板橋区

2024年6月24日 (月)

昔の名前で出ています

天気予報では今日も30℃超の気温、熱中症に気をつけ、京浜東北線の東十条駅から都営三田線の本蓮沼駅まで、9千歩の散歩です。




● 朝8時、京浜東北線東十条駅に降り立つ。 東十条駅のホーム東側は東北新幹線の高架橋と下十条運転区がある、西側は東北本線の列車線と貨物線が並行して走り、その先は線路際まで武蔵野台地が迫り崖となっている。 今日の散歩はホームの西側、台地の上から歩きはじめることにした。

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● 東十条駅から埼京線十条駅へ向かう「演芸場通り(=十条中央商店街)」がある。 今日は、演芸場通りに平行する裏道を歩き、埼京線の踏切を越え「十条銀座商店街」にぶつかる道を行く。

・・・・・・・・・・ まだ8時過ぎなのに、強烈な日差しで裏道を歩いても暑い!

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・・・・・・・・・・ 埼京線の「富士道踏切」がある。 “富士道”と言うのは、残念ながら富士山が見えるのではなく、この道の東端付近に「十条富士神社(北区中十条2)」があり、そこへ至る道ということ。 富士山を見たい人は、神社境内には「富士塚」があるから、それで我慢!、、、、踏切の南側には十条駅が見える。

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、「十条銀座商店街」の中程で、商店街を横切るようにぶつかる。、、、、朝8時半、十条駅に向かうサラリーマン、学生が足早に抜けて行く。

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● 十条銀座を横切って西へ歩く。 北区上十条3丁目に、鮮やかな赤い門のある「聖観音堂」なる小さな堂がある。 中には山下覚道(?)作という中国風の観音像が安置されているそうだが私は見たことはない。、、、、堂の前には、天明3年(1783)銘の大日如来像、延宝5年(1677)銘の青面金剛像の庚申塔などが祀られている。、、、、門の中に浮浪者が侵入して宿泊しているそうだ、それゆえ門は施錠されてる。 参拝する人は門の外から合掌!

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● さらに西へ歩き、環七通りと本郷通りが交差する姥ヶ橋交差点に出てきた。 交差点の角に、「姥ヶ橋延命地蔵尊」が祀られている。 “姥ヶ橋”とは、石神井川用水の稲付川に架けられていた橋で、その名の由来は幼児を誤ってこの川に溺死させてしまった乳母が、責めを感じてこの橋から身を投げて死んだ事による伝説であるという。 この乳母を憐れんで村人が供養のために建てたのが「延命地蔵尊」である。、、、、この地蔵尊は、袈裟をまとい、右手に錫杖を執り、左の掌に宝珠を載せ、正面を向いて蓮華座に立つ、安山岩系の石材を丸彫りした地蔵菩薩像だ。台座には「享保九年(1724)甲辰天十一月吉日 石橋供養」の銘文が刻まれている。

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● 西が丘の、官舎の前をキョロキョロ、公営住宅の団地の中をウロウロ、ナショナルトレーニングセンターの前をブラブラ。 大きな建物ばかりで、首を空に向けて歩き、疲れた!、、、、「西が丘」は、戦後、米軍の管理下で東京兵器補給所、稲付射場などがあった処だ。 返還後は、国立西が丘サッカー場などの公共施設、集合住宅などが建設された。

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● 西が丘を抜け、北区清水町の裏道を歩き、中山道(=国道17号)に出る。

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・・・・・・・・・・ 中山道の地下に都営三田線「本蓮沼駅がある。 本蓮沼駅は板橋区に所在する。、、、、本蓮沼駅は昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、駅名の“本蓮沼”は、本線の計画段階では、駅名の仮称は“蓮沼駅”だったそうだ。 しかし、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅があったため採用されず、昭和36年(1961)までの駅所在地における地名であった志村本蓮沼町より名前を採った。 つまり、♪ 昔の名前で出ています ♪

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2024年3月27日 (水)

大塚から板橋区役所へ

先週は、『昨日は東 今日は西 春の彼岸の 墓参り』で、我が家の墓は家から遠い、東(千葉市)と西(八王子市)にあり墓参りに忙しい一週間であった。、、、、今日は久しぶりの散歩日和。 山手線の大塚駅から歩きはじめ、2本の道路を道なりに直進したらい板橋区役所の前に着いた。 都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万歩の散歩です。




● 山手線に乗車し、『今日はどこで降りようか?』 考えてる間に池袋に近づいた、池袋は巨大ターミナルなので私は好きではない、一駅手前の大塚駅で出車する。、、、、大塚駅は、明治36年(1903)4月1日に、日本鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)からは、日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。

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・・・・・・・・・・ 北口に出ると、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 行先が決まらず、多くの人が駅に向かって歩いてくる、飲食店が並ぶ裏通りを歩く。、、、、この道を道なりに歩くと、「空蝉橋通り北交差点」を横断し「宮仲公園」の前で「宮仲公園通り」と名付けられた広い通りに合流した。

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● 工事中の宮仲公園(豊島区上池袋1)に「大谷大学開学の碑」がある。、、、、浄土真宗大谷派の教育機関は、古くから京都にあったが、明治34年(1902)に、この地に「真宗大学」が開設された。 その後大正2年(1913)に「高倉大学寮」と合併して京都に移転。 名称も「真宗大谷大学」を経て「大谷大学」となった。、、、、京都にあった大学が東京にキャンパスを設けたが、学生が集まらず、京都に戻ったのかな?

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● 宮仲通りは上池袋交差点で明治通りと交差しさらに直進する。 上池袋交番前までは、広い道路幅の道が続く。

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・・・・・・・・・・ 上池袋交番の近くに、お茶あがれ地蔵を祀る祠(上池袋3-47)がある。、、、、祠の中に、地蔵が一体、右脇には角柱状の庚申塔(宝永元年(1704)銘)が一基ある。 地蔵は「お茶あがれ地蔵」と呼ばれ、その由来は「元禄年間、借金に苦しんだ板橋の宿場女郎が夜逃げをした。 池袋村まで来たが、それ以上歩けなくなり、農家の戸を叩いた。女郎はお茶を、お茶を、と二言、三言云ったが、農家ではどうすることもできず、ついに女は死んでしまった。 その後、毎晩、女の死んだ時刻になると、お茶を、お茶をという声が聞こえるようになり、恐れおののいた村人たちは地蔵を造って女の冥福を祈った」と『武蔵野の地蔵尊(都内編)』に書かれているそうだ。 チョイト怖い話。

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・・・・・・・・・・ この先道は細くなり東武東上線の北池袋駅の方に向かう。




● JR埼京線、東武東上線を渡る「第一雲雀ヶ谷踏切」がある。 埼京線・東上線がしっ切りなしに通過する“開かずの踏切”だ! 歩行者は踏切脇の地下通路を利用して反対側に抜ける。 

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、東武東上線の北池袋駅。 北池袋駅はJR埼京線の池袋~板橋間にあり、ホームは埼京線の脇にある。 昭和9年(1934)5月1日、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年の東京大空襲により駅舎崩壊し、駅は休止・廃止となった。 昭和26年(1951)9月1日に北池袋駅として再開した。

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・・・・・・・・・・ 駅前の通りは一車線、大型は無理かも。 駅の周辺は下町風の閑静な住宅街。 地名の“池袋”だけ見ると、ネオン輝く繁華街だがね!

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● 大塚駅前から道なりに真直ぐ歩いて来た道は北池袋駅前をとおり、池袋本町1丁目・2丁目・4丁目が隣り合うT字路で行き止まる。 『さてさて、右へ曲がるか、左へ行くか、悩むね!』と、自分に言って思案橋。 若そうな女性が右に歩いて行くが見えた、『決めた!右へ曲がろう!』

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・・・・・・・・・・ 曲がった通りは商店街なのか、洋菓子屋、和菓子屋、信用金庫、雑貨屋と店が並んでる。 並んでいるのはココまで。 この先は、店が少なかった。 この道の先に何があるかは知らないが、このまま道なりに歩くことにした。

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● 池袋本町3丁目に入ると、池袋本町交番の脇に大きな鳥居がある。 「池袋氷川神社」の参道が拝殿まで続く。、、、、池袋氷川神社の創建年代は不詳だが、池袋という地名が永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」に記載されていることから、この頃には村鎮守として創建していたと推定されている。 祭神は建速須佐之男命、高皇産霊神、天照大御神、保食神、木花咲矢耶姫命の5神。、、、、現社殿は、昭和40年(1965)の造営。、、、、立派な富士塚のある、良く整備された神社。

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● 氷川神社から200m程歩くと、豊島区から板橋区に変わる。 さらに、200m程歩くと東武東上線の下板橋駅と大山駅の中間にある踏切に出た。 踏切の脇には東上線の留置線があり、鉄道オタクにはチョイト嬉しい踏切だ。

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● 踏切を渡り100m程歩くと、子易神社(こやすじんじゃ)がある。 子易神社(板橋区板橋2)の創建年代等は不詳だが、富士浅間神社の分霊を勧請したものと伝えられ、延宝2年(1674)に当社の記録が残っていることから、江戸時代初期以前の創建と考えられている。、、、、安産・子育の守護神として祀られているそうだ。 70代半ばの私には、安産・子育の御利益は不要だ! 賽銭は少額(50円)にしておいた。 

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● 首都高の下を抜けて北に歩くと、板橋区本庁舎の脇に出た。 歩いて来た道は、本庁舎の前で中山道(=国道17号)にぶつかり、散歩もここまで。、、、、板橋区は昭和7年(1932)に市郡併合により成立した。 当時の庁舎は、旧北豊島郡役所(現在の板橋3丁目5-1)を使用したが、昭和20年(1945)の空襲で焼失した。 昭和22年(1947)に現在地に移転、移転後は数度の増築・建て替えが行われ、現在の庁舎は平成27年(2015)に竣工した。

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● 都営三田線の板橋区役所前駅は区役所の建物の下で直結している。 それにしても、『いたばしくやくしょまええき』とは、長い駅名だ!、、、、昭和43年(1968)12月27日に開業した、相対式ホーム2面2線の地下駅。

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2023年2月11日 (土)

山あり谷あり

都営三田線の志村三丁目駅から、歩いたこともない知らない道を、上ったり下りたり、着いたところは東武東上線の東武練馬駅。 9千歩の散歩



● 雪もやみ、今日は晴天と聞いたので、三田線の「志村三丁目駅」から歩くことにした。 高架相対式2面2線のホームに降り、1階のたった一か所の改札口から道路に出る。 道路は濡れているが、雪は融けたようだ。 

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・・・・・・・・・・ 今日の散歩は行先を決めてなかったので、とりあえず駅前の道路を高架橋と平行に西に歩く。 高架橋は途中で北に曲がる。

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● 志村三丁目駅から700m程歩き、首都高5号池袋線の下を抜けると、大きなマンション群がある。 デカイな~、と上を見上げてキョロキョロ歩いていると、いつの間にか「サンシティ」(板橋区中台)の敷地内に入ってた。、、、、「サンシティ」とは、昭和49(1974)に旭化成研究所跡地の再開発として、大型集合住宅の建設が開始された。 昭和55年(1980)に全棟竣工、入居が始まった。 三井不動産と旭化成グループにより開発分譲された、敷地面積約12万5千平方メートル(東京ドーム3個分)の敷地に立てられた14棟、1872戸、居住人口約6000人を擁する。 40年前の完成当時、板橋区で最も高い建築物だったそうだ。、、、、起伏にとんだ地形を生かし、中央の豊かな緑を囲むように住居棟を配し、チョイトした都会のオアシスを創り出している。

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● サンシティを通り抜けて、さらに西をへ歩くと、私の好きな狭い道幅の曲がりくねった裏道となった。(板橋区若木)、、、、この町も全体が起伏に富んだ地形らしい。 道は細くクネクネ曲がり、上へ下への坂道ばかり、足腰鍛え、呼吸はゼイゼイ!

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・・・・・・・・・・ 階段上ると「東京都住宅供給公社 中台町住宅」(板橋区若木)の中。 これまたすごい、南から北へ下る傾斜地に建つ10棟、総戸数400戸の団地。 斜面に建つ団地で、緑も多そうだ。、、、、団地の中でも、息はゼイゼイ、足腰疲れた!

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・・・・・・・・・・ 団地を抜けると、マタマタお股がマタ痛い! ナント今度は階段下り、下りた先には「環八通り」 歩道橋からその先見れば目前の崖を上る急階段2302110924030

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・・・・・・・・・・ 急な階段(板橋区若木2)上がってみれば、ナントこれまた絶景、ワンダフル! 手前に環八通りと歩道橋、その先の高台には中台町住宅、さらに左奥にはサンシティ 全部見せます、サービスで!

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● 都営若木二丁目アパートの近くの三叉路角に、かなり風化した庚申塔がある。 三角帽子に似た笠付きの庚申塔で、嘉永7年(1854)と彫られてる。

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東武東上線の「東武練馬駅に到着。 駅名は東武“練馬”だが、駅自体は板橋区徳丸にある。 東上線は板橋区と練馬区の区境上を走っている、東武練馬駅前の道路が区境である。、、、、昭和6年(1931)12月29日開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、今日は乗車券を販売していない無人の「東口」から入場。

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2023年2月 6日 (月)

赤羽から志村へ

京浜東北線の赤羽駅から西に歩いて、都営三田線の志村三丁目駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 朝8時、赤羽駅のホームでは通勤通学客があわただしく乗降し、駅を出て行く。、、、、のんきにブラブラしてるのは私だけ!(そこそこ健康で、職を持たず、やる事が無い人間はブラブラしてないと時間を持て余すのだ!)

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・・・・・・・・・・ 赤羽駅西口前には、緑と白のおなじみの色に塗られた国際興業のバスがズラリ!、、、、調べてみたら、赤羽駅西口前に発着する国際興業のバスは全部で25路線ある。 近くの赤羽台、桐ヶ丘の団地、高島平の団地など、北区、板橋区の各地から、多くの客をピストン輸送しているようだ。 スゲ~!(私の住む浅草橋は都営バスが一系統走るのみ、完敗!)

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● 赤羽駅から徒歩5・6分、弁天通りの脇に「亀ヶ池弁財天」がある。、、、、昔、赤羽駅の西口一帯に大きな池があり、亀ヶ池と呼ばれていた。 この池は近くの稲付城においては天然の防御であった。 昼なお薄暗く、池には無数の亀が住んでいたそうだ。 現在の亀ヶ池弁財天が祀られている池はその亀ヶ池の名残りといわれている。 今は、地元の有志が木彫の弁天像を創り、近くにある静勝寺の弁天堂の弁財天を勧請している。

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● 赤羽駅前から西へ「弁天通り」を歩く。、、、、2車線の道路だが、国際興業のバスがココにも走っている。

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・・・・・・・・・・ 赤羽西5丁目に「赤羽自然観察公園」がある。 平成15年以降にオープンした公園であるが、園内には民家が移築復原され、昔の農村風景を再現した体験学習施設となっている。、、、、伝統的な藁葺き屋根の民家がある静かな公園

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● 公園の中を抜け、桐ヶ丘団地の近く(赤羽西6)に「善徳寺」がある。、、、、浄土宗寺院の善徳寺は、獅子吼山専稱院と号す。 善徳寺は、享徳2年(1453)江戸城西坪根沢に起立、その後平河町、大船町、馬喰町への移転を経て、明暦3年(1657)浅草新寺町(松が谷1)へ移転した。 関東大震災後の大正14年9月22日、現在地へ移転。

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・・・・・・・・・・ 善徳寺の隣りには、日蓮宗の「大恩寺」がある、、、、大恩寺は、寂静山と号す。 大恩寺は、寛永元年(1624)根津神社横に創建したが、明治維新後現在地へ移転した。、、、、境内は近年に大規模に整備したらしく、古き寺の風情はない。

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● 都営桐ヶ丘アパート34号棟(桐ヶ11)の南、都の敷地内と思われる所に小社「末廣稲荷大明神」がある。、、、、説明板には、『末広稲荷大明神設置の由来   京都の伏見稲荷大明神を本山に載くこの稲荷は、明治の初めから昭和二十年の終戦まで旧陸軍がそ有しておりました。 明治五年 赤羽郷に兵器支廠赤羽火薬庫が完成し、火薬庫の災難除けに稲荷神社を祀り、毎年初牛の日にお祓いをうけ無事を祈願していました。昭和二十年に終戦を迎え、火薬庫跡地は、海外引揚者や戦争被災者の住居用として転用され、稲荷神社も軍所有から桐ヶ丘氏子会へと移転されました。 その後、団地計画に伴い神社敷地が狭められたため、現在地に移転されました。以来近辺の守護神として鎮座しています。  平成二十六年五月吉日  鳥居奉納 末広稲荷神社 桐ヶ丘氏子会 総代 大橋ミツ』と、書かれてる。

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● 志村坂上で中山道(=国道17号)を横断し、板橋区志村の町に入る。

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● 志村坂上の凸版印刷工場群の西側に、真言宗豊山派寺院「見次山 松寿院 延命寺」がある。 延命寺は、大永4年(1524)に志村城が落城した際、見次権兵衛が庭先でわが子の討たれる姿を見て、戦国の無情を感じ、居宅を寺として創建したと伝えられます。、、、、手入れの行き届いた綺麗な寺。 寺には、昔徳川吉宗が、荒川の方に猟に来たときに、滞在したそうだ。

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● 延命寺の方から坂を下って行くと都営三田線の「志村三丁目駅」がある、、、、昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線の最初の区間である巣鴨~志村(高島平)間が開業した時に設けられた駅。(
開業前の仮称は「志村四丁目」だった) ホームは高架相対式2面2線構造で2階にある。、、、、改札口、出口は1ヶ所のみ。 駅前は少し狭く、ごちゃごちゃした雰囲気。

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2022年6月 9日 (木)

霧雨の安養院

朝の天気予報で『日中は雨もあがり曇り空』 予報を信じて散歩に出る。 東上線の中板橋駅から、途中板橋区東新町の安養院によって、東京メトロ氷川台駅まで、1万1千歩、4㎞の散歩です。 予報はチョイト、ハズレて、時折霧雨が降る『雨中行軍』



東武東上線「中板橋駅、乗客の姿もまばらな鈍行電車から下りホームに降り立つ。 向かいの上りホームには、跨線橋から多くの乗客が降りて来る。 当駅からは『終点:池袋まで座れません!』

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● 駅前のお散歩案内図を見て「案養院」へ行ってみたくなり、しっとり濡れた駅前の中板橋南口商店街を西へ向かい歩く。、、、、石神井川に架かる「下頭橋(げとうばし)」にでる。、、、、“下頭(げとう)橋”とは珍しい橋名、チョイト由来を調べる。 橋名の由来は3つある。 その①:この橋の近くに六蔵という者がいた。 その六蔵は、この場所に村人の為に橋を架けることを願い、旧川越街道を通る人々に物乞いをして金を貯めたそうだ。 その頭を下げた物乞いの姿はから“物乞い=下頭”となる。 六蔵は志し半ばで他界してしまう。 六蔵死後、六蔵の世話をしていた人が、その遺志に気づき、足りない分は寄付で賄い橋を完成させたそうだ。  その②:旅の僧(弘法大師?)が持っていた榎の杖を突き立てて去ったところ、その杖が根付いて〝逆さ榎〟となった。 逆さ榎だから頭が下で“下頭榎”と呼んだという。  その⓷:川越藩主が出府の際、江戸詰めの家老らがこの橋畔で頭を下げて出迎えるという仕来たりがあり、その様から名付けられた。  有力な説は①で、橋は寛政10年(1798)それまでの丸太を2本架け渡しただけの橋が、六蔵が残した金を基にして半永久的な石橋に架け替えられたそうだ。 その後橋は、明治時代に木橋に、昭和2年(1927)には再び石橋に、昭和54年(1979)に現在の鋼橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・下頭橋のたもとに、六蔵の遺徳を讃えて建てられた「下頭橋六蔵尊」が祀られている。、、、、地元の人々に愛され、丁寧に祀られている六蔵尊

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● 下頭橋から旧川越街道を歩き、環七通りの「板橋中央陸橋交差点」に出ると、交差点角から石段を登り、小高い処に「長命寺」(板橋区東山町)の本堂がある。、、、、長命寺は真言宗豊山派の寺で、東光山医王院と号す。 江戸時代前期の創建と言われ、江戸時代には東新町の氷川神社の別当寺だった。、、、、当寺周辺は、室町時代「お東山」にあったといわれる「板橋城跡」の伝承地の一つである。 本堂前から交差点を見下ろすロケーションは、“城跡”というのも納得できるね! かっては、川越街道・環七通りまで境内は広がっていたそうだ、道路に敷地を取られ小さくなった哀れな寺!

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● 長命寺の裏側(西側500m程)に、かつて長命寺が別当であった「板橋東新町氷川神社」(板橋区東新町)がある。、、、、武蔵一宮氷川神社より勧請した祭神:速須佐之男命を祀る旧村社。 創建は明らかでないが、文政6年(1823)の文書に神社は記載されている。、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿は破損し、昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造の覆殿・内拝殿・幣殿を造営した。 境内は広く“杜”を成し、 整備も行き届き、綺麗で清々しい神社。、、、、チョイト、雨が降ってきたが、傘はいらない程度。

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● 板橋東新町氷川神社鳥居前の道を西へ歩くと、真言宗豊山派寺院の「
武王山最明寺安養院」の門前に出る。、、、、鎌倉中期正嘉元年(1257)に、最明寺北条時頼が諸国行脚のみぎり、持仏「摩利支天」を此地に安置し一宇を建立して創建したと言われてる。 延宝年中火災により諸堂宇灰燼に帰したのを、元禄元年(1688)に再興し、阿弥陀三尊を本尊として、本堂・庫裡・大師堂・鐘楼・山門等を造立して寺院の形態を整え、安養院と称した。、、、、池袋から4㎞程の地にこんなステキな寺があるとは驚き! 今日は、霧雨がチョイト邪魔だ!

・・・・・・・・・・・・山門、、、、昭和59年(1984)新築、総檜造り四脚門。 参道両側にはしっとり濡れたアジサイが梅雨の季節を演出!

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・・・・・・・・・・・・本堂、、、、昭和59年(1984)新築、入母屋
総檜造り、本尊は阿弥陀如来。、、、、本堂前には6本のケヤキが天を指す!

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・・・・・・・・・・・・書院・客殿、、、、明治34年(1901)麹町松平元則候の屋敷として新築。 昭和9年(1934)安養院書院として移築。 玄関は唐破風車寄せで、今日は車が寄せられ邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・起伏にとんだ緑多い約5000坪境内には、他に護摩堂多宝塔鐘楼・庫裏・墓地などが配されてる。 境内のいたるところ多くは苔で覆われ、雨に濡れた苔が鮮やかな緑を放って、山の中にいるような寺だ!

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● 安養院前の区立いこいの家に残る、「上板橋村役場跡」、、、、昭和2年(1927)から5年間この地に役場が置かれていた。 当時の石の門柱が残されている。 この門柱、平成14年(2002)に板橋区の文化財に指定されたそうだ。 “たかが門柱、されど門柱” しかし、わざわざ、見に行くには及ばず!

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● 安養院から
台橋にて再び石神井川を渡り練馬区に入る、羽根木で三度石神井川を越える。 この辺り、石神井川が蛇行している。、、、、練馬区に入ったら、雨も上がったようだ!

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● 東京メトロ有楽町線と副都心線が乗り入れる「
氷川台駅(ひかわだいえき)」に到着。 当駅を含む和光市駅~小竹向原駅の区間は、有楽町線と副都心線が線路を共有している。 練馬区内にナント『元町・中華街行き』の電車が走っているのだ、横浜中華街直行できるなんて便利で羨ましいね! 

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2022年6月 4日 (土)

身上を築く坂

京浜東北線赤羽駅から西へ向かい、都営三田線本蓮沼駅前の中山道に出た。 中山道を横断し、南へ向かい東武東上線の中板橋駅まで散歩。 1万3千歩、6㎞



● 通学する学生の姿が目立つ土曜日の赤羽駅で降りたつ。 西口のロータリーに出て『さて! どちらに向かって歩こうか?』

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・・・・・・・・・・・・駅前の都道460号(=岩槻街道)南に歩いてみる。(北に向かって歩くと、先日歩いてきた新荒川大橋を渡り川口市に戻ってしまう)、、、、駅前から500m程歩くと、細い通り(普門院参道)の奥に普門院の鐘楼門が見える。 今日は素通り!

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● 普門院参道の先に赤羽西交番(北区赤羽西2)がある。 交番前の舟型庚申塔が目に入る『あれは?』 庚申塔の後ろに、「真正寺坂」の案内があり、この庚申塔の説明も書かれてた。『真正寺坂 しんしょうじざか  岩槻海道沿いの赤羽西派出所から西へ登る坂です。坂の北側(赤羽西2-14-6付近)に普門院末の真正寺がありましたが、廃寺となり坂名だけが残りました。坂の登り口南側にある明和6年(1769)11月造立の庚申塔に「これより いたはしみち」と刻まれていて、日光御成道(岩槻海道)と中山道を結ぶ道筋にあたっていたことがわかります。かつて、稲付の人びとは縁起をかついで「しんしょう昇る」といってのぼったそうです。 平成五年三月 北区教育委員会 』、、、、稲付の人ではないが、私:浅草橋の人も「身上昇る」にあやかりたく、坂を上ることにした。

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・・・・・・・・・・・・真正寺坂は岩槻街道(交番前)から西に向かって上り、約270mの緩やか勾配だが、ジグザグに曲がり昔の山道の名残か?、、、、行き交う車は少なく、歩きやすかった! 坂の上まで歩いたので、身上を築けるね!

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● 真正寺坂を上ると「三岩通り」に繋がり「西が丘サッカー場交差点」を直進し、「蓮沼アスリート通り」と称して都営三田線「本蓮沼駅」前で中山道に出る。


・・・・・・・・・・・・「三岩通り」は、“さんいわどうり”と読み、名前の由来は沿道にかつて「第三岩淵小学校(現:西が丘小学校)」があったため。、、、、もうすこし、歴史、由緒ある名前かと思ったが??? 期待はずれ!

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・・・・・・・・・・・・三岩通りから北側の脇道を見ると、坂が下り、その先の台地にUR都市機構の赤羽台の集合住宅が見える。

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・・・・・・・・・・・・西が丘サッカー場交差点を過ぎると、「蓮沼アスリート通り」と道路の愛称は変わるが、“アスリート”らしさを感じることもない。

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・・・・・・・・・・・・蓮沼アスリート通り中山道(=国道17号)にぶつっかる。 ここは、三田線の「本蓮沼駅前。

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● 本蓮沼駅から北へ200m程歩くと、真言宗智山派の寺院「寳勝山南蔵院(板橋区蓮沼町)がある、、、、大きな寺だが、古い堂宇は残っていない。 チョイトお立ち寄り。 『身上を築けるよう、賽銭を奮発して、くれぐれもよろしく』 合掌3回!

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● 南蔵院前で中山道を横断し、板橋区大原町、板橋区泉町を、裏道を選んで歩きぬける。

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・・・・・・・・・・・・板橋区前野町1丁目の交差点角の工事現場に、車止めのような角柱の石がある。 よく見ると何やら文字が彫ってある。、、、、さらによく見ると、正面に「奉待大青面金剛」、右側面には「〇里ま道 寛政三年〇〇」と読めた。 『オゥ! こりゃ、庚申塔で道標だ!』 後に調べてみると、「角柱型庚申塔」と称し、「奉待大青面金剛 講中諸願成就所」、「清水講中 女拾四人 右 大日道 世話人 山上□□」、「左 祢里ま道(ねりま道) 寛政三年十一月」と彫ってあるようだ。、、、、寛政3年は1791年、230年前の庚申塔! 工事現場では可哀そう、道の脇にでも移設し、大切にしたらどうだ!

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● 中板橋駅の北側、「向屋敷橋(むかいやしきばし)
」で石神井川を越える。

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東武東上線「
中板橋駅に到着。 ローカル色が残る、懐かしさを感じる駅。、、、、駅前の中板橋商店街も活気があり、いいね!

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2021年7月28日 (水)

崖っぷちの家

オリンピックは5日目、金メダル獲得数は13個(7/28,23:00現在)で国別トップ。 東京の今日の新型コロナ感染者数は、3,177人で過去最多。 連日、ヤッター・ヤラレター、ハラハラ・ドキドキ、喜んだり・怯えたり、気持ちは昂ったり落ち込んだり、忙しい毎日。 外出も自粛すべきか、多少は良いか! オリンピックとコロナで、家にいても何だか落ち着かぬこの頃。、、、、今日も、熱中症を避け、早朝の散歩です。

都営三田線板橋区役所前駅から、北に向かってJR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 駅名のとおり「板橋区役所前駅」は区役所前の中山道(国道17号)の地下にホームがある。 西高島平方面行のホームは、区の職員と思われる人が数名、電車から降りる。 乗る人も数名。

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・・・・・・・・・・・・【おまけの話】「板橋」の付く駅が多い。 全てが板橋区内に位置するわけではないが。 JR埼京線「板橋駅」、東武東上線には「下板橋駅」「中板橋駅」「上板橋駅」、都営三田線には「新板橋駅」「板橋区役所前駅」「板橋本町駅」、以上全7駅。 いずれ、“板橋7駅巡り”なんて出来るかも?、、、、東京メトロには“板橋”の付く駅がないね!




● 旧中山道「仲宿商店街」にチョビット立ち寄る。、、、、仲宿商店街は旧中仙道の最初の宿場町「板橋宿」の延長上にあり、南北に伸びている。 町の名も「仲宿」で、町の北端で石神井川に接する。 仲宿の町は、北で石神井川を隔てて本町および稲荷台、東で加賀、南で板橋、西で氷川町と隣接する。 西辺を中山道(国道17号)が南北に通じ、南端に東京都道317号環状六号線(山手通り)の終点がある。 仲宿商店街は旧街道沿いに150店程の店舗で構成される元気な商店街。

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・・・・・・・・・・・・商店街の南端に近く、レンガ造りの「板五米店」がある。、、、、店名の「板五」とは板橋町五丁目の略で、昭和30年代まで現存した旧町名です。 現在は板橋区仲宿が行政上の町名。 板五米店の建物は令和2年(2020)に板橋区有形文化財となる。

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・・・・・・・・・・・・板五米店の北側に、真言宗の小寺「遍照寺」がある。、、、、かつてこの地には、現在の遍照寺とは別に天台宗の遍照寺があったが、廃仏毀釈によるものか明治4年廃寺となった。 明治14年成田不動尊の分身を祀り旭不動堂と名を変えて成田新栄講の精神道場となり、同22年(1889)真言宗智山派の寺院として復活、山号を成田山と変えたが、寺号は昔のまま遍照寺を称えた。 本堂は残り、鄙びた姿のまま昭和30年ごろまでひっそりと町裏に息を潜めていたが、改築された。、、、、参道には寛政10年(1798)造立の馬頭観世音がる。 宿場時代には、境内に接して繋馬場が置かれ、継立馬50頭が幕府御用のために常に待機していた。 馬は百姓の負担だったから、この馬たちの安全無事を祈って馬頭観世音は建てられた。

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・・・・・・・・・・・・仲宿商店街からはずれ、裏道へ入っていく。 住宅の奥に銭湯もある。 ちなみに、現在の大人の入浴料は460円也。

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● 石神井川に架かる「御成橋」(昭和45年完成)を渡る。 橋の東側には「帝京大医学部付属病院」がある。 地上19階建て、約1,100床の総合病院。 儲かっていそうな病院だ!

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・・・・・・・・・・・・帝京大附属病院の北側、板橋区稲荷台の町の裏道を歩いてみる。、、、、生活感ある裏道を歩くと、なんとなく気も落ち着く!

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・・・・・・・・・・・・板橋区稲荷台から、隣の北区上十条の町を抜け、環七通りを越える




● 環七通りを越え、埼京線の西側を歩くと、北区立「清水坂公園」がある。 清水坂公園は、北区を南北に走る武蔵野台地の崖地を利用した立体的で変化に富んだ公園。 敷地は20,000平方メートル以上あり、芝生広場は約4,500平方メートルの広さを有し、家族連れでにぎわいそうな公園だ(今は、コロナと熱中症で遊ぶ子はいない)、、、、清水坂公園は、かつて、国鉄の官舎があった場所で、十条仲原4丁目の高台から長い階段を降りた低地に木造の長屋型の家が沢山並んでいたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・清水坂公園の西側を歩くと、十条仲原4丁目の細い道を入ると、その奥に見晴らしの良さそうな住宅が数件並んでいる。、、、、そのうちの一軒は住所表示板の上に黄色の枠で囲われて表札が出ている。 母屋は道路から階段を下った崖の途中にあり、さらにその下に民家の屋根が見える。

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・・・・・・・・・・・・①こちらは、同じ十条仲原4丁目の裏道。 『高台から見る景色が良さそうだ』と奥へ進む。

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②奥にはがけ下へ降りる階段があった

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③階段の途中には民家があり、玄関先へ続く上り階段があった。 写真右方向にさらに下る階段が続く。 いずれにしても、上り下りが大変そうな住宅だ!

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④さらに下へ会談は続き、下から見上げた写真がコレ! 

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● 十条仲原の高台から下り、赤羽西の妙覚山普門院蓮華寺に寄る。 「普門院」は真言宗智山派の寺。、、、、赤羽駅に向かう途中、脇道の正面奥に中国風の鐘楼門(昭和17年から18年頃完成)が見える。 門をくぐると、インドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年完成)が見える。 共謀墓地の右奥に中国風の本堂がある。 異国情緒漂う不思議な空気の寺だ!、、、、普門院の創建年代等は不詳ながら、徳治2年(1307)年の開基とも伝えられている。

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● JR京浜東北線赤羽駅西口に到着。 通勤通学の時間帯からズレルと、ホームも人影は少ない!

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2021年7月22日 (木)

給水塔のある町

今日は、細心の熱中症対策を講じて、『安心・安全・安直な散歩』 

東京メトロ有楽町線「千川駅」から、板橋区大谷口を抜け、東武東上線「大山駅」をとおり、都営三田線の「板橋区役所前駅」まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋からJRで飯田橋へ、有楽町線に乗り換えて「千川駅」へ約30分で到着。 今日は4連休の初日なのだが、頭の中は『今日は何の日?』 今日が『海の日』だって、知らなかった! だから、電車がすいていた。、、、、地上に出ると『今日も暑そうだ!』 早速、熱中症対策で、スポーツドリンクの購入、体温調節で頭と首を濡らす、ついでにボケ防止で妻の誕生日を思い出す(忘れていたら殺される!)

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● 千川駅は豊島区だが、駅出口から300m程北に歩くと「板橋区大谷口」の町だ。 「大谷口(おおやぐち)」とは珍しい地名、石神井川の地形に由来するらしいが、命名の経緯はさっぱり判らん!、、、、町の中央を南北に都道420号線が通る、静かな普通の町。、、、、私は2丁目の裏道を歩いてみた。 

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・・・・・・・・・・・・屋根の向こうに「大谷口の給水所」が見える! そうだ、チョイト見に行こう!

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・・・・・・・・・・・・給水塔の方に向かうと、道を挟んで台座が庚申塔になっている地蔵尊庚申塔2基がある。 北側に西光寺という寺があり、西光寺参道というべきところにある。、、、、左右に庚申塔を配し、道路正面には西光寺の山門と本堂の屋根が見える。 なぜか懐かしい風景に思える。

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・・・・・・・・・・・・ここまできたら、「西光寺」に寄っていこう!、、、、観世音菩薩を本尊とする、真言宗豊山派の西光寺。 宝樹山盛徳院と称する。 古くからこの地にあった一観音堂に大野清右衛門が田畑を寄進し、堂宇を建設したことから始まるという。 開山は1640年代(江戸時代初期)と思われる。 明治3年(1870)、住職広沢賢隆は、境内に一棟を建てて寺子屋を開設し、同9年に上板橋学校が開設されるまで近所の子供に教育をおこなった。、、、、時間を止めたような佇まいの寺。 境内には爽やかな風が吹いている。

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● 西光寺の東側、都道420号線に面して「大谷口給水所」がある。、、、、板橋区大谷口1丁目には、大谷口給水塔が建てられていたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。 その給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に取り壊された「大谷口給水塔」は、東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。 地域のシンボル的な建物であった。(写真は当時の給水塔)

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● 都道は川越街道(国道254号)にぶつかる。 川越街道を横断すると、アーケードのある商店街「ハッピーロード大山」を歩き、東武東上線大山駅に出る。 元気な商店街だ!

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● ハッピーロード大山商店街の東端に「大山駅」がある。 昭和6年(1931)8月25日に開業。 相対式2面2線の地上駅。、、、、地元密着型の商店街と駅、下町の雰囲気漂い、ピッタシ相性が良さそうだ!

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● 大山駅から帰ろうかと思ったが時刻はまだ9時半、『もう少し歩こう!』と思う。 線路を越えて大山駅の東側に続く「遊座大山」商店街を抜け、山手通り(国道317号)に出る。、、、、こちらの商店街も元気そうだ!

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● 山手通りに面し板橋区役所があり、庁舎前は都営三田線の「板橋区役所前駅、、、、地下1階に相対式ホーム2面2線の小さな地下駅。 方面別に改札があり、方面を間違えて地下に潜ると、地下2階の連絡通路を利用することになり、年寄りには階段の上り下りが辛い駅だ!

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2021年3月22日 (月)

二寺の閻魔さま

緊急事態宣言が解除され、緩んだ気持ちがより緩み、『もうどうでもいいや!』の異常事態となった。 緩みっぱなしの気持ちで、今日は、中板橋に閻魔さまが居ると聞いたので、見に行くことにした。 東武東上線中板橋駅で下車し、専称院の閻魔さま、大山のおふく地蔵を見て、帰りは中山道仲宿の文殊院の閻魔さまにも挨拶し、都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 池袋駅から東武東上線で4駅目が「中板橋駅」である。 島式ホーム2面4線の地上駅には、「普通」しか停車しない。 「特急」、「急行」、「快速」、そして「準急」のいずれも、堂々と疾走し通過して行く。、、、、駅の由来は、付近に“中板橋村”があった訳じゃない。 昭和初期、この付近の子供は東上線の鉄橋を利用して石神井川に飛び込んで遊んでいた。 そこで、危険を感じた東武鉄道では、地元に鉄橋で遊ぶことは危ないので、他の遊び場を作るように申し入れ、地元では夏場の遊び場として「遊泉園」と云うプールをオープンさせた。 プールには遠方からも利用者が訪れるようになり、遊泉園では近くに駅の設置を申し入れ、昭和8年(1933)に新駅が開業することとなった。 この時、東武鉄道は駅名を何とするか地元に尋ね、地元では上板橋駅と下板橋駅の中間にあることから、単純に「中板橋」と回答した。 これが中板橋駅の生い立ちである! 判りやすい命名である!!

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● 中板橋駅から南へ300m程、今日の散歩の目的地:浄土宗寺院の「専称院(せんしょういん)」(板橋区仲町)がある。 専称院は、亀嶋山地蔵寺と号し、御本尊は阿弥陀如来。 寺はもと豊島の地(王子)に地蔵堂として創建された。 宝永年間(1704~1711)に祐天上人によって中興され現寺号に改称した。 昭和7年(1932)都市道路計画により王子の地を離れ、当地にあった乗蓮寺塔頭香林庵を合併して移転してきた。 香林庵は明治7年(1874)に区域で初めて公立の小学校が設置された場所である。 小さいながら厳かな雰囲気のお寺だ!

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・・・・・・・・・・・・専称院が豊島の地にあった頃、文化10年(1814)に境内に閻魔堂を合祀し、子育地蔵と共に世人に親しまれ信仰を集めた。 今は、本堂の右手前に閻魔堂を建て、渋みのある怖そうな閻魔大王が睨みをきかせている!

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・・・・・・・・・・・・豊島の地は、荒川沿いにあったため、寛政12年(1800)水害の溺死者の供養塔が建てられるなど、水難者の供養寺としても有名だったそうだ。

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● 東武東上線の中板橋駅と大山駅の間にある“板橋区仲町”周辺の小さな神社、石仏などをチョッピリ紹介・・・・・・
・・・・・・・・・・・・専称院の南100mに、倭建命を祀る「轡神社(くつわじんじゃ)」がある。 もと轡権現社と呼ばれていた。 名称の由来は、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれている。 江戸時代から「百日ぜき」に霊験がある神として広く信仰を集めていたそうだ。、、、、現在は、ツムラの漢方薬「麦門冬湯」などが効くらしい。 お試しあれ!

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・・・・・・・・・・・・轡神社から南東へ300m程、川越街道に出る手前(大山町)に、お地蔵さまを奉った祠「大山福地蔵尊」がある。、、、、今より150年前安政年間に鎌倉街道(日大交差点附近)では、いずれからかおふくさんという行者が来て街道筋の難病苦業を癒し大山宿の住民からは大変に慕われていた。 その後、大山に住み余生を衆生につくしたので、後に地元大山の人々からは、おふく地蔵としてまつられ現在に至っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・おふく地蔵の前の道「福地蔵尊通り」を北へ500m程歩き、「豊島病院通り」に入ると、東上線のガード(仲町)がある。 その東上線線路脇に庚申塔が祀られている。、、、、光背上部を欠いているが、読めるのは庚寅年十一月十四日だけで、造立年は確定できない。、、、、道路を挟んで向かいのお婆さんが、花・水を供え、掃き清めているらしい。

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● 中板橋駅と大山駅の中間を西に伸びる「豊島病院通り」を歩き、中山道に出る手前に「氷川神社」がある。 この氷川町の氷川神社は、現在、板橋宿の19の町を氏子区域とする。、、、、元久3年(1206)頃に、現在の所在地周辺を領有していた豊島氏の豊島左衛門尉経泰が、現在の埼玉県大宮市の氷川神社より、素盞男命、稲田姫命の分霊を奉じて社を建てたのが起源とされる。 石神井川畔の景勝の地ということで選ばれた。 豊島氏が没落した後も、地元民が板橋宿の鎮守として信仰してきた。 しかし、明治22年(1889)の火災で社は焼失し、起源を裏付ける史料も失われている。 火災の翌年に再建されたが、昭和20年(1945)の空襲で再び全焼した。 現在の社殿は、昭和33年(1958)9月に竣工した、鉄筋コンクリート、流造。、、、、中山道に沿って細長い参道の先に、石神井川を背にして社殿がある。 ナントナク寂れた感じをうける神社だ! コロナ禍で営業不振なのかも?

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● 氷川神社まで来たら、閻魔さまが居る、もう一寺に寄って行くことにした。 氷川神社から中山道を横断し旧中山道の商店街の近くに、真言宗豊山派の寺院「文殊院」がある。 文殊院は幡場山と号し、板橋宿本陣の飯田家の菩提寺として江戸時代初期に創建された。 開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝えられている。

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・・・・・・・・・・・・山門脇の閻魔堂には、閻魔大王・奪衣婆・懸衣翁の3像が安置されている。 懸衣翁が留まっている木は衣領樹と称し、奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣をこの枝に懸けて、垂れ具合で生前の罪の重さを計るのである。、、、、亡者が相撲取りだったら、回しを剥ぎ取るとスッポンポン! 猥褻物陳列罪で市中引き回しの後、所払いかも!

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● お帰りは、板橋区役所前駅から都営三田線に乗る。 昭和43年(1968)に、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅名のごとく、区役所とは地下通路で結ばれている。、、、、ホーム・通路・改札など、全体的にゆとりが少なく手狭に感じる駅だ! 50年前に、工事費を削ったのか?


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2020年11月18日 (水)

戸田橋と荒川橋梁

一昨日笹目橋を渡り戸田公園駅まで歩いたので、今日は戸田公園駅から戸田橋を渡り浮間舟渡駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 赤羽で埼京線に乗換て戸田公園駅まで来た、我が家(浅草橋)からは所要時間:約40分。 多くの通勤客の移動方向とは逆なので、電車は比較的すいており座れた。 都心に向かう電車は乗車率120%ぐらい、着席するのは無理だね!、、、、戸田公園駅に到着した時、反対側のホームに上り(都心方面)列車が停まっており、見ると・ナント!相鉄線直通の海老名行きであった。 武蔵浦和駅始発で新宿・大崎・武蔵小杉・西谷経由で相鉄線の海老名駅まで、所要時間:1時間36分の列車である。 埼玉県のベッドタウンから都心を貫いて神奈川県のベッドタウンまで、端から端まで乗る人は、どんな人かチョイト興味が湧いてきた。(きっと、私ような鉄道オタクのヒマジンかな)

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● 駅から戸田橋へ向かう前に、戸田漕艇場地蔵堂に寄ってみた。、、、、、、

・・・・・・・・・・・・まずは、漕艇場の手前にある戸田橋親水公園に保存されている「三代目戸田橋の親柱」を見る。 三代目戸田橋は、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一美しい橋として話題を呼んだそうだ。 親水公園には、三代目戸田橋の埼玉県側の親柱一対が移設されている。、、、、戸田橋の設計者は、昭和初期の著名な橋梁設計士であった増田淳であり、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、凝ったデザインが目を引く。 橋は総工費101万9000円で、昭和7年(1932)に完成した。 現在の戸田橋の完成後、昭和53年(1978)に撤去された。

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・・・・・・・・・・・・戸田橋親水公園の前に、長~い戸田漕艇場が見える。両側には、大学・企業の艇庫が並ぶ。 コロナの影響か(?)、練習している姿が見えない!、、、、オリンピックに向け、選手強化は大丈夫か?

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・・・・・・・・・・・・新幹線・埼京線の高架橋を抜けて、漕艇場とは反対側の戸田市川岸1丁目の「地蔵堂」に寄る。 この地蔵堂は、ナント・戸田市最古の木造建築である。 江戸時代の「中山道分間延絵図」にも記されているそうだ。、、、、墓地には、これまた古そうな、庚申塔・板碑・地蔵・墓がゴロゴロ。 “戸田市最古”では、重要文化財にならないのかな!(国・県・市のいずれも無指定)

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂の南、荒川の土手下に「水神社」がある。 神社の創立など詳細は不明だが、御神体の「水神宮」の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 古くは荒川の端にあったもので、新堤防ができてから移され、川岸に住む人々の氏神様のようになっていた。、、、、小さな神社で、かつて渡しがあった時代、街道脇に祀られていたのかも?

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● 荒川には、国道17号(中山道)を通す戸田橋が架かり、その下流側にはJR東北新幹線・埼京線の荒川橋梁が並行して架かっている。
・・・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、昭和53年(1978)8月13日に完成した、橋長519.0m、幅員21.0mの鋼連続箱桁橋。 四代目の戸田橋である。、、、、初代戸田橋は、明治7年(1874)に民間人が私財を投じ戸田橋の工事に着手した。 途中資金不足で、オーナーは変わったが明治8年(1875)に木製、橋長136.0m、幅員4.2mの戸田橋が竣工した。 通行は有料であった。、、、、二代目の戸田橋は、初代の橋が傷んだため、東京都と埼玉県が資金を折半し、大正元年(1912)に木製の土橋に架け替えられた。 橋長129.0m、幅員5.0m。 大正12年(1923)の関東大震災と翌年の大水で破損した。、、、、三代目の戸田橋は、先に説明した通り、昭和7年(1932)に完成し、昭和53年(1978)に撤去された。

・・・・・・・・・・・・・・戸田橋から下流に70m程離れて、東北新幹線・埼京線が走る複々線の荒川橋梁が架かっている。 橋長は521.2m、総幅員20.7m、最大スパン86.7mの鉄道橋。 工費は約100億円。 橋梁の開通は、先ず昭和60年(1985)3月14日の東北新幹線部分の供用が開始され、次いで昭和60年9月30日に埼京線部分の供用が開始された。


・・・・・・・・・・・・・・まず埼玉県戸田市の土手から、右(上流側)に戸田橋、左(下流側)に荒川橋梁が見える。(橋上に外路灯がたっているのが戸田橋、架線柱がたっているのは荒川橋梁)

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・・・・・・・・・・・・戸田橋を渡る


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・・・・・・・・・・・・東京都板橋区の土手から、左(上流側)に戸田橋、右(下流側)に荒川橋梁が見える。

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● 戸田橋を渡ると、JRの高架橋は大きくカーブして、浮間舟渡駅に向かう。 浮間舟渡駅は北区浮間と板橋区舟渡にまたがる駅。(ホームの中程に区境があるようだ) 昭和60年(1985)に埼京線の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームからは隣に並走する新幹線が良く見える。、、、、サラリーマン時代には、東北方面へ出張した帰り、夜、大宮を過ぎるとマンション・団地の明りが灯る夜景の中に、浮間舟渡駅の駅名が見えると、『あ、東京に入った、もうすぐ上野だ!』とホッとする思い出がある。

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