足立区

2026年4月 6日 (月)

高野から梅島

日暮里舎人ライナーの高野駅から、東武伊勢崎線の梅島駅までの散歩です。 5千歩



● 日暮里舎人ライナーの高野駅(こうやえき)で下車し散歩を始める。 高野駅は平成20年(2008)3月30日に開業した。 ホームは島式1面2線構造で尾久橋通り中央の上空3階にある。、、、、、駅名の「高野」は現行の住居表示名としては存在しないが、江戸時代に登場した足立郡高野村が基であり、明治22年(1889)に江北村大字高野となり、昭和7年(1932)の足立区成立で高野町として存続したが、昭和51年(1976)の住居表示では消失した。 日暮里舎人ライナーの開業時には、すでに消失した地名であるが、駅名として再登場した「高野」である。
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・・・・・・・・・・ 高野駅からは東に向かい興野関原の町を抜けて梅島駅まで歩くことにした。 



● 高野駅から200m程離れた、裏道に「吉祥院阿弥陀堂」がある。 吉祥院は真言宗豊山派の寺院で、正応元年(1288)僧円真が開山しました。古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといい、盛時には多くの寺領と末寺33を有していたといわれてる。、、、、、吉祥院阿弥陀堂は、足立区扇にある阿弥陀堂で、吉祥院の境外仏堂である。 現在、吉祥院関係の境外仏堂は4カ所残っており、地蔵菩薩や阿弥陀如来が安置されています。 吉祥院の境外仏堂の中で一番立派なのが、この阿弥陀堂である。 この堂には、本尊として身の丈45㎝の阿弥陀像、また地蔵菩薩と弘法大師像と聖徳太子があります。
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興野・関原の町は、主要幹線道路以外は緊急車両が通り難い細く入り組んだ道路が町全体に広がっている。 私のようなよそ者は、地図を持って歩かないと道に迷いそうだ。、、、、、日差しの強い今日(東京は23.7℃)、裏通りにはコンビニがない、自販機もない、汗をかきながら歩く!
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● 興野2丁目の入り組んだ町中に、真言宗豊山派寺院「瑠璃山 善応寺」がある。 善応寺は、寛朝上人が開基となり貞治2年(1363)創建、明治11年(1878)清光寺を合寺した。また、明治の初めには興野の教育をになっていた公立興野学校がおかれていました。 現在の本堂は昭和40年(1965)に建立され、本尊聖観世音菩薩、両座に弘法大師・興教大師を安置している。、、、、、チョイと寄って、合掌! 境内の桜は散りはじめた!
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● 高野駅から歩き始めて約2時間、梅島駅に着いた。、、、、、老いたせいか、思ったほど歩数は少なく、チョイト万歩計を疑う?
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2026年3月18日 (水)

来た!北綾瀬

JR常磐線の亀有駅から千代田線の北綾瀬駅まで歩いてきた。



亀有駅へは、浅草橋(我が家)から京成線の青砥まで行き、青砥駅前から亀有駅行のバスで到着。 バスを降りると駅前では、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のキャラクターである、「ようこそ こち亀の街へ!両津・中川・麗子がお出迎え!像」が迎えてくれる。 三人の中でも、グラマーな婦人警官:麗子さんを見ると年寄でも元気になるね!、、、、、亀有駅まで来たが『ここからは、どこへ行こうか?』 悩んだ結果は『とりあえず、北に向かって歩いてみよう!』 
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● 駅北口のチョイ奥にある「亀有北口中通り商店街」を歩く。 商店・スパーもある、行列のできる飲食店もある、脇道には夜の街もある、元気な商店街。
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● 商店街を抜け、「環七南通り」を西へ、続いて「蒲原通り」と表示された道を北へ向かう。 アパート、マンションの多い町だ、鉄塔もあるね。
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● そんな町にカラフルなマンションか(?) 近づいてみると、余裕ある敷地にシャレた建物、通用門に小さな字で「東京藝術大学」の文字! 『
こんな所に藝大のキャンパスがあったのか!?』 正面に回ると、「東京藝術大学 藝心寮」と記されていた。 『なんだ! 藝大の寮か!』 しかし、ここ足立区東和に立派な寮があるとは、さすが国立の藝大だ!
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● さらに歩いてると、環七通りの先に地下鉄千代田線の北綾瀬駅が見えた! 北綾瀬駅は地下鉄千代田線の引き込み線に、昭和54年(1979)12月20日、開業した駅である。 千代田線は、開業当初から需要増があった場合に綾瀬車両基地への引き込み線上に新駅を設置する予定があった。 しかし、建設当初は周辺の人口密度が低く、需要も少なかったので駅の設置はなされなかったが、本線開業後、急速に宅地開発が進み人口が増加したことで、沿線住民から駅設置の要望が強く出されるようになったため建設に至った。、、、、、環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線の高架駅。 ホームは西側の線路に取り付けて10両編成の列車が停車できるように設置されている。(開業当初は3両編成の列車が発着できる長さであった)  令和7年(2025)には、駅前交通広場の供用が開始された。、、、、、千代田線の綾瀬~北綾瀬間はこちらを見てね!

・・・・・・・・・・ 環七通りの頭上に駅がある
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・・・・・・・・・・ 北綾瀬駅から、さらに北に綾瀬車両基地まで線路は伸びている。
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・・・・・・・・・・ 今日の散歩はここまで、北綾瀬駅から帰る。
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2026年1月 4日 (日)

初詣は西新井大師

正月三が日は静かに過ごし、今日は夫婦で西新井大師に初詣に行く。

・・・・・・・・・・西新井大師」は通称で、「五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)」と称する真言宗豊山派の寺である。 空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826)に寺院を建立したことに始まるといわれてる。 江戸時代中期に建立された本堂は昭和41年(1966)火災により焼亡したが本尊は難を逃れた。 現在の本堂は昭和46年(1971)に、鉄筋コンクリート造にて再建された。 真言宗の弘法大師を祀る「関東厄除け三大師」として、川崎大師(神奈川県川崎市)・観福寺大師堂(千葉県香取市)と共に数えられている。 中野区にある新井薬師と同じ真言宗豊山派の寺院、名も似ており間違いやすいね!

昨年は、真言宗豊山派の総本山:長谷寺(奈良県桜井市)へ夫婦で参拝し、数年前に大本山:護国寺(東京都文京区)も参拝し、今年はチョイト身に“老い”を感じ、厄除けしておいた方が我が身の為になると思い、西新井大師に初詣することにした。

『今年も健康に一年が過ごせますように! ついでに、宝くじ一等当選が実現しますように!』合掌

毎年の正月には初詣の参拝客で賑わうようだ。 今年も、西新井駅から大師線に乗り換えて行ったが、電車も参拝客で満員。 境内に入れば、本堂に向かう参道の両側には露店が並び、これまた、混んでた! 門前の草だんご屋にも行列!
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2025年12月10日 (水)

東岳寺・薬師寺

東武伊勢崎線竹ノ塚駅から、東岳寺、薬師寺に寄って、日暮里舎人ライナー舎人公園駅まで、9千歩の散歩です。



● 平成17年(2005)3月15日に竹ノ塚駅南側の大踏切で踏切保安係の遮断機誤開による事故が発生し、2人が死亡、2人が負傷した。 この事故がきっかけとなり、連続立体交差化事業を施行することとなった。 それから20年、竹ノ塚駅の高架化と、駅の南北にあった2か所の踏切の立体交差が完成し、延長約1.2kmの高架線路に変わった。、、、、、竹ノ塚駅は、外観も内観も新しくなり、清潔感ある立派な駅に変わった。また高架下では、商業施設のオープンし地元の期待も大きいと思うね!、、、、、竹ノ塚駅は明治33年(1900)3月21日に開業した歴史のある駅。 昨年度の1日平均乗降人員は約68,000人である。 伊勢崎線の駅では北千住駅・新越谷駅・とうきょうスカイツリー駅・草加駅に次ぐ第5位である。 それなのに何故か(?)、急行も準急も全ての優等列車が停まらずに通過する。 停まるのは普通列車のみ!
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竹ノ塚駅から北西へ500m程(伊興本町1)、尾竹橋通りに面して、曹洞宗の南昌山東岳寺がある。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建した(鳥越とは、浅草橋の我が家の近くだ!) 関東大震災や東京大空襲などの罹災に遭い、ついに昭和36年(1961)に現在地に移転した。 境内は広くないが、日本庭園の趣で、本堂や細い参道の周りには多くの木が並んでいる。
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・・・・・・・・・・ 「東海道五十三次」、「名所江戸百景」など風景を描いた浮世絵師で、その作品はゴッホやモネなどの西洋の画家にも影響を与えた初代安藤広重(1797~1858)の墓と記念碑が境内にある。 墓所は昭和33年(1958)の再建で、記念碑は大正13年(1924)に建てられた。 震災後、墓も寺と共に移転してきた。 広重の墓がここ竹ノ塚にあるとは知る人は少ないであろう!、、、、、念のため、今は安藤広重ではなく、歌川広重という呼称が一般的らしい。 私は、安藤広重しか知らん!
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● 東岳寺から西北に700m程、区立伊興中学校の手前に、曹洞宗寺院の医王山薬師寺がある。 薬師寺は、肅州巌和尚が開山となり、万治2年(1659)創建したといわれてる。、、、、、 私は数年ほど前に、ここ薬師寺に訪れたことがあり、知る人ぞ知る“もみじ寺”として、私も知った。 今日はおそらく今が見頃と推測しやって来た。 色鮮やかな紅葉の数々に、心を奪われました。 お近くにお住いの方は、ぜひ早めに!
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・・・・・・・・・・ 薬師寺の山門前にある駒型の庚申塔は、文化13年(1816)のもの。 足立区の有形民俗文化財。
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● 薬師寺から西に約1㎞歩くと「舎人公園(とねりこうえん)」がある。 舎人公園は約65ヘクタールの敷地を有する、都立の総合公園である。   舎人公園は昭和15年(1940)に防空緑地として、戦時においては都市空襲による戦災被害を軽減し、平時においては地域住民の保健・衛生に利用して体位の向上を図るために、都心から20km圏内に総面積20万-50万坪の防災緑地が内務省(当時)にて計画決定された。 計画用地(102.1ha)買収は驚異的な速さで進められ、昭和15年末には99%に達する101.5haの土地が買収がされ、昭和16年末には全用地の買収が完了した。しかし太平洋戦争(第二次世界大戦)の戦局が悪化することで、買収された用地は食糧増産計画の一環で旧地主やその小作農に貸与され、耕作地として利用される。 戦後は、公園用地が都から国に買収され、公園として整備されることとなった。 昭和56年(1981)に造成が終了した一部区域から順次一般開放された。、、、、、広い公園は4区画に分けられ、テニスコート、野球場などのスポーツ施設、水鳥が見られる大池や親水広場などの自然と親しむスペースやキャンプ場、陸上競技場などが整備されている。、、、、、今日は公園の中央に位置する、日暮里舎人ライナーの舎人公園駅まで園内をブラブラ歩いてきた。
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・・・・・・・・・・ 舎人公園の中にある「舎人公園駅」から帰る。
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2025年10月28日 (火)

墨田の寺

東武の堀切駅で下車し、墨田区の北部:墨田地区の4カ寺をめぐり、京成曳舟駅まで、1万歩の散歩です。



● 今日は、足立区と墨田区の境に位置する東武伊勢崎線の堀切駅から南の墨田区墨田の町を散歩する。、、、、、堀切駅は、明治35年(1902)の吾妻橋(現:とうきようスカイツリー)~北千住間開業時にできた駅であるが、開業当時の堀切駅は今よりやや東で、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 開業当時はまだ現在の荒川がなかったためで、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って堀切駅が現在の位置に移転してきたのは大正12年(1923)7月1日のことである。 駅の東側は荒川が流れ、西側も400m程歩くと隅田川にぶつかる。 川と川に挟まれくびれた所に堀切駅はある。 1日平均乗降人員は約4000人で、都会の中の秘境駅である。、、、、、下町情緒漂う、静かな雰囲気の駅。 改札を出るとすぐ首都高が見え、荒川土手もあり、散歩の起点としては、いいね!
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● 堀切駅から荒川沿いに600m程歩くと、真言宗智山派寺院の「多聞寺」(墨田区墨田5)がある。、、、、、多聞寺は隅田山吉祥院と号す。 創建年代は不詳だが、天徳年間(957~960)には現隅田川神社付近にあり、大鏡山明王院隅田寺と称していたとのこと。 天正年間(1573~1591)に本尊を毘沙門天として隅田山吉祥院多聞寺と改称した。 寺の前の道は古代から続く街道の名残らしい
。 木造茅葺(かやぶき)の山門は切妻造四脚門の様式をとるもので、多聞寺に残る唯一の江戸期木造建築である。 享保3年(1718)に焼失し、現在のものはその後に再建されたもの。 江戸時代の風情を残す寺だ!、、、、、本尊の毘沙門天は、隅田川七福神の一つとなっている。 まもなく来る正月は、“七福神巡り”でご本尊の出番となり、大忙しとなるだろう!
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・・・・・・・・・・ 山門前の阿弥陀如来像寛文4年(1664)造立。 隣には子安地蔵が並んでる。、、、、、また、本堂手前の六地蔵座像は、都内でも珍しい座像形態の尊像である。 仏教における地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のどこにいても救いの手をさしのべてくれるという地蔵尊。 造立は正徳3年(1713)~享保元年(1716)と刻まれている。
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● 
多聞寺門前の古くは街道の面影残る道を南に歩くと、チョイと趣のある建物が目に入る。、、、、、「成田山隅田参拝講事務所」の看板を掲げてる出桁造の建物、、、、、住宅の並ぶ町中にひっそりと祀られている稲荷神社。 石造りの鳥居は年季もの?、、、、、以前は蕎麦屋であった、今は民泊kisoba」。玄関には「生蕎麦」という古い看板が残されている。
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● 多聞寺からは南へ500m程、鐘ヶ淵駅からは北西に150m程、曹洞宗の醍醐山円徳寺がある。 、、、、、慶長18年(1613)に文京区駒込にある吉祥寺の和尚が開山した。 本尊は薬師如来。、、、、、朱塗りの山門が目立ち、赤門寺とも呼ばれているそうだ。 “赤門”の謂れが判らず、なんとなく特徴をつかみずらい寺だ!
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・・・・・・・・・・ 境内に祀られている大きな舟型の庚申塔は、蓮華座に薬師如来を配し台座に三猿を掘った見ごたえあるものだ。 寛文12年(1672)の銘あり。
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● 墨田2丁目の真言宗智山派寺院の正福寺は、月光山薬王院と号す。 正福寺は、慶長7年(1602)に創建されたと伝えられている。 建物は新しく近年建て替えられたと思う。
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・・・・・・・・・・ 寺内にある首塚地蔵尊は首から上の病気にご利益ありと言われ、多くの参詣者があるそうだ。、、、、、天保4年(1833)洪水の危険をふせぐため、隅田川橋場附近の川浚い工事において、川床より多くの頭骨が発掘された。 当時の正福寺の和尚は、この地に合葬、碑をたてて「首塚」といったと伝えられている。 この縁で、首から上の病いに功験があるからと、参詣の香華がたえないそうだ。、、、、、首から上の病とは? ボケ、ハゲ、蓄膿、顔面神経麻痺、ブス、白内障、私のつたない知識で思いついたまま書いてみた。
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● 墨田の町から東向島の町に入り向島百花園の脇をとおり都立墨田川高等学校の前に出ると、真言宗智山派寺院の蓮花寺(墨田区東向島3)がある。、、、、、創建の経緯については諸説あるが、一説には寛元4年(1246)、北条時頼の開基である。時頼の兄の北条経時の菩提を弔うために、鎌倉佐介谷(現・神奈川県鎌倉市佐助)に創建されたという。 その後、経時の子の頼助によって、弘安3年(1280)に現在地に移転した。 蓮花寺の本尊は空海自筆の弘法大師画像と伝えられている。、、、、、当寺は「寺島(昔の地名)大師」とも呼ばれ、川崎大師、西新井大師とともに「江戸三大師」と呼ばれていたそうだ。(ゴメン、そんなこと知りませんでした!)
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・・・・・・・・・・ 蓮花寺門前に二基の道標がある。 かつて「寺島大師」として、江戸三大師の一つとして栄えていた頃、ここにある道標は大師参りの人々の為に建てられたものである。 川崎大師、西新井大師への道しるべである。
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水戸街道(=国道6号)を横断し、京成曳舟駅から帰る。
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2025年6月 5日 (木)

青砥から関屋まで

京成本線の青砥駅から本線沿いに歩いて京成関屋駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 青砥(あおと)駅開業以前は、立石~高砂間には駅は設置されていなかった。 昭和3年(1928)11月1日の日暮里~青砥間開通時に分岐駅として開業した。 青砥駅の開業により、現在の押上線(押上~立石~青砥)は当駅で京成本線(上野~青砥~成田)から分岐することになる。、、、、、青砥駅は昭和48年(1973)から、昭和61年(1986)まで高架化工事が進められた。 現在の青砥駅は、ホームが二層構造の高架駅となっている。 2階と3階にそれぞれ島式1面2線のホームを持ち、2階が上野・押上方面に向かう1・2番線、3階が成田・千葉方面に向かう3・4番線となっている。 改札口は中2階の1カ所のみである。

・・・・・・・・・・ 朝の3階ホームは成田・千葉方面に向かう乗客が点在する程度。 2506050801550
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・・・・・・・・・・ 都心に向かう2階ホームは人・人・人でラッシュ状態
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・・・・・・・・・・ 2階ホームからさらに階段を下りると中2階の改札口。 乗る人、降りる人で8台の自動改札機はフル活動。
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・・・・・・・・・・ 中2階から階段を下りると高架下の青砥駅出口がある。 1階はショッピングセンター。 その入口前にはバイオリンを弾く男性の像がある。 台座に「ワルツの塔」と刻まれている。 ウィーンの音楽家ヨハン・シュトラウス2世の像だ。
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・・・・・・・・・・ 下町にある狭い駅前の通りから見上げるとデカイ、邪魔な駅だ!
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京成本線沿いに上野方面に向かって歩く、、、、、暑い! 今日の東京は夏日、汗を拭いながらの歩き、暑い!
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● 葛飾区の中央部に位置する、普通しか止まらない下町の駅がお花茶屋駅である。 駅は相対式ホーム2面2線で、橋上駅舎を有する地上駅である。 昭和6年(1931)12月19日開業。、、、、、駅の前には地元密着型の商店街があり、昭和の雰囲気も味わえる。
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● 線路に沿って歩く。 暑い、汗が流れてきた! 
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● 5月末から始まった葛飾 菖蒲まつり」が開かれている堀切菖蒲園、その最寄り駅である「堀切菖蒲園前駅」。、、、、、当駅は昭和6年(1931)12月19日開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。 改札口・出口は1ヶ所のみで高架下の地上1階にある。、、、、、今日は菖蒲園に寄らず、素通り。 
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● 堀切菖蒲園駅を出た電車は、京成本線荒川橋梁にて荒川を越える。 その京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低い。 もし、荒川が氾濫するとしたら、この位置からといわれており、治水上の弱点といわれてる。 この京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始められている。 東京の下町が浸水することが無きよう、一刻も早く完成することを願うのみ!
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● 本日の散歩の終点は「京成関屋駅」。 京成関屋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、、暑い暑い散歩であった。 汗臭さい身体で、電車に乗るのはチョイト気が引けた!
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2025年5月20日 (火)

五から六まで歩く

東京の気温は30度を超える真夏日の予想が出た! 熱中症が気になる時期となったが。 健康のためと思い、足立区の“反野駅”(東武伊勢崎線)から“町”(つくばエクスプレス)まで、9千歩の散歩です。




● 知る人ぞ知る 知らない人はまるっきり知らず、山手線の五反田駅と間違える東武伊勢崎線の五反野(ごたんの)駅。 五反野駅は北千住駅の次の次。 駅所在地は東京都足立区足立三丁目、大正13年(1924)10月1日の駅開設時の住所は東京府南足立群綾瀬村。 駅周辺は戦後形成された東京の下町である。 駅周辺には他区から人を呼び込むほどの施設は無く、五反野駅は地元完全密着型の駅である。、、、、、五反野駅は島式ホーム1面2線を有する高架駅。 緩行線のみホームがあり、緩行線外側を急行線が走る。 1日平均乗降人員は約36,000人ぐらいで、普通列車(地下鉄日比谷線直通)しか停まらない駅。
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● 駅前の商店街五反野駅前通り銀座会」を駅に向かう通勤客に逆らい北へ歩く。 この商店街は、昭和40年代前半に駅前通りに沿って存在していた用水路(俗称:どぶ川)が暗渠化され、駅前道路周辺に商店も増え昭和45年(1970)に商店会として発足したとのこと。、、、、、時刻は8時30分過ぎ、もう通勤・通学のピークは過ぎたのか、行き交う人も少なくなったように思われる。
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・・・・・・・・・・ この商店街の途中に、「
四ッ家町バス停」がある。 何気なしに時刻表を見ると、ナント驚くことに、ここに停まるバスは、土休日の朝一本のみだ! 平日は停車せず。 このバスは、五反野駅と花畑車庫の間を土休日1往復のみ運行しているらしい。(私は利用したことが無く詳細は不明)、、、、、誰が何のために、このバスを利用するのか知りたいね?
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・・・・・・・・・・ 五反野駅前通り銀座会商店街の北端は、六叉路の「四家(よつや)交差点(パノラマ写真で撮影したが、判るかな?) 6か所の信号が混乱なく点滅する六叉路だ。、、、、、四家交差点の “四家”とは、江戸時代この地域に住んでいた四家族、鶴飼、市川、高橋(兄弟)からついたと言われている。

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四家交差点から北東方向に裏道を歩くと住宅地の奥に「四ツ家稲荷神社」(足立区青井2)がある。、、、、四ツ家稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂命と徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 東の宮は青井3付近にあったそうだが、近代になって、1村1社政策が進められ、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀された。 その際、四家の一つ鵜飼家の屋敷神だった徳川家康(権現さま)も合祀されたと言われてる。、、、、タヌキ(家康)とキツネ(稲荷)を祀る神社。 蕎麦屋には御利益がありそうな神社!
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● 四ツ屋稲荷神社からさらに北東に歩くと、「青井
愛宕神社」(青井1)がある。 創建年代不詳。、、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 『江戸愛宕三社』の1つで港区芝の愛宕神社と練馬区田柄の愛宕神社の三社が該当神社となるそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の例祭日は、「秋の彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのかな?
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● 環七道路と都道102号がぶつかる交差点角に「西加平神社」(西加平1)がある。 西加平神社の創建年代は不詳だが、嘉兵衛新田の開拓に伴い創建されたと言われてる。 明治時代には加平天祖神社の摂社となったが、昭和29年(1954)稲荷神社としてとして分離独立、昭和49年(1974)西加平1丁目にあった天祖神社を合祀し、西加平神社と改称した。、、、、境内周辺は区画整理され平成28年(2016)に社殿は新しくなる、しかし境内にはいまだ樹木が少なくスッポンポンの状態である。、、、、石の鳥居には寛政11年(1799)の銘。 また、嘉永7年(1854)に新吉原角町(現:台東区千束)の安房屋から奉納された手水鉢もある。
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● つくばエクスプレスの「六町(ろくちょう)駅」は、秋葉原を起点として7番目に位置し、東京都内最北の地下駅。 駅部は三層構造であり、第1出入り口とともに平成16年(2004)に完成した。 駅の開業は平成17年(2005)8月24日。、、、、、駅周辺は、古さを感じさせる物は無く、駅前の広いロータリー、広い道路に面し立ち並ぶマンション、密集しない住宅、いかにも近年開発された町といった場所。
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2025年2月14日 (金)

草加から見沼代親水公園へ

朝、今日は三月並みの陽気になると、お天気お姉さんのお告げがあった。 早速『散歩してくる!』と妻に告げ、押上で行先定まらないまま電車に乗った。 とりあえず草加駅で下車し、思案の末、日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩いてきた。 1万歩



● 押上で半蔵門線から乗り入れる南栗橋行きに乗り、『どこで降りようか』考えがまとまらないまま草加に着いた。 しばし駅で思案し、西に向かって裏道を歩き日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。、、、、草加駅は明治32年(1899)に開業した古参の駅。 急行も停まる主要な駅である。 都心への通勤通学客も多いが、下車する人も多い。 行き交う人の多い駅でカメラを持ってブラブラしていると、“盗撮マニア”と疑われそうなので、足早に駅を離れる。
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● 草加駅西口から西に向かって裏道を歩き、草加市西町の西町小学校(昭和42年開校)前をとおり、国道4号(=草加バイパス)を横断する。
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● 草加バイパスからチョッピリ西に入ると、真言宗智山派の真蔵院がある。 寺は長渓山興精寺と号す。 真蔵院の創建年代は不詳、当寺の本尊背面の銘には享保5年(1720)に完成したと記されているそうだ。 甲斐武田氏の元家臣吉沢氏が当地に定着し、一族の菩提寺として創建したと言われてる。、、、、、小さな本堂に、緑の多い境内、民話に出てくる山寺を思い出させる素朴な風景を創り出している。 いいね!
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● 「新郷スポーツセンター通り」と称するバス通りを歩き、辰井川に架かる「沖田(おきだ)橋」(平成4年(1992)竣工)を渡り、草加市から川口市に入る。、、、、辰井川(たついかわ)は、川口市東部に源を発し東へ流れ、草加市に入り南へ転じ、草加市谷塚上町で毛長川に合流する一級河川。流路延長は約5.4㎞。 沖田橋から見る辰井川は農業用水路のようだ、どう見ても一級河川とは思えない!
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川口市榛松に入り、再び裏通りを歩く。 ここらは新興住宅地なのか、比較的新しい住宅がの並んでいる。
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● 川口市榛松の真言宗智山派寺院の不動院は、三嶋山龍蔵寺と号す。 創建年代は不詳。 住宅街の中にあり、静かな佇まいで落ち着いた雰囲気の寺である。、、、、山門脇に4基の石仏がある。 右から、寛保3年(1743)の馬頭観音立像、庚申塔 元文5年(1740)の庚申塔、寛保3年(1743)の庚申塔、延宝8年(1680)の庚申塔。
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● 不動院から約1㎞歩くと、毛長川を越えて東京都足立区に入る。 川の先には日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。
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2024年12月20日 (金)

埼玉から東京へ

今日も行先が定まらず、何となく東武伊勢崎線で押上・北千住と進み、草加の一駅手前「谷塚駅」で下車する。 駅前で東西南北いずれに歩くか? 足の向くまま、気の向くままに、何となく西に向かって歩く。 辿り着いたのは日暮里舎人ライナーの「舎人駅」。 1万歩の散歩です。



東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)である。 谷塚駅の駅前は西口と東口で大きく印象が異なる。 東口は広々としたロータリーがあり、タワーマンションもある、銀行、スパー、飲食店、交番など多くの施設があり、生活に困ることもないと思われる。 一方の西口は、広い更地が駅前に構え、これから再開発でもするのかと思わせるように閑散としている。 今日の散歩は西口からスタート。
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● 谷塚駅から、人通りの少ない裏道を南西方向(歩いてる時は西に向かってると思った)に歩く。 駅から500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の寶持院がある。 『お~、この寺は以前来たことがある!』数年前に立ち寄った寺だ!、、、、寶持院は、寺の本尊十一面観音の背面の銘から推定すると、江戸時代中期には創建していたそうだ。 創建以来、谷塚地区の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。、、、、現在の本堂は、平成4年(1992)に建設された。 また、山門の左手には御堂が、右手には六地蔵、本堂裏には庚申塔と不動尊が並んでる。 チョッピリ歴史を感じる寺だ!

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● 創建年代は不詳だが、地元の鎮守さま「谷塚氷川神社」の前を通る。 氏子らしき数人の男性が境内の大掃除、正月を迎える準備かな?
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● “のどかな田園風景”とは言わないが、チョッピリ農村の匂いが残る谷塚の裏道を歩く。
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● 埼玉県草加市と東京都足立区の界を流れる毛長川、そこに架かる谷塚橋を渡り足立区に入る。 毛長川に架かる毛長橋の西側まで川沿いを歩く。、、、、1車線の道で交通量も少なく、年寄りには歩きやすいね。 冬の青空の下、のんびり歩く!
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● 「見沼代親水公園」の大きな木が迎える古千谷橋(こじやばし)交差点に出てきた。 近くには「古千谷氷川神社」もある。、、、、古千谷氷川神社の創建年代は不詳だが、古千谷村が出来た頃の創建で、古千谷村の鎮守社であったらしい。
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● 古千谷氷川神社からさらに西へ、日暮里舎人ライナーの「舎人駅が見えた。 今日の散歩はここまで。
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2024年12月11日 (水)

餓死者を葬った四寺

久しぶりに閻魔さまの顔を見たくなり北千住に行ってきた。 北千住駅からスタートし、北千住1・2丁目界隈を歩き、東武伊勢崎線の牛田駅まで、9千歩の散歩です。


北千住駅はJR常磐線、東京メトロ日比谷線・千代田線、東武鉄道伊勢崎線、首都圏新都市鉄道つくばエキスプレス4社5路線が乗り入れており、1日あたりの乗降客数は約160万人と言われてる大ターミナル駅である。 この首都圏有数のターミナル:北千住駅であるが、ここから“新宿”、“池袋”の大ターミナルへ向かう路線は一本もない! これは何とも不思議なことだ?、、、、明治29年(1896)12月25日に日本鉄道線(現在の常磐線)の駅が開業。 明治32年(1899)8月27日には東武鉄道の駅が開業。 明治39年(1906)、日本鉄道の駅が国有化される。 昭和37年(1962)5月31日に帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線の駅が開業。 昭和44年(1969)12月20日 、千代田線の駅が開業。 平成17年(2005)8月24日、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの駅が開業。 ついでに、現:駅ビルの「ルミネ北千住」が開業したのは、昭和60年(1985)である。 開業当時は「北千住ウイズ」という名であった。
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● 北千住駅から歩いて5・6分程の所に、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺がある。 金蔵寺は、建武2年(1335)の創建と伝えられている。  、、、、本尊は、かつては地蔵菩薩であったが、現在は閻魔大王と言われてる。 私は、今までに数回この寺には来たが、いつも本堂は閉められ、本尊の姿を拝したことがない。 ネットで調べてみても本尊の写真は載ってない。 ぜひ一目拝んでみたい閻魔さま!
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・・・・・・・・・・ 金蔵寺では本尊の閻魔さま以上に有名なのが、山門を入ってすぐ左手に2基の供養塔が並んでいる。 向かって左側の南無阿弥陀仏を刻んだものが「千住遊女供養塔」。 この供養塔は、千住宿の多くの飯盛旅籠に勤めそこで亡くなった遊女が、当時「投げ込み寺」であったこの寺に葬られた。 その薄幸な遊女生涯を哀れみ供養するため建てられた。、、、、右側に無縁塔と彫られた供養塔は「天保餓死者供養塔」。 こちらは、有名な天保の大飢饉(1833~1837)で亡くなった者を供養するため建てられた。 塔は当時の名主:永野長右衛門が天保11年(1840)に建立したものでその碑文によれば、天保8年の年当地では828名の犠牲者が出た。 その犠牲者を近隣の寺に葬ったとされている。 勝専寺に321人、慈眼寺に61人、不動院に76人、そしてこの金蔵寺に370人を葬ったそうだ。(そこで今日の散歩は、この4寺を巡ることにした!) 

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● 金蔵寺から西へ約250m歩くと、赤く塗られた山門の三宮神山大鷲院勝専寺(浄土宗)がある。 勝専寺は文応元年(1260)の創建。 勝専寺を開いた新井政勝の父・新井政次が荒川(現:隅田川)に網を投じたところ、千手観音像が網にかかったのが寺の由緒だという。 この千手観音は寺の寺宝となっており、地名「千住」の由来といわれている。、、、、勝専寺の本堂は明治39年(1906)に建てられたコンクリート造で化粧レンガで覆われています。
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・・・・・・・・・・ 勝専寺の本尊は阿弥陀如来であるが、この寺にも閻魔さまが居る。 ここの閻魔さまは、閻魔堂に一人住い。 像は寛政元年(1789)の木像。
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● 勝専寺から南に300m程歩くと、慈眼寺(じげんじ)と不動院が隣り合わせにある。 新義真言宗の慈眼寺は、千龍山妙智院と号す。 慈眼寺は、行覚上人が関東巡錫の時の正和3年(1314)に創建した。 当寺の本尊であった観音菩薩像は東京大空襲で焼失してしまった。 また、諸堂も戦災で被災し、残っていたのは現在の山門だけだそうだ。
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● 新義真言宗の不動院は、白幡山薬師寺と号す。 不動院は、元弘2年(1332)秀天上人が開山となり創建した。 創建の翌年には鎌倉が陥落し南北朝の戦乱が始まると言うまさにその時期です。 本来は慈眼寺の護摩堂であったが独立して一寺となったといわれてる。 本尊は不動明王。
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・・・・・・・・・・ 境内には、千住宿旅籠屋一同が万延元年(1860)に建てた遊女の無縁塔がある。 遊女も、飢餓者も、南無阿弥陀仏。
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● 四寺を巡った後は、「北千住大踏切」を渡り牛田駅に向かう。、、、、「北千住大踏切」は、北千住駅の南側にある、JRと東武鉄道が走る踏切をいう。 4社5線が乗り入れる北千住駅であるが、東京メトロ千代田線と日比谷線、つくばエクスプレス線の3線は、高架または地下で立体交差しており、踏切を通ることはない。 JRと東武鉄道は地平を走り、両路線は運行本数も多いため、ここの踏切は「開かずの踏切」となっている。、、、、地元の足立区ではこの大踏切の除却を議論しているが、ここを通る鉄道に加え周辺道路も交通量が多く難しそうだ。 2018年末には、鉄道の高架化・地下化それぞれの立体交差化にかかる事業費を、前者は1000億円、後者は3000億円と試算している。 
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・・・・・・・・・・ 大踏切は、JR常磐線の「北千住一丁目踏切」(注:北千住一丁目という地名は無い)と東武伊勢崎線の「22番踏切」の2本が並んでいる。 両踏切は非常に近接しているので、両社とも係員を配置している。 しかし、踏切横断の危険は常にあり油断できない!
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● 大踏切から牛田駅まで歩き、ここから帰る!
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