文京区

2019年10月 2日 (水)

赤い地下鉄の茗荷谷

今日は飯田橋の循環器内科クリニックの帰り、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅まで歩いてきた。 9千歩




●揺れる歩道橋は嫌いだ! ・・・・・・私が通う循環器内科は飯田橋交差点近くのビルの中。 今日は2ヶ月に1回の定期検診日である。 血液検査の結果は異状なし。(そりゃそうだ、医者に診てもらっているのだからね)、、、、駅前の飯田橋交差点から散歩をスタート。 飯田橋交差点は外堀通りと目白通りが交差し、大久保通りの起点でもある、主要道による五叉路である。 地下には神田川が流れ、その下には地下鉄の東西線、南北線、有楽町線、大江戸線が走り、神田川の頭上には首都高5号池袋線がとおる、さらに、飯田橋交差点の外堀通りはオリンピックのマラソンコースでもある、まさに交通の要所である。、、、、交差点には車の振動で揺れる(私が好きになれない)大きな歩道橋が掛かっている。


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●長兵衛の死体が流された橋! ・・・・・・隆慶橋(りゅうけいばし)は、神田川に架かる橋で飯田橋交差点から目黒通りを上流側250m程行ったところ(文京区後楽2~新宿区新小川町)、頭上には首都高が走り、桁下の薄暗いところにある。 昭和10年(1935)前後に架けられた現存する鋼製ポニートラス橋である。、、、、ここには、江戸時代に木橋が架けられていたそうだ。 浅草花川戸の町奴:幡随院長兵衛が旗本:水野十郎左衛門と対立し、湯殿でだまし討ちにあい、その死体が流された場所は、この隆慶橋だったらしい。 橋の名は、江戸初期に祐筆大橋隆慶の屋敷地があったこで命名されたらしい。 、、、現在は上流側に新隆慶橋が架けられ、ほぼ歩行者専用橋となっている。、、、、20年程前、私の勤めるオフィスがこの橋の近くにあり、昼食時には、橋の文京区側に並ぶ、蕎麦屋、寿司屋、定食屋を日替わりで食べ歩いていた、思いである懐かしい処である。

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●丸ノ内線の上だ! ・・・・・・・文京区後楽の裏道を歩き、安藤坂交差点に出た。 これより、丸ノ内線西側の小日向台地(文京区小日向)の裾を抜けていた神田上水の跡でもある「水道通り」(=巻石通り)を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・文京区春日2、金富小学校のグランド脇を上って行くと、コンクリート塀にぶつかる。 長い塀に沿って歩くと、塀の向こう側からゴウーという音が聞こえ、姿は見えねど電車の通過音と気づく。 塀の向こうは丸ノ内線だ! 塀沿いに斜路を上って行く。

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・・・・・・・・・・・・・・丸ノ内線の跨線橋に出た。 ここは、車が通れないため、安心して電車を眺められる。、、、、今年2月から営業運転を開始した真赤な塗装の2000系車両、一世代前の02系車両が切通しを疾走する。

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・・・・・・・・・・・・・・跨線橋の先には、これまた、私好みの細い狭い階段坂となる。 階段を上り、裏道を歩き、再び数段の階段を上ると、春日通りに出る。 正面には、名門の学芸大附属竹早小・中学校がある。(ちょうど下校時間だったようだ) 隣には、も一つ名門の都立竹早高等学校が並ぶ。 

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●丸ノ内線の下だ! ・・・・・・春日通りを250m程歩き茗台中の角を入ると、車は行き止まり。 人と犬・猫は階段坂を下ることができる。

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・・・・・・・・・・・・・・この階段坂は庚申坂と呼ばれている。 長さ約45mの急な階段坂を下ると地下鉄丸ノ内線のガードにぶつかる。 ガードの上は丸ノ内線の車両基地。 坂からは、車両基地に留まる丸ノ内線を眺めることもできる、印象的なロケーション。、、、、下りは楽だが、上りはきつそうだ!
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・・・・・・・・・・・・・・チョイト長いガードを通り抜ける。、、、、70過ぎた爺さんは痴漢に襲われる心配無用! 襲う方かも? 

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・・・・・・・・・・・・・・ガードを過ぎると、今度は上り坂。 坂上の切支丹屋敷跡へ向かう。、、、、文京区ではこの坂を切支丹坂としている。 しかし、庚申坂を含め、ここでいう切支丹坂まで、一気通貫で切支丹坂という説もある。 

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・・・・・・・・・・・・・・坂上には切支丹屋敷跡がある。 切支丹屋敷とは、江戸時代、小石川小日向(こひなた)(現:文京区小日向)に設けられ、山屋敷とも呼ばれたキリシタンらを収容した所。 宗門改役を兼ねた大目付井上筑後守政重の下屋敷に、寛永20年(1643)日本へ潜入したイタリア人伴天連キアラらを収容、改宗を促した。 正保3年(1646)には籠舎(ろうしゃ)・倉庫なども整備した。 宝永5年(1708)に潜入した伴天連シドッチは翌年ここに収容され、新井白石などの尋問を受けたが、牢死した。、、、、イタリア語と日本語、しかも、内容は宗教の教義、当時まともに通訳できたのであろうか、はなはだ疑問なり?

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●茗荷谷の二寺 ・・・・・・・・・茗荷谷駅に至近(小日向4)の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・まずは、浄土宗の深光寺。 急坂の参道を登ると右に鐘楼、正面に鉄筋コンクリート造りの本堂がある。 左側には古い歴史の在りそうな墓が並ぶ。 その正面中央に滝沢馬琴の墓がある。、、、、深光寺は、寛永16年(1639)の創建。 昭和2年には茗荷谷町良念寺を合併した。、、、、滝沢馬琴(1767~1818)は、江戸時代後期の著名な戯作者。 「南総里見八犬伝」など、多数の作品を残した。

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、曹洞宗寺院の林泉寺。 林泉寺は青龍山と号し、通山宗徹和尚(元和7年寂)が開山、伊藤半兵衛(1660年頃)が開基となり創建したと云われている。 本堂は昨年新築したモダンな鉄筋コンクリート造でピッカピカ。、、、、人々が願いをかけるとき地蔵尊を縄でしばり、願いが叶うと縄をほどく「しばられ地蔵」が境内に祀られている。 「縄でグルグルに、身動きできず、地蔵はギブアップ」てなことがないのかな?

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●学生がゾロゾロ! ・・・・・・さすが文京区の茗荷谷駅。 茗荷谷駅を最寄り駅とする、拓殖大学、御茶ノ水女子大学と付属の女子高・中・小・幼、筑波大学の学校教育部と付属高・中、跡見学園の短大・高・中、都立竹早高、貞静学園、第一中、茗台中、窪町小、学芸大付属高など、頭脳明晰な学生と、チョイト色気づいた女子大生、かわいい小学生などなど、学生がひしめいている駅。、、、、駅は昭和29年(1954)1月20日、丸ノ内線池袋~御茶ノ水間開業と同時に設けられた。 ホームは相対式2面2線構造で、半地下式の地下1階にある。

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2019年7月13日 (土)

チョイト早かった蓮

梅雨のチョイ間の雨上り、我が家(浅草橋)からブラリ、上野の不忍池に蓮の咲き具合を見に行き、根津・千駄木の裏道を歩いて、地下鉄千代田線の千駄木駅までの散歩です。 1万3千歩



●雅万歩の歴史? ・・・・・下町の歴史的建造物を見ながら不忍池へ向かう、、、、自分の歴史を振り返るようだ!

・・・・・・・・・・・・・・まずは、我が家から徒歩1分半、私の母校「旧東京市柳北尋常小学校(区立柳北小学校)」(台東区浅草橋5)、、、、次は、さらに3分歩いて「三井記念病院」(千代田区和泉町)、、、、病院前の「凸版印刷」本社前(台東区台東)に、「市村座跡」がある。 市村座は歌舞伎の芝居小屋で、寛永11年(1634)日本橋葺屋町に市村座創始し、中村・森田(のち守田)座とともに、江戸三座と呼ばれた。 天保13年(1842)浅草猿若町に移り、ついで当地に再転。 当地での市村座は、明治25年(1992)から昭和7年(1932)まであった。、、、、(この3か所はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・市村座跡跡から西へ80m程歩くと、大正11年(1922)に建てられた煉瓦造風の下水道局和泉町ポンプ所がある。 私が幼き頃は、妖怪の住む怖い建物に思えた処。

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・・・・・・・・・・・・・・秋葉原~御徒町間のJR「御徒町高架橋」(台東区上野5)は大正13年(1924)に完成した。 現在は、山手線・京浜東北線・上野東京ラインが走る。(地下には東北新幹線が走る)、、、、終戦直後の蔵前橋通りに架かる薄暗いガードの周辺には、秋葉原の市場周辺に食べ物を求め、ガード下に寝床を求め、周辺の焼け跡には金目の金属を求め、ばたや・浮浪者・孤児が集まっていた。 幼い私にはここも怖い処に思えた。 いつの間にか“ばたや”、“浮浪者”の姿も見えなくなり、言葉も死語となったのか?

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・・・・・・・・・・・・・・上野松坂屋の方に向かい歩くと、朝湯で有名な燕湯がある。 建物は昭和25年(1950)の建築だが、国の登録有形文化財に指定されている。 私の幼き頃、地下鉄末広町駅の近くに住んでいた祖父母に連れられ度々利用した銭湯。 昔は白く濁った薬湯(くすりゆ)などもあって、湿疹などができると「白湯へ入ってきな!」と言われた記憶も残っている。、、、、燕湯から中央通りに出ると、最近建て替えられた新広小路ビルがある。 1階のコンビニの脇に「日本最初の喫茶店 可否茶館跡地」という碑が建っている。 ここは明治21年(1888)に、この地(当時・上野西黒門町)に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店した場所だ!、、、、(ここの詳細はコチラに!)

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・・・・・・・・・・・・・・可否茶館跡から中央通りを40m程北に向かうと、松坂屋の斜め前あたりに、東京3大どら焼きで有名な「うさぎや」がある。 大正2年(1913)創業の和菓子の老舗で、昔からどら焼きを売っている。 味わってみたい人は、並ぶの覚悟、1時間待ち覚悟、売り切れ覚悟でお店へ行くべし。、、、、ちなみに我が家では平日の午前中に、ママチャリに乗って私が買いに行く担当。

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・・・・・・・・・・・・・・池之端「仲町通り」の「黒沢ビル」前を通り不忍池に向かう。 黒沢ビルは毎日、早朝から玄関前を綺麗に掃除し水がまかれ、歩いても気持ちがいい。 オーナーが綺麗好きなのかも?

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奇遇ですね! ・・・・・不忍池の蓮、咲き始めたばかりだ。 まだチョイト早かった、来週の梅雨明けが過ぎた頃、一番の見頃かも?、、、、去年の今日、不忍池を散歩していた。 
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●まだ残っているぞ“下町” ・・・・・不忍池から千駄木駅まで、根津・千駄木の“下町”を求めて裏道を歩く。 裏道にもマンションなどが建ち、“下町”も少しづつ消えて行くようだ。

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2018年11月21日 (水)

上り下り、キツイ小日向

午後から水道橋の循環器クリニックで、定期診断を受け。 帰りに、江戸川橋駅と茗荷谷駅の間にある文京区小日向(こびなた)の町をチョイト歩いてきた。
 
 
 
●幕府直轄の橋・・・・・・・・江戸川橋駅の東側約200mのところに、神田川に架かる古川橋がある。 現在の橋は平成21年(2009)に架けられた、長さ20m程の1径間PC桁橋。、、、、、この橋の初代は江戸時代と思われる。(私の推測、根拠なし) たしかなのは、江戸時代、将軍が鷹狩りの際に通行するルートであったため幕府直轄の橋とされていたそうだ。 この橋の北側に服部坂がある。、、、、、頭上には、首都高5号池袋線が走る。
 
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●忍者ハットリくんの住まい跡?・・・・・・・・・・古川橋を渡り直進すると小日向1丁目と2丁目の境に服部坂がある。、、、江戸時代、坂の上に服部権太夫の屋敷があり、それで服部坂と呼ばれたそうだ。 その服部権太夫とは、徳川家康幕下の旗本、三河の出で、千葉県夷隅郡岩熊村の領主(300石)である。、、、、、現在は服部氏屋敷跡には、明治2年(1869)に小日向神社が移された。
 
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・・・・・・・・・・・・・小日向神社は、当社付近にあった氷川神社と八幡神社とが合祀して明治2年(1869)に小日向神社となった。、、、、氷川神社の創立は天慶3年(940)、八幡神社は貞観3年(860)の創立で、共に古社であった。
 
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●上って下りて・・・・・・・・・神田川から服部坂を上り、小日向台地を西に向かうと、神田川へ下る坂がある大日坂である。 小日向2丁目の南端中央に位置する。、、、、坂の途中に、大日堂と称する寺があることに由来する。
 
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・・・・・・・・・・・・・大日堂とは、天台宗寺院の覚王山妙足院のことである。 妙足院は、寛文年間(1661~1673)に創建したといわれ、本尊の大日如来は、慈覚大師が唐で賜った像で霊験あらたかだと言われている。、、、、、まさに、“お堂”と呼ばれるイメージに近い寺である。、、、、、数年前、こちらの住職に美味しい落雁を頂戴したことを思い出した。 その節は、有難う御座いました。
 
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●戦後生まれ(?)の閻魔さま・・・・・・・・・・・・台地から大日坂を下り西にチョイト歩くと、浄土宗の安養山還國寺(げんこくじ)がある。 今から380年程前(寛永8年、1631)神田神保町にその名を残す旗本神保氏が、増上寺の僧を招き現在の新宿筑土町に庵を作ったのが創建である。 その後明歴の大火により現在地に移転した。、、、、還国寺は周囲を住宅に囲まれた崖下の小さな寺で、境内は墓石や石仏で手狭に見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・境内の一角に閻魔堂があり中で、色つやのよい閻魔大王が睨みをきかせている。、、、、還國寺の古い像は戦災などで無くなり、閻魔大王もその後作られたものである。
 
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●再び、小日向台地を上る・・・・・・・・・・還國寺の裏手(北側)の鷺坂(さぎさか)を上る。 坂上の高台には、徳川幕府の老中職をつとめた旧関宿藩主・久世大和守の下屋敷があった。 しかし、この坂は江戸時代にはなく、大正以降、住宅地となり造られた坂である。、、、、、坂上に住む堀口大学や、近くに住んでいた詩人の三好達治、佐藤春夫らによって山城国の久世の鷺坂と結びつけ「鷺坂」という名が、自然な響きをもって世人に受け入れられてきたそうだ。、、、、、“Z”型の坂の形状と、キツイ坂の勾配は、小説の舞台となりそうだ。、、、、、この坂、道幅が狭いのに一方通行ではないのだ! 上りと下りが対面すると、運転手の怒鳴り声が聞こえるらしい。 近所の人が嘆いてた。
 
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●また下る!・・・・・・・・・・台地の上を東に向かい、再び服部坂の上に戻ってしまった、シマッタ・シマッタ! 服部坂の東側(小日向1)、福勝寺門前に横町坂がある。 今度は下りだ!、、、、、鉄砲屋敷(?)の横町なのでその名があるそうだ。、、、、、“鉄砲屋敷”とは何だ!(調べてみたが???)
 
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●名はあるが、由来は?・・・・・・・・・・・横町坂を下り、北へ向かうと、またまた上り坂。 その名は薬罐坂(やかんざか)。 名の由来は?、、、、、坂の東側に小日向公園、西側に浄土宗の生西寺がある。、、、、裏道の人通りも少ないこの坂では、坂の案内標識もない。 名のある坂には、標識を付けて欲しいね、ぜひ、区役所にお願いしたい。
 
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●バテレンの牢・・・・・・・・・・小日向1丁目の住宅地の一角に「切支丹屋敷跡の碑」がある。 碑のある付近一帯は、もと宗門奉行井上筑後守政重の下屋敷だった。 正保3年(1646)岡本三右衛門を始め卜意・南甫ら禁制の切支丹宗徒を監禁するため、下屋敷を切支丹牢屋敷(別に山屋敷の俗称)にした。 岡本三右衛門はイタリア人で、本名はギュセッペ・キアラと云う。 寛永20年切支丹禁制下布教のため潜入したが捕らえられた。 取調べを受け、締められると直ぐに棄教、日本人妻を娶り、名を岡本三右衛門と名乗って恭順の姿勢を示し山屋敷に住み、貞享2年(1685)に没した。 牢に入れられた切支丹は相次いで死亡し、正徳4年(1714)頃、牢は焼失した。 僅かに役所・倉庫などが残されたが、寛政4年(1792)それらも廃され、跡地は分割されて旗本宅地とされた。 切支丹屋敷の面影はことごとく消えてしまった。、、、、、平成26年(2014)、切支丹屋敷跡の発掘調査が行われ、3体の人骨が出てきた。 その内の1体はイタリア人神父である可能性が高いそうだ。 アーメン。
 
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●蛙坂を下り、帰る・・・・・・・・・・・・・切支丹屋敷から茗荷谷駅に向かう途中、貞静学園短大横に「蛙坂(復坂)(かえるざか)」がある。 坂の標識によると、『坂の東の方はひどい湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいの馬場六之助様御抱屋敷内に古池があってここも蛙がいた。 むかしこの坂で左右の蛙の合戦があったので里俗に蛙坂とよぶようになったと伝えている。 なお、七間屋敷とは切支丹屋敷を守る武士たちの組屋敷のことであり、この坂道は切支丹坂へ通じている』
 
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●蛙坂を下り、私も帰る!・・・・・・・・・・・坂が多く、上り下りはチョイト、キツイ。 近くのミーハー女子大生を観賞しながら、駅に向かうことにした。
 
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2018年11月 5日 (月)

正門と間違える赤門

“病気自慢”なら負ける気がしない程、多くの病を経験してきた。 その為、治療後の経過観察、定期検査などで、縁の切れない医療機関も増えている。(診察券を集めるのが趣味の一つとなりそうだ!) 今月は、秋の定期検査などで、総合病院3か所、診療所3か所から既に声がかかり、医者通いに忙しい月である。(忙しくて身体を壊さなければいいのだが!)
 
今日は、今月初の医者通いで、本郷の東大赤門前の医院に行ってきた。 昨秋、胆石があるのが見つかったが、治療せずに経過観察することにしていた。 本日は一年後の超音波検査で大きさを調べられた。 『大きさは17mmあります、このまま、手術せずに薬で様子を見ましょうね』と、女医先生のお言葉。 素直に『ハイ、判りました』
 
折角、朝から赤門に来たので。 チョイト周辺をブラブラ・・・・・・
 
 
 
●正門ではありません・・・・・・・・東大の本郷キャンパス(農学部のある弥生キャンパス、工学部の一部がある浅野キャンパスは含まず)には、正門から、反時計周りに赤門、懐徳門、春日門、龍岡門、鉄門、池之端門、弥生門、西片門と、全部で9門ある。 その中でも、最も有名であり、東大の正門と間違えられるのが赤門。、、、、加賀藩13代藩主前田斉泰は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉の娘溶姫(やすひめ)を正室に迎えた。 この赤門は、その際に建立された御守殿門。 “御守殿門”とは、当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、その人・居所を御守殿と称し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んだ。 建築様式としては薬医門であり、切妻造となっている。左右に唐破風造の番所を置いている。 国指定重要文化財。、、、、、全部朱塗りで、黒色の金物が締めている。 “赤と黒”とは、いいね! ところで内緒の話、左右の番所の裏側は彩色されてない、知ってた? ひょっとすると、塗装するのケチったか、加賀藩の懐具合が悪かったのか?
 
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●昭和初期の大学・・・・・・・・・・・赤門から入って右奥に建つ2棟、医学部1号館(写真:左)と理学部2号館(右)を見てきた。
 
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・・・・・・・・・・・・・理学部2号館、、、、、理学部の校舎は安田講堂の東側に集中しているが、2号館は赤門の近くにある。 医学部1号館と対をなす建物で、内田祥三の設計により、昭和9年(1934)に完成した。 現在は生物学科が利用しているが、以前は地質学、鉱物学、地理学の各教室も入っていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・医学部1号館、、、、、、こちらも、設計は内田祥三で昭和6年(1931)に完成。 現在は、北隣に建設された地上14階建ての医学部教育研究棟と一体利用されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・医学部本館(2号館)も、チョイト撮影。 こちらも、ゴシック様式の建物で、内田祥三の設計により昭和11年(1936)に完成。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東大のイチョウ、黄葉にはまだ早いようだ! 見頃は来月初旬。
 
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●忘れちゃったのよ!・・・・・・・・本郷三丁目交差点角の交番の横を入ると薬師堂が見える。 この堂のある一帯に、昭和26年(1951)まで、天台宗の古刹:富元山瑞泉院眞光寺があった。 眞光寺の創建は嘉祥2年(848)と言われている。 その後、永く廃寺同様になっていたが、寛永14年(1636)に清賢法印が、藤堂高虎の助力により再興し、正保4年(1647)諸堂宇及び天神社(桜木神社)が落慶された。 そして昭和20年(1945)の空襲で堂塔伽藍の総てを焼失、昭和26年(1951)には薬師堂と十一面観世音坐像と墓地を残したまま世田谷区給田に移転した。、、、、、仏を忘れて引っ越したのか? 、、、、、忘れ物の、薬師堂、十一面観世音坐像に手を合わせてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・本郷薬師堂は、眞光寺の境内に寛文10年(1670)建立したと言われてる。 残念ながら御堂は、戦災で焼失し、昭和22年(1947)に再建され、昭和53年(1978)に新築された。
 
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・・・・・・・・・・・・・・薬師堂から100m程奥に進むと、露仏の十一面観世音坐像が墓地の横で墓泥棒の見張りをしている。、、、、この像は眞光寺の境内に置かれていた。 蓮華座には、享保5年(1720)の銘がある。、、、、、重たそうな像なので、引っ越しの時に捨て置かれたのか? 可哀そうに!
 
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●神社もあった真光寺・・・・・・・・・・・・薬師堂裏の奥に、桜木神社がある。 祭神は菅原道真公で天神様。 神社は、太田道灌が江戸城を築城の際、城内に北野天神を勧請、創建した。 二代将軍徳川秀忠の代に旧櫻の馬場の地へ遷座、元禄3年(1690)その地に昌平坂学問所が設立されることになったため、さらに現在地(本郷の眞光寺境内)へ遷座した。 明治の神仏分離により眞光寺から独立した。、、、、、当社も戦災で社殿は焼失し、現社殿は昭和34年(1959)に新築した。
 
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2018年5月30日 (水)

法真寺

本日は3軒の医者通い。 9時から上野の病院で泌尿器科に受診し、帰宅するや浅草橋の整形外科へ腰痛のリハビリに、昼食済ますと本郷の医院で胆石のエコー検査。 通う病気はどれもこれも高齢者の証となるような病気である。、、、、、医者も薬局のように、ポイントカードを発行して、10000ポイント貯まると夫婦で熱海旅行ご招待、20000ポイントで霊柩車の割引サービス、50000ポイントで葬式一切無料サービスなど、特典をつけて欲しいね。 バッチリ、貯められそうだ!
、、、、、ところで、午後に行った医者は東大赤門前の内科だが、法真寺の参道に面しているので、チョイト帰りにお寺に寄ってきたので、ご紹介。
 
 
 
●東大赤門・・・・・・・・・・東大の正門と言えば「赤門」。 ブ~~ゥ、間違い、東大の正門は「正門 」? 「赤門」とは別に「正門」がチャントある。 でも、正門と間違えるくらい有名な赤門。 ご存じ、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女:溶姫を迎える際に造られたものである。 切妻造の薬医門で、左右に唐破風造の番所を置いている。 国の重要文化財。
 
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●参道・・・・・・・・・赤門の真正面に、法真寺の参道がある。 右手には石柱がたち、すぐ判る。 正面には本堂の屋根も見える。
 
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●法真寺・・・・・・・・・・・・寺は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596)に京都知恩院より、寺号を附与された浄土宗の寺院。 家康公御台所の天野図書が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となり創建した。、、、、、明治の文人「樋口一葉」ゆかりの寺。 樋口家は明治9年(1876)にこの法真寺の隣に居を移し、一葉は9歳までの5年間住んだそうだ。 この時代が樋口家では最も安定した時であった。 一葉の作品「ゆく雲」に登場する「腰ごろもの観音さま」も法真寺に現存している。、、、、寺では、200年来の本堂の改修工事を行い、最近完了した。 樋口一葉を意識してか、境内は全体的にモダンな雰囲気で造られている。
 
・・・・・・・・・・・・・本堂正面
 
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・・・・・・・・・・・・・本尊は荘厳に輝く阿弥陀如来坐像。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・窓には大正ロマンの雰囲気(?)を醸し出すステンドグラス。
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂横に山門か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・一葉が「ゆく雲」の中で書いている「腰衣観世音菩薩」。
 
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・・・・・・・・・・・・・一葉塚もある。
 
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・・・・・・・・・・・・赤レンガで外装されたモダンな霊園管理事務所「桜木の宿」。、、、、、、後に一葉が少女時代を日記で回想する時、当時の家を「桜木の宿」と呼んだ。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・雨が降ってきた! コリャ大変! 急ぎ帰ることに・・・・・・

2018年4月20日 (金)

目赤不動 (南谷寺)

目青、目白に続き、今日は本駒込の目赤不動に行った。 最寄り駅ではないがチョイト遠くの田端駅から歩きはじめ、動坂をとおり南谷寺へ、目赤不動と対面したら団子坂を下り千駄木駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①田端駅・・・・・・・・・明治29年(1896)4月1日、日本鉄道の駅として開業。 現在は、山手線、京浜東北線の電車しか停車しないが、かつては常盤線の列車が発着した時期もあった。、、、、、近くには尾久車両センターなどもあり、鉄道好きに愛されている駅である。
 
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②東台橋・童橋・・・・・・・・・・田端駅の前を通る都道458号線は、駅の南側で道灌山を切り通し(名称:田端切り通し)で抜けて行く。 その切り通しに架かる橋が東台橋(とうだいばし)。 切り通しができたのは昭和8年(1933)であり、東台橋もおそらく同時期に竣工したと思われる。、、、、、東台橋から切り通しを眺めると、両側の石積みの高さ:約20mにあらためてビックリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・東台橋から100m程南に、近くの滝野川第一小学校へ通う児童の通学路として利用されている、童橋(わらべばし)が架かっている。 昭和8年(1933)完成。、、、、歩行者専用橋である。、、、、、切り通しはまだ続く。 私が目指す目赤不動は、この道の先2km程の処にある。
 
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③田端八幡神社・・・・・・・・・・・切り通しが終わる田端2丁目の交差点角に田端八幡神社がある。 文治5年(1189)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州藤原一族を平定し、その帰路に鎌倉八幡宮を勧請した。 田端村の鎮守さま。 社殿は平成4年(1992)に再建され、いまだ木の香りが残っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社の参道脇、正しくは神社の隣り東覚寺の門前に不動堂がある。 その不動堂を守る一対の仁王像(赤紙仁王尊)がある。 仁王には赤紙がペタペタ貼られ、像の顔も形も判らない。 赤紙を自分の患部と同じ位置に貼ると病気身代わりとなるそうだ。、、、、根性の悪い私は、どこに紙を貼るのだ!、、、、この仁王像は、元は八幡神社の鳥居前にあったそうだ。 明治の神仏分離令で、神社の別当であった東覚寺に移った。
 
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④動坂・・・・・・・・・・・都道458号は動坂下交差点から文京区に入る。 都道の西側は本駒込4丁目、東側は千駄木4丁目。 坂上は動坂上交差点で、坂の全長200m程、この間の高低差12mで傾斜は緩やかである。、、、、名の由来は、、、、かつて、この坂上に不動像が祀られていたが、三代将軍家光の目にとまり、本駒込の南谷寺に移され目赤不動となった。 不動像の跡には、日隈地蔵が祀られた。 そこで、坂は“不動坂”と呼ぶべきところだが、略して「動坂(どうさか)」と呼ばれている。
 
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・・・・・・・・・・・・坂上の都立駒込病院の一角に動坂貝塚記念碑がある。 昭和49年(1974)に駒込病院の外溝工事中に貝塚が確認され、2次にわたる発掘調査が行われた結果、縄文時代の遺跡と確認された。 また、江戸時代には、八代将軍徳川吉宗が復活した鷹匠の屋敷跡でもある。、、、、、碑のプレートは黒ずみ、案内板がなければ、なんだかサッパリ判らん!
 
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⑤徳源院・・・・・・・・・・・本駒込3丁目に入ると、臨済宗妙心寺派寺院の慈雲山徳源院がある。 徳源院は、寛永7年(1630)湯島に創建、天和2年(1682)に現在地へ移転した。、、、、、現在は、さほど広くない境内だが、緑豊かに整備されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内の一角に、日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)が祀られている。 この地蔵は、動坂の上にあった目赤不動を南谷寺に移した跡に建立されていた。 願いごとを日を限って祈願すれば、不思議と満願の日に先立ち霊験あらたかなることより「日限地蔵」といわれている。、、、、、ジャンボ宝くじを買って、抽選前の一週間祈願したら、7億円が当たるかな? 誰か試してみたら!、、、、、昭和60年(1985)に動坂より徳源院に移された。
 
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⑥南谷寺・・・・・・・・・・田端駅から歩いてきた都道が本郷通りにぶつかる駒本小学校前交差点の北:本駒込1丁目に天台宗の南谷寺(なんこくじ)がある。 南谷寺は、比叡山南谷の万行律師が、元和年間(1615~1624)に駒込動坂に庵を設け不動明王像を安置した。 これが南谷寺の創建である。 寛永年間(1624~1644)三代将軍家光が鷹狩りの途中、動坂のこの庵に立ち寄り、この不動を、目黒・目白不動と同じように”目赤不動”と呼ぶように伝え、寺領を現在地に寄進した。、、、、、家光はゲーム感覚で、五色全部揃えたかったのかな?
 
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・・・・・・・・・・・・・不動堂には、黒目の目赤不動が祀られている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・これにて、本日の目的を達成。 あとは、我が家へ帰るだけ!

 
 
⑦光源寺・・・・・・・・・・・・団子坂に向かう途中、文京区向丘2丁目の光源寺に寄ってみた。、、、、浄土宗の寺院で天正17年(1589)に、神田四軒町に創建された。その後、江戸城拡張に伴い、慶安元年(1648)駒込の現在地に移転した。

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・・・・・・・・・・・・・かつて、境内には、元禄10年(1697)造立の十一面観世音立像が安置されていた。 木彫で高さは二丈六尺(約8m)あり、奈良の大仏みたいに堂の窓から顔が拝観できたそうだ。 多くの参詣者に慕われた観音さまも、昭和20年(1945)5月25日夜半の東京大空襲によって、全焼の災いにあい、焼失した。、、、、平成5年(1993)、関係者の思いが実り、高さ6mの観音像が再興された。 長谷寺の十一面観音と同じく、錫杖を右手に持ち、金箔、金粉の極彩色に彩られた平成の観音像である。、、、、、全て純金で作られていたら、簡単に見せないだろうね!

 
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⑧団子坂・・・・・・・・・千駄木2丁目と3丁目の境の坂。 由来は、その名のごとく、坂の近くに団子屋があったと言われている。 悪路のため転ぶと団子のようになるからと云う説もある。 長さ180mの坂。、、、、坂の上には、森鴎外、夏目漱石、高村光太郎が居住していた。、、、、、この三人は、元祖『だんご三兄弟』かも?
 
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⑨千駄木駅・・・・・・・・・・団子坂下にある、地下鉄千代田線の駅。 昭和44年(1969)12月20日開業。
 
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・・・・・・・・・・・・・地下鉄に乗るつもりで駅に向かったら、駅前のバス停に私が住む台東区の循環バスが来た! オー、ラッキー、急遽バスに切り替えて帰宅する。
 
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2018年4月11日 (水)

お茶の水坂・皀角坂

朝から春の嵐。 外は“吹き飛ばされそうな風”ではなく、工事現場の看板が“吹き飛ばされた風”、歩く女性のスカートが“巻き上がる風”である。 嵐の中、私は後楽園の循環器内科クリニックに検診に行ってきた。 
行きに「お茶の水坂」、帰りに「皀角坂」を歩いてきた。
 
 
 
①お茶の水坂・・・・・・・・・『“お茶の水”とは、将軍に献上した神田川の水を指している』、これ、嘘っぱち! この付近の神田川は江戸時代:元和年間(1615-1626)に、本郷台地に外堀として掘られた川である。 堀ができる以前には、ここ本郷台地には神田川はなかった。 当時、本郷台地の一角(現:元町公園付近、本郷1丁目)にあった高林寺(現:向丘2丁目)の境内に湧き水があり“お茶の水”として将軍(徳川家光)に献上したことから、「お茶の水」の地名となった。 これ、ホント!、、、、、その神田川北岸に沿い、お茶の水に上る坂なので「お茶の水坂」と、江戸時代に命名された。
 
・・・・・・・・・・・・・現在の坂は、外堀通りの一部で坂上には東京医科歯科大学病院、順天堂大学病院などがズラリと並んでいる。、、、、、昨年は、私が東京医科歯科大学病院へ、我が母が順天堂大学病院に救急搬送され、我が家御用達のありがたい病院である。 ちなみに、私も母も既に完治し、ピンピンの元気。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の途中に、関東大震災の復興公園「元町公園 」がある。 昭和5年(1930)の開園当時の姿がほぼそのまま残る貴重な公園である。 
 
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・・・・・・・・・・・・・神田川側には神田上水懸樋(掛樋)跡 の碑がある。、、、、、江戸時代、神田川に木製の樋(とい)「懸樋(かけひ)」を架け、川の上に神田上水を通し、江戸市中に給水した地点である。、、、、、神田川の水面からかなり高い位置に架けられていた。
 
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・・・・・・・・・・・・・お茶の水坂の下は水道橋交差点。 橋の上から神田川を見ると、左岸(北岸)に神田川分水路の合流口が開いている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・後楽園のお庭の隣りのクリニックで受診し、 検査項目、全て異常なし、『あたり前田のクラッカー』。 受付嬢と、2か月後の再会を約し帰途に就く。
 
 
 
②小石川橋通りガード・・・・・・・・水道橋と飯田橋の駅間、神田川から日本橋川が分岐する処に小石川通り架道橋(三崎町3)が架かる。 明治37年(1904)に甲武鉄道が、ドイツの橋梁メーカー「HARKORT」社に発注し、輸入した橋梁だ。日本に現存する同社の橋梁としては唯一の上路ワーレントラス橋である。桁には銘板が残っている。、、、、、煉瓦の橋台、石積みの盛土にも当時の匂いが残っている。、、、、、現在は、南側に中央快速線用の複線が増設されており、南側からは見えない。 緩行線が走る北側の複線部が当時からの架道橋である。
 
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③三崎稲荷神社・・・・・・・・・神社は水道橋駅の南側にある。 三崎稲荷神社は、寿永元年(1182)豊島郡三崎村鎮守として創建し、慶長8年(1603)・万治2年(1659)・万延元年(1860)と移転を続け、明治38年(1905)に現在地に移転した。 祭神は、宇迦之御魂神、素盞嗚尊、大市姫神、大物主神の四神。、、、、境内にある大きな銀杏の木からパワーが出ており、交通安全・旅行安全などの御利益があるそうだ。 私も手を合わせてきた。
 
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④皀角坂・・・・・・・・・・水道橋駅前から神田川の南側をお茶の水に向かい上る坂。 お茶の水坂の向かい側に位置するこの坂は、「皀角坂」と書き、「さいかちざか」と読む。 「サイカチ」は野山にはえる落葉高木で、枝にとげが多く、葉は羽状形で、花も実も豆に似ている木。 江戸時代にはサイカチの木が多くあったそうだ、現在は坂上に3本植えられている。 
 
・・・・・・・・・・・・・・坂の上り口。 水道橋駅前の東洋高等学校の横を上る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・線路脇を上るので、鉄道ファンの私には嬉しい坂だ。、、、、この写真を撮った地点が、皀角坂側の神田上水懸樋跡である。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の中程のビルに、松尾芭蕉の作と言われている「皂角子の実はそのままの落葉哉」の句碑。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の上に標識がある。 「皀角」を“サイカチ”と読める人を尊敬したくなる難しい坂名だ!
 
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・・・・・・・・・・・・さらに、サイカチの木を知っている人は神様みたいな人だ! 知らない人は写真をよく見て、丸い可愛い若葉、手裏剣が刺さったようなトゲトゲ。
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・・・・・・・・・・・・・・坂上にもう一つ標識がある。 歩道に頭を出した、ユーモラスな標識。 裏面には「昭和五十年一月 駿河台西町会 中島萬」と彫られている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・お茶の水駅前をとおり、秋葉原駅を抜け、浅草橋へ歩く。

2018年4月 3日 (火)

浅草橋~大塚

我が家(浅草橋)から、湯島、本郷、春日、小石川と、ひたすら歩いて大塚駅まで、1万4千歩の散歩です。
 
 
 
● a.m.7:22・・・・・・・・・・・我が家のある浅草橋駅をあとにする。、、、、この時間に勤務先へ向かう人がもういる。 早出かな?
 
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● a.m.7:29・・・・・・・・・・・我が母校:旧台東区立柳北小学校の前を通過。 現在は蔵前小学校の仮校舎として使用中。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧柳北小学校の隣り、都立忍岡高等学校の裏門脇に「蓬莱園跡」の碑がある。、、、、、ここ、旧柳北小学校、忍岡高校のある一帯は、かつて平戸藩松浦氏の屋敷跡で、蓬莱園と称する庭園があった。 約2,600坪の庭園は“今は無く”、高校校庭に一本の大イチョウを残すだけである。
 
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● a.m.7:32・・・・・・・・・・・浅草橋で唯一の大使館。 それは、コンゴ民主共和国大使館。、、、、、時々、近くのスーパーで大使館員が買い物しています。 浅草橋も国際的な町に変貌している。
 
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● a.m.7:36~7:53・・・・・・・・・・・「鳥越一丁目」交差点より、蔵前橋通りを歩き、昭和通り、JR京浜東北線・山手線、中央通りと交差し西に向かう。
 
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● a.m.7:55・・・・・・・・・・・蔵前橋通りは、妻恋坂交差点から清水坂下交差点まで、新妻恋坂を上ることになる。 この坂は昭和4年(1929)に震災復興道路として通じた蔵前橋通りの坂で、昔からある北側に並行する妻恋坂にちなみ命名された。、、、、ここから、ダラダラ上るのは辛いので、私は並行する妻恋坂を上る。
 
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● a.m.8:01・・・・・・・・・・・妻恋坂にある、妻恋神社に手を合わせて行く。
 
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● a.m.8:02・・・・・・・・・・・妻恋坂を上ると、清水坂にT字にぶつかる。 清水坂の下が新妻恋坂である。、、、、チョイト、ややっこしいね! どうでもいいか!
 
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● a.m.8:07・・・・・・・・・・・蔵前橋通りが本郷通りに合流する「サッカーミュージアム入口」交差点。、、、、ここより本郷通りを歩く。 (写真は右端から手前に本郷通り、中央左寄りから上ってた蔵前橋通り)
 
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● a.m.8:16・・・・・・・・・・・本郷三丁目交差点を通過。 ここから春日通りを歩く。
 
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● a.m.8:23・・・・・・・・・・・春日通りからチョイト脇にそれ、明治19年(1886)に創立した弓町本郷教会に立ち寄って行く。 現教会は昭和元年(1926)に竣工した。
 
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● a.m.8:28・・・・・・・・・・・寄り道ついでに、丸ノ内線が本郷三丁目駅から後楽園駅に向かう時、地上に顔を出す処をトンネルの上からチョイト撮影。 (写真奥が後楽園駅)
 
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● a.m.8:33・・・・・・・・・・・真砂坂を下る。、、、、、この坂の名は「東富坂」で、「真砂坂(まさござか)」は別名らしい。 明治41年(1908)に命名するとき、坂下の春日町交差点を挟み、東に上る坂を「東富坂」、西に上る坂を「富坂」としたそうだ。、、、、、私には、坂上にあった停留場「真砂町」を通る都電で通学していた時期もあった。 学生時代の思い出もあり、真砂坂の方がシックリくるね。
 
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● a.m.8:34・・・・・・・・・・・春日町交差点を通過。
 
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● a.m.8:38・・・・・・・・・・・私は、まだ若い老人なので、「アテント」、「ライフリー」などは利用していない。 しかし散歩していると、緊急のお呼びがかかる。 ここいらで、スッキリと身繕いをしようと、文京区役所に寄ってきた。、、、、出た! スッキリ、サッパリ、気分爽快!
 
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● a.m.8:52・・・・・・・・・・・文京区役所からは、北西方向に都道436号(小石川西巣鴨線)をひたすら歩けば大塚駅である。、、、、、眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として知られる源覚寺(小石川2)では、チョックラ手を合わせて行こう! コンニャクは持参していないので、お賽銭をチョッピリ。
 
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● a.m.9:01・・・・・・・・・・・小石川の岡埜栄泉(おかのえいせん)前を通過。、、、、、東京に岡埜栄泉は30数店あるそうだ。 どこも、名物は豆大福で、老舗と言われているが、何処が本店やら、本家やら、元祖は何処だ! 長い年月の暖簾分けで、サッパリ判らん!
 
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● a.m.9:15・・・・・・・・・・・共同印刷本社前を通過。、、、、昭和10年(1935)に建設された建物も劣化し、そろそろ建て替えの話が出ているようだ。
 
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● a.m.9:18・・・・・・・・・・・小石川消防署前を通過。、、、、、門柱の上にのっている望楼は、旧大塚消防署(小石川消防署の前身で、昭和初期の名建築であった)の望楼をデザインしている。
 
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● a.m.9:42・・・・・・・・・・・文京区から豊島区に移り、大塚駅も近づいてきた。
 
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● a.m.10:00・・・・・・・・・・・大塚駅前の天祖神社に寄ってみることにした。、、、、南口の商店街に紛れている天祖神社は大塚の氏神様。 氏子のエリアは意外に広く、南大塚、北大塚、巣鴨、西巣鴨、上池袋1丁目、東池袋2~5丁目がその範囲。、、、、、参拝客は絶えず、商売繁盛か?
 
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● a.m.10:19・・・・・・・・・・・大塚駅に到着。 ここまで14,000歩、靴もそろそろ買い替えなければならなくなってきた。
 
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2018年2月11日 (日)

神田明神・湯島天神

今冬にしては暖かな日となり、昼から夫婦で神田明神・湯島天神・上野松坂屋(お買い物)と巡ってきた。 散歩にしては、甘酒、クリームあんみつをチョイト胃に入れ、ダイエット高架なし。
 
 
 
①神田明神・・・・・・・・・・江戸の神社では知名度抜群の神田明神だが、江戸時代に建てられた神社の建物は大正12年(1923)の関東大震災で焼失し、現在の建物は震災後に建てられたものである。 昭和9年(1934)に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造の現社殿は、伝統様式のデザインを引き継ぎ、鉄骨鉄筋コンクリートで造られた初期の建物として国の登録有形文化財に指定されている。、、、、、銭形平次も目を見はる江戸風の豪華絢爛たる造りで、八五郎はビックリしたと思うよ!
 
・・・・・・・・・・・・まずは、鳥居の横の天野屋で甘酒飲んで一休み。
 
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・・・・・・・・・・・・・今日は建国記念日、お年寄りには紀元節、その祝日ゆえの賑わいか(?)この大勢の参拝客に驚いた。、、、、、拝殿前には行列が、、、、、私達も並んでお参り。
 
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・・・・・・・・・・・・・・おや、拝殿では新婚カップルが記念撮影。 おめでとう!
 
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・・・・・・・・・・・・・ところで、神田明神を設計したのは建築家:大江新太郎(1875~1935)と佐藤功一(1878~1941)、施工したのは木田保造(1885~1940)率いる「木田組」(後の木田建業)。 この木田保造は、単なる施工会社の社長というより、自ら設計・施工を手掛けた建築家であったらしい。 木田保造が手掛けた建物として、函館の金森倉庫、百十三銀行本店、東京の第一生命、京華女子中高等学校、昭和第一高等学校、上智大一号館などが現存している。
 
 
 
②湯島天神・・・・・・・・・・なんじゃ・なんじゃ・こりゃ・こりゃ、こりゃなんじゃ? 天神さまも、満員御礼状態。、、、、、そうか! 今日は「梅まつり」だった。 受験生も多い。
 
・・・・・・・・・・・・・・参道には屋台も出て御祭り気分。
 
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・・・・・・・・・・・・・湯島天神は、雄略天皇2年(458)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建された。 南北朝時代の正平10年(1355)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀したそうだ。、、、、、旧社殿は明治18年に改築されたものであったが、老朽化が進んでいたため、平成7年(1995)に権現造の現社殿が再建された。、、、、また、平成12年(2000)には、「湯島神社」から「湯島天満宮」に名称を改称したのだが、私の頭の中では、「湯島天神」のままである。
 
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・・・・・・・・・・・・・梅まつりに受験生。 天神さまに願いが叶といいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・ここでも、結婚式が行われていた。 今日は大安(?)、まあ何でもいいか。 
 
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●・・・・・・・・・・・・・この後は、クリームあんみつで一休み。 松坂屋で買い物に付き合わされて、帰宅する。 

2017年10月18日 (水)

文京シビックセンター

循環器内科の診察日。 いつものように、後楽園のクリニックで診察を受け、帰りはチョイト寄り道を! 文京シビックセンターに寄ってきた。 8千歩のミニ散歩。
 
 
 
後楽森ビル・・・・・・・・・・文京区後楽の住宅金融支援機構ビルと、トヨタ自動車東京本社ビルに挟まれ、私が通うクリニックが入っている地上19階/地下5階建ての「後楽森ビル」がある。 森ビルの北側は水戸徳川家の上屋敷であった名勝「後楽園 」。
 
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小石川砲兵工廠・・・・・・・・・・・・庭園の「後楽園」を中心として、南側は外堀通り、東側は白山通り、北側は春日通り、西側は後楽1丁目と2丁目の境の道路に囲まれた広いエリアが旧陸軍の「小石川砲兵工廠」の跡地である。 現在の後楽園遊園地、ドーム、講道館、文京シビックセンター、中央大学理工学部、小石川運動場、トヨタ自動車本社ビル、などなど、みんな小石川砲兵工廠の敷地内である。、、、、、今日はこの辺りをぶらついてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・東京都戦没者霊園、、、、、、、砲兵工廠の中にあった陸軍工科学校の跡地に戦後造られた、満州事変~大東亜戦争までの東京の英霊:16万柱を祀る霊園。
 
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・・・・・・・・・・・・・戦没者霊園の東隣に礫川公園がある。、、、、、公園は小石川台地の東端に造られており、東京メトロ丸ノ内線「後楽園駅」の出入口も公園に接している。 昭和39年(1964)、東京都が公園を造成し、翌年、区に移管されました。 公園は、東から西に上る高低を活かし、3段のひな壇形式に造られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・礫川公園のひな壇の階段脇に、知る人ぞのみ知る煉瓦作りのトンネル、旧東京砲兵工廠射撃場がある。 写真(上):左端の階段のさらに左側の斜面に、明治16年から18年頃に造られたと思われるトンネル射撃場の出入口がある。  写真(下):トンネルは雑草の茂る奥に、入ることができないよう柵で囲われている。 トンネルは約280mあり、戦後は小石川トンネル射撃場と名前を変え、ライフル射撃の練習場としてオリンピックの予選なども開かれたが、平成11年(1999)に閉鎖された。  現在は国有未利用工作物として関東財務局東京財務事務所が管理している。 
 
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●文京シビックセンター・・・・・・・・・・文京区役所の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に平成11年(1999)に竣工。 地上28階/地下4階、高さ142m。 設計:日建設計、施工:清水建設・戸田建設・五洋建設・浅沼組・岩田建設・日本建設。 23区の区役所として建物高さは高い建物である。 ついでに、お値段の高さは、建築費389億円で、高いか?安いか?
 
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・・・・・・・・・・・・・チョイと25階の展望室に上ってみることにした。 高所恐怖症の私には人一倍の勇気を振り絞りエレベータに乗った。 足下は見ないように、クワバラ・クワバラ・ナムアミダブツ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、浅草橋の方向を見る。、、、、『我が家は見えないな~~、もう少し大きな家を建てればよかった。』、ひとり言
 
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・・・・・・・・・・・・・・下を見ると、地下鉄が顔を出してきた!
 
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・・・・・・・・・・・・・・スカイツリーの押上方向。 手前は本郷。
 
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・・・・・・・・・・・・・・中央に小石川植物園が見える。 この方角が北。
 
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・・・・・・・・・・・・・・池袋方面、左に見える道路は春日通り。
 
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・・・・・・・・・・・・・新宿方面、左下の緑は後楽園、右手前の建物は中央大学理工学部。
 
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