神奈川県

2019年12月 5日 (木)

生麦・生米・生卵

秋葉原で京浜東北線鶴見行きの電車に乗ったので、今日は終点:鶴見で降りることにした。 鶴見駅からは、旧東海道を歩いて京急新子安駅まで、1万1千歩の散歩です。



●歴史ある駅! ・・・・・・明治5年、日本初の鉄道として新橋~横浜間が開業した。 この時(1872年10月14日)同時に開業したのが鶴見駅である。 駅の古刹であるが、現在、鶴見駅に停車するのは京浜東北線と鶴見線の電車のみである。、、、、駅構内の跨線橋から眺めると線路は多い。 西側に鶴見線の高架ホームがあり、隣りから地上に移り東に向かい順に、横須賀線(湘南新宿ライン)の線路、そして京浜東北線の島式ホーム、東海道線(上野東京ライン)、東海道貨物線(高島線・南武線)などの線路がある。、、、、出口は総持寺に近い西口と、京急鶴見駅のある東口の2か所。 一日当たりの乗車人員はJR東日本内で57位で81,000人程、ちなみに私の住む浅草橋駅は55,000人程で90位、負けた!

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●旧東海道を歩く! ・・・・・・・京急鶴見駅前から京急新子安まで。旧東海道を歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・・・JR鶴見駅前のロータリーを挟み東側に京急鶴見駅がある。 京急鶴見駅東口の前の通りが旧東海道で、駅前商店街「ベルロード」と名付けられている。 ベルロードは、加盟店舗数約80店舗で構成されている、チョイトおしゃれな商店街。、、、、この商店街の正式名称は「鶴見銀座商店街」というそうだ。 時代も変わり、“銀座”から今風の“ベルロード”としたのかも?、、、、ついでに、この商店街の東側に並行して第一京浜国道が通っている。 商店街と国道の間は、かって「鶴見三業地」があったそうだ。 現在は、飲み屋、パチンコ屋などが並ぶ普通の繁華街である。 いずれ再訪する機会があれば、この繁華街を歩いてみたいものだ!(今日は早朝で、店もまだ寝ているいるのでパス!)

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・・・・・・・・・・・・・・商店街の先は、普通の裏道のような雰囲気で第一京浜国道を斜めに横切り、鶴見線の国道駅へ向かう。、、、、歩きながら、チョイト心配になる。 駅からここまで、どこにも『旧東海道』の文字が見えない! 品川宿の旧東海道を歩くと、五月蠅ほど『旧東海道』の文字が目に入り、街道を歩いている実感が沸いてくるのだが、ここ鶴見では全くなし、『もしかして、旧東海道とは別の道を歩いているのか、心配だ!』

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・・・・・・・・・・・・・・昭和5年(1930)に鶴見臨港鉄道の駅として開業した、鶴見線国道駅の裏側(?)を通る。 旧東海道側には駅名の表示はない、第一京浜国道側には駅名が表示されている。 チョイト、高架ホーム下のかつてのアーケードの店舗跡を覗いて行く。 昭和の人間には、嬉し泣きしたくなるほど“昭和”の香りが漂う駅。、、、、現状のまま、世界遺産にしてほしいね!

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・・・・・・・・・・・・・・国道駅を過ぎると、鶴見川に沿って「生麦魚河岸通り」(鶴見区生麦5)となる。(ここでも、『旧東海道』の文字は見えない)、、、、通りには鮮魚を扱う店が、300m程の間に40店舗程軒を連ねている。 そのほとんどが生鮮魚貝類または関連の商品を店頭に並べていた。 客は、寿司屋の大将、料理屋の板前らしきプロの料理人が多いみたいだ、軽自動車を店の前につけ品物を買っていく。、、、、海鮮丼が食べられる店もあるが営業は昼から、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・漁師町(生麦4・5丁目)の寺社を紹介(写真順に)、、、、浄土宗寺院の慶岸寺は天正9年(1582)頃創建、、、、真言宗智山派寺院の正泉寺は寛永元年(1624)の創建、、、、水神宮は正泉寺の院内社であったが昭和2年(1927)に分離された、、、、道念稲荷神社は江戸時代末期の創建

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・・・・・・・・・・・・・・旧東海道沿いの住宅の塀に取り付けられた一枚の案内板、ここが生麦事件の現場(鶴見区生麦4-25)である。、、、、生麦事件は、文久2年(1862)9月14日、薩摩藩の島津久光の一行が江戸からの帰路、東海道の生麦村で騎馬の英国人4人と遭遇。 英国人が馬を下りずに行列を乱したのを無礼とし、薩摩藩士が1人を惨殺し、2人に負傷させた。 薩摩藩は賠償請求と藩士の引き渡しを拒んだため、その後薩英戦争に発展した。 戦争に敗北した薩摩藩は近代化の必要性を痛感し、攘夷論から開国論に転じ、これを機に開国、明治維新へと時代の流れができたと言われている。、、、、この重要な事件現場として、立て看板一枚の史跡では、チト寂しいものである。 殺人事件現場なので、住民に配慮したのかも?

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・・・・・・・・・・・・・・事件現場から旧東海道を800m程横浜方に行った、第一京浜と交差する首都高の高架下に生麦事件の碑がある。 斬られた英国人が深傷を負ったまま逃げてきたが、トドメを刺され絶命した地点だとか。

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●バンバン通過する駅! ・・・・・・旧東海道は第一京浜と重なり、新子安駅方面に向かう。 私の散歩もここまで、京急新子安駅から帰ることにする。、、、、京急新子安駅は明治43年(1910)3月27日に、新子安駅として開業するが、昭和18年(1943)に国有鉄道に新子安駅が開業したため、“京浜”を冠して京浜新子安駅に改称、さらに昭和62年(1987)には京急新子安駅に改称した。 駅は相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、ホーム上に橋上駅舎がある。 当駅の乗降客は京急全72駅中61位と少なく、1日平均乗降人員は8,596人。 当然のことで、特急他優等列車は全て通過する、止まるのは普通だけ!

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●最後の最後! ・・・・・・今日の散歩では、とうとう『旧東海道』の文字を見ることはなかった。 この辺りでは、『旧東海道』は客寄せの単語にならないのか、それとも旧街道らしい歴史遺産が少ないことが要因かも?

2019年10月 8日 (火)

くず餅食べに川崎大師へ

最近、年のせいか物忘れすることが多くなってきた。 顔は知ってるが御近所の人の名が出てこない、昨日食べた料理の名を忘れた、歌は知ってるが歌手の名を忘れた、『コリャ~、ボケだ!』 まだ、妻の名は知ってるから重症ではないと思う。、、、、今日は、夫婦で呆け封じに川崎大師(平間寺)に行ってきた。 本音は、川崎大師が呆け封じに効くかどうかは知らないが、くず餅が食べたくて行っただけ。

川崎大師周辺は、今夏に、京急大師線(川崎~小島新田)を踏破したので、以下の記事を見てください。 今日は手抜きで要所のみ紹介!

            19/7/10  京急大師線 (小島新田~川崎大師)

            19/7/17  京急大師線 (川崎大師~京急川崎)



●ガラガラ? ・・・・・・・夫婦揃って川崎大師駅のホームに立つ。 正月は超混みあう駅だが、今日、平日の昼過ぎ、ガラガラ。 人影も少なく、ひょっとすると「川崎大師は定休日かな?」 

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●撫で撫で! ・・・・・・・川崎大師に行く前に、駅前の若宮八幡宮にお立ち寄り。 この神社は、「若宮」という名から子供・若者の守護神でもある。、、、、境内社の金山神社は、加治屋と性の神様と云われており、御神体は「男根」である。 社殿の前には、御神体を模した黒光りする大きな男根がある。 今日初めて来た家内は、先ちょを撫で撫でして、何やら願掛けをしているようだ。 社殿脇の草の中に橙色の小ぶりな一物を見て、「あなたのは、こっち!」

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●・・・・・・・・・・・・さて神社の次は、開店休業中かと思うような人通りの少ない川崎大師参道を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・参道中程に朱塗りの山門が目を引く、天台宗寺院の明長寺がある。 創建年代は不詳だが、文明年間(1469~1487)に創建したと伝えられている。 現本堂は、明和2年(1765)に再建された。 小さいが、緑豊かな落ち着いた寺である。、、、、境内には、この付近にあったと思われる、馬頭観音、地蔵尊、庚申塔などが集められ、多くが祀られている。 一つぐらい、我が家の置物に頂戴したくなった! 
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・・・・・・・・・・・・・・川崎大師山門前の参道は、飴屋、達磨屋、くず餅屋、どこの店も営業中。 客の少ない参道では、可愛い売子の呼び声に惑わされず、参道を通り抜けるのは至難である。 ついつい「帰りに買うね!」と言いながら通過。

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●ガンガン願掛け! ・・・・・・・川崎大師に着きました!、、、、二葉百合子の「岸壁の母」の気持ちで、♪♪ 妻は来ました 今日も来た この御大師に 今日も来た とどかぬ願いと 知りながら 呆けを封じに 呆けを封じに 願掛けに ♪♪、、、、夫婦揃って、本堂で合掌、「南無大師返照混合」を唱える。

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●アメアメ舐め舐め! ・・・・・・・お参り済ませて、くず餅を頂く。、、、、夫婦の話題は、「ここと、亀戸天神、池上本門寺、西新井大師、何処のくず餅が美味しいかな?」 「〇〇〇はチョイト硬めで荒い」 「ここのは優しい味」 「あそこは食べた後に胃に堪える」 話題は盛り上がる、単純な夫婦。

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・・・・・・・・・・・・・・くず餅の次は、を買って帰ろう!、、、、咳が止まらない“せき止め”を買う。、、、、ふと思う、飴にヒ素を混ぜて“息止め”と称して、闇の世界で売ったら、儲かりそうだ。 製造中、チョイト味見、自分でつまんで舐めたら、彼の世行!

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・・・・・・・・・・・・・・大失敗! “呆け封じ飴”買うの忘れた! もうボケていた、御利益なし!

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●しめしめ! ・・・・・・・川崎大師の南東に位置する大師公園の中に瀋秀園(しんしゅうえん)はある。 この瀋秀園は、中国瀋陽市と川崎市との姉妹都市提携5周年を記念して、昭和62年(1987)、瀋陽市から寄贈されたもので、 中国の庭園技術指導団の指導と協力の下に造成が行われ開園した。 庭園面積は4,300㎡で、国内では最大規模の中国式自然山水庭園。、、、、小さな公園であるが、妻は一刻、中国に行った気分を味わえたようだ。 しめしめ、これで中国旅行は達成か!

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●・・・・・・・・・・・・・この後、JR川崎駅前に出て買い物をして帰宅。

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2019年7月17日 (水)

京急大師線 (川崎大師~京急川崎)

来週から多くの学校は夏休み、でも陽気は5月並み、プールにも入れない連日の梅雨寒。 今朝も明け方近くまで都心では雨がパラついていた。 5時に起床し、天気予報を見ると、本日は『午前は曇り、午後は晴れ』 「川崎大師に行ってくる」と家を飛び出す。 京浜急行大師線の散歩、今日は川崎大師駅から京急川崎駅まで、1万1千歩です。



●のんびり通勤の駅 ・・・・・・雨上がりの朝、川崎大師駅、上りも下りも通勤ラッシュには縁がなさそうだ。、、、、

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●撫で牛ならぬ、撫で撫で男根 ・・・・・・川崎大師駅から南西に150m程に若宮八幡宮がある。 大師地区に所在する八社の総鎮守。 多摩川の向こう岸、大田区東六郷にある八幡塚六郷神社から氏子達が大師河原干拓のために移り住み、守護神として祀ったのが当神社と云われ、八幡様(応神天皇)の若宮様(仁徳天皇)が御祭神なので若宮八幡宮と呼ばれる。 創建は永正17年(1520年)頃らしい、創建以来川崎大師平間寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に平間寺から独立した。 昭和35年(1960)、社殿を鉄筋コンクリート造で再建。

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・・・・・・・・・・・・・・若宮八幡宮の境内社として金山神社が境内にある。 この神社は、鉱山や鍛冶の神である金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)の二柱を祭神として祀っている。 祭神である二神は、伊邪那美命(イザナミ)が火の神カグツチを産んだ際に女陰に火傷をし病み苦しんでいるときにその嘔吐物(たぐり)から化生したこと、鍛冶に使う鞴のピストン運動が男女の性交を連想させることなどから、性神としても信仰されている。、、、、神社で毎年4月に行われる奇祭「かなまら祭」は、助平はもちろん若い女性にも知られ、さらには海外にも知られた有名な祭りである。 祭りは男根をかたどった神輿が三基巡行する性信仰の祭りだそうだ。、、、、約3万人が見物に来るらしい。 残念であるが、私はまだ現地で祭りを見たことがない、ぜひぜひ見たいものだ!

・・・・・・・・・・・・・・平成11年(1999)に新築された、一辺が3mの正八角形、高さ8mの吹き抜けの金山神社社殿。 内部は鍛冶屋の作業場か?

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・撫で牛の代わりか?社殿の前には男根が二基。 オヤ!、鍛冶屋の金床も男根のデザイン。 旗にもそれらしき絵が、御朱印にもそれらしき絵を描いてもらえるらしい。、、、、チョイト、やりすぎ馬鹿馬鹿しくなった。 

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●消えたエプロンおばさん ・・・・・・鈴木町駅は、昭和4年(1929)12月10日、味の素前駅として開業。 昭和19年(1944)に鈴木町駅に改称。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、京急川崎方に構内踏切がある。 1番線側(味の素工場側)の改札口は平日朝のみ利用可能な臨時出口で、工場守衛室前に出る。、、、、駅名の「鈴木町」は味の素の創業者・鈴木三郎助に由来している。 線路北側(多摩川側)は味の素の工場でよそ者は立入禁止。、、、、いつの頃からか、食卓から赤いキャップの“味の素”が消えた。 我が家だけか? まだ、店では売っているそうだ! 登録商標の“エプロン姿の主婦”の絵も見ることがなくなったね!

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●名産品で飾った水門 ・・・・・・鈴木町駅と隣の港町駅の中程に川崎河港水門がある。 第一次世界大戦による好景気により、不足した工場用地の拡大を図る運河・港湾を整備する計画の一環として川崎河港水門が造られた。 当時の多摩川改修事務所長であった内務技師:金森誠之の設計により、大正15年(1926)に着工し、昭和3年(1928)に完成した。 高さ20.3m、水門幅10.0m、鉄筋コンクリート造。 2本のタワーと、タワーをつなぐ梁、ゲートによって構成され、タワーの頭頂部には当時の川崎の名産品のブドウ・梨・桃等をあしらった装飾で飾られている。 現在は国の登録有形文化財として保存されている。、、、、良い状態で残っているね!

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・・・・・・・・・・・・・・この水門の近くで、平成27年(2015)2月20日早朝、中学1年の男子生徒が殺されていた。 加害者は上級生の不良グループ。 当時の悲惨な事件を思いおこし、現場で手を合わせてきた。

・・・・・・・・・・・・・・まだ、厚い雲に覆われ陽は射してこない、多摩川には薄い靄(もや)がかかり、湿度は高く身体からは汗が吹き出してくる。 多摩川土手を歩き隣の港町駅に向かう。

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●マドロスのいない港町 ・・・・・昭和4年(1929)から 昭和6年(1931)まで、現在の駅の位置から川崎大師寄り300mの処に、臨時駅として河川事務所前停留場が2年間限定で開設されていた。 昭和7年(1932)、臨時停留場を正式駅であるコロムビア前駅として開業。 昭和19年(1944)に港町(みなとちょう)駅に改称。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホーム間を連絡する跨線橋が設置されている。、、、、港町駅は美空ひばりの楽曲「港町十三番地」の舞台となった駅である。 この駅前には美空ひばりが所属していた日本コロムビアの川崎工場があった。 駅名は“みなとちょう”だが、歌の方は“みなとまち”である。 また番地も、“13番地”で実際には存在しない。、、、、ホームには「港町十三番地」の音符が描かれている。 また、南口改札前には同曲の歌碑などがパネルで紹介されている。、、、、♪♪長い旅路の 航海終えて 船が港に 泊る夜 海の苦労を グラスの酒に みんな忘れる マドロス酒場 ああ港町 十三番地♪♪ チョイト横浜を連想する歌詞だね!

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●・・・・・・・・・・港町駅を出ると、電車は六郷橋の下を抜けて京急川崎駅へ向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・明治32年(1899)大師電気鉄道が、(初代)川崎駅~大師駅間を開業した時の川崎駅の跡が六郷橋の下に残っている。 明治35(1902)には(初代)川崎駅~現・京急川崎駅まで線路が延長され、(初代)川崎駅は六郷橋駅と名称を変更した。、、、、六郷橋駅跡は六郷橋の下にあり、橋上の人道から見下ろすことができる。 今の時代から見ると、狭い、小さなホームだった。

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●2階は本線、大師線は1階だ! ・・・・・・・・・・・・・・明治35年(1902)9月1日に川崎駅として開業。 大正14年(1925)に国有鉄道川崎駅と混同を避けるため京浜川崎駅に改称。 昭和41年(1966)に本線が高架化し、大師線の新ホームも供用開始する。 昭和62年(1987)に現在の駅名「京急川崎駅」になる。

・・・・・・・・・・・・・・高架は本線、大師線は地上。

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・・・・・・・・・・・・・・JR川崎駅から離れている京急川崎駅。 大師線は折り返し、仕事は続く!

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2019年7月10日 (水)

京急大師線 (小島新田~川崎大師)

「梅雨の中休み」と言いたいところだが、どうやら今日だけの晴れ間で「梅雨の一休み」である。 この貴重な“一休み”を大切にして、今日は京浜急行大師線の小島新田駅から川崎大師駅まで歩てきた。 1万歩




●乗客は工場へ向かう ・・・・・電車を降りたのは、一ヵ月前に来た小島新田駅。 小島新田駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、京浜急行大師線の終着駅である。 昭和19年(1944)10月1日、東京急行電鉄(大東急)の傘下にて産業道路~入江崎間の開通に伴い駅は開業した。 昭和23年には、京浜急行が大東急から分離・独立し、京浜急行の駅となる。、、、、今日も大勢の通勤客に交じって駅の外に出たが、多くの人は海側の工場に向かうが、私は一人、線路沿いに戻るように川崎方向に歩きはじめた。 

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●弁天さまが盗まれた! ・・・・・・小島新田駅から線路沿いに川崎駅方向に歩く。

・・・・・・・・・・・・・・線路の南側に鎮座する田町稲荷神社。 神社の創建は宝暦14年(1764)。 神社は、弁天社の末社であったが、いつの頃かご神体たる神像(多分、弁天さまだ)が盗難に遭い失われたため、宝暦14年(1764)に地元の名主らが願主となり勧請し、祭神の宇迦御魂神、大宣都比売神を合祀し、稲荷神社と称するようになった。 つまりは、弁天さまが行くえ不明、代わりにコンコンさまを呼び込み、名も替えた神社。、、、、現社殿は昭和2年(1927)に再建したが、昭和27年(1952)に神社が現在地に移転したため、社殿も曳家で移動した。

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・・・・・・・・・・・・・・大師線は隣の産業道路駅に向かい地下にもぐる。、、、、現在、大師線小島新田駅~川崎大師駅間の地下化工事が進められている。 その1期工事として産業道路駅の地下化にについては線路・ホームの地下化が完了した。 2期工事の東門前駅~川崎大師駅間は今年度に工事着手した。 完成まで数年かかるね!

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●バス停のような駅名 ・・・・・・・・・・・・昭和19年(1944)6月1日、軍の要請により浜川崎工場地区への便を確保するため、川崎大師~産業道路間を延長し、開通したと同時に産業道路駅として開業した。
・・・・・・・・・・・・・・産業道路駅はその名のごとく駅前を走る産業道路に因み命名された。 頭上には首都高羽横線が走り、現在は地上に単線の線路跡を残す。 電車はすでに地下化された。 バス停のような駅名だ!

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・・・・・・・・・・・・・・駅舎など地上の施設は工事中?

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・・・・・・・・・・・・・・地下ホームは本年3月3日から運行が開始された。 出来て数ヵ月、まだ綺麗だ!

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●川崎大師はヒンドウ教? ・・・・・産業道路駅から隣の東門前駅手前までは、かつての地上の線路はまだ撤去されておらず、錆びたレールが伸びている。

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・・・・・・・・・・・・・・線路敷きから離れ北側の道路に出ると、「川崎大師 自動車交通安全祈祷殿」のインド風の建物が見える。 なぜ、ここにヒンドウ教式の建物を建てたのか?、サッパリ判らん!、、、、建物は大岡實の設計、大林組の施工で、昭和45年に完成した。、、、、ちなみに、ここで祈祷してもらうと、護摩札・守り・ステッカーの三点セット付で、祈願料は1台:5,000円らしい。
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●大師詣での裏参道? ・・・・・・・東門前駅(ひがしもんぜんえき)は大正14年(1925)8月15日に海岸電気軌道の駅として開業。 しかし、昭和12年(1937)に廃止となり、昭和19年(1944)に東京急行電鉄(大東急)の駅として開業。 昭和23年(1948)に、京浜急行電鉄の駅となる。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、小島新田方に構内踏切がある。、、、、令和4年(2023)の地下化を目指し工事中。、、、、駅名は、川崎大師の東門に近い(“近い”と言っても徒歩10分程)ことに因む。

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●・・・・・・・・・・・通称「川崎大師」と呼ばれ、正式名「平間寺(へいけんじ)」と言われると??? 真言宗智山派の大本山の寺で、高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。 創建は大治3年(1128)、本尊は弘法大師。

・・・・・・・・・・・・・・9時過ぎの参道は人もまばら、これから店を開けるところもある。 今日は帰りに、くず餅とせき止め飴を買って帰った。 ダルマはかさばるので、またの機会に!、、、、正月の初詣では、本堂からこの参道を過ぎて駅まで人の行列となる。 全国3位の初詣客は凄い! 

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・・・・・・・・・・・・・・川崎大師の建物は、どれもこれも戦後に建てられたもので、ビッグである。 参道正面の大山門は、昭和52年(1977)の建築。 大きな提灯が出迎える。、、、、参道・山門・提灯と見てくると、浅草の浅草寺と似ている感じがする。

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・・・・・・・・・・・・・・そして昭和39年(1964)に建てられた大本堂。 もちろん、鉄骨鉄筋コンクリート造である。
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・・・・・・・・・・・・・・八角五重塔聖徳太子堂大本坊つるの池と薬師殿など、どの建物もビックでビックリ。 デザインにも驚かされるものもある。

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●京急の発祥地 ・・・・・・川崎大師から徒歩5分、川崎大師駅に到着。 明治32年(1899)1月21日、大師電気鉄道の大師駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ホームは改札から3段の階段を上るだけ、お年寄りに優しい駅だ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅舎の左側に大師電気鉄道「発祥の地」記念碑ある。 大師電気鉄道は京浜急行電鉄の前身であり、まさに、当駅が京浜急行の発祥地である。、、、、大師電気鉄道が明治32年(1899)1月、六郷橋~大師間を開通した時に大師駅として開業。その後、大正14年(1925)、川崎大師駅と駅名を改称した。 この記念碑は京浜急行70周年記念事業として建てられた。

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2019年6月17日 (月)

新田は貨物駅の近く

ここ数日、浅草橋の我が家から、散歩に行ける近場の“新田”巡りをしたが、もう一か所私の好きな“新田”を忘れていた。 京急川崎から大師線に乗換え、その終点に「小島新田駅」(こじましんでんえき)がある。 今日の散歩は、小島新田駅で下車し、駅の先にある広大なJR貨物の川崎貨物駅を見ながら、川崎貨物駅の外側をほぼ一周し、小島新田駅に戻った。 1万歩




●おや、混んでるね! ・・・・・京急川崎駅は、1階が改札口と大師線ホーム、2階は高架で京急本線のホームがある。 大師線ホームは2面2線の頭端式ホーム。、、、、朝、京急川崎駅ホームに入ってくる電車は満員。(納得できる) 折り返しの小島新田行の電車は、平日の朝で川崎大師の参拝にはまだ早い時間なのに、座れず立ったままの乗客もかなりいる混雑度。 なぜだ、ローカルな盲腸線なのに?

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・・・・・・・・・・・・・・朝の大師線で、先頭車両の運転手の後ろに乗ったが、混んでいて車窓の写真を撮る雰囲気とはなれなかった。 (帰りは、しっかり撮ってきた)



●工場に向かう玄関口 ・・・・・京急川崎で乗った乗客の9割程は、終点の「小島新田駅」で下車した。 線路は盲腸線だが終点の先には京浜工業地帯の工場があり、乗客の多くはそこに勤務しているようだ。 ここから、各工場に向かう送迎バスも発着している。、、、、小島新田駅は島式ホーム1面2線の地上駅。 昭和19年(1944)10月1日、東京急行電鉄(大東急)による産業道路~入江崎間の開通に伴い開業。 昭和23年には、京浜急行電鉄の駅となる。 昭和39年(1964)、当駅から先の塩浜駅までが休止(後廃止)となり、大師線の終点駅となる。、、、、小島新田という地名は江戸時代後期、葭萱の茂る十二町歩余りの海岸を稲荷新田の名主、小島六郎左衛門と池上七左衛門とで開発し、北側を小島新田、南側を北池上新田と呼んだことから駅名を小島新田とした。 地名の小島新田は現:小島町に変わり、海側の「日本冶金工業」のある地域である。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前には一般のコンビニはなく、駅売店をチョイト大きくしたセブンイレブンがあるのみ。 値段はコンビニと同じ。

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・・・・・・・・・・・・・・・コンビニの後ろに、貨物線を跨ぐ跨線橋がある。 工場へ向かう人が、電車から吐き出され橋を渡って行く。

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・・・・・・・・・・・・・・仕事帰りの憂さ晴らし、チョイト寄って行く? 駅前に数軒の飲み屋があるよ!、、、、駅前には、パチンコ屋、ドトール、サラ金、吉野家など、シャレた店はありません!

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●広すぎて何が何やら? ・・・・・・・・・・・・・川崎貨物駅は、川崎市川崎区塩浜にある日本貨物鉄道(JR貨物)・神奈川臨海鉄道の貨物駅。 JRの東海道本線貨物支線(通称東海道貨物線)、神奈川臨海鉄道の浮島線・千鳥線のいずれも貨物線が乗り入れる。 38万m2の広大な駅。、、、、戦後、京浜工業地帯の貨物輸送量が増加し、従来からの浜川崎駅だけでは操車能力の限界に近づいた。 そこで、当時の国鉄は塩浜操駅を開設し操車能力を向上させた。 昭和60年代には操車場機能は無くなり、平成2年(1990)には川崎貨物駅と変わった。、、、、配線は複雑そうで、素人の私には何が何だか判らないが、貨物駅の雰囲気は、なぜか好きだ! 駅の周囲を一時間半かけ歩いてきた。

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●70歳代の鉄ちゃん ・・・・・最後に、小島新田から京急川崎へ、1500形先頭車両の窓越しに! 窓にしがみついての撮影は、チョイト、恥ずかしいね!

・・・・・・・・・・・・・・「小島新田駅」を出発進行!

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・・・・・・・・・・・・・・「産業道路駅」は地下駅

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・・・・・・・・・・・・・・味の素の「鈴木町駅」を発車

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・・・・・・・・・・・・・・まもなく「京急川崎駅」

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2018年6月 5日 (火)

鶴見市場

梅雨入り前の晴れ間、今日は川崎から西へ二駅目の、鶴見市場駅で下車して歩いた。 8千歩の散歩です。
 
 
 
①鶴見市場駅・・・・・・・・・・・70余年間でこれまで一度も下車したことがなかった、京浜急行電鉄本線の鶴見市場駅(つるみいちばえき)で降りてみた。、、、、、明治38年(1905)12月24日に、市場駅として開業し、昭和2年(1927)4月に鶴見市場駅に改称した。 現在の駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅、駅舎は橋上駅舎である。 停車するのは普通電車のみ。 1日平均乗降人員は約2万人。、、、、鶴見市場とは天文年間(1532~1554)の頃、この付近で市が開かれるようになったのが地名の由来。 その後、本格的な海産物市場は生麦魚河岸に移行してしまった。、、、、、ここに来るまでは、私は地元密着型の雑然とした市場があるのを期待していたが、駅周辺には市場も、昔ながらのスーパーマーケットもない。 チョイト、ガッカリ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・改札機、券売機の台数も少ない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・幅の狭い出入口が東西にそれぞれ1か所ある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・ホーム端の踏切りから見る鶴見市場駅。
 
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②市場銀座・・・・・・・・・・世の中に「〇〇銀座」は多いが、ココ鶴見市場にも駅前から旧東海道の熊野神社前まで「市場銀座商店街」の街路灯が続く。、、、、今日見ただけだが、元気な商店街とは言いずらいね、お店の半分はシャッターを下ろしたままのようだ!
 
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③旧東海道・・・・・・・・・・・・・京急線の西側200m程の処を並行する旧東海道。、、、、北から市場上町、市場東中町、市場西中町、市場下町と続く町の中央を縦断するように旧街道が通っている。 街道沿いに宿場風の古い家並みがあるわけではなく、単に通過する道であったと思われる。、、、、されど旧街道、市場の町中に歴史を偲ばせる寺社、一里塚などが点在する。
 
・・・・・・・・・・・・・直線的に市場の町を貫く旧街道。
 
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・・・・・・・・・・・・・・まずは、駅前の「市場銀座商店街」が旧東海道にぶつかる処にある熊野神社。、、、、、、弘仁年中(810~823)紀州熊野の別当尊敬の勧請と伝えられている。 この地域は往古より海辺にあって魚、塩の収穫も豊かで、天文年間(1532~1555)には魚貝の市も開かれて、いつか村名も市場と呼ばれるようになった。 村民は、これを熊野権現の加護によるものとして、社殿を造営するなど厚く崇敬した。 その後兵火に焼けたり、鶴見川、六郷川の相次ぐ氾濫などにより、社殿が大破して、明和元年(1764)に至りようやく本殿を再建した。 明治5年(1872)京浜間に鉄道を施設の際、社地がその敷地にあったため現在地に遷座した。明治6年村社に列せられ、熊野神社と改称した。 祭神は国常立尊(くにのとこたちのみこと)、伊邪那岐命、伊邪那美命、、、、、、広い境内に社務所が無い! お札、御朱印、お御籤、何処で貰うの?
 
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・・・・・・・・・・・・・・熊野神社から南へ歩くと、ほどなくして街道脇に市場一里塚跡がある。、、、、案内板には、『慶長9年(1604)徳川幕府は、江戸から京都までの街道を整備し、あわせて宿場を設け、交通の円滑を図りました。 里程の目標と人馬の休息のための目安として、江戸日本橋から一里(約4km)毎に街道の両側に五間四方(9m四方)の塚を 築造し、塚の上には榎(えのき)を植えました。 ここは江戸より五里目の塚に当たり、市内で最初の一里塚です。 明治9年(1877)地租改正にあたり払い下げられ、左側の塚が現存しています。 昭和初期まで塚の上には榎の大木が繁茂していました。 昭和8年(1933)6月「武州橘樹郡市場村一里塚」(添田担書)の碑が建立されました。 平成元年(1989)横浜市地域文化財として登録されました。』と、標されている。、、、、、一里塚に変わり、現在の国道には、始点から1km毎に標識がたてられ、歩く時の目安として助かるね!
 
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・・・・・・・・・・・・・さらに街道を南下する。 鶴見川の手前、市場下町に入った処に庚申塔がある。 宝暦年間(1754頃)に作られた青面金剛の石像が、手の込んだ見事な堂(昭和56年製作)の中に納められている。、、、、江戸時代からこの前を通る人を、静かに見守ってきた庚申塔、ご苦労さん!
 
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・・・・・・・・・・・・・・真言宗智山派の金剛寺は鶴見川橋のたもとにある静かな寺。創建年代等は不詳だが、かつては市場村内の金剛寺畑と称される処にあったそうだ。 その後、東海道整備に伴い当地へ移転したと言われている。、、、、、建物は真新しく綺麗で緑多い境内も整備されていた。 鶴見川が近いせいか? 川からの涼しい風が迎えてくれた。
 
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④鶴見川橋・・・・・・・・・・・・・旧東海道は鶴見川橋を渡り、鶴見川を越える。 鶴見川橋は大正末期までは「鶴見橋」と呼ばれており、初代の橋は徳川家康が東海道を整備した慶長6年(1601)頃に架けられたといわれている。、、、、、現在の橋は平成2年(1990)度に工事に着手、平成9年(1997)度にニールセンローゼ橋構造により完成した。 橋長119.6m、総幅員は18.7m。車道は3.5m×往復各1車線、アーチの両サイドに2.5mの歩道が付設されている。アーチ最上部までの高さは19m。 歩道は東海道をイメージした自然石の風合いのある舗装材が使われている。、、、、、おとなしいデザインで、いいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・鶴見川橋の上流側にはJR東海道線。下流側には京急本線が走る。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・橋の上でUターン、裏道を探しクネクネと鶴見市場駅へ戻る。

2017年12月 9日 (土)

国道駅

昭和レトロの匂いが残るJR鶴見線国道駅に行ってきた。 京浜急行の花月園前駅で下車し、国道駅周辺をぶらつきJR鶴見駅まで、7千歩の短い散歩です。
 
 
 
①花月園前駅・・・・・・・・・・京急本線の駅で京急鶴見駅の隣の駅。 大正時代この地に「花月園遊園地」が開園し、ほぼ同時期(大正3年4月12日)に開通した京急の駅は「花月園前」と命名された。 遊園地は昭和21年(1946)に閉園したが、跡地は「花月園競輪場」に生まれ変わり、平成22年(2010)まで開催されていた。、、、、、私は、遊園地閉園の年に生まれたが、“花月園”と言えば“競輪場”の思い出がある。 昭和44年頃、ゼネコンに勤務する私は、若き現場監督として川崎にいた。 現場で働く“おばちゃん”が、競輪開催日になると、『監督、花月園に行くので、買ってきましょうか?』と声をかけてくる。 つい、つい、つられて、毎回300円程渡し車券を頼むが、当たった記憶はない。 これが賭け事の始まりで、横浜の現場に移ると車券が馬券に変わった。 身を滅ぼすには至らず、ヨカッタ!
 
・・・・・・・・・・・・・・手前は京浜急行の線路、奥がJR東海道線。 左手奥の小高い丘の上に花月園競輪場があった。 花月園前駅は踏切の左側。
 
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・・・・・・・・・・・・・競輪場からは東海道線を跨線橋で越えてくると、跨線橋正面の橋上駅舎へと続く。 競輪の開催も無くなり乗降客は減少し、京急全駅の中でもワーストテンにランクインしている。
 
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・・・・・・・・・・・・・海側(第一京浜側)の出入口。 跨線橋は自由通路となっており、線路の反対側に向かう人も通る。
 
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②国道駅・・・・・・・・・鶴見駅から京浜工業地帯の各工場に伸びているJR鶴見線。 第一京浜国道を高架で越えると、国道に面した高架下に駅の出入口がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・ 一歩踏み込むと“昭和”の匂いプンプン、昭和5年(1930)開業の駅がまっている。 開業当時には「臨港デパート」と称するアーケードの店舗が並んでいた高架下。 いまは、店も閉まっているようだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・無人駅なので、自動券売機と、SUICAの読み取り機が置かれている。 3両編成の電車が一時間に数本運行され、沿線住民の生活にも利用されているようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・エスカレーターもエレベーターもないので、階段をのぼりホームに出てみる。 まあまあ、お客はいるね。 カーブしたホームに線路をまたぐアーチ型の架線柱が印象的なデザインの駅。
 
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③鶴見川橋梁・・・・・・・・・・・・国道駅から100m程東に鶴見川橋梁が架かってる。 ここには以前、知る人ぞ知る土木の大御所:阿部美樹志(あべみきし、東京~万世橋間の高架橋の建設を指揮)の設計によるコンクリート造のアーチ橋が架かっていた。、、、、、昭和の末に鶴見川の河川改修工事が行われ、旧橋は撤去された。 現在は全長 148mの鋼単純箱桁橋(スパン=39.7m 4連)に架け替えられた。
 
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④東海道線跨線線路橋・・・・・・・・・・・昭和9年(1934)に開業した鶴見臨港鉄道(現:鶴見線)は、東海道線の山側から発着していた。 電車は出発すると総持寺の前から大きくカーブしながら東海道線を越えることとなり、横須賀線(2線)、京浜東北線(2線)、東海道本線(2線)、東海道貨物線(5線)の計11線を長さ64.9mの複線下路平行弦ワーレントラスと云う形式の東海道線跨線線路橋で右斜めにオーバークロスして海側へと向かった。、、、、このトラス橋は、鶴見臨港鉄道(昭和18年:国鉄に買収された)の設計により、昭和9年(1934)12月23日に開通した。、、、、現在の鶴見線でも、この橋梁は使用されている。 歴史的な名橋である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・東海道線跨線線路橋付近の東海道線は線路が11本並んでいる。
 
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⑤本山駅跡・・・・・・・・・・・・鶴見線が鶴見駅を出て、東海道線沿いに国道駅へ向かう途中、総持寺参道前付近の高架橋に本山駅(ほんざんえき)があった。 鶴見臨港鉄道の駅(廃駅)である。 正式には、本山停留場と称した。、、、、現在、駅のあった高架下は川崎鶴見臨港バスの車庫となっている。 よく見ると、車庫の天井部分の一部が階段部の底となって斜めになっている。 つまりこの上にホームの一部が現存している。、、、、鶴見線に乗ると見える!
 
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●鶴見駅改札・・・・・・・・・・・鶴見駅にも鶴見臨港鉄道時代の面影が残っているが、今日は風邪の為無理せず、鶴見線のりば前を素通りして帰ることにした。
 
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2016年8月 4日 (木)

南武線浜川崎支線

今日は川崎にどうしても見たいものがあり、目的地の近くを走る南武線浜川崎支線に乗車し、新たに設置された小田栄駅なども見てきた。 8千歩、6km。
 
 
 
①南武線浜川崎支線・・・・・・・・・・尻手(しって)駅で本線と分かれ、終点の浜川崎駅まで向かう、5駅(両端の駅を含む)、4.1kmを、2両連結の205系ワンマンカーにて運行されている。
 
・・・・・・・・・・・・・知ってるかい「尻手駅」、、、、、川崎の隣駅で、昭和2年(1927)に南武鉄道(現:南武線)の駅として開業した。、、、、3番線から浜川崎行きの電車に乗る。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・・尻手の次は「八丁畷(はっちょうなわて)」、、、、大正5年(1916)、京浜電気鉄道(現:京急本線)の駅として開業。 昭和5年(1930)に南武鉄道の駅が旅客営業を開始した。 地上に京急、高架に南武線のホームがある。 南武線の駅は京急が管理しており、京急のホーム経由で南武線のホームに出る。 また、南武線のホームは1面1線で、上下線で共用している。、、、、、都会から来た私には、判りづらい駅である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・京急の改札を通り、正面の地上ホームは京急、階段を上ると高架上に南武線のホームが1面のみ存在する。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ホーム上に置かれている簡易ICカード改札機
 
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・・・・・・・・・・・・・・尻手側を見ると、鶴見方面から東海道貨物線が浜川崎方面へ 並走する。、、、、、タイミングよく、EF210に牽かれて貨物列車が通過!
 
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・・・・・・・・・・・・・・八丁畷駅の次は「川崎新町駅」、残念だが写真撮れず通過。 その次は「小田栄駅」。、、、、、、初めて来た駅。 それもののはず、今年の3月26日に開業した新しい駅である。 現在は仮乗降場扱いである。、、、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、ホームは踏切を挟んで対角に配置されている。 まずは、浜川崎方面行き駅舎。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは、尻手方面行き小田栄駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・・そして、終点の「浜川崎駅」。 浜川崎駅には、東海道本線(貨物支線)・南武線(浜川崎支線)・鶴見線の3路線が乗り入れている。 ただし、旅客営業を行っているのは南武線と鶴見線で、東海道本線は貨物専用である。 また、南武線と鶴見線は乗り換え可能であるが、駅舎・ホームはチョイと離れている。、、、、、南武線の浜川崎駅は、昭和5年(1930)に開業した。 ホームは2番線のみを使用している。(1番線は貨物が通過するのみ)
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み、反対側に鶴見線の浜川崎駅がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・駅構内では、昭和52年(1977)12月20日に誕生したEF65-2091号機(当初はEF65-1091号機)が、40年近く経過した現在も活躍中。 
 
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②地図から消えた建築・・・・・・・・・・・今日の散歩は、私(雅万歩)がゼネコンに入社し、現場監督の一人として、初めて手掛けた建物が壊されると知り、“最後の別れ”、一目見ておくつもりで、川崎新町駅に近い思い出の地に飛んできた。、、、、、残念無念、遅かりし! 建物はすでに取り壊され、更地となっていた。、、、、、昭和44年(1969)から約1年半、この建物の敷地で寝起きし、新人の現場監督として努めた、私には思いで多い建物であった。、、、、、建物は、某県警の独身寮として一昨年まで使用され、今年民間に払い下げられマンションに変わるそうだ。、、、、、私が係わった地図に残る仕事の一つが消えた!
 
・・・・・・・・・・・・・・綺麗に取り壊され整地され、40数年前、私が初めてここへ来た時と同じ光景が再びよみがえった!
 
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・・・・・・・・・・・・・今日現在、Googleマップのストリートビューで見ることができる、幻となった建物。
 
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2016年5月16日 (月)

六郷橋

京浜急行六郷土手駅から、六郷橋を渡り京急川崎駅まで、1万歩、7kmの散歩です。



①六郷土手駅
・・・・・・・・・・・京浜電気鉄道の六郷堤駅として、明治39年(1906)に開業。 昭和46年(1971)に六郷川橋梁の架け替え工事に合わせ、相対式2面2線の高架駅となる。 ホームの南端は多摩川に架かる六郷川橋梁 の直前まで伸びている。、、、、、23区最南端の駅である。 私の住む浅草橋より、チョイとは暖かいかも?

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②北野神社
・・・・・・・・・・六郷土手駅と六郷橋北詰の間にある北野天神。 創建年代不詳。、、、、、徳川八代将軍吉宗が乗った馬が暴走したとき、北野天神のご加護のおかげで、落馬を免れたとされたことから「止め天神」と呼ばれている。 以来「落馬止め」が転じて「落ちない」につながり、合格祈願、学業成就、五穀豊穣、雷除けなど、「落ちない」ことに関しご利益が期待できるらしい。、、、、昭和20年(1945)の空襲により社殿は焼失し、昭和58年(1683)に再興した。

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・・・・・・・・・・・・・・・『河原橋』と彫られた踏み石が境内に残されている。 「河原橋」は、六郷の渡しに行くのにどうしても渡らなければならなかった橋で、その橋の踏石。 両側がよしやぶで、人目につかない河原橋は村の若い男女が、人知れず忍び会う橋でもあった。、、、、星も隠れた、曇天の暗い場所、もし2組のカップルが同時刻に忍び合い、相手を間違えたら、幸か、不幸か? これも江戸時代のロマンスか?

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③六郷橋
・・・・・・・・・六郷川(多摩川)には、江戸時代初期:家康が架橋を命じた「六郷大橋」があった。橋の長さは200m程あり、まさに大橋であったが、貞享5年(1688)の大洪水で橋が流失してからは、幕府も再架橋を断念していた。 明治期には木造の左内橋が架けられた。 その後、近代化が求められ、大正9年(1920)に着工し、大正14年(1925)にタイドアーチ式の旧六郷橋が完成した。 昭和60年(1985)、旧六郷橋は現六郷橋に架け替えられた。

・・・・・・・・・・・・・・昭和50年代の旧六郷橋、川崎側から奥の大田区側を望む。(平成15年10月17日 国土交通省川崎国道事務所:発行のパンフレット「旧六郷橋 親柱物語」より) 

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・・・・・・・・・・・・・・北詰(大田区側)の宮本台緑地公園に旧橋の橋門と親柱が当時のまま保存されている。

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・・・・・・・・・・・・・現在の六郷橋、、、、、、北詰(大田区東六郷)と南詰(川崎市川崎区本町)を結び多摩川(六郷川)に架かる、国道15号(第一京浜国道)の橋である。旧橋と対照して新六郷橋とも呼ばれる。、、、、、昭和54年(1979)に着工し、段階的に工事を進め、昭和59年(1984)に旧橋の上流側に新橋の一部が完成する。 その後も工事は続き、昭和62年(1987)に橋梁部分は完成した。 引き続き、工事はランプウェーの構築、周辺整備などが行われ、最終的に現在の姿になったのは、平成9年(1997)である。 総工費は約125億円と言われている。、、、、、、六郷橋は、長さ443.7m、幅34.4m。、、、、橋は、上下線分離され2本架けられている。

・・・・・・・・・・・・・大田区側から撮影

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・・・・・・・・・・・・・橋上から撮影

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・・・・・・・・・・・・・川崎市側から撮影

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④六郷橋駅跡
・・・・・・・・・・六郷橋の南詰(川崎市側)の橋下を京急大師線が走っている。 大師線が六郷橋上り線(東京方面行き)の下を通過する位置に、駅の跡が残されている。、、、、、、かつて京浜急行の前身である大師電気鉄道は、明治32年(1899)に川崎駅(初代)~大師駅間を開業した。 明治35年(1902)には、(初代)川崎駅~(2代)川崎駅(現:京急川崎駅)まで線路を延長し、川崎駅(初代)は六郷橋駅と名称変更した。 大正14年(1925)、旧六郷橋が架橋され大師線は立体交差となり、これより大正15年(1926)線路も変更されて、2代目の六郷橋駅が開業した。 2代目の六郷橋駅は戦時中に営業を休業し、昭和24年(1949)に廃止となった。、、、、2代目の六郷橋駅跡は六郷橋上り線側の人道から見下ろすことができる。 ホーム幅は狭く、長さも2両編成分ほどと短い。

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・・・・・・・・・・・・・・付近を通過する、現在の大師線。、、、、、3両編成でゆっくりと通過していく。

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⑤川崎市役所本館
・・・・・・・・・・・川崎駅に近い宮本町に建つ、市役所本館だが、耐震性能が低く今年度中に取り壊されることとなった。 すでに、建物は閉鎖されている。、、、、、時計台が印象的な、タイル張りのシンプルなデザインの鉄骨鉄筋コンクリート造、4階建ての庁舎。 設計は元田稔、施工は直喜鋳鋼鉄工所、昭和12年(1937)竣工。、、、、、内部も見たくなったが、警備が厳重で、忍び込むことは断念した。

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⑥砂子の里資料館
・・・・・・・・・・川崎駅に近い川崎市川崎区砂子(いさご)に、元参議院議員の斎藤文夫氏が、コレクションした浮世絵を展示する、旧東海道沿いにある私立美術館がある。 平成13年(2001)にオープンしたなまこ壁の建物は、江戸町屋風のデザインである。、、、、、ただいま、三代目歌川豊国の作で、東海道53次の宿場に名所と歌舞伎役者をコラボした浮世絵をが展示されている。、、、、、大変貴重な浮世絵だそうで、若い娘は一人もおらず、十人ほどのお年寄りが鑑賞していた。 私も仲間に入れてもらい鑑賞。

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⑦京急川崎駅
、・・・・・・・・・・・明治35年(1902)川崎駅として開業した。 昭和41年(1966)には、高架駅となり、本線は2階、大師線は1階となる。

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2015年9月21日 (月)

東急大井町線(二子玉川~溝の口)

大井町線踏破の最後、二子玉川駅から溝の口駅まで、1万歩、8Kmの散歩です。

①二子玉川駅・・・・・・・・・・明治40年(1907)、玉川電気鉄道の玉川駅として開業したが、現在は二子玉川駅になり、田園都市線と大井町線が乗り入れる、若い人に人気の駅。 二子玉川~溝の口間は、複々線化されて田園都市線と大井町線の両線が走っている。、、、、、昭和41年(1966)に田園都市線が高架駅となり、以後、改良工事も行われ、現在は島式ホーム2面4線の高架駅となり、両側の1・4番線を田園都市線、中央の2・3番線を大井町線が使用している。 

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・・・・・・・・・・・・・長編成の電車が発着するため、駅敷地のスペースもなく、ホームの半分は多摩川の河川敷にはみ出している。

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・・・・・・・・・・・・・ホームの溝の口寄りに立つと、多摩川をこえた先に、お客の姿までは見えないが、隣の二子新地駅のホームが見える。 

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②二子橋
・・・・・・・・・・・二子橋は片側1車線、人道は下流側のみの道路橋であるが、昭和41年(1966)までは、橋の中央に単線の線路がひかれた鉄道道路併用橋であった。 東京都側は多摩川通りに接続し、神奈川県側は大山街道に接続している。、、、、、、大正14年(1925)に竣工した、橋長440m、幅員11mの橋。 戦後の高度成長期まで、11m幅の中央に電車が走り、左右に1車線の車が走り、その隙間を人が歩き、、、、、渡るのが怖かったかも?

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・・・・・・・・・・・・・現在は下流側に東急の二子橋梁が架かっている。 ホームが川の上にあるのが判る。

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・・・・・・・・・・・・・・上流側には、昭和49年(1974)に竣工した新二子橋がみえる。

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・・・・・・・・・・・・・橋を渡り、大山街道の入口に、二子橋の親柱が残されてた。

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③二子新地駅
・・・・・・・・・・昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の「二子」停留所として開業。 昭和10年(1935)に「二子新地前」に改称し、 昭和41年(1966)には、相対式ホーム2面4線を有する高架駅となった。 その後、駅名も「二子新地」と改称し“前”がなくなった。、、、、と言うことは、三業地として“男の歓楽街”が消えてしまったのである。 残念、無念、坊主の邪念!、、、、、でも、“新地”とは、何となく艶っぽい言葉の響き、いい駅名だね!

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・・・・・・・・・・・・・蛇足だが、、、、当時の駅名「ふたこしんちまえ」を車内放送すると、お客には 「つぎは、ふたこしんちまえ~」というアナウンスが、「次は、双子、死んじめぇ~」と聞こえたそうで、不評だったそうだ。、、、、ナルホド、ナットク、ホットドック! ホントか? 


④二子神社
・・・・・・・・・・駅の北に天照皇大神が鎮座する二子神社がある。 神社は寛永18年(1641)創建といわれている。 江戸時代の社殿は拝殿二間に三間、本社三間四方、南向きに建っていたと風土記に書かれているらしい。、、、、、現社殿は、昭和18年(1943)に建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、バクハツする彫刻家:岡本太郎(1911~1996)の、母で作家:岡本かの子(1889~1939)の碑がある。 制作はもちろん岡本太郎。

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⑤光明寺
・・・・・・・・・・・真宗大谷派の光明寺は、創建年代不詳だが、寛永18年(1641)に百姓と共に、二子村の現在地に移ってきたといわれている。、、、、、、現本堂は、浄土真宗地方本堂の様式をとどめ、街中の寺院であるが落着いた佇まいをみせている。

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⑥高津駅
・・・・・・・・・・手前の二子新地駅と同様に、昭和2年(1927)の開業。、、、、、相対式ホーム2面4線を有する高架駅。

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⑦大山街道
・・・・・・・・おもに江戸時代、関東各地から相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称で、「大山街道」と呼ぶ。 その一つが、「青山通り大山道」で、矢倉沢往還とも呼ばれる。 赤坂(東京都)をスタートし、渋谷、三軒茶屋、二子の渡し(多摩川)、溝口(川崎市)、長津田、海老名、厚木、伊勢原市、を経て大山へ至る道。、、、、、、二子新地から溝の口間の、大山街道を歩いてみた。 二子神社光明寺なども街道沿いの寺社である。

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・・・・・・・・・・・・・・・江戸時代からの薬屋。昭和35年(1960)まで店として使われた蔵。

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・・・・・・・・・・・・・・・大山道の道標

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・・・・・・・・・・・・・・街道が横切る二ヶ領用水

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・・・・・・・・・・・・・・

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⑧溝口神社
・・・・・・・・・・溝の口駅の北側に位置する神社は、創建年代不詳ながら赤城神社と称して溝の口村の鎮守社だった。 明治維新後、伊勢皇大神宮よりから分霊を勧請して祭神を天照皇大神に改めて、溝口神社と改称、村社となった。、、、、、群馬の“赤城山”では、チョイとマイナーで、お札・お守り・おみくじの売れ行きも良くないので、次回サミットが開かれる“伊勢”から人気ある皇大神宮を呼び寄せ、売り上げ拡大を狙ったわけだな! (勝手に、勘ぐってみたりして、ゴメン!)

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⑨溝の口駅
・・・・・・・・・・・・ここも、昭和2年(1927)、玉川電気鉄道溝ノ口線の溝ノ口駅として開業した。 島式ホーム2面4線を有する高架駅で、大井町線の終着駅である。 

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・・・・・・・・・・・・・・大井町線の終着:溝の口駅には車止めは無く、線路は田園都市線に入って行く。

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●・・・・・・・・・・・・これにて、大井町線の全18駅踏破を達成! 

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