茶ノ木稲荷神社
数日後に迫った妻の白内障手術、妻本人は目の手術ということで不安な日々を過ごしている。 夫の私は、10年程前に白内障の手術を受け、2年前には後発白内障の手術も受けた経験者。 その経験者が妻に『怖がることはない』と言っても、妻の不安は解消せず。 今日は不安を和らげるため、市ヶ谷の市谷亀岡八幡宮(摂社の茶ノ木稲荷神社)へ夫婦で参ってきた。
・・・・・・・・・・ JR中央線市ヶ谷駅ホームに立つと、濠の向こう、ビルとビルの間にチョッピリ「市谷亀岡八幡宮」の屋根が見える。(写真赤丸の中)

・・・・・・・・・・ ビルの間の参道に立つと、正面にチョイト長い石段が見える。 亀岡八幡宮はこの石段の上奥にある。 摂社の茶ノ木稲荷神社は石段の中程から左に入ると社殿がある。

・・・・・・・・・・ まずは、「市ヶ谷亀岡八幡宮」に参る。 市谷亀岡八幡宮は太田道灌が文明11年(1479)、江戸城築城の際に西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。 「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称した。 当時は市谷御門の中(現在の千代田区内)にあった。 しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地(元々ここに茶ノ木稲荷があった)に移転。 市谷亀岡八幡宮は三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、神社が再興された。江戸時代には市谷八幡宮と称した。境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は江戸市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。 明治に入ると、神仏分離令により別当寺であった東円寺が廃寺となり、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。 その後、第二次世界大戦による戦火により神木なども含め焼失。 昭和37年(1962)に現在の社殿が再建される。、、、、、市谷亀岡八幡宮の祭神は誉田別命(応神天皇)、気長足姫尊、与登比売神。、、、、、本殿での祈祷は、メニューが豊富で、家内安全・商売繁盛・厄除け・交通安全・初宮詣・必勝祈願・家運隆昌・社運隆昌・身体健全・心願成就・病気平癒・合格祈願・厄除け・無病息災・方位除け・工事安全・旅行安全など、何でも御座れ!

・・・・・・・・・・ 摂社の「茶ノ木稲荷神社」に参る。 こちらは、祭神は稲荷大神で、眼病平癒・技芸上達・商売繁盛に御利益を期待する。、、、、、市谷亀岡八幡宮の境内、石段左側に鎮座してる茶ノ木稲荷神社。 創建の詳しい年代は不明だが、今から約一千年余前(平安時代前期)に、弘法大師空海が創建したと伝えられている。 当社の鎮座地は、古来より稲荷山と呼ばれていたそうです。 昔この稲荷山には稲荷大神のお使いである白狐がいましたが、ある日誤って茶の木で目を突いてしまった。 それ以来崇敬者は茶を忌み、茶を絶って願掛けをする風習が生まれたそうだ。 特に眼病の人には、茶を絶って願うことでご利益があるとされ、眼病平癒に特別な信仰がある神社。、、、、、神社の脇には、眼病の回復を願う人の絵馬がたくさん掛けられてた。 我が妻と同様に、白内障の人が良くなってくれることを願っているのが、読み取れた。 自分同様に多くの人が訪れているんだと思うと、妻も一安心!
・・・・・・・・・・ 市谷亀岡八幡宮には、私が探し歩いてる「几号水準点」がある。 当神社の手水鉢台座に几号水準点があるので、チョイト見て行こう!、、、、、几号水準点のある場所は、度々来て知っているが、あらためて見ると何となく安心するものだ!

・・・・・・・・・・ もう一つ、ここ市谷亀岡八幡宮に残されているものを紹介する。 境内の裏参道に、「陸軍省所轄」と書かれた標柱が残されている。 社殿の北側には戦前、陸軍士官学校があり、その境界となっていた場所である。 地図を広げてみれば、神社の地は現在の防衛省本省と隣接しており、この地は“軍”に関係しているのか(?)
・・・・・・・・・・ 眼病平癒の願いをしたあとは、年寄り二人でブラブラ散歩。 防衛省をぐるり一周して帰る。















































































































































































































































