足立区

2020年1月20日 (月)

足立区の下町

草加あたりで降りるつもりで、押上で久喜行きの準急に乗る。 電車は、乗客全員がチョウド座れる程度で、立っている人は一人・二人ぐらい。 次の曳舟から、私の右隣りに女子高生が大きなカバンを抱きしめて座った。 電車が走り始めると、私の隣りの左手でカバンを抱いて、あいている右手でカバンの中をゴソゴソ。 カバンの中の右手が私の腰のあたりに伸びて来てゴソゴソ、アリャ、女子高生の痴漢か?、被害者は私、70を超えた親爺か?。 大きなカバンの中、隅の方の何かを探しているようだ、痴漢ではなかった、チョッピリ残念! カバンから丸い手鏡を取り出した、再びゴソゴソ。 次に、カバンから手が出た瞬間、ピンクの丸いケースが床に落ち、コロコロ。 女子高生は慌てて立つが大きなカバンが邪魔で動作が鈍い。 電車はゴトゴト、ケースはコロコロ、空いてる電車の中を、ケースがアッチへ、コッチへ、女子高生は追っかける。 ドアの隅でやっと拾い上げた。 席へ戻った女子高生、今度はペンシルのようなものをだし、化粧を始める。 隣に座る親爺はイライラ、何処で降りるか集中して考えられず、頭にきて北千住で降りてしまった。 親爺は、普通電車に乗り換え、今日は“2”0日なので、北千住から“2”駅目の五反野駅で下車した。

東武伊勢崎線の五反野駅から、常磐線の綾瀬駅前をとおり、京成本線の堀切菖蒲園駅まで、今日は1万2千歩の散歩。




●テキトウに東へ! ・・・・・・・・テキトウに五反野駅で降りた! 『さて、東西南北、右左、いずれに行こうか?』 チョイト考え、これまであまり歩いていない、東へ向かうことにした。 “東”と言っても、テキトウで、大雑把に言えば綾瀬方面に向かうことにした。

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●戦後の下町! ・・・・・・・・駅の東側「西綾瀬」(足立区)の町は、戦後の下町という感じ、町は区画整理されておらず、道はクネクネ、トタン張りの建物がポツポツ残る、アパートが立ち並ぶ、ヨタヨタ歩いているのは爺さん婆さん、ママチャリで脇をすり抜けていくのは若いママ、狭い道に車が入ってくるゴミ収集車とデイサービスの送迎車。

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●屋根のカーブがいいね! ・・・・・・・西綾瀬3丁目に新義真言宗の長性寺がある。 真光山荘厳院と号し、寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。、、、、本堂の素朴な感じがいいね! 境内は約1000坪あるそうだ。、、、、ご近所の方か(?)、境内の石仏に花を供えていた。 

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●長~い水路! ・・・・・・・長性寺の東側、綾瀬川に「五兵衛新橋」が架かっている。 五兵衛橋の名は、江戸時代の初め、武蔵国入間郡金子村(現:埼玉県入間市)からこの地に転入し、この付近を開拓した金子五兵衛に由来する。 付近一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。 寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断されたので、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置された。これが初代の五兵衛橋。 その後、橋は何度か架け替えられた。 昭和に入ると綾瀬川の護岸も整備され、高さも高くなってきた。 平成10年(1998)、高くなった護岸をまたぐように、歩道橋のような形状の現在の橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・橋上から南を見ると、小菅の東京拘置所の大きな建物が見える。 また、後ろにはスカイツリーもチョイト見える。

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●綾瀬の一寺一社! ・・・・・・・橋を渡ると、綾瀬の町である。 そこには綾瀬稲荷神社が鎮座する。、、、、綾瀬稲荷神社の創建年代は不詳だが、五兵衛新田の鎮守社であったと言われ、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。

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・・・・・・・・・・・・綾瀬稲荷神社と隣り合わせに、真言宗豊山派の観音寺がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建した。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作らしい。、、、、慶応4年(1868)、江戸から流山へ退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊したそうだ。

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●歩くぞ! ・・・・・・・綾瀬駅に着いたが、帰る時間にはまだ早い。 駅前の「綾瀬川通り」をまっすぐ歩けば、京成本線の堀切菖蒲園駅に行ける。 『よし、堀切菖蒲園まで歩こう!』自分に言い聞かせ歩くことにした。、、、、駅構内を素通りして行く。

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・・・・・・・・・・・・ひたすら歩いて堀切菖蒲園駅に向かう。、、、、ほぼ予定の時間内で到着、息はゼイゼイ、足はパンパン、腹はペコペコ、チョイト電車の中でひと休み。

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2020年1月16日 (木)

皿沼不動の罰が当たる?

日暮里舎人ライナーの谷在家駅から、川口市の元郷五丁目バス停まで、1万1千歩の散歩です。




●嬉しい誤算? ・・・・・・・谷在家駅(やざいけえき)は尾久橋通りの頭上にある日暮里舎人ライナーの駅。 平成20年(2008)3月30日、日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 他の駅と似た造りで、ホームは島式1面2線で3階にある。 改札口は1ヶ所のみで2階にある。 出口は道路の両側に出られるように設置されている。、、、、開業の年(2008)の当駅の一日平均乗降客数は5,061人、10年後の平成30年(2018)には10,532人と、ほぼ倍となった。 通勤・通学客も増え、既に開通以前に予想した目標の乗降客数を達成し、輸送力増強に取り組まねばならない状況らしい。 東京都交通局にとっては嬉しい誤算かも?

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●罰当たり? ・・・・・・・谷在家駅で、駅構内の周面地図を見ると、“血沼不動”の文字が目に入る。、、、、血で赤く染まったドロドロの沼の脇で、邪鬼と戦う不動明王。 そのしぐさを天から見つめる美人の観音菩薩。 私の妄想が始まり、地図の前で一人ニヤニヤ。 これはぜひとも行って見よう、“血沼不動”へ!

・・・・・・・・・・・・途中の交差点で立ち止まり、何気なく交差点名を見ると、「皿沼二丁目 Saranuma 2」と表記されている。 ガァ~~ン! “血”と“皿”の見間違い。 一気に疲れた! 回転ずしで皿を積み上げ、ニコニコして寿司を口に入れる不動明王。 私の妄想は破壊する!

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・・・・・・・・・・・・「皿沼」の地は、雅万歩にとっては初めての地である。 恥ずかしながらのカン違い、苦笑いで済ます!、、、、ところで「皿沼」の謂れは不明だが、地名用語では「さら」は、「新しい・浅い、または崖」の意、とすると「さらぬま」は「浅い沼=湿地」ということになるそうだ。 現在の足立区皿沼と西隣の足立区加賀のあたりは、19世紀半ばに成立した加々皿沼村であった。 そのむかしは加々と皿沼は別々であった。 昭和50年、新住居表示により「足立区皿沼」が誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・皿沼農協前の江北北部緑道公園にワシントンからの「里帰り桜」が植えられている。 昭和56年(1981)に植えられた。、、、、チョイ見ると、ピンクの花が咲いていた。 暖冬のせいかも?

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・・・・・・・・・・・・サクラを見て、スグありました、『血で染まった沼』のお不動さんの寺。、、、、関東三十六不動の第25番「皿沼不動」。 天台宗系単立の皿沼不動永昌院は、修験道中尾玉林院賢義の法弟明善が、慶応3年(1867)に創建した。 入口に風邪封じの観音が建ち、入って左手は墓地、都会の寺院なみに庭がなく庫裏も一緒で、チョイト手狭な鉄筋コンクリート2階建ての本堂である。 御本尊の御前立不動明王は、身丈は六尺三寸(約1.9m)、総高十二尺(約3.6m)で、日本最大欅(けやき)材の一本彫御前立不動尊である。、、、、9時ジャストに到着、寺のおばさんが扉を開けてくれて手を合わせる。 外の賽銭箱(100円投入)の位置からお不動さまを見ると、手前の天狗の面に隠れ顔が見えない。 アリャコリャ・モジモジしていると、『靴を脱いでお上がりください、前へどうぞ』の一言。 気の弱い私、只で厚意を受けるのは“男の恥”、あらためてローソクを200円で買い、灯をつけ手を合わせる。 なぜか、見られているようだ! ここで、カメラを取り出し仏の写真を撮ると罰当たりになるかも、今度は正座をしながらモジモジ・キョロキョロ。 仏壇前に暦が置いてある、手に取り中を見るふりをして、躰の位置を変えカメラを出してパチリ、撮ったー! おばさんが見てたかも? すかさず仏壇前の賽銭箱に500円硬貨を入れ、暦を手に『これ頂戴できますか?』 ニッコリ『いいですよ』 どうやらお咎めなし、こちらも笑顔で『もらって行きます』 迫力ある不動明王に別れを告げた。、、、、この記事を書いている今、まだ罰が当たっていないようだ!

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●見晴らしバツグン! ・・・・・・お不動さまの隣り町:足立区加賀にたつ、11階建ての都営住宅「足立加賀二丁目アパート」。 各戸の
面積は約60㎡(3DK)で、全485戸(7棟)の団地。 昭和53年(1978)~昭和59(1984)の建築。 スグ横に首都高川口線が走っている。、、、、新芝川、首都高川口線、舎人公園に近く、環境は良し!

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・・・・・・・・・・・・・・・チョイト首都高を上から見たくなり、10階の展望台(?)を拝借! 素晴らしい眺望である。 川口駅周辺のタワマンが見える、後ろには秩父の山も見える!

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●綺麗な川! ・・・・・・・この辺りでは新芝川が足立区と川口市のほぼ境となっている。 新芝川橋(昭和59年完成)を渡り川口市に入る。、、、、新芝川橋はその名のごとく新芝川に架かる。 新芝川は埼玉県桶川市と上尾市に発する芝川が源流で、見沼田圃を流れ、川口オートレース場の北側で芝川と新芝川に分かれる。 新芝川は足立区との境を流れ下り、芝川水門で荒川に注ぐ。、、、、近頃、どこの川も不法投棄は少なく、水質も良く、川を見ること自体に癒し効果も期待できそうだ。

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●急がなくちゃ! ・・・・・・・・・チョイトお不動さま、展望台などで時間を使いすぎた、いそぎ川口駅へ向かう。 新芝川橋よりバス通りをスタコラ歩くが、途中でギブアップ。 「元郷五丁目」からバスで川口駅に向かう。

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2019年12月27日 (金)

毛長川

日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅から歩きはじめた。 東京都足立区と埼玉県草加市の境となる一級河川:毛長川沿いに草加市側をしばらく歩き、毛長橋からは足立区に入り竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩です。




●空中で切れる軌道! ・・・・・・平成20年(2008)3月30日に開業した日暮里・舎人ライナーの軌道は、終点の見沼代親水公園駅の先で、空中に突き出したままで終わっている。 これより先は埼玉県草加市で、都交通局では『知らないよ、勝手にしたら!』で、無視・ムシ・ムシ!、、、、今年8月埼玉県知事選があり、野党系の新知事が誕生した。 新知事の公約に「あと数マイルプロジェクト」と称し、埼玉高速鉄道、日暮里・舎人ライナー、都営三田線&大江戸線、多摩都市モノレールの5つの鉄道路線を埼玉県内まで延伸して、県内の交通網をより便利にすると云う目玉公約がある。 実現性には、埼玉高速鉄道は別にして他の4路線は都の事業だから、都との合意を得ないとできない、小池知事がOKするかな? 難しいと思うね、果たしてどうなることやら?

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●生まれ変わるか毛長川! ・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側に一級河川の毛長川(けながかわ) が流れている。 毛長川は足立区と草加市の都県境を流れ、足立区花畑と埼玉県八潮市大曽根の県境付近で綾瀬川に合流し、さらに下流では中川となり東京湾に注ぐ。、、、、毛長川では、都県境となる足立区舎人4丁目付近から下流にかけて、河床掘削工事が行われている。 この工事は、洪水に備えると共に、川底の堆積物を取り除き、河川環境の改善を図るものである。 川底の泥・ヘドロはポンプで吸い上げ、川に浮かしたパイプで下流の処理施設に送っている。、、、、下流の工事を終えたところでは、川面は綺麗になり、魚も住めそうだ!
・・・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側、舎人二ツ橋付近の毛長川。 橋上には都道58号台東・川口線が通っている。、、、、ゴミの浮いていない毛長川、この光景はいつまで続く?

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・・・・・・・・・・・・ヘドロを送るパイプが浮いている。

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・・・・・・・・・・・・下流の毛長橋付近。、、、、綺麗な川!、、、、ココまで埼玉県側を歩いてきた。 ここより、毛長川から離れ、竹ノ塚駅に向かう。

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●神仏いろいろ! ・・・・・・・毛長川沿い、草加市新里町の一寺一社

・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院の泉蔵院は、御幣山阿弥陀寺と号す。 泉蔵院は、宥阿上人(応長元年1311年寂)が開創、乗秀法印(永禄2年1559年寂)が中興開山したそうだ。 本尊は不動明王。、、、、本堂、山門は平成3年(1991)に完成。

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・・・・・・・・・・・・本堂の脇に閻魔堂がある。 こちらには、平成25年(2013)に修復された閻魔大王が安置されていた。、、、、小ぶりの像で、顔は酔いの回った赤ら顔にちかい。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院には、「泉蔵院十三仏石像」と呼ばれる十三体の仏像がある。 不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、弥陀、 阿閦 、大日、虚空蔵の十三仏で、享保6年(1721)に造立された。、、、、整然と13仏が並ぶ姿は「ありがたや!」
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・・・・・・・・・・・・もう一つ、「泉蔵院六地蔵」もある。 こちらは、釈迦如来の付託をうけて、六道界の衆性を化導するといわれている地蔵菩薩が並んでいる。 六地蔵は、元禄4年(1661)の造立。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院山門の前方に、泉蔵院が別当寺であったと言われている毛長神社がある。 毛長神社の創建年代は不詳だが、舎人諏訪神社(男神)と対になって当社が女神と称されていたらしい。 御神体は女性の髪の毛である。 髪は素盞嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。 女の長い髪の毛を神体とする神社は全国的に珍しいいそうだ。(“毛長”の由来か?)、、、、“女の長い髪の毛”ならセクシー、“男の短い脛毛”ではグロテスク!

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●伊興最古の寺! ・・・・・・毛長橋を渡り足立区に入ると、伊興本町に時宗の西嶋山煎雲院應現寺がある。 應現寺の創建年代は不詳。 天台宗寺院として創建され、八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区最古の寺院でもある。 現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しい遺構。 また、天文7年(1538)の逆修板碑2基、永禄4年(1561)のもの1基、承応3年(1654)の石燈籠2基等がある。 さらに、足利時代築造の経塚が、旧寺域から発掘され出土した兜・経筒・五鈷鈴・唐宋の古銭等は、東京国立博物館に保管されている。、、、、お宝の多い寺院だ!

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●西口は裏口? ・・・・・・・竹ノ塚駅西口に到着。 今日の散歩はココまで!

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2019年12月 8日 (日)

足立の薬師寺

今日は、無数の古墳が点在し悠久の歴史を物語る、かつての武蔵国足立郡竹塚村の古刹「薬師寺」に紅葉狩りに行ってきた。 東武伊勢崎線竹ノ塚駅から、日暮里・舎人ライナー舎人公園駅まで、1万歩の散歩です。




●まだ工事は続く! ・・・・・・竹ノ塚駅は、明治33年(1900)3月21日に、当時の伊興村に開業した。 駅名は伊興村より音の響きが良い東隣:竹塚村の名を拝借。、、、、竹ノ塚駅周辺では連続立体交差事業がすすめられ、竹ノ塚駅も改良工事が行われ高架駅となる予定。 完成までにはまだまだ!

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●立派な松のある寺 ・・・・・・・薬師寺へ行く前にチョイトお立ち寄り、駅から西へ都営伊興三丁目アパートを抜けると、万治2年(1659)創建の日蓮宗寺院:寿福山長勝寺がある。、、、、本堂は瓦葺き総檜造り、境内は樹木が生い茂り、樹齢400年以上の巨松がある。 境内はさほど広くはないが綺麗な寺だ!、、、、境内には下総の国を領した豪族:千葉勝胤の墓もある。

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●本堂が見えない! ・・・・・・・もう一軒、近くの寺にお立ち寄り、伊興5丁目の日蓮宗寺院の真国寺。 真国寺は蓮栄山と号し、創建は建武2年(1335)といわれている。、、、、こちらも境内は広くないが、山門から真っ直ぐ正面にある本堂、その全景が見えないほど、松、楓など樹木に覆われている。 ちなみに、墓地にも回ってみたが、本堂の全景は拝めず、アレレ・コリャダメだ!

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・・・・・・・・・・・・・・2年前の春の真国寺

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●今が見頃、ブラボー! ・・・・・今日の散歩のハイライト、足立区伊興5の小さな寺院、曹洞宗の医王山薬師寺。 薬師寺は、肅州巌和尚が開山となり万治2年(1659)の創建。 元浅草橋場総泉寺(板橋区に移転)の末寺。開山は万治2年(1659)。 本尊の薬師如来は、眼病に効験があるそうだ。 、、、、ここは、地元の人には有名な “もみじ寺” 。 今日も、数名の夫婦が紅葉見物、二人のカップルは紅葉の前で撮影会、数名の独り者は寂しく三脚かついで紅葉撮影。 てなことで、境内はチョイトした賑わい。 住職もお出ましし、いろいろとお話をしてくれました。、、、、境内には95種の紅葉があるそうで、色も赤あり、黄あり、ミックスありとまさに彩とりどり。 住職は20年・30年かけ小さな苗木から育てているそうだ。、、、、門前に“もみじ饅頭”の売店でもあれば文句ないのだが、チョイト残念!

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●中学校に長屋門! ・・・・・・・・薬師寺の西に、足立区立伊興中学校の一画に、生徒が彰風園と名付けた屋敷林がある。、、、、中学校の校地の地主であった横山氏の屋敷林で、明治30年(1897)建造の長屋門がそのまま残されていた。 学校の中の屋敷林、ベンチで語らう二人、青春の思い出が創れそうだね!

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●舎人公園から帰る! ・・・・・・・・・薬師寺の帰りは、舎人公園駅から日暮里・舎人ライナーに乗ることにした。、、、、舎人公園(とねりこうえん)は、足立区の北西に広がる都立の総合公園。 舎人公園は昭和15年(1940)に防空緑地として、内務省の設置した都市計画にて決定した。 戦時においては都市空襲による戦災被害を軽減し、平時においては地域住民の保健・衛生に利用して体位の向上を図るために、都心から20km圏内に総面積20万-50万坪の防災緑地として東京府知事の責任の下、複数の防災緑地が設置され、その一つであった。、、、、戦後は、昭和56年の開園から順次開放された、514,000㎡の緑地公園。 最終的に695,000㎡になるが、葛飾区にある水元公園の3分の2程度の広さである。、、、、テニス、野球などのコート、グランドはもちろんあるが、広い森、大きな池などもあり、釣り、バードウォッチングなどを楽しむ人もいる。 

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・・・・・・・・・・・・・・公園の前に舎人公園駅がある、便利だね。、、、、今日の散歩は、足立区の紅葉巡りとなった!

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2019年11月20日 (水)

一二三四、五反野、六町

北風ビュ~ン・ビュ~ン、いよいよ冬が近づき散歩にも出辛くなってきた。 今日は、近場の散歩にしようと家を出たが、行く先のあてもなく、結局東武伊勢崎線五反野駅で下車。 駅前の通りを北に向かい歩き、途中でチョイト東に寄れて、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩の散歩。




●五反田は知ってる、五反野ってどこ? ・・・・・・東武伊勢崎線で北千住の次は小菅、小菅の次が五反野駅。 急行は通過する駅、準急も通過、区間準急も乗客を無視して通過、普通電車が親しみをこめのんびりと停車する駅。、、、、
大正13年(1924)10月1日に開業。 現在は島式ホーム1面2線を有する高架駅で、ホームの外側に優等列車が通過する急行線がある。、、、、チョイト知名度では五反田に負ける駅!

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・・・・・・・・・・・・・改札口は高架下の一ヵ所のみ。 

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・・・・・・・・・・・・・駅前に立ち、『さて、東西南北、右左、どっちへ歩こうか?』考えても決まらないのに考えて、ヤッパリ決まらない。 悩んだ時は『美女に従え!』と神のお告げ。 朝の通勤時間、電車に乗る人は多いが、改札から出てくる人は少なく、まして美女がいない! 条件を緩め、『女性なら誰でもいいや!』 パートのおばさん風の人が改札から出て右へ行った。 『ヨシ、自分の運命をあのおばさんに託し、自分も右へ歩こう!』 駅から右、北の方角に歩くことにした。

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●銀ブラの後はコンチクショウ! ・・・・・・駅前の商店街「五反野駅前通り銀座会」を歩いてみる。、、、、商店街は駅前から北に伸び「四家交差点」までの約600mで、50店舗程が加盟しているそうだ。 昭和45年(1970)に発足した、下町の“銀座”?、、、、早朝なので、店のシャッターは下りているが、活気のありそうな商店街だ! 北の端には銭湯もあり、熱気も感じられる。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の端は「四家交差点(よつやこうさてん)」、、、、「四家」の地名は、江戸時代この地域に住んでいた、鶴飼、市川、高橋(兄弟)さんの四家族から名付けられたそうだ。、、、、この交差点、名は“四”でも、“六”差路となっている。 駅から歩いて来た自分だが、まっすぐ先(草加方面)に行こうと思って、イザ交差点に立ったら『あれ、どの道を行くのだ?』 判らなくなった。 しっかり確かめず、自分の鋭い勘に過信し先へ進んだ。、、、、写真中央右側の道を歩いた。 草加方面には写真中央左側の道を歩かなければならなかった。 間違いに気付いたのは、「後の祭りだ! 山鉾も帰り コンチキチンのコンチクショウ」 我が進路は、北から北東に変わった。 

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●一、二、三、四? ・・・・・・四家交差点から北東へ向かう道は足立区西加平で、都道102号(足立区と越谷を結ぶ道路)にぶつかり、その先でつくばエキスプレス六町駅に出る。、、、、道路沿いの迷所を巡る

・・・・・・・・・まずは、四ツ家稲荷神社(足立区青井2)、、、、祭神は、宇迦之御魂命とチョイト異色な徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 明治にり、1村1社政策が進められたため、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀され、その際、四家の一つ鶴飼家の屋敷神だった徳川家康「権現さま」も合祀した。、、、、創建年代は不明だが、安土桃山時代の文禄年間(1592~1596)頃の創建と考えられているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・続いては、愛宕神社青井1)、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の祭日は、「彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのか?

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・・・・・・・・・・・・・・愛宕神社の近く(青井1)には「二ツ家町」バス停がある。、、、、チョイト興味が湧いたので調べてみると、愛宕神社の北300m程に環七通りが東西に走り、その北側の地名は「一ツ家」であった。 「二ツ家」はバス停として残り、「四家交差点」の南側には「三ッ家堀」があったそうだ。 そして「五反野」、この後向かった駅は「六町」。 “一”から“六”まで揃い踏み!

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・・・・・・・・・・・・環七通りを横断し足立区西加平に入ると、東電の花畑変電所がある。 自分のような素人には、設備の名称も機能も判らず、大きな鉄塔をスゲーと叫び、変な機械・装置を見てナンジャコリャ?

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・・・・・・・・・・・・都道102号とぶつかる角に西加平神社がある。、、、、西加平神社の創建年代は不詳だが、嘉兵衛新田の開拓に伴い創建された。 明治時代には加平天祖神社の摂社となったが、昭和29年(1954)稲荷神社としてとして分離独立、昭和49年(1974)西加平1丁目にあった天祖神社を合祀し、西加平神社と改称した。、、、、境内周辺は区画整理され平成28年(2016)に社殿は新しくなる、しかし境内にはいまだ樹木が少なくスッポンポンの状態である。、、、、石の鳥居には寛政11年(1799)の銘。 また、嘉永7年(1854)に新吉原角町(現:台東区千束)の安房屋から奉納された手水鉢もある。

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●なんで深いの? ・・・・・・お帰りは、平成17年(2005)開業のつくばエキスプレス六町駅から。 ホームは、都心の地下鉄並みに地下3階の深い位置にある!

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2019年11月 2日 (土)

念には念を、荒川橋梁の確認

荒川の治水上の弱点として、京成本線荒川橋梁の桁下の高さが低く、早急なる架け替えの必要性が言われている。 その話は以前から聞いて知っていたが、台風19号の脅威にさらされ再確認したくなった。 今日の散歩は東武伊勢崎線堀切駅(足立区)で下車し、荒川橋梁を見て、京成本線堀切菖蒲園駅(葛飾区)までの、9千歩。

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●気持ちいい秋晴れ! ・・・・・・・東武伊勢崎線の堀切駅(足立区千住曙町)で下車。 普段は哀愁ただよう寂しい駅。 駅前には旧綾瀬川が流れ、対岸は墨田区。、、、、私が恐れるのは、京成本線荒川橋梁付近で氾濫し、その水が近くの旧綾瀬川に流れ込むと、その先は隅田川に合流し、荒川区、台東区、中央区と浸水する可能性があることだ! この想定は国交省でも考えているシナリオと思われる。

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●グランドはまだ使用できず! ・・・・・・堀切駅前の堤防に立つと、荒川が穏やかに流れている。 でも、河川敷のグランドは足下グチャグチャ。 北側(上流側)に堀切橋が見える。 京成本線の荒川橋梁は堀切橋の後ろに在り、トラス部分がみえる。 写真左端の堤防頂部の道路面と堀切橋の路面の高さはほぼ同じ。

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●堤防は崩壊するか? ・・・・・・・昭和6年12月19日の京成本線:青砥~日暮里間開業に合わせ、同年に架けられた荒川橋梁綾瀬川橋梁。 荒川橋梁は全長446.99m、両端が6スパンの単線上路式プレートガーター橋、中間が3スパンの複線下路式曲弦ワーレントラス橋。 綾瀬川橋梁も単線上路式プレートガーター橋、中間が複線下路式曲弦ワーレントラス橋。 両橋とも、東京石川島造船所製、下部工事は大林組の施工。、、、、いまの京成本線は上野~成田空港の結び一日当たり約14万人が利用する大動脈である。、、、、橋が出来て今年で88年、米寿だ。 この間、高度成長期には地盤沈下し、その後堤防のかさ上げを行ったが、橋が架かっている部分は手つかずでかさ上げが出来ていない。 そのため、荒川橋梁の桁下が周辺堤防に比べ約3.7m程低く、増水時にはこの低い部分から水が溢れ堤防が決壊する恐れがある。 治水上の弱点となってしまった。 そこで、隣りに新しい橋を架けるべく、平成16年(2004)度から設計等が進められているが、今だ工事には至っていない。 どうしたことだ!  都民の命が係っている工事だが、どうやら、工事用地の確保が出来ていないらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・両側の取り付け部分を見ると3.7m低いのは一目瞭然。、、、、『蟻の穴ならぬ電車の鉄橋から 堤も崩れる』とならぬように祈りたい。

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・・・・・・・・・・・・・・荒川右岸(足立区側)の堤防から眺めると、高架橋に沿って民家がビッシリ。 どこも人が住んでいるようだ、まだ工事できそうにないね!

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・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線(下)と京成本線(上)が交差する地点付近は、チョイト広いスペースが確保されているのか?
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・・・・・・・・・・・・・・堀切橋と荒川橋梁の間、堤防上の狭いスペースで高低測量が行われていた。 アレ、ひょっとするといよいよ工事が始まるのか? 何となく、嬉しくなるね!
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●早く終わらして! ・・・・・・・一刻も早く荒川橋梁の架け替えが終わることを願いつつ、堀切橋を渡り堀切菖蒲園駅から帰宅。

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2019年10月 9日 (水)

渡辺小右衛門の梅島

東武伊勢崎線梅島駅から、駅前の旧日光街道と現在の日光街道(国道4号)の間の裏道を北上するつもりで散歩に出た。 途中で立ち寄った神社では、予定外に話がはずみ、お散歩タイムがオーバーしそうになる。 途中から西新井駅に向かい帰宅。 今日はおしゃべりが多く、歩数は8千歩。




●足立区の中心? ・・・・・・東武伊勢崎線の梅島駅は、島式ホーム1面2線の高架駅であるが、用地幅が狭いためホームの幅も狭くなり、北千住寄りに上りホーム、西新井寄りに下りホームが一直線に配置された変則タイプである。 停車するのは全て普通列車で、優等列車はホーム外側の急行線で通過する。 階段・エレベーター・エスカレーターは、上下両ホームの間(細長い島式ホームの中央部分)にのみ設置されている。、、、、朝の下りホームは人影まばら、上りホームは乗客が線路にこぼれそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)10月1日に開業した梅島駅は、昭和43年(1968)に高架駅となった。 駅出入口は旧日光街道に面している。、、、、駅は地理的に足立区のほぼ中心に位置し、周辺は民家・店舗がビッシリ建ち並ぶ、“This is 足立区の駅”である。

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・・・・・・・・・・・・・・駅横から裏道を歩く。 足長の女性が短足の私を追い越していく。 歩幅が違うようだ、ドンドン離されていく。 カッコイイ~彼女を見て、おのれにガックリ! 

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●ケチャップの公園? ・・・・・・裏道を北の方角に歩くと、緑の芝生の向こうに煉瓦造りの洋館が見える。 入口には「ベルモント公園」(足立区梅島1)と標されている。 以前に一度訪れたことがある公園だ!、、、、当時、いい加減な私は、トマトケチャップの「デルモンテ」と早とちりし、「ここは会社が提供した公園」で、洋館の中ではトマトジュースなどが飲める施設がきっとあると期待し、園内をキョロキョロしたことが思い起こされた。、、、、ベルモント公園は、平成5年(1993)、足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた洋風の公園です。  美しい花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントのほか、ユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などを観ることができる洋風の公園。

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●彰義隊の地蔵! ・・・・・・・・梅島2丁目の裏道を、クネクネと曲がりながら歩くと、小さな地蔵堂があった。 由来を記した案内には「槐戸地蔵尊」と記されているが、はて、何と読むのやら? 玉垣の石に、“さいかちどじぞうそん”と送り仮名が降られていた、難しい読みだ。、、、、由来を引用すると、『昔 此の辺りを槐戸耕地といいました。南を中沼耕地、東南を長張耕地、道海耕地といい東を背出し道面耕地と呼んでいました。西に富士山・箱根の山を望める景色の佳い農村でした。明治・大正の頃は村内ににまだ八軒の晒屋があり、風に白布がたなびく風景は見事であったそうです。お地蔵さまは、享保四年二月、今から二百七十九年前、花畑の講中が本木の石屋に彫らせたものです。立派に仕上がったお地蔵様を紫微そりに乗せて、数名の有志達が運んでいました。ところがこの場所まで来たところ、何故か急に全員の手足が動かなくなってしまいました。これはお地蔵様が此の地をお選びになり、ここて村人たちを守りたいというご意志を示されているにちがいないと解釈し、ここにお奉りしたと言われています。以来、お地蔵様による数々の霊験が伝えられています。 平成十年九月吉日   小右衛門新田講中 』、、、、、、、、このお地蔵さまは足立区の資料によると、『彰義隊ゆかりの石地蔵』として、次のように説明されていた。 『 梅島二丁目にある槐戸地蔵には、彰義隊ゆかりのものという語り伝えがあります。彰義隊は、慶応4(1868)年5月14日の夜から上野の山に立てこもった一部の幕軍のことで、一日で官軍に敗れてしまいました。官軍の目を逃れてきた者もいましたが、その中には傷ついた者がかなりおりました。そうした隊員の中に、梅島二丁目10-5付近の葦の茂みに潜伏した者がありました。この5人はいずれも変装し大八車に少しばかりの家財道具と1,2個の石を積んでおりました。しかし、葦の茂みの中で数日を過ごしましたが、薮蚊が多く、初夏の日差しもあり傷は悪化するばかりでした。傷ついた5人はもうこれまでと、付近の農家に持ってきた石を建てて供養してくれるように頼みました。村人は頼みを聞き入れて、運んできた石を建てると地蔵に変身し、村人たちの危難を何度となく救ってくれました。特に皮膚に効験があるということで「いぼ地蔵」の名がつけられました。』、、、、、、、、約290年前に遡る由来と、約150年前の彰義隊の話、どちらも信じられないが歴史あるお地蔵さまの物語。、、、、今日の散歩は、このお地蔵さまに彫られた「小右衛門」の名によって、この後の散歩コースが変わることとなった!

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●奥の深い物語にビックリ! ・・・・・・・槐戸地蔵尊から北に向かい、再び裏道をクネクネ曲がり歩くと、「小右衛門稲荷神社 」があった。 先ほど見たお地蔵さまと同じ「小右衛門」(こえもん)の名を冠してる。 ここで、境内を掃除されていた人に神社の由来を聞いたら、ナント、物語を語ってくれた。 主人公は渡辺小右衛門である。(私と同姓) 物語(由来)を要約すると、『今から数百年前のこと、岩槻の太田氏に仕え、徳川家康の江戸討入り後も、同じ岩槻城主高力河内守の家人をしていた渡辺小右衛門という人がこの地に移ってきた。 彼が主家を何故去ったのかというと、理由ははっきりしないが、村田利兵衛と共に、同僚の高橋伴右衛門を斬ったため逐電したのだという。 しかし逃れてきたものの日は落ちて思案に暮れているとどこからともなく一匹の狐が現れて、小右衛門の袴の裾を引くではないか。 引かれるままに付いていくと小堂がある。 これ幸いと一夜を明かし、翌朝目を覚まして堂を出てみると、6軒ほどの家がちらほらと目に付いた。 がその外は一面の荒野だ。 そこで白狐に引かれてきたのも神の引き合わせと思いこの地に腰を据えて開墾することにした。 そこで村田を呼び寄せ、先住の日比谷・中館・岩館・相沢・深井・佐倉井の6人にも声をかけて、開発に取り掛かった。 この端緒を作った白狐との縁を忘れぬため稲荷を祀り、「裾引稲荷大明神」としたという。 現在は開発者を忘れないように小右衛門稲荷神社と呼んでいる。』、、、、神社の方には、由緒を説明して頂き、さらに渡辺小右衛門の墓を教えていただき、さらに神社の参道の敷石が北斗七星の形をしていること、さらに小右衛門稲荷神社と江戸城と鎌倉の鶴岡八幡宮が一直線上にあること、さらに神輿の担ぎ手が減少していること等々、いろいろ長時間におよびお話して頂き、ありがとうございました。
 
・・・・・・・・・・・・・・小右衛門稲荷神社、、、、鳥居、参道、拝殿と続く

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・・・・・・・・・・・・・・神社の隣りの墓地に渡辺小右衛門の墓がある。 足立区の文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道は、空から見ると「北斗七星」によく似た形をしていることが発見された。 私も、Googleマップで確認してみました、ナルホド北斗七星です。 TVでも話題になったらしい。 さらに、夏至の頃には太陽が拝殿の中心に沈むことも明らかになっている。 、、、、陰陽道か?

・・・・・・・・・・・・・・地図で確認すると、小右衛門稲荷神社と江戸城と鶴岡八幡宮が、見事に一直線上にあることも確認できた。 



●家光お手植えの松がある! ・・・・・・・チョイト話が長引き、梅島の北側:島根の町に入り帰宅することにした。 西新井駅に向かう途中で、日蓮宗の天下長久山国土安穏寺(島根2)に寄って帰る。、、、、国土安穏寺の創建は、応永17年(1410)、開山は日通聖人、開基は、千葉太郎満胤である。 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 したがって寺では、葵の御紋を随所に見ることができる。 寺宝として、日蓮聖人の断簡、将軍家使用の膳わん一式、徳川家光・慶喜、加藤清正等の書軸などがあるそうだが、見ることは難しい。、、、、現在の諸堂宇は、鐘楼を除き、昭和以降の造営。

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●帰るぞ! ・・・・・・・・西新井駅から帰宅する。、、、、8千歩の散歩でした。


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2019年9月20日 (金)

お江戸の隣りの江戸

9月に入り、都が発行する敬老パス(年20,510円で都内のバス、都営交通の電車が乗り放題)を昨日更新した。 新しいパスの使い始めは、遠距離の交通機関がいいだろうと思い、都が運行する日暮里・舎人ライナーで終点の見沼代親水公園駅まで行き、そこから埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで歩く予定で家を出た。 山手線で日暮里まで行く予定が、車内のテレビCMの若い娘に見とれ日暮里駅で下車するのを忘れてしまった。 気づいたのは、“時すでに遅し”、ドアが閉まった。シマッタ! しかたない逆回りで、鳩ヶ谷駅から見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万4千歩。

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●旧市のターミナル ・・・・・・・王子駅から地下鉄南北線に乗換え、そのまま埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで行く。、、、、鳩ヶ谷駅は、平成13年(2001)3月28日に開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。 開業時は鳩ヶ谷市の駅であったが、平成23年(2011)に鳩ヶ谷市は川口市に編入され川口市の駅となる。、、、、鳩ヶ谷市は東京都足立区に隣接し、蕨市に次ぎ面積の小さな埼玉県南部の市であった。 鳩ヶ谷駅は鳩ヶ谷市の中心部、市民センターの地下に造られており、当時財政難と云われていた鳩ヶ谷市としては贅を尽くした建物である。

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●かつては宿場町! ・・・・・・鳩ヶ谷駅付近の建物、、、、今年の春に、鳩ヶ谷駅周辺を歩いていた。コチラを!
・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程、北東の高台に鎮座する鳩ヶ谷氷川神社。 鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿・辻村・里村の鎮守で、応永元年(1394)に造営された。 明治以降、周辺の神社18社を合祀し、社殿の周囲には境内社が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の東側をとおる日光御成道に残る、鳩ヶ谷宿のシンボル的な建物は十一屋北西商店。 昭和5年(1930)に建てられた店舗と蔵は、国の登録有形文化財に指定されている。 酒屋としての創業は明治初期で、現在の主人はソムリエの資格を持っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・日光御成街道沿いに、もう一軒、旧船津眼科医院がある。 昭和初期の木造建築。、、、、現在も住居として利用されている。 レトロチックなこの建物に住んでおられる方が羨ましいね!

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・・・・・・・・・・・・・・オゥ~~懐かしい、最近は見られなくなった、赤く塗られた地上式消火栓。 地上式消火栓の規格は昭和44年(1969)に廃止となった。 しかし、積雪の多い地方ではまだ使用されているそうだ!

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●面白いことないかな~ ・・・・・・・・鳩ヶ谷から見沼代親水公園駅に向かい。バス通りを歩く。 

・・・・・・・・・・・・・・私を引きつけるものがない、美人も歩いていない、単調で、面白みがない道を、ホイサカホイサカ歩く。 

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ! “もう東京に着いたか”と言いたくなる地名「江戸」に来た! 江戸は、川口市の東部、毛長川沿いの町。 中小企業の工場・倉庫や、住居兼工場が多く住宅地とは言いずらい。、、、、この辺りの旧地名は“江戸袋村”である。

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・・・・・・・・・・・・・・「江戸」の隣り町は「江戸袋」、こちらは「新郷工業団地」を中心とした町。 地名の由来は、徳川家とは一切関係なく、「水が淀み、悪水が溜まりやすい低湿地」であったから名付けられたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・江戸袋1丁目にある真言宗智山派の東光院は、古桂山大山寺と号します。 東光院は、聖政(慶安元年(1648)寂)が開山したと云われている。 大きくなく素朴な感じの寺である。 今日は“彼岸の入り”、檀家の人々が線香をあげていた。(私も、三連休に墓参りしなければ!)

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前の「女人開運・所願成就 願いがかなう お地蔵さま」と標された立札が目にとまる。 六面それぞれに地蔵菩薩立像が彫られている、一石六地蔵石が立っていた。 女性はハッピー、男性はアンラッキー!

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・・・・・・・・・・・・・・川口市江戸袋・川口市本蓮を抜け、東京都足立区舎人に入ると、2つの川、見沼代用水東縁と毛長川が直交している。 ここには舎人橋が架かっている。 2つの川は水位が異なり、ここで全てが合流するのではなく、交差するのである。、、、、北から流れてきた見沼代用水東縁(写真1)は、舎人橋で毛長川にぶつかり(写真2)、水量の多くは毛長川の方に流れ合流する(写真3)が、用水の一部は毛長川の下を通り川向こうに流れるように仕組まれている。(文章で説明しずらい仕組み、実物をご覧あれ!)

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●着きました! ・・・・・・・見沼代親水公園を通り抜けると日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・新しい敬老パスで改札を通過できた、これで向う一年間、“乗り放題”で利用できる。 ヨシ・ヨシ!、、、、先頭車両の一番前に座って、日暮里まで嬉しそうに乗車!

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2019年8月29日 (木)

暑さでボケた!

一週間ほど前に医者に駆け込み抗生物質を頂戴し飲んでいたが治らず、一昨日、さらに一週間分の“おかわり”を貰い飲み続ける。 単なる夏風邪と思うが鼻水が止まらず、ティシュが離せない! 頭は冴え、身体はピンピン、鼻水だけはグジュグジュ。 イライラすることこの上もなし、今日は雨も止んだようなので、気晴らしに歩いてみることにした。 

日暮里舎人ライナー扇大橋駅から北に向かって歩き、西新井大師に寄って、病気平癒の願掛けをして帰ろうとおもったが、、、、扇大橋駅から裏道を歩きはじめたら、東の方角に歩いてしまい、気がついて修正したら今度は西の方角に歩き、結局は扇大橋駅の一つ隣の高野駅までの散歩ととなってしまった! 病み上りで暑さに負け、ボケてしまったのか、炎天下に1万歩の迷歩です。




●眺望抜群、陽当り良好! ・・・・・・日暮里舎人ライナーは、JR日暮里駅から尾久橋通りを北上し、足立区の北の端「舎人」までの全9.7km、13駅の案内軌条式鉄道。 全線・全駅とも平成20年(2008)3月30日に開業。、、、、都営の鉄道で、敬老パスを持っていると切符を買うことなく乗れる。(もちろん私も持ってる) 先頭車両の一番前に乗って景色を見るのが、私の楽しみ!

・・・・・・・・・・・・・・扇大橋駅の手前:足立小台駅を過ぎると、ライナーは扇大橋(尾久橋通り)に並行し、若干の上り勾配で荒川を越える。 扇大橋駅手前では、高架橋の最高地点を通過。 この辺りでは、高さ約30m、眺望は抜群!

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・・・・・・・・・・・・・・一日約1万人が乗り降りする扇大橋駅。 日暮里舎人ライナーの駅はJRなどに接続する日暮里・西日暮里の両駅以外はだいたい同程度の乗降客で似たり寄ったり。 駅の建物も似たり寄ったり。 

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●田舎道(?)を歩く! ・・・・・・・・駅から脇道に入ると住宅地の中に、全てが田圃の一区画がある。 この付近の昔からの田圃で、地主が提供したのか(?)、地元の小学生が描いた『田圃を大切に』の注意書きもある。、、、、夏休みが明けると、そろそろ刈入れの時期、給食はこの新米で作る“美味しい御飯”、楽しみだね!

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・・・・・・・・・・・・・・扇1-33付近で、祠を覗くと馬頭観音が! 美人の観音様なら、嬉しいのだがね!

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・・・・・・・・・・・・・・一車線一方通行の道が曲がりくねり、どうやってここに出てきたか説明できず、でも銭湯:「星谷浴泉」(扇1-34)の前に出てきた。、、、、50年以上続く老舗の銭湯で、番台・富士山のペンキ絵をはじめ日本の銭湯文化を大切に守っている昭和の銭湯。 1番人気は 漢方を混ぜた日替わりの健康薬用風呂らしい。 私も一風呂浴びて行きたいが、只今、8時30分、営業開始は15時30分、チョイト早すぎた!

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●葵の御紋で年始回り! ・・・・・・・私の足は、いつのまにか扇1丁目から本木西町に入っていた。 長い塀が続いている、『塀の向こうは、アリャ、コリャどこかの寺の墓地のようだ。 オヤ、本堂らしき屋根も見える。 行って見よう!』

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・・・・・・・・・・・・・・ぐるりと寺を一周し、山門前に出た。 『ナンダ、ココか! 数年前に来たことのある吉祥院』 チョイト風邪が治るよう手を合わせて行こう!、、、、吉祥院は真言宗豊山派大和長谷寺の末。 江戸四ヶ寺の一つで、真言宗関東の役寺として、江戸時代の盛時には32,000㎡の寺域を持ち、33ヶ寺の末寺を有していた。 渕江山星谷寺と号す。 正応元年(1288)僧円真が開山し、古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといわれている。、、、、山門は、平成16年(2004)に建てられたもので、正面の左右には楠の大木で造られた身丈8尺の阿形・吽形の仁王像が邪念を持つ者が入らぬよう、仁王立ちして睨みをきかせている。 念には念を入れ、鉄柵で囲み参拝者も山門はくぐれず、脇から境内に入る。、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物。 拝殿にかかる「吉祥院」の扁額は豊山派第二十六代管長:総本山長谷寺第八十世化主中川祐俊猊下の揮毫。、、、、境内には庚申塔、板碑なども多い。

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●風邪でボケたか? ・・・・・・吉祥院に着いて、歩く方向を間違えたのに気付いた。、、、、『アリャ、北へ行かずに、東に歩いてた!』 方向転換する。 『進路、北北東にとれ!』 歩く先に神社あり、手を合わせて行こう!
・・・・・・・・・・・・・・チョイトお立ち寄りは、吉祥院の東側に鎮座する本木氷川神社。 祭神は素盞嗚尊。 創建については詳細は不明だが、享徳3年(1454)に創建の後、宝永6年(1709)に現在地に本殿を再建したといわれている。 本木村全体の鎮守であった。


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・・・・・・・・・・・・・・神社の北側に“昭和のアパート”発見! どうやら、空き家のようだが、間違いなくアパートだった建物。中央に配した1階と2階の玄関扉が印象的だ!


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・・・・・・・・・・・・・・自分では北北東に向かっているつもりだったが、曲がりくねった道のため、しばらくして再び地図を見ると、、、、『アレ、また間違えた! コリャ西に向かっている。 もう駄目だ、今日は帰ろう!』 今日は西新井大師に向かうのを諦めた。、、、、柿の実に秋の到来間近を感じながら、暑い暑い陽射しの下、一番近そうな、日暮里舎人ライナーの高野駅へ向かう。

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●帰ります! ・・・・・・・・高野駅に到着。

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2019年8月17日 (土)

夜の堀切

この夏一番の暑さ、予報では36℃。 熱中症で彼の世へ行くのは嫌だ、今日は家でゴロゴロ、グダグダ、そしてグッタリ。 でも、陽も落ちる時刻となると、『ブラブラ歩いてくるか』、、、、今宵は暑そうだから無理をせず、私の好きな東武伊勢崎線の堀切駅と牛田駅・京成関屋駅に行ってきた。




●降りた客は二人! ・・・・・・・堀切駅は、明治35年(1902)4月1日、吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間の開業と同時にできた駅。 当時の堀切駅は今よりやや東側、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 当時はまだ現在の荒川がなかったためで、河川改修に伴って堀切駅が現在の位置に移転したのは大正12年(1923)のことである。 荒川の右岸、堤防沿いギリギリにつくられた駅で、優等電車はスピードを落としホームに沿った急カーブを通過していく。、、、、電車が着いた、降りた客は二人、乗る客はいない、寂しい駅。、、、、駅舎は上下方向別に2箇所ある。 乗降客も少なく、駅前には明かりを消した小さなラーメン屋が1軒あるだけ。 暗闇の中に駅の明かりがまぶしく見える。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の東側は荒川。南西側400m程には隅田川が流れ、両川を結ぶように綾瀬川でつながっている。 綾瀬川の荒川側には、昭和43年(1968)に隅田水門が設けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の荒川の堤防にあがって見ると、、、、荒川の向こう岸には首都高の堀切JCTの明かりが見える、、、、上流側には堀切橋が架かる、、、、ふりかえると、南千住方面にタワーマンションが並んでいる
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●下町を抜ける ・・・・・・線路際を歩き、牛田駅に向かう、、、、駐車場横を特急“りょうもう”が疾走、、、、低い桁のガード、、、、ぽつんと一軒家は中華そば屋、、、、線路際の十一面観音は夜中の犯罪を見守っている
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●向かい合わせ! ・・・・・・・東武伊勢崎線の牛田駅、京成本線の京成関屋駅、両駅の改札は40m程の距離で向かい合う。 共に電車が着くと、一方から一方へお客が移動するここは乗換駅である。
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・・・・・・・・・・・・・・両駅の間では、数軒の店が乗換客を狙って、手招きしている。
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・・・・・・・・・・・・・・幸い、私は呑めない身であり、誘惑には負けることもなく、牛田駅から帰ることにした。
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