豊島区

2022年1月 8日 (土)

多彩な都電荒川線

雪が積もった一昨日、雪が凍った昨日、雪が融けた今日、いずれにしても寒い日が続いてる。 その寒い朝、散歩に出た。、、、、大塚駅から、都電荒川線に沿って王子駅までの散歩です。




● JR大塚駅の高架下に都電荒川線の大塚駅前停留場がある。 停留場は高架の真下にあり、大塚駅の南口・北口の両方から利用することができる。、、、、明治44年(1911)8月20日、王子電気軌道により飛鳥山~大塚間(現:大塚駅前停留場)が開業した。 都電荒川線の始まりである。 大正4年(1915)4月17日には、飛鳥山~王子間も開通し、本日の私の散歩ルートの終点:王子まで延伸された。

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・・・・・・・・・・・・線路敷きにはまだ雪が残る

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● 大塚駅前の次は巣鴨新田停留場、、、、大塚駅前の一日当たりの乗降客数は約8000人(2021年7月現在、以下同じ)、巣鴨新田は約1200人と寂しい。 停留場前の都立文教高校の生徒も、大塚駅から徒歩通学しており都電をあまり利用しないらしい。 なお、都電の運賃は均一運賃で大人170円、子供90円なり。

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・・・・・・・・・・・・全線ほぼ専用軌道を走る荒川線には、小さな踏切も多い。 “裏道の先に見える踏切”は画になる、いいね!

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● 線路脇の狭い道を歩き庚申塚停留場に到着。、、、、ここは、おばあちゃんの原宿「巣鴨地蔵通り商店街」の北端で、乗降客は約2500人とチョイト多い!

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・・・・・・・・・・・・地蔵通り商店街の入口脇に停留場名となった猿田彦大神庚申堂がある。 猿田彦大神は道開きの神で、巣鴨のお地蔵様と合わせて、参拝すると御利益倍増か?(ボケを治して、天国へ導いてくれるかも)

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● 庚申塚停留場から約250m、白山通り(=国道17号、中山道)の整備に伴い昭和4年(1929)に設置された新庚申塚停留場。、、、、国道を挟み両側に上り・下りのホームがある。

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● 新庚申塚停留場の北側に数ヵ寺がまとまっている一画(西巣鴨4-8)がある。 三ヵ寺に寄ってきた。


・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗寺院の「
弘願山専称院西方寺」、、、、西方寺は、本所押上大雲寺(現江戸川区)末として、浅草聖天町に開山、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 西方寺が浅草に在ったころは、引き取り手のない吉原の遊女の死骸も引き取り、供養したことから、箕輪の浄閑寺とともに「投込寺」と言う悲しい名も付けられた。、、、、当寺には、吉原で嬌名をうたわれた2代目高尾太夫の墓所がある。 また、同じく吉原:三浦屋の薄雲太夫の逸話もある。 薄雲太夫は愛猫の死を嘆き西方寺に回向しました。(猫塚があります) その逸話が招き猫を生んだとされており、 西方寺も招き猫とゆかり寺とされている。、、、、只今、門・塀を改築中。

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・・・・・・・・・・・・西方寺の東側には、法華宗陣門流の妙行寺がある。 妙行寺は、長徳山と号し、寛永元年(1624)赤坂に起立し、その後四谷鮫ヶ橋南町へ移転する。、、、、四谷怪談で有名なお岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永13年2月22日であり、爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。 この寺も四谷にあったが、明治42年(1909)に現在地に移転した。 お岩様の墓に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。(境内掲示版に書いてあった)

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・・・・・・・・・・・・妙行寺の北隣りには、天台宗寺院の「薬王山延寿院善養寺」がある。 善養寺は、天長年間(824~833)に上野山内に創立したと伝えられ、上野東叡山寛永寺末。 本堂には高さ約3mの江戸三閻魔の一つ木造閻魔王坐像が鎮座しており、おえんまさまの寺として信仰を集めています。

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● 三ヵ寺を巡った後は、またまた線路際の狭い道を歩き、「西ヶ原四丁目停留場」に向かう。、、、、ここの乗降客数は一日当たり約2500人。

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・・・・・・・・・・・・人二人分の幅の狭いホームにはホームドアなど設置できないね、必要ないか?

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・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場を過ぎると飛鳥山停留場まで一直線。 正面に飛鳥山が見える!

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● さて次は、一日の乗降客が1600人ほどの「滝野川一丁目停留場

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・・・・・・・・・・・・停留場の先には、今は珍しくなった桜丘高校の円形校舎がある、、、、その先は、ツバキか?、サザンカか?知らないが、赤い花咲く線路際を歩く。

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● 線路の正面に飛鳥山公園が立ちふさがる「飛鳥山停留場」(乗降客は約1000人)、線路はこの先で大きく飛鳥山を回り込むようにカーブして王子駅前停留場に向かう。

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● JRのガードをくぐり、JR王子駅の横、東北新幹線の高架下に「王子駅前停留場」がある。 王子駅前停留場の一日当たりの乗降客数は約9200人也。、、、、カラフルな塗装の都電を見ながら、1万1千歩の楽しい散歩でした。

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2021年12月26日 (日)

都電でGO!

“寒波襲来!” 朝が寒く起きるのも辛いが、“おしっこ”で渋々起床。 トイレに行ったら目が覚める!、、、、今日の予定は、“医者は無し”、“正月の準備は終わり”、“寒いが晴れだ”、『よし、散歩してくる』

中央線大久保駅から、山手線の内側に入り、戸山、西早稲田を抜けて、都電早稲田停留場に出た。 都電を見たら乗りたくなって、早稲田から大塚まで乗車。 大塚駅から帰宅する。 1万1千歩




● 我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で乗り換えなしの24分で行ける「大久保駅」 しかし私には、乗降の機会が少なく馴染みの薄い駅である。、、、、明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業した。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は北口と南口の2か所。、、、、今日は、日曜日で通勤・通学客が少ないから、年末で学校が休みだから、それとも早朝でまだ寝てる時間だから、何しろ乗降客が少ない駅だ!

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・・・・・・・・・・・・【蛇足】全国には「大久保」と名乗る駅が7駅ある。 ①東京都新宿区にあるJR東日本、中央本線の当駅  ②兵庫県明石市にあるJR西日本、山陽本線の駅(明治21年の開業で一番古い大久保駅)  ⓷京都府宇治市にある近鉄、京都線の駅  ④秋田県潟上市にあるJR東日本、奥羽本線の駅 以上の4駅の駅名は「大久保」。  ⑤東京都新宿区にあるJR東日本、山手線の「新大久保」  ⑥千葉県習志野市にある京成本線の「京成大久保」(旧駅名は「大久駅」である)  ⑦千葉県市原市にある小湊鉄道線の「上総大久保




● 大久保駅から駅前の通りを東に歩き、皆中稲荷神社」、「新大久保駅」、「コーリアタウンと歩く。 コーリアタウンはクリスマスで賑わったのか(?)、ゴミが散乱し汚い! 途中からコーリアタウンをはずれ、裏道を北へ向かう。

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● 大久保駅から北東の位置に、「都立戸山公園(大久保地区)」があり、東隣には「早稲田大学西早稲田キャンパス(理工学部)」もある。 その戸山公園を抜けて行く。、、、、都立戸山公園は、江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であった処。 明治維新後、跡地には明治6年(1873)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用された。 戦後、軍事施設はすべて廃止された。 跡地に戸山ハイツの建設が開始され、昭和29年(1954)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」が開園した。

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● 戸山公園を抜け新宿区高田馬場1丁目に、真言宗豊山派寺院の「玄国寺」がある。 玄国寺は、龍池山上珠院と号し、慶長6年(1601)頃、当地に創建した。、、、、初詣の準備も進み、山門・本堂の前には提灯が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・山門を入ると右手が庫裡であるが、この建物は明治の元勲岩倉具視の旧邸の一部を大正15年(1926)に移築したもの。 洋風建築であるが、和風に改造されている。鬼瓦に笹りんどうの紋章がみられるのは岩倉邸で使用されたものの一部。

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・・・・・・・・・・・・玄国寺の西100m程の処に、同寺の墓地がある。 そこの地蔵堂に「田植地蔵尊」が祀られている。 田植え時期になると、この地蔵が旅僧の姿になって田植えを手伝ったところからこう呼ばれるようになったそうだ。

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● 玄国寺の東隣には、かつて玄国寺が別当であった「諏訪神社」がある。 諏訪神社は、平安時代初期小野篁により大国主命・事代主命を祀ったのがはじまりとされる。 源頼義、義家父子や頼朝等源氏武将の信仰厚く、江戸時代には徳川歴代将軍の崇敬を受ける。、、、、小野篁は百人一首の十一番目の和歌の作者、また小野小町の父として有名な、政治家であり、歌人です。、、、、かつては付近一帯が当神社にちなみ諏訪町(すわちょう)と呼ばれていたが、住居表示により地名は消滅した。 現在では「諏訪通り」や「諏訪町交差点」などに名を残している。

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● 諏訪神社から西へ、西早稲田2丁目の裏道に「地蔵坂通り」と言う、チョッピリ急な坂がある。 その坂を下り終えると「早稲田通り」に出た。、、、、坂の上り口角に「源兵衛地蔵尊」が祀られている。 説明文によると、江戸時代、源兵衛と言う人が居て源兵衛村が出来、源兵衛さん他の菩提供養の為に、享保11年(1726)に地蔵尊が建てられたそうだ。、、、、子宝・安産、病気治癒、商売繁盛、交通安全などのご利益があるらしい。

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● 早稲田通りを横断し、西早稲田3丁目に入ると回遊式庭園「新宿区立 甘泉園公園」がある。 「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。 池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。       この地は、江戸時代宝永年間(1704~1711)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永3年(1774)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。 明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和には早稲田大学が付属甘泉園として譲り受けた。 昭和44年(1969)には区立公園となり現在に至る。、、、、区立の無料の庭園であるため、チョイト手入れ不足だ! もう少し、樹々の手入れをすれば有料化できるかも、もったいないね!!

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● 甘泉園を抜けると、都電「早稲田駅」の近くに出た!、、、、『風強く寒さ厳しく、身体は冷える。 都電の中は暖かそうだ、乗りたいね!』と思ったら、後は一直線! 大塚駅前まで都電でGO!!

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2021年7月22日 (木)

給水塔のある町

今日は、細心の熱中症対策を講じて、『安心・安全・安直な散歩』 

東京メトロ有楽町線「千川駅」から、板橋区大谷口を抜け、東武東上線「大山駅」をとおり、都営三田線の「板橋区役所前駅」まで、1万1千歩の散歩です。




● 浅草橋からJRで飯田橋へ、有楽町線に乗り換えて「千川駅」へ約30分で到着。 今日は4連休の初日なのだが、頭の中は『今日は何の日?』 今日が『海の日』だって、知らなかった! だから、電車がすいていた。、、、、地上に出ると『今日も暑そうだ!』 早速、熱中症対策で、スポーツドリンクの購入、体温調節で頭と首を濡らす、ついでにボケ防止で妻の誕生日を思い出す(忘れていたら殺される!)

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● 千川駅は豊島区だが、駅出口から300m程北に歩くと「板橋区大谷口」の町だ。 「大谷口(おおやぐち)」とは珍しい地名、石神井川の地形に由来するらしいが、命名の経緯はさっぱり判らん!、、、、町の中央を南北に都道420号線が通る、静かな普通の町。、、、、私は2丁目の裏道を歩いてみた。 

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・・・・・・・・・・・・屋根の向こうに「大谷口の給水所」が見える! そうだ、チョイト見に行こう!

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・・・・・・・・・・・・給水塔の方に向かうと、道を挟んで台座が庚申塔になっている地蔵尊庚申塔2基がある。 北側に西光寺という寺があり、西光寺参道というべきところにある。、、、、左右に庚申塔を配し、道路正面には西光寺の山門と本堂の屋根が見える。 なぜか懐かしい風景に思える。

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・・・・・・・・・・・・ここまできたら、「西光寺」に寄っていこう!、、、、観世音菩薩を本尊とする、真言宗豊山派の西光寺。 宝樹山盛徳院と称する。 古くからこの地にあった一観音堂に大野清右衛門が田畑を寄進し、堂宇を建設したことから始まるという。 開山は1640年代(江戸時代初期)と思われる。 明治3年(1870)、住職広沢賢隆は、境内に一棟を建てて寺子屋を開設し、同9年に上板橋学校が開設されるまで近所の子供に教育をおこなった。、、、、時間を止めたような佇まいの寺。 境内には爽やかな風が吹いている。

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● 西光寺の東側、都道420号線に面して「大谷口給水所」がある。、、、、板橋区大谷口1丁目には、大谷口給水塔が建てられていたが、老朽化により平成17年(2005)に取り壊された。 その給水塔の跡地には、給水塔のデザインを模した大谷口給水所が平成23年(2011)に建てられ、板橋区・豊島区などの12万人に、ポンプ圧送による給水が行われている。 建物は地上5階、地下2階、高さ33mで、地下に給水池が造られている。

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・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)に取り壊された「大谷口給水塔」は、東京帝大教授:中島鋭治博士により設計された、高さ33m、鉄筋コンクリート造で、昭和6年(1931)に完成した。 地域のシンボル的な建物であった。(写真は当時の給水塔)

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● 都道は川越街道(国道254号)にぶつかる。 川越街道を横断すると、アーケードのある商店街「ハッピーロード大山」を歩き、東武東上線大山駅に出る。 元気な商店街だ!

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● ハッピーロード大山商店街の東端に「大山駅」がある。 昭和6年(1931)8月25日に開業。 相対式2面2線の地上駅。、、、、地元密着型の商店街と駅、下町の雰囲気漂い、ピッタシ相性が良さそうだ!

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● 大山駅から帰ろうかと思ったが時刻はまだ9時半、『もう少し歩こう!』と思う。 線路を越えて大山駅の東側に続く「遊座大山」商店街を抜け、山手通り(国道317号)に出る。、、、、こちらの商店街も元気そうだ!

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● 山手通りに面し板橋区役所があり、庁舎前は都営三田線の「板橋区役所前駅、、、、地下1階に相対式ホーム2面2線の小さな地下駅。 方面別に改札があり、方面を間違えて地下に潜ると、地下2階の連絡通路を利用することになり、年寄りには階段の上り下りが辛い駅だ!

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2021年7月21日 (水)

猛暑は散歩に不向き!

『猛暑は散歩に不向き』、、、、今日の散歩はこの一言であった。

西武池袋線江古田駅から歩きはじめ、直線距離で東へ1.5㎞程先の東京メトロ有楽町線の千川駅まで、1万歩の散歩です。




● 出がけの天気予報では、東京は朝6時に27℃、今日の最高気温は34℃。 35℃以上の「猛暑日」にはならないと信じ、出かけることにした。、、、、口の周囲が蒸れ息苦しいが、マスクをして電車に乗って、江古田駅に降りた。 ホームに立つと強烈な日差しでまぶしい!(車中に、まぶしい美人がいたが、日差しのまぶしさはそれ以上!)、、、、学生は休みになったのか、ホームには人影は少ない。 武蔵野音大側の北口に出るが、歩く人も少ない。 

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● 江古田駅北口正面に「茅原浅間神社(江古田浅間神社)」はある、、、、茅原浅間神社の創建年代は不詳だが、社伝によれば承平元年(931)からと言われている。 社名は、かつてこの辺りは茅原だったことにより、その名がある。、、、、昔、小竹町(神社の北側)と江古田町(神社の南側)の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。 これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。 なお、このあと訪れる、別当寺である能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

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・・・・・・・・・・・・江戸時代の中頃になると、富士講の盛んな上板橋・中新井・下練馬の人々の信仰も集めるようになった。天保10年(1839)には小竹丸祓講の人々により「江古田の富士塚」が築かれた。 高さ8m、直径約30m。 富士塚の頂にある石祠はこの時の建立。 昭和54年(1979)江古田の富士塚は台東区下谷の下谷坂本富士、豊島区高松の長崎富士、川口市東内野の木曽呂富士とともに国の重要有形民俗文化財に指定された。、、、、本殿の後ろに隠れるように富士塚がある。 本日は、登山禁止!

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・・・・・・・・・・・・境内にある、高さ27m、幹の太さ3.1mのケヤキは、“練馬大根”ならぬ“練馬の巨木

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● 「江古田」と云えば“大学の街”、駅の東には「日本大学 芸術学部」、北には「武蔵野音楽大学」、西には「武蔵大学」がある。、、、、チョイト「日本大学 芸術学部」に寄ってみる。 守衛さんが入口で検温中、大学関係者以外は入校できず。 そ~だ!コロナ禍の今、どこの大学も関係者以外構内立入禁止。 今日もあきらめ、キャンパスの外を回る。、、、、日本大学芸術学部は、写真学科・映画学科・美術学科・音楽学科・文芸学科・演劇学科・放送学科・デザイン学科の8学科からなる芸術総合学部。 大正10年(1921年) 、東京神田三崎町に日本大学法文学部内に美学科(芸術学部の前身)が誕生し、昭和14年、板橋区江古田(現在の江古田校舎)に移転した。

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの外周に沿って歩き出したが、気温が上がり大変なことを忘れてた! 『アッ!コンビニで飲料水を買ってない』 駅を出て目の前の神社に気を取られ、大学構内には入れず、水なしで線路沿いを歩く。 どこかで“水分補給”しないと、ヤバイ! 大学東側の住宅地を歩けどもコンビニはなく、自販機でお茶を買う。 命をつないだ気分になり、一安心!

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●  日大の東側(練馬区旭丘2)に真言宗の寺院「能満寺」があった。 駅前の茅原浅間神社の別当寺である。、、、、能満寺は、「元和の頃(1615~1623)、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした。 のち数代を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)再建し、あわせて大日堂を造営した」との記録がある。、、、、寺はあったが、山門手前のゲートが閉じられている。 目の前に山門が見えるが入れない。 『今日は、暑いので寺も休みか? 残念だが、あきらめよう!』

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・・・・・・・・・・・・能満寺に来たのは午前9時、気温は上がり30℃は超えていると思われる。 私の頭の天辺は暑い、汗も出ている、水分摂取より体を濡らしたい! いつもなら、公園か、コンビニか、どこかで、濡れた手ぬぐいで汗を拭くのだが、今日は公園もコンビニもなく手ぬぐいは乾いたままだ! 頭の中を熱中症の恐怖が襲う、どこかに“水道”はないものか? “水分補給”用に買ったペットボトルのお茶で手ぬぐいを濡らし体温を下げる。 これで、再び一安心! 猛暑の中の散歩は、水分補給に体温調節が必須、面倒だ!




● 汗とお茶のミックスで濡れた体の雅万歩、歩みは元気で、豊島区に入り都立千早高校の前に出てきた。 日陰になった学校側の歩道を歩く。 学校のフェンスの脇に「千早庚申塔」がある。、、、、しっかりとした台座の上に4基ある石造物の内、左側の大きな三基が庚申塔。掲げられた由緒によると、この庚申塔はかつて千川上水にかかる橋(庚申橋)の脇に祀られていた。 併し昭和40年から50年代前半にかけて、千川通り周辺で道路の拡張や建物の建て替えなどの工事が行われているうちに、いつのまにか行方不明になってしまった。 その後、豊島区外(練馬区北大泉)の山林に放棄されていたのが発見され、現在地に戻されたが、元々橋際にあった5基の内1基(庚申塔)はみつからなかった。、、、、よく見つかったと思うね。

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● 太陽はギラギラ、身体は汗でビショビショ・グシャグシャだ! チョイト、万歩計を見ると、1万歩クリヤー! 熱中症が怖いので、「千川駅」から帰ることにした。、、、、東京メトロ千川駅は昭和58年(1983)6月24日、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通により同時開業。 平成20年(2008)には副都心線の駅も開業。、、、、千川駅は上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 要町通りの直下にある。 現在の副都心線ホームは有楽町線建設時に既に構築済みであったが、副都心線開業までは未供用(通過)とされた。このため、有楽町線ホームから副都心線ホームへの階段用スペースは蓋で覆われていた。、、、、駅の近くには、飲食店も多く、スーパーや商店街もあり、池袋へは2駅、生活するには良さそうだ。

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2020年10月21日 (水)

六地蔵の三番目

いよいよ三番目の江戸六地蔵。 巣鴨の真性寺に行って、巣鴨地蔵通商店街を抜け板橋駅まで、9千歩の散歩です。




● JR巣鴨駅は、明治36年(1903)4月1日、日本鉄道の駅として開業。、、、、駅の構造は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、改札は大塚駅寄りの1か所のみ。 平成22年(2010)に駅ビル「アトレヴィ巣鴨」がオープンし、モダンな駅となった。 「おばあちゃんの原宿」としては近代的すぎ、お年寄りが駅ビルを利用する姿はあまり見られないようだ。、、、、早朝の巣鴨駅は、近くの女学校の生徒が大勢降りてくる姿が見られる。 朝は女学生、日中はおばあちゃん、巣鴨駅は女性に人気があるのかも?

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● 駅前の中山道(国道17号)に面して真性寺はある。 中山道から境内に入ると、本堂を背にして地蔵菩薩像を正面に拝す。 江戸六地蔵の三番目だ! お寺の方が、地蔵菩薩の花に水をやり、台座を清掃していた。 本堂へ先に参り、その後、地蔵菩薩に手を合わせてきた。、、、、真性寺は、医王山東光院真性寺と称し、真言宗豊山派に属し、奈良県桜井市初瀬にある総本山長谷寺の末寺である。 当寺の開基は不明だが、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたと云われている。 中興開基は元和元年(1615)に祐遍法印が行った。 御本尊の薬師如来は秘仏で、古来より一切開扉されていないそうだ。(開けたら中に仏様が無いかも? 失礼!)

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・・・・・・・・・・・・さて、当寺境内に安置されている「江戸六地蔵」は、6体の内、四番目に鋳造されたものである。 尊像は、地蔵坊正元が発願主となって宝永3年(1705)造立の願を発してから、9年後の正徳4年(1714)に造立された。 像高は、太宗寺の像より1cm大きい2.68mである。、、、、平成20年の修理においては、胎内から銅造地蔵菩薩4躰と銅札・木札が多数発見されたそうだ。 それらは、再び胎内に戻されている。、、、、この像は手入れが良いのか、石の台座や像の袈裟部分に寄進した多くの人名が、小さい字でビッシリ彫られているのを見ることができる。

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● 真性寺の山門脇は、「巣鴨地蔵通商店街」である。 セッカクだから、「おばあちゃんの竹下通り」も歩いて行くことにした。、、、、まだ午前8時半、店は準備中か、シャッターは下りたまま。 通勤する人が足早に通り抜けていく。 名物の「赤パンツ」の店もシャッターが下りている。 60歳過ぎたら長寿を願い、おしゃれに愛用、赤い失禁パンツ!(最近は、有名ブランド物の赤パンツも販売しているらしい。 20歳代の愛用者がいるのかも?)

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● 商店街の中程、「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれる、曹洞宗萬頂山高岩寺に寄って行く。 寺は、慶長元年(1596)に江戸湯島に開かれ約60年後、下谷屏風坂に移り、巣鴨には明治24年(1891)に移転してきた。 ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩だが、秘仏であるため拝見できない、残念! 替わりに、新しい「洗い観音」なる石像がある。、、、、どこのお寺も、生活の知恵か? 何かと、御利益ありそうな仏像・行事が、長い歴史の中で途切れることなく用意されている。

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● 巣鴨地蔵通商店街の北の端には、「猿田彦大神庚申堂」がある。 つまり、「おばあちゃんの竹下通り」は、六地蔵と庚申堂に挟まれ、途中にとげぬき地蔵がある、神仏に囲まれ来世に近い、まさに紙おむつ・赤パンツの愛用世代向けの商店街。、、、、その、猿田彦大神庚申堂には、かつて庚申塚があった。 現在は庚申塔の小祠が立っているのみだが、庚申の日には多くの参拝客があるそうだ。、、、、庚申塔の猿像の顔が鋭いね!

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● 猿田彦大神庚申堂のそばに、明治44年(1911)に開業した都電荒川線の「庚申塚停留場」がある。、、、、都電を見ると、写真を撮りたくなる。

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● 庚申塚からは裏道を歩き、明治通りを越え、板橋駅にむかう。

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● 今年7月に新築し、オープンした「JR板橋東口ビル」。 フィットネス、スパなどが入った駅ビルで、改札はビルの1階。、、、、何でも“新しい”のは気持ちいいね! 駅も新しいと明るくなって、スマートな雰囲気。 ホームは古いまま!

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2019年11月29日 (金)

芸妓のいない池袋三業地

かつて池袋にも三業地があった。 その名も「池袋三業通り」と名付けられた通りが、今もある。 5年ほど前に歩いた処を、今日歩いてみた。 池袋駅で下車し、東武東上線の大山駅まで、1万2千歩の散歩です。




●区民全員が一日一回乗降 ・・・・・・JR池袋駅は、島式ホーム4面8線を有する地上駅。 山手線・埼京線・湘南新宿ラインの3路線が乗り入れており、東側の2面4線を埼京線・湘南新宿ラインに、西側の2面4線を山手線にそれぞれ割り当てている。、、、、一日当たりのJR乗降客数は566,000人程。 これは、池袋駅が所在する豊島区の人口(約281000人)のほぼ倍。 つまりは豊島区在住の、誕生したばかりの赤子から、ヨタヨタ歩き・寝たきりの御老人までが、一日一回池袋駅からJRに乗り、JRで帰ってくる勘定である。、、、、他社線への乗り換えも多く、改札口は5か所あり、北口・中央北口・中央南口・南口は池袋駅を東西に結ぶ3本の地下道に直結している。 ホーム南端(目白寄り)のメトロポリタン口は跨線橋に併設され、西口(東武東上線側)方面のみに出ることができる。 年を取り田舎者になった私には、迷路に近い通路から地上に出るのに一苦労!

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・・・・・・・・・・・・駅前の地上に出ても通行人は少ない、皆さん改札に直結している地下通路を利用し勤務先に行くようだ。

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・・・・・・・・・・・・飲食店街、ラブホテル街、仕事帰りにはいろいろ悩ましい誘惑を受ける街を抜けていく。、、、、『触れるように なでるように 極上の癒しを貴方に ひざまくら みみかき』なんて読むと、朝からゾクゾク、コリャ仕事帰りにぜひ寄ろう! 負けそうだ!

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●消えた三業地! ・・・・・・・池袋2丁目(劇場通り)から池袋3丁目(山手通りの手前)までを結ぶ裏通りに、「池袋三業通り」と名が付いている。(豊島区設定の名称) この池袋三業通りの西側、池袋御嶽神社周辺の一画にかつて「池袋三業地」があった。、、、、“三業”とは料亭、芸子屋、待合茶屋の総称である。 つまり、赤坂、柳橋、浅草、向島などと同じ花柳界である。 池袋三業地は、昭和3年(1928)に待合の許可が下り正式な三業地となり、昭和10年(1935)前後の最盛期には、料亭・待合が40数軒、置屋10数軒が狭い路地に並んでいたそうだ。 その後、戦渦に巻き込まれ街は衰退したが、戦後再び復活し、昭和30年代には料亭39軒、芸妓数200名を数えたそうだ。 しかし、ピークは過ぎ再び衰退の一途をたどり、現在はその面影もほとんどなく、数軒のスナックやバーが散在するだけとなった。、、、、5年前までは面影を残していた建物も取り壊され消えた!

・・・・・・・・・・・・「池袋三業通り」は、ゴク普通にどこにでもある裏通りとなった。、、、、最盛期には、多くの芸者が通っていた道。 旦那を乗せた人力車も通っていたかも?

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・・・・・・・・・・・・数軒の建物に、それとなく面影が残っているようだ。

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・・・・・・・・・・・・閑静な住宅街という雰囲気に変わった三業地の一角に、狭い境内、赤い鳥居の「三社神社」がある。 “三業”を生業とする人たちが信仰対象としていたらしい。 三業地で働らく芸妓や遊女はここで手を合わせたであろう。、、、、三社神社の近くの電柱に“三業”の文字を発見!、、、、町内会の名は「池袋三業町会

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・・・・・・・・・・・・三業地の鎮守さまか(?)、池袋3丁目の「御嶽神社」。 池袋駅西口一帯の氏神様だが、創建年代は不詳。 祭神は倭建命、神武天皇、武甕槌命。 倭健命の草薙の剣の話(駿河の野火の難を逃れた)により古くより災難除・厄除・防火の神徳有り。 鎮座した年代は不詳だが、天正年間頃に鎮座し、貞享4年(1687)に社殿が創建されたといわれる。 昭和13年(1938)には村社に昇格し、社名を三嶽神社から御嶽神社に改める。 嘉永6年(1854)に社殿が造営され、昭和34年(1959)に改築。、、、、境内社の「子育稲荷神社」では御祭神:保食神(うけもちのかみ)に願いを書いて吊るしてた。

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●スタコラ通過! ・・・・・・・池袋三業通り(豊島区)を抜け、山手通りを横断すると、板橋区中丸町と南町の境に「中丸通り」が北に向かい伸びている。 中丸通りの北端は、板橋区大山西町で川越街道にぶつかる交差点である。、、、、面白いもの、珍しいもの、喜ばせるもの、商店街、コンビニ、何もない極々普通の通りである「中丸通り」である。 端から端まで中丸通りの素顔を公開する。

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・・・・・・・・・・・・中丸通りからチョイト脇に入ると、板橋区南町に新義真言宗豊山派の寺:医王山西光院薬圓寺がある。 本尊は阿弥陀如来。 創建は慶長年間(江戸時代初期)とされているが、無住時代があったことや火災にあったために、開山が覚慧大和尚であること以外は全く不明。、、、、本堂横に薬師堂があり、これは正徳元年(1711)の建立。、、、、参道には大きな仁王像が立ち、その後ろには天然記念物である樹齢400年の椎の木と、区の保存樹木に指定されてる公孫樹3本が聳え立っている。 山門を入ると、右手に鐘楼、左手が墓地と薬師堂。 正面の本堂は古く落ち着きのある寺だ。

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●元気な商店街! ・・・・・・大山駅昭和6年(1931)8月25日に開業した。(私が住む浅草橋駅より1年前に開業している。 負けた!) 相対式2面2線の大きくカーブするホームの地上駅。、、、、駅前のハッピーロード大山商店街は活気あるね、午前11時、お年寄りがカートを押しながら、つるんで元気に買い物に来ている。 午後は若い人が来るのだろう!

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2019年1月18日 (金)

隠れ湯のある、要町

池袋から中板橋(東武東上線)あたりまで歩くつもりで家を出た。 池袋駅で下車し、西口前の要町通りを進むと、広い通りは『どうも面白くない』。 要町で裏道に入り、迷路に遭遇、『コリャ面白い』と、行ったり来たり、結局、東上線沿線には行けず。 地下鉄有楽町線千川駅までの散歩となった。
 
 
 
●裏通りは怖そうだ!・・・・・・・明治36年(1903)4月1日、乗降客も少なそうな農村地帯の中にあった池袋信号所が駅に昇格して池袋駅が開業した。 それから、115年過ぎ、今や池袋駅は、JR東日本、東武東上線、西武池袋線、地下鉄有楽町線・副都心線・丸ノ内線のターミナル駅である。、、、その池袋駅西口(東武デパートのある出口。 西武百貨店があるのは東口)に出た、駅前でキョロキョロ見回す。 学生・社会人の時代はほとんど縁のなかった町で、雅万歩は江戸っ子のお上りさんだ!、、、、裏通りは、ラブホテル街。 黒いスーツのお兄さんにキャッチされ、ホストクラブに勧誘されたらどうしよう? チョイト心配になる、雅万歩。 やっぱり、表通りを歩こう!
 
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●単調な大通り・・・・・・・駅正面の「要町(かなめちょう)通り」を歩く。 この通りの地下に、有楽町線・副都心線が走っている。
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・・・・・・・・・・・・・要町通りに面して建つ、チョイト大きなビルは「東都自動車ビルヂング」。 昭和48年(1973)に竣工した15階建て。 1階から4階まではオフィス、5階以上はマンション。 低層階のイスラム建築に見られるような半円のデザインが印象的。
 
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・・・・・・・・・・・・・こちらは、曹洞宗の瑞鳳山祥雲寺。 祥雲寺は、天文元年(1532)江戸城主遠山隼人正景久の室(北条上総介綱成の娘、法号浄光院)の菩提所として江戸城和田倉門内に起立、浄光院と称していた。 德川家康入府により駿河台、日向金杉、小石川戸崎町と点々と移転する。 宝永6年(1709)五代将軍徳川綱吉の死に伴い御台所が出家し浄光院と号したため祥雲寺と改称した。 大正4年(1915)、現在地(池袋3)へ移転した。、、、、境内には、漫画家:石ノ森章太郎の墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・祥雲寺から短い坂を下り、山手通りと交差する要町交差点に出る。
 
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・・・・・・・・・・・・・交差点には、地下鉄有楽町線・副都心線の要町駅がある。 
 
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●迷路の町・・・・・・・・・・広い通りを歩いていると退屈になる、何か変わったものは、何か面白そうなものは、キョロキョロしても何もない! 要町駅を通り過ぎたあたりに、「えびす通り商店街」があったので、こちらを歩くことにした。 えびす通り商店街は、要町通りの北側(要町1丁目)を南北に伸びる商店街で、200m程歩くと「仲見世商店街」に変わる。 どちらにしても、地元密着型の商店街で、よそ者にはどうでもいいや!、、、、歩く人は少なく、閑散として、元気がない商店街のようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・商店街の途中に「延命地蔵尊」が祀られている。、、、、、謂れも由緒も判らず、“延命”を願い手を合わす。
 
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・・・・・・・・・・・・・延命地蔵尊から商店街に別れを告げて、商店街の裏(要町1丁目)を歩いてみた。、、、、ナント、雅万歩好みの裏道があった。 どの道も車一台が通れるくらいの幅で、鍵の手に折れ、また折れ、途中に階段があり、途中にコンクリートの塊があり、途中に「車の通り抜けできません」の看板あり、そしてまたまた折れ曲がっている。 どこの家も車は持っているが、どうやって自分の家までたどり着いたのか、歩く人でも迷路なのに、車にとっては超難問の迷路でもある!、、、、、歩く楽しみを充分味わうことができ魅力的な裏道で、行ったことないが、何となくモロッコの裏道のようだ!、、、、後で、地図を見たら、要町1丁目の町全体がこんな雰囲気、嬉しいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・オー、ナント、迷路の中に銭湯があった。 裏道から路地を入ると「山の湯」の玄関があった。 玄関前の縁台に外人が座り、美味そうにパイプタバコをふかしている。 『今から開くのを待っているんですか?』 『これから仕事で、その前に一服』(しっかりした日本語で応えてくれた) 『ここの湯舟、少し小さいですが温まりますよ』 『あ、ここの常連さんですね』 『はい、よく来るんですよ、今日も仕事が終わったら来ます』と、言って仕事に出かけた。 外人さんにも愛されている「山の湯」は、昭和34年(1959)の創業。 地元の隠れ湯かな?、、、、私も、ひとっ風呂入って行きたくなったが、営業は15:30から、残念! 
 
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●塚は立派、社は〇〇・・・・・・・・要町1丁目の北側(高松2丁目)に富士浅間神社がある。 創建年代は不詳だが、富士塚が文久2年(1862)に築造されたことから江戸末期には創建されていたそうだ。、、、、社の建物は平屋の住宅ようで、どうでもいいや!、、、、富士塚は、高さ8m、直径21mで、表面は富士山の溶岩で覆われている。 塚上には、50基ほどの石造物がある、立派な富士塚だ! この富士塚は国指定重要有形民俗文化財。
 
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●そろそろ帰る時間!・・・・・・再び要町通りを歩き、地下鉄千川駅に到着。 千川駅は、昭和58年(1983)有楽町線の開業と共に営業を始める。、、、、、上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 地下1階は改札階、地下2階が有楽町線、地下3階が副都心線。
 
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2018年12月25日 (火)

東上線の歴史をチョッピリ

東武東上線沿いに歩いてみようと思い、池袋から3駅先の大山まで、1万2千歩の散歩です。
 
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線(正式には「東武東上本線」)は、川越の豪商、出雲大社の宮司などが発起人となり、明治36年(1903)に東上鉄道を発起したが出資者が集まらず、根津嘉一郎に会社設立を託した。 明治44年(1911)に、根津嘉一郎の下で東上鉄道が設立され、本社所在地は現在の墨田区押上の東武鉄道本社に置かれた。 “東上”の名は「東京」と「上州(群馬県渋川)」を結ぶ鉄道を意味し、名付けられた。 大正3年(1914)5月1日に池袋~田面沢(現:川越市付近)間が開業。 大正14年(1925)には、池袋~寄居間の全線が開通。
 
 
 
●地上に出るとホットする駅・・・・・・・・・・JRの池袋駅は明治36年(1903)に周囲に何もない田舎の途中駅として開業した。 この当時は、まだ山手線の丸い線路は開通していない。 それから、11年後の大正3年(1914)5月1日、東武東上線の池袋駅が開業した。、、、、現在の東武東上線の池袋駅は、東武百貨店の1階にある。 頭端式ホーム3面3線の地上駅である。 改札口は北口・中央北口・中央南口と正面の南口の4か所あるが、多くは地下の連絡通路に面しており、たまにしか訪れない私には改札を出ても、『ここは何処? 地上出口はどっち? 右に行くの?左に行くの? 誰か教えて!』
 
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●どこのお宿も混浴?・・・・・・・池袋駅を出て東上線沿いに歩く。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・昨日はクリスマスイブ、この辺りのホテルはきっと満室だったと思うね。 鶯谷もそうだが、なぜか線路沿いにあるホテル街。、、、、、どこのお宿も混浴?
 
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・・・・・・・・・・・・・川越街道をこえ、北池袋駅に向かう。
 
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●浅草橋駅も負けた!・・・・・・・・・池袋の次の駅が北池袋。 併走するJR埼京線(赤羽線)の池袋~板橋間にあるが、JR板橋駅や東上線の下板橋駅に近い。、、、、昭和9年(1934)5月1日に、東武堀之内駅として開業したが、昭和20年に東京大空襲で駅舎は被災し休止となり、その後廃止となる。 昭和26年(1951)、北池袋と名を変えて復活・再開する。、、、、1面2線の島式ホームがある地上駅。 ホームの両端にラッシュ時には開かずとなる埼京線と共用の踏切がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅舎の脇に、電飾のトナカイに守られて「北池袋駅開設記念碑」が建てられている。、、、、我が家の最寄り駅:浅草橋駅はここより古い駅だが、記念碑なんて無い、負けた!
 
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●下板橋駅は板橋区に戻るのか?・・・・・・・・・・・北池袋から近い、次の下板橋駅。 下板橋駅は大正3年(1914)5月1日に開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎は上りホームの川越寄りにある。、、、、駅舎・ホームともに豊島区池袋本町に所在する。 駅舎前の道路が、豊島区と板橋区の境で、旧駅舎は道路の反対側(板橋区側、現在は東上線の留置線がある)にあった。、、、、、【ないしょの話】 東武鉄道では、下板橋駅を旧駅舎のあった板橋区側の留置線の敷地内に移転し、駅舎の上部には日本大学医学部の附属病院を誘致する計画があった。 この話、日大側の都合で、どうやら頓挫しているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホームの南側に、その名も「池袋本町 電車の見える公園」がある。 わざわざ、公園名に“電車の見える”と入れる程、気合の入った公園。 これはきっと、電車が見えやすいように、展望台があるとか、丘が築かれているとか、いい写真が撮れるように工夫が凝らされた公園と期待した。、、、、、行ってガッカリ、見てガッカリ、確かに見えるが、児童の遊具がある脇に電車が走っているだけだ! “詐欺だ!”と叫びたくなった。
 
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●東上鉄道記念碑のある留置線・・・・・・・・・・・・・・下板橋駅の駅舎前(板橋区側の留置線敷地内)に「東上鉄道記念碑」がある。 東武東上線の前身である東上鉄道は、大正3年に池袋~田面沢間が開通した。 記念碑は、これを記念して大正8年(1919)5月に建てられた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東上鉄道記念碑がある処には、数本の留置線がある。 
 
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●ドアが開かなかった駅・・・・・・・・・・・・・散歩の終点は、賑やかな駅前商店街に面する大山駅。 大山駅は昭和6年(1931)8月25日に開業した、相対式2面2線の地上駅。 かつてはホームの前後に踏切があった関係で、ホーム有効長は6両編成分であった。 そのため8両編成の電車は停車する際には2両分のドアが開かない「ドアカット」を行った。 その後、池袋寄りの踏切が地下道に改良され、ドアカットは解消された。
 
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2018年11月19日 (月)

古道を歩く、大塚道・王子道

我が家で地図を見ていたら、大塚駅前から都電荒川線沿いに一般道が飛鳥山まで伸びている。 一般道は町ごとに、折戸通り、栄通り、お岩通りなど、名がついている。 各通りは以前歩いたこともあるが、今日は大塚駅から王子駅まで通しで歩いてきた。 1万歩。
 
 
 
●レトロ感が残る駅・・・・・・・・JR大塚駅は、明治36年(1903)の池袋~田端間開通時に、池袋・巣鴨・駒込の3駅と同時に開業した。 その後、明治44年(1911)に王子電気軌道(=王電、現:荒川線)が大塚~飛鳥山間で開業する。 この時、王電の現:大塚駅前停留場は現JRの真下に乗り入れた。、、、、大塚駅ガード下の停留場、レトロな感じが残ってるね!
 
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・・・・・・・・・・・・・大塚駅ホームから見下ろす北口駅前。 右端のビル陰に大塚道がある。
 
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●流転の不動・・・・・・・・大塚駅北口前のビルの一角に「瀧不動」が祀らている。、、、かつて、大塚駅の北から南東方向に谷端川が流れていた頃、現:豊島区北大塚1-14付近の谷端川沿いに石造不動明王立像があり、地元の人々の信仰を集めていた。 川の流れが小さな滝のようになっていた場所に位置していたため「瀧不動」と呼ばれていた。 ところが、昭和10年(1935)頃に行なわれた谷端川の暗渠化工事に伴い「瀧不動」は所在場所の近隣居住者の個人所有となり、敷地内で維持管理されるようになった。 その後、昭和20年(1945)4月の空襲で直撃を受け、台座部分を残し破損した。 昭和30年(1955)頃、かつての所有者が石造不動明王坐像として再造立し、空襲の際に破損を免れた台座に据え、所有者敷地内に安置した。 その後、平成11年(1999)の所有者自社ビル建築に伴い、石造不動明王坐像も現在地に移設・安置された。、、、、いろいろ苦労を重ねた石仏のようだ。 駅前なので、行き交う人の中には手を合わせて行く姿が見られる。 きっと、ご利益あるよ!
 
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●古道だった折戸通り・・・・・大塚駅前から北上し庚申塚交差点までの「折戸通り(おりどどうり)」。 この道は、鎌倉時代頃にはあった「大塚道」で古道である。
 
・・・・・・・・・・・・・「折戸通り」の入口。 折戸は、この付近の旧地名。
 
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・・・・・・・・・・・・・通りの奥から、ガタンゴトン・ガタンゴトン、電車の走る音が聞こえる! 大塚駅前停留場を出た電車が、次の巣鴨新田停留場に向かう音だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・通りの両側は“元気な商店街”という雰囲気はないが、そこそこの数の店舗が並んでいる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・折戸通りに面する文化の発信拠点を2つ。、、、、平成6年(1994)に完成した座席数約130の萬劇場は、年間50~60本の演劇公演が行われているそうだ。 また、2台のグランドピアノをそなえた、座席数50の音楽サロン:西巣鴨音楽堂。、、、、小劇場に小ホール、ぜひ一度は行ってみないと!
 
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・・・・・・・・・・・・・折戸通りの終わりは庚申塚交差点
 
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●美人に弱い猿田彦・・・・・・・・・・折戸通りが巣鴨地蔵通りにぶつかる庚申塚交差点角に巣鴨庚申塚がある。 巣鴨庚申塚は江戸時代中山道の立場として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店もあり、人足や馬の世話もしていました。 ここは中山道板橋の宿場にも近く、地蔵通りを巣鴨駅の方から来ると、右に向かえば桜の名所:飛鳥山にでる王子道。 左に向かうと今来た大塚道(折戸通り)である。 庚申塚には、道しるべを兼ねた立派な庚申塔が建っていたそうだが、今は庚申塚に埋められていると言われている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・現在は、庚申塚に猿田彦大神を合祀している。、、、、猿田彦大神は、天孫降臨の時に天の神々の通り道に立ちふさがっていた神で、猿とは直接的な関係はない。 その時、この猿田彦を色気で悩殺し、天孫降臨を先導させたのは、天照大神が天岩戸にこもったとき、胸乳をかき出し腰巻をズリ下げてベリーダンスをした美人の天鈿女命(あめのうずめのみこと)である。(私も同席して踊りを見たかった) この先導以来、猿田彦は「道と境界を守る神」つまり道祖神と同一視され、信仰されるようになる。、、、、庚申堂では、狛犬に変わり猿神。
 
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・・・・・・・・・・・・・すぐ近くには「庚申塚停留場
 
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●アッという間に通り抜け・・・・・・・・・・庚申塚交差点から北に「栄和通り」となる。 この交差点が、飛鳥山に向かう古道「王子道」の始まり。 栄和通りは都電に並行して、白山通り(国道17号)までの約300mである。 
 
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・・・・・・・・・・・・・白山通りを挟み「新庚申塚停留場」がある。
 
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●巣鴨の四谷怪談・・・・・・・・・白山通りから、王子道は「お岩通り」と呼び名が変わる。 お岩通りは、途中に四谷怪談のお岩様の墓があることから名付けられた。 お岩通りの端は西ヶ原4丁目。
 
・・・・・・・・・・・・写真、右端から中央奥に向かう道がお岩通り。 幽霊は出ません!
 
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・・・・・・・・・・・・・踏切の正面に、お岩様の墓がある妙行寺 。 お岩様は田宮家により丁重に弔われ一段高い処に祀られている。 階段下に田宮家の墓が並ぶ。、、、、この寺は四ツ谷にあったが明治42年(1909)に現在地に移転した。 それで、お岩様も縁がなかった、巣鴨のお地蔵様の近くに引っ越したという。
 
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・・・・・・・・・・・・・お岩通りの終点。 西ヶ原4丁目。
 
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●飛鳥山までもう少し・・・・・・・・・・・・西ヶ原4丁目から先の王子道には、愛称はつけられてない。 名無しの道は飛鳥山停留場までの続く。
 
・・・・・・・・・・・・西ヶ原四丁目停留場。 王子道は都電とクロスする。
 
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・・・・・・・・・・・・・・滝野川1丁目には、「元文五庚申」(1740)「十二月吉日」が読み取れる庚申塔が道端にある。、、、、庚申塔に綺麗な花が、ご近所のお婆さんが供えたものか? このような供え物をするお爺さんを想像するには無理があるね。
 
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・・・・・・・・・・・・・手入れの行き届いた木造住宅。 どちらも、雨戸が閉められているが、空き家ではないようだ。 将来に向け残して欲しい住宅だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・大正13年(1924)創立の桜丘中学・高等学校円形校舎が見える。、、、、、円形校舎は、建物の平面形状が円筒形になっている校舎で、昭和30年代(1955)頃に多数建設された。 円形にすることで廊下や壁が節約でき、建設コストを安く押さえることができ、狭い土地を有効活用できることから、注目されブームとなり全国で100棟以上建てられた。 しかし、その後は建設されず、築後50年以上経過した現在は残っている建物も少なくなってきた。、、、、建物が授業中に回転すると面白いね!
 
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・・・・・・・・・・・・・飛鳥山に近づき道幅は狭くなって約50m進むと、明治通りに出る。 
 
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・・・・・・・・・・・・・「飛鳥山停留場」も近い。 停留場の前は飛鳥山 。 これにて、本日の王子道の散歩は終わり。
 
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●・・・・・・・・・・・王子駅から帰宅。 
 
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2018年4月19日 (木)

目白不動 (金乗院)

雨も上がり散歩日和。 今日は、目白不動の金乗院へ、その後、雑司ヶ谷の鬼子母神に寄って池袋駅まで、1万歩の歩きです。  (注:鬼子母神の『鬼』は、一画目の点が無い字が正しい。)
 
 
 
①目白駅・・・・・・・・・・・明治18年(1885)3月1日、日本鉄道品川線の品川~赤羽間の開業から、なぜか半月ほど遅れ、3月16日に目黒駅と目白駅の2駅が仲良く開業。 明治39年(1906)11月1日には国有化され国鉄の駅となる。 平成12年(2000)に、3代目の現在の駅舎に改築された。、、、、駅に隣接して学習院大、チョイト離れて日本女子大があるせいか、駅からゾロゾロ出てくる女子大生の多いこと、嬉しいね!
 
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千登世橋・・・・・・・・・・学習院大学前を東に向かい、豊島区目白1丁目と雑司が谷との境界に架かる跨道橋。 橋上に目白通りを通し、明治通りとの立体交差になっている。 東側に連続する千登世小橋があり、都電荒川線を跨ぐ。、、、、、、長さ約28mの千登世橋は、上路2ヒンジソリッドリブアーチ橋で、昭和7年(1932)2月に竣工した幹線道路同士の立体交差。
 
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・・・・・・・・・・・・・チョイト思い出した私の若い頃(昭和54年)、こんな歌がありました、♪♪ ~ ~ あなたのやさしさに気付き もうすぐ二人の別れが来ると 胸が震え悲しかった  電車と車が並んで走る それを見下ろす橋の上 千登勢橋から落とした 白いハンカチが ヒラヒラ風に舞って 飛んで行ったのは あなたがそっとサヨナラを つぶやいた時でしたね ♪♪ (門谷憲二:作詞・西島三重子:作曲)   (注:歌の方は千登“勢”橋です。 こちらの方が何となくいいかな。)
 
 
③のぞき坂・・・・・・・・・・千登世橋の東、目白通りにめんした雑司が谷駅前から南に下る坂。(豊島区高田2) 坂上と坂下は緩やかな勾配であるが、坂の中間は非常に急な坂で、“東京一”と言われている。、、、、名のごとく、『坂下には助平が多く、女性は下から覗かれる坂』というのは真っ赤なウソ! 本当の由来は、坂の途中で急に角度を変えているため、坂上からの見通しがきかず、坂の途中まで行くと崖のように下る坂が見える。 つまり、坂の途中まで行って、覗くようにすると坂下が見通せるので「のぞき坂」となった。、、、、年寄りは、滑り止めの付いた靴を履かないと無理! 雪の降った日は死を覚悟して歩くこと!
 
・・・・・・・・・・・・・坂上から覗くと
 
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・・・・・・・・・・・・・・下から、見上げると
 
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④金乗院・・・・・・・・・・・のぞき坂を下った豊島区高田2-12に金乗院がある。 金乗院は真言宗豊山派の寺院で、天正年間(1573~1592)の創建と言われている。 本尊は聖観世音菩薩。 当初は、蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺であった。 その後、神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となる。 昭和20年(1945)4月の空襲で本堂・宝物などの一切を焼失した。 現本堂は昭和46年(1971)に再建され、平成15年(2003)に全面改修された。、、、、、古くから当地に在る寺で、本堂裏の墓地には槍術の達人:丸橋忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・かつて目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和4年(1618)に大和長谷寺の僧が中興し、文京区関口駒井町にあった。 昭和20年(1945)5月の戦災により焼失したため、本尊の目白不動明王像を金乗院に移し、合併した。、、、、その目白不動明王像は、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の一として名高く、目白の号は寛永年間(1624~1644)に、三代将軍徳川家光が天海僧正の具申をうけ、鷹狩りによく出かけていた目黒不動にちなみ、こちらは目白不動と命名したといわれている。、、、、不動明王像は、現在は金乗院の不動堂に祀られている。
 
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⑤根性院・・・・・・・・・・金乗院(こんじょういん)のそばに根性院(こんじょういん)あり。、、、、、またまた、ややっこしい話だ。、、、、、金乗院(高田2-12)から東に約100mの距離に根性院(高田1-34)がある。 しかも共に真言宗豊山派の寺院。 両寺とも、意地の張り合いで名を変えぬのか? それとも、根性を試す根競べか? まぎらわしいね!、、、、根性院は、春日局の猶子榮春法印が開山となり、寛永12年(1636)に徳川幕府西の丸祈願所として神田白壁町に建立した。 その後、数回移転し、明治36年(1903)に現在地へ移転した。
 
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⑥宿坂・・・・・・・・・・・・宿坂 (しゅくざか)は、目白不動の金乗院前から上る、高田1丁目と高田2丁目の間の坂で、旧鎌倉街道の一部でもある。 この坂も、急な勾配で北に向かって上り、目白通りの高田一丁目交差点に出る。 交差点の先は、雑司ヶ谷の鬼子母神表参道に続く。、、、、坂の名は、中世の頃「宿坂の関」と呼ばれる関所が設けられていたことにちなむそうだ。、、、、、この坂も年寄りには辛い、私も、息はハアハア、ゼイゼイ、足はフラフラ。 若い二人は手をつないでニコニコ、いいな~~。
 
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⑦けやき並木・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・目白通りから表参道を歩き、都電鬼子母神前停留場へ出る。、、、、只今、都電軌道下に地下の道路トンネルを工事中の為、仮の停留場。
 
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・・・・・・・・・・・・・・停留場の先に、けやき並木の参道が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・参道の途中に、複数の店が入っている木造の長屋が見える。 外部は改装し、シャレた造りだ!、、、、、、写真:右端奥に写っている木造アパートは、手塚治虫があの有名なトキワ荘(豊島区椎名町)を出た後の、昭和29年(1954)10月から移り住んだ並木ハウスである。 現在もアパートとして使われている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・参道の雰囲気をのこす並木。
 
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⑧鬼子母神堂・・・・・・・・・・けやき並木を抜けると鬼子母神堂の前に出る。 鬼子母神堂は、法明寺(南池袋3)の境外仏堂。 堂は、永禄4年(1561)に現:清土鬼子母神堂(現:文京区目白台)で発掘した鬼子母神像を、稲荷社のあった現在地に村民が天正6年(1576)に堂を建立した。 その後、寛文4年(1664)、松平安藝守光晟の寄進により本堂が建立された。、、、、、近年は、昭和51年(1976)から3年間をかけ、江戸時代の姿に戻す解体復元の大修理が行われた。、、、、、堂では、ススキで作ったみみずくも売られている。
 
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⑨池袋駅・・・・・・・・・・・いつも人の多い駅で、私にはどうもなじみにくい駅である。
 
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