渋谷区

2019年11月 6日 (水)

只の饅頭を祀る神社

京王線笹塚駅から東京メトロ丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。




●お勤め御苦労さま! ・・・・・・笹塚駅渋谷区笹塚にある京王線・京王新線の高架駅。 大正2年(1913)4月15日、当時の京王電気軌道最初の営業区間である笹塚~調布間開業時に設置された駅。 昭和53年(1978)7月21日に高架化され、同年10月には都営地下鉄新宿線直通の新宿までの複々線別線である京王新線が開業している。 ホームは島式2面4線で、外側の1・4番線を従来の京王線、内側の2・3番線を京王新線が使用しているようだ。、、、、朝の上りホームは新宿線の始発電車を待つ人で超満員。 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 痛筋客』 

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●笹塚は一里塚! ・・・・・・・駅の北側、甲州街道(国道4号)沿いに、一里塚であった笹塚の跡を記す案内板がある。、、、、案内板には、『笹塚跡  笹塚2丁目12番  昔、この辺りの甲州街道の南北両側に、直径1mほどの塚(盛土)がありました。その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから、笹塚と呼ばれていたようです。 その塚が、慶長九年(1604)に設置された塚かどうかははっきりしませんが、この塚一里塚の印を記載している古図もあります。 また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正5年に発刊された『豊多摩郡誌』には「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。この塚があったことからこの地域一帯を昔から「笹塚」と呼び、今もそれが町名として残っています。  渋谷区教育委員会』、、、、甲州街道の起点:お江戸日本橋から三里目の一里塚がここ笹塚であった。 ちなみに、一里目は最高裁判所のある千代田区隼町、二里目は「追分だんご」の新宿区新宿三丁目(追分)。 

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●一列横隊! ・・・・・・甲州街道の笹塚跡から裏道を200m程北に歩くと水道道路に出る。 水道道路は玉川上水を淀橋浄水場(現:新宿副都心)まで導いた水路跡に造られた道路。 水路は盛土して造られていたため、水道道路に変わった現在でも、道路面は周辺の地盤より高い位置にある。、、、、水道道路の南側には昭和40年代に建てられた都営アパートがズラリと横一列に並んでいる。 遠くまで並ぶ団地は“お見事”である。

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・・・・・・・・・・・・・・笹塚二丁目交差点で水道道路とは別れ裏道に入る。、、、、水道道路からチョイト下ったところに、和泉川(神田川笹塚支流)に掛かっていた「堺橋」の跡(欄干)がある。 特に意識して見ていないと、車止めのようで見逃すしてしまう。 川は暗渠化された。、、、、堺橋の先60m程で、杉並区方南の町となる。

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●ド派手な神社! ・・・・・・・方南の町に入ると、赤い旗が境内を囲むようにビッシリ立ち並ぶ谷中稲荷神社があった。 坂の上の小さな神社。 京王井の頭線西永福駅の近くに在る大宮八幡宮(杉並区)の境外摂社。、、、、チョイト派手すぎる神社だ!

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・・・・・・・・・・・・・・神社は坂の上にあり、方南町駅の方からは上り、チョイトきつそうだ。

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●祭神は“只の饅頭” ・・・・・・・・・・・坂を下り道なりに北へ向かうと、いつの間にか杉並区方南から中野区南台に入った。 東京メトロの中野車両基地の南側である。、、、、チョイとした高台に多田神社がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物)、、、、当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、社殿は昭和35年(1960)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・多田神社の社殿北隣に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂はただいま再建中。

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●稼ぎに出て居ない! ・・・・・・東京メトロ中野車両基地の前に出たが、基地は背の高い塀で目隠しされ、中は見えずらくなっている。 それでも、マニアはしつこく内部が見える隙間を探し、写真を撮る。 私もその一人!、、、、隙間発見、アレ!電車の多くは稼ぎに出ている。

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●リニューアルした駅! ・・・・・・車両基地から西へ歩くと、再び杉並区に入り丸ノ内線方南町駅である。、、、、方南町駅の改良工事が終わり、今年(2019)7月5日から6両編成で運行されるようになった。 電車も方南町から池袋行が運転され、途中中野坂上での乗り換えは不要。 

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2019年9月17日 (火)

美しいモスク!

京王線代田橋駅から、小田急線代々木上原駅まで、1万1千歩の散歩です。

 

●再開発に着手! ・・・・・・・代田橋駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の駅で、狭い敷地のため駅舎・改札は八王子寄りの地下に1か所のみある。、、、現在、京王線笹塚駅~仙川駅間の高架化事業が始まり、数年後には代田橋も高架駅に生まれ変わる。 また、駅前の和田堀給水所により、道路の一部が途切れていた井の頭通りも一直線の道路に変わる予定。 こうなると、代田橋駅前の再開発が巷の噂となって“あたり前田のクラッカー”。 世田谷区では計画実現に向け、真剣に取り組み始めているそうだ。、、、、通勤・通学時間、狭い駅前の通りは学生がゾロゾロ、快傑ゾロ!

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●区内唯一の酉の市 ・・・・・・駅の西50m程、線路沿いに大原稲荷神社がある。 天明2年(1782)五月、それまで代田村字大原の北外れを結界とし、村外からの悪霊を祓うため地元の人々の寄合地としてあった杉林に社を建て、遠く京都の伏見稲荷大社まで出向き、稲荷神社が勧請された。 境内社として大鳥神社があり、11月の酉の日には縁起物の熊手市が立ち、世田谷区内唯一の酉の市とあって大勢の人で賑わうそうだ。

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●丸は無くなり、四角ができる ・・・・・代田橋駅の南西に、大正から昭和にかけ建てられた規模の大きな和田堀給水所がある。 用地面積は約5,400㎡。 ここには、頑強な丸い造りの1号配水池(昭和9年完成)と、小さな山の様な四角い2号配水池(大正13年完成)があり、千代田区・港区・渋谷区・世田谷区・目黒区に給水していた。 2つの配水池の有効容量は合計60,000㎥だが、容量不足と老朽化により、平成23年(2011)から給水池の再構築と、給水所の北側を迂回するように延伸されている井の頭通りの直線化工事が行われている。 2号配水池は壊され、丸い1号配水池も今後壊される予定である。 その後、四角い2つの配水池が新たに造られる予定だ。 井の頭通りは配水池の地下を通るらしい。 完成すると、有効容量を60,000㎥から110,000㎥になるそうだ。、、、、工事も佳境に入り部外者は立入禁止、給水所の周りを歩いても、現場の中は見えずらい。 鉄柵越しに最後の姿を瞼に焼き付ける!

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●世田谷の和風住宅! ・・・・・・和田堀給水所の東、大原二丁目交差点を越え、大原1丁目の裏道に「柳沢の杜市民緑地 」がある。 庭の広い個人住宅の跡である。 ここは、かつてこの場所に暮していた柳澤君江が、生前「没後もこのままで残して欲しい」と願い、その意思に沿って残された和風庭園と住宅の跡である。 現在は、市民緑地として開放されているようだ。 庭の奥にある、伊東安兵衛(1908~1972、東京都生まれ、家具・木工のデザイナー。他方、建築設計も行う)の設計による、昭和26年(1951)に建てられた、国の登録有形文化財の建物も残されており、故人が暮らし、愛した風景に触れることができる。、、、、建物の中には入れず、残念!

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●“なつぞら”の空 ・・・・・・・今日の空は、青く澄んだ空に白い雲の映えるアニメのような“なつぞら”。 世田谷区北沢、渋谷区大山町の裏道を歩き代々木上原駅に向かう。、、、、“なつぞら”は暑い、久しぶりに汗が噴き出してきた。

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●凄い綺麗なモスク! ・・・・・渋谷区大山町、もうまもなく代々木上原駅だと思った時、目の前に尖塔が見えた。 アッ、あの尖塔は銭湯の煙突ではない、あれは紛れもなく、私が前から行って見たかった、イスラム教のモスク「東京ジャーミイ」だ! ヨシ、内部を拝見させてもらうぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・東京ジャーミイ(Tokyo Camii)は、日本最大のイスラム教寺院である。 東京ジャーミイは、駐日本国トルコ共和国大使館の所属であり、宗教法人「東京トルコディヤーネットジャーミィ」によって運営されている。 モスクの光熱費などはトルコ共和国宗務庁が負担しており、責任者であるイマームも同庁からの派遣である。 東京ジャーミイには、1階にイスラム教(回教)やトルコの文化を紹介する「トルコ文化センター」があり、2階は最大2,000人収容可能な礼拝堂で、女性用の礼拝室も3階にある。 日本最大のモスクである。 敷地面積は734㎡、建物床面積は1,693㎡。 東アジアで最も美しいモスクと云われている。、、、、只今、建物外部は改装中。 内外の壁には大理石を多用し、今日の空の青さを背景に白さが際立っている。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、1階、トルコの美術品が展示されているトルコ文化センターを拝見。 チョイト旅のおつまみに、トルコ原産のナツメは食べ放題。(私は遠慮して3粒ほど頂戴してきた)

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・・・・・・・・・・・・・・2階は礼拝所。 東京ジャーミイの扉・天井・壁などにある装飾は全て意味がある模様・デザインである。 アラビア語の簡潔な文章で、神のメッセージや預言者ムハンマドの言葉がいたる所に記されている。 私はアラビア語はダメなので、すべてが模様のように見えてしまった。 ゴメン! ここで2000人が礼拝する様子を見てみたくなった。 圧倒されること間違いなし!、、、、3階は女性の礼拝室で男性は入室禁止。 残念だが、見るのはあきらめた!

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●懐かしさを感じたホームの売店 ・・・・・・・・代々木上原駅は、昭和2年(1927)4月1日、代々幡上原駅として開業。 昭和16年、代々木上原駅に改称。 昭和53年(1978)に営団地下鉄千代田線・代々木公園~代々木上原間が開通し、小田急小田原線との相互直通運転開始。、、、、現在は、島式ホーム2面4線の高架駅。 最近少なくなったように思えるホームの売店がある。


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2019年7月 8日 (月)

井の頭線 (駒場東大前~渋谷)

今年の梅雨は、飽きもせずに連日の雨。 今朝は、ヤットコドッコイ、やっとのことで雨も上がった。 井の頭線沿線の散歩は、本日が最終日となった。 駒場東大前から渋谷まで、途中に神泉駅があるだけの、二駅間(1.4km)であるが見どころは多い。 1万歩。



●東大生の気分で! ・・・・・・・渋谷から井の頭線に乗り、二つ目の駒場東大前駅で下車。 チョイト、東大生になった気分で、学生と一緒に下車し東大口から出ると、二十歳代の学生の中に七十歳代の親爺一人、このギャップに気付き、恥ずかしい!

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●チョイト東大見学!・・・・・・東大口の正面には東大駒場キャンパスの正門が見える。 守衛さんに呼び止められないか? ドキドキしながら堂々と正門を通過。、、、、駒場キャンパス(教養学部)の正門は旧制第一高等学校正門として昭和13年(1938)頃に完成した。 門扉には、柏葉と橄欖(カンラン)を図案化した一高の校章が入れられている。 平成20年(2008)に門扉は復元された。

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・・・・・・・・・・・・・・正門を入ると正面に、国の登録文化財である旧制第一高等学校本館がある。 内田祥三、清水幸重の設計、銭高組の施工により、昭和8年(1933)完成。 現在は教養学部1号館として教室を使用している。、、、、キャンパスの象徴的建物。 私が受験生の頃の蛍雪時代(旺文社の受験雑誌)の表紙に載っていたかも?、、、、教室はゴク普通の教室だ!

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の左側に教養学部900番教室がある。 旧制第一高等学校の講堂で、昭和13年(1938)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス西側の奥に研究者交流と外国人研究者宿泊のための施設がある。 この建物は昭和12年(1937)に完成した旧一高同窓会館。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。 平成16年(2004)に改築されて、現在はフランス料理のレストランもある、駒場ファカルティハウスと称している。

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の右側には教養学部900番教室と対をなすように、東京大学駒場博物館がある。 旧制第一高等学校の書庫・閲覧室で、昭和10年(1935)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は銭高組。、、、、閉まって入れません!

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・・・・・・・・・・・・・・博物館の北側には学教養学部101号館があり、旧制第一高等学校特設高等科の建物であった。 こちらも、内田祥三、清水幸重の設計で、多田工務店の施工により、昭和10年(1935)に完成。

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・・・・・・・・・・・・・・以上は古い建物の紹介。 これらの建物を囲むように、近代的な校舎が並んでいる。 

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●・・・・・・・・・・・・・東大駒場キャンパスの東側の門から出て、井の頭線沿いに神泉駅に向かう。 この辺りは、住宅も密集し学生向けのアパート、マンションがアッチニモ・コッチニモ!

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・・・・・・・・・・・・・・神泉駅に近づくと線路脇から、切通しの先に神泉トンネルが見える。 300m程のトンネルの渋谷寄りには神泉駅がある。 トンネルの上には住宅が建っている。

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●ホームはトンネルの中 ・・・・・・神泉トンネルの渋谷寄りにある神泉駅。 神泉駅は、昭和8年(1933)8月1日の帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線で、そのほとんどがトンネルの中にある珍しい構造である。 かつての神泉駅はホームの長さが3両分しかなく、吉祥寺寄りの2両がはみ出して停車していた。 そこで神泉トンネルを削って5両分に延長する工事が平成7年(1995)に行われた。 現在は、神泉トンネルと渋谷寄りに駅ビルがつくられ、その中に5両分のホームがある。

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・・・・・・・・・・・・・・渋谷へ行く電車は、神泉駅を出るとスグに渋谷トンネル(渋谷隧道)に入り、円山町のラブホテル街、道玄坂の飲み屋街などを地下で抜けて渋谷駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名の「神泉」は、この辺りの地形が谷間になっており、その谷の名「神泉谷」に由来する。、、、、江戸時代の本『江戸砂子』によると、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」とあって、古くから霊泉として知られていました。 江戸時代から明治20年ころまで、弘法湯として栄え、後の円山を中心とする盛り場の発祥地となりました。、、、、駅近くのコンビニの脇にポツンと立つ神泉湯石碑。 石碑には弘法様らしきが刻まれ、微笑んでいる。 

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●昔も今も、二人の街! ・・・・・渋谷トンネルの上の地には、湯治目的で神泉湯に人が集まり、さらに芸妓さんも住み、湯治場は花街となり、戦後はホテル街と変わってきた。 今でも料亭だった建物が残っている。 知る人ぞ知る「円山町」 円山町から道玄坂を歩き駅へ・・・・一度、夜行ってみたい、楽しそうな街!
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・・・・・・・・・・・・・・その町の中に、長禄元年(1457)に太田道潅が江戸城を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請したことに始まる、千代田稲荷神社がある。 その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に城内から渋谷宮益に移し、「千代田稲荷」と称した。、、、、知る人ぞ知る、道玄坂のパワースポット。 道玄坂で焼肉食べて、神社でパワーを授かり、いざ、円山町はラブホへ出陣!

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●ゴールした! ・・・・・井の頭線沿線の散歩もいよいよゴール。 誰もが知ってる渋谷駅に到着。、、、、明治18年(1885)に日本鉄道の駅が開業(現:JR渋谷駅)。 明治40年(1907)には玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業し、その後、東京市電(後の東京都電)、玉川電気鉄道天現寺橋線(後の東京都電天現寺橋線)、東京横浜電鉄(現:東急)東横線などが開業。 さらにその後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業した。、、、、いまは、地下鉄銀座線、半蔵門線、副都心線なども開通し、さらに、渋谷駅は大改造中。 何が何だか判らない駅だ!

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2019年1月16日 (水)

副都心の裏をブラブラ

東日本橋駅から橋本行の電車に乗る。 相変わらず行先の当てもない散歩、『さて、何処で降りようか?』 いつものように車内で、『あの娘が降りる駅で降りよう』と決めた。 電車が新宿を過ぎた、『アレ、降りない? このまま、終点まで行かれたら散歩する時間が無くなる、どうしよう』と、チョイト考える。 電車は新宿の次の初台駅に停まる。 ドアが閉まる間際に、あの娘が降りた。 『アッ、失敗、一緒に降りられない!』、、、、ということで、初台の次の幡ヶ谷駅で下車し、気ままにブラブラ、適当にアッチャコッチャ、行きついた先の駅は東京メトロ丸ノ内線中野新橋駅。 気ままな散歩です。
 
 
 
●上ってみたい階段・・・・・・・・幡ヶ谷駅は、甲州街道の地下にある京王新線の駅。 大正2年(1913)11月11日に京王電気軌道の駅として開業。 昭和53年(1978)の京王新線開通に伴い、それまでの京王線の地上駅から、現在地の地下駅に移設された。、、、、ホームは相対式2面2線の構造で、地下2階にある。 改札口は地下1階に1ヶ所のみある。 地上の出口は甲州街道の南北両側に、北口と南口がある。、、、、平成20年(2008)にホームの初台駅寄りに、非常階段が設置された。 普段は閉鎖されているので、利用不可。
 
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●公園になった駅・・・・・・・・幡ヶ谷1丁目にある区立幡ヶ谷駅前公園は、京王線が地上を走っていた頃の幡ヶ谷駅跡である。 大正2年(1913)11月11日に駅が開業してから、昭和53年(1978)京王新線開通に伴い現在地に移設されるまで、ここに幡ヶ谷駅があった。、、、、、公園の隣りと向かい側には細長く駐車場がある。 この下に京王線が走っている。(京王新線は甲州街道の下) 京王線は幡ヶ谷駅のチョイ先で、地上に顔を出し隣の笹塚駅に向かう。
 
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●総延長500mの商店街・・・・・・・幡ヶ谷駅の東50m程にある「六号通商店街」を北に歩くと、水道道路に出る。  水道道路を横断し、「六号坂通り商店街」を歩く。 両商店街の総延長500m強。
 
・・・・・・・・・・・・・「六号通商店街」の“六号”とは、かつて水路(水道道路)に架けられていた橋を新宿側から順に、一号橋・二号橋・三号橋、と名付け、その六番目の橋を指す。 水道道路の南側に、甲州街道と水道道路を結ぶ六号通商店街はある。、、、、まだ通勤時間で、シャッターが降りている店が多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・水道道路 は、明大前から新宿副都心にあった淀橋浄水場へ、玉川上水の水を引き込んだ水路の跡に造られた一直線の道路である。 道路の東側正面には、新宿副都心が見える。 また、この道路の南側に、ズラリと建ち並ぶ都営住宅は“お見事!” 1.5km以上の距離に30棟程は建っていると思う。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道道路を横断し、六号通商店街の向かいに「六号坂通り商店街」が続く。、、、、長くのびる商店街の端には、ちゃんと「六号坂」がある。
 
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●昔の仲間だ!・・・・・・・・渋谷区本町5丁目で、大きな工事現場が目にとまる。 アッ、雅万歩がよく知っているゼネコンの現場。 かつての仲間が、消防庁の職員用住宅を建てていた。、、、現場を遠目で見て、立ち去ろうとしたら、現場の所長が出ててきた。 チョイト挨拶し、『ガンバって!』、、、、ア~~、若けりゃ、もう一度現場に戻って仕事がしたい!
 
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●左右反転の副都心・・・・・・・・渋谷区から中野区南台に入りと、「南台いちょう公園」がある。 グランドを通して、新宿副都心のビル群が見える。、、、、普段は新宿駅側から眺めることが多いので、左右反転した今日は、副都心の裏側を見ているようだ。
 
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●道場?・・・・・・・・中野区弥生町の裏道に入ると、玄関の一部がなまこ壁の木造の建物があった。 接骨院の看板があるが気になる。 誰もいないので、チョイト周囲から拝見すると、どうやら柔道の道場だったようだ。 内部の壁には名札が掛けられていた。 味のある建物だ!、、、、接骨院は奥の別棟で開いているようだ。
 
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●繋がりのある2社1寺・・・・・・・・・・・弥生町の中央を通るバス通りをブラブラすると、2社1寺に遭遇。 チョイト、参ってくる。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは神明氷川神社で、文明元年(1468)太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社より勧請し、当地周辺(雑色村)の鎮守社だった。、、、、只今、正月の提灯などを片付けていた。 もう、初詣の参拝客はないからね!
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、真言宗豊山派の寺院、正蔵院。 寺は円通山海章寺と号す。 天文元年(1532)に創建された。 神明氷川神社の別当寺。、、、、、ここの御詠歌は、「あなうれし 行くも帰るも 留まるも 我は大師と 二人連れなり」  そこで、雅万歩の毎日は、「ああうれし 寝るも起きるも お食事も 我は家内と 二人連れなり」 (これホント) 
 
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・・・・・・・・・・・・・さてドン尻は、中野新橋駅に近い藤神稲荷神社。 先の神明氷川神社の境外末社として古くから鎮座していたと言われてるが、創建年代は不詳。
 
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●中野の新橋・・・・・・・・・昭和36年(1961)2月8日、帝都高速度交通営団荻窪線開通に伴い、途中駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅名は、近くを流れる神田川 に架かる橋の旧名称「新橋」に由来する。、、、、、駅の近くには、昭和36年頃、40軒以上の料亭があり、花街として栄えていたそうだ。 
 
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2019年1月11日 (金)

坂の町、代々木

JR中央線代々木駅から、小田急線の西側に位置する渋谷区代々木2丁目・3丁目・4丁目の町を、いつものように気ままにアッチャ・コッチャ歩いて、小田急線参宮橋駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●代々木村からは遠い代々木駅・・・・・・・・・・・・明治39年(1906)9月23日、甲武鉄道(現:中央線)の駅として代々木駅が開業した。 この時すでに、現在の山手線の一部となる日本鉄道の山手線(品川-渋谷-新宿-池袋-田端)が開通していた。 しかし代々木には駅は無く通過。 明治42年(1909)12月16日から山手線も代々木駅に停車することになった。、、、2面2線の相対式ホームの間に1面2線の島式ホームを配した3面4線の高架駅。 都営大江戸線の乗換駅でもある。、、、、代々木駅は、明治44年(1911)の一日平均乗車人員は2,026人であったが、平成29年(2017)には、約35倍の69,935人となった。 駅周辺には、各種の専門学校が多く、若い人の乗り降りが多い。、、、、江戸時代の代々木村は、現在の小田急線代々木上原駅を中心とする西原・上原のあたりであった。 代々木駅開業時には小田急線・京王線もまだ開通しておらず、代々木村に近い駅(代々木上原駅から2.5km程離れている)として命名されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・【親切に一言】 代々木公園、代々木警察署、代々木郵便局、代々木中学校など、“代々木”と名の付いた施設の最寄り駅は代々木駅ではありません。 お間違えなきように!
 
 
 
●踏切が好きな雅万歩・・・・・・・・・今日は小田急線の踏切り数か所を歩いてきた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・まずは、小田急線が新宿駅に出入りする「新宿1号踏切」。 踏切の地下には都営大江戸線が走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南新宿駅の手前にある「新宿2号踏切」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・新宿2号踏切の西側に、建築家:渡辺仁(1897~1973)が設計した小田急電鉄の旧本社ビルが残っている。 清水組(現:清水建設)の施工で昭和2年(1927)に竣工した、鉄筋コンクリート造3階/地下1階建ての建物。 数年前に改修工事が行われたが、半円形の窓などドイツ表現派の影響が強くみられる建物である。、、、、渡辺仁は、横浜のホテルニューグランド、銀座和光(服部時計店)、第一生命相互館などを手掛けた昭和を代表する建築家。、、、、、(3枚目の写真は2012年撮影)
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧小田急本社ビルのチョイト先に南新宿駅がある。、、、、昭和2年(1927)4月1日に、当時の駅所在地の地名をとって千駄ヶ谷新田駅として開業した。 その後、駅名は小田急本社前駅に改称し、さらに昭和17年(1942)からは南新宿駅となった。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、窪地に駅があるためか出入口はガード下にあり、高架駅のように見える。 周囲の超高層ビルから見下ろされているような駅だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南新宿駅ホームの南端には「南新宿2号踏切」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・引き続き、「南新宿3号踏切」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、「南新宿5号踏切」。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南新宿5号踏切の先は切通し。、、、、、ちょうど、ロマンスカーが来た、平成17年(2005)に登場した50000形(VSE車)だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・切通しの先に、参宮橋駅のホームが見える。
 
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●坂の町、見下ろされる町・・・・・・・・代々木の町は小さな無名の坂が多い。 坂の先には、新宿副都心、初台の東京オペラシティタワーなど、超高層ビルが立ち並び、自分は鍋底に居て、見下ろされている圧迫感を強く受ける町だ!、、、、、参宮橋商店会では『坂の町 花の町』をキャッチフレーズにしている。 “坂の町”は納得! “花の町”は? どこにある?
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日歩いた坂で、唯一名が付いていた坂。 その名は「切り通しの坂」。 画家:岸田劉生が描いた作品「道路と土手と塀」(東京国立近代美術館蔵、重要文化財)のモデルとなった坂。、、、、、この坂を見て、劉生の描いた坂をイメージすることは難しいね! ぜひ、画を観てね!
 
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●散歩の最後は参宮橋駅・・・・・・・・・・・・参宮橋駅は昭和2年(1927)4月1日に開業。 駅は相対式ホーム2面2線の地上駅。 只今、10両編成対応とするため、ホームの改良工事中。、、、ところで、駅名の「参宮橋」とは?、、、、参宮橋は小田急線を通すため、代々木練兵場の一部を切り通した時に架けられた橋である。 明治神宮への参道ともなるため「参宮橋」と命名した。、、、、(参宮橋の写真は2014年撮影)
 
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2017年10月 8日 (日)

千駄ヶ谷~渋谷

夫婦で散歩です。 今日は妻のリクエストに応える処を案内し、千駄ヶ谷から渋谷までの散歩です。
 
 
 
千駄ヶ谷駅 ・・・・・・・・・JR東日本では、東京オリンピック・パラリンピック開催時に多くの利用客が見込まれる、千駄ヶ谷、信濃町、原宿の各駅を、只今改良工事中。 千駄ヶ谷駅では、使用していない首都高側の臨時ホームを新宿方面の専用ホームに改良し、上下線のホームを別にする、改札口は新宿寄りに移設する。 さらに、改札口やコンコースを拡張して混雑緩和を図るほか、ホームドアを設置する。、、、、臨時ホームは撤去され、首都高と線路の間に空間ができている。 今後、ここに新たにホームが造られる予定。、、、、、JRは3駅の改良工事に約250億円掛けるそうだ、オリンピックは金が掛かるね!
 
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②東京体育館・・・・・・・・・・1953年(昭和28年)2月、東京都は渋谷区千駄ヶ谷にあった旧・葵会館の跡地に新しく都立体育館を建設すると発表。  昭和29年(1954)に総工費3億5千万円(当時の価格)にて旧東京体育館が完成した。 完成後は、アジア競技大会、東京オリンピックの会場としても使用された。 しかし、昭和61年(1986)に老朽化のため一時閉鎖し、平成2年(1990)に槇文彦の設計で現在の体育館がリニューアルオープンした。 収容人数は 10,000席(固定:6,000席、仮設:4,000席)である。、、、、2020年のオリンピックでも使用するそうだ。 既存施設の利用、大いに結構、コケコッコー。
 
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③新国立競技場・・・・・・・・・・・・只今、大成建設が頑張って一生懸命工事中。 スタンド部分の鉄骨が組みあがってきた。、、、、凄い数のクレーンが林立し、まさに“地図に残る仕事”。
 
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鳩森八幡神社/将棋会館・・・・・・・・・・今年の将棋ブームを反映し、将棋は指せず、積み将棋しかできない我が妻も、藤井四段は知っている。、、、、『ナントかの森神社と、近くの将棋会館を見に行こう!』と、リクエストを頂戴し、一名様ご案内!、、、、まずは、鳩森八幡神社へ。 そして、隣りの将棋会館へ。
 
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⑤瑞円寺・・・・・・・・・・・・・将棋会館から南東に100m程離れている、曹洞宗の瑞円寺は、高雲山金剛院と号す。 瑞円寺の創建年代は不詳であるが、徳川秀忠(1632年逝去)より寺領8石1斗の御朱印状を拝領したと言われている。、、、、瑞円寺は千駄ヶ谷の総鎮守:鳩森八幡神社の別当寺。、、、、、広い、よく整備された境内は、見事な梅林(時季はずれで緑の葉だけ)や、椿、つつじ、萩なども植えられている。、、、、、境内には享保5年(1720)の銘のある庚申塔が残されている。
 
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⑥神宮前の町・・・・・・・・・・・瑞円寺から、神宮前3丁目・4丁目の若者の町をぶらつく。 原宿の竹下通りから広がり・続く町で、10代~30代くらいの若者を対象に商売する町である。、、、、我が夫婦のごとく、60歳を超えた人は、お呼びでない! 『チョイと疲れたので一休みしよう!』と思ったが、甘味処は無い。 50年前の名曲喫茶、純喫茶も無い。 あるのは、ハンバーガー、クレープ、アイスクリームの店とオープンカフェ。 しかも、どこも騒々しい姉ちゃんと、ダメージパンツの兄ちゃんで満員。 さらに、チャイニーズ、コーリアの若者も交じり、コリャ・ダメだ!、、、、表参道も超満員。、、、、とうとうボヤキが出た、『こんなことなら二人で柴又の帝釈天か、巣鴨のお地蔵様へ行った方が落ち着けたね!』
 
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⑦渋谷到着・・・・・・・・・・・・とうとう一休みもせずに渋谷駅到着。 ここも、大規模再開発の真最中。、、、、、今日の散歩は、我が夫婦も『都会に住む 田舎者』となったことを感じ、老いたことを感じ、チョイと疲れ体力の衰えを感じた。
 
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2017年4月24日 (月)

南台

地下鉄丸ノ内線の終点方南町駅(杉並区)から、中野区の南端の町「南台」をぶらつき、隣の渋谷区本町5丁目まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
方南町駅 ・・・・・・・・・・・丸ノ内線分岐線の終点は「方南町(ほうなんちょう)駅」。 駅のある杉並区の町名は「方南(ほうなん)」。、、、、駅周辺の一帯は和田村と称し、字(あざ)として“方南”、“向方南”などが見られた。 地名“方南”の由来は不明であるが、昭和7年(1932)の杉並区発足時には、字方南と周辺の字を併せて「方南町」となった。 この町名も昭和41年(1966)に実施された住居表示では、“町”をはずして「方南」となる。、、、、“ほうなんですか?” “ほうなんです。”
 
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・・・・・・・・・・・・駅前の有名な立ち食いそば屋のある東口から地上に出た。 アーケード下の薄暗い出入口である。
 
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②南台・・・・・・・・・・方南町駅を出て東に100mも歩けば、そこは中野区南台の町。 「南台(みなみだい)」とは、中野区の南の台地の意である。 昭和42年(1967)の住居表示変更以前は、“前原”、“多田”、“雑色”などの、由緒ある地名であったが、古きを捨て、新しき陳腐なネーミングを採用した。
 
・・・・・・・・・・・・南台5丁目、小高い丘の上に2棟46戸程の集合住宅:東京都住宅供給公社雑色住宅が建っている。 昭和37年(1962)頃(?)の建築。、、、、名前の“雑色”はかつての地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台5丁目を流れる神田川 に、昭和34年(1959)に架けられた向田橋。、、、、向田橋は中野区に架かる最上流の橋。 “向田”も付近の旧地名である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3丁目の多田神社。 神社は、寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮2丁目)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲(=源満仲。 平安中期の武将。 多田源氏の祖)を奉祀したことに始まるそうだ。、、、、、神社のある地は、かつて“雑色”と呼ばれ、多田神社は雑色の鎮守として現在もあがめられている。 ちなみに、“雑色”とは、皇室の文書や道具類を納める倉を管理したり、皇室行事の実施を担当する役所で働いていた人々のことである。 現在の宮内庁職員。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南台3の南台小学校は、旧多田小学校と旧新山小学校が、今年4月に統合して誕生した学校である。 校舎は旧多田小学校を使用。、、、、、ここでも、歴史ある“多田”、“新山”の旧地名が消える!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りを挟み南台3丁目から300m程伸びる南台商店街。 大きな店舗はないが、東京オリンピックの年(1964)からスタートした元気そうな商店街。、、、、そろそろ、店を開ける時間だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・中野通りに面し南台2丁目にある、昭和44年(1969)に建てられた都営南台2丁目アパート。 外壁にタイルで書かれたアパート名が時代を思わせる。 管理戸数は1棟56戸。、、、、、今日は、チョイト、中に入れてもらった。、、、、、7階から見る新宿。 見晴らしは抜群、新宿の超高層が一望できる!
 
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・・・・・・・・・・・・・南台1丁目にある国立校:東京大学教育学部附属中等教育学校。 前身は昭和23年(1948)に発足した東大附属学校。 平成12年(2000)から、中・高一貫教育の中等教育学に変わった。、、、、ここには、ソーセージ枠なるものがある。、、、、ソーセージ(双生児)枠とは、中等教育における双生児研究を実践するため、毎年1組~10組程度の双生児が入学している。 1学年定数120名(男子60名、女子60名)のうち男女それぞれ20名以内が双生児枠。、、、、、ぜひ、天才双生児を育成し、ザ・ピーナッツを復活して欲しいね。
 
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③幡ヶ谷氷川神社・・・・・・・・・・・・南台から隣の渋谷区本町に入り、氷川神社にお立ち寄り。、、、、氷川神社の創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたそうだ。 幡ヶ谷村の鎮守社。
 
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●・・・・・・・・・・・氷川神社の近く「本町五丁目」バス停から、渋谷区のコミュニティバスで笹塚駅に出て帰宅。、、、、バスを待つ人もなく、ゴミ箱と椅子が並ぶ、静かなバス停。
 
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2017年3月16日 (木)

信濃町~渋谷

信濃町駅から神宮前を抜けて渋谷駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
①信濃町駅・・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日の甲武鉄道新宿~牛込(現:飯田橋駅の西側)間開通と同時に開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅で、ホーム上部に駅ビルがある。 改札口は駅ビル1階にあり、外苑東通りに面している。、、、、、駅ビルは平成5年(1993)に竣工した地上6階・地下2階建て、設計は岡田新一(岡田新一設計事務所)。、、、、、写真:駅ビルの裏側に某宗教団体の本部があり、駅ビルと向かい合って慶應大学附属病院があり、乗降客の多い駅である。 ついでに、写真を撮った位置には、かつて滝沢馬琴(1767~1848、南総里見八犬伝の著者)が住んでいた、四谷組同心屋敷があった。 馬琴はここで、最後の12年間を暮らした。 
 
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②聖徳記念絵画館・・・・・・・・・・神宮外苑のシンボル的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な80点の絵画を展示している。、、、、、大正8年(1919)に着工し、大正15年(1926)10月22日に竣工した、鉄筋コンクリート2階建て、ドームの頂上までの高さは約32m、幅約112m、奥行約34mの建物である。 設計は公募にて大蔵省臨時建築部技手・小林正紹(まさつぐ)の案が採用され、施工は大倉土木(現:大成建設)が請けた。 外観は花崗岩貼りで、中央にドームを戴く左右対称のデザインでまとめられている。 左右対称のデザインは国会議事堂などと同じように大正時代の流行であった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・内部には、大理石、モザイクタイル、石膏彫刻が多用され荘厳な雰囲気が漂っている。 (内部は撮影禁止のため、6年前の写真を借用)
 
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・・・・・・・・・・・・・絵画館の真後ろには、中央に楠の大木が植えられた、葬場殿趾の円壇がある。、、、、これは、明治天皇の葬儀がこの場所(当時の青山練兵場)で行われた際、棺が置かれた葬場殿の址である。、、、、なんと、ここは重要文化財であった。 なんで、ここが? 答えは簡単! 重要文化財の本体は絵画館であって、この円壇はその付属として位置づけられているそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・絵画館前の植え込みの中に「樺太国境画定標石」のレプリカが残されている。、、、、、日露戦争に勝利した日本は、その後の明治38年(1905)、ポーツマス条約により樺太の北緯50度以南を日本が領有することとなった。 翌明治39年から明治41年にかけて国境に17基敷設された標石のレプリカで、当時の樺太庁が作成し外苑に寄贈したものである。、、、、、菊の紋が標された本物の標石は、今、どうなっているのか?
 
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③明治神宮野球場・・・・・・・・・・大正15年(1926)に開場した、六大学野球の聖地。 私も母校の応援に行ったのを思い出すが、優勝して飲み会をしたという記憶はない! この頃(学生時代)は、野球より、女の子に興味があったから、応援にかこつけた、ナンパだった。
 
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④高徳寺・・・・・・・・・・・都立青山高校に近い港区北青山(熊野通り)にある浄土宗の寺院。 若い人が多いアパレル関連の会社が並ぶ通りから少し入ると、正面に本堂が、右に河内山宗俊の碑(墓もある)が、左に積み重なった石仏の山が見える、まさに都会の癒しスポットと云うような寺である。、、、、、高徳寺は、晃誉上人居的和尚(元和9年(1623)寂)が開山となり、天正7年(1579)に創建した。、、、、今流のおしゃれな通りに、歴史の香りが、チョイト、ミス・マッチ。
 
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⑤熊野神社・・・・・・・・・渋谷区神宮前、キラー通りに近い処に、青山の鎮守さま熊野神社がある。 元和5年(1619)に徳川頼宣によって勧請。 徳川頼宣の邸内(現:赤坂御所)に奉斎されていた御宮を、正保元年(1644)に現在地に移した。、、、、境内には、5階建ての賃貸ビルを所有しており、商売繁盛の御利益を自ら享受しているようだ。
 
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⑥東郷神社・・・・・・・・・・・・・・神社が続く、原宿の竹下通り裏に鎮座する東郷神社。 日露戦争で連合艦隊を率いてバルチック艦隊を破った、東郷平八郎を祀り、昭和15年(1940)に御鎮座祭がおこなわれた神社。、、、、社殿は昭和39年(1964)に再建された、鉄筋コンクリート造。、、、、ここは、“勝利の神様”。 勝負の前に手を合わせ、必勝パターンで! ただし、賽銭はチョイト奮発すること。
 
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⑦長泉寺・・・・・・・・明治通り沿いにある、曹洞宗の長泉寺。 寺は、かつて隠田に古刹寺院があり、観音堂のみ残っていたところ、上渋谷村の名主田左膳義直が、観音堂の本尊を自宅に遷し草庵として天文15年に僧春的を招聘、文禄元年には青松寺七世瑞翁(慶長9年寂)がこの草庵を譲受、慈雲山長泉寺と号し開山したといいます。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・長泉寺には、なんと! 山手線の土手を背にして2百体以上の石仏が並んでいる。 お寺近くに祀られていた地蔵尊、観音様が、土地の造成などで、ここに集められたらしい。、、、、、玄関先にでも飾るインテリアとして石仏一体欲しいね! こんだけあれば、一体ぐらい無くなっても、、、、『コラ! 罰当たりが!』
 
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2016年11月18日 (金)

明治神宮

明治神宮と周辺をブラブラ、代々木駅からお隣の原宿駅まで、1万2千歩、8kmの散歩です。
 
 
①代々木駅・・・・・・・・・・明治27年(1894)10月9日、甲武鉄道新宿~牛込間が開業した、この時にはまだ代々木駅はなく、明治39年(1906)9月23日に甲武鉄道(現:中央線)の駅として開業した。 しかし直後の同年10月1日には国有化された。 この時点では、山手線は通過していた。 山手線が代々木駅に停車するのは明治42年(1909)12月16日からである。、、、、、2面2線の相対式ホームに挟まれて1面2線の島式ホームがあり、全3面4線の高架駅。 ホームの北端から、隣新宿駅の成田エクスプレスと東武線直通特急が発着する5・6番線ホームまでは150m程しか離れていない。 いずれ、両駅はくっついて「代々宿」駅となるかも?
 
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②青山街道・・・・・・・・・・代々木駅西口の駅前交番の横を千駄ヶ谷駅方向に向かうと、山手線が走る煉瓦造りの「青山街道架道橋」(大正10年(1921)頃の竣工)がある、その先に山手貨物線の「青山街道踏切」がある。 山手“貨物線”と言っても実態は、埼京線、湘南新宿ライン、成田エクスプレスなどが頻繁に走る線である。 カン・カン・カン・カンと警報がよく鳴る、チョイとうるさい線。、、、、ところで「青山街道」とは、青山学院大の通学路? 調べてみた、、、、、大山詣でに利用する、大山街道の一部。 赤坂御門を起点とし、青山、渋谷、三軒茶屋を経て、大山に向かう街道。 西に向かっては厚木街道、東に向かっては青山街道とも呼ばれていたそうだ。
 
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③裏参道架道橋・・・・・・・・・・・その名のとおり、明治神宮裏参道の手前に位置する架道橋。 山手線と山手貨物線の4本を通す架道橋。 大正10年(1921)頃の竣工と思われる。
 
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④神社本庁・・・・・・・・・・・明治神宮裏参道前に黄色く染まったイチョウが並ぶ、その木立の後ろに神社本庁がある。 神社本庁は、伊勢神宮を本宗とし、日本各地の神社を包括する日本で最大の宗教法人。 日本全国約8万社の神社をメンバーとする宗教法人で、都道府県ごとに神社庁を置いている。 神社本庁では、包括下の神社の管理・指導、神社神道の宣揚・神社祭祀の執行・信者の教化育成・本宗である伊勢神宮の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた広報活動などを行っている。 ちなみに、全国の神社で得られる神宮大麻(天照大御神の札)の初穂料については、収入の半分が神社本庁、残り半分が伊勢神宮の収入となり、神社本庁だけで年間35億円ぐらいあるそうだ。(スゲェ~!)
 
・・・・・・・・・・・・・・・神社本庁前のイチョウ。 黄葉が美しい!
 
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・・・・・・・・・・・・・・神社本庁は静かに初穂料の勘定でもしているのかな?
 
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⑤明治神宮・・・・・・・・・・明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神宮である。 大正9年(1920)11月1日に鎮座祭が行われた。 この地にはかつて近江彦根藩井伊家の下屋敷のあった場所で、明治維新後に井伊家から政府に対して献上されたものである。、、、、秋の彩を求め森の中を歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・北参道
 
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・・・・・・・・・・・・・・大正10年(1921年)に竣工した、鉄筋コンクリート造の宝物殿(国の重要文化財)は工事中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・秋の境内
 
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・・・・・・・・・・・・・・社殿、、、、、本殿は大東亜戦争末期の昭和20年(1945)、空襲によって焼失した。 その後全国から復興資金が寄せられ、仮殿が翌昭和21年(1946)に建設された。 現在の本殿はその後、国内外からの寄付などによって造営が進められたもので、昭和33年(1958)に還座祭が行われた。(本殿は撮影禁止)、、、、、自撮り棒を持つ観光客を避けて撮影する難しさを体験!
 
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・・・・・・・・・・・・・・木造の明神鳥居では日本一を誇る大鳥居。、、、、高さ12m、柱の径1.2m、昭和50年(1975)竣工。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南参道を歩き、山手線を跨ぐ神宮橋に出た。、、、、、、神宮橋は、大正9年(1920)に鉄骨を使用したコンクリート桁の陸橋として完成した。 その後、劣化により、昭和57年(1982)に、現在の橋に架け替えられた。
 
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⑥国立代々木競技場・・・・・・・・・・ご存じ、“世界の丹下健三”の設計による東京オリンピックの競技会場。 昭和39年(1964)9月、オリンピック開催の39日前に竣工した。 オリンピックでは、第一体育館(当時:本館)が水泳競技、第二体育館(当時:別館)はバスケットボールが実施された。、、、、、、、今日は、両体育館を一回りしてきた。 まだまだ使える、素晴らしい建築である!
 
・・・・・・・・・・・・・・第一体育館、、、、、、、13,291名を収容できる巨大空間を2本の主柱と2本のワイヤーで創っている。 吊り屋根式構造で、曲線のシルエットが美しい体育館。 清水建設の施工。 地上7階/地下1階建て。
 
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・・・・・・・・・・・・・・第二体育館、、、、、、、こちらは、3,202名収容の空間を、円形の外周に建つ1本の主柱から、円形にワイヤーが張られ屋根を造っている。 大林組の施工。 地上1階/地下1階建て。、、、、、観客が少なく、チョイと寂しいバスケットの試合が行われていた。
 
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⑦岸記念体育館・・・・・・・・・第二代大日本体育協会会長岸清一の遺言により100万円が寄付されて昭和15年(1940)にお茶の水に建設された。 その後、オリンピック開催に合わせ、昭和39年(1964)に代々木競技場の隣に移転した。 日本スポーツ界の総本山みたいなところだ! 2020年オリンピックを機に、再び大きなビルに移転するそうだ。 なんだか、オリンピックごとに、大きくなるような気がするね。、、、、、、その昔、お茶の水にあったころは木造2階建ての会館で通学時には総武線の車窓から見えた。私は、“岸首相はこんなところにも影響力があるんだ”と思い込んでいた。(はずかしながら!) 体育協会の“岸”さんは、岸首相とは無関係で、島根県出身の弁護士、法学博士、貴族院議員、昭和8年(1933)に没した。
 
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⑧五輪橋・・・・・・・・・神宮橋の隣に架かる跨線橋。 昭和39年(1964)の東京オリンピック の水泳競技メイン会場である、国立代々木競技場と表参道を、神宮橋を迂回せずに直線的に結ぶため造られた。、、、、オリンピックの7か月前、昭和39年(1964)3月に竣工。
 
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原宿駅 ・・・・・・・・・・・・原宿駅の改良工事が予定されているが、現駅舎はどうなることか?
 
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2016年9月25日 (日)

代々木上原~参宮橋

小田急線代々木上原駅から参宮橋駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
①代々木上原駅・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日、小田原線(新宿~小田原)の開通と同時に代々幡上原駅として開業し、昭和16年(1941)10月15日に代々木上原駅に改称した。 昭和52年(1977)10月、島式ホーム2面4線の高架駅となり、翌年には地下鉄千代田線との相互直通運転が始まる。、、、、開通時、駅付近の地名は「東京府豊多摩郡代々幡村大字上原」であった、現在の駅舎の住所は「東京都渋谷区西原」、高架橋の南側は「渋谷区上原」である。 “代々木上原”の地名は無い!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・高架下は、飲食店を中心とした商業施設が設けられている。 朝は、まだシャッターが下り営業前の店ばかり。
 
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②上原1丁目・・・・・・・・・・駅の南側、上原の町は、起伏が激しい土地で、急な坂や丘が多く、曲がりくねった道路、行き止まり、狭い一方通行と、迷路のような道が多い。 1丁目の南側には井ノ頭通りがあり、道路の向こうは上原2丁目、セレブの町と聞いた。、、、、、今日は1丁目をブラブラ。
 
・・・・・・・・・・・・・・駅前の坂の上に建つ住宅:N邸。、、、木造2階建ての小柄な住宅、下見板張りの外壁に窓は、昭和初期の建物か?
 
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・・・・・・・・・・・・・・IG邸、、、、、塀の外から眺める洋館風建物。
 
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・・・・・・・・・・・・・坂の多い町で、数か所の擁壁には煉瓦の廃材が使用されていた。 関東大震災で壊れた構造物の再利用か(?)、、、、デザインとして見ると、面白いものだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・美容院の脇を入り、畳屋の脇に出た。、、、、、昔だったら、髪結いの姉さんと畳屋の若旦那が、夜ごと通った細い路。
 
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・・・・・・・・・・・・・曲がりくねって、井ノ頭通りに出た。、、、、通りの向こうは上原2丁目、セレブの町は次回の楽しみにして、今日は横断せずに上原1丁目に戻る。
 
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③小田急線跨線橋・・・・・・・・・・・・・・上原1丁目、住宅地の裏道、正面に跨線橋が見えた。、、、、あそこに行けば、小田急線が見えるとワクワク・ドキドキ・シメシメ、足も速くなる!
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・・・・・・・・・・・・・そこは、小田急本線の間に、地下鉄千代田線が顔を出すところ。、、、、電車を見て満足するのは、2歳の孫(小鉄)とほぼ同レベルの鉄道オタク。
 
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代々木八幡宮 ・・・・・・・・・・・代々木八幡駅の北側に、小高い丘がある。 この丘の上に代々木八幡宮がある。 建暦2年(1212=鎌倉時代)に源氏の守り神である鶴岡八幡宮の分霊をまつり創建した村社。、、、、、チョイとした階段を上り、玉石を敷き詰めた参道を歩き、拝殿に向かう、このアプローチは厳かな気持ちになり、いい雰囲気を醸しだしている。、、、、、境内では、氏子の方々が提灯をだし、祭礼の準備中。 
 
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⑤福泉寺・・・・・・・・・・代々木八幡宮とは地続きで、かつて代々木八幡宮の別当寺であった天台宗の福泉寺。 創建年代は不詳であるが、建暦2年(1212)に代々木八幡宮を創建したとき、同時に庵を創建したそうだ。 江戸中期に天台宗として中興されたといわれている。、、、、参道には、1700年代(江戸時代)の庚申塔が並んでいる。 また境内では、苔の衣を身に着けた多くの地蔵さんが迎えてくれる。、、、、本堂は、戦災で焼失し、昭和34年(1959)に再建された。
 
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参宮橋駅 ・・・・・・・・・・・昭和2年(1927)4月1日に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。
 
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