北区

2023年2月 6日 (月)

赤羽から志村へ

京浜東北線の赤羽駅から西に歩いて、都営三田線の志村三丁目駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 朝8時、赤羽駅のホームでは通勤通学客があわただしく乗降し、駅を出て行く。、、、、のんきにブラブラしてるのは私だけ!(そこそこ健康で、職を持たず、やる事が無い人間はブラブラしてないと時間を持て余すのだ!)

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・・・・・・・・・・ 赤羽駅西口前には、緑と白のおなじみの色に塗られた国際興業のバスがズラリ!、、、、調べてみたら、赤羽駅西口前に発着する国際興業のバスは全部で25路線ある。 近くの赤羽台、桐ヶ丘の団地、高島平の団地など、北区、板橋区の各地から、多くの客をピストン輸送しているようだ。 スゲ~!(私の住む浅草橋は都営バスが一系統走るのみ、完敗!)

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● 赤羽駅から徒歩5・6分、弁天通りの脇に「亀ヶ池弁財天」がある。、、、、昔、赤羽駅の西口一帯に大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていた。 この池は近くの稲付城においては天然の防御であった。 昼なお薄暗く、池には無数の亀が住んでいたそうだ。 現在の亀ヶ池弁財天が祀られている池はその亀ヶ池の名残りといわれている。 今は、地元の有志が木彫の弁天像を創り、近くにある静勝寺の弁天堂の弁財天を勧請している。

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● 赤羽駅前から西へ「弁天通り」を歩く。、、、、2車線の道路だが、国際興業のバスがココにも走っている。

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・・・・・・・・・・ 赤羽西5丁目に「赤羽自然観察公園」がある。 平成15年以降にオープンした公園であるが、園内には民家が移築復原され、昔の農村風景を再現した体験学習施設となっている。、、、、伝統的な藁葺き屋根の民家がある静かな公園

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● 公園の中を抜け、桐ヶ丘団地の近く(赤羽西6)に「善徳寺」がある。、、、、浄土宗寺院の善徳寺は、獅子吼山専稱院と号す。 善徳寺は、享徳2年(1453)江戸城西坪根沢に起立、その後平河町、大船町、馬喰町への移転を経て、明暦3年(1657)浅草新寺町(松が谷1)へ移転した。 関東大震災後の大正14年9月22日、現在地へ移転。

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・・・・・・・・・・ 善徳寺の隣りには、日蓮宗の「大恩寺」がある、、、、大恩寺は、寂静山と号す。 大恩寺は、寛永元年(1624)根津神社横に創建したが、明治維新後現在地へ移転した。、、、、境内は近年に大規模に整備したらしく、古き寺の風情はない。

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● 都営桐ヶ丘アパート34号棟(桐ヶ11)の南、都の敷地内と思われる所に小社「末廣稲荷大明神」がある。、、、、説明板には、『末広稲荷大明神設置の由来   京都の伏見稲荷大明神を本山に載くこの稲荷は、明治の初めから昭和二十年の終戦まで旧陸軍がそ有しておりました。 明治五年 赤羽郷に兵器支廠赤羽火薬庫が完成し、火薬庫の災難除けに稲荷神社を祀り、毎年初牛の日にお祓いをうけ無事を祈願していました。昭和二十年に終戦を迎え、火薬庫跡地は、海外引揚者や戦争被災者の住居用として転用され、稲荷神社も軍所有から桐ヶ丘氏子会へと移転されました。 その後、団地計画に伴い神社敷地が狭められたため、現在地に移転されました。以来近辺の守護神として鎮座しています。  平成二十六年五月吉日  鳥居奉納 末広稲荷神社 桐ヶ丘氏子会 総代 大橋ミツ』と、書かれてる。

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● 志村坂上で中山道(=国道17号)を横断し、板橋区志村の町に入る。

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● 志村坂上の凸版印刷工場群の西側に、真言宗豊山派寺院「見次山 松寿院 延命寺」がある。 延命寺は、大永4年(1524)に志村城が落城した際、見次権兵衛が庭先でわが子の討たれる姿を見て、戦国の無情を感じ、居宅を寺として創建したと伝えられます。、、、、手入れの行き届いた綺麗な寺。 寺には、昔徳川吉宗が、荒川の方に猟に来たときに、滞在したそうだ。

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● 延命寺の方から坂を下って行くと都営三田線の「志村三丁目駅」がある、、、、昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線の最初の区間である巣鴨~志村(高島平)間が開業した時に設けられた駅。(
開業前の仮称は「志村四丁目」だった) ホームは高架相対式2面2線構造で2階にある。、、、、改札口、出口は1ヶ所のみ。 駅前は少し狭く、ごちゃごちゃした雰囲気。

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2023年2月 5日 (日)

十条ブラブラ

京浜東北線の東十条駅から西へ、埼京線の十条駅前を通り商店街を歩き赤羽駅まで、9千歩の散歩。 朝の食事で、私が『今日は東十条駅から西へ向かって歩いてくる』と一言。 『一緒に行く!』と妻の返事。、、、、東京生まれ、東京育ちの妻だが、東十条、十条、赤羽の三駅ともこれまでに下車したことがない、奇特な人間である。




東十条駅北口(山側)に出る。 、、、、崖の上の駅舎を出ると、妻はビックリ『こんなとこに駅があるの!』(驚くほどのことではない!)

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● 駅の西側に2車線の旧岩槻街道(=都道460号)が通ってる。 この道路に面して、地元では「おふじさん」の名で親しまれている「十条富士神社」がある。 神社には社殿が無く、道路際に石の鳥居があり、すぐ後ろには高さ6m程の富士塚があった。(2019年撮影の写真参照)、、、、今日、神社に寄って見たら、神社の境内は旧岩槻街道の拡張工事で鳥居も富士塚も消えていた。 どうやら、富士塚が邪魔して拡張できなかったようだ、一旦富士塚を取り払い、拡張する道路脇に再整備してる。 つまり、チョイトばかり富士塚の移転である。 最近では珍しい工事かも!

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● 旧岩槻街道から十条駅に向かう、下町の匂い漂う道幅の狭い「演芸場通り」を歩く。 平成10年までは「十条中央商店街」と呼んでいたが、商店街中程にある大衆演芸場の人気に因み「演芸場通り」と改称したそうだ。、、、、妻の疑問『こんなところに演芸場があるの?』(なぜここにあるかは知らねども、この地元に愛される大衆劇場だ!)

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・・・・・・・・・・ すでに、劇場前には数人の客が開場を待っていた。 演芸場前の狭い道幅、この狭さが下町だ、最高!、、、、演芸場のポスターもチョイト撮影、、、、妻の質問『この座長さんたちはテレビにでてるかしら?』(俺は、知らん!)

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● 演芸場通りの西端は埼京線の「十条駅」、、、、十条駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、それぞれのホームに改札口がある。 またそれぞれのホームを連絡する跨線橋もある。、、、、明治38年(1905)6月10日、日本鉄道の十条駅(初代・貨物駅)が開業したが、翌年廃止となる。 明治43年(1910)11月1日、国鉄の駅として2代目の駅が開業し、現在に至る。、、、駅前の仮囲いを見て妻曰く『なんの工事?』(私の応えは、タワーマンションの工事だ! ついでに、十条駅は高架駅になるらしいよ!)

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・・・・・・・・・・ 十条駅の植え込みに「駅開業70周年記念碑」(昭和55年建立)の動輪が置かれている。

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● 駅前からは「十条銀座」商店街を歩く。、、、、妻の目が輝き、一言『浅草橋より住みやすそうね!』(浅草橋の商店街は、50年前に無くなった!)、、、、妻は花器を買って、ニッコリ!(楽しそう)

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・・・・・・・・・・ 十条銀座の北端からは、アーケードのない「富士見銀座」商店街が続く。

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● 十条の商店街を抜けると、埼京線の西側、高台の住宅地を歩き「赤羽駅」に到着。

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・・・・・・・・・・ ちょうど、ランチタイムとなりました、ハイ、ココまでよ!(昼食はイタリアン、妻はニコニコ)

2023年2月 4日 (土)

江北から東十条

日暮里舎人ライナー江北駅から西へ歩いて、鹿浜橋、新神谷橋を渡り、京浜東北線の東十条駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 日暮里舎人ライナーの「江北駅」で下車、今日の散歩はココから!、、、、 江北駅(足立区江北4)は尾久橋通りの頭上に、平成20年(2008)3月30日に開業した駅である。、、、、駅周辺はキラキラ・ネオンが輝く街ではないが、駅前には大型スーパー、家電量販店、ホームセンターなどがあり、生活するには住みやすそうな町である。

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● 日暮里舎人ライナーが江北駅に着く手前から、車窓には、住宅地の中に巨大な建物が見える。 その巨大な建物を見てみようと、江北駅から西へ500m程歩くと、「東京女子医科大学附属足立医療センター」がある。 病院は昨年(2022)オープンした、30以上の診療科、約500床のベッド、約1000名のスタッフが働く総合病院である。、、、、足立、荒川、葛飾を中心とした下町の住人からは『神さま、仏さま、女子医大さま』と、期待される病院になるか?

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● 女子医大病院の西に、真言宗豊山派寺院の「瑠璃光山 薬王院」がある。 薬王院は元禄年間(1688~1704)に創建した。、、、、門前には三基の庚申塔と地蔵尊がお出迎え!、、、、当寺には、明治7年4月に小学校が開設され、現:江北小学校の前身として、昭和20年まで教育の場に当てられていたそうだ。

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● 薬王院の参道脇に「上沼田北野神社」が鎮座する。 神社の創建年代等は不詳ながら、薬王院の境内に「天神社」が祀られていたことから、薬王院が創建された元禄年間(1688~1704)前後に創建したものと思われる。 祭神は菅原道真。

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● 鹿浜1丁目に、真言宗智山派寺院の「五智山 寶光院 長楽寺」がある。 長楽寺は、江戸時代中期(正徳年間、1711~1715)に創建したと言われ、江戸時代より本尊の薬師如来は「鹿浜薬師」として信仰を集めているそうだ。(鹿浜薬師とは、知らなんだ!)

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● 荒川に架かる「鹿浜橋」は、足立区の新田地区と鹿浜地区を結ぶ環状七号線の橋。 昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.30mの橋。、、、、橋の上流には、川口市のタワーマンションを望む。、、、、昨日の冷たい北風もおさまり、立春らしく春の気分で橋を渡る。

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● 鹿浜橋で荒川を越え、新田地区に入ると、次は「新神谷橋」で隅田川を越える。、、、、橋名の“神谷”は北区の地名。 上流側の岩淵水門の管理橋に次いで、隅田川二番目の橋となる。 もともと神谷には「神谷の渡し」があった。 昭和初期には、現在の位置より100mほど南(下流側)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があった。 神谷橋は昭和25年(1950年)に鋼桁橋として改架された。、、、、現在の新神谷橋は、昭和40年(1965)2月12日に開通した。 橋長 153.1m。 橋上は環七通り。、、、、今日は、隅田川の川面も穏やか!

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● 隅田川を越えると北区に入る。 「宮堀交差点」を渡り、「東十条銀座」の商店街を抜けると、「東十条駅北口」である。

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● 「東十条駅」は昭和6年(1931)8月1日に開業した京浜東北線の駅。 ホームは地上島式2面3線構造。、、、、 1日平均乗車人員は約20,000人で、京浜東北線の停車駅の中ではワースト5に入る少なさだが、駅前の商店街は活気があって、私の住む浅草橋より元気そうだ!

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2022年11月12日 (土)

正光寺

今日の散歩は、JR赤羽駅の北700m程の処にある「天王山 淵富院 正光寺」に行くことを目標に出発! 赤羽駅で下車し、正光寺、岩淵水門とまわり鹿浜橋の西側にある新田稲荷神社まで、1万1千歩の散歩です。



● 土曜の朝、「JR赤羽駅」東口に出る。 乗降客は平日の半分ほどかな? 駅前のバス停も、並んでいる人は少ないようだ。

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● 赤羽駅から東へ約200m「カトリック 赤羽教会」がある。 チョイト、寄って行こう!、、、、昭和24年(1949)に赤羽教会は設立し、昭和26年(1951)11月に聖堂が落成した。 ゴシック調の教会で、その風格ある建物は、赤羽駅前の商業地の中にありながらも街にとけ込み、人々の心を癒す空間となっている。 聖堂正面上部のマリア像は高さ約1.5m、鉄鋳物製。、、、、早朝の光が差し込む聖堂内部は、ステンドグラスに演出された異空間。 祭壇中央には被昇天のマリア様の絵が掲げられている。、、、、ここで結婚式をする人、多いかも。 

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● 赤羽教会前の通り(東本通りと云うらしい)を北へ向かうと、本日の散歩の目的地、浄土宗寺院の「天王山 淵富院 正光寺」がある。、、、、浄土宗寺院の正光寺は、衰廃していた荒川のほとりにあった西光寺の名跡を継ぎ、慶長7年(1602)現在地に正光寺として創建した。 江戸期には梅翁庵(梅王寺)、十王堂(十王寺)を末寺に擁し、八雲神社の別当寺を勤めていた。 全国的な歴史ある名刹とは言えないが、地元密着型の古刹のようだ!、、、、昭和53年(1978)にホームレスにより本堂が焼失し、以後しばらく空き地状態で再建されなかったらしい。 平成23年(2011)に本堂その他が再建され、現在では本来の姿を取り戻しつつある。 本堂は日本最古の宮大工集団である金剛組の施工。、、、、本堂手前右側に明治3年(1870)建立、高さ3尺3寸(約10m)の岩淵大観音が立っている。

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● 正光寺の北(裏手)に、浄土宗寺院の「弘誓山 梅王寺」がある。、、、、梅王寺は、正光寺を中興開基した小田切将監(寛永元年1624年)の墓所として創建された。、、、、境内はさほど広くない、小さなお寺。

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● 梅王寺から北東へ約200m、新河岸川に架かる岩淵橋の南詰に「岩淵八雲神社」が鎮座する。、、、、八雲神社は、江戸時代の日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守さま。 祭神には須佐之男尊が祀られ、創建年代不詳の古い神社だ。 かつて西光寺が八雲神社の別当を勤めた。、、、、八雲神社には「勝海舟の大幟 」という幟(のぼり)があるそうだ(私は見たことない)。 この幟は、明治になった頃、勝海舟が時々軍艦の大砲の製造のことで川口(埼玉県)に寄った折、荒川の氾濫により宿場である岩淵本宿に泊まって大変世話になった礼に書いたといわれている。 海舟は礼に文字を書いたが、雅万歩は文字を知らずに恥をかく!

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● 八幡神社の北側を流れる新河岸川、その北側に平行に流れる荒川、両川を隔てる土手を歩き岩淵水門へ向かう。

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・・・・・・・・・・ 旧岩淵水門(赤水門)とその下流に岩淵水門(青水門)がある。、、、、旧岩淵水門は荒川と隅田川を仕切る水門として大正時代に建設され昭和50年代にその役割を終えた。 今は下流に、ゲートを青く塗られた岩淵水門があり、水門の役目を引き継いでいる。  赤く塗られた旧岩淵水門は歴史的建造物として保存されている。 

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● 右に隅田川(岩淵水門の上流側が新河岸川、下流側が隅田川)、左に荒川が流れ、その間の土手を歩く。

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● 荒川に架かる鹿浜橋の西側に、「
新田稲荷神社」が鎮座する。 神社前が王子駅行きのバス停「新田一丁目」。 今日はココまで!

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● 【終わりに一言】上野谷中の天王寺、押上の天王院正円寺、そして今日は天王山淵富院正光寺と、山院寺号の“天王”つながりで巡ってきた、次は正光寺の“正光”つながりでまわってみよう!、、、、港区元麻布に「麻布高野山 正光院」があった!

2022年10月19日 (水)

上中里~町屋

京浜東北線の上中里駅で下車し、目的地なく気ままに歩き、東尾久の町を抜けて京成本線の町屋駅まで、1万歩の散歩です。



● 上野の方から来ると、田端駅で山手線と京浜東北線は別れ、京浜東北線の次のが「上中里駅」である。 地理的には都心の駅とは言い辛いが、準都心駅である。 しかし、上中里駅の一日平均乗降客数は、東京23区のJR駅としては越中島駅(4,404人/2021年実績)の最下位と競って、ワースト2位(6,157人)である。 今日も、一電車から降りるのは最寄りの女子高生と数人の通勤客、乗るのも10数人ほど、と寂しい。、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、我が家の最寄り駅:浅草橋駅には、エスカレータが設置されてないが、ここ上中里駅にはエスカレータがある。 負けた!

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● 上中里駅は台地の斜面部に造られており、線路・ホームは台地の下、駅舎は台地の上にある。 上中里駅から直線距離で300m程歩き、滝野川女子学園の前から、東北新幹線の高架と京浜東北線の線路の間を抜ける跨線橋「車坂跨線橋」がある。 この跨線橋を渡り、台地を下りると、京浜東北線および東北新幹線と尾久駅を通る上野東京ライン(宇都宮線)に挟まれた上中里2丁目の町がある。 また、ここにはJR東日本尾久車両センター、田端操車場、新幹線車両センターなどがある。 まずは、尾久車両センターと田端操車場の間を歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・車両センターと田端操車場の間(北区上中里2-2付近)に「中里貝塚」がある(現在は埋め戻され、公園として利用されている)。、、、、縄文時代中期から後期(約4600~3900年前)の貝塚で、最大で厚さ4.5m以上の貝層が広がる、縄文時代の海浜低地に形成された巨大な貝塚である。、、、、大正15年(1926)、この地に操車場ができた時は「貝塚操車場」と称したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・尾久車両センターと田端操車場を結ぶ「東北回送線 王子街道南亘り踏切

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・・・・・・・・・・・・踏切から50m南に「西新井弘法大師道」の道標がある。 道標に沿って大師道を東に向かうと「第三下田端踏切」を越えて、田端新町3丁目交差点(明治通り)に出た。

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● 荒川区西尾久1丁目に、江戸時代からの尾久の旧家に残る煉瓦造りの蔵がある。 この小柄な蔵は、明治中頃に建てられたそうだ。 震災・戦災を免れ、今日まで残った貴重な建物。、、、、荒川区尾久の隅田川沿いには、明治時代から多くの煉瓦工場があり、煉瓦は舟で東京市内に運ばれ近代化に貢献した。

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● 西尾久一丁目交差点から「尾久本町通り」を歩き「町屋二丁目停留場」の前に出る。、、、、所々に昭和の建物が残る、チョイト寂れた商店街を歩く

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● 「町屋二丁目停留場」から「町屋駅前停留場」までは都電通りを歩く。、、、、都電を見ながらのんびり歩く!

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● 京成本線「町屋駅」から帰宅する、、、、昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現・京成電鉄)の町屋駅が開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。

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2022年6月 4日 (土)

身上を築く坂

京浜東北線赤羽駅から西へ向かい、都営三田線本蓮沼駅前の中山道に出た。 中山道を横断し、南へ向かい東武東上線の中板橋駅まで散歩。 1万3千歩、6㎞



● 通学する学生の姿が目立つ土曜日の赤羽駅で降りたつ。 西口のロータリーに出て『さて! どちらに向かって歩こうか?』

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・・・・・・・・・・・・駅前の都道460号(=岩槻街道)南に歩いてみる。(北に向かって歩くと、先日歩いてきた新荒川大橋を渡り川口市に戻ってしまう)、、、、駅前から500m程歩くと、細い通り(普門院参道)の奥に普門院の鐘楼門が見える。 今日は素通り!

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● 普門院参道の先に赤羽西交番(北区赤羽西2)がある。 交番前の舟型庚申塔が目に入る『あれは?』 庚申塔の後ろに、「真正寺坂」の案内があり、この庚申塔の説明も書かれてた。『真正寺坂 しんしょうじざか  岩槻海道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側(赤羽西2-14-6付近)に普門院末の真正寺がありましたが、廃寺となり坂名だけが残りました。坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月造立の庚申塔に「これより いたはしみち」と刻まれていて、日光御成道(岩槻海道)と中山道を結ぶ道筋にあたっていたことがわかります。かつて、稲付の人びとは縁起をかついで「しんしょう昇る」といってのぼったそうです。 平成五年三月 北区教育委員会 』、、、、稲付の人ではないが、私:浅草橋の人も「身上昇る」にあやかりたく、坂を上ることにした。

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・・・・・・・・・・・・真正寺坂は岩槻街道(交番前)から西に向かって上り、約270mの緩やか勾配だが、ジグザグに曲がり昔の山道の名残か?、、、、行き交う車は少なく、歩きやすかった! 坂の上まで歩いたので、身上を築けるね!

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● 真正寺坂を上ると「三岩通り」に繋がり「西が丘サッカー場交差点」を直進し、「蓮沼アスリート通り」と称して都営三田線「本蓮沼駅」前で中山道に出る。


・・・・・・・・・・・・「三岩通り」は、“さんいわどうり”と読み、名前の由来は沿道にかつて「第三岩淵小学校(現:西が丘小学校)」があったため。、、、、もうすこし、歴史、由緒ある名前かと思ったが??? 期待はずれ!

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・・・・・・・・・・・・三岩通りから北側の脇道を見ると、坂が下り、その先の台地にUR都市機構の赤羽台の集合住宅が見える。

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・・・・・・・・・・・・西が丘サッカー場交差点を過ぎると、「蓮沼アスリート通り」と道路の愛称は変わるが、“アスリート”らしさを感じることもない。

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・・・・・・・・・・・・蓮沼アスリート通り中山道(=国道17号)にぶつっかる。 ここは、三田線の「本蓮沼駅前。

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● 本蓮沼駅から北へ200m程歩くと、真言宗智山派の寺院「寳勝山南蔵院(板橋区蓮沼町)がある、、、、大きな寺だが、古い堂宇は残っていない。 チョイトお立ち寄り。 『身上を築けるよう、賽銭を奮発して、くれぐれもよろしく』 合掌3回!

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● 南蔵院前で中山道を横断し、板橋区大原町、板橋区泉町を、裏道を選んで歩きぬける。

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・・・・・・・・・・・・板橋区前野町1丁目の交差点角の工事現場に、車止めのような角柱の石がある。 よく見ると何やら文字が彫ってある。、、、、さらによく見ると、正面に「奉待大青面金剛」、右側面には「〇里ま道 寛政三年〇〇」と読めた。 『オゥ! こりゃ、庚申塔で道標だ!』 後に調べてみると、「角柱型庚申塔」と称し、「奉待大青面金剛 講中諸願成就所」、「清水講中 女拾四人 右 大日道 世話人 山上□□」、「左 祢里ま道(ねりま道) 寛政三年十一月」と彫ってあるようだ。、、、、寛政3年は1791年、230年前の庚申塔! 工事現場では可哀そう、道の脇にでも移設し、大切にしたらどうだ!

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● 中板橋駅の北側、「向屋敷橋(むかいやしきばし)
」で石神井川を越える。

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東武東上線「
中板橋駅に到着。 ローカル色が残る、懐かしさを感じる駅。、、、、駅前の中板橋商店街も活気があり、いいね!

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2022年5月29日 (日)

美熟女の御年寄

川口元郷駅から荒川を渡り赤羽駅まで、今年最初の真夏日、熱中症に警戒しながら1万1千歩の散歩です。



● 朝8時30分、すでに気温は25度超、埼玉高速鉄道「川口元郷駅」に降り立つ。、、、、ブラブラ隠居の年寄りが口から泡ふき、熱中症で救急搬送される自分の姿を想像すると耐え難く恥ずかしい。 『今日は 無理せず 無茶せず 無謀せず』、大人しく静かに散歩することを駅前で胆に銘じスタート!

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● 駅前ロータリーの西に架かる「さくら橋」で芝川を越えて、川口本町の裏道を歩くと錫杖寺がある、チョイト寄って行こう!

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・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院「錫杖寺(しゃくじょうじ)」は、宝珠山光照院と号す。 錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられてる。 寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、宥鎮和尚が中興となった。 江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領し、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していたそうだ。、、、、寺院の顔である現山門「御成門」は明治41年(1908)に再建された。 戸田忠寛(七万七千石)の居城であった宇都宮城の資材を移し建立したもので、柱には戊辰戦争の名残として刀傷が見られる。、、、、徳川十三代将軍家定の寄進による前本堂は老朽化に耐えられず、昭和50年(1975)に現在の本堂に建て替えられた。 内陣正面に本尊「延命地蔵菩薩」が安置されているのだが“遠くて、よく判らん!”

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・・・・・・・・・・・・江戸城大奥の総取締役である御年寄「瀧山」の墓が錫杖寺本堂裏にある。、、、、御年寄「瀧山」は文政6年(1823)に16歳で大奥へ上がり、類い稀なる才幹をみとめられ、大奥の総取締役“御年寄”に昇進した。 瀧山は十三代将軍家定が世子(世嗣)の頃から西の丸の御年寄をつとめ、家定が将軍位を嗣ぐとそのまま家定に従って本丸に移り御年寄となり、十四代将軍家茂の代にわたって御年寄をつとめた。 十四代将軍継嗣問題で、紀州の徳川慶福を擁立する「南紀派」と一橋慶喜を擁立する「一橋派」が対立し、幕府の重臣や有力諸侯はもちろん、江戸城大奥の中にも激しい対立と抗争がおこり、瀧山はこの対立抗争にあたって、大奥の慣例に従い慶喜の擁立を阻止したことで知られている。 結果として十五代将軍位を慶喜が嗣ぐことに伴い大奥を退いた。 瀧山は大奥を退いた後は侍女の「仲野」の生家があった川口で過ごし、明治9年(1876)に71歳で歿し、錫杖寺に葬られた。(写真:中央が瀧山の墓、左は侍女仲野の墓、右は大奥に仕えた叔母の染島の墓)、、、、NHK大河「篤姫」では稲盛いずみが演じ、フジ「大奥」では浅野ゆう子が演じ、その他に栗原小巻、草笛光子などが演じている御年寄、テレビで見る瀧山は“年寄”ではなく“美熟女”揃いだ! 大奥ていいな!

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・・・・・・・・・・・・錫杖寺山門前の道路隅に「凱旋橋の跡」がある、、、、明治39年(1906)1月に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡が残されている。 この凱旋橋跡は、江戸時代に日光御成道川口宿の北の玄関口に位置し、錫杖寺前に当時流れていた錫杖寺杁(いり)用水に架けられた石造アーチ型橋の遺跡。 現在は欄干が残るのみ。

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● 錫杖寺をあとにし、川口市本町1丁目の裏道を歩く。 


・・・・・・・・・・・・明治35年頃竣工した「中西日進堂薬局」 大正時代に掛けられた看板は、右から左に書かれていて味わい深いものである。

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・・・・・・・・・・・・住宅の奥、木立に囲われ洋館風の建物も見える。 煉瓦造の小屋のような建物も・・・・・?

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・・・・・・・・・・・・日光御成街道の宿場町だった川口宿の跡が御成街道からチョイト入った処にある。 築300年が過ぎ、現在も現役の門として残る「旧川口宿本陣表門」である。 建物は地元有力者の家である。

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・・・・・・・・・・・・本町1丁目の増幸産業という会社の一画に「18ポンド カノン砲」が展示されてる。 説明文によると、『この大砲は幕末の嘉永5年 (1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(増幸産業の代表の増田家初代)が、後の砲術奉行となった高島秋帆と協力して作り上げたものの復元品で、当時は制作不可能とされていた大型砲です。 嘉永5年から安政5年の5年間に213門の大砲と41,323発の砲弾が製造され、諸外国から日本を守るため全国各地に配備された。 全長3.5m  重量3トン  口径15cm  射程距離2500m 』、、、、ウクライナに持っていったら活躍するかも?

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● 埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ「新荒川大橋」を渡り、北区に入る。、、、、新荒川大橋は、川口市舟戸町と北区岩淵町との間で荒川および新河岸川(隅田川の上流)に架かる、橋上は国道122号(岩槻街道・北本通り)が走り、連続するの2本の橋である。 下り線が昭和41年(1966)竣工、上り線が昭和45年(1970)竣工の橋。、、、、長い・長い橋! ジリジリ・ガンガン照りの日差しが私の頭上を直撃し、橋の上で倒れるかと心配になる。 

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● 新荒川大橋で北区に入ると、去年立ち寄った「寳幢院で手を合わせ、飲食店の並ぶ「一番街」を抜け、JR赤羽駅に向かう。 今日は熱中症が心配なので、ここまでとする。

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2022年2月15日 (火)

荒川土手を歩く

三日前の散歩の続きで、新田三丁目バス停から江北橋を渡り日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万1千歩の散歩です。




● JR王子駅前から都バスに乗って、「新田三丁目」で降りる。 『さて、歩くぞ!』、、、、我が家からここに来るまでの間、車中で地図を見て、荒川右岸の土手が近いので、“コロナ対策”も兼ね土手上を歩くことにした。 バス停から、シャッターを下ろした商店の前をとおり土手に向かう。 正面に荒川土手が見えてきた、結構な高さだ!

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・・・・・・・・・・・・ここ付近(足立区新田3)では、荒川が氾濫すると最大6.5mも浸水するらしい。 2階で暮らしていても、溺れ死にする浸水深さ。 熟睡できない不安な町だ!

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● 本日は無風、気温もチョイト暖かくなりそう、ただし曇り空。 土手上は歩きやすい。、、、、荒川右岸の土手に立つと、正面には「荒川」が流れ、向こう岸には首都高が走っている。 左手(上流側)には「鹿浜橋」が見える。 右手(下流側)は首都高のアーチ橋「五色桜大橋」が小さく見える、土手の脇にはUR都市機構の賃貸住宅「ハートアイランド新田」がズラリ並び建つている。

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・・・・・・・・・・・・「ハートアイランド新田」は、隅田川と荒川に囲まれた、足立区新田に位置するUR都市機構が開発した団地。 総面積20haという広大な工場跡地に、新たな橋や道路、公園、学校などの整備が進む新しい街。 川岸を幅広く盛り土し、ゆるやかな傾斜地として荒川の「スーパー堤防」と一体的な造りとなっている。 平成16年(2004)から平成22年(2010)にかけ順次整備された。、、、、ド・デカイ団地で、何棟?、何戸?、まったく判らん!

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・・・・・・・・・・・・続いて土手上から見えるのは、UR都市機構の「豊島五丁目団地」、、、、隅田川が大きく蛇行する膨らみ部分(北区豊島5)に広がる高層の集合住宅群。 昭和47年~昭和48年に建てられた、総戸数約5000戸の大規模団地。

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・・・・・・・・・・・・写真中央の「豊島五丁目団地」と右側奥に見える「ハートアイランド新田」

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・・・・・・・・・・・・次に見えるのは「五色桜大橋」、、、、五色桜大橋は、首都高中央環状線の江北ジャンクションと王子北出入口の間にある荒川を渡る橋。 世界初の2層構造のダブルデッキニールセンローゼ橋で、上層部が内回り(板橋方面)、下層部が外回り(江北方面)となっている。 右岸は豊島5丁目宮城2丁目を分かち、左岸は足立区江北2丁目に至る。、、、、何だかピンとこない“五色桜大橋”の名は、この付近の荒川堤一帯がかつて五色の桜が咲く名所だったことに由来するらしい。 橋は、平成2年(1990)に着工し、平成14年(2002)に開通した。、、、、残念ながら、歩いて渡ることはできない!

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・・・・・・・・・・・・五色桜大橋の下流側に架かるのは「江北橋
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・・・・・・・・・・・・「江北橋」は、都道307号王子金町江戸川線を通す。 左岸(北岸)は足立区江北、右岸(南岸)は足立区宮城。、、、、橋は大正12年(1923)に鉄筋コンクリート造の橋脚を持つ木桁橋として開通したが、開通直後の9月1日、関東大震災で損傷したために、大正14年(1925)に同じ形式の橋に架け替えられた。 そして、現在の橋は昭和47年(1972)に300m下流に架け替えられたものである。 橋長449m、幅員11m。

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● 江北橋を渡り江北2丁目に入ると、真言宗寺院「恵明寺」がある。、、、、恵明寺は宮城山円明院と号す。 恵明寺の創建年代は不詳だが、慶安元年(1648)寺領20石の御朱印状を拝領、末寺11ヵ寺を擁する中本寺格の寺院だったと言われてる。 明治維新後に延命寺を合寺、延命寺が管理していた阿弥陀堂の江戸六阿弥陀佛2番を当寺へ移設した。、、、、本堂は戦災で焼失し、戦後、鉄筋コンクリート造で再建された。、、、、境内は綺麗に手入れがなされ、なかなか趣きのある寺院です。 また、まだ咲くには早いが、見事な枝垂れ桜があり、その時期には多くの参拝客があるそうだ。

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● 都道307号(江北橋通り)を挟み、恵明寺の反対側(足立区扇2)に
浄土宗寺院の「性翁寺(しょうおうじ)
」がある。 性翁寺は、龍燈山貞香院と号す。 神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、正誉龍呑和尚が明応元年(1492)開山した。、、、、本尊の木像阿弥陀如来坐像は古代の作成で東京都指定文化財。 この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。

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・・・・・・・・・・・・足立区と北区の寺社のいくつかには「足立姫」の伝説が残されている。 その伝説とは、、、、足立区のホームページには次のように書かれている、、、、『昔、足立の長者だった足立庄司には足立姫というとても美しいむすめがいました。ひめはとなりのぐんの豊島の長者である豊島左衛門尉(としまさえもんのじょう)とけっこんしましたが、左衛門尉の母にひどくいじめられ、川へ身を投げてしまいました。また、ひめのお世話のために一緒に豊島に来た人たちも、あとを追って身投げしました。 ひめの父は、ひめたちのたましいをなぐさめるために和歌山県にある熊野権現(くまのごんげん)におまいりしました。ゆめのおつげで神聖な木を見つけ、それを海に流すと、ふしぎなことに足立に流れつきました。いろいろな国を回っていた有名なお坊さんである行基(ぎょうき)にたのみ、その木に阿弥陀仏をちょうこくしてもらい、足立姫たちのたましいをくようしました。』、、、、性翁寺境内の墓地には、この足立姫の墓がある。

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● 性翁寺をあとにして、日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」に到着、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2022年2月12日 (土)

新田橋は架け替えか?

昨日の都内の感染者は18,660人、前週比3日連続の減少で、感染のピークは過ぎたかな? 人口1000万の東京で感染者が2万人弱ならば、自分は3回目のワクチン接種も終わっているので、『今日は感染しないだろう(根拠なし!)』と都合よく解釈して、散歩に出た。

今日は、王子駅から北の方角に点在する地蔵さまと庚申塔を巡ることにした。 京浜東北線の王子駅から、隅田川に架かる新田橋まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋から通勤客の少ない電車で約25分、京浜東北線の王子駅で下車。 まだ8時前だからか、駅では乗降客も少ない。 JRのガード抜けて国立印刷局王子工場の前を東に歩く。

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● 王子駅から東へ約500m、溝田橋交差点を越えると、「あすか緑地」の端(北区王子1-30)、路傍に庚申塔の小堂がある。 正面に大きく、彫も深く「庚申塔」の文字が見える。 右側面が大きく欠け、造立年は読み取れないが、古そうだ!

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・・・・・・・・・・・・「あすか緑地」とは、石神井川の岸にあるやや大きめの小公園(?) 防災用の船着場らしきものがある。 対岸の頭上には首都高が走っている。

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● あすか緑地から北へ100m程(北区豊島2-5)、ビルの一角に丁寧に祀られた「馬頭観音・庚申塔」がある。 新しい榊が供えられ、今年の庚申日が貼ってある、地元ではまだ庚申講が行われているのかな(?)

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● 続いては、馬頭観音・庚申塔から東へ200m、石神井川岸の近く(北区豊島2-14)に、真言宗豊山派寺院の「西福寺」がある。 西福寺は、三縁山無量壽院と号す。 西福寺は、平安末期から鎌倉初期にかけて武蔵国豊島郡の豪族で鎌倉幕府御家人だった豊島清光の娘(足立姫)が亡くなったことを悲しみ、行基菩薩に依頼して制作した六阿弥陀佛(江戸六阿弥陀)の一つを本尊として創建したと言われている。 境内参道脇には地蔵尊、庚申塔が祀られている。、、、、チョイト派手な山門・本堂のお寺でビックリ!

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・・・・・・・・・・・・西福寺門前の道を石神井川に架かる「豊石橋」の手前に、戦後の昭和23年(1948)に建てられた「馬頭観音」がある。 なぜかガードレールに向いて建てられている。

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● 西福寺から隅田川沿いに600m程歩くと、川沿いの高齢者用住宅の前(北区豊島4-16)にズラリ並んだ石仏群「下道地蔵堂が出迎えてくれる。 寛文から享保(1661~1736)に亘る20基に近い石仏のお出迎え。、、、、このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れあたりで、川と田んぼが広がる風景の中、この石仏がたたずんでいたものと思われる。、、、、夜は提灯に灯がともり幻想的になるそうだ!

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● 引き続き、下道地蔵堂からは北へ300m程、豊島5丁目交差点の手前に「地蔵堂」(北区豊島6-2)がある。 また、交差点の近くにも地蔵が祀られている、コチラは「ぽっくり地蔵(延命地蔵)」(北区豊島6-1)と呼んでいる。 どちらも、地蔵尊が祀られているが、由緒書きなどがなく、詳細は不明。

・・・・・・・・・・・・地蔵堂

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・・・・・・・・・・・・ぽっくり地蔵

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● 王子消防署前(王子神谷駅付近)から豊島五丁目団地に向かう「紀州通り」に、「紀州神社」(北区豊島7)がある。 神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。、、、、、拝殿内には八咫烏の紋が見える。 サッカー日本代表とは関係ないかも?

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● 紀州神社から北西に300m程、隅田川沿いに真言宗豊山派の寺院「医王山清光寺」がある。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重により再興した。、、、、ここには、豊島清光の館があったそうだ。 “豊島”の地名の本家本元はこの地、つまり豊島区ではない。

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● 清光寺の裏(北側)に隅田川が流れ、北区豊島7丁目と足立区新田3丁目を結ぶ「新田橋(しんでんばし)」がある。、、、、新田橋は昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年(1961)に現在の橋に架け替えられた。 木橋時代の橋脚を模した珍しいA字型をした橋脚が特徴。、、、、架橋後60年、老朽化した新田橋の架け替え工事がいよいよ始まるようだ。 スグ横の上流側に、仮設の人道橋が造られている。

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● 新田橋を渡り足立区に入ったが、疲れてきたので今日はココ「新田三丁目」まで、バスで王子駅に戻る!

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2022年1月 8日 (土)

多彩な都電荒川線

雪が積もった一昨日、雪が凍った昨日、雪が融けた今日、いずれにしても寒い日が続いてる。 その寒い朝、散歩に出た。、、、、大塚駅から、都電荒川線に沿って王子駅までの散歩です。




● JR大塚駅の高架下に都電荒川線の大塚駅前停留場がある。 停留場は高架の真下にあり、大塚駅の南口・北口の両方から利用することができる。、、、、明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道により飛鳥山~大塚間(現:大塚駅前停留場)が開業した。 都電荒川線の始まりである。 大正4年(1915)4月17日には、飛鳥山~王子間も開通し、本日の私の散歩ルートの終点:王子まで延伸された。

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・・・・・・・・・・・・線路敷きにはまだ雪が残る

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● 大塚駅前の次は巣鴨新田停留場、、、、大塚駅前の一日当たりの乗降客数は約8000人(2021年7月現在、以下同じ)、巣鴨新田は約1200人と寂しい。 停留場前の都立文教高校の生徒も、大塚駅から徒歩通学しており都電をあまり利用しないらしい。 なお、都電の運賃は均一運賃で大人170円、子供90円なり。

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・・・・・・・・・・・・全線ほぼ専用軌道を走る荒川線には、小さな踏切も多い。 “裏道の先に見える踏切”は画になる、いいね!

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● 線路脇の狭い道を歩き庚申塚停留場に到着。、、、、ここは、おばあちゃんの原宿「巣鴨地蔵通り商店街」の北端で、乗降客は約2500人とチョイト多い!

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・・・・・・・・・・・・地蔵通り商店街の入口脇に停留場名となった猿田彦大神庚申堂がある。 猿田彦大神は道開きの神で、巣鴨のお地蔵様と合わせて、参拝すると御利益倍増か?(ボケを治して、天国へ導いてくれるかも)

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● 庚申塚停留場から約250m、白山通り(=国道17号、中山道)の整備に伴い昭和4年(1929)に設置された新庚申塚停留場。、、、、国道を挟み両側に上り・下りのホームがある。

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● 新庚申塚停留場の北側に数ヵ寺がまとまっている一画(西巣鴨4-8)がある。 三ヵ寺に寄ってきた。


・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗寺院の「
弘願山専称院西方寺」、、、、西方寺は、本所押上大雲寺(現江戸川区)末として、浅草聖天町に開山、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 西方寺が浅草に在ったころは、引き取り手のない吉原の遊女の死骸も引き取り、供養したことから、箕輪の浄閑寺とともに「投込寺」と言う悲しい名も付けられた。、、、、当寺には、吉原で嬌名をうたわれた2代目高尾太夫の墓所がある。 また、同じく吉原:三浦屋の薄雲太夫の逸話もある。 薄雲太夫は愛猫の死を嘆き西方寺に回向しました。(猫塚があります) その逸話が招き猫を生んだとされており、 西方寺も招き猫とゆかり寺とされている。、、、、只今、門・塀を改築中。

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・・・・・・・・・・・・西方寺の東側には、法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は、長徳山と号し、寛永元年(1624)赤坂に起立し、その後四谷鮫ヶ橋南町へ移転する。、、、、四谷怪談で有名なお岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。 この寺も四谷にあったが、明治42年(1909)に現在地に移転した。 お岩様の墓に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。(境内掲示版に書いてあった)

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・・・・・・・・・・・・妙行寺の北隣りには、天台宗寺院の「薬王山延寿院善養寺」がある。 善養寺は、天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像が鎮座しており、おえんまさまの寺として信仰を集めています。

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● 三ヵ寺を巡った後は、またまた線路際の狭い道を歩き、「西ヶ原四丁目停留場」に向かう。、、、、ここの乗降客数は一日当たり約2500人。

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・・・・・・・・・・・・人二人分の幅の狭いホームにはホームドアなど設置できないね、必要ないか?

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・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場を過ぎると飛鳥山停留場まで一直線。 正面に飛鳥山が見える!

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● さて次は、一日の乗降客が1600人ほどの「滝野川一丁目停留場

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・・・・・・・・・・・・停留場の先には、今は珍しくなった桜丘高校の円形校舎がある、、、、その先は、ツバキか?、サザンカか?知らないが、赤い花咲く線路際を歩く。

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● 線路の正面に飛鳥山公園が立ちふさがる「飛鳥山停留場」(乗降客は約1000人)、線路はこの先で大きく飛鳥山を回り込むようにカーブして王子駅前停留場に向かう。

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● JRのガードをくぐり、JR王子駅の横、東北新幹線の高架下に「王子駅前停留場」がある。 王子駅前停留場の一日当たりの乗降客数は約9200人也。、、、、カラフルな塗装の都電を見ながら、1万1千歩の楽しい散歩でした。

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