荒川区

2019年12月11日 (水)

日暮里から千駄木へ

日暮里駅で下車し、荒川区西日暮里3丁目の道灌山側を歩き、台東区谷中を横切り、文京区千駄木に入る。 千駄木の裏道をさまよい、行き止まりに出くわすこと度々、迷路を歩き廻り気付けば通ってきた道。 千駄木三丁目バス停でギブアップ。 1万2千歩の散歩。




●崖っぷちの駅 ・・・・・・JR日暮里駅は、明治38年(1905)4月1日に日本鉄道の駅として開業した、歴史ある駅。 駅は崖地(傾斜地)にあるため出入口は、西側は崖上に出ることにになり、東側は線路面と同じ高さにある。、、、、JRの改札は北口と南口の2カ所で、いずれも橋上にある。 北口改札のある北口駅舎は跨線橋の下御隠殿橋に接続してる。 今日の散歩は、北口から西に向かって歩くことにした。

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●戦国時代の物見櫓! ・・・・・・日暮里駅を出ると御隠殿坂があり、坂に面して日蓮宗の本行寺(荒川区西日暮里3)がある。 本行寺は、大永6年(1526)、江戸城内平河口に建立され、そのご神田・谷中を経て、宝永6年(1709)、現在地に移転した。 景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれ、多くの俳人たちが本行寺に訪れた、その中には小林一茶もいたそうだ。 「青い田の 露をさかなや ひとり酒」などの句を詠んでいる。 また、儒学者市河寛斎・書家米庵父子や、幕末・維新期に活躍した永井尚志などの墓がある。、、、、戦国時代に太田道灌がここに斥候台を築いたと伝える道灌物見塚があったそうだが、現在は寛延3年(1750)に建てられた碑文も読みにくくなった道灌丘碑が残されている。 本堂裏の墓地からは、日暮里駅前のタワーマンションも一望できる。

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●・・・・・・・・・本行寺の西側に私の好きな細い裏道がある。 今日もこの裏道を通り抜けて、崖上を西日暮里駅の方向に伸びる諏訪台通りに出た。

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・・・・・・・・・・・・・・・裏道の奥に、LIGHT&PLACE 湿板写真館」なる店があった。 “湿版写真”とは、有名な坂本龍馬の写真など、古い写真がガラス板に像を写し取っている、あの写真である。 スマホ、ミラーレスの時代の今、明治時代に盛んであった撮影技術で写真を撮ってくれる処である。、、、、今風の繊細で鮮やかなカラー写真とは違って、モノクロの古びた味のある写真で、自分を撮ってもらうのも良い記念になると思うね。

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●諏訪台通りの1社2寺 ・・・・・・一車線一方通行の諏訪台通りに並ぶ、養福寺、浄光寺、諏方神社にお立ち寄り。

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・・・・・・・・・・・・・・朱塗りの仁王門がある養福寺(西日暮里3)は真言宗豊山派の寺院。 補陀落山観音院と号す。 開創の確かな年代は判らないが、初代住職が寛永3年(1626)に没したと伝えられているので、この頃か?、、、、寺の本堂や観音堂などの建造物は戦災で失われたが、宝永年問(1704~1711)建立といわれている、江戸時代のこの仁王門は焼失を免れた。 門の表側には一対の仁王像ある。 チョイト仁王門自体の造りが華奢で弱々しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・諏訪台通りを西日暮里駅の方に歩くと真言宗豊山派の浄光寺がある。 法輪山法幢院と号す。 もとは隣の諏方神社(すわじんじゃ)の別当寺で、境内からの雪見が有名となって雪見寺と呼ばれたそうだ。、、、、山門の左手に、東都六地蔵の三番目として知られるこの大きな地蔵菩薩が立っています。  東都六地蔵とは、銅造泥塑の仏像造りに秀でた下谷心行寺二世空無上人の権化によって元禄4年(1691)に開眼したもので、一番は駒込の瑞泰寺、二番は千駄木の専念寺、三番は浄光寺、四番は下谷の心行寺、五番は上野大仏堂のうち、六番は浅草寺の正智院に安置された。 しかし、現存するのは専念寺と浄光寺だけである。

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・・・・・・・・・・・・・・浄光寺の隣りに諏方神社がある。 元久2年(1206)の創立。 文安年間(1444~1499)に太田道灌が神領を寄進し、徳川時代に神領を賜わり、寛永12年(1635)社殿を現在の地に遷座した。 社名は「諏訪」とせず、「諏方」を使っているのは古来の表記である。 神社は明治時代になり、日暮里・谷中の総鎮守として地元の人々に敬われている。、、、、神社境内から西日暮里駅へ下る階段坂の「地蔵坂」がある。 坂の名は別当寺であった浄光寺の地蔵尊に因んでいる。

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●富士の見えない坂! ・・・・・・・・浄光寺の前から西へ下る富士見坂。 富士山が見えた坂も、数年前から見えなくなり名だけが残った!、、、、今は、街路灯にデザインされた富士山のシルエットだけ。

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●夜、営業する商店街! ・・・・・・・荒川区西日暮里から、台東区谷中の町を少々横断し、文京区千駄木に入った。 千駄木3丁目の「すずらん通り」を抜け、「不忍通り」を横断する。 すずらん通りは、狭い短い通りの左右に小さな飲み屋さんが15軒程ある。、、、、しかし只今午前9時過ぎ、この時間から開けている店はない。 ぜひ夜来て、覗いてみたい通りだ!

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●千駄木の文化財! ・・・・・・・・文京区千駄木の貴重なお屋敷

・・・・・・・・・・・・・・まずは、国登録有形文化財の島薗邸。  木造2階建て、瓦葺の住宅は昭和7年(1932)の建築。 設計は銀行建築などで知られる矢部又吉。、、、、よそ様の家には入れないので、外から覗くだけ!

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・・・・・・・・・・・・・・千駄木5丁目の旧安田邸。  この建物の上棟は大正7年(1918)で、建築主は藤田好三郎、施工は清水組であった。 建築主の藤田好三郎は、練馬区にある豊島園を作った人物で、園芸好きであった。 この家が手狭であったのか、大正12年(1923)の夏には、中野桃園町に邸宅を建て引っ越した。 その直後、安田善次郎(安田財閥の祖)の娘婿善四郎(三十六銀行の頭取)が、関東大震災により日本橋小網町で罹災し、この家を借り受け、翌月には土地建物を購入した。 平成7年(1995)まで、善四郎の長男楠雄が住み続けたが、その後は法人に寄贈された。

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2019年10月30日 (水)

防災意識の高い町

台風15号・19号・21号による大雨、その被害がいまだに連日放送されている。 否応なしに、防災意識が高まり、私の住む浅草橋では、地滑り、土砂崩れの心配はないが、隅田川・神田川の氾濫がヤバそうだ。 町内掲示板に貼られていたハザードマップによると、平成12年の東海豪雨(総雨量589mm、時間最大雨量114mm)を想定した場合、隅田川の外水氾濫はなく、神田川では浅草橋の際でチョイト外水氾濫が生じるようだ、むしろ怖いのは雨量が多すぎて、両河川に放流処理できなくなることらしい。 いわゆる、内水氾濫である。 ハザードマップでは、上野公園の高台を除いて、台東区のほぼ全域が色づけされていた。 色付けの最大値は2mの浸水で、御徒町と竜泉の町付近にある。 大半は1m以下の浸水、気になる我が家は0.5m以下の浸水が想定されている。 『50cm以下なら床下浸水だ、助かるかな? 油断大敵!

・・・・・・・・と、云うことで、今日の散歩は、荒川・隅田川の氾濫が心配になり、赤羽の荒川治水資料館に行って氾濫の予備知識を得ようと思った。 ところが出がけに、京浜東北線・山手線が運転されていないとテロップが流れる。 急遽、予定を変え三河島付近を歩くこととした。 今日の散歩は、京成三河島駅付近から町屋駅までの9千歩。




●浸水するな! ・・・・・・・荒川四丁目バス停で下車し、散歩の開始。 西へ歩くと、京成本線高架橋がある。 この高架橋は藍染川に沿って、昭和6年(1931)の青砥~日暮里間の開通時に造られたものだ。、、、、ところで、「藍染川」とは、日暮里の高台を流れていた谷田川(藍染川本流)の氾濫防止として、西日暮里の京成高架橋付近まで暗渠で分水し、それより下流は隅田川に合流するまで開渠の川(排水路)として存在した。 昭和7年(1932)から新三河島駅より上流(日暮里側)の暗渠化工事が行われたが、満州事変後は中断した。 戦後、工事は再開し、昭和35年(1960)には、下流までの全長が暗渠化され、川の上部は「藍染川通り」となっている。 京成本線高架橋の東南側に沿う道路がその跡だ。、、、、この付近、荒川が氾濫すると最大3mの浸水。京成本線の水没はなさそうだが、付近の住宅の1階はダメだ! もし、ココが水没したら、直線で4km程の距離にある我が家も多少は影響するであろう。 何事も起きないよう、神様・仏様・キリスト様に願うだけ!

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●小さな駅! ・・・・・・京成本線の「新三河島駅」をチョイト覗いて行こう!、、、、昭和6年(1931)12月19日1931に開業。 島式ホーム1面2線の高架駅で、ホームの一部は明治通りにかかっている。 平成30年(2018)の一日平均乗降客数は約6千人で、京成線全69駅中48位、これは都内の京成線全駅で乗降客が最も少ない駅である。 改札口は一ヵ所だけ、自動改札機も3台だけの侘しい駅。、、、、ところで、「三河島」の地名の由来は、“三本の川筋があった”、“木戸三河守の館があった”、“家康と伴に三河の者が移り住んだ”など諸説あるらしい。 どれが、本当だか?、、、、現在は、地名として「三河島」は消えた。 残っているのは、京成の駅名「新三河島」と、JRの駅名「三河島」、都の汚水処理場名「三河島水再生センター」ぐらい。 そして、国鉄の「三河島事故」は忘れられない。 

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●戦時中の延焼対策! ・・・・・・新三河島駅前の明治通り、駅から150m程西に寄った処から、荒川区東尾久の町と荒川区荒川・町屋の町の境に一本の広い道路が北へ伸びている。 延長1,360mの道路は隅田川のまで伸びている。、、、、この道路がある一帯は、戦時中には木工場、セルロイド工場などが多く、数度の火災が発生した処である。 そこで、空襲による延焼防止を目的に建物を疎開させ敷設・拡幅された道路がこの道である。 日本各地ではこのような道路を一般に「疎開道路」と呼んでいるが、ここ荒川区では戦後、道路を整備し、愛称:「尾久の原防災通り」と呼んでいる。  また地元では、昭和48年(1973)に「消防道路」と命名し記念碑を建てた。、、、、防災通りの両側は、緊急車両も入れない細い道路と木造家屋の密集した地域で、現在は「不燃化特区」に指定されている。

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●アラ・アラ・荒川の裏道散歩 ・・・・・・防災通りは歩いても面白くないので、今日は防災通りの東側、荒川5丁目・6丁目(ともに木造密集地区で不燃化特区)の裏道を歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、町のここにも、あそこにも、赤いバケツと消火器が置かれてる。 イザ火事だ! 消防車が入れない! 町内総出のバケツリレーで初期消火!、、、、こんな事にならないように、標語『あなたです! 火事を出すのも防ぐのも

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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が入れない裏道の奥にある小公園にも、手押しポンプ、防災グッズの倉庫、防火水槽、太陽光発電機など、一通りの設備・備品が備えられていた。、、、、火災・震災の備えは万全。 『蟻の穴から堤の崩れ 』とならぬように!

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、長い・狭い・折れ曲がった、荒川6丁目の奥の細を歩いてみた! 陽当りが悪いのか、道路にはコケが生えている。

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・・・・・・・・・・・・・・下町ではあちらこちらで見られた、懐かしい木製の引き戸。
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・・・・・・・・・・・・・・・・裏道の奥に『好評分譲中』の土地があった。 71.69㎡、1,480万円、安いか高いか、あなたしだい!、、、、近くには居酒屋もある。

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●チンチン電車で帰宅! ・・・・・・都電が走る表通りに出たので、町屋駅前停留場から都電とバスで帰宅する。

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2019年9月 2日 (月)

遊園地は煉瓦工場の跡地

なんだかんだ言って、結局“夏風邪”の完治に2週間かかった。 最初は簡単に治る思った夏風邪であったが、後半は夏風邪と言うより蓄膿症のようであった。 どうにかこうにか、今日は鼻水・咳も止まり好調である。 

JR京浜東北線上中里駅で下車し、都電の梶原停留場、「あらかわ遊園」、都電の小台停留場と歩き、西尾久二丁目バス停からバスに乗る。 1万1千歩。




●危ない危ない、捕まりたくない! ・・・・・・京浜東北線の上中里駅で下車する。 相変わらず乗降客の少ない駅。、、、、駅前で、ロー・アングルでカメラを構えたら、ちょうど近くの女子高生がゾロゾロ、危うくヤバイ写真を撮るところだった。 誤解しないで、『おじさんは、女子高生に興味ナシ!』

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●銀座の店はまだ寝てる! ・・・・・・・上中里駅から梶原銀座商店街に向かう

・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から、上中里2丁目の細い道を抜けていく。、、、、キョロキョロしながら迷路のような裏道を歩くと、早朝の泥棒と間違えられそう

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・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切の正面に出る。 梶原踏切は東北本線、高崎線、宇都宮線、上野東京ラインなどが引切り無しに通過する。 踏切の脇にはエレベーター付きの歩道橋があり、高齢者、身障者に優しい配慮。 踏切待ち時間は、関係ナシの二人!、、、、踏切を越えると、明治通りまでは「上中銀座」と称する商店街だが、店は少なく、寂しい!

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・・・・・・・・・・・・・・明治通りを渡り、都電荒川線梶原停留場付近で、「梶原銀座商店街」(北区堀船3)に続く。、、、、地元密着型の商店街、朝8時半、まだ寝ているようだ!、、、、ここで問題です、『北区には、〇〇銀座商店街はいくつある?』


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・・・・・・・・・・・・・・梶原銀座商店街の中程に祀られている愛宕地蔵尊。 江戸時代のこの辺りを所領していた旗本水野家が勧請したもので、元は本郷の屋敷に在ったのを、この地の小泉家が勧請したと伝えられている。 この地蔵尊は眼病平癒と、火除けの祈願仏として信仰されているそうだ。、、、、小泉家が勧請したのはクリステルではなかったか?

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・・・・・・・・・・・・・・ クイズの答え(“〇〇銀座商店街”の“商店街”は省略)、、、、赤羽地区には、志茂銀座、浮間銀座、神谷銀座の3商店街。 王子地区には、王子銀座、東十条銀座、梶原銀座、十条銀座、十条富士見銀座の5商店街。 滝野川地区には、上中里銀座、田端銀座、霜降銀座、西ヶ原銀座、滝野川銀座の5商店街。 北区には合計13の銀座商店街がある。 数えてみると結構あるもんだ!



●本堂の上に八角堂とは? ・・・・・・梶原銀座商店街の北側、隅田川岸に白山神社とその別当寺であった福性寺がある。

・・・・・・・・・・・・・・白山神社創立沿革などは、神仏分離の際、古文書類をことごとく紛失し、由緒不明。 言い伝えによると源義家奥州に出陣の際白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京に帰ったと云われている。 当社は当時、梶原の鎮守として敬われた。 別当寺は北隣の福性寺。、、、、社殿は昭和47年(1972)に再建された。、、、、現境内は550坪程の広さがあり、雑草が元気よく生えている。 駐車場にすると儲かるかも?


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・・・・・・・・・・・・・・白山神社の北隣に神社の別当寺であった、真言宗豊山派の福性寺がある。 寺は、白王山と号し、寛永2年(1625)の創建と。、、、、現本堂と本堂屋上の八角堂は昭和39年(1964)に建てられた。


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●60年前の車両とご対面! ・・・・・大正2年(1913)、王子電気軌道三ノ輪(現:三ノ輪橋駅)~飛鳥山下(現:梶原駅)開業に伴い船方車庫として開設した。 その後、名称等の変更もあり、現在は荒川電車営業所として、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地や車庫・保守基地を擁している。 車庫の前には、「荒川車庫前停留場」があり。 、、、、ここにいると、たぶん都電の全車両が見られることだろう! 


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・・・・・・・・・・・・・・停留場の前に車庫がある。、、、、大部分の車両は稼ぎに出ているため、車庫に残るは数両のみ。

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の片隅に止められていた6086号車両。 6000形は、昭和22年(1947)から昭和27年(1952)までの6年間に290両が製造された戦後の新造車両である。 、、、、ちょうど、私が中学・高校と都電で通学していた時期に大活躍した車両だ、ひょっとしたら60年前に乗った車輛かも?

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の脇には「都電おもいで広場」として、5501号7504号車両が保存展示されている。、、、、この車両も懐かしいね! 停留場名の表示灯も、これまた懐かしい!

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川車庫から500m程北東に位置する「あらかわ遊園」
の脇に、前照灯が一つの「一球さん
」と愛称がついている6000形車両が保存されている。 懐かしのグリーンとクリーム色の塗装は、私が通学時の車体の色、都電通学していた頃の思い出が頭の中を横切り嬉しくなった。、、、、あらかわ遊園は只今改装工事中、一球さんは工事現場の中で近づけません!

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●煉瓦工場の町 ・・・・・・白山神社がある北区堀船、あらかわ遊園のある荒川区西尾久、この付近は隅田川の水運に恵まれ、原料の荒木田土が採れることから、明治時代、多くの煉瓦工場が創業した。 この付近では、その名残の煉瓦塀、煉瓦蔵が随所に見られる。 モルタルで補強したのか、割れ目からチラリと煉瓦の見える塀もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「あらかわ遊園」西側に、大正11年(1922)まで「廣岡煉瓦工場」があった。 そのオーナーであった廣岡幾次郎(1859(安政)~1932(大正))が寄進した煉瓦造りの船方神社の神輿庫。 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・かつて煉瓦工場であったあらかわ遊園を囲むように、大正11年(1922)の遊園地開園時に造られた煉瓦塀。 総延長300m程が造られ、現在は170m程が残されている。、、、、なお使用されている煉瓦には、小菅集治監製の煉瓦もあるそうだ!

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●お帰りです! ・・・・・・・小台停留場前をとおり、西尾久二丁目からバスで帰宅。

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2019年8月15日 (木)

貨物も計画運休?

台風10号は九州と四国の間を器用にすり抜け、山口県岩国付近に上陸したそうだ。 大きな強風域で東京にも影響があると思われるが、天気予報では午前中は雨も降らず、どうにか散歩もできそうな空模様。 南千住駅から歩きはじめ、水神大橋で隅田川を越え、東武の鐘ヶ淵駅前を通り、京成曳舟駅まで、1万4千歩の散歩です。




●頑張れ、都バス! ・・・・・・我が家のある浅草橋駅前をとおる都電(市電)は、大正時代から運行されていた。 大正初期には南千住~雷門間の運転だったが、大正10年頃に南千住~浅草~浅草橋~本石町(現:本町三丁目)~日本橋~銀座四丁目~新橋~芝橋(現:東京港口)まで延伸された。 戦時中は南千住~新橋間に短縮され、昭和20年4月には東京大空襲の影響で、さらに南千住~浅草橋・日本橋間に短縮された。 しかし、2か月後の6月には南千住~新橋間が復活した。 戦後は昭和42年(1967)まで、南千住~新橋間を都電22系統として運行していたが残念なことに都電廃止となった。 その代替バスとして、新橋~銀座間は切り捨て、南千住~日本橋~東京駅八重洲口間に都バス[東42甲]が運行された。 以来約50年、バス路線は大きくは変わらず運行されている。 市電時代から数えると約100年間、南千住~浅草橋~日本橋間には、市電・都電・都バスが住民の足として走ってきたことになる。、、、、乗客の減った都バスは、いつまで走り続けることができるのか? 私が敬老パスを利用している間は、頑張って欲しいね。

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貨物駅は、盆休み?計画運休? ・・・・・・JR南千住駅の東側に広がる、JR貨物とJR東日本が所管する貨物専用の隅田川駅。 いつもは、機関車の汽笛が聞こえ、貨車の入れ替え作業が見られ、コンテナを運ぶトラックが行き交い、フォークリフトがチョコマカ動いているのだが、全ては静寂の中にあり、整然と置かれている、動くものが見えない! 貨物駅も盆休みか? それとも、台風による計画運休か?

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●サバサバした味気ない町! ・・・・・・隅田川駅とその北から東へ流れる隅田川の間に、総面積約49ヘクタールの再開発地域:「汐入地区」がある。 かつて、1500世帯が住んでいた木造家屋の密集する街をいったん壊し、平成の時代にスーパー堤防を備えた災害に強い、タワーマンション等が並ぶ、新しい都市へ生まれ変わった。 町の中央には防災拠点として汐入公園が造られ、災害時には12万人を収容できる広域避難場所でもある。、、、、近代的でカッコイイ町か? 私は、路地裏のない、この手の町には住みたくないね!

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●荒川区にトンネルがある! ・・・・・・・荒川区汐入地区と隅田川を挟み対岸の墨田区東白鬚地区(両地区とも防災拠点)を結び水神大橋がある。 この橋の西詰(汐入地区)に、胡録トンネルと瑞光トンネルの2つのトンネルがある。 共に、汐入地区のスーパー堤防の下を走る都道314号のトンネル。 半円形の断面の胡禄トンネルは全長150m、矩形断面の瑞光トンネルは全長80m。、、、、荒川区にトンネルがあるのを知る人は少ないと思う。 コリャ、クイズになるね!  

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●旧防潮堤は華奢だった! ・・・・・・・水神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。 西岸は荒川区南千住八丁目(汐入地区)、東岸は墨田区堤通二丁目(東白鬚地区)。 橋は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因み命名された。 竣工は平成元年(1989)。 形式は3径間連続ニールセンローゼ桁橋、橋長157.0m、幅員17.0m。 この橋は、組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという工法を採用した。、、、、面白い工法での工事、見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・水神大橋から下流を望む
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・・・・・・・・・・・・・・橋の下、スーパー堤防に残されている「隅田川旧防潮堤」、、、、昭和32年から昭和50年にかけて造られた防潮堤の一部が残されている。 周りのスーパー堤防と比較すると、高さは数メータ低く、堤防としては華奢に感じる。
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●盆休みの商店街! ・・・・・・・水神大橋を渡ると、防災拠点でもある白鬚東アパートがある。 ここから、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を通り、シャッターの下りた商店街を抜け、京成押上線八広駅付近の水戸街道(国道6号)に出る。、、、、この間はコチラを見てね!

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●高架になって早や6年! ・・・・・水戸街道からは京成押上線の高架下を歩き京成曳舟駅に出る。、、、、京成曳舟駅は、6年前の平成13年8月24日に初めて上り線が高架駅となった。 下り線は2年後の平成15年8月22日に高架となる。、、、、駅周辺には民家が密集しゴチャゴチャした雰囲気があった地上駅の頃が懐かしく感じるね!

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2019年8月12日 (月)

夏だ、お化けだ、煙突だ!

東武伊勢崎線北千住駅から「北千住駅前通り」沿いに西へ歩き、足立区千住桜木で隅田川左岸に出る、チョイト上流側に上り、尾竹橋を渡り荒川区に入る。 「尾竹橋通り」を歩き、町屋駅付近で、ポツリポツリと雨粒に遭遇。 急遽、地下鉄千代田線町屋駅に避難し、そのまま西日暮里経由で浅草橋の我が家に戻る。 1万1千歩。




●東武の巨大ターミナル! ・・・・・北千住駅は明治29年(1896)に、日本鉄道土浦線(現:JR常磐線)の駅として開業した。 3年後の明治32年(1899)8月27日に、東武鉄道初の路線となる伊勢崎線が北千住駅~久喜駅間で開業し、乗換駅となった。 昭和37年(1962)には、営団地下鉄日比谷線が当駅にて東武伊勢崎線に乗り入れ直通運転を開始した。 また、昭和44年(1969)には営団地下鉄千代田線、平成17年(2005)に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線の駅が開業した。、、、、この間、平成9年(1997)に東武鉄道の北千住駅の大規模改修工事が行われ、3階建ての駅舎に変わった。 1階は東武伊勢崎線用で島式ホーム2面4線の地上ホーム、3階は日比谷線乗り入れ用で島式ホーム2面3線の高架ホームである。 2階が改札・コンコースとなっている。、、、、東武鉄道北千住駅では、一日平均45万人が乗り降りする、東武東上線の池袋駅に次ぐ巨大ターミナルである。 乗降客数は、私が住むJR総武線浅草橋駅の約8倍の規模である。 デカすぎるね、比べる意味がない! 今日は盆の連休で、さすがに通勤客も少なく、駅はスカスカ、電車はガラガラ。

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●駅から隅田川に伸びる! ・・・・・・「北千住駅前通り」は、北千住駅西口から西の方向、隅田川に向かって伸びるバス通り。 両側のアーケード下には、店舗がズラリと並んでいる。 今日は、まだ8時半で店舗のシャッターも下りている。、、、、旧日光街道である「宿場町通り」もまだ開店準備中。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りの中程に、大橋眼科医院」のレトロな建物がある。 もともとあった大正6年建築のハーフティンバー様式の建物を老朽化で解体後、その意匠を受け継ぎ、大正・昭和の資材をかき集めて昭和57年(1982)に作ったのが今の建物。 建築年は新しいが、大正の香り漂う建物だ!、、、、建物内部も見たいので、眼を悪くして一度診察を受けてみたいね!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは日光街道(=国道4号)と交差する。 アーケードのある歩道もここまで、この先は道幅もチョイト狭まり、普通の通りが続く!

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、脇道に入ると、、、、鍍金工場屋根に面白いものが見えた。 煙突? 空気抜け?

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは、千住中居町で「大正通り」と交差する。 大正通りは、正式名「大正記念道」と称するらしい。 荒川放水路の完成によって廃止になる西掃部堀を埋め立てて大正5年(1916)に完成し、大正天皇の御即位記念としてこの名がつけられたそうだ。 現在は日光街道の西側を並行する、北千住地域の大事な幹線道路の一つ。、、、、かつて、この交差点から北へチョイト入った千住柳町付近には遊廓(戦後は赤線)が在ったそうだ。 残念だが、現在はありませんよ!

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・・・・・・・・・・・・・・駅前通りは千住龍田町交差点」で、墨堤通り」にぶつかり終点となる。 この先は150m程で隅田川の左岸にでる。 右折して墨堤通りを北へ向かえば、西新井橋で荒川を越える。

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●夏だ、お化けだ、煙突だ! ・・・・・北千住駅前通りから真直ぐ隅田川に向かうと、帝京科学大学7号館の脇で隅田川の堤防上に出る。
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・・・・・・・・・・・・・・隅田川の堤防に沿って、帝京科学大学の校舎が立ちなんでいる。、、、、帝京科学大学は平成2年(1990)に西東京科学大学として創立、平成8年(1996)に学部再編に伴い帝京科学大学に名称変更した。 生命環境学部、医療科学部、教育人間科学部の3学部と大学院からなる大学。、、、、校舎の出入口が堤防に直結し、堤防から校舎に入れる、珍しい大学だ!

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・・・・・・・・・・・・・・帝京科学大学本館の入口脇に、「お化け煙突」のモニュメントがある。、、、、大学のある足立区千住桜木に、かつて東京電力千住火力発電所があった。 この火力発電所は、大正15年(1926)から昭和38年(1963)まで稼働し、昭和39年(1964)に発電所は解体された。 ここには4本の煙突があり、薄い菱形の各頂点に煙突を配した平面配置であった。 そのため見る角度により、煙突の像が重なるため、4本、3本、2本、1本と見える不思議な「お化け煙突」と呼ばれた。 私も常磐線の車窓から見るのが楽しみだったことを思い出す。、、、、モニュメントはその「お化け煙突」の一部で作られている。 

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●雨だ、ダメだ、帰ろう! ・・・・・お化け煙突の後は、尾竹橋を渡り荒川区に入り、尾竹橋通りを町屋駅まで歩く。、、、、隅田川沿いの小さな公園でも多くの蝉が大合唱、夏だ!、、、、オヤ、落ちてきた、ポツリポツリと雨粒が、、、、千代田線で帰ろう!

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2019年5月17日 (金)

お鼻ピクピク花電車

上野から並行して北上する京浜東北線(近距離電車)と東北本線(中・長距離列車)は、西日暮里駅を過ぎると両線の間の距離を広げ、京浜東北線は田端駅・上中里駅を通り王子駅に向かう、東北本線は尾久駅を通り王子駅付近で京浜東北線と交差し再び並走する。 この両線が広がった間には、北区上中里2丁目と同区栄町の町がある。 またJRの尾久車両センターもある。 今日は上中里駅周辺の東北本線を横断する、地下通路、踏切、跨線橋を見てきた。 上中里駅で下車し、上中里2丁目・栄町を歩き尾久駅へ。 尾久駅からは都電荒川線の小台停留場まで歩いてきた。 9千歩。




●電車ギュウギュウ、駅ガラガラ! ・・・・・上中里駅は京浜東北線の駅で、昭和8年(1933)7月1日に開業した、島式ホーム1面2線の地上駅。 出入口(改札)はホーム南端の橋上駅舎に一か所あるのみ。 当駅は23区内のJR駅の中で利用客数が、越中島駅(京葉線)に次いで少なくワースト2。 乗降客数は一日平均1万5千人程。 駅は武蔵野台地の斜面部分にあり、駅の南西側は台地上に出る、北東側は駅外の跨線橋を渡り台地の下にでる。、、、、今日は台地下の上中里2丁目の町を歩く。

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●幹線道路から外れた静かな町 ・・・・・・上中里2丁目を歩く

・・・・・・・・・・・・・・跨線橋を渡り終えると線路脇の道路沿いに上中里庚申堂がある。 祠に入った庚申塔以外にも、寛文5年(1655)の年代が読めるものなど、数基の庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から細い裏道を歩く学生らしき人の列が、目に入る。 外人も多い。 これは何だ? しばらくすると、最近ニュースで名が知れた大学の建物へ入っていく。 納得、留学生だった!

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・・・・・・・・・・・・・・どこも、一車線一方通行の道。 車も少なく静かな町。

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●見晴らしバツグン跨線橋! ・・・・・・東北本線(中・長距離列車)の線路を横断する地下道・踏切・跨線橋。 王子寄りから順に・・・・

・・・・・・・・・・・・・・まずは、栄町にある広町地下通路。 後述する梶原踏切から王子駅側に250m程寄った処に地下通路はある。 鉄筋コンクリート造の出入口で、通路幅も狭い。 通路の両出入口は線路脇にあり、どちらも人通りの少ないと思われる場所にある。 夜は痴漢・強盗にご用心。、、、、名称「広町」の由来は不明。 地下通路の完成年度も?

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・・・・・・・・・・・・・・・次は、一般車両の横断も可能な梶原踏切。 通勤時間帯は、都内にある踏み切り同様、開かずの踏み切りとなるので、すぐ横に、両端のエレベータで上下し、人が渡ることのできる跨線橋「上中里さわやか橋」がある。 お年寄りは跨線橋を利用して横断しよう!、、、、跨線橋からは尾久車両センターも見渡すことができる。 京浜東北線の頭上を走る東北新幹線も遠望できる。 鉄道オタクには、嬉しい跨線橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・3番目は、尾久車両センターを横切る長~~い地下道、その名は「尾久構内架道橋」。 “地下道”なのに“架道橋”とは是如何に? 鉄道用語で、線路の下を抜ける通路をガードと呼び、「架道橋=ガード」である。、、、、尾久構内架道橋は上中里2-5付近から車両センターの下にもぐり、尾久駅の脇に出る、全長約150mのお地下通路。 通路の途中には、施錠されているが車両センターの構内に出られる鉄扉がある。

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・・・・・・・・・・・・・・尾久駅は昭和4年(1929)6月20日開業した。 駅の所在地は北区昭和町、地名の尾久(西尾久、東尾久)は荒川区にある。 読みも、駅名は“おく”、地名は“おぐ”。 ややっこしい~

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●お鼻ピクピク花電車 ・・・・・・荒川区西尾久5丁目の町を抜け、都電荒川線小台停留場付近に出た。 軌道の両側にはバラが見事に咲いている。、、、、香りも期待し、鼻をピクピクしてみたが、鼻づまりなのか匂わない。 バラの匂いが漂うと、より嬉しかったが、チョイト残念だ!、、、、今日は都電に乗って帰る!

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2019年3月29日 (金)

南千住は火の用心!

今日の散歩は、我が家(浅草橋)から20分程の南千住までバスで行き、そこから何処に向かうかは着いてから決めることにした。 南千住駅前に降り立つと、空はどんより、空気は冷たい、コリャあまり遠くへ行かない方がよさそうだ!

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「とりあえず、駅前の回向院(両国回向院の別院)によって、鼠小僧・高橋お伝の墓に手を合わせるか」と思いきや、、、、、回向院前に消防車が到着。 一台、また一台、、、アレレ?コリャ一大事か、二台寺か? 火は見えぬが、回向院が火事か? 私の野次馬根性にも火が点いた、“それ! 見に行け!”

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三台・四台・五台と到着、回向院横の商店街「南千住仲通り」に入って行くぞ! 火事場は回向院裏か? ご近所の住人も出てきた!

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回向院裏に回ってみると、ご近所のおばさんが「線路際の鰻屋さんよ」と教えてくれる。 路地を通り抜け、火事場へ急ぐ。 オヤ、まだ規制のロープが張られていない。 見やすく、消火の邪魔にならない位置で状況を確認すると、、、、現場は、常磐線脇の鰻屋さん。 うなぎ焼かずに家焼いた! でも、ボヤ程度で済んだようだ、大事にならず良かった!

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寒い中で消火作業を見ていたら、自分も放水したくなった。 どうやらボヤは鎮火しそうだ、後は消防署に任せて、散歩を始めるか!

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●106年前に開業 ・・・・・・南千住5丁目から日光街道(国道4号)を越えて南千住1丁目に入る。  大正2年(1913)4月1日に王子電気軌道の停留場として開業した、都電荒川線の三ノ輪橋停留場。

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●300年以上前に移転
・・・・・・南千住1丁目、日光街道に面し参道のある曹洞宗寺院の真正寺。 四ツ谷天龍寺を開山した特賜心翁永伝禅師大和尚(寛文14年(1674)寂)の隠居寺として湯島に開山、寛文元年(1661)当地へ移転した。、、、、、赤い花に誘われて参る。

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●1200年以上前の開創 ・・・・・・・真正寺の北隣りには補陀山円通寺がある。 円通寺は延暦10年(791)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。 江戸時代には、下谷広徳寺、入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれていた。 秩父・坂東・西国霊場の100体程の観音像を安置した堂があったので、寺は百観音と呼ばれていた。、、、、、派手やかな鉄筋コンクリリート造の本堂は、屋根の上に七重の塔が聳え、その正面に巨大な黄金の観音像が立っている。 昭和59年(1984)の建立。

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・・・・・・・・・・・・・・・明治維新の折、慶応4年(1868)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を、現在の上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行った。 そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。、、、、、遺骸266体が埋葬されているそうだ、意外に多いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・・円通寺の境内に几号水準点がある。 門を入り左隅に、正面に「百くわんおん 」裏に「明和元年(1771)」と彫った石塔がある。 その台座部分に几号(“不”の字に似た形)が彫られている。 几号の下半分以上が埋まり、“ここに在ることを知る人にのみ”見つけることができる。(他言無用!)、、、、、几号水準点とは

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●19年前に開業 ・・・・・・荒川一中前停留場は、平成12年(2000)11月11日に、沿線住民の請願により開業した。、、、、、私は、停留場の踏切りを渡り、明治通りを越えて三河島駅に向かう。


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2019年2月19日 (火)

処理場だけど臭わない!

南千住駅前から散歩を始める。 都電荒川線の北側、南千住6丁目、三河島再処理センター界隈を歩き、京成本線町屋駅まで、1万歩です。
 
 
 
●裏道のお稲荷さん ・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・我が家(浅草橋)から都バスで南千住駅前まで、乗り放題・無料の敬老パスを利用。 正しくは、都営交通の敬老パス一年間約2万円也を購入すると、都営交通と都内の民営路線バスが乗り放題。 パスを見せれば乗れるので、“無料”という感覚で好きなだけ乗れるのが嬉しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・早速、駅前の裏道を探索。 この辺りは、昔ながらのアパートが多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・通りすがり、御利益ありそうなお稲荷さんがある。 ブロック塀に囲まれ、朱い鳥居が見えた。、、、金福稲荷神社(荒川区南千住5)である。 貞和3年(1347)足利時代に「金子福寿稲荷」として創建されたそうだ。 
 
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●小塚原の神社 ・・・・・・・・日光街道(国道4号)を越えて、南千住6丁目の素盞雄神社(すさのおじんじゃ)に参る。、、、、素盞雄神社は、当地に神石がに出現したことから、素戔雄命(牛頭天王)、事代主命の2神を祀り、延暦14年(795)創建したと伝えられている。 近郷の旧小塚原町、旧箕輪町、旧通新町、旧三河島村、旧町屋村などの鎮守社。 神社のある地の旧名は「小塚原」(刑場があった処)で、この地名も当社の小高い塚より起ったと言われている。
 
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・・・・・・・・・・・・・地名「小塚原」の起りとなった小塚。 境内の小塚は、御祭神の素戔雄命、事代主命が光を放ち降臨した処である。 小塚の中の奇岩を「瑞光石」と称している。 元治元年(1864)には富士塚を築き浅間神社を祀っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・賽銭箱のそばにあった「お賽銭は神様へのお供えもの」。 はっきり書いたね! 神様は金喰い虫か?
 
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●二股大根が見たい! ・・・・・・・・・素盞雄神社から西へ500m程のところに、若宮八幡宮がる。 ここは若宮八幡宮の名のとおり、御祭神は仁徳天皇。 又婦人の病に効験があり、祈願して直った時は二股大根を描いた絵馬を奉納するそうだ。(今の世でも続いているのか? 二股大根を見てみたい!)、、、、社殿は平成14年(2002)に新造営された。
 
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●羊毛工場が球場に! ・・・・・・・・・・・若宮八幡宮の前、荒川工業高校の西側の塀として、千住製絨所の塀の一部が保存されている。、、、、製絨所(せいじゅうしょ)は明治12年(1879)に、隅田川沿いの当地(8,300余坪)で創業した官営の羊毛工場である。 明治21年(1888)には陸軍省管轄となる。 戦後、昭和37年(1962)、敷地の一部に下町の球場と親しまれた「東京スタジアム」が建設され、大毎オリオンズ(現:千葉ロッテ)の本拠地となる。 10年後、球場は赤字経営のため休場となり、昭和52年(1977)に取り壊された。 跡地には都の施設が建てられた。
 
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●This is 下町 ・・・・・・・・・・・・南千住6丁目と、隣りの荒川1丁目界隈。、、、、、トタン張りの家、、、、昭和初期創業の蕎麦屋、、、、スクラッチタイルの家、、、、地元産の煉瓦の壁(?)、、、、路地の奥、、、、新築の住宅と高層マンション、、、、、どれもこれも下町の風景
 
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●都電 ・・・・・・・・・・・・・・・荒川二丁目停留所付近にて
 
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●我が糞尿を処理してる、感謝! ・・・・・・・・・荒川二丁目停留所前に、三河島水再生センター(旧称:三河島汚水処分場)がある。 大正11年(1922)に稼動を開始した日本で最初の近代的な下水処理場である。 旧喞筒(ポンプ)場施設が国の重要文化財に指定されている。、、、、、、敷地面積は197,878平方メートルであり、1日あたり700,000立方メートルの下水処理能力を持つ。 現在の処理区域は、荒川区・台東区の全域、文京区・豊島区の大部分、千代田区・新宿区・北区の一部で、計3,936haの下水処理を担っている。 と云うことは、台東区の住人である我が雅万歩のウンチも70余年間の長きにわたり、ここで処理してくれたのだ、感謝・感激!、、、、、処理方式としては標準活性汚泥法を採用。 処理水は隅田川に放流するほか、一部を東尾久浄化センターへ送っている。 汚泥は砂町水再生センターへ圧送している。 (「圧送している」というと、ここ荒川から、江東区砂町まで圧送用のパイプが地下に埋設してあるということか? 見てみたい!)
 
・・・・・・・・・・・・広大な敷地に各処理施設があるが、大部分は建物の中で、屋上は公園として一般に開放している。 施設内は事前予約で見学できるそうだ。 私のように、ブラリ立ち寄った人はダメ!、、、、、写真:処理場全体の案内図。 旧三河島汚水処理場喞筒場施設。 北反応槽。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・沈殿池、南反応槽などの屋上は、「荒川自然公園」となっている。 テニスコートも複数面あり、かなり広い。、、、、処理場の上だけど、臭くないね!
 
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●降ってきた! ・・・・・・・・・・・荒川自然公園(三河島水再生センター)を出ると、町屋駅までは至近。、、、、、1931年(昭和6年(1931)12月19日、京成電気軌道(現:京成電鉄)の町屋駅が開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。、、、ちょうど、ポッリ・ポッリと降ってきた。 濡れないうちに、帰ろう! 
 
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2018年9月17日 (月)

奥の細い道

南千住駅前から芭蕉が歩いた「奥の細道」(旧日光街道)沿いの裏道(“奥の細い道”)を歩いて北千住駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●旅立ちの地・・・・・・・・・・・芭蕉の「奥の細道」旅立ちの地は南千住(荒川区)か、北千住(足立区)か? 隅田川(大川)を挟み、矢立初めの句:「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」を詠んだ千住宿の地の争いである。 荒川・足立のどちらの区も、矢立の地を主張し今だ決着はついていない。 新たな資料でも出てこないと解決しないだろうね。 まあ~、どうでもいいか。、、、、、私の散歩は南千住駅からスタート。
 
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・・・・・・・・・・・・・ところで、南千住の裏道に初期のマッキントッシュのパソコン:「iMac(アイマック)」が捨てられていた。 1990年代の後半に発売されたもので、当時の価格は18万円前後であった。 このパソコンは、現在のアップル社の「iMac」の元祖である。 知る人ぞ知る、懐かしい顔のパソコンだ!、、、、、、フト、頭をよぎる、『骨董品としての価値が出てくるかも? 拾って帰るか? チョイと重そうだな、あきらめよう!』 
 
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南北を結ぶ、新旧の橋・・・・・・・・・「南北を結ぶ、新旧の橋」と云うと、何だか朝鮮半島にある橋のようだが、南北の千住を結ぶ千住大橋 のことである。 現在の千住大橋は下り方向(日光方向行)が旧橋で、上り方向(都心方向行)が新橋で構成されている。、、、、、旧橋は昭和2年(1927)に完成した日本最古のタイドアーチ橋で、震災復興橋としても有名である。 新橋は、旧橋に並行して昭和48年(1973)に完成した3径間連続鋼箱桁橋で味も素っ気ない。 新橋は旧橋より一段高い位置にあり、新橋からは旧橋のアーチ部しか見えない。、、、、、今日は下流側の新橋を渡り北千住に入った。
 
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・・・・・・・・・・・・・・下流には常磐線の橋梁が架かっている。
 
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●市の守護神・・・・・・・・・・・・本日定休日の東京都中央卸売市場足立市場の敷地内に鎮座する。 延徳年間(1489~91)より浮島金毘羅宮として崇敬されてきたが、昭和20年(1945)足立市場の開設以来、市場の守護神と尊崇された。 干潮稲荷神社を昭和41年(1966)に合祀し、干潮金刀比羅神社(かんちょうことひらじんじゃ)と改稱する。、、、、御利益は航海安全、豊漁祈願、水難守護、商売繁盛、五穀豊穣など、多種多様である。 いずれ、安産祈願、子宝成就も含まれるかも?
 
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・・・・・・・・・・・・・市場の正門脇に、足立区側の旧日光街道千住宿跡としてに芭蕉像があ建てられている。、、、、、荒川区と足立区、どちらが実物に似ているのか? 知るは仏のみ。
 
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●「奥の細道」の“奥の細い道”・・・・・・・・・・・奥の細道(旧日光街道)から、京成本線の高架沿いに路地を入ると、その先は千住河原町の“奥の細い道”(雅万歩が勝手に名付けた)となる。 折れて、折れて、歩く路地、また折れて、また折れて、お股は擦れて、あ痛(い)てって、まだまだ折れて歩く路地。 (写真は順に、各折れ曲がり地点です。)
 
・・・・・・・・・・・・・ここから、高架橋沿いに入って行く
 
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・・・・・・・・・・・・・・・チョイトした駐車場の脇に出て、再び路地に入る。 自動車は無理。
 
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・・・・・・・・・・・・・・横の路地では、不審人物の侵入を猫が見張っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・奥の細い道は、さらに続く
 
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・・・・・・・・・・・・・・・車の通れそうな道に出た。 “奥の細い道”も終わり。
 
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・・・・・・・・・・・・・・路地の裏の美しいフヨウ。
 
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●いくつかの一つ・・・・・・・・・・北千住周辺には、いくつかの“氷川神社”(氷川神社の数では都内随一らしい)がある。 その内の一つ仲町氷川神社は、足立区千住仲町にある氷川神社。 元は、牛田にあった氷川神社を元和2年(1616、江戸時代初期)に現在地へ遷座したそうで、それ以前は、延喜年間(901~923、平安時代)から牛田に鎮座していたそうだ。 由緒ある神社。
 
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・・・・・・・・・・・・・拝殿と本殿の間には、純金ではないと思うが、灯籠が新調されたようだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・拝殿の周囲には、チョイト古そうで、細工も素晴らしい鋳鉄製の柵が設けられている。
 
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●千住1丁目の建築・・・・・・・・・・まずは、三角屋根の玄関、下見板の壁、縦長の上げ下げ窓が、いかにも昭和の街の歯医者さん市川歯科医院。 歯が痛い人は、ぜひ診察を受けて、開業しています!
 
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・・・・・・・・・・・・・次の一軒は、路地裏の喫茶店「」。 建物に大倉屋質店と標されているように、質屋の蔵を改装した店舗。 この蔵が造られたのは、関東大震災後の昭和初期らしい。
 
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●遊女を供養する閻魔さま・・・・・・・・・・北千住駅の近い、真言宗豊山派の氷川山地蔵院金蔵寺。 この寺は建武2年(1335)の創建と伝えられ、御本尊は閻魔大王である。、、、、、本堂の閻魔さまは7月15日・16日の地獄の釜開きの縁日に会えるそうだ。 今日は閻魔さまも夏休みらしい。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺の山門脇に2基の供養塔が並んでいる、左側の南無阿弥陀仏を刻んだものが千住遊女供養塔である。 千住宿の多くの飯盛旅籠に勤めそこで亡くなった遊女が当時 「投げ込み寺」であったここ金蔵寺に葬られたそうだ。 供養塔は、その薄幸な生涯を哀れみ供養するため建てられたものです。 石には、多くの遊女の戒名が彫られていた。、、、、右側の無縁塔と彫られた塔は天保餓死者供養塔。 歴史上有名な天保の大飢饉の犠牲者を祀っている。 この地では828人が亡くなったそうだ。
 
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●閻魔さまに振られ閻魔さまと密会・・・・・・・・・・・・金蔵寺の閻魔さまには振られたので、すぐ近くの勝専寺の閻魔さまとないしょで会ってきた。、、、、浄土宗寺院の勝専寺は、三宮神山大鷲院と号し、文応元年(1260)に草創されたといわれている。 勝専寺の本尊:木造千手観音立像は千住の地名起源とされている。 寺の本堂は明治39年(1906)の建設でコンクリート造で化粧煉瓦で覆われている珍しい建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・山門脇の閻魔堂に閻魔さまは住んでいる。 こちらの閻魔さまの御開帳は正月15・16日と7月15・16日である。 今日は、のぞき窓からパチリ撮影。
 
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●今日の散歩はココまで・・・・・・・・・・・・北千住駅から帰宅する。
 
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2018年7月11日 (水)

尾久三業地

南千住駅から三ノ輪橋に出て、都電で宮ノ前停留所にて下車、西尾久2丁目の町を行ったり来たり、最後は田端駅から帰宅。 9千歩の散歩です。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・南千住駅前、松尾芭蕉像から散歩はスタート。
 
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①公春院・・・・・・・・・・南千住1丁目の浄土宗寺院:公春院は、満海山千日寺と号し、浅草聖徳寺の末寺として、寛文10年(1670)に創建した。、、、、大正12年(1923)の関東大震災では、火災は免れたものの本堂、観音堂ともに傾き、昭和14年(1939)に現本堂が落成した。、、、、、かつて、公春院の境内に入ってすぐ左の角に大きな松があったそうだ。 昭和9年(1934)に枯死したため伐採され、残念ながら今はその跡はない。 明治42年(1909)頃撮影の写真が残っているだけだが、その大きさは、周囲はおよそ4m、高さ14mで樹齢は優に500年を超すものであったと言われている。 寺域について争いが立ったとき、このお寺の古いことの証拠になったため「証拠の松」といわれていた。
 
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三ノ輪橋停留場・・・・・・・・・・・現在は「梅澤写真会館」となった、昭和2年(1927)に竣工した旧王子電気軌道の本社ビル。 関東大震災後の東京では、鉄筋コンクリート造、3階建てのモダンなビルだった。 正面1階の通り抜けの奥に都電荒川線の“三ノ輪橋停留場”がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・『冷房の効いた電車にチョックラ乗ってみよう!』、、、、、、乗ってから、『行先の宛てもなく、どこで降りようか?』 
 
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③宮ノ前停留場・・・・・・・・・・・名が気にいった『宮ノ前』停留場で降りることにした。、、、、、“宮”とは尾久八幡神社を指す。
 
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④尾久八幡神社・・・・・・・・・・停留場の真ん前(西尾久3)にある、尾久八幡神社の創建年代は不詳だが、当地周辺が鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312)頃に分霊を勧請したと、推定されている。 境内の広い、都心では大きな神社。、、、、、かつては神社の周囲に石神井用水を引き込んだ「八幡堀」が流れ、農業に活用された他、舟が入り込み交易も盛んであったといわれている。
 
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⑤碩運寺・・・・・・・・・・・・都電の線路を挟み尾久八幡神社の向かい(西尾久2)にある、曹洞宗の寺院:碩運寺(せきうんじ)は、慶長元年(1596)に創建したといわれている。 大正年間に本所石原町から当地へ移転した。、、、、、、大正3年(1914)に寺内に温泉が湧き、「不老閣」の営業を開始した。 ラジウム鉱泉で、周辺には保生館、清遊館、大河亭、小泉園などの旅館も開業し、都電の開通と相まって寺の周辺は温泉街として賑わい、商店街も形成したそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・ところが、ギッチョン・チョン、これが始まりで、周辺の温泉旅館、商店街の発展は、尾久三業地(現:西尾久、料亭・芸者置屋・待合のあった所)発展の幕開けとなり、色街へと変わって行く。
 
・・・・・・・・・・・・・・昭和11年(1936)2月、陸軍将校のクーデターである2.26事件が起きる。 世の中は大きく変わって行くことになる。 その年の5月18日、尾久三業地の待合「満佐喜」で殺人事件が起きた。 粋で鯔背な格好の40歳代の遊び人:名は石田吉蔵(糞まじめな私とは似ていないようだ。)と、30代の玄人美人が宿泊した。 翌朝、女は外出したが、男は起きてこず、女中が部屋に確認に行くと、蒲団の中で死んでいた。 男の一物が切り取られ、太股には血で「定、吉二人」と書かれていた。 こうして、猟奇的殺人事件の幕が開いた。、、、、、これぞ有名な阿部定事件である。、、、、、この後、事件の顛末は、皆さん自分で調べて!
 
・・・・・・・・・・・・・・戦後、尾久三業地は周辺の工業化で地下水を汲み上げすぎて温泉は出なくなり、廃業していった。 (私も知らなかった戦前・戦後の話てある。)
 
 
⑥西尾久2丁目の三業地跡(?)・・・・・・・・・・現在は、三業地(碩運寺の南から東京女子医大東医療センターの西あたり?)の跡はなく、何処に何があったやら? 
 
・・・・・・・・・・・・・・女子医大通り
 
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・・・・・・・・・・・・・・女子医大通りから西の裏通りを歩いてみるが、、、、、もちろん、待合「満佐喜」はない。 色街の面影は皆無であった。
 
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⑦八幡堀跡・・・・・・・・・・・・・尾久八幡神社の周囲、碩運寺の前などに、江戸時代から大正時代まで、八幡堀という石神井川用水が流れていたそうだ。 その水路は今は無くなったが、町の裏道にタイルが埋め込まれ水路跡が標されている。 また水路跡の道が「すいろみち」として整備されている。
 
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●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後、明治通りを横切り、田端駅から帰宅。 
 
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