江戸川区

2021年4月19日 (月)

カネボウからミツワ石鹸へ

“緊急事態”が終わり、今度は“まん防”と忙しく変わり、自粛生活にも飽きがきて、そろそろ世間さまについていけなくなった! 今日もナイショで散歩。 東武伊勢崎線の鐘ヶ淵駅からほぼ南の方向に歩きJR総武線の平井駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 私の好きな典型的な下町の駅「鐘ヶ淵駅」で下車する。 小田急線・東横線沿線の駅のようなシャレッ気はまるでない駅で、下駄履きで乗降しても恥ずかしくない雰囲気の鐘ヶ淵駅。

・・・・・・・・・・・・早朝の鐘ヶ淵駅では、館林行きの区間快速(北千住までは各駅停車)に乗降する人は少ないようだ。

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・・・・・・・・・・・・上下線それぞれに、木造平屋の駅舎がある、、、、ここは、カネボウ(旧鐘淵紡績)の創業の地

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・・・・・・・・・・・・・上り(曳舟・半蔵門線・浅草・銀座線)は踏切の反対側にある東口駅舎から乗降の為、踏切前に人が溜まる!

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● 町のあちらこちらから子供が集まり、登校時間だ!

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● 今も残るカマボコ兵舎、、、、、墨田区墨田3の「日本オープンバイブル教団 墨田聖書教会」は昭和29年(1954)創設。 創設の当初から米軍のかまぼこ型兵舎をリノベーションした、かわいらしい教会である。、、、、現在の牧師さんは地元出身らしい。

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● 「玉の井いろは通り商店街」に出てきた。 昭和の作家:永井荷風が足繁く通った玉ノ井私娼街。 玉ノ井の地名は今は無くなり、商店街名、町会名などに残るのみ。 商店街から裏道に入って行くと、少なくなったが、まだ赤線時代の面影を残す建物がある。、、、、戦後生まれの私は経験がないが、『チョイト、お兄さん・・・・』と声かけられる街だったようだ。 もう少し、早く生まれていたら・・・・残念!

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・・・・・・・・・・・・いろは通りの真ん中あたりから北側にチョイトはいると曹洞宗の東清寺がある。 門前には「玉の井稲荷 豊川稲荷尊天 身代わり不動尊 東清禅寺」と書かれている。 鉄筋コンクリートの寺は、本堂の階段を上がると一対のお狐様が鎮座ましましている。 こちらは、昔は娼婦達の駆け込み寺であったそうだが、今はそれらしき面影を残すものは見えない。

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● 墨田区八広で京成押上線の高架下を抜けると、今はシャッターの下りた店が並ぶ八広新中商店街がある。 かっては、映画館「南龍館」があり商店街は「南竜館商栄会」と呼んでいたそうだ。 また、現在の押上線高架橋脇の八広5丁目都営住宅の所には、♪♪ ワワワ 輪がみっつ ワワワ 輪がみっつ ミツワ ミツワ ミツワ石鹸 ♪♪の工場があり、商店街は昭和60年代までは大いに賑わっていた。

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・・・・・・・・・・・・東郷元帥を描いた東郷ハガネの看板、こんにゃく稲荷の三輪里稲荷神社、などを見ながら、墨田区八広の町を抜けて行く。

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● 八広の町から旧中川岸の東墨田に入ると、平成10年(1998)に333億9千万円の建設費をかけて開所した「墨田清掃工場」の高さ150mの煙突が天を突いてる。 デカイ、高い!

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・・・・・・・・・・・・清掃工場の前を流れる旧中川。 川の両岸は「旧中川岸辺公園」(墨田区東墨田~立花、2.8km)として整備され、綺麗な水と豊かな緑の親水公園となっている。 コロナを避け、公園を歩き平井駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・ 「立花白髭神社」付近にて旧中川から離れる。、、、、立花白髭神社は、葛西川村の鎮守社として天和2年(1682)に創建した。 現本殿は大正12年(1923)の造営。、、、、住宅地の中にあるが、長い参道、緑の多い境内には癒しの効果がありそうだ!

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・・・・・・・・・・・・平井橋は、昭和55年(1980)架橋で墨田区立花と江戸川区平井を結んでいる。 橋を渡ればJR平井駅はすぐ。

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● JR総武線平井駅から我が家の最寄り駅:浅草橋までは、4駅、所要9分。 近い!

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2021年2月17日 (水)

江戸川区に城?

今日からコロナのワクチン接種が始まったが、高齢者に属する私が接種できるまでには、1ヵ月半以上待たねばならないらしい。 まだまだ、感染予防に気を緩めることはできない。、、、、マスクして、空いた電車で、人混み避けて、無言で歩く男が一人。 早朝の浦安駅に姿を現した! 寒波襲来の日本列島、時おり強風が吹き、飛ばされそうな帽子を押さえ、浦安橋を渡り東葛西の町へ向かう。 江戸川区に在った城跡を訪ね、行ってビックリ、見てビックリ、あきれてヒャックリ、ドッと疲れてギックリ腰、これで死んだらポックリだ! ありました「長島高城跡」と称す寺が。 その後は、東葛西の寺社を巡り、葛西駅から帰宅。 1万歩




● 東京メトロ東西線の「浦安駅」は、昭和44年(1969)3月29日に開業。 それまで陸の孤島と呼ばれた東葛飾郡浦安町は、以後一気にベッドタウン化をし、昭和56年(1981)には“浦安町”が“浦安市”に昇格。 さらに、昭和58年(1983)には東京ディズニーランドが開園。 令和元年のデータでは、一日平均乗降客数が8万人を超える駅となった。 私が住む、浅草橋駅の一日平均乗降客数は、JRが約11万人、都営地下鉄が6万人程。 JRは勝った(?)、地下鉄は負けた(?)、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅。 駅前は浅草橋より賑やかそうだ!

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● 浦安駅の西側を流れ下る旧江戸川。 旧江戸川は東京都江戸川区と千葉県浦安市の境でもある。 そこには南北700m、東西200m程の細長い中洲状の「妙見島」(江戸川区東葛西)という島がある。 この島の南端部分を跨ぐように「浦安橋」が架かっている。、、、、妙見島は周囲をカミソリ護岸(=コンクリート護岸)で囲まれているが、23区内唯一の自然の島である。 島には浦安橋から降りられるようになっている。 島の中には、10社以上の工場、数軒の船宿、1軒のラブホテルと妙見神社などがある。、、、、浦安橋は、江戸川区と浦安市を結び、都道・千葉県道10号東京浦安線を通す。 初代の橋は昭和15年(1940)に架けられた。 その後、橋の老朽化と交通量の増大により、現在の浦安橋が昭和53年(1978)に建設された。 橋中央部には妙見島への進入路が設けられている。 橋長は211.5mの下路単純トラス橋、ちなみに下部工は銭高組の施工である。
・・・・・・・・・・・・・・妙見島南端側と浦安橋

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・・・・・・・・・・・・・・妙見島は高いコンクリート護岸に囲まれている(写真左側)


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・・・・・・・・・・・・・・浦安橋橋上と妙見島への降りる歩道・自転車道(車の降り口は反対側にある)

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● 妙見島の西側(江戸川区東葛西3)に、浄土宗寺院の清光寺がある。 清光寺は、一向山無量院と号し、徳誉法印が文亀2年(1502)に開山したといわれてる。、、、、清光寺のある地には、小田原衆所領役帳に記載されている「長島高城(ながしまたかじょう)」があったと推定され、中世には豪族:長島氏の館があったと考えられる。 しかし、現在では遺構など当時のものは一切ない。、、、、今日、寺の前に立ち、『アレ? この寺、去年来たぞ!』 僧です、遭難です、沈没です! 歳で、ボケが始まったようだ。 私は、ほぼ一年前にこの清光寺に来てた。 当時は城跡の話を知らず、この付近に多く点在する寺社を単に巡り歩いただけだった。 その時、城跡のことを知っておれば、今日の散歩はちがう処を歩いていたかも。 、、、、江戸川区にも“城”があったとは、“お釈迦様でも気がつくめえ”

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● 清光寺に参拝し、その後は昨年と同じ寺社を巡り、葛西駅に向かう。



● 環七通りと東西線は直交し、道路上に葛西駅のホームがある。 昭和44年(1969)3月29日に開業した東西線葛西駅。 高架線の中央にある2線は通過線となっており、その外側に各駅停車用の相対式ホームの2線がある。、、、、現在は“葛西”と称する町はなく、町名は東葛西、西葛西、南葛西、北葛西、中葛西として、“東西南北中”を冠している。 “白”と“発”を冠したら、麻雀なら“四喜和”から“大三元”狙い。 “白葛西(シロカサイ)”、“発葛西(アオカサイ)”という名の町ができたら、
“字一色”で役満、ウケルこと間違いなし!

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2020年12月23日 (水)

瑞江の寺社

混んだ交通機関の利用は避けて、馬喰横山駅から都営新宿線に乗り、瑞江駅で下車する。 今日は、沿線の寺社に立ち寄りながら一之江駅まで、1万歩の散歩です。




● 都営新宿線の馬喰横山駅にて、コロナには感染しそうにないガラガラの本八幡行きに乗り、瑞江駅(みずええき)で下車する。 

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・・・・・・・・・・・・朝の瑞江駅は都心方面(岩本町・新宿方面)に向かう通勤客がゾロゾロ! コロナに注意しながらの通勤、神経を使いご苦労様!

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● 瑞江駅から南へ500m程、まずは豊田神社(江戸川区東瑞江)に参る。、、、、豊田神社は旧下鎌田村の鎮守である。 創建は不詳であるが、天照大御神と経津主命をまつり、もと神明社といった。 明治の初期に同地にあった別当の長寿院が廃寺となったので、その跡に社殿を建立して「豊田神社」と改称した。 境内には、神木の大きなケヤキがある。 樹齢200年ともいわれ(幹の径150cm、樹高23m)神木にふさわしい枝ぶりの樹形をなしている。 昔はこの神木のそばに池があったそうだが、今はその面影がない。、、、、神社名の“豊田”の謂れは不明。 車の“トヨタ”とは無関係と思うが?謎だ!

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● 東瑞江の裏道を歩いていると、泉福寺の西側の住宅地に小さな神社がある。 最近建てられたような新しい社殿である。 神社の名は「内手八幡宮」(東瑞江2)、、、、境内の手水鉢には、右側面に「内手若者中」、左側面に「宝暦四申戌天九月吉日」と刻まれている。 『チョイトまて!』、年号の割には新調したように見える手水鉢だ。 宝暦四年は西暦1754年、約260年前の年号。 昔の手水鉢を模して作ったのか?謎だ!、、、、神社名の「内手」とは、調べてみたが旧地名ではなさそう、これも謎だ!

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● 東瑞江2丁目の住宅地の中に浄土宗寺院の泉福寺がある。 泉福寺は、法器山智海院と号す。 創建年代は不詳。 京都東山の知恩院を総本山、東京芝の増上寺を大本山とする。 本尊は阿弥陀如来。 開基は天文20年(1551)で、室町後期、織田信長の父信秀が没した年。、、、、明治15年10月29日落雷により本堂・庫裡とも一瞬にして灰になったと記録にあるが、同17年には茅葺きの本堂を再建した。、、、、現在の堂宇は、開基450年記念事業として建設され、平成16年(2004)に竣工した。 木造のスッキリした本堂である。

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● 泉福寺から西へ150m程に、浄土宗で西方山報土院と号す「安養寺」(東瑞江2)がある。 永禄10年(1567)の開山と云われている。、、、、この寺には、「こんにゃく閻魔」と云われる、仏身45cmの閻魔像があり、昔は歯の病や眼疾の人々の信仰を集めたそうだ。 閻魔好きの私としては、この像を拝見したかったのだが、突然の訪問では無理だ!、、、、なお、「こんにゃく閻魔」は文京区の源覚寺にもある。

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● 小さな社殿の「山王神社」(江戸川区江戸川3)が、安養寺の南にある。 鳥居、狛犬、社殿、水盤などすべて最近新築したと思われる。、、、、神社の由緒がわからず、何だか、どうでもいいや!

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● 江戸川3丁目の浄興寺は、浄土宗の古刹で龍亀山清泰院と号し、もとは芝増上寺の末寺であった。 文永3年(1266)源清和尚が草庵を結んだのが始まりで、弘安年間(1278~1287)に記主禅師が鎌倉の光明寺から下総の光明寺に赴く途中この寺に一宿したとき住持が開山を願ったものといわれてる。 浄興寺の元末寺に、泉福寺、安養寺、他二寺がある。、、、、この辺りでは大きな寺である。 コロナ禍の大晦日、除夜の鐘を撞くのかな?

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● 上記の他に数寺・数社を巡り、今井街道が新中川を越える「瑞江大橋」に出た。、、、、瑞江大橋は、新中川掘削工事に伴い、昭和35年(1960)に架橋された。 橋長158.5mの、純プレートガーダー桁橋。、、、、昭和43年(1968)まではトロリーバス(上野公園~今井間)が走っていた、その懐かしい情景を思い出す人もいるでしょう!

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・・・・・・・・・・・・新中川の上流側には平成4年(1992)に架け替えられた明和橋が見える

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● 瑞江大橋を渡ると、都営新宿線の一之江駅。 ここから地下鉄で浅草橋(我が家)へ帰れば素直なのだが、根性曲がりの私は、亀戸行きのバスで亀戸に向かう。 所要時間35分、乗り応えあるね!

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2020年12月17日 (木)

コロナ避けて平井まで

“3密”を避け、浅草橋の我が家から、歩く人も少ない「蔵前橋通り」を東へ歩きJR総武線の平井駅まで、1万4千歩の散歩です。

・・・・・・・・・・・・・「蔵前橋通り」は、文京区本郷の順天堂病院の北で国道17号(本郷通り)から東に伸び、末広町交差点、蔵前橋、亀戸天神の前を通り、旧中川、荒川を渡って、江戸川区西小岩1丁目で奥戸街道に接続する路線。 その先、奥戸街道をそのまま進むと、市川橋の手前で国道14号(千葉街道)に接続する。 今日、散歩した鳥越神社前から平井駅前まで(約5.5km)は、都道315号御徒町小岩線の一部である。




● 我が家から北に歩いて4分程で、蔵前橋通りに面する「鳥越神社」前に出る。 “道中の無事”と“コロナ撲滅”を願い手を合わせる。 どうも、“コロナ撲滅”の願いは、賽銭が少ないのか、いつまで経っても願いは叶わない!

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● 蔵前一丁目交差点で江戸通りを横断し、家を出発して25分経過、蔵前橋を渡り墨田区に入る。、、、、隅田川の空は晴天、風はなし、気温は寒し、私の懐も寒し!

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● 蔵前橋を渡ったら、チョイト、震災・戦災の犠牲者を悼む東京都慰霊堂にお立ち寄り。、、、、ついでに、厠にもお立ち寄り、冷えると回数も多くなるんです! いずれは、オムツのお世話になりそうだ!

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●東京都慰霊堂前の清澄通り、冷え冷えの寒さの中、小学生が集団登校する。 時刻は朝8時、20人程の元気な子供たちだ!

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● 蔵前橋通りは錦糸町の町の手前で、大横川に架かる法恩寺橋を越える。、、、、現在、大横川は暗渠化され川底は親水公園となっているが、大正14年(1925)に竣工した震災復興橋の法恩寺橋は健在である。、、、、橋長32.8mのアーチ型ラーメン橋台付き鋼桁橋

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・・・・・・・・・・・・法恩寺橋を渡ると、橋名となった日蓮宗の寺院「平河山法恩寺」がある。、、、、法恩寺は長禄2年(1458)大田道灌が江戸城を築城時、丑寅の方角に城内鎮護の祈願所として建立された。 境内には、大田道灌の墓や平河清水稲荷大明神、鐘楼三重塔などがある。 現住所の“太平”は、太田道灌と平河山法恩寺の頭文字から命名された。 蔵前橋通りから入る参道沿いには、4か寺の子院が並んでいる。、、、、本堂の後ろからは、日蓮上人に変わりスカイツリーが参拝人を見下ろしているような寺だ!

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● スカイツリーを正面に見る「タワービュー通り」、錦糸町駅前を通る「四ツ目通り」を過ぎ、横十間川に架かる「天神橋」(橋を渡ると江東区)を渡り、亀戸天神にも寄って行く。、、、、学問の神様:天神さまに、是が非でも年末ジャンボ一等当選が叶うよう手を合わせてきた。 これで、年明けには億万長者になっているかも? その折はブログ『雅万歩』は静かに終わり、私はヨーロッパ旅行で長期不在。

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● 「明治通り」との交差点を過ぎ、東武亀戸線の線路を越えると、旧中川に架かる「江東新橋」を渡る。 橋を渡れば江戸川区なり!、、、、江東新橋の下流250m程には、並行するJR総武線の橋梁が見える。

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● 江東新橋を渡ると平井駅は近い。 “3密”を避けて、鳥越神社前から歩いてきたが、「平井駅出口交差点」で蔵前橋通りから外れ、駅に向かう。、、、、駅も、電車も、空いている。 今日も、コロナに感染せずにすんだようだ!

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2020年11月21日 (土)

江戸川区の中心

ここ数日、コロナ新規感染者数は東京で500人を超え、都民はピリピリしている。 さらに『高齢者の不要不急の外出はひかえて欲しい』と云われると、散歩するのも躊躇する。 今日も“密”を避けて、都営新宿線の船堀駅から、東京メトロ東西線の葛西駅まで歩いてきた。 1万歩。




● 乗客の少ないガラガラ電車で船堀駅に到着。 かつて金魚の養殖が盛んだった街「船堀」をアピールする金魚の駅の壁画、かつて白鷺が群れ飛ぶ田園地帯「船堀」を象徴する駅前の白鷺の像、いずれも“かつて”の船堀だ! 今の船堀は江戸川区の中心部で、駅の北側にあった都営住宅の跡地に区役所を新築・移転する予定である。

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・・・・・・・・・・・・駅前に建っている“梯子”のような塔、コレは何?、、、、一番上の緑の位置が江戸川区を流れる中川の堤防の高さ、その下の赤の位置が伊勢湾台風クラスが襲来した時の推定最高潮位、黄の位置は昭和24年のキティ台風襲来時の潮位、水色の位置は平時の最高潮位。 要するに、堤防が決壊すると江戸川区は水没すると云うことだ。 コロナも心配だが、台風・地震がそれ以上に恐いね! ハザードマップをよく見て、日頃からは早めの対策を心がけよう!

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● 駅から船堀街道を南下し、新川に架かる宇喜田橋を渡る。、、、、初代の宇喜田橋は昭和4年(1929)に架設された賃取橋(有料の橋)であった。 二代目は昭和15年(1940)木造で架橋された。 現在は三代目で、昭和32年(1957)に架設された長さ37.5mの中路鋼床版箱桁橋で、日本初の鋼床版橋である。 設計・架設は横河橋梁製作所。

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・・・・・・・・・・・・新川は、並行する都営新宿線と東京メトロ東西線の中程を東西に流れ、中川と旧江戸川を結ぶ運河である。 徳川家康が江戸に入府し、利根川流域から江戸に向け水運を活発化させる整備事業として造られた。 日本橋茅場町から隅田川をチョイと上って、小名木川に入り、小松川閘門を通り新川に入り、浦安の北側で旧江戸川に入り、またまた川を上り行徳に至る水運路が整備された。(注:江戸時代には、現在の荒川・中川は無かった)、、、、家康は古くからあった隅田川、旧中川、旧江戸川を小名木川、新川の運河で結び、行徳の塩、利根川周辺の味噌、醤油、東北地方の年貢米など、江戸へ輸送する大動脈を構築したのである。

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● 新川を越えて、左に曲がり、右に曲がり、左に、右に、ギザギザに歩いて、北葛西4にある浄土宗の寺「華光山巌池院法蓮寺」の前に出た。 立派な山門の奥に、鉄筋コンクリート造の立派な本堂が見えた。 チョイト、手を合わせて行こう。、、、、寛永3年(1626)宇喜田新田の開発者宇田川喜兵衛定氏の隠居所跡に、子の定次が亡父追悼ために建てたのが草創。 開山は寛永13年(1636)真譽上人。 法蓮は定氏の入道名。 本尊は二尺一寸五分の阿弥陀如来で、聖徳太子の作と伝えられているそうだ。、、、、境内にある、駒形の月日青面金剛像邪鬼三猿二鶏の庚申塔(正徳5年(1715)銘)は、さほど劣化しておらず良い状態で残っている。

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葛西橋通りを東に歩き、都バスの江戸川営業所付近から、右に、左に、また右に、また左に、何度か曲がって、東京メトロ東西線の葛西駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・葛西駅に到着。 葛西駅は昭和44年(1969)3月29日 に開業の高架駅。、、、、駅前のバス停に、ナント!秋葉原駅行きが停まってる。 このバスに乗れば、浅草橋(我が家)の近くを通るだろうと思い、丁度、発車寸前、あわてて乗る。(写真を撮る時間も無し) 

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2020年9月26日 (土)

しっとり濡れて

連日の雨、今朝も一降りあり、チョイト、雨の隙を見て散歩に出た。 柴又駅で下車し、帝釈天、江戸川土手を歩き、京成小岩駅までの散歩です。



● 毎度おなじみ柴又駅、今日の散歩のスタート地点。 雨は小休止。 土曜の早朝は人影もまばら、観光客はまだいない。

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● 今日は、駅の北にある柴又八幡神社に寄ってみた。、、、、柴又八幡神社の創建年代は不詳だが、境内は全体が古墳上に鎮座する社で、江戸時代には柴又村の鎮守社であった。 古墳は円墳で直径30m、6世紀~7世紀の築造であるらしい。 現社殿は昭和43年(1968)の造営。、、、、島俣塚(柴又塚)は、社殿の裏にあり、昭和40年、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、其の上に墓石を築いたもの。 また、古墳からは、寅さんの帽子のようなものをかぶった埴輪も出土しているそうだ。 さくらに似た埴輪は、まだ出土していない。

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● 早朝、雨上がりの参道を歩き、帝釈天参り。、、、、時刻は8時半、まだ参道のどの店も営業はしていないが、店の中では、草団子をつくり、鰻をさばき、開店準備中。、、、、参道には人影なし、財布でも落ちていないか? 地べたを見ながら、ローアングルで撮ってみた!

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・・・・・・・・・・・・参道正面の二天門

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・・・・・・・・・・・・二天門から入ると正面に帝釈堂がある、、、、屋根の唐破風と千鳥破風が特徴的な堂。 

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・・・・・・・・・・・・こちらは本堂の祖師堂
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● 帝釈天を抜けて、江戸川土手に出る。、、、、土手にでると、霧雨で我が身がしっとり濡れ、風邪をひかぬか心配になった。 おなじ濡れるなら、若い娘としっぽりと濡れてみたい、てなことを、独り想い歩く。

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・・・・・・・・・・・・♪♪ つれて逃げてよ~~ ついておいでよ~~ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し ♪♪、、、、風情あるね! できれば、これから恋に生きたい、じじいです。

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・・・・・・・・・・・・人影少ない河川敷を歩く

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・・・・・・・・・・・・北総線江戸川橋梁の下を抜け、葛飾区から江戸川区へ入る、、、、北総線江戸川橋梁は、平成3年(1991)に完成した、橋長398.5mの合成桁10連ゲルバー鋼桁3連の鉄道橋。 スマートな姿の橋だ!

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・・・・・・・・・・・・江戸川区に入り、江戸川土手のすぐ脇(江戸川区北小岩8-29)に、瓦葺の地蔵堂がある。 中には、中央に地蔵菩薩、右に慈恩寺道の道標、左に馬頭観音がある。、、、、地蔵は比較的新しいものであった。 慈恩寺道の道標は、正徳3年(1713)に建立されたもので、慈恩寺(埼玉県岩槻)への道標として建てられた。 馬頭観音には弘化(1845~1848)の年号が刻まれている。


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● しっとり濡れて京成小岩駅に到着。、、、、京成小岩駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 開業は、昭和7年(1932)5月15日。、、、、JR小岩駅とは600m程離れており、乗換はしない方が良い。 どうしても、JR総武線に乗り換えたければ、成田方面へ6つ目の京成八幡駅で、JR本八幡駅に乗り換える方が楽である。

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2020年8月 5日 (水)

死の散歩?

東京の最高気温35℃の予報がでた! 今日の散歩は、“三密”を避け、人混みがなさそうな都営新宿線一之江駅から新小岩駅まで歩くことにした。 1万3千歩の散歩。




● 都心から本八幡行きに乗り、終点本八幡の3駅手前「一之江駅」で下車する。 空いてる電車から、降りる人は少ない。 ホームでは都心に向かう通勤客がスマホ片手に電車待ち。 在宅勤務が多いのか、改札を通る人も少ないようだ! 地上に出ると、まだいくらも歩かないのに、もう汗が出ている。 『今日は暑そうだ、散歩に出てきたのは失敗だったかも?』と、熱中症への不安がよぎる。

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● 駅からは、とりあえず北に向かって歩く。 今井街道を横切り、一之江4丁目の裏道を北へ目指す。 

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・・・・・・・・・・・・数軒の住宅で玄関に「笑門」(しょうもん)の注連飾りが見えた。、、、、「笑門」は、しめ縄飾りにつける魔除けの木札のこと。 三重県伊勢地方では通年で飾っておくのが一般的である。 風習の起源は素戔嗚尊(スサノオノミコト)が伊勢に訪れた時、蘇民将来(そんみしょうらい)の家に泊めてもらい、宿を貸りたお礼に「注連飾りを年中掛けておけば、後世疫病から免れることが出来る」と言い残して立ち去ったことによるものらしい。、、、、私も伊勢・近江に行ったとき、多くの家で飾ってあるのを見たが、最近、その風習が東京でも見られるようになったみたいだ。

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● 一之江5丁目に、真言宗豊山派の医王山不動院妙音寺がある。 建久元年(1190)の開山といわれ、江戸川区内でも有数の古刹。 本尊は桃山時代に作られた木造十一面観音立像。 
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・・・・・・・・・・・・境内、右手に薬師堂があり、薬師如来がまつられている。、、、、この寺にのこる片目の鮒の伝説:『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。すると満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、池に八つ目鰻を放つと、七つ目鰻になるのか、新種誕生だ!

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● 首都高7号小松川線を横切り、西一之江2丁目に入る。 シャツは汗で濡れ身体はサウナ風呂。 そろそろ熱中症が心配になり、自販機でコーラを買い水分補給。 日陰を探しながら歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・京葉道路に出たが、太陽は頭上真上にあるようだ。 日影が無い! 冬の八甲田ならぬ夏の江戸川区、死の行軍ならぬ死の散歩である。 『まだ死にたくない、ああ、“氷あずき”を食べたい!』

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・・・・・・・・・・・・・・人影のない公園があった! 広い公園だ「大杉一丁目公園」、、、、公園正面に女神像? 『捨てる神あれば拾う神あり』 公園の手洗いで水を頭からかぶる、どうせ服は汗でビショビショ、歩いていれば乾くだろう!、、、、チョイト、休憩して“死の散歩”は続く!

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● 北へ向かい歩くと大杉天祖神社(大杉1)がある。、、、、大杉天祖神社の創建年代は不詳だが、もと神明社と称し、葛西御厨の一つだった。 旧西一之江村の鎮守で、将軍家康鷹狩の際は参詣の後、境内の東方にあった腰掛山という小高い所で、休憩したそうだ。、、、、私も、境内のベンチに座り幼稚園の先生らしき女性を横目で見つめながら休憩。

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● 再び新小岩駅を目指し歩きはじめる。 首に巻いた濡れ手拭が乾きはじめた、『頑張ろう!』自分に言い聞かせる。、、、、新小岩駅行きのバス停があった。 『バスで新小岩駅に行くか?』と、時刻表を見ると1時間に1本、次は30分後。 この炎天下で30分待ちは辛い、ヤッパリ歩くぞ!、、、、東小松川香取神社前(中央4)にでる、チョイト手を合わせて、駅までももう一頑張り。

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・・・・・・・・・・・・・・やっと、新小岩駅前の「新小岩ルミエール商店街」(葛飾区新小岩)に到着。 アーケイドが日射しを遮り、商店の冷房が冷えた空気を送ってくれる、『幸せだな~~?』と一言。、、、、気持ちに余裕が出てきた。 薬局があったので、コロナに効く“うがい薬”「イソジン」があるか聞いてみると、ヤッパリ売り切れで在庫なし!

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● “死の散歩”は終わり、無事、新小岩駅へ到着。、、、、そろそろ自分の歳も考え、無理のない散歩に心掛けよう!

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2020年2月10日 (月)

東葛西は寺町だ!

今日は行き先未定で散歩に出ようとすると、妻が『散歩は何処へ行くの?』と問うてきた。 『決めてない!』と返すと、『ど・っ・ち・が・い・い・か・な・・・・・』と人差し指を立てて右・左。 我が家から、JRの浅草橋駅は右側、都営地下鉄・都バスの浅草橋駅は左側に向かうと駅に近い。 『・・・・・言・う・と・お・り』で右を差して止まる。 『ヨシ、JRに乗って来る!』と駅へ向かう。

浅草橋から総武緩行線に乗り、『さて、何処で降りようか?』自問自答。 駅からのバス路線が多い新小岩駅で下車した。 『一番遠くへ行きそうなバスに乗って適当な処で降りることにしよう』

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駅前のバス停からスグ出発しそうな、今井経由葛西駅行きの都バスに乗った。

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さて、次はバスの中で『どこで降りようか?』 まずは、乗客の中に可愛い娘を見つけた『あの娘が降りる処で下車しよう!』 駅から4つ目のバス停「江戸川区役所」で可愛い娘は下りたが、私は堪えた『区役所前では、新小岩駅に近すぎる! もっと、遠くに行きたい!』 そうこうする間に、一之江駅前では乗客の大半は下りてしまった。、、、、『アリャ・ラ 自分はどこで降りたらいいのか???』、、、、バス内の路線図を眺め、「下今井」バス停で降りることにした。 「下今井」バス停(江戸川区江戸川5)は、旧江戸川と新中川が合流する処、今井水門、瑞穂大橋の下流、旧江戸川の護岸を背にしたバス停である。、、、、今日の散歩は、ここからスタート。

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●下今井の三兄弟! ・・・・・・下今井バス停前の都道を旧江戸川に沿って南下すると、神社の三兄弟が鎮座している。

・・・・・・・・・・・・バス停の先に鎮座する、宝永4年(1707)創建の下今井熊野神社。 熊野神社は伊佐奈美神を祀り、俗に「お熊ん様」と呼ばれているそうだ。 旧下今井村の鎮守さま。 江戸時代には舟人たちの信仰が厚く、社前を通過する時は必ず帆をおろして航行の安全を祈ったといわれる。 また社前の江戸川は深い淵となって水が清澄で飲料水に適していたらしく、徳川将軍家でもここの水を運んだという。 俗に「おくまんだし」の水として尊重されたらしい。、、、、境内には、昭和43年(1968)に建てられた芭蕉の句碑がある。 『茶水汲む おくまんだしや 松の花 』、、、、金属製の柵で拝殿と本殿は厳重に守られ、賽銭泥棒は商売できない。

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・・・・・・・・・・・・熊野神社から300m程南下すると、下今井稲荷神社がある。 こちらの創建も、宝永4年(1707)で、祭神は宇賀御霊之命。 石鳥居は天保3年(1832)の再建で、その脇に文政11年(1828)霜月再建の「猿田彦大神」と刻まれた石柱がある。、、、、ここも、賽銭泥棒除けに鉄柵に囲まれ、社殿が見えづらい!

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・・・・・・・・・・・・さらに南下し新川を越えて東葛西1丁目に入ると、下今井香取神社がある。 神社は旧下今井村に鎮座しているが、旧長島村・旧桑川村との村境に位置していることから、「境の宮」とも称されている。 経津主神を祀る下今井の総鎮守で旧村社であった。 創建年代は不詳となっているが、下今井熊野神社、下今井稲荷神社と共に、宝永4年(1707)に下今井村の鎮守として創建されたらしい。 つまり、三社は兄弟であるかも?

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●地震に強い水門へ変身! ・・・・・・・・新川(しんかわ)は、江戸川区を流れる川で、中川と旧江戸川を結ぶ人工河川(運河)である。 江戸時代には船堀川や行徳川とも呼ばれていた。 その新川の東端に新川東水門がある。、、、、只今、新川東水門は約6億円の費用で耐震補強工事中。  

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●賽銭も尽きる寺社詣で! ・・・・・・・新川東水門から下今井香取神社の前をとおり西へ、環七通りと葛西橋通りが交差する「長島町交差点」に抜ける道沿いには、コレマタ、寺社の多いこと。 “寺町”と云っても良いかも。、、、、今日、立ち寄った寺社の多くは、平成28年に訪れている。 

・・・・・・・・・・・・まずは、東葛西3-4に建つ庚申塔。 庚申塔の横に 明和五子天と刻まれている。 明和5年(1768)に作られ庚申塔で、青面金剛像にはドクロの首飾りがある。、、、、ひょっとすると、一昔前のアフリカの土人を模したのか?

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・・・・・・・・・・・・庚申塔の横道を入るとスグ、浄土宗の智光院がある。 智光院は普照山閻魔寺と号し、天正元年(1573)に創建された。

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・・・・・・・・・・・・そして、庚申塔の斜め前には、下今井香取神社がある。、、、、既紹介済み

・・・・・・・・・・・・下今井香取神社の隣りには、永禄5年(1562)に創建された旧桑川村の古刹で、浄土宗の寺院称専寺がある。 一向山無量院と号す。 永禄5年(1562)の創建。 本尊は阿弥陀三尊像。 華奢な感じの鉄筋コンクリートの本堂。、、、、境内には万冶3年(1660)の銘をもつ地蔵菩薩像庚申塔と、同年銘の阿弥陀如来像庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・称専寺の前には正円寺。 新義真言宗寺院の正円寺は、海寶山地蔵院と号す。 創建年代不詳。 文亀元年(1501)前後に中興したといわれている。、、、、境内の庚申塔(寛文3年銘)は江戸川区有形文化財である。

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・・・・・・・・・・・・正円寺の南側(東葛西3-3)には、浄土宗寺院の清光寺がある。 清光寺は一向山無量院と号す。 文亀2年(1502)に開山した。、、、、境内は広いが殺風景。

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・・・・・・・・・・・・つづいて、清光寺の西側に、こちらも境内の広い長島香取神社がある。 旧名茂神社は、旧長島村の鎮守であった。 香取神社の創建年代は不詳だが、中興した良範法印が文亀元年(1501)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できる。、、、、明治41年(1908)には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年(1951)には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座した。

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・・・・・・・・・・・・さらに寺社は続く、香取神社と地続きで隣に、真言宗豊山派寺院の東善寺がある。 こちらは、医王山応心院と号す。 本尊は木造薬師如来坐像、養老3年(719)、仏師春日が大阪春日野で制作したものを、仁平2年(1152)に空円上人が開山の時ここに安置した。 葛西大師参りの霊場の一つで、通称は「長島薬師」と呼ばれている。 本尊薬師如来に手を合わせる時のご真言は『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』と唱えるそうだ。、、、、赤い旗がなびく寺。共産党とは無関係と思われる。 

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・・・・・・・・・・・・東善寺から西へ150m程に梵音寺がある。 梵音寺は海潮山と号する曹洞宗の古刹で、当寺の縁起によると、承和14年(847)慈覚大師が唐から帰朝する時、難風起り来って危うかったところ観世音菩薩に救われ、この地(袖しが浦)に上陸することが出来た。そこでここに一宇を建て観世音菩薩をまつったのがこの寺の始まり。、、、、シマッタ! 写真撮り忘れた! ゴメン。
・・・・・・・・・・・・梵音寺の山門脇に小社:長島稲荷神社がある。

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・・・・・・・・・・・・まだあった、長島稲荷神社の北側に桑川神社があった。 旧桑川村の鎮守でもと第六天といった。 祭神は面足之命で創建年月は不詳。別当は近くの東善寺であったが、文久年間の火災で旧記を焼失した。

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・・・・・・・・・・・・今日歩いたルートの近くには、まだまだ寺社があり、庚申塔もあるようだ、、、、いずれまたの機会に参拝しよう。 今日は、不幸にも寺社がありすぎて、賽銭の小銭も無くなった!



●ラッキー、バスが来た! ・・・・・・・・葛西駅に出るつもりであったが、環七通り「長島町交差点」バス停に丁度、「船堀駅前」行きのバスが来た。 ミッキー・ポッキー・ラッキーで、バスで船堀駅へ。 都営地下鉄で帰路につく。 

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2020年1月 9日 (木)

小松菜の里

困ったもので、顔は良いのだが眼が悪く、最近メガネの度が合わず新調することにした。 私のメガネは二十年程前から同じ眼鏡屋さんから購入してる。 同じ眼鏡屋さんだと、検眼、購入履歴などの情報を保存しており、客側としても何かと相談しやすく便利である。 その眼鏡屋さんは秋葉原にあり、浅草橋の我が家から歩いても20分程で行けた。 しかし2年前に店舗を整理統合し、秋葉原の店は新小岩の店に統合された。 仕様がない、“生姜は八百屋で売ってるよ”、新小岩の店に行って買うことにした。、、、、今日は、その新調したメガネを受け取りに新小岩に行ってきた。 眼鏡屋へ行く前に香取神社へチョイト寄ってきた。




●小松が消えた! ・・・・・・現在、新小岩駅のある位置には大正15年(1926)に設置された新小岩信号所があった。 昭和3年(1928)7月10日、信号所が駅に昇格し新小岩駅が開業した。、、、、新小岩駅周辺は元々「小松」という地名であった。 駅の開業にあったっては、駅名を地名に由来して「下総小松」とか「小松」とする予定だった。 ところが、周辺住民の要望によって信号所の名前のままの新小岩駅となった。 さらに、昭和40年代の住居表示実施の際、周辺の地名も駅名に合わせて新小岩・東新小岩・西新小岩となり、「小松」の地名は消え去った。

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・・・・・・・・・・・・ホームから見る駅前ロータリー。 手前は旧駅舎を撤去中。
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●小松菜の里 ・・・・・・・眼鏡屋へ行く前に、駅ホーム下を抜けるバス通り「平和橋通り」南下し、江戸川区中央4丁目の新小岩香取神社に寄ってみた。、、、、新小岩香取神社の創建年代は不詳だが、昔この辺一帯が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ道ヶ島(堂ヶ島)という小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒と言われている。 元和3年(1617)に再建、西小松川村の鎮守であった。 当時国府台間々の入江から、武蔵国上野の台地に向かう船は、この神社の森を船路の目安としたので、間々井宮と称したと伝えられている。、、、、この社は元和5年(1619)の棟札を所蔵する古社で、亀井和泉守源永好以来代々亀井家が宮司をつとめている。、、、、明治時代以降、近隣の神社を当社に合祀、また数多くの神社の兼務を行っている。 まさに、神社のM&Aと、出先店舗の増設だ!

・・・・・・・・・・・・平和橋通りを南に歩き、新小岩親水公園の手前をチョイト東に入ると、住宅地の中に神社がある。
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・・・・・・・・・・・・現在の本殿は総欅造りで、氏子大工牧野八郎次が十年の歳月を費やし、天保4年(1833)に竣工した建物。

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・・・・・・・・・・・・境内社としては、稲荷神社水神社道祖神鷲神社大雷神などが祀られている。

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・・・・・・・・・・・・境内には、すき焼きに入れる小松菜に因む石碑がある。、、、、「小松菜」は、享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩をする時の食事をする場所として、当香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けました。 しかしこれといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。、、、、と、説明板に書かれている。 写真は「小松菜ゆかりの里」、「小松菜産土神」の石碑。

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・・・・・・・・・・・・神社の隣りには、小松菜の発祥の地といわれている屋敷「小松菜屋敷」がある。 将軍が鷹狩りに訪れた際、御膳所として小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主亀井和泉守の屋敷跡。 現在も子孫である地域歴史研究家亀井千歩子の住居となっている。

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・・・・・・・・・・・・神社前の道を西へ100m程歩くと「亀井家墳墓」がある。 香取神社を代々祀ってきた亀井家の墓所。

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●元気な商店街! ・・・・・・・JR新小岩駅の駅前ロータリーの真ん前にルミエール商店街がある。 全長420m、約140店舗が軒を連ねる下町の元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置した長いアーケードが駅前から続き、雨でも安心して買い物ができるようだ。、、、、商店街の中に眼鏡屋さんが5軒もあった。 もちろんスーパー、コンビニも、パチンコ屋も、生活に必要なものは全てあるようだ。

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●メガネ新調! ・・・・・・・私は若く見えるようで、これまで70代の自分が、世間さまには60代に見られていた。 今日、新調したメガネではもっと若く50代に見えるらしい。 店員さんが嬉しいこと言ってくれる!、、、、早速、新しいメガネをかけて電車に乗ったが、誰もふりむいてくれない! やっぱり!!!

2020年1月 5日 (日)

三つめの行徳橋

総武本線の本八幡駅から、行徳橋を渡り、江戸川水門・閘門を見て、篠崎ポニーランド前バス停からバスで小岩駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。




●南口は裏口? ・・・・・・・JR総武本線の本八幡駅は昭和10年(1935)9月1日に開業した。 駅は緩行線の島式ホーム1面2線と特急・快速がダッシュで通過する快速通過線2線の高架駅。 高架下に改札口があり、出入口は 北口と南口の2か所と駅ビルShapo口がある。 都営地下鉄新宿線の本八幡駅とは駅ビル内の連絡通路で結ばれている。、、、、みずほ、三井住友、三菱UFJ、りそな、千葉、千葉興業、三菱UFJ信託、各銀行の支店は全て北口側にある。 南口側には、駅前からチョイト外れた所に京葉銀行の支店があった!、、、、まだ松の内の日曜日、駅はガラガラ、人影の少ないい南口から散歩をスタートする!

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●県道は旧街道? ・・・・・・・・駅から
県道6号(市川浦安線)沿いに歩き、行徳橋を目指す。、、、、人も、車も少なく、歩きやすい道を行く! 

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・・・・・・・・・・・・市川市立大和田小学校近くの交差点角に『未来(みき)ちゃん』の像があった。、、、、渡辺成良:作で、平成17年(2005)に設置された。 「アメリカ・ソビエトに桜の苗木をおくる会」が、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ市(1983)、ソビエト社会主義共和国連邦ナホトカ沿海地区(1984)、市川市立大和田小学校(1985)と桜植樹を行い、その20周年記念碑として設置したそうだ。、、、、会が、なぜ桜の木を贈るのか? 経緯は不明だが、街角の癒しの像としていいね!

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・・・・・・・・・・・・県道に沿って歩いて行くと、市川市文化会館が見える。 昭和60年(1985)に総事業費約92億円で建てられた、約2000人収容の大ホールなどを備えた芸術文化の拠点である。、、、、チョイト見たかったが、時間が早すぎ開館前なので残念であったのが、「井上ひさし記念室」だ! 井上ひさしは「ひょっこりひょうたん島」の原作者で、劇団「こまつ座」の創設者で、小説「浅草鳥越あずま床」の作家。 昭和42年(1967)から昭和62年(1987)まで、市川で暮らした。 その資料が展示されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・埼玉県の人を一挙にディズニーランドに引き寄せる東京外環自動車道を、市川市大和町1丁目で横切る。、、、、歩道橋の上に立つと、何か物を投げたくなる気持ち、なんとなく判るね!

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・・・・・・・・・・・・大和田2丁目の甲大神社(かぶとだいじんじゃ)に立ち寄る。、、、、甲大神社の祭神は応神天皇と言われているが、大神の兜を祭るとも伝えられている。 創建は永延2年(988)当地に鎮座、葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田村の鎮守社であった。 一の鳥居、二の鳥居とも、太い柱で重量感がある。

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・・・・・・・・・・・・京葉道路の下を抜けたところに、延命地蔵尊が祀られている。、、、、稲荷木 一本松」と記された案内板には、地名「稲荷木」のふりがなが「とうかき」と標されていた。 これまで「稲荷木」を“いなりぎ”と読んでいた、“とうかき”とは難読地名だ!、、、、さらにその案内板によると、かつて、行徳から市川に向かうには、今の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺(そうりんじ)の前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田→大洲→市川南を経て国道14号線(上総道・佐倉道・千葉街道)に出て市川に至ったと記されている。 そして、この地には「一本松」が植えられていた。 しかし、一本松は京葉道路などの車の排気ガスの影響から、昭和48年(1973)に伐採され、現在は根元の部分が残されている。、、、、一本松の前には、「馬頭観世音菩薩」が立ち、そして左隣に「延命地蔵尊」、さらにその右手前の石には、「これより右やわたみち 正徳三癸巳歳」「これより左市川国分寺みち(?)」と刻まれている。 つまりここは、行徳橋方面から来ると市川方面と八幡方面の分岐点である。、、、、なんと、この県道は旧街道の一部だったようだ!

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・・・・・・・・・・・・建物は新しくとも、道幅もチョイト狭くなり、なんとなく旧街道らしい雰囲気が出てきた!

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・・・・・・・・・・・・市川市稲荷木(とうかぎ)3丁目に、稲荷木稲荷神社がある。 稲荷木稲荷神社は、稲荷木村の鎮守社として寛永12年(1635)創建した。、、、、社殿は昭和41年(1966)に改築され、拝殿は鉄筋コンクリート造、本殿は木造で覆堂の中にある。 本殿の彫刻はなかなかのできばいで見ごたえ有り!、、、、地名「稲荷木」とは、“稲を干す木”、稲木に由来するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・稲荷木稲荷神社から200m程歩くと、享保6年(1721)の創建、新義真言宗の雙輪寺がある。 
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●どの橋が行徳橋となるか? ・・・・・・・行徳橋は、市川市の行徳地区と八幡地区を結ぶ県道6号市川浦安線が走る行徳橋。 全長は約422m、幅7mの道路橋で、国が管理する可動堰(ぜき)との一体構造となっている。 昭和31年(1956)3月完成後、昭和51年(1976)に歩道拡張工事を行っただけで、改修工事は行っておらず、老朽化が著しく進んでいる。 現在可動堰の上流側に新しい橋を架け替え中(工事は遅れているが今年中に供用開始となるか?)、、、、【チョイトややっこしい話】 現在の行徳橋の下流側にバイパスとして昭和47年(1972)に開通した新行徳橋が架かっている。 そこで現在は昭和31年の行徳橋を「旧行徳橋」と呼んでいるのだが・・・新しい橋ができると“新”の字を冠して「新旧行徳橋」と呼ぶのか? チョイト名の整理をしてほしいね。

・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(別名:旧行徳橋)は、バスがヤットコサすれ違うことのできる幅7m、歩道は可動堰側に1.2mの幅である。 歩道上で自転車に乗ったまま、両方がすれ違うことは不可能。

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・・・・・・・・・・・・上流側に新しい行徳橋(?)を建設中。、、、、新しい橋と可動堰はタラップで結ばれている。 新しい橋が供用されると古い行徳橋は可動堰と切り離され、撤去されるかもね?

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・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(写真手前)から下流側約150mに架かる新行徳橋(写真奥)。 “新”を冠した名が残るのか?
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●海水を阻止する水門! ・・・・・・・行徳橋を渡り江戸川水閘門に出る。、、、、江戸川と旧江戸川の分流点の直下流側に位置し、旧江戸川をとおり東京湾の海水が遡ることを阻止する水門+閘門。 昭和18年(1943)、戦時真っ最中の中で竣工し、東京市民のため、金町の浄水場で安定的な取水を可能とした。、、、、空襲で破壊されず、よかった!

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●お帰りです! ・・・・・・・・江戸川土手を遡り、京葉道路:江戸川大橋の際にある「ポニーランド」バス停から小岩駅行きのバスに乗る。

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