墨田区

2019年11月10日 (日)

厳重警戒を避け下町へ

「祝賀御列の儀」が執り行われる今日は、都内の警備は厳重と思われる。 警備も手薄でブラブラ歩いても怪しまれないよう下町へ。 京成押上線・都営浅草線の押上駅からJR総武線平井駅まで歩いてきた。 1万2千歩。




●チョイト、どいて! ・・・・・・・京成押上線と都営浅草線が乗り入れている押上駅から、散歩を始める。、、、、京成押上線の開業は大正元年(1912)11月3日。 昭和35年(1960)12月4日に都営地下鉄1号線(現:浅草線)が地下化した押上駅に開業し、京成押上線と相互直通運転を行う。、、、、現在の押上駅は島式ホーム2面4線で、それぞれのホームは上り下り別に使用。 地下ホームを造った昭和30年代にはスカイツリー建設の話は当然なく、今の賑わいは想定外だったようだ、日中の観光客が多くホームは日常的に手狭となっている。、、、、キャリーバッグを持った外人観光客が多く、『チョイト、どいてくれ!』と言いたくなるが、悲しいかな日本語しか喋れない、通じない。 ここは、ニッコリ笑って会釈して『お・も・て・な・し』

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・・・・・・・・・・・・・・京成・都営の改札を出ると、スカイツリーへの入口、その先に東武・東京メトロの押上駅改札と続く。

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・・・・・・・・・・・・・・地上に出れば、もちろんスカイツリーの足下だ!

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●地蔵さんの還暦? ・・・・・・押上駅から四ツ目通り(都道465号)を歩き、東武亀戸線の踏切を越えると木造家屋の密集する京島地区。 今日は裏道・路地に深入りせず、サラリと通り抜ける。、、、、踏切を抜ける2両編成の亀戸線、、、、遊園地のビックリハウスを思い出させる傾いた家屋、、、、玄関軒下の赤い電球と大きな看板がチョイト懐かしい医院、、、、木造の長屋はこの町ではまだ多い、、、、緊急車両も入れない路地、、、、徐々に区画は整理され、不燃建築で建て替えられた、、、、リヤカーは健在か?

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・・・・・・・・・・・・・・京島地区南端に近い原公園の中央に、「財がたまる」・「幸のたまる」田丸稲荷神社がある。、、、、公園の隣りには、京島地区のメインストリートである下町風情溢れるキラキラ橘商店街がある、賑やかな公園だ。 しかし、この公園は、昭和20年(1945)3月10日のアメリカ軍の空襲で亡くなった364名の犠牲者を仮埋葬した場所である。 平成元年(1989)3月、原公園の改修では遺骨や毛髪が出土したそうだ。 警察の鑑識により、戦後改葬されたはずの戦没者のものと判明し、慰霊堂へ合祀された。、、、、戦後間もなく地元有志により田丸稲荷神社の横に地蔵尊が建てられた。、、、、スカートはいて、赤いちゃんちゃんこを着て赤の大黒頭巾をかぶった、チョイト派手な地蔵尊。 ひょっとすると建立から60年の還暦かもね?

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●アレ!お巡りさんがいない ・・・・・・・今日の祝賀御列の儀には、全国から26,000人の警察官が警備に動員されたそうだ。 ここ向島警察署からも大勢の警察官が警備に当たっていたのであろう。 普段は玄関前に立っているお巡りさんが今日はいない! 多分、動員され日曜出勤したのであろう、ご苦労様です。

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●外廊下に弱いのだ! ・・・・・・旧中川に近い都営立花六丁目アパートに、チョイトおじゃましてみた。 昭和51年(1976)に建てられた、2棟(411戸)の都営住宅。、、、、上層階に上がってみたが、高所恐怖症の私は、エレベーターをおりるや、共用部分の外廊下に水勾配がついているのを足裏で感じ取り、チョイト、ゾク・ゾク~~としたら、もうダメ怖い~~! 早々と、階段で1階まで駆け降りた。

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・・・・・・・・・・・・・・アパートから見る北の方向。 写真中央のはるか奥に葛飾区東四つ木で、綾瀬川に架かる首都高環状線の「かつしかハープ橋」が写っているのが判るかな? 手前の川は旧中川。

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●お後は、こちら! ・・・・・・この後、北向地蔵尊平井橋平井諏訪神社燈明寺と巡り、最後は平井駅

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2019年10月23日 (水)

OFF LIMITS の街

今朝、秋晴れの下、草加方面を散歩する予定で家を出た。 朝8時、自分の乗った電車が曳舟駅に着いたら、動かない? 15分後、駅アナウンスで『西新井駅で人身事故が発生しました。 振替輸送を行っております。』 「アリャリャ、自分は何処へ振替輸送してくれるんだ?」 SUICAで乗車し、行先は明示されていない、振り替えも何もない! とりあえず改札へ向かうと、『遅延証明書』を貰う人で行列ができている。 「コリャマタ・タマゲタ、自分は証明書貰っても持っていく先がない!」 大勢の通勤客と同じ行動ができない自分に、チョッピリ寂しさを感じながら駅をでる。

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駅前で「さて、東西南北どっちへ歩くかな?」 「東南北(=シャーない=しょうがない)、西へ歩いてみよう!」 出てきた処は国道6号水戸街道)に面した、出桁造り商家「萬屋糸店」の前。 萬屋さんは、糸・毛糸・寝具・洋品とタバコを扱う地元の老舗。、、、、こちらの向かい側には鳩の街通り商店街の入口がある。 今日の散歩は、久しぶりに鳩の街の周辺を探訪することにした。

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●「鳩の街」は、現在の墨田区向島と東向島の境界付近にあった赤線地帯。 地理的に私娼街「玉の井」と近く、1kmほどの距離である。 太平洋戦争末期に、空襲で焼け出された玉の井の銘酒屋(銘酒を売る看板を上げ、飲み屋を装い、私娼を抱えて売春した店)が何軒か、この地で開業したのが始まり。 終戦直後は、米兵の慰安施設として出発したが、兵士が性病に感染することが多いため、昭和21年(1946)に米兵の立ち入りが“off limits”となった。 その後は日本人相手の赤線として発展したが、昭和33年(1958)の売春防止法の完全施行で、店は廃業となる。 店は警察の指導でカフェー風に造られ、一目でその手の店と識別できたそうだ。 昭和27年(1952)頃は、108軒の店に、298人の娼婦がいたらしい。、、、、戦後生まれの自分は、当時は赤子。 知っていれば一度は行って見たかった!
 
●一本道の商店街 ・・・・・・・現在は「鳩の街通り商店街」として、国道6号(水戸街道)と都道461号(墨堤通り)を結んでいる商店街。 昭和3年(1928) 「寺島商栄会」としてスタートし、戦後になると隣接する赤線「鳩の街」に因み、「鳩の街商栄会」と名乗る。

・・・・・・・・・・・・・・水戸街道側の入口。 入口のポールには、商店街の名は見えず、あるのは、デザインされたハトだけ。 「鳩の街」の名を伏せたいのか?

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・・・・・・・・・・・・・・でも、案内板・立て看板・店舗名に“鳩の街”がある。

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・・・・・・・・・・・・・・ほぼ真直ぐな道の商店街。 しかし、開いてる店舗は半数もない。 チョイト寂しいが、只今、商店街活性化の最中で効果が出ているそうだ。 モダンな店舗もオープンしている。 数年後には、元気な商店街の復活も夢ではない! 

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・・・・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)に建てられた木造の薬屋さんをリノベーションしたカフェ「こぐま」。 あいにく、火曜・水曜は定休日。 オリジナルカップで出されるコーヒーは美味しいそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程には保育園(写真:右)もある。 この保育園がある場所は、『鳴門秘帖』を書いた作家:吉川英治の旧居跡。、、、、吉川英治は明治25年(1892)横浜生まれ、小学校を中退し、職を転々としながら、朝から晩まで働き通した18歳の時、上京。 大正6年(1917)、25歳の時、下谷の花街で知り合った赤沢やすと、寺島村1820(東向島1丁目)のこの辺りの家で同棲を始め、母たちを近くの借家に呼んだといわれている。 30歳で『親鸞記』を初めて新聞連載し、以後、雑誌「キング」に『剣難女難』、大阪毎日新聞に『鳴門秘帖』を連載し、国民文学作家としての大成した。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト懐かしい雰囲気の元理髪店もある。 数年前に廃業した。

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・・・・・・・・・・・・・・墨堤通り側の商店街入口(出口かな?) コチラにも商店街の名はみえない、ポールの上には鳩が止まっている。

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●向島の路地裏の建物 ・・・・・・・鳩の街通りの東側、赤線があったと思われる裏道の一帯を歩いてみた。 

・・・・・・・・・・・・・・この辺りは救急車両が入れない木造家屋密集地区であるが、
最近建て替えられた建物では建て替えに伴い前面道路を広く確保している。 赤線Ⓙ時代の路地裏のゴチャゴチャ感は無くなってきた。

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・・・・・・・・・・・・・・・裏道に、赤線当時の名残と思われる建物が数棟ある。 いずれも、外装にタイルを使用し、丸みを帯びた柱・コーナー部・庇などがあり、出入口が狭いなど共通する。

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・・・・・・・・・・・・・・10年程前まで残っていた“OFF LIMITS”(立入禁止)、、、、外壁の窓下に、白ペンキで書かれていた。 既に、この建物は取り壊された。 (2010年撮影)

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・・・・・・・・・・・・・・鳩の街通り商店街の墨堤通り側の入口から東へ100m程歩くと、文豪幸田露伴が明治41年(1908)から大正13年(1924)まで蝸牛庵と名付けて親しんだ住居の跡である、児童公園:「露伴児童遊園」がある。 

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、おまけで鳩の街通り商店街の西側の裏道にある、榎本武揚居住跡に寄ってみた。、、、、武揚は幕末に徳川軍の海軍奉行に就き、戊辰戦争では五稜郭にて戦い、その後明治政府の文部大臣・外務大臣に就いた。 引退後は、この地(現:墨田区向島5-13)に住んでいた。、、、、“旧居跡”というと、都心ではだいたいマンションに変わっている処が多い。 ここも、そうだ。なんだか、実感が沸かないね!

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●・・・・・・・この後、押上まで歩き、今日の散歩は1万2千歩。   【蛇足】押上で電車に乗ったら、ホームに止まったまま20分経過。 その後、『信号装置のトラブルにより、この電車は回送となります』のアナウンスあり。 今日は最悪の日、方角が悪かったのか?

2019年10月20日 (日)

端から端まで橋の梯子

台風19号とその後の雨などで、散歩の機会を逸した十日間程である。 今日は、スカイツリーの下を流れる北十間川沿いに、両端の隅田川から旧中川まで歩いてきた。 1万3千歩

・・・・・・・・・・・・・・北十間川とは、墨田区の中央部(スカイツリーの足下)で、隅田川と旧中川を結ぶ総延長3.24kmの運河である。 川の名は、本所の“北”を流れる幅“十間”程の川に由来する。(幅18mの北十間川は墨田区では一番狭い川である) かつては大横川の分流点より西側(隅田川寄り)を源森川、東側(旧中川寄り)を北十間川と称していたが、現在は両方合わせて北十間川と呼んでいる。 源森川は材木を運ぶための掘割で、万治年間(1659~)に業平橋の北から隅田川までを繋げて堀り進めた。 しかし、隅田川の洪水で大横川沿岸が度々水害に遭うため、寛文12年(1672)には早々に堤を築いて大横川への流れを遮断した。 しかし明治になって再び水を通しています。現在は源森川は北十間川の一部です。 東部の(旧)北十間川は、農業用水として寛文3年(1663)に開削された。、、、、現在は、観光スポットのスカイツリー人気により観光客も増え、北十間川は各所で遊歩道の整備・橋の改修工事が行われている。

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●ゼロメートル地帯を守る水門 ・・・・・・・北十間川の隅田川との合流点は、水上バス浅草乗船場の前から対岸の墨田区役所の方を眺めると、首都高の下に源森川水門が見える。 この水門が北十間川の入口だ。、、、、源森川水門は、平常時、ゲートは開放されているが、台風が接近し高潮・洪水などが予測される場合は閉められ、いわゆるゼロメートル地帯に居住する住民の生命・財産を守る為に造られている。 墨田区・江東区の大部分はゼロメートル地帯で、この源森川水門、木根川水門、新小名木川水門、竪川水門、大島川水門の5つの水門で高潮・洪水から守られている。、、、、水門は、高さ7.5m、昭和34年(1959)に竣工した。 平成28年(2006)には耐震化工事も完了し、これで安心できるかな?

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●枕一つで二人寝た?  ・・・・・源森川水門の東側、墨堤通りに架かる枕橋。 昭和3年(1928)に架けられた震災復興橋。北十間川 、、、、寛文2年(1662)、中之郷(現:吾妻橋)から向島に通じる源森川に源森橋が架けられた。 またその北側にあった水戸屋敷内(現:隅田公園)に大川(隅田川)から引き入れた小さな堀があり、ここに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。 この二つの橋は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称された。 その後、堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅した。 明治8年(1875)、残った源森橋は正式に枕橋と呼ばれることとなった。、、、、現在の枕橋は昭和3年(1928)に架け替えられた震災復興橋。 コンクリート製のアーチデザインの橋であるが、石橋のように見える、デザインが素敵な橋。 街灯のレトロ感もいいね!

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・・・・・・・・・・・・・・枕橋からスカイツリーにかけて、北十間川沿いに親水テラス東武鉄道伊勢崎線の高架下には店舗・船着場を整備中。 来年のオリンピック前にはオープンするかも?

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●お名前、拝借! ・・・・・・・枕橋の次は、水戸街道に架かる源森橋。 創架年は不詳であるが、現橋は平成19年(2007)に架けられた比較的新しい橋です。 名前は明治8年に西隣りの源森橋が枕橋と改称されたのにともない、「源森橋」の名をチョイト拝借したそうだ。、、、、全長16m、幅35mの橋。

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●お口の恋人、ロッテの小梅ちゃん? ・・・・・・源森橋の東隣は小梅橋なのだが、“小梅ちゃん”は只今工事中。、、、、昭和4年(1929)に架けられた震災復興橋なのだが、昭和28年(1953)に架け替えられた。 この橋の北側と、現在の業平橋駅一帯が小梅瓦町、小梅村とそれぞれ呼ばれていた処で、旗本の隠居所や富商の妾宅があったのはこの辺りだったのか(?)、、、、現在行われている架け替え工事では、車道幅員を7mから11.8mに広げ、これまで無かった歩道を両側に整備するそうだ。 令和2年(2020)竣工予定。

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・・・・・・・・・・・・・・小梅橋の東隣(旧中川寄り)に北十間川樋門がある。 昭和53年(1978)に竣工したこの水門は、水位を調整するとともに、水質浄化もしている。 ここから大横川が分岐し、南に流れていた。、、、、現在、この樋門も耐震化工事中で、近づくことも出来ず。

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●東武の跡地にペンギンが入居! ・・・・・・スカイツリーの街の西側に架かる東武橋。 その名の通り、スカイツリーが建つ前までは、業平橋駅(現:東京スカイツリー駅)前の東武鉄道本社前に架かっていた橋。 現在の東武鉄道本社は400m程東に移転し、跡地にはスカイツリータウン(水族館)が建っている。、、、、東武橋は昭和初期に架けられたが、現在の橋は昭和63年(1988)に架け替えられた全長19.7m、幅22mの橋。

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●インスタ映えする撮影スポット! ・・・・・・・北十間川に架かる最も新しい橋は、スカイツリーの直下に架かる「おしなり橋」。 車は通行できない(自転車は可)人道橋。 スカイツリー開業時の付近の再開発事業で誕生した、長さ18.2mの橋。 橋上から見上げて見るスカイツリーはド迫力である。 それゆえ、橋上は観光客の撮影スポット。

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●京成の本社は都落ち? ・・・・・・スカイツリーの街の東側に架かる京成橋。 こちらは、スカイツリータウンの東側で、押上駅の出口前に京成電鉄本社ビル(現:京成ビル、ホテル、スーパーなどが入居)があった。 スカイツリーの完成に合わせ本社は本八幡(千葉県市川市)に移転した。 その旧京成電鉄本社前に架かる橋が京成橋。 昭和4年(1929)の架橋。、、、、この橋も只今補修工事中。

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●静かになった橋の上 ・・・・・・・・・・・・・京成橋からさらに東へ行く、西十間橋がある。 長さ21m、幅10m、平成元年(1989)7月竣工。、、、、スカイツリー工事中の時は、この西十間橋と次の十間橋は逆さツリーが撮れる格好の撮影スポットで、連日、アマチュアカメラマンで橋の上はイッパイであった。 時の経つのは早いもので、スカイツリーが完成して既に7年経過、橋の上にはあの当時の賑わいはなし。

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●634×2=1268m? ・・・・・・西十間橋の次は十間橋。 業平5丁目と文花1丁目を結ぶ橋で、昭和14年(1939)に架けられた橋。、、、、橋の上では、日本人ではなく外人がスカイツリーを撮っていた。、、、、工事中の頃は、実物と川面に移るスカイツリーが一つの写真に写り込んだが、今は広角レンズでないと撮れない、チョン切れ写真となってしまう。 高さ634m×2倍=1268mの撮影は無理だ! 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・北十間川はこの橋のすぐ東で、写真左へ流れる横十間川とつながっている。

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●見晴らし良し! ・・・・・・横十間川との分岐部の東に、北十間川と浅草通りに架かる大きな歩道橋がある、その名は柳島歩道橋。 ここからの景色は絵になるね!、、、、写真は、歩道橋全景、歩道橋から隅田川(スカイツリー)方向を見る、同じく旧中川方向を見る。   

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●殺人事件の現場か? ・・・・・江東区亀戸3丁目と墨田区文花1丁目・2丁目を結ぶ境橋。 長さ17m、幅8mの橋で、昭和49年(1974)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・・境橋の南詰に小さな祠:祐天堂がある。 祐天堂は、元禄時代、祐天上人が旅の途中で、堂の後ろに流れる北十間川を見ると多くの水死者があり、その屍を救い上げこの場所に葬り供養し堂をたてたと言われている。、、、、なぜ、多くの水死者が出たのか不明だ! 大量殺人事件かも?

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●ふりむいてほしいね! ・・・・・・・・墨田区文化2丁目、石鹸の「花王すみだ事業所」の近くに福神橋が架かっている。 橋上は明治通りが通る。 橋長21.30m、幅22.00m、昭和58年(1983)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・橋上からスカイツリーを見ると、いいね! 写真右端の建物は「花王」。、、、、“花王”といえば、エメロンシャンプー。 エメロンシャンプーといえば、ハニー・ナイツが歌たうCMソング「ふりむかないで」。 この歌、昭和40年代の歌、私の好きな歌。 歌詞 ♪♪ 泣いているのか 笑っているのか うしろ姿の すてきなあなた ついてゆきたい あなたのあとを ふりむかないで 東京の人 ♪♪ 歌は最高、CMに登場した女性は可愛い娘だった! 時代は変わり、今では物陰で、ストーカーの歌と噂されているらしい。 

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●チョイトだけよ! ・・・・・・北十間川を渡る亀戸線の橋梁。 只今、隣りの小原橋が工事中で、東武亀戸線北十間川橋梁の全景が見えず、残念!、、、、昨年撮影した北十間川橋梁はコチラ!

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●端の橋で終わり! ・・・・・・・東武亀戸線北十間川橋梁のすぐ横に、小原橋があるが、只今架け替え工事中。 その頭上には丸八通りの新小原橋(車道専用)が通っている。、、、、ここが、北十間川で最も旧中川寄りの橋。

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・・・・・・・・・・・・・・旧中川と北十間川の合流点。 左から北十間川、右から旧中川が流れてくる。

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2019年9月 6日 (金)

新装開店の閘門

先日、荒川ロックゲートという閘門を見てきた、今日は小名木川にある扇橋閘門を見てきた。 JR総武線錦糸町駅から歩いて扇橋閘門へ行き、じっくり見た後は、暑さに負けバスで錦糸町へ戻り帰宅。 9千歩




●錦糸町は牛乳の産地! ・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に総武鉄道(私鉄)の本所駅として開業。 明治40年(1907)に国有化。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称。 島式ホーム2面4線の高架駅で、現在は両国駅をしのぐターミナル駅。、、、、私の知る、昭和30年代の錦糸町駅は木造駅舎の地上駅で、ホーム北側には留置線などがあり、その北側には駄菓子問屋、花火・玩具問屋があったように記憶している。 現在の北口ロータリー周辺のこと。 南口には江東楽天地と映画館街(洋画に邦画、チャンバラ、西部劇、ピンク、何でもあった)があり、都電も走っていた、半世紀前の古い話だ。 昭和36年(1961)には、南口に駅ビルテルミナが開業した。

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・・・・・・・・・・・・・・南口駅前のバス乗り場の中に、明治から大正に活躍した歌人で、小説『野菊の墓』の作者:伊藤佐千夫が搾乳業を営んだ「伊藤左千夫牧舎兼住居跡 」の説明板がある。、、、、伊藤左千夫は、元治元年に上総国武射郡殿台村(現:千葉県山武市)の農家の四男として生まれた。 18歳の時上京して明治法律学校(明治大学:私の先輩になる)に入学したが、眼病のため中退し農業に従事した。 22歳の時再び上京、神田の牛乳店に勤めた。 その後、26歳のとき、この地に牧舎つき住居を購入して独立、牛乳搾取業を始めたそうだ。 30歳で、同業の伊藤並根に茶の湯、短歌を学ぶ。 明治33年正岡子規の門に入り、作歌に励みます。 子規歿後は、根岸派の機関誌『馬酔木』『アララギ』により活発に作歌を続け、多くの著名な歌人を育てた。 大正2年(1913)転居先の江東区大島で脳溢血のため急逝した、享年50歳。、、、、この地で搾乳していたなんて、想像できないね!  もし、今でも牧場を持っていれば、凄い大地主だ。

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●牡丹は散った! ・・・・・・錦糸町駅前から南に歩き、首都高7号小松川線の下に、埋め戻され公園・駐輪場となった堅川に架かっていた牡丹橋の親柱が残されている。、、、、ここに架かっていた牡丹橋は長さ35.29m、幅員11.00mの鋼橋(3径間鋼板ゲルバー指橋)で、関東大震災の復興事業により、昭和4年(1929)に架けられた。 橋名は橋の南側にあった「牡丹園」に由来する。 牡丹園は明治にオープンした、季節になると花を観ようと多くの見物客で賑わったそうだ。 関東大震災で焼失し、その名だけを橋名にとどめた。 粋な名の橋だが、その姿は無く、川も暗渠となり、チョイト寂しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・旧牡丹橋が架かっていた牡丹橋通り(錦糸町駅前から新大橋通りまで南北に伸びる道路)は、振り返り北を見るとスカイツリーが道路の先によく見える!

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●薬師寺の聖観音? ・・・・・・・牡丹橋通りがぶつかる新大橋通りを横断し、さらに南へ向かい小松橋通りを歩く。 江東区猿江1丁目で重願寺前に出る。 重願寺浄土宗寺院で不虚山当知院と号す。 天正18年(1590)千葉邦胤の娘、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創、寛永6年(1629)本蓮社願譽是哲上人が開山した。 寛政7年(1795)に現在地の猿江に移転した。、、、、ここの山門の柱は、奈良の薬師寺の講堂に使用されていた木材で作られているそうだ。 平成16年(2004)の建立という新しいもの。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造りの2階建てのビルで、平成29年(2017)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・・・本堂左に立つ「みまもり観音」は、関東大震災や東京大空襲などで殉難された多くの人々の冥福を祈り、天災や戦争のもたらす悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、檀信徒をはじめ、猿江地区6ヶ町内有志を中心に、昭和56年(1981)造立された。、、、、「みまもり観音」の名称には、観音の限りない大慈悲によって亡き人々、いま生きる我々を日々に「見守り給え」という祈りが込められているそうだ。 その像は、奈良薬師寺東院堂の本尊である国宝「聖観音像」を原型に拝借、実写して二・二倍にして鋳造された。 つまりは、奈良に行かずとも聖観音像が拝める

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●化粧直しした閘門 ・・・・・・・重願寺から南へ200m程、小名木川に架かる小松橋に出る。 小松橋と西側の新扇橋の間に、今日の散歩の目的地、橋閘門がある。 次の写真は、2014年1月の扇橋閘門。 (昨年、小松橋、新扇橋、扇橋閘門について、こちらで説明している)


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・・・・・・・・・・・・・・・新装開店の扇橋閘門。 今年の春、姿を現した耐震補強工事が完了した扇橋閘門。 取付護岸の補強工事が終わり、閘門の支柱は鉄筋補強され、ゲートは新品に交換、上部の機械室はシースルーのスケスケ、管理棟は耐震補強し綺麗になった外装。

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●暑い暑い! ・・・・・・扇橋閘門に着いた頃は、気温は30℃を超え、汗びっしょり。 パンツの中も汗でムレムレ。 熱中症が恐くなり、閘門を見たら帰ることにした。、、、、扇橋一丁目バス停から錦糸町駅行で帰路につく。

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2019年8月15日 (木)

貨物も計画運休?

台風10号は九州と四国の間を器用にすり抜け、山口県岩国付近に上陸したそうだ。 大きな強風域で東京にも影響があると思われるが、天気予報では午前中は雨も降らず、どうにか散歩もできそうな空模様。 南千住駅から歩きはじめ、水神大橋で隅田川を越え、東武の鐘ヶ淵駅前を通り、京成曳舟駅まで、1万4千歩の散歩です。




●頑張れ、都バス! ・・・・・・我が家のある浅草橋駅前をとおる都電(市電)は、大正時代から運行されていた。 大正初期には南千住~雷門間の運転だったが、大正10年頃に南千住~浅草~浅草橋~本石町(現:本町三丁目)~日本橋~銀座四丁目~新橋~芝橋(現:東京港口)まで延伸された。 戦時中は南千住~新橋間に短縮され、昭和20年4月には東京大空襲の影響で、さらに南千住~浅草橋・日本橋間に短縮された。 しかし、2か月後の6月には南千住~新橋間が復活した。 戦後は昭和42年(1967)まで、南千住~新橋間を都電22系統として運行していたが残念なことに都電廃止となった。 その代替バスとして、新橋~銀座間は切り捨て、南千住~日本橋~東京駅八重洲口間に都バス[東42甲]が運行された。 以来約50年、バス路線は大きくは変わらず運行されている。 市電時代から数えると約100年間、南千住~浅草橋~日本橋間には、市電・都電・都バスが住民の足として走ってきたことになる。、、、、乗客の減った都バスは、いつまで走り続けることができるのか? 私が敬老パスを利用している間は、頑張って欲しいね。

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貨物駅は、盆休み?計画運休? ・・・・・・JR南千住駅の東側に広がる、JR貨物とJR東日本が所管する貨物専用の隅田川駅。 いつもは、機関車の汽笛が聞こえ、貨車の入れ替え作業が見られ、コンテナを運ぶトラックが行き交い、フォークリフトがチョコマカ動いているのだが、全ては静寂の中にあり、整然と置かれている、動くものが見えない! 貨物駅も盆休みか? それとも、台風による計画運休か?

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●サバサバした味気ない町! ・・・・・・隅田川駅とその北から東へ流れる隅田川の間に、総面積約49ヘクタールの再開発地域:「汐入地区」がある。 かつて、1500世帯が住んでいた木造家屋の密集する街をいったん壊し、平成の時代にスーパー堤防を備えた災害に強い、タワーマンション等が並ぶ、新しい都市へ生まれ変わった。 町の中央には防災拠点として汐入公園が造られ、災害時には12万人を収容できる広域避難場所でもある。、、、、近代的でカッコイイ町か? 私は、路地裏のない、この手の町には住みたくないね!

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●荒川区にトンネルがある! ・・・・・・・荒川区汐入地区と隅田川を挟み対岸の墨田区東白鬚地区(両地区とも防災拠点)を結び水神大橋がある。 この橋の西詰(汐入地区)に、胡録トンネルと瑞光トンネルの2つのトンネルがある。 共に、汐入地区のスーパー堤防の下を走る都道314号のトンネル。 半円形の断面の胡禄トンネルは全長150m、矩形断面の瑞光トンネルは全長80m。、、、、荒川区にトンネルがあるのを知る人は少ないと思う。 コリャ、クイズになるね!  

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●旧防潮堤は華奢だった! ・・・・・・・水神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。 西岸は荒川区南千住八丁目(汐入地区)、東岸は墨田区堤通二丁目(東白鬚地区)。 橋は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因み命名された。 竣工は平成元年(1989)。 形式は3径間連続ニールセンローゼ桁橋、橋長157.0m、幅員17.0m。 この橋は、組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという工法を採用した。、、、、面白い工法での工事、見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・水神大橋から下流を望む
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・・・・・・・・・・・・・・橋の下、スーパー堤防に残されている「隅田川旧防潮堤」、、、、昭和32年から昭和50年にかけて造られた防潮堤の一部が残されている。 周りのスーパー堤防と比較すると、高さは数メータ低く、堤防としては華奢に感じる。
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●盆休みの商店街! ・・・・・・・水神大橋を渡ると、防災拠点でもある白鬚東アパートがある。 ここから、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を通り、シャッターの下りた商店街を抜け、京成押上線八広駅付近の水戸街道(国道6号)に出る。、、、、この間はコチラを見てね!

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●高架になって早や6年! ・・・・・水戸街道からは京成押上線の高架下を歩き京成曳舟駅に出る。、、、、京成曳舟駅は、6年前の平成13年8月24日に初めて上り線が高架駅となった。 下り線は2年後の平成15年8月22日に高架となる。、、、、駅周辺には民家が密集しゴチャゴチャした雰囲気があった地上駅の頃が懐かしく感じるね!

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2019年8月13日 (火)

宵の亀戸線

猛暑は続き、日中は外出も嫌になり、今日は夜の散歩にした。 東武鉄道亀戸線の亀戸駅から曳舟駅まで亀戸線に乗り曳舟駅で下車し、線路沿いに亀戸駅まで歩いてきた。 汗だくの1万1千歩。、、、、このコースの散歩は個人的に好きで、日中に歩いたブログはコチラを見てね!



●都心のローカル線で出発! ・・・・・・・・・・まずは、夕暮れの亀戸駅。、、、、2両連結の電車が、10分間隔で走っているが、亀戸駅を出る頃には空いた座席は無し。 盆休み期間中にもかかわらず、通勤客が多いね。 

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●8分で終点! ・・・・・・・亀戸駅から4駅目、所要時間8分、終点曳舟駅に到着、折り返し亀戸行となるワンマンカー。 亀戸線ホームは2両分だけの短いホーム。
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●下町の軒先を走り抜ける! ・・・・・スカイツリーが見下ろす、木造住宅の密集した墨田区京島地区を走り抜ける亀戸線。 下町の「キラキラ橘商店街」も店仕舞いし買い物客の姿はない。

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●ポッンと都会に一駅! ・・・・・・曳舟駅の隣り小村井駅(おむらいえき)、、、、江戸時代からこの辺りは小村井村と称していたことに由来する駅名。 駅は明治通りに面しているが、大きな商業施設はなく、周辺は暗く、静かだ!

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●もう着いた! ・・・・・・次の東あずま駅までは600m、線路沿いに歩けば近い!、、、、途中の踏切りも2カ所だけ。

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●ローカル線のローカル駅! ・・・・・・東あずま駅は、付近一帯の地名:吾嬬(あづま)に由来する。 しかし駅名は“東あづま”ではなく“東あずま”、理由は不明。 駅は都道476号(丸八通り)に面する。、、、、一日の乗降客が8,000人に満たない小さな駅。

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●家路に急ぐ! ・・・・・・次の駅:亀戸水神駅に向かう。、、、、東あずま駅から立花団地へ帰る人、、、、静かな丸八通り、、、、蔵前橋通りの跨線橋から見る亀戸線

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●天神にあらず水神! ・・・・・・駅名そのまま亀戸水神駅亀戸水神宮の最寄り駅。 駅は亀戸駅から700m程の距離である。、、、、一日の平均乗降客は約4000人で、都内ではワースト5に入る都心のローカル駅。

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●亀戸の明かり ・・・・・終点の亀戸に向かう。、、、亀戸線は踏切が多い、、、、踏切を渡るつとその先にはJR総武線のガード、、、、線路の先に亀戸駅の明かりが見える

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●散歩の起点は散歩の終点! ・・・・・亀戸駅に戻った!

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2019年3月10日 (日)

期待はずれた富士の山

暖かな散歩日和、夫婦で我が家(浅草橋)から、両国の「すみだ北斎美術館」に寄って、錦糸町駅まで歩いてきた。
 
 
 
●花曇りには早いかな? ・・・・・・・・・・・・午前中は晴れていたが、午後になるとチョイトどんより曇ってきた。 まだ、雨の心配はいらないようだ! 柳橋両国橋を渡り、両国に向かう。、、、、孫の話、食の話で、夫婦仲良く散歩。 両国橋東詰めの老舗:「山くじら もゝんじゃ」も話題の一つ。
 
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●猫も鼠も回向院 ・・・・・・回向院前、チョックラ鼠小僧に御挨拶して行こう!、、、、回向院には、ペットを弔う施設もあり、彼岸前にペットの法事に来たのか、参拝する人の多いこと。、、、、、「彼岸参りに 先祖を飛ばし 愛犬供養に 花手向け」、てな事なきように!
 
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●似て非なる“網”と“綱” ・・・・・・・・・・回向院から両国駅 前をとおり、国技館の手前を入り、江戸東京博物館、徳川家康公銅像前をブラブラ。、、、、これらが建つのは、墨田区横網町(よこあみちょう)。 相撲の町なので“網”(あみ)を“綱”(つな)と間違え、“横綱町”(よこづなちょう)と言う人が多いそうだ。 町名の謂れは不明だが歴史ある町名で、“横綱町”に変更する意思は、町民も区も、断固としてないそうだ。
 
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●富士は見られず、猿、猫、蛙 ・・・・・・・・・・・・江戸東京博物館前から東へのびる「北斎通り」。 その途中に、「すみだ北斎美術館」がある。 今日の散歩の目的地。、、、、本日の出し物は、「北斎アニマルズ」と称し、北斎とその門人が動物・玩具・物語などを図鑑的に描いたものが展示されていた。、、、、、「富嶽三十六景」(全46図)が見られることを期待して行ったが、残念なことに目的は達成できず! またの機会に期待することにした。
 
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●散歩の後は甘い一刻 ・・・・・・・・・・・錦糸町に出て、ひと休み、秘密! 

2019年2月16日 (土)

亀戸の梅屋敷

総武線亀戸駅から、亀戸水神、亀戸天神、亀戸香取神社、吾嬬神社、小村井香取神社と巡り、東武亀戸線小村井駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●天神様の駅 ・・・・・・・今日は土曜日、通勤客も少なく、早朝に下車する人もまばらだ。、、、、明治37年(1904)3月29日1904、総武鉄道の駅として開業。 駅の歴史を語るようなものは、なにも見つけられないが古株の駅である。、、、いつも改札前で売っている「くず餅」の売店も、まで出てない。 帰りに、寄ってみよう!
 
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●“お水”の神 ・・・・・・・まずは、東武亀戸線 の駅名となった亀戸水神へ参る。 JR亀戸駅から北東に700m程の処に鎮座する水神さまで、社号は「亀戸水神宮」。、、、、亀戸水神宮の創建は古く、室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521~1546)と推定されている。 土民が水害から免れん為の祈願として、大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神。、、、、艶めかしい“お水”の神様ではない。 間違えないで! でも、キャバ嬢姿の女神がいたら神社に詣でる人も増えるかもね!
 
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・・・・・・・・・・・・・神社に隣接して、城東署の「水神森地域安全センター」(旧交番)がある。 この建物は木造で、昭和初期に建てられたものかも?
 
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●蘇った亀戸梅屋敷 ・・・・・・・・亀戸駅前の明治通りと、亀戸天神前の蔵前橋通りが交差する亀戸四丁目交差点角に、「亀戸梅屋敷」がある。、、、、浮世絵師・歌川広重が描いたこともある江戸時代の亀戸に実在した梅屋敷は現存しない。 平成の世に、当時の亀戸梅屋敷をモチーフにして、観光案内所や物産店、江戸切子ギャラリー、寄席等をミックスした観光施設「亀戸梅屋敷」が作られた。
 
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・・・・・・・・・・・・・【補足】 江戸時代初期、亀戸天神の北東に大きな梅園があった。 ここには、「清香庵」と評する屋敷があり、一般に「梅屋敷」と呼ばれていたそうだ。 明治43年(1910)の洪水と工場の排煙などから梅の大部分が枯れてしまい、廃園となった。 その跡地に小さな梅屋敷伏見稲荷神社(亀戸3)が残っている。、、、、(今日の散歩では寄らなかったので、2016/1/4撮影の写真で代用)
 
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●思ったほど、ウメの木はなかった! ・・・・・・・・・・・“ウメ”と云えば“天神さま”。 そこで、亀戸天神周辺の商店街は「梅まつり」のポスター、旗で集客中。 
 
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・・・・・・・・・・・・・雅万歩も梅の香に誘われ、亀戸天神 へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサとやってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・太鼓橋の上から境内を眺め、『アレ、なんか変だ? “天神様”なので“ウメ”の花が境内を埋めているはずだが?』 期待した程にウメの木はなく、境内は藤棚ばかりだ!、、、、何度も来ていた境内、ウメの木がこんなに少ないとは、今日初めて気がついた。、、、、ウメの木は境内に300本程あるそうだが、木には大小あり、まだ花をつけていない木もあり、境内の広さに比べ寂しいものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・天神さまに手を合わせ、拝殿に置かれた大宰府の梅を観賞する。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内のウメを観て行こう!
 
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●梅は咲いたが 桜はまだかいな ・・・・・・・・・・・次は、亀戸天神の東側に鎮座する亀戸香取神社 。 蔵前橋通りから入る参道は昭和レトロな看板建築でおもてなし。、、、、こちらは、“ウメ”の木はなく、“サクラ”がお勧め。 特に、参道には数種の八重桜が咲き乱れ、なかには黄緑色の花を咲かせる「鬱金」もある。、、、、4月になったら出直そう!
 
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●可愛い狛犬 ・・・・・・・・・・・・香取神社から北へ、北十間川を越え墨田区に入ると、川に面し「吾嬬神社」(墨田区立花1)がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・吾嬬神社は、日本武尊東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、弟橘媛が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、日本武尊は当時浮き洲であった当地に上陸できたものの、弟橘媛は行方知れずとなり、弟橘媛の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだそうだ。 後、弟橘媛を慕って正治2年(1200)宇穂積臣の末葉、鈴木・遠山・井出の三家が吾妻権現として社殿を造営した。 当地名立花は、この弟橘(立花)媛の言い伝えにより命名されたと言われている。、、、、拝殿は鉄筋コンクリート造、、、、、本殿前の小さな狛犬は安永2年(1773)の作。 この狛犬、小さくて持ち運びしやすく、かつ古く、古物商が狙いそうだ。 仏像の盗難が多い御時世、要注意! 
 
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●ウメも好き 若い娘はもっと好き ・・・・・・・・「花王東京工場」の北側(墨田区文化2)に「小村井香取神社」がある。 小村井香取神社は、永萬元年(1165)の葛西御厨の文書などに鎮守村名が記載されていることから、平安時代末期に千葉県香取郡から移住・開拓した人々の氏神として創建したといわれている。 江戸時代には、東隣に作られた小村井梅園が盛況で、将軍家の御成りもあったといいますが、明治43年の大水で廃園となりました。、、、、ここも梅園の跡地であり、梅屋敷があった処だ。、、、、平成6年(1994)、往時を偲び、境内に120本のウメの木を植え「香梅園」と名付け開園した。、、、、今日は、その香梅園の梅まつりの開催日。 地元名士(?)が集まり、若い娘の親善大使も参加して、セレモニーの真最中。
 
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・・・・・・・・・・・・・香梅園は小さな庭園。 ウメの木120本は本当か?
 
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・・・・・・・・・・・・・神社の前で、な・なんと、「ミゼット」だ! 昭和32年(1957)~昭和47年(1972)まで、販売されていた小型三輪自動車。、、、、大村崑が演じる、懐かしいミゼットのコマーシャルを思い出した。 崑ちゃんが何度も繰り返す、「ミゼット」、「ミゼット」、、、、、
 
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●下町の駅 ・・・・・・・小村井駅(おむらいえき)は、東武鉄道亀戸線の駅。 相対式ホーム2面2線の地上駅だが、駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあるだけ、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 昭和3年(1928)4月15日開業。、、、亀戸駅に着いたら、“くず餅”買うの忘れないように!
 
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2019年2月 2日 (土)

6車線の京葉道路

我が家(浅草橋)から、両国橋を渡り、錦糸町でJRA場外馬券売り場を覗き、亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。
 
 
 
●まずは隅田川を越える ・・・・・・・・中央区と墨田区を結ぶ両国橋を渡る。
 
・・・・・・・・・・・・・・京葉道路は浅草橋交差点から始まる。 
 
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・・・・・・・・・・・・・両国橋は、明暦の大火(1657)の大惨事を教訓に万治2年(1659)に、隅田川に架けられた橋。、、、、現在の橋は、昭和7年(1932)に架けられた。 大きな球形がついた親柱は両国橋のシンボル。
 
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・・・・・・・・・・・・・橋の東詰(墨田区両国)には、向島の俳諧師:宝井其角の弟子であった赤穂浪士の一人:大高源吾の句 「日の恩やたちまちくだく厚氷」の碑がある。 この句は討ち入りの夜、師匠宝井其角に両国橋で出会い詠んだものといわれている。、、、、道端で出会い、サッと句を詠むなんて、私にはできない。 カッコいいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・大高源吾の句碑の後ろには、大きな忠魂碑。 こちらは、明治37年・38年の戦役での戦病死者、すなわち日露戦争でご出征し、護国の為に身命を捧げられた英霊に、陸軍元帥大山巌筆による表忠碑。、、、、大きく、立派な碑だ。
 
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●早く広げて!・・・・・・・・・両国橋を渡ると、ここから錦糸町の江東橋までは、京葉道路は4車線道路である。 現在、東京国道事務所では6車線に拡幅することが計画されている。 地元への説明会なども実施されているようだ。 高架として、混雑の緩和、安全の確保、緊急輸送道路の確保などが見込まれている。、、、、この都市計画が決定したのは、雅万歩の生まれる前の昭和21年(1946)3月だった。 70余年、経過した!
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の歩道上(両国3)に、「本所松坂町址」の碑が建っている。 元来この辺りは、あの吉良邸があったところである。 関東大震災後の区画整理により町名が変更された。この碑は近世史上著名の地「松坂町」を偲んで、昭和7年に建立された。
 
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・・・・・・・・・・・・・京葉道路の両側は建物も新しくなり、歴史を語るものは見あたらない。
 
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●ここからは6車線!・・・・・・・・・・・・・ 江東橋は京葉道路(国道)に架かる橋で、この橋からは6車線となり幅(35m)も広く、橋の長さ(20.8m)に対し倍近くある。 明治31年(1898)創架で、現在の橋は平成8年(1996)に架け替えられた新しい橋だ。、、、、橋の下を流れる大横川は暗渠化され、現在はスカイツリーが眺められる大横川親水公園となっている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・6車線となった京葉道路。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江東橋の東詰に、明治34年(1901)創立の名門:都立両国高校がある。 作家:芥川龍之介の母校。、、、、両国高校の一画に、「国産マッチ発祥の地」と刻まれた 御影石の記念碑がある。 石川県金沢出身の 清水誠はフランス留学から帰国後、明治9年(1876)に, この地に「新燧社」を設立し、本格的にマッチの製造を始めた。 2年後には我が国始めての輸出が行われ、太平洋戦争前まで続いた。、、、、今は、マッチが使い捨てライターに変わり、チャッカマンに変わり、お目にかかることがまれとなった。
 
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●IT化された! ・・・・・・・・錦糸町駅前のJRA。 チョックラ、朝の場外馬券売り場を覗いてみた。 競馬を止めて50年、馬券の買い方も変わり、面白そうだ! やってみたくなるね。
 
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●工場が消えた! ・・・・・・・・・・・・錦糸町駅前から、亀戸へ向かう。、、、、この辺り、かつては鉄工場などが並ぶ工場地帯だった。 今や近代邸なビルとマンションが並び、世も変わった!
 
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●時代ごとに変わる! ・・・・・・・・・・亀戸駅前を通り過ぎ、京葉道路の南側、昭和の時代には第二精工舎の工場があったところ。 平成になり、ショッピングセンター「サンストリート亀戸」に変わり。 次の時代は、25階建ての住居棟と6階建ての商業棟ができるそうだ。 (写真:左側の工事現場)
 
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●今日のお帰りは? ・・・・・・・・・・・・亀戸駅の“勝手口”(正式には東口)から。
 
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2019年1月14日 (月)

スカイツリーの足下、曳舟川通り

曳舟川(ひきふねがわ)は、徳川幕府が本所開拓に伴う上水として、明暦3年(1657)の大火(振袖火事)の後、万治2年(1659)に開削したもの。 当時は、本所上水、亀有上水などと呼ばれ、瓦曾根(越谷市)の溜井から分水して、亀有から四ツ木をへて本所と深川の各地に飲料水として配水されたそうだ。 その後、業平橋以南の曳舟川は埋め立てられ、小梅村(墨田区)から亀有村(葛飾区)に至る約7.4kmは、通船運河として改修された。 この川が「曳舟川」と呼ばれるようになったのは、「ザッパコ」と呼ばれる田舟のような舟に旅人を乗せ、岸から引かせたことによるものだ。 明治期になると、人力車なども横行し、曳舟の様子も変わってきた。 明治末期には、荒川放水路(現:荒川)の開削工事により、墨田区側と葛飾区側に分断された。 そして、大正期の震災に遭い、川は流域の都市化とともに汚れ、悪臭、蚊・ハエの発生源となる。 両側の幅6mの道路の間を流れる、川幅5.5mの曳舟川も、戦後になると暗渠化された。 墨田区側は幅18mの立派な舗装道路となり「曳舟川通り」と命名した。 荒川には「新四つ木橋」が架かり、曳舟通りと共に水戸街道のバイパス的役割を担っている。 葛飾区側は暗渠の上に「曳舟川親水公園」を造り、四つ木からお花茶屋・亀有まで伸びる長~い親水公園となっている。
 
今日の散歩は、本所吾妻橋駅から、曳舟川通りを歩き曳舟川親水公園の入口まで行き、四ツ木駅から帰宅した。 1万3千歩
 
 
 
●雅万歩の通った駅・・・・・・・・・都営地下鉄浅草線の本所吾妻橋駅は、東京スカイツリーの西側(墨田区吾妻橋)に位置する。 昭和35年(1960)12月4日に開業した、相対式2面2線の地下駅。、、、、雅万歩が大学生の頃、家庭教師として通っていた駅である。 この辺りは結構詳しかったのだが、いつの間にか時代も変わり、私が知る店・住宅はマンションに変わってしまった。 
 
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●曳舟川通りを行く・・・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、東武伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」に仁義を切って!、、、、、この駅、スカイツリーができる前までは「吾妻橋」、「浅草」、「業平橋」と、3回も名を変えていた。 今は、シャレた名前で出ています。 特急も停まる駅となり、お客の指名も増えました。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅のとなりのスカイツリー
 
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・・・・・・・・・・・・・ときょうスカイツリー駅の北側、交差点の角に曳舟川由来碑がる。 この交差点から曳舟川通りは新四ツ木橋へのびて行く。、、、、けして古い石碑ではない、平成5年(1993)に地元墨田区が建てたもの。 曳舟川の由来とこの辺りの昔の地名「小梅」の由来が述べられている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・曳舟川由来碑がある一画に、都営住宅の押上二丁目アパートがある。 昭和45年(1970)以降に建てられた161戸の団地である。、、、、団地の前はとうきょうスカイツリー駅、さらにその隣にスカイツリー。 スカイツリーから立ち小便をされたら、もろに当たりそうな団地だ。 展望台はガラス窓がシッカリ閉められていて、ヨカッタ!
 
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・・・・・・・・・・・・・続いてその先(押上2-12)にあるセントル中之郷は、日本最初の近代的アパート「同潤会中之郷アパートメント」の跡地に、昭和65年(1990)に建てられた。、、、、震災後の東京の各地に建てられた同潤会アパートの一つ。 鉄筋コンクリート造の建物は、上野下アパート を最後に全て取り壊された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・そのセントル中之郷の前に、同潤会建築もどきの建物「墨田民主商工会」がある。 おそらく、戦前の建築と思われる木造の看板建築だが、正面の柱のデザインはチョイト味があるね!、、、、正面の玄関ポストに「移転しました入れないでください」の貼り紙があった。 取り壊しか? また一つ、昭和の建築が消えるのか?
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島4丁目付近の曳舟川通り。 奥のタワーマンションは、東武亀戸線と京成押上線が交差する地点にたつ「イーストコア曳舟」(墨田区京島1)。
 
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・・・・・・・・・・・・・・応仁2年(1468)の創立と伝えられる高木神社(押上2)、昔は第六天社と称した、旧寺島村大字新田の鎮守。 明治15年村社に列格した。 祭神は、男女の「むすび」を象徴する神として、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)である。 縁結びの神として、絵馬は“おむすび”形である。、、、、社殿は昭和42年に鉄筋コンクリート造で建て替えられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線の曳舟駅 前を歩く。 駅前の東京曳舟病院の1階は通り抜けができ、駅の改札、改札挟んで反対側の西口に行くことができる。
 
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・・・・・・・・・・・・・歩いてきた道を振り返ってみると、スカイツリーが良く見える。 ここは京島1丁目、曳舟文化センター前。 
 
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・・・・・・・・・・・・・明治通りを越え、左は東向島6丁目・右は八広1丁目の町に入る。 でも、特に変わったこともない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・交差点角の喫茶店に置かれていたサボテンに心惹かれ、しばし眺める。  「吹雪柱」という名のサボテンらしい。 なんだか、見る人の見方、意識によって、動物のようにも見え、人体の一部のようにも見え、手に持ってコチョコチョしたくもなり、イロイロ頭の中で連想してしまった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東向島6丁目の長浦神社では、成人式の晴れ着で両親と参拝する姿が見られた。 いいね!、、、、、長浦神社の創建年代は不詳だが、第六天社として創建し、明治維新後地名より長浦神社と改称したといわれている。 祭神は神皇産霊神、登由宇気神。
 
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・・・・・・・・・・・・・そろそろ曳舟川通りの終点。 交差点の先に新四ツ木橋が見える。
 
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●渡れば葛飾区・・・・・・・・・・墨田区八広と葛飾区東四つ木を結び、荒川に架かる新四ツ木橋。 昭和27年(1952)にそれまでの木橋に変わり、新四ツ木橋(現在の四ツ木橋)が永久橋として開通した。 しかし、橋の前後で慢性的に渋滞が発生したことから、曳舟川通りを延長する形で国道6号に平行して新橋「新々四ツ木橋」(現在の新四ツ木橋)を建設した。 昭和48年(1973)に竣工し、供用を開始し。 全長547.8mの鋼連続箱桁橋。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流側には京成押上線の荒川橋梁が架かる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・上流側には、四ツ木橋が架かり、水戸街道(=国道6号)と並行する。
 
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・・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋を渡り、水戸街道と合流すると、スグ、その先で道路は分岐する。 直進(写真右側)するのは水戸街道、左側に分岐するのは「曳舟川親水公園」のある道路で、亀有方面に向かう。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・四ツ木駅 から、『おひとり様 お帰りです~』
 
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