北区

2019年11月 1日 (金)

我が家は浸水するか?

赤羽駅の北東、荒川の岩淵水門の近くに在る「荒川治水資料館」(北区志茂)に行ってきた。 一昨日、電車が動いておらず、行けなかったので、今日となった。 JR赤羽駅から脇目も振らずに歩けば20分程で行けるが、神社・地蔵様・美女に脇見しながら歩いて40分程である。




●キョロキョロ、脇見しながら歩く! ・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・今日は『どこで降りようか?』と迷うこともなく赤羽駅で下車。 これから出社する通勤客で駅は人・人・人の流れ、その流れに逆らい駅前に出る。、、、、これより、岩淵町を通り志茂、脇見しながら向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅近くで、気になった築50年のビル。 駅前の雑居ビル「赤羽パレスビル」は昭和45年(1970)の建物。 なぜか、キャバレーを思い出す名前に引かれた!、、、、もう一つは、昭和44年(1969)築、ツタの絡まるマンション。 間取り“2k”で家賃は6万円前後らしい、安いね!

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・・・・・・・・・・・・・・八雲神社の南側(北区岩淵町22)、住宅の塀の前に、チョイト風化した三基の石塔が並んでいる。 きれいな花が供えられている。、、、、右側に、寛保3年(1743)の庚申塔、「奉造立庚申供養塔」と彫られ、下部に三猿がいる。 中央は、元禄6年(1693)の庚申塔で、「奉待庚申供養二世安楽処」と彫られ、下部に三猿がいる。 左側は、 天保15年(1844)の巡禮供養塔である。

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・・・・・・・・・・・・・・岩淵町の八雲神社にも手を合わせて行く。 八雲神社は、荒川堤防の南側近くに鎮座する。 この神社は、江戸時代、日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守社であった。 祭神には須佐之男尊が祀られている。 創建年代は不詳。、、、、今日は、拝殿前の黒塗りの賽銭箱(昭和2年製)、天水桶(明治37年製)の古さに感動!、、、、ついでに、境内社の水神社。 こちらは、石造りの小さな社であるが、正面扉部分には「水神宮」「岩渕本宿」と彫られ、横には寛政12年(1800)とある。 凝った造り、古い社である。

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・・・・・・・・・・・・・・新河岸川に架かる新志茂橋の際、護岸の前に、シュールな地蔵尊が立っている。 由来には『この地蔵は 昔水難事故が多く供養のため 地元有志により建てられました』と書かれているが、“昔”ていつ? “水難事故”て何?、、、、固有の名もないこの地蔵、身体は石で、顔は木製のこけし。 チョイト、気持ち悪いね!

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・・・・・・・・・・・・・・地蔵尊の前には、昭和10年(1935)に建てられた、木造2階建ての洋館がある。 黒田機器株式会社の事務所棟である。

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●19号の爪跡残る荒川 ・・・・・・・・・・・・・荒川と新河岸川を隔てる土手上に荒川治水資料館がある。 近くには、隅田川が荒川から分岐する岩淵水門もある。 赤い水門は旧岩淵水門で、水門の機能なし。 青い水門は、現在の岩淵水門

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、荒川治水資料館で掲示されていたこの写真をご覧あれ、平常時と先の台風19号時(2019年10月)の岩淵水門付近の航空写真。 台風時には、荒川の川幅いっぱいに水が流れ下っている。、、、、しかし、新河岸川と隅田川の水位は大きく変化していない。水門を閉じた効果が出ているようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・今日、荒川土手の河川敷は、流木、泥で公園としての機能は停止。 車が通ると土埃が舞い上がる。 河川敷の泥は水で流し、流木は撤去。

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・・・・・・・・・・・・・・土手を歩いた後は、荒川治水資料館に行き。 我が家が洪水で水没しないか? パネル・写真をジックリ見ながら学習してきた。、、、、老いて学ぶは呆け防止!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その1、、、、普段、荒川と隅田川の水位はほぼ同じであるが、19号の時は荒川の水が隅田川に流れ込まないように岩淵水門を閉めたそうだ。 その結果、ピーク時には荒川の水位は7m以上に上昇したが、同時刻の隅田川の水位は1m以下で水位差が5.5m以上あった。 水門を閉めると、荒川の水が隅田川に流れ込まないことを確認できた。、、、、イザと云う時に、閉め忘れしないでね!
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その2、、、、我が家のある浅草橋付近は、資料館のパネルでは標高3m程で、満潮時には高潮の脅威にさらされる可能性がありそうだ。 ちなみに、散歩の帰り浅草橋駅付近の標高を確認したら3.7m。 これくらいなら、まあ床下浸水程度かな!

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・・・・・・・・・・・・・・学習効果その3、、、、もし、ここ岩淵水門で荒川の堤防が決壊したら、北区、荒川区、台東区、中央区は浸水が想定されている。 我が家の付近は0.5~3.0m程の浸水となりそうだ。、、、、3mなら我が家の3階に逃げればOK! 『油断大敵、今夜はビフテキ!』
・・・・・・・・・・・・・・学習効果その4、、、、もし、荒川が氾濫するとしたら、京成本線の荒川橋梁(京成関屋~堀切菖蒲園間)の付近はヤバそうだ! この付近の“現況堤防高”は、本来防災上必要と想定される“必要堤防高”より、地盤沈下のため3.7m程低い位置にあるそうだ。 同様なケースは四ツ木橋、西新井橋などであるも生じている。 この辺は、大雨の時に要注意!、、、、早いとこ、橋を架け替えてもらいたいね!




●安心した気分! ・・・・・・・今日の散歩で、台風への心構え、洪水の基礎知識はOK? 安心した気分になってしまった! 自分に言い聞かせる、『油断してはダメだ!』、、、、1万1千歩の散歩でした。

2019年10月 5日 (土)

近藤勇の滝野川

京浜東北線王子駅から石神井川沿いに歩いて埼京線板橋駅まで、10月だというのに熱中症に注意して、1万歩の散歩です。




●最古の駅!・・・・・・・京浜東北線(東北本線)の王子駅は、日本鉄道上野駅~熊谷駅間の開業時に、上野駅の次の駅として同時に、明治16年(1883)7月28日に開設された。 現在の東北本線で最も古い駅の一つである。、、、、築堤上に島式ホーム1面2線を有する高架駅で、改札口は北口・中央口・南口の3ヶ所。 駅前ロータリーがあり、バス停があり、地下鉄の出入口があるメイン改札は北口の東側である。 今日、私が利用したのは北口の西側、音無親水公園に出る通称:親水公園口である。 土曜日なので通勤客は少なく、改札も楽に通過!

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●痒い痒い公園! ・・・・・・石神井川は、小平市の東部を源にして王子駅の下を流れ隅田川に注いでいた。 北区付近では“音無川”と呼ばれ、古くからの春の桜・夏の青楓と滝あび・秋の紅葉など四季を通し、行楽・景勝の地として親しまれてきた。 しかし戦後は、生活排水などで汚れた臭い川となり、洪水の危険度も増したため、昭和30年代から改修工事が行われた。 石神井川の新ルートとしては、音無橋の上流側から飛鳥山の下をトンネルで抜け隅田川へ流れていくようになった。 音無橋から王子駅に至る旧ルートは、昭和63年(1988)に音無親水公園として整備された。、、、、親水公園となって約30年、流域はゴツゴツした石に苔がへばりつき、あちらこちらに誰が捨てたかビニール袋、渓谷のように造られた薄暗い公園で遊ぶ子供は一人もいない。 もう少し、日常の手入れに努め、明るい公園にすると良いと思うね! 写真を撮っていたら、やぶ蚊にヤラレタ、手も足も痒くて痒くて、ウナコーワでも、キンカンでも、何でもいいから塗ってくれ!

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・・・・・・・・・・・・・・公園の上に架かる音無橋。 昭和5年(1930)、隅田川に架かる白鬚橋を設計した橋梁技術者:増田 淳の設計、総工費149,976円也で造られた、コンクリート製三連アーチ橋。 橋の中程には半円形のテラスが設けられ、モダンな照明もある優美な橋。

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●水子の寺! ・・・・・・・北区役所庁舎と石神井川を挟み向かい合う浄土宗の正受院(北区滝野川2)  思惟山浄業三昧寺と号し、正受院は不動即我の密法を修していたという僧学仙房(弘治3年(1557)寂)が、霊夢によって武蔵国に来てこの寺を創建したと伝えられている。、、、、本堂は新しそうだ! 昭和の建築かも?

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・・・・・・・・・・・・・・参道に建つ鐘楼門は、明治35年(1902)建造の竜宮門形式の山門。下部は大谷石造り。

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・・・・・・・・・・・・・・正受院は、一般に「赤ちゃん寺」として知られており、嬰児や水子のための納骨堂である慈眼堂がある。 慈眼堂は平成になって建て替えられた赤子供養仏堂。 赤ちゃん寺の名の由来は、江戸時代から札所として独立した観音堂を持っていたことから、昭和23年の衛生保護法施行を機に、同29年(1954)頃に都衛生局と赤子の納骨供養をする寺として話がまとまったことによるそうだ。 慈眼堂の他に、赤ちゃんの供養塔:地蔵大菩薩の銅像、六地蔵などもある。、、、、私には、嬰児も水子もいないが、念ごろに手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前に、幕末択捉島を探検した近藤守重の武者姿の石像がある。 間宮林蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれた。 現在の千島列島から北海道までの蝦夷地を探検し、エトロフ島に「大日本恵土呂府」という標柱を建てたのが近藤守重である。 守重は明和8年(1771)江戸町奉行与力の次男として生まれ、家督を継いで、通称を重蔵、号を正斎と称しました。 寛政10年(1798)、幕府から蝦夷地の調査を命じられ、北方交易の海商高田屋嘉兵衛の協力で、石像のように、甲冑に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽くした。 文政5年(1822)から9年までの4年間を正受院の東隣に、瀧野川文庫という書斎を設けて住んでいた。 石造近藤守重坐像は、この記念に、江戸派の画家として著名だった谷文晁に下絵を依頼して製作したと伝えられている。

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●橋の向こうに紅葉の寺 ・・・・・・石神井川に出て川沿いを歩く。 紅い欄干の紅葉橋(もみじばし)が見える。 この橋は、大正4年(1915)に初代の木橋が架けられた。 王子・滝野川間の交通のため、地元の商人が府知事の許可を得て、ここに賃取橋(有料橋)を架けたのが始まりである。 橋名は、橋の南詰にある紅葉寺(金剛寺)に由来する。、、、、深いコンクリート護岸が続くのは、チョイト味気ないね!

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●弁天様だけ堂の中! ・・・・・・・紅葉橋南詰(滝野川3)、真言宗豊山派寺院の金剛寺がある。 瀧河山松橋院と号す。 金剛寺は、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177~1181)に源頼朝がこの辺りに布陣したとも記されている。 寺は紅葉の名所であったことから「紅葉寺」とも呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・・・金剛寺の弁財天は、岩屋弁天、松橋弁天とも呼ばれ、多くの信仰を集めたそうだ。 弁天堂の参道には、弁財天を除く七福神6神の石仏がある。、、、、また、山門脇には石造の仁王像もある。

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●かつては軍用鉄道橋! ・・・・・・紅葉橋の上流に架かる滝野川橋。 ここには、かつて軍用鉄道橋「西高橋」が架かっていたそうだ。 現橋は昭和36年(1961)3月完成。

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●近藤勇の菩提寺! ・・・・・・石神井川の左岸(滝野川4)の裏道を歩くと、真言宗豊山派寺院の寿徳寺がある。 南照山観音院と号す。寿徳寺は、建保2年(1214)早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で観音像を水中から拾いあげ、 これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのに始まると伝えられている。 本尊は、谷津子育観音と親しまれているらしいが、秘仏となっており拝見できず。、、、、寿徳寺は、新撰組の近藤勇、および隊士の菩提寺でもあり、境外寺地には、谷津大観音、近藤勇と新撰組隊士供養塔があります。

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・・・・・・・・・・・・・・寿徳寺の山門前から石神井川に出ると観音橋の脇に、寿徳寺の住職が建てた、台座を含め高さ7.7m程の谷津大観音が座している。 観音様は平成20年(2008)12月開眼供養が行われた。、、、、ちなみに、この観音像の原型を製作したのは、仏師:渡邉雅文氏である。 お顔を拝見したことはないが、何となく、私と兄弟のような気がするね! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、観音橋の全景をどうぞ、、、、

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●元気出して! ・・・・・石神井川の散歩は観音橋で終わり、ここから南に折れ板橋駅に向かう。 国道17号(中山道)を横切り、「きつね塚通り」を抜け板橋駅前に出る。、、、、この商店街も寂れてきたようだ! 『客がコン・コン』では困るね、元気出して!

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●首はどこに行った? ・・・・・・板橋駅に到着。 駅の正面に寿徳寺の境外墓地(滝野川7)がある。 境外墓地と云うより、そのものズバリ、新選組の近藤勇の墓がある。、、、、新撰組局長として幕末に活躍した近藤勇は、慶応4年(1868)板橋刑場(板橋駅の近く)で処刑された。 函館で戦死した土方歳三をはじめ新撰組隊士と共に、駅前に墓が建てられています。、、、、ところで、近藤勇は斬首の刑を受け、首は京都に晒され、胴は滝野川の無縁塚(現在地)に葬られたそうだ。 京都に行った“首”は、その後どうなったのか? 足が無いので、東京に戻れなかったのか?、、、、墓碑は近藤勇、土方歳三のほか殉死した隊士の供養のために、新選組隊士永倉新八が発起人となり、旧幕府典医松本順の協力を得て明治9年(1876)に建てられた。

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●駅が変わる! ・・・・・・埼京線板橋駅では東口(滝野川口)に5階建ての駅ビルを建設中。 只今、内装工事中のようだ。、、、、線路の反対側、西口(板橋口)では、JR用地と板橋区用地があり、2つの用地を一体化して35階建ての超高層を建てる予定らしい。

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2019年9月 2日 (月)

遊園地は煉瓦工場の跡地

なんだかんだ言って、結局“夏風邪”の完治に2週間かかった。 最初は簡単に治る思った夏風邪であったが、後半は夏風邪と言うより蓄膿症のようであった。 どうにかこうにか、今日は鼻水・咳も止まり好調である。 

JR京浜東北線上中里駅で下車し、都電の梶原停留場、「あらかわ遊園」、都電の小台停留場と歩き、西尾久二丁目バス停からバスに乗る。 1万1千歩。




●危ない危ない、捕まりたくない! ・・・・・・京浜東北線の上中里駅で下車する。 相変わらず乗降客の少ない駅。、、、、駅前で、ロー・アングルでカメラを構えたら、ちょうど近くの女子高生がゾロゾロ、危うくヤバイ写真を撮るところだった。 誤解しないで、『おじさんは、女子高生に興味ナシ!』

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●銀座の店はまだ寝てる! ・・・・・・・上中里駅から梶原銀座商店街に向かう

・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から、上中里2丁目の細い道を抜けていく。、、、、キョロキョロしながら迷路のような裏道を歩くと、早朝の泥棒と間違えられそう

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・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切の正面に出る。 梶原踏切は東北本線、高崎線、宇都宮線、上野東京ラインなどが引切り無しに通過する。 踏切の脇にはエレベーター付きの歩道橋があり、高齢者、身障者に優しい配慮。 踏切待ち時間は、関係ナシの二人!、、、、踏切を越えると、明治通りまでは「上中銀座」と称する商店街だが、店は少なく、寂しい!

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・・・・・・・・・・・・・・明治通りを渡り、都電荒川線梶原停留場付近で、「梶原銀座商店街」(北区堀船3)に続く。、、、、地元密着型の商店街、朝8時半、まだ寝ているようだ!、、、、ここで問題です、『北区には、〇〇銀座商店街はいくつある?』


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・・・・・・・・・・・・・・梶原銀座商店街の中程に祀られている愛宕地蔵尊。 江戸時代のこの辺りを所領していた旗本水野家が勧請したもので、元は本郷の屋敷に在ったのを、この地の小泉家が勧請したと伝えられている。 この地蔵尊は眼病平癒と、火除けの祈願仏として信仰されているそうだ。、、、、小泉家が勧請したのはクリステルではなかったか?

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・・・・・・・・・・・・・・ クイズの答え(“〇〇銀座商店街”の“商店街”は省略)、、、、赤羽地区には、志茂銀座、浮間銀座、神谷銀座の3商店街。 王子地区には、王子銀座、東十条銀座、梶原銀座、十条銀座、十条富士見銀座の5商店街。 滝野川地区には、上中里銀座、田端銀座、霜降銀座、西ヶ原銀座、滝野川銀座の5商店街。 北区には合計13の銀座商店街がある。 数えてみると結構あるもんだ!



●本堂の上に八角堂とは? ・・・・・・梶原銀座商店街の北側、隅田川岸に白山神社とその別当寺であった福性寺がある。

・・・・・・・・・・・・・・白山神社創立沿革などは、神仏分離の際、古文書類をことごとく紛失し、由緒不明。 言い伝えによると源義家奥州に出陣の際白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京に帰ったと云われている。 当社は当時、梶原の鎮守として敬われた。 別当寺は北隣の福性寺。、、、、社殿は昭和47年(1972)に再建された。、、、、現境内は550坪程の広さがあり、雑草が元気よく生えている。 駐車場にすると儲かるかも?


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・・・・・・・・・・・・・・白山神社の北隣に神社の別当寺であった、真言宗豊山派の福性寺がある。 寺は、白王山と号し、寛永2年(1625)の創建と。、、、、現本堂と本堂屋上の八角堂は昭和39年(1964)に建てられた。


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●60年前の車両とご対面! ・・・・・大正2年(1913)、王子電気軌道三ノ輪(現:三ノ輪橋駅)~飛鳥山下(現:梶原駅)開業に伴い船方車庫として開設した。 その後、名称等の変更もあり、現在は荒川電車営業所として、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地や車庫・保守基地を擁している。 車庫の前には、「荒川車庫前停留場」があり。 、、、、ここにいると、たぶん都電の全車両が見られることだろう! 


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・・・・・・・・・・・・・・停留場の前に車庫がある。、、、、大部分の車両は稼ぎに出ているため、車庫に残るは数両のみ。

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の片隅に止められていた6086号車両。 6000形は、昭和22年(1947)から昭和27年(1952)までの6年間に290両が製造された戦後の新造車両である。 、、、、ちょうど、私が中学・高校と都電で通学していた時期に大活躍した車両だ、ひょっとしたら60年前に乗った車輛かも?

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の脇には「都電おもいで広場」として、5501号7504号車両が保存展示されている。、、、、この車両も懐かしいね! 停留場名の表示灯も、これまた懐かしい!

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川車庫から500m程北東に位置する「あらかわ遊園」
の脇に、前照灯が一つの「一球さん
」と愛称がついている6000形車両が保存されている。 懐かしのグリーンとクリーム色の塗装は、私が通学時の車体の色、都電通学していた頃の思い出が頭の中を横切り嬉しくなった。、、、、あらかわ遊園は只今改装工事中、一球さんは工事現場の中で近づけません!

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●煉瓦工場の町 ・・・・・・白山神社がある北区堀船、あらかわ遊園のある荒川区西尾久、この付近は隅田川の水運に恵まれ、原料の荒木田土が採れることから、明治時代、多くの煉瓦工場が創業した。 この付近では、その名残の煉瓦塀、煉瓦蔵が随所に見られる。 モルタルで補強したのか、割れ目からチラリと煉瓦の見える塀もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「あらかわ遊園」西側に、大正11年(1922)まで「廣岡煉瓦工場」があった。 そのオーナーであった廣岡幾次郎(1859(安政)~1932(大正))が寄進した煉瓦造りの船方神社の神輿庫。 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・かつて煉瓦工場であったあらかわ遊園を囲むように、大正11年(1922)の遊園地開園時に造られた煉瓦塀。 総延長300m程が造られ、現在は170m程が残されている。、、、、なお使用されている煉瓦には、小菅集治監製の煉瓦もあるそうだ!

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●お帰りです! ・・・・・・・小台停留場前をとおり、西尾久二丁目からバスで帰宅。

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2019年5月17日 (金)

お鼻ピクピク花電車

上野から並行して北上する京浜東北線(近距離電車)と東北本線(中・長距離列車)は、西日暮里駅を過ぎると両線の間の距離を広げ、京浜東北線は田端駅・上中里駅を通り王子駅に向かう、東北本線は尾久駅を通り王子駅付近で京浜東北線と交差し再び並走する。 この両線が広がった間には、北区上中里2丁目と同区栄町の町がある。 またJRの尾久車両センターもある。 今日は上中里駅周辺の東北本線を横断する、地下通路、踏切、跨線橋を見てきた。 上中里駅で下車し、上中里2丁目・栄町を歩き尾久駅へ。 尾久駅からは都電荒川線の小台停留場まで歩いてきた。 9千歩。




●電車ギュウギュウ、駅ガラガラ! ・・・・・上中里駅は京浜東北線の駅で、昭和8年(1933)7月1日に開業した、島式ホーム1面2線の地上駅。 出入口(改札)はホーム南端の橋上駅舎に一か所あるのみ。 当駅は23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)に次いで少なくワースト2。 乗降客数は一日平均1万5千人程。 駅は武蔵野台地の斜面部分にあり、駅の南西側は台地上に出る、北東側は駅外の跨線橋を渡り台地の下にでる。、、、、今日は台地下の上中里2丁目の町を歩く。

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●幹線道路から外れた静かな町 ・・・・・・上中里2丁目を歩く

・・・・・・・・・・・・・・跨線橋を渡り終えると線路脇の道路沿いに上中里庚申堂がある。 祠に入った庚申塔以外にも、寛文5年(1655)の年代が読めるものなど、数基の庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から細い裏道を歩く学生らしき人の列が、目に入る。 外人も多い。 これは何だ? しばらくすると、最近ニュースで名が知れた大学の建物へ入っていく。 納得、留学生だった!

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・・・・・・・・・・・・・・どこも、一車線一方通行の道。 車も少なく静かな町。

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●見晴らしバツグン跨線橋! ・・・・・・東北本線(中・長距離列車)の線路を横断する地下道・踏切・跨線橋。 王子寄りから順に・・・・

・・・・・・・・・・・・・・まずは、栄町にある広町地下通路。 後述する梶原踏切から王子駅側に250m程寄った処に地下通路はある。 鉄筋コンクリート造の出入口で、通路幅も狭い。 通路の両出入口は線路脇にあり、どちらも人通りの少ないと思われる場所にある。 夜は痴漢・強盗にご用心。、、、、名称「広町」の由来は不明。 地下通路の完成年度も?

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、一般車両の横断も可能な梶原踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏み切り同様、開かずの踏み切りとなるので、すぐ横に、両端のエレベータで上下し、人が渡ることのできる跨線橋「上中里さわやか橋」がある。 お年寄りは跨線橋を利用して横断しよう!、、、、跨線橋からは尾久車両センターも見渡すことができる。 京浜東北線の頭上を走る東北新幹線も遠望できる。 鉄道オタクには、嬉しい跨線橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・3番目は、尾久車両センターを横切る長~~い地下道、その名は「尾久構内架道橋」。 “地下道”なのに“架道橋”とは是如何に? 鉄道用語で、線路の下を抜ける通路をガードと呼び、「架道橋=ガード」である。、、、、尾久構内架道橋は上中里2-5付近から車両センターの下にもぐり、尾久駅の脇に出る、全長約150mのお地下通路。 通路の途中には、施錠されているが車両センターの構内に出られる鉄扉がある。

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・・・・・・・・・・・・・・尾久駅は昭和4年(1929)6月20日開業した。 駅の所在地は北区昭和町、地名の尾久(西尾久、東尾久)は荒川区にある。 読みも、駅名は“おく”、地名は“おぐ”。 ややっこしい~

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●お鼻ピクピク花電車 ・・・・・・荒川区西尾久5丁目の町を抜け、都電荒川線小台停留場付近に出た。 軌道の両側にはバラが見事に咲いている。、、、、香りも期待し、鼻をピクピクしてみたが、鼻づまりなのか匂わない。 バラの匂いが漂うと、より嬉しかったが、チョイト残念だ!、、、、今日は都電に乗って帰る!

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2019年5月11日 (土)

惚けて渡った新田橋

なぜか私を狙い撃ちしている“風邪”。 いまだに治らず、歩いていても時折ティッシュの世話になる。 今日の散歩は東十条駅で下車し、豊島橋、江北橋を渡り、日暮里舎人ライナー江北駅まで歩くつもりで家を出た。 東十条で下車し、予定通り歩きはじめたが、途中、どこで間違えたか新田橋、鹿浜橋を渡り、西新井薬師西駅までの散歩になった。 そろそろボケが始まったのか? 1万3千歩




●演歌の商店街 ・・・・・東十条駅北口(橋上駅舎)から京浜東北線の東側に出ると、駅前と北本通りを結ぶ「東十条銀座商店街」が伸びている。 早朝の商店街はどの店も営業準備中。 足早に駅へ向かう人とすれ違う。

・・・・・・・・・・・・・・平日でも乗降客の少ない東十条駅、土曜の朝は閑散としている。 駅隣の留置線(下十条運転区)では、出番のない電車が待機中。

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・・・・・・・・・・・・・・北口正面には、万国旗で迎える「東十条商店街」が伸びる。 近頃少なくなった万国旗の飾り付けは、やはり下町の昭和レトロ商店街を感じさせる。 ところが商店街を歩いて判った、この付近、東南アジア系、南アメリカ大陸系の人々が多く定住し、まさに万国旗がふさわしい飾り付けの商店街だった。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程に、演歌専門のレコードショップがある。 こちらの店頭では、年に200回程、演歌歌手による「唄とサイン会開催」が開かれている。、、、、何年か前、ビール箱の上で歌う水森かおりを拝見したこともあった。 いまでは、ご当地ソングの女王となり、チョイト近寄れないかな? でも、応援してます!

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・・・・・・・・・・・・・・レコードショップとは商店街を挟み反対側のビルの中に「見守地蔵尊」が祀られてい。 戦争で焼け野原になった後、平和を願い上野の寛永寺より譲り受けたお地蔵様。 レコードショップに来た演歌歌手により奉納された堤灯が並び、そこには、有名になった歌手の名前をみつけることができる。、、、、丘みどりは私も好きだ、杜このみは可愛い娘、大沢桃子は浅香光代のお弟子さん。

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●・・・・・・・・・・・・・王子・王子神谷・志茂・赤羽岩淵の順に地下に東京メトロ南北線を通す「北本通り」にでた。

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・・・・・・・・・・・・・・南北線王子神谷駅出入口(庚申通り商店街入口)の脇、屋根の下の祠に「庚申塔」が祀られている。 祠の中は暗くて見えずらいが、かろうじて板碑型の塔の一部が見えた。 説明文によると、中央に「奉供養庚申二世成就所」、右に「武州豊嶋之郡馬場村」、左に「寛文九己酉天十月吉日」の彫があるそうだ。、、、、庚申塔を大切にするのは良いことだが、見えないと面白くないね!

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●中世の豪族:豊島氏が建てた寺 ・・・・・・庚申通り商店街を抜けると北区豊島7丁目、真言宗豊山派の医王山清光寺にぶつかる。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重が再興した。、、、、寺の裏には、かつて「馬場の渡し」と呼ばれた、隅田川の渡し船があったそうだ。 「新田橋」ができ廃船となった。

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●木製にあらずコンクリート製 ・・・・・・・・・・・・清光寺の裏(北側)に、北区豊島と足立区新田を結び、隅田川に架かる「新田橋(しんでんはし)」がある。 橋長:114.0m、幅員:9.0m、昭和36年(1961)3月に竣工した5径間単純鋼桁橋。 木橋時代の橋脚をデザインした珍しい橋である。、、、、今日の散歩は、この橋を渡ることは考えておらず、清光寺から東へ向かい豊島橋・江北橋を渡るつもりであった。 ところが、惚けたか? そんなことは頭の中からすっ飛び、新田橋を渡ったため、この後鹿浜橋を渡ることとなった。 どうせ散歩、右だ左だ、東だ西だ、どうでもいいや!
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●なぜか、暑い! ・・・・・・新田橋を渡りチョイト歩くと、荒川に架かる環状七号線の鹿浜橋である。南岸の足立区新田と北岸の足立区鹿浜をつなぐ橋として、昭和40年(1965)に開通した。 橋長は451.3m。、、、、橋を渡っている頃の気温:22℃であったらしい、暑くて、風邪が悪化し熱が出たのかと心配になる。 橋を渡り、鹿浜の交番で寒暖計を見て、チョイト安心したね!

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●環七通りを行く! ・・・・・・鹿浜橋を渡ると、環七通りをひたすら歩き日暮里舎人ライナー西新井大師西駅を目指す。

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2019年5月 2日 (木)

令和初の散歩は・・・

なにをやっても「令和初の・・」が頭につく、めでたい2日目。 いまにも降ってきそうな空模様の朝、「令和初の雅万歩・・・・ 今日はどこに行くの?」妻の問いに、「電車に乗ってから降りる駅を決めるよ!」と応えて家を出る。、、、、令和初の雅万歩は、川口駅から錫杖寺に寄って、赤羽駅までの1万2千歩となった。(川口は、特に“令和”とは関係なし)



●令和初の宿場は ・・・・・京浜東北線川口駅東口に出る。 駅前のペデストリアンデッキで、どちらに向かうかキョロキョロ、上から眺め「川口本町大通り」を歩くことにした。、、、、「本町」は、かつて川口宿が所在した地で川口の中心街であった。 今は、駅周辺に大きなマンションが並ぶ町だが、過去には発砲事件があったそうだ。 歩いてみると、東南アジア系の飲食・エステ・マッサージの看板が目に入ってくる。

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●令和初の町歩きは ・・・・・・本町とその周辺に残るレトロな建物。

・・・・・・・・・・・・・・W邸、、、、昭和初期頃の建物か? 

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・・・・・・・・・・・・・・某宗教団体の教会だったが今は使われていないようだ。 昭和の建物。

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・・・・・・・・・・・・・・芝貞鋳工所、、、、こちらも古そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・バーバーオバタ、、、、元は4軒程の長屋だった。 以前は隣りにも似たような長屋の建物があった。

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・・・・・・・・・・・・・・銅板建築の福田屋洋品店旧江嶋屋履物店(右)、、、、昭和11年(1936)頃の建物、、、、店の前の本町大通りの植え込みの中に「川口町道路元標」が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・・錫杖寺山門前の本町二丁目会館、、、、町内会の会館にしては立派な木造建物、昭和15年(1940)築。、、、、会館の横に、明治39年(1906)に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡がある。 現在は、欄干しか残されていないが、石造アーチ型橋の遺跡。

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●令和初の神社は ・・・・・・川口市金山町に鎮座する川口神社。 川口神社は、平安時代の天慶年間(940年頃)、武蔵一の宮大宮の氷川神社より分祀勧請し、「氷川社」と称していた。 川口町の鎮守社で、明治6年(1873)に村社に列格、明治27年天神社を合祀、明治42年に、旧川口町内に鎮座していた天神社、稲荷社(三宇)、金山社を合祀、川口神社と改称した。、、、、都会の神社としては広く緑の多い境内に、多くの祭神が祀られている。、、、、何でも叶えてくれそうな、オールマイティの神社だ!

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●令和初の寺院は ・・・・・本町2丁目にある、真言宗智山派寺院の錫杖寺(しゃくじょうじ)は、宝珠山光照院と号す。 錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと云われている。 後、鎌倉長楽寺を開創した願行上人が再興、寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備された。 江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していた。、、、、現本堂は、堂々とした鉄筋コンクリート造でチョイト味気ない。

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●令和初の橋は ・・・・・北区岩淵町と川口市舟戸町との間に架かる新荒川大橋。 国道122号(北本通り)を通す。 初代の橋は昭和3年(1928)に開通した。 現在の橋は昭和41年(1966)に開通した2代目で、構造は桁橋で橋長は673.957m、幅員は7.25m。 昭和45年(1970)に平行して新橋を架設し(橋長792m、幅員7.25m)、旧橋を下り線に使用している。 橋は荒川と新河岸川(隅田川の上流)に架かる。、、、、大きな橋は、トラック、バスが横を通ると、かなり揺れるが、この揺れを感じると私の足はすくむのだ。 学生・社会人として、建築・土木に携わってきた私は、理屈では壊れないことを知っているが、高層と揺れには弱く、怖い! 今日は祝日だからか、交通量は少なく橋の揺れも感じることなく渡ることができた。 令和初の恐怖を体験せず、ホットしたね!

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●令和初の壁画は ・・・・・・国道122号(北本通り)が国道311号(環八通り)にぶつかる赤羽交差点の角に、週刊新潮でお馴染みであった谷内六郎の壁画がある。 この壁画のある建物は元「金竜堂書店」という書店であった。 50年ほど前のある日、青山付近を歩いていた書店の御主人が青山の「山陽堂」ビルの壁画(この壁画も谷内六郎の絵)を見て「素晴らしい!ウチの店にも欲しい」と早速新潮社に依頼したものらしい。、、、、この壁画は「砂山」というタイトルで、「週刊新潮」昭和31年5月29日号の表紙絵を元に作成されたもの。 海の絵であるが、ゴク自然に赤羽の町に溶け込み、違和感なく見てしまう絵だ。

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●「令和初」に慣れた! ・・・・・赤羽駅で我が家に“令和初の手みやげ(饅頭)”を買って帰る。(自分が食べたかっただけだけ!)

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2019年3月22日 (金)

赤羽の城跡

都営三田線本蓮沼駅から、JR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。



●期待したが、普通の駅だった! ・・・・・・・・・自分の記憶では、昭和43年(1968)12月27日の都営地下鉄6号線(現:三田線)開業以来初めて下車する本蓮沼駅である。 期待に胸を弾ませ電車から降りたが、『な~んだ 期待したほどの駅でもない』 都営らしい、あまりセンスの良くない、普通の駅だった。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、駅名は、計画段階では“蓮沼駅”だったが、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅(大田区)があったため、当時の地名であった志村本蓮沼町より“本蓮沼”と命名した。、、、、、駅の東約300mところに、Jリーグの試合には使用されない、チョイト、マイナーな国立西が丘サッカー場がある。

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●神社と別当寺、セットで!  ・・・・・・・・・本蓮沼駅から北へ200m程歩くと蓮沼氷川神社がある。 神社は、須佐之男命と奇稲田姫命を祭神とする、
古来蓮沼村の鎮守さま。 慶長年間(1596-1615)にさいたま市の氷川神社から、蓮沼村字前沼(現:浮間舟渡駅の西側)に勧請されたのが創建。 その後享保年間(1716-1736)に、別当寺であった南蔵院とともに、前沼から現在地に移転した。、、、、、神楽殿のような社殿の造りである。

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・・・・・・・・・・・・・・氷川神社に隣接して、真言宗智山派の宝勝山蓮光寺南蔵院がある。 以前は、氷川神社の別当寺であった。 大きなお寺だが、古い堂宇は残っていない。、、、、、境内には数本の枝垂れ桜が蕾を膨らませている、もう間もなく咲きそうだ!

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●アップ、ダウンの多い町! ・・・・・・・・・板橋区蓮沼の町から北区赤羽西の町へ入る。
・・・・・・・・・・・・・・赤羽西6丁目の「都営 赤羽西六丁目第三アパート」前を通過。、、、、、昭和40年代の建物らしい?

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西5丁目では、「赤羽スポーツの森公園」を抜ける。、、、、、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地があった処で、平成7年(1995)に土浦市に移転後、跡地を公園として整備したものである。 跡地の北側は赤羽自然観察公園として平成11年(1999)に開園した。 ついで南側も公園として整備され、平成22年(2010)にサッカー場も整備された。

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西4丁目は“坂”の町。、、、、、いろいろと面白い坂があった! 気に入った!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、赤羽西4-21から下る名無しの坂。、、、、、長くはないが、勾配はキツイ!

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・・・・・・・・・・・・・・次は、法安寺(赤羽西4-42、日蓮宗系)の前を下る法安寺坂。、、、、、坂の名の由来は、説明不要!

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・・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、赤羽西4-34からくねくね下る蛇坂。、、、、、判りやすい坂の名だ!、、、、、途中、坂から上り、下りするかなり高低差のある階段が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・さて最後は、蛇坂を下った赤羽西4-30で、横を振り向くと通りの奥に急な階段坂が見えた、『上ってみよう!』、、、、、階段の上からは、正面(北側)に広がる赤羽台のURの団地を一望する、素晴らしい眺望!
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●中華風の寺! ・・・・・・・赤羽西2丁目に岩槻街道から入る、真言宗智山派の寺院:妙覚山蓮華寺普門院がある。 徳治2年(1307=鎌倉時代)の創建と伝えられている。 参道正面には中国・台湾風の鐘楼門(昭和18年(1943)頃完成)があり、境内にはインドの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年(1966)完成)がある、さらに本尊の聖観音菩薩像を安置する本堂も中国風のデザインである。 異国情緒豊かな寺である。
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●赤羽にも城があった! ・・・・・・・赤羽駅の西側(赤羽西1丁目)には、江戸城を造った太田道灌が砦として使用した稲付城跡がある。 道灌の死後、稲付城を寺にしたのが現在の静勝寺のはじまりである。 城跡としての遺構らしきものは見られないが、静勝寺の山門からは目の前を走る新幹線の姿を見ることができる。、、、、、静勝寺は、永正元年(1504)道灌の禅の師匠雲綱が、彼の菩提を弔うため、稲付城跡に道灌寺として創建した。 明暦元年(1655)に道灌の子孫太田資宗が堂舎を建立し、道灌とその父資清の法号に因んで寺号を自得山静勝寺と改めた。、、、、、山門の階段がキツイ! エスカレーターでもあるといいのだが。

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2019年3月 2日 (土)

町の中心は十条銀座

京浜東北線東十条駅で下車し、環七通りの南側、中十条3丁目、十条中原2丁目、上十条3丁目の裏道を、右に左に行きつ戻りつ、埼京線十条駅までの散歩です。 1万歩。
 
 
 
●降りるの恥ずかしい ・・・・・・・・昭和6年(1931)8月1日に京浜線(現:京浜東北線)が赤羽駅まで延伸した際に、「下十条駅」として同時開業した。 昭和32年(1957)、町名変更により「東十条駅 」と改称する。、、、、中線のある島式ホーム2面3線の駅で、改札口はホーム両端に北口、南口の橋上駅舎がある。 また、ホームの東隣には東北新幹線の高架橋と下十条運転区があり、京浜東北線・根岸線の電車が留置されている。、、、、乗降客の少ない駅で、電車から降りる時、チョイト周囲の目線が気になる駅。 70超えても、恥ずかしがり屋な雅万歩。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は北口から西に向かって歩くことにした。
 
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●高齢者登山のメッカ? ・・・・・・・東十条駅北口から、駅前の細い短い商店街を抜け、都道460号(中十条赤羽線、旧岩槻街道)に出る。 荒川小学校前、都道に面して、十条富士塚がある。、、、、もともとは古墳であったと言われているが、江戸時代以降に富士信仰に基づく祭儀を行ってきた場所である。 天保11年(1840)以降の石碑が30数基ある。 高さ6m程、30歩で山頂に立てる富士山は、高齢者登山の穴場? 
 
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・・・・・・・・・・・・富士塚前の都道は、現在、歩道のない片側1車線の対面通行である。(幅員10m前後) 都は拡幅工事を進め、幅員が20m以上になる予定である。、、、、富士塚の周辺でも民家の取り壊しが始まっている。 ところで、この富士塚、このまま道路が拡幅がされると、富士塚は道路に引っかかってしまう。 サアーどうする? 富士山を削るのか? それとも、移設するのか? どうなることやら!
 
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●右折、左折、行き止まりの裏道 ・・・・・中十条3丁目の裏道を歩く。、、、、道は右に左に折れ、素直でないね!
 
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●踏切がネック! ・・・・・・・・埼京線の踏切りに遭遇。 埼京線の東側は中十条3丁目、西側は十条仲原2丁目。 ここに2つの踏切りがある。
 
・・・・・・・・・・・・・新宿寄りの仲原踏切は、ごく普通の人も車も安産に通れる踏切である。
 
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・・・・・・・・・・・・・赤羽寄りには北仲原踏切がある。 踏切に至る、中十条3丁目側は1車線のチョイト狭い道路、十条仲原2丁目側は片側1車線の対面通行ができる道路。 そして踏切部分は、自転車1台分だけ!、、、、つまり、踏切部分を広げれば、車1台の通行は可能なのだが?
 
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●キョロキョロするな、怪しまれるぞ! ・・・・・・・十条仲原2丁目に入ると、「十条銀座」商店街に続く、「富士見銀座」商店街がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街を横切り、十条仲原2丁目上十条4丁目の裏道を歩く。、、、、チョイト内部を覗いてみたくなる家もある。
 
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●立派な堂の地蔵 ・・・・・・・・・・・・環七通り姥ヶ橋陸橋交差点に出た。 この先は、板橋区になるので、今日の散歩はここでUターンして十条駅に向かうことにした。
 
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・・・・・・・・・・・・・交差点角に「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。、、、、姥ヶ橋とは、石神井川の支流:稲付川に架けられていた橋である。 その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。、、、、この延命地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像。 台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘がある。 左隣には、石造の子育地蔵尊が祀られている。
 
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●お腹が空く商店街! ・・・・・・姥ヶ橋陸橋から十条駅までは、「十条仲通り」商店街、「十条銀座」商店街を歩き、駅に向かう。、、、、食料品、美味しそうな惣菜など、“食”の店が多い。
 
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●開業は何時だ! ・・・・・・・・十条銀座を抜けると、埼京線十条駅である。、、、、明治38年(1905)6月10日、日本鉄道に、東京砲兵工廠の貨物を扱う十条駅が開業。 翌明治39年(1906)に廃止。 明治43年(1910)11月1日、国鉄の駅として再び十条駅が開業。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅で、それぞれのホームに改札口がある。 また、ホームは跨線橋で連絡している。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅舎横に、駅開業70周年記念碑(昭和55年(1980)建立)の動輪が置かれている。、、、、70周年の時から遡ると明治43年が開業の年となる。 つまり、日本鉄道時代の明治38年の開業は対象から外したようだ。
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2019年2月 5日 (火)

豊島橋を渡れば近い扇大橋

京浜東北線東十条駅から東に向かい、豊島橋、江北橋を渡り、日暮里舎人ライナー扇大橋駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
●客の少ない駅 ・・・・・・・東十条駅は、昭和6年(1931)8月1日、赤羽駅まで京浜線(京浜東北線の前身)が延長された際に下十条駅として開業した。 昭和32年(1957)に東十条に改称。、、、、2つの島式ホームで中線1本を挟む形態で、2面3線の地上駅。 改札はホームの両端から階段を上がったところに南・北改札口がある。、、、京浜東北線の全35駅の中では、上中里、新子安に次いで、3番目に乗車人員の少ない駅である。 一日約24,000人程。、、、今日は南口から散歩を始める。
 
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●北王子線は消え、桜は残る ・・・・・・・・・・東十条駅から東へ400m程歩くと、去年完成した18階建て(864戸)の、まだ新しい大きなマンション:「ザ・ガーデンズ東京王子」がある。 このマンションはJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に建てられたものだ。、、、、北王子駅は日本製紙の紙の輸送を行う専用駅であったが、平成26年(2014)7月1日に廃止となった。 かつては、日通の機関車が入れ替え作業をしていた。 それをフェンス越しにジーッと見ていたのを思い出す。
 
・・・・・・・・・・・・・「ザ・ガーデンズ東京王子」は、億ションもあるそうだ!、、、、マンション前の通りは桜の名所。 部屋から花見ができるね。 
 
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・・・・・・・・・・・・・マンション前に残る踏切跡と、北王子線のレール跡。
 
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・・・・・・・・・・・・・廃止の1年前(2013/1/17)に撮影した北王子線、、、、、順に、駅手前の踏切り。 北王子駅構内。 桜並木の連なるコンテナ。
 
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●王子の紀州さま ・・・・・・・・・王子消防署前で「北本通り」を横断し豊島橋方向に向かうと、途中の豊島7丁目に紀州神社がある。 神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。、、、、、地元の人々からは「紀州さま」と呼ばれ、親しまれているそうだ。(ホントかいな?)
 
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●お堂が二つ ・・・・・・・・豊島五丁目交差点にお堂が2つ。 どちらも、地蔵尊が祀られている。 由緒書きなどがなく、詳細は不明?
 
・・・・・・・・・・・・まずは、豊島6-2のお堂から。 
 
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・・・・・・・・・・・・・都道307号を挟み斜め向かい(豊島6-1)に、もう一つお堂がある。 こちらは、延命地蔵大菩薩とのこと。
 
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●5000戸の団地 ・・・・・・・・・昭和47年~48年にかけ、建てられたUR都市機構の豊島五丁目団地 。 総戸数5000戸程の巨大団地だ。 単純に1戸当たりの家賃8万/月とすると、家賃の総収入は4億円/月。 48億円/年也。 デカいね!、、、、、こんな団地1棟でも持っていたら、老後は遊んでくらせるのだが! 何もない、私は孫と遊んで暮らしているけどね?(意味が違うか!)
 
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●一気に駅に向かう ・・・・・・・・・豊島五丁目団地の先には、隅田川に架かる豊島橋(としまはし)がある。 北区豊島と足立区宮城を結ぶ橋。、、、、、さらに、荒川に架かる江北橋と続く。、、、、、江北橋を渡ると、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅は近い。 (このルートは平成28年(2016/8/19)に歩いているので、こちらをみてね! )
 
・・・・・・・・・・・・・・豊島橋、、、、、アーチの上には鳩らしき鳥がイッパイ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・江北橋、、、、、北風が吹きつけ、今日は寒い!
 
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・・・・・・・・・・・・・・扇大橋駅、、、、寒さで疲れた!
 
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2018年12月23日 (日)

軍の跡だらけの赤羽台

曇り空の下、赤羽台3丁目・4丁目を歩いてきた。 赤羽駅から埼京線北赤羽駅までの1万歩。、、、、赤羽台1丁目・2丁目は、昭和37年(1962)に竣工した、日本住宅公団の大規模団地である「赤羽台団地 」が建っている。 現在は団地も建て替えられ、URの「ヌーヴェル赤羽台」とシャレた名に変わっている。 3丁目・4丁目は、ヌーヴェル赤羽台の北側で、東北新幹線・埼京線沿いの南側の戸建て住宅の多い地区である。
 

・・・・・・・・・・・・「赤羽台」と称する町(村)は昔から存在していたわけではない。 まず1丁目・2丁目の土地には、終戦前まで陸軍被服本廠があり、戦後米軍に接収され、昭和34年(1959)に返還された。 そこに公団の団地が建設され、赤羽台1丁目・2丁目と命名された。 次に、昭和39年(1974)の住居表示にて、かつての赤羽町、袋町などが赤羽台3丁目・4丁目となった。、、、、、「赤羽台」という呼称は、戦前、陸軍が使用していた隠語で、赤羽の高台を意味する。 同じように、「相武台」(相模原市・座間市)は陸軍士官学校、「日吉台」(横浜市、現:慶応大)は海軍軍令部などがあった。 軍部の隠語が戦後の住居表示で復活したのだ。 

 
 
 
●・・・・・・・・・・・通勤・通学客の少ない、日曜の赤羽駅で下車し散歩のスタート。
 
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●一般通行禁止の坂・・・・・・・・・・赤羽駅から東北新幹線・埼京線の高架橋沿いに北へ300m程歩く。
 
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・・・・・・・・・・・・・赤羽台3丁目に入ってスグ赤羽台1丁目に向かう上りの「うつり坂」がある。、、、、この坂は旧板橋街道の坂の一つであった。 旧陸軍被服本廠が大正8年(1919)に赤羽に移転してきた時から被服本廠通用門への坂となり、関係者以外の通行はできなくなった。 戦後被服本廠跡地に赤羽台団地ができ、元のように誰もが通れる坂道となった。、、、、坂名の由来は誰も知らないようだ、謎の坂名?
 
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・・・・・・・・・・・・・・坂の上は、旧赤羽台団地の一部が更地となっている、またその奥にはヌヴェール赤羽台が建っている。 その更地の手前に、赤羽台団地の名残である54号棟・55号棟の2棟の建物が取り壊されるのを待っている。、、、、空き家となった建物を見ていると、この団地で生まれ育った人が想像され、もの悲しくなり目が潤んできた。
 
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●ドロボウ気分でコッソリ歩く!・・・・・・・・・うつり坂の中程から赤羽台3丁目の裏道を歩く。 私好みの裏道(路地)で、クネクネ曲がり、途中に階段あり、玄関前をコッソリ歩いて、墓地に横に出た!
 
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・・・・・・・・・・・・・道の脇(赤羽台3-4)に「陸軍」の境界石を発見。 この辺りは、どこにでも軍の施設があったと思われる。 戦後70余年、よくぞ残った境界石。 (上の写真の赤〇印)
 
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●二つの赤羽台トンネル・・・・・・・・・赤羽駅を通過し北に向かう新幹線は埼京線とともに、赤羽駅~北赤羽駅間にある総延長585mの複々線鉄道トンネル:「赤羽台トンネル」に入る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・トンネルの上には、かつて旧陸軍の近衛師団と第一師団に所属した2つの工兵大隊があった。 その跡地は現在は星美学園、東京北医療センターなどがある。、、、、星美学園は本日、クリスマスバザーが行われていた。  気の弱い私には“女学校”と聞いただけで、恐れをなし近づきがたい処、正門前で遠くからパチリ!
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・・・・・・・・・・・・・また、新幹線ルート沿いに赤羽八幡神社入口から星美学園正門前に上る坂がある。 この坂は、旧陸軍の2つの工兵大隊に向かう坂道で、「師団坂」と呼ばれた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・【チョイトおまけ】 「赤羽台トンネル」と呼ぶトンネルは、実は2か所ある。 もう一か所は赤羽駅に近い、赤羽台1丁目に在る。 ヌヴェール赤羽台(赤羽台団地)の下を抜ける道路トンネルである。、、、、平成2年(1990)に着工し、平成4年(1992)に完成した。 
 
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●Ⅴゾーンの神社・・・・・・・・・・・赤羽駅の北側で、東北本線・京浜東北線などと、東北新幹線・埼京線などが、Ⅴ字形に分かれる。 その二又に別れる間の地点に赤羽八幡神社がある。 社務所は赤羽台トンネルの真上だ!、、、、、赤羽八幡神社の創建は不詳だが、延暦年中(782~806)坂上田村麻呂が東征の際に当地に陣を敷き祭神を勧請したのにはじまると言われている。 その後、源頼光、源頼政、太田道灌らが八幡神社維持に尽力し、江戸時代には徳川幕府から7石余の朱印を受けていた。 歴史ある古社。、、、、神社、隣りの星美学園(旧陸軍工兵第一大隊兵舎跡)、東京北医療センター(旧陸軍近衛工兵大隊兵舎跡)およびその周辺にかけての台地上の一帯は、八幡原と呼ばれた。
 
・・・・・・・・・・・・・・神社には、新幹線・埼京線の高架下抜けて、鳥居のあるⅤゾーンにはいる。 鳥居の脇には「八幡宮 是ヨリ左へ一丁」と彫られた、天保11年の道標もある。、、、、下の写真で、参道脇のフェンスの中に草の生えた空き地がある。 この空き地は、戦前、東北本線を北から上ってきた列車が荒川の鉄橋を渡って、東京に入ったとこで分岐し神社の前をとおり、陸軍赤羽火薬庫(現:桐ヶ丘団地)、陸軍被服本廠(赤羽台団地)へ向かう軍用線の跡である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・キツイ、急な階段と社殿。 
 
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・・・・・・・・・・・・・アレ!でっかいアレがあった。 隣に「なで牛」の案内がある。 かんじんの「なで牛」はナント小さいことか、足下にある。 牛を撫でずに、アレの先っぽを撫で撫でしてきた。 御利益、乞う御期待!
 
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・・・・・・・・・・・・・こちらの神社、石碑などが好きなようで、境内には、日露戦争記念碑日露戦争紀年碑各種樹木境内奉納記念碑石坂碑神域整備完成記念石坂忠魂碑、などなど、もっとある。 他に、境内社も多い。 軍の工一記念碑や赤羽招魂社(旧工兵第一大隊兵舎内にあった招魂社)などもある。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内から見るⅤゾーン。 ここからは、赤羽駅を通る全ての列車を見ることができる。 右から、新幹線・埼京線、左に東北本線・京浜東北線などを! 鉄道ファンにはたまらないね。
 
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●赤羽台の高台・・・・・・・・・・・・赤羽台4丁目の住宅地を歩いてみる。 戦後の分譲地? 小さな区画に木造住宅が建ち並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・4丁目の東京北医療センターの脇に「赤羽台さくら並木公園」がある。 ここは、近衛師団工兵第一大隊の跡地で、現在は東京北医療センターとなっている。 南の斜面が整備されて区立公園となった。 嘗ては射撃場だった。 誤射した際にも弾が脇に逸れないようにという配慮がなされている。 園内の斜面に、当時の防空壕が残っている。、、、、、チョイと小さいようだが、数人用の防空壕かな?
 
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●透けて見える新幹線・・・・・・・・・・・北赤羽駅は、昭和60年(1985)、国鉄時代に開業した埼京線の駅。 島式ホーム1面2線の高架駅で、ホームは新河岸川の上にあり、改札口は川を挟んで赤羽寄りに「赤羽口」、大宮寄りに「浮間口」の2カ所がある。 ホームの隣りには新幹線が走っているのが見える。、、、、、駅が川の真上に在る、珍しい“河川橋上駅”の一つで、都内には、当駅のほか都営新宿線の東大島駅がある。
 
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