北区

2025年11月10日 (月)

熊野前から上中里

日暮里舎人ライナーの熊野前駅から歩き始め、JR尾久駅前をとおり、JR京浜東北線の上中里駅まで、9千歩の散歩です。


● 今朝、散歩に出るとき、妻に『今日はどこへ行くの?』と問われ、『特に決めていないが、どこへ行こうかな?』と返す。 『どこでもいいけど、熊に気を付けてね!』と言われ、『熊か、クマか、そうだ熊に会いに、熊野前に行こう!』と返し、散歩の行先を決めた。、、、、、「熊野前」はJR日暮里駅から日暮里舎人ライナーで3駅目、荒川区にあって、都電荒川線と交差する位置にある。 熊が出没するとは思えない下町の駅である。 駅名の“熊野”は、かつて駅の北側にあった熊野神社に由来する。、、、、、日暮里舎人ライナーの熊野前駅は平成20年(2008)3月30日に開業した。 尾久橋通りの中央頭上に位置する島式ホーム1面2線の高架駅。
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● 熊野前から都電荒川線沿いに一駅、隣の「宮ノ前(みやのまえ)停留場」へ向かう。 宮ノ前停留場の名称は、尾久八幡神社の前に位置することによる。、、、、、都電荒川線の前身:王子電気軌道の三ノ輪~宮ノ前~飛鳥山下間が開業したのは、約110年前、大正2年(1913)4月1日である。 昭和17年(1942)に東京市に事業譲渡され、東京市電荒川線となった。
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● 宮ノ前停留場の正面に鎮座する「尾久八幡神社」。 尾久八幡神社は応神天皇を主祭神とする。 神社の正確な創建の年は不詳だが、鎌倉時代末期の正和元年(1312)に尾久の地が鎌倉鶴岡八幡宮の神領になった頃と考えられている。 神社に残る棟札から至徳2年(1385)に社殿が建てられたことが確認できる。古くから農工商の神様として尾久の人々に信仰されてきた。、、、、、熊野前駅の近くにあった熊野神社は、明治11年(1878)に当社に合祀された。、、、、、境内のあちらこちらに『七五三詣』の旗が立ち、引き続き正月詣で、神社は超大忙しとなるのかな?
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● 都電の線路を挟み尾久八幡神社の向かいに、曹洞宗の寺院「碩運寺(せきうんじ)」(西尾久2)がある。 碩運寺は、慶長元年(1596)に創建されたといわれている。 大正年間に本所石原町から当地へ移転した。 大正3年(1914)に寺内に温泉が湧き、寺の湯「不老閣」の営業を開始した。 ラジウム鉱泉で、周辺には保生館、清遊館、大河亭、小泉園などの旅館も開業し、都電の開通と相まって寺の周辺は温泉街として賑わい、商店街も形成されたそうだ。 
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・・・・・・・・・・ ところが、ギッチョン・チョン、話はこれが始まりで、周辺の温泉旅館、商店街の発展は、尾久三業地(現:西尾久、料亭・芸者置屋・待合のあった所)発展の幕開けとなり、色街へと変わって行く。

・・・・・・・・・・ 昭和11年(1936)2月、陸軍将校のクーデターである2・26事件が起きる。 世の中は大きく変わって行くことになる。 その年の5月18日、尾久三業地の待合「満佐喜」で殺人事件が起きた。 粋で鯔背な格好の40歳代の遊び人:名は石田吉蔵と、30代の玄人美人:阿部定が宿泊した。 翌朝、女は外出したが、男は起きてこず、女中が部屋に確認に行くと、蒲団の中で死んでいた。 ナント!男の一物が切り取られ、太股には血で「定、吉二人」と書かれていた。 こうして、猟奇的殺人事件の幕が開いた。、、、、、これぞ有名な阿部定事件である、、、、、この後、事件の顛末は、皆さん自分で調べて!

・・・・・・・・・・ 戦後、尾久三業地は周辺の工業化で地下水を汲み上げすぎて温泉は出なくなり廃業していった。 現在は産業地の面影も消えた!



尾久八幡神社の周囲、碩運寺の前などに、江戸時代から大正時代まで、八幡堀」という石神井川用水が流れていたそうだ。 その水路は今は無くなったが、主に西尾久1丁目・2丁目の裏道が交差する部分にタイルが埋め込まれ水路跡が標されている。 また水路跡は「すいろみち」として整備されている。
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● 荒川区西尾久の町を歩き、JR尾久駅前に出てきた。 まだ、体力、時間に余裕があり『もう少し歩いてみよう』と思い、駅前の明治通りを西に向かう。
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・・・・・・・・・・ 明治通りが都電荒川線と交差する梶原交差点の手前で、寂れた「上中銀座商店会」を歩き上中里駅に向かう。
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JR上中里駅に到着。 チョイと疲れた!
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2025年10月10日 (金)

熊野前から上中里

熊野前バス停から、尾久駅前を過ぎ上中里駅まで、9千歩の裏道散歩



● 『今日はどこから歩こうか?』 毎度のことだが、散歩の行先が決まらず家を出た。 駅へ向かう途中、なんとなく日暮里からバスに乗って遠くへ行ってみようと考えた。(日暮里が思い浮かんだのは、駅前から多方面に行くバスが出ているため) 日暮里駅前のバス停うろうろしていると、最も遠くそうな「江北六丁目団地行」がちょうど来たので“ラッキー”と思い急いで乗る。 乗客は3人、なんと空いてるバスだ! バスの車内で路線図を確認すると、このバスは日暮里舎人ライナーの下を、並行して走るバスだった。 日暮里舎人ライナーと同じ経路をはしるバス、だから乗客が少ないのだ! しかも、江北六丁目団地とは、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅の正面にある団地で、私が何度も歩いたところ。 このまま終点まで行っても面白くないので、とりあえず途中の熊野前で下車する。 
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● 熊野前バス停で降りたけど、『サテ、どうしようか?』 熊野神社は現存しないが尾久八幡神社なら知ってるし、都電通りも知ってるし、どこへ行こうか思案橋。 『ヨシ、今日はここから、私の好きな裏通りを気ままに歩こう!』と決める。

・・・・・・・・・・ 時刻は8時。 熊野前の裏通り「はっぴーもーる 熊野前」商店街の中程にある小学校の登校時間。 集団登校か、みんな仲良く笑顔で登校。 ご近所の人も笑顔で見送り。
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・・・・・・・・・・ 「はっぴーもーる 熊野前」を抜けると、引き続き「おぐぎんざ」商店街が続く。 どちらも、地域密着型の商店街。
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・・・・・・・・・・ 「おぐぎんざ」商店街の中程、スパーの2階に『尾久セントラル劇場 冷暖房完備 毎週土曜日オールナイト 松竹、東映、東宝の3社のロゴマーク 各社特選映画上映』と書いてある、映画館だ。 1990年ごろに閉館したと思われる、30年以上経過したのか? かつて、「ゴジラ」、「クレイジーキャッツ」、「駅前旅館」、「男はつらいよ」、「網走番外地」、日活ロマンポルノなど、やってたのかな? 当時を知る人には懐かしい映画館で、思い出も多いことであろう。
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・・・・・・・・・・ 尾久セントラル劇場前の裏道(荒川区東尾久4)に入っていく。 尾久呑龍堂なる小さな社に子育地蔵尊が祀られている。 さらにチョイと歩くと、老人ホーム(荒川区西尾久1)の植え込みに聖母マリヤの像が。 神の御加護がありそうな通り。
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・・・・・・・・・・ 西尾久1丁目のバス停付近で都道を横断する。 チョイと歩くと、二階建て煉瓦造りの小柄な蔵がある。 明治中頃の建物らしい。 建物の劣化も見られず、美しい造りの蔵だ!、、、、、真っ赤なスポーツカーもいいね!
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・・・・・・・・・・ 裏道を歩いてると小台銀座」商店街(旧小台通り)の南端に出た。 商店街は歩かず、そのまま直進する。
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・・・・・・・・・・西尾久4丁目で、野菜の移動販売に遭遇。 近所のお母さんが品定め。、、、、、近くでは町工場から出る産廃の収集トラックもいる。、、、、、そうだ、この辺りは町工場が多く、下町の雰囲気残る優しい街だ!
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● 歩く先に尾久駅が見える。 尾久駅は昭和4年(1929)6月20日開業、乗り入れている路線は線路名称上は東北本線の日暮里駅 - 当駅 - 赤羽駅間の支線(尾久支線)である。 運行系統上は、宇都宮線高崎線列車が停車する。、、、、、尾久駅の所在地は荒川区の尾久ではなく、開業当時から北区昭和町に位置している。 駅の所在地でないにも関わらず「尾久」が駅名として付けられたのは、開業当時、隣接する尾久町が温泉を中心とした東京郊外の遊興地として栄えていたので、「尾久」という地名を拝借したそうだ。 駅名の「尾久駅」は濁らず“おくえき”と読むが、地名である「尾久」(東尾久・西尾久)は“おぐ”である。

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・・・・・・・・・・ 今日は尾久駅で散歩を終えることはなく、上中里駅まで歩くことにした。 尾久駅舎の脇にある、約150mの尾久構内架道橋(車両基地の下を抜ける地下道)を歩き上中里駅に向かう。
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● 上中里駅の東、道路沿いに小堂があり庚申塔が祀られている。 庚申塔の年代不明。青面金剛立像と足元の三猿がしっかり彫られている。両脇にもいくつか石塔が並んでいる。、、、、、庚申塔の脇には赤い灰皿が置かれ、正面には椅子となる切り株が置かれてる、愛煙家は庚申塔に向かって一服し、疲れをいやすのか? 
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● 上中里駅に到着。、、、、、上中里駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、ホームの端、東京寄りに橋上駅舎を有している。 大宮寄りの車両に乗るには、10両編成の全車両分を歩かなければならない。 乗降客は少なく、見た目には細長い静かなホームである。
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2024年12月26日 (木)

尾久駅構内ガード

山手線の田端駅からJR東日本の尾久車両センター沿いに歩いて尾久駅へ。 尾久駅周辺をブラついて、8千歩の散歩です。



● 外はチョイ寒、田端駅北口を出て散歩を始める。、、、、駅を出て、左側(西側)に新幹線基地、右側(東側)に在来線の尾久車両センターがある道を上中里方向に歩く。 新幹線基地も在来線の尾久車両センターも停留してる車両は少ない。 朝の稼ぎ時で、どの車両も“お仕事・お仕事 出稼ぎ中” ガランとした車両基地はチョイト残念!
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・・・・・・・・・・ 基地のフェンスに駅名表示板を模した「首都圏本部 技術訓練センター」なる施設の入口案内板が貼ってある。 手前の駅“見習い”から次の駅“一人前”まで、厳しい訓練が待っているのかな?
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・・・・・・・・・・ なぜか車両センターに囲まれた位置に北区立特別養護老人ホーム「上中里つつじ荘」がある。 立派な建物だ、ここに入居すると窓から車両センターが見渡せそうだ! 私もその時が来たらココに入れてもらえるかな?、、、、地元の人の話では、施設の建つこの地には、かつて円形の蒸気機関車庫があったそうだ。 
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・・・・・・・・・・ つつじ荘の斜め前には「中里貝塚」があるが、貝の層は地中に埋め戻され、地表は芝の公園となっている。、、、、縄文時代中期中頃から後期初め(約4600~3900年前)の貝塚。 最大で厚さ4.5m以上の貝層が広がる、縄文時代の海浜低地に形成された巨大な貝塚らしい。(見えないので何とも言いようなし)
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● つつじ荘前の細い裏通りを尾久車両センターのフェンス沿いに歩いて行くと、広大な車両センターを横切り、車両センターの反対側(尾久駅側)に抜けられる地下道「尾久駅構内ガード」(長さ約160m)の入口がある。 新幹線の基地と車両センターに挟まれた所には、一般住民が生活する上中里2丁目の町があり、その住民が尾久駅側に抜けられるように造られた地下道なのかも? 入り口部分は階段になっており、車は入れないが、自転車は通ることができる。 地下道の幅は広い。 地下道途中には、JR関係者が通れる出入口も数か所ある。
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・・・・・・・・・・ ガード内に約2mぐらいの長さの「東北本線 尾久駅平面図 縮尺五百分之壱」(製作時期不明)がある。 現在の尾久車両センターとほぼ同一と思われる敷地全体が描かれている。 金属版に彫りこんだようで、写真写りは悪いが、要所だけ撮ってきた。、、、、特別養護老人ホーム「つつじ荘」がある位置には、蒸気機関車庫と転車台が描かれている。、、、、構内図中央には地下道(ガード)と思われる線が2本、多くの線路を横断して上から下へ描かれている。 
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・・・・・・・・・・ 地下道は尾久駅の脇に出口がある。 横にはホームがあり、電車を待つ乗客がこっちを見てる。 チョイト意識するね!
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尾久駅(おくえき)は昭和4年(1929)6月20日に開業した。 乗り入れている路線は、宇都宮線・高崎線である。 15両編成が停車する長い島式ホーム1面2線の地上駅。 1日平均乗車人員は10000人強で、都内のJR駅の中では利用客数が少ないベスト5にランクインしてる。 しかし、平成27年(2015)の上野東京ライン開業以降は利用者が増加しているようだ。、、、、ホームに立つと尾久車両センターが目の前に広がり、嬉しいね!
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2024年10月16日 (水)

田端から宮城まで

JR京浜東北線・山手線の田端駅から旧小台通りを歩き、小台橋を渡り足立区小台に入り、豊島橋東詰の宮城二丁目バス停まで、1万歩の散歩です。



● 今日の散歩は田端駅北口からスタート。、、、、田端駅の歴史は古く、開業は明治29年(1896)4月1日、日本鉄道の駅として、後に東北本線となる路線上に開設された。 同じ明治29年12月には田端~土浦間(後の常磐線)が開業。 明治36年(1903)には、常磐の石炭などを横浜港へ運搬するために大塚支線(田端~池袋間 後の山手線)も開業した。その後、明治38年(1905)には、日暮里~三河島間(現:常磐線)が開業し、上野~土浦間の列車(現:常磐線)は田端駅を経由しなくなり、田端~三河島間は貨物線となる。  そして、明治39年(1906)11月1日、日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。、、、、現在の田端駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、ホームの柱には大正末期か昭和初期頃の古いレールが再利用されて現存している。 改札口は南北の2か所あり、北口は橋上駅舎で、線路上の人工地盤上に駅ビルがある。 南口は、線路脇の崖上にあり、小さく可愛らしい駅舎である。
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● 駅前の跨線橋「新田端大橋」を渡り、田端駅と尾久駅の中間にある田端機関区(田端運転所)と尾久車両センターをつなぐ回送線の「王子街道南亘り踏切」近くに古い道標(北区東田端2)がある。、、、、「左 王子道」「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」と彫られている。 文政11年(1828)とあるので、古くから存在する古道の道標だ! 踏切が在るのは「王子道」にあたり、私の散歩は右に折れて西新井弘法大師道に向かうことにした。

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・・・・・・・・・・ 西新井弘法大師道といっても普通の2車線道路である。、、、、先へ進むと、「東北回送線 第三下田端踏切」、「東北線 第三下田端架道橋」がある。、、、、さらに都道306号を横断した先には、比較的新しい道標(北区田端新町3)がある「右 西新井大師道」と彫られてる。 昭和48年(1973)の銘、おそらく信者の方が建立したものであろう。
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● 西新井大師道を道なりに北上すると、四つ角の先の街路灯に「小台(おだい)銀座」の文字が見える。 ここからは“北区”から“荒川区”に変わりる。 小台銀座の商店街が、約600mの長さで都電荒川線の「小台停留所」のある交差点まで伸びている。 西新井大師道の一部が小台銀座になったものと思われる。 小台銀座の商店街は、南側半分が「小台本銀座商店街」、北側半分が「小台本銀座通り柳会」と言う、二つの商店街で構成されてるそうだ。 この小台銀座の通りは、「旧小台通り」と言うらしい、名標も立ってる。、、、、まだ朝の8時半過ぎ、営業してる店は無く、シャッターも下りたまま、すれ違う人の数も少なく、商店街はまだ寝てるようだ!
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・・・・・・・・・・ 小台銀座の通りに面しチョイト大きな建物は、銭湯の「梅の湯」と総合病院の「佐藤病院」、どちらも地元密着の“頼れるありがたい施設”だ!
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・・・・・・・・・・ 小台銀座通り沿いに、「條里南道」と記された石碑がある。 この碑は、明治20年(1887)頃、人文地理学者の小田内通敏が東京府史跡調査を行った際に、このあたりに残っていた条里制の遺構の保存を進言して建てられたものだ。 条里制とは、古代の耕地の区画制度であり、基盤の目のような整然とした地割りが行われた。このように区画された耕地は、7世紀末ごろ制定されたという班田収授の法に基づき、農民に口分田として分け与えられた。 かつて荒川流域には多くの条里制の遺構があったが、現在では上・中流域にわずかにみられるのみらしい。
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・・・・・・・・・・ 條里南道の石碑の近く(荒川区西尾久5)に、道祖神がある。 3基の塔、いつの時代のものなのか、なぜにこの地にあるのか、由緒・謂れはさっぱり判らん、誰か教えて!
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● 小台銀座を抜けると、都道458号(小台通り)を歩く。 小台橋にて隅田川を越え、荒川区西尾久から足立区小台へ入る。、、、、小台橋架橋前は付近に「小台の渡し」があり、江戸時代より江北・西新井・草加方面への交通の要所として賑わっていた。 西新井大師や六阿弥陀のひとつである沼田の恵明寺に詣でる人々も多く利用した。 小台橋が最初に架橋されたのは昭和8年(1933)で、関東大震災後の都市復興事業により架橋された。 その後老朽化により、平成4年(1992)に現在の橋に架け替えられた。 現橋の型式は鋼ニールセンローゼ桁橋、橋長は122.0m、幅員は15.0m、都が管理する橋である。
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・・・・・・・・・・ 小台橋から上流を眺めると、左側の岸に「あらかわ遊園」の観覧車が見える。 右側は足立区。
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● 都道458号(小台通り)が荒川土手で都道449号に合流する地点(足立区小台2)に、天保期(1831~1845)の弘法大師道標と文久3年(1863)の地蔵尊がある。、、、、ここも、西新井大師道の一部かな?
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● 小台2丁目、荒川沿いの民家の一画に、保存状態の良い7基の庚申塔を祀った小堂「小台の七庚申」がある。 ここ一か所に7基もの庚申塔があるのは、足立区教育委員会の説明文では、『大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で、立退きの対象となった地から下川家(当地の地主)と共にここに移転安置したものである。承応三年(1654)から元文元年(1736)に造立された堂々とした造りで、江戸期庚申信仰が盛んであったことを物語っている。武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって小台の七庚申と呼ばれ、人々の信仰を集めている。多くの民俗資料が消滅していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。』と書かれている。、、、、荒川開削時に河床に沈んだ村から退避された庚申塔群。一つ一つの庚申塔にはそれぞれの歴史があるだろう、その歴史を勝手に想像すると面白そうだ!
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● 足立区小台・宮城の町を歩き隅田川に架かる豊島橋の東詰まで来ると都バス「宮城二丁目」バス停があった。 疲れがドット出て、もう歩けない! バスに乗ろう!、、、、今日の散歩はここまで。
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2024年9月30日 (月)

新田橋

北区王子と足立区新田を結び、隅田川に架かる新田橋(しんでんばし)は、幹線道路の橋ではなく、2車線の狭いバス通りに架かる地元の人のみぞ知る橋である。 古い木橋のようなデザインの橋で、私の好きな橋の一つでもある。 この橋が架け替えられると聞いて、チョイト見に行ってきた。 京浜東北線の王子駅から歩きはじめ、新田橋を渡り、新田一丁目のバス停まで、1万2千歩の散歩です。



● 今日は昼の時間帯にJR京浜東北線の王子駅で下車する。 王子駅から、旧大蔵省印刷局今は国立印刷局の前の都道を北東に向かって歩く。 溝田橋交差点で明治通りを横断する。
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● 溝田橋交差点を過ぎ、石神井川の縁「あすか緑地」際に、庚申塔の小堂が立っている。 中に彫りの深い文字で「庚申塔」が見える。 残念だが、この右側面に造立年が刻まれていたようだが、欠損のため造立年は不明である。
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・・・・・・・・・・ 新田橋に向かうため、豊島二丁目バス停の先で裏通りに入ると、丁重に祀られた庚申塔がある(北区豊島2-5)。 堂には、今年「令和六年」の庚申日が表示され、庚申信仰が続いているようだ。、、、、堂の中には、左から造立不明の馬頭観音塔、昭和5年(1930)の青面金剛庚申塔、寛文4年(1669)の板碑型庚申塔が納められている。
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● 北区豊島1丁目から、地元の住民しか知らない愛称がついた一方通行の「王子郵便局通り」を歩き、郵便局の横を通り過ぎると「紀州通り」と呼ばれるバス通りに出た。
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● 王子郵便局通りから紀州通りに出る角、スーパーの一画に「白龍神社」なる新しい小さな社がある。、、、、白龍神社は、白羊鉛筆の創業者小林直喜の父が、滋賀県から北海道へ移る際に、屋敷神として祀っていたものを持参して祀り続けてきた社で、昭和25年(1950)白羊鉛筆を設立すると、会社の敷地中央に祀ったとそうだ。 平成5年(1993)白羊鉛筆を閉じてベネフォームへ移行する際に社を現在地に遷し、外部に開放した。 御神徳一位の木は別名アララギとも呼ばれ古くから笏(しゃく)の材料として用いられ、鉛筆の素材でもあった。 家業の励みに日夜一位の神に感謝し、一位の自生する深山の御恩を仰いだ。、、、、玉垣には鉛筆に関連する会社名が並んでいる。(私が知ってる、コーリン鉛筆、キリン鉛筆が無いぞ!)
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● 紀州通りに面し、道路名の謂れとなった「紀州神社」の旗がなびいてる。、、、、紀州神社の祭神は現在、五十猛命、大屋津姫命、柧津姫命である。 元亨年中(1321~1324)、紀州熊野の鈴木重尚が王子村にきて、豊島氏(豊島景村)とはかり、紀州五十太祗神社を同村に勧請したのに始まり、天正年中(1573-92)豊島村と王子村との間に争論が起こった際、豊島村の産土神を王子村に置くのは本意ではないと小名宮ノ前に移し、更に小名馬場に移し、後に現在地に移したものといわれてる。、、、、今年は創建700年、盛大に祭りが行われるのかな?
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● 紀州通りから「新田橋通り」と言う、こちらも地元の人しか知らないような細い通りを北へ歩くと、「新田橋(しんでんばし)」がある。
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・・・・・・・・・・ 新田橋は、右岸(南岸)の北区豊島8丁目と、左岸(北岸)の足立区新田3丁目を結び、隅田川に架かる鋼道路橋である。 橋長114.0m、幅9.0mの5径間単純鋼桁橋で、昭和36年(1961)3月に竣工した。、、、、この地にはもともと「野新田(やしんでん)の渡し」という農業渡船があり、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って中州状に孤立した付近の交通路として利用されていた。 昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年に現在の橋に架け替えられた。珍しいA字型をした橋脚は、木橋時代の橋脚を模したものである。 都心にあってこのデザインは何とも言えず好きだ! 架け替え前によく見ておこうと思い、今日、わざわざやって来たのだ! だが、上流側には仮設の歩道橋が架かり、下流側の両岸は高い護岸が構築されており、橋脚がよく見えない!(今日は、下流側の隙間から覗くように橋脚を見て来た)
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・・・・・・・・・・ ところで、新田橋の架け替え工事は、橋の老朽化や構造上の問題から「架替の必要性あり」判定され、架替に向け事業が進められている。 平成29~30年度には地元説明会が開催され、令和元年に新田橋仮橋架設工事に着手し現在に至ってる。 今後は、令和6~8年度に仮橋へのライフラインの移設工事を行い、令和9年度から架替工事を進め、概ね10年後の完成を目指す。 なんと完成まで、まだまだあと15年程を要するそうだ!(完成時には、俺、死んでる!
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● 新田橋を渡り足立区に入った、新田の町を歩き、町の北はずれ「新田一丁目」バス停を目指す。
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新田一丁目バス停の前に「新田稲荷神社」がある。 このバス停は王子駅・池袋駅から来る都営バスの終点である。 バスはここで折り返す。 バスを待つ間、チョイト神社に二礼二拍手一礼する。、、、、新田稲荷神社の創建は元禄10年(1697)と伝えられる。 社殿は戦災により、一度焼失するも、昭和22年(1947)に再建され、現在に至る。 境内に2基の庚申塔がある。、、、、夏の暑さで緑一面となった境内は絵になるね! 
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・・・・・・・・・・ 折り返し王子駅行きのバスが来た。 乗って帰ろう!
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2024年9月 2日 (月)

与楽寺・吉祥寺

学校は夏休みが終わり今日から二学期。 『雅万歩』の夏休みも昨日でお終い。 この夏休みは、連日の猛暑日・熱帯夜、台風による大雨で、年寄りには酷な休みとなった。 私は、外出する機会も無く、連日家でゴロゴロしていた。 気が付けば、足は退化、腹は肥満、頭は鈍化。 良い事なしの夏休みとなった。 今日からは散歩も再開します。

1ヵ月半ぶりの散歩は、JR田端駅(京浜東北線・山手線)で下車し、早朝の与楽寺、吉祥寺と巡ってきた。 今日は“足慣らし”で、9千歩。




● 田端駅は山手台地の崖下に島式ホーム2面4線がある。 改札口は北口と南口の2か所あり、メインの北口はバス通りに面した駅ビル(橋上駅舎)である。 南口はホームから跨線橋を上がり、そのまま西側(崖側)に歩くと、崖上にへばりつくように造られた可愛らしい小さな駅舎田端駅南口」がある。、、、、朝、崖上から階段・坂道を下り、南口から乗客がホームに降りていく姿が見られる。、、、、田端駅は明治29年(1896)4月に日本鉄道の駅として開業した。 当時は、現在の南口付近からさらに崖下に下った位置に駅があったそうだ。 現在の南口駅舎が設置された年代は不明。 

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● 田端駅南口のすぐ前から南西に上る長さ30m程の急な石段がある。 坂の上からは、眼下に田端駅のホーム、さらに奥には東北新幹線の高架橋が見える。、、、、この坂は「不動坂」と呼ばれ、昔、田端駅近くに石造不動明王立像があったためこの名がついたそうだ。 現在不動明王は、ここから600mほどに移転し「田端不動尊」(北区田端3-14)となっている。

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● 不動坂を上ると、一息つく間もなく、先に下り坂がある。 緩やかに南に下る約130mの坂で、名は「与楽寺坂(よらくじさか)」。 その名の如く、坂は与楽寺境内に沿って与楽寺山門前に下る。、、、、この坂の上(田端1-20)に、今は面影は残っていないが、芥川龍之介が住んでいた。

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● 与楽寺坂を下り、真言宗豊山派の宝珠山地蔵院与楽寺に参る。 与楽寺の創建年代は不詳であるが、弘法大師が寺院をこの地に建立したのが始まりだと言われ、慶安元年(1648)には寺領20石の御朱印状を拝領し、京都仁和寺の関東末寺の取締役寺を務めていた。、、、、本尊は弘法大師の作と伝えられている地蔵菩薩で、別名として賊除地蔵(ぞくよけじぞう)といわれ、これには次のような謂れがあるそうだ。 『ある時代の夜、盗賊が当与楽寺に入ろうとしたところ、寺から多数の僧が現れ、盗賊と対決、遂には盗賊を追い出した。どこからそんな僧が現れたのか不思議がっていたが、その翌朝与楽寺の本尊の地蔵菩薩の足に泥がついているのが発見された。それから人々は、この地蔵菩薩が僧に変身して盗賊を追い出したのだと信じるようになり、賊除地蔵としてなお一層の信仰を得るようになったと言われている。』(北区の説明板による)、、、、住宅地の中の寺であるが、境内は整備されて広い、堂も大きく立派である。

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● 与楽寺から裏通りを歩き、動坂下交差点(文京区)に出る。 動坂(どうざか)は、地下鉄・本駒込駅からJR田端駅 に出る道の途中にあり、動坂上交差点から動坂下交差点付近まで。 南西方向に向かって上る、長さ200m程の緩やかな傾斜の坂である。 坂名の謂れは、江戸時代、坂上の北側に日限地蔵堂があったので、“不動坂”と呼ばれるべきところを略して“動坂”と呼ばれた。、、、、今は坂上には「東京都立駒込病院」がある。

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● 駒込病院と背中合わせの位置に、曹洞宗寺院の諏訪山吉祥寺がある。 長禄2年(1458)太田道灌が江戸城築城の際、井戸の中から「吉祥」の金印が発見されたので、千代田区和田倉門に創建されたといいます。 徳川家康の入府に伴い、天正19年(1591)に水道橋へ移転、明暦の大火(1657)後、当地へ移転しました。 江戸時代には寺領50石の御朱印状を拝領、曹洞宗の栴檀林(せんだんりん、=駒澤大学の前身のひとつで、仏教の研究と漢学の振興とそれらの人材供給を目的とした学寮)として数多くの末寺を擁していた。、、、、境内は広く、しっかり整備されている、清々しい気分になれる境内だ!

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・・・・・・・・・・ 広い墓地には古い墓石が並び、歴史を感じさせる。 
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・・・・・・・・・・ 古い墓地なので著名人の墓も多数ある。 その内の、二宮尊徳の墓碑榎本武揚の墓
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・・・・・・・・・・ JR中央線の吉祥寺駅周辺には“吉祥寺”と名乗る寺は無い! 駅のある武蔵野市吉祥寺の地名は、明暦の大火で当寺の門前町の住民が住居を失い、五日市街道沿いに開発・移住したことにより、かつての地を偲び吉祥寺と命名したそうだ。




● 吉祥寺の墓地を歩き回ったためか? 暑さで汗はダラダラ、水をガブガブ、足はクタクタ、疲れた! 近くに「吉祥寺前」の都バスの停留場があった。 何人か並んでる。 時刻表を見ると、嬉しいことに、我が家に近い秋葉原駅東口行きのバスが3分後に来るようだ。 今日の散歩はここまでとして、バスで帰ることにした。
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2024年6月24日 (月)

昔の名前で出ています

天気予報では今日も30℃超の気温、熱中症に気をつけ、京浜東北線の東十条駅から都営三田線の本蓮沼駅まで、9千歩の散歩です。




● 朝8時、京浜東北線東十条駅に降り立つ。 東十条駅のホーム東側は東北新幹線の高架橋と下十条運転区がある、西側は東北本線の列車線と貨物線が並行して走り、その先は線路際まで武蔵野台地が迫り崖となっている。 今日の散歩はホームの西側、台地の上から歩きはじめることにした。

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● 東十条駅から埼京線十条駅へ向かう「演芸場通り(=十条中央商店街)」がある。 今日は、演芸場通りに平行する裏道を歩き、埼京線の踏切を越え「十条銀座商店街」にぶつかる道を行く。

・・・・・・・・・・ まだ8時過ぎなのに、強烈な日差しで裏道を歩いても暑い!

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・・・・・・・・・・ 埼京線の「富士道踏切」がある。 “富士道”と言うのは、残念ながら富士山が見えるのではなく、この道の東端付近に「十条富士神社(北区中十条2)」があり、そこへ至る道ということ。 富士山を見たい人は、神社境内には「富士塚」があるから、それで我慢!、、、、踏切の南側には十条駅が見える。

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、「十条銀座商店街」の中程で、商店街を横切るようにぶつかる。、、、、朝8時半、十条駅に向かうサラリーマン、学生が足早に抜けて行く。

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● 十条銀座を横切って西へ歩く。 北区上十条3丁目に、鮮やかな赤い門のある「聖観音堂」なる小さな堂がある。 中には山下覚道(?)作という中国風の観音像が安置されているそうだが私は見たことはない。、、、、堂の前には、天明3年(1783)銘の大日如来像、延宝5年(1677)銘の青面金剛像の庚申塔などが祀られている。、、、、門の中に浮浪者が侵入して宿泊しているそうだ、それゆえ門は施錠されてる。 参拝する人は門の外から合掌!

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● さらに西へ歩き、環七通りと本郷通りが交差する姥ヶ橋交差点に出てきた。 交差点の角に、「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。 “姥ヶ橋”とは、石神井川用水の稲付川に架けられていた橋で、その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。 この乳母を憐れんで村人が供養のために建てたのが「延命地蔵尊」である。、、、、この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像だ。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘文が刻まれている。

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● 西が丘の、官舎の前をキョロキョロ、公営住宅の団地の中をウロウロ、ナショナルトレーニングセンターの前をブラブラ。 大きな建物ばかりで、首を空に向けて歩き、疲れた!、、、、「西が丘」は、戦後、米軍の管理下で東京兵器補給所、稲付射場などがあった処だ。 返還後は、国立西が丘サッカー場などの公共施設、集合住宅などが建設された。

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● 西が丘を抜け、北区清水町の裏道を歩き、中山道(=国道17号)に出る。

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・・・・・・・・・・ 中山道の地下に都営三田線「本蓮沼駅がある。 本蓮沼駅は板橋区に所在する。、、、、本蓮沼駅は昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、駅名の“本蓮沼”は、本線の計画段階では、駅名の仮称は“蓮沼駅”だったそうだ。 しかし、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅があったため採用されず、昭和36年(1961)までの駅所在地における地名であった志村本蓮沼町より名前を採った。 つまり、♪ 昔の名前で出ています ♪

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2024年3月 4日 (月)

東から西まで

京浜東北線の十条駅から、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅まで、東から東に歩いて西まで、1万3千歩の散歩です。




● 昭和6年(1931)8月1日に京浜東北線の電車のみが停車する下十条駅が開業した。 昭和32年(1957)に下十条駅は町名変更により東十条駅に改称。、、、、現在の東十条駅のホームは地上島式2面3線構造で、中線(2・3番線)は主に東十条止まりの列車が使用する。 改札は北口と南口、どちらも橋上駅舎である。 北口は平成16年(2004)に東側(東十条商店街の側)出入口が改良され、エレベーターとエスカレーターが設置された。

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・・・・・・・・・・ 東十条駅ホームの東側に東北新幹線の高架橋があり、その隣にはかつて下十条運転区があったが、現在運転区は廃止された。 しかし線路は京浜東北線東十条駅構内として残り、現在も京浜東北線の電車の留置に使用されている。

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● 北口正面には、万国旗が頭上ではためく「東十条商店街」が伸びる。 いまの世、万国旗で客寄せする商店街とは、これぞ下町、昭和レトロを感じさせる商店街だ。 この付近には、中国、韓国、フィリピン、ベトナム・・・・東南アジアの人も多いから、万国旗がふさわしいかも?、、、、、朝8時、店は営業前で閉まっているが、通勤通学で多くの人が行き交う商店街

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・・・・・・・・・・ 商店街は800m程で、北本通り(=国道122号)の神谷一丁目交差点で終わる

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● 東十条商店街からチョイト歩くと、環七通りをとおして隅田川に架かる「新神谷橋」がある。 新神谷橋を渡ると、北区神谷から足立区新田に入る。、、、、現在の新神谷橋は、昭和40年(1965)2月12日に開通した。 橋長 153.1m、幅員 20.0m、プレートガーダー橋。、、、、歩行者は橋の両端で、橋上の歩道に接続する急な階段を利用するため、年寄りにはキツイ! もう少し歩行者に優しい橋にしてもらいたいね。

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● 新神谷橋を渡り足立区新田の町に入ると、引き続き、荒川を越える鹿浜橋がある。 「鹿浜橋」は昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.3m、幅20.0m、 ゲルバー式鋼鈑桁 。、、、、橋から見る上流側には、川口のタワマンが一望でき、眺めは良い!

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● 鹿浜橋を渡り終え、鹿浜3丁目、環七通りと平行する北側の裏通り「神明通り商店会」を歩く。 神明通り商店会は、鹿浜の地で50年以上続く昭和の面影を残した商店会です。 平成の時代には装飾街路灯、道路のカラー舗装を完成した。 現在は10店舗の加盟商店で頑張っているそうだ。、、、、寂しくなる商店街、頑張って!

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・・・・・・・・・・ 神明通り商店会の中程に、通り名となった古内天祖神社(神明神社)がある。 古内天祖神社は、鹿浜にある天祖神社だが、創建年代は不詳となってる。 鹿浜村小名古内の鎮守社として祀られていたそうだ。

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● 古内天祖神社の北側に寺の屋根が見えた『チョイト行ってみよう!』、、、、寺は真言宗智山派の医壷山福寿院寶蔵寺であった。 寶蔵寺は、弘安年間(1278~1288)、鹿浜村南部に創建、江戸時代には、末寺8ヶ寺を擁する小本寺格の寺院だった。 寛保2年(1742)以降に当地に移転した。、、、、現在の堂宇は大正14年(1925)に再建されたもので、往時の盛容偲ぶべくもない。 瓦葺き寄棟で唐破風付き、障子の火頭窓があり、古風な佇まいに親しみが持てる。

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● 環七通りと平行に歩き、西新井大師西駅を目指す。 途中、都営 上沼田第3アパート」、「UR 江北六丁目団地の団地を抜ける。

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● 団地を抜けると、尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅がある。 散歩はココまで。

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2023年2月 6日 (月)

赤羽から志村へ

京浜東北線の赤羽駅から西に歩いて、都営三田線の志村三丁目駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 朝8時、赤羽駅のホームでは通勤通学客があわただしく乗降し、駅を出て行く。、、、、のんきにブラブラしてるのは私だけ!(そこそこ健康で、職を持たず、やる事が無い人間はブラブラしてないと時間を持て余すのだ!)

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・・・・・・・・・・ 赤羽駅西口前には、緑と白のおなじみの色に塗られた国際興業のバスがズラリ!、、、、調べてみたら、赤羽駅西口前に発着する国際興業のバスは全部で25路線ある。 近くの赤羽台、桐ヶ丘の団地、高島平の団地など、北区、板橋区の各地から、多くの客をピストン輸送しているようだ。 スゲ~!(私の住む浅草橋は都営バスが一系統走るのみ、完敗!)

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● 赤羽駅から徒歩5・6分、弁天通りの脇に「亀ヶ池弁財天」がある。、、、、昔、赤羽駅の西口一帯に大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていた。 この池は近くの稲付城においては天然の防御であった。 昼なお薄暗く、池には無数の亀が住んでいたそうだ。 現在の亀ヶ池弁財天が祀られている池はその亀ヶ池の名残りといわれている。 今は、地元の有志が木彫の弁天像を創り、近くにある静勝寺の弁天堂の弁財天を勧請している。

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● 赤羽駅前から西へ「弁天通り」を歩く。、、、、2車線の道路だが、国際興業のバスがココにも走っている。

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・・・・・・・・・・ 赤羽西5丁目に「赤羽自然観察公園」がある。 平成15年以降にオープンした公園であるが、園内には民家が移築復原され、昔の農村風景を再現した体験学習施設となっている。、、、、伝統的な藁葺き屋根の民家がある静かな公園

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● 公園の中を抜け、桐ヶ丘団地の近く(赤羽西6)に「善徳寺」がある。、、、、浄土宗寺院の善徳寺は、獅子吼山専稱院と号す。 善徳寺は、享徳2年(1453)江戸城西坪根沢に起立、その後平河町、大船町、馬喰町への移転を経て、明暦3年(1657)浅草新寺町(松が谷1)へ移転した。 関東大震災後の大正14年9月22日、現在地へ移転。

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・・・・・・・・・・ 善徳寺の隣りには、日蓮宗の「大恩寺」がある、、、、大恩寺は、寂静山と号す。 大恩寺は、寛永元年(1624)根津神社横に創建したが、明治維新後現在地へ移転した。、、、、境内は近年に大規模に整備したらしく、古き寺の風情はない。

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● 都営桐ヶ丘アパート34号棟(桐ヶ11)の南、都の敷地内と思われる所に小社「末廣稲荷大明神」がある。、、、、説明板には、『末広稲荷大明神設置の由来   京都の伏見稲荷大明神を本山に載くこの稲荷は、明治の初めから昭和二十年の終戦まで旧陸軍がそ有しておりました。 明治五年 赤羽郷に兵器支廠赤羽火薬庫が完成し、火薬庫の災難除けに稲荷神社を祀り、毎年初牛の日にお祓いをうけ無事を祈願していました。昭和二十年に終戦を迎え、火薬庫跡地は、海外引揚者や戦争被災者の住居用として転用され、稲荷神社も軍所有から桐ヶ丘氏子会へと移転されました。 その後、団地計画に伴い神社敷地が狭められたため、現在地に移転されました。以来近辺の守護神として鎮座しています。  平成二十六年五月吉日  鳥居奉納 末広稲荷神社 桐ヶ丘氏子会 総代 大橋ミツ』と、書かれてる。

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● 志村坂上で中山道(=国道17号)を横断し、板橋区志村の町に入る。

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● 志村坂上の凸版印刷工場群の西側に、真言宗豊山派寺院「見次山 松寿院 延命寺」がある。 延命寺は、大永4年(1524)に志村城が落城した際、見次権兵衛が庭先でわが子の討たれる姿を見て、戦国の無情を感じ、居宅を寺として創建したと伝えられます。、、、、手入れの行き届いた綺麗な寺。 寺には、昔徳川吉宗が、荒川の方に猟に来たときに、滞在したそうだ。

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● 延命寺の方から坂を下って行くと都営三田線の「志村三丁目駅」がある、、、、昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線の最初の区間である巣鴨~志村(高島平)間が開業した時に設けられた駅。(
開業前の仮称は「志村四丁目」だった) ホームは高架相対式2面2線構造で2階にある。、、、、改札口、出口は1ヶ所のみ。 駅前は少し狭く、ごちゃごちゃした雰囲気。

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2023年2月 5日 (日)

十条ブラブラ

京浜東北線の東十条駅から西へ、埼京線の十条駅前を通り商店街を歩き赤羽駅まで、9千歩の散歩。 朝の食事で、私が『今日は東十条駅から西へ向かって歩いてくる』と一言。 『一緒に行く!』と妻の返事。、、、、東京生まれ、東京育ちの妻だが、東十条、十条、赤羽の三駅ともこれまでに下車したことがない、奇特な人間である。




東十条駅北口(山側)に出る。 、、、、崖の上の駅舎を出ると、妻はビックリ『こんなとこに駅があるの!』(驚くほどのことではない!)

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● 駅の西側に2車線の旧岩槻街道(=都道460号)が通ってる。 この道路に面して、地元では「おふじさん」の名で親しまれている「十条富士神社」がある。 神社には社殿が無く、道路際に石の鳥居があり、すぐ後ろには高さ6m程の富士塚があった。(2019年撮影の写真参照)、、、、今日、神社に寄って見たら、神社の境内は旧岩槻街道の拡張工事で鳥居も富士塚も消えていた。 どうやら、富士塚が邪魔して拡張できなかったようだ、一旦富士塚を取り払い、拡張する道路脇に再整備してる。 つまり、チョイトばかり富士塚の移転である。 最近では珍しい工事かも!

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● 旧岩槻街道から十条駅に向かう、下町の匂い漂う道幅の狭い「演芸場通り」を歩く。 平成10年までは「十条中央商店街」と呼んでいたが、商店街中程にある大衆演芸場の人気に因み「演芸場通り」と改称したそうだ。、、、、妻の疑問『こんなところに演芸場があるの?』(なぜここにあるかは知らねども、この地元に愛される大衆劇場だ!)

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・・・・・・・・・・ すでに、劇場前には数人の客が開場を待っていた。 演芸場前の狭い道幅、この狭さが下町だ、最高!、、、、演芸場のポスターもチョイト撮影、、、、妻の質問『この座長さんたちはテレビにでてるかしら?』(俺は、知らん!)

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● 演芸場通りの西端は埼京線の「十条駅」、、、、十条駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、それぞれのホームに改札口がある。 またそれぞれのホームを連絡する跨線橋もある。、、、、明治38年(1905)6月10日、日本鉄道の十条駅(初代・貨物駅)が開業したが、翌年廃止となる。 明治43年(1910)11月1日、国鉄の駅として2代目の駅が開業し、現在に至る。、、、駅前の仮囲いを見て妻曰く『なんの工事?』(私の応えは、タワーマンションの工事だ! ついでに、十条駅は高架駅になるらしいよ!)

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・・・・・・・・・・ 十条駅の植え込みに「駅開業70周年記念碑」(昭和55年建立)の動輪が置かれている。

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● 駅前からは「十条銀座」商店街を歩く。、、、、妻の目が輝き、一言『浅草橋より住みやすそうね!』(浅草橋の商店街は、50年前に無くなった!)、、、、妻は花器を買って、ニッコリ!(楽しそう)

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・・・・・・・・・・ 十条銀座の北端からは、アーケードのない「富士見銀座」商店街が続く。

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● 十条の商店街を抜けると、埼京線の西側、高台の住宅地を歩き「赤羽駅」に到着。

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・・・・・・・・・・ ちょうど、ランチタイムとなりました、ハイ、ココまでよ!(昼食はイタリアン、妻はニコニコ)

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