足立区

2023年2月 4日 (土)

江北から東十条

日暮里舎人ライナー江北駅から西へ歩いて、鹿浜橋、新神谷橋を渡り、京浜東北線の東十条駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 日暮里舎人ライナーの「江北駅」で下車、今日の散歩はココから!、、、、 江北駅(足立区江北4)は尾久橋通りの頭上に、平成20年(2008)3月30日に開業した駅である。、、、、駅周辺はキラキラ・ネオンが輝く街ではないが、駅前には大型スーパー、家電量販店、ホームセンターなどがあり、生活するには住みやすそうな町である。

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● 日暮里舎人ライナーが江北駅に着く手前から、車窓には、住宅地の中に巨大な建物が見える。 その巨大な建物を見てみようと、江北駅から西へ500m程歩くと、「東京女子医科大学附属足立医療センター」がある。 病院は昨年(2022)オープンした、30以上の診療科、約500床のベッド、約1000名のスタッフが働く総合病院である。、、、、足立、荒川、葛飾を中心とした下町の住人からは『神さま、仏さま、女子医大さま』と、期待される病院になるか?

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● 女子医大病院の西に、真言宗豊山派寺院の「瑠璃光山 薬王院」がある。 薬王院は元禄年間(1688~1704)に創建した。、、、、門前には三基の庚申塔と地蔵尊がお出迎え!、、、、当寺には、明治7年4月に小学校が開設され、現:江北小学校の前身として、昭和20年まで教育の場に当てられていたそうだ。

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● 薬王院の参道脇に「上沼田北野神社」が鎮座する。 神社の創建年代等は不詳ながら、薬王院の境内に「天神社」が祀られていたことから、薬王院が創建された元禄年間(1688~1704)前後に創建したものと思われる。 祭神は菅原道真。

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● 鹿浜1丁目に、真言宗智山派寺院の「五智山 寶光院 長楽寺」がある。 長楽寺は、江戸時代中期(正徳年間、1711~1715)に創建したと言われ、江戸時代より本尊の薬師如来は「鹿浜薬師」として信仰を集めているそうだ。(鹿浜薬師とは、知らなんだ!)

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● 荒川に架かる「鹿浜橋」は、足立区の新田地区と鹿浜地区を結ぶ環状七号線の橋。 昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.30mの橋。、、、、橋の上流には、川口市のタワーマンションを望む。、、、、昨日の冷たい北風もおさまり、立春らしく春の気分で橋を渡る。

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● 鹿浜橋で荒川を越え、新田地区に入ると、次は「新神谷橋」で隅田川を越える。、、、、橋名の“神谷”は北区の地名。 上流側の岩淵水門の管理橋に次いで、隅田川二番目の橋となる。 もともと神谷には「神谷の渡し」があった。 昭和初期には、現在の位置より100mほど南(下流側)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があった。 神谷橋は昭和25年(1950年)に鋼桁橋として改架された。、、、、現在の新神谷橋は、昭和40年(1965)2月12日に開通した。 橋長 153.1m。 橋上は環七通り。、、、、今日は、隅田川の川面も穏やか!

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● 隅田川を越えると北区に入る。 「宮堀交差点」を渡り、「東十条銀座」の商店街を抜けると、「東十条駅北口」である。

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● 「東十条駅」は昭和6年(1931)8月1日に開業した京浜東北線の駅。 ホームは地上島式2面3線構造。、、、、 1日平均乗車人員は約20,000人で、京浜東北線の停車駅の中ではワースト5に入る少なさだが、駅前の商店街は活気があって、私の住む浅草橋より元気そうだ!

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2023年2月 1日 (水)

七曲がり

久しぶりに10℃を超える今日、夫婦で東武伊勢崎線の竹ノ塚駅から西新井大師まで伸びる「七曲がり」を歩き、さらに日暮里舎人ライナーの江北駅まで歩いてきた。 1万3千歩。 


「七曲がり」とは・・・・・「七曲がり」という道路名から受ける印象は、七か所のカーブがある曲がりくねった歴史ある“古道”を想像してしまう。 しかし、その実態は用水路沿いの道だったらしい。 足立区のホームページには、区内47路線の道路に愛称名を付けたことが2015年に公開されている。 その一覧表には、32番目に愛称名:七曲がり(ななまがり)、起点:伊興四丁目1番、終点:栗原三丁目10番として掲載されている。、、、、この道を歩くのは、私は三度目であるが、妻は初めて。 妻は“竹ノ塚”の駅で下車するのも初めてなので、今日はガイドになって道案内した。




● 高架駅に変わった「竹ノ塚」で下車する。 午前10時、上り電車を待つ人が多い、これから出勤するのか?、、、、妻から質問『竹ノ塚の名産は何』 『そんなの知らん! 駅周辺に都営住宅、公団住宅が多いから、子作りの町かも』

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● 竹ノ塚駅から北に400m程歩くと、曹洞宗の「東岳寺」(足立区伊興本町1)がある、南昌山と号す。 東岳寺は、慶長18年(1614)浅草鳥越に創建したと言われてる。(我が家の近くだ!)、、、、境内には「東海道五拾三次」の浮世絵で有名な初代安藤広重の墓所がある。、、、、境内はさほど広くはないが、鯉が泳ぐ池、東屋、茶室等があり、街中とは思えない風情がある寺。

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● 東岳寺の近く、尾竹橋通りと赤山街道が交差する伊興町前沼交差点近くから、「七曲がり」の道は始まる。

・・・・・・・・・・ 伊興町前沼交差点、、、、左右に向かうのは尾竹橋通り、手前から中央奥へ結ぶ赤山街道。 写真中央のビルの間から七曲がりは始まる。

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・・・・・・・・・・ 七曲がりの起点、、、、電柱には「七曲がり 伊興4-1」、愛称名と起点の住所が表示されている。 その表示の下には、足立区で表示した「七曲がり」の愛称名。 さらに、小さな文字で『この道路愛称名は公募によって選ばれました』と書いてる。

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・・・・・・・・・・ まずは緩やかなカーブがあった! これは、七曲がりの一つか? 七つの場所を明示してほしいね!

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・・・・・・・・・・ 起点から400m程歩くと、「六万部経塚(題目塚)」が七曲がり道に面して建ってる。 六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来もここにある。 この塚の南西にある寿福山長勝寺の僧が宝永2年(1705)に平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたとされる。 右側の古い小さな石柱が宝永2年の経塚碑。、、、、お経を何回唱えたか、数え忘れるとどうなるか?

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・・・・・・・・・・ 七曲がりは伊興4丁目の実相院山門前で、直角に折れ南に見に向かう。、、、、真言宗豊山派寺院の「実相院」は、寶光山実相院横沼寺と号す。 西新井大師:総持寺の末寺。 実相院は、天平年間行基菩薩による開山といわれてる。、、、、山門前に立つ、仁王の石像は表情豊かなもので、国宝級?

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・・・・・・・・・・ 七曲がりの稲荷神社、、、、伊興3にある小祠 御利益は期待しない方が良さそうだ!

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・・・・・・・・・・ 緩やかなカーブが続く七曲がり、、、、何ヶ所の曲がりがあったか、数え忘れた!

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・・・・・・・・・・ 七曲がりの庚申塔(西新井3)、、、、堂内の庚申塔は駒型で、日月、青面金剛像、邪鬼、二鶏、三猿が陽刻されている。 宝暦13年(1763)の造立。 塔の下部には「向左 千住一リ半 向右 草加一リ半」と刻まれている。 この地が千住と草加宿の間の中間地点であることを示す道標だ。

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・・・・・・・・・・ 「雷神社」(いかづちじんじゃ、西新井2)、、、、この神社は、東京都で唯一「雷」の文字が付く神社。 読みは“いかづち”、、、、江戸時代の中期正徳3年(1713)、度重なる落雷に襲われ田畑は荒れ果、草木は枯葉て荒地と化し、享保の飢饉となる。 そこで、将軍吉宗の享保の改革では、新田開発も行われ治水も進むなかで村人達は寄り合い協議の上、雷なりの大神を建立し氏神様として祀り神社境内の中央に御神木として椎の木(スダヂイ)を植樹し郷人達の大安と五穀豊穣を祈願したと伝えられる。 現在の社殿は昭和5年(1930)の造営。

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・・・・・・・・・・ 歩く先に、大師線の高架橋が見えた。 カマボコ屋根の駅舎も見える!

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・・・・・・・・・・ 七曲がりは西新井大師前交差点で環七通りにぶつかり、ハイ終点(足立区栗原3)です!、、、、ヤリマシタ! 七曲がりの完全踏破!

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● ここまで来たら西新井大師「五智山遍照院総持寺」に参る。、、、、真言宗豊山派の別格本山、関東七ヶ寺の一つ。天長3年(826)弘法大師の創建と伝えられ、川崎大師と共に開運厄除の霊場として名高い。 本尊は十一面観世音像、、、、今日は天気も良く、チョイト遅ればせの初詣なのか? 人出が多いね。

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● 手を合わせてあとは、ゆっくり食事。 その後、日暮里舎人ライナーの江北駅まで歩く。

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2023年1月20日 (金)

ちょっぴり旧日光街道

東武伊勢崎線梅島駅から北へ竹ノ塚駅まで、街道の面影が残っていない旧日光街道の“極一部分”を歩いて来た。 1万1千歩



● 前回の散歩の続きで東武伊勢崎線「梅島駅」で下車する、、、、梅島駅は大正13年(1924)10月1日に小菅・五反野両駅と共に、北千住駅と西新井駅の間に同時に追加開業した。 現在のホームは高架島式1面2線構造だが、やや特殊な構造をしており、ホーム中央から北側が下り線、南側が上り線で使用してる。 また、上下それぞれのホームで電車が停まる反対側は目くら壁となっている。 そのため、ホームの総延長は長く2編成分以上ある。

・・・・・・・・・・ 下り電車の先頭車両から降りると、最後尾車両の位置まで歩かないと階段がない、朝から疲れるね!

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・・・・・・・・・・ 階段はホーム中央にあり、階段の先には上りホームが見える。 ホームで待つ人は上下線でそれぞれ反対側を向いている。

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・・・・・・・・・・ 改札を出た駅前の道路は旧日光街道。 今日はこの道を旧街道の面影を探し、北へ向かって歩くことにした。

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● 駅前の電柱、目立つように『旧日光街道』の標示。 江戸時代の大名はこの道を歩き日光へ参拝したのか?

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・・・・・・・・・・ 梅島駅から50m程北に歩くと『梅島天満宮 入口』の立て看板が目に入る。 早速、“旧街道の名残”があった!、、、、と思いきや、「梅島天満宮」は、昭和23年(1948)に筑紫太宰府天満宮の宮司西高辻信氏により分霊遷宮して、梅島町会の鎮守神として梅島公園(梅島小学校地)に創建され、昭和41年当地に移転した。 旧街道とは無関係の、高架橋脇の小さなお社であった。 

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● 梅島三丁目交差点の角で、旧日光街道と交わる道路に「大正新道記念碑」がある。 故事来歴の説明はなく、ネットで調べても正体不明? 文字面からは、大正時代に造られた道を記念したものであろう。 チョイト大げさな記念碑だ!

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● 環七通りを越え足立区島根の町に入ると、旧街道沿いに唐破風の「大和湯」がある。、、、、旧街道沿いの銭湯で、昭和10年から営業してるそうだ。 歴史ある銭湯だが、旧街道の時代までは遡れない。、、、、入浴料金大人500円也

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● 島根4丁目の角、旧日光街道沿に「将軍家御成橋・御成道松並木跡」石標柱がある、、、、日光街道の西を流れる千住堀にかかっていた橋がかつてあった跡。 御成橋を渡ると葵の紋を許された国土安穏寺への松並木御成道となる。(現在、松並木はない)、、、、参道両側の題目塔には、「国土安穏寺」とあり同寺の参道入口を示している。、、、、やっと“旧街道”を忍ばせる遺構があった!

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・・・・・・・・・・ 題目塔に従い参道を入ると、日蓮宗の古刹「天下長久山 国土安穏寺」がある。 創建は、応永17年(1410)、開山は日通聖人、開基は千葉太郎満胤である。、、、、 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 よって安穏寺は、葵の御紋の使用が許されている。、、、、 現在の諸堂は、鐘楼を除き、昭和以降の造営である。 本堂の左手前には家光お手植えの松がある。

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● 続いて足立区島根4丁目に参道入口がある、昨年も訪れた「島根鷲神社」。 ここに、旧日光街道の名残はあるか?、、、、島根村は徳川将軍家の鷹狩場であったことから歴代将軍の参詣があった。 ここにも、3代将軍家光のお手植えの松があったが、天保年間(1830~1845)に惜しくも枯れてしまったそうだ、残念!、、、、【親切な注】社名の“”は、「おおとり」ではなく「わし」と読む。 台東区千束の“鷲神社”は「おおとりじんじゃ」と読む。

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● 再び旧日光街道に戻り歩くが、昔を語る遺構・遺跡・寺社は見つからない!

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・・・・・・・・・・ 今日の散歩はココまで、高架化工事の進む竹ノ塚駅から帰宅!

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2023年1月18日 (水)

綾瀬の五兵衛

今日の散歩は、北風がチョイト吹く寒い朝、綾瀬駅から北西へ、綾瀬川を越えて五反野駅をとおり梅島駅まで、1万歩の散歩。



● 「綾瀬駅」はJR常磐線と東京メトロ千代田線の駅。、、、、常磐線は昭和18年(1943)に追加開業した駅。 昭和46年(1971)には常磐線の複々線化とともに地下鉄千代田線が乗り入れ、以後は営団(現:東京メトロ)が管理する駅となった。 ホームは基本的に高架島式2面3線構造だが、3・4番線ホームの東寄りには北綾瀬支線が使用する欠き取りホームの0番線がある。 改札口は西出口と東出口の2ヶ所で、いずれも1階にある。、、、、コロナ前までは、JRと東京メトロ合わせて、一日当たり40万人程が乗降する駅。 都内で利用者の多い駅の一つだ! 

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● 綾瀬駅西口から北西に150m程入った裏通りに丁目に、庭の手入れが行き静かな真言宗豊山派の「観音寺」(足立区綾瀬4)がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建された。 境内には五輪塔形式の金子五兵衛の墓がある。、、、、また、慶応4年(1868)3月には江戸から退却する新撰組の一隊(当時は甲陽鎮撫隊)が近くの金子家とこの観音寺に宿泊した。 新政府軍も伊藤谷橋まで進出し戦闘が始まろうとしたが、新撰組は流山に撤退した。

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● 観音寺の北隣には「綾瀬稲荷神社」が鎮座する。 綾瀬稲荷神社の創建年代は不詳だが、金子五兵衛が開拓した五兵衛新田の鎮守社であったといい、明治7年(1874)に五兵衛神社と改称し、さらに昭和42年(1967)にはこの地の地名が“五兵衛町”から“綾瀬”に改称し、社名も綾瀬稲荷神社と改称した。、、、、昭和57年の建立の拝殿奥にある本殿は、天保14年(1843)築造の総欅造りの建物。

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● 綾瀬稲荷神社の北側に、地元の名家「金子家」がある、、、、幕末の動乱期、金子家に新撰組の1隊の甲陽鎮撫隊が半月余りに渡って滞在していたと言われている。 新選組関連の資料が多く残されているそうだ。、、、、五兵衛新田の開拓者の1人、金子五兵衛の館

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・・・・・・・・・・ オヤ? 近くに「金五建設」なる会社があった!、、、、こちらも、“
兵衛”に関係あるのか???

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綾瀬川に架かる「五兵衛橋」を渡る、、、、橋名は、この辺を開拓した金子五兵衛に由来する。 江戸時代の初期、金子五兵衛は数人と共に武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から転入して開拓をはじめ、一帯はその名をとって五兵衛新田村と呼ばれた。 寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が現在の内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断された。 幕府は、代償として長さ12間、幅9尺の土橋「
五兵衛橋」を設置した。 その後、五兵衛橋は何度か架け替えられ、現在は平成10年(1998)に架けられた人道・自転車道専用の橋となっている。 (昭和61年(1986)、下流側に都道467号を通す「五兵衛新橋」が架かる)

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・・・・・・・・・・ 五兵衛橋から綾瀬川を見ると、水面は周囲の住宅の床面よりかなり高い! 明らかに、“0メートル地帯”である!、、、、堤防が崩壊すると、怖いね!!

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・・・・・・・・・・ 綾瀬川沿いの足立区立弘道小学校の校舎の外壁に、氾濫時の予測最高水位(青い線)4.2mが示されている。 予測どうりだと校舎の1階は完全に水没する! こんなものを見てると一層怖くなる!

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・・・・・・・・・・ しばらく歩いて梅島駅近くの電柱が目に入る、目線の位置には『想定浸水深 最大5.0m 赤いテープの位置』の標示、その赤いテープは電柱の上、首を空に向けるとアッタ! 住宅の2階まで完全に水没、南無阿弥陀仏

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・・・・・・・・・・ 五反野駅(足立区足立3)付近では、『想定浸水深 最大5.5m 』、、、、平屋、2階建てに住む人は、死を覚悟、ア~メン

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● チョイト恐怖に怯えながら「五反野駅」前を通過、、、、歩きながら考える、、、、この駅もイザとなったら、改札は水没、泳いで高架ホーム辿り着けば助かるかも?

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● 東武伊勢崎線の高架沿いに歩いて「梅島駅」に到着。 川が氾濫しないことを願いつつ帰宅する。

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2022年11月12日 (土)

正光寺

今日の散歩は、JR赤羽駅の北700m程の処にある「天王山 淵富院 正光寺」に行くことを目標に出発! 赤羽駅で下車し、正光寺、岩淵水門とまわり鹿浜橋の西側にある新田稲荷神社まで、1万1千歩の散歩です。



● 土曜の朝、「JR赤羽駅」東口に出る。 乗降客は平日の半分ほどかな? 駅前のバス停も、並んでいる人は少ないようだ。

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● 赤羽駅から東へ約200m「カトリック 赤羽教会」がある。 チョイト、寄って行こう!、、、、昭和24年(1949)に赤羽教会は設立し、昭和26年(1951)11月に聖堂が落成した。 ゴシック調の教会で、その風格ある建物は、赤羽駅前の商業地の中にありながらも街にとけ込み、人々の心を癒す空間となっている。 聖堂正面上部のマリア像は高さ約1.5m、鉄鋳物製。、、、、早朝の光が差し込む聖堂内部は、ステンドグラスに演出された異空間。 祭壇中央には被昇天のマリア様の絵が掲げられている。、、、、ここで結婚式をする人、多いかも。 

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● 赤羽教会前の通り(東本通りと云うらしい)を北へ向かうと、本日の散歩の目的地、浄土宗寺院の「天王山 淵富院 正光寺」がある。、、、、浄土宗寺院の正光寺は、衰廃していた荒川のほとりにあった西光寺の名跡を継ぎ、慶長7年(1602)現在地に正光寺として創建した。 江戸期には梅翁庵(梅王寺)、十王堂(十王寺)を末寺に擁し、八雲神社の別当寺を勤めていた。 全国的な歴史ある名刹とは言えないが、地元密着型の古刹のようだ!、、、、昭和53年(1978)にホームレスにより本堂が焼失し、以後しばらく空き地状態で再建されなかったらしい。 平成23年(2011)に本堂その他が再建され、現在では本来の姿を取り戻しつつある。 本堂は日本最古の宮大工集団である金剛組の施工。、、、、本堂手前右側に明治3年(1870)建立、高さ3尺3寸(約10m)の岩淵大観音が立っている。

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● 正光寺の北(裏手)に、浄土宗寺院の「弘誓山 梅王寺」がある。、、、、梅王寺は、正光寺を中興開基した小田切将監(寛永元年1624年)の墓所として創建された。、、、、境内はさほど広くない、小さなお寺。

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● 梅王寺から北東へ約200m、新河岸川に架かる岩淵橋の南詰に「岩淵八雲神社」が鎮座する。、、、、八雲神社は、江戸時代の日光御成道の第一の宿場として栄えた岩淵宿の鎮守さま。 祭神には須佐之男尊が祀られ、創建年代不詳の古い神社だ。 かつて西光寺が八雲神社の別当を勤めた。、、、、八雲神社には「勝海舟の大幟 」という幟(のぼり)があるそうだ(私は見たことない)。 この幟は、明治になった頃、勝海舟が時々軍艦の大砲の製造のことで川口(埼玉県)に寄った折、荒川の氾濫により宿場である岩淵本宿に泊まって大変世話になった礼に書いたといわれている。 海舟は礼に文字を書いたが、雅万歩は文字を知らずに恥をかく!

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● 八幡神社の北側を流れる新河岸川、その北側に平行に流れる荒川、両川を隔てる土手を歩き岩淵水門へ向かう。

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・・・・・・・・・・ 旧岩淵水門(赤水門)とその下流に岩淵水門(青水門)がある。、、、、旧岩淵水門は荒川と隅田川を仕切る水門として大正時代に建設され昭和50年代にその役割を終えた。 今は下流に、ゲートを青く塗られた岩淵水門があり、水門の役目を引き継いでいる。  赤く塗られた旧岩淵水門は歴史的建造物として保存されている。 

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● 右に隅田川(岩淵水門の上流側が新河岸川、下流側が隅田川)、左に荒川が流れ、その間の土手を歩く。

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● 荒川に架かる鹿浜橋の西側に、「
新田稲荷神社」が鎮座する。 神社前が王子駅行きのバス停「新田一丁目」。 今日はココまで!

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● 【終わりに一言】上野谷中の天王寺、押上の天王院正円寺、そして今日は天王山淵富院正光寺と、山院寺号の“天王”つながりで巡ってきた、次は正光寺の“正光”つながりでまわってみよう!、、、、港区元麻布に「麻布高野山 正光院」があった!

2022年9月16日 (金)

小菅ジャンクション

東武伊勢崎線小菅駅で下車し、東京拘置所を半周し綾瀬川を越えて京成本線のお花茶屋駅まで、のんびりゆっくり1万歩の散歩です。 2年前に小菅駅からお花茶屋駅まで歩いているが、この時は拘置所の北側を歩いた。 今日は、拘置所の南側を歩く。



● 東武伊勢崎線北千住駅で各駅停車に乗り換え荒川を越えると隣駅の「小菅駅」に到着。 かつての小菅村は荒川(旧荒川放水路)が開削される以前まで、千住の隣村であった、今は荒川を挟んで隣町。 小菅駅も旧荒川放水路橋梁に接するように位置する、ホームからは東京拘置所がよく見える。(宿泊してる人までは見えない!)、、、、ホームは島式1面2線で、改札からは10m程のかなり高い位置にある。 エレベータの利用率も高そうだ!、、、、駅前は自転車がすれ違い出来るほどの幅で、高架下には小さなストアと歯科医院がある程度、これと言う店は何もない。 まさに、拘置所のみがある駅だ!

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● 小菅駅から西側(荒川側)に回り、拘置所正門、南側の面会所側まで半周する。(小菅駅は足立区、東京拘置所は葛飾区)、、、、正門側からは建物が見えないが、面会所ある南側からは拘置所のメインとなる宿泊施設のある堂々とした建物がよく見える。(内覧会、体験宿泊などがあると犯罪防止に役立つかも?)

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・・・・・・・・・・・・東京拘置所の南側には旧水戸街道がある。 荒川と綾瀬川に挟まれた300m程の直線道路で、昔の面影はチョイト薄れたが、それらしき雰囲気は残っているので、散歩にはGood!

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● 綾瀬川の真上にある「小菅ジャンクション」は、葛飾区小菅にある首都高の中になる央環状線と6号三郷線を結ぶジャンクション。、、、、見上げると凄い! 下を歩いていると、上から自動車が落ちてこないか不安になるね!

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● 「小菅神社」は小菅JCTの東側、綾瀬川水戸橋の東南、小菅水再生センターの北西隅、にある中社。 祭神は天照大神。明治2年(1869)この地域を含めて小菅県が設置された時、小菅県の県知事河瀬秀治は庁内(東京拘置所)に伊勢皇大神宮を勧請し、県下356ヵ町村の守護神としたことに始まる。 明治5年小菅県所管の葛飾郡72ヵ町村等が東京府に移管され、社は小菅村の鎮守田中稲荷神社の境内に移し、小菅大明神と称して村の氏神となる。同42年(1909)には小菅神社と改称する。、、、、現社殿は昭和54年(1979)の造営。

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● 小菅神社から京成本線の堀切菖蒲園駅の北側を歩く。 線路脇に出て「お花茶屋駅」まで向かい。 散歩はココまで。

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2022年9月12日 (月)

赤いポストに緑の電話

東武伊勢崎線草加駅から日暮里舎人ライナーの舎人駅まで、草加市谷塚、足立区北部の新興住宅地を歩く、1万3千歩、約7㎞の散歩です。



● 浅草橋から都営浅草線で押上へ、押上からは半蔵門線から乗り入れる南栗橋行き急行に乗り換える。 今日の散歩の目的地は未定、車中で『どこで降りようか?』思案橋。 遠くに行ってもしょうがないので、草加駅」で降りる。、、、、通勤ラッシュの時間だ、上りホームは混んでる。 座れそうもないね!、、、、急行の停車駅でもあり、バスは各本面にでており、駅周辺には多くのショッピングセンターがあり、市役所が近くにあり、住みやすそうな街だ。 でも噂では、夜は客引きが多い駅前、暴力団もいるそうで、チョイト治安は悪そうだ。、、、、今日は駅前から南西方向に、日暮里舎人ライナーの駅に向かって歩くことにした。

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● 草加駅から徒歩5分程の処に草加神社はある。 草加神社の創建年代は不詳。 天正年間(1573~1592)に大宮氷川神社を勧請、氷川社と称して創建、南草加村の鎮守社であった。、、、、明治42年(1909)に谷古宇稲荷神社、高砂八幡神社、宿篠葉神明神社など近隣の11社を合祀し、草加神社と改称した。(神社の合併で、生き残り戦略か?) 明治の合併から100年経過し、現在は兼務神社も20社以上となり、手広くネットワークを構築したようだ!、、、、七五三詣では、ぜひ当社で! “県民割”があるといいね!

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● 氷川神社から300m程歩くと、商店の隅に数基の馬頭観音・庚申塔がある。 「長沼庚申」と言うらしい。

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● 草加市を南北に走る国道4号(=日光街道)を横断する。 さすが、国道だ、交通量が多い。、、、、信号があっても、押しボタン式の信号は色がなかなか変わらない。 人をイラつかせる信号だ!

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● 草加市谷塚町の住宅地の奥に「兎田稲荷神社」があった。 この神社は、草加神社に11社ある兼務神社の一つである。、、、“兎田(うさぎだ)”は旧地名のようだ。

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● 草加南高等学校の南で一級河川「辰井川(たついかわ)」を越える。、、、、この辰井川は昭和56年(1981)から6年がかりで開削された人工の川。 総事業費109億1300万円、川幅10m、深さ2.5m、市内延長は2.4km。 かつて草加には、「辰井堀」という、川口市から苗塚町に入り、西町を経て、谷塚町で河内堀と合流する幅1.8mほどの用水があった。 辰井川は、苗塚町からこの辰井堀の流れを南に変え、柳島町、谷塚上町、谷塚仲町を下り、毛長川に合流する。 市街化が急激に進行した草加市谷塚の西部一帯は、主要な排水路を持たないことから、少しの雨でも浸水の被害があり、治水対策として整備された。 

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● 草加市立両新田小学校の西50m程の処に、昭和の赤いポストと緑の公衆電話が道路際に設置されてた。 ポストも公衆電話も昭和を懐かしむ置物としてたまに目にすることもあるが、ここのはセットで両方とも利用できる現役だ! 

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● 埼玉県草加市と東京都足立区の境を流れる毛長川(けながかわ)に架かる「毛長橋」を渡り足立区に入る。、、、、毛長川は利根川水系綾瀬川支流の一級河川である。 かつては毛長堀と呼ばれていた。 昭和23年(1948)より昭和40年(1965)にかけて改修拡張された。 人口急増による生活排水の増加などの影響により20世紀後半に水質がきわめて悪化したが、流域の下水道の普及などにより2000年代から次第に改善した。現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み毛長川に注ぐことで水質を改善する工夫が行われている。 水質改善の効果が出てきたそうで魚類の生息が確認されたそうだ。 アユが釣れる川に生まれ変わって欲しいものだ!(欲か?)

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● 毛長橋から西へ約1㎞、日暮里舎人ライナーの「舎人駅」がある。、、、、平成20年(2008)3月30日に開業。 終点の見沼代親水公園駅の一つ手前の駅。 もう一方の終点:日暮里駅までは11駅ある、車窓から東京を見下ろしながら、ゆっくり帰る。

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2022年5月24日 (火)

川の交差点

見沼代親水公園駅から埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、約5㎞、1万2千歩の散歩です。



● 通勤時間となった朝7時45分、日暮里舎人ライナーの終点「見沼代親水公園駅」で降りる。 乗車する人は多いが、降りる人は数える程度。、、、、今日の散歩は、ここから西に向かって歩くことにした。、、、、【独り言】最近、日中に外出や人に会うことが多く、疲れて夜の寝付きは早く、その分朝の起床も早い(半分は歳のせいでもある) 今朝も4時半には起きていたので、6時からゆっくり朝食、7時には『散歩してくる!』

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● 先週は足立区古千谷から見沼代親水公園に入り見沼代親水公園駅まで(約1.3㎞)歩いてきたが、今日は駅から西に(川口・鳩ケ谷)方向に「見沼代親水公園」の残りの部分(約0.5㎞)を歩いてみた。、、、、公園は東京都足立区と埼玉県草加市・川口市との県境となる「毛長川」にぶつかる地点で終了となる。、、、、公園の水路には、カキツバタ、アヤメなどが植えられ、ただいまの時期黄色い花・紫の花が咲いていた。

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● 見沼代親水公園が毛長川にぶつかる地点は、かつて江戸時代から二本の河川が十文字に交差する場所であった。、、、、西(川口市)から東(草加市)へ流れる「毛長川」 北(川口市鳩ケ谷の方)から南(現:見沼代親水公園)へ流れる「見沼代用水東縁」の二本の河川が交差し、見沼代用水東縁が水道橋(もしくは懸樋)によって毛長川を越えて流れ下っていたそうだ。、、、、現在は、見沼代用水東縁の水は、交差部で大半が毛長川に流れ込み、一部だけが毛長川の川底を流れ見沼代親水公園に流れている。

・・・・・・・・・・・・北から流れて来る見沼代用水東縁

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・・・・・・・・・・・・東に流れ下る毛長川、、、、写真左側の流れは、見沼代用水東縁の水が流れ込んでいる部分

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・・・・・・・・・・・・二本の川が交差する部分、、、、井桁状に4本橋が架かっていたと思われるが、見沼代用水東縁の下流側は親水公園となり橋は無い。 現在は見沼代用水東縁のッ上流側に「一本橋」、毛長川上流側に「舎人橋」、下流側に「砂子橋」の三本の橋が架かっている。 写真は一本橋の上から撮影した交差部、右側の端が舎人橋、左側の端が砂子橋、中央正面奥に見沼代新公園が伸びている。、、、、見沼代用水東縁の水は写真中央手前のプールに入り左側の砂子橋の下の水路に流れ毛長川に合流する。 一部の水は中央の籠状の中に入り、その奥に流れる毛長川の川底を通り、向かい側の親水公園に流れ込む。

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● 河川の交差部からは、毛長川に沿って東京都足立区側(対岸は埼玉県川口市)を歩く。、、、、毛長川の川幅も狭くなり、川に沿って歩く。 途中には、都営住宅「舎人町アパート」の建物が並ぶ。 首都高の下には足立区と川口市を結ぶ「中居橋

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● 足立区入谷から川口市八幡木に踏み入ると、「あずま橋通り」と称する、交通量の多い通りを歩く。 やたら、大型のトラック、バスが行き交い、歩道から外れて歩くと“イチコロ”で彼の世行き!、、、、新芝川に架かる「あずま橋」渡る。 川岸には「川口市 朝日環境センター」の煙突がシンボリックに立つ。

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・・・・・・・・・・・・あずま橋通りを歩き、岩槻街道(=国道122号)に出る手前に「十二月田中学前」と書いた交差点がある。 さて!何と読む?、、、、答えは「しわすだちゅうがくまえ」 “十二月田(しわすだ)”は地名だった、現在は川口市末広。

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● 岩槻街道に出ると川口市末広1丁目に、味噌屋の「旧田中家住宅がある。、、、、地元の味噌屋であった田中徳兵衞が、大正10年(1921)から大正12年(1923)にかけて、木造煉瓦造3階の洋館を建設した。 イギリス式に煉瓦を積んだ壁に化粧用煉瓦を貼り、正面から見ると完全な煉瓦造りの洋館で、当時としては非常にモダンで立派な建物だった。 洋館に続き、昭和9年(1934)にには和館も増築された。 現在、これらの建物は登録有形文化財(建造物)に指定されている。、、、、ここまで来たら、チョイトお立ち寄り。 入場料210円は安い!

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● 埼玉高速鉄道線の「川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)」に到着。 今日の散歩はココまでとする。、、、、川口元郷駅は平成13年(2001)3月28日の開業。 島式1面2線の地下駅。 ここから隣りの東京メトロ赤羽岩淵駅までは、営業距離は2.4km、乗車時間は3分、運賃は210円、チョイト高いね! 

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2022年5月19日 (木)

親水公園を歩く

竹ノ塚駅から日暮里舎人ライナーの終点:見沼代親水公園駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 昨日の続きで、「竹ノ塚駅」にて下車し、散歩を始めることにした。、、、、朝8時前、駅は通勤通学客で人・人・人。 ホームに入る電車はすでに満員状態、ここから乗る人は着席できないね! 

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・・・・・・・・・・・・駅の西口に出てみると、高架下にはまだ仮囲い、地上ホームも残ってる。 これまで、仮改札口があった地下に下りる階段は封鎖されてる。 “開かずの踏切”のあった道路には線路が残ってる。、、、、まだまだ、周辺の整備工事が続きそうだ!

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● 昨日の続きで竹ノ塚駅で下車したが、さてさて今日はどっちへ向かって歩こうか? ここで悩む、思案橋ブルースよ!、、、、ipadで地図をみる。 竹ノ塚駅から北西に「赤山街道」と書かれた道路が真直ぐに伸びている、その先には日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅がある。 これにて、一件落着、ここを歩こう!

・・・・・・・・・・・・開かずの踏切があった所から赤山街道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・約2㎞歩くと足立区古千谷2丁目にて、赤山街道と見沼代親水公園がY字型に分岐する。 私は親水公園を歩き見沼代親水公園駅へむかう。(写真:右側の道)

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● 赤山街道付近の2寺にお立ち寄り・・・・・

・・・・・・・・・・・・足立区伊興本町2に、時宗の「應現寺」がある。 應現寺は西嶋山煎雲院と号す。 應現寺の創建年代は不詳だが、天台宗寺院として創建、八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区(伊興寺町)最古の寺院と言われてる。 現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しいものだと言われている。、、、、【蛇足】時宗の寺は足立区には二寺あるのみ、あとの一寺は花畑の東善寺。

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・・・・・・・・・・・・こちらは、足立区伊興5にある曹洞宗の小さな「薬師寺」。 医王山と号す。 万治2年(1659)の創建。、、、、“もみじ寺”として知る人ぞ知る寺。 知らぬ人は知らぬ寺。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造でチョイト古そう! 本堂を隠すように参道にはモミジの木が茂っている。

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● かつて、農業用水として足立区の農業を支えていた用水が、その役割を終え昭和59年(1984)、憩いの場として「見沼代親水公園」として生まれ変わった。 親水路の長さは、足立区舎人4から古千谷本町4まで約1.7㎞。、、、、年寄りが、散歩するのに良いところ。 全長はかなりあり、暇つぶしにも良い。 家に居られない人にもちょうど良い。

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● 親水公園が尾久橋通りと交差する位置に、日暮里舎人ライナーの終点「見沼代親水公園駅がある。 ライナーの軌道が道路中央の頭上でチョン切れている。 この辺りが足立区の北端だ!

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2022年5月18日 (水)

新しい竹ノ塚駅

つくばエキスプレスの青井駅から東武伊勢崎線の竹ノ塚駅まで、1万3千歩(約5km)の散歩です。



● 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの「青井駅(あおいえき)」は、足立区の中央部付近にある。 駅の周囲は都営住宅が建ち並び“下町の住宅地”。、、、、青井駅は平成17年(2005)8月24日、つくばエクスプレスの開業と同時に設けられた、エレベーター・エスカレーターの完備した相対式ホーム2面2線を有する地下駅だ。 青井駅には各駅停車しか停まらないため、日中は約10分間隔の運転となる。

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● 青井駅前の都営青井三丁目第3アパートの4階から周囲を見渡すと・・・・・特に変わったものは無し!

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● 青井駅の北西に、「青井兵和通り商店街」がある。 商店街は、昭和37年(1962)に兵和通り商工会として発足し、昭和59年(1984)に改称した。 現在は20店舗程の商店街となっている。、、、、通り名は、“平和通り”ではなく“兵和通り”である。 地元のすし屋の店主に訊ねると、この地には〇〇兵と称する地名・橋名が多くあったそうで、“ウケ狙い”も兼ねて、その“兵”を借用し通り名としたそうだ。 60年前の命名が生きてる!

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● 足立区青井生まれ、青井育ちで、中学・高校は、ビートたけしの後輩、医学博士の学位を持つ元衆議院議員(当選9回)の鴨下一郎氏。 その自宅と思われる家が青井にあった。 庭の広い和風の邸宅。 敷地内には蔵・母屋・その他で7棟、8棟、いやもっと多いかも、数えられない!

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● 環七通りを横断し、足立区一ツ家4丁目に小社「一ツ家稲荷神社」がある。 一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592~1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかと言われている。 境内に何基かの供養塔、地蔵、庚申塔がある。

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● 環七北通りと日光街道(=国道4号)が交差する「平野交差点」から北西の方角に歩くと、旧日光街道の脇(足立区島根4)に「鷲神社」の立て看板が目に入る。 チョイト寄って行こう!

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・・・・・・・・・・・・島根4丁目に鎮座する「鷲神社(わしじんじゃ)」は、社伝によると文保2年(1318)の中興です。古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた当地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれました。 応永20年(1413)の大宮氷川神社高鼻家文書には、足利将軍家より寄進があったことが記されている。 元禄8年(1695)、村内に点在していた七祠のうち、八幡社(誉田別命)と明神社(国常立命)の二柱が合祀された。 また、享保6年(1716)には鷹狩りの途中であった江戸8代将軍・徳川吉宗が当社に立ち寄り、境内で開かれていた島根学問所を褒賞したと伝えられている。、、、、“鷲”はここ島根では“わし”と読む、“おおとり”と読むのは浅草(千束)の“鷲神社

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・・・・・・・・・・・・境内にある35tonもする巨大な石灯籠。 説明碑によると『昭和61年9月吉日 茨城県筑波御影石 総重量35トン 高さ15尺(4.7メートル) 長寿山灯籠』と記されている。、、、、筑波からここ足立まで運ぶの大変だったろう!

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● 旧日光街道から西へ向かうと東武伊勢崎線の「竹ノ塚駅」に出る。、、、、2011年度から「東武伊勢崎線(竹ノ塚駅付近)連続立体交差事業」として進められてきた高架化工事にて、今年の3月から竹ノ塚駅緩行線ホームが高架となった。 新しくなった竹ノ塚駅は、明るいシンプルな、木目調の駅舎である。 工事は、仮設ホーム・仮設地下駅舎撤去、西口駅前広場整備、沿線道路の復旧、高架下施設整備などが残っており、最終は2023年度の事業完成を予定している。、、、、竹ノ塚駅周辺の高架化により、「開かずの踏切」と化していた竹ノ塚駅付近の踏切2カ所が廃止され、交通渋滞の解消による安全性向上が達成される。 踏切撤去まで、約10年、長かったね!

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