江東区

2026年3月 1日 (日)

梅と桜

今日は東京マラソン」が行われ、コースの一部となる「江戸通り」沿線の我が家(浅草橋)付近も交通規制で、浅草・日本橋・両国方面には、バスの利用や歩いて行くのが難し。(JR、地下鉄は平常通り利用可能) 昨年までマラソンの行われる日は、なるべく外出は避け、コース沿道で応援することが多かった。
20260301120154202603011159322026030111584820260301115748



● 今年は応援にも飽き、夫婦で旧中川河津桜(江戸川区平井)を観てきた。 JR総武緩行線の平井駅から亀戸駅まで、春の陽気に誘われて散歩した。、、、、、旧中川に架かるJR総武線鉄橋を挟んで、上下流に河津桜が咲いている。 本家の伊豆河津町のごとく、川沿い見渡す限りの河津桜とはいかないが、若い河津桜を含め70本程(私の推定)が満開だ! 遠くのスカイツリー、流れの穏やかな川辺を背景に、大勢の人が写真を撮っている。 
2026030110021920260301100859202603011011172026030110121220260301101303202603011014402026030110155720260301101703



● 旧中川に架かる江東新橋を渡ると亀戸中央公園(江東区亀戸)がある。(旧中川河津桜の対岸の公園) ここにも春が咲いていた。、、、、、園内の梅林、こちらも満開である。 
2026030110182720260301102355202603011024542026030110250020260301102548



・・・・・・・・・・ マラソンより梅・桜で春が来た!

2025年10月17日 (金)

横十間川

JR総武本線の錦糸町駅から、横十間川沿いに歩いて東西線の東陽町駅まで、1万1千歩の散歩。



錦糸町駅は、昔のターミナル駅:両国駅の隣り、私の住む浅草橋駅から2駅目、オタクの秋葉原駅からは3駅目、総武本線のターミナル駅である。、、、、、明治27年(1894)12月9日に総武鉄道の本所駅(ほんじょえき)として開業。 明治40年(1907)に国有化される。 大正4年(1915)、錦糸町駅に改称。 現在は、東京メトロ半蔵門線も乗り入れてる。、、、、、駅周辺は、ショッピングモールや飲食店それに映画館もある、JRAの場外馬券売場、ラブホ街もあり、人出も多くいつも賑やかだ。 それゆえ、駅はチョッピリ混雑する。 特に朝晩の通勤時間帯は、通勤通学客でホームだけでなく、駅前のバス乗り場などに、人の多さを感じる。
20251017074511
20251017074923
20251017075514



● 錦糸町駅南口から、江東区を南北に流れる横十間川に沿って南へ歩く。 駅から東南に600m程、江東区を東西に流れる堅川が横十間川にぶつかる処に、昭和4年(1929)に架けられた関東大震災の復興橋「松本橋」がある。 旧地名の松代町と本村町を結んだので松本橋と名付けられたトラス橋。 
橋長35.52m、幅11mの橋である。、、、、、歴史を感じるトラス橋だが、頭上には高速道路が走っており、橋下の堅川は埋め立てられ、橋の本来の役割は終えたようだ。 橋の手入れも十分行われていないようで、全体に錆が出ている姿は痛々しい。 メンテナンスし、重要文化財にでも登録してほしいね!
20251017081009
20251017081050



● 松本橋を渡ると、正面に「猿江恩賜公園
(さるえおんしこうえん)」がある。 猿江恩賜公園は、江東区猿江にある都立公園である。 野球場、日本庭園のある落ち着いた雰囲気の南園(江東公会堂も含む)とテニスコート、広場、遊具のある開放的な北園に分かれている。、、、、、公園の歴史は、享保18年(1733)に江戸幕府公認の貯木場として開かれたことから始まる。 大正13年(1924)皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の成婚を記念して、猿江貯木場の一部を東京市に下賜(現在の南園部分)。 昭和7年(1932)には南園部分が、猿江恩賜公園として開園した。 昭和20年(1945)には、東京大空襲の焼死者の仮埋葬地となる。 昭和47年に現在の北園部分にあった猿江貯木場が廃止され、東京都が跡地を買収する。 昭和56年(1981)、北園の一部が開園。 昭和58年(1983)に北園が完成し現在の公園が全面開園された。 公園の面積は14.5ha(東京ドーム約3個分)。 、、、、、雨上がりの今朝は、ジョギング・太極拳する人が数人、散歩する人も少なく、のんびりゆっくり歩いてきた。 紅葉にはまだ早いようだ!
20251017081723
20251017081857
20251017082221
20251017082600
20251017083405
20251017084025



● 猿江恩賜公園の東側に流れる横十間川。 横十間川は江東区亀戸と墨田区業平の境界で北十間川から分かれ南へ流れる。 途中で堅川、小名木川、仙台堀川と交差し、江東区東陽で大横川に合流する。 この川は万治2年(1659、江戸時代)に徳山重政・山崎重政両名(翌年本所奉行に任命)によって開削された運河である。 江戸城に対して横に流れ、川幅が十間(18m)あったことから「横十間川」と命名された。、、、、、江戸時代はのどかな田園の中を流れる川であったと思うが、今は両岸にマンションが並ぶ中を流れる川となった。
20251017084131
20251017084350



 横十間川と小名木川が十字に交差する地点に、X型に架かる歩行者自転車専用橋の「小名木川クローバー橋」がある。 平成6年(1994)に架けられた、橋長 140.5m、幅員 4.8~12.8mの1径間鋼製箱桁橋である。、、、、、川の中央部で十字に交差し、四方へ向かうことができるためか、自転車の交通量は多く、ヨタヨタのお年寄りはチョイと怖いかも。
20251017085703
20251017085945
20251017090259



● 小名木川クローバー橋から大横川に合流する地点までの区間は埋め立てられ、総延長は1970mの大規模な横十間川親水公園として整備された。 公園は昭和59年(1984)に開園。 園内にはボート乗り場や、和船乗船体験ができる施設もあり、川を身近に感じることのできる親水公園となっている。、、、、、園内の草藪に「ヘビに注意」の貼紙があった。 こんな都会の公園にヘビが出るとは、ヘビが大嫌いな私は恐る恐る歩くことになった。 さらに熊も出たら、『こんな公園絶対に二度と来ない!』と叫ぶであろう!
20251017091254
20251017091919
20251017092601
20251017092838
20251017093330



東陽町駅に到着! 中柱のある相対式ホーム2面を有する地下駅。 おや?電車が停まっているが走らない? 事故があったようだ、イライラして待つこと10分、『お待たせしました、発車します』のアナウンス。 やっと我が家に帰れる、一安心!
20251017094744
20251017094850
20251017095022

2025年4月24日 (木)

藤まつり

江戸時代から続く都内随一の藤の名所「亀戸天神」の「藤まつり」は、今週が見頃と聞いて今年も夫婦でチョイト見てきた。、、、、、亀戸天神には、現在は50株以上の藤が植えられ、花の紫の姿と甘い香りで多くの人々を惹きつけている。 (去年の「藤まつり」はコチラ!



● JR総武線亀戸駅から、駅前の商店街を歩いて亀戸天神へ向かう。 時刻は午前10時過ぎ、まだ人出は少ないようで歩く人も少ない。
2504241011210
2504241016210



● 今年も飽きずに来ました! 境内には多くの参拝者の姿が見える。 鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、修理中の社殿前の行列に並び、まずは二礼二拍手一礼。 
2504241025480
2504241026280
2504241031190


● 祭神に手を合わせた後は、ゆっくり藤の花見。 
2504241030000
2504241046040
2504241046150
2504241048240
2504241049030
2504241051450
2504241052020


・・・・・・・・・・ 藤に紛れて、珍しい花が咲いていた。 花の名は「なんじゃもんじゃの木」。 正式名は「ヒトソバダゴ」である。 自生している処は、国内数か所らしい。 6月下旬ごろに白く細い筒状の花が木全体に群がって咲くそうだ。 境内で一本だけ咲いていた。
2504241045100
2504241044510



くず餅で著名な老舗の和菓子店「船橋屋」も、行列ができてた。 『行列待ちはイヤダ! 今日は諦めよう!』
2504241055590



● 亀戸天神からは、隣駅の錦糸町駅に向かって歩く。

・・・・・・・・・・ 横十間川に面し亀戸二丁目団地を背にして東京都水道局の「
亀戸給水所」がある、その南西角に黒色の石碑「日清紡績創業の地」が建っている。 碑文には以下のとおり記されていた。 『日清紡績株式会社は明治40年1月創立後、東京府南葛飾郡亀戸町の当敷地2万余坪に、最新鋭設備を誇る本社工場を建設した。最盛期には、紡機107,800錘、織機360台を擁した本工場は、昭和16年軍の要請により陸軍被服本廠が使用するに至るまで、45年に亘り主力工場として綿糸布を生産し、広く内外の需要に応えると共に、幾多の人材を輩出した。 この間明治43年、大正6年、昭和13年の三たび横十間川の洪水で浸水し、大正12年には関東大震 災に逢ったが、従業員の献身的努力によりこの職場を守り得た。 昭和20年大戦下の空襲により焼 土と化したが、運動場として整備し主として勤労青少年の体育に寄与してきた。偶々昭和42年東京都浄水場、日本住宅公団用地として提供するに至り、当社の手を離れた。 今般この地に記念碑を建立し会社 創業関係者の遺徳と、生死苦楽を共にした多数従業員各位の功績を偲ぶ ものである。   日清紡績株式会社   昭和46年、、、、、日清紡は現在、綿紡績としては国内最大手の企業だが、紙製品・自動車ブレーキ部品・エレクトロニクスなどの分野に事業を拡大しているそうだ。
2504241100260


・・・・・・・・・・ 日清紡跡の碑の斜め前に、もう一つ石碑がある、「亀戸銭座跡」である。、、、、、江戸時代の寛文8年(1668)から安永2年(1773)の間、一時休止した時期もありましたが約100年間、ここで寛永通宝という銭貨が作られていた。 その後、明治40年(1907)に日清紡績の本社工場が建設された。、、、、昭和42年(1967)に旧日本住宅公団の亀戸2丁目団地が建設されたが、 その際、寛永通宝が多数発見されたそうだ。 写真は、亀戸銭座跡の石碑と亀戸2丁目団地。
2504241101000
2504241101520



錦糸町駅に到着、これより昼食・買い物をして帰ることにした。
2504241159110

2025年2月 6日 (木)

寒い 寒い 大寒い!

2月に入り、最強・最長寒波の到来。 この寒さで、私は予約したクリニックには行かざるえないが、あとは終日家に籠ってテレビにゲーム。 家に籠っていては体力が落ちると思い、今朝は散歩に出てみた。、、、、京成押上線の高砂方面に向かうつもりで家を出たが、今朝の外気は気温2℃風も吹き付け、寒い寒い大寒い! 遠くに行くのは止めた! 京成曳舟で降り亀戸まで、寒中の散歩。 9千歩



● 朝8時、通勤通学客がゾロゾロ歩く京成曳舟駅で乗り降りする。 『この寒い日に通勤通学は大変だ、ズル休みしちゃいなよ!』と声をかけたくなるね。、、、、駅の上下線の高架化が完成したのは平成27年(2015)、10年前に高架駅となったが、いまだ駅前の整備は終わっておらず、広い駐車場となっている。
2502060746440
2502060749550
2502060751150
2502060751460



● 京成曳舟駅から、木造住宅密集地域として名を馳せた京島地区を、北から南へクネクネと曲がり抜ける2車線道路を歩く。、、、、駅へ向かう人の姿は寒そうだ。 若いカップルも手はつないでいるが、無口、早足。 
2502060753550
2502060755300
2502060801450


・・・・・・・・・・ もちろん早朝なので営業はしていないが、墨田区京島3丁目に「電気湯」という名の銭湯がある。 大正11年(1922)の創業だそうで、今年で103年目、銭湯の老舗である。 開業当時は電気で沸かしていたから「電気湯」というらしい。 今はガスで沸かしている「電気湯」。、、、、営業してれば、チョイト温まってゆきたいこの寒さ!
2502060759070
2502060758420


・・・・・・・・・・ 下町の元気な商店街「キラキラ橘商店街」をとおる。 この商店街は90店舗程が営業している、その中でも食料関係の店が多く、地域の台所となっている。 関東大震災・東京大空襲等の被害から奇跡的に難を逃れた為、古くから地域の皆様に愛される商店街である。、、、、朝8時、商店街は通学路。
2502060804250
2502060805410
2502060813280



東武亀戸線の小村井(おむらい)の踏切を渡り、「香取神社」へ向かう。、、、、2両編成の電車は通勤通学客で混んでいる。
2502060822450


・・・・・・・・・・ 小村井の「香取神社」は旧小村井村の鎮守で、平安時代末期、下総国香取郡から開拓のために移住してきた6軒の人々が香取神宮の分霊を勧請したと言われてる。 経津主大神を祭神とする。 現在の社殿は、昭和29年(1954)の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋流れ造りの総桧造り。、、、、江戸時代、当神社の東側には江戸近郊の梅の名所として知られた小村井梅園があった。敷地は約3,300坪で、築山・池・多数の名石を組んだ庭園に紅梅白梅が咲き乱れ、毎年梅の盛りには将軍の御成りもあったという。しかし、残念なことに明治43年(1910)の大水で廃園となった。 この小村井梅園を偲び、平成6年(1994)境内に梅が植えられ小さな梅園が開設された。 既に一部の木には花が咲いてる。 節分も過ぎ、まもなく春だ!
2502060834510
2502060832310
2502060830090
2502060830440



● 明治通りに架かる
福神橋」(昭和58年架橋)を渡る。 橋は全長21.3m、幅22mで、墨田区立花と江東区亀戸を結ぶ。、、、、橋から東京スカイツリーが良く見える!、、、、空は青空、風はビュービュー、寒い寒い!
2502060846100
2502060845100



●明治通りを歩きJR総武線亀戸駅に到着。 今日は寒い、早く帰って暖まろう!
2502060903130
2502060916550
2502060921050

2025年1月22日 (水)

南砂町から亀戸へ

東京メトロ東西線の南砂町駅からJR総武線の亀戸駅まで、1万3千歩の散歩です。


● 今日は、昭和44年(1969)3月29日に開業した「南砂町駅」から散歩を始める。、、、、これまでの南砂町駅は島式ホーム1面2線の地下駅であった。 全国ワースト混雑率の東西線、その抜本的な輸送力増強策の一つとして、南砂町駅の島式ホーム2面3線化工事が進められている。 当初は2020年度完成の予定でしたが、現在は2027年度予定に改められ工事中。

・・・・・・・・・・ 朝の西船橋方面行の電車は、さほど混まずに南砂町駅に到着
2501220806480
2501220800580


・・・・・・・・・・ 大手町、中野方面行の電車は超満員状態で到着
2501220803450
2501220801500
2501220802149


・・・・・・・・・・ 部分的に新しくなった、改札口、出入口をとおり地上に出る。、、、、工事はまだまだ続く!
2501220812300
2501220815380



● 南砂町駅から北へ600m程歩くと、「仙台堀川公園」がある。、、、、仙台堀川公園は、小名木川(おなぎがわ)から分流し大横川に合流する仙台堀川に沿った全長約3.7㎞の公園。 “仙台堀” は、堀に沿って仙台藩伊達氏の蔵屋敷があったことに由来する。 仙台堀川の多く部分を埋め立てて造られた親水公園で、規模は都内最大の親水公園である。、、、、公園は川沿いに遊歩道が続き、ところどころにはベンチもあり、のんびり散歩が楽しめそうだ!
2501220836420
2501220839450
2501220844420


・・・・・・・・・・ 公園の一画に「旧大石家住宅」が保存されている。、、、、旧大石家住宅は、江東区で一番古い民家で、建てられたのは江戸時代後期で、半農半漁の典型的な住宅建築と言われている。、、、、現在は地元の人たちがボランティアで維持管理しているそうだ。
2501220851010



● 旧大石家住宅から北西に700m程の処(江東区北砂4)に、真言宗智山派寺院の「持宝院」がある。 持宝院は薬光山と号す、創建年代は不詳であるが、寛永3年(1626)とも元亀・天正年間とも言われてる。 ピンクと白の本堂は遠くからも目立つ!

2501220928250
2501220919220



● 下町の商店街「砂町銀座通り」の裏に「亀高神社」がある。、、、、亀高神社は、当地亀高新田開拓の際に五穀豊穣の神として寛永年間(1624~1644)に五穀豊穣祈願の為に創建された。 昔の“亀高新田村”の地名を残す鎮守さま。 寛保元年(1741)には将軍徳川吉宗が白馬(?)にまたがり、鷹狩でこの地に訪れた際に参拝したそうだ。、、、、昭和43年に現在のコンクリート社殿が完成した。
2501220929450
2501220932150



● 亀高神社から砂町銀座を横切って、600m程北へ向かうと小名木川にぶち当たる。 「進開橋」で小名木川を渡る。、、、、進開橋(しんかいばし)は、昭和42年(1967)に架橋された。 橋上には都道306号線(明治通り)が通る。 橋長:44.1m、幅員:22.0m
2501220953580
2501220954580
2501220955340



● 進開橋を渡ると、明治通りを北へ真直ぐ歩けば、都営新宿線の西大島駅をとおり、堅川に架かる五の橋を渡り、JR総武線の亀戸駅に到着。
2501221003030
2501221012140
2501221023160


・・・・・・・・・・ 亀戸駅から我が家の最寄り駅:浅草橋駅までは3駅、7分。 車中では、チョイト疲れても、座席に座らず、立ってるぞ!
2501221029530
2501221034060

2024年12月24日 (火)

閻魔さまとお不動さま

のんびり我が家(浅草橋)から深川の不動堂まで、年末の御礼詣りに行ってきた。 1万歩の散歩

● 朝9時45分、浅草橋の我が家から歩きだす。、、、、浅草橋駅周辺の人形屋では、クリスマスは飛ばして、雛人形が既に店頭に並んでいる。 季節の先取りかな? 
2412240943060
2412240946340



● 神田川に架かる浅草橋を渡り台東区から中央区に入る。、、、、浅草橋交差点にある、昭和4年(1929)建築の、装飾付タイル張りの古風なデザインがイイ感じの「玉置文治郎ビル」、1階は老舗の玉置薬局。 外壁のスクラッチタイルの装飾もイイ、1階から3階アーチ窓までの縦の並びもイイね!(一見は百聞に如かず)
2412240948470
2412240951500



● 10時、都営浅草線の東日本橋駅前を通過。、、、、近くの薬研堀不動院(川崎大師東京別院)にチョイト立ち寄る。 薬研堀不動院は、天正13年(1585)豊臣秀吉による根来攻めに際して、根来寺の大印僧都が不動尊像を背負って東国へ逃れ、当地に創建したと伝えられている。 境内には、順天堂の始祖と仰がれている佐藤泰然(たいぜん)が、天保9年(1838)に和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所と記した「順天堂発祥之地」の石碑が建っている。
2412241003070
2412240956420
2412240959170



● 我が家を出てから30分:時刻は10時15分、明治座前を通過。 東京で最も長い歴史を持つ劇場である明治座は、明治6年(1873)の創業。 昨年は創業150周年を迎えた。 150年の歴史の中では幾たびもの災厄に見舞われながらも、その都度再建され復興を遂げてきた明治座。 現在は、18階建ての「浜町センタービル」の中に劇場がある。
2412241015560



● 明治座から清州橋へ向かう途中、浜町神社、金刀比羅宮の二社がある。、、、、浜町神社は天明年間(1781~1789)島津家下屋敷に島津稲荷大神を祀ったのが始まり、安政4年(1857)島津家が付近一帯の土地を拝領したとき、一堂を建立して地域発展のために大いに寄与し、以来「島津稲荷」として人々から敬篤された。関東大震災で焼失、昭和5年再建、同20年戦災、同27年再建され名称も浜町神社と改められた。、、、、金刀比羅宮は、天明3年(1783)創建、隅田川往来の船人の守護神として信仰を集めたと言われてる。 今も残る玉垣には、料亭の名や、「葭町(よしちょう、現:人形町)芸妓組合」の文字が多く刻まれている。 きっと、芸者さんの多くも手を合わせた神社かな?
2412241022470
2412241029040



● 10時30分、隅田川に架かる清州橋を渡り、中央区から江東区に入る。、、、、清洲橋は両岸の町名の日本橋中州と清澄から一字づつとって名付けられました。構造は日本で唯一の自碇式チェーン吊り橋で、モデルは当時美しいと評判だったドイツケルンのヒンデンブルグ橋と言われてる。 関東大震災の復興橋で、橋長 186.3m、幅員 22.0m、昭和3年(1928)3月竣工、設計は鈴木精一(意匠面では建築家の山田守や山口文象の関与があった)。 国の重要文化財。
2412241032160
2412241033310
2412241038230



● 清澄公園を抜ける。 清澄公園の隣りには清澄庭園がある、こちらは有料の庭園。 かつて、清澄公園と清澄庭園は一体で、三菱の創始者である岩崎弥太郎が明治期に完成させた庭園である。
2412241042430
2412241043570



● 深川2丁目の心行寺に寄る。 心行寺は深川七福神の福禄寿を祀る寺。 
浄土宗寺院の心行寺は、雙修山養源院と号す。 心行寺は、光蓮社団誉一露屋道が開山、吉川監物殿内室が開基となり、元和2年(1616)八丁堀に創建、寛永10年(1633)現在地に移転したと言われてる。、、、、福禄寿が安置されている六角堂は、正月の“深川七福神巡り”に向けて、準備はOKか?
2412241058120
2412241059480
2412241059420


 11時、本日の散歩の目的地である“深川ゑんま堂”に到着。 深川ゑんま堂は、真言宗豊山派の法乗院で賢台山賢法寺と号す。 法乗院は寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年(1641)には現在地(深川2丁目)に移転した。 江戸三閻魔の一つらしいが、昔の閻魔堂は戦災で焼けた。 現在は平成元年(1989)に再建された“ハイテク閻魔様”で、賽銭を入れるとコンピューター制御で堂内には煌びやかに照明が灯り、スポットライトが回り、願い事に応じた説教が流れてくる見世物小屋並みの、高さ3.5mの大きな閻魔がある。、、、、、、、笑っちゃいけないが、笑いたくなる、これぞ“笑い地獄”か? 古さを感じることができない、現代風のモダンな寺だ!、、、、知らず・気づかずの悪行を詫びて、『今年も一年、ゴメンナサイ』
2412241106050
2412241102500



● 閻魔さんの次はお不動さん。 お不動さんが祀られているのは成田山新勝寺の東京別院。 この別院は、元禄16年(1703)に始まった成田新勝寺の出開帳が深川不動の起こりで、明治14年(1881)不動堂が完成した。、、、、勇ましいいでたちの不動明王は仏法を守護し、人々を災いや迷いから救ってくれる有難い仏です。 災い・迷いの少ない私であるが、『来年も、災い迷いの無いことを願い』手を合わせてきた。
2412241158510
2412241200290


● 閻魔さま、お不動さまに手を合わせ、散歩の終わりは12時だ!、、、、あとはバスで帰るだけ!

2024年4月25日 (木)

梅、桜の次は藤

梅はとっくに、桜も終わり、つつじに藤の時期となった。 今が見ごろと聞いて亀戸天神の「藤まつり」に行ってきた。



・・・・・・・・・・ 午前中から亀戸天神に向かう人で、神社前の蔵前橋通りはチョイト歩きにくいね!

2404251004450



・・・・・・・・・・ 正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官:菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって諸国を巡った。 そして寛文元年(1661)、江戸は本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが、亀戸天神の始まりとされる。 当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。 そして寛文2年(1662)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。 創建から300年超、歴史ある天神様だ!、、、、亀戸天神と藤の結びつきは? 江戸時代、亀戸は湿地で初代宮司が水を好む藤を社殿に植えたことが始まりらしい。 江戸の名所として五代将軍綱吉、八代将軍吉宗が訪れた記録もあり、多くの浮世絵などの題材にも取り入れられている。 将軍吉宗は白馬にまたがり江戸城から花見に訪れたのか?



・・・・・・・・・・ 境内は大勢の見物客と初夏の陽気で、気持ちはイライラ、気温はポカポカ。 色鮮やかに咲き誇る藤を見上げて首が疲れる。

2404251048300

2404251006370

2404251007040

2404251007410

2404251008030

2404251008440

2404251009290

2404251012450

2404251044050

・・・・・・・・・・ 参拝する人は、正月の初詣の如く長い列。 孫の学業成就、宝くじ一等当選を祈願し、二礼・二拝・一礼、『よろしく!』。 

2404251018190

2404251027420

・・・・・・・・・・ ポスターには『藤まつり 4月6日~4月30日』と記されていたが、ゴールデンウイークまではもちそうだ! ぜひ、みなさんお誘い合わせて藤を見に来てはいかが。 帰りの土産は船橋屋の『くず餅』をぜひ!

2404251048560

2024年2月19日 (月)

意地で1万3千歩

最近歩く機会が少なく、体力が落ちてきたかも?? 今朝、食事をしながら『チョイト、歩いてくるね』 TVの天気予報は、文京区の椿山荘からLIVE中継。 『アレ、傘さしてる!』 食事が済んで外を見ると、我が家の周辺は濡れているが、雨は止んでる。 妻『傘を持って行ってね!』 私『雨は降らない、もし降ったらすぐに帰って来る。 男の散歩に傘は邪魔だ!』 傘を持たずに飛び出した。




● 家を出たが、さてさて何処へ行こうかな? 家を出て1分『アレ、雨粒が落ちてきた。 コリャ、遠くに行けないな』 本降りになっても、すぐにバスに乗って帰れるように浅草方面に歩きだす。 我が家と同じ町にある「須賀神社」に手を合わせ、『雨がやみますように!』と神頼み。

2402190741130

2402190745500




蔵前一丁目交差点に来ると、傘をさす人も多い。 ココまで、我が家から真直ぐ歩いて、徒歩8分。 いまさら、我が家に戻って『散歩は止めた!』と妻に言うのは男として情けない! もう少し歩いて、本降りになったら帰ることにしようと決める。、、、、『この雨、本降りになるかも?』チョイト、不安がよぎる。 『そうだ、川向こうの東京都慰霊堂に行こう!』雨が降っても雨宿りできる。 これより、蔵前橋通りを歩く。

2402190752260

2402190754060




● 小雨がパラパラ。 カメラが濡れるのを拭きながら蔵前橋を渡る。

2402190800470

2402190802140




東京都慰霊堂に来ると、傘をさす学生も少ない。 雨は霧雨となった。 これなら、もうチョイト歩いて見よう!

2402190809440

2402190810060




石原三丁目交差点まで来ると、雨は止んだ。 服は湿っぽくなったが、『ヨシ、もう少し散歩を続けよう!』 

2402190832210

2402190828180




法恩寺橋を渡る頃には、道は乾き、雨は完全に止んだ。 これで、今日散歩に出た、男の面目が立った!

2402190841090




錦糸町駅近くを通過。 傘をさす人はいない。

2402190850500

2402190853280




天神橋を渡り、くず餅屋さん亀戸天神前を通過。 男の意地で小岩駅まで歩くつもり。

2402190857100

2402190901060

2402190902300

 

東武亀戸線を越える頃、チョイト足が痛くなってきた。 アリャ、コリャ、歳だな、脚力が弱くなったか?、、、、江東新橋を渡り、江戸川区に入る。

2402190924480

2402190924060

2402190929260




● 江戸川区に入り、平井駅前のタワマン工事現場まで来ると、足の疲れが出た! 我が家の家訓(?)、“年寄りの 無理は禁物”を思い出し、今日の散歩はここ平井駅までとする。 小岩まで歩くつもりが平井でギブアップ、1万3千歩の散歩でした。

2402190940200

2402190944330

2402190949520

2024年2月10日 (土)

天神で観梅

今週は久々に雪の東京で、寒さもひとしお。 でも、ニュースを見てると、あっちで咲いた、こっちで咲いたと、ウメとサクラの話題が出てくる時期となった。 今日は夫婦で亀戸天神の梅を観てきた。

亀戸天神は、正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして寛文元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。 当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして寛文2年(1662)、地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。 古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873)に府社となり亀戸神社、昭和11年(1936)に現在の亀戸天神社となった。、、、、“亀戸天神社”などの言い方は聞いたことがない、江戸っ子は“亀戸天神”で誰もが判る!




● 駅から天神までの商店街は、『梅まつり』の旗を飾って盛り上げる。(午前10時半、これから店開きの商店もあり、人影はまばら)
2402101034050
2402101021480
2402101030350




天神様にやって来た。 中高年の参拝客が目立つ。 太鼓橋から境内を眺めると、参拝客も多そうだ、拝殿前は行列ができてる。

2402101034210

2402101120350

2402101036010

2402101112220




● 梅が咲いてた、5分咲きぐらいかな? 境内には300本の梅の木があるそうだ(数えたことはないが)、、、、「東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」菅原道真が太宰府への左遷直前に詠んだ和歌

2402101038210

2402101041000

2402101042400

2402101115560

2402101116310

2402101116420

2402101116560




日光猿軍団は商売・商売・出張商売! 境内で、日光から上京した猿が、一芸を披露!

2402101054220

2402101055090

2402101056120




● 今日は散歩日和であった。 そこで一句思い出す、、、、松尾芭蕉の弟子、服部嵐雪の詠んだ有名な句「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ

2024年1月31日 (水)

梅は咲いたか

京成曳舟駅から墨田区京島・文花、江東区亀戸の町を歩き亀戸駅まで、1万歩の散歩です。




● 我が家のある浅草橋駅から都営浅草線に乗り5駅目(駅から駅まで約10分)、スカイツリーのある押上駅の次が京成曳舟駅。、、、、京成曳舟駅は平成25年(2013)頃までは地上駅であったが、平成27年(2015)には上下線の高架化が完了した。 高架化後は相対式ホーム2面2線を有する高架駅となり、駅前のロータリーも整備され、周囲には数棟のタワマンも建ち並んでる。 1日平均乗降人員は約18,000人で、大きな駅ではないが、“やぼったい京成らしさ”が抜け落ち、明るいスマートな駅に変わった。

2401310804460

2401310803080

2401310810540

2401310811090

2401310811530




● 駅前から南に歩く。 駅の南に広がる京島地区は、第二次世界大戦による戦災から免れた地域で、戦後は緊急車両も通れない木造密集地区として重点的に整備が行われてる。、、、、京島地区には大正時代からの昭和初期の長屋などが現存し、古い家屋と町工場が混在し、東京でも下町の古い街並みが色濃く残っている地域である。 一方で狭い路地による車の通行の問題や、大規模地震などの災害時の対策も課題となっていた。 最近では、整備の効果が徐々に出始めており、救急車、消防車が通れなかった道も幅を広げ、少しづつ通れるようになってきた。 古い木造住宅は耐火建築に建て替えが進んでる。 小道の要所要所(小公園など)には、消防用の貯水槽、ポンプも設置されてる。

2401310819190

2401310819370

2401310822140

2401310825450

2401310832320

2401310832440

2401310834310

2401310835010




● 京島地区を抜け向島警察署を過ぎると、東武亀戸線小村井(おむらい)駅がある。 駅前の踏切を渡り、墨田区文花2丁目に入る。

2401310852590

2401310853340




● 小村井駅の南西200m程の処に、旧小村井村の鎮守で、平安時代末期、下総国香取郡から開拓のために移住してきた6軒の人々が香取神宮の御分霊を勧請したと言われてる、小村井香取神社がある。、、、、現社殿は昭和29年(1954)の建立で、本殿は流れ造り、拝殿は入母屋造りの総檜造りである。、、、、
江戸時代、当社の東側には江戸近郊の梅の名所として知られた小村井梅園があった。「梅屋敷」と呼ばれた敷地は約3千3百坪で、築山・池・多数の名石を組んだ庭園に紅梅白梅が咲き乱れ、毎年梅の盛りには将軍の御成りもあったそうだ。 しかし残念なことに明治43年(1910)の大水で廃園となった。 平成6年(1994)には、境内に「香梅園」が開設された。 梅の季節には80余種・約120本の梅が咲き、梅祭りが開催される予定だ! 今日、境内の梅は既に開花してた! 来週あたりは見ごろかも?

2401310911350

2401310907560

2401310910170

2401310909050




● 小村井香取神社の斜め向かいに「都営文花一丁目第二アパート」がある。 昭和47年(1972)に建てられた、12階建て、235戸が入る大きなアパート。、、、、チョイト最上階から、青空に伸びるスカイツリーに向かってパチリ! 

2401310924500

2401310919369_stitch




● 小村井香取神社から300m程歩くと北十間川が流れてる。 この川を越えると墨田区文花から江東区亀戸に入る。

2401310930540




● 亀戸天神はまたの機会として、今日は亀戸香取神社に寄って行く。、、、、由緒では、『その昔、亀戸は亀の形をした小さな島で、亀島とか亀津島と呼ばれていたという。 社伝によれば、天智天皇4年(665)藤原鎌足が東国へ降った際、この島に香取大神を勧請し、太刀一振りを奉納して旅の安全を祈願した。これが当社の起源であるという。 承平天慶の乱に際し、平将門の追討に向かった藤原秀郷は、戦勝祈願のために当社に参籠した。乱の鎮定後、奉賽として弓矢を奉納し、勝矢と命名した。5月5日に行われる勝矢祭は、この故事に因むものである。このような由緒や武道の神として崇敬された香取大神の神徳に因み、現在ではスポーツ振興の神として広く崇敬を集めているとのことである。 明治5年(1872)村社に列格。昭和20年(1945)空襲で社殿が焼失し、同23年(1948)再建。現在の社殿は同63年(1988)に落成したものである』、、、、池江璃花子、内村航平と書かれた灯篭が参道にあった。 祈願に来たのかな?、、、、亀戸香取神社は桜でも有名な神社だが、『梅は咲いたか 桜はまだっかいな』 『まだまだですよ!』

2401310942250

2401310944390




● 総武線の亀戸駅に到着、、、、今日は歩きやすい陽気だった! まだまだ歩く体力が残ってる!

2401311007390

2401311009520

より以前の記事一覧