港区

2020年12月26日 (土)

日本の原点!

年末の土曜日、今日は都心に向かう電車も空いている。 都営浅草線に乗り大門駅で下車し、増上寺、東京タワーと通り、ロシア大使館のある港区麻布狸穴町の周辺を歩き、大江戸線麻布十番駅まで、1万歩の散歩です。




いつもは大勢の通勤客が乗降する「大門駅も、今日は人影まばら。 チョイト異様な感じだが、何はともあれ、“3密”の心配なく駅を出ることができた。

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● 大門駅の近く「芝神明宮(芝大神宮)」に寄って行く。、、、、芝神明宮は、天照大御神と豊受大神の二柱を主祭神とする。 鎮座は遠く平安時代、寛弘2年(1005)に創建された。 古くは飯倉の地にあって「飯倉神明宮」と称し、現在地に移って「芝神明宮」に変わった。 鎌倉時代は源頼朝の手篤い信仰の下で社地の寄贈を受け、江戸時代においては徳川幕府の篤い保護の下に、江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢様」として数多くの人々に崇敬されたそうだ。、、、、正月の準備、社殿では大掃除が始まっていた! 

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芝増上寺は本堂屋根瓦の総葺き替えで、フェイスシールドをした状態。 今日は手を合わせて、早々と境内を抜ける。、、、、時刻は午前8時半、東京タワーはオープン前。 下から見上げての撮影は、何やら助平っぽいね!

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● 今日の散歩の目的地、その一つ、東京タワー前にある『あの金地院崇伝の金地院』である。、、、、金地院崇伝とは、徳川家康の政治的ブレーンを務めた僧侶で、その絶大な権力によって「黒衣の宰相」とも称された人物。 家康の天下取りの総仕上げ「大坂の陣」のきっかけとなる、歴史上最大のいいがかり「方広寺鐘銘事件」を考えた頭の良い僧侶である。 そして家康の死後、崇伝はもう一人の「黒衣の宰相」天海と激突する。 徳川幕府の根幹となる武家諸法度・禁中並公家諸法度・寺院諸法度の制定にも関わった僧なんです。、、、、臨済宗南禅寺派寺院の金地院は、崇伝和尚が、元和5年(1619)江戸城北の丸内に創建、寛永16年(1639)芝の現在地へ移転した。 崇伝和尚は、福厳寺や禅興寺、建長寺、南禅寺の住職を務めた高僧で、京都南禅寺金地院と当芝の金地院を兼務、江戸幕府の幕政に深く関与し、寛永寺の天海大僧正と共に「黒衣の宰相」と称された。 寛永10年には寺領500石の御朱印状を拝領、元禄7年には更に200石の加増を受けている。(影の実力者は、今も昔も、実入りがいいね!)、、、、江戸時代の堂宇と本尊の如意輪観世音菩薩坐像は、東京大空襲で全て焼失した。 現在の八角形の本堂は昭和31年(1956)に再建され、白檀一木造の本尊:聖観世音菩薩立像が新刻された。 


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・・・・・・・・・・・・金地院へ来たのは、境内右墓地の手前にある閻魔堂の閻魔大王(石像)に会うためである。 江戸時代、大名「南部家」にあった閻魔大王を金地院に祀った。 増上寺の西の切通に金地院があったことから、通称「切通し閻魔」と呼ばれている。(江戸四十四閻魔の一番)、、、、江戸時代の作で50cm程の小さな像、見つめていると好々爺のようだ!

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● 東京タワー方面から飯倉交差点に下ってくると、ランドマークとして楕円形の「ノアビル」が見える。、、、、白井晟一(芸術院賞受賞者)の設計、竹中工務店の施工により、昭和49年(1974)に竣工した。 鉄骨鉄筋コンクリート造、地下2階・地上15階建ての事務所ビルである。、、、、50年経っても斬新で興味深い建物。

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● 今日の散歩の第二の目的地が、ロシア大使館の南側(裏側)にある「日本経緯度原点」である。、、、、日本の法令である「測量法施行令」によると、日本経緯度原点は「東京都港区麻布台二丁目18番1地内日本経緯度原点金属標の十字の交点」と定められている(第2条第1項第1号)。 さらに、基準数値を以下のように定めている。 経度: 東経139度44分28秒8869 緯度: 北緯35度39分29秒1572 原点方位角: 32度20分46秒209 以上の数値は2001年の測量法改正で採用された世界測地系にのっとり、最新の宇宙測地技術を用いて測定したものを、2011年の東北地方太平洋沖地震の影響により定義し直したものである。、、、、ここが、日本各地の位置を、北緯〇度、東経〇度と表現する、測量座標の原点である。
・・・・・・・・・・・・施行令が示す、麻布台の地がココである、、、、この場所には、明治7年(1874)から海軍の観象台が置かれていたが、明治21年(1888)になって赤坂区溜池葵町の内務省地理局天象台と合併し、東京帝国大学附属東京天文台が置かれた。 原点の位置は天文観測に用いられた機器である「子午環」の位置に当たります。 その後東京天文台は大正12年(1923)に三鷹に移転したが、子午環跡は国土地理院が日本経緯度原点として引継ぎ、現在もわが国の地図測量原点として利用されている。


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・・・・・・・・・・・・施行令が示す、原点金属標がコレである、、、、御影石の中央に直径10cm程の金属標が埋め込まれている。

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・・・・・・・・・・・・日本経緯度原点の前には、アフガニスタン大使館がある。 ヨーロッパ風の白い屋敷のようだ!


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● ここまで来たら、チョイト、ロシア大使館前の几号水準点を見て行こう!、、、、ロシア大使館の西角、狸穴坂の入口に警察の見張所(簡易の交番のような建物)があるが、その直下の歩道上に“不”の字に似た几号水準点がある。 見張りの警察官が立っている足下にあるため、悪い事していないのだが、写真を撮るのが恐かった。、、、、警察官(写真中央)に『これは何ですか』と尋ねられ、明治時代の水準測量のポイントであることを説明してきた。 短い時間の会話であったが、興味を示してくれたね。

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● ロシア大使館の西側から東麻布に下る、約250m程の急な「狸穴坂(まみあなざか)」がある。 坂の謂れは『まみ とは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、むかし その穴が坂下にあったという。採鉱の穴であったという説もある。 』と、標識に描かれてる。、、、、今でも東麻布は窪地のようでもあり、タヌキが居たかも?

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・・・・・・・・・・・・狸穴坂の西側に「鼠坂」と、それに続く「植木坂」がある。 東麻布に下った私は、鼠坂、植木坂を上り麻布永坂町に出た。、、、、鼠坂の謂れは『細長く狭い道を江戸で ねずみ坂 と呼ぶふうがあったといわれる』、、、、植木坂の謂れは『この付近に植木屋があり、菊人形を始めたという』

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● 麻布永坂町から、またまた坂道を下り麻布十番駅に着いた。、、、、今日の散歩はココまで!

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2020年10月31日 (土)

彦左と太助の墓

前々から一度見てみたいと思っていた、白金の几号水準点(2ヵ所)を見に行ってきた。 白金方面に行くなら、高輪の泉岳寺、白金の大久保彦左衛門の墓にも寄ってみた。、、、、都営浅草線の泉岳寺で下車し、泉岳寺、清正公、立行寺、白金氷川神社、西光寺と寺社巡りをして、白金高輪駅から帰る。 1万歩の散歩です。




● 今年、JR山手線に高輪ゲートウェイ駅が開業し、乗換駅となった浅草線の泉岳寺駅。 一日当たりの乗降客数も令和元年の実績では、浅草線だけで20万人を超え、今後の増加を見越すと駅の改良が必要となった。 具体的には現行の5m幅の島式ホーム2本を10m幅に広げる予定である。 駅は国道15号の地下に位置し、国道下だけでは拡張するスペースが得られないため、道路沿いの民有地に食い込むような構造で再開発が行われるそうだ。 令和6年(2024)に完成予定。、、、、隣りの京急の品川駅も令和9年(2027)のホーム地平化を目指し、この付近は何だか慌ただしくなりそうだ。

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● 討ち入りの日(12月14日)には、まだチョイと早いが、泉岳寺の「赤穂義士墓地に参る。、、、、昭和の時代は暮れになると、講談・映画・歌舞伎、そしてTVのいずれかで「忠臣蔵」の演じられていたが、最近は“四十七”も下火となり、平成時代は、“48”、“46”になった。 私も、“46”のファンとして大石より白石の卒業が気になるね、“南部坂の別れ”より、“乃木坂の別れ”だ!

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● 泉岳寺から、高輪学園横の路地を抜け、上皇様のお住まい高輪皇族邸前の二本榎通り、チョッピリ南に歩き、天神坂を西へ下れば、清正公前交差点に出る。 今日の目的地の一つ、清正公(せいしょうこう)である。 「清正公」は日蓮宗の寺院、最正山覚林寺の通称である。、、、、寺には、加藤清正の位牌や像が祀られていることから清正公と呼ばれている。、、、、加藤清正を祀った清正公堂は、拝殿・幣殿・本殿からなる権現造りで、慶応元年(1865)に再建されたものだ。 また、山門は安政3年(1856)に再建された薬医門である。

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・・・・・・・・・・・・この清正公(覚林寺)山門脇の電話ボックスの隣りに、高さ2.5m程の「鎮守 清正公大神儀」の石碑がある。 この台座に“不”の字に似た几号水準点がある。 (全国の几号水準点を見てみたい私が、まだ見ていなかったもの)

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● 清正公前の国道1号をチョッピリ北に向かい、白金高輪駅の西側に法華宗の智光山立行寺(りゅうぎょうじ)がある。 日通聖人(延宝5年1677年寂)が開山、旗本大久保彦左衛門が開基となり、寛永7年(1630)麻布六本木に創建、寛文8年(1668)には火災にあい当地(白金2)に移転した。、、、、ピンクの山門は嬉しいね!

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・・・・・・・・・・・・境内墓地の中央には、鞘堂付の大久保彦左衛門の墓とTVでおなじみの魚屋一心太助の墓がある。 彦左衛門は徳川家康に仕えて戦功を立て、幕府の重臣として、また“天下の御意見番”として、徳川秀忠・家光を助けた。 また、彦左衛門の墓の後ろに「一心太助の墓」という墓石がある?(一心太助って実在したのか? 年配の人は中村錦之助をイメージすると思うね)

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● 立行寺の西側に、白金氷川神社がある。 白鳳年間(今から1340年程前)に白金村の総鎮守として建立した、港区最古の神社。 江戸時代中期の明和9年(1772)目黒行人坂から出火した火災で類焼し、江戸後期に社殿が再建された。 太平洋戦争末期の昭和20年(1945)には、空襲によって社殿が焼亡した。 現在の社殿は昭和33年(1958)に竣工したものである。、、、、高級住宅地の中の小高い処に鎮座する、閑静な神社。

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● 白金氷川神社からまたまた西へ、三光坂の上り口にある西光寺。 浄土宗寺院の西光寺は、称名山慈雲院と号す。 寛永2年(1621)以前の開山で、麻布六本木に創建、その後当地(白金4)へ移転した。 年代不詳、酒蔵のような白壁の本堂が印象的だ!

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・・・・・・・・・・・・今日の目的地の2番目は、ここ西光寺の几号水準点である。 寺の山門から本堂に向かって、 左手に「南無阿弥陀佛」の石碑がある。 その台座には「渡陸尺」と刻字されているが、その左側側面に几号水準点がある。


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白金高輪駅は、平成12年(2000)9月26日に開業し、東京メトロの南北線と、都営地下鉄の三田線が乗り入れている。 駅の管理は東京メトロが実施している。、、、、島式ホーム2面4線を有する地下駅で、外側2線を三田線、内側2線を南北線が使用し、方向別に配置されている。、、、、【問題です。当駅名「白金高輪」の読みは?】 “しろがねたかなわ”はブー、正解は“しろかねたかなわ”。 清正公のある「白金台」は“しろがねだい”と読む。 白金は“しろかね”、台がつくと“しろがねだい”

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2020年8月24日 (月)

増上寺の門・門・門

連日の猛暑もひと休みし、今朝は涼しい。 早速、『久しぶりに、増上寺へ行ってくる』と早朝に家を出る。 1万1千歩の散歩。


● 我が家のある浅草橋からは都営浅草線で7つ目の駅(乗車時間12分)が大門駅。 “大門”は“だいもん”と読み、増上寺の総門を指す。、、、、江戸っ子は“大門”を、“だいもん”と云えば芝増上寺、“おおもん”と云えば吉原のことだ。 女性らしくしなやかに、濁点をはずして“おおもん”と言われると、花魁を思い、行きたくなるのかも?、、、、大門駅は昭和39年(1964)10月1日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業した。 平成12年(2000)12月12日には、都営大江戸線も開業し、乗り換え駅となる。

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● 大門駅の西側に、増上寺の旧総門「大門」がある。、、、、大門は、明治維新の上地令により寺領が縮小するとき、増上寺では維持できなくなり東京府に寄付された。 東京府の所有となった大門は、昭和12年(1937)に従来の意匠のまま高さを1.5倍の5.25mにし、木造から現在のコンクリート造りで改築した。 しかし、その後何らかの理由で東京都の財産目録から抜け落ちてしまい、所有者不明となり放置され老朽化が進んだ。 東日本大震災では、瓦の一部が落下して安全性に不安が示され対策が求められた。 都では、大門が都の財産台帳から誤って抹消されたものと認め、さらに資産価値は無いものとして、平成28年(2016)に増上寺に返還された。 その後、増上寺にて改修工事が進められ現在に至る。、、、、木造の旧大門は大正12年の関東大震災により倒壊の恐れが生じたため、両国・回向院に移築されたが昭和20年の空襲により焼失した。、、、、大門ある道路は区道であるが、門が占領していて拡張できないね!

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト脇にチビッタ話、、、、大門のある交差点に「区立大門際公衆便所」がある。 この公衆便所は歩道上に、和風の建物が半地下式で造られている。 戦前の公衆便所は階段を下りて半地下に入るタイプがあった、同じような例としては、九段会館脇や東京国立博物館などにあったが、10年程前にいずれも無くなり、現在も活躍中の便所は珍しい。、、、、歩道上から便器が見える! くれぐれも、ドアを閉めてから使用すること!

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・・・・・・・・・・・・・・大門の北西80m程に常照院がある。 常照院の開創の年は未詳だが、開山周公上人は天正18年(1590)に寂している。 寺は増上寺山内寺院の一つとして、歴代の住持は増上寺の寺務を担い、また肥前鍋島藩などの宿坊でもあったそうだ。 本尊は善光寺如来の一光三尊阿弥陀如来。 本尊を祀る現本堂内陣(江戸時代の土蔵造平屋建、国登録有形文化財)は、江戸時代“あかん堂”の名称があった。 本尊が秘仏であって開帳しないので、それゆえに“あかん堂”と呼ばれたそうだ。、、、、『城木屋お駒』として有名な人形浄瑠璃(文楽)『恋娘昔八丈』のモデルとなった「白子屋お熊」の墓がある。 また、江戸時代は市川団十郎家の菩提寺で、境内に七代目団十郎が寄進した石の水鉢なども残る。当代の十一代市川海老蔵も先祖供養のため度々訪れているそうだ。

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● 徳川家の菩提寺、浄土宗寺院の三縁山広度院増上寺(港区芝公園4)、、、、増上寺の創建年代等は不詳であるが、空海の弟子が麹町(千代田区)あたりに真言宗光明寺と称して建立したのが始まりらしい。 その後、明徳4年(1393、室町時代)に、浄土宗に改め、三縁山増上寺と改号した。 天正18年(1590、豊臣秀吉の小田原征伐の年)に、家康が増上寺の前を通りかかったことが縁で、源誉存応上人と親しくなり、菩提寺となるきっかけとなった。 江戸時代には寛永寺と共に徳川将軍家の菩提所となり、寺領10,745石の御朱印状を拝領、関東十八檀林(学問所)の筆頭となる。 墓域には、2代秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂の6人の将軍の墓所がある。、、、、明治時代に移ると、新政府は明治6年(1873)の太政官布達により全国に公園を整備することとなった。 東京では、芝増上寺、上野寛永寺、浅草、深川、飛鳥山が、東京で最初の公園として指定された。 広かった境内も公園化が進み、さらに戦災で大きく被災し、戦後の混乱期には増上寺と徳川家、国土計画(プリンスホテル)で土地登記のトラブルも発生した。 現在は、地名は「芝公園」だが、かつての増上寺の境内には、東京タワーがあり、プリンスホテルがあり、公園らしき緑地が点在し、もちろん増上寺自体も残り、まとまりのない“公園”となっている。、、、、今日の散歩は、現在の増上寺、プリンスホテル敷地内の三つの門、芝東照宮と巡ってきた。


現在の増上寺の主な諸堂・・・・・
・・・・・・・・・・・・三解脱門、、、、増上寺の正面玄関、都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇る門。(高さ約21m、7階建てビルに相当、デカイ!) 正式名称は三解脱門。 徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立。 元和8年(1622)に再建された。 国の重要文化財。、、、、三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のこと。

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・・・・・・・・・・・・大殿(本堂)、、、、旧本堂は戦災で焼失したため、昭和49年(1974)、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるように設計され、再建された本堂。、、、、首都圏では最大級の御堂で、間口48m、奥行45m、高さ23m。 石段を登りつめた2階に本堂、3階に道場、1階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室がある。、、、、本堂内部は、大空間が広がり、正面中央に本尊:阿弥陀如来(室町時代作)がまつられている。

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・・・・・・・・・・・・本堂右隣には、戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂として使用していた建物:旧安国殿があった。 現在のあ安国殿は、老朽化した旧安国殿に変わり、平成23年(2011)に建てられた新しい安国殿である。、、、、堂内では、お守り・お札・クッキー・写真集などグッズが並んでいる。 チョイとした“みやげもの屋”かな???、、、、安国殿の脇から裏側に廻ると徳川将軍家墓所がある。 有料で公開されているが、残念なことに早朝で閉まっていた!

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・・・・・・・・・・・・本堂裏の大納骨堂は昭和8年(1933)に建立された。 御本尊は高村光雲氏作をもとにした地蔵尊像。 戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和55年(1980)に現在地に遷座、開眼供養が厳修された。 堂内には有縁無縁のご本骨、ご分骨が納められ、狛犬に守られているそうだ。、、、、内部を見てみたいが、チョイト怖そうだ!

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・・・・・・・・・・・・安国殿前に西向観音が安置されている。 その観音の前にズラリ並んだ「千躰子育地蔵尊」、つまりは水子地蔵である。 水子地蔵は、女性でないと理解できないかもね? 男性の私は、何兆だか数えられないほどの子種を殺していることか、チョイト???

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・・・・・・・・・・・・徳川幕府の助成により建立された「経蔵」は内部中央に八角形の輪蔵を配する、八間四面、白壁土蔵造りの典型的な経蔵で、都の有形文化財に指定されている。 中に収蔵されていた宋版、元版、高麗版の各大蔵経は、家康が増上寺に寄進したもので、国の重要文化財である。、、、、経蔵は、慶長10年(1605)に創建、天和元年(1681)改造移築し、さらに寛政12年(1800)現在地に移築した。、、、、内部公開日があり、その日に行くと入れるそうだ! 一度は内部に入ってみたい。

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・・・・・・・・・・・・三解脱門 の脇に、通用門的な「旧方丈門(黒門)」がある。 慶安年間(1648~1652)、三代将軍家光の寄進で建立された。 この門は、御成門交差点付近にあった増上寺方丈の表門で、黒漆塗りの門である。 いまは、漆も剥げ薄汚れた状態でチョイト可哀そうだ。、、、、なお、方丈は明治時代に北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれ、その後芝公園となった。

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● プリンスホテル敷地内の門・・・・・徳川家霊廟跡地の多くはプリンスホテルの敷地となり、そこに残された建造物もプリンスホテルの所有となった。、、、、現在、芝公園内のプリンスホテルには三つの門が残されている。
・・・・・・・・・・・御成門、、、、東京プリンスホテルの駐車場に移設され、風雨に曝され朽ちてきた哀れな門。、、、、江戸の初め、増上寺には東に表門があり、この門は裏門として北に開かれた。 将軍が参詣の折にだけ開かれたので御成門と呼ばれた。 一般の通行は禁じられていて、門前に下馬札が立っていた。 門のあった位置は、現在の御成門交差点の中だ。 明治中頃に、東京市区改正計画によって、芝園橋から三解脱門の前を通って内幸町に至る道(現:日比谷通り)が敷設される時、現在地に移築保存されることになった。、、、、説明板の最後に一言、『文化財を大切にしましょう』と、書かれていた。 空しいね!

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・・・・・・・・・・・・有章院(徳川家継)霊廟二天門、、、、御成門と同じ駐車場にある。 この有章院(7代将軍徳川家継)霊廟二天門は、現在の御成門と同様に、塗装も随所に剥げ落ち老朽化が激しかったが、平成27年(2015)より約3年の期間をかけて大規模な保存修理工事が行われ、かつての豪華さがよみがえった!

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・・・・・・・・・・・・旧台徳院霊廟惣門、、、、台徳院霊廟は、2代将軍徳川秀忠の霊廟建築である。 壮大な規模を持ち、江戸時代初期を代表する建造物群であったそうだが、残念ながら一部を除き、戦災で焼失した。 惣門は数少ない罹災を免れた建築。、、、、寛永9年(1632)に造営された。 惣門は、三間一戸八脚門、入母屋作りで、屋根は正面に唐破風を持つ銅製桟瓦葺きで、全体朱塗りの単純和洋建築だ。 この惣門も近年、改修工事が行われた、まだ輝いているようだ。、、、、安置している仁王像は、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現:川口市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもの。 その後、安政2年(1855)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和23年(1948)東京の浅草寺に移された。 さらに、昭和33年頃にはこの惣門に安置されたと云われている。 “埼玉から都心へ出世した仁王像?”

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● 増上寺の隣り芝東照宮、、、、慶長6年(1601)家康60歳の時、生存中等身の自像を彫刻させ、自から祭供をなし、元和2年(1616)には増上寺観智国師に命じて、同年、安国殿に鎮座させて、永世国家を守護せんと命じた。 元和3年(1617)に家康は逝去し、その後、家康の遺訓どおり、社殿造営のことはじまり、翌年落成する。 土井大炊頭利勝が奉行した。 その後、寛永11年(1634)模様替あり、同18年さらに社殿を新築する。 その構造雄大にして、大正4年国宝建造物に指定されたが、昭和20年戦災にかかり、灰燼と化した。、、、、日光・久能山の東照宮を知る者には、『これが東照宮?』と言いたくなる社殿だ!(現社殿は昭和44年(1969)の造営)

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・・・・・・・・・・・・東照宮の石の鳥居、本殿に向かって右の柱の下に几号水準点がある。 鳥居の周りは駐車場にもなっており、鳥居の柱は保護枠で囲まれている。「不」の字の横棒は7.5cm、縦棒は9.5cm程。

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・・・・・・・・・・・・東照宮の裏山(芝丸山古墳)頂上には、「伊能忠敬測地遺功表」がある。 伊能忠敬の測量の起点となったのが、芝公園近くの高輪であったことから、その功績を顕彰して遺功表を建てたそうだ。

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2020年3月14日 (土)

ゲートが開いた!

朝から冷たい雨が降る土曜日。 まだ日も明けぬ午前4時、歳で近くなったため目が覚めた。 厠でチョイト用を足しながら、今日は山手線・京浜東北線の高輪ゲートウェイ駅の開業日、常磐線富岡~浪江間の運行再開日、東京モノレールと京浜急行の羽田空港内の駅名変更日、京都嵐電北野線の等持院駅が日本一長い駅名「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に改名する日、など鉄道関連行事の多い日だと思いめぐらす。 まだ4時、今から出れば山手線の始発に間に合う、『高輪ゲートウェイ駅に行くか?』と迷うが、窓に雨粒が見え心は萎えた、『寒いから もう一眠りしよう』と再びベッドにもぐる。 7時のNHK(私は石橋亜紗アナのファン)で、高輪ゲートウェイ駅開業のニュースを見てると、ムズムズしてきた。 『チョイト高輪へ行って来る!』と、小雨ぱらつく中、家を飛び出す。、、、、と云うことで、高輪ゲートウェイ駅を見に行ってきた。 なお駅へ行く前に、「感染症防止」の御利益はあまり期待できそうにない、高輪神社にもお立ち寄り。




●JRへの乗換駅となった! ・・・・・・・高輪ゲートウェイ駅へ行くのに、JRで行っては面白くないので、都営浅草線泉岳寺駅から歩くことにした。、、、、泉岳寺駅昭和43年(1968)6月21日に開業。 同時に京浜急行電鉄の品川~泉岳寺間も開業し、京急と相互乗り入れを開始。 島式ホーム2面4線の地下駅。、、、、泉岳寺駅は、今日からJRへの乗換駅となる。 高輪ゲートウェイ駅の方向を示す案内が掲げられている。 地下への出入口もリニューアルするのか(?)工事中。

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・・・・・・・・・・・・地下から出ると雨粒もチョッピリ大きくなり、肌寒い!

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●メニュー豊富な神社! ・・・・・・・・泉岳寺駅から第一京浜(国道15号)を南へ350m程に高輪神社はある。 高輪神社の創建年代は不詳だが、明応年間(1492~1501)の創建と云われてる。 高輪一円の総鎮守社である。 元は宇賀御魂命(お稲荷さん)を祀る稲荷社であったが、誉田別命(八幡様)と猿田彦神を合祀し、昭和4年(1929)に高輪神社と改称した。 お稲荷さん、八幡様、猿田彦様の三神を祀る強力な神社で、ご利益は、商売繁盛、家内安全、学業成就、縁結び、病気平癒、諸願成、交通安全、方災解除、開運招福など、豊富なメニューが揃えられている。 新型コロナにも効くかも?、、、、現社殿は昭和55年(1980)に造営された。 社殿隣には、別当寺であったが廃寺となった旭曜山常照寺の太子宮もある。

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・・・・・・・・・・・・かつては、聖徳太子を祀る「太子堂」と称されていた仏堂。 いまは「太子宮」と称す。 “安政四年”の文字を見ることができる外塀の裏には、見事な彫刻も施されている。

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・・・・・・・・・・・・境内の「力石」、、、、愛らしい形がいいね! “力”が入る!
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●本日開店! ・・・・・・・・JR品川駅と田町駅の間に、本日開業した「高輪ゲートウェイ駅」、、、、チョイト長ったらしい駅名だ、私としては「高輪駅」が良いと思っていたのだが!、、、、第一京浜の地下を走る浅草線の泉岳寺駅から南へ100m程にできた新駅。 駅前は白い仮囲いで隠され工事中。 仮囲いを抜けると、鉄骨造で地上3階、地下1階、橋上駅舎を有する高さは約30m程の駅舎が見える。 折り紙を模した大屋根(約110m×35m)が特徴。 1階がホーム、2階が改札、2・3階に店舗が入る予定。 駅舎の設計は国立競技場の実績ある隈研吾、施工はJRの工事に強い大林組と鉄建建設のJV。 が担当し、折り紙を模した大屋根(約110m×35m)が特徴。 また、QRコードを使った自動改札、人工知能の案内ロボット、無人コンビニなど、新技術を随所に導入しているそうだ、今日は人でも多く、見ることはなかった。、、、、とりあえず、新築記念に建物をかってに見せて貰ってきた。

・・・・・・・・・・・・仮囲いの中を歩き駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・駅正面から2階の改札へ、自動改札が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・開業日の日付が入った切符を記念に買おうと思ったが、なんと!120分待ち!、、、、ここは、断腸の思いであきらめた。(やっぱり4時に起きて、出てくればよかった!)

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・・・・・・・・・・・・改札をとおり、自慢の大屋根の下へ

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・・・・・・・・・・・・トイレも拝見!、、、、使用中の場面は撮影できず、チョイト残念。 明るく綺麗だが、いつまで続くかこの清潔感。

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・・・・・・・・・・・・1階ホームにおりる、、、、鉄道ファンが、あっちにも・こっちにも、“小鉄”もいる!

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・・・・・・・・・・・・入って来た山手線で帰宅、、、、電車に乗っても後悔する『切符買いたかった!』

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2019年9月26日 (木)

二つの内田ゴシック

台風17号のため、出足が遅れた彼岸の墓参りを昨日やっと終え、今日は朝から散歩。 都営地下鉄浅草線の高輪台駅から、都営地下鉄三田線の白金台駅まで、1万歩の散歩です。




●狭い駅です! ・・・・・・高輪台駅昭和43年(1968)11月15日に都営地下鉄1号線(現:浅草線)の駅として開業。 駅ホームは上下線それぞれ単線シールド工法で建設された。 ホーム途中に上下線ホームを結ぶ数本の連絡通路が設けられている、またホーム階と改札階を結ぶ階段・エスカレーターはホーム中央に一ヵ所あるのみ、チョイト狭苦しい構造の駅である。、、、、一日当たりの乗降弱数は15,000人に満たず、浅草線内では最も乗降客の少ない駅。 客が少ないためか、地上の出入口も、国道1号沿いに向かい合わせで2カ所しかない。

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●寺町に出た! ・・・・・・・高輪台駅で下車したが、地上に出るとそこは港区白金台2丁目。 白金台の裏道を西へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・・道の先は階段となり、高台から下る。、、、、階段を下りた処が、港区と品川区の境で、階段の下は品川区上大崎1丁目
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・・・・・・・・・・・・・・・階段下には日本郵政の宿舎が並んでいる。 宿舎脇の坂を下る。、、、、引き続き、坂を上ると、上大崎2丁目の宝蔵寺の前に出た。 この辺りは、9ヶ寺が集まっている寺町である。

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●福沢諭吉が眠っていた寺! ・・・・・寺町の中に常光寺という寺がある。 浄土宗寺院の常光寺は、正福山と号し、元和元年(1615)芝金杉に開山した。 その後、高輪北町への移転を経て、明治42年(1909)に当地にあった正福寺と合併、明治43年に現在地へ移転した。、、、、この辺りは、上皇后美智子様の実家などがあった高級住宅街。 ここに、元々芝公園の増上寺の子院であった、常光寺を含む浄土宗の9ヶ寺が、明治末期に集団移転してきたのである。 このことが、死後の福沢諭吉を悲しませることとなった。(詳細はこの後)

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・・・・・・・・・・・・・・さて、福沢諭吉の話。、、、、福沢諭吉は明治34年(1901)2月3日に脳溢血で亡くなる。 葬儀は福沢家の菩提寺:麻布善福寺執り行われたが、しかし、諭吉は善福寺には埋葬されず、正福寺(現:常光寺)の墓地に埋葬された。 これは、諭吉が生前、この地:正福寺の眺望が気に入って、生前に自分の墓地を用意していたからである。(ちなみに、現在でも常光寺の墓地からは高輪の台地を見渡すことができ。眺望抜群!) 昭和50年頃、常光寺は本堂の建て替えを行い、その時、墓の所有者は浄土宗信徒であることを条件とした。 福沢家の菩提寺:善福寺は浄土真宗であったため、常光寺に墓を持てなくなり、昭和52年(1977)に墓は、常光寺から菩提寺の善福寺に改装された。、、、、諭吉が自ら建てた墓は無くなり、現在常光寺には、「福沢諭吉先生永眠の地」の碑と、慶大三田キャンパスにある胸像の原型を復元したものがある。

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●これぞ、ゴシック建築! ・・・・・・寺町から北へ向かい目黒通りの白金台駅に出る。 駅前にある「東京大学 医科学研究所」と隣の港区立「ゆかしの杜」にお立ち寄り。(本日の散歩のハイライト!)

・・・・・・・・・・・・・・まずは、東京大学 医科学研究所、、、、医科学研究所は明治25年(1892)に設立された伝染病研究所を前身とし、附属の研究病院を持つ我が国随一の医学・生命科学の研究所。、、、、研究所に入り正面に建つ1号館は、設計は内田祥三の設計により、昭和12年(1937)に完成した旧伝染病研究所である。 (正面玄関は改装中)

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・・・・・・・・・・・・・・旧伝染病研究所と同じ敷地内にあった旧国立公衆衛生院の建物が隣にある。、、、、内田祥三により設計され、昭和15年(1940)に建てられた。 「内田ゴシック」と呼ばれる、ゴシック様式の特徴が取り入れられ、両翼を広げた、城壁のような造りの建物である。 鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て(一部8階)。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、昨年(2018)この建物は、港区の郷土歴史資料館を中心とした複合施設「ゆかしの杜」に生まれ変わり、開館した。、、、、今日は1階から5階まで、ジックリ、ユックリ、タップリ拝見。 外観も素晴らしいが、340席を有する階段状の講堂が当初の姿で、そのまま残されていた。、、、、明日にでも国宝に指定したいね!

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●羨ましい駅! ・・・・・・・白金台駅東京地下鉄(東京メトロ)南北線と都交通局(都営地下鉄)三田線の共同使用駅。 両線を合計すると、一日当たり約40,000人の乗降客が利用する駅。、、、、気のせいか、乗降する女性客の質が違うようだ! 私が住む浅草橋駅は問屋に来るおばさんが多い、白金台駅は女子大生が多い。 気のせいでなく、事実だ!

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2019年4月13日 (土)

両陛下の仮住まい

都営浅草線泉岳寺駅から、四十七士のお墓、両陛下の仮住まい、アメリカ公使のお宿、赤い靴の女の子を見て、麻布十番駅まで、夫婦で散歩。




●ホーム幅を倍にする ・・・・・泉岳寺駅は昭和43年(1968)6月21日に1号線(現:浅草線)の終着駅として開業、同時に京浜急行の駅も開業し、京急と相互乗り入れを開始する。 同年11月15日に泉岳寺~西馬込駅間が開業し中間駅となる。 現在は島式ホーム2面4線の地下駅である。、、、、、JR東日本田町車両センター跡地の再開発で、最寄り駅となる当駅では乗降客の増加が見込まれ、現在のホーム幅員5mでは狭隘なため、倍の約10mにする拡幅工事が行われる予定である。 拡幅用地として国道15号(第一京浜)東側の民有地を買収して再開発ビルを建設し、その地下を活用する計画らしい。 拡幅用地と思われる国道15号の東側は駐車場と更地になっていた。 2024年度の供用を目指しそろそろ着工か?

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●四十七士+後家一人 ・・・・・御存じ、忠臣蔵の四十七士が眠る泉岳寺。、、、、、松の廊下の刃傷は、旧暦の元禄14年3月14日(1701年4月21日)、桜の散る頃であった。 今日も桜が散っていた。 妻は47人の墓に、私は浅野長矩の妻:阿久里(瑤泉院)の墓に、丁寧に手を合わす。 何か良いことないかな~~?

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・・・・・・・・・・・・・・・墓参の後は、泉岳寺と高輪学園の間の裏道を歩き、両陛下の仮住まいに向かう。 

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●両陛下の仮住まい ・・・・・・天皇陛下の譲位後、上皇・上皇后となられる両陛下は、新天皇・皇后に先立ち御所を離れ、改修された高輪皇族邸(旧高松宮邸)で仮住まいされるそうだ。 仮住まいと云えども、上皇・上皇后のお住まいである、四畳半一間とは行かぬ。 チョイト下見してチェックしてあげよう。、、、、、正門は閉じられ、塀のいたる所に監視カメラ、赤外線センサーが設置され、入ることも覗くことも出来ない、これなら十分警護できそうだ、安心・安心!

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●スタコラ・サッサ! ・・・・・・高輪皇族邸からを下り、綺麗に芝桜が咲く魚籃坂下交差点に出る。 南麻布を抜けると仙台坂。 坂の途中に韓国大使館があり、周辺にはお巡りさんの姿がアッチにも、コッチにも、やましい身ではないが早く通り抜けよう! 竜宮城のような元麻布の専光寺(浄土真宗本願寺派)の前をとおり善福寺に向かう。

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●ハリスが寝泊まりし、コーちゃんが成仏する寺 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・元麻布の古刹、浄土真宗本願寺派の麻布山善福寺は、天長元年(824)に空海によって開山する。 江戸時代の本堂は昭和20年(1945)に戦災で罹災し、昭和36年(1961)に東本願寺八尾別院大信寺の本堂を移築して、再建した。 移築した本堂は正面幅約28m、奥行約34m、入母屋屋根、桟瓦葺の、大きな建物で、明和4年(1767)の建築。、、、、、戦災で焼けた本堂は、日米修好通商条約を安政5年(1858)に締結した総領事ハリスが、公使になってから宿館として使用した。 これを記念する碑が境内に建てられている。

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・・・・・・・・・・・・・・・墓地には、「愛の賛歌」の歌詞が刻まれた越路吹雪の碑(墓は川崎市の本遠寺)がある。 中高年はおそらく、シャンソン歌手と言えば、越路吹雪、淡谷のり子、石井好子、岸洋子などを思い出すが、最近のシャンソン歌手は誰だ?名前が出ないね!

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赤い靴の女の子・・・・・野口雨情:作詞 ♪♪赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった♪♪ の実在のモデル「きみちゃん」の像が、麻布十番の商店街にある。、、、、、「きみちゃん」は、未婚の母の子として明治35年(1902)に生まれた。 3歳の時、母と共に北海道に入植したが、子供には厳しい環境であったため、母はきみちゃんを米国人宣教師に託した。 宣教師が帰国するとき、きみちゃんは結核を患い、船旅ができず麻布十番の鳥居坂教会の孤児院に預けられた。 その後、3年間の闘病生活の末、9歳という短い生涯を終えた。 北海道の母はきみちゃんが異国に行き、幸せな生活をしてると思い、知り合いの野口雨情に娘の話をした。 話に感動した雨情は、詩に綴り、童謡とした。 また、きみちゃんの死を知らず、母は昭和23年(1948)に他界した。 きみちゃんの真相が明らかになったのは、昭和48年(1973)北海道テレビの記者であった菊池寛によるものだ。 きみちゃんのいた孤児院は、現在の十番稲荷神社がある場所にあった。 きみちゃんの墓は青山霊園にある。、、、、、我が妻は感動し、世界のめぐまれない子にユニセフ募金してきた。 できれば、めぐまれない夫にも、ぜひ募金を!

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・・・・・・・・・・・・・・・・・鳥居坂下近くの麻布十番駅出入口に隣り合わせで十番稲荷神社がある。 きみちゃんがいた孤児院の場所である。、、、、、神社は、慶長年間(1597~1616)に創建の末広神社と、弘仁13年(822)に創建の竹長稲荷神社が、戦後、合併して十番稲荷神社となった。

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●年寄りには上り下りが辛い! ・・・・・麻布十番駅は東京メトロ南北線と都営大江戸線が乗り入れる接続駅。 平成12年(2000)に南北線の目黒~溜池山王間が開通し、同時に駅も開業する。 同じ年の12月には大江戸線も全線開業した。、、、、、大江戸線の改札は地下4階、ホーム(島式1面2線)は地下6階の深い位置にある。 地上からの下りは良いよい、上りは辛い、わしは手足しびれてよいよい。

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2018年9月28日 (金)

島津山、池田山の麓を歩く

台風の影響か、連日の雨空で散歩もできず、家でゴロゴロ、ウジウジ、ダラダラ、ぐうたら親爺であった。 今日は久しぶりの秋空、品川駅の西側に位置する島津山(清泉女子大のある山)、池田山(池田山公園のある山)の山裾の路地・裏道を歩き都営三田線白金台駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●鉄道創業の駅・・・・・・・・・・我が国の鉄道は、明治5年(1872)10月15日に新橋~横浜間で開業したと、「歴史」の教科書に書かれている。 ところがドッコイ、その約4か月前の明治5年6月12日(旧暦5月7日)に品川~横浜間で先行開業(仮開業)していた。 なぜか?答えは簡単、新橋~品川間の工事が遅れてたからである。 つまり、品川駅は日本で最初に開業した鉄道駅である。 この頃の品川駅は、ホームの東側に東京湾の波が打ち寄せる相対式ホーム2面2線の小さな駅であった。、、、、、近い将来(2027年)には、中央リニア新幹線の創業駅にもなる予定だ!
 
・・・・・・・・・・・・・品川駅高輪口の駅前ロータリーに「品川駅創業記念碑」がある。 創業時のダイヤは、横浜発8時・品川着8時35分、品川発9時・横浜着9時35分、横浜発16時・品川着16時35分、品川発17時・横浜着17時35分の上下各2本であった。 運賃は大人・下等で50銭也 (現在の貨幣価値に換算すると5,000円ぐらいに相当するらしい)。 現在、品川~桜木町の運賃は388円、安くなったのか? 
 
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・・・・・・・・・・・・・現在の品川駅は一日乗降客数(JR東・JR東海・京急の合計)が100万人を超えるマンモス駅である。 朝の通勤時は、海側(港南口)に建ち並ぶ超高層ビル群に通勤客が流れて行く。 高輪口に向かう通勤客は1割ぐらいかな。
 
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●毛利家により移転させられた・・・・・・・・・京急品川駅の向かい(品川プリンスホテル前)に高山稲荷神社がある。 神社は室町時代頃の創建といわれ、当時は現在の品川プリンスホテルの地に小高い丘陵があり、その頂に高山稲荷神社があったそうだ。 神社までは二百数十段の階段を上ることから、“高山”稲荷神社と称されたらしい。、、、、、明治時代に入り、毛利公爵が当地に邸宅を構えることになり、毛利家より替地の寄進があり、神社は現在地へ移転することとなった。、、、、、、毛利家跡地には、昭和53年(1978)に品川プリンスホテルが開業した。、、、、、、現在の高山稲荷神社は、第一京浜に面した小さな境内に祀られている。 行き交う人は多いが、手を合わせる人は少ないかも?
 
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●かつてホテル、今は?・・・・・・・・・・・・品川プリンスホテルの裏側(西側)に回り込むように、第一京浜から西に折れた高輪4丁目の坂の中程に、昭和2年(1927)頃に建てられた、旧ホテル品川の建物がある。、、、、、昭和62年(1987)に休館するまではホテルとして営業していたが、現在は会社の寮か? 個人の所有か?、、、、、何やら、ホテル時代の思い出物語がドラマとなりそうな建物だ!
 
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●島津山は高級マンションが並ぶ・・・・・・・・・・現:清泉女子大本館は旧島津公爵邸(島津山)の洋館である。 この洋館は旧岩崎邸 を手掛けたジョサイア・コンドルの設計である。 島津公爵邸も名建築と聞いているが、なにせ“女子大”だ。 手続きを踏んで行かないと、チョックラ見学に来ましたとはいかないので、まだ見たことがない建物の一つである。、、、、、島津山周辺は起伏の多い地で、「島津山」、「Shimaduyama」の名を冠した高級マンションが並んでいる。 外交官向けのマンションもあるようだ。、、、、今日は“女子大の”北東側の裏道・路地を怪しまれながら歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・港区高輪4丁目の裏道、、、、、、清泉女子大の方向に上り坂を行く。
 
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・・・・・・・・・・・・・・これより品川区北品川6丁目に属す坂を下る。、、、、、下ると、かつて谷底であったと思われる「北品川6」と「東五反田3」の境界となる裏道に出た。
 
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・・・・・・・・・・・・・引き続き、品川区東五反田3丁目の階段坂を上る。 坂の上は、清泉女子大の北側に位置する裏道である。 その先には、再び階段坂があり、下ることになる。、、、、、今日もアップ・ダウンが激しい散歩となった。
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・・・・・・・・・・・・上記の道に北側で並行するもう一本の裏道。、、、、、こちらは、坂が多く、曲がりも多く、路地も多く、安アパートの多い、高級住宅街の異次元空間である。
 
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●伊豆長八の鏝絵があった神社・・・・・・・・・・島津山を回り桜田通り(国道1号)に出た。 出た処は、品川区東五反田3丁目、桜田通りに面し袖ヶ崎神社がある。、、、、、平安時代、保延3年(1137)に、伏見稲荷大明神を勧請したと伝えられている。 神社は、何度かの火災で社殿を焼いているが、延享2年(1745)の火災では、仙台藩伊達家が新社殿を寄進した。 また細川豊前守が、金箔塗りの神狐1対を奉納したとの記録もある。 幕末の嘉永2年(1849)に建築された土蔵造りの社殿には、名工伊豆長八の描いた「八岐の大蛇」の鏝絵があったが、戦災で消失した。、、、、現神社は桜田通りの拡張で境内が整備された。、、、、、長八の鏝絵はあきらめて、アイドルの写真を飾ったら、若者の参拝が増えるかも、試してみては?
 
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●池田山の麓・・・・・・・・・・桜田通りを横断し、東五反田4丁目から、再び、裏道を歩く。 港区白金台2丁目に入った。、、、、、この辺りは、池田山公園の北東になる。 裏道には一般住宅・アパートが並んでいる。 洗濯ものも見える、私には親しみやすい雰囲気の町だ。
 
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●白金の屠殺場・・・・・・・・・・港区白金台3丁目に、「元禄今里地蔵」と彫られた碑のお堂がある。 堂の中には、小さな地蔵様:「今里地蔵尊」が祀られてる。 元禄に建立されたようだ。、、、、、「今里」はこの辺りの旧地名である。 この辺りの地名は、現在のカッコいい「白金台」の前は「芝白金今里町」、さらに昔は「今里村」であった。、、、、、明治時代には、牛肉を食べる文化が入り、時の政府がココ「今里」に屠殺場をつくった。 そして、町の肉屋は競って、ココの屠殺場から肉を仕入れるようになったのである。 現在、老舗の肉屋「今半」など、店名に「今」の字がつくのは、ココ「今里」との繋がりを示しているのだ。、、、、、なお屠殺場の痕跡は、現在は、何も残っていない。
 
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●戦後まで残っていた用水路・・・・・・・・・・・今里地蔵から150m程北に歩くと、港区立白金台幼稚園がある。 その脇に三田用水の遺構が残されている。、、、、、、「三田用水」とは、玉川上水を現在の下北沢で分水し、渋谷・三田・目黒・大崎・高輪付近まで給水する上水路である。 三田用水は昭和49年(1974)まで利用されていた。
 
・・・・・・・・・・・・・・用水路の断面(U字型)がそのまま残された遺構が階段の脇にある。、、、、、この辺りは標高が低く、築堤で用水を流した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・白金台幼稚園の前には用水路上に架かっていた橋の遺構と思われるコンクリート構造物がある。
 
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●共同使用の白金台駅・・・・・・・・・・東京地下鉄(東京メトロ)南北線と都交通局(都営地下鉄)三田線の共同使用駅である。 平成12年(2000)9月26日に開業した。、、、、シロガネーゼの町であり、その先入感が強いのか、電車を待つ女性が美人に見えた! ただし、一部例外もアリ!
 
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2018年3月 3日 (土)

港区芝周辺

都営浅草線大門駅で下車し、芝の町を歩き慶応大学に寄って三田駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①大門駅・・・・・・・・・・昭和39年(1964)10月1日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 平成12年(2000)12月12日には、都営大江戸線の大門駅が開業し、乗り換え駅となる。 両線は大門交差点の真下で直交している。 浅草線は地下1階、乗換通路は地下3階、大江戸線は地下5階、、、私が勤務していたゼネコンが施工した駅である。、、、、一日に利用する乗降客は約22万人の大きな駅になった。
 
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②芝パークビル・・・・・・・・・大門駅から芝公園方向に裏道を歩いていると、正面に巨大な壁が立ちふさがり、道は左右に折れることになる。 圧迫される感じだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・地上14階/地下2階、鉄骨鉄筋コンクリート造、延べ床面積 約10万平米、設計:秀和、施工:大林組・熊谷組・間組、昭和57年(1982)に完成した「秀和芝パークビル」(当時)である。 全長140m、奥行き50mの威容から、「軍艦ビル」と呼ばれた。、、、、平成17年(2005)に事業主であった秀和の経営不振から、外資系の不動産ファンドに所有権が移り、翌年には1,430億円で売られた。 その後転売が続き、ビルの名称も「芝パークビル」となっている。、、、、、築後30数年経過したが、周囲には空き地も無く、空間の余裕がないため、建物の大きさが目立ち、威圧される。 
 
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③将監橋・・・・・・・・・・芝大門二丁目と芝二丁目を結ぶ、古川に架かる橋が将監橋(しょうげんばし)。 橋の歴史は古く、江戸時代からあったらしい。 近くには岡田将監(おかだしょうげん、後の勘定奉行)の屋敷があった。 延宝3年(1675)の拡幅工事も岡田将監が手掛けたといわれている。、、、、現在の橋は、昭和43年(1968)7月に完成した、長さ23.4m、幅17mの鋼橋である。、、、、ここでも、頭上を首都高が走り、橋はチョイト薄暗く陰気だ。
 
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④瘡守稲荷大明神・・・・・・・・・将監橋の北詰に祀られている瘡守(かさもり)稲荷大明神。そして、稲荷の脇には、観音菩薩と不動明王の二尊が仲よく並ぶ納経石塔が建っている。
 
・・・・・・・・・・・・・・はて、なぜここに“瘡守稲荷”が?、、、、、“瘡”の字は皮膚のできものや性病の梅毒を指す、また、“稲荷”は江戸時代に商家や花街で盛んに信仰された。 つまり、私の推測では、芝大門の近くには戦後まで花街があり、この地で流行した伝染病から身を守るため誰かさんが祀った稲荷さんと思われる。
 
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・・・・・・・・・・・・・なぜここに納経石塔が建っているのだ?、、、、、、納経石塔の裏に、元禄6年(1693)に大蔵経を納める経蔵の蔵司の居処を増上寺の上人が定め、その地を譲るために蔵司の発願で翌年この石塔を建てたと記されている。、、、、、これより私の推測で、観音菩薩も不動明王も、へんな伝染病にうつらないように稲荷の軒先で身を守っているのかも?
 
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⑤東京グランドホテル・・・・・・・・・・芝二丁目にあるホテルが、なぜブログに?。、、、、、私、雅万歩が個人的に思い出深い建物。、、、、昭和48年頃、私はゼネコンに勤め、コンピュータ関連のソフトを開発を手掛けていた。 当時の開発テーマは『現場の工程管理』で、このホテルの現場をモデルとして開発し、当時、20代の私が、ここの現場に出入りしていたことが思い出される。、、、、、当時の建築現場では、まだ珍しかったタワークレーンを使用した現場でもある。
 
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⑥芝園橋・・・・・・・・・・芝園橋は将監橋の上流側に架かる橋。 下に流れるのは古川。 橋上には日比谷通りが走る。、、、、、現橋は昭和60年(1985)に竣工。、、、、この橋も思い出のある橋で、昭和30年代に、ここ日比谷通りには都電2系統(三田~曙町)が走っていた。 私の中学校(指ヶ谷町停留場)と芝園橋停留場は都電で一本。 英語の出来が悪い私は、授業が終わると芝園橋まで英語を習いに行ったものだ。  おかげで、まあまあの成績を維持することができた。 帰りも都電で浅草橋まで、一生懸命、よく通ったね!
 
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⑦三田春日神社・・・・・・・・・・・慶應義塾大学東門の隣り、高台に鎮座する春日神社。 神社は、武蔵国国司藤原正房卿が天徳2年(958)に任国の際、藤原氏ならびに皇室外戚の氏神なる大和国奈良春日大社の神霊を目黒区三田(現:目黒春日神社)に勧請、天文年間(1533-1555)当地へ遷座した。、、、、、残念であるが、旧社殿は戦禍により焼失したそうだ。 現在は鉄筋コンクリート造、春日造りの社殿である。
 
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⑧慶應義塾大学・・・・・・・・・・久しぶりに、慶應義塾の三田キャンパスに寄ってみた。 残念なことに重要文化財の図書館(旧館)は只今修復工事中。 
 
・・・・・・・・・・・・・東館、、、、、桜田通りに面し、1階の通り抜けから入り、山を上るように造られている。、、、、、平成12年(2000)竣工、9階建ての研究施設。 施工は銭高組。
 
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・・・・・・・・・・・・・・幻の門、、、、、、、旧島原藩邸黒門を改築して大正2年(1913)に竣工した旧東門。 東門は、♪♪幻の門ここすぎて 叡智の丘にわれら立つ ・・・・♪♪にはじまるカレッジソング「幻の門」(堀口大学作詞、山田耕作作曲)に由来する。 平成12年(2000)に現在の場所に移築された。
 
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・・・・・・・・・・・・・塾監局、、、、、設計は曾禰中條建築事務所。 大正15年(1926)9月竣工、鉄筋コンクリート造地階共4階建、延2,450㎡、慶應義塾の事務部門が使用している。
 
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・・・・・・・・・・・・・図書館旧館、、、、、、明治40年(1907)の慶應義塾創立50周年記念事業として建設されたもので、設計はジョサイア・コンドルに建築を学んだ曾禰達蔵とその後輩の中條精一郎が開設した曾禰中條建築事務所である。 レンガ造2階建塔屋付の建物で、赤レンガと花崗岩、テラコッタによる華やかな外観となっているはずだが、今日は工事中。 足場と仮囲いに阻まれ姿は見えず、ガッカリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・第一校舎、、、、、、こちらも曾禰中條建築事務所が設計した、昭和12年(1937)竣工の鉄筋コンクリート造4階建て校舎。 スクラッチタイル張りの、シンプルな建物である。、、、、、チョイと内部も拝見!
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・・・・・・・・・・・・・・三田演説館、、、、、、、明治8年(1875)5月1日、日本最初の演説会堂として建造された演説館。 創建当初は現在の図書館旧館の近くに位置していたが、大正13年(1924)に現在地へ移築した。 木造瓦葺、洋風、なまこ壁の建物は、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定された。
 
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⑨三田駅・・・・・・・・・・慶應義塾大学から「慶応仲通り商店街」を抜けて三田駅に出てきた。 ここから、我が家(浅草橋)までは都営浅草線で乗り換えなしの20分。 便利だ!、、、、、現:浅草線の三田駅は昭和43年(1968)6月21日に開業した。 その後、昭和48年(1973)11月27日に現:三田線の三田駅が開業し、乗り換えできるようになる。、、、、、浅草線は島式ホーム1面2線を有する地下駅。
 
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2017年9月11日 (月)

北品川

JR品川駅港南口に出て、北品川のチョイト人通りの少ない処をブラブラし、大崎駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
品川駅港南口 ・・・・・・・・・・・新宿駅西口、東京駅丸の内などと並ぶオフィス街となり、朝は改札口から出てくる人の流れが途切れることはない。 私も流れに乗って、駅から再開発地区「品川インターシティ」を通り抜けてきた。、、、、、高所恐怖症の人は、超高層ビルでの執務は、どうしてるのか、怖くないのかな?
 
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②昭和の家並み・・・・・・・・・北品川1丁目、旧東海道品川宿の東側に屋形船などを係留している船溜まりがある。 その一画、十数軒程の板張りの住宅が、昭和の路地裏を守り残している。 石を敷いた路地には、草木も置かれ、タイムスリップした感じだ。
 
・・・・・・・・・・・・・・船溜まりの先、マンションの谷間に木造住宅が密集している。
 
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・・・・・・・・・・・・・半分は空き家となったようだ。、、、、、残して欲しいこの景色。
 
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・・・・・・・・・・・・・船溜まりに架かる北品川橋。 大正14年(1925)竣工。
 
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③開かずの踏切・・・・・・・・・・・北品川駅ホーム南端脇の踏切。
 
・・・・・・・・・・・・・・9時0分撮影。 この後、上下10本程の列車が通過。 途中で無理やり遮断機をくぐり、横断する人もいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・9時10分撮影。 10分前と同じ人が何人いるでしょうか?、、、、、6人は判るはずです。
 
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・・・・・・・・・・・・・・慣れた人は、踏切脇で待機。
 
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④旧英国公使館跡・・・・・・・・・・・・・幕末に高杉晋作や伊藤博文・井上馨などの長州藩士により、品川の御殿山で当時完成間近であった英国大使館の焼討ちがあった。 この時の大使館(公使館)跡は、現在の「権現山公園」あたりである。
 
・・・・・・・・・・・・・・京急北品川駅前の品川女子学院校舎脇の道を入り、階段を上ると郵政官舎がある。 ここが旧英国公使館跡と言われているが、現在は遺構、案内板、碑石など跡を標すものは一切ない。 ちなみに、官舎の住人も知らなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・官舎の西隣にマンションがあり、さらにその隣に東海道線に沿って崖上の小さな公園がある。 公園からは、崖下の東海道線線路を挟み、向かい側に御殿山が見える。 これが権現山公園(北品川3-9)である。 公園は、もともと東海寺(3代将軍家光により創建された、臨済宗大徳寺派の寺院。)の境内で、現在の御殿山と連なる高台であった。 その御殿山を切りさくように鉄道(東海道線)が敷かれたのである。、、、、、只今、公園はJRの耐震工事で崖を修復中につき御殿山が見通しにくい。
 
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⑤目黒道架道橋・・・・・・・・・・・・・権現山公園のある高台から、南側の区立品川学園校舎を回るように下ると山手通りにでる。 通りの向かい側に東海寺が見えるが、今日は素通りし大崎駅へ向かう。、、、、、あとで、東海寺に寄ってくれば良かったと後悔することになった。
 
・・・・・・・・・・・・・東海道本線が山手通りを越える目黒道架道橋がある。、、、、、竣工時期不明だが、私の推測では昭和初期かな?
 
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・・・・・・・・・・・・・・橋をくぐると、橋脚の脇に「官営品川硝子製作所跡」の碑があった。、、、、、明治6年(1873)、日本で最初の西洋式硝子工場がここに設立された。 しかも、この地も東海寺境内である。、、、、、寺の境内で、ビール瓶などを御国が製造したそうだ。 明治はいい時代だった!
 
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⑤東海寺大山墓地・・・・・・・・・・目黒道架道橋の隅にもう一つ私を引き付けるものがあった。
 
・・・・・・・・・・・・・「東海寺大山墓地」の案内板。 なんと、沢庵和尚、賀茂真淵、井上勝、などの墓がここにある。、、、、、、あの素通りしてきた寺の墓だ、私の足は戻りたくない! 失敗、失敗、大失敗! 後悔先に立たず、食うかい歯で噛めず。
 
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・・・・・・・・・・・・・・とりあえず、今日は墓を見学することにした。、、、、、墓地は現在の東海寺とは離れて、品川駅の南で山手線(新幹線)と京浜東北線(東海道線)が分かれる、股裂き状態の位置(北品川4-11-8)にある。 ここも、昔から東海寺の境内だったそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・ 但馬国(現:兵庫県)出石町生まれ。 江戸時代初期の禅僧。 37歳で大徳寺の住持となる。 寛永6年(1629)、紫衣事件で幕府に抗弁書提出し、咎められ出羽上山藩に流罪となる。 二代将軍の秀忠の死により許されて京都へ帰る。 三代将軍の家光は江戸に東海寺を創建し沢庵を迎えいれた。 その沢庵和尚の墓。、、、、、墓石には大きなたくあん石!
 
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・・・・・・・・・・・・・・賀茂真淵の墓、、、、、江戸中期の国学者で、『万葉集』の研究を始め、国学・復古神道の普及に努めた。 弟子は300人以上いたそうだ。、、、、、鳥居もある立派な墓だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・日本の鉄道の父:井上勝の墓、、、、、、明治4年(1871)に初代の鉄道頭となり新橋~横浜間の鉄道を開通させた。 墓の横に東海道新幹線が通る。 墓は鉄道記念物に指定されている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・私の散歩は下調べなしの“ぶっけ本番”である。 「後で気がつく癲癇病み」で、ここの墓地に『東京だョおっ母さん』の島倉千代子も眠っているそうだ。 手を合わせたかった、残念、無念、大失敗。 
 
 
 
・・・・・・・・・・・・大崎駅から帰宅。
 
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2017年7月 2日 (日)

増上寺

午前中に家族で選挙を済ませ、午後はチョックラ芝の増上寺に行ってきた。 増上寺・浜松町周辺を歩き、1万歩の散歩。
 
 
 
増上寺・・・・・・・・・・徳川家の菩提寺である、浄土宗寺院の三縁山広度院増上寺。 増上寺の創建年代等は不詳であるが、空海の弟子が麹町(千代田区)あたりに真言宗光明寺と称して建立したのが始まりらしい。 その後、明徳4年(1393、室町時代)に、浄土宗に改め、三縁山増上寺と改号した。、、、、天正18年(1590、豊臣秀吉の小田原征伐の年)に、家康が増上寺の前を通りかかったことが縁で、源誉存応上人と親しくなり、菩提寺となるきっかけとなった。、、、、その後、増上寺は麹町から日比谷に移転し、秀吉が死去した慶長3年(1598)に現在の芝へ移転した。 江戸時代には寛永寺と共に徳川将軍家の菩提所となり、寺領10745石の御朱印状を拝領、関東十八檀林(学問所)の筆頭となる。、、、、、、明治時代に移ると、新政府は明治6年(1873)の太政官布達により全国に公園を整備することとなった。 東京では、芝増上寺、上野寛永寺、浅草、深川、飛鳥山が、東京で最初の公園として指定された。(徳川の菩提寺が狙われたようだ?) 公園化が進み、さらに戦災で大きく被災し、戦後の混乱期には国土計画(プリンスホテル)と土地登記のトラブルも生じた。 現在は、地名は「芝公園」だが、かつての増上寺の境内には、東京タワーがあり、プリンスホテルがあり、公園らしき緑地が点在し、もちろん増上寺自体も残り、まとまりのない“公園”となっている。
 
 
①大門・・・・・・・・・・・増上寺の総門・表門にあたり、地名の由来になっている門。 現在のものは国道の通行整備のため、昭和12年(1937)に原型より大きく、コンクリート製に作り直されたものだ。 旧大門は慶長3年(1598)に、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康より寺の表門として譲られたものである。 その旧大門は大正12年(1923)の関東大震災により倒壊の恐れが生じ、両国・回向院に移築されたが、昭和20年(1945)の空襲により焼失した。、、、、、戦後、このコンクリート製の大門の所有者が不明となり、増上寺では昭和49年(1974)頃から東京都に対し境内整備の一環として大門の譲与を求めていたが、都の所有物か、否か、結論が出なかった。 その後東京都が調査を行い、都の所有物であり都の財産台帳から誤って抹消されたものであると認めると同時に、大門の建物としての鑑定を行い資産的価値はないものとして増上寺に無償で譲与することを決定。 昨年(2016年)3月25日に東京都と増上寺の間で契約書を取り交わし、東京都から増上寺に返還された。、、、、戦後の混乱が70年経った今でも続いているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大門の交差点横に、昭和7年(1932)に区が設置した鉄筋コンクリート造の半地下式の「大門際公衆便所」がある。 かれこれ10年程前に、和風のデザインに改修され清潔な公衆となっている。、、、、、、ちなみに、半地下式の公衆便所は、九段会館際、東京国立博物館などにもあったが、今はいくつ残っているのか?
 
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②三解脱門・・・・・・・・・増上寺の表の顔として、日比谷通りに面して建っている中門。 都内有数の古い建造物で、東日本最大級のこの門は只今、耐震工事中である。、、、、、、元和8年(1622)に再建された。 増上寺が江戸初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物で、国の重要文化財に指定されている。 三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門を言う。、、、、、私が高校生の頃、この前を走る都電に乗って、毎週塾に通った思い出の門。 当時は、頭はおろかで、勉強をむさぼっていた割には、出来の悪さに自分にいかり、解脱していなかったようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・3年前に撮影した三解脱門。
 
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③旧方丈門(黒門)・・・・・・・・・・・慶安年間(1648~1652)、三代将軍家光の寄進で建立された。 この門は、御成門交差点付近にあった増上寺方丈の表門で、黒漆塗りの門である。 方丈は明治時代に北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれ、その後芝公園となった。 それゆえ門は、鐘楼の脇に移築し、さらに昭和55年(1980)に増上寺の通用門として日比谷通りに面する、三解脱門の左隣に移築された。、、、、転々と移築され、黒く薄汚れたような、何となく可哀そうな門だ。
 
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④大殿(本堂)・・・・・・・・・・・旧本堂は戦災で焼失したため、昭和49年(1974)、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるように設計され、再建された本堂。 本尊は阿弥陀如来(室町期製作)。、、、、首都圏では最大級の御堂で、間口48m、奥行45m、高さ23m。 石段を登りつめた2階に本堂、3階に道場、1階に檀信徒控室、地下に増上寺宝物展示室がある。
 
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⑤安国殿・・・・・・・・・・・戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂として使用していた建物を、昭和49年(1974)、再建された新大殿の北側に移転し、「安国殿」とした。 その安国殿は老朽化のため、平成23年(2011)に新しい安国殿が再建されました。、、、、まだ、新しい匂いも残っているようだ、堂内にはお守り・お札・羊羹・写真集などグッズが並んでいる。 売店かな???
 
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⑥鐘楼堂・・・・・・・・・・・最初の鐘楼堂は寛永10年(1633)に建立されたが焼失した。 現在の鐘楼堂は戦後の再建によるものであります。 鐘楼堂の大梵鐘は、延宝元年(1673)に鋳造したものである。 江戸三大名鐘の一つに数えられている。、、、、、現在も、朝と夕べ、二回撞くその鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす百八の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く六度の誘いでもある。、、、、、浅草橋の我が家までは、音も聞こえなず煩悩は浄化されないので、今だ、よからぬことを考えては日々を過ごし、迷い多く安らぐことがないね。
 
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⑦経蔵・・・・・・・・・・・徳川幕府の助成により、慶長10年(1605)に建立された経蔵は内部中央に八角形の輪蔵を配する、八間四面、土蔵造りの典型的な経蔵である。 こちらも、寺社建築を得意とする松井建設の手により、只今、耐震工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・3年前に撮影した経蔵。
 
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⑧徳川将軍家墓所・・・・・・・・・・増上寺は上野寛永寺と共に徳川将軍家の菩提寺。 増上寺には、二代秀忠・六代家宣・七代家継・九代家重・十二代家慶・十四代家茂の6人の将軍のほか、崇源院(二代秀忠夫人)、皇女和宮さま(十四代家茂夫人)ら5人の正室、三代家光側室桂昌院(五代綱吉実母)はじめ5人の側室、及び、三代家光第三子甲府宰相綱重ほか歴代将軍の子女多数が埋葬されている。、、、、、旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)と呼ばれ、増上寺大殿を中央にして、その左右に並んでいた。 御霊屋はいずれも、日光東照宮のように荘重美麗な外観で観る人を圧倒していたようだ。 残念であるが、昭和20年(1945)の空襲で、ほぼ全ての建物が焼失した。 さらに、御霊屋跡はプリンスホテル、公園となり、墓所宝塔も一か所に集められてしまった。、、、、今日は宝塔が集められて改葬された現在の将軍家墓所の中を見てきた。
 
・・・・・・・・・・・・・現墓所の門。 元は六代家宣の宝塔前の中門であった。、、、、6人の将軍の墓(宝塔)が、この門の後ろに納められている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・門の後ろには、正面右に二代秀忠夫婦、左に六代家宣夫婦の宝塔を配し、両サイドには家継・家重・家慶・家茂・静寛院和宮・将軍生母側室の塔が並ぶ。
 
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・・・・・・・・・・・・・秀忠夫婦の石塔。 秀忠の宝塔は焼失し、正室江与の石塔に合祀されている。、、、、、世が世ならば、台徳院霊廟と称する壮大な墓所が残されているのだが、徳川の世は遠く去り、大東亜戦争に負け、今は夫婦で小さな墓に眠る秀忠に、哀れさを感じた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・静寛院和宮の青銅製宝塔
 
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⑨台徳院霊廟・惣門・・・・・・・・・・台徳院霊廟は、二代徳川秀忠の霊廟建築である。 壮大な規模を持ち、江戸時代初期を代表する建造物群であったが、一部の建物を除き、戦災で焼失した。 惣門は数少ない罹災を免れた建築である。 寛永9年(1632)に造営された。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・芝公園にはまだまだ古いもがある、、、、、このあと、芝丸山古墳にのぼり、チョイと「芝」の町を歩き帰宅。

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