足立区

2022年5月24日 (火)

川の交差点

見沼代親水公園駅から埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、約5㎞、1万2千歩の散歩です。



● 通勤時間となった朝7時45分、日暮里舎人ライナーの終点「見沼代親水公園駅」で降りる。 乗車する人は多いが、降りる人は数える程度。、、、、今日の散歩は、ここから西に向かって歩くことにした。、、、、【独り言】最近、日中に外出や人に会うことが多く、疲れて夜の寝付きは早く、その分朝の起床も早い(半分は歳のせいでもある) 今朝も4時半には起きていたので、6時からゆっくり朝食、7時には『散歩してくる!』

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● 先週は足立区古千谷から見沼代親水公園に入り見沼代親水公園駅まで(約1.3㎞)歩いてきたが、今日は駅から西に(川口・鳩ケ谷)方向に「見沼代親水公園」の残りの部分(約0.5㎞)を歩いてみた。、、、、公園は東京都足立区と埼玉県草加市・川口市との県境となる「毛長川」にぶつかる地点で終了となる。、、、、公園の水路には、カキツバタ、アヤメなどが植えられ、ただいまの時期黄色い花・紫の花が咲いていた。

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● 見沼代親水公園が毛長川にぶつかる地点は、かつて江戸時代から二本の河川が十文字に交差する場所であった。、、、、西(川口市)から東(草加市)へ流れる「毛長川」 北(川口市鳩ケ谷の方)から南(現:見沼代親水公園)へ流れる「見沼代用水東縁」の二本の河川が交差し、見沼代用水東縁が水道橋(もしくは懸樋)によって毛長川を越えて流れ下っていたそうだ。、、、、現在は、見沼代用水東縁の水は、交差部で大半が毛長川に流れ込み、一部だけが毛長川の川底を流れ見沼代親水公園に流れている。

・・・・・・・・・・・・北から流れて来る見沼代用水東縁

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・・・・・・・・・・・・東に流れ下る毛長川、、、、写真左側の流れは、見沼代用水東縁の水が流れ込んでいる部分

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・・・・・・・・・・・・二本の川が交差する部分、、、、井桁状に4本橋が架かっていたと思われるが、見沼代用水東縁の下流側は親水公園となり橋は無い。 現在は見沼代用水東縁のッ上流側に「一本橋」、毛長川上流側に「舎人橋」、下流側に「砂子橋」の三本の橋が架かっている。 写真は一本橋の上から撮影した交差部、右側の端が舎人橋、左側の端が砂子橋、中央正面奥に見沼代新公園が伸びている。、、、、見沼代用水東縁の水は写真中央手前のプールに入り左側の砂子橋の下の水路に流れ毛長川に合流する。 一部の水は中央の籠状の中に入り、その奥に流れる毛長川の川底を通り、向かい側の親水公園に流れ込む。

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● 河川の交差部からは、毛長川に沿って東京都足立区側(対岸は埼玉県川口市)を歩く。、、、、毛長川の川幅も狭くなり、川に沿って歩く。 途中には、都営住宅「舎人町アパート」の建物が並ぶ。 首都高の下には足立区と川口市を結ぶ「中居橋

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● 足立区入谷から川口市八幡木に踏み入ると、「あずま橋通り」と称する、交通量の多い通りを歩く。 やたら、大型のトラック、バスが行き交い、歩道から外れて歩くと“イチコロ”で彼の世行き!、、、、新芝川に架かる「あずま橋」渡る。 川岸には「川口市 朝日環境センター」の煙突がシンボリックに立つ。

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・・・・・・・・・・・・あずま橋通りを歩き、岩槻街道(=国道122号)に出る手前に「十二月田中学前」と書いた交差点がある。 さて!何と読む?、、、、答えは「しわすだちゅうがくまえ」 “十二月田(しわすだ)”は地名だった、現在は川口市末広。

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● 岩槻街道に出ると川口市末広1丁目に、味噌屋の「旧田中家住宅がある。、、、、地元の味噌屋であった田中徳兵衞が、大正10年(1921)から大正12年(1923)にかけて、木造煉瓦造3階の洋館を建設した。 イギリス式に煉瓦を積んだ壁に化粧用煉瓦を貼り、正面から見ると完全な煉瓦造りの洋館で、当時としては非常にモダンで立派な建物だった。 洋館に続き、昭和9年(1934)にには和館も増築された。 現在、これらの建物は登録有形文化財(建造物)に指定されている。、、、、ここまで来たら、チョイトお立ち寄り。 入場料210円は安い!

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● 埼玉高速鉄道線の「川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)」に到着。 今日の散歩はココまでとする。、、、、川口元郷駅は平成13年(2001)3月28日の開業。 島式1面2線の地下駅。 ここから隣りの東京メトロ赤羽岩淵駅までは、営業距離は2.4km、乗車時間は3分、運賃は210円、チョイト高いね! 

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2022年5月19日 (木)

親水公園を歩く

竹ノ塚駅から日暮里舎人ライナーの終点:見沼代親水公園駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 昨日の続きで、「竹ノ塚駅」にて下車し、散歩を始めることにした。、、、、朝8時前、駅は通勤通学客で人・人・人。 ホームに入る電車はすでに満員状態、ここから乗る人は着席できないね! 

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・・・・・・・・・・・・駅の西口に出てみると、高架下にはまだ仮囲い、地上ホームも残ってる。 これまで、仮改札口があった地下に下りる階段は封鎖されてる。 “開かずの踏切”のあった道路には線路が残ってる。、、、、まだまだ、周辺の整備工事が続きそうだ!

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● 昨日の続きで竹ノ塚駅で下車したが、さてさて今日はどっちへ向かって歩こうか? ここで悩む、思案橋ブルースよ!、、、、ipadで地図をみる。 竹ノ塚駅から北西に「赤山街道」と書かれた道路が真直ぐに伸びている、その先には日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅がある。 これにて、一件落着、ここを歩こう!

・・・・・・・・・・・・開かずの踏切があった所から赤山街道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・約2㎞歩くと足立区古千谷2丁目にて、赤山街道と見沼代親水公園がY字型に分岐する。 私は親水公園を歩き見沼代親水公園駅へむかう。(写真:右側の道)

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● 赤山街道付近の2寺にお立ち寄り・・・・・

・・・・・・・・・・・・足立区伊興本町2に、時宗の「應現寺」がある。 應現寺は西嶋山煎雲院と号す。 應現寺の創建年代は不詳だが、天台宗寺院として創建、八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区(伊興寺町)最古の寺院と言われてる。 現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しいものだと言われている。、、、、【蛇足】時宗の寺は足立区には二寺あるのみ、あとの一寺は花畑の東善寺。

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・・・・・・・・・・・・こちらは、足立区伊興5にある曹洞宗の小さな「薬師寺」。 医王山と号す。 万治2年(1659)の創建。、、、、“もみじ寺”として知る人ぞ知る寺。 知らぬ人は知らぬ寺。、、、、本堂は鉄筋コンクリート造でチョイト古そう! 本堂を隠すように参道にはモミジの木が茂っている。

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● かつて、農業用水として足立区の農業を支えていた用水が、その役割を終え昭和59年(1984)、憩いの場として「見沼代親水公園」として生まれ変わった。 親水路の長さは、足立区舎人4から古千谷本町4まで約1.7㎞。、、、、年寄りが、散歩するのに良いところ。 全長はかなりあり、暇つぶしにも良い。 家に居られない人にもちょうど良い。

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● 親水公園が尾久橋通りと交差する位置に、日暮里舎人ライナーの終点「見沼代親水公園駅がある。 ライナーの軌道が道路中央の頭上でチョン切れている。 この辺りが足立区の北端だ!

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2022年5月18日 (水)

新しい竹ノ塚駅

つくばエキスプレスの青井駅から東武伊勢崎線の竹ノ塚駅まで、1万3千歩(約5km)の散歩です。



● 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの「青井駅(あおいえき)」は、足立区の中央部付近にある。 駅の周囲は都営住宅が建ち並び“下町の住宅地”。、、、、青井駅は平成17年(2005)8月24日、つくばエクスプレスの開業と同時に設けられた、エレベーター・エスカレーターの完備した相対式ホーム2面2線を有する地下駅だ。 青井駅には各駅停車しか停まらないため、日中は約10分間隔の運転となる。

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● 青井駅前の都営青井三丁目第3アパートの4階から周囲を見渡すと・・・・・特に変わったものは無し!

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● 青井駅の北西に、「青井兵和通り商店街」がある。 商店街は、昭和37年(1962)に兵和通り商工会として発足し、昭和59年(1984)に改称した。 現在は20店舗程の商店街となっている。、、、、通り名は、“平和通り”ではなく“兵和通り”である。 地元のすし屋の店主に訊ねると、この地には〇〇兵と称する地名・橋名が多くあったそうで、“ウケ狙い”も兼ねて、その“兵”を借用し通り名としたそうだ。 60年前の命名が生きてる!

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● 足立区青井生まれ、青井育ちで、中学・高校は、ビートたけしの後輩、医学博士の学位を持つ元衆議院議員(当選9回)の鴨下一郎氏。 その自宅と思われる家が青井にあった。 庭の広い和風の邸宅。 敷地内には蔵・母屋・その他で7棟、8棟、いやもっと多いかも、数えられない!

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● 環七通りを横断し、足立区一ツ家4丁目に小社「一ツ家稲荷神社」がある。 一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592~1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかと言われている。 境内に何基かの供養塔、地蔵、庚申塔がある。

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● 環七北通りと日光街道(=国道4号)が交差する「平野交差点」から北西の方角に歩くと、旧日光街道の脇(足立区島根4)に「鷲神社」の立て看板が目に入る。 チョイト寄って行こう!

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・・・・・・・・・・・・島根4丁目に鎮座する「鷲神社(わしじんじゃ)」は、社伝によると文保2年(1318)の中興です。古代の海岸線とされる所が南にあり島の根の様にでた当地に祭神が船で到着したことから浮島明神とも呼ばれました。 応永20年(1413)の大宮氷川神社高鼻家文書には、足利将軍家より寄進があったことが記されている。 元禄8年(1695)、村内に点在していた七祠のうち、八幡社(誉田別命)と明神社(国常立命)の二柱が合祀された。 また、享保6年(1716)には鷹狩りの途中であった江戸8代将軍・徳川吉宗が当社に立ち寄り、境内で開かれていた島根学問所を褒賞したと伝えられている。、、、、“鷲”はここ島根では“わし”と読む、“おおとり”と読むのは浅草(千束)の“鷲神社

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・・・・・・・・・・・・境内にある35tonもする巨大な石灯籠。 説明碑によると『昭和61年9月吉日 茨城県筑波御影石 総重量35トン 高さ15尺(4.7メートル) 長寿山灯籠』と記されている。、、、、筑波からここ足立まで運ぶの大変だったろう!

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● 旧日光街道から西へ向かうと東武伊勢崎線の「竹ノ塚駅」に出る。、、、、2011年度から「東武伊勢崎線(竹ノ塚駅付近)連続立体交差事業」として進められてきた高架化工事にて、今年の3月から竹ノ塚駅緩行線ホームが高架となった。 新しくなった竹ノ塚駅は、明るいシンプルな、木目調の駅舎である。 工事は、仮設ホーム・仮設地下駅舎撤去、西口駅前広場整備、沿線道路の復旧、高架下施設整備などが残っており、最終は2023年度の事業完成を予定している。、、、、竹ノ塚駅周辺の高架化により、「開かずの踏切」と化していた竹ノ塚駅付近の踏切2カ所が廃止され、交通渋滞の解消による安全性向上が達成される。 踏切撤去まで、約10年、長かったね!

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2022年5月15日 (日)

青から青へ

今日の散歩は京成本線の青砥駅から、つくばエキスプレスの青井駅まで、約7㎞、1万4千歩、“青”から“青”までの散歩です。



● 日曜早朝、まだ8時前、空いてる電車の乗って「青砥駅」で下車する。 ここから散歩を始めることにした。

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・・・・・・・・・・・・青砥駅から度々歩いているので、今日は「環七通り」の西側、歩いたことのない裏道を行く。、、、、裏道には“特に記すべきものなし”、ただ歩くのみ。

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● 『あっ、以前訪れた葛西城址だ!』、、、、現在は、本丸跡の中央を“ぶち抜く環七通りがとおり、その道路の両側が葛西城址の公園となっている。、、、、環七通りを歩いて行くと、亀有駅方面出る。 このルートは以前にも歩いたことがあるので、今日は葛西城址は通過し再び裏道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・青戸七丁目北交差点で国道6号(=水戸街道)を横断し、青戸8丁目に入る。

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● 青戸8丁目の町には「修徳中学校・高等学校」がある。 学校は男女共学の中高一貫校。 歴史は古く、明治37年(1904)に、天理教東本大教会(墨田区本所一丁目に所在)を創立した中川よしが、布教の一環として教会内の住み込み人や信者の子弟のために始めた夜間学校から始まったそうだ。 戦後には教会のある本所の町から、現在地(葛飾区青戸8)に移転した。、、、、日曜日だが、グランドではサッカー部、野球部などが練習中。

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● 裏道を歩き亀有中学校前に出ると、白壁で囲まれた大きな墓地が見える。、、、、ここは真宗大谷寺院の本多山蓮光寺。 「蓮光寺」の創建年代は不詳だが、遠江国横須賀に創建され、慶長14年(1609)には江戸神田へ移転したと伝えられっている。 徳川の家臣:本多平八郎に縁ある寺。 江戸では明暦の大火(明暦3年=1657)、関東大震災(大正12年=1923)などの火災にあい、昭和3年(1928)現在地亀有1丁目に移った。 現本堂は昭和11年(1936)に落慶した。、、、、、下町の住宅地の中にある、広々としたお寺。 緑多い境内は樹木の手入れも良く、心休まるお寺だ。

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● 亀有四丁目でJRの高架橋をくぐり、常磐線の北側に出る。 ここは「西亀有4丁目」、、、、4丁目の中央に「高木神社」が鎮座する。 高木神社は、国府台の合戦に破れた里見氏の家臣武内家が当地に住み、武内氏の氏神第六天を祀ったものと考えられ、江戸時代には砂原村の鎮守社となっていた。、、、、特に書くべきこともない神社だが、境内の掃除は完璧、綺麗だ!

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・・・・・・・・・・・・高木神社鳥居前の参道には、「享保三年銘の庚申塔」がある。、、、、だいぶ劣化し、文字が読みにくい!

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● 高木神社の西側で、葛飾区から足立区に入る。 マンションの先に、東京メトロ千代田線北綾瀬支線の高架橋が見えた。、、、、ここまで歩いたら、足が疲れてきた。 『北綾瀬駅から千代田線で帰るか、もう一頑張りしてつくばエキスプレス青井駅まで歩くか、それが問題だ!』 自問自答、痔ケツにボラギノール! 『男だ、もう一頑張りしよう!』 青い駅まで歩くことにした。

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綾瀬川を越えると、そこは青井駅だった。、、、、「青井駅」は、足立区青井3にある、つくばエクスプレスの駅。 平成17年(2005)8月24日 開業。  相対式ホーム2面2線の地下深い駅。

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2022年5月11日 (水)

堀切から青戸へ

東武伊勢崎線の堀切駅(足立区)で下車し、荒川に架かる堀切橋を渡り葛飾区に入り、京成本線の北側の町を歩き抜けて青砥駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 「堀切駅」は都会の秘境駅と呼ぶべき駅。 けして辺鄙な場所にあるわけではなく、周辺には住宅・大学・病院もある、停車する列車も多く、コロナ禍(2020年)の一日平均乗降客数は3000人弱である。 でもでも、やっぱり、都会の秘境駅だ! 荒川土手下の狭隘地に駅はあり、上下線で改札は別となっており、一度改札を通ると上下ホーム間の移動はできない。 またエスカレーター・エレベーターはもちろん設置されていない。、、、、下り線は三角屋根の小さな木造駅舎、上り線は土手の真下の木造駅舎、どちらも印象的な情景を映し出す駅。

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● 堀切橋を渡り荒川を越えて、隣の葛飾区堀切の町へ向かう(駅の“堀切”は足立区、町の“堀切”は葛飾区)、、、、堀切橋は大正13年(1923)に木桁橋として架けられたが戦時中破損し、昭和42年(1967)に現在の堀切橋に架け替えられた。 現在の「堀切橋」は、長さ 514.5 m、幅 17m、幅員 17m、最大スパン長 64mのゲルバー格子鋼鈑桁橋である。、、、、上流側には京成本線の荒川橋梁が架かっている。 荒川橋梁は堀切橋より約4m低い位置にあり、治水上のネックとなっている。 、、、、荒川のココが決壊すると東京の下町は全滅だ!

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● 葛飾区に入ると、京成本線の北側を歩き青砥駅に向かう。


・・・・・・・・・・・・葛飾橋東詰めにある「小谷野神社」(堀切4)、、、、小谷野神社は、元禄10年(1697)の文献に当社が記載されていることから、当時すでに存していた。 昭和47年(1972)に現在の社殿が造営された。 社名は明治以来、稲荷神社と称していたが、昭和43年(1968)の住居表示の実施に伴い、小谷野の地名が焼失するのを惜しみ「小谷野神社」と改称した。、、、、300年超の歴史ある神社

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・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院の宝性寺は、明王山不動院と号す。 「宝性寺」(堀切4)は、元亀元年(1570)の創建と伝えられ、当初は当地より西よりに在ったが、荒川放水路開削工事により大正4年(1915)に約600m移動し、現在地へ移った。、、、、こじんまりした、懐かしみのある寺。

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・・・・・・・・・・・・「堀切氷川神社」は、葛飾区堀切5にある氷川神社。 堀切氷川神社は、天正年間(1573~91)旧下千葉村の鎮守として創建された。 祭神は須佐之男命・東照大権現(徳川家康)  朱塗りの社殿がチョイト目立ちすぎ!、、、、境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社と伝えられ、江戸時代に5石の朱印地を与えられた。、、、、社殿正面の鳥居付近では、何やら工事中の為、撮影は御遠慮!

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・・・・・・・・・・・・3時間に1本/一日5本のバスが走るバス通りを東へ歩く。 23区内にあっては、運行本数が少なくチョイト不便なバスだね!

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・・・・・・・・・・・・葛飾区お花茶屋2には、「共栄学園中学・高等学校」がある。 男女共学、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。 昭和14年(1939)、前身の本田裁縫女子学校が設立され、昭和17年(1942)には共栄女子商業学校が設立された。 、、、、最近、スポーツで有名な「春日部共栄中学・高等学校」は姉妹校。

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・・・・・・・・・・・・共栄学園の斜め向かい(お花茶屋1)に「東信用組合 葛飾支店」がある、、、、築年は不明だが、全面にバルコニーのあるマンション風デザインの建物は、金融機関らしからぬ!

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● 葛飾区白鳥で水戸街道(国道6号)を横断すると「青戸第一団地」がある。、、、、日本住宅公団が青戸団地の入居者を募集したのは昭和31年(1956)である。 その後、人口増加に伴い、住環境は整備されていった。 現在の青戸団地は、総戸数 1120戸程の大規模団地である。 京成の青砥駅にも近く、住戸は建て替えられ広く新しい。 若い人が入居しているらしい。

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● 「青砥駅」のある葛飾区はウィーン市フロリズドルフ区と姉妹都市となっている。 それにちなみ、青砥駅入口にはワルツ王と呼ばれるJ.シュトラウスを模した像が設置されてる。、、、、像があるのだから、録音した曲でも流してくれるといいね!

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2022年2月22日 (火)

江北橋通り踏破

江北橋通りの残りの区間(五反野~亀有)を歩いてきた。 1万3千歩




● 朝8時、東武伊勢崎線の「五反野駅」で下車した。 五反野駅は、大正13年(1924)10月1日に開業した駅だが、一日当たりの乗降客は36,000人程と少ない。 駅周辺には、区外から人を呼び込むほどの施設もなく、まさに“地域密着型の駅”。

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● 駅から南東に歩き、「西之宮稲荷神社」(足立区足立3)に寄って行く。、、、、西之宮稲荷神社の創建年代は不詳だが、弥五郎新田村(五反野付近の旧地名)には東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社があったと言われている。 この西之宮稲荷が当社に該当、明治時代初期には、東之宮稲荷、氷川社とともに本田之宮稲荷の境外社となっていたものの、本田之宮稲荷が荒川放水路河川敷として買収されたため、当社に本田之宮稲荷社を合祀、現在に至っているといいます。 昭和20年(1945)戦災により社殿焼失、同30年(1955)再建。 現在の社殿は平成12年(2000)の造営である。、、、、境内は広くはないが、立派な神社(?)

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・・・・・・・・・・・・西之宮稲荷神社から50m程南に「江北橋通り」に出た、『今日は、この道を歩くぞ!』

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・・・・・・・・・・・・江北橋通りが東武伊勢崎線と交差するガード脇に、比較的新しい六地蔵を彫った碑がある。 碑には「建碑の疏
」と彫られてる。、、、、謂れは?

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● 江北橋通りを東へ歩き西綾瀬3丁目に入ると、江北橋通り沿いに素朴な感じで心和む寺がある。 新義真言宗の「長性寺」で真光山荘厳院と号す。 長性寺は、当地の名主である岡村紀宿元春を開基として寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。 現在の本堂は大正13年(1924)に建てられた。

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● 江北橋通りを通す「五兵衛新橋」で綾瀬川を渡る。 橋から綾瀬川を見ると、周辺の住宅より水面の方が高い! 氾濫すれば、一発でお陀仏、怖い!

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・・・・・・・・・・・・長性寺の近くに立つ電柱。 上部の赤いテープ、判るかな?、、、、目の前には「最大5.0m  想定浸水深」の文字!

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● 五兵衛新橋を渡り綾瀬4丁目に入ると、大地主のような門構えの住宅がある。 門前には足立区教育委員会の名で、「金子家文書」と記した案内板が立てられている。、、、、この金子家は金子五兵衛(橋名の由来となった人物)の家である。、、、、そして、金子文書とは、新撰組近藤勇が流山で捉えられる前、慶応4年(1868)3月14日から4月1日までの19日間、あの新撰組が、金子家や近くの観音寺に分宿していた。 総勢227人もの大集団で、世情柄精神的な負担や、その世話(経費)などで大層迷惑を蒙った上に、後日明治政府から、強い叱責があったという。 近藤勇らが五兵衛新田の金子家に滞在した事は、その賄方の記録として金子家文書に残っている。 現在近藤勇として一般に知られている袖内に腕組みした写真も、金子家が所蔵しているらしい。

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● 江北橋通りを挟み向かい側の足立区綾瀬4丁目に、真言宗豊山派の「
観音寺」がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建された。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作。 、、、、、慶応4年(1868)3月には江戸から退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊した。、、、、山門は閉ざされており、横の勝手口から入って参拝してきた。  綾瀬駅に近いが静かで落ち着いた雰囲気の寺だ。 庭の手入れが行き届いていて美しく、石仏も多い。

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● 江北橋通りに戻り、東へ東へ歩く、、、、綾瀬駅前、東京メトロ千代田線(北綾瀬支線)のガード、下河原公園の庚申塔、常磐線のガード、を通過。 これより、江北橋通りは常磐線の南側(葛飾区)を通ることになる。

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● 西亀有3丁目の交差点手前で、江北橋通りに小菅方面からの旧水戸街道が合流する。 その地点には「旧水戸佐倉道」の碑が建てられている。、、、、葛飾区教育委員会が建てた石碑。 旧水戸街道のルートを明示して、“
町歩き”、“街道巡り”の活性化につながるといいね。

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● 江北橋通りと曳舟川親水公園通りが交差する「道上小学校東交差点」から、環七通りにぶつかるまでの約500mの間は、史跡・石像・モニュメントなどが並んでいる。

・・・・・・・・・・・・まずは、「曳舟古水上橋跡地」、、、、曳舟川親水公園の北端で、曳舟川の橋跡地です。 親水公園はここから四つ木方面へ約3㎞伸びている。

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・・・・・・・・・・・・「旧水戸街道 亀有上宿石碑」(亀有1)、、、、亀有上宿町(現:亀有1・2・3丁目の複合域)の北部を西から東に貫いているのが「旧水戸街道」。 現在の江北橋通りである。

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・・・・・・・・・・・・続いて「一里塚と水戸黄門」(亀有1)、、、、亀有の一里塚は、千住宿から1里、江戸日本橋から3里に位置する。一里塚は現在地から東へ10mほど先にあり、明治の末頃までは塚の跡が残っていた。 一里塚碑の隣には、助さん・格さんを従えた水戸黄門のモニュメントが建っている。

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・・・・・・・・・・・・「上宿七福神」、、、、旧水戸街道(江北橋通り)が拡幅され西亀有から環七を越え、新宿へと続く道も昨年完成した。 沿線の上宿商店会はこれからの更なる発展へと動き出す中で、上宿を中心とした、亀有および葛飾地域のますますの発展を願い、守り神様として商店会内の7つの拠点に七福神を安置し祀ることとした。 亀有1~3丁目の商店の玄関先、植え込み、店の角などに、小さな七福神の石像が置かれている。 七福神を探し歩くと面白い。(私は、全てを見つけてきた!)

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・・・・・・・・・・・・「こち亀銅像」は、亀有駅を中心に各所に建立されている、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の登場人物の銅像群の総称。 駅周辺に15体の像がある。 江北橋通りには2体の像。

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● 『ゴール!』 江北橋通りの東端「環七通り」と交わる「亀有二丁目交差点」に着いた。、、、、今日はココまで。

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2022年2月17日 (木)

未完の江北橋通り

江北橋を渡り扇大橋駅まで歩いた一昨日、今日は扇大橋駅から江北橋通りを歩き五反野駅まで、1万2千歩の散歩です。

江北橋通り、、、、江北橋通りは、足立区宮城の荒川に架かる江北橋の西詰の交差点から、葛飾区亀有の環七通りの亀有二丁目交差点に至る延長9kmの東西方向の道路で、補助第136号線として整備が進められている道路です。 本木北町付近から関原の森入口交差点(尾竹橋通りと交差)の西側手前までは工事中。

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● 日暮里・舎人ライナー「扇大橋駅」で下車し、駅前の交差点から「江北橋通り」を東に歩く。

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● 緑の金網のフェンスで囲われた“都有地”が所々に在る。 まだ、道路を広げるのかな(?)と思いつつ600m程歩き都営「扇一丁目第二アパート」を過ぎた処で、江北橋通りの正面にフェンスで囲われた工事現場が現れる。 江北橋通りの未成区間だ! ここからは迂回することになる。

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● 江北橋通りの南側に迂回すると、本木西町に真言宗豊山派寺院の渕江山星谷寺吉祥院がある。 吉祥院は、正応元年(1288)僧円真が開山した。 古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したそうだ。 最盛時には多くの寺領と末寺33を有し、明治以降も高い格式をもっていた。 、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物。

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● 迂回して江北橋通りの工事現場に戻った処は、本木北町の「田中稲荷神社の前である。 これまで、狭い裏道の奥にあった神社が、広い大通りに面するのだ、境内の地価も値上がりするかも(?)

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・・・・・・・・・・・・ここからは、フェンスに沿って東に向かう

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● 尾竹橋通りから200m程西に入った足立区本木2丁目で、江北橋通りの未成区間の東端となる。、、、、約650mの未成区間はココまで。

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・・・・・・・・・・・・未成区間の先に、尾竹橋通りと交差する「関原の森入口交差点

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● 「関原の森」とは、昔懐かしい「愛恵まちづくり記念館」と現代的な「まちづくり工房館」(会議室)を核として、近年整備された足立区の区民活動の拠点。、、、、ここには、昭和5年(1930)から平成2年(1990)までの30年間にわたり社会福祉事業を続けてきた「愛恵学園」があった。「愛恵学園」は、昭和初期にアメリカ人女性宣教師:ミス・M・A・ペイン先生(肖像画を展示)によって創設された。 乳幼児を預かるナースリー・スクールや、医師による乳幼児の健康相談会、幼稚園など社会福祉事業を行ってきたが、時代の流れにより、その役割を終えた。 「愛恵学園」の功績を残すとともに、関原地区のシンボルにしようと区が買収し、整備改修をして誕生したのが「愛恵まちづくり記念館」だ。 昭和5年(1930)築の記念館は木造2階建ての洋風建物で園舎として使用された。 1階は会議室、2階は会議室と談話室、相談室などがある。 清水組(現:清水建設)の施工、、、、温かみを感じる記念館は、子供の声が聞こえるようだ。 チョイト内部も拝見!

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● 江北橋通りは東に向かって、ほぼ一直線に伸びている。 この辺りは、最近開通したのか、ガードレール、白線も新しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・道路沿いに真言宗豊山派寺院の「明王院」(足立区梅田4)がある。 明王院は、万徳山梅林寺と号す。 治承2年(1178)六条判官源為義の三男義広の草創で、五世久広のとき当院のかたわらに天満宮を勧請して、万徳山梅林寺と号し、姓を梅田と改めたことから、周辺の地名も梅田と呼ばれることになったといいます。 江戸時代には、鷹狩りの折の御膳所となり、また源家の古い祈願所でもあったことから寺領13石の御朱印状を拝領しています。

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● 東へ東へと歩き、梅田の交差点で日光街道(=国道4号)を横切る。 江北橋通りは葛飾区へ続く。、、、、私の散歩は、チョイト脇にそれて五反野駅へ向かう。

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● 東武伊勢崎線「五反野駅」に到着。 五反野駅は大正13年(1924)10月1日、小菅・梅島の両駅と同時に追加開業した。 ホームは高架島式1面2線構造で、複々線の内側を走る緩行線のみにホームがある。(緩行線しか停車しない!) ホームと改札階を結ぶエレベーターはない。 改札口は1ヶ所のみで地上1階にある。、、、、“田”と“野”の違いで、五反田は知る人多い、五反野を知る人は珍しい(?)

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2022年2月15日 (火)

荒川土手を歩く

三日前の散歩の続きで、新田三丁目バス停から江北橋を渡り日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、1万1千歩の散歩です。




● JR王子駅前から都バスに乗って、「新田三丁目」で降りる。 『さて、歩くぞ!』、、、、我が家からここに来るまでの間、車中で地図を見て、荒川右岸の土手が近いので、“コロナ対策”も兼ね土手上を歩くことにした。 バス停から、シャッターを下ろした商店の前をとおり土手に向かう。 正面に荒川土手が見えてきた、結構な高さだ!

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・・・・・・・・・・・・ここ付近(足立区新田3)では、荒川が氾濫すると最大6.5mも浸水するらしい。 2階で暮らしていても、溺れ死にする浸水深さ。 熟睡できない不安な町だ!

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● 本日は無風、気温もチョイト暖かくなりそう、ただし曇り空。 土手上は歩きやすい。、、、、荒川右岸の土手に立つと、正面には「荒川」が流れ、向こう岸には首都高が走っている。 左手(上流側)には「鹿浜橋」が見える。 右手(下流側)は首都高のアーチ橋「五色桜大橋」が小さく見える、土手の脇にはUR都市機構の賃貸住宅「ハートアイランド新田」がズラリ並び建つている。

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・・・・・・・・・・・・「ハートアイランド新田」は、隅田川と荒川に囲まれた、足立区新田に位置するUR都市機構が開発した団地。 総面積20haという広大な工場跡地に、新たな橋や道路、公園、学校などの整備が進む新しい街。 川岸を幅広く盛り土し、ゆるやかな傾斜地として荒川の「スーパー堤防」と一体的な造りとなっている。 平成16年(2004)から平成22年(2010)にかけ順次整備された。、、、、ド・デカイ団地で、何棟?、何戸?、まったく判らん!

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・・・・・・・・・・・・続いて土手上から見えるのは、UR都市機構の「豊島五丁目団地」、、、、隅田川が大きく蛇行する膨らみ部分(北区豊島5)に広がる高層の集合住宅群。 昭和47年~昭和48年に建てられた、総戸数約5000戸の大規模団地。

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・・・・・・・・・・・・写真中央の「豊島五丁目団地」と右側奥に見える「ハートアイランド新田」

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・・・・・・・・・・・・次に見えるのは「五色桜大橋」、、、、五色桜大橋は、首都高中央環状線の江北ジャンクションと王子北出入口の間にある荒川を渡る橋。 世界初の2層構造のダブルデッキニールセンローゼ橋で、上層部が内回り(板橋方面)、下層部が外回り(江北方面)となっている。 右岸は豊島5丁目宮城2丁目を分かち、左岸は足立区江北2丁目に至る。、、、、何だかピンとこない“五色桜大橋”の名は、この付近の荒川堤一帯がかつて五色の桜が咲く名所だったことに由来するらしい。 橋は、平成2年(1990)に着工し、平成14年(2002)に開通した。、、、、残念ながら、歩いて渡ることはできない!

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・・・・・・・・・・・・五色桜大橋の下流側に架かるのは「江北橋
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・・・・・・・・・・・・「江北橋」は、都道307号王子金町江戸川線を通す。 左岸(北岸)は足立区江北、右岸(南岸)は足立区宮城。、、、、橋は大正12年(1923)に鉄筋コンクリート造の橋脚を持つ木桁橋として開通したが、開通直後の9月1日、関東大震災で損傷したために、大正14年(1925)に同じ形式の橋に架け替えられた。 そして、現在の橋は昭和47年(1972)に300m下流に架け替えられたものである。 橋長449m、幅員11m。

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● 江北橋を渡り江北2丁目に入ると、真言宗寺院「恵明寺」がある。、、、、恵明寺は宮城山円明院と号す。 恵明寺の創建年代は不詳だが、慶安元年(1648)寺領20石の御朱印状を拝領、末寺11ヵ寺を擁する中本寺格の寺院だったと言われてる。 明治維新後に延命寺を合寺、延命寺が管理していた阿弥陀堂の江戸六阿弥陀佛2番を当寺へ移設した。、、、、本堂は戦災で焼失し、戦後、鉄筋コンクリート造で再建された。、、、、境内は綺麗に手入れがなされ、なかなか趣きのある寺院です。 また、まだ咲くには早いが、見事な枝垂れ桜があり、その時期には多くの参拝客があるそうだ。

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● 都道307号(江北橋通り)を挟み、恵明寺の反対側(足立区扇2)に
浄土宗寺院の「性翁寺(しょうおうじ)
」がある。 性翁寺は、龍燈山貞香院と号す。 神亀3年(726)行基菩薩が庵を開いたのに始まり、足立庄司宮城宰相が開基となり、正誉龍呑和尚が明応元年(1492)開山した。、、、、本尊の木像阿弥陀如来坐像は古代の作成で東京都指定文化財。 この本尊は悲運の女性・足立姫の菩提を弔うため行基菩薩が作成した六阿弥陀の余りの木で作られたという伝説を持つ。

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・・・・・・・・・・・・足立区と北区の寺社のいくつかには「足立姫」の伝説が残されている。 その伝説とは、、、、足立区のホームページには次のように書かれている、、、、『昔、足立の長者だった足立庄司には足立姫というとても美しいむすめがいました。ひめはとなりのぐんの豊島の長者である豊島左衛門尉(としまさえもんのじょう)とけっこんしましたが、左衛門尉の母にひどくいじめられ、川へ身を投げてしまいました。また、ひめのお世話のために一緒に豊島に来た人たちも、あとを追って身投げしました。 ひめの父は、ひめたちのたましいをなぐさめるために和歌山県にある熊野権現(くまのごんげん)におまいりしました。ゆめのおつげで神聖な木を見つけ、それを海に流すと、ふしぎなことに足立に流れつきました。いろいろな国を回っていた有名なお坊さんである行基(ぎょうき)にたのみ、その木に阿弥陀仏をちょうこくしてもらい、足立姫たちのたましいをくようしました。』、、、、性翁寺境内の墓地には、この足立姫の墓がある。

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● 性翁寺をあとにして、日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」に到着、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2022年2月12日 (土)

新田橋は架け替えか?

昨日の都内の感染者は18,660人、前週比3日連続の減少で、感染のピークは過ぎたかな? 人口1000万の東京で感染者が2万人弱ならば、自分は3回目のワクチン接種も終わっているので、『今日は感染しないだろう(根拠なし!)』と都合よく解釈して、散歩に出た。

今日は、王子駅から北の方角に点在する地蔵さまと庚申塔を巡ることにした。 京浜東北線の王子駅から、隅田川に架かる新田橋まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋から通勤客の少ない電車で約25分、京浜東北線の王子駅で下車。 まだ8時前だからか、駅では乗降客も少ない。 JRのガード抜けて国立印刷局王子工場の前を東に歩く。

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● 王子駅から東へ約500m、溝田橋交差点を越えると、「あすか緑地」の端(北区王子1-30)、路傍に庚申塔の小堂がある。 正面に大きく、彫も深く「庚申塔」の文字が見える。 右側面が大きく欠け、造立年は読み取れないが、古そうだ!

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・・・・・・・・・・・・「あすか緑地」とは、石神井川の岸にあるやや大きめの小公園(?) 防災用の船着場らしきものがある。 対岸の頭上には首都高が走っている。

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● あすか緑地から北へ100m程(北区豊島2-5)、ビルの一角に丁寧に祀られた「馬頭観音・庚申塔」がある。 新しい榊が供えられ、今年の庚申日が貼ってある、地元ではまだ庚申講が行われているのかな(?)

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● 続いては、馬頭観音・庚申塔から東へ200m、石神井川岸の近く(北区豊島2-14)に、真言宗豊山派寺院の「西福寺」がある。 西福寺は、三縁山無量壽院と号す。 西福寺は、平安末期から鎌倉初期にかけて武蔵国豊島郡の豪族で鎌倉幕府御家人だった豊島清光の娘(足立姫)が亡くなったことを悲しみ、行基菩薩に依頼して制作した六阿弥陀佛(江戸六阿弥陀)の一つを本尊として創建したと言われている。 境内参道脇には地蔵尊、庚申塔が祀られている。、、、、チョイト派手な山門・本堂のお寺でビックリ!

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・・・・・・・・・・・・西福寺門前の道を石神井川に架かる「豊石橋」の手前に、戦後の昭和23年(1948)に建てられた「馬頭観音」がある。 なぜかガードレールに向いて建てられている。

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● 西福寺から隅田川沿いに600m程歩くと、川沿いの高齢者用住宅の前(北区豊島4-16)にズラリ並んだ石仏群「下道地蔵堂が出迎えてくれる。 寛文から享保(1661~1736)に亘る20基に近い石仏のお出迎え。、、、、このへんは、明治以前は豊島村・領家集落の北の外れあたりで、川と田んぼが広がる風景の中、この石仏がたたずんでいたものと思われる。、、、、夜は提灯に灯がともり幻想的になるそうだ!

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● 引き続き、下道地蔵堂からは北へ300m程、豊島5丁目交差点の手前に「地蔵堂」(北区豊島6-2)がある。 また、交差点の近くにも地蔵が祀られている、コチラは「ぽっくり地蔵(延命地蔵)」(北区豊島6-1)と呼んでいる。 どちらも、地蔵尊が祀られているが、由緒書きなどがなく、詳細は不明。

・・・・・・・・・・・・地蔵堂

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・・・・・・・・・・・・ぽっくり地蔵

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● 王子消防署前(王子神谷駅付近)から豊島五丁目団地に向かう「紀州通り」に、「紀州神社」(北区豊島7)がある。 神社は、鎌倉時代後期、紀州和歌山にある伊太木曽神社を、同村に勧請したのがはじまりであり、水の神様として知られている。、、、、、拝殿内には八咫烏の紋が見える。 サッカー日本代表とは関係ないかも?

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● 紀州神社から北西に300m程、隅田川沿いに真言宗豊山派の寺院「医王山清光寺」がある。 清光寺は、豊島清光が開基となり創建、鎌倉期は大寺でしたが、太田道灌との戦いに敗れた豊島泰経とともに衰退、戦国時代末期の豊島明重により再興した。、、、、ここには、豊島清光の館があったそうだ。 “豊島”の地名の本家本元はこの地、つまり豊島区ではない。

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● 清光寺の裏(北側)に隅田川が流れ、北区豊島7丁目と足立区新田3丁目を結ぶ「新田橋(しんでんばし)」がある。、、、、新田橋は昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年(1961)に現在の橋に架け替えられた。 木橋時代の橋脚を模した珍しいA字型をした橋脚が特徴。、、、、架橋後60年、老朽化した新田橋の架け替え工事がいよいよ始まるようだ。 スグ横の上流側に、仮設の人道橋が造られている。

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● 新田橋を渡り足立区に入ったが、疲れてきたので今日はココ「新田三丁目」まで、バスで王子駅に戻る!

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2022年1月12日 (水)

荒川土手は、寒い寒い

北風が吹き、雪が舞い、雨が降り、連日の寒さは高齢者の私にはチョイト厳しい。 今朝も早々と5時には目が覚め、6時には朝食を済ませたが、7時になると我慢できず散歩に出たくなった。 先日(1/8)の続きで王子駅から歩こうと思ったが、新型コロナに感染したくないので、どうしようか迷う。 朝の京浜東北線は混んでる、王子駅は乗降客が多い、王子周辺は通行人が多い、てなことで、今日の散歩は人混みを避け、東武伊勢崎線の堀切駅から荒川土手を歩き京成押上線の八広駅か、JR総武線の平井駅まで歩くつもりで家を出た。 堀切駅前の荒川土手に立つと、北風が吹き付け、超寒い! 『コリャ、風邪をひくかも! 風邪になると新型コロナと間違え、病院に隔離されるかも?』 急遽、土手歩きは止めて、土手下の墨田区墨田の町を歩き八広駅までの散歩に変わった。 1万1千歩




● 暖かい電車の扉が開きホームに出ると、寒い北風が吹き付けてきた。 近くの大学の学生も何人か降りる。 皆、寒そうに2台の自動改札を通り抜けていく! 学生がいなくなると、ホームにいるのは私だけ、寂しい駅である。 東武伊勢崎線の「堀切駅」、下町の情景が残る駅

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● 堀切駅の前を流れる荒川の土手に上る。 午前8時、『ウヮ~ 寒い、寒い!』 予想以上に寒い、この土手を歩いて行くには、チョイト辛い。 風邪をひいたら一大事、医者には新型コロナと思い隔離されるかも、『止めた、止めた、土手歩きは中止!』、、、、土手に上がると、上流側には堀切橋、目の前には隅田水門首都高、青空の下にはっきり見える。 北風の姿、形は見えないが、間違いなくココに居る!

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● 荒川土手から土手下に下りて、墨田区墨田の町を歩くことにした。 堀切駅から南に約500m歩くと、墨堤通り沿いに“kao”と“kanebo”の物流倉庫が見える。 その広い敷地に隣り合わせて小さな「カネボウ公園」があり、園内に「鐘淵紡績株式会社 発祥の地」の石碑がある。、、、、石碑の裏には『発祥碑由来記 此の地は古くから沈鐘の伝説があり, 江戸時代に入って将軍徳川吉宗公が之の引揚げを下命しましたが成功せず鐘は毎夕月の出と共に燦然として光を放ったといわれます。  周辺の風光明媚を愛でて 徳川氏はこゝを将軍家専用の野菜畑とし御前栽と称しました。 明治二十年近代工業の先覚としてこの地に東京綿商社が設立せられ, 紡績機械ニ万九千錘を英国より輸入して東洋第一の紡績工場を建設, 明治二十二年社名を鐘淵紡績株式会社と改称しました。  爾来近代日本の進展と共に工場は拡大し, その技術は全国津々浦々に結実し製品はカネボウの名声と共に遠く欧米各国を席巻しました。 また過ぐる関東大震災, 東京大空襲当時その職に殉じて斃れた者は五十余柱に及びました。 いまこゝに時代の進運と共に工場の移転を実施するに当って鐘紡稲荷神社並びに慰霊観音像を奉安し八十余年に亘ってうけたこの地域社会の御かげを感謝すると共に老人と児童の憩いの場を設けて記念庭園とし永く先人の偉業を偲ぶよすがとなることを切願するものであります。  昭和四十年十月二十日  鐘淵紡績株式会社  社中一同』、、、、昔は世界有数の紡績会社であったが、昭和40年頃からは、チューインガムを販売したり、化粧品屋に変わったりしたが、平成19年(2007)に「カネボウ株式会社」は解散した。 現在「カネボウ」の商標権は花王の傘下となった「カネボウ化粧品」が保有しているそうだ。

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● カネボウ公園から南に200m程の処に、真言宗智山派寺院の「多聞寺」がある。 多聞寺は隅田山吉祥院と号す。 創建年代は不詳だが、天徳年間(957~960)には現隅田川神社付近にあり、大鏡山明王院隅田寺と称していたと言われてる。 天正年間(1573~1591)に本尊を毘沙門天として隅田山吉祥院多聞寺と改称した。 本尊は、隅田川七福神の一つとなっている。、、、、茅葺の山門は区内最古の現存建造物で、風情ある寺だ!

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● 下町の裏道を歩き、鐘ヶ淵駅前をとおり墨田4丁目の隅田稲荷神社へ向かう。、、、、この辺りは何度も歩いているが、狭く複雑に入り組んだ裏道を覚えられず、行ったり来たり、右へ左へ、疲れる散歩だ!

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● 『この辺りにあるはずだ?』 道案内もなく、探し探して、やっと行き着いた「隅田稲荷神社」、、、、天文年間(1532~1553)、伊豆より逃れてこの地を開拓した堀越公方政知の家臣江川善左衛門雅門が、伏見稲荷大神を勧請し氏神として祀った。、、、、現社殿は昭和18年(1943)に竣工。 周囲は下町の住宅がビッシリと立ち並び、地元の氏神様だ!

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● 四ツ木橋取付道路(=国道6号、日光街道)の下を抜けるトンネル、、、、四ツ木橋取付道路の下のトンネルは、ここと、荒川土手際の2か所にある。 長さは約22mで、現四ツ木橋竣工した昭和27年(1952)に造られたものと思われる。

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● 時刻は午前10時過ぎ、気温も上がり、北風は和らいだ。 『荒川土手に上がってみよう!』


・・・・・・・・・・・・新四ツ木橋の際に出た、、、、新四ツ木橋は、昭和48年(1973)竣工、長さ472mの鋼箱桁橋

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・・・・・・・・・・・・下流側には京成押上線荒川橋梁が架かってる。 平成14年(2002)に架け替えて、竣工したこの橋の総事業費は398億円也。

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・・・・・・・・・・・・土手から見える京成押上線の八広駅、、、、駅の先にはスカイツリーも

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● 寒い散歩の終わりは京成押上線の「八広駅、、、、八広駅はホームに屋根はあるが、全体的に風通しが良く造られている。 ホームに立っても寒い寒い!

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