板橋区

2021年3月22日 (月)

二寺の閻魔さま

緊急事態宣言が解除され、緩んだ気持ちがより緩み、『もうどうでもいいや!』の異常事態となった。 緩みっぱなしの気持ちで、今日は、中板橋に閻魔さまが居ると聞いたので、見に行くことにした。 東武東上線中板橋駅で下車し、専称院の閻魔さま、大山のおふく地蔵を見て、帰りは中山道仲宿の文殊院の閻魔さまにも挨拶し、都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 池袋駅から東武東上線で4駅目が「中板橋駅」である。 島式ホーム2面4線の地上駅には、「普通」しか停車しない。 「特急」、「急行」、「快速」、そして「準急」のいずれも、堂々と疾走し通過して行く。、、、、駅の由来は、付近に“中板橋村”があった訳じゃない。 昭和初期、この付近の子供は東上線の鉄橋を利用して石神井川に飛び込んで遊んでいた。 そこで、危険を感じた東武鉄道では、地元に鉄橋で遊ぶことは危ないので、他の遊び場を作るように申し入れ、地元では夏場の遊び場として「遊泉園」と云うプールをオープンさせた。 プールには遠方からも利用者が訪れるようになり、遊泉園では近くに駅の設置を申し入れ、昭和8年(1933)に新駅が開業することとなった。 この時、東武鉄道は駅名を何とするか地元に尋ね、地元では上板橋駅と下板橋駅の中間にあることから、単純に「中板橋」と回答した。 これが中板橋駅の生い立ちである! 判りやすい命名である!!

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● 中板橋駅から南へ300m程、今日の散歩の目的地:浄土宗寺院の「専称院(せんしょういん)」(板橋区仲町)がある。 専称院は、亀嶋山地蔵寺と号し、御本尊は阿弥陀如来。 寺はもと豊島の地(王子)に地蔵堂として創建された。 宝永年間(1704~1711)に祐天上人によって中興され現寺号に改称した。 昭和7年(1932)都市道路計画により王子の地を離れ、当地にあった乗蓮寺塔頭香林庵を合併して移転してきた。 香林庵は明治7年(1874)に区域で初めて公立の小学校が設置された場所である。 小さいながら厳かな雰囲気のお寺だ!

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・・・・・・・・・・・・専称院が豊島の地にあった頃、文化10年(1814)に境内に閻魔堂を合祀し、子育地蔵と共に世人に親しまれ信仰を集めた。 今は、本堂の右手前に閻魔堂を建て、渋みのある怖そうな閻魔大王が睨みをきかせている!

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・・・・・・・・・・・・豊島の地は、荒川沿いにあったため、寛政12年(1800)水害の溺死者の供養塔が建てられるなど、水難者の供養寺としても有名だったそうだ。

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● 東武東上線の中板橋駅と大山駅の間にある“板橋区仲町”周辺の小さな神社、石仏などをチョッピリ紹介・・・・・・
・・・・・・・・・・・・専称院の南100mに、倭建命を祀る「轡神社(くつわじんじゃ)」がある。 もと轡権現社と呼ばれていた。 名称の由来は、この地を訪れた徳川家康の乗馬のくつわを祀ったからとも、また馬蹄を祀ったからともいわれている。 江戸時代から「百日ぜき」に霊験がある神として広く信仰を集めていたそうだ。、、、、現在は、ツムラの漢方薬「麦門冬湯」などが効くらしい。 お試しあれ!

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・・・・・・・・・・・・轡神社から南東へ300m程、川越街道に出る手前(大山町)に、お地蔵さまを奉った祠「大山福地蔵尊」がある。、、、、今より150年前安政年間に鎌倉街道(日大交差点附近)では、いずれからかおふくさんという行者が来て街道筋の難病苦業を癒し大山宿の住民からは大変に慕われていた。 その後、大山に住み余生を衆生につくしたので、後に地元大山の人々からは、おふく地蔵としてまつられ現在に至っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・おふく地蔵の前の道「福地蔵尊通り」を北へ500m程歩き、「豊島病院通り」に入ると、東上線のガード(仲町)がある。 その東上線線路脇に庚申塔が祀られている。、、、、光背上部を欠いているが、読めるのは庚寅年十一月十四日だけで、造立年は確定できない。、、、、道路を挟んで向かいのお婆さんが、花・水を供え、掃き清めているらしい。

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● 中板橋駅と大山駅の中間を西に伸びる「豊島病院通り」を歩き、中山道に出る手前に「氷川神社」がある。 この氷川町の氷川神社は、現在、板橋宿の19の町を氏子区域とする。、、、、元久3年(1206)頃に、現在の所在地周辺を領有していた豊島氏の豊島左衛門尉経泰が、現在の埼玉県大宮市の氷川神社より、素盞男命、稲田姫命の分霊を奉じて社を建てたのが起源とされる。 石神井川畔の景勝の地ということで選ばれた。 豊島氏が没落した後も、地元民が板橋宿の鎮守として信仰してきた。 しかし、明治22年(1889)の火災で社は焼失し、起源を裏付ける史料も失われている。 火災の翌年に再建されたが、昭和20年(1945)の空襲で再び全焼した。 現在の社殿は、昭和33年(1958)9月に竣工した、鉄筋コンクリート、流造。、、、、中山道に沿って細長い参道の先に、石神井川を背にして社殿がある。 ナントナク寂れた感じをうける神社だ! コロナ禍で営業不振なのかも?

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● 氷川神社まで来たら、閻魔さまが居る、もう一寺に寄って行くことにした。 氷川神社から中山道を横断し旧中山道の商店街の近くに、真言宗豊山派の寺院「文殊院」がある。 文殊院は幡場山と号し、板橋宿本陣の飯田家の菩提寺として江戸時代初期に創建された。 開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝えられている。

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・・・・・・・・・・・・山門脇の閻魔堂には、閻魔大王・奪衣婆・懸衣翁の3像が安置されている。 懸衣翁が留まっている木は衣領樹と称し、奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣をこの枝に懸けて、垂れ具合で生前の罪の重さを計るのである。、、、、亡者が相撲取りだったら、回しを剥ぎ取るとスッポンポン! 猥褻物陳列罪で市中引き回しの後、所払いかも!

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● お帰りは、板橋区役所前駅から都営三田線に乗る。 昭和43年(1968)に、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅名のごとく、区役所とは地下通路で結ばれている。、、、、ホーム・通路・改札など、全体的にゆとりが少なく手狭に感じる駅だ! 50年前に、工事費を削ったのか?


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2020年11月18日 (水)

戸田橋と荒川橋梁

一昨日笹目橋を渡り戸田公園駅まで歩いたので、今日は戸田公園駅から戸田橋を渡り浮間舟渡駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 赤羽で埼京線に乗換て戸田公園駅まで来た、我が家(浅草橋)からは所要時間:約40分。 多くの通勤客の移動方向とは逆なので、電車は比較的すいており座れた。 都心に向かう電車は乗車率120%ぐらい、着席するのは無理だね!、、、、戸田公園駅に到着した時、反対側のホームに上り(都心方面)列車が停まっており、見ると・ナント!相鉄線直通の海老名行きであった。 武蔵浦和駅始発で新宿・大崎・武蔵小杉・西谷経由で相鉄線の海老名駅まで、所要時間:1時間36分の列車である。 埼玉県のベッドタウンから都心を貫いて神奈川県のベッドタウンまで、端から端まで乗る人は、どんな人かチョイト興味が湧いてきた。(きっと、私ような鉄道オタクのヒマジンかな)

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● 駅から戸田橋へ向かう前に、戸田漕艇場地蔵堂に寄ってみた。、、、、、、

・・・・・・・・・・・・まずは、漕艇場の手前にある戸田橋親水公園に保存されている「三代目戸田橋の親柱」を見る。 三代目戸田橋は、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一美しい橋として話題を呼んだそうだ。 親水公園には、三代目戸田橋の埼玉県側の親柱一対が移設されている。、、、、戸田橋の設計者は、昭和初期の著名な橋梁設計士であった増田淳であり、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、凝ったデザインが目を引く。 橋は総工費101万9000円で、昭和7年(1932)に完成した。 現在の戸田橋の完成後、昭和53年(1978)に撤去された。

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・・・・・・・・・・・・戸田橋親水公園の前に、長~い戸田漕艇場が見える。両側には、大学・企業の艇庫が並ぶ。 コロナの影響か(?)、練習している姿が見えない!、、、、オリンピックに向け、選手強化は大丈夫か?

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・・・・・・・・・・・・新幹線・埼京線の高架橋を抜けて、漕艇場とは反対側の戸田市川岸1丁目の「地蔵堂」に寄る。 この地蔵堂は、ナント・戸田市最古の木造建築である。 江戸時代の「中山道分間延絵図」にも記されているそうだ。、、、、墓地には、これまた古そうな、庚申塔・板碑・地蔵・墓がゴロゴロ。 “戸田市最古”では、重要文化財にならないのかな!(国・県・市のいずれも無指定)

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂の南、荒川の土手下に「水神社」がある。 神社の創立など詳細は不明だが、御神体の「水神宮」の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 古くは荒川の端にあったもので、新堤防ができてから移され、川岸に住む人々の氏神様のようになっていた。、、、、小さな神社で、かつて渡しがあった時代、街道脇に祀られていたのかも?

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● 荒川には、国道17号(中山道)を通す戸田橋が架かり、その下流側にはJR東北新幹線・埼京線の荒川橋梁が並行して架かっている。
・・・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、昭和53年(1978)8月13日に完成した、橋長519.0m、幅員21.0mの鋼連続箱桁橋。 四代目の戸田橋である。、、、、初代戸田橋は、明治7年(1874)に民間人が私財を投じ戸田橋の工事に着手した。 途中資金不足で、オーナーは変わったが明治8年(1875)に木製、橋長136.0m、幅員4.2mの戸田橋が竣工した。 通行は有料であった。、、、、二代目の戸田橋は、初代の橋が傷んだため、東京都と埼玉県が資金を折半し、大正元年(1912)に木製の土橋に架け替えられた。 橋長129.0m、幅員5.0m。 大正12年(1923)の関東大震災と翌年の大水で破損した。、、、、三代目の戸田橋は、先に説明した通り、昭和7年(1932)に完成し、昭和53年(1978)に撤去された。

・・・・・・・・・・・・・・戸田橋から下流に70m程離れて、東北新幹線・埼京線が走る複々線の荒川橋梁が架かっている。 橋長は521.2m、総幅員20.7m、最大スパン86.7mの鉄道橋。 工費は約100億円。 橋梁の開通は、先ず昭和60年(1985)3月14日の東北新幹線部分の供用が開始され、次いで昭和60年9月30日に埼京線部分の供用が開始された。


・・・・・・・・・・・・・・まず埼玉県戸田市の土手から、右(上流側)に戸田橋、左(下流側)に荒川橋梁が見える。(橋上に外路灯がたっているのが戸田橋、架線柱がたっているのは荒川橋梁)

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・・・・・・・・・・・・戸田橋を渡る


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・・・・・・・・・・・・東京都板橋区の土手から、左(上流側)に戸田橋、右(下流側)に荒川橋梁が見える。

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● 戸田橋を渡ると、JRの高架橋は大きくカーブして、浮間舟渡駅に向かう。 浮間舟渡駅は北区浮間と板橋区舟渡にまたがる駅。(ホームの中程に区境があるようだ) 昭和60年(1985)に埼京線の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームからは隣に並走する新幹線が良く見える。、、、、サラリーマン時代には、東北方面へ出張した帰り、夜、大宮を過ぎるとマンション・団地の明りが灯る夜景の中に、浮間舟渡駅の駅名が見えると、『あ、東京に入った、もうすぐ上野だ!』とホッとする思い出がある。

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2020年11月16日 (月)

終点、西高新平

地図を眺めていたら笹目橋を渡って埼玉県に入ってみたくなり、今日は都営三田線の終点:西高島平駅から笹目橋を渡りJR埼京線の戸田公園駅まで、1万歩の散歩です。




● 巣鴨でJR山手線から都営三田線に乗換て、約23分で西高島平駅に到着。 我が家(浅草橋)からは、約50分要する、“散歩”にしてはチョイト遠いね!、、、、三田線の終点:西高島平駅は相対式ホーム2面2線の高架駅である。 列車は両方のホームから交互に発車するので、先発列車がどちらのホームから出るか、乗る前に確認する必要がある。 ホームの先に、国道17号新大宮バイパスの上を走る首都高5号が至近距離にあるため、列車停車位置から車止めまでの過走距離は短かく、停車位置に止まらずオバーランすると、車止めに激突する確率は高い! 事故が起きないように慎重に運転して欲しいね。、、、、駅名の“西高島平”は地名としては存在せず、高島平の西端の駅という意味合いらしい。 駅から西へ400m程歩けば埼玉県和光市である。 

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● 駅から大宮バイパス沿いに北へ500m程歩くと笹目橋(ささめばし)がある。 笹目橋は、東京都板橋区高島平と埼玉県戸田市堤外の間で荒川および新河岸川(下流で隅田川に合流)に架かる橋。 国道17号新大宮バイパス上り線の橋と下り線の橋と、それらの間にある首都高速5号池袋線の橋の、計3本の橋の総称である。 上流側から新大宮バイパス下り(4車線+自歩道)、首都高速5号池袋線(上下各2車線)、新大宮バイパス上り(4車線+自歩道)の3本の橋が並んで架かっており、竣工年が最も古い下り線の橋のみ一段低くなっている。、、、、初代の笹目橋は、昭和17年(1942)に開通した、欄干のない木造橋で、河川増水時は水面下に沈む冠水橋だったそうだ。 戦後、昭和29年(1954)には2代目の笹目橋(冠水橋)が竣工する。 昭和39年(1964)に現在の大宮バイパスの下り線に該当する笹目橋第一橋が完成する。 昭和52年(1977)に第二橋(現在の首都高5号線)が、昭和63年(1988)に第三橋(現在の大宮バイパス上り線)が完成する。 全長はいずれも621.7 mの鋼製連続箱桁橋。 戦後も造られた冠水橋、残しておいて欲しかったね!、、、、橋の名前は現在の戸田市南西部にあった、旧笹目村に由来する。

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・・・・・・・・・・・・笹目橋上の都県境は橋の中央ではなく、荒川の右岸より(新河岸川より)にある。 新河岸川は東京都板橋区に属す。 また、埼玉県の部分で、板橋区側の100m程は埼玉県和光市に属し、その北側の左岸までが埼玉県戸田市に属す。 橋上には、都県境、市境の標識が並ぶ。、、、、両岸は板橋区と戸田市なので、橋上の和光市の標識は“不要”と思う人もいるだろうね。 私もその一人!

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● 笹目橋を渡り戸田市に入ると、県道68号(オリンピック通り)を歩き、戸田公園駅に向かう。、、、、「オリンピック通り」は、1964年東京オリンピックの漕艇競技場(現在:戸田漕艇場)までの交通のために整備された道路である。 道路の両側は大型の工場・倉庫とマンションが並び、興味を引くものもない、面白くない道だ。 ひたすら歩くだけ!

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オリンピック通りは私をJR埼京線戸田公園駅まで誘導してくれた!、、、、昭和60年(1985)9月30日に国鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線とその外側に2線の通過線を有する高架駅。 快速の停車駅で、新宿まで23分と便利な処なので、駅周辺にはマンションが並んでいる。
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2020年10月21日 (水)

六地蔵の三番目

いよいよ三番目の江戸六地蔵。 巣鴨の真性寺に行って、巣鴨地蔵通商店街を抜け板橋駅まで、9千歩の散歩です。




● JR巣鴨駅は、明治36年(1903)4月1日、日本鉄道の駅として開業。、、、、駅の構造は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、改札は大塚駅寄りの1か所のみ。 平成22年(2010)に駅ビル「アトレヴィ巣鴨」がオープンし、モダンな駅となった。 「おばあちゃんの原宿」としては近代的すぎ、お年寄りが駅ビルを利用する姿はあまり見られないようだ。、、、、早朝の巣鴨駅は、近くの女学校の生徒が大勢降りてくる姿が見られる。 朝は女学生、日中はおばあちゃん、巣鴨駅は女性に人気があるのかも?

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● 駅前の中山道(国道17号)に面して真性寺はある。 中山道から境内に入ると、本堂を背にして地蔵菩薩像を正面に拝す。 江戸六地蔵の三番目だ! お寺の方が、地蔵菩薩の花に水をやり、台座を清掃していた。 本堂へ先に参り、その後、地蔵菩薩に手を合わせてきた。、、、、真性寺は、医王山東光院真性寺と称し、真言宗豊山派に属し、奈良県桜井市初瀬にある総本山長谷寺の末寺である。 当寺の開基は不明だが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたと云われている。 中興開基は元和元年(1615)に祐遍法印が行った。 御本尊の薬師如来は秘仏で、古来より一切開扉されていないそうだ。(開けたら中に仏様が無いかも? 失礼!)

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・・・・・・・・・・・・さて、当寺境内に安置されている「江戸六地蔵」は、6体の内、四番目に鋳造されたものである。 尊像は、地蔵坊正元が発願主となって宝永3年(1705)造立の願を発してから、9年後の正徳4年(1714)に造立された。 像高は、太宗寺の像より1cm大きい2.68mである。、、、、平成20年の修理においては、胎内から銅造地蔵菩薩4躰と銅札・木札が多数発見されたそうだ。 それらは、再び胎内に戻されている。、、、、この像は手入れが良いのか、石の台座や像の袈裟部分に寄進した多くの人名が、小さい字でビッシリ彫られているのを見ることができる。

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● 真性寺の山門脇は、「巣鴨地蔵通商店街」である。 セッカクだから、「おばあちゃんの竹下通り」も歩いて行くことにした。、、、、まだ午前8時半、店は準備中か、シャッターは下りたまま。 通勤する人が足早に通り抜けていく。 名物の「赤パンツ」の店もシャッターが下りている。 60歳過ぎたら長寿を願い、おしゃれに愛用、赤い失禁パンツ!(最近は、有名ブランド物の赤パンツも販売しているらしい。 20歳代の愛用者がいるのかも?)

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● 商店街の中程、「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれる、曹洞宗萬頂山高岩寺に寄って行く。 寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ約60年後、下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年(1891)に移転してきた。 ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩だが、秘仏であるため拝見できない、残念! 替わりに、新しい「洗い観音」なる石像がある。、、、、どこのお寺も、生活の知恵か? 何かと、御利益ありそうな仏像・行事が、長い歴史の中で途切れることなく用意されている。

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● 巣鴨地蔵通商店街の北の端には、「猿田彦大神庚申堂」がある。 つまり、「おばあちゃんの竹下通り」は、六地蔵と庚申堂に挟まれ、途中にとげぬき地蔵がある、神仏に囲まれ来世に近い、まさに紙おむつ・赤パンツの愛用世代向けの商店街。、、、、その、猿田彦大神庚申堂には、かつて庚申塚があった。 現在は庚申塔の小祠が立っているのみだが、庚申の日には多くの参拝客があるそうだ。、、、、庚申塔の猿像の顔が鋭いね!

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● 猿田彦大神庚申堂のそばに、明治44年(1911)に開業した都電荒川線の「庚申塚停留場」がある。、、、、都電を見ると、写真を撮りたくなる。

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● 庚申塚からは裏道を歩き、明治通りを越え、板橋駅にむかう。

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● 今年7月に新築し、オープンした「JR板橋東口ビル」。 フィットネス、スパなどが入った駅ビルで、改札はビルの1階。、、、、何でも“新しい”のは気持ちいいね! 駅も新しいと明るくなって、スマートな雰囲気。 ホームは古いまま!

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2020年8月 8日 (土)

アスリートの町

JR京浜東北線の東十条駅から、環七通りに出て埼京線を越え、西が丘を抜け本蓮沼駅前から北東に歩き、都営三田線志村坂上駅まで、1万2千歩の散歩です。


● 京浜東北線東十条駅は島式ホーム2面3線の地上駅。 ホーム両端に改札口があり、それぞれ北口、南口と称している。 北口は橋上駅舎で改札を出ると、東西方向に行ける。 今日は駅前の狭い道を抜け、駅西側の北区中十条から散歩を始める。

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● 駅の北側にある真言宗智山派の寺院:無量山龍谷院西音寺。 本尊は不動明王。 文明年間(1469~1486)の僧玄仲による創建と伝えられる。 3代将軍家光が日光社参の都度ここで休み、畳・襖・雪隠などを寄進したほか灯明料・普請料の名目で若干の金子を奉納したこともあった。、、、、立派な山門は江戸時代後期の建築。 山門横の観音堂も江戸時代後期の建築。 本堂は正徳2年(1712)の建立。 木造洋風の檀徒会館は、昭和5年(1930)に建築された旧和光学園幼稚園舎を移築したもの。、、、、近くの北区立荒川小学校は、明治6年(1873)に児童数15名で西音寺で開校したそうだ。

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環七通りに出る。 「富士見橋」にて埼京線を越える。

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・・・・・・・・・・・・埼京線の西側(十条仲原2)の環七通りの裏、小さな社の「日枝神社」がある。、、、、祭礼のようだが、コロナの影響で自粛するそうだ。 日本中の神社で、祭礼は自粛ムード、今年は神輿を見るのが難しいかも?、、、、祭神に大山咋命を祀り、社殿には「山王大権現」と記している。 元禄2年(1689)創建とある。、、、、また、境内右奥の延宝4年(1678)の「十条仲原庚申塔」は、手入れも良く残されている。 昭和50年(1975)に地元有志によって昭和初年以来途絶えていた庚申講が復活したそうだ。

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● 環七通りの北側、十条仲原3丁目の裏道を歩き、方向感覚が怪しくなってきたとき、♪♪この道は いつか来た道 ああ そうだよ 暮れに来た坂だ覚えてる♪♪ 「游鯉園の坂を下り、同じ道を歩きたくないので西に折れた。 ツタの絡まるチャペル風の廃屋がある。 いつの間にか住所は西が丘2丁目、懐かしい木造の目隠し塀もある。

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西が丘トレーニングセンター国立スポーツ科学センターなどの大規模施設が並ぶ、オリンピックのアスリート育成拠点に出てきた。、、、、凄い施設だ、相当“金”も掛かっている、これでオリンピック中止になると、どうなるのか?????

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中山道に出た、都営三田線の本蓮沼駅を通り、一つ先の志村坂上駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・志村坂上駅の手前、中山道の左右に対になった一里塚がある。 けっこう大きな塚で、江戸時代に築かれた。、、、、一里塚の隣りには、明治22年(1889)創業の原木商「斎藤商店」がある。昭和8年(1933)に建てられた現建物は、町のランドマークとなっている。(登録文化財)

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・・・・・・・・・・・・一里塚の隣りに志村坂上駅もある。、、、、昭和30年代、私の中・高等学校は白山にあり、水道橋方面から都電18番(神田橋~志村坂上)に乗って通学していた。 当時は、巣鴨から北の志村坂上とはどんな処なのか知ることもなく、興味もない町だった。 都電が「志村坂上」行きなので、名前だけは頭にこびりついていた!

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2020年1月24日 (金)

バカ殿の志村城?

東武東上線の上板橋駅から北へ向かい、途中で進路を東に変えて、都営三田線の志村坂上駅まで、1万2千歩の散歩です。




●京に近い駅! ・・・・・・・上板橋駅は大正3年(1914)5月6日、東上本線池袋~田面沢(現在の川越市駅の近くにあった駅)間が開業してから、約一ヶ月後の6月17日に開業した。 池袋から6駅目の上板橋駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、特急、快速、急行、準急が通過して行く、止まるのは普通列車のみ。 橋上駅舎の改札口をを出ると線路の両側、南口と北口に出ることができる。 南口はチョイトせせこましい通りに面し夜は楽しそうな出口、北口はバスも止まる駅前の広い出口、今日の散歩は北口から北に向かい歩くことにした。、、、、駅名の「上板橋」は、江戸時代初期に板橋村が上板橋村と下板橋村に分村したことに由来する地名である。 “上”は、当時の首都:京都に近い方を表している。 

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●北へ来た! ・・・・・・・駅前を北へ向かう
・・・・・・・・・・・・駅前のメインストリート「ときわ通り」を横断する。 この通りにはバスも走ってる!

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・・・・・・・・・・・・表通りから裏通りに入る。 まだ歩く人も少ない。

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・・・・・・・・・・・・おや、道の別れめ(板橋区若木1)に庚申塔が!、、、、「かみなか庚申塔」と呼ばれている庚申塔が1基、小祠に安置されている。 享和4年(1803)の建立。 庚申塔の側面には、「右 にしたい とくまる」、「左 ねりま 大山みち」と標されており、この地が、西台・徳丸方面と富士・大山道の分岐点であった。、、、、富士山、大山参りの人々が、ここを通って行ったのであろう。 富士山までは、長い道中が始まったばかりだ!

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・・・・・・・・・・・・裏道を北へ向かうと、板橋区立の「にりんそう公園」がある。 ここに、川中美幸が歌う「二輪草」の歌碑がある。 なぜ、ここに????、、、、「二輪草」は平成10年にシングルで発売され、100万枚のヒットとなり、同年のレコード大賞で優秀作品賞を受賞した。 レコード会社は儲かったので、区の花がニリンソウである板橋区の当公園に建てたらしい。 単なる“ニリンソウ”つながりのようだ!、、、、まだ、ニリンソウが咲く時期には、チョイト早いようだ。

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・・・・・・・・・・・・裏通りを歩いて北へ向かい「中台稲荷神社」に出た。、、、、神社は俗に中台稲荷とか若木稲荷と呼ばれているらしい。 かつての中台村の鎮守。 創建は不詳だが、当社の境内は稲荷大神が降臨したと伝えられ、「稲荷渡(とうかわたり)」と呼ばれていたという。 現社殿は昭和36年(1961)の造営。、、、、社殿脇のムクの木は樹齢不明の老大木。 高さ約25m、根回り約5.8m。 このムクは「稲荷越の大木」と呼びならわされて、中山道と川越街道を結ぶ間道の目標となっていたそうだ。 社殿に倒れてこなければいいが、気になる樹だ!

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●谷底へ下る! ・・・・・・・・・駅から北へ来たが、稲荷神社で女狐に魅せられて、直角に折れ東へ向かうことにした。
・・・・・・・・・・・・稲荷神社から区立中台中学校の前に出る手前に二股がある。 そのお股(板橋区中台1)に、地蔵尊が祠に入り、庚申塔と馬頭観音が雨ざらしで祀られている。 どなたかが、篤く信仰しているのか、新しい生花が供えられていた。、、、、地蔵さんは子安地蔵だそうだ。 石の蓑笠が重たそうで、チョイト可愛そう。 天明4年(1784)の造立らしい。 地蔵の立つ台座には「左 下板橋道  右 練馬道 五町」と彫られている。、、、、地蔵の左に、これまた道標を兼ねた庚申塔と馬頭観音がある。 庚申塔は嘉永5年(1852)、馬頭観音は寛政12年(1800)の年代物。
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・・・・・・・・・・・・中台二丁目公園という小さな公園の脇に、急で、長い階段坂があった。 地形的には谷底へ下るようだ。 下までおりて、見上げたら、戻る気にならず、気の弱い私は心肺も弱いので、そのまま歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・坂をおりると、中台2丁目と前野町5丁目の境で、道なりに歩く。
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・・・・・・・・・・・・首都高5号池袋線の志村料金所・PAの横を抜けて、志村2丁目の町に入る。

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●バカ殿はいない志村城! ・・・・・・・・板橋区志村2丁目の中心は高台の「志村城」(バカ殿がいたのは東村山だ!)。 その「志村城」は、現在の熊野神社がある処にあった。 神社の境内に「志村城跡」の石柱が建ててある。、、、、志村城は、康正2年(1456)に千葉自胤(よりたね)が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。 本丸は神社の隣り現:志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で、出井川と荒川を巡らせ〝守るに易く攻めるに難し〟といわれる堅城であったが、大永4年(1524)に北条氏綱に攻められて落城した。

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熊野神社は志村城二ノ丸にあたり、社殿は古墳上に建てられている。 長久3年(1042)、志村将監が紀州から勧請したと伝えられており、千葉自胤が志村城の守護神と定めた。 現在の社殿は昭和32年(1957)に改築されたもの。、、、、本殿横には絵馬堂がある、この堂は明治期以前の本殿と言われてる。 真偽は?

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●中山道に到着! ・・・・・・・志村城から裏道を歩き志村坂上駅へ向かう途中(志村2-7)に、富士大山道道標・庚申塔がある。、、、、この道標も、富士登山、大山詣での人々が通った道(旧中山道)に残されている。 道標の先は下練馬宿のある川越街道に出て、石神井川に向かう富士街道になる。 道標は寛政4年(1792)の造立で正面には「是より大山道井ねりま川こへみち」と刻まれている。 右に立つ庚申塔は万延元年(1860)の造立で、正面には庚申塔と刻まれ、左側には、「是より富士山大山道 練馬江一里 柳沢江一里 府中江七里」とある。、、、、昔の人は、この道標程度の情報で富士山まで歩いて行ったとは、よくぞ道に迷わず行けたものだ、“おそれ入谷の鬼子母神”だ!

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・・・・・・・・・・・・道標から約100m、国道17号(中山道)に出ると、そこは都営三田線の「志村坂上駅」。 昭和43年(1968)12月27日、都営6号線(現:三田線)の最初の区間である巣鴨~志村(高島平)間が開業した時に設けられた駅。 ホームは相対式2面2線で、地下2階にある。 改札口は2ヵ所で、いずれも地下1階にある。 出口は4ヵ所で、いずれも地上にある、アタリ前田のクラッカー!

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2019年12月25日 (水)

板橋の閻魔さま

東武東上線中板橋駅で下車し、東へ向かい旧中山道仲宿の文殊院を訪ね閻魔大王に手を合わし、都営三田線板橋区役所前駅から帰宅。 1万歩の散歩です。 




●中板橋村なんて、なかった! ・・・・・東武東上線の前身、東上鉄道による池袋~田面沢間の開通は大正3年(1914)5月1日。 この時同寺開業した駅は、池袋、下板橋、成増、膝折、志木、鶴瀬、上福岡、川越町、田面沢の9駅である。 開通から一か月チョイト遅れて、上板橋と高階の2駅が追加開業した。 上板橋駅は上板橋村から、下板橋駅は下板橋村から命名された。 「中板橋駅」はこの時点では開業していない。 昭和初期、現在の中板橋駅周辺の子供たちは、近くの石神井川で遊んでいたが、鉄橋から飛び込んで遊ぶことが流行り、東武鉄道は地元(下板橋村字久保田)に「鉄橋は危険なので水遊び場を作るように」申し入れた。 地元では、さっそく石神井川に淡水浴場を作り、提供した。 これが評判となり、淡水浴場もプールに変わり、遠方からも電車で利用にやった来るほどとなった。しかし遠方の利用者は炎天下を下板橋駅か上板橋駅から歩かねばならなかった。 昭和8年(1933)東武鉄道は近くに常設駅を設置することにした、地元で決めた駅名は上板橋駅と下板橋駅の中間にあることであり単純に「中板橋」とした。 村名ではなかった!  これが、現在の中板橋駅である。、、、、島式ホーム2面4線を有する地上駅。 ホームは多くても、普通列車しか停まらない駅で、優等列車がスピードを落とさず、無情にも通過していく。 出入口は南口と北口の2か所。

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●喫煙スペース? ・・・・・・・駅前の踏切の脇に鎮座する小さな山中稲荷神社。 神社は小さいが、境内にはベンチと灰皿を置いた喫煙スペースが用意されている。 狐の御利益も煙に巻かれて、騙されて!

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●駅から東へ! ・・・・・・駅前の商店街を抜け、中根橋で石神井川を越える。 そして再び、商店街を歩く。

・・・・・・・・・・・・元気そうな「なかいた」商店街。 まだ、どの店も就寝中!、、、、寒い朝、立ち食いそば屋が一軒営業中。

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・・・・・・・・・・・・石神井川に架かる中根橋。 昭和48年(1973)完成。 川の両側に桜が咲く、春は見頃。、、、、石神井川も綺麗な川に戻ったが、チョイト川底の深いのが玉に瑕。

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・・・・・・・・・・・・中根橋を渡り、石神井川の北側の「双葉さくら通り」(旧愛染通り)という、チョイト疲れた感じの商店街を行く。

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・・・・・・・・・・・・双葉桜通りからチョイトそれ、板橋区に多い氷川神社の一社「根村氷川神社」(双葉町)に寄って行く。、、、、根村氷川神社は、創建年代は不明 、応永年間(1394~1427)に大宮氷川神社から勧請されたと伝えられている。 江戸期には下板橋宿上宿の鎮守として崇敬され、戦時中は村社に列格していた。、、、、境内は広く、緑も多く、雰囲気は悪くはないが、ペットの侵入防止か?盗難防止か?立ち入り禁止のイエローロープがアッチコッチに無造作に貼られ、印象を悪くしている。

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●愛染通りの2寺 ・・・・・・氷川神社の東南400m程、旧愛染通り沿いにある2寺を紹介。(板橋区大和町)

・・・・・・・・・・・・まずは、
真言宗霊雲寺派の光明山愛染院日曜寺。 本尊は愛染明王。 開山は、正徳の頃(1711~1716)に宥慶比丘が小堂を営んだのに始まる。 その後、田安宗武(八代将軍吉宗の第2子)の帰依をうけ、等身大の愛染明王像をはじめ多くの仏像や仏画、什器類が奉納され、寺として再興した。、、、、現本堂は昭和45年(1970)に落慶。、、、、【チョイトないしょで】 愛染明王(あいぜんみょうおう)とは、密教の明王の一つで、愛欲などの迷いがそのまま悟りにつながることを示し、外見は忿怒(ふんぬ)暴悪の形をとるが、内面は愛をもって衆生を解脱させる。三目六臂(ろっぴ)で、種々の武器を手にした姿に表す。(小学館:デジタル大辞泉の解説)、、、、【ついでにもう一つ】 愛染恭子とは、往年の名画「白日夢」の主演女優。 ヌードモデルを経て、ピンク映画、ストリップ劇場に出演した女優。 中高年の世代には、彼女にお世話になった方は多いはず!、、、、どちらの“愛染”も、愛と欲の迷いから救ってくれるかも?

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・・・・・・・・・・・・次なる寺は、浄土宗の龍光山恵照院と号す智清寺。 本尊は阿弥陀如来。 室町時代初期、見誉上人智清によって創建されたと伝える。 天正19年(1591)徳川家康により寺領5石を寄進された御朱印寺である。 山門・本堂・庫裏のいずれも最近新築された。 庫裏の外壁は大理石で豪華。(大失敗! 本堂の写真、撮り忘れた!)

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●旧中山道をチョイト歩く! ・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・まずは、江戸時代から板橋宿の名所として名高い縁切榎。 もともとは大六天神の神木であった。 皇女和宮が降嫁の際、縁起が悪いと、この場所を迂回したという逸話が残っていますが、庶民の間では、悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれるというので信仰の対象となった。、、、、この祠の後ろに隠すように公衆便所がある。 こちらでは、水漏れ、ガス漏れを防いでくれる。 私もスッキリ、シャッキリした。 

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・・・・・・・・・・・・中華屋さんのサンプル陳列棚。 見てビックリ、食べて美味しい、クリスマスバージョンで飾り付け。 売上アップしたかな?

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・・・・・・・・・・・・板橋の板橋。 現存する板橋は、旧中山道と石神井川とが交差する地点に架かっている、昭和47年(1972)に完成したコンクリートの橋。、、、、江戸時代の板橋は、太鼓状の木製の橋で、長さは9間(16.2m)、幅3間(5.4m)であった。

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●にこやかな閻魔大王! ・・・・・・・板橋の南側に位置する、真言宗豊山派寺院の文殊院にお立ち寄り。 文殊院は幡場山と号し、板橋宿本陣の飯田家の菩提寺として江戸時代初期に創建された。 開山は寛永2年(1625)に入寂の権大僧都慶恵と伝えられている。、、、、墓地の片隅には、宿場女郎の墓もある。

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・・・・・・・・・・・・山門横の閻魔堂には、閻魔大王奪衣婆懸衣翁の3像が安置されている。 懸衣翁が留まっている木は衣領樹と称する。 奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣をこの枝に懸けて生前の罪悪を計るのである。、、、、像は新しく作られたものだが、ユーモラスな表情でチョイト笑ってしまうかも? 

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●ゆとりのない駅! ・・・・・・・今日の最後は都営三田線板橋区役所前駅。 昭和43年(1968)12月27日に、都営地下鉄6号線(現:三田線)開業に伴い開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。  駅名のごとく、区役所とは地下通路で結ばれている。、、、、ホーム・通路・改札など、全体的に狭苦しい駅だ!

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2019年11月29日 (金)

芸妓のいない池袋三業地

かつて池袋にも三業地があった。 その名も「池袋三業通り」と名付けられた通りが、今もある。 5年ほど前に歩いた処を、今日歩いてみた。 池袋駅で下車し、東武東上線の大山駅まで、1万2千歩の散歩です。




●区民全員が一日一回乗降 ・・・・・・JR池袋駅は、島式ホーム4面8線を有する地上駅。 山手線・埼京線・湘南新宿ラインの3路線が乗り入れており、東側の2面4線を埼京線・湘南新宿ラインに、西側の2面4線を山手線にそれぞれ割り当てている。、、、、一日当たりのJR乗降客数は566,000人程。 これは、池袋駅が所在する豊島区の人口(約281000人)のほぼ倍。 つまりは豊島区在住の、誕生したばかりの赤子から、ヨタヨタ歩き・寝たきりの御老人までが、一日一回池袋駅からJRに乗り、JRで帰ってくる勘定である。、、、、他社線への乗り換えも多く、改札口は5か所あり、北口・中央北口・中央南口・南口は池袋駅を東西に結ぶ3本の地下道に直結している。 ホーム南端(目白寄り)のメトロポリタン口は跨線橋に併設され、西口(東武東上線側)方面のみに出ることができる。 年を取り田舎者になった私には、迷路に近い通路から地上に出るのに一苦労!

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・・・・・・・・・・・・駅前の地上に出ても通行人は少ない、皆さん改札に直結している地下通路を利用し勤務先に行くようだ。

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・・・・・・・・・・・・飲食店街、ラブホテル街、仕事帰りにはいろいろ悩ましい誘惑を受ける街を抜けていく。、、、、『触れるように なでるように 極上の癒しを貴方に ひざまくら みみかき』なんて読むと、朝からゾクゾク、コリャ仕事帰りにぜひ寄ろう! 負けそうだ!

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●消えた三業地! ・・・・・・・池袋2丁目(劇場通り)から池袋3丁目(山手通りの手前)までを結ぶ裏通りに、「池袋三業通り」と名が付いている。(豊島区設定の名称) この池袋三業通りの西側、池袋御嶽神社周辺の一画にかつて「池袋三業地」があった。、、、、“三業”とは料亭、芸子屋、待合茶屋の総称である。 つまり、赤坂、柳橋、浅草、向島などと同じ花柳界である。 池袋三業地は、昭和3年(1928)に待合の許可が下り正式な三業地となり、昭和10年(1935)前後の最盛期には、料亭・待合が40数軒、置屋10数軒が狭い路地に並んでいたそうだ。 その後、戦渦に巻き込まれ街は衰退したが、戦後再び復活し、昭和30年代には料亭39軒、芸妓数200名を数えたそうだ。 しかし、ピークは過ぎ再び衰退の一途をたどり、現在はその面影もほとんどなく、数軒のスナックやバーが散在するだけとなった。、、、、5年前までは面影を残していた建物も取り壊され消えた!

・・・・・・・・・・・・「池袋三業通り」は、ゴク普通にどこにでもある裏通りとなった。、、、、最盛期には、多くの芸者が通っていた道。 旦那を乗せた人力車も通っていたかも?

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・・・・・・・・・・・・数軒の建物に、それとなく面影が残っているようだ。

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・・・・・・・・・・・・閑静な住宅街という雰囲気に変わった三業地の一角に、狭い境内、赤い鳥居の「三社神社」がある。 “三業”を生業とする人たちが信仰対象としていたらしい。 三業地で働らく芸妓や遊女はここで手を合わせたであろう。、、、、三社神社の近くの電柱に“三業”の文字を発見!、、、、町内会の名は「池袋三業町会

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・・・・・・・・・・・・三業地の鎮守さまか(?)、池袋3丁目の「御嶽神社」。 池袋駅西口一帯の氏神様だが、創建年代は不詳。 祭神は倭建命、神武天皇、武甕槌命。 倭健命の草薙の剣の話(駿河の野火の難を逃れた)により古くより災難除・厄除・防火の神徳有り。 鎮座した年代は不詳だが、天正年間頃に鎮座し、貞享4年(1687)に社殿が創建されたといわれる。 昭和13年(1938)には村社に昇格し、社名を三嶽神社から御嶽神社に改める。 嘉永6年(1854)に社殿が造営され、昭和34年(1959)に改築。、、、、境内社の「子育稲荷神社」では御祭神:保食神(うけもちのかみ)に願いを書いて吊るしてた。

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●スタコラ通過! ・・・・・・・池袋三業通り(豊島区)を抜け、山手通りを横断すると、板橋区中丸町と南町の境に「中丸通り」が北に向かい伸びている。 中丸通りの北端は、板橋区大山西町で川越街道にぶつかる交差点である。、、、、面白いもの、珍しいもの、喜ばせるもの、商店街、コンビニ、何もない極々普通の通りである「中丸通り」である。 端から端まで中丸通りの素顔を公開する。

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・・・・・・・・・・・・中丸通りからチョイト脇に入ると、板橋区南町に新義真言宗豊山派の寺:医王山西光院薬圓寺がある。 本尊は阿弥陀如来。 創建は慶長年間(江戸時代初期)とされているが、無住時代があったことや火災にあったために、開山が覚慧大和尚であること以外は全く不明。、、、、本堂横に薬師堂があり、これは正徳元年(1711)の建立。、、、、参道には大きな仁王像が立ち、その後ろには天然記念物である樹齢400年の椎の木と、区の保存樹木に指定されてる公孫樹3本が聳え立っている。 山門を入ると、右手に鐘楼、左手が墓地と薬師堂。 正面の本堂は古く落ち着きのある寺だ。

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●元気な商店街! ・・・・・・大山駅昭和6年(1931)8月25日に開業した。(私が住む浅草橋駅より1年前に開業している。 負けた!) 相対式2面2線の大きくカーブするホームの地上駅。、、、、駅前のハッピーロード大山商店街は活気あるね、午前11時、お年寄りがカートを押しながら、つるんで元気に買い物に来ている。 午後は若い人が来るのだろう!

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2019年11月 7日 (木)

下練馬宿

自衛隊の哨所をぜひ見たく、東武東上線の東武練馬駅で下車し、陸上自衛隊練馬駐屯地へ行ってきた。 1万歩の散歩です。




●宿場の駅! ・・・・・・・・池袋から東武東上線に乗って7駅目、東武練馬駅で下車した。、、、、東武練馬駅は昭和6年(1931)12月29日に開業。 10両編成の電車が発着する相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。 駅舎・改札口は上りホーム側の北口と下りホーム側の南口の2か所があり、それぞれホーム西端に直結している。 上りホーム中央部には平日朝7時30分から8時30分までの1時間限定で供用される入場専用の臨時改札口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・下りホームにあった水道の蛇口。 これは、乗客の手洗い用か、スグ近くにトイレがあり、こちらにはきれいな洗面台もあるだが? または、飲料用か、上向いて蛇口に口開けて飲むの? 掃除用か、ホームの中央に置く必要はないね? 考えると謎は深まる! 

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・・・・・・・・・・・・・・『板橋区に在って東武“練馬”駅とは是如何に』『品川区に在って目黒駅と云うが如し』 東武練馬駅が開業した昭和6年(1931)の時点では、駅の北側は北豊島郡赤塚村(駅の所在地)、南側は北豊島郡練馬町であった。(まだ区にはなっていない) 駅名として、駅南側を通る旧川越街道の下練馬宿にちなみ、「練馬」を使うことにしたが、当時すでに武蔵野鉄道(現:西武池袋線)に「練馬駅」があったことから「東武練馬」と命名した。 翌昭和7年(1932)には、北豊島郡は板橋区となる。 戦後、昭和22年(1947)広大な広さであった旧板橋区が、新たな板橋区と練馬区に分割され、現在の23区となる。 この時、駅のある赤塚村、駅の南側の練馬町がそれぞれ新板橋区、練馬区に属し、駅南口に面する道路が区境となった。 東武練馬駅は板橋区に残ることとなった。



●宿場の一画! ・・・・・・東武練馬駅南口前の通りから一本南側の通りに出ると、そこは旧川越街道で商店街となっている。 その出たところに、仁王、聖観音、馬頭観音がそれぞれ門と堂に納まっている、北町観音堂がある。 江戸周辺を探訪した小石川の僧が著した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があるそうだ。 往来の人々の信仰や、赤塚村への分岐道の目印だったらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、仁王門の阿形像・吽形像。 両像とも天和3年(1683)の銘がある。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥、観音堂には高さ270cmの聖観音像。天和2年(1682)の銘。  小さい堂には、高さ138cmの馬頭観音像。 製作年代不詳だが、江戸時代の作らしい。、、、、どちらも、小さい像であるが重そうだ、盗まないで!

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・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂の横に、昭和の純喫茶「喫茶 ボタン」があった! モーニングにおにぎりセットもあるらしい。
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●宿場は下練馬宿! ・・・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂のある東武練馬駅周辺(練馬区北町2)はかつて下練馬宿であった。 今は立派な駅前商店街。 街では宿場町として売り出し中!

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・・・・・・・・・・・・・・街の中の街、北町観音堂から40m程の「北町楽天地」。 素敵な、昭和の歓楽街、会社帰りに寄ってみては!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも、昭和で時間が止まったディープスポット、北町楽天地からすぐの「北町アーケード・ショッピングセンター 」。 アーケードの色あせ焼け焦げたネオンがに誘われそう!

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●宿場の富士山! ・・・・・・北町アーケード・ショッピングセンターの斜め前に北町浅間神社の鳥居が見える。、、、、北町浅間神社は、下練馬宿の中程に位置する神社であるが、創建は明治期前後と比較的新しい。、、、、鳥居は、明治5年(1872)建立の明神鳥居(一の鳥居)と社殿前の大正4年(1915)建立(二の鳥居)があり、社殿は珍しい石造。、、、、社殿の左側には、傾斜面を利用した立派な「下練馬の冨士塚」がある。 登山道は、つづら折り道、直登道、下山道、お中道など、複数のコースが用意されている。 標高37.76mのここなら、遭難の心配はないと思う!

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●宿場の小さな堂! ・・・・・・旧川越街道の家並みの裏手に回ると、参道の両側にたくさんの石仏が並ぶ阿弥陀堂(練馬区北町2)がある。 一見すると普通の住宅と間違えるような、小さな堂である。、、、、阿弥陀堂の墓地には、千川上水開設の功労者である千川家の累代の墓があります。 千川上水は元禄9年(1696)江戸下町方面の飲料水として玉川上水から分水された水道で、工事には徳兵衛・太兵衛の二人が当たる。 私費を投じて工事を完成させた功績により、両人は江戸幕府から苗字帯刀を許され、千川家の姓を賜る。 開通から10年後の宝永4年(1707)、上水は附近の20ヶ村の農民の願いで、灌漑用水として利用できるようになった。 両人の子孫は代々下練馬村(現:北町)に住み、千川上水の取締役として維持管理に努めた。

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●宿場近くの駐屯地! ・・・・・・・・本日の散歩の目的地、陸上自衛隊練馬駐屯地に来た!、、、、ココ練馬の駐屯地は、昭和5年(1930)東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫として始まった。 戦後は、昭和26年(1951)に警察予備隊が久里浜から移転。この時、敷地面積を8万坪に拡張。 昭和29年(1954)には保安隊を経て、陸上自衛隊へ移管。 平成14年(2002)に、第1師団が政経中枢師団へ改編。、、、、この駐屯地の中に自衛隊の資料館があると道すがら聞いていたので、門の前に立つ隊員に尋ねると、『資料館はありますが、イベントがある日に公開しますので、その時おこしください』 ヤッパリ、見学できなかった。 今日の今日は無理だね!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋(我が家)から遠路はるばる散歩にやってきたのは、資料館を観たかったのではなく、西門の側にある連隊門哨所を見るためだ。 こちらは、門の外にあるので365日24時間見学可能。、、、、この連隊門哨所について、『第一普通科連隊の前身「警察予備隊普通科第1連隊」は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移駐した。 この哨所は、移駐から約2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。』と説明されている。、、、、歴史を感じるコンクリート製の哨所、今日の散歩は、これが見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、駐屯地前に立ち並ぶ官舎。 “イザ鎌倉”の際は、この官舎から大勢の自衛官が出動するのだろね!


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●宿場から遠くはずれ! ・・・・・哨所を見たら、駐屯地前の川越街道を西へ歩き、東京メトロの地下鉄赤塚駅から帰宅。、、、、地下鉄赤塚駅は有楽町線と副都心線が乗り入れる駅。 昭和58年(1983)6月24日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線の営団赤塚駅として開業。 平成16年(2004)4月1日には、交通営団の民営化に伴い、駅名を「地下鉄赤塚駅」に改称。 平成20年(2008)6月14日、副都心線開業により、当駅は有楽町線と副都心線の共用駅となる。 島式ホーム1面2線の地下駅で、川越街道(国道254号)の直下にある。

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2019年3月22日 (金)

赤羽の城跡

都営三田線本蓮沼駅から、JR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。



●期待したが、普通の駅だった! ・・・・・・・・・自分の記憶では、昭和43年(1968)12月27日の都営地下鉄6号線(現:三田線)開業以来初めて下車する本蓮沼駅である。 期待に胸を弾ませ電車から降りたが、『な~んだ 期待したほどの駅でもない』 都営らしい、あまりセンスの良くない、普通の駅だった。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、駅名は、計画段階では“蓮沼駅”だったが、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅(大田区)があったため、当時の地名であった志村本蓮沼町より“本蓮沼”と命名した。、、、、、駅の東約300mところに、Jリーグの試合には使用されない、チョイト、マイナーな国立西が丘サッカー場がある。

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●神社と別当寺、セットで!  ・・・・・・・・・本蓮沼駅から北へ200m程歩くと蓮沼氷川神社がある。 神社は、須佐之男命と奇稲田姫命を祭神とする、
古来蓮沼村の鎮守さま。 慶長年間(1596-1615)にさいたま市の氷川神社から、蓮沼村字前沼(現:浮間舟渡駅の西側)に勧請されたのが創建。 その後享保年間(1716-1736)に、別当寺であった南蔵院とともに、前沼から現在地に移転した。、、、、、神楽殿のような社殿の造りである。

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・・・・・・・・・・・・・・氷川神社に隣接して、真言宗智山派の宝勝山蓮光寺南蔵院がある。 以前は、氷川神社の別当寺であった。 大きなお寺だが、古い堂宇は残っていない。、、、、、境内には数本の枝垂れ桜が蕾を膨らませている、もう間もなく咲きそうだ!

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●アップ、ダウンの多い町! ・・・・・・・・・板橋区蓮沼の町から北区赤羽西の町へ入る。
・・・・・・・・・・・・・・赤羽西6丁目の「都営 赤羽西六丁目第三アパート」前を通過。、、、、、昭和40年代の建物らしい?

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西5丁目では、「赤羽スポーツの森公園」を抜ける。、、、、、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地があった処で、平成7年(1995)に土浦市に移転後、跡地を公園として整備したものである。 跡地の北側は赤羽自然観察公園として平成11年(1999)に開園した。 ついで南側も公園として整備され、平成22年(2010)にサッカー場も整備された。

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西4丁目は“坂”の町。、、、、、いろいろと面白い坂があった! 気に入った!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、赤羽西4-21から下る名無しの坂。、、、、、長くはないが、勾配はキツイ!

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・・・・・・・・・・・・・・次は、法安寺(赤羽西4-42、日蓮宗系)の前を下る法安寺坂。、、、、、坂の名の由来は、説明不要!

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・・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、赤羽西4-34からくねくね下る蛇坂。、、、、、判りやすい坂の名だ!、、、、、途中、坂から上り、下りするかなり高低差のある階段が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・さて最後は、蛇坂を下った赤羽西4-30で、横を振り向くと通りの奥に急な階段坂が見えた、『上ってみよう!』、、、、、階段の上からは、正面(北側)に広がる赤羽台のURの団地を一望する、素晴らしい眺望!
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●中華風の寺! ・・・・・・・赤羽西2丁目に岩槻街道から入る、真言宗智山派の寺院:妙覚山蓮華寺普門院がある。 徳治2年(1307=鎌倉時代)の創建と伝えられている。 参道正面には中国・台湾風の鐘楼門(昭和18年(1943)頃完成)があり、境内にはインドの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年(1966)完成)がある、さらに本尊の聖観音菩薩像を安置する本堂も中国風のデザインである。 異国情緒豊かな寺である。
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●赤羽にも城があった! ・・・・・・・赤羽駅の西側(赤羽西1丁目)には、江戸城を造った太田道灌が砦として使用した稲付城跡がある。 道灌の死後、稲付城を寺にしたのが現在の静勝寺のはじまりである。 城跡としての遺構らしきものは見られないが、静勝寺の山門からは目の前を走る新幹線の姿を見ることができる。、、、、、静勝寺は、永正元年(1504)道灌の禅の師匠雲綱が、彼の菩提を弔うため、稲付城跡に道灌寺として創建した。 明暦元年(1655)に道灌の子孫太田資宗が堂舎を建立し、道灌とその父資清の法号に因んで寺号を自得山静勝寺と改めた。、、、、、山門の階段がキツイ! エスカレーターでもあるといいのだが。

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