江戸川区

2025年12月30日 (火)

奥戸街道

奥戸街道(おくどかいどう)は、都道60号(市川四ツ木線)のうち、平和橋通り交点(奥戸街道入口交差点・葛飾区立石1丁目)から、蔵前橋通り交点(江戸川区西小岩2丁目)まで区間の愛称として用いられている。 奥戸(おくど)は、葛飾区南部の地名である。現行行政地名は奥戸一丁目から九丁目。 地名「奥戸」の謂れは、町域西端には古くより中川が流れており、船による河川を利用した水運が発達していたことから、「奥津」となっていたものが転訛して「奥戸」になったといわれてる。
今日は京成押上線の立石駅から奥戸街道を歩きJR総武線の小岩駅まで、年末30日に1万歩の散歩です。



京成立石駅は高架化工事の真っ最中だが、年末年始は作業も休み!
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・・・・・・・・・・ 立石駅の北側は再開発で仮囲いに囲まれた更地となっている。 南側も再開発の計画はあるそうだが、「立石駅通り商店街」、「立石仲見世」の両商店街は共に健在であった。 正月の準備で、普段と比べ人出も多い!
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● 商店街を抜けると奥戸街道に出る。 この道を歩いて行けば小岩駅に着く。
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・・・・・・・・・・ 中川に架かる「本奥戸橋」の手前(西側)に、千日詣の大願成就御礼で建立した「喜多向観音菩薩」と、街道3点セットの「地蔵尊・馬頭観音・道しるべ」が祀られている。 両石仏に手を合わせ、本奥戸橋を渡り奥戸の町に入る。
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・・・・・・・・・・ 奥戸2丁目の「奥戸スポーツセンター公園」の一画に小さな社の「奥戸水神社」がある。、、、、、奥戸水神社は中川の畔に鎮座している。 この神社の創建年代は不明ですが、享保14年(1729)に幕府の勘定役が河畔に祀ったといわれてる。 奥戸水神社の御祭神は水波能売神(みずはのめのかみ)である。
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・・・・・・・・・・ 水神社から300m程東に歩くと、初詣の参拝客を迎える準備が整った「
奥戸天祖神社」がある。 伊勢皇大神を勧請し、また下総の香取・鹿島のニ神を勧請して三社明神と称し、奥戸村の鎮守である。、、、、、地元の人々が“紅白”を見た後、深夜に初詣に乙津れる神社だ!
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・・・・・・・・・・ 奥戸街道は環七道路と交差する、その奥戸陸橋の下を通り抜ける。
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・・・・・・・・・・ 奥戸8丁目に入ると妙法寺・宝蔵院と二寺がある。、、、、、日蓮宗寺院の「妙法寺」は、玄久山玄乗院と号し、天正年間(1573~1591)に創建されたと伝えられている。、、、、、 真言宗豊山派寺院の「宝蔵院」は、青旧山和光寺と号し、応永2年(1395)に創建された。
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・・・・・・・・・・ 新中川に架かる奥戸新橋を渡ると、江戸川区西小岩の町となる。 あと800m程歩くと蔵前橋通りとの合流点だ!
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・・・・・・・・・・ 蔵前橋通りとの合流点。 奥戸街道はここまで!
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● JR総武線の「小岩駅」到着!
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2025年12月15日 (月)

最東端の商店街

JR総武線新小岩駅からバスで江戸川区の最東端にある商店街へ行った!

 

● 寒さも一休み、今日はチョイと暖かいので散歩にGO!、、、、、行先のあてもなくJR総武線新小岩駅前からバスに乗って『どこかに行こう!』
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・・・・・・・・・・ バス停の行列が一番長そうなところに並ぶと、すぐにバスが来た。
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・・・・・・・・・・ 乗ってから『どこで降りようか?』 普段利用していないバス路線のバス停の名前なんか出てくるはずがない。 バスの終点まで乗車することにした。 バスは都営新宿線の篠崎駅を過ぎると、江戸川沿いに走る。 終点のバス停は「江戸川スポーツランド」 終点なので強制的に降ろされる、ここまで乗ってきた乗客は私一人。
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・・・・・・・・・・ 江戸川スポーツランドとは、23区唯一の区立アイススケート場。 60m×30mのスケートリンク(夏はプール)がある。 建物は昭和57年(1982)に竣工し、すでに40余年経過した。、、、、、 東京に区立のスケート場があるなんて知らなかった! 浅田真央さんも利用しているらしい。 
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● 江戸川スポーツランドの前には都営住宅「東篠崎一丁目第2アパート」がある。 最近建て替えられたと思われる、全10棟(900戸程)の高層集合住宅が並んでいる。 大きな団地、どこの住戸にも洗濯物は干してあるが人影はない。 年寄が多いのかな(?)それとも、みんな勤めに出たのか(?) 静かな団地だ!
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● 団地の近く、江戸川の土手沿いには数社の造船所が並んでる。 河口から5㎞以上上ったこんな所に造船所があるんだ! 河川用の船、観光船などを造っているらしい。
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・・・・・・・・・・ 造られた船はそのまま進水できるように、造船所は江戸川に土手にある。 造船所前を流れる江戸川。
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● 団地の西側に16店舗で構成する「篠崎新町商店街」がある。 江戸川区の最東端にあり、東京都の最東端でもある商店街だ。 商店街は完全に地域密着型で、客の大半は東篠崎一丁目第2アパートとその周辺の住民と思われる。 昭和43年(1968)に創設された商店街で、どこか懐かしいのんびりとした時間が流れています。 、、、、、今日の散歩では、10時前に商店街を歩いたので多くの店はまだシャッターを下ろしたままであったが、数件の店舗はすでに店を開け、頑張って営業中!
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篠崎街道に面する、篠崎新町商店街の入口には「六斎地蔵尊」が祀られている。 六斎地蔵尊は、天和2年(1882)、江戸幕府第五代徳川綱吉の時代に造立された。 江戸川区内では、最も古い地蔵像の一つである。 無量寺別院旧六斎の本尊仏であって、当所には昭和40年(1965)に下篠崎町会会館隣りの六斎堂から遷座、開眼供養が行われた。 商店街の守り地蔵尊!
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● 商店街の最寄りバス停「新町商店街入口」からバスで新小岩駅に向かう。
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2025年11月 4日 (火)

荒川ロックゲート

都営新宿線の東大島駅で下車し、久しぶりに大島小松川公園をとおりぬけ総武線平井駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 都営新宿線の「東大島駅」は、ホームが旧中川の真上に在る、珍しい“河川橋上駅”の一つ。 “河川橋上駅”は、東京の埼京線北赤羽駅、兵庫県の阪神電鉄武庫川駅、高知県の土讃線土佐北側駅、愛媛県の伊予鉄道石手川公園駅ぐらいしかない。、、、、、東大島駅は昭和53年(1978)12月21日に開業した相対式ホーム2面2線の河川橋上駅。 ホーム下を流れる旧中川は江東区と江戸川区の区境となっており、東大島駅の大島口(西側)は江東区、小松川口(東側)は江戸川区にある。 出口を間違えると、川を渡って戻るのが大変!
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● 東大島駅の小松川口を出て、マンション、高層アパートの脇を歩いて、駅の南側にある「大島小松川公園 風の広場」に行く。  風の広場は、荒川と旧中川が合流する位置にあり、三角州の先端状の所に整備された高台の公園である。 公園内にある「旧小松川閘門」は、昭和5年(1930)に完成した、水位の異なる水面を調節して船を通行させる特殊な水門の遺跡。
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・・・・・・・・・・ 旧小松川閘門は、水位の異なる2つの水面(荒川と旧中川)を調節して船を通行させる特殊な水門であった。 本来、この閘門は、2つの扉(小松川閘門と船堀閘門)の開閉によって機能を果たしていましたが、現存する旧小松川閘門はそのうちの1つで、もう1つの扉(船堀閘門)は現在はない。 また、旧小松川閘門も全体の約2/3程度が土の中に埋まり、頭部のみが地上に出ている状態だ。 両閘門は共に昭和5年(1930)の竣工である。 工費は小松川閘門が約101万円、船堀閘門が約88万円。 当時、帝都の発展により新川(中央区)・小名木川(江東区)を利用し、荒川に出入りする船の通航量が増大し、これに応えるため小松川閘門・船堀閘門が建設された。 二閘門の間には電力ケーブルが整備され、電力会社(東京電燈)から供給を受ける小松川閘門、自前で100馬力ディーゼルエンジンと発電機を持つ船堀水門でどちらかの停電時は互いにバックアップする仕組になっていた。また、各門の桁上には60馬力電動機が装備され、8m/分の速度で重さ80tのゲートを昇降した。 船堀閘門は昭和54年(1979)に撤去された。、、、、、頭だけ地上に出ている小松川閘門は、なんとなく“晒し首”を連想させ、チョイと可哀そう!
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● 旧小松川閘門から南へ300m程歩くと、荒川と旧中川を結ぶ閘門「荒川ロックゲート」がある。、、、、、荒川と隅田川を連絡し、両川に挟まれた、墨田区、江東区、江戸川区の各地域の水上交通の確保を目的として、小名木川が旧中川に合流する地点の下流部に、平成17年(2005)に完成した閘門である。 荒川と旧中川は江東地区の地盤沈下のため水位の差が最大3.1mに達することもあり、長い間船舶の運航が出来ない状況となっていた。 しかし、水上交通が大震災時等に有効であるということから改めて水路が見直されることになり、この地に閘門が作られることとなった。 このような背景から、荒川ロックゲートは阪神・淡路大震災クラスの地震にも耐えるように設計されている。、、、、、工事概要:前扉室 は高さ29.5m、幅28.2m 後扉室は高さ22.5m、幅30.0m 閘門の高さ9.4m、幅18.5m、延長65.0m 施工は戸田建設、、、、、閘門に船が通過する様子を眺めていると、時間を忘れてしまう!(船の通過には約20分程度かかる)
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● 東大島駅の北側に広がる「大島小松川公園 自由の広場」を歩く。、、、、、東京ドーム1個分相当の芝生が広がる公園最大の広場が中心である。 芝生の周囲には、ランニングコースや大花壇などがあり、親子連れで多くの方が利用していた。 この公園は、災害時の防災拠点としても活用されるよう、物資の備蓄倉庫と防災設備もある。 災害時には、約20万人の被災者を公園内に一時避難させることを想定しているそうだ。 ヘリコプターも利用できるらしい。、、、、、公園に避難するような災害が起きないことを願うばかりなり!
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JR総武線の平井駅は明治32年(1899)4月28日に、私鉄である総武鉄道の駅として開業した。 明治40年(1907)に総武鉄道が鉄道国有法により買収、国有化され、官設鉄道の駅となる。 島式ホーム1面2線の高架駅である。、、、、、駅前には商店街があるが、地元密着型で隣りの亀戸駅や新小岩駅と比較するとチョイと寂しいね!
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2025年9月18日 (木)

江戸川から京成小岩

今日は、江戸川土手下の住宅地を歩いて、京成本線の江戸川駅から北総線の新柴又駅まで歩くつもりで家を出た。 江戸川駅で下車し、江戸川沿いにある真光院・唐泉寺までは予定通りの方向に歩けたが、その先で歩く方向を間違え気づいた時は、京成小岩駅に向かって歩いてた。 気づくのが遅かった! この暑さの中戻る気もしない、柴又は諦め、京成小岩に出て帰ることにした! 汗をかきかき8千歩



江戸川駅は大正元年(1912)11月3日、押上~江戸川間が開業した時の終着駅である。 この時、江戸川の鉄橋はまだ完成しておらず、暫定的に江戸川の河川敷に設けられた駅であったため、駅名は対岸の町名を名乗って市川駅であった。 大正3年(1914)、江戸川に鉄橋が完成すると、駅は江戸川の土手にホームができ、駅名も『江戸川』と改称した。(多摩川土手にある、京急の六郷土手駅と似た構造) 相対式ホーム2面2線の高架駅。 令和6年度(2024年度)の1日平均乗降人員は6,229人である。、、、、、乗降客も少なく普通列車しか停車しない。 朝は、近くの女子中・高校生がちらほらと降りてくる。 、、、、、駅前の道路は一車線一方通行の寂れた商店街。
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● 江戸川駅から駅前の道路を北へ向かうと、北小岩四丁目の公園の一画に小さな観音堂がある。 ここには弘法大師作という光ケ嶽観音がまつられている。 これは一寸八分(約6㎝)の小金像で、もと里見義豊、義俊の守り本尊として常に甲胄の中に入れて戦場に出たものといわれている。 その後義弘、義高、義頼に至り千福寺(現存せず)を建立してこれをまつったが、義東に至って供養を怠ったところ、文禄元年のこと、沖田家の祖先豊前の寝所に何物かが飛来する物音に驚いて見ると観音の尊像が立っていた。 翌朝千福寺に詣でて調べてと厨子の中には尊像がなかった。 そこで豊前屋敷内に一字を建立してこれをまつり、当地方の人々の信仰を集めるようになったといわれる。 昭和16年に町会の決議によって正真寺所有の境外仏堂となった。、、、、、観音堂は扉が閉まり、賽銭窓からチョイと覗いてみたが、6㎝の小金像は見えず。(盗まれたか?)
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● 観音堂から北へ300m程歩くと、真言宗豊山派で稲荷山遍照寺と号し、慶長7年(1602)に法印良鍐が開山したと伝えられている真光院がある。 本尊に阿弥陀如来立像を安置しており、寺宝として弘法大師筆と伝えられる「鼠心経」を所蔵しているそうだ。 昭和47年(1972)に萱葺きの本堂から鉄筋コンクリート造に建て替えた。 門前に青面金剛と馬頭観音、ドラえもんが祀られている。、、、、、
本堂にまつられている閻魔大王座像は当地出身の遊女三代高尾(仙台高尾)が、その実家を通じて菩提寺に寄進したものと言われてる。 本堂の扉が閉まっており閻魔様には逢えず、残念!
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● 真光院から北へ150m程行くと、天正年間(1573~1592 )の創建といわれ、祭神に天照大御神、相殿に経津主命、倉稲魂命、建御名方命、惶根命を祀る、小岩田天祖神社がある。 享和2年(1802)落雷により焼失し、その後改築した。 現在の社殿は文政10年(1827)に再建された。 ほぼ200年前の建築である。
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江戸川土手にぶつかった! チョイと土手上に登ると、眼下に江戸川が流れ、対岸は市川市国府台の里見公園が広がる、その左には栗山配水塔も見える。
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● 土手下に降りると、真言宗泉涌寺派の唐泉寺がある。 唐泉寺は、吉祥山江戸川不動尊と号し、真言宗泉湧寺派に属する都内唯一の寺院とのこと。、、、、、唐泉寺は、日本唯一の「封じ護摩」の寺として、御本尊に大日大聖不動明王を招来し、「ガン封じ」「ボケ封じ」などに霊験あらたかな寺として、参詣する人が多いそうだ。 またまた、近頃は「選挙の寺」 唐泉(当選)寺としても注目されているらしい。 (小泉さん、高市さんなども来るかも? 伊東の田久保さん、お呼びでないよ!)
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● 唐泉寺に参った後、『“この道”をまっすぐに行くと新柴又駅に出る』と思っていた道を間違えた! 長い直線道路を歩く、扇子片手に『暑い、暑い、死にそうだ!』、熱中症を心配しながら、ひたすら歩く。 汗はダラダラ、『もうダメだ!』と、公園の木陰で一休み。 元気が出たので、自分の居所を確認すると、『アリャ? 新柴又ではなく、京成小岩に近づいてる!』 ここは“男の決断”で、もう新柴又はあきらめて、京成小岩から帰ろう!
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● 汗で衣類はビッショリ濡れて、ペットボトルの水は空、熱中症が心配でぐったり疲れて、京成小岩駅へ着いた。 各駅停車の座席に座り、電車の冷房を肌で感じてアリガタヤ!
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2025年3月11日 (火)

花卉の町:鹿骨

今朝の散歩は、江戸川区鹿骨から、新堀・春江・瑞江と歩いてきた。 8千歩



● 相変わらず散歩の行先は決まっていないが、JR総武線の新小岩駅から散歩をはじめる予定で家を出た。 新小岩駅前には多くのバスが停まっており、行先が特定していない私は、チョイト、バスに乗ってみたくなり、適当に発車しそうなバスに飛び乗った。(都の敬老パスを持っているので、都内のバスは載り放題!)、、、、『どこ行きだ? 瑞江駅行きか、どこで降りようか?』車中で自問自答。 新小岩駅と瑞江駅の間に新中川が流れてる、このバスはどこかで新中川を越えるはずだ、『よし、新中川を越えた処で降りよう!』
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● バスを降りたのは、新中川を越えて最初のバス停「鹿骨五丁目」、初めて降りた! 『さて、どっちへ向かって歩こうか?』 乗ってきたバスは瑞江駅行きなので、とりあえずバスが向かった方向へ私も歩くことにした。、、、、“鹿骨”は“ししぼね”と読む。 奈良時代(8世紀)、藤原氏によって奈良の春日大社の創建に際し、常陸の鹿島神宮から分霊されたが、その際に多くの神鹿を引き連れておよそ1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられており、その途中、鹿が死んだためこの地に葬った。(鹿を葬った「鹿見塚」や「鹿骨鹿島神社」がある) これが「鹿骨」の地名の由来と言われてる。、、、、鹿骨は園芸の町としても有名で、ビニールハウスが点在する。
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・・・・・・・・・・ 花卉農家の多い町として、特産野菜や花卉類の研究栽培を行う「東京都農林総合研究センター 江戸川分場」がある。 構内の見学はできるそうだ。
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● 鹿骨1丁目に、真言宗豊山派寺院の円勝院がある。 金霊山神明寺と号す。 円勝院の創建年代は不詳であるが、享禄3年(1530)に中興、元禄2年(1689)に火災で焼失し別当を勤めていた鹿骨鹿島神社の地から当地へ移転、明治7年に観音寺、乗勝寺、薬王寺の三寺を合併した。、、、、歴史を語るものは少ないようだが、“鹿骨”の場所柄、緑や花については話題も多く、時期によっては古代蓮が見事に咲くそうだ!
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● 春江町に入ると、耐震補強と外部塗装を終えた、東京都住宅供給公社の「春江町住宅」が見える。 昭和47年(1972)から翌年にかけ完成した、地上11階建ての建物3棟からなる住宅は、総戸数398戸の団地。、、、、11階は見晴らしが良く、市川・本八幡・下総中山方面が一望できる無料の展望台(?)
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● 都営新宿線の瑞江駅に近い処にも、“
生産緑地”と呼ばれる農地が点在する。 駅に至近なこの農地、更地にして売ったらいくらになるか? 億万長者になれそうだ!
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● 瑞江駅に到着したが、駅前のバス乗り場には小岩駅行きのバスが停まってる。 帰りは、このバスで小岩駅に行き、総武線で帰ろう!、、、、今日は、行きも帰りもバス利用!
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2024年11月16日 (土)

中途半端に四福神

3日前に足立区梅田の「ゆめろーど千代田商店街」を歩いてきたが、“千代田”の名がつく商店街が葛飾区鎌倉にもあることを思い出し、久々に行ってみたくなった。 朝の掃除も終えて、夫婦で京成小岩駅から柴又帝釈天まで歩いてきた。 9千歩



● 我が家の在る浅草橋からは、都営浅草線に乗り入れてる京成本線経由特急成田空港行きに乗ると、乗り換えなしで「京成小岩」まで行ける。、、、、京成小岩駅からJR小岩駅までは歩ける距離であるが、チョイト離れている。(年寄りにはキツイね!) 駅自体は柴又街道の裏手に位置し、地元以外の人には解りづらい奥まった場所にある。 駅前には20分間隔で、亀有行きの「京成タウンバス」が発着してる。、、、、山手の駅前に多い、大型ショッピングセンター、タワーマンション、綺麗に整備された街路などは一切見あたらない。 ここ京成小岩駅は何故か懐かしい下町の私鉄駅って感じがする。
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● 京成小岩駅前から北に向かい「京成小岩商栄会」という商店街が伸びている。 長さ300m程の商店街はバスも通る道路の両側に、約60店舗の店が並んでいるが、シャッターの下りている店、住宅なども点在し、チョイト寂しい。 交通量は少なく、電柱の地中化もされており年寄りには歩きやすい道路であった。、、、、この商店街の北端まで、江戸川区北小岩の町
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● 京成小岩商栄会の商店街が終ると、その先に引き続いて「千代田通り商店街」となる。 ここからは葛飾区鎌倉の町でなる。 つまり、商店街は京成小岩駅から北に伸びているが、区境が商店街の境でもあり名称も道路幅も雰囲気も変わる。、、、、千代田通り商店街は昭和32年(1957)に設立され、後に葛飾区で第一号となるモデル商店街となった。 約300mの長さ、道幅は車1台分程の商店街は、アーケードがなくほぼ同様の構えの店が30店舗程ズラリと並び、自然発生的な商店街ではなく、おそらく計画的に作られた商店街と思われる。 浅草の「仲見世通り」を地元密着型の商店街にした感じである。、、、、ここもシャッターを下ろした店舗が目立つが、年に数回のイベントが催され、多くの買い物客で賑わっているらしい。、、、、戦後誕生した昭和レトロな商店街、頑張って続けて欲しいね!
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● 千代田通り商店街を通り抜けて北へ進むと、北総線新柴又駅の近くに、真言宗豊山派の医王寺がある。、、、、医王寺は、薬王山瑠璃光院と号す。 応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。 本尊は薬師如来(秘仏) 当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立された。 建立後間もなく、小田原の北條氏と安房の里見氏が利根川(現在の江戸川)を挟んで対峙し、天文7年(1538)・永禄7年(1564)の二度の国府台合戦に、北條方の陣屋として使用されたため什物の大部分が失われた。 その後、中興されたが、しばらくすると、寺は無住となり多くの資料が散逸した。 寛永年間(1624~1644)金蓮院の僧某が再興し医王寺と改めた。、、、、この寺には、七福神の一つ、恵比寿天を祀っているが、正月の「柴又七福神巡り」で顔見世するためか(?)、本堂に閉じられ御対面は叶わず!
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● 北総線の高架下を抜けて柴又帝釈天に向かうと、柴又七福神の一つ大黒天を祀る真言宗智山派寺院の宝生院がある。 宝生院は大黒山と号す。 寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したといわれてる。 関東大震災で罹災し、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 柴又七福神の一つとなっている本尊の大黒天は、江戸期から信仰を集めていたそうだ。、、、、ここでも、本堂の引き戸は閉じられ、ガラス戸越しに大黒様はいずこにおるや? 
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● 宝生院からさらに北へ向かうと、またまた柴又七福神の一つ福禄寿を祀る曹洞宗寺院の聖閣山万福寺がある。 この寺は、昭和3年(1928)の創建で新しい。 こちらにある柴又七福神の福禄寿は、年代不明であるが、宍戸家(?)に伝えられた家宝仏で、奉納され万福寺で祀っている。、、、、ここも本堂は閉じられ、福禄寿はいずれにいるや?
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● 柴又帝釈天に着いた、、、、日蓮宗寺院の題経寺は、経栄山と号し、柴又帝釈天として著名です。 題経寺は市川市中山法華経寺第19世禅那日忠が当地にあった草庵を一寺とし成し、寛永6年(1629)開山したといいます。 本堂改築に際して、梁の上から日蓮聖人自刻と伝えられる帝釈天像の板木(板本尊)を安永8年(1779)の庚申の日に発見、柴又帝釈天として著名となり、現在に至るまで庚申の日を縁日としています。、、、、ここにも柴又七福神の内の一つ、毘沙門天が祀られている。 七福神の内、四福神の寺に来たが、どこもかしこも御尊顔を拝せず。 『賽銭もって、正月のお越しをお待ちしてます!』と、言われてるようだ! 今日は七福神巡りに来たわけではないが、何となく中途半端な気持ちで帰ることにした。
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・・・・・・・・・・ 帰りは参道を通り、鰻を食し、草だんご買って、柴又駅へ。 2411161216240
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2024年11月 8日 (金)

鹿骨街道

都営新宿線の篠崎駅で下車し散歩を始める。 篠崎駅の北側を東西にのびる鹿骨街道に出て西に歩き、鹿骨新橋で新中川を越え、その後は鹿骨街道と分かれてJR総武線の新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




都営新宿線の篠崎駅は昭和61年(1986)9月14日、新宿線船堀~篠崎間延伸時に設けられた。 その後、平成元年(1989)3月に新宿線が本八幡駅まで延伸し、以来篠崎駅は中間駅となった。 ホームは島式1面2線構造で地下2階にある。 朝は都心へ向かう通勤通学客が多く、新宿方面行の電車は座れないかも? 反対方向行きの、隣の本八幡行き電車はガラガラ!

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● 篠崎駅から北へ400m程歩くと鹿骨街道(ししぼねかいどう)に出る。(「鹿骨」を“しかほね”・“しかぼね”と読むのはよそ者である、地元では“ししぼね”と、、、、江戸川区の地名:鹿骨由来は、その昔、常陸国(現:茨城県)の鹿島大神という神様が大和国(奈良県)の春日社に向かう途中でお供の鹿が病死した。 この時、地元(鹿骨)の人々が手厚く埋葬したことから名付けられたといわれてる。 その鹿のために作られた塚を「鹿見塚(ししみづか)」といい、今も「鹿見塚神社」に残されている。、、、、今日の散歩では、この鹿骨街道を西へ歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 上篠崎4丁目付近から西へ向かう、、、、“街道”と言っても、街道らしき昔の面影が残っていない!
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・・・・・・・・・・ 上篠崎3丁目の一隅に庚申塔がある「柳島の庚申塔 河原道石造道標」である。、、、、文化13年(1816)建立の道標で、正面に「右かわら道、講中」、左側面に「左江戸道」と刻まれている。 上部に青面金剛像の庚申塔を載せ、その台座が道標部分となっている。、、、、庚申塔の猿は消され、金剛像は劣化し、台座の彫りは読みづらく、チョイト悲しい運命の庚申塔!
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・・・・・・・・・・  柴又街道との交差点を越えて200m程歩くと、「鹿骨」の発祥地:鹿見塚神社(ししみづかじんじゃ)がある。 ここには鹿を葬って祀ったと言われてる鹿見塚が昭和44年(1969)頃まではあった場所である。 現在は、「鹿骨発祥の地 鹿見塚」の碑がある。 また近くには鹿骨鹿島神社もある。、、、、本店が鹿島神宮、その支店が鹿骨鹿島神社、その営業所が鹿見塚神社というような関係だ、最近は知られざるパワースポットとして売り出し中とか、ホントかな?
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・・・・・・・・・・ 鹿骨街道をさらに西へ300m程歩くと、バス停「鹿骨」の前に、真言宗豊山派寺院の密蔵院がある。 密蔵院は、本命山明光寺と号す。 密蔵院の創建年代は不詳だが、江戸時代中期の創建と伝えられます。 明治期に小岩善養寺の境外仏堂となったものの、平成2年(1990)に宗教法人となった。、、、、境内の一画に、閻魔大王が鎮座してる。 その脇に『・・略・・ 嘘をついても屁と思わず、否それおも正当化しようとする昨今の風潮にいたく立腹され、このたび憤怒の姿をこの地にあらわされた。 心からの反省の念をもって水をかけ、願うべし。「どうか私のついた嘘を水に流してください」と。』書かれてた。 私もチョイト水をかけ、これまで70数余年の嘘を流そうと思ったが、柄杓では流しきれないので諦めた。 
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・・・・・・・・・・ 新中川に架かる鹿骨新橋を渡り、
東岸の江戸川区鹿骨6丁目から西岸の江戸川区松本2丁目の町に入る。 鹿骨新橋は、平成7年(1995)12月に架橋された。 橋長119.3m、幅員18.0mの3径間連続非合成箱桁橋。 工事費は16億4千万円だったそうだ、高いか安いかサッパリ判らん!、、、、対岸にはスカイツリーが見える
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・・・・・・・・・・ 鹿骨新橋を渡り松本2丁目で鹿骨街道と分かれ、JR新小岩駅に向かって歩く。



● 駅前の商店街を抜けると新小岩駅。 JR総武線の新小岩駅から浅草橋の我が家までは所要約15分。 今日の散歩はここまで!
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2024年9月 5日 (木)

鳳凰堂を模した燈明寺

昨日は爽やかな風が吹く一日であった。 今日も秋風を期待し早朝の散歩に出た。 私の住む浅草橋からJR総武線で千葉方向に4駅目「平井駅」で下車し、スカイツリーのある押上まで歩いてきた。 ただし、持参したカメラのバッテリーが切れ、写真は途中の小村井駅まで、チョイト残念!




平井駅(江戸川区)は明治32年(1899)4月28日に総武鉄道(私鉄)の駅として開業。 明治40年(1907)には総武鉄道が鉄道国有法により買収、国有化され、官設鉄道の駅となる。 中央・総武線各駅停車しか停車しない浅草橋駅と同様に都心の冴えない駅である。 1日平均乗車人員は約3万人である。

・・・・・・・・・・ 朝8時頃、乗る人、降りる人、通勤通学客で駅は混んでる。 お勤め、ご苦労様です! 
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・・・・・・・・・・ 平井駅に到着する千葉方面から都心に向かう電車は、既に満員状態。 乗れない人もいるようだ、可哀そうに遅刻しちゃうぞ!

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・・・・・・・・・・ まだまだ夏の名残り、暑い暑い!

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・・・・・・・・・・ 駅北口の真ん前に建築中のタワマン、もうすぐ出来上がり! ちなみにネットを見ると、29階・3LDK(120.59m2 )で、価格は約2億5千万円也。 チョイト、私には買えないね!

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● 平井駅から北西に歩いて徒歩10分、旧中川の近くに「燈明寺」がある。 燈明寺は、新義真言宗に属し明雅山明王院と称し、本尊の不動明王(私は拝見したことがないが)は身長1丈3勺(3.9m)で胎内に弘法大師1刀3札の不動明王を安置してるそうだ。 燈明寺の創建年代については不詳であるが、元暁という僧により開山されたそうだ。 江戸時代中期の寛延2年(1749)に示寂した恵祐がこの寺を中興して聖天を勧請して堂を建て、以後「平井聖天」として有名になった寺である。
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・・・・・・・・・・ 燈明寺は、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあう。 当時の関澄道貫主(26世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅で荘厳な本堂が建立された。 昭和4年(1929)に起工し同19年(1944)に完成した。 建物は総高14.4m、幅17.1m、奥行27mの金堂造りである。、、、、たしかに、平等院鳳凰堂を模したという本堂は、近建築でありながら風格ある佇まいだ! (平等院鳳凰堂を知らない人は10円硬貨をよく見てチョ!)

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・・・・・・・・・・ 燈明寺の別堂である聖天堂は「平井聖天」といわれ、昔から待乳山聖天、妻沼聖天とならぶ関東三聖天の一つである。 江戸時代には歴代将軍の鷹狩の時、聖天に参詣され、また御膳所にもなっていた。 この聖天堂は、里見八犬伝の物語や桧山騒動の相馬大作の祈願したことなどでもその名を知られ、昔から多くの人の信仰を集めている。 毎年節分会に柴燈護摩(火渡り)を行っているそうだ。、、、、大根と巾着など、聖天さまと縁のあるものを探して見たら、賽銭箱に大根の文様があった! 

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● 燈明寺の隣りには「平井諏訪神社」がある。 創建年代は享保年間(1716~1736) 祭神は建御名方命で、信濃国一ノ宮諏訪神社の分社である。 享保年間に燈明寺の恵祐法印が、自分が生まれた国である信州の諏訪大明神の神霊をここに祀ったのが始まりと言われてる。 境内の中央の現社殿は昭和44年(1969)に新築。 再来週は例大祭なので、準備が進められている。、、、、広い境内ではないが、よく整備され気持ちよく参拝できる。

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● 平井諏訪神社の西側、旧中川に「平井橋」が架かっている。 江戸川区平井と墨田区立花を結ぶ長さ55.4mの橋である。 昔はここに平井の渡しがあり、行徳、船橋へとつないでいた。
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● 平井橋から1㎞程西へ歩くと、東武鉄道亀戸線の小村井駅(おむらいえき)がある。 小村井駅は、墨田区文花2丁目にある駅で、昭和3年(1928)4月15日に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあり、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。、、、、小さな駅舎、2両編成の列車が停まる短い地上ホーム、昭和の香りが漂う大都会のローカル駅。
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● ここで、カメラのバッテリー容量が無くなっていることに気づき、撮影中断、残念無念!

2024年7月17日 (水)

古代東海道を歩く

今朝の東京は、雨は止んだが太陽は顔を出さずの曇り空、湿度が高く歩きはじめると、スグに服の中は汗でびっしょりとなる。 気温は28度ぐらい熱中症を心配しながら、京成小岩駅から立石駅まで歩いてきた。 1万1千歩




● 久しぶりに京成本線の「京成小岩駅で下車し歩くことにした。、、、、京成小岩駅は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 出口は駅前にバス停がある北口と路地の奥にある裏口のような南口の2ヵ所。 駅の開業は、90年以上前の昭和7年(1932)5月15日。(開業当時はおそらく畑の中の駅だったと思うね?)、、、、JR総武線の小岩駅と京成小岩駅は、直線距離で1.0㎞程離れており、乗換は現実的ではない。 乗換えるなら、隣のJR市川駅と京成の市川真間駅で乗り替えた方が楽だ!

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● 京成小岩駅北口を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 北口付近から西に向かって奥戸橋を渡り、京成押上線の立石駅方面に伸びるバス通りがある。 歩いてる途中で雨が降ってきたらバスに乗れそうなので、今日の散歩はこの道を歩くことにした。 

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● 京成小岩駅から数分の所に「愛国学園」(江戸川区西小岩)の中学校・高等学校がある。 学校は昭和13年(1938)設立の女子校。 千葉県四街道市には系列の大学もある。、、、、『ちょいと、女学生のお顔を拝見!』と校門近くに行ってみたが、時刻は8時数分前、まだ通学時間には早すぎる、誰もいないので校舎だけ拝見して早々に立ち去る。

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● 愛国学園正門から50m程西に歩くと、「鎌倉かなえ通り」と交差する角に「古代東海道道標」なるものがある。 石碑自体は比較的新しいものと思われる。 碑文には『日本は七世紀以降、都を中心に畿内参道の整備を行いました。都から東国へは東海道と東山道の二本の官道が敷設され、人や文物が往来していました。墨田区隅田と江戸川区小岩を結ぶ道は、武蔵国と下総国を連絡する古代東海道の一部と考えられます。』と彫られてる。

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・・・・・・・・・・ バス通りに出てしばらく歩き、新中川に架かる「三和橋」を渡ると「奥戸小学校」がある。 小学校の正門の脇に、同様の要旨の案内図がある。 地図は南北逆さまであるが、京成小岩駅の先から隅田川岸まで赤い線で古代東海道が標されてる。(地図はクリックすると拡大します)、、、、今日の散歩は、まさしく古代東海道を歩いてた。

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● 新中川に架かる「三和橋(さんわばし)」は、昭和36年(1961)の新中川掘削工事に伴い架橋された。 その後、橋の劣化も進み、 平成24年(2012)現在の橋に架け替えられた。 橋の形式は、3径間連続プレビーム合成桁橋、橋長119.0m、幅員18.0m。

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● 三和橋に続き、中川に架かる「奥戸橋(おくどばし)」を渡る。、、、、奥戸橋は、右岸 (西詰) の東京都葛飾区立石八丁目と左岸 (東詰) の奥戸七丁目の間を結んでいる。 現在の橋は、昭和47年(1972)竣工であり、過去に幾度かの架け替えが行われている。 現橋は、旧橋の下流に、6億7500万円で建設された。 形式はゲルバー式鋼I桁 + 活荷重合成I桁・H鋼桁 + PCホロースラブ橋、全長299.6m、幅11.0m。

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● 奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つである。 本殿は総公孫樹材を用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年(1961)に、夫々改築造営された。、、、、古代東海道沿いの古社なので、チョイト参拝していく。

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● 「立石」の地名は、葛飾区立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、現在児童公園に併設する祠の中に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より当地に持ち込まれたと推定される。 また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたらしい。 江戸時代には高さ60センチ以上の大きさだったらしいが、後に、立石様を欠いて持つと病気に効くという信仰や日清・日露戦争時に弾よけのお守りとして欠いて持つ人が現れたこと、また地盤沈下などの結果、現在では地表に頭だけだしてる、チョイト悲しい状況だ。

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● 古代東海道の一部を歩き、工事中の京成押上線「立石駅に到着。 今日はここまで! 

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2024年2月20日 (火)

リベンジで市川まで

昨日は何となく、いつの間にか小岩まで歩く予定になり、平井まで歩いてギブアップ。 今日はそのリベンジで、平井から歩き、新小岩、小岩と通り過ぎ、隣の千葉県に入って市川まで、1万5千歩の散歩となった。




● 昨夜降った雨でまだ道路は濡れているが、今日の午前中は晴天となる予報を信じて、平井駅(総武緩行線)に降り立つ。、、、、昨日痛かった足も、今日は調子良さそうだ!

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● 今日も蔵前橋通りを東(小岩方面)へ歩くつもりだ。 蔵前橋通りに出る。

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● 荒川に架かる平井大橋は歩道の幅員を2mから3mに広げる工事が進められている。 工事は橋の中間部分まで完成したようだ、中程で施工前と施工後の違いがよく判る。 歩行者も自転車も快適に通れるようになった! 完成は来年の春らしい。

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● 平井大橋を渡ると、大きな新小岩公園がある。 園内にはまだ水溜りが残ってる。 私のお腹に残った水溜りは溢れそうだ、緊急事態! チョイト、トイレを拝借。

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● 新小岩駅前、通勤で小走りに駅に向かう人も見える。 「北口商店会」を横切る。 

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● 暗渠化されコンクリート造の欄干だけ残された巽橋。 その巽橋跡がある「たつみ橋交差点」 こちらも、新小岩駅に向かう多くの人が信号待ち!、、、、、ここまで平井駅から約40分歩いた。 私の足は快調だ、この状態なら次の小岩駅までは楽勝だ! 

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● 葛飾区東新小岩の町を蔵前橋通りが貫いていく。、、、、通りの両側はカーディーラーと、ファミレス、マンションが並び、歩く私には面白みが無い! 単調な歩きで疲れてきたかな? 

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● 一日2~3本の貨車しか通らない新金貨物線のガードを抜ける。 ガードは昭和33年(1958)に熊谷組の施工で竣工した。
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● 続いて新中川に架かる上一色橋(かみいっしきばし)を渡る。 橋は昭和41年(1966)に架橋(既に50年以上経過した)、、、、この橋を渡ると小岩駅がある。 季節外れの暖かさ、歩く私は汗ばんできた。

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● 小岩駅に向かう商店街「西小岩通り会」の曲がり角。 『ここを曲がれば小岩駅、今日の目標を達成する。 でも、次の市川駅まで歩くと、さすが男だ、よく頑張ったと妻の一言! 市川まで歩くか、ここで止めるか、これが問題だ!』 心の葛藤があったが、市川まで歩くことにした。(チョイト、足と腰が痛くなってきた。 我慢、我慢、やせ我慢!)

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● 小岩駅前の通過は9時半、平井駅からは1時間半ほど経過した。 柴又街道との交差点を通過する。、、、、『もう少しで市川橋だ、ガンバレ!』チョイト疲れた自分にいいきかせる。

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● 市川橋の西詰(小岩側)で、蔵前橋通り千葉街道(国道14号)とぶつかる。 ここが蔵前橋通りの東端になる。 道路名を表示している案内板も、蔵前橋通りを示す矢の方向が一方だけとなっている。(ヤ~ね!)

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● 江戸川に架かる市川橋まで来た! 全長399mの橋は、歩いて渡るには長~~い。 『歩けど 歩けど 橋の上 川に飛び込みたくもなるね』 

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● 市川橋を渡り市川市に入ると、高宮山観音寺がある。天正17年(1362)に開山した真言宗豊山派の寺。 『疲れたが、駅まであと少し、無事帰れますように(合掌)』

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● 足・腰の痛みこらえて市川駅に到着。 1万5千歩、歩いたぞ!

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