渋谷区

2024年1月10日 (水)

十日えびす

朝食を食べながら『天気もよさそうだ、散歩してくる』 妻から『どこへ行くの?』 行く処あて無し。 壁に下がった日めくりカレンダーを見る『今日は10日か?』 頭の中で連想ゲーム開始。 10日→10日えびす→今宮戎神社→可愛い福娘(邪念が入った) もう一度! 10日→10日えびす→恵比寿駅→(駅の近くにある)恵比寿神社 『決めた、恵比寿に行ってくる!』

山手線の恵比寿駅から、恵比寿神社へ寄って。 あとは気ままに歩いて、代官山駅、中目黒駅をとおり東横線の祐天寺駅まで、1万1千歩の散歩。

 

恵比寿駅は明治34年(1901)2月25日、ビール出荷専用の日本鉄道の貨物駅として開業。 明治39年(1906)10月30日から旅客営業を開始した。開業二日後の明治39年11月1日に日本鉄道は国有化され、恵比寿駅は国有鉄道の駅となる。、、、、「えびす」という駅名、地名の起源は、全て同じで「恵比寿ビール」に由来する。 かつては、荏原郡三田村という地名であった現在の渋谷区恵比寿には、恵比寿ビールの工場が建設され、その脇には日本鉄道(現:JR山手線)が通っていた。 そこに、出荷用の駅をつくり、恵比寿駅と命名したのが始まりである。 もし、キリンビールの工場だったら“麒麟駅”となっていたかも!、、、、現在の恵比寿駅は、山手線と埼京線・湘南新宿ライン(山手貨物線)でそれぞれ島式ホーム1面2線ずつ、計2面4線の高架駅である。 ホームの上は駅ビル「アトレ恵比寿」となっている。 一日平均乗降客数は約22万人である。

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● 恵比寿駅の西、飲食店が並ぶ街の中(渋谷区恵比寿西1)の道路の中央に、今日の散歩の目的地「恵比寿神社」がある。、、、、境内の由緒書では『御祭神 国常立命 豊雲野神 角杙神 意富斗能地神 伊邪那岐命 伊邪那美命 蛭児大神(えびす様)  恵比寿神社は古伝によると景行天皇の時代(約二千年前)古代の英雄・日本武尊が東国平定の折に、この恵比寿の地に憩い、神世七代の中の六天神を祀ったと伝えられています。 その後、土地の民が尊の徳を称え、天津神社(大六天様)と称して家内安全、無病息災、五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祭られて参りました。 戦後、区画整理により記念事業として現在地に社殿を新築し、これを契機に昭和三十四年恵比寿という地名に因んで、兵庫県西宮神社より商売繁昌縁結びの神である えびす様を合祀し、社名を恵比須神社に改めました。・・・(略)』、、、、今日は“十日えびす”の日。 ここでも、今宮戎神社(大阪)と同じように、福娘の巫女さんが、♪♪ 年の初めのえべっさん 商売繁盛でビール飲んでこい ♪♪、と掛け声だして祭礼が行われてると期待して来た。 ところがドッコイ、神社の境内に人影はなく、どうやら何もないようだ。 チョイト拍子抜けしたね!

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● 恵比寿神社に参った後は、足の向くまま、気の向くままに、裏道をブラブラ。、、、、裏通りの坂道沿いに渋谷区立長谷戸(ながやと)小学校の正門がある。 正門わきに「夕やけこやけの碑」があった。、、、、童謡「夕焼小焼」を作曲した草川信は、音楽学校を卒業したばかりの大正6年(1917)に長谷戸小学校の音楽教師として着任し、以後昭和2年(1927)まで勤務したそうだ。 草川は長谷戸小学校在職中に数々の愛唱歌を作曲したので、昭和63年(1988)に長谷戸小学校創立75周年を記念して碑が建てられた。、、、、主な作品(私が知ってる作品)は、「ゆりかごの唄」(北原白秋作詞)、「夕焼小焼」(中村雨紅作詞)、「春のうた」(野口雨情作詞)、「どこかで春が」(百田宗治作詞)など。

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● 東横線の代官山駅(だいかんやまえき)があった。 当駅は、昭和2年(1927)に東京横浜電鉄渋谷~丸子多摩川間延伸時に開業した。 中央口は小高い処にある。

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・・・・・・・・・・ 代官山はお洒落なファッションの街で、駅周辺にはブティック、カフェ、レストラン、アンティークショップなど、今時の紳士・淑女に好まれそうな店舗が多い。 まだ9時前で、営業している店は無いが、建物を見るだけでも楽しいものだ! 私の住む浅草橋には無い雰囲気の店舗ばかり! 

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● 代官山から中目黒駅方向に歩いてくると、近代的なスマートな建物があった。 ナンジャ?、この建物は?、、、、建物は令和元年(2019)に竣工した、東京音楽大学の中目黒・代官山キャンパスであった。 同キャンパスはRC一部SRC造地下1階地上3階建て延べ1万7719㎡。 建物内には、80室以上あるレッスン室、400人を収容できるホール、最新のレコーディングスタジオなどが整備されているらしい。 まさに、代官山や中目黒のシャレた街並みと調和することを意識したデザインである。 設計は日建設計・戸田建設JV、施工は戸田建設。、、、、キャンパス内には学生らしき人影は少なく、正月休みかも? 

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● 花見にはまだまだ早い目黒川を越え、明治通りを渡ると、中目黒駅にでた。

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● 中目黒駅から隣の祐天寺駅までは、東横線の高架橋と平行する「目黒銀座商店街」を歩く。 人通りも多く、元気そうな商店街だ!

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・・・・・・・・・・ 商店街の中程、銀座通りの中目黒郵便局がある建物(マンション)の一階に大きな布袋様(親子?で二体)が立っている。 はたして、この布袋様は何でここに? 〇〇七福神巡りに組み込まれた一神様でもなさそうだ、謎の布袋様だ!

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● 商店街を抜け、高架橋沿いに歩いて、祐天寺駅に到着。、、、、祐天寺駅は、昭和2年(1927)8月28日に開業した東横線の駅。 平成30年(2018)には、新しい駅ビルとなり明るくなった。、、、、特急、通勤特急、急行の優等列車は全て通過する、チョイト悲しい駅。

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2023年4月19日 (水)

東海大と東大

小田急線の代々木上原駅から、東海大渋谷キャンパス、東大駒場キャンパスを通り、東急田園都市線の池尻大橋駅まで、1万歩の散歩です。




● 小田急線と、東京メトロ千代田線が乗り入れている「代々木上原駅」は、昭和2年(1927)4月1日に小田急の「代々幡上原駅」(昭和16年代々木上原駅に改称)として開業した。 昭和53年(1978)には千代田線の代々木公園~代々木上原間が開通し、小田急小田原線との相互直通運転開始。 ホームは高架島式2面4線構造で、2階にある。 改札口は1ヶ所のみで、1階にある。 地形が傾斜しているため、3階建てと間違えるかも?、、、、朝のホームは通勤客だけでなく学生が多い。 女子高生が目立つね!

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● 代々木上原駅からなんとなく南の方へ向かう。

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● “渋谷区上原”から“渋谷区富ヶ谷”に入ると、「東海大学渋谷キャンパス」がある。 大学本部はこのキャンパスにある。、、、、日本近代建築の先駆けといわれる建築家:故山田守(やまだ まもる、1894/4/19~1966/6/13)によって、昭和30年から昭和35年にかけ建てられた、50年以上の歴史を誇る代々木キャンパス。 中でも、電波塔の建つ2号館はシンボリックである。 ここから、初期のFM東海の放送が行われた。、、、、私には、昭和40年頃の受験性の雑誌『蛍雪時代』などに、校舎の写真が載っていたような記憶があるのだが?(60年前の話)

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● 東海大学から200m程南に歩くと「東京大学駒場キャンパス」がある。 ここまで来たら、チョイト、東大にもお立ち寄り。、、、、東大正門とは反対側の、野球場の脇にある警備員もいない北門から入る。 久しぶりに見る建築家:故内田祥三(1885/2/23~1972/12/14)の東大建築(詳細はコチラを見てね!、、、、構内は新入生勧誘の立て看板がズラリ! 五月病にならないように、入部して早く友達をつくり、学生生活を楽しんで欲しい。

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・・・・・・・・・・ 内田祥三の作品は建物の古い順に、旧制第一高等学校本館(現:1号館、昭和8年)、旧制第一高等学校図書館(現:博物館、昭和10年)、旧制第一高等学校特設高等科(現:101号館、昭和10年)、旧制第一高等学校同窓会館(現:ファカルティハウス、昭和12年)、旧制第一高等学校講堂(現:900番教室、昭和13年)

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● 東大前にある京王井の頭線の踏切を渡り、東急田園都市線の「池尻大橋駅」まで歩く。

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2023年4月11日 (火)

東京ジャーミイ

2月6日に発生したトルコ南部の大地震で確認された死者の数は、隣国シリアとあわせて5万人を超えている。 東日本大震災の倍以上の死者だ。 日本からも救援隊が現地に向かい、救援物資も送られ、募金も集められた。 我が家でも、コンビニで買い物し募金箱へ、国連機関の募金はネットで、と機会ある毎に少々の募金をしてきた。、、、、先月、妻が『トルコ大使館へ行って募金しよう』と言った。 この時、私の散歩先が、ちょうど文化センターのある渋谷方面に向かっているから、『大使館でなくとも、トルコ文化センターでも受け付けてくれるから、しばし待て!』と言いきかせてきた。、、、、今日、その約束を果たすべく夫婦で、京王新線幡ヶ谷駅からトルコ文化センターである「東京ジャーミイ」へ行って、募金をしてきた。 帰りは最寄り駅である小田急線の代々木上原駅まで、8千歩のミニ散歩。




● 「幡ヶ谷駅」は甲州街道の地下にある京王新線の駅。 大正2年(1913)11月11日の開業。 新宿駅と初台駅が地下化された後も地上にあったが、昭和53年(1978)に京王新線が開通すると同時に地下化された。 ホームは相対式2面2線構造で、地下2階にある。 改札口は地下1階の1ヶ所のみである。 出口は甲州街道の両側に北口と南口がある。 特に北口では、地上へ上る途中の踊り場にパチンコ屋の入り口があり、駅直結のパチンコ屋で遊んで帰るのもありだ!

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● 芸能人も多い高級住宅地の「渋谷区西原」の町をブラブラ。 この辺の住宅は、塀ばかりで、家の中は見えない! 吉永小百合が通った「渋谷区立西原小学校」もある。

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● 西原の町を抜けて大山町に入ると、「東京ジャーミイ」がある。 “ジャーミイ”とは、イスラム教の礼拝場で、トルコ語で「モスク」こと。 この現在の東京ジャーミイは、オスマン様式の壮麗な様式で、平成12年(2000)6月30日に開館した。、、、、がシンボリックで、モスクの存在をアピールしている。 重厚な玄関は、チョイト入るのをためらうかも。

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・・・・・・・・・・ 1階はトルコ文化センターになっており、トルコ文化を紹介する書籍・工芸品・絵葉書などが置かれている。 暖炉や噴水の置かれたコーナーもある。 品揃え豊富なハラールマーケットもある。、、、、トルコ地震の募金箱に気持ちの紙幣を入れてきた。

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・・・・・・・・・・ 礼拝堂は2階。 なんといっても、最大2000人を収容する礼拝堂は、規模もさることながら、内外装はまさに芸術品。 中に入り、柔らかな床の絨毯に腰を下ろし、天井を見上げると息をのむ美しさに暫し時を忘れる。

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・・・・・・・・・・ 女性の礼拝所は3階、男子は立入禁止。 女性は全員スカーフ着用で、髪を覆うのが礼儀。 入口にはスカーフが置いてあり自由に借りられる。 私の妻も、一応、女性なので3階に上がり下を見下ろしてきた。

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・・・・・・・・・・ 東京ジャーミイは、建物の上階に礼拝堂を設け、大ドームを乗せた広大な空間を構成している。 建物の設計はトルコで建築会社代表を務めるハッレム・ヒリミ・シェナルプ。 建物の躯体工事は鹿島建設が実施した。 内装や外装の大部分は、トルコから送られた資材が用いられ、100人近いトルコ人の建築家や職人によって仕上げられた。、、、、東京ジャーミイは日本最大のモスクであり、最高の芸術品である。 敷地面積は734平方メートル、建物床面積は1,693平方メートル。、、、、騒々しい東京下町に住む私には、ここで一人静かに祈りを捧げてみたいね!

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● 東京ジャーミイから徒歩15分、小田急線代々木上原駅から帰宅・・・・・

2023年3月15日 (水)

お釜のお寺!

地下鉄丸ノ内線方南町駅から裏道を歩き、京王新線の幡ヶ谷駅まで、1万歩の散歩です。




● 朝8時過ぎ、通勤通学のピーク時間、丸ノ内線分岐線の終着駅「方南町駅」に電車が到着すると、折り返しの池袋行きはスグに満席となる。 座れない乗客は、次の折り返し電車の到着を待ちホームに並ぶ。 こんな光景を見てると、自分のサラリーマン時代が懐かしく思いだす!

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・・・・・・・・・・ 方南町駅の改札・出入口は、ホームの両端に1ヶ所づつある。 東側の出入口は方南通りの商店街の並びにあり、幅も狭く、『こんなとこにあるの!』と言いたくなる。

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・・・・・・・・・・ 駅出入口の脇に、「方南銀座商店街」がある。 方南町駅から南に延びる、地域密着型の商店街。 通勤・通学の人が足早に駅に向かう。

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● 商店街を抜けた所に、「身代地蔵尊」と標した堂がある。 この堂は、安寿と厨子王の守り本尊の身代り地蔵尊を祀る東運寺の門前の地蔵堂。 守り本尊は東運寺の秘仏であり、4月8日の花まつりに御開帳するそうだ。 この地蔵堂はいわば御前立ともいえる普段お参りできる身代地蔵尊。 子育て地蔵尊も一緒に並んでる。

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・・・・・・・・・・ 地蔵堂の隣りの空き地に
、2基の石柱があり、「釜寺近道」、もう1基に「享和元年」と刻まれてる。 ここで、“釜寺”とはナンダ? この付近に“釜寺”と云う寺があったっけ? しばし考えるが判らない!、、、、数分後に判明した! “釜寺”とは地蔵堂の正面に山門がある東運寺の通称であった。 目の前にあって“近道”はないね!

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● 地蔵堂の正面(杉並区方南2)に「東運寺」の山門がある。 この山門は元禄の頃、元田村家の脇門であった。 明治末期、三井総本家がこれを今井町に移し元織田有楽齋如庵の茶室(国宝)の表門としたが、使用する機会は少なく『開けずの門』と言われてた。 昭和28年(1953)三井高公が東運寺に寄進したものである。

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・・・・・・・・・・ 浄土宗寺院の東運寺は、念仏山と号す。 東運寺は、天正元年(1573)備前の僧が、奉じていた安寿と厨子王の守り本尊「身代わり地蔵尊」を安置して当地に念仏堂としてはじまりました。 大正11年(1922)、下谷入谷町にあった東運寺と合併し、念仏山東運寺と改称した。 当寺には、釜ゆでにされそうになった厨子王をお坊さんになって助けたという身代わり地蔵尊が秘仏として祀られている。 また、本堂の屋根上には“釜”が逆さに置かれてる。 これが通称“釜寺”と呼ばれる謂れ。

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● 東運寺の南側を流れる「神田川」を越え、杉並区方南から中野区南台、渋谷区笹塚の町に入る。 この辺りでは、何か面白いものはないかと、裏道を歩いたが、何もない! 面白くないね!

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● 大通りに出た! 笹塚三丁目では「水道道路(都道431号)」、続いて「甲州街道(国道20号)」、どちらも横断すると、京王新線の「笹塚駅」だ! 

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・・・・・・・・・・ 笹塚駅から南に「笹塚観音通り商店街」を歩く。 その名が示すとおり、商店街の中に観音さまが祀られている。、、、、この観音さまは、江戸時代からあり大きなお堂だったそうだが、昭和20年(1945)の米軍の空爆により焼失した。 ところがこれが観音の力の凄いところで、堂は焼け落ちたものの、焼け跡から観音さまが焼けずに発見された。 そこで、当時貧乏な住民には堂の復元はならず、やっとこさ小さな堂を建立して再建した。 その地が、今の観音会館となっているそうだ。、、、、観音さまは、普段、ガラス扉の中に祀られており、毎月18日に御開帳になるそうだ。

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● 商店街を抜け、京王新線の幡ヶ谷駅近くに来ると、玉川上水を暗渠化した「幡ヶ谷緑道」、「西原緑道」がある。、、、、初台付近から代田橋付近まで、途切れ途切れに続く緑道の一部。、、、、これから暖かくなり、樹々が色づけば散歩に良いかも!

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● 「幡ヶ谷駅」は、大正2年(1913)11月11日、京王電気軌道の駅として開業。 昭和53年(1978)京王新線開通に伴い、現在地に移設し、同時に地下駅となる。 駅本体は首都高速4号新宿線と国道20号(甲州街道)の地下にあり、ホームは相対式2面2線構造で地下2階にある。、、、、京王新線は、ここから都営地下鉄新宿線に乗り入れ、馬喰横山まで直行。 馬喰横山駅(東日本橋駅)から浅草線に乗り換え、次の駅が我が家のある浅草橋。 便利で、楽だ! 

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2022年7月11日 (月)

新宿御苑の外側

久しぶりに新宿駅東口に出た。 今日の散歩は、ここから新宿御苑の外周に沿って早稲田方面に歩く予定でスタート。 予定は変わるもの、四谷三丁目で暑さ厳しく熱中症が怖くなり、散歩を諦めJRツ谷駅から帰宅。 1万2千歩。



新宿駅はいつ来ても必ずどこかで工事が行われてる。 今日は昨年秋に完成し、幅が広くなった東西自由通路を通り、東口に出る。 東西自由通路はこれまで改札内にあった北通路の幅を、17mから25mに広げ、改札を通路の南側に分散配置した。、、、、サラリーマンを辞めて13年、飲み会・同窓会も減り、新宿で降りる機会も少なくなった。 新宿駅東口(昭和39年完成の駅ビル「新宿民衆駅ステーションビル」、現在の「ルミネエスト」)の前に立つのは久しぶり。 約60年前、新宿駅は通学の途中駅で、よく映画を見に来た大学生の頃を思い出し、懐かしさを感じる!

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● 新宿駅東口から甲州街道下を通り抜け「新宿高島屋」前を過ぎ、「新宿御苑」西側の塀に沿って千駄ヶ谷駅の方へ向かう。 そろそろ通勤時間だ、新宿御苑前に建ち並ぶマンションから、足早に人が出て来る。 足の短い私を抜き去っていく!

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑千駄ヶ谷門から150m程西に「新井白石終えんの地」(渋谷区千駄ヶ谷6)がある。、、、、案内板には『新井白石終えんの地  新井白石は6代将軍徳川家宣・7代家継と2代の将軍に儒官として仕えました。学者としては先例のない政治への参加と、学問の大きな業績によって知られています。しかし、吉宗が8代将軍になると急速にその地位を失い、城中の御用部屋はもとより、小川町の賜邸も取り上げられてしまいました。 白石が享保2年(1717)幕府からこの土地を与えられ、享保6年(1721)移り住んだ頃は、周囲は、すべて青々とした麦畑でした。 ここで白石は失意の日々をおくったのですが、一方では多くの著作を行いました。絶筆となった『采覧異言』の修訂が終わった5、6日後の享保10年(1725)5月19日、69歳で戦乱に富んだ一生を終わりました。  渋谷区教育委員会』と書かれてる。、、、、案内板があるだけ、せめて石碑でも建ててあげればいいのだが! 渋谷区の財政は苦しいのか?

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・・・・・・・・・・・・【付録】新井白石の墓は中野区上高田の「高徳寺」にあり、長門裕之・南田洋子・山野愛子・柳家三亀松などの各氏と共に眠っている。(14/6/17撮影)

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● JR千駄ヶ谷駅前を通過。 首都高の高架下が駅前広場、普段は広々としているが、国立競技場・東京体育館などでイベントがあると手狭になるね。

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● 千駄ヶ谷駅から東へ、JRのガードをくぐり、今度は新宿御苑の東側沿いに歩く。

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑の「正門」がある。 正門は都道(外苑西通り)に面し、車での利便性は良いが、普段は閉じられている。 なぜ、なぜ、閉じている???、、、、正門は、新宿御苑がかつて皇室苑地だった頃、皇室をはじめ国内外の賓客の入園門として設けられていた。 しかし、戦後は一般に公開され、誰でも入園できる公園となっている。 そこで、普段の門は利便性の高い場所に出入口を作る必要から、新宿、大木戸、千駄ヶ谷の3ヶ所に入場門を設置している。 正門は電車・バスなどの交通の便が悪く、それほど入園者数も見込まれないため、国の特別行事を行うとき等を除き閉鎖してるそうだ。、、、、総理大臣主催の『桜を見る会』に招待されたら正門から入れるかもね!

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・・・・・・・・・・・・ 正門から150m程北に歩くと、大京町交番の北側の植え込みに、案内板があり『伝 沖田総司逝去の地  この場所には、高遠藩主内藤家屋敷(現新宿御苑)に沿って流れる旧玉川上水の余水吐(渋谷川と呼ばれる)に池尻橋がかかっていました。 多くの歴史小説や映画などで、新撰組隊士沖田総司(1844~1868)が晩年に療養し、亡くなったとされる植木屋平五郎(柴田平五郎)の屋敷はこのあたりにありました。  平成二十六年三月 新宿区』と書かれている。、、、、イケメンの沖田総司は結核で亡くなったそうだ。 テレビ、映画などでは、色恋の少ないチョイト暗い役で、イケメン俳優が演じ、カッコいいと若い娘に好まれる人物で描かれている。 ニヒルな私も演じてみたくなる人物なり!

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・・・・・・・・・・・・ 沖田総司逝去の地から北へ150m程、新宿区内藤町に「多武峰内藤神社」がある。 祭神は、古の政治家で大化の改新の中心人物:藤原鎌足公(ふじわらのかまたりこう)である。 神社の創建は江戸時代初期、幕府の重臣であった内藤清成が、家康より現在の新宿御苑の地に広大な屋敷地を拝領し、家祖である藤原鎌足公を敷地内に祀り、内藤神社として創始したのが始まり。、、、、チョイトお立ち寄り。、、、、境内には「三菱鉛筆」の創業の地をしめす碑もある。

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● 新宿駅から新宿御苑の西側・南側・東側を回り、「四谷四丁目交差点」に出てきた。 『さて、これから早稲田方面に向かって歩こう!』と、再び歩き出す。、、、、500m程歩いて「四谷三丁目交差点」に来た頃は、暑さと湿度の高さで、身体中から汗が吹き出してる。 私の感による適当な観測では、気温は30℃超、湿度は80%超。 このまま歩いたら、熱中症になるかも?、、、、『ここで救急車には乗りたくない!』 『今日の散歩はこれ以上は無理だ!』 進路を四ツ谷駅に変更。

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● JR四ツ谷駅に着いた頃は、汗でビッショリ。 『早く帰って身体を拭きたい!』

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2021年12月19日 (日)

オペラを抜ける

参宮橋で下車し、京王新線の初台駅をとおり、荘厳寺(幡ヶ谷不動尊)、渋谷区と中野区の氷川神社に寄って中野富士見町駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 昨日に続いて小田急線「参宮橋駅」で下車、、、、北風冷たい日曜の朝、通勤通学客も無く、静かに数人が降りる。 駅前も静かだ。 改札前の道は江戸時代からの古道で代々木本村(元代々木)、代々木村西原に通じているのだが『さてさて、自分の行く先は?』 とりあえず歩き始めた!

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● 駅から少々歩くと、道の先に京王線の初台駅前にあるオペラシティが見える。 『とりあえず、あそこに行こう!』 目標を見失うことはないが、起伏の激しい裏通りを、喘ぎながらの散歩。

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・・・・・・・・・・・・裏通りから甲州街道に出る手前30m程の処に、甲州街道と並行して流れる玉川上水を暗渠化し、その上に造られた「玉川上水旧水路緑道」(昭和60年頃整備)がある。 緑道の一画に玉川上水の上に架かっていた橋が残されている。 欄干に「三字橋(みあざばし)」と記されている。 “三字”とは、新町・初台・山谷という三つの字を指している。

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・・・・・・・・・・・・甲州街道(国道20号)の地下には京王新線の「初台駅」がある。、、、、初台駅のホームは上り線と下り線で二層構造となっており、地下2階が上り線、地下3階が下り線である。 改札口は新宿寄りと幡ヶ谷寄りの2ヶ所にあり、幡ヶ谷寄りは中央口改札口で、新宿寄りは東口で東京オペラシティに直結している。、、、、今日は乗車するのではないので、東口改札をチョイト覗いて、地下道でオペラシティへ侵入。

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● 「東京オペラシティ(新国立劇場)」は初台駅・甲州街道の北側にある文化商業複合施設。、、、、当地には、元々は東京工業試験所、小田急百貨店配送センター、淀橋電話局、京王バス操車場などがあった。 昭和60年(1985)のコンペにより、設計されたのは新国立劇場と高層複合施設東京オペラシティビルである。 この2施設を合わせ、しばしば「東京オペラシティ」と呼ぶ。、、、、今日は散歩の途中であり、しかも早朝であるため、建物の中を通り抜けながら見てきた。 デカイ!

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● 東京オペラシティの北側に出ると、「不動通商店街」の先に「荘厳寺」(渋谷区本町2)がある、、、、真言宗室生寺派寺院の荘厳寺は、光明山真言院と号す。 宥悦(天文2年1533寂)が開山となり、創建した。 荘厳寺不動堂の本尊不動明王立像は、幡ヶ谷不動尊として信仰を集めている。 本堂は木造、不動堂は鉄筋コンクリート造。、、、、幡ヶ谷不動という呼び名ではあるが、距離的には初台駅が最寄り駅。

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● 荘厳寺から裏通りを歩き中野富士見町駅に向かうと、途中、二か所の“氷川神社”がある。 似たような神社だ!


・・・・・・・・・・・・「
幡ヶ谷氷川神社」は、渋谷区本町にある神社。 創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたと言われてる。 幡ヶ谷村の鎮守社であった。、、、、しめ縄、提灯、すでに正月の準備も終わったようだ、早いね!

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・・・・・・・・・・・・神明氷川神社」は、中野区弥生町にある神社。 文明元年(1468)太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社より勧請し、以来毎年祭日には、太田家より玉串を捧げられていたそうだ。 当地周辺(雑色村)の鎮守社。、、、、こちらも、正月の準備で忙しそうだ!

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● 中野通りを北上し、神田川を越える手前で西に折れると東京メトロ丸ノ内線「中野富士見町駅」がある。、、、、昭和36年(1961)2月8日の荻窪線(丸ノ内線)新宿~新中野間および中野坂上~中野富士見町間開業時に設けられた。 当初は終点だったが、凡そ一年後の昭和37年に方南町まで延伸し、中間駅となった。 ホームは相対式2面2線構造で地下1階、改札口・出口は1カ所のみで地上にある。、、、、地上に改札があるので、年寄り・身障者には優しいバリアフリーの駅だ! もちろん、ホーム行きのエレベーターもある。

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2021年12月18日 (土)

明治神宮

JR渋谷駅から、国立代々木競技場、明治神宮に寄って、小田急線参宮橋駅までの、1万2千歩の散歩です。




● 明治18年(1885)3月1日、日本鉄道の赤羽~品川間の開通と同時に「渋谷駅」が開業し、明治39年(1906)に国有化された。 その後、渋谷駅には、明治40年(1907)に玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業、明治44年(1911)には東京市電(後の東京都電)が開通、昭和2年(1927)に東京横浜電鉄(現:東急)東横線が開業、昭和8年(1933)には帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業、昭和13年(1938)には東京高速鉄道(現:東京メトロ銀座線)が開業した。 戦前までに、山手線の外から渋谷に乗り入れる路線の大部分が開通したことになる。 戦後になると、東京メトロの半蔵門線、副都心線の乗り入れ、JRでは埼京線、湘南新宿ラインの乗り入れなどが続いた。 いつの間にか、渋谷駅は地上も地下も電車が走り、東西南北の各方面と結ばれている。 駅の動線は複雑怪奇?、、、、そこで、只今渋谷駅の大改造が進められている。 鉄道各社の、線路もホームも駅ビルも、すべて見直しだ!、、、、先日は、10月22日終電後から10月25日初電にかけて実施された線路切替工事では、山手線内回りホームの線路を東側に横移動させた上で、同ホームの拡幅が大規模に行われた。 ホームの隣りでは東横デパートの取り壊しも行われており、まだまだ渋谷駅の改良工事は続く。

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・・・・・・・・・・・・渋谷駅北口の駅前広場の「忠犬ハチ公像」も、駅周辺の再開発工事で移動するらしい(?) いつ、どこに、私は知らん!、、、、渋谷のこの場所に佇むハチ公像に思い出がある人も多いはず。 デートで待ち合わせしたあの若い頃思い出。 今のうちにもう一度、ハチ公に御対面して記憶を懐かしんでみてはいかが。

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・・・・・・・・・・・・朝7時、気温3.5度、まだ薄暗い、駅前の「スクランブル交差点」に人は少ない!、、、、なにせ、寒い!

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● 「公園通り」をNHKの方に向かう、、、、店は閉まり、人影ちらほら、静かな通りだ!

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・・・・・・・・・・・・公園通りに中程に「日本キリスト教団 東京山手教会」がある。、、、、この建物は、私が建築科の学生だった、昭和41年(1966)に建てられた。 当時は正面外壁の十字架がある台形の面は青い色で塗られ、ひときわ目立つモダンな教会であった。 懐かしい思いである建物だ。、、、、周囲のより大きなモダンな建物に圧倒され埋没したようだ!

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・・・・・・・・・・・・公園通りの緩やかな坂を上がると、NHK放送センターの手前に「渋谷公会堂」がある。 渋谷公会堂は、平成27年(2015)から建替工事を行い、令和元年(2018)5月竣工、同年10月に開設した。 また、ネーミングライツ(命名権)を導入し、LINEが年額1億2000万円を渋谷区に支払い、通称名を「LINE CUBE SHIBUYA」とした。、、、、明るい印象を与える建物

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・・・・・・・・・・・・「NHK放送センター」は建て替え工事が始まり、仮囲いの中に消えた!、、、、代々木競技場から眺める

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・・・・・・・・・・・・新しい「NHK放送センター」は、地上17階、地下2階、高さ88.00m(最高91.00m)、延べ面積272,118㎡の新施設で、設計・施工は竹中工務店・久米設計設計施工共同企業体が担当する。 昨年(2020)9月に解体工事に着手し、本年(2021)5月に着工し、15年後の2036年12月に全体が完成する予定らしい。 私は天国で完成を祝うことにする。

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● 公園通りが行き着く先は、「国立代々木競技場」、、、、主塔が2本の第一競技場と1本の第二競技場がある。 どちらも、丹下健三の設計に寄り、昭和39年(1964)の東京オリンピックで建てられた。

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● 原宿駅前に出た、チョイト、「原宿駅」を見ていこう!、、、、年始のみ使用している臨時ホームを新宿・池袋方面行き外回り専用ホームとし、これまでの島式ホームは内回り渋谷・品川方面行き専用ホームにした。 さらに、旧駅舎はいったん取り壊し、新駅舎に建て替え、エレベーターとエスカレーターの増設、トイレや表参道改札口と通路の拡張などが行われた。、、、、一番気になる、大正13年(1924)に建てられた旧駅舎の運命は?、、、、旧駅舎は、新駅舎北側(これまで建っていた処)に、デザインを踏襲し、防火基準に即した建材で再建される予定。

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● 初詣にはチョイト早いが、「明治神宮」に参拝、、、、今日は原宿駅側の南参道を歩き拝殿へ、拝礼を済ませた後は神社の北側にある「宝物殿」(国指定重要文化財)をとおり、西参道から参宮橋駅に向かった。、、、、宝物殿は休館中で入れない!

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● 明治神宮の森を出ると小田急線の「参宮橋駅」は近い、、、、参宮橋駅の歴史は、大正4年(1915)の内務省告示に始まる。 告示では、代々木練兵場に隣接した南豊島御料地を境内地として明治神宫の造営が決まり、大正9年(1920)に鎮座祭が挙行された。 明治神宫造営中の大正8年(1919)に、西参道に近い京王線の代々木駅が神宮裏駅、改正橋駅が初台駅と改称された。 その後、昭和14年(1939)に神宮裏駅は西參道駅と改称される。 この間、小田原急行鉄道小田原線が代々木練兵場の脇を通ることになり、大正15年(1926)に西参道の跨線橋として「参宮橋」が架けられた。 そして昭和2年(1927)4月1日に參宮橋駅が開業した。 



・・・・・・・・・・・・跨線橋「参宮橋」、、、、下を走るは小田急線

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・・・・・・・・・・・・参宮橋から見る「参宮橋駅」ホーム

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・・・・・・・・・・・・参宮橋駅は相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札は2番ホームに直結した場所にある西口と、跨線橋上にある東口(ICカード専用)の2か所ある。、、、、3年程前に駅改良工事が行われ、木調の駅となった。 木の香は漂わず、チョイト残念!

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2021年12月12日 (日)

銀座線渋谷駅

昼前に浅草で私用があるため、今日の散歩は恵比寿から渋谷までの一駅間を歩いてきた。 渋谷からは地下鉄銀座線で浅草まで。 1万歩




● 「恵比寿駅」は、島式ホーム2面4線の高架駅である。 山手線と埼京線・湘南新宿ラインが停車する。 ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」として利用されている。 出口は、1階に西口、3階に東口がある。、、、、降りたのは日曜の朝7時40分、まだ駅ビルの店舗はシャッターの中で準備中。 クリスマスの赤い花が目を楽しませてくれる、通路は乗降客も少なく歩きやすい。

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● 今日は渋谷まで歩くつもりで出たので、駅前で『東西南北どちらに歩こうか?』と考えることもなく、ほぼ北に向かって歩く。、、、、駅前の駒沢通りを横切り、飲食店街の裏に入ると小判型の敷地の中に小社「恵比寿神社」(渋谷区恵比寿西1)がある。、、、、地元住人に愛されているこの神社は歴史も長く、神社の説明によると「大昔から」とあるから、卑弥呼の時代か、紫式部の時代か、ガラシャ夫人の時代か、判らない? 大昔の頃より天津神社(大六天様)と称して家内安全、無病息災、五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祭られてきた。 戦後区画整理により記念事業として、現在地に社殿を新築致しこれを契機に商売繁昌、縁結びの神、事代主命(エビス様)を合祀し社名を恵比須神社と改めたそうだ。、、、、要するに、昔から“恵比寿神社”があったのではなく、戦後、地名にあやかり“エビス様”を呼んできて、「恵比寿神社」にした。

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・・・・・・・・・・・・【補足】渋谷区には、サッポロビール本社の東南(恵比寿3‐30)にも恵比寿神社がある。 こちらは、ビールにあやかったのか? 




● 恵比寿神社から北へ250m程、恵比寿西1丁目交差点の近くに、石積みの空き地のような処がある。 ココに、5基の庚申塔と馬頭観音が1基建てられている「恵比寿庚申塔群」である。、、、、屋根の下には、向かって右側より、寛文8年(1668)、延宝4年(1676)、延宝2年(1674)、寛文4年(1664)の庚申塔がある。 脇に野ざらしで建てられているのは、明治38年(1905)の庚申塔、馬頭観音と並んでる。

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・・・・・・・・・・・・恵比寿庚申塔群の前の通りを「庚申道」と言うらしい。 近くを走る山手線のガードは「庚申道ガード」と名付けられている。、、、、ガードを抜けた先、渋谷川に架かる橋が「庚申橋

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・・・・・・・・・・・・庚申橋から見る渋谷川

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・・・・・・・・・・・・庚申橋の西詰に「庚申橋供養碑」がある。、、、、案内板によると、『この橋供養碑は、寛政十一年(1799)にたてられた数少ない珍しいものです。 上部の青面金剛のほかに、四面すべてに、橋講中世話役や万人講及び個人の名が多数刻まれています。 それらの人々の地域を見ますと、渋谷はもとより麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋、市ヶ谷方面から、目黒、中野、世田谷、荻窪といった広い範囲にわたっています。 こうしたことから見ますと、庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路であったことが判ります。      渋谷区教育委員会』、、、、渋谷川は当時も深く、落ちて死に至る人も多かったのか?

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● 庚申橋の東側には明治通りがある。 その明治通りに面して、曹洞宗寺院「渋谷山 福昌寺」がある。、、、、福昌寺は、僧桂岩嫩(慶長2年1597年寂)が開山となり、当地に創建したといいます。 当寺には閻魔像があったことから、閻魔寺とも称された。、、、、近年、建て替えられたのか(?)、モダンで立派な寺だ!

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・・・・・・・・・・・・福昌寺には、関東地方唯一といわれる「石棺仏」がある。「石棺仏」とは、古墳にあった石棺を流用して仏を彫った石仏の一種である。 福昌寺の石棺仏は、石棺の蓋を流用し、阿弥陀如来を彫ったものである。調査の結果、石材は兵庫県産で、彫られた時期は南北朝時代であることが判明している。

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● 明治通りを歩き「並木橋交差点」まで来ると、東急東横線の地下化(東京メトロ副都心線と直通運転)により、これまでの高架橋であった路線では、高架部分が取り壊され跡地は「渋谷リバーストリート」と名付けられた遊歩道に変わった。 遊歩道の所どころには、ナンバーが記されている。 ナンバーは旧渋谷駅から数えた、高架橋の柱(橋脚)の管理番号である。


・・・・・・・・・・・・並木橋にあるモニュメント、、、、橋脚の跡

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・・・・・・・・・・・・再開発中の渋谷駅まで続く

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・・・・・・・・・・・・脇を流れる渋谷川は、再開発中の超高層ビルの中から流れ出る!

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● 昨年1月から新しくなった東京メトロ銀座線の「渋谷駅」、、、、渋谷駅は大きく変わりモダンな駅となったが、見るもの全て初めて拝見、東京生まれの東京育ちの“江戸っ子”も田舎者となってしまった!

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2021年12月 9日 (木)

立派な瑞聖寺

京急品川駅で下車し、高輪台駅、白金台駅をとおり、JR恵比寿駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 我が家(浅草橋)から品川までは、JRを利用するルートと、都営浅草線を利用するルートがある。 今日は、浅草線に乗り京浜急行の品川駅で降りた(品川駅改良工事で取り壊される京急「品川駅」を見ておきたかった)、、、、2階のホームはまだ大きな工事が始まっていないようだ。

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・・・・・・・・・・・・1階の改札部分は大きく変わった様子はないが、ホーム下の「京急ストア」は昨年3月末で閉店した。 京急ストアは、昭和8年(1933)7月に「京浜デパート」としてオープン、10年後には「京浜百貨店」に改称、平成2年(1990)には京急ストアと改称した、地味な老舗デパートである。、、、、【おせっかいな注】 上大岡にあるのは「京急百貨店」(京急ストアとは同系列の別会社)、品川にあったのは「京浜百貨店」、、、、【ついでの注】 品川駅改築工事の為、JRの駅ビルにあった、JR初のコンビニNEWDAYSも閉店した。

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● 品川駅高輪口の正面から西に向かい、「グランドプリンスホテル新高輪」前まで、チョッピリ急な上り坂がある。 その名は「柘榴坂(ざくろざか)」、、、、長さ約440m、由来ははっきりしないが、途中にザクロの木があったためと思われる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上り口に、かつて京急が運営する「ホテルパシフィック東京」があった。 平成23年(2011)からは複合商業施設「SHINAGAWA GOOS」に変わったが、今年の3月に閉店した。 30階建て954室の建物は駅前のランドマークでもあった。 この建物も、いよいよ取り壊しとなる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上には、「カトリック高輪教会」がある。、、、、敬虔なる信者(?)は、モダンな教会を見ると、チョイト寄りたくなった。

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● 高輪の裏道をチョイトぬければ、都営浅草線「高輪台駅」。

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・・・・・・・・・・・・高輪台駅から白金台駅までは、コチラのルートもある!




● 高輪台駅から白金台の裏道を歩くと、白金台2丁目の二又の角に小さな祠があり、中に小さな「今里地蔵尊」が祀られている。、、、「今里」とは、この地の旧地名。 この辺りは、現在のシャレた地名「白金台」の前は「芝白金今里町」、さらに昔は「今里村」であった。 明治時代には、牛肉を食べる文化が入り、時の政府がココ「今里」に屠殺場をつくった。 そして、町の肉屋は競って、ココの屠殺場から肉を仕入れるようになったのである。 現在、老舗の肉屋で「今半」など、店名に“今”の字がつくのは、ココ「今里」との繋がりを示しているのだ。、、、、現在では、屠殺場の痕跡は何も残っていない。

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● 今里地蔵尊の二又の右側の道を150m程進むと「三田用水路跡」がある。、、、、三田用水路とは、玉川上水を現在の下北沢で分水し、渋谷・三田・目黒・大崎・高輪付近まで給水する上水路である。 三田用水は昭和49年(1974)まで利用されていた。 階段の脇に用水路の断面(U字型)がそのまま残された遺構がある。 この辺りは標高が低く、築堤で用水を流したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・三田用水路跡から100m程歩くと、白金台幼稚園の前には用水路上に架かっていた「今里橋」の遺構がある。 コンクリートも劣化し、取り壊されるのは時間の問題か?

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・・・・・・・・・・・・狭い裏道を200m程歩くと目黒通りに出る。 出た処はチョウド、地下鉄南北線・三田線の「白金台」駅前。 東京大学医科学研究所・旧国立公衆衛生院の前に出た!(今日は立ち寄らず、パス!)

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● 白金台駅の南側に位置する、禅宗寺院で黄檗宗系単立寺院の「紫雲山 瑞聖寺」に寄ってみた。 瑞聖寺は、青木甲斐守重兼が開基、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔を開山として寛文10年(1670)に創建。、、、、江戸時代には、山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であったが、文政年間に大規模な罹災あう。 現在の「大雄宝殿(本堂)」は島津家により再建された。、、、、その大雄宝殿は寺域の中心的建物で、寺格に相応しく雄大で形が美しい。 規模・構造は桁行約10間×梁間約9間で、面積約93坪(306㎡、1重周囲に1間の裳階(もこし)がつき、入母屋棧瓦葺き、裳階の屋根は本瓦葺きとなっている。 関東大震災で傷め長く放置されていたが、平成の初期に解体修理が行われ、往時の姿を取り戻した。 しかし建築年代は不明、また国の重要文化財に指定された。、、、、大雄宝殿の本尊脇に座る、山手七福神の一つとなっている布袋尊もビックリするほど立派な寺だ!

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● 東京大学医科学研究所と聖心女子学院に挟まれた裏道を歩き「外苑西通り(プラチナ通り)」に出る。 シロガネーゼの皆様が好きそうな、レストラン、ブティックなどが並ぶ道。、、、、イチョウの黄葉がみごと! 私の住む浅草橋には無い景色。

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● 首都高2号目黒線の下を抜け西に向かうと、港区白金台から渋谷区恵比寿の町に変わる。 急な坂道を上り、小ジャレタ住宅地を歩き、恵比寿ガーデンプレイスに出てきた。 まだ、10時前、店は開いてないはず。 通過して恵比寿駅へ向かう。

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● 「恵比寿」駅到着。 ご存じ、麦酒屋さんの駅、、、、明治34年(1901)2月25日、日本鉄道の貨物駅として開業。 ビール出荷専用の駅であった。 明治39年(1906)より旅客営業を開始する。、、、、島式ホーム2面4線の高架駅である。 ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」に覆われており、1階に西口、3階に東口、それぞれの改札口が設置されている。

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2019年11月 6日 (水)

只の饅頭を祀る神社

京王線笹塚駅から東京メトロ丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。




●お勤め御苦労さま! ・・・・・・笹塚駅渋谷区笹塚にある京王線・京王新線の高架駅。 大正2年(1913)4月15日、当時の京王電気軌道最初の営業区間である笹塚~調布間開業時に設置された駅。 昭和53年(1978)7月21日に高架化され、同年10月には都営地下鉄新宿線直通の新宿までの複々線別線である京王新線が開業している。 ホームは島式2面4線で、外側の1・4番線を従来の京王線、内側の2・3番線を京王新線が使用しているようだ。、、、、朝の上りホームは新宿線の始発電車を待つ人で超満員。 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 痛筋客』 

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●笹塚は一里塚! ・・・・・・・駅の北側、甲州街道(国道4号)沿いに、一里塚であった笹塚の跡を記す案内板がある。、、、、案内板には、『笹塚跡  笹塚2丁目12番  昔、この辺りの甲州街道の南北両側に、直径1mほどの塚(盛土)がありました。その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから、笹塚と呼ばれていたようです。 その塚が、慶長九年(1604)に設置された塚かどうかははっきりしませんが、この塚一里塚の印を記載している古図もあります。 また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正5年に発刊された『豊多摩郡誌』には「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。この塚があったことからこの地域一帯を昔から「笹塚」と呼び、今もそれが町名として残っています。  渋谷区教育委員会』、、、、甲州街道の起点:お江戸日本橋から三里目の一里塚がここ笹塚であった。 ちなみに、一里目は最高裁判所のある千代田区隼町、二里目は「追分だんご」の新宿区新宿三丁目(追分)。 

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●一列横隊! ・・・・・・甲州街道の笹塚跡から裏道を200m程北に歩くと水道道路に出る。 水道道路は玉川上水を淀橋浄水場(現:新宿副都心)まで導いた水路跡に造られた道路。 水路は盛土して造られていたため、水道道路に変わった現在でも、道路面は周辺の地盤より高い位置にある。、、、、水道道路の南側には昭和40年代に建てられた都営アパートがズラリと横一列に並んでいる。 遠くまで並ぶ団地は“お見事”である。

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・・・・・・・・・・・・・・笹塚二丁目交差点で水道道路とは別れ裏道に入る。、、、、水道道路からチョイト下ったところに、和泉川(神田川笹塚支流)に掛かっていた「堺橋」の跡(欄干)がある。 特に意識して見ていないと、車止めのようで見逃すしてしまう。 川は暗渠化された。、、、、堺橋の先60m程で、杉並区方南の町となる。

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●ド派手な神社! ・・・・・・・方南の町に入ると、赤い旗が境内を囲むようにビッシリ立ち並ぶ谷中稲荷神社があった。 坂の上の小さな神社。 京王井の頭線西永福駅の近くに在る大宮八幡宮(杉並区)の境外摂社。、、、、チョイト派手すぎる神社だ!

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・・・・・・・・・・・・・・神社は坂の上にあり、方南町駅の方からは上り、チョイトきつそうだ。

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●祭神は“只の饅頭” ・・・・・・・・・・・坂を下り道なりに北へ向かうと、いつの間にか杉並区方南から中野区南台に入った。 東京メトロの中野車両基地の南側である。、、、、チョイとした高台に多田神社がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物)、、、、当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、社殿は昭和35年(1960)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・多田神社の社殿北隣に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂はただいま再建中。

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●稼ぎに出て居ない! ・・・・・・東京メトロ中野車両基地の前に出たが、基地は背の高い塀で目隠しされ、中は見えずらくなっている。 それでも、マニアはしつこく内部が見える隙間を探し、写真を撮る。 私もその一人!、、、、隙間発見、アレ!電車の多くは稼ぎに出ている。

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●リニューアルした駅! ・・・・・・車両基地から西へ歩くと、再び杉並区に入り丸ノ内線方南町駅である。、、、、方南町駅の改良工事が終わり、今年(2019)7月5日から6両編成で運行されるようになった。 電車も方南町から池袋行が運転され、途中中野坂上での乗り換えは不要。 

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