神奈川県

2024年5月10日 (金)

国道から総持寺へ

今日の散歩は、JR鶴見線の国道駅で下車し、曹洞宗大本山総持寺に行ってきた。 1万1千歩




● JR鶴見線の国道駅(京浜国道に面する)で下車する。 国道駅は、大きくカーブする相対式ホーム2面2線の高架駅で、改札口のある高架下は、開業時の面影が残るレトロな駅だ。 無人駅で駅員の代わりに簡易Suica改札機が設置されている。、、、、国道駅は昭和5年(1930)10月28日、鶴見臨港鉄道の駅として開業した。 昭和18年(1943)には鶴見臨港鉄道線の国有化により、国鉄鶴見線の駅となる。 開業時には臨港デパートが高架下で営業していたそうだ。 今はべニア板で閉ざされた廃業した店舗が並んでいる。 20年程前に訪れた時と、ほぼ同じ情景が残された“時の止まった駅”である。

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・・・・・・・・・・ 薄暗い高架下の天井にツバメの巣を発見、巣の近くでは家主のツバメが監視中!

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● 国道駅から東海道線を横断し、反対側にある曹洞宗寺院の総持寺に参る。 総持寺は諸嶽山と号し、福井の永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山である。、、、、元亨元年(1321)瑩山禅師が能登半島の櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)にある諸嶽観音堂に入山し、諸嶽山総持寺と改号、元亨2年(1322)後醍醐天皇より紫衣を拝領、曹洞宗の大本山となった。 明治31年(1898)火災により堂宇を焼失、当地(横浜市鶴見区)にあった成願寺の寺地を譲り受け、明治40年(1907)移転した。 境内の敷地面積は約50万m2と広い。 境内には多くの諸堂の他、鶴見大学などの学校施設もある。

・・・・・・・・・・ 緩やかな上り坂の参道。 チョイト、ダラダラの坂道で、肺活量の少ない私には歩き難い参道だ!

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・・・・・・・・・・ 昭和44年(1969)に落成した三門は、鉄筋コンクリート造りでは日本一とのこと。

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・・・・・・・・・・ 總持寺は、後醍醐天皇の頃から歴代天皇より勅願寺として仰がれ、勅使門として向唐門(むかいからもん)が造られた。

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・・・・・・・・・・ 長さ164m、東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑とを分ける廊下(大正4年頃建築)。 通称「百間廊下」と呼ばれている。、、、、毎日朝昼2回、雑巾がけが行われているのでピカピカ。 でも、雑巾がけする人は大変な労力かも?

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・・・・・・・・・・ 大祖堂は昭和40年(1965)に竣工。 大祖堂は、一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。 高さ36m、千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及びます。、、、、本山開祖・太祖瑩山禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する霊場。

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・・・・・・・・・・ 大粗堂の左に並ぶ、大正4年(1915)に竣工した仏殿。 本尊釈迦如来像を安置する。

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・・・・・・・・・・ 他の諸堂も巡り、奥の墓地へ“裕次郎に逢いに行く”、、、、石原裕次郎が没して30余年、今でも忘れられない大スターに合掌。

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・・・・・・・・・・ 参詣の終わりに三門の脇にある三松閣に立ち寄る。 切妻造り鉄筋コンクリート造、地上4階、地下2階、広さ9400m2の建物、平成2年(1990)竣工。、、、、檀信徒研修道場、各種セレモニー会場となっており、宿泊施設もある。、、、、こちらの喫茶室で、コーヒー飲んでひと休み。

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2023年10月 5日 (木)

元町・中華街

朝食時に、妻に『今日は一緒に散歩する?』と聞くと、妻は、もちろん『行く行く!』の返事。 行先は決まってなかったので、妻のリクエストで横浜へ行くことにした。(この時点で、健康のための散歩でなく、食欲の秋を求めて街歩きとなった)、、、、桜木町駅から、中華街、元町と歩き石川町駅まで、1万1千歩の歩き。




● 11時、桜木町駅に降りる。 島式ホーム2面3線の高架駅で、中線は横浜・東神奈川方面への折返し用として使用している。、、、、ホームから1階改札口に向かう階段の壁に懐かしい“1950年頃の桜木町駅”の写真があった。 1960年代になると、根岸線が高架で磯子方面まで開通する。 根岸線開通前後の頃、私は中高校生で、横浜の街歩きに幾度か来たことがあり、おぼろげながら記憶ある駅だ! 

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● 桜木町駅前から、一昨年(令和3年4月22日)に開通した都市型ゴンドラ「YOKOHAMA AIR CABIN」に乗ってみた。 片道5分の乗車で赤レンガ倉庫・観覧車のある処まで空中を運んでくれる。 1000円はチョイトお高いが、冥途の土産話に乗車。、、、、高齢の私達夫婦も短い時間だが新婚気分になれる乗り物だ!

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横浜赤レンガ倉庫を拝見。 赤レンガ倉庫(新港埠頭保税倉庫)は、明治時代末期から大正時代の初期にかけて国営保税倉庫として建設された。 関東大震災では一部被災したが改修され、第二次世界大戦終戦後は連合国軍に一時接収された。 平成元年(1989)までは保税倉庫として利用されていたが役目も終わり、その後しばらく放置されていた。 平成14年(2002)に「横浜赤レンガ倉庫」として、1号館は展示スペース・ホールなどの文化施設、2号館は商業施設に生まれ変わった。 平成19年(2007)には、経済産業省により近代化産業遺産として認定された。、、、、赤レンガ倉庫の設計は、大蔵省臨時建築部(妻木頼黄)によって行われた。 妻木頼黄は、日本橋(東京)、横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)などを設計した。 明治の建築界三巨頭の一人。 

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・・・・・・・・・・ 横浜赤レンガ倉庫の広場では、伝統的な雰囲気が魅力の“ビールの祭典”「横浜オクトーバーフェスト 2023」が行われていた。 12時の開場を待つビールの愛飲家、150m程の長い行列も楽しみの一つかも? 子供が並んでるのは??

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● 赤レンガ倉庫より中華街に向かう

・・・・・・・・・・ 赤レンガ倉庫からほど近い運河に架かる、大正元年(1912)に建造された貨物線(横浜臨港線)の鉄道橋「新港橋」 新港橋は、当時赤レンガ倉庫などと共に建造された港湾施設の一つで、旧横浜駅(現桜木町駅)から延びる横浜臨港線の新港埠頭を経て旧横浜税関構内を結ぶ橋梁として架橋された。 橋はポニー型ワーレントラス橋で、設計は大蔵省臨時建築部、施工は浦賀船渠。 新港橋は日本における初期の国産トラス橋の一つ。、、、、いまは、歩行者専用橋として利用されている。

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・・・・・・・・・・ 新港橋を渡り、横浜港大さん橋前の山下臨港線プロムナードを歩くと、横浜税関(昭和9年(1934)竣工)の建物、横浜港の海がバッチシ!

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・・・・・・・・・・ 旧大倉商事横浜出張所であった「横浜貿易会館」がある。 この辺りは“This is the YOKOHAMA”の雰囲気が残っている。、、、、貿易会館は、川崎鉄三の設計、大倉土木(現:大成建設)の施工で、昭和4年(1929)に竣工した。

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・・・・・・・・・・ 横浜の歴史を知る、こじんまりした横浜開港資料館にお立ち寄り。 開港資料館は、幕末・開港期から昭和初期までの横浜の歴史に関する資料を展示・公開している。 建物の旧館は英国総領事館だった建物で、昭和47年まで使われていた。 今日はあいにく外装工事中のため、昭和初期の建物は拝見できず。

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・・・・・・・・・・ おや、道路の向かいで幸せそうな二人が記念撮影? 後ろのクラシカルな建物は結婚式場であった。、、、、この建物は、英国の建築家バーナード・M・ウォード設計により大正10年(1921)に誕生した「露亜銀行横浜支店」 関東大震災や太平洋戦争をも耐え抜き、領事館など多様な施設として活用されてきた。 現在は結婚式場として利用されている。

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中華街に溶着。 昼食はもちろんここでランチ。 妻は満足した『また、来ようね!』、、、、横浜中華街は、日本最大の中華街で前身である慶応2年(1866)の居留地時代から数えると150年強の歴史を有する。 500店以上もの店舗があり、その時々の流行によって頻繁に入れ替わっている、最近は“占いの館”が多く軒を並べ、カップルの相性占いか? 

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・・・・・・・・・・ 中華街の中心には、横浜関帝廟(よこはまかんていびょう)がある。 関帝廟は、関帝(神格化された関羽)を祀っており、主に商売人の守り神として崇敬を集めている。 現在の関帝廟は、四代目の建物で平成2年(1990)に建てられた。

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・・・・・・・・・・ 関帝廟と共に中華系の人々の心の拠り所になっているのが、横浜媽祖廟(よこはままそびょう)である。 媽祖廟は、平成18年(2006)に、開港から150周年を迎える横浜の新名所として横浜中華街に落慶開廟した。 明治時代の清国領事館の跡地である山下町公園に隣接して、台湾最初の官建の台南市大天后宮(中国語:大天后宮)より分霊された。 横浜媽祖廟と横浜関帝廟は、共に中国道教建築の粋である。

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● 中華街を抜けると、花壇がとても綺麗で歩道も広く歩きやすい元町商店街がある。、、、、開港後の山下町に外国人居留地が、山手に山手居留地がそれぞれ設けられ、両地区を結ぶ場所にあった元町通りは、居留者らが日常的に多く行き交うところとなり、外国人を相手にした商売が盛んに行われるようになる。明治が始まってしばらく経つ頃には居留者がさらに増え、インターナショナルスクールの開校や、当時は日本には珍しい喫茶店やベーカリー、洋服店、洋風家具店などが軒を連ね、文明開化を支えた。これが今の元町商店街の原型となったそうだ。、、、、げんざいは、上品な雰囲気漂うおしゃれな商店街。 この街歩いてる中高年は、自然に紳士・淑女ジェントルに見える。 若い娘はみな美人に見える。 目の錯覚か?、、、、妻は真剣にウインドショッピング。 私は心静かに呪文を唱える『見るなよ 触れるなよ 買うなよ』 

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石川町駅から帰路につく、、、、電車に揺られ、妻はコックリコックリ

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2023年3月22日 (水)

桜は二分咲き

東京に開花宣言が出た15日頃、妻が『今年は何処へ花見に行く?』 私が『小田原城はどうだ!』というと、即決した。 予想では27日頃が満開と思われ、28日に行くように計画したが ・・・・・ しかし最近の天気予報では23日から連日傘マークが出てる。 昨夜(21日)、妻が『28日頃雨だよ、散っちゃうよ! 明日、花見に行こう!』と言い。 これまた、即決! 急遽予定を変更し、昨日の今日で、朝から小田原行きとなった。 行きは小田急ロマンスカーで、帰りは新幹線で、日帰りの花見。、、、、万歩計では1万8千歩の花見




● 9時20分新宿発のロマンスカーで、10時40分小田原着、一人運賃900円:特急料金910円:計1810円也。、、、、小田原駅は大正9年(1920)10月に国府津駅を起点とする熱海線(現:東海道本線)の終着駅として開業した。 その後、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)が昭和2年(1927)に、大雄山鉄道(現:伊豆箱根鉄道)と箱根登山鉄道が昭和10年(1935)に乗り入れてる。 一日約15万人が利用するターミナル駅。、、、、小田急の「小田原駅」は、山側の新幹線ホームと海側のJR在来線ホームに挟まれた島式ホーム2面3線(小田急電鉄、箱根登山鉄道共用)の地上駅。 駅舎は大屋根に覆われた近代的な建物でJRと共用している。、、、、小田原駅に降り立つのは30年ぶりかも? すっかり変わって田舎者だ!

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● ポカポカの春の陽気の下、駅から小田原城址公園に向かう。 来て見てビックリ、小田原城の桜はまだ二分咲きだった! 『満開の桜を通して見上げる天守閣』を期待して来たが、『つぼみの後ろに控える天守』であった。、、、、私は桜にチョピリ残念! 妻は小田原城に感動!、、、、小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、その後城内の多くの建物は解体された。 さらに、大正12年(1923)の関東大震災により、石垣などもほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われた。 現在の天守閣は、昭和35年(1960)に総工費8千万円をかけて、江戸時代の姿に復興した。 施工は松井建設。 3重4階の天守櫓に付櫓、渡櫓を付した複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1,822㎡である。、、、、、標高約60mの天守閣最上階からは、相模湾が一望でき、房総半島まで見ることができる。 私は高所恐怖症で落ち着いて、景色を見る余裕なし。(心の中では、早く地上に戻りたい!)

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● 城内の西側に二宮尊徳を祀る神社「報徳二宮神社」がある。 旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社となっている。、、、、二宮尊徳は、報徳思想を信条とする団体「報徳社」を設立して農村の救済・教化運動を行っていたが、尊徳が安政3年(1856)に亡くなった後も報徳社は存続し、関東・東海地方を中心に活動を行っていた。 明治24年(1891)に尊徳に従四位が贈られると、報徳社員の間で尊徳を祀る神社創建の動きが起き、明治27年(1894)、尊徳の生地である小田原の小田原城址内に鎮座した。 明治42年(1909)には現在の本殿・幣殿を新築、拝殿を改築した。、、、、境内のカフェで、二宮金次郎と如何なる関係か知らねども、「きんじろうソフト」を味わう。 甘い、美味しい!

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● 報徳二宮神社から南に歩き、チョッピリ小高い天神山を越え、箱根駅伝でおなじみの国道1号に出る。 東海道線・箱根登山電車のガードの近くに「人車鉄道 軽便鉄道 小田原駅跡」の石碑があった。、、、、明治期、文豪・著名人が熱海(当時は温泉宿が約30軒あった)に行くとき利用したと言われてる人車鉄道・軽便鉄道の駅跡だ! 現在の小田原駅とは、小田原城を挟んで、正反対の側に位置する。 『アレ? 昔の人は、国鉄の小田原駅から、お城を半周して人車鉄道に乗ったのか?』と疑問が湧いた。 石碑の近く、呉服屋さんの店先に「豆相人車鉄道 温泉夢物語」と書いたパネルがあり、店の御主人が、その疑問に応えてくれた。、、、、明治期の東海道線は東京から国府津まで営業しており、その先は御殿場線経由であった。 小田原にはまだ東海道線は敷かれていなかったので、もちろん現在の小田原駅は無かった。 国府津で降りた客は、ここ人車鉄道の小田原駅まで歩いて来たそうだ。 人車鉄道の小田原駅は明治28年(1895)7月に開業した。 明治41年(1908)には、人が押す人車鉄道から、軽便鉄道に変わった。 人車鉄道で熱海まで所要時間4時間が、軽便鉄道になり約3時間となった。 御殿場線経由の東海道線が、現在のルートで小田原まで伸びたのは大正9年(1920)である。、、、、小田原から熱海まで、人車鉄道を押す車夫(?)の苦労は真似できないね!

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・・・・・・・・・・ 写真:手前左右に伸びる道路が国道1号、中央から奥に向かう道路が線路敷き跡、右端の家が小田原駅のあった処、左端(ヤオタメの隣り)が呉服屋さん、石碑は右端歩道橋の上り口にある。

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● 海岸近くに「西海子小路」(さいかちこうじ)と呼ばれる桜名所がある。 道路の両側約400mの区間に約50本のソメイヨシノが咲き誇る桜のトンネルが楽しめる道。 江戸時代は17の武家屋敷が軒を連ねていたそうだ。、、、、悲しいことに、ここの桜はまだ一分咲き!

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・・・・・・・・・・ 西海子小路に面して、「小田原文学館」があり、チョイトお立ち寄り! ここには、北原白秋の資料を展示している「白秋童謡館」、昭和を代表する私小説家・尾崎一雄の書斎(移築)もある。、、、、 まずは「小田原文学館(旧田中光顕別邸)本館」を拝見。 宮内大臣などを務めた政治家田中光顕の別邸であった。 昭和12年(1937)築のRC造3階建の本館部と木造平屋建の管理棟からなる。 本館はスパニッシュ瓦葺、東南隅にはサンルームがあり、3階にはベランダやパーゴラ等もある。 いかにも別荘という感じの建物。 登録有形文化財

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・・・・・・・・・・ 田中光顕の別邸で、「白秋童謡館」として活用。 大正13年(1924)に建てられた、木造2階建の入母屋造・瓦棒銅板葺家屋。 こちらも登録有形文化財。

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・・・・・・・・・・ 西海子小路に面し、もう一軒「旧松本剛吉別邸」にもお立ち寄り。、、、、松本剛吉は、明治の元勲・山縣有朋と親交の深かった明治・大正期に活躍した政治家(貴族院議員等を歴任)。 建物は、大正12年(1923)頃に建てられ、平成28年(2016)に小田原市の歴史的風致形成建造物に指定された。 主屋と別棟の茶室「雨香亭」、待合等の建物と、築山や水景を伴う庭園で構成されており、主屋は西側に張り出した主座敷の八畳と六畳の次の間から成る座敷がある数寄屋風書院造となっている。、、、、今日は、WBCの中継がありこちらに訪れる人もなく、客は我が夫婦二人だけ、こちらの茶室「雨香亭」でお茶ならぬ、抹茶パフェを静かにのんびり庭を見ながら頂いた。 思いで残る訪問で、妻、感動! 『秋になったら、また来よう!』(本当に来る気か?)

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● 春のポカポカ陽気を堪能して「小田原駅」に戻る。 帰りは新幹線を利用。、、、、一人運賃1520円:特急料金2290円:計3810円也。 ナント、新幹線は小田急ロマンスカーの倍以上だ! 『JRのぼったくり!』と、叫びたくなる(でも、小田原~東京間の所用時間35分は嬉しいね!) 

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2022年8月 5日 (金)

30年ぶり

猛暑日が数日続き、その後は大雨、やっと今日は曇りだが30℃以下の散歩日和。 鉄道オタク、京急ファンの孫に誘われ今日は、京急で三崎口駅まで“乗り鉄”。 “孫に引かれて三浦海岸へ”



● 泉岳寺駅で京急“快特”の先頭車両の先頭に座り、一気に終点:三崎口駅を目指す。 三崎口駅で降りるつもりが、チョイト海も見たくなり、一つ手前の三浦海岸駅で下車。

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● 時刻は12時過ぎ、チョイト“まぐろ丼”で腹ごしらえ。 海まで5分、私には30年ぶりの三浦海岸。 遊泳禁止で泳いでる人はいないが、チョイト水遊び!

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● 海をあとにして三浦海岸駅へ戻るつもりが、コレまたチョイト脇道のカフェに立ち寄り“一休み”。 店を出て駅に向かったつもりだが、歩けども歩けども駅に近づかない・・・・・・チョイト、ヤバイな・・・・・・気づいたときは、すでに三崎口駅の方に歩いていた。 こうなりゃ、三崎口駅まで歩こうヤ! これが失敗であった、海抜0メータの海岸から、京急の駅の中では最も高い処にある三崎口駅は標高32m。 急な上り坂と“三浦スカイ”の畑の中を約3㎞の散歩。 ぐったり、ばったり、疲れたり! “熱中症”にならずよかった!

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今日は1万1千歩の散歩、疲れた寝るぞ!

2020年10月16日 (金)

海底トンネル

以前より一度は歩いてみたいと思っていた「川崎港海底トンネル」に行ってきた。 川崎の工業地帯にある、千鳥町と東扇島の二つの埋め立て地を結ぶ海底トンネルです。 電車で川崎駅へ、駅からバスで千鳥町へ、帰りも東扇島からバスで川崎へ、1万歩の散歩です。




● 誰もが知っている京浜工業地帯の玄関口「川崎駅」。 川崎駅は明治5年(1872)7月10日、神奈川駅と共に日本で3番目の鉄道駅として開業した。 現在は、東海道本線(東海道線列車と京浜東北線の電車、2系統)と南武線(当駅起点)が運行している。(京浜急行の京急川崎駅とは200m程離れている)、、、、島式ホーム3面6線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 ホームは1面ずつ、東海道線列車(上・下)、京浜東北線(南行・北行)、南武線と使い分けている。 改札を出ると、コンコースも広く、駅ビル「アトレ」に直結。、、、、1日平均乗車人員は約21万人で、JR東日本の駅としては11位ぐらい。 私の住む浅草橋駅は1日平均乗車人員は約5.4万人で、91位、残念だがチョッピリ負けてる。

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・・・・・・・・・・・・東口駅前には、1番から23番までのバスの乗り場があり、久しぶりに都心から出てきた年寄りには、目的地に行くバスを探すのに一苦労。(浅草橋駅前のバス停は1系統のみ! 探すのはラク!) 私は、12番乗り場から東扇島西公園行きに乗る。
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● 直に海底トンネルへ行くのではなく、チョイト手前でバスを降り、周囲の様子を見ながら行くことにした。、、、、運河で四方を囲まれた埋立地「千鳥町」 埋め立て・造成は昭和12年(1937)から始まり戦後まで続いた。 千鳥町全体は工業用地として開発され、東京電力火力発電所、東燃化学、新日本石油化学など、エネルギー系、石油化学系の工場が並んでいる。、、、、私は千鳥町のほぼ中央に位置するバス停「千鳥町」で降り歩いた。

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・・・・・・・・・・・・少し歩くと、「川崎港海底トンネル 歩行者通行案内図」が親切にも道路脇にあった。 何だか、観光名所に行くような気分になってきた。 でも、私の視界には歩く人は一人もいない、やっぱり観光地ではないな!
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・・・・・・・・・・・・案内図によると、車はこの先でトンネルへ入るが、人と自転車は公園を抜けて換気所の脇から入るようだ。

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・・・・・・・・・・・・道路の左右に、鉄道の車輪らしきモニュメントがある。 『コリャ、何だ!』 チョイト考え、ここ千鳥町の多くの工場には神奈川臨海鉄道の貨物線が引き込まれていたので、その跡にモニュメントを置いたのだろうと推測する。

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・・・・・・・・・・・・車はここからトンネルへ入っていく。 ちなみに、私が立ち入ろうとしたら、自動化されたマイクで、人と自転車はココから入らないように警告が発せられた。 どこかに、監視カメラがあるかも?

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・・・・・・・・・・・・車の入口の脇に、人道を示す案内もある。 誰も歩いてない! 道なりに公園に入っていく。

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・・・・・・・・・・・・公園には、ココにも人道を示す案内がある。 木立を抜けると目の前に「千鳥町換気所」が現れた。

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・・・・・・・・・・・・千鳥町換気所の先から運河を挟み、対岸に東扇島が見える。 運河の幅は600m以上ありそうだ。 この下を歩いて対岸まで行くと思うと、ワクワクする。 対岸には「東扇島換気所」が見える(2枚目写真中央)

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● 「川崎港海底トンネル」は、川崎市川崎区千鳥町と東扇島を結ぶ、全長1,165mの海底トンネルである。 海底部はコンクリート製の函を沈めて繋げる沈埋工法で、陸上部はオープンカットや山留工法で作られている。 元々は一般車両の通行を禁止したトンネルであった。 平成3年(1992)に一般車両の通行も可能となった。 トンネル内の制限速度は時速50km。、、、、このトンネルは昭和47年(1972)に着工し、昭和54年(1979)に完成した。 工事費440億円。、、、、地盤は脆弱で船舶の交通量も多く、工事は難航したため、昭和54年度土木学会賞を受賞した。

・・・・・・・・・・・・まずは、川崎港海底トンネルの構造、、、、両岸から下り坂、海底部は水平。 歩道を挟み、左右に車道。

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・・・・・・・・・・・・千鳥町換気所、、、、白にブルーのラインが鮮やか、遠くからも識別しやすい!

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・・・・・・・・・・・・千鳥町換気所脇の入口、、、、ココから出る人は出口(念のため)

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・・・・・・・・・・・・入口からしばらくは階段となっている、、、、エレベーターはない(関門海峡の関門国道トンネルの人道などは海底部の高さまではエレベーターで下りることができた)、、、、下りは良い良い、上りは辛い!

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・・・・・・・・・・・・車道の高さになると、斜路となる、、、、斜路ー水平ー斜路となるため、人道の端から端までは見通すことができない! 人道部だけで約1km程。、、、、自転車に乗った人とすれ違う。 すれ違ったのは、この人のみ。

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・・・・・・・・・・・・人道の左右には、壁を隔て車道があるので、要所要所に車道とつながる扉がある。

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・・・・・・・・・・・・東扇島換気所と換気所脇の出口(入口?)

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・・・・・・・・・・・・人道内には、お高そうな富士通製の監視カメラが付けられている。 これで、痴漢には安心。、、、、定規のようなものは、海底部の沈下を計測するそうだ。 トンネルが折れて水没を防ぐため?、、、、この他、一酸化炭素濃度の測定器などもあった。

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● 東扇島換気所前から千鳥町を眺めると、『この海底を歩いてきたのだ!』と、チョッピリ感動!、、、、写真、対岸中央付近に千鳥町換気所が見える。

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・・・・・・・・・・・・東扇島は物流関係の倉庫が並ぶ、そのためか、トラックが多く道路は渋滞!

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・・・・・・・・・・・・「東扇島十七番地」バス停より、川崎駅行きに乗る。、、、、このバスは川崎港海底トンネルの車道をはしり抜ける。

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2020年9月30日 (水)

最古のトンネル

東急目黒線・東横線の多摩川駅から川向こうの新丸子駅までの散歩です。




● 「多摩川駅」は大田区田園調布にある東横線・目黒線・東急多摩川線の駅。 大正12年(1923)、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部)間を開業させたのと同時にできた駅。 大正15年(1926)には東横線の多摩川~神奈川間が開業、昭和2年(1927)には渋谷~多摩川間も開業した。、、、、現在の「多摩川駅」は、東横線と目黒線が使用する1~4番線ホームは高架島式2面4線構造。 外側を東横線、内側を目黒線が使用する。 東急多摩川線が使用する5・6番線ホームは地下1階で、島式1面2線構造。、、、、この駅は、4回の駅名改称で、開業時の駅名に戻った稀有な例だ! まず最初は、今と同じ「多摩川駅」として大正12年3月11日に開業した。 大正15年1月1日、僅か3年で「丸子多摩川駅」に改称。 その後近くに“多摩川遊園地”という遊園地が近くにできると、昭和6年(1931)1月1日「多摩川園前駅」に改称する。 さらに昭和52年(1977)12月26日には、“前”がなくなり「多摩川園駅」となる。 さてさて、それから1年半後には多摩川遊園地が閉園となり、“多摩川園”という施設が無くなった。 駅名はそのままで暫く続いたが、平成12年(2000)8月6日目蒲線の目黒線・東急多摩川線への分割とともに、“園”をとり駅名を再び「多摩川駅」に改称した。 

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● 多摩川駅の西側、多摩川沿いの丘陵地に約750メートルにわたって、広い区立公園「多摩川台公園」がある。 晴れた日には遠く丹沢の山並みや富士山を見ることができるらしい、今日は快晴だったが見えたのは対岸の高層ビルだけ。(先日、眼の手術をしたので、見えなくなったのかな?)

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・・・・・・・・・・・・この公園の敷地内には、昭和47年(1972)まで「調布浄水場」があった、その跡地は現公園の一部となり、大田区によって整備された。 沈殿池だったところには池を作り湿性植物を植え、濾過池だったところには四季の野草などが植えられている。

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・・・・・・・・・・・・高台の公園からは多摩川に架かる東横線・目黒線の橋梁が見える。

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● 多摩川台公園の舌状台地の先(南側)に東急の線路を挟んで、浅間神社古墳の上に建つ「多摩川浅間神社」がある。、、、、創建は鎌倉時代の文治年間(1185~1190)と伝えられる。 源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。 その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。 富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。 それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。、、、、さすが“浅間神社”! 鳥居から社殿まで、富士登山にならい階段が続く登山道、年寄りには堪えるね! 現在の社殿は、昭和48年(1973)に完成した優美な浅間造り様式で、都内では唯一のもの。


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・・・・・・・・・境内から眺める多摩川。 右に東急(東横線・目黒線)の橋梁、左に丸子橋、対岸は新丸子・武蔵小杉の町。

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● 丸子橋をとおる中原街道(都道2号)の下(大田区田園調布本町)に、大田区最古のトンネルがある。 トンネル名は? 大きさは、幅:4m、高さ:3m、長さ:15m。、、、、中原街道のこの付近の道路指定が大正9年(1920)で、初代丸子橋の開通が昭和10年(1935)、トンネルは丸子橋の付け根にあることから、大正末期から昭和初期の間に造られたものと推定できそうだ。

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・・・・・・・・・・・・トンネルの中には、“東京府”時代のものと思われる、“東”をデザインしたマンホールがある。

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・・・・・・・・・・・・中原街道の下にトンネルを造り、道路を立体交差にしたのは、現在の狛江市で取水した多摩川の水を世田谷区・大田区に引き込む六郷用水を通すためと思われる。 トンネルの先には六郷用水が復元されている。、、、、綺麗な水の中をコイが泳いでる。

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● 東京都大田区田園調布本町と神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町の間に架けられている橋が、二代目の丸子橋。 橋の上は片側2車線の中原街道が通っている。、、、、昭和初期までは中原街道には多摩川を渡る橋はなく、丸子の渡しと呼ばれる渡し舟が存在していた。 初代の丸子橋は、長さ400m程、鋼トラス式タイドアーチ橋3連 + 鉄筋コンクリート上路式アーチ橋10連の橋で、昭和9年(1934)に架けられたた。、、、、現在の丸子橋は二代目、初代のイメージを踏襲したデザインで、橋長405.6m、幅員25.0mの鋼ローゼ(2連)+3径間連続PC箱桁橋である。 平成12年(2000)5月に完成。 事業費142億円。(旧橋の工事費用は約52万円)、、、、PC桁とアーチで変化をつけたデザインが、橋の長さを感じさせない歩きやすい橋。 また、大きな橋に多い、大型車が通った時の揺れも少なく、臆病な私が不安を感じることがなかった橋。

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・・・・・・・・・・・・旧橋の親柱が残されてる。

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● 丸子橋を渡り川崎市に入る。 新丸子駅近くを通り過ぎ、チョイト先へ行くと「京浜伏見稲荷神社」があるので、お立ち寄り!、、、、初代宮司:冨澤冠受大人之命(とみざわかんじゅうしのみこと、1905~1978)が昭和26年(1951)に京都伏見稲荷の神示により創建したとされる。、、、、『こんなところにこんなすごい稲荷があるなんて! なぜだ!』と言いたくなる神社。 商売繁盛の神の御利益は、神自身が授かっているようだ、社殿は『日本最大級の九棟稲荷造り』と自慢するスゴイ建築。 

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● 散歩のお帰りは「新丸子駅」から。、、、、新丸子駅は、大正15年(1926)2月14日東横線に開業した。 現在は東横線・目黒線が乗り入れる高架駅。 ホームも島式ホーム2面4線で、東横線・目黒線それぞれが使用している。

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2020年1月12日 (日)

観音の観音

今朝も出がけに、『今日は何処へ行くの?』と妻が聞いてきた。 『決めていない』と応えると、『今日は日曜だから京急方面の電車空いてるよ!』 これで決まり、浅草橋で三崎口行きの電車に乗る。 ラクラク座れ、ipadを取り出し地図を見る。 『さて、何処で降りようか?』 京急沿線を見ていると、川崎大師の南側に「観音」という地名が目に飛び込む。 決めた!今日の散歩は、何となくありがたい名前の「観音」に行こう!、、、、川崎大師駅で下車し、観音の町を探索し、バスで川崎に戻り帰る。 1万歩の散歩です。




●大師は、ほっとけ! ・・・・・・・川崎大師駅で下車する。 まだ朝の早いせいか、川崎大師に参拝する人も少ないようだ。、、、、今日は、初詣で賑わう川崎大師、女性が喜ぶ金山神社のある若宮八幡宮、どちらも無視して「観音」へ行くことにした。

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●ごりやくは咳止め? ・・・・・・・・駅前に立ち、左手(東側)に川崎大師の表参道、右手(南西側)に若宮八幡宮に向かう道路、その中間、駅の正面(南側)に「観音」の町に向かう「ごりやく通り」がある。、、、、「ごりやく通り」とは、何処の御利益を言うのか? 川崎大師か、若宮八幡宮か、それとも「ごりやく通り」に面する神明神社か。 商店街入口のアーチをよく見ると、イラスト入りで「川崎大師 ごりやく通り」と書いてある。 この通りは、川崎大師解脱門(民家に例えれば裏口)に通じる通りであった。 くず餅屋、あめ屋、だるま屋など、参拝のみやげ物を売る店が一軒も無いゴク普通の寂れた商店街、“参道”とは言いずらい!

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・・・・・・・・・・・・サックスブルーと呼ばれる水色の川崎フロンターレの旛がなびく商店街。 人通りが少なく寂しいかぎり。

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・・・・・・・・・・・・道なりに進み、町名が「川中島」に変わると、商店街の名も変わり。フロンターレの旗も小ぶりになった。

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・・・・・・・・・・・・川中島1丁目、「ごりやく通り」に面し神明神社がある。 神明神社は、建武2年(1334)に創建、江戸時代には、平間寺(川崎大師)が管理していたそうだ。、、、、境内社の一つに「せきの神様」と赤字で大書された旗がなびく社がある。 風邪・インフルエンザに効きそうだ、御神体らしい石仏(元は道祖神らしい)にしっかり手を合わせてきた。 でも、私には「せき止め飴」の方が効きそうだ!

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・・・・・・・・・・・・「ごりやく通り」は、JR川崎駅前からほぼ東に向かい東京湾へ伸びる「富士見通り」にぶつかり終わる。

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●観音の観音! ・・・・・・・・「富士見通り」を越えると「観音」の町である。 観音1丁目と観音2丁目の2区画で構成する町。 昭和の香り漂う建物は少なくなり、新しい住宅に建て替えが進んでいる町だった!
・・・・・・・・・・・・バス停の名は「観音一丁目」、、、、周りを見回しても普通の町だ! 観音さまの後光は何処にも見えないが、何かを期待したい。 
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・・・・・・・・・・・・路地に、何だか手招きしているような鳥居が見える。 早速、招かれたか? ワクワクして奥に進むと、三の鳥居の後ろに赤い社がポツントあった。 社の中には神棚があるだけ、ガックリ、期待ハズレ! ちなみに、社名は中瀬大師稲荷神社・日枝大神社であった。

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・・・・・・・・・・・・周辺には、チョイト懐かしい感じがする戦後の住宅もある。

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・・・・・・・・・・・・長さ100m程(?)の商店街「観音一丁目商店会」、、、、開いてる店は無い、今日は休みか、廃業したのか、まだ時間が早いのか、サッパリ判らん?

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・・・・・・・・・・・・川崎市営住宅「観音町住宅」は114戸の団地、、、、昭和50年代の施工か?、、、、ここでも、公園で遊ぶ子供がいない!

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・・・・・・・・・・・・「観音」の町で観音を見つけた!、、、、観音2丁目に、曹洞宗寺院の石観音堂がある、潮音殿と号す。 石観音堂は寛文5年(1665)天台宗明長寺の僧弁融が創建、近郷近在の人々の信仰を集めたと言われている。 本尊は石造如意輪観世音菩薩。、、、、江戸時代には信仰を集めて賑わったとそうで、地元の人々だけでなく江戸にも信者が多かった。 大師参拝の際の立ち寄りコースとして定着していた。 さほど広くはないが境内には、霊亀石伝 説、六句俳句碑、独吟万句詠草塚など当時を語る石造物が文化財として残されている。、、、、堂の内部を覗いてみたが、主の石造如意輪観音菩薩は拝めず残念至極!     

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・・・・・・・・・・・・石観音堂と向かい合わせに、弁天神社・八海山神社がある。 一つの社に二つの鳥居が並んでいる珍しい神社。向かって左側の赤い鳥居が弁天神社で海苔養殖の守護神。 右側の白い鳥居が八海山神社で製塩業の守護神である。 神社は東京湾に近く、海苔養殖が盛んであった頃は、船祭りなども行われていたそうだ。 、、、、 よく見ると、鳥居の形もチョイト違うね! 社殿の内部を覗いてみたかった、2社の仕切りがあるのかな?

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・・・・・・・・・・・・観音2丁目には、石観音堂と富士見通りを結ぶ「観音通り」がある。 この通りにも、小さい、寂しい商店街「観音通り商店会」がある。 10時になっても、シャッターは上がらない!?!?

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・・・・・・・・・・・・「観音」はアパートの町?、、、、新旧いろいろなアパートが並んでいる。 マンションは少ない!

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・・・・・・・・・・・・再び、「富士見通り」に戻り、バスで川崎駅へ、、、、今日はココまで!

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2019年12月 5日 (木)

生麦・生米・生卵

秋葉原で京浜東北線鶴見行きの電車に乗ったので、今日は終点:鶴見で降りることにした。 鶴見駅からは、旧東海道を歩いて京急新子安駅まで、1万1千歩の散歩です。



●歴史ある駅! ・・・・・・明治5年、日本初の鉄道として新橋~横浜間が開業した。 この時(1872年10月14日)同時に開業したのが鶴見駅である。 駅の古刹であるが、現在、鶴見駅に停車するのは京浜東北線と鶴見線の電車のみである。、、、、駅構内の跨線橋から眺めると線路は多い。 西側に鶴見線の高架ホームがあり、隣りから地上に移り東に向かい順に、横須賀線(湘南新宿ライン)の線路、そして京浜東北線の島式ホーム、東海道線(上野東京ライン)、東海道貨物線(高島線・南武線)などの線路がある。、、、、出口は総持寺に近い西口と、京急鶴見駅のある東口の2か所。 一日当たりの乗車人員はJR東日本内で57位で81,000人程、ちなみに私の住む浅草橋駅は55,000人程で90位、負けた!

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●旧東海道を歩く! ・・・・・・・京急鶴見駅前から京急新子安まで。旧東海道を歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・JR鶴見駅前のロータリーを挟み東側に京急鶴見駅がある。 京急鶴見駅東口の前の通りが旧東海道で、駅前商店街「ベルロード」と名付けられている。 ベルロードは、加盟店舗数約80店舗で構成されている、チョイトおしゃれな商店街。、、、、この商店街の正式名称は「鶴見銀座商店街」というそうだ。 時代も変わり、“銀座”から今風の“ベルロード”としたのかも?、、、、ついでに、この商店街の東側に並行して第一京浜国道が通っている。 商店街と国道の間は、かって「鶴見三業地」があったそうだ。 現在は、飲み屋、パチンコ屋などが並ぶ普通の繁華街である。 いずれ再訪する機会があれば、この繁華街を歩いてみたいものだ!(今日は早朝で、店もまだ寝ているいるのでパス!)

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の先は、普通の裏道のような雰囲気で第一京浜国道を斜めに横切り、鶴見線の国道駅へ向かう。、、、、歩きながら、チョイト心配になる。 駅からここまで、どこにも『旧東海道』の文字が見えない! 品川宿の旧東海道を歩くと、五月蠅ほど『旧東海道』の文字が目に入り、街道を歩いている実感が沸いてくるのだが、ここ鶴見では全くなし、『もしかして、旧東海道とは別の道を歩いているのか、心配だ!』

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・・・・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)に鶴見臨港鉄道の駅として開業した、鶴見線国道駅の裏側(?)を通る。 旧東海道側には駅名の表示はない、第一京浜国道側には駅名が表示されている。 チョイト、高架ホーム下のかつてのアーケードの店舗跡を覗いて行く。 昭和の人間には、嬉し泣きしたくなるほど“昭和”の香りが漂う駅。、、、、現状のまま、世界遺産にしてほしいね!

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・・・・・・・・・・・・・・国道駅を過ぎると、鶴見川に沿って「生麦魚河岸通り」(鶴見区生麦5)となる。(ここでも、『旧東海道』の文字は見えない)、、、、通りには鮮魚を扱う店が、300m程の間に40店舗程軒を連ねている。 そのほとんどが生鮮魚貝類または関連の商品を店頭に並べていた。 客は、寿司屋の大将、料理屋の板前らしきプロの料理人が多いみたいだ、軽自動車を店の前につけ品物を買っていく。、、、、海鮮丼が食べられる店もあるが営業は昼から、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・漁師町(生麦4・5丁目)の寺社を紹介(写真順に)、、、、浄土宗寺院の慶岸寺は天正9年(1582)頃創建、、、、真言宗智山派寺院の正泉寺は寛永元年(1624)の創建、、、、水神宮は正泉寺の院内社であったが昭和2年(1927)に分離された、、、、道念稲荷神社は江戸時代末期の創建

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・・・・・・・・・・・・・・旧東海道沿いの住宅の塀に取り付けられた一枚の案内板、ここが生麦事件の現場(鶴見区生麦4-25)である。、、、、生麦事件は、文久2年(1862)9月14日、薩摩藩の島津久光の一行が江戸からの帰路、東海道の生麦村で騎馬の英国人4人と遭遇。 英国人が馬を下りずに行列を乱したのを無礼とし、薩摩藩士が1人を惨殺し、2人に負傷させた。 薩摩藩は賠償請求と藩士の引き渡しを拒んだため、その後薩英戦争に発展した。 戦争に敗北した薩摩藩は近代化の必要性を痛感し、攘夷論から開国論に転じ、これを機に開国、明治維新へと時代の流れができたと言われている。、、、、この重要な事件現場として、立て看板一枚の史跡では、チト寂しいものである。 殺人事件現場なので、住民に配慮したのかも?

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・・・・・・・・・・・・・・事件現場から旧東海道を800m程横浜方に行った、第一京浜と交差する首都高の高架下に生麦事件の碑がある。 斬られた英国人が深傷を負ったまま逃げてきたが、トドメを刺され絶命した地点だとか。

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●バンバン通過する駅! ・・・・・・旧東海道は第一京浜と重なり、新子安駅方面に向かう。 私の散歩もここまで、京急新子安駅から帰ることにする。、、、、京急新子安駅は明治43年(1910)3月27日に、新子安駅として開業するが、昭和18年(1943)に国有鉄道に新子安駅が開業したため、“京浜”を冠して京浜新子安駅に改称、さらに昭和62年(1987)には京急新子安駅に改称した。 駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、ホーム上に橋上駅舎がある。 当駅の乗降客は京急全72駅中61位と少なく、1日平均乗降人員は8,596人。 当然のことで、特急他優等列車は全て通過する、止まるのは普通だけ!

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●最後の最後! ・・・・・・今日の散歩では、とうとう『旧東海道』の文字を見ることはなかった。 この辺りでは、『旧東海道』は客寄せの単語にならないのか、それとも旧街道らしい歴史遺産が少ないことが要因かも?

2019年10月 8日 (火)

くず餅食べに川崎大師へ

最近、年のせいか物忘れすることが多くなってきた。 顔は知ってるが御近所の人の名が出てこない、昨日食べた料理の名を忘れた、歌は知ってるが歌手の名を忘れた、『コリャ~、ボケだ!』 まだ、妻の名は知ってるから重症ではないと思う。、、、、今日は、夫婦で呆け封じに川崎大師(平間寺)に行ってきた。 本音は、川崎大師が呆け封じに効くかどうかは知らないが、くず餅が食べたくて行っただけ。

川崎大師周辺は、今夏に、京急大師線(川崎~小島新田)を踏破したので、以下の記事を見てください。 今日は手抜きで要所のみ紹介!

            19/7/10  京急大師線 (小島新田~川崎大師)

            19/7/17  京急大師線 (川崎大師~京急川崎)



●ガラガラ? ・・・・・・・夫婦揃って川崎大師駅のホームに立つ。 正月は超混みあう駅だが、今日、平日の昼過ぎ、ガラガラ。 人影も少なく、ひょっとすると「川崎大師は定休日かな?」 

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●撫で撫で! ・・・・・・・川崎大師に行く前に、駅前の若宮八幡宮にお立ち寄り。 この神社は、「若宮」という名から子供・若者の守護神でもある。、、、、境内社の金山神社は、加治屋と性の神様と云われており、御神体は「男根」である。 社殿の前には、御神体を模した黒光りする大きな男根がある。 今日初めて来た家内は、先ちょを撫で撫でして、何やら願掛けをしているようだ。 社殿脇の草の中に橙色の小ぶりな一物を見て、「あなたのは、こっち!」

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●・・・・・・・・・・・・さて神社の次は、開店休業中かと思うような人通りの少ない川崎大師参道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・参道中程に朱塗りの山門が目を引く、天台宗寺院の明長寺がある。 創建年代は不詳だが、文明年間(1469~1487)に創建したと伝えられている。 現本堂は、明和2年(1765)に再建された。 小さいが、緑豊かな落ち着いた寺である。、、、、境内には、この付近にあったと思われる、馬頭観音、地蔵尊、庚申塔などが集められ、多くが祀られている。 一つぐらい、我が家の置物に頂戴したくなった! 
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・・・・・・・・・・・・・・川崎大師山門前の参道は、飴屋、達磨屋、くず餅屋、どこの店も営業中。 客の少ない参道では、可愛い売子の呼び声に惑わされず、参道を通り抜けるのは至難である。 ついつい「帰りに買うね!」と言いながら通過。

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●ガンガン願掛け! ・・・・・・・川崎大師に着きました!、、、、二葉百合子の「岸壁の母」の気持ちで、♪♪ 妻は来ました 今日も来た この御大師に 今日も来た とどかぬ願いと 知りながら 呆けを封じに 呆けを封じに 願掛けに ♪♪、、、、夫婦揃って、本堂で合掌、「南無大師返照混合」を唱える。

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●アメアメ舐め舐め! ・・・・・・・お参り済ませて、くず餅を頂く。、、、、夫婦の話題は、「ここと、亀戸天神、池上本門寺、西新井大師、何処のくず餅が美味しいかな?」 「〇〇〇はチョイト硬めで荒い」 「ここのは優しい味」 「あそこは食べた後に胃に堪える」 話題は盛り上がる、単純な夫婦。

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・・・・・・・・・・・・・・くず餅の次は、を買って帰ろう!、、、、咳が止まらない“せき止め”を買う。、、、、ふと思う、飴にヒ素を混ぜて“息止め”と称して、闇の世界で売ったら、儲かりそうだ。 製造中、チョイト味見、自分でつまんで舐めたら、彼の世行!

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・・・・・・・・・・・・・・大失敗! “呆け封じ飴”買うの忘れた! もうボケていた、御利益なし!

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●しめしめ! ・・・・・・・川崎大師の南東に位置する大師公園の中に瀋秀園(しんしゅうえん)はある。 この瀋秀園は、中国瀋陽市と川崎市との姉妹都市提携5周年を記念して、昭和62年(1987)、瀋陽市から寄贈されたもので、 中国の庭園技術指導団の指導と協力の下に造成が行われ開園した。 庭園面積は4,300㎡で、国内では最大規模の中国式自然山水庭園。、、、、小さな公園であるが、妻は一刻、中国に行った気分を味わえたようだ。 しめしめ、これで中国旅行は達成か!

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●・・・・・・・・・・・・・この後、JR川崎駅前に出て買い物をして帰宅。

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2019年7月17日 (水)

京急大師線 (川崎大師~京急川崎)

来週から多くの学校は夏休み、でも陽気は5月並み、プールにも入れない連日の梅雨寒。 今朝も明け方近くまで都心では雨がパラついていた。 5時に起床し、天気予報を見ると、本日は『午前は曇り、午後は晴れ』 「川崎大師に行ってくる」と家を飛び出す。 京浜急行大師線の散歩、今日は川崎大師駅から京急川崎駅まで、1万1千歩です。



●のんびり通勤の駅 ・・・・・・雨上がりの朝、川崎大師駅、上りも下りも通勤ラッシュには縁がなさそうだ。、、、、

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●撫で牛ならぬ、撫で撫で男根 ・・・・・・川崎大師駅から南西に150m程に若宮八幡宮がある。 大師地区に所在する八社の総鎮守。 多摩川の向こう岸、大田区東六郷にある八幡塚六郷神社から氏子達が大師河原干拓のために移り住み、守護神として祀ったのが当神社と云われ、八幡様(応神天皇)の若宮様(仁徳天皇)が御祭神なので若宮八幡宮と呼ばれる。 創建は永正17年(1520年)頃らしい、創建以来川崎大師平間寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に平間寺から独立した。 昭和35年(1960)、社殿を鉄筋コンクリート造で再建。

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・・・・・・・・・・・・・・若宮八幡宮の境内社として金山神社が境内にある。 この神社は、鉱山や鍛冶の神である金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)の二柱を祭神として祀っている。 祭神である二神は、伊邪那美命(イザナミ)が火の神カグツチを産んだ際に女陰に火傷をし病み苦しんでいるときにその嘔吐物(たぐり)から化生したこと、鍛冶に使う鞴のピストン運動が男女の性交を連想させることなどから、性神としても信仰されている。、、、、神社で毎年4月に行われる奇祭「かなまら祭」は、助平はもちろん若い女性にも知られ、さらには海外にも知られた有名な祭りである。 祭りは男根をかたどった神輿が三基巡行する性信仰の祭りだそうだ。、、、、約3万人が見物に来るらしい。 残念であるが、私はまだ現地で祭りを見たことがない、ぜひぜひ見たいものだ!

・・・・・・・・・・・・・・平成11年(1999)に新築された、一辺が3mの正八角形、高さ8mの吹き抜けの金山神社社殿。 内部は鍛冶屋の作業場か?

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・撫で牛の代わりか?社殿の前には男根が二基。 オヤ!、鍛冶屋の金床も男根のデザイン。 旗にもそれらしき絵が、御朱印にもそれらしき絵を描いてもらえるらしい。、、、、チョイト、やりすぎ馬鹿馬鹿しくなった。 

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●消えたエプロンおばさん ・・・・・・鈴木町駅は、昭和4年(1929)12月10日、味の素前駅として開業。 昭和19年(1944)に鈴木町駅に改称。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、京急川崎方に構内踏切がある。 1番線側(味の素工場側)の改札口は平日朝のみ利用可能な臨時出口で、工場守衛室前に出る。、、、、駅名の「鈴木町」は味の素の創業者・鈴木三郎助に由来している。 線路北側(多摩川側)は味の素の工場でよそ者は立入禁止。、、、、いつの頃からか、食卓から赤いキャップの“味の素”が消えた。 我が家だけか? まだ、店では売っているそうだ! 登録商標の“エプロン姿の主婦”の絵も見ることがなくなったね!

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●名産品で飾った水門 ・・・・・・鈴木町駅と隣の港町駅の中程に川崎河港水門がある。 第一次世界大戦による好景気により、不足した工場用地の拡大を図る運河・港湾を整備する計画の一環として川崎河港水門が造られた。 当時の多摩川改修事務所長であった内務技師:金森誠之の設計により、大正15年(1926)に着工し、昭和3年(1928)に完成した。 高さ20.3m、水門幅10.0m、鉄筋コンクリート造。 2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、ゲートによって構成され、タワーの頭頂部には当時の川崎の名産品のブドウ・梨・桃等をあしらった装飾で飾られている。 現在は国の登録有形文化財として保存されている。、、、、良い状態で残っているね!

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・・・・・・・・・・・・・・この水門の近くで、平成27年(2015)2月20日早朝、中学1年の男子生徒が殺されていた。 加害者は上級生の不良グループ。 当時の悲惨な事件を思いおこし、現場で手を合わせてきた。

・・・・・・・・・・・・・・まだ、厚い雲に覆われ陽は射してこない、多摩川には薄い靄(もや)がかかり、湿度は高く身体からは汗が吹き出してくる。 多摩川土手を歩き隣の港町駅に向かう。

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●マドロスのいない港町 ・・・・・昭和4年(1929)から 昭和6年(1931)まで、現在の駅の位置から川崎大師寄り300mの処に、臨時駅として河川事務所前停留場が2年間限定で開設されていた。 昭和7年(1932)、臨時停留場を正式駅であるコロムビア前駅として開業。 昭和19年(1944)に港町(みなとちょう)駅に改称。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホーム間を連絡する跨線橋が設置されている。、、、、港町駅は美空ひばりの楽曲「港町十三番地」の舞台となった駅である。 この駅前には美空ひばりが所属していた日本コロムビアの川崎工場があった。 駅名は“みなとちょう”だが、歌の方は“みなとまち”である。 また番地も、“13番地”で実際には存在しない。、、、、ホームには「港町十三番地」の音符が描かれている。 また、南口改札前には同曲の歌碑などがパネルで紹介されている。、、、、♪♪長い旅路の 航海終えて 船が港に 泊る夜 海の苦労を グラスの酒に みんな忘れる マドロス酒場 ああ港町 十三番地♪♪ チョイト横浜を連想する歌詞だね!

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●・・・・・・・・・・港町駅を出ると、電車は六郷橋の下を抜けて京急川崎駅へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・明治32年(1899)大師電気鉄道が、(初代)川崎駅~大師駅間を開業した時の川崎駅の跡が六郷橋の下に残っている。 明治35(1902)には(初代)川崎駅~現・京急川崎駅まで線路が延長され、(初代)川崎駅は六郷橋駅と名称を変更した。、、、、六郷橋駅跡は六郷橋の下にあり、橋上の人道から見下ろすことができる。 今の時代から見ると、狭い、小さなホームだった。

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●2階は本線、大師線は1階だ! ・・・・・・・・・・・・・・明治35年(1902)9月1日に川崎駅として開業。 大正14年(1925)に国有鉄道川崎駅と混同を避けるため京浜川崎駅に改称。 昭和41年(1966)に本線が高架化し、大師線の新ホームも供用開始する。 昭和62年(1987)に現在の駅名「京急川崎駅」になる。

・・・・・・・・・・・・・・高架は本線、大師線は地上。

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・・・・・・・・・・・・・・JR川崎駅から離れている京急川崎駅。 大師線は折り返し、仕事は続く!

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