葛飾区

2021年1月29日 (金)

見破られた!

昨日は、2ヵ月ぶりに循環器内科の定期診断を受けてきた。 医者は私の姿を見るなり『肥ったね!コロナ肥りかな?』 一目で見破られた。 先生自ら体重計を持ってきて『量ってみな』 表示された体重を見て『73㎏なら服の重さを引いて71㎏だね。 それほどでもないか、でも腹が出てるので、もう少し痩せなさい!』・・・・・と云われ『はい』と応えたが、簡単に痩せられるものではない! 少しずつ、散歩をはじめれば、そのうち以前のスリムな体型に戻るだろう! 

今日も体力を取り戻し、体型を戻すため、ご近所周辺を散歩しようと家を出た。 浅草橋駅前に来たら、地下鉄に乗りたくなり、そのまま四ツ木駅まで行って、京成立石駅まで歩いてきた。 約1時間、3km程の散歩。(不要不急の外出となってしまった! ゴメン!)

 

● サッカー漫画のキャプテン翼」にラッピングされた四ツ木駅で降りた。 久しぶりに“散歩の気分”になり、沿線の裏道を歩く。、、、、電柱脇の庚申塔に、体型が戻るよう手を合わせてきた。、、、、この庚申塔は「宝永三丙戌(1706)」の造立らしい。 江戸幕府、将軍綱吉の時代である。 庚申塔が造立された翌年には、富士山の大噴火があり、江戸でも数センチの降灰があったそうだ。 灰に埋もれることもなく、今日まで約300年、ここ四つ木に立っていた庚申塔、御利益ありそうだ!

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● 四ツ木駅から青砥駅までは、只今、高架による連続立体化工事が進められている。 一部仮線路も敷設され、着々と進んでいるようだ!、、、、しかし、“緊急事態宣言”により、工事現場は閉鎖され、誰一人いない。 寂しい現場!


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● 四ツ木駅と立石駅の中間に、区立「渋江公園」がある。、、、、公園は、1.6ヘクタール以上の面積を有し、テニスコート6面を備え、この付近では大きな公園である。 公園の敷地は、大正3年(1914)に設立した「千種セルロイド四ツ木工場」の跡地である。 公園は、昭和27年(1952)にセルロイド工場の跡に開園した。 園内には、三人の児童が腰かけている「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」がある。(三人の児童とセルロイド工業の関係は意味不明)、、、、セルロイド製の人形・筆箱などがあったが、プラスチックが出てセルロイドは見なくなった、今では懐かしの素材である! 

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● 半分以上の店はシャッターが下りている「立石仲見世」商店街を抜けて、立石駅から帰宅。、、、、駅は、高架駅建て替え工事に着手しており取り壊される。 仲見世は駅の高架化に伴い、再開発が予定されている。 立石駅周辺は、赤線時代名残の横丁・下町の下駄履き駅舎・飲み屋が並ぶ横丁など、全て取り壊されガラリと様相が変わるのも時間の問題だ!

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2020年12月12日 (土)

高砂からお花茶屋

『我慢の三週間』の三週目、家で“ウジウジ・グズグズ”、やっぱりストレスが溜まる。 今日は、“密”を避け、観光地とは縁遠い葛飾区高砂から葛飾区お花茶屋まで歩いてきた。 1万歩




● 「雅万歩」では、毎度おなじみの「京成高砂駅」、、、、土曜日の今日は通勤・通学客も少なく、すいた電車で朝8時に到着。 駅前の大通り沿いに青戸・白鳥方向に歩くことにした。、、、、この付近、人通りも少なく、マスクなしでも感染の恐れなし!

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● 京成高砂駅より西へ徒歩5分の地に鎮座する高砂天祖神社。 中世、当地が葛西御厨だった頃、領主が勧請したと伝えられている。、、、、現在の社殿は、昭和36年(1961)の造営である。 大きくはないが、総檜・神明造の拝殿は端正で整っている。

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・・・・・・・・・・・・境内には、東京23区では珍しくなった火の見櫓が残っている。 チャンと、半鐘もぶら下がっている。 東京では、見られなくなった懐かしい風景。、、、、高さ約14m、昭和初期の設置と思われる。

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● 中川に架かり、高砂と青戸を結ぶ「高砂橋」は、初代が昭和7年に架けられ、二代目の現橋は平成15年(2003)に架け替えられた。、、、、橋長186.5m、有効幅員15.8mの2径間連続鋼斜張橋。

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・・・・・・・・・・・・上流側には京成中川橋梁が架かっている。、、、、京成線の撮影スポットとして、いいね!

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● 環七通りを横断し青戸の町に入ると、総戸数1119戸の青戸第一団地(UR都市機構)がある。 京成の青砥駅が開設されたのは昭和3年(1928)である。 しかし、青戸が町として発展したのは戦後のことで、日本住宅公団が青戸団地の入居者を募集した昭和31年(1956)からだ。

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・・・・・・・・・・・・周辺には都営住宅も建ち並び、人口増加に伴い、住環境は整備されていった。

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● 青戸の団地を抜けると、国道6号(水戸街道)が走っている。 国道を横断すると葛飾区白鳥(しらとり)の町で、お花茶屋駅前の通りまで続く。

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・・・・・・・・・・・・「白鳥」の由来は、、、、大正ころまでお花茶屋駅の北方に沼地があり白鳥が群棲していた。 安永2年(1773)将軍家治が亀有の鶴狩のとき、沼の白鳥を捕らえようとしたところ何処からともなく白髪の老人が現れて目的を果たすことができなかった。 そこで四ツ木の白髭神社に願を掛けて再び挑むと今度は多くの白鳥を得る事ができた。 この霊験に驚いた鳥見役たちは、鷲が白鳥を咥えた構図1m四方の大絵馬(現存)を奉納してご利益に感謝した。 裏面に福島八左衛門ら11名の名が連ねてある。 以来人々はこの沼を「白鳥沼(しらとりぬま)」呼ぶようになった。 白鳥沼は埋め立てられて今はないが、2丁目の白鳥小学校・白鳥公園からお花茶屋駅の辺りにかけてあったようだ。 沼は市街地化によって次第に縮小し、大正の初め頃までに消滅したと云われている。 現在は、「白鳥」という綺麗な名のみが残っている。

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・・・・・・・・・・・・白鳥の町にある「東京博善四ツ木斎場」は民営の葬儀場。 現建物は平成28年(2016)にリニューアルオープンした超近代化した火葬場である。 最高クラスの火葬料金は一体28万円也。 ちなみに、一般の普通料金は5万8千円ぐらいらしい。、、、、値段違いは、施設の造りの違いだ。 けして、レア、ミディアム、ウエルダンなど、焼き方の違いではないよ!

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お花茶屋駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 昭和6年(1931)12月19日に開業した、私の住む浅草橋駅より古い。 JR浅草橋駅は昭和7年(1932)の開業、負けた!

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● 帰りの電車もすいていたので、コロナには感染しなかったと思うね。

2020年12月 6日 (日)

密を避け新宿へ

“密”を避け新宿周辺を歩いてきた!、、、、と云っても、新宿区の新宿でなく、葛飾区の新宿(にいじゅく)である。 京成本線高砂駅で下車し、高砂駅の西側を流れる中川に沿って北上し金町駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 浅草橋から空いている印旛日本医大行きの電車に乗って、『さて、どこで降りるか?』、、、、“コロナ”は避けたいので、中川の土手上を歩けば感染の恐れなしと、自問自答し高砂駅から歩くことにした。、、、、今日は日曜の朝、通勤・通学の人影も少ない駅から散歩を始める。

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● 中川土手に出る手前に、新小岩と金町を結び、一日数本の貨物つ列車が走る貨物専用の「新金貨物線」がある。 この貨物線、最近、何だか騒々しくなってきた。 葛飾区は去年・今年と、新金貨物線旅客化の検討資料を公表した。 JRは旅客化について何も公表していないが、線路の整備・信号機の整備などを行ってるようだ。、、、、旅客化が実現するまでは早くても10年ぐらいはかかると思うのだが、下衆の勘繰りで何かざわついてるように思うね! ひょっとすると、10年後にはLRT(ライトレール)がここを走っているかも?

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● 新金貨物線の小松川街道踏切を越えると、「青龍神社」の石碑がある。、、、、青龍神社は、中川の土手のすぐ傍に鎮座する、創建年代不詳の小社。 神社の横には、「怪無沼(けなしぬま)」と云われる池があり、いつ来ても、スイレン、水草が青々と茂っている。 当社には、噂の類いのものが相当あり、境内の怪無沼の名の由来も、「この池でけが人が出ないことからの怪我無し池」、「若い女性が下の毛が生えないことに苦しみ池に身を投げてしまったことから毛無し池」など、諸説あるようだが、どれがホントか不明。 しかし、諸説の中でも、『ご利益として陰毛が生えてくる』と云う話もあるらしい。

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● 青龍神社の後ろから中川土手に出る。、、、、本日は晴天、風も無し、チョッピリ寒いが、男は我慢! コロナに感染する心配はない、マスクもはずして、しばらく歩く。 
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● 中川土手をしばらく行くと、国道6号(水戸街道)が走る、中川大橋がある。、、、、この橋の南側(高砂寄り)400m程のあたりから、住所は「葛飾区新宿(にいじゅく)」となる。 新宿の町は、中川左岸に沿いに常磐線を越え東京理科大学葛飾キャンパスの付近まで伸びてる。 もちろん、こちらの“新宿”には、ゴールデン街・花園通りに似た、夜の繁華街はないので、寂しい人も多いかも?

・・・・・・・・・・・・中川大橋は右岸の葛飾区青砥と左岸の同区新宿を結び中川に架かる橋。 昭和10年(1935)に初代の中川大橋が開通した。 現在の橋は昭和60年(1985)に着工し、平成元年(1988)に竣工した2代目の橋で、長さ134.4m、幅員30.8mの連続箱桁橋。

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・・・・・・・・・・・・中川大橋の東詰には、合掌形の破風を架した朱塗りの山王鳥居が出迎える、新宿の日枝神社がある。 永禄2年(1559)頃に創建された、江戸時代には新宿町の鎮守、明治5年には郷社に列格した。 現社殿は明治44年(1910)、幣殿は昭和11年(1936)、神楽殿は昭和6年(1931)の造営。

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・・・・・・・・・・・・日枝神社の北側には、浄土宗寺院の西念寺がある。 西念寺は
覚林山宝樹院と号します。 文安5年(1448)に開基、天文元年(1532)覚蓮社法誉が寺院として創建した。 境内は、よく掃き清められた綺麗な寺。、、、、本堂前の祠には、弘法大師が旅僧の姿でサバ1匹を請うたのに、商人または馬子が荷物のサバを与えなかったために罰せられたという伝説にちなんだ、小さな「鯖大師」の像がある。

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● 続いて、中川大橋の上流側に架かる「中川橋」、、、、この地には、新宿の渡しがあったが、明治17年(1884)に明治天皇の行幸に合わせて橋が完成した。 2代目の橋は、昭和8年(1933)に架設されたが、老朽化、交通量の増大に対応するため、車道の拡幅などを行う架替工事が、平成5年(1993)に着工され、事業費28億円をかけた末、平成20年(2008)3月10日開通した。 橋長 120.6m、幅員 15.0m。

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・・・・・・・・・・・・中川橋の東詰、上流側に日蓮宗寺院の長遠山立増寺がある。 日蓮聖人の大檀越だった駿河国松野の郷士松野六郎左衛門重正が開基、永正年間(1504~1521)に創建した。、、、、本堂は昭和43年の新築である。 デザイン的には、シンプルで飾り気のない昭和の雰囲気が出ている本堂だ。

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・・・・・・・・・・・・立増寺から北東へ200m程行くと、浄土宗寺院の慶円寺がある。 慶円寺は、当地の村民五郎右衛門夫婦が、飯沼弘経寺の住僧南誉雲念の下で出家した後、当地に創建したと云われてる。 飯沼弘経寺の南誉雲念は後に増上寺二十世となった僧で、彼を勧請開山とします。、、、、本堂前には枝ぶりの見事なクロマツが、歌舞伎の「見得」を演じてる、『ヨ!クロマツ屋!』


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● どこにでもあるような住宅地の「新宿」を歩き、再び新金貨物線を越えると、JR金町駅に出る。 今日の散歩はココまで!、、、、お帰りは、空いている京成金町駅から!

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2020年9月27日 (日)

あわて者のドジ!

何処に行くか、行き先のあてもなく家を出た。 とりえず、新小岩に行こう! 新小岩駅周辺には南北合わせて13番乗り場までのバス停がある。 出発しそうなバスに、適当に乗れば、適当な方向に走り、適当な処で降りれば、あとは適当に散歩すればよい。、、、、と、適当に考えた。 私の頭の中では、新小岩駅のバス乗り場は北口脇と南口前にあり、北口からは亀有・綾瀬・金町など常磐線沿線の駅に向かうバス路線が、南口前からは船堀・篠崎・一之江など新宿線沿線の駅と葛西・臨海部に向かうバス路線が、それぞれ多いと記憶していた。 新小岩からバスに乗るのだから、『南の方に行ってみよう!』と南口に出た。

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『オォ~、3台が停まってる、一番早く出発しそうなのに乗ろう!』と、写真を撮りながら、行き先を確認しないまま出発寸前のバスに飛び乗ってしまった。 シマッター!

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バスは私が乗ると即発車。 乗って気付いた、『アァ、何てドジなんだ、このバス、北の常磐線沿線に向かう、最悪の亀有行きだ!』 亀有方面に行くなら、わざわざ新小岩に来なくとも、浅草橋から京成押上線で青砥・高砂に出ればもっと早く行けたのに、あわて者のドジ!、、、、『運転手さん、降ろしてくれ!』と車中で叫ぶのは恥ずかしい、紳士のプライドも許さずジッと我慢。

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こうなりゃ、どこで降りようか?、、、、バスは、奥戸街道を走り、青砥駅付近を抜け、国道6号(水戸街道)を越えた。 『よし、ここらで降りよう!』とボタンを押した。 停車したのは「亀青小学校」バス停、何もなかった風を装い下車。 今日の散歩は、ここからスタート。

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● 亀青小学校バス停は環七通りにある。 広い大通りを歩いても面白くない! 亀有2丁目の裏道を歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・緑に囲まれ主屋が見えない住宅もある

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・・・・・・・・・・・・「亀有さくら通り」に出た。 環七通りから西へ、亀有2丁目・1丁目と貫く、ソメイヨシノ150本程が植えられた通り。 住宅街の中の通りで、平日は静かで人通りも少なく、桜の季節には、ゆっくりと花見ができるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・病院・都営住宅もある。 必要な人には、近くに寺も教会もある。 墓はあったかな?

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● 道の中央部に曳舟川親水公園が造られている、曳舟川跡に出た。 近くのパチンコ屋の脇には、小規模なサルスベリの並木道もある。 この付近は親水公園、並木道など、歩く人の心を和ませる緑も多い。

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● 西亀有1丁目に葛飾区立の上千葉砂原公園がある。 ここには、ヤギ、ウサギ、ポニーなどに触れられる「ふれあい動物広場」と、D51が保存されている「交通公園」がある。 コロナ禍で遠出も難しい親子連れが、早朝から開園を目指してやって来る。

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● 上千葉公園から西へ、かつての農業用排水路を整備し散策道とした「西亀有せせらぎ公園」が伸びている。 公園は西の中道公園までつながり、途中でT字型に北の藤塚西・東公園にも伸びている。 この西亀有せせらぎ公園の面積は8,500㎡あり、水の流れの総延長は約400m、植林面積は5,000㎡あります。 幅約2mの人工水路の流れは園内4ヶ所設けた地下貯水槽に水を溜め、ポンプによって循環させているそうだ。 しかし今日見る限り、“せせらぎ”は区の予算不足か、水は流れていなかった!

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● 堀切7丁目・6丁目・5丁目と、通り抜け、堀切菖蒲園駅へ向かう

・・・・・・・・・・・・鈴懸の径を通り九品寺前に出る、、、、九品寺は真言宗豊山派の寺で、付近の普賢寺とともに区内有数の古刹。 寺伝によると、建久4年(1192)に創立された。 その後、一時荒廃し、また享和2年(1802)および明治元年の火災と幾たびかの水害により、寺宝・記録は散失した。 現在の本堂は昭和35年(1960)の改築である。、、、、鈴懸の径は、九品寺が作詞家佐伯孝夫の菩提寺であることから、名付けられたのだろう。 歌のモデルの鈴懸の径は、この歌を歌った灰田勝彦の母校立教大学内(豊島区)にある。


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・・・・・・・・・・・・九品寺の南(堀切5)に堀切氷川神社がある。 堀切氷川神社は、天正年間(1573~1591)旧下千葉村の鎮守として創建した。 境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社で、江戸時代に5石の朱印地を与えられていた。
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・・・・・・・・・・・・氷川神社の西に、真言宗豊山派の正王寺がある。 正王寺は、治承2年(1178)八王子社(現堀切氷川神社の境内社)の別当として創建された。 朱塗りの山門が特徴的な寺。 境内は緑に囲まれて落ち着いた雰囲気で、墓地は庭園風の植栽の中にあり、気持ちよくお参りできる。


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堀切菖蒲園駅に到着。 ここから、青砥乗換で押上・浅草橋(我が家)へ帰る。

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2020年9月26日 (土)

しっとり濡れて

連日の雨、今朝も一降りあり、チョイト、雨の隙を見て散歩に出た。 柴又駅で下車し、帝釈天、江戸川土手を歩き、京成小岩駅までの散歩です。



● 毎度おなじみ柴又駅、今日の散歩のスタート地点。 雨は小休止。 土曜の早朝は人影もまばら、観光客はまだいない。

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● 今日は、駅の北にある柴又八幡神社に寄ってみた。、、、、柴又八幡神社の創建年代は不詳だが、境内は全体が古墳上に鎮座する社で、江戸時代には柴又村の鎮守社であった。 古墳は円墳で直径30m、6世紀~7世紀の築造であるらしい。 現社殿は昭和43年(1968)の造営。、、、、島俣塚(柴又塚)は、社殿の裏にあり、昭和40年、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、其の上に墓石を築いたもの。 また、古墳からは、寅さんの帽子のようなものをかぶった埴輪も出土しているそうだ。 さくらに似た埴輪は、まだ出土していない。

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● 早朝、雨上がりの参道を歩き、帝釈天参り。、、、、時刻は8時半、まだ参道のどの店も営業はしていないが、店の中では、草団子をつくり、鰻をさばき、開店準備中。、、、、参道には人影なし、財布でも落ちていないか? 地べたを見ながら、ローアングルで撮ってみた!

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・・・・・・・・・・・・参道正面の二天門

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・・・・・・・・・・・・二天門から入ると正面に帝釈堂がある、、、、屋根の唐破風と千鳥破風が特徴的な堂。 

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・・・・・・・・・・・・こちらは本堂の祖師堂
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● 帝釈天を抜けて、江戸川土手に出る。、、、、土手にでると、霧雨で我が身がしっとり濡れ、風邪をひかぬか心配になった。 おなじ濡れるなら、若い娘としっぽりと濡れてみたい、てなことを、独り想い歩く。

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・・・・・・・・・・・・♪♪ つれて逃げてよ~~ ついておいでよ~~ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し ♪♪、、、、風情あるね! できれば、これから恋に生きたい、じじいです。

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・・・・・・・・・・・・人影少ない河川敷を歩く

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・・・・・・・・・・・・北総線江戸川橋梁の下を抜け、葛飾区から江戸川区へ入る、、、、北総線江戸川橋梁は、平成3年(1991)に完成した、橋長398.5mの合成桁10連ゲルバー鋼桁3連の鉄道橋。 スマートな姿の橋だ!

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・・・・・・・・・・・・江戸川区に入り、江戸川土手のすぐ脇(江戸川区北小岩8-29)に、瓦葺の地蔵堂がある。 中には、中央に地蔵菩薩、右に慈恩寺道の道標、左に馬頭観音がある。、、、、地蔵は比較的新しいものであった。 慈恩寺道の道標は、正徳3年(1713)に建立されたもので、慈恩寺(埼玉県岩槻)への道標として建てられた。 馬頭観音には弘化(1845~1848)の年号が刻まれている。


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● しっとり濡れて京成小岩駅に到着。、、、、京成小岩駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 開業は、昭和7年(1932)5月15日。、、、、JR小岩駅とは600m程離れており、乗換はしない方が良い。 どうしても、JR総武線に乗り換えたければ、成田方面へ6つ目の京成八幡駅で、JR本八幡駅に乗り換える方が楽である。

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2020年8月26日 (水)

高砂や~~から亀まで

炎天下、汗を噴き拭き、京成本線京成高砂駅から常磐線亀有駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 今朝は、浅草橋駅で印旛日本医大行きの電車に乗り、『どこで降りようか?』車中悩み迷った結果、訳もなく京成高砂駅で下車した。、、、京成高砂駅は大正元年(1912)11月3日に「曲金駅(まがりかねえき)」として開業。 大正2年(1913)曲金駅を高砂駅に改称。 昭和6年(1931)11月18日高砂駅を京成高砂駅に改称。、、、、地上の島式ホーム2面4線と高架の単式ホーム1面1線(金町線用)を持つ駅で、橋上駅舎を有している。

・・・・・・・・・・・・赤い京浜急行の車両で京成高砂駅に到着。

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・・・・・・・・・・・・上り線ホームは、マスクを着用した通勤客で混雑!

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・・・・・・・・・・・・今年の夏は、夏休みも短縮され、すでに通学する生徒が多い。

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・・・・・・・・・・・・改札は金町線が到着するたびに、乗換客で混雑する。

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・・・・・・・・・・・・乗車券を購入するのは中高年? 

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・・・・・・・・・・・・この暑さ、改札口へ階段のぼるのも一苦労、エレベーターで楽したい!

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・・・・・・・・・・・・駅前の“あかずの踏切”は、お言葉どおり開かず、イライラが募る!、、、、私は踏切を渡らず、北へ歩くことにした。

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● 駅の北、葛飾区高砂7丁目に、関東大震災で被災した二つの寺院が、ともに昭和2年(1927)に移転してきた。 隣同士、宗派はちがうが仲良しか?

・・・・・・・・・・・・その一寺、曹洞宗寺院の理昌院は、千珪山と号し、慶安元年(1648)に品川天龍寺3代目の斧山鈯和尚が開山となり創建した。 本尊は釈迦牟尼如来座像。

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・・・・・・・・・・・・隣の一寺、真宗大谷派寺院の聞明寺は、神力山と号す。 天正15年(1587)歓喜坊栄源が下総国岡田郡横曽根村(茨城県水海道市)に創建、慶長7年(1602)江戸桜田本郷の報恩寺内に移転、寛永7年(1630)東本願寺(旧通称東京本願寺)内に移転した。 本尊は阿弥陀如来立像。 本堂は数年前に改修された。

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● 駅からさらに北へ、聞明寺の北に、都立葛飾商業高等学校がある。 学校は昭和37年(1962)の創立。 出身者の一人に、女子プロレスラーのマッハ文朱がいる。 また、映画「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎は本校中退という設定(第35作にて)である。

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● 学校の話をもう一つ。 葛飾商業高校のさらに北、水戸街道に出る手前(葛飾区新宿3)に葛飾区立新宿中学校がある。 昭和22年(1947)に葛飾区立第四中学校と称して創立した。 昭和25年(1950)第四中学校を新宿中学校と校名変更。、、、、ここの校歌「若き血に燃えて」は、ナント!、西條八十作詞、古関裕而作曲である。 ちなみに校歌の一番は、♪♪若き血に燃えて仰ぐ 葛飾の朝日 集まる我等 緑の風に よく学び よく鍛う その姿 映す中川 楽し我等 あゝ新宿の中学生 我等♪♪、、、、【注】 葛飾区の地名・校名の“新宿”は“にいじゅく”と読む。 “しんじゅく”と読むのは「ゴールデン街」のある処。

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● 亀有警察署前で国道6号(水戸街道)を横断し、JR金町支線(親金貨物線)の柴又踏切を越えると、旧水戸街道の三角地(新宿4-9)に石仏群「地蔵菩薩石仏等十三体・八大龍神石碑」がある。 享保、宝永といった江戸でも古い年号が彫られてる。 旧水戸街道の拡幅の際、ここに集められたそうだ。 ズラリ並んだ10数基の石仏は、この地の歴史を語っている。

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● 葛飾区の中央を北から南に流れる中川。 そこに、葛飾区新宿(東側)と亀有(西側)を結ぶ中川橋が架かっている。、、、、現橋は三代目で、初代は明治17年(1884)に明治天皇の行幸に合わせて橋が架けられた。 二代目は、昭和8年(1933)に架設された。 しかし近年、橋の老朽化、交通量増大に対応するため、平成20年(2008)に現:三代目の中川橋(橋長120.6m)が、事業費28億円で完成した。

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● 中川橋を渡れば亀有駅は近い。、、、、亀有駅は、明治30年(1897)5月17日に日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)11月1日に国有鉄道の駅となる。 昭和46年(1971)4月20日以降は、地下鉄千代田線と常磐線の直通運転が始まり、亀有駅には千代田線直通の各駅停車のみが停まる駅となった。、、、、ホームは高架島式1面2線構造。 改札口は1ヶ所のみで地上1階にあり、出口は北口と南口の2ヶ所。、、、、亀有から浅草橋までJRで帰ろうとすると、北千住で常磐線快速などに乗り換え、上野で山手線に乗り換え、秋葉原で総武線に乗り換えて浅草橋まで、乗り換えが多く私の性格には合わない! そこで今日は、亀有駅前から新小岩行きのバス(敬老パスで年間乗り放題)に乗り、新小岩からJRで浅草橋まで帰った。 嬉しいことに、安くて、早かった!

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2020年8月 5日 (水)

死の散歩?

東京の最高気温35℃の予報がでた! 今日の散歩は、“三密”を避け、人混みがなさそうな都営新宿線一之江駅から新小岩駅まで歩くことにした。 1万3千歩の散歩。




● 都心から本八幡行きに乗り、終点本八幡の3駅手前「一之江駅」で下車する。 空いてる電車から、降りる人は少ない。 ホームでは都心に向かう通勤客がスマホ片手に電車待ち。 在宅勤務が多いのか、改札を通る人も少ないようだ! 地上に出ると、まだいくらも歩かないのに、もう汗が出ている。 『今日は暑そうだ、散歩に出てきたのは失敗だったかも?』と、熱中症への不安がよぎる。

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● 駅からは、とりあえず北に向かって歩く。 今井街道を横切り、一之江4丁目の裏道を北へ目指す。 

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・・・・・・・・・・・・数軒の住宅で玄関に「笑門」(しょうもん)の注連飾りが見えた。、、、、「笑門」は、しめ縄飾りにつける魔除けの木札のこと。 三重県伊勢地方では通年で飾っておくのが一般的である。 風習の起源は素戔嗚尊(スサノオノミコト)が伊勢に訪れた時、蘇民将来(そんみしょうらい)の家に泊めてもらい、宿を貸りたお礼に「注連飾りを年中掛けておけば、後世疫病から免れることが出来る」と言い残して立ち去ったことによるものらしい。、、、、私も伊勢・近江に行ったとき、多くの家で飾ってあるのを見たが、最近、その風習が東京でも見られるようになったみたいだ。

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● 一之江5丁目に、真言宗豊山派の医王山不動院妙音寺がある。 建久元年(1190)の開山といわれ、江戸川区内でも有数の古刹。 本尊は桃山時代に作られた木造十一面観音立像。 
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・・・・・・・・・・・・境内、右手に薬師堂があり、薬師如来がまつられている。、、、、この寺にのこる片目の鮒の伝説:『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。すると満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、池に八つ目鰻を放つと、七つ目鰻になるのか、新種誕生だ!

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● 首都高7号小松川線を横切り、西一之江2丁目に入る。 シャツは汗で濡れ身体はサウナ風呂。 そろそろ熱中症が心配になり、自販機でコーラを買い水分補給。 日陰を探しながら歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・京葉道路に出たが、太陽は頭上真上にあるようだ。 日影が無い! 冬の八甲田ならぬ夏の江戸川区、死の行軍ならぬ死の散歩である。 『まだ死にたくない、ああ、“氷あずき”を食べたい!』

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・・・・・・・・・・・・・・人影のない公園があった! 広い公園だ「大杉一丁目公園」、、、、公園正面に女神像? 『捨てる神あれば拾う神あり』 公園の手洗いで水を頭からかぶる、どうせ服は汗でビショビショ、歩いていれば乾くだろう!、、、、チョイト、休憩して“死の散歩”は続く!

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● 北へ向かい歩くと大杉天祖神社(大杉1)がある。、、、、大杉天祖神社の創建年代は不詳だが、もと神明社と称し、葛西御厨の一つだった。 旧西一之江村の鎮守で、将軍家康鷹狩の際は参詣の後、境内の東方にあった腰掛山という小高い所で、休憩したそうだ。、、、、私も、境内のベンチに座り幼稚園の先生らしき女性を横目で見つめながら休憩。

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● 再び新小岩駅を目指し歩きはじめる。 首に巻いた濡れ手拭が乾きはじめた、『頑張ろう!』自分に言い聞かせる。、、、、新小岩駅行きのバス停があった。 『バスで新小岩駅に行くか?』と、時刻表を見ると1時間に1本、次は30分後。 この炎天下で30分待ちは辛い、ヤッパリ歩くぞ!、、、、東小松川香取神社前(中央4)にでる、チョイト手を合わせて、駅までももう一頑張り。

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・・・・・・・・・・・・・・やっと、新小岩駅前の「新小岩ルミエール商店街」(葛飾区新小岩)に到着。 アーケイドが日射しを遮り、商店の冷房が冷えた空気を送ってくれる、『幸せだな~~?』と一言。、、、、気持ちに余裕が出てきた。 薬局があったので、コロナに効く“うがい薬”「イソジン」があるか聞いてみると、ヤッパリ売り切れで在庫なし!

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● “死の散歩”は終わり、無事、新小岩駅へ到着。、、、、そろそろ自分の歳も考え、無理のない散歩に心掛けよう!

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2020年8月 1日 (土)

京成に沿って

一日当たりの東京の新型コロナ感染者数が500人に近づいた。 また、今日(8月1日)は梅雨開けで30℃超、熱中症も心配な季節となった。 外出時のマスク着用は必須、熱中症対策も必要、こうなると必然的に、散歩するのも躊躇する。 でも、今日は久しぶりの青空、『チョットぐらい散歩してもいいだろう!』と自問自答する。 “三密”を避けて、青砥駅で下車し、京成本線に沿って南側を歩き、堀切菖蒲園駅まで1万歩の散歩。


青砥駅の開業は昭和3年(1928)11月1日、日暮里~青砥間の開通時に分岐駅として、それまでの立石~高砂間に設置された。 昭和48年(1973)から昭和61年(1986)までは、立体交差化工事が行われ、二層構造の高架駅となった。 現在は特急「スカイライナー」も停車する下町のターミナル!、、、、二層構造の青砥駅は、2階と3階にそれぞれ島式1面2線のホームを持ち、2階が上り線(上野、押上方面行き)、3階が下り線(成田、千葉方面行き)となっている。

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・・・・・・・・・・・・高架下の駅入口の横に、高架の柱を利用したベンチ形式のモニュメントがある。 その名は「ワルツの塔」。 立ってバイオリンを弾く人の像を中央に据え、柱の上部には複数の天使がラッパを吹いている。 チョイト、下町の駅には似つかわしくないモニュメントである。、、、、この像のモデルである、バイオリンの奏者は「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス2世だそうだ。 このヨハン・シュトラウス2世の像は、彼の出身地であるオーストリア・ウィーンの市立公園にオリジナルがあり、そちらは黄金の像となっているそうだ。 この像は、東京都葛飾区とオーストリア・ウィーンのフロリズドルフ区と友好都市提携を結んだ記念として製作されたようだ。

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・・・・・・・・・・・・脇の道路から見上げると、巨大な立体駐車場のようにも見える青砥駅。 駅の端から上野方を見ると、多少カーブしながら京成本線の高架橋が伸びていく。 また、同じように本線の南側では、京成押上線の高架橋が押上方に直線的に伸びている。 この押上線の先では、只今、青砥~四ツ木間の高架化工事が進められている。

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● 葛飾区文化会館(かつしかシンフォニーヒルズ)と呼ばれる音楽ホールの前をとおる道は「シンフォニー通り」と名付けられている。 そのシンフォニー通りの植え込みに童謡「通りゃんせ」の歌詞が標された石碑があった。、、、、この歌とこの場所、何の関係が? 調べてみたが謎である。 「通りゃんせ」の舞台は埼玉県川越市、作詞者は不明、作曲者は本居長世または野口雨情ともに葛飾区とは取り立てて縁はなさそうだが??? 謎の碑だ!

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● 京成本線沿いに南側の町「葛飾区立石六丁目」を歩く。 特別変わったものがあるわけでもない、ゴク普通の下町である。 

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● 白鳥一丁目交差点で国道6号(水戸街道)を越える。 南側の正面にスカイツリーが見える。 北側、京成の架道橋にスカイライナーが通過。、、、、スカイライナーのデザインは、先日(7/21)亡くなったファッションデザイナーの山本寛斎氏によるものだ。 同氏は京成職員の制服、ヘッドマークなども手掛けた。 私が勤めていた某ゼネコンの制服も寛斎氏が手掛けた。 スカイライナーを見て『寛斎さん ありがとう

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● 国道を渡り白鳥1丁目の町を抜けるとお花茶屋駅に出る。 お花茶屋駅は、昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、駅周辺のスナック、クラブには“お花ちゃん”がいるかも?

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● 今年はコロナの影響で、今日(8/1)から夏休みの小・中学校が多いそうだ。 京成の踏切には、休みに入り早速、活躍しだした撮り鉄がカメラを構えていた。、、、、『小学生のくせに、私のカメラより高そうなものを持って、コノヤロー!』と言いたい気持ちを抑えて・抑えて、ニッコリ笑って『夢中になって怪我するなよ!』と優しい一言。、、、、数年前、踏切で撮影に夢中となり、不幸にも脱臼して救急搬送された人を知ってるからね!

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● お花茶屋から地上を走っていた電車は、手前で盛土を上り高架駅の堀切菖蒲園駅に着く。、、、、堀切菖蒲園駅は昭和6年(1931)12月19日の開業。 駅は相対式ホーム2面2線の構造。 改札口・出口は1ヶ所のみで地上1階にある。、、、、一日当たりの平均乗降客数は2万3千人弱と少ない。

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2020年7月12日 (日)

お礼参り

白内障手術のその後は、医者から『順調に回復しており、特に問題なし』 裸眼の視力は0.1から1.2となり、世の中明るく鮮明に視える。 ただし、チョッピリ乱視があり像は二重となる。 あまりにも良く視えるので、『眼鏡無し』で運転免許を取得したくなるね!(返納しなきゃよかった)、、、、我が家での日常生活ではメガネが無くても生活できそうだが、外で遠くを見るとわずかに像がダブり、読書などで手元を見るとチョイト焦点が合わず、やっぱりメガネは必要だ!(只今は、仮のメガネを作り使用中。 まともなメガネは、視力が落ち着く2か月後に新調する)

今日は、柴又帝釈天へお礼参りし、金町浄水場の東側:江戸川に出て、金町駅まで、9千歩の散歩。


●まずは帝釈天へ ・・・・・・・高砂駅で金町線に乗り換えて柴又駅で下車。 着いたのは朝8時、降りる人も少ない。、、、、寅さんも、さくらに見送られ、これから出稼ぎに行くのか!

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・・・・・・・・・・・・参道の店は、まだ開いてない。 歩くのは、地元の人だけ!、、、、咳止め飴を売っている店先で、咳をしながら開店準備するおばさんが印象的だった!

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・・・・・・・・・・・・帝釈天(題経寺)の境内は静かである。、、、、本堂にあがり、財布を膨らませていた小銭を集め、大きな賽銭箱に投入すると、バラバラと軽い1円硬貨が大きな音を響かせる。 アリャ、賽銭が少ないのバレたかな? 気の弱い私は、追加で100円硬貨を投入すると、ポトンと重そうな音がした。 これで安心して、南無妙法蓮華経。

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●千年を超す古刹! ・・・・・・・・帝釈天に参拝した後、参道の北側裏に位置する、真勝院に寄ってみた。、、、、真言宗豊山派の真勝院は、石照山真光寺と号し、大同元年(806)の創建と伝えられている。 1200年程前の創建はまさに古刹である。 帝釈天は江戸初期の寛永6年(1629)の創建で、比較にならない! しかし残念なことに、堂宇は度々の火災で炎上し、現在の本堂は昭和47年(1972)に建てられたものである。、、、、寺には柴又七福神の一つ「弁財天」が居るのだが、今日はチョイトお隠れになっているようで、拝むことはできなかった。


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・・・・・・・・・・・・本堂の手前に、五智如来石像がある。、、、、薬師如来・宝生如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就如来の5仏の石像だ。 状態もよく江戸時代前期の石像彫刻として区の文化財に指定されている。 傍らに万治3年(1660)柴又村齋藤次郎左衛門ほか数名の名前と建立由来を記した石碑がある。

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●土手を歩く! ・・・・・・・・江戸川土手に上がると、対岸は千葉県松戸市。、、、、広い河川敷のグランドでは野球がはじまっていた。 コロナに注意して、楽しんでね!

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・・・・・・・・・・・・土手の内側は都民に江戸川の水を供給する金町浄水場。 地図で見ると広い敷地の浄水場だが、土手からは牛乳工場のような建物が見える。(牛は見えない!)、、、、大正15年(1926)「江戸川上水町村組合」の施設として給水を開始し、昭和7年(1932)に東京市に引き継がれ、その後数回の拡張改良工事が行われてきた。 現在、ここで浄化された水は、隅田川以東の5区と北・荒川・豊島の区内全域、文京・台東・板橋の各区に供給されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・浄水場前の江戸川には、2基の可愛らしい取水塔が見える。 取水塔から金町浄水場内へ導水している。 三角形のトンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの第2取水塔は、昭和16年(1941)に完成。 隣にある丸い屋根の第3取水塔は昭和39年(1964)に完成した。

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●・・・・・・・・・・・・この後、京成金町駅から帰宅。

2020年6月 9日 (火)

菖蒲とどら焼き

そろそろ東京は梅雨入りの時期となった。 今朝の天気予報では晴天は今日まで、明日からは雨雲が空にかかるそうだ。 コロナ対応の気も緩み、今日は“不要不急の外出”を決行した。、、、、例年、今頃の時期になると、堀切菖蒲園と水元公園では「葛飾 菖蒲まつり」が開催される。 しかし今年は、コロナの影響でまつりは中止となった。 それでも、時期が来ればどの花も咲き、菖蒲もしかり! 菖蒲園・公園では、派手な“まつり”は自粛したが、訪れた人は入園できる、ただし菖蒲に接近し三密状態が生じないように立ち入り制限などで規制している。 今日は平日で訪れる人の少ないことを期待し、妻と、水元公園へ行ってきた。 広い公園の一部、菖蒲田の周辺だけ歩き、9千歩の散歩です。




●100種の菖蒲! ・・・・・・・JR、京成の金町駅からバスで10分程、「水元公園」に到着。 水元公園のあるこの地域はもともとは古利根川の河川敷であった。 徳川家光の江戸川改修事業により古利根川は廃止されたため、小合村(1889年水元村に合併、1932年に葛飾区に合併)が江戸幕府の許可を得て埋め立てて耕作地として、水を蓄えて小合溜と称して管理してきた。 昭和15年(1940)、紀元2600年事業のひとつとして水元緑地が計画された。 昭和17年(1942)までに168haが買収されたが、太平洋戦争により整備が中断。戦後は自作農創設特別措置法によって150haを耕作者に開放した。 その後、都は住民から土地を買い上げ、昭和40年(1965)に都立水元公園が開園した。 敷地面積:963,013.00㎡、樹木数:高木 約19,100本、主な施設は大芝生広場、水生植物園、花菖蒲園、野外ステージ、キャンプ広場、バーベキュー広場、冒険広場などを有する、都内最大の水郷公園。、、、、園内の花菖蒲園には、大小14の菖蒲田があり、100種、14,000株の菖蒲が植えられている。 菖蒲田の周囲にはアジサイも咲き、こちらも御見事!

・・・・・・・・・・・・広大な水郷公園、、、、のんびり釣りを楽しむ人が多いが、“密”ではないね。

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・・・・・・・・・・・・菖蒲田、、、、鑑賞に訪れる人は少ないようだ、こちらも“密”は回避。 菖蒲はビッシリ“密”に咲き、美しさを競い勝負だ!
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・・・・・・・・・・・・アジサイも、彩りを競い勝負だ!

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●どら焼きの寺! ・・・・・・・水元公園近くの一社一寺にお立ち寄り!

・・・・・・・・・・・・水元公園に隣接している香取神社(東水元2)。 かつて下小合村の鎮守で、祭神は経津主神。 境内末社は八幡・厳島・天満宮・稲荷・富士嶽の5社。 小合は古くは小鮎と記され、下総国香取神宮の処役地であった関係から当社も勧請されたのだろう。当社の神職鈴木氏の遠祖は猿俣関在住の卜部氏とともに、香取神宮貢税の所役を掌ったと伝えられる。江戸時代には神職鈴木家は京都吉田家の配下であり、文政2年(1819)には、吉田家から恒例の神式に風折烏帽子と狩衣の着用が許された。 社殿はしばしば洪水のために大破したが、文政11年には神職鈴木大和安治が社殿等を造営し、昭和3年に修築が加えられた。、、、、拝殿の正面に「香取社 海舟安房拝書」の額を掲げる。 家の中に飾りたくなる額だ!

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・・・・・・・・・・・・こちらも、水元公園に近い、天台宗の寺院、業平山東泉寺と号す「南蔵院」、、、、南蔵院は、権僧都林能法師(貞和4年1348年寂)が在原業平が居住していたといわれる地(本所小梅町付近:現業平橋周辺)に創建した。 元禄11年(1698)中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3)へ移転、しばられ地蔵で著名となる。 関東大震災で罹災し、廃寺となっていた聖徳寺の地(当地)へ移転した。

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・・・・・・・・・・・・南蔵院の「しばられ地蔵」とは?、、、、享保年間(1716~36)夏、日本橋の呉服間屋の手代が大八車に反物を山と積んで、業平橋(現:墨田区)近くの南蔵院の門前で一休みした。 目がさめると、門前に置いた反物は車ごとない。 あわてた手代はさっそく訴え出ると、取調べに当たったのが町奉行の大岡越前で、「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。縄打って引っ立てて参れ」と命じた。地蔵さんは荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて奉行所へ。物見高いは江戸っ子の常、前代未聞のお地蔵様の引き立てに、ぞろぞろついて行く。奉行所の門は開いている。やがて、ころを見て越前守は門をしめさせ、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」野次馬たちは驚いたが、なんとか工面して反物を持ってくる。それを呉服屋に見させた。その中から盗まれた反物が発見され、大盗賊団がことごとく捕まる。 『これにて、一件落着!』 、、、、以来「しばられ地蔵」と呼ばれ、盗難除け、足止め、厄除け、さては縁結びまで、あらゆる願い事を聞いてくれる地蔵尊となった。 願い事をお願いする時は縛り、願い叶えば縄解きをする風習となっている。、、、、今日は妻が100円で荒縄を買い、地蔵を縛って、私の病気(来月、白内障の手術)平癒を願ってくれた。 サンキュー!、、、、身動きできぬほどの縄で縛られ、地蔵さんも忙しそうだ! テレワーク、在宅勤務で願い事を解決できるように、地蔵さんも働き方改革をしたらいい!

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・・・・・・・・・・・・南蔵院に来たので、金町駅前の和菓子店「ゑびす」にて、しばられ地蔵にあやかった「満願どら焼き」を買って帰る。 見た目は普通のどら焼きだが、満願どら焼きの魅力は、ふわっと軽い皮で、あくまで軽く優しい食感。 そして餡は、北海道産の小豆による優しい餡。 皮と餡、絶妙なハーモニー。 自分で買って、食べてみて!

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