北区

2021年8月12日 (木)

新神谷橋にリベンジ

今朝6時の天気予報で東京の“最高気温”は29℃と表示。 アレ、“現在の気温”の間違いでは? 早速、外に出てみると、なんと爽やかな風が吹いている。 コリャ、秋風か? 再び、TVで他チャンネルに切り替えて天気予報を確認すると、間違いなく東京の最高気温は29℃と表示されていた。 空模様は、午前中は曇り、午後は雨。、、、、ヨシ、これは散歩のチャンスだ! 今日は熱中症の心配なし、コロナだけ心配すればヨシ、妻に一言『これから散歩してくる!』

今日の散歩は、前々回のリベンジで、東十条駅からおおむね環七通りに沿って北東に向かい、新神谷橋を渡り足立区に入り、引き続き鹿浜橋を渡り荒川を越えて、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅まで、1万2千歩の歩き。




● 朝7時半、JR東十条駅で下車し、まずは、環七通りに出て新神谷橋を目指す。

・・・・・・・・・・・・東十条駅北口から歩き始める。、、、、駅を出ると、一応心配なので、空を仰ぎ『雨よ降るなよ!』 

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・・・・・・・・・・・・駅から「環七通り」(=都道318号)までは300m程。、、、、「環七通り」は浅草橋の我が家を中心に(?)、半径10㎞の円を描くように、東京都大田区平和島を基点に、目黒区、世田谷区、杉並区、練馬区、北区、足立区、葛飾区と巡り、江戸川区臨海町に至る都道。 冗談でなく本当に、我が家を中心にして環七のいずれの地点も10㎞程、散歩には調度良い距離にあり、このブログ「雅万歩」には度々登場する道路である。 今日も、この道路沿いに歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・東十条駅から10分程歩くと、環七通りに面し「飯田産婦人科医院」の建物がある。 昭和レトロ感たっぷりの木造2階建ての建物。 今の時代、出産はシャレたクリニックか病院が大半だろうと思うが、昭和の時代までは、家に産婆を呼んで出産か、町の産婦人科で分娩したものだ。 その、昭和の雰囲気を残す産婦人科医院の一つがここ「飯田産婦人科医院」 私はこの医院に世話になることはないが、聞いた話では、内部も昭和の雰囲気を残しているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・前々回(8/7)の散歩では、あまりの暑さで熱中症が怖く、ここより先へ歩くことを断念した、宮堀交差点の「神谷陸橋」に来た。 今日はこの先:新神谷橋、鹿浜橋を目指し歩く。

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● 神谷陸橋の先には「新神谷橋」が続く。 新神谷橋は隅田川に架かり、北区神谷と足立区新田を結ぶ。 岩淵水門の管理橋を別とすれば、隅田川最上流の橋である。、、、、もともと「宮堀の渡し」があった処である。 現在の位置より100mほど下流側の神谷堀に昭和2年(1927)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があり、のち昭和25年(1950)に鋼桁橋として改架された。 新しく隅田川に架けることとなった当橋はこの名称にちなむ。 昭和52年(1977)に神谷堀が埋め立てられ廃橋となったことから、現在は神谷橋は現存しない。、、、、  昭和40年(1965)2月12日の創架当初は仮開通状態で、片側1車線の幅員10.5mであったが、昭和42年(1967)2月にはすぐに追加の拡幅工事が行われ、現在の幅員となった。、、、、現橋は、橋長 153.1m、幅員 20.0m、プレートガーダー橋。、、、、橋の両側とも、歩行者が渡るためには急な階段を上る必要があり、年寄りにはキツイ! もう少し歩行者に優しい橋にしてもらいたいね。

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● 新神谷橋を渡り足立区側に入ると、橋の下におりる階段がある。 下りると北側に小さな寺「妙喜庵」(日蓮宗、天明年間(1781~1789)の創建)がある。 寺の入り口脇に「新田小学校発祥の地」と彫られた黒御影石の碑が建っている。  明治16年(1927) ここ妙喜庵に鹿浜小学校の分校が開設された。 鹿浜と新田は荒川を挟み対岸の町であるが、同じ足立区内の町である。 明治時代にはまだ荒川はなく地続きの町であった。 (荒川放水路〔=現在の荒川〕が完成したのは昭和5年)  鹿浜小学校の分校は、昭和23年(1948)に独立し「新田小学校」となった。、、、、なんといっても、小さな寺(平屋の住宅風)で、ここが発祥地とは驚き、桃の木、山椒の木!

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● 環七通りを鹿浜橋に向かい歩く。 鹿浜橋を渡るため、荒川土手に上る手前に、「都営新田一丁目アパート」がある。 この団地は昭和44年(1969)に建てられ半世紀が過ぎた。 12号棟(約590戸)あったうちの5棟は解体済で、跡地には14階建てと9階建ての2棟の住宅(約420戸)が建てられるそうだ。、、、、ところで、この建て替え工事は荒川堤防を高規格堤防にする事業の一つで、現在アパートが建つ敷地をかさ上げし現堤防と一体化し、補強・強化した後、その上に建てるそうだ。 荒川堤防の高規格化は、荒川の氾濫による東京下町の浸水を防ぐ目的で、練馬区あたりから江戸川区まで荒川の両側の堤防について改良・強化がすすめられている。、、、、今日は、まだ取り壊されず残っている棟を見てきた。、、、、住んでいるのは、お年寄りばかりか? すれ違う人は全て老人、停まっている車はデイサービスの送迎車数台と車いすの老人を乗せるタクシー。 公園には人影はなし!

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● 「鹿浜橋」は荒川に架かり、環七通りを通す橋。 南岸の足立区新田と北岸の足立区鹿浜を結ぶ。 昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.3m。、、、、橋から見る上流側には、川口の町が一望でき、眺めは良い!

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● 日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅を目指し、環七通り(都道318号)をひたすら東へ歩く。

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● 西新井大師西駅に近づいてきた、チョイト北側に入ると、都営 上沼田第3アパート」、「UR 江北六丁目団地」、「西新井大師西駅」と連続する。 団地内を失礼して駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・昭和40年代後半に建てられた「都営 上沼田第3アパート」(604戸)は、50年以上経過したため、都は段階的に建て替えることとなり、現在は建て替え工事が進められている。、、、、団地の案内板は赤錆て見えない! 店舗は全てシャッターが下りてる、廃業か?空き店舗か?

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・・・・・・・・・・・・「UR 江北六丁目団地」は昭和46年(1971)に完成した、総戸数 860戸の旧住宅公団の団地。 現在は日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅の真ん前に位置し、便利この上なし!

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・・・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナー「西新井大師駅」、、、、その名のごとく西新井大師(総持寺)の最寄り駅と思いきや、駅から寺までは約1㎞、徒歩15分は要する。 参拝時に、失敗しないように、要注意!

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2021年8月 7日 (土)

熱中症が怖い!

東京の新型コロナ感染者数はここ数日4千人超え。 医療は崩壊に近く、感染しても入院できないかも? また、連日の暑さは熱中症の危険度を高め、救急隊をより一層忙しくする。 救急車呼んでもスグ来てもらえないかも? こんな時期に、年寄りがフラフラ散歩して倒れたら、“人様にご迷惑をかけるだけ”、、、、『しばらく散歩は自粛する』と、毎日、神に誓うのだが、朝起きると『今日は台風の影響で涼しいかも? 雨が降る前に、チョッピリ散歩しようかな?』

赤羽駅から東南へ向かい、新神谷橋で隅田川を渡り、鹿浜橋で荒川を渡り、西新井方面に向かう予定で家を出た・・・・・




● 朝7時半、赤羽駅で降りた。 オリンピック閉会前の土曜日、人出は少ない! 駅前の気温はすでに29℃、日差しがまぶしい! 

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● 駅の東側、飲み屋街を抜け、神谷橋方面に向かうことにした。、、、、昭和40年代のイメージを懐かしみ、街に入ってみたが、キャバレー「ハリウッド」は取り壊され、跡地にはホテルを建設中であった。 この辺りには数件のキャバレーがあった、いつの間にか「ハリウッド」が都内最後のグランドキャバレーとなり、平成30年(2018)12月30日に幕を下ろしたそうだ。 思い出した「オーナーの福富太郎、常連客のみのもんた」、名はスグ思い出したが顔が出てこない、アレアレ私も年とった!、、、、ハリウッドを重要文化財に指定しておけばよかった!

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・・・・・・・・・・・・街を抜けると、「赤羽駅から徒歩約3分」の処に「性病科」の看板が見える。、、、、戦後しばらくの間は、省線電車の窓から「性病科」の看板を目にすることが多かった。 いつの間にか、看板を見る機会も減り、今日は看板に懐かしさを感じた。 大村崑の「オロナミンC」の看板を見た時の感動と同じ!

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● 時刻は8時半、頭のテッペンが熱くなりはじめた。 気温30℃、湿度も高くムシムシする。 熱中症が心配になる。 “水”を求めて「北運動場」(北区神谷2)の水飲み場へ直行、頭から水をかぶり、顔を洗い、首に水でひたした手ぬぐいを巻き、再出発!、、、、運動場前から、鉛筆型の煙突らしきものが見える、行ってみよう!

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● 高さ約120mの煙突は「北清掃工場」のもの、、、、北清掃工場は北区志茂に、平成10年(1998)から本稼働した清掃工場。 この清掃工場は建築家で、早稲田大学理工学部教授:石山修武の設計による。 石山修武は、昭和60年(1985)に南伊豆の松崎町の「伊豆の長八美術館」を設計して吉田五十八賞を受賞、平成8年(1996)には「ヴェネチアビエンナーレ建築展」で金獅子賞を、そして平成11年(1999)には織部賞を受賞。、、、、北清掃工場は敷地面積:約19,000㎡、工場建設費:335億6千5百万円、焼却能力:600トン/日。

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・・・・・・・・・・・・北清掃工場のあるこの場所に、大正6年(1917)から大正10年(1921)の間、あったのが「赤羽飛行機製作所」。ここでは、飛行場やパイロット養成場も有し、エンジンから部品・機材まで一貫して製造する国内初の飛行機工場であった。、、、、飛行機工場が清掃工場に変身!




● 北清掃工場の南側に都営神谷三丁目第二アパートがある。 昭和43年(1968)から順次建てられた、総戸数437戸の都営住宅。、、、、チョイト、11階から夏空の下の赤羽・川口方面を展望する。 眼下の町は「北区志茂」。

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● 北区神谷3丁目、真言宗智山派の寺院「神屋山専福寺」に立ち寄る。 創建年代は不詳だが、古い墓石が多く残っており、江戸時代初期のものもある。 本尊は不動明王。、、、、遠い昔は尼寺だったらしい。 

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● 新神谷橋を目指し橋の西側「宮堀交差点」の手前に来ると、真言宗智山派寺院「自性院」がある。 自性院は常住山と号す。 自性院の創建年代は不詳であるが、江戸時代末期には創建されていた。 境内には、数多くの石仏や庚申塔がある。 

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● 時刻は9時、「宮堀交差点」に来たが気温は30℃超え暑い。 何となく、救急車のお世話になりそうな予感! ここで、熱中症になって世間の笑い者になるのはイヤだ! この交差点を越えれば新神谷橋なのだが、ここで先に進むのはあきらめ東十条駅に向かうことにした。 

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● 熱中症を避けて、「北本通り」から「東十条商店街」(東十条銀座)に入る。、、、、東十条駅に近づくにつれ、商店街も賑やかになる。 通りには、万国旗が掲げられ昭和レトロを感じる。

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・・・・・・・・・・・・商店街の中程に、演歌専門の有名なレコードショップがある。 店頭では、かなりの頻度で演歌歌手による「唄とサイン会開催」が開かれている。 今日は誰が来るのかな(?)と思いつつ、店頭のポスターを眺める。

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● 「東十条駅」に無事到着、熱中症にならず良かった!、、、、今日の散歩は、熱中症に脅かされ、途中でルートも変わり、9千歩となった。

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2021年8月 2日 (月)

北赤羽から赤羽北へ

一昨日中途半端に終わった「赤羽北」の町歩き、今日はその続き、、、、ということで、北赤羽駅からスタートし、赤羽北二丁目の残りと、赤羽北三丁目を歩き、赤羽駅まで1万3千歩の散歩。 




● 今日からは、一都三県ともに「緊急事態宣言」下に入った。 しかし、私の気持ちは緩み、“ワクチン打ったしマスクしてるから大丈夫だ~~!”、、、、朝7時半、埼京線「北赤羽駅」に降り立つ。

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● 『まずは赤羽北二丁目の町を制覇するぞ!』と、駅の南側「環八通り」沿いを往復する。


・・・・・・・・・・・・駅から、対岸(北区浮間)にマンションや団地が並ぶ、新河岸川堤防沿いに歩いてみる。 私が歩く赤羽北二丁目にも、URの「赤羽北二丁目ハイツ」(戸数245戸)が3棟並んでる。

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・・・・・・・・・・・・赤羽北二丁目の南端、新河岸川の岸に浮間中央病院がある。 その病院の隣りに「袋村の水神宮」がある。 ここは新河岸川で袋河岸の跡。 昔、船主が水難事故から守って貰うために祀ったのだが、水害除けの水神宮へ変わったそうだ。、、、、“袋村(ふくろむら)”とは、現在の赤羽北一帯の旧村名。 “袋”の名は、地形が袋状にいり込んで窪になっていることに由来するそうだが、はて?何処が袋なのか? 現在、“袋”の名は、小学校、公園など、公共施設に残るのみ。

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・・・・・・・・・・・・赤羽北二丁目の中央を東西に貫く環八通りを横断し、環八通りの南側を戻るように歩く。

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・・・・・・・・・・・・“袋村”の名が残る北区立「袋小学校」、、、、全生徒数 約400名、、、、今日はプールの日か? 何人か登校してきた。

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・・・・・・・・・・・・袋小学校を囲むようにたつ、総戸数521戸、URの「赤羽北二丁目団地

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・・・・・・・・・・・・諏訪神社のある崖下の道路傍(赤羽北2-11)、小さな墓地の囲塀の前に「旧秋田院薬師堂跡地」の標柱が建ててある。 標柱には真頂院(北区赤羽3-16-3)持とある。 後ろの墓地は、田舎ではよく見られる屋敷墓地、都内では珍しい。 崖の上の諏訪神社も別当は真頂院。、、、、、ここいら一帯を仕切っていた寺が真頂院かも? ところで、旧秋田院薬師堂とは何か? 調べてみたが、サッパリ判らん! 謎の名所旧跡?

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● これより「赤羽北三丁目」を歩く。 赤羽北三丁目は二丁目の南側崖上に広がるっている。 三丁目の中央を「諏訪通り」が貫き、諏訪神社

から、西の志村坂上(板橋区:中山道)の方に伸びている。


・・・・・・・・・・・・まずは、崖下の赤羽北二丁目と崖上の赤羽北三丁目を結ぶ坂道6本を、一挙大公開! 北側から順に紹介

①大型車両も通れる諏訪神社前の「宮の坂」、、、、謂れは、坂の説明書きより、『坂の名前にある「宮」は、この地域の旧村名である袋村の鎮守、諏訪神社のことを指しており、坂道はこの神社の参道を経て赤羽方面へと抜けていきます』

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②諏訪神社裏の住宅の脇から、赤羽北2-11へ下る階段坂。 名は無い

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③赤羽北3-6の老人ホーム「赤羽北さくら荘」の北側にある段々の坂道で、袋小学校の前に下る「殿山の坂」。 “殿山”は坂上の旧地名。

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④「袋町公園」から下る階段坂。 ゴメン、名は知らない!、、、、公園前から、崖下の赤羽北二丁目を望める。

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⑤「袋町公園」西端から下る坂、その名は「念仏坂」、、、、かつては、細い淋しい坂で、坂の上には真頂院持の墓地があったそうだ、坂の名はその故か。

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⑥赤羽北三丁目と板橋区小豆沢四丁目の境を北東に下る坂。 坂名の「ふか坂」は、うっそうとした樹木におおわれて、谷深い中を蛇行している坂であったことによる。 坂を下って北へ行くと、かつての袋村河岸があった。 この坂は袋村河岸から中山道への通路にあり、馬坂とも呼ばれたそうだ。、、、、赤羽北二丁目側から上ってくると、左側には大型集合住宅「東京メガシティ」が威容を見せる。 5棟863戸が暮らす街。

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● 宮の坂にある「諏訪神社」(赤羽北3-1)、、、、諏訪神社は、真頂院初世秀善和尚が信州諏訪大社を勧請して応永3年(1396)に創建、江戸期には袋村の鎮守社だった。

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・・・・・・・・・・・・宮の坂を挟み、諏訪神社鳥居前に「袋村の庚申待供養塔群」がある。、、、、実は、この庚申塔群のある高台は、諏訪神社の参道の一部である。 庚申塔群のある位置と神社の鳥居を結ぶ位置にかつて参道があった。 しかし、宮の坂が拡張されたとき、参道を切通しで抜けることにより、坂の勾配を緩くしたそうだ。、、、、この参道には、最も右側にある塔を除いた計4基の青面金剛立 像庚申待供養塔がありますが、これらは元禄16年(1703)から天明5年(1785)までの間に造立されたものである。、、、、いずれも彫は深く、状態も良く、見ごたえある庚申塔。

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・・・・・・・・・・・・諏訪神社社殿の脇に、几号水準点もどきがある。、、、、これは、内務省がそれまでに荒川筋に既設した水準点を補完する目的で、昭和5年(1930)に新に荒川筋に設置された15ヶ所の、水準点のひとつである。 諏訪神社境内の水準点標石のそれぞれの面には、「内務省」「昭和5年」「荒川」「不BM1」と刻まれている。 「不」の字に見えるマークは「几(き)号」といって、「不」の字の横棒が標高を表します。「B.M」 とは、水準点を表す英語「ベンチマーク」の頭文字で、その後の1は1号を表し、「荒川1号水準点」という意味になる。 記録によれば、諏訪神社境内の基準点を1号とし、荒川の上流方向に向かって水準点の設置が行われているそうだ。、、、、明治期に設置した几号水準点とは別物らしい?

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● 諏訪神社から志村坂上方面に伸びる「諏訪通り」を歩き、JR赤羽駅へ向かう。

 

2021年7月31日 (土)

赤羽北の北赤羽

またまた散歩に出にくくなってきた。 新型コロナの感染者、東京では連日の3000人超! 気は緩みっぱなしだが、世間の風当たりも強くなりそうで、フラフラ出歩いていると天罰が下りそうだ。

今日は、京浜東北線の赤羽駅から「赤羽北1丁目」の町を歩き埼京線の北赤羽駅まで、駅間の直線距離1.5㎞程。 あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、暑さでまったり、汗でべったり、午前中とは言えども気温は30℃超え、熱中症が心配になり早々と散歩を切り上げた。 1万歩



● 『赤羽駅で降りたら、「赤羽北」の町を歩いてみよう』と、行きの電車の中で計画。、、、、「赤羽北」は北区の北西に位置し、町の北側には新河岸川(下流は隅田川に繋がる)と荒川が流れ、南側には赤羽台桐ヶ丘の台地があり赤羽北の町はその崖下である。 赤羽北は1丁目から3丁目まであり、JR東北本線側に1丁目、JR埼京線北赤羽駅付近が2丁目、都営桐ヶ丘アパートの西側が3丁目である。、、、、計画では1丁目から3丁目まで歩くつもりだったが、暑さと、短足で、1丁目と2丁目の一部しか歩けなかった。




● 土曜の空いた電車で、赤羽駅は東口に出る、、、、駅の混雑度は、平日の半分の半分以下だ!

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● 東口から飲み屋が並ぶ「1番街」を抜けると、東北本線の高架橋脇に、真言宗智山派の「宝幢院」がある。 宝幢院は医王山東光寺と号す。 本尊は薬師如来像。 寛正2年(1461)に開山され、約150年後に深承阿闍梨及び宥意和尚が中興しました。 慶安2年(1649)に三代将軍家光から赤羽根村内に10石余の年貢・課役免除の朱印を付された。 寺伝や浮間の古老の言い伝えによれば、かつてこの寺は、浮間村西野(現:浮間4)にあったが、荒川の氾濫を避けて赤羽に移転した。、、、、“盆”の準備か、本堂前に塔婆を並べ乾かしていた。

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・・・・・・・・・・・・境内には、区内最古の寛永16年(1639)霜月18日銘の阿弥陀如来線刻庚申塔があります。 板碑型の石塔本体正面には、阿弥陀如来立像と2猿が線刻され、「山王廿一社」の文字を見ることができる。、、、、他にも、馬持講中(当時馬を飼っていた資力のある村民)の人名を刻んだ馬頭観音塔や、出羽三山供養塔などがあり、この地の歴史を知る貴重な石仏がある。

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・・・・・・・・・・・・日光御成道・岩槻街道は赤羽駅の方から北上し宝幢院にぶつかって直角に右に曲って荒川に下りていく。 「宝幢院門前の道標」は、正面に『南 江戸道』、右側面に『東 川口善光寺道 日光岩付道』、左側面に『西 西国富士道 板橋道』と彫られており、ここから板橋道が分かれていたことが判る。、、、、道標の覆いが邪魔して彫りがチョイト読みにくい!

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● 東北本線高架橋と宝幢院の間を行き、小さなガードを抜けると、赤羽台のカトリック系女学校「星美学園の崖下に出る。 この崖下が「北区赤羽北1丁目」である。、、、、星美学園キャンパスの地下には新幹線・埼京線の「赤羽台トンネル」がある。

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・・・・・・・・・・・・崖下の道を北へ向かって歩くと、赤羽北の町を東西に貫く「環八通り」に出る。 その角(赤羽北1-4)には、真言宗智山派の寺「満蔵院」がある。 満蔵院は、佛護山光照寺と号す。 満蔵院の創建年代は不詳であるが、天正5年(1577)頃、中興した。、、、、町中の寺で、境内も狭く、本堂は近年の建築、本堂隣の住職の住宅の方が立派に見えた、これ以上コメントなし!

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・・・・・・・・・・・・満蔵院の南側に赤羽北保育園があり、その向かい側に大きくはないが、郷蔵跡と言われている「稲荷社」がある。、、、、稲荷社の一角に庚申堂があり、4基の石物がある。 右から、弘法大師供養塔、元禄15年(1702)銘の阿弥陀三尊種子庚申待供養塔、寛文8年(1668)銘の阿弥陀三尊種子千日念仏供養塔、宝永元年(1704)銘の庚申待供養青面金剛立像。 400年程昔の貴重な石物。

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・・・・・・・・・・・・稲荷社の前には、星美学園の北側を赤羽台へ上る「稲荷の坂」がある。 案内によると『この坂道は、赤羽北1丁目3・4番先から赤羽台四丁目公園付近まで続きます。道筋としては赤羽根付村と岩淵宿の境付近で日光御成道(岩槻街道)と別れ、袋村を経て小豆沢村へと向かう鎌倉道でもありました。昔は坂を登りきると正面に富士山を望むことができたそうです。坂の名称は特にありませんでしたが、坂の途中にある稲荷社にちなんで稲荷の坂とよばれるようになりました』、、、、坂の上からは、眼下に赤羽北の町を、また遠く荒川の対岸には川口のタワーマンションを望む。

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・・・・・・・・・・・・稲荷の坂を上り「赤羽台四丁目公園」の前からは、再び赤羽北へ下る坂がある。(坂の名は?)、、、、坂の先に高架橋を走る新幹線が見える、、、、坂を下り、高架橋を見上げると、「赤羽台トンネル」の坑口がある。

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・・・・・・・・・・・・環八通りを横断し、新河岸川に行く。 ここに架かる「中の橋」は、普段、人道橋として柵がしてあり車両は通行できないようだ。、、、、新河岸川は川越市を流れ下り岩淵水門で隅田川に合流する。 この付近では、川の右岸は北区赤羽北1丁目、左岸は荒川と隔てる土手。

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・・・・・・・・・・・・土手に上がり川口方面を望む。 JR東北本線の鉄橋が見える、河川敷の木立にかくれ荒川の川面が見えず。

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赤羽北2丁目に入る、、、、新河岸川の川岸近くは、マンション、都営住宅が建ち並ぶ。 ビルの陰も少なく、頭の天辺はアッチッチ! まだ意識のあるうちに、北赤羽の駅前に到着。

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● 住所は「赤羽北」にあって、駅名は「北赤羽」とは、なんともおかしな命名だ!(他人事だ、どうでもいいか)、、、、熱中症が怖いので、北赤羽駅から帰る。

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2021年7月28日 (水)

崖っぷちの家

オリンピックは5日目、金メダル獲得数は13個(7/28,23:00現在)で国別トップ。 東京の今日の新型コロナ感染者数は、3,177人で過去最多。 連日、ヤッター・ヤラレター、ハラハラ・ドキドキ、喜んだり・怯えたり、気持ちは昂ったり落ち込んだり、忙しい毎日。 外出も自粛すべきか、多少は良いか! オリンピックとコロナで、家にいても何だか落ち着かぬこの頃。、、、、今日も、熱中症を避け、早朝の散歩です。

都営三田線板橋区役所前駅から、北に向かってJR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 駅名のとおり「板橋区役所前駅」は区役所前の中山道(国道17号)の地下にホームがある。 西高島平方面行のホームは、区の職員と思われる人が数名、電車から降りる。 乗る人も数名。

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・・・・・・・・・・・・【おまけの話】「板橋」の付く駅が多い。 全てが板橋区内に位置するわけではないが。 JR埼京線「板橋駅」、東武東上線には「下板橋駅」「中板橋駅」「上板橋駅」、都営三田線には「新板橋駅」「板橋区役所前駅」「板橋本町駅」、以上全7駅。 いずれ、“板橋7駅巡り”なんて出来るかも?、、、、東京メトロには“板橋”の付く駅がないね!




● 旧中山道「仲宿商店街」にチョビット立ち寄る。、、、、仲宿商店街は旧中仙道の最初の宿場町「板橋宿」の延長上にあり、南北に伸びている。 町の名も「仲宿」で、町の北端で石神井川に接する。 仲宿の町は、北で石神井川を隔てて本町および稲荷台、東で加賀、南で板橋、西で氷川町と隣接する。 西辺を中山道(国道17号)が南北に通じ、南端に東京都道317号環状六号線(山手通り)の終点がある。 仲宿商店街は旧街道沿いに150店程の店舗で構成される元気な商店街。

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・・・・・・・・・・・・商店街の南端に近く、レンガ造りの「板五米店」がある。、、、、店名の「板五」とは板橋町五丁目の略で、昭和30年代まで現存した旧町名です。 現在は板橋区仲宿が行政上の町名。 板五米店の建物は令和2年(2020)に板橋区有形文化財となる。

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・・・・・・・・・・・・板五米店の北側に、真言宗の小寺「遍照寺」がある。、、、、かつてこの地には、現在の遍照寺とは別に天台宗の遍照寺があったが、廃仏毀釈によるものか明治4年廃寺となった。 明治14年成田不動尊の分身を祀り旭不動堂と名を変えて成田新栄講の精神道場となり、同22年(1889)真言宗智山派の寺院として復活、山号を成田山と変えたが、寺号は昔のまま遍照寺を称えた。 本堂は残り、鄙びた姿のまま昭和30年ごろまでひっそりと町裏に息を潜めていたが、改築された。、、、、参道には寛政10年(1798)造立の馬頭観世音がる。 宿場時代には、境内に接して繋馬場が置かれ、継立馬50頭が幕府御用のために常に待機していた。 馬は百姓の負担だったから、この馬たちの安全無事を祈って馬頭観世音は建てられた。

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・・・・・・・・・・・・仲宿商店街からはずれ、裏道へ入っていく。 住宅の奥に銭湯もある。 ちなみに、現在の大人の入浴料は460円也。

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● 石神井川に架かる「御成橋」(昭和45年完成)を渡る。 橋の東側には「帝京大医学部付属病院」がある。 地上19階建て、約1,100床の総合病院。 儲かっていそうな病院だ!

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・・・・・・・・・・・・帝京大附属病院の北側、板橋区稲荷台の町の裏道を歩いてみる。、、、、生活感ある裏道を歩くと、なんとなく気も落ち着く!

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・・・・・・・・・・・・板橋区稲荷台から、隣の北区上十条の町を抜け、環七通りを越える




● 環七通りを越え、埼京線の西側を歩くと、北区立「清水坂公園」がある。 清水坂公園は、北区を南北に走る武蔵野台地の崖地を利用した立体的で変化に富んだ公園。 敷地は20,000平方メートル以上あり、芝生広場は約4,500平方メートルの広さを有し、家族連れでにぎわいそうな公園だ(今は、コロナと熱中症で遊ぶ子はいない)、、、、清水坂公園は、かつて、国鉄の官舎があった場所で、十条仲原4丁目の高台から長い階段を降りた低地に木造の長屋型の家が沢山並んでいたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・清水坂公園の西側を歩くと、十条仲原4丁目の細い道を入ると、その奥に見晴らしの良さそうな住宅が数件並んでいる。、、、、そのうちの一軒は住所表示板の上に黄色の枠で囲われて表札が出ている。 母屋は道路から階段を下った崖の途中にあり、さらにその下に民家の屋根が見える。

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・・・・・・・・・・・・①こちらは、同じ十条仲原4丁目の裏道。 『高台から見る景色が良さそうだ』と奥へ進む。

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②奥にはがけ下へ降りる階段があった

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③階段の途中には民家があり、玄関先へ続く上り階段があった。 写真右方向にさらに下る階段が続く。 いずれにしても、上り下りが大変そうな住宅だ!

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④さらに下へ会談は続き、下から見上げた写真がコレ! 

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● 十条仲原の高台から下り、赤羽西の妙覚山普門院蓮華寺に寄る。 「普門院」は真言宗智山派の寺。、、、、赤羽駅に向かう途中、脇道の正面奥に中国風の鐘楼門(昭和17年から18年頃完成)が見える。 門をくぐると、インドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年完成)が見える。 共謀墓地の右奥に中国風の本堂がある。 異国情緒漂う不思議な空気の寺だ!、、、、普門院の創建年代等は不詳ながら、徳治2年(1307)年の開基とも伝えられている。

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● JR京浜東北線赤羽駅西口に到着。 通勤通学の時間帯からズレルと、ホームも人影は少ない!

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2021年2月20日 (土)

“3密”を避けて

今日も早朝の空いた電車に乗り、JR京浜東北線の東十条駅で下車した。 東十条駅から、ほぼ東に歩き、豊島五丁目団地、豊島橋、江北橋を通り、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、“3密”を避けて、1万3千歩の散歩です。




● 京浜東北線の36駅中、上中里駅、新子安駅と共に、一日平均乗車人員数の“ワースト3”(約24,000人)を誇る「東十条駅」は、ホームに立っても人影は少なく静かである。 改札口は約200mのホームの両端橋上駅舎に北口・南口があるが、トイレは北口のみ。 車中で尿意を感じ、東十条駅で飛び降り改札口近くのトイレを探すとも、ここは南口、『せっかくのお越し残念ですが、ホームの反対側:北口に行ってください!』と云われ、真っ青、冷や汗ドビュー、我慢は限界に達し、パンツを濡らすことがなきように注意・注意!、、、、東十条駅は2つの島式ホームで中線1本を挟む2面3線の地上駅。 中線である2番線と3番線の線路は上下線共用となっている。、、、、昭和6年(1931)8月1日、赤羽駅まで京浜線(京浜東北線の前身)が延長された際に下十条駅として開業。 昭和32年(1952)4月1日、町名変更により東十条駅に改称。、、、、今日は南口から出た!

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● 東十条駅南口前に架かる「十条跨線橋」は、以前、東北本線の荒川橋梁として架けられていた橋の一部を昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したものである。 現在、跨線橋は車道専用となり、挟むように左右に跨線人道橋が架かっている。 古さを強調するように、塗装のひび割れから赤さびが浮き出て痛々しい姿の橋。、、、、橋は 明治28年(1895)にイギリスのCOCHRANE社で製作された、ポニーワーレントラス橋と呼ぶ形式である。 平成21年(2009)の北区の長寿命化修繕計画における調査では、強度不足などの問題点があり、架け替え対象となった。 また、日本の鉄道遺産としては貴重な橋で、国宝級(私が勝手に推奨)と思われる。 早く、適切な保存策を講じて欲しいものだ!

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● 東十条駅から東に向かい歩く・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・駅から400m程歩くと、かつてJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に出る。 駅跡は、18階建て(864戸)の大きなマンションに変わってしまった。 このマンションはJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に建てられたものだ。、、、、北王子駅は日本製紙の紙の輸送を行う専用駅であったが、平成26年(2014)7月1日に廃止となった。 かつては、日通の機関車が入れ替え作業をしていた。 その作業をフェンス越しにジーッと見ていたのを思い出す。(2枚の写真は平成23年撮影)

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・・・・・・・・・・・・さらに東へ歩き、北本通りの「東京消防庁 王子消防署」の前に出る。、、、、地元のランドマークとして、昭和レトロな雰囲気をデザインしたような建物。 バブルの時代の建物である。、、、、古いようで新しい建物も、築20年程経過したようだ!

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・・・・・・・・・・・・消防署の裏(東側)の道を歩くと、意外にも大きな建物・施設が地続きで並んでいる。「都営 王子三丁目アパート」、「都立飛鳥高等学校」、「王子郵便局」など。 この他にも、駿台学園・中高等学校、北区立明桜中学校、北区立豊川小学校などがある。

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・・・・・・・・・・・・「豊島中央通り商店街」に出てきた。 アーケードのある大きな商店街だが、時刻は午前9時、まだ営業前で、大半はシャッターが下りている。 この時刻なら、“3密”は心配なさそうだ!、、、、サンバパレード、七夕まつり、年末の大売り出しなど、季節に合わせ行事が計画されている、賑やかそうな商店街だ!

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● 商店街の先には豊島五丁目団地」がある。 団地の先の隅田川は、「豊島橋」で渡り、さらにその先には、荒川を越える「江北橋」がある。 この辺りは、私の散歩ではおなじみの処。
・・・・・・・・・・・・団地を囲み、隅田川が大きく曲がる処にある豊島五丁目団地。 昭和47年(1972)より建設整備された、総戸数5000戸程の大規模団地である。、、、、天気が良いので、いっせいに布団干し!

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・・・・・・・・・・・・団地の端から「豊島橋」を渡り、足立区に入る。 

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・・・・・・・・・・・・豊島橋から300m程歩くと、江北橋で荒川を渡る。、、、、風は爽やか、春の陽気、桜の開花も早そうだ!

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● 江北橋から日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」までは約800m、近い!、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2020年12月 7日 (月)

踏切が無くなる!

先月26日の共同通信社のニュースに、『 JR山手線に唯一残り「開かずの踏切」として知られる駒込―田端間の「第二中里踏切」(東京都北区)について、都が近くに陸橋を建設した後に廃止することで北区とJR東日本が合意したことが26日、関係者への取材で分かった。陸橋完成には約10年かかるもようだが、踏切が全廃されればJR東が目指す山手線の自動運転化へ前進となる。 第二中里踏切はピーク時の1時間当たりの遮断時間が40分を超す。国土交通省は2020年度中に改良計画を提出するよう、北区に求めていた。 陸橋の建設はJR東が担当する。工事は終電から始発の間しかできないため、完成には10年ほどかかるとみられる。』と書かれていた。、、、、大正14年(1925)に誕生し、今日まで残っていた、山手線最後の踏切がいよいよ無くなりそうだ。 現役の踏切を、チョイト見ておきたくなった。

田端駅で下車し、第二中里踏切、中里トンネルなどを見て上中里駅まで、8千歩の散歩です。




田端駅で降り、駅前の田端切り通しに架かる東台橋を渡り、田端高台通りを上中里方向に歩く。、、、、「田端切り通し」は昭和8年に、台地であった土地を整備し、20m程の深さで削り取って道を通している。法面には石垣が綺麗に積まれ、独特な雰囲気がある。 切り通しには、2つの橋が架けられ、駅側にある白い橋が「東台橋」、奥に架かるのは歩道橋です。 東台橋は、大きなアーチ状のパイプを橋桁にした構造で、デザイン性にとんでいます。 東台橋からから見る切り通しの深さには、一声『凄い!』

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・・・・・・・・・・・・東台橋と滝野川を結ぶ
田端高台通り

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・・・・・・・・・・・・田端駅前の田端大橋から見ると、写真左側(山側)に京浜東北線北行(赤羽方面行き)、山手線内回り(池袋方面行き)、山手線外回り(上野方面行き)、山手線電車の陰に京浜東北線南行(上野方面行き)の線路がある。、、、、京浜東北線北行(写真、水色の電車)の先に「田端トンネル」があるのだが、橋桁が邪魔して見えない!


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・・・・・・・・・・・・「田端トンネル」の赤羽側の坑門。 写真、坑門上の2線は山手線、その上に京浜東北線南行の電車が見える。、、、、京浜東北線北行はトンネルを出るとスグに山手線の下をくぐり、南行の線路により沿う。、、、、田端トンネルは大正15年(1926)1月に竣工。
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・・・・・・・・・・・・田端トンネルの脇を通った、山手線内回り電車は京浜東北線と離れ、切り通しを池袋方面に向かう。、、、、写真手前側が池袋方面。

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・・・・・・・・・・・・山手線は田端高台通りの富士見橋下を通過するが、この橋のある位置にかつて「道灌山トンネル」があった。 山手線内回り(池袋方面行き)の電車に乗ると、進行方向左側に煉瓦造のトンネル坑門の一部が見える。、、、、今はトンネルは埋められてしまったが、貴重な“鉄道遺産”として、坑門部分だけでも掘り起こして公開して欲しいね!

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・・・・・・・・・・・・道灌山トンネル跡(富士見橋)を過ぎると、山手線内回り電車は「道灌山跨線線路橋」を渡る。この橋の下は、「旧山手貨物線」である、現在の「湘南新宿ライン」が走ってる。 湘南新宿ラインは跨線線路橋の下をくぐると、スグ「中里トンネル」に入り赤羽方面に向かう。

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・・・・・・・・・・・・道灌山跨線線路橋を渡った山手線内回り電車は「第二中里踏切」を通過する。 山手線で唯一残る踏切である。 この踏切が無くなると、山手線の完全無人運転が可能となるそうだ! 踏切の手前には、湘南新宿ラインを跨ぐ道路橋の「中里橋」がある。 踏切が無くなると、この中里橋も無くなると思われる。 道幅の狭い踏切であるが、ここに跨線橋を架けるとなると、ケッコウ大がかりな工事となりそうだ。、、、、第二中里踏切を過ぎると、先の駒込駅はすぐソコ!

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● 第二中里踏切の横に、浄土宗の寺院「円勝寺」がある。寺は、僧信阿聖法(弘安9年(1286)寂)が開山、戦国時代末期には曲輪内龍ノ口付近にあったとらしい。、、、、当寺は、石州流茶道の流れをくむ伊佐家の墓所となっていた。、、、、踏切からも参道のイチョウ並木が見える。 また、本堂前の2本のヒマラヤスギは圧巻!

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● 湘南新宿ラインが通り抜ける中里トンネルの赤羽側の坑門も見てきた。、、、、【ボヤキ】最近撮り鉄のマナーが悪いせいなのか、JRは鉄道施設の周囲にフェンスを巡らせている。 今日、廻った処すべて、丈夫で、網の目の細かなフェンスで囲われ、フェンスが邪魔をして、なかなか思うような写真が撮れない! 困ったもんだ! 

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上中里駅から帰宅。

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2020年11月18日 (水)

戸田橋と荒川橋梁

一昨日笹目橋を渡り戸田公園駅まで歩いたので、今日は戸田公園駅から戸田橋を渡り浮間舟渡駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 赤羽で埼京線に乗換て戸田公園駅まで来た、我が家(浅草橋)からは所要時間:約40分。 多くの通勤客の移動方向とは逆なので、電車は比較的すいており座れた。 都心に向かう電車は乗車率120%ぐらい、着席するのは無理だね!、、、、戸田公園駅に到着した時、反対側のホームに上り(都心方面)列車が停まっており、見ると・ナント!相鉄線直通の海老名行きであった。 武蔵浦和駅始発で新宿・大崎・武蔵小杉・西谷経由で相鉄線の海老名駅まで、所要時間:1時間36分の列車である。 埼玉県のベッドタウンから都心を貫いて神奈川県のベッドタウンまで、端から端まで乗る人は、どんな人かチョイト興味が湧いてきた。(きっと、私ような鉄道オタクのヒマジンかな)

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● 駅から戸田橋へ向かう前に、戸田漕艇場地蔵堂に寄ってみた。、、、、、、

・・・・・・・・・・・・まずは、漕艇場の手前にある戸田橋親水公園に保存されている「三代目戸田橋の親柱」を見る。 三代目戸田橋は、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一美しい橋として話題を呼んだそうだ。 親水公園には、三代目戸田橋の埼玉県側の親柱一対が移設されている。、、、、戸田橋の設計者は、昭和初期の著名な橋梁設計士であった増田淳であり、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、凝ったデザインが目を引く。 橋は総工費101万9000円で、昭和7年(1932)に完成した。 現在の戸田橋の完成後、昭和53年(1978)に撤去された。

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・・・・・・・・・・・・戸田橋親水公園の前に、長~い戸田漕艇場が見える。両側には、大学・企業の艇庫が並ぶ。 コロナの影響か(?)、練習している姿が見えない!、、、、オリンピックに向け、選手強化は大丈夫か?

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・・・・・・・・・・・・新幹線・埼京線の高架橋を抜けて、漕艇場とは反対側の戸田市川岸1丁目の「地蔵堂」に寄る。 この地蔵堂は、ナント・戸田市最古の木造建築である。 江戸時代の「中山道分間延絵図」にも記されているそうだ。、、、、墓地には、これまた古そうな、庚申塔・板碑・地蔵・墓がゴロゴロ。 “戸田市最古”では、重要文化財にならないのかな!(国・県・市のいずれも無指定)

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂の南、荒川の土手下に「水神社」がある。 神社の創立など詳細は不明だが、御神体の「水神宮」の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 古くは荒川の端にあったもので、新堤防ができてから移され、川岸に住む人々の氏神様のようになっていた。、、、、小さな神社で、かつて渡しがあった時代、街道脇に祀られていたのかも?

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● 荒川には、国道17号(中山道)を通す戸田橋が架かり、その下流側にはJR東北新幹線・埼京線の荒川橋梁が並行して架かっている。
・・・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、昭和53年(1978)8月13日に完成した、橋長519.0m、幅員21.0mの鋼連続箱桁橋。 四代目の戸田橋である。、、、、初代戸田橋は、明治7年(1874)に民間人が私財を投じ戸田橋の工事に着手した。 途中資金不足で、オーナーは変わったが明治8年(1875)に木製、橋長136.0m、幅員4.2mの戸田橋が竣工した。 通行は有料であった。、、、、二代目の戸田橋は、初代の橋が傷んだため、東京都と埼玉県が資金を折半し、大正元年(1912)に木製の土橋に架け替えられた。 橋長129.0m、幅員5.0m。 大正12年(1923)の関東大震災と翌年の大水で破損した。、、、、三代目の戸田橋は、先に説明した通り、昭和7年(1932)に完成し、昭和53年(1978)に撤去された。

・・・・・・・・・・・・・・戸田橋から下流に70m程離れて、東北新幹線・埼京線が走る複々線の荒川橋梁が架かっている。 橋長は521.2m、総幅員20.7m、最大スパン86.7mの鉄道橋。 工費は約100億円。 橋梁の開通は、先ず昭和60年(1985)3月14日の東北新幹線部分の供用が開始され、次いで昭和60年9月30日に埼京線部分の供用が開始された。


・・・・・・・・・・・・・・まず埼玉県戸田市の土手から、右(上流側)に戸田橋、左(下流側)に荒川橋梁が見える。(橋上に外路灯がたっているのが戸田橋、架線柱がたっているのは荒川橋梁)

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・・・・・・・・・・・・戸田橋を渡る


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・・・・・・・・・・・・東京都板橋区の土手から、左(上流側)に戸田橋、右(下流側)に荒川橋梁が見える。

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● 戸田橋を渡ると、JRの高架橋は大きくカーブして、浮間舟渡駅に向かう。 浮間舟渡駅は北区浮間と板橋区舟渡にまたがる駅。(ホームの中程に区境があるようだ) 昭和60年(1985)に埼京線の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームからは隣に並走する新幹線が良く見える。、、、、サラリーマン時代には、東北方面へ出張した帰り、夜、大宮を過ぎるとマンション・団地の明りが灯る夜景の中に、浮間舟渡駅の駅名が見えると、『あ、東京に入った、もうすぐ上野だ!』とホッとする思い出がある。

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2020年10月12日 (月)

赤ちゃん寺

台風一過の青空とはならず、熱帯低気圧に変身し、曇り空で夜が明けた。 今日は王子駅で下車し、石神井川の最下流である隅田川付近から遡り歩く予定で家を出た。 王子駅に着いたら計画は変わり、王子駅から板橋駅へ向かって歩くことにした。 この計画も散歩の途中で変わり、最終的には、西巣鴨駅までの散歩となった。、、、、散歩の目的地が無く、気ままに歩くので、計画変更は毎度のこと!




● 京浜東北線の王子駅南口(東京駅寄りの出入口)は、いま一つ存在感が薄い。(我が家の最寄り駅、浅草橋駅西口と同じだ) 駅前は狭く、道はそのまま裏通りとなり、住宅密集地へ伸びている。、、、、南口は、間違いなく、王子駅の裏口である。

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・・・・・・・・・・・・南口から西側の東北本線の線路側に向かうと、跨線橋が見える。 この跨線橋を渡ると飛鳥山公園の中央に出ることができる。 この跨線橋は「飛鳥山下跨線人道橋」と名付けられて、橋上の通路はJR東日本の管理下となっていてあくまで王子駅の施設の一部であり、道路としては認定されていない。 大正14年(1925)竣工で、今は少なくなった古レールを再利用した跨線橋。 橋は中路ブレースドリブ固定アーチ橋と云う形式で、橋長 41.0m、幅員 2.74m。

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● 跨線橋を渡ると、王子1丁目と西ヶ原2丁目に跨る区立飛鳥山公園の中だ。 飛鳥山は滝野川村の範疇だったが王子権現に寄進されたため王子村となった。 公園は、八代将軍徳川吉宗の指示で1270本の桜を植え大岡越前の時代、江戸庶民のためにこの地を花見の地としたのが始まりといわれる。 まさに、日本最初の公園で、桜の名所でもある。、、、、現在も桜の名所はかわらないが、園内に北区飛鳥山博物館・紙の博物館・渋沢史料館が並んでいる。、、、、公園内には、多くの石碑・像がある。 石碑は漢文調の文章で読めない、像はココに置かれている意味不明?など、チョイト整理して欲しいね! 

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● 飛鳥山公園の西、北区滝野川2丁目に醸造試験所跡地公園がありその一角に国重要文化財である「旧醸造試験所第一工場(赤煉瓦醸造工場)」が保存されている。 、、、、明治37年(1904)大蔵省醸造試験所として設置された。 建物は明治35年(1902)施工の煉瓦造3階建て。 設計の妻木頼黄(つまきよりなか、大蔵省営繕課)は日本酒の仕込みを四季を通じて行えるようにするため、ドイツ留学時のドイツの近代化されたビール工場を参考に設計したそうだ。 妻木は、コンドルに学び、横浜赤レンガ倉庫や日本橋を造った。、、、、醸造試験所は、国税庁から独立して行政法人となった平成7年(1995)に、主力は最新設備を備えた広島に移った。
、、、、3枚目の写真は、酒類総合研究所広報誌【NRIB】に載っていた創立当初の醸造試験所。 周囲には畑があったようだ!

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● 赤煉瓦醸造工場から西へ100m程歩くと、浄土宗寺院「正受院」の長い参道がある。 参道途中に、第二次大戦の戦禍を免れた、明治35年(1902)建立の竜宮門形式の鐘楼門が出迎えてくれる。 鐘楼門の下部は大谷石造で特徴的。 本堂は大正3年(1914)築。、、、、正受院は、弘治年間(1555~1558)大和国に住み不動即我の密法を修していた学仙房という僧が霊夢によって武蔵国に来て開いたといわれ、本尊阿弥陀如来像は行基の作と伝えられている。

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・・・・・・・・・・・・本堂前には、江戸時代に北方(択捉島)を探検した近藤重蔵の甲冑姿石像がある。、、、、顔がチョイト崩れているが、イメージは掴めるね! 韓国で整形してもらうと、韓流スター並みの顔になるかも? 

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・・・・・・・・・・・・本堂横の慈眼堂は平成に建て替えられた、赤子供養の仏堂。 ここを「赤ちゃん寺」と云うそうだ、『北区史』によると由来は、江戸時代から札所として独立した観音堂を持っていたことから、昭和23年の優生保護法施行を機に、昭和29年頃に東京都の衛生局と、赤子の納骨及び供養をする寺として話がまとめられたことに由来するという。、、、、慈眼堂にはおもちゃ・お菓子・ぬいぐるみが供えられている。 供養される赤子が多いのか?、、、、慈眼堂の横に、「地蔵大菩薩 赤ちゃんの供養塔」もある。

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・・・・・・・・・・・・本堂裏の不動の滝にあった不動明王像を祀る不動堂。 建物は昭和初期の建造。

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● 正受院の北側を流れる石神井川に出てみた!、、、、松橋・紅葉橋から見ると、昨日までの雨で水量は多そうだ。 しかし、川底は周囲に比べ深い位置にあるね。 昔はもっと浅い位置に川底があり、周囲の景観と調和した親しみある川だったと思うね。

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● 紅葉橋の際(滝野川3)にある真言宗豊山派の寺院「金剛寺」、、、、弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、治承年中(1177~1181)に源頼朝がこの辺りに布陣したとも記されている。 この寺の弁財天は、「岩屋弁天」「松橋弁天」とも呼ばれ、多くの信仰を集めた。 また、紅葉の名所であったことから「紅葉寺」とも呼ばれている。

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・・・・・・・・・・・・山門の後ろに、外から見えないように、石造の仁王像が恥ずかし気に立っている。 二神ともに筋肉隆々、力強く、たくましく神からは、ほど遠い! ここの仁王は、身体ブヨブヨ、背丈は短く、チョイト弱々しい、一刻も早くライザップで身体を整えることを薦める!

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● 金剛寺の南に、大小15棟(762戸)が建ち並ぶ「都営滝野川3丁目アパート」がある。 昭和40年代の建物だ。、、、、建物のデザインに統一性が見られない団地だ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地の一画に、チョイト薄暗く、荒れたような「四本木稲荷神社」がある。 “四本木”は“よもとぎ”と読む。 境内の石碑によると、滝野川3、4丁目にかかるこの辺り一帯は「雷汞場(らいこうば)」と呼ばれた陸軍第一造兵廠滝野川工場の跡らしい。 神社は、十条工場の北東隅(稲荷公園)に建っていた東京陸軍第一造兵廠の守護神社で、滝野川にあるこの社はその分祠だが、戦中に本祠が焼失したためここだけが残り、戦後本祠も遷したそうだ。 鳥居は「昭和12年建立」とあり、この神社が戦争一色の時代に建てられたことが判る。、、、、“四本木”の地名の由来は、簡単!、ここに四本の大木があったから工場の人たちが命名した。


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● 滝野川5丁目に入り、滝野川八幡神社に参る。 八幡神社は旧滝野川村の鎮守。 祭神は品陀和氣命(ほんだわけのみこと・第15代 応神天皇)で、創建は建仁2年(1202)と云われてるが、詳細は不明。  社殿の裏手からは縄文時代後期の住居址が発見されており、考古学的にも貴重な遺跡に立地しています。 神仏分離以前は金剛寺が別当寺であった。 本殿は総欅造り、明治18年(1885)に改築されており、拝殿は大正11年(1922)に修築された。、、、、地元の人が、ひっきりなしに参拝に来るので、実入りの良さそうな神社と“お見受けした”

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● 八幡神社の脇から、半分シャッター商店街となった思われる「八幡通り商店街」を歩いて板橋駅に向かう。、、、、商店街を抜けると、国道17号(中山道)に出た。 ここで、前を歩く数人の人は板橋駅とは反対方向に曲がった。 『アレ、みんな駅へ行かないのか』、チョイト気になり地図を見ると、板橋駅へ行くより、都営三田線西巣鴨駅が近くに在ることが判り、納得! 私も、板橋駅まで歩くのは止めた、西巣鴨駅から帰ることにした。

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2020年8月31日 (月)

団地が甦るか?

今日の散歩は、JR京浜東北線赤羽駅から、駅の西側の丘に広がるUR都市機構のヌーヴェル赤羽台団地(旧住宅公団の赤羽台団地)を抜けて、都営住宅桐ヶ丘団地を見てきた。

 

 

● 朝の赤羽駅、京浜東北線ホームは上下線とも思ったほど混んではいなかった。 向かいの上野東京ラインのホームは整列乗車する人・人・人。 どちらも都心に向かうのだが、京浜東北線で通う人は時間に余裕があるのか“のんびり・ゆったり”、上野東京ラインで通う人は寝坊したのか時間に焦りを感じる。

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・・・・・・・・・・・・朝の赤羽駅は、川口・高島平方面からバスで来る人もかなり多く、バス停には絶えることなくバスが到着している。 一日に約20万人が乗り降りする大きな駅だ!

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● 駅からヌーヴェル赤羽台団地(かつて住宅公団赤羽台団地)へ向かう途中、「亀ヶ池弁財天」に立ち寄った。 赤羽台団地のある高台の下の住宅地の一角にある小さな弁天さま。、、、、昔、赤羽駅の西口一帯に大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていた。 この池は稲付城(今の静勝寺西側の、天然の防御であった。 昼なお薄暗く、一角のほこらには無数の亀がすんでいました。 特に大亀は甲の周囲8.9尺もあり、 小さな子供はその上に乗って戯れたが、大人が行けば隠れてけっして出てこなかったといわれている。 現在の亀ヶ池弁財天の池はその亀ヶ池の名残りといわれ、中の島に祀られている祠はかつて亀ヶ池の一角にあった物で、中には弁天像が納められている。 現在の池には亀がイッパイ、鯉は皆無。 この弁財天では願いが叶ったらお礼の印に細い絵馬型の御札をかけることになっているそうだ。
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● 亀ヶ池弁財天の裏から坂を上ると、UR都市機構のヌーヴェル赤羽台団地がある。 ここは、住棟の老朽化が進んだ赤羽台団地の建て替え事業として、平成18年(2006)から順次建て替えが進んでいる。 総戸数1400戸程の町並みはほぼ整備されたが、現在も工事は行われている。、、、、従来の公団の団地とは違い、高層マンションのようなモダンで、スッキリした外観となっている。 数年前にはグッドデザイン賞を受賞したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・団地の一画に、ここの敷地が明治時代の陸軍被服本廠の跡地であったことを標し、掘り出されたレンガでベンチの基礎を作り再利用している。

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● ヌーヴェル赤羽台の西側に、「赤羽緑道公園」がある。 この公園は、陸軍兵器補給廠や陸軍被服本廠等かつての軍事施設における物資輸送のために、JR赤羽駅付近から敷かれた軍用鉄道「東京陸軍兵器補給廠専用線」の線路跡に造られた公園だ。 緑道の道には、線路をイメージしたタイルが敷かれている。 終戦まで、陸軍の兵器や物資を満載した貨物列車がこの緑道公園を行き来していた。、、、、できれば、当時のように鉄道を復活してもらいたいね!

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桐ヶ丘団地は公団赤羽台団地の西側に造られたマンモス団地。 大きく、「桐ヶ丘一丁目アパート」(建設年度:1998~2009 総戸数:1941戸 約40棟)と「桐ヶ丘アパート」(建設年度:1959~1975 総戸数:2169戸 約140棟)で構成される。、、、、現在、都ではこの団地の建て替え計画を推進中で、アチラコチラに雑草が生えた更地があり、その先には建て替えられた高層住宅が見える。 また公園は荒れ放題、これまでの古い建物はボロボロ、そのボロボロを取り壊す重機、商店街は客も少なくシャッターは下りたまま。 団地が甦るまでの過渡期の混乱状態か? 我慢しよう!

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・・・・・・・・・・・・桐ヶ丘アパートの南側に、道路を挟み「都営赤羽西5丁目アパート」がある。 このアパートの向かいには、桐ヶ丘団地のショッピングセンター「桐ヶ丘中央商店街」があるのだが・・・・・

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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘中央商店街」、名はカッコイイが、実態はシャッター商店街か? 昭和30年代、団地建設当時のままの姿で残っている、化石のような商店街。 営業してる店舗もあり、“廃墟ではない”


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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘中央商店街」を俯瞰する。 背後の高層住宅は、建て替えられた桐ヶ丘団地の住居棟。

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・・・・・・・・・・・・商店街に隣接する「桐ヶ丘郷小学校」は、生徒数500名弱。 少子化により、平成14年(2002)に桐ヶ丘の2校が合併し誕生した小学校。 生徒数が減らないといいのだが、無理かな?

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・・・・・・・・・・・・中央公園は、暑さのせいか?、コロナのせいか?、手入れの悪さのせいか? 遊ぶ子はいない! 雑草は生え放題!、、、、公園の向こうに、給水塔と建て替えられた59号棟が見える。

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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘アパート」の公園でも雑草が元気に成長している。 脇の公衆便所ではコンクリート屋根の上で、雑草が伸び伸びと成長していた!

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・・・・・・・・・・・「桐ヶ丘アパート」も、昭和30年・40年代の棟が並び、老朽化が目立つ!  

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・・・・・・・・・・・・広い団地のあちら・こちらで建て替えが進められているが、広すぎて工事現場は目立たない!、、、、ところで、「桐ヶ丘団地」の整備計画は何時完了するのか? まだまだ時間がかかりそうだ!、、、、整備され、元気になった団地を早く見たいものだ!

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