江東区

2021年5月29日 (土)

23区内最小の客数

予約しました 待つ日が長い 早く刺してよ 長い針、、、、まだワクチン接種していないので、不要不急の外出避けて、チョイト内緒で散歩する。

土曜の今日は電車もすいてるので、都営浅草線宝町駅から八丁堀、中央大橋(隅田川)、佃島、相生橋(隅田川)、東京海洋大学をとおり、JR京葉線越中島駅まで歩いてきた。 1万1千歩




● 前は東銀座、後ろは日本橋、中に挟まる「宝町駅」。 オフィス街の駅だが、今日は土曜日で、さらに在宅勤務もあり、乗降する人は少ない。、、、、改札から地上に出るまで、100段くらいありそうな真直ぐな階段を上る、息はゼイゼイ、辛い!!

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鍛冶橋通りを八丁堀へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・頭上にも足下にも首都高、首都高に上下を挟まれた「弾正橋(だんじょう ばし)」。、、、、橋名の由来は、ここに江戸町奉行:島田弾正の屋敷があったことによる。、、、、明治時代まで、弾正橋は木橋であった。 明治11年(1878)、弾正橋は鉄橋に架け替えられることになった。 それが、我が国初の国産鉄骨橋梁で、当時の工部省赤羽製作所が製作した、全長 15.2m、全幅 3.0m の小さなトラス鉄橋であった。 しかし、これが日本の近代工業化の始まりを告げる橋となった。 その鉄橋は、深川富岡八幡宮の東側の遊歩道に、八幡橋と名を変え現存する。、、、、現在の弾正橋は、大正15年(1926)に鍛冶橋通りの拡幅開通に伴って架設された。

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・・・・・・・・・・・・中央区八丁堀の桜橋交差点角に立つビル(現在は小諸そば店)。 昭和5年(1930)の建築。 さりげなく静かに残っているという感じのシンプルなビル。 戦前は「櫻橋ビル」、戦後は「石井電気店」であった。

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・・・・・・・・・・・・こちらは、八丁堀3丁目に残る関東大震災の復興小学校である「旧東京市京華尋常小学校」。(ちなみに、雅万歩が卒業した「京華中学・高等学校」(文京区)とは無縁)、、、、曲面構造が印象的な建物で、昭和4年(1929)完成、設計は東京市、施工は銭高組。 現在は、「京華スクエア」として、早稲田大学の社会人学校になっている。、、、、捕物帖に登場する八丁堀の与力・同心が住んでいたのはこのあたりである。

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● 地名となった「八丁堀」は何処にある?、、、、残念ながら、昭和の時代(60年頃)に八丁堀と称していた桜川が全て埋め立てられ、その堀跡の一部は「桜川公園」となった。 公園に立つと、若干、周囲の道路面より低く、『ここに堀があったのだ!』と偲ばれる。

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・・・・・・・・・・・・桜川公園の片隅に「入一観音菩薩・入一地蔵菩薩」がある、、、、“入一”とは、現地名の“入船一丁目”の略であろう。 三体の内のどれかは不明だが、この内の一体は、ここにあった桜川を埋め立てた際に、廃仏毀釈で川に投げ込まれたものらしい。 その川底から出土した石仏だ。 現在管理は町内会で行っているそうだ。

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● 「南高橋」で亀島川を越え、西へ向かうと「中央大橋」を渡り、隅田川を越えて佃島に入る。

・・・・・・・・・・・・南高橋、、、、明治37年(1904)に架けられた旧両国橋の中央径間を転用した橋。 土木学会選奨の土木遺産。

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・・・・・・・・・・・・中央大橋は、平成5年(1993)8月26日(レインボーブリッジと同じ日)に竣工した、橋長 210.7m、幅員 25.0mの二径間連続鋼斜張橋。 設計はフランスの会社で、デザインには日本の「兜」を意識した特徴的な意匠が施されている。 橋桁製作は石川島播磨重工業横浜工場。、、、、白い主塔のデザイン、シンプルで良いね!

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佃島では、島の東側に並ぶタワーマンションの下を歩き、「相生橋」で隅田川を渡り、越中島に向かう。

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・・・・・・・・・・・・相生橋、、、、、中央区佃と江東区越中島を結ぶ相生橋(あいおいばし)は、明治36年(1903)に架けられた。 大正8年、大正12年、大正15年と連続的に改修された。 しかし、その後の老朽化により、平成10年(1998)に現在の橋長 149.1m、幅員 22.0m、3径間鋼トラス桁橋の相生橋に架け替えられた。、、、、武骨なトラスで、一見して頑丈そうな橋である。

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・・・・・・・・・・・・相生橋を渡り、「東京海洋大学 越中島キャンパス」(旧東京商船大学)の前に出るが、コロナ禍によりよそ者の構内立入禁止! 残念だが、正門前を素通り。

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● 東京海洋大学越中島キャンパスを真中で二分割するように「越中島通り」があり、その地下にJR京葉線の「越中島駅」がある。、、、、ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。 改札口は1ヶ所のみで地下1階にある。 3ヶ所の出口はいずれも、大学キャンパスの前であり、なんとなく大学専用の駅という雰囲気だ!、、、、駅周辺には大学以外は目立った施設もなく、さらに近くには便利な門前仲町駅・月島駅・豊洲駅があるため、東京海洋大学専用駅で『お客様の大半は学生』と思える。 令和元年(2019)度の1日平均乗車人員は5,910人である。 東京23区のJR駅の中では最も利用客数が少ない駅である。 もちろん、駅には売店なし!(自販機はあった!) 

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2021年5月15日 (土)

蔵前橋通りを東へ

“コロナ自粛”で散歩の機会は減り、足は退化、腹は肥大、脳は劣化、家でゴロゴロ、身体に良いわきゃナイヨ!、、、、今日は、我が家から「蔵前橋通り」を東へ、ひたすら歩いてみた。 しかし、新小岩で足が痛み、散歩はココまで! (1万5千歩、8km)

・・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは文京区の湯島から、千代田区、台東区、墨田区、江東区、葛飾区を経由し、江戸川区の市川橋手前の国道14号(千葉街道)との交差点までの都道315号の通称。 JR総武線の北側に並行して通っている。




● 我が家(浅草橋)から徒歩2分程で、「蔵前橋通り」に面して鎮座する鳥越神社に出る。 ここから今日の散歩が始まる。、、、、何か良いめぐり逢いでもあるように祈願し、散歩に出発!

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・・・・・・・・・・・・神社の境内一隅に、こんな石碑がある。 正面に「土地区画整理測量基本標」と刻まれた、オベリスク型形の石塔。 側面には、この地点の緯度・経度「東經 百三十九度四十一分十九秒九一 北緯 三十五度四十一分三十六秒〇二」が刻まれていた。 また、反対側の側面には、大正12年に発生した関東大震災の後の土地区画整理のために置かれた旨が刻まれていた。 この石碑を起点に、土地区画整理事業が進められたようだ。 ちなみに、蔵前橋通りは関東大震災後に整備された幹線道路である。

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● 蔵前警察署前を通過し、蔵前橋を渡り、墨田区に入ると、東京都慰霊堂(震災記念堂)のある横網町公園。、、、、元気よく、スタコラサッサと通り過ぎていく!

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● 今は暗渠化され親水公園となった大横川に架かる「法恩寺橋」(大正14年(1925)架橋)を渡る。、、、、橋の先には、橋名となった法恩寺への参道がある。 スカイツリーを背にして参道正面に本堂が見える。、、、、四ツ目通りとの交差点には、オリナスという超高層ビルがある。 オフィスとレジデンス、商業施設からなる複合施設で、元々ここには、時計のセイコー(精工舎)の工場が明治26年(1893)から平成9年(1997)まで、100年以上あった。 最盛期には従業員約3,000人が働いていたそうだ。

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横十間川天神橋で渡り、墨田区から江東区に入る。、、、、亀戸天神の参道を横に見ながら通過。、、、、明治通りとの交差点も通過。 チョイト暑くなったきた。 上着を脱ぎたい、邪魔だ!、、、、東武亀戸線を越える。

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旧中川に架かる「江東新橋」を渡り、江東区から江戸川区に入る。、、、、蔵前橋通りは、JR総武線平井駅前を抜けて、平井大橋に向かう。、、、、この辺で、コロナで体力が落ちた私の足が痛みだす。 『散歩を平井で止めるか、もう少し歩くか、それが問題だ!』自問自答しながら、前を歩く可愛い娘につられ平井駅を通り過ぎる!

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荒川に架かる「平井大橋」、手前は江戸川区平井、対岸は葛飾区西新小岩。、、、、江戸川区側の河川敷にはポピーが真っ赤な花を咲かせてる。 痛い足で河川敷に降り、花を見ながらしばし休憩!

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・・・・・・・・・・・・平井大橋を渡ると、新小岩駅に近い「新小岩陸橋」がある。、、、、足が痛い、今日はココまで! 駅に向かう。

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新小岩駅に到着!、、、、駅前は賑やかだ! “密”を避けて電車に乗ろう!

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2020年12月17日 (木)

コロナ避けて平井まで

“3密”を避け、浅草橋の我が家から、歩く人も少ない「蔵前橋通り」を東へ歩きJR総武線の平井駅まで、1万4千歩の散歩です。

・・・・・・・・・・・・・「蔵前橋通り」は、文京区本郷の順天堂病院の北で国道17号(本郷通り)から東に伸び、末広町交差点、蔵前橋、亀戸天神の前を通り、旧中川、荒川を渡って、江戸川区西小岩1丁目で奥戸街道に接続する路線。 その先、奥戸街道をそのまま進むと、市川橋の手前で国道14号(千葉街道)に接続する。 今日、散歩した鳥越神社前から平井駅前まで(約5.5km)は、都道315号御徒町小岩線の一部である。




● 我が家から北に歩いて4分程で、蔵前橋通りに面する「鳥越神社」前に出る。 “道中の無事”と“コロナ撲滅”を願い手を合わせる。 どうも、“コロナ撲滅”の願いは、賽銭が少ないのか、いつまで経っても願いは叶わない!

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● 蔵前一丁目交差点で江戸通りを横断し、家を出発して25分経過、蔵前橋を渡り墨田区に入る。、、、、隅田川の空は晴天、風はなし、気温は寒し、私の懐も寒し!

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● 蔵前橋を渡ったら、チョイト、震災・戦災の犠牲者を悼む東京都慰霊堂にお立ち寄り。、、、、ついでに、厠にもお立ち寄り、冷えると回数も多くなるんです! いずれは、オムツのお世話になりそうだ!

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●東京都慰霊堂前の清澄通り、冷え冷えの寒さの中、小学生が集団登校する。 時刻は朝8時、20人程の元気な子供たちだ!

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● 蔵前橋通りは錦糸町の町の手前で、大横川に架かる法恩寺橋を越える。、、、、現在、大横川は暗渠化され川底は親水公園となっているが、大正14年(1925)に竣工した震災復興橋の法恩寺橋は健在である。、、、、橋長32.8mのアーチ型ラーメン橋台付き鋼桁橋

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・・・・・・・・・・・・法恩寺橋を渡ると、橋名となった日蓮宗の寺院「平河山法恩寺」がある。、、、、法恩寺は長禄2年(1458)大田道灌が江戸城を築城時、丑寅の方角に城内鎮護の祈願所として建立された。 境内には、大田道灌の墓や平河清水稲荷大明神、鐘楼三重塔などがある。 現住所の“太平”は、太田道灌と平河山法恩寺の頭文字から命名された。 蔵前橋通りから入る参道沿いには、4か寺の子院が並んでいる。、、、、本堂の後ろからは、日蓮上人に変わりスカイツリーが参拝人を見下ろしているような寺だ!

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● スカイツリーを正面に見る「タワービュー通り」、錦糸町駅前を通る「四ツ目通り」を過ぎ、横十間川に架かる「天神橋」(橋を渡ると江東区)を渡り、亀戸天神にも寄って行く。、、、、学問の神様:天神さまに、是が非でも年末ジャンボ一等当選が叶うよう手を合わせてきた。 これで、年明けには億万長者になっているかも? その折はブログ『雅万歩』は静かに終わり、私はヨーロッパ旅行で長期不在。

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● 「明治通り」との交差点を過ぎ、東武亀戸線の線路を越えると、旧中川に架かる「江東新橋」を渡る。 橋を渡れば江戸川区なり!、、、、江東新橋の下流250m程には、並行するJR総武線の橋梁が見える。

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● 江東新橋を渡ると平井駅は近い。 “3密”を避けて、鳥越神社前から歩いてきたが、「平井駅出口交差点」で蔵前橋通りから外れ、駅に向かう。、、、、駅も、電車も、空いている。 今日も、コロナに感染せずにすんだようだ!

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2020年10月27日 (火)

六地蔵の六番目?

江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が病気平癒を地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したため、京都の六地蔵に倣って造立したものである。 宝永3年(1706)に発願し江戸市中から広く寄進者を得て、江戸の出入口6箇所に丈六の地蔵菩薩坐像を造立した。 一番(品川寺、東海道)から、五番(霊巌寺、水戸街道)までは現存するが、六番(永代寺、千葉街道)は明治元年の廃仏毀釈により、像は壊され、寺は廃寺となり、この世から“永代寺”は消えた。 28年後の明治29年(1896)、永代寺塔頭であった吉祥院が永代寺の名称を継ぎ、寺を再興し現在に至っている。・・・・・・今日は、妻と共に、かつての永代寺を偲び、深川公園、深川不動堂、富岡八幡宮の界隈を歩き回ってきた。 7千歩の散歩(妻と一緒の為、昼食・甘味・珈琲でカロリーオーバー!)


・・・・・・・・旧永代寺は、寛永元年(1624)、長盛上人の開山により永代島に創建された。 当時の永代島(現在の江東区富岡)は隅田川河口にあった約6万坪の砂州で、その内、2万2千坪程が寺社地であった。 旧永代寺は富岡八幡宮の別当寺として栄えたが、明治元年(1868)の神仏分離により廃寺となった。 跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになっており、深川一帯でも指折りの広大な寺院であった。 明治元年(1868)に廃仏毀釈により、廃寺となった。 広大な跡地は富岡八幡宮に移管されたようだ。、、、、江戸六地蔵の第六番は 、享保5年(1720)に造立され、富岡八幡宮の二の鳥居(現在の大鳥居より手前で、永代通りに面していた)の右奥(私の推測では、現在の大関力士碑の東側の住宅地かも)に安置されたが、明治元年(1868)の神仏分離令により壊された。、、、、また、永代寺の六地蔵は千葉街道の守護とされているが、江戸時代の千葉街道は、永代寺の北の竪川に沿っていた。 深川からはかなり離れた処で、本所地区を通過している。、、、、なお、江戸六地蔵を発願した深川地蔵坊正元の経歴は不明だが、一説では、永代寺の境内に小さな庵を持ち、このプロジェクトを推進したと云われている。

・・・・・・・・【おまけの話①】地名「門前仲町」の“門前”は旧永代寺を指している。 深川不動堂と間違えないで!

・・・・・・・・【おまけの話②】廃寺となった旧永代寺の和尚は、その後、富岡家となり、宮司として富岡八幡宮に奉仕することになる。 変わり身の早い和尚さんか?

・・・・・・・・【おまけの話③】平成29年(2017)、富岡八幡宮の宮司姉弟の喧嘩による殺人事件が発生。 詳細は自分で調べて!




● 旧永代寺はどこにあったのか?、、、、深川公園のグランド脇に、「富岡八幡宮別当永代寺跡」の碑がある。 公園は旧永代寺庭園の一部であったそうだ。、、、、碑の傍には、日清戦争の勝利を記念して建てられた燈明台(昔の灯台)がある。 外壁には、建設資金を拠出した歌舞伎役者、魚河岸、料亭、遊廓などの名が見える。 当初は深川不動堂の境内の南東に建てられていたが、平成20年に現在地に移設した。

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● 深川公園の隣りの深川不動堂は何時から存在した?、、、、成田山深川不動堂のある処は、元は旧永代寺の寺域内である。 元禄16年(1703)に始まった成田山新勝寺の出開帳が深川不動の起こりで、旧永代寺内で行われていた。 旧永代寺は、明治の神仏分離令により明治政府から強引に廃寺とされ、七堂伽藍悉く取り壊されてしまった。 明治14年(1881)、何も無くなった地に不動堂が完成した。 これが、現在の深川不動堂の始まりとなった。、、、、旧永代寺にとっては、軒先を貸して母屋を取られたことになる。(成田山は当時の明治政府に賄賂を贈ったのか? その真相は謎!)

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● 深川不動堂の参道に永代寺がある?、、、、現在の永代寺は深川不動の門前にある高野山真言宗の寺。 富岡八幡の別当寺だった旧永代寺塔頭の吉祥院が、明治29年に永代寺に改称し、その法灯を継承した。 つまり、潰れた老舗の番頭が自分の店の名を変え、“のれん”を守ったのだ!、、、、現在の永代寺には旧永代寺、江戸六地蔵にまつわるものは残されていない。

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● 富岡八幡神社は何時、誰がつくったか?、、、、『平日の日中、大工さん』は答えにならない! 正解は、旧永代寺の長盛法印寛永4年(1627)当時永代島と呼ばれていた現在地に創建した。、、、、現在の社殿は昭和31年(1956)に造営され、鉄筋コンクリートを使用した、「重層型準八幡造り」となっている。

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● 江戸六地蔵はどこに安置されていたか?、、、、私が調べた古書によると、富岡八幡宮の二の鳥居と表門を抜け、右奥に入った処に六地蔵は安置されていた。 富岡八幡宮の一の鳥居は現在の門前仲町交差点付近にあり、二の鳥居は現在の大鳥居の手前で永代通りに面していた。 そして二の鳥居の奥に表門があった。 私のチョイトいい加減な推測によると、現在の「大関力士碑」のあたりに表門があったと思われる。 そして、さらに右奥に入った処に六地蔵は安置されていた。 これを再び推測すると、現参道の右側:大関力士碑の後ろに建つマンション風住宅群のあたりと思われる。、、、、この辺りには「深川富岡〇番館」と称するマンション風住宅が複数棟ある。 これぞ、殺人事件に発展した富岡姉弟に関連する不動産かも(?) その地は六地蔵が安置されていた場所で、旧永代寺が廃寺になると、地蔵も壊され、更地となった場所を宮司の富岡家が保有し、住宅化したものと推理した。

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● 最後に旧永代寺の江戸六地蔵はどこへ行った?、、、、壊され、川口の鋳物業者に売られ、溶かされてしまったらしい。 どこぞの寺の仏像に生まれ変わっているかも? 南無阿弥陀仏、合掌。



・・・・・・・・【おまけ】深川公園の西側に、癒しの空間が30数軒ズラリと並ぶ「辰巳新道」がある。 『仕事に疲れた主夫、家事に疲れた主婦、火事に疲れた消防士、どなたも夜になったら飲みに来て!』 『昭和レトロな飲み屋横丁で待ってます!』、、、、江戸六地蔵を語るならここで!

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2020年10月26日 (月)

六地蔵の五番目

江戸六地蔵の五番目は、江東区白川にある霊巌寺の地蔵菩薩。 浅草橋(我が家)から徒歩1時間ほどで霊巌寺に参り、その足で深川の閻魔堂にも手を合わせてきた。 1万2千歩の散歩。




● 朝7時25分、浅草橋駅前から散歩はスタート。 東日本橋駅前から清洲橋通りを行く。 幟はためく明治座前を通過。 どちらも隅田川に架かる、清洲橋通りと新大橋通りが交差する浜町交番前。 そして、正面に清洲橋が見えた!

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● 関東大震災の復興橋として、重厚かつ雄大で男性的な永代橋と対になるように繊細で女性的なデザインを意図して設計された清洲橋を渡る。、、、、清洲橋の構造は日本で唯一の自碇式チェーン吊り橋で、当時世界一美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋をモデルとした。 設計は永代橋と同じく太田圓三を中心に鈴木精一が行った。 大正14年(1925)3月に着工、昭和3年(1928)3月に竣工。 長さ186.3m、幅22m。 平成19年(2007)に、勝鬨橋、永代橋とともに、国の重要文化財となる。、、、、橋名の「清洲橋」は、当時の町名、西詰の日本橋区中洲町、東詰の深川区清住町から一字づつとって名付けられた。

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● 清洲橋を渡り清澄通りに出ると、清澄庭園を背にして、昭和3年(1928)に関東大震災の復興事業として建てられた、長屋風のコンクリート店鋪兼住宅の「旧東京市営清澄庭園店舗向住宅」がある。 建物は1階が店舗で2階が住居というもので、6軒程が一つの建物となって建ち並んでいる。 当初は東京市営で賃借だったらしいが、現在は民間に払い下げになったそうだ。、、、、各店舗ではファサードをかなり改装したものもあり、バラバラなデザインとなったが、全体的には、建設当時を偲ぶことができる貴重な建物である。

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● 清澄庭園の東側、深川江戸資料館の隣りに、浄土宗寺院の霊巌寺がある。 江戸時代は御朱印50石を賜わり、区内で最も寺格の高い寺院で、昔は18寮・8庵・11子院を持ち関東18檀林の1つとして、江戸屈指の寺院だった。、、、、寺の初めは、霊巌上人が現在の中央区新川がまだ湿地の葦原だった元和年間(1615~1623)にその地を埋め立てて霊巌島とした。 ここに一寺を建て霊巌寺と称したが、後に明暦の大火に遭い、総てが灰燼に帰し、万治3年(1660)に改めて深川の地に土地を拝領し、ここに寺を移したのが現在の霊巌寺である。 現在の本堂は昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造で建てられた。、、、、朝の山門前は、隣りの幼稚園児のお母さんがたむろし、小心者の私は恐怖を感じ本能的に“ソーシャルディスタンス”を保つ。


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・・・・・・・・・・・・本堂に向かい境内の左側に、江戸六地蔵の五番目の銅造地蔵菩薩坐像が安置されている。 この像は享保2年(1717)に造立された。 像高は2.73mで、かつては鍍金が施され、一部には金箔が残っているそうだ。 また、他の六地蔵に比べ、宝珠を持つ左手の指のうち四本の指が密着した形になっているのが特徴らしい。 丸顔のおとなしそうな地蔵さん!、、、、この像も、袈裟・蓮台・石の台座などに、造立時の多くの寄進者名が読み取れる。

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● 霊巌寺の山門前にある浄土宗寺院の長専院は、不動寺と号し、「深川の出世不動」として親しまれている。 長専院は、德川四天王の一人榊原忠次(寛文五年没1665)が開基、命誉圓壽が開祖となり霊巌島に創建、万治元年(1658)に霊巌寺とともに移転、昭和3年(1928)に不動寺を合併したと云われている。、、、、不動堂は昭和初期(昭和7年?)の鉄筋コンクリート造。

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● 長専院の南隣、浄土宗寺院の成等院には、江戸中期の豪商、紀伊国屋文左衛門が眠る墓所がある。、、、、墓所は仕切られた一画にあるが、立ち入ることが難しい、鉄扉の外からパチリ! 墓を守る有志の活動が休止しているそうで、石碑にミカンの枝が覆いかぶさり、手入れも出来ていないようだ!

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● 『深川ゑんま堂』として知られている真言宗豊山派の寺院「法乗院」にお立ち寄り。、、、、法乗院は、寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年に現在地(深川2)に移転した。、、、、法乗院の閻魔堂は昭和4年(1929)建造の鉄筋コンクリート建築。 近年には、闇魔堂が改築され、お賽銭を入れると、コンピューター制御で、堂内に照明が灯り、スポットライトが回り、願い事に応じてありがたいお言葉が流れてくるのというので、ハイテク闇魔とも呼ばれている。 現在の閻魔座像は平成元年(1989)に作られた。、、、、【蛇足】 寺では『江戸三閻魔』の一つと言ってるが、世間で言う『三閻魔』は「華徳院(杉並松の木)太宗寺(新宿)善養寺(西巣鴨)」である。 ウソついたら、閻魔さまに舌を抜かれるぞ!!

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● 散歩の最後は、閻魔堂の隣りにある臨済宗妙心寺派の寺院「陽岳寺」、、、、本堂は昭和6年(1931)の鉄筋コンクリート建築。 残念ながら、山門が閉まっており境内では見えず、道路の向かいから眺める。

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● お帰りは、陽岳寺の前からバスに乗って・・・・・

2020年8月17日 (月)

夜の亀戸線

猛暑日が続き、熱中症が恐い! 感染者が連日100人超え、コロナが恐い! どちらに罹っても、多くの人に迷惑をかけるので、散歩を自粛していた。 しかし一週間、家でゴロゴロしていると、そろそろ限界に近づき歩きたくなった。 日中の散歩は怖いので、夕方6時過ぎに東武亀戸線沿いに、亀戸から曳舟まで歩いてきた。 1万1千歩の散歩。、、、、、亀戸線沿いの散歩はこれまで何度も歩いている。 こちらを見て!


● 亀戸駅・・・・・頭端式1面2線の地上ホームは、いつ来ても、何とも言えない雰囲気がある。 私の好きな駅の一つ。

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●隣駅「亀戸水神駅」に向かう・・・・・亀戸駅と亀戸水神駅の駅間距離はわずか0.7kmだが、亀戸水神駅は暗闇の中。 

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● 次の駅は「東あずま駅」・・・・・亀戸水神、東あずまの両駅には、珍しくなった構内踏切がある。 ローカル色が残る駅!

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● チョイト読みにくい「小村井駅」・・・・・“小村井”は“おむらい”と読む。 亀戸線の途中駅、全3駅で最も乗降客の多い駅、なんと一日当たり約12,000人が乗り降りする。、、、、駅舎は明治通りに面し、出入口は1か所のみ。 駅前で待ち合わせをしても、間違えることはない、安心!

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● スカイツリーの下を走って「曳舟駅」へ・・・・・2両編成の電車は亀戸~曳舟間を約10分間隔で行ったり来たり。 

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2020年8月 2日 (日)

商店街と団地

JR亀戸駅から南に歩く、商店街・団地・商店街・団地・商店街と続き、江東区北砂の亀高橋バス停まで、1万1千歩の散歩。



● 我が家のある浅草橋駅からは、両国・錦糸町・亀戸で、3つ目の駅(所要7分)である。 コロナの感染リスクを考慮し、今日は亀戸駅東口に降り立った。、、、、亀戸駅は総武鉄道の駅として、明治37年(1904)に開業。 駅は島式ホーム1面2線の高架駅。 出入口は、亀戸天神に近い北口と京葉道路側に東口の2カ所。 北口が表玄関なら、東口は勝手口という感じ。、、、、一日平均12万人程が乗り降りする駅である。 今日は日曜で通勤・通学客も少ない。 東口は、越中島貨物線の高架下に出る。 駅前は狭く、駐輪場が動線を限定する。

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● 亀戸駅の南側をとおる国道14号(京葉道路)を横断し、「昭和橋通り」と書かれた商店街を歩く。 時刻は午前8時前、店のシャッターは何時開くのか? ひょっとすると、『昔、商店街 今、シャッター街』?

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・・・・・・・・・・・・商店街の脇に区立亀戸平岩公園がある。 公園の一角には、小さな「平岩稲荷神社」が祀られている。、、、、神社脇の由来碑には次のように記されていた。 『この地は徳川家康の家臣であった平岩家の先祖が、三河より徳川幕府に従って江戸の居を定めてから、大正の中頃まで、約300年に亘って平岩家代々の居所であった。 幕末より明治にかけて竹問屋として名を成した6代目平岩甚助の死後、昭和16年に楠にかこまれた広大な敷地内にあった1000坪の池が埋めたてられ、その一部約340坪が公園として東京市に寄付された。 その後、昭和25年に東京都より江東区に移管され現在に至る。 現存する稲荷神社は古くから祀られていたものを元の築山の上に移したものである。 平成元年11月  改修にあたりこれを記す平岩』、、、、現在の公園は、屋敷の池の1/3と云うことだ! 屋敷の広さが何となく解るね。

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・・・・・・・・・・・・昭和橋通りの南端には、埋め立てられた堅川に架かる「昭和橋」がある。 川はなくなり、頭上は首都高が走り、橋は残っても、橋としての役目は終わった。

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● 昭和橋を渡ると、西側は大島3丁目の「UR 大島3丁目団地」、東側は大島6丁目の「UR 大島6丁目団地」。 でっかそうな「UR 大島6丁目団地」に寄ってみた。、、、、大島6丁目団地は中央の広場を7棟の14階建ての建物が“コ”の字型に囲む団地。 建物は昭和45年3月~昭和46年8月に完成した7棟で、約2900世帯が入居している。 チョイト古いデータによると、平成23年(2011)の団地内の実態調査では、60歳以上の世帯主が72%、20歳・30歳代の世帯主は8%。 居住者は60歳・70歳代の合計がほぼ半数の50.1%。 当団地に25年以上住んでいる人は半数の55%にもなるそうだ。 現在は、もっと高齢化が進んでいるものと思われる。、、、、夏休みなのに、子供の声が聞こえない!


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● 大島6丁目団地を突き抜けると新大橋通り、この下には都営新宿線が走っている。 大島駅が近くに在るはずだと思い、キョロキョロ。 駅よりも「中央銀座」のアーチが目に飛び込み、駅を忘れて“銀座”に足が入っていく。、、、、中央銀座商店街は大島駅の南側で、新大橋通りと並行する商店街である。 私が入って来たアーチは商店街のアプローチ部分であった。 91店舗で構成する商店街、まだ8時半どの店舗も開店前。

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● 中央銀座を足早に抜けると小名木川にぶつかる。 昭和54年(1979)に完成した1径間鋼製箱桁の歩行者・自転車専用橋「砂島橋(すなしまばし)」を渡り、大島5丁目から対岸の北砂5丁目に向かう。、、、、川の両岸はマンション・高層アパートが並ぶ。 小名木川は江戸時代の運河で、流れは穏やかである。 

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・・・・・・・・・・・・・・ 砂島橋を渡った北砂5丁目側に「小名木川旧護岸」が残されている。 地盤沈下が続いた町を水害から守るため、度重なる護岸のかさ上げ工事が行われ、その歴史を知ることができる。

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● 砂島橋の南側は「UR 北砂5丁目団地」である。 橋を渡り、そのまま南へ向かえば団地の中。、、、、団地は、旧日本住宅公団の時代、昭和52年(1977)から、順次入居が始まった。 総戸数2809戸(10棟)の団地。 中央の広場は野球もできる程広い!

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・・・・・・・・・・・・団地内の公園でセミ採りをする兄妹がいた。 しばし忘れかけていた情景がよみがえり、思わずニッコリしていたら、女の子が虫カゴを持ってきて、二匹のセミを見せてくれた。 いつまでも仲良くね!

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・・・・・・・・・・・・北砂5丁目団地の公園の木立の中に、「我国精製糖発祥之地」の碑がある。 碑の裏面に「昭和十五年十二月十三日 大日本精糖株式会社建之」とある。、、、、小名木川両岸は東京有数の工業地区だった。 日本における最初の精製糖工場もこの地に建てられた。 明治23年(1890)、この地に建てられていた鈴木藤三郎の製糖所で漸く成功し、砂村(現:北砂)において日本で初めて純白の砂糖が誕生しました。 鈴木藤三郎は、安政2年(1855)遠江国(静岡県)に生まれ、明治17年より氷砂糖を製造した。 同22年上京し、砂村に工場を移し、同25年から本格的に精製糖の製造を開始した。 明治28年(1895)同志とともに日本精製糖株式会社を設立したそうだ。 北砂が精糖の発祥地とは意外であった。 

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● 北砂5丁目団地を抜けると、150m程南に歩くと地域密着型の商店街「砂町銀座」がある。 時刻はまだ10時前、多くのどの店も開店準備中。 お客もこれからのようだ! 私も買い物するわけではないので、商店街の東端(丸八通り)に抜けた。

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● 時刻は10時過ぎ、気温もあがり汗が出る、マスクの中はムレムレ状態、チョイト熱中症が心配になる。 地下鉄東西線の南砂町駅までは、あと30分ぐらいかかりそうだ。 まだ梅雨が明けて二日目、身体が暑さに不慣れなため、今日はこの辺で引き上げることにした。 北砂4丁目の亀高橋バス停から帰る。

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2019年12月21日 (土)

辰巳芸者はいない

東京メトロ有楽町線の辰巳駅で下車し、辰巳水門、辰巳団地を見て、JR京葉線の潮見駅まで、9千歩の散歩です。




●子牛いない辰巳駅! ・・・・・・辰巳駅(たつみえき)は東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線の駅。 昭和63年(1988)6月8日の新富町~新木場間延伸時に開業した駅。 地下3階にあるホームは島式1面2線、改札口は地下2階に1か所あるのみ、改札を出ると2か所の出口がある。、、、、一日当たりの乗降客数は3万人程で、チョイト寂しい。 ついでに、駅の周辺も寂しく、出口は団地の隅に位置し小学校と駐輪場があるのみ、コンビニ、喫茶店、ソバ屋など一切なし。 お金を使わずに自宅に帰れる、健全な町である。

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●お勉強! ・・・・・・・・ここで、チョックラ学習タイム。 辰巳駅があるのは、東京湾7号埋立地である。 この埋立地は大正15年(1926)に埋立許可が下り、戦前・戦後と埋め立てられた。 戦後の昭和43年(1968)に初めて住居表示が実施され、人が安心して住めるようになる。 7号埋立地は全て「辰巳」で1丁目から3丁目まで、1丁目は辰巳団地、2丁目は海浜公園、3丁目は倉庫・トラックターミナルなどで使用されている。 ちなみに、「辰巳」の人口と世帯数は11,265人・5,641世帯(2017年)、ほとんどが1丁目に住んでいる。、、、、辰巳の地名はお江戸の“辰巳”(東南)の方向にあるからネーミング。 “辰巳芸者”の辰巳は門前仲町で、江戸時代は“辰巳”と言えば深川のこと。



●スゲ~、タワマン! ・・・・・・・辰巳駅の前には、辰巳運河を挟み対岸の6号埋立地(東雲地区)と結ぶ「辰巳桜橋」がある。、、、、見ていると、対岸の東雲地区にあるキャナルコートのタワマンの住人が辰巳桜橋を渡り、辰巳駅に向かってくる。 東雲地区には、りんかい線の東雲駅があるのだが、橋を渡って有楽町線の辰巳駅の方が便が良いのかも?、、、、タワーマンションが立ち並ぶ景色、湾岸地区として壮観だ! 私の住む浅草橋では考えられない景色、残念ながら負けた!

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●水門と排水機場はセット! ・・・・・・辰巳桜橋から東京湾の方を見ると辰巳水門が見える。 東雲と辰巳の間にあるのが辰巳運河で、ここに昭和37年(1962)に設置された辰巳水門。 幅員11.4m×2連のローラーゲートで、運河沿いの街を高潮や津波の被害から守るのが役目。、、、、水門の左側に建設中は、新しい辰巳排水機場。 台風の襲来時、大気圧の低下により海面が上昇し高潮が発生することが多い、もし台風による高潮の侵入を防ぐために水門を閉鎖すると、内部河川が大雨で増水しても水の逃げ場がないことになり、洪水の危険が高まる。 そこで水門閉鎖時に内部の水をポンプで強制的に排水する施設が水門とセットで必要になるわけで、辰巳水門には辰巳排水機場が隣接している。 現在の排水機場(写真:左奥の赤い建物)は昭和39年(1964)完成。

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●静かすぎる団地! ・・・・・・・辰巳団地をチョイト拝見。、、、、辰巳団地は、東京23区内でも高島平団地や豊島五丁目団地に次ぐ、3番目の規模のマンモス団地である。 総戸数では3326戸(87棟)で、辰巳1丁目のほとんどを占めている。 間取りは2DK・3DK、面積は33㎡~38㎡と小さい、竣工は昭和42年(1967)~昭和44年(1969)。、、、、平成25年(2013)から建て替えに着手し、建物を14階建ての12棟に集約するそうだ。 空き地となった南側の辰巳駅周辺を再開発用地として開発する予定らしい。 まだ、建て替え完了するまで10年程は掛かるだろう!、、、、高島平団地・豊島五丁目団地に比べると、都心には凄く近く便利な処なのだが、生活の音が聞こえない団地だ。 活気がない原因は??? 

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●お客がいない? ・・・・・・・今日はJR京葉線の潮見駅から帰ることにした。、、、、平成2年(1990)3月10日の京葉線の新木場~東京間延伸時に開業。 駅開業を発端として、駅周辺は急速な集合住宅・ビジネスホテル開発が進行している。 それでも、乗降客は少ない駅だ。

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2019年12月13日 (金)

スタコラ、京葉道路

台東区浅草橋の我が家から中央区の浅草橋交差点に出て、京葉道路をひたすら東へ墨田区、江東区を抜け、江戸川区の中央二丁目交差点で曲がり、近くの大杉小学校前バス停まで、1万5千歩、約10kmの散歩です。




●何処も彼処も“浅草橋”  ・・・・・・我が家から徒歩45秒、浅草橋一二丁目交差点に台東区のコミュニティバス乗り場「浅草橋駅北」がある。、、、、ここから徒歩2分で江戸通りの下を走る都営地下鉄浅草線の「浅草橋駅」、そこから徒歩40秒JR総武線の「浅草橋駅」東口。、、、、さらに徒歩1分で神田川に架かり台東区浅草橋と中央区日本橋馬喰町を結ぶ橋「浅草橋」がある。 「浅草橋」は、江戸通り(=水戸街道)が神田川を渡る橋で、橋の全長と同じくらいの幅員を持つ幅広の橋梁である。 江戸時代初期この場所は、奥州方面から江戸中心部への入口となるため、江戸城の見附「浅草橋御門」が設置され、同時に見附橋としての木橋「浅草橋」が架けられた。 最初の橋は寛永13年(1636)頃の架橋と伝えられている。(私が誕生する以前の話で、本当かどうか知らない!) 現在の橋は大正12年(1923)の架橋で、私の母と同年で、今年で96年目(橋も母も、いまだ健在!)、、、、中央区に側に、京葉道路、靖国通り、江戸通り、清杉通りが交差する「浅草橋交差点」がある。

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●京葉道路をスタコラサッサ! ・・・・・・・・今日は10時半までの間、京葉道路をひたすら歩区ことにした。 “10時半”とは、我が家を出てから約3時間、私に疲れが出る頃だ! そして、あまり長く歩くと、靴底の減りも早く、また高価な靴を買うことになるので!

・・・・・・・・・・・・中央区の浅草橋交差点は、新宿から伸びてきた靖国通りの終点で、その延長上を東に向かう京葉道路の始点である。

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・・・・・・・・・・・・両国橋で隅田川を越える。 橋の東詰(墨田区側)には、明日(12月14日)に義士祭が行われる赤穂浪士の一人:大高源吾の「日の恩やたちまちくだく厚氷」の句碑がある。 この句は、討ち入りの夜、向島に住む俳句の師匠宝井其角と両国橋で出会い詠んだものといわれている。 句碑は昭和3年(1928)に建立されたもの。

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・・・・・・・・・・・・・・・両国3丁目の京葉道路の歩道上に建っている「本所松坂町跡」の碑。 もともとこの周辺は、吉良邸のあった本所松坂町と呼ばれていたが、関東大震災後の区画整理により町名が消えた。 この碑は「松坂町」を偲んで、昭和7年(1932)に住民によって建立された。、、、近くには、明日の義士祭・吉良祭のポスターもある。 チョイトついでに、吉良邸跡の本所松坂町公園にお立ち寄り!

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・・・・・・・・・・・・清澄通り三ツ目通り江東橋と通り過ぎ、錦糸町駅前は我が家を出てから1時間後に通過。

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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町と亀戸の間を流れる運河:横十間川を昭和44年(1969)に完成した松代橋で越えて、墨田区から江東区に入る。 亀戸駅の手前で越中島支線(JR貨物)のガードをくぐり、亀戸駅前では歩道橋で交差点を横断し、亀戸七丁目交差点で丸八通りと交差する。

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・・・・・・・・・・・・・中川新橋(平成15年完成)で旧中川を越える。 この橋を渡ると江東区亀戸から、江戸川区平井・小松川に入る。、、、、中川新橋では、大勢のユリカモメが私を歓迎してくれた。

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・・・・・・・・・・・・・・旧中川の次は、荒川越えだ! 小松川橋で荒川と中川を一挙に越える。 全長約500mの小松川橋を渡りきるのに15分を要した、長い橋だ! 歩く先には首都高が、振り返ればスカイツリーが見える。、、、、渡り終わると時計の針は10時を回っていた!

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・・・・・・・・・・・・・・署員数480名の大きな小松川警察署の前を通り、境川橋を渡る。 境川橋はその名のごとく境川に架かる橋で、昭和15年(1940)に完成した。 只今、橋の下の親水公園と共に修復中。 東小松川交差点の角には、宝くじが良く当たると評判の宝くじセンターがある。 年末ジャンボの時期である、10億円ゲットするには何処で買うか迷うね?

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・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、京葉道路の「中央二丁目交差点」(江戸川区)までとする。 時刻は10時半を過ぎ、お帰りの時刻となった。、、、、交差点角のチョイト裏側(江戸川区松江3-31)に、昭和初期に建てられたと思われる同潤会の木造住宅が、朽ちて残っている。 おそおらく、いずれ取り壊されると思うね!

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●ラッキー! ・・・・・・お帰りは、何処から乗るか? 新小岩方面に歩くと、「大杉小学校前」バス停にバスが来た。 ラッキー、これで新小岩駅に出ることにした。

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2019年10月20日 (日)

端から端まで橋の梯子

台風19号とその後の雨などで、散歩の機会を逸した十日間程である。 今日は、スカイツリーの下を流れる北十間川沿いに、両端の隅田川から旧中川まで歩いてきた。 1万3千歩

・・・・・・・・・・・・・・北十間川とは、墨田区の中央部(スカイツリーの足下)で、隅田川と旧中川を結ぶ総延長3.24kmの運河である。 川の名は、本所の“北”を流れる幅“十間”程の川に由来する。(幅18mの北十間川は墨田区では一番狭い川である) かつては大横川の分流点より西側(隅田川寄り)を源森川、東側(旧中川寄り)を北十間川と称していたが、現在は両方合わせて北十間川と呼んでいる。 源森川は材木を運ぶための掘割で、万治年間(1659~)に業平橋の北から隅田川までを繋げて堀り進めた。 しかし、隅田川の洪水で大横川沿岸が度々水害に遭うため、寛文12年(1672)には早々に堤を築いて大横川への流れを遮断した。 しかし明治になって再び水を通しています。現在は源森川は北十間川の一部です。 東部の(旧)北十間川は、農業用水として寛文3年(1663)に開削された。、、、、現在は、観光スポットのスカイツリー人気により観光客も増え、北十間川は各所で遊歩道の整備・橋の改修工事が行われている。

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●ゼロメートル地帯を守る水門 ・・・・・・・北十間川の隅田川との合流点は、水上バス浅草乗船場の前から対岸の墨田区役所の方を眺めると、首都高の下に源森川水門が見える。 この水門が北十間川の入口だ。、、、、源森川水門は、平常時、ゲートは開放されているが、台風が接近し高潮・洪水などが予測される場合は閉められ、いわゆるゼロメートル地帯に居住する住民の生命・財産を守る為に造られている。 墨田区・江東区の大部分はゼロメートル地帯で、この源森川水門、木根川水門、新小名木川水門、竪川水門、大島川水門の5つの水門で高潮・洪水から守られている。、、、、水門は、高さ7.5m、昭和34年(1959)に竣工した。 平成28年(2006)には耐震化工事も完了し、これで安心できるかな?

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●枕一つで二人寝た?  ・・・・・源森川水門の東側、墨堤通りに架かる枕橋。 昭和3年(1928)に架けられた震災復興橋。北十間川 、、、、寛文2年(1662)、中之郷(現:吾妻橋)から向島に通じる源森川に源森橋が架けられた。 またその北側にあった水戸屋敷内(現:隅田公園)に大川(隅田川)から引き入れた小さな堀があり、ここに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。 この二つの橋は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称された。 その後、堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅した。 明治8年(1875)、残った源森橋は正式に枕橋と呼ばれることとなった。、、、、現在の枕橋は昭和3年(1928)に架け替えられた震災復興橋。 コンクリート製のアーチデザインの橋であるが、石橋のように見える、デザインが素敵な橋。 街灯のレトロ感もいいね!

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・・・・・・・・・・・・・・枕橋からスカイツリーにかけて、北十間川沿いに親水テラス東武鉄道伊勢崎線の高架下には店舗・船着場を整備中。 来年のオリンピック前にはオープンするかも?

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●お名前、拝借! ・・・・・・・枕橋の次は、水戸街道に架かる源森橋。 創架年は不詳であるが、現橋は平成19年(2007)に架けられた比較的新しい橋です。 名前は明治8年に西隣りの源森橋が枕橋と改称されたのにともない、「源森橋」の名をチョイト拝借したそうだ。、、、、全長16m、幅35mの橋。

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●お口の恋人、ロッテの小梅ちゃん? ・・・・・・源森橋の東隣は小梅橋なのだが、“小梅ちゃん”は只今工事中。、、、、昭和4年(1929)に架けられた震災復興橋なのだが、昭和28年(1953)に架け替えられた。 この橋の北側と、現在の業平橋駅一帯が小梅瓦町、小梅村とそれぞれ呼ばれていた処で、旗本の隠居所や富商の妾宅があったのはこの辺りだったのか(?)、、、、現在行われている架け替え工事では、車道幅員を7mから11.8mに広げ、これまで無かった歩道を両側に整備するそうだ。 令和2年(2020)竣工予定。

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・・・・・・・・・・・・・・小梅橋の東隣(旧中川寄り)に北十間川樋門がある。 昭和53年(1978)に竣工したこの水門は、水位を調整するとともに、水質浄化もしている。 ここから大横川が分岐し、南に流れていた。、、、、現在、この樋門も耐震化工事中で、近づくことも出来ず。

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●東武の跡地にペンギンが入居! ・・・・・・スカイツリーの街の西側に架かる東武橋。 その名の通り、スカイツリーが建つ前までは、業平橋駅(現:東京スカイツリー駅)前の東武鉄道本社前に架かっていた橋。 現在の東武鉄道本社は400m程東に移転し、跡地にはスカイツリータウン(水族館)が建っている。、、、、東武橋は昭和初期に架けられたが、現在の橋は昭和63年(1988)に架け替えられた全長19.7m、幅22mの橋。

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●インスタ映えする撮影スポット! ・・・・・・・北十間川に架かる最も新しい橋は、スカイツリーの直下に架かる「おしなり橋」。 車は通行できない(自転車は可)人道橋。 スカイツリー開業時の付近の再開発事業で誕生した、長さ18.2mの橋。 橋上から見上げて見るスカイツリーはド迫力である。 それゆえ、橋上は観光客の撮影スポット。

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●京成の本社は都落ち? ・・・・・・スカイツリーの街の東側に架かる京成橋。 こちらは、スカイツリータウンの東側で、押上駅の出口前に京成電鉄本社ビル(現:京成ビル、ホテル、スーパーなどが入居)があった。 スカイツリーの完成に合わせ本社は本八幡(千葉県市川市)に移転した。 その旧京成電鉄本社前に架かる橋が京成橋。 昭和4年(1929)の架橋。、、、、この橋も只今補修工事中。

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●静かになった橋の上 ・・・・・・・・・・・・・京成橋からさらに東へ行く、西十間橋がある。 長さ21m、幅10m、平成元年(1989)7月竣工。、、、、スカイツリー工事中の時は、この西十間橋と次の十間橋は逆さツリーが撮れる格好の撮影スポットで、連日、アマチュアカメラマンで橋の上はイッパイであった。 時の経つのは早いもので、スカイツリーが完成して既に7年経過、橋の上にはあの当時の賑わいはなし。

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●634×2=1268m? ・・・・・・西十間橋の次は十間橋。 業平5丁目と文花1丁目を結ぶ橋で、昭和14年(1939)に架けられた橋。、、、、橋の上では、日本人ではなく外人がスカイツリーを撮っていた。、、、、工事中の頃は、実物と川面に移るスカイツリーが一つの写真に写り込んだが、今は広角レンズでないと撮れない、チョン切れ写真となってしまう。 高さ634m×2倍=1268mの撮影は無理だ! 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・北十間川はこの橋のすぐ東で、写真左へ流れる横十間川とつながっている。

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●見晴らし良し! ・・・・・・横十間川との分岐部の東に、北十間川と浅草通りに架かる大きな歩道橋がある、その名は柳島歩道橋。 ここからの景色は絵になるね!、、、、写真は、歩道橋全景、歩道橋から隅田川(スカイツリー)方向を見る、同じく旧中川方向を見る。   

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●殺人事件の現場か? ・・・・・江東区亀戸3丁目と墨田区文花1丁目・2丁目を結ぶ境橋。 長さ17m、幅8mの橋で、昭和49年(1974)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・・境橋の南詰に小さな祠:祐天堂がある。 祐天堂は、元禄時代、祐天上人が旅の途中で、堂の後ろに流れる北十間川を見ると多くの水死者があり、その屍を救い上げこの場所に葬り供養し堂をたてたと言われている。、、、、なぜ、多くの水死者が出たのか不明だ! 大量殺人事件かも?

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●ふりむいてほしいね! ・・・・・・・・墨田区文化2丁目、石鹸の「花王すみだ事業所」の近くに福神橋が架かっている。 橋上は明治通りが通る。 橋長21.30m、幅22.00m、昭和58年(1983)竣工。

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・・・・・・・・・・・・・・橋上からスカイツリーを見ると、いいね! 写真右端の建物は「花王」。、、、、“花王”といえば、エメロンシャンプー。 エメロンシャンプーといえば、ハニー・ナイツが歌たうCMソング「ふりむかないで」。 この歌、昭和40年代の歌、私の好きな歌。 歌詞 ♪♪ 泣いているのか 笑っているのか うしろ姿の すてきなあなた ついてゆきたい あなたのあとを ふりむかないで 東京の人 ♪♪ 歌は最高、CMに登場した女性は可愛い娘だった! 時代は変わり、今では物陰で、ストーカーの歌と噂されているらしい。 

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●チョイトだけよ! ・・・・・・北十間川を渡る亀戸線の橋梁。 只今、隣りの小原橋が工事中で、東武亀戸線北十間川橋梁の全景が見えず、残念!、、、、昨年撮影した北十間川橋梁はコチラ!

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●端の橋で終わり! ・・・・・・・東武亀戸線北十間川橋梁のすぐ横に、小原橋があるが、只今架け替え工事中。 その頭上には丸八通りの新小原橋(車道専用)が通っている。、、、、ここが、北十間川で最も旧中川寄りの橋。

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・・・・・・・・・・・・・・旧中川と北十間川の合流点。 左から北十間川、右から旧中川が流れてくる。

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