新宿区

2021年12月26日 (日)

都電でGO!

“寒波襲来!” 朝が寒く起きるのも辛いが、“おしっこ”で渋々起床。 トイレに行ったら目が覚める!、、、、今日の予定は、“医者は無し”、“正月の準備は終わり”、“寒いが晴れだ”、『よし、散歩してくる』

中央線大久保駅から、山手線の内側に入り、戸山、西早稲田を抜けて、都電早稲田停留場に出た。 都電を見たら乗りたくなって、早稲田から大塚まで乗車。 大塚駅から帰宅する。 1万1千歩




● 我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で乗り換えなしの24分で行ける「大久保駅」 しかし私には、乗降の機会が少なく馴染みの薄い駅である。、、、、明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業した。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は北口と南口の2か所。、、、、今日は、日曜日で通勤・通学客が少ないから、年末で学校が休みだから、それとも早朝でまだ寝てる時間だから、何しろ乗降客が少ない駅だ!

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・・・・・・・・・・・・【蛇足】全国には「大久保」と名乗る駅が7駅ある。 ①東京都新宿区にあるJR東日本、中央本線の当駅  ②兵庫県明石市にあるJR西日本、山陽本線の駅(明治21年の開業で一番古い大久保駅)  ⓷京都府宇治市にある近鉄、京都線の駅  ④秋田県潟上市にあるJR東日本、奥羽本線の駅 以上の4駅の駅名は「大久保」。  ⑤東京都新宿区にあるJR東日本、山手線の「新大久保」  ⑥千葉県習志野市にある京成本線の「京成大久保」(旧駅名は「大久駅」である)  ⑦千葉県市原市にある小湊鉄道線の「上総大久保




● 大久保駅から駅前の通りを東に歩き、皆中稲荷神社」、「新大久保駅」、「コーリアタウンと歩く。 コーリアタウンはクリスマスで賑わったのか(?)、ゴミが散乱し汚い! 途中からコーリアタウンをはずれ、裏道を北へ向かう。

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● 大久保駅から北東の位置に、「都立戸山公園(大久保地区)」があり、東隣には「早稲田大学西早稲田キャンパス(理工学部)」もある。 その戸山公園を抜けて行く。、、、、都立戸山公園は、江戸時代には尾張藩徳川家の下屋敷であった処。 明治維新後、跡地には明治6年(1873)に陸軍戸山学校が開かれ、太平洋戦争終結まで、陸軍軍医学校、陸軍の練兵場などに利用された。 戦後、軍事施設はすべて廃止された。 跡地に戸山ハイツの建設が開始され、昭和29年(1954)には敷地の一部を公園として整備し、「戸山公園」が開園した。

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● 戸山公園を抜け新宿区高田馬場1丁目に、真言宗豊山派寺院の「玄国寺」がある。 玄国寺は、龍池山上珠院と号し、慶長6年(1601)頃、当地に創建した。、、、、初詣の準備も進み、山門・本堂の前には提灯が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・山門を入ると右手が庫裡であるが、この建物は明治の元勲岩倉具視の旧邸の一部を大正15年(1926)に移築したもの。 洋風建築であるが、和風に改造されている。鬼瓦に笹りんどうの紋章がみられるのは岩倉邸で使用されたものの一部。

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・・・・・・・・・・・・玄国寺の西100m程の処に、同寺の墓地がある。 そこの地蔵堂に「田植地蔵尊」が祀られている。 田植え時期になると、この地蔵が旅僧の姿になって田植えを手伝ったところからこう呼ばれるようになったそうだ。

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● 玄国寺の東隣には、かつて玄国寺が別当であった「諏訪神社」がある。 諏訪神社は、平安時代初期小野篁により大国主命・事代主命を祀ったのがはじまりとされる。 源頼義、義家父子や頼朝等源氏武将の信仰厚く、江戸時代には徳川歴代将軍の崇敬を受ける。、、、、小野篁は百人一首の十一番目の和歌の作者、また小野小町の父として有名な、政治家であり、歌人です。、、、、かつては付近一帯が当神社にちなみ諏訪町(すわちょう)と呼ばれていたが、住居表示により地名は消滅した。 現在では「諏訪通り」や「諏訪町交差点」などに名を残している。

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● 諏訪神社から西へ、西早稲田2丁目の裏道に「地蔵坂通り」と言う、チョッピリ急な坂がある。 その坂を下り終えると「早稲田通り」に出た。、、、、坂の上り口角に「源兵衛地蔵尊」が祀られている。 説明文によると、江戸時代、源兵衛と言う人が居て源兵衛村が出来、源兵衛さん他の菩提供養の為に、享保11年(1726)に地蔵尊が建てられたそうだ。、、、、子宝・安産、病気治癒、商売繁盛、交通安全などのご利益があるらしい。

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● 早稲田通りを横断し、西早稲田3丁目に入ると回遊式庭園「新宿区立 甘泉園公園」がある。 「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。 池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなします。       この地は、江戸時代宝永年間(1704~1711)に徳川御三家の一つ尾張徳川家の拝領地となり、その後安永3年(1774)に初代清水家の江戸下屋敷が置かれていました。 明治以降は、子爵相馬邸の庭園として整備され、昭和には早稲田大学が付属甘泉園として譲り受けた。 昭和44年(1969)には区立公園となり現在に至る。、、、、区立の無料の庭園であるため、チョイト手入れ不足だ! もう少し、樹々の手入れをすれば有料化できるかも、もったいないね!!

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● 甘泉園を抜けると、都電「早稲田駅」の近くに出た!、、、、『風強く寒さ厳しく、身体は冷える。 都電の中は暖かそうだ、乗りたいね!』と思ったら、後は一直線! 大塚駅前まで都電でGO!!

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2021年12月21日 (火)

チョッピリ神田川

丸ノ内線中野富士見町駅の脇には神田川が、中野新橋、淀橋、北新宿、高田馬場と流れ下ってる。 今日の散歩は中野富士見町駅から、北新宿の末広橋(大久保通り)まで神田川沿いに歩き、最後はJR中央線大久保駅に出た。 1万4千歩




● 東京メトロ丸ノ内線「中野富士見町駅」で降りる。 1日平均乗降人員は20,202人(2019年度)と少ない。、、、、駅名には旧町名の「富士見町」が残っているが、昭和42年(1967)の住居表示により富士見町は「弥生5丁目」となった。 いずれ駅名も“中野弥生”とか“弥生5丁目”とかに変わるかも(?) なお、地名の「弥生」は、この辺りに弥生時代の遺跡がいくつか見られることに由来するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・駅の脇を流れる「神田川」と、架かる橋は「富士見橋」(昭和50年3月竣工)、、、、ここへ来るまでの電車の中で、今日の散歩は駅から神田川沿いに新宿方面に歩いてみようと決めていた。 この橋からスタートだ!

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富士見橋の下流には、「高砂橋」、「寿橋」など、目出度い橋が架かる。 「柳橋」もある、神田川に同名の橋がもう一つ最下流に架かってる。 台東区柳橋と中央区東日本橋を結ぶ橋。、、、、柳橋から下流の新宿の高層ビルを眺める

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● 川筋を歩き朱色に塗られた「中野新橋」を渡る。 朱塗りの欄干は、かつてこの辺りが花街であった風情を今に伝える。 橋の袂からは黒板塀の料亭が続く町並みも見えたそうだ、昭和50年代から花街は衰退し、現在はマンションが並ぶ普通の町並みとなってしまった。、、、、橋の近くには丸ノ内線「中野新橋駅」がある。

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● 神田川の右岸を下流に歩いて行くと、対岸に鳥居を嵌め込んだ台形のビルが見える。 「宝生山八津御嶽神社」である。 八津御嶽神社は、山梨県南巨摩郡南部町にある八津御嶽神社の分社として、平成24年(2012)に鎮座したといいます。、、、、チョイト見た目は新興宗教ポイね。 時刻は9時前、ドアも締まっており、内部は拝見せず、建物の外観を見てまた来ます!

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・・・・・・・・・・・・八津御嶽神社の北側に「東京工芸大学」(中野区本町2)がある。 本学は大正12年(1923)に創立した、100年程の歴史と伝統を有する大学。、、、、『日本の写真技術の振興に寄与する人材を世に送り出し、国家の発展に貢献するためには写真教育を行う専門の学校が必要である』という理想を提唱していた小西本店(現在のコニカミノルタホールディングス)創始者、六代 杉浦六右衞門が他界した後、その理想と遺志を後継した七代 杉浦六右衞門が豊多摩郡代々幡町幡ヶ谷(現東京都渋谷区幡ヶ谷)の地に、「小西写真専門学校」を創設したのが始まり。、、、、昭和25年(1950)新学制による「東京写真短期大学」を現在地に設立。 同52年(1977)「東京工芸大短期大学部」と改称。 平成6年(1994)短期大学部を4年制に移行し「東京工芸大学芸術学部」を開設した。、、、、知りませんでした、日本では数少ない、写真学科を設置した大学だ!

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山手通りが神田川を越える「長者橋に来た。、、、、長者橋の名の由来は、橋の北側にある成願寺に
「中野長者」と呼ばれた鈴木九郎の住居があったことによる。

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成願寺」は曹洞宗の寺。 成願寺は多宝山と号し、永享10年(1438)中野長者の鈴木九郎が出家して、西新宿の十二社(現、西新宿熊野神社)の敷地内に創建した。 江戸時代初期に長者屋敷跡(当地)へ移転し、成願寺と改称。 天正19年(1591)に徳川家康により武蔵太田庄成田に5石の寺領寄進を受け、四代将軍家綱以降5石の朱印状を受けた御朱印寺である。、、、、山手通りに面し、竜宮城のような明朝様式の門をくぐると、広い本堂前に出る。 何やら、多くの石仏、石碑が並び、堂も多く歴史がありそうだ!

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・・・・・・・・・・・・成願寺には鍋島家(蓮池鍋島家)の墓所もある。 中野区在来の寺院で大名家の墓所があるのはこの成願寺だけとのこと。

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● 長者橋から神田川の右岸を歩き、西新宿に入ると、銭湯「羽衣湯」があった。、、、、西新宿の再開発による超高層ビルの下、創業は戦後間もない1950年前後、平成11年(1999)に現在の建物を新築オープンしたそうだ。 建物は木造ではないが“ゆ”の看板を掲げてる銭湯だ!、、、、『神田川』に『銭湯』となると、南こうせつとかぐや姫の ♪♪ 貴方は もう忘れたかしら ・・・・・・ 二人で行った 横丁の風呂屋 一緒に出ようねって 言ったのに いつも私が 待たされた 洗い髪が 芯まで冷えて 小さな石鹸 カタカタ鳴った ・・・・・・ ♪♪、、、、歌詞を口ずさみ思う。 寒い北風吹く中、湯上りの身体も冷えて待つ彼女、外に出てきた私が抱いて、熱く燃やしてあげたいね!

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・・・・・・・・・・・・『神田川』の歌詞を頭の中で整理する『あれ、間違えたかな? 首に巻いたのは赤いマフラー? それとも、赤い手ぬぐい?』を、歩きながら気になるね。、、、、と言うことで、「神田川歌碑」を見て確かめよう! 下流の末広橋に碑があるはずだ!




● 西新宿の再開発、タワークレーンの下を歩いて「淀橋」へ。

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・・・・・・・・・・・・淀橋から先(北側)は北新宿。 こちらは、再開発はまだだ!

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・・・・・・・・・・・・「末広橋」西詰の小公園に「神田川歌碑」がある。 書かれてた『・・・・・赤い手ぬぐい マフラーにして・・・・・』と。、、、、神田川の散歩はココまで、大久保駅に向かう。

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● JR中央線の「大久保駅」から帰宅

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2021年10月23日 (土)

すっかり田舎者

私のカメラが修理から戻ってきた。 早速、今日はカメラを持って、JR四ツ谷駅から、赤坂・虎ノ門をとおり新橋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 久しぶりに「四ツ谷駅」の東側にある麹町口に出た。 この出口は、上智大学の斜め前にあるが、チョイト北側には名門女子校の「雙葉学園」(幼・小・中・高)がある。 東側には、こちらも女学生ばかりの「女子学院」(中・高)と、同じく女学生ばかりの「麹町学園」(中・高)がある。 今日土曜日の早朝、駅から吐き出されるのは女学生ばかり、駅前でマスクに帽子の助平そうなおやじが、カメラを持ってウロチョロすると完全に怪しまれる。 麹町警察署に引っ張られるのも嫌なので、足早に駅前から去る!

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● 上智大学隣にある「聖イグナチオ教会」に寄ってみた。 早朝の聖堂内に人影はない。、、、、聖イグナチオ教会(千代田区麹町6)は、イエズス会が運営するカトリック教会。 昭和24年(1949)に創立。 現聖堂は、旧聖堂の老朽化と狭隘化により改築が計画され、平成11年(1999)完成し、竣工式、献堂式が行なわれた。 建築設計は坂倉建築研究所、施工は清水建設・竹中工務店JVにより、RC造の地下1階 地上4階の建物である。 教会全体は中央の芝生の広場を囲むコの字型の配置で、祈りの空間としては、最大1000人規模のミサができる大聖堂、旧聖堂のステンドガラスを残した中聖堂、日本人が祈れる空間を和のデザインに求めた小聖堂などがある。 作品(建物)は、2001年度のBCS賞(建築業協会賞)を受賞した。 ドーム状の主聖堂内部はシンプルだが天井が大きな花弁を模したデザインで、暗さはなく明るく落ち着いた雰囲気の祈りの場である。

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● 四ツ谷駅からホテルニューオータニに向かって伸びる、外濠の土塁上の道を「ソフィア散歩みち」と呼ぶそうだ、おしゃれな名前で驚いた!  聖イグナチオ教会前から土塁上にあがると、桜や松の大樹が茂り、眼下には四ツ谷駅・迎賓館・上智大学のグランドなどが見える。 若い二人にはおススメの散歩道。

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● 外堀通りの
紀之国坂交差点から赤坂見附の方向に下る「紀之国坂(きのくにざか)」を歩く。 坂の東側は首都高と弁慶濠、西側は赤坂御用地。 長さ40m程の緩やかな坂で、坂の西側に江戸時代を通じて紀州徳川家の広大な屋敷があったことから名付けられた。 “赤坂”の起源とする説もある。、、、、この坂の下に、20数年前、私が痔の手術で入院した病院がある。 ベッドからは緑の奥にニューオータニ、プリンスの各ホテルが見える、最高の病室であった。 今度は、健康な時にのんびりと入院したいね(???)

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● 赤坂見附交差点から南に向かい、山王日枝神社本殿裏に至る稲荷参道を上る。 参道の階段を上ると山王日枝神社の末社「山王稲荷神社」に出る。 稲荷の大神は生成発展・商売繁盛の守り神として全国に祀られ、この地:永田馬場星が岡の地主神として松平主殿頭忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬冶2年(1659)本社山王権現が麹町より移遷されるに至り、境内末社となった。、、、、

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・・・・・・・・・・・・稲荷の前から、「山王日枝神社」拝殿前に出た。、、、、山王日枝神社の創建の年代は不詳。 文明10年(1478)太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。 徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。 慶長9年(1604)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。 社地は家康により5石、元和3年(1617)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった。 明暦3年(1657)の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659)将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座した。 その後、明治15年(1882)に官幣中社になった。 大正元年(1912)には官幣大社に昇格した。 昭和20年(1945)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958)に再建された。、、、、私の参拝中に、七五三参りが5組、お宮参りが2組、結婚式が1組、“おめでた”一杯の華やかな境内であった。 美しい女性を見るのも楽し!、、、、参拝済ませて神門前の男坂(階段)を下る。

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● 東京に生まれ、東京で育ち、大学で建築を学び、ゼネコンに就職し、勤務地は九段と赤坂と飯田橋、この経歴なら絶対的に東京の建築物をより多く知っているはずの私だが、今日歩いてみると“立派な田舎者”となっていた。 定年退職し20余年、東京都心はガラリと変わり、ビル名の判らないガラス張りのモダンな超高層建築ばかりとなった。、、、、そんな街を歩いて、溜池交差点に来ると角に、懐かしの「コマツビル」が残っている! 屋上にブルドーザーのオブジェが乗っていた(平成3年撤去)小松製作所の本社ビル、溜池交差点のシンボル的なビル。 今は周囲の建物に比べ、低い、色あせたビルとなったが、懐かしい!、、、、コマツビルの設計は中山克己建築設計事務所+増沢建築設計事務所、施工は鹿島建設+小松建設、地上10階/地下4階、竣工は昭和41年(1966)3月。

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・・・・・・・・・・・・コマツビルと似たような懐かしい印象がある「日本財団ビル」、、、、港区赤坂一丁目交差点角にあるこのビルは、昭和37年(1962)に吉村順三設計事務所の設計により日本NCRの本社ビルとして建設され、2000年に日本財団に譲渡された。 住宅を得意とした建築家:吉村順三が初めて手掛けたオフィスビルである。、、、、施工は竹中工務店、鉄骨鉄筋コンクリート構造/地下4階/地上8階。 昭和39年(1964)に第5回建築業協会賞(BCS賞)を受賞した建物。

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● 虎ノ門交差点の近くにある「虎ノ門金刀比羅宮」にもお立ち寄り。、、、、金刀比羅宮は、讃岐丸亀藩主の京極高和が自領・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に当地虎ノ門へ遷座した。、、、、社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家:伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。、、、、社殿は26階建ての超高層ビルの敷地内にあり、まさにビルに埋もれた都会の神社。

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● 森ビルと言えば、だれもが知る、日本を代表する都市デベロッパーであり不動産会社。 今は、各地で超高層ビルを中心とした都市開発を推進しているが、昭和40年~50年代頃は“第〇〇森ビル”とナンバーリングしたオフィスビルのオーナーとして名を馳せた。、、、、創業家である森家は昭和30年(1955)に森ビルの前身である森不動産を設立、翌年4月に「西新橋2森ビル」を竣工した。 昭和32年(1957)11月に「西新橋1森ビル」(2が先で、1が後)を完成させ、以後、貸ビル業者として竣工順にナンバリングした“第〇〇森ビル”を順次建設する。、、、、その森ビルの、第1番目に竣工した記念すべき西新橋2森ビルが西新橋1丁目の裏通りに現存している。 森ビルの“記念館”にでもなるか(?)

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● JR新橋駅近く、外堀通りに面して建つ、渋い外観の「堀ビル」(登録有形文化財)、、、、このビルは錠前屋のビルとして昭和7年(1932)に建てられた。 以来90年近く新橋のランドマークとして多くの人に親しまれてきた。 現在は竹中工務店が「レガシー活用事業」の一つとして、一括借り受けてレンタルオフィスとして活用しているそうだ。

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● 南北コンコースが一体化され、ホーム大屋根が設置されたJR「新橋駅」に到着、、、、JR新橋駅から乗車するのは久しぶり(普段は都営地下鉄で浅草橋まで乗り換えなし)、ここでも“田舎者”で、構内をキョロキョロしながら改札を通る。 

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2020年12月 1日 (火)

四谷の階段

『勝負の三週間』、『不要不急の外出自粛』、『3密回避』、『年寄りは寝てろ(誰が言った?)』と言われると、暇な年寄りの私は遠方の散歩に出にくいね。 今日は昼過ぎから、四谷の寺町を散策してきた。、、、、JR中央線の信濃町駅から、新宿区須賀町・若葉周辺の寺社を巡って四ツ谷駅まで、8千歩の散歩です。



● 空いてる電車に乗って、浅草橋駅から7駅目(所要15分)の信濃町駅で下車する。 北側の擁壁、南側の首都高に挟まれ、頭上は駅ビルに覆われたホームは昼間と言えども薄暗く、トンネルの中に降りるようだ。 ホーム頭上の駅ビル1階部分が改札口で、「外苑東通り」に出る。、、、、薄暗いホームの照明をミラーボールに変えたら、お客さんに喜ばれるかも?

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● 信濃町駅から「外苑東通り」を北へ歩き、左門町に入ると一本東側の裏道に日蓮宗の長照山陽運寺がある。 陽運寺は昭和初期に創建した。、、、、寺の向かい(左門町17)には、お岩さんの嫁ぎ先の田宮家があった。 そこで、陽運寺は昭和27年(1952)に「於岩稲荷立正殿」を建て、当時から現在に至り中央区新川にある「於岩稲荷」にあやかり、「於岩稲荷はこちらが本物」と盛んに信者を集めたそうだ。 今では、この寺が本家の様に見えるが、元々は、田宮家の向かいに寺があっただけのこと。、、、、商魂たくましく、境内にはカフェが作られ、軽食が食べられるようになっていた。 お守りなど、グッズも売っている。 

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● 陽運寺の前には、「四谷於岩稲荷田宮神社分社」がある。 この地にあった田宮神社は、江戸幕府の御家人田宮家の屋敷社であった。 稲荷は、貧乏所帯を切り盛りし、商家奉公で家を隆昌させ夫婦仲も良かった信心深い於岩(お岩さん)が信心してお参りしていたことから評判となり、寛永13年(1636)という於岩の死後、彼女の徳に肖ろうと善男善女がお参りするようになり、100年ほど後に於岩稲荷として田宮家の菩提寺妙行寺(若葉2)の境内に移して独立させた。 その後、妙行寺は明治42年(1909)に、現在の豊島区西巣鴨に移転し、於岩の墓もこちらにある。 於岩さんは貞女であった。、、、、江戸庶民に慕われ、信仰された実在の於岩さんを、貞女とは180度反対の幽霊にしたのは、江戸時代の文化文政期(1800年頃)の歌舞伎戯作者の鶴屋南北と歌舞伎役者の尾上菊五郎だ。 実在の人物の人気にあやかり、正反対の「東海道四谷怪談」を作り・演じたことで、「四谷怪談を上演すると必ず怪我人が出る。お岩の祟りだ」とのデマゴーグを喧伝し、他ならぬ商売上手な菊五郎による、芝居の宣伝のためだった。 南北と菊五郎はこれで相当儲かったはずである。、、、、明治5年頃、於岩稲荷を田宮稲荷と改称し、火災で移転(中央区新川の於岩稲荷田宮神社)した。 しかし、昭和27年(1952)、陽運寺の『於岩稲荷はこちら!』の掛け声を聞いて、田宮家が激怒し、再びこの地に分社を建立した。、、、、こちら、四谷於岩稲荷田宮神社分社には、東京都教育委員会の名による案内板がある。 都のお墨付きもある、幽霊ではなく貞女の於岩さんの本家本元である。

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● 陽運寺、四谷於岩稲荷田宮神社分社から東に100m程の処(新宿区須賀町5)に「須賀神社」がある。、、、、須賀神社は江戸百稲荷の一で、四谷18ヶ町の総鎮守。 祭神は建速須佐之男命と宇迦能御魂命。 元は稲荷だった。その稲荷社は、往古今の赤坂一ツ木村の鎮守で、清水谷にあったのを、寛永11年(1634)江戸城外堀普請のため、現在地を替地として遷座した。 須佐之男命の鎮座の儀は、寛永14年(1637)島原の乱の時に、日本橋大伝馬町の大名主馬込勘解由が、幕府の命に依り、兵站伝馬の用を勤め、その功績に依り、現在の四谷一円の地を拝領したのを機会に、同20年(1643)神田明神社内に祀ってあった日本橋伝馬町の守護神牛頭天王社(須佐之男命)を地元民の総発意で四谷に合祀し、「稲荷天王合社」となり、俗称「四谷天王社」と云い、明治維新まで親しまれて来た。 明治元年「須賀神社」に改称。、、、、須賀神社の名物は、拝殿内に掲げてる「三十六歌仙絵」である。 三十六歌仙絵は、三十六歌仙を一人一枚の絵に仕立てたもので、縦55cm、横37cmの絹地に彩色したもの。 当時画家として高名だった四谷大番町(現:大京町)の旗本大岡雲峰の絵と、和歌や書画で人気を博した公卿千種有功の書により天保7年(1836)に完成、奉納されたものだ。

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・・・・・・・・・・・・四谷の高台にある須賀神社には、男坂・女坂と呼ばれる階段の参道がある。 一般に男坂は傾斜が急で、一直線で上る。 それに対し、女坂は傾斜が緩やかで、途中で休みやすいように折れながら上る。 ここ須賀神社では、主参道となる男坂と、平行する女坂は、ともに長さ25m、高低差も同じで段数は60段程、傾斜は変わらない。 違いは、一直線に上るのが男坂、途中でクランク状に曲がるのが女坂。、、、、両階段を上ってみたが、見た目、途中で休めそうな女坂の方が、私にはラクダ! 

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・・・・・・・・・・・・女坂の上り口の脇に、日蓮宗寺院の稲荷山妙行寺がある。 妙行寺の創建年代は不詳。 寛永11年(1634)に当地へ移転してきた。、、、、於岩稲荷が移転した同名の妙行寺とは異なる。

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● 須賀神社の南東100m程に、道幅の狭い戒行寺坂(かいぎょうじざか、新宿区須賀町)がある。 この坂は東に向かって、真っ直ぐ下る、長さ120mの急な坂。 坂上の戒行寺門前に標識があり、『戒行寺の南脇を東に下る坂である。 坂名はこの戒行寺にちなんでいる。 別名、「油揚坂」ともいわれ、それは昔坂の途中に豆腐屋があって、質のよい油揚をつくっていたからこう呼ばれたという』と、記されている。 現在は豆腐屋はない!、、、、この坂道沿いに、10か寺前後の寺院があるが、多くは麹町付近にあった寺院が、江戸城外堀建造に伴い寛永11年(1634)に当地へ移転してきたそうだ。 強制立ち退きによる、集団移転!


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・・・・・・・・・・・・坂の名となった「戒行寺」は、日蓮宗寺院で、妙典山と号します。 文禄4年(1595)麹町に戒行庵として創建、後に宮重作兵衛重次が開基となり戒行寺となりました。 江戸期には身延山末頭5ヶ寺の一つとして繁栄、塔頭数ヶ院を擁していた。、、、、境内には、池波正太郎の原作と中村吉右衛門のテレビ時代劇で日本国民に知られている「鬼平犯科帳」の主人公:火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の供養塔がある。(墓は明治末期に寺の墓地が杉並区に移転した際に整理合葬された)

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・・・・・・・・・・・・戒行寺坂上の曹洞宗の寺院、蟠龍山永心寺。 慶長9年、麹町清水谷に起立したが、此の辺の寺々と同じく、元地が収用されたので寛永11年に現在地に移転した。 中興は松平越後守の奥女中で、法名は長寿院安窓永心大姉、延宝7年(1679)に歿した。 この辺りの寺院としては、享保11年(1726)に建てられた方丈型の本堂は、風格がある貴重な建築物である。 山門は、江戸時代に建てられた薬医門。

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● 戒行寺坂を下ると、北側に観音坂がある。 今度は上りだ!、、、、観音坂は約85mの直線の急坂。 坂名は、坂下の真成院の潮踏観音にちなむ。
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● 観音坂を上り右に折れると、文禄2年(1593)麹町清水谷に、服部半蔵正成により開山された専称山西念寺がある。、、、、チョイト長い話だが、、、、徳川家康の重臣で、槍の名人:服部半蔵は、忍びの達人としてチャンバラ好きは知ってるはず。 家康には正妻:築山御前との間に武勇に勝れる長子信康がいた。 信康は織田信長に目を付けられ、信長の愛娘を妻とした。 しかし、信長は嘘か真実か信康の乱心を理由に、義父でありながら信康の切腹を家康に要求した。 家康は断腸の思いで天下人信長の非情な命令に従い、最愛の子:信康に切腹を命じた。 その介錯を任ぜられたのが服部半蔵である。 ところが、いかに主君家康の命とはいえ、ついにその手を下すことができなかった半蔵は、このことから世の無常を感じ、また信康の冥福を祈るため仏門に入った。 天正18年(1590)家康は江戸に入り江戸城を築き、幕府を置くことになった。 半蔵も主君に随伴したが、信康の霊を弔うため剃髪し、名を西念と号し麹町清水谷に庵居を設け、遠州以来捧持していた信康の遺髪をそこに埋めて専称念仏の日々を送った。 文禄2年(1593)半蔵は家康より、信康の霊および徳川家忠魂の冥福を祈念するため、一宇建立の内命を受け、金500両を賜ったと記録されてる。 しかし、寺院建立を果たさず、文禄4年(1595)11月14日、55歳で逝去した。 法名は「専称院殿易安誉西念大禅定門」。 その後、一宇の建立がなり、山号と寺号はこの法名から、「専称山安養院西念寺」とした。 寛永11年(1634)幕府の政策により、江戸城外堀の新設工事のため他の寺院と共に、現在地に移転した。 本堂は、昭和20年(1945)戦火で焼失したが、昭和36年(1961)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・服部半蔵の墓と、半蔵が家康から拝領した槍(本堂の床の間に保存)

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・・・・・・・・・・・・岡崎三郎信康(徳川信康)供養塔

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● 四ツ谷駅に出て帰る!、、、、四ツ谷駅は明治27年(1894)10月9日、甲武鉄道の停車場として開業。 ホームは周囲の道路、駅舎よりも低い位置の外堀の中にあるので、ホームの上に新四谷見附橋(平成3年架け替え)が架かり「新宿通り」を通している。、、、、大正2年(1913)に架けられた以前の新四谷見附橋は、多摩ニュータウンに復元保存されている。

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2020年10月20日 (火)

六地蔵の二番目

今日は供に妻を連れ、江戸六地蔵の二番、新宿太宗寺に行ってきた。 帰りは、その足で妻に社会見学をさせながら、東中野駅まで歩いてきた。




● かつては信濃高遠藩内藤家の下屋敷があった処で、今は新宿御苑として、総理大臣も「桜を見る会」を開くほどの桜の名所。 「新宿御苑前駅」は、駅名の通り東京メトロ丸ノ内線の最寄り駅である。、、、、昭和34年(1959)3月15日に開業した、相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、各ホームとも、先頭車両方向の端に1ヶ所ずつ、計2ヶ所の改札しかないため、地上に出るのに不便な駅である。、、、、【妻へ一言】真っ赤っかの電車は、東京オリンピックに向け去年から投入された新型車両の2000系。

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・・・・・・・・・・・・太宗寺の六地蔵は、三番目として正徳2年(1712)に造立された。 像高は六地蔵の中では最も小さく2.67mである。 本体には、かつて鍍金が施されていた。 この地蔵は物静かで、瞑想している顔つきだ!、、、、【妻へ一言】台座に彫られている多くの名前は、この像を作るために寄進した人である。 料亭、芸妓と思われる名も多い。 できれば、我の名も彫って欲しいね!

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・・・・・・・・・・・・『せっかく来たのだから、閻魔大王と奪衣婆に御挨拶して行け!』と妻へ。 妻『奪衣婆って?』 私『奪衣婆は、三途の川のほとりに立っていて、亡者の衣類をはぎ取るスケベ・ババア。 はぎ取った衣類は、コンビのジジイである懸衣翁が、その衣を木の枝に掛け、その枝の高低によって罪の軽重を定めるという。 地獄の主だ! よく挨拶しておいた方が良いよ!』

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新宿2丁目、私が幼かった頃までは、赤線・青線地帯。 中学生頃には、店の前で男を呼び込むおばさんが大勢いた処。 今は雑居ビルが並び、ゲイ・タウンとして知られている。、、、、【妻へ一言】ゲイも芸の内かも?

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花園神社(新宿5)は酉の市(11月1日・13日・25日)の準備中。 今年はコロナの影響で、熊手店は出店するが、露店の出店は一切ないそうだ。 チョイト寂しい酉の市になりそう。、、、、【妻へ一言】花園万頭・ぬれ甘なつとの老舗「花園万頭」(神社の近く)は、倒産から復活したね。 また、ぬれ甘なっとうを食べることができる、頑張って欲しい!

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● 花園神社の裏、まだ明るいので「新宿ゴールデン街」(歌舞伎町1)の外面だけを見学。、、、、【妻へ一言】夜来ないと、内部の見学は出来ないよ!

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● ゴールデン街を抜けると、そこはラブホテル街(歌舞伎町2)であった。、、、、【妻から一言】あなた、こうゆう処、好きでしょう!(ハイ、大好きです!)

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● 歌舞伎町2丁目の北、職安通りと区役所通りの交差点に「稲荷鬼王(いなりきおう)神社」がある。 今日は「ゑびす講」、境内では“べったら漬け”が売られていた。、、、、【妻へ一言】 まだ歩くから、重たくて荷物になるし、臭いが漏れると困るし、買うなよ!(家に買ってあるから、今日は買わない!)


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● 続いて、職安通りの北側、通称コーリア・タウンをブラブラ。 我が夫婦は共にキムチが嫌いなので、韓国料理は暗黙で素通り。、、、、【妻から一言】キムチは嫌いでも、韓国の女性グループは好きでしょ!(好きだ、でも今は、北朝鮮のモランボン楽団にハマってる。 皆、美人でスタイルもバツグン!)

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● 新大久保駅の近く、百発百中のギャンブルの神様「皆中稲荷神社」(百人町)に立ち寄る。、、、、【妻の一言】お賽銭の小銭がなくなった、どうしようか? 今度、宝くじ当たったら、持ってくるから、借りておこう!

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● 引き続き大久保駅を通りすぎ駅近くにある、道教の廟「媽祖廟(まそびょう)」(百人町)に寄ってみた。 ド派手な中華料理レストランと間違えるようなデコレーション。 媽祖とは、台湾及び香港・マカオ・福建省など中国沿海部を中心に信仰を集める女神。 媽祖の像・画を見ると、年末の紅白に出て来る“メガ幸子”を思い出す。、、、、【妻の一言】マーラー坦々麺みたいな建物?


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● 新宿区柏木を過ぎ神田川をこえると、そこは中野区、東中野駅はもうスグだ!、、、、妻の歩く速度が速くなった、そこで妻へ一言『おしっこ、したいの?』 妻の返事は『お腹空いたの! 早くどこかレストラン探そう!』

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● 東中野駅近くにレストラン発見。 急いで入店、“海老とホタテの・・・ナンジャラ・カンジャラ”のランチセットで腹を満たす。 その後、二人は機嫌よく東中野駅から帰宅。、、、、【妻へ一言】今日の校外学習はいかがであった?(美味しかった!)・・・・・?

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2020年9月 9日 (水)

目白文化村

都営大江戸線の落合南長崎駅にて下車し、新宿区中落合3丁目、4丁目、新宿区中井2丁目あたりをブラブラ。 大江戸線中井駅までの散歩です。


落合南長崎駅は、平成9年(1997)12月19日、都営12号線(現:大江戸線)新宿~練馬間延伸開業時に開業した駅。 地下17mに位置する島式ホーム1面2線の地下駅である。 ホームは島式1面2線の構造で地下3階(地下17m)にある。、、、、落合南長崎駅は、新宿区と豊島区の境界線付近に位置しており、新宿区側の地名が西落合、豊島区側の地名が南長崎であることから名付けられた。 2つの町の面子を立て、町名を併記した長ったらしい駅名である。、、、、朝8時、地下駅から地上に出ると、♪♪ ああ 長崎は今日も晴れだった ♪♪ ガンガン照りで気温29.5℃ 既に暑い!

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● 落合南長崎駅前は「目白通り」と「新目白通り」の交差点。 私は、目白通りを東(目白駅方向)へ歩く。 目白通り沿いの南側は中落合3丁目の町。

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・・・・・・・・・・・・中落合3-16にて、ごま油の小野田製油所前に出た!、、、、小野田製油では、江戸時代からの伝統的な製造法、御影の玉石による「玉締め法」と呼ばれる技法で、ごま油を作っているそうだ。 市販の「ごま油」とは異なり、添加物や別種の食油を加えて“油増し”せず、純粋な一番しぼりを手漉きの和紙で靜置濾過するという、非常に手間ヒマのかかる製法を守りつづけているそうだ。 ごま油の老舗!、、、、店は昭和7年(1932)の建築で、工場は左手(東側)に隣接している。

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・・・・・・・・・・・・目白通り、新目白通り、山手通りの三つの通りに囲まれた処が中落合3丁目、その三角形のド真ん中に「中落合厳島神社」がある。 住宅地の中にひっそりと佇む小社。 弁天様が静かに祀られている。 由緒不明!

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・・・・・・・・・・・・厳島神社の通りを西へ80m程いくと、川合玉堂門下の日本画家・渡辺玉花(1901~1996)が、大正14年(1925)から平成8年(1996)7月に亡くなるまで暮らし、創作した住居兼アトリエがある。 玉花の代表作は『源氏物語五十四帖』、、、、この辺りはかつて箱根土地(後の西武グループ)が、1920年代にロサンゼルスのビバリーヒルズの街並みをモデルとして開発・分譲した目白文化村と呼ばれていた処であるが、現存する当時(大正時代)の建物は少なくなった。 この家は目白文化村の分譲の際に土地を購入し建設されたものと思われ、当初平屋建てだったが、昭和10年頃2階を増築しアトリエとして使っていた。

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・・・・・・・・・・・・目白文化村と呼ばれた頃は、西洋風の家が建ち並び、電気、ガス、水道、下水設備が最初から埋設され、クラブハウス、テニスコートまで備えた、東急の田園調布と競うセレブな町だった。 ところがその街並みも、戦時中の空襲で多くが焼失し、文化村の面影は一変した。 また戦後、環状6号(山手通り)と放射7号線(新目白通り)という大規模な道路整備により、住宅地は分断され、当時をしのぶ建物はほとんど残っていない。、、、、中落合3-22に残るこの洋館風の住宅(Y邸)も朽ちてしまった。

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● 中落合3丁目から、新目白通りを横断し、中落合4丁目に入る。

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・・・・・・・・・・・・数年前に閉院した上田医院(中落合4)。 戦後の建物と思われるが、昭和の香りが漂う。 古そうで丈夫そうな外部の塀、コーナのアールがいいね。 木製の窓・玄関もナイス! 窓周囲のモザイクタイルも嬉しいね!

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・・・・・・・・・・・・中落合4丁目、目白文化村の一画であった地に、戦後の首相:石橋湛山の邸宅が残っている。 大きな洋館風の邸宅には、どなたかが住んでいると思われ、覗くのは止めた!

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・・・・・・・・・・・・石橋邸から西へ200m程(中落合4)に、江戸時代の遊行僧円空(1632~1695)の作である、不動明王(像高128cm)・矜羯羅童子(64cm)・制咤迦童子(67cm)の三体が祀られている、中井出世不動尊がある。、、、、粗末な堂の中に円空作の像があると思うと覗きたくなるが、中は見えない、残念! 不動明王像の公開は、毎月28日の午後御開帳の時、拝見できるらしい。

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・・・・・・・・・・・・中落合4丁目から南側に隣接する中井の町に向かい下る坂が、「一の坂」から「八の坂」まで順に並んでいる。 四の坂通りは階段坂で、「林芙美子記念館」前をくだる。

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● 中井から山手通りを横断し、中落合1丁目に入る。

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・・・・・・・・・・・・・・中落合1丁目の裏道に、大正から昭和にかけ活躍した建築家:阿部美樹志の設計により、大正14年(1925)に建てられた住宅(N邸)がある。 美しい洋館風建物。

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● 大江戸線中井駅は平成9年(1997)12月19日に開業した。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 山手通りおよびその地下を通る首都高速中央環状線山手トンネルの直下の約35mの深さにあり、ホームへは長~いエスカレーターで降りることになる。 エスカレーターで見下ろすと、チョイト恐いね。

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2020年3月11日 (水)

綿のおばば

新型コロナの撲滅を願い、咳止めに効くと言われている新宿の「綿のおばば」に会ってきた。 JR信濃町駅から、四谷大木戸交差点に出て、新宿2丁目の太宗寺、正受院に参り、靖国通りを東に都営新宿線の曙橋駅まで、1万1千歩の散歩です。




●学会の聖地! ・・・・・・・信濃町駅は、明治27年(1894)10月9日に、甲武鉄道の新宿駅~牛込駅間開通と同時に開業した古い駅。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームの上に駅ビルの「JR信濃町ビル」があり、駅ビルの1階部分が改札口である。 平成5年(1993)に完成した駅ビルは、岡田新一の設計によるモダンな造りである。、、、、駅周辺は創価学会の聖地で、本部機能・聖教新聞・民音・公明党本部などがある。

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●稲荷もある慶應大! ・・・・・・・・・信濃町駅前に、慶應義塾大学医学部附属病院がある。 慶応義塾は、明治6年(1873)に医学教育に着手したが、同13年に中止した。 そして、明治23年(1890)には大学部を設立し、理財・法律・文学・政治の教育を開始した。 医学については、巨額の費用としかるべき指導者が必要で、設立の機会が来るまで見送りとした。 大正初期、指導者として世界的な細菌学者:北里柴三郎を立て医学科の設置が決まった。 当時、陸軍省は西信濃町の輜重兵第一大隊の敷地を払い下げて2個師団増設の費用を捻出したいと考えていた。 このことを知った慶応義塾は、土地の払い下げを受けることになり、ここに約13,000坪の土地を確保した。 大正6年(1917)、北里柴三郎を学部長に迎え、慶應義塾医学科が発足した。、、、、敷地内の附属病院は、石原裕次郎、夏目雅子、岡本太郎、遠藤周作、沢尻エリカなどが利用している。

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・・・・・・・・・・・・附属病院の西側に、昭和12年(1937)竣工の風格のある「慶應義塾大学北里記念医学図書館」がある。 医学部の設立に尽力した北里柴三郎の功績を称えた記念館としての図書館。 貴重で膨大な医学専門書が揃えられてるそうだ。 慶應の関係者なら学部を問わず利用できるらしい。 入院患者は利用できるのか? マンガは置いていないと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・図書館の隣りには、信濃町キャンパスでは一番古い建物である「慶応義塾大学 予防医学教室」がある。 鉄筋コンクリート造4階建ての建物で、設計は曾禰中條建築事務所、施工は清水組(現:清水建設)によって昭和4年(1929)に竣工した。 この建物の総工費の大部分は、ロックフェラー財団の寄付により支出された。、、、、この建物には伝統ある寄生虫学教室が入って、4名の教授を中心に、マラリア・熱帯病・住血吸虫症・アニサキス症・肺炎球菌感染症とワクチンなどの研究が行われているらしい。 研究メニューに新型コロナも入るかな?

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・・・・・・・・・・・・大学の東校舎の北側には「慶應稲荷大明神」がある。、、、、この地に陸軍がいた以前から神社はあったそうだ。 つまり、この地が武家屋敷であった頃からの稲荷で、現在の社は昭和38年の建立である。、、、、受験シーズンには慶應に限らず他大学も含め、医・歯・薬学部系の受験生が合格祈願に来るそうだ。 御朱印・お守りは無いらしい、どうしても欲しい人は診察券を貰ったら!

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●三菱鉛筆発祥の地! ・・・・・・・慶應病院の西側にある外苑西通りを横断し、新宿御苑東際の新宿区内藤町に多武峰内藤神社(とうのみねないとうじんじや)がある。 多武峯内藤神社は、高遠藩初代:内藤清成が当地に土地を拝領、慶長7年(1602)屋敷内の地(新宿御苑)に家祖である藤原鎌足公を祀り草創、多武峯神社として祀った。新宿御苑が官有地となり、明治16年(1883)当地へ遷座し、昭和42年(1967)に多武峯内藤神社と改名した。、、、、神社に隣接して、元
眞崎鉛筆製造所という現在の三菱鉛筆の工場があった、創業の地として「鉛筆の碑」(2015年撮影)が建てられている。

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昔、花園 今、歌舞伎! ・・・・・・・「四谷四丁目交差点」(新宿大木戸)から新宿1丁目の町に入る。 新宿1丁目の中央にある花園公園の南側に接する道路から北側はかつての“花園町”。 ここは元の赤線地帯で、現在もその手の店がチラチラ・ホラホラあるそうだ、しかし素人さんは新宿2丁目の歌舞伎町の方に足が向いているらしい。 『昔、花園 今、歌舞伎』でも、“昔”は遠くない昔で、戦後のことである。 昭和40年頃までは、店の前で客引きをするおばさんがいたのを、私も見て知っている。、、、、新宿区立公園、小学校、幼稚園に、花園公園・花園小学校・花園幼稚園などと、その名が留められている。 “花園”の名は新宿5丁目の花園神社に由来する。

・・・・・・・・・・・・早朝の“花園町”を歩いても、面白くもおかしくもない。

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・・・・・・・・・・・・花園公園にある「三遊亭圓朝旧居跡 」には、かつて次のように説明されていた。 『この辺りは、明治落語界を代表する落語家三遊亭円朝が、明治21年から28年まで住んでいたところである。円朝は本名を出淵次郎吉といい、江戸湯島の生まれ、7歳の時、小円太の名で初高座を踏み、9歳で2代目円生の門下に入門した。話術に長じ、人物の性格・環境を巧みに表現し、近代落語を大成した。また創作にもすぐれ、自作自演に非凡な芸を発揮し、人情話を完成させた。代表作に「塩原太助」「怪談牡丹灯籠」「名人長二」などがある。屋敷地は約1000㎡で、周囲を四ツ目垣で囲み、孟宗竹の藪、広い畑、桧・杉・柿の植え込み、回遊式庭園などがあり母屋と廊下でつづいた離れは円通堂と呼ばれ、円朝の居宅になっていた。新宿在住時の円朝は、明治24年以降寄席から身を引き、専ら襌や茶道に心を寄せていたという。 平成3年11月  東京都新宿区教育委員会』、、、、写真は花園公園(公園の後ろには花園小学校)、圓朝旧居跡の碑  

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・・・・・・・・・・・・まだ赤線時代の雰囲気が残る、昭和39年(1964)に都営住宅「花園町アパート」(2棟48戸)が、“花園町”の一画に建てられた。、、、、男性には何かと便利が良い処にあり、きっと、入居希望者が殺到して抽選倍率は高かったと思うね。

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●近くに来たのでご挨拶を! ・・・・・・新宿1丁目の隣り2丁目に、私が度々訪れる浄土宗の寺院の太宗寺がある。 太宗寺の創建は慶長元年(1596)頃までさかのぼると伝えられている。 徳川家の家臣:内藤正勝が開基となり、内藤大和守重頼より寺地の寄進を受けて大寺となったと言われている。 江戸六地蔵の一つ、江戸三閻魔の一つが安置されている。、、、、今日も、チョイトお立ち寄り!

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・・・・・・・・・・・・境内の入口近くで迎えてくれる六地蔵。 銅造で像高は2m67cm、正徳2年(1712)に「江戸六地蔵」のひとつとして甲州街道沿いに造立されたもの。 製作者は神田鍋町の鋳物師太田駿河守正儀。

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・・・・・・・・・・・・六地蔵の脇の「閻王殿」では、閻魔大王と奪衣婆に、お立ち寄りのご挨拶を!

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・・・・・・・・・・・・・境内の奥、“疣取り地蔵 ”として名が知れた「塩かけ地蔵」にもご挨拶!

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●綿のおばばとご対面! ・・・・・・・太宗寺の北側、靖国通りに面して浄土宗の寺院、明了山正受院願光寺がある 。 文禄3年(1594)に当地に創建された。

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・・・・・・・・・・・・・・正受院名物奪衣婆像は、咳止めに効くそうで多くの崇敬を集めた、今日は私も“コロナ止め”に期待して、遠路わざわざ浅草橋からやって来た。、、、、像で、現在は奪衣婆専用の「奪衣婆尊堂」に安置されている。 高さ75cmで、顔は笑みを帯びて優しい。 片膝を立て、右手に衣を握った奪衣婆得意のポーズで、頭から肩にかけて頭巾状に綿を被っているため「綿のおばば」とも呼ばれる。 この奪衣婆像は咳止めに霊験があるとして、幕末の嘉永2年(1849)頃大変はやり、江戸中から参詣人をあつめ、錦絵の題材にもなっている。 当時、綿は咳止めのお礼参りに奉納したと伝えられる。 また、この像は小野篁の作であるとの伝承があり、田安家所蔵のものを同家と縁のある正受院に奉納したとも伝えられる。 像底のはめ込み板には「元禄十四辛己年奉為当山第七世念蓮社順誉選廓代再興者也七月十日」と墨書されており、元禄年間から正受院に安置されていたことが判る。、、、、ぜひ、咳止めだけでなく、新型コロナウィルスを撲滅して欲しい! 期待する!

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●広い、ゆとりある駅! ・・・・・・帰りはコロナを避けて、人混みを避け、靖国通りを東に歩き曙橋駅から帰宅する。、、、、曙橋駅は都営地下鉄新宿線の駅で、昭和55年(1980)3月16日に開業した。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 広いホーム、広いコンコースだが、平成9年(1997)にフジテレビが台場に移転したためか乗降客も少なくなったようだ!

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2019年10月 2日 (水)

赤い地下鉄の茗荷谷

今日は飯田橋の循環器内科クリニックの帰り、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅まで歩いてきた。 9千歩




●揺れる歩道橋は嫌いだ! ・・・・・・私が通う循環器内科は飯田橋交差点近くのビルの中。 今日は2ヶ月に1回の定期検診日である。 血液検査の結果は異状なし。(そりゃそうだ、医者に診てもらっているのだからね)、、、、駅前の飯田橋交差点から散歩をスタート。 飯田橋交差点は外堀通りと目白通りが交差し、大久保通りの起点でもある、主要道による五叉路である。 地下には神田川が流れ、その下には地下鉄の東西線、南北線、有楽町線、大江戸線が走り、神田川の頭上には首都高5号池袋線がとおる、さらに、飯田橋交差点の外堀通りはオリンピックのマラソンコースでもある、まさに交通の要所である。、、、、交差点には車の振動で揺れる(私が好きになれない)大きな歩道橋が掛かっている。


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●長兵衛の死体が流された橋! ・・・・・・隆慶橋(りゅうけいばし)は、神田川に架かる橋で飯田橋交差点から目黒通りを上流側250m程行ったところ(文京区後楽2~新宿区新小川町)、頭上には首都高が走り、桁下の薄暗いところにある。 昭和10年(1935)前後に架けられた現存する鋼製ポニートラス橋である。、、、、ここには、江戸時代に木橋が架けられていたそうだ。 浅草花川戸の町奴:幡随院長兵衛が旗本:水野十郎左衛門と対立し、湯殿でだまし討ちにあい、その死体が流された場所は、この隆慶橋だったらしい。 橋の名は、江戸初期に祐筆大橋隆慶の屋敷地があったこで命名されたらしい。 、、、現在は上流側に新隆慶橋が架けられ、ほぼ歩行者専用橋となっている。、、、、20年程前、私の勤めるオフィスがこの橋の近くにあり、昼食時には、橋の文京区側に並ぶ、蕎麦屋、寿司屋、定食屋を日替わりで食べ歩いていた、思いである懐かしい処である。

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●丸ノ内線の上だ! ・・・・・・・文京区後楽の裏道を歩き、安藤坂交差点に出た。 これより、丸ノ内線西側の小日向台地(文京区小日向)の裾を抜けていた神田上水の跡でもある「水道通り」(=巻石通り)を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・文京区春日2、金富小学校のグランド脇を上って行くと、コンクリート塀にぶつかる。 長い塀に沿って歩くと、塀の向こう側からゴウーという音が聞こえ、姿は見えねど電車の通過音と気づく。 塀の向こうは丸ノ内線だ! 塀沿いに斜路を上って行く。

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・・・・・・・・・・・・・・丸ノ内線の跨線橋に出た。 ここは、車が通れないため、安心して電車を眺められる。、、、、今年2月から営業運転を開始した真赤な塗装の2000系車両、一世代前の02系車両が切通しを疾走する。

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・・・・・・・・・・・・・・跨線橋の先には、これまた、私好みの細い狭い階段坂となる。 階段を上り、裏道を歩き、再び数段の階段を上ると、春日通りに出る。 正面には、名門の学芸大附属竹早小・中学校がある。(ちょうど下校時間だったようだ) 隣には、も一つ名門の都立竹早高等学校が並ぶ。 

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●丸ノ内線の下だ! ・・・・・・春日通りを250m程歩き茗台中の角を入ると、車は行き止まり。 人と犬・猫は階段坂を下ることができる。

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・・・・・・・・・・・・・・この階段坂は庚申坂と呼ばれている。 長さ約45mの急な階段坂を下ると地下鉄丸ノ内線のガードにぶつかる。 ガードの上は丸ノ内線の車両基地。 坂からは、車両基地に留まる丸ノ内線を眺めることもできる、印象的なロケーション。、、、、下りは楽だが、上りはきつそうだ!
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・・・・・・・・・・・・・・チョイト長いガードを通り抜ける。、、、、70過ぎた爺さんは痴漢に襲われる心配無用! 襲う方かも? 

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・・・・・・・・・・・・・・ガードを過ぎると、今度は上り坂。 坂上の切支丹屋敷跡へ向かう。、、、、文京区ではこの坂を切支丹坂としている。 しかし、庚申坂を含め、ここでいう切支丹坂まで、一気通貫で切支丹坂という説もある。 

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・・・・・・・・・・・・・・坂上には切支丹屋敷跡がある。 切支丹屋敷とは、江戸時代、小石川小日向(こひなた)(現:文京区小日向)に設けられ、山屋敷とも呼ばれたキリシタンらを収容した所。 宗門改役を兼ねた大目付井上筑後守政重の下屋敷に、寛永20年(1643)日本へ潜入したイタリア人伴天連キアラらを収容、改宗を促した。 正保3年(1646)には籠舎(ろうしゃ)・倉庫なども整備した。 宝永5年(1708)に潜入した伴天連シドッチは翌年ここに収容され、新井白石などの尋問を受けたが、牢死した。、、、、イタリア語と日本語、しかも、内容は宗教の教義、当時まともに通訳できたのであろうか、はなはだ疑問なり?

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●茗荷谷の二寺 ・・・・・・・・・茗荷谷駅に至近(小日向4)の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗の深光寺。 急坂の参道を登ると右に鐘楼、正面に鉄筋コンクリート造りの本堂がある。 左側には古い歴史の在りそうな墓が並ぶ。 その正面中央に滝沢馬琴の墓がある。、、、、深光寺は、寛永16年(1639)の創建。 昭和2年には茗荷谷町良念寺を合併した。、、、、滝沢馬琴(1767~1818)は、江戸時代後期の著名な戯作者。 「南総里見八犬伝」など、多数の作品を残した。

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、曹洞宗寺院の林泉寺。 林泉寺は青龍山と号し、通山宗徹和尚(元和7年寂)が開山、伊藤半兵衛(1660年頃)が開基となり創建したと云われている。 本堂は昨年新築したモダンな鉄筋コンクリート造でピッカピカ。、、、、人々が願いをかけるとき地蔵尊を縄でしばり、願いが叶うと縄をほどく「しばられ地蔵」が境内に祀られている。 「縄でグルグルに、身動きできず、地蔵はギブアップ」てなことがないのかな?

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●学生がゾロゾロ! ・・・・・・さすが文京区の茗荷谷駅。 茗荷谷駅を最寄り駅とする、拓殖大学、御茶ノ水女子大学と付属の女子高・中・小・幼、筑波大学の学校教育部と付属高・中、跡見学園の短大・高・中、都立竹早高、貞静学園、第一中、茗台中、窪町小、学芸大付属高など、頭脳明晰な学生と、チョイト色気づいた女子大生、かわいい小学生などなど、学生がひしめいている駅。、、、、駅は昭和29年(1954)1月20日、丸ノ内線池袋~御茶ノ水間開業と同時に設けられた。 ホームは相対式2面2線構造で、半地下式の地下1階にある。

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2019年7月29日 (月)

泣きたくなって笑った神社

今日梅雨明け宣言がでた、これからは散歩も熱中症との戦いだ! 今日の都心の気温は34℃の予報で、朝から暑い一日が始まっている。

今日の散歩は大久保駅・新大久保駅周辺の、小さいながらも有名で、チョイト変わった社寺を巡ってきた。 都営大江戸線東新宿駅で下車し、大久保のコリアタウン周辺をうろつき、JR高田馬場駅まで、1万3千歩の散歩です。




●新宿のベッドタウン! ・・・・・・東新宿駅は都営大江戸線と東京メトロ副都心線の地下駅。 平成12年(2000)12月12日の大江戸線全通時に開業。 大江戸線ホームは地下3階で、島式1面2線の構造。 平成20年(2008)に副都心線が地下5階・6階に乗り入れて乗換駅となった。 場所的には歌舞伎町の北東にあたり、周辺は歓楽街の趣がなく、おとなしい駅である。、、、、周辺にはマンションが多く、歌舞伎町裏(北側)のラブホテル街にも至近である。 コリャ、ベッドタウンだ!

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●福は内、鬼は内! ・・・・・・古来より大久保村の聖地といわれた場所にたてられた、福を招く稲荷神社と、紀州熊野の鬼王権現を祀る鬼王神社が、天保2年(1831)に合併し稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2)となった。 全国唯一の鬼の福授けの社として信仰を集め、「撫で守り」の授与で有名である。 皮膚病・その他病気平癒に御利益がある。 祭神は、稲荷神の宇迦之御魂神、鬼王権現の月夜見命・大物主命・天手力男命。 そして、大久保村が祀っていた神々(火産霊神など)も明治時代に合祀されている。、、、、神社では、節分の豆まきに、鬼を春の神とみなし「福は内、鬼は内」と唱える。

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・・・・・・・・・・・・・・境内社:恵比寿神社にお参りして、手水から柄杓で「かえる石」に水を掛け、次に「かえる石」をさすりながら、心の中で次の言葉を三度唱えると叶うそうだ。 交通安全や旅の安全を願う人は『無事かえる』 開運を願う人は『良き運にかえる』 金運を願う人は『金かえる』 縁結びを願う人は『待ち人かえる』 健康を願う人は『若がえる』 神を信ぜぬ人は『あきれかえる』(?)

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●塀の外は娑婆! ・・・・・稲荷鬼王神社から「職安通り」と呼ばれる大通りを西へ向かうと、西武新宿線・JR山手線のガード手前に曹洞宗長光寺(百人町1)がある。 長光寺は山号を玉宝山と称し、甲州武田家の遺臣により、天正10年(1582)の織田信長との合戦によって滅亡した武田家の菩提を弔うために、文禄3年(1594)に建立された。 本尊は釈迦如来。、、、、入口脇に「しあわせ薬師如来堂」がある。 皆さん、素通り、特別に歴史ある薬師如来ではないようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・・長光寺の墓地は本堂裏から、広い処で幅15m、長さ約130mぐらいで、北に伸びている細長い敷地である。 この墓地の北の端に「北向観音」に建立されている。 “北向”であるから塀の外に向かい立っている、ヘィ~~! 塀には「北向観世音菩薩  厄除の観音様です」と書かれ、賽銭箱も用意されてるが、塀の外を歩く人は蒸し暑いので、無視、無視(?)

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●大久保の新しい観光スポット? ・・・・・大久保駅南口の近くに、中華料理レストランと見間違うような派手な建物(百人町1)があった。 正面には「東京媽祖廟」と書かれている。 平成25年(2013)に完成した、“媽祖(まそ)”と呼ばれる台湾及び香港・マカオ・福建省など中国沿海部を中心に信仰を集める女神を祀る廟である。 簡単に言うと、道教の寺院で、横浜の関帝廟と同じようなものらしい。 媽祖を祀る媽祖廟は世界中に約2000寺院以上あり、約2億人以上の信仰があるそうだ。 特に媽祖信仰のあつい台湾では、900余りの媽祖廟が存在するそうだ。、、、、なんだか入ってみたくなった! 私には異次元の空間かも?
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・・・・・・・・・・・・・・2階は「関帝殿」と称し、関帝を中心に男の神様が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・3階は「媽祖殿」と称し、媽祖を中心に女の神様が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・・・4階は「観音殿」と称し、観音を中心に仏様が祀られている。

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●チョイト、パッチリ! ・・・・・・・大久保駅・新大久保駅周辺のコーリア・タウン、、、、早朝、ゾロゾロ専門学校に通う東南アジアの学生、、、、静かな朝は歌舞伎町のラブホテル街、、、、ラフなスタイルは中国の観光客、、、、韓流グッズをさがす観光客

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●当たらん! ・・・・・・・新大久保駅近く(百人町1)に皆中稲荷神社がある。 皆中(かいちゅう)稲荷神社は、天文2年(1533)に創建されたらしい。 寛永11年(1634)の江戸城拡張に伴い鉄砲隊百人組が当地に屋敷地を支給された。 “皆中”を「みなあたる」と読むことで縁起よいとされて、鉄砲組の信仰をえて、百人組出陣の儀が奉納されるようになったという。、、、、今は『ギャンブル神社』として知名度が高い。 私も何回かお参りしたが、宝くじはハズレ! 運が無いのか、食あたりにも当たらない! 

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●拝殿はアパートの2階? ・・・・・・皆中稲荷神社の次は、新大久保駅前をとおり大久保2丁目の裏道を歩く。 住宅街の中に、「これが夫婦木神社か?」と、信じられない、疑いたい、泣きたくなるが笑ってしまう神社があった。 パワースポット、夫婦木神社(めおとぎじんじゃ)、、、、祭神は、男神:伊邪那岐大神と女神:伊邪那美大神。 二神は夫婦でもあり、天照大神や素戔男尊など多くの子を作った夫婦神である。 創建の詳しい年代や経緯などは不明ですが、室町時代の後期、江戸城築城の際に太田道灌によって創建されたと伝えられている。 その後江戸時代には紀州藩の屋敷内に遷座した。 昭和40年(1965)には淡路島の伊弉諾神宮より分霊を勧請し、現在の夫婦木神社となりました。 住宅の二階にあるという珍しい神社である。 この住宅には、元々は皆中稲荷神社の神職の方が住んでいたそうだ。 神職の方が引越しした後、その場所に分霊を勧請した。 縁結びや夫婦円満、子授けや安産などに大きな御利益があるとされ、メディアでも度々取り上げている神社らしい。、、、、一度参拝すれば、メディアが取り上げる気持ちも、理解できるね。
・・・・・・・・・・・・・・静かな住宅街の奥に鎮座する夫婦木神社。 社務所は通りに面し開いている。 御朱印・お守りはコチラ!

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・・・・・・・・・・・・・・木製、朱塗りの鳥居は、お稲荷さんと間違えるかも。

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・・・・・・・・・・・・・・・拝殿はアパート(?)の2階。 階段途中の踊り場に置かれた青いポリバケツは手洗鉢。 水は飲まないでください!

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・・・・・・・・・・・・・・・朱塗りの階段を、2階に上り詰めたら、ハイここまでヨ! ドア1枚分の大きさの開口部があり、目の前に賽銭箱がある。、、、、ここは以前、神職の住んでいたアパートか(?) なんだか、不思議な自信が湧いてきた!

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・・・・・・・・・・・・・・4畳半程の部屋に神棚があった。 ここは神社なので、“二拝二拍一拝”する。、、、、神社の案内によると、神前結婚も可能なそうだ。 ぜひ多くのカップルが挙式をあげるといいですね。 幸せになれそうな神社です。

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●アニメの狐? ・・・・・夫婦木神社から戸山公園を抜け、山手線の内から外に出て、高田馬場4丁目の住宅地の奥へと歩く。 江戸幕府開府以来当地に鎮座する鉄砲稲荷神社がある。 由緒不明。 “鉄砲”とは危なっかしい名前の神社だが、ひょっとすると徳川鉄砲百人隊ゆかりの神社かな? アニメ調の狐は平成の時代の作品らしい。

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●タカダノババ、タカタノババ? ・・・・・・高田馬場駅は明治43年(1910)9月15日に国有鉄道山手線の駅として開業した。 昭和2年(1927)には、西武鉄道の駅も開業。 昭和39年(1964)には地下鉄東西線の駅も開業する。

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2019年5月15日 (水)

あなたのやさしさが 恐かった

朝一の8時半に、中野の病院で眼科検診。 本日最初の患者です。 右目の炎症は完治し、『次回は一年後の来年5月に検査しましょう』と、嬉しいお言葉を頂戴して病院を出る。 心晴ればれ、天気も上々、帰りは中央線大久保駅まで歩いてきた。 1万1千歩。




●6年後に完成? ・・・・・朝8時、青空の中野駅前。 これから電車に乗る人、電車から降りてきた人、互いに入り交じり駅前は人の渦。、、、、駅前の混雑解消、利便性向上を狙い、駅西側(区役所、サンプラザ前)で南北連絡通路新設、中野駅西口改札新設、5階建ての駅ビル建設などの工事が始まっている。 完成は令和7年.(2026)らしい。 この間の、令和4年頃、中野区役所(写真:中央)が現在地の北側に新築移転し、令和5年頃に中野サンプラザ(写真:右端)は解体されるそうだ。

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●東中野方面に向かいスタコラサ! ・・・・・・・診察を終え、早稲田通りを東へ歩く。 中野駅前付近では、飲み屋街の細い裏通り、新井薬師への参道など、歩いてみたい道もあるが、今日は無視。 しばらく早稲田通りを歩き、途中から住宅街の裏道を歩くと、打越天神北野神社にでた。

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・・・・・・・・・・・・・・打越天神北野神社は、中野区中野5丁目にある北野神社。 神社の創建年代は不詳。 「打越」とは、昭和初期までのこの辺りの一帯で呼ばれていた地名。 また、現在の中野5丁目の東側は昭和41年(1966)まで、この神社を由来として天神町と呼ばれていたそうだ。、、、、境内は盆踊りできる広さがあるが、樹木は少なく、社殿・神輿庫の他はなにもない境内で、チョイト味気ない!

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・・・・・・・・・・・・・・東中野3丁目で明大付属中野中・高等学校前に出た。 学校前の中央線に架かる跨線橋から、嬉しそうに電車を眺める。、、、、私も70歳を過ぎ、電車・線路を見ると撮りたくなる、鉄オタの変な親爺になってしまった!

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●都会の美しい煙突! ・・・・・・・・・・東中野駅前を通る山手通り、その地下には首都高中央環状線の山手トンネルが走っている。 山手トンネルは渋谷・新宿・池袋を結ぶ11kmの路線であり、周辺環境への配慮からトンネル構造が採用された。 そのため、沿線に7箇所の地下換気所と高さ45mの換気塔を14本が、山手通りの中央分離帯に建設された。 東中野2丁目では、その内の2本の換気塔を見ることができる。 塔は、「圧迫感の低減」「周辺景観との調和」「時の移り変わりに配慮」されたデザインが採用された。 一辺が3mの六角形平面で出隅部に面違いを設け、さらに外壁面には斜めリブを設け、光と影の変化を与えた、高さ45mの塔である。 この塔は、2008年度グッドデザイン賞を受賞。、、、、都会にあって、その景観と調和したデザインで、私も大いに気に入っている塔である。

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●中野の鎮守さま
・・・・・東中野1丁目に中野氷川神社がある。 当社は、長元3年(1030)源頼信が平忠常討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請し祠を建立したことに始まる。 文明9年(1477)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。 旧中野村の総鎮守社である。、、、、現社殿は、鉄筋コンクリート造/権現造りで、50年前の昭和44年(1969)に総工費5000万円で竣工した。、、、、境内には歴史を語る、安政6年(1859)の敷石供養塔をはじめ、力石、鍋屋勘右衛門寄進の石鳥居などが、木立のなかに点在している。

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●やさしさが恐かった ・・・・・・・・・・・・・中野氷川神社の前から、大久保通りを東に進むと神田川にかかる「末広橋」がある。 橋の際にある遊歩道横の公園の植え込みの中に、1970年代の名曲:かぐや姫の「神田川」(作詞:喜多條忠、作曲:南こうせつ)の歌詞碑がある。、、、、「昭和」の匂い漂う唄。 唄われた「二人で行った横丁の風呂屋」は、この末広橋からもう少し下流の西早稲田3丁目にあったそうだ。 「三畳一間の小さな下宿」は何処だ!、、、、「若かったあの頃 何も恐くなかった ただあなたのやさしさが 恐かった」、いい文句だ! 私も、女房に一度言ってみたいね!

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●韓国の大久保駅 ・・・・・・・・・・・・明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は南口と北口の2カ所ある。、、、、大久保は日本の中の韓国で、駅周辺には韓国料理店が多い。 タイ料理屋、アジア系料理店も多いね! あっ、ラーメン屋も多いね!

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