板橋区

2022年6月 9日 (木)

霧雨の安養院

朝の天気予報で『日中は雨もあがり曇り空』 予報を信じて散歩に出る。 東上線の中板橋駅から、途中板橋区東新町の安養院によって、東京メトロ氷川台駅まで、1万1千歩、4㎞の散歩です。 予報はチョイト、ハズレて、時折霧雨が降る『雨中行軍』



東武東上線「中板橋駅、乗客の姿もまばらな鈍行電車から下りホームに降り立つ。 向かいの上りホームには、跨線橋から多くの乗客が降りて来る。 当駅からは『終点:池袋まで座れません!』

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● 駅前のお散歩案内図を見て「案養院」へ行ってみたくなり、しっとり濡れた駅前の中板橋南口商店街を西へ向かい歩く。、、、、石神井川に架かる「下頭橋(げとうばし)」にでる。、、、、“下頭(げとう)橋”とは珍しい橋名、チョイト由来を調べる。 橋名の由来は3つある。 その①:この橋の近くに六蔵という者がいた。 その六蔵は、この場所に村人の為に橋を架けることを願い、旧川越街道を通る人々に物乞いをして金を貯めたそうだ。 その頭を下げた物乞いの姿はから“物乞い=下頭”となる。 六蔵は志し半ばで他界してしまう。 六蔵死後、六蔵の世話をしていた人が、その遺志に気づき、足りない分は寄付で賄い橋を完成させたそうだ。  その②:旅の僧(弘法大師?)が持っていた榎の杖を突き立てて去ったところ、その杖が根付いて〝逆さ榎〟となった。 逆さ榎だから頭が下で“下頭榎”と呼んだという。  その⓷:川越藩主が出府の際、江戸詰めの家老らがこの橋畔で頭を下げて出迎えるという仕来たりがあり、その様から名付けられた。  有力な説は①で、橋は寛政10年(1798)それまでの丸太を2本架け渡しただけの橋が、六蔵が残した金を基にして半永久的な石橋に架け替えられたそうだ。 その後橋は、明治時代に木橋に、昭和2年(1927)には再び石橋に、昭和54年(1979)に現在の鋼橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・下頭橋のたもとに、六蔵の遺徳を讃えて建てられた「下頭橋六蔵尊」が祀られている。、、、、地元の人々に愛され、丁寧に祀られている六蔵尊

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● 下頭橋から旧川越街道を歩き、環七通りの「板橋中央陸橋交差点」に出ると、交差点角から石段を登り、小高い処に「長命寺」(板橋区東山町)の本堂がある。、、、、長命寺は真言宗豊山派の寺で、東光山医王院と号す。 江戸時代前期の創建と言われ、江戸時代には東新町の氷川神社の別当寺だった。、、、、当寺周辺は、室町時代「お東山」にあったといわれる「板橋城跡」の伝承地の一つである。 本堂前から交差点を見下ろすロケーションは、“城跡”というのも納得できるね! かっては、川越街道・環七通りまで境内は広がっていたそうだ、道路に敷地を取られ小さくなった哀れな寺!

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● 長命寺の裏側(西側500m程)に、かつて長命寺が別当であった「板橋東新町氷川神社」(板橋区東新町)がある。、、、、武蔵一宮氷川神社より勧請した祭神:速須佐之男命を祀る旧村社。 創建は明らかでないが、文政6年(1823)の文書に神社は記載されている。、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿は破損し、昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造の覆殿・内拝殿・幣殿を造営した。 境内は広く“杜”を成し、 整備も行き届き、綺麗で清々しい神社。、、、、チョイト、雨が降ってきたが、傘はいらない程度。

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● 板橋東新町氷川神社鳥居前の道を西へ歩くと、真言宗豊山派寺院の「
武王山最明寺安養院」の門前に出る。、、、、鎌倉中期正嘉元年(1257)に、最明寺北条時頼が諸国行脚のみぎり、持仏「摩利支天」を此地に安置し一宇を建立して創建したと言われてる。 延宝年中火災により諸堂宇灰燼に帰したのを、元禄元年(1688)に再興し、阿弥陀三尊を本尊として、本堂・庫裡・大師堂・鐘楼・山門等を造立して寺院の形態を整え、安養院と称した。、、、、池袋から4㎞程の地にこんなステキな寺があるとは驚き! 今日は、霧雨がチョイト邪魔だ!

・・・・・・・・・・・・山門、、、、昭和59年(1984)新築、総檜造り四脚門。 参道両側にはしっとり濡れたアジサイが梅雨の季節を演出!

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・・・・・・・・・・・・本堂、、、、昭和59年(1984)新築、入母屋
総檜造り、本尊は阿弥陀如来。、、、、本堂前には6本のケヤキが天を指す!

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・・・・・・・・・・・・書院・客殿、、、、明治34年(1901)麹町松平元則候の屋敷として新築。 昭和9年(1934)安養院書院として移築。 玄関は唐破風車寄せで、今日は車が寄せられ邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・起伏にとんだ緑多い約5000坪境内には、他に護摩堂多宝塔鐘楼・庫裏・墓地などが配されてる。 境内のいたるところ多くは苔で覆われ、雨に濡れた苔が鮮やかな緑を放って、山の中にいるような寺だ!

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● 安養院前の区立いこいの家に残る、「上板橋村役場跡」、、、、昭和2年(1927)から5年間この地に役場が置かれていた。 当時の石の門柱が残されている。 この門柱、平成14年(2002)に板橋区の文化財に指定されたそうだ。 “たかが門柱、されど門柱” しかし、わざわざ、見に行くには及ばず!

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● 安養院から
台橋にて再び石神井川を渡り練馬区に入る、羽根木で三度石神井川を越える。 この辺り、石神井川が蛇行している。、、、、練馬区に入ったら、雨も上がったようだ!

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● 東京メトロ有楽町線と副都心線が乗り入れる「
氷川台駅(ひかわだいえき)」に到着。 当駅を含む和光市駅~小竹向原駅の区間は、有楽町線と副都心線が線路を共有している。 練馬区内にナント『元町・中華街行き』の電車が走っているのだ、横浜中華街直行できるなんて便利で羨ましいね! 

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2022年6月 4日 (土)

身上を築く坂

京浜東北線赤羽駅から西へ向かい、都営三田線本蓮沼駅前の中山道に出た。 中山道を横断し、南へ向かい東武東上線の中板橋駅まで散歩。 1万3千歩、6㎞



● 通学する学生の姿が目立つ土曜日の赤羽駅で降りたつ。 西口のロータリーに出て『さて! どちらに向かって歩こうか?』

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・・・・・・・・・・・・駅前の都道460号(=岩槻街道)南に歩いてみる。(北に向かって歩くと、先日歩いてきた新荒川大橋を渡り川口市に戻ってしまう)、、、、駅前から500m程歩くと、細い通り(普門院参道)の奥に普門院の鐘楼門が見える。 今日は素通り!

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● 普門院参道の先に赤羽西交番(北区赤羽西2)がある。 交番前の舟型庚申塔が目に入る『あれは?』 庚申塔の後ろに、「真正寺坂」の案内があり、この庚申塔の説明も書かれてた。『真正寺坂 しんしょうじざか  岩槻海道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側(赤羽西2-14-6付近)に普門院末の真正寺がありましたが、廃寺となり坂名だけが残りました。坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月造立の庚申塔に「これより いたはしみち」と刻まれていて、日光御成道(岩槻海道)と中山道を結ぶ道筋にあたっていたことがわかります。かつて、稲付の人びとは縁起をかついで「しんしょう昇る」といってのぼったそうです。 平成五年三月 北区教育委員会 』、、、、稲付の人ではないが、私:浅草橋の人も「身上昇る」にあやかりたく、坂を上ることにした。

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・・・・・・・・・・・・真正寺坂は岩槻街道(交番前)から西に向かって上り、約270mの緩やか勾配だが、ジグザグに曲がり昔の山道の名残か?、、、、行き交う車は少なく、歩きやすかった! 坂の上まで歩いたので、身上を築けるね!

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● 真正寺坂を上ると「三岩通り」に繋がり「西が丘サッカー場交差点」を直進し、「蓮沼アスリート通り」と称して都営三田線「本蓮沼駅」前で中山道に出る。


・・・・・・・・・・・・「三岩通り」は、“さんいわどうり”と読み、名前の由来は沿道にかつて「第三岩淵小学校(現:西が丘小学校)」があったため。、、、、もうすこし、歴史、由緒ある名前かと思ったが??? 期待はずれ!

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・・・・・・・・・・・・三岩通りから北側の脇道を見ると、坂が下り、その先の台地にUR都市機構の赤羽台の集合住宅が見える。

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・・・・・・・・・・・・西が丘サッカー場交差点を過ぎると、「蓮沼アスリート通り」と道路の愛称は変わるが、“アスリート”らしさを感じることもない。

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・・・・・・・・・・・・蓮沼アスリート通り中山道(=国道17号)にぶつっかる。 ここは、三田線の「本蓮沼駅前。

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● 本蓮沼駅から北へ200m程歩くと、真言宗智山派の寺院「寳勝山南蔵院(板橋区蓮沼町)がある、、、、大きな寺だが、古い堂宇は残っていない。 チョイトお立ち寄り。 『身上を築けるよう、賽銭を奮発して、くれぐれもよろしく』 合掌3回!

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● 南蔵院前で中山道を横断し、板橋区大原町、板橋区泉町を、裏道を選んで歩きぬける。

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・・・・・・・・・・・・板橋区前野町1丁目の交差点角の工事現場に、車止めのような角柱の石がある。 よく見ると何やら文字が彫ってある。、、、、さらによく見ると、正面に「奉待大青面金剛」、右側面には「〇里ま道 寛政三年〇〇」と読めた。 『オゥ! こりゃ、庚申塔で道標だ!』 後に調べてみると、「角柱型庚申塔」と称し、「奉待大青面金剛 講中諸願成就所」、「清水講中 女拾四人 右 大日道 世話人 山上□□」、「左 祢里ま道(ねりま道) 寛政三年十一月」と彫ってあるようだ。、、、、寛政3年は1791年、230年前の庚申塔! 工事現場では可哀そう、道の脇にでも移設し、大切にしたらどうだ!

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● 中板橋駅の北側、「向屋敷橋(むかいやしきばし)
」で石神井川を越える。

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東武東上線「
中板橋駅に到着。 ローカル色が残る、懐かしさを感じる駅。、、、、駅前の中板橋商店街も活気があり、いいね!

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2021年7月28日 (水)

崖っぷちの家

オリンピックは5日目、金メダル獲得数は13個(7/28,23:00現在)で国別トップ。 東京の今日の新型コロナ感染者数は、3,177人で過去最多。 連日、ヤッター・ヤラレター、ハラハラ・ドキドキ、喜んだり・怯えたり、気持ちは昂ったり落ち込んだり、忙しい毎日。 外出も自粛すべきか、多少は良いか! オリンピックとコロナで、家にいても何だか落ち着かぬこの頃。、、、、今日も、熱中症を避け、早朝の散歩です。

都営三田線板橋区役所前駅から、北に向かってJR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 駅名のとおり「板橋区役所前駅」は区役所前の中山道(国道17号)の地下にホームがある。 西高島平方面行のホームは、区の職員と思われる人が数名、電車から降りる。 乗る人も数名。

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・・・・・・・・・・・・【おまけの話】「板橋」の付く駅が多い。 全てが板橋区内に位置するわけではないが。 JR埼京線「板橋駅」、東武東上線には「下板橋駅」「中板橋駅」「上板橋駅」、都営三田線には「新板橋駅」「板橋区役所前駅」「板橋本町駅」、以上全7駅。 いずれ、“板橋7駅巡り”なんて出来るかも?、、、、東京メトロには“板橋”の付く駅がないね!




● 旧中山道「仲宿商店街」にチョビット立ち寄る。、、、、仲宿商店街は旧中仙道の最初の宿場町「板橋宿」の延長上にあり、南北に伸びている。 町の名も「仲宿」で、町の北端で石神井川に接する。 仲宿の町は、北で石神井川を隔てて本町および稲荷台、東で加賀、南で板橋、西で氷川町と隣接する。 西辺を中山道(国道17号)が南北に通じ、南端に東京都道317号環状六号線(山手通り)の終点がある。 仲宿商店街は旧街道沿いに150店程の店舗で構成される元気な商店街。

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・・・・・・・・・・・・商店街の南端に近く、レンガ造りの「板五米店」がある。、、、、店名の「板五」とは板橋町五丁目の略で、昭和30年代まで現存した旧町名です。 現在は板橋区仲宿が行政上の町名。 板五米店の建物は令和2年(2020)に板橋区有形文化財となる。

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・・・・・・・・・・・・板五米店の北側に、真言宗の小寺「遍照寺」がある。、、、、かつてこの地には、現在の遍照寺とは別に天台宗の遍照寺があったが、廃仏毀釈によるものか明治4年廃寺となった。 明治14年成田不動尊の分身を祀り旭不動堂と名を変えて成田新栄講の精神道場となり、同22年(1889)真言宗智山派の寺院として復活、山号を成田山と変えたが、寺号は昔のまま遍照寺を称えた。 本堂は残り、鄙びた姿のまま昭和30年ごろまでひっそりと町裏に息を潜めていたが、改築された。、、、、参道には寛政10年(1798)造立の馬頭観世音がる。 宿場時代には、境内に接して繋馬場が置かれ、継立馬50頭が幕府御用のために常に待機していた。 馬は百姓の負担だったから、この馬たちの安全無事を祈って馬頭観世音は建てられた。

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・・・・・・・・・・・・仲宿商店街からはずれ、裏道へ入っていく。 住宅の奥に銭湯もある。 ちなみに、現在の大人の入浴料は460円也。

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● 石神井川に架かる「御成橋」(昭和45年完成)を渡る。 橋の東側には「帝京大医学部付属病院」がある。 地上19階建て、約1,100床の総合病院。 儲かっていそうな病院だ!

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・・・・・・・・・・・・帝京大附属病院の北側、板橋区稲荷台の町の裏道を歩いてみる。、、、、生活感ある裏道を歩くと、なんとなく気も落ち着く!

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・・・・・・・・・・・・板橋区稲荷台から、隣の北区上十条の町を抜け、環七通りを越える




● 環七通りを越え、埼京線の西側を歩くと、北区立「清水坂公園」がある。 清水坂公園は、北区を南北に走る武蔵野台地の崖地を利用した立体的で変化に富んだ公園。 敷地は20,000平方メートル以上あり、芝生広場は約4,500平方メートルの広さを有し、家族連れでにぎわいそうな公園だ(今は、コロナと熱中症で遊ぶ子はいない)、、、、清水坂公園は、かつて、国鉄の官舎があった場所で、十条仲原4丁目の高台から長い階段を降りた低地に木造の長屋型の家が沢山並んでいたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・清水坂公園の西側を歩くと、十条仲原4丁目の細い道を入ると、その奥に見晴らしの良さそうな住宅が数件並んでいる。、、、、そのうちの一軒は住所表示板の上に黄色の枠で囲われて表札が出ている。 母屋は道路から階段を下った崖の途中にあり、さらにその下に民家の屋根が見える。

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・・・・・・・・・・・・①こちらは、同じ十条仲原4丁目の裏道。 『高台から見る景色が良さそうだ』と奥へ進む。

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②奥にはがけ下へ降りる階段があった

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③階段の途中には民家があり、玄関先へ続く上り階段があった。 写真右方向にさらに下る階段が続く。 いずれにしても、上り下りが大変そうな住宅だ!

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④さらに下へ会談は続き、下から見上げた写真がコレ! 

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● 十条仲原の高台から下り、赤羽西の妙覚山普門院蓮華寺に寄る。 「普門院」は真言宗智山派の寺。、、、、赤羽駅に向かう途中、脇道の正面奥に中国風の鐘楼門(昭和17年から18年頃完成)が見える。 門をくぐると、インドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年完成)が見える。 共謀墓地の右奥に中国風の本堂がある。 異国情緒漂う不思議な空気の寺だ!、、、、普門院の創建年代等は不詳ながら、徳治2年(1307)年の開基とも伝えられている。

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● JR京浜東北線赤羽駅西口に到着。 通勤通学の時間帯からズレルと、ホームも人影は少ない!

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2021年7月22日 (木)

給水塔のある町

今日は、細心の熱中症対策を講じて、『安心・安全・安直な散歩』 

東京メトロ有楽町線「千川駅」から、板橋区大谷口を抜け、東武東上線「大山駅」をとおり、都営三田線の「板橋区役所前駅」まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋からJRで飯田橋へ、有楽町線に乗り換えて「千川駅」へ約30分で到着。 今日は4連休の初日なのだが、頭の中は『今日は何の日?』 今日が『海の日』だって、知らなかった! だから、電車がすいていた。、、、、地上に出ると『今日も暑そうだ!』 早速、熱中症対策で、スポーツドリンクの購入、体温調節で頭と首を濡らす、ついでにボケ防止で妻の誕生日を思い出す(忘れていたら殺される!)

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● 千川駅は豊島区だが、駅出口から300m程北に歩くと「板橋区大谷口」の町だ。 「大谷口(おおやぐち)」とは珍しい地名、石神井川の地形に由来するらしいが、命名の経緯はさっぱり判らん!、、、、町の中央を南北に都道420号線が通る、静かな普通の町。、、、、私は2丁目の裏道を歩いてみた。 

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・・・・・・・・・・・・屋根の向こうに「大谷口の給水所」が見える! そうだ、チョイト見に行こう!

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・・・・・・・・・・・・給水塔の方に向かうと、道を挟んで台座が庚申塔になっている地蔵尊庚申塔2基がある。 北側に西光寺という寺があり、西光寺参道というべきところにある。、、、、左右に庚申塔を配し、道路正面には西光寺の山門と本堂の屋根が見える。 なぜか懐かしい風景に思える。

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・・・・・・・・・・・・ここまできたら、「西光寺」に寄っていこう!、、、、観世音菩薩を本尊とする、真言宗豊山派の西光寺。 宝樹山盛徳院と称する。 古くからこの地にあった一観音堂に大野清右衛門が田畑を寄進し、堂宇を建設したことから始まるという。 開山は1640年代(江戸時代初期)と思われる。 明治3年(1870)、住職広沢賢隆は、境内に一棟を建てて寺子屋を開設し、同9年に上板橋学校が開設されるまで近所の子供に教育をおこなった。、、、、時間を止めたような佇まいの寺。 境内には爽やかな風が吹いている。

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● 西光寺の東側、都道420号線に面して「大谷口給水所」がある。、、、、板橋区大谷口1丁目には、大谷口給水塔が建てられていたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。 その給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に取り壊された「大谷口給水塔」は、東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。 地域のシンボル的な建物であった。(写真は当時の給水塔)

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● 都道は川越街道(国道254号)にぶつかる。 川越街道を横断すると、アーケードのある商店街「ハッピーロード大山」を歩き、東武東上線大山駅に出る。 元気な商店街だ!

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● ハッピーロード大山商店街の東端に「大山駅」がある。 昭和6年(1931)8月25日に開業。 相対式2面2線の地上駅。、、、、地元密着型の商店街と駅、下町の雰囲気漂い、ピッタシ相性が良さそうだ!

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● 大山駅から帰ろうかと思ったが時刻はまだ9時半、『もう少し歩こう!』と思う。 線路を越えて大山駅の東側に続く「遊座大山」商店街を抜け、山手通り(国道317号)に出る。、、、、こちらの商店街も元気そうだ!

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● 山手通りに面し板橋区役所があり、庁舎前は都営三田線の「板橋区役所前駅、、、、地下1階に相対式ホーム2面2線の小さな地下駅。 方面別に改札があり、方面を間違えて地下に潜ると、地下2階の連絡通路を利用することになり、年寄りには階段の上り下りが辛い駅だ!

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2021年3月22日 (月)

二寺の閻魔さま

緊急事態宣言が解除され、緩んだ気持ちがより緩み、『もうどうでもいいや!』の異常事態となった。 緩みっぱなしの気持ちで、今日は、中板橋に閻魔さまが居ると聞いたので、見に行くことにした。 東武東上線中板橋駅で下車し、専称院の閻魔さま、大山のおふく地蔵を見て、帰りは中山道仲宿の文殊院の閻魔さまにも挨拶し、都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 池袋駅から東武東上線で4駅目が「中板橋駅」である。 島式ホーム2面4線の地上駅には、「普通」しか停車しない。 「特急」、「急行」、「快速」、そして「準急」のいずれも、堂々と疾走し通過して行く。、、、、駅の由来は、付近に“中板橋村”があった訳じゃない。 昭和初期、この付近の子供は東上線の鉄橋を利用して石神井川に飛び込んで遊んでいた。 そこで、危険を感じた東武鉄道では、地元に鉄橋で遊ぶことは危ないので、他の遊び場を作るように申し入れ、地元では夏場の遊び場として「遊泉園」と云うプールをオープンさせた。 プールには遠方からも利用者が訪れるようになり、遊泉園では近くに駅の設置を申し入れ、昭和8年(1933)に新駅が開業することとなった。 この時、東武鉄道は駅名を何とするか地元に尋ね、地元では上板橋駅と下板橋駅の中間にあることから、単純に「中板橋」と回答した。 これが中板橋駅の生い立ちである! 判りやすい命名である!!

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● 中板橋駅から南へ300m程、今日の散歩の目的地:浄土宗寺院の「専称院(せんしょういん)」(板橋区仲町)がある。 専称院は、亀嶋山地蔵寺と号し、御本尊は阿弥陀如来。 寺はもと豊島の地(王子)に地蔵堂として創建された。 宝永年間(1704~1711)に祐天上人によって中興され現寺号に改称した。 昭和7年(1932)都市道路計画により王子の地を離れ、当地にあった乗蓮寺塔頭香林庵を合併して移転してきた。 香林庵は明治7年(1874)に区域で初めて公立の小学校が設置された場所である。 小さいながら厳かな雰囲気のお寺だ!

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・・・・・・・・・・・・専称院が豊島の地にあった頃、文化10年(1814)に境内に閻魔堂を合祀し、子育地蔵と共に世人に親しまれ信仰を集めた。 今は、本堂の右手前に閻魔堂を建て、渋みのある怖そうな閻魔大王が睨みをきかせている!

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・・・・・・・・・・・・豊島の地は、荒川沿いにあったため、寛政12年(1800)水害の溺死者の供養塔が建てられるなど、水難者の供養寺としても有名だったそうだ。

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● 東武東上線の中板橋駅と大山駅の間にある“板橋区仲町”周辺の小さな神社、石仏などをチョッピリ紹介・・・・・・
・・・・・・・・・・・・専称院の南100mに、倭建命を祀る「轡神社(くつわじんじゃ)」がある。 もと轡権現社と呼ばれていた。 名称の由来は、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれている。 江戸時代から「百日ぜき」に霊験がある神として広く信仰を集めていたそうだ。、、、、現在は、ツムラの漢方薬「麦門冬湯」などが効くらしい。 お試しあれ!

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・・・・・・・・・・・・轡神社から南東へ300m程、川越街道に出る手前(大山町)に、お地蔵さまを奉った祠「大山福地蔵尊」がある。、、、、今より150年前安政年間に鎌倉街道(日大交差点附近)では、いずれからかおふくさんという行者が来て街道筋の難病苦業を癒し大山宿の住民からは大変に慕われていた。 その後、大山に住み余生を衆生につくしたので、後に地元大山の人々からは、おふく地蔵としてまつられ現在に至っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・おふく地蔵の前の道「福地蔵尊通り」を北へ500m程歩き、「豊島病院通り」に入ると、東上線のガード(仲町)がある。 その東上線線路脇に庚申塔が祀られている。、、、、光背上部を欠いているが、読めるのは庚寅年十一月十四日だけで、造立年は確定できない。、、、、道路を挟んで向かいのお婆さんが、花・水を供え、掃き清めているらしい。

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● 中板橋駅と大山駅の中間を西に伸びる「豊島病院通り」を歩き、中山道に出る手前に「氷川神社」がある。 この氷川町の氷川神社は、現在、板橋宿の19の町を氏子区域とする。、、、、元久3年(1206)頃に、現在の所在地周辺を領有していた豊島氏の豊島左衛門尉経泰が、現在の埼玉県大宮市の氷川神社より、素盞男命、稲田姫命の分霊を奉じて社を建てたのが起源とされる。 石神井川畔の景勝の地ということで選ばれた。 豊島氏が没落した後も、地元民が板橋宿の鎮守として信仰してきた。 しかし、明治22年(1889)の火災で社は焼失し、起源を裏付ける史料も失われている。 火災の翌年に再建されたが、昭和20年(1945)の空襲で再び全焼した。 現在の社殿は、昭和33年(1958)9月に竣工した、鉄筋コンクリート、流造。、、、、中山道に沿って細長い参道の先に、石神井川を背にして社殿がある。 ナントナク寂れた感じをうける神社だ! コロナ禍で営業不振なのかも?

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● 氷川神社まで来たら、閻魔さまが居る、もう一寺に寄って行くことにした。 氷川神社から中山道を横断し旧中山道の商店街の近くに、真言宗豊山派の寺院「文殊院」がある。 文殊院は幡場山と号し、板橋宿本陣の飯田家の菩提寺として江戸時代初期に創建された。 開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝えられている。

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・・・・・・・・・・・・山門脇の閻魔堂には、閻魔大王・奪衣婆・懸衣翁の3像が安置されている。 懸衣翁が留まっている木は衣領樹と称し、奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣をこの枝に懸けて、垂れ具合で生前の罪の重さを計るのである。、、、、亡者が相撲取りだったら、回しを剥ぎ取るとスッポンポン! 猥褻物陳列罪で市中引き回しの後、所払いかも!

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● お帰りは、板橋区役所前駅から都営三田線に乗る。 昭和43年(1968)に、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅名のごとく、区役所とは地下通路で結ばれている。、、、、ホーム・通路・改札など、全体的にゆとりが少なく手狭に感じる駅だ! 50年前に、工事費を削ったのか?


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2020年11月18日 (水)

戸田橋と荒川橋梁

一昨日笹目橋を渡り戸田公園駅まで歩いたので、今日は戸田公園駅から戸田橋を渡り浮間舟渡駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 赤羽で埼京線に乗換て戸田公園駅まで来た、我が家(浅草橋)からは所要時間:約40分。 多くの通勤客の移動方向とは逆なので、電車は比較的すいており座れた。 都心に向かう電車は乗車率120%ぐらい、着席するのは無理だね!、、、、戸田公園駅に到着した時、反対側のホームに上り(都心方面)列車が停まっており、見ると・ナント!相鉄線直通の海老名行きであった。 武蔵浦和駅始発で新宿・大崎・武蔵小杉・西谷経由で相鉄線の海老名駅まで、所要時間:1時間36分の列車である。 埼玉県のベッドタウンから都心を貫いて神奈川県のベッドタウンまで、端から端まで乗る人は、どんな人かチョイト興味が湧いてきた。(きっと、私ような鉄道オタクのヒマジンかな)

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● 駅から戸田橋へ向かう前に、戸田漕艇場地蔵堂に寄ってみた。、、、、、、

・・・・・・・・・・・・まずは、漕艇場の手前にある戸田橋親水公園に保存されている「三代目戸田橋の親柱」を見る。 三代目戸田橋は、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一美しい橋として話題を呼んだそうだ。 親水公園には、三代目戸田橋の埼玉県側の親柱一対が移設されている。、、、、戸田橋の設計者は、昭和初期の著名な橋梁設計士であった増田淳であり、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、凝ったデザインが目を引く。 橋は総工費101万9000円で、昭和7年(1932)に完成した。 現在の戸田橋の完成後、昭和53年(1978)に撤去された。

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・・・・・・・・・・・・戸田橋親水公園の前に、長~い戸田漕艇場が見える。両側には、大学・企業の艇庫が並ぶ。 コロナの影響か(?)、練習している姿が見えない!、、、、オリンピックに向け、選手強化は大丈夫か?

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・・・・・・・・・・・・新幹線・埼京線の高架橋を抜けて、漕艇場とは反対側の戸田市川岸1丁目の「地蔵堂」に寄る。 この地蔵堂は、ナント・戸田市最古の木造建築である。 江戸時代の「中山道分間延絵図」にも記されているそうだ。、、、、墓地には、これまた古そうな、庚申塔・板碑・地蔵・墓がゴロゴロ。 “戸田市最古”では、重要文化財にならないのかな!(国・県・市のいずれも無指定)

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂の南、荒川の土手下に「水神社」がある。 神社の創立など詳細は不明だが、御神体の「水神宮」の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 古くは荒川の端にあったもので、新堤防ができてから移され、川岸に住む人々の氏神様のようになっていた。、、、、小さな神社で、かつて渡しがあった時代、街道脇に祀られていたのかも?

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● 荒川には、国道17号(中山道)を通す戸田橋が架かり、その下流側にはJR東北新幹線・埼京線の荒川橋梁が並行して架かっている。
・・・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、昭和53年(1978)8月13日に完成した、橋長519.0m、幅員21.0mの鋼連続箱桁橋。 四代目の戸田橋である。、、、、初代戸田橋は、明治7年(1874)に民間人が私財を投じ戸田橋の工事に着手した。 途中資金不足で、オーナーは変わったが明治8年(1875)に木製、橋長136.0m、幅員4.2mの戸田橋が竣工した。 通行は有料であった。、、、、二代目の戸田橋は、初代の橋が傷んだため、東京都と埼玉県が資金を折半し、大正元年(1912)に木製の土橋に架け替えられた。 橋長129.0m、幅員5.0m。 大正12年(1923)の関東大震災と翌年の大水で破損した。、、、、三代目の戸田橋は、先に説明した通り、昭和7年(1932)に完成し、昭和53年(1978)に撤去された。

・・・・・・・・・・・・・・戸田橋から下流に70m程離れて、東北新幹線・埼京線が走る複々線の荒川橋梁が架かっている。 橋長は521.2m、総幅員20.7m、最大スパン86.7mの鉄道橋。 工費は約100億円。 橋梁の開通は、先ず昭和60年(1985)3月14日の東北新幹線部分の供用が開始され、次いで昭和60年9月30日に埼京線部分の供用が開始された。


・・・・・・・・・・・・・・まず埼玉県戸田市の土手から、右(上流側)に戸田橋、左(下流側)に荒川橋梁が見える。(橋上に外路灯がたっているのが戸田橋、架線柱がたっているのは荒川橋梁)

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・・・・・・・・・・・・戸田橋を渡る


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・・・・・・・・・・・・東京都板橋区の土手から、左(上流側)に戸田橋、右(下流側)に荒川橋梁が見える。

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● 戸田橋を渡ると、JRの高架橋は大きくカーブして、浮間舟渡駅に向かう。 浮間舟渡駅は北区浮間と板橋区舟渡にまたがる駅。(ホームの中程に区境があるようだ) 昭和60年(1985)に埼京線の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームからは隣に並走する新幹線が良く見える。、、、、サラリーマン時代には、東北方面へ出張した帰り、夜、大宮を過ぎるとマンション・団地の明りが灯る夜景の中に、浮間舟渡駅の駅名が見えると、『あ、東京に入った、もうすぐ上野だ!』とホッとする思い出がある。

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2020年11月16日 (月)

終点、西高新平

地図を眺めていたら笹目橋を渡って埼玉県に入ってみたくなり、今日は都営三田線の終点:西高島平駅から笹目橋を渡りJR埼京線の戸田公園駅まで、1万歩の散歩です。




● 巣鴨でJR山手線から都営三田線に乗換て、約23分で西高島平駅に到着。 我が家(浅草橋)からは、約50分要する、“散歩”にしてはチョイト遠いね!、、、、三田線の終点:西高島平駅は相対式ホーム2面2線の高架駅である。 列車は両方のホームから交互に発車するので、先発列車がどちらのホームから出るか、乗る前に確認する必要がある。 ホームの先に、国道17号新大宮バイパスの上を走る首都高5号が至近距離にあるため、列車停車位置から車止めまでの過走距離は短かく、停車位置に止まらずオバーランすると、車止めに激突する確率は高い! 事故が起きないように慎重に運転して欲しいね。、、、、駅名の“西高島平”は地名としては存在せず、高島平の西端の駅という意味合いらしい。 駅から西へ400m程歩けば埼玉県和光市である。 

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● 駅から大宮バイパス沿いに北へ500m程歩くと笹目橋(ささめばし)がある。 笹目橋は、東京都板橋区高島平と埼玉県戸田市堤外の間で荒川および新河岸川(下流で隅田川に合流)に架かる橋。 国道17号新大宮バイパス上り線の橋と下り線の橋と、それらの間にある首都高速5号池袋線の橋の、計3本の橋の総称である。 上流側から新大宮バイパス下り(4車線+自歩道)、首都高速5号池袋線(上下各2車線)、新大宮バイパス上り(4車線+自歩道)の3本の橋が並んで架かっており、竣工年が最も古い下り線の橋のみ一段低くなっている。、、、、初代の笹目橋は、昭和17年(1942)に開通した、欄干のない木造橋で、河川増水時は水面下に沈む冠水橋だったそうだ。 戦後、昭和29年(1954)には2代目の笹目橋(冠水橋)が竣工する。 昭和39年(1964)に現在の大宮バイパスの下り線に該当する笹目橋第一橋が完成する。 昭和52年(1977)に第二橋(現在の首都高5号線)が、昭和63年(1988)に第三橋(現在の大宮バイパス上り線)が完成する。 全長はいずれも621.7 mの鋼製連続箱桁橋。 戦後も造られた冠水橋、残しておいて欲しかったね!、、、、橋の名前は現在の戸田市南西部にあった、旧笹目村に由来する。

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・・・・・・・・・・・・笹目橋上の都県境は橋の中央ではなく、荒川の右岸より(新河岸川より)にある。 新河岸川は東京都板橋区に属す。 また、埼玉県の部分で、板橋区側の100m程は埼玉県和光市に属し、その北側の左岸までが埼玉県戸田市に属す。 橋上には、都県境、市境の標識が並ぶ。、、、、両岸は板橋区と戸田市なので、橋上の和光市の標識は“不要”と思う人もいるだろうね。 私もその一人!

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● 笹目橋を渡り戸田市に入ると、県道68号(オリンピック通り)を歩き、戸田公園駅に向かう。、、、、「オリンピック通り」は、1964年東京オリンピックの漕艇競技場(現在:戸田漕艇場)までの交通のために整備された道路である。 道路の両側は大型の工場・倉庫とマンションが並び、興味を引くものもない、面白くない道だ。 ひたすら歩くだけ!

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オリンピック通りは私をJR埼京線戸田公園駅まで誘導してくれた!、、、、昭和60年(1985)9月30日に国鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線とその外側に2線の通過線を有する高架駅。 快速の停車駅で、新宿まで23分と便利な処なので、駅周辺にはマンションが並んでいる。
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2020年10月21日 (水)

六地蔵の三番目

いよいよ三番目の江戸六地蔵。 巣鴨の真性寺に行って、巣鴨地蔵通商店街を抜け板橋駅まで、9千歩の散歩です。




● JR巣鴨駅は、明治36年(1903)4月1日、日本鉄道の駅として開業。、、、、駅の構造は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、改札は大塚駅寄りの1か所のみ。 平成22年(2010)に駅ビル「アトレヴィ巣鴨」がオープンし、モダンな駅となった。 「おばあちゃんの原宿」としては近代的すぎ、お年寄りが駅ビルを利用する姿はあまり見られないようだ。、、、、早朝の巣鴨駅は、近くの女学校の生徒が大勢降りてくる姿が見られる。 朝は女学生、日中はおばあちゃん、巣鴨駅は女性に人気があるのかも?

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● 駅前の中山道(国道17号)に面して真性寺はある。 中山道から境内に入ると、本堂を背にして地蔵菩薩像を正面に拝す。 江戸六地蔵の三番目だ! お寺の方が、地蔵菩薩の花に水をやり、台座を清掃していた。 本堂へ先に参り、その後、地蔵菩薩に手を合わせてきた。、、、、真性寺は、医王山東光院真性寺と称し、真言宗豊山派に属し、奈良県桜井市初瀬にある総本山長谷寺の末寺である。 当寺の開基は不明だが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたと云われている。 中興開基は元和元年(1615)に祐遍法印が行った。 御本尊の薬師如来は秘仏で、古来より一切開扉されていないそうだ。(開けたら中に仏様が無いかも? 失礼!)

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・・・・・・・・・・・・さて、当寺境内に安置されている「江戸六地蔵」は、6体の内、四番目に鋳造されたものである。 尊像は、地蔵坊正元が発願主となって宝永3年(1705)造立の願を発してから、9年後の正徳4年(1714)に造立された。 像高は、太宗寺の像より1cm大きい2.68mである。、、、、平成20年の修理においては、胎内から銅造地蔵菩薩4躰と銅札・木札が多数発見されたそうだ。 それらは、再び胎内に戻されている。、、、、この像は手入れが良いのか、石の台座や像の袈裟部分に寄進した多くの人名が、小さい字でビッシリ彫られているのを見ることができる。

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● 真性寺の山門脇は、「巣鴨地蔵通商店街」である。 セッカクだから、「おばあちゃんの竹下通り」も歩いて行くことにした。、、、、まだ午前8時半、店は準備中か、シャッターは下りたまま。 通勤する人が足早に通り抜けていく。 名物の「赤パンツ」の店もシャッターが下りている。 60歳過ぎたら長寿を願い、おしゃれに愛用、赤い失禁パンツ!(最近は、有名ブランド物の赤パンツも販売しているらしい。 20歳代の愛用者がいるのかも?)

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● 商店街の中程、「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれる、曹洞宗萬頂山高岩寺に寄って行く。 寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ約60年後、下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年(1891)に移転してきた。 ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩だが、秘仏であるため拝見できない、残念! 替わりに、新しい「洗い観音」なる石像がある。、、、、どこのお寺も、生活の知恵か? 何かと、御利益ありそうな仏像・行事が、長い歴史の中で途切れることなく用意されている。

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● 巣鴨地蔵通商店街の北の端には、「猿田彦大神庚申堂」がある。 つまり、「おばあちゃんの竹下通り」は、六地蔵と庚申堂に挟まれ、途中にとげぬき地蔵がある、神仏に囲まれ来世に近い、まさに紙おむつ・赤パンツの愛用世代向けの商店街。、、、、その、猿田彦大神庚申堂には、かつて庚申塚があった。 現在は庚申塔の小祠が立っているのみだが、庚申の日には多くの参拝客があるそうだ。、、、、庚申塔の猿像の顔が鋭いね!

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● 猿田彦大神庚申堂のそばに、明治44年(1911)に開業した都電荒川線の「庚申塚停留場」がある。、、、、都電を見ると、写真を撮りたくなる。

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● 庚申塚からは裏道を歩き、明治通りを越え、板橋駅にむかう。

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● 今年7月に新築し、オープンした「JR板橋東口ビル」。 フィットネス、スパなどが入った駅ビルで、改札はビルの1階。、、、、何でも“新しい”のは気持ちいいね! 駅も新しいと明るくなって、スマートな雰囲気。 ホームは古いまま!

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2020年8月 8日 (土)

アスリートの町

JR京浜東北線の東十条駅から、環七通りに出て埼京線を越え、西が丘を抜け本蓮沼駅前から北東に歩き、都営三田線志村坂上駅まで、1万2千歩の散歩です。


● 京浜東北線東十条駅は島式ホーム2面3線の地上駅。 ホーム両端に改札口があり、それぞれ北口、南口と称している。 北口は橋上駅舎で改札を出ると、東西方向に行ける。 今日は駅前の狭い道を抜け、駅西側の北区中十条から散歩を始める。

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● 駅の北側にある真言宗智山派の寺院:無量山龍谷院西音寺。 本尊は不動明王。 文明年間(1469~1486)の僧玄仲による創建と伝えられる。 3代将軍家光が日光社参の都度ここで休み、畳・襖・雪隠などを寄進したほか灯明料・普請料の名目で若干の金子を奉納したこともあった。、、、、立派な山門は江戸時代後期の建築。 山門横の観音堂も江戸時代後期の建築。 本堂は正徳2年(1712)の建立。 木造洋風の檀徒会館は、昭和5年(1930)に建築された旧和光学園幼稚園舎を移築したもの。、、、、近くの北区立荒川小学校は、明治6年(1873)に児童数15名で西音寺で開校したそうだ。

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環七通りに出る。 「富士見橋」にて埼京線を越える。

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・・・・・・・・・・・・埼京線の西側(十条仲原2)の環七通りの裏、小さな社の「日枝神社」がある。、、、、祭礼のようだが、コロナの影響で自粛するそうだ。 日本中の神社で、祭礼は自粛ムード、今年は神輿を見るのが難しいかも?、、、、祭神に大山咋命を祀り、社殿には「山王大権現」と記している。 元禄2年(1689)創建とある。、、、、また、境内右奥の延宝4年(1678)の「十条仲原庚申塔」は、手入れも良く残されている。 昭和50年(1975)に地元有志によって昭和初年以来途絶えていた庚申講が復活したそうだ。

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● 環七通りの北側、十条仲原3丁目の裏道を歩き、方向感覚が怪しくなってきたとき、♪♪この道は いつか来た道 ああ そうだよ 暮れに来た坂だ覚えてる♪♪ 「游鯉園の坂を下り、同じ道を歩きたくないので西に折れた。 ツタの絡まるチャペル風の廃屋がある。 いつの間にか住所は西が丘2丁目、懐かしい木造の目隠し塀もある。

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西が丘トレーニングセンター国立スポーツ科学センターなどの大規模施設が並ぶ、オリンピックのアスリート育成拠点に出てきた。、、、、凄い施設だ、相当“金”も掛かっている、これでオリンピック中止になると、どうなるのか?????

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中山道に出た、都営三田線の本蓮沼駅を通り、一つ先の志村坂上駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・志村坂上駅の手前、中山道の左右に対になった一里塚がある。 けっこう大きな塚で、江戸時代に築かれた。、、、、一里塚の隣りには、明治22年(1889)創業の原木商「斎藤商店」がある。昭和8年(1933)に建てられた現建物は、町のランドマークとなっている。(登録文化財)

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・・・・・・・・・・・・一里塚の隣りに志村坂上駅もある。、、、、昭和30年代、私の中・高等学校は白山にあり、水道橋方面から都電18番(神田橋~志村坂上)に乗って通学していた。 当時は、巣鴨から北の志村坂上とはどんな処なのか知ることもなく、興味もない町だった。 都電が「志村坂上」行きなので、名前だけは頭にこびりついていた!

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2020年1月24日 (金)

バカ殿の志村城?

東武東上線の上板橋駅から北へ向かい、途中で進路を東に変えて、都営三田線の志村坂上駅まで、1万2千歩の散歩です。




●京に近い駅! ・・・・・・・上板橋駅は大正3年(1914)5月6日、東上本線池袋~田面沢(現在の川越市駅の近くにあった駅)間が開業してから、約一ヶ月後の6月17日に開業した。 池袋から6駅目の上板橋駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、特急、快速、急行、準急が通過して行く、止まるのは普通列車のみ。 橋上駅舎の改札口をを出ると線路の両側、南口と北口に出ることができる。 南口はチョイトせせこましい通りに面し夜は楽しそうな出口、北口はバスも止まる駅前の広い出口、今日の散歩は北口から北に向かい歩くことにした。、、、、駅名の「上板橋」は、江戸時代初期に板橋村が上板橋村と下板橋村に分村したことに由来する地名である。 “上”は、当時の首都:京都に近い方を表している。 

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●北へ来た! ・・・・・・・駅前を北へ向かう
・・・・・・・・・・・・駅前のメインストリート「ときわ通り」を横断する。 この通りにはバスも走ってる!

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・・・・・・・・・・・・表通りから裏通りに入る。 まだ歩く人も少ない。

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・・・・・・・・・・・・おや、道の別れめ(板橋区若木1)に庚申塔が!、、、、「かみなか庚申塔」と呼ばれている庚申塔が1基、小祠に安置されている。 享和4年(1803)の建立。 庚申塔の側面には、「右 にしたい とくまる」、「左 ねりま 大山みち」と標されており、この地が、西台・徳丸方面と富士・大山道の分岐点であった。、、、、富士山、大山参りの人々が、ここを通って行ったのであろう。 富士山までは、長い道中が始まったばかりだ!

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・・・・・・・・・・・・裏道を北へ向かうと、板橋区立の「にりんそう公園」がある。 ここに、川中美幸が歌う「二輪草」の歌碑がある。 なぜ、ここに????、、、、「二輪草」は平成10年にシングルで発売され、100万枚のヒットとなり、同年のレコード大賞で優秀作品賞を受賞した。 レコード会社は儲かったので、区の花がニリンソウである板橋区の当公園に建てたらしい。 単なる“ニリンソウ”つながりのようだ!、、、、まだ、ニリンソウが咲く時期には、チョイト早いようだ。

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・・・・・・・・・・・・裏通りを歩いて北へ向かい「中台稲荷神社」に出た。、、、、神社は俗に中台稲荷とか若木稲荷と呼ばれているらしい。 かつての中台村の鎮守。 創建は不詳だが、当社の境内は稲荷大神が降臨したと伝えられ、「稲荷渡(とうかわたり)」と呼ばれていたという。 現社殿は昭和36年(1961)の造営。、、、、社殿脇のムクの木は樹齢不明の老大木。 高さ約25m、根回り約5.8m。 このムクは「稲荷越の大木」と呼びならわされて、中山道と川越街道を結ぶ間道の目標となっていたそうだ。 社殿に倒れてこなければいいが、気になる樹だ!

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●谷底へ下る! ・・・・・・・・・駅から北へ来たが、稲荷神社で女狐に魅せられて、直角に折れ東へ向かうことにした。
・・・・・・・・・・・・稲荷神社から区立中台中学校の前に出る手前に二股がある。 そのお股(板橋区中台1)に、地蔵尊が祠に入り、庚申塔と馬頭観音が雨ざらしで祀られている。 どなたかが、篤く信仰しているのか、新しい生花が供えられていた。、、、、地蔵さんは子安地蔵だそうだ。 石の蓑笠が重たそうで、チョイト可愛そう。 天明4年(1784)の造立らしい。 地蔵の立つ台座には「左 下板橋道  右 練馬道 五町」と彫られている。、、、、地蔵の左に、これまた道標を兼ねた庚申塔と馬頭観音がある。 庚申塔は嘉永5年(1852)、馬頭観音は寛政12年(1800)の年代物。
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・・・・・・・・・・・・中台二丁目公園という小さな公園の脇に、急で、長い階段坂があった。 地形的には谷底へ下るようだ。 下までおりて、見上げたら、戻る気にならず、気の弱い私は心肺も弱いので、そのまま歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・坂をおりると、中台2丁目と前野町5丁目の境で、道なりに歩く。
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・・・・・・・・・・・・首都高5号池袋線の志村料金所・PAの横を抜けて、志村2丁目の町に入る。

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●バカ殿はいない志村城! ・・・・・・・・板橋区志村2丁目の中心は高台の「志村城」(バカ殿がいたのは東村山だ!)。 その「志村城」は、現在の熊野神社がある処にあった。 神社の境内に「志村城跡」の石柱が建ててある。、、、、志村城は、康正2年(1456)に千葉自胤(よりたね)が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。 本丸は神社の隣り現:志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で、出井川と荒川を巡らせ〝守るに易く攻めるに難し〟といわれる堅城であったが、大永4年(1524)に北条氏綱に攻められて落城した。

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熊野神社は志村城二ノ丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。 長久3年(1042)、志村将監が紀州から勧請したと伝えられており、千葉自胤が志村城の守護神と定めた。 現在の社殿は昭和32年(1957)に改築されたもの。、、、、本殿横には絵馬堂がある、この堂は明治期以前の本殿と言われてる。 真偽は?

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●中山道に到着! ・・・・・・・志村城から裏道を歩き志村坂上駅へ向かう途中(志村2-7)に、富士大山道道標・庚申塔がある。、、、、この道標も、富士登山、大山詣での人々が通った道(旧中山道)に残されている。 道標の先は下練馬宿のある川越街道に出て、石神井川に向かう富士街道になる。 道標は寛政4年(1792)の造立で正面には「是より大山道井ねりま川こへみち」と刻まれている。 右に立つ庚申塔は万延元年(1860)の造立で、正面には庚申塔と刻まれ、左側には、「是より富士山大山道 練馬江一里 柳沢江一里 府中江七里」とある。、、、、昔の人は、この道標程度の情報で富士山まで歩いて行ったとは、よくぞ道に迷わず行けたものだ、“おそれ入谷の鬼子母神”だ!

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・・・・・・・・・・・・道標から約100m、国道17号(中山道)に出ると、そこは都営三田線の「志村坂上駅」。 昭和43年(1968)12月27日、都営6号線(現:三田線)の最初の区間である巣鴨~志村(高島平)間が開業した時に設けられた駅。 ホームは相対式2面2線で、地下2階にある。 改札口は2ヵ所で、いずれも地下1階にある。 出口は4ヵ所で、いずれも地上にある、アタリ前田のクラッカー!

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