葛飾区

2024年4月13日 (土)

京成立石から京成関屋

今日の散歩は、京成押上線の京成立石から京成本線の京成関屋まで歩いてきた。 1万1千歩




● 京成押上線の四ツ木~京成立石~青砥間では、11か所の踏切の解消と、京成立石駅の高架駅化を目指し、只今、高架化工事が行われている。 今日の散歩は工事の進行状況の確認を兼ね、京成立石駅から歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 京成立石駅で下車

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・・・・・・・・・・ 京成立石駅の橋上駅舎は既に閉鎖され、ホームから橋上の改札に向かう階段も閉鎖されてる。 改札口は上下線別に仮の改札口が設けれてた。

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・・・・・・・・・・ 下りホームの北側には、仮の下り線となる線路を敷設中。 立石名物であった「呑んべい横丁」の跡にも仮の下り線が敷かれる。

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・・・・・・・・・・ 駅から葛飾区役所に向かう商店街も立ち退き、道の両側は白い仮囲いで隠された。 いずれこの仮囲いの中に新しい葛飾区役所(葛飾区総合庁舎)が建てられ、移転する予定。

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● 京成立石駅前へ移転を予定している葛飾区総合庁舎。 現在の本館(4階建て)+議会棟(3階建て)は昭和37年(1962)竣工。 新館(7階建て)は昭和53年(1978)竣工。 現在は、スペース不足、耐震性能不足、災害対策拠点としての機能不足などなどで、早く移転できることを祈るばかり。

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● 葛飾区役所前の通りを歩き、水戸街道(国道6号)を横切り、都営白鳥一丁目アパート前を通り過ぎると、曳舟川親水公園に出る。 曳舟川に沿って長く伸びる公園には、まだ花が咲き残る桜並木が続いてる。 花見は今日・明日が最後、来週は完全に葉桜になっていると思うね!

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● 宝町(たからまち)二丁目に「宝町八幡神社」がある。 江戸時代初期に開村した宝木塚(ほうきづか)村の鎮守として創建されたそうだ。 創建年代は不詳。 現在の社殿は昭和5年(1930)に造営されたもので、屋根は傾き、やや朽ち果てた感がある。 歴史を感じるかな?、、、、台風・地震で倒壊しないうちに修理して欲しいね!

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● 堀切菖蒲園駅近くには、「堀切天祖神社」が鎮座する。 天祖神社は、永万元年(1165)伊勢の神宮の神領であった葛西御厨〔かさいのみくりや〕の堀切村の鎮守として、皇大神宮より勧請したという。 現在の社殿は昭和41年(1966)に建てられた鉄筋コンクリート造。、、、、境内には八幡宮、稲荷社、天神社が祀られ、また境外末社として菖蒲七福神、菖蒲十二支神があり、多くの神さまを集め、地元の神明さんとして幅広く尊崇をあつめてる。

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● 堀切橋で荒川を越える。 堀切橋の上流側に平行する京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始まった。 京成本線荒川橋梁は昭和6年(1931)12月19日に供用を開始した。 以来、京成本線の橋梁として、現在では1日に約14万人以上の利用がある空港アクセスの主要路線の一部として活躍してる。 しかし、京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低いのが特徴で、治水上の弱点といわれ、橋梁のかさ上げが求められていた。 その荒川橋梁の架け替え工事が始まった。

・・・・・・・・・・ 堀切橋から見る京成本線荒川橋梁。 道路橋より低い位置に架かっているのが判る。

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・・・・・・・・・・ 荒川が氾濫しないよう工事の早期完成を望む。 ここから氾濫すると、台東区浅草橋の我が家は床下浸水するかも?

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京成関屋駅は京成本線の日暮里~青砥間の開業と同時である、昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、各駅停車しか停まらない小さな駅だが、駅の向かい側に東武伊勢崎線の牛田駅があり、乗り換え客が多い。

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2024年2月20日 (火)

リベンジで市川まで

昨日は何となく、いつの間にか小岩まで歩く予定になり、平井まで歩いてギブアップ。 今日はそのリベンジで、平井から歩き、新小岩、小岩と通り過ぎ、隣の千葉県に入って市川まで、1万5千歩の散歩となった。




● 昨夜降った雨でまだ道路は濡れているが、今日の午前中は晴天となる予報を信じて、平井駅(総武緩行線)に降り立つ。、、、、昨日痛かった足も、今日は調子良さそうだ!

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● 今日も蔵前橋通りを東(小岩方面)へ歩くつもりだ。 蔵前橋通りに出る。

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● 荒川に架かる平井大橋は歩道の幅員を2mから3mに広げる工事が進められている。 工事は橋の中間部分まで完成したようだ、中程で施工前と施工後の違いがよく判る。 歩行者も自転車も快適に通れるようになった! 完成は来年の春らしい。

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● 平井大橋を渡ると、大きな新小岩公園がある。 園内にはまだ水溜りが残ってる。 私のお腹に残った水溜りは溢れそうだ、緊急事態! チョイト、トイレを拝借。

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● 新小岩駅前、通勤で小走りに駅に向かう人も見える。 「北口商店会」を横切る。 

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● 暗渠化されコンクリート造の欄干だけ残された巽橋。 その巽橋跡がある「たつみ橋交差点」 こちらも、新小岩駅に向かう多くの人が信号待ち!、、、、、ここまで平井駅から約40分歩いた。 私の足は快調だ、この状態なら次の小岩駅までは楽勝だ! 

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● 葛飾区東新小岩の町を蔵前橋通りが貫いていく。、、、、通りの両側はカーディーラーと、ファミレス、マンションが並び、歩く私には面白みが無い! 単調な歩きで疲れてきたかな? 

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● 一日2~3本の貨車しか通らない新金貨物線のガードを抜ける。 ガードは昭和33年(1958)に熊谷組の施工で竣工した。
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● 続いて新中川に架かる上一色橋(かみいっしきばし)を渡る。 橋は昭和41年(1966)に架橋(既に50年以上経過した)、、、、この橋を渡ると小岩駅がある。 季節外れの暖かさ、歩く私は汗ばんできた。

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● 小岩駅に向かう商店街「西小岩通り会」の曲がり角。 『ここを曲がれば小岩駅、今日の目標を達成する。 でも、次の市川駅まで歩くと、さすが男だ、よく頑張ったと妻の一言! 市川まで歩くか、ここで止めるか、これが問題だ!』 心の葛藤があったが、市川まで歩くことにした。(チョイト、足と腰が痛くなってきた。 我慢、我慢、やせ我慢!)

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● 小岩駅前の通過は9時半、平井駅からは1時間半ほど経過した。 柴又街道との交差点を通過する。、、、、『もう少しで市川橋だ、ガンバレ!』チョイト疲れた自分にいいきかせる。

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● 市川橋の西詰(小岩側)で、蔵前橋通り千葉街道(国道14号)とぶつかる。 ここが蔵前橋通りの東端になる。 道路名を表示している案内板も、蔵前橋通りを示す矢の方向が一方だけとなっている。(ヤ~ね!)

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● 江戸川に架かる市川橋まで来た! 全長399mの橋は、歩いて渡るには長~~い。 『歩けど 歩けど 橋の上 川に飛び込みたくもなるね』 

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● 市川橋を渡り市川市に入ると、高宮山観音寺がある。天正17年(1362)に開山した真言宗豊山派の寺。 『疲れたが、駅まであと少し、無事帰れますように(合掌)』

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● 足・腰の痛みこらえて市川駅に到着。 1万5千歩、歩いたぞ!

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2024年1月19日 (金)

船堀から新小岩

都営新宿線の船堀駅から、総武線の新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 都営新宿線の船堀駅は、東大島駅からの延伸に伴い終着駅として、昭和58年(1983)12月23日に開業した。 駅は相対式ホーム2面2線の高架駅。 令和4年の1日平均乗降人員は約54,000人 、、、、駅舎の壁面には大きな金魚が描かれているが、船堀駅周辺は金魚の養殖が盛んな地であった。 駅が開業した昭和50年代には、周辺に養殖業者が20軒ほどあった。 今は都内でも、養殖業者は2軒だけになったそうだ。 50年歳月は都会の環境を大きく変えていくね!

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● 船堀駅の正面に「タワーホール船堀(タワーホールふなぼり)」(別称:江戸川区総合区民ホール)がある。 高さ115m、展望台は103mのタワーがある区民ホールである。 タワー下のビルの中には、大ホールをはじめ、17室の会議室や映画館、結婚式場などもある。、、、、展望台は9時から上れるが、時刻は今8時半、またの機会に上ることにした。、、、、ホールの内部は吹き抜けのある洒落た造りとなっている。

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● 船堀駅前の大通り「船堀街道」を北へ歩くと、新小岩駅に行くことができる。 

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・・・・・・・・・・ 道なりにストレートに歩くと、約4.2㎞で新小岩駅に着くのだが、私は船堀街道の西側の裏通りを歩いて新小岩駅に向かうことにした。




● 東小松川4丁目に「渡し場 水神宮」がある。、、、、当地区は昔は低湿地帯であったので、洪水に悩まされていたため洪水除けの神として、さらに川を交通の場として利用していたので水難除けの神として祀られていた。 旧東小松川村には、上之庭、新道、中之庭、入之庭、大江川、渡し場、品清の集落があり、それぞれに水神様が祀られていたそうだ。 (竜神様(水神宮)の脇に観音堂が建てられ観音様が祀られているが、その由緒は不明)

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● 東小松川、迷路のように曲がりくねった住宅地の裏道を歩く。、、、、おや、色褪せた文字で「たばこ」の看板が見える。 廃業したタバコ屋さんだが、なんとなく“昭和の匂い”だ! 向かいの家の角には、錆びてきた「ファミリープラン」の自販機が置かれ、“昭和”にワンポイント添えている。 

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● 東小松川2丁目に、真言宗豊山派寺院の無量山 光明院 永福寺がある。 本尊は行基作と伝えられる木造阿弥陀如来坐像。 開基年月は不詳だが、開山の宥賢上人は永禄11年(1568)正月15日に入寂した。 はじめは長福寺と称したが、九代将軍家重の幼名長福丸をはばかって永福寺と改称した。、、、、綺麗に手入れされた参道をとおり、木立の奥に本堂がある。 癒される寺だ!

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● 永福寺の西側から「小松川境川親水公園」を歩く。 江戸川区内の親水公園は、どこも地元の方が清掃・整備し、いつ歩いても、ペットボトル、空缶、ポリ袋などゴミのない公園として維持されてる。 今日も、数名の方が川筋の笹を刈って、整備されていた。(いつも綺麗にしていただき、ありがとうございます!) 首都高下のトンネルもご覧のとおり、ゴミが1つも落ちておらず、気持ちよく歩けるように清掃されていた。

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● 親水公園をとおり抜け、松島2丁目の「五分一通り」の一画に「五分一橋跡」がある。 “五分一(ごぶいち)”とは(?)、チョイト気になるネーミングなので、地名の由来について調べてみたが、結論は不明。、、、、江戸時代から五分一橋は既に架けられていたらしい。 この地は、江戸と下総佐倉を結ぶ元佐倉道の要衝にあり、古くから賑わっていたそうだ。 昭和5年(1930)に、五分一橋は鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。 昭和57年(1982)には、下に流れていた川が埋め立てられ、五分一橋の使命も終えた。、、、、今は五分一橋の親柱が残るのみ。

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● 江戸川区松島の町の北に、江戸川区と葛飾区にまたがる「ルミエール」商店街のアーケードがある。、、、、ルミエール商店街はJR新小岩駅の南口正面に出る、全長約420m、約140店舗の専門店が軒を連ねる東京・下町の超元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置されたアーケードは葛飾区内で初めてのもの。、、、、時刻は10時過ぎ、すでに店を開けた商店もある。 この時間帯は中高年の客が中心のなのか、年寄りが目立つね!

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● 総武線の新小岩駅に着いた、ここから我が家(浅草橋)までは15分。 今日は、チョイト疲れたね!

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2023年12月19日 (火)

寒い堀切

京成本線の堀切菖蒲園で下車し、常磐線(地下鉄千代田線)の綾瀬駅まで、チョイト寒い裏通りを歩いて、1万歩。




● 京成本線堀切菖蒲園駅の1日平均乗降人員は約20,000人で、京成線全69駅中19位である。 想像していた以上に乗降客の多い駅だ! おそらくこの付近には他の鉄道は無く、バスは複数路線あるが都心方面に向かうには不便な路線ばかりだ。 通勤客の多くはこの京成本線を利用して、日暮里・上野経由で都心に向かうのかも? 1ヶ所しかない高架下の改札口には通勤・通学客がゾロゾロ。

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● まずは堀切5丁目を北東方向に亀有駅を目指して歩く。 下町の雰囲気漂う裏通りを歩く。

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● 曲がりくねった通りの奥に、赤い山門の寺がある。 真言宗豊山派の正王寺は、清滝山金長院と号す。 正王寺は、治承2年(1178)八王子社(現:堀切氷川神社)別当として創建されたらしい。 朱塗りの山門があることから「赤門寺」と呼ばれているそうだ。 住宅地の中にある静かな寺だ!

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● 近くには正王寺が別当であった堀切氷川神社がある、こちらも住宅地に佇む神社。 堀切氷川神社は、天正年間(1573~91)旧下千葉村の鎮守として創建された。 祭神は須佐之男命・東照大権現(徳川家康)。、、、、境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社と伝えられ、江戸時代に5石の朱印地を与えられた。、、、、境内には、年末の大祓で茅ノ輪あり、私も8の字にくぐって厄払い。

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・・・・・・・・・・ 境内社の八王子神社

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●  亀有駅を目指して歩いていたが、堀切の裏通りはよそ者の私にとっては迷路のように複雑怪奇、気づいたときは綾瀬駅に向かってた。

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● 葛飾区小菅4丁目を歩いてたら、日蓮宗の寺院の蓮昌寺(れんじょうじ)があった。 チョイト、手を合わせて行こう! 蓮昌寺の山号は法光山。、、、、正安2年(1300)阿闍梨日念が創建した道昌寺を慶長19年(1614)に蓮昌寺に改名した。 明暦2年(1656)再興され、万治3年(1660)七面大明神を勧請、寛政4年(1792)11代将軍徳川家斉が鷹狩で使用し以来将軍家の御膳所に指定された。 歴史ある寺だ!、、、、参拝後知ったのだが、当蓮昌寺は北野武(映画監督)の実家の菩提寺で、北野武の母が亡くなった際には葬儀・告別式は本寺で営まれたらしい。 また、いかりや長介(ドリフターズ)家の菩提寺でもあり、いかりや長介自身もここに眠っているそうだ。

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綾瀬駅(足立区)に到着、今日の散歩はココまで!

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2023年11月 6日 (月)

工事中の立石駅

京成押上線高架化工事の真っ最中である京成立石駅とその周辺の工事進捗状況を確認し、その後奥戸の町を抜けてJR総武線の新小岩駅まで、1万歩の散歩です。

 

● 大正元年(1912)11月3日に開業した京成立石駅は、駅の姿を一新する高架化工事の真っ最中。 高架化工事は令和12年度(2030度)の完成を目指し、只今、四ツ木~京成立石~青砥間で進めらっれている。 また、京成立石駅前の再開発(葛飾区役所が入居予定)も着手し、駅周辺の店舗は仮囲いで覆われた。、、、、今日の散歩は、工事状況の確認だ!

・・・・・・・・・・ 京成立石駅下りホームに降り立つと、橋上駅舎への階段は封鎖されていた。 仮囲いで狭くなったホームの中程から地下へ下る階段ができており、改札は地下に変わった。 改札をとおり、今度は階段を上ると地上出入口がある。 

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・・・・・・・・・・ 朝の上りホーム、こちらも橋上駅舎の階段は封鎖され、青砥側のホーム先端に造られた下り専用の改札口・出入口から乗客がゾロゾロとホームに出てくる。 出入口には、時に行列もできる、ホームは混雑し通勤通学は大変だ!

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・・・・・・・・・・ かつての橋上駅舎は既に使われておらず、出入口の階段も封鎖された。 いずれ、近々撤去されることだろう。

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・・・・・・・・・・ 駅部では下り仮線のスペースも整備されてきた。 また青砥側では一部レールも敷設されてる。

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・・・・・・・・・・ 駅の北側では、再開発のため多くの居酒屋、スナック、バーなどが密集する飲食店街も立ち退き、仮囲いで囲われた! 「呑んべ横丁」も閉店した! 街並みは大きく変化するようだ。、、、、「立石仲見世」がある駅の南側も再開発計画があるが、現在のところまだ着工していないようだ。

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● 奥戸街道に出て、仲見世商店街から本奥戸橋に向かうと中程に「立石名所 喜多向観音菩薩」がある。、、、、寛保元年(1741)、“妙本”という尼さんが金龍山浅草寺を深く信仰して千日詣の大願を起こし、愈々念願の日、枕頭に金色燦燦と輝ける観世音菩薩のお姿が現れ、汝の願い正に叶う可し、喜び多く向わんと、謂うや何処ともなく姿を消してしまった。 そのお礼にと、建てたのがこの喜多向観音と言うことだ。、、、、通りがかりの人も、皆素通り。 本当に“立石名所”なのか(?)チョイト疑り、怪しいね!

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● 本奥戸橋西詰角に“地蔵尊、馬頭観音、道標の街道三点セット”がある。、、、、この地蔵堂は、永井荷風の「断腸亭日乗」にも記載されているので、こちらの方が名所かも?、、、、地蔵尊は、貞亨2年(1685、江戸初期)に念仏講によって建造されたもの。 となりの馬頭観音は江戸時代の半ば以降に、農耕馬や運送馬が普及してから馬の保護仏として広く信仰されたものです。建造は安政2年(1855、江戸大地震の年)。 道標は、出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)の信者の人々の講中が参詣の記念に、宝暦5年(1755)に建造したもの。

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● 中川に架かる本奥戸橋(ほんおくどばし)、、、、昭和7年(1932)に初代の橋が架けられ、現橋は2代目で昭和62年(1987)に架け替えられた。 橋は2径間連続下路式ワーレントラス橋、長さ131.1m、幅15.0m。、、、、中川が大きく蛇行する位置にあり、川幅も広く見える。

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● 本奥戸橋を渡り、中川の左岸を下流側に歩くと、森永乳業跡の角地に「森市地蔵 入定塚」がある。、、、、この入定塚(にゅうじょうづか)は森市という行者の終焉の地。 彼はこの地の村人に大変尊敬された行者であった。 彼はある時、自己の天寿を悟り、お世話になった村人らの繁栄を祈願し入定した。(入定とは、生きながらに墓穴に入り即身仏となって命を断つこと) 経文を唱え、鉦を打ち、その音は三日三晩続いたと伝えられている。 村人は彼の死を哀み、地蔵を祀り供養した。(古そうだが、年代は不詳?)、、、、もう一つの祠には、南葛八十八ヶ所霊場の一霊場として、お大師様のご遺徳と村の繁栄を願い、大正12年(1923)奥戸6丁目の真言宗善紹寺住職が小堂を建て、弘法大師の石像を安置したもの。

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● 中川左岸の広大な更地は森永乳業の跡地、、、、森永乳業は、葛飾区の東京工場跡地(6万6798m2)について、令和4年(2022)に売却した。 売却益は650億円だったらしい。、、、、跡地利用で何が建つのか? 興味津々!

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● 森永乳業工場跡地からバス通りを歩き新小岩駅に到着

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2023年10月11日 (水)

京成小岩

散歩の行先が未定のときは、とりあえず都営交通の全路線について乗り降り自由な敬老パスを利用して、都営浅草線に乗ることが多い。 車中で『どこで降りようか?』自問自答、今日は京成高砂行きに乗車したが車中で行先が決まらず終点の高砂に到着。 高砂駅から散歩する機会は多くチョイト飽きたので、電車を乗換え隣の京成小岩で下車することにした。、、、、京成本線の京成小岩駅からブラブラ歩いて京成高砂駅まで、1万歩の散歩です。




● かつては特急が停車し、始発電車もあった京成小岩駅、今は快速と普通だけが停まる、江戸川区最北端のチョイト寂しい駅だ!、、、、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅の開業は昭和7年(1932)5月15日。 令和4年度(2022年度)の1日平均乗降人員は16,763人である。、、、、JR総武線の小岩駅は、京成小岩駅の南約500~600m程(徒歩で約20分)と離れており、わざわざ歩いて乗り換えるメリットはない。 もしJR総武線に乗換えたければ、成田側に5駅先の京成八幡駅での乗り換えをお薦めする。

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・・・・・・・・・・ “京成”が頭につく駅名を表示する際、“京成”を省略して表示することもあり、「京成小岩」は「小岩」と表示されている。

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・・・・・・・・・駅の住所は江戸川区北小岩にあるが、となりの葛飾区鎌倉とも至近で、この付近は住宅地が密集している。 駅北側には地域密着型の商店街「京成小岩商栄会」が伸びている。、、、、まだ8時半、どこの店もシャッターが下りてるね!

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・・・・・・・・・・ 線路沿いに少し歩いてみる

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● 葛飾区鎌倉の町に入ると、真言宗豊山派の輪福寺がある。 輪福寺は、正法山蓮蔵院と号す。 寛永2年(1625)の創建。 享保7年(1723年)徳川吉宗八代将軍が鷹狩の折休息した謂れある寺です。、、、、山門風の門は無く、小さな本堂が正面に見える、簡素な寺。

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・・・・・・・・・・ 門前には煉瓦造りの祠があり、地蔵菩薩像が祀られている。、、、、一見、シャレた犬小屋かと!(失礼しました)

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・・・・・・・・・・ なぜこの地が「鎌倉」に?、、、、相模国鎌倉郡から来た源左衛門という者がこの地を開拓して、村の鎮守として鎌倉の鶴岡八幡を勧請したことによる。 その八幡神社は、現在の鎌倉4丁目にある。(写真は2015/1/5撮影)

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● 京成本線の南側(葛飾区鎌倉2)都営鎌倉二丁目第三アパートの近くに、「小岩用水の沿革」という碑がある。、、、、この碑文によると、小岩用水は、小合溜井(現在の水元公園)を用水源とする、複数の灌漑用水の一つである。 江戸時代中期の享保14年(1729)、8代将軍徳川吉宗の幕府勘定方であった井沢弥惣兵衛が、利根川の旧河道を締め切って小合溜井を設け、現在の江戸川区に小岩用水などの灌漑用水を整備した。 江戸川区は用水の下流の地で、農作物の大消費地江戸を支える農村地帯として重要な役割を担ったそうだ。、、、、戦後は工場や家庭からの排水が流れ込む排水路となった。 その後下水道の完備とともに緑道として整備されて現在に至ってる。

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● 小岩用水の碑から、上流側(京成本線の北側)の踏切の角に「鼎(かなえ)地蔵」がある。 昔の民間信仰で、村民や旅人の安全を守るという道祖神です。 鼎地蔵の右隣りには、同じく道祖神の青面金剛が祀られていて、その側面に「右 江戸みち、左 矢切渡し」と書かれています。道しるべも兼ねていた。、、、、小さな敷地に、地蔵尊、庚申塔、石灯籠など多くが綺麗に整備されている。 小岩用水沿いに祀られていた石仏だったかも?

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● コンクリート板で覆われた小岩用水の跡(小岩用水緑道)を上流側に歩くと、左側に背の高いコンクリート塀が現れ、続く。 まるで刑務所の塀のようだ!、、、、ここは、京成電鉄の高砂車庫。 鉄道オタクが侵入しないよう、高い塀を造ったのか? チョイト私も覗いてみたく、金網の隙間からパチリ!

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● 高砂車庫沿いにあるいて京成高砂駅に到着。 今日の散歩はココまで!

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2023年9月 6日 (水)

木根川薬師

9月に入っても、猛暑、熱帯夜が続いた。 今朝の天気予報では、最高気温は猛暑日以下の31℃、午前曇り、午後雨。 『この天気なら、熱中症のリスクは低く、雨も降らんだろう、午前中は散歩ができそうだ!』と言うことで、久々に散歩に出た。 京成押上線の四ツ木駅からJR総武線の新小岩駅まで、1万1千歩の散歩。




四ツ木駅で下車すると、『アレ、傘さしてる人がいる?』、チョイト落ちてきたようだ。、、、、今日は四ツ木駅から高砂駅まで、押上線高架化工事の進捗を確かめながら歩くつもりで家を出たが、急遽予定変更、途中で雨が降ってもスグ散歩を中止できるように新小岩駅に向かって歩くことにした。

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● 四ツ木駅前から東に蛇行しながら伸びる「渋江商店街」を歩く。 “渋江”は昔の地名である。 約400m程の商店街の両側に会員店舗全19店が、ポツポツと点在し営業している、チョイト寂しい商店街。、、、、下町の古い商店街は寂れていくね。

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● 渋江商店街を抜け、東四つ木の裏道を歩く。 裏道は狭く曲がりくねり、高層の建物は見られない、最大3階建てだ!、、、、玄関前の柿の木に青い実を発見、秋だ!!

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● 東四つ木一丁目の裏道に王子白髭神社の参道がある。 参道の奥で多くのやぶ蚊に守られ、静かに鎮座するご祭神の“貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)” 、、、、清和天皇の第七皇子貞辰親王が東国遊行の途中、元慶元年(937)、この地で亡くなった。 たまたま浄光寺に留錫中の比叡山慈覚大師は、親王の遺骸を葬り、王子権現として慰霊を行って以来、浄光寺がその古墳を管理したことに始まると伝えられている。、、、、神社は、もと上木下川村にあり、その地が荒川放水路(現:荒川)の敷地となり、大正8年(1919)、浄光寺とともに現在地に移った。、、、、参拝には蚊取り線香の持参をお勧めする。

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● 王子白髭神社の参道を戻ると、天台宗に属し都内で最も由緒ある古い寺と言われてる「青龍山薬王院 浄光寺」がある。 その創立は貞観2年(860)と伝えられている。 本尊薬師如来は伝教大師の作といわれ、昔から「木根川薬師(きねかわやくし)」として世に知られている。 応永年間(1394~1427)の兵火のため焼失したが、僧別当証円が法燈の絶えるのを悲しみ、領主奥津家定に願い出て再び薬師堂を建てた。 以来関東屈指の古い寺院として一千年の法燈を伝え、天正19年(1591)徳川氏薬師供料として五石御朱印を賜りながくその祈願所とされた。 江戸名所の一つとして文人墨客の訪れるのも多い。、、、、現在の浄光寺は大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)開削のため、上記の王子白髭神社などと一緒に現在地に移転した。

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・・・・・・・・・・ 仁王門にある金剛力士像は、何本かのヒノキを寄せて作る「寄木造」で、ガラスの「玉眼」が埋め込まれています。 胎内に墨書銘があり、江戸時代前半の寛文3年(1663)に浄光寺僧侶忠辨が願主、名主大塚六右衛門が惣檀那となり、京都七条の仏師五代目兵部藤芳が制作したとされている。「阿形」「吽形」の両金剛力士像の大きさはともに275cmで、怒りを顔にあらわし、全身にに力がみなぎっている。

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● 浄光寺から南へ歩くと中川に架かる上平井橋がある。 橋の下流側で中川に綾瀬川が合流し、その先には、頭上に架かる「かつしかハープ橋」に首都高中央環状線が走り、中川には「上平井水門」がある。、、、、ハープ橋と水門を横に見て上平井橋を渡る。 上平井橋は右岸 (西詰) の葛飾区東四つ木一丁目と左岸 (東詰) の西新小岩三丁目および五丁目の間を結んでいる。 橋は、2連の下路曲弦ワーレントラス橋で、昭和40年(1965)竣工である。 

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・・・・・・・・・・ 上平井水門かつしかハープ橋

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● 西新小岩の町を歩き、新小岩駅に到着。

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2023年6月 4日 (日)

鰻が菖蒲に勝った

台風は消え去り、ポッカ・ポッカのポッカレモンのような爽やかな晴天。 夫婦で久しぶりに堀切菖蒲園に行くことにした。 家を出る前の予定は『四ツ木まで電車で行き、そこから菖蒲園まで歩き、入園後は再び歩いて、堀切橋を渡り北千住まで歩こう! 昼飯は北千住で食べよう!』と、二人で合意。 私の推定では、健康的な1万3千歩程の散歩となる予定だった。、、、、Let's Go




● 9時過ぎ京成押上線「四ツ木駅」で下車し、散歩を始める。 

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・・・・・・・・・・ 町工場の多い葛飾区四つ木・堀切の町を歩く。 日曜日で、人も車も少なく、歩きやすい!

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● すでに多くの人で賑わっている「堀切菖蒲園」に到着。 見事に咲いてる菖蒲、いいね、最高! (4年前の『堀切菖蒲まつり』はこちら!)、、、、【堀切菖蒲園の歴史】堀切の菖蒲栽培の始まりには二説ある『①室町時代、堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じ、陸奥国郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて栽培を始めた。 ②江戸時代、百姓の小高伊左衛門が趣味で各地の花菖蒲を集めて庭で栽培したのが始まり。』 どちらを始まりとするかは自分で決めて! その後、堀切の菖蒲栽培は「江戸百景」に数えられ、名所案内や紀行文、鈴木春信・歌川広重の浮世絵に登場する。 戦前まで、堀切には武蔵園・吉野園・観花園・小高園・堀切園などの菖蒲園があった。 昭和34年(1959)堀切園を東京都が購入、東京都立堀切菖蒲園として公開。 昭和50年(1975)葛飾区に移管され現在に至る。

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・・・・・・・・・・ チョイト、綺麗どころを代表して!

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・・・・・・・・・・ 園内をほぼ一巡し、次は、ここから北千住まで歩く予定だ。 『そろそろ出ようか』と、出口に向かう。 この時、管理事務所のアナウンス、私は難聴で聴き取れなかったが、妻は良く聞こえたらしい『聞いた?柴又へ行けるよ!』。 私『・・?・・』 どうやら、菖蒲園の脇から、同じ葛飾区のしばられ地蔵”(菖蒲の名所:水元公園に近い)柴又帝釈天へ行くシャトルバスがまもなく出発するらしい。 妻の思考回路は、“柴又帝釈天” → “川千家” → “鰻”、で昼食は決まり! 急遽、北千住行きは柴又行きとなる。、、、、バスに飛び乗り、出発進行!、、、、途中の“しばられ地蔵(水元公園)”の菖蒲は見ずに、柴又へ向かう。

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● 帝釈天の参道を足取りも軽く歩く妻、万歩計の数値を気にする私。 とりあえず、帝釈さまに手を合わせ、義理を済ませば、いざ“鰻”。、、、、今日の散歩は、“鰻”が“菖蒲”に勝った! 万歩計は8千歩であった

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2023年1月13日 (金)

亀有新道

一昨日の散歩は青砥駅で終った。 今日の散歩は青砥駅からスタートすることにした。 青砥駅から東西南北いずれの方向に歩こうか(?)、Googleマップを見ながら悩んでいると、地図上に道路に『亀有新道』の文字がある。 よくよく見ると、一昨日歩いた東四つ木の荒川左岸から、立石駅の北側をとおり、かつしかシンフォニーヒルズ前を抜けて、青砥駅前までほぼ一直線に伸びた道路で、かって“水道道路”と言われたと記憶している道である。 この「亀有新道」が、青砥駅前で直角に曲がり北上して亀有駅前のロータリーまで伸びている。 今日まで私は『亀有新道』という道路名は知らなかった! 早速調べてみたが「亀有新道」の起点・終点、ルートなど一切不明。(葛飾区の区史にも見つからず) 水戸街道近くの都営住宅前に「亀有新道」というバス停があることは判った。 何だか手掛かりの少ない亀有新道、興味が湧いてきた。、、、、今日の散歩は、青砥駅前から、Googleマップに標された亀有新道を歩き亀有駅まで歩くことにした。 何か発見できるかも! 

 



● まずは京成押上線「青砥駅」で下車、、、、平日の朝、都心に向かう2階ホームは通勤通学客が多いこと!

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・・・・・・・・・・ 青砥駅の高架下を抜ける、この道路の先に亀有新道がある

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「青砥駅北口」交差点、写真左の道が東四つ木に向かう亀有新道、亀有新道はこの交差点で直角に折れ、中央奥(北)へ向かうと亀有駅である。、、、、、私の推測では、この交差点から東四つ木までは直線の“水道道路”を利用し、ここから亀有駅までは一般道路を利用し、役所の誰かが「亀有新道」と名付けたと思われる。 今日の散歩は、ここから亀有新道を歩き亀有駅を目指す。

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・・・・・・・・・・ 交差点近くのお弁当屋さん。 ナント、マア~!ワンコインでお弁当が2つ、安い! 何種類かあるようで、選べる弁当! 下町は物価が安いのか?

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● 総戸数1119戸のUR賃貸住宅「青戸第一団地」、、、、日本住宅公団が、ここ青戸団地の入居者を募集したのは昭和31年(1956)7月である。その後、人口増加に伴い、住環境は整備された。 亀有新道はこの団地前をとおる。

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● 亀有新道は青戸4丁目の「青戸平和公園」前を通る。 ここは昭和63年(1988)に、非核平和都市宣言5周年を記念し、旧青戸公園を改修して非核平和祈念塔を建設すると共に、噴水、せせらぎなどを作り、塔の前には被爆時の遺品が献花台が設置されている。 広島御幸橋の縁石、長崎で被爆のレンガ門柱などが展示してある。 「原爆犠牲者 慰霊碑」もある。、、、、平和を祈る場所が、なぜここかは、不明?

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・・・・・・・・・・ この付近では、亀有新道は直線道路

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● 青戸7丁目の「テクノプラザかつしか」前、、、、地場産業育成のための活動拠点。 産業関係者の交流や自主的活動の促進、経営・技術情報の提供、経営・下請相談などを行っている。、、、、葛飾区は昔からおもちゃの製造会社が多く、地場産業として強みを発揮してもらいたいね! そんなことを思って歩いていると、脇をリカちゃんのバスが通り過ぎて行く。

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● 亀有新道と水戸街道(=国道6号)が交差する。 

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・・・・・・・・・・ 交差点の先にある両側のバス停の名が「亀有新道」、バス停前の公園は「新道口児童遊園」。 亀有新道を歩いて初めて見つけた“亀有新道”の文字、見ることが無かった道路の愛称を見つけ感動した
ね。(本日歩いて見つけた唯一の道路名)

 

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● 亀有新道が亀有1丁目に入ると、脇道に寺の屋根が見えた、チョイトお立ち寄り!、、、、寺は、真宗大谷寺院派の「
本多山 蓮光寺」。 創建年代は不詳だが、遠江国横須賀に創建、その後三河国安祥(安城)へ、慶長14年(1609)広闡庵了賢が江戸神田へ移転したと伝えられている。、、、、樹木多く手入れも良く、心休まる寺。 墓参りに行きたくなるほど緑が綺麗。

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● 亀有新道と旧水戸街道の交差点には、「一里塚跡」の碑水戸黄門御一行の石像がある。 一里塚跡は納得できるが、石像はチョイト気味が悪いね!

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● 亀有新道は亀有駅前ロータリーにぶつかる。、、、、名を知る人は少ないと思われる「亀有新道」を歩き、本日の目標達成!

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● 帰宅するつもりで亀有駅改札口まで行ったが、時刻は9時半、アリャ予定より早く着いた! もう少し歩くか! 隣の綾瀬駅まで歩こう!、、、、と云うことで、散歩のおまけで綾瀬駅まで歩いて来た。 本日は1万3千歩

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2023年1月11日 (水)

セルロイドの町

京成押上線の八広駅から荒川を渡り、立石駅前を通り青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。



八広駅で電車から降り、ホームの端に立つと荒川に架かる押上線荒川橋梁に接していることが判る。 平成3年(1991)1月5日、桁の高さが低かった旧荒川橋梁にタンカーが衝突し、上下線とも数日間運休となる事故が発生した。 これを契機に、荒川橋梁の掛け替えおよび荒川を挟み両岸の四ツ木駅と八広駅間の高架化工事が開始され、平成11年(1999)工事が完成した。 また、平成6年(1994)には、荒川駅を八広駅に改称。、、、、現在の駅の構造は、ホームは3階にあり、1番線が片面、2・3番線が島式の2面3線構造。 2階は改札・コンコース。 高架下の1階は薄暗い出入口とその周囲は自転車置き場。 なんでこんな陰気な駅を造ったのか謎だ!?、、、、駅名の「八広」は地名から採用。 地名の「八広」は元々「吾嬬町」といい、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い寺島町六・八丁目、隅田町四丁目・吾嬬町西五・六・七・八・九丁目の8地区が合併して成立したため、「」の字を採り、その字体から「末がり」の縁起を担いで命名された。

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● 平成11年(1999)に供用を開始した現在の押上線荒川橋梁であるが、旧橋の撤去や関連護岸工事などすべての事業が完了したのは平成14年(2002)である。 総事業費は398億円(内242億円(65%)は国庫負担)、、、、現橋は旧橋より3.7m嵩上げし、水面から8.3mの高さとなった。 橋長473mの単純トラス橋。

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● 押上線荒川橋梁の上流側(北側)に、新四つ木橋、四つ木橋(国道6号)が架かっている。 四ツ木橋の旧橋は大正11年(1922)に、荒川放水路(現:荒川)開削に伴い木製の四ツ木橋が架橋された。 その位置は現在の国道6号ではなく、約500m下流の東京都道465号深川吾嬬線の延長上にあった。 大正12年(1923)9月、関東大震災の混乱に乗じ、この四ツ木橋の墨田区側のたもとで、朝鮮人・中国人虐殺が行われたといわれてる。 なおその規模は不詳である。、、、、押上線荒川橋梁から約100m下流側、都道465号が荒川にぶつかる際に、「関東大震災 朝鮮人殉職者追悼碑」がある。 この場所は、韓国・朝鮮人が殺害された場所の一つと言われている。 嘘か真か、詳細は不明。、、、、写真は荒川堤防上から撮影。

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● 押上線荒川橋梁から100m程下流に架かる「木根川橋(きねがわばし)」は、墨田区八広と葛飾区東四つ木とを結ぶ美しいトラス橋である。、、、、全長531.4mの3径間下路カンチレバートラス橋 +4径間下路単純トラス橋で、着工は昭和42年(1967)、完成は昭和44年(1969)2月。 下部工の施工は大成建設。、、、、この橋は、さだまさしの歌「木根川橋」のモチーフとなった。 この歌を私は知らないが、木根川橋そのものは、何となく下町の匂いがするようで好きだ!

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・・・・・・・・・・木根川橋から下流を眺める。 冬の太陽が昇ってる!

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● 木根川橋を渡り葛飾区東四つ木の町に入る。 ここは細い曲がりくねった小路に、町工場、住宅が建ち並ぶ木造密集地区。、、、、下町の雰囲気が残っている、好きだ!

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● 東四つ木の町の中に「渋江白髭神社」(四つ木白髭神社とは別)がある。 渋江白髭神社は、旧西葛西領澁江村(東京府南葛飾郡本田村字澁江)の鎮守で、江戸時代は「葛西の客人(まろうど) 大権現」と呼ばれ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々の崇敬を集めた。 創建年代は不詳ながら、旧別当寺の観正寺が延徳3年(1491)創建であることから、室町時代の創建と推定される。、、、、現在の社殿は嘉永元年(1848)の造営。、、、、当神社付近には、戦国時代に使用されたとされる渋江陣屋の跡があったそうだ。 遺構などは無いが、「渋江城跡」と言われてる。

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・・・・・・・・・・ 社殿前の狛犬は安政3年(1856)に深川の油問屋から奉納された。 また、常夜燈は文政6年(1823)に日本橋葦屋町(現:人形町付近)からの奉納。

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・・・・・・・・・・ 境内には、文政5年(1823)奉納の客人大権現の道標などが数基残っている。

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● 渋江白髭神社から北東へ約500m、プールやテニスコートなどもあるチョイト大きな渋江公園(葛飾区東立石)がある。 この公園に、3人の子どもが階段に座る彫刻が花壇の中央に置かれた「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」が建っている。、、、、葛飾のセルロイド工業は、大正時代から昭和20年代にかけて旺盛だった。 大正3年(1914)「
千種セルロイド工業」が、この地に創設されたことに始まる。 しかし皮肉にも千種セルロイド工業は、不況のために早くも大正9年(1920)に廃業してしまうが、セルロイド工業はこの地区に定着し発達していった。 戦後セルロイド製品は日本の輸出品の中で重要な役割を果たしたが、プラスチック技術の発展にともない急速に衰退した。 公園内の記念碑は、この地域が葛飾区の近代工業の発展を担ったことを表わしている。 昭和27年(1952)、渋江公園の造成に伴って建てられた。、、、、私も愛用したセルロイドの下敷き、筆箱、玩具など、現代のプラスチックに変わるまで、戦前戦後の重要な素材であった。 セルロイドは燃えやすい素材であるため、現在は国内で生産されていないそうだ。、、、、懐かしい匂いがする素材で、セルロイド製の樟脳船で遊んだことを思い出す。

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● 高架化工事中の立石駅を通り、1,300席を有するクラシック音楽向けのホールを備える文化センター「かつしか シンフォニーヒルズ
」前を抜けると青砥駅。

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