渋谷区

2022年7月11日 (月)

新宿御苑の外側

久しぶりに新宿駅東口に出た。 今日の散歩は、ここから新宿御苑の外周に沿って早稲田方面に歩く予定でスタート。 予定は変わるもの、四谷三丁目で暑さ厳しく熱中症が怖くなり、散歩を諦めJRツ谷駅から帰宅。 1万2千歩。



新宿駅はいつ来ても必ずどこかで工事が行われてる。 今日は昨年秋に完成し、幅が広くなった東西自由通路を通り、東口に出る。 東西自由通路はこれまで改札内にあった北通路の幅を、17mから25mに広げ、改札を通路の南側に分散配置した。、、、、サラリーマンを辞めて13年、飲み会・同窓会も減り、新宿で降りる機会も少なくなった。 新宿駅東口(昭和39年完成の駅ビル「新宿民衆駅ステーションビル」、現在の「ルミネエスト」)の前に立つのは久しぶり。 約60年前、新宿駅は通学の途中駅で、よく映画を見に来た大学生の頃を思い出し、懐かしさを感じる!

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● 新宿駅東口から甲州街道下を通り抜け「新宿高島屋」前を過ぎ、「新宿御苑」西側の塀に沿って千駄ヶ谷駅の方へ向かう。 そろそろ通勤時間だ、新宿御苑前に建ち並ぶマンションから、足早に人が出て来る。 足の短い私を抜き去っていく!

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑千駄ヶ谷門から150m程西に「新井白石終えんの地」(渋谷区千駄ヶ谷6)がある。、、、、案内板には『新井白石終えんの地  新井白石は6代将軍徳川家宣・7代家継と2代の将軍に儒官として仕えました。学者としては先例のない政治への参加と、学問の大きな業績によって知られています。しかし、吉宗が8代将軍になると急速にその地位を失い、城中の御用部屋はもとより、小川町の賜邸も取り上げられてしまいました。 白石が享保2年(1717)幕府からこの土地を与えられ、享保6年(1721)移り住んだ頃は、周囲は、すべて青々とした麦畑でした。 ここで白石は失意の日々をおくったのですが、一方では多くの著作を行いました。絶筆となった『采覧異言』の修訂が終わった5、6日後の享保10年(1725)5月19日、69歳で戦乱に富んだ一生を終わりました。  渋谷区教育委員会』と書かれてる。、、、、案内板があるだけ、せめて石碑でも建ててあげればいいのだが! 渋谷区の財政は苦しいのか?

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・・・・・・・・・・・・【付録】新井白石の墓は中野区上高田の「高徳寺」にあり、長門裕之・南田洋子・山野愛子・柳家三亀松などの各氏と共に眠っている。(14/6/17撮影)

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● JR千駄ヶ谷駅前を通過。 首都高の高架下が駅前広場、普段は広々としているが、国立競技場・東京体育館などでイベントがあると手狭になるね。

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● 千駄ヶ谷駅から東へ、JRのガードをくぐり、今度は新宿御苑の東側沿いに歩く。

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・・・・・・・・・・・・ 新宿御苑の「正門」がある。 正門は都道(外苑西通り)に面し、車での利便性は良いが、普段は閉じられている。 なぜ、なぜ、閉じている???、、、、正門は、新宿御苑がかつて皇室苑地だった頃、皇室をはじめ国内外の賓客の入園門として設けられていた。 しかし、戦後は一般に公開され、誰でも入園できる公園となっている。 そこで、普段の門は利便性の高い場所に出入口を作る必要から、新宿、大木戸、千駄ヶ谷の3ヶ所に入場門を設置している。 正門は電車・バスなどの交通の便が悪く、それほど入園者数も見込まれないため、国の特別行事を行うとき等を除き閉鎖してるそうだ。、、、、総理大臣主催の『桜を見る会』に招待されたら正門から入れるかもね!

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・・・・・・・・・・・・ 正門から150m程北に歩くと、大京町交番の北側の植え込みに、案内板があり『伝 沖田総司逝去の地  この場所には、高遠藩主内藤家屋敷(現新宿御苑)に沿って流れる旧玉川上水の余水吐(渋谷川と呼ばれる)に池尻橋がかかっていました。 多くの歴史小説や映画などで、新撰組隊士沖田総司(1844~1868)が晩年に療養し、亡くなったとされる植木屋平五郎(柴田平五郎)の屋敷はこのあたりにありました。  平成二十六年三月 新宿区』と書かれている。、、、、イケメンの沖田総司は結核で亡くなったそうだ。 テレビ、映画などでは、色恋の少ないチョイト暗い役で、イケメン俳優が演じ、カッコいいと若い娘に好まれる人物で描かれている。 ニヒルな私も演じてみたくなる人物なり!

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・・・・・・・・・・・・ 沖田総司逝去の地から北へ150m程、新宿区内藤町に「多武峰内藤神社」がある。 祭神は、古の政治家で大化の改新の中心人物:藤原鎌足公(ふじわらのかまたりこう)である。 神社の創建は江戸時代初期、幕府の重臣であった内藤清成が、家康より現在の新宿御苑の地に広大な屋敷地を拝領し、家祖である藤原鎌足公を敷地内に祀り、内藤神社として創始したのが始まり。、、、、チョイトお立ち寄り。、、、、境内には「三菱鉛筆」の創業の地をしめす碑もある。

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● 新宿駅から新宿御苑の西側・南側・東側を回り、「四谷四丁目交差点」に出てきた。 『さて、これから早稲田方面に向かって歩こう!』と、再び歩き出す。、、、、500m程歩いて「四谷三丁目交差点」に来た頃は、暑さと湿度の高さで、身体中から汗が吹き出してる。 私の感による適当な観測では、気温は30℃超、湿度は80%超。 このまま歩いたら、熱中症になるかも?、、、、『ここで救急車には乗りたくない!』 『今日の散歩はこれ以上は無理だ!』 進路を四ツ谷駅に変更。

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● JR四ツ谷駅に着いた頃は、汗でビッショリ。 『早く帰って身体を拭きたい!』

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2021年12月19日 (日)

オペラを抜ける

参宮橋で下車し、京王新線の初台駅をとおり、荘厳寺(幡ヶ谷不動尊)、渋谷区と中野区の氷川神社に寄って中野富士見町駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 昨日に続いて小田急線「参宮橋駅」で下車、、、、北風冷たい日曜の朝、通勤通学客も無く、静かに数人が降りる。 駅前も静かだ。 改札前の道は江戸時代からの古道で代々木本村(元代々木)、代々木村西原に通じているのだが『さてさて、自分の行く先は?』 とりあえず歩き始めた!

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● 駅から少々歩くと、道の先に京王線の初台駅前にあるオペラシティが見える。 『とりあえず、あそこに行こう!』 目標を見失うことはないが、起伏の激しい裏通りを、喘ぎながらの散歩。

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・・・・・・・・・・・・裏通りから甲州街道に出る手前30m程の処に、甲州街道と並行して流れる玉川上水を暗渠化し、その上に造られた「玉川上水旧水路緑道」(昭和60年頃整備)がある。 緑道の一画に玉川上水の上に架かっていた橋が残されている。 欄干に「三字橋(みあざばし)」と記されている。 “三字”とは、新町・初台・山谷という三つの字を指している。

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・・・・・・・・・・・・甲州街道(国道20号)の地下には京王新線の「初台駅」がある。、、、、初台駅のホームは上り線と下り線で二層構造となっており、地下2階が上り線、地下3階が下り線である。 改札口は新宿寄りと幡ヶ谷寄りの2ヶ所にあり、幡ヶ谷寄りは中央口改札口で、新宿寄りは東口で東京オペラシティに直結している。、、、、今日は乗車するのではないので、東口改札をチョイト覗いて、地下道でオペラシティへ侵入。

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● 「東京オペラシティ(新国立劇場)」は初台駅・甲州街道の北側にある文化商業複合施設。、、、、当地には、元々は東京工業試験所、小田急百貨店配送センター、淀橋電話局、京王バス操車場などがあった。 昭和60年(1985)のコンペにより、設計されたのは新国立劇場と高層複合施設東京オペラシティビルである。 この2施設を合わせ、しばしば「東京オペラシティ」と呼ぶ。、、、、今日は散歩の途中であり、しかも早朝であるため、建物の中を通り抜けながら見てきた。 デカイ!

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● 東京オペラシティの北側に出ると、「不動通商店街」の先に「荘厳寺」(渋谷区本町2)がある、、、、真言宗室生寺派寺院の荘厳寺は、光明山真言院と号す。 宥悦(天文2年1533寂)が開山となり、創建した。 荘厳寺不動堂の本尊不動明王立像は、幡ヶ谷不動尊として信仰を集めている。 本堂は木造、不動堂は鉄筋コンクリート造。、、、、幡ヶ谷不動という呼び名ではあるが、距離的には初台駅が最寄り駅。

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● 荘厳寺から裏通りを歩き中野富士見町駅に向かうと、途中、二か所の“氷川神社”がある。 似たような神社だ!


・・・・・・・・・・・・「
幡ヶ谷氷川神社」は、渋谷区本町にある神社。 創建年代は不詳だが、永禄年間(1558~1570)の小田原北条家文書に記載されていることから戦国時代には創建されていたと言われてる。 幡ヶ谷村の鎮守社であった。、、、、しめ縄、提灯、すでに正月の準備も終わったようだ、早いね!

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・・・・・・・・・・・・神明氷川神社」は、中野区弥生町にある神社。 文明元年(1468)太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社より勧請し、以来毎年祭日には、太田家より玉串を捧げられていたそうだ。 当地周辺(雑色村)の鎮守社。、、、、こちらも、正月の準備で忙しそうだ!

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● 中野通りを北上し、神田川を越える手前で西に折れると東京メトロ丸ノ内線「中野富士見町駅」がある。、、、、昭和36年(1961)2月8日の荻窪線(丸ノ内線)新宿~新中野間および中野坂上~中野富士見町間開業時に設けられた。 当初は終点だったが、凡そ一年後の昭和37年に方南町まで延伸し、中間駅となった。 ホームは相対式2面2線構造で地下1階、改札口・出口は1カ所のみで地上にある。、、、、地上に改札があるので、年寄り・身障者には優しいバリアフリーの駅だ! もちろん、ホーム行きのエレベーターもある。

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2021年12月18日 (土)

明治神宮

JR渋谷駅から、国立代々木競技場、明治神宮に寄って、小田急線参宮橋駅までの、1万2千歩の散歩です。




● 明治18年(1885)3月1日、日本鉄道の赤羽~品川間の開通と同時に「渋谷駅」が開業し、明治39年(1906)に国有化された。 その後、渋谷駅には、明治40年(1907)に玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業、明治44年(1911)には東京市電(後の東京都電)が開通、昭和2年(1927)に東京横浜電鉄(現:東急)東横線が開業、昭和8年(1933)には帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業、昭和13年(1938)には東京高速鉄道(現:東京メトロ銀座線)が開業した。 戦前までに、山手線の外から渋谷に乗り入れる路線の大部分が開通したことになる。 戦後になると、東京メトロの半蔵門線、副都心線の乗り入れ、JRでは埼京線、湘南新宿ラインの乗り入れなどが続いた。 いつの間にか、渋谷駅は地上も地下も電車が走り、東西南北の各方面と結ばれている。 駅の動線は複雑怪奇?、、、、そこで、只今渋谷駅の大改造が進められている。 鉄道各社の、線路もホームも駅ビルも、すべて見直しだ!、、、、先日は、10月22日終電後から10月25日初電にかけて実施された線路切替工事では、山手線内回りホームの線路を東側に横移動させた上で、同ホームの拡幅が大規模に行われた。 ホームの隣りでは東横デパートの取り壊しも行われており、まだまだ渋谷駅の改良工事は続く。

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・・・・・・・・・・・・渋谷駅北口の駅前広場の「忠犬ハチ公像」も、駅周辺の再開発工事で移動するらしい(?) いつ、どこに、私は知らん!、、、、渋谷のこの場所に佇むハチ公像に思い出がある人も多いはず。 デートで待ち合わせしたあの若い頃思い出。 今のうちにもう一度、ハチ公に御対面して記憶を懐かしんでみてはいかが。

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・・・・・・・・・・・・朝7時、気温3.5度、まだ薄暗い、駅前の「スクランブル交差点」に人は少ない!、、、、なにせ、寒い!

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● 「公園通り」をNHKの方に向かう、、、、店は閉まり、人影ちらほら、静かな通りだ!

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・・・・・・・・・・・・公園通りに中程に「日本キリスト教団 東京山手教会」がある。、、、、この建物は、私が建築科の学生だった、昭和41年(1966)に建てられた。 当時は正面外壁の十字架がある台形の面は青い色で塗られ、ひときわ目立つモダンな教会であった。 懐かしい思いである建物だ。、、、、周囲のより大きなモダンな建物に圧倒され埋没したようだ!

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・・・・・・・・・・・・公園通りの緩やかな坂を上がると、NHK放送センターの手前に「渋谷公会堂」がある。 渋谷公会堂は、平成27年(2015)から建替工事を行い、令和元年(2018)5月竣工、同年10月に開設した。 また、ネーミングライツ(命名権)を導入し、LINEが年額1億2000万円を渋谷区に支払い、通称名を「LINE CUBE SHIBUYA」とした。、、、、明るい印象を与える建物

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・・・・・・・・・・・・「NHK放送センター」は建て替え工事が始まり、仮囲いの中に消えた!、、、、代々木競技場から眺める

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・・・・・・・・・・・・新しい「NHK放送センター」は、地上17階、地下2階、高さ88.00m(最高91.00m)、延べ面積272,118㎡の新施設で、設計・施工は竹中工務店・久米設計設計施工共同企業体が担当する。 昨年(2020)9月に解体工事に着手し、本年(2021)5月に着工し、15年後の2036年12月に全体が完成する予定らしい。 私は天国で完成を祝うことにする。

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● 公園通りが行き着く先は、「国立代々木競技場」、、、、主塔が2本の第一競技場と1本の第二競技場がある。 どちらも、丹下健三の設計に寄り、昭和39年(1964)の東京オリンピックで建てられた。

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● 原宿駅前に出た、チョイト、「原宿駅」を見ていこう!、、、、年始のみ使用している臨時ホームを新宿・池袋方面行き外回り専用ホームとし、これまでの島式ホームは内回り渋谷・品川方面行き専用ホームにした。 さらに、旧駅舎はいったん取り壊し、新駅舎に建て替え、エレベーターとエスカレーターの増設、トイレや表参道改札口と通路の拡張などが行われた。、、、、一番気になる、大正13年(1924)に建てられた旧駅舎の運命は?、、、、旧駅舎は、新駅舎北側(これまで建っていた処)に、デザインを踏襲し、防火基準に即した建材で再建される予定。

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● 初詣にはチョイト早いが、「明治神宮」に参拝、、、、今日は原宿駅側の南参道を歩き拝殿へ、拝礼を済ませた後は神社の北側にある「宝物殿」(国指定重要文化財)をとおり、西参道から参宮橋駅に向かった。、、、、宝物殿は休館中で入れない!

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● 明治神宮の森を出ると小田急線の「参宮橋駅」は近い、、、、参宮橋駅の歴史は、大正4年(1915)の内務省告示に始まる。 告示では、代々木練兵場に隣接した南豊島御料地を境内地として明治神宫の造営が決まり、大正9年(1920)に鎮座祭が挙行された。 明治神宫造営中の大正8年(1919)に、西参道に近い京王線の代々木駅が神宮裏駅、改正橋駅が初台駅と改称された。 その後、昭和14年(1939)に神宮裏駅は西參道駅と改称される。 この間、小田原急行鉄道小田原線が代々木練兵場の脇を通ることになり、大正15年(1926)に西参道の跨線橋として「参宮橋」が架けられた。 そして昭和2年(1927)4月1日に參宮橋駅が開業した。 



・・・・・・・・・・・・跨線橋「参宮橋」、、、、下を走るは小田急線

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・・・・・・・・・・・・参宮橋から見る「参宮橋駅」ホーム

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・・・・・・・・・・・・参宮橋駅は相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札は2番ホームに直結した場所にある西口と、跨線橋上にある東口(ICカード専用)の2か所ある。、、、、3年程前に駅改良工事が行われ、木調の駅となった。 木の香は漂わず、チョイト残念!

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2021年12月12日 (日)

銀座線渋谷駅

昼前に浅草で私用があるため、今日の散歩は恵比寿から渋谷までの一駅間を歩いてきた。 渋谷からは地下鉄銀座線で浅草まで。 1万歩




● 「恵比寿駅」は、島式ホーム2面4線の高架駅である。 山手線と埼京線・湘南新宿ラインが停車する。 ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」として利用されている。 出口は、1階に西口、3階に東口がある。、、、、降りたのは日曜の朝7時40分、まだ駅ビルの店舗はシャッターの中で準備中。 クリスマスの赤い花が目を楽しませてくれる、通路は乗降客も少なく歩きやすい。

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● 今日は渋谷まで歩くつもりで出たので、駅前で『東西南北どちらに歩こうか?』と考えることもなく、ほぼ北に向かって歩く。、、、、駅前の駒沢通りを横切り、飲食店街の裏に入ると小判型の敷地の中に小社「恵比寿神社」(渋谷区恵比寿西1)がある。、、、、地元住人に愛されているこの神社は歴史も長く、神社の説明によると「大昔から」とあるから、卑弥呼の時代か、紫式部の時代か、ガラシャ夫人の時代か、判らない? 大昔の頃より天津神社(大六天様)と称して家内安全、無病息災、五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祭られてきた。 戦後区画整理により記念事業として、現在地に社殿を新築致しこれを契機に商売繁昌、縁結びの神、事代主命(エビス様)を合祀し社名を恵比須神社と改めたそうだ。、、、、要するに、昔から“恵比寿神社”があったのではなく、戦後、地名にあやかり“エビス様”を呼んできて、「恵比寿神社」にした。

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・・・・・・・・・・・・【補足】渋谷区には、サッポロビール本社の東南(恵比寿3‐30)にも恵比寿神社がある。 こちらは、ビールにあやかったのか? 




● 恵比寿神社から北へ250m程、恵比寿西1丁目交差点の近くに、石積みの空き地のような処がある。 ココに、5基の庚申塔と馬頭観音が1基建てられている「恵比寿庚申塔群」である。、、、、屋根の下には、向かって右側より、寛文8年(1668)、延宝4年(1676)、延宝2年(1674)、寛文4年(1664)の庚申塔がある。 脇に野ざらしで建てられているのは、明治38年(1905)の庚申塔、馬頭観音と並んでる。

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・・・・・・・・・・・・恵比寿庚申塔群の前の通りを「庚申道」と言うらしい。 近くを走る山手線のガードは「庚申道ガード」と名付けられている。、、、、ガードを抜けた先、渋谷川に架かる橋が「庚申橋

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・・・・・・・・・・・・庚申橋から見る渋谷川

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・・・・・・・・・・・・庚申橋の西詰に「庚申橋供養碑」がある。、、、、案内板によると、『この橋供養碑は、寛政十一年(1799)にたてられた数少ない珍しいものです。 上部の青面金剛のほかに、四面すべてに、橋講中世話役や万人講及び個人の名が多数刻まれています。 それらの人々の地域を見ますと、渋谷はもとより麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋、市ヶ谷方面から、目黒、中野、世田谷、荻窪といった広い範囲にわたっています。 こうしたことから見ますと、庚申橋を通る道は、江戸時代には重要な交通路であったことが判ります。      渋谷区教育委員会』、、、、渋谷川は当時も深く、落ちて死に至る人も多かったのか?

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● 庚申橋の東側には明治通りがある。 その明治通りに面して、曹洞宗寺院「渋谷山 福昌寺」がある。、、、、福昌寺は、僧桂岩嫩(慶長2年1597年寂)が開山となり、当地に創建したといいます。 当寺には閻魔像があったことから、閻魔寺とも称された。、、、、近年、建て替えられたのか(?)、モダンで立派な寺だ!

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・・・・・・・・・・・・福昌寺には、関東地方唯一といわれる「石棺仏」がある。「石棺仏」とは、古墳にあった石棺を流用して仏を彫った石仏の一種である。 福昌寺の石棺仏は、石棺の蓋を流用し、阿弥陀如来を彫ったものである。調査の結果、石材は兵庫県産で、彫られた時期は南北朝時代であることが判明している。

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● 明治通りを歩き「並木橋交差点」まで来ると、東急東横線の地下化(東京メトロ副都心線と直通運転)により、これまでの高架橋であった路線では、高架部分が取り壊され跡地は「渋谷リバーストリート」と名付けられた遊歩道に変わった。 遊歩道の所どころには、ナンバーが記されている。 ナンバーは旧渋谷駅から数えた、高架橋の柱(橋脚)の管理番号である。


・・・・・・・・・・・・並木橋にあるモニュメント、、、、橋脚の跡

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・・・・・・・・・・・・再開発中の渋谷駅まで続く

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・・・・・・・・・・・・脇を流れる渋谷川は、再開発中の超高層ビルの中から流れ出る!

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● 昨年1月から新しくなった東京メトロ銀座線の「渋谷駅」、、、、渋谷駅は大きく変わりモダンな駅となったが、見るもの全て初めて拝見、東京生まれの東京育ちの“江戸っ子”も田舎者となってしまった!

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2021年12月 9日 (木)

立派な瑞聖寺

京急品川駅で下車し、高輪台駅、白金台駅をとおり、JR恵比寿駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 我が家(浅草橋)から品川までは、JRを利用するルートと、都営浅草線を利用するルートがある。 今日は、浅草線に乗り京浜急行の品川駅で降りた(品川駅改良工事で取り壊される京急「品川駅」を見ておきたかった)、、、、2階のホームはまだ大きな工事が始まっていないようだ。

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・・・・・・・・・・・・1階の改札部分は大きく変わった様子はないが、ホーム下の「京急ストア」は昨年3月末で閉店した。 京急ストアは、昭和8年(1933)7月に「京浜デパート」としてオープン、10年後には「京浜百貨店」に改称、平成2年(1990)には京急ストアと改称した、地味な老舗デパートである。、、、、【おせっかいな注】 上大岡にあるのは「京急百貨店」(京急ストアとは同系列の別会社)、品川にあったのは「京浜百貨店」、、、、【ついでの注】 品川駅改築工事の為、JRの駅ビルにあった、JR初のコンビニNEWDAYSも閉店した。

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● 品川駅高輪口の正面から西に向かい、「グランドプリンスホテル新高輪」前まで、チョッピリ急な上り坂がある。 その名は「柘榴坂(ざくろざか)」、、、、長さ約440m、由来ははっきりしないが、途中にザクロの木があったためと思われる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上り口に、かつて京急が運営する「ホテルパシフィック東京」があった。 平成23年(2011)からは複合商業施設「SHINAGAWA GOOS」に変わったが、今年の3月に閉店した。 30階建て954室の建物は駅前のランドマークでもあった。 この建物も、いよいよ取り壊しとなる。

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・・・・・・・・・・・・坂の上には、「カトリック高輪教会」がある。、、、、敬虔なる信者(?)は、モダンな教会を見ると、チョイト寄りたくなった。

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● 高輪の裏道をチョイトぬければ、都営浅草線「高輪台駅」。

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・・・・・・・・・・・・高輪台駅から白金台駅までは、コチラのルートもある!




● 高輪台駅から白金台の裏道を歩くと、白金台2丁目の二又の角に小さな祠があり、中に小さな「今里地蔵尊」が祀られている。、、、「今里」とは、この地の旧地名。 この辺りは、現在のシャレた地名「白金台」の前は「芝白金今里町」、さらに昔は「今里村」であった。 明治時代には、牛肉を食べる文化が入り、時の政府がココ「今里」に屠殺場をつくった。 そして、町の肉屋は競って、ココの屠殺場から肉を仕入れるようになったのである。 現在、老舗の肉屋で「今半」など、店名に“今”の字がつくのは、ココ「今里」との繋がりを示しているのだ。、、、、現在では、屠殺場の痕跡は何も残っていない。

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● 今里地蔵尊の二又の右側の道を150m程進むと「三田用水路跡」がある。、、、、三田用水路とは、玉川上水を現在の下北沢で分水し、渋谷・三田・目黒・大崎・高輪付近まで給水する上水路である。 三田用水は昭和49年(1974)まで利用されていた。 階段の脇に用水路の断面(U字型)がそのまま残された遺構がある。 この辺りは標高が低く、築堤で用水を流したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・三田用水路跡から100m程歩くと、白金台幼稚園の前には用水路上に架かっていた「今里橋」の遺構がある。 コンクリートも劣化し、取り壊されるのは時間の問題か?

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・・・・・・・・・・・・狭い裏道を200m程歩くと目黒通りに出る。 出た処はチョウド、地下鉄南北線・三田線の「白金台」駅前。 東京大学医科学研究所・旧国立公衆衛生院の前に出た!(今日は立ち寄らず、パス!)

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● 白金台駅の南側に位置する、禅宗寺院で黄檗宗系単立寺院の「紫雲山 瑞聖寺」に寄ってみた。 瑞聖寺は、青木甲斐守重兼が開基、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔を開山として寛文10年(1670)に創建。、、、、江戸時代には、山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であったが、文政年間に大規模な罹災あう。 現在の「大雄宝殿(本堂)」は島津家により再建された。、、、、その大雄宝殿は寺域の中心的建物で、寺格に相応しく雄大で形が美しい。 規模・構造は桁行約10間×梁間約9間で、面積約93坪(306㎡、1重周囲に1間の裳階(もこし)がつき、入母屋棧瓦葺き、裳階の屋根は本瓦葺きとなっている。 関東大震災で傷め長く放置されていたが、平成の初期に解体修理が行われ、往時の姿を取り戻した。 しかし建築年代は不明、また国の重要文化財に指定された。、、、、大雄宝殿の本尊脇に座る、山手七福神の一つとなっている布袋尊もビックリするほど立派な寺だ!

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● 東京大学医科学研究所と聖心女子学院に挟まれた裏道を歩き「外苑西通り(プラチナ通り)」に出る。 シロガネーゼの皆様が好きそうな、レストラン、ブティックなどが並ぶ道。、、、、イチョウの黄葉がみごと! 私の住む浅草橋には無い景色。

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● 首都高2号目黒線の下を抜け西に向かうと、港区白金台から渋谷区恵比寿の町に変わる。 急な坂道を上り、小ジャレタ住宅地を歩き、恵比寿ガーデンプレイスに出てきた。 まだ、10時前、店は開いてないはず。 通過して恵比寿駅へ向かう。

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● 「恵比寿」駅到着。 ご存じ、麦酒屋さんの駅、、、、明治34年(1901)2月25日、日本鉄道の貨物駅として開業。 ビール出荷専用の駅であった。 明治39年(1906)より旅客営業を開始する。、、、、島式ホーム2面4線の高架駅である。 ホーム上の大部分は駅ビルの「アトレ恵比寿」に覆われており、1階に西口、3階に東口、それぞれの改札口が設置されている。

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2019年11月 6日 (水)

只の饅頭を祀る神社

京王線笹塚駅から東京メトロ丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。




●お勤め御苦労さま! ・・・・・・笹塚駅渋谷区笹塚にある京王線・京王新線の高架駅。 大正2年(1913)4月15日、当時の京王電気軌道最初の営業区間である笹塚~調布間開業時に設置された駅。 昭和53年(1978)7月21日に高架化され、同年10月には都営地下鉄新宿線直通の新宿までの複々線別線である京王新線が開業している。 ホームは島式2面4線で、外側の1・4番線を従来の京王線、内側の2・3番線を京王新線が使用しているようだ。、、、、朝の上りホームは新宿線の始発電車を待つ人で超満員。 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 痛筋客』 

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●笹塚は一里塚! ・・・・・・・駅の北側、甲州街道(国道4号)沿いに、一里塚であった笹塚の跡を記す案内板がある。、、、、案内板には、『笹塚跡  笹塚2丁目12番  昔、この辺りの甲州街道の南北両側に、直径1mほどの塚(盛土)がありました。その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから、笹塚と呼ばれていたようです。 その塚が、慶長九年(1604)に設置された塚かどうかははっきりしませんが、この塚一里塚の印を記載している古図もあります。 また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正5年に発刊された『豊多摩郡誌』には「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。この塚があったことからこの地域一帯を昔から「笹塚」と呼び、今もそれが町名として残っています。  渋谷区教育委員会』、、、、甲州街道の起点:お江戸日本橋から三里目の一里塚がここ笹塚であった。 ちなみに、一里目は最高裁判所のある千代田区隼町、二里目は「追分だんご」の新宿区新宿三丁目(追分)。 

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●一列横隊! ・・・・・・甲州街道の笹塚跡から裏道を200m程北に歩くと水道道路に出る。 水道道路は玉川上水を淀橋浄水場(現:新宿副都心)まで導いた水路跡に造られた道路。 水路は盛土して造られていたため、水道道路に変わった現在でも、道路面は周辺の地盤より高い位置にある。、、、、水道道路の南側には昭和40年代に建てられた都営アパートがズラリと横一列に並んでいる。 遠くまで並ぶ団地は“お見事”である。

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・・・・・・・・・・・・・・笹塚二丁目交差点で水道道路とは別れ裏道に入る。、、、、水道道路からチョイト下ったところに、和泉川(神田川笹塚支流)に掛かっていた「堺橋」の跡(欄干)がある。 特に意識して見ていないと、車止めのようで見逃すしてしまう。 川は暗渠化された。、、、、堺橋の先60m程で、杉並区方南の町となる。

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●ド派手な神社! ・・・・・・・方南の町に入ると、赤い旗が境内を囲むようにビッシリ立ち並ぶ谷中稲荷神社があった。 坂の上の小さな神社。 京王井の頭線西永福駅の近くに在る大宮八幡宮(杉並区)の境外摂社。、、、、チョイト派手すぎる神社だ!

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・・・・・・・・・・・・・・神社は坂の上にあり、方南町駅の方からは上り、チョイトきつそうだ。

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●祭神は“只の饅頭” ・・・・・・・・・・・坂を下り道なりに北へ向かうと、いつの間にか杉並区方南から中野区南台に入った。 東京メトロの中野車両基地の南側である。、、、、チョイとした高台に多田神社がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物)、、、、当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、社殿は昭和35年(1960)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・多田神社の社殿北隣に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂はただいま再建中。

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●稼ぎに出て居ない! ・・・・・・東京メトロ中野車両基地の前に出たが、基地は背の高い塀で目隠しされ、中は見えずらくなっている。 それでも、マニアはしつこく内部が見える隙間を探し、写真を撮る。 私もその一人!、、、、隙間発見、アレ!電車の多くは稼ぎに出ている。

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●リニューアルした駅! ・・・・・・車両基地から西へ歩くと、再び杉並区に入り丸ノ内線方南町駅である。、、、、方南町駅の改良工事が終わり、今年(2019)7月5日から6両編成で運行されるようになった。 電車も方南町から池袋行が運転され、途中中野坂上での乗り換えは不要。 

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2019年9月17日 (火)

美しいモスク!

京王線代田橋駅から、小田急線代々木上原駅まで、1万1千歩の散歩です。

 

●再開発に着手! ・・・・・・・代田橋駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の駅で、狭い敷地のため駅舎・改札は八王子寄りの地下に1か所のみある。、、、現在、京王線笹塚駅~仙川駅間の高架化事業が始まり、数年後には代田橋も高架駅に生まれ変わる。 また、駅前の和田堀給水所により、道路の一部が途切れていた井の頭通りも一直線の道路に変わる予定。 こうなると、代田橋駅前の再開発が巷の噂となって“あたり前田のクラッカー”。 世田谷区では計画実現に向け、真剣に取り組み始めているそうだ。、、、、通勤・通学時間、狭い駅前の通りは学生がゾロゾロ、快傑ゾロ!

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●区内唯一の酉の市 ・・・・・・駅の西50m程、線路沿いに大原稲荷神社がある。 天明2年(1782)五月、それまで代田村字大原の北外れを結界とし、村外からの悪霊を祓うため地元の人々の寄合地としてあった杉林に社を建て、遠く京都の伏見稲荷大社まで出向き、稲荷神社が勧請された。 境内社として大鳥神社があり、11月の酉の日には縁起物の熊手市が立ち、世田谷区内唯一の酉の市とあって大勢の人で賑わうそうだ。

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●丸は無くなり、四角ができる ・・・・・代田橋駅の南西に、大正から昭和にかけ建てられた規模の大きな和田堀給水所がある。 用地面積は約5,400㎡。 ここには、頑強な丸い造りの1号配水池(昭和9年完成)と、小さな山の様な四角い2号配水池(大正13年完成)があり、千代田区・港区・渋谷区・世田谷区・目黒区に給水していた。 2つの配水池の有効容量は合計60,000㎥だが、容量不足と老朽化により、平成23年(2011)から給水池の再構築と、給水所の北側を迂回するように延伸されている井の頭通りの直線化工事が行われている。 2号配水池は壊され、丸い1号配水池も今後壊される予定である。 その後、四角い2つの配水池が新たに造られる予定だ。 井の頭通りは配水池の地下を通るらしい。 完成すると、有効容量を60,000㎥から110,000㎥になるそうだ。、、、、工事も佳境に入り部外者は立入禁止、給水所の周りを歩いても、現場の中は見えずらい。 鉄柵越しに最後の姿を瞼に焼き付ける!

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●世田谷の和風住宅! ・・・・・・和田堀給水所の東、大原二丁目交差点を越え、大原1丁目の裏道に「柳沢の杜市民緑地 」がある。 庭の広い個人住宅の跡である。 ここは、かつてこの場所に暮していた柳澤君江が、生前「没後もこのままで残して欲しい」と願い、その意思に沿って残された和風庭園と住宅の跡である。 現在は、市民緑地として開放されているようだ。 庭の奥にある、伊東安兵衛(1908~1972、東京都生まれ、家具・木工のデザイナー。他方、建築設計も行う)の設計による、昭和26年(1951)に建てられた、国の登録有形文化財の建物も残されており、故人が暮らし、愛した風景に触れることができる。、、、、建物の中には入れず、残念!

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●“なつぞら”の空 ・・・・・・・今日の空は、青く澄んだ空に白い雲の映えるアニメのような“なつぞら”。 世田谷区北沢、渋谷区大山町の裏道を歩き代々木上原駅に向かう。、、、、“なつぞら”は暑い、久しぶりに汗が噴き出してきた。

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●凄い綺麗なモスク! ・・・・・渋谷区大山町、もうまもなく代々木上原駅だと思った時、目の前に尖塔が見えた。 アッ、あの尖塔は銭湯の煙突ではない、あれは紛れもなく、私が前から行って見たかった、イスラム教のモスク「東京ジャーミイ」だ! ヨシ、内部を拝見させてもらうぞ!

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・・・・・・・・・・・・・・東京ジャーミイ(Tokyo Camii)は、日本最大のイスラム教寺院である。 東京ジャーミイは、駐日本国トルコ共和国大使館の所属であり、宗教法人「東京トルコディヤーネットジャーミィ」によって運営されている。 モスクの光熱費などはトルコ共和国宗務庁が負担しており、責任者であるイマームも同庁からの派遣である。 東京ジャーミイには、1階にイスラム教(回教)やトルコの文化を紹介する「トルコ文化センター」があり、2階は最大2,000人収容可能な礼拝堂で、女性用の礼拝室も3階にある。 日本最大のモスクである。 敷地面積は734㎡、建物床面積は1,693㎡。 東アジアで最も美しいモスクと云われている。、、、、只今、建物外部は改装中。 内外の壁には大理石を多用し、今日の空の青さを背景に白さが際立っている。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、1階、トルコの美術品が展示されているトルコ文化センターを拝見。 チョイト旅のおつまみに、トルコ原産のナツメは食べ放題。(私は遠慮して3粒ほど頂戴してきた)

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・・・・・・・・・・・・・・2階は礼拝所。 東京ジャーミイの扉・天井・壁などにある装飾は全て意味がある模様・デザインである。 アラビア語の簡潔な文章で、神のメッセージや預言者ムハンマドの言葉がいたる所に記されている。 私はアラビア語はダメなので、すべてが模様のように見えてしまった。 ゴメン! ここで2000人が礼拝する様子を見てみたくなった。 圧倒されること間違いなし!、、、、3階は女性の礼拝室で男性は入室禁止。 残念だが、見るのはあきらめた!

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●懐かしさを感じたホームの売店 ・・・・・・・・代々木上原駅は、昭和2年(1927)4月1日、代々幡上原駅として開業。 昭和16年、代々木上原駅に改称。 昭和53年(1978)に営団地下鉄千代田線・代々木公園~代々木上原間が開通し、小田急小田原線との相互直通運転開始。、、、、現在は、島式ホーム2面4線の高架駅。 最近少なくなったように思えるホームの売店がある。


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2019年7月 8日 (月)

井の頭線 (駒場東大前~渋谷)

今年の梅雨は、飽きもせずに連日の雨。 今朝は、ヤットコドッコイ、やっとのことで雨も上がった。 井の頭線沿線の散歩は、本日が最終日となった。 駒場東大前から渋谷まで、途中に神泉駅があるだけの、二駅間(1.4km)であるが見どころは多い。 1万歩。



●東大生の気分で! ・・・・・・・渋谷から井の頭線に乗り、二つ目の駒場東大前駅で下車。 チョイト、東大生になった気分で、学生と一緒に下車し東大口から出ると、二十歳代の学生の中に七十歳代の親爺一人、このギャップに気付き、恥ずかしい!

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●チョイト東大見学!・・・・・・東大口の正面には東大駒場キャンパスの正門が見える。 守衛さんに呼び止められないか? ドキドキしながら堂々と正門を通過。、、、、駒場キャンパス(教養学部)の正門は旧制第一高等学校正門として昭和13年(1938)頃に完成した。 門扉には、柏葉と橄欖(カンラン)を図案化した一高の校章が入れられている。 平成20年(2008)に門扉は復元された。

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・・・・・・・・・・・・・・正門を入ると正面に、国の登録文化財である旧制第一高等学校本館がある。 内田祥三、清水幸重の設計、銭高組の施工により、昭和8年(1933)完成。 現在は教養学部1号館として教室を使用している。、、、、キャンパスの象徴的建物。 私が受験生の頃の蛍雪時代(旺文社の受験雑誌)の表紙に載っていたかも?、、、、教室はゴク普通の教室だ!

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の左側に教養学部900番教室がある。 旧制第一高等学校の講堂で、昭和13年(1938)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス西側の奥に研究者交流と外国人研究者宿泊のための施設がある。 この建物は昭和12年(1937)に完成した旧一高同窓会館。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。 平成16年(2004)に改築されて、現在はフランス料理のレストランもある、駒場ファカルティハウスと称している。

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の右側には教養学部900番教室と対をなすように、東京大学駒場博物館がある。 旧制第一高等学校の書庫・閲覧室で、昭和10年(1935)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は銭高組。、、、、閉まって入れません!

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・・・・・・・・・・・・・・博物館の北側には学教養学部101号館があり、旧制第一高等学校特設高等科の建物であった。 こちらも、内田祥三、清水幸重の設計で、多田工務店の施工により、昭和10年(1935)に完成。

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・・・・・・・・・・・・・・以上は古い建物の紹介。 これらの建物を囲むように、近代的な校舎が並んでいる。 

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●・・・・・・・・・・・・・東大駒場キャンパスの東側の門から出て、井の頭線沿いに神泉駅に向かう。 この辺りは、住宅も密集し学生向けのアパート、マンションがアッチニモ・コッチニモ!

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・・・・・・・・・・・・・・神泉駅に近づくと線路脇から、切通しの先に神泉トンネルが見える。 300m程のトンネルの渋谷寄りには神泉駅がある。 トンネルの上には住宅が建っている。

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●ホームはトンネルの中 ・・・・・・神泉トンネルの渋谷寄りにある神泉駅。 神泉駅は、昭和8年(1933)8月1日の帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線で、そのほとんどがトンネルの中にある珍しい構造である。 かつての神泉駅はホームの長さが3両分しかなく、吉祥寺寄りの2両がはみ出して停車していた。 そこで神泉トンネルを削って5両分に延長する工事が平成7年(1995)に行われた。 現在は、神泉トンネルと渋谷寄りに駅ビルがつくられ、その中に5両分のホームがある。

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・・・・・・・・・・・・・・渋谷へ行く電車は、神泉駅を出るとスグに渋谷トンネル(渋谷隧道)に入り、円山町のラブホテル街、道玄坂の飲み屋街などを地下で抜けて渋谷駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名の「神泉」は、この辺りの地形が谷間になっており、その谷の名「神泉谷」に由来する。、、、、江戸時代の本『江戸砂子』によると、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」とあって、古くから霊泉として知られていました。 江戸時代から明治20年ころまで、弘法湯として栄え、後の円山を中心とする盛り場の発祥地となりました。、、、、駅近くのコンビニの脇にポツンと立つ神泉湯石碑。 石碑には弘法様らしきが刻まれ、微笑んでいる。 

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●昔も今も、二人の街! ・・・・・渋谷トンネルの上の地には、湯治目的で神泉湯に人が集まり、さらに芸妓さんも住み、湯治場は花街となり、戦後はホテル街と変わってきた。 今でも料亭だった建物が残っている。 知る人ぞ知る「円山町」 円山町から道玄坂を歩き駅へ・・・・一度、夜行ってみたい、楽しそうな街!
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・・・・・・・・・・・・・・その町の中に、長禄元年(1457)に太田道潅が江戸城を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請したことに始まる、千代田稲荷神社がある。 その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に城内から渋谷宮益に移し、「千代田稲荷」と称した。、、、、知る人ぞ知る、道玄坂のパワースポット。 道玄坂で焼肉食べて、神社でパワーを授かり、いざ、円山町はラブホへ出陣!

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●ゴールした! ・・・・・井の頭線沿線の散歩もいよいよゴール。 誰もが知ってる渋谷駅に到着。、、、、明治18年(1885)に日本鉄道の駅が開業(現:JR渋谷駅)。 明治40年(1907)には玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業し、その後、東京市電(後の東京都電)、玉川電気鉄道天現寺橋線(後の東京都電天現寺橋線)、東京横浜電鉄(現:東急)東横線などが開業。 さらにその後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業した。、、、、いまは、地下鉄銀座線、半蔵門線、副都心線なども開通し、さらに、渋谷駅は大改造中。 何が何だか判らない駅だ!

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2019年1月16日 (水)

副都心の裏をブラブラ

東日本橋駅から橋本行の電車に乗る。 相変わらず行先の当てもない散歩、『さて、何処で降りようか?』 いつものように車内で、『あの娘が降りる駅で降りよう』と決めた。 電車が新宿を過ぎた、『アレ、降りない? このまま、終点まで行かれたら散歩する時間が無くなる、どうしよう』と、チョイト考える。 電車は新宿の次の初台駅に停まる。 ドアが閉まる間際に、あの娘が降りた。 『アッ、失敗、一緒に降りられない!』、、、、ということで、初台の次の幡ヶ谷駅で下車し、気ままにブラブラ、適当にアッチャコッチャ、行きついた先の駅は東京メトロ丸ノ内線中野新橋駅。 気ままな散歩です。
 
 
 
●上ってみたい階段・・・・・・・・幡ヶ谷駅は、甲州街道の地下にある京王新線の駅。 大正2年(1913)11月11日に京王電気軌道の駅として開業。 昭和53年(1978)の京王新線開通に伴い、それまでの京王線の地上駅から、現在地の地下駅に移設された。、、、、ホームは相対式2面2線の構造で、地下2階にある。 改札口は地下1階に1ヶ所のみある。 地上の出口は甲州街道の南北両側に、北口と南口がある。、、、、平成20年(2008)にホームの初台駅寄りに、非常階段が設置された。 普段は閉鎖されているので、利用不可。
 
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●公園になった駅・・・・・・・・幡ヶ谷1丁目にある区立幡ヶ谷駅前公園は、京王線が地上を走っていた頃の幡ヶ谷駅跡である。 大正2年(1913)11月11日に駅が開業してから、昭和53年(1978)京王新線開通に伴い現在地に移設されるまで、ここに幡ヶ谷駅があった。、、、、、公園の隣りと向かい側には細長く駐車場がある。 この下に京王線が走っている。(京王新線は甲州街道の下) 京王線は幡ヶ谷駅のチョイ先で、地上に顔を出し隣の笹塚駅に向かう。
 
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●総延長500mの商店街・・・・・・・幡ヶ谷駅の東50m程にある「六号通商店街」を北に歩くと、水道道路に出る。  水道道路を横断し、「六号坂通り商店街」を歩く。 両商店街の総延長500m強。
 
・・・・・・・・・・・・・「六号通商店街」の“六号”とは、かつて水路(水道道路)に架けられていた橋を新宿側から順に、一号橋・二号橋・三号橋、と名付け、その六番目の橋を指す。 水道道路の南側に、甲州街道と水道道路を結ぶ六号通商店街はある。、、、、まだ通勤時間で、シャッターが降りている店が多い。
 
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・・・・・・・・・・・・・水道道路 は、明大前から新宿副都心にあった淀橋浄水場へ、玉川上水の水を引き込んだ水路の跡に造られた一直線の道路である。 道路の東側正面には、新宿副都心が見える。 また、この道路の南側に、ズラリと建ち並ぶ都営住宅は“お見事!” 1.5km以上の距離に30棟程は建っていると思う。
 
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・・・・・・・・・・・・・・水道道路を横断し、六号通商店街の向かいに「六号坂通り商店街」が続く。、、、、長くのびる商店街の端には、ちゃんと「六号坂」がある。
 
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●昔の仲間だ!・・・・・・・・渋谷区本町5丁目で、大きな工事現場が目にとまる。 アッ、雅万歩がよく知っているゼネコンの現場。 かつての仲間が、消防庁の職員用住宅を建てていた。、、、現場を遠目で見て、立ち去ろうとしたら、現場の所長が出ててきた。 チョイト挨拶し、『ガンバって!』、、、、ア~~、若けりゃ、もう一度現場に戻って仕事がしたい!
 
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●左右反転の副都心・・・・・・・・渋谷区から中野区南台に入りと、「南台いちょう公園」がある。 グランドを通して、新宿副都心のビル群が見える。、、、、普段は新宿駅側から眺めることが多いので、左右反転した今日は、副都心の裏側を見ているようだ。
 
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●道場?・・・・・・・・中野区弥生町の裏道に入ると、玄関の一部がなまこ壁の木造の建物があった。 接骨院の看板があるが気になる。 誰もいないので、チョイト周囲から拝見すると、どうやら柔道の道場だったようだ。 内部の壁には名札が掛けられていた。 味のある建物だ!、、、、接骨院は奥の別棟で開いているようだ。
 
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●繋がりのある2社1寺・・・・・・・・・・・弥生町の中央を通るバス通りをブラブラすると、2社1寺に遭遇。 チョイト、参ってくる。
 
・・・・・・・・・・・・・まずは神明氷川神社で、文明元年(1468)太田道灌が江戸城鎮護のため武蔵大宮氷川神社より勧請し、当地周辺(雑色村)の鎮守社だった。、、、、只今、正月の提灯などを片付けていた。 もう、初詣の参拝客はないからね!
 
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・・・・・・・・・・・・・次は、真言宗豊山派の寺院、正蔵院。 寺は円通山海章寺と号す。 天文元年(1532)に創建された。 神明氷川神社の別当寺。、、、、、ここの御詠歌は、「あなうれし 行くも帰るも 留まるも 我は大師と 二人連れなり」  そこで、雅万歩の毎日は、「ああうれし 寝るも起きるも お食事も 我は家内と 二人連れなり」 (これホント) 
 
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・・・・・・・・・・・・・さてドン尻は、中野新橋駅に近い藤神稲荷神社。 先の神明氷川神社の境外末社として古くから鎮座していたと言われてるが、創建年代は不詳。
 
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●中野の新橋・・・・・・・・・昭和36年(1961)2月8日、帝都高速度交通営団荻窪線開通に伴い、途中駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅名は、近くを流れる神田川 に架かる橋の旧名称「新橋」に由来する。、、、、、駅の近くには、昭和36年頃、40軒以上の料亭があり、花街として栄えていたそうだ。 
 
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2019年1月11日 (金)

坂の町、代々木

JR中央線代々木駅から、小田急線の西側に位置する渋谷区代々木2丁目・3丁目・4丁目の町を、いつものように気ままにアッチャ・コッチャ歩いて、小田急線参宮橋駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●代々木村からは遠い代々木駅・・・・・・・・・・・・明治39年(1906)9月23日、甲武鉄道(現:中央線)の駅として代々木駅が開業した。 この時すでに、現在の山手線の一部となる日本鉄道の山手線(品川-渋谷-新宿-池袋-田端)が開通していた。 しかし代々木には駅は無く通過。 明治42年(1909)12月16日から山手線も代々木駅に停車することになった。、、、2面2線の相対式ホームの間に1面2線の島式ホームを配した3面4線の高架駅。 都営大江戸線の乗換駅でもある。、、、、代々木駅は、明治44年(1911)の一日平均乗車人員は2,026人であったが、平成29年(2017)には、約35倍の69,935人となった。 駅周辺には、各種の専門学校が多く、若い人の乗り降りが多い。、、、、江戸時代の代々木村は、現在の小田急線代々木上原駅を中心とする西原・上原のあたりであった。 代々木駅開業時には小田急線・京王線もまだ開通しておらず、代々木村に近い駅(代々木上原駅から2.5km程離れている)として命名されたそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・【親切に一言】 代々木公園、代々木警察署、代々木郵便局、代々木中学校など、“代々木”と名の付いた施設の最寄り駅は代々木駅ではありません。 お間違えなきように!
 
 
 
●踏切が好きな雅万歩・・・・・・・・・今日は小田急線の踏切り数か所を歩いてきた。 
 
・・・・・・・・・・・・・・まずは、小田急線が新宿駅に出入りする「新宿1号踏切」。 踏切の地下には都営大江戸線が走っている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南新宿駅の手前にある「新宿2号踏切」。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・新宿2号踏切の西側に、建築家:渡辺仁(1897~1973)が設計した小田急電鉄の旧本社ビルが残っている。 清水組(現:清水建設)の施工で昭和2年(1927)に竣工した、鉄筋コンクリート造3階/地下1階建ての建物。 数年前に改修工事が行われたが、半円形の窓などドイツ表現派の影響が強くみられる建物である。、、、、渡辺仁は、横浜のホテルニューグランド、銀座和光(服部時計店)、第一生命相互館などを手掛けた昭和を代表する建築家。、、、、、(3枚目の写真は2012年撮影)
 
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・・・・・・・・・・・・・・旧小田急本社ビルのチョイト先に南新宿駅がある。、、、、昭和2年(1927)4月1日に、当時の駅所在地の地名をとって千駄ヶ谷新田駅として開業した。 その後、駅名は小田急本社前駅に改称し、さらに昭和17年(1942)からは南新宿駅となった。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、窪地に駅があるためか出入口はガード下にあり、高架駅のように見える。 周囲の超高層ビルから見下ろされているような駅だ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南新宿駅ホームの南端には「南新宿2号踏切」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・引き続き、「南新宿3号踏切」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・こちらは、「南新宿5号踏切」。
 
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・・・・・・・・・・・・・・南新宿5号踏切の先は切通し。、、、、、ちょうど、ロマンスカーが来た、平成17年(2005)に登場した50000形(VSE車)だ!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・切通しの先に、参宮橋駅のホームが見える。
 
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●坂の町、見下ろされる町・・・・・・・・代々木の町は小さな無名の坂が多い。 坂の先には、新宿副都心、初台の東京オペラシティタワーなど、超高層ビルが立ち並び、自分は鍋底に居て、見下ろされている圧迫感を強く受ける町だ!、、、、、参宮橋商店会では『坂の町 花の町』をキャッチフレーズにしている。 “坂の町”は納得! “花の町”は? どこにある?
 
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・・・・・・・・・・・・・・今日歩いた坂で、唯一名が付いていた坂。 その名は「切り通しの坂」。 画家:岸田劉生が描いた作品「道路と土手と塀」(東京国立近代美術館蔵、重要文化財)のモデルとなった坂。、、、、、この坂を見て、劉生の描いた坂をイメージすることは難しいね! ぜひ、画を観てね!
 
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●散歩の最後は参宮橋駅・・・・・・・・・・・・参宮橋駅は昭和2年(1927)4月1日に開業。 駅は相対式ホーム2面2線の地上駅。 只今、10両編成対応とするため、ホームの改良工事中。、、、ところで、駅名の「参宮橋」とは?、、、、参宮橋は小田急線を通すため、代々木練兵場の一部を切り通した時に架けられた橋である。 明治神宮への参道ともなるため「参宮橋」と命名した。、、、、(参宮橋の写真は2014年撮影)
 
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