江東区

2020年8月17日 (月)

夜の亀戸線

猛暑日が続き、熱中症が恐い! 感染者が連日100人超え、コロナが恐い! どちらに罹っても、多くの人に迷惑をかけるので、散歩を自粛していた。 しかし一週間、家でゴロゴロしていると、そろそろ限界に近づき歩きたくなった。 日中の散歩は怖いので、夕方6時過ぎに東武亀戸線沿いに、亀戸から曳舟まで歩いてきた。 1万1千歩の散歩。、、、、、亀戸線沿いの散歩はこれまで何度も歩いている。 こちらを見て!


● 亀戸駅・・・・・頭端式1面2線の地上ホームは、いつ来ても、何とも言えない雰囲気がある。 私の好きな駅の一つ。

202008171841310000

202008172039340000

202008172040330000

202008172041330000



●隣駅「亀戸水神駅」に向かう・・・・・亀戸駅と亀戸水神駅の駅間距離はわずか0.7kmだが、亀戸水神駅は暗闇の中。 

202008171848430000

202008171852170000

202008171853240000

202008171908170000

202008171910340000

202008171912520000

202008171913170000



● 次の駅は「東あずま駅」・・・・・亀戸水神、東あずまの両駅には、珍しくなった構内踏切がある。 ローカル色が残る駅!

202008171913270000

202008171918580000

202008171930310000

202008171931340000

202008171935540000

202008171936180000

202008171938210000



● チョイト読みにくい「小村井駅」・・・・・“小村井”は“おむらい”と読む。 亀戸線の途中駅、全3駅で最も乗降客の多い駅、なんと一日当たり約12,000人が乗り降りする。、、、、駅舎は明治通りに面し、出入口は1か所のみ。 駅前で待ち合わせをしても、間違えることはない、安心!

202008171940180000

202008171946520000

202008171950360000

202008171955110000

202008171956430000

202008172000340000



● スカイツリーの下を走って「曳舟駅」へ・・・・・2両編成の電車は亀戸~曳舟間を約10分間隔で行ったり来たり。 

202008171954300001

202008172007510000

202008172017160000

202008172027360000

202008172028460000

202008172030310000

 

2020年8月 2日 (日)

商店街と団地

JR亀戸駅から南に歩く、商店街・団地・商店街・団地・商店街と続き、江東区北砂の亀高橋バス停まで、1万1千歩の散歩。



● 我が家のある浅草橋駅からは、両国・錦糸町・亀戸で、3つ目の駅(所要7分)である。 コロナの感染リスクを考慮し、今日は亀戸駅東口に降り立った。、、、、亀戸駅は総武鉄道の駅として、明治37年(1904)に開業。 駅は島式ホーム1面2線の高架駅。 出入口は、亀戸天神に近い北口と京葉道路側に東口の2カ所。 北口が表玄関なら、東口は勝手口という感じ。、、、、一日平均12万人程が乗り降りする駅である。 今日は日曜で通勤・通学客も少ない。 東口は、越中島貨物線の高架下に出る。 駅前は狭く、駐輪場が動線を限定する。

202008020735350000

202008020730080000

202008020736270000

202008020739390000

202008020741360000



● 亀戸駅の南側をとおる国道14号(京葉道路)を横断し、「昭和橋通り」と書かれた商店街を歩く。 時刻は午前8時前、店のシャッターは何時開くのか? ひょっとすると、『昔、商店街 今、シャッター街』?

202008020747000000

202008020750390000

202008020751180000

・・・・・・・・・・・・商店街の脇に区立亀戸平岩公園がある。 公園の一角には、小さな「平岩稲荷神社」が祀られている。、、、、神社脇の由来碑には次のように記されていた。 『この地は徳川家康の家臣であった平岩家の先祖が、三河より徳川幕府に従って江戸の居を定めてから、大正の中頃まで、約300年に亘って平岩家代々の居所であった。 幕末より明治にかけて竹問屋として名を成した6代目平岩甚助の死後、昭和16年に楠にかこまれた広大な敷地内にあった1000坪の池が埋めたてられ、その一部約340坪が公園として東京市に寄付された。 その後、昭和25年に東京都より江東区に移管され現在に至る。 現存する稲荷神社は古くから祀られていたものを元の築山の上に移したものである。 平成元年11月  改修にあたりこれを記す平岩』、、、、現在の公園は、屋敷の池の1/3と云うことだ! 屋敷の広さが何となく解るね。

202008020758520000

202008020757050000

・・・・・・・・・・・・昭和橋通りの南端には、埋め立てられた堅川に架かる「昭和橋」がある。 川はなくなり、頭上は首都高が走り、橋は残っても、橋としての役目は終わった。

202008020801120000



● 昭和橋を渡ると、西側は大島3丁目の「UR 大島3丁目団地」、東側は大島6丁目の「UR 大島6丁目団地」。 でっかそうな「UR 大島6丁目団地」に寄ってみた。、、、、大島6丁目団地は中央の広場を7棟の14階建ての建物が“コ”の字型に囲む団地。 建物は昭和45年3月~昭和46年8月に完成した7棟で、約2900世帯が入居している。 チョイト古いデータによると、平成23年(2011)の団地内の実態調査では、60歳以上の世帯主が72%、20歳・30歳代の世帯主は8%。 居住者は60歳・70歳代の合計がほぼ半数の50.1%。 当団地に25年以上住んでいる人は半数の55%にもなるそうだ。 現在は、もっと高齢化が進んでいるものと思われる。、、、、夏休みなのに、子供の声が聞こえない!


202008020827450000

202008020823070000

202008020808400000

202008020805280000

202008020819280000

202008020813480000



● 大島6丁目団地を突き抜けると新大橋通り、この下には都営新宿線が走っている。 大島駅が近くに在るはずだと思い、キョロキョロ。 駅よりも「中央銀座」のアーチが目に飛び込み、駅を忘れて“銀座”に足が入っていく。、、、、中央銀座商店街は大島駅の南側で、新大橋通りと並行する商店街である。 私が入って来たアーチは商店街のアプローチ部分であった。 91店舗で構成する商店街、まだ8時半どの店舗も開店前。

202008020828360000

202008020830470000



● 中央銀座を足早に抜けると小名木川にぶつかる。 昭和54年(1979)に完成した1径間鋼製箱桁の歩行者・自転車専用橋「砂島橋(すなしまばし)」を渡り、大島5丁目から対岸の北砂5丁目に向かう。、、、、川の両岸はマンション・高層アパートが並ぶ。 小名木川は江戸時代の運河で、流れは穏やかである。 

202008020842370000

202008020843380000

202008020843500000

・・・・・・・・・・・・・・ 砂島橋を渡った北砂5丁目側に「小名木川旧護岸」が残されている。 地盤沈下が続いた町を水害から守るため、度重なる護岸のかさ上げ工事が行われ、その歴史を知ることができる。

202008020842580000



● 砂島橋の南側は「UR 北砂5丁目団地」である。 橋を渡り、そのまま南へ向かえば団地の中。、、、、団地は、旧日本住宅公団の時代、昭和52年(1977)から、順次入居が始まった。 総戸数2809戸(10棟)の団地。 中央の広場は野球もできる程広い!

202008020856300000

202008020902240000

202008020910340000

202008020912100000

202008020916460000

・・・・・・・・・・・・団地内の公園でセミ採りをする兄妹がいた。 しばし忘れかけていた情景がよみがえり、思わずニッコリしていたら、女の子が虫カゴを持ってきて、二匹のセミを見せてくれた。 いつまでも仲良くね!

202008020909560000

202008020910140000

・・・・・・・・・・・・北砂5丁目団地の公園の木立の中に、「我国精製糖発祥之地」の碑がある。 碑の裏面に「昭和十五年十二月十三日 大日本精糖株式会社建之」とある。、、、、小名木川両岸は東京有数の工業地区だった。 日本における最初の精製糖工場もこの地に建てられた。 明治23年(1890)、この地に建てられていた鈴木藤三郎の製糖所で漸く成功し、砂村(現:北砂)において日本で初めて純白の砂糖が誕生しました。 鈴木藤三郎は、安政2年(1855)遠江国(静岡県)に生まれ、明治17年より氷砂糖を製造した。 同22年上京し、砂村に工場を移し、同25年から本格的に精製糖の製造を開始した。 明治28年(1895)同志とともに日本精製糖株式会社を設立したそうだ。 北砂が精糖の発祥地とは意外であった。 

202008020853220000



● 北砂5丁目団地を抜けると、150m程南に歩くと地域密着型の商店街「砂町銀座」がある。 時刻はまだ10時前、多くのどの店も開店準備中。 お客もこれからのようだ! 私も買い物するわけではないので、商店街の東端(丸八通り)に抜けた。

202008020929330000

202008020930040000

202008020937160000

202008020941000000



● 時刻は10時過ぎ、気温もあがり汗が出る、マスクの中はムレムレ状態、チョイト熱中症が心配になる。 地下鉄東西線の南砂町駅までは、あと30分ぐらいかかりそうだ。 まだ梅雨が明けて二日目、身体が暑さに不慣れなため、今日はこの辺で引き上げることにした。 北砂4丁目の亀高橋バス停から帰る。

202008020952110000

2019年12月21日 (土)

辰巳芸者はいない

東京メトロ有楽町線の辰巳駅で下車し、辰巳水門、辰巳団地を見て、JR京葉線の潮見駅まで、9千歩の散歩です。




●子牛いない辰巳駅! ・・・・・・辰巳駅(たつみえき)は東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線の駅。 昭和63年(1988)6月8日の新富町~新木場間延伸時に開業した駅。 地下3階にあるホームは島式1面2線、改札口は地下2階に1か所あるのみ、改札を出ると2か所の出口がある。、、、、一日当たりの乗降客数は3万人程で、チョイト寂しい。 ついでに、駅の周辺も寂しく、出口は団地の隅に位置し小学校と駐輪場があるのみ、コンビニ、喫茶店、ソバ屋など一切なし。 お金を使わずに自宅に帰れる、健全な町である。

201912210806070000

201912210811290000

201912210816100000

201912210820160000



●お勉強! ・・・・・・・・ここで、チョックラ学習タイム。 辰巳駅があるのは、東京湾7号埋立地である。 この埋立地は大正15年(1926)に埋立許可が下り、戦前・戦後と埋め立てられた。 戦後の昭和43年(1968)に初めて住居表示が実施され、人が安心して住めるようになる。 7号埋立地は全て「辰巳」で1丁目から3丁目まで、1丁目は辰巳団地、2丁目は海浜公園、3丁目は倉庫・トラックターミナルなどで使用されている。 ちなみに、「辰巳」の人口と世帯数は11,265人・5,641世帯(2017年)、ほとんどが1丁目に住んでいる。、、、、辰巳の地名はお江戸の“辰巳”(東南)の方向にあるからネーミング。 “辰巳芸者”の辰巳は門前仲町で、江戸時代は“辰巳”と言えば深川のこと。



●スゲ~、タワマン! ・・・・・・・辰巳駅の前には、辰巳運河を挟み対岸の6号埋立地(東雲地区)と結ぶ「辰巳桜橋」がある。、、、、見ていると、対岸の東雲地区にあるキャナルコートのタワマンの住人が辰巳桜橋を渡り、辰巳駅に向かってくる。 東雲地区には、りんかい線の東雲駅があるのだが、橋を渡って有楽町線の辰巳駅の方が便が良いのかも?、、、、タワーマンションが立ち並ぶ景色、湾岸地区として壮観だ! 私の住む浅草橋では考えられない景色、残念ながら負けた!

201912210821130000

201912210822390000

2019122108235200010_stitch

201912210839240011_stitch



●水門と排水機場はセット! ・・・・・・辰巳桜橋から東京湾の方を見ると辰巳水門が見える。 東雲と辰巳の間にあるのが辰巳運河で、ここに昭和37年(1962)に設置された辰巳水門。 幅員11.4m×2連のローラーゲートで、運河沿いの街を高潮や津波の被害から守るのが役目。、、、、水門の左側に建設中は、新しい辰巳排水機場。 台風の襲来時、大気圧の低下により海面が上昇し高潮が発生することが多い、もし台風による高潮の侵入を防ぐために水門を閉鎖すると、内部河川が大雨で増水しても水の逃げ場がないことになり、洪水の危険が高まる。 そこで水門閉鎖時に内部の水をポンプで強制的に排水する施設が水門とセットで必要になるわけで、辰巳水門には辰巳排水機場が隣接している。 現在の排水機場(写真:左奥の赤い建物)は昭和39年(1964)完成。

2019122108253300110_stitch



●静かすぎる団地! ・・・・・・・辰巳団地をチョイト拝見。、、、、辰巳団地は、東京23区内でも高島平団地や豊島五丁目団地に次ぐ、3番目の規模のマンモス団地である。 総戸数では3326戸(87棟)で、辰巳1丁目のほとんどを占めている。 間取りは2DK・3DK、面積は33㎡~38㎡と小さい、竣工は昭和42年(1967)~昭和44年(1969)。、、、、平成25年(2013)から建て替えに着手し、建物を14階建ての12棟に集約するそうだ。 空き地となった南側の辰巳駅周辺を再開発用地として開発する予定らしい。 まだ、建て替え完了するまで10年程は掛かるだろう!、、、、高島平団地・豊島五丁目団地に比べると、都心には凄く近く便利な処なのだが、生活の音が聞こえない団地だ。 活気がない原因は??? 

201912210840571111_stitch

201912210841480000

201912210847030000

201912210857380000

201912210901580000

201912210903170000

201912210909500000

201912210913060000

201912210915000000



●お客がいない? ・・・・・・・今日はJR京葉線の潮見駅から帰ることにした。、、、、平成2年(1990)3月10日の京葉線の新木場~東京間延伸時に開業。 駅開業を発端として、駅周辺は急速な集合住宅・ビジネスホテル開発が進行している。 それでも、乗降客は少ない駅だ。

201912210943140000

201912210948350000

201912210950410000

2019年12月13日 (金)

スタコラ、京葉道路

台東区浅草橋の我が家から中央区の浅草橋交差点に出て、京葉道路をひたすら東へ墨田区、江東区を抜け、江戸川区の中央二丁目交差点で曲がり、近くの大杉小学校前バス停まで、1万5千歩、約10kmの散歩です。




●何処も彼処も“浅草橋”  ・・・・・・我が家から徒歩45秒、浅草橋一二丁目交差点に台東区のコミュニティバス乗り場「浅草橋駅北」がある。、、、、ここから徒歩2分で江戸通りの下を走る都営地下鉄浅草線の「浅草橋駅」、そこから徒歩40秒JR総武線の「浅草橋駅」東口。、、、、さらに徒歩1分で神田川に架かり台東区浅草橋と中央区日本橋馬喰町を結ぶ橋「浅草橋」がある。 「浅草橋」は、江戸通り(=水戸街道)が神田川を渡る橋で、橋の全長と同じくらいの幅員を持つ幅広の橋梁である。 江戸時代初期この場所は、奥州方面から江戸中心部への入口となるため、江戸城の見附「浅草橋御門」が設置され、同時に見附橋としての木橋「浅草橋」が架けられた。 最初の橋は寛永13年(1636)頃の架橋と伝えられている。(私が誕生する以前の話で、本当かどうか知らない!) 現在の橋は大正12年(1923)の架橋で、私の母と同年で、今年で96年目(橋も母も、いまだ健在!)、、、、中央区に側に、京葉道路、靖国通り、江戸通り、清杉通りが交差する「浅草橋交差点」がある。

201912130742250000

201912130746180000

201912130751170000

201912130754100000

201912130753490000

201912130757400000



●京葉道路をスタコラサッサ! ・・・・・・・・今日は10時半までの間、京葉道路をひたすら歩区ことにした。 “10時半”とは、我が家を出てから約3時間、私に疲れが出る頃だ! そして、あまり長く歩くと、靴底の減りも早く、また高価な靴を買うことになるので!

・・・・・・・・・・・・中央区の浅草橋交差点は、新宿から伸びてきた靖国通りの終点で、その延長上を東に向かう京葉道路の始点である。

201912130759160000

・・・・・・・・・・・・両国橋で隅田川を越える。 橋の東詰(墨田区側)には、明日(12月14日)に義士祭が行われる赤穂浪士の一人:大高源吾の「日の恩やたちまちくだく厚氷」の句碑がある。 この句は、討ち入りの夜、向島に住む俳句の師匠宝井其角と両国橋で出会い詠んだものといわれている。 句碑は昭和3年(1928)に建立されたもの。

201912130804450000

201912130808160000

201912130809370000

・・・・・・・・・・・・・・・両国3丁目の京葉道路の歩道上に建っている「本所松坂町跡」の碑。 もともとこの周辺は、吉良邸のあった本所松坂町と呼ばれていたが、関東大震災後の区画整理により町名が消えた。 この碑は「松坂町」を偲んで、昭和7年(1932)に住民によって建立された。、、、近くには、明日の義士祭・吉良祭のポスターもある。 チョイトついでに、吉良邸跡の本所松坂町公園にお立ち寄り!

201912130815170000

201912130816360000

201912130817570000

・・・・・・・・・・・・清澄通り三ツ目通り江東橋と通り過ぎ、錦糸町駅前は我が家を出てから1時間後に通過。

201912130825150000

201912130837080000

201912130841460000

201912130849550000

・・・・・・・・・・・・・・錦糸町と亀戸の間を流れる運河:横十間川を昭和44年(1969)に完成した松代橋で越えて、墨田区から江東区に入る。 亀戸駅の手前で越中島支線(JR貨物)のガードをくぐり、亀戸駅前では歩道橋で交差点を横断し、亀戸七丁目交差点で丸八通りと交差する。

201912130900200000

201912130859160000

201912130905220000

201912130909120000

201912130910050000

201912130921480000

・・・・・・・・・・・・・中川新橋(平成15年完成)で旧中川を越える。 この橋を渡ると江東区亀戸から、江戸川区平井・小松川に入る。、、、、中川新橋では、大勢のユリカモメが私を歓迎してくれた。

201912130940210000

201912130941590000

201912130942350000

201912130944130000

・・・・・・・・・・・・・・旧中川の次は、荒川越えだ! 小松川橋で荒川と中川を一挙に越える。 全長約500mの小松川橋を渡りきるのに15分を要した、長い橋だ! 歩く先には首都高が、振り返ればスカイツリーが見える。、、、、渡り終わると時計の針は10時を回っていた!

201912130957420000

201912131002570000

201912130959560000

・・・・・・・・・・・・・・署員数480名の大きな小松川警察署の前を通り、境川橋を渡る。 境川橋はその名のごとく境川に架かる橋で、昭和15年(1940)に完成した。 只今、橋の下の親水公園と共に修復中。 東小松川交差点の角には、宝くじが良く当たると評判の宝くじセンターがある。 年末ジャンボの時期である、10億円ゲットするには何処で買うか迷うね?

201912131012450000

201912131015300000

201912131018080000

201912131022260000

・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、京葉道路の「中央二丁目交差点」(江戸川区)までとする。 時刻は10時半を過ぎ、お帰りの時刻となった。、、、、交差点角のチョイト裏側(江戸川区松江3-31)に、昭和初期に建てられたと思われる同潤会の木造住宅が、朽ちて残っている。 おそおらく、いずれ取り壊されると思うね!

201912131032120000



●ラッキー! ・・・・・・お帰りは、何処から乗るか? 新小岩方面に歩くと、「大杉小学校前」バス停にバスが来た。 ラッキー、これで新小岩駅に出ることにした。

201912131041540000

2019年10月20日 (日)

端から端まで橋の梯子

台風19号とその後の雨などで、散歩の機会を逸した十日間程である。 今日は、スカイツリーの下を流れる北十間川沿いに、両端の隅田川から旧中川まで歩いてきた。 1万3千歩

・・・・・・・・・・・・・・北十間川とは、墨田区の中央部(スカイツリーの足下)で、隅田川と旧中川を結ぶ総延長3.24kmの運河である。 川の名は、本所の“北”を流れる幅“十間”程の川に由来する。(幅18mの北十間川は墨田区では一番狭い川である) かつては大横川の分流点より西側(隅田川寄り)を源森川、東側(旧中川寄り)を北十間川と称していたが、現在は両方合わせて北十間川と呼んでいる。 源森川は材木を運ぶための掘割で、万治年間(1659~)に業平橋の北から隅田川までを繋げて堀り進めた。 しかし、隅田川の洪水で大横川沿岸が度々水害に遭うため、寛文12年(1672)には早々に堤を築いて大横川への流れを遮断した。 しかし明治になって再び水を通しています。現在は源森川は北十間川の一部です。 東部の(旧)北十間川は、農業用水として寛文3年(1663)に開削された。、、、、現在は、観光スポットのスカイツリー人気により観光客も増え、北十間川は各所で遊歩道の整備・橋の改修工事が行われている。

Photo_20191020162901




●ゼロメートル地帯を守る水門 ・・・・・・・北十間川の隅田川との合流点は、水上バス浅草乗船場の前から対岸の墨田区役所の方を眺めると、首都高の下に源森川水門が見える。 この水門が北十間川の入口だ。、、、、源森川水門は、平常時、ゲートは開放されているが、台風が接近し高潮・洪水などが予測される場合は閉められ、いわゆるゼロメートル地帯に居住する住民の生命・財産を守る為に造られている。 墨田区・江東区の大部分はゼロメートル地帯で、この源森川水門、木根川水門、新小名木川水門、竪川水門、大島川水門の5つの水門で高潮・洪水から守られている。、、、、水門は、高さ7.5m、昭和34年(1959)に竣工した。 平成28年(2006)には耐震化工事も完了し、これで安心できるかな?

1910200824160

1910200826030

1910200840430

1910200846330



●枕一つで二人寝た?  ・・・・・源森川水門の東側、墨堤通りに架かる枕橋。 昭和3年(1928)に架けられた震災復興橋。北十間川 、、、、寛文2年(1662)、中之郷(現:吾妻橋)から向島に通じる源森川に源森橋が架けられた。 またその北側にあった水戸屋敷内(現:隅田公園)に大川(隅田川)から引き入れた小さな堀があり、ここに架かる小橋を新小梅橋と呼んでいた。 この二つの橋は並んで架けられていたため、いつの頃からか枕橋と総称された。 その後、堀は埋められ新小梅橋もいつしか消滅した。 明治8年(1875)、残った源森橋は正式に枕橋と呼ばれることとなった。、、、、現在の枕橋は昭和3年(1928)に架け替えられた震災復興橋。 コンクリート製のアーチデザインの橋であるが、石橋のように見える、デザインが素敵な橋。 街灯のレトロ感もいいね!

1910200848420

1910200847430

・・・・・・・・・・・・・・枕橋からスカイツリーにかけて、北十間川沿いに親水テラス東武鉄道伊勢崎線の高架下には店舗・船着場を整備中。 来年のオリンピック前にはオープンするかも?

1910200852290

1910200900080



●お名前、拝借! ・・・・・・・枕橋の次は、水戸街道に架かる源森橋。 創架年は不詳であるが、現橋は平成19年(2007)に架けられた比較的新しい橋です。 名前は明治8年に西隣りの源森橋が枕橋と改称されたのにともない、「源森橋」の名をチョイト拝借したそうだ。、、、、全長16m、幅35mの橋。

1910200900480

1910200902330



●お口の恋人、ロッテの小梅ちゃん? ・・・・・・源森橋の東隣は小梅橋なのだが、“小梅ちゃん”は只今工事中。、、、、昭和4年(1929)に架けられた震災復興橋なのだが、昭和28年(1953)に架け替えられた。 この橋の北側と、現在の業平橋駅一帯が小梅瓦町、小梅村とそれぞれ呼ばれていた処で、旗本の隠居所や富商の妾宅があったのはこの辺りだったのか(?)、、、、現在行われている架け替え工事では、車道幅員を7mから11.8mに広げ、これまで無かった歩道を両側に整備するそうだ。 令和2年(2020)竣工予定。

1910200917050

1910200915030

・・・・・・・・・・・・・・小梅橋の東隣(旧中川寄り)に北十間川樋門がある。 昭和53年(1978)に竣工したこの水門は、水位を調整するとともに、水質浄化もしている。 ここから大横川が分岐し、南に流れていた。、、、、現在、この樋門も耐震化工事中で、近づくことも出来ず。

1910200922260



●東武の跡地にペンギンが入居! ・・・・・・スカイツリーの街の西側に架かる東武橋。 その名の通り、スカイツリーが建つ前までは、業平橋駅(現:東京スカイツリー駅)前の東武鉄道本社前に架かっていた橋。 現在の東武鉄道本社は400m程東に移転し、跡地にはスカイツリータウン(水族館)が建っている。、、、、東武橋は昭和初期に架けられたが、現在の橋は昭和63年(1988)に架け替えられた全長19.7m、幅22mの橋。

1910200924510

1910200924090



●インスタ映えする撮影スポット! ・・・・・・・北十間川に架かる最も新しい橋は、スカイツリーの直下に架かる「おしなり橋」。 車は通行できない(自転車は可)人道橋。 スカイツリー開業時の付近の再開発事業で誕生した、長さ18.2mの橋。 橋上から見上げて見るスカイツリーはド迫力である。 それゆえ、橋上は観光客の撮影スポット。

1910200933370

1910200934310

1910200935240

1910200931480



●京成の本社は都落ち? ・・・・・・スカイツリーの街の東側に架かる京成橋。 こちらは、スカイツリータウンの東側で、押上駅の出口前に京成電鉄本社ビル(現:京成ビル、ホテル、スーパーなどが入居)があった。 スカイツリーの完成に合わせ本社は本八幡(千葉県市川市)に移転した。 その旧京成電鉄本社前に架かる橋が京成橋。 昭和4年(1929)の架橋。、、、、この橋も只今補修工事中。

1910200940410

1910200945200



●静かになった橋の上 ・・・・・・・・・・・・・京成橋からさらに東へ行く、西十間橋がある。 長さ21m、幅10m、平成元年(1989)7月竣工。、、、、スカイツリー工事中の時は、この西十間橋と次の十間橋は逆さツリーが撮れる格好の撮影スポットで、連日、アマチュアカメラマンで橋の上はイッパイであった。 時の経つのは早いもので、スカイツリーが完成して既に7年経過、橋の上にはあの当時の賑わいはなし。

1910200951250

1910200953270

1910200954290



●634×2=1268m? ・・・・・・西十間橋の次は十間橋。 業平5丁目と文花1丁目を結ぶ橋で、昭和14年(1939)に架けられた橋。、、、、橋の上では、日本人ではなく外人がスカイツリーを撮っていた。、、、、工事中の頃は、実物と川面に移るスカイツリーが一つの写真に写り込んだが、今は広角レンズでないと撮れない、チョン切れ写真となってしまう。 高さ634m×2倍=1268mの撮影は無理だ! 

1910201003120

1910201004540

1910201003350

1910201000070

・・・・・・・・・・・・・・・・・・北十間川はこの橋のすぐ東で、写真左へ流れる横十間川とつながっている。

1910201007510



●見晴らし良し! ・・・・・・横十間川との分岐部の東に、北十間川と浅草通りに架かる大きな歩道橋がある、その名は柳島歩道橋。 ここからの景色は絵になるね!、、、、写真は、歩道橋全景、歩道橋から隅田川(スカイツリー)方向を見る、同じく旧中川方向を見る。   

1910201008370

1910201012010

1910201011350



●殺人事件の現場か? ・・・・・江東区亀戸3丁目と墨田区文花1丁目・2丁目を結ぶ境橋。 長さ17m、幅8mの橋で、昭和49年(1974)竣工。

1910201020520

1910201023190

・・・・・・・・・・・・・・・境橋の南詰に小さな祠:祐天堂がある。 祐天堂は、元禄時代、祐天上人が旅の途中で、堂の後ろに流れる北十間川を見ると多くの水死者があり、その屍を救い上げこの場所に葬り供養し堂をたてたと言われている。、、、、なぜ、多くの水死者が出たのか不明だ! 大量殺人事件かも?

1910201021030



●ふりむいてほしいね! ・・・・・・・・墨田区文化2丁目、石鹸の「花王すみだ事業所」の近くに福神橋が架かっている。 橋上は明治通りが通る。 橋長21.30m、幅22.00m、昭和58年(1983)竣工。

1910201026130

1910201027070

・・・・・・・・・・・・・・橋上からスカイツリーを見ると、いいね! 写真右端の建物は「花王」。、、、、“花王”といえば、エメロンシャンプー。 エメロンシャンプーといえば、ハニー・ナイツが歌たうCMソング「ふりむかないで」。 この歌、昭和40年代の歌、私の好きな歌。 歌詞 ♪♪ 泣いているのか 笑っているのか うしろ姿の すてきなあなた ついてゆきたい あなたのあとを ふりむかないで 東京の人 ♪♪ 歌は最高、CMに登場した女性は可愛い娘だった! 時代は変わり、今では物陰で、ストーカーの歌と噂されているらしい。 

1910201027350



●チョイトだけよ! ・・・・・・北十間川を渡る亀戸線の橋梁。 只今、隣りの小原橋が工事中で、東武亀戸線北十間川橋梁の全景が見えず、残念!、、、、昨年撮影した北十間川橋梁はコチラ!

1910201041120



●端の橋で終わり! ・・・・・・・東武亀戸線北十間川橋梁のすぐ横に、小原橋があるが、只今架け替え工事中。 その頭上には丸八通りの新小原橋(車道専用)が通っている。、、、、ここが、北十間川で最も旧中川寄りの橋。

1910201043310

1910201044020

・・・・・・・・・・・・・・旧中川と北十間川の合流点。 左から北十間川、右から旧中川が流れてくる。

1910201047051_stitch

2019年9月 6日 (金)

新装開店の閘門

先日、荒川ロックゲートという閘門を見てきた、今日は小名木川にある扇橋閘門を見てきた。 JR総武線錦糸町駅から歩いて扇橋閘門へ行き、じっくり見た後は、暑さに負けバスで錦糸町へ戻り帰宅。 9千歩




●錦糸町は牛乳の産地! ・・・・・・・明治27年(1894)12月9日に総武鉄道(私鉄)の本所駅として開業。 明治40年(1907)に国有化。 大正4年(1915)に錦糸町駅に改称。 島式ホーム2面4線の高架駅で、現在は両国駅をしのぐターミナル駅。、、、、私の知る、昭和30年代の錦糸町駅は木造駅舎の地上駅で、ホーム北側には留置線などがあり、その北側には駄菓子問屋、花火・玩具問屋があったように記憶している。 現在の北口ロータリー周辺のこと。 南口には江東楽天地と映画館街(洋画に邦画、チャンバラ、西部劇、ピンク、何でもあった)があり、都電も走っていた、半世紀前の古い話だ。 昭和36年(1961)には、南口に駅ビルテルミナが開業した。

1909060754300

1909060756010

1909060759020

1909060806550

・・・・・・・・・・・・・・南口駅前のバス乗り場の中に、明治から大正に活躍した歌人で、小説『野菊の墓』の作者:伊藤佐千夫が搾乳業を営んだ「伊藤左千夫牧舎兼住居跡 」の説明板がある。、、、、伊藤左千夫は、元治元年に上総国武射郡殿台村(現:千葉県山武市)の農家の四男として生まれた。 18歳の時上京して明治法律学校(明治大学:私の先輩になる)に入学したが、眼病のため中退し農業に従事した。 22歳の時再び上京、神田の牛乳店に勤めた。 その後、26歳のとき、この地に牧舎つき住居を購入して独立、牛乳搾取業を始めたそうだ。 30歳で、同業の伊藤並根に茶の湯、短歌を学ぶ。 明治33年正岡子規の門に入り、作歌に励みます。 子規歿後は、根岸派の機関誌『馬酔木』『アララギ』により活発に作歌を続け、多くの著名な歌人を育てた。 大正2年(1913)転居先の江東区大島で脳溢血のため急逝した、享年50歳。、、、、この地で搾乳していたなんて、想像できないね!  もし、今でも牧場を持っていれば、凄い大地主だ。

1909060802521_stitch

1909060801200



●牡丹は散った! ・・・・・・錦糸町駅前から南に歩き、首都高7号小松川線の下に、埋め戻され公園・駐輪場となった堅川に架かっていた牡丹橋の親柱が残されている。、、、、ここに架かっていた牡丹橋は長さ35.29m、幅員11.00mの鋼橋(3径間鋼板ゲルバー指橋)で、関東大震災の復興事業により、昭和4年(1929)に架けられた。 橋名は橋の南側にあった「牡丹園」に由来する。 牡丹園は明治にオープンした、季節になると花を観ようと多くの見物客で賑わったそうだ。 関東大震災で焼失し、その名だけを橋名にとどめた。 粋な名の橋だが、その姿は無く、川も暗渠となり、チョイト寂しいね!

1909060826250

1909060824490

・・・・・・・・・・・・・・旧牡丹橋が架かっていた牡丹橋通り(錦糸町駅前から新大橋通りまで南北に伸びる道路)は、振り返り北を見るとスカイツリーが道路の先によく見える!

1909060827110



●薬師寺の聖観音? ・・・・・・・牡丹橋通りがぶつかる新大橋通りを横断し、さらに南へ向かい小松橋通りを歩く。 江東区猿江1丁目で重願寺前に出る。 重願寺浄土宗寺院で不虚山当知院と号す。 天正18年(1590)千葉邦胤の娘、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創、寛永6年(1629)本蓮社願譽是哲上人が開山した。 寛政7年(1795)に現在地の猿江に移転した。、、、、ここの山門の柱は、奈良の薬師寺の講堂に使用されていた木材で作られているそうだ。 平成16年(2004)の建立という新しいもの。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造りの2階建てのビルで、平成29年(2017)に竣工した。

1909060902290

1909060857240

・・・・・・・・・・・・・・本堂左に立つ「みまもり観音」は、関東大震災や東京大空襲などで殉難された多くの人々の冥福を祈り、天災や戦争のもたらす悲惨さと平和の尊さを後世に伝えるため、檀信徒をはじめ、猿江地区6ヶ町内有志を中心に、昭和56年(1981)造立された。、、、、「みまもり観音」の名称には、観音の限りない大慈悲によって亡き人々、いま生きる我々を日々に「見守り給え」という祈りが込められているそうだ。 その像は、奈良薬師寺東院堂の本尊である国宝「聖観音像」を原型に拝借、実写して二・二倍にして鋳造された。 つまりは、奈良に行かずとも聖観音像が拝める

1909060857020



●化粧直しした閘門 ・・・・・・・重願寺から南へ200m程、小名木川に架かる小松橋に出る。 小松橋と西側の新扇橋の間に、今日の散歩の目的地、橋閘門がある。 次の写真は、2014年1月の扇橋閘門。 (昨年、小松橋、新扇橋、扇橋閘門について、こちらで説明している)


20140116-127
・・・・・・・・・・・・・・・新装開店の扇橋閘門。 今年の春、姿を現した耐震補強工事が完了した扇橋閘門。 取付護岸の補強工事が終わり、閘門の支柱は鉄筋補強され、ゲートは新品に交換、上部の機械室はシースルーのスケスケ、管理棟は耐震補強し綺麗になった外装。

1909060949200

1909060951320



●暑い暑い! ・・・・・・扇橋閘門に着いた頃は、気温は30℃を超え、汗びっしょり。 パンツの中も汗でムレムレ。 熱中症が恐くなり、閘門を見たら帰ることにした。、、、、扇橋一丁目バス停から錦糸町駅行で帰路につく。

1909060956310

2019年9月 3日 (火)

コレ!地蔵さま?

東大島にある荒川ロックゲートが見たくなり行ってきた。 都営新宿線東大島駅で下車し、大島小松川公園を抜け、荒川土手のロックゲートの開閉をジックリ見て、江東区東砂3丁目の生田神社まで南下し、神社からは東砂の町を北上し小名木川を越えて、東大島駅に戻る。 1万1千歩




●出口を間違えたら一大事! ・・・・・・・東大島の所在は駅長室がある江東区大島9丁目である。 『江東区と江戸川区の区境の河川橋上駅で全国でも珍しい駅』として、2000年に関東の駅百選に定められた。 同じような河川橋上駅として、東京では北赤羽駅がある。、、、、東大島駅は昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業した。 駅は江東区と江戸川区の区境となっている旧中川の真上にホームがあるため、西側の大島口は江東区、東側の小松川口は江戸川区にある。 東西の出口を間違えて下車すると、川を渡って戻ることになり一大事! 今日の私は荒川に行くので、間違えずに小松川口から出た。

・・・・・・・・・・・・・昨年改修工事が終わり、明るく眺望が良くなったホーム。

1909030741200

1909030742580

1909030740340

1909030744040

・・・・・・・・・・・・・・こちらは、江戸川区側の小松川口。、、、、乗降客は反対側:江東区側の大島口の方が多いようだ。

1909030752540

1909030800280

・・・・・・・・・・・・・・川の上の駅、、、、『来年からは釣り人にホームを開放して、釣りをできるようにする』という話は、アリマセン!

1909030802590

1909030806440



●閘門を20分で通過! ・・・・・大島・小松川公園旧小松川閘門荒川ロックゲートの詳細は、こちら 2016/11/29の記事を見て!
・・・・・・・・・・・・・・東大島駅の南側で、東に荒川、西に旧中川に挟まれて都立の「大島・小松川公園」がある。、、、、公園の中央にはシンボル的に旧小松川閘門が、下半身を埋められ頭だけ出している。、、、、今日は昨夜からの雨で、公園は湿っぽく、雑草は茂り、暑さでムンムン・ムレムレ・ムシムシ。 空は一雨降りそうでムズムズ。 

1909030814120

1909030821130

・・・・・・・・・・・・・・荒川ロックゲートは、閘門を通れる大きさの船であれば、いつでも通行できるそうだ。 ただし、利用は平日の8:45~16:30で、無料。、、、、今日はチョウド8:45に、ここ荒川ロックゲートに到着した。 朝一番に通る船があり、閘門を通過する一部始終を見ることができた。 

              ① 8:40 荒川側のゲート前に到着

1909030824070

              ② 8:40 ローラーゲートが巻き上げられる
1909030824320

              ③      ゲートが上る
1909030824580

              ④ 8:40 ゲートの外(荒川)で待機していた船が閘門に入る
1909030826300

              ⑤ 8:43 閘門の両側のゲートが下ろされる1909030827560
              ⑥ 8:47 閘門内の水位を下げ始める。 荒川と中川の本日の水位差は2.3m





1909030831000
              ⑦ 8:47 水位が下がり始めた。 両側の壁が濡れて、水位の低下が判る

1909030831070

              ⑧ 8:51 荒川の水位に比べ2.3m低くなり、水位調整完了!
1909030835080

              ⑨ 8:52 旧中川側のゲートが上り始める
1909030836340

              ⑩ 8:54 ゲートは上がり船は出ていく。 約20分間の出来事だった。
1909030838270



●神社でUターン! ・・・・・・・荒川ロックゲートから裏道を歩き、江東区東砂3丁目の生田神社に出てきた。、、、生田神社は、当地開拓の際に旧太郎兵衛新田村の鎮守として慶安年間(1648~1651)に創建したと云われている。、、、、元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多いそうだ。(私には、本当に参拝人が多いとは思えない)、、、、東大島駅からここまで歩いてきたが、雨粒が落ちてきた、チョイト寂れた商店街沿いに東大島駅に戻ることにした。 
1909030855550

●“地蔵”をイメージできない! ・・・・・・小名木川にくると、雨粒も落ちてこず、蒸し暑さが残るだけ!

1909030926300

・・・・・・・・・・・・・・川を渡り、大島8丁目に入ると宝塔寺がある。 真言宗智山派寺院の宝塔寺は、稲荷山小名院と号す。 宝塔寺は、慶長15年(1610)法印賢意が創建。、、、、境内に安置されている塩なめ地蔵は、もとは、小名木川沿いにあったものを昭和初期に移したものです。江戸時代に、小名木川や行徳道を通る商人たちが、この地蔵の前で休憩し、商売繁盛を願って塩を供えたのが由来と伝えられています。また仏前の塩をもらっていぼにぬると治るともいわれ、別名「いぼ取り地蔵」とも呼ばれていました。、、、、私は、どう見ても“地蔵”の姿をイメージできず、“アレ”をイメージしてしまう。 “アレ”に塩を供えると、何となくナメクジみたいに縮んでしまいそうだね!

1909030933350

1909030934250

2019年8月13日 (火)

宵の亀戸線

猛暑は続き、日中は外出も嫌になり、今日は夜の散歩にした。 東武鉄道亀戸線の亀戸駅から曳舟駅まで亀戸線に乗り曳舟駅で下車し、線路沿いに亀戸駅まで歩いてきた。 汗だくの1万1千歩。、、、、このコースの散歩は個人的に好きで、日中に歩いたブログはコチラを見てね!



●都心のローカル線で出発! ・・・・・・・・・・まずは、夕暮れの亀戸駅。、、、、2両連結の電車が、10分間隔で走っているが、亀戸駅を出る頃には空いた座席は無し。 盆休み期間中にもかかわらず、通勤客が多いね。 

1908131815420

1908131816590

1908131817210

1908131818200

1908131825100

1908131825470



●8分で終点! ・・・・・・・亀戸駅から4駅目、所要時間8分、終点曳舟駅に到着、折り返し亀戸行となるワンマンカー。 亀戸線ホームは2両分だけの短いホーム。
1908131836300

1908131837220

1908131837480

1908131841240

1908131844170

1908131846470



●下町の軒先を走り抜ける! ・・・・・スカイツリーが見下ろす、木造住宅の密集した墨田区京島地区を走り抜ける亀戸線。 下町の「キラキラ橘商店街」も店仕舞いし買い物客の姿はない。

1908131854070

1908131854490

1908131904120

1908131911460

1908131919020



●ポッンと都会に一駅! ・・・・・・曳舟駅の隣り小村井駅(おむらいえき)、、、、江戸時代からこの辺りは小村井村と称していたことに由来する駅名。 駅は明治通りに面しているが、大きな商業施設はなく、周辺は暗く、静かだ!

1908131925400

1908131929290

1908131931590

1908131932410

1908131929210



●もう着いた! ・・・・・・次の東あずま駅までは600m、線路沿いに歩けば近い!、、、、途中の踏切りも2カ所だけ。

1908131938300



●ローカル線のローカル駅! ・・・・・・東あずま駅は、付近一帯の地名:吾嬬(あづま)に由来する。 しかし駅名は“東あづま”ではなく“東あずま”、理由は不明。 駅は都道476号(丸八通り)に面する。、、、、一日の乗降客が8,000人に満たない小さな駅。

1908131942190

1908131940520

1908131943060



●家路に急ぐ! ・・・・・・次の駅:亀戸水神駅に向かう。、、、、東あずま駅から立花団地へ帰る人、、、、静かな丸八通り、、、、蔵前橋通りの跨線橋から見る亀戸線

1908131942530

1908131949590

1908131959370



●天神にあらず水神! ・・・・・・駅名そのまま亀戸水神駅亀戸水神宮の最寄り駅。 駅は亀戸駅から700m程の距離である。、、、、一日の平均乗降客は約4000人で、都内ではワースト5に入る都心のローカル駅。

1908132003200

1908132003430

1908132004500



●亀戸の明かり ・・・・・終点の亀戸に向かう。、、、亀戸線は踏切が多い、、、、踏切を渡るつとその先にはJR総武線のガード、、、、線路の先に亀戸駅の明かりが見える

1908132008120

1908132012380

1908132012170



●散歩の起点は散歩の終点! ・・・・・亀戸駅に戻った!

1908132020580

1908132021290

2019年7月26日 (金)

深川の三十三間堂

一気に夏到来、これからは外出時に熱中症を心配しなければならない、暑い暑い夏だ!

今日の散歩は、都営浅草線日本橋駅から、永代通りに沿って地下鉄東西線木場駅までの、1万2千歩です。 




●間違えたら一大事! ・・・・・・昭和7年(1932)、中央通りに東京地下鉄道(現:東京メトロ)の日本橋駅が開業。 昭和38年(1963)2月28日、中央通りと約200m離れて並行する昭和通りに、都営地下鉄1号線(現:浅草線)の江戸橋駅開業。 昭和42年(1967)には、中央通りの日本橋駅と、昭和通りの江戸橋駅を連絡するように永代通りに東西線の日本橋駅が開業する。 これにより、日本橋駅と江戸橋駅は乗換駅となる。 平成元年(1989)都営地下鉄浅草線の江戸橋駅を日本橋駅に改称。、、、、浅草線の日本橋駅は、相対式ホーム2面2線の駅であるが、改札内にはホーム間の連絡通路が無いため、行先により利用する改札を使い分ける必要がある。、、、、我が家のある浅草線の浅草橋駅の隣り駅は東日本橋駅、三越デパートに近いのがJR総武快速線の新日本橋駅、そしてここ日本橋駅。 どれも“日本橋”間違えないように!(大阪メトロにも日本橋駅があるけど、ここと間違えたら悲惨!)

1907260724201

1907260725210

1907260726160

1907260730170

・・・・・・・・・・・・・・浅草線から地上に出ると、昭和通りと永代通りが交差する「江戸橋一丁目交差点

1907260729110

1907260732420



●撤去されずに50年 ・・・・・・永代通りの日本橋駅と茅場町駅の間に、かつて流れていた楓川(かえでがわ)を渡る千代田橋が残されている。 千代田橋の最初の架橋は昭和3年(1928)。 東京オリンピックに間に合うように、昭和37年(1962)に川は埋め立てられ、頭上には首都高が造られ、千代田橋は使命を終えた。 その後今日まで、千代田橋はなぜか撤去されず残されている。 当時、急速に進んだ都市開発の波にもまれ、取り残されたこの橋に悲哀を感じる。

1907260735290

1907260737570



●暑さに耐え、今日もお勤め! ・・・・・・日本橋駅から約500mで隣の茅場町駅。 通勤する人がゾロゾロと地下駅から掃き出されてくる。、、、、亀島川に架かる霊岸橋を渡り、昔の霊岸島、今は中央区新川である。、、、、大手企業の本社ビルが立ち並ぶ、バブルの象徴と言われるビルもその一つ。

1907260746530

1907260747540

1907260755090

1907260757110



●只今、化粧中! ・・・・・・永代通りが隅田川を越える永代橋。 橋の素顔を見たかったが、只今、一年がかりの塗装工事で、暑さ寒さに耐えられるよう厚化粧中だ!、、、、橋から見る、青空の下の隅田川。 画になるね!

1907260801030

1907260803200



●味噌屋の逸話 
・・・・・永代橋を渡り江東区佐賀1の乳熊ビル前に、ちくま味噌(株)の建てた「赤穂義士休息の地」の石碑がある。 赤穂四十七士の一人大高源吾守葉は俳人としても有名であるが、ちくま味噌初代竹口作兵衛本浄とは其角の門下として徘界の友であった。 元禄15年(1702)12月14日本所松坂町(墨田区両国)の吉良邸討入後、大石内蔵助率いる義士達が一ツ目通りを引き上げの途中、永代橋際の乳熊屋味噌店の前にさしかかる。 乳熊屋は上棟の日に当たり、作兵衛は一同を店に招き入れ甘酒粥を振る舞い労をねぎらった。 大高源吾は棟木に由来を認め又看板を書き残し泉岳寺へ引き上げて行ったそうだ。 ちくま味噌では、現在「元禄浪士あま酒」として販売している。 老舗の味噌屋には、それなりの話が残っているものだね。、、、、ところで、恥ずかしながら、私は今日まで「ちくま味噌」の“ちくま”は“千曲”で信州の会社だと思っていた。 “乳熊”は伊勢乳熊郷の地名であった。 慶安の頃(1648~1651)竹口作兵衛義道が、一旗揚げようと伊勢乳熊郷から江戸へやってきて、日本橋で塗物商を営んでいたが、元禄の初め(1688~)深川永代橋際の現在地で味噌醸造を営み、乳熊屋作兵衛商店といったのが、今の「ちくま味噌」の始まりだそうだ。

1907260809370

1907260808150



●蒲鉾にあらずミカンなり! ・・・・・蒲鉾屋のお稲荷さんと間違えそうな、大和総研(永代1-14)の敷地の東角地にある紀文稲荷神社。 江戸中期(元禄時代)の豪商紀国屋文左衛門が京都伏見稲荷神社より御霊を拝受しこの地に祀ったのが紀文稲荷神社。 紀国屋文左衛門は第5代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保荻原重秀等と結び風浪を冒して紀州よりミカンを江戸に運びまた材木商として明暦の大火に木曽の木材を買い占め数年で巨万の財を築き豪遊して紀文大尽と称せられていた。 その文左衛門の店は八丁堀にあり、下屋敷が深川にあり、船蔵もこの周辺にあり、縦横に伸びた運河によって結ばれていた。 そこで、文左衛門は、この付近時この付近一帯の航海の安全と商売の繁盛を祈ってこの地にお稲荷さんを祀った。、、、蒲鉾屋にあらず、ミカン屋のお稲荷さんだった!

1907260816470



●度々の参拝、建物は見飽きた! ・・・・・・門前仲町駅前をとうり、永代寺深川不動尊深川不動燈明塔富岡八幡宮と、定番の寺社を巡る。

1907260833550

1907260834500

1907260900530

1907260849471

1907260843570

1907260908020



●国産第一号の鉄橋 ・・・・・・
富岡八幡宮の東側に「八幡掘遊歩道」があり、そこには歴史ある人道橋2橋の上部が残されている。

・・・・・・・・・・・・・・江東区木場の大横川(旧大島川)に架かり、町の人びとの暮らしを支え続けてきた小さな人道橋。 大正時代、岐阜県から上京し、木場で開業医をしていた新田清三郎さんが、昭和7年(1932)、不慮の事故で亡くなった夫人の霊を慰める供養の意味を込めて架けた橋である。 当初「新船橋」と名付けられたが、新田医師の亡きあと「新田橋」と呼ばれるようになった。、、、、現在の新田橋はコチラ

1907260922350

・・・・・・・・・・・・・・旧弾正橋は、明治11年(1878)工部省赤羽製作所にて作られた国産第1号の鉄橋。 長さ15.2m、幅3mの単径間アーチ型式。 近代橋梁技術史上において価値の高い橋で、国の重要文化財に指定されている。 昭和4年(1929)に現在地(八幡堀)に移され八幡橋と改称し、人道橋として使用されてきた。、、、、堀は埋め立てられ、橋の下は遊歩道となっている。

1907260919150

1907260926100



●三十三間堂があった! ・・・・・旧弾正橋(八幡橋)を渡り東に向かうと深川八幡東交差点。 この交差点角に「三十三間堂跡」がある。、、、、江戸三十三間堂は、京都蓮華王院に模して、寛永19年(1642)に浅草において建立された。 ここ深川に移されたのは元禄14年(1701)のことである。 深川の三十三間堂は、南北六十六間・東西四間の堂舎であり、本尊は千手観音だったといわれている。 現在でも、京都の三十三間堂において通し矢が行われているが、江戸時代は、この三十三間堂においても、諸士の弓術稽古のために通し矢が行われていた。 深川三十三間堂は、明治5年(1872)に廃棄解体され、本尊は正覚寺(深川2)に移された。 跡地は明治時代に、堂域そのままに細長い深川墓地として利用されたが、大正時代には数矢小学校と住宅に変わった。 その後、数矢小学校は富岡八幡宮の北側の現在地に移転した。、、、三十三間堂が建っていた場所は、明治2年~昭和6年、深川数矢町(かずやちょう)といった。 町名は「三十三間堂が射手数矢を演じたる地なるを以って町に名づくという」ことに因んでいる。 現在は富岡2丁目に含まれ、数矢町は消滅したが、この名は、数矢小学校の校名に残っている。 


1907260928390

1907260929340



●200億円の工事! ・・・・・・東西線の木場駅は昭和42年(1967)9月14日に開業した。 島式ホーム1面2線を有する地下駅である。 深さ22.4mと、東西線で一番深い位置に存在する。 開削工法で掘られた両端部以外は単線シールド工法で掘られたためホーム中央に壁があり、単式ホームを隣り合わせとしたような構造である。この単線シールド工法で建設された駅は日本の地下鉄として初である。このような構造のため、改札口と連絡する階段・エスカレーターはホームの両端にあり、それ以外の位置ではホーム間の行き来はできない。階段はエスカレーターの奥にある。、、、、開業してから50年、狭いホームの改良工事が進められている。 シールドの壁を撤去し、広い空間を造りホームを広げる総工事費200億円の大工事。乞うご期待!

1907260939520

1907260943330

1907260945280

2019年3月18日 (月)

消えた洲崎遊廓

地下鉄東西線の東陽町駅で下車し、かつてあった洲崎遊廓の跡を追って木場に出て、木場公園のバス停まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●中央区のような江東区 ・・・・・・・・・・・地下鉄東西線は、昭和39年(1964)12月23日、高田馬場~九段下間の開業に始まり西と東に延伸し、昭和42年(1967)9月14日に中野から東陽町までつながった。、、、、東陽町駅は永代通りの地下にある、相対式2面2線構造の地下駅である。 一日に12万人が乗り降りする大きな駅である。、、、、私は日本橋から満員電車に乗ってきたが、東陽町で一斉に下車。 アレ・レ? 電車はガラガラ
 
1903180804560
 
1903180809230
 
・・・・・・・・・・・・・・駅周辺には、大企業のオフィスが並び、朝は地下から出てくる通勤客が絶えない。、、、、多くのサラリーマンに紛れ、地下鉄の階段を上ると、中央区日本橋のビジネス街に出るようだ。 江東区とは思えない!
 
1903180813060
 
1903180820440
 
 
 
●男のパラダイス ・・・・・・・・・・・東陽町駅と木場駅の間、永代通りの南側に東陽1丁目の町がある。 この1丁目の全域が、戦後は「洲崎パラダイス」と呼ばれた、吉原とならぶ大歓楽街:「洲崎遊廓」であった。(この頃、私は乳飲み子で実態は? 残念!)、、、、歴史は明治まで遡り、、、、明治20年までに富坂(文京区)に東京帝国大学校舎が新築される計画が策定されたため、風紀上の観点から直近に存在した根津遊郭の移転計画が発足した。 しかし受け入れ先となるはずの、最大の歓楽街だった吉原には受け入れの余裕がなかった。 そこで、洲崎弁天の東側の広大な湿地を整備して移転することとなり、現在の東陽1丁目に洲崎弁天町が誕生した。 大正時代末期には300軒前後の遊郭がひしめき、吉原と双璧をなす規模の大歓楽街となった。 昭和33年(1958)の売春防止法成立まで遊廓が設置されていた。
 
・・・・・・・・・・・・・洲崎遊廓は長崎の出島のように、海に突き出した形態で、周囲は堤防となっている。 遊女が逃げられない造りである。 遊廓の入口に当たる処は、永代通りと並行に流れていた洲崎川に架かる洲崎橋。  この橋を渡ると、正面に幅の広い大門通りがあり、左右に遊廓があったそうだ。、、、、写真は、東陽3丁目交差点(永代通り)の南側にあった洲崎橋の跡地に作られた碑。 洲崎川は埋め立てられ緑道となっている。 洲崎橋の正面に伸びる「大門通り」。 
 
1903180921310
 
1903180922570
 
1903180920490
 
 
・・・・・・・・・・・・・現在も遊廓(東陽1丁目)を囲んでいる堤防。 現在は周囲の町に比べ、東陽1丁目の地盤が低く、斜路・階段などで隣接の町とつながっている。
 
1903180837050
 
1903180842510
 
1903180902520
 
1903180924410
 
1903180927430
 
 
・・・・・・・・・・・・・洲崎遊廓は現:東陽1丁目の中央を南北に貫く大門通りによって、洲崎弁天町1丁目(西側)・2丁目(東側)として、東西に分けられていた。 遊廓の時代は、洲崎弁天町全域が廓であったが、戦後は東側だけが洲崎パラダイスとして指定地となり、100軒程のカフェーがあったそうだ。、、、、当時の建物は全て取り壊され、今は住宅、マンション、アパートが並ぶ街。
 
1903180907530
 
1903180913060
 
・・・・・・・・・・・・・洲崎パラダイスの頃の建物と思われる、どちらも取り壊された。 (平成22年に撮影)
 
110525_085646
 
_20101010_152732_2
 
 
・・・・・・・・・・・・・遊廓の地の東南に、現在、「都営 洲崎弁天町アパート」がある。 かつてここには、遊廓の娼妓たちの性病の検診と治療を行っていた都営洲崎病院があった。、、、現在は、昭和40年~42年に建てられた都営住宅がある。
 
1903180903470
 
1903180905330_2
 
 
・・・・・・・・・・・・・都営洲崎弁天町アパートの一画に「洲崎遊郭追善供養歌碑」がある。、、、、性病で死んでいった娼妓たちを供養したものだ。 「白菊のはなにひまなくおく露のなき人しのふなみたなりけり」と彫られている。 昭和6年(1931)11月9日洲崎遊郭開業50周年記念法要に信州善光寺大本願119世大宮尼智栄上人が詠んだもの。 建立は洲崎三業組合。、、、、遊郭の存在が忘れられる半世紀あまり、はっきりと遊廓が在ったことを標す遺構だ。、、、、ここで亡くなった娼妓たちは、江東区平野2にある浄心寺で弔われた。 境内に洲崎遊女合葬墓がある。
 
1903180906530_2
 
 
 
●洲崎弁天だ! ・・・・・・・・・・・東陽1丁目の西隣の木場6丁目に洲崎神社がある。 元禄13年(1700)の創建。 洲崎神社は元弁天社と称し厳島神社の御分霊を祭神として祀っている。、、、、洲崎遊郭に隣接し、文人墨客だけでなく、遊女の参拝もあったであろうね!
 
1903180936460
 
1903180934450
 
・・・・・・・・・・・・・境内には、「波除碑(なみよけのひ)」がある。これは、寛政3年(1791)に高潮により多数の死者を出したため、幕府が洲崎弁天社の西を空き地にしてその境界に建てた碑のひとつである。、、、、、東日本大震災の津波と同様に、多くの人命が失われたことを忘れずに、後世に伝えるものだ!
 
1903180935470_4
 
 
 
●深川にぴったしの景観 ・・・・・・・・・・・・・・木場駅と洲崎神社を結ぶ、赤く塗られた鮮やかな新田橋(にったばし)。 大横川に架かる人道橋である。、、、、明治から昭和初期にかけ、木場5丁目で医院を開業していた医師:新田清三郎さんが、不慮の事故で亡くした夫人の霊を慰めるため、供養で架けた橋。、、、、、現在の橋は平成12年(2000)に架け替えられたものである。 当時の橋は深川富岡八幡の近くに保存されている。
 
1903180943080
 
1903180946500
 
1903180950080
 
 
 

 

●360度の芝生、広い! ・・・・・・・・・・・散歩の最後は、木場公園を横切り帰る! 
 
1903181010131_stitch
 

より以前の記事一覧