足立区

2021年9月13日 (月)

飯塚富士は登山禁止

緊急事態宣言は、本日から延長期間に入り、9月30日までとなった。 何だかんだと いつまで続く “緊急事態” 聞き飽きた(今日も、コッソリ散歩する)

東京メトロ千代田線「北綾瀬駅」から、東に向かい、飯塚橋で中川を越え葛飾区にはいる。 東京理科大の金町キャンパスを抜けて、常磐線「金町駅」まで、1万3千歩の散歩です。




綾瀬駅は千代田線それとも常磐線(?)どちらでもいいけど、北綾瀬に行くには、綾瀬駅で北綾瀬行きの電車に乗り換える。 綾瀬駅1番・2番線ホームの東端に綾瀬行きの0番線ホームがある。 ここから3両編成の北綾瀬行きワンマン運転の電車でGoー!、、、、『つぎは終点北綾瀬』、一駅間の短い千代田線支線に乗り換える。

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● 「北綾瀬駅」(昭和54年(1979)開業)は、環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線の高架駅。 ホームは西側の線路に取り付けて設置されている。 平成31年(2019)からは、これまでの区間運転用の3両編成の列車以外に、代々木上原方面直通の10両編成の列車も停車できるようにホームが延長された。、、、、1面1線のホーム構造を持つ駅は、都区内ではここの他に大師前駅京成金町駅の三駅だけで、珍しい駅の一つ。

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・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅は「環七通り」に面している。、、、、今日の散歩では、この環七通りを東に向かい歩き始める!

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● 環七通りを東へ歩くと「大谷田橋交差点」がある。 大谷田橋交差点は、足立区東和・大谷田にある交差点で、主要道路は、環状7号線と都道307号線などで、7本の道路が集中する、“七差路”、“七辻”となっている。 環七がオーバーパスになっており、道路幅も広いので、この場所を通った人でも、ここが“七差路”であることに気づきにくい。、、、、疑い深い人は地図で調べて、現地に行って!

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・・・・・・・・・・・・この大谷田交差点の一角に、高さ26mの「銀河の塔」がある。 葛西用水親水水路完成を祈念して、平成8年(1996)に建てられたシンボルタワーであり、交差点を挟み東和4丁目と大谷田1丁目を結ぶ歩行者・自転車用の地下道の出入口を兼ねている。 塔の中程まで階段で登ることができるが、登る人を見ることはなかった!

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● 大谷田交差点で環七通りからはずれ都道を東に歩く。 中川に架かる「飯塚橋」を渡る。 飯塚橋は東岸の葛飾区南水元2と、西岸の足立区大谷田1・中川5を結び架けられた。(両区を結び人・車が通れる唯一の橋である)、、、、橋長:303.0m 幅員:20.2m 形式:鋼箱桁、鋼鈑桁 開通:平成4年(1992)、、、、江戸時代よりここには、両岸を結ぶ渡し舟「飯塚の渡し」があった。 近隣地域では中川両岸を結ぶ唯一の連絡交通手段として重宝されたが、夜間は運行されず、時に急患を対岸の病院へ搬送するために特別に出されることもあった。 昭和30年(1955)に旧飯塚橋が架橋されたため廃止された。(現橋は二代目)

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・・・・・・・・・・・・橋の先(葛飾区)には葛飾清掃工場の煙突が見える

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・・・・・・・・・・・・橋から上流側を眺める。 右に葛飾区、左に足立区、目ぼしい建物は何もない!

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● 葛飾区に入り、中川の土手沿いに南下し、金町駅方面に向かうと、比較的新しい神社がある。 これぞ、葛飾区南水元の「富士神社」(飯塚富士)である。 神社は、木花咲耶姫命を祭神として、正慶元年壬申(1332)6月創建といわれ、江戸時代には旧飯塚村(現在の、水元、南水元、西水元、水元公園あたり)の鎮守だった。 2010年代(平成)に整備工事が行われ、社殿や富士塚は一新された。 、、、、高さ約20m、東西径約22mの富士塚は拝殿の裏にある浅間山の上に、さ らに盛土をして築かれ、まるで古墳である。 立派だ!

・・・・・・・・・・・・中川の土手上から見る富士神社

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・・・・・・・・・・・・広々とした境内に富士神社はある、、、、飯塚富士は登山禁止!

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● 中川沿いに歩き常磐線線路の手前(旧三菱製紙工場跡地)に「東京理科大学 葛飾キャンパス」がある。 理科大の神楽坂キャンパスが手狭になってきたため葛飾キャンパスが計画され、平成25年(2013)竣工した。 キャンパスは周囲を「葛飾にいじゅくみらい公園」に囲まれ、公園とキャンパスの敷地境界には何もなく、まさに公園と一体となって、地域に開かれたキャンパスとなっている。、、、、今日は、公園の芝生を歩かず、キャンパス内を歩き抜けた!

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● 理科大から徒歩10分、JR金町駅北口に到着。、、、、広い駅前ロータリー、その奥には高度成長期の公団住宅、高架下には南北通り抜け通路、通路に沿って券売機が並び改札がある、なんだか見るもの全てに“昭和”の香り。、、、、私の住む浅草橋と同様で、駅ビル・駅ナカのない駅。 今時の都心の駅とは思えない!

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2021年9月11日 (土)

環七北通り

都内の新型コロナ感染者数は確実に減少してきた。 いよいよパンデミックの終息かと、安易に考え、気も緩み、今日も内緒でチョックラ散歩。

今日は4日前(9/7)の続きで、つくばエキスプレスの六町駅から、直線距離で1.5km程の東京メトロ千代田線北綾瀬駅まで、1万歩の散歩。




● まずは、つくばエキスプレス「六町駅」で下車。、、、、浅草橋の我が家から隣駅の秋葉原までは徒歩15分、つくばエキスレスの普通で秋葉原~六町は16分、約30分強で六町駅前に立つことができる。 速い!

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● 六町駅から南東へ約250m、足立区六町1丁目、住宅地の一角に、平成21年(2009)に区画整理事業で新築されたきれいな「六町神社」(創建年代不詳)がある。、、、、六町はもと東京府南足立郡淵江村大字六月および、竹ノ塚神社の飛地であったため、住民は遠く本村の氏神である八幡神社および、竹ノ塚神社の二社に参拝していた。 また六町には在来より足立区六町の清水家の邸内社である三峰神社を崇拝してきた。 昭和8年(1933)、初期都市計画により、六町として町が独立し、これを機会に六月町の八幡神社、竹ノ塚町の竹塚神社の御分霊を清水家の三峰神社に合祀し六町神社とした。 祭神は、天照皇大御神、誉田別命、伊邪那岐命、伊邪那美。、、、、平成の区画整理では、神社も700m程移動し新しくなるため、地元では大事な場所、遷座して規模が縮小しないようにと土地を寄付し合い、境内は以前の倍以上の174坪になったそうだ。 草木は社殿後ろに雑草しかなく、チョイト趣に欠ける!

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・・・・・・・・・・・・境内には、寛政5年(1793)と刻まれている庚申塔や、綾瀬川の新加平橋上流で発見された地蔵の頭などがある。 道標もある。

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● 六町神社の南側に「環七北通り」がある。、、、、“環七北通り”とは、前回(9/7)の散歩で西新井から六町まで歩いた道だ! この道路は、六町駅の手前で区画整理事業にぶつかり、途切れていたのだ。 環七北通りは、つくばエキスプレスの東側では、六町駅から綾瀬川を越えて中川の手前(足立区大谷田)まで延びている。、、、、綾瀬川に架かる「六町加平橋」を挟む六町1丁目(つくばエクスプレス六町駅付近)から加平2丁目までは、今年の3月22日(月)に開通したそうだ。 まだ、出来立てのほやほや道路。、、、、なお、六町加平橋(長さ50m、幅16m)そのものは 平成24年(2012)に部分開通していた。

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・・・・・・・・・・・・環七北通りを東へ向かうと、東京メトロ綾瀬車両基地(千代田線の車両基地)にぶつかる。 環七北通りは、車両基地手前で地下に潜り、「加平谷中トンネル」で車両基地を横断する。、、、、加平谷中トンネルは、着工後8年経過した平成20年(2008)12月、総工費120億円をかけて開通した。 上層が歩行者と自転車、下層が車道の二層式トンネル。、、、、歩行者・自転車の地下歩道部分は幅が広く、きれいで、チョイト驚いた! これなら、女性の一人歩きも多少安心できるかも?

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● 加平谷中トンネルの上は「東京メトロ 綾瀬車両基地」、私の興味はトンネルから車両基地に移る。、、、、千代田線車両を見ようと基地の周りを歩いてみたが、最近何かと“撮り鉄”が悪さをしているので、ガードが厳しく車両を間近に見ることができない、残念!、、、、遠くからフェンス越しに、民家の庭を通して、警備員の目を盗み、なんとか車両を見たい一心で努力する!(以前は見えたのに!)

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・・・・・・・・・・・・北綾瀬駅と車両基地を結ぶ線路上に歩行者専用の跨線橋がある、ここから基地を眺めるが、多くの車両は只今営業運転中で出払っている。 チョイト寂しい基地風景!、、、、オゥ~、千代田線に乗り入れてる小田急の車両が見えた!

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● ここまで来たら、「北綾瀬駅」から帰ろう!、、、、北綾瀬駅(昭和54年(1979)12月20日開業)は、環七通りの南側に設置された単式ホーム1面1線の高架駅。 ホームは西側の線路に取り付けて設置されている、以前は3両編成のみ停車できる長さであったが、平成31年(2019)に10両編成の列車が停車できるように改良された。 

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2021年9月 7日 (火)

西新井から1万4千歩

連日雨天であったが、今朝は快晴、秋晴れか(?) また、東京のコロナ感染者数は1000人を割った。 これでは気持ちも緩み『少しぐらい散歩してもいいだろう!』 今日は、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅から、東に向かって、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万4千歩の散歩。



● 日暮里舎人ライナー「西新井大師西駅」で下車する。 『さて、東西南北どちらへ歩くか?』 駅前で地図(iPad)を取り出し作戦タイム。 熟慮の上の結論は、駅から東へ向かって歩き、西新井大師、国土安寧寺に立ち寄って、六町駅を目指すことにした。 約6㎞の行程となりそうだ!

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● 西新井大師西駅から東に裏通りを約20分歩くと厄除け祈願の「西新井大師」がある。、、、、駅名のごとく、西新井大師から“はるか西”に位置する西新井大師西駅。

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・・・・・・・・・・・・真言宗豊山派の寺院「西新井大師にお立ち寄り。 西新井大師は通称で、正式には、山号を五智山と称し、寺名は詳しくは五智山遍照院總持寺と称する。、、、、空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826年)に寺院を建立したことに始まるとされる。 江戸時代中期に建立された本堂は昭和41年(1966年)火災により焼失した。、、、、今年に入り2回目の参拝で、今日は山門から入り、本堂で手を合わせ、本堂裏から境内を出た!

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● 西新井大師の北側に「環七北通り」(環七通りの北側に平行する通り)がある。 この通りを東に向かって歩くと目指すつくばエキスプレスの六町駅がある。、、、、足立区栗原の町は、町の中央を南北に走る「尾竹橋通り」と、平行して走る東武伊勢崎線により、東西に分断され、交通が遮断されてきた。 足立区では昭和60年(1985)から平成3年(1991)にかけ、総延長380m、トンネル部160m、総工費36億円で尾竹橋通りと東武伊勢崎線の下を抜けるトンネルを造り、東西をつないだ。 これが「栗原立体交差」である。、、、、立体交差と言っても、伊勢崎線は地上を走り、環七北通りがトンネルで尾竹橋通りと伊勢崎線の下を抜ける。 また、自転車と歩行者は伊勢崎線際の斜路・階段で地下道を抜ける。、、、、約30年前に造られた立体交差は交通量も増え、栗原の町の東西一体化に貢献したようだ!

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● 伊勢崎線の東側にはURの栗原団地が広がり、その先(足立区栗原2)に、栗原村の鎮守社であった「栗原氷川神社」がある。 栗原氷川神社の創建年代は不詳だが、天正2年(1574)に再建されたそうだ。、、、、広々とした境内に黒松の高木が伸び、海辺に佇む神社に来たようだ!

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● 再び環七北通りに戻り、足立区島根4丁目の日蓮宗寺院「天下長久山国土安穏寺(こくどあんのんじ) 」に寄って行く。 創建は、応永17年(1410)、開基は、千葉太郎満胤(室町時代の武将、千葉氏14代当主)である。 当初は、長久山妙覚寺と称した。 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 これより寺は、葵紋の使用を許された。、、、、現在の諸堂宇は、明和年間(1764~1772)に建てられた鐘楼を除き、昭和以降の造営である。、、、、写真は順に、徳川将軍が入山する際に通る御成門(現在は将軍もいないので、開かずの門) 次は、朱塗りの仁王門と、木々に囲まれた本堂。 本堂前の将軍徳川家光お手植えの松

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● 再度、環七北通りに戻り、東へ歩く。

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・・・・・・・・・・・・環七北通りは旧日光街道を横切る。 電柱に「旧日光街道」と書かれている。、、、、よく見るとその下に、荒川が氾濫したとき、この地点の想定浸水深さは最大3.0mと記されていた。 これじゃ、荒川が氾濫したら足立区全滅かも? 恐ろしや!

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・・・・・・・・・・・・続いて、現在の日光街道(=国道4号)との交差点。

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・・・・・・・・・・・・環七北通りは足立区六町2丁目から東側は工事中、、、この先600m程で六町駅

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● 「六町(ろくちょう)駅」に着いた! 久しぶりに1万4000歩も歩き、足は疲れた! つくばエキスプレスで帰る。、、、、【六町の謂れ】江戸時代には、保木間村・竹塚村・六月村・花畑村の4ヶ村の飛地が入り組んでいた。昭和11年(1936六つの飛地をあわせた町域を1町とし、六月村の字を以て町名とした。 嘘か真か(?)

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● 今日の東京のコロナ感染者は1629人、16日連続で前の週の同じ曜日の日を下回った。 本格的に減少することを期待して、私も
明日から、再び自粛します。 ゴメン!

2021年8月12日 (木)

新神谷橋にリベンジ

今朝6時の天気予報で東京の“最高気温”は29℃と表示。 アレ、“現在の気温”の間違いでは? 早速、外に出てみると、なんと爽やかな風が吹いている。 コリャ、秋風か? 再び、TVで他チャンネルに切り替えて天気予報を確認すると、間違いなく東京の最高気温は29℃と表示されていた。 空模様は、午前中は曇り、午後は雨。、、、、ヨシ、これは散歩のチャンスだ! 今日は熱中症の心配なし、コロナだけ心配すればヨシ、妻に一言『これから散歩してくる!』

今日の散歩は、前々回のリベンジで、東十条駅からおおむね環七通りに沿って北東に向かい、新神谷橋を渡り足立区に入り、引き続き鹿浜橋を渡り荒川を越えて、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅まで、1万2千歩の歩き。




● 朝7時半、JR東十条駅で下車し、まずは、環七通りに出て新神谷橋を目指す。

・・・・・・・・・・・・東十条駅北口から歩き始める。、、、、駅を出ると、一応心配なので、空を仰ぎ『雨よ降るなよ!』 

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・・・・・・・・・・・・駅から「環七通り」(=都道318号)までは300m程。、、、、「環七通り」は浅草橋の我が家を中心に(?)、半径10㎞の円を描くように、東京都大田区平和島を基点に、目黒区、世田谷区、杉並区、練馬区、北区、足立区、葛飾区と巡り、江戸川区臨海町に至る都道。 冗談でなく本当に、我が家を中心にして環七のいずれの地点も10㎞程、散歩には調度良い距離にあり、このブログ「雅万歩」には度々登場する道路である。 今日も、この道路沿いに歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・東十条駅から10分程歩くと、環七通りに面し「飯田産婦人科医院」の建物がある。 昭和レトロ感たっぷりの木造2階建ての建物。 今の時代、出産はシャレたクリニックか病院が大半だろうと思うが、昭和の時代までは、家に産婆を呼んで出産か、町の産婦人科で分娩したものだ。 その、昭和の雰囲気を残す産婦人科医院の一つがここ「飯田産婦人科医院」 私はこの医院に世話になることはないが、聞いた話では、内部も昭和の雰囲気を残しているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・前々回(8/7)の散歩では、あまりの暑さで熱中症が怖く、ここより先へ歩くことを断念した、宮堀交差点の「神谷陸橋」に来た。 今日はこの先:新神谷橋、鹿浜橋を目指し歩く。

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● 神谷陸橋の先には「新神谷橋」が続く。 新神谷橋は隅田川に架かり、北区神谷と足立区新田を結ぶ。 岩淵水門の管理橋を別とすれば、隅田川最上流の橋である。、、、、もともと「宮堀の渡し」があった処である。 現在の位置より100mほど下流側の神谷堀に昭和2年(1927)に木鉄混交の橋として架けられた「神谷橋」があり、のち昭和25年(1950)に鋼桁橋として改架された。 新しく隅田川に架けることとなった当橋はこの名称にちなむ。 昭和52年(1977)に神谷堀が埋め立てられ廃橋となったことから、現在は神谷橋は現存しない。、、、、  昭和40年(1965)2月12日の創架当初は仮開通状態で、片側1車線の幅員10.5mであったが、昭和42年(1967)2月にはすぐに追加の拡幅工事が行われ、現在の幅員となった。、、、、現橋は、橋長 153.1m、幅員 20.0m、プレートガーダー橋。、、、、橋の両側とも、歩行者が渡るためには急な階段を上る必要があり、年寄りにはキツイ! もう少し歩行者に優しい橋にしてもらいたいね。

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● 新神谷橋を渡り足立区側に入ると、橋の下におりる階段がある。 下りると北側に小さな寺「妙喜庵」(日蓮宗、天明年間(1781~1789)の創建)がある。 寺の入り口脇に「新田小学校発祥の地」と彫られた黒御影石の碑が建っている。  明治16年(1927) ここ妙喜庵に鹿浜小学校の分校が開設された。 鹿浜と新田は荒川を挟み対岸の町であるが、同じ足立区内の町である。 明治時代にはまだ荒川はなく地続きの町であった。 (荒川放水路〔=現在の荒川〕が完成したのは昭和5年)  鹿浜小学校の分校は、昭和23年(1948)に独立し「新田小学校」となった。、、、、なんといっても、小さな寺(平屋の住宅風)で、ここが発祥地とは驚き、桃の木、山椒の木!

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● 環七通りを鹿浜橋に向かい歩く。 鹿浜橋を渡るため、荒川土手に上る手前に、「都営新田一丁目アパート」がある。 この団地は昭和44年(1969)に建てられ半世紀が過ぎた。 12号棟(約590戸)あったうちの5棟は解体済で、跡地には14階建てと9階建ての2棟の住宅(約420戸)が建てられるそうだ。、、、、ところで、この建て替え工事は荒川堤防を高規格堤防にする事業の一つで、現在アパートが建つ敷地をかさ上げし現堤防と一体化し、補強・強化した後、その上に建てるそうだ。 荒川堤防の高規格化は、荒川の氾濫による東京下町の浸水を防ぐ目的で、練馬区あたりから江戸川区まで荒川の両側の堤防について改良・強化がすすめられている。、、、、今日は、まだ取り壊されず残っている棟を見てきた。、、、、住んでいるのは、お年寄りばかりか? すれ違う人は全て老人、停まっている車はデイサービスの送迎車数台と車いすの老人を乗せるタクシー。 公園には人影はなし!

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● 「鹿浜橋」は荒川に架かり、環七通りを通す橋。 南岸の足立区新田と北岸の足立区鹿浜を結ぶ。 昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.3m。、、、、橋から見る上流側には、川口の町が一望でき、眺めは良い!

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● 日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅を目指し、環七通り(都道318号)をひたすら東へ歩く。

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● 西新井大師西駅に近づいてきた、チョイト北側に入ると、都営 上沼田第3アパート」、「UR 江北六丁目団地」、「西新井大師西駅」と連続する。 団地内を失礼して駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・昭和40年代後半に建てられた「都営 上沼田第3アパート」(604戸)は、50年以上経過したため、都は段階的に建て替えることとなり、現在は建て替え工事が進められている。、、、、団地の案内板は赤錆て見えない! 店舗は全てシャッターが下りてる、廃業か?空き店舗か?

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・・・・・・・・・・・・「UR 江北六丁目団地」は昭和46年(1971)に完成した、総戸数 860戸の旧住宅公団の団地。 現在は日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅の真ん前に位置し、便利この上なし!

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・・・・・・・・・・・・日暮里舎人ライナー「西新井大師駅」、、、、その名のごとく西新井大師(総持寺)の最寄り駅と思いきや、駅から寺までは約1㎞、徒歩15分は要する。 参拝時に、失敗しないように、要注意!

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2021年4月21日 (水)

谷塚の寺社

連日の晴天で、気分はコロナを忘れそう。 今日は東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅:谷塚駅から歩くことにした。 谷塚駅から伊勢崎線の西側を南下し、谷塚橋を渡り足立区に入る。 足立区入ると伊勢崎線の東側に建ち並ぶ都営竹の塚7丁目アパートを抜けて竹ノ塚駅まで歩いた。 1万1千歩




● 東武伊勢崎線で最も東京寄りの駅が谷塚駅である。 「谷塚」は“たにづか”とは読まず、“やつか”と読む。 所在地は埼玉県草加市で、浅草から所要30分と近い、もちろん駅周辺には、マンション、アパート、住宅などが並ぶ、東京のベッドタウンであるが、知名度は低い。 都会の人間を呼び込むような施設は何もない駅! 東口側は駅前ロータリーがあるが、西口側は広い空き地となっている。、、、、駅は大正14年(1925)10月1日に開業。

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● 谷塚駅から南西へ500m程、住宅地の中に真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 宝持院は、江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚地区の方々の菩提寺として、宝灯を守っている。 本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した御丈八尺有余の金色に輝く大観音さま。 現本堂は、平成4年(1992)に建てられた。、、、、緑豊かな境内には四季折々の花が咲くそうだ。 今はツツジ。

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● 宝持院から国道4号(日光街道)を越えると「谷塚氷川神社」がある。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代の創建と思われる。

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● 谷塚仲町を流れる辰井川に朱塗りの氷川橋がある。 氷川橋は「草加八景」に選ばれた「辰井川十橋」のうちの1つ(隅田川十三橋は知ってるが、辰井川十橋なんて知らないね!)、、、、橋の際には小さな社の氷川神社がある

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● 氷川橋の際には寺もある、その名は曹洞宗寺院の「中野山常福寺」、、、、常福寺は、心應祖傳和尚(天正19年寂)が開山となり天正7年(1579)に創建した。、、、、参道の脇には、彫りの深いスバラシイ庚申塔(天文8年(1539)の銘あり)が2基で御出迎え。

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● 埼玉県と東京都の境を流れる毛長川を谷塚橋で越えて、寺院が軒を連ねる足立区東伊興の町に入る。、、、、伊興寺町はコチラ

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● 足立区に入り、伊勢崎線の東側にまわると、都営西保木間四丁目アパート、都営竹の塚七丁目アパート、都営竹の塚アパート、竹の塚第3団地など、都営住宅・旧公団住宅が線路沿いに竹ノ塚駅まで続く!、、、、昭和40年代は憧れの集合住宅だった。 そんな住宅も今は老朽化し、アチラコチラで建て替えラッシュ。

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竹ノ塚駅東口に着いた、高架化工事が終わるまでは仮駅舎。

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2021年4月15日 (木)

七曲がり

“まん延防止等重点措置”が適用され、ますます散歩に出づらくなってきた。 高齢者はワクチン接種するまで家に引っ込んでいればいいのかも、でもそんな巷の風潮に流されず、今日も散歩を決行! 浅草橋から押上経由で東武伊勢崎線に乗り、車中で『どこで降りようか?』の思案橋! 県を跨ぐ移動はひかえ、埼玉県の手前、足立区の北の端「竹ノ塚駅」で下車した。 駅からは気ままに歩いて、西新井大師に到着。 1万歩の散歩です。、、、、竹ノ塚駅、実相院、若宮八幡宮はコチラを見て!




● 押上で東武伊勢崎線の急行に乗り、西新井で普通に乗り換え竹ノ塚駅で下車。 自分が乗ってきた下り電車は空き空き、ホーム向かい側の上り電車は混み混み、詰め込み。

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・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅は明治33年(1900)3月21日に開業した。 開業後、100年超経過し、現在は“開かずの踏切”解消に向け、高架化工事の真最中。 地上の仮設ホームに立つと、まだ完成していないが、隣りに高架のホームが見える。

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・・・・・・・・・・・・仮の地上ホームから地下に降りると改札がある。 地下から、地上に出ると高架橋の前。

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● 駅の南側には「赤山街道」と呼ばれるバス通りがある。 この通りを北西へ歩くと足立区舎人方面に向かうことになる。 『ヨシ、今日はこの道を歩いてみよう!』と決めた。 開かずの踏切から赤山街道を300m程歩くと「尾竹橋通り」との交差点。
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・・・・・・・・・・・・「尾竹橋通り」との交差点から20m程先に「七曲がり」と表示された裏道があった。 道幅の広い赤山街道よりも、裏道の七曲がりの方が面白そうだ、歩く道を急遽変更、七曲がりを歩くことにした。(後に調べたところ、「七曲がり」は足立区伊興4-1から足立区栗原3-10までの、細く曲がりくねった道路で、このように命名されたそうだ。)、、、、しばらく歩いたが、期待した七ヵ所の“曲がり”らしき“曲がり”がなく、ゴク普通の道で期待ハズレ!

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・・・・・・・・・・・・途中の伊興3に「六万部経塚」がある。、、、、 六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来となっている。 この塚の南東にある寿福山長勝寺の和尚が宝永2年(1705)に平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたと云われている。 写真右側の古い小さな石柱が宝永2年の経塚碑。

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・・・・・・・・・・・・七曲がりは、真言宗豊山派寺院の実相院(足立区伊興4)の前に出た!、、、、2年ほど前に来た寺だ! 山門前の仁王の石像が印象的で、忘れられない!

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・・・・・・・・・・・・実相院山門横の電柱には七曲がりの表示を見ることができたが、この先は見つけることができず、七曲がりの踏破はアキラメタ! ここまで!!

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● 七曲がりを見失い、細い裏道、名もなき道を西新井方向に歩く。 

・・・・・・・・・・・・こんな処に! 細い道を入った奥に、全戸数50戸程の小さな「都営伊興二丁目アパート」があった。 昭和60年代の建物らしい。

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・・・・・・・・・・・・道なりに歩いて行くと、『ここ、以前に来た、若宮八幡宮』 広い境内と、松、イチョウなどの大木が特徴的だ!

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・・・・・・・・・・・・さらに道なりに歩くと、真言宗豊山派寺院の「源正寺」があった。 源正寺の創建年代は不詳だが、かつて『延徳三年(1491)辛亥六月三日相阿弥陀佛』と刻した古碑があったそうで、鎌倉時代に時宗玄性寺として創建されたらしい。

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・・・・・・・・・・・・源正寺の先にはURの「フレール西新井中央公園」団地がある。 URは公団住宅をドンドン建替え、団地名もマンション風に命名され、懐かしい『戦後の団地』が消えていく。 戦後70年超、時代は変わって行く。

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・・・・・・・・・・・・行く手の先に、大きな瓦葺きの屋根が見えた。 『あれは、お大師、総持寺さまだ!』 なんと、西新井大師の裏手に出てきた。

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・・・・・・・・・・・・後の調べで判ったことだが、「七曲がり」は実相院の前から直角に折れて、西新井大師の東側に伸びていた。 私は、実相院から七曲がりの西側150m程を並行して歩いていた。、、、、今度は下調べしてから、改めて「七曲がり」を踏破するぞ! 


● ここまで来たら、西新井大師にチョイト手を合わせて帰ることにした。
・・・・・・・・・・・・・・本堂の裏側から境内に入ると、「奥之院」と呼ばれる小堂がある。、、、、堂は、文化2年(1805)弘法大師が高野山奥の院をこの地に招いた、関東の高野と称され高野山の代拝所として江戸時代より現在まで参拝者が多い。 コロナの影響か(?)今日は参拝者どこにいる!
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・・・・・・・・・・・・そして、本堂
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・・・・・・・・・・・・境内には、見ごろとなった藤の花

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・・・・・・・・・・・・総檜2層銅板葺き入母屋造りの仁王門は、江戸時代初期の建物。、、、、仁王門前で草団子を買って我が家へ帰る!

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2021年4月 7日 (水)

高野から梅島へ

コロナは“第4波に突入”したと思われる。 密を避けながら、不要不急の外出は人目を誤魔化し、今日もコッソリ散歩に行ってきた。、、、、日暮里舎人ライナーの高野駅で下車し、東に向かい東武伊勢崎線梅島駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーは、荒川を越えて二駅目に高野(こうや)駅がある。 高野駅は平成20年(2008)3月30日に日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 ホームは島式1面2線構造で地上3階にある。、、、、駅名の“高野”(駅の現所在地は足立区扇2)の由来を探ってみると、現在は“高野”の地名は存在しないが、江戸時代には足立郡高野村があった。 村域は現在の江北と西新井、扇、西新井本町の各一部でおおむね現在の尾久橋通り沿いに南北に広がっていた。 明治22年(1889)に江北村大字高野となり、昭和7年(1932)の足立区成立で高野町となり、昭和51年(1976)まで町名は存在した。 今では、幻の地名となった!

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・・・・・・・・・・・・駅周辺には、「生産緑地地区」と称し、畑や空地が点在する。 日暮里からライナーで12分は通勤・通学に便利、マンション用地に最適、この辺りには億万長者の地主もいるようだ!

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● 高野駅は、足立区の南側(都心寄り)に位置するが、まだ農村の面影が残る・・・・・

・・・・・・・・・・・・尾久橋通りの裏には「成田山高野講」の祠が、畑の一画にある。 不動明王が睨みをきかす!

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・・・・・・・・・・・・付近には“レンコン畑”と思われる池のある農家が点在している。

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・・・・・・・・・・・・住宅の角には庚申塔がある。 右側は寛文10年(1670)、中央は正徳4年(1714)に造立された庚申塔。 今でも地元の人が守り祀っているのであろう。

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・・・・・・・・・・・・私の好きな裏道も、昔の畦道をそのまま舗装してしまったらしい。 曲がりくねった線形、行き止まりの道、方向感覚は狂う、私は迷路を歩いているようで楽しいのだが、よそ者には歩きづらいかも! 途中で地元の人に会うと、『この先は行き止まりだよ』と親切に教えてくれる!

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● 行きつ戻りつ、右へ左へ、しばらく歩くと興野神社(足立区興野2)の前に出た!、、、、神社は創建年代不詳。 元は八幡社として創建、その後氷川社を合祀し氷川神社になり、そして昭和15年に興野神社と改称。、、、、広い境内中央、一対の御神木の銀杏は荘厳で圧巻される。

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● 栗原3丁目で尾竹橋通りを横切り、関原通り商店街の「ひらさわ呉服店」の前に出た。 ひらさわ呉服店のペンキ塗りのトタン看板は、形がライオンのたてがみに似ていることから別名をライオン看板と言い戦後復興の証し。 今や東京都内で唯一最大級のものである。、、、、戦後の東京には、こんな看板の店がアッチコッチにあったが、いつの間にか無くなった。 ネオン管のピカピカする看板も無くなったね!

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● お帰りは、梅島駅から電車に乗って・・・・・

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2021年3月11日 (木)

中学が大学に変身!

東武伊勢崎線で乗降客の少なそうな駅へ行ってみた。 こうなると、何といっても、堀切駅である。 伊勢崎線の駅の中で、23区内で最も乗降客の少ない駅が「堀切駅」である。 今日の散歩は堀切で下車し、駅周辺の足立区千住曙町・柳原の町の裏通りを歩き回ってきた! 1万1千歩




● 浅草から東武伊勢崎線(愛称:東武スカイツリーライン)で5駅目、北千住駅の2駅手前、墨田区から足立区に足を踏み入れた処にある駅、荒川の土手にピッタリとくっついた駅。 それは、私の大好きな駅の一つでもある「堀切駅、、、、堀切駅は、明治35年(1902)4月1日の吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間開業時にできた。 当時の堀切駅は今よりやや東の、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。当時はまだ現在の荒川がなかった頃である。 その後大正12年(1923)、荒川の開削工事に伴い、堀切駅は現在の位置(足立区千住曙町)に移転した。、、、、駅名となった「堀切」は、現在の荒川と綾瀬川を挟んだ対岸の葛飾区側の地名である。 かつては地続きであったが、荒川の掘削に伴い分断された。 葛飾区堀切にある京成本線の「堀切菖蒲園駅」とは、直線で約500m離れている。、、、、堀切駅の一日の平均乗降客数は令和元年(2019)で4498人である。 

・・・・・・・・・・・・堀切駅から、荒川とそこに架かる堀切橋を眺める。 橋を渡った先に、京成電鉄の堀切菖蒲園駅がある。

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・・・・・・・・・・・・堀切駅は上下線それぞれ別に駅舎がある。 北千住方面行きは可愛らしい西口駅舎。 浅草方面行きは荒川土手にへばりついた東口駅舎

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・・・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、ホームはキツイ急カーブ上にある。

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● 堀切駅の隣り、平成19年(2007)に「東京未来大学」が開校した。 大学はこども心理学部とモチベーション行動科学部 の2部。 学生数は通学課程(1251名)と通信課程(1046名)があるそうで、堀切駅の乗降客の増加にも貢献しているようだ!、、、、校舎は、廃校となった旧足立区立第二中学校跡地と校舎を利用しているそうだ。 駅に近く、北千住、浅草へはスグ、バイトに、コンパに、便利な処?

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● 駅から西へ、細い通りを右に左に迷ったら、新義真言宗寺院の「西光院」があった。 寺は千葉山薬師寺と号し、千葉氏の庶流石出帯刀吉深が徳治2年(1307)に創建したと云われてる。 牛田薬師ととして知られているそうだ、私は知らなかった、ゴメン!、、、、現本堂は鉄筋コンクリート造。

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● 隅田川岸の千住大川端公園から見る「千住汐入大橋」と対岸の南千住の高層住宅群、、、、早咲きの桜が満開、ビューティフル!

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● 京成本線の盛土を背にして祀られている十一面観世音菩薩。 十一面観世音菩薩大呪『オンマカキャロ二キャソワカ』、、、???

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● 堀切駅の北側、北千住駅の東側、荒川岸の柳原の町。 北千住の大踏切から東に伸び、柳原の中央を貫く道は広いが、あとは狭い道が複雑に伸び迷路のようだ!、、、、シャッターの下りた商店が多い中、大人用の紙おむつ、トイレットペーパー、ティシュを売る店だけは繁盛しているようだ! 住人の必需品?

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2021年2月20日 (土)

“3密”を避けて

今日も早朝の空いた電車に乗り、JR京浜東北線の東十条駅で下車した。 東十条駅から、ほぼ東に歩き、豊島五丁目団地、豊島橋、江北橋を通り、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、“3密”を避けて、1万3千歩の散歩です。




● 京浜東北線の36駅中、上中里駅、新子安駅と共に、一日平均乗車人員数の“ワースト3”(約24,000人)を誇る「東十条駅」は、ホームに立っても人影は少なく静かである。 改札口は約200mのホームの両端橋上駅舎に北口・南口があるが、トイレは北口のみ。 車中で尿意を感じ、東十条駅で飛び降り改札口近くのトイレを探すとも、ここは南口、『せっかくのお越し残念ですが、ホームの反対側:北口に行ってください!』と云われ、真っ青、冷や汗ドビュー、我慢は限界に達し、パンツを濡らすことがなきように注意・注意!、、、、東十条駅は2つの島式ホームで中線1本を挟む2面3線の地上駅。 中線である2番線と3番線の線路は上下線共用となっている。、、、、昭和6年(1931)8月1日、赤羽駅まで京浜線(京浜東北線の前身)が延長された際に下十条駅として開業。 昭和32年(1952)4月1日、町名変更により東十条駅に改称。、、、、今日は南口から出た!

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● 東十条駅南口前に架かる「十条跨線橋」は、以前、東北本線の荒川橋梁として架けられていた橋の一部を昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したものである。 現在、跨線橋は車道専用となり、挟むように左右に跨線人道橋が架かっている。 古さを強調するように、塗装のひび割れから赤さびが浮き出て痛々しい姿の橋。、、、、橋は 明治28年(1895)にイギリスのCOCHRANE社で製作された、ポニーワーレントラス橋と呼ぶ形式である。 平成21年(2009)の北区の長寿命化修繕計画における調査では、強度不足などの問題点があり、架け替え対象となった。 また、日本の鉄道遺産としては貴重な橋で、国宝級(私が勝手に推奨)と思われる。 早く、適切な保存策を講じて欲しいものだ!

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● 東十条駅から東に向かい歩く・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・駅から400m程歩くと、かつてJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に出る。 駅跡は、18階建て(864戸)の大きなマンションに変わってしまった。 このマンションはJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に建てられたものだ。、、、、北王子駅は日本製紙の紙の輸送を行う専用駅であったが、平成26年(2014)7月1日に廃止となった。 かつては、日通の機関車が入れ替え作業をしていた。 その作業をフェンス越しにジーッと見ていたのを思い出す。(2枚の写真は平成23年撮影)

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・・・・・・・・・・・・さらに東へ歩き、北本通りの「東京消防庁 王子消防署」の前に出る。、、、、地元のランドマークとして、昭和レトロな雰囲気をデザインしたような建物。 バブルの時代の建物である。、、、、古いようで新しい建物も、築20年程経過したようだ!

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・・・・・・・・・・・・消防署の裏(東側)の道を歩くと、意外にも大きな建物・施設が地続きで並んでいる。「都営 王子三丁目アパート」、「都立飛鳥高等学校」、「王子郵便局」など。 この他にも、駿台学園・中高等学校、北区立明桜中学校、北区立豊川小学校などがある。

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・・・・・・・・・・・・「豊島中央通り商店街」に出てきた。 アーケードのある大きな商店街だが、時刻は午前9時、まだ営業前で、大半はシャッターが下りている。 この時刻なら、“3密”は心配なさそうだ!、、、、サンバパレード、七夕まつり、年末の大売り出しなど、季節に合わせ行事が計画されている、賑やかそうな商店街だ!

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● 商店街の先には豊島五丁目団地」がある。 団地の先の隅田川は、「豊島橋」で渡り、さらにその先には、荒川を越える「江北橋」がある。 この辺りは、私の散歩ではおなじみの処。
・・・・・・・・・・・・団地を囲み、隅田川が大きく曲がる処にある豊島五丁目団地。 昭和47年(1972)より建設整備された、総戸数5000戸程の大規模団地である。、、、、天気が良いので、いっせいに布団干し!

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・・・・・・・・・・・・団地の端から「豊島橋」を渡り、足立区に入る。 

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・・・・・・・・・・・・豊島橋から300m程歩くと、江北橋で荒川を渡る。、、、、風は爽やか、春の陽気、桜の開花も早そうだ!

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● 江北橋から日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」までは約800m、近い!、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2021年2月14日 (日)

トマトケチャップの公園?

昨夜、既に眠りに入り、これから竜宮城の夢でもみようかという時であった。 長時間、大きな揺れの地震を体感し、東日本大震災の恐怖を思い出させるものであった。 全国的には、大火・津波の発生はなく、死者も出ていないようだ。、、、、都心の我が家では、私のベッドの横、細長い箱に入ったE231系総武線のプラレールが棚から落下、電車前面が破損した。 孫のおもちゃに重大事故発生である。

夜中地震情報を見続けチョイト眠いが、朝から散歩に出た。 乗降客の少なそうな東武伊勢崎線の梅島駅から、つくばエキスプレスの六町駅まで裏道を歩いてきた。 1万歩




● 北千住駅から3駅目、「梅島駅」で下車する。、、、、梅島駅は大正13年(1924)10月1日に小菅・五反野両駅と同時に追加開業した、、、、ホームは高架島式1面2線構造だが、やや特殊な形態のホームである。 幅の狭い細長い島式ホームで、中央に改札階と結ぶエレベーター/階段などがあり、そこを境にして、北千住側には上り、西新井側には下りが停車する。 停車するのは全て普通列車、優等列車は複々線の外側を走り去る。 改札口は高架下に1ヵ所のみで、駅前は旧日光街道である。、、、、駅名の「梅島」は、明治22年(1889)に“梅”田村・“島”根村などが合併した時に、誕生した“梅島”村に因む。

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● 駅前の旧日光街道を北へ50m程行くと、「梅島天満宮 入口」と看板が出て居る。 細い道だが、“天満宮”の文字につられ、チョッピリ期待して進むと、線路の高架下脇に小さな社が見えた。 薄暗い場所、小さな社、期待を裏切られ寂しくなる。、、、、梅島天満宮は、足立区梅島にある神社で、昭和23年(1948)筑紫太宰府天満宮より分霊遷宮して、梅島町会の鎮守神として梅島公園(梅島小学校地)に創建、昭和41年(1966)当地に移転した。、、、、小さいながらもオラが町の鎮守様、アリガタヤ! 何だか騙された感じ!

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● 旧日光街道から東へ向かうと、トマトケチャップの会社が寄贈したと間違えるような「ベルモント公園」がある。、、、、足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして、平成5年(1993)に開園した洋風の区立公園。 美しい花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントのほか、ユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などが植えられている。、、、、トマトケチャップの会社は「デルモンテ」で公園とは無関係だが、似たような名前だ!

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● トマトの公園を抜けると、日光街道(=国道4号)があり、街道に面して地上14階/地下3階、延べ床面積61,968㎡の足立区庁舎が堂々と構えている。、、、、庁舎は平成8年(1996)に足立区南端の千住から区の中央に位置する足立区中央本町へ移転した。、、、、庁舎のある「中央本町」の町名は昭和41年(1966)の住居表示にて、4町の寄合い所帯として命名された。 寄合い所帯の命名では、意見も喧々諤々、まとまらず、区の中央に位置する町として、チョイトダサいが『中央』と『本町』を合成した名で手打ちとなったそうだ。

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● 足立区中央本町の裏道を歩き、「都営中央本町五丁目アパート」の中を抜け、環七通りを横断する。、、、、戦後の下町だ!

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● 六町2丁目に来ると、何らや広大な区画が更地になっている。 更地の前のバス停名は「都営住宅」。 更地の隣りも更地、さらに隣りも更地。 只今は、区画整理事業と云う名目らしい。 いずれ、大型商業施設とか、タワーマンションができるのか?

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● つくばエキスプレスの六町駅(ろくちょうえき)から帰ることにした。、、、、駅は平成17年(2005)8月24日に開業した。 六町は、秋葉原を起点として7番目の駅に位置し、東京都内最北の地下駅である。 駅部は三層構造で、ホームは島式1面2線構造で、地下3階にある。ホームと改札を結ぶエレベーター・エスカレーターも完備。 改札口は1ヶ所のみで地下1階にある。

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