東西線南砂町駅から明治通り沿いの裏道にチョコチョコ入り、北へ向かって都営新宿線西大島駅まで、1万3千歩の散歩です。
● 東西線「南砂町駅」は昭和44年(1969)に営団地下鉄東西線東陽町~西船橋間延伸時に開業した。、、、、当時、ホームがある位置には洲崎川という運河があり、南砂町駅は洲崎川の川底にトンネルを沈め、トンネル内にホームを造ることとなった。 トンネルは、陸上で13個に分割して作った鉄筋コンクリート製のトンネル筐体を川底に沈め、さらにトンネル筐体の下部を掘削して地中に沈め込む「ケーソン工法」にて建設された。 川底の軟弱地盤に造られた駅・ホームは狭い空間で、1面2線の島式ホーム両端に1か所ずつ改札口(出口)があるのみだった。、、、、開業後50年を経過した現在、乗降客も増え駅構内の混雑も激しく、ホームの拡張が求められてきた。 そこで、現在のホームの隣りに、島式ホームを増設し、2面3線の島式ホーム構造に改良することとなった。 現在のホーム前の壁の向こうでは新しいホームが造られているそうだ。 工事の完成はまだ数年先となるらしい。 (注:現在は洲崎川は埋め立てられ道路に変わっている)
・・・・・・・・・・・・朝、西船橋方面に向かう列車は空いている、都心に向かう列車は混んでいる。
・・・・・・・・・・・・ホーム前の壁はコンクリートがむき出しとなり、その壁の向こう側では新ホームを増設中。
・・・・・・・・・・・・3機の自動改札がある西側の改札口。 その先、地上への出口は1か所のみ。 出口を出ると、そこは工事現場の中!
● 南砂町駅を出て、「永代通り」と「明治通り」が交差する「日曹橋交差点」から、明治通り沿いに北上する。
・・・・・・・・・・・・明治通りの東側(南砂3)に7棟の集合住宅一列に並んだ、総戸数175戸の「都営南砂3丁目第2アパート」がある。 この向かい側に小ぢんまりしたお稲荷さん「仙気稲荷大明神」がある。、、、、仙気稲荷大明神は江戸百稲荷の一つで、江戸時代から「砂村疝気(せんき)稲荷」として名高く参詣者が多く繁栄していた。 砂村稲荷神社は、昭和20年(1945)の米軍の無差別空爆により全焼、その後仮社殿が建てられたものの、昭和42年に千葉県習志野市谷津に移転した。 神社の跡地には都営住宅が建てられ、その一隅に昔の名前を留める小祠が仙気稲荷大明神だ。、、、、大明神は文化文政の頃から、“疝気”という、大小腸・子宮などの下腹部が痛む病気に、霊験あらたかだった。 現代は、胃腸の痛みにはラッパのマークの『正露丸』(我が家の常備薬)
● 仙気稲荷大明神から北へ約250m、「葛西橋通り」と「明治通り」が交差する「南砂四丁目交差点」を通過。
・・・・・・・・・・・・南砂四丁目交差点からチョイトばかり北へ歩くと、明治通りが仙台堀川を越える処に「弾正橋跡」がある。、、、、「弾正橋」は大正時代に城東電機鉄道の鉄道橋として砂町運河に架設され、その後明治通りの道路整備に伴い、昭和5年に道路及び鉄道橋として鋼橋に生まれ変わった。 橋の名前の由来は、元々境川(葛西橋通り)に架っていた橋(境川交差点のところ)の名前だったが、大正13年(1924)からの震災復興事業のため境川が埋立てられて撤去されたことを惜しみつけられたもの。 今は、橋名板、レリーフを残すのみ。、、、、仙台堀川は「仙台堀川公園」として親水公園に生まれ変わってる。
● 明治通りを北へ歩く、「清州橋通り」と交差する「境川交差点」に出る。
・・・・・・・・・・・・交差点の近くに、「志演尊空神社(しのぶそんくうじんじゃ)」がある。、、、、志演神社は寛永元年(1624)に創建され、菅原道真の末裔の菅原長寛が稲荷神を勧請した。 その後、徳川綱吉が当社を参拝し「志演神社」と命名した。 その後、昭和31年(1956)になると、近くの尊空稲荷神社を合併し、社名は現在の志演尊空神社となる。、、、、歴史ある神社のようだ、しかし、歴史を感じさせるものが少ないね!
・・・・・・・・・・・・志演尊空神社から一軒飛んで西隣に日蓮宗寺院「妙久寺」がある。、、、、妙久寺は天霊山と号す。 小湊誕生寺16世日領上人(慶安元年1648年寂)が寛永7年(1630)に創建したと伝えられている。、、、、こちらに、横綱:大鵬の墓があるそうだ。 手を合わせてきたかった!、、、、古くはないが木造の楼門が印象に残る寺。
● 妙久寺の西側に「越中島貨物線」が通っている。 越中島貨物線は総武線小岩駅と越中島貨物駅を結ぶJR東日本の貨物支線である。 現在は平日に3往復の貨物列車が運行され、越中島の東京レールセンターにレールを運んでいる。、、、、妙久寺の北側にある複合商業施設「アリオ北砂」は、平成12年(2000)まで運営していたJR貨物の小名木川駅の跡地である。
・・・・・・・・・・・・妙久寺側から北を望む。、、、、写真右端のマンションの後ろに「アリオ北砂」がある。また手前の公園も小名木川駅の跡地である。 公園にはモニュメントとして小名木川駅の歴史を語る車輪が置かれている。 道路奥の線路が越中島貨物線。
・・・・・・・・・・・・小名木川駅の建物が線路脇に残っている(写真中央) 現在は駅名を表示したものはなく、JR貨物の関係会社が使用中。 この建物は「小名木川駅統合詰所」であった。
・・・・・・・・・・・・妙久寺の西側を越中島貨物線が通っているが、寺の横から南の越中島方面に線路に沿って「南砂線路公園」と名付けられた遊歩道がある。 運が良ければ一日3往復する貨物列車を見ることができるかも?
● 越中島貨物線沿いに北へ向かうと小名木川に架かる「小名木川橋梁」がある。、、、、小名木川橋梁は、可愛らしい白いトラス橋なのだが、今日は錆に汚れてチョイト可哀そう! 本橋梁は複線対応であるが、レール自体は単線のみの敷設されている。 鉄道省の設計、東京石川島造船所の橋桁製作により、昭和4年(1929)に竣工した。、、、、鉄道遺産でもあり、文化財に指定し保存してほしいね!
● 再び明治通りを歩き、都営新宿線「西大島駅」に着いた。 今日の散歩はココまで! 帰ろ!