足立区

2020年7月19日 (日)

糞尿を運んだ運河

新型コロナの感染が拡大しているなか、自分が感染しないためには、散歩の行き先も慎重に選ばなくてはならなくなった。 今日は、久しぶりに「つくばエキスプレス」乗ったが、行き先を決めてない。 空いた車中、『どこで降りようか?』と悩んだが決まらず、斜め前に座っていた女性が「八潮駅」で降りたので、私もつられて降りてみた。

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・・・・・・・・・・・・・とりあえず、電車とホームをカメラに収め、改札を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 しばらく地図とにらっめっこ。 数年前に歩いた花畑運河に行って、六町駅から帰ることにして、朝8時、八潮駅から散歩をスタート。 

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・・・・・・・・・・・・雨上がり、靄がモヤモヤ。 中川右岸の土手に出る。 八潮駅から南へ約1kmの、この土手には「古新田(こしんでん)」と云うバス停があった。 現在のこの地は、八潮市古新田といい、中川の対岸も同じ地名である。、、、、当地は、江戸初期に大瀬村字新田と唱え、寛永4年(1627)に大瀬村から村切りした当時は大瀬新田と称し、正保年中(1644~1648)に古新田となった。 一般に、“古新田”とは元禄~享保の間に検地した耕地を言うそうだ、ちなみに元禄以前に検地した耕地は“本田畑”、享保以後の検地した耕地は“新田”と云うそうだ。(チョイト、知ったかぶりして書いた!)


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・・・・・・・・・・・・古新田バス停付近から中川の対岸(左岸)を望むと、水色のゲートの大場川水門が見える。 水門の左側は埼玉県八潮市古新田、右側は東京都葛飾区西水元。 水門は埼玉県と東京都の境にあるのだ!

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・・・・・・・・・・・・中川右岸の土手を歩き、対岸に大場川水門の正面が見える位置付近に来ると、垳川(がけがわ)排水機場がある。 垳川の東端、中川との接続点に昭和54年(1979)に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。 現在の垳川は、北から八潮市を貫いて流れ下る葛西用水路の溜め池となっている。 大雨などによる増水時には水害防止の為、垳川の両端部の排水施設により、綾瀬川や中川に排水する機能を有している。 その一端が、埼玉県の管理する垳川排水機場。 5台のポンプで1秒間に40立方メートルの水を中川に排水する能力を有している。、、、、「垳川」の北側は埼玉県八潮市、南側は東京都足立区で、垳川が都県境の一部となっている。


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・・・・・・・・・・・・中川土手を、もう少し南へ歩くと花畑運河がある。 東京近郊農村地帯と都心を連絡する舟運の利便化のために昭和6年(1931)に、第一級河川「中川」と「綾瀬川」を結ぶ、全長1.4kmの運河として開削された。 終戦直後は都心の下肥(糞尿)を農業用肥料として近郊の農家へ、運河をとおり舟で運んでいた。 現在は、舟の通行はほとんど無くなり、真っ直ぐに伸びた細長い釣り堀となっている。、、、、名前は綺麗なんだが運河沿いには、花壇があるわけでもなく、サクラ並木があるわけでもない、花に縁のない運河。 また、“釣り堀”と云っても、愛好家が勝手に河岸で釣りを楽しんでいるだけ。 もうすこし住民がよろこびそうな運河の有効利用は考えられないかな?

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・・・・・・・・・・・・内匠橋綾瀬川を越え、足立区南花畑地区に入る。 この辺りはつくばエキスプレスが開通する以前は“陸の孤島”で、畑が多かった。 今は完全に新興住宅街となり、新しい住宅が建ち並んでいる。、、、、どこを歩いても、花畑は無い、大根畑も無い!、、、、【チョイト一言】 “花畑”は“はなはた”と読む、“はなばたけ”と読むと、私のように綺麗な花が咲いている土地を期待してしまう。

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・・・・・・・・・・・・南花畑の町を抜けると、つくばエキスプレス六町駅。 平成17年(2005)8月24日に開業した地下駅。、、、、六町駅から秋葉原駅までは、約16分。 速いね! 秋葉原駅から浅草橋の我が家までは、徒歩15分。 でも、つくばエキスプレスの秋葉原駅は「ヨドバシカメラ」の地下深くにあり、電車を降りてから地上に出るまでチョイト時間を要す。 さらに、“ヨドバシ”に寄ってブラブラすると、この時間が最も長くなる。

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・・・・・・・・・・・・今日の散歩は1万歩。 車中以外はマスクなしで歩くことができ、楽だった!

2020年6月20日 (土)

牛田から梅島

大きな私鉄:東武鉄道になると当然駅も多い、日本人なら大往生するまでに一度は乗り降りしたことがある浅草駅、行ったことがなくても駅名は聞いたことがある北千住駅、どこにあるのかサッパリ判らん梅島駅、駅名を聞くのは生まれて初めて牛田駅など、ピンからキリまで選り取り見取り。 今日の散歩は、知名度の低い牛田駅から歩きはじめ、西新井橋を渡り梅島駅まで、1万5千歩の散歩です。




駅の向かいに駅 ・・・・・・・・浅草~北千住間の各駅に停車する普通か、区間準急、区間急行(浅草~北千住間は各停)に乗らないと牛田駅に下車することができない。 牛田駅は北千住駅の隣り駅だが、周辺にはめぼしい建物・施設はない。 京成電鉄本線の京成関屋駅とは道路を挟んで向かい側にあり乗り換えが楽な連絡駅となっている。、、、、牛田駅は昭和7年(1932)9月1日開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。

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・・・・・・・・・・・・駅の向かいに駅。 京成関屋駅がある、それぞれ乗り換える人が道路を横断していく!、、、、京成関屋駅は、昭和6年(1931)12月19日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。
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●墨堤通り! ・・・・・・・牛田駅から墨堤通り(都道461号)を西へ向かって歩くことにした。

・・・・・・・・・・・・踏切の先は、半円状に道路が整備された柳原地区。 墨堤通りは踏切の手前を左側(西側)に折れてる。

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・・・・・・・・・・・・東武伊勢崎線から分岐し、墨堤通りを横断していた岡田商事引込線跡。 京成本線の高架下を抜けた先(隅田川岸)に旧千住貨物駅があった。

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・・・・・・・・・・・・墨堤通りの南側に京成本線が並行する。 その先で、墨堤通りは常盤線・つくばエキスプレス・東京メトロ日比谷線の下をくぐり、千住宮元町交差点にて日光街道(国道4号)と交わる。

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●マスクした狛犬! ・・・・・・・・千住宮元町交差点近くに、千住青物市場の守護神としてであった河原町稲荷神社がある。 創建年代は不詳だが、千住市場が開かれた天正年間(1573~93)に遡ると云われている。、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿と社叢が全焼したが、御神体ならびに神輿庫は類焼を免れた。 昭和22年(1947)、トタン葺の木造社殿にて復興し、昭和41年(1966)に現社殿(鉄筋コンクリート造)が造営された。、、、、当神社の狛犬は足立区内最大の大きさを誇っているが、今年は“新型コロナ”の影響でマスクを使用している。 “安部のマスク”は貰えなかったので、自腹で特大のマスクを買ったらしい。 顔が見えない!

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●再び、墨堤通り! ・・・・・・・千住宮元町交差点を過ぎると、墨堤通りは徐々に北に向かう。 私は、墨堤通りに並行する裏通りを歩く。 

・・・・・・・・・・・・只今、午前9時。 「ゆうやけ通り みどりちょう」と標された商店街に足を踏み入れたが、まだ夕焼けには時間があり、何処の店も開いてない! つまらないので、脇道を歩く。

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・・・・・・・・・・・「都営千住桜木一丁目アパート」の前に出た。 隅田川岸にたつ、平成13年(2001)竣工、総戸数:260戸(14階建て)の大きな都営住宅である。、、、、アパート裏の護岸に上ると、大きく蛇行する隅田川を眺めることができる。

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・・・・・・・・・・・・再び、墨堤通りを歩く。

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・・・・・・・・・・・・かつて、東京電力の守護神と云われたこともある元宿堰稲荷神社。 第116代桃園天皇の御代、宝暦4年(1754)の創建と伝えられるが、詳細は不明。
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・・・・・・・・・・・・墨堤通りが尾竹橋通りにぶつかる千住桜木町交差点、これより先は尾竹橋通りとして西新井橋を渡る。
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●スカット爽やか! ・・・・・・・・・・・尾竹橋通り(東京都道461号)を通す、橋長: 444.6mの西新井橋。、、、、今日は散歩日和で、橋の上を歩いても暑くない。 荒川の風も優しく吹き、気持ち良い散歩だ!

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●コロナか、霊気か?・・・・・・・・西新井橋を北詰から梅島駅に向かう。 途中、梅田6丁目にある、天照大神を祭神とし、慶長年間(1596~1615)の勧請という梅田神明宮に立ち寄る。 地主神が祭られていた当地に、神明宮を創建したそうだ。 また、井上正鐡が伝道した禊教発祥の霊場だと云われている。、、、、なんとなく、ジメットした境内は、コロナが居るのか?霊気が漂っているのか?

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●油断大敵! ・・・・・・・・梅島駅に到着! まだまだ油断できない“新型コロナ”、それでも外出したい人が多いようだ、駅にも人が出てきた!

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2020年5月31日 (日)

行きも帰りもガラガラ!

三密を避け、ガラガラの電車に乗って、東京拘置所のある小菅駅から散歩を始める。 裏道を歩き、綾瀬駅前をとおり、お花茶屋駅まで、1万3千歩の散歩。 帰りの電車もガラガラ!




●電車も楽し! ・・・・・・浅草橋から都営浅草線で押上へ。 押上で東武電車の準急:久喜行きに乗り、北千住で普通に乗換え、隣り駅の小菅まで。 短い距離だが、久しぶりにのんびりと電車に乗り、楽しんだ気分がした。 

・・・・・・・・・・・・浅草橋から都営浅草線で押上へ、、、、羽田・成田の両空港を利用する観光客がいない! 電車も、ホームもガラガラだ!

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・・・・・・・・・・・・押上駅は、都営・京成の駅も、東武・東京メトロの駅も、スカイツリー見物の観光客がおらず、これまたガラガラ!

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・・・・・・・・・・・・東武押上駅から久喜行きの準急に乗る、、、、次は、隣り駅の曳舟、その次は北千住までノンストップ!

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・・・・・・・・・・・・北千住で普通に乗換える

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・・・・・・・・・・・・着いたところは、東京拘置所前の小菅駅。 降りる人、乗る人も少ない、哀愁おびた都心のローカル駅。 高架下の大空間に改札があり、風通しはバツグン! 冬は寒い! 今は換気充分、コロナは居ない!

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●3000名収容! ・・・・・・駅前の東京拘置所は、敷地の北と西に古隅田川とよばれる小川が流れ、東は綾瀬川が流れる、四角い広い城塞のような土地である。 その中央に、地上12階/地下2階建て、高さ50mの平成18年(2006)頃に完成した新舎房が堂々とたっている。 3010名収容できる立派な施設だが、私はまだ泊まったことがない、チョイト残念!、、、、新舎房を取り囲むように、官舎・公務員住宅が配され、素人の私には事前に脱走経路を調べるのは無理である。

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●謎の事件! ・・・・・・東京拘置所の北側にJR常磐線の高架橋がある、その高架橋脇(足立区西綾瀬1)に「下山国鉄総裁追憶碑 」がある。 昭和24年(1949)に起きた下山事件の記念碑だ!、、、、下山事件は昭和24年7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則が、朝、公用車で出勤した。 途中、銀行等により日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住~綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 遺体からは生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた時代の事件である。 いまだに、自殺か?他殺か?謎!、、、、その後も、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。

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●コロナに強い! ・・・・・・・綾瀬川を越えると常磐線の南側(足立区綾瀬1)に綾瀬神社がある。 元の氷川神社に胡録神社を合祀し、社名を綾瀬神社とした。、、、、本社はさいたま市大宮の氷川神社、武蔵野国の一ノ宮でその神徳を仰ぎ、明暦5年(1659)に勧請した。 また一方の胡録神社は氏子区域にもう一社あった神社で、宝暦5年鎮座との社伝がある。 こっちは疫病退散を祈願する神社で、ぜひともコロナを撲滅して欲しいものだ!

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●銀座だ! ・・・・・・・「TOKYO 2020」の旗がもの悲しくなびく「綾瀬中央銀座」の商店街を抜けると綾瀬駅にでた。、、、、喉が渇きお茶が欲しく、銀座でショッピングしたかったのだが、“銀座”にはコンビ二が見当たらない!

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●千葉から香取へ! ・・・・・・・・綾瀬駅から南東へ向かい、葛飾区堀切8丁目の上千葉香取神社に出た。 神社は旧上千葉村の鎮守。、、、、当地区は中世、千葉氏一族の領地であり、付近には古城址と思われる地名が残っているので、当社は葛西氏または千葉氏が下総国香取神宮を勧請したものと推測されている。 社号は明治5年社格制定の時、「千葉神社」と改めたが、昭和32年旧名に復して「香取神社」とした。

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●泥棒のように! ・・・・・・・・気の弱い泥棒のように人との接触を避け裏道を歩き、京成本線お花茶屋駅に向かう。 
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●帰りもガラガラ! ・・・・・・・・お花茶屋駅から青砥経由で我が家(浅草橋)へ帰る。 帰りもガラガラ!

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2020年3月16日 (月)

護摩でコロナをコロリ!

新型コロナ撲滅を祈願して各処の寺社に参っている。 今日は、「病気平癒」に絶大な御利益が期待できることで知られている西新井大師に行ってきた。 大師の帰りは、日暮里・舎人ライナーの舎人公園駅まで散歩。




●護摩で新型コロナをコロリと! ・・・・・・・新型コロナの撲滅祈願に、はるばる遠く浅草橋の男一匹、やって来ました西新井!

・・・・・・・・・・・・東武鉄道大師線の「大師前」駅から、早朝の人通りの少ない参道を歩く。、、、、マスク嫌いで、マスクはカバンに入れて持ち歩いている私には、人とのすれ違いも少なく安心して歩ける参道だ。 これならコロナはうつらんだろう!

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・・・・・・・・・・・・西新井大師は、真言宗豊山派の寺で、山号を五智山と称し、寺名は詳しくは五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)と称する。 「西新井大師」は通称。 空海(弘法大師)が関東巡錫の途中、西新井を通った際に、本尊である観音菩薩の霊託を聞き、本尊の十一面観音を彫り天長3年(826)に寺院を建立したことに始まる。 江戸時代の本堂は昭和41年(1966)の火災により焼亡したが本尊は難を逃れた。 現本堂は昭和46年(1971)に、大関徹建築設計事務所の設計、清水建設の施工で再建された。、、、、川崎大師、観福寺大師堂と共に「関東厄除け三大師」の一つに数えられ、毎年の正月には初詣の参拝客で賑わう。

・・・・・・・・・・・・山門、、、、江戸後期の建立。 両脇に金剛力士像を祀る。 新型コロナに勝てそうな面構えだが、山門に隔離され腹が出ている姿は動きが鈍そうだ! 

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・・・・・・・・・・・・本堂、、、、鉄筋コンクリート造、2階建て、延床面積は約2,330m2、昭和46年(1971)5月竣工。、、、、早朝なので人影もまばら。

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・・・・・・・・・・・・内陣、、、、御本尊の十一面観音・弘法大師像は共に秘仏、姿は見えず仏壇の扉越しにゆっくり手を合わせる。 天長年間(824~834)に、弘法大師が流行り病や災厄に苦しむ人々を救うために、自らの手で十一面観世音尊像をつくり、二十一日間もの間祈りをささげ続けたのです。その後、この地から泉が湧き出て、人々を病や災厄から救ったといわれている。 これ以降、西新井大師では、家内安全、無病息災、病気平癒を祈願する参拝者が絶えず、篤い信仰を集めているそうだ。 護摩をガンガン焚いて新型コロナを焼き尽くして欲しいものだ!、、、、ここは中野の「新井薬師」ではないので、薬師如来は不在、間違えないで!

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・・・・・・・・・・・・不動堂、、、、関東三十六不動の第26番札所。 建物は歴史あるものではなさそうだ。

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・・・・・・・・・・・・三匝堂(さんそうどう)、、、、明治17年(1884)建立。 都内に残る唯一の栄螺堂(さざえどう)である。古くは登ることができたが現在は内部非公開。 一匝に八十八体大師像(隙間から覗くと小さな仏像が並んでいる)、二匝に十三佛、三匝に五智如来と二十五菩薩をまつっています。

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・・・・・・・・・・・・・・山門脇に塩地蔵、、、、江戸時代からいぼ取りなどに霊験あるお地蔵さん。 功徳あれば塩を倍返しする。 もし、ご利益無ければ、砂糖の倍返し。(嘘だよ~~ん)

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●普通の団地! ・・・・・・・西新井大師をあとにして、西側の裏通りを北に歩く。、、、、少し行くと、都営住宅「西新井六丁目アパート」があった。 特に変わった建物でもなく、歴史あるものでもなく、何処にでもある団地。 昭和48年~昭和49年に建てられた、広さ約40㎡の2DK~3DKの間取り、全193戸(7棟)の団地。

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●送電線に沿う! ・・・・・・裏道を北の方角に歩く、町の風景には特筆すべきものはない! 上空を這う、送電線と鉄塔を見ながら歩く。 鉄塔の形を見て楽しんでいる、写真を撮っている、変な親爺は私のことか?

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●公園抜けたら駅! ・・・・・・・上を見ながら、着いた所は舎人公園。 舎人公園を抜けたら舎人公園駅

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・・・・・・・・・・・・・・日暮里・舎人ライナー舎人公園駅から帰宅。

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2020年2月14日 (金)

観梅の穴場

連日のポカポカ・ポッカレモン陽気で、ウメが咲き、サクラがほころび、チンチョウゲも咲いて、ひょっとすると間違ってヒマワリも咲きそうな暖かさ。 ウメが散らないうちに観ておこうと、夫婦で観梅に行くことにした。 人混みは、新型コロナに感染するかも(?)と思い、交通機関も空いていそうな処で、“知る人ぞ知る 知らない人は黙ってろ”、観梅の穴場「足立区都市農業公園」に行ってきた。 日暮里・舎人ライナーの西新井西駅から西へ歩き、足立区鹿浜にある「足立区都市農業公園」に行き、さらに西へ歩いて埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、1万3千歩の散歩です。




●寺から西へ1km! ・・・・・・・日暮里駅から先頭車両の一番前の席に、還暦はとっくの昔に過ぎた夫婦が座り、遊園地気分で「西新井大師西駅」でライナーから降りる。、、、、西新井大師西駅から西新井大師の山門までは、直線距離で約1.0km。 普通に歩けば約20分以上はかかる。 駅名に騙されて、当駅から西新井大師へ参拝するのは後々後悔することになる、高齢者は“死の行進”となるかも? 後悔する人が多いようだ、駅の壁に西新井大師行きのバス乗り場までの案内があった!、、、、駅は平成20年(2008)3月30日に開業。

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●西へ、西へと歩く! ・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・まずは、駅前にある、URの江北六丁目団地の中を通り抜ける。、、、、昭和46年(1971)に竣工した、総戸数:860戸の団地。 数年前にリニューアルされ綺麗だ!、、、、駅出入口の真ん前にあるので、会社帰りのチョイト一杯は家の前を通ることになるので行き難いね!

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・・・・・・・・・・・・つづいて、都営の上沼田第3アパート。 昭和43年(1968)に建てられた総戸数:569戸の団地。 築50年経過し、住民の多くは高齢化し寂しくなったそうだ。、、、、団地内の商店は店を閉じたようだ!

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・・・・・・・・・・・・鹿浜4丁目の民家の軒先に立つ“出世の狸”、、、、立て札にいろいろ書いてるね。


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・・・・・・・・・・・・鹿浜3丁目、真言宗智山派の寶蔵寺は、医壷山福寿院と号す。 寶蔵寺は、弘安年間(1278~1288)、良算和尚によって鹿浜村南部に創建され、江戸時代には末寺8ヶ寺を擁する小本寺格の寺院だった。 荒川水除堤(熊谷堤)の造成により堤外となり、また水害も多いため、寛保2年(1742)以降に当地に移転した。 現在の堂宇は大正14年(1925)に再建されたもので、江戸期の隆盛を偲ぶべくもないが、風情ある寺だ!

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・・・・・・・・・・・・寶蔵寺の裏(北側)に北鹿浜公園があり、そこに昭和2年(1927)に製造され、昭和46年(1971)まで現役で走り続けた蒸気機関車:C5075(中距離用小型テンダ機関車)が保存されている。 塗装は剥げ、車体は劣化し、ボロボロ。 可哀そうで泣きたくなるね! 

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●ウメも、サクラも、満開! ・・・・・・・足立区の端(鹿浜2)にある「足立区都市農業公園」に来た!、、、、ウメの木は40本弱ぐらいで、梅林というほどではないが、静かに観梅することのできる穴場である。、、、、初めて来た妻は、綺麗に咲いたウメに感動し、ウメの花の香に爽やかさを感じ、再び感動。、、、、また、ウメに魅せられ、負けじと咲いたカンザクラは既に満開、一部散り始めた。

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・・・・・・・・・・・・・・せっかく来たのだから、古民家長屋門などもチョイト拝見。

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●さらに西へ、川口へ! ・・・・・・・・・・・公園の脇を流れる芝川は、東京都足立区と埼玉県川口市の境である。 荒川への注ぎ口である芝川水門の近くで芝川を越えて川口市に入る。、、、、降りだしそうな、いやな空模様、気持ちはあせって、足はヨタヨタ、埼玉高速鉄道の川口元郷駅へ向かう。

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2020年2月12日 (水)

小台と宮城

日暮里・舎人ライナー足立小台駅で下車し、荒川と隅田川に挟まれた中洲状の町:足立区小台・宮城を歩いてきた。 帰りは豊島橋を渡り、豊島五丁目からバスで帰宅。 1万1千歩




●お客は少ない! ・・・・・・・荒川と隅田川に挟まれた、“狭い土地”と言うべきか、“広い土手上”と言うべきか、どちらにしても住宅からはチョイト離れた尾久橋の北詰(足立区小台1)に、日暮里・舎人ライナーの足立小台駅はある。 平成20年(2008)3月30日のライナー開業と同時にできた。 平成30年(2018)度の一日平均乗降人員は3,931人であり、日暮里・舎人ライナー13駅中最下位だった。、、、、朝の足立小台駅では、乗降客が少ないにもかかわらず、2名の警備員がホームにいた。 『いやに、厳しいな!』と思ったら、ライナーが超満員で入線してきた、ココ足立小台駅では乗れない人もいるようだ。 その人達のための、“尻押し”をしているらしい。 押すところ間違えないように!

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・・・・・・・・・・・・ホームは、隅田川・荒川を見下ろす高い位置にある。

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●車窓は絶景! ・・・・・・・足立小台駅の北側、荒川に日暮里・舎人ライナー荒川橋梁扇大橋が架かっている。、、、、日暮里・舎人ライナー荒川橋梁は、橋長610.8m、4径間鋼箱桁の構造で、平成18年(2006)に竣工した。 何と云っても、日暮里・舎人ライナーが橋の北側で首道路中央環状線の上を跨ぐため、ライナー高架橋の最高地点で、高さは約30mあり、眺めは最高!、、、、扇大橋は、尾久橋通り(都道58号台東川口線)を通す。 こちらは、長さ445.4m、幅員26.0mの3径間連続鋼ゲルバー式桁/連続箱桁橋。 昭和49年(1974)竣工。、、、、日暮里・舎人ライナーに乗り、ココを通過する時、いつも思うのは、絶景に感動し、電車の停止に怯えること。 もし、橋上で電車が止まったら、約30mの橋上を歩いて退避することになる、怖~~い!

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●昔は台地、今は土手下! ・・・・・・・足立小台駅から西へ、足立区小台の町を歩く。、、、、小台も、隣りの宮城も、大正時代に荒川放水路開削事業で河道となるため住民が立ち退かされた町である。 それまでは、さほど高くはない台地で、畑地であったそうだ。 そこで“小さな台地”ということから「小台」と呼ばれたらしい。、、、、荒川放水路(現:荒川)ができたため、小台・宮城の町は中洲のような細長い狭い町となってしまった。 現在は工場がが多く、下町の工業地帯。

・・・・・・・・・・・・まずはブラブラ。 建設関連の、〇〇建設、〇〇工業、〇〇塗装などの会社名が多いね!

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・・・・・・・・・・・・小台2丁目に曹洞宗の寺:珠明院がある。 金龍山と号し、本尊は聖観音像(浅草の浅草寺も、金龍山で本尊は聖観音像、似てるね!) 珠明院は、然室存廓(弘治元年(1555)寂)が開山となり創建した。、、、、本堂前には、板碑型庚申塔、地蔵菩薩がある。 地蔵には『六地蔵弐番目武州江戸講中 元禄十二己卯年七月十五日』の銘がある。

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・・・・・・・・・・・・珠明院の北東、荒川土手の前に立派な庚申塔が七基ある。、、、、説明板には、 小台七庚申  庚申信仰は、大陸から伝来した儒・仏・道の三教の内、道教を軸に平安時代の初め僧侶によって貴族社会に伝わり、のち次第に庶民に及んで固有の民俗信仰と習合し、広まったものである。ここ一か所に集まっているのは、大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で、立退きの対象となった地から下川家と共にここに移転安置したものである。承応三年(1654)から元文元年(1736)に造立された堂々とした造りで、江戸期庚申信仰が盛んであったことを物語っている。武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって小台の七庚申と呼ばれ、人々の信仰を集めている。多くの民俗資料が消滅していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。 平成4年3月 東京都足立区教育委員会 』と、記されている。 、、、、昔は、道端にこんな立派な庚申塔が多く祀られていたであろう。 今では、お宝だ!

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●豪族の館があった町! ・・・・・・小台の隣りは足立区宮城の町、こちらもブラリ散歩、、、、三方を荒川・隅田川に囲まれ、残る一方は小台の町に隣接する。、、、、町名の由来は、豊島氏の一族で太田資正に仕えた宮城政業の居館が現在の江北橋側の氷川神社にあり、寛永の頃には宮城の村落が出来ていたとそうだ。

・・・・・・・・・・・・町をブラブラ、こちらも小台と同じで下町の工業地帯。

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・・・・・・・・・・・・・・・町中にあるはずの、真言宗の福壽山地蔵院。 あまり広くない境内に墓石がポツンと残り、堂宇は一切ない。 アレ? 寺の夜逃げか? 本堂があったと思われるところは整地されジャリ・ジャリ。 どうしたのかな?、、、、残されている墓石を見ると、どの墓も「下川家」だ、一族か? チョイト、ミステリアスな寺。

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・・・・・・・・・・・・・・江北橋の橋詰めに宮城氷川神社がある。 氷川神社は、豊島重信の子重中が南北朝時代に足立郡宮城の地を開発、守護神として武蔵国一宮氷川神社の分霊を勧請して創建、北條氏滅亡時に宮城氏も滅亡したものの、江戸時代初期の村落成立時に改めて村落の鎮守社として祀ったと言われている。、、、、この地には、豪族宮城氏の居館があったそうだ。 “砦”と言う程度のものか?

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●北区から帰宅! ・・・・・・・・豊島橋を渡り足立区から北区に入る。 豊島五丁目団地の前からバスでに乗る。 北区から帰宅。

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2020年1月20日 (月)

足立区の下町

草加あたりで降りるつもりで、押上で久喜行きの準急に乗る。 電車は、乗客全員がチョウド座れる程度で、立っている人は一人・二人ぐらい。 次の曳舟から、私の右隣りに女子高生が大きなカバンを抱きしめて座った。 電車が走り始めると、私の隣りの左手でカバンを抱いて、あいている右手でカバンの中をゴソゴソ。 カバンの中の右手が私の腰のあたりに伸びて来てゴソゴソ、アリャ、女子高生の痴漢か?、被害者は私、70を超えた親爺か?。 大きなカバンの中、隅の方の何かを探しているようだ、痴漢ではなかった、チョッピリ残念! カバンから丸い手鏡を取り出した、再びゴソゴソ。 次に、カバンから手が出た瞬間、ピンクの丸いケースが床に落ち、コロコロ。 女子高生は慌てて立つが大きなカバンが邪魔で動作が鈍い。 電車はゴトゴト、ケースはコロコロ、空いてる電車の中を、ケースがアッチへ、コッチへ、女子高生は追っかける。 ドアの隅でやっと拾い上げた。 席へ戻った女子高生、今度はペンシルのようなものをだし、化粧を始める。 隣に座る親爺はイライラ、何処で降りるか集中して考えられず、頭にきて北千住で降りてしまった。 親爺は、普通電車に乗り換え、今日は“2”0日なので、北千住から“2”駅目の五反野駅で下車した。

東武伊勢崎線の五反野駅から、常磐線の綾瀬駅前をとおり、京成本線の堀切菖蒲園駅まで、今日は1万2千歩の散歩。




●テキトウに東へ! ・・・・・・・・テキトウに五反野駅で降りた! 『さて、東西南北、右左、いずれに行こうか?』 チョイト考え、これまであまり歩いていない、東へ向かうことにした。 “東”と言っても、テキトウで、大雑把に言えば綾瀬方面に向かうことにした。

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●戦後の下町! ・・・・・・・・駅の東側「西綾瀬」(足立区)の町は、戦後の下町という感じ、町は区画整理されておらず、道はクネクネ、トタン張りの建物がポツポツ残る、アパートが立ち並ぶ、ヨタヨタ歩いているのは爺さん婆さん、ママチャリで脇をすり抜けていくのは若いママ、狭い道に車が入ってくるゴミ収集車とデイサービスの送迎車。

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●屋根のカーブがいいね! ・・・・・・・西綾瀬3丁目に新義真言宗の長性寺がある。 真光山荘厳院と号し、寛永元年(1624)に創建した。 本尊は不動明王(立像)。、、、、本堂の素朴な感じがいいね! 境内は約1000坪あるそうだ。、、、、ご近所の方か(?)、境内の石仏に花を供えていた。 

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●長~い水路! ・・・・・・・長性寺の東側、綾瀬川に「五兵衛新橋」が架かっている。 五兵衛橋の名は、江戸時代の初め、武蔵国入間郡金子村(現:埼玉県入間市)からこの地に転入し、この付近を開拓した金子五兵衛に由来する。 付近一帯はその名をとって五兵衛新田村となった。 寛永年間(1624~1644)に綾瀬川が内匠橋から伊藤谷橋あたりまで新川として開削されたため村は東西に分断されたので、代償として長さ12間、幅9尺の土橋が幕府によって設置された。これが初代の五兵衛橋。 その後、橋は何度か架け替えられた。 昭和に入ると綾瀬川の護岸も整備され、高さも高くなってきた。 平成10年(1998)、高くなった護岸をまたぐように、歩道橋のような形状の現在の橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・橋上から南を見ると、小菅の東京拘置所の大きな建物が見える。 また、後ろにはスカイツリーもチョイト見える。

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●綾瀬の一寺一社! ・・・・・・・橋を渡ると、綾瀬の町である。 そこには綾瀬稲荷神社が鎮座する。、、、、綾瀬稲荷神社の創建年代は不詳だが、五兵衛新田の鎮守社であったと言われ、明治7年(1874)に五兵衛神社と、昭和42年(1967)年に綾瀬稲荷神社と改称した。

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・・・・・・・・・・・・綾瀬稲荷神社と隣り合わせに、真言宗豊山派の観音寺がある。 観音寺は稲荷山蓮華院と号す。 観音寺は、賢智上人が開山、当地を開拓した金子五兵衛(法名開田院)が開基となり、17世紀初頭に創建した。 本尊は十一面観世音菩薩で江戸時代初期の作らしい。、、、、慶応4年(1868)、江戸から流山へ退却する新撰組の一隊が金子家とこの寺院に宿泊したそうだ。

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●歩くぞ! ・・・・・・・綾瀬駅に着いたが、帰る時間にはまだ早い。 駅前の「綾瀬川通り」をまっすぐ歩けば、京成本線の堀切菖蒲園駅に行ける。 『よし、堀切菖蒲園まで歩こう!』自分に言い聞かせ歩くことにした。、、、、駅構内を素通りして行く。

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・・・・・・・・・・・・ひたすら歩いて堀切菖蒲園駅に向かう。、、、、ほぼ予定の時間内で到着、息はゼイゼイ、足はパンパン、腹はペコペコ、チョイト電車の中でひと休み。

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2020年1月16日 (木)

皿沼不動の罰が当たる?

日暮里舎人ライナーの谷在家駅から、川口市の元郷五丁目バス停まで、1万1千歩の散歩です。




●嬉しい誤算? ・・・・・・・谷在家駅(やざいけえき)は尾久橋通りの頭上にある日暮里舎人ライナーの駅。 平成20年(2008)3月30日、日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 他の駅と似た造りで、ホームは島式1面2線で3階にある。 改札口は1ヶ所のみで2階にある。 出口は道路の両側に出られるように設置されている。、、、、開業の年(2008)の当駅の一日平均乗降客数は5,061人、10年後の平成30年(2018)には10,532人と、ほぼ倍となった。 通勤・通学客も増え、既に開通以前に予想した目標の乗降客数を達成し、輸送力増強に取り組まねばならない状況らしい。 東京都交通局にとっては嬉しい誤算かも?

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●罰当たり? ・・・・・・・谷在家駅で、駅構内の周面地図を見ると、“血沼不動”の文字が目に入る。、、、、血で赤く染まったドロドロの沼の脇で、邪鬼と戦う不動明王。 そのしぐさを天から見つめる美人の観音菩薩。 私の妄想が始まり、地図の前で一人ニヤニヤ。 これはぜひとも行って見よう、“血沼不動”へ!

・・・・・・・・・・・・途中の交差点で立ち止まり、何気なく交差点名を見ると、「皿沼二丁目 Saranuma 2」と表記されている。 ガァ~~ン! “血”と“皿”の見間違い。 一気に疲れた! 回転ずしで皿を積み上げ、ニコニコして寿司を口に入れる不動明王。 私の妄想は破壊する!

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・・・・・・・・・・・・「皿沼」の地は、雅万歩にとっては初めての地である。 恥ずかしながらのカン違い、苦笑いで済ます!、、、、ところで「皿沼」の謂れは不明だが、地名用語では「さら」は、「新しい・浅い、または崖」の意、とすると「さらぬま」は「浅い沼=湿地」ということになるそうだ。 現在の足立区皿沼と西隣の足立区加賀のあたりは、19世紀半ばに成立した加々皿沼村であった。 そのむかしは加々と皿沼は別々であった。 昭和50年、新住居表示により「足立区皿沼」が誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・皿沼農協前の江北北部緑道公園にワシントンからの「里帰り桜」が植えられている。 昭和56年(1981)に植えられた。、、、、チョイ見ると、ピンクの花が咲いていた。 暖冬のせいかも?

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・・・・・・・・・・・・サクラを見て、スグありました、『血で染まった沼』のお不動さんの寺。、、、、関東三十六不動の第25番「皿沼不動」。 天台宗系単立の皿沼不動永昌院は、修験道中尾玉林院賢義の法弟明善が、慶応3年(1867)に創建した。 入口に風邪封じの観音が建ち、入って左手は墓地、都会の寺院なみに庭がなく庫裏も一緒で、チョイト手狭な鉄筋コンクリート2階建ての本堂である。 御本尊の御前立不動明王は、身丈は六尺三寸(約1.9m)、総高十二尺(約3.6m)で、日本最大欅(けやき)材の一本彫御前立不動尊である。、、、、9時ジャストに到着、寺のおばさんが扉を開けてくれて手を合わせる。 外の賽銭箱(100円投入)の位置からお不動さまを見ると、手前の天狗の面に隠れ顔が見えない。 アリャコリャ・モジモジしていると、『靴を脱いでお上がりください、前へどうぞ』の一言。 気の弱い私、只で厚意を受けるのは“男の恥”、あらためてローソクを200円で買い、灯をつけ手を合わせる。 なぜか、見られているようだ! ここで、カメラを取り出し仏の写真を撮ると罰当たりになるかも、今度は正座をしながらモジモジ・キョロキョロ。 仏壇前に暦が置いてある、手に取り中を見るふりをして、躰の位置を変えカメラを出してパチリ、撮ったー! おばさんが見てたかも? すかさず仏壇前の賽銭箱に500円硬貨を入れ、暦を手に『これ頂戴できますか?』 ニッコリ『いいですよ』 どうやらお咎めなし、こちらも笑顔で『もらって行きます』 迫力ある不動明王に別れを告げた。、、、、この記事を書いている今、まだ罰が当たっていないようだ!

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●見晴らしバツグン! ・・・・・・お不動さまの隣り町:足立区加賀にたつ、11階建ての都営住宅「足立加賀二丁目アパート」。 各戸の
面積は約60㎡(3DK)で、全485戸(7棟)の団地。 昭和53年(1978)~昭和59(1984)の建築。 スグ横に首都高川口線が走っている。、、、、新芝川、首都高川口線、舎人公園に近く、環境は良し!

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・・・・・・・・・・・・・・・チョイト首都高を上から見たくなり、10階の展望台(?)を拝借! 素晴らしい眺望である。 川口駅周辺のタワマンが見える、後ろには秩父の山も見える!

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●綺麗な川! ・・・・・・・この辺りでは新芝川が足立区と川口市のほぼ境となっている。 新芝川橋(昭和59年完成)を渡り川口市に入る。、、、、新芝川橋はその名のごとく新芝川に架かる。 新芝川は埼玉県桶川市と上尾市に発する芝川が源流で、見沼田圃を流れ、川口オートレース場の北側で芝川と新芝川に分かれる。 新芝川は足立区との境を流れ下り、芝川水門で荒川に注ぐ。、、、、近頃、どこの川も不法投棄は少なく、水質も良く、川を見ること自体に癒し効果も期待できそうだ。

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●急がなくちゃ! ・・・・・・・・・チョイトお不動さま、展望台などで時間を使いすぎた、いそぎ川口駅へ向かう。 新芝川橋よりバス通りをスタコラ歩くが、途中でギブアップ。 「元郷五丁目」からバスで川口駅に向かう。

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2019年12月27日 (金)

毛長川

日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅から歩きはじめた。 東京都足立区と埼玉県草加市の境となる一級河川:毛長川沿いに草加市側をしばらく歩き、毛長橋からは足立区に入り竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩です。




●空中で切れる軌道! ・・・・・・平成20年(2008)3月30日に開業した日暮里・舎人ライナーの軌道は、終点の見沼代親水公園駅の先で、空中に突き出したままで終わっている。 これより先は埼玉県草加市で、都交通局では『知らないよ、勝手にしたら!』で、無視・ムシ・ムシ!、、、、今年8月埼玉県知事選があり、野党系の新知事が誕生した。 新知事の公約に「あと数マイルプロジェクト」と称し、埼玉高速鉄道、日暮里・舎人ライナー、都営三田線&大江戸線、多摩都市モノレールの5つの鉄道路線を埼玉県内まで延伸して、県内の交通網をより便利にすると云う目玉公約がある。 実現性には、埼玉高速鉄道は別にして他の4路線は都の事業だから、都との合意を得ないとできない、小池知事がOKするかな? 難しいと思うね、果たしてどうなることやら?

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●生まれ変わるか毛長川! ・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側に一級河川の毛長川(けながかわ) が流れている。 毛長川は足立区と草加市の都県境を流れ、足立区花畑と埼玉県八潮市大曽根の県境付近で綾瀬川に合流し、さらに下流では中川となり東京湾に注ぐ。、、、、毛長川では、都県境となる足立区舎人4丁目付近から下流にかけて、河床掘削工事が行われている。 この工事は、洪水に備えると共に、川底の堆積物を取り除き、河川環境の改善を図るものである。 川底の泥・ヘドロはポンプで吸い上げ、川に浮かしたパイプで下流の処理施設に送っている。、、、、下流の工事を終えたところでは、川面は綺麗になり、魚も住めそうだ!
・・・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側、舎人二ツ橋付近の毛長川。 橋上には都道58号台東・川口線が通っている。、、、、ゴミの浮いていない毛長川、この光景はいつまで続く?

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・・・・・・・・・・・・ヘドロを送るパイプが浮いている。

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・・・・・・・・・・・・下流の毛長橋付近。、、、、綺麗な川!、、、、ココまで埼玉県側を歩いてきた。 ここより、毛長川から離れ、竹ノ塚駅に向かう。

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●神仏いろいろ! ・・・・・・・毛長川沿い、草加市新里町の一寺一社

・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院の泉蔵院は、御幣山阿弥陀寺と号す。 泉蔵院は、宥阿上人(応長元年1311年寂)が開創、乗秀法印(永禄2年1559年寂)が中興開山したそうだ。 本尊は不動明王。、、、、本堂、山門は平成3年(1991)に完成。

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・・・・・・・・・・・・本堂の脇に閻魔堂がある。 こちらには、平成25年(2013)に修復された閻魔大王が安置されていた。、、、、小ぶりの像で、顔は酔いの回った赤ら顔にちかい。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院には、「泉蔵院十三仏石像」と呼ばれる十三体の仏像がある。 不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、弥陀、 阿閦 、大日、虚空蔵の十三仏で、享保6年(1721)に造立された。、、、、整然と13仏が並ぶ姿は「ありがたや!」
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・・・・・・・・・・・・もう一つ、「泉蔵院六地蔵」もある。 こちらは、釈迦如来の付託をうけて、六道界の衆性を化導するといわれている地蔵菩薩が並んでいる。 六地蔵は、元禄4年(1661)の造立。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院山門の前方に、泉蔵院が別当寺であったと言われている毛長神社がある。 毛長神社の創建年代は不詳だが、舎人諏訪神社(男神)と対になって当社が女神と称されていたらしい。 御神体は女性の髪の毛である。 髪は素盞嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。 女の長い髪の毛を神体とする神社は全国的に珍しいいそうだ。(“毛長”の由来か?)、、、、“女の長い髪の毛”ならセクシー、“男の短い脛毛”ではグロテスク!

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●伊興最古の寺! ・・・・・・毛長橋を渡り足立区に入ると、伊興本町に時宗の西嶋山煎雲院應現寺がある。 應現寺の創建年代は不詳。 天台宗寺院として創建され、八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区最古の寺院でもある。 現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しい遺構。 また、天文7年(1538)の逆修板碑2基、永禄4年(1561)のもの1基、承応3年(1654)の石燈籠2基等がある。 さらに、足利時代築造の経塚が、旧寺域から発掘され出土した兜・経筒・五鈷鈴・唐宋の古銭等は、東京国立博物館に保管されている。、、、、お宝の多い寺院だ!

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●西口は裏口? ・・・・・・・竹ノ塚駅西口に到着。 今日の散歩はココまで!

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2019年12月 8日 (日)

足立の薬師寺

今日は、無数の古墳が点在し悠久の歴史を物語る、かつての武蔵国足立郡竹塚村の古刹「薬師寺」に紅葉狩りに行ってきた。 東武伊勢崎線竹ノ塚駅から、日暮里・舎人ライナー舎人公園駅まで、1万歩の散歩です。




●まだ工事は続く! ・・・・・・竹ノ塚駅は、明治33年(1900)3月21日に、当時の伊興村に開業した。 駅名は伊興村より音の響きが良い東隣:竹塚村の名を拝借。、、、、竹ノ塚駅周辺では連続立体交差事業がすすめられ、竹ノ塚駅も改良工事が行われ高架駅となる予定。 完成までにはまだまだ!

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●立派な松のある寺 ・・・・・・・薬師寺へ行く前にチョイトお立ち寄り、駅から西へ都営伊興三丁目アパートを抜けると、万治2年(1659)創建の日蓮宗寺院:寿福山長勝寺がある。、、、、本堂は瓦葺き総檜造り、境内は樹木が生い茂り、樹齢400年以上の巨松がある。 境内はさほど広くはないが綺麗な寺だ!、、、、境内には下総の国を領した豪族:千葉勝胤の墓もある。

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●本堂が見えない! ・・・・・・・もう一軒、近くの寺にお立ち寄り、伊興5丁目の日蓮宗寺院の真国寺。 真国寺は蓮栄山と号し、創建は建武2年(1335)といわれている。、、、、こちらも境内は広くないが、山門から真っ直ぐ正面にある本堂、その全景が見えないほど、松、楓など樹木に覆われている。 ちなみに、墓地にも回ってみたが、本堂の全景は拝めず、アレレ・コリャダメだ!

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・・・・・・・・・・・・・・2年前の春の真国寺

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●今が見頃、ブラボー! ・・・・・今日の散歩のハイライト、足立区伊興5の小さな寺院、曹洞宗の医王山薬師寺。 薬師寺は、肅州巌和尚が開山となり万治2年(1659)の創建。 元浅草橋場総泉寺(板橋区に移転)の末寺。開山は万治2年(1659)。 本尊の薬師如来は、眼病に効験があるそうだ。 、、、、ここは、地元の人には有名な “もみじ寺” 。 今日も、数名の夫婦が紅葉見物、二人のカップルは紅葉の前で撮影会、数名の独り者は寂しく三脚かついで紅葉撮影。 てなことで、境内はチョイトした賑わい。 住職もお出ましし、いろいろとお話をしてくれました。、、、、境内には95種の紅葉があるそうで、色も赤あり、黄あり、ミックスありとまさに彩とりどり。 住職は20年・30年かけ小さな苗木から育てているそうだ。、、、、門前に“もみじ饅頭”の売店でもあれば文句ないのだが、チョイト残念!

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●中学校に長屋門! ・・・・・・・・薬師寺の西に、足立区立伊興中学校の一画に、生徒が彰風園と名付けた屋敷林がある。、、、、中学校の校地の地主であった横山氏の屋敷林で、明治30年(1897)建造の長屋門がそのまま残されていた。 学校の中の屋敷林、ベンチで語らう二人、青春の思い出が創れそうだね!

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●舎人公園から帰る! ・・・・・・・・・薬師寺の帰りは、舎人公園駅から日暮里・舎人ライナーに乗ることにした。、、、、舎人公園(とねりこうえん)は、足立区の北西に広がる都立の総合公園。 舎人公園は昭和15年(1940)に防空緑地として、内務省の設置した都市計画にて決定した。 戦時においては都市空襲による戦災被害を軽減し、平時においては地域住民の保健・衛生に利用して体位の向上を図るために、都心から20km圏内に総面積20万-50万坪の防災緑地として東京府知事の責任の下、複数の防災緑地が設置され、その一つであった。、、、、戦後は、昭和56年の開園から順次開放された、514,000㎡の緑地公園。 最終的に695,000㎡になるが、葛飾区にある水元公園の3分の2程度の広さである。、、、、テニス、野球などのコート、グランドはもちろんあるが、広い森、大きな池などもあり、釣り、バードウォッチングなどを楽しむ人もいる。 

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・・・・・・・・・・・・・・公園の前に舎人公園駅がある、便利だね。、、、、今日の散歩は、足立区の紅葉巡りとなった!

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