葛飾区

2024年12月 6日 (金)

変わる京成立石駅

去る11月30日、京成押上線の連続立体化工事に伴う、四ツ木~青砥間の下り線切り替えが行われた。 それにより京成立石駅では、これまでの下りホームが閉鎖され、新たに仮下り線ホームが利用されるようになった。 今日の散歩は、立石駅の様子を見たのち亀有まで歩く、1万1千歩の歩きです。



京成押上線の「京成立石駅」は大正元年(1912)11月3日に開業した。 先月までは相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有していた。 駅名は、“京成立石”が正式な駅名で、旅客向け案内では“京成”を省略して「立石」としている 。、、、、午前8時前、通勤時間にはチョイト早い、下り電車から降りる人はまだ少ない。、、、、私は初めて降りた、仮の下りホーム。 幅が狭くて、危ないな!
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京成押上線高架化事業は、四ツ木~青砥間(約2.2㎞)を連続立体高架化し、11か所の踏切をなくし、あわせて側道を整備するもの。 京成立石駅では、下り線の切り替えが行われ。 11月30日の始発から、これまで上下線を合わせ、相対式ホーム2面2線の構造であったホームから、これまでの下り線ホームに背を合わせるように仮の下り線ホームを設置し、ホームの切り替えが行われた。
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・・・・・・・・・・ 仮下りホームの前は、仮囲いで囲まれた広大な駅前北口再開発の用地がド~~ンと広がり、立石の風景が一変した!、、、、ここには2棟の高層ビルが建ち、葛飾区役所も入る予定だ! 駅前にあった「呑んべ横丁は跡形もなくなくなった。
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・・・・・・・・・・ 現在、立石駅は上下線それぞれ改札(出入口)が別になっており、上下線の行き来はできない。、、、、以前使用していた橋上駅舎も閉鎖され、取壊しが進められている。
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・・・・・・・・・・ 踏切で足止めをくらい遮断機が上がると、上りの改札口へ一斉に向かう通勤通学客。
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・・・・・・・・・・ 駅前北口再開発は、敷地面積 約2.1haで、42階建ての住宅棟、20階建ての公益サービス棟を建設する構想で、現在既存建物の解体が仮囲いの中で進められている。
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● 立石から亀有までは、概ねバス通りをひたすら歩く。

・・・・・・・・・・ 立石駅前のバス通りからスタート
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・・・・・・・・・・ 京成本線の青砥~お花茶屋間の高架下を抜ける
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・・・・・・・・・・ 国道6号(水戸街道)を横断
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・・・・・・・・・・ 天台宗寺院の延命寺に立ち寄り手を合わせる。 延命寺は、三圍山真珠院と号す。 近江国三井寺の大僧都源慶(~1352)が三囲神社の別当寺として創建、寺社地が御用地となったため元禄6年(1693)小梅村へ移転した。 明治維新後の神仏分離令により、三囲神社と分離、関東大震災に罹災し、昭和2年(1927)当地へ移、、、、当山の山号「三圍山」は墨田区本所三圍神社に由来する。
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・・・・・・・・・・ UR都市機構の「すまいる亀有」前を通過
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・・・・・・・・・・ 亀有駅前の「亀有 上宿商店会」を抜ける
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● 人気マンガのキャラクターが迎えてくれる亀有駅、、、、鉄道開業の当初は隣接する新宿地区に「新宿駅」(にいじゅくえき)を設ける予定だった。 しかし、亀有~新宿間にある中川にかかっていた有料橋を利用する客が激減するとの理由で同地区の者が亀有地区への設置を主張し、その一方で亀有地区の地主が土地を寄贈したため、この地に駅が置かれることになったそうだ。 駅の開業は明治30年(1897)5月17日。 明治39年(1906)に、日本鉄道が国有化され、国有鉄道の駅となる。
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2024年11月16日 (土)

中途半端に四福神

3日前に足立区梅田の「ゆめろーど千代田商店街」を歩いてきたが、“千代田”の名がつく商店街が葛飾区鎌倉にもあることを思い出し、久々に行ってみたくなった。 朝の掃除も終えて、夫婦で京成小岩駅から柴又帝釈天まで歩いてきた。 9千歩



● 我が家の在る浅草橋からは、都営浅草線に乗り入れてる京成本線経由特急成田空港行きに乗ると、乗り換えなしで「京成小岩」まで行ける。、、、、京成小岩駅からJR小岩駅までは歩ける距離であるが、チョイト離れている。(年寄りにはキツイね!) 駅自体は柴又街道の裏手に位置し、地元以外の人には解りづらい奥まった場所にある。 駅前には20分間隔で、亀有行きの「京成タウンバス」が発着してる。、、、、山手の駅前に多い、大型ショッピングセンター、タワーマンション、綺麗に整備された街路などは一切見あたらない。 ここ京成小岩駅は何故か懐かしい下町の私鉄駅って感じがする。
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● 京成小岩駅前から北に向かい「京成小岩商栄会」という商店街が伸びている。 長さ300m程の商店街はバスも通る道路の両側に、約60店舗の店が並んでいるが、シャッターの下りている店、住宅なども点在し、チョイト寂しい。 交通量は少なく、電柱の地中化もされており年寄りには歩きやすい道路であった。、、、、この商店街の北端まで、江戸川区北小岩の町
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● 京成小岩商栄会の商店街が終ると、その先に引き続いて「千代田通り商店街」となる。 ここからは葛飾区鎌倉の町でなる。 つまり、商店街は京成小岩駅から北に伸びているが、区境が商店街の境でもあり名称も道路幅も雰囲気も変わる。、、、、千代田通り商店街は昭和32年(1957)に設立され、後に葛飾区で第一号となるモデル商店街となった。 約300mの長さ、道幅は車1台分程の商店街は、アーケードがなくほぼ同様の構えの店が30店舗程ズラリと並び、自然発生的な商店街ではなく、おそらく計画的に作られた商店街と思われる。 浅草の「仲見世通り」を地元密着型の商店街にした感じである。、、、、ここもシャッターを下ろした店舗が目立つが、年に数回のイベントが催され、多くの買い物客で賑わっているらしい。、、、、戦後誕生した昭和レトロな商店街、頑張って続けて欲しいね!
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● 千代田通り商店街を通り抜けて北へ進むと、北総線新柴又駅の近くに、真言宗豊山派の医王寺がある。、、、、医王寺は、薬王山瑠璃光院と号す。 応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。 本尊は薬師如来(秘仏) 当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立された。 建立後間もなく、小田原の北條氏と安房の里見氏が利根川(現在の江戸川)を挟んで対峙し、天文7年(1538)・永禄7年(1564)の二度の国府台合戦に、北條方の陣屋として使用されたため什物の大部分が失われた。 その後、中興されたが、しばらくすると、寺は無住となり多くの資料が散逸した。 寛永年間(1624~1644)金蓮院の僧某が再興し医王寺と改めた。、、、、この寺には、七福神の一つ、恵比寿天を祀っているが、正月の「柴又七福神巡り」で顔見世するためか(?)、本堂に閉じられ御対面は叶わず!
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● 北総線の高架下を抜けて柴又帝釈天に向かうと、柴又七福神の一つ大黒天を祀る真言宗智山派寺院の宝生院がある。 宝生院は大黒山と号す。 寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したといわれてる。 関東大震災で罹災し、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 柴又七福神の一つとなっている本尊の大黒天は、江戸期から信仰を集めていたそうだ。、、、、ここでも、本堂の引き戸は閉じられ、ガラス戸越しに大黒様はいずこにおるや? 
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● 宝生院からさらに北へ向かうと、またまた柴又七福神の一つ福禄寿を祀る曹洞宗寺院の聖閣山万福寺がある。 この寺は、昭和3年(1928)の創建で新しい。 こちらにある柴又七福神の福禄寿は、年代不明であるが、宍戸家(?)に伝えられた家宝仏で、奉納され万福寺で祀っている。、、、、ここも本堂は閉じられ、福禄寿はいずれにいるや?
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● 柴又帝釈天に着いた、、、、日蓮宗寺院の題経寺は、経栄山と号し、柴又帝釈天として著名です。 題経寺は市川市中山法華経寺第19世禅那日忠が当地にあった草庵を一寺とし成し、寛永6年(1629)開山したといいます。 本堂改築に際して、梁の上から日蓮聖人自刻と伝えられる帝釈天像の板木(板本尊)を安永8年(1779)の庚申の日に発見、柴又帝釈天として著名となり、現在に至るまで庚申の日を縁日としています。、、、、ここにも柴又七福神の内の一つ、毘沙門天が祀られている。 七福神の内、四福神の寺に来たが、どこもかしこも御尊顔を拝せず。 『賽銭もって、正月のお越しをお待ちしてます!』と、言われてるようだ! 今日は七福神巡りに来たわけではないが、何となく中途半端な気持ちで帰ることにした。
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・・・・・・・・・・ 帰りは参道を通り、鰻を食し、草だんご買って、柴又駅へ。 2411161216240
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2024年7月17日 (水)

古代東海道を歩く

今朝の東京は、雨は止んだが太陽は顔を出さずの曇り空、湿度が高く歩きはじめると、スグに服の中は汗でびっしょりとなる。 気温は28度ぐらい熱中症を心配しながら、京成小岩駅から立石駅まで歩いてきた。 1万1千歩




● 久しぶりに京成本線の「京成小岩駅で下車し歩くことにした。、、、、京成小岩駅は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 出口は駅前にバス停がある北口と路地の奥にある裏口のような南口の2ヵ所。 駅の開業は、90年以上前の昭和7年(1932)5月15日。(開業当時はおそらく畑の中の駅だったと思うね?)、、、、JR総武線の小岩駅と京成小岩駅は、直線距離で1.0㎞程離れており、乗換は現実的ではない。 乗換えるなら、隣のJR市川駅と京成の市川真間駅で乗り替えた方が楽だ!

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● 京成小岩駅北口を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 北口付近から西に向かって奥戸橋を渡り、京成押上線の立石駅方面に伸びるバス通りがある。 歩いてる途中で雨が降ってきたらバスに乗れそうなので、今日の散歩はこの道を歩くことにした。 

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● 京成小岩駅から数分の所に「愛国学園」(江戸川区西小岩)の中学校・高等学校がある。 学校は昭和13年(1938)設立の女子校。 千葉県四街道市には系列の大学もある。、、、、『ちょいと、女学生のお顔を拝見!』と校門近くに行ってみたが、時刻は8時数分前、まだ通学時間には早すぎる、誰もいないので校舎だけ拝見して早々に立ち去る。

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● 愛国学園正門から50m程西に歩くと、「鎌倉かなえ通り」と交差する角に「古代東海道道標」なるものがある。 石碑自体は比較的新しいものと思われる。 碑文には『日本は七世紀以降、都を中心に畿内参道の整備を行いました。都から東国へは東海道と東山道の二本の官道が敷設され、人や文物が往来していました。墨田区隅田と江戸川区小岩を結ぶ道は、武蔵国と下総国を連絡する古代東海道の一部と考えられます。』と彫られてる。

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・・・・・・・・・・ バス通りに出てしばらく歩き、新中川に架かる「三和橋」を渡ると「奥戸小学校」がある。 小学校の正門の脇に、同様の要旨の案内図がある。 地図は南北逆さまであるが、京成小岩駅の先から隅田川岸まで赤い線で古代東海道が標されてる。(地図はクリックすると拡大します)、、、、今日の散歩は、まさしく古代東海道を歩いてた。

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● 新中川に架かる「三和橋(さんわばし)」は、昭和36年(1961)の新中川掘削工事に伴い架橋された。 その後、橋の劣化も進み、 平成24年(2012)現在の橋に架け替えられた。 橋の形式は、3径間連続プレビーム合成桁橋、橋長119.0m、幅員18.0m。

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● 三和橋に続き、中川に架かる「奥戸橋(おくどばし)」を渡る。、、、、奥戸橋は、右岸 (西詰) の東京都葛飾区立石八丁目と左岸 (東詰) の奥戸七丁目の間を結んでいる。 現在の橋は、昭和47年(1972)竣工であり、過去に幾度かの架け替えが行われている。 現橋は、旧橋の下流に、6億7500万円で建設された。 形式はゲルバー式鋼I桁 + 活荷重合成I桁・H鋼桁 + PCホロースラブ橋、全長299.6m、幅11.0m。

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● 奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つである。 本殿は総公孫樹材を用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年(1961)に、夫々改築造営された。、、、、古代東海道沿いの古社なので、チョイト参拝していく。

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● 「立石」の地名は、葛飾区立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、現在児童公園に併設する祠の中に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より当地に持ち込まれたと推定される。 また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたらしい。 江戸時代には高さ60センチ以上の大きさだったらしいが、後に、立石様を欠いて持つと病気に効くという信仰や日清・日露戦争時に弾よけのお守りとして欠いて持つ人が現れたこと、また地盤沈下などの結果、現在では地表に頭だけだしてる、チョイト悲しい状況だ。

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● 古代東海道の一部を歩き、工事中の京成押上線「立石駅に到着。 今日はここまで! 

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2024年4月13日 (土)

京成立石から京成関屋

今日の散歩は、京成押上線の京成立石から京成本線の京成関屋まで歩いてきた。 1万1千歩




● 京成押上線の四ツ木~京成立石~青砥間では、11か所の踏切の解消と、京成立石駅の高架駅化を目指し、只今、高架化工事が行われている。 今日の散歩は工事の進行状況の確認を兼ね、京成立石駅から歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 京成立石駅で下車

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・・・・・・・・・・ 京成立石駅の橋上駅舎は既に閉鎖され、ホームから橋上の改札に向かう階段も閉鎖されてる。 改札口は上下線別に仮の改札口が設けれてた。

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・・・・・・・・・・ 下りホームの北側には、仮の下り線となる線路を敷設中。 立石名物であった「呑んべい横丁」の跡にも仮の下り線が敷かれる。

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・・・・・・・・・・ 駅から葛飾区役所に向かう商店街も立ち退き、道の両側は白い仮囲いで隠された。 いずれこの仮囲いの中に新しい葛飾区役所(葛飾区総合庁舎)が建てられ、移転する予定。

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● 京成立石駅前へ移転を予定している葛飾区総合庁舎。 現在の本館(4階建て)+議会棟(3階建て)は昭和37年(1962)竣工。 新館(7階建て)は昭和53年(1978)竣工。 現在は、スペース不足、耐震性能不足、災害対策拠点としての機能不足などなどで、早く移転できることを祈るばかり。

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● 葛飾区役所前の通りを歩き、水戸街道(国道6号)を横切り、都営白鳥一丁目アパート前を通り過ぎると、曳舟川親水公園に出る。 曳舟川に沿って長く伸びる公園には、まだ花が咲き残る桜並木が続いてる。 花見は今日・明日が最後、来週は完全に葉桜になっていると思うね!

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● 宝町(たからまち)二丁目に「宝町八幡神社」がある。 江戸時代初期に開村した宝木塚(ほうきづか)村の鎮守として創建されたそうだ。 創建年代は不詳。 現在の社殿は昭和5年(1930)に造営されたもので、屋根は傾き、やや朽ち果てた感がある。 歴史を感じるかな?、、、、台風・地震で倒壊しないうちに修理して欲しいね!

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● 堀切菖蒲園駅近くには、「堀切天祖神社」が鎮座する。 天祖神社は、永万元年(1165)伊勢の神宮の神領であった葛西御厨〔かさいのみくりや〕の堀切村の鎮守として、皇大神宮より勧請したという。 現在の社殿は昭和41年(1966)に建てられた鉄筋コンクリート造。、、、、境内には八幡宮、稲荷社、天神社が祀られ、また境外末社として菖蒲七福神、菖蒲十二支神があり、多くの神さまを集め、地元の神明さんとして幅広く尊崇をあつめてる。

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● 堀切橋で荒川を越える。 堀切橋の上流側に平行する京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始まった。 京成本線荒川橋梁は昭和6年(1931)12月19日に供用を開始した。 以来、京成本線の橋梁として、現在では1日に約14万人以上の利用がある空港アクセスの主要路線の一部として活躍してる。 しかし、京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低いのが特徴で、治水上の弱点といわれ、橋梁のかさ上げが求められていた。 その荒川橋梁の架け替え工事が始まった。

・・・・・・・・・・ 堀切橋から見る京成本線荒川橋梁。 道路橋より低い位置に架かっているのが判る。

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・・・・・・・・・・ 荒川が氾濫しないよう工事の早期完成を望む。 ここから氾濫すると、台東区浅草橋の我が家は床下浸水するかも?

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京成関屋駅は京成本線の日暮里~青砥間の開業と同時である、昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、各駅停車しか停まらない小さな駅だが、駅の向かい側に東武伊勢崎線の牛田駅があり、乗り換え客が多い。

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2024年2月20日 (火)

リベンジで市川まで

昨日は何となく、いつの間にか小岩まで歩く予定になり、平井まで歩いてギブアップ。 今日はそのリベンジで、平井から歩き、新小岩、小岩と通り過ぎ、隣の千葉県に入って市川まで、1万5千歩の散歩となった。




● 昨夜降った雨でまだ道路は濡れているが、今日の午前中は晴天となる予報を信じて、平井駅(総武緩行線)に降り立つ。、、、、昨日痛かった足も、今日は調子良さそうだ!

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● 今日も蔵前橋通りを東(小岩方面)へ歩くつもりだ。 蔵前橋通りに出る。

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● 荒川に架かる平井大橋は歩道の幅員を2mから3mに広げる工事が進められている。 工事は橋の中間部分まで完成したようだ、中程で施工前と施工後の違いがよく判る。 歩行者も自転車も快適に通れるようになった! 完成は来年の春らしい。

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● 平井大橋を渡ると、大きな新小岩公園がある。 園内にはまだ水溜りが残ってる。 私のお腹に残った水溜りは溢れそうだ、緊急事態! チョイト、トイレを拝借。

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● 新小岩駅前、通勤で小走りに駅に向かう人も見える。 「北口商店会」を横切る。 

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● 暗渠化されコンクリート造の欄干だけ残された巽橋。 その巽橋跡がある「たつみ橋交差点」 こちらも、新小岩駅に向かう多くの人が信号待ち!、、、、、ここまで平井駅から約40分歩いた。 私の足は快調だ、この状態なら次の小岩駅までは楽勝だ! 

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● 葛飾区東新小岩の町を蔵前橋通りが貫いていく。、、、、通りの両側はカーディーラーと、ファミレス、マンションが並び、歩く私には面白みが無い! 単調な歩きで疲れてきたかな? 

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● 一日2~3本の貨車しか通らない新金貨物線のガードを抜ける。 ガードは昭和33年(1958)に熊谷組の施工で竣工した。
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● 続いて新中川に架かる上一色橋(かみいっしきばし)を渡る。 橋は昭和41年(1966)に架橋(既に50年以上経過した)、、、、この橋を渡ると小岩駅がある。 季節外れの暖かさ、歩く私は汗ばんできた。

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● 小岩駅に向かう商店街「西小岩通り会」の曲がり角。 『ここを曲がれば小岩駅、今日の目標を達成する。 でも、次の市川駅まで歩くと、さすが男だ、よく頑張ったと妻の一言! 市川まで歩くか、ここで止めるか、これが問題だ!』 心の葛藤があったが、市川まで歩くことにした。(チョイト、足と腰が痛くなってきた。 我慢、我慢、やせ我慢!)

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● 小岩駅前の通過は9時半、平井駅からは1時間半ほど経過した。 柴又街道との交差点を通過する。、、、、『もう少しで市川橋だ、ガンバレ!』チョイト疲れた自分にいいきかせる。

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● 市川橋の西詰(小岩側)で、蔵前橋通り千葉街道(国道14号)とぶつかる。 ここが蔵前橋通りの東端になる。 道路名を表示している案内板も、蔵前橋通りを示す矢の方向が一方だけとなっている。(ヤ~ね!)

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● 江戸川に架かる市川橋まで来た! 全長399mの橋は、歩いて渡るには長~~い。 『歩けど 歩けど 橋の上 川に飛び込みたくもなるね』 

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● 市川橋を渡り市川市に入ると、高宮山観音寺がある。天正17年(1362)に開山した真言宗豊山派の寺。 『疲れたが、駅まであと少し、無事帰れますように(合掌)』

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● 足・腰の痛みこらえて市川駅に到着。 1万5千歩、歩いたぞ!

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2024年1月19日 (金)

船堀から新小岩

都営新宿線の船堀駅から、総武線の新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 都営新宿線の船堀駅は、東大島駅からの延伸に伴い終着駅として、昭和58年(1983)12月23日に開業した。 駅は相対式ホーム2面2線の高架駅。 令和4年の1日平均乗降人員は約54,000人 、、、、駅舎の壁面には大きな金魚が描かれているが、船堀駅周辺は金魚の養殖が盛んな地であった。 駅が開業した昭和50年代には、周辺に養殖業者が20軒ほどあった。 今は都内でも、養殖業者は2軒だけになったそうだ。 50年歳月は都会の環境を大きく変えていくね!

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● 船堀駅の正面に「タワーホール船堀(タワーホールふなぼり)」(別称:江戸川区総合区民ホール)がある。 高さ115m、展望台は103mのタワーがある区民ホールである。 タワー下のビルの中には、大ホールをはじめ、17室の会議室や映画館、結婚式場などもある。、、、、展望台は9時から上れるが、時刻は今8時半、またの機会に上ることにした。、、、、ホールの内部は吹き抜けのある洒落た造りとなっている。

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● 船堀駅前の大通り「船堀街道」を北へ歩くと、新小岩駅に行くことができる。 

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・・・・・・・・・・ 道なりにストレートに歩くと、約4.2㎞で新小岩駅に着くのだが、私は船堀街道の西側の裏通りを歩いて新小岩駅に向かうことにした。




● 東小松川4丁目に「渡し場 水神宮」がある。、、、、当地区は昔は低湿地帯であったので、洪水に悩まされていたため洪水除けの神として、さらに川を交通の場として利用していたので水難除けの神として祀られていた。 旧東小松川村には、上之庭、新道、中之庭、入之庭、大江川、渡し場、品清の集落があり、それぞれに水神様が祀られていたそうだ。 (竜神様(水神宮)の脇に観音堂が建てられ観音様が祀られているが、その由緒は不明)

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● 東小松川、迷路のように曲がりくねった住宅地の裏道を歩く。、、、、おや、色褪せた文字で「たばこ」の看板が見える。 廃業したタバコ屋さんだが、なんとなく“昭和の匂い”だ! 向かいの家の角には、錆びてきた「ファミリープラン」の自販機が置かれ、“昭和”にワンポイント添えている。 

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● 東小松川2丁目に、真言宗豊山派寺院の無量山 光明院 永福寺がある。 本尊は行基作と伝えられる木造阿弥陀如来坐像。 開基年月は不詳だが、開山の宥賢上人は永禄11年(1568)正月15日に入寂した。 はじめは長福寺と称したが、九代将軍家重の幼名長福丸をはばかって永福寺と改称した。、、、、綺麗に手入れされた参道をとおり、木立の奥に本堂がある。 癒される寺だ!

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● 永福寺の西側から「小松川境川親水公園」を歩く。 江戸川区内の親水公園は、どこも地元の方が清掃・整備し、いつ歩いても、ペットボトル、空缶、ポリ袋などゴミのない公園として維持されてる。 今日も、数名の方が川筋の笹を刈って、整備されていた。(いつも綺麗にしていただき、ありがとうございます!) 首都高下のトンネルもご覧のとおり、ゴミが1つも落ちておらず、気持ちよく歩けるように清掃されていた。

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● 親水公園をとおり抜け、松島2丁目の「五分一通り」の一画に「五分一橋跡」がある。 “五分一(ごぶいち)”とは(?)、チョイト気になるネーミングなので、地名の由来について調べてみたが、結論は不明。、、、、江戸時代から五分一橋は既に架けられていたらしい。 この地は、江戸と下総佐倉を結ぶ元佐倉道の要衝にあり、古くから賑わっていたそうだ。 昭和5年(1930)に、五分一橋は鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。 昭和57年(1982)には、下に流れていた川が埋め立てられ、五分一橋の使命も終えた。、、、、今は五分一橋の親柱が残るのみ。

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● 江戸川区松島の町の北に、江戸川区と葛飾区にまたがる「ルミエール」商店街のアーケードがある。、、、、ルミエール商店街はJR新小岩駅の南口正面に出る、全長約420m、約140店舗の専門店が軒を連ねる東京・下町の超元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置されたアーケードは葛飾区内で初めてのもの。、、、、時刻は10時過ぎ、すでに店を開けた商店もある。 この時間帯は中高年の客が中心のなのか、年寄りが目立つね!

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● 総武線の新小岩駅に着いた、ここから我が家(浅草橋)までは15分。 今日は、チョイト疲れたね!

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2023年12月19日 (火)

寒い堀切

京成本線の堀切菖蒲園で下車し、常磐線(地下鉄千代田線)の綾瀬駅まで、チョイト寒い裏通りを歩いて、1万歩。




● 京成本線堀切菖蒲園駅の1日平均乗降人員は約20,000人で、京成線全69駅中19位である。 想像していた以上に乗降客の多い駅だ! おそらくこの付近には他の鉄道は無く、バスは複数路線あるが都心方面に向かうには不便な路線ばかりだ。 通勤客の多くはこの京成本線を利用して、日暮里・上野経由で都心に向かうのかも? 1ヶ所しかない高架下の改札口には通勤・通学客がゾロゾロ。

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● まずは堀切5丁目を北東方向に亀有駅を目指して歩く。 下町の雰囲気漂う裏通りを歩く。

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● 曲がりくねった通りの奥に、赤い山門の寺がある。 真言宗豊山派の正王寺は、清滝山金長院と号す。 正王寺は、治承2年(1178)八王子社(現:堀切氷川神社)別当として創建されたらしい。 朱塗りの山門があることから「赤門寺」と呼ばれているそうだ。 住宅地の中にある静かな寺だ!

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● 近くには正王寺が別当であった堀切氷川神社がある、こちらも住宅地に佇む神社。 堀切氷川神社は、天正年間(1573~91)旧下千葉村の鎮守として創建された。 祭神は須佐之男命・東照大権現(徳川家康)。、、、、境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社と伝えられ、江戸時代に5石の朱印地を与えられた。、、、、境内には、年末の大祓で茅ノ輪あり、私も8の字にくぐって厄払い。

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・・・・・・・・・・ 境内社の八王子神社

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●  亀有駅を目指して歩いていたが、堀切の裏通りはよそ者の私にとっては迷路のように複雑怪奇、気づいたときは綾瀬駅に向かってた。

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● 葛飾区小菅4丁目を歩いてたら、日蓮宗の寺院の蓮昌寺(れんじょうじ)があった。 チョイト、手を合わせて行こう! 蓮昌寺の山号は法光山。、、、、正安2年(1300)阿闍梨日念が創建した道昌寺を慶長19年(1614)に蓮昌寺に改名した。 明暦2年(1656)再興され、万治3年(1660)七面大明神を勧請、寛政4年(1792)11代将軍徳川家斉が鷹狩で使用し以来将軍家の御膳所に指定された。 歴史ある寺だ!、、、、参拝後知ったのだが、当蓮昌寺は北野武(映画監督)の実家の菩提寺で、北野武の母が亡くなった際には葬儀・告別式は本寺で営まれたらしい。 また、いかりや長介(ドリフターズ)家の菩提寺でもあり、いかりや長介自身もここに眠っているそうだ。

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綾瀬駅(足立区)に到着、今日の散歩はココまで!

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2023年11月 6日 (月)

工事中の立石駅

京成押上線高架化工事の真っ最中である京成立石駅とその周辺の工事進捗状況を確認し、その後奥戸の町を抜けてJR総武線の新小岩駅まで、1万歩の散歩です。

 

● 大正元年(1912)11月3日に開業した京成立石駅は、駅の姿を一新する高架化工事の真っ最中。 高架化工事は令和12年度(2030度)の完成を目指し、只今、四ツ木~京成立石~青砥間で進めらっれている。 また、京成立石駅前の再開発(葛飾区役所が入居予定)も着手し、駅周辺の店舗は仮囲いで覆われた。、、、、今日の散歩は、工事状況の確認だ!

・・・・・・・・・・ 京成立石駅下りホームに降り立つと、橋上駅舎への階段は封鎖されていた。 仮囲いで狭くなったホームの中程から地下へ下る階段ができており、改札は地下に変わった。 改札をとおり、今度は階段を上ると地上出入口がある。 

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・・・・・・・・・・ 朝の上りホーム、こちらも橋上駅舎の階段は封鎖され、青砥側のホーム先端に造られた下り専用の改札口・出入口から乗客がゾロゾロとホームに出てくる。 出入口には、時に行列もできる、ホームは混雑し通勤通学は大変だ!

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・・・・・・・・・・ かつての橋上駅舎は既に使われておらず、出入口の階段も封鎖された。 いずれ、近々撤去されることだろう。

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・・・・・・・・・・ 駅部では下り仮線のスペースも整備されてきた。 また青砥側では一部レールも敷設されてる。

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・・・・・・・・・・ 駅の北側では、再開発のため多くの居酒屋、スナック、バーなどが密集する飲食店街も立ち退き、仮囲いで囲われた! 「呑んべ横丁」も閉店した! 街並みは大きく変化するようだ。、、、、「立石仲見世」がある駅の南側も再開発計画があるが、現在のところまだ着工していないようだ。

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● 奥戸街道に出て、仲見世商店街から本奥戸橋に向かうと中程に「立石名所 喜多向観音菩薩」がある。、、、、寛保元年(1741)、“妙本”という尼さんが金龍山浅草寺を深く信仰して千日詣の大願を起こし、愈々念願の日、枕頭に金色燦燦と輝ける観世音菩薩のお姿が現れ、汝の願い正に叶う可し、喜び多く向わんと、謂うや何処ともなく姿を消してしまった。 そのお礼にと、建てたのがこの喜多向観音と言うことだ。、、、、通りがかりの人も、皆素通り。 本当に“立石名所”なのか(?)チョイト疑り、怪しいね!

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● 本奥戸橋西詰角に“地蔵尊、馬頭観音、道標の街道三点セット”がある。、、、、この地蔵堂は、永井荷風の「断腸亭日乗」にも記載されているので、こちらの方が名所かも?、、、、地蔵尊は、貞亨2年(1685、江戸初期)に念仏講によって建造されたもの。 となりの馬頭観音は江戸時代の半ば以降に、農耕馬や運送馬が普及してから馬の保護仏として広く信仰されたものです。建造は安政2年(1855、江戸大地震の年)。 道標は、出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)の信者の人々の講中が参詣の記念に、宝暦5年(1755)に建造したもの。

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● 中川に架かる本奥戸橋(ほんおくどばし)、、、、昭和7年(1932)に初代の橋が架けられ、現橋は2代目で昭和62年(1987)に架け替えられた。 橋は2径間連続下路式ワーレントラス橋、長さ131.1m、幅15.0m。、、、、中川が大きく蛇行する位置にあり、川幅も広く見える。

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● 本奥戸橋を渡り、中川の左岸を下流側に歩くと、森永乳業跡の角地に「森市地蔵 入定塚」がある。、、、、この入定塚(にゅうじょうづか)は森市という行者の終焉の地。 彼はこの地の村人に大変尊敬された行者であった。 彼はある時、自己の天寿を悟り、お世話になった村人らの繁栄を祈願し入定した。(入定とは、生きながらに墓穴に入り即身仏となって命を断つこと) 経文を唱え、鉦を打ち、その音は三日三晩続いたと伝えられている。 村人は彼の死を哀み、地蔵を祀り供養した。(古そうだが、年代は不詳?)、、、、もう一つの祠には、南葛八十八ヶ所霊場の一霊場として、お大師様のご遺徳と村の繁栄を願い、大正12年(1923)奥戸6丁目の真言宗善紹寺住職が小堂を建て、弘法大師の石像を安置したもの。

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● 中川左岸の広大な更地は森永乳業の跡地、、、、森永乳業は、葛飾区の東京工場跡地(6万6798m2)について、令和4年(2022)に売却した。 売却益は650億円だったらしい。、、、、跡地利用で何が建つのか? 興味津々!

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● 森永乳業工場跡地からバス通りを歩き新小岩駅に到着

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2023年10月11日 (水)

京成小岩

散歩の行先が未定のときは、とりあえず都営交通の全路線について乗り降り自由な敬老パスを利用して、都営浅草線に乗ることが多い。 車中で『どこで降りようか?』自問自答、今日は京成高砂行きに乗車したが車中で行先が決まらず終点の高砂に到着。 高砂駅から散歩する機会は多くチョイト飽きたので、電車を乗換え隣の京成小岩で下車することにした。、、、、京成本線の京成小岩駅からブラブラ歩いて京成高砂駅まで、1万歩の散歩です。




● かつては特急が停車し、始発電車もあった京成小岩駅、今は快速と普通だけが停まる、江戸川区最北端のチョイト寂しい駅だ!、、、、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅の開業は昭和7年(1932)5月15日。 令和4年度(2022年度)の1日平均乗降人員は16,763人である。、、、、JR総武線の小岩駅は、京成小岩駅の南約500~600m程(徒歩で約20分)と離れており、わざわざ歩いて乗り換えるメリットはない。 もしJR総武線に乗換えたければ、成田側に5駅先の京成八幡駅での乗り換えをお薦めする。

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・・・・・・・・・・ “京成”が頭につく駅名を表示する際、“京成”を省略して表示することもあり、「京成小岩」は「小岩」と表示されている。

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・・・・・・・・・駅の住所は江戸川区北小岩にあるが、となりの葛飾区鎌倉とも至近で、この付近は住宅地が密集している。 駅北側には地域密着型の商店街「京成小岩商栄会」が伸びている。、、、、まだ8時半、どこの店もシャッターが下りてるね!

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・・・・・・・・・・ 線路沿いに少し歩いてみる

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● 葛飾区鎌倉の町に入ると、真言宗豊山派の輪福寺がある。 輪福寺は、正法山蓮蔵院と号す。 寛永2年(1625)の創建。 享保7年(1723年)徳川吉宗八代将軍が鷹狩の折休息した謂れある寺です。、、、、山門風の門は無く、小さな本堂が正面に見える、簡素な寺。

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・・・・・・・・・・ 門前には煉瓦造りの祠があり、地蔵菩薩像が祀られている。、、、、一見、シャレた犬小屋かと!(失礼しました)

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・・・・・・・・・・ なぜこの地が「鎌倉」に?、、、、相模国鎌倉郡から来た源左衛門という者がこの地を開拓して、村の鎮守として鎌倉の鶴岡八幡を勧請したことによる。 その八幡神社は、現在の鎌倉4丁目にある。(写真は2015/1/5撮影)

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● 京成本線の南側(葛飾区鎌倉2)都営鎌倉二丁目第三アパートの近くに、「小岩用水の沿革」という碑がある。、、、、この碑文によると、小岩用水は、小合溜井(現在の水元公園)を用水源とする、複数の灌漑用水の一つである。 江戸時代中期の享保14年(1729)、8代将軍徳川吉宗の幕府勘定方であった井沢弥惣兵衛が、利根川の旧河道を締め切って小合溜井を設け、現在の江戸川区に小岩用水などの灌漑用水を整備した。 江戸川区は用水の下流の地で、農作物の大消費地江戸を支える農村地帯として重要な役割を担ったそうだ。、、、、戦後は工場や家庭からの排水が流れ込む排水路となった。 その後下水道の完備とともに緑道として整備されて現在に至ってる。

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● 小岩用水の碑から、上流側(京成本線の北側)の踏切の角に「鼎(かなえ)地蔵」がある。 昔の民間信仰で、村民や旅人の安全を守るという道祖神です。 鼎地蔵の右隣りには、同じく道祖神の青面金剛が祀られていて、その側面に「右 江戸みち、左 矢切渡し」と書かれています。道しるべも兼ねていた。、、、、小さな敷地に、地蔵尊、庚申塔、石灯籠など多くが綺麗に整備されている。 小岩用水沿いに祀られていた石仏だったかも?

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● コンクリート板で覆われた小岩用水の跡(小岩用水緑道)を上流側に歩くと、左側に背の高いコンクリート塀が現れ、続く。 まるで刑務所の塀のようだ!、、、、ここは、京成電鉄の高砂車庫。 鉄道オタクが侵入しないよう、高い塀を造ったのか? チョイト私も覗いてみたく、金網の隙間からパチリ!

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● 高砂車庫沿いにあるいて京成高砂駅に到着。 今日の散歩はココまで!

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2023年9月 6日 (水)

木根川薬師

9月に入っても、猛暑、熱帯夜が続いた。 今朝の天気予報では、最高気温は猛暑日以下の31℃、午前曇り、午後雨。 『この天気なら、熱中症のリスクは低く、雨も降らんだろう、午前中は散歩ができそうだ!』と言うことで、久々に散歩に出た。 京成押上線の四ツ木駅からJR総武線の新小岩駅まで、1万1千歩の散歩。




四ツ木駅で下車すると、『アレ、傘さしてる人がいる?』、チョイト落ちてきたようだ。、、、、今日は四ツ木駅から高砂駅まで、押上線高架化工事の進捗を確かめながら歩くつもりで家を出たが、急遽予定変更、途中で雨が降ってもスグ散歩を中止できるように新小岩駅に向かって歩くことにした。

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● 四ツ木駅前から東に蛇行しながら伸びる「渋江商店街」を歩く。 “渋江”は昔の地名である。 約400m程の商店街の両側に会員店舗全19店が、ポツポツと点在し営業している、チョイト寂しい商店街。、、、、下町の古い商店街は寂れていくね。

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● 渋江商店街を抜け、東四つ木の裏道を歩く。 裏道は狭く曲がりくねり、高層の建物は見られない、最大3階建てだ!、、、、玄関前の柿の木に青い実を発見、秋だ!!

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● 東四つ木一丁目の裏道に王子白髭神社の参道がある。 参道の奥で多くのやぶ蚊に守られ、静かに鎮座するご祭神の“貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)” 、、、、清和天皇の第七皇子貞辰親王が東国遊行の途中、元慶元年(937)、この地で亡くなった。 たまたま浄光寺に留錫中の比叡山慈覚大師は、親王の遺骸を葬り、王子権現として慰霊を行って以来、浄光寺がその古墳を管理したことに始まると伝えられている。、、、、神社は、もと上木下川村にあり、その地が荒川放水路(現:荒川)の敷地となり、大正8年(1919)、浄光寺とともに現在地に移った。、、、、参拝には蚊取り線香の持参をお勧めする。

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● 王子白髭神社の参道を戻ると、天台宗に属し都内で最も由緒ある古い寺と言われてる「青龍山薬王院 浄光寺」がある。 その創立は貞観2年(860)と伝えられている。 本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、昔から「木根川薬師(きねかわやくし)」として世に知られている。 応永年間(1394~1427)の兵火のため焼失したが、僧別当証円が法燈の絶えるのを悲しみ、領主奥津家定に願い出て再び薬師堂を建てた。 以来関東屈指の古い寺院として一千年の法燈を伝え、天正19年(1591)徳川氏薬師供料として五石御朱印を賜りながくその祈願所とされた。 江戸名所の一つとして文人墨客の訪れるのも多い。、、、、現在の浄光寺は大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)開削のため、上記の王子白髭神社などと一緒に現在地に移転した。

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・・・・・・・・・・ 仁王門にある金剛力士像は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。 胎内に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したとされている。「阿形」「吽形」の両金剛力士像の大きさはともに275cmで、怒りを顔にあらわし、全身にに力がみなぎっている。

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● 浄光寺から南へ歩くと中川に架かる上平井橋がある。 橋の下流側で中川に綾瀬川が合流し、その先には、頭上に架かる「かつしかハープ橋」に首都高中央環状線が走り、中川には「上平井水門」がある。、、、、ハープ橋と水門を横に見て上平井橋を渡る。 上平井橋は右岸 (西詰) の葛飾区東四つ木一丁目と左岸 (東詰) の西新小岩三丁目および五丁目の間を結んでいる。 橋は、2連の下路曲弦ワーレントラス橋で、昭和40年(1965)竣工である。 

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・・・・・・・・・・ 上平井水門かつしかハープ橋

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● 西新小岩の町を歩き、新小岩駅に到着。

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