足立区

2021年4月21日 (水)

谷塚の寺社

連日の晴天で、気分はコロナを忘れそう。 今日は東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅:谷塚駅から歩くことにした。 谷塚駅から伊勢崎線の西側を南下し、谷塚橋を渡り足立区に入る。 足立区入ると伊勢崎線の東側に建ち並ぶ都営竹の塚7丁目アパートを抜けて竹ノ塚駅まで歩いた。 1万1千歩




● 東武伊勢崎線で最も東京寄りの駅が谷塚駅である。 「谷塚」は“たにづか”とは読まず、“やつか”と読む。 所在地は埼玉県草加市で、浅草から所要30分と近い、もちろん駅周辺には、マンション、アパート、住宅などが並ぶ、東京のベッドタウンであるが、知名度は低い。 都会の人間を呼び込むような施設は何もない駅! 東口側は駅前ロータリーがあるが、西口側は広い空き地となっている。、、、、駅は大正14年(1925)10月1日に開業。

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● 谷塚駅から南西へ500m程、住宅地の中に真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 宝持院は、江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚地区の方々の菩提寺として、宝灯を守っている。 本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した御丈八尺有余の金色に輝く大観音さま。 現本堂は、平成4年(1992)に建てられた。、、、、緑豊かな境内には四季折々の花が咲くそうだ。 今はツツジ。

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● 宝持院から国道4号(日光街道)を越えると「谷塚氷川神社」がある。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代の創建と思われる。

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● 谷塚仲町を流れる辰井川に朱塗りの氷川橋がある。 氷川橋は「草加八景」に選ばれた「辰井川十橋」のうちの1つ(隅田川十三橋は知ってるが、辰井川十橋なんて知らないね!)、、、、橋の際には小さな社の氷川神社がある

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● 氷川橋の際には寺もある、その名は曹洞宗寺院の「中野山常福寺」、、、、常福寺は、心應祖傳和尚(天正19年寂)が開山となり天正7年(1579)に創建した。、、、、参道の脇には、彫りの深いスバラシイ庚申塔(天文8年(1539)の銘あり)が2基で御出迎え。

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● 埼玉県と東京都の境を流れる毛長川を谷塚橋で越えて、寺院が軒を連ねる足立区東伊興の町に入る。、、、、伊興寺町はコチラ

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● 足立区に入り、伊勢崎線の東側にまわると、都営西保木間四丁目アパート、都営竹の塚七丁目アパート、都営竹の塚アパート、竹の塚第3団地など、都営住宅・旧公団住宅が線路沿いに竹ノ塚駅まで続く!、、、、昭和40年代は憧れの集合住宅だった。 そんな住宅も今は老朽化し、アチラコチラで建て替えラッシュ。

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竹ノ塚駅東口に着いた、高架化工事が終わるまでは仮駅舎。

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2021年4月15日 (木)

七曲がり

“まん延防止等重点措置”が適用され、ますます散歩に出づらくなってきた。 高齢者はワクチン接種するまで家に引っ込んでいればいいのかも、でもそんな巷の風潮に流されず、今日も散歩を決行! 浅草橋から押上経由で東武伊勢崎線に乗り、車中で『どこで降りようか?』の思案橋! 県を跨ぐ移動はひかえ、埼玉県の手前、足立区の北の端「竹ノ塚駅」で下車した。 駅からは気ままに歩いて、西新井大師に到着。 1万歩の散歩です。、、、、竹ノ塚駅、実相院、若宮八幡宮はコチラを見て!




● 押上で東武伊勢崎線の急行に乗り、西新井で普通に乗り換え竹ノ塚駅で下車。 自分が乗ってきた下り電車は空き空き、ホーム向かい側の上り電車は混み混み、詰め込み。

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・・・・・・・・・・・・竹ノ塚駅は明治33年(1900)3月21日に開業した。 開業後、100年超経過し、現在は“開かずの踏切”解消に向け、高架化工事の真最中。 地上の仮設ホームに立つと、まだ完成していないが、隣りに高架のホームが見える。

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・・・・・・・・・・・・仮の地上ホームから地下に降りると改札がある。 地下から、地上に出ると高架橋の前。

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● 駅の南側には「赤山街道」と呼ばれるバス通りがある。 この通りを北西へ歩くと足立区舎人方面に向かうことになる。 『ヨシ、今日はこの道を歩いてみよう!』と決めた。 開かずの踏切から赤山街道を300m程歩くと「尾竹橋通り」との交差点。
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・・・・・・・・・・・・「尾竹橋通り」との交差点から20m程先に「七曲がり」と表示された裏道があった。 道幅の広い赤山街道よりも、裏道の七曲がりの方が面白そうだ、歩く道を急遽変更、七曲がりを歩くことにした。(後に調べたところ、「七曲がり」は足立区伊興4-1から足立区栗原3-10までの、細く曲がりくねった道路で、このように命名されたそうだ。)、、、、しばらく歩いたが、期待した七ヵ所の“曲がり”らしき“曲がり”がなく、ゴク普通の道で期待ハズレ!

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・・・・・・・・・・・・途中の伊興3に「六万部経塚」がある。、、、、 六万部とは、法華経二十八品を繰り返し6万回にわたり唱える意味で、六万部経塚の名の由来となっている。 この塚の南東にある寿福山長勝寺の和尚が宝永2年(1705)に平安と幸せを祈願して、小石に題目を書写してここに埋めたと云われている。 写真右側の古い小さな石柱が宝永2年の経塚碑。

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・・・・・・・・・・・・七曲がりは、真言宗豊山派寺院の実相院(足立区伊興4)の前に出た!、、、、2年ほど前に来た寺だ! 山門前の仁王の石像が印象的で、忘れられない!

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・・・・・・・・・・・・実相院山門横の電柱には七曲がりの表示を見ることができたが、この先は見つけることができず、七曲がりの踏破はアキラメタ! ここまで!!

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● 七曲がりを見失い、細い裏道、名もなき道を西新井方向に歩く。 

・・・・・・・・・・・・こんな処に! 細い道を入った奥に、全戸数50戸程の小さな「都営伊興二丁目アパート」があった。 昭和60年代の建物らしい。

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・・・・・・・・・・・・道なりに歩いて行くと、『ここ、以前に来た、若宮八幡宮』 広い境内と、松、イチョウなどの大木が特徴的だ!

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・・・・・・・・・・・・さらに道なりに歩くと、真言宗豊山派寺院の「源正寺」があった。 源正寺の創建年代は不詳だが、かつて『延徳三年(1491)辛亥六月三日相阿弥陀佛』と刻した古碑があったそうで、鎌倉時代に時宗玄性寺として創建されたらしい。

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・・・・・・・・・・・・源正寺の先にはURの「フレール西新井中央公園」団地がある。 URは公団住宅をドンドン建替え、団地名もマンション風に命名され、懐かしい『戦後の団地』が消えていく。 戦後70年超、時代は変わって行く。

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・・・・・・・・・・・・行く手の先に、大きな瓦葺きの屋根が見えた。 『あれは、お大師、総持寺さまだ!』 なんと、西新井大師の裏手に出てきた。

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・・・・・・・・・・・・後の調べで判ったことだが、「七曲がり」は実相院の前から直角に折れて、西新井大師の東側に伸びていた。 私は、実相院から七曲がりの西側150m程を並行して歩いていた。、、、、今度は下調べしてから、改めて「七曲がり」を踏破するぞ! 


● ここまで来たら、西新井大師にチョイト手を合わせて帰ることにした。
・・・・・・・・・・・・・・本堂の裏側から境内に入ると、「奥之院」と呼ばれる小堂がある。、、、、堂は、文化2年(1805)弘法大師が高野山奥の院をこの地に招いた、関東の高野と称され高野山の代拝所として江戸時代より現在まで参拝者が多い。 コロナの影響か(?)今日は参拝者どこにいる!
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・・・・・・・・・・・・そして、本堂
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・・・・・・・・・・・・境内には、見ごろとなった藤の花

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・・・・・・・・・・・・総檜2層銅板葺き入母屋造りの仁王門は、江戸時代初期の建物。、、、、仁王門前で草団子を買って我が家へ帰る!

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2021年4月 7日 (水)

高野から梅島へ

コロナは“第4波に突入”したと思われる。 密を避けながら、不要不急の外出は人目を誤魔化し、今日もコッソリ散歩に行ってきた。、、、、日暮里舎人ライナーの高野駅で下車し、東に向かい東武伊勢崎線梅島駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーは、荒川を越えて二駅目に高野(こうや)駅がある。 高野駅は平成20年(2008)3月30日に日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 ホームは島式1面2線構造で地上3階にある。、、、、駅名の“高野”(駅の現所在地は足立区扇2)の由来を探ってみると、現在は“高野”の地名は存在しないが、江戸時代には足立郡高野村があった。 村域は現在の江北と西新井、扇、西新井本町の各一部でおおむね現在の尾久橋通り沿いに南北に広がっていた。 明治22年(1889)に江北村大字高野となり、昭和7年(1932)の足立区成立で高野町となり、昭和51年(1976)まで町名は存在した。 今では、幻の地名となった!

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・・・・・・・・・・・・駅周辺には、「生産緑地地区」と称し、畑や空地が点在する。 日暮里からライナーで12分は通勤・通学に便利、マンション用地に最適、この辺りには億万長者の地主もいるようだ!

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● 高野駅は、足立区の南側(都心寄り)に位置するが、まだ農村の面影が残る・・・・・

・・・・・・・・・・・・尾久橋通りの裏には「成田山高野講」の祠が、畑の一画にある。 不動明王が睨みをきかす!

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・・・・・・・・・・・・付近には“レンコン畑”と思われる池のある農家が点在している。

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・・・・・・・・・・・・住宅の角には庚申塔がある。 右側は寛文10年(1670)、中央は正徳4年(1714)に造立された庚申塔。 今でも地元の人が守り祀っているのであろう。

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・・・・・・・・・・・・私の好きな裏道も、昔の畦道をそのまま舗装してしまったらしい。 曲がりくねった線形、行き止まりの道、方向感覚は狂う、私は迷路を歩いているようで楽しいのだが、よそ者には歩きづらいかも! 途中で地元の人に会うと、『この先は行き止まりだよ』と親切に教えてくれる!

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● 行きつ戻りつ、右へ左へ、しばらく歩くと興野神社(足立区興野2)の前に出た!、、、、神社は創建年代不詳。 元は八幡社として創建、その後氷川社を合祀し氷川神社になり、そして昭和15年に興野神社と改称。、、、、広い境内中央、一対の御神木の銀杏は荘厳で圧巻される。

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● 栗原3丁目で尾竹橋通りを横切り、関原通り商店街の「ひらさわ呉服店」の前に出た。 ひらさわ呉服店のペンキ塗りのトタン看板は、形がライオンのたてがみに似ていることから別名をライオン看板と言い戦後復興の証し。 今や東京都内で唯一最大級のものである。、、、、戦後の東京には、こんな看板の店がアッチコッチにあったが、いつの間にか無くなった。 ネオン管のピカピカする看板も無くなったね!

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● お帰りは、梅島駅から電車に乗って・・・・・

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2021年3月11日 (木)

中学が大学に変身!

東武伊勢崎線で乗降客の少なそうな駅へ行ってみた。 こうなると、何といっても、堀切駅である。 伊勢崎線の駅の中で、23区内で最も乗降客の少ない駅が「堀切駅」である。 今日の散歩は堀切で下車し、駅周辺の足立区千住曙町・柳原の町の裏通りを歩き回ってきた! 1万1千歩




● 浅草から東武伊勢崎線(愛称:東武スカイツリーライン)で5駅目、北千住駅の2駅手前、墨田区から足立区に足を踏み入れた処にある駅、荒川の土手にピッタリとくっついた駅。 それは、私の大好きな駅の一つでもある「堀切駅、、、、堀切駅は、明治35年(1902)4月1日の吾妻橋(現:とうきょうスカイツリー)~北千住間開業時にできた。 当時の堀切駅は今よりやや東の、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。当時はまだ現在の荒川がなかった頃である。 その後大正12年(1923)、荒川の開削工事に伴い、堀切駅は現在の位置(足立区千住曙町)に移転した。、、、、駅名となった「堀切」は、現在の荒川と綾瀬川を挟んだ対岸の葛飾区側の地名である。 かつては地続きであったが、荒川の掘削に伴い分断された。 葛飾区堀切にある京成本線の「堀切菖蒲園駅」とは、直線で約500m離れている。、、、、堀切駅の一日の平均乗降客数は令和元年(2019)で4498人である。 

・・・・・・・・・・・・堀切駅から、荒川とそこに架かる堀切橋を眺める。 橋を渡った先に、京成電鉄の堀切菖蒲園駅がある。

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・・・・・・・・・・・・堀切駅は上下線それぞれ別に駅舎がある。 北千住方面行きは可愛らしい西口駅舎。 浅草方面行きは荒川土手にへばりついた東口駅舎

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・・・・・・・・・・・・相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、ホームはキツイ急カーブ上にある。

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● 堀切駅の隣り、平成19年(2007)に「東京未来大学」が開校した。 大学はこども心理学部とモチベーション行動科学部 の2部。 学生数は通学課程(1251名)と通信課程(1046名)があるそうで、堀切駅の乗降客の増加にも貢献しているようだ!、、、、校舎は、廃校となった旧足立区立第二中学校跡地と校舎を利用しているそうだ。 駅に近く、北千住、浅草へはスグ、バイトに、コンパに、便利な処?

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● 駅から西へ、細い通りを右に左に迷ったら、新義真言宗寺院の「西光院」があった。 寺は千葉山薬師寺と号し、千葉氏の庶流石出帯刀吉深が徳治2年(1307)に創建したと云われてる。 牛田薬師ととして知られているそうだ、私は知らなかった、ゴメン!、、、、現本堂は鉄筋コンクリート造。

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● 隅田川岸の千住大川端公園から見る「千住汐入大橋」と対岸の南千住の高層住宅群、、、、早咲きの桜が満開、ビューティフル!

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● 京成本線の盛土を背にして祀られている十一面観世音菩薩。 十一面観世音菩薩大呪『オンマカキャロ二キャソワカ』、、、???

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● 堀切駅の北側、北千住駅の東側、荒川岸の柳原の町。 北千住の大踏切から東に伸び、柳原の中央を貫く道は広いが、あとは狭い道が複雑に伸び迷路のようだ!、、、、シャッターの下りた商店が多い中、大人用の紙おむつ、トイレットペーパー、ティシュを売る店だけは繁盛しているようだ! 住人の必需品?

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2021年2月20日 (土)

“3密”を避けて

今日も早朝の空いた電車に乗り、JR京浜東北線の東十条駅で下車した。 東十条駅から、ほぼ東に歩き、豊島五丁目団地、豊島橋、江北橋を通り、日暮里舎人ライナーの扇大橋駅まで、“3密”を避けて、1万3千歩の散歩です。




● 京浜東北線の36駅中、上中里駅、新子安駅と共に、一日平均乗車人員数の“ワースト3”(約24,000人)を誇る「東十条駅」は、ホームに立っても人影は少なく静かである。 改札口は約200mのホームの両端橋上駅舎に北口・南口があるが、トイレは北口のみ。 車中で尿意を感じ、東十条駅で飛び降り改札口近くのトイレを探すとも、ここは南口、『せっかくのお越し残念ですが、ホームの反対側:北口に行ってください!』と云われ、真っ青、冷や汗ドビュー、我慢は限界に達し、パンツを濡らすことがなきように注意・注意!、、、、東十条駅は2つの島式ホームで中線1本を挟む2面3線の地上駅。 中線である2番線と3番線の線路は上下線共用となっている。、、、、昭和6年(1931)8月1日、赤羽駅まで京浜線(京浜東北線の前身)が延長された際に下十条駅として開業。 昭和32年(1952)4月1日、町名変更により東十条駅に改称。、、、、今日は南口から出た!

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● 東十条駅南口前に架かる「十条跨線橋」は、以前、東北本線の荒川橋梁として架けられていた橋の一部を昭和6年(1931)に現在の跨線橋に転用したものである。 現在、跨線橋は車道専用となり、挟むように左右に跨線人道橋が架かっている。 古さを強調するように、塗装のひび割れから赤さびが浮き出て痛々しい姿の橋。、、、、橋は 明治28年(1895)にイギリスのCOCHRANE社で製作された、ポニーワーレントラス橋と呼ぶ形式である。 平成21年(2009)の北区の長寿命化修繕計画における調査では、強度不足などの問題点があり、架け替え対象となった。 また、日本の鉄道遺産としては貴重な橋で、国宝級(私が勝手に推奨)と思われる。 早く、適切な保存策を講じて欲しいものだ!

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● 東十条駅から東に向かい歩く・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・駅から400m程歩くと、かつてJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に出る。 駅跡は、18階建て(864戸)の大きなマンションに変わってしまった。 このマンションはJR貨物の貨物駅であった北王子駅跡に建てられたものだ。、、、、北王子駅は日本製紙の紙の輸送を行う専用駅であったが、平成26年(2014)7月1日に廃止となった。 かつては、日通の機関車が入れ替え作業をしていた。 その作業をフェンス越しにジーッと見ていたのを思い出す。(2枚の写真は平成23年撮影)

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・・・・・・・・・・・・さらに東へ歩き、北本通りの「東京消防庁 王子消防署」の前に出る。、、、、地元のランドマークとして、昭和レトロな雰囲気をデザインしたような建物。 バブルの時代の建物である。、、、、古いようで新しい建物も、築20年程経過したようだ!

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・・・・・・・・・・・・消防署の裏(東側)の道を歩くと、意外にも大きな建物・施設が地続きで並んでいる。「都営 王子三丁目アパート」、「都立飛鳥高等学校」、「王子郵便局」など。 この他にも、駿台学園・中高等学校、北区立明桜中学校、北区立豊川小学校などがある。

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・・・・・・・・・・・・「豊島中央通り商店街」に出てきた。 アーケードのある大きな商店街だが、時刻は午前9時、まだ営業前で、大半はシャッターが下りている。 この時刻なら、“3密”は心配なさそうだ!、、、、サンバパレード、七夕まつり、年末の大売り出しなど、季節に合わせ行事が計画されている、賑やかそうな商店街だ!

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● 商店街の先には豊島五丁目団地」がある。 団地の先の隅田川は、「豊島橋」で渡り、さらにその先には、荒川を越える「江北橋」がある。 この辺りは、私の散歩ではおなじみの処。
・・・・・・・・・・・・団地を囲み、隅田川が大きく曲がる処にある豊島五丁目団地。 昭和47年(1972)より建設整備された、総戸数5000戸程の大規模団地である。、、、、天気が良いので、いっせいに布団干し!

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・・・・・・・・・・・・団地の端から「豊島橋」を渡り、足立区に入る。 

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・・・・・・・・・・・・豊島橋から300m程歩くと、江北橋で荒川を渡る。、、、、風は爽やか、春の陽気、桜の開花も早そうだ!

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● 江北橋から日暮里舎人ライナーの「扇大橋駅」までは約800m、近い!、、、、平成20年(2008)3月30日、ライナーの開業と同時に駅も開業した。

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2021年2月14日 (日)

トマトケチャップの公園?

昨夜、既に眠りに入り、これから竜宮城の夢でもみようかという時であった。 長時間、大きな揺れの地震を体感し、東日本大震災の恐怖を思い出させるものであった。 全国的には、大火・津波の発生はなく、死者も出ていないようだ。、、、、都心の我が家では、私のベッドの横、細長い箱に入ったE231系総武線のプラレールが棚から落下、電車前面が破損した。 孫のおもちゃに重大事故発生である。

夜中地震情報を見続けチョイト眠いが、朝から散歩に出た。 乗降客の少なそうな東武伊勢崎線の梅島駅から、つくばエキスプレスの六町駅まで裏道を歩いてきた。 1万歩




● 北千住駅から3駅目、「梅島駅」で下車する。、、、、梅島駅は大正13年(1924)10月1日に小菅・五反野両駅と同時に追加開業した、、、、ホームは高架島式1面2線構造だが、やや特殊な形態のホームである。 幅の狭い細長い島式ホームで、中央に改札階と結ぶエレベーター/階段などがあり、そこを境にして、北千住側には上り、西新井側には下りが停車する。 停車するのは全て普通列車、優等列車は複々線の外側を走り去る。 改札口は高架下に1ヵ所のみで、駅前は旧日光街道である。、、、、駅名の「梅島」は、明治22年(1889)に“梅”田村・“島”根村などが合併した時に、誕生した“梅島”村に因む。

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● 駅前の旧日光街道を北へ50m程行くと、「梅島天満宮 入口」と看板が出て居る。 細い道だが、“天満宮”の文字につられ、チョッピリ期待して進むと、線路の高架下脇に小さな社が見えた。 薄暗い場所、小さな社、期待を裏切られ寂しくなる。、、、、梅島天満宮は、足立区梅島にある神社で、昭和23年(1948)筑紫太宰府天満宮より分霊遷宮して、梅島町会の鎮守神として梅島公園(梅島小学校地)に創建、昭和41年(1966)当地に移転した。、、、、小さいながらもオラが町の鎮守様、アリガタヤ! 何だか騙された感じ!

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● 旧日光街道から東へ向かうと、トマトケチャップの会社が寄贈したと間違えるような「ベルモント公園」がある。、、、、足立区と西オーストラリア州ベルモント市との友好親善のシンボルとして、平成5年(1993)に開園した洋風の区立公園。 美しい花壇、赤レンガの陳列館(オーストラリアの工芸品・日用品などを展示)、ヒツジのモニュメントのほか、ユーカリ・ブラシノキ・アカシアなどのオーストラリア原産の植物などが植えられている。、、、、トマトケチャップの会社は「デルモンテ」で公園とは無関係だが、似たような名前だ!

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● トマトの公園を抜けると、日光街道(=国道4号)があり、街道に面して地上14階/地下3階、延べ床面積61,968㎡の足立区庁舎が堂々と構えている。、、、、庁舎は平成8年(1996)に足立区南端の千住から区の中央に位置する足立区中央本町へ移転した。、、、、庁舎のある「中央本町」の町名は昭和41年(1966)の住居表示にて、4町の寄合い所帯として命名された。 寄合い所帯の命名では、意見も喧々諤々、まとまらず、区の中央に位置する町として、チョイトダサいが『中央』と『本町』を合成した名で手打ちとなったそうだ。

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● 足立区中央本町の裏道を歩き、「都営中央本町五丁目アパート」の中を抜け、環七通りを横断する。、、、、戦後の下町だ!

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● 六町2丁目に来ると、何らや広大な区画が更地になっている。 更地の前のバス停名は「都営住宅」。 更地の隣りも更地、さらに隣りも更地。 只今は、区画整理事業と云う名目らしい。 いずれ、大型商業施設とか、タワーマンションができるのか?

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● つくばエキスプレスの六町駅(ろくちょうえき)から帰ることにした。、、、、駅は平成17年(2005)8月24日に開業した。 六町は、秋葉原を起点として7番目の駅に位置し、東京都内最北の地下駅である。 駅部は三層構造で、ホームは島式1面2線構造で、地下3階にある。ホームと改札を結ぶエレベーター・エスカレーターも完備。 改札口は1ヶ所のみで地下1階にある。

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2020年12月20日 (日)

客の少ない足立小台

近頃は連日、最悪の感染者数を記録している“コロナ”、高齢者に属する私も外出自粛を心がけている。 でも、内緒で、少しぐらい、密を避けて、の散歩なら許されるだろう! 今日は、日曜なので通勤通学客も少ないので、日暮里舎人ライナーの足立小台駅で下車し、尾竹橋経由で京成本線の町屋駅まで歩いてきた。 1万歩。




● 日暮里舎人ライナーの「足立小台駅(あだちおだいえき)」と聞いて、駅を思い出せる人は少ないと思う。 それもそのはず、足立小台駅は、北の荒川と南の隅田川に挟まれた狭い中洲状の土地に位置しており、駅から1km圏内には、戸建て住宅はほとんどなく、隅田川岸にマンションが数棟ある程度。 観光名所は飛んでも“無い” 駅の並びに、家電量販店の「ケーズデンキ」とホームセンター「島忠ホームズ」がある。 駅から西へ1km程歩くと、「小台」、「宮城」の住宅地となる。

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・・・・・・・・・・・・昨年春に公開された、東京都の駅別乗降客数(2018年 平成30年度)のデータによると、足立小台駅の一日当たりの乗降客数は3,938人。 JR、私鉄、三セク、都電、ケーブルカーなど都内の全749の駅・停留所を対象にした中で、下から数えて“堂々の54位”である。 54の中には、都電の停留場が27、ケーブルカーの駅が4含まれている。 実質的にはワースト20にランク入りできそうだ! ちなみに、下から60位前後には、小田急線の南新宿、多摩都市モノレールの万願寺、東武亀戸線の亀戸水神、東武伊勢崎線の堀切、東京モノレールの新整備場などの駅がランクインしている。

・・・・・・・・・・・・足立小台駅は平成20年(2008)3月30日に、日暮里舎人ライナーの開通と同時に開業した。 ホームは島式1面2線構造で3階にある。 出口は1ヶ所のみで、尾久橋(隅田川)と扇大橋(荒川)の間に出る。 駅前にはロータリーがあるが、このロータリーは堤防の最上部を走る道路面の高さである。 実はこの下に、旧来の道路面がある。

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・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーから下の道路に下る階段、、、、川沿いの工場、事務所などは全て、この下の道路に面している。

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・・・・・・・・・・・・隅田川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、後ろの尾久橋には都道が通っている

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・・・・・・・・・・・・荒川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、並行するのは扇大橋

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・・・・・・・・・・・・足立小台駅から堤防上を東に向かい歩く、チョイト寒いね。、、、、写真:右側のマンションの後ろには隅田川が流れている。 左側は荒川。、、、、足立小台駅を利用するのは右側の住人と、工場などに勤める人ぐらい!

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・・・・・・・・・・・・マンション前を通り過ぎ、工場、倉庫がある辺り、堤防上から眺めると、、、、最上段の堤防上の道路に私がいる、その下にバス通りがある、さらに下にマンション・倉庫・工場が並び面する道路がある。、、、、三段腹の道路!

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・・・・・・・・・・・・二段目のバス道路から眺めると、上にも、下にも道路がある。(あたり前田のクラッカー!) 

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● 足立小台駅から堤防上を1km程歩き、下の道路を歩くと、UR都市機構の「リバーサイド桜木団地」がある。 昭和56年(1981)に完成した団地。、、、、隅田川と荒川に挟まれた団地は、気のせいか、寒い! ホットコーヒーを買うコンビニがない! 何やら、落ち着かない! このままだとズボンを濡らし、大変なことになる! 恥ずかしさをこらえ、通りがかりの主婦に聞いた『この辺にトイレありませんか?』 親切に公園を教えてくれた、これにて一件落着!!
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・・・・・・・・・・・・この先は、尾竹橋を渡り町屋駅まで歩く。、、、、尾竹橋を渡ると荒川区

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2020年12月14日 (月)

汐入公園

ガラガラ・空き好き電車に乗って、東武伊勢崎線の牛田駅で下車。 牛田駅から千住汐入大橋を渡り足立区から荒川区に入り、隅田川の右岸を歩いて石浜神社まで、9千歩の散歩です。




● 昭和7年(1932)9月1日に開業した、東武伊勢崎線の「牛田駅  牛田駅は足立区の南端部にある駅で、浅草~北千住間の全ての駅に停車する列車(つまり各駅停車)のみが停車する駅。 牛田駅前に京成本線の京成関屋駅があり、多数の乗換客が利用する。、、、、牛田駅と聞いて、イメージが浮かぶ人は、おそらく戦後生まれの牛田育ちか、乗換で当駅を利用する人であろう。 一日当たりの乗降客数は約22,000人、その内の半数ぐらいは乗換客と思われるので、実質の乗降客はかなり少なそうだ。、、、、北千住駅の隣り駅である「牛田」は、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、そこから駅名を頂戴したらしい。

・・・・・・・・・・・・空いている南栗橋行き区間準急(北千住まで各駅に停車)から降り、改札を出ると・・・・・

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・・・・・・・・・・・・京成関屋駅から、ゾロ・ゾロ・快傑ゾロと乗換客が牛田駅に向かってくる。

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・・・・・・・・・・・・『チョイト失礼します!』と京成関屋駅構内を通り抜けると、そこは都道461号(墨堤通り)である。

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● 墨堤通りを南へ250m程歩くと千住曙町交差点がある。 そこを、西へ曲がれば隅田川に架かる「千住汐入大橋」、、、、千住汐入大橋は隅田川に架かる橋の中でも新しく、平成18年(2006)2月19日に開通した。 その名のごとく、足立区千住地区と荒川区汐入地区を結ぶ、橋長158.6mの2径間連続鋼床鈑箱桁橋。 都道314号を通す。、、、、隅田川が大きく蛇行する処に架かり、対岸には汐入公園がある、景色はGood!


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● 隅田川を越えると元の荒川区南千住汐入(隅田川が弓のように大きく東側に張り出した処で、鉄道の貨物基地、工場などがあった)である。 現在は再開発により、工場は無くなり、貨物基地は縮小しJR貨物の隅田川駅となり、川沿いには都立汐入公園、その奥にはタワーマンションを含む高層住宅が建ち並んでいる。

・・・・・・・・・・・・面積13hrの汐入公園は冬支度。 芝の緑も落ち葉で黄彩に変る!

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・・・・・・・・・・・・公園内を縦断する都道314号は、胡録トンネル瑞光トンネルの2ヶ所で芝生の下を抜けて行く!、、、、荒川区にトンネルがあることを知らない人が多いかも?

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・・・・・・・・・・・・公園の中程にある水神大橋の北側に、「隅田川旧防潮堤」の一部がモニュメントとして残されている。、、、、隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっている、このため都では、高潮や洪水の対策として昭和32年(1957)から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和50年(1975)に概成した。 その結果、高潮や洪水に対する危険は大幅に減少したが、カミソリ堤防によって隅田川と町は分断され、親しみある隅田川から都民を遠ざけることとなった。 そこで、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある水辺環境に配慮したスーパー堤防へと造り替えている。、、、、モニュメントを見ていると、コンクリートの味気ないカミソリ堤防が、川岸に延々と伸びていたのと、メタンガスが発生する汚れた昭和(高度成長期)の隅田川を思い出すね。

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・・・・・・・・・・・・汐入公園の中央から対岸の墨田区東白鬚公園に架かる「水神大橋」を見ながら、土手を行く。、、、、水神大橋は平成元年(1989)に竣工した、橋長157.0mの3径間連続ニールセンローゼ桁橋。

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● 汐入公園に続き「荒川区立瑞光橋公園」がある。 瑞光橋公園は、鉄道と貨物船を結ぶための運河跡地(入江)に造られた公園です。 隅田川のスーパー堤防と入江を利用した公園で、面積は約13,000㎡、平成18年(2006)に開園した。 入江に架かる瑞光橋に因む公園名とした。

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・・・・・・・・・・・・公園内に汐入水門跡がある。 この水門跡は、隅田川貨物駅(現:JR貨物隅田川駅)と隅田川を結びつける唯一の遺構である。、、、、隅田川貨物駅は明治30年(1897)に石炭の集散地として開設された駅である。 常磐線で運ばれてくる石炭を、隅田川の水運で東京市中へ配送するため、荷の揚げ下ろしをする運河が造られた。 元来この汐入地域は土地が低く、運河の護岸は荷物の揚げ下ろしの関係上、低く造られていたため、満潮時には付近に浸水し、さらに台風などの異常な高潮時には南千住ばかりでなく、浅草方面まで被害をこうむっていた。 水門は、この水害を防ぐために昭和28年(1953)に建造されたのである。 しかし貨物の輸送が船による河川輸送から鉄道 ・トラックによるコンテナ輸送に切り替わると、運河は不用となり昭和45年頃には全て埋め立てられ、水門もその役割を終えた。 現在は水門のゲートを支えていたコンクリート製の柱が2本、門柱のように残されている。 

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● 堤防の上を歩くと、球形のガスタンクが3基見える。 このガスタンクは明治26年(1893)から、この地(荒川区南千住3)に工場を建てた東京ガスのガスタンクだ。 終戦直後は円筒形のガスタンク3基であったが、昭和60年頃から球形のガスタンクに変わった。 形は変われども3基のガスタンクは、昔も今も、この南千住のランドマークである。、、、、北千住の「おばけ煙突」とランドマークを競ったのか?

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・・・・・・・・・・・・近づくと、ガスタンクの手前に社が見える、ここが「石浜神社」である。

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・・・・・・・・・・・・「石浜神社」は、神亀元年(724)聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社です。 祭神は天照大御神・豊受大御神。 源頼朝が藤原泰衡討伐の折に当社に祈願、大勝したことから社殿を造営されたといいます。、、、、本殿は伊東忠太設計で、昭和12年(1937)落成の木造神明造り、拝殿は昭和63年(1988)落成の木造銅板葺神明造り。 以前は川岸寄りにあったが、昭和63年に護岸工事のため移転を余儀なくされ、現在地に移された。 本殿は曳家で移されたそうだ。、、、、境内の紅葉は今が最高!

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・・・・・・・・・・・・境内からガスタンクを見ると、『アレ? 御神体はガスタンク!』

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● 石浜神社前の明治通りから南側は私の住む台東区。 区内を循環するコミュニティーバスが、タイミングよく、やって来た。 100円で浅草橋の我が家まで、空いて座れて楽々帰宅!、、、、今日も“コロナ”に感染せずに、散歩ができたようだ!

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2020年11月22日 (日)

道なりに二社一寺

東武伊勢崎線の五反野駅から日暮里舎人ライナーの高野駅まで歩く予定で、五反野駅から散歩を始めた。 旧日光街道まで来ると「神明宮通り」称する商店街があった。 『これは参道だ! 行ってみよう!』と道なりに歩けば、以前寄ったことがある「梅田神明宮」 参道をさらに道なりに歩くと「梅田稲荷神社」 さらにさらに道なりに歩くと「関原不動尊」に出た。 いずれの寺社も五反野から高野に向かう方向にあったが、途中でチョイト寄り道をしたため、関原不動尊を過ぎた時点でタイムオーバー。 尾竹橋通りに出て「本木二丁目」のバス停からバスで帰る。 1万歩の散歩です。




● “密”を避け、東武伊勢崎線のガラガラの各駅停車に乗り、各駅停車しか停まらない乗降客の少ない五反野駅で降りる。 ここの駅なら、朝から“コロナ”も居ないだろうと、妙な安心を感じる。 

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● 五反野駅から西に向かって住宅地の裏道を行く。 所々、住宅の軒下に、〇〇工務店、〇〇塗装、〇〇工業と、建設関連の会社名がみえる、足立区らしいね! 梅田2丁目で国道4号(日光街道)を横断する。、、、、表通りも裏通りも、三連休で、人も車も少なく、歩きやすい。

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● 梅田3丁目の東端に沿って旧日光街道が北へ伸びている。 その梅田3丁目と6丁目の境に「神明宮通り」と云う商店街を見つけたので、その道を歩いてみることにした。、、、、600m超の神明宮通りには、20軒程の商店が商店街を構成している。 戦後設立した商店街で、昭和50年頃は活気があったが、今は振興組合も解散したそうだ。、、、、Go To トラベル 、Go To イートの恩恵には縁がなさそうな商店街だ!

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● 商店街のほぼ中央に「梅田神明宮」がある。 鳥居の前に立って『アッ! ここは今年の春、来た・来た』、、、、梅田神明宮の創建年代は不詳だが、地主神が祭られていた当地に、神明宮を創建した。 井上正鐡が伝道した禊教発祥の霊場だといわれている。、、、、明治7年(1874)の造営である拝殿と幣殿は、チョイトくたびれてきたようだ。 また、拝殿の右側には天保11年(1840)より教祖が住んでいた旧宅が残されている。(柵仕切られ近づけず)

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● 神明宮通りの西端には「梅田稲荷神社」がある。、、、、梅田稲荷神社は、梅田町(足立区梅田一帯)の鎮守で村社であった。 志田先生義広(源義広)が創建したと伝わるので、本当なら平安時代末期である。 どうやら、神明宮より古そうだ、ならば鳥居前の通りは「神明宮通り」と云うより「稲荷通り」に変更しては?

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、青面金剛の庚申塔が2基ある。

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● 梅田稲荷神社から西に向かって、ほぼ道なりに進むと、西新井橋北詰と西新井駅を結ぶ「関原通り」にぶつかる。 この角に、関原不動尊(大聖寺)がある。、、、、真言宗豊山派寺院の大聖寺は、関原山不動院と号し、関原不動尊として有名である。 寺は、宝徳元年(1449)開山とも文明7年(1475)開山ともいわれてる。 本尊は、不動院の名のとおり不動明王。 ひときわ目立つ木造の本堂は、足立区内最大の大きさを誇る。 現本堂は、嘉永元年(1848)に深川木場の講中が、材木その他を寄進し、8年の歳月を掛けて再建された。、、、、浅草山谷講中が寄進した、銅の鋲がふんだんに打ち込まれた大賽銭箱(安政4年銘)も自慢の一つ。、、、、自分の病んでいる部分を撫でると治るといわれている「おびんずる様」も居たので、チョイト頭を撫でてご挨拶。

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● 「関原通り」(商店街)を100m程歩いて、横道を抜け尾竹橋通りに出た。 ここから、日暮里舎人ライナー高野駅までは、あと40分以上は掛かるので、今日の散歩はここまでとする。 「本木二丁目」から北千住駅行きのバスに乗る。

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2020年11月 4日 (水)

竹ノ塚の団地見学?

今朝の都心は風が強く散歩に出るのもチョイト迷ったが、ここは強気で家を出た。 家は出たけれど行き先未定、さて、どこさいくべか、思案橋! 考えに考えたが特段の理由もなく、つくばエキスプレスの六町駅から歩くことにした。 六町駅から西に向かって歩いたら、都営住宅、新興住宅街、公団住宅と続き、何だか団地の見学会のような散歩となった。 たどり着いたのは東武伊勢崎線の竹ノ塚駅。、、、、1万1千歩、、、、後で、ニュースを見たら、気象庁は、東京で冬の訪れを告げる「木枯らし1号」が吹いたと発表した。




● 浅草橋の我が家から秋葉原までは徒歩15分、秋葉原から「つくばエキスプレス」の六町駅(ろくちょうえき)までは17分、合計40分程で我が家から六町駅まで行ける。、、、、六町駅は、平成17年(2005)8月24日に、つくばエキスプレスの開通と同時に、足立区の陸の孤島地区に開業した。 開業後15年、これまで普通列車しか停車しなかった六町駅は、今年から朝のラッシュ時間帯に上り区間快速(13本)が停車する駅にチョピット昇格した。、、、、陸の孤島時代に比べれば格段に便利になったはず、これから10年後、もっと便利になってるといいね!、、、、「六町」の由来は、『江戸時代には、保木間村・竹塚村・六月村・花畑村の4ヶ村の飛地が入り組んでいたが、昭和11年(1936)六つの飛地をあわせた町域を1町とし、「六町」と命名した』と云われている。


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六町駅周辺には、大型スパーが1軒あるが、他には何もない! 駅周辺は、つくばエキスプレスが開通し、田畑が住宅地に変わった町だ!、、、、ネオンきらめく夜の街がないのは残念に思う人も多いのではなかろうか? “つまらん街だ!”

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・・・・・・・・・・・・・・只今、駅周辺では「六町地区 土地区画整理事業」が、東京都で進められている。 これから期待できる町に変わるか?

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● 六町駅から西に向かってスタコラサ、東西に走る「花畑大橋通り」を横断すると、住所は“足立区東六月”となる。、、、、“六町”だ、“六月”だと、“六”が好きな町だと思って地図を見ると、六町駅の北東には“足立区六木”という町もあった。 ついでに「六六通り」もある。、、、、東六月の町には、昭和46年(1971)にできた「都営 六月町アパート」がある。 完成した年は、まだつくばエキスプレスの工事も着手していない頃で、当時の最寄り駅は直線で約3km先の綾瀬駅だ! まさに、この辺りは陸の孤島であった。

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● 東六月町の中心部に23区最大級の大型分譲住宅「パレットコート六町」がある、総戸数214戸の戸建街。 総開発面積32,000㎡超。 平成24年(2012)に分譲された街は、緑豊富な外路に楽しさを感じているのかも。、、、、足立区には、民間でも大きな分譲団地を開発できる土地があるようだ!

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● 日光街道(国道4号)を越えると、「竹の塚第一団地」(UR都市機構)がある。、、、、昭和36年(1961)日本住宅公団は竹ノ塚駅東側約100ヘクタール(東京ディズニーリゾートとほぼ同じ)の農地を区画整理し、竹の塚第一、第二、第三団地、竹ノ塚駅前市街地住宅など、全部で2800戸程を建設した。、、、、竹の塚第一団地は、昭和40年(1965)から入居が始まった、総戸数1286 戸(全35棟)の中規模団地である。 竹の塚第一から第三団地まであるが、ここが一番先に完成した。、、、、竹の塚団地は人気が高く、なかなか空き家も出ないそうだ。 かつての給水塔などは、現在撤去され、跡地に高層棟が建てられている。 公園・保育所なども整備され住みやすそうだ。

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・・・・・・・・・・・・団地の一画にタイムカプセルが埋められてる、、、、1991年に埋められ、44年後の2035年にオープンする予定とのこと。 中には、当時の居住者による、写真・絵・作文が入っているそうだ。 小学生の頃埋めた人も、オープンする時は中高年、自分の作品を目にしたときは、感動し泣けるかも?

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竹ノ塚駅は只今、連続高架化工事の真っ最中。 完成は令和4年(2022)3月。 まだまだ仮ホームで我慢です。

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