板橋区

2019年11月29日 (金)

芸妓のいない池袋三業地

かつて池袋にも三業地があった。 その名も「池袋三業通り」と名付けられた通りが、今もある。 5年ほど前に歩いた処を、今日歩いてみた。 池袋駅で下車し、東武東上線の大山駅まで、1万2千歩の散歩です。




●区民全員が一日一回乗降 ・・・・・・JR池袋駅は、島式ホーム4面8線を有する地上駅。 山手線・埼京線・湘南新宿ラインの3路線が乗り入れており、東側の2面4線を埼京線・湘南新宿ラインに、西側の2面4線を山手線にそれぞれ割り当てている。、、、、一日当たりのJR乗降客数は566,000人程。 これは、池袋駅が所在する豊島区の人口(約281000人)のほぼ倍。 つまりは豊島区在住の、誕生したばかりの赤子から、ヨタヨタ歩き・寝たきりの御老人までが、一日一回池袋駅からJRに乗り、JRで帰ってくる勘定である。、、、、他社線への乗り換えも多く、改札口は5か所あり、北口・中央北口・中央南口・南口は池袋駅を東西に結ぶ3本の地下道に直結している。 ホーム南端(目白寄り)のメトロポリタン口は跨線橋に併設され、西口(東武東上線側)方面のみに出ることができる。 年を取り田舎者になった私には、迷路に近い通路から地上に出るのに一苦労!

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・・・・・・・・・・・・駅前の地上に出ても通行人は少ない、皆さん改札に直結している地下通路を利用し勤務先に行くようだ。

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・・・・・・・・・・・・飲食店街、ラブホテル街、仕事帰りにはいろいろ悩ましい誘惑を受ける街を抜けていく。、、、、『触れるように なでるように 極上の癒しを貴方に ひざまくら みみかき』なんて読むと、朝からゾクゾク、コリャ仕事帰りにぜひ寄ろう! 負けそうだ!

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●消えた三業地! ・・・・・・・池袋2丁目(劇場通り)から池袋3丁目(山手通りの手前)までを結ぶ裏通りに、「池袋三業通り」と名が付いている。(豊島区設定の名称) この池袋三業通りの西側、池袋御嶽神社周辺の一画にかつて「池袋三業地」があった。、、、、“三業”とは料亭、芸子屋、待合茶屋の総称である。 つまり、赤坂、柳橋、浅草、向島などと同じ花柳界である。 池袋三業地は、昭和3年(1928)に待合の許可が下り正式な三業地となり、昭和10年(1935)前後の最盛期には、料亭・待合が40数軒、置屋10数軒が狭い路地に並んでいたそうだ。 その後、戦渦に巻き込まれ街は衰退したが、戦後再び復活し、昭和30年代には料亭39軒、芸妓数200名を数えたそうだ。 しかし、ピークは過ぎ再び衰退の一途をたどり、現在はその面影もほとんどなく、数軒のスナックやバーが散在するだけとなった。、、、、5年前までは面影を残していた建物も取り壊され消えた!

・・・・・・・・・・・・「池袋三業通り」は、ゴク普通にどこにでもある裏通りとなった。、、、、最盛期には、多くの芸者が通っていた道。 旦那を乗せた人力車も通っていたかも?

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・・・・・・・・・・・・数軒の建物に、それとなく面影が残っているようだ。

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・・・・・・・・・・・・閑静な住宅街という雰囲気に変わった三業地の一角に、狭い境内、赤い鳥居の「三社神社」がある。 “三業”を生業とする人たちが信仰対象としていたらしい。 三業地で働らく芸妓や遊女はここで手を合わせたであろう。、、、、三社神社の近くの電柱に“三業”の文字を発見!、、、、町内会の名は「池袋三業町会

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・・・・・・・・・・・・三業地の鎮守さまか(?)、池袋3丁目の「御嶽神社」。 池袋駅西口一帯の氏神様だが、創建年代は不詳。 祭神は倭建命、神武天皇、武甕槌命。 倭健命の草薙の剣の話(駿河の野火の難を逃れた)により古くより災難除・厄除・防火の神徳有り。 鎮座した年代は不詳だが、天正年間頃に鎮座し、貞享4年(1687)に社殿が創建されたといわれる。 昭和13年(1938)には村社に昇格し、社名を三嶽神社から御嶽神社に改める。 嘉永6年(1854)に社殿が造営され、昭和34年(1959)に改築。、、、、境内社の「子育稲荷神社」では御祭神:保食神(うけもちのかみ)に願いを書いて吊るしてた。

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●スタコラ通過! ・・・・・・・池袋三業通り(豊島区)を抜け、山手通りを横断すると、板橋区中丸町と南町の境に「中丸通り」が北に向かい伸びている。 中丸通りの北端は、板橋区大山西町で川越街道にぶつかる交差点である。、、、、面白いもの、珍しいもの、喜ばせるもの、商店街、コンビニ、何もない極々普通の通りである「中丸通り」である。 端から端まで中丸通りの素顔を公開する。

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・・・・・・・・・・・・中丸通りからチョイト脇に入ると、板橋区南町に新義真言宗豊山派の寺:医王山西光院薬圓寺がある。 本尊は阿弥陀如来。 創建は慶長年間(江戸時代初期)とされているが、無住時代があったことや火災にあったために、開山が覚慧大和尚であること以外は全く不明。、、、、本堂横に薬師堂があり、これは正徳元年(1711)の建立。、、、、参道には大きな仁王像が立ち、その後ろには天然記念物である樹齢400年の椎の木と、区の保存樹木に指定されてる公孫樹3本が聳え立っている。 山門を入ると、右手に鐘楼、左手が墓地と薬師堂。 正面の本堂は古く落ち着きのある寺だ。

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●元気な商店街! ・・・・・・大山駅昭和6年(1931)8月25日に開業した。(私が住む浅草橋駅より1年前に開業している。 負けた!) 相対式2面2線の大きくカーブするホームの地上駅。、、、、駅前のハッピーロード大山商店街は活気あるね、午前11時、お年寄りがカートを押しながら、つるんで元気に買い物に来ている。 午後は若い人が来るのだろう!

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2019年11月 7日 (木)

下練馬宿

自衛隊の哨所をぜひ見たく、東武東上線の東武練馬駅で下車し、陸上自衛隊練馬駐屯地へ行ってきた。 1万歩の散歩です。




●宿場の駅! ・・・・・・・・池袋から東武東上線に乗って7駅目、東武練馬駅で下車した。、、、、東武練馬駅は昭和6年(1931)12月29日に開業。 10両編成の電車が発着する相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。 駅舎・改札口は上りホーム側の北口と下りホーム側の南口の2か所があり、それぞれホーム西端に直結している。 上りホーム中央部には平日朝7時30分から8時30分までの1時間限定で供用される入場専用の臨時改札口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・下りホームにあった水道の蛇口。 これは、乗客の手洗い用か、スグ近くにトイレがあり、こちらにはきれいな洗面台もあるだが? または、飲料用か、上向いて蛇口に口開けて飲むの? 掃除用か、ホームの中央に置く必要はないね? 考えると謎は深まる! 

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・・・・・・・・・・・・・・『板橋区に在って東武“練馬”駅とは是如何に』『品川区に在って目黒駅と云うが如し』 東武練馬駅が開業した昭和6年(1931)の時点では、駅の北側は北豊島郡赤塚村(駅の所在地)、南側は北豊島郡練馬町であった。(まだ区にはなっていない) 駅名として、駅南側を通る旧川越街道の下練馬宿にちなみ、「練馬」を使うことにしたが、当時すでに武蔵野鉄道(現:西武池袋線)に「練馬駅」があったことから「東武練馬」と命名した。 翌昭和7年(1932)には、北豊島郡は板橋区となる。 戦後、昭和22年(1947)広大な広さであった旧板橋区が、新たな板橋区と練馬区に分割され、現在の23区となる。 この時、駅のある赤塚村、駅の南側の練馬町がそれぞれ新板橋区、練馬区に属し、駅南口に面する道路が区境となった。 東武練馬駅は板橋区に残ることとなった。



●宿場の一画! ・・・・・・東武練馬駅南口前の通りから一本南側の通りに出ると、そこは旧川越街道で商店街となっている。 その出たところに、仁王、聖観音、馬頭観音がそれぞれ門と堂に納まっている、北町観音堂がある。 江戸周辺を探訪した小石川の僧が著した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があるそうだ。 往来の人々の信仰や、赤塚村への分岐道の目印だったらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、仁王門の阿形像・吽形像。 両像とも天和3年(1683)の銘がある。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥、観音堂には高さ270cmの聖観音像。天和2年(1682)の銘。  小さい堂には、高さ138cmの馬頭観音像。 製作年代不詳だが、江戸時代の作らしい。、、、、どちらも、小さい像であるが重そうだ、盗まないで!

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・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂の横に、昭和の純喫茶「喫茶 ボタン」があった! モーニングにおにぎりセットもあるらしい。
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●宿場は下練馬宿! ・・・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂のある東武練馬駅周辺(練馬区北町2)はかつて下練馬宿であった。 今は立派な駅前商店街。 街では宿場町として売り出し中!

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・・・・・・・・・・・・・・街の中の街、北町観音堂から40m程の「北町楽天地」。 素敵な、昭和の歓楽街、会社帰りに寄ってみては!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも、昭和で時間が止まったディープスポット、北町楽天地からすぐの「北町アーケード・ショッピングセンター 」。 アーケードの色あせ焼け焦げたネオンがに誘われそう!

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●宿場の富士山! ・・・・・・北町アーケード・ショッピングセンターの斜め前に北町浅間神社の鳥居が見える。、、、、北町浅間神社は、下練馬宿の中程に位置する神社であるが、創建は明治期前後と比較的新しい。、、、、鳥居は、明治5年(1872)建立の明神鳥居(一の鳥居)と社殿前の大正4年(1915)建立(二の鳥居)があり、社殿は珍しい石造。、、、、社殿の左側には、傾斜面を利用した立派な「下練馬の冨士塚」がある。 登山道は、つづら折り道、直登道、下山道、お中道など、複数のコースが用意されている。 標高37.76mのここなら、遭難の心配はないと思う!

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●宿場の小さな堂! ・・・・・・旧川越街道の家並みの裏手に回ると、参道の両側にたくさんの石仏が並ぶ阿弥陀堂(練馬区北町2)がある。 一見すると普通の住宅と間違えるような、小さな堂である。、、、、阿弥陀堂の墓地には、千川上水開設の功労者である千川家の累代の墓があります。 千川上水は元禄9年(1696)江戸下町方面の飲料水として玉川上水から分水された水道で、工事には徳兵衛・太兵衛の二人が当たる。 私費を投じて工事を完成させた功績により、両人は江戸幕府から苗字帯刀を許され、千川家の姓を賜る。 開通から10年後の宝永4年(1707)、上水は附近の20ヶ村の農民の願いで、灌漑用水として利用できるようになった。 両人の子孫は代々下練馬村(現:北町)に住み、千川上水の取締役として維持管理に努めた。

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●宿場近くの駐屯地! ・・・・・・・・本日の散歩の目的地、陸上自衛隊練馬駐屯地に来た!、、、、ココ練馬の駐屯地は、昭和5年(1930)東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫として始まった。 戦後は、昭和26年(1951)に警察予備隊が久里浜から移転。この時、敷地面積を8万坪に拡張。 昭和29年(1954)には保安隊を経て、陸上自衛隊へ移管。 平成14年(2002)に、第1師団が政経中枢師団へ改編。、、、、この駐屯地の中に自衛隊の資料館があると道すがら聞いていたので、門の前に立つ隊員に尋ねると、『資料館はありますが、イベントがある日に公開しますので、その時おこしください』 ヤッパリ、見学できなかった。 今日の今日は無理だね!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋(我が家)から遠路はるばる散歩にやってきたのは、資料館を観たかったのではなく、西門の側にある連隊門哨所を見るためだ。 こちらは、門の外にあるので365日24時間見学可能。、、、、この連隊門哨所について、『第一普通科連隊の前身「警察予備隊普通科第1連隊」は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移駐した。 この哨所は、移駐から約2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。』と説明されている。、、、、歴史を感じるコンクリート製の哨所、今日の散歩は、これが見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、駐屯地前に立ち並ぶ官舎。 “イザ鎌倉”の際は、この官舎から大勢の自衛官が出動するのだろね!


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●宿場から遠くはずれ! ・・・・・哨所を見たら、駐屯地前の川越街道を西へ歩き、東京メトロの地下鉄赤塚駅から帰宅。、、、、地下鉄赤塚駅は有楽町線と副都心線が乗り入れる駅。 昭和58年(1983)6月24日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線の営団赤塚駅として開業。 平成16年(2004)4月1日には、交通営団の民営化に伴い、駅名を「地下鉄赤塚駅」に改称。 平成20年(2008)6月14日、副都心線開業により、当駅は有楽町線と副都心線の共用駅となる。 島式ホーム1面2線の地下駅で、川越街道(国道254号)の直下にある。

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2019年3月22日 (金)

赤羽の城跡

都営三田線本蓮沼駅から、JR京浜東北線赤羽駅まで、1万1千歩の散歩です。



●期待したが、普通の駅だった! ・・・・・・・・・自分の記憶では、昭和43年(1968)12月27日の都営地下鉄6号線(現:三田線)開業以来初めて下車する本蓮沼駅である。 期待に胸を弾ませ電車から降りたが、『な~んだ 期待したほどの駅でもない』 都営らしい、あまりセンスの良くない、普通の駅だった。 相対式ホーム2面2線の地下駅。、、、、、駅名は、計画段階では“蓮沼駅”だったが、乗り入れ予定であった東急池上線に蓮沼駅(大田区)があったため、当時の地名であった志村本蓮沼町より“本蓮沼”と命名した。、、、、、駅の東約300mところに、Jリーグの試合には使用されない、チョイト、マイナーな国立西が丘サッカー場がある。

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●神社と別当寺、セットで!  ・・・・・・・・・本蓮沼駅から北へ200m程歩くと蓮沼氷川神社がある。 神社は、須佐之男命と奇稲田姫命を祭神とする、
古来蓮沼村の鎮守さま。 慶長年間(1596-1615)にさいたま市の氷川神社から、蓮沼村字前沼(現:浮間舟渡駅の西側)に勧請されたのが創建。 その後享保年間(1716-1736)に、別当寺であった南蔵院とともに、前沼から現在地に移転した。、、、、、神楽殿のような社殿の造りである。

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・・・・・・・・・・・・・・氷川神社に隣接して、真言宗智山派の宝勝山蓮光寺南蔵院がある。 以前は、氷川神社の別当寺であった。 大きなお寺だが、古い堂宇は残っていない。、、、、、境内には数本の枝垂れ桜が蕾を膨らませている、もう間もなく咲きそうだ!

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●アップ、ダウンの多い町! ・・・・・・・・・板橋区蓮沼の町から北区赤羽西の町へ入る。
・・・・・・・・・・・・・・赤羽西6丁目の「都営 赤羽西六丁目第三アパート」前を通過。、、、、、昭和40年代の建物らしい?

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西5丁目では、「赤羽スポーツの森公園」を抜ける。、、、、、陸上自衛隊十条駐屯地赤羽分屯地があった処で、平成7年(1995)に土浦市に移転後、跡地を公園として整備したものである。 跡地の北側は赤羽自然観察公園として平成11年(1999)に開園した。 ついで南側も公園として整備され、平成22年(2010)にサッカー場も整備された。

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・・・・・・・・・・・・・・赤羽西4丁目は“坂”の町。、、、、、いろいろと面白い坂があった! 気に入った!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、赤羽西4-21から下る名無しの坂。、、、、、長くはないが、勾配はキツイ!

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・・・・・・・・・・・・・・次は、法安寺(赤羽西4-42、日蓮宗系)の前を下る法安寺坂。、、、、、坂の名の由来は、説明不要!

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・・・・・・・・・・・・・・さてさて次は、赤羽西4-34からくねくね下る蛇坂。、、、、、判りやすい坂の名だ!、、、、、途中、坂から上り、下りするかなり高低差のある階段が点在する。

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・・・・・・・・・・・・・・さて最後は、蛇坂を下った赤羽西4-30で、横を振り向くと通りの奥に急な階段坂が見えた、『上ってみよう!』、、、、、階段の上からは、正面(北側)に広がる赤羽台のURの団地を一望する、素晴らしい眺望!
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●中華風の寺! ・・・・・・・赤羽西2丁目に岩槻街道から入る、真言宗智山派の寺院:妙覚山蓮華寺普門院がある。 徳治2年(1307=鎌倉時代)の創建と伝えられている。 参道正面には中国・台湾風の鐘楼門(昭和18年(1943)頃完成)があり、境内にはインドの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年(1966)完成)がある、さらに本尊の聖観音菩薩像を安置する本堂も中国風のデザインである。 異国情緒豊かな寺である。
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●赤羽にも城があった! ・・・・・・・赤羽駅の西側(赤羽西1丁目)には、江戸城を造った太田道灌が砦として使用した稲付城跡がある。 道灌の死後、稲付城を寺にしたのが現在の静勝寺のはじまりである。 城跡としての遺構らしきものは見られないが、静勝寺の山門からは目の前を走る新幹線の姿を見ることができる。、、、、、静勝寺は、永正元年(1504)道灌の禅の師匠雲綱が、彼の菩提を弔うため、稲付城跡に道灌寺として創建した。 明暦元年(1655)に道灌の子孫太田資宗が堂舎を建立し、道灌とその父資清の法号に因んで寺号を自得山静勝寺と改めた。、、、、、山門の階段がキツイ! エスカレーターでもあるといいのだが。

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2018年12月25日 (火)

東上線の歴史をチョッピリ

東武東上線沿いに歩いてみようと思い、池袋から3駅先の大山まで、1万2千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線(正式には「東武東上本線」)は、川越の豪商、出雲大社の宮司などが発起人となり、明治36年(1903)に東上鉄道を発起したが出資者が集まらず、根津嘉一郎に会社設立を託した。 明治44年(1911)に、根津嘉一郎の下で東上鉄道が設立され、本社所在地は現在の墨田区押上の東武鉄道本社に置かれた。 “東上”の名は「東京」と「上州(群馬県渋川)」を結ぶ鉄道を意味し、名付けられた。 大正3年(1914)5月1日に池袋~田面沢(現:川越市付近)間が開業。 大正14年(1925)には、池袋~寄居間の全線が開通。
 
 
 
●地上に出るとホットする駅・・・・・・・・・・JRの池袋駅は明治36年(1903)に周囲に何もない田舎の途中駅として開業した。 この当時は、まだ山手線の丸い線路は開通していない。 それから、11年後の大正3年(1914)5月1日、東武東上線の池袋駅が開業した。、、、、現在の東武東上線の池袋駅は、東武百貨店の1階にある。 頭端式ホーム3面3線の地上駅である。 改札口は北口・中央北口・中央南口と正面の南口の4か所あるが、多くは地下の連絡通路に面しており、たまにしか訪れない私には改札を出ても、『ここは何処? 地上出口はどっち? 右に行くの?左に行くの? 誰か教えて!』
 
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●どこのお宿も混浴?・・・・・・・池袋駅を出て東上線沿いに歩く。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・昨日はクリスマスイブ、この辺りのホテルはきっと満室だったと思うね。 鶯谷もそうだが、なぜか線路沿いにあるホテル街。、、、、、どこのお宿も混浴?
 
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・・・・・・・・・・・・・川越街道をこえ、北池袋駅に向かう。
 
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●浅草橋駅も負けた!・・・・・・・・・池袋の次の駅が北池袋。 併走するJR埼京線(赤羽線)の池袋~板橋間にあるが、JR板橋駅や東上線の下板橋駅に近い。、、、、昭和9年(1934)5月1日に、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年に東京大空襲で駅舎は被災し休止となり、その後廃止となる。 昭和26年(1951)、北池袋と名を変えて復活・再開する。、、、、1面2線の島式ホームがある地上駅。 ホームの両端にラッシュ時には開かずとなる埼京線と共用の踏切がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅舎の脇に、電飾のトナカイに守られて「北池袋駅開設記念碑」が建てられている。、、、、我が家の最寄り駅:浅草橋駅はここより古い駅だが、記念碑なんて無い、負けた!
 
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●下板橋駅は板橋区に戻るのか?・・・・・・・・・・・北池袋から近い、次の下板橋駅。 下板橋駅は大正3年(1914)5月1日に開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎は上りホームの川越寄りにある。、、、、駅舎・ホームともに豊島区池袋本町に所在する。 駅舎前の道路が、豊島区と板橋区の境で、旧駅舎は道路の反対側(板橋区側、現在は東上線の留置線がある)にあった。、、、、、【ないしょの話】 東武鉄道では、下板橋駅を旧駅舎のあった板橋区側の留置線の敷地内に移転し、駅舎の上部には日本大学医学部の附属病院を誘致する計画があった。 この話、日大側の都合で、どうやら頓挫しているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームの南側に、その名も「池袋本町 電車の見える公園」がある。 わざわざ、公園名に“電車の見える”と入れる程、気合の入った公園。 これはきっと、電車が見えやすいように、展望台があるとか、丘が築かれているとか、いい写真が撮れるように工夫が凝らされた公園と期待した。、、、、、行ってガッカリ、見てガッカリ、確かに見えるが、児童の遊具がある脇に電車が走っているだけだ! “詐欺だ!”と叫びたくなった。
 
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●東上鉄道記念碑のある留置線・・・・・・・・・・・・・・下板橋駅の駅舎前(板橋区側の留置線敷地内)に「東上鉄道記念碑」がある。 東武東上線の前身である東上鉄道は、大正3年に池袋~田面沢間が開通した。 記念碑は、これを記念して大正8年(1919)5月に建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東上鉄道記念碑がある処には、数本の留置線がある。 
 
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●ドアが開かなかった駅・・・・・・・・・・・・・散歩の終点は、賑やかな駅前商店街に面する大山駅。 大山駅は昭和6年(1931)8月25日に開業した、相対式2面2線の地上駅。 かつてはホームの前後に踏切があった関係で、ホーム有効長は6両編成分であった。 そのため8両編成の電車は停車する際には2両分のドアが開かない「ドアカット」を行った。 その後、池袋寄りの踏切が地下道に改良され、ドアカットは解消された。
 
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2017年9月25日 (月)

東十条~ときわ台

京浜東北線東十条駅から西へ向かい東武東上線ときわ台駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
①東十条駅・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に「下十条」駅として開業。昭和32年(1957)、東十条に改名。 改札口が南・北2か所にあり、ともに橋上駅舎。、、、、、2つの島式ホームで中線1本をはさむ2面3線の地上駅。 中線である2番線と3番線の線路は共用となっていて、当駅止まりの電車が利用している。、、、、、南口改札で突然トイレに急行したくなったら、『さあ大変!』。 南口改札にはトイレはない! 階段を下りてホームの端から端まで約200m歩き、また階段を上り北口改札横のトイレに行かなくてはならない。 『間に合えばいいが、間に合わないと悲惨な結果に! 運命は神のみぞ知る』、、、、、(南口駅舎の写真は2014年撮影) 
 
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②十条跨線橋・・・・・・・・・・・・東十条駅南口の脇に架かる跨線橋(中央の車道部分)で、かつて東北本線の荒川橋梁として使用していたポニーワーレントラス橋(橋の左右にトラス構造の桁があるが、左右を結ぶ上部の骨組みがない橋。 小中規模の橋に用いられる。)の一部を、昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したもの。 橋桁は明治28年(1895)にイギリス:COCHRANE社で製造された。、、、、、鉄道黎明期の貴重な文化財であるが、管理する北区では、橋台部の強度不足の問題が挙がり、架け替えを検討中。 その為、朽ちるのを待つように錆が出た跨線橋は見るに忍びない。
 
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③地蔵坂・・・・・・・・・十条跨線橋の西詰の崖下に蛇行して登る坂。 案内によれば、『地蔵坂は、この坂の上の三叉路(さんさろ)で合流し、ここを通って降る坂道です。現在の中十条2-11-1地先付近までが崖で、坂道は崖の手前の地蔵堂から続いていましたので地蔵坂と呼ばれていました。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋(こせんきょう)の設置や道路の拡幅により今の位置に移転したものです。北区教育委員会』 、、、、、チョイと急な坂で、年寄りにはキツイね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・十条跨線橋の西詰にある地蔵堂。 堂の後ろに地蔵坂がある。
 
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④十条中央商店街・・・・・・・・・・東十条駅南口から十条駅に伸びる、下町人情の残る昭和の商店街。 商店街の中程に昭和26年(1961)に開館した大衆演劇専門の「篠原演芸場」があることから『演芸場通り商店街』と呼ばれている。、、、、商店街のところどころでは、終日シャッターが下りたままの店もあるようだ。、、、、、商店街は十条駅ホーム際の踏切で終わる。 
 
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⑤十条駅際の踏切・・・・・・・・・・・正式には、赤羽線の仲道踏切。 十条駅の赤羽方に隣接する踏切で、線路を挟んで東側に十条中央商店街、西側に十条銀座商店街がある。 踏切を利用する人は多いようだ。、、、、「仲道」の由来はこの付近の小字名である。
 
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⑥十条から板橋本町へ・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・十条駅前の十条銀座商店街は、まだ営業前でシャッターが下りている店が多い。、、、、、シャッターを見て歩いても面白くなさそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・我が足は商店街の裏道へ入る。 我が目はキョロキョロし、何やら探すが、おもしろそうなものはないね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・オヤ? 「聖観音」とは?、、、、、建物は木造住宅風で、規模も小さく、昭和の建築?、、、、、ここは西音寺が管理している堂(上十条3)である。 堂内には、中国風の観音像が安置されているという。、、、、、道路側の柵から進入禁止。 素通りします。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・板橋区に入り、ここは帝京大学板橋キャンパス。 大きな大学の建物と附属病院が目に入る。、、、、、、見た瞬間の印象は、『帝京大学って、儲かってるな!』
 
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・・・・・・・・・・・・・・環七通り沿いに歩き、中山道を横断し、都営地下鉄三田線板橋本町の駅前を通過する。
 
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常盤台住宅地 ・・・・・・・・・・常盤台住宅地(現在の常盤台1、2丁目)は池袋から5つ目の東武東上線「ときわ台」駅の北側に広がる、2万3千余坪の住宅地である。 昭和10年(1935)に、東急の田園調布に並び、東武鉄道により開発・分譲された住宅地である。、、、、住宅地をほぼ一周する環状道路や、住宅地の交通量を減らすための工夫でクルドサックがつくられている。 そしてモダンな文化住宅が建てられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・高級住宅が並ぶ常盤台住宅地。
 
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・・・・・・・・・・・・・・住宅地内を通り抜けできないように作られた、ぐるりと回る道路“クルドサック”。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・住宅地内の帝都幼稚園の園舎は、戦前の木造建築で貴重なものである。 登録文化財。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・常盤台住宅の最寄り駅、東武東上線の「ときわ台」。
 
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2017年5月24日 (水)

平和台~高島平

『東京大佛でも見てくる』と家を出た、地下鉄成増で下車する予定で有楽町線に乗った。 途中、『次は平和台』の車内アナウンスを聞くと、“平和台球場”を思い出し、急遽飛び降りてみた。 あとは成り行き任せで高島平まで、“平”から“平”まで、1万2千歩の散歩です。

 
 
①平和台駅・・・・・・・・・・私が下車するのは、おそらく、生まれて初めてである。 特に変わったものがある、特別面白い、特徴的な駅員がいる、、、、そんな、こんなことは何もない、ごく普通の駅であった。、、、、平和台駅は昭和58年(1983)6月24日に有楽町線の駅として開業し、平成20年(2008)6月14日には新たに開業した副都心線とも共用する島式ホーム1面2線の駅となった。
 
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●・・・・・・・・・・・駅名の由来は、駅東側の町:「平和台」に由来する。 では、地名の由来は、明治時代は北豊島郡下練馬村であった。 昭和7年には東京市に編入し、板橋区練馬仲町となり、昭和22年には板橋区から独立し、練馬区仲町となる。 昭和40年の新住居表示では、あっさりと公募で決めた平和台となる。、、、、歴史を捨て、意味不明の平和台を選んだ町の隣には、陸上自衛隊練馬駐屯地がある。 どうせなら、福岡にあった西鉄ライオンズの本拠地:「平和台球場」を移設すれば良かったかもね。
 
●・・・・・・・・・・・国内にある“平和”な駅は、ここ「平和台駅」と、流鉄流山線に同名の「平和台駅」がある。 他には、JR千歳線「平和駅」、京急本線「平和島駅」、北九州モノレール「平和通駅」、伊予鉄道城北線・城南線「平和通一丁目停留場」がある。、、、、私が“平和”ボケしていなければ、これが全てである。、、、、こんなこと調べていたら、麻雀の役の平和(ピンフ)の語源は? 今夜は眠れるかな?
 
・・・・・・・・・・・・・駅前の平和台4丁目にある馬頭観世音、、、、この馬頭観音は、江戸時代中期に建立されたもので、石には像などは彫られておらず文字だけである。 道標を兼ねており、正面には富士・大山・東高野、右には新井薬師・堀之内(妙法寺)・雑司ヶ谷(鬼子母神)など信仰の道にふさわしい地名が見られる。 また板橋・赤塚・戸田・所沢など近郷の地名と里程も刻まれている。 この塔があった、旧は富士街道丸久保の十字路とは、交通の要所でもあったようだ。
 
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②練馬北町六丁目アパート・・・・・・・・・・平和台駅を出ると、環状八号線の北側に3~5階建ての都営アパートが並んでいる。 私は24号棟まで確認した。 昭和51年(1976)から昭和62年(1987)にかけ建てられた、約500戸の団地。
 
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③大松氷川神社・・・・・・・・・・・平和台の北側、板橋区との境に近い北町8丁目に「大松氷川神社」がある。 大松とは下練馬村の小字名。 創建年代は不詳、祭神は建速須佐之男命。、、、、、一般道となった参道の正面奥に、昭和3年(1928)10月20日に建てられた社殿がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿の脇には、幹の太さ3.1m、高さ23mのクスノキが茂る。

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④カトリック北町教会・・・・・・・・・・・東武東上線下赤塚駅の東側で川越街道を横断し、練馬区北町3丁目に入ると、裏通りに十字架が見えた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)に創立したカトリック北町教会である。、、、、施錠された聖堂前の園庭では、幼稚園児が遊んでいる、若い先生もいる。 ここで先生に声をかけ、聖堂の中を見せてもらうには勇気がいる。 『怪しい親爺が門の前でうろついている、全員緊急避難!』とならないように、今日は我慢して素通りすることにした。
 
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板橋区徳丸の町 ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線のガードを抜けて、板橋区徳丸の町に向かう。、、、、チョイト雲行きが怪しくなってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・徳丸の町はアップ・ダウンの激しい山岳コースのような町である。 肺活量が小さくなった私にはキツイ! 暑さもキツイ! 呼吸はゼイゼイ、汗はダラダラ、ひたすら高島平駅を目指し歩くのみ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・足が疲れたころに、赤塚公園交差点に到着。 首都高上で火災が発生したようだ、一般道は消火活動のため交通規制が行われていた。、、、、私の到着が遅く、黒煙が上がる場面には遭遇できず、決定的瞬間に立ち会うことはできなかった、残念。
 
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⑥高島平団地・・・・・・・・・・・・高島平団地への入居開始は昭和47年(1972)から始まった。 高島平団地の総戸数は約10,000戸、人口は約17,000人、ここも少子高齢化問題が発生している団地である。 高齢者の一人住まいも多く、自殺者も多い団地となったそうだ。、、、、、そろそろ団地の役割を終える時代になったのか? 
 
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⑦高島平駅・・・・・・・・・団地の正面に高島平の駅はある。 昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線開業と同時に志村駅として開業し、昭和44年(1969)8月1日に高島平駅と改称した。 島式ホーム2面4線の高架駅。
 
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2017年4月 6日 (木)

戸田橋

JR埼京線戸田公園駅から、荒川に架かる戸田橋を渡り、埼京線浮間舟渡駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①戸田公園駅・・・・・・・・・・・東北新幹線の建設では、埼玉県南部の人口密集地を抜けるため、新幹線高架橋と並行して通勤新線を建設し住民の説得にあたったのが埼京線である。 昭和60年(1985)9月30日、その埼京線と同時開業した駅の一つが戸田公園駅。、、、、島式ホーム1面2線と、両外側に1線づつ通過線がある高架駅。 下り線の外側には新幹線の高架橋が並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・このまま電車に乗って終点まで行きたくなった!
 
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②地蔵堂・・・・・・・・・・・・・荒川の左岸:戸田市川岸1丁目に地蔵堂がある。 堂は江戸時代の絵図にも記載されている、戸田市内最古の木造建造物だそうだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにある水神宮(すいじんぐう)。、、、、正面の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 この地の氏神さまらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の近くにもう一つ古そうなものがあった。、、、、今も現役のポスト
 
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③戸田の渡し跡・・・・・・・・・・水神宮向かいの荒川土手に「中山道戸田渡船場跡」の碑がある。、、、、、、荒川には江戸防衛の意から橋は架けられず、人々はここを越えるには船による渡しに頼らざる得なかった。 これが中山道「戸田の渡し」である。、、、、この渡しは、天正年中(1575~1591)よりあったとされ、その重要性は近世を通じて変わらなかった。 明治8年(1875)には木橋の戸田橋がついに完成し、「戸田の渡し」が廃止となった。
 
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④戸田橋親柱・・・・・・・・・・・戸田橋の北詰(戸田市川岸3)の戸田橋親水公園に3代目戸田橋の親柱が保存されている。、、、、、、3代目戸田橋は、昭和4年(1929)に着工し、総工費101万9000円を投じ、昭和7年(1932)12月24日に竣工した、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一斬新でモダンなデザインが話題を呼んだ。 橋の設計は増田淳(千住大橋白鬚橋などを設計)、橋の施工は横河橋梁(現、横河ブリッジ)、架設は鴻池組である。
 
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・・・・・・・・・・・・・親柱の銘板「埼玉縣」には、後に米軍憲兵によって付けられたといわれている弾痕が3箇所ある。 一か所は、「埼玉縣」の“玉”の字の中央に、パチンコ玉程のくぼみを見ることができる。、、、、、“玉”を弾で傷つけ、おっ魂げた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・3代目戸田橋 (雑誌「工事画報」昭和8年1月号より )
 
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⑤戸田公園・・・・・・・・・・駅名ともなっている戸田公園は、荒川の水を引き込んだ戸田オリンピックボートコースをはじめ、荒川の河川敷に広がる野球用のグラウンドなどの総称である。 戸田競艇場もボートコースの西端にある。、、、、、ボートコースは約2.5kmの長さ、長すぎるので、端っこだけ見てきた! 2020年東京オリンピックもここを利用すればいいのにね!
 
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⑥戸田橋・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、埼玉県戸田市と東京都板橋区の間で荒川に架かるかかる橋で、国道17号(中山道)を通す。 新幹線・埼京線荒川橋梁が下流側に並行して架かる。、、、、、明治8年(1875)に最初の木橋の戸田橋が架けられ、大正元年(1912)に2代目の戸田橋(木橋)が架けられ、3代目は昭和7年(1932)に鋼製のカンチレバートラス橋が架けられた。、、、、、現橋(4代目)は、昭和53年(1978)竣工した、長さ519m、幅21mの鋼連続箱桁橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側を望む。
 
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⑦浮間公園・・・・・・・・・・・浮間舟渡駅の正面に広がる、東側の北区と西側の板橋区にまたがる約4万m²の公園。、、、、元は荒川が流れていたところで、大正から昭和にかけての河川改修で一部が池になった。 昭和42年(1967)に浮間公園が設けられた。、、、、、只今、満開! 早々と、昼前から桜色に染まった人もいた。
 
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浮間舟渡駅 ・・・・・・・・・・北区浮間と板橋区舟渡の2区にまたがる駅。 
 
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2016年10月26日 (水)

上板橋~志村坂上

東武東上線上板橋駅から、北東の方向に都営三田線志村坂上駅まで、1万歩、7kmの散歩です。
 
 
①上板橋駅・・・・・・・・・・・・池袋から東上線で6駅め、島式ホーム2面4線の地上駅である。 大正3年(1914)6月17日に開業した。、、、、、上板橋駅は、かつて駐留軍のいたグラントハイツ(現:光が丘)内まで伸びていた啓志線(けいしせん)の起点駅でもある。 啓志線は昭和34年(1959)に廃止されたが、それまで駐留軍の人員輸送、物資輸送を担っていたそうだ。
 
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②駅からクネクネ・・・・・・・・・駅前から、行先も定まらず、知らぬ通りをクネクネ曲がり、何か面白い発見はないか目はキョロキョロ。、、、、、この辺の住所は「板橋区中台1丁目」。 中台小学校を半周したら、緩やかな坂道。 アップ、ダウンが続き、チョイと高台に出た。
 
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③前野台団地・・・・・・・・・・・・目の前に「前野台団地」が出現。、、、、周辺より高い位置に建つ住宅都市整備公団の団地である。 昭和44年(1969、=私が大学を卒業した年)に建てられた、総戸数241戸(5棟)の団地。、、、、小ぶりの団地だが、緑が多く、高台に建ち、環境はグ~~。、、、、、改修工事したようだが、綺麗な団地で、築50年経過したとは思えない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地近くの公園から撮影。
 
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④志村城址・・・・・・・・・・板橋区志村2丁目、高台にあった志村城。
 
・・・・・・・・・・・・・首都高5号線の下を抜け、志村坂上へ向かう道路に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・・道の反対側を見ると、何か気になる階段があった。 最近、路地・階段などから出る霊気をキャッチする能力が身についてきたようだ。 階段が、『上がっておいで、おいで』と誘っている。、、、、、女の子が『おいで、おいで』と手招きしているのは危ないが、階段なら落ちるぐらいで危なくなかろう!
 
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・・・・・・・・・・・・・階段の上には熊野神社があった。 神社は、長久3年(1042)志村将監が勧請したと伝えられており、古墳上に社殿が鎮座している。 康正2年(1456)に千葉自胤が赤塚城に、千葉信胤が当地の志村城に入城し、当社を志村城の守護神とした。、、、、神社は志村城の二の丸あたりに該当するそうだ。、、、、、境内には「志村城址」の碑もある。、、、、、階段の霊が志村城址まで導いてくれたようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・社殿は昭和32年(1957)に改築された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・社殿横に控える絵馬堂は、江戸時代後期頃の建築らしい。 入母屋造りの旧拝殿を移築したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・熊野神社の西、500m程離れて、真言宗豊山派の延命寺がある。 延命寺は、見次山松寿院と号す。 寺は大永4年(1524)に志村城が落城した際、見次権兵衛が庭先でわが子の討たれる姿を見て、戦国の無情を感じ、居宅を寺として創建したと伝えられている。 江戸時代には熊野神社の別当であり、享保年間には将軍家御膳所となっていた。 明治21年(1888)には志村村役場が寺内に置かれていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・延命寺の南に200m程行くと、延命寺に関連した名の見次公園(みつぎこうえん)がある。、、、、、、湧き水による大きな池があり、釣り人も多い。
 
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志村一里塚 ・・・・・・・・・・・・徳川家康が街道整備のため、慶長9年(1604)に諸国の街道に一里塚の整備を命じた。 志村坂上には、中山道(国道17号)の両側に、当時のまま一対の一里塚が残されている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・一里塚の隣には、竹細工・竹ぼうき・ヨシズなどを扱う都内唯一の竹屋さん「斉藤商店」の建物がある。 創業明治22年(1889)の老舗であるが、建物は昭和8年(1933)に中山道拡張工事にあわせて建て替えられた。、、、、一里塚とともに、町のランドマークとなっている。
 
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⑥志村坂上駅・・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)12月27日に開業した、都営地下鉄三田線の駅である。、、、、、一里塚の脇から地下へ。
 
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2016年9月28日 (水)

板橋~大塚

板橋区・北区・豊島区の3区の境に位置する、JR埼京線(正式には赤羽線)の板橋駅から、山手線大塚駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
板橋駅・・・・・・・・・・・明治18年(1885)に開業した歴史ある駅。、、、、豊島区に位置するホームに降り、北区(滝野川口)のトイレに入り、板橋区(西口)の改札から出ることができる面白い駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅名を見て思い出した駄洒落、、、、勝ってくるぞと板橋区 ♪♪、、、引き続き思いだした、、、、物価があると江東(高騰)区。 ライバル多い台東(台頭)区。 清く貧しく葛飾区。 気がつきゃ友達、港区(皆、遠く)。 洗濯物が荒川区(アラ、乾く)。 仕事終わればサッサと北区(帰宅)。、、、、さらに、、、、足立(あたし)馬鹿よね、お馬鹿さんよね♪♪、、、、、これくらいにしておく!
 
 
②滝野川6丁目の裏道・・・・・・・・・板橋駅の西側、旧中山道(とげぬき地蔵、庚申塚、板橋駅前を抜ける旧道)と現:中山道に挟まれた滝野川6丁目の裏道を歩き回ってきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・・まずは、埼京線踏切の脇を入る路地で、両側にスナック、居酒屋が並ぶ。 路地を抜けると板橋駅滝野川口の方に出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・つぎは、旧中山道と中山道(国道17号線)を結ぶ「きつね塚通り商店街」。 250m程の小さな商店街で、シャッターを下ろした店もある。、、、、「きつね塚通り」の名は、かつて、この通りが王子稲荷への道だったことに由来しているそうだ。、、、、商店街に面する神召教会 は、昭和2年(1927)に建てられたプロテスタント教会。
 
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・・・・・・・・・・・・・・きつね塚通りから、さらに裏道というより路地に入る。 “路地の路地”とも言えるような、奥まった処にも、生活の匂いがする。、、、、デイ・サービスの送迎車も入れないのでお年寄りはつらいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧中山道と中山道を結ぶ、もう一つの商店街「御代の台仲通り商店街」に出てきた。 こちらも、地域密着型商店街で、通りに点在する店の数も少ない。
 
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・・・・・・・・・・・・・御代の台仲通り商店街を横断し、再び商店街の裏を歩く。、、、オ~~、一昔前には割烹着姿のおばちゃんたちが、近所の噂話で盛り上がった、手押しポンプの井戸が残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・井戸の近くの住宅には、玄関に「二日酔のため臨時休業」と、粋な案内が出ていたが、はて?、ここは何屋だ? 
 
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・・・・・・・・・・・・・木蜜地区では、新築時に、前面道路の幅を広げ緊急車両を通れるようにするため、建物を後退するよう指導されている。、、、、車両が通れるようになるには、まだまだ時間がかかるようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・路地裏の銭湯「稲荷湯」の前に出た。 昭和5年(1929)に建てられた、This is SENNTOU。
 
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③西巣鴨・・・・・・・・・・明治通りを横切って、西巣鴨の町に入った。
 
・・・・・・・・・・・・・すがも鴨台観音堂、、、、、、大正大学の施設で、平成25年(2013)に大林組の施工で建てられた“サザエ堂”である。
 
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・・・・・・・・・・・・野菜の種子屋がここ西巣鴨には20軒以上あった。 その一軒がサザエ堂の隣に残っている。 種子問屋榎本留吉商店(現:東京種苗株式会社)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・近くには、旧街道筋の紙屋として伊勢屋紙店もある。
 
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④都電荒川線・・・・・・・・・・・巣鴨新田停留場付近
 
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大塚駅 ・・・・・・・・・明治36年(1903)日本鉄道の駅として開業した古い駅。、、、、大塚駅は豊島区南大塚にある。 ところが隣の文京区には「大塚」の町がある。 どちらが本当の大塚か? 本来は文京区にある大塚が本家本元、豊島区には大塚駅が開業してしまったため、後に駅周辺を「南大塚」としたそうだ。 そして、南大塚は地勢上の中心地となった。 ややこしい話だが、私にはどうでもいい話。、、、、今日の散歩のまとめは、“おお、疲れた!”
 
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2015年11月16日 (月)

東武練馬~高島平

東武東上本線の東武練馬駅から都営三田線の高島平駅まで、1万歩、9㎞の散歩です。


①東武練馬駅
・・・・・・・・・・・・昭和6年(1931)に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅である。 東上本線の列車は全て10両編成で運行されているからホームも長い。、、、、、ところで、“東上線”と“東上本線”どちらが正解か? 答えは、“東上線”とは、「東上本線」と「生越線」を合わせた総称である。 “東上本線”は、池袋から寄居までの路線を指す。、、、、、東武練馬駅はなに区に属す? 答えは、板橋区。 地図を見れば一目瞭然、駅の南口の前面道路が、板橋区と練馬区の境で、駅施設のすべてはギリギリ板橋区側に属している。、、、、、西武池袋線の「練馬」駅とは乗換可能か? とても無理、練馬区の南端に在るのが「練馬」駅、北端の近くに在るのが「東武練馬」駅、直線で4㎞程離れている。、、、、何かと、クイズのネタになりそうな駅である。、、、、最後に、もう一つ。 東武練馬駅のホーム下を横切るトンネル計画があるのだが御存じか? 計画されているのは道路トンネルで、板橋区側は駅手前まで道路が既にできている、練馬区側は予算がないのか、用地買収も進んでいない。 当分は開通の見込めない、まぼろしのトンネルになりそうだ。

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②中尾観音堂
・・・・・・・・・・・観音堂のあるこの地、現在は板橋区「徳丸」(とくまる)であるが、江戸時代は武蔵国豊島郡徳丸村であった。 その徳丸村の字(あざ)の一つが「中尾」である。 ここに、馬頭観音を本尊とする観音堂がある。 創建は、仏具の奉納記録などから、江戸時代、享保11年(1726)以前にさかのぼるそうだ。、、、、、ところで、御本尊の馬頭観音を拝見できなかったが、写真によると、印相(手の形)はラグビー:五郎丸選手のキック前のスタイルに似ている。

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③昆虫公園
・・・・・・・・・・・徳丸3丁目、「昆虫公園」案内標識が目に入り、温室の中で蝶が乱舞するのを想像し行ってみた。、、、、、町の一画にある、斜面を利用した公園で、緑も茂り、公園内を清掃する人もいたが、一枚の貼り紙を目にして・・・・なんじゃ、もんじゃ、そんじゃ、ダメじゃ、と叫びたい。 『昆虫公園は昭和59年に開設して以来、多くの皆様にご来園いただきましたが、昆虫舎、標本室ともに老朽化が進んだため、平成27年3月31日をもってこれらの施設を閉鎖いたしました・・・・』、、、、、区の予算不足が原因か? 取り壊しが始まった、維持する予算はないが、取り壊す予算はあるようだ。、、、、公園に明りが灯れば、極楽とんぼが夜の蝶を連れてくるかも?

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④起伏の多い徳丸周辺
・・・・・・・・・東武練馬駅は台地の上にあり、北の高島平駅は崖下にあるようだ。 その間に位置する徳丸地区は、大小の坂が多く、一度下ると次は上り、再び下ると再度上り、アップ・ダウンでくたびれれる町だ。

・・・・・・・・・・・・・中尾観音堂前の坂。

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・・・・・・・・・・・・徳丸5丁目と6丁目の境を走る道路。 谷を埋めたような造りだ。 谷底は小川が暗渠となり、道路の交差部には人道が口を開けてる。

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・・・・・・・・・・・・・・徳丸6丁目、北野神社の南側にある、信じられない、長~~い、急な坂。 マンションの玄関を撮った写真で勾配を推測してみて、、、、、

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・・・・・・・・・・・・・徳丸8丁目、隣りのマンションの6階と同じ高さから一気に下る階段坂。 この階段の先は、板橋区高島平で、公団、都営住宅が建ち並んでいる。

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⑤徳丸北野神社
・・・・・・・・・・徳丸6丁目に鎮座する、創建年代は不詳。 江戸時代には徳丸本村の鎮守社で、明治5年(1878)に村社となった。

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⑥安楽寺
・・・・・・・・・・徳丸8丁目に建つ、真言宗智山派の紅梅山来迎院安楽寺。 創建年代は、尊栄和尚が応永3年(1396)に創建し、徳丸北野神社の別当を務めていたと言われてる。、、、、、、山門の隣りには長屋門もある珍しい寺。 

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⑦旧粕谷家住宅
・・・・・・・・・・・・粕谷家は、江戸時代、徳丸の脇村の名主を務めていた。旧粕谷家は享保11年(1726)以前に、その名主粕谷家から隠居した家に始まると伝えられている。、、、、、、建物は桁行17.17m、梁行10.95mの寄棟造り、茅葺。 建築年代は享保年間に隠居した時に建てられたといわれている。、、、、、建物は現在、区の所有となり、只今補修工事中のようで、今日は外部からパチリ!

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⑧高島平団地
・・・・・・・・・・・昭和47年(1972)から入居が始まった高島平団地は、旧住宅公団の建物だけでも50棟前後はあり、総戸数も1万戸を超える。、、、、、この団地も、築後40年経過し、高齢化問題が表面化している。、、、、、団地の中を歩くと、お年寄りが団地内のスーパーへ、ヨタヨタ歩いて買い物に行く姿が見られた。

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⑨高島平駅
・・・・・・・・・・・昭和43年(1968)に都営地下鉄6号線の開業に伴い志村駅として開業した。 しかし、駅所在地と駅名が整合せず、クレームがつき、翌年、高島平駅に改称した。 島式ホーム2面4線を有する高架駅。、、、、、駅は、只今、補修工事中。

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