墨田区

2023年8月31日 (木)

夜明けの隅田川

毎日が猛暑・酷暑でドッコイショ! まだまだ日中は暑く、散歩に出る勇気なし! 今朝は4時前に起き、夜明けの散歩に行ってきた。 浅草橋の我が家から、鳥越神社 → 蔵前橋 → 東京都慰霊堂 → 刀剣博物館 → 隅田川テラス → 両国橋 → 柳橋 → 浅草橋駅と、ぐるりと回ってきた。 7千歩




● 昨夜は9時に眠りに入り、今朝は3時45分に目が覚める、眠り疲れたのでそのまま起床。 『そうだ、夜明けの散歩をしよう!』と家を出る。 夜空には星が輝き、まだ暗い。 ご近所さんは熟睡中、静かに我が家をあとにする。

23083104152602308310421150




● 我が家から数分で鳥越神社に到着。 賽銭泥棒が活躍する時刻だ! 間違われないように賽銭を奮発し、堂々と参拝。

2308310425230

2308310424050




蔵前一丁目交差点、東の空はチョイト明るくなった、そろそろ夜明けかな? 只今の時刻4時31分、国立天文台の計算値では今日の日の出は5時12分、東京の空は日の出の40分程前から明るくなるようだ!

2308310431210




● 隅田川に吹く風がチョッピリ涼しげな蔵前橋を渡る。 橋から上流側には、夜明けの空にスカイツリーのシルエットが映る。

2308310437110

2308310438219_stitch




● 明日は9月1日、震災記念日だ、『チョックラ、震災記念堂に寄って行こう!』 下町の年寄は“震災記念堂”、今の若い人は“東京都慰霊堂”と呼んでいる。 旧震災記念堂(現:東京都慰霊堂)には、震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されている。 明日は関東大地震から100年目、大勢の参拝が見込まれるので、私は今日手を合わせていく。 合掌

2308310448440

2308310449270



・・・・・・・・・・ 東京都慰霊堂前、東の空は赤く染まってきた! 山頂とは違うので、御来光は見えないね!

2308310446360




● 震災記念堂から隅田川へ出る道沿い(全て墨田区横網町)に、大きな建物がいくつか、、、、写真の順に、①国際ファッションセンタービル(地上25階、第一ホテルが入居)、②NTTドコモ墨田ビル(地上27階、遠くからでも目立つ背の高いビルです)、⓷アパホテル&リゾート 両国駅タワー (地上31階、客室数1111室)

2308310452310

2308310457300

2308310504520




● 震災記念堂の西側に安田庭園があり、その一角に刀剣博物館がある。 私は、近くに住むからか(?)いまだ、内部見学してません、ゴメン!

2308310502450




隅田川テラスとは、上流の北区から下流の江東・中央両区まで、隅田川岸両岸に整備された親水テラス(台風が来ると“浸水”テラスになる)、、、、両国国技館前のテラスを歩き、両国橋まで、、、、総武線隅田川橋梁では、5時チョウド浅草橋発の一番列車が通過する、、、、体操で鍛えるお年寄り

2308310506420

2308310511520

2308310512450

2308310516210




● 今日の日の出時刻の5時15分、両国橋を渡る。 すでに空は明るい。 

2308310514530

2308310517580

2308310520580




● 「贅沢な人の涼みや柳橋これは正岡子規の句。 チョイト昔は夏の夕涼みができた川岸も、今は日が落ちてもムシムシ、ダラダラ、ベトベトの熱帯夜。 モ~嫌!

2308310519150

2308310522510




浅草橋駅の到着。 駅裏の銀杏岡八幡神社にも朝の御挨拶、『今日も一日平穏でありますように』、あたりさわりのない言葉で神頼み。、、、、5時35分、我が家に到着。

2308310529080

2308310531020

2023年7月14日 (金)

東武亀戸線

朝の天気予報では、今日の東京は最高気温29℃で曇りであった。 『久しぶりの30℃割れ、しかも曇り空なら、熱中症の心配も薄らいだ。 ヨシ、歩いてくる!』と、自分に言い聞かせ、東武亀戸線の全駅制覇に出立。


東武亀戸線の歴史は ・・・・・・ 東京と関東北部を結ぶ東武鉄道は、明治30年(1897)に設立された。 当初、起点を東京湾に近い越中島とする予定で免許を申請したが、越中島~北千住間は審査に時間を要し、すぐには免許が下りなかった。 そこで、日本鉄道(現:JR常磐線)の北千住駅を起点に久喜駅までを東武鉄道の最初の区間として、明治32年(1899)に開業した。 明治35年(1902)には北千住駅から吾妻橋駅(後に浅草駅、業平橋駅と改称し、現在はとうきょうスカイツリー駅)まで延伸された。 越中島~北千住間の免許は明治32年(1899)に認可され、明治37年(1904)4月5日には、その一部である亀戸~曳舟間が開業した。 この開業と同時に、東武鉄道は総武鉄道(現:JR総武本線)亀戸~両国橋(現:両国)間へ乗り入れ、直通運転を行う。 また、東武鉄道の吾妻橋~曳舟間は廃止され、亀戸~曳舟間が本線格の扱いとなった。 明治40年(1907)乗り入れ先の総武鉄道が国有化されるが、引き続き東武鉄道の乗り入れは継続する。 東武鉄道は、ターミナルを開業当時の吾妻橋駅に戻すことになり、明治41年(1908)に吾妻橋~曳舟間が貨物線として再開する。 明治43年(1910)3月に吾妻橋駅を浅草駅に改称、そして浅草~曳舟間の旅客営業を再開。 これにて、亀戸~曳舟間は支線となる。 また、同年8月には、亀戸~越中島間の免許は失効した。



・・・・・・・・・・ 今日は東武鉄道亀戸線(全長3.4km)に、廃止、統合、現営業中を含め、10駅が存在した。 起点の曳舟駅から終点の亀戸駅まで全駅を歩いて来たので、順に紹介する。



曳舟駅 ・・・・・ 曳舟駅は明治35年(1902)4月1日、吾妻橋~北千住間開業時にできた駅。 明治37年(1904)4月5日、亀戸~曳舟間が開業。、、、、現在は東武伊勢崎線、亀戸線の停車場で、ホームは高架複合式3面5線構造。 伊勢崎線が発着する1~4番線(島式ホーム2面)と、亀戸線が発着する5番線(短い片面ホームが1面)から成っている。 2両編成の亀戸線が10分間隔で運行している。 通勤通学客で満員だ!

2307140744010

2307140725370

2307140732330

2307140727440



・・・・・・・・・・ 亀戸線の使用車両は、8000系が中心。 昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラーとして朱色や緑色に塗られたものも存在し、来る列車、来る列車毎に色が変わる。

2307140812250

2307140840030

2307140846070




虎橋通駅跡 ・・・・・ 現存の曳舟駅と小村井駅の間に、かつては虎橋通駅(とらばしどおりえき )と十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)があった。 その一つ、虎橋通駅は墨田区京島2の住宅と線路の間の狭い処にあった。 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和20年(1945)3月10日である。、、、、駅跡に何か残ってないか? キョロキョロ探すと、線路脇に並ぶコンクリート土台(?)跡があった。 おそらく70数年前に廃止となったホームの基礎部分であったと思う。 

2307140759410

2307140800260




十間橋通駅跡 ・・・・・ 次は、
十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)の跡。 駅は、十間橋通と交差する踏切の北側(墨田区京島2)の線路脇にあった。 下町の元気な商店街:キラキラ橘商店街の入口に近い処だ! 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和33年(1958)10月22日である。、、、、線路脇には曳舟起点9㎞ポストがあった。 その周囲のバラストの中にコンクリート構造物が見える、ここもホームの基礎部分が埋まっているのか?

2307140816500

2307140821330

2307140817390




天神駅跡 ・・・・・ 曳舟駅、虎橋通駅跡、十間通駅跡とみて、次は、小村井駅の手前にある天神駅跡を探す。、、、、天神駅(てんじんえき)は、かつて東京都墨田区文化に存在した亀戸線の廃駅。 天神駅は、明治37年(1904)4月5日に開業し、昭和32年(1957)5月20日に廃止された。、、、、曳舟たから通りに面する「
iU 情報経営イノベーション専門職大学(墨田区文化1)」の建物の東側あたりに天神駅はあったと思われる。 この付近の線路敷きは、気持ち分だけ幅広になっており、ここに駅があったのかも(?) 線路敷きの両側は建物が並んでおり、線路内に立ち入って詳細に見ることはできず諦める。、、、、駅名の“天神”は亀戸天神のことだが、ここから亀戸天神までは1㎞以上あり、歩いて20分はかかるであろう。

2307140827210

2307140830200




小村井駅 ・・・・・ 曳舟駅から1.4㎞にある小村井駅(おむらいえき)は、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあり、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 開業は昭和3年(1928)4月15日、、、、都会の中の小さな駅で、“ローカル”、“昭和レトロ”、“のんびり”などの言葉が合う駅だ! 駅名はチョイト読みづらいかな?

2307140843230

2307140846340

2307140847450




東あずま駅・・・・・小村井駅の次は東あずま駅。 駅名は付近一帯がかつて吾嬬町(あづまちょう)だったことに由来し、周辺の東吾嬬小学校、第一吾嬬小学校などの学校や吾嬬神社にその地名が残っている。 本来は「東あづま」と表記すべきところ「東あずま」となった。 その理由は不明だが、たぶん誰かが“づ”を“ず”と間違えたのだろう!、、、、昭和3年(1928)4月15日 、平井街道駅として開業。 昭和20年(1945)5月20日、平井街道駅廃止。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業、、、、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は丸八通り(=都道476号)に面す、各ホーム間の連絡は構内踏切を利用。

2307140855350

2307140858540




北十間駅跡 ・・・・・ 曳舟から亀戸へ向かい北十間川を越えた所(橋の南詰)、マンション脇のチョイ広の線路敷きに北十間駅があったと思われる(?) 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和21年(1946)12月5日。 70数年前の廃駅は何も残っていないようだ! 

2307140914180

2307140913410




亀戸水神駅 ・・・・・ 現在の亀戸水神駅は北十間駅と旧亀戸水神駅を統合して、両駅の中間に昭和21年12月5日に移転した。、、、、“亀戸水神”は“亀戸天神”と紛らわしいが、全く別物で
駅の西方にある亀戸水神宮に由来する駅である。 お間違いなきよう!、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホーム間には構内踏切あり。

2307140918530




旧亀戸水神駅跡 ・・・・・ 亀戸へ向かう電車は、亀戸水神駅を出て右に大きくカーブする、そのカーブ地点の線路脇にキレイに並ぶコンクリート造の遺構がある。、、、、旧亀戸水神駅は昭和
3年(1928)4月15日に開業。 昭和20年には戦災を受け、昭和21年(1946)12月5日に北十間駅と統合し、現在の亀戸水神駅へ移転した。

2307140926350

2307140927130

2307140929060




亀戸駅 ・・・・・ そして亀戸線の終点は亀戸駅。、、、、島式ホーム1面2線を有する地上駅。 改札は駅ビル「アトレ亀戸」内にある。 ちょこっとスロープを上ればホーム。 この構造はまさに都会のローカル線!

2307140943200

2307140945200

2307140935140

 

 

● 東武鉄道亀戸線はコチラも見てね!・・・・・・・・・・ 昼の亀戸線(1918/6/25) ・・・・ 夜の亀戸線(1920/8/17)

 

 

● 東武鉄道亀戸線の全駅を歩いた、1万2千歩。 時刻は10時だが、すでに全身は汗でビショビショ。 やはり、真夏の散歩はチョイト、キツイね!

2023年5月 6日 (土)

八広から平井

GW中は、観光地に行かず家でじっとしていようと思ったが、天気がいいと歩きたくなるね! 今日も天気が良さそうなので、人混みを避け、京成押上線の八広駅から、JR中央・総武緩行線の平井駅まで、人影少ない下町を歩いてきた。 1万1千歩




● 「八広駅」の乗降人員は京成線全69駅中34位。 押上線の駅では最も少ない一日当たり約5000人。 23区内の駅だが、残念ながら影の薄い駅。 おそらく都内在住の人でも、駅の所在を知らない人もいる、下車したことがない人も多そうだ。 高架駅のホーム先端からは荒川がスグ目の前に流れてる。 高架下の出口の前は下町の裏道だ! 駅の周辺には人を集める施設もなく、万年、静かな駅。

2305060740530

2305060747180

2305060748440




● 八広駅から南東へ200m程、木根川橋の西詰に「日枝神社」が鎮座する。 400年程前の慶長19年(1614)の創建といわれ、歴史は古いが詳しい由緒は判らない。、、、、境内には人気無し、静かなGW!

2305060756440

2305060758010



・・・・・・・・・・ 日枝神社の境内に、もう一社「木下稲荷神社(きのしたいなりじんじゃ)」が鎮座する。 こちらは、慶長19年(1614)の鎮座で元木之下村宝蔵寺境内にあって、日枝神社の摂社として創立された。 明治初年の改正により木下村に移転され、さらに大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)の用地に入ったために現在の場所に移転した。

2305060758440




八広から東墨田の町をブラブラ

・・・・・・・・・・ 八広の裏通り、、、、東京スカイツリーのお膝元

2305060801160

2305060805570

2305060809450



・・・・・・・・・・ 吾妻西公園の戦災殉難者之精霊供養塔、、、、太平洋戦争当時ここの公園は空地だったため、東京大空襲の犠牲者250名程が仮埋葬された。 昭和23年頃から改葬のために遺体は火葬されて東京都慰霊堂に合祀されたが、これらの犠牲者の冥福を祈り慰霊するために、平和地蔵尊と墓誌(慰霊碑)が建立された。

2305060814420



・・・・・・・・・・ 荒川土手の下を歩く、、、、もちろん海抜0m以下 歩く人がいない!

2305060821240



・・・・・・・・・・ 東墨田の革工場もGWで仕事は休み 人影がない!

2305060826320

2305060842050



・・・・・・・・・・ 東墨田の連結送水管の専門企業にズラリと並んだ、“まっ赤なポルシェ”とはちょいと違うがまっ赤なポンプ車。 ポンプ車もGWでひと休み!

2305060841470




● 葛飾区を北から南に流れ東墨田の東側で荒川と平行に流れ下る中川。 その中川が荒川でちょん切られ、下流側(墨田区側)が「旧中川岸辺公園」として江東区まで続く。、、、、煙突は「墨田清掃工場

2305060857400




● 旧中川の南は江戸川区、江戸川区平井に「平井天祖神社」が鎮座。 平井天祖神社の創建年代は不詳だが、貞和4年(1349)に再興した旨の棟札が、江戸時代には残されていたそうだ。 江戸時代には中平井村の鎮守で、明治7年(1874)に村社に列格した。 祭神は天照皇大御神、合殿に布都主命、武甕槌命を祀る。、、、、ここも、人の姿が見えず、今日はGWだ!

2305060919590

2305060921070




● 蔵前橋通りを越えるとJRの「平井駅」 今日の散歩はココまで!

2305060930590

2305060936470

2305060940550

2023年3月27日 (月)

桜は満開

先週、小田原で花見をしたつもりでいたが、その時は二分咲き程で寂しい花見であった。 妻が『やはり満開の花見もしたい!』と言うわけで、本所吾妻橋駅から隅田公園・牛嶋神社・桜橋・浅草と巡り、隅田川の両岸を歩いて来た。 1万歩の散歩




浅草橋から都営浅草線で三駅目「本所吾妻橋駅」から散歩を始める。 源森橋北十間川を越えれば、その先は「隅田公園」、、、、江戸の運河“北十間川”とは、下町らしいネーミングで好きだ!、橋名“源森橋”なんとなく職人ぽい名前で、これまたいいね!、、、、橋の手前には、我が母が私の大学受験合格祈願で幾度も通った「清雄寺」がある(50年以上前のこと)

2303271004550

2303271007020

2303271009270

2303271011120




● 我が家を出てから15分「隅田公園」に到着。 「隅田公園」は、名前のとおり隅田川沿いにある公園で、川の両岸、墨田区側(左岸)は向島、台東区側(右岸)は花川戸・浅草に広がる。 公園は、大正12年(1923)の関東大震災により壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一部として整備された。 今は川岸に八代将軍徳川吉宗のはからいにより植えられた、約1㎞に渡る桜並木が花見の名所となってる。、、、、「隅田公園」と言うと、墨田区側?、台東区側?どちらも「隅田公園」です!

● まずは、墨田区側の「隅田公園」、、、、墨田区側の隅田公園は、江戸時代、ここに徳川御三家のひとつ、水戸藩の下屋敷「小梅御殿」があった。 関東大震災後で下屋敷が全壊し、その後隅田公園として整備され、日本庭園に姿を変えた。

2303271015160

2303271017390

2303271019360

2303271020160




● 隅田公園内に所在する「牛嶋神社」にお立ち寄り。 牛嶋神社は、貞観2年(860)創建。 本所地区の総鎮守で、墨田区のほぼ南半分と大変広い地域が氏子となっている。 祭神は須佐之男命、天之穂日命、貞辰親王命。 社殿は総檜権現作りの荘厳にして風格のあるもので、本殿前の木製の鳥居は、中央の鳥居の左右に小さい鳥居の付いた三輪鳥居。 江戸時代より牛嶋神社は「牛御前」と書かれ、その名の通り古くから牛にまつわる信仰がある。、、、、昭和7年(1932)、関東大震災後の隅田公園の整備により、現在の桜橋近くの隅田川東岸にあったのを隅田公園の北側に移された。 その後、昭和20年の東京大空襲により神楽殿は焼失したが、本殿はじめその他の建物は一部被害を受けたが、概ね昭和7年移転当時のものである。、、、、拝殿では神前結婚! 我妻は撫で牛の頭を撫で撫で(どこが悪いの?)

2303271033590

2303271029470

2303271032380




● 隅田川岸を歩く。 満開の桜並木。 桜橋を渡り墨田区(左岸)から台東区(右岸)へ。、、、、満開の桜を今年も堪能『余は満足じゃ!』 

2303271038130

2303271038450

2303271050470

2303271057310

2303271104380

2303271105550

2303271106270

2303271108260




● コロナ規制も緩み、外人ばかりの「浅草寺」 『異国になったASAKUSA!』

2303271122580

2303271127000

2303271128570

2303271130080

2303271132430

2023年1月11日 (水)

セルロイドの町

京成押上線の八広駅から荒川を渡り、立石駅前を通り青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。



八広駅で電車から降り、ホームの端に立つと荒川に架かる押上線荒川橋梁に接していることが判る。 平成3年(1991)1月5日、桁の高さが低かった旧荒川橋梁にタンカーが衝突し、上下線とも数日間運休となる事故が発生した。 これを契機に、荒川橋梁の掛け替えおよび荒川を挟み両岸の四ツ木駅と八広駅間の高架化工事が開始され、平成11年(1999)工事が完成した。 また、平成6年(1994)には、荒川駅を八広駅に改称。、、、、現在の駅の構造は、ホームは3階にあり、1番線が片面、2・3番線が島式の2面3線構造。 2階は改札・コンコース。 高架下の1階は薄暗い出入口とその周囲は自転車置き場。 なんでこんな陰気な駅を造ったのか謎だ!?、、、、駅名の「八広」は地名から採用。 地名の「八広」は元々「吾嬬町」といい、昭和40年(1965)の住居表示実施に伴い寺島町六・八丁目、隅田町四丁目・吾嬬町西五・六・七・八・九丁目の8地区が合併して成立したため、「」の字を採り、その字体から「末がり」の縁起を担いで命名された。

2301110759080

2301110800480

2301110807520




● 平成11年(1999)に供用を開始した現在の押上線荒川橋梁であるが、旧橋の撤去や関連護岸工事などすべての事業が完了したのは平成14年(2002)である。 総事業費は398億円(内242億円(65%)は国庫負担)、、、、現橋は旧橋より3.7m嵩上げし、水面から8.3mの高さとなった。 橋長473mの単純トラス橋。

2301110818040

2301110814550




● 押上線荒川橋梁の上流側(北側)に、新四つ木橋、四つ木橋(国道6号)が架かっている。 四ツ木橋の旧橋は大正11年(1922)に、荒川放水路(現:荒川)開削に伴い木製の四ツ木橋が架橋された。 その位置は現在の国道6号ではなく、約500m下流の東京都道465号深川吾嬬線の延長上にあった。 大正12年(1923)9月、関東大震災の混乱に乗じ、この四ツ木橋の墨田区側のたもとで、朝鮮人・中国人虐殺が行われたといわれてる。 なおその規模は不詳である。、、、、押上線荒川橋梁から約100m下流側、都道465号が荒川にぶつかる際に、「関東大震災 朝鮮人殉職者追悼碑」がある。 この場所は、韓国・朝鮮人が殺害された場所の一つと言われている。 嘘か真か、詳細は不明。、、、、写真は荒川堤防上から撮影。

2301110812160




● 押上線荒川橋梁から100m程下流に架かる「木根川橋(きねがわばし)」は、墨田区八広と葛飾区東四つ木とを結ぶ美しいトラス橋である。、、、、全長531.4mの3径間下路カンチレバートラス橋 +4径間下路単純トラス橋で、着工は昭和42年(1967)、完成は昭和44年(1969)2月。 下部工の施工は大成建設。、、、、この橋は、さだまさしの歌「木根川橋」のモチーフとなった。 この歌を私は知らないが、木根川橋そのものは、何となく下町の匂いがするようで好きだ!

2301110824159_stitch

2301110831050

2301110832550

2301110835310



・・・・・・・・・・木根川橋から下流を眺める。 冬の太陽が昇ってる!

2301110826380




● 木根川橋を渡り葛飾区東四つ木の町に入る。 ここは細い曲がりくねった小路に、町工場、住宅が建ち並ぶ木造密集地区。、、、、下町の雰囲気が残っている、好きだ!

2301110841200

2301110842100

2301110843470

2301110918070




● 東四つ木の町の中に「渋江白髭神社」(四つ木白髭神社とは別)がある。 渋江白髭神社は、旧西葛西領澁江村(東京府南葛飾郡本田村字澁江)の鎮守で、江戸時代は「葛西の客人(まろうど) 大権現」と呼ばれ、吉原、深川、千住などの遊郭や水茶屋、花柳界の人々の崇敬を集めた。 創建年代は不詳ながら、旧別当寺の観正寺が延徳3年(1491)創建であることから、室町時代の創建と推定される。、、、、現在の社殿は嘉永元年(1848)の造営。、、、、当神社付近には、戦国時代に使用されたとされる渋江陣屋の跡があったそうだ。 遺構などは無いが、「渋江城跡」と言われてる。

2301110906280

2301110913490



・・・・・・・・・・ 社殿前の狛犬は安政3年(1856)に深川の油問屋から奉納された。 また、常夜燈は文政6年(1823)に日本橋葦屋町(現:人形町付近)からの奉納。

2301110909470



・・・・・・・・・・ 境内には、文政5年(1823)奉納の客人大権現の道標などが数基残っている。

2301110911300




● 渋江白髭神社から北東へ約500m、プールやテニスコートなどもあるチョイト大きな渋江公園(葛飾区東立石)がある。 この公園に、3人の子どもが階段に座る彫刻が花壇の中央に置かれた「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」が建っている。、、、、葛飾のセルロイド工業は、大正時代から昭和20年代にかけて旺盛だった。 大正3年(1914)「
千種セルロイド工業」が、この地に創設されたことに始まる。 しかし皮肉にも千種セルロイド工業は、不況のために早くも大正9年(1920)に廃業してしまうが、セルロイド工業はこの地区に定着し発達していった。 戦後セルロイド製品は日本の輸出品の中で重要な役割を果たしたが、プラスチック技術の発展にともない急速に衰退した。 公園内の記念碑は、この地域が葛飾区の近代工業の発展を担ったことを表わしている。 昭和27年(1952)、渋江公園の造成に伴って建てられた。、、、、私も愛用したセルロイドの下敷き、筆箱、玩具など、現代のプラスチックに変わるまで、戦前戦後の重要な素材であった。 セルロイドは燃えやすい素材であるため、現在は国内で生産されていないそうだ。、、、、懐かしい匂いがする素材で、セルロイド製の樟脳船で遊んだことを思い出す。

2301110930300

2301110929210




● 高架化工事中の立石駅を通り、1,300席を有するクラシック音楽向けのホールを備える文化センター「かつしか シンフォニーヒルズ
」前を抜けると青砥駅。

2301110941010

2301110956080

2301111003320

2023年1月 7日 (土)

久しぶり

今日は松の内の最後、明日から2023年の活動を開始する人もいるかも、私も今日から『雅万歩』を再開しようと思う。

年末はしばらくの間、家の中でうろちょろ、外であたふた、夜はよたよた、寝床に入ればぐうぐう。 歩く機会が少なかった、足が退化したかも? 今日は足慣らしで、浅草橋の我が家から京成押上線の八広駅まで歩いた。 1万3千歩

 

 

● まずは、我が家の氏神様にご挨拶、、、、浅草橋駅裏の「銀杏岡八幡神社」に詣でる、、、、我が家では、昨年春に私と妻の身内が続けて他界し仏事に追われ、夏から秋には遺品整理と相続手続きに追われ、年末はリホームで居場所を追われ、気の休まる日は無かった。 今年は、のんびりできることを願うのみ! お賽銭、チャリン・チャリン(100円硬貨2枚) 

2301070745100

2301070744090



● 浅草橋駅前から江戸通りを北へ向かう、、、、通勤する人、配送するトラック、正月気分は抜け普段と変わらぬ景色。

2301070746340



● 駅から約400m、浅草橋3丁目のビル前にある「メタセコイア」の木。 見上げる高さで、25m(都内最大級)。 メタセコイアは常緑樹に似ているが、冬になるときれいな褐色に色づき落葉するのでメタ(超越した)セコイア(ヒノキ科の常緑針葉樹)と名付けられたそうだ。(知ってても、あまり役立たない知識)

2301070752300



● 江戸通りからそれて「厩橋」を渡り、対岸の墨田区に入る、、、、朝8時、冬空の下、静かに流れる隅田川

2301070807510

2301070810160



● 墨田区東駒形1丁目のビルの植え込みに「将棋名人 木村義雄誕生の地」の案内板が建てられてる、十数年前に建てられた案内板で文字がかすれ読みずらい。(墨田区教育委員会で作り直して!) 読めた部分を紹介すると、『将棋の十四世名人木村義雄は、明治38年(1905)に本所区表町39番地(当地?)に生まれ、明徳尋常小学校(現本所中学校)を卒業した。 子どもの頃から将棋や囲碁が強く、大正5年(1916)に十三世名人関根金次郎の下に入門し、頭角を現わしました。昭和13年(1938)に第一期実力制名人となり、その後4期連続で名人位を防衛しました。昭和22年(1947)に塚田八段に敗れたものの、昭和24年(1949)には再び名人位に就き、通算8期10年の間、その地位を守りました。 昭和27年(1952)に大山八段に敗れて以後、公式戦休場を表明し、十四世永世名人を襲位しました。』、、、、現在の藤井五冠と比べると、どっちが強い?

2301070823240



● 8時45分、北十間川に架かる「源森橋を渡り隅田公園(墨田区)に向かう。、、、、長く伸びた人影が冬を感じさせる

2301070846050

2301070846340



● チョイト、隅田公園の一角に鎮座する「牛嶋神社」によって行く、、、、丑(うし)年はすでに遠く去り今年は卯年、でも御利益を期待し参拝する人は多そうだ! 私も12億円の宝くじに御利益を期待し、賽銭を入れる。

2301070859160



● 向島からは水戸街道(国道6号)沿いに歩く、、、、寒さ感じず、足は軽快、スタコラサ!

2301070911280

2301070925590



● 東向島の東武伊勢崎線ガード下には東武鉄道開業時の蒸気機関車(B1形6号蒸気機関車)が展示されてる。、、、、案内文は『6号機関車  東武鉄道記念物12号  明治32年(1899)の開業にさきだち、明治31年(1898)英国ピーコック社から輸入した機関車で、この6号機関車は、5号機関車とともに昭和40年(1965)まで伊勢崎線で活躍していました。 東武鉄道では昭和41年(1966)7月貨物全線の電気化が完成するまでは、多くの蒸気機関車が在籍。 貨物線の電化が進むに従って蒸気機関車は、次々と姿を消していきました。』、、、、動くように整備しSL大樹と共に鬼怒川線で走らせると楽しそうだ!

2301070932180

2301070933360



● 京成押上線が荒川を越える西詰、荒川土手に接して「八広駅」がある。、、、、八広駅は大正12年(1923)7月11日に荒川駅として開業。 平成3年(1991)1月5日に、旧荒川橋梁にタンカーが衝突し、上下線ともレールが折損するほどの事故が発生し、四ツ木~八広駅間が数日間運休となる。この事故を契機に、四ツ木~八広駅間の高架化工事が開始される。 平成6年(1994)駅名を八広駅に改称。、、、、単式ホームの1番線が上り線ホーム、島式ホームの2・3番線はそれぞれ下り線ホームと予備ホームの高架駅である。 コンコースも高架下の2階中央にあるが、駅出入口はバスが走る大通りから高架下の脇道をチョイト歩いた薄暗い奥にある。 夜は怖いかも?

2301070958310

2301071000520

2301071005110

2022年11月 9日 (水)

天王院

先日から「東叡山 寛永寺 護国院「神齢山 悉地院 護国寺護国山 天王寺」と巡り、今日は「護国山 天王寺」から“天王”つながりで「海福山 天王院 正圓寺(正円寺)」へ行くことにした。 「正円寺」は押上にある。 都営浅草線の押上駅で下車。 正円寺へ参り、その後は向島の弘福寺近辺を歩き、京成押上線の京成曳舟駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 浅草橋駅から地下鉄で4駅目が押上駅、我が家の玄関から15分でスカイツリーの足下に立つ、近い!、、、、今日の散歩、スタート!!

2211090735250

2211090740020

2211090755060



● 押上駅から北へ600m程行くと、下町の住宅地の中に「高木神社」(墨田区押上2)がある。 小さな神社だが、最近のアニメブームでチョイト有名になった神社らしい。(私はアニメに興味なく、知らなかった)、、、、高木神社は応仁2年(1468)第六天社として創建、旧寺島村大字新田の鎮守だった。 明治15年(1882)村社に列格した。 神社の祭神は高皇産霊神(たかむすびのかみ)で、社名の“高木”は高皇産霊神の別称が「高木の神」であることに由来する。、、、、現社殿は昭和42年(1967)の造営の、鉄筋コンクリート造。

2211090823280

2211090819060



● 高木神社の境内と地続きで、隣に天台宗の「海福山 天王院 正圓寺(正円寺)」がある。 正円寺は高木神社の別当であった。 神社の裏手で、見落とされがちな小さな寺院である。 かつては境内の広さが2,400坪の大寺であったが、安政2年(1855)の安政大地震で崩落し、これまでの勢いを失って、現在に至っている。 応仁2年(1468)に常照法印により創建された。 浅草寺の末寺として五百年余の歴史を誇る古刹でありながら記録文献に乏しく寛永年間(1624~1644)以前の正確な歴史は不明。  、、、、境内は清浄に保たれた美しい寺。

2211090810450

2211090810590



・・・・・・・・・・ 本堂前に石燈籠がある。 この石燈籠は、忠臣蔵の浅野内匠頭長矩の祖父:長直(赤穂藩祖)が、寛永寺の大猷院(徳川家光)廟所に寄進したものらしい。 廟所は享保5年(1720)に焼失し、その後再建されなかった。 燈籠はその後、明治期の上野山(寛永寺)の公園化の時に移されたものと思われる。

2211090813520



● 【チョイト蛇足】今日の散歩にあたり、院号が“天王院”の寺院を探していたら、山号が“天王山”の寺院も見つかった。 次回の散歩は、ここにする。 乞う御期待!



● 正円寺から西に400~500m程歩くと都立本所高等学校(墨田区向島3)がある。 この校舎付近に二人の文豪の住居跡がある。

・・・・・・・・・・ まずは、校舎の東側:桜橋通りに面して「森鴎外住居跡」がある。 森鴎外の住居跡というと、出身地の津和野に生家、北九州小倉に旧居、都内台東区には鴎外の最初の結婚後に住んだ家が保存されている。 その他に、文京区千駄木、足立区北千住など、軍医時代も含め点々としたらしい。、、、、ここ向島の旧居跡(現在の本所高等学校の敷地内)には、学生時代の数年間、家族と共に暮らしたそうだ。、、、、高等学校前のバス停名は「森鴎外住居跡

2211090832290

2211090833350



・・・・・・・・・・ 次は、本所高等学校の南側、墨田区すみだ福祉保健センター(向島3)の一角に「堀辰雄住居跡」がある。 明治43年(1910)から大正13年(1924)まで住み、その後、隅田公園東隣に移転した。 、、、、堀辰雄の名作は「風立ちぬ」、私の迷作「歯が立ちぬ」

2211090840090



● 桜橋通りを歩き、国道6号(=水戸街道)を横断し、向島2丁目に入ると、「向嶋墨堤組合」の建物がある。 ここは、向島芸者の総まとめ「見番(けんばん)」だ!、、、、向嶋墨堤組合は、料亭、置屋、芸妓衆など花街の統括管理が主な業務で、現在、10軒の料亭が加盟し、120名を越える芸妓衆が登録している。規模は都内随一で、作法、所作に始まり、お座敷でのおもてなしの心を身につけるために、西川流や猿若流などの日本舞踊の他、鳴物、清元、長唄、常磐津、笛を専属の師匠について日々修練しているそうだ。、、、、自分の若い頃は行ってみたかった芸者遊び、今は「役立たぬ」

2211090855560



● 向嶋墨堤組合前の「見番通り」を北へ100m、黄檗宗の寺院「牛頭山 弘福寺」、、、、延宝元年(1673)黄檗宗の鉄牛和尚の開山、稲葉正則の開基により香積山弘福寺を現在地に移して建てられた寺院。 江戸時代には鳥取藩池田氏の菩提寺であった。 関東大震災で罹災したが、昭和8年(1933)に、中国の黄檗寺にならって、本堂が大明式建築で再建された。 山門も、昭和8年の再建で、前に控柱が4本あり、門の中央部が2階建てとなっている。、、、、弘福寺には、明治の文筆家、淡島寒月が住んでいた。 寒月の住居跡は、弘福寺の隣りで「料亭 美家古」(国登録有形文化財)となっている。

2211090907340

2211090913270

2211090905440



● 弘福寺の北隣には天台宗の寺院「長命寺」があるが、境内に幼稚園があるため、門前に住職・先生が出て不審者を監視中。、、、、子供が遊ぶ境内に、チョイト、カメラを持って近寄り難い、(私は、気が弱いので)今日は静かにパスする、女先生に睨まれていた!



● 長命寺の裏、墨堤通りに面して「長命寺 桜もち 山本や」がある。 300年続く桜もちは江戸の老舗の超名物、ぜひぜひ召上がれ!、、、、ここ「山本や」(当時は木造の建物)の二階に三カ月程借りて住んでいたのは、学生時代の正岡子規である。(正岡子規の仮寓

2211090926250



● 向島5丁目と東向島1丁目の境は鳩の街(はとのまち)。 鳩の街はかつての赤線地帯。 地理的に私娼街「玉の井」と近く、1kmほどの距離である。 太平洋戦争末期に、東京大空襲で玉の井を焼け出された業者が何軒か、この地で開業したのが始まりという。終戦直後は、米軍兵士の慰安施設として出発したが、兵士が性病に感染することが多いため、昭和21年(1946)に米兵の立ち入りが禁止された。その後、日本人相手の特殊飲食店街(赤線)として発展した。 一時期には、娼家が108軒、接客する女性が298人いたという。、、、、久しぶりにチョイト歩いて見たら、激変、商店街の店はシッターを下ろし、営業している店は少ない。 裏道に残っていた娼家風の建物は、ほとんど取り壊され更地や新しい住宅に変わっている。 商店街裏の雑然とした住宅は壊され、大きなマンション用地が広がっている。 ここに、赤線があったとは思えない町となった!

2211090956590

2211090955450



● 押上駅から向島に向かい、さらに東向島をブラついて、京成曳舟駅へ到着。 ここから、お帰りで~~す!

2211091013510

2211091022080

2022年7月27日 (水)

押上から平井

当たり前のことだが『夏は暑い!』 今年もその暑さに、プラス“コロナ”、も一つおまけで“さる痘”。 大阪では高齢者の行動制限も検討しているとか? 最近の東京は、朝から暑く、高齢者は外出をひかえた方が良いかもね。

それでも外出したくなるのは、仕事もなく、ひまで元気な高齢者。 私もその一人で、家に籠って『終活ノート』を書く気はさらさらなし。

今日も朝一で我が家(浅草橋)の周辺を散歩、5時の始発電車を駅で見送り、熟睡中の神様に詣で、立ち喰い蕎麦の仕込み作業をチョイト見て、朝の爽やか空気を吸って帰る。、、、、家内も起きて朝食の準備中。 

朝食時、家内から『今日は涼しいよ、散歩してきたら』と一声掛かる。 『もう、町内一周してきたからいいよ』と返すと、“町内一周”ではなく、足の運動で“雅万歩”の散歩をして来いだった! 『ヨシ、行ってくる』

7時過ぎに家を出たが、『さて、どこへ行こうか、ああ ここは浅草(橋) 思案橋ブルース』、、、、乗って降りたは (暑い暑いと)哭いているよな 押上の町。



● 京成電鉄が管轄する押上駅には、同社の押上線と、東京都交通局の都営地下鉄浅草線が乗り入れている。 都営の“敬老パス”を持つ私は、都営線内無料(実質は先払い)で、ここで降りる。、、、、押上駅は大正元年(1912)11月3日に京成押上線の起点として開業、都営浅草線の乗り入れは昭和35年(1960)である。、、、、現在の押上駅は東京スカイツリーの下に地下化され、東武伊勢崎線(東京メトロ半蔵門線)も乗り入れてる。 東武伊勢崎線から都営浅草線に乗り換える乗客が多く、改札は人が途切れることはない。

2207270741570

2207270746390

2207270749060



・・・・・・・・・・・・ 地上に出ると頭上には東京スカイツリーが夏空に眩しく輝いてる

2207270752500



● 押上駅から裏道を歩く・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・ 健生堂病院は、大正8年(1911)に健生堂医院として開設され、下町に安心の医療サービスを提供し続けている地域密着型の病院。 診療科目は主たる内科の他に、外科、整形外科、皮膚科、眼科、歯科などがある。、、、、建物も歴史がありそうだ!

2207270800550



・・・・・・・・・・・・ スカイツリーの足下を流れる北十間川から見上げる塔

2207270803190



・・・・・・・・・・・・ 夏休み、水泳教室に向かう児童、、、、泳ぎの苦手な私には、辛かった思い出

2207270815020



・・・・・・・・・・・・ 昭和30年代のカラーリングのリバイバルカラー車両が走る東武亀戸線の踏切。、、、、この踏切の向こう側は墨田区京島地区。

2207270817260



● かつては、救急・消防車両も入れぬ典型的な「木蜜地域(=木造住宅密集地域)」と言われた墨田区京島地区。 住民・行政の努力が少しずつ実り、道路幅は広がり、木造住宅は耐火建築に変わり、“木蜜地域”から脱しようとしている。

・・・・・・・・・・・・ まだまだ残る木造長屋。 できる限り、早く耐火建築に!

2207270818310



・・・・・・・・・・・・ 道路幅が広がり、両側の住宅は耐火建築に変わった処

2207270819560



・・・・・・・・・・・・ 住宅が取り壊された跡は道路に変わるようだ!

2207270820250



・・・・・・・・・・・・ 防火・防災に備えあちらこちらに点在する「手押しポンプ」

2207270829370



● 京島地区を抜けると八広・立花地区。 墨田区の東端部に位置する家内工業の多い町。、、、、時刻は9時を過ぎ、太陽ギラギラ、汗ダラダラ、ついでに足はフラフラ。 このまま歩くと“死”へ一直線だ、近くの公園で水をかぶり頭・首を冷やす。

2207270854140

2207270908140

 

 

旧中川に架かる「平井橋を渡り江戸川区に入る。 JR平井駅までは500m程。 『どうやら死なずに帰ることができそうだ!』一安心。

2207270924170



● 「平井駅」に無事到着、、、、明治32年(1899)4月28日に総武鉄道の駅として開業した古い駅だが、私の住む浅草橋駅と同様で総武線各駅停車の駅では影がうすい方だ。 

2207270935300

2207270937330

2022年1月12日 (水)

荒川土手は、寒い寒い

北風が吹き、雪が舞い、雨が降り、連日の寒さは高齢者の私にはチョイト厳しい。 今朝も早々と5時には目が覚め、6時には朝食を済ませたが、7時になると我慢できず散歩に出たくなった。 先日(1/8)の続きで王子駅から歩こうと思ったが、新型コロナに感染したくないので、どうしようか迷う。 朝の京浜東北線は混んでる、王子駅は乗降客が多い、王子周辺は通行人が多い、てなことで、今日の散歩は人混みを避け、東武伊勢崎線の堀切駅から荒川土手を歩き京成押上線の八広駅か、JR総武線の平井駅まで歩くつもりで家を出た。 堀切駅前の荒川土手に立つと、北風が吹き付け、超寒い! 『コリャ、風邪をひくかも! 風邪になると新型コロナと間違え、病院に隔離されるかも?』 急遽、土手歩きは止めて、土手下の墨田区墨田の町を歩き八広駅までの散歩に変わった。 1万1千歩




● 暖かい電車の扉が開きホームに出ると、寒い北風が吹き付けてきた。 近くの大学の学生も何人か降りる。 皆、寒そうに2台の自動改札を通り抜けていく! 学生がいなくなると、ホームにいるのは私だけ、寂しい駅である。 東武伊勢崎線の「堀切駅」、下町の情景が残る駅

2201120810071

2201120815240




● 堀切駅の前を流れる荒川の土手に上る。 午前8時、『ウヮ~ 寒い、寒い!』 予想以上に寒い、この土手を歩いて行くには、チョイト辛い。 風邪をひいたら一大事、医者には新型コロナと思い隔離されるかも、『止めた、止めた、土手歩きは中止!』、、、、土手に上がると、上流側には堀切橋、目の前には隅田水門首都高、青空の下にはっきり見える。 北風の姿、形は見えないが、間違いなくココに居る!

2201120824280

2201120820380

2201120826120

2201120824170




● 荒川土手から土手下に下りて、墨田区墨田の町を歩くことにした。 堀切駅から南に約500m歩くと、墨堤通り沿いに“kao”と“kanebo”の物流倉庫が見える。 その広い敷地に隣り合わせて小さな「カネボウ公園」があり、園内に「鐘淵紡績株式会社 発祥の地」の石碑がある。、、、、石碑の裏には『発祥碑由来記 此の地は古くから沈鐘の伝説があり, 江戸時代に入って将軍徳川吉宗公が之の引揚げを下命しましたが成功せず鐘は毎夕月の出と共に燦然として光を放ったといわれます。  周辺の風光明媚を愛でて 徳川氏はこゝを将軍家専用の野菜畑とし御前栽と称しました。 明治二十年近代工業の先覚としてこの地に東京綿商社が設立せられ, 紡績機械ニ万九千錘を英国より輸入して東洋第一の紡績工場を建設, 明治二十二年社名を鐘淵紡績株式会社と改称しました。  爾来近代日本の進展と共に工場は拡大し, その技術は全国津々浦々に結実し製品はカネボウの名声と共に遠く欧米各国を席巻しました。 また過ぐる関東大震災, 東京大空襲当時その職に殉じて斃れた者は五十余柱に及びました。 いまこゝに時代の進運と共に工場の移転を実施するに当って鐘紡稲荷神社並びに慰霊観音像を奉安し八十余年に亘ってうけたこの地域社会の御かげを感謝すると共に老人と児童の憩いの場を設けて記念庭園とし永く先人の偉業を偲ぶよすがとなることを切願するものであります。  昭和四十年十月二十日  鐘淵紡績株式会社  社中一同』、、、、昔は世界有数の紡績会社であったが、昭和40年頃からは、チューインガムを販売したり、化粧品屋に変わったりしたが、平成19年(2007)に「カネボウ株式会社」は解散した。 現在「カネボウ」の商標権は花王の傘下となった「カネボウ化粧品」が保有しているそうだ。

2201120833510

2201120836120

2201120837030




● カネボウ公園から南に200m程の処に、真言宗智山派寺院の「多聞寺」がある。 多聞寺は隅田山吉祥院と号す。 創建年代は不詳だが、天徳年間(957~960)には現隅田川神社付近にあり、大鏡山明王院隅田寺と称していたと言われてる。 天正年間(1573~1591)に本尊を毘沙門天として隅田山吉祥院多聞寺と改称した。 本尊は、隅田川七福神の一つとなっている。、、、、茅葺の山門は区内最古の現存建造物で、風情ある寺だ!

2201120848090

2201120852050




● 下町の裏道を歩き、鐘ヶ淵駅前をとおり墨田4丁目の隅田稲荷神社へ向かう。、、、、この辺りは何度も歩いているが、狭く複雑に入り組んだ裏道を覚えられず、行ったり来たり、右へ左へ、疲れる散歩だ!

2201120858170

2201120907270

2201120910180

2201120917480

2201120918240

2201120941050

2201120944090




● 『この辺りにあるはずだ?』 道案内もなく、探し探して、やっと行き着いた「隅田稲荷神社」、、、、天文年間(1532~1553)、伊豆より逃れてこの地を開拓した堀越公方政知の家臣江川善左衛門雅門が、伏見稲荷大神を勧請し氏神として祀った。、、、、現社殿は昭和18年(1943)に竣工。 周囲は下町の住宅がビッシリと立ち並び、地元の氏神様だ!

2201120939040

2201120937370




● 四ツ木橋取付道路(=国道6号、日光街道)の下を抜けるトンネル、、、、四ツ木橋取付道路の下のトンネルは、ここと、荒川土手際の2か所にある。 長さは約22mで、現四ツ木橋竣工した昭和27年(1952)に造られたものと思われる。

2201120948080




● 時刻は午前10時過ぎ、気温も上がり、北風は和らいだ。 『荒川土手に上がってみよう!』


・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋の際に出た、、、、新四ツ木橋は、昭和48年(1973)竣工、長さ472mの鋼箱桁橋

2201120953180


・・・・・・・・・・・・下流側には京成押上線荒川橋梁が架かってる。 平成14年(2002)に架け替えて、竣工したこの橋の総事業費は398億円也。

2201120958420


・・・・・・・・・・・・土手から見える京成押上線の八広駅、、、、駅の先にはスカイツリーも

2201120958060




● 寒い散歩の終わりは京成押上線の「八広駅、、、、八広駅はホームに屋根はあるが、全体的に風通しが良く造られている。 ホームに立っても寒い寒い!

2201121012450

2201121019140

2021年11月20日 (土)

押上から四ツ木

押上駅から、京島、八広の町を抜け、木根川橋を渡り四ツ木駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 東京スカイツリーの足下の地下にある「押上駅」は、京成電鉄と東京都交通局の共同使用駅。 駅は京成電鉄が管轄する、島式ホーム2面4線の地下駅である。、、、、かつては、京成電気鉄道の都心乗り入れを睨んだターミナル駅として、大正元年(1912)11月3日、に開業した(開業時は地上駅)。 昭和35年(1960)の都営地下鉄乗り入れに合わせ、地下駅となる。、、、、地上駅の跡地には京成電鉄本社が移転したが、平成25年(2013)に本社は京成八幡駅前に移転した。 現在跡地は複合ビルが建ち、リッチモンドホテルやスーパーのライフが入居。 また、跡地前の北十間川には「京成橋」か架けられてる。

2111200715380

2111200716150

2111200718590

2111200723580

2111200736370



・・・・・・・・・・・・北十間川に架かる「京成橋は全長18.75m、幅27.9で東京都が管理している。 業平三丁目と押上一丁目を結ぶ橋で、この橋は昭和4年(1929)に架けられたが、現在の橋は昭和37年7月に架け替えられたものである。 

2111200734400

2111200735180




● 押上駅から都道465号(=四ツ目通り)沿いの裏通りを歩き八広駅に向かう。

2111200746570


・・・・・・・・・・・押上3丁目の裏道、、、、時刻は8時近く、近くの小学校へ通う児童を地域ボランティアの方が要所要所に立ち見守る! ご苦労様です、感謝!

2111200747540

2111200750240



・・・・・・・・・・・・東武亀戸線の踏切を越えると、押上3丁目から京島2丁目となる。、、、、亀戸行きの白い車両が行き過ぎると、黄色いレトロ塗装の東武8000系電車が来た!

2111200752350

2111200753181



・・・・・・・・・・・・踏切を渡り墨田区京島地区に入る。 京島地区は関東大震災、第二次世界大戦での被害が少なく、区画整理ができていない裏道に昭和初期の木造長屋などが密集して残っている。 略して“木蜜地域”と言われる“木造住宅密集地域”である。

2111200756510

2111200804120

2111200804450


・・・・・・・・・・・・京島地区では、最近は住民の取り組みもあり、古い家屋は耐火構造の住宅に変わったり、取り壊した跡地は公園に変わったり、道路幅も広くなり、防災を意識した取り組みが進められている。、、、、明るく広々とした町に生まれ変わっていくようだ!

2111200754440

2111200754260

2111200757520

2111200803400




● 明治通りを横断し墨田区八広の町に入る、、、、この町も裏道は細い道がクネクネと曲がり伸びている、そんな町に質屋がある。 しっかりした大谷石の蔵にぐるりと回った塀、看板には“質”の一字。 雰囲気出てる、いいね!、、、、一度、女房を質に入れたらどうなるか、聞いてみたいね!

2111200822410



・・・・・・・・・・・・墨田区八広にあって「都立日本橋高等学校」とはこれ如何に? 千葉県浦安市にあって東京ディズニーリゾートと言うがごとし!、、、、都立日本橋高校は、校名のとおり元々東京都中央区の日本橋に所在していたが、平成21年(2009)に同所から墨田区八広への移転となっても名前をそのままとした普通科のみの都立高校である。、、、、校舎の建て替えなどによる短期の移転なら校名変更は必要ないが、恒久的な移転なら校名も変更してはと思うのだがね、余計なお世話かな! “八広高等学校”より“日本橋高等学校”の方がブランド力があるかも?

2111200831150



・・・・・・・・・・・・都立日本橋高等学校の前から八広駅の方向に伸びる「南龍館通商栄会」という商店街(現在は寂れ、店はほとんどない)がある。 街路灯の電灯は無くなり、ポールだけが残されている。、、、、京成押上線の曳舟駅と八広駅の中間に、かつて向島駅(駅跡は不明)があった。 その駅の周辺に
昭和初期から昭和30年頃まで南龍館という映画館があった、また映画館の近くに南龍館通商栄会があった。、、、、街路灯はその当時のものらしい。

2111200835490

2111200835370




● 八広の町の北端に京成押上線の「
八広駅」がある。 駅の出入口は大通りに面さず、荒川土手に向かい高架下の奥まった薄暗い処にある。 しかも、駅の高架化は平成9年(1997)に改良工事が完成した、比較的新しい駅である。 なぜ、こんな奥まった処に、わざわざ出入口を造ったのか、私には謎だ!

2111200851390

2111200854000




● 「木根川橋」を渡り荒川を越える、、、、木根川橋は、墨田区八広と葛飾区東四つ木とを結ぶ、長さ466mの美しいトラス橋。 昭和44年(1969)完成。、、、、荒川と一体となって女性的な美しさを描いている橋。

2111200902290

2111200903560

2111200905480

2111200913420




● 「四ツ木駅」に到着、ここから帰宅!

2111200921400

2111200925280

より以前の記事一覧