昔の名前で出ています
天気予報では今日も30℃超の気温、熱中症に気をつけ、京浜東北線の東十条駅から都営三田線の本蓮沼駅まで、9千歩の散歩です。
● 朝8時、京浜東北線東十条駅に降り立つ。 東十条駅のホーム東側は東北新幹線の高架橋と下十条運転区がある、西側は東北本線の列車線と貨物線が並行して走り、その先は線路際まで武蔵野台地が迫り崖となっている。 今日の散歩はホームの西側、台地の上から歩きはじめることにした。
● 東十条駅から埼京線十条駅へ向かう「演芸場通り(=十条中央商店街)」がある。 今日は、演芸場通りに平行する裏道を歩き、埼京線の踏切を越え「十条銀座商店街」にぶつかる道を行く。
・・・・・・・・・・ まだ8時過ぎなのに、強烈な日差しで裏道を歩いても暑い!
・・・・・・・・・・ 埼京線の「富士道踏切」がある。 “富士道”と言うのは、残念ながら富士山が見えるのではなく、この道の東端付近に「十条富士神社(北区中十条2)」があり、そこへ至る道ということ。 富士山を見たい人は、神社境内には「富士塚」があるから、それで我慢!、、、、踏切の南側には十条駅が見える。
・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、「十条銀座商店街」の中程で、商店街を横切るようにぶつかる。、、、、朝8時半、十条駅に向かうサラリーマン、学生が足早に抜けて行く。
● 十条銀座を横切って西へ歩く。 北区上十条3丁目に、鮮やかな赤い門のある「聖観音堂」なる小さな堂がある。 中には山下覚道(?)作という中国風の観音像が安置されているそうだが私は見たことはない。、、、、堂の前には、天明3年(1783)銘の大日如来像、延宝5年(1677)銘の青面金剛像の庚申塔などが祀られている。、、、、門の中に浮浪者が侵入して宿泊しているそうだ、それゆえ門は施錠されてる。 参拝する人は門の外から合掌!
● さらに西へ歩き、環七通りと本郷通りが交差する姥ヶ橋交差点に出てきた。 交差点の角に、「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。 “姥ヶ橋”とは、石神井川用水の稲付川に架けられていた橋で、その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。 この乳母を憐れんで村人が供養のために建てたのが「延命地蔵尊」である。、、、、この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像だ。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘文が刻まれている。
● 西が丘の、官舎の前をキョロキョロ、公営住宅の団地の中をウロウロ、ナショナルトレーニングセンターの前をブラブラ。 大きな建物ばかりで、首を空に向けて歩き、疲れた!、、、、「西が丘」は、戦後、米軍の管理下で東京兵器補給所、稲付射場などがあった処だ。 返還後は、国立西が丘サッカー場などの公共施設、集合住宅などが建設された。
● 西が丘を抜け、北区清水町の裏道を歩き、中山道(=国道17号)に出る。
・・・・・・・・・・ 中山道の地下に都営三田線「本蓮沼駅」がある。 本蓮沼駅は板橋区に所在する。、、、、本蓮沼駅は昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、駅名の“本蓮沼”は、本線の計画段階では、駅名の仮称は“蓮沼駅”だったそうだ。 しかし、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅があったため採用されず、昭和36年(1961)までの駅所在地における地名であった志村本蓮沼町より名前を採った。 つまり、♪ 昔の名前で出ています ♪