足立区

2024年12月11日 (水)

餓死者を葬った四寺

久しぶりに閻魔さまの顔を見たくなり北千住に行ってきた。 北千住駅からスタートし、北千住1・2丁目界隈を歩き、東武伊勢崎線の牛田駅まで、9千歩の散歩です。


北千住駅はJR常磐線、東京メトロ日比谷線・千代田線、東武鉄道伊勢崎線、首都圏新都市鉄道つくばエキスプレス4社5路線が乗り入れており、1日あたりの乗降客数は約160万人と言われてる大ターミナル駅である。 この首都圏有数のターミナル:北千住駅であるが、ここから“新宿”、“池袋”の大ターミナルへ向かう路線は一本もない! これは何とも不思議なことだ?、、、、明治29年(1896)12月25日に日本鉄道線(現在の常磐線)の駅が開業。 明治32年(1899)8月27日には東武鉄道の駅が開業。 明治39年(1906)、日本鉄道の駅が国有化される。 昭和37年(1962)5月31日に帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線の駅が開業。 昭和44年(1969)12月20日 、千代田線の駅が開業。 平成17年(2005)8月24日、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスの駅が開業。 ついでに、現:駅ビルの「ルミネ北千住」が開業したのは、昭和60年(1985)である。 開業当時は「北千住ウイズ」という名であった。
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● 北千住駅から歩いて5・6分程の所に、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺がある。 金蔵寺は、建武2年(1335)の創建と伝えられている。  、、、、本尊は、かつては地蔵菩薩であったが、現在は閻魔大王と言われてる。 私は、今までに数回この寺には来たが、いつも本堂は閉められ、本尊の姿を拝したことがない。 ネットで調べてみても本尊の写真は載ってない。 ぜひ一目拝んでみたい閻魔さま!
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・・・・・・・・・・ 金蔵寺では本尊の閻魔さま以上に有名なのが、山門を入ってすぐ左手に2基の供養塔が並んでいる。 向かって左側の南無阿弥陀仏を刻んだものが「千住遊女供養塔」。 この供養塔は、千住宿の多くの飯盛旅籠に勤めそこで亡くなった遊女が、当時「投げ込み寺」であったこの寺に葬られた。 その薄幸な遊女生涯を哀れみ供養するため建てられた。、、、、右側に無縁塔と彫られた供養塔は「天保餓死者供養塔」。 こちらは、有名な天保の大飢饉(1833~1837)で亡くなった者を供養するため建てられた。 塔は当時の名主:永野長右衛門が天保11年(1840)に建立したものでその碑文によれば、天保8年の年当地では828名の犠牲者が出た。 その犠牲者を近隣の寺に葬ったとされている。 勝専寺に321人、慈眼寺に61人、不動院に76人、そしてこの金蔵寺に370人を葬ったそうだ。(そこで今日の散歩は、この4寺を巡ることにした!) 

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● 金蔵寺から西へ約250m歩くと、赤く塗られた山門の三宮神山大鷲院勝専寺(浄土宗)がある。 勝専寺は文応元年(1260)の創建。 勝専寺を開いた新井政勝の父・新井政次が荒川(現:隅田川)に網を投じたところ、千手観音像が網にかかったのが寺の由緒だという。 この千手観音は寺の寺宝となっており、地名「千住」の由来といわれている。、、、、勝専寺の本堂は明治39年(1906)に建てられたコンクリート造で化粧レンガで覆われています。
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・・・・・・・・・・ 勝専寺の本尊は阿弥陀如来であるが、この寺にも閻魔さまが居る。 ここの閻魔さまは、閻魔堂に一人住い。 像は寛政元年(1789)の木像。
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● 勝専寺から南に300m程歩くと、慈眼寺(じげんじ)と不動院が隣り合わせにある。 新義真言宗の慈眼寺は、千龍山妙智院と号す。 慈眼寺は、行覚上人が関東巡錫の時の正和3年(1314)に創建した。 当寺の本尊であった観音菩薩像は東京大空襲で焼失してしまった。 また、諸堂も戦災で被災し、残っていたのは現在の山門だけだそうだ。
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● 新義真言宗の不動院は、白幡山薬師寺と号す。 不動院は、元弘2年(1332)秀天上人が開山となり創建した。 創建の翌年には鎌倉が陥落し南北朝の戦乱が始まると言うまさにその時期です。 本来は慈眼寺の護摩堂であったが独立して一寺となったといわれてる。 本尊は不動明王。
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・・・・・・・・・・ 境内には、千住宿旅籠屋一同が万延元年(1860)に建てた遊女の無縁塔がある。 遊女も、飢餓者も、南無阿弥陀仏。
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● 四寺を巡った後は、「北千住大踏切」を渡り牛田駅に向かう。、、、、「北千住大踏切」は、北千住駅の南側にある、JRと東武鉄道が走る踏切をいう。 4社5線が乗り入れる北千住駅であるが、東京メトロ千代田線と日比谷線、つくばエクスプレス線の3線は、高架または地下で立体交差しており、踏切を通ることはない。 JRと東武鉄道は地平を走り、両路線は運行本数も多いため、ここの踏切は「開かずの踏切」となっている。、、、、地元の足立区ではこの大踏切の除却を議論しているが、ここを通る鉄道に加え周辺道路も交通量が多く難しそうだ。 2018年末には、鉄道の高架化・地下化それぞれの立体交差化にかかる事業費を、前者は1000億円、後者は3000億円と試算している。 
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・・・・・・・・・・ 大踏切は、JR常磐線の「北千住一丁目踏切」(注:北千住一丁目という地名は無い)と東武伊勢崎線の「22番踏切」の2本が並んでいる。 両踏切は非常に近接しているので、両社とも係員を配置している。 しかし、踏切横断の危険は常にあり油断できない!
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● 大踏切から牛田駅まで歩き、ここから帰る!
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2024年11月13日 (水)

五反野から西新井橋まで

東武伊勢崎線の五反野駅から、江北橋通り北側の裏通りを西へ歩いて、西新井橋バス停まで、1万歩の散歩です。



● 散歩の行先を決めぬまま浅草橋駅から都営浅草線・東武伊勢崎線と乗り継ぎ、『さて、どこで降りようか?』思案しながら乗っていた。 北千住駅を過ぎたあたりから、『これ以上乗っていたら散歩の時間がなくなる!』と思い、五反野駅で慌てて下車する。、、、、この駅は散歩で度々訪れており、目新しい発見も無く駅を出る。
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・・・・・・・・・・ 駅を出て『さて、何処へ、どっちへ、いずれに行こうか?』悩んだ結果は、『西へ向かって歩いて見よう』、、、、江北橋通りの北側の裏通りを西に向かって平行に歩くことにした。
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● 五反野駅から西へ、日光街道の手前に、「くもじい・くもみ」を思いだす、外壁が鋭角にトンガッタ建物がある。、、、、このお宅、『トンガッタ先にどんな部屋があるのかな?』、『寝るのは何処かな?』 できたら、お宅の中を拝見したいね!
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● 日光街道を越え西へ向かうと、足立区梅田1、2丁目に道幅6m程、長さ350mの地元密着型の「ゆめろーど千代田商店街」がある。 昭和46年(1971)に結成された商店街で、現在40店舗程が加入しているそうだ。、、、、朝8時45分、まだ営業してる店は少なく、多くの店はシャッターが下りてる。 花屋さんは店が開いてる、デイサービス・訪問介護の建物の中ではミーティング中、玉子焼き屋さんは店中で店主が焼いてる、八百屋さんは品出し中、買い物客の姿は見えず。、、、、日中の買い物客がいる時間帯に来てみたいね!
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・・・・・・・・・・ 商店街の「鈴や質店」、、、、昔ながらの風情ある店先と質蔵がいいね!
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● 商店街を通り抜けると「旧日光街道」にでる。 50m程北に歩くと、街道の角に「石不動尊」(足立区梅田3)と記された小堂がある。 小堂のなかの不動尊は石製坐像で、台座に「耳不動尊」と記されている。 石不動は、別名「耳不動」と呼ばれ、耳を病む人の強い信仰を受けているそうだ。、、、、石不動の左脇に、昭和40年(1965)に再建された、「子育弥彦尊道 是より二丁行く」という道しるべがある。 石不動は、この先(西側)にある明王院の不動の一つだそうだ。、、、、私は耳が悪く補聴器の御世話になっているので、ここでは念ごろに手を合わせてきた。
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● 石不動から西へ500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の万徳山梅林寺明王院がある。 明王院は、治承2年(1178)六条判官源為義の三男義広の草創で、五世久広のとき当院のかたわらに天満宮を勧請して、万徳山梅林寺と号し、姓を梅田と改めたことから、周辺の地名も梅田と呼ばれることになった。 また、赤いお堂のお不動様の寺、は「赤不動」として親しまれてきたそうだ。、、、、この寺には、石不動の脇に道標のあった、咳に効験のある八彦尊が祀られている。、、、、現在の堂々とした不動堂(本堂)は昭和48年(1973)に落成した。 本尊の不動明王は扉の中で顔は見えない、残念!
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● 明王院から再び西へ向かうと、尾竹橋通り(=都道461号)に出る手前に公園「関原の森」がある。 ここには、昭和5年(1930)に建てられた「旧愛恵学園幼稚園舎(現:愛恵まちづくり記念館)が残されている。、、、、今日は建物の前を通過するだけ。
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● 尾竹橋通りに出て南へ200m程歩くと西新井橋の北詰となる。 この手前に東武バスの「西新井橋」バス停がある。 今日の散歩はここまで!
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2024年10月16日 (水)

田端から宮城まで

JR京浜東北線・山手線の田端駅から旧小台通りを歩き、小台橋を渡り足立区小台に入り、豊島橋東詰の宮城二丁目バス停まで、1万歩の散歩です。



● 今日の散歩は田端駅北口からスタート。、、、、田端駅の歴史は古く、開業は明治29年(1896)4月1日、日本鉄道の駅として、後に東北本線となる路線上に開設された。 同じ明治29年12月には田端~土浦間(後の常磐線)が開業。 明治36年(1903)には、常磐の石炭などを横浜港へ運搬するために大塚支線(田端~池袋間 後の山手線)も開業した。その後、明治38年(1905)には、日暮里~三河島間(現:常磐線)が開業し、上野~土浦間の列車(現:常磐線)は田端駅を経由しなくなり、田端~三河島間は貨物線となる。  そして、明治39年(1906)11月1日、日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。、、、、現在の田端駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、ホームの柱には大正末期か昭和初期頃の古いレールが再利用されて現存している。 改札口は南北の2か所あり、北口は橋上駅舎で、線路上の人工地盤上に駅ビルがある。 南口は、線路脇の崖上にあり、小さく可愛らしい駅舎である。
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● 駅前の跨線橋「新田端大橋」を渡り、田端駅と尾久駅の中間にある田端機関区(田端運転所)と尾久車両センターをつなぐ回送線の「王子街道南亘り踏切」近くに古い道標(北区東田端2)がある。、、、、「左 王子道」「右 □阿弥陀 西新井弘法大師道」と彫られている。 文政11年(1828)とあるので、古くから存在する古道の道標だ! 踏切が在るのは「王子道」にあたり、私の散歩は右に折れて西新井弘法大師道に向かうことにした。

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・・・・・・・・・・ 西新井弘法大師道といっても普通の2車線道路である。、、、、先へ進むと、「東北回送線 第三下田端踏切」、「東北線 第三下田端架道橋」がある。、、、、さらに都道306号を横断した先には、比較的新しい道標(北区田端新町3)がある「右 西新井大師道」と彫られてる。 昭和48年(1973)の銘、おそらく信者の方が建立したものであろう。
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● 西新井大師道を道なりに北上すると、四つ角の先の街路灯に「小台(おだい)銀座」の文字が見える。 ここからは“北区”から“荒川区”に変わりる。 小台銀座の商店街が、約600mの長さで都電荒川線の「小台停留所」のある交差点まで伸びている。 西新井大師道の一部が小台銀座になったものと思われる。 小台銀座の商店街は、南側半分が「小台本銀座商店街」、北側半分が「小台本銀座通り柳会」と言う、二つの商店街で構成されてるそうだ。 この小台銀座の通りは、「旧小台通り」と言うらしい、名標も立ってる。、、、、まだ朝の8時半過ぎ、営業してる店は無く、シャッターも下りたまま、すれ違う人の数も少なく、商店街はまだ寝てるようだ!
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・・・・・・・・・・ 小台銀座の通りに面しチョイト大きな建物は、銭湯の「梅の湯」と総合病院の「佐藤病院」、どちらも地元密着の“頼れるありがたい施設”だ!
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・・・・・・・・・・ 小台銀座通り沿いに、「條里南道」と記された石碑がある。 この碑は、明治20年(1887)頃、人文地理学者の小田内通敏が東京府史跡調査を行った際に、このあたりに残っていた条里制の遺構の保存を進言して建てられたものだ。 条里制とは、古代の耕地の区画制度であり、基盤の目のような整然とした地割りが行われた。このように区画された耕地は、7世紀末ごろ制定されたという班田収授の法に基づき、農民に口分田として分け与えられた。 かつて荒川流域には多くの条里制の遺構があったが、現在では上・中流域にわずかにみられるのみらしい。
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・・・・・・・・・・ 條里南道の石碑の近く(荒川区西尾久5)に、道祖神がある。 3基の塔、いつの時代のものなのか、なぜにこの地にあるのか、由緒・謂れはさっぱり判らん、誰か教えて!
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● 小台銀座を抜けると、都道458号(小台通り)を歩く。 小台橋にて隅田川を越え、荒川区西尾久から足立区小台へ入る。、、、、小台橋架橋前は付近に「小台の渡し」があり、江戸時代より江北・西新井・草加方面への交通の要所として賑わっていた。 西新井大師や六阿弥陀のひとつである沼田の恵明寺に詣でる人々も多く利用した。 小台橋が最初に架橋されたのは昭和8年(1933)で、関東大震災後の都市復興事業により架橋された。 その後老朽化により、平成4年(1992)に現在の橋に架け替えられた。 現橋の型式は鋼ニールセンローゼ桁橋、橋長は122.0m、幅員は15.0m、都が管理する橋である。
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・・・・・・・・・・ 小台橋から上流を眺めると、左側の岸に「あらかわ遊園」の観覧車が見える。 右側は足立区。
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● 都道458号(小台通り)が荒川土手で都道449号に合流する地点(足立区小台2)に、天保期(1831~1845)の弘法大師道標と文久3年(1863)の地蔵尊がある。、、、、ここも、西新井大師道の一部かな?
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● 小台2丁目、荒川沿いの民家の一画に、保存状態の良い7基の庚申塔を祀った小堂「小台の七庚申」がある。 ここ一か所に7基もの庚申塔があるのは、足立区教育委員会の説明文では、『大正初期にはじまった荒川放水路の開削工事で、立退きの対象となった地から下川家(当地の地主)と共にここに移転安置したものである。承応三年(1654)から元文元年(1736)に造立された堂々とした造りで、江戸期庚申信仰が盛んであったことを物語っている。武州下足立郡淵江領宮城村の刻銘があるが、ここの地名をとって小台の七庚申と呼ばれ、人々の信仰を集めている。多くの民俗資料が消滅していくなかで、区民の努力によって保護保存されている代表的なものである。』と書かれている。、、、、荒川開削時に河床に沈んだ村から退避された庚申塔群。一つ一つの庚申塔にはそれぞれの歴史があるだろう、その歴史を勝手に想像すると面白そうだ!
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● 足立区小台・宮城の町を歩き隅田川に架かる豊島橋の東詰まで来ると都バス「宮城二丁目」バス停があった。 疲れがドット出て、もう歩けない! バスに乗ろう!、、、、今日の散歩はここまで。
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2024年9月30日 (月)

新田橋

北区王子と足立区新田を結び、隅田川に架かる新田橋(しんでんばし)は、幹線道路の橋ではなく、2車線の狭いバス通りに架かる地元の人のみぞ知る橋である。 古い木橋のようなデザインの橋で、私の好きな橋の一つでもある。 この橋が架け替えられると聞いて、チョイト見に行ってきた。 京浜東北線の王子駅から歩きはじめ、新田橋を渡り、新田一丁目のバス停まで、1万2千歩の散歩です。



● 今日は昼の時間帯にJR京浜東北線の王子駅で下車する。 王子駅から、旧大蔵省印刷局今は国立印刷局の前の都道を北東に向かって歩く。 溝田橋交差点で明治通りを横断する。
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● 溝田橋交差点を過ぎ、石神井川の縁「あすか緑地」際に、庚申塔の小堂が立っている。 中に彫りの深い文字で「庚申塔」が見える。 残念だが、この右側面に造立年が刻まれていたようだが、欠損のため造立年は不明である。
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・・・・・・・・・・ 新田橋に向かうため、豊島二丁目バス停の先で裏通りに入ると、丁重に祀られた庚申塔がある(北区豊島2-5)。 堂には、今年「令和六年」の庚申日が表示され、庚申信仰が続いているようだ。、、、、堂の中には、左から造立不明の馬頭観音塔、昭和5年(1930)の青面金剛庚申塔、寛文4年(1669)の板碑型庚申塔が納められている。
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● 北区豊島1丁目から、地元の住民しか知らない愛称がついた一方通行の「王子郵便局通り」を歩き、郵便局の横を通り過ぎると「紀州通り」と呼ばれるバス通りに出た。
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● 王子郵便局通りから紀州通りに出る角、スーパーの一画に「白龍神社」なる新しい小さな社がある。、、、、白龍神社は、白羊鉛筆の創業者小林直喜の父が、滋賀県から北海道へ移る際に、屋敷神として祀っていたものを持参して祀り続けてきた社で、昭和25年(1950)白羊鉛筆を設立すると、会社の敷地中央に祀ったとそうだ。 平成5年(1993)白羊鉛筆を閉じてベネフォームへ移行する際に社を現在地に遷し、外部に開放した。 御神徳一位の木は別名アララギとも呼ばれ古くから笏(しゃく)の材料として用いられ、鉛筆の素材でもあった。 家業の励みに日夜一位の神に感謝し、一位の自生する深山の御恩を仰いだ。、、、、玉垣には鉛筆に関連する会社名が並んでいる。(私が知ってる、コーリン鉛筆、キリン鉛筆が無いぞ!)
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● 紀州通りに面し、道路名の謂れとなった「紀州神社」の旗がなびいてる。、、、、紀州神社の祭神は現在、五十猛命、大屋津姫命、柧津姫命である。 元亨年中(1321~1324)、紀州熊野の鈴木重尚が王子村にきて、豊島氏(豊島景村)とはかり、紀州五十太祗神社を同村に勧請したのに始まり、天正年中(1573-92)豊島村と王子村との間に争論が起こった際、豊島村の産土神を王子村に置くのは本意ではないと小名宮ノ前に移し、更に小名馬場に移し、後に現在地に移したものといわれてる。、、、、今年は創建700年、盛大に祭りが行われるのかな?
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● 紀州通りから「新田橋通り」と言う、こちらも地元の人しか知らないような細い通りを北へ歩くと、「新田橋(しんでんばし)」がある。
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・・・・・・・・・・ 新田橋は、右岸(南岸)の北区豊島8丁目と、左岸(北岸)の足立区新田3丁目を結び、隅田川に架かる鋼道路橋である。 橋長114.0m、幅9.0mの5径間単純鋼桁橋で、昭和36年(1961)3月に竣工した。、、、、この地にはもともと「野新田(やしんでん)の渡し」という農業渡船があり、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って中州状に孤立した付近の交通路として利用されていた。 昭和14年(1939)に最初の木橋が木造下路ハウトラス橋として架けられた後、トラス部分の改装を経て昭和36年に現在の橋に架け替えられた。珍しいA字型をした橋脚は、木橋時代の橋脚を模したものである。 都心にあってこのデザインは何とも言えず好きだ! 架け替え前によく見ておこうと思い、今日、わざわざやって来たのだ! だが、上流側には仮設の歩道橋が架かり、下流側の両岸は高い護岸が構築されており、橋脚がよく見えない!(今日は、下流側の隙間から覗くように橋脚を見て来た)
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・・・・・・・・・・ ところで、新田橋の架け替え工事は、橋の老朽化や構造上の問題から「架替の必要性あり」判定され、架替に向け事業が進められている。 平成29~30年度には地元説明会が開催され、令和元年に新田橋仮橋架設工事に着手し現在に至ってる。 今後は、令和6~8年度に仮橋へのライフラインの移設工事を行い、令和9年度から架替工事を進め、概ね10年後の完成を目指す。 なんと完成まで、まだまだあと15年程を要するそうだ!(完成時には、俺、死んでる!
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● 新田橋を渡り足立区に入った、新田の町を歩き、町の北はずれ「新田一丁目」バス停を目指す。
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新田一丁目バス停の前に「新田稲荷神社」がある。 このバス停は王子駅・池袋駅から来る都営バスの終点である。 バスはここで折り返す。 バスを待つ間、チョイト神社に二礼二拍手一礼する。、、、、新田稲荷神社の創建は元禄10年(1697)と伝えられる。 社殿は戦災により、一度焼失するも、昭和22年(1947)に再建され、現在に至る。 境内に2基の庚申塔がある。、、、、夏の暑さで緑一面となった境内は絵になるね! 
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・・・・・・・・・・ 折り返し王子駅行きのバスが来た。 乗って帰ろう!
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2024年9月17日 (火)

荒川沿いの北千住

東武伊勢崎線の堀切駅から、荒川の形状に沿って北千住の町を歩く。 西新井橋南詰の千住桜木のバス停まで歩いてきた。 1万1千歩


堀切駅は、令和4年(2022)度の1日平均乗降人員は約4000人で、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)愛称区間では最も利用客が少ない駅である。、、、、堀切駅は、明治35年(1902)の吾妻橋(現:とうきようスカイツリー)~北千住間開業時にできた駅であるが、開業当時の堀切駅は今よりやや東で、ちょうど荒川のど真ん中付近にあった。 開業当時はまだ現在の荒川がなかったためで、荒川放水路(現:荒川)開削に伴って堀切駅が現在の位置に移転してきたのは大正12年(1923)7月1日のことである。 現在、地名としての“堀切”は荒川の対岸(東岸、葛飾区堀切)であるのに、西岸にあるこの駅が堀切(足立区千住曙町)と名乗っているのはこのためである。 駅の東側は荒川が流れ、西側も400m程歩くと隅田川岸にぶつかる。 川と川に挟まれくびれた所に堀切駅がある。 都会の中の秘境駅である。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎は上下線それぞれにあり、ホーム間の構内移動はできない。 駅員も乗客も上下線の移動は、一旦改札を出て、跨線歩道橋を渡る必要、、、、電車は北千住~浅草間の普通電車しか止まらず若干不便だが、『これぞ下町』を感じる駅である。 小津安二郎の名作『東京物語』(1953年)やテレビドラマ『3年B組金八先生』にも登場した懐かしい駅だ。 駅に隣接して、病院、学校があるが、駅周辺にはコンビニ、喫茶店など店は一切無く、“飲みたかったら自販機で!”
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・・・・・・・・・・ 駅前の荒川の土手に上がると、対岸の葛飾区と結ぶ堀切橋がよく見える。  振り返り、土手下の駅を見ると、駅名標が目線の下に!
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● 堀切駅から土手下の住宅密集地を歩くと、製紙工場の跡地に平成元年(1989)に開園した公園「柳原千草園」がある。 驚く程の広さの公園ではないが、園内は四季折々の植物が植えられている。 さらに、住宅密集地のため防災面にも配慮されており、防火用貯水槽2基を備え、消防車など緊急車両が園内通過できるようになっている。
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● 足立区柳原の町には柳原千草通り」と呼ばれる商店街がある。 来るたびに廃業した店舗が増え、今や“商店街”らしさは消えた。 寂しいね!
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● 柳原の町から日ノ出町の町に入ると、シンボルのような大きな集合住宅による旧公団の日の出団地がある。 昭和43年(1968)に竣工した、4棟(764戸)の団地。、、、、千住の町を威圧している建物だったが、近ごろはタワマンなども建ち、目立たなくなってきたかな?
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● 日の出町で荒川土手に上がってみると、正面に小菅(葛飾区)の東京拘置所が、左手に東武伊勢崎線、つくばエキスプレス、JR常磐線、東京メトロ千代田線の橋梁が重なり見える。、、、、今日も暑い! 汗が噴き出してる! 拘置所の中は冷房してるかな?(羨ましいね)
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● 東武伊勢崎線荒川橋梁とつくばエキスプレス荒川橋梁の間に、日蓮宗の久栄山清亮寺がある。 元和5年(1619)身延山久遠寺末として、水戸街道入口のこの地に創建された。 本尊は、一塔両尊四士合掌印、宗祖日蓮説法像を中心に、全部で15躯の仏像で構成されている。 本堂は天保4年(1833)に再建の総欅造りである。 昭和6年再建の山門(薬医門)に掲げる扁額「久栄山」の書は、六朝風の名筆中村不折によるもので、昭和59年登録文化財(書跡)となる。
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・・・・・・・・・・ かつて門前の水戸街道に面して古松が茂り水戸光圀公ゆかりの「槍掛けの松」が境内にあった。 今は、千住名物“槍掛けだんご”として名を残している。(近くのだんご屋で売ってます、賞味あれ!)
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● 日光街道(国道4号)を横断し、千住新橋の南詰にあたる千住大川町に入ると、荒川土手の下に「大川町氷川神社」がある。 祭神は素盞鳴命・倉稲魂命である。 永仁2年(1294)に千住五丁目川田耕地に素盞鳴命を勧請したのが始まりとされています。 大正2年(1913)に荒川放水路(現:荒川)の開削工事のために現在地に移転した。、、、、チョイト広い境内には、規模のチョイト大きい富士塚があり、常時登拝可能である。 あまり参拝者がいるかんじではないが、境内はしっかりと整備されている。
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・・・・・・・・・・ 旧千住新橋は明治44年(1911)から荒川放水路の大改修計画の一環として、大正9年(1920)より同13年(1924)までの永い歳月と、119万円を費やして完成したものだ。 橋の構造、規模は長さ452.7m、幅7.2m、鋼板桁の近代橋であった。 その後、昭和32年(1957)に幅17.0mに拡張したが、老朽化により架け替えすることとなった。 この時の千住新橋の親柱が保存されている。、、、、何だか汚れが目立つようになり、チョイト親柱がショボクレテ見える!
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● 土手下の道を歩き、西新井橋南詰に出た! 汗ダラダラ、頭ポカポカ、足クタクタ、今日の散歩はここまで。 近くのバス停「千住桜木」からバスに乗る。 
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2024年7月13日 (土)

小菅から六町まで

連日の猛暑に続き豪雨、今日は梅雨の中休み、久々の散歩となった。 東武伊勢崎線の小菅駅から北へ歩きはじめ、つくばエキスプレスの六町駅まで、1万1千歩です。




東武伊勢崎線の小菅駅(こすげえき)は、大正13年(1924)10月1日に開業した。 小菅駅は足立区足立の所在であるが、“ほぼ駅前”と言ってもいい、東京拘置所の所在地は葛飾区小菅である。 “小菅”と言えば、年配の人は“高い塀の刑務所”を思い出すかも、現在は“刑務所”ではなく、日本最大の3000人収容の開放的・モダンな“拘置所”である。、、、、駅は荒川岸に位置し、ホームの東側には東京拘置所があり、一日当たりの乗降客は約6000人で、都区内の駅としては少ない方だ。、、、、今日の散歩は、この小菅駅から拘置所を囲む堀(古隅田川)に沿ってスタートする。

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● 東京拘置所の北側に「五反野親水緑道」があり、緑道は五反野駅まで約900m続くそうだ。 途中にJR常磐線のガードがある。 ガードの脇に、昭和24年(1949)に起きた下山事件の記念碑「下山国鉄総裁追憶碑」がある。、、、、下山事件とは、昭和24年(1949)7月5日、初代国鉄総裁の下山貞則は午前8時20分頃迎えの公用車で出勤した。 途中、銀行等により、9時30分頃、日本橋三越で車を降りた後、消息が途絶えた。 翌日の午前0時30分頃、この碑がある北千住~綾瀬間において汽車に轢かれた下山総裁の遺体が発見された。 下山総裁は0時20分頃現場を通過した貨物列車により、轢断された事が判明したが、検視の結果、遺体から生活反応が見られなかった事から、列車に轢かれた時に総裁が生きていたか、死んでいたかが問題となった。 警察からは公式の捜査結果が発表されないままに捜査が打ち切られた。 当時は高インフレにあえぐ経済の立て直しのために緊縮財政がとられ、6月には行政機関職員定員法が施行された。 これにより国鉄に対し10万人近い人員削減が求められていた。 また、7月15日には三鷹事件、8月17日には松川事件が発生している。、、、、70余年前の事件であるが、今だ真相は解明されておらず、謎となってしまったか?

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● 足は北に向かって歩く。 西綾瀬3丁目弘道2丁目の都営住宅が点在する、入り組んだ裏通りを歩き環七通り「青井五丁目交差点」に出る。

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・・・・・・・・・・ 途中に、真言宗豊山派の寺で安龍山正法院増福寺(足立区青井2)がある。 増福寺の本尊は阿弥陀如来。、、、、当寺は、正和元年(1615)に、慶龍和尚により開山されたと伝えられている古寺。、、、、小さな境内に、小さな本堂、チョイト可愛らしい寺。

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●  環七通りを横断し、足立区一ツ家4丁目に入ると「一ツ家稲荷神社」がある。 一ツ家稲荷神社は、文禄年間(1592~1596)頃に開発が進められた当地(栗原新田)の鎮守として祀られたのではないかと言われている。 境内には数基の供養塔、地蔵、庚申塔がある。、、、、地元有志の氏神様のようだ!

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● 熱中症に注意をはらい、汗をかきかき1万歩。 つくばエキスプレスの「六町駅」に到着。、、、、六町駅は都内で最も北に位置する地下駅で、ホームはかなり深い処にありエスカレータを4回のって下りる。

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2024年4月29日 (月)

谷塚から八潮まで

東武伊勢崎線の谷塚駅から東に歩いて、つくばエキスプレスの八潮駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ゴールデンウィーク前半の最終日、何処にも行く予定の無い私は谷塚駅で降り、東の八潮駅まで散歩することにした。 連休中とあって、通勤通学客はいないが行楽地に行く人が多いのか、電車はチョッピリ混んでいた。

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● 谷塚駅の東、県道を越えると真言宗豊山派寺院の寶光山安楽院善福寺がある。 善福寺の創建年代は不詳だが、江戸時代中期までには既に存在していたものと推測されている。 昭和15年(1940)まで西新井大師の総持寺の末寺であったが、同宗派総本山の長谷寺に変更した。、、、、道を歩いていると立派な山門が目に入る、静かな境内に入ると本堂の優美な姿がまたまた目に入る。

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・・・・・・・・・・  門前に正徳3年(1713)銘の庚申塔、境内に元禄4年(1681)奉納の六地蔵がある
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● 草加市瀬崎の裏通りを歩く。瀬崎(せざき)の町は毛長川を境にして東京都足立区と接する住宅地。

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・・・・・・・・・・ 瀬崎の町の東端、伝右川の際に立派な「草加市スポーツ健康都市記念体育館」がある。、、、、草加市は昭和53年(1978)に「スポーツ健康都市宣言」を行った。 市民のスポーツ運動に関する基礎調査を行い、市民スポーツの拠点と国際大会等の公式試合が行える施設として「総合スポーツセンター」構想をまとめて、総工事費は23億8800万円を投じ、建設した体育館。 昭和59年(1984)に着工し、昭和61年(1986)供用開始。、、、、収容人数 1,277人のメインアリーナ、サブアリーナ、柔道場、剣道場、相撲場、卓球場、弓道場、1周220mのランニングコースなど施設も充実してる。

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● 伝右川を越えると、埼玉県草加市と八潮市の境に割り込むように「都営花畑第四アパート」(東京都足立区)がある。 おそらく23区で最北端の都営アパートと思われる。 大きな団地だが、団地内の多くの商店はシャッターをおろしたみたいだ! 近くの大型スーパーに負けたか?

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● 都営アパートを抜け、桑袋大橋(くわぶくろおおはし)を渡り綾瀬川を渡ると八潮市に入る。

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● 八潮市大曾根にある「大曽根八幡神社」に寄って行く、、、、大曽根八幡神社の創建は文亀2年(1502)の勧請といわれてる。 古くより当地の鎮守社であった。 江戸時代には当地の領主旗本森川家の崇敬を受けていた。 明治期には村社に列格していた。、、、、現社殿は明治28年(1895)の再建で、本殿は総欅一間社流れ造り、向拝正面を唐破風、上部を千鳥破風、桂間の壁面は神話を題材とした浮彫りをはめこむ。 拝殿は入母屋造りの銅板葺き屋根、向拝中央を唐破風、上部を千鳥破風とし、八幡太郎義家父子等の武将の活躍を浮彫りで表現してる。 社殿周りの彫刻は素晴らしい!

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● 大曽根八幡神社の南側に、真言宗豊山派寺院の光林山福壽院がある。 こちらにもチョイトお立ち寄り。 福壽院の創建年代は不詳だが、江戸時代前期には創建していたらしい。

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● 福壽院から八潮駅までは約2㎞、新興住宅地の中を駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの八潮駅に到着。 連休だからか(?)つくば方面に向かう親子連れが多い。 

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2024年4月13日 (土)

京成立石から京成関屋

今日の散歩は、京成押上線の京成立石から京成本線の京成関屋まで歩いてきた。 1万1千歩




● 京成押上線の四ツ木~京成立石~青砥間では、11か所の踏切の解消と、京成立石駅の高架駅化を目指し、只今、高架化工事が行われている。 今日の散歩は工事の進行状況の確認を兼ね、京成立石駅から歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 京成立石駅で下車

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・・・・・・・・・・ 京成立石駅の橋上駅舎は既に閉鎖され、ホームから橋上の改札に向かう階段も閉鎖されてる。 改札口は上下線別に仮の改札口が設けれてた。

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・・・・・・・・・・ 下りホームの北側には、仮の下り線となる線路を敷設中。 立石名物であった「呑んべい横丁」の跡にも仮の下り線が敷かれる。

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・・・・・・・・・・ 駅から葛飾区役所に向かう商店街も立ち退き、道の両側は白い仮囲いで隠された。 いずれこの仮囲いの中に新しい葛飾区役所(葛飾区総合庁舎)が建てられ、移転する予定。

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● 京成立石駅前へ移転を予定している葛飾区総合庁舎。 現在の本館(4階建て)+議会棟(3階建て)は昭和37年(1962)竣工。 新館(7階建て)は昭和53年(1978)竣工。 現在は、スペース不足、耐震性能不足、災害対策拠点としての機能不足などなどで、早く移転できることを祈るばかり。

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● 葛飾区役所前の通りを歩き、水戸街道(国道6号)を横切り、都営白鳥一丁目アパート前を通り過ぎると、曳舟川親水公園に出る。 曳舟川に沿って長く伸びる公園には、まだ花が咲き残る桜並木が続いてる。 花見は今日・明日が最後、来週は完全に葉桜になっていると思うね!

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● 宝町(たからまち)二丁目に「宝町八幡神社」がある。 江戸時代初期に開村した宝木塚(ほうきづか)村の鎮守として創建されたそうだ。 創建年代は不詳。 現在の社殿は昭和5年(1930)に造営されたもので、屋根は傾き、やや朽ち果てた感がある。 歴史を感じるかな?、、、、台風・地震で倒壊しないうちに修理して欲しいね!

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● 堀切菖蒲園駅近くには、「堀切天祖神社」が鎮座する。 天祖神社は、永万元年(1165)伊勢の神宮の神領であった葛西御厨〔かさいのみくりや〕の堀切村の鎮守として、皇大神宮より勧請したという。 現在の社殿は昭和41年(1966)に建てられた鉄筋コンクリート造。、、、、境内には八幡宮、稲荷社、天神社が祀られ、また境外末社として菖蒲七福神、菖蒲十二支神があり、多くの神さまを集め、地元の神明さんとして幅広く尊崇をあつめてる。

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● 堀切橋で荒川を越える。 堀切橋の上流側に平行する京成本線荒川橋梁の架け替え工事が始まった。 京成本線荒川橋梁は昭和6年(1931)12月19日に供用を開始した。 以来、京成本線の橋梁として、現在では1日に約14万人以上の利用がある空港アクセスの主要路線の一部として活躍してる。 しかし、京成本線荒川橋梁は、桁下が荒川上下流の周辺の堤防に比べて、約4mも低いのが特徴で、治水上の弱点といわれ、橋梁のかさ上げが求められていた。 その荒川橋梁の架け替え工事が始まった。

・・・・・・・・・・ 堀切橋から見る京成本線荒川橋梁。 道路橋より低い位置に架かっているのが判る。

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・・・・・・・・・・ 荒川が氾濫しないよう工事の早期完成を望む。 ここから氾濫すると、台東区浅草橋の我が家は床下浸水するかも?

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京成関屋駅は京成本線の日暮里~青砥間の開業と同時である、昭和6年(1931)12月19日に開業した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。 改札は高架下の1か所。、、、、各駅停車しか停まらない小さな駅だが、駅の向かい側に東武伊勢崎線の牛田駅があり、乗り換え客が多い。

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2024年3月 4日 (月)

東から西まで

京浜東北線の十条駅から、日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅まで、東から東に歩いて西まで、1万3千歩の散歩です。




● 昭和6年(1931)8月1日に京浜東北線の電車のみが停車する下十条駅が開業した。 昭和32年(1957)に下十条駅は町名変更により東十条駅に改称。、、、、現在の東十条駅のホームは地上島式2面3線構造で、中線(2・3番線)は主に東十条止まりの列車が使用する。 改札は北口と南口、どちらも橋上駅舎である。 北口は平成16年(2004)に東側(東十条商店街の側)出入口が改良され、エレベーターとエスカレーターが設置された。

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・・・・・・・・・・ 東十条駅ホームの東側に東北新幹線の高架橋があり、その隣にはかつて下十条運転区があったが、現在運転区は廃止された。 しかし線路は京浜東北線東十条駅構内として残り、現在も京浜東北線の電車の留置に使用されている。

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● 北口正面には、万国旗が頭上ではためく「東十条商店街」が伸びる。 いまの世、万国旗で客寄せする商店街とは、これぞ下町、昭和レトロを感じさせる商店街だ。 この付近には、中国、韓国、フィリピン、ベトナム・・・・東南アジアの人も多いから、万国旗がふさわしいかも?、、、、、朝8時、店は営業前で閉まっているが、通勤通学で多くの人が行き交う商店街

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・・・・・・・・・・ 商店街は800m程で、北本通り(=国道122号)の神谷一丁目交差点で終わる

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● 東十条商店街からチョイト歩くと、環七通りをとおして隅田川に架かる「新神谷橋」がある。 新神谷橋を渡ると、北区神谷から足立区新田に入る。、、、、現在の新神谷橋は、昭和40年(1965)2月12日に開通した。 橋長 153.1m、幅員 20.0m、プレートガーダー橋。、、、、歩行者は橋の両端で、橋上の歩道に接続する急な階段を利用するため、年寄りにはキツイ! もう少し歩行者に優しい橋にしてもらいたいね。

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● 新神谷橋を渡り足立区新田の町に入ると、引き続き、荒川を越える鹿浜橋がある。 「鹿浜橋」は昭和40年(1965)2月12日に開通した、長さ451.3m、幅20.0m、 ゲルバー式鋼鈑桁 。、、、、橋から見る上流側には、川口のタワマンが一望でき、眺めは良い!

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● 鹿浜橋を渡り終え、鹿浜3丁目、環七通りと平行する北側の裏通り「神明通り商店会」を歩く。 神明通り商店会は、鹿浜の地で50年以上続く昭和の面影を残した商店会です。 平成の時代には装飾街路灯、道路のカラー舗装を完成した。 現在は10店舗の加盟商店で頑張っているそうだ。、、、、寂しくなる商店街、頑張って!

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・・・・・・・・・・ 神明通り商店会の中程に、通り名となった古内天祖神社(神明神社)がある。 古内天祖神社は、鹿浜にある天祖神社だが、創建年代は不詳となってる。 鹿浜村小名古内の鎮守社として祀られていたそうだ。

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● 古内天祖神社の北側に寺の屋根が見えた『チョイト行ってみよう!』、、、、寺は真言宗智山派の医壷山福寿院寶蔵寺であった。 寶蔵寺は、弘安年間(1278~1288)、鹿浜村南部に創建、江戸時代には、末寺8ヶ寺を擁する小本寺格の寺院だった。 寛保2年(1742)以降に当地に移転した。、、、、現在の堂宇は大正14年(1925)に再建されたもので、往時の盛容偲ぶべくもない。 瓦葺き寄棟で唐破風付き、障子の火頭窓があり、古風な佇まいに親しみが持てる。

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● 環七通りと平行に歩き、西新井大師西駅を目指す。 途中、都営 上沼田第3アパート」、「UR 江北六丁目団地の団地を抜ける。

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● 団地を抜けると、尾久橋通りの頭上を走る日暮里舎人ライナーの西新井大師西駅がある。 散歩はココまで。

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2024年2月15日 (木)

住みやすい谷塚

天気も良さそうなので、『歩いてくる!』と一言残し家を出る。 『さて、どこへ行こうか?』 迷える爺は、とりあえず浅草線に乗り押上で降り。 東武伊勢崎線に乗り西新井で降り。 再び伊勢崎線に乗り谷塚で降り。 ここから歩こうと決めたが、東西南北いずれに向かう? またまた迷える爺となり。 駅前の地図を眺めて、見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万1千歩の散歩です。




谷塚駅は東武伊勢崎線が東京都足立区から埼玉県草加市に入って最初の停車駅。 私にとっては、『東京から埼玉に行ってきた』と言える駅だ。 我が家のある浅草橋から30分程の処にあり、お手軽に来られる駅でもある。、、、、東口は駅前ロータリーがあり、バスも停まり、スーパーや100年ショップなどもあり整備されている。 西口は駅前に空き地が広がり、車は入りずらく、これから整備するようだ。、、、、駅前の地図を眺めて、今日は県道104号線の北側を西へ向かって日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。

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● 住宅情報サイトの記事によると、谷塚駅東側は『①駅前に交番がある ②スーパーや日用品店が揃っていて買い物に困らない ⓷コンビニと飲食店は少なめ ④全体的に人通りが少なく静かな雰囲気』と書かれているが、今日歩いた西側の特徴は『①全体的に店が少なくて田舎の雰囲気 ②家賃は低いがやや古い物件が目立つ ⓷自然が多くてのどかな住宅街が広がる ④スーパーが少なくて買い物が不便』と書かれてる。 たしかに、歩いてみて西側は、まさに田舎の雰囲気が残る新興の住宅地である。 店は少なく、道路は狭く、歩く面白みに欠ける町。

・・・・・・・・・・ 駅近くで県道104号線を横断し、北側(谷塚町・柳島町)の裏道を歩く。

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・・・・・・・・・・ さっそく農地が現れた! セールストークで『高い建物がないので、見晴らしが良いです。人通りも少なく、緑が多いのどかな住宅街が広がってます』 

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・・・・・・・・・・ 新しいアパートが並ぶ! セールストークで『戸建てに混ざって、一人暮らし向けの低層アパートも多いですよ』

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・・・・・・・・・・ 畑の向こうにマンションがある! セールストーク『眺望の良い1LDK、家賃は7万円で、安いですよ』

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・・・・・・・・・・ 草加市を南北に貫く国道4号線 セールストーク『国道に出れば お店がいっぱい並んで便利です』

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・・・・・・・・・・ チョイト狭い裏道。 セールストーク『住宅街は人通りが少なく、静かな雰囲気です』

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・・・・・・・・・・ 草加南高等学校(草加市柳島町)がある。 セールストーク『学校も近く 東大受験まちがいなし』

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・・・・・・・・・・ 高等学校の西には、素朴な感じの柳島氷川神社がある。 セールストーク『お受験の神頼みもできますよ』

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・・・・・・・・・・ 氷川神社の裏には柳島コミニティセンターがある。 セールストーク『地域との触れ合いはこちらでできます 谷塚での充実した生活をおくってみてはいかがですか』

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● 東京都足立区と埼玉県草加市の境を流れる毛長川(けながかわ)に出た。 毛長川は利根川水系綾瀬川支流の一級河川。、、、、昭和23年(1948)より40年にかけて改修拡張された。 人口急増による生活排水の増加などの影響により20世紀後半に水質がきわめて悪化したが、流域の下水道の普及などにより水質は次第に改善した。 現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み、綾瀬川同様、毛長川に注ぐことで水質を改善する試みが行われている。、、、、川を越えたら、見沼代親水公園駅がある

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● 日暮里舎人ライナーの終着駅「見沼代親水公園駅」に到着。 東京23区内最北端の駅、平成20年(2008)の開業。

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