足立区

2020年12月20日 (日)

客の少ない足立小台

近頃は連日、最悪の感染者数を記録している“コロナ”、高齢者に属する私も外出自粛を心がけている。 でも、内緒で、少しぐらい、密を避けて、の散歩なら許されるだろう! 今日は、日曜なので通勤通学客も少ないので、日暮里舎人ライナーの足立小台駅で下車し、尾竹橋経由で京成本線の町屋駅まで歩いてきた。 1万歩。




● 日暮里舎人ライナーの「足立小台駅(あだちおだいえき)」と聞いて、駅を思い出せる人は少ないと思う。 それもそのはず、足立小台駅は、北の荒川と南の隅田川に挟まれた狭い中洲状の土地に位置しており、駅から1km圏内には、戸建て住宅はほとんどなく、隅田川岸にマンションが数棟ある程度。 観光名所は飛んでも“無い” 駅の並びに、家電量販店の「ケーズデンキ」とホームセンター「島忠ホームズ」がある。 駅から西へ1km程歩くと、「小台」、「宮城」の住宅地となる。

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・・・・・・・・・・・・昨年春に公開された、東京都の駅別乗降客数(2018年 平成30年度)のデータによると、足立小台駅の一日当たりの乗降客数は3,938人。 JR、私鉄、三セク、都電、ケーブルカーなど都内の全749の駅・停留所を対象にした中で、下から数えて“堂々の54位”である。 54の中には、都電の停留場が27、ケーブルカーの駅が4含まれている。 実質的にはワースト20にランク入りできそうだ! ちなみに、下から60位前後には、小田急線の南新宿、多摩都市モノレールの万願寺、東武亀戸線の亀戸水神、東武伊勢崎線の堀切、東京モノレールの新整備場などの駅がランクインしている。

・・・・・・・・・・・・足立小台駅は平成20年(2008)3月30日に、日暮里舎人ライナーの開通と同時に開業した。 ホームは島式1面2線構造で3階にある。 出口は1ヶ所のみで、尾久橋(隅田川)と扇大橋(荒川)の間に出る。 駅前にはロータリーがあるが、このロータリーは堤防の最上部を走る道路面の高さである。 実はこの下に、旧来の道路面がある。

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・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーから下の道路に下る階段、、、、川沿いの工場、事務所などは全て、この下の道路に面している。

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・・・・・・・・・・・・隅田川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、後ろの尾久橋には都道が通っている

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・・・・・・・・・・・・荒川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、並行するのは扇大橋

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・・・・・・・・・・・・足立小台駅から堤防上を東に向かい歩く、チョイト寒いね。、、、、写真:右側のマンションの後ろには隅田川が流れている。 左側は荒川。、、、、足立小台駅を利用するのは右側の住人と、工場などに勤める人ぐらい!

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・・・・・・・・・・・・マンション前を通り過ぎ、工場、倉庫がある辺り、堤防上から眺めると、、、、最上段の堤防上の道路に私がいる、その下にバス通りがある、さらに下にマンション・倉庫・工場が並び面する道路がある。、、、、三段腹の道路!

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・・・・・・・・・・・・二段目のバス道路から眺めると、上にも、下にも道路がある。(あたり前田のクラッカー!) 

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● 足立小台駅から堤防上を1km程歩き、下の道路を歩くと、UR都市機構の「リバーサイド桜木団地」がある。 昭和56年(1981)に完成した団地。、、、、隅田川と荒川に挟まれた団地は、気のせいか、寒い! ホットコーヒーを買うコンビニがない! 何やら、落ち着かない! このままだとズボンを濡らし、大変なことになる! 恥ずかしさをこらえ、通りがかりの主婦に聞いた『この辺にトイレありませんか?』 親切に公園を教えてくれた、これにて一件落着!!
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・・・・・・・・・・・・この先は、尾竹橋を渡り町屋駅まで歩く。、、、、尾竹橋を渡ると荒川区

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2020年12月14日 (月)

汐入公園

ガラガラ・空き好き電車に乗って、東武伊勢崎線の牛田駅で下車。 牛田駅から千住汐入大橋を渡り足立区から荒川区に入り、隅田川の右岸を歩いて石浜神社まで、9千歩の散歩です。




● 昭和7年(1932)9月1日に開業した、東武伊勢崎線の「牛田駅  牛田駅は足立区の南端部にある駅で、浅草~北千住間の全ての駅に停車する列車(つまり各駅停車)のみが停車する駅。 牛田駅前に京成本線の京成関屋駅があり、多数の乗換客が利用する。、、、、牛田駅と聞いて、イメージが浮かぶ人は、おそらく戦後生まれの牛田育ちか、乗換で当駅を利用する人であろう。 一日当たりの乗降客数は約22,000人、その内の半数ぐらいは乗換客と思われるので、実質の乗降客はかなり少なそうだ。、、、、北千住駅の隣り駅である「牛田」は、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、そこから駅名を頂戴したらしい。

・・・・・・・・・・・・空いている南栗橋行き区間準急(北千住まで各駅に停車)から降り、改札を出ると・・・・・

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・・・・・・・・・・・・京成関屋駅から、ゾロ・ゾロ・快傑ゾロと乗換客が牛田駅に向かってくる。

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・・・・・・・・・・・・『チョイト失礼します!』と京成関屋駅構内を通り抜けると、そこは都道461号(墨堤通り)である。

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● 墨堤通りを南へ250m程歩くと千住曙町交差点がある。 そこを、西へ曲がれば隅田川に架かる「千住汐入大橋」、、、、千住汐入大橋は隅田川に架かる橋の中でも新しく、平成18年(2006)2月19日に開通した。 その名のごとく、足立区千住地区と荒川区汐入地区を結ぶ、橋長158.6mの2径間連続鋼床鈑箱桁橋。 都道314号を通す。、、、、隅田川が大きく蛇行する処に架かり、対岸には汐入公園がある、景色はGood!


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● 隅田川を越えると元の荒川区南千住汐入(隅田川が弓のように大きく東側に張り出した処で、鉄道の貨物基地、工場などがあった)である。 現在は再開発により、工場は無くなり、貨物基地は縮小しJR貨物の隅田川駅となり、川沿いには都立汐入公園、その奥にはタワーマンションを含む高層住宅が建ち並んでいる。

・・・・・・・・・・・・面積13hrの汐入公園は冬支度。 芝の緑も落ち葉で黄彩に変る!

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・・・・・・・・・・・・公園内を縦断する都道314号は、胡録トンネル瑞光トンネルの2ヶ所で芝生の下を抜けて行く!、、、、荒川区にトンネルがあることを知らない人が多いかも?

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・・・・・・・・・・・・公園の中程にある水神大橋の北側に、「隅田川旧防潮堤」の一部がモニュメントとして残されている。、、、、隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっている、このため都では、高潮や洪水の対策として昭和32年(1957)から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和50年(1975)に概成した。 その結果、高潮や洪水に対する危険は大幅に減少したが、カミソリ堤防によって隅田川と町は分断され、親しみある隅田川から都民を遠ざけることとなった。 そこで、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある水辺環境に配慮したスーパー堤防へと造り替えている。、、、、モニュメントを見ていると、コンクリートの味気ないカミソリ堤防が、川岸に延々と伸びていたのと、メタンガスが発生する汚れた昭和(高度成長期)の隅田川を思い出すね。

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・・・・・・・・・・・・汐入公園の中央から対岸の墨田区東白鬚公園に架かる「水神大橋」を見ながら、土手を行く。、、、、水神大橋は平成元年(1989)に竣工した、橋長157.0mの3径間連続ニールセンローゼ桁橋。

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● 汐入公園に続き「荒川区立瑞光橋公園」がある。 瑞光橋公園は、鉄道と貨物船を結ぶための運河跡地(入江)に造られた公園です。 隅田川のスーパー堤防と入江を利用した公園で、面積は約13,000㎡、平成18年(2006)に開園した。 入江に架かる瑞光橋に因む公園名とした。

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・・・・・・・・・・・・公園内に汐入水門跡がある。 この水門跡は、隅田川貨物駅(現:JR貨物隅田川駅)と隅田川を結びつける唯一の遺構である。、、、、隅田川貨物駅は明治30年(1897)に石炭の集散地として開設された駅である。 常磐線で運ばれてくる石炭を、隅田川の水運で東京市中へ配送するため、荷の揚げ下ろしをする運河が造られた。 元来この汐入地域は土地が低く、運河の護岸は荷物の揚げ下ろしの関係上、低く造られていたため、満潮時には付近に浸水し、さらに台風などの異常な高潮時には南千住ばかりでなく、浅草方面まで被害をこうむっていた。 水門は、この水害を防ぐために昭和28年(1953)に建造されたのである。 しかし貨物の輸送が船による河川輸送から鉄道 ・トラックによるコンテナ輸送に切り替わると、運河は不用となり昭和45年頃には全て埋め立てられ、水門もその役割を終えた。 現在は水門のゲートを支えていたコンクリート製の柱が2本、門柱のように残されている。 

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● 堤防の上を歩くと、球形のガスタンクが3基見える。 このガスタンクは明治26年(1893)から、この地(荒川区南千住3)に工場を建てた東京ガスのガスタンクだ。 終戦直後は円筒形のガスタンク3基であったが、昭和60年頃から球形のガスタンクに変わった。 形は変われども3基のガスタンクは、昔も今も、この南千住のランドマークである。、、、、北千住の「おばけ煙突」とランドマークを競ったのか?

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・・・・・・・・・・・・近づくと、ガスタンクの手前に社が見える、ここが「石浜神社」である。

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・・・・・・・・・・・・「石浜神社」は、神亀元年(724)聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社です。 祭神は天照大御神・豊受大御神。 源頼朝が藤原泰衡討伐の折に当社に祈願、大勝したことから社殿を造営されたといいます。、、、、本殿は伊東忠太設計で、昭和12年(1937)落成の木造神明造り、拝殿は昭和63年(1988)落成の木造銅板葺神明造り。 以前は川岸寄りにあったが、昭和63年に護岸工事のため移転を余儀なくされ、現在地に移された。 本殿は曳家で移されたそうだ。、、、、境内の紅葉は今が最高!

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・・・・・・・・・・・・境内からガスタンクを見ると、『アレ? 御神体はガスタンク!』

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● 石浜神社前の明治通りから南側は私の住む台東区。 区内を循環するコミュニティーバスが、タイミングよく、やって来た。 100円で浅草橋の我が家まで、空いて座れて楽々帰宅!、、、、今日も“コロナ”に感染せずに、散歩ができたようだ!

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2020年11月22日 (日)

道なりに二社一寺

東武伊勢崎線の五反野駅から日暮里舎人ライナーの高野駅まで歩く予定で、五反野駅から散歩を始めた。 旧日光街道まで来ると「神明宮通り」称する商店街があった。 『これは参道だ! 行ってみよう!』と道なりに歩けば、以前寄ったことがある「梅田神明宮」 参道をさらに道なりに歩くと「梅田稲荷神社」 さらにさらに道なりに歩くと「関原不動尊」に出た。 いずれの寺社も五反野から高野に向かう方向にあったが、途中でチョイト寄り道をしたため、関原不動尊を過ぎた時点でタイムオーバー。 尾竹橋通りに出て「本木二丁目」のバス停からバスで帰る。 1万歩の散歩です。




● “密”を避け、東武伊勢崎線のガラガラの各駅停車に乗り、各駅停車しか停まらない乗降客の少ない五反野駅で降りる。 ここの駅なら、朝から“コロナ”も居ないだろうと、妙な安心を感じる。 

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● 五反野駅から西に向かって住宅地の裏道を行く。 所々、住宅の軒下に、〇〇工務店、〇〇塗装、〇〇工業と、建設関連の会社名がみえる、足立区らしいね! 梅田2丁目で国道4号(日光街道)を横断する。、、、、表通りも裏通りも、三連休で、人も車も少なく、歩きやすい。

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● 梅田3丁目の東端に沿って旧日光街道が北へ伸びている。 その梅田3丁目と6丁目の境に「神明宮通り」と云う商店街を見つけたので、その道を歩いてみることにした。、、、、600m超の神明宮通りには、20軒程の商店が商店街を構成している。 戦後設立した商店街で、昭和50年頃は活気があったが、今は振興組合も解散したそうだ。、、、、Go To トラベル 、Go To イートの恩恵には縁がなさそうな商店街だ!

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● 商店街のほぼ中央に「梅田神明宮」がある。 鳥居の前に立って『アッ! ここは今年の春、来た・来た』、、、、梅田神明宮の創建年代は不詳だが、地主神が祭られていた当地に、神明宮を創建した。 井上正鐡が伝道した禊教発祥の霊場だといわれている。、、、、明治7年(1874)の造営である拝殿と幣殿は、チョイトくたびれてきたようだ。 また、拝殿の右側には天保11年(1840)より教祖が住んでいた旧宅が残されている。(柵仕切られ近づけず)

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● 神明宮通りの西端には「梅田稲荷神社」がある。、、、、梅田稲荷神社は、梅田町(足立区梅田一帯)の鎮守で村社であった。 志田先生義広(源義広)が創建したと伝わるので、本当なら平安時代末期である。 どうやら、神明宮より古そうだ、ならば鳥居前の通りは「神明宮通り」と云うより「稲荷通り」に変更しては?

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、青面金剛の庚申塔が2基ある。

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● 梅田稲荷神社から西に向かって、ほぼ道なりに進むと、西新井橋北詰と西新井駅を結ぶ「関原通り」にぶつかる。 この角に、関原不動尊(大聖寺)がある。、、、、真言宗豊山派寺院の大聖寺は、関原山不動院と号し、関原不動尊として有名である。 寺は、宝徳元年(1449)開山とも文明7年(1475)開山ともいわれてる。 本尊は、不動院の名のとおり不動明王。 ひときわ目立つ木造の本堂は、足立区内最大の大きさを誇る。 現本堂は、嘉永元年(1848)に深川木場の講中が、材木その他を寄進し、8年の歳月を掛けて再建された。、、、、浅草山谷講中が寄進した、銅の鋲がふんだんに打ち込まれた大賽銭箱(安政4年銘)も自慢の一つ。、、、、自分の病んでいる部分を撫でると治るといわれている「おびんずる様」も居たので、チョイト頭を撫でてご挨拶。

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● 「関原通り」(商店街)を100m程歩いて、横道を抜け尾竹橋通りに出た。 ここから、日暮里舎人ライナー高野駅までは、あと40分以上は掛かるので、今日の散歩はここまでとする。 「本木二丁目」から北千住駅行きのバスに乗る。

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2020年11月 4日 (水)

竹ノ塚の団地見学?

今朝の都心は風が強く散歩に出るのもチョイト迷ったが、ここは強気で家を出た。 家は出たけれど行き先未定、さて、どこさいくべか、思案橋! 考えに考えたが特段の理由もなく、つくばエキスプレスの六町駅から歩くことにした。 六町駅から西に向かって歩いたら、都営住宅、新興住宅街、公団住宅と続き、何だか団地の見学会のような散歩となった。 たどり着いたのは東武伊勢崎線の竹ノ塚駅。、、、、1万1千歩、、、、後で、ニュースを見たら、気象庁は、東京で冬の訪れを告げる「木枯らし1号」が吹いたと発表した。




● 浅草橋の我が家から秋葉原までは徒歩15分、秋葉原から「つくばエキスプレス」の六町駅(ろくちょうえき)までは17分、合計40分程で我が家から六町駅まで行ける。、、、、六町駅は、平成17年(2005)8月24日に、つくばエキスプレスの開通と同時に、足立区の陸の孤島地区に開業した。 開業後15年、これまで普通列車しか停車しなかった六町駅は、今年から朝のラッシュ時間帯に上り区間快速(13本)が停車する駅にチョピット昇格した。、、、、陸の孤島時代に比べれば格段に便利になったはず、これから10年後、もっと便利になってるといいね!、、、、「六町」の由来は、『江戸時代には、保木間村・竹塚村・六月村・花畑村の4ヶ村の飛地が入り組んでいたが、昭和11年(1936)六つの飛地をあわせた町域を1町とし、「六町」と命名した』と云われている。


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六町駅周辺には、大型スパーが1軒あるが、他には何もない! 駅周辺は、つくばエキスプレスが開通し、田畑が住宅地に変わった町だ!、、、、ネオンきらめく夜の街がないのは残念に思う人も多いのではなかろうか? “つまらん街だ!”

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・・・・・・・・・・・・・・只今、駅周辺では「六町地区 土地区画整理事業」が、東京都で進められている。 これから期待できる町に変わるか?

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● 六町駅から西に向かってスタコラサ、東西に走る「花畑大橋通り」を横断すると、住所は“足立区東六月”となる。、、、、“六町”だ、“六月”だと、“六”が好きな町だと思って地図を見ると、六町駅の北東には“足立区六木”という町もあった。 ついでに「六六通り」もある。、、、、東六月の町には、昭和46年(1971)にできた「都営 六月町アパート」がある。 完成した年は、まだつくばエキスプレスの工事も着手していない頃で、当時の最寄り駅は直線で約3km先の綾瀬駅だ! まさに、この辺りは陸の孤島であった。

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● 東六月町の中心部に23区最大級の大型分譲住宅「パレットコート六町」がある、総戸数214戸の戸建街。 総開発面積32,000㎡超。 平成24年(2012)に分譲された街は、緑豊富な外路に楽しさを感じているのかも。、、、、足立区には、民間でも大きな分譲団地を開発できる土地があるようだ!

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● 日光街道(国道4号)を越えると、「竹の塚第一団地」(UR都市機構)がある。、、、、昭和36年(1961)日本住宅公団は竹ノ塚駅東側約100ヘクタール(東京ディズニーリゾートとほぼ同じ)の農地を区画整理し、竹の塚第一、第二、第三団地、竹ノ塚駅前市街地住宅など、全部で2800戸程を建設した。、、、、竹の塚第一団地は、昭和40年(1965)から入居が始まった、総戸数1286 戸(全35棟)の中規模団地である。 竹の塚第一から第三団地まであるが、ここが一番先に完成した。、、、、竹の塚団地は人気が高く、なかなか空き家も出ないそうだ。 かつての給水塔などは、現在撤去され、跡地に高層棟が建てられている。 公園・保育所なども整備され住みやすそうだ。

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・・・・・・・・・・・・団地の一画にタイムカプセルが埋められてる、、、、1991年に埋められ、44年後の2035年にオープンする予定とのこと。 中には、当時の居住者による、写真・絵・作文が入っているそうだ。 小学生の頃埋めた人も、オープンする時は中高年、自分の作品を目にしたときは、感動し泣けるかも?

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竹ノ塚駅は只今、連続高架化工事の真っ最中。 完成は令和4年(2022)3月。 まだまだ仮ホームで我慢です。

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2020年10月18日 (日)

谷在家アパート

今朝の天気お姉さんは、関東地方南部は曇り、北部は晴れ間もありそうとの予報。 それを聞いて妻がすかさず、『舎人ライナーで北へ行ったら』 この一言で決まり! 日暮里舎人ライナー谷在家駅から、西へ向かって埼玉高速鉄道川口元郷駅まで、約5km、1万3千歩の散歩です。




日暮里舎人ライナーの谷在家駅(やざいけえき)で下車する。 今日は日曜日、降りる人、乗る人、どちらも少ない。 『さて、東西南北いずれに参る?』、駅の案内図を見ながらチョイト考える。 名所も、大型施設も、なにもない西方の川口方面に向かい、歩くことにした。

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● 駅の西側には、昭和43年(1968)に建てられた都営谷在家アパートがある。 12棟(578戸)の集合住宅。、、、、建てられた当時、日暮里舎人ライナー(平成20年(2008)開業)は開通しておらず、都バスで最寄り駅(竹ノ塚、西新井など)に出たと思うが、きっと、陸の孤島だったであろう。 陸の孤島も40年後には駅前団地となった!

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● 都営住宅の西に浄土宗寺院の清徳寺がある。、、、、慶長16年(1611)に両国矢ノ倉(現:中央区東日本橋)に創建され、正保元年(1644)浅草に移る。 文化3年(1806)江戸の大火により類焼し、大正12年9月関東大震災のため本堂・庫裡・山門・鐘楼など、ことごとく焼失した。 昭和8年(1933)に現在地へ移転。 現在の本堂は昭和15年(1940)に建てられた。 広い墓地に比べると、本堂はチョイト小振りである。

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● 秋空の下、特に話題となるものもない道を、たんたんと西へ歩く。

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・・・・・・・・・・・・足立区加賀2丁目、首都高川口線の脇に二社、加賀稲荷神社加賀天満宮が向かいあってあった。、、、、加賀稲荷神社の創建は不詳。 嘉永の頃(1848~1853)に現在地に遷座して村の鎮守とした。、、、、小さな社の加賀天満宮は加賀稲荷神社の境外末社。

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● 首都高川口線の下を抜けると、その先は埼玉県川口市であった。 この付近は、首都高が県境となっている。

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・・・・・・・・・・・・川口市に入ると、スグに新芝川に架かる「花の枝橋」を渡る。、、、、橋の上に、何だか訳の判らんオブジェの柱が並ぶ奇妙な橋。

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・・・・・・・・・・・・川口駅に向かって歩く道、今日は日曜、工場が休みですいている。

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・・・・・・・・・・・・川口市の公園・公共施設に鋳物の柵が使われていた。 柵の中央には市章もデザインされ、さすが鋳物の街!

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● 川口元郷駅に近くに、元郷氷川神社がある。、、、、16世紀中頃の創建で、室町期の武将:平柳蔵人が大宮氷川神社を勧請したことに始まる。 創建当時は武蔵國四之宮と称されていた。 そのためか、当神社には「四ノ宮 氷川大明神」と記された社号額が存在する。 主祭神は素盞嗚尊で、相殿神は市杵島姫命。 父娘神であることから、子宝成就・子孫繁栄の神様として崇敬を集めている。 また、狛犬が安産に霊験があるとされ、狛犬の頭やお腹を撫でる妊婦もいるそうだ。、、、、今日は例大祭の日であったが、コロナのため神輿の御渡り・カラオケ大会は中止、役員のみの神事が行われていた。 役員の中には、自分のお腹を撫でる男性もいた。


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● 埼玉高速鉄道線の川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)から帰ることにした。、、、、平成13年(2001)3月28日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。 ここから隣りの東京メトロ赤羽岩淵駅までは、2.4kmで乗車3分、運賃210円、チョイト高いね!

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2020年10月 7日 (水)

最北の都営アパート

明日からは台風14号の来襲で、天気は荒れ模様。 今朝はまだ晴れているようなので、東武伊勢崎線谷塚駅から、つくばエキスプレスの八潮駅まで歩く予定で家を出た。 途中、花畑の団地で地元の人と話がはずみ、タイムオバーとなり、散歩はココまでとした。 団地からバスで谷塚駅まで戻り帰宅。 1万歩の散歩です。




● 東武伊勢崎線の谷塚駅(やつかえき)は、今から95年前の大正14年(1925)10月1日に開業した。 昭和63年(1988)から、上下線外側にそれぞれ通過線を持つ、島式ホーム1面4線の現在の高架駅となる。 現在、谷塚駅発着の電車は全て地下鉄日比谷線直通の普通列車である。 都心へ“お急ぎの人”は西新井駅・北千住駅で急行などに乗り換える必要がある。 コロナの感染予防に、“密”を避け、空いている普通列車でのんびり出勤すればいいのにね!

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・・・・・・・・・・・・・・住民の要望で、大正14年、谷塚駅は開業したそうだが、当時の駅周辺は湿地帯であったそうだ。 都心へわずか30分という立地条件から、昭和40年(1965)頃から急速に開発が進んだ。 特に、昭和37年(1962)に地下鉄日比谷線の乗り入れが始まると、利用者は急増した。 現在は、一日平均乗降客数:約39,000人の駅である。 駅前の案内プレートにあった昭和33年の谷塚駅

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● 谷塚駅の東側に広がる「瀬崎」の町を歩く。 瀬崎の町は、谷塚駅と伝右川の間に位置し、伝右川のさらに東側は東京都足立区である。・・・・・

・・・・・・・・・・・・谷塚駅東口から150m程歩くと、瀬崎浅間神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、他所に祀られていた当社を明暦年間(1655~1657)に現在地へ遷座したと云われている。 明治6年には村社に列格、明治40年・明治42年に周辺の無格社9社を合祀したそうだ。、、、、現在の本殿は天保13年(1842)に再建されたもので、木彫は宮彫刻の粋といわれている。(本殿は網で覆われ、彫刻も判りずらい)、、、、社殿の東側には小御嶽神社(瀬崎の富士塚)と云われる、見事な富士塚がある。 高さ4m、幅10m程。 登山禁止だが、登りたくなるね!


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・・・・・・・・・・・・瀬崎の裏道を行く、、、、秋晴れの下、気持ちよく歩く!

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・・・・・・・・・・・・特筆すべきものがない、浄土宗寺院の松林山西往寺に立ち寄る。 西往寺は、三蓮社宝誉義山が開山となり、元和6年(1620)西性寺と号して創建したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・西往寺のチョイ先には追手風部屋がある。 遠藤・大栄翔・大翔鵬・翔猿などの力士がいるのだが、誰も見えない、巡業中か?、、、、それにしても、両国(国技館)からは、チョイト遠いね、場所中、通うのが大変そう!

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・・・・・・・・・・・・谷塚駅からはか、大分外れた伝右川に近い場所にある。 洲崎稲荷大神は、語り伝えによると、「この稲荷様は、大雨の時、伝右川に御神体が流れ着いたので、それを奉った」ことが、始まりとらしい。(ホントか?)

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・・・・・・・・・・・・草加市の南東端(瀬崎6)となる伝右川沿いに、東京ガス草加整圧所の巨大なガスタンクが二基並んでいる。 川の向こうは東京都足立区となるので、草加市の外れに近い。 同じ敷地内に、何やら鉄塔も立っており、見上げてるとゴジラとか怪獣が登場しそうな雰囲気である。、、、、もし、このタンクが爆発したらその被害はどれ程になるのか? 怪獣が暴れないことを願う! 
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・・・・・・・・・・・・伝右川(中央)岸に立つ鉄塔、左手前の建物は草加市スポーツ健康都市記念体育館

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・・・・・・・・・・・・花畑第四アパートから見る東京ガスのガスタンク(中央の体育館の後ろに球形のタンクが見える)

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● 伝右川を越えると、足立区の北端である花畑第四アパート(はなはただんち)がある。、、、、花畑第四アパートは、足立区花畑の綾瀬川と伝右川に挟まれた足立区最北端の地にあるアパートです。 昭和46年(1971)の建設、管理戸数1004戸(全22棟)の都営住宅。、、、、花畑地区には、この他にも複数の「花畑〇〇アパート」と称する都営住宅がある。 また、旧住宅公団(現:UR都市機構)が運営する花畑団地(80棟、2700戸)と称する大規模団地もある。、、、、今日の散歩は八潮駅まで歩く予定であった、それ故、花畑第4アパートを見るつもりもなかったが、通りかかった次いでにチョイトお立ち寄り!(これが予定を狂わせた) 

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・・・・・・・・・・・・草加市スポーツ健康都市記念体育館から、伝右川の対岸に見える花畑第四アパート(団地)

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・・・・・・・・・・・・10階から北側のアパートを見る、、、、団地の後ろは八潮市。 左端の鉄塔は草加市。

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・・・・・・・・・・・・団地の中をウロウロ、、、、人影は少ない。 みんな、会社・学校・保育園、年寄りは老人ホーム・デイサービス。 居るのは空き巣かな?、、、、そんな団地の中で、団地の住人(高齢男性)と話が合い。 中高年の病気自慢合戦となった。 病気自慢なら自信があるので、時間を忘れ勝負する。 もちろん、私の勝ち。 続いて、病院(医者)の悪口、これには地元の病院を知らない私は聞き役。 終わってみれば、1時間のタイムロス!

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・・・・・・・・・・・・もう、八潮駅へ行くことはあきらめた! 最北端の都営住宅:花畑第四アパートの22号棟を見て帰ることにした。 この建物の北側は八潮市である。

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・・・・・・・・・・・・団地内の「花畑桑袋団地」バス停から、谷塚駅へ戻り帰る。

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2020年9月13日 (日)

獣一面観音って?

昨日、新しい『東京都シルバーパス』が送られてきた。 このパスは年間2万円程払うと、東京都交通局のバス・地下鉄・都電・日暮里舎人ライナーと、都内を走る主要路線バスが乗り放題となる。 早速、パスが使えるか試すため、日暮里舎人ライナーで見沼代親水公園まで乗ってきた。 チャンと自動改札機も通過し、パスが偽物でないことも確認でき、ひと安心!

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今日の散歩は、見沼代親水公園駅(東京都足立区)から、北に向かい峯ヶ岡八幡神社に近い“川口市大字東貝塚”まで歩き、「大竹」バス停から川口駅にでて帰宅。



● コロナ禍の日曜日、日暮里舎人ライナーは空いていた。 終点、都内最北端の駅、見沼代親水公園駅の改札を新しいシルバーパスで無事通過。、、、、なんだか、もう2万円分乗車した気分で、シルバーパスの元を取った!

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・・・・・・・・・・・・ここからは、東へ(草加・竹ノ塚方面)、西へ(鳩ヶ谷方面)、度々歩いているので、今日は北へ向かうことにした。 駅から200m程北へ歩くと埼玉県草加市、さらに150m程歩くと埼玉県川口市に入る。 ここ見沼代は足立区・草加市・川口市の交点である。 

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● 川口に入り、「川口市 榛松(はえまつ)一丁目」(今まで知ることも無かった住所)の住所表示前の裏道を北上する。、、、、どこに行くのやら、本人も半信半疑で、ただただ歩く!

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● 裏道の五差路に出た。 その角(川口市大字東本郷727)に庚申塔が並ぶ、小堂が立っている。 小堂の中には5基の庚申塔が並び、いずれも風化が進んでいるが、年号の読めるものがある。 享和3年(1803)、元文元年(1736)、天明8年(1788)、元禄2年(1689)など、200~300年前の川口の歴史を語っている。、、、、“江戸時代の川口の農村”て、いわれても想像できないね!

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● さらに、道なりに北上すると、東本郷氷川神社(川口市大字東本郷1249)の正面に出た!、、、、アリャ・コリャ、神社に御挨拶しないと!、、、、当社は、もともと東本郷の南方にある本郷谷下に鎮座していたが、大風が吹き、北の本郷の水田に飛ばされ、現在地に鎮まったと云われている。 風に吹き飛ばされるほど軽い神社だったらしい。(御利益も軽いかも?)、、、、覆屋内の本殿は室町時代の建造、現拝殿は大正14年(1925)の建造。、、、、神社入口には、辰井堀の架橋である享保四年の宮前橋という小さな石橋が残っている。

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● 道は徐々に坂を上っていく。 明治時代に開校した「新郷小学校」、昭和36年から給水を開始した「新郷浄水場」の前を行く。、、、、今日の気温は30℃以下、坂道も楽に上れ、助かった!

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● 坂をあがると、曹洞宗寺院の長久山宝泉寺(川口市大竹)がある。 宝泉寺は、安行吉岡金剛寺四世高庵永薫大和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が開基となり創建したといわれてる。、、、、境内には水子地蔵尊があり、水子供養はぜひ当寺にて!

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・・・・・・・・・・・・境内では、「獣一面観音」に手を合わせてきた。、、、、仏の姿をし、やさしい童顔だが、頭には二本の角がはえた竜らしき顔がのっている。 “十”と“獣”をもじった仏である。

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● 宝泉寺からさらに北へ、川口市安行の近く、川口市大字東貝塚に「新郷貝塚」がある。 縄文時代後期の大規模な貝塚。 原形を留めている数少ない遺跡で、1m以上貝殻が堆積している部分もあり、竪穴住居跡や縄文人の骨も発見されているらしい。、、、、行ってはみたが、“貝塚”は地下に埋め戻され、見えるのは雑草の生えた地べただけ! 面白くない! 帰ろう!

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● 貝塚に近い、大竹バス停から川口駅にでて、帰る。

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2020年7月19日 (日)

糞尿を運んだ運河

新型コロナの感染が拡大しているなか、自分が感染しないためには、散歩の行き先も慎重に選ばなくてはならなくなった。 今日は、久しぶりに「つくばエキスプレス」乗ったが、行き先を決めてない。 空いた車中、『どこで降りようか?』と悩んだが決まらず、斜め前に座っていた女性が「八潮駅」で降りたので、私もつられて降りてみた。

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・・・・・・・・・・・・・とりあえず、電車とホームをカメラに収め、改札を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 しばらく地図とにらっめっこ。 数年前に歩いた花畑運河に行って、六町駅から帰ることにして、朝8時、八潮駅から散歩をスタート。 

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・・・・・・・・・・・・雨上がり、靄がモヤモヤ。 中川右岸の土手に出る。 八潮駅から南へ約1kmの、この土手には「古新田(こしんでん)」と云うバス停があった。 現在のこの地は、八潮市古新田といい、中川の対岸も同じ地名である。、、、、当地は、江戸初期に大瀬村字新田と唱え、寛永4年(1627)に大瀬村から村切りした当時は大瀬新田と称し、正保年中(1644~1648)に古新田となった。 一般に、“古新田”とは元禄~享保の間に検地した耕地を言うそうだ、ちなみに元禄以前に検地した耕地は“本田畑”、享保以後の検地した耕地は“新田”と云うそうだ。(チョイト、知ったかぶりして書いた!)


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・・・・・・・・・・・・古新田バス停付近から中川の対岸(左岸)を望むと、水色のゲートの大場川水門が見える。 水門の左側は埼玉県八潮市古新田、右側は東京都葛飾区西水元。 水門は埼玉県と東京都の境にあるのだ!

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・・・・・・・・・・・・中川右岸の土手を歩き、対岸に大場川水門の正面が見える位置付近に来ると、垳川(がけがわ)排水機場がある。 垳川の東端、中川との接続点に昭和54年(1979)に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。 現在の垳川は、北から八潮市を貫いて流れ下る葛西用水路の溜め池となっている。 大雨などによる増水時には水害防止の為、垳川の両端部の排水施設により、綾瀬川や中川に排水する機能を有している。 その一端が、埼玉県の管理する垳川排水機場。 5台のポンプで1秒間に40立方メートルの水を中川に排水する能力を有している。、、、、「垳川」の北側は埼玉県八潮市、南側は東京都足立区で、垳川が都県境の一部となっている。


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・・・・・・・・・・・・中川土手を、もう少し南へ歩くと花畑運河がある。 東京近郊農村地帯と都心を連絡する舟運の利便化のために昭和6年(1931)に、第一級河川「中川」と「綾瀬川」を結ぶ、全長1.4kmの運河として開削された。 終戦直後は都心の下肥(糞尿)を農業用肥料として近郊の農家へ、運河をとおり舟で運んでいた。 現在は、舟の通行はほとんど無くなり、真っ直ぐに伸びた細長い釣り堀となっている。、、、、名前は綺麗なんだが運河沿いには、花壇があるわけでもなく、サクラ並木があるわけでもない、花に縁のない運河。 また、“釣り堀”と云っても、愛好家が勝手に河岸で釣りを楽しんでいるだけ。 もうすこし住民がよろこびそうな運河の有効利用は考えられないかな?

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・・・・・・・・・・・・内匠橋綾瀬川を越え、足立区南花畑地区に入る。 この辺りはつくばエキスプレスが開通する以前は“陸の孤島”で、畑が多かった。 今は完全に新興住宅街となり、新しい住宅が建ち並んでいる。、、、、どこを歩いても、花畑は無い、大根畑も無い!、、、、【チョイト一言】 “花畑”は“はなはた”と読む、“はなばたけ”と読むと、私のように綺麗な花が咲いている土地を期待してしまう。

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・・・・・・・・・・・・南花畑の町を抜けると、つくばエキスプレス六町駅。 平成17年(2005)8月24日に開業した地下駅。、、、、六町駅から秋葉原駅までは、約16分。 速いね! 秋葉原駅から浅草橋の我が家までは、徒歩15分。 でも、つくばエキスプレスの秋葉原駅は「ヨドバシカメラ」の地下深くにあり、電車を降りてから地上に出るまでチョイト時間を要す。 さらに、“ヨドバシ”に寄ってブラブラすると、この時間が最も長くなる。

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・・・・・・・・・・・・今日の散歩は1万歩。 車中以外はマスクなしで歩くことができ、楽だった!

2020年6月20日 (土)

牛田から梅島

大きな私鉄:東武鉄道になると当然駅も多い、日本人なら大往生するまでに一度は乗り降りしたことがある浅草駅、行ったことがなくても駅名は聞いたことがある北千住駅、どこにあるのかサッパリ判らん梅島駅、駅名を聞くのは生まれて初めて牛田駅など、ピンからキリまで選り取り見取り。 今日の散歩は、知名度の低い牛田駅から歩きはじめ、西新井橋を渡り梅島駅まで、1万5千歩の散歩です。




駅の向かいに駅 ・・・・・・・・浅草~北千住間の各駅に停車する普通か、区間準急、区間急行(浅草~北千住間は各停)に乗らないと牛田駅に下車することができない。 牛田駅は北千住駅の隣り駅だが、周辺にはめぼしい建物・施設はない。 京成電鉄本線の京成関屋駅とは道路を挟んで向かい側にあり乗り換えが楽な連絡駅となっている。、、、、牛田駅は昭和7年(1932)9月1日開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。

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・・・・・・・・・・・・駅の向かいに駅。 京成関屋駅がある、それぞれ乗り換える人が道路を横断していく!、、、、京成関屋駅は、昭和6年(1931)12月19日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。
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●墨堤通り! ・・・・・・・牛田駅から墨堤通り(都道461号)を西へ向かって歩くことにした。

・・・・・・・・・・・・踏切の先は、半円状に道路が整備された柳原地区。 墨堤通りは踏切の手前を左側(西側)に折れてる。

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・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線から分岐し、墨堤通りを横断していた岡田商事引込線跡。 京成本線の高架下を抜けた先(隅田川岸)に旧千住貨物駅があった。

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・・・・・・・・・・・・墨堤通りの南側に京成本線が並行する。 その先で、墨堤通りは常盤線・つくばエキスプレス・東京メトロ日比谷線の下をくぐり、千住宮元町交差点にて日光街道(国道4号)と交わる。

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●マスクした狛犬! ・・・・・・・・千住宮元町交差点近くに、千住青物市場の守護神としてであった河原町稲荷神社がある。 創建年代は不詳だが、千住市場が開かれた天正年間(1573~93)に遡ると云われている。、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿と社叢が全焼したが、御神体ならびに神輿庫は類焼を免れた。 昭和22年(1947)、トタン葺の木造社殿にて復興し、昭和41年(1966)に現社殿(鉄筋コンクリート造)が造営された。、、、、当神社の狛犬は足立区内最大の大きさを誇っているが、今年は“新型コロナ”の影響でマスクを使用している。 “安部のマスク”は貰えなかったので、自腹で特大のマスクを買ったらしい。 顔が見えない!

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●再び、墨堤通り! ・・・・・・・千住宮元町交差点を過ぎると、墨堤通りは徐々に北に向かう。 私は、墨堤通りに並行する裏通りを歩く。 

・・・・・・・・・・・・只今、午前9時。 「ゆうやけ通り みどりちょう」と標された商店街に足を踏み入れたが、まだ夕焼けには時間があり、何処の店も開いてない! つまらないので、脇道を歩く。

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・・・・・・・・・・・「都営千住桜木一丁目アパート」の前に出た。 隅田川岸にたつ、平成13年(2001)竣工、総戸数:260戸(14階建て)の大きな都営住宅である。、、、、アパート裏の護岸に上ると、大きく蛇行する隅田川を眺めることができる。

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・・・・・・・・・・・・再び、墨堤通りを歩く。

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・・・・・・・・・・・・かつて、東京電力の守護神と云われたこともある元宿堰稲荷神社。 第116代桃園天皇の御代、宝暦4年(1754)の創建と伝えられるが、詳細は不明。
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・・・・・・・・・・・・墨堤通りが尾竹橋通りにぶつかる千住桜木町交差点、これより先は尾竹橋通りとして西新井橋を渡る。
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●スカット爽やか! ・・・・・・・・・・・尾竹橋通り(東京都道461号)を通す、橋長: 444.6mの西新井橋。、、、、今日は散歩日和で、橋の上を歩いても暑くない。 荒川の風も優しく吹き、気持ち良い散歩だ!

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●コロナか、霊気か?・・・・・・・・西新井橋を北詰から梅島駅に向かう。 途中、梅田6丁目にある、天照大神を祭神とし、慶長年間(1596~1615)の勧請という梅田神明宮に立ち寄る。 地主神が祭られていた当地に、神明宮を創建したそうだ。 また、井上正鐡が伝道した禊教発祥の霊場だと云われている。、、、、なんとなく、ジメットした境内は、コロナが居るのか?霊気が漂っているのか?

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●油断大敵! ・・・・・・・・梅島駅に到着! まだまだ油断できない“新型コロナ”、それでも外出したい人が多いようだ、駅にも人が出てきた!

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2020年5月31日 (日)

行きも帰りもガラガラ!

三密を避け、ガラガラの電車に乗って、東京拘置所のある小菅駅から散歩を始める。 裏道を歩き、綾瀬駅前をとおり、お花茶屋駅まで、1万3千歩の散歩。 帰りの電車もガラガラ!




●電車も楽し! ・・・・・・浅草橋から都営浅草線で押上へ。 押上で東武電車の準急:久喜行きに乗り、北千住で普通に乗換え、隣り駅の小菅まで。 短い距離だが、久しぶりにのんびりと電車に乗り、楽しんだ気分がした。 

・・・・・・・・・・・・浅草橋から都営浅草線で押上へ、、、、羽田・成田の両空港を利用する観光客がいない! 電車も、ホームもガラガラだ!

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・・・・・・・・・・・・押上駅は、都営・京成の駅も、東武・東京メトロの駅も、スカイツリー見物の観光客がおらず、これまたガラガラ!

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・・・・・・・・・・・・東武押上駅から久喜行きの準急に乗る、、、、次は、隣り駅の曳舟、その次は北千住までノンストップ!

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・・・・・・・・・・・・北千住で普通に乗換える

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・・・・・・・・・・・・着いたところは、東京拘置所前の小菅駅。 降りる人、乗る人も少ない、哀愁おびた都心のローカル駅。 高架下の大空間に改札があり、風通しはバツグン! 冬は寒い! 今は換気充分、コロナは居ない!

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●3000名収容! ・・・・・・駅前の東京拘置所は、敷地の北と西に古隅田川とよばれる小川が流れ、東は綾瀬川が流れる、四角い広い城塞のような土地である。 その中央に、地上12階/地下2階建て、高さ50mの平成18年(2006)頃に完成した新舎房が堂々とたっている。 3010名収容できる立派な施設だが、私はまだ泊まったことがない、チョイト残念!、、、、新舎房を取り囲むように、官舎・公務員住宅が配され、素人の私には事前に脱走経路を調べるのは無理である。

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●謎の事件! ・・・・・・東京拘置所の北側にJR常磐線の高架橋がある、その高架橋脇(足立区西綾瀬1)に「下山国鉄総裁追憶碑 」がある。 昭和24年(1949)に起きた下山事件の記念碑だ!、、、、下山事件は昭和24年7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則が、朝、公用車で出勤した。 途中、銀行等により日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住~綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 遺体からは生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた時代の事件である。 いまだに、自殺か?他殺か?謎!、、、、その後も、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。

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●コロナに強い! ・・・・・・・綾瀬川を越えると常磐線の南側(足立区綾瀬1)に綾瀬神社がある。 元の氷川神社に胡録神社を合祀し、社名を綾瀬神社とした。、、、、本社はさいたま市大宮の氷川神社、武蔵野国の一ノ宮でその神徳を仰ぎ、明暦5年(1659)に勧請した。 また一方の胡録神社は氏子区域にもう一社あった神社で、宝暦5年鎮座との社伝がある。 こっちは疫病退散を祈願する神社で、ぜひともコロナを撲滅して欲しいものだ!

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●銀座だ! ・・・・・・・「TOKYO 2020」の旗がもの悲しくなびく「綾瀬中央銀座」の商店街を抜けると綾瀬駅にでた。、、、、喉が渇きお茶が欲しく、銀座でショッピングしたかったのだが、“銀座”にはコンビ二が見当たらない!

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●千葉から香取へ! ・・・・・・・・綾瀬駅から南東へ向かい、葛飾区堀切8丁目の上千葉香取神社に出た。 神社は旧上千葉村の鎮守。、、、、当地区は中世、千葉氏一族の領地であり、付近には古城址と思われる地名が残っているので、当社は葛西氏または千葉氏が下総国香取神宮を勧請したものと推測されている。 社号は明治5年社格制定の時、「千葉神社」と改めたが、昭和32年旧名に復して「香取神社」とした。

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●泥棒のように! ・・・・・・・・気の弱い泥棒のように人との接触を避け裏道を歩き、京成本線お花茶屋駅に向かう。 
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●帰りもガラガラ! ・・・・・・・・お花茶屋駅から青砥経由で我が家(浅草橋)へ帰る。 帰りもガラガラ!

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