千代田区

2022年7月21日 (木)

冷やし中華の発祥地

九段下から靖国通り沿いに歩き浅草橋(我が家)まで、1万歩の散歩です。



● 浅草橋駅から都営浅草線に乗り次の東日本橋駅(=馬喰横山駅)で乗り換え、都営新宿線の九段下駅で下車する。 今日の散歩は「九段下駅」からスタートする。、、、、、九段下駅は、東京メトロ東西線・半蔵門線、都営地下鉄新宿線の駅である。 駅名はその名のごとく九段坂の坂下に位置することに由来する。 昭和40年代頃までは、須田町方面と渋谷方面を結ぶ都電が走っており、30年代には私も通学に利用していた、懐かしの路線。、、、、地下鉄の開通は、昭和39年(1964)12月23日の東京メトロ東西線開通、昭和55年(1980)3月16日の都営新宿線、平成元年(1989)1月26日の東京メトロ半蔵門線が、順次開通した。 ホームは地下2階に相対式2面2線の東西線ホームがある、地下4階には半蔵門線と新宿線のホームが相対式2面2線の間に島式1面2線の構造で配されている。、、、、昭和47年(1972)、私が勤めるゼネコンが九段下駅~市ヶ谷駅間のシールドトンネル工事を施工しており、当時新人の私は、研修で九段下から工事現場に入らされた。 生まれて初めて、恐る恐る、ワクワク・ドキドキ、トンネルの工事現場に入った思い出ある地。

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・・・・・・・・・・・・ 地上に出ると、普段であれば『東西南北どちらに向かう?』と悩むのであるが、今日は、熱中症が心配なので寄り道せずに、靖国通り沿いに浅草橋(我が家まで)まで歩くことにする。、、、、九段下駅を出て、チョイト横丁に入ると、懐かしい構えの住宅(千代田区九段南1)があった。 2階の丸窓、最高!

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● 九段下から神保町に向かうと、まず首都高の下、日本橋川に「爼橋」が架かっている。 橋名の「爼橋(まないたばし)」は難読だ。 名前の由来は、橋が2枚の爼(まないた)を渡したような板橋であったことによるとする説と、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとする説がある。、、、、最初の爼橋は江戸時代初期に架けられたそうだ。 関東大震災後は、大正通り(=靖国通り)の拡幅に合わせ、昭和4年(1929)に爼橋も長さ25.6m、幅42.0mの鉄筋コンクリートのアーチ橋に架け替えられた。 昭和42年(1967)上部に首都高が建設され、さらにその後、地下には地下鉄が建設されたのに伴い、昭和58年(1983)に現在の鋼桁橋に架け替えられた。

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● 専大前交差点から駿河台下交差点までは、靖国通りの南側に平行する「さくら通り」・「すずらん通り」を歩く。

・・・・・・・・・・・・ 専大(=専修大学)前交差点の南側「さくら通り」入口前にある、うなぎ専門店「今荘」 玄関は角地を切り欠いて設けられ、正面には唐破風、その上の2階には丸窓、最上部は神社のような破風がある、遊郭のような建物。 昭和初期(昭和8年らしい)の建築。、、、、建物もいいが、蒲焼もいいね!

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・・・・・・・・・・・・ さくら通りの神保町側入り口脇に、社会鍋でおなじみの「救世軍日本本営」の建物がある。 以前の建物は、現在と同じ場所に4階建て(?)の中世のヨーロッパの城のような雰囲気の建物だった。 当時中学生であった私にとっては、軍服を着た人が出入りする建物なので、チョイト怖そうで近寄りがたかった。

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・・・・・・・・・・・・ 白山通りを横断し、すずらん通りに入ると「揚子江菜館」がある。、、、、神保町交差点を中心に、さくら通り・すずらん通り界隈は、明治・大正期から華人が住み中華料理店を営み“中華街”であった。 現在でも約30店の中華料理屋が点在する。 その内の1店が揚子江菜館だ。、、、、夏になると、ここが発祥の店と言われている「冷やし中華」を食べに行く。 今年は、先週末に家族で食べてきた。 旨い!

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・・・・・・・・・・・・ すずらん通りの駿河台下側の入口には、「文房堂(ぶんぽうどう)」がある。、、、、明治20年(1887)神田小川町に創業。 日本で初めて大学ノート、便箋、五線譜などの文房具を製造発売した。 現在は画材関係の店として有名だ! 現在の建物は大正11年(1922)に完成した名建築。

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● 駿河台下からは靖国通りを歩き浅草橋へ・・・・・そろそろ暑くなってきた、熱中症の予防に「ソルティライチ」を飲みながら歩く。 小川町、岩本町を過ぎると浅草橋の交差点。

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浅草橋駅高架下のPCR検査場、予約なし・無料にもかかわらず、いままで閑古鳥が鳴いていたが、今日は行列ができていた。 東京都の感染者3万人超となれば、怖くなったのか!

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2022年7月18日 (月)

几号水準点巡り

例年より早く梅雨明けした東京、でも先週は『梅雨 再び到来』と言いたくなる連日の雨。 昨日、一週間ぶりに雨も上がった。 今日は、朝から『散歩してくるぞ!』

JR四ツ谷駅から、外濠通りを歩いて市ヶ谷へ、市ヶ谷からは外濠公園を通り抜け靖国神社へ、九段坂をおりて都営新宿線の九段下駅から帰宅。 1万歩の散歩



● 三連休の最期は『海の日』。 谷底のようなところにある「四ツ谷駅」ホーム、電車から降りる人は少なく、乗る人も少ない。 モグラのように駅ビル「アトレ」の下から地上に出る。、、、、四ツ谷駅は、明治27年(1894)10月9日、新宿駅~牛込駅間開通と同時に甲武鉄道の駅として開業した老舗。 現在のJR四ツ谷駅ホームはほとんどが千代田区麹町にあるが、駅ビル「アトレ」は千代田区と新宿区にまたがり、駅の正式所在地は新宿区四谷になっている。(利用者にとってはどちらでもいい話だ!)

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● 駅を出たら、どっちに向かうか? とりあえず、駅前の大通り「外濠通り」を市ヶ谷方向に歩く。 出がけにテレビでは、気温33℃の真夏日となる予報であったが、まだ暑くない。 今年初めてセミの鳴き声を聞く、“いいね、夏だ!”

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● 市ヶ谷駅手前で、道路の向かいのビルの間に「市谷亀岡八幡宮」77段の階段が見えた。 チョイト、寄って行く!、、、、市谷亀岡八幡神社は、太田道灌が文明11年(1479)に、市谷御門内(現:千代田区内)に鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を、江戸城西方の守護神として勧請、鶴岡八幡宮の「鶴」に対して、亀岡八幡宮と称したそうだ。 しかし、その後戦火にさらされ荒廃していったが、江戸時代に入り寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に現在地に移転した。、、、、ここの神社の境内は樹木が多く、雑草も多く、ヤブ蚊も多い。 参拝するたびに痒~い、痒~い経験をしたことを思い出し、今日は慎重に参る。 でも、やられた!足の脛が痒~い。

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・・・・・・・・・・・・ 市谷亀岡八幡神社には、私が探し歩いてる「几号水準点がある。 当神社の手水鉢台座にあるはずだ、チョイト見て行こう!、、、、几号水準点のある場所は知っているが、改めて見ると何となく安心するものだ!

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・・・・・・・・・・・・ 参拝を終えると、『そうだここまで来たら、今までどうしても見つけることのできなかった、市ヶ谷新見附橋の几号水準点を探しに行こう!』と決めた。 今日の散歩の行先は市ヶ谷新見附橋とした。



● JR市ヶ谷駅ホームの御茶ノ水寄りに立つと、前の濠に釣り堀がある。 その釣り堀の頭上に架かる橋が「市ヶ谷見附跨線水道橋」である。、、、、市ヶ谷見附跨線水道橋は、昭和4年(1929)に完成した。 外濠と複々線の線路を跨ぐこの水道橋は5径間の下路鋼鈑桁橋で、総長98.1mの橋には一本の送水管が載っている。 歩いて見ると、桁と高欄は見えるが水道管は見えない(新宿区側の正面からは見える)デザインで、景観を配慮したような粋な構造物だ!

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● 外濠通りから、濠の反対側(千代田区側)にある外濠公園を歩く。、、、、市ヶ谷新見附橋の几号水準点は、以前に『市ヶ谷駅と飯田橋駅の中間にある新見附橋の公衆便所近くにある』と聞いていた。 今日もその言葉を頼りに、JR線路東側の崖上の外濠公園(千代田区)を中心に探すことにした。、、、、地図を見ると、外濠公園には公衆便所は三か所ある。 一か所は市ヶ谷見附交番の隣り、もう一か所は新見附橋から飯田橋に寄った法政大学前、残る一か所は飯田橋駅前の牛込見附だ。 いずれも、これまで数回、几号水準点を探し回ったことのある公衆便所だ。

・・・・・・・・・・・ 市ヶ谷見附交番横の公衆便所周辺をキョロキョロ探すが、見つからず。 公衆便所を周りをキョロキョロ、チョイト、怪しい人物と思われたかも? 引き続き外濠公園内を歩く。 物置小屋のような建物周辺もキョロキョロ、ガサガサ。

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・・・・・・・・・・・・崖下には中央線快速、中央総武緩行線が走る。

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・・・・・・・・・・・・ 市ヶ谷駅と飯田橋駅の中間に「市ヶ谷新見附橋」がある。 周囲には公衆便所は無い。 この辺では無さそうだ! あきらめ次の便所へ探しに行くかと思いつつ、橋の横の「東京市 外濠公園」と標した石を撮影。 何気なく、そこから5m程離れた歩道上を見ると、几号水準点があった! 鮮やかに“不”の図形が刻まれている。 『やっと見つけた、でも便所は無い!』 後に判ったことだが、20年前には几号水準点の前に公衆便所があったそうだ。(歩道上に公衆便所の跡らしき形状で縁石が並んで写っている)、、、、これで私の几号水準点巡りに、1ヶ所プラスすることができた。

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● 予定より早く几号水準点が見つかったので、靖国神社の几号水準ても見て行こう!、、、、「靖国神社」では、16日まで盆に因んで英霊を慰霊する「みたままつり」が行われていた。 境内では大小3万を超える献灯、提灯や雪洞が掲げられていた。 壮観だ!(夜来るともっと凄いと思う!)、、、、提灯に書かれた、献者の名を見ていると、15年ほど前まで私の父が東京支部役員を務めていた「陸軍工科学校」同窓会の名があった。 書かれた文字を見てると、父の姿を思いだし、賽銭を奮発し改めて合掌する。

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・・・・・・・・・・・・ 靖国神社の神門をくぐり拝殿に向かって左右に灯篭がある。 その左側の灯篭台座に几号水準点がある。

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● 靖国神社の几号水準点を見たら、近くの田安門(武道館へ向かう門)にも几号水準点がある。 こちらも、チラリと見て行こう。

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● 「九段下駅」から都営新宿線で帰る。

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2022年2月 3日 (木)

ワクチン接種

連日各地で“過去最多”の記録を更新している新型コロナの感染者数。 私は、正月過ぎあたりから外出が怖くなり、家に籠ってパソコンゲームと写真整理で時間をつぶし、外に出るのは医療機関とコンビニに行く程度。 しかし、今週はチョイト忙しくなりそうだ。 三日前と昨日は、母を介助して病院へ、帰ってからは自分のリハビリで整形外科へ。 今日は午後から夫婦そろってワクチン接種、家の近くの区民館へ。 明日は上野の病院で泌尿器科の検診、明後日は中野の病院で眼科検診。 連日家に籠っての暗い自粛生活に比べると、医療機関が多いけど暇な年寄りには“良い気分転換”となる。



● 先週(1月下旬)、高齢者のワクチン接種券が送られてきた。 早速、予約センターに電話すると、『ファイザーは3月以降になります。モデルナは2月以降の接種が可能です』との返事。 我が夫婦は1回目・2回目はファイザーであった、モデルナを打つと交互接種となり、チョイト怖かった。 『急がば回るな、すぐに行け!』で、『何でもいいから打ってくれ!』と、今日の接種予約となった。 会場は我が家(台東区浅草橋)から、ゆっくり歩いても15分程の区民館(台東区台東)、接種会場には医師・看護師も含め、年寄りばかりで色気なし、14時の予約で40分程の時間で接種完了。、、、、このブログを書いている、只今時刻は22時、いまだ夫婦ともに副反応は出ていない。 いろいろ心配してみたが、終わってしまえば、ハイそれまでよ~~。 




● 接種会場となった「台東一丁目区民館」は、蔵前橋通りと凸版印刷本店の間に位置する複合施設。 低層階が台東地区センター、図書館、老人ホームなどで上層階はUR賃貸住宅のアクシス台東(106戸)になっている。、、、、この地は、平成2年(1990)に廃校となった二長町小学校の跡地である。 植え込みには、二長町小学校の校歌の碑がある。、、、、「二長(二丁)町」の由来は、この地が江戸時代より「二丁町」と呼ばれていたが、明治5年(1872)に、対馬の宗家厳原藩と伊勢国の久居に陣屋を構えた久居藩の邸地そして周辺の武家地を合併して「下谷二長町」とした。 「にちょう」とは、この地を東西に横切る小路に付けられたとされているが、その謂れは明らかではない。、、、、二長町の名は、昭和39年(1964)に消滅し、現在は台東区台東となっている。

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・・・・・・・・・・・・区が設置した案内板には旧町名:二長町の町域が緑で示されている。

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● 区民館の南側には、凸版印刷本社がある。 この地には江戸時代の芝居小屋「市村座」があった。、、、、凸版印刷の向いがわには、東京帝国大学附属病院の跡地で、明治39年(1906)に三井家総代三井八郎右衞門により設立した「三井慈善病院」(現:三井記念病院)がある。 私の腹を切り開いてくれた病院。

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● 三井記念病院の東側(千代田区神田和泉町2)には、終戦時まで「国立衛生試験所」があった。、、、、現在はスパーの「
LIFE」が建っている、、、、歩道に設置された案内板には、『国立衛生試験所発祥の地  国立衛生試験所(現、国立医薬品食品衛生研究所)は、わが国最初の国営の医薬品試験研究機関、東京司薬場として、1874年(明治7年)3月、現在の中央区日本橋馬喰町に発足し、1875年(明治8年)に現在の千代田区神田和泉町2番地で本格的業務を開始しました。 1945年(昭和20年)3月の東京大空襲に罹災し、世田谷区上用賀に移転したのち、2017年(平成29年)10月に川崎市に移転しています。』と記されている。、、、、写真では立派な建物だ、残念ながら、戦後生まれの私には記憶に無い建物である。

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・・・・・・・・・・・・三井記念病院の西側には、大正11年(1922、関東大震災の前年)に建てられた鉄筋コンクリート造2階建てを、煉瓦造り風に改修した「東京都下水道局和泉町ポンプ所」がある。、、、、建物は古いが、重要なインフラ施設。

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● 今日の東京の感染者は20,679人、身の回りに感染者がいても、おかしくない状態になってきた。 まだしばらく自粛は続きそうだ!

2022年1月24日 (月)

明治末期の架道橋

正月松の内も過ぎた頃から、オミクロン株の感染者が連日過去最高を記録し、高齢の私は家に籠って自粛を続けている。 しかし、今日は2カ月毎の循環器内科の受診日。 久しぶりに電車に乗って、水道橋のクリニックへ行ってきた。 “散歩”と言うほどの距離は歩いていないが、チョッピリ気晴らしができた!




● 誰もがみんな知っている東京ドームシティの最寄り駅、場外馬券売り場もある。 その名は「水道橋」。 駅名の由来は神田上水の掛桶(かけひ、水道の通る橋)が近くにあったことによる。、、、、明治39年(1906)9月24日、甲武鉄道の駅として開業したが、一週間後の10月1日には国有化により国有鉄道の駅となる。

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・・・・・・・・・・・・新宿方のホームにはホームドア取付け工事がすすめられている。 御茶ノ水方ホームはまだ工事が始まっていない。、、、、駅は度々改修されているが、ホーム上に古いレールを利用した架線柱などがあり昭和の雰囲気が残っている。

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・・・・・・・・・・・・改札口にズラリ並ぶ自動改札機。 野球・コンサートが始まる前は自動改札を出るとダフ屋がウロウロ! 終われば、改札前は帰宅する人であふれる。

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● 私が通うクリニックへ行く手前にJR中央・総武緩行線が走る「小石川橋架道橋」がある。 今日は、チョイト写真を撮ってきたのでご紹介する。
・・・・・・・・・・・・まず「小石川橋」とは、水道橋と飯田橋の間で、神田川に架かる橋。 ここには、かつて江戸城外濠の「小石川門」があった。 明治時代には門は撤去され、木橋が架かっていたが、関東大震災後(昭和2年)に鋼橋に架け替えられた。 平成24年(2012)には老朽化の為、現橋に改修された。、、、、この橋の正面に小石川橋架道橋がある。

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・・・・・・・・・・・・小石川橋架道橋は、神田川から分岐する日本橋川に架かる。 写真:右奥のトラス橋が小石川橋架道橋で手前の青い橋は道路橋の「三崎橋」 左端の奥にはグレーのシートに覆われた水道橋(工事中)がチラッと見える。 神田川に架かる小石川橋から撮影。

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現:三崎橋は、昭和29年(1954)に架け替えられ、その後昭和62年(1987)に橋の両側に歩道橋が新設された。

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・・・・・・・・・・・・三崎橋の隣りに架かるトラス橋が「小石川橋架道橋(ガード)」である。、、、、この橋が架けられたのは、甲武鉄道の時代(明治時代)で、日本で鉄道の建設はもっぱら諸外国に頼っており、お雇い外国人が活躍した時代である。 当時、鉄道建設は、北海道ではアメリカ、本州ではイギリス、九州ではドイツを手本として進められた。 橋梁は輸入品を使用した。 その輸入先の一つに、ドイツの橋梁メーカーであるハーコート社があった。 小石川橋架道橋を挟む両側架道橋部分のガーター橋に明治37年(1904)のドイツハーコート社製を示すプレートがついているので、中央のトラス橋部分も同時期のものと思われる。

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2021年10月30日 (土)

お役所巡り

一昨日の続きで、『皇居から歩いてみよう!』と家を出た。


● 東京駅へは、普段はJRを利用して行くのだが、今日は浅草橋駅前から、都バス「東京駅八重洲口行き」のバスで行く。

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・・・・・・・・・・・・バスは八重洲口の大屋根「グランルーフ下のバスターミナルに停まる、チョイト、ペデストリアンデッキの上から駅前を眺めてみる。 駅前再開発が進められており、私の知るビルはなくなり、超高層ビルを建築中!

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・・・・・・・・・・・・北口自由通路を歩き、八重洲口から丸の内口へ向かう。 時刻は7時半、人影も増えてきた!

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・・・・・・・・・・・・東京駅丸の内駅舎の正面から、
皇居前の和田倉門までまっすぐに伸びる全長約200m、幅約74mの大通りが「行幸通り」である。 行幸通りは、明治22年(1889)の中央停車場(現:東京駅)の位置決定に始まり、明治36年(1903)の市区改正の新設計により行幸通りの整備が決定され、これにより明治43年(1910)に行幸通りが整備された。、、、、整然とした綺麗な通りだ! 地下にはギャラリーがある。

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● 今日の散歩の出発地点:皇居前広場に到着。

・・・・・・・・・・・・皇居前広場から桜田門、日比谷公園方向を望む、、、、二重橋は右手奥

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・・・・・・・・・・・・ハ~イ、二重橋にやってきました、、、、手前の「正門石橋」と、奥に「正門鉄橋」(写真では石橋に隠れ見えない)、二つ合わせて「二重橋」、、、、二重橋の写真を見てると、古い田舎の家を思い出すね。 日露戦争に出征したお爺さんとお婆さんの写真の横に、明治天皇、昭和天皇の写真が並び、さらに隣に二重橋の写真もあった! どこの家も同じように飾ってた。

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・・・・・・・・・・・・皇居前広場を警備する懐かしい交番がある!、、、、「警視庁丸の内警察署 祝田町見張所」が正しい名前とおもわれる。 設計者不明。 交番の竣工は、正門石橋が明治21年(1888)ではないかという資料もあるから、それと同時期か後と考えられる。

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● 二重橋を見たら桜田門も、、、、皇居前の警視庁庁舎から来ると、まず簡素な「桜田門高麗門」がある、その奥に重厚な「桜田門櫓門」と続く。 二つの門は鍵の手に配され、二重の門となっている。


・・・・・・・・・・・・安政7年(1860)に、水戸藩浪士による大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きたのは、この桜田門高麗門の外側(警視庁側)である。

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・・・・・・・・・・・・高麗門から入ると右側に桜田門櫓門がある。

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・・・・・・・・・・・・この桜田門櫓門にも、私が探し訪ねる几号水準点がある。、、、、桜田櫓門を入り、左側の門の内側の石垣
にある。(写真赤〇の位置)

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● 桜田門、警視庁前から南の虎ノ門方面に伸びる道路が国道1号だ。 1号線の両側には官庁が並んでいる。 建物を見ながら虎ノ門へ向かう。

・・・・・・・・・・・・「警視庁本部庁舎」の建物を見ると、旧庁舎の空撮を背景にン~ン~ってハミングのテーマソングが流れる、TBSドラマ『七人の刑事』を思い出す。 建物は変わったが角地の尖がった形状は昔と同じ。 堀雄二の係長と、芦田伸介、美川洋一郎、佐藤英夫、城所英夫、菅原謙二、天田俊明の6人の刑事。 渋い役者ばかりのドラマで、忘れられない!、、、、現庁舎は昭和55年(1980)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・警視庁と向かい合わせに建っているは、重要文化財の「法務省旧本館 赤れんが棟」(=旧司法省)、、、、明治19年(1886)、明治政府はドイツの有名な建築家エンデとベックマンを日本に招き、近代国家への体制作りの一環として、ヨーロッパに劣らない官庁街を目指し、この二人の「お雇い外国人」に設計を依頼した。 そして、誕生したのが司法省と大審院(後の最高裁判所)である。、、、、司法省の着工は明治21年(1888)、その後7年をかけて竣工した堂々としたドイツのネオ・バロック様式の旧司法省である。 当時のドイツ国内においても同様式ではこれほど立派な建造物はなかったそうだ。、、、、そして、平成3年(1988)から明治の姿に復元・保存する本格的な工事が始められ、平成6年に竣工。

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・・・・・・・・・・・・国会議事堂から近く、すぐ見えるのが「外務省」で、建物は結構古い。 “口”字型に配された、北庁舎は昭和35年(1960)、中央・南庁舎は昭和45年(1970)、新庁舎は平成7年(1995)に竣工。 

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・・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に着工し、昭和14年(1939)に竣工した「財務省」(旧大蔵省)。 大蔵省営繕管財局の設計によるこの建物は、入り口のアーチを除けば、見事なほど簡素。 しかし、周囲の中央省庁の建物が次々と建て替えられる中、戦前から残る建物として今や貴重な存在となった。

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・・・・・・・・・・・・虎ノ門角に残る「文部科学省・文化庁」(旧文部省)、、、、建物は、昭和7年(1932)竣工の鉄骨鉄筋コンクリート造6階建、スクラッチタイル貼の戦前からの建物で、大蔵省営繕管財部の設計による。 しかし、現存するのは前面部分のみで、実質的には旧建物の背後に建つ高層ビルに内にオフィスがある。

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・・・・・・・・・・・・おまけでもう一軒、昭和40年(1965)に竣工した日本最初の超高層ビル「霞が関ビル」、、、、設計者:三井不動産、山下設計、施工:鹿島・三井建設共同企業体、地上36階(高さ147m)の超高層ビルで、当時は見学者も殺到するビルであった。 最上部には展望室もあった。、、、、いまは、話題になることも少なく、ひっそりと!

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● 虎ノ門交差点を過ぎ、愛宕山の西側崖下に浄土宗寺院の「久遠山栄閑院」がある。 栄閑院は、久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が、天徳寺の塔頭として創建された。 寛永の頃に猿回しに扮した泥棒が、住職に改心させられた。 泥棒は猿を置いて諸国行脚に向かい、猿は寺の人気者になったことから「猿寺」と称されたそうだ。、、、、本堂脇には、蘭学者杉田玄白の墓がある。

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・・・・・・・・・・・・栄閑院の右隣に、浄土宗寺院の「知祖山興紹院」がある。 境内の閻魔堂には、天保9年(1838)刊行の『東都歳時記』に記載されている石造閻魔像が安置されている。 この閻魔は、眼病に霊験あらたかとして信仰され、祈願者の願いが成就した時には、そのお礼として「こんにゃく」を供えるならわしとなっていた。 現在その風習は失われているが、当時の民間信仰を知る貴重な像である。像高はおよそ1m、風化が進んでいるが、筍を持ち上方に開いた方形の冠をつけ、口を開いた忿怒の相であることは、僅かに窺い知ることができる。

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愛宕山のトンネルを抜け、芝公園から大門駅に出て都営浅草線で帰宅。、、、、1万3千歩の散歩

2021年10月28日 (木)

皇居までブラブラ

今日は、浅草橋の我が家から、神田、大手町、東京駅と歩いて、1万3千歩。




● 朝食を済ませ7時過ぎ、まだ昨夜の雨で濡れた道を、乗降客の少ない浅草橋駅西口神田川は左衛門橋で渡り、靖国通りに出る、ガードを抜けると神田駅北口交差点。、、、、この辺の散歩は、こっちを見てね!

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● 今まで歩いてきた通りは、神田駅前から「神田警察通り」と称し、名前は変わるが通りの雰囲気は変わらず。 西の一ツ橋方向に向かう。


・・・・・・・・・・・・ここ“神田”の表通りはオフィスが並ぶ商業地、いくら歩いても面白いものを発見できないね。、、、、「美土代町交差点」に出た! 「美土代町」は難読ではないと思うが読みは“みとしろちょう”。 現在の住居表示の町名は「千代田区神田美土代町」 神田美土代町の由来は、江戸時代、この辺りは重要な武家屋敷地であると同時に、新たな風俗・流行を生み出すこともできる江戸っ子の町だった。 そんな町に“美土代”という名がついたのは明治5年(1872)のことである。 かつて、この周辺に伊勢神宮にささげるための初穂を育てる水田「みとしろ」があった故事にちなんで生まれた名前でした。 ちなみに、“神田”という名前も同じ故事に従ってつけられた。 明治期の美土代町は、一丁目~四丁目まである広大な町域をもっていたが、その後、美土代と称する地域は縮小され昭和22年(1947)より神田美土代町となる。 令和3年(2021)10月1日現在の世帯数と人口は86世帯、128人。、、、、私が中学生の頃、この交差点には都電「美土代町」停留場があり、2系統(三田~白山曙町)が走っていた。 私は、中学校(指ヶ谷町)から、この都電で塾(芝園橋)通いしていた、思いである町だ! 当時は木造建築の中に、ポツリポツリと低層ビルが建っている商業地であった。(60年前の話)

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・・・・・・・・・・・・神田警察通りの一ツ橋寄りに、歴史ある学校が二校並んでいる。 「錦城学園」と「正則学園」である。 両校とも、創立は明治で、中学・高校の男子校として始まった。 田中角栄、椎名悦三郎、稲山嘉寛、赤堀四郎、島崎藤村、木村義男などは錦城学園の創業生。 石橋湛山、川島正次郎、十河信二、江戸英雄、石川啄木、斎藤茂吉、伴淳三郎などは正則学園の卒業生。 スゲ~、錚々たる著名人ばかり!、、、、写真手前の5階建て校舎が錦城学園、奥の7~8階建て(?)校舎が正則学園。

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● 神田警察通りから南に折れて「千代田通り」(別名:明大通り、=駿河台の明治大学の前から南下する)を歩き大手町へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・日本橋川に架かる復興橋のひとつ「錦橋」がある。 昭和2年(1927)に震災復興事業の一環として、神田錦町と大手町を結び架けられた鉄筋コンクリートのアーチ橋である。 3連のアーチ橋であるが、中央径間部分が広くなっており、両脇のアーチは二分の一のアーチという、少し珍しい構造である。、、、、橋名は橋の北詰の町名「神田錦町」に由来する。 その「錦町」は町内に「一色家」が2軒あったから(いっしき×2=にしき)、と言うことらしい。 嘘か真か、どうでもよいか!、、、、ここも、頭上には首都高が走り、邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・錦橋を渡り大手町に入ると「気象庁前交差点」である。 その名のごとく、気象庁庁舎前の交差点であったが、気象庁は令和2年(2020)12月7日に虎ノ門に引っ越した。 写真は、左に鉄塔が乗っている旧気象庁、右の白い建物は東京消防庁、気象庁の建物の後ろ茶色い建物は現在、自衛隊によるコロナワクチン接種会場となっている。

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・・・・・・・・・・・・気象庁前交差点に「和気清麻呂像」が大手濠の外から皇居を眺めるように立っている。、、、、和気清麻呂は宇佐八幡から持ち帰った託宣により当時権勢を誇っていた道鏡の皇位簒奪を食い止める働きをした。 いわば現在まで続いている皇統を救った人物である。 昭和15年の皇紀2600年に際して、彫刻家:佐藤清蔵により作成された。、、、、皇統が途絶えることのないよう、見つめているのかも?

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皇居近く、大手町1丁目、大手町三井ホールビル脇の一角にある平将門の御首(みしるし)を祀っている「将門塚」、、、、最近の大手町開発事業により、将門塚も新調されモダンな塚となった。 いろいろと都市伝説がある有名な場所。 平将門は東国の英雄とうたわれる武将で、現在では神田明神の祭神でもある。 見てると、多くの出勤前のサラリーマンが手を合わせて行く。

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● 皇居の大手門前に来た。 『そうだ! 大手門には几号水準点がある、チョイト見ていこう』、、、、大手門の几号水準点は大手高麗門
扉外側で、右側石垣の最下段側面にある。(写真赤〇の中)、、、、門の中(二の丸庭園)に入らず、門の下にカメラを向けて何やら撮っている不思議な男、警備のお巡りさんに、チョイト怪しまれたかも?

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● 大手門周辺を見て、東京駅に向かう。

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2021年10月23日 (土)

すっかり田舎者

私のカメラが修理から戻ってきた。 早速、今日はカメラを持って、JR四ツ谷駅から、赤坂・虎ノ門をとおり新橋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 久しぶりに「四ツ谷駅」の東側にある麹町口に出た。 この出口は、上智大学の斜め前にあるが、チョイト北側には名門女子校の「雙葉学園」(幼・小・中・高)がある。 東側には、こちらも女学生ばかりの「女子学院」(中・高)と、同じく女学生ばかりの「麹町学園」(中・高)がある。 今日土曜日の早朝、駅から吐き出されるのは女学生ばかり、駅前でマスクに帽子の助平そうなおやじが、カメラを持ってウロチョロすると完全に怪しまれる。 麹町警察署に引っ張られるのも嫌なので、足早に駅前から去る!

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● 上智大学隣にある「聖イグナチオ教会」に寄ってみた。 早朝の聖堂内に人影はない。、、、、聖イグナチオ教会(千代田区麹町6)は、イエズス会が運営するカトリック教会。 昭和24年(1949)に創立。 現聖堂は、旧聖堂の老朽化と狭隘化により改築が計画され、平成11年(1999)完成し、竣工式、献堂式が行なわれた。 建築設計は坂倉建築研究所、施工は清水建設・竹中工務店JVにより、RC造の地下1階 地上4階の建物である。 教会全体は中央の芝生の広場を囲むコの字型の配置で、祈りの空間としては、最大1000人規模のミサができる大聖堂、旧聖堂のステンドガラスを残した中聖堂、日本人が祈れる空間を和のデザインに求めた小聖堂などがある。 作品(建物)は、2001年度のBCS賞(建築業協会賞)を受賞した。 ドーム状の主聖堂内部はシンプルだが天井が大きな花弁を模したデザインで、暗さはなく明るく落ち着いた雰囲気の祈りの場である。

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● 四ツ谷駅からホテルニューオータニに向かって伸びる、外濠の土塁上の道を「ソフィア散歩みち」と呼ぶそうだ、おしゃれな名前で驚いた!  聖イグナチオ教会前から土塁上にあがると、桜や松の大樹が茂り、眼下には四ツ谷駅・迎賓館・上智大学のグランドなどが見える。 若い二人にはおススメの散歩道。

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● 外堀通りの
紀之国坂交差点から赤坂見附の方向に下る「紀之国坂(きのくにざか)」を歩く。 坂の東側は首都高と弁慶濠、西側は赤坂御用地。 長さ40m程の緩やかな坂で、坂の西側に江戸時代を通じて紀州徳川家の広大な屋敷があったことから名付けられた。 “赤坂”の起源とする説もある。、、、、この坂の下に、20数年前、私が痔の手術で入院した病院がある。 ベッドからは緑の奥にニューオータニ、プリンスの各ホテルが見える、最高の病室であった。 今度は、健康な時にのんびりと入院したいね(???)

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● 赤坂見附交差点から南に向かい、山王日枝神社本殿裏に至る稲荷参道を上る。 参道の階段を上ると山王日枝神社の末社「山王稲荷神社」に出る。 稲荷の大神は生成発展・商売繁盛の守り神として全国に祀られ、この地:永田馬場星が岡の地主神として松平主殿頭忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬冶2年(1659)本社山王権現が麹町より移遷されるに至り、境内末社となった。、、、、

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・・・・・・・・・・・・稲荷の前から、「山王日枝神社」拝殿前に出た。、、、、山王日枝神社の創建の年代は不詳。 文明10年(1478)太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。 徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。 慶長9年(1604)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。 社地は家康により5石、元和3年(1617)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった。 明暦3年(1657)の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659)将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座した。 その後、明治15年(1882)に官幣中社になった。 大正元年(1912)には官幣大社に昇格した。 昭和20年(1945)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958)に再建された。、、、、私の参拝中に、七五三参りが5組、お宮参りが2組、結婚式が1組、“おめでた”一杯の華やかな境内であった。 美しい女性を見るのも楽し!、、、、参拝済ませて神門前の男坂(階段)を下る。

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● 東京に生まれ、東京で育ち、大学で建築を学び、ゼネコンに就職し、勤務地は九段と赤坂と飯田橋、この経歴なら絶対的に東京の建築物をより多く知っているはずの私だが、今日歩いてみると“立派な田舎者”となっていた。 定年退職し20余年、東京都心はガラリと変わり、ビル名の判らないガラス張りのモダンな超高層建築ばかりとなった。、、、、そんな街を歩いて、溜池交差点に来ると角に、懐かしの「コマツビル」が残っている! 屋上にブルドーザーのオブジェが乗っていた(平成3年撤去)小松製作所の本社ビル、溜池交差点のシンボル的なビル。 今は周囲の建物に比べ、低い、色あせたビルとなったが、懐かしい!、、、、コマツビルの設計は中山克己建築設計事務所+増沢建築設計事務所、施工は鹿島建設+小松建設、地上10階/地下4階、竣工は昭和41年(1966)3月。

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・・・・・・・・・・・・コマツビルと似たような懐かしい印象がある「日本財団ビル」、、、、港区赤坂一丁目交差点角にあるこのビルは、昭和37年(1962)に吉村順三設計事務所の設計により日本NCRの本社ビルとして建設され、2000年に日本財団に譲渡された。 住宅を得意とした建築家:吉村順三が初めて手掛けたオフィスビルである。、、、、施工は竹中工務店、鉄骨鉄筋コンクリート構造/地下4階/地上8階。 昭和39年(1964)に第5回建築業協会賞(BCS賞)を受賞した建物。

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● 虎ノ門交差点の近くにある「虎ノ門金刀比羅宮」にもお立ち寄り。、、、、金刀比羅宮は、讃岐丸亀藩主の京極高和が自領・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に当地虎ノ門へ遷座した。、、、、社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家:伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。、、、、社殿は26階建ての超高層ビルの敷地内にあり、まさにビルに埋もれた都会の神社。

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● 森ビルと言えば、だれもが知る、日本を代表する都市デベロッパーであり不動産会社。 今は、各地で超高層ビルを中心とした都市開発を推進しているが、昭和40年~50年代頃は“第〇〇森ビル”とナンバーリングしたオフィスビルのオーナーとして名を馳せた。、、、、創業家である森家は昭和30年(1955)に森ビルの前身である森不動産を設立、翌年4月に「西新橋2森ビル」を竣工した。 昭和32年(1957)11月に「西新橋1森ビル」(2が先で、1が後)を完成させ、以後、貸ビル業者として竣工順にナンバリングした“第〇〇森ビル”を順次建設する。、、、、その森ビルの、第1番目に竣工した記念すべき西新橋2森ビルが西新橋1丁目の裏通りに現存している。 森ビルの“記念館”にでもなるか(?)

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● JR新橋駅近く、外堀通りに面して建つ、渋い外観の「堀ビル」(登録有形文化財)、、、、このビルは錠前屋のビルとして昭和7年(1932)に建てられた。 以来90年近く新橋のランドマークとして多くの人に親しまれてきた。 現在は竹中工務店が「レガシー活用事業」の一つとして、一括借り受けてレンタルオフィスとして活用しているそうだ。

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● 南北コンコースが一体化され、ホーム大屋根が設置されたJR「新橋駅」に到着、、、、JR新橋駅から乗車するのは久しぶり(普段は都営地下鉄で浅草橋まで乗り換えなし)、ここでも“田舎者”で、構内をキョロキョロしながら改札を通る。 

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2021年10月18日 (月)

浅草橋~御茶ノ水

今朝5時の気温は12℃、寒い! 秋を飛び越して、冬が近づいてきた! 慌ててジャケットを取り出し、デジカメ持って散歩に出る。

浅草橋の我が家から、総武線の高架橋沿いに歩いて神田明神へ。 時刻は9時、チョイト早いが、98歳の我が母を医者へ連れていくため散歩はココまで。 今日は8千歩のミニ散歩。




● JR総武線浅草橋駅から高架橋沿いに、スタコラ歩くと隣の秋葉原駅までは20分程で着く。 秋葉原から神田明神までは10分程。 ナンダカンダ言っても、我が家から神田明神までは所要30分。、、、、今日は、朝の爽やかな空気の中を、1時間かけてのんびりと参拝した、、、、このルートは、今年の5月3日に歩いているので詳細はこちらで!



・・・・・・・・・・・・朝7時過ぎ、浅草橋駅西口(裏口?)は静かだ! まだご近所の通勤・通学客は家で朝食中?

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・・・・・・・・・・・・浅草橋駅~秋葉原駅間(正しくは、両国駅~御茶ノ水駅間)の高架橋は昭和7年(1932)に開通した。 90年の歴史を有する高架橋である。 東京駅周辺の煉瓦造の高架橋と比べると、鉄筋コンクリート造でデザイン的にもあまり特徴のない、面白みのないシンプルなものだ。、、、、高架橋は浅草橋から秋葉原に向かって徐々に高くなり、秋葉原駅手前では4階分くらいの高さとなっている、、、、昭和40年代頃までは、高架下に定住する家庭もあった。 私の同級生も高架下に住んでいて、家に泊めてもらったこともある。 慣れていないので、電車・汽車が通過すると眠れなかったことを思い出す。 今は、倉庫・事務所・駐車場・飲食店として利用され、住んでる人はいないようだ。 

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・・・・・・・・・・・・首都高1号線が頭上を通る昭和通り(=国道4号)に面し、高架下に出入口がある「秋葉原駅 昭和通り口」、、、、そろそろ8時、通勤・通学客の姿も多くなってきた!

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・・・・・・・・・・・・秋葉原駅昭和通り口の南側に、歩道を広くしたような「秋葉原公園」がある。、、、、秋葉原公園は、明治時代、神田川と秋葉原貨物駅の船溜まりを結ぶ運河の一部であった。 その後、運河は埋め立てられたが、公園の両側には、当寺の護岸の石垣が残されていた。 また、公園の南端には、運河に架かっていた佐久間橋の親柱が残されている。

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・・・・・・・・・・・・秋葉原駅の西側、中央通り付近の高架下は電機屋・パソコン屋などが並んでいる、、、、店が開いている時間帯は、この付近にメイド姿の若い娘を見ることが多い。 一度は入ってみたいね、メイド喫茶に!(70歳過ぎたら恥ずかしくて入れない)

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神田明神に到着!、、、、社務所を覗いてみたが、巫女さんはまだ出社前だ! 楽しみが半減したので、賽銭も半分にした! 

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聖橋からニコライ堂を眺め、御茶ノ水駅に到着!、、、、時刻は8時50分、そろそろ通勤ラッシュかな。 

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2021年5月 3日 (月)

我慢は辛い!

感染力が強い「N501Y」が東京を襲いはじめ、先週から外出をひかえ、自宅軟禁状態が続く。 TVでは、ゴールデンウイークと重なり、観光地・繁華街の人出の増加情報が連日放送され、何となく“外出OK”の雰囲気だ。 しかしニュースは引き続き、今日の感染者数・重症者数が“過去最高”であったことなど報道し、不要不急の“外出自粛”を再認識させられる。 ところがさらに、ニュースの後に医療崩壊の特集番組が続き、医療の危機的状況を知ると、気持ちは決定的に“外出不可”となる。、、、、そんな毎日、散歩はできず、我慢は限界!

・・・・・・・と、思いながら、今朝7時に浅草橋の我が家から神田明神まで早朝の散歩。 往復で1万1千歩




● JR総武線の高架橋に沿って、浅草橋から隣りの秋葉原に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・朝7時、通勤通学客のいない浅草橋駅。 駅高架下の店は休み、どこも開いていない。 歩く人もなく、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・JR総武線の両国~御茶ノ水間は昭和7年(1932)7月1日の開通。 また、浅草橋駅および浅草橋~秋葉原間の高架橋・架道橋は、同時期に完成した。、、、、秋葉原側の高架橋は、三階建ての建物が内部に造れる巨大なアーチ形状の構造となっていいる。

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・・・・・・・・・・・・高架橋の南側に区立の佐久間公園(千代田区神田佐久間町)がある。、、、、この公園の周辺には、江戸時代、町人地と武家の屋敷地とが混在していた。 「佐久間町」の名前の由来は、佐久間平八という材木商が住んでいたことに由来するとされている。、、、、佐久間公園はラジオ体操会発祥の地としても知られ、「国民保険体操のラジオ放送(のちのラジオ体操)」が開始されてまもなく、昭和5年(1930)に万世橋警察署の巡査が地域の住民を集め、全国に先がけてこの公園で早起きラジオ体操会を始めたそうだ。、、、、【蛇足】 ラジオ体操の発祥地は、ここ佐久間公園の他、文京区の大塚公園、足立区の千住本氷川神社にも、それらしき謂れを標した記念碑がある。(どこが本当の発祥地か? 知る人ぞ知る!)

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● 秋葉原駅前に到着。、、、、秋葉原駅は明治23年(1890)11月1日に日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。 明治39年(1906)に国有化され、大正14年(1925)11月1日に東北本線上野~東京間の高架線が開業し旅客営業が開始された。 昭和7年(1932)に総武本線、御茶ノ水~両国間が開業し、総武本線のホーム(3階)が山手線・京浜東北線のホーム(2階)の上にでき、立体交差する二重高架構造の駅となっている。、、、、昭和40年(1965)に設置された総武線ホーム(3階)と昭和通り口(1階)を結ぶ日本最長のエスカレータは有名で、知る人も多い。 また昭和60年頃(?、私の記憶で不確か)までは、総武線ホームと電気街口を結ぶエレベータもあった、こちらは知る人ぞ知る。

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・・・・・・・・・・・・時刻は8時、駅前の電気街には、まだ人影は少ない!

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・・・・・・・・・・・・メイド喫茶の多い電気街の中(千代田区外神田1)に、「講武稲荷神社」がある。、、、、講武稲荷神社は、安政4年(1857)の鎮座で、運慶作と伝えられる神体を祀っている。 この地は、住居表示改正以前は旅籠町(はたごちょう)と称していた。、、、、戦後、昭和40年頃(?)までは、神社の近くに「旅籠町交番」(昌平橋際、現存せず)があった。 この交番は、私(雅万歩)が4歳ぐらいの頃迷子になり、保護された思い出の交番である。 メイド喫茶に行って、ミルクでも飲むつもりだったのかも(?)

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● 秋葉原から昌平坂を上り、神田明神へ、、、、神田明神は、千代田区外神田に鎮座する神社で、正式名称は「神田神社」 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神である。、、、、江戸時代の社殿は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失。 その後、3年の歳月をかけて昭和9年(1934)に権現造で、日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造・総朱漆塗で現在の社殿(国の登録有形文化財)が完成した。、、、、ここでも、早朝の神社は人影はまばら。 境内では、禰宜・巫女さんが、掃除や開店準備で忙しそうだ!、、、、拝殿では早速、お賽銭を奮発し新型コロナ感染症鎮静を祈願して、二礼二拍手一礼。

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● コロナに感染しないよう、早々と来た道を戻る。、、、、我が家にもどれば、再び自粛生活、我慢・我慢はチョイト辛い!

 

2021年3月27日 (土)

“密”より桜

“密”を避けるつもりで、朝、千鳥ヶ淵へ花見に行った。 行ってビックリ、見てドッキリ、赤ちゃんシャックリ、爺さんギックリ、千鳥ヶ淵は満員御礼。 春の陽気の下、一年ぶりの花見である。、、、、飯田橋駅から、千鳥ヶ淵、最高裁判所、国会議事堂をめぐり桜田門駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 昨年7月、ホームを市ヶ谷寄りに移設し急カーブを解消した飯田橋駅は、西口(神楽坂側)の駅舎もモダンなデザインの橋上駅舎に新調した。、、、、黒を基調とした駅舎は、神楽坂の料亭のイメージかな?

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● 飯田橋駅斜め前の「日本基督教団 富士見町教会」、、、、、富士見町教会は、明治20年(1887)に創立され、120余年の歴史を持つ教会。 最初は麹町一番町にあったが、明治39年(1906)に富士見町に移転した。 移転後、建物は度々建替えられ、現在の教会は平成25年(2013)に竣工した。 祈りを捧げる人の手の形をイメージし、天を頂きとする三角形状が幾重にも重なるデザインの教会である。 ステキな教会です。

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・・・・・・・・・・・・教会前の早稲田通りを200m程南へ歩くと、いつ解体されてもおかしくないような、忘れ去られるような、地味な建物「共済ビル」がある。、、、、建築年代は不明だが、昭和初期の建物と思われる。 20~30年前までは、タイル張りの外塀であったが、剥がれ落ちるるのか、修復したようだ。、、、、ビル名の“共済”は、“国家公務員共済組合連盟”の関連かも?

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● 靖国神社の大鳥居前を通り、田安門付近にはカメラを持った人があちらにも、こちらにも! 時刻はまだ朝8時前だ!

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・・・・・・・・・・・・千鳥ヶ淵には既に大勢の人が、、、、アリャリャ、コレではコロナに感染するかも? 注意・注意と思えども、ソーシャルディスタンスは難しい。 2m離れると、間に割り込む人がいる!、、、、感染覚悟を決めて、花見を楽しむことにした。

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● 千鳥ヶ淵の南端の堤上に、第二次大戦中に皇居を護るために据えられたB29迎撃用の高射機関砲の台座跡が残っている。 台座は7基残っているが、今はちょうど丸いベンチとして、休憩用に使用されている。、、、、ここに据えた高射砲で、高々度を飛ぶB29を本当に撃ち落とせたのだろうか?


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● 千鳥ヶ淵から英国大使館前の半蔵濠に沿って歩く。

・・・・・・・・・・・・英国大使館は、昭和4年(1929)に建てられたもので、英国工務局設計によるもおの。 また、新館と呼ばれている、オフィス用の建物は昭和62年(1987)の建築である。 天皇の住いである吹上御所に、皇居外から最も近い位置にある建物。

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・・・・・・・・・・・・・・こちらもサクラが見事に咲いている。

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● 半蔵門から先は、久しぶりに皇居周辺の名所巡り・・・・・

・・・・・・・・・・・・皇族が日常出入りする半蔵門。 半蔵門から眺める警視庁(正面)方面。 緑が美しい!

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・・・・・・・・・・・・国立劇場、、、、劇場建物は敷地、諸元等が決定した後、昭和37年にコンペが開始され、翌38年竹中工務店のチームによる設計案が選ばれる。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階/地下2階、延床面積26,989㎡にて、昭和41年(1966)竣工。、、、、かれこれ、築60年になる低層の建物で、周辺の高層ビルが目障りになって来た!

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・・・・・・・・・・・・国立劇場のお隣には最高裁判所、、、、こちらもコンペが実施され、鹿島建設のチーム(岡田新一ほか16名)が当選した。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階/地下2階、延床面積59,671㎡にて、昭和49年(1974)竣工。

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・・・・・・・・・・・・最高裁判所の敷地東側の付近には、かつて三河田原藩の上屋敷があった。 江戸時代の文人画家・蘭学者であった渡辺崋山は、寛政5年(1793)この上屋敷内で誕生した。、、、、現在は三宅坂小公園となっている。

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・・・・・・・・・・・・次は憲政記念館、、、、国会議事堂前、永田町1丁目1番1号に建つている、尾崎行雄を記念する会館。 昭和47年(1972)に我が国の議会開設80年を記念して建てられた。 海老原一郎の設計、大成建設の施工。、、、、憲政記念館は、このたび取り壊されることとなり、新しく国立公文書館と合築して建設・移転することになった。、、、、お別れのため、内部をチョイト拝見!

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・・・・・・・・・・・・憲政記念館の隣り国会前庭園には、日本水準原点庫がある。、、、、都教育委員会の説明では、『日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24年5月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第1期生の佐立七次郎。建物は石造で平屋建。建築面積は14.93㎡で、軒高3.75m、総高4.3m。 正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンターブラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフ装飾で特徴づけられる。日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。』と記されている。

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・・・・・・・・・・・・・・国会前庭園にもう一つ大事な基準点がある。 それは、巨大な鉛筆型の電子基準点「東京千代田」である。、、、、電子基準点「東京千代田」とは、『この電子基準点は、我が国の準天頂衛星システムや米国のGPSなどの星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な三次元位置を計測・モニタリングする施設である。国土地理院は全国に電子基準点網を構築して、土地の測量や地図の調整に必要な位置の基準を提供するとともに、国土の地殻変動をモニタリングしている。また、受信した信号は高精度なリアルタイム位置情報サービスにも利用されている。電子基準点「東京千代田」は日本の基準となる日本水準点の近傍にあり、その標高を常時モニタリングする役割も担っている。』 なにやら、判ったような判らないような、チンプンカンプンの説明である。
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● 国会前庭園に来たら、本宅である国会議事堂を見て行かねば罰が当たる!!、、、、内部には入れてくれないので外からパチリ!、、、、現在の建物は昭和11年(1936)に帝国議会議事堂として建設された。 鉄骨鉄筋コンクリート造り地上3階(中央部分4階)、地下1階。

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● 今日の散歩は桜田門まで。 警視庁の地下から、地下鉄で逃走!
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