墨田区

2021年4月19日 (月)

カネボウからミツワ石鹸へ

“緊急事態”が終わり、今度は“まん防”と忙しく変わり、自粛生活にも飽きがきて、そろそろ世間さまについていけなくなった! 今日もナイショで散歩。 東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅からほぼ南の方向に歩きJR総武線の平井駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 私の好きな典型的な下町の駅「鐘ヶ淵駅」で下車する。 小田急線・東横線沿線の駅のようなシャレッ気はまるでない駅で、下駄履きで乗降しても恥ずかしくない雰囲気の鐘ヶ淵駅。

・・・・・・・・・・・・早朝の鐘ヶ淵駅では、館林行きの区間快速(北千住までは各駅停車)に乗降する人は少ないようだ。

2104190738280



・・・・・・・・・・・・上下線それぞれに、木造平屋の駅舎がある、、、、ここは、カネボウ(旧鐘淵紡績)の創業の地

2104190747280

 

 

・・・・・・・・・・・・・上り(曳舟・半蔵門線・浅草・銀座線)は踏切の反対側にある東口駅舎から乗降の為、踏切前に人が溜まる!

2104190747560




● 町のあちらこちらから子供が集まり、登校時間だ!

2104190756340

2104190801260




● 今も残るカマボコ兵舎、、、、、墨田区墨田3の「日本オープンバイブル教団 墨田聖書教会」は昭和29年(1954)創設。 創設の当初から米軍のかまぼこ型兵舎をリノベーションした、かわいらしい教会である。、、、、現在の牧師さんは地元出身らしい。

2104190808240

2104190807350




● 「玉の井いろは通り商店街」に出てきた。 昭和の作家:永井荷風が足繁く通った玉ノ井私娼街。 玉ノ井の地名は今は無くなり、商店街名、町会名などに残るのみ。 商店街から裏道に入って行くと、少なくなったが、まだ赤線時代の面影を残す建物がある。、、、、戦後生まれの私は経験がないが、『チョイト、お兄さん・・・・』と声かけられる街だったようだ。 もう少し、早く生まれていたら・・・・残念!

2104190818590

2104190819090

2104190817330

 

・・・・・・・・・・・・いろは通りの真ん中あたりから北側にチョイトはいると曹洞宗の東清寺がある。 門前には「玉の井稲荷 豊川稲荷尊天 身代わり不動尊 東清禅寺」と書かれている。 鉄筋コンクリートの寺は、本堂の階段を上がると一対のお狐様が鎮座ましましている。 こちらは、昔は娼婦達の駆け込み寺であったそうだが、今はそれらしき面影を残すものは見えない。

2104190814260




● 墨田区八広で京成押上線の高架下を抜けると、今はシャッターの下りた店が並ぶ八広新中商店街がある。 かっては、映画館「南龍館」があり商店街は「南竜館商栄会」と呼んでいたそうだ。 また、現在の押上線高架橋脇の八広5丁目都営住宅の所には、♪♪ ワワワ 輪がみっつ ワワワ 輪がみっつ ミツワ ミツワ ミツワ石鹸 ♪♪の工場があり、商店街は昭和60年代までは大いに賑わっていた。

2104190846520

2104190855060

2104190854260

2104190900590

 

 

・・・・・・・・・・・・東郷元帥を描いた東郷ハガネの看板、こんにゃく稲荷の三輪里稲荷神社、などを見ながら、墨田区八広の町を抜けて行く。

2104190900120

2104190907490

 

● 八広の町から旧中川岸の東墨田に入ると、平成10年(1998)に333億9千万円の建設費をかけて開所した「墨田清掃工場」の高さ150mの煙突が天を突いてる。 デカイ、高い!

2104190935060

2104190940120

 


・・・・・・・・・・・・清掃工場の前を流れる旧中川。 川の両岸は「旧中川岸辺公園」(墨田区東墨田~立花、2.8km)として整備され、綺麗な水と豊かな緑の親水公園となっている。 コロナを避け、公園を歩き平井駅に向かう。

2104190940330

2104190946370

2104190946500

 

・・・・・・・・・・・・ 「立花白髭神社」付近にて旧中川から離れる。、、、、立花白髭神社は、葛西川村の鎮守社として天和2年(1682)に創建した。 現本殿は大正12年(1923)の造営。、、、、住宅地の中にあるが、長い参道、緑の多い境内には癒しの効果がありそうだ!

2104190956480

2104190957510

 

 

・・・・・・・・・・・・平井橋は、昭和55年(1980)架橋で墨田区立花と江戸川区平井を結んでいる。 橋を渡ればJR平井駅はすぐ。

2104191006510.

2104191007130

 



● JR総武線平井駅から我が家の最寄り駅:浅草橋までは、4駅、所要9分。 近い!

2104191015560

2104191018130

 

2021年2月 5日 (金)

閻魔さまに祈願

“緊急事態宣言”が延長され自粛生活がさらに続くこととなった。 家に籠る毎日に飽き、立春も過ぎ暖かくもなり、歩きたい! 今日は、チョイト禁を破り、我が家から錦糸町までナイショで不要不急の散歩をしてきた。

我が家(浅草橋)から、江戸通りを厩橋まで、厩橋からは春日通りを東へ向かい横川一丁目交差点まで、その後南へ折れて錦糸町駅から電車で帰宅。 1万3千歩




● まずは、毎度おなじみの江戸通りを厩橋交差点に向かう。

2102050721550

2102050740250


・・・・・・・・・・・・厩橋交差点にある「東京厚生信用組合浅草支店」、、、、この建物は昭和4年(1929)に、安藤組(現:安藤ハザマ)の設計・施工で建てられた。 外観はほぼ竣工時の姿を残している、レトロな建物である。、、、、シャッターが下りているのは、まだ営業時間前(am7:45)のため。

2102050742360

2102050745369_stitch


・・・・・・・・・・・・もう一つ、厩橋の西詰(台東区側)、交番の隣りに人​の​顔​を​デ​ザ​イ​ン​し​た​、遊び心のある​公​衆​ト​イ​レがある。 ​顔​の​あ​る​側​に​、​男​、​女​別​れ​て​入​り​口​が​あ​る、チョイト寄ってみたくなるね。 でも、内部は普通のトイレ、隣りにお巡りさんも居るので、安心してゆっくり用を済ませてね。、、、、平成4年(1992)台東区の「まちかど賞」受賞

2102050750190



● 隅田川に架かり、台東区蔵前・駒形と墨田区本所を結ぶ「厩橋(うまやばし)」、、、、橋名は西岸にあった「御厩河岸(蔵前の米蔵のための荷駄馬用の厩があった)」に因む。 もともと元禄年間ごろから続いていた「御厩の渡し」のあった処。、、、、現在の橋は、3径間下路式タイドアーチ橋、橋長 151.4m、幅員 22.0m。 工費114万5千円にて、大正15年(1926)に着工し、昭和4年(1929)に竣工した、震災復興橋の一つ。 橋の所々には、馬を連想させるレリーフなどが施されている。、、、、橋の下の川底には都営大江戸線が走っているが、上下線は厩橋を挟むように、橋台を避けて迂回している。 たぶん、古い橋の橋台に影響を生じないように避けたものと思われる。 

2102050813000

2102050758100

2102050800140

2102050808050

2102050802560



● 厩橋を渡り、春日通りを東へ歩き、本所1丁目と2丁目の交差点に来ると、大通りの角に小さな「厩橋交番」がある、、、、現在は“交番”ではなく、「厩橋地域安産センター」に変わっている。 小さな三角形の角地に合わせ昭和3年(1928)に建てられた、小さく狭い交番建築である。 石造りを模したコンクリート造の交番は、チョビ髭のお巡りさんが警棒を持って立っているような、懐かしい雰囲気を漂わせている。

2102050825240

2102050824470



● 本所2丁目の若宮公園の一角に摂社若宮牛嶋神社がある。 その鳥居前の木陰に隠れるように満州事変忠魂碑がある。 おそらく、戦前はもう少し目立つところに堂々と置かれていたと思われるが、今は目立たぬようにか(?)木の陰にひっそりと置かれている。、、、、昭和6年(1931)に始まった満州事変では本所区から700余名が出征した。 その中で戦死した霊を祀り昭和10年(1935)に遺族が碑を建てたものだ、塔頂部は満州らしい七重塔が飾られている。

2102050840020



華厳寺は本所2丁目にある浄土真宗大谷派の寺。東本願寺の末の名刹で、権大僧正光円法印が慶長8年(1598)に本所中之郷に創建し、延享4年(1774)に本所の現在地へ移転した。、、、、華厳寺のお閻魔様は、延宝7年(1679)から境内に安置され、江戸六十六ヶ所えんま詣り第二十番目にあたり、「厄除けえんま堂」として広く庶民に信仰されてきた。 堂には、室町時代中期の作と思われる老婆の鬼「奪衣婆の像」もまつられている。 “怖い”というより、愛嬌を感じ、親しみの湧く2体の像が閻魔堂に祀られている。、、、、本堂は、只今工事中!、、、、今日は閻魔さまに、日本全国民の代表として小銭38円を賽銭箱に投じ、コロナ退散を祈願してきた。

2102050851520

2102050853160

2102050853020



● 本所4丁目には、勝海舟の父親の小吉が参拝していた日蓮宗の能勢妙見山別院がある。、、、、“能勢の妙見さん”と聞くと勝海舟を思い出し、昭和49年(1974)のNHK大河ドラマ「勝海舟」を思い出す。 大河ドラマでは、松方弘樹が海舟(勝麟太郎)で、二代目尾上松緑が父親の勝小吉。 松緑の小吉が素晴らしい“江戸っ子”だった。、、、、小吉は麟太郎の病(犬にチン玉を喰われた)の時、ここ本所の妙見さんで水垢離をして祈ったと言われている。、、、、妙見山別院は小ぢんまりとした小綺麗な寺で、境内には四季の野草などが花を咲かせている。 境内の海舟の像が花を楽しんでいるようだ!

2102050915210

2102050912100

2102050914050



● 現在は暗渠化し、その上に親水公園が整備された大横川に架かる2橋に寄った・・・・・

・・・・・・・・・・・・妙見山別院の東側にある紅葉橋、、、、石原4丁目と横川1丁目を結ぶ橋で、昭和5年(1930)に架設された。 全長35.11m・幅11m。 紅葉橋という名は、このあたりに楓川という細い流れがあったので、それにちなんで付けられた。 アールデコ風の親柱が印象的だ!

2102050919410

2102050916490


・・・・・・・・・・・・紅葉橋の上流側(北側)に架かる横川橋、、、、橋上は春日通り、本所4丁目と横川1丁目を結ぶ橋で、昭和3年(1928)に架設された。 全長32.65m・幅22.7m。 親柱には外灯・装飾などがあったと思われる台座が残っているが上部は無い!

2102050927180

2102050926110



● 横川1丁目、日本たばこ産業の正門前で南に折れ、スカイツリーを背にして錦糸町駅に向かう。、、、、散歩中の濃厚接触者はいないと思う。 コロナに感染していないと思うね!

2102050937020

2102050956110

2102051001400

2020年12月17日 (木)

コロナ避けて平井まで

“3密”を避け、浅草橋の我が家から、歩く人も少ない「蔵前橋通り」を東へ歩きJR総武線の平井駅まで、1万4千歩の散歩です。

・・・・・・・・・・・・・「蔵前橋通り」は、文京区本郷の順天堂病院の北で国道17号(本郷通り)から東に伸び、末広町交差点、蔵前橋、亀戸天神の前を通り、旧中川、荒川を渡って、江戸川区西小岩1丁目で奥戸街道に接続する路線。 その先、奥戸街道をそのまま進むと、市川橋の手前で国道14号(千葉街道)に接続する。 今日、散歩した鳥越神社前から平井駅前まで(約5.5km)は、都道315号御徒町小岩線の一部である。




● 我が家から北に歩いて4分程で、蔵前橋通りに面する「鳥越神社」前に出る。 “道中の無事”と“コロナ撲滅”を願い手を合わせる。 どうも、“コロナ撲滅”の願いは、賽銭が少ないのか、いつまで経っても願いは叶わない!

2012170733260

2012170733570

2012170735340



● 蔵前一丁目交差点で江戸通りを横断し、家を出発して25分経過、蔵前橋を渡り墨田区に入る。、、、、隅田川の空は晴天、風はなし、気温は寒し、私の懐も寒し!

2012170741210

2012170751150

2012170752330



● 蔵前橋を渡ったら、チョイト、震災・戦災の犠牲者を悼む東京都慰霊堂にお立ち寄り。、、、、ついでに、厠にもお立ち寄り、冷えると回数も多くなるんです! いずれは、オムツのお世話になりそうだ!

2012170800580



●東京都慰霊堂前の清澄通り、冷え冷えの寒さの中、小学生が集団登校する。 時刻は朝8時、20人程の元気な子供たちだ!

2012170803510



● 蔵前橋通りは錦糸町の町の手前で、大横川に架かる法恩寺橋を越える。、、、、現在、大横川は暗渠化され川底は親水公園となっているが、大正14年(1925)に竣工した震災復興橋の法恩寺橋は健在である。、、、、橋長32.8mのアーチ型ラーメン橋台付き鋼桁橋

2012170822060

2012170823040


・・・・・・・・・・・・法恩寺橋を渡ると、橋名となった日蓮宗の寺院「平河山法恩寺」がある。、、、、法恩寺は長禄2年(1458)大田道灌が江戸城を築城時、丑寅の方角に城内鎮護の祈願所として建立された。 境内には、大田道灌の墓や平河清水稲荷大明神、鐘楼三重塔などがある。 現住所の“太平”は、太田道灌と平河山法恩寺の頭文字から命名された。 蔵前橋通りから入る参道沿いには、4か寺の子院が並んでいる。、、、、本堂の後ろからは、日蓮上人に変わりスカイツリーが参拝人を見下ろしているような寺だ!

2012170833520

2012170843330



● スカイツリーを正面に見る「タワービュー通り」、錦糸町駅前を通る「四ツ目通り」を過ぎ、横十間川に架かる「天神橋」(橋を渡ると江東区)を渡り、亀戸天神にも寄って行く。、、、、学問の神様:天神さまに、是が非でも年末ジャンボ一等当選が叶うよう手を合わせてきた。 これで、年明けには億万長者になっているかも? その折はブログ『雅万歩』は静かに終わり、私はヨーロッパ旅行で長期不在。

2012170847240

2012170851570

2012170857260

2012170905410



● 「明治通り」との交差点を過ぎ、東武亀戸線の線路を越えると、旧中川に架かる「江東新橋」を渡る。 橋を渡れば江戸川区なり!、、、、江東新橋の下流250m程には、並行するJR総武線の橋梁が見える。

2012170915450

2012170931561

2012170936060

2012170936420



● 江東新橋を渡ると平井駅は近い。 “3密”を避けて、鳥越神社前から歩いてきたが、「平井駅出口交差点」で蔵前橋通りから外れ、駅に向かう。、、、、駅も、電車も、空いている。 今日も、コロナに感染せずにすんだようだ!

2012170945500

2012170948570

2012170956440

2012171026160

2020年9月 4日 (金)

また踏切が無くなる!

日本の上空は異常気象に覆われ、今日も猛暑! 「散歩は止めて、またごろ寝」と思ったら、妻からスカイツリーのある『ソラマチに行こう』とお誘い。 買い物とランチを兼ねて行ってきた。 買い物・食事も終え、折角来たからチョイト、スカイツリーの周辺をブラついてきた。




● 「ソラマチ」は、スカイツリーの足下に約300店の店舗で展開する商業施設。 オープン後、早8年、平成24年(2012)の開業である。 我が家からは、地下鉄で4駅目、片道15分程で行ける、便利なショッピングタウンである。、、、これまでは外人観光客が多く、人を掻き分け、煩わしい処であった。 只今は、日本人ばかりで、お店も空き・空き・空き、可愛い店員さんも大好き!

202009041041090000

202009041043330000

202009041043450000

202009041059290000

202009041101390000

202009041105160000



● たまには、スカイツリーをじっくり撮ってみた!、、、、御存知、高さ634mはどこから見ても高い! 下から見上げる撮影はチョイトしんどいね! エスカレーターで同じ姿勢をしたら逮捕!

202009041047230000

202009041224390000

202009041231280000

202009041250420000

202009041258200000

202009041346550000

Dsc00099-2



● スカイツリーの脇には、東武伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」がある。、、、、とうきょうスカイツリー駅は、明治35年(1902)4月1日に吾妻橋駅として開業した。 昭和6年(1931)に、業平橋駅(なりひらばしえき)に改称。 平成24年(2012)、スカイツリーの開業に合わせ「とうきょうスカイツリー駅」に改称。 駅は、築堤上に島式ホーム1面2線を有する高架駅。


202009041249200000

202009041254130000

202009041254580000

・・・・・・・・・・・・ホーム東端の先では高架から地上に下り、本線の脇に数本の電留線がある。

Dsc00132-2

202009041113150000

・・・・・・・・・・・・電留線の端部には、区道(桜橋通り)と交差する伊勢崎線第2号踏切がある。 この踏切は“開かずの踏切”まではいかないが、“重大事故の起きそうな踏切”である。

202009041317560000

202009041315410001

202009041314280000

・・・・・・・・・・・・東武鉄道、墨田区では、「とうきょうスカイツリー駅」から、伊勢崎線第2号踏の先まで高架化し、渋滞緩和することとした。 とうきょうスカイツリー駅を東へ約150m移設する工事を含めた高架化事業が、2024年度の完成を目指して着工した。 事業費315億円のうち東武が80億円、墨田区が国費と都費を含めて235億円を負担する。、、、完成すると、浅草駅から鐘ヶ淵駅手前までは高架となる。 踏切がまた無くなる、踏切好きの私にとっては、チョイト寂しいね!

202009041321150000

202009041345150000

2020年8月30日 (日)

消えていく玉ノ井

立秋はとうに過ぎ、残暑の厳しさもおさまる処暑も過ぎた、二学期が始まるというのに、一向に秋風が吹いてこない、猛暑はいつまで続くのか? 連日、我が家でゴロゴロ・ごろ寝も、もう飽きた!、、、、今朝は、私の好きな堀切駅から、鐘ヶ淵駅、東向島駅と歩くつもりで、早朝に家を出た。 しかし、乗換の曳舟駅のホームに立つと、すでに日は昇り、ギラギラ太陽が眩しい。 『コリャ、散歩の途中で熱中症になるかも? 今朝、下着取り換えてこなかったので、病院に運ばれ看護婦さんに下着見られると恥ずかしい!』と、自問自答。 熱中症を避けて、急遽、堀切駅下車は止め、鐘ヶ淵駅から東向島駅までと短縮した。、、、、鐘ヶ淵駅から、かつての“玉ノ井”をブラブラ・ぶらつき、東向島駅まで、8千歩の散歩。


● 墨田区の最北端に位置する東武伊勢崎線の駅が、鐘ヶ淵駅である。 鐘ヶ淵駅は明治35年(1902)4月1日に開業した。 駅名の鐘ヶ淵は、近くの隅田川が大きく曲がる処を“曲ヶ淵(かねがふち)”と呼んでいたところから頂戴したらしい。、、、、中央の通過線2本を挟み、両側に相対式ホーム2面2線の地上駅。 両ホームの南端に、西口駅舎(下り線側)、東口駅舎(上り線側)がある。 ホームは大きくカーブして、電車の撮影には良いが、乗り降りには要注意!

202008300755560000

202008300758190000

202008300756390000

202008300803460000

202008300813110000

・・・・・・・・・・・・駅前には鐘ヶ淵通り(補助第120号線)がとおり、駅前踏切で伊勢崎線と平面交差している。 現在、1時間当たりの踏切の最大遮断時間が41分で、120号線の拡幅工事が進むと、交通量も増え、増々危険な踏切となる。 私自身も、この踏切で危険な思いをしたので“納得できる!” 地元では立体交差化を求めているそうだ。

202008300809440000

202008300806000000

・・・・・・・・・・・・私が転んだ時、救急車を呼んでくれた踏切前(写真の三角地帯にあった)の交番も取り壊され、チョイト脇(三角地帯の後ろ)に移転した。

202008300806420000

・・・・・・・・・・・・拡幅される鐘ヶ淵通り。 既に更地となった商店もある。

202008300815210000



● 鐘ヶ淵駅から東向島駅までの間、今日は熱中症を意識して、裏道・路地を歩いてみた。 かつて「玉ノ井」と呼ばれた、戦後の私娼街(墨田3丁目の赤線)のあった処を歩いた。、、、、【基礎知識】 「玉ノ井」が私娼街であったことは、永井荷風の小説『墨東奇譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』に描かれている。 詳しく、興味深く、文学的に知りたい人は一読するとよい!(私は三読した。 しかし戦後生まれの私には、実体験の機会も無く、書物の知識だけではチョイトものたりない、残念無念!) ところで、「玉ノ井」の私娼街は、戦前には、現在の東向島5丁目(一部は6丁目にも)にあったが、東京大空襲で壊滅した。 当時を物語る建物・遺構などは何も残っていない。(あるのは写真だけ、想像するのみ) 戦前の「玉ノ井」で商売をしていた者は、戦後、近くの鳩の街(東向島1丁目付近)か、空襲で焼け残った墨田3丁目に移った。 「玉ノ井」の所在地は、戦前の「旧玉ノ井」(東向島5丁目)と戦後の「新玉ノ井」(墨田3丁目)に分けられ、別物である。 その東向島5丁目と墨田3丁目の境は、「いろは通り」と呼ばれる商店街である。

・・・・・・・・・・・・戦後75年、昭和32年(1957)の売春防止法施行、昭和33年(1958)の赤線廃止から62年、当時の建物はドンドン取り壊され、モダンな住宅、マンションに変わってきた。 狭かった道幅も、区の指導で徐々に広げられ車も通れるようになる。 (写真2枚目と3枚目は同じ通り。左側のそば屋の看板が同じ。商店街が消えた! 3枚目の写真は9年前に撮影)

202008300821350000

202008300825350000

_20110306_093120

・・・・・・・・・・・・戦後の赤線時代の雰囲気を残す建物も少なくなったが、まだポツリ・ポツリと残っている。 どの店も、警察の指導により、強制的にカフェー風の店に改めさせられたそうだ! 当時の建物の特徴として、庇・柱などの出隅が丸みをあるデザインとなっている。 丸柱などもある。 建物の隅を切り欠いて、縦長の出入口が造られている。 タイル張りの意匠が多い。 (写真は全て墨田3丁目にて)

202008300830200000

202008300831230000

202008300833390000

202008300835430000

202008300858480000

・・・・・・・・・・・・新旧の玉ノ井を分ける「いろは通り」 通りの南側が旧玉ノ井のあった東向島5丁目、北側が新玉ノ井のあった墨田3丁目。、、、、商店街は、廃業した店も多そうだ。 また、商店街を歩いても、「玉ノ井」の名は街路灯の柱に残るだけとなった! 消えていく「玉ノ井」、寂しいね!
202008300839070000

202008300856160000



● いろは通りを抜け東向島駅に着いた。 汗で、下着までビッショリ、搾ったら汗が水滴がして落ちるかも? これ以上歩くと、熱中症になること間違いなしと自己判断し、散歩は予定通り止め!、、、、東向島駅は明治35年(1902)4月1日、白鬚駅として開業。 明治38年(1905)には、白鬚駅の営業を休止し、明治41年(1908)に白鬚駅は廃止される。 大正13年(19024)10月1日、「玉ノ井駅」として営業を再開。 戦時中は、東京大空襲で被災し営業休止し、昭和24年(1949)に再び営業再開。 昭和62年(1987)12月21日、東向島駅に改称。、、、、玉ノ井駅改称後、23年経過したが、今でも駅名の表示では脇に小文字で「旧玉ノ井」と表示されている。 有名な私娼街「玉ノ井」に愛着があるのかも?、、、、駅ホームは相対式2面2線構造の高架ホーム。 改札口・出口は1階の1ヶ所のみ。

202008300911150000

202008300926291111

202008300913130000

202008300940000000

2020年8月17日 (月)

夜の亀戸線

猛暑日が続き、熱中症が恐い! 感染者が連日100人超え、コロナが恐い! どちらに罹っても、多くの人に迷惑をかけるので、散歩を自粛していた。 しかし一週間、家でゴロゴロしていると、そろそろ限界に近づき歩きたくなった。 日中の散歩は怖いので、夕方6時過ぎに東武亀戸線沿いに、亀戸から曳舟まで歩いてきた。 1万1千歩の散歩。、、、、、亀戸線沿いの散歩はこれまで何度も歩いている。 こちらを見て!


● 亀戸駅・・・・・頭端式1面2線の地上ホームは、いつ来ても、何とも言えない雰囲気がある。 私の好きな駅の一つ。

202008171841310000

202008172039340000

202008172040330000

202008172041330000



●隣駅「亀戸水神駅」に向かう・・・・・亀戸駅と亀戸水神駅の駅間距離はわずか0.7kmだが、亀戸水神駅は暗闇の中。 

202008171848430000

202008171852170000

202008171853240000

202008171908170000

202008171910340000

202008171912520000

202008171913170000



● 次の駅は「東あずま駅」・・・・・亀戸水神、東あずまの両駅には、珍しくなった構内踏切がある。 ローカル色が残る駅!

202008171913270000

202008171918580000

202008171930310000

202008171931340000

202008171935540000

202008171936180000

202008171938210000



● チョイト読みにくい「小村井駅」・・・・・“小村井”は“おむらい”と読む。 亀戸線の途中駅、全3駅で最も乗降客の多い駅、なんと一日当たり約12,000人が乗り降りする。、、、、駅舎は明治通りに面し、出入口は1か所のみ。 駅前で待ち合わせをしても、間違えることはない、安心!

202008171940180000

202008171946520000

202008171950360000

202008171955110000

202008171956430000

202008172000340000



● スカイツリーの下を走って「曳舟駅」へ・・・・・2両編成の電車は亀戸~曳舟間を約10分間隔で行ったり来たり。 

202008171954300001

202008172007510000

202008172017160000

202008172027360000

202008172028460000

202008172030310000

 

2020年6月26日 (金)

再び北斎通り!

錦糸町へ買い物に、帰りは「北斎通り」を歩き両国へ、両国では久しぶりにガラガラ空き空きの江戸東京博物館に立ち寄り、浅草橋の我が家まで歩いて帰る。



●うんこオブジェ! ・・・・・・・・・JR総武線「錦糸町駅」北口を出ると、目の前のロータリー中央に、ワイヤーで吊るされた大きな輪っかのオブジェが目に飛び込んでくる。 普段は通り過ぎるだけのオブジェだが、今日はチョイト興味を持ち、正体を調べてみた!、、、、説明板によると、これは「“ECHO”エコー」と名付けられ、ヘ音記号を2つ組み合わせたものなんだとか。 へー、屁音記号だったのか、どうりで“うさんくさいオブジェだ”。 さらにオブジェを吊るすワイヤーは五線譜をあらわしている。 墨田区は昭和62年(1987)、「音楽都市」をめざして街づくりをすることを宣言し、北口再開発事業で交通広場の吸気・排気塔を利用して、音楽都市を象徴するモニュメントを設置することにした。 その結果、平成9年(1997)に、米国の作家:ローレン・マドソンの作品“ECHO”を設置した。、、、、このモニュメント、巷では色・形状を見て、“うんこオブジェ”と云うそうだ、同じ墨田区には、アサヒビールの“うんこビルもある。

202006261156150000

202006261156070000



●マスク邪魔だ! ・・・・・・・駅前の“ECHO”モニュメント北側の通りが「北斎通り」である。 度々歩いているこの道を、今日も両国駅方向に歩く。、、、、日中は30℃超の気温、暑い暑い、コロナ予防に熱中症予防、マスクの中はムレムレ!

202006261202350000

・・・・・・・・・・・・駅前からチョイト西側にズレるとスカイツリーを正面に望む通りがある。、、、、今日は青空も見え、視界良好!

202006261202190000

・・・・・・・・・・・・駅前から300m程西へ歩くと、かつて津軽藩下屋敷内にあった「津軽稲荷神社」がある。、、、、神社のあるこの一帯はその昔、津軽為信の時代に1万坪の下屋敷があったそうだ。 明治以降は管理ままならず、明治43年(1910)の大水害後に地元町会に払い下げられた。 関東大震災と米軍の空爆で2度焼失したものの、昭和35年(1960)に拝殿・社務所・会館、同44年(1969)に鳥居が再建・復興した。、、、、赤い幟がなびく参道の先に、戦後に造られた鉄筋コンクリート造の社がある。 

202006261206220000

202006261207410000

・・・・・・・・・・・・津軽稲荷神社から50m程、西へ歩くと「大横川親水公園」がある。 「北斎通り」から公園に入る処に、2基の親柱とトラス形状の鉄骨で造られたモニュメントがある。 かつて、ここに架かっていた「長崎橋」を記念したものだ!、、、、ここにあった長崎橋は、元禄10年(1697)当時の本所奉行鈴木兵九郎、島屋久五郎両名によって、墨田区亀沢4丁目より錦糸1丁目に架けられた。 最初は長さ10間(18m)、幅2間半(4.5m)の木橋でしたが、その後何回となく架け替えられ、昭和4年6月には鋼製トラス橋になった。 この橋は、大横川親水河川整備事業によりその役目を終えて撤去された。 橋の名前は、当時西側に隣接した本所長崎町の地名に因んで長崎橋と名付られ、永い間親しまれた。、、、、北の津軽に、南の長崎、錦糸町には各地の侍が住んでいたようだ!

202006261209150000

・・・・・・・・・・・・北斎通りを西へ 、、、、 そろそろ名残りのアジサイか

202006261234130000

202006261221510000

・・・・・・・・・・・「野見宿禰神社」、すみだ北斎美術館の前を行く。

202006261236340000

202006261241140000



●北斎通りはココまで! ・・・・・・・北斎通りは、江戸東京博物館前で清洲通りにぶつかり、ハイ・ココまでヨ~~。

202006261250300000

・・・・・・・・・・・・今日は江戸東京博物館の中を拝見することにした。、、、、巨大な建物は、建築家:菊竹清訓の設計により、平成4年(1992)に竣工した、地上7階建ての博物館。 高さは約62m程あり、高い! 竣工時は建物のデザインに批判的な人もいたようだ。、、、、巨大な吹き抜け部分の空間、毎度思うのだが『我が家が何戸ぐらい入るスペースだ?』 優に500戸分以上ありそうだ!

202006261400510000

202006261359330000

202006261357270000


202006261358260000

202006261253510000

202006261255050000

・・・・・・・・・・・・老人割引のチケット(300円)買って、マスクをさせられ、長いエスカレーターで3階から6階へ。 マスク美人のおねえさんが、『手の消毒お願いします!』、、、、入場者より、博物館関係者の方が多い館内は、ガラガラ、『ご自由に、好きなだけ見てください』と云う感じだ!  何度か訪れている博物館だが、展示室に入り、大きな模型、実物大の家屋など、その大きさに今回も圧倒された。

202006261257230000

202006261301190000

202006261306020000

202006261311030000

202006261327430000

202006261330050000



●以下省略! ・・・・・・この後、両国橋を渡り、浅草橋の我が家へ帰る!

2020年6月 5日 (金)

向う両国

我が家(浅草橋)から両国橋を渡り、回向院・江島杉山神社に参り新大橋で再び隅田川を越えて浜町に入り浅草橋へ、1万2千歩の散歩です。 




●両国とは? ・・・・・・・・隅田川に架かる両国橋は、あまりにも有名で知らぬは外人だけ! 今は、東詰めは東京都墨田区両国1丁目、西詰は東京都中央区東日本橋2丁目。、、、、江戸時代の両国橋は、現在の両国橋より少々下流に架かっていた。 当時の橋の東詰めは下総国、西詰は武蔵国で、両方の国の境に架かる橋で「両国橋」 解りやすい! もちろん江戸時代の橋は木橋で、流出や焼落、破損により何度も架け替えられた。 木橋としては明治8年(1875)の架け替えまで続いたそうだ。 この明治の木橋も明治30年(1897)8月の花火大会の最中に、群集の重みに耐え切れず欄干が崩落してしまった。 木橋の終焉である。、、、、現在の両国橋は鉄橋の2代目で、関東大震災後の昭和7年(1932)の竣工、構造は3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋、施工は石川島造船所/間組、 総工費 987,500円也。 約100万円で橋が架けられた時代は昔の話となった! 

202006050757060000

202006050755430000

・・・・・・・・・・・・両国橋の東側(墨田区両国)には古き歴史を語る説明板、石碑などが多い。、、、、まずは、東詰めにある「両国橋児童遊園」と表示された広場。 一面に砂利がひき詰められ、公衆便所と3本程の桜の若木、そして日露戦争の忠魂碑、赤穂浪士の一人:大高源吾の句碑、さらに観光用と思われる周辺の案内図などがある。 “児童遊園”なのに、子供向けの設備・遊具は何もない、どうなってんだ!

202006050759470000

202006050801080000

・・・・・・・・・・・・両国橋児童遊園の隣りにある建築史上貴重な建物は、「岡田商事」の社屋。 戦前に建てられたものでアールデコ調の美しい建築。、、、、今日は改修工事か? 外壁に足場が架けられていた。 (夕暮れの写真は、2018年10月撮影) 

202006050803030000

1810011654580

・・・・・・・・・・・・岡田商事の建物の隣り、駐車場のフェンスに3枚の説明板がある。 駐車場のこの辺りに「両国橋広小路」があった。、、、、江戸時代の両国橋は現在の橋より50mほど下流に架かっていた。 橋の西側、つまり中央区側の広小路(火避地)は「両国広小路」、東側(墨田区側)を江戸の人は「向う両国」と呼んだ。 西側は「両国広小路」といわれ、芝居小屋や寄席、腰掛茶屋が立ち並び、東側は、見世物小屋、食べ物屋の屋台が軒を連ねる繁華街となりました。 寛保2年(1742)頃には1日に20,000人以上が往来したそうだ。

202006050843510001

202006050843090000

・・・・・・・・・・・・そして、もう一枚の説明板「赤穂浪士休息の地」によると、元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士の討ち入り後、泉岳寺への引き上げ前に休息したのがここにあった向う両国の広小路です。吉良家への応援に駆けつけて来るであろう上杉家の家臣たちを迎え撃つ心算であったとの説もあります。休息後、大名との無益な衝突を避けるため、登城路になる旧両国橋を通らず、一之橋、永代橋を経由して、泉岳寺へと引き揚げました。、、、、今の世であれば、地元の町内会で甘酒・汁粉を作ってふるまったかもね! また、野次馬が集まりサインを求めたと思うよ!

202006050843020000



●本当に義賊か? ・・・・・・・・両国にきたら、チョイト回向院鼠小僧次郎吉に手を合わせて行こう!、、、、ところで、鼠小僧次郎吉は俗名中村治郎吉。 実在した人物だそうだ、しかし義賊と云うのはあやしいらしい、盗んだ金は全てパチンコに使い、懐はいつもスッカラカンのステテコテンだったという説もある。 さらに、鼠小僧が生きていたと言われている当時は、犯罪者は墓が建てられないので墓があること自体あり得ない。 墓が建てられたとすれば明治以後のことで、墓自体もあやしいものらしい。、、、、いつの頃からか鼠小僧の墓石のかけらを持っていると、勝負師には「賭け事に勝つ」「運がつく」など、受験生には「するりと入れる」と言われて、墓石を欠き取る人が絶えないらしい。 

202006050805410000

202006050815160000



●縦に流れる堅川! ・・・・・・・両国橋の下流200m程の処から、東に向かいほぼ一直線に旧中川まで堅川が流れている。 竪川は、万治2年(1659)に掘られた運河で、当時、江戸城からみて縦に通じているところから竪川と称したそうだ。 竪川の最初の目的は排水のためであったが、のちに隅田川と中川とを連絡する水路として輸送に大いに利用され、河岸には材木屋も多く木場の続きともなっていた。 一之橋はその堅川で隅田川寄りに最初に架かる橋である。、、、、現橋は3径間鋼桁で、橋長36.9m、昭和54年(1979)に竣工した。 隅田川寄りに、昭和35年(1960)に竪川水門がある。 また頭上には、首都高速7号小松川線が横切る。 チョイト、風情の無い景色となっている!

202006050850020000

202006050849190000

202006050852260000



●蛇の洞窟は怖い! ・・・・・・・一之橋を渡ると、江島杉山神社がある。 江島杉山神社は、鍼術の神様・杉山和一(1610~1694)が五代将軍綱吉から、神社のある本所一ツ目に約1万2千㎡の土地を拝領し総録屋敷を建て、その西隣に弁才天の一社を建立したのが、江島杉山神社の始まりです、神奈川県藤沢市の江ノ島弁財天と、杉山和一総検校が祀られています。 和一は、現在の三重県津市の出身で幼いころに失明し、江戸に出て鍼術を学び、江ノ島弁天の岩屋にこもり鍼術の一つである管鍼術を授かった。 その後、京都でも鍼術を学び、再び江戸に戻り鍼の名人として活躍した。 この和一の名声を聞いた綱吉は和一を「扶持検校」として召し抱え、日夜自分の治療に当たらせた。、、、、神社は昭和20年(1945)の米軍の空襲で焼失したが、昭和27年(1952)に再建された。 また、境内の奥には、江ノ島の岩屋を模した洞窟があり、中には、杉山検校石像、人頭蛇尾の宇賀神石像が祀ってある。 蛇が大嫌いな私には、チョイト気味の悪い洞窟だ!

202006050855010000

202006050857010000

202006050858200000

202006050858450000

202006050859460000



●モダンな橋! ・・・・・・・・隅田川に架かる新大橋を渡り、中央区日本橋浜町に入る。、、、、現在の橋、構造形式は2径間連続斜張橋、橋長 170.0m、昭和52年(1977)に石川島播磨重工業の施行で竣工した。 黄色の主塔が印象的!、、、、最初に新大橋が架橋されたのは、元禄6年(1694年)である、隅田川3番目の橋で「大橋」とよばれた両国橋に続く橋として「新大橋」と名づけられた。 江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院が、橋が少なく不便を強いられていた江戸市民のために、架橋を将軍に勧めたと伝えられている。

202006050920530000

202006050921230000

202006050922540000



●ただいま~ ・・・・・・・新大橋を渡ると、浜町公園・清正公寺・薬研堀不動院をとおり、浅草橋へお帰り!

2020年5月29日 (金)

水戸街道

気も緩みっぱなしで、『いよいよ、規制解除が近づいた!』と自分で判断し、今日は散歩の足慣らし。 妻と我が家(浅草橋)から水戸街道を北上し京成立石駅まで歩いてきた。 8.5km、1万6千歩の散歩。




●浅草橋! ・・・・・・・浅草橋駅前から水戸街道(国道6号)を歩く、今日は晴天だ。 三密を避け、マスクをつけ、直射日光を浴びて歩きはじめる!

202005291030510000

・・・・・・・・・・・・街道に面して商売する老舗のつくだ煮屋さん鮒佐 文久2年(1862)の創業、浅草橋の地で5代、150年の歴史。、、、、江戸っ子の味は、チョイト濃いめかな? 文句なしに美味い!

202005291031440000

・・・・・・・・・・・・・・ビル(浅草橋3)の前に「メタセコイア」の木が、青空に向かい高くまっすぐ伸びている。 このビルを建てた記念に植えられたものだそうだ。 ビルの階数から推定すると、木の高さは30mぐらいありそうだ、“都内最大級”らしい。

202005291034530000

202005291035430000



●蔵前! ・・・・・・・・江戸通り(=水戸街道)と蔵前橋通りが交差する蔵前一丁目交差点の角(浅草橋3-20)、植え込み前に説明板がある。 説明板には『 天文台跡   台東区浅草橋三丁目   この地点から西側、通りを一本隔てた区画(浅草橋3丁目21・22・23・24番の全域及び19・25・26番の一部)には、江戸時代後期に、幕府の天文・暦術・測量・地誌編纂・洋書翻訳などを行う施設として、天文台がおかれていた。天文台は、司天台(してんだい)、浅草天文台などと呼ばれ、天明二年(1782)牛込藁店(わらだな 新宿区袋町)から移転、新築された。正式の名を「頒暦所御用屋敷」という。その名の通り、本来は暦を作る役所「天文方」の施設であり、正確な暦を作るためには観測を行う天文台が必要であった。 その規模は、「司天台の記」という史料によると、周囲約93.6m、高さ約9.3mの築山の上に、約5.5m四方の天文台が築かれ、43段の石段があった。また、別の史料「寛政暦書」では、石段は2ヶ所に設けられ、各50段あり、築山の高さは9mだったという。・・・・・・・』と標されている。、、、、天文台は明治2年まであったそうだ、浅草橋は天文学拠点だった。 悲しいかな、今は望遠鏡で隣の家を覗く住人ばかりなり!

202005291037530000

202005291037330000



●駒形! ・・・・・・・・厩橋交差点の「東京厚生信用組合 浅草支店」(台東区駒形1)は、昭和5年(1930)に竣工したチョイト歴史ある建物。

202005291051160000

・・・・・・・・・・・・浅草駒形の老舗駒形どぜう」(台東区駒形1)の創業は1801年。 徳川11代将軍、家斉公の時代。 水戸街道は今も昔も、浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、多くの参拝客が立ち寄った店である。 今は、コロナ対応で「柳川弁当」、「蒲焼き弁当」などを店頭販売している。 もちろん店内では通常の料理を食すこともできる。、、、、只今11時、チョイト昼食には早すぎる、又の機会にする。 

202005291055170000

202005291056130001

・・・・・・・・・・・・駒形橋から望むスカイツリー、、、、青空に映える雄姿!

202005291101500000



●通過! ・・・・・・・・浅草駅・浅草寺・雷門周辺はこのブログでも毎度おなじみ、今日はスタコラサッサと通過する。

202005291108180000



●言問! ・・・・・・・・・・正面にスカイツリーを眺め言問橋を渡る。、、、、頭上、真上からの直射日光は私達夫婦の顔を一遍に日焼けさせ、赤ら顔となる。 暑い、暑い!

202005291125070000

・・・・・・・・・・・・言問橋の東詰めに牛嶋神社(墨田区向島1)がある。 前を素通りするわけにはいかず、チョックラお立ち寄り。、、、、昭和7年(1932)、関東大震災後の隅田公園の整備にて、桜橋近くの隅田川東岸にあった神社を公園の北側に移された。 昭和20年(1945)の東京大空襲により神楽殿は焼けたが、本堂はじめその他の建物は一部被害を受けたものの無事で,昭和7年移転以来のものである。、、、、境内の撫牛は、江戸時代から知られているもので、自分の体の悪い部分をなで、牛の同じところをなでると病気がなおると言われている。 牛島神社の撫牛は体だけではなく、心も治るそうだ。 私は白内障の目を撫で、手術後の心臓付近を撫で、妻はなぜか頭を真剣に撫でた?

202005291133050000

202005291133490000



●向島! ・・・・・・水戸街道は向島の町を北上する。 向島五丁目交差点の近くに、秋葉神社(墨田区向島4)がある。 こちらにもお立ち寄り。 社伝によれば、正応2年(1289)五百崎〔いおさき〕の千代世〔ちよせ〕の森と呼ばれていた当地に千代世稲荷大明神を祀ったことを創祀とするという。 元禄年間(1688~1704)、葉栄という修験者が霊告によってこの社に参詣し、霊験を得た。 そこで寺社奉行に願い出、元禄15年(1702)、上野国沼田城主・本多正永の寄進によって社殿を造営し、秋葉稲荷両社と称するようになったそうだ。 江戸時代以来の火伏せの信仰を今に伝える神社でもある。

202005291152540000

202005291151250000

・・・・・・・・・・・・水戸街道を東武伊勢崎線が高架で越える。 その高架橋の下には「東武博物館」がある。、、、、今日は入館しないが、大人でも楽しい鉄道博物館だ。

202005291249180000

202005291252010000



●四ツ木大橋! ・・・・・東向島を過ぎると墨田区と葛飾区の境:荒川四ツ木橋で越える。 全長:507.4mの橋で、昭和27年(1952)に竣工した。、、、、橋の上は、風は爽やか、気温は暑い! コロナは居そうにない! マスクなしで歩いても平気の平左衛門!

202005291315370000

202005291317140000

202005291318150000

202005291320450000

・・・・・・・・・・・・四つ木橋を渡り、葛飾区に入り本田広小路交差点まで来た。 ここで我が妻はギブアップ! 水戸街道に別れ、京成立石駅へ向かうことにした。

202005291332110000

202005291340500000



●立石! ・・・・・・・・京成立石駅周辺は押上線高架化工事と再開発がはじまり、数年後が楽しみだ!

202005291355350000

202005291359040001

202005291404560000

2019年12月16日 (月)

排水機場は只今工事中

中川は、荒川(旧荒川放水路、昭和5年(1930)完成)の開削によって、JR総武線、京成押上線それぞれの荒川橋梁に挟まれた中間地点で流路が分断された。 荒川の西側に分断された中川(右岸は墨田区・江東区、左岸は江戸川区)は旧中川と名を変えた。 その旧中川の上流端、荒川に分断された位置に、木下川排水機場がある。、、、、今日の散歩は、『なぜ、旧中川の最上流部に排水機場があるのか?』と疑問がわき、答えを探しに行った。、、、、京成押上線八広駅から、総武線平井駅まで、1万1千歩の散歩です。




●墨田区の荒川駅? ・・・・・・荒川橋梁を挟み、葛飾区側の四ツ木駅と結ぶ、墨田区側の八広駅。 荒川の土手に至近で、ホームからは荒川橋梁も見える。、、、、駅名は大正12年(1923)の開業時から荒川駅と名乗っていた。 荒川放水路開削工事は、大正13年(1924)の岩淵水門完成によって上流から下流までが繋がり、通水が行われた。 さらにその後、関連する工事が進められ、昭和5年(1930)に荒川放水路は完成した。 つまり、駅は荒川放水路が完成する以前から「荒川駅」を名乗っていたのである。 昭和7年、荒川区が誕生した時には、“墨田区にあって荒川とは”何ぞや! チョイトもめたようだ。 その後、平成6年(1994)に地元の地名を採用し「八広駅」に変えた。

201912160749010000

201912160759030000



●神社を見下ろす土手! ・・・・・・八広駅から荒川土手沿いに下流方向へ歩くと、日枝神社がある。 慶長19年(1614)に鎮座し、この辺りを開墾した元木之下村の氏神様である。 境内には摂社として木下稲荷神社が祀られている。

201912160807080000

201912160808330000

・・・・・・・・・・・・境内に、この地が0メートル地帯であることを示す表示があった。 神社の前は荒川土手、チョイト上ってみたら、3階建ての家を見下げるほどの高さ、高~~い! 自分は高所恐怖症、チョイト足がすくむ高さだ!

201912160806160000

201912160813580000

・・・・・・・・・・・・・・対岸の葛飾区東四つ木を結ぶ木根川橋。 両端とも主要道と接続していない木根川橋は地元密着型の橋で、大型車両は通らず、都心に在って他と違う雰囲気がある。

201912160816130001_stitch

201912160816570000



●只今工事中! ・・・・・・・荒川右岸の土手上から見える木下川排水機場(きねがわはいすいきじよう )。 毎度のことだが、木下川排水機場の下調べもせずに飛び出してきたので、排水機場は只今、耐震工事の真っ最中で立ち入り禁止。 工事関係者以外は誰も居らず、排水機場の機能・能力などを説明は河川事務所(江東区大島)に行って聞いてくれとの返事。 どうやら、自分の知りたかった『なぜ、旧中川の上流部に排水機場があるのか?』の疑問に応えてくれる人はいないようだ!、、、、帰宅後、自分の調べでは、、、、旧中川は墨田区・江東区の0メートル地帯にあり、この地は戦後急激に地盤沈下し、現在では海水面より低くなっている。 そのため、周囲を流れる荒川・隅田川の水位に比べると、一番低い処にあるのが旧中川だ。 0メートル地帯に降った雨は旧中川に流れ込む、しかし旧中川の水は外に流れる出ることがないため、強制的に24時間ポンプで排水を行い、東京湾の干潮位より1m低い水位を保っているらしい。 また、旧中川とそれに繋がる、小名木川・横十間川などの運河は、勾配がなく巨大な池のようでもある。 つまり、旧中川には上流も下流もないから、荒川に近いこの位置(旧中川の上流端)で排水を行っている。 下流端には荒川ロックゲートと云う大きな閘門がある。
201912160848530000

201912160903130000

201912160927410000

・・・・・・・・・・・・・・木下川排水機場前の荒川土手には木下川排水樋門がある。 木下川排水機場から荒川に排水する出口である。、、、、対岸には、中川が荒川開削事業で分断された位置付近に、中川水門が見える。、、、、【蛇足】「木下川」は“川”の名ではなく、昔の村名である。

201912160851210000

201912160855180000

201912160855360000



●川の中に建つ住宅! ・・・・・・木下川排水機場の南側、分断された旧中川の跡地に建てられた平井住宅。 昭和58~59年(1983~1984)に建てられた、7棟(210戸)の公務員用集合住宅である。 川の蛇行に合わせ、建物も緩やかにカーブしている。 ちなみに、建物の標高は海抜0m。

201912160918560000

201912160920130000



●癒されるね! ・・・・・・・穏やかに流れているのか? それとも、流れは止まっているのか? 静かな水面に水鳥が遊ぶ旧中川。 川の両岸は公園として下流へ続く。、、、、今日の天気の下で、両岸とも心地よく歩ける遊歩道となっている。 私も、平井橋まで川沿いを歩いてきた。

201912160933280000

201912160939390000

201912160953090000

201912161016510000



●お帰りは平井から! ・・・・・・旧中川の平井橋からは総武線平井駅はスグソコ!、、、、電車に乗ってしまえば、我が家までは15分。

201912161027370000

201912161034040000

より以前の記事一覧