港区

2022年11月27日 (日)

大雄院は住宅か?

「東叡山 寛永寺 護国院」→「神齢山 悉地院 護国寺」→「護国山 天王寺」→「海福山 天王院 正圓寺」→「天王山 淵富院 正光寺」→「瑠璃山 正光院」→「正光山 大雄寺」と、山院寺号のつながりで寺院巡りをしてきた。 今日は“大雄院”を探し、参拝することにした。、、、、“大雄院”は日本全国に6ヶ寺ある。 中でも、臨済宗大本山妙心寺塔頭の大雄院(京都市)、曹洞宗の天童山大雄院(茨木県日立)は有名処。 他には、群馬県桐生市に曹洞宗の大雄院が、福井県大野市に日蓮宗の大雄院が、大阪府吹田市に曹洞宗の大雄院があり、残る1ヶ寺は東京都港区愛宕にある真言宗の大雄寺。、、、、住所を調べ、地図で場所を確認すると、愛宕山の階段下だ! 『ヨシ、今日の散歩は大雄寺から、愛宕山の放送博物館へ行ってみよう』



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今日は日曜、夫婦で散歩。 浅草橋から都営浅草線で、7駅目、所要15分、「大門駅」で下車。、、、、ここから、大雄院に寄り、愛宕山へ向かう。

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● 大門駅からチョイト西へ歩くと「芝大神宮(芝神明宮)」、2年ぶりに手を合わせて行こう!、、、、芝大神宮の氏子域に江戸町火消し「め組」が含まれる。 文化2年(1805)、境内で起こった「め組の喧嘩」の舞台はココ。 今日は喧嘩も見られず、穏やかに参拝する。、、、、芝大神宮は伊勢神宮の祭神、天照大御神(内宮)と豊受大神(外宮)の二柱を主祭神とする。 平安時代の寛弘2年(1005)一条天皇の御代に創建された。 古くは飯倉の地にあって「飯倉神明宮」、現在地に移って「芝神明宮」と称す。 鎌倉時代は源頼朝の篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代においては徳川幕府の篤い保護の下に神社は賑わい、「関東のお伊勢様」として多くの庶民信仰を集めた。、、、、現在は狭い土地の有効利用のため、1階の駐車場の上に境内がある。 階段はキツイ!

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・・・・・・・・・・ 鳥居の左脇に「生姜塚」がある、、、、境内の井戸水が眼病に効くといわれ、眼の悪い人たちが、祭利の日に門前で参拝者に売ったことに始まるという。 この生姜は社殿鎮座当時、周辺に生姜畑があったところから神前に供えられもので、根が大きいので「根っかち生姜」とも呼ばれる。 「神社から出る生姜を食せぱ風邪を引かない」といわれている。 現在は、神社で「生姜飴」が売られてる。

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・・・・・・・・・・ 鳥居の右脇には「貯金塚」がある、、、、近隣地に現在のりそな銀行の前身の一行であった「不動貯蓄銀行」を設立し、貯金王と称された牧野元次郎の偉業を称え、昭和32年(1957)、貯金塚(碑文は武者小路実篤筆)が建立された。 以後、毎年、貯蓄・貯金の加護祈請を執行している。、、、、関東大震災の混乱時、どこの銀行も貯金を下ろさせなかった事態が起きていたが、ただ一軒「不動貯金銀行」だけが貯金の全額を払い戻し、多くの人々を助けたことは伝説となっている。 碑文には『倉は焼けても 貯金は焼けぬ 』(ごもっとも!)

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・・・・・・・・・・ 芝大神宮の北側には、昭和50年(1975)頃まで「芝神明花街」として三業地が存在していた。 大正時代には料亭40軒以上、芸妓120名以上で花街の全盛だったそうだ。、、、、今は、当時を語る建物もほとんど消えてしまった、残念だ!

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芝公園の紅葉を眺めながら、愛宕山へ向かう、、、、都心の紅葉は今が見ごろかも

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● 愛宕神社に到着。 赤い鳥居をくぐると、講談「寛永三馬術・曲垣平九郎」で有名な、男坂の石段「出世の階段」がある。 途中に踊り場なし、一気に上る86段の石段はチョイト怖い!、、、、愛宕山は正しくは桜田山。 愛宕神社が勧請されてから通称「愛宕山」と呼ばれるようになった。 山頂の愛宕神社境内には三角点があり、25m7㎝の標高が記録されている。 天然の山としては23区内最高峰。 山手台地より高い。 江戸時代から武士たちの間で篤く信仰され、山頂からの江戸市街の景観は素晴らしいものだったそうだ。

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・・・・・・・・・・ 出世の階段の上り口左際に住宅風の建物がある。 ここぞ本日の散歩の目的地「大雄院」 門柱には「道了大菩薩奉安所 真言宗 大雄院 大日本和合会」という表札がかかっている。 真言宗霊雲寺派の布教所らしい、宗教法人としての登録もなされており寺院である。 とりあえず、山院寺号つながりの「大雄院」を制覇した。、、、、誰に訊ねることもなく静かに写真を撮って去る

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・・・・・・・・・・ 階段を上り「愛宕神社」に参る、、、、多くの参拝客が並んでる。 皆さん出世の御利益を期待してか? 私は、年末ジャンボ10億円を期待して、夫婦で200円の賽銭を入れる。、、、、愛宕神社は京都の愛宕神社が総本社である。 防火・防災に霊験のある神社として知られる。 慶長8年(1603)、徳川家康の命により創建された。

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● 愛宕神社に参ったあとは、隣りの「NHK放送博物館」の見学。、、、、無料で楽しめる放送の歴史、懐かしくもあり、時を忘れる!

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● 愛宕山の下を抜ける「愛宕隧道」、、、、東京23区内で最も高い自然の山「愛宕山」を堀りぬいた23区内唯一の「山岳トンネル」である。 昭和5年(1930)竣工、90年を経た現在でも、ぼぼ竣工当時の姿をとどめている。、、、、愛宕隧道の全長はわずか76.6m、幅は9m。 歩道が両脇に2.5mずつあるので車道は4mしかなく、愛宕下通り側からの一方通行路になっている。

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● 新橋駅から帰宅。 8千歩の散歩でした。

2022年11月18日 (金)

正光院

今日の散歩は、六本木駅から歩き、“正光”つながりで元麻布の瑠璃山正光院へ参る。 特に見るべきものもなく参拝後は元麻布をブラブラして、麻布十番駅から帰宅。 9千歩



● 久しぶりに東京メトロ日比谷線「六本木駅」で下車した。、、、、六本木駅は、昭和39年(1964)3月25日、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)日比谷線の霞ケ関駅~恵比寿駅間開通と同時に開業。 平成12年(2000)には、都営大江戸線の全線開業により同線の六本木駅が開業し、乗換駅となる。 日比谷線の六本木駅は、相対式ホーム2面2線の地下駅。 改札は地下1階、ホームは地下2階にある。 南側の出入口は「六本木ヒルズ」(地上54階建て)の足下。、、、、平成7年(1995)から数年間、私は六本木にあるオフィスに通い仕事をしていた。 当時は大江戸線の開通前で、私の通勤経路は浅草橋→(浅草線)→東銀座→(日比谷線)→六本木であった。 出勤時は地下鉄、帰宅は六本木から新橋・銀座方面に歩くことが多く、一日一万歩の体力づくりのきっかけとなった。 また、地下鉄サリン事件に私が遭遇したのも、日比谷線で当地に通っていた時の話だ。(もうすぐ30年前の出来事になる)

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● まずは、正光寺に続いて正光院を目指す。、、、、六本木ヒルズから南へ500m程歩くと、麻布税務署の正面に高野山真言宗「瑠璃山 正光院」がある。、、、、正光院は、筑前福岡藩・黒田家の祈願寺として、徳川三代将軍家光の時代(寛永7年)に高野山正智院の末寺として創建された。 開基は黒田藩主筑前守黒田忠之。 忠之の代に御家騒動が起こり藩の安泰を願っておこなった祈祷で、「子安薬師」の名がある瑠璃光薬師の効験があり、忠之の不審がとけた。 その薬師如来を正光院の本尊として寄進したという。(本尊薬師如来の姿を見ることはできず)、、、、正光院は元麻布の住宅街にひっそりと佇む小さなお寺であった!

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・・・・・・・・・・ 今日で、山院寺号巡りも正光寺・正光院と参った。 次は正光山だ! 



● 正光院をあとにして、元麻布の裏道を歩く。 

・・・・・・・・・・ 静かな高級住宅街の中に、国旗と、赤い地に白馬の騎士を配した紋章を掲げるは「リトアニア共和国大使館」、、、、と言われても、“リトアニア”の場所は何処(?) ソビエト連邦の崩壊に伴い独立したバルト三国で最も南に位置するのが“リトアニア”。 現在はNATOに参加し、ウクライナ紛争では国名が出てくる場面も多い。、、、、“騎士の紋章”とは、さすが歴史ある旧王国!

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・・・・・・・・・・ チョイト、脇道からは建設中の超高層ビルが並んで見える。 どんどん超高層ビルが建つ“港区”。 

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・・・・・・・・・・ 坂を下って谷底に辿り着いたら、今度は急な上り坂。 その名は「狸坂」、、、、港区元麻布2丁目と3丁目の間にある、雪でも降ったら滑り落ちるであろう、長さ150m程のかなり急な坂。 坂の名は、『この付近は人をばかす狸が出没したといわれてる』に由来する。

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・・・・・・・・・・ 狸坂を上りきると「旧阿部美樹志邸」がある、、、、“阿部美樹志”とは? 大正から昭和にかけ活躍した、日本の鉄筋コンクリート工学の大御所。 日比谷の有楽座、梅田の阪急百貨店、東京~万世橋間の高架橋、阪急三宮駅などを設計した。 竹中土木の初代社長。、、、、住宅は大正13年(1924)に自ら設計した自邸。 現在は、かなり劣化し、住んでる人はいないようだ。

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・・・・・・・・・・ 旧阿部美樹志邸の先に「一本松坂」がある。 坂の名となった「一本松」も健在だ!

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● 一本松坂から仙台坂に出て、「元麻布ヒルズ」、「氷川神社」、「安藤記念教会」、「善福寺」、「きみちゃんの像」、「麻布十番駅」と歩いて来た。、、、、このルートと歩いた順は逆だが、以前に歩いているのでこちらを見てね!

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2022年5月 5日 (木)

GWの第一京浜

ゴールデンウィークは東京で静かに過ごすつもりだが、昨日のニュースでは都内各所で最高の人出となったそうだ。 今日も五月晴れで、チョッピリ歩いてみたくなり、我が家(浅草橋)から日本橋・銀座・新橋をとおり泉岳寺まで歩いてきた。 1万9千歩の散歩



● 朝7時、『人っ子一人歩いていない』と言いたいが、一人だけ歩く人がいた浅草橋駅前から散歩をスタート。 駅前の国道6号(江戸通り)を日本橋に向かって歩く

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● ゴールデンウィークの真っただ中、人も車も少ない馬喰町の問屋街や日本橋本町のビジネス街、まだ店開きには早すぎる時刻(7時半)に日本橋三越前を通過。 

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・・・・・・・・・・・・今日は『こどもの日』、チョイト前までは『端午の節句』、いずれにしても国民の祝日。 「三越デパート」の玄関先には大きな日の丸が掲げられていた。 昭和の時代頃までは、国民の祝日に一般家庭でも玄関先に国旗を掲揚し祝ったものだが、今の時代は国旗を掲げる家は少なくなった。(我が家もその仲間)、、、、三越の日の丸を見て感動!

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● お江戸の中心「日本橋」に到着。 チョイト「道路元標」を見て行くことにした。 丸いプレート状の本物は橋の中央に嵌め込まれてる(車道中央で写真を撮るには死を覚悟)、複製は橋のたもとにある。 日本橋の頭上を走る首都高にも道路元標がある!

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● 日本橋の「高島屋」では、玄関に国旗の掲揚をしていない。 デパート近くの「日本橋三丁目八日通り」では、街路灯に国旗がなびいてる。 いいね!

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● 時刻は8時、銀座一丁目から八丁目まで営業中の店は無く、キョロキョロすることもなく通過。、、、、資生堂の横の「花椿通り」でも国旗が掲げられていた!、、、、日の丸ではなく旭日旗にすると、韓国人は銀座に来ないかも?

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● 新橋から大門交差点・三田駅前と国道15号(第一京浜)を歩く。 時刻は9時、行き交う車は少なく『ゴールデンウィークだから』と感じる。 

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・・・・・・・・・・・・途中、金杉橋際の「浜松町交番」でも日の丸が出ていた。、、、、連日「ウクライナ侵攻」のニュースを見ていると、国旗への思いが深まり、今まで以上に国旗に敬意を示したいものだ! 

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● 都営浅草線泉岳寺駅の北端に「高輪大木戸跡」がある。 宝永7年(1710)、東海道から江戸府内の入口として、また南の出入口として設けられた大木戸の跡である。 東海道から江戸府内に出入りする人・物を管理するため、道の左右に土塁を設け、その間に柵と門が造られた管理用のゲートである。 その土塁の片側が残されている。

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・・・・・・・・・・・・この土塁の石垣に「几号水準点」がある。 几号水準点は車道側の石垣にあり、チョイと危険なので、見るには勇気がいる。、、、、付近には、清正公山門前西光寺などに几号水準点が残っている

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・・・・・・・・・・・・大木戸跡から高輪ゲートウェイ駅側に10m程行くと、駅前再開発用地を囲むフェンスが目に入る。 その中では、明治5年(1872)にわが国初の鉄道が開業した際に、高輪付近の海上に線路を敷設するために築かれた「高輪築堤」の発掘現場がある。 チョイト、フェンスの隙間からその現場を覗いてきた。 

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● 都営浅草線の「泉岳寺駅」は、昭和43年(1968)6月21日に開業した。 JRの高輪ゲートウェイ駅とは至近で、駅前再開発の最寄り駅となる。 現在はホーム幅の狭い2面4線の地下駅であるが、ホーム幅を大きく広げ、地下コンコースも設ける大改良工事が始まった。

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2021年12月 9日 (木)

立派な瑞聖寺

京急品川駅で下車し、高輪台駅、白金台駅をとおり、JR恵比寿駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 我が家(浅草橋)から品川までは、JRを利用するルートと、都営浅草線を利用するルートがある。 今日は、浅草線に乗り京浜急行の品川駅で降りた(品川駅改良工事で取り壊される京急「品川駅」を見ておきたかった)、、、、2階のホームはまだ大きな工事が始まっていないようだ。

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・・・・・・・・・・・・1階の改札部分は大きく変わった様子はないが、ホーム下の「京急ストア」は昨年3月末で閉店した。 京急ストアは、昭和8年(1933)7月に「京浜デパート」としてオープン、10年後には「京浜百貨店」に改称、平成2年(1990)には京急ストアと改称した、地味な老舗デパートである。、、、、【おせっかいな注】 上大岡にあるのは「京急百貨店」(京急ストアとは同系列の別会社)、品川にあったのは「京浜百貨店」、、、、【ついでの注】 品川駅改築工事の為、JRの駅ビルにあった、JR初のコンビニNEWDAYSも閉店した。

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● 品川駅高輪口の正面から西に向かい、「グランドプリンスホテル新高輪」前まで、チョッピリ急な上り坂がある。 その名は「柘榴坂(ざくろざか)」、、、、長さ約440m、由来ははっきりしないが、途中にザクロの木があったためと思われる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上り口に、かつて京急が運営する「ホテルパシフィック東京」があった。 平成23年(2011)からは複合商業施設「SHINAGAWA GOOS」に変わったが、今年の3月に閉店した。 30階建て954室の建物は駅前のランドマークでもあった。 この建物も、いよいよ取り壊しとなる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上には、「カトリック高輪教会」がある。、、、、敬虔なる信者(?)は、モダンな教会を見ると、チョイト寄りたくなった。

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● 高輪の裏道をチョイトぬければ、都営浅草線「高輪台駅」。

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・・・・・・・・・・・・高輪台駅から白金台駅までは、コチラのルートもある!




● 高輪台駅から白金台の裏道を歩くと、白金台2丁目の二又の角に小さな祠があり、中に小さな「今里地蔵尊」が祀られている。、、、「今里」とは、この地の旧地名。 この辺りは、現在のシャレた地名「白金台」の前は「芝白金今里町」、さらに昔は「今里村」であった。 明治時代には、牛肉を食べる文化が入り、時の政府がココ「今里」に屠殺場をつくった。 そして、町の肉屋は競って、ココの屠殺場から肉を仕入れるようになったのである。 現在、老舗の肉屋で「今半」など、店名に“今”の字がつくのは、ココ「今里」との繋がりを示しているのだ。、、、、現在では、屠殺場の痕跡は何も残っていない。

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● 今里地蔵尊の二又の右側の道を150m程進むと「三田用水路跡」がある。、、、、三田用水路とは、玉川上水を現在の下北沢で分水し、渋谷・三田・目黒・大崎・高輪付近まで給水する上水路である。 三田用水は昭和49年(1974)まで利用されていた。 階段の脇に用水路の断面(U字型)がそのまま残された遺構がある。 この辺りは標高が低く、築堤で用水を流したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・三田用水路跡から100m程歩くと、白金台幼稚園の前には用水路上に架かっていた「今里橋」の遺構がある。 コンクリートも劣化し、取り壊されるのは時間の問題か?

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・・・・・・・・・・・・狭い裏道を200m程歩くと目黒通りに出る。 出た処はチョウド、地下鉄南北線・三田線の「白金台」駅前。 東京大学医科学研究所・旧国立公衆衛生院の前に出た!(今日は立ち寄らず、パス!)

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● 白金台駅の南側に位置する、禅宗寺院で黄檗宗系単立寺院の「紫雲山 瑞聖寺」に寄ってみた。 瑞聖寺は、青木甲斐守重兼が開基、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔を開山として寛文10年(1670)に創建。、、、、江戸時代には、山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であったが、文政年間に大規模な罹災あう。 現在の「大雄宝殿(本堂)」は島津家により再建された。、、、、その大雄宝殿は寺域の中心的建物で、寺格に相応しく雄大で形が美しい。 規模・構造は桁行約10間×梁間約9間で、面積約93坪(306㎡、1重周囲に1間の裳階(もこし)がつき、入母屋棧瓦葺き、裳階の屋根は本瓦葺きとなっている。 関東大震災で傷め長く放置されていたが、平成の初期に解体修理が行われ、往時の姿を取り戻した。 しかし建築年代は不明、また国の重要文化財に指定された。、、、、大雄宝殿の本尊脇に座る、山手七福神の一つとなっている布袋尊もビックリするほど立派な寺だ!

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● 東京大学医科学研究所と聖心女子学院に挟まれた裏道を歩き「外苑西通り(プラチナ通り)」に出る。 シロガネーゼの皆様が好きそうな、レストラン、ブティックなどが並ぶ道。、、、、イチョウの黄葉がみごと! 私の住む浅草橋には無い景色。

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● 首都高2号目黒線の下を抜け西に向かうと、港区白金台から渋谷区恵比寿の町に変わる。 急な坂道を上り、小ジャレタ住宅地を歩き、恵比寿ガーデンプレイスに出てきた。 まだ、10時前、店は開いてないはず。 通過して恵比寿駅へ向かう。

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● 「恵比寿」駅到着。 ご存じ、麦酒屋さんの駅、、、、明治34年(1901)2月25日、日本鉄道の貨物駅として開業。 ビール出荷専用の駅であった。 明治39年(1906)より旅客営業を開始する。、、、、島式ホーム2面4線の高架駅である。 ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」に覆われており、1階に西口、3階に東口、それぞれの改札口が設置されている。

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2021年11月 4日 (木)

目黒通りに嫌われた

白金高輪駅から目黒通りを目黒駅方面に歩くと、沿道には見るべき施設が多い。 今日の散歩は、寄る処が多そうだと気持ちを弾ませ、白金高輪駅から目黒駅まで歩いてみた。




● 東京メトロの南北線と、都営地下鉄の三田線が乗り入れている「白金高輪駅」から散歩を始める。、、、、白金高輪駅から目黒方は、南北線と三田線の重複区間であり、当該区間は東京メトロが第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者である。 そのため当駅と白金台駅は東京メトロと都交通局が共用する共同使用駅となっている。 ただし、駅の運営・管理は東京メトロが行っている。、、、、白金高輪駅は島式ホーム2面4線の地下駅で、外側2線を三田線、内側2線を南北線が使用し、方向別に配置されている。 平成12年(2000)9月26日開業。、、、、垢抜けした綺麗な駅だ!

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● 白金高輪駅の西側100m程の処に、法華宗陣門流の「智光山 立行寺」がある。、、、、立行寺(りゅうぎょうじ)は、日通聖人(延宝5年(1677)寂)が開山、旗本大久保彦左衛門(大久保忠教)が開基となり、寛永7年(1630)麻布六本木に創建、寛文8年(1668)当地に移転した。、、、、境内には大久保彦左衛門の立派な墓魚屋一心太助の墓がある。 一心太助は実在の人物か(?  架空の人物で墓が実在するのも珍しい!)

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● 白金高輪駅から南へ200m程歩くと、「清正公前交差点」がある。 ここは国道1号(桜田通り)と、ここを起点とする都道312号(目黒通り)の交差点。

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● 清正公前交差点の南側に、日蓮宗の寺院の最正山 覚林寺(かくりんじ)」、通称「清正公(せいしょうこう)」があるので、去年も参ったが今日も立ち寄ってい行く。、、、、覚林寺は弘化2年(1845)の大火で全焼し、山門は安政3年(1856)清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたものです。 清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間口一間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられている。 三門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門である。

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● 目黒通りに入り、覚林寺の西隣には「シェラトン都ホテル東京」がある。、、、、ホテルは昭和54年(1979)7月7日、閑静な港区白金台の旧藤山愛一郎邸跡地に、「都ホテル東京」として開業。 建物の設計は、かつての世界貿易センタービルなどで知られるアメリカの建築家:ミノル・ヤマサキ、内装は日生劇場などで知られる建築家:村野藤吾の設計であった。 だが平成の改装により内部のデザインの大きく変わり、村野によるデザインは一部を残すのみである。、、、、今日の私は泊まる予定もなく(お金もなく)玄関前を素通りする。

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● シェラトン都ホテル東京前から南西に目黒通りを上る坂が「日吉坂(ひよしざか)」 300m程上ると「日吉坂上交差点」があり、ここまでである。、、、、坂の名は、能役者:日吉喜兵衛(? 知らん!)が付近に住んでいたことに由来するそうだ。 

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● 日吉坂を上がり、地下鉄「白金台」駅前に港区の複合施設として活用されている建物「旧公衆衛生院」がある。、、、、時刻はチョウド9時、開館時間だ、『寄って行こう!』、、、、この建物と向かい合わせに建つ「旧伝染病研究所」(現:東京大学医科学研究所)には、2年前にも来た!、、、、今日は内部をチョイト拝見し、帰りにはショップで『図説 港区の歴史』を購入(重たい本を買ってシマッタ!)

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● 地続きの隣りである、「東京大学医科学研究所」にも寄って行こうと思ったが、、、、コロナの為、厳重警戒中、関係者外立入禁止、守衛さんが怖そうな目でチェック、自分は正真正銘の関係者外、構内立入を諦め、残念!

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● 医科学研究所がダメなら、その先にある「国立博物館付属 自然教育園」に寄って行くか!、、、、『アリャリャ、コリャ、ガッカリ、休園だ!』 昨日は文化の日で開園したので、今日は休園。 ついてない!

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● ならば隣の「東京都庭園美術館」へ、いざ行かん!、、、、『開園している、ヨシ、入園するか!』、、、、門の前に『事前予約制』の貼り紙が、ガ~~ン! ココも駄目だ!、、、、今日は厄日か(?)

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● どこもかしこも入場できず、肩を落としてしょぼくれて、駅へ向かう。 駅の手前、下黒通りに面して「高福院」なる寺に遭遇。 コリャ、“幸福”になれるかも?(単純な思い) とりあえず手を合わせて帰ろう!、、、、高福院は、もと高野山金剛峰寺の塔頭として創建、弁財天の高福に因んで寺名が付けられたと言われてる。 江戸時代に入り、当地近くに松平讃岐守侯下屋敷が造営され、松平讃岐守侯が、讃岐の偉人弘法大師にゆかりのある寺建立を願い、高野山に招請し、高福院を当地へ引寺、慶安元年(1648)に阿闍梨頼順が開山、高野山東京在番所(高野山東京別院)の控寺だったといわれてる。、、、、現在の本堂は、天保15年(1844)に当時の和尚が天保の改革を断行した水野越前守忠邦侯から拝領して移築した堂。、、、、本堂正面のバカでかい石灯篭が気になるね!

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● 目黒駅は、明治18年(1885)3月16日に日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)11月1日に国有化され、国有鉄道の駅となる。 開業後130余年、“駅”の老舗。 乗降客の多い、賑やかな駅だ!

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● 今日は、結局、目黒通りに嫌われて、歩数も少なく、9千歩。

2021年11月 2日 (火)

閻魔耳に懺悔

都営浅草線大門駅から増上寺を抜け、赤羽橋、中之橋、神明坂、日向坂、麻布通りを歩いて都営三田線白金高輪駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 前回の散歩の続きで、我が家から都営浅草線に乗って15分程で大門駅に到着。、、、、「大門」を“だいもん”と読めば極楽浄土の増上寺、“おおもん”と読むと一夜の極楽吉原へ、、、、『ここは“だいもん”、まずは増上寺に参るか!』

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● 増上寺三解脱門前、日比谷通りを挟み正面の芝公園の松原内に「ペルリ提督の像」がある。、、、、嘉永6年(1853)と嘉永7年(1854)の2回、米国使節として艦隊を率いて日本へ来航し、開国を迫った東インド艦隊司令長官ペルリ(私のように古い人はペリーと教わった)の像。 昭和28年(1953)東京都が日本開国百年記念祭を開催した際、ペルリ提督の出身地であるロードアイランド州ニューポート市に石灯籠を贈り、その返礼として贈られた彫刻(フェリックス・ド・ウェルドン作、像の顔立ちは色男だ!)、、、、しかし、なぜこの場所に?、、、、どうやら、ペルリ提督が開国を迫った幕府(徳川家)の菩提寺である増上寺に向かい合うように建てたらしい。(嘘か真かは不明)

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・・・・・・・・・・・・ペルリ提督の像と向かい合うように「遣米使節記念碑」もある、、、、こちらは、万延元年(1860)、新見豊前守正興を正使とした使節団が、アメリカの軍艦ポーハタン号で太平洋を横断し、アメリカに渡って日米修好通商条約批准書を交換した。 この時、護衛の名目で咸臨丸が日本の軍艦として初めて太平洋を横断したことはよく知られている。 この碑は、それから100年を経過した昭和35年(1960)に、遣米使節を記念するため、日米修好通商百年記念行事運営会によって建てられた。、、、、こちらも、ここに建つ理由は不明。

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三解脱門をくぐり、増上寺本堂、、、、今日は本堂で手を合わせ、通り抜ける

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● 増上寺境内の南西の端、道路を挟んで浄土宗寺院「三縁山宝珠院」がある、、、、宝珠院は、増上寺第三十世貫主生譽靈玄大僧正が、閻魔王と共に白蓮池の辨才天女を勧請、別当寺として貞享2年(1685)に創建した。、、、、本堂は令和元年(2019)に改築され、現代的な設計で寺院というより、清楚な住宅かモダンなカフェという感じ。 “弁財天”の旗がなければ、寺と思わず素通りしているかも?

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・・・・・・・・・・・・宝珠院には貞享2年(1685)の作といわれる、高さ1.25mの木造「閻魔大王座像」がある。、、、、閻魔堂の側面の壁には「閻魔耳」というものがあり、懺悔できるようになっている。(浄財の投入口があるのが気に掛かる?)

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● 宝珠院から南へ200m程、赤羽橋の北詰に増上寺の「妙定院」がある、、、、妙定院は、徳川家重の導師を勤めた増上寺四十六世妙誉定月大僧正が、家重菩提のため宝暦13年(1763)に創建したと言われている。 スッキリ整った山門は美しい!

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・・・・・・・・・・・・また妙定院には、十代将軍家治公の尊牌も納められるなどその後の幕府の帰依も厚く、多くの什宝物が寄進された。『法然上人伝絵詞』など現在文化財に指定されているものも多く、「熊野堂」/「上土蔵」の二建造物は、国の登録有形文化財となっている。

・・・・・・・・・・・・「熊野堂」は寛政8年(1796)妙定院第3世定観上人により建立。 熊野三社権現を祀る鎮守。 平成18年(2006)に境内南奥より解体修理移築。

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・・・・・・・・・・・・「浄土蔵」は文化8年(1811)妙定院第4世宝観上人により建立。 妙定院の収蔵品を長く伝えてきた。 平成18年(2006)に境内南奥より解体修理移築。

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● 古川に架かる二橋について、、、、古川は新宿御苑の湧水を水源として、渋谷川として渋谷区内を流れ、天現寺橋から古川と名を変え港区内を流れ、新浜橋の下流で東京湾に注ぐ。

・・・・・・・・・・・・まずは芝公園の南西の端に位置する「赤羽橋」、、、、東麻布、三田、芝、芝公園の各町が接するところで、古川に架かる橋。 橋からは北側に東京タワーがよく見える。、、、、橋名の「赤羽」は赤埴(あかはに)で、赤い粘土質の土のこと。土器を作るのに最適な土だ。そのためこの辺りでは土器作りが盛んで、飯倉の交差点はかつては土器町(かわらけまち)といったものだ。、、、、現在の橋は昭和49年(1974)に造られたもの。 南詰には、明治、大正期のものと思われる重厚な親柱が残されている。

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・・・・・・・・・・・・つぎは、赤羽橋の上流に架かる「中之橋」、、、、橋の竣工は大正15年(1926)7月(ただし、上部は昭和60年(1985)3月に架替えられた) 橋の名は、当時、赤羽橋と一之橋の間にあったので中之橋と命名した(判りやすい名付け)、、、、橋の両端にある親柱は、付近の久留米藩有馬屋敷にあった、高さ三丈(約9m)の火の見櫓を模したものである。この火の見櫓は江戸名物の一つで、“日本一の火の見櫓”と言われたそうだ。

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● 中之橋から神明坂を上り、オーストラリア大使館前に出ると、大使館前に浄土宗寺院「永昌山龍原寺」がある、、、、寺は明暦の大火後の再建ということで、弘化3年(1847)に建てられた本堂は土蔵造り。 土壁の上に、腰壁までを洗い出し、上を漆喰で塗り込める仕上げとなっている。 その結果、独特の味わいが出ています。 向拝の龍の天井画は大変珍しい作品であるが、下から見上げただけでは画法・構図が判然としないね。

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● オーストラリア大使館前から日向坂を下ると、麻布通り(=都道415号)「二の橋交差点」にでる。、、、、広い通りは両側にビルばかり、見るべきものも少なく、楽しくない! 歩行リズムは単調に変わる。

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● 都営三田線(東京メトロ南北線)の「白金高輪駅」に到着。 今日はここまで、帰ることにした。

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2021年10月30日 (土)

お役所巡り

一昨日の続きで、『皇居から歩いてみよう!』と家を出た。


● 東京駅へは、普段はJRを利用して行くのだが、今日は浅草橋駅前から、都バス「東京駅八重洲口行き」のバスで行く。

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・・・・・・・・・・・・バスは八重洲口の大屋根「グランルーフ下のバスターミナルに停まる、チョイト、ペデストリアンデッキの上から駅前を眺めてみる。 駅前再開発が進められており、私の知るビルはなくなり、超高層ビルを建築中!

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・・・・・・・・・・・・北口自由通路を歩き、八重洲口から丸の内口へ向かう。 時刻は7時半、人影も増えてきた!

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・・・・・・・・・・・・東京駅丸の内駅舎の正面から、
皇居前の和田倉門までまっすぐに伸びる全長約200m、幅約74mの大通りが「行幸通り」である。 行幸通りは、明治22年(1889)の中央停車場(現:東京駅)の位置決定に始まり、明治36年(1903)の市区改正の新設計により行幸通りの整備が決定され、これにより明治43年(1910)に行幸通りが整備された。、、、、整然とした綺麗な通りだ! 地下にはギャラリーがある。

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● 今日の散歩の出発地点:皇居前広場に到着。

・・・・・・・・・・・・皇居前広場から桜田門、日比谷公園方向を望む、、、、二重橋は右手奥

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・・・・・・・・・・・・ハ~イ、二重橋にやってきました、、、、手前の「正門石橋」と、奥に「正門鉄橋」(写真では石橋に隠れ見えない)、二つ合わせて「二重橋」、、、、二重橋の写真を見てると、古い田舎の家を思い出すね。 日露戦争に出征したお爺さんとお婆さんの写真の横に、明治天皇、昭和天皇の写真が並び、さらに隣に二重橋の写真もあった! どこの家も同じように飾ってた。

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・・・・・・・・・・・・皇居前広場を警備する懐かしい交番がある!、、、、「警視庁丸の内警察署 祝田町見張所」が正しい名前とおもわれる。 設計者不明。 交番の竣工は、正門石橋が明治21年(1888)ではないかという資料もあるから、それと同時期か後と考えられる。

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● 二重橋を見たら桜田門も、、、、皇居前の警視庁庁舎から来ると、まず簡素な「桜田門高麗門」がある、その奥に重厚な「桜田門櫓門」と続く。 二つの門は鍵の手に配され、二重の門となっている。


・・・・・・・・・・・・安政7年(1860)に、水戸藩浪士による大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きたのは、この桜田門高麗門の外側(警視庁側)である。

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・・・・・・・・・・・・高麗門から入ると右側に桜田門櫓門がある。

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・・・・・・・・・・・・この桜田門櫓門にも、私が探し訪ねる几号水準点がある。、、、、桜田櫓門を入り、左側の門の内側の石垣
にある。(写真赤〇の位置)

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● 桜田門、警視庁前から南の虎ノ門方面に伸びる道路が国道1号だ。 1号線の両側には官庁が並んでいる。 建物を見ながら虎ノ門へ向かう。

・・・・・・・・・・・・「警視庁本部庁舎」の建物を見ると、旧庁舎の空撮を背景にン~ン~ってハミングのテーマソングが流れる、TBSドラマ『七人の刑事』を思い出す。 建物は変わったが角地の尖がった形状は昔と同じ。 堀雄二の係長と、芦田伸介、美川洋一郎、佐藤英夫、城所英夫、菅原謙二、天田俊明の6人の刑事。 渋い役者ばかりのドラマで、忘れられない!、、、、現庁舎は昭和55年(1980)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・警視庁と向かい合わせに建っているは、重要文化財の「法務省旧本館 赤れんが棟」(=旧司法省)、、、、明治19年(1886)、明治政府はドイツの有名な建築家エンデとベックマンを日本に招き、近代国家への体制作りの一環として、ヨーロッパに劣らない官庁街を目指し、この二人の「お雇い外国人」に設計を依頼した。 そして、誕生したのが司法省と大審院(後の最高裁判所)である。、、、、司法省の着工は明治21年(1888)、その後7年をかけて竣工した堂々としたドイツのネオ・バロック様式の旧司法省である。 当時のドイツ国内においても同様式ではこれほど立派な建造物はなかったそうだ。、、、、そして、平成3年(1988)から明治の姿に復元・保存する本格的な工事が始められ、平成6年に竣工。

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・・・・・・・・・・・・国会議事堂から近く、すぐ見えるのが「外務省」で、建物は結構古い。 “口”字型に配された、北庁舎は昭和35年(1960)、中央・南庁舎は昭和45年(1970)、新庁舎は平成7年(1995)に竣工。 

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・・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に着工し、昭和14年(1939)に竣工した「財務省」(旧大蔵省)。 大蔵省営繕管財局の設計によるこの建物は、入り口のアーチを除けば、見事なほど簡素。 しかし、周囲の中央省庁の建物が次々と建て替えられる中、戦前から残る建物として今や貴重な存在となった。

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・・・・・・・・・・・・虎ノ門角に残る「文部科学省・文化庁」(旧文部省)、、、、建物は、昭和7年(1932)竣工の鉄骨鉄筋コンクリート造6階建、スクラッチタイル貼の戦前からの建物で、大蔵省営繕管財部の設計による。 しかし、現存するのは前面部分のみで、実質的には旧建物の背後に建つ高層ビルに内にオフィスがある。

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・・・・・・・・・・・・おまけでもう一軒、昭和40年(1965)に竣工した日本最初の超高層ビル「霞が関ビル」、、、、設計者:三井不動産、山下設計、施工:鹿島・三井建設共同企業体、地上36階(高さ147m)の超高層ビルで、当時は見学者も殺到するビルであった。 最上部には展望室もあった。、、、、いまは、話題になることも少なく、ひっそりと!

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● 虎ノ門交差点を過ぎ、愛宕山の西側崖下に浄土宗寺院の「久遠山栄閑院」がある。 栄閑院は、久蓮社俊誉園應和尚(寛永2年寂)が、天徳寺の塔頭として創建された。 寛永の頃に猿回しに扮した泥棒が、住職に改心させられた。 泥棒は猿を置いて諸国行脚に向かい、猿は寺の人気者になったことから「猿寺」と称されたそうだ。、、、、本堂脇には、蘭学者杉田玄白の墓がある。

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・・・・・・・・・・・・栄閑院の右隣に、浄土宗寺院の「知祖山興紹院」がある。 境内の閻魔堂には、天保9年(1838)刊行の『東都歳時記』に記載されている石造閻魔像が安置されている。 この閻魔は、眼病に霊験あらたかとして信仰され、祈願者の願いが成就した時には、そのお礼として「こんにゃく」を供えるならわしとなっていた。 現在その風習は失われているが、当時の民間信仰を知る貴重な像である。像高はおよそ1m、風化が進んでいるが、筍を持ち上方に開いた方形の冠をつけ、口を開いた忿怒の相であることは、僅かに窺い知ることができる。

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愛宕山のトンネルを抜け、芝公園から大門駅に出て都営浅草線で帰宅。、、、、1万3千歩の散歩

2021年10月23日 (土)

すっかり田舎者

私のカメラが修理から戻ってきた。 早速、今日はカメラを持って、JR四ツ谷駅から、赤坂・虎ノ門をとおり新橋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 久しぶりに「四ツ谷駅」の東側にある麹町口に出た。 この出口は、上智大学の斜め前にあるが、チョイト北側には名門女子校の「雙葉学園」(幼・小・中・高)がある。 東側には、こちらも女学生ばかりの「女子学院」(中・高)と、同じく女学生ばかりの「麹町学園」(中・高)がある。 今日土曜日の早朝、駅から吐き出されるのは女学生ばかり、駅前でマスクに帽子の助平そうなおやじが、カメラを持ってウロチョロすると完全に怪しまれる。 麹町警察署に引っ張られるのも嫌なので、足早に駅前から去る!

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● 上智大学隣にある「聖イグナチオ教会」に寄ってみた。 早朝の聖堂内に人影はない。、、、、聖イグナチオ教会(千代田区麹町6)は、イエズス会が運営するカトリック教会。 昭和24年(1949)に創立。 現聖堂は、旧聖堂の老朽化と狭隘化により改築が計画され、平成11年(1999)完成し、竣工式、献堂式が行なわれた。 建築設計は坂倉建築研究所、施工は清水建設・竹中工務店JVにより、RC造の地下1階 地上4階の建物である。 教会全体は中央の芝生の広場を囲むコの字型の配置で、祈りの空間としては、最大1000人規模のミサができる大聖堂、旧聖堂のステンドガラスを残した中聖堂、日本人が祈れる空間を和のデザインに求めた小聖堂などがある。 作品(建物)は、2001年度のBCS賞(建築業協会賞)を受賞した。 ドーム状の主聖堂内部はシンプルだが天井が大きな花弁を模したデザインで、暗さはなく明るく落ち着いた雰囲気の祈りの場である。

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● 四ツ谷駅からホテルニューオータニに向かって伸びる、外濠の土塁上の道を「ソフィア散歩みち」と呼ぶそうだ、おしゃれな名前で驚いた!  聖イグナチオ教会前から土塁上にあがると、桜や松の大樹が茂り、眼下には四ツ谷駅・迎賓館・上智大学のグランドなどが見える。 若い二人にはおススメの散歩道。

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● 外堀通りの
紀之国坂交差点から赤坂見附の方向に下る「紀之国坂(きのくにざか)」を歩く。 坂の東側は首都高と弁慶濠、西側は赤坂御用地。 長さ40m程の緩やかな坂で、坂の西側に江戸時代を通じて紀州徳川家の広大な屋敷があったことから名付けられた。 “赤坂”の起源とする説もある。、、、、この坂の下に、20数年前、私が痔の手術で入院した病院がある。 ベッドからは緑の奥にニューオータニ、プリンスの各ホテルが見える、最高の病室であった。 今度は、健康な時にのんびりと入院したいね(???)

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● 赤坂見附交差点から南に向かい、山王日枝神社本殿裏に至る稲荷参道を上る。 参道の階段を上ると山王日枝神社の末社「山王稲荷神社」に出る。 稲荷の大神は生成発展・商売繁盛の守り神として全国に祀られ、この地:永田馬場星が岡の地主神として松平主殿頭忠房の邸内に祀られ、特に火伏せの信仰が篤く、萬冶2年(1659)本社山王権現が麹町より移遷されるに至り、境内末社となった。、、、、

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・・・・・・・・・・・・稲荷の前から、「山王日枝神社」拝殿前に出た。、、、、山王日枝神社の創建の年代は不詳。 文明10年(1478)太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。 徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした。 慶長9年(1604)からの徳川秀忠による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。 社地は家康により5石、元和3年(1617)に秀忠により100石、そして寛永12年(1635)に徳川家光からの寄付を加えて600石となった。 明暦3年(1657)の大火により社殿を焼失したため、万治2年(1659)将軍家綱が赤坂の松平忠房の邸地を社地にあて、現在地に遷座した。 その後、明治15年(1882)に官幣中社になった。 大正元年(1912)には官幣大社に昇格した。 昭和20年(1945)の東京大空襲で社殿が焼失し、昭和33年(1958)に再建された。、、、、私の参拝中に、七五三参りが5組、お宮参りが2組、結婚式が1組、“おめでた”一杯の華やかな境内であった。 美しい女性を見るのも楽し!、、、、参拝済ませて神門前の男坂(階段)を下る。

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● 東京に生まれ、東京で育ち、大学で建築を学び、ゼネコンに就職し、勤務地は九段と赤坂と飯田橋、この経歴なら絶対的に東京の建築物をより多く知っているはずの私だが、今日歩いてみると“立派な田舎者”となっていた。 定年退職し20余年、東京都心はガラリと変わり、ビル名の判らないガラス張りのモダンな超高層建築ばかりとなった。、、、、そんな街を歩いて、溜池交差点に来ると角に、懐かしの「コマツビル」が残っている! 屋上にブルドーザーのオブジェが乗っていた(平成3年撤去)小松製作所の本社ビル、溜池交差点のシンボル的なビル。 今は周囲の建物に比べ、低い、色あせたビルとなったが、懐かしい!、、、、コマツビルの設計は中山克己建築設計事務所+増沢建築設計事務所、施工は鹿島建設+小松建設、地上10階/地下4階、竣工は昭和41年(1966)3月。

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・・・・・・・・・・・・コマツビルと似たような懐かしい印象がある「日本財団ビル」、、、、港区赤坂一丁目交差点角にあるこのビルは、昭和37年(1962)に吉村順三設計事務所の設計により日本NCRの本社ビルとして建設され、2000年に日本財団に譲渡された。 住宅を得意とした建築家:吉村順三が初めて手掛けたオフィスビルである。、、、、施工は竹中工務店、鉄骨鉄筋コンクリート構造/地下4階/地上8階。 昭和39年(1964)に第5回建築業協会賞(BCS賞)を受賞した建物。

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● 虎ノ門交差点の近くにある「虎ノ門金刀比羅宮」にもお立ち寄り。、、、、金刀比羅宮は、讃岐丸亀藩主の京極高和が自領・讃岐の金刀比羅大神を、万治3年(1660)に三田の江戸藩邸に邸内社として勧請、その後延宝7年(1679)に当地虎ノ門へ遷座した。、、、、社殿は権現造りで、第二次世界大戦により焼失したが、拝殿、幣殿の部分は昭和26年(1951)に再建された。ともに総尾州檜造り、銅板葺きである。日本最初の建築史家:伊東忠太の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられている。、、、、社殿は26階建ての超高層ビルの敷地内にあり、まさにビルに埋もれた都会の神社。

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● 森ビルと言えば、だれもが知る、日本を代表する都市デベロッパーであり不動産会社。 今は、各地で超高層ビルを中心とした都市開発を推進しているが、昭和40年~50年代頃は“第〇〇森ビル”とナンバーリングしたオフィスビルのオーナーとして名を馳せた。、、、、創業家である森家は昭和30年(1955)に森ビルの前身である森不動産を設立、翌年4月に「西新橋2森ビル」を竣工した。 昭和32年(1957)11月に「西新橋1森ビル」(2が先で、1が後)を完成させ、以後、貸ビル業者として竣工順にナンバリングした“第〇〇森ビル”を順次建設する。、、、、その森ビルの、第1番目に竣工した記念すべき西新橋2森ビルが西新橋1丁目の裏通りに現存している。 森ビルの“記念館”にでもなるか(?)

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● JR新橋駅近く、外堀通りに面して建つ、渋い外観の「堀ビル」(登録有形文化財)、、、、このビルは錠前屋のビルとして昭和7年(1932)に建てられた。 以来90年近く新橋のランドマークとして多くの人に親しまれてきた。 現在は竹中工務店が「レガシー活用事業」の一つとして、一括借り受けてレンタルオフィスとして活用しているそうだ。

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● 南北コンコースが一体化され、ホーム大屋根が設置されたJR「新橋駅」に到着、、、、JR新橋駅から乗車するのは久しぶり(普段は都営地下鉄で浅草橋まで乗り換えなし)、ここでも“田舎者”で、構内をキョロキョロしながら改札を通る。 

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2021年5月23日 (日)

銀行発祥の地

私の住む台東区では、17日から高齢者向けワクチン接種の予約が始まった。 我が家は、母と私達夫婦の三人の高齢者世帯である。 母のワクチン接種はかかりつけ医が第一回目を今週実施してくれることとなった。 一安心である。 さて私達夫婦の分は、先週二日がかりで電話をかけて、ヤットコサットコ、来月中旬に第一回目の接種予約ができた。 たかがワクチン されどワクチン 予約するまで一苦労!、、、、また連休明けの五月は、母のクリニック通いの付き添い以外に、私自身の診察が多く、泌尿器科の病院、心臓血管外科の病院、循環器内科のクリニック、眼科の病院、整形外科のクリニックと“休む暇なし”。 医者通いで疲れて倒れたら、医者に診てもらえるか心配だ!

今日は天気も良く、早朝から、浅草橋~人形町~兜町~銀座~大門まで歩いてきた。 一週間ぶりの散歩で、足がつった! 1万5千歩




● 雨も上がり青空が見える7時15分、浅草橋の我が家を出る。 江戸通り(=国道6号)は人も車も少ない! コロナの心配は不要かな?

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薬研堀不動院(東日本橋)、笠間稲荷神社(日本橋浜町)、大観音寺(日本橋人形町)と一社二寺に立ち寄って行く。、、、、お不動さまに、お稲荷さんに、観音さま、朝から良いことありそうだ! 御利益期待!!

・・・・・・・・・・・・七味唐辛子の“薬研堀”に川崎大師からお不動さまが単身赴任。

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・・・・・・・・・・・・久松署の前で、笠間の狐が化かし合い。

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・・・・・・・・・・・・大観音寺の本尊:観音さまは、北条政子が京都をまねて、鎌倉の地に「新清水寺」を創建し、その本尊として奉祀したもの。 それが、なぜ?人形町に現れた?

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● 人形町から兜町へ、久しぶりに建物拝見!

・・・・・・・・・・・・昭和レトロな建物が並ぶ人形町2丁目。 木造モルタルの旧神谷商店、和風造りの旧多和田歯科、出桁造りの加島酒店

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・・・・・・・・・・・・チョイト、雨上りの路地(人形町1)へ、店の前には金魚鉢、いいね!

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・・・・・・・・・・・・路地の一軒「よし梅 芳町亭」 建物は国の登録有形文化財。、、、、緊急事態宣言で、今は『お酒は提供できません』

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・・・・・・・・・・・・人形町の隣り、日本橋小網町では、、、、「三田商店 東京支店」は、東京駅を設計した辰野金吾と建築事務所を運営したことで有名な、葛西萬司の建築作品として貴重である。 昭和5年(1930)に竣工。 タイル貼りの外壁、中央塔屋の丸窓などが個性的な外観である。 建物の裏には、かつて東堀留川が流れており、河畔の利を生かした地下1階地上一部3階の鉄筋コンクリート造で、松クイを地下一帯に打ち込み、RC柱を太く、玄関など開口部はすべてスチールシャッターで防火対策を施して建てられたそうだ。 川は空襲のガレキで埋められてしまった。

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・・・・・・・・・・・・「日清製粉 小網町ビル 本館」はチョイト見には、現代のビルに見えるが、大正12年(1923)に日清製粉本社として建造された。 建物の一部は昭和12年(1937)に増築され、5階部分は同26年(1951)に増築された。

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・・・・・・・・・・・・日本橋小網町に残る銅板建築の長屋。 2階の窓の上部に半円形のデザインが施され印象的。

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・・・・・・・・・・・・こちらは洋館風の洋食屋「桃乳舎」 創業は明治22年(1889) 金融の街:茅場町に近く、シャレた店である。 建物は昭和8年(1933)に建てられた。 2階の窓の上には“桃”のレリーフがある。

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・・・・・・・・・・・・日本橋小網町のビルの裏に残る「うなぎ 喜代川」 明治7年創業の老舗。 昭和2年(1927)建築の風情ある木造家屋は国の登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・・・日本橋小網町から日本橋川に架かる鎧橋(よろいばし)を渡ると、証券取引所のある日本橋兜町。、、、、

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・・・・・・・・・・・・東京証券取引所の南側に、スパニッシュ風の「山二証券ビル」がある。 建物は西村好時の設計、清水組の施工、昭和11年(1936)竣工、鉄筋コンクリート造3階建て。、、、、平日の営業中に来て、株取引の熱気を感じてみたい!

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・・・・・・・・・・・・山二証券の隣りには、こちらも西村好時が設計した「旧成瀬証券」(現:フィリップ証券)のビルがある。 こちらは昭和10年(1935)の竣工。

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・・・・・・・・・・・・フィリップ証券の南隣のビルは「みずほ銀行 兜町支店」である。、、、、前を通っただけでは、どこの町にも有りそうな普通の銀行建物。、、、、実は、ここは明治6年(1873)渋澤栄一が我が国初の近代銀行である「第一国立銀行」を開業した地である。「国立」という名称だが、これは「国立銀行法」に基づく銀行ということで、完全な民間銀行である。 この当時は開業する全ての銀行に順次番号が付けられ、「第〇〇国立銀行」と命名された。 現在でもこの当時の行名を残している銀行がある。 初代の「第一国立銀行」の建物は、銀行開業前年の明治5年に建てられた「三井組ハウス」であった。 この建物は 清水組(現:清水建設) が建てた和洋折衷のモダンな建物で、錦絵にも描かれている。、、、、「みずほ銀行 兜町支店」の建物の一角には「銀行発祥の地」 のプレートが嵌め込まれている。

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● 日本橋1丁目と日本橋兜町から日本橋1丁目に向かうと、首都高の下に、かつて楓川(紅葉川)に架かっていた千代田橋がある。 楓川は昭和37年に埋立てられ、同39年オリンピックに合わせて開業させる首都高が建設された。 首都高は橋の頭上を通り、川は埋め立てられたままである。、、、、現在の橋は大正15年(1926)に着工し、昭和2年(1927)に竣工した。 橋の橋台は半分ほど埋まっているが、側面からみると橋台桁が現存していることを確認できる。 橋は改修工事が行われているが、石造の親柱、袖柱、袖高欄は竣工当時のままで残っている。、、、、橋脚の半分までが埋め立てられたままの、チョイト可哀そうな橋だ!

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● 開店前のウインドウを覗きながら、銀座1丁目から8丁目まで歩く。、、、、時刻は9時半、まだ人も車も少ない。 コロナの心配は無さそうだ!、、、、“銀座9丁目は水の上 今宵は船で過ごしましょう ~~”は神戸一郎が唄う昭和33年の歌。 9丁目は実在しない!

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● 新橋を過ぎたあたりから足がつり、イテテ! 帰ろう!、、、、大門駅から都営浅草線で帰宅

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2020年12月26日 (土)

日本の原点!

年末の土曜日、今日は都心に向かう電車も空いている。 都営浅草線に乗り大門駅で下車し、増上寺、東京タワーと通り、ロシア大使館のある港区麻布狸穴町の周辺を歩き、大江戸線麻布十番駅まで、1万歩の散歩です。




いつもは大勢の通勤客が乗降する「大門駅も、今日は人影まばら。 チョイト異様な感じだが、何はともあれ、“3密”の心配なく駅を出ることができた。

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● 大門駅の近く「芝神明宮(芝大神宮)」に寄って行く。、、、、芝神明宮は、天照大御神と豊受大神の二柱を主祭神とする。 鎮座は遠く平安時代、寛弘2年(1005)に創建された。 古くは飯倉の地にあって「飯倉神明宮」と称し、現在地に移って「芝神明宮」に変わった。 鎌倉時代は源頼朝の手篤い信仰の下で社地の寄贈を受け、江戸時代においては徳川幕府の篤い保護の下に、江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢様」として数多くの人々に崇敬されたそうだ。、、、、正月の準備、社殿では大掃除が始まっていた! 

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芝増上寺は本堂屋根瓦の総葺き替えで、フェイスシールドをした状態。 今日は手を合わせて、早々と境内を抜ける。、、、、時刻は午前8時半、東京タワーはオープン前。 下から見上げての撮影は、何やら助平っぽいね!

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● 今日の散歩の目的地、その一つ、東京タワー前にある『あの金地院崇伝の金地院』である。、、、、金地院崇伝とは、徳川家康の政治的ブレーンを務めた僧侶で、その絶大な権力によって「黒衣の宰相」とも称された人物。 家康の天下取りの総仕上げ「大坂の陣」のきっかけとなる、歴史上最大のいいがかり「方広寺鐘銘事件」を考えた頭の良い僧侶である。 そして家康の死後、崇伝はもう一人の「黒衣の宰相」天海と激突する。 徳川幕府の根幹となる武家諸法度・禁中並公家諸法度・寺院諸法度の制定にも関わった僧なんです。、、、、臨済宗南禅寺派寺院の金地院は、崇伝和尚が、元和5年(1619)江戸城北の丸内に創建、寛永16年(1639)芝の現在地へ移転した。 崇伝和尚は、福厳寺や禅興寺、建長寺、南禅寺の住職を務めた高僧で、京都南禅寺金地院と当芝の金地院を兼務、江戸幕府の幕政に深く関与し、寛永寺の天海大僧正と共に「黒衣の宰相」と称された。 寛永10年には寺領500石の御朱印状を拝領、元禄7年には更に200石の加増を受けている。(影の実力者は、今も昔も、実入りがいいね!)、、、、江戸時代の堂宇と本尊の如意輪観世音菩薩坐像は、東京大空襲で全て焼失した。 現在の八角形の本堂は昭和31年(1956)に再建され、白檀一木造の本尊:聖観世音菩薩立像が新刻された。 


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・・・・・・・・・・・・金地院へ来たのは、境内右墓地の手前にある閻魔堂の閻魔大王(石像)に会うためである。 江戸時代、大名「南部家」にあった閻魔大王を金地院に祀った。 増上寺の西の切通に金地院があったことから、通称「切通し閻魔」と呼ばれている。(江戸四十四閻魔の一番)、、、、江戸時代の作で50cm程の小さな像、見つめていると好々爺のようだ!

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● 東京タワー方面から飯倉交差点に下ってくると、ランドマークとして楕円形の「ノアビル」が見える。、、、、白井晟一(芸術院賞受賞者)の設計、竹中工務店の施工により、昭和49年(1974)に竣工した。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地下2階・地上15階建ての事務所ビルである。、、、、50年経っても斬新で興味深い建物。

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● 今日の散歩の第二の目的地が、ロシア大使館の南側(裏側)にある「日本経緯度原点」である。、、、、日本の法令である「測量法施行令」によると、日本経緯度原点は「東京都港区麻布台二丁目18番1地内日本経緯度原点金属標の十字の交点」と定められている(第2条第1項第1号)。 さらに、基準数値を以下のように定めている。 経度: 東経139度44分28秒8869 緯度: 北緯35度39分29秒1572 原点方位角: 32度20分46秒209 以上の数値は2001年の測量法改正で採用された世界測地系にのっとり、最新の宇宙測地技術を用いて測定したものを、2011年の東北地方太平洋沖地震の影響により定義し直したものである。、、、、ここが、日本各地の位置を、北緯〇度、東経〇度と表現する、測量座標の原点である。
・・・・・・・・・・・・施行令が示す、麻布台の地がココである、、、、この場所には、明治7年(1874)から海軍の観象台が置かれていたが、明治21年(1888)になって赤坂区溜池葵町の内務省地理局天象台と合併し、東京帝国大学附属東京天文台が置かれた。 原点の位置は天文観測に用いられた機器である「子午環」の位置に当たります。 その後東京天文台は大正12年(1923)に三鷹に移転したが、子午環跡は国土地理院が日本経緯度原点として引継ぎ、現在もわが国の地図測量原点として利用されている。


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・・・・・・・・・・・・施行令が示す、原点金属標がコレである、、、、御影石の中央に直径10cm程の金属標が埋め込まれている。

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・・・・・・・・・・・・日本経緯度原点の前には、アフガニスタン大使館がある。 ヨーロッパ風の白い屋敷のようだ!


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● ここまで来たら、チョイト、ロシア大使館前の几号水準点を見て行こう!、、、、ロシア大使館の西角、狸穴坂の入口に警察の見張所(簡易の交番のような建物)があるが、その直下の歩道上に“不”の字に似た几号水準点がある。 見張りの警察官が立っている足下にあるため、悪い事していないのだが、写真を撮るのが恐かった。、、、、警察官(写真中央)に『これは何ですか』と尋ねられ、明治時代の水準測量のポイントであることを説明してきた。 短い時間の会話であったが、興味を示してくれたね。

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● ロシア大使館の西側から東麻布に下る、約250m程の急な「狸穴坂(まみあなざか)」がある。 坂の謂れは『まみ とは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、むかし その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。 』と、標識に描かれてる。、、、、今でも東麻布は窪地のようでもあり、タヌキが居たかも?

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・・・・・・・・・・・・狸穴坂の西側に「鼠坂」と、それに続く「植木坂」がある。 東麻布に下った私は、鼠坂、植木坂を上り麻布永坂町に出た。、、、、鼠坂の謂れは『細長く狭い道を江戸で ねずみ坂 と呼ぶふうがあったといわれる』、、、、植木坂の謂れは『この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという』

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● 麻布永坂町から、またまた坂道を下り麻布十番駅に着いた。、、、、今日の散歩はココまで!

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