葛飾区

2023年1月13日 (金)

亀有新道

一昨日の散歩は青砥駅で終った。 今日の散歩は青砥駅からスタートすることにした。 青砥駅から東西南北いずれの方向に歩こうか(?)、Googleマップを見ながら悩んでいると、地図上に道路に『亀有新道』の文字がある。 よくよく見ると、一昨日歩いた東四つ木の荒川左岸から、立石駅の北側をとおり、かつしかシンフォニーヒルズ前を抜けて、青砥駅前までほぼ一直線に伸びた道路で、かって“水道道路”と言われたと記憶している道である。 この「亀有新道」が、青砥駅前で直角に曲がり北上して亀有駅前のロータリーまで伸びている。 今日まで私は『亀有新道』という道路名は知らなかった! 早速調べてみたが「亀有新道」の起点・終点、ルートなど一切不明。(葛飾区の区史にも見つからず) 水戸街道近くの都営住宅前に「亀有新道」というバス停があることは判った。 何だか手掛かりの少ない亀有新道、興味が湧いてきた。、、、、今日の散歩は、青砥駅前から、Googleマップに標された亀有新道を歩き亀有駅まで歩くことにした。 何か発見できるかも! 

 



● まずは京成押上線「青砥駅」で下車、、、、平日の朝、都心に向かう2階ホームは通勤通学客が多いこと!

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・・・・・・・・・・ 青砥駅の高架下を抜ける、この道路の先に亀有新道がある

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「青砥駅北口」交差点、写真左の道が東四つ木に向かう亀有新道、亀有新道はこの交差点で直角に折れ、中央奥(北)へ向かうと亀有駅である。、、、、、私の推測では、この交差点から東四つ木までは直線の“水道道路”を利用し、ここから亀有駅までは一般道路を利用し、役所の誰かが「亀有新道」と名付けたと思われる。 今日の散歩は、ここから亀有新道を歩き亀有駅を目指す。

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・・・・・・・・・・ 交差点近くのお弁当屋さん。 ナント、マア~!ワンコインでお弁当が2つ、安い! 何種類かあるようで、選べる弁当! 下町は物価が安いのか?

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● 総戸数1119戸のUR賃貸住宅「青戸第一団地」、、、、日本住宅公団が、ここ青戸団地の入居者を募集したのは昭和31年(1956)7月である。その後、人口増加に伴い、住環境は整備された。 亀有新道はこの団地前をとおる。

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● 亀有新道は青戸4丁目の「青戸平和公園」前を通る。 ここは昭和63年(1988)に、非核平和都市宣言5周年を記念し、旧青戸公園を改修して非核平和祈念塔を建設すると共に、噴水、せせらぎなどを作り、塔の前には被爆時の遺品が献花台が設置されている。 広島御幸橋の縁石、長崎で被爆のレンガ門柱などが展示してある。 「原爆犠牲者 慰霊碑」もある。、、、、平和を祈る場所が、なぜここかは、不明?

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・・・・・・・・・・ この付近では、亀有新道は直線道路

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● 青戸7丁目の「テクノプラザかつしか」前、、、、地場産業育成のための活動拠点。 産業関係者の交流や自主的活動の促進、経営・技術情報の提供、経営・下請相談などを行っている。、、、、葛飾区は昔からおもちゃの製造会社が多く、地場産業として強みを発揮してもらいたいね! そんなことを思って歩いていると、脇をリカちゃんのバスが通り過ぎて行く。

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● 亀有新道と水戸街道(=国道6号)が交差する。 

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・・・・・・・・・・ 交差点の先にある両側のバス停の名が「亀有新道」、バス停前の公園は「新道口児童遊園」。 亀有新道を歩いて初めて見つけた“亀有新道”の文字、見ることが無かった道路の愛称を見つけ感動した
ね。(本日歩いて見つけた唯一の道路名)

 

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● 亀有新道が亀有1丁目に入ると、脇道に寺の屋根が見えた、チョイトお立ち寄り!、、、、寺は、真宗大谷寺院派の「
本多山 蓮光寺」。 創建年代は不詳だが、遠江国横須賀に創建、その後三河国安祥(安城)へ、慶長14年(1609)広闡庵了賢が江戸神田へ移転したと伝えられている。、、、、樹木多く手入れも良く、心休まる寺。 墓参りに行きたくなるほど緑が綺麗。

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● 亀有新道と旧水戸街道の交差点には、「一里塚跡」の碑水戸黄門御一行の石像がある。 一里塚跡は納得できるが、石像はチョイト気味が悪いね!

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● 亀有新道は亀有駅前ロータリーにぶつかる。、、、、名を知る人は少ないと思われる「亀有新道」を歩き、本日の目標達成!

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● 帰宅するつもりで亀有駅改札口まで行ったが、時刻は9時半、アリャ予定より早く着いた! もう少し歩くか! 隣の綾瀬駅まで歩こう!、、、、と云うことで、散歩のおまけで綾瀬駅まで歩いて来た。 本日は1万3千歩

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2023年1月11日 (水)

セルロイドの町

京成押上線の八広駅から荒川を渡り、立石駅前を通り青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。



八広駅で電車から降り、ホームの端に立つと荒川に架かる押上線荒川橋梁に接していることが判る。 平成3年(1991)1月5日、桁の高さが低かった旧荒川橋梁にタンカーが衝突し、上下線とも数日間運休となる事故が発生した。 これを契機に、荒川橋梁の掛け替えおよび荒川を挟み両岸の四ツ木駅と八広駅間の高架化工事が開始され、平成11年(1999)工事が完成した。 また、平成6年(1994)には、荒川駅を八広駅に改称。、、、、現在の駅の構造は、ホームは3階にあり、1番線が片面、2・3番線が島式の2面3線構造。 2階は改札・コンコース。 高架下の1階は薄暗い出入口とその周囲は自転車置き場。 なんでこんな陰気な駅を造ったのか謎だ!?、、、、駅名の「八広」は地名から採用。 地名の「八広」は元々「吾嬬町」といい、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い寺島町六・八丁目、隅田町四丁目・吾嬬町西五・六・七・八・九丁目の8地区が合併して成立したため、「」の字を採り、その字体から「末がり」の縁起を担いで命名された。

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● 平成11年(1999)に供用を開始した現在の押上線荒川橋梁であるが、旧橋の撤去や関連護岸工事などすべての事業が完了したのは平成14年(2002)である。 総事業費は398億円(内242億円(65%)は国庫負担)、、、、現橋は旧橋より3.7m嵩上げし、水面から8.3mの高さとなった。 橋長473mの単純トラス橋。

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● 押上線荒川橋梁の上流側(北側)に、新四つ木橋、四つ木橋(国道6号)が架かっている。 四ツ木橋の旧橋は大正11年(1922)に、荒川放水路(現:荒川)開削に伴い木製の四ツ木橋が架橋された。 その位置は現在の国道6号ではなく、約500m下流の東京都道465号深川吾嬬線の延長上にあった。 大正12年(1923)9月、関東大震災の混乱に乗じ、この四ツ木橋の墨田区側のたもとで、朝鮮人・中国人虐殺が行われたといわれてる。 なおその規模は不詳である。、、、、押上線荒川橋梁から約100m下流側、都道465号が荒川にぶつかる際に、「関東大震災 朝鮮人殉職者追悼碑」がある。 この場所は、韓国・朝鮮人が殺害された場所の一つと言われている。 嘘か真か、詳細は不明。、、、、写真は荒川堤防上から撮影。

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● 押上線荒川橋梁から100m程下流に架かる「木根川橋(きねがわばし)」は、墨田区八広と葛飾区東四つ木とを結ぶ美しいトラス橋である。、、、、全長531.4mの3径間下路カンチレバートラス橋 +4径間下路単純トラス橋で、着工は昭和42年(1967)、完成は昭和44年(1969)2月。 下部工の施工は大成建設。、、、、この橋は、さだまさしの歌「木根川橋」のモチーフとなった。 この歌を私は知らないが、木根川橋そのものは、何となく下町の匂いがするようで好きだ!

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・・・・・・・・・・木根川橋から下流を眺める。 冬の太陽が昇ってる!

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● 木根川橋を渡り葛飾区東四つ木の町に入る。 ここは細い曲がりくねった小路に、町工場、住宅が建ち並ぶ木造密集地区。、、、、下町の雰囲気が残っている、好きだ!

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● 東四つ木の町の中に「渋江白髭神社」(四つ木白髭神社とは別)がある。 渋江白髭神社は、旧西葛西領澁江村(東京府南葛飾郡本田村字澁江)の鎮守で、江戸時代は「葛西の客人(まろうど) 大権現」と呼ばれ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々の崇敬を集めた。 創建年代は不詳ながら、旧別当寺の観正寺が延徳3年(1491)創建であることから、室町時代の創建と推定される。、、、、現在の社殿は嘉永元年(1848)の造営。、、、、当神社付近には、戦国時代に使用されたとされる渋江陣屋の跡があったそうだ。 遺構などは無いが、「渋江城跡」と言われてる。

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・・・・・・・・・・ 社殿前の狛犬は安政3年(1856)に深川の油問屋から奉納された。 また、常夜燈は文政6年(1823)に日本橋葦屋町(現:人形町付近)からの奉納。

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・・・・・・・・・・ 境内には、文政5年(1823)奉納の客人大権現の道標などが数基残っている。

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● 渋江白髭神社から北東へ約500m、プールやテニスコートなどもあるチョイト大きな渋江公園(葛飾区東立石)がある。 この公園に、3人の子どもが階段に座る彫刻が花壇の中央に置かれた「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」が建っている。、、、、葛飾のセルロイド工業は、大正時代から昭和20年代にかけて旺盛だった。 大正3年(1914)「
千種セルロイド工業」が、この地に創設されたことに始まる。 しかし皮肉にも千種セルロイド工業は、不況のために早くも大正9年(1920)に廃業してしまうが、セルロイド工業はこの地区に定着し発達していった。 戦後セルロイド製品は日本の輸出品の中で重要な役割を果たしたが、プラスチック技術の発展にともない急速に衰退した。 公園内の記念碑は、この地域が葛飾区の近代工業の発展を担ったことを表わしている。 昭和27年(1952)、渋江公園の造成に伴って建てられた。、、、、私も愛用したセルロイドの下敷き、筆箱、玩具など、現代のプラスチックに変わるまで、戦前戦後の重要な素材であった。 セルロイドは燃えやすい素材であるため、現在は国内で生産されていないそうだ。、、、、懐かしい匂いがする素材で、セルロイド製の樟脳船で遊んだことを思い出す。

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● 高架化工事中の立石駅を通り、1,300席を有するクラシック音楽向けのホールを備える文化センター「かつしか シンフォニーヒルズ
」前を抜けると青砥駅。

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2022年11月22日 (火)

三郷の正光山

「天王山 淵富院 正光寺」(北区岩淵町)の次は「瑠璃山 正光院」(港区元麻布)と続き、さてその次は“正光山”と言うことで・・・・・調べてみたら・・・・・東京23区内にはないが、隣の埼玉県にあった。 場所は、葛飾区の水元公園に近い三郷市高州に! 「正光山 大雄寺」というお寺があった。

今日の散歩は、あらかじめ地図で場所・ルートを確認し「正光山 大雄寺」へ行くことにした。 浅草橋の我が家からは、京成金町駅まで行って、駅からは旧水戸街道沿い(江戸川沿い)に大雄寺まで歩き、参る。 帰りは近くからバスで金町駅に出て帰宅。



● 浅草橋駅から、都営浅草線・京成線に乗り、薄っすらと朝霧の残る「京成金町駅」で下車。 今日の散歩は、ここからスタート!

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・・・・・・・・・・ 京成金町駅から東に歩き「旧水戸街道」に出る。 常磐線のガードをくぐり、旧水戸街道は江戸川土手に沿って北へ向かう。、、、、(2枚目の写真)幅の広い都道から、右に分岐する道が旧水戸街道。

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● 都道から細い旧道に入ると、江戸川に出る手前(葛飾区東金町)に「葛西神社」の鳥居がある、、、、、葛西神社は、平安末期の元暦2年(1185)に葛西清重が、上葛西・下葛西33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われてる。 江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜った。 祭神は、経津主神、日本武尊、徳川家康命の三神。、、、、東京周辺の祭り囃子の祖とされる「葛西囃子」発祥の地と言うが、私は葛西囃子を知らないので、ゴメン!

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・・・・・・・・・・ 葛西神社前、旧水戸街道の路傍に庚申塔がある。 駒型・日月・青面金剛像・邪鬼・三猿の庚申塔。 私は判読不能だが「文政二己卯歳正月吉辰再興」の銘あり。、、、、街道の名残か?

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・・・・・・・・・・ なんとなく、旧街道らしい道を歩く

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● チョイト、脇に入ると浄土宗寺院の「摂取山 蓮池院 光増寺」がある。 光増寺は、貞応元年(1222)に草庵を起源とし、元仁元年(1224)親鸞聖人が立ちより、浄土真宗光増寺となった。 戦国時代の国府台合戦により堂宇を消失、天正15年(1587)、江戸増上寺の僧が浄土宗として中興した。 当地は旧水戸街道沿いにあたり、水戸徳川家の立ち寄り所となっていたことから、徳川家の紋所を使用している。 その後、数度の火災に遭い多くの寺宝と記録を失い、明治43年(1910)の再建を経て、昭和49年、現在の堂舎に改築された。、、、、境内は手入れが行き届き、気持ちよく参拝できる。

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・・・・・・・・・・ 旧水戸街道に戻り、江戸川土手の下の道を歩く、、、、昔の人は、土手の上をのんびり歩いていたのかも?

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● 歩く先には、東京外環自動車道(=外環道)が見える。、、、、外環道の下を抜けると、「都立水元公園」の東端に接し、都下水道局東金町ポンプ所の建物がある。 ポンプ所前に「金町関所跡之記」碑がある。、、、、関所の正確な位置はここではないらしい。 明治時代の河川改修と堤防の構築により旧態は残っておらず、もう正しい位置は判らなくなっているそうだ。 金町関所は「金町松戸関所」といい、慶長年間(1596~1614)水戸街道の要所として江戸防衛のため徳川幕府によって設置されたもので、水戸街道が江戸川を渡る地点に置かれた江戸の東の関門で、江戸川の渡船場を監視した関所だった。 関所の施設がある一帯は金町御番所町と呼ばれて、4名の関所番が、廃止となる明治2年2月までその任に当たっていた。、、、、碑の後ろの土手に上がると、対岸には松戸の街が広がっている。 旧水戸街道も対岸の松戸市へ続くそうだ。

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● ポンプ所の前から北へ300m程歩くと、東京都葛飾区と埼玉県三郷市の境である。 三郷市に入って200m程で今日の散歩の目的地「正光山 大雄寺」(三郷市高州)がある。、、、、日蓮宗寺院の大雄寺は、教學院日利が開山となり、文禄元年(1593)創建 、江戸川の河川改修に伴い江戸・大正・昭和時代と3度の移転を経て当地へ移転した。 三郷七福神「戸ケ崎めぐり」の大黒天を祀る、、、、 山門を入ると、すぐ左手に本堂。 想像していた通りの小さなお寺。 本堂に手を合わせ、ハイ、さようなら! 

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・・・・・・・・・・ これにて、「正光寺」、「正光院」、「正光山」の山院寺号を制覇、一人悦に入る!



・・・・・・・・・・ 大雄寺の隣りには、大雄寺より境内の広そうな「三福神社(三輪神社)」がある。、、、、三福神社(三輪神社)は、寛永16年(1639)の江戸川の氾濫の時、三輪野江(現吉川市)の三輪神社の神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げて創祀、稲荷社・秋葉社とともに小向村の鎮守社となった。 明治43年(1910)には、大雄寺持ちの稲荷社を合祀した。、、、、 おらが村の鎮守さま!

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● 本日の散歩はココまで、「高州四丁目バス停」から金町駅へ戻る。、、、、金町駅からここまで1万歩、健康的な散歩だ!

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2022年9月29日 (木)

完成まで、あと何年?

再開発工事の進む京成立石駅で下車し、工事の進捗をチョイト確認して来た。 帰りは京成本線お花茶屋駅をとおり、堀切菖蒲園駅まで1万歩の散歩です。



●  京成電鉄押上線の四ツ木駅~青砥駅間の高架化により、その中間駅である「京成立石駅」は高架駅となる。 駅部の工事は大成建設・奥村組・鉄建JVにより、只今工事の真っ最中。 現在は駅の北側に仮下り線と仮ホームを設置する工事に着手している。(仮線に切り替えるまで、まだまだ時間がかかりそうだ!)、、、、事業内容は京成立石駅とその前後の線路を高架化し、踏切11カ所を解消するものである。 事業区間の距離は約2.6km。 2003年時点では施行期間を2012年度末(2013年3月31日)までとしていたが、用地買収に難航し2022年度末(2023年3月31日)まで延長していた。 しかし、その後関係者の移転先選定に難航しさらに工事が遅れ、現在は、用地買収が完了し、仮線の工事が本格化しているが、買収に応じた関係者の移転先選定に時間がかかったなどの影響を受け再び工事が遅れている。 このため施行期間がまたまた延長された。 当初の施行期間からは18年の遅れの2030年度末(2031年3月31日)に延長された。、、、、2031年に私は85歳。 完成した高架駅を見ることができるかな(?)、ユンケル黄帝液でも飲んで長生きしなくては!

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● 立石駅の高架化に合わせ、駅の南口・北口両地区で再開発の計画がある。 

・・・・・・・・・・・・“南口再開発”は、アーケードのある「立石仲見世」と「立石駅通り商店街」の二つの商店街が中心となりそうだが、まだ再開発の気配は感じられない。(朝の8時過ぎ、店の多くは営業前で、シャッターを下ろしている)

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・・・・・・・・・・・・“北口再開発”は、駅前に葛飾区役所が移転するそうだ。 しかし、こちらも駅前の飲み屋・店舗は、まだ営業中。 立ち退きの気配が薄い! 「呑んべ横丁」は線路側の約半分の店が立ち退き工事用地となっている。、、、、再開発された街は当分の間見ることはなさそうだ。

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● 京成立石駅周辺を散策したあとは、駅から北に向かって「立石さくら通り」と称する、葛飾区庁舎前の通りを北上。

・・・・・・・・・・・・写真は立石さくら通り。 その名の通りサクラ並木。 写真右には、古くは「だっこちゃん」、今は「プラレール」の玩具メーカ「タカラトミー」の本社ビル。

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・・・・・・・・・・・・立石さくら通りは、葛飾区庁舎前を抜ける。 庁舎建物(本館)は昭和37年(1962)の竣工で、だいぶ古くなった。 地震ぎ来たら危ないかも? 早く、立石駅前の再開発ビルに移転したいのだろうね(?)

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● 立石さくら通りを抜けると国道6号(=水戸街道)にでる。 京成本線に沿って、お花茶屋駅をとおり堀切菖蒲園駅まで歩く。

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2022年9月16日 (金)

小菅ジャンクション

東武伊勢崎線小菅駅で下車し、東京拘置所を半周し綾瀬川を越えて京成本線のお花茶屋駅まで、のんびりゆっくり1万歩の散歩です。 2年前に小菅駅からお花茶屋駅まで歩いているが、この時は拘置所の北側を歩いた。 今日は、拘置所の南側を歩く。



● 東武伊勢崎線北千住駅で各駅停車に乗り換え荒川を越えると隣駅の「小菅駅」に到着。 かつての小菅村は荒川(旧荒川放水路)が開削される以前まで、千住の隣村であった、今は荒川を挟んで隣町。 小菅駅も旧荒川放水路橋梁に接するように位置する、ホームからは東京拘置所がよく見える。(宿泊してる人までは見えない!)、、、、ホームは島式1面2線で、改札からは10m程のかなり高い位置にある。 エレベータの利用率も高そうだ!、、、、駅前は自転車がすれ違い出来るほどの幅で、高架下には小さなストアと歯科医院がある程度、これと言う店は何もない。 まさに、拘置所のみがある駅だ!

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● 小菅駅から西側(荒川側)に回り、拘置所正門、南側の面会所側まで半周する。(小菅駅は足立区、東京拘置所は葛飾区)、、、、正門側からは建物が見えないが、面会所ある南側からは拘置所のメインとなる宿泊施設のある堂々とした建物がよく見える。(内覧会、体験宿泊などがあると犯罪防止に役立つかも?)

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・・・・・・・・・・・・東京拘置所の南側には旧水戸街道がある。 荒川と綾瀬川に挟まれた300m程の直線道路で、昔の面影はチョイト薄れたが、それらしき雰囲気は残っているので、散歩にはGood!

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● 綾瀬川の真上にある「小菅ジャンクション」は、葛飾区小菅にある首都高の中になる央環状線と6号三郷線を結ぶジャンクション。、、、、見上げると凄い! 下を歩いていると、上から自動車が落ちてこないか不安になるね!

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● 「小菅神社」は小菅JCTの東側、綾瀬川水戸橋の東南、小菅水再生センターの北西隅、にある中社。 祭神は天照大神。明治2年(1869)この地域を含めて小菅県が設置された時、小菅県の県知事河瀬秀治は庁内(東京拘置所)に伊勢皇大神宮を勧請し、県下356ヵ町村の守護神としたことに始まる。 明治5年小菅県所管の葛飾郡72ヵ町村等が東京府に移管され、社は小菅村の鎮守田中稲荷神社の境内に移し、小菅大明神と称して村の氏神となる。同42年(1909)には小菅神社と改称する。、、、、現社殿は昭和54年(1979)の造営。

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● 小菅神社から京成本線の堀切菖蒲園駅の北側を歩く。 線路脇に出て「お花茶屋駅」まで向かい。 散歩はココまで。

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2022年8月 7日 (日)

鰻にニッコリ

我が妻が嫁ぐまでの20年間(戦後の昭和時代)、過ごしてきた実家の家(江戸川区南小岩)を取り壊すことにした。 両親は30年程前に他界し、その後家を守ってきた義兄も他界し、空き家となっていた。 主の居ない家は老朽化も早く、放置しておくこともできず、更地にして売却することにした。 今日は最後の見納めで、取壊しがはじまり屋根の無くなった家を、感慨深く妻と見てきた。 ボロ家といえども、思い出多い家が無くなるのは寂しいもので、妻は合掌!

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● 小岩駅に戻り、『もうすぐ昼だ、食事はどうしよう?』 『ここまで来たら、帝釈天で鰻はどうだ!』、、、、寂しさ吹っ飛び 鰻にニッコリ  妻の顔

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● 曇り空の東京、気温30℃、熱中症は心配無用、コロナはチョイト心配だった! 5千歩のミニ散歩 

2022年5月15日 (日)

青から青へ

今日の散歩は京成本線の青砥駅から、つくばエキスプレスの青井駅まで、約7㎞、1万4千歩、“青”から“青”までの散歩です。



● 日曜早朝、まだ8時前、空いてる電車の乗って「青砥駅」で下車する。 ここから散歩を始めることにした。

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・・・・・・・・・・・・青砥駅から度々歩いているので、今日は「環七通り」の西側、歩いたことのない裏道を行く。、、、、裏道には“特に記すべきものなし”、ただ歩くのみ。

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● 『あっ、以前訪れた葛西城址だ!』、、、、現在は、本丸跡の中央を“ぶち抜く環七通りがとおり、その道路の両側が葛西城址の公園となっている。、、、、環七通りを歩いて行くと、亀有駅方面出る。 このルートは以前にも歩いたことがあるので、今日は葛西城址は通過し再び裏道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・青戸七丁目北交差点で国道6号(=水戸街道)を横断し、青戸8丁目に入る。

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● 青戸8丁目の町には「修徳中学校・高等学校」がある。 学校は男女共学の中高一貫校。 歴史は古く、明治37年(1904)に、天理教東本大教会(墨田区本所一丁目に所在)を創立した中川よしが、布教の一環として教会内の住み込み人や信者の子弟のために始めた夜間学校から始まったそうだ。 戦後には教会のある本所の町から、現在地(葛飾区青戸8)に移転した。、、、、日曜日だが、グランドではサッカー部、野球部などが練習中。

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● 裏道を歩き亀有中学校前に出ると、白壁で囲まれた大きな墓地が見える。、、、、ここは真宗大谷寺院の本多山蓮光寺。 「蓮光寺」の創建年代は不詳だが、遠江国横須賀に創建され、慶長14年(1609)には江戸神田へ移転したと伝えられっている。 徳川の家臣:本多平八郎に縁ある寺。 江戸では明暦の大火(明暦3年=1657)、関東大震災(大正12年=1923)などの火災にあい、昭和3年(1928)現在地亀有1丁目に移った。 現本堂は昭和11年(1936)に落慶した。、、、、、下町の住宅地の中にある、広々としたお寺。 緑多い境内は樹木の手入れも良く、心休まるお寺だ。

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● 亀有四丁目でJRの高架橋をくぐり、常磐線の北側に出る。 ここは「西亀有4丁目」、、、、4丁目の中央に「高木神社」が鎮座する。 高木神社は、国府台の合戦に破れた里見氏の家臣武内家が当地に住み、武内氏の氏神第六天を祀ったものと考えられ、江戸時代には砂原村の鎮守社となっていた。、、、、特に書くべきこともない神社だが、境内の掃除は完璧、綺麗だ!

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・・・・・・・・・・・・高木神社鳥居前の参道には、「享保三年銘の庚申塔」がある。、、、、だいぶ劣化し、文字が読みにくい!

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● 高木神社の西側で、葛飾区から足立区に入る。 マンションの先に、東京メトロ千代田線北綾瀬支線の高架橋が見えた。、、、、ここまで歩いたら、足が疲れてきた。 『北綾瀬駅から千代田線で帰るか、もう一頑張りしてつくばエキスプレス青井駅まで歩くか、それが問題だ!』 自問自答、痔ケツにボラギノール! 『男だ、もう一頑張りしよう!』 青い駅まで歩くことにした。

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綾瀬川を越えると、そこは青井駅だった。、、、、「青井駅」は、足立区青井3にある、つくばエクスプレスの駅。 平成17年(2005)8月24日 開業。  相対式ホーム2面2線の地下深い駅。

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2022年5月11日 (水)

堀切から青戸へ

東武伊勢崎線の堀切駅(足立区)で下車し、荒川に架かる堀切橋を渡り葛飾区に入り、京成本線の北側の町を歩き抜けて青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 「堀切駅」は都会の秘境駅と呼ぶべき駅。 けして辺鄙な場所にあるわけではなく、周辺には住宅・大学・病院もある、停車する列車も多く、コロナ禍(2020年)の一日平均乗降客数は3000人弱である。 でもでも、やっぱり、都会の秘境駅だ! 荒川土手下の狭隘地に駅はあり、上下線で改札は別となっており、一度改札を通ると上下ホーム間の移動はできない。 またエスカレーター・エレベーターはもちろん設置されていない。、、、、下り線は三角屋根の小さな木造駅舎、上り線は土手の真下の木造駅舎、どちらも印象的な情景を映し出す駅。

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● 堀切橋を渡り荒川を越えて、隣の葛飾区堀切の町へ向かう(駅の“堀切”は足立区、町の“堀切”は葛飾区)、、、、堀切橋は大正13年(1923)に木桁橋として架けられたが戦時中破損し、昭和42年(1967)に現在の堀切橋に架け替えられた。 現在の「堀切橋」は、長さ 514.5 m、幅 17m、幅員 17m、最大スパン長 64mのゲルバー格子鋼鈑桁橋である。、、、、上流側には京成本線の荒川橋梁が架かっている。 荒川橋梁は堀切橋より約4m低い位置にあり、治水上のネックとなっている。 、、、、荒川のココが決壊すると東京の下町は全滅だ!

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● 葛飾区に入ると、京成本線の北側を歩き青砥駅に向かう。


・・・・・・・・・・・・葛飾橋東詰めにある「小谷野神社」(堀切4)、、、、小谷野神社は、元禄10年(1697)の文献に当社が記載されていることから、当時すでに存していた。 昭和47年(1972)に現在の社殿が造営された。 社名は明治以来、稲荷神社と称していたが、昭和43年(1968)の住居表示の実施に伴い、小谷野の地名が焼失するのを惜しみ「小谷野神社」と改称した。、、、、300年超の歴史ある神社

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・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院の宝性寺は、明王山不動院と号す。 「宝性寺」(堀切4)は、元亀元年(1570)の創建と伝えられ、当初は当地より西よりに在ったが、荒川放水路開削工事により大正4年(1915)に約600m移動し、現在地へ移った。、、、、こじんまりした、懐かしみのある寺。

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・・・・・・・・・・・・「堀切氷川神社」は、葛飾区堀切5にある氷川神社。 堀切氷川神社は、天正年間(1573~91)旧下千葉村の鎮守として創建された。 祭神は須佐之男命・東照大権現(徳川家康)  朱塗りの社殿がチョイト目立ちすぎ!、、、、境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社と伝えられ、江戸時代に5石の朱印地を与えられた。、、、、社殿正面の鳥居付近では、何やら工事中の為、撮影は御遠慮!

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・・・・・・・・・・・・3時間に1本/一日5本のバスが走るバス通りを東へ歩く。 23区内にあっては、運行本数が少なくチョイト不便なバスだね!

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・・・・・・・・・・・・葛飾区お花茶屋2には、「共栄学園中学・高等学校」がある。 男女共学、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。 昭和14年(1939)、前身の本田裁縫女子学校が設立され、昭和17年(1942)には共栄女子商業学校が設立された。 、、、、最近、スポーツで有名な「春日部共栄中学・高等学校」は姉妹校。

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・・・・・・・・・・・・共栄学園の斜め向かい(お花茶屋1)に「東信用組合 葛飾支店」がある、、、、築年は不明だが、全面にバルコニーのあるマンション風デザインの建物は、金融機関らしからぬ!

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● 葛飾区白鳥で水戸街道(国道6号)を横断すると「青戸第一団地」がある。、、、、日本住宅公団が青戸団地の入居者を募集したのは昭和31年(1956)である。 その後、人口増加に伴い、住環境は整備されていった。 現在の青戸団地は、総戸数 1120戸程の大規模団地である。 京成の青砥駅にも近く、住戸は建て替えられ広く新しい。 若い人が入居しているらしい。

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● 「青砥駅」のある葛飾区はウィーン市フロリズドルフ区と姉妹都市となっている。 それにちなみ、青砥駅入口にはワルツ王と呼ばれるJ.シュトラウスを模した像が設置されてる。、、、、像があるのだから、録音した曲でも流してくれるといいね!

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2022年4月10日 (日)

矢切から高砂まで

晴天の日曜日、散歩の“感”を取り戻すべく、夫婦で北総線矢切駅から『野菊の墓文学碑』を訪れ、江戸川土手を歩き常磐線の金町駅へ、金町から裏通りを歩き京成本線の高砂駅まで、久々に1万歩超えの歩きとなった。 1万3千歩の散歩

 

● 浅草橋から約25分、北総線の矢切駅で下車。 降りる人も少ない。

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● 矢切駅の北、500m程にある「矢切神社」(駅名・歌は濁って“やぎり”、地名・神社名は濁らず“やきり”)、、、、宝永元年(1704)の長雨により、江戸川氾濫し多数の死者が出た。 村人は災害から逃れるため高台に移住し、稲荷を勧請し祀ったのが矢切神社である。、、、、お賽銭をチョッピリ奮発、二人揃って『長生きできますように!』 二礼二拝一礼

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● 神社近くの「矢喰村庚申塚」、、、、室町時代には、この地の地形から“谷切れ”(ヤキレ)と称したそうだ。 しかし、この地が北条氏と里見氏の国府台合戦の主戦場となったことから、この地の民は弓矢を呪い「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれたそうだ。 その矢喰村に残る庚申塔群。、、、、戦乱のない安らぎと健康を願い祀り、祈られてきた庚申塔群。 中央の大きな庚申塔は寛文8年(1668)銘も庚申塔、、、、ウクライナとロシアの戦、早期終結を願い、合掌

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● 庚申塔から西へ300m程、江戸川を望む高台、真宗大谷派の西蓮寺境内に、「野菊の墓文学碑」がある。、、、、明治時代の矢切地方の風情が豊かに描かれた伊藤左千夫の処女作「野菊の墓」の文学碑。 左千夫の門人であった土屋文明の題字と小説の一説が刻まれている。(小説は15歳の政夫と、その従姉である17歳の民子の悲恋の物語。 興味あったらぜひ読んで!)

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● 農業用水の坂川に架かる矢切橋を渡り江戸川土手を目指す。、、、、暑い、暑い! 初夏の気温だ! 

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江戸川土手に上ると、菜の花がお出迎え! 散りはじめたサクラの下でお花見する家族。、、、、対岸には金町のタワーマンションが見える。

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● 金町浄水場の取水塔を見ながら、新葛飾橋で江戸川を越え金町に入る。、、、、ここまで、約8千歩、チョイト疲れた! しばらく散歩しないと、足が弱くなってきた!

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京成金町駅を通り、京成金町線の西側(帝釈天とは線路挟んで反対側)の住宅地を抜けて、柴又の「古録天神社」前を通り、京成高砂駅にでる。、、、、久しぶりの1万3千歩はキツイ!

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2022年2月22日 (火)

江北橋通り踏破

江北橋通りの残りの区間(五反野~亀有)を歩いてきた。 1万3千歩




● 朝8時、東武伊勢崎線の「五反野駅」で下車した。 五反野駅は、大正13年(1924)10月1日に開業した駅だが、一日当たりの乗降客は36,000人程と少ない。 駅周辺には、区外から人を呼び込むほどの施設もなく、まさに“地域密着型の駅”。

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● 駅から南東に歩き、「西之宮稲荷神社」(足立区足立3)に寄って行く。、、、、西之宮稲荷神社の創建年代は不詳だが、弥五郎新田村(五反野付近の旧地名)には東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社があったと言われている。 この西之宮稲荷が当社に該当、明治時代初期には、東之宮稲荷、氷川社とともに本田之宮稲荷の境外社となっていたものの、本田之宮稲荷が荒川放水路河川敷として買収されたため、当社に本田之宮稲荷社を合祀、現在に至っているといいます。 昭和20年(1945)戦災により社殿焼失、同30年(1955)再建。 現在の社殿は平成12年(2000)の造営である。、、、、境内は広くはないが、立派な神社(?)

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・・・・・・・・・・・・西之宮稲荷神社から50m程南に「江北橋通り」に出た、『今日は、この道を歩くぞ!』

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・・・・・・・・・・・・江北橋通りが東武伊勢崎線と交差するガード脇に、比較的新しい六地蔵を彫った碑がある。 碑には「建碑の疏
」と彫られてる。、、、、謂れは?

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● 江北橋通りを東へ歩き西綾瀬3丁目に入ると、江北橋通り沿いに素朴な感じで心和む寺がある。 新義真言宗の「長性寺」で真光山荘厳院と号す。 長性寺は、当地の名主である岡村紀宿元春を開基として寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。 現在の本堂は大正13年(1924)に建てられた。

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● 江北橋通りを通す「五兵衛新橋」で綾瀬川を渡る。 橋から綾瀬川を見ると、周辺の住宅より水面の方が高い! 氾濫すれば、一発でお陀仏、怖い!

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・・・・・・・・・・・・長性寺の近くに立つ電柱。 上部の赤いテープ、判るかな?、、、、目の前には「最大5.0m  想定浸水深」の文字!

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● 五兵衛新橋を渡り綾瀬4丁目に入ると、大地主のような門構えの住宅がある。 門前には足立区教育委員会の名で、「金子家文書」と記した案内板が立てられている。、、、、この金子家は金子五兵衛(橋名の由来となった人物)の家である。、、、、そして、金子文書とは、新撰組近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年(1868)3月14日から4月1日までの19日間、あの新撰組が、金子家や近くの観音寺に分宿していた。 総勢227人もの大集団で、世情柄精神的な負担や、その世話(経費)などで大層迷惑を蒙った上に、後日明治政府から、強い叱責があったという。 近藤勇らが五兵衛新田の金子家に滞在した事は、その賄方の記録として金子家文書に残っている。 現在近藤勇として一般に知られている袖内に腕組みした写真も、金子家が所蔵しているらしい。

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● 江北橋通りを挟み向かい側の足立区綾瀬4丁目に、真言宗豊山派の「
観音寺」がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建された。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作。 、、、、、慶応4年(1868)3月には江戸から退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊した。、、、、山門は閉ざされており、横の勝手口から入って参拝してきた。  綾瀬駅に近いが静かで落ち着いた雰囲気の寺だ。 庭の手入れが行き届いていて美しく、石仏も多い。

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● 江北橋通りに戻り、東へ東へ歩く、、、、綾瀬駅前、東京メトロ千代田線(北綾瀬支線)のガード、下河原公園の庚申塔、常磐線のガード、を通過。 これより、江北橋通りは常磐線の南側(葛飾区)を通ることになる。

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● 西亀有3丁目の交差点手前で、江北橋通りに小菅方面からの旧水戸街道が合流する。 その地点には「旧水戸佐倉道」の碑が建てられている。、、、、葛飾区教育委員会が建てた石碑。 旧水戸街道のルートを明示して、“
町歩き”、“街道巡り”の活性化につながるといいね。

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● 江北橋通りと曳舟川親水公園通りが交差する「道上小学校東交差点」から、環七通りにぶつかるまでの約500mの間は、史跡・石像・モニュメントなどが並んでいる。

・・・・・・・・・・・・まずは、「曳舟古水上橋跡地」、、、、曳舟川親水公園の北端で、曳舟川の橋跡地です。 親水公園はここから四つ木方面へ約3㎞伸びている。

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・・・・・・・・・・・・「旧水戸街道 亀有上宿石碑」(亀有1)、、、、亀有上宿町(現:亀有1・2・3丁目の複合域)の北部を西から東に貫いているのが「旧水戸街道」。 現在の江北橋通りである。

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・・・・・・・・・・・・続いて「一里塚と水戸黄門」(亀有1)、、、、亀有の一里塚は、千住宿から1里、江戸日本橋から3里に位置する。一里塚は現在地から東へ10mほど先にあり、明治の末頃までは塚の跡が残っていた。 一里塚碑の隣には、助さん・格さんを従えた水戸黄門のモニュメントが建っている。

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・・・・・・・・・・・・「上宿七福神」、、、、旧水戸街道(江北橋通り)が拡幅され西亀有から環七を越え、新宿へと続く道も昨年完成した。 沿線の上宿商店会はこれからの更なる発展へと動き出す中で、上宿を中心とした、亀有および葛飾地域のますますの発展を願い、守り神様として商店会内の7つの拠点に七福神を安置し祀ることとした。 亀有1~3丁目の商店の玄関先、植え込み、店の角などに、小さな七福神の石像が置かれている。 七福神を探し歩くと面白い。(私は、全てを見つけてきた!)

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・・・・・・・・・・・・「こち亀銅像」は、亀有駅を中心に各所に建立されている、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の登場人物の銅像群の総称。 駅周辺に15体の像がある。 江北橋通りには2体の像。

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● 『ゴール!』 江北橋通りの東端「環七通り」と交わる「亀有二丁目交差点」に着いた。、、、、今日はココまで。

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