江東区

2025年4月24日 (木)

藤まつり

江戸時代から続く都内随一の藤の名所「亀戸天神」の「藤まつり」は、今週が見頃と聞いて今年も夫婦でチョイト見てきた。、、、、、亀戸天神には、現在は50株以上の藤が植えられ、花の紫の姿と甘い香りで多くの人々を惹きつけている。 (去年の「藤まつり」はコチラ!



● JR総武線亀戸駅から、駅前の商店街を歩いて亀戸天神へ向かう。 時刻は午前10時過ぎ、まだ人出は少ないようで歩く人も少ない。
2504241011210
2504241016210



● 今年も飽きずに来ました! 境内には多くの参拝者の姿が見える。 鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、修理中の社殿前の行列に並び、まずは二礼二拍手一礼。 
2504241025480
2504241026280
2504241031190


● 祭神に手を合わせた後は、ゆっくり藤の花見。 
2504241030000
2504241046040
2504241046150
2504241048240
2504241049030
2504241051450
2504241052020


・・・・・・・・・・ 藤に紛れて、珍しい花が咲いていた。 花の名は「なんじゃもんじゃの木」。 正式名は「ヒトソバダゴ」である。 自生している処は、国内数か所らしい。 6月下旬ごろに白く細い筒状の花が木全体に群がって咲くそうだ。 境内で一本だけ咲いていた。
2504241045100
2504241044510



くず餅で著名な老舗の和菓子店「船橋屋」も、行列ができてた。 『行列待ちはイヤダ! 今日は諦めよう!』
2504241055590



● 亀戸天神からは、隣駅の錦糸町駅に向かって歩く。

・・・・・・・・・・ 横十間川に面し亀戸二丁目団地を背にして東京都水道局の「
亀戸給水所」がある、その南西角に黒色の石碑「日清紡績創業の地」が建っている。 碑文には以下のとおり記されていた。 『日清紡績株式会社は明治40年1月創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地2万余坪に、最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。最盛期には、紡機107,800錘、織機360台を擁した本工場は、昭和16年軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、45年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。 この間明治43年、大正6年、昭和13年の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正12年には関東大震 災に逢ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。 昭和20年大戦下の空襲により焼 土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。偶々昭和42年東京都浄水場、日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。 今般この地に記念碑を建立し会社 創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共にした多数従業員各位の功績を偲ぶ ものである。   日清紡績株式会社   昭和46年、、、、、日清紡は現在、綿紡績としては国内最大手の企業だが、紙製品・自動車ブレーキ部品・エレクトロニクスなどの分野に事業を拡大しているそうだ。
2504241100260


・・・・・・・・・・ 日清紡跡の碑の斜め前に、もう一つ石碑がある、「亀戸銭座跡」である。、、、、、江戸時代の寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間、一時休止した時期もありましたが約100年間、ここで寛永通宝という銭貨が作られていた。 その後、明治40年(1907)に日清紡績の本社工場が建設された。、、、、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の亀戸2丁目団地が建設されたが、 その際、寛永通宝が多数発見されたそうだ。 写真は、亀戸銭座跡の石碑と亀戸2丁目団地。
2504241101000
2504241101520



錦糸町駅に到着、これより昼食・買い物をして帰ることにした。
2504241159110

2025年2月 6日 (木)

寒い 寒い 大寒い!

2月に入り、最強・最長寒波の到来。 この寒さで、私は予約したクリニックには行かざるえないが、あとは終日家に籠ってテレビにゲーム。 家に籠っていては体力が落ちると思い、今朝は散歩に出てみた。、、、、京成押上線の高砂方面に向かうつもりで家を出たが、今朝の外気は気温2℃風も吹き付け、寒い寒い大寒い! 遠くに行くのは止めた! 京成曳舟で降り亀戸まで、寒中の散歩。 9千歩



● 朝8時、通勤通学客がゾロゾロ歩く京成曳舟駅で乗り降りする。 『この寒い日に通勤通学は大変だ、ズル休みしちゃいなよ!』と声をかけたくなるね。、、、、駅の上下線の高架化が完成したのは平成27年(2015)、10年前に高架駅となったが、いまだ駅前の整備は終わっておらず、広い駐車場となっている。
2502060746440
2502060749550
2502060751150
2502060751460



● 京成曳舟駅から、木造住宅密集地域として名を馳せた京島地区を、北から南へクネクネと曲がり抜ける2車線道路を歩く。、、、、駅へ向かう人の姿は寒そうだ。 若いカップルも手はつないでいるが、無口、早足。 
2502060753550
2502060755300
2502060801450


・・・・・・・・・・ もちろん早朝なので営業はしていないが、墨田区京島3丁目に「電気湯」という名の銭湯がある。 大正11年(1922)の創業だそうで、今年で103年目、銭湯の老舗である。 開業当時は電気で沸かしていたから「電気湯」というらしい。 今はガスで沸かしている「電気湯」。、、、、営業してれば、チョイト温まってゆきたいこの寒さ!
2502060759070
2502060758420


・・・・・・・・・・ 下町の元気な商店街「キラキラ橘商店街」をとおる。 この商店街は90店舗程が営業している、その中でも食料関係の店が多く、地域の台所となっている。 関東大震災・東京大空襲等の被害から奇跡的に難を逃れた為、古くから地域の皆様に愛される商店街である。、、、、朝8時、商店街は通学路。
2502060804250
2502060805410
2502060813280



東武亀戸線の小村井(おむらい)の踏切を渡り、「香取神社」へ向かう。、、、、2両編成の電車は通勤通学客で混んでいる。
2502060822450


・・・・・・・・・・ 小村井の「香取神社」は旧小村井村の鎮守で、平安時代末期、下総国香取郡から開拓のために移住してきた6軒の人々が香取神宮の分霊を勧請したと言われてる。 経津主大神を祭神とする。 現在の社殿は、昭和29年(1954)の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋流れ造りの総桧造り。、、、、江戸時代、当神社の東側には江戸近郊の梅の名所として知られた小村井梅園があった。敷地は約3,300坪で、築山・池・多数の名石を組んだ庭園に紅梅白梅が咲き乱れ、毎年梅の盛りには将軍の御成りもあったという。しかし、残念なことに明治43年(1910)の大水で廃園となった。 この小村井梅園を偲び、平成6年(1994)境内に梅が植えられ小さな梅園が開設された。 既に一部の木には花が咲いてる。 節分も過ぎ、まもなく春だ!
2502060834510
2502060832310
2502060830090
2502060830440



● 明治通りに架かる
福神橋」(昭和58年架橋)を渡る。 橋は全長21.3m、幅22mで、墨田区立花と江東区亀戸を結ぶ。、、、、橋から東京スカイツリーが良く見える!、、、、空は青空、風はビュービュー、寒い寒い!
2502060846100
2502060845100



●明治通りを歩きJR総武線亀戸駅に到着。 今日は寒い、早く帰って暖まろう!
2502060903130
2502060916550
2502060921050

2025年1月22日 (水)

南砂町から亀戸へ

東京メトロ東西線の南砂町駅からJR総武線の亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。


● 今日は、昭和44年(1969)3月29日に開業した「南砂町駅」から散歩を始める。、、、、これまでの南砂町駅は島式ホーム1面2線の地下駅であった。 全国ワースト混雑率の東西線、その抜本的な輸送力増強策の一つとして、南砂町駅の島式ホーム2面3線化工事が進められている。 当初は2020年度完成の予定でしたが、現在は2027年度予定に改められ工事中。

・・・・・・・・・・ 朝の西船橋方面行の電車は、さほど混まずに南砂町駅に到着
2501220806480
2501220800580


・・・・・・・・・・ 大手町、中野方面行の電車は超満員状態で到着
2501220803450
2501220801500
2501220802149


・・・・・・・・・・ 部分的に新しくなった、改札口、出入口をとおり地上に出る。、、、、工事はまだまだ続く!
2501220812300
2501220815380



● 南砂町駅から北へ600m程歩くと、「仙台堀川公園」がある。、、、、仙台堀川公園は、小名木川(おなぎがわ)から分流し大横川に合流する仙台堀川に沿った全長約3.7㎞の公園。 “仙台堀” は、堀に沿って仙台藩伊達氏の蔵屋敷があったことに由来する。 仙台堀川の多く部分を埋め立てて造られた親水公園で、規模は都内最大の親水公園である。、、、、公園は川沿いに遊歩道が続き、ところどころにはベンチもあり、のんびり散歩が楽しめそうだ!
2501220836420
2501220839450
2501220844420


・・・・・・・・・・ 公園の一画に「旧大石家住宅」が保存されている。、、、、旧大石家住宅は、江東区で一番古い民家で、建てられたのは江戸時代後期で、半農半漁の典型的な住宅建築と言われている。、、、、現在は地元の人たちがボランティアで維持管理しているそうだ。
2501220851010



● 旧大石家住宅から北西に700m程の処(江東区北砂4)に、真言宗智山派寺院の「持宝院」がある。 持宝院は薬光山と号す、創建年代は不詳であるが、寛永3年(1626)とも元亀・天正年間とも言われてる。 ピンクと白の本堂は遠くからも目立つ!

2501220928250
2501220919220



● 下町の商店街「砂町銀座通り」の裏に「亀高神社」がある。、、、、亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624~1644)に五穀豊穣祈願の為に創建された。 昔の“亀高新田村”の地名を残す鎮守さま。 寛保元年(1741)には将軍徳川吉宗が白馬(?)にまたがり、鷹狩でこの地に訪れた際に参拝したそうだ。、、、、昭和43年に現在のコンクリート社殿が完成した。
2501220929450
2501220932150



● 亀高神社から砂町銀座を横切って、600m程北へ向かうと小名木川にぶち当たる。 「進開橋」で小名木川を渡る。、、、、進開橋(しんかいばし)は、昭和42年(1967)に架橋された。 橋上には都道306号線(明治通り)が通る。 橋長:44.1m、幅員:22.0m
2501220953580
2501220954580
2501220955340



● 進開橋を渡ると、明治通りを北へ真直ぐ歩けば、都営新宿線の西大島駅をとおり、堅川に架かる五の橋を渡り、JR総武線の亀戸駅に到着。
2501221003030
2501221012140
2501221023160


・・・・・・・・・・ 亀戸駅から我が家の最寄り駅:浅草橋駅までは3駅、7分。 車中では、チョイト疲れても、座席に座らず、立ってるぞ!
2501221029530
2501221034060

2024年12月24日 (火)

閻魔さまとお不動さま

のんびり我が家(浅草橋)から深川の不動堂まで、年末の御礼詣りに行ってきた。 1万歩の散歩

● 朝9時45分、浅草橋の我が家から歩きだす。、、、、浅草橋駅周辺の人形屋では、クリスマスは飛ばして、雛人形が既に店頭に並んでいる。 季節の先取りかな? 
2412240943060
2412240946340



● 神田川に架かる浅草橋を渡り台東区から中央区に入る。、、、、浅草橋交差点にある、昭和4年(1929)建築の、装飾付タイル張りの古風なデザインがイイ感じの「玉置文治郎ビル」、1階は老舗の玉置薬局。 外壁のスクラッチタイルの装飾もイイ、1階から3階アーチ窓までの縦の並びもイイね!(一見は百聞に如かず)
2412240948470
2412240951500



● 10時、都営浅草線の東日本橋駅前を通過。、、、、近くの薬研堀不動院(川崎大師東京別院)にチョイト立ち寄る。 薬研堀不動院は、天正13年(1585)豊臣秀吉による根来攻めに際して、根来寺の大印僧都が不動尊像を背負って東国へ逃れ、当地に創建したと伝えられている。 境内には、順天堂の始祖と仰がれている佐藤泰然(たいぜん)が、天保9年(1838)に和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所と記した「順天堂発祥之地」の石碑が建っている。
2412241003070
2412240956420
2412240959170



● 我が家を出てから30分:時刻は10時15分、明治座前を通過。 東京で最も長い歴史を持つ劇場である明治座は、明治6年(1873)の創業。 昨年は創業150周年を迎えた。 150年の歴史の中では幾たびもの災厄に見舞われながらも、その都度再建され復興を遂げてきた明治座。 現在は、18階建ての「浜町センタービル」の中に劇場がある。
2412241015560



● 明治座から清州橋へ向かう途中、浜町神社、金刀比羅宮の二社がある。、、、、浜町神社は天明年間(1781~1789)島津家下屋敷に島津稲荷大神を祀ったのが始まり、安政4年(1857)島津家が付近一帯の土地を拝領したとき、一堂を建立して地域発展のために大いに寄与し、以来「島津稲荷」として人々から敬篤された。関東大震災で焼失、昭和5年再建、同20年戦災、同27年再建され名称も浜町神社と改められた。、、、、金刀比羅宮は、天明3年(1783)創建、隅田川往来の船人の守護神として信仰を集めたと言われてる。 今も残る玉垣には、料亭の名や、「葭町(よしちょう、現:人形町)芸妓組合」の文字が多く刻まれている。 きっと、芸者さんの多くも手を合わせた神社かな?
2412241022470
2412241029040



● 10時30分、隅田川に架かる清州橋を渡り、中央区から江東区に入る。、、、、清洲橋は両岸の町名の日本橋中州と清澄から一字づつとって名付けられました。構造は日本で唯一の自碇式チェーン吊り橋で、モデルは当時美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋と言われてる。 関東大震災の復興橋で、橋長 186.3m、幅員 22.0m、昭和3年(1928)3月竣工、設計は鈴木精一(意匠面では建築家の山田守や山口文象の関与があった)。 国の重要文化財。
2412241032160
2412241033310
2412241038230



● 清澄公園を抜ける。 清澄公園の隣りには清澄庭園がある、こちらは有料の庭園。 かつて、清澄公園と清澄庭園は一体で、三菱の創始者である岩崎弥太郎が明治期に完成させた庭園である。
2412241042430
2412241043570



● 深川2丁目の心行寺に寄る。 心行寺は深川七福神の福禄寿を祀る寺。 
浄土宗寺院の心行寺は、雙修山養源院と号す。 心行寺は、光蓮社団誉一露屋道が開山、吉川監物殿内室が開基となり、元和2年(1616)八丁堀に創建、寛永10年(1633)現在地に移転したと言われてる。、、、、福禄寿が安置されている六角堂は、正月の“深川七福神巡り”に向けて、準備はOKか?
2412241058120
2412241059480
2412241059420


 11時、本日の散歩の目的地である“深川ゑんま堂”に到着。 深川ゑんま堂は、真言宗豊山派の法乗院で賢台山賢法寺と号す。 法乗院は寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年(1641)には現在地(深川2丁目)に移転した。 江戸三閻魔の一つらしいが、昔の閻魔堂は戦災で焼けた。 現在は平成元年(1989)に再建された“ハイテク閻魔様”で、賽銭を入れるとコンピューター制御で堂内には煌びやかに照明が灯り、スポットライトが回り、願い事に応じた説教が流れてくる見世物小屋並みの、高さ3.5mの大きな閻魔がある。、、、、、、、笑っちゃいけないが、笑いたくなる、これぞ“笑い地獄”か? 古さを感じることができない、現代風のモダンな寺だ!、、、、知らず・気づかずの悪行を詫びて、『今年も一年、ゴメンナサイ』
2412241106050
2412241102500



● 閻魔さんの次はお不動さん。 お不動さんが祀られているのは成田山新勝寺の東京別院。 この別院は、元禄16年(1703)に始まった成田新勝寺の出開帳が深川不動の起こりで、明治14年(1881)不動堂が完成した。、、、、勇ましいいでたちの不動明王は仏法を守護し、人々を災いや迷いから救ってくれる有難い仏です。 災い・迷いの少ない私であるが、『来年も、災い迷いの無いことを願い』手を合わせてきた。
2412241158510
2412241200290


● 閻魔さま、お不動さまに手を合わせ、散歩の終わりは12時だ!、、、、あとはバスで帰るだけ!

2024年4月25日 (木)

梅、桜の次は藤

梅はとっくに、桜も終わり、つつじに藤の時期となった。 今が見ごろと聞いて亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた。



・・・・・・・・・・ 午前中から亀戸天神に向かう人で、神社前の蔵前橋通りはチョイト歩きにくいね!

2404251004450



・・・・・・・・・・ 正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官:菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって諸国を巡った。 そして寛文元年(1661)、江戸は本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが、亀戸天神の始まりとされる。 当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。 そして寛文2年(1662)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。 創建から300年超、歴史ある天神様だ!、、、、亀戸天神と藤の結びつきは? 江戸時代、亀戸は湿地で初代宮司が水を好む藤を社殿に植えたことが始まりらしい。 江戸の名所として五代将軍綱吉、八代将軍吉宗が訪れた記録もあり、多くの浮世絵などの題材にも取り入れられている。 将軍吉宗は白馬にまたがり江戸城から花見に訪れたのか?



・・・・・・・・・・ 境内は大勢の見物客と初夏の陽気で、気持ちはイライラ、気温はポカポカ。 色鮮やかに咲き誇る藤を見上げて首が疲れる。

2404251048300

2404251006370

2404251007040

2404251007410

2404251008030

2404251008440

2404251009290

2404251012450

2404251044050

・・・・・・・・・・ 参拝する人は、正月の初詣の如く長い列。 孫の学業成就、宝くじ一等当選を祈願し、二礼・二拝・一礼、『よろしく!』。 

2404251018190

2404251027420

・・・・・・・・・・ ポスターには『藤まつり 4月6日~4月30日』と記されていたが、ゴールデンウイークまではもちそうだ! ぜひ、みなさんお誘い合わせて藤を見に来てはいかが。 帰りの土産は船橋屋の『くず餅』をぜひ!

2404251048560

2024年2月19日 (月)

意地で1万3千歩

最近歩く機会が少なく、体力が落ちてきたかも?? 今朝、食事をしながら『チョイト、歩いてくるね』 TVの天気予報は、文京区の椿山荘からLIVE中継。 『アレ、傘さしてる!』 食事が済んで外を見ると、我が家の周辺は濡れているが、雨は止んでる。 妻『傘を持って行ってね!』 私『雨は降らない、もし降ったらすぐに帰って来る。 男の散歩に傘は邪魔だ!』 傘を持たずに飛び出した。




● 家を出たが、さてさて何処へ行こうかな? 家を出て1分『アレ、雨粒が落ちてきた。 コリャ、遠くに行けないな』 本降りになっても、すぐにバスに乗って帰れるように浅草方面に歩きだす。 我が家と同じ町にある「須賀神社」に手を合わせ、『雨がやみますように!』と神頼み。

2402190741130

2402190745500




蔵前一丁目交差点に来ると、傘をさす人も多い。 ココまで、我が家から真直ぐ歩いて、徒歩8分。 いまさら、我が家に戻って『散歩は止めた!』と妻に言うのは男として情けない! もう少し歩いて、本降りになったら帰ることにしようと決める。、、、、『この雨、本降りになるかも?』チョイト、不安がよぎる。 『そうだ、川向こうの東京都慰霊堂に行こう!』雨が降っても雨宿りできる。 これより、蔵前橋通りを歩く。

2402190752260

2402190754060




● 小雨がパラパラ。 カメラが濡れるのを拭きながら蔵前橋を渡る。

2402190800470

2402190802140




東京都慰霊堂に来ると、傘をさす学生も少ない。 雨は霧雨となった。 これなら、もうチョイト歩いて見よう!

2402190809440

2402190810060




石原三丁目交差点まで来ると、雨は止んだ。 服は湿っぽくなったが、『ヨシ、もう少し散歩を続けよう!』 

2402190832210

2402190828180




法恩寺橋を渡る頃には、道は乾き、雨は完全に止んだ。 これで、今日散歩に出た、男の面目が立った!

2402190841090




錦糸町駅近くを通過。 傘をさす人はいない。

2402190850500

2402190853280




天神橋を渡り、くず餅屋さん亀戸天神前を通過。 男の意地で小岩駅まで歩くつもり。

2402190857100

2402190901060

2402190902300

 

東武亀戸線を越える頃、チョイト足が痛くなってきた。 アリャ、コリャ、歳だな、脚力が弱くなったか?、、、、江東新橋を渡り、江戸川区に入る。

2402190924480

2402190924060

2402190929260




● 江戸川区に入り、平井駅前のタワマン工事現場まで来ると、足の疲れが出た! 我が家の家訓(?)、“年寄りの 無理は禁物”を思い出し、今日の散歩はここ平井駅までとする。 小岩まで歩くつもりが平井でギブアップ、1万3千歩の散歩でした。

2402190940200

2402190944330

2402190949520

2024年2月10日 (土)

天神で観梅

今週は久々に雪の東京で、寒さもひとしお。 でも、ニュースを見てると、あっちで咲いた、こっちで咲いたと、ウメとサクラの話題が出てくる時期となった。 今日は夫婦で亀戸天神の梅を観てきた。

亀戸天神は、正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして寛文元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。 当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして寛文2年(1662)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。 古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。、、、、“亀戸天神社”などの言い方は聞いたことがない、江戸っ子は“亀戸天神”で誰もが判る!




● 駅から天神までの商店街は、『梅まつり』の旗を飾って盛り上げる。(午前10時半、これから店開きの商店もあり、人影はまばら)
2402101034050
2402101021480
2402101030350




天神様にやって来た。 中高年の参拝客が目立つ。 太鼓橋から境内を眺めると、参拝客も多そうだ、拝殿前は行列ができてる。

2402101034210

2402101120350

2402101036010

2402101112220




● 梅が咲いてた、5分咲きぐらいかな? 境内には300本の梅の木があるそうだ(数えたことはないが)、、、、「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」菅原道真が太宰府への左遷直前に詠んだ和歌

2402101038210

2402101041000

2402101042400

2402101115560

2402101116310

2402101116420

2402101116560




日光猿軍団は商売・商売・出張商売! 境内で、日光から上京した猿が、一芸を披露!

2402101054220

2402101055090

2402101056120




● 今日は散歩日和であった。 そこで一句思い出す、、、、松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪の詠んだ有名な句「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ

2024年1月31日 (水)

梅は咲いたか

京成曳舟駅から墨田区京島・文花、江東区亀戸の町を歩き亀戸駅まで、1万歩の散歩です。




● 我が家のある浅草橋駅から都営浅草線に乗り5駅目(駅から駅まで約10分)、スカイツリーのある押上駅の次が京成曳舟駅。、、、、京成曳舟駅は平成25年(2013)頃までは地上駅であったが、平成27年(2015)には上下線の高架化が完了した。 高架化後は相対式ホーム2面2線を有する高架駅となり、駅前のロータリーも整備され、周囲には数棟のタワマンも建ち並んでる。 1日平均乗降人員は約18,000人で、大きな駅ではないが、“やぼったい京成らしさ”が抜け落ち、明るいスマートな駅に変わった。

2401310804460

2401310803080

2401310810540

2401310811090

2401310811530




● 駅前から南に歩く。 駅の南に広がる京島地区は、第二次世界大戦による戦災から免れた地域で、戦後は緊急車両も通れない木造密集地区として重点的に整備が行われてる。、、、、京島地区には大正時代からの昭和初期の長屋などが現存し、古い家屋と町工場が混在し、東京でも下町の古い街並みが色濃く残っている地域である。 一方で狭い路地による車の通行の問題や、大規模地震などの災害時の対策も課題となっていた。 最近では、整備の効果が徐々に出始めており、救急車、消防車が通れなかった道も幅を広げ、少しづつ通れるようになってきた。 古い木造住宅は耐火建築に建て替えが進んでる。 小道の要所要所(小公園など)には、消防用の貯水槽、ポンプも設置されてる。

2401310819190

2401310819370

2401310822140

2401310825450

2401310832320

2401310832440

2401310834310

2401310835010




● 京島地区を抜け向島警察署を過ぎると、東武亀戸線小村井(おむらい)駅がある。 駅前の踏切を渡り、墨田区文花2丁目に入る。

2401310852590

2401310853340




● 小村井駅の南西200m程の処に、旧小村井村の鎮守で、平安時代末期、下総国香取郡から開拓のために移住してきた6軒の人々が香取神宮の御分霊を勧請したと言われてる、小村井香取神社がある。、、、、現社殿は昭和29年(1954)の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りの総檜造りである。、、、、
江戸時代、当社の東側には江戸近郊の梅の名所として知られた小村井梅園があった。「梅屋敷」と呼ばれた敷地は約3千3百坪で、築山・池・多数の名石を組んだ庭園に紅梅白梅が咲き乱れ、毎年梅の盛りには将軍の御成りもあったそうだ。 しかし残念なことに明治43年(1910)の大水で廃園となった。 平成6年(1994)には、境内に「香梅園」が開設された。 梅の季節には80余種・約120本の梅が咲き、梅祭りが開催される予定だ! 今日、境内の梅は既に開花してた! 来週あたりは見ごろかも?

2401310911350

2401310907560

2401310910170

2401310909050




● 小村井香取神社の斜め向かいに「都営文花一丁目第二アパート」がある。 昭和47年(1972)に建てられた、12階建て、235戸が入る大きなアパート。、、、、チョイト最上階から、青空に伸びるスカイツリーに向かってパチリ! 

2401310924500

2401310919369_stitch




● 小村井香取神社から300m程歩くと北十間川が流れてる。 この川を越えると墨田区文花から江東区亀戸に入る。

2401310930540




● 亀戸天神はまたの機会として、今日は亀戸香取神社に寄って行く。、、、、由緒では、『その昔、亀戸は亀の形をした小さな島で、亀島とか亀津島と呼ばれていたという。 社伝によれば、天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが当社の起源であるという。 承平天慶の乱に際し、平将門の追討に向かった藤原秀郷は、戦勝祈願のために当社に参籠した。乱の鎮定後、奉賽として弓矢を奉納し、勝矢と命名した。5月5日に行われる勝矢祭は、この故事に因むものである。このような由緒や武道の神として崇敬された香取大神の神徳に因み、現在ではスポーツ振興の神として広く崇敬を集めているとのことである。 明治5年(1872)村社に列格。昭和20年(1945)空襲で社殿が焼失し、同23年(1948)再建。現在の社殿は同63年(1988)に落成したものである』、、、、池江璃花子、内村航平と書かれた灯篭が参道にあった。 祈願に来たのかな?、、、、亀戸香取神社は桜でも有名な神社だが、『梅は咲いたか 桜はまだっかいな』 『まだまだですよ!』

2401310942250

2401310944390




● 総武線の亀戸駅に到着、、、、今日は歩きやすい陽気だった! まだまだ歩く体力が残ってる!

2401311007390

2401311009520

2023年10月17日 (火)

砂町は砂村町

東京メトロ東西線南砂町駅から北に向かって、JR総武線亀戸駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 東京メトロ東西線の南砂町駅(全て音読みで“みなみ すな まち”です、訓読みにして“なん さ ちょう”とは読まないで!)は、昭和44年(1969)3月29日に開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、コロナ前の東西線は、千葉方面からのアクセスが良く、年々利用客が増加し、一時期一日利用者数が150万人近くに達し、朝の通勤ラッシュ時間帯の混雑率が200%前後となった。 そこで南砂町駅では、ホームを1面増やし2面3線構造とし、駅の混雑緩和をはかる改良工事に着手した。 ところがドッコイ、コロナで利用者が減り、着工前の段階では2020年度完成予定となっていた工事は、その後2027年度完成予定へ大きく変更された。

2310170741250

2310170749430

2310170752250

・・・・・・・・・・ 南砂町駅に到着した都心方面に向かう三鷹行きの電車は満員、東西線の混雑緩和は急務だ!

2310170743020




明治通り(=都道306号)に沿って北上する

・・・・・・・・・・ マンションの前にはゴミの山、、、、収集したゴミを焼却するのは大変な仕事だ!

2310170815160



・・・・・・・・・・ 南砂の中心(?)、明治通りと葛西橋通りが交差する「南砂四丁目交差点

2310170818280



・・・・・・・・・・ “砂町”という地名の謂れは、江戸時代「宝六島」と呼ばれていた地を砂村新左衛門一族が開拓したことにより「砂村」という地名が付き、大正10年(1921)7月の町制施行とともに「砂町」となった。 ところで、“砂村”は一族名で、“砂”の“村”ではない。 町制施行では、“砂村”に“町”を足して“砂村町”とするのが正しかった(?)。 砂町は現在の北砂、南砂、東砂、新砂にあたる。



・・・・・・・・・・ 仙台堀川公園(川の多くを埋め立てた親水公園)を横切る

2310170821500

・・・・・・・・・・ 北砂2丁目の志演尊空神社(しのぶそんくうじんじゃ)に立ち寄る。、、、、志演尊空神社は、志演神社と、尊空神社が昭和22年(1947)に合併して志演尊空神社となった。 志演神社は、当地八右衛門新田村を開拓した際に菅原長寛が稲荷神を勧請して創建した。 後に、徳川綱吉が鷹狩りの際に志演神社と命名した。 尊空神社は、伏見宮家・守理法親王の御子で知恩院第三六世門主だった尊空親王を奉斎していた神社である。、、、、社号の“しのぶそんくう”は難読だ!

2310170838410

2310170838269



・・・・・・・・・・ 数ある商店街の中で戸越銀座商店街と肩を並べて全国的に有名な商店街、その名は「砂町銀座」。、、、、戦前は30軒位の普通の商店街であった。 昭和7年10月1日、当時の商店会の記念式典で城東区選出の東京市会議員宇田川氏により『この通りが早く砂町銀座と呼ばれるような一大繁華街となられん事を望む云々』の祝辞を受け、その晩早速役員会を開き通りの名を砂町銀座にしてしまったそうだ。、、、、今日、立ち寄った時刻は9時前、店の多くは開店準備中。 商店街の途中から裏道に入る。

2310170846250

2310170846570

・・・・・・・・・・ 砂町銀座の北側、100m程の距離で平行する裏通りに「こうづけ堀通り」の道路名。 名前の脇に「吉良上野介下屋敷堀跡」と記されてた。 周囲をキョロキョロ探すが、極々普通の裏通り、それらしき遺構もない。、、、、討ち入りしたのは、本所松坂町の吉良邸だ。

2310170851450

2310170854030




● これより、小名木川、中央銀座商店街、大島6丁町目団地、昭和橋通りの順で、2020/8/2の散歩コースを逆さに歩いて亀戸駅へ到着。

2310170922180

2310170929270

2310170936100

2310170953180

2310171004310

2023年7月14日 (金)

東武亀戸線

朝の天気予報では、今日の東京は最高気温29℃で曇りであった。 『久しぶりの30℃割れ、しかも曇り空なら、熱中症の心配も薄らいだ。 ヨシ、歩いてくる!』と、自分に言い聞かせ、東武亀戸線の全駅制覇に出立。


東武亀戸線の歴史は ・・・・・・ 東京と関東北部を結ぶ東武鉄道は、明治30年(1897)に設立された。 当初、起点を東京湾に近い越中島とする予定で免許を申請したが、越中島~北千住間は審査に時間を要し、すぐには免許が下りなかった。 そこで、日本鉄道(現:JR常磐線)の北千住駅を起点に久喜駅までを東武鉄道の最初の区間として、明治32年(1899)に開業した。 明治35年(1902)には北千住駅から吾妻橋駅(後に浅草駅、業平橋駅と改称し、現在はとうきょうスカイツリー駅)まで延伸された。 越中島~北千住間の免許は明治32年(1899)に認可され、明治37年(1904)4月5日には、その一部である亀戸~曳舟間が開業した。 この開業と同時に、東武鉄道は総武鉄道(現:JR総武本線)亀戸~両国橋(現:両国)間へ乗り入れ、直通運転を行う。 また、東武鉄道の吾妻橋~曳舟間は廃止され、亀戸~曳舟間が本線格の扱いとなった。 明治40年(1907)乗り入れ先の総武鉄道が国有化されるが、引き続き東武鉄道の乗り入れは継続する。 東武鉄道は、ターミナルを開業当時の吾妻橋駅に戻すことになり、明治41年(1908)に吾妻橋~曳舟間が貨物線として再開する。 明治43年(1910)3月に吾妻橋駅を浅草駅に改称、そして浅草~曳舟間の旅客営業を再開。 これにて、亀戸~曳舟間は支線となる。 また、同年8月には、亀戸~越中島間の免許は失効した。



・・・・・・・・・・ 今日は東武鉄道亀戸線(全長3.4km)に、廃止、統合、現営業中を含め、10駅が存在した。 起点の曳舟駅から終点の亀戸駅まで全駅を歩いて来たので、順に紹介する。



曳舟駅 ・・・・・ 曳舟駅は明治35年(1902)4月1日、吾妻橋~北千住間開業時にできた駅。 明治37年(1904)4月5日、亀戸~曳舟間が開業。、、、、現在は東武伊勢崎線、亀戸線の停車場で、ホームは高架複合式3面5線構造。 伊勢崎線が発着する1~4番線(島式ホーム2面)と、亀戸線が発着する5番線(短い片面ホームが1面)から成っている。 2両編成の亀戸線が10分間隔で運行している。 通勤通学客で満員だ!

2307140744010

2307140725370

2307140732330

2307140727440



・・・・・・・・・・ 亀戸線の使用車両は、8000系が中心。 昭和30年代の塗装を再現したリバイバルカラーとして朱色や緑色に塗られたものも存在し、来る列車、来る列車毎に色が変わる。

2307140812250

2307140840030

2307140846070




虎橋通駅跡 ・・・・・ 現存の曳舟駅と小村井駅の間に、かつては虎橋通駅(とらばしどおりえき )と十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)があった。 その一つ、虎橋通駅は墨田区京島2の住宅と線路の間の狭い処にあった。 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和20年(1945)3月10日である。、、、、駅跡に何か残ってないか? キョロキョロ探すと、線路脇に並ぶコンクリート土台(?)跡があった。 おそらく70数年前に廃止となったホームの基礎部分であったと思う。 

2307140759410

2307140800260




十間橋通駅跡 ・・・・・ 次は、
十間橋通駅(じゅっけんばしどおりえき)の跡。 駅は、十間橋通と交差する踏切の北側(墨田区京島2)の線路脇にあった。 下町の元気な商店街:キラキラ橘商店街の入口に近い処だ! 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和33年(1958)10月22日である。、、、、線路脇には曳舟起点9㎞ポストがあった。 その周囲のバラストの中にコンクリート構造物が見える、ここもホームの基礎部分が埋まっているのか?

2307140816500

2307140821330

2307140817390




天神駅跡 ・・・・・ 曳舟駅、虎橋通駅跡、十間通駅跡とみて、次は、小村井駅の手前にある天神駅跡を探す。、、、、天神駅(てんじんえき)は、かつて東京都墨田区文化に存在した亀戸線の廃駅。 天神駅は、明治37年(1904)4月5日に開業し、昭和32年(1957)5月20日に廃止された。、、、、曳舟たから通りに面する「
iU 情報経営イノベーション専門職大学(墨田区文化1)」の建物の東側あたりに天神駅はあったと思われる。 この付近の線路敷きは、気持ち分だけ幅広になっており、ここに駅があったのかも(?) 線路敷きの両側は建物が並んでおり、線路内に立ち入って詳細に見ることはできず諦める。、、、、駅名の“天神”は亀戸天神のことだが、ここから亀戸天神までは1㎞以上あり、歩いて20分はかかるであろう。

2307140827210

2307140830200




小村井駅 ・・・・・ 曳舟駅から1.4㎞にある小村井駅(おむらいえき)は、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあり、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。 開業は昭和3年(1928)4月15日、、、、都会の中の小さな駅で、“ローカル”、“昭和レトロ”、“のんびり”などの言葉が合う駅だ! 駅名はチョイト読みづらいかな?

2307140843230

2307140846340

2307140847450




東あずま駅・・・・・小村井駅の次は東あずま駅。 駅名は付近一帯がかつて吾嬬町(あづまちょう)だったことに由来し、周辺の東吾嬬小学校、第一吾嬬小学校などの学校や吾嬬神社にその地名が残っている。 本来は「東あづま」と表記すべきところ「東あずま」となった。 その理由は不明だが、たぶん誰かが“づ”を“ず”と間違えたのだろう!、、、、昭和3年(1928)4月15日 、平井街道駅として開業。 昭和20年(1945)5月20日、平井街道駅廃止。 昭和31年(1956)5月20日、東あずま駅として再開業、、、、相対式ホーム2面2線を有する地上駅。 駅舎は丸八通り(=都道476号)に面す、各ホーム間の連絡は構内踏切を利用。

2307140855350

2307140858540




北十間駅跡 ・・・・・ 曳舟から亀戸へ向かい北十間川を越えた所(橋の南詰)、マンション脇のチョイ広の線路敷きに北十間駅があったと思われる(?) 開業は昭和3年(1928)4月15日、廃止は昭和21年(1946)12月5日。 70数年前の廃駅は何も残っていないようだ! 

2307140914180

2307140913410




亀戸水神駅 ・・・・・ 現在の亀戸水神駅は北十間駅と旧亀戸水神駅を統合して、両駅の中間に昭和21年12月5日に移転した。、、、、“亀戸水神”は“亀戸天神”と紛らわしいが、全く別物で
駅の西方にある亀戸水神宮に由来する駅である。 お間違いなきよう!、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホーム間には構内踏切あり。

2307140918530




旧亀戸水神駅跡 ・・・・・ 亀戸へ向かう電車は、亀戸水神駅を出て右に大きくカーブする、そのカーブ地点の線路脇にキレイに並ぶコンクリート造の遺構がある。、、、、旧亀戸水神駅は昭和
3年(1928)4月15日に開業。 昭和20年には戦災を受け、昭和21年(1946)12月5日に北十間駅と統合し、現在の亀戸水神駅へ移転した。

2307140926350

2307140927130

2307140929060




亀戸駅 ・・・・・ そして亀戸線の終点は亀戸駅。、、、、島式ホーム1面2線を有する地上駅。 改札は駅ビル「アトレ亀戸」内にある。 ちょこっとスロープを上ればホーム。 この構造はまさに都会のローカル線!

2307140943200

2307140945200

2307140935140

 

 

● 東武鉄道亀戸線はコチラも見てね!・・・・・・・・・・ 昼の亀戸線(1918/6/25) ・・・・ 夜の亀戸線(1920/8/17)

 

 

● 東武鉄道亀戸線の全駅を歩いた、1万2千歩。 時刻は10時だが、すでに全身は汗でビショビショ。 やはり、真夏の散歩はチョイト、キツイね!

より以前の記事一覧