荒川区

2020年12月20日 (日)

客の少ない足立小台

近頃は連日、最悪の感染者数を記録している“コロナ”、高齢者に属する私も外出自粛を心がけている。 でも、内緒で、少しぐらい、密を避けて、の散歩なら許されるだろう! 今日は、日曜なので通勤通学客も少ないので、日暮里舎人ライナーの足立小台駅で下車し、尾竹橋経由で京成本線の町屋駅まで歩いてきた。 1万歩。




● 日暮里舎人ライナーの「足立小台駅(あだちおだいえき)」と聞いて、駅を思い出せる人は少ないと思う。 それもそのはず、足立小台駅は、北の荒川と南の隅田川に挟まれた狭い中洲状の土地に位置しており、駅から1km圏内には、戸建て住宅はほとんどなく、隅田川岸にマンションが数棟ある程度。 観光名所は飛んでも“無い” 駅の並びに、家電量販店の「ケーズデンキ」とホームセンター「島忠ホームズ」がある。 駅から西へ1km程歩くと、「小台」、「宮城」の住宅地となる。

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・・・・・・・・・・・・昨年春に公開された、東京都の駅別乗降客数(2018年 平成30年度)のデータによると、足立小台駅の一日当たりの乗降客数は3,938人。 JR、私鉄、三セク、都電、ケーブルカーなど都内の全749の駅・停留所を対象にした中で、下から数えて“堂々の54位”である。 54の中には、都電の停留場が27、ケーブルカーの駅が4含まれている。 実質的にはワースト20にランク入りできそうだ! ちなみに、下から60位前後には、小田急線の南新宿、多摩都市モノレールの万願寺、東武亀戸線の亀戸水神、東武伊勢崎線の堀切、東京モノレールの新整備場などの駅がランクインしている。

・・・・・・・・・・・・足立小台駅は平成20年(2008)3月30日に、日暮里舎人ライナーの開通と同時に開業した。 ホームは島式1面2線構造で3階にある。 出口は1ヶ所のみで、尾久橋(隅田川)と扇大橋(荒川)の間に出る。 駅前にはロータリーがあるが、このロータリーは堤防の最上部を走る道路面の高さである。 実はこの下に、旧来の道路面がある。

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・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーから下の道路に下る階段、、、、川沿いの工場、事務所などは全て、この下の道路に面している。

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・・・・・・・・・・・・隅田川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、後ろの尾久橋には都道が通っている

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・・・・・・・・・・・・荒川を渡る日暮里舎人ライナー、、、、並行するのは扇大橋

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・・・・・・・・・・・・足立小台駅から堤防上を東に向かい歩く、チョイト寒いね。、、、、写真:右側のマンションの後ろには隅田川が流れている。 左側は荒川。、、、、足立小台駅を利用するのは右側の住人と、工場などに勤める人ぐらい!

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・・・・・・・・・・・・マンション前を通り過ぎ、工場、倉庫がある辺り、堤防上から眺めると、、、、最上段の堤防上の道路に私がいる、その下にバス通りがある、さらに下にマンション・倉庫・工場が並び面する道路がある。、、、、三段腹の道路!

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・・・・・・・・・・・・二段目のバス道路から眺めると、上にも、下にも道路がある。(あたり前田のクラッカー!) 

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● 足立小台駅から堤防上を1km程歩き、下の道路を歩くと、UR都市機構の「リバーサイド桜木団地」がある。 昭和56年(1981)に完成した団地。、、、、隅田川と荒川に挟まれた団地は、気のせいか、寒い! ホットコーヒーを買うコンビニがない! 何やら、落ち着かない! このままだとズボンを濡らし、大変なことになる! 恥ずかしさをこらえ、通りがかりの主婦に聞いた『この辺にトイレありませんか?』 親切に公園を教えてくれた、これにて一件落着!!
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・・・・・・・・・・・・この先は、尾竹橋を渡り町屋駅まで歩く。、、、、尾竹橋を渡ると荒川区

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2020年12月14日 (月)

汐入公園

ガラガラ・空き好き電車に乗って、東武伊勢崎線の牛田駅で下車。 牛田駅から千住汐入大橋を渡り足立区から荒川区に入り、隅田川の右岸を歩いて石浜神社まで、9千歩の散歩です。




● 昭和7年(1932)9月1日に開業した、東武伊勢崎線の「牛田駅  牛田駅は足立区の南端部にある駅で、浅草~北千住間の全ての駅に停車する列車(つまり各駅停車)のみが停車する駅。 牛田駅前に京成本線の京成関屋駅があり、多数の乗換客が利用する。、、、、牛田駅と聞いて、イメージが浮かぶ人は、おそらく戦後生まれの牛田育ちか、乗換で当駅を利用する人であろう。 一日当たりの乗降客数は約22,000人、その内の半数ぐらいは乗換客と思われるので、実質の乗降客はかなり少なそうだ。、、、、北千住駅の隣り駅である「牛田」は、むかし牛田圦(うしだいり)と呼ばれた農業用水路が近くにあり、そこから駅名を頂戴したらしい。

・・・・・・・・・・・・空いている南栗橋行き区間準急(北千住まで各駅に停車)から降り、改札を出ると・・・・・

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・・・・・・・・・・・・京成関屋駅から、ゾロ・ゾロ・快傑ゾロと乗換客が牛田駅に向かってくる。

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・・・・・・・・・・・・『チョイト失礼します!』と京成関屋駅構内を通り抜けると、そこは都道461号(墨堤通り)である。

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● 墨堤通りを南へ250m程歩くと千住曙町交差点がある。 そこを、西へ曲がれば隅田川に架かる「千住汐入大橋」、、、、千住汐入大橋は隅田川に架かる橋の中でも新しく、平成18年(2006)2月19日に開通した。 その名のごとく、足立区千住地区と荒川区汐入地区を結ぶ、橋長158.6mの2径間連続鋼床鈑箱桁橋。 都道314号を通す。、、、、隅田川が大きく蛇行する処に架かり、対岸には汐入公園がある、景色はGood!


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● 隅田川を越えると元の荒川区南千住汐入(隅田川が弓のように大きく東側に張り出した処で、鉄道の貨物基地、工場などがあった)である。 現在は再開発により、工場は無くなり、貨物基地は縮小しJR貨物の隅田川駅となり、川沿いには都立汐入公園、その奥にはタワーマンションを含む高層住宅が建ち並んでいる。

・・・・・・・・・・・・面積13hrの汐入公園は冬支度。 芝の緑も落ち葉で黄彩に変る!

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・・・・・・・・・・・・公園内を縦断する都道314号は、胡録トンネル瑞光トンネルの2ヶ所で芝生の下を抜けて行く!、、、、荒川区にトンネルがあることを知らない人が多いかも?

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・・・・・・・・・・・・公園の中程にある水神大橋の北側に、「隅田川旧防潮堤」の一部がモニュメントとして残されている。、、、、隅田川の下流部一帯は海抜ゼロメートル以下の地域が広がっている、このため都では、高潮や洪水の対策として昭和32年(1957)から隅田川のコンクリート防潮堤建設に着手し、昭和50年(1975)に概成した。 その結果、高潮や洪水に対する危険は大幅に減少したが、カミソリ堤防によって隅田川と町は分断され、親しみある隅田川から都民を遠ざけることとなった。 そこで、高潮や洪水に対し、より安全性が高く、都民が河川と親しめる潤いのある水辺環境に配慮したスーパー堤防へと造り替えている。、、、、モニュメントを見ていると、コンクリートの味気ないカミソリ堤防が、川岸に延々と伸びていたのと、メタンガスが発生する汚れた昭和(高度成長期)の隅田川を思い出すね。

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・・・・・・・・・・・・汐入公園の中央から対岸の墨田区東白鬚公園に架かる「水神大橋」を見ながら、土手を行く。、、、、水神大橋は平成元年(1989)に竣工した、橋長157.0mの3径間連続ニールセンローゼ桁橋。

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● 汐入公園に続き「荒川区立瑞光橋公園」がある。 瑞光橋公園は、鉄道と貨物船を結ぶための運河跡地(入江)に造られた公園です。 隅田川のスーパー堤防と入江を利用した公園で、面積は約13,000㎡、平成18年(2006)に開園した。 入江に架かる瑞光橋に因む公園名とした。

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・・・・・・・・・・・・公園内に汐入水門跡がある。 この水門跡は、隅田川貨物駅(現:JR貨物隅田川駅)と隅田川を結びつける唯一の遺構である。、、、、隅田川貨物駅は明治30年(1897)に石炭の集散地として開設された駅である。 常磐線で運ばれてくる石炭を、隅田川の水運で東京市中へ配送するため、荷の揚げ下ろしをする運河が造られた。 元来この汐入地域は土地が低く、運河の護岸は荷物の揚げ下ろしの関係上、低く造られていたため、満潮時には付近に浸水し、さらに台風などの異常な高潮時には南千住ばかりでなく、浅草方面まで被害をこうむっていた。 水門は、この水害を防ぐために昭和28年(1953)に建造されたのである。 しかし貨物の輸送が船による河川輸送から鉄道 ・トラックによるコンテナ輸送に切り替わると、運河は不用となり昭和45年頃には全て埋め立てられ、水門もその役割を終えた。 現在は水門のゲートを支えていたコンクリート製の柱が2本、門柱のように残されている。 

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● 堤防の上を歩くと、球形のガスタンクが3基見える。 このガスタンクは明治26年(1893)から、この地(荒川区南千住3)に工場を建てた東京ガスのガスタンクだ。 終戦直後は円筒形のガスタンク3基であったが、昭和60年頃から球形のガスタンクに変わった。 形は変われども3基のガスタンクは、昔も今も、この南千住のランドマークである。、、、、北千住の「おばけ煙突」とランドマークを競ったのか?

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・・・・・・・・・・・・近づくと、ガスタンクの手前に社が見える、ここが「石浜神社」である。

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・・・・・・・・・・・・「石浜神社」は、神亀元年(724)聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社です。 祭神は天照大御神・豊受大御神。 源頼朝が藤原泰衡討伐の折に当社に祈願、大勝したことから社殿を造営されたといいます。、、、、本殿は伊東忠太設計で、昭和12年(1937)落成の木造神明造り、拝殿は昭和63年(1988)落成の木造銅板葺神明造り。 以前は川岸寄りにあったが、昭和63年に護岸工事のため移転を余儀なくされ、現在地に移された。 本殿は曳家で移されたそうだ。、、、、境内の紅葉は今が最高!

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・・・・・・・・・・・・境内からガスタンクを見ると、『アレ? 御神体はガスタンク!』

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● 石浜神社前の明治通りから南側は私の住む台東区。 区内を循環するコミュニティーバスが、タイミングよく、やって来た。 100円で浅草橋の我が家まで、空いて座れて楽々帰宅!、、、、今日も“コロナ”に感染せずに、散歩ができたようだ!

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2020年10月24日 (土)

六地蔵の四番目

江戸六地蔵の四番目は日光街道(奥州街道)沿いの東禅寺に安置されている。 今日の散歩は、東禅寺はもちろんだが、旧日光街道の一部であった現在の都道464号線を踏破してきた。 1万2千歩の散歩。

・・・・・・・・都道464号線とは、、、、台東区浅草6丁目(言問橋西交差点)を起点とし、山谷、南千住駅を通り、荒川区南千住7丁目(南千住交差点)を終点とする、2.5km程の都道である。 全線が旧日光街道(奥州街道)の一部にあたる。 なお、台東区側は「吉野通り」、荒川区側は「コツ通り」の愛称がついている。




● 浅草橋(我が家)から都バスで飛ばして、「墨田公園」バス停で下車。 バス停は言問橋西交差点にある。 言問橋方向には、早朝の輝く太陽とスカイツリーが重なり、カメラを覗く目はまぶしい!

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・・・・・・・・・・・・・・交差点から北に伸びる2本の都道。 右は隅田川沿いに汐入・堀切方面へ伸びる都道314号線、左は旧日光街道(吉野通り)の都道464号線

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● 交差点から約200m、チョイト「待乳山聖天」に寄って行く。 仏壇には、数本の大根が供えられていた。、、、、これからの季節、お下がりの大根は“おでん”にするかな?

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● 待乳山聖天付近の都道464号線。 土曜日だから? 早朝だから? 車の少ない旧日光街道。、、、、この付近は『観音さま(浅草寺)の裏』と言ってもいいのだろう、江戸時代の常設芝居小屋である、「中村座」「市村座」「森田座」の猿若三座があった処。 今は、当時を偲んで石碑が建立されている。

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● 都立浅草高等学校の付近で、都道464号線が通っていた「吉野橋」の親柱が道路両側に残されている。 下を流れていたのは山谷堀、上流は北区飛鳥山付近の音無川で、台東区に入ると吉原付近を流れ、吉野橋の先で隅田川に注いでた。 “おだいじんさま”は、“猪牙船”で隅田川・山谷堀と遡り吉原へ通ったのだ。、、、、当時、『 GO TO 吉原! 最大40%オフ』なんてあったら江戸幕府の人気は大いに上がったであろう! 

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・・・・・・・・・・・・山谷堀は埋め立てられ、現在は「山谷堀公園」として、かつての川筋に伸びている。

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● 吉野橋から500m程北へ歩くと、東浅草2丁目に浄土宗寺院の春慶院がある。 春慶院は、月光山覚道寺と号す。 霊厳寺末として寛永5年(1628)に建立した。、、、、寺と云うより、和風住宅と云う趣の建物。

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・・・・・・・・・・・・ここ春慶院に、吉原の代表的名妓で、この名を名乗った遊女は11人いたともいはれる「高尾太夫」の墓がある。11人の高尾太夫は、いずれも三浦屋四郎左衛門方の抱え遊女であった。 この墓は、世に万治高尾、あるいは仙台高尾と謳われ、幾多の伝説巷談を生んだ二代目高尾太夫の墓と云われている。、、、、この墓は、初代の高尾太夫のもの。 いやまて、三代目高尾太夫の墓だ! 諸説あるらしい。 いずれにしても、「高尾太夫の墓」である。


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● 春慶院の北西50m程に処、旧日光街道からチョイト脇に入った処に、
洞雲山東漸寺(東浅草2)がある。 東禅寺は寛永元年(1624)に創建された。 寺の正面に、江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像が鎮座し、左隣には、アンパンの銀座木村屋総本店:開業者・木村安兵衛妻ブナの夫婦像がある。、、、、本堂・像などを、狭い境内に押し込めたようで、変わった配置の寺だ!

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・・・・・・・・・・・・東禅寺の六地蔵(地蔵菩薩坐像)の高さは2.71m。 品川寺に次いで第2番の宝永7年(1710)に造立された。 他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し記録では本像は像の表面を布目条にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗った上に金箔を置いたあとが残っていたとそうだ。 永年の風雨により、損傷が著しかったため、平成11年(1999)に修復工事を行った。 また、胎内仏として小形の銅造六地蔵地蔵菩薩坐像等が現存するそうだ。 なお東禅寺は昭和3年に、山谷堀近くの今戸町から現在地に移ってきた。、、、、この像も今戸から引っ越したためか、他の六地蔵と異なり、石の台座が無い!

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● 東禅寺から西へ向かえば吉原はスグソコ! 今日は北へ歩き都道464号線の終点を目指す。、、、、かつてのドヤ街山谷・泪橋交差点を通り南千住駅へ。

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● 南千住に入ると都道464号線は愛称「コツ通り」となる。 “コツ”とは何ぞや? 私は、小塚原刑場跡があるので、“骨”のことかと想像し、縁起でもない名だと思い、調べた。 答えは、地名「小塚原」を略し“コツ”としたそうだ。 “骨”のコツではない。 いずれにせよ、チョイト、気になる名だ!

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● そのコツ通り(都道464号線)が日光街道(国道4号線)にぶつかる南千住交差点が都道464号線の終点である。 南千住交差点には素盞雄神社(すさのおじんじゃ)が鎮座。、、、、賽銭をはずみ(50円)、しっかりと家族(母、妻、娘家族 計8名)の健康・長寿を祈願、安いね!

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2020年9月19日 (土)

東日暮里

台東区の北の端、明治通り(都道306号)と吉野通り(都道464号)が交わる「泪橋(なみだばし)交差点」。 早朝の空いた道を飛ばす都バスに乗り、「泪橋」バス停で降りる。 ここより西へ、JR日暮里駅まで歩いてきた。


● 明治通りが台東区と荒川区の境となっており、泪橋小塚原刑場跡(荒川区南千住)の近くの思川(おもいがわ)に架かっていた橋。 現在では思川は全て暗渠化され橋の面影はなく、その名前は交差点やバス停に残るだけ。、、、、【知ってて嬉しい、いい加減な知識】 「涙」と「泪」と「涕」の違い。 どれも「なみだ」と読む。 「涙」は一般的で、切れ目なく流れでる涙。 「泪」は一般的に用いず、演歌などで用いる、チョイト色っぽく、せつない涙。 「涕」は悪ガキが怒られた時出す、鼻水とコラボした涙。

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● 東日暮里一丁目を歩く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・明治通りから一本裏通り(東日暮里1-4)へ入ると、戦前(?)のモルタル塗りの2軒長屋が数棟まとまってる。 空襲で焼けなかったのか?

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・・・・・・・・・・・・また、別な裏道(東日暮里1-6)には御影石が敷き詰められている。 ひょっとすると、都電の敷石の再利用かな?

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・・・・・・・・・・・・一丁目の中央を貫く「正庭通り」、、、、店舗は少なく、サクラの木が多い商店街。 「正庭」と書いて「まさにわ」と読む。 かつては三河島村字正庭だったそうだ、現在は東日暮里一丁目。 地名の由来は判りませ~~ん!

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● 東日暮里二丁目を歩く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・家内工場があり、マンションがあり、商店があり、保育園・小学校があり、雑多な建物が並ぶ下町。、、、、東日暮里も、私の住む浅草橋も、どちらも同じような街並みだ!

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・・・・・・・・・・・・オヤ?古そうなタバコの自販機発見!(東日暮里2-27)、、、、ラークが300円、フィリップモーリスが300円、マルボロ320円、10年以上前の値段だ! 現在はラーク460円、マルボロ520円などである。 もちろん、現在、自販機は利用できない!(私は10数年前に禁煙に成功し、一日60本のヘビィスモカーから脱した!)

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・・・・・・・・・・・・・・東日暮里一丁目から三丁目までを東西に横切る「かんかん森通り」、、、、二丁目付近には、ソメイヨシノ50本の桜並木がある。
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● 東日暮里三丁目を歩く・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・かんかん森通りを歩き東日暮里三丁目に入ると、消防署の前に「猿田彦神社」がある。 この社がある処を「神々森」(かんかんもり)と呼んだそうだ。、、、、猿田彦神社は、汐入の胡録神社の分霊を勧請して祀ったと伝えられ、第六天社と称していたといい、明治に入り胡録神社、次いで猿田彦神社と改称している。、、、、神社自体は小さいが、境内の大谷石造りの神輿庫を見ると神輿は多そうだ。

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・・・・・・・・・・・・猿田彦神社の北側には「東京朝鮮第一初中級学校」がある。 日本の小学校・中学校と同じらしい。 この学校も、新型コロナの影響があったのか? 生徒が登校していた。

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・・・・・・・・・・・・チョイト裏道を歩くと、トタン張りの家、懐かしい銭湯、綺麗に揃ってる長屋などが見られる。

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・・・・・・・・・・・・・・東日暮里三丁目の逸品は、東日暮里3-34~37に残る文化住宅である。 敷地そのものを高くしたのか、周囲の道路からは階段を上がった処に建ち、戦前の建築と思われる木造板張りの住宅である。 2階建てで、1階と2階に1所帯づつ入り、玄関は並んでいる。 つまり、2所帯の長屋(?)建築が町の一画にズラリ並んでいる。、、、、建築史的には貴重な建造物群と思われるが、保存すると云った話は無いようだ。 でも、住んでいる人には申し訳ないが、残したい気もするね!

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● 東日暮里三丁目を抜け、尾竹橋通りを横断し、日暮里繊維街を西へ歩けばJR日暮里駅

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2020年9月16日 (水)

南千住から町屋

都電荒川線沿いに、線路の南側を歩き、南千住駅から京成本線町屋駅までの散歩です。



● 浅草橋駅前からバスで南千住駅へ、、、、南千住駅の隣り、JR貨物の隅田川駅を見下ろし、常磐線・貨物線に沿って西へ向かう。

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● 常磐線の南千住駅と三河島駅の間に、明治29年(1896)開通の日本鉄道土浦線の煉瓦造のガードが3ヶ所残っている。 その一つ、アーチ型の「第3三の輪ガード」が国道4号(日光街道)に出る手前(南千住2)にある。 トンネル上部の笠石には、雁木(がんぎ)といわれる煉瓦を傾けて凹凸をつける装飾的な煉瓦積みが施されているのだが、ネットで覆われチョイト判りにくい。 煉瓦積みが劣化してきたか?しっかり改修して、保存して欲しいね!、、、、【おまけ】2014年撮影の雁木部分の写真

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都電荒川線の起点、三ノ輪橋停留場。 停留場の周辺は下町の雰囲気が残り“画”になる、好きだ!

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・・・・・・・・・・・・停留場の南側には常磐線が走り、ここに、明治29年以来の「第1三の輪ガード」(南千住1)がある。

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● 三ノ輪橋停留場から荒川一中前停留場まで都電に並行して伸びる「ジョイフル三ノ輪」商店街の請願により、平成12年(2000)11月11日に開業した「荒川一中前停留場」。 都電荒川線では70年ぶりに開業した、一番新しい停留場である。

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・・・・・・・・・・・・・・停留場近くの裏道は、なぜか「通り抜 禁止」、、、、また、同じ処の電柱には中国語・韓国語(ハングル)で書かれたゴミ出しのルール、、、、何となく、しっくりしない、歩きにくい道だ!

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● 「荒川区役所前停留場」(明治通り)から「町屋駅前停留場」(都道306号)までの区間、都電の南側を並行する道路が都市計画に沿って拡張されるため、用地取得が進められている。 あちらにも、こちらにも、フェンスが組まれ、住民は檻の中。

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・・・・・・・・・・・・・・フェンスを見ながらの散歩はつまらないので、チョイト荒川2丁目の裏道へ入る。 他人の家を覗きながらの散歩。 チョイト失礼しました!

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・・・・・・・・・・・・・・「荒川七丁目停留場」、、、、乗降客はなし、それでも電車は停まってた、律儀な運転手さん!

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● 京成本線町屋駅の手前(荒川7)に、床屋のような名の寺がある。、、、、臨済宗妙心寺派の寺院「大雄山泊船軒」。 泊船軒は、海禅寺の塔頭寺院として、玉蜂與首座禅師(正保4年(1647)寂)が開山した。 関東大震災後、現在地に移転してきた。 入口の立派な山門を入ると、静粛な境内が禅寺の様相で迎える、正面には釈迦如来を祀る本堂。 右は庫裏、客殿。 左は墓地。

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町屋駅は昭和6年(1931)に開業。 幅の狭い島式ホーム1面2線の高架駅。 ホーム中程には待合室が設置されている。

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2020年3月 9日 (月)

コロナ退治に素盞雄命

“新型コロナ”は感染拡大するばかり、一刻も早く終息することを願い、今日はスサノオノミコトに神頼みすべく、南千住に行ってきた。




●地獄の臭い漂う刑場跡! ・・・・・・・・まずは、東京メトロ日比谷線南千住駅南口前には、常磐線のガードを挟み、南側に延命寺、北側に回向院の二寺がある。 この二寺は、江戸時代から明治初期まであった小塚原刑場(荒川区南千住2)の跡にある。 小塚原刑場は江戸への入口に存在した、大和田刑場(八王子市大和田)、鈴ヶ森刑場(品川区南大井)とともに三大刑場といわれた。、、、、小塚原刑場の広さは60間(108m)×30間(54m)程で、現:延命寺がある辺りらしい。 ここで延べ20万人の罪人が処刑されたそうだ。 遺体はそのまま野ざらしにされ、一帯は異臭漂う地獄のような地であったらしい。


・・・・・・・・・・・・刑場跡の延命寺境内中央には刑死者の菩提を弔うため、寛保元年(1741)に造立された「
首切り地蔵」がある。 27個の花崗岩を組み合わせ、全体の高さが4m程の坐像。

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・・・・・・・・・・・・刑場での刑死者を弔うため、寛文7年(1667)に本所回向院の住職が隣接する場所に常行堂を創建した。これが現在の南千住回向院である。 現在でも、ここで処刑された、橋本左内・吉田松陰・鼠小僧・高橋お伝・相馬大作などの墓・供養碑がある。、、、、また明和8年(1771)に、蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢・桂川甫周らが、刑死者の腑分け(解剖)い立ち会った場所でもある。 マグロの解体ショーとは違い、立ち会うには勇気がいると思うね。 私は血を見るとダメなので、病院の採血の時は目を瞑っているのだ!

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●“コロナ”退治に、乞う御期待! ・・・・・・・“新型コロナ”に勝つため、南千住6丁目、日光街道沿いの素盞雄神社(すさのおじんじゃ)に参拝。 素盞雄神社は、当地に牛頭天王・飛鳥権現の二柱の神が降臨した奇岩を祀り、延暦14年(795)創建した。 創建以来、二柱を別々の社殿に奉斎していたが、享保3年(1718)焼失し、同12年に瑞光殿を建築して合祀した。 古くから疫病除けで知られ、安政5年(1858年)江戸にコレラが流行した際は疫除守を求めて参詣者が群れ集まった。明治初期の廃仏毀釈により祭神名を、牛頭天王改め素盞雄大神(すさのおおおかみ) ・飛鳥権現改め飛鳥大神(あすかおおかみ) とした。 同時に、社名も素盞雄神社へ改称した。、、、、素盞雄大神は「素嗚尊(日本書紀)」とか「建速須佐之男命(古事記)」と表記され。 いずれも、スサノオノミコトである。 スサノオノミコトは、妻となる櫛稲田姫(くしいなだひめ)が八岐大蛇(やまたのおろち)の餌食となるところを救っただけでなく、熱病に罹ってしまったとき、脇の下に風通りを良くするため身八つ口(みやつくち)を開けたことで熱を冷ました。 クシイナダヒメはスサノオノミコトによって治癒したということで、スサノオノミコトには「疫病退散」の御神徳が身についていたそうだ。、、、、“新型コロナ”も退散するパワーに期待して、賽銭は200円にした。 
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素盞雄神社では、チョウド「桃まつり」が行われていた。 拝殿・神楽殿・社務所・境内などに、もの凄い数の“ひな人形”が飾られている。 全体を遠目で見ていると壮観だが、至近距離で一体毎に見ていると“チョイト気持ち悪い翁”、“顔に刀傷のあるヤクザな囃子”、“現代風美人の色っぽい官女”、“毛が抜けツルッパゲ頭の囃子”、“自分に似た色男の内裏”、“チョイ悪な童”など、いろいろな人形が居ます。 

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・・・・・・・・・・・・素盞雄神社の鳥居に、“不”の字に似た記号(写真赤〇)がついている。 これは、几号水準点(きごうすいじゅんてん)という。 “几”の字は“き”と読み、机の意味がある。 几号水準点とは、明治時代初期に水準測量(高低を測る)の基準点として設定された。 3本足の机のような、“不”の字に似た記号の横棒が標高を示す位置となる。 当時の内務省では、明治9年(1876)、東京・塩釜間の水準測量から、この記号を用いた。 測量が参謀本部に引き継がれると、几号水準点は使用されなくなったが、都内には、約30か所程(上野東照宮、江戸城本丸跡など)に現存している。 ここ素盞雄神社 の鳥居に刻まれたのもその一つである。、、、、几号水準点を探し訪ね歩くのも、私の楽しみの一つ。

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●歯痛に清兵衛! ・・・・・・“新型コロナ”感染拡大防止を願い素盞雄神社に来たついで、医療がらみで“歯痛の神様”に寄って帰ることにした。 南千住駅からほぼ真北の方角(南千住7)、隅田川の近くに「山王清兵衛(日枝神社)」がある。 境内の説明板には次のように書かれている、、、、『日枝神社は、江戸時代山王社とよばれた旧中村町(千住宿)の鎮守であり、正和5年(1316)に建てられたと伝える。この社の入口にあたる旧砂尾堤土手北端に歯神清兵衛を祀った小祠がある。いずれかの藩士清兵衛が虫歯の痛みに耐えかねてこの地で切腹し、遺言によってその霊を祀ったという。俗に山王清兵衛とよばれ、歯痛に悩む者が祈願して効き目があれば、錨をくわえた女性の絵馬を奉納する慣わしで、千住の歯神として有名であった。』、、、、現在は痛いとスグに歯医者へ行くので、祈願する人も少ないであろう。

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2019年12月11日 (水)

日暮里から千駄木へ

日暮里駅で下車し、荒川区西日暮里3丁目の道灌山側を歩き、台東区谷中を横切り、文京区千駄木に入る。 千駄木の裏道をさまよい、行き止まりに出くわすこと度々、迷路を歩き廻り気付けば通ってきた道。 千駄木三丁目バス停でギブアップ。 1万2千歩の散歩。




●崖っぷちの駅 ・・・・・・JR日暮里駅は、明治38年(1905)4月1日に日本鉄道の駅として開業した、歴史ある駅。 駅は崖地(傾斜地)にあるため出入口は、西側は崖上に出ることにになり、東側は線路面と同じ高さにある。、、、、JRの改札は北口と南口の2カ所で、いずれも橋上にある。 北口改札のある北口駅舎は跨線橋の下御隠殿橋に接続してる。 今日の散歩は、北口から西に向かって歩くことにした。

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●戦国時代の物見櫓! ・・・・・・日暮里駅を出ると御隠殿坂があり、坂に面して日蓮宗の本行寺(荒川区西日暮里3)がある。 本行寺は、大永6年(1526)、江戸城内平河口に建立され、そのご神田・谷中を経て、宝永6年(1709)、現在地に移転した。 景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれ、多くの俳人たちが本行寺に訪れた、その中には小林一茶もいたそうだ。 「青い田の 露をさかなや ひとり酒」などの句を詠んでいる。 また、儒学者市河寛斎・書家米庵父子や、幕末・維新期に活躍した永井尚志などの墓がある。、、、、戦国時代に太田道灌がここに斥候台を築いたと伝える道灌物見塚があったそうだが、現在は寛延3年(1750)に建てられた碑文も読みにくくなった道灌丘碑が残されている。 本堂裏の墓地からは、日暮里駅前のタワーマンションも一望できる。

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●・・・・・・・・・本行寺の西側に私の好きな細い裏道がある。 今日もこの裏道を通り抜けて、崖上を西日暮里駅の方向に伸びる諏訪台通りに出た。

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・・・・・・・・・・・・・・・裏道の奥に、LIGHT&PLACE 湿板写真館」なる店があった。 “湿版写真”とは、有名な坂本龍馬の写真など、古い写真がガラス板に像を写し取っている、あの写真である。 スマホ、ミラーレスの時代の今、明治時代に盛んであった撮影技術で写真を撮ってくれる処である。、、、、今風の繊細で鮮やかなカラー写真とは違って、モノクロの古びた味のある写真で、自分を撮ってもらうのも良い記念になると思うね。

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●諏訪台通りの1社2寺 ・・・・・・一車線一方通行の諏訪台通りに並ぶ、養福寺、浄光寺、諏方神社にお立ち寄り。

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・・・・・・・・・・・・・・朱塗りの仁王門がある養福寺(西日暮里3)は真言宗豊山派の寺院。 補陀落山観音院と号す。 開創の確かな年代は判らないが、初代住職が寛永3年(1626)に没したと伝えられているので、この頃か?、、、、寺の本堂や観音堂などの建造物は戦災で失われたが、宝永年問(1704~1711)建立といわれている、江戸時代のこの仁王門は焼失を免れた。 門の表側には一対の仁王像ある。 チョイト仁王門自体の造りが華奢で弱々しいね!

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・・・・・・・・・・・・・・諏訪台通りを西日暮里駅の方に歩くと真言宗豊山派の浄光寺がある。 法輪山法幢院と号す。 もとは隣の諏方神社(すわじんじゃ)の別当寺で、境内からの雪見が有名となって雪見寺と呼ばれたそうだ。、、、、山門の左手に、東都六地蔵の三番目として知られるこの大きな地蔵菩薩が立っています。  東都六地蔵とは、銅造泥塑の仏像造りに秀でた下谷心行寺二世空無上人の権化によって元禄4年(1691)に開眼したもので、一番は駒込の瑞泰寺、二番は千駄木の専念寺、三番は浄光寺、四番は下谷の心行寺、五番は上野大仏堂のうち、六番は浅草寺の正智院に安置された。 しかし、現存するのは専念寺と浄光寺だけである。

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・・・・・・・・・・・・・・浄光寺の隣りに諏方神社がある。 元久2年(1206)の創立。 文安年間(1444~1499)に太田道灌が神領を寄進し、徳川時代に神領を賜わり、寛永12年(1635)社殿を現在の地に遷座した。 社名は「諏訪」とせず、「諏方」を使っているのは古来の表記である。 神社は明治時代になり、日暮里・谷中の総鎮守として地元の人々に敬われている。、、、、神社境内から西日暮里駅へ下る階段坂の「地蔵坂」がある。 坂の名は別当寺であった浄光寺の地蔵尊に因んでいる。

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●富士の見えない坂! ・・・・・・・・浄光寺の前から西へ下る富士見坂。 富士山が見えた坂も、数年前から見えなくなり名だけが残った!、、、、今は、街路灯にデザインされた富士山のシルエットだけ。

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●夜、営業する商店街! ・・・・・・・荒川区西日暮里から、台東区谷中の町を少々横断し、文京区千駄木に入った。 千駄木3丁目の「すずらん通り」を抜け、「不忍通り」を横断する。 すずらん通りは、狭い短い通りの左右に小さな飲み屋さんが15軒程ある。、、、、しかし只今午前9時過ぎ、この時間から開けている店はない。 ぜひ夜来て、覗いてみたい通りだ!

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●千駄木の文化財! ・・・・・・・・文京区千駄木の貴重なお屋敷

・・・・・・・・・・・・・・まずは、国登録有形文化財の島薗邸。  木造2階建て、瓦葺の住宅は昭和7年(1932)の建築。 設計は銀行建築などで知られる矢部又吉。、、、、よそ様の家には入れないので、外から覗くだけ!

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・・・・・・・・・・・・・・千駄木5丁目の旧安田邸。  この建物の上棟は大正7年(1918)で、建築主は藤田好三郎、施工は清水組であった。 建築主の藤田好三郎は、練馬区にある豊島園を作った人物で、園芸好きであった。 この家が手狭であったのか、大正12年(1923)の夏には、中野桃園町に邸宅を建て引っ越した。 その直後、安田善次郎(安田財閥の祖)の娘婿善四郎(三十六銀行の頭取)が、関東大震災により日本橋小網町で罹災し、この家を借り受け、翌月には土地建物を購入した。 平成7年(1995)まで、善四郎の長男楠雄が住み続けたが、その後は法人に寄贈された。

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2019年10月30日 (水)

防災意識の高い町

台風15号・19号・21号による大雨、その被害がいまだに連日放送されている。 否応なしに、防災意識が高まり、私の住む浅草橋では、地滑り、土砂崩れの心配はないが、隅田川・神田川の氾濫がヤバそうだ。 町内掲示板に貼られていたハザードマップによると、平成12年の東海豪雨(総雨量589mm、時間最大雨量114mm)を想定した場合、隅田川の外水氾濫はなく、神田川では浅草橋の際でチョイト外水氾濫が生じるようだ、むしろ怖いのは雨量が多すぎて、両河川に放流処理できなくなることらしい。 いわゆる、内水氾濫である。 ハザードマップでは、上野公園の高台を除いて、台東区のほぼ全域が色づけされていた。 色付けの最大値は2mの浸水で、御徒町と竜泉の町付近にある。 大半は1m以下の浸水、気になる我が家は0.5m以下の浸水が想定されている。 『50cm以下なら床下浸水だ、助かるかな? 油断大敵!

・・・・・・・・と、云うことで、今日の散歩は、荒川・隅田川の氾濫が心配になり、赤羽の荒川治水資料館に行って氾濫の予備知識を得ようと思った。 ところが出がけに、京浜東北線・山手線が運転されていないとテロップが流れる。 急遽、予定を変え三河島付近を歩くこととした。 今日の散歩は、京成三河島駅付近から町屋駅までの9千歩。




●浸水するな! ・・・・・・・荒川四丁目バス停で下車し、散歩の開始。 西へ歩くと、京成本線高架橋がある。 この高架橋は藍染川に沿って、昭和6年(1931)の青砥~日暮里間の開通時に造られたものだ。、、、、ところで、「藍染川」とは、日暮里の高台を流れていた谷田川(藍染川本流)の氾濫防止として、西日暮里の京成高架橋付近まで暗渠で分水し、それより下流は隅田川に合流するまで開渠の川(排水路)として存在した。 昭和7年(1932)から新三河島駅より上流(日暮里側)の暗渠化工事が行われたが、満州事変後は中断した。 戦後、工事は再開し、昭和35年(1960)には、下流までの全長が暗渠化され、川の上部は「藍染川通り」となっている。 京成本線高架橋の東南側に沿う道路がその跡だ。、、、、この付近、荒川が氾濫すると最大3mの浸水。京成本線の水没はなさそうだが、付近の住宅の1階はダメだ! もし、ココが水没したら、直線で4km程の距離にある我が家も多少は影響するであろう。 何事も起きないよう、神様・仏様・キリスト様に願うだけ!

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●小さな駅! ・・・・・・京成本線の「新三河島駅」をチョイト覗いて行こう!、、、、昭和6年(1931)12月19日1931に開業。 島式ホーム1面2線の高架駅で、ホームの一部は明治通りにかかっている。 平成30年(2018)の一日平均乗降客数は約6千人で、京成線全69駅中48位、これは都内の京成線全駅で乗降客が最も少ない駅である。 改札口は一ヵ所だけ、自動改札機も3台だけの侘しい駅。、、、、ところで、「三河島」の地名の由来は、“三本の川筋があった”、“木戸三河守の館があった”、“家康と伴に三河の者が移り住んだ”など諸説あるらしい。 どれが、本当だか?、、、、現在は、地名として「三河島」は消えた。 残っているのは、京成の駅名「新三河島」と、JRの駅名「三河島」、都の汚水処理場名「三河島水再生センター」ぐらい。 そして、国鉄の「三河島事故」は忘れられない。 

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●戦時中の延焼対策! ・・・・・・新三河島駅前の明治通り、駅から150m程西に寄った処から、荒川区東尾久の町と荒川区荒川・町屋の町の境に一本の広い道路が北へ伸びている。 延長1,360mの道路は隅田川のまで伸びている。、、、、この道路がある一帯は、戦時中には木工場、セルロイド工場などが多く、数度の火災が発生した処である。 そこで、空襲による延焼防止を目的に建物を疎開させ敷設・拡幅された道路がこの道である。 日本各地ではこのような道路を一般に「疎開道路」と呼んでいるが、ここ荒川区では戦後、道路を整備し、愛称:「尾久の原防災通り」と呼んでいる。  また地元では、昭和48年(1973)に「消防道路」と命名し記念碑を建てた。、、、、防災通りの両側は、緊急車両も入れない細い道路と木造家屋の密集した地域で、現在は「不燃化特区」に指定されている。

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●アラ・アラ・荒川の裏道散歩 ・・・・・・防災通りは歩いても面白くないので、今日は防災通りの東側、荒川5丁目・6丁目(ともに木造密集地区で不燃化特区)の裏道を歩いてきた。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、町のここにも、あそこにも、赤いバケツと消火器が置かれてる。 イザ火事だ! 消防車が入れない! 町内総出のバケツリレーで初期消火!、、、、こんな事にならないように、標語『あなたです! 火事を出すのも防ぐのも

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・・・・・・・・・・・・・・緊急車両が入れない裏道の奥にある小公園にも、手押しポンプ、防災グッズの倉庫、防火水槽、太陽光発電機など、一通りの設備・備品が備えられていた。、、、、火災・震災の備えは万全。 『蟻の穴から堤の崩れ 』とならぬように!

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、長い・狭い・折れ曲がった、荒川6丁目の奥の細を歩いてみた! 陽当りが悪いのか、道路にはコケが生えている。

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・・・・・・・・・・・・・・下町ではあちらこちらで見られた、懐かしい木製の引き戸。
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・・・・・・・・・・・・・・・・裏道の奥に『好評分譲中』の土地があった。 71.69㎡、1,480万円、安いか高いか、あなたしだい!、、、、近くには居酒屋もある。

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●チンチン電車で帰宅! ・・・・・・都電が走る表通りに出たので、町屋駅前停留場から都電とバスで帰宅する。

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2019年9月 2日 (月)

遊園地は煉瓦工場の跡地

なんだかんだ言って、結局“夏風邪”の完治に2週間かかった。 最初は簡単に治る思った夏風邪であったが、後半は夏風邪と言うより蓄膿症のようであった。 どうにかこうにか、今日は鼻水・咳も止まり好調である。 

JR京浜東北線上中里駅で下車し、都電の梶原停留場、「あらかわ遊園」、都電の小台停留場と歩き、西尾久二丁目バス停からバスに乗る。 1万1千歩。




●危ない危ない、捕まりたくない! ・・・・・・京浜東北線の上中里駅で下車する。 相変わらず乗降客の少ない駅。、、、、駅前で、ロー・アングルでカメラを構えたら、ちょうど近くの女子高生がゾロゾロ、危うくヤバイ写真を撮るところだった。 誤解しないで、『おじさんは、女子高生に興味ナシ!』

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●銀座の店はまだ寝てる! ・・・・・・・上中里駅から梶原銀座商店街に向かう

・・・・・・・・・・・・・・上中里駅から、上中里2丁目の細い道を抜けていく。、、、、キョロキョロしながら迷路のような裏道を歩くと、早朝の泥棒と間違えられそう

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・・・・・・・・・・・・・・梶原踏切の正面に出る。 梶原踏切は東北本線、高崎線、宇都宮線、上野東京ラインなどが引切り無しに通過する。 踏切の脇にはエレベーター付きの歩道橋があり、高齢者、身障者に優しい配慮。 踏切待ち時間は、関係ナシの二人!、、、、踏切を越えると、明治通りまでは「上中銀座」と称する商店街だが、店は少なく、寂しい!

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・・・・・・・・・・・・・・明治通りを渡り、都電荒川線梶原停留場付近で、「梶原銀座商店街」(北区堀船3)に続く。、、、、地元密着型の商店街、朝8時半、まだ寝ているようだ!、、、、ここで問題です、『北区には、〇〇銀座商店街はいくつある?』


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・・・・・・・・・・・・・・梶原銀座商店街の中程に祀られている愛宕地蔵尊。 江戸時代のこの辺りを所領していた旗本水野家が勧請したもので、元は本郷の屋敷に在ったのを、この地の小泉家が勧請したと伝えられている。 この地蔵尊は眼病平癒と、火除けの祈願仏として信仰されているそうだ。、、、、小泉家が勧請したのはクリステルではなかったか?

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・・・・・・・・・・・・・・ クイズの答え(“〇〇銀座商店街”の“商店街”は省略)、、、、赤羽地区には、志茂銀座、浮間銀座、神谷銀座の3商店街。 王子地区には、王子銀座、東十条銀座、梶原銀座、十条銀座、十条富士見銀座の5商店街。 滝野川地区には、上中里銀座、田端銀座、霜降銀座、西ヶ原銀座、滝野川銀座の5商店街。 北区には合計13の銀座商店街がある。 数えてみると結構あるもんだ!



●本堂の上に八角堂とは? ・・・・・・梶原銀座商店街の北側、隅田川岸に白山神社とその別当寺であった福性寺がある。

・・・・・・・・・・・・・・白山神社創立沿革などは、神仏分離の際、古文書類をことごとく紛失し、由緒不明。 言い伝えによると源義家奥州に出陣の際白山神社に詣で戦勝を祈願し、奥州を平定し当地を経て鎌倉より京に帰ったと云われている。 当社は当時、梶原の鎮守として敬われた。 別当寺は北隣の福性寺。、、、、社殿は昭和47年(1972)に再建された。、、、、現境内は550坪程の広さがあり、雑草が元気よく生えている。 駐車場にすると儲かるかも?


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・・・・・・・・・・・・・・白山神社の北隣に神社の別当寺であった、真言宗豊山派の福性寺がある。 寺は、白王山と号し、寛永2年(1625)の創建と。、、、、現本堂と本堂屋上の八角堂は昭和39年(1964)に建てられた。


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●60年前の車両とご対面! ・・・・・大正2年(1913)、王子電気軌道三ノ輪(現:三ノ輪橋駅)~飛鳥山下(現:梶原駅)開業に伴い船方車庫として開設した。 その後、名称等の変更もあり、現在は荒川電車営業所として、都電荒川線の運行管理・営業を行い、乗務員基地や車庫・保守基地を擁している。 車庫の前には、「荒川車庫前停留場」があり。 、、、、ここにいると、たぶん都電の全車両が見られることだろう! 


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・・・・・・・・・・・・・・停留場の前に車庫がある。、、、、大部分の車両は稼ぎに出ているため、車庫に残るは数両のみ。

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の片隅に止められていた6086号車両。 6000形は、昭和22年(1947)から昭和27年(1952)までの6年間に290両が製造された戦後の新造車両である。 、、、、ちょうど、私が中学・高校と都電で通学していた時期に大活躍した車両だ、ひょっとしたら60年前に乗った車輛かも?

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・・・・・・・・・・・・・・車庫の脇には「都電おもいで広場」として、5501号7504号車両が保存展示されている。、、、、この車両も懐かしいね! 停留場名の表示灯も、これまた懐かしい!

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川車庫から500m程北東に位置する「あらかわ遊園」
の脇に、前照灯が一つの「一球さん
」と愛称がついている6000形車両が保存されている。 懐かしのグリーンとクリーム色の塗装は、私が通学時の車体の色、都電通学していた頃の思い出が頭の中を横切り嬉しくなった。、、、、あらかわ遊園は只今改装工事中、一球さんは工事現場の中で近づけません!

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●煉瓦工場の町 ・・・・・・白山神社がある北区堀船、あらかわ遊園のある荒川区西尾久、この付近は隅田川の水運に恵まれ、原料の荒木田土が採れることから、明治時代、多くの煉瓦工場が創業した。 この付近では、その名残の煉瓦塀、煉瓦蔵が随所に見られる。 モルタルで補強したのか、割れ目からチラリと煉瓦の見える塀もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「あらかわ遊園」西側に、大正11年(1922)まで「廣岡煉瓦工場」があった。 そのオーナーであった廣岡幾次郎(1859(安政)~1932(大正))が寄進した煉瓦造りの船方神社の神輿庫。 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・かつて煉瓦工場であったあらかわ遊園を囲むように、大正11年(1922)の遊園地開園時に造られた煉瓦塀。 総延長300m程が造られ、現在は170m程が残されている。、、、、なお使用されている煉瓦には、小菅集治監製の煉瓦もあるそうだ!

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●お帰りです! ・・・・・・・小台停留場前をとおり、西尾久二丁目からバスで帰宅。

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2019年8月15日 (木)

貨物も計画運休?

台風10号は九州と四国の間を器用にすり抜け、山口県岩国付近に上陸したそうだ。 大きな強風域で東京にも影響があると思われるが、天気予報では午前中は雨も降らず、どうにか散歩もできそうな空模様。 南千住駅から歩きはじめ、水神大橋で隅田川を越え、東武の鐘ヶ淵駅前を通り、京成曳舟駅まで、1万4千歩の散歩です。




●頑張れ、都バス! ・・・・・・我が家のある浅草橋駅前をとおる都電(市電)は、大正時代から運行されていた。 大正初期には南千住~雷門間の運転だったが、大正10年頃に南千住~浅草~浅草橋~本石町(現:本町三丁目)~日本橋~銀座四丁目~新橋~芝橋(現:東京港口)まで延伸された。 戦時中は南千住~新橋間に短縮され、昭和20年4月には東京大空襲の影響で、さらに南千住~浅草橋・日本橋間に短縮された。 しかし、2か月後の6月には南千住~新橋間が復活した。 戦後は昭和42年(1967)まで、南千住~新橋間を都電22系統として運行していたが残念なことに都電廃止となった。 その代替バスとして、新橋~銀座間は切り捨て、南千住~日本橋~東京駅八重洲口間に都バス[東42甲]が運行された。 以来約50年、バス路線は大きくは変わらず運行されている。 市電時代から数えると約100年間、南千住~浅草橋~日本橋間には、市電・都電・都バスが住民の足として走ってきたことになる。、、、、乗客の減った都バスは、いつまで走り続けることができるのか? 私が敬老パスを利用している間は、頑張って欲しいね。

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貨物駅は、盆休み?計画運休? ・・・・・・JR南千住駅の東側に広がる、JR貨物とJR東日本が所管する貨物専用の隅田川駅。 いつもは、機関車の汽笛が聞こえ、貨車の入れ替え作業が見られ、コンテナを運ぶトラックが行き交い、フォークリフトがチョコマカ動いているのだが、全ては静寂の中にあり、整然と置かれている、動くものが見えない! 貨物駅も盆休みか? それとも、台風による計画運休か?

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●サバサバした味気ない町! ・・・・・・隅田川駅とその北から東へ流れる隅田川の間に、総面積約49ヘクタールの再開発地域:「汐入地区」がある。 かつて、1500世帯が住んでいた木造家屋の密集する街をいったん壊し、平成の時代にスーパー堤防を備えた災害に強い、タワーマンション等が並ぶ、新しい都市へ生まれ変わった。 町の中央には防災拠点として汐入公園が造られ、災害時には12万人を収容できる広域避難場所でもある。、、、、近代的でカッコイイ町か? 私は、路地裏のない、この手の町には住みたくないね!

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●荒川区にトンネルがある! ・・・・・・・荒川区汐入地区と隅田川を挟み対岸の墨田区東白鬚地区(両地区とも防災拠点)を結び水神大橋がある。 この橋の西詰(汐入地区)に、胡録トンネルと瑞光トンネルの2つのトンネルがある。 共に、汐入地区のスーパー堤防の下を走る都道314号のトンネル。 半円形の断面の胡禄トンネルは全長150m、矩形断面の瑞光トンネルは全長80m。、、、、荒川区にトンネルがあるのを知る人は少ないと思う。 コリャ、クイズになるね!  

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●旧防潮堤は華奢だった! ・・・・・・・水神大橋(すいじんおおはし)は、隅田川にかかる東京都道461号吾妻橋伊興町線支線の橋。 西岸は荒川区南千住八丁目(汐入地区)、東岸は墨田区堤通二丁目(東白鬚地区)。 橋は東岸にある「隅田川神社(水神宮)」に因み命名された。 竣工は平成元年(1989)。 形式は3径間連続ニールセンローゼ桁橋、橋長157.0m、幅員17.0m。 この橋は、組み立てを陸上で行い、橋桁を台船に乗せて干満の差を利用して橋脚に乗せるという工法を採用した。、、、、面白い工法での工事、見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・水神大橋から下流を望む
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・・・・・・・・・・・・・・橋の下、スーパー堤防に残されている「隅田川旧防潮堤」、、、、昭和32年から昭和50年にかけて造られた防潮堤の一部が残されている。 周りのスーパー堤防と比較すると、高さは数メータ低く、堤防としては華奢に感じる。
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●盆休みの商店街! ・・・・・・・水神大橋を渡ると、防災拠点でもある白鬚東アパートがある。 ここから、東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅前を通り、シャッターの下りた商店街を抜け、京成押上線八広駅付近の水戸街道(国道6号)に出る。、、、、この間はコチラを見てね!

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●高架になって早や6年! ・・・・・水戸街道からは京成押上線の高架下を歩き京成曳舟駅に出る。、、、、京成曳舟駅は、6年前の平成13年8月24日に初めて上り線が高架駅となった。 下り線は2年後の平成15年8月22日に高架となる。、、、、駅周辺には民家が密集しゴチャゴチャした雰囲気があった地上駅の頃が懐かしく感じるね!

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