足立区

2019年11月20日 (水)

一二三四、五反野、六町

北風ビュ~ン・ビュ~ン、いよいよ冬が近づき散歩にも出辛くなってきた。 今日は、近場の散歩にしようと家を出たが、行く先のあてもなく、結局東武伊勢崎線五反野駅で下車。 駅前の通りを北に向かい歩き、途中でチョイト東に寄れて、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩の散歩。




●五反田は知ってる、五反野ってどこ? ・・・・・・東武伊勢崎線で北千住の次は小菅、小菅の次が五反野駅。 急行は通過する駅、準急も通過、区間準急も乗客を無視して通過、普通電車が親しみをこめのんびりと停車する駅。、、、、
大正13年(1924)10月1日に開業。 現在は島式ホーム1面2線を有する高架駅で、ホームの外側に優等列車が通過する急行線がある。、、、、チョイト知名度では五反田に負ける駅!

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・・・・・・・・・・・・・改札口は高架下の一ヵ所のみ。 

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・・・・・・・・・・・・・駅前に立ち、『さて、東西南北、右左、どっちへ歩こうか?』考えても決まらないのに考えて、ヤッパリ決まらない。 悩んだ時は『美女に従え!』と神のお告げ。 朝の通勤時間、電車に乗る人は多いが、改札から出てくる人は少なく、まして美女がいない! 条件を緩め、『女性なら誰でもいいや!』 パートのおばさん風の人が改札から出て右へ行った。 『ヨシ、自分の運命をあのおばさんに託し、自分も右へ歩こう!』 駅から右、北の方角に歩くことにした。

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●銀ブラの後はコンチクショウ! ・・・・・・駅前の商店街「五反野駅前通り銀座会」を歩いてみる。、、、、商店街は駅前から北に伸び「四家交差点」までの約600mで、50店舗程が加盟しているそうだ。 昭和45年(1970)に発足した、下町の“銀座”?、、、、早朝なので、店のシャッターは下りているが、活気のありそうな商店街だ! 北の端には銭湯もあり、熱気も感じられる。

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の端は「四家交差点(よつやこうさてん)」、、、、「四家」の地名は、江戸時代この地域に住んでいた、鶴飼、市川、高橋(兄弟)さんの四家族から名付けられたそうだ。、、、、この交差点、名は“四”でも、“六”差路となっている。 駅から歩いて来た自分だが、まっすぐ先(草加方面)に行こうと思って、イザ交差点に立ったら『あれ、どの道を行くのだ?』 判らなくなった。 しっかり確かめず、自分の鋭い勘に過信し先へ進んだ。、、、、写真中央右側の道を歩いた。 草加方面には写真中央左側の道を歩かなければならなかった。 間違いに気付いたのは、「後の祭りだ! 山鉾も帰り コンチキチンのコンチクショウ」 我が進路は、北から北東に変わった。 

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●一、二、三、四? ・・・・・・四家交差点から北東へ向かう道は足立区西加平で、都道102号(足立区と越谷を結ぶ道路)にぶつかり、その先でつくばエキスプレス六町駅に出る。、、、、道路沿いの迷所を巡る

・・・・・・・・・まずは、四ツ家稲荷神社(足立区青井2)、、、、祭神は、宇迦之御魂命とチョイト異色な徳川家康です。 江戸時代から四ツ家のある次郎左衛門新田には、東の宮と西の宮の二つの稲荷社があった。 明治にり、1村1社政策が進められたため、現在地にあった西の宮に東の宮が合祀され、その際、四家の一つ鶴飼家の屋敷神だった徳川家康「権現さま」も合祀した。、、、、創建年代は不明だが、安土桃山時代の文禄年間(1592~1596)頃の創建と考えられているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・続いては、愛宕神社青井1)、、、、神体は馬に乗った愛宕権現で、元々は旧家の屋敷神だったそうだ。 安産の神・火の用心の神として信仰されている。 神社の祭日は、「彼岸の中日」という珍しい神社である。、、、、彼岸の墓参りしてから、神輿をかついでワッショイするのか?

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・・・・・・・・・・・・・・愛宕神社の近く(青井1)には「二ツ家町」バス停がある。、、、、チョイト興味が湧いたので調べてみると、愛宕神社の北300m程に環七通りが東西に走り、その北側の地名は「一ツ家」であった。 「二ツ家」はバス停として残り、「四家交差点」の南側には「三ッ家堀」があったそうだ。 そして「五反野」、この後向かった駅は「六町」。 “一”から“六”まで揃い踏み!

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・・・・・・・・・・・・環七通りを横断し足立区西加平に入ると、東電の花畑変電所がある。 自分のような素人には、設備の名称も機能も判らず、大きな鉄塔をスゲーと叫び、変な機械・装置を見てナンジャコリャ?

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・・・・・・・・・・・・都道102号とぶつかる角に西加平神社がある。、、、、西加平神社の創建年代は不詳だが、嘉兵衛新田の開拓に伴い創建された。 明治時代には加平天祖神社の摂社となったが、昭和29年(1954)稲荷神社としてとして分離独立、昭和49年(1974)西加平1丁目にあった天祖神社を合祀し、西加平神社と改称した。、、、、境内周辺は区画整理され平成28年(2016)に社殿は新しくなる、しかし境内にはいまだ樹木が少なくスッポンポンの状態である。、、、、石の鳥居には寛政11年(1799)の銘。 また、嘉永7年(1854)に新吉原角町(現:台東区千束)の安房屋から奉納された手水鉢もある。

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●なんで深いの? ・・・・・・お帰りは、平成17年(2005)開業のつくばエキスプレス六町駅から。 ホームは、都心の地下鉄並みに地下3階の深い位置にある!

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2019年11月 2日 (土)

念には念を、荒川橋梁の確認

荒川の治水上の弱点として、京成本線荒川橋梁の桁下の高さが低く、早急なる架け替えの必要性が言われている。 その話は以前から聞いて知っていたが、台風19号の脅威にさらされ再確認したくなった。 今日の散歩は東武伊勢崎線堀切駅(足立区)で下車し、荒川橋梁を見て、京成本線堀切菖蒲園駅(葛飾区)までの、9千歩。

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●気持ちいい秋晴れ! ・・・・・・・東武伊勢崎線の堀切駅(足立区千住曙町)で下車。 普段は哀愁ただよう寂しい駅。 駅前には旧綾瀬川が流れ、対岸は墨田区。、、、、私が恐れるのは、京成本線荒川橋梁付近で氾濫し、その水が近くの旧綾瀬川に流れ込むと、その先は隅田川に合流し、荒川区、台東区、中央区と浸水する可能性があることだ! この想定は国交省でも考えているシナリオと思われる。

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●グランドはまだ使用できず! ・・・・・・堀切駅前の堤防に立つと、荒川が穏やかに流れている。 でも、河川敷のグランドは足下グチャグチャ。 北側(上流側)に堀切橋が見える。 京成本線の荒川橋梁は堀切橋の後ろに在り、トラス部分がみえる。 写真左端の堤防頂部の道路面と堀切橋の路面の高さはほぼ同じ。

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●堤防は崩壊するか? ・・・・・・・昭和6年12月19日の京成本線:青砥~日暮里間開業に合わせ、同年に架けられた荒川橋梁綾瀬川橋梁。 荒川橋梁は全長446.99m、両端が6スパンの単線上路式プレートガーター橋、中間が3スパンの複線下路式曲弦ワーレントラス橋。 綾瀬川橋梁も単線上路式プレートガーター橋、中間が複線下路式曲弦ワーレントラス橋。 両橋とも、東京石川島造船所製、下部工事は大林組の施工。、、、、いまの京成本線は上野~成田空港の結び一日当たり約14万人が利用する大動脈である。、、、、橋が出来て今年で88年、米寿だ。 この間、高度成長期には地盤沈下し、その後堤防のかさ上げを行ったが、橋が架かっている部分は手つかずでかさ上げが出来ていない。 そのため、荒川橋梁の桁下が周辺堤防に比べ約3.7m程低く、増水時にはこの低い部分から水が溢れ堤防が決壊する恐れがある。 治水上の弱点となってしまった。 そこで、隣りに新しい橋を架けるべく、平成16年(2004)度から設計等が進められているが、今だ工事には至っていない。 どうしたことだ!  都民の命が係っている工事だが、どうやら、工事用地の確保が出来ていないらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・両側の取り付け部分を見ると3.7m低いのは一目瞭然。、、、、『蟻の穴ならぬ電車の鉄橋から 堤も崩れる』とならぬように祈りたい。

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・・・・・・・・・・・・・・荒川右岸(足立区側)の堤防から眺めると、高架橋に沿って民家がビッシリ。 どこも人が住んでいるようだ、まだ工事できそうにないね!

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・・・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線(下)と京成本線(上)が交差する地点付近は、チョイト広いスペースが確保されているのか?
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・・・・・・・・・・・・・・堀切橋と荒川橋梁の間、堤防上の狭いスペースで高低測量が行われていた。 アレ、ひょっとするといよいよ工事が始まるのか? 何となく、嬉しくなるね!
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●早く終わらして! ・・・・・・・一刻も早く荒川橋梁の架け替えが終わることを願いつつ、堀切橋を渡り堀切菖蒲園駅から帰宅。

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2019年10月 9日 (水)

渡辺小右衛門の梅島

東武伊勢崎線梅島駅から、駅前の旧日光街道と現在の日光街道(国道4号)の間の裏道を北上するつもりで散歩に出た。 途中で立ち寄った神社では、予定外に話がはずみ、お散歩タイムがオーバーしそうになる。 途中から西新井駅に向かい帰宅。 今日はおしゃべりが多く、歩数は8千歩。




●足立区の中心? ・・・・・・東武伊勢崎線の梅島駅は、島式ホーム1面2線の高架駅であるが、用地幅が狭いためホームの幅も狭くなり、北千住寄りに上りホーム、西新井寄りに下りホームが一直線に配置された変則タイプである。 停車するのは全て普通列車で、優等列車はホーム外側の急行線で通過する。 階段・エレベーター・エスカレーターは、上下両ホームの間(細長い島式ホームの中央部分)にのみ設置されている。、、、、朝の下りホームは人影まばら、上りホームは乗客が線路にこぼれそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)10月1日に開業した梅島駅は、昭和43年(1968)に高架駅となった。 駅出入口は旧日光街道に面している。、、、、駅は地理的に足立区のほぼ中心に位置し、周辺は民家・店舗がビッシリ建ち並ぶ、“This is 足立区の駅”である。

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・・・・・・・・・・・・・・駅横から裏道を歩く。 足長の女性が短足の私を追い越していく。 歩幅が違うようだ、ドンドン離されていく。 カッコイイ~彼女を見て、おのれにガックリ! 

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●ケチャップの公園? ・・・・・・裏道を北の方角に歩くと、緑の芝生の向こうに煉瓦造りの洋館が見える。 入口には「ベルモント公園」(足立区梅島1)と標されている。 以前に一度訪れたことがある公園だ!、、、、当時、いい加減な私は、トマトケチャップの「デルモンテ」と早とちりし、「ここは会社が提供した公園」で、洋館の中ではトマトジュースなどが飲める施設がきっとあると期待し、園内をキョロキョロしたことが思い起こされた。、、、、ベルモント公園は、平成5年(1993)、足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして作られた洋風の公園です。  美しい花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントのほか、ユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などを観ることができる洋風の公園。

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●彰義隊の地蔵! ・・・・・・・・梅島2丁目の裏道を、クネクネと曲がりながら歩くと、小さな地蔵堂があった。 由来を記した案内には「槐戸地蔵尊」と記されているが、はて、何と読むのやら? 玉垣の石に、“さいかちどじぞうそん”と送り仮名が降られていた、難しい読みだ。、、、、由来を引用すると、『昔 此の辺りを槐戸耕地といいました。南を中沼耕地、東南を長張耕地、道海耕地といい東を背出し道面耕地と呼んでいました。西に富士山・箱根の山を望める景色の佳い農村でした。明治・大正の頃は村内ににまだ八軒の晒屋があり、風に白布がたなびく風景は見事であったそうです。お地蔵さまは、享保四年二月、今から二百七十九年前、花畑の講中が本木の石屋に彫らせたものです。立派に仕上がったお地蔵様を紫微そりに乗せて、数名の有志達が運んでいました。ところがこの場所まで来たところ、何故か急に全員の手足が動かなくなってしまいました。これはお地蔵様が此の地をお選びになり、ここて村人たちを守りたいというご意志を示されているにちがいないと解釈し、ここにお奉りしたと言われています。以来、お地蔵様による数々の霊験が伝えられています。 平成十年九月吉日   小右衛門新田講中 』、、、、、、、、このお地蔵さまは足立区の資料によると、『彰義隊ゆかりの石地蔵』として、次のように説明されていた。 『 梅島二丁目にある槐戸地蔵には、彰義隊ゆかりのものという語り伝えがあります。彰義隊は、慶応4(1868)年5月14日の夜から上野の山に立てこもった一部の幕軍のことで、一日で官軍に敗れてしまいました。官軍の目を逃れてきた者もいましたが、その中には傷ついた者がかなりおりました。そうした隊員の中に、梅島二丁目10-5付近の葦の茂みに潜伏した者がありました。この5人はいずれも変装し大八車に少しばかりの家財道具と1,2個の石を積んでおりました。しかし、葦の茂みの中で数日を過ごしましたが、薮蚊が多く、初夏の日差しもあり傷は悪化するばかりでした。傷ついた5人はもうこれまでと、付近の農家に持ってきた石を建てて供養してくれるように頼みました。村人は頼みを聞き入れて、運んできた石を建てると地蔵に変身し、村人たちの危難を何度となく救ってくれました。特に皮膚に効験があるということで「いぼ地蔵」の名がつけられました。』、、、、、、、、約290年前に遡る由来と、約150年前の彰義隊の話、どちらも信じられないが歴史あるお地蔵さまの物語。、、、、今日の散歩は、このお地蔵さまに彫られた「小右衛門」の名によって、この後の散歩コースが変わることとなった!

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●奥の深い物語にビックリ! ・・・・・・・槐戸地蔵尊から北に向かい、再び裏道をクネクネ曲がり歩くと、「小右衛門稲荷神社 」があった。 先ほど見たお地蔵さまと同じ「小右衛門」(こえもん)の名を冠してる。 ここで、境内を掃除されていた人に神社の由来を聞いたら、ナント、物語を語ってくれた。 主人公は渡辺小右衛門である。(私と同姓) 物語(由来)を要約すると、『今から数百年前のこと、岩槻の太田氏に仕え、徳川家康の江戸討入り後も、同じ岩槻城主高力河内守の家人をしていた渡辺小右衛門という人がこの地に移ってきた。 彼が主家を何故去ったのかというと、理由ははっきりしないが、村田利兵衛と共に、同僚の高橋伴右衛門を斬ったため逐電したのだという。 しかし逃れてきたものの日は落ちて思案に暮れているとどこからともなく一匹の狐が現れて、小右衛門の袴の裾を引くではないか。 引かれるままに付いていくと小堂がある。 これ幸いと一夜を明かし、翌朝目を覚まして堂を出てみると、6軒ほどの家がちらほらと目に付いた。 がその外は一面の荒野だ。 そこで白狐に引かれてきたのも神の引き合わせと思いこの地に腰を据えて開墾することにした。 そこで村田を呼び寄せ、先住の日比谷・中館・岩館・相沢・深井・佐倉井の6人にも声をかけて、開発に取り掛かった。 この端緒を作った白狐との縁を忘れぬため稲荷を祀り、「裾引稲荷大明神」としたという。 現在は開発者を忘れないように小右衛門稲荷神社と呼んでいる。』、、、、神社の方には、由緒を説明して頂き、さらに渡辺小右衛門の墓を教えていただき、さらに神社の参道の敷石が北斗七星の形をしていること、さらに小右衛門稲荷神社と江戸城と鎌倉の鶴岡八幡宮が一直線上にあること、さらに神輿の担ぎ手が減少していること等々、いろいろ長時間におよびお話して頂き、ありがとうございました。
 
・・・・・・・・・・・・・・小右衛門稲荷神社、、、、鳥居、参道、拝殿と続く

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・・・・・・・・・・・・・・神社の隣りの墓地に渡辺小右衛門の墓がある。 足立区の文化財。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道は、空から見ると「北斗七星」によく似た形をしていることが発見された。 私も、Googleマップで確認してみました、ナルホド北斗七星です。 TVでも話題になったらしい。 さらに、夏至の頃には太陽が拝殿の中心に沈むことも明らかになっている。 、、、、陰陽道か?

・・・・・・・・・・・・・・地図で確認すると、小右衛門稲荷神社と江戸城と鶴岡八幡宮が、見事に一直線上にあることも確認できた。 



●家光お手植えの松がある! ・・・・・・・チョイト話が長引き、梅島の北側:島根の町に入り帰宅することにした。 西新井駅に向かう途中で、日蓮宗の天下長久山国土安穏寺(島根2)に寄って帰る。、、、、国土安穏寺の創建は、応永17年(1410)、開山は日通聖人、開基は、千葉太郎満胤である。 江戸時代に、将軍秀忠および家光が、当所巡遊の折の御善所となり、八世日芸聖人の大宇都宮釣天井予言の功により、寛永元年(1624)、現寺号を賜り、徳川家祈願所位牌安置所となる。 したがって寺では、葵の御紋を随所に見ることができる。 寺宝として、日蓮聖人の断簡、将軍家使用の膳わん一式、徳川家光・慶喜、加藤清正等の書軸などがあるそうだが、見ることは難しい。、、、、現在の諸堂宇は、鐘楼を除き、昭和以降の造営。

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●帰るぞ! ・・・・・・・・西新井駅から帰宅する。、、、、8千歩の散歩でした。


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2019年9月20日 (金)

お江戸の隣りの江戸

9月に入り、都が発行する敬老パス(年20,510円で都内のバス、都営交通の電車が乗り放題)を昨日更新した。 新しいパスの使い始めは、遠距離の交通機関がいいだろうと思い、都が運行する日暮里・舎人ライナーで終点の見沼代親水公園駅まで行き、そこから埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで歩く予定で家を出た。 山手線で日暮里まで行く予定が、車内のテレビCMの若い娘に見とれ日暮里駅で下車するのを忘れてしまった。 気づいたのは、“時すでに遅し”、ドアが閉まった。シマッタ! しかたない逆回りで、鳩ヶ谷駅から見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万4千歩。

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●旧市のターミナル ・・・・・・・王子駅から地下鉄南北線に乗換え、そのまま埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで行く。、、、、鳩ヶ谷駅は、平成13年(2001)3月28日に開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。 開業時は鳩ヶ谷市の駅であったが、平成23年(2011)に鳩ヶ谷市は川口市に編入され川口市の駅となる。、、、、鳩ヶ谷市は東京都足立区に隣接し、蕨市に次ぎ面積の小さな埼玉県南部の市であった。 鳩ヶ谷駅は鳩ヶ谷市の中心部、市民センターの地下に造られており、当時財政難と云われていた鳩ヶ谷市としては贅を尽くした建物である。

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●かつては宿場町! ・・・・・・鳩ヶ谷駅付近の建物、、、、今年の春に、鳩ヶ谷駅周辺を歩いていた。コチラを!
・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程、北東の高台に鎮座する鳩ヶ谷氷川神社。 鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿・辻村・里村の鎮守で、応永元年(1394)に造営された。 明治以降、周辺の神社18社を合祀し、社殿の周囲には境内社が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の東側をとおる日光御成道に残る、鳩ヶ谷宿のシンボル的な建物は十一屋北西商店。 昭和5年(1930)に建てられた店舗と蔵は、国の登録有形文化財に指定されている。 酒屋としての創業は明治初期で、現在の主人はソムリエの資格を持っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・日光御成街道沿いに、もう一軒、旧船津眼科医院がある。 昭和初期の木造建築。、、、、現在も住居として利用されている。 レトロチックなこの建物に住んでおられる方が羨ましいね!

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・・・・・・・・・・・・・・オゥ~~懐かしい、最近は見られなくなった、赤く塗られた地上式消火栓。 地上式消火栓の規格は昭和44年(1969)に廃止となった。 しかし、積雪の多い地方ではまだ使用されているそうだ!

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●面白いことないかな~ ・・・・・・・・鳩ヶ谷から見沼代親水公園駅に向かい。バス通りを歩く。 

・・・・・・・・・・・・・・私を引きつけるものがない、美人も歩いていない、単調で、面白みがない道を、ホイサカホイサカ歩く。 

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ! “もう東京に着いたか”と言いたくなる地名「江戸」に来た! 江戸は、川口市の東部、毛長川沿いの町。 中小企業の工場・倉庫や、住居兼工場が多く住宅地とは言いずらい。、、、、この辺りの旧地名は“江戸袋村”である。

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・・・・・・・・・・・・・・「江戸」の隣り町は「江戸袋」、こちらは「新郷工業団地」を中心とした町。 地名の由来は、徳川家とは一切関係なく、「水が淀み、悪水が溜まりやすい低湿地」であったから名付けられたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・江戸袋1丁目にある真言宗智山派の東光院は、古桂山大山寺と号します。 東光院は、聖政(慶安元年(1648)寂)が開山したと云われている。 大きくなく素朴な感じの寺である。 今日は“彼岸の入り”、檀家の人々が線香をあげていた。(私も、三連休に墓参りしなければ!)

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前の「女人開運・所願成就 願いがかなう お地蔵さま」と標された立札が目にとまる。 六面それぞれに地蔵菩薩立像が彫られている、一石六地蔵石が立っていた。 女性はハッピー、男性はアンラッキー!

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・・・・・・・・・・・・・・川口市江戸袋・川口市本蓮を抜け、東京都足立区舎人に入ると、2つの川、見沼代用水東縁と毛長川が直交している。 ここには舎人橋が架かっている。 2つの川は水位が異なり、ここで全てが合流するのではなく、交差するのである。、、、、北から流れてきた見沼代用水東縁(写真1)は、舎人橋で毛長川にぶつかり(写真2)、水量の多くは毛長川の方に流れ合流する(写真3)が、用水の一部は毛長川の下を通り川向こうに流れるように仕組まれている。(文章で説明しずらい仕組み、実物をご覧あれ!)

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●着きました! ・・・・・・・見沼代親水公園を通り抜けると日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・新しい敬老パスで改札を通過できた、これで向う一年間、“乗り放題”で利用できる。 ヨシ・ヨシ!、、、、先頭車両の一番前に座って、日暮里まで嬉しそうに乗車!

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2019年8月29日 (木)

暑さでボケた!

一週間ほど前に医者に駆け込み抗生物質を頂戴し飲んでいたが治らず、一昨日、さらに一週間分の“おかわり”を貰い飲み続ける。 単なる夏風邪と思うが鼻水が止まらず、ティシュが離せない! 頭は冴え、身体はピンピン、鼻水だけはグジュグジュ。 イライラすることこの上もなし、今日は雨も止んだようなので、気晴らしに歩いてみることにした。 

日暮里舎人ライナー扇大橋駅から北に向かって歩き、西新井大師に寄って、病気平癒の願掛けをして帰ろうとおもったが、、、、扇大橋駅から裏道を歩きはじめたら、東の方角に歩いてしまい、気がついて修正したら今度は西の方角に歩き、結局は扇大橋駅の一つ隣の高野駅までの散歩ととなってしまった! 病み上りで暑さに負け、ボケてしまったのか、炎天下に1万歩の迷歩です。




●眺望抜群、陽当り良好! ・・・・・・日暮里舎人ライナーは、JR日暮里駅から尾久橋通りを北上し、足立区の北の端「舎人」までの全9.7km、13駅の案内軌条式鉄道。 全線・全駅とも平成20年(2008)3月30日に開業。、、、、都営の鉄道で、敬老パスを持っていると切符を買うことなく乗れる。(もちろん私も持ってる) 先頭車両の一番前に乗って景色を見るのが、私の楽しみ!

・・・・・・・・・・・・・・扇大橋駅の手前:足立小台駅を過ぎると、ライナーは扇大橋(尾久橋通り)に並行し、若干の上り勾配で荒川を越える。 扇大橋駅手前では、高架橋の最高地点を通過。 この辺りでは、高さ約30m、眺望は抜群!

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・・・・・・・・・・・・・・一日約1万人が乗り降りする扇大橋駅。 日暮里舎人ライナーの駅はJRなどに接続する日暮里・西日暮里の両駅以外はだいたい同程度の乗降客で似たり寄ったり。 駅の建物も似たり寄ったり。 

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●田舎道(?)を歩く! ・・・・・・・・駅から脇道に入ると住宅地の中に、全てが田圃の一区画がある。 この付近の昔からの田圃で、地主が提供したのか(?)、地元の小学生が描いた『田圃を大切に』の注意書きもある。、、、、夏休みが明けると、そろそろ刈入れの時期、給食はこの新米で作る“美味しい御飯”、楽しみだね!

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・・・・・・・・・・・・・・扇1-33付近で、祠を覗くと馬頭観音が! 美人の観音様なら、嬉しいのだがね!

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・・・・・・・・・・・・・・一車線一方通行の道が曲がりくねり、どうやってここに出てきたか説明できず、でも銭湯:「星谷浴泉」(扇1-34)の前に出てきた。、、、、50年以上続く老舗の銭湯で、番台・富士山のペンキ絵をはじめ日本の銭湯文化を大切に守っている昭和の銭湯。 1番人気は 漢方を混ぜた日替わりの健康薬用風呂らしい。 私も一風呂浴びて行きたいが、只今、8時30分、営業開始は15時30分、チョイト早すぎた!

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●葵の御紋で年始回り! ・・・・・・・私の足は、いつのまにか扇1丁目から本木西町に入っていた。 長い塀が続いている、『塀の向こうは、アリャ、コリャどこかの寺の墓地のようだ。 オヤ、本堂らしき屋根も見える。 行って見よう!』

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・・・・・・・・・・・・・・ぐるりと寺を一周し、山門前に出た。 『ナンダ、ココか! 数年前に来たことのある吉祥院』 チョイト風邪が治るよう手を合わせて行こう!、、、、吉祥院は真言宗豊山派大和長谷寺の末。 江戸四ヶ寺の一つで、真言宗関東の役寺として、江戸時代の盛時には32,000㎡の寺域を持ち、33ヶ寺の末寺を有していた。 渕江山星谷寺と号す。 正応元年(1288)僧円真が開山し、古くから名刹として知られ、住職は権大僧都として、毎年正月には葵の紋のついた籠で江戸城に登場したといわれている。、、、、山門は、平成16年(2004)に建てられたもので、正面の左右には楠の大木で造られた身丈8尺の阿形・吽形の仁王像が邪念を持つ者が入らぬよう、仁王立ちして睨みをきかせている。 念には念を入れ、鉄柵で囲み参拝者も山門はくぐれず、脇から境内に入る。、、、、本堂は昭和57年(1982)の再建で、八間四面、入母屋造りの重厚な建物。 拝殿にかかる「吉祥院」の扁額は豊山派第二十六代管長:総本山長谷寺第八十世化主中川祐俊猊下の揮毫。、、、、境内には庚申塔、板碑なども多い。

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●風邪でボケたか? ・・・・・・吉祥院に着いて、歩く方向を間違えたのに気付いた。、、、、『アリャ、北へ行かずに、東に歩いてた!』 方向転換する。 『進路、北北東にとれ!』 歩く先に神社あり、手を合わせて行こう!
・・・・・・・・・・・・・・チョイトお立ち寄りは、吉祥院の東側に鎮座する本木氷川神社。 祭神は素盞嗚尊。 創建については詳細は不明だが、享徳3年(1454)に創建の後、宝永6年(1709)に現在地に本殿を再建したといわれている。 本木村全体の鎮守であった。


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・・・・・・・・・・・・・・神社の北側に“昭和のアパート”発見! どうやら、空き家のようだが、間違いなくアパートだった建物。中央に配した1階と2階の玄関扉が印象的だ!


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・・・・・・・・・・・・・・自分では北北東に向かっているつもりだったが、曲がりくねった道のため、しばらくして再び地図を見ると、、、、『アレ、また間違えた! コリャ西に向かっている。 もう駄目だ、今日は帰ろう!』 今日は西新井大師に向かうのを諦めた。、、、、柿の実に秋の到来間近を感じながら、暑い暑い陽射しの下、一番近そうな、日暮里舎人ライナーの高野駅へ向かう。

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●帰ります! ・・・・・・・・高野駅に到着。

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2019年8月17日 (土)

夜の堀切

この夏一番の暑さ、予報では36℃。 熱中症で彼の世へ行くのは嫌だ、今日は家でゴロゴロ、グダグダ、そしてグッタリ。 でも、陽も落ちる時刻となると、『ブラブラ歩いてくるか』、、、、今宵は暑そうだから無理をせず、私の好きな東武伊勢崎線の堀切駅と牛田駅・京成関屋駅に行ってきた。




●降りた客は二人! ・・・・・・・堀切駅は、明治35年(1902)4月1日、吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間の開業と同時にできた駅。 当時の堀切駅は今よりやや東側、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 当時はまだ現在の荒川がなかったためで、河川改修に伴って堀切駅が現在の位置に移転したのは大正12年(1923)のことである。 荒川の右岸、堤防沿いギリギリにつくられた駅で、優等電車はスピードを落としホームに沿った急カーブを通過していく。、、、、電車が着いた、降りた客は二人、乗る客はいない、寂しい駅。、、、、駅舎は上下方向別に2箇所ある。 乗降客も少なく、駅前には明かりを消した小さなラーメン屋が1軒あるだけ。 暗闇の中に駅の明かりがまぶしく見える。

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・・・・・・・・・・・・・・駅の東側は荒川。南西側400m程には隅田川が流れ、両川を結ぶように綾瀬川でつながっている。 綾瀬川の荒川側には、昭和43年(1968)に隅田水門が設けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の荒川の堤防にあがって見ると、、、、荒川の向こう岸には首都高の堀切JCTの明かりが見える、、、、上流側には堀切橋が架かる、、、、ふりかえると、南千住方面にタワーマンションが並んでいる
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●下町を抜ける ・・・・・・線路際を歩き、牛田駅に向かう、、、、駐車場横を特急“りょうもう”が疾走、、、、低い桁のガード、、、、ぽつんと一軒家は中華そば屋、、、、線路際の十一面観音は夜中の犯罪を見守っている
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●向かい合わせ! ・・・・・・・東武伊勢崎線の牛田駅、京成本線の京成関屋駅、両駅の改札は40m程の距離で向かい合う。 共に電車が着くと、一方から一方へお客が移動するここは乗換駅である。
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・・・・・・・・・・・・・・両駅の間では、数軒の店が乗換客を狙って、手招きしている。
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・・・・・・・・・・・・・・幸い、私は呑めない身であり、誘惑には負けることもなく、牛田駅から帰ることにした。
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2019年8月12日 (月)

夏だ、お化けだ、煙突だ!

東武伊勢崎線北千住駅から「北千住駅前通り」沿いに西へ歩き、足立区千住桜木で隅田川左岸に出る、チョイト上流側に上り、尾竹橋を渡り荒川区に入る。 「尾竹橋通り」を歩き、町屋駅付近で、ポツリポツリと雨粒に遭遇。 急遽、地下鉄千代田線町屋駅に避難し、そのまま西日暮里経由で浅草橋の我が家に戻る。 1万1千歩。




●東武の巨大ターミナル! ・・・・・北千住駅は明治29年(1896)に、日本鉄道土浦線(現:JR常磐線)の駅として開業した。 3年後の明治32年(1899)8月27日に、東武鉄道初の路線となる伊勢崎線が北千住駅~久喜駅間で開業し、乗換駅となった。 昭和37年(1962)には、営団地下鉄日比谷線が当駅にて東武伊勢崎線に乗り入れ直通運転を開始した。 また、昭和44年(1969)には営団地下鉄千代田線、平成17年(2005)に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の駅が開業した。、、、、この間、平成9年(1997)に東武鉄道の北千住駅の大規模改修工事が行われ、3階建ての駅舎に変わった。 1階は東武伊勢崎線用で島式ホーム2面4線の地上ホーム、3階は日比谷線乗り入れ用で島式ホーム2面3線の高架ホームである。 2階が改札・コンコースとなっている。、、、、東武鉄道北千住駅では、一日平均45万人が乗り降りする、東武東上線の池袋駅に次ぐ巨大ターミナルである。 乗降客数は、私が住むJR総武線浅草橋駅の約8倍の規模である。 デカすぎるね、比べる意味がない! 今日は盆の連休で、さすがに通勤客も少なく、駅はスカスカ、電車はガラガラ。

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●駅から隅田川に伸びる! ・・・・・・「北千住駅前通り」は、北千住駅西口から西の方向、隅田川に向かって伸びるバス通り。 両側のアーケード下には、店舗がズラリと並んでいる。 今日は、まだ8時半で店舗のシャッターも下りている。、、、、旧日光街道である「宿場町通り」もまだ開店準備中。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りの中程に、大橋眼科医院」のレトロな建物がある。 もともとあった大正6年建築のハーフティンバー様式の建物を老朽化で解体後、その意匠を受け継ぎ、大正・昭和の資材をかき集めて昭和57年(1982)に作ったのが今の建物。 建築年は新しいが、大正の香り漂う建物だ!、、、、建物内部も見たいので、眼を悪くして一度診察を受けてみたいね!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは日光街道(=国道4号)と交差する。 アーケードのある歩道もここまで、この先は道幅もチョイト狭まり、普通の通りが続く!

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、脇道に入ると、、、、鍍金工場屋根に面白いものが見えた。 煙突? 空気抜け?

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは、千住中居町で「大正通り」と交差する。 大正通りは、正式名「大正記念道」と称するらしい。 荒川放水路の完成によって廃止になる西掃部堀を埋め立てて大正5年(1916)に完成し、大正天皇の御即位記念としてこの名がつけられたそうだ。 現在は日光街道の西側を並行する、北千住地域の大事な幹線道路の一つ。、、、、かつて、この交差点から北へチョイト入った千住柳町付近には遊廓(戦後は赤線)が在ったそうだ。 残念だが、現在はありませんよ!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは千住龍田町交差点」で、墨堤通り」にぶつかり終点となる。 この先は150m程で隅田川の左岸にでる。 右折して墨堤通りを北へ向かえば、西新井橋で荒川を越える。

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●夏だ、お化けだ、煙突だ! ・・・・・北千住駅前通りから真直ぐ隅田川に向かうと、帝京科学大学7号館の脇で隅田川の堤防上に出る。
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川の堤防に沿って、帝京科学大学の校舎が立ちなんでいる。、、、、帝京科学大学は平成2年(1990)に西東京科学大学として創立、平成8年(1996)に学部再編に伴い帝京科学大学に名称変更した。 生命環境学部、医療科学部、教育人間科学部の3学部と大学院からなる大学。、、、、校舎の出入口が堤防に直結し、堤防から校舎に入れる、珍しい大学だ!

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・・・・・・・・・・・・・・帝京科学大学本館の入口脇に、「お化け煙突」のモニュメントがある。、、、、大学のある足立区千住桜木に、かつて東京電力千住火力発電所があった。 この火力発電所は、大正15年(1926)から昭和38年(1963)まで稼働し、昭和39年(1964)に発電所は解体された。 ここには4本の煙突があり、薄い菱形の各頂点に煙突を配した平面配置であった。 そのため見る角度により、煙突の像が重なるため、4本、3本、2本、1本と見える不思議な「お化け煙突」と呼ばれた。 私も常磐線の車窓から見るのが楽しみだったことを思い出す。、、、、モニュメントはその「お化け煙突」の一部で作られている。 

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●雨だ、ダメだ、帰ろう! ・・・・・お化け煙突の後は、尾竹橋を渡り荒川区に入り、尾竹橋通りを町屋駅まで歩く。、、、、隅田川沿いの小さな公園でも多くの蝉が大合唱、夏だ!、、、、オヤ、落ちてきた、ポツリポツリと雨粒が、、、、千代田線で帰ろう!

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2019年8月 1日 (木)

下町の田園調布

東京は36℃の猛暑日。 暑さに身体を慣らすためと、自らに言い聞かせ散歩に出てみた。 今日も駅で、「何処に行こうか?」 「遠くだと、救急車に乗ったら家族が駆けつけるのに大変だ、近場にしよう!」 「埼玉方面は内陸部でより危険だが、ドクターヘリに乗るチャンスがあるかも!」 「中央線沿線は熱中症で倒れたら知合いに会うかも、チョイト恥ずかしいね!」 などなど、考えに考え、東武伊勢崎線、堀切駅から北に歩くことにした。 堀切駅から北千住駅まで、直射日光が当たらないように裏道を歩いて、1万1千歩の散歩です。



●映画・ドラマのロケ地! ・・・・・・時刻は午前7時45分、夏休みで学生のいない都会のローカル駅:堀切駅は乗る人・降りる人も少ない。 堀切駅は明治35年(1902)に開業した。 大正13年(1924)の荒川放水路掘削工事では、伊勢崎線のルート変更により、荒川の土手際をギリギリ通ることになり、線路は駅構内で大きくカーブしている。、、、、乗降客も少なく、駅前の賑わいもなく、下町の哀愁を漂わせる駅である。 小津安二郎監督の映画『東京物語』、ドラマ『3年B組金八先生』のロケ地である。

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●汗に交じって出た涙 ・・・・・・・堀切駅から裏道を歩き柳原に出る

・・・・・・・・・・・・・・堀切駅から徒歩2分、地域医療を担う中核病院:柳原病院は昭和26年(1951)に開設した病院で、地元住民に愛されてかれこれ70年。
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・・・・・・・・・・・・・・柳原病院の向かいには、平成19年(2007)に開設した東京未来大学がある。 こども神理学部、モチベーション行動科学部の2部を設置し、通学課程、通信課程を合わせ2000名強の学生が学んでいる。、、、、足立区の中学校統合に伴い、2004年度をもって廃校になった足立区立第二中学校の校舎を改修増設して利用している。 なお当校舎は、ドラマ『3年B組金八先生』の「桜中学校」のロケ地としても使われていた。

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・・・・・・・・・・・・・・私の夏休みの楽しみはプールとラジオ体操だった。 嫌だったのは、絵日記とドリル。 登校日の一週間程前からイヤイヤやったものだ! 今の子はどうなんだろう?、、、、朝一で学校のプールに向かう姿は、60年前の私と変わらない。

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・・・・・・・・・・・・・・桁下1.7mの東武伊勢崎線牛田駅ホーム下のガード。、、、、私の前を行く老々の二人。 杖をつき腰も曲がりはじめた上品なお爺さんが、同じように杖をつき腰の曲がったお婆さんの手を引きガードを抜け、行った先は介護サービスセンター。 ご夫婦か、母子か、ほほえましくもあり、悲しくもあり、明日の我が夫婦もこうありたい! 二人を見つめていたら、なぜか、汗と間違えて涙が出てきた・・・・・

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・・・・・・・・・・・・・・盛土の上に牛田駅ホームが見える。

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●下町の田園調布! ・・・・・北千住駅の東側に半円状(田園調布みたいだ)に道路が整備された足立区柳原の町がある。 町の東は荒川土手で、対岸は葛飾区堀切・小菅の町。、、、、柳原の町は現在足立区に属しているが、荒川放水路が掘削されるまでは、小菅・堀切の町とつながって南葛飾郡南綾瀬村に属していた。 荒川放水路により南綾瀬村は分断され、柳原は北千住の町となどとともに足立区に属することとなった。 時は、昭和9年(1934)6月1日のことである。、、、、夕暮れの柳原の町
 
・・・・・・・・・・・・・・柳原の町の中央を貫く、桜並木の「大踏切通り」、、、、名前の踏切りは、東武鉄道、JR常盤線が通過する北千住駅南側の「大踏切」を指す。

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・・・・・・・・・・・・・・町の中心は江戸城の鬼門除けとして創建した柳原稲荷神社 、、、、コミュニケーションの中心は高い煙突の大和湯 、、、、お買い物は原町の目抜き通り「千草通り」と言いたいが、実は寂れて営業しているのは数店舗 、、、、柳原村唯一の寺であった真言宗の理性院(瑠璃山柳原寺)、、、、荒川土手から柳原の町を見る

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●・・・・・・・・・・・・柳原の町から日ノ出町・千住旭町の町を歩く

・・・・・・・・・・・・・・日ノ出町のシンボルのように、旧公団の日の出団地がある。 昭和43年(1968)に竣工した、4棟(764戸)の団地。、、、、千住の町を威圧しているようだ!
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中に埋もれたように校舎がある、北千住駅前の足立学園(中学・高校)。 その足立学園を囲むように「学園通り」が東西、南北に伸びている。 また、近年、東京電機大学の千住キャンパスもでき、「学園通り」も活気づいているようだ!

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●年寄りは無理せず! ・・・・・・時刻は9時半を過ぎた、まだ歩く体力は十分だが、ダラダラと汗は流れ落ち、今日はこれ以上歩いていると、間違いなく熱中症になると思われた。 救急車の世話にならないように、帰ることにした。
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2019年7月18日 (木)

昭和の匂いプンプン

「今日は晴れるか?」疑心暗鬼で散歩に出る。 空を見上げて「何処へ行こうか」、どうも晴れそうにない。 迷った末に、昨日は京急大師線に乗ったので、今日は東武大師線に乗ることにした。 西新井大師に参拝し、その後は“昭和”が匂う本木新道を歩いてみた。 1万1千歩




●もう一つの大師線 ・・・・・・東武鉄道にもある「東武大師線」 こちらは、西新井駅から次の大師前までの一駅間(単線、1.0km)、昭和6年(1931)12月20日に開業した盲腸路線。、、、、2両連結のワンマン電車が、行ったり来たり。 

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●チョイト、早すぎた! ・・・・・・朝8時過ぎ、参道の店はまだシャッターが下りている。 西新井大師の静かな境内には人影も少ない。 大きな本堂でも静かに掃除中。、、、、投げた賽銭の音が堂に響く、静寂。 おもむろに、イロイロ、タップリ、シッカリ、多くの願い事を並べ合掌する。、、、、(昨年末の、東武大師線と西新井大師はコチラ)

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●“昭和”の匂い漂う道 ・・・・・・西新井大師の参拝を終え、「さて、どっちに向かって歩こうか」地図を見ながら思案橋! 決めた、西新井大師の南側に伸びる「本木新道」を端から端まで歩くことにした。

・・・・・・・・・・・・・・本木新道とは、北端の環状7号線の西新井大師交差点から、南端の荒川土手沿いに走る首都高中央環状線高架下の本木一丁目交差点を結ぶ、2km余りの2車線の道路をいう。 新道は古くからの歴史ある街道とは異なり、昭和30年代から農業用水らしき川が暗渠化され、その際、今のように川の流れに沿った曲がりくねった道となった。 沿線には、西新井病院、西新井小学校、足立西郵便局などが道路沿いに在る。 またこの道路には、商店街らしい賑わい、アーケード、大型スーパーなどは無いが、長い距離の沿線に、地域に密着した新旧の個人商店が並んでいる。 また、沿線から最寄りの鉄道駅までは、チョイト距離がありお年寄りには無理、そこで北千住行のバスが大いに利用されている。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、環七通りに面し、本木新道に近い西新井氷川神社に寄って行く。、、、、寛永3年(1626)に武蔵国一宮氷川神社(現さいたま市)から素盞嗚尊を勧請して創建されたと伝えられている。 江戸時代には、西新井村の鎮守とされ、明治6年(1873)には村社となる。

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・・・・・・・・・・・・・・環七通りから本木新道に入った処。(西新井本町1付近)、、、、本木新道には信用金庫の支店が多く、数えてみなかったが、10店舗以上あったようだ。 写真左側は足立成和信用金庫。

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・・・・・・・・・・・・・・西新井本町付近の本木新道。 元気な商店、疲れた商店、昭和の面影残る沿道。 

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、本木新道から脇にそれて、西新井本町4の奥に広がる「都営興野町住宅」に寄ってみた。 棟数:27棟、戸数:560戸、鉄筋コンクリート造4階建て、昭和34年(1959)頃の建物。 最近、改良工事が行われたようだ。 家賃は3万円~4万円程、安い!、、、、築60年の都営住宅、この団地に建てた頃から住んでる人は、何人ぐらいいるのか。 そろそろ建て替えの時期かも? 

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・・・・・・・・・・・・・・再び本木新道に戻り、興野(おきの)地区を歩く。 裏通りの呑み屋、「すてきな奥さん」が売る本屋、モルタルでデコレートしたかつての医院、飲食店も並ぶ、モデルガンを売る店もある。

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・・・・・・・・・・・・・・本木東町、本木南町、本木と続く本木地区を歩く。 どこのバス停にも、バスを待つ人の姿がある。 本木新道は本木南町の付近でS字に大きくカーブする。 ポツリと一軒の八百屋さん。 本木新道の正面に首都高と荒川土手が見えた!

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・・・・・・・・・・・・・・本木新道の南側の端部である本木一丁目交差点。 今日の散歩もここまで、私もバスで北千住駅に出て帰る。

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2019年5月31日 (金)

足立の孤島

東武伊勢崎線の谷塚駅から、花畑団地を抜けて、つくばエクスプレス六町駅まで、1万3千歩の散歩です。




●東京の隣り駅 ・・・・・谷塚駅(やつかえき)は、大正14年(1925)10月1日に開業した東武鉄道伊勢崎線の駅。 昭和63年(1988)8月から、上下線外側にそれぞれ通過線を持つ、現在の1面4線高架駅となる。 電車は普通しか停車しないローカル駅。、、、、谷塚駅(埼玉県草加市)は竹ノ塚駅(東京都足立区)の隣りにあって、海抜3.45mで埼玉県では最も低いところの駅です。 「谷」は“やつ”とか“やち”と呼ばれ低い土地をさし、「塚」は近在に塚が多かったために村名となった。 村名を駅名にして開設した当時は、桑畑であった駅周辺も、道路・住宅が整備された東京の隣り町に変わってきた。 朝のホームには、学生・サラリーマンなど若い人が目立つ。 (ナイショだけど、美人が多い駅だ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の案内にあった、昭和33年(1958)の谷塚駅の写真。 

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●ハイヒールで登れる富士山! ・・・・・・駅前を東に真っ直ぐ進むと、旧日光街道との交差点に富士浅間神社がある。 木花開耶姫命を祀っている当神社の創建年代は不詳だが、他所に祀られていた当神社を明暦年間(1655~1657)に、現在地へ遷座したといわれている。、、、、本殿の建物は天保13年(1842)に再建されたもので、随所に彫刻を配した建物は市の文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・・・・・「社殿の後ろ」と云っても広い境内で社殿の東側には、盆踊りの会場となる程のスペースがある。 そのスペースの先に霊峰富士山がそびえ立つ。、、、、ここの立派な富士塚は「瀬崎の富士塚」と呼ばれ、大正5年(1916)に竣工した、高さ4.0m、幅10.4m、奥行8.6mほどである。 富士講は現在も受け継がれているそうだ。 毎年元日と7月1日は、浅間神社の拝殿で講の行事が行われるそうだ。

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●陸の孤島にある団地 ・・・・・・・・・・・・・・・・足立区の北のはずれ、最寄り駅竹ノ塚からバスに揺られて20分(11停留場)、広い団地内を歩いて自分の住む棟に、腰の曲がった年寄りには5階までの階段が辛い! 途中の3階で天国に直行するかも? ここが終の棲家か?
・・・・・・・・・・・・・・草加市から花畑大橋を渡ると足立区花畑5丁目で、そこは左右に集合住宅が立ち並ぶ花畑団地の中央である。 花畑大橋は、橋長31.4m、幅15.8mのPCポストテンション箱桁橋。 昭和58年(1983)に竣工。 橋の下には、綺麗になってきた毛長川が流れる。
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・・・・・・・・・・・・・・花畑団地は独立行政法人都市再生機構(UR)により、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)に入居が開始された。 東京ドーム約4.7個分(約22ha)の広大な敷地に2,725戸(約80棟)の住棟が並ぶ、都内でも最大級の大規模団地。 現在、団地では築後50年経過し老朽化に伴い、URによる建て替え事業が始まっている。 

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・・・・・・・・・・・・・・団地の中央にはスーパーがある。 「リハビリテーション病院」と称する大きな病院もあった。 年寄りが多いのだろうか、リハビリの需要が高そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地の横に、「花畑団地」のバス停を見つけた。 ここは、足立区の北のはずれ、最寄りの駅は東武伊勢崎線の谷塚駅、竹ノ塚駅、つくばエクスプレスの六町駅だが、いずれも歩いて行ける距離ではない。 バスが無ければ電車に乗れない陸の孤島である。、、、、お年寄りにとっては、日々、団地で軟禁状態の生活をおくっているのかも?

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・・・・・・・・・・・・・・団地に隣接する花畑浅間神社は、古墳と思われる上に造られた富士塚。 創建年代は不詳ですが、富士塚の築造は、石鳥居の年代や伝承から明治初年と思われる。

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●お経を唱えて駅へ! ・・・・・・花畑団地を後にして六町駅に向かう。 

・・・・・・・・・・・・・・チョイト寺に寄って! 真言宗豊山派寺院の正覚院は、鷲王山宝蔵寺と号す。正覚院の創建年代は不詳だが、平安時代中頃の創建と伝えられ、江戸時代には大鷲神社(足立区花畑)の別当寺であった。、、、、真言宗豊山派のお経「光明真言」(梵字)を唱える。『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん 』

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・・・・・・・・・・・・・・高圧送電線の下に、長く伸びる遊歩道をひたすら歩く。、、、、雅万歩のお経を唱える。『おん あるきゃ あしいたいのう くつずれだ たまにゃあ じどうしゃ のりたいのう うん 』

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・・・・・・・・・・・・・・公園で拾った、“えなちゃん”の靴。 まだ新しそうだ、片方だけ? 今頃、泣いているかも?、、、、かわいい女の子を想像し、雅万歩はお経を唱える。 『おん えなちゃん かわいそうだのう おとしたくつ ひろってあげたぞよ べんちにおいとく みつけてくれや うん 』

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●深~~い駅 ・・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)8月24日に開業した、つくばエクスプレスの六町駅(ろくちょうえき)。 六町駅は都内で最も北に位置する地下駅で、ホームはかなり深い処にありエスカレータを4回のって下りる。 戸田建設の施工。

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