伝通院
飯田橋駅から、伝通院、こんにゃく閻魔、シビックセンター、後楽園を巡り、水道橋駅まで、1万歩の散歩です。
● JR飯田橋駅で下車する。 JR飯田橋駅は島式ホーム1面2線の高架駅。 駅舎は東西に出口があるが、地形が傾斜しているため、東口側は高架駅舎のようになっており、西口側は橋上駅舎となっている。、、、、今日は東口から歩くことにした。 飯田橋駅では、中央・総武線のホームが令和2年(2020)に西側(新宿寄り)に約200m移設され、秋葉原寄りの東口に出るには、電車が停まらなくなったホームの部分を100m程歩くようになった。 年寄りには、短い距離も長く感じるホームである。
● 飯田橋駅から、神田川を越え北へ歩く。 坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで「安藤坂」(距離:約250m)と呼ばれる坂を上る。 正面に伝通院の山門が見える。
・・・・・・・・・・ 文京区小石川3丁目の高台にある伝通院(=傳通院、でんづういん)は、正式には「無量山 傳通院 寿経寺」という、浄土宗の寺。 徳川将軍家の菩提寺である。、、、、創建は応永22年(1415、室町時代)。 慶長7年(1602)に徳川家康の生母於大の方(水野氏)が京都見物中に伏見城で亡くなると、家康は母の遺骸を遺言通りに江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬した。 位牌は安楽寺(愛知県蒲郡市)に置かれ、光岳寺(千葉県関宿町)など各地に菩提寺を建立した。 慶長8年(1603)に家康は母の遺骨を現在の墓地に埋葬し、寿経寺をここに移転して堂宇を建て始め、生母於大の法名「伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」にちなんで院号を伝通院とした。、、、、昭和20年(1945)5月の米軍による空襲で小石川一帯は焼け野原となり、伝通院も江戸時代から残っていた山門や当時の本堂などが墓を除いてすべて焼失した。 かつての将軍家の菩提所としての面影は完全に消え去ったが、昭和24年(1949)に本堂を再建。 さらに、現在の本堂は、昭和63年(1988)に戦後2度目に再建されたものである。 平成24年(2012)には山門が再建された。
・・・・・・・・・・ 伝通院の墓所には、於大の方以外に、千姫、三代将軍家光の正室孝子など、徳川家にゆかりのある女性や、将軍の三歳以下の子供たちが眠っている。、、、、侍女の墓もある。 死んでも徳川家の墓所に弔われるとは、羨ましいね!
・・・・・・・・・・ 生母於大の墓と千姫の墓
● 伝通院から東へ善光寺坂の途中に、浄土宗の「慈眼院(じげんいん)」がある。、、、、慈眼院の創建年代は不詳だが、元和6年(1620)に沢蔵司稲荷の別当寺になっていることから、この頃には慈眼院が創建していたと推定される。
・・・・・・・・・・ 境内の崖下には「沢蔵司稲荷(たくぞうすいなり)」が祀られている。 別当寺は慈眼院。 「沢蔵司(たくぞうす)」とは、大田道灌によって千代田城(後の江戸城)に勧請され、その後元和年間に伝通院において仏法や学問を学んだとされる狐神。、、、、沢蔵司は。僅か3年で浄土宗の奥義を極めたという秀才で、「沢蔵司 てんぷらそばが お気に入り」と川柳に読まれたほど著名な僧(狐)だったといわれてる。 きつね蕎麦が好きだと共喰いになるからね!
・・・・・・・・・・ 慈眼寺前の善光寺坂の道路の真ん中に一本の巨大な「椋の木」(樹高:約13m、主幹:約5m、樹齢:約400年)残っている。 この場所は江戸時代、伝通院の境内であった。 その後、伝通院の鎮守であった沢蔵司稲荷の神木として現在に至っているそうだ。、、、、今にも倒れそう、そろそろ樹命が来たかも?
● 慈眼寺の隣りには善光寺坂の謂れとなった「善光寺」がある。、、、、浄土宗の善光寺は、慶長7年(1602)に伝通院の塔頭縁受院として創建、明治17年(1884)善光寺と改称し、信州の善光寺の分院になったといいます。
● 善光寺坂を下り都道436号にでると、「こんにゃく閻魔」で有名な「源覚寺(げんかくじ、文京区小石川2)」にもお立ち寄り。、、、、浄土宗寺院の源覚寺は、常光山西向院と号す。 源覚寺は、寛永元年(1624)創建された。 本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩)。 特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていた。 江戸時代には四度ほど大火に見舞われ、特に天保15年(1848)の大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。 しかし、こんにゃくえんま像や本尊は難を逃れた。 再建は明治時代になったが、その後は、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れられた。しかし老朽化が進み現在の本堂は1979年に再建されたものである。
・・・・・・・・・・ 当寺の別称にもなっている「こんにゃく閻魔像」は、鎌倉時代の作といわれ、像内から寛文12年(1672)に修復された記録が発見されている100.4センチの木造の閻魔大王の坐像である。 運慶派の仏師が造立した仏像である。、、、、閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴で、その原因となる伝説が残されている。 それは、宝暦年間(1751~1764)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔像に日々祈願していたところ、老婆の夢の中に閻魔が現れ、「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて、治してあげよう」と告げたという。 その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔に供え続けたといわれている言い伝えによるものである。 以来この閻魔像は「こんにゃく閻魔」の名で人々から信仰を集めている。 現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。(お供えのこんにゃくが山となって積まれていた。 住職の今宵の食事は、おでんと味噌田楽に、こんにゃくの芋煮かな?)
● 文京区の本庁舎が入居する文京シビックセンターは、文京公会堂の跡地に平成11年(1999)に竣工。 地上28階・地下4階、高さ142m。 東京23区の区役所の中でも高い建物である。、、、、設計は日建設計、施工は清水建設・戸田建設・五洋建設・浅沼組・岩田建設・日本建設のJVによる。 文京シビックセンタービル単体の建築費は389億円といわれてる。、、、、『今日は、建国記念日で祝日、公開されていないかも』と心配しながら、展望台に寄って見ることにした。、、、、地上25階の無料展望台は公開されており、高所恐怖症の私にはチョイト怖いシースルーのエレベーターで、地上105mの展望台に上った。 東京の街並が一望できるほか、遠くは富士山なども望むことができ、眺望バツグン!
● 後楽園ドーム球場をとおり抜けJR水道橋駅から帰宅。