葛飾区

2020年1月20日 (月)

足立区の下町

草加あたりで降りるつもりで、押上で久喜行きの準急に乗る。 電車は、乗客全員がチョウド座れる程度で、立っている人は一人・二人ぐらい。 次の曳舟から、私の右隣りに女子高生が大きなカバンを抱きしめて座った。 電車が走り始めると、私の隣りの左手でカバンを抱いて、あいている右手でカバンの中をゴソゴソ。 カバンの中の右手が私の腰のあたりに伸びて来てゴソゴソ、アリャ、女子高生の痴漢か?、被害者は私、70を超えた親爺か?。 大きなカバンの中、隅の方の何かを探しているようだ、痴漢ではなかった、チョッピリ残念! カバンから丸い手鏡を取り出した、再びゴソゴソ。 次に、カバンから手が出た瞬間、ピンクの丸いケースが床に落ち、コロコロ。 女子高生は慌てて立つが大きなカバンが邪魔で動作が鈍い。 電車はゴトゴト、ケースはコロコロ、空いてる電車の中を、ケースがアッチへ、コッチへ、女子高生は追っかける。 ドアの隅でやっと拾い上げた。 席へ戻った女子高生、今度はペンシルのようなものをだし、化粧を始める。 隣に座る親爺はイライラ、何処で降りるか集中して考えられず、頭にきて北千住で降りてしまった。 親爺は、普通電車に乗り換え、今日は“2”0日なので、北千住から“2”駅目の五反野駅で下車した。

東武伊勢崎線の五反野駅から、常磐線の綾瀬駅前をとおり、京成本線の堀切菖蒲園駅まで、今日は1万2千歩の散歩。




●テキトウに東へ! ・・・・・・・・テキトウに五反野駅で降りた! 『さて、東西南北、右左、いずれに行こうか?』 チョイト考え、これまであまり歩いていない、東へ向かうことにした。 “東”と言っても、テキトウで、大雑把に言えば綾瀬方面に向かうことにした。

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●戦後の下町! ・・・・・・・・駅の東側「西綾瀬」(足立区)の町は、戦後の下町という感じ、町は区画整理されておらず、道はクネクネ、トタン張りの建物がポツポツ残る、アパートが立ち並ぶ、ヨタヨタ歩いているのは爺さん婆さん、ママチャリで脇をすり抜けていくのは若いママ、狭い道に車が入ってくるゴミ収集車とデイサービスの送迎車。

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●屋根のカーブがいいね! ・・・・・・・西綾瀬3丁目に新義真言宗の長性寺がある。 真光山荘厳院と号し、寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。、、、、本堂の素朴な感じがいいね! 境内は約1000坪あるそうだ。、、、、ご近所の方か(?)、境内の石仏に花を供えていた。 

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●長~い水路! ・・・・・・・長性寺の東側、綾瀬川に「五兵衛新橋」が架かっている。 五兵衛橋の名は、江戸時代の初め、武蔵国入間郡金子村(現:埼玉県入間市)からこの地に転入し、この付近を開拓した金子五兵衛に由来する。 付近一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。 寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断されたので、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置された。これが初代の五兵衛橋。 その後、橋は何度か架け替えられた。 昭和に入ると綾瀬川の護岸も整備され、高さも高くなってきた。 平成10年(1998)、高くなった護岸をまたぐように、歩道橋のような形状の現在の橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・橋上から南を見ると、小菅の東京拘置所の大きな建物が見える。 また、後ろにはスカイツリーもチョイト見える。

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●綾瀬の一寺一社! ・・・・・・・橋を渡ると、綾瀬の町である。 そこには綾瀬稲荷神社が鎮座する。、、、、綾瀬稲荷神社の創建年代は不詳だが、五兵衛新田の鎮守社であったと言われ、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。

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・・・・・・・・・・・・綾瀬稲荷神社と隣り合わせに、真言宗豊山派の観音寺がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建した。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作らしい。、、、、慶応4年(1868)、江戸から流山へ退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊したそうだ。

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●歩くぞ! ・・・・・・・綾瀬駅に着いたが、帰る時間にはまだ早い。 駅前の「綾瀬川通り」をまっすぐ歩けば、京成本線の堀切菖蒲園駅に行ける。 『よし、堀切菖蒲園まで歩こう!』自分に言い聞かせ歩くことにした。、、、、駅構内を素通りして行く。

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・・・・・・・・・・・・ひたすら歩いて堀切菖蒲園駅に向かう。、、、、ほぼ予定の時間内で到着、息はゼイゼイ、足はパンパン、腹はペコペコ、チョイト電車の中でひと休み。

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2020年1月 9日 (木)

小松菜の里

困ったもので、顔は良いのだが眼が悪く、最近メガネの度が合わず新調することにした。 私のメガネは二十年程前から同じ眼鏡屋さんから購入してる。 同じ眼鏡屋さんだと、検眼、購入履歴などの情報を保存しており、客側としても何かと相談しやすく便利である。 その眼鏡屋さんは秋葉原にあり、浅草橋の我が家から歩いても20分程で行けた。 しかし2年前に店舗を整理統合し、秋葉原の店は新小岩の店に統合された。 仕様がない、“生姜は八百屋で売ってるよ”、新小岩の店に行って買うことにした。、、、、今日は、その新調したメガネを受け取りに新小岩に行ってきた。 眼鏡屋へ行く前に香取神社へチョイト寄ってきた。




●小松が消えた! ・・・・・・現在、新小岩駅のある位置には大正15年(1926)に設置された新小岩信号所があった。 昭和3年(1928)7月10日、信号所が駅に昇格し新小岩駅が開業した。、、、、新小岩駅周辺は元々「小松」という地名であった。 駅の開業にあったっては、駅名を地名に由来して「下総小松」とか「小松」とする予定だった。 ところが、周辺住民の要望によって信号所の名前のままの新小岩駅となった。 さらに、昭和40年代の住居表示実施の際、周辺の地名も駅名に合わせて新小岩・東新小岩・西新小岩となり、「小松」の地名は消え去った。

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・・・・・・・・・・・・ホームから見る駅前ロータリー。 手前は旧駅舎を撤去中。
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●小松菜の里 ・・・・・・・眼鏡屋へ行く前に、駅ホーム下を抜けるバス通り「平和橋通り」南下し、江戸川区中央4丁目の新小岩香取神社に寄ってみた。、、、、新小岩香取神社の創建年代は不詳だが、昔この辺一帯が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ道ヶ島(堂ヶ島)という小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒と言われている。 元和3年(1617)に再建、西小松川村の鎮守であった。 当時国府台間々の入江から、武蔵国上野の台地に向かう船は、この神社の森を船路の目安としたので、間々井宮と称したと伝えられている。、、、、この社は元和5年(1619)の棟札を所蔵する古社で、亀井和泉守源永好以来代々亀井家が宮司をつとめている。、、、、明治時代以降、近隣の神社を当社に合祀、また数多くの神社の兼務を行っている。 まさに、神社のM&Aと、出先店舗の増設だ!

・・・・・・・・・・・・平和橋通りを南に歩き、新小岩親水公園の手前をチョイト東に入ると、住宅地の中に神社がある。
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・・・・・・・・・・・・現在の本殿は総欅造りで、氏子大工牧野八郎次が十年の歳月を費やし、天保4年(1833)に竣工した建物。

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・・・・・・・・・・・・境内社としては、稲荷神社水神社道祖神鷲神社大雷神などが祀られている。

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・・・・・・・・・・・・境内には、すき焼きに入れる小松菜に因む石碑がある。、、、、「小松菜」は、享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩をする時の食事をする場所として、当香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けました。 しかしこれといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。、、、、と、説明板に書かれている。 写真は「小松菜ゆかりの里」、「小松菜産土神」の石碑。

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・・・・・・・・・・・・神社の隣りには、小松菜の発祥の地といわれている屋敷「小松菜屋敷」がある。 将軍が鷹狩りに訪れた際、御膳所として小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主亀井和泉守の屋敷跡。 現在も子孫である地域歴史研究家亀井千歩子の住居となっている。

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・・・・・・・・・・・・神社前の道を西へ100m程歩くと「亀井家墳墓」がある。 香取神社を代々祀ってきた亀井家の墓所。

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●元気な商店街! ・・・・・・・JR新小岩駅の駅前ロータリーの真ん前にルミエール商店街がある。 全長420m、約140店舗が軒を連ねる下町の元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置した長いアーケードが駅前から続き、雨でも安心して買い物ができるようだ。、、、、商店街の中に眼鏡屋さんが5軒もあった。 もちろんスーパー、コンビニも、パチンコ屋も、生活に必要なものは全てあるようだ。

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●メガネ新調! ・・・・・・・私は若く見えるようで、これまで70代の自分が、世間さまには60代に見られていた。 今日、新調したメガネではもっと若く50代に見えるらしい。 店員さんが嬉しいこと言ってくれる!、、、、早速、新しいメガネをかけて電車に乗ったが、誰もふりむいてくれない! やっぱり!!!

2020年1月 3日 (金)

どこの神社も長蛇の列

穏やかな正月三が日、我が家もこの一年何事も無く穏やかに正月を迎えた。

今年は、二組の娘夫婦と孫が元日より我が家に集まり賑やかな幕開けとなった。 おとそ気分、おせち腹をスッキリさせようと、家族全員で昼過ぎに近くへ初詣することにした。 浅草寺は行かなくても超満員と判り、パスする。 近くで、比較的すいていそうな神田明神へ行くことにした。 来て・見て・ビックリ、神田明神の鳥居前の湯島坂に大行列、延々と坂下の明神下交差点まで続いている。 社殿まで2時間待ちの大行列。 「アリャ・コリャ・ダメだ! ヨシ、近くの湯島天神へ行こう!」、、、、神田明神から、湯島天神正面に向かう清水坂を上り、三組坂の上まで来ると。 再び、来て・見て・ビックリ、こちらも物凄い大行列、行列の最後は三組坂坂下交差点まで続いている。 2時間並んでも拝めるか? 結局、元日の参拝はあきらめ、我が家へ戻り夕食となる。

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正月二日目、前日の疲れを癒すため、“一日寝てよう日”

本日、正月三日目、夫婦でとりあえず浅草橋駅裏の我が家の氏神さま:銀杏岡八幡神社へ詣でる。 その足で、チョイト柴又帝釈天に行ってきた。




●我が家の氏神さま ・・・・・・【まずは前置】 「氏神」とは、本来は氏名(うじな)の神であり、一族一統の神であった。 しかし現在では、鎮守や産土神(うぶすなかみ)と区別せず、神社周辺の土地に住む地域の人々を守ってくれる神を氏神という。 氏神の周辺に住み祭礼などに参加する人々を氏子と呼んでいる。 祭礼は町内会で単位で参加するので、ある処に住めば、どの町会属し、どの神社の氏子となるか一意的に定まる。 つまりは、“神社が小さくて気に入らない”、“宮司と仲が悪く顔も見たくない”、“巫女さんに美人がいないからいやだ”など、あーでもない、こーでもないと言って氏神さまを勝手に決めることはできない。 また、自分の気に入った神社の周辺には住んではいないが、その神を信仰する人を崇敬者(すうけいしゃ)と称する。

・・・・・・・・・浅草橋1丁目に鎮座する銀杏岡八幡神社の創建年代は不詳だが、源頼義・義家が奥州征伐に向かう途中、小高い丘だった当地に銀杏の枝を差して戦勝祈願し、その帰途、康平5年(1062)に当社を創建したと伝えられている。 江戸時代に入り、福井藩松平家屋敷地となり、松平家の邸内社となったものの、享保10年(1725)公収され町内(福井町)の産土神となった。 明治維新後には村社に列格していました。、、、、我が家の家族は、全員この神社で罪穢(つみけがれ)を祓ってもらっている。 私の穢れはどうもしっこくこびりついているようだ! いつまでたっても穢れたまま。 いまだに、宝くじ一等が当たらない!、、、、今日はお賽銭も奮発したので、今年こそ一等が当たるようにお願いした。

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●何処も同じ、人・人・人! ・・・・・・・・氏神さまに詣でた後は、チョイト甘味を味わいたくなって、夫婦で柴又の帝釈天に参詣。、、、、ここも、行ってビックリ・見てビックリ・婆さん餅がつまってシャックリ・爺さん餅がつまってポックリ! 参道は超満員、でも行列で並ぶこともなく、ヨチヨチ歩いて本堂まで。、、、、参道の店は飛ぶように売れ、食事処・甘味処はこれまた超満員。 ここでも、食べるのはあきらめ、お土産の草だんごを買って帰る。 
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2019年12月23日 (月)

夕暮れの四つ木

昨日は冬至、陽が落ちるのも早く、荒川の夕陽を見てきた。




●翼も見飽きた! ・・・・・・春頃からサッカー漫画「キャプテン翼」にラッピングされた四ツ木駅で下車。 まだ外は明るく、下車する人も少ない。

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●夕陽に映える! ・・・・・・荒川左岸の土手にのぼり、夕陽が落ちる荒川を背景に、橋梁を撮影。

・・・・・・・・・・・・まずは新四ツ木橋、、、、上流に架かる四ツ木橋が慢性的に渋滞したことから、曳舟川通りを延長する形で国道6号に平行して新四ツ木橋を建設。 昭和48年(1973)に竣工し、供用を開始。 橋の長さ472m。、、、、橋の先にはスカイツリーが見える。 富士山も見えるのだがビルの陰に隠れた。

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・・・・・・・・・・・・・・次は、上流側に架かる四ツ木橋(四ツ木大橋)、、、、大正11年(1922)に荒川放水路開削に伴い木製の四ツ木橋(旧橋)が架橋された。 この木製の橋とは別に現在の国道6号上に近代的な橋をかける計画が早くから立てられ、昭和14年(1939)から、新橋の工事が行われたが、戦況悪化により昭和18年(1943)に中断された。 戦後、工事が再開され、昭和27年(1952)に現在の四ツ木橋が開通した。 橋の長さは507.4m。、、、、アーチ状のシルエットが印象的だ!

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・・・・・・・・・・・・・・次は、新四ツ木橋の下流に架かる京成荒川橋梁、、、、旧橋は桁下が低く荒川の増水時には危険であった。 そのため、国土交通省と京成電鉄の共同事業として橋梁の架け替えを行い、平成11年(1999)に現在の新橋の供用を開始した。、、、、荒川に映える橋梁だ!

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・・・・・・・・・・・・・・最後は、京成荒川橋梁の下流側に架かる木根川橋、、、、着工は昭和42年(1967)、完成は昭和44年(1969)。 橋の長さ466m。、、、、美しいトラス橋。

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●ジングルベルが聞こえない! ・・・・・・陽が落ち、東四つ木の商店街を駅に向かう。 人通りも少なく、シングルベルも聞こえない商店街。

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2019年11月 2日 (土)

念には念を、荒川橋梁の確認

荒川の治水上の弱点として、京成本線荒川橋梁の桁下の高さが低く、早急なる架け替えの必要性が言われている。 その話は以前から聞いて知っていたが、台風19号の脅威にさらされ再確認したくなった。 今日の散歩は東武伊勢崎線堀切駅(足立区)で下車し、荒川橋梁を見て、京成本線堀切菖蒲園駅(葛飾区)までの、9千歩。

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●気持ちいい秋晴れ! ・・・・・・・東武伊勢崎線の堀切駅(足立区千住曙町)で下車。 普段は哀愁ただよう寂しい駅。 駅前には旧綾瀬川が流れ、対岸は墨田区。、、、、私が恐れるのは、京成本線荒川橋梁付近で氾濫し、その水が近くの旧綾瀬川に流れ込むと、その先は隅田川に合流し、荒川区、台東区、中央区と浸水する可能性があることだ! この想定は国交省でも考えているシナリオと思われる。

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●グランドはまだ使用できず! ・・・・・・堀切駅前の堤防に立つと、荒川が穏やかに流れている。 でも、河川敷のグランドは足下グチャグチャ。 北側(上流側)に堀切橋が見える。 京成本線の荒川橋梁は堀切橋の後ろに在り、トラス部分がみえる。 写真左端の堤防頂部の道路面と堀切橋の路面の高さはほぼ同じ。

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●堤防は崩壊するか? ・・・・・・・昭和6年12月19日の京成本線:青砥~日暮里間開業に合わせ、同年に架けられた荒川橋梁綾瀬川橋梁。 荒川橋梁は全長446.99m、両端が6スパンの単線上路式プレートガーター橋、中間が3スパンの複線下路式曲弦ワーレントラス橋。 綾瀬川橋梁も単線上路式プレートガーター橋、中間が複線下路式曲弦ワーレントラス橋。 両橋とも、東京石川島造船所製、下部工事は大林組の施工。、、、、いまの京成本線は上野~成田空港の結び一日当たり約14万人が利用する大動脈である。、、、、橋が出来て今年で88年、米寿だ。 この間、高度成長期には地盤沈下し、その後堤防のかさ上げを行ったが、橋が架かっている部分は手つかずでかさ上げが出来ていない。 そのため、荒川橋梁の桁下が周辺堤防に比べ約3.7m程低く、増水時にはこの低い部分から水が溢れ堤防が決壊する恐れがある。 治水上の弱点となってしまった。 そこで、隣りに新しい橋を架けるべく、平成16年(2004)度から設計等が進められているが、今だ工事には至っていない。 どうしたことだ!  都民の命が係っている工事だが、どうやら、工事用地の確保が出来ていないらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・両側の取り付け部分を見ると3.7m低いのは一目瞭然。、、、、『蟻の穴ならぬ電車の鉄橋から 堤も崩れる』とならぬように祈りたい。

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・・・・・・・・・・・・・・荒川右岸(足立区側)の堤防から眺めると、高架橋に沿って民家がビッシリ。 どこも人が住んでいるようだ、まだ工事できそうにないね!

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・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線(下)と京成本線(上)が交差する地点付近は、チョイト広いスペースが確保されているのか?
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・・・・・・・・・・・・・・堀切橋と荒川橋梁の間、堤防上の狭いスペースで高低測量が行われていた。 アレ、ひょっとするといよいよ工事が始まるのか? 何となく、嬉しくなるね!
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●早く終わらして! ・・・・・・・一刻も早く荒川橋梁の架け替えが終わることを願いつつ、堀切橋を渡り堀切菖蒲園駅から帰宅。

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2019年8月 2日 (金)

熱中症と戦う

この暑さに身体を慣らすため、今日も歩いてみた。 朝7時半に家を出て、京成押上線立石駅から、JR総武線新小岩駅まで、9千歩の散歩です。




●立石が変わる! ・・・・・・京成押上線の「京成立石駅」は大正元年(1912)11月3日に開業した。 現在は相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅名は、“京成立石”が正式な駅名で、旅客向け案内では“京成”を省略して「立石」としている 、、、、令和5年(2023)の完成を目指し進められている京成押上線(四ツ木駅~青砥駅間)連続立体交差事業も、そろそろ佳境に入り、立石駅の高架化工事も始まるとおもわれる。 数年後には今の駅は消え、新しいモダンな駅に変わっていることだろう。

・・・・・・・・・・・・・・只今、午前7時30分。 上りホームは通勤客で行列ができた。

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・・・・・・・・・・・・・・今の駅舎に改築したのは昭和43年(1968)、50年前の駅だ! 立石駅は押上線の中では乗降客(一日平均約4万人)が最も多い駅であるが、駅舎は狭く古い 、、、、駅では改札内コンコースにトイレを造る余裕がなく、下りホーム中程に男女とも一か所あるのみ。 チョイト、ホームの真ん中の狭いトイレでは、若い女性は利用しにくいね! 新しい駅になるまで、漏らさず、我慢して!

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・・・・・・・・・・・・・・橋上駅舎から線路を見る。 線路沿いに工事用地が見える。 真下にはホームが見える。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の周りには工事用地が確保され、駅部以外の工区では工事も進捗している 、、、、駅の北側では鉄道の高架化に合わせ、令和4年(2022)の工事竣工を目指し36階建てタワーマンションと、13階建て葛飾区庁舎の建設工事が計画されている 、、、、立石は変わります、大きく、近代的な駅に変わります、乞うご期待!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前のこの踏切も無くなる 、、、、下り電車が行っても次は上り、高架になればイライラ解消!
 
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●汗をかきかき、ひたすら歩く! ・・・・・・立石駅から南へ、中川に架かる平和橋を目指す 、、、、街路樹のサルスベリが夏らしく赤い花を咲かせた 、、、、あまりの暑さに思考も鈍り、このままでは命が危険と判断し、日陰を求めて路地を歩く 、、、、身体じゅう汗がダラダラ、平和橋通りに出た! 、、、、でかい集合住宅は昭和50年(1975)築の公団住宅。 日射しを遮る効果なし

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●広島にもあった平和橋! ・・・・・中川に架かる平和橋 、、、、関東大震災後の昭和2年(1927)に計画された橋であるが、実際に架橋されたのは戦後の昭和22年(1947)で、しかも木製であった。 昭和32年(1957)に架け直しが決まり、昭和35年(1960)に現在の平和橋が竣工した 、、、、現橋はPC単純桁橋で、長さは134.4m、幅15.0m、、、、橋から蛇行する中川を見る。 橋は平和でも、私は熱中症と戦いの真最中。
 
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●村の鎮守! ・・・・・平和橋を渡り東新小岩地区に入ると、まず、平和橋通に面して鎮座する天祖神社がある。 綺麗に掃き清められた境内に、昭和46年に完成した社殿が堂々と迎えてくれた 、、、、創建は、鎌倉時代の源頼朝の家臣壱岐守平清重(葛西三郎)が、勧請したと伝えられ、江戸時代には皇太神宮社・葛西神明とも尊称され、明治4年(1871)に天祖神社と改称した。 江戸時代には上平井村の鎮守社であった。、、、、暑さのせいか、神社に参る人影はなし。 私の頭は、ポッカポカ。 

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●閻魔の寺! ・・・・・天祖神社から平和橋通りを南へ100m、新義真言宗の上品寺がある。 八幡山来迎院と号す。 本尊の阿弥陀如来は運慶の作とも云われている 、、、、 本堂は安政2年(1855)の地震に倒壊後、再建され、大正11年(1922)および昭和11年(1936)に修築された。 屋根の勾配が綺麗な曲線を描いている。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左隣に閻魔堂があり、閻魔大王坐像があり安置されている。 閻魔大王坐像は高さ2m程で、室町時代初期の作とも云われている。 江戸十六閻魔の一つ。 地獄に住み18の将良と8万の獄卒を従え、死して地獄に落ちくる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い 、、、、私も閻魔大王の人柄(?)には魅力を感じるね!

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●死にそうだ! ・・・・・・熱中症にならずに、どうにかこうにか新小岩駅に到着。 早く、涼しい電車に乗って帰りたい! 

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2019年6月16日 (日)

見事に咲いた菖蒲

朝食を済ませ自室でブラブラしていると、テレビを見ながら「堀切菖蒲園のショウブ、綺麗に咲いてるよ」と妻の声。 この一言で、本日の散歩は、夫婦で堀切菖蒲園に行くことになった。 

・・・・・・・・・・今年の「菖蒲まつり」は、5月27日(月)~6月16日(日)の間。 5月26日、まつりの前日とも知らず、いそいそと菖蒲園に行ってみたが、咲いているのは数える程度であった。 もちろん、観賞する人は一人・二人で寂しいかぎり、ガッカリしたね。、、、今日は祭りの最終日、こんどは枯れ萎んだショウブを見るのかと、車中で妻に確認「今朝のテレビは生中継か、録画か?」 妻「・・・?・・・」 半信半疑 コリャ、マタマタ失敗か、ショウブと勝負!、、、行って、見て、大正解! 青空の下、見事に綺麗に咲き揃ったショウブ。 花は綺麗だが、綺麗所は何処だ? いない、チョイト、残念。

 

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・・・・・・・・・・・・・・菖蒲園、入ります! (なぜか、女賭博師:昇り竜のお銀さん(江波杏子)、緋牡丹のお竜さん(藤純子)を連想していた)  泥田の中に、凛と清らに花咲くショウブ、いいね! 

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2019年5月26日 (日)

トランプで菖蒲!

今日は全国的に朝から暑く、熱中症は厳重警戒の日。 朝の散歩はひかえて、夕方にトランプ大統領を見に、我が家(浅草橋)からは隅田川を挟んで川向こうの両国国技館に行ってみようと思った。 昼のテレビニュースでは、国技館も厳重警戒中と放送された。 『国技館へ変な親爺がカメラぶら下げ、フラフラ歩いて行ったら捕まるかも!』と、妻に止められた。 変わり身の早い私は、急遽昼から、トランプさんとは無関係で、花が咲き競っているであろう堀切菖蒲園に行ってきた。、、、、、堀切菖蒲園駅で下車し、菖蒲園へ、帰りは四ツ木駅から乗車。




●賑わいのない、静かな駅? ・・・・・・・・・・昭和6年(1631)12月19日の日暮里~青砥間開業と同時に開業した京成本線の堀切菖蒲園駅。 ホームは高架相対式2面2線の構造。 駅名になっている堀切菖蒲園は、駅の南400mほどのところにある区立公園。、、、、「菖蒲まつり」の時期には、例年、ホームに提灯がぶら下がり、改札前には菖蒲の花が飾られて、賑わいがあるのだが、今日はチョイト様子が変だ? 静かだ! おかしい? 観光客が少ない! 飾り付けは中途半端?

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・・・・・・・・・・・・・・菖蒲園に向かう商店街には、「堀切菖蒲まつり」の旗がひるがえり、街路灯にはボンボリも下がり、私の前を歩くおばさん達も菖蒲園に向かう。、、、、それにしても、日曜日だというのに活気がない。 今日は暑いので、外出をひかえているのか? 商店も開店休業かな?

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●神に見放され、菖蒲に負けた! ・・・・・・・・・・・・堀切菖蒲園のゲートに大きく掲げられた「堀切菖蒲まつり」の看板が見える。 やってるじゃないか! ドキ、左の柱に「期間 五月二十七日(月)~六月十六日(日)」の表示が見えた! 着いてビックリ、来てビックリ、見てビックリ、ガァ~~~ン! 一日早かった! 駅も、商店も、何もかも皆、菖蒲まつりは明日からだ!  

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・・・・・・・・・・・・・・会場のチラシにも明日からと明記。 事前に確かめず、思い付きの行動には、最悪の結果が待っていた!

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・・・・・・・・・・・・・・せっかく来たのだ、園内に点在するチョッピリの菖蒲を見て帰ることにした。 それにしても、「菖蒲の咲いてない菖蒲園は 女性が入浴していない露天風呂だ」、、、、菖蒲が咲いた最盛期の菖蒲園

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・・・・・・・・・・・・・・咲いていた菖蒲!

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●駅がサッカーの聖地に! ・・・・・・・・・・・・・・熱中症に注意しながら、堀切の極楽寺、四つ木の西光寺に寄り、四ツ木駅から帰る。、、、、四ツ木駅はサッカー漫画の「キャプテン翼」にラッピングされている。 ファンにとっては嬉しい駅になったようだ。

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2019年4月28日 (日)

静かな町を歩く

暇な日は雨が降り、天気が良いと病院へ行く日で、散歩の機会が遠退いていた。 今日は天気も良く暇な日で、京成本線高砂駅から常磐線金町駅に出て、金町駅周辺をブラブラ。 1万2千歩。




●たまには静かな町 ・・・・・京成本線高砂駅からなんとなく北の方向に歩いてみる。 ゴールデンウィークの始まりで、成田空港行の電車は大きなキャッリーバックを持った旅行客で混んでいた。 しかし、一般の乗降客は少なく、通勤する人も少ない、駅周辺の商店は休み、踏切で待つ人もいない、静かな町に変わった。、、、、謡曲『高砂や この浦船に帆をかけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は讃州・・・・アレ???』

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●高砂の昭和レトロ ・・・・・特徴的な縦長の窓とドアは、きっと理髪店だったと思われる。 玄関先の小部屋の外壁は下見板張りで洋風の造り。 和風の下見板張りは下町の懐かしい住宅。

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●新しい社殿の古社 ・・・・・高砂の町から柴又2丁目の町に入ると古録天神社がある。 古録天神社の創建年代は不詳だが、かつては第六天社と称した古社で、明治維新後古録天神社と改号した。 主祭神惶根尊、相殿に菅原道真公、宇迦之魂神を加え、三柱の神を御祭神とする。 社殿は建立されてから130年以上経過したので、平成15年(2003)に木造流れ造りに建て替えられた。

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●車も人も見えない ・・・・・帝釈天のある柴又7丁目とは、京成金町線を挟んで反対側にある柴又2丁目、金町2丁目も静かなゴールデンウィークをむかえている。 走る車もなく、人影も見えない、道端のツツジを見ながら金町駅に向かう。

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●裏通りの飲み屋も休みか? ・・・・国道6号(水戸街道)を横断し、『買う街 飲む町 食べる街』の旗がなびく金町栄通り商店街を抜けると、京成金町駅・JR金町駅南口に出る。 金町駅南口から改札通路を通り北口へ出て、チョイト北口付近をブラブラすることにした。

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●水戸徳川家の祈願所 ・・・・・金町駅の北東500m程に、真言宗豊山派の金蓮院がある。 法護山金剛寺と号す。 永正年間(1504~1520)の創建で、旧門末30余ヵ寺をもった本寺格の寺院で、天正19年(1591)には徳川家から10石の御朱印を拝領した。、、、、本堂左に、宝永7年(1710)に二十六夜待講中の人々が、二世安楽を願って建てた藍染明王の石像がある。 彫のハッキリとした見ごたえある石像だ。 二十六夜待とは、特定の月の26日の夜に人々が寄り合い、飲食などをしながら月の出を待ち、五穀豊穣、商売繁盛などを願うこと。(呑み会の理由づけに、二十六夜待を利用したのかも?)

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●駅前で超便利 ・・・・・JR金町駅北口の正面に建つ公団の15階建ての高層住宅。 昭和43年(1968)に竣工、4棟1417戸からなり、かなり広い敷地をユッタリと利用した団地である。、、、、駅前で土地に余裕あり、しかも建物は築50年、そろそろ建て替えかな?

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◆◆◆・・・・・プロバイダーniftyが提供する、ブログ作成ソフトに障害があり、直るまでには、まだ当分時間がかかりそうです。 その障害に起因して、本来ならば一週間単位で作成されるはずのバックナンバーが一ヶ月単位で作成されてます。 また、文字の大きさなどもバラバラで表示されているようです。 しばらくの間、ご容赦願います。  (雅万歩)

2019年4月 4日 (木)

男二人が守る閘門橋

つくばエキスプレス八潮駅で下車し、潮止橋で中川を越え、チョッピリ三郷市戸ヶ崎に入り、大場川の閘門橋を渡り葛飾区水元地区に入る。 旧水元小学校校舎の近くからバスで金町駅へ出て帰る。 1万2千歩の散歩です。




●どこにある市? ・・・・・足立区の北隣の埼玉県八潮市。 「八潮市と言えば・・・・・?」と問われ、考え込んでも、名所、名物、産業、どれもこれもサッパリ思い浮かばない、存在感のない“市”である。 その町を走る唯一の鉄道はつくばエキスプレス、そして唯一の駅が八潮駅。、、、、、平成17年(2005)8月24日に開業した、島式ホーム2面4線を有する高架駅。、、、、、ちなみに市名は、昭和31年(1956)の大合併で誕生した。 “八潮市”=“八条村”+“八幡村”+“潮止村”。

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●自転車が怖い県道! ・・・・・・・中川に架かり、八潮市と三郷市を結ぶ県道が通る潮止橋(しおどめはし)。 橋名は上流にかつて潮止村があったことによる。 東京湾の潮はここで打止め!ゆえに、潮止と云ったそうだ。 、、、、、橋上の県道は交通量が多く、トラック、バスなど大型自動車が引切り無しに通る。 よそ見して歩くと、自転車に轢かれそうだ!

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●社務所もない! ・・・・・・・潮止橋を渡ると、櫛稲田姫命、須佐之男命を祭神とする大瀬氷川神社がある。 創建年代は不詳。 大瀬は猿俣(葛飾区水元)・戸ケ崎などとの水運拠点として古くから栄えたそうだ、神社は大瀬の鎮守社として祀られていた。 明治42年(1909)に浅間神社を合祀、中川河川改修のため大正9年(1920)現在地へ遷座した。、、、、、広い境内だが、社殿、鳥居、石碑の他は何もなく、実に殺風景である。 駐車場にしている様子もないね。

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●いつの間にか三郷市だ! ・・・・・・・・・大瀬氷川神社から200m程歩くと三郷市である。 八潮・三郷の両市の境界らしきものは案内標識以外にはなく、なんとなく八潮市から三郷市に入ったという感じ。、、、、、境界の三郷市側にある郵便ポスト、なんと戦前の丸型ポストで現在も使われているようだ。 このポストに投函すると、良い知らせが戻ってくるような気がするね。

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・・・・・・・・・・・・・・・三郷市戸ヶ崎の吹上天神社は、建武2年(1335)夏の暴風で吹き上げられた梅の老木と白蛇のお告げから、当地を吹上と名付け、天神を祀ったと言われている。 明治43年(1910)戸ケ崎香取神社に合祀されたが、昭和32年(1957)還座した。、、、、、大きくはない地元の神社。

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●面白い名の用水路 ・・・・・・・三郷市戸ヶ崎から南下すると、大場川(葛飾区水元公園)の手前で、二郷半領用水逃樋(にごうはんりょうようすい にげひ)と二郷半領用不動堀樋(にごうはんりょうふどうぼりひ)がある。、、、、、二郷半領用水とは、埼玉県南東部から吉川市を抜けて、三郷市戸ヶ崎で大場川に合流する、延長16.7kmのチョイト汚い用水路である。(二郷半領は地名。面白い!)

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・・・・・・・・・・・・・・・二郷半領用水逃樋、、、、、この樋管は明治43年(1910)の大洪水で大破した木製樋管を、煉瓦造りで復旧したもの。 逃樋の建設工事は、明治45年(1912)1月12日に起工し、同年3月31日に竣工した。 県の直轄工事であったが、担当は北葛飾郡技手の金子峯吉。 建設費は7,818円。 樋管長は19.1m。 現在、上部には県道が通っているが、煉瓦部分はひび割れもなく綺麗な状態である。

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・・・・・・・・・・・・・・・二郷半領不動堀樋は、逆流防止用として造られた樋管である。 こちらも、県直轄工事だが、逃樋と同じ金子峯吉が担当し、建設費約11,014円で、大正3年(1914)4月1日に着工し、同年5月30日に竣工している。 樋管の長さ22.4m。

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●像の二人はカッコいいね! ・・・・・・二郷半領不動堀樋の南側50m程に、大場川に架かる閘門橋(こうもんばし、葛飾区西水元)がある。 この橋は、明治43年(1910)に完成した、煉瓦造りのアーチ橋(上流側:4連、下流側:6連)である。 長さ30m、高さ5.5mで、上流側と下流側ではアーチの連数が異なる珍しい形式の煉瓦水門。 下流側の中央アーチ部には、堰板を落とし込む二人の男のブロンズ像が設置されている。 都内唯一の煉瓦アーチ橋で、平成25年(2013)の土木学会推奨土木遺産に選定された。

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●最古の木造校舎  ・・・・・・・閘門橋から水元公園と離れ、金町方向にバス道路を歩き水元小学校に着いた。 ここには、大正14年(1925)に建てられた水元尋常小学校の建物が保存されている。 昭和57年(1982)まで同校の校舎として使用されが、現在は使用していない。 都内に残る貴重な23区最古の木造校舎校。、、、、、大事に保存して欲しいね!

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●お帰りです ・・・・・・チョイト疲れたので、「水元四丁目」からバスで金町駅に向かうことにした。、、、、、今日の散歩はココまで!

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