北区

2022年6月 4日 (土)

身上を築く坂

京浜東北線赤羽駅から西へ向かい、都営三田線本蓮沼駅前の中山道に出た。 中山道を横断し、南へ向かい東武東上線の中板橋駅まで散歩。 1万3千歩、6㎞



● 通学する学生の姿が目立つ土曜日の赤羽駅で降りたつ。 西口のロータリーに出て『さて! どちらに向かって歩こうか?』

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・・・・・・・・・・・・駅前の都道460号(=岩槻街道)南に歩いてみる。(北に向かって歩くと、先日歩いてきた新荒川大橋を渡り川口市に戻ってしまう)、、、、駅前から500m程歩くと、細い通り(普門院参道)の奥に普門院の鐘楼門が見える。 今日は素通り!

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● 普門院参道の先に赤羽西交番(北区赤羽西2)がある。 交番前の舟型庚申塔が目に入る『あれは?』 庚申塔の後ろに、「真正寺坂」の案内があり、この庚申塔の説明も書かれてた。『真正寺坂 しんしょうじざか  岩槻海道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側(赤羽西2-14-6付近)に普門院末の真正寺がありましたが、廃寺となり坂名だけが残りました。坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月造立の庚申塔に「これより いたはしみち」と刻まれていて、日光御成道(岩槻海道)と中山道を結ぶ道筋にあたっていたことがわかります。かつて、稲付の人びとは縁起をかついで「しんしょう昇る」といってのぼったそうです。 平成五年三月 北区教育委員会 』、、、、稲付の人ではないが、私:浅草橋の人も「身上昇る」にあやかりたく、坂を上ることにした。

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・・・・・・・・・・・・真正寺坂は岩槻街道(交番前)から西に向かって上り、約270mの緩やか勾配だが、ジグザグに曲がり昔の山道の名残か?、、、、行き交う車は少なく、歩きやすかった! 坂の上まで歩いたので、身上を築けるね!

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● 真正寺坂を上ると「三岩通り」に繋がり「西が丘サッカー場交差点」を直進し、「蓮沼アスリート通り」と称して都営三田線「本蓮沼駅」前で中山道に出る。


・・・・・・・・・・・・「三岩通り」は、“さんいわどうり”と読み、名前の由来は沿道にかつて「第三岩淵小学校(現:西が丘小学校)」があったため。、、、、もうすこし、歴史、由緒ある名前かと思ったが??? 期待はずれ!

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・・・・・・・・・・・・三岩通りから北側の脇道を見ると、坂が下り、その先の台地にUR都市機構の赤羽台の集合住宅が見える。

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・・・・・・・・・・・・西が丘サッカー場交差点を過ぎると、「蓮沼アスリート通り」と道路の愛称は変わるが、“アスリート”らしさを感じることもない。

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・・・・・・・・・・・・蓮沼アスリート通り中山道(=国道17号)にぶつっかる。 ここは、三田線の「本蓮沼駅前。

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● 本蓮沼駅から北へ200m程歩くと、真言宗智山派の寺院「寳勝山南蔵院(板橋区蓮沼町)がある、、、、大きな寺だが、古い堂宇は残っていない。 チョイトお立ち寄り。 『身上を築けるよう、賽銭を奮発して、くれぐれもよろしく』 合掌3回!

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● 南蔵院前で中山道を横断し、板橋区大原町、板橋区泉町を、裏道を選んで歩きぬける。

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・・・・・・・・・・・・板橋区前野町1丁目の交差点角の工事現場に、車止めのような角柱の石がある。 よく見ると何やら文字が彫ってある。、、、、さらによく見ると、正面に「奉待大青面金剛」、右側面には「〇里ま道 寛政三年〇〇」と読めた。 『オゥ! こりゃ、庚申塔で道標だ!』 後に調べてみると、「角柱型庚申塔」と称し、「奉待大青面金剛 講中諸願成就所」、「清水講中 女拾四人 右 大日道 世話人 山上□□」、「左 祢里ま道(ねりま道) 寛政三年十一月」と彫ってあるようだ。、、、、寛政3年は1791年、230年前の庚申塔! 工事現場では可哀そう、道の脇にでも移設し、大切にしたらどうだ!

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● 中板橋駅の北側、「向屋敷橋(むかいやしきばし)
」で石神井川を越える。

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東武東上線「
中板橋駅に到着。 ローカル色が残る、懐かしさを感じる駅。、、、、駅前の中板橋商店街も活気があり、いいね!

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2022年5月29日 (日)

美熟女の御年寄

川口元郷駅から荒川を渡り赤羽駅まで、今年最初の真夏日、熱中症に警戒しながら1万1千歩の散歩です。



● 朝8時30分、すでに気温は25度超、埼玉高速鉄道「川口元郷駅」に降り立つ。、、、、ブラブラ隠居の年寄りが口から泡ふき、熱中症で救急搬送される自分の姿を想像すると耐え難く恥ずかしい。 『今日は 無理せず 無茶せず 無謀せず』、大人しく静かに散歩することを駅前で胆に銘じスタート!

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● 駅前ロータリーの西に架かる「さくら橋」で芝川を越えて、川口本町の裏道を歩くと錫杖寺がある、チョイト寄って行こう!

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・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院「錫杖寺(しゃくじょうじ)」は、宝珠山光照院と号す。 錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられてる。 寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、宥鎮和尚が中興となった。 江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領し、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していたそうだ。、、、、寺院の顔である現山門「御成門」は明治41年(1908)に再建された。 戸田忠寛(七万七千石)の居城であった宇都宮城の資材を移し建立したもので、柱には戊辰戦争の名残として刀傷が見られる。、、、、徳川十三代将軍家定の寄進による前本堂は老朽化に耐えられず、昭和50年(1975)に現在の本堂に建て替えられた。 内陣正面に本尊「延命地蔵菩薩」が安置されているのだが“遠くて、よく判らん!”

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・・・・・・・・・・・・江戸城大奥の総取締役である御年寄「瀧山」の墓が錫杖寺本堂裏にある。、、、、御年寄「瀧山」は文政6年(1823)に16歳で大奥へ上がり、類い稀なる才幹をみとめられ、大奥の総取締役“御年寄”に昇進した。 瀧山は十三代将軍家定が世子(世嗣)の頃から西の丸の御年寄をつとめ、家定が将軍位を嗣ぐとそのまま家定に従って本丸に移り御年寄となり、十四代将軍家茂の代にわたって御年寄をつとめた。 十四代将軍継嗣問題で、紀州の徳川慶福を擁立する「南紀派」と一橋慶喜を擁立する「一橋派」が対立し、幕府の重臣や有力諸侯はもちろん、江戸城大奥の中にも激しい対立と抗争がおこり、瀧山はこの対立抗争にあたって、大奥の慣例に従い慶喜の擁立を阻止したことで知られている。 結果として十五代将軍位を慶喜が嗣ぐことに伴い大奥を退いた。 瀧山は大奥を退いた後は侍女の「仲野」の生家があった川口で過ごし、明治9年(1876)に71歳で歿し、錫杖寺に葬られた。(写真:中央が瀧山の墓、左は侍女仲野の墓、右は大奥に仕えた叔母の染島の墓)、、、、NHK大河「篤姫」では稲盛いずみが演じ、フジ「大奥」では浅野ゆう子が演じ、その他に栗原小巻、草笛光子などが演じている御年寄、テレビで見る瀧山は“年寄”ではなく“美熟女”揃いだ! 大奥ていいな!

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・・・・・・・・・・・・錫杖寺山門前の道路隅に「凱旋橋の跡」がある、、、、明治39年(1906)1月に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡が残されている。 この凱旋橋跡は、江戸時代に日光御成道川口宿の北の玄関口に位置し、錫杖寺前に当時流れていた錫杖寺杁(いり)用水に架けられた石造アーチ型橋の遺跡。 現在は欄干が残るのみ。

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● 錫杖寺をあとにし、川口市本町1丁目の裏道を歩く。 


・・・・・・・・・・・・明治35年頃竣工した「中西日進堂薬局」 大正時代に掛けられた看板は、右から左に書かれていて味わい深いものである。

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・・・・・・・・・・・・住宅の奥、木立に囲われ洋館風の建物も見える。 煉瓦造の小屋のような建物も・・・・・?

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・・・・・・・・・・・・日光御成街道の宿場町だった川口宿の跡が御成街道からチョイト入った処にある。 築300年が過ぎ、現在も現役の門として残る「旧川口宿本陣表門」である。 建物は地元有力者の家である。

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・・・・・・・・・・・・本町1丁目の増幸産業という会社の一画に「18ポンド カノン砲」が展示されてる。 説明文によると、『この大砲は幕末の嘉永5年 (1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(増幸産業の代表の増田家初代)が、後の砲術奉行となった高島秋帆と協力して作り上げたものの復元品で、当時は制作不可能とされていた大型砲です。 嘉永5年から安政5年の5年間に213門の大砲と41,323発の砲弾が製造され、諸外国から日本を守るため全国各地に配備された。 全長3.5m  重量3トン  口径15cm  射程距離2500m 』、、、、ウクライナに持っていったら活躍するかも?

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● 埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ「新荒川大橋」を渡り、北区に入る。、、、、新荒川大橋は、川口市舟戸町と北区岩淵町との間で荒川および新河岸川(隅田川の上流)に架かる、橋上は国道122号(岩槻街道・北本通り)が走り、連続するの2本の橋である。 下り線が昭和41年(1966)竣工、上り線が昭和45年(1970)竣工の橋。、、、、長い・長い橋! ジリジリ・ガンガン照りの日差しが私の頭上を直撃し、橋の上で倒れるかと心配になる。 

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● 新荒川大橋で北区に入ると、去年立ち寄った「寳幢院で手を合わせ、飲食店の並ぶ「一番街」を抜け、JR赤羽駅に向かう。 今日は熱中症が心配なので、ここまでとする。

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2022年2月15日 (火)

荒川土手を歩く

三日前の散歩の続きで、新田三丁目バス停から江北橋を渡り日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万1千歩の散歩です。




● JR王子駅前から都バスに乗って、「新田三丁目」で降りる。 『さて、歩くぞ!』、、、、我が家からここに来るまでの間、車中で地図を見て、荒川右岸の土手が近いので、“コロナ対策”も兼ね土手上を歩くことにした。 バス停から、シャッターを下ろした商店の前をとおり土手に向かう。 正面に荒川土手が見えてきた、結構な高さだ!

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・・・・・・・・・・・・ここ付近(足立区新田3)では、荒川が氾濫すると最大6.5mも浸水するらしい。 2階で暮らしていても、溺れ死にする浸水深さ。 熟睡できない不安な町だ!

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● 本日は無風、気温もチョイト暖かくなりそう、ただし曇り空。 土手上は歩きやすい。、、、、荒川右岸の土手に立つと、正面には「荒川」が流れ、向こう岸には首都高が走っている。 左手(上流側)には「鹿浜橋」が見える。 右手(下流側)は首都高のアーチ橋「五色桜大橋」が小さく見える、土手の脇にはUR都市機構の賃貸住宅「ハートアイランド新田」がズラリ並び建つている。

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・・・・・・・・・・・・「ハートアイランド新田」は、隅田川と荒川に囲まれた、足立区新田に位置するUR都市機構が開発した団地。 総面積20haという広大な工場跡地に、新たな橋や道路、公園、学校などの整備が進む新しい街。 川岸を幅広く盛り土し、ゆるやかな傾斜地として荒川の「スーパー堤防」と一体的な造りとなっている。 平成16年(2004)から平成22年(2010)にかけ順次整備された。、、、、ド・デカイ団地で、何棟?、何戸?、まったく判らん!

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・・・・・・・・・・・・続いて土手上から見えるのは、UR都市機構の「豊島五丁目団地」、、、、隅田川が大きく蛇行する膨らみ部分(北区豊島5)に広がる高層の集合住宅群。 昭和47年~昭和48年に建てられた、総戸数約5000戸の大規模団地。

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・・・・・・・・・・・・写真中央の「豊島五丁目団地」と右側奥に見える「ハートアイランド新田」

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・・・・・・・・・・・・次に見えるのは「五色桜大橋」、、、、五色桜大橋は、首都高中央環状線の江北ジャンクションと王子北出入口の間にある荒川を渡る橋。 世界初の2層構造のダブルデッキニールセンローゼ橋で、上層部が内回り(板橋方面)、下層部が外回り(江北方面)となっている。 右岸は豊島5丁目宮城2丁目を分かち、左岸は足立区江北2丁目に至る。、、、、何だかピンとこない“五色桜大橋”の名は、この付近の荒川堤一帯がかつて五色の桜が咲く名所だったことに由来するらしい。 橋は、平成2年(1990)に着工し、平成14年(2002)に開通した。、、、、残念ながら、歩いて渡ることはできない!

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・・・・・・・・・・・・五色桜大橋の下流側に架かるのは「江北橋
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・・・・・・・・・・・・「江北橋」は、都道307号王子金町江戸川線を通す。 左岸(北岸)は足立区江北、右岸(南岸)は足立区宮城。、、、、橋は大正12年(1923)に鉄筋コンクリート造の橋脚を持つ木桁橋として開通したが、開通直後の9月1日、関東大震災で損傷したために、大正14年(1925)に同じ形式の橋に架け替えられた。 そして、現在の橋は昭和47年(1972)に300m下流に架け替えられたものである。 橋長449m、幅員11m。

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● 江北橋を渡り江北2丁目に入ると、真言宗寺院「恵明寺」がある。、、、、恵明寺は宮城山円明院と号す。 恵明寺の創建年代は不詳だが、慶安元年(1648)寺領20石の御朱印状を拝領、末寺11ヵ寺を擁する中本寺格の寺院だったと言われてる。 明治維新後に延命寺を合寺、延命寺が管理していた阿弥陀堂の江戸六阿弥陀佛2番を当寺へ移設した。、、、、本堂は戦災で焼失し、戦後、鉄筋コンクリート造で再建された。、、、、境内は綺麗に手入れがなされ、なかなか趣きのある寺院です。 また、まだ咲くには早いが、見事な枝垂れ桜があり、その時期には多くの参拝客があるそうだ。

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● 都道307号(江北橋通り)を挟み、恵明寺の反対側(足立区扇2)に
浄土宗寺院の「性翁寺(しょうおうじ)
」がある。 性翁寺は、龍燈山貞香院と号す。 神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、正誉龍呑和尚が明応元年(1492)開山した。、、、、本尊の木像阿弥陀如来坐像は古代の作成で東京都指定文化財。 この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。

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・・・・・・・・・・・・足立区と北区の寺社のいくつかには「足立姫」の伝説が残されている。 その伝説とは、、、、足立区のホームページには次のように書かれている、、、、『昔、足立の長者だった足立庄司には足立姫というとても美しいむすめがいました。ひめはとなりのぐんの豊島の長者である豊島左衛門尉(としまさえもんのじょう)とけっこんしましたが、左衛門尉の母にひどくいじめられ、川へ身を投げてしまいました。また、ひめのお世話のために一緒に豊島に来た人たちも、あとを追って身投げしました。 ひめの父は、ひめたちのたましいをなぐさめるために和歌山県にある熊野権現(くまのごんげん)におまいりしました。ゆめのおつげで神聖な木を見つけ、それを海に流すと、ふしぎなことに足立に流れつきました。いろいろな国を回っていた有名なお坊さんである行基(ぎょうき)にたのみ、その木に阿弥陀仏をちょうこくしてもらい、足立姫たちのたましいをくようしました。』、、、、性翁寺境内の墓地には、この足立姫の墓がある。

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● 性翁寺をあとにして、日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」に到着、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2022年2月12日 (土)

新田橋は架け替えか?

昨日の都内の感染者は18,660人、前週比3日連続の減少で、感染のピークは過ぎたかな? 人口1000万の東京で感染者が2万人弱ならば、自分は3回目のワクチン接種も終わっているので、『今日は感染しないだろう(根拠なし!)』と都合よく解釈して、散歩に出た。

今日は、王子駅から北の方角に点在する地蔵さまと庚申塔を巡ることにした。 京浜東北線の王子駅から、隅田川に架かる新田橋まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋から通勤客の少ない電車で約25分、京浜東北線の王子駅で下車。 まだ8時前だからか、駅では乗降客も少ない。 JRのガード抜けて国立印刷局王子工場の前を東に歩く。

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● 王子駅から東へ約500m、溝田橋交差点を越えると、「あすか緑地」の端(北区王子1-30)、路傍に庚申塔の小堂がある。 正面に大きく、彫も深く「庚申塔」の文字が見える。 右側面が大きく欠け、造立年は読み取れないが、古そうだ!

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・・・・・・・・・・・・「あすか緑地」とは、石神井川の岸にあるやや大きめの小公園(?) 防災用の船着場らしきものがある。 対岸の頭上には首都高が走っている。

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● あすか緑地から北へ100m程(北区豊島2-5)、ビルの一角に丁寧に祀られた「馬頭観音・庚申塔」がある。 新しい榊が供えられ、今年の庚申日が貼ってある、地元ではまだ庚申講が行われているのかな(?)

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● 続いては、馬頭観音・庚申塔から東へ200m、石神井川岸の近く(北区豊島2-14)に、真言宗豊山派寺院の「西福寺」がある。 西福寺は、三縁山無量壽院と号す。 西福寺は、平安末期から鎌倉初期にかけて武蔵国豊島郡の豪族で鎌倉幕府御家人だった豊島清光の娘(足立姫)が亡くなったことを悲しみ、行基菩薩に依頼して制作した六阿弥陀佛(江戸六阿弥陀)の一つを本尊として創建したと言われている。 境内参道脇には地蔵尊、庚申塔が祀られている。、、、、チョイト派手な山門・本堂のお寺でビックリ!

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・・・・・・・・・・・・西福寺門前の道を石神井川に架かる「豊石橋」の手前に、戦後の昭和23年(1948)に建てられた「馬頭観音」がある。 なぜかガードレールに向いて建てられている。

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● 西福寺から隅田川沿いに600m程歩くと、川沿いの高齢者用住宅の前(北区豊島4-16)にズラリ並んだ石仏群「下道地蔵堂が出迎えてくれる。 寛文から享保(1661~1736)に亘る20基に近い石仏のお出迎え。、、、、このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れあたりで、川と田んぼが広がる風景の中、この石仏がたたずんでいたものと思われる。、、、、夜は提灯に灯がともり幻想的になるそうだ!

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● 引き続き、下道地蔵堂からは北へ300m程、豊島5丁目交差点の手前に「地蔵堂」(北区豊島6-2)がある。 また、交差点の近くにも地蔵が祀られている、コチラは「ぽっくり地蔵(延命地蔵)」(北区豊島6-1)と呼んでいる。 どちらも、地蔵尊が祀られているが、由緒書きなどがなく、詳細は不明。

・・・・・・・・・・・・地蔵堂

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・・・・・・・・・・・・ぽっくり地蔵

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● 王子消防署前(王子神谷駅付近)から豊島五丁目団地に向かう「紀州通り」に、「紀州神社」(北区豊島7)がある。 神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。、、、、、拝殿内には八咫烏の紋が見える。 サッカー日本代表とは関係ないかも?

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● 紀州神社から北西に300m程、隅田川沿いに真言宗豊山派の寺院「医王山清光寺」がある。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重により再興した。、、、、ここには、豊島清光の館があったそうだ。 “豊島”の地名の本家本元はこの地、つまり豊島区ではない。

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● 清光寺の裏(北側)に隅田川が流れ、北区豊島7丁目と足立区新田3丁目を結ぶ「新田橋(しんでんばし)」がある。、、、、新田橋は昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年(1961)に現在の橋に架け替えられた。 木橋時代の橋脚を模した珍しいA字型をした橋脚が特徴。、、、、架橋後60年、老朽化した新田橋の架け替え工事がいよいよ始まるようだ。 スグ横の上流側に、仮設の人道橋が造られている。

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● 新田橋を渡り足立区に入ったが、疲れてきたので今日はココ「新田三丁目」まで、バスで王子駅に戻る!

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2022年1月 8日 (土)

多彩な都電荒川線

雪が積もった一昨日、雪が凍った昨日、雪が融けた今日、いずれにしても寒い日が続いてる。 その寒い朝、散歩に出た。、、、、大塚駅から、都電荒川線に沿って王子駅までの散歩です。




● JR大塚駅の高架下に都電荒川線の大塚駅前停留場がある。 停留場は高架の真下にあり、大塚駅の南口・北口の両方から利用することができる。、、、、明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道により飛鳥山~大塚間(現:大塚駅前停留場)が開業した。 都電荒川線の始まりである。 大正4年(1915)4月17日には、飛鳥山~王子間も開通し、本日の私の散歩ルートの終点:王子まで延伸された。

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・・・・・・・・・・・・線路敷きにはまだ雪が残る

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● 大塚駅前の次は巣鴨新田停留場、、、、大塚駅前の一日当たりの乗降客数は約8000人(2021年7月現在、以下同じ)、巣鴨新田は約1200人と寂しい。 停留場前の都立文教高校の生徒も、大塚駅から徒歩通学しており都電をあまり利用しないらしい。 なお、都電の運賃は均一運賃で大人170円、子供90円なり。

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・・・・・・・・・・・・全線ほぼ専用軌道を走る荒川線には、小さな踏切も多い。 “裏道の先に見える踏切”は画になる、いいね!

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● 線路脇の狭い道を歩き庚申塚停留場に到着。、、、、ここは、おばあちゃんの原宿「巣鴨地蔵通り商店街」の北端で、乗降客は約2500人とチョイト多い!

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・・・・・・・・・・・・地蔵通り商店街の入口脇に停留場名となった猿田彦大神庚申堂がある。 猿田彦大神は道開きの神で、巣鴨のお地蔵様と合わせて、参拝すると御利益倍増か?(ボケを治して、天国へ導いてくれるかも)

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● 庚申塚停留場から約250m、白山通り(=国道17号、中山道)の整備に伴い昭和4年(1929)に設置された新庚申塚停留場。、、、、国道を挟み両側に上り・下りのホームがある。

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● 新庚申塚停留場の北側に数ヵ寺がまとまっている一画(西巣鴨4-8)がある。 三ヵ寺に寄ってきた。


・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗寺院の「
弘願山専称院西方寺」、、、、西方寺は、本所押上大雲寺(現江戸川区)末として、浅草聖天町に開山、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 西方寺が浅草に在ったころは、引き取り手のない吉原の遊女の死骸も引き取り、供養したことから、箕輪の浄閑寺とともに「投込寺」と言う悲しい名も付けられた。、、、、当寺には、吉原で嬌名をうたわれた2代目高尾太夫の墓所がある。 また、同じく吉原:三浦屋の薄雲太夫の逸話もある。 薄雲太夫は愛猫の死を嘆き西方寺に回向しました。(猫塚があります) その逸話が招き猫を生んだとされており、 西方寺も招き猫とゆかり寺とされている。、、、、只今、門・塀を改築中。

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・・・・・・・・・・・・西方寺の東側には、法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は、長徳山と号し、寛永元年(1624)赤坂に起立し、その後四谷鮫ヶ橋南町へ移転する。、、、、四谷怪談で有名なお岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。 この寺も四谷にあったが、明治42年(1909)に現在地に移転した。 お岩様の墓に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。(境内掲示版に書いてあった)

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・・・・・・・・・・・・妙行寺の北隣りには、天台宗寺院の「薬王山延寿院善養寺」がある。 善養寺は、天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像が鎮座しており、おえんまさまの寺として信仰を集めています。

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● 三ヵ寺を巡った後は、またまた線路際の狭い道を歩き、「西ヶ原四丁目停留場」に向かう。、、、、ここの乗降客数は一日当たり約2500人。

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・・・・・・・・・・・・人二人分の幅の狭いホームにはホームドアなど設置できないね、必要ないか?

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・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場を過ぎると飛鳥山停留場まで一直線。 正面に飛鳥山が見える!

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● さて次は、一日の乗降客が1600人ほどの「滝野川一丁目停留場

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・・・・・・・・・・・・停留場の先には、今は珍しくなった桜丘高校の円形校舎がある、、、、その先は、ツバキか?、サザンカか?知らないが、赤い花咲く線路際を歩く。

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● 線路の正面に飛鳥山公園が立ちふさがる「飛鳥山停留場」(乗降客は約1000人)、線路はこの先で大きく飛鳥山を回り込むようにカーブして王子駅前停留場に向かう。

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● JRのガードをくぐり、JR王子駅の横、東北新幹線の高架下に「王子駅前停留場」がある。 王子駅前停留場の一日当たりの乗降客数は約9200人也。、、、、カラフルな塗装の都電を見ながら、1万1千歩の楽しい散歩でした。

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2021年8月12日 (木)

新神谷橋にリベンジ

今朝6時の天気予報で東京の“最高気温”は29℃と表示。 アレ、“現在の気温”の間違いでは? 早速、外に出てみると、なんと爽やかな風が吹いている。 コリャ、秋風か? 再び、TVで他チャンネルに切り替えて天気予報を確認すると、間違いなく東京の最高気温は29℃と表示されていた。 空模様は、午前中は曇り、午後は雨。、、、、ヨシ、これは散歩のチャンスだ! 今日は熱中症の心配なし、コロナだけ心配すればヨシ、妻に一言『これから散歩してくる!』

今日の散歩は、前々回のリベンジで、東十条駅からおおむね環七通りに沿って北東に向かい、新神谷橋を渡り足立区に入り、引き続き鹿浜橋を渡り荒川を越えて、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅まで、1万2千歩の歩き。




● 朝7時半、JR東十条駅で下車し、まずは、環七通りに出て新神谷橋を目指す。

・・・・・・・・・・・・東十条駅北口から歩き始める。、、、、駅を出ると、一応心配なので、空を仰ぎ『雨よ降るなよ!』 

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・・・・・・・・・・・・駅から「環七通り」(=都道318号)までは300m程。、、、、「環七通り」は浅草橋の我が家を中心に(?)、半径10㎞の円を描くように、東京都大田区平和島を基点に、目黒区、世田谷区、杉並区、練馬区、北区、足立区、葛飾区と巡り、江戸川区臨海町に至る都道。 冗談でなく本当に、我が家を中心にして環七のいずれの地点も10㎞程、散歩には調度良い距離にあり、このブログ「雅万歩」には度々登場する道路である。 今日も、この道路沿いに歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・東十条駅から10分程歩くと、環七通りに面し「飯田産婦人科医院」の建物がある。 昭和レトロ感たっぷりの木造2階建ての建物。 今の時代、出産はシャレたクリニックか病院が大半だろうと思うが、昭和の時代までは、家に産婆を呼んで出産か、町の産婦人科で分娩したものだ。 その、昭和の雰囲気を残す産婦人科医院の一つがここ「飯田産婦人科医院」 私はこの医院に世話になることはないが、聞いた話では、内部も昭和の雰囲気を残しているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・前々回(8/7)の散歩では、あまりの暑さで熱中症が怖く、ここより先へ歩くことを断念した、宮堀交差点の「神谷陸橋」に来た。 今日はこの先:新神谷橋、鹿浜橋を目指し歩く。

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● 神谷陸橋の先には「新神谷橋」が続く。 新神谷橋は隅田川に架かり、北区神谷と足立区新田を結ぶ。 岩淵水門の管理橋を別とすれば、隅田川最上流の橋である。、、、、もともと「宮堀の渡し」があった処である。 現在の位置より100mほど下流側の神谷堀に昭和2年(1927)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があり、のち昭和25年(1950)に鋼桁橋として改架された。 新しく隅田川に架けることとなった当橋はこの名称にちなむ。 昭和52年(1977)に神谷堀が埋め立てられ廃橋となったことから、現在は神谷橋は現存しない。、、、、  昭和40年(1965)2月12日の創架当初は仮開通状態で、片側1車線の幅員10.5mであったが、昭和42年(1967)2月にはすぐに追加の拡幅工事が行われ、現在の幅員となった。、、、、現橋は、橋長 153.1m、幅員 20.0m、プレートガーダー橋。、、、、橋の両側とも、歩行者が渡るためには急な階段を上る必要があり、年寄りにはキツイ! もう少し歩行者に優しい橋にしてもらいたいね。

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● 新神谷橋を渡り足立区側に入ると、橋の下におりる階段がある。 下りると北側に小さな寺「妙喜庵」(日蓮宗、天明年間(1781~1789)の創建)がある。 寺の入り口脇に「新田小学校発祥の地」と彫られた黒御影石の碑が建っている。  明治16年(1927) ここ妙喜庵に鹿浜小学校の分校が開設された。 鹿浜と新田は荒川を挟み対岸の町であるが、同じ足立区内の町である。 明治時代にはまだ荒川はなく地続きの町であった。 (荒川放水路〔=現在の荒川〕が完成したのは昭和5年)  鹿浜小学校の分校は、昭和23年(1948)に独立し「新田小学校」となった。、、、、なんといっても、小さな寺(平屋の住宅風)で、ここが発祥地とは驚き、桃の木、山椒の木!

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● 環七通りを鹿浜橋に向かい歩く。 鹿浜橋を渡るため、荒川土手に上る手前に、「都営新田一丁目アパート」がある。 この団地は昭和44年(1969)に建てられ半世紀が過ぎた。 12号棟(約590戸)あったうちの5棟は解体済で、跡地には14階建てと9階建ての2棟の住宅(約420戸)が建てられるそうだ。、、、、ところで、この建て替え工事は荒川堤防を高規格堤防にする事業の一つで、現在アパートが建つ敷地をかさ上げし現堤防と一体化し、補強・強化した後、その上に建てるそうだ。 荒川堤防の高規格化は、荒川の氾濫による東京下町の浸水を防ぐ目的で、練馬区あたりから江戸川区まで荒川の両側の堤防について改良・強化がすすめられている。、、、、今日は、まだ取り壊されず残っている棟を見てきた。、、、、住んでいるのは、お年寄りばかりか? すれ違う人は全て老人、停まっている車はデイサービスの送迎車数台と車いすの老人を乗せるタクシー。 公園には人影はなし!

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● 「鹿浜橋」は荒川に架かり、環七通りを通す橋。 南岸の足立区新田と北岸の足立区鹿浜を結ぶ。 昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.3m。、、、、橋から見る上流側には、川口の町が一望でき、眺めは良い!

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● 日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅を目指し、環七通り(都道318号)をひたすら東へ歩く。

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● 西新井大師西駅に近づいてきた、チョイト北側に入ると、都営 上沼田第3アパート」、「UR 江北六丁目団地」、「西新井大師西駅」と連続する。 団地内を失礼して駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・昭和40年代後半に建てられた「都営 上沼田第3アパート」(604戸)は、50年以上経過したため、都は段階的に建て替えることとなり、現在は建て替え工事が進められている。、、、、団地の案内板は赤錆て見えない! 店舗は全てシャッターが下りてる、廃業か?空き店舗か?

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・・・・・・・・・・・・「UR 江北六丁目団地」は昭和46年(1971)に完成した、総戸数 860戸の旧住宅公団の団地。 現在は日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅の真ん前に位置し、便利この上なし!

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・・・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナー「西新井大師駅」、、、、その名のごとく西新井大師(総持寺)の最寄り駅と思いきや、駅から寺までは約1㎞、徒歩15分は要する。 参拝時に、失敗しないように、要注意!

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2021年8月 7日 (土)

熱中症が怖い!

東京の新型コロナ感染者数はここ数日4千人超え。 医療は崩壊に近く、感染しても入院できないかも? また、連日の暑さは熱中症の危険度を高め、救急隊をより一層忙しくする。 救急車呼んでもスグ来てもらえないかも? こんな時期に、年寄りがフラフラ散歩して倒れたら、“人様にご迷惑をかけるだけ”、、、、『しばらく散歩は自粛する』と、毎日、神に誓うのだが、朝起きると『今日は台風の影響で涼しいかも? 雨が降る前に、チョッピリ散歩しようかな?』

赤羽駅から東南へ向かい、新神谷橋で隅田川を渡り、鹿浜橋で荒川を渡り、西新井方面に向かう予定で家を出た・・・・・




● 朝7時半、赤羽駅で降りた。 オリンピック閉会前の土曜日、人出は少ない! 駅前の気温はすでに29℃、日差しがまぶしい! 

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● 駅の東側、飲み屋街を抜け、神谷橋方面に向かうことにした。、、、、昭和40年代のイメージを懐かしみ、街に入ってみたが、キャバレー「ハリウッド」は取り壊され、跡地にはホテルを建設中であった。 この辺りには数件のキャバレーがあった、いつの間にか「ハリウッド」が都内最後のグランドキャバレーとなり、平成30年(2018)12月30日に幕を下ろしたそうだ。 思い出した「オーナーの福富太郎、常連客のみのもんた」、名はスグ思い出したが顔が出てこない、アレアレ私も年とった!、、、、ハリウッドを重要文化財に指定しておけばよかった!

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・・・・・・・・・・・・街を抜けると、「赤羽駅から徒歩約3分」の処に「性病科」の看板が見える。、、、、戦後しばらくの間は、省線電車の窓から「性病科」の看板を目にすることが多かった。 いつの間にか、看板を見る機会も減り、今日は看板に懐かしさを感じた。 大村崑の「オロナミンC」の看板を見た時の感動と同じ!

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● 時刻は8時半、頭のテッペンが熱くなりはじめた。 気温30℃、湿度も高くムシムシする。 熱中症が心配になる。 “水”を求めて「北運動場」(北区神谷2)の水飲み場へ直行、頭から水をかぶり、顔を洗い、首に水でひたした手ぬぐいを巻き、再出発!、、、、運動場前から、鉛筆型の煙突らしきものが見える、行ってみよう!

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● 高さ約120mの煙突は「北清掃工場」のもの、、、、北清掃工場は北区志茂に、平成10年(1998)から本稼働した清掃工場。 この清掃工場は建築家で、早稲田大学理工学部教授:石山修武の設計による。 石山修武は、昭和60年(1985)に南伊豆の松崎町の「伊豆の長八美術館」を設計して吉田五十八賞を受賞、平成8年(1996)には「ヴェネチアビエンナーレ建築展」で金獅子賞を、そして平成11年(1999)には織部賞を受賞。、、、、北清掃工場は敷地面積:約19,000㎡、工場建設費:335億6千5百万円、焼却能力:600トン/日。

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・・・・・・・・・・・・北清掃工場のあるこの場所に、大正6年(1917)から大正10年(1921)の間、あったのが「赤羽飛行機製作所」。ここでは、飛行場やパイロット養成場も有し、エンジンから部品・機材まで一貫して製造する国内初の飛行機工場であった。、、、、飛行機工場が清掃工場に変身!




● 北清掃工場の南側に都営神谷三丁目第二アパートがある。 昭和43年(1968)から順次建てられた、総戸数437戸の都営住宅。、、、、チョイト、11階から夏空の下の赤羽・川口方面を展望する。 眼下の町は「北区志茂」。

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● 北区神谷3丁目、真言宗智山派の寺院「神屋山専福寺」に立ち寄る。 創建年代は不詳だが、古い墓石が多く残っており、江戸時代初期のものもある。 本尊は不動明王。、、、、遠い昔は尼寺だったらしい。 

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● 新神谷橋を目指し橋の西側「宮堀交差点」の手前に来ると、真言宗智山派寺院「自性院」がある。 自性院は常住山と号す。 自性院の創建年代は不詳であるが、江戸時代末期には創建されていた。 境内には、数多くの石仏や庚申塔がある。 

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● 時刻は9時、「宮堀交差点」に来たが気温は30℃超え暑い。 何となく、救急車のお世話になりそうな予感! ここで、熱中症になって世間の笑い者になるのはイヤだ! この交差点を越えれば新神谷橋なのだが、ここで先に進むのはあきらめ東十条駅に向かうことにした。 

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● 熱中症を避けて、「北本通り」から「東十条商店街」(東十条銀座)に入る。、、、、東十条駅に近づくにつれ、商店街も賑やかになる。 通りには、万国旗が掲げられ昭和レトロを感じる。

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・・・・・・・・・・・・商店街の中程に、演歌専門の有名なレコードショップがある。 店頭では、かなりの頻度で演歌歌手による「唄とサイン会開催」が開かれている。 今日は誰が来るのかな(?)と思いつつ、店頭のポスターを眺める。

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● 「東十条駅」に無事到着、熱中症にならず良かった!、、、、今日の散歩は、熱中症に脅かされ、途中でルートも変わり、9千歩となった。

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2021年8月 2日 (月)

北赤羽から赤羽北へ

一昨日中途半端に終わった「赤羽北」の町歩き、今日はその続き、、、、ということで、北赤羽駅からスタートし、赤羽北二丁目の残りと、赤羽北三丁目を歩き、赤羽駅まで1万3千歩の散歩。 




● 今日からは、一都三県ともに「緊急事態宣言」下に入った。 しかし、私の気持ちは緩み、“ワクチン打ったしマスクしてるから大丈夫だ~~!”、、、、朝7時半、埼京線「北赤羽駅」に降り立つ。

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● 『まずは赤羽北二丁目の町を制覇するぞ!』と、駅の南側「環八通り」沿いを往復する。


・・・・・・・・・・・・駅から、対岸(北区浮間)にマンションや団地が並ぶ、新河岸川堤防沿いに歩いてみる。 私が歩く赤羽北二丁目にも、URの「赤羽北二丁目ハイツ」(戸数245戸)が3棟並んでる。

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・・・・・・・・・・・・赤羽北二丁目の南端、新河岸川の岸に浮間中央病院がある。 その病院の隣りに「袋村の水神宮」がある。 ここは新河岸川で袋河岸の跡。 昔、船主が水難事故から守って貰うために祀ったのだが、水害除けの水神宮へ変わったそうだ。、、、、“袋村(ふくろむら)”とは、現在の赤羽北一帯の旧村名。 “袋”の名は、地形が袋状にいり込んで窪になっていることに由来するそうだが、はて?何処が袋なのか? 現在、“袋”の名は、小学校、公園など、公共施設に残るのみ。

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・・・・・・・・・・・・赤羽北二丁目の中央を東西に貫く環八通りを横断し、環八通りの南側を戻るように歩く。

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・・・・・・・・・・・・“袋村”の名が残る北区立「袋小学校」、、、、全生徒数 約400名、、、、今日はプールの日か? 何人か登校してきた。

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・・・・・・・・・・・・袋小学校を囲むようにたつ、総戸数521戸、URの「赤羽北二丁目団地

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・・・・・・・・・・・・諏訪神社のある崖下の道路傍(赤羽北2-11)、小さな墓地の囲塀の前に「旧秋田院薬師堂跡地」の標柱が建ててある。 標柱には真頂院(北区赤羽3-16-3)持とある。 後ろの墓地は、田舎ではよく見られる屋敷墓地、都内では珍しい。 崖の上の諏訪神社も別当は真頂院。、、、、、ここいら一帯を仕切っていた寺が真頂院かも? ところで、旧秋田院薬師堂とは何か? 調べてみたが、サッパリ判らん! 謎の名所旧跡?

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● これより「赤羽北三丁目」を歩く。 赤羽北三丁目は二丁目の南側崖上に広がるっている。 三丁目の中央を「諏訪通り」が貫き、諏訪神社

から、西の志村坂上(板橋区:中山道)の方に伸びている。


・・・・・・・・・・・・まずは、崖下の赤羽北二丁目と崖上の赤羽北三丁目を結ぶ坂道6本を、一挙大公開! 北側から順に紹介

①大型車両も通れる諏訪神社前の「宮の坂」、、、、謂れは、坂の説明書きより、『坂の名前にある「宮」は、この地域の旧村名である袋村の鎮守、諏訪神社のことを指しており、坂道はこの神社の参道を経て赤羽方面へと抜けていきます』

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②諏訪神社裏の住宅の脇から、赤羽北2-11へ下る階段坂。 名は無い

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③赤羽北3-6の老人ホーム「赤羽北さくら荘」の北側にある段々の坂道で、袋小学校の前に下る「殿山の坂」。 “殿山”は坂上の旧地名。

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④「袋町公園」から下る階段坂。 ゴメン、名は知らない!、、、、公園前から、崖下の赤羽北二丁目を望める。

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⑤「袋町公園」西端から下る坂、その名は「念仏坂」、、、、かつては、細い淋しい坂で、坂の上には真頂院持の墓地があったそうだ、坂の名はその故か。

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⑥赤羽北三丁目と板橋区小豆沢四丁目の境を北東に下る坂。 坂名の「ふか坂」は、うっそうとした樹木におおわれて、谷深い中を蛇行している坂であったことによる。 坂を下って北へ行くと、かつての袋村河岸があった。 この坂は袋村河岸から中山道への通路にあり、馬坂とも呼ばれたそうだ。、、、、赤羽北二丁目側から上ってくると、左側には大型集合住宅「東京メガシティ」が威容を見せる。 5棟863戸が暮らす街。

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● 宮の坂にある「諏訪神社」(赤羽北3-1)、、、、諏訪神社は、真頂院初世秀善和尚が信州諏訪大社を勧請して応永3年(1396)に創建、江戸期には袋村の鎮守社だった。

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・・・・・・・・・・・・宮の坂を挟み、諏訪神社鳥居前に「袋村の庚申待供養塔群」がある。、、、、実は、この庚申塔群のある高台は、諏訪神社の参道の一部である。 庚申塔群のある位置と神社の鳥居を結ぶ位置にかつて参道があった。 しかし、宮の坂が拡張されたとき、参道を切通しで抜けることにより、坂の勾配を緩くしたそうだ。、、、、この参道には、最も右側にある塔を除いた計4基の青面金剛立 像庚申待供養塔がありますが、これらは元禄16年(1703)から天明5年(1785)までの間に造立されたものである。、、、、いずれも彫は深く、状態も良く、見ごたえある庚申塔。

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・・・・・・・・・・・・諏訪神社社殿の脇に、几号水準点もどきがある。、、、、これは、内務省がそれまでに荒川筋に既設した水準点を補完する目的で、昭和5年(1930)に新に荒川筋に設置された15ヶ所の、水準点のひとつである。 諏訪神社境内の水準点標石のそれぞれの面には、「内務省」「昭和5年」「荒川」「不BM1」と刻まれている。 「不」の字に見えるマークは「几(き)号」といって、「不」の字の横棒が標高を表します。「B.M」 とは、水準点を表す英語「ベンチマーク」の頭文字で、その後の1は1号を表し、「荒川1号水準点」という意味になる。 記録によれば、諏訪神社境内の基準点を1号とし、荒川の上流方向に向かって水準点の設置が行われているそうだ。、、、、明治期に設置した几号水準点とは別物らしい?

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● 諏訪神社から志村坂上方面に伸びる「諏訪通り」を歩き、JR赤羽駅へ向かう。

 

2021年7月31日 (土)

赤羽北の北赤羽

またまた散歩に出にくくなってきた。 新型コロナの感染者、東京では連日の3000人超! 気は緩みっぱなしだが、世間の風当たりも強くなりそうで、フラフラ出歩いていると天罰が下りそうだ。

今日は、京浜東北線の赤羽駅から「赤羽北1丁目」の町を歩き埼京線の北赤羽駅まで、駅間の直線距離1.5㎞程。 あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、暑さでまったり、汗でべったり、午前中とは言えども気温は30℃超え、熱中症が心配になり早々と散歩を切り上げた。 1万歩



● 『赤羽駅で降りたら、「赤羽北」の町を歩いてみよう』と、行きの電車の中で計画。、、、、「赤羽北」は北区の北西に位置し、町の北側には新河岸川(下流は隅田川に繋がる)と荒川が流れ、南側には赤羽台桐ヶ丘の台地があり赤羽北の町はその崖下である。 赤羽北は1丁目から3丁目まであり、JR東北本線側に1丁目、JR埼京線北赤羽駅付近が2丁目、都営桐ヶ丘アパートの西側が3丁目である。、、、、計画では1丁目から3丁目まで歩くつもりだったが、暑さと、短足で、1丁目と2丁目の一部しか歩けなかった。




● 土曜の空いた電車で、赤羽駅は東口に出る、、、、駅の混雑度は、平日の半分の半分以下だ!

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● 東口から飲み屋が並ぶ「1番街」を抜けると、東北本線の高架橋脇に、真言宗智山派の「宝幢院」がある。 宝幢院は医王山東光寺と号す。 本尊は薬師如来像。 寛正2年(1461)に開山され、約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興しました。 慶安2年(1649)に三代将軍家光から赤羽根村内に10石余の年貢・課役免除の朱印を付された。 寺伝や浮間の古老の言い伝えによれば、かつてこの寺は、浮間村西野(現:浮間4)にあったが、荒川の氾濫を避けて赤羽に移転した。、、、、“盆”の準備か、本堂前に塔婆を並べ乾かしていた。

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・・・・・・・・・・・・境内には、区内最古の寛永16年(1639)霜月18日銘の阿弥陀如来線刻庚申塔があります。 板碑型の石塔本体正面には、阿弥陀如来立像と2猿が線刻され、「山王廿一社」の文字を見ることができる。、、、、他にも、馬持講中(当時馬を飼っていた資力のある村民)の人名を刻んだ馬頭観音塔や、出羽三山供養塔などがあり、この地の歴史を知る貴重な石仏がある。

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・・・・・・・・・・・・日光御成道・岩槻街道は赤羽駅の方から北上し宝幢院にぶつかって直角に右に曲って荒川に下りていく。 「宝幢院門前の道標」は、正面に『南 江戸道』、右側面に『東 川口善光寺道 日光岩付道』、左側面に『西 西国富士道 板橋道』と彫られており、ここから板橋道が分かれていたことが判る。、、、、道標の覆いが邪魔して彫りがチョイト読みにくい!

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● 東北本線高架橋と宝幢院の間を行き、小さなガードを抜けると、赤羽台のカトリック系女学校「星美学園の崖下に出る。 この崖下が「北区赤羽北1丁目」である。、、、、星美学園キャンパスの地下には新幹線・埼京線の「赤羽台トンネル」がある。

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・・・・・・・・・・・・崖下の道を北へ向かって歩くと、赤羽北の町を東西に貫く「環八通り」に出る。 その角(赤羽北1-4)には、真言宗智山派の寺「満蔵院」がある。 満蔵院は、佛護山光照寺と号す。 満蔵院の創建年代は不詳であるが、天正5年(1577)頃、中興した。、、、、町中の寺で、境内も狭く、本堂は近年の建築、本堂隣の住職の住宅の方が立派に見えた、これ以上コメントなし!

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・・・・・・・・・・・・満蔵院の南側に赤羽北保育園があり、その向かい側に大きくはないが、郷蔵跡と言われている「稲荷社」がある。、、、、稲荷社の一角に庚申堂があり、4基の石物がある。 右から、弘法大師供養塔、元禄15年(1702)銘の阿弥陀三尊種子庚申待供養塔、寛文8年(1668)銘の阿弥陀三尊種子千日念仏供養塔、宝永元年(1704)銘の庚申待供養青面金剛立像。 400年程昔の貴重な石物。

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・・・・・・・・・・・・稲荷社の前には、星美学園の北側を赤羽台へ上る「稲荷の坂」がある。 案内によると『この坂道は、赤羽北1丁目3・4番先から赤羽台四丁目公園付近まで続きます。道筋としては赤羽根付村と岩淵宿の境付近で日光御成道(岩槻街道)と別れ、袋村を経て小豆沢村へと向かう鎌倉道でもありました。昔は坂を登りきると正面に富士山を望むことができたそうです。坂の名称は特にありませんでしたが、坂の途中にある稲荷社にちなんで稲荷の坂とよばれるようになりました』、、、、坂の上からは、眼下に赤羽北の町を、また遠く荒川の対岸には川口のタワーマンションを望む。

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・・・・・・・・・・・・稲荷の坂を上り「赤羽台四丁目公園」の前からは、再び赤羽北へ下る坂がある。(坂の名は?)、、、、坂の先に高架橋を走る新幹線が見える、、、、坂を下り、高架橋を見上げると、「赤羽台トンネル」の坑口がある。

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・・・・・・・・・・・・環八通りを横断し、新河岸川に行く。 ここに架かる「中の橋」は、普段、人道橋として柵がしてあり車両は通行できないようだ。、、、、新河岸川は川越市を流れ下り岩淵水門で隅田川に合流する。 この付近では、川の右岸は北区赤羽北1丁目、左岸は荒川と隔てる土手。

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・・・・・・・・・・・・土手に上がり川口方面を望む。 JR東北本線の鉄橋が見える、河川敷の木立にかくれ荒川の川面が見えず。

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赤羽北2丁目に入る、、、、新河岸川の川岸近くは、マンション、都営住宅が建ち並ぶ。 ビルの陰も少なく、頭の天辺はアッチッチ! まだ意識のあるうちに、北赤羽の駅前に到着。

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● 住所は「赤羽北」にあって、駅名は「北赤羽」とは、なんともおかしな命名だ!(他人事だ、どうでもいいか)、、、、熱中症が怖いので、北赤羽駅から帰る。

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2021年7月28日 (水)

崖っぷちの家

オリンピックは5日目、金メダル獲得数は13個(7/28,23:00現在)で国別トップ。 東京の今日の新型コロナ感染者数は、3,177人で過去最多。 連日、ヤッター・ヤラレター、ハラハラ・ドキドキ、喜んだり・怯えたり、気持ちは昂ったり落ち込んだり、忙しい毎日。 外出も自粛すべきか、多少は良いか! オリンピックとコロナで、家にいても何だか落ち着かぬこの頃。、、、、今日も、熱中症を避け、早朝の散歩です。

都営三田線板橋区役所前駅から、北に向かってJR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 駅名のとおり「板橋区役所前駅」は区役所前の中山道(国道17号)の地下にホームがある。 西高島平方面行のホームは、区の職員と思われる人が数名、電車から降りる。 乗る人も数名。

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・・・・・・・・・・・・【おまけの話】「板橋」の付く駅が多い。 全てが板橋区内に位置するわけではないが。 JR埼京線「板橋駅」、東武東上線には「下板橋駅」「中板橋駅」「上板橋駅」、都営三田線には「新板橋駅」「板橋区役所前駅」「板橋本町駅」、以上全7駅。 いずれ、“板橋7駅巡り”なんて出来るかも?、、、、東京メトロには“板橋”の付く駅がないね!




● 旧中山道「仲宿商店街」にチョビット立ち寄る。、、、、仲宿商店街は旧中仙道の最初の宿場町「板橋宿」の延長上にあり、南北に伸びている。 町の名も「仲宿」で、町の北端で石神井川に接する。 仲宿の町は、北で石神井川を隔てて本町および稲荷台、東で加賀、南で板橋、西で氷川町と隣接する。 西辺を中山道(国道17号)が南北に通じ、南端に東京都道317号環状六号線(山手通り)の終点がある。 仲宿商店街は旧街道沿いに150店程の店舗で構成される元気な商店街。

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・・・・・・・・・・・・商店街の南端に近く、レンガ造りの「板五米店」がある。、、、、店名の「板五」とは板橋町五丁目の略で、昭和30年代まで現存した旧町名です。 現在は板橋区仲宿が行政上の町名。 板五米店の建物は令和2年(2020)に板橋区有形文化財となる。

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・・・・・・・・・・・・板五米店の北側に、真言宗の小寺「遍照寺」がある。、、、、かつてこの地には、現在の遍照寺とは別に天台宗の遍照寺があったが、廃仏毀釈によるものか明治4年廃寺となった。 明治14年成田不動尊の分身を祀り旭不動堂と名を変えて成田新栄講の精神道場となり、同22年(1889)真言宗智山派の寺院として復活、山号を成田山と変えたが、寺号は昔のまま遍照寺を称えた。 本堂は残り、鄙びた姿のまま昭和30年ごろまでひっそりと町裏に息を潜めていたが、改築された。、、、、参道には寛政10年(1798)造立の馬頭観世音がる。 宿場時代には、境内に接して繋馬場が置かれ、継立馬50頭が幕府御用のために常に待機していた。 馬は百姓の負担だったから、この馬たちの安全無事を祈って馬頭観世音は建てられた。

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・・・・・・・・・・・・仲宿商店街からはずれ、裏道へ入っていく。 住宅の奥に銭湯もある。 ちなみに、現在の大人の入浴料は460円也。

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● 石神井川に架かる「御成橋」(昭和45年完成)を渡る。 橋の東側には「帝京大医学部付属病院」がある。 地上19階建て、約1,100床の総合病院。 儲かっていそうな病院だ!

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・・・・・・・・・・・・帝京大附属病院の北側、板橋区稲荷台の町の裏道を歩いてみる。、、、、生活感ある裏道を歩くと、なんとなく気も落ち着く!

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・・・・・・・・・・・・板橋区稲荷台から、隣の北区上十条の町を抜け、環七通りを越える




● 環七通りを越え、埼京線の西側を歩くと、北区立「清水坂公園」がある。 清水坂公園は、北区を南北に走る武蔵野台地の崖地を利用した立体的で変化に富んだ公園。 敷地は20,000平方メートル以上あり、芝生広場は約4,500平方メートルの広さを有し、家族連れでにぎわいそうな公園だ(今は、コロナと熱中症で遊ぶ子はいない)、、、、清水坂公園は、かつて、国鉄の官舎があった場所で、十条仲原4丁目の高台から長い階段を降りた低地に木造の長屋型の家が沢山並んでいたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・清水坂公園の西側を歩くと、十条仲原4丁目の細い道を入ると、その奥に見晴らしの良さそうな住宅が数件並んでいる。、、、、そのうちの一軒は住所表示板の上に黄色の枠で囲われて表札が出ている。 母屋は道路から階段を下った崖の途中にあり、さらにその下に民家の屋根が見える。

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・・・・・・・・・・・・①こちらは、同じ十条仲原4丁目の裏道。 『高台から見る景色が良さそうだ』と奥へ進む。

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②奥にはがけ下へ降りる階段があった

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③階段の途中には民家があり、玄関先へ続く上り階段があった。 写真右方向にさらに下る階段が続く。 いずれにしても、上り下りが大変そうな住宅だ!

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④さらに下へ会談は続き、下から見上げた写真がコレ! 

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● 十条仲原の高台から下り、赤羽西の妙覚山普門院蓮華寺に寄る。 「普門院」は真言宗智山派の寺。、、、、赤羽駅に向かう途中、脇道の正面奥に中国風の鐘楼門(昭和17年から18年頃完成)が見える。 門をくぐると、インドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年完成)が見える。 共謀墓地の右奥に中国風の本堂がある。 異国情緒漂う不思議な空気の寺だ!、、、、普門院の創建年代等は不詳ながら、徳治2年(1307)年の開基とも伝えられている。

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● JR京浜東北線赤羽駅西口に到着。 通勤通学の時間帯からズレルと、ホームも人影は少ない!

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