葛飾区

2022年5月15日 (日)

青から青へ

今日の散歩は京成本線の青砥駅から、つくばエキスプレスの青井駅まで、約7㎞、1万4千歩、“青”から“青”までの散歩です。



● 日曜早朝、まだ8時前、空いてる電車の乗って「青砥駅」で下車する。 ここから散歩を始めることにした。

2205150736460

2205150742480



・・・・・・・・・・・・青砥駅から度々歩いているので、今日は「環七通り」の西側、歩いたことのない裏道を行く。、、、、裏道には“特に記すべきものなし”、ただ歩くのみ。

2205150743570

2205150759150

2205150810210



● 『あっ、以前訪れた葛西城址だ!』、、、、現在は、本丸跡の中央を“ぶち抜く環七通りがとおり、その道路の両側が葛西城址の公園となっている。、、、、環七通りを歩いて行くと、亀有駅方面出る。 このルートは以前にも歩いたことがあるので、今日は葛西城址は通過し再び裏道を歩く。

2205150811340



・・・・・・・・・・・・青戸七丁目北交差点で国道6号(=水戸街道)を横断し、青戸8丁目に入る。

2205150822220



● 青戸8丁目の町には「修徳中学校・高等学校」がある。 学校は男女共学の中高一貫校。 歴史は古く、明治37年(1904)に、天理教東本大教会(墨田区本所一丁目に所在)を創立した中川よしが、布教の一環として教会内の住み込み人や信者の子弟のために始めた夜間学校から始まったそうだ。 戦後には教会のある本所の町から、現在地(葛飾区青戸8)に移転した。、、、、日曜日だが、グランドではサッカー部、野球部などが練習中。

2205150833200



● 裏道を歩き亀有中学校前に出ると、白壁で囲まれた大きな墓地が見える。、、、、ここは真宗大谷寺院の本多山蓮光寺。 「蓮光寺」の創建年代は不詳だが、遠江国横須賀に創建され、慶長14年(1609)には江戸神田へ移転したと伝えられっている。 徳川の家臣:本多平八郎に縁ある寺。 江戸では明暦の大火(明暦3年=1657)、関東大震災(大正12年=1923)などの火災にあい、昭和3年(1928)現在地亀有1丁目に移った。 現本堂は昭和11年(1936)に落慶した。、、、、、下町の住宅地の中にある、広々としたお寺。 緑多い境内は樹木の手入れも良く、心休まるお寺だ。

2205150847330

2205150856510



● 亀有四丁目でJRの高架橋をくぐり、常磐線の北側に出る。 ここは「西亀有4丁目」、、、、4丁目の中央に「高木神社」が鎮座する。 高木神社は、国府台の合戦に破れた里見氏の家臣武内家が当地に住み、武内氏の氏神第六天を祀ったものと考えられ、江戸時代には砂原村の鎮守社となっていた。、、、、特に書くべきこともない神社だが、境内の掃除は完璧、綺麗だ!

2205150922400

2205150920230


・・・・・・・・・・・・高木神社鳥居前の参道には、「享保三年銘の庚申塔」がある。、、、、だいぶ劣化し、文字が読みにくい!

2205150918190



● 高木神社の西側で、葛飾区から足立区に入る。 マンションの先に、東京メトロ千代田線北綾瀬支線の高架橋が見えた。、、、、ここまで歩いたら、足が疲れてきた。 『北綾瀬駅から千代田線で帰るか、もう一頑張りしてつくばエキスプレス青井駅まで歩くか、それが問題だ!』 自問自答、痔ケツにボラギノール! 『男だ、もう一頑張りしよう!』 青い駅まで歩くことにした。

2205150939350

 

綾瀬川を越えると、そこは青井駅だった。、、、、「青井駅」は、足立区青井3にある、つくばエクスプレスの駅。 平成17年(2005)8月24日 開業。  相対式ホーム2面2線の地下深い駅。

2205150956480

2205151004560

2205151011500

2022年5月11日 (水)

堀切から青戸へ

東武伊勢崎線の堀切駅(足立区)で下車し、荒川に架かる堀切橋を渡り葛飾区に入り、京成本線の北側の町を歩き抜けて青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 「堀切駅」は都会の秘境駅と呼ぶべき駅。 けして辺鄙な場所にあるわけではなく、周辺には住宅・大学・病院もある、停車する列車も多く、コロナ禍(2020年)の一日平均乗降客数は3000人弱である。 でもでも、やっぱり、都会の秘境駅だ! 荒川土手下の狭隘地に駅はあり、上下線で改札は別となっており、一度改札を通ると上下ホーム間の移動はできない。 またエスカレーター・エレベーターはもちろん設置されていない。、、、、下り線は三角屋根の小さな木造駅舎、上り線は土手の真下の木造駅舎、どちらも印象的な情景を映し出す駅。

2205110752160

2205110758280



● 堀切橋を渡り荒川を越えて、隣の葛飾区堀切の町へ向かう(駅の“堀切”は足立区、町の“堀切”は葛飾区)、、、、堀切橋は大正13年(1923)に木桁橋として架けられたが戦時中破損し、昭和42年(1967)に現在の堀切橋に架け替えられた。 現在の「堀切橋」は、長さ 514.5 m、幅 17m、幅員 17m、最大スパン長 64mのゲルバー格子鋼鈑桁橋である。、、、、上流側には京成本線の荒川橋梁が架かっている。 荒川橋梁は堀切橋より約4m低い位置にあり、治水上のネックとなっている。 、、、、荒川のココが決壊すると東京の下町は全滅だ!

2205110802220

2205110807440

2205110817330



● 葛飾区に入ると、京成本線の北側を歩き青砥駅に向かう。


・・・・・・・・・・・・葛飾橋東詰めにある「小谷野神社」(堀切4)、、、、小谷野神社は、元禄10年(1697)の文献に当社が記載されていることから、当時すでに存していた。 昭和47年(1972)に現在の社殿が造営された。 社名は明治以来、稲荷神社と称していたが、昭和43年(1968)の住居表示の実施に伴い、小谷野の地名が焼失するのを惜しみ「小谷野神社」と改称した。、、、、300年超の歴史ある神社

2205110824330

2205110822310



・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院の宝性寺は、明王山不動院と号す。 「宝性寺」(堀切4)は、元亀元年(1570)の創建と伝えられ、当初は当地より西よりに在ったが、荒川放水路開削工事により大正4年(1915)に約600m移動し、現在地へ移った。、、、、こじんまりした、懐かしみのある寺。

2205110833090

2205110835160



・・・・・・・・・・・・「堀切氷川神社」は、葛飾区堀切5にある氷川神社。 堀切氷川神社は、天正年間(1573~91)旧下千葉村の鎮守として創建された。 祭神は須佐之男命・東照大権現(徳川家康)  朱塗りの社殿がチョイト目立ちすぎ!、、、、境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社と伝えられ、江戸時代に5石の朱印地を与えられた。、、、、社殿正面の鳥居付近では、何やら工事中の為、撮影は御遠慮!

2205110904400

2205110904040



・・・・・・・・・・・・3時間に1本/一日5本のバスが走るバス通りを東へ歩く。 23区内にあっては、運行本数が少なくチョイト不便なバスだね!

2205110915120



・・・・・・・・・・・・葛飾区お花茶屋2には、「共栄学園中学・高等学校」がある。 男女共学、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。 昭和14年(1939)、前身の本田裁縫女子学校が設立され、昭和17年(1942)には共栄女子商業学校が設立された。 、、、、最近、スポーツで有名な「春日部共栄中学・高等学校」は姉妹校。

2205110924290



・・・・・・・・・・・・共栄学園の斜め向かい(お花茶屋1)に「東信用組合 葛飾支店」がある、、、、築年は不明だが、全面にバルコニーのあるマンション風デザインの建物は、金融機関らしからぬ!

2205110927280



● 葛飾区白鳥で水戸街道(国道6号)を横断すると「青戸第一団地」がある。、、、、日本住宅公団が青戸団地の入居者を募集したのは昭和31年(1956)である。 その後、人口増加に伴い、住環境は整備されていった。 現在の青戸団地は、総戸数 1120戸程の大規模団地である。 京成の青砥駅にも近く、住戸は建て替えられ広く新しい。 若い人が入居しているらしい。

2205110946500

2205110951130

2205110952360



● 「青砥駅」のある葛飾区はウィーン市フロリズドルフ区と姉妹都市となっている。 それにちなみ、青砥駅入口にはワルツ王と呼ばれるJ.シュトラウスを模した像が設置されてる。、、、、像があるのだから、録音した曲でも流してくれるといいね!

2205110959210

2022年4月10日 (日)

矢切から高砂まで

晴天の日曜日、散歩の“感”を取り戻すべく、夫婦で北総線矢切駅から『野菊の墓文学碑』を訪れ、江戸川土手を歩き常磐線の金町駅へ、金町から裏通りを歩き京成本線の高砂駅まで、久々に1万歩超えの歩きとなった。 1万3千歩の散歩

 

● 浅草橋から約25分、北総線の矢切駅で下車。 降りる人も少ない。

2204101000570

 

 

● 矢切駅の北、500m程にある「矢切神社」(駅名・歌は濁って“やぎり”、地名・神社名は濁らず“やきり”)、、、、宝永元年(1704)の長雨により、江戸川氾濫し多数の死者が出た。 村人は災害から逃れるため高台に移住し、稲荷を勧請し祀ったのが矢切神社である。、、、、お賽銭をチョッピリ奮発、二人揃って『長生きできますように!』 二礼二拝一礼

2204101017510

2204101013450

 

● 神社近くの「矢喰村庚申塚」、、、、室町時代には、この地の地形から“谷切れ”(ヤキレ)と称したそうだ。 しかし、この地が北条氏と里見氏の国府台合戦の主戦場となったことから、この地の民は弓矢を呪い「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれたそうだ。 その矢喰村に残る庚申塔群。、、、、戦乱のない安らぎと健康を願い祀り、祈られてきた庚申塔群。 中央の大きな庚申塔は寛文8年(1668)銘も庚申塔、、、、ウクライナとロシアの戦、早期終結を願い、合掌

2204101022290

 

 

● 庚申塔から西へ300m程、江戸川を望む高台、真宗大谷派の西蓮寺境内に、「野菊の墓文学碑」がある。、、、、明治時代の矢切地方の風情が豊かに描かれた伊藤左千夫の処女作「野菊の墓」の文学碑。 左千夫の門人であった土屋文明の題字と小説の一説が刻まれている。(小説は15歳の政夫と、その従姉である17歳の民子の悲恋の物語。 興味あったらぜひ読んで!)

2204101029590

2204101032260

 

● 農業用水の坂川に架かる矢切橋を渡り江戸川土手を目指す。、、、、暑い、暑い! 初夏の気温だ! 

2204101044160

2204101044110

2204101052250

2204101054310

 

 

江戸川土手に上ると、菜の花がお出迎え! 散りはじめたサクラの下でお花見する家族。、、、、対岸には金町のタワーマンションが見える。

2204101118310

2204101102240

2204101106060

 

 

● 金町浄水場の取水塔を見ながら、新葛飾橋で江戸川を越え金町に入る。、、、、ここまで、約8千歩、チョイト疲れた! しばらく散歩しないと、足が弱くなってきた!

2204101124580

2204101126360

 

京成金町駅を通り、京成金町線の西側(帝釈天とは線路挟んで反対側)の住宅地を抜けて、柴又の「古録天神社」前を通り、京成高砂駅にでる。、、、、久しぶりの1万3千歩はキツイ!

2204101230380

2204101254470

2204101251390

2204101307500

2022年2月22日 (火)

江北橋通り踏破

江北橋通りの残りの区間(五反野~亀有)を歩いてきた。 1万3千歩




● 朝8時、東武伊勢崎線の「五反野駅」で下車した。 五反野駅は、大正13年(1924)10月1日に開業した駅だが、一日当たりの乗降客は36,000人程と少ない。 駅周辺には、区外から人を呼び込むほどの施設もなく、まさに“地域密着型の駅”。

22022208074302

22022208113402




● 駅から南東に歩き、「西之宮稲荷神社」(足立区足立3)に寄って行く。、、、、西之宮稲荷神社の創建年代は不詳だが、弥五郎新田村(五反野付近の旧地名)には東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社があったと言われている。 この西之宮稲荷が当社に該当、明治時代初期には、東之宮稲荷、氷川社とともに本田之宮稲荷の境外社となっていたものの、本田之宮稲荷が荒川放水路河川敷として買収されたため、当社に本田之宮稲荷社を合祀、現在に至っているといいます。 昭和20年(1945)戦災により社殿焼失、同30年(1955)再建。 現在の社殿は平成12年(2000)の造営である。、、、、境内は広くはないが、立派な神社(?)

22022208232402

22022208221702



・・・・・・・・・・・・西之宮稲荷神社から50m程南に「江北橋通り」に出た、『今日は、この道を歩くぞ!』

22022208252202

22022208272102



・・・・・・・・・・・・江北橋通りが東武伊勢崎線と交差するガード脇に、比較的新しい六地蔵を彫った碑がある。 碑には「建碑の疏
」と彫られてる。、、、、謂れは?

22022208274602




● 江北橋通りを東へ歩き西綾瀬3丁目に入ると、江北橋通り沿いに素朴な感じで心和む寺がある。 新義真言宗の「長性寺」で真光山荘厳院と号す。 長性寺は、当地の名主である岡村紀宿元春を開基として寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。 現在の本堂は大正13年(1924)に建てられた。

22022208433302




● 江北橋通りを通す「五兵衛新橋」で綾瀬川を渡る。 橋から綾瀬川を見ると、周辺の住宅より水面の方が高い! 氾濫すれば、一発でお陀仏、怖い!

22022208501602

22022208503902



・・・・・・・・・・・・長性寺の近くに立つ電柱。 上部の赤いテープ、判るかな?、、、、目の前には「最大5.0m  想定浸水深」の文字!

22022208373302

22022208374202




● 五兵衛新橋を渡り綾瀬4丁目に入ると、大地主のような門構えの住宅がある。 門前には足立区教育委員会の名で、「金子家文書」と記した案内板が立てられている。、、、、この金子家は金子五兵衛(橋名の由来となった人物)の家である。、、、、そして、金子文書とは、新撰組近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年(1868)3月14日から4月1日までの19日間、あの新撰組が、金子家や近くの観音寺に分宿していた。 総勢227人もの大集団で、世情柄精神的な負担や、その世話(経費)などで大層迷惑を蒙った上に、後日明治政府から、強い叱責があったという。 近藤勇らが五兵衛新田の金子家に滞在した事は、その賄方の記録として金子家文書に残っている。 現在近藤勇として一般に知られている袖内に腕組みした写真も、金子家が所蔵しているらしい。

22022208535702




● 江北橋通りを挟み向かい側の足立区綾瀬4丁目に、真言宗豊山派の「
観音寺」がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建された。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作。 、、、、、慶応4年(1868)3月には江戸から退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊した。、、、、山門は閉ざされており、横の勝手口から入って参拝してきた。  綾瀬駅に近いが静かで落ち着いた雰囲気の寺だ。 庭の手入れが行き届いていて美しく、石仏も多い。

22022209070702

22022209024802

22022209033402

22022209044802




● 江北橋通りに戻り、東へ東へ歩く、、、、綾瀬駅前、東京メトロ千代田線(北綾瀬支線)のガード、下河原公園の庚申塔、常磐線のガード、を通過。 これより、江北橋通りは常磐線の南側(葛飾区)を通ることになる。

22022209131602

22022209203402

22022209305902

22022209372802




● 西亀有3丁目の交差点手前で、江北橋通りに小菅方面からの旧水戸街道が合流する。 その地点には「旧水戸佐倉道」の碑が建てられている。、、、、葛飾区教育委員会が建てた石碑。 旧水戸街道のルートを明示して、“
町歩き”、“街道巡り”の活性化につながるといいね。

22022209433402

22022209432102




● 江北橋通りと曳舟川親水公園通りが交差する「道上小学校東交差点」から、環七通りにぶつかるまでの約500mの間は、史跡・石像・モニュメントなどが並んでいる。

・・・・・・・・・・・・まずは、「曳舟古水上橋跡地」、、、、曳舟川親水公園の北端で、曳舟川の橋跡地です。 親水公園はここから四つ木方面へ約3㎞伸びている。

22022209525102



・・・・・・・・・・・・「旧水戸街道 亀有上宿石碑」(亀有1)、、、、亀有上宿町(現:亀有1・2・3丁目の複合域)の北部を西から東に貫いているのが「旧水戸街道」。 現在の江北橋通りである。

22022209540902



・・・・・・・・・・・・続いて「一里塚と水戸黄門」(亀有1)、、、、亀有の一里塚は、千住宿から1里、江戸日本橋から3里に位置する。一里塚は現在地から東へ10mほど先にあり、明治の末頃までは塚の跡が残っていた。 一里塚碑の隣には、助さん・格さんを従えた水戸黄門のモニュメントが建っている。

22022209553502



・・・・・・・・・・・・「上宿七福神」、、、、旧水戸街道(江北橋通り)が拡幅され西亀有から環七を越え、新宿へと続く道も昨年完成した。 沿線の上宿商店会はこれからの更なる発展へと動き出す中で、上宿を中心とした、亀有および葛飾地域のますますの発展を願い、守り神様として商店会内の7つの拠点に七福神を安置し祀ることとした。 亀有1~3丁目の商店の玄関先、植え込み、店の角などに、小さな七福神の石像が置かれている。 七福神を探し歩くと面白い。(私は、全てを見つけてきた!)

22022209574502

22022209583502



・・・・・・・・・・・・「こち亀銅像」は、亀有駅を中心に各所に建立されている、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の登場人物の銅像群の総称。 駅周辺に15体の像がある。 江北橋通りには2体の像。

22022210042102

22022210183702

22022210220302




● 『ゴール!』 江北橋通りの東端「環七通り」と交わる「亀有二丁目交差点」に着いた。、、、、今日はココまで。

22022210040102

22022210060902

2022年1月 5日 (水)

寅さんの柴又へ

この正月は、元旦から昨日まで家にこもって寝正月。 人混みの中を歩きコロナに感染し死ぬのはイヤだ!、、、、でもそろそろ、今日あたりは仕事始めの企業も多く初詣の人も少なくなったと思い、夫婦で柴又の帝釈天に行ってきた。



● 浅草橋駅裏の「銀杏岡八幡神社」の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。 江戸時代には、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったが、享保10年(1725)公収され町内(福井町、現:浅草橋1・2丁目)の産土神となった。 神社は我が家の氏神様である。 まずは氏子として、神社に新年の挨拶をしてから、帝釈天に向かう。(神様を怒らせると天罰が怖いからね!)

2201051246020

2201051246440




● 都営浅草線の浅草橋駅から約40分で京成金町線の柴又駅に到着。、、、、高砂駅から乗った乗客の9割は当駅で下車。 電車がホームから走り去ると、一斉に構内踏切を横断する乗客、その光景を見て『コリャ、混んでいるかも?』 チョイト、不安がよぎる。

2201051059140

2201051059340



・・・・・・・・・・・・駅前に出ると、多少の人出はあるが、不安に思った程ではない。 駅前の寅さん像もゆっくり見れる。 『寅さんとツーショットもできる!』

2201051100410

2201051212250



・・・・・・・・・・・・参道は空いてるでもなく、混んでるでもなく、初詣にちょうど良い人出だ。 また、天気は良く、店は賑わい、正月らしい。 『いい時に来たね!』

2201051103410

2201051106430



・・・・・・・・・・・・時刻は12時チョイ前、『帰りは混みそうだから、参拝前に食べて行こう!』、、、、『正月だ、“”だ!』

2201051107570

2201051128560



・・・・・・・・・・・・参道では、「はしご乗り」も行われ、正月気分は上々!

2201051121570



・・・・・・・・・・・・団子屋、飴屋、佃煮屋、どこの店も売り子はマスク美人! 客は顔半分しか見えず残念、売り子は半分隠れて一安心!

2201051104460

2201051105320

2201051107520

2201051207570



・・・・・・・・・・・・山門前から行列が始まった、お堂前まで10分程の待ち時間、、、、三ヶ日は寺の境内を囲むように行列ができたらしい!

2201051148230

2201051155560



・・・・・・・・・・・・帝釈堂も祖師堂も、黄色い仮囲いに囲まれて屋根しか見えない『何じゃコレは?』 目の前にあるのは賽銭箱のみ!

2201051156240



・・・・・・・・・・・・駅前の「さくらの像」に別れを告げて、我が夫婦の初詣はココまで!

2201051212320

2021年12月28日 (火)

荒川も寒い!

東京の朝は零下、今朝も5時に起床したが外は寒く、散歩に出る勇気なし! 家でブラブラするも、チョイト退屈、午後3時過ぎになると夕陽を見たくなり、荒川へ行ってきた。

京成押上線の四ツ木駅で下車し、荒川土手(京成押上線荒川橋梁)で写真を撮ってきた。、、、、川風が吹き、手は冷たく、マスクでメガネは曇り、底冷えと歳でおしっこは近くなり、厳しく辛い夕暮れの散歩となった! 5千歩

2112281537270

2112281539010

2112281600150

2112281616110

2021年11月20日 (土)

押上から四ツ木

押上駅から、京島、八広の町を抜け、木根川橋を渡り四ツ木駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 東京スカイツリーの足下の地下にある「押上駅」は、京成電鉄と東京都交通局の共同使用駅。 駅は京成電鉄が管轄する、島式ホーム2面4線の地下駅である。、、、、かつては、京成電気鉄道の都心乗り入れを睨んだターミナル駅として、大正元年(1912)11月3日、に開業した(開業時は地上駅)。 昭和35年(1960)の都営地下鉄乗り入れに合わせ、地下駅となる。、、、、地上駅の跡地には京成電鉄本社が移転したが、平成25年(2013)に本社は京成八幡駅前に移転した。 現在跡地は複合ビルが建ち、リッチモンドホテルやスーパーのライフが入居。 また、跡地前の北十間川には「京成橋」か架けられてる。

2111200715380

2111200716150

2111200718590

2111200723580

2111200736370



・・・・・・・・・・・・北十間川に架かる「京成橋は全長18.75m、幅27.9で東京都が管理している。 業平三丁目と押上一丁目を結ぶ橋で、この橋は昭和4年(1929)に架けられたが、現在の橋は昭和37年7月に架け替えられたものである。 

2111200734400

2111200735180




● 押上駅から都道465号(=四ツ目通り)沿いの裏通りを歩き八広駅に向かう。

2111200746570


・・・・・・・・・・・押上3丁目の裏道、、、、時刻は8時近く、近くの小学校へ通う児童を地域ボランティアの方が要所要所に立ち見守る! ご苦労様です、感謝!

2111200747540

2111200750240



・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を越えると、押上3丁目から京島2丁目となる。、、、、亀戸行きの白い車両が行き過ぎると、黄色いレトロ塗装の東武8000系電車が来た!

2111200752350

2111200753181



・・・・・・・・・・・・踏切を渡り墨田区京島地区に入る。 京島地区は関東大震災、第二次世界大戦での被害が少なく、区画整理ができていない裏道に昭和初期の木造長屋などが密集して残っている。 略して“木蜜地域”と言われる“木造住宅密集地域”である。

2111200756510

2111200804120

2111200804450


・・・・・・・・・・・・京島地区では、最近は住民の取り組みもあり、古い家屋は耐火構造の住宅に変わったり、取り壊した跡地は公園に変わったり、道路幅も広くなり、防災を意識した取り組みが進められている。、、、、明るく広々とした町に生まれ変わっていくようだ!

2111200754440

2111200754260

2111200757520

2111200803400




● 明治通りを横断し墨田区八広の町に入る、、、、この町も裏道は細い道がクネクネと曲がり伸びている、そんな町に質屋がある。 しっかりした大谷石の蔵にぐるりと回った塀、看板には“質”の一字。 雰囲気出てる、いいね!、、、、一度、女房を質に入れたらどうなるか、聞いてみたいね!

2111200822410



・・・・・・・・・・・・墨田区八広にあって「都立日本橋高等学校」とはこれ如何に? 千葉県浦安市にあって東京ディズニーリゾートと言うがごとし!、、、、都立日本橋高校は、校名のとおり元々東京都中央区の日本橋に所在していたが、平成21年(2009)に同所から墨田区八広への移転となっても名前をそのままとした普通科のみの都立高校である。、、、、校舎の建て替えなどによる短期の移転なら校名変更は必要ないが、恒久的な移転なら校名も変更してはと思うのだがね、余計なお世話かな! “八広高等学校”より“日本橋高等学校”の方がブランド力があるかも?

2111200831150



・・・・・・・・・・・・都立日本橋高等学校の前から八広駅の方向に伸びる「南龍館通商栄会」という商店街(現在は寂れ、店はほとんどない)がある。 街路灯の電灯は無くなり、ポールだけが残されている。、、、、京成押上線の曳舟駅と八広駅の中間に、かつて向島駅(駅跡は不明)があった。 その駅の周辺に
昭和初期から昭和30年頃まで南龍館という映画館があった、また映画館の近くに南龍館通商栄会があった。、、、、街路灯はその当時のものらしい。

2111200835490

2111200835370




● 八広の町の北端に京成押上線の「
八広駅」がある。 駅の出入口は大通りに面さず、荒川土手に向かい高架下の奥まった薄暗い処にある。 しかも、駅の高架化は平成9年(1997)に改良工事が完成した、比較的新しい駅である。 なぜ、こんな奥まった処に、わざわざ出入口を造ったのか、私には謎だ!

2111200851390

2111200854000




● 「木根川橋」を渡り荒川を越える、、、、木根川橋は、墨田区八広と葛飾区東四つ木とを結ぶ、長さ466mの美しいトラス橋。 昭和44年(1969)完成。、、、、荒川と一体となって女性的な美しさを描いている橋。

2111200902290

2111200903560

2111200905480

2111200913420




● 「四ツ木駅」に到着、ここから帰宅!

2111200921400

2111200925280

2021年9月23日 (木)

栃錦の像

京成線青砥駅から、青砥橋、細田橋を渡り東へ歩き、京成小岩駅付近からは柴又街道を南下し総武線小岩駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 今日は秋分の日、成田空港行きの電車はキャリーバッグを持った人で混んでるかと思ったが、期待に反して空いている。 青砥駅もホームに人影は少なく、皆さん自粛中か?、、、、今日の散歩はここ「青砥駅」から、出発進行!

2109230732410

2109230732570

2109230737450




● 青砥駅から東へ300m程歩くと中川に架かる「青砥橋(あおとばし)」がある。、、、、青砥橋は環七通りの一部で、工事は1979年(昭和54年(1979)10月に着工し、昭和60年(1985)1月に橋梁が完成した。 橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 mの鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。

2109230808330

2109230751260

2109230754410

2109230754480



・・・・・・・・・・・・三層の高架駅:青砥駅ホームから青砥橋が見える、もちろん、逆に青砥橋から青砥駅も見える。

2109230731070

2109230757110



・・・・・・・・・・・・青砥橋から上流側を眺める。 写真左端が中川上流で、ここには斜張橋の高砂橋がある。 写真右端の樹木が茂る処は新中川通水記念公園である。 この公園は中川新中川が分岐する、お股の“急所”に位置する。、、、、「新中川」は昭和13年(1938)の東京東部で発生した浸水を教訓に、計画・工事が行われた中川放水路である。 工事は昭和38年(1963)に完成した、私が高校生の頃。 何だか判らず、細長い掘削工事現場が連なる現場を見に行った記憶がある。

2109230801440



・・・・・・・・・・・・「新中川通水記念公園 」には、東京都が建てた記念碑がある。、、、、記念碑の裏側にはチョイト長い文章で次のように彫られている。 『中川放水路のあらまし   この地方は昔から高潮や洪水による水害をしばしばうけてきましたので、東京府は昭和十三年に中川 綾瀬川および芝川の三角川総合政?計画をたて 二千四百十九万円の事業費をもって着工しました とくに中川改修事業は足立 葛飾および江戸川の各区と埼玉県の一部にわたる地域の洪水をふせぎ かつその排水と舟運のため着工しましたが 第二次世界大戦のため昭和一九年には工事が中止されて一部の用地買収と一部の護岸工事ができただけでした。しかしこの地方が昭和二十二年九月のカスリーン台風による洪水のため利根川の堤防がこわれて大きな被害をうけましたので ふたたび中川改修工事を再開する声がたかまり 東京都はさきの計画に再検討を加え財政上の理由から 九億九千五百万円の事業費を?つて中川放水路の…を実施する事になり昭和二四年から工事を再開しました この工事中に物価の値上り 用地の買収などといろいろ困難な問題がおきて工事はしだいにおくれ たまたま昭和三十四年の伊勢湾台風による高潮の水位が意外にたかかったことから この事業の一部を変更し事業費…額されて?ましたが ついに昭和三十八年三月十六日第一期工事を完成し通水に成功しました。この放水路は着工以来長い歳月と多額の事業費と多くの人員が投入されて完成… また祖先伝来の土地を提供された地元民の協力と 工事?当の建設業者の尽力とこの事業関係の都職員の努力によってできあがったもので この地方をながく水害から守る事ができるようになりました この放水路の概要は左記の通りですが第二期工事の完成によってその流量はさらにふえることになります。  記  一 位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から   (吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで   一 延長 八○八九メートル   一 計画流量 毎秒一二○トン(第一期計画)   一 巾員 河川敷一四八メートル   一 堤防 高さAPプラス五・二メートル   天端巾 六・○メートル   一 主要建造物 道路橋 一六橋   鉄道橋 二橋   排水所 四箇所   伏越 三箇所   水門 一箇所   一 総工費 五十三億八千百万円   昭和三十八年九月一日建立 』

2109230810110

2109230810590




● 新中川通水記念公園から新中川の右岸を歩き、高砂諏訪橋細田橋を歩く。、、、、どちらの橋も、戦後、高度成長期に合わせ架けられた“昭和レトロ”の橋だ!

・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋(たかさごすわばし)は、新中川の最上流部に架かる長さ135mの橋で、東岸(左岸)の葛飾区高砂2丁目と西岸(右岸)の高砂1丁目を結ぶ。 昭和36年(1961)に新中川掘削工事に伴い架橋される。 幅員が4.5mしかなく、歩道のない一車線の橋。 危ないのでその後、下流側に高砂諏訪橋人道橋が設置され人車分離された。

2109230816010

2109230818350

2109230818140



・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋から350m程下流に、同時期に架けられた橋長119.0mの細田橋がある。 東岸(左岸)の葛飾区細田3丁目と西岸(右岸)の細田2丁目を結ぶ。新中川掘削工事に伴い架橋。 昭和54年(1979)下流側に細田橋人道橋を設置。

2109230832340

2109230836080

2109230833120




● 細田橋人道橋を渡り、葛飾区細田の町に入る。 まずは、細田橋の東詰に、新金貨物線細田踏切がある。、、、、平日、数本の貨物列車が走る踏切。、、、、新金貨物線の線路敷きは複線分の用地が確保さてれおり、旅客化の話は昔からあるが、いつまでたっても具体化しない! ここに電車が走る日はまだまだ先のようだ!

2109230838080

2109230838260




● 線路沿いに南へ少し歩くと、細田村が開村した元禄8年(1695)頃に細田村の鎮守社として稲荷を勧請した細田神社」がある。、、、、現在の社殿は昭和4年(1929)に修復された。

2109230848520

2109230848030




● 細田からは、道路拡張工事が行われ歩きやすくなった都市計画道路補助264号線(長ったらしく覚えにくい道路名!)を歩き京成小岩駅を目指す。

2109230858370

2109230912380



・・・・・・・・・・・・京成小岩駅近くに愛国学園がある。 「愛国学園」は、大学、短期大学、高等学校、中学校、保育専門学校などを設置する学校法人。 京成小岩駅近く(江戸川区西小岩)には、大学を除く各校舎がある。、、、、伝統ある女学校。

2109230915590

2109230921010




● 京成小岩駅から帰るつもりで歩いてきたが、愛国学園の先で柴又街道に出たので、街道を歩き総武線小岩駅からJRで帰ることにした。

2109230924460

2109230929490

 

 

・・・・・・・・・・・・JR小岩駅北口に到着。 広いコンコースには、当地出身のかつての名横綱栃錦の像がある。 待ち合わせ場所として最適!、、、、尻かげで 遅い友待ち 尻撫でる(尻滅裂)

2109230941000

2109230941580



・・・・・・・・・・・・小岩駅は明治32年(1899)5月24日、総武鉄道の駅として開業。 明治40年1907)に国有化される。 現在は総武線緩行列車しか停車しない、開業後100年超経過した古い駅。 1面2線の島式ホームの高架駅。

2109230943430

2109230946200

2021年9月19日 (日)

ここは旧水戸街道?

連日、コロナ感染者数減少の報道が続き、気持ちは緩みっぱなし。 早くの緊急事態宣言解除を願いつつ、『今日は、多少歩いてもいいだろう!』と、自分で自分を納得させ散歩に出た。

JR常磐線金町駅から、水戸街道沿いに都心方向に歩き、京成本線青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 今日は西日暮里で東京メトロ千代田線に乗り換えて、JR金町駅に到着。 金町駅は盛土上に1面2線の島式ホームがあり、改札は盛土下を南北に貫く穴に直結し、出入口は南北にある。 南口の駅前ロータリーは広くバス・タクシーが発着する、また京成金町駅も目の前だ!、、、、金町駅は明治30年(1897)12月27日に日本鉄道の駅として開業した。 創業124年余りの歴史を有する老舗駅。、、、、金町駅は埼玉(三郷)と千葉(松戸)に隣接している県境の駅。

2109190727340

2109190727520

2109190732490

2109190734220

2109190736280



・・・・・・・・・・・・“
駅前の駅”は京成金町線の京成金町駅、、、、単式ホーム1面1線の地上駅。 ホーム長さは4両編成分しかない、小さな駅である。 しかし金町駅は、金町線の前身である帝釈人車軌道が明治32年(1899)に開業した、こちらも老舗駅。

2109190737290

2109190739140




● 今日は、金町線とはまったく関係ないが、この京成金町駅の西側の町:葛飾区金町5丁目、4丁目、葛飾区新宿4丁目、2丁目の裏通りを中川大橋に向かって歩いてみた!

・・・・・・・・・・・・緊急車両が通り難い細い道が折れて続く“私好みの道”、ここは金町5丁目!

2109190746460

2109190747460

2109190748200



・・・・・・・・・・・・緊急事態宣言下、酒場は涙を呑んで休業中。 いつまで続くこの休み。 貼り紙に貼り紙だ! 狸も退屈そうだ!、、、、店主は大変そうだ、頑張って!

2109190757150

2109190757010



・・・・・・・・・・・・京成金町駅近くをとおり、南西に向かうと“お江戸日本橋”に着く国道6号(=水戸街道)。 その国道から北側に一本入ると旧水戸街道がある。、、、、旧東海道は街道巡りの旅人で賑わっているが、旧水戸街道は『ココが旧街道』である案内すらなく、チョイトもの足りない道である。(Googleマップには旧街道の表示あり)

2109190818090

2109190823310



・・・・・・・・・・・・その旧水戸街道が新金貨物線(新小岩~金町間のJR貨物線)と交差する「浜街道踏切」、、、、踏切名の「浜街道」とは、現在の国道6号(=水戸街道)の旧道である「陸前浜街道」のことを指す。

2109190826500

2109190828490



・・・・・・・・・・・・浜街道踏切から100m程都心によると、旧水戸街道の拡幅の際にここに移された「地蔵菩薩石仏群」がある。 享保、宝永といった江戸でも古い年号が彫られている13基の石仏群と帝釋道標と八大龍神碑である。 

2109190830560

2109190831180



・・・・・・・・・・・・新宿2丁目の浄土宗寺院「浄心寺」は林光山称名院と号す。 慶長19年(1619)廓蓮社然誉潮呑和尚が開山、明呑が開基となり創建、江戸時代には両国回向院(墨田区)および小塚原回向院(荒川区)住持の隠居寺であった。 古い本堂は明治20年(1887)焼失、同22年再建されたが、昭和46年(1971)に現本堂を新築した。、、、、境内の墓地には、2・26事件で殉職し、岡田啓介元首相が建てた清水与四郎巡査の墓がある。

2109190840060

2109190842400

2109190847580



・・・・・・・・・・・・旧水戸街道は中川の手前:新宿4丁目にて、国道6号(=水戸街道)とは離れ、中川橋にて中川を越え、亀有駅の南側を抜け、小菅、北千住を通り、千住大橋で国道4号(=日光街道)に合流する。




● 国道6号(=水戸街道)は、中川橋の下流に架かる「中川大橋」を渡り、四ツ木橋、言問橋をとおり、日本橋へ向かう。、、、、中川大橋は葛飾区青戸8丁目と葛飾区新宿2丁目を結び、昭和10年(1935)にカンチレバー式プレートガーダー橋として開通した。 現在の橋は昭和60年(1985)に架替え工事が開始された2代目の橋。 平成元年(1989)に竣工。

2109190902020

2109190858140

2109190906350



・・・・・・・・・・・・中川を望む

2109190903550




● 中川を越え、葛飾区青戸の町に入る。、、、、葛西城跡に寄り、青砥駅まで歩く

2109190916330

2109190942490

2109190947531

2021年9月13日 (月)

飯塚富士は登山禁止

緊急事態宣言は、本日から延長期間に入り、9月30日までとなった。 何だかんだと いつまで続く “緊急事態” 聞き飽きた(今日も、コッソリ散歩する)

東京メトロ千代田線「北綾瀬駅」から、東に向かい、飯塚橋で中川を越え葛飾区にはいる。 東京理科大の金町キャンパスを抜けて、常磐線「金町駅」まで、1万3千歩の散歩です。




綾瀬駅は千代田線それとも常磐線(?)どちらでもいいけど、北綾瀬に行くには、綾瀬駅で北綾瀬行きの電車に乗り換える。 綾瀬駅1番・2番線ホームの東端に綾瀬行きの0番線ホームがある。 ここから3両編成の北綾瀬行きワンマン運転の電車でGoー!、、、、『つぎは終点北綾瀬』、一駅間の短い千代田線支線に乗り換える。

2109130725330

2109130724530

2109130726040




● 「北綾瀬駅」(昭和54年(1979)開業)は、環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線の高架駅。 ホームは西側の線路に取り付けて設置されている。 平成31年(2019)からは、これまでの区間運転用の3両編成の列車以外に、代々木上原方面直通の10両編成の列車も停車できるようにホームが延長された。、、、、1面1線のホーム構造を持つ駅は、都区内ではここの他に大師前駅京成金町駅の三駅だけで、珍しい駅の一つ。

2109130733440

2109130734260

2109130738180

2109130740140



・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅は「環七通り」に面している。、、、、今日の散歩では、この環七通りを東に向かい歩き始める!

2109130744250




● 環七通りを東へ歩くと「大谷田橋交差点」がある。 大谷田橋交差点は、足立区東和・大谷田にある交差点で、主要道路は、環状7号線と都道307号線などで、7本の道路が集中する、“七差路”、“七辻”となっている。 環七がオーバーパスになっており、道路幅も広いので、この場所を通った人でも、ここが“七差路”であることに気づきにくい。、、、、疑い深い人は地図で調べて、現地に行って!

2109130803550

2109130804170

2109130813440



・・・・・・・・・・・・この大谷田交差点の一角に、高さ26mの「銀河の塔」がある。 葛西用水親水水路完成を祈念して、平成8年(1996)に建てられたシンボルタワーであり、交差点を挟み東和4丁目と大谷田1丁目を結ぶ歩行者・自転車用の地下道の出入口を兼ねている。 塔の中程まで階段で登ることができるが、登る人を見ることはなかった!

2109130805590

2109130806580

2109130808100




● 大谷田交差点で環七通りからはずれ都道を東に歩く。 中川に架かる「飯塚橋」を渡る。 飯塚橋は東岸の葛飾区南水元2と、西岸の足立区大谷田1・中川5を結び架けられた。(両区を結び人・車が通れる唯一の橋である)、、、、橋長:303.0m 幅員:20.2m 形式:鋼箱桁、鋼鈑桁 開通:平成4年(1992)、、、、江戸時代よりここには、両岸を結ぶ渡し舟「飯塚の渡し」があった。 近隣地域では中川両岸を結ぶ唯一の連絡交通手段として重宝されたが、夜間は運行されず、時に急患を対岸の病院へ搬送するために特別に出されることもあった。 昭和30年(1955)に旧飯塚橋が架橋されたため廃止された。(現橋は二代目)

2109130839589_stitch

2109130845430


・・・・・・・・・・・・橋の先(葛飾区)には葛飾清掃工場の煙突が見える

2109130846530


・・・・・・・・・・・・橋から上流側を眺める。 右に葛飾区、左に足立区、目ぼしい建物は何もない!

2109130844390




● 葛飾区に入り、中川の土手沿いに南下し、金町駅方面に向かうと、比較的新しい神社がある。 これぞ、葛飾区南水元の「富士神社」(飯塚富士)である。 神社は、木花咲耶姫命を祭神として、正慶元年壬申(1332)6月創建といわれ、江戸時代には旧飯塚村(現在の、水元、南水元、西水元、水元公園あたり)の鎮守だった。 2010年代(平成)に整備工事が行われ、社殿や富士塚は一新された。 、、、、高さ約20m、東西径約22mの富士塚は拝殿の裏にある浅間山の上に、さ らに盛土をして築かれ、まるで古墳である。 立派だ!

・・・・・・・・・・・・中川の土手上から見る富士神社

2109130903140



・・・・・・・・・・・・広々とした境内に富士神社はある、、、、飯塚富士は登山禁止!

2109130900420

2109130858550

2109130858130




● 中川沿いに歩き常磐線線路の手前(旧三菱製紙工場跡地)に「東京理科大学 葛飾キャンパス」がある。 理科大の神楽坂キャンパスが手狭になってきたため葛飾キャンパスが計画され、平成25年(2013)竣工した。 キャンパスは周囲を「葛飾にいじゅくみらい公園」に囲まれ、公園とキャンパスの敷地境界には何もなく、まさに公園と一体となって、地域に開かれたキャンパスとなっている。、、、、今日は、公園の芝生を歩かず、キャンパス内を歩き抜けた!

2109130927230

2109130928130

2109130930150

2109130930520

2109130933240

2109130935190




● 理科大から徒歩10分、JR金町駅北口に到着。、、、、広い駅前ロータリー、その奥には高度成長期の公団住宅、高架下には南北通り抜け通路、通路に沿って券売機が並び改札がある、なんだか見るもの全てに“昭和”の香り。、、、、私の住む浅草橋と同様で、駅ビル・駅ナカのない駅。 今時の都心の駅とは思えない!

2109130944090

2109130945291

2109130945060

2109130952030

より以前の記事一覧