葛飾区

2020年8月 5日 (水)

死の散歩?

東京の最高気温35℃の予報がでた! 今日の散歩は、“三密”を避け、人混みがなさそうな都営新宿線一之江駅から新小岩駅まで歩くことにした。 1万3千歩の散歩。




● 都心から本八幡行きに乗り、終点本八幡の3駅手前「一之江駅」で下車する。 空いてる電車から、降りる人は少ない。 ホームでは都心に向かう通勤客がスマホ片手に電車待ち。 在宅勤務が多いのか、改札を通る人も少ないようだ! 地上に出ると、まだいくらも歩かないのに、もう汗が出ている。 『今日は暑そうだ、散歩に出てきたのは失敗だったかも?』と、熱中症への不安がよぎる。

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● 駅からは、とりあえず北に向かって歩く。 今井街道を横切り、一之江4丁目の裏道を北へ目指す。 

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・・・・・・・・・・・・数軒の住宅で玄関に「笑門」(しょうもん)の注連飾りが見えた。、、、、「笑門」は、しめ縄飾りにつける魔除けの木札のこと。 三重県伊勢地方では通年で飾っておくのが一般的である。 風習の起源は素戔嗚尊(スサノオノミコト)が伊勢に訪れた時、蘇民将来(そんみしょうらい)の家に泊めてもらい、宿を貸りたお礼に「注連飾りを年中掛けておけば、後世疫病から免れることが出来る」と言い残して立ち去ったことによるものらしい。、、、、私も伊勢・近江に行ったとき、多くの家で飾ってあるのを見たが、最近、その風習が東京でも見られるようになったみたいだ。

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● 一之江5丁目に、真言宗豊山派の医王山不動院妙音寺がある。 建久元年(1190)の開山といわれ、江戸川区内でも有数の古刹。 本尊は桃山時代に作られた木造十一面観音立像。 
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・・・・・・・・・・・・境内、右手に薬師堂があり、薬師如来がまつられている。、、、、この寺にのこる片目の鮒の伝説:『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。すると満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、池に八つ目鰻を放つと、七つ目鰻になるのか、新種誕生だ!

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● 首都高7号小松川線を横切り、西一之江2丁目に入る。 シャツは汗で濡れ身体はサウナ風呂。 そろそろ熱中症が心配になり、自販機でコーラを買い水分補給。 日陰を探しながら歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・京葉道路に出たが、太陽は頭上真上にあるようだ。 日影が無い! 冬の八甲田ならぬ夏の江戸川区、死の行軍ならぬ死の散歩である。 『まだ死にたくない、ああ、“氷あずき”を食べたい!』

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・・・・・・・・・・・・・・人影のない公園があった! 広い公園だ「大杉一丁目公園」、、、、公園正面に女神像? 『捨てる神あれば拾う神あり』 公園の手洗いで水を頭からかぶる、どうせ服は汗でビショビショ、歩いていれば乾くだろう!、、、、チョイト、休憩して“死の散歩”は続く!

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● 北へ向かい歩くと大杉天祖神社(大杉1)がある。、、、、大杉天祖神社の創建年代は不詳だが、もと神明社と称し、葛西御厨の一つだった。 旧西一之江村の鎮守で、将軍家康鷹狩の際は参詣の後、境内の東方にあった腰掛山という小高い所で、休憩したそうだ。、、、、私も、境内のベンチに座り幼稚園の先生らしき女性を横目で見つめながら休憩。

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● 再び新小岩駅を目指し歩きはじめる。 首に巻いた濡れ手拭が乾きはじめた、『頑張ろう!』自分に言い聞かせる。、、、、新小岩駅行きのバス停があった。 『バスで新小岩駅に行くか?』と、時刻表を見ると1時間に1本、次は30分後。 この炎天下で30分待ちは辛い、ヤッパリ歩くぞ!、、、、東小松川香取神社前(中央4)にでる、チョイト手を合わせて、駅までももう一頑張り。

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・・・・・・・・・・・・・・やっと、新小岩駅前の「新小岩ルミエール商店街」(葛飾区新小岩)に到着。 アーケイドが日射しを遮り、商店の冷房が冷えた空気を送ってくれる、『幸せだな~~?』と一言。、、、、気持ちに余裕が出てきた。 薬局があったので、コロナに効く“うがい薬”「イソジン」があるか聞いてみると、ヤッパリ売り切れで在庫なし!

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● “死の散歩”は終わり、無事、新小岩駅へ到着。、、、、そろそろ自分の歳も考え、無理のない散歩に心掛けよう!

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2020年8月 1日 (土)

京成に沿って

一日当たりの東京の新型コロナ感染者数が500人に近づいた。 また、今日(8月1日)は梅雨開けで30℃超、熱中症も心配な季節となった。 外出時のマスク着用は必須、熱中症対策も必要、こうなると必然的に、散歩するのも躊躇する。 でも、今日は久しぶりの青空、『チョットぐらい散歩してもいいだろう!』と自問自答する。 “三密”を避けて、青砥駅で下車し、京成本線に沿って南側を歩き、堀切菖蒲園駅まで1万歩の散歩。


青砥駅の開業は昭和3年(1928)11月1日、日暮里~青砥間の開通時に分岐駅として、それまでの立石~高砂間に設置された。 昭和48年(1973)から昭和61年(1986)までは、立体交差化工事が行われ、二層構造の高架駅となった。 現在は特急「スカイライナー」も停車する下町のターミナル!、、、、二層構造の青砥駅は、2階と3階にそれぞれ島式1面2線のホームを持ち、2階が上り線(上野、押上方面行き)、3階が下り線(成田、千葉方面行き)となっている。

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・・・・・・・・・・・・高架下の駅入口の横に、高架の柱を利用したベンチ形式のモニュメントがある。 その名は「ワルツの塔」。 立ってバイオリンを弾く人の像を中央に据え、柱の上部には複数の天使がラッパを吹いている。 チョイト、下町の駅には似つかわしくないモニュメントである。、、、、この像のモデルである、バイオリンの奏者は「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世だそうだ。 このヨハン・シュトラウス2世の像は、彼の出身地であるオーストリア・ウィーンの市立公園にオリジナルがあり、そちらは黄金の像となっているそうだ。 この像は、東京都葛飾区とオーストリア・ウィーンのフロリズドルフ区と友好都市提携を結んだ記念として製作されたようだ。

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・・・・・・・・・・・・脇の道路から見上げると、巨大な立体駐車場のようにも見える青砥駅。 駅の端から上野方を見ると、多少カーブしながら京成本線の高架橋が伸びていく。 また、同じように本線の南側では、京成押上線の高架橋が押上方に直線的に伸びている。 この押上線の先では、只今、青砥~四ツ木間の高架化工事が進められている。

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● 葛飾区文化会館(かつしかシンフォニーヒルズ)と呼ばれる音楽ホールの前をとおる道は「シンフォニー通り」と名付けられている。 そのシンフォニー通りの植え込みに童謡「通りゃんせ」の歌詞が標された石碑があった。、、、、この歌とこの場所、何の関係が? 調べてみたが謎である。 「通りゃんせ」の舞台は埼玉県川越市、作詞者は不明、作曲者は本居長世または野口雨情ともに葛飾区とは取り立てて縁はなさそうだが??? 謎の碑だ!

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● 京成本線沿いに南側の町「葛飾区立石六丁目」を歩く。 特別変わったものがあるわけでもない、ゴク普通の下町である。 

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● 白鳥一丁目交差点で国道6号(水戸街道)を越える。 南側の正面にスカイツリーが見える。 北側、京成の架道橋にスカイライナーが通過。、、、、スカイライナーのデザインは、先日(7/21)亡くなったファッションデザイナーの山本寛斎氏によるものだ。 同氏は京成職員の制服、ヘッドマークなども手掛けた。 私が勤めていた某ゼネコンの制服も寛斎氏が手掛けた。 スカイライナーを見て『寛斎さん ありがとう

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● 国道を渡り白鳥1丁目の町を抜けるとお花茶屋駅に出る。 お花茶屋駅は、昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、駅周辺のスナック、クラブには“お花ちゃん”がいるかも?

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● 今年はコロナの影響で、今日(8/1)から夏休みの小・中学校が多いそうだ。 京成の踏切には、休みに入り早速、活躍しだした撮り鉄がカメラを構えていた。、、、、『小学生のくせに、私のカメラより高そうなものを持って、コノヤロー!』と言いたい気持ちを抑えて・抑えて、ニッコリ笑って『夢中になって怪我するなよ!』と優しい一言。、、、、数年前、踏切で撮影に夢中となり、不幸にも脱臼して救急搬送された人を知ってるからね!

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● お花茶屋から地上を走っていた電車は、手前で盛土を上り高架駅の堀切菖蒲園駅に着く。、、、、堀切菖蒲園駅は昭和6年(1931)12月19日の開業。 駅は相対式ホーム2面2線の構造。 改札口・出口は1ヶ所のみで地上1階にある。、、、、一日当たりの平均乗降客数は2万3千人弱と少ない。

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2020年7月12日 (日)

お礼参り

白内障手術のその後は、医者から『順調に回復しており、特に問題なし』 裸眼の視力は0.1から1.2となり、世の中明るく鮮明に視える。 ただし、チョッピリ乱視があり像は二重となる。 あまりにも良く視えるので、『眼鏡無し』で運転免許を取得したくなるね!(返納しなきゃよかった)、、、、我が家での日常生活ではメガネが無くても生活できそうだが、外で遠くを見るとわずかに像がダブり、読書などで手元を見るとチョイト焦点が合わず、やっぱりメガネは必要だ!(只今は、仮のメガネを作り使用中。 まともなメガネは、視力が落ち着く2か月後に新調する)

今日は、柴又帝釈天へお礼参りし、金町浄水場の東側:江戸川に出て、金町駅まで、9千歩の散歩。


●まずは帝釈天へ ・・・・・・・高砂駅で金町線に乗り換えて柴又駅で下車。 着いたのは朝8時、降りる人も少ない。、、、、寅さんも、さくらに見送られ、これから出稼ぎに行くのか!

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・・・・・・・・・・・・参道の店は、まだ開いてない。 歩くのは、地元の人だけ!、、、、咳止め飴を売っている店先で、咳をしながら開店準備するおばさんが印象的だった!

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・・・・・・・・・・・・帝釈天(題経寺)の境内は静かである。、、、、本堂にあがり、財布を膨らませていた小銭を集め、大きな賽銭箱に投入すると、バラバラと軽い1円硬貨が大きな音を響かせる。 アリャ、賽銭が少ないのバレたかな? 気の弱い私は、追加で100円硬貨を投入すると、ポトンと重そうな音がした。 これで安心して、南無妙法蓮華経。

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●千年を超す古刹! ・・・・・・・・帝釈天に参拝した後、参道の北側裏に位置する、真勝院に寄ってみた。、、、、真言宗豊山派の真勝院は、石照山真光寺と号し、大同元年(806)の創建と伝えられている。 1200年程前の創建はまさに古刹である。 帝釈天は江戸初期の寛永6年(1629)の創建で、比較にならない! しかし残念なことに、堂宇は度々の火災で炎上し、現在の本堂は昭和47年(1972)に建てられたものである。、、、、寺には柴又七福神の一つ「弁財天」が居るのだが、今日はチョイトお隠れになっているようで、拝むことはできなかった。


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・・・・・・・・・・・・本堂の手前に、五智如来石像がある。、、、、薬師如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の5仏の石像だ。 状態もよく江戸時代前期の石像彫刻として区の文化財に指定されている。 傍らに万治3年(1660)柴又村齋藤次郎左衛門ほか数名の名前と建立由来を記した石碑がある。

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●土手を歩く! ・・・・・・・・江戸川土手に上がると、対岸は千葉県松戸市。、、、、広い河川敷のグランドでは野球がはじまっていた。 コロナに注意して、楽しんでね!

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・・・・・・・・・・・・土手の内側は都民に江戸川の水を供給する金町浄水場。 地図で見ると広い敷地の浄水場だが、土手からは牛乳工場のような建物が見える。(牛は見えない!)、、、、大正15年(1926)「江戸川上水町村組合」の施設として給水を開始し、昭和7年(1932)に東京市に引き継がれ、その後数回の拡張改良工事が行われてきた。 現在、ここで浄化された水は、隅田川以東の5区と北・荒川・豊島の区内全域、文京・台東・板橋の各区に供給されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・浄水場前の江戸川には、2基の可愛らしい取水塔が見える。 取水塔から金町浄水場内へ導水している。 三角形のトンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの第2取水塔は、昭和16年(1941)に完成。 隣にある丸い屋根の第3取水塔は昭和39年(1964)に完成した。

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●・・・・・・・・・・・・この後、京成金町駅から帰宅。

2020年6月 9日 (火)

菖蒲とどら焼き

そろそろ東京は梅雨入りの時期となった。 今朝の天気予報では晴天は今日まで、明日からは雨雲が空にかかるそうだ。 コロナ対応の気も緩み、今日は“不要不急の外出”を決行した。、、、、例年、今頃の時期になると、堀切菖蒲園と水元公園では「葛飾 菖蒲まつり」が開催される。 しかし今年は、コロナの影響でまつりは中止となった。 それでも、時期が来ればどの花も咲き、菖蒲もしかり! 菖蒲園・公園では、派手な“まつり”は自粛したが、訪れた人は入園できる、ただし菖蒲に接近し三密状態が生じないように立ち入り制限などで規制している。 今日は平日で訪れる人の少ないことを期待し、妻と、水元公園へ行ってきた。 広い公園の一部、菖蒲田の周辺だけ歩き、9千歩の散歩です。




●100種の菖蒲! ・・・・・・・JR、京成の金町駅からバスで10分程、「水元公園」に到着。 水元公園のあるこの地域はもともとは古利根川の河川敷であった。 徳川家光の江戸川改修事業により古利根川は廃止されたため、小合村(1889年水元村に合併、1932年に葛飾区に合併)が江戸幕府の許可を得て埋め立てて耕作地として、水を蓄えて小合溜と称して管理してきた。 昭和15年(1940)、紀元2600年事業のひとつとして水元緑地が計画された。 昭和17年(1942)までに168haが買収されたが、太平洋戦争により整備が中断。戦後は自作農創設特別措置法によって150haを耕作者に開放した。 その後、都は住民から土地を買い上げ、昭和40年(1965)に都立水元公園が開園した。 敷地面積:963,013.00㎡、樹木数:高木 約19,100本、主な施設は大芝生広場、水生植物園、花菖蒲園、野外ステージ、キャンプ広場、バーベキュー広場、冒険広場などを有する、都内最大の水郷公園。、、、、園内の花菖蒲園には、大小14の菖蒲田があり、100種、14,000株の菖蒲が植えられている。 菖蒲田の周囲にはアジサイも咲き、こちらも御見事!

・・・・・・・・・・・・広大な水郷公園、、、、のんびり釣りを楽しむ人が多いが、“密”ではないね。

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・・・・・・・・・・・・菖蒲田、、、、鑑賞に訪れる人は少ないようだ、こちらも“密”は回避。 菖蒲はビッシリ“密”に咲き、美しさを競い勝負だ!
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・・・・・・・・・・・・アジサイも、彩りを競い勝負だ!

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●どら焼きの寺! ・・・・・・・水元公園近くの一社一寺にお立ち寄り!

・・・・・・・・・・・・水元公園に隣接している香取神社(東水元2)。 かつて下小合村の鎮守で、祭神は経津主神。 境内末社は八幡・厳島・天満宮・稲荷・富士嶽の5社。 小合は古くは小鮎と記され、下総国香取神宮の処役地であった関係から当社も勧請されたのだろう。当社の神職鈴木氏の遠祖は猿俣関在住の卜部氏とともに、香取神宮貢税の所役を掌ったと伝えられる。江戸時代には神職鈴木家は京都吉田家の配下であり、文政2年(1819)には、吉田家から恒例の神式に風折烏帽子と狩衣の着用が許された。 社殿はしばしば洪水のために大破したが、文政11年には神職鈴木大和安治が社殿等を造営し、昭和3年に修築が加えられた。、、、、拝殿の正面に「香取社 海舟安房拝書」の額を掲げる。 家の中に飾りたくなる額だ!

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・・・・・・・・・・・・こちらも、水元公園に近い、天台宗の寺院、業平山東泉寺と号す「南蔵院」、、、、南蔵院は、権僧都林能法師(貞和4年1348年寂)が在原業平が居住していたといわれる地(本所小梅町付近:現業平橋周辺)に創建した。 元禄11年(1698)中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3)へ移転、しばられ地蔵で著名となる。 関東大震災で罹災し、廃寺となっていた聖徳寺の地(当地)へ移転した。

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・・・・・・・・・・・・南蔵院の「しばられ地蔵」とは?、、、、享保年間(1716~36)夏、日本橋の呉服間屋の手代が大八車に反物を山と積んで、業平橋(現:墨田区)近くの南蔵院の門前で一休みした。 目がさめると、門前に置いた反物は車ごとない。 あわてた手代はさっそく訴え出ると、取調べに当たったのが町奉行の大岡越前で、「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。縄打って引っ立てて参れ」と命じた。地蔵さんは荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて奉行所へ。物見高いは江戸っ子の常、前代未聞のお地蔵様の引き立てに、ぞろぞろついて行く。奉行所の門は開いている。やがて、ころを見て越前守は門をしめさせ、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」野次馬たちは驚いたが、なんとか工面して反物を持ってくる。それを呉服屋に見させた。その中から盗まれた反物が発見され、大盗賊団がことごとく捕まる。 『これにて、一件落着!』 、、、、以来「しばられ地蔵」と呼ばれ、盗難除け、足止め、厄除け、さては縁結びまで、あらゆる願い事を聞いてくれる地蔵尊となった。 願い事をお願いする時は縛り、願い叶えば縄解きをする風習となっている。、、、、今日は妻が100円で荒縄を買い、地蔵を縛って、私の病気(来月、白内障の手術)平癒を願ってくれた。 サンキュー!、、、、身動きできぬほどの縄で縛られ、地蔵さんも忙しそうだ! テレワーク、在宅勤務で願い事を解決できるように、地蔵さんも働き方改革をしたらいい!

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・・・・・・・・・・・・南蔵院に来たので、金町駅前の和菓子店「ゑびす」にて、しばられ地蔵にあやかった「満願どら焼き」を買って帰る。 見た目は普通のどら焼きだが、満願どら焼きの魅力は、ふわっと軽い皮で、あくまで軽く優しい食感。 そして餡は、北海道産の小豆による優しい餡。 皮と餡、絶妙なハーモニー。 自分で買って、食べてみて!

2020年5月31日 (日)

行きも帰りもガラガラ!

三密を避け、ガラガラの電車に乗って、東京拘置所のある小菅駅から散歩を始める。 裏道を歩き、綾瀬駅前をとおり、お花茶屋駅まで、1万3千歩の散歩。 帰りの電車もガラガラ!




●電車も楽し! ・・・・・・浅草橋から都営浅草線で押上へ。 押上で東武電車の準急:久喜行きに乗り、北千住で普通に乗換え、隣り駅の小菅まで。 短い距離だが、久しぶりにのんびりと電車に乗り、楽しんだ気分がした。 

・・・・・・・・・・・・浅草橋から都営浅草線で押上へ、、、、羽田・成田の両空港を利用する観光客がいない! 電車も、ホームもガラガラだ!

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・・・・・・・・・・・・押上駅は、都営・京成の駅も、東武・東京メトロの駅も、スカイツリー見物の観光客がおらず、これまたガラガラ!

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・・・・・・・・・・・・東武押上駅から久喜行きの準急に乗る、、、、次は、隣り駅の曳舟、その次は北千住までノンストップ!

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・・・・・・・・・・・・北千住で普通に乗換える

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・・・・・・・・・・・・着いたところは、東京拘置所前の小菅駅。 降りる人、乗る人も少ない、哀愁おびた都心のローカル駅。 高架下の大空間に改札があり、風通しはバツグン! 冬は寒い! 今は換気充分、コロナは居ない!

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●3000名収容! ・・・・・・駅前の東京拘置所は、敷地の北と西に古隅田川とよばれる小川が流れ、東は綾瀬川が流れる、四角い広い城塞のような土地である。 その中央に、地上12階/地下2階建て、高さ50mの平成18年(2006)頃に完成した新舎房が堂々とたっている。 3010名収容できる立派な施設だが、私はまだ泊まったことがない、チョイト残念!、、、、新舎房を取り囲むように、官舎・公務員住宅が配され、素人の私には事前に脱走経路を調べるのは無理である。

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●謎の事件! ・・・・・・東京拘置所の北側にJR常磐線の高架橋がある、その高架橋脇(足立区西綾瀬1)に「下山国鉄総裁追憶碑 」がある。 昭和24年(1949)に起きた下山事件の記念碑だ!、、、、下山事件は昭和24年7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則が、朝、公用車で出勤した。 途中、銀行等により日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住~綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 遺体からは生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた時代の事件である。 いまだに、自殺か?他殺か?謎!、、、、その後も、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。

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●コロナに強い! ・・・・・・・綾瀬川を越えると常磐線の南側(足立区綾瀬1)に綾瀬神社がある。 元の氷川神社に胡録神社を合祀し、社名を綾瀬神社とした。、、、、本社はさいたま市大宮の氷川神社、武蔵野国の一ノ宮でその神徳を仰ぎ、明暦5年(1659)に勧請した。 また一方の胡録神社は氏子区域にもう一社あった神社で、宝暦5年鎮座との社伝がある。 こっちは疫病退散を祈願する神社で、ぜひともコロナを撲滅して欲しいものだ!

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●銀座だ! ・・・・・・・「TOKYO 2020」の旗がもの悲しくなびく「綾瀬中央銀座」の商店街を抜けると綾瀬駅にでた。、、、、喉が渇きお茶が欲しく、銀座でショッピングしたかったのだが、“銀座”にはコンビ二が見当たらない!

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●千葉から香取へ! ・・・・・・・・綾瀬駅から南東へ向かい、葛飾区堀切8丁目の上千葉香取神社に出た。 神社は旧上千葉村の鎮守。、、、、当地区は中世、千葉氏一族の領地であり、付近には古城址と思われる地名が残っているので、当社は葛西氏または千葉氏が下総国香取神宮を勧請したものと推測されている。 社号は明治5年社格制定の時、「千葉神社」と改めたが、昭和32年旧名に復して「香取神社」とした。

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●泥棒のように! ・・・・・・・・気の弱い泥棒のように人との接触を避け裏道を歩き、京成本線お花茶屋駅に向かう。 
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●帰りもガラガラ! ・・・・・・・・お花茶屋駅から青砥経由で我が家(浅草橋)へ帰る。 帰りもガラガラ!

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2020年5月29日 (金)

水戸街道

気も緩みっぱなしで、『いよいよ、規制解除が近づいた!』と自分で判断し、今日は散歩の足慣らし。 妻と我が家(浅草橋)から水戸街道を北上し京成立石駅まで歩いてきた。 8.5km、1万6千歩の散歩。




●浅草橋! ・・・・・・・浅草橋駅前から水戸街道(国道6号)を歩く、今日は晴天だ。 三密を避け、マスクをつけ、直射日光を浴びて歩きはじめる!

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・・・・・・・・・・・・街道に面して商売する老舗のつくだ煮屋さん鮒佐 文久2年(1862)の創業、浅草橋の地で5代、150年の歴史。、、、、江戸っ子の味は、チョイト濃いめかな? 文句なしに美味い!

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・・・・・・・・・・・・・・ビル(浅草橋3)の前に「メタセコイア」の木が、青空に向かい高くまっすぐ伸びている。 このビルを建てた記念に植えられたものだそうだ。 ビルの階数から推定すると、木の高さは30mぐらいありそうだ、“都内最大級”らしい。

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●蔵前! ・・・・・・・・江戸通り(=水戸街道)と蔵前橋通りが交差する蔵前一丁目交差点の角(浅草橋3-20)、植え込み前に説明板がある。 説明板には『 天文台跡   台東区浅草橋三丁目   この地点から西側、通りを一本隔てた区画(浅草橋3丁目21・22・23・24番の全域及び19・25・26番の一部)には、江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていた。天文台は、司天台(してんだい)、浅草天文台などと呼ばれ、天明二年(1782)牛込藁店(わらだな 新宿区袋町)から移転、新築された。正式の名を「頒暦所御用屋敷」という。その名の通り、本来は暦を作る役所「天文方」の施設であり、正確な暦を作るためには観測を行う天文台が必要であった。 その規模は、「司天台の記」という史料によると、周囲約93.6m、高さ約9.3mの築山の上に、約5.5m四方の天文台が築かれ、43段の石段があった。また、別の史料「寛政暦書」では、石段は2ヶ所に設けられ、各50段あり、築山の高さは9mだったという。・・・・・・・』と標されている。、、、、天文台は明治2年まであったそうだ、浅草橋は天文学拠点だった。 悲しいかな、今は望遠鏡で隣の家を覗く住人ばかりなり!

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●駒形! ・・・・・・・・厩橋交差点の「東京厚生信用組合 浅草支店」(台東区駒形1)は、昭和5年(1930)に竣工したチョイト歴史ある建物。

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・・・・・・・・・・・・浅草駒形の老舗駒形どぜう」(台東区駒形1)の創業は1801年。 徳川11代将軍、家斉公の時代。 水戸街道は今も昔も、浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、多くの参拝客が立ち寄った店である。 今は、コロナ対応で「柳川弁当」、「蒲焼き弁当」などを店頭販売している。 もちろん店内では通常の料理を食すこともできる。、、、、只今11時、チョイト昼食には早すぎる、又の機会にする。 

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・・・・・・・・・・・・駒形橋から望むスカイツリー、、、、青空に映える雄姿!

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●通過! ・・・・・・・・浅草駅・浅草寺・雷門周辺はこのブログでも毎度おなじみ、今日はスタコラサッサと通過する。

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●言問! ・・・・・・・・・・正面にスカイツリーを眺め言問橋を渡る。、、、、頭上、真上からの直射日光は私達夫婦の顔を一遍に日焼けさせ、赤ら顔となる。 暑い、暑い!

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・・・・・・・・・・・・言問橋の東詰めに牛嶋神社(墨田区向島1)がある。 前を素通りするわけにはいかず、チョックラお立ち寄り。、、、、昭和7年(1932)、関東大震災後の隅田公園の整備にて、桜橋近くの隅田川東岸にあった神社を公園の北側に移された。 昭和20年(1945)の東京大空襲により神楽殿は焼けたが、本堂はじめその他の建物は一部被害を受けたものの無事で,昭和7年移転以来のものである。、、、、境内の撫牛は、江戸時代から知られているもので、自分の体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気がなおると言われている。 牛島神社の撫牛は体だけではなく、心も治るそうだ。 私は白内障の目を撫で、手術後の心臓付近を撫で、妻はなぜか頭を真剣に撫でた?

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●向島! ・・・・・・水戸街道は向島の町を北上する。 向島五丁目交差点の近くに、秋葉神社(墨田区向島4)がある。 こちらにもお立ち寄り。 社伝によれば、正応2年(1289)五百崎〔いおさき〕の千代世〔ちよせ〕の森と呼ばれていた当地に千代世稲荷大明神を祀ったことを創祀とするという。 元禄年間(1688~1704)、葉栄という修験者が霊告によってこの社に参詣し、霊験を得た。 そこで寺社奉行に願い出、元禄15年(1702)、上野国沼田城主・本多正永の寄進によって社殿を造営し、秋葉稲荷両社と称するようになったそうだ。 江戸時代以来の火伏せの信仰を今に伝える神社でもある。

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・・・・・・・・・・・・水戸街道を東武伊勢崎線が高架で越える。 その高架橋の下には「東武博物館」がある。、、、、今日は入館しないが、大人でも楽しい鉄道博物館だ。

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●四ツ木大橋! ・・・・・東向島を過ぎると墨田区と葛飾区の境:荒川四ツ木橋で越える。 全長:507.4mの橋で、昭和27年(1952)に竣工した。、、、、橋の上は、風は爽やか、気温は暑い! コロナは居そうにない! マスクなしで歩いても平気の平左衛門!

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・・・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り、葛飾区に入り本田広小路交差点まで来た。 ここで我が妻はギブアップ! 水戸街道に別れ、京成立石駅へ向かうことにした。

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●立石! ・・・・・・・・京成立石駅周辺は押上線高架化工事と再開発がはじまり、数年後が楽しみだ!

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2020年2月24日 (月)

水のない“せせらぎ”

“新型コロナ”を避け、すいた電車で感染した旅行客の少なそうな、京成押上線青砥駅から歩くことにした。 青砥駅から奥戸橋を渡り総武線新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。(青砥駅から新小岩駅まで、同じようなルートで以前(2016/7/24)歩いていた




●“コロナ”の居ない青砥? ・・・・・・・都営浅草線浅草橋駅から、すいた電車(下り、印旛日本医大行き)に乗る。 青砥駅周辺には、定住する中国・韓国人は多いと思うが、名所旧跡のない駅周辺では同国の観光客は少なく、感染リスクも低いと自己判断し下車することにした。 出がけに妻から手渡されたマスクは使用せずにカバンにしまったままである。(私はマスクが大嫌いで、生まれて今日まで自分で使用した記憶はない。これも自慢の一つ!)、、、、駅前の地図を見て、奥戸橋を渡り、西井堀緑道を新小岩駅まで歩くことにした。

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●川は春の陽気! ・・・・・・・・青砥駅から中川の護岸に出る。、、、、青戸1丁目付近は荒川が氾濫すると約1m程浸水するそうで、護岸に出るにはチョイト、法面を上って出る。 護岸から見える川は、昔からの「中川」で荒川に沿って東京湾に注ぐ、比較的穏やかな川だ!

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●陰陽道の神社! ・・・・・・奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つであり、陰陽道の表現なのか、境内の形が五角形である。 
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・・・・・・・・・・・・熊野神社の大鳥居信史宮司は、なんと神田明神の宮司でもあり、しかも菅原道真の後裔である。 平成21年(2009)、自身が神職になって五十年を迎えた記念に、京都市内のオークションに出品されていた、元三井家江戸屋敷に建てられていた銅製五重塔を私費で購入し、神社に寄進したそうだ。 この銅製五重塔、台座を含む高さ7mあり、同神社では銅製五重塔では日本一としている。、、、、私も、来年は生誕75周年なので、東京タワー型の銅製の文鎮でも買って寄付しようかな?

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●昔は有料の橋! ・・・・・・・中川に架かり葛飾区立石(西詰)と奥戸(東詰)の間を結んでいる「奥戸橋(おくどばし)」。、、、、奥戸橋の現橋は昭和47年(1972)の竣工、工費は6億7500万円。、、、、初代の木造の奥戸橋は、大正3年(1914)に、渡るのに金をとる賃取橋として竣工したそうだ。、、、、橋は只今、塗装工事中、、、、橋の下流にはスカイツリーも見える(判るかな?)

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●五丁目住宅とは? ・・・・・・・・奥戸橋を渡り、奥戸街道を横断し、西井堀緑道に入る。 “緑道”と言っても、新小岩駅の近くまで行かないと“緑”はない、「奥戸」の町の中では“ただの道”。 

・・・・・・・・・・・・「五丁目住宅」のバス停が見える。 “五丁目住宅”とは?
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・・・・・・・・・・・・チョイト、バス通りからそれて、裏通りへ進むと、都営住宅「奥戸新町アパート」があった。 “五丁目住宅”とは、ココのことだな!、、、、所在地は葛飾区奥戸5丁目-15、たしかに“五丁目住宅”。 昭和41年(1966)から翌年にかけ建てられた、総戸数270戸(8棟)の団地。、、、、今年の自治会役員選挙では立候補者が少なく定員に満たず、
再選挙が行われ、やっと人数が集まり全員無投票当選したそうだ。 どこもかしこも、自治会は苦労するようだ! 掲示板を整理するお婆さんも大変そうだ!

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●水のない“せせらぎ”! ・・・・・・・「西井堀せせらぎパーク」は、葛飾区東新小岩5丁目1番~21番先にある区立公園。  この公園が「西井堀緑道」の由来となる公園のようだ。 新小岩駅寄りの蔵前橋通り(巽橋)から、約500mの水路を埋め立て親水公園とした。 公園は噴水・水路を主体に、お高そうな大理石のオブジェなどを随所に配している。 公園内には地下駐輪場もあり、地下道もある。、、、、“せせらぎ”の謂れとなるべき、噴水・小川などは水が無く、どうしたのかな? 地下道は通行禁止? 随所に置かれた高価なオブジェは見る人もいない? 公園で遊ぶ子供もいない? ベンチで語らうカップルの姿も見えない? 園内で一休みするジジ・ババもいない?、、、、誰のための公園か?

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●欄干が残された! ・・・・・・・新小岩駅北口から200m北、蔵前橋通り「たつみ橋交差点」の際に、「巽橋」の欄干が残っている。、、、、ここには、西井堀川と呼ばれる運河があった、それが暗渠化され、現在のような道路に欄干が残る不思議な風景が生まれた。

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●新装開店! ・・・・・・・新小岩駅北口に到着。 高架下の南北連絡通路も整備され、大きなテントを張った北口は、イメージチェンジ!

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2020年2月22日 (土)

押上線立体化事業

新型コロナウィルスを避けて、人気の少ないところを歩く。 京成押上線四ツ木駅で降り、四ツ木~青砥間の連続立体化事業の進捗状況をみてきた。 青砥駅まで1万歩の散歩です。




●工事概要は ・・・・・・・京成押上線は成田空港~都心~羽田空港を結ぶ重要な大動脈の一部である。 しかし、自動車交通量の増加と鉄道ダイヤの過密化に伴い『開かずの踏切』も多くなり、朝夕の通勤時間帯を中心に交通渋滞が発生している。 そこで、平成15年(2003)に連続立体交差事業がスタートした。 この事業が完成すると、合計11カ所の踏切が無くなり、踏切による交通渋滞が解消さる。 また、鉄道の高架化によって生まれる高架下空間の有効活用が図られるほか、線路で分断されていたまちが一体化され、周辺地区のまちづくりの大きな進展につながることが期待される。、、、、事業の概要は、京成電鉄押上線(四ツ木駅~青砥駅間)の11カ所の踏切を立体化する。 工事区間の延長は、約2.6km。 京成立石駅(ホーム延長約153m(8両編成) 、ホーム幅員約6.5m)は高架駅となる。 京成押上線に関連する街路の側道を整備する。、、、、工事は4工区分割で着工。 それぞれ2~3社で構成するJVに工事を発注。 第1工区(四ツ木駅側の取り付け部~平和橋通り)を戸田建設・安藤ハザマJV、第2工区(平和橋通り~京成立石駅の西側)を鹿島・京成建設JV、第3工区(京成立石駅部)を大成建設・奥村組・鉄建JV、第4工区(京成立石駅の東側~青砥駅側の取り付け部)を京成建設・錢高組JVがそれぞれ担当する。 計画では、主に現在の線路の北側に仮線路の敷設用地を確保し、仮線路にいったん切り替えてから高架橋の建設工事に着手。


・・・・・・・・・・・・サッカー漫画『キャプテン翼』にラッピングされた四ツ木駅。、、、、四ツ木駅そのものは工事対象外だが、駅前は仮囲いが組まれている。 今日は土曜日で、工事は休みのようだ。 隙間から現場を覗いている変な親爺、他人が見たら工事現場のドロボウか?

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・・・・・・・・・・・・四ツ木駅側の取り付け部。 仮線路(仮下り線)が見えるが、レールはまだ敷いていない。

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・・・・・・・・・・・・線路沿いの小さな公園(葛飾区四つ木1-37)には踏切が置かれていた。 高架化により踏切がなくなることを惜しみ、早々と設置したのかな? カンカンと鳴る音が聞こえなくなると寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・四つ木1丁目付近では、仮線路にレールが敷設されていた。 地上を走るのも、あと数年!

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・・・・・・・・・・・・平和橋通り(都道308号)の踏切。 四ツ木駅側取り付け部からここまでが第1工区戸田建設・安藤ハザマJV)。 これより立石駅手前までは第2工区(鹿島・京成建設JV)。

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・・・・・・・・・・・・踏切の脇にあった電柱。、、、、ここでは荒川が氾濫すると電柱上部の赤いテープの高さ(約4m)まで浸水するそうだ。 高架橋はそれ以上の高さになるので、荒川が氾濫しても線路の水没は免れる。 さてさて、その時、電車は運転されるのか(?) きっと、あってほしくない事態となるね。

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・・・・・・・・・・・・第2工区は小さな踏切が多い。 お巡りさんも自転車で横断。 工区は立石駅手前までである。
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・・・・・・・・・・・・第3工区大成建設・奥村組・鉄建JV )は立石駅部。 駅そのものの取り壊しなどは始まっておらず、只今、駅北側の既存建物の撤去・整地が行われている。 この後、下り線の仮ホームが整備され、線路の切り替え後、高架駅の建設と先は長い!、、、、立石駅の北側・南側とも高架化に合わせ、再開発事業が進められている。 今は、駅からチョイト外れているが、葛飾区庁舎もここ立石駅前に移転することになっている。 大きく変貌する立石駅に地元の期待が大きい。

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・・・・・・・・・・・・いつまで見られるのか、立石駅の地上駅、、、、まもなく、葛飾の下町駅が消える!

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・・・・・・・・・・・・立石駅前の名物、早朝から飲み屋の前には行列が出来ている「立石仲見世」、そして、店舗が半分に削られた「呑んべ横丁。 いずれも、再開発でどうなるのか? 

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・・・・・・・・・・・・立石駅の先から青砥駅側取り付け部までは、第4工区京成建設・錢高組JV )である。 この工区は、現場のスペースも広く作業し易そうだ!

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・・・・・・・・・・・・取り付け部を過ぎると、3層の青砥駅。 駅へ向かうと、左の京成本線と右の押上線が一つとなる、ダイナミックな景観が見える。

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2020年1月20日 (月)

足立区の下町

草加あたりで降りるつもりで、押上で久喜行きの準急に乗る。 電車は、乗客全員がチョウド座れる程度で、立っている人は一人・二人ぐらい。 次の曳舟から、私の右隣りに女子高生が大きなカバンを抱きしめて座った。 電車が走り始めると、私の隣りの左手でカバンを抱いて、あいている右手でカバンの中をゴソゴソ。 カバンの中の右手が私の腰のあたりに伸びて来てゴソゴソ、アリャ、女子高生の痴漢か?、被害者は私、70を超えた親爺か?。 大きなカバンの中、隅の方の何かを探しているようだ、痴漢ではなかった、チョッピリ残念! カバンから丸い手鏡を取り出した、再びゴソゴソ。 次に、カバンから手が出た瞬間、ピンクの丸いケースが床に落ち、コロコロ。 女子高生は慌てて立つが大きなカバンが邪魔で動作が鈍い。 電車はゴトゴト、ケースはコロコロ、空いてる電車の中を、ケースがアッチへ、コッチへ、女子高生は追っかける。 ドアの隅でやっと拾い上げた。 席へ戻った女子高生、今度はペンシルのようなものをだし、化粧を始める。 隣に座る親爺はイライラ、何処で降りるか集中して考えられず、頭にきて北千住で降りてしまった。 親爺は、普通電車に乗り換え、今日は“2”0日なので、北千住から“2”駅目の五反野駅で下車した。

東武伊勢崎線の五反野駅から、常磐線の綾瀬駅前をとおり、京成本線の堀切菖蒲園駅まで、今日は1万2千歩の散歩。




●テキトウに東へ! ・・・・・・・・テキトウに五反野駅で降りた! 『さて、東西南北、右左、いずれに行こうか?』 チョイト考え、これまであまり歩いていない、東へ向かうことにした。 “東”と言っても、テキトウで、大雑把に言えば綾瀬方面に向かうことにした。

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●戦後の下町! ・・・・・・・・駅の東側「西綾瀬」(足立区)の町は、戦後の下町という感じ、町は区画整理されておらず、道はクネクネ、トタン張りの建物がポツポツ残る、アパートが立ち並ぶ、ヨタヨタ歩いているのは爺さん婆さん、ママチャリで脇をすり抜けていくのは若いママ、狭い道に車が入ってくるゴミ収集車とデイサービスの送迎車。

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●屋根のカーブがいいね! ・・・・・・・西綾瀬3丁目に新義真言宗の長性寺がある。 真光山荘厳院と号し、寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。、、、、本堂の素朴な感じがいいね! 境内は約1000坪あるそうだ。、、、、ご近所の方か(?)、境内の石仏に花を供えていた。 

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●長~い水路! ・・・・・・・長性寺の東側、綾瀬川に「五兵衛新橋」が架かっている。 五兵衛橋の名は、江戸時代の初め、武蔵国入間郡金子村(現:埼玉県入間市)からこの地に転入し、この付近を開拓した金子五兵衛に由来する。 付近一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。 寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断されたので、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置された。これが初代の五兵衛橋。 その後、橋は何度か架け替えられた。 昭和に入ると綾瀬川の護岸も整備され、高さも高くなってきた。 平成10年(1998)、高くなった護岸をまたぐように、歩道橋のような形状の現在の橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・橋上から南を見ると、小菅の東京拘置所の大きな建物が見える。 また、後ろにはスカイツリーもチョイト見える。

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●綾瀬の一寺一社! ・・・・・・・橋を渡ると、綾瀬の町である。 そこには綾瀬稲荷神社が鎮座する。、、、、綾瀬稲荷神社の創建年代は不詳だが、五兵衛新田の鎮守社であったと言われ、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。

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・・・・・・・・・・・・綾瀬稲荷神社と隣り合わせに、真言宗豊山派の観音寺がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建した。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作らしい。、、、、慶応4年(1868)、江戸から流山へ退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊したそうだ。

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●歩くぞ! ・・・・・・・綾瀬駅に着いたが、帰る時間にはまだ早い。 駅前の「綾瀬川通り」をまっすぐ歩けば、京成本線の堀切菖蒲園駅に行ける。 『よし、堀切菖蒲園まで歩こう!』自分に言い聞かせ歩くことにした。、、、、駅構内を素通りして行く。

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・・・・・・・・・・・・ひたすら歩いて堀切菖蒲園駅に向かう。、、、、ほぼ予定の時間内で到着、息はゼイゼイ、足はパンパン、腹はペコペコ、チョイト電車の中でひと休み。

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2020年1月 9日 (木)

小松菜の里

困ったもので、顔は良いのだが眼が悪く、最近メガネの度が合わず新調することにした。 私のメガネは二十年程前から同じ眼鏡屋さんから購入してる。 同じ眼鏡屋さんだと、検眼、購入履歴などの情報を保存しており、客側としても何かと相談しやすく便利である。 その眼鏡屋さんは秋葉原にあり、浅草橋の我が家から歩いても20分程で行けた。 しかし2年前に店舗を整理統合し、秋葉原の店は新小岩の店に統合された。 仕様がない、“生姜は八百屋で売ってるよ”、新小岩の店に行って買うことにした。、、、、今日は、その新調したメガネを受け取りに新小岩に行ってきた。 眼鏡屋へ行く前に香取神社へチョイト寄ってきた。




●小松が消えた! ・・・・・・現在、新小岩駅のある位置には大正15年(1926)に設置された新小岩信号所があった。 昭和3年(1928)7月10日、信号所が駅に昇格し新小岩駅が開業した。、、、、新小岩駅周辺は元々「小松」という地名であった。 駅の開業にあったっては、駅名を地名に由来して「下総小松」とか「小松」とする予定だった。 ところが、周辺住民の要望によって信号所の名前のままの新小岩駅となった。 さらに、昭和40年代の住居表示実施の際、周辺の地名も駅名に合わせて新小岩・東新小岩・西新小岩となり、「小松」の地名は消え去った。

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・・・・・・・・・・・・ホームから見る駅前ロータリー。 手前は旧駅舎を撤去中。
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●小松菜の里 ・・・・・・・眼鏡屋へ行く前に、駅ホーム下を抜けるバス通り「平和橋通り」南下し、江戸川区中央4丁目の新小岩香取神社に寄ってみた。、、、、新小岩香取神社の創建年代は不詳だが、昔この辺一帯が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ道ヶ島(堂ヶ島)という小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒と言われている。 元和3年(1617)に再建、西小松川村の鎮守であった。 当時国府台間々の入江から、武蔵国上野の台地に向かう船は、この神社の森を船路の目安としたので、間々井宮と称したと伝えられている。、、、、この社は元和5年(1619)の棟札を所蔵する古社で、亀井和泉守源永好以来代々亀井家が宮司をつとめている。、、、、明治時代以降、近隣の神社を当社に合祀、また数多くの神社の兼務を行っている。 まさに、神社のM&Aと、出先店舗の増設だ!

・・・・・・・・・・・・平和橋通りを南に歩き、新小岩親水公園の手前をチョイト東に入ると、住宅地の中に神社がある。
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・・・・・・・・・・・・現在の本殿は総欅造りで、氏子大工牧野八郎次が十年の歳月を費やし、天保4年(1833)に竣工した建物。

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・・・・・・・・・・・・境内社としては、稲荷神社水神社道祖神鷲神社大雷神などが祀られている。

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・・・・・・・・・・・・境内には、すき焼きに入れる小松菜に因む石碑がある。、、、、「小松菜」は、享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩をする時の食事をする場所として、当香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けました。 しかしこれといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。、、、、と、説明板に書かれている。 写真は「小松菜ゆかりの里」、「小松菜産土神」の石碑。

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・・・・・・・・・・・・神社の隣りには、小松菜の発祥の地といわれている屋敷「小松菜屋敷」がある。 将軍が鷹狩りに訪れた際、御膳所として小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主亀井和泉守の屋敷跡。 現在も子孫である地域歴史研究家亀井千歩子の住居となっている。

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・・・・・・・・・・・・神社前の道を西へ100m程歩くと「亀井家墳墓」がある。 香取神社を代々祀ってきた亀井家の墓所。

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●元気な商店街! ・・・・・・・JR新小岩駅の駅前ロータリーの真ん前にルミエール商店街がある。 全長420m、約140店舗が軒を連ねる下町の元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置した長いアーケードが駅前から続き、雨でも安心して買い物ができるようだ。、、、、商店街の中に眼鏡屋さんが5軒もあった。 もちろんスーパー、コンビニも、パチンコ屋も、生活に必要なものは全てあるようだ。

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●メガネ新調! ・・・・・・・私は若く見えるようで、これまで70代の自分が、世間さまには60代に見られていた。 今日、新調したメガネではもっと若く50代に見えるらしい。 店員さんが嬉しいこと言ってくれる!、、、、早速、新しいメガネをかけて電車に乗ったが、誰もふりむいてくれない! やっぱり!!!

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