豊島区

2024年9月 9日 (月)

目白から長崎まで

東京では、連日の猛暑日は終わったようだ、気温は35℃以下。 朝晩も涼しくなってきた。 朝の予報で、今日の最高気温は34℃と聞いて、早速、散歩に出ることにした。、、、、山手線の目白駅から、西武池袋線の東長崎駅まで、1万歩の散歩です。



●  東京に生まれ70余年東京に住み続けてる私であるが、“目白”という場所には縁遠く、学生時代は“目白駅”で下車したことはない、サラリーマン時代には仕事・商談などで来たことはない。 私にとって“目白駅”は山手線の通過駅である。 今日は久々に、そんな通過駅で降りてみようと家を出た!、、、、「目白駅」は、明治18年(1885)3月1日の日本鉄道品川線の品川~赤羽間の開業から、なぜか半月ほど遅れ、3月16日に目黒駅と目白駅の2駅が仲良く開業した。 以降、明治39年(1906)には国有化され国鉄の駅となる。 大正8年(1919)に建設された2代目の旧駅舎は日本初の橋上駅舎となった。 平成12年(2000)に改築された、3代目の現在の駅舎も橋上駅舎である。、、、、駅の隣りは、学習院大学、学習院中・高等学校。 駅の向かいは川村中・高等学校。 さらに周辺には各種の専門学校が多く、ラッシュ時の駅は学生が多いね!

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● 目白通りに面してたつ「目白聖公会」(新宿区下落合3)は、日本聖公会に属するキリスト教の教会である。 日本聖公会の教会は東京には全部で32の教会があるそうだ。 ここ目白聖公会は目白駅から徒歩5分程の目白通り沿いにあり、かつて目白通りに馬車が通っていた大正7年(1918)、病院の建物を改造し最初の礼拝が始まったとのこと。 現在のロマネスク様式の聖堂は、昭和4年(1929)に坪井正太郎の設計で建てられた。 戦災からも免れ、東京の聖公会の教会では唯一の戦前からの建物である。 昭和60年(1985)に英国トゥルロー教区にあるエピファニー修道院から、百年余り前に造られた美しいステンドグラスの寄贈を受けた。 聖人を描いたステンドグラスの美しさには、息を呑む。
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● 聖公会の教会から北に入ると、尾張徳川家伝来の美術品の保管・研究を目的に昭和6年(1931)に設立された徳川黎明会の建物がある。 ここは、尾張徳川家の美術品などの管理をする処のようだが、残念ながら内部は一般公開されていない。 従って外から眺めるだけです。 建物(昭和7年築造)は、銀座和光(服部時計店)や東京国立博物館を設計した渡辺仁である。
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● 徳川黎明会のある豊島区目白の高級住宅街をブラブラ
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● 目白の裏道を歩いて西へ向かうと、西武池袋線の「椎名町駅(しいなまちえき)」に出た。 椎名町駅は大正13年(1924)6月11日に開業した。 駅は相対式ホーム2面2線の地上駅。 平成23年(2011)に橋上駅舎が完成し、供用を開始した。、、、、椎名町という地名は江戸時代後期にはすでに存在し、町屋は現在の目白にあり、椎名町駅からは比較的離れた位置にあった。 昭和39年(1964)11月までのは、現在の南長崎1~6丁目と目白4・5丁目に椎名町という町名が付けられていた。 “椎名町”という地名からは、昭和23年(1948)に12名が毒殺された帝銀事件の舞台となった帝国銀行椎名町支店を想いうかべる人も多く、イメージの悪い「椎名町」という地名は消え、現在は「長崎」となっている。 今は“椎名町”の地名は無く、商店街名などに名を残している。
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● 椎名町駅北口の真ん前に、真言宗豊山派の蓮華山金剛院がある。 金剛院の創建年代は不詳だが、聖弁(永禄6年1563寂)が開山、江戸時代中期に現在地へ移転したといわれてる。、、、、金剛院の朱塗りの山門は安永9年(1780)に建立された。 天明期(1781~1788)に度々発生した大火の折、当時の和尚が先頭に立ち、多くの罹災者を金剛院で収容し助けた。 その功績が将軍 徳川家治の耳にとどき、褒賞として、山門を朱塗りとする名誉ある許可を受けた。 金剛院は村民から赤門寺(あかもんでら)の名で慕われた。 本堂は昭和29年(1954)に建てられた鉄筋コンクリート造である。、、、、境内は手入れの行き届いた植え込みや樹木のある静かで美しい情景が広がっている。 歴史ある板碑、馬頭観音碑、庚申塔、記念碑、顕彰碑なども境内にあり、金剛院の長い歴史を物語っている。
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● 明治元年(1868)の神仏分離令まで、隣の金剛院が別当寺であった長崎神社がある。 長崎神社は、その名の通り豊島区長崎にある神社である。 創建年代は不詳であるが、長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社と称せられていた。 明治の神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を祭祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至ります。、、、、神社の西側に、帝銀事件の現場があったそうだ! それらしき遺構などは残っていない。
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● 椎名町駅から隣の東長崎駅までは、「椎名町駅前中央通り」、「長二サミット通り商店会」、「長崎小学校前通り明和会」、「長崎三友会」、「長崎十字会」と商店会が連続してる。、、、、時刻は9時過ぎ、全ての店が開いてるわけではないが、開店準備で忙しそうな裏通りの商店が続く!
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● 東長崎駅に着いた! 東長崎駅は大正4年(1915)4月15日に開業した(来年は開業110周年だ!) 島式ホーム2面4線の地上駅。 、、、、駅周辺はかって“長崎村”であったが、鉄道開業時に駅名が「東長崎」となったのは、長崎県長崎市の長崎駅と区別するためであった。
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2024年3月27日 (水)

大塚から板橋区役所へ

先週は、『昨日は東 今日は西 春の彼岸の 墓参り』で、我が家の墓は家から遠い、東(千葉市)と西(八王子市)にあり墓参りに忙しい一週間であった。、、、、今日は久しぶりの散歩日和。 山手線の大塚駅から歩きはじめ、2本の道路を道なりに直進したらい板橋区役所の前に着いた。 都営三田線の板橋区役所前駅まで、1万歩の散歩です。




● 山手線に乗車し、『今日はどこで降りようか?』 考えてる間に池袋に近づいた、池袋は巨大ターミナルなので私は好きではない、一駅手前の大塚駅で出車する。、、、、大塚駅は、明治36年(1903)4月1日に、日本鉄道の駅として開業。 明治39年(1906)からは、日本鉄道の国有化により国鉄の駅となる。

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・・・・・・・・・・ 北口に出ると、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 行先が決まらず、多くの人が駅に向かって歩いてくる、飲食店が並ぶ裏通りを歩く。、、、、この道を道なりに歩くと、「空蝉橋通り北交差点」を横断し「宮仲公園」の前で「宮仲公園通り」と名付けられた広い通りに合流した。

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● 工事中の宮仲公園(豊島区上池袋1)に「大谷大学開学の碑」がある。、、、、浄土真宗大谷派の教育機関は、古くから京都にあったが、明治34年(1902)に、この地に「真宗大学」が開設された。 その後大正2年(1913)に「高倉大学寮」と合併して京都に移転。 名称も「真宗大谷大学」を経て「大谷大学」となった。、、、、京都にあった大学が東京にキャンパスを設けたが、学生が集まらず、京都に戻ったのかな?

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● 宮仲通りは上池袋交差点で明治通りと交差しさらに直進する。 上池袋交番前までは、広い道路幅の道が続く。

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・・・・・・・・・・ 上池袋交番の近くに、お茶あがれ地蔵を祀る祠(上池袋3-47)がある。、、、、祠の中に、地蔵が一体、右脇には角柱状の庚申塔(宝永元年(1704)銘)が一基ある。 地蔵は「お茶あがれ地蔵」と呼ばれ、その由来は「元禄年間、借金に苦しんだ板橋の宿場女郎が夜逃げをした。 池袋村まで来たが、それ以上歩けなくなり、農家の戸を叩いた。女郎はお茶を、お茶を、と二言、三言云ったが、農家ではどうすることもできず、ついに女は死んでしまった。 その後、毎晩、女の死んだ時刻になると、お茶を、お茶をという声が聞こえるようになり、恐れおののいた村人たちは地蔵を造って女の冥福を祈った」と『武蔵野の地蔵尊(都内編)』に書かれているそうだ。 チョイト怖い話。

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・・・・・・・・・・ この先道は細くなり東武東上線の北池袋駅の方に向かう。




● JR埼京線、東武東上線を渡る「第一雲雀ヶ谷踏切」がある。 埼京線・東上線がしっ切りなしに通過する“開かずの踏切”だ! 歩行者は踏切脇の地下通路を利用して反対側に抜ける。 

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・・・・・・・・・・ 踏切を渡ると、東武東上線の北池袋駅。 北池袋駅はJR埼京線の池袋~板橋間にあり、ホームは埼京線の脇にある。 昭和9年(1934)5月1日、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年の東京大空襲により駅舎崩壊し、駅は休止・廃止となった。 昭和26年(1951)9月1日に北池袋駅として再開した。

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・・・・・・・・・・ 駅前の通りは一車線、大型は無理かも。 駅の周辺は下町風の閑静な住宅街。 地名の“池袋”だけ見ると、ネオン輝く繁華街だがね!

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● 大塚駅前から道なりに真直ぐ歩いて来た道は北池袋駅前をとおり、池袋本町1丁目・2丁目・4丁目が隣り合うT字路で行き止まる。 『さてさて、右へ曲がるか、左へ行くか、悩むね!』と、自分に言って思案橋。 若そうな女性が右に歩いて行くが見えた、『決めた!右へ曲がろう!』

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・・・・・・・・・・ 曲がった通りは商店街なのか、洋菓子屋、和菓子屋、信用金庫、雑貨屋と店が並んでる。 並んでいるのはココまで。 この先は、店が少なかった。 この道の先に何があるかは知らないが、このまま道なりに歩くことにした。

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● 池袋本町3丁目に入ると、池袋本町交番の脇に大きな鳥居がある。 「池袋氷川神社」の参道が拝殿まで続く。、、、、池袋氷川神社の創建年代は不詳だが、池袋という地名が永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」に記載されていることから、この頃には村鎮守として創建していたと推定されている。 祭神は建速須佐之男命、高皇産霊神、天照大御神、保食神、木花咲矢耶姫命の5神。、、、、現社殿は、昭和40年(1965)の造営。、、、、立派な富士塚のある、良く整備された神社。

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● 氷川神社から200m程歩くと、豊島区から板橋区に変わる。 さらに、200m程歩くと東武東上線の下板橋駅と大山駅の中間にある踏切に出た。 踏切の脇には東上線の留置線があり、鉄道オタクにはチョイト嬉しい踏切だ。

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● 踏切を渡り100m程歩くと、子易神社(こやすじんじゃ)がある。 子易神社(板橋区板橋2)の創建年代等は不詳だが、富士浅間神社の分霊を勧請したものと伝えられ、延宝2年(1674)に当社の記録が残っていることから、江戸時代初期以前の創建と考えられている。、、、、安産・子育の守護神として祀られているそうだ。 70代半ばの私には、安産・子育の御利益は不要だ! 賽銭は少額(50円)にしておいた。 

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● 首都高の下を抜けて北に歩くと、板橋区本庁舎の脇に出た。 歩いて来た道は、本庁舎の前で中山道(=国道17号)にぶつかり、散歩もここまで。、、、、板橋区は昭和7年(1932)に市郡併合により成立した。 当時の庁舎は、旧北豊島郡役所(現在の板橋3丁目5-1)を使用したが、昭和20年(1945)の空襲で焼失した。 昭和22年(1947)に現在地に移転、移転後は数度の増築・建て替えが行われ、現在の庁舎は平成27年(2015)に竣工した。

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● 都営三田線の板橋区役所前駅は区役所の建物の下で直結している。 それにしても、『いたばしくやくしょまええき』とは、長い駅名だ!、、、、昭和43年(1968)12月27日に開業した、相対式ホーム2面2線の地下駅。

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2023年11月19日 (日)

六義園・不忍通り

今日はチョイト遅めに家を出て、9時過ぎに駒込の六義園に行く。 六義園を散策し、その後は不忍通りに沿って歩き、JR御徒町駅まで、1万6千歩の散歩です。



駒込駅は明治43年(1910)11月15日に国有鉄道の駅として開業。 創業123年、駅の老舗だ!、、、、島式ホーム1面2線の地上駅であるが、改札は2か所ある。 西側(池袋方)の改札は、山手線ホームから階段を上った先の橋上駅舎(北口・南口)にある。 東側(田端駅寄り)には、階段を下りた先に改札(東口)がある。 地形が傾斜してるため、西側が掘割、東側が盛土上にホームがある珍しい構造となっている。、、、、山手線の駅の中では地味な存在である。 『山手線の駅名、順に言える?』、『駒込駅の特徴、言える?』、『駒込駅最寄りの名所は?』、『駒込駅は何区に在るか?』 何かとクイズのネタになりそうな駅だ!

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・・・・・・・・・・ 駒込駅前には本郷通りがあり、本郷通りは跨線橋「駒込橋」で山手線を越える。 駒込橋は山手線 池袋~田端間が開通した時にできた橋。 現在の橋は平成3年(1991)に、地下鉄南北線の工事に伴い架け替えられた。、、、、橋の袂の「染井吉野桜記念公園」に先代の欄干の一部が保存されている。

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● 駒込駅から徒歩数分、都立庭園の「六義園(りくぎえん)」に寄る。、、、、六義園は造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていた。 元禄8年(1695)、五代将軍:徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳沢吉保自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて回遊式築山泉水庭園を造り上げた。 柳沢吉保は文学的素養が深く、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」に由来して庭園の名称を「六義園」と名付け、“むくさのその”と呼び、館を「六義館」、“むくさのたち”と称したそうだ。 明治時代に入り、三菱創業者:岩崎弥太郎の所有となった当園は、昭和13年(1938)に東京市に寄付されて一般公開されることになった。、、、、今日は、紅葉を求めての来場者も多く予想され、普段は閉門している駅に近い染井門から入園できた。 開門直後に来たのだが、すでに多くの人が入園し、日本の美を求める外人も多くみられた。、、、、チョイト早すぎたようで、樹々の彩づきは、日光の手前(=今市=今一だ!)

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● 六義園を出たら不忍通り(しのばずとおり)沿いに歩く

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・・・・・・・・・・ 本駒込4丁目に「神明都電車庫跡公園」があり、そこには懐かしき50年程前の、都電6000形一両と、貨物車の乙2号一両が保存されている。、、、、都電6000形は、昭和22年(1947)から28年まで290両が製造された車両で、公園にあるのは63番目で、昭和24年3月に造られ青山車庫に配属されたのを皮切りに、大久保車庫、南千住車庫を経て、昭和42年9月に神明町車庫に配属された。 その後、昭和45年(1970)に荒川車庫へ転属し、昭和53年(1978)4月に廃車になった。、、、、乙2号は、昭和16年(1941)に造られ、荒川車庫で資材運搬などで使われ、昭和46年(1971)3月に廃車となる。、、、、神明町車庫の管轄は、20系統の江戸川橋から須田町までと、40系統の神明町車庫前から銀座7丁目までであった。 銀座~日本橋~須田町~上野公園の区間では、私も40系統の都電に乗っていたと思うね! お世話になりました!

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・・・・・・・・・・ 道灌山下交差点から、一本裏の通りである「よみせ通り」を歩く。 よみせ通りは、かつて、両側500m程に露店(夜店)が軒を並べ、夜の更けるまで賑やかであったことから、「よみせ通り」と呼ばれるようになった。 また、通りの中程には地蔵尊も祀られており、毎月24日に縁日が開催されるそうだ。、、、、道路で、お向かいのおばちゃん同士が世間話を始めるなど、下町の商店街として、いい雰囲気が残っているね!

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・・・・・・・・・・ よみせ通りに直交する「谷中銀座商店街」(台東区谷中)にもチョイトブラブラ、、、、谷中で一番元気な商店街、通りの東端には「ゆうやけ段々」と呼ばれる石段がある。、、、、歩いているのは、観光客ばかり、外人もいる、猫好きもいる。 地元の人はどこにいる???

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・・・・・・・・・・ 再び、不忍通りを歩く

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・・・・・・・・・・ 不忍通りから横道を覗くと、木造3階建ての串揚げ屋「はん亭」(文京区根津2)が見える。 明治時代に建てられた建物は関東大震災や戦災もくぐりぬけ登録有形文化財にも指定された。 もともとは下駄の爪皮屋だったそうで、(爪皮=雨や泥などをよけるために下駄などの爪先につけるおおい)その後運送屋さんの独身寮にもなったそうだ。 今は串揚げ屋!

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・・・・・・・・・・ 池之端二丁目交差点の角に、またまた都電が保存されてる。 ここは、かつて「池之端七軒町」停留所があった処。 20・37・40系統の電車は、須田町(神田)方面から中央通りを走り、上野公園の電停からは上野の山下を専用軌道で走り池之端七軒町で不忍通りに合流していた。 都電が保存されているこの場所はその合流点である。、、、、保存されている電車は7500形の都電。 7500形は都電で初めて冷房装置が搭載された車両である。、、、、(モノクロ写真は案内板にあった、専用軌道から不忍通りに合流する池之端七軒町)

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・・・・・・・・・・ 不忍通りは、不忍池の西側をとおり上野四丁目交差点(「ABAB」の前)で中央通りに合流する。 ハイ、ココまでよ~~!

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御徒町駅(おかちまちえき)は京浜東北線電車および山手線電車の2系統が停車するが、正式な線路名称は東北本線のみである。 大正14年(1925)11月1日、鉄道省東北本線の駅として開業した。 島式ホーム2面4線の高架駅である。 アメ横、上野松坂屋の最寄り駅。

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2022年11月 1日 (火)

護国寺

先日は天台宗の大本山「寛永寺」と子院の「護国院」に行ったので、今日は“院”を“寺”に変え、真言宗豊山派大本山「護国寺」へ行ってきた。 有楽町線護国寺駅で下車し、護国寺、雑司ケ谷霊園、雑司が谷旧宣教師館を巡り、有楽町線東池袋駅まで、墓場の中を探し歩いて1万歩の散歩。



● 朝8時、「護国寺駅」ホームに降りると、『アリャ、コリャ、ナンジャ? 男子学生がゾロゾロ、ゾロゾロ、怪尻ゾロ!』 後ろについて地上に出ると、駅の隣りの「日本大学豊山高等学校・中学校」(男子校)の建物へ吸い込まれて行く、納得! 皆さん勉強に励んでね!

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・・・・・・・・・・ 東京メトロ有楽町線「護国寺駅」は、昭和49年(1974)10月30日、池袋~銀座一丁目間開業と同時に設けられた駅。 島式ホーム1面2線の地下駅。 駅名の護国寺はホーム端の真上に山門があり、線路は境内・墓地の地下を通り抜ける。、、、、お茶の水女子大も駅の近くにあるが、最寄りの出入口が違うのか? 女子大生の姿なし、残念!




● 真言宗豊山派大本山「護国寺」は、神齢山悉地院と号す。 護国寺は、5代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建された。 1200石の御朱印寺。 本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音 (絶対秘仏)。 本堂(観音堂)本尊は堀田正虎の母・栄隆院尼寄附の如意輪観世音菩薩。 江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所である。 江戸時代には浅草寺、回向院に次いで出開帳の宿寺として人気があったそうだ。、、、、明治時代になると、護国寺は幕府の祈願寺で檀家を持っていなかったため、寺の後ろ盾がなく経済的に困窮した。 そこで、当時の境内地5万坪のうち、東側の2万5千坪を皇族墓地(現:豊島岡墓地)として手放した。 さらに、西側の5千坪は陸軍用墓地として、境内は2万坪ほどに縮小した。 現在、陸軍用墓地は護国寺墓地の一角に音羽陸軍埋葬地として整理されている。 


・・・・・・・・・・ 地下鉄出口の後ろにド~~ンと構える「仁王門」、、、、八脚門、切妻造で丹塗。元禄期造営の本堂(観音堂)、薬師堂や大師堂などから成る徳川将軍の祈願寺としての伽藍の中で、重要な表門である。 建立の年代については、元禄10年(1697)造営の現本堂(観音堂)などよりやや時代が下がると考えられる。 正面の両脇に金剛力士像(右側阿形像・左側吽形像)、背面(北側)の両脇には、二天像(右側増長天・左側広目天)の仏法を守る仏像が安置されている。

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・・・・・・・・・・ 石段下の左右にある手水舎。 そこには、手洗水盤が置かれている。 この水盤は唐銅蓮葉形手洗水盤1対2基で、5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院から寄進されたものだ。 元禄10年(1697)頃に鋳造、江戸鋳物師椎名伊豫良寛の製作とされている。 貴重な水盤で手を清めるのはチョイトためらうね。  

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・・・・・・・・・・ 石段の上に「不老門」がある。 この門は、昭和13年(1938)の建立で、三尾邦三氏の寄進。 様式は京都の鞍馬寺の門を基本に設計され仁王門と本堂の中間に建立された。 扁額は徳川家達という。

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・・・・・・・・・・ 不老門をくぐり右手に堂がある。 元禄14年(1701)に再営された旧薬師堂を、大正15年以降に大修理し現在の位置に移築して「大師堂」にしたものである。 装飾も少なく全体的に荘重、すっきりとした印象をつくっている。 真言宗伽藍における大師堂の格式の高さと、中世的な伝統を重んじた貴重な建造物である。

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・・・・・・・・・・ 「鐘楼」の中では、伝統を重んじた格式の高い袴腰付重層入母屋造りの形式で江戸時代中期の建立である。 都内では同種のほとんどが失われている中で、貴重な文化財。 また梵鐘は、天和2年(1682)に寄進されたもので銘文には五代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられている。、、、、下から覗いただけでは、梵鐘の銘文がどこに書いてあるか見ることができず、読めない! 

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・・・・・・・・・・ 不老門をくぐり左手に「多宝塔」がある。 昭和13年(1938)の建立、塔は石山寺の多宝塔(国宝)の模写(パクリである)

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・・・・・・・・・・ 国指定重要文化財である「月光殿」は、大津市(近江)の三井寺の塔頭日光院の客殿を昭和3年に、現在の場所に移築したもの。 桃山時代の建造で書院様式を伝えるものとして貴重な建物である。 残念ながら、内部は拝見できず。

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・・・・・・・・・・ 現在の本堂「観音堂」は、元禄10年(1697)正月、観音堂新営の幕命があり、約半年余りの工事日数でこの大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が挙げられた。 また元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都内随一のものと賞され、しかも震災・戦災と二度の大災害にも襲われながら姿も変えず、江戸の面影を今に伝え、訪れる人々に安らぎの場として親しまれている。 昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定された。

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・・・・・・・・・・ 観音堂の左手に「薬師堂」がある。 元禄4年(1691)の建立。 一切経堂を現在の位置に移築し、薬師堂として使用したもので、大きな特徴は、柱間に花頭窓を据えているなど、禅宗様建築の手法をとりいれていることで、小規模ながら元禄期の標準的な遺構として、価値ある建造物である。

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・・・・・・・・・・ 薬師堂の裏にひっそりと一基の庚申塔がある。 「音羽講音羽講中庚申塔」と言うらしい。 こんな立派な庚申塔は見たことがない。 総高210㎝、塔身部52㎝、正面に「庚申」の文字。 三猿がその台座を支え、「天明五乙巳歳十一月吉祥日」と刻む。 その下の台座に精巧な龍の模様をあしらい、基壇部の正面に「音羽下町講中 総代弥太郎 音羽町九丁目伊豆屋太郎 願主金屋新八 武江小日向水道町石工安部勘助 細工人安富興兵衛」と刻まれてる。

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・・・・・・・・・・ 護国寺の墓地には、明治・大正・昭和の名士がズラリ揃い踏み。 葉室光子(典侍、明治天皇の側室)、三条実美(公家、政治家)、安田善次郎(財閥創始者)、鳩山邦夫(政治家)など、私が知る名だけでも50名以上。、、、、全員の墓を見て回ると、墓地で一泊しないと帰れない。、、、、当記事では、大隈重信、山縣有朋、大倉喜八郎(伊東忠太の設計、昭和3年建立)の墓所を順に写真紹介する。

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・・・・・・・・・・ 建築の世界に私もチョイト手を染めたので、ジョサイア・コンドルの墓を紹介。 説明板によると、『ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)は、1852年ロンドンに生まれ、大学で建築学を学び、のち、日本政府の要請により明治10年来日した。当時、我が国は文明開化改変の中で、各国より幾多の文化をとりいれたが、西洋建築に関しては手さぐりの状態であった。 彼は。工部大学校(東京大学工学部の前身)教授として学生を指導するかたわら、鹿鳴館、ニコライ聖堂、岩崎邸、旧古河邸等多くの建築物をつくり、我が国の近代建築の基礎形成に貢献した。また、辰野金吾、片山東熊、曽禰達蔵ら多くの俊才を育てた。一方、『日本の造園』『日本の華道』著すなど、日本研究の分野でも活躍し、我が国の文化、芸術を海外に紹介した。日本を愛したコンドルは、日本女性クメ夫人とともにこの地に永眠している。』

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・・・・・・・・・・ ところで、ここ護国寺の墓地は、どの墓も広い区割りにあり、行き届いた整備もなされ、“高級住宅地”ならぬ“高級墓地”である。 ここの仏さまは、緑豊かな広い墓地で安らかに眠っている。、、、、使用料、管理料も高そうだ!

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● 護国寺墓地の西の端にある「護国寺墓地門」から墓地を抜けると、道路を挟み斜め向かいに「東京都 雑司ヶ谷霊園」(豊島区南池袋)がある。、、、、雑司ヶ谷霊園は、明治7年(1874)9月1日に「雑司ヶ谷旭出町墓地」として開設した。 明治9年(1876)に東京会議所から東京府が霊園管理事務を引き継ぎ、明治22年(1889)に東京市の管轄となる。 昭和10年(1935)「雑司ヶ谷霊園」に名称変更。 現在は東京都公園協会が管理している。 こちらの霊園も広く大きいため、眠っている仏さまも多い 、、、、こちらは、都営のためか、通路と墓域の境も判らず草ボウボウ、空いた区画はぺんぺん草が伸び放題、大から小まで多種多様な墓が混在、使用料・管理料も安そうだ!

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・・・・・・・・・・ ジョン万次郎、小泉八雲、島村抱月、竹久夢二、泉鏡花、東條英機、いずみたく、永井荷風、サトウハチロー、金田一京助など著名人の多くが眠っている。、、、、私好みの美人画の巨匠:東郷青児、文豪:夏目漱石、銭形平次の大川橋蔵の墓を順に写真紹介。

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● 雑司ヶ谷霊園の南側に、明治40年(1907)に建てられた旧マッケーレブ邸」(雑司ヶ谷旧宣教師館)がある。 帰りにチョイト寄って見た。、、、、旧マッケーレブ邸(雑司が谷旧宣教師館)は、明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの居宅として建てたもの。 マッケーレブは、昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間この家で生活をしていた。 建物は、豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重である。、、、、現在は豊島区が所有し、一般公開している。

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● 東京メトロ有楽町線の「東池袋駅」から電車に乗る。、、、、東池袋駅は昭和49年(1974)10月30日の有楽町線池袋~銀座一丁目間開業と同時に設けられた。 ホームは島式1面2線構造で地下2階にある。

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2022年1月 8日 (土)

多彩な都電荒川線

雪が積もった一昨日、雪が凍った昨日、雪が融けた今日、いずれにしても寒い日が続いてる。 その寒い朝、散歩に出た。、、、、大塚駅から、都電荒川線に沿って王子駅までの散歩です。




● JR大塚駅の高架下に都電荒川線の大塚駅前停留場がある。 停留場は高架の真下にあり、大塚駅の南口・北口の両方から利用することができる。、、、、明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道により飛鳥山~大塚間(現:大塚駅前停留場)が開業した。 都電荒川線の始まりである。 大正4年(1915)4月17日には、飛鳥山~王子間も開通し、本日の私の散歩ルートの終点:王子まで延伸された。

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・・・・・・・・・・・・線路敷きにはまだ雪が残る

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● 大塚駅前の次は巣鴨新田停留場、、、、大塚駅前の一日当たりの乗降客数は約8000人(2021年7月現在、以下同じ)、巣鴨新田は約1200人と寂しい。 停留場前の都立文教高校の生徒も、大塚駅から徒歩通学しており都電をあまり利用しないらしい。 なお、都電の運賃は均一運賃で大人170円、子供90円なり。

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・・・・・・・・・・・・全線ほぼ専用軌道を走る荒川線には、小さな踏切も多い。 “裏道の先に見える踏切”は画になる、いいね!

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● 線路脇の狭い道を歩き庚申塚停留場に到着。、、、、ここは、おばあちゃんの原宿「巣鴨地蔵通り商店街」の北端で、乗降客は約2500人とチョイト多い!

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・・・・・・・・・・・・地蔵通り商店街の入口脇に停留場名となった猿田彦大神庚申堂がある。 猿田彦大神は道開きの神で、巣鴨のお地蔵様と合わせて、参拝すると御利益倍増か?(ボケを治して、天国へ導いてくれるかも)

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● 庚申塚停留場から約250m、白山通り(=国道17号、中山道)の整備に伴い昭和4年(1929)に設置された新庚申塚停留場。、、、、国道を挟み両側に上り・下りのホームがある。

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● 新庚申塚停留場の北側に数ヵ寺がまとまっている一画(西巣鴨4-8)がある。 三ヵ寺に寄ってきた。


・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗寺院の「
弘願山専称院西方寺」、、、、西方寺は、本所押上大雲寺(現江戸川区)末として、浅草聖天町に開山、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 西方寺が浅草に在ったころは、引き取り手のない吉原の遊女の死骸も引き取り、供養したことから、箕輪の浄閑寺とともに「投込寺」と言う悲しい名も付けられた。、、、、当寺には、吉原で嬌名をうたわれた2代目高尾太夫の墓所がある。 また、同じく吉原:三浦屋の薄雲太夫の逸話もある。 薄雲太夫は愛猫の死を嘆き西方寺に回向しました。(猫塚があります) その逸話が招き猫を生んだとされており、 西方寺も招き猫とゆかり寺とされている。、、、、只今、門・塀を改築中。

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・・・・・・・・・・・・西方寺の東側には、法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は、長徳山と号し、寛永元年(1624)赤坂に起立し、その後四谷鮫ヶ橋南町へ移転する。、、、、四谷怪談で有名なお岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。 この寺も四谷にあったが、明治42年(1909)に現在地に移転した。 お岩様の墓に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。(境内掲示版に書いてあった)

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・・・・・・・・・・・・妙行寺の北隣りには、天台宗寺院の「薬王山延寿院善養寺」がある。 善養寺は、天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像が鎮座しており、おえんまさまの寺として信仰を集めています。

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● 三ヵ寺を巡った後は、またまた線路際の狭い道を歩き、「西ヶ原四丁目停留場」に向かう。、、、、ここの乗降客数は一日当たり約2500人。

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・・・・・・・・・・・・人二人分の幅の狭いホームにはホームドアなど設置できないね、必要ないか?

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・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場を過ぎると飛鳥山停留場まで一直線。 正面に飛鳥山が見える!

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● さて次は、一日の乗降客が1600人ほどの「滝野川一丁目停留場

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・・・・・・・・・・・・停留場の先には、今は珍しくなった桜丘高校の円形校舎がある、、、、その先は、ツバキか?、サザンカか?知らないが、赤い花咲く線路際を歩く。

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● 線路の正面に飛鳥山公園が立ちふさがる「飛鳥山停留場」(乗降客は約1000人)、線路はこの先で大きく飛鳥山を回り込むようにカーブして王子駅前停留場に向かう。

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● JRのガードをくぐり、JR王子駅の横、東北新幹線の高架下に「王子駅前停留場」がある。 王子駅前停留場の一日当たりの乗降客数は約9200人也。、、、、カラフルな塗装の都電を見ながら、1万1千歩の楽しい散歩でした。

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2021年12月26日 (日)

都電でGO!

“寒波襲来!” 朝が寒く起きるのも辛いが、“おしっこ”で渋々起床。 トイレに行ったら目が覚める!、、、、今日の予定は、“医者は無し”、“正月の準備は終わり”、“寒いが晴れだ”、『よし、散歩してくる』

中央線大久保駅から、山手線の内側に入り、戸山、西早稲田を抜けて、都電早稲田停留場に出た。 都電を見たら乗りたくなって、早稲田から大塚まで乗車。 大塚駅から帰宅する。 1万1千歩




● 我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で乗り換えなしの24分で行ける「大久保駅」 しかし私には、乗降の機会が少なく馴染みの薄い駅である。、、、、明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業した。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は北口と南口の2か所。、、、、今日は、日曜日で通勤・通学客が少ないから、年末で学校が休みだから、それとも早朝でまだ寝てる時間だから、何しろ乗降客が少ない駅だ!

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・・・・・・・・・・・・【蛇足】全国には「大久保」と名乗る駅が7駅ある。 ①東京都新宿区にあるJR東日本、中央本線の当駅  ②兵庫県明石市にあるJR西日本、山陽本線の駅(明治21年の開業で一番古い大久保駅)  ⓷京都府宇治市にある近鉄、京都線の駅  ④秋田県潟上市にあるJR東日本、奥羽本線の駅 以上の4駅の駅名は「大久保」。  ⑤東京都新宿区にあるJR東日本、山手線の「新大久保」  ⑥千葉県習志野市にある京成本線の「京成大久保」(旧駅名は「大久駅」である)  ⑦千葉県市原市にある小湊鉄道線の「上総大久保




● 大久保駅から駅前の通りを東に歩き、皆中稲荷神社」、「新大久保駅」、「コーリアタウンと歩く。 コーリアタウンはクリスマスで賑わったのか(?)、ゴミが散乱し汚い! 途中からコーリアタウンをはずれ、裏道を北へ向かう。

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● 大久保駅から北東の位置に、「都立戸山公園(大久保地区)」があり、東隣には「早稲田大学西早稲田キャンパス(理工学部)」もある。 その戸山公園を抜けて行く。、、、、都立戸山公園は、江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であった処。 明治維新後、跡地には明治6年(1873)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用された。 戦後、軍事施設はすべて廃止された。 跡地に戸山ハイツの建設が開始され、昭和29年(1954)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」が開園した。

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● 戸山公園を抜け新宿区高田馬場1丁目に、真言宗豊山派寺院の「玄国寺」がある。 玄国寺は、龍池山上珠院と号し、慶長6年(1601)頃、当地に創建した。、、、、初詣の準備も進み、山門・本堂の前には提灯が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・山門を入ると右手が庫裡であるが、この建物は明治の元勲岩倉具視の旧邸の一部を大正15年(1926)に移築したもの。 洋風建築であるが、和風に改造されている。鬼瓦に笹りんどうの紋章がみられるのは岩倉邸で使用されたものの一部。

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・・・・・・・・・・・・玄国寺の西100m程の処に、同寺の墓地がある。 そこの地蔵堂に「田植地蔵尊」が祀られている。 田植え時期になると、この地蔵が旅僧の姿になって田植えを手伝ったところからこう呼ばれるようになったそうだ。

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● 玄国寺の東隣には、かつて玄国寺が別当であった「諏訪神社」がある。 諏訪神社は、平安時代初期小野篁により大国主命・事代主命を祀ったのがはじまりとされる。 源頼義、義家父子や頼朝等源氏武将の信仰厚く、江戸時代には徳川歴代将軍の崇敬を受ける。、、、、小野篁は百人一首の十一番目の和歌の作者、また小野小町の父として有名な、政治家であり、歌人です。、、、、かつては付近一帯が当神社にちなみ諏訪町(すわちょう)と呼ばれていたが、住居表示により地名は消滅した。 現在では「諏訪通り」や「諏訪町交差点」などに名を残している。

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● 諏訪神社から西へ、西早稲田2丁目の裏道に「地蔵坂通り」と言う、チョッピリ急な坂がある。 その坂を下り終えると「早稲田通り」に出た。、、、、坂の上り口角に「源兵衛地蔵尊」が祀られている。 説明文によると、江戸時代、源兵衛と言う人が居て源兵衛村が出来、源兵衛さん他の菩提供養の為に、享保11年(1726)に地蔵尊が建てられたそうだ。、、、、子宝・安産、病気治癒、商売繁盛、交通安全などのご利益があるらしい。

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● 早稲田通りを横断し、西早稲田3丁目に入ると回遊式庭園「新宿区立 甘泉園公園」がある。 「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。 池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。       この地は、江戸時代宝永年間(1704~1711)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永3年(1774)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。 明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和には早稲田大学が付属甘泉園として譲り受けた。 昭和44年(1969)には区立公園となり現在に至る。、、、、区立の無料の庭園であるため、チョイト手入れ不足だ! もう少し、樹々の手入れをすれば有料化できるかも、もったいないね!!

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● 甘泉園を抜けると、都電「早稲田駅」の近くに出た!、、、、『風強く寒さ厳しく、身体は冷える。 都電の中は暖かそうだ、乗りたいね!』と思ったら、後は一直線! 大塚駅前まで都電でGO!!

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2021年7月22日 (木)

給水塔のある町

今日は、細心の熱中症対策を講じて、『安心・安全・安直な散歩』 

東京メトロ有楽町線「千川駅」から、板橋区大谷口を抜け、東武東上線「大山駅」をとおり、都営三田線の「板橋区役所前駅」まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋からJRで飯田橋へ、有楽町線に乗り換えて「千川駅」へ約30分で到着。 今日は4連休の初日なのだが、頭の中は『今日は何の日?』 今日が『海の日』だって、知らなかった! だから、電車がすいていた。、、、、地上に出ると『今日も暑そうだ!』 早速、熱中症対策で、スポーツドリンクの購入、体温調節で頭と首を濡らす、ついでにボケ防止で妻の誕生日を思い出す(忘れていたら殺される!)

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● 千川駅は豊島区だが、駅出口から300m程北に歩くと「板橋区大谷口」の町だ。 「大谷口(おおやぐち)」とは珍しい地名、石神井川の地形に由来するらしいが、命名の経緯はさっぱり判らん!、、、、町の中央を南北に都道420号線が通る、静かな普通の町。、、、、私は2丁目の裏道を歩いてみた。 

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・・・・・・・・・・・・屋根の向こうに「大谷口の給水所」が見える! そうだ、チョイト見に行こう!

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・・・・・・・・・・・・給水塔の方に向かうと、道を挟んで台座が庚申塔になっている地蔵尊庚申塔2基がある。 北側に西光寺という寺があり、西光寺参道というべきところにある。、、、、左右に庚申塔を配し、道路正面には西光寺の山門と本堂の屋根が見える。 なぜか懐かしい風景に思える。

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・・・・・・・・・・・・ここまできたら、「西光寺」に寄っていこう!、、、、観世音菩薩を本尊とする、真言宗豊山派の西光寺。 宝樹山盛徳院と称する。 古くからこの地にあった一観音堂に大野清右衛門が田畑を寄進し、堂宇を建設したことから始まるという。 開山は1640年代(江戸時代初期)と思われる。 明治3年(1870)、住職広沢賢隆は、境内に一棟を建てて寺子屋を開設し、同9年に上板橋学校が開設されるまで近所の子供に教育をおこなった。、、、、時間を止めたような佇まいの寺。 境内には爽やかな風が吹いている。

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● 西光寺の東側、都道420号線に面して「大谷口給水所」がある。、、、、板橋区大谷口1丁目には、大谷口給水塔が建てられていたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。 その給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に取り壊された「大谷口給水塔」は、東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。 地域のシンボル的な建物であった。(写真は当時の給水塔)

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● 都道は川越街道(国道254号)にぶつかる。 川越街道を横断すると、アーケードのある商店街「ハッピーロード大山」を歩き、東武東上線大山駅に出る。 元気な商店街だ!

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● ハッピーロード大山商店街の東端に「大山駅」がある。 昭和6年(1931)8月25日に開業。 相対式2面2線の地上駅。、、、、地元密着型の商店街と駅、下町の雰囲気漂い、ピッタシ相性が良さそうだ!

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● 大山駅から帰ろうかと思ったが時刻はまだ9時半、『もう少し歩こう!』と思う。 線路を越えて大山駅の東側に続く「遊座大山」商店街を抜け、山手通り(国道317号)に出る。、、、、こちらの商店街も元気そうだ!

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● 山手通りに面し板橋区役所があり、庁舎前は都営三田線の「板橋区役所前駅、、、、地下1階に相対式ホーム2面2線の小さな地下駅。 方面別に改札があり、方面を間違えて地下に潜ると、地下2階の連絡通路を利用することになり、年寄りには階段の上り下りが辛い駅だ!

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2021年7月21日 (水)

猛暑は散歩に不向き!

『猛暑は散歩に不向き』、、、、今日の散歩はこの一言であった。

西武池袋線江古田駅から歩きはじめ、直線距離で東へ1.5㎞程先の東京メトロ有楽町線の千川駅まで、1万歩の散歩です。




● 出がけの天気予報では、東京は朝6時に27℃、今日の最高気温は34℃。 35℃以上の「猛暑日」にはならないと信じ、出かけることにした。、、、、口の周囲が蒸れ息苦しいが、マスクをして電車に乗って、江古田駅に降りた。 ホームに立つと強烈な日差しでまぶしい!(車中に、まぶしい美人がいたが、日差しのまぶしさはそれ以上!)、、、、学生は休みになったのか、ホームには人影は少ない。 武蔵野音大側の北口に出るが、歩く人も少ない。 

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● 江古田駅北口正面に「茅原浅間神社(江古田浅間神社)」はある、、、、茅原浅間神社の創建年代は不詳だが、社伝によれば承平元年(931)からと言われている。 社名は、かつてこの辺りは茅原だったことにより、その名がある。、、、、昔、小竹町(神社の北側)と江古田町(神社の南側)の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。 これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。 なお、このあと訪れる、別当寺である能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

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・・・・・・・・・・・・江戸時代の中頃になると、富士講の盛んな上板橋・中新井・下練馬の人々の信仰も集めるようになった。天保10年(1839)には小竹丸祓講の人々により「江古田の富士塚」が築かれた。 高さ8m、直径約30m。 富士塚の頂にある石祠はこの時の建立。 昭和54年(1979)江古田の富士塚は台東区下谷の下谷坂本富士、豊島区高松の長崎富士、川口市東内野の木曽呂富士とともに国の重要有形民俗文化財に指定された。、、、、本殿の後ろに隠れるように富士塚がある。 本日は、登山禁止!

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・・・・・・・・・・・・境内にある、高さ27m、幹の太さ3.1mのケヤキは、“練馬大根”ならぬ“練馬の巨木

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● 「江古田」と云えば“大学の街”、駅の東には「日本大学 芸術学部」、北には「武蔵野音楽大学」、西には「武蔵大学」がある。、、、、チョイト「日本大学 芸術学部」に寄ってみる。 守衛さんが入口で検温中、大学関係者以外は入校できず。 そ~だ!コロナ禍の今、どこの大学も関係者以外構内立入禁止。 今日もあきらめ、キャンパスの外を回る。、、、、日本大学芸術学部は、写真学科・映画学科・美術学科・音楽学科・文芸学科・演劇学科・放送学科・デザイン学科の8学科からなる芸術総合学部。 大正10年(1921年) 、東京神田三崎町に日本大学法文学部内に美学科(芸術学部の前身)が誕生し、昭和14年、板橋区江古田(現在の江古田校舎)に移転した。

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの外周に沿って歩き出したが、気温が上がり大変なことを忘れてた! 『アッ!コンビニで飲料水を買ってない』 駅を出て目の前の神社に気を取られ、大学構内には入れず、水なしで線路沿いを歩く。 どこかで“水分補給”しないと、ヤバイ! 大学東側の住宅地を歩けどもコンビニはなく、自販機でお茶を買う。 命をつないだ気分になり、一安心!

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●  日大の東側(練馬区旭丘2)に真言宗の寺院「能満寺」があった。 駅前の茅原浅間神社の別当寺である。、、、、能満寺は、「元和の頃(1615~1623)、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした。 のち数代を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)再建し、あわせて大日堂を造営した」との記録がある。、、、、寺はあったが、山門手前のゲートが閉じられている。 目の前に山門が見えるが入れない。 『今日は、暑いので寺も休みか? 残念だが、あきらめよう!』

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・・・・・・・・・・・・能満寺に来たのは午前9時、気温は上がり30℃は超えていると思われる。 私の頭の天辺は暑い、汗も出ている、水分摂取より体を濡らしたい! いつもなら、公園か、コンビニか、どこかで、濡れた手ぬぐいで汗を拭くのだが、今日は公園もコンビニもなく手ぬぐいは乾いたままだ! 頭の中を熱中症の恐怖が襲う、どこかに“水道”はないものか? “水分補給”用に買ったペットボトルのお茶で手ぬぐいを濡らし体温を下げる。 これで、再び一安心! 猛暑の中の散歩は、水分補給に体温調節が必須、面倒だ!




● 汗とお茶のミックスで濡れた体の雅万歩、歩みは元気で、豊島区に入り都立千早高校の前に出てきた。 日陰になった学校側の歩道を歩く。 学校のフェンスの脇に「千早庚申塔」がある。、、、、しっかりとした台座の上に4基ある石造物の内、左側の大きな三基が庚申塔。掲げられた由緒によると、この庚申塔はかつて千川上水にかかる橋(庚申橋)の脇に祀られていた。 併し昭和40年から50年代前半にかけて、千川通り周辺で道路の拡張や建物の建て替えなどの工事が行われているうちに、いつのまにか行方不明になってしまった。 その後、豊島区外(練馬区北大泉)の山林に放棄されていたのが発見され、現在地に戻されたが、元々橋際にあった5基の内1基(庚申塔)はみつからなかった。、、、、よく見つかったと思うね。

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● 太陽はギラギラ、身体は汗でビショビショ・グシャグシャだ! チョイト、万歩計を見ると、1万歩クリヤー! 熱中症が怖いので、「千川駅」から帰ることにした。、、、、東京メトロ千川駅は昭和58年(1983)6月24日、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通により同時開業。 平成20年(2008)には副都心線の駅も開業。、、、、千川駅は上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 要町通りの直下にある。 現在の副都心線ホームは有楽町線建設時に既に構築済みであったが、副都心線開業までは未供用(通過)とされた。このため、有楽町線ホームから副都心線ホームへの階段用スペースは蓋で覆われていた。、、、、駅の近くには、飲食店も多く、スーパーや商店街もあり、池袋へは2駅、生活するには良さそうだ。

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2020年10月21日 (水)

六地蔵の三番目

いよいよ三番目の江戸六地蔵。 巣鴨の真性寺に行って、巣鴨地蔵通商店街を抜け板橋駅まで、9千歩の散歩です。




● JR巣鴨駅は、明治36年(1903)4月1日、日本鉄道の駅として開業。、、、、駅の構造は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、改札は大塚駅寄りの1か所のみ。 平成22年(2010)に駅ビル「アトレヴィ巣鴨」がオープンし、モダンな駅となった。 「おばあちゃんの原宿」としては近代的すぎ、お年寄りが駅ビルを利用する姿はあまり見られないようだ。、、、、早朝の巣鴨駅は、近くの女学校の生徒が大勢降りてくる姿が見られる。 朝は女学生、日中はおばあちゃん、巣鴨駅は女性に人気があるのかも?

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● 駅前の中山道(国道17号)に面して真性寺はある。 中山道から境内に入ると、本堂を背にして地蔵菩薩像を正面に拝す。 江戸六地蔵の三番目だ! お寺の方が、地蔵菩薩の花に水をやり、台座を清掃していた。 本堂へ先に参り、その後、地蔵菩薩に手を合わせてきた。、、、、真性寺は、医王山東光院真性寺と称し、真言宗豊山派に属し、奈良県桜井市初瀬にある総本山長谷寺の末寺である。 当寺の開基は不明だが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたと云われている。 中興開基は元和元年(1615)に祐遍法印が行った。 御本尊の薬師如来は秘仏で、古来より一切開扉されていないそうだ。(開けたら中に仏様が無いかも? 失礼!)

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・・・・・・・・・・・・さて、当寺境内に安置されている「江戸六地蔵」は、6体の内、四番目に鋳造されたものである。 尊像は、地蔵坊正元が発願主となって宝永3年(1705)造立の願を発してから、9年後の正徳4年(1714)に造立された。 像高は、太宗寺の像より1cm大きい2.68mである。、、、、平成20年の修理においては、胎内から銅造地蔵菩薩4躰と銅札・木札が多数発見されたそうだ。 それらは、再び胎内に戻されている。、、、、この像は手入れが良いのか、石の台座や像の袈裟部分に寄進した多くの人名が、小さい字でビッシリ彫られているのを見ることができる。

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● 真性寺の山門脇は、「巣鴨地蔵通商店街」である。 セッカクだから、「おばあちゃんの竹下通り」も歩いて行くことにした。、、、、まだ午前8時半、店は準備中か、シャッターは下りたまま。 通勤する人が足早に通り抜けていく。 名物の「赤パンツ」の店もシャッターが下りている。 60歳過ぎたら長寿を願い、おしゃれに愛用、赤い失禁パンツ!(最近は、有名ブランド物の赤パンツも販売しているらしい。 20歳代の愛用者がいるのかも?)

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● 商店街の中程、「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれる、曹洞宗萬頂山高岩寺に寄って行く。 寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ約60年後、下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年(1891)に移転してきた。 ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩だが、秘仏であるため拝見できない、残念! 替わりに、新しい「洗い観音」なる石像がある。、、、、どこのお寺も、生活の知恵か? 何かと、御利益ありそうな仏像・行事が、長い歴史の中で途切れることなく用意されている。

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● 巣鴨地蔵通商店街の北の端には、「猿田彦大神庚申堂」がある。 つまり、「おばあちゃんの竹下通り」は、六地蔵と庚申堂に挟まれ、途中にとげぬき地蔵がある、神仏に囲まれ来世に近い、まさに紙おむつ・赤パンツの愛用世代向けの商店街。、、、、その、猿田彦大神庚申堂には、かつて庚申塚があった。 現在は庚申塔の小祠が立っているのみだが、庚申の日には多くの参拝客があるそうだ。、、、、庚申塔の猿像の顔が鋭いね!

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● 猿田彦大神庚申堂のそばに、明治44年(1911)に開業した都電荒川線の「庚申塚停留場」がある。、、、、都電を見ると、写真を撮りたくなる。

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● 庚申塚からは裏道を歩き、明治通りを越え、板橋駅にむかう。

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● 今年7月に新築し、オープンした「JR板橋東口ビル」。 フィットネス、スパなどが入った駅ビルで、改札はビルの1階。、、、、何でも“新しい”のは気持ちいいね! 駅も新しいと明るくなって、スマートな雰囲気。 ホームは古いまま!

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2019年11月29日 (金)

芸妓のいない池袋三業地

かつて池袋にも三業地があった。 その名も「池袋三業通り」と名付けられた通りが、今もある。 5年ほど前に歩いた処を、今日歩いてみた。 池袋駅で下車し、東武東上線の大山駅まで、1万2千歩の散歩です。




●区民全員が一日一回乗降 ・・・・・・JR池袋駅は、島式ホーム4面8線を有する地上駅。 山手線・埼京線・湘南新宿ラインの3路線が乗り入れており、東側の2面4線を埼京線・湘南新宿ラインに、西側の2面4線を山手線にそれぞれ割り当てている。、、、、一日当たりのJR乗降客数は566,000人程。 これは、池袋駅が所在する豊島区の人口(約281000人)のほぼ倍。 つまりは豊島区在住の、誕生したばかりの赤子から、ヨタヨタ歩き・寝たきりの御老人までが、一日一回池袋駅からJRに乗り、JRで帰ってくる勘定である。、、、、他社線への乗り換えも多く、改札口は5か所あり、北口・中央北口・中央南口・南口は池袋駅を東西に結ぶ3本の地下道に直結している。 ホーム南端(目白寄り)のメトロポリタン口は跨線橋に併設され、西口(東武東上線側)方面のみに出ることができる。 年を取り田舎者になった私には、迷路に近い通路から地上に出るのに一苦労!

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・・・・・・・・・・・・駅前の地上に出ても通行人は少ない、皆さん改札に直結している地下通路を利用し勤務先に行くようだ。

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・・・・・・・・・・・・飲食店街、ラブホテル街、仕事帰りにはいろいろ悩ましい誘惑を受ける街を抜けていく。、、、、『触れるように なでるように 極上の癒しを貴方に ひざまくら みみかき』なんて読むと、朝からゾクゾク、コリャ仕事帰りにぜひ寄ろう! 負けそうだ!

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●消えた三業地! ・・・・・・・池袋2丁目(劇場通り)から池袋3丁目(山手通りの手前)までを結ぶ裏通りに、「池袋三業通り」と名が付いている。(豊島区設定の名称) この池袋三業通りの西側、池袋御嶽神社周辺の一画にかつて「池袋三業地」があった。、、、、“三業”とは料亭、芸子屋、待合茶屋の総称である。 つまり、赤坂、柳橋、浅草、向島などと同じ花柳界である。 池袋三業地は、昭和3年(1928)に待合の許可が下り正式な三業地となり、昭和10年(1935)前後の最盛期には、料亭・待合が40数軒、置屋10数軒が狭い路地に並んでいたそうだ。 その後、戦渦に巻き込まれ街は衰退したが、戦後再び復活し、昭和30年代には料亭39軒、芸妓数200名を数えたそうだ。 しかし、ピークは過ぎ再び衰退の一途をたどり、現在はその面影もほとんどなく、数軒のスナックやバーが散在するだけとなった。、、、、5年前までは面影を残していた建物も取り壊され消えた!

・・・・・・・・・・・・「池袋三業通り」は、ゴク普通にどこにでもある裏通りとなった。、、、、最盛期には、多くの芸者が通っていた道。 旦那を乗せた人力車も通っていたかも?

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・・・・・・・・・・・・数軒の建物に、それとなく面影が残っているようだ。

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・・・・・・・・・・・・閑静な住宅街という雰囲気に変わった三業地の一角に、狭い境内、赤い鳥居の「三社神社」がある。 “三業”を生業とする人たちが信仰対象としていたらしい。 三業地で働らく芸妓や遊女はここで手を合わせたであろう。、、、、三社神社の近くの電柱に“三業”の文字を発見!、、、、町内会の名は「池袋三業町会

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・・・・・・・・・・・・三業地の鎮守さまか(?)、池袋3丁目の「御嶽神社」。 池袋駅西口一帯の氏神様だが、創建年代は不詳。 祭神は倭建命、神武天皇、武甕槌命。 倭健命の草薙の剣の話(駿河の野火の難を逃れた)により古くより災難除・厄除・防火の神徳有り。 鎮座した年代は不詳だが、天正年間頃に鎮座し、貞享4年(1687)に社殿が創建されたといわれる。 昭和13年(1938)には村社に昇格し、社名を三嶽神社から御嶽神社に改める。 嘉永6年(1854)に社殿が造営され、昭和34年(1959)に改築。、、、、境内社の「子育稲荷神社」では御祭神:保食神(うけもちのかみ)に願いを書いて吊るしてた。

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●スタコラ通過! ・・・・・・・池袋三業通り(豊島区)を抜け、山手通りを横断すると、板橋区中丸町と南町の境に「中丸通り」が北に向かい伸びている。 中丸通りの北端は、板橋区大山西町で川越街道にぶつかる交差点である。、、、、面白いもの、珍しいもの、喜ばせるもの、商店街、コンビニ、何もない極々普通の通りである「中丸通り」である。 端から端まで中丸通りの素顔を公開する。

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・・・・・・・・・・・・中丸通りからチョイト脇に入ると、板橋区南町に新義真言宗豊山派の寺:医王山西光院薬圓寺がある。 本尊は阿弥陀如来。 創建は慶長年間(江戸時代初期)とされているが、無住時代があったことや火災にあったために、開山が覚慧大和尚であること以外は全く不明。、、、、本堂横に薬師堂があり、これは正徳元年(1711)の建立。、、、、参道には大きな仁王像が立ち、その後ろには天然記念物である樹齢400年の椎の木と、区の保存樹木に指定されてる公孫樹3本が聳え立っている。 山門を入ると、右手に鐘楼、左手が墓地と薬師堂。 正面の本堂は古く落ち着きのある寺だ。

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●元気な商店街! ・・・・・・大山駅昭和6年(1931)8月25日に開業した。(私が住む浅草橋駅より1年前に開業している。 負けた!) 相対式2面2線の大きくカーブするホームの地上駅。、、、、駅前のハッピーロード大山商店街は活気あるね、午前11時、お年寄りがカートを押しながら、つるんで元気に買い物に来ている。 午後は若い人が来るのだろう!

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