足立区

2025年6月 5日 (木)

青砥から関屋まで

京成本線の青砥駅から本線沿いに歩いて京成関屋駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 青砥(あおと)駅開業以前は、立石~高砂間には駅は設置されていなかった。 昭和3年(1928)11月1日の日暮里~青砥間開通時に分岐駅として開業した。 青砥駅の開業により、現在の押上線(押上~立石~青砥)は当駅で京成本線(上野~青砥~成田)から分岐することになる。、、、、、青砥駅は昭和48年(1973)から、昭和61年(1986)まで高架化工事が進められた。 現在の青砥駅は、ホームが二層構造の高架駅となっている。 2階と3階にそれぞれ島式1面2線のホームを持ち、2階が上野・押上方面に向かう1・2番線、3階が成田・千葉方面に向かう3・4番線となっている。 改札口は中2階の1カ所のみである。

・・・・・・・・・・ 朝の3階ホームは成田・千葉方面に向かう乗客が点在する程度。 2506050801550
2506050803000
2506050806040


・・・・・・・・・・ 都心に向かう2階ホームは人・人・人でラッシュ状態
2506050806330
2506050811090
2506050812570


・・・・・・・・・・ 2階ホームからさらに階段を下りると中2階の改札口。 乗る人、降りる人で8台の自動改札機はフル活動。
2506050816451


・・・・・・・・・・ 中2階から階段を下りると高架下の青砥駅出口がある。 1階はショッピングセンター。 その入口前にはバイオリンを弾く男性の像がある。 台座に「ワルツの塔」と刻まれている。 ウィーンの音楽家ヨハン・シュトラウス2世の像だ。
2506050817540
2506050819450


・・・・・・・・・・ 下町にある狭い駅前の通りから見上げるとデカイ、邪魔な駅だ!
2506050821130
2506050821280



京成本線沿いに上野方面に向かって歩く、、、、、暑い! 今日の東京は夏日、汗を拭いながらの歩き、暑い!
2506050828540
2506050836060
2506050841001
2506050851111
2506050858290



● 葛飾区の中央部に位置する、普通しか止まらない下町の駅がお花茶屋駅である。 駅は相対式ホーム2面2線で、橋上駅舎を有する地上駅である。 昭和6年(1931)12月19日開業。、、、、、駅の前には地元密着型の商店街があり、昭和の雰囲気も味わえる。
2506050900200
2506050901480
2506050903330



● 線路に沿って歩く。 暑い、汗が流れてきた! 
2506050905070
2506050914060
2506050918070



● 5月末から始まった葛飾 菖蒲まつり」が開かれている堀切菖蒲園、その最寄り駅である「堀切菖蒲園前駅」。、、、、、当駅は昭和6年(1931)12月19日開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。 改札口・出口は1ヶ所のみで高架下の地上1階にある。、、、、、今日は菖蒲園に寄らず、素通り。 
2506050923120
2506050926060
2506050926240



● 堀切菖蒲園駅を出た電車は、京成本線荒川橋梁にて荒川を越える。 その京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低い。 もし、荒川が氾濫するとしたら、この位置からといわれており、治水上の弱点といわれてる。 この京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始められている。 東京の下町が浸水することが無きよう、一刻も早く完成することを願うのみ!
2506050935480
2506050939490
2506050944020
2506050952350



● 本日の散歩の終点は「京成関屋駅」。 京成関屋駅は昭和6年(1931)12月19日に開業。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、、暑い暑い散歩であった。 汗臭さい身体で、電車に乗るのはチョイト気が引けた!
2506051000430
2506051002230
2506051007500

2025年5月20日 (火)

五から六まで歩く

東京の気温は30度を超える真夏日の予想が出た! 熱中症が気になる時期となったが。 健康のためと思い、足立区の“反野駅”(東武伊勢崎線)から“町”(つくばエクスプレス)まで、9千歩の散歩です。




● 知る人ぞ知る 知らない人はまるっきり知らず、山手線の五反田駅と間違える東武伊勢崎線の五反野(ごたんの)駅。 五反野駅は北千住駅の次の次。 駅所在地は東京都足立区足立三丁目、大正13年(1924)10月1日の駅開設時の住所は東京府南足立群綾瀬村。 駅周辺は戦後形成された東京の下町である。 駅周辺には他区から人を呼び込むほどの施設は無く、五反野駅は地元完全密着型の駅である。、、、、、五反野駅は島式ホーム1面2線を有する高架駅。 緩行線のみホームがあり、緩行線外側を急行線が走る。 1日平均乗降人員は約36,000人ぐらいで、普通列車(地下鉄日比谷線直通)しか停まらない駅。
2505200817120
2505200828430
2505200829370



● 駅前の商店街五反野駅前通り銀座会」を駅に向かう通勤客に逆らい北へ歩く。 この商店街は、昭和40年代前半に駅前通りに沿って存在していた用水路(俗称:どぶ川)が暗渠化され、駅前道路周辺に商店も増え昭和45年(1970)に商店会として発足したとのこと。、、、、、時刻は8時30分過ぎ、もう通勤・通学のピークは過ぎたのか、行き交う人も少なくなったように思われる。
2505200834090
2505200834390
2505200839040


・・・・・・・・・・ この商店街の途中に、「
四ッ家町バス停」がある。 何気なしに時刻表を見ると、ナント驚くことに、ここに停まるバスは、土休日の朝一本のみだ! 平日は停車せず。 このバスは、五反野駅と花畑車庫の間を土休日1往復のみ運行しているらしい。(私は利用したことが無く詳細は不明)、、、、、誰が何のために、このバスを利用するのか知りたいね?
2505200841360
2505200840380


・・・・・・・・・・ 五反野駅前通り銀座会商店街の北端は、六叉路の「四家(よつや)交差点(パノラマ写真で撮影したが、判るかな?) 6か所の信号が混乱なく点滅する六叉路だ。、、、、、四家交差点の “四家”とは、江戸時代この地域に住んでいた四家族、鶴飼、市川、高橋(兄弟)からついたと言われている。

2505200845409_stitch



四家交差点から北東方向に裏道を歩くと住宅地の奥に「四ツ家稲荷神社」(足立区青井2)がある。、、、、四ツ家稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂命と徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 東の宮は青井3付近にあったそうだが、近代になって、1村1社政策が進められ、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀された。 その際、四家の一つ鵜飼家の屋敷神だった徳川家康(権現さま)も合祀されたと言われてる。、、、、タヌキ(家康)とキツネ(稲荷)を祀る神社。 蕎麦屋には御利益がありそうな神社!
2505200855050
2505200855370



● 四ツ屋稲荷神社からさらに北東に歩くと、「青井
愛宕神社」(青井1)がある。 創建年代不詳。、、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 『江戸愛宕三社』の1つで港区芝の愛宕神社と練馬区田柄の愛宕神社の三社が該当神社となるそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の例祭日は、「秋の彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのかな?
2505200909070
2505200910470



● 環七道路と都道102号がぶつかる交差点角に「西加平神社」(西加平1)がある。 西加平神社の創建年代は不詳だが、嘉兵衛新田の開拓に伴い創建されたと言われてる。 明治時代には加平天祖神社の摂社となったが、昭和29年(1954)稲荷神社としてとして分離独立、昭和49年(1974)西加平1丁目にあった天祖神社を合祀し、西加平神社と改称した。、、、、境内周辺は区画整理され平成28年(2016)に社殿は新しくなる、しかし境内にはいまだ樹木が少なくスッポンポンの状態である。、、、、石の鳥居には寛政11年(1799)の銘。 また、嘉永7年(1854)に新吉原角町(現:台東区千束)の安房屋から奉納された手水鉢もある。
2505200930170
2505200931000



● つくばエクスプレスの「六町(ろくちょう)駅」は、秋葉原を起点として7番目に位置し、東京都内最北の地下駅。 駅部は三層構造であり、第1出入り口とともに平成16年(2004)に完成した。 駅の開業は平成17年(2005)8月24日。、、、、、駅周辺は、古さを感じさせる物は無く、駅前の広いロータリー、広い道路に面し立ち並ぶマンション、密集しない住宅、いかにも近年開発された町といった場所。
2505200942470
2505200943520
2505200945280
2505200955140

2025年2月14日 (金)

草加から見沼代親水公園へ

朝、今日は三月並みの陽気になると、お天気お姉さんのお告げがあった。 早速『散歩してくる!』と妻に告げ、押上で行先定まらないまま電車に乗った。 とりあえず草加駅で下車し、思案の末、日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩いてきた。 1万歩



● 押上で半蔵門線から乗り入れる南栗橋行きに乗り、『どこで降りようか』考えがまとまらないまま草加に着いた。 しばし駅で思案し、西に向かって裏道を歩き日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。、、、、草加駅は明治32年(1899)に開業した古参の駅。 急行も停まる主要な駅である。 都心への通勤通学客も多いが、下車する人も多い。 行き交う人の多い駅でカメラを持ってブラブラしていると、“盗撮マニア”と疑われそうなので、足早に駅を離れる。
2502140818530
2502140823510
2502140824490
2502140827130



● 草加駅西口から西に向かって裏道を歩き、草加市西町の西町小学校(昭和42年開校)前をとおり、国道4号(=草加バイパス)を横断する。
2502140836280
2502140841100
2502140843310



● 草加バイパスからチョッピリ西に入ると、真言宗智山派の真蔵院がある。 寺は長渓山興精寺と号す。 真蔵院の創建年代は不詳、当寺の本尊背面の銘には享保5年(1720)に完成したと記されているそうだ。 甲斐武田氏の元家臣吉沢氏が当地に定着し、一族の菩提寺として創建したと言われてる。、、、、、小さな本堂に、緑の多い境内、民話に出てくる山寺を思い出させる素朴な風景を創り出している。 いいね!
2502140846310
2502140851260
2502140849330
2502140851190



● 「新郷スポーツセンター通り」と称するバス通りを歩き、辰井川に架かる「沖田(おきだ)橋」(平成4年(1992)竣工)を渡り、草加市から川口市に入る。、、、、辰井川(たついかわ)は、川口市東部に源を発し東へ流れ、草加市に入り南へ転じ、草加市谷塚上町で毛長川に合流する一級河川。流路延長は約5.4㎞。 沖田橋から見る辰井川は農業用水路のようだ、どう見ても一級河川とは思えない!
2502140910150
2502140910400
2502140911360



川口市榛松に入り、再び裏通りを歩く。 ここらは新興住宅地なのか、比較的新しい住宅がの並んでいる。
2502140924180
2502140930540



● 川口市榛松の真言宗智山派寺院の不動院は、三嶋山龍蔵寺と号す。 創建年代は不詳。 住宅街の中にあり、静かな佇まいで落ち着いた雰囲気の寺である。、、、、山門脇に4基の石仏がある。 右から、寛保3年(1743)の馬頭観音立像、庚申塔 元文5年(1740)の庚申塔、寛保3年(1743)の庚申塔、延宝8年(1680)の庚申塔。
2502140940070
2502140939400
2502140939540



● 不動院から約1㎞歩くと、毛長川を越えて東京都足立区に入る。 川の先には日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。
2502140952400
2502140953340

2024年12月20日 (金)

埼玉から東京へ

今日も行先が定まらず、何となく東武伊勢崎線で押上・北千住と進み、草加の一駅手前「谷塚駅」で下車する。 駅前で東西南北いずれに歩くか? 足の向くまま、気の向くままに、何となく西に向かって歩く。 辿り着いたのは日暮里舎人ライナーの「舎人駅」。 1万歩の散歩です。



東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)である。 谷塚駅の駅前は西口と東口で大きく印象が異なる。 東口は広々としたロータリーがあり、タワーマンションもある、銀行、スパー、飲食店、交番など多くの施設があり、生活に困ることもないと思われる。 一方の西口は、広い更地が駅前に構え、これから再開発でもするのかと思わせるように閑散としている。 今日の散歩は西口からスタート。
2412200811420
2412200818440
2412200819480
2412200824219_stitch



● 谷塚駅から、人通りの少ない裏道を南西方向(歩いてる時は西に向かってると思った)に歩く。 駅から500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の寶持院がある。 『お~、この寺は以前来たことがある!』数年前に立ち寄った寺だ!、、、、寶持院は、寺の本尊十一面観音の背面の銘から推定すると、江戸時代中期には創建していたそうだ。 創建以来、谷塚地区の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。、、、、現在の本堂は、平成4年(1992)に建設された。 また、山門の左手には御堂が、右手には六地蔵、本堂裏には庚申塔と不動尊が並んでる。 チョッピリ歴史を感じる寺だ!

2412200833510
2412200835230
2412200835370
2412200843140
2412200839480



● 創建年代は不詳だが、地元の鎮守さま「谷塚氷川神社」の前を通る。 氏子らしき数人の男性が境内の大掃除、正月を迎える準備かな?
2412200854570
2412200853480



● “のどかな田園風景”とは言わないが、チョッピリ農村の匂いが残る谷塚の裏道を歩く。
2412200850070
2412200855520
2412200902070
2412200903190


● 埼玉県草加市と東京都足立区の界を流れる毛長川、そこに架かる谷塚橋を渡り足立区に入る。 毛長川に架かる毛長橋の西側まで川沿いを歩く。、、、、1車線の道で交通量も少なく、年寄りには歩きやすいね。 冬の青空の下、のんびり歩く!
2412200906350
2412200911050
2412200918020
2412200922500



● 「見沼代親水公園」の大きな木が迎える古千谷橋(こじやばし)交差点に出てきた。 近くには「古千谷氷川神社」もある。、、、、古千谷氷川神社の創建年代は不詳だが、古千谷村が出来た頃の創建で、古千谷村の鎮守社であったらしい。
2412200932390
2412200933500
2412200935480
2412200935150



● 古千谷氷川神社からさらに西へ、日暮里舎人ライナーの「舎人駅が見えた。 今日の散歩はここまで。
2412200947520
2412200948210
2412200953020

2024年12月11日 (水)

餓死者を葬った四寺

久しぶりに閻魔さまの顔を見たくなり北千住に行ってきた。 北千住駅からスタートし、北千住1・2丁目界隈を歩き、東武伊勢崎線の牛田駅まで、9千歩の散歩です。


北千住駅はJR常磐線、東京メトロ日比谷線・千代田線、東武鉄道伊勢崎線、首都圏新都市鉄道つくばエキスプレス4社5路線が乗り入れており、1日あたりの乗降客数は約160万人と言われてる大ターミナル駅である。 この首都圏有数のターミナル:北千住駅であるが、ここから“新宿”、“池袋”の大ターミナルへ向かう路線は一本もない! これは何とも不思議なことだ?、、、、明治29年(1896)12月25日に日本鉄道線(現在の常磐線)の駅が開業。 明治32年(1899)8月27日には東武鉄道の駅が開業。 明治39年(1906)、日本鉄道の駅が国有化される。 昭和37年(1962)5月31日に帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線の駅が開業。 昭和44年(1969)12月20日 、千代田線の駅が開業。 平成17年(2005)8月24日、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの駅が開業。 ついでに、現:駅ビルの「ルミネ北千住」が開業したのは、昭和60年(1985)である。 開業当時は「北千住ウイズ」という名であった。
2412110823140
2412110818530
2412110810210



● 北千住駅から歩いて5・6分程の所に、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺がある。 金蔵寺は、建武2年(1335)の創建と伝えられている。  、、、、本尊は、かつては地蔵菩薩であったが、現在は閻魔大王と言われてる。 私は、今までに数回この寺には来たが、いつも本堂は閉められ、本尊の姿を拝したことがない。 ネットで調べてみても本尊の写真は載ってない。 ぜひ一目拝んでみたい閻魔さま!
2412110829280


・・・・・・・・・・ 金蔵寺では本尊の閻魔さま以上に有名なのが、山門を入ってすぐ左手に2基の供養塔が並んでいる。 向かって左側の南無阿弥陀仏を刻んだものが「千住遊女供養塔」。 この供養塔は、千住宿の多くの飯盛旅籠に勤めそこで亡くなった遊女が、当時「投げ込み寺」であったこの寺に葬られた。 その薄幸な遊女生涯を哀れみ供養するため建てられた。、、、、右側に無縁塔と彫られた供養塔は「天保餓死者供養塔」。 こちらは、有名な天保の大飢饉(1833~1837)で亡くなった者を供養するため建てられた。 塔は当時の名主:永野長右衛門が天保11年(1840)に建立したものでその碑文によれば、天保8年の年当地では828名の犠牲者が出た。 その犠牲者を近隣の寺に葬ったとされている。 勝専寺に321人、慈眼寺に61人、不動院に76人、そしてこの金蔵寺に370人を葬ったそうだ。(そこで今日の散歩は、この4寺を巡ることにした!) 

2412110832220



● 金蔵寺から西へ約250m歩くと、赤く塗られた山門の三宮神山大鷲院勝専寺(浄土宗)がある。 勝専寺は文応元年(1260)の創建。 勝専寺を開いた新井政勝の父・新井政次が荒川(現:隅田川)に網を投じたところ、千手観音像が網にかかったのが寺の由緒だという。 この千手観音は寺の寺宝となっており、地名「千住」の由来といわれている。、、、、勝専寺の本堂は明治39年(1906)に建てられたコンクリート造で化粧レンガで覆われています。
2412110850420
2412110853580


・・・・・・・・・・ 勝専寺の本尊は阿弥陀如来であるが、この寺にも閻魔さまが居る。 ここの閻魔さまは、閻魔堂に一人住い。 像は寛政元年(1789)の木像。
2412110855430
2412110855240



● 勝専寺から南に300m程歩くと、慈眼寺(じげんじ)と不動院が隣り合わせにある。 新義真言宗の慈眼寺は、千龍山妙智院と号す。 慈眼寺は、行覚上人が関東巡錫の時の正和3年(1314)に創建した。 当寺の本尊であった観音菩薩像は東京大空襲で焼失してしまった。 また、諸堂も戦災で被災し、残っていたのは現在の山門だけだそうだ。
2412110915010
2412110917040



● 新義真言宗の不動院は、白幡山薬師寺と号す。 不動院は、元弘2年(1332)秀天上人が開山となり創建した。 創建の翌年には鎌倉が陥落し南北朝の戦乱が始まると言うまさにその時期です。 本来は慈眼寺の護摩堂であったが独立して一寺となったといわれてる。 本尊は不動明王。
2412110910440
2412110913060


・・・・・・・・・・ 境内には、千住宿旅籠屋一同が万延元年(1860)に建てた遊女の無縁塔がある。 遊女も、飢餓者も、南無阿弥陀仏。
2412110911580



● 四寺を巡った後は、「北千住大踏切」を渡り牛田駅に向かう。、、、、「北千住大踏切」は、北千住駅の南側にある、JRと東武鉄道が走る踏切をいう。 4社5線が乗り入れる北千住駅であるが、東京メトロ千代田線と日比谷線、つくばエクスプレス線の3線は、高架または地下で立体交差しており、踏切を通ることはない。 JRと東武鉄道は地平を走り、両路線は運行本数も多いため、ここの踏切は「開かずの踏切」となっている。、、、、地元の足立区ではこの大踏切の除却を議論しているが、ここを通る鉄道に加え周辺道路も交通量が多く難しそうだ。 2018年末には、鉄道の高架化・地下化それぞれの立体交差化にかかる事業費を、前者は1000億円、後者は3000億円と試算している。 
2412110927090
2412110930460


・・・・・・・・・・ 大踏切は、JR常磐線の「北千住一丁目踏切」(注:北千住一丁目という地名は無い)と東武伊勢崎線の「22番踏切」の2本が並んでいる。 両踏切は非常に近接しているので、両社とも係員を配置している。 しかし、踏切横断の危険は常にあり油断できない!
2412110928080
2412110931580
2412110931380


2412110932590
2412110935360
2412110933420



● 大踏切から牛田駅まで歩き、ここから帰る!
2412110953060
2412110958040

2024年11月13日 (水)

五反野から西新井橋まで

東武伊勢崎線の五反野駅から、江北橋通り北側の裏通りを西へ歩いて、西新井橋バス停まで、1万歩の散歩です。



● 散歩の行先を決めぬまま浅草橋駅から都営浅草線・東武伊勢崎線と乗り継ぎ、『さて、どこで降りようか?』思案しながら乗っていた。 北千住駅を過ぎたあたりから、『これ以上乗っていたら散歩の時間がなくなる!』と思い、五反野駅で慌てて下車する。、、、、この駅は散歩で度々訪れており、目新しい発見も無く駅を出る。
2411130820360
2411130827070

・・・・・・・・・・ 駅を出て『さて、何処へ、どっちへ、いずれに行こうか?』悩んだ結果は、『西へ向かって歩いて見よう』、、、、江北橋通りの北側の裏通りを西に向かって平行に歩くことにした。
2411130831400
2411130835400
2411130836250


● 五反野駅から西へ、日光街道の手前に、「くもじい・くもみ」を思いだす、外壁が鋭角にトンガッタ建物がある。、、、、このお宅、『トンガッタ先にどんな部屋があるのかな?』、『寝るのは何処かな?』 できたら、お宅の中を拝見したいね!
2411130839190
2411130840360


● 日光街道を越え西へ向かうと、足立区梅田1、2丁目に道幅6m程、長さ350mの地元密着型の「ゆめろーど千代田商店街」がある。 昭和46年(1971)に結成された商店街で、現在40店舗程が加入しているそうだ。、、、、朝8時45分、まだ営業してる店は少なく、多くの店はシャッターが下りてる。 花屋さんは店が開いてる、デイサービス・訪問介護の建物の中ではミーティング中、玉子焼き屋さんは店中で店主が焼いてる、八百屋さんは品出し中、買い物客の姿は見えず。、、、、日中の買い物客がいる時間帯に来てみたいね!
2411130843420
2411130845300
2411130849270
2411130854570

・・・・・・・・・・ 商店街の「鈴や質店」、、、、昔ながらの風情ある店先と質蔵がいいね!
2411130849530


● 商店街を通り抜けると「旧日光街道」にでる。 50m程北に歩くと、街道の角に「石不動尊」(足立区梅田3)と記された小堂がある。 小堂のなかの不動尊は石製坐像で、台座に「耳不動尊」と記されている。 石不動は、別名「耳不動」と呼ばれ、耳を病む人の強い信仰を受けているそうだ。、、、、石不動の左脇に、昭和40年(1965)に再建された、「子育弥彦尊道 是より二丁行く」という道しるべがある。 石不動は、この先(西側)にある明王院の不動の一つだそうだ。、、、、私は耳が悪く補聴器の御世話になっているので、ここでは念ごろに手を合わせてきた。
2411130855580
2411130857490
2411130858460


● 石不動から西へ500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の万徳山梅林寺明王院がある。 明王院は、治承2年(1178)六条判官源為義の三男義広の草創で、五世久広のとき当院のかたわらに天満宮を勧請して、万徳山梅林寺と号し、姓を梅田と改めたことから、周辺の地名も梅田と呼ばれることになった。 また、赤いお堂のお不動様の寺、は「赤不動」として親しまれてきたそうだ。、、、、この寺には、石不動の脇に道標のあった、咳に効験のある八彦尊が祀られている。、、、、現在の堂々とした不動堂(本堂)は昭和48年(1973)に落成した。 本尊の不動明王は扉の中で顔は見えない、残念!
2411130919310
2411130917450


● 明王院から再び西へ向かうと、尾竹橋通り(=都道461号)に出る手前に公園「関原の森」がある。 ここには、昭和5年(1930)に建てられた「旧愛恵学園幼稚園舎(現:愛恵まちづくり記念館)が残されている。、、、、今日は建物の前を通過するだけ。
2411130946260


● 尾竹橋通りに出て南へ200m程歩くと西新井橋の北詰となる。 この手前に東武バスの「西新井橋」バス停がある。 今日の散歩はここまで!
2411130950400
2411130956210

2024年10月16日 (水)

田端から宮城まで

JR京浜東北線・山手線の田端駅から旧小台通りを歩き、小台橋を渡り足立区小台に入り、豊島橋東詰の宮城二丁目バス停まで、1万歩の散歩です。



● 今日の散歩は田端駅北口からスタート。、、、、田端駅の歴史は古く、開業は明治29年(1896)4月1日、日本鉄道の駅として、後に東北本線となる路線上に開設された。 同じ明治29年12月には田端~土浦間(後の常磐線)が開業。 明治36年(1903)には、常磐の石炭などを横浜港へ運搬するために大塚支線(田端~池袋間 後の山手線)も開業した。その後、明治38年(1905)には、日暮里~三河島間(現:常磐線)が開業し、上野~土浦間の列車(現:常磐線)は田端駅を経由しなくなり、田端~三河島間は貨物線となる。  そして、明治39年(1906)11月1日、日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。、、、、現在の田端駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、ホームの柱には大正末期か昭和初期頃の古いレールが再利用されて現存している。 改札口は南北の2か所あり、北口は橋上駅舎で、線路上の人工地盤上に駅ビルがある。 南口は、線路脇の崖上にあり、小さく可愛らしい駅舎である。
2410160751470
2410160759010
2410160800230


● 駅前の跨線橋「新田端大橋」を渡り、田端駅と尾久駅の中間にある田端機関区(田端運転所)と尾久車両センターをつなぐ回送線の「王子街道南亘り踏切」近くに古い道標(北区東田端2)がある。、、、、「左 王子道」「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」と彫られている。 文政11年(1828)とあるので、古くから存在する古道の道標だ! 踏切が在るのは「王子道」にあたり、私の散歩は右に折れて西新井弘法大師道に向かうことにした。

2410160815040
2410160813030
2410160817170

・・・・・・・・・・ 西新井弘法大師道といっても普通の2車線道路である。、、、、先へ進むと、「東北回送線 第三下田端踏切」、「東北線 第三下田端架道橋」がある。、、、、さらに都道306号を横断した先には、比較的新しい道標(北区田端新町3)がある「右 西新井大師道」と彫られてる。 昭和48年(1973)の銘、おそらく信者の方が建立したものであろう。
2410160817500
2410160822190
2410160824559


● 西新井大師道を道なりに北上すると、四つ角の先の街路灯に「小台(おだい)銀座」の文字が見える。 ここからは“北区”から“荒川区”に変わりる。 小台銀座の商店街が、約600mの長さで都電荒川線の「小台停留所」のある交差点まで伸びている。 西新井大師道の一部が小台銀座になったものと思われる。 小台銀座の商店街は、南側半分が「小台本銀座商店街」、北側半分が「小台本銀座通り柳会」と言う、二つの商店街で構成されてるそうだ。 この小台銀座の通りは、「旧小台通り」と言うらしい、名標も立ってる。、、、、まだ朝の8時半過ぎ、営業してる店は無く、シャッターも下りたまま、すれ違う人の数も少なく、商店街はまだ寝てるようだ!
2410160828470
2410160834300
2410160835090
2410160840470
2410160844060
2410160857310

・・・・・・・・・・ 小台銀座の通りに面しチョイト大きな建物は、銭湯の「梅の湯」と総合病院の「佐藤病院」、どちらも地元密着の“頼れるありがたい施設”だ!
2410160839570
2410160853550

・・・・・・・・・・ 小台銀座通り沿いに、「條里南道」と記された石碑がある。 この碑は、明治20年(1887)頃、人文地理学者の小田内通敏が東京府史跡調査を行った際に、このあたりに残っていた条里制の遺構の保存を進言して建てられたものだ。 条里制とは、古代の耕地の区画制度であり、基盤の目のような整然とした地割りが行われた。このように区画された耕地は、7世紀末ごろ制定されたという班田収授の法に基づき、農民に口分田として分け与えられた。 かつて荒川流域には多くの条里制の遺構があったが、現在では上・中流域にわずかにみられるのみらしい。
2410160845440

・・・・・・・・・・ 條里南道の石碑の近く(荒川区西尾久5)に、道祖神がある。 3基の塔、いつの時代のものなのか、なぜにこの地にあるのか、由緒・謂れはさっぱり判らん、誰か教えて!
2410160848470


● 小台銀座を抜けると、都道458号(小台通り)を歩く。 小台橋にて隅田川を越え、荒川区西尾久から足立区小台へ入る。、、、、小台橋架橋前は付近に「小台の渡し」があり、江戸時代より江北・西新井・草加方面への交通の要所として賑わっていた。 西新井大師や六阿弥陀のひとつである沼田の恵明寺に詣でる人々も多く利用した。 小台橋が最初に架橋されたのは昭和8年(1933)で、関東大震災後の都市復興事業により架橋された。 その後老朽化により、平成4年(1992)に現在の橋に架け替えられた。 現橋の型式は鋼ニールセンローゼ桁橋、橋長は122.0m、幅員は15.0m、都が管理する橋である。
2410160916170
2410160914140
2410160919250

・・・・・・・・・・ 小台橋から上流を眺めると、左側の岸に「あらかわ遊園」の観覧車が見える。 右側は足立区。
2410160921530


● 都道458号(小台通り)が荒川土手で都道449号に合流する地点(足立区小台2)に、天保期(1831~1845)の弘法大師道標と文久3年(1863)の地蔵尊がある。、、、、ここも、西新井大師道の一部かな?
2410160934040


● 小台2丁目、荒川沿いの民家の一画に、保存状態の良い7基の庚申塔を祀った小堂「小台の七庚申」がある。 ここ一か所に7基もの庚申塔があるのは、足立区教育委員会の説明文では、『大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で、立退きの対象となった地から下川家(当地の地主)と共にここに移転安置したものである。承応三年(1654)から元文元年(1736)に造立された堂々とした造りで、江戸期庚申信仰が盛んであったことを物語っている。武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって小台の七庚申と呼ばれ、人々の信仰を集めている。多くの民俗資料が消滅していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。』と書かれている。、、、、荒川開削時に河床に沈んだ村から退避された庚申塔群。一つ一つの庚申塔にはそれぞれの歴史があるだろう、その歴史を勝手に想像すると面白そうだ!
2410160943140
2410160943330
2410160943410


● 足立区小台・宮城の町を歩き隅田川に架かる豊島橋の東詰まで来ると都バス「宮城二丁目」バス停があった。 疲れがドット出て、もう歩けない! バスに乗ろう!、、、、今日の散歩はここまで。
2410160957240
2410160959200

2024年9月30日 (月)

新田橋

北区王子と足立区新田を結び、隅田川に架かる新田橋(しんでんばし)は、幹線道路の橋ではなく、2車線の狭いバス通りに架かる地元の人のみぞ知る橋である。 古い木橋のようなデザインの橋で、私の好きな橋の一つでもある。 この橋が架け替えられると聞いて、チョイト見に行ってきた。 京浜東北線の王子駅から歩きはじめ、新田橋を渡り、新田一丁目のバス停まで、1万2千歩の散歩です。



● 今日は昼の時間帯にJR京浜東北線の王子駅で下車する。 王子駅から、旧大蔵省印刷局今は国立印刷局の前の都道を北東に向かって歩く。 溝田橋交差点で明治通りを横断する。
2409301213540
2409301214110
2409301216250
2409301223450



● 溝田橋交差点を過ぎ、石神井川の縁「あすか緑地」際に、庚申塔の小堂が立っている。 中に彫りの深い文字で「庚申塔」が見える。 残念だが、この右側面に造立年が刻まれていたようだが、欠損のため造立年は不明である。
2409301226150


・・・・・・・・・・ 新田橋に向かうため、豊島二丁目バス停の先で裏通りに入ると、丁重に祀られた庚申塔がある(北区豊島2-5)。 堂には、今年「令和六年」の庚申日が表示され、庚申信仰が続いているようだ。、、、、堂の中には、左から造立不明の馬頭観音塔、昭和5年(1930)の青面金剛庚申塔、寛文4年(1669)の板碑型庚申塔が納められている。
2409301231400



● 北区豊島1丁目から、地元の住民しか知らない愛称がついた一方通行の「王子郵便局通り」を歩き、郵便局の横を通り過ぎると「紀州通り」と呼ばれるバス通りに出た。
2409301238380
2409301245210
2409301255470



● 王子郵便局通りから紀州通りに出る角、スーパーの一画に「白龍神社」なる新しい小さな社がある。、、、、白龍神社は、白羊鉛筆の創業者小林直喜の父が、滋賀県から北海道へ移る際に、屋敷神として祀っていたものを持参して祀り続けてきた社で、昭和25年(1950)白羊鉛筆を設立すると、会社の敷地中央に祀ったとそうだ。 平成5年(1993)白羊鉛筆を閉じてベネフォームへ移行する際に社を現在地に遷し、外部に開放した。 御神徳一位の木は別名アララギとも呼ばれ古くから笏(しゃく)の材料として用いられ、鉛筆の素材でもあった。 家業の励みに日夜一位の神に感謝し、一位の自生する深山の御恩を仰いだ。、、、、玉垣には鉛筆に関連する会社名が並んでいる。(私が知ってる、コーリン鉛筆、キリン鉛筆が無いぞ!)
2409301253240
2409301249520



● 紀州通りに面し、道路名の謂れとなった「紀州神社」の旗がなびいてる。、、、、紀州神社の祭神は現在、五十猛命、大屋津姫命、柧津姫命である。 元亨年中(1321~1324)、紀州熊野の鈴木重尚が王子村にきて、豊島氏(豊島景村)とはかり、紀州五十太祗神社を同村に勧請したのに始まり、天正年中(1573-92)豊島村と王子村との間に争論が起こった際、豊島村の産土神を王子村に置くのは本意ではないと小名宮ノ前に移し、更に小名馬場に移し、後に現在地に移したものといわれてる。、、、、今年は創建700年、盛大に祭りが行われるのかな?
2409301302200
2409301303060



● 紀州通りから「新田橋通り」と言う、こちらも地元の人しか知らないような細い通りを北へ歩くと、「新田橋(しんでんばし)」がある。
2409301313570
2409301321280
2409301329410

・・・・・・・・・・ 新田橋は、右岸(南岸)の北区豊島8丁目と、左岸(北岸)の足立区新田3丁目を結び、隅田川に架かる鋼道路橋である。 橋長114.0m、幅9.0mの5径間単純鋼桁橋で、昭和36年(1961)3月に竣工した。、、、、この地にはもともと「野新田(やしんでん)の渡し」という農業渡船があり、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って中州状に孤立した付近の交通路として利用されていた。 昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年に現在の橋に架け替えられた。珍しいA字型をした橋脚は、木橋時代の橋脚を模したものである。 都心にあってこのデザインは何とも言えず好きだ! 架け替え前によく見ておこうと思い、今日、わざわざやって来たのだ! だが、上流側には仮設の歩道橋が架かり、下流側の両岸は高い護岸が構築されており、橋脚がよく見えない!(今日は、下流側の隙間から覗くように橋脚を見て来た)
2409301338110
2409301327420


・・・・・・・・・・ ところで、新田橋の架け替え工事は、橋の老朽化や構造上の問題から「架替の必要性あり」判定され、架替に向け事業が進められている。 平成29~30年度には地元説明会が開催され、令和元年に新田橋仮橋架設工事に着手し現在に至ってる。 今後は、令和6~8年度に仮橋へのライフラインの移設工事を行い、令和9年度から架替工事を進め、概ね10年後の完成を目指す。 なんと完成まで、まだまだあと15年程を要するそうだ!(完成時には、俺、死んでる!
2409301326250




● 新田橋を渡り足立区に入った、新田の町を歩き、町の北はずれ「新田一丁目」バス停を目指す。
2409301345391




新田一丁目バス停の前に「新田稲荷神社」がある。 このバス停は王子駅・池袋駅から来る都営バスの終点である。 バスはここで折り返す。 バスを待つ間、チョイト神社に二礼二拍手一礼する。、、、、新田稲荷神社の創建は元禄10年(1697)と伝えられる。 社殿は戦災により、一度焼失するも、昭和22年(1947)に再建され、現在に至る。 境内に2基の庚申塔がある。、、、、夏の暑さで緑一面となった境内は絵になるね! 
2409301410550
2409301412040


・・・・・・・・・・ 折り返し王子駅行きのバスが来た。 乗って帰ろう!
2409301427000

2024年9月17日 (火)

荒川沿いの北千住

東武伊勢崎線の堀切駅から、荒川の形状に沿って北千住の町を歩く。 西新井橋南詰の千住桜木のバス停まで歩いてきた。 1万1千歩


堀切駅は、令和4年(2022)度の1日平均乗降人員は約4000人で、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)愛称区間では最も利用客が少ない駅である。、、、、堀切駅は、明治35年(1902)の吾妻橋(現:とうきようスカイツリー)~北千住間開業時にできた駅であるが、開業当時の堀切駅は今よりやや東で、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 開業当時はまだ現在の荒川がなかったためで、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って堀切駅が現在の位置に移転してきたのは大正12年(1923)7月1日のことである。 現在、地名としての“堀切”は荒川の対岸(東岸、葛飾区堀切)であるのに、西岸にあるこの駅が堀切(足立区千住曙町)と名乗っているのはこのためである。 駅の東側は荒川が流れ、西側も400m程歩くと隅田川岸にぶつかる。 川と川に挟まれくびれた所に堀切駅がある。 都会の中の秘境駅である。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎は上下線それぞれにあり、ホーム間の構内移動はできない。 駅員も乗客も上下線の移動は、一旦改札を出て、跨線歩道橋を渡る必要、、、、電車は北千住~浅草間の普通電車しか止まらず若干不便だが、『これぞ下町』を感じる駅である。 小津安二郎の名作『東京物語』(1953年)やテレビドラマ『3年B組金八先生』にも登場した懐かしい駅だ。 駅に隣接して、病院、学校があるが、駅周辺にはコンビニ、喫茶店など店は一切無く、“飲みたかったら自販機で!”
2409170815210
2409170810060
2409170819230
2409170814150


・・・・・・・・・・ 駅前の荒川の土手に上がると、対岸の葛飾区と結ぶ堀切橋がよく見える。  振り返り、土手下の駅を見ると、駅名標が目線の下に!
2409170819550
2409170821530



● 堀切駅から土手下の住宅密集地を歩くと、製紙工場の跡地に平成元年(1989)に開園した公園「柳原千草園」がある。 驚く程の広さの公園ではないが、園内は四季折々の植物が植えられている。 さらに、住宅密集地のため防災面にも配慮されており、防火用貯水槽2基を備え、消防車など緊急車両が園内通過できるようになっている。
2409170836450
2409170835320



● 足立区柳原の町には柳原千草通り」と呼ばれる商店街がある。 来るたびに廃業した店舗が増え、今や“商店街”らしさは消えた。 寂しいね!
2409170844230
2409170845130
2409170845520



● 柳原の町から日ノ出町の町に入ると、シンボルのような大きな集合住宅による旧公団の日の出団地がある。 昭和43年(1968)に竣工した、4棟(764戸)の団地。、、、、千住の町を威圧している建物だったが、近ごろはタワマンなども建ち、目立たなくなってきたかな?
2409170901240
2409170904060



● 日の出町で荒川土手に上がってみると、正面に小菅(葛飾区)の東京拘置所が、左手に東武伊勢崎線、つくばエキスプレス、JR常磐線、東京メトロ千代田線の橋梁が重なり見える。、、、、今日も暑い! 汗が噴き出してる! 拘置所の中は冷房してるかな?(羨ましいね)
2409170909200
2409170909029_stitch



● 東武伊勢崎線荒川橋梁とつくばエキスプレス荒川橋梁の間に、日蓮宗の久栄山清亮寺がある。 元和5年(1619)身延山久遠寺末として、水戸街道入口のこの地に創建された。 本尊は、一塔両尊四士合掌印、宗祖日蓮説法像を中心に、全部で15躯の仏像で構成されている。 本堂は天保4年(1833)に再建の総欅造りである。 昭和6年再建の山門(薬医門)に掲げる扁額「久栄山」の書は、六朝風の名筆中村不折によるもので、昭和59年登録文化財(書跡)となる。
2409170914530
2409170920160


・・・・・・・・・・ かつて門前の水戸街道に面して古松が茂り水戸光圀公ゆかりの「槍掛けの松」が境内にあった。 今は、千住名物“槍掛けだんご”として名を残している。(近くのだんご屋で売ってます、賞味あれ!)
2409170915300



● 日光街道(国道4号)を横断し、千住新橋の南詰にあたる千住大川町に入ると、荒川土手の下に「大川町氷川神社」がある。 祭神は素盞鳴命・倉稲魂命である。 永仁2年(1294)に千住五丁目川田耕地に素盞鳴命を勧請したのが始まりとされています。 大正2年(1913)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事のために現在地に移転した。、、、、チョイト広い境内には、規模のチョイト大きい富士塚があり、常時登拝可能である。 あまり参拝者がいるかんじではないが、境内はしっかりと整備されている。
2409170941410
2409170942580
2409170945340


・・・・・・・・・・ 旧千住新橋は明治44年(1911)から荒川放水路の大改修計画の一環として、大正9年(1920)より同13年(1924)までの永い歳月と、119万円を費やして完成したものだ。 橋の構造、規模は長さ452.7m、幅7.2m、鋼板桁の近代橋であった。 その後、昭和32年(1957)に幅17.0mに拡張したが、老朽化により架け替えすることとなった。 この時の千住新橋の親柱が保存されている。、、、、何だか汚れが目立つようになり、チョイト親柱がショボクレテ見える!
2409170942200



● 土手下の道を歩き、西新井橋南詰に出た! 汗ダラダラ、頭ポカポカ、足クタクタ、今日の散歩はここまで。 近くのバス停「千住桜木」からバスに乗る。 
2409170959370

2024年7月13日 (土)

小菅から六町まで

連日の猛暑に続き豪雨、今日は梅雨の中休み、久々の散歩となった。 東武伊勢崎線の小菅駅から北へ歩きはじめ、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩です。




東武伊勢崎線の小菅駅(こすげえき)は、大正13年(1924)10月1日に開業した。 小菅駅は足立区足立の所在であるが、“ほぼ駅前”と言ってもいい、東京拘置所の所在地は葛飾区小菅である。 “小菅”と言えば、年配の人は“高い塀の刑務所”を思い出すかも、現在は“刑務所”ではなく、日本最大の3000人収容の開放的・モダンな“拘置所”である。、、、、駅は荒川岸に位置し、ホームの東側には東京拘置所があり、一日当たりの乗降客は約6000人で、都区内の駅としては少ない方だ。、、、、今日の散歩は、この小菅駅から拘置所を囲む堀(古隅田川)に沿ってスタートする。

2407130812520

2407130818160

2407130826180

2407130829450

2407130835510




● 東京拘置所の北側に「五反野親水緑道」があり、緑道は五反野駅まで約900m続くそうだ。 途中にJR常磐線のガードがある。 ガードの脇に、昭和24年(1949)に起きた下山事件の記念碑「下山国鉄総裁追憶碑」がある。、、、、下山事件とは、昭和24年(1949)7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則は午前8時20分頃迎えの公用車で出勤した。 途中、銀行等により、9時30分頃、日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住~綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 下山総裁は0時20分頃現場を通過した貨物列車により、轢断された事が判明したが、検視の結果、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。、、、、70余年前の事件であるが、今だ真相は解明されておらず、謎となってしまったか?

2407130839110

2407130842170




● 足は北に向かって歩く。 西綾瀬3丁目弘道2丁目の都営住宅が点在する、入り組んだ裏通りを歩き環七通り「青井五丁目交差点」に出る。

2407130859010

2407130900410

2407130906170

2407130911060

2407130944021



・・・・・・・・・・ 途中に、真言宗豊山派の寺で安龍山正法院増福寺(足立区青井2)がある。 増福寺の本尊は阿弥陀如来。、、、、当寺は、正和元年(1615)に、慶龍和尚により開山されたと伝えられている古寺。、、、、小さな境内に、小さな本堂、チョイト可愛らしい寺。

2407130935570

2407130937420




●  環七通りを横断し、足立区一ツ家4丁目に入ると「一ツ家稲荷神社」がある。 一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592~1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかと言われている。 境内には数基の供養塔、地蔵、庚申塔がある。、、、、地元有志の氏神様のようだ!

2407130949410

2407130949580


● 熱中症に注意をはらい、汗をかきかき1万歩。 つくばエキスプレスの「六町駅」に到着。、、、、六町駅は都内で最も北に位置する地下駅で、ホームはかなり深い処にありエスカレータを4回のって下りる。

2407131007170

2407131009080

2407131011080

2407131011550

より以前の記事一覧