墨田の寺
東武の堀切駅で下車し、墨田区の北部:墨田地区の4カ寺をめぐり、京成曳舟駅まで、1万歩の散歩です。
● 今日は、足立区と墨田区の境に位置する東武伊勢崎線の堀切駅から南の墨田区墨田の町を散歩する。、、、、、堀切駅は、明治35年(1902)の吾妻橋(現:とうきようスカイツリー)~北千住間開業時にできた駅であるが、開業当時の堀切駅は今よりやや東で、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 開業当時はまだ現在の荒川がなかったためで、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って堀切駅が現在の位置に移転してきたのは大正12年(1923)7月1日のことである。 駅の東側は荒川が流れ、西側も400m程歩くと隅田川にぶつかる。 川と川に挟まれくびれた所に堀切駅はある。 1日平均乗降人員は約4000人で、都会の中の秘境駅である。、、、、、下町情緒漂う、静かな雰囲気の駅。 改札を出るとすぐ首都高が見え、荒川土手もあり、散歩の起点としては、いいね!

● 堀切駅から荒川沿いに600m程歩くと、真言宗智山派寺院の「多聞寺」(墨田区墨田5)がある。、、、、、多聞寺は隅田山吉祥院と号す。 創建年代は不詳だが、天徳年間(957~960)には現隅田川神社付近にあり、大鏡山明王院隅田寺と称していたとのこと。 天正年間(1573~1591)に本尊を毘沙門天として隅田山吉祥院多聞寺と改称した。 寺の前の道は古代から続く街道の名残らしい。 木造茅葺(かやぶき)の山門は切妻造四脚門の様式をとるもので、多聞寺に残る唯一の江戸期木造建築である。 享保3年(1718)に焼失し、現在のものはその後に再建されたもの。 江戸時代の風情を残す寺だ!、、、、、本尊の毘沙門天は、隅田川七福神の一つとなっている。 まもなく来る正月は、“七福神巡り”でご本尊の出番となり、大忙しとなるだろう!

・・・・・・・・・・ 山門前の阿弥陀如来像は寛文4年(1664)造立。 隣には子安地蔵が並んでる。、、、、、また、本堂手前の六地蔵座像は、都内でも珍しい座像形態の尊像である。 仏教における地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のどこにいても救いの手をさしのべてくれるという地蔵尊。 造立は正徳3年(1713)~享保元年(1716)と刻まれている。

● 多聞寺門前の古くは街道の面影残る道を南に歩くと、チョイと趣のある建物が目に入る。、、、、、「成田山隅田参拝講事務所」の看板を掲げてる出桁造の建物、、、、、住宅の並ぶ町中にひっそりと祀られている稲荷神社。 石造りの鳥居は年季もの?、、、、、以前は蕎麦屋であった、今は民泊「kisoba」。玄関には「生蕎麦」という古い看板が残されている。



● 多聞寺からは南へ500m程、鐘ヶ淵駅からは北西に150m程、曹洞宗の醍醐山円徳寺がある。 、、、、、慶長18年(1613)に文京区駒込にある吉祥寺の和尚が開山した。 本尊は薬師如来。、、、、、朱塗りの山門が目立ち、赤門寺とも呼ばれているそうだ。 “赤門”の謂れが判らず、なんとなく特徴をつかみずらい寺だ!

・・・・・・・・・・ 境内に祀られている大きな舟型の庚申塔は、蓮華座に薬師如来を配し台座に三猿を掘った見ごたえあるものだ。 寛文12年(1672)の銘あり。
● 墨田2丁目の真言宗智山派寺院の正福寺は、月光山薬王院と号す。 正福寺は、慶長7年(1602)に創建されたと伝えられている。 建物は新しく近年建て替えられたと思う。
・・・・・・・・・・ 寺内にある首塚地蔵尊は首から上の病気にご利益ありと言われ、多くの参詣者があるそうだ。、、、、、天保4年(1833)洪水の危険をふせぐため、隅田川橋場附近の川浚い工事において、川床より多くの頭骨が発掘された。 当時の正福寺の和尚は、この地に合葬、碑をたてて「首塚」といったと伝えられている。 この縁で、首から上の病いに功験があるからと、参詣の香華がたえないそうだ。、、、、、首から上の病とは? ボケ、ハゲ、蓄膿、顔面神経麻痺、ブス、白内障、私のつたない知識で思いついたまま書いてみた。

● 墨田の町から東向島の町に入り向島百花園の脇をとおり都立墨田川高等学校の前に出ると、真言宗智山派寺院の蓮花寺(墨田区東向島3)がある。、、、、、創建の経緯については諸説あるが、一説には寛元4年(1246)、北条時頼の開基である。時頼の兄の北条経時の菩提を弔うために、鎌倉佐介谷(現・神奈川県鎌倉市佐助)に創建されたという。 その後、経時の子の頼助によって、弘安3年(1280)に現在地に移転した。 蓮花寺の本尊は空海自筆の弘法大師画像と伝えられている。、、、、、当寺は「寺島(昔の地名)大師」とも呼ばれ、川崎大師、西新井大師とともに「江戸三大師」と呼ばれていたそうだ。(ゴメン、そんなこと知りませんでした!)

・・・・・・・・・・ 蓮花寺門前に二基の道標がある。 かつて「寺島大師」として、江戸三大師の一つとして栄えていた頃、ここにある道標は大師参りの人々の為に建てられたものである。 川崎大師、西新井大師への道しるべである。
● 水戸街道(=国道6号)を横断し、京成曳舟駅から帰る。






































































































































































