コン』では困るね、元気出して!

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●首はどこに行った? ・・・・・・板橋駅に到着。 駅の正面に寿徳寺の境外墓地(滝野川7)がある。 境外墓地と云うより、そのものズバリ、新選組の近藤勇の墓がある。、、、、新撰組局長として幕末に活躍した近藤勇は、慶応4年(1868)板橋刑場(板橋駅の近く)で処刑された。 函館で戦死した土方歳三をはじめ新撰組隊士と共に、駅前に墓が建てられています。、、、、ところで、近藤勇は斬首の刑を受け、首は京都に晒され、胴は滝野川の無縁塚(現在地)に葬られたそうだ。 京都に行った“首”は、その後どうなったのか? 足が無いので、東京に戻れなかったのか?、、、、墓碑は近藤勇、土方歳三のほか殉死した隊士の供養のために、新選組隊士永倉新八が発起人となり、旧幕府典医松本順の協力を得て明治9年(1876)に建てられた。

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●駅が変わる! ・・・・・・埼京線板橋駅では東口(滝野川口)に5階建ての駅ビルを建設中。 只今、内装工事中のようだ。、、、、線路の反対側、西口(板橋口)では、JR用地と板橋区用地があり、2つの用地を一体化して35階建ての超高層を建てる予定らしい。

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2019年9月 2日 (月)

遊園地は煉瓦工場の跡地

なんだかんだ言って、結局“夏風邪”の完治に2週間かかった。 最初は簡単に治る思った夏風邪であったが、後半は夏風邪と言うより蓄膿症のようであった。 どうにかこうにか、今日は鼻水・咳も止まり好調である。 

JR京浜東北線上中里駅で下車し、都電の梶原停留場、「あらかわ遊園」、都電の小台停留場と歩き、西尾久二丁目バス停からバスに乗る。 1万1千歩。




●危ない危ない、捕まりたくない! ・・・・・・京浜東北線の上中里駅で下車する。 相変わらず乗降客の少ない駅。、、、、駅前で、ロー・アングルでカメラを構えたら、ちょうど近くの女子高生がゾロゾロ、危うくヤバイ写真を撮るところだった。 誤解しないで、『おじさんは、女子高生に興味ナシ!』

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●銀座の店はまだ寝てる! ・・・・・・・上中里駅から梶原銀座商店街に向かう

・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から、上中里2丁目の細い道を抜けていく。、、、、キョロキョロしながら迷路のような裏道を歩くと、早朝の泥棒と間違えられそう

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・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切の正面に出る。 梶原踏切は東北本線、高崎線、宇都宮線、上野東京ラインなどが引切り無しに通過する。 踏切の脇にはエレベーター付きの歩道橋があり、高齢者、身障者に優しい配慮。 踏切待ち時間は、関係ナシの二人!、、、、踏切を越えると、明治通りまでは「上中銀座」と称する商店街だが、店は少なく、寂しい!

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・・・・・・・・・・・・・・明治通りを渡り、都電荒川線梶原停留場付近で、「梶原銀座商店街」(北区堀船3)に続く。、、、、地元密着型の商店街、朝8時半、まだ寝ているようだ!、、、、ここで問題です、『北区には、〇〇銀座商店街はいくつある?』


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・・・・・・・・・・・・・・梶原銀座商店街の中程に祀られている愛宕地蔵尊。 江戸時代のこの辺りを所領していた旗本水野家が勧請したもので、元は本郷の屋敷に在ったのを、この地の小泉家が勧請したと伝えられている。 この地蔵尊は眼病平癒と、火除けの祈願仏として信仰されているそうだ。、、、、小泉家が勧請したのはクリステルではなかったか?

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・・・・・・・・・・・・・・ クイズの答え(“〇〇銀座商店街”の“商店街”は省略)、、、、赤羽地区には、志茂銀座、浮間銀座、神谷銀座の3商店街。 王子地区には、王子銀座、東十条銀座、梶原銀座、十条銀座、十条富士見銀座の5商店街。 滝野川地区には、上中里銀座、田端銀座、霜降銀座、西ヶ原銀座、滝野川銀座の5商店街。 北区には合計13の銀座商店街がある。 数えてみると結構あるもんだ!



●本堂の上に八角堂とは? ・・・・・・梶原銀座商店街の北側、隅田川岸に白山神社とその別当寺であった福性寺がある。

・・・・・・・・・・・・・・白山神社創立沿革などは、神仏分離の際、古文書類をことごとく紛失し、由緒不明。 言い伝えによると源義家奥州に出陣の際白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京に帰ったと云われている。 当社は当時、梶原の鎮守として敬われた。 別当寺は北隣の福性寺。、、、、社殿は昭和47年(1972)に再建された。、、、、現境内は550坪程の広さがあり、雑草が元気よく生えている。 駐車場にすると儲かるかも?


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・・・・・・・・・・・・・・白山神社の北隣に神社の別当寺であった、真言宗豊山派の福性寺がある。 寺は、白王山と号し、寛永2年(1625)の創建と。、、、、現本堂と本堂屋上の八角堂は昭和39年(1964)に建てられた。


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●60年前の車両とご対面! ・・・・・大正2年(1913)、王子電気軌道三ノ輪(現:三ノ輪橋駅)~飛鳥山下(現:梶原駅)開業に伴い船方車庫として開設した。 その後、名称等の変更もあり、現在は荒川電車営業所として、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地や車庫・保守基地を擁している。 車庫の前には、「荒川車庫前停留場」があり。 、、、、ここにいると、たぶん都電の全車両が見られることだろう! 


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・・・・・・・・・・・・・・停留場の前に車庫がある。、、、、大部分の車両は稼ぎに出ているため、車庫に残るは数両のみ。

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の片隅に止められていた6086号車両。 6000形は、昭和22年(1947)から昭和27年(1952)までの6年間に290両が製造された戦後の新造車両である。 、、、、ちょうど、私が中学・高校と都電で通学していた時期に大活躍した車両だ、ひょっとしたら60年前に乗った車輛かも?

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の脇には「都電おもいで広場」として、5501号7504号車両が保存展示されている。、、、、この車両も懐かしいね! 停留場名の表示灯も、これまた懐かしい!

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川車庫から500m程北東に位置する「あらかわ遊園」
の脇に、前照灯が一つの「一球さん
」と愛称がついている6000形車両が保存されている。 懐かしのグリーンとクリーム色の塗装は、私が通学時の車体の色、都電通学していた頃の思い出が頭の中を横切り嬉しくなった。、、、、あらかわ遊園は只今改装工事中、一球さんは工事現場の中で近づけません!

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●煉瓦工場の町 ・・・・・・白山神社がある北区堀船、あらかわ遊園のある荒川区西尾久、この付近は隅田川の水運に恵まれ、原料の荒木田土が採れることから、明治時代、多くの煉瓦工場が創業した。 この付近では、その名残の煉瓦塀、煉瓦蔵が随所に見られる。 モルタルで補強したのか、割れ目からチラリと煉瓦の見える塀もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「あらかわ遊園」西側に、大正11年(1922)まで「廣岡煉瓦工場」があった。 そのオーナーであった廣岡幾次郎(1859(安政)~1932(大正))が寄進した煉瓦造りの船方神社の神輿庫。 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・かつて煉瓦工場であったあらかわ遊園を囲むように、大正11年(1922)の遊園地開園時に造られた煉瓦塀。 総延長300m程が造られ、現在は170m程が残されている。、、、、なお使用されている煉瓦には、小菅集治監製の煉瓦もあるそうだ!

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●お帰りです! ・・・・・・・小台停留場前をとおり、西尾久二丁目からバスで帰宅。

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2019年5月17日 (金)

お鼻ピクピク花電車

上野から並行して北上する京浜東北線(近距離電車)と東北本線(中・長距離列車)は、西日暮里駅を過ぎると両線の間の距離を広げ、京浜東北線は田端駅・上中里駅を通り王子駅に向かう、東北本線は尾久駅を通り王子駅付近で京浜東北線と交差し再び並走する。 この両線が広がった間には、北区上中里2丁目と同区栄町の町がある。 またJRの尾久車両センターもある。 今日は上中里駅周辺の東北本線を横断する、地下通路、踏切、跨線橋を見てきた。 上中里駅で下車し、上中里2丁目・栄町を歩き尾久駅へ。 尾久駅からは都電荒川線の小台停留場まで歩いてきた。 9千歩。




●電車ギュウギュウ、駅ガラガラ! ・・・・・上中里駅は京浜東北線の駅で、昭和8年(1933)7月1日に開業した、島式ホーム1面2線の地上駅。 出入口(改札)はホーム南端の橋上駅舎に一か所あるのみ。 当駅は23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)に次いで少なくワースト2。 乗降客数は一日平均1万5千人程。 駅は武蔵野台地の斜面部分にあり、駅の南西側は台地上に出る、北東側は駅外の跨線橋を渡り台地の下にでる。、、、、今日は台地下の上中里2丁目の町を歩く。

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●幹線道路から外れた静かな町 ・・・・・・上中里2丁目を歩く

・・・・・・・・・・・・・・跨線橋を渡り終えると線路脇の道路沿いに上中里庚申堂がある。 祠に入った庚申塔以外にも、寛文5年(1655)の年代が読めるものなど、数基の庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から細い裏道を歩く学生らしき人の列が、目に入る。 外人も多い。 これは何だ? しばらくすると、最近ニュースで名が知れた大学の建物へ入っていく。 納得、留学生だった!

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・・・・・・・・・・・・・・どこも、一車線一方通行の道。 車も少なく静かな町。

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●見晴らしバツグン跨線橋! ・・・・・・東北本線(中・長距離列車)の線路を横断する地下道・踏切・跨線橋。 王子寄りから順に・・・・

・・・・・・・・・・・・・・まずは、栄町にある広町地下通路。 後述する梶原踏切から王子駅側に250m程寄った処に地下通路はある。 鉄筋コンクリート造の出入口で、通路幅も狭い。 通路の両出入口は線路脇にあり、どちらも人通りの少ないと思われる場所にある。 夜は痴漢・強盗にご用心。、、、、名称「広町」の由来は不明。 地下通路の完成年度も?

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、一般車両の横断も可能な梶原踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏み切り同様、開かずの踏み切りとなるので、すぐ横に、両端のエレベータで上下し、人が渡ることのできる跨線橋「上中里さわやか橋」がある。 お年寄りは跨線橋を利用して横断しよう!、、、、跨線橋からは尾久車両センターも見渡すことができる。 京浜東北線の頭上を走る東北新幹線も遠望できる。 鉄道オタクには、嬉しい跨線橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・3番目は、尾久車両センターを横切る長~~い地下道、その名は「尾久構内架道橋」。 “地下道”なのに“架道橋”とは是如何に? 鉄道用語で、線路の下を抜ける通路をガードと呼び、「架道橋=ガード」である。、、、、尾久構内架道橋は上中里2-5付近から車両センターの下にもぐり、尾久駅の脇に出る、全長約150mのお地下通路。 通路の途中には、施錠されているが車両センターの構内に出られる鉄扉がある。

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・・・・・・・・・・・・・・尾久駅は昭和4年(1929)6月20日開業した。 駅の所在地は北区昭和町、地名の尾久(西尾久、東尾久)は荒川区にある。 読みも、駅名は“おく”、地名は“おぐ”。 ややっこしい~

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●お鼻ピクピク花電車 ・・・・・・荒川区西尾久5丁目の町を抜け、都電荒川線小台停留場付近に出た。 軌道の両側にはバラが見事に咲いている。、、、、香りも期待し、鼻をピクピクしてみたが、鼻づまりなのか匂わない。 バラの匂いが漂うと、より嬉しかったが、チョイト残念だ!、、、、今日は都電に乗って帰る!

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