江戸川区

2022年8月 7日 (日)

鰻にニッコリ

我が妻が嫁ぐまでの20年間(戦後の昭和時代)、過ごしてきた実家の家(江戸川区南小岩)を取り壊すことにした。 両親は30年程前に他界し、その後家を守ってきた義兄も他界し、空き家となっていた。 主の居ない家は老朽化も早く、放置しておくこともできず、更地にして売却することにした。 今日は最後の見納めで、取壊しがはじまり屋根の無くなった家を、感慨深く妻と見てきた。 ボロ家といえども、思い出多い家が無くなるのは寂しいもので、妻は合掌!

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● 小岩駅に戻り、『もうすぐ昼だ、食事はどうしよう?』 『ここまで来たら、帝釈天で鰻はどうだ!』、、、、寂しさ吹っ飛び 鰻にニッコリ  妻の顔

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● 曇り空の東京、気温30℃、熱中症は心配無用、コロナはチョイト心配だった! 5千歩のミニ散歩 

2022年7月27日 (水)

押上から平井

当たり前のことだが『夏は暑い!』 今年もその暑さに、プラス“コロナ”、も一つおまけで“さる痘”。 大阪では高齢者の行動制限も検討しているとか? 最近の東京は、朝から暑く、高齢者は外出をひかえた方が良いかもね。

それでも外出したくなるのは、仕事もなく、ひまで元気な高齢者。 私もその一人で、家に籠って『終活ノート』を書く気はさらさらなし。

今日も朝一で我が家(浅草橋)の周辺を散歩、5時の始発電車を駅で見送り、熟睡中の神様に詣で、立ち喰い蕎麦の仕込み作業をチョイト見て、朝の爽やか空気を吸って帰る。、、、、家内も起きて朝食の準備中。 

朝食時、家内から『今日は涼しいよ、散歩してきたら』と一声掛かる。 『もう、町内一周してきたからいいよ』と返すと、“町内一周”ではなく、足の運動で“雅万歩”の散歩をして来いだった! 『ヨシ、行ってくる』

7時過ぎに家を出たが、『さて、どこへ行こうか、ああ ここは浅草(橋) 思案橋ブルース』、、、、乗って降りたは (暑い暑いと)哭いているよな 押上の町。



● 京成電鉄が管轄する押上駅には、同社の押上線と、東京都交通局の都営地下鉄浅草線が乗り入れている。 都営の“敬老パス”を持つ私は、都営線内無料(実質は先払い)で、ここで降りる。、、、、押上駅は大正元年(1912)11月3日に京成押上線の起点として開業、都営浅草線の乗り入れは昭和35年(1960)である。、、、、現在の押上駅は東京スカイツリーの下に地下化され、東武伊勢崎線(東京メトロ半蔵門線)も乗り入れてる。 東武伊勢崎線から都営浅草線に乗り換える乗客が多く、改札は人が途切れることはない。

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・・・・・・・・・・・・ 地上に出ると頭上には東京スカイツリーが夏空に眩しく輝いてる

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● 押上駅から裏道を歩く・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・ 健生堂病院は、大正8年(1911)に健生堂医院として開設され、下町に安心の医療サービスを提供し続けている地域密着型の病院。 診療科目は主たる内科の他に、外科、整形外科、皮膚科、眼科、歯科などがある。、、、、建物も歴史がありそうだ!

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・・・・・・・・・・・・ スカイツリーの足下を流れる北十間川から見上げる塔

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・・・・・・・・・・・・ 夏休み、水泳教室に向かう児童、、、、泳ぎの苦手な私には、辛かった思い出

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・・・・・・・・・・・・ 昭和30年代のカラーリングのリバイバルカラー車両が走る東武亀戸線の踏切。、、、、この踏切の向こう側は墨田区京島地区。

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● かつては、救急・消防車両も入れぬ典型的な「木蜜地域(=木造住宅密集地域)」と言われた墨田区京島地区。 住民・行政の努力が少しずつ実り、道路幅は広がり、木造住宅は耐火建築に変わり、“木蜜地域”から脱しようとしている。

・・・・・・・・・・・・ まだまだ残る木造長屋。 できる限り、早く耐火建築に!

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・・・・・・・・・・・・ 道路幅が広がり、両側の住宅は耐火建築に変わった処

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・・・・・・・・・・・・ 住宅が取り壊された跡は道路に変わるようだ!

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・・・・・・・・・・・・ 防火・防災に備えあちらこちらに点在する「手押しポンプ」

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● 京島地区を抜けると八広・立花地区。 墨田区の東端部に位置する家内工業の多い町。、、、、時刻は9時を過ぎ、太陽ギラギラ、汗ダラダラ、ついでに足はフラフラ。 このまま歩くと“死”へ一直線だ、近くの公園で水をかぶり頭・首を冷やす。

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旧中川に架かる「平井橋を渡り江戸川区に入る。 JR平井駅までは500m程。 『どうやら死なずに帰ることができそうだ!』一安心。

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● 「平井駅」に無事到着、、、、明治32年(1899)4月28日に総武鉄道の駅として開業した古い駅だが、私の住む浅草橋駅と同様で総武線各駅停車の駅では影がうすい方だ。 

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2021年10月 3日 (日)

食用蛙供養塔?

長かった長かった、やっと解除です、待ちに待った緊急事態宣言が解除された! これで、自由になるかと思いきや、まだマスクを着用する、まだアクリル板越しに会食する、まだ他県への移動は自粛するなど、引き続きの感染対策が求められているのです。 でも、気持ちは緩み、行動もコロナ以前の状態に戻ってきたようだ!、、、、これから“秋”を堪能したいね!

今日は、都営新宿線一之江駅から東西線西葛西駅を目指して歩いたが、体力に余裕があり、葛西橋を渡り東西線南砂町駅まで歩いた。 1万6千歩。




● 日曜の早朝、ガラガラ電車で「一之江駅」に到着。 通勤・通学客もおらず、ホームも空き空き。、、、、今日は、一之江駅から南西方向に東西線の西葛西駅を目指し駅前を出発!

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● 一之江駅前の「環七通り」を南へ300m程歩くと「新大橋通り」との交差点がある。 この交差点から裏通りを西へしばらく歩く。

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・・・・・・・・・・・・二之江町で、地元のお年寄りによって、綺麗に清掃し整備された「一之江境川親水公園」に出た。 コイやカメが泳ぐ小川の両側が歩道となっている親水公園沿いに、南西に向かって歩く。

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● 一之江境川親水公園沿いの江戸川区船堀6丁目には、船堀日枝神社、光明寺、法龍寺の順に一社二寺が並んでいる。 チョイトお立ち寄り!

・・・・・・・・・・・・まずは「船堀日枝神社」に参拝。、、、、 旧船堀村東組の鎮守。 祭神は国常立尊、左右相殿に春日大明神と稲荷大明神を合祀している。 慶長19年(1614)、船堀新田開発の際に守護神として山王権現を祀ったのが始まりらしい。 別当寺は隣接の光明寺で、明治6年に日枝神社と改称しました。、、、、本殿脇には、旧船堀村の登山講の人たちが、明治25年(1892)に築いた、高さ約2mの「船堀の富士塚」がある。 この富士さんは誰れでも登山可能で、今だ遭難者はいないらしい!

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・・・・・・・・・・・・船堀日枝神社の隣りには、真言宗豊山派寺院の「光明寺」がある。、、、、光明寺は、稲香山横道院と号す。 光明寺は、覚仙上人が開山となり慶長19年(1614)に創建した。 当寺本尊の不動明王は、門前の道が横丁に入る通路となっていたことから、 「横道の不動様」とも呼ばれ、眼病に御利益があるといい、成田山へ向かう人も参詣したと言われているそうだ。(初めて聞いた!)

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・・・・・・・・・・・・光明寺の隣りは「法龍寺」、、、、浄土宗寺院の法龍寺は、幸雲山道観院と号す。 法龍寺は、幸蓮社雲誉道観法龍上人(元和2年1616年寂)が開山となり慶長年間に創建したという。、、、、古びた山門前には舟形の月日青面金剛三猿の庚申塔や、珍しい「食用蛙供養塔」(写真:右端)が建っていた。 食用蛙は昭和の初め頃から区内に生息し、蓮田や水田が多かったので、自然繁殖を続け、輸出するほど捕れたそうだ。 終戦後は蛙を捕え、加工業者に渡し、生計を保つものも現れ、供養塔は「東京都食用蛙組合」(こんな組合があったのか!)によって、昭和27年(1952)に建てられた大変珍しい供養塔。

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● 中川と旧江戸川を結ぶ人工河川(運河)の「新川(しんかわ)」を「新渡橋(しんわたりはし)」で越える。、、、、新川は桜の名所で、川沿いに「新川千本桜」が植えられている。 一度見てみたい!

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・・・・・・・・・・・・新川を渡ると「宇喜田町」に入る、、、、宇喜田町の町名が気になるね! そこで、チョイト由来を調べると、、、、“宇喜田”は、“田川兵衛新”を略したもので宇喜多秀家とは無縁である。 なお、江戸川区の隣り浦安市には、宇喜田姓が多くあり、浦安の宇喜田姓は、八丈島に流されていた秀家の子孫が、明治になって本土定住を許されて移り住んだ先だったそうだ!

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・・・・・・・・・・・・宇喜田町の南隣の北葛西に、都立宇喜田公園江戸川区立行船公園が広がっている。 どちらも広い敷地で、都立公園はスポーツ施設、区立公園は庭園と自然動物園を主体としており、コロナで疲れた若者、親子の多くが利用していた。

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・・・・・・・・・・・・公園を抜けると、西葛西駅までは約700m。 今日は、『まだ歩ける!』ので、予定変更し葛西橋を渡って南砂町駅まで歩くことにした!




葛西橋は荒川および中川にかかる橋で、都道10号東京浦安線と都道475号永代葛西橋線(葛西橋通り)を通す。、、、、旧葛西橋は昭和3年(1928)に架けられたが昭和25年(1950)に崩壊、その後、木製の橋が架けられたが、今の橋が出来ると解体された。、、、、現在の葛西橋は、橋長 727.4m、幅員15m、補剛ゲルバー桁(最大支間長142m)、総事業費は19億3200万円で昭和38年(1963)完成。

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● 葛西橋を渡ると、東西線「南砂町駅」は近い、、、、昭和44年(1969)3月29日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、混雑度の高い東京メトロ東西線、その南砂町駅では、島式ホーム2面3線に改良する工事が進められている。 総事業費は300億円程が見込まれているそうだ。 完成すると、ホーム/線路が増え、朝の都心方面行の列車の運行がスムースにでき、混雑緩和、遅延防止が図られると言われている。、、、、まだ工事完了までの時間はかかるが、完成が待ち遠しい人も多いと思う!

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2021年9月28日 (火)

役者寺

都営新宿線の篠崎駅から、首都高7号線沿いに歩き瑞江(みずえ)の町に入り、明和橋通りを歩き、大雲寺、瑞江葬儀所に寄る。 新中川を明和橋で越える。 川の先は新宿線の一之江駅。 1万2千歩の散歩です。




● 都営新宿線「篠崎駅」は、昭和61年(1986)9月14日に開業した。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 ホームは駅ビルの地下にあり、駅ビルにはスーパーの「ライフ」、ベーカリー、クリーニング店、公共施設の図書館やカフェ等がある便利そうな駅だ!、、、、浅草橋の我が家からここ篠崎駅までは、乗換案内で調べると、①浅草橋→(浅草線)→馬喰横山→(新宿線)→篠崎のルートで、所要31分、料金272円 ②浅草橋→(総武線)→本八幡→(新宿線)→篠崎のルートで、31分、398円 どちらのルートでも所要時間は同じ、料金は都営線のみの方がお得。 私は、年間乗り放題の都営敬老パスを持っているので、無条件に都営線のみのルートを利用、これで272円の儲け(?)。

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・・・・・・・・・・・・【ここで問題】 東京都内で、東西南北で各最端部の駅は何処? 4駅当てたらニューヨークへ自腹でご招待、、、、答えは、最東端は都営新宿線の篠崎駅(江戸川区) 最西端はJR青梅線の奥多摩駅(奥多摩町) 最南端は東急田園都市線の南町田グランベリーパーク駅(町田市、旧南町田駅が昨年駅名改称)  最北端はJR青梅線の古里駅(奥多摩町、青梅線は多摩の北部を運行している)

・・・・・・・・・・・・【追加の問題】 では、23区内で、東西南北で各最端部の駅は何処?、、、、最東端は篠崎駅。 最西端は西武新宿線の武蔵関駅(練馬区) 最南端は京急線の六郷土手駅(大田区) 最北端は日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅(足立区) 




● 篠崎駅の南側を走る首都高7号小松川線沿いに南西に向かう。、、、、都心では普段あまり見ることのない車もあるね!

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・・・・・・・・・・・・首都高沿い(裏通りも含めて)に、『都立 篠崎公園〇〇号地』と記した雑草ボウボウの公園用地が点在する。 最大48号用地まで確認できたが、いったい何号まであるのか?????、、、、平成24年(2012)の篠崎公園整備計画答申に基づく公園用地を確保しているそうだ。 いつまで続く、用地確保!

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・・・・・・・・・・・・瑞江3丁目と春江3丁目の町境で、首都高と別れ、「明和橋通り」を歩き一之江駅方面に向かう。

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● 都営新宿線瑞江駅から西へ500m程に、浄土宗寺院の「大雲寺」がある。 長行山専称院と号し、本尊に阿弥陀如来を祀る。、、、、大雲寺は、天蓮社梵誉上人が元和6年(1620)浅草森田町に創建、寛文8年(1668)に本所押上(現業平公園東隣)へ、昭和6年(1931)現在地へ移転した。、、、、山門に新しい恵比寿様と大黒様の石像が収まっている、めずらしい寺。

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・・・・・・・・・・・・大雲寺が押上にあったことから歌舞伎役者の墓所が多数安置されており、「役者寺」と呼ばれている。、、、、本堂裏の墓地には、歌舞伎役者の墓碑が並んでいる。 市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓初代尾上菊五郎供養碑寺島家門弟一同建立碑寺島家門弟代々墓瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)、松本幸四郎累代墓(四代より六代合葬)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓福地家墓坂東彦三郎墓(初代より二代合装)など。 数日前には、お彼岸で坂東家の墓参りがあったらしい(墓地を整備している方の話)

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● 大雲寺の正面には、都内唯一の公営(都営)火葬場である「瑞江葬儀所」がある。 名は“瑞江”葬儀所だが、住所は江戸川区“春江町”。 お寺の前に火葬場とは、なんとなく都合良さそうだ!、、、、ここは葬儀用の式場はなく、火葬設備のみとなっている。 昭和13年(1938)2月1日より使用が開始された。 火葬炉 20基を備え、火葬受付件数:一日25件。、、、、コロナ禍が影響していると思うのだが、ここ1・2年の間に葬儀の様式も変わり家族葬が多く、お別れの機会も減ってきたようだ。 ナントも切ない感じ!!

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● 再び明和橋通りを歩き、「明和橋」を渡る。 明和橋(めいわばし)は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸(左岸)の江戸川区西瑞江三丁目と西岸(右岸)の一之江三丁目を結ぶ。、、、、初代の橋は昭和36年(1961)新中川掘削工事に伴い架橋され、昭和45年(1970)には歩道が増設された。 しかし、橋の老朽化、幅員が狭く取り付け道路が両岸で急カーブしており、事故などがあったため、新中川橋梁整備計画の第一弾として平成4年(1992)に架け替えられ、現在の川に斜めに架かる橋となった。、、、、現橋の形式は、3径間連続下路式ブレースドレスアーチ橋、橋長は137.0m、幅員16.0m。、、、、特徴的なデザインのアーチ橋で面白い!

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・・・・・・・・・・・・明和橋の上流に架かる「涼風橋(すずかぜばし)」、、、、東岸の江戸川区春江町三丁目と西岸の一之江三丁目を結ぶ橋。 平成18年(2006)に道路の築造とともに新たに架橋された。、、、、橋名の“涼風橋”は、江戸川の名物:風鈴を思い出させるいい名だ!

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● 明和橋を渡れば「一之江駅」、、、、一之江駅は、昭和61年(1986)9月14日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、駅前のロータリーから発着するバスは、駅の規模化に比べると多い。 都営バス5系統、京成バス6系統もあり、成田・羽田への空港バスもある。 便利そうだ!

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2021年9月25日 (土)

東小岩の三寺

今日の散歩は、小岩駅から江戸川沿い(東小岩)の三寺を訪ね、浅間神社に寄って篠崎駅まで、1万3千歩。




● コロナ感染者も減り、気分は自粛解除(ゴメン・ゴメン!)、土曜の早朝であり、電車も駅も人は少ない。 「小岩駅」で下車する。

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・・・・・・・・・・・・自動券売機前にある、ご当地の出身横綱:栃錦の土俵入りを見ながら小岩駅を出る。 栃錦の像は彫刻家:古川武治により平成2年(1990)の制作。

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・・・・・・・・・・・・現在の小岩駅は、高架島式1面2線構造。 改札は地上1階にあるが、道路面から1階までは数段の階段があり、短いエスカレーターも設置されている。 また、高架下にはショッピングモール「PoPo小岩」もある。

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・・・・・・・・・・・・南口のロータリーから3本の商店街が放射状に伸びている。 そのうちの1本:「昭和通り商店街」をまっすぐ歩き、国道14号(=千葉街道)を越える。、、、、商店街の長さは約1.2㎞ある。 長い商店街だが、チョイト昔と比べると、シャッターを下ろした店も増え疲れてきたようだ! 

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● 千葉街道を越えて東小岩の町に入る。 昭和7年(1932)に創設された、459床の地域密着型の総合病院「江戸川病院」前から、江戸川土手に上がり対岸の市川市を望む。 河川敷のグランドでは早朝から元気に少年野球が行われてる。、、、、一雨降りそうな空模様、『降るなよ』と天に言う!

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● 江戸川病院の隣りに今日の散歩の目的地、真言宗豊山派の星住山地蔵院と号す「善養寺」がある。 足利時代の大永7年(1527)に山城(京都)醍醐山の頼澄法印が霊夢のお告げによって、小岩の地を訪れ、堂宇を建立したのがこの寺の開基と伝えられているそうだ。 しかし、永正6年(1509)の書に当寺の記述があることから、開基は寺伝よりもさかのぼるらしい。 慶安元年(1648)徳川家から寺領十石の御朱印を受けた名刹で古くから「小岩不動尊」とも呼ばれている。

・・・・・・・・・・・・境内南側には、数本の松の大木が並ぶ参道とその正面に仁王門がある

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・・・・・・・・・・・・境内西側には不動門がある

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・・・・・・・・・・・・境内中央に、樹齢600年の黒松「影向(ようごう)の松」が迎えてくれる。 東西30m、南北28m、茂っている広さが約900㎡(272坪)におよぶ。根元の幹まわり4.5m、高さ平均3m、一番高いところで8m、幹を支えるための支柱82本。 巨大な松は繁茂面積では日本1,2を競うと言われている。

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・・・・・・・・・・・・松の奥に本堂があり、本尊は地蔵菩薩。 本堂前には、撫で仏の「おびんずるさま」が置かれている。、、、、最近、頻尿になり夜起きるのが辛い、今日はチンチンの位置を撫でてきた。 さすが仏さま、撫で撫でしても大きくならず!

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・・・・・・・・・・・・松にかくれて、堂の全体が撮影しにくい不動堂。 安置されていると思われる「小岩不動尊」お姿を拝めず、残念!

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● 善養寺不動門から西へ100m程、真言宗豊山派寺院の「東養寺」がある。 山号は薬王山光明院。 東養寺は、国府台合戦(1563・1564)で里見家滅亡の際に家老の持仏であった木造薬師如来立像(通称「入谷の薬師様」)を本尊として、覚裔和尚が創建したと言われている。 東養寺は、もと善養寺末。

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・・・・・・・・・・・・本堂前の延命地蔵尊はもと小岩駅前の通称地蔵通りにあったが、昭和38年(1963)ここに移された。

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● 東養寺から南へ250m程、真言宗豊山派で五社山明寿院と号し、天文5年(1536)宥唯上人が開山した「萬福寺」がある。 本尊は鎌倉時代に作られた木造阿弥陀如来立像で、寺宝として文政12年(1829)に政寛和尚が伝法灌頂を行った時の両界曼荼羅を所蔵している。、、、、
内の手入れは行き届いており、清々しい寺だ。

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・・・・・・・・・・・・境内には、近隣から集めたのか(?)、庚申塔・野仏など
多くの石仏が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・萬福寺は、明治15年(1882)に区内で2番目の公立小学校「明物小学校」(現在の小岩小学校)が本堂を借りて開校したので区登録史跡となっています。 また、何といっても、小岩生まれで近代相撲の開祖といわれる第44代横綱:栃錦(春日野清隆)の菩提寺でもある。

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● 東小岩の三寺を参り、その後、さらに南下し、観正院墓地の石仏・庚申塔篠崎公園を抜け、浅間神社に寄って、都営新宿線の篠崎駅まで歩く。 2年前(19/8/7)に、このルートを逆の順に歩いて小岩駅まで。

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2021年9月23日 (木)

栃錦の像

京成線青砥駅から、青砥橋、細田橋を渡り東へ歩き、京成小岩駅付近からは柴又街道を南下し総武線小岩駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 今日は秋分の日、成田空港行きの電車はキャリーバッグを持った人で混んでるかと思ったが、期待に反して空いている。 青砥駅もホームに人影は少なく、皆さん自粛中か?、、、、今日の散歩はここ「青砥駅」から、出発進行!

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● 青砥駅から東へ300m程歩くと中川に架かる「青砥橋(あおとばし)」がある。、、、、青砥橋は環七通りの一部で、工事は1979年(昭和54年(1979)10月に着工し、昭和60年(1985)1月に橋梁が完成した。 橋長640.8 m、幅員23.0 m、主径間115 mの鋼連続箱桁橋(一部鋼鈑桁、およびPC桁)である。

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・・・・・・・・・・・・三層の高架駅:青砥駅ホームから青砥橋が見える、もちろん、逆に青砥橋から青砥駅も見える。

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・・・・・・・・・・・・青砥橋から上流側を眺める。 写真左端が中川上流で、ここには斜張橋の高砂橋がある。 写真右端の樹木が茂る処は新中川通水記念公園である。 この公園は中川新中川が分岐する、お股の“急所”に位置する。、、、、「新中川」は昭和13年(1938)の東京東部で発生した浸水を教訓に、計画・工事が行われた中川放水路である。 工事は昭和38年(1963)に完成した、私が高校生の頃。 何だか判らず、細長い掘削工事現場が連なる現場を見に行った記憶がある。

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・・・・・・・・・・・・「新中川通水記念公園 」には、東京都が建てた記念碑がある。、、、、記念碑の裏側にはチョイト長い文章で次のように彫られている。 『中川放水路のあらまし   この地方は昔から高潮や洪水による水害をしばしばうけてきましたので、東京府は昭和十三年に中川 綾瀬川および芝川の三角川総合政?計画をたて 二千四百十九万円の事業費をもって着工しました とくに中川改修事業は足立 葛飾および江戸川の各区と埼玉県の一部にわたる地域の洪水をふせぎ かつその排水と舟運のため着工しましたが 第二次世界大戦のため昭和一九年には工事が中止されて一部の用地買収と一部の護岸工事ができただけでした。しかしこの地方が昭和二十二年九月のカスリーン台風による洪水のため利根川の堤防がこわれて大きな被害をうけましたので ふたたび中川改修工事を再開する声がたかまり 東京都はさきの計画に再検討を加え財政上の理由から 九億九千五百万円の事業費を?つて中川放水路の…を実施する事になり昭和二四年から工事を再開しました この工事中に物価の値上り 用地の買収などといろいろ困難な問題がおきて工事はしだいにおくれ たまたま昭和三十四年の伊勢湾台風による高潮の水位が意外にたかかったことから この事業の一部を変更し事業費…額されて?ましたが ついに昭和三十八年三月十六日第一期工事を完成し通水に成功しました。この放水路は着工以来長い歳月と多額の事業費と多くの人員が投入されて完成… また祖先伝来の土地を提供された地元民の協力と 工事?当の建設業者の尽力とこの事業関係の都職員の努力によってできあがったもので この地方をながく水害から守る事ができるようになりました この放水路の概要は左記の通りですが第二期工事の完成によってその流量はさらにふえることになります。  記  一 位置(呑口)葛飾区高砂町地先中川左岸から   (吐口)江戸川区江戸川四丁目地先江戸川右岸まで   一 延長 八○八九メートル   一 計画流量 毎秒一二○トン(第一期計画)   一 巾員 河川敷一四八メートル   一 堤防 高さAPプラス五・二メートル   天端巾 六・○メートル   一 主要建造物 道路橋 一六橋   鉄道橋 二橋   排水所 四箇所   伏越 三箇所   水門 一箇所   一 総工費 五十三億八千百万円   昭和三十八年九月一日建立 』

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● 新中川通水記念公園から新中川の右岸を歩き、高砂諏訪橋細田橋を歩く。、、、、どちらの橋も、戦後、高度成長期に合わせ架けられた“昭和レトロ”の橋だ!

・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋(たかさごすわばし)は、新中川の最上流部に架かる長さ135mの橋で、東岸(左岸)の葛飾区高砂2丁目と西岸(右岸)の高砂1丁目を結ぶ。 昭和36年(1961)に新中川掘削工事に伴い架橋される。 幅員が4.5mしかなく、歩道のない一車線の橋。 危ないのでその後、下流側に高砂諏訪橋人道橋が設置され人車分離された。

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・・・・・・・・・・・・高砂諏訪橋から350m程下流に、同時期に架けられた橋長119.0mの細田橋がある。 東岸(左岸)の葛飾区細田3丁目と西岸(右岸)の細田2丁目を結ぶ。新中川掘削工事に伴い架橋。 昭和54年(1979)下流側に細田橋人道橋を設置。

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● 細田橋人道橋を渡り、葛飾区細田の町に入る。 まずは、細田橋の東詰に、新金貨物線細田踏切がある。、、、、平日、数本の貨物列車が走る踏切。、、、、新金貨物線の線路敷きは複線分の用地が確保さてれおり、旅客化の話は昔からあるが、いつまでたっても具体化しない! ここに電車が走る日はまだまだ先のようだ!

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● 線路沿いに南へ少し歩くと、細田村が開村した元禄8年(1695)頃に細田村の鎮守社として稲荷を勧請した細田神社」がある。、、、、現在の社殿は昭和4年(1929)に修復された。

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● 細田からは、道路拡張工事が行われ歩きやすくなった都市計画道路補助264号線(長ったらしく覚えにくい道路名!)を歩き京成小岩駅を目指す。

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・・・・・・・・・・・・京成小岩駅近くに愛国学園がある。 「愛国学園」は、大学、短期大学、高等学校、中学校、保育専門学校などを設置する学校法人。 京成小岩駅近く(江戸川区西小岩)には、大学を除く各校舎がある。、、、、伝統ある女学校。

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● 京成小岩駅から帰るつもりで歩いてきたが、愛国学園の先で柴又街道に出たので、街道を歩き総武線小岩駅からJRで帰ることにした。

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・・・・・・・・・・・・JR小岩駅北口に到着。 広いコンコースには、当地出身のかつての名横綱栃錦の像がある。 待ち合わせ場所として最適!、、、、尻かげで 遅い友待ち 尻撫でる(尻滅裂)

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・・・・・・・・・・・・小岩駅は明治32年(1899)5月24日、総武鉄道の駅として開業。 明治40年1907)に国有化される。 現在は総武線緩行列車しか停車しない、開業後100年超経過した古い駅。 1面2線の島式ホームの高架駅。

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2021年6月11日 (金)

美しさで勝負!

東京は連日の真夏日、夫婦で小岩菖蒲園に行ってきた。 帰りはJR市川駅に出て、私にとっては恐怖の超高層展望台に立ち寄って帰宅。、、、、京成本線江戸川駅から小岩菖蒲園によって市川駅までは、2年前にも歩いている。 




● 特急も、快速もすべて爆走して通過し、6両編でガラガラ・スキスキの普通列車のみ止まる京成本線の「江戸川駅」。 駅は江戸川土手に接し、改札を出ればスグに江戸川右岸の土手に出られる。 土手上から河川敷を見下ろせば、そこには「小岩菖蒲園」がある。、、、、駅周辺には、賑やかさは無い、コロナ感染は心配無用!

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● 江戸川河川敷に広がる「小岩菖蒲」園は、地元から寄贈された花菖蒲をもとに、区が回遊式の庭園にしたもの。 約4,900㎡の菖蒲田には約50,000本の花菖蒲が咲き誇り、葛飾区の堀切菖蒲園水元公園とともに、都内の菖蒲の名所となっている。、、、、今日は、天気も良く、菖蒲の花は一斉に咲き、美しさで勝負! 我が妻も、菖蒲に交ざって、マスクで勝負?

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● 江戸川区北小岩の小岩菖蒲園から、京成本線江戸川橋梁の下を抜け、市川橋(国道14号、千葉街道)を渡り千葉県市川市に入る。

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・・・・・・・・・・・・「アイ・リンクタウン展望施設」(市川市)から見た、左端:JR総武本線江戸川橋梁、中央:市川橋、右端:京成本線江戸川橋梁。、、、、3本のトラス橋が並んで架かる。

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● JR市川駅の南口前にある2本のタワーマンション、その西側の建物の最上階45階に「市川市アイ・リンクタウン展望施設」がある。 入館料は無料、地上150mから360度の展望ができる嬉しい施設である。、、、、が、高所恐怖症の私にとっては最悪の施設。 45階へ向かうシースルーエレベーターが怖いのだ! ガラス張りの箱に入り、空へ向かって見る景色、恐怖の世界である。 エレベーターに乗るやいなや、手摺を握りしめ、景色は見ずに目をつぶる、心の中では南無阿弥陀仏! 妻がいるので、男気・強がり・痩せ我慢・小便チビリそうだ! 【チョイト蛇足】・・・外が見えないスカイツリーのエレベーターは、なぜか恐怖を感じない!

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・・・・・・・・・・・・展望デッキでは、なるべくカラス窓に近づかず、ソーシャルディスタンス! 妻にはニッコリ笑って景色の案内、心の中では南妙法蓮華経・南無阿弥陀仏、アーメン・ソーメン・冷そうめん!

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● 無事に展望施設から降り、ホット一息。 写真撮るのも忘れて、市川駅から電車で帰宅!

2021年6月 9日 (水)

柴又の鎮守さま

ワクチン接種が済んでないので、“蜜”を避けての散歩。 寅さんの柴又駅で下車し、帝釈天とは線路を挟んで反対側の柴又八幡神社に寄り、さらに南下し、北総線新柴又駅に近い宝生院と医王寺に参り、京成小岩駅まで、1万歩の散歩です。




● 我が家(浅草橋)から京成押上線直通の電車に乗り、「高砂駅」で金町線(高砂~柴又~金町)に乗り換える。、、、、朝7時半過ぎ、金町からの電車は通勤通学客で満員だ。 終点の高砂駅ホームは一瞬のあいだ人であふれる。 折り返し金町行きとなった電車は、空席ありの楽々電車。

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柴又駅の駅前は、昨年まで、小さなコーヒスタンド・居酒屋・立ち喰い蕎麦など昭和レトロな店舗が並んでいたが取り壊された。 変わってコーヒーチェーン・コンビニと従来の今川焼/焼きそば・居酒屋・立ち喰い蕎麦は、新しいい建物となった。、、、、駅前広場が狭くなった! 寅さんさくらの像も、通行の妨げになるかもね?

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● 帝釈天参道の手前を西に曲がり、踏切をわたると「柴又八幡神社」がある。 柴又八幡神社の創建年代は不詳。、、、、社殿は寛永11年(1633)以降、数回の改築が行われ、昭和45年(1970)に現在の鉄筋コンクリート造の社殿となった。 柴又八幡神社は境内全体が古墳上に鎮座する社で、江戸時代には柴又村の鎮守社であった。 円墳は直径30m、6世紀~7世紀の築造であることが判明した。 社殿裏の「島俣塚」は、昭和40年(1965)、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、其の上に石畳の塚を築き、前に自然石に「島俣塚」と刻んだ石を建て、柵を巡らしてある。

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● 柴又八幡神社から柴又駅の西側(帝釈天とは線路を挟み反対側)をぬけ、帝釈天の南側の柴又4丁目の町を歩く。、、、、下町の住宅街、朝8時過ぎ、食事中か? まだ寝てる人もいるかも? 静かな町だ! コロナに感染する心配はなさそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・玄関先のアジサイは、今が見ごろ

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● 北総線「新柴又駅」の近くに、「柴又七福神」の大黒天:宝生院と恵比寿天:医王寺がある、チョイト寄ってみる。

・・・・・・・・・・・・北総線の新柴又駅(葛飾区柴又5)は、平成3年(1991)に開業した。 駅の1階にはスーパーマーケット、2階に改札口、3階に相対式ホーム2面2線を有する高架駅。 駅前には柴又街道(金町~小岩~江戸川)が通っている。 一見、チョイト見、生活しやすそうな町だ!

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・・・・・・・・・・・・新柴又駅の北150m程に、真言宗智山派寺院の宝生院がある。 宝生院は大黒山と号す。 寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近に創建。 その後、下谷谷中、池之端茅町へ移転し、関東大震災で罹災した後、昭和2年(1927)現在地へ移転した。、、、、柴又七福神の一つとなっている大黒天は、江戸期から信仰を集めていたと伝えられまている。、、、、行事もない平日の午前中、訪れる人もなく、だだっ広い境内が印象的だ。 本堂の戸は閉まり、大黒天は拝むことができず、残念!

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・・・・・・・・・・・・新柴又駅から北東へ100m程歩くと、真言宗豊山派の医王寺がある。 医王寺は、薬王山瑠璃光院と号す。 応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。 本尊は薬師如来(秘仏)。 当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立された。 建立後間もなく、小田原の北條氏と安房の里見氏が利根川(現在の江戸川)を挟んで対峙し、天文7年(1538)・永禄7年(1564)の2度国府台合戦に、北條方の陣屋として使用されたため什物の大部分が失われた。 その後、中興されたが、しばらくすると、寺は無住となり多くの資料が散逸した。 寛永年間(1624~1644)金蓮院の僧某が再興し医王寺と改めた。、、、、柴又七福神の内、恵比寿天を祀る。 こちらも、本堂は閉じられ恵比寿天との御対面は叶わず!

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● 「京成小岩駅」(江戸川区北小岩2)に到着。、、、、京成小岩駅は昭和7年(1932)に開業した、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、JR総武線の小岩駅は、京成小岩駅の南約500~600mほどのところにある。 両駅間を歩くと20分程をかかり、乗り換える人はいないと思う!

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2021年6月 6日 (日)

躍進した町 瑞江

今週末に第一回のワクチン接種を行う予定なので、それまでの間コロナに感染しないよう用心・用心!、、、、今日もすいた電車で都営新宿線瑞江駅で下車し、用心のため人通りの少ない裏通りを歩き、JR総武線小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ワクチン前の大事な我が身、すいてる電車に乗って、見るべき名所は無さそうで、知名度も低い「瑞江駅(みずええき)」で下車する。、、、、瑞江の由来は『明治にできた「瑞穂村」と「一之江村」が、大正時代に合併し、双方の村名から一字づつ採って拵えたのが「瑞江」の始まり。 それゆえ「瑞江」は川も湿地帯にも縁のない処。 この辺りは、戦後になるまでは、田畑の広がる農村だった。 戦後は農地改良され、さらに、地下鉄が開通し急速に都市化された町。 いまでは、私の住む浅草橋より住みやすそうだ!、、、、駅周辺には歴史的な遺構・神社仏閣など、名所は無い。 また、所々には畑・ビニールハウスが点在する、農村の名残はある!、、、、瑞江駅から直線で北へ約5㎞離れてJRの小岩駅がある。 小岩駅は今日の散歩の終着駅。

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・・・・・・・・・・・・駅前の植え込みに、江戸川区の東部地区住民悲願の地下鉄開業を喜ぶ石碑『躍進』がある。、、、、石碑の裏側には、『地下鉄新宿線瑞江駅が開業して東部地区住民の待望久しかった交通機関が実現した。この鉄道は、昭和48年10月に計画決定されたものの遅々として進まず、剰え建設主体たる東京都の財政事情により計画凍結の状況に逢着した。この時、江戸川区長中里喜一氏は、輿望に応え、かつ区勢百年の発展に寄与せんとして敢然と起ち、優れた指導力と政治力を駆使し住民と共に困難を克服し、ここに駅開業を実現した。東部地区に黎明が訪れ、躍進の道が拓けた。偉業を衷心より讃え、地区全住民の歓喜を刻み、この碑を建立する。  昭和61年9月11日  瑞江駅開業祝賀東部地区実行委員会』と、刻まれている。 住民の悲願達成より、区長を褒め称えているような文章???

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● 瑞江駅からは表通りは避け、裏通りを北へ小岩駅に向かい歩く。、、、、見るべきものなし、ひたすら歩くのみ!、、、、途中、首都高7号小松川線の下を抜ける。、、、、チョイト、降ってきた! 傘に入れてくれる娘はいない。我慢・我慢で、濡れ歩く!、、、、国道14号(=京葉道路・一般道)を横断し、春江の町に入る。 

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● 昭和47年(1972)~昭和48年に建てられた3棟(約400戸)の春江町住宅が改修工事に入った。 窓枠・ガラス交換・外壁改修・屋上防水・鉄部塗装など、工期は今年の1月から9月まで、実質6カ月ぐらいかかりそうだ。 工事期間中は足場が架けられ、養生シートが張られ、住人は薄暗く覆われた中で生活中。、、、、コロナ対策で換気したい、窓を開ければ埃が入る、窓枠交換で窓がない、ついでにガラスも交換だ、暗い部屋でのオリンピック観戦、と、ナンダカンダで蒸し暑い夏となりそうだね!

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● 新堀2丁目の住宅街の真ん中に、チョイト、コンパクトな小学生以下専用球場がある。 その名は「高田公園」、、、、小学生“以下”専用ということだが、幼稚園児・保育園児がグランドを利用しているのかな? 見てみたいね。

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● 鹿骨1丁目と2丁目の境に、平成4年(1992)に開通した、長さ420mの「流堀親水はなのみち」と称する親水緑道がある。、、、、「流堀」は、灌漑用水路として開削された水路であったが、市街化が進むなかで家庭からの雑排水が流れ込む排水路となり、水路に蓋をかけ、歩行者通路として地元で利用されていた。 その後、下水道整備により、その役目は終わり、その跡地を利用し、緑豊かな親水緑道として整備された。 整備にあたっては、鹿骨の花卉園芸、田園風景の小川をイメージし、タンポポやタマスダレそしてハナショウブなどを植栽しました。 また、渓流の流れや木杭等で小川を演出し、四季折々の草花を楽しめる「花のさんぽみち」として整備された。、、、、緑道ができて約30年、地元住人が心をこめ維持管理しているようだ、ゴミは落ちていない、コイが泳ぐ緑道である。

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・・・・・・・・・・・・「流堀親水はなのみち」の北端は、「鹿骨親水緑道」に繋がって北へ伸びていく。

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● 南小岩にて国道14号(=千葉街道)を横断し、「昭和通り商店街」を歩く。 商店街を抜けるとJR総武線の小岩駅。、、、、只今時刻は9時45分。 まだ、半数以上の店は開店準備中なのか、商店街はシャッターが下りたまま。

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・・・・・・・・・・・・小岩駅到着、コロナで運動不足になったようだ、きょうも足が痛い! もう少し鍛えよう!、、、、小岩駅のコンコースには、ご当地出身の昭和の名横綱:栃錦の像がある。 待ち合わせ場所として最適だ!

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2021年5月31日 (月)

都内最東端の駅

緊急事態宣言下の東京、道行く人の気も大いに緩み、昨日の繁華街の人出は直前4週間の土日平均と比べ、20%増、40%増、60%増とどこもかしこも大幅増! 渋谷スクランブル交差点では86%増!!、、、、高齢者の私も気は緩む、しかし、多少コロナの怖さもある。 今日の散歩は人混みを避け、都営新宿線の篠崎駅(江戸川区)から西に向かい、新中川に架かる鹿骨新橋を渡った江戸川区松本まで歩いた。 9千歩




● 浅草橋駅から都営浅草線に乗り、隣の「東日本橋駅」にて都営新宿線(=駅名は馬喰横山駅)に乗り換える。 多くの通勤通学客の流に逆らって地下道を歩き、電車はすいている本八幡行きに乗る。、、、、「馬喰横山駅」(ばくろよこやまえき)は、中央区日本橋横山町にある、都営地下鉄新宿線の駅である。 連絡通路を経由して、都営浅草線(東日本橋駅)、総武快速線(馬喰町駅)に乗り換えができる。 昭和53年(1978)12月21日に開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 改札口は地下1階(都営の東日本橋駅に連絡)と地下3階(JRの馬喰町駅に連絡)、ホームは地下2階にある。 3線の地下道が三角形を形どるように地下で連絡している。、、、、昔、娘が幼いとき、冬の寒い日は浅草橋交差点から地下道に入り、JR馬喰町駅、新宿線馬喰横山駅、浅草線東日本橋駅と地下道で巡り、再び浅草橋交差点まで戻り、子供を遊ばせた記憶が残っている。

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篠崎駅で降りる、、、、、馬喰横山から一駅ごとに客は降り、 ガラガラ・スキスキの電車は『コロナ感染、心配ご無用!

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・・・・・・・・・・・・何処といって行く宛のない散歩、終点の本八幡駅の一駅手前「篠崎駅」で下車することにした。、、、、篠崎駅は駅ビルの地下に造られた島式ホーム1面2線の地下駅。 昭和61年(1986)9月14日、船堀~当駅間の延伸に伴い開業。、、、、朝の通勤時間帯、降りる人は少なく、乗る人は多い。、、、、東隣の本八幡駅は千葉県市川市にある、ここ篠崎駅は都内最東端の駅だ!

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● 駅から西へブラブラ歩きはじめる、、、、チョイト古そうだが、こんな標語を見つけた。 『つくろうよ きれいな町と 明るい家庭

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・・・・・・・・・・・・町は汚れているのか? 暗い家庭が多いのか?、、、、きれいな町です、十分です! かつてのドブ川は親水公園に変わり、コイも泳いで恋してる!、、、、家庭の中は判らないが、暗いイメージはなさそうだ。 どこの家にも電灯がある(???)

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・・・・・・・・・・・・駅の西側から北側にかけて、都立の篠崎公園が広がっている。 西側部分は今後も公園として拡張・整備が予定されているようで、住宅地の間に取得用地がある。 これから、公園はもっと大きく成長し、町も美しくなるであろう。 

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● 篠崎公園・柴又街道を横切ると、江戸川区鹿骨(ししぼね)の町。 “鹿骨”は鹿骨1丁目から鹿骨5丁目までと鹿骨町の6地区で、江戸川区の中央から北寄りに位置する。 園芸農家が多く、花と緑の町。

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・・・・・・・・・・・・地名“鹿骨”の由来となった「鹿見塚神社」が鹿骨3丁目にある。、、、、奈良時代(8世紀)、藤原氏によって奈良の春日大社の創建に際し、常陸の鹿島神宮から分霊されたが、その際に多くの神鹿を引き連れておよそ1年かけて奈良まで行ったと言い伝えられており、その途中、鹿が死んだため鹿見塚神社の地に葬った。 これが「鹿骨」の地名の由来とされる。

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新中川に架かる「鹿骨新橋」を渡る、、、、鹿骨新橋は、新中川に架かる橋のひとつで、東岸の江戸川区鹿骨と西岸の江戸川区松本を結ぶ。 平成7年(1995)に道路の築造と共に新設架橋された。 橋長 119.3m、幅員 18.0mの3径間連続非合成箱桁橋。 16億4千万円の工事費にて完成した、橋の上には子供の像があるモダンな橋。

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● 鹿骨新橋を渡ると環七通りに出る、その手前の「鹿本橋バス停」には行列ができていた。 ちょうどバスが来た新小岩駅行きだ、ラッキー!

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