江戸川区

2020年9月26日 (土)

しっとり濡れて

連日の雨、今朝も一降りあり、チョイト、雨の隙を見て散歩に出た。 柴又駅で下車し、帝釈天、江戸川土手を歩き、京成小岩駅までの散歩です。



● 毎度おなじみ柴又駅、今日の散歩のスタート地点。 雨は小休止。 土曜の早朝は人影もまばら、観光客はまだいない。

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● 今日は、駅の北にある柴又八幡神社に寄ってみた。、、、、柴又八幡神社の創建年代は不詳だが、境内は全体が古墳上に鎮座する社で、江戸時代には柴又村の鎮守社であった。 古墳は円墳で直径30m、6世紀~7世紀の築造であるらしい。 現社殿は昭和43年(1968)の造営。、、、、島俣塚(柴又塚)は、社殿の裏にあり、昭和40年、本殿下の古墳出土の人骨を集めて埋め、其の上に墓石を築いたもの。 また、古墳からは、寅さんの帽子のようなものをかぶった埴輪も出土しているそうだ。 さくらに似た埴輪は、まだ出土していない。

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● 早朝、雨上がりの参道を歩き、帝釈天参り。、、、、時刻は8時半、まだ参道のどの店も営業はしていないが、店の中では、草団子をつくり、鰻をさばき、開店準備中。、、、、参道には人影なし、財布でも落ちていないか? 地べたを見ながら、ローアングルで撮ってみた!

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・・・・・・・・・・・・参道正面の二天門

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・・・・・・・・・・・・二天門から入ると正面に帝釈堂がある、、、、屋根の唐破風と千鳥破風が特徴的な堂。 

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・・・・・・・・・・・・こちらは本堂の祖師堂
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● 帝釈天を抜けて、江戸川土手に出る。、、、、土手にでると、霧雨で我が身がしっとり濡れ、風邪をひかぬか心配になった。 おなじ濡れるなら、若い娘としっぽりと濡れてみたい、てなことを、独り想い歩く。

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・・・・・・・・・・・・♪♪ つれて逃げてよ~~ ついておいでよ~~ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し ♪♪、、、、風情あるね! できれば、これから恋に生きたい、じじいです。

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・・・・・・・・・・・・人影少ない河川敷を歩く

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・・・・・・・・・・・・北総線江戸川橋梁の下を抜け、葛飾区から江戸川区へ入る、、、、北総線江戸川橋梁は、平成3年(1991)に完成した、橋長398.5mの合成桁10連ゲルバー鋼桁3連の鉄道橋。 スマートな姿の橋だ!

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・・・・・・・・・・・・江戸川区に入り、江戸川土手のすぐ脇(江戸川区北小岩8-29)に、瓦葺の地蔵堂がある。 中には、中央に地蔵菩薩、右に慈恩寺道の道標、左に馬頭観音がある。、、、、地蔵は比較的新しいものであった。 慈恩寺道の道標は、正徳3年(1713)に建立されたもので、慈恩寺(埼玉県岩槻)への道標として建てられた。 馬頭観音には弘化(1845~1848)の年号が刻まれている。


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● しっとり濡れて京成小岩駅に到着。、、、、京成小岩駅は、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 開業は、昭和7年(1932)5月15日。、、、、JR小岩駅とは600m程離れており、乗換はしない方が良い。 どうしても、JR総武線に乗り換えたければ、成田方面へ6つ目の京成八幡駅で、JR本八幡駅に乗り換える方が楽である。

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2020年8月 5日 (水)

死の散歩?

東京の最高気温35℃の予報がでた! 今日の散歩は、“三密”を避け、人混みがなさそうな都営新宿線一之江駅から新小岩駅まで歩くことにした。 1万3千歩の散歩。




● 都心から本八幡行きに乗り、終点本八幡の3駅手前「一之江駅」で下車する。 空いてる電車から、降りる人は少ない。 ホームでは都心に向かう通勤客がスマホ片手に電車待ち。 在宅勤務が多いのか、改札を通る人も少ないようだ! 地上に出ると、まだいくらも歩かないのに、もう汗が出ている。 『今日は暑そうだ、散歩に出てきたのは失敗だったかも?』と、熱中症への不安がよぎる。

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● 駅からは、とりあえず北に向かって歩く。 今井街道を横切り、一之江4丁目の裏道を北へ目指す。 

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・・・・・・・・・・・・数軒の住宅で玄関に「笑門」(しょうもん)の注連飾りが見えた。、、、、「笑門」は、しめ縄飾りにつける魔除けの木札のこと。 三重県伊勢地方では通年で飾っておくのが一般的である。 風習の起源は素戔嗚尊(スサノオノミコト)が伊勢に訪れた時、蘇民将来(そんみしょうらい)の家に泊めてもらい、宿を貸りたお礼に「注連飾りを年中掛けておけば、後世疫病から免れることが出来る」と言い残して立ち去ったことによるものらしい。、、、、私も伊勢・近江に行ったとき、多くの家で飾ってあるのを見たが、最近、その風習が東京でも見られるようになったみたいだ。

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● 一之江5丁目に、真言宗豊山派の医王山不動院妙音寺がある。 建久元年(1190)の開山といわれ、江戸川区内でも有数の古刹。 本尊は桃山時代に作られた木造十一面観音立像。 
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・・・・・・・・・・・・境内、右手に薬師堂があり、薬師如来がまつられている。、、、、この寺にのこる片目の鮒の伝説:『むかし、ひとりの目の不自由な娘がいました。その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断ってお祈りしました。すると満願の日に、目が見えるようになりました。娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったといわれています。』、、、、池に八つ目鰻を放つと、七つ目鰻になるのか、新種誕生だ!

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● 首都高7号小松川線を横切り、西一之江2丁目に入る。 シャツは汗で濡れ身体はサウナ風呂。 そろそろ熱中症が心配になり、自販機でコーラを買い水分補給。 日陰を探しながら歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・京葉道路に出たが、太陽は頭上真上にあるようだ。 日影が無い! 冬の八甲田ならぬ夏の江戸川区、死の行軍ならぬ死の散歩である。 『まだ死にたくない、ああ、“氷あずき”を食べたい!』

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・・・・・・・・・・・・・・人影のない公園があった! 広い公園だ「大杉一丁目公園」、、、、公園正面に女神像? 『捨てる神あれば拾う神あり』 公園の手洗いで水を頭からかぶる、どうせ服は汗でビショビショ、歩いていれば乾くだろう!、、、、チョイト、休憩して“死の散歩”は続く!

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● 北へ向かい歩くと大杉天祖神社(大杉1)がある。、、、、大杉天祖神社の創建年代は不詳だが、もと神明社と称し、葛西御厨の一つだった。 旧西一之江村の鎮守で、将軍家康鷹狩の際は参詣の後、境内の東方にあった腰掛山という小高い所で、休憩したそうだ。、、、、私も、境内のベンチに座り幼稚園の先生らしき女性を横目で見つめながら休憩。

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● 再び新小岩駅を目指し歩きはじめる。 首に巻いた濡れ手拭が乾きはじめた、『頑張ろう!』自分に言い聞かせる。、、、、新小岩駅行きのバス停があった。 『バスで新小岩駅に行くか?』と、時刻表を見ると1時間に1本、次は30分後。 この炎天下で30分待ちは辛い、ヤッパリ歩くぞ!、、、、東小松川香取神社前(中央4)にでる、チョイト手を合わせて、駅までももう一頑張り。

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・・・・・・・・・・・・・・やっと、新小岩駅前の「新小岩ルミエール商店街」(葛飾区新小岩)に到着。 アーケイドが日射しを遮り、商店の冷房が冷えた空気を送ってくれる、『幸せだな~~?』と一言。、、、、気持ちに余裕が出てきた。 薬局があったので、コロナに効く“うがい薬”「イソジン」があるか聞いてみると、ヤッパリ売り切れで在庫なし!

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● “死の散歩”は終わり、無事、新小岩駅へ到着。、、、、そろそろ自分の歳も考え、無理のない散歩に心掛けよう!

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2020年2月10日 (月)

東葛西は寺町だ!

今日は行き先未定で散歩に出ようとすると、妻が『散歩は何処へ行くの?』と問うてきた。 『決めてない!』と返すと、『ど・っ・ち・が・い・い・か・な・・・・・』と人差し指を立てて右・左。 我が家から、JRの浅草橋駅は右側、都営地下鉄・都バスの浅草橋駅は左側に向かうと駅に近い。 『・・・・・言・う・と・お・り』で右を差して止まる。 『ヨシ、JRに乗って来る!』と駅へ向かう。

浅草橋から総武緩行線に乗り、『さて、何処で降りようか?』自問自答。 駅からのバス路線が多い新小岩駅で下車した。 『一番遠くへ行きそうなバスに乗って適当な処で降りることにしよう』

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駅前のバス停からスグ出発しそうな、今井経由葛西駅行きの都バスに乗った。

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さて、次はバスの中で『どこで降りようか?』 まずは、乗客の中に可愛い娘を見つけた『あの娘が降りる処で下車しよう!』 駅から4つ目のバス停「江戸川区役所」で可愛い娘は下りたが、私は堪えた『区役所前では、新小岩駅に近すぎる! もっと、遠くに行きたい!』 そうこうする間に、一之江駅前では乗客の大半は下りてしまった。、、、、『アリャ・ラ 自分はどこで降りたらいいのか???』、、、、バス内の路線図を眺め、「下今井」バス停で降りることにした。 「下今井」バス停(江戸川区江戸川5)は、旧江戸川と新中川が合流する処、今井水門、瑞穂大橋の下流、旧江戸川の護岸を背にしたバス停である。、、、、今日の散歩は、ここからスタート。

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●下今井の三兄弟! ・・・・・・下今井バス停前の都道を旧江戸川に沿って南下すると、神社の三兄弟が鎮座している。

・・・・・・・・・・・・バス停の先に鎮座する、宝永4年(1707)創建の下今井熊野神社。 熊野神社は伊佐奈美神を祀り、俗に「お熊ん様」と呼ばれているそうだ。 旧下今井村の鎮守さま。 江戸時代には舟人たちの信仰が厚く、社前を通過する時は必ず帆をおろして航行の安全を祈ったといわれる。 また社前の江戸川は深い淵となって水が清澄で飲料水に適していたらしく、徳川将軍家でもここの水を運んだという。 俗に「おくまんだし」の水として尊重されたらしい。、、、、境内には、昭和43年(1968)に建てられた芭蕉の句碑がある。 『茶水汲む おくまんだしや 松の花 』、、、、金属製の柵で拝殿と本殿は厳重に守られ、賽銭泥棒は商売できない。

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・・・・・・・・・・・・熊野神社から300m程南下すると、下今井稲荷神社がある。 こちらの創建も、宝永4年(1707)で、祭神は宇賀御霊之命。 石鳥居は天保3年(1832)の再建で、その脇に文政11年(1828)霜月再建の「猿田彦大神」と刻まれた石柱がある。、、、、ここも、賽銭泥棒除けに鉄柵に囲まれ、社殿が見えづらい!

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・・・・・・・・・・・・さらに南下し新川を越えて東葛西1丁目に入ると、下今井香取神社がある。 神社は旧下今井村に鎮座しているが、旧長島村・旧桑川村との村境に位置していることから、「境の宮」とも称されている。 経津主神を祀る下今井の総鎮守で旧村社であった。 創建年代は不詳となっているが、下今井熊野神社、下今井稲荷神社と共に、宝永4年(1707)に下今井村の鎮守として創建されたらしい。 つまり、三社は兄弟であるかも?

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●地震に強い水門へ変身! ・・・・・・・・新川(しんかわ)は、江戸川区を流れる川で、中川と旧江戸川を結ぶ人工河川(運河)である。 江戸時代には船堀川や行徳川とも呼ばれていた。 その新川の東端に新川東水門がある。、、、、只今、新川東水門は約6億円の費用で耐震補強工事中。  

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●賽銭も尽きる寺社詣で! ・・・・・・・新川東水門から下今井香取神社の前をとおり西へ、環七通りと葛西橋通りが交差する「長島町交差点」に抜ける道沿いには、コレマタ、寺社の多いこと。 “寺町”と云っても良いかも。、、、、今日、立ち寄った寺社の多くは、平成28年に訪れている。 

・・・・・・・・・・・・まずは、東葛西3-4に建つ庚申塔。 庚申塔の横に 明和五子天と刻まれている。 明和5年(1768)に作られ庚申塔で、青面金剛像にはドクロの首飾りがある。、、、、ひょっとすると、一昔前のアフリカの土人を模したのか?

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・・・・・・・・・・・・庚申塔の横道を入るとスグ、浄土宗の智光院がある。 智光院は普照山閻魔寺と号し、天正元年(1573)に創建された。

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・・・・・・・・・・・・そして、庚申塔の斜め前には、下今井香取神社がある。、、、、既紹介済み

・・・・・・・・・・・・下今井香取神社の隣りには、永禄5年(1562)に創建された旧桑川村の古刹で、浄土宗の寺院称専寺がある。 一向山無量院と号す。 永禄5年(1562)の創建。 本尊は阿弥陀三尊像。 華奢な感じの鉄筋コンクリートの本堂。、、、、境内には万冶3年(1660)の銘をもつ地蔵菩薩像庚申塔と、同年銘の阿弥陀如来像庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・称専寺の前には正円寺。 新義真言宗寺院の正円寺は、海寶山地蔵院と号す。 創建年代不詳。 文亀元年(1501)前後に中興したといわれている。、、、、境内の庚申塔(寛文3年銘)は江戸川区有形文化財である。

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・・・・・・・・・・・・正円寺の南側(東葛西3-3)には、浄土宗寺院の清光寺がある。 清光寺は一向山無量院と号す。 文亀2年(1502)に開山した。、、、、境内は広いが殺風景。

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・・・・・・・・・・・・つづいて、清光寺の西側に、こちらも境内の広い長島香取神社がある。 旧名茂神社は、旧長島村の鎮守であった。 香取神社の創建年代は不詳だが、中興した良範法印が文亀元年(1501)に没していることから、長島村の開村した中世に創建したものと推定できる。、、、、明治41年(1908)には旧長島・桑川両村の山玉参拝講の人たちが境内に富士塚を建立、昭和26年(1951)には旧長島村西部にあった八雲神社を境内に遷座した。

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・・・・・・・・・・・・さらに寺社は続く、香取神社と地続きで隣に、真言宗豊山派寺院の東善寺がある。 こちらは、医王山応心院と号す。 本尊は木造薬師如来坐像、養老3年(719)、仏師春日が大阪春日野で制作したものを、仁平2年(1152)に空円上人が開山の時ここに安置した。 葛西大師参りの霊場の一つで、通称は「長島薬師」と呼ばれている。 本尊薬師如来に手を合わせる時のご真言は『おん ころころ せんだり まとうぎ そわか』と唱えるそうだ。、、、、赤い旗がなびく寺。共産党とは無関係と思われる。 

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・・・・・・・・・・・・東善寺から西へ150m程に梵音寺がある。 梵音寺は海潮山と号する曹洞宗の古刹で、当寺の縁起によると、承和14年(847)慈覚大師が唐から帰朝する時、難風起り来って危うかったところ観世音菩薩に救われ、この地(袖しが浦)に上陸することが出来た。そこでここに一宇を建て観世音菩薩をまつったのがこの寺の始まり。、、、、シマッタ! 写真撮り忘れた! ゴメン。
・・・・・・・・・・・・梵音寺の山門脇に小社:長島稲荷神社がある。

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・・・・・・・・・・・・まだあった、長島稲荷神社の北側に桑川神社があった。 旧桑川村の鎮守でもと第六天といった。 祭神は面足之命で創建年月は不詳。別当は近くの東善寺であったが、文久年間の火災で旧記を焼失した。

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・・・・・・・・・・・・今日歩いたルートの近くには、まだまだ寺社があり、庚申塔もあるようだ、、、、いずれまたの機会に参拝しよう。 今日は、不幸にも寺社がありすぎて、賽銭の小銭も無くなった!



●ラッキー、バスが来た! ・・・・・・・・葛西駅に出るつもりであったが、環七通り「長島町交差点」バス停に丁度、「船堀駅前」行きのバスが来た。 ミッキー・ポッキー・ラッキーで、バスで船堀駅へ。 都営地下鉄で帰路につく。 

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2020年1月 9日 (木)

小松菜の里

困ったもので、顔は良いのだが眼が悪く、最近メガネの度が合わず新調することにした。 私のメガネは二十年程前から同じ眼鏡屋さんから購入してる。 同じ眼鏡屋さんだと、検眼、購入履歴などの情報を保存しており、客側としても何かと相談しやすく便利である。 その眼鏡屋さんは秋葉原にあり、浅草橋の我が家から歩いても20分程で行けた。 しかし2年前に店舗を整理統合し、秋葉原の店は新小岩の店に統合された。 仕様がない、“生姜は八百屋で売ってるよ”、新小岩の店に行って買うことにした。、、、、今日は、その新調したメガネを受け取りに新小岩に行ってきた。 眼鏡屋へ行く前に香取神社へチョイト寄ってきた。




●小松が消えた! ・・・・・・現在、新小岩駅のある位置には大正15年(1926)に設置された新小岩信号所があった。 昭和3年(1928)7月10日、信号所が駅に昇格し新小岩駅が開業した。、、、、新小岩駅周辺は元々「小松」という地名であった。 駅の開業にあったっては、駅名を地名に由来して「下総小松」とか「小松」とする予定だった。 ところが、周辺住民の要望によって信号所の名前のままの新小岩駅となった。 さらに、昭和40年代の住居表示実施の際、周辺の地名も駅名に合わせて新小岩・東新小岩・西新小岩となり、「小松」の地名は消え去った。

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・・・・・・・・・・・・ホームから見る駅前ロータリー。 手前は旧駅舎を撤去中。
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●小松菜の里 ・・・・・・・眼鏡屋へ行く前に、駅ホーム下を抜けるバス通り「平和橋通り」南下し、江戸川区中央4丁目の新小岩香取神社に寄ってみた。、、、、新小岩香取神社の創建年代は不詳だが、昔この辺一帯が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ道ヶ島(堂ヶ島)という小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒と言われている。 元和3年(1617)に再建、西小松川村の鎮守であった。 当時国府台間々の入江から、武蔵国上野の台地に向かう船は、この神社の森を船路の目安としたので、間々井宮と称したと伝えられている。、、、、この社は元和5年(1619)の棟札を所蔵する古社で、亀井和泉守源永好以来代々亀井家が宮司をつとめている。、、、、明治時代以降、近隣の神社を当社に合祀、また数多くの神社の兼務を行っている。 まさに、神社のM&Aと、出先店舗の増設だ!

・・・・・・・・・・・・平和橋通りを南に歩き、新小岩親水公園の手前をチョイト東に入ると、住宅地の中に神社がある。
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・・・・・・・・・・・・現在の本殿は総欅造りで、氏子大工牧野八郎次が十年の歳月を費やし、天保4年(1833)に竣工した建物。

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・・・・・・・・・・・・境内社としては、稲荷神社水神社道祖神鷲神社大雷神などが祀られている。

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・・・・・・・・・・・・境内には、すき焼きに入れる小松菜に因む石碑がある。、、、、「小松菜」は、享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩をする時の食事をする場所として、当香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けました。 しかしこれといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。、、、、と、説明板に書かれている。 写真は「小松菜ゆかりの里」、「小松菜産土神」の石碑。

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・・・・・・・・・・・・神社の隣りには、小松菜の発祥の地といわれている屋敷「小松菜屋敷」がある。 将軍が鷹狩りに訪れた際、御膳所として小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主亀井和泉守の屋敷跡。 現在も子孫である地域歴史研究家亀井千歩子の住居となっている。

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・・・・・・・・・・・・神社前の道を西へ100m程歩くと「亀井家墳墓」がある。 香取神社を代々祀ってきた亀井家の墓所。

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●元気な商店街! ・・・・・・・JR新小岩駅の駅前ロータリーの真ん前にルミエール商店街がある。 全長420m、約140店舗が軒を連ねる下町の元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置した長いアーケードが駅前から続き、雨でも安心して買い物ができるようだ。、、、、商店街の中に眼鏡屋さんが5軒もあった。 もちろんスーパー、コンビニも、パチンコ屋も、生活に必要なものは全てあるようだ。

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●メガネ新調! ・・・・・・・私は若く見えるようで、これまで70代の自分が、世間さまには60代に見られていた。 今日、新調したメガネではもっと若く50代に見えるらしい。 店員さんが嬉しいこと言ってくれる!、、、、早速、新しいメガネをかけて電車に乗ったが、誰もふりむいてくれない! やっぱり!!!

2020年1月 5日 (日)

三つめの行徳橋

総武本線の本八幡駅から、行徳橋を渡り、江戸川水門・閘門を見て、篠崎ポニーランド前バス停からバスで小岩駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。




●南口は裏口? ・・・・・・・JR総武本線の本八幡駅は昭和10年(1935)9月1日に開業した。 駅は緩行線の島式ホーム1面2線と特急・快速がダッシュで通過する快速通過線2線の高架駅。 高架下に改札口があり、出入口は 北口と南口の2か所と駅ビルShapo口がある。 都営地下鉄新宿線の本八幡駅とは駅ビル内の連絡通路で結ばれている。、、、、みずほ、三井住友、三菱UFJ、りそな、千葉、千葉興業、三菱UFJ信託、各銀行の支店は全て北口側にある。 南口側には、駅前からチョイト外れた所に京葉銀行の支店があった!、、、、まだ松の内の日曜日、駅はガラガラ、人影の少ないい南口から散歩をスタートする!

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●県道は旧街道? ・・・・・・・・駅から
県道6号(市川浦安線)沿いに歩き、行徳橋を目指す。、、、、人も、車も少なく、歩きやすい道を行く! 

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・・・・・・・・・・・・市川市立大和田小学校近くの交差点角に『未来(みき)ちゃん』の像があった。、、、、渡辺成良:作で、平成17年(2005)に設置された。 「アメリカ・ソビエトに桜の苗木をおくる会」が、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ市(1983)、ソビエト社会主義共和国連邦ナホトカ沿海地区(1984)、市川市立大和田小学校(1985)と桜植樹を行い、その20周年記念碑として設置したそうだ。、、、、会が、なぜ桜の木を贈るのか? 経緯は不明だが、街角の癒しの像としていいね!

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・・・・・・・・・・・・県道に沿って歩いて行くと、市川市文化会館が見える。 昭和60年(1985)に総事業費約92億円で建てられた、約2000人収容の大ホールなどを備えた芸術文化の拠点である。、、、、チョイト見たかったが、時間が早すぎ開館前なので残念であったのが、「井上ひさし記念室」だ! 井上ひさしは「ひょっこりひょうたん島」の原作者で、劇団「こまつ座」の創設者で、小説「浅草鳥越あずま床」の作家。 昭和42年(1967)から昭和62年(1987)まで、市川で暮らした。 その資料が展示されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・埼玉県の人を一挙にディズニーランドに引き寄せる東京外環自動車道を、市川市大和町1丁目で横切る。、、、、歩道橋の上に立つと、何か物を投げたくなる気持ち、なんとなく判るね!

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・・・・・・・・・・・・大和田2丁目の甲大神社(かぶとだいじんじゃ)に立ち寄る。、、、、甲大神社の祭神は応神天皇と言われているが、大神の兜を祭るとも伝えられている。 創建は永延2年(988)当地に鎮座、葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田村の鎮守社であった。 一の鳥居、二の鳥居とも、太い柱で重量感がある。

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・・・・・・・・・・・・京葉道路の下を抜けたところに、延命地蔵尊が祀られている。、、、、稲荷木 一本松」と記された案内板には、地名「稲荷木」のふりがなが「とうかき」と標されていた。 これまで「稲荷木」を“いなりぎ”と読んでいた、“とうかき”とは難読地名だ!、、、、さらにその案内板によると、かつて、行徳から市川に向かうには、今の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺(そうりんじ)の前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田→大洲→市川南を経て国道14号線(上総道・佐倉道・千葉街道)に出て市川に至ったと記されている。 そして、この地には「一本松」が植えられていた。 しかし、一本松は京葉道路などの車の排気ガスの影響から、昭和48年(1973)に伐採され、現在は根元の部分が残されている。、、、、一本松の前には、「馬頭観世音菩薩」が立ち、そして左隣に「延命地蔵尊」、さらにその右手前の石には、「これより右やわたみち 正徳三癸巳歳」「これより左市川国分寺みち(?)」と刻まれている。 つまりここは、行徳橋方面から来ると市川方面と八幡方面の分岐点である。、、、、なんと、この県道は旧街道の一部だったようだ!

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・・・・・・・・・・・・建物は新しくとも、道幅もチョイト狭くなり、なんとなく旧街道らしい雰囲気が出てきた!

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・・・・・・・・・・・・市川市稲荷木(とうかぎ)3丁目に、稲荷木稲荷神社がある。 稲荷木稲荷神社は、稲荷木村の鎮守社として寛永12年(1635)創建した。、、、、社殿は昭和41年(1966)に改築され、拝殿は鉄筋コンクリート造、本殿は木造で覆堂の中にある。 本殿の彫刻はなかなかのできばいで見ごたえ有り!、、、、地名「稲荷木」とは、“稲を干す木”、稲木に由来するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・稲荷木稲荷神社から200m程歩くと、享保6年(1721)の創建、新義真言宗の雙輪寺がある。 
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●どの橋が行徳橋となるか? ・・・・・・・行徳橋は、市川市の行徳地区と八幡地区を結ぶ県道6号市川浦安線が走る行徳橋。 全長は約422m、幅7mの道路橋で、国が管理する可動堰(ぜき)との一体構造となっている。 昭和31年(1956)3月完成後、昭和51年(1976)に歩道拡張工事を行っただけで、改修工事は行っておらず、老朽化が著しく進んでいる。 現在可動堰の上流側に新しい橋を架け替え中(工事は遅れているが今年中に供用開始となるか?)、、、、【チョイトややっこしい話】 現在の行徳橋の下流側にバイパスとして昭和47年(1972)に開通した新行徳橋が架かっている。 そこで現在は昭和31年の行徳橋を「旧行徳橋」と呼んでいるのだが・・・新しい橋ができると“新”の字を冠して「新旧行徳橋」と呼ぶのか? チョイト名の整理をしてほしいね。

・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(別名:旧行徳橋)は、バスがヤットコサすれ違うことのできる幅7m、歩道は可動堰側に1.2mの幅である。 歩道上で自転車に乗ったまま、両方がすれ違うことは不可能。

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・・・・・・・・・・・・上流側に新しい行徳橋(?)を建設中。、、、、新しい橋と可動堰はタラップで結ばれている。 新しい橋が供用されると古い行徳橋は可動堰と切り離され、撤去されるかもね?

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・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(写真手前)から下流側約150mに架かる新行徳橋(写真奥)。 “新”を冠した名が残るのか?
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●海水を阻止する水門! ・・・・・・・行徳橋を渡り江戸川水閘門に出る。、、、、江戸川と旧江戸川の分流点の直下流側に位置し、旧江戸川をとおり東京湾の海水が遡ることを阻止する水門+閘門。 昭和18年(1943)、戦時真っ最中の中で竣工し、東京市民のため、金町の浄水場で安定的な取水を可能とした。、、、、空襲で破壊されず、よかった!

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●お帰りです! ・・・・・・・・江戸川土手を遡り、京葉道路:江戸川大橋の際にある「ポニーランド」バス停から小岩駅行きのバスに乗る。

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2019年12月16日 (月)

排水機場は只今工事中

中川は、荒川(旧荒川放水路、昭和5年(1930)完成)の開削によって、JR総武線、京成押上線それぞれの荒川橋梁に挟まれた中間地点で流路が分断された。 荒川の西側に分断された中川(右岸は墨田区・江東区、左岸は江戸川区)は旧中川と名を変えた。 その旧中川の上流端、荒川に分断された位置に、木下川排水機場がある。、、、、今日の散歩は、『なぜ、旧中川の最上流部に排水機場があるのか?』と疑問がわき、答えを探しに行った。、、、、京成押上線八広駅から、総武線平井駅まで、1万1千歩の散歩です。




●墨田区の荒川駅? ・・・・・・荒川橋梁を挟み、葛飾区側の四ツ木駅と結ぶ、墨田区側の八広駅。 荒川の土手に至近で、ホームからは荒川橋梁も見える。、、、、駅名は大正12年(1923)の開業時から荒川駅と名乗っていた。 荒川放水路開削工事は、大正13年(1924)の岩淵水門完成によって上流から下流までが繋がり、通水が行われた。 さらにその後、関連する工事が進められ、昭和5年(1930)に荒川放水路は完成した。 つまり、駅は荒川放水路が完成する以前から「荒川駅」を名乗っていたのである。 昭和7年、荒川区が誕生した時には、“墨田区にあって荒川とは”何ぞや! チョイトもめたようだ。 その後、平成6年(1994)に地元の地名を採用し「八広駅」に変えた。

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●神社を見下ろす土手! ・・・・・・八広駅から荒川土手沿いに下流方向へ歩くと、日枝神社がある。 慶長19年(1614)に鎮座し、この辺りを開墾した元木之下村の氏神様である。 境内には摂社として木下稲荷神社が祀られている。

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・・・・・・・・・・・・境内に、この地が0メートル地帯であることを示す表示があった。 神社の前は荒川土手、チョイト上ってみたら、3階建ての家を見下げるほどの高さ、高~~い! 自分は高所恐怖症、チョイト足がすくむ高さだ!

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・・・・・・・・・・・・・・対岸の葛飾区東四つ木を結ぶ木根川橋。 両端とも主要道と接続していない木根川橋は地元密着型の橋で、大型車両は通らず、都心に在って他と違う雰囲気がある。

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●只今工事中! ・・・・・・・荒川右岸の土手上から見える木下川排水機場(きねがわはいすいきじよう )。 毎度のことだが、木下川排水機場の下調べもせずに飛び出してきたので、排水機場は只今、耐震工事の真っ最中で立ち入り禁止。 工事関係者以外は誰も居らず、排水機場の機能・能力などを説明は河川事務所(江東区大島)に行って聞いてくれとの返事。 どうやら、自分の知りたかった『なぜ、旧中川の上流部に排水機場があるのか?』の疑問に応えてくれる人はいないようだ!、、、、帰宅後、自分の調べでは、、、、旧中川は墨田区・江東区の0メートル地帯にあり、この地は戦後急激に地盤沈下し、現在では海水面より低くなっている。 そのため、周囲を流れる荒川・隅田川の水位に比べると、一番低い処にあるのが旧中川だ。 0メートル地帯に降った雨は旧中川に流れ込む、しかし旧中川の水は外に流れる出ることがないため、強制的に24時間ポンプで排水を行い、東京湾の干潮位より1m低い水位を保っているらしい。 また、旧中川とそれに繋がる、小名木川・横十間川などの運河は、勾配がなく巨大な池のようでもある。 つまり、旧中川には上流も下流もないから、荒川に近いこの位置(旧中川の上流端)で排水を行っている。 下流端には荒川ロックゲートと云う大きな閘門がある。
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・・・・・・・・・・・・・・木下川排水機場前の荒川土手には木下川排水樋門がある。 木下川排水機場から荒川に排水する出口である。、、、、対岸には、中川が荒川開削事業で分断された位置付近に、中川水門が見える。、、、、【蛇足】「木下川」は“川”の名ではなく、昔の村名である。

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●川の中に建つ住宅! ・・・・・・木下川排水機場の南側、分断された旧中川の跡地に建てられた平井住宅。 昭和58~59年(1983~1984)に建てられた、7棟(210戸)の公務員用集合住宅である。 川の蛇行に合わせ、建物も緩やかにカーブしている。 ちなみに、建物の標高は海抜0m。

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●癒されるね! ・・・・・・・穏やかに流れているのか? それとも、流れは止まっているのか? 静かな水面に水鳥が遊ぶ旧中川。 川の両岸は公園として下流へ続く。、、、、今日の天気の下で、両岸とも心地よく歩ける遊歩道となっている。 私も、平井橋まで川沿いを歩いてきた。

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●お帰りは平井から! ・・・・・・旧中川の平井橋からは総武線平井駅はスグソコ!、、、、電車に乗ってしまえば、我が家までは15分。

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2019年12月13日 (金)

スタコラ、京葉道路

台東区浅草橋の我が家から中央区の浅草橋交差点に出て、京葉道路をひたすら東へ墨田区、江東区を抜け、江戸川区の中央二丁目交差点で曲がり、近くの大杉小学校前バス停まで、1万5千歩、約10kmの散歩です。




●何処も彼処も“浅草橋”  ・・・・・・我が家から徒歩45秒、浅草橋一二丁目交差点に台東区のコミュニティバス乗り場「浅草橋駅北」がある。、、、、ここから徒歩2分で江戸通りの下を走る都営地下鉄浅草線の「浅草橋駅」、そこから徒歩40秒JR総武線の「浅草橋駅」東口。、、、、さらに徒歩1分で神田川に架かり台東区浅草橋と中央区日本橋馬喰町を結ぶ橋「浅草橋」がある。 「浅草橋」は、江戸通り(=水戸街道)が神田川を渡る橋で、橋の全長と同じくらいの幅員を持つ幅広の橋梁である。 江戸時代初期この場所は、奥州方面から江戸中心部への入口となるため、江戸城の見附「浅草橋御門」が設置され、同時に見附橋としての木橋「浅草橋」が架けられた。 最初の橋は寛永13年(1636)頃の架橋と伝えられている。(私が誕生する以前の話で、本当かどうか知らない!) 現在の橋は大正12年(1923)の架橋で、私の母と同年で、今年で96年目(橋も母も、いまだ健在!)、、、、中央区に側に、京葉道路、靖国通り、江戸通り、清杉通りが交差する「浅草橋交差点」がある。

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●京葉道路をスタコラサッサ! ・・・・・・・・今日は10時半までの間、京葉道路をひたすら歩区ことにした。 “10時半”とは、我が家を出てから約3時間、私に疲れが出る頃だ! そして、あまり長く歩くと、靴底の減りも早く、また高価な靴を買うことになるので!

・・・・・・・・・・・・中央区の浅草橋交差点は、新宿から伸びてきた靖国通りの終点で、その延長上を東に向かう京葉道路の始点である。

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・・・・・・・・・・・・両国橋で隅田川を越える。 橋の東詰(墨田区側)には、明日(12月14日)に義士祭が行われる赤穂浪士の一人:大高源吾の「日の恩やたちまちくだく厚氷」の句碑がある。 この句は、討ち入りの夜、向島に住む俳句の師匠宝井其角と両国橋で出会い詠んだものといわれている。 句碑は昭和3年(1928)に建立されたもの。

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・・・・・・・・・・・・・・・両国3丁目の京葉道路の歩道上に建っている「本所松坂町跡」の碑。 もともとこの周辺は、吉良邸のあった本所松坂町と呼ばれていたが、関東大震災後の区画整理により町名が消えた。 この碑は「松坂町」を偲んで、昭和7年(1932)に住民によって建立された。、、、近くには、明日の義士祭・吉良祭のポスターもある。 チョイトついでに、吉良邸跡の本所松坂町公園にお立ち寄り!

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・・・・・・・・・・・・清澄通り三ツ目通り江東橋と通り過ぎ、錦糸町駅前は我が家を出てから1時間後に通過。

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・・・・・・・・・・・・・・錦糸町と亀戸の間を流れる運河:横十間川を昭和44年(1969)に完成した松代橋で越えて、墨田区から江東区に入る。 亀戸駅の手前で越中島支線(JR貨物)のガードをくぐり、亀戸駅前では歩道橋で交差点を横断し、亀戸七丁目交差点で丸八通りと交差する。

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・・・・・・・・・・・・・中川新橋(平成15年完成)で旧中川を越える。 この橋を渡ると江東区亀戸から、江戸川区平井・小松川に入る。、、、、中川新橋では、大勢のユリカモメが私を歓迎してくれた。

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・・・・・・・・・・・・・・旧中川の次は、荒川越えだ! 小松川橋で荒川と中川を一挙に越える。 全長約500mの小松川橋を渡りきるのに15分を要した、長い橋だ! 歩く先には首都高が、振り返ればスカイツリーが見える。、、、、渡り終わると時計の針は10時を回っていた!

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・・・・・・・・・・・・・・署員数480名の大きな小松川警察署の前を通り、境川橋を渡る。 境川橋はその名のごとく境川に架かる橋で、昭和15年(1940)に完成した。 只今、橋の下の親水公園と共に修復中。 東小松川交差点の角には、宝くじが良く当たると評判の宝くじセンターがある。 年末ジャンボの時期である、10億円ゲットするには何処で買うか迷うね?

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・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、京葉道路の「中央二丁目交差点」(江戸川区)までとする。 時刻は10時半を過ぎ、お帰りの時刻となった。、、、、交差点角のチョイト裏側(江戸川区松江3-31)に、昭和初期に建てられたと思われる同潤会の木造住宅が、朽ちて残っている。 おそおらく、いずれ取り壊されると思うね!

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●ラッキー! ・・・・・・お帰りは、何処から乗るか? 新小岩方面に歩くと、「大杉小学校前」バス停にバスが来た。 ラッキー、これで新小岩駅に出ることにした。

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2019年12月 6日 (金)

狐狸に化かされ篠崎公園へ

都営地下鉄新宿線の瑞江駅から、柴又街道(都道307号)に沿って歩きはじめたが、数ヵ月前に散歩した時と同じ処に出てきた。 同じ処を再度歩いても面白くないので、途中から篠崎公園に回り、南小岩2丁目よりバスで帰宅。 1万2千歩




●とうとう呆けたか? ・・・・・・瑞江駅から谷河内日枝神社までは、今年の4月に歩いていた。(その時の記事はコチラ!)

・・・・・・・・・・・・・・数ヵ月前に下車したことも忘れ、新宿線瑞江駅で降りてみた。 駅で地図を見て、東西南北どっちに向かう? 近くに柴又街道が通っているので、街道沿いの裏通りを歩いてJR総武線の小岩駅を目指すことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・瑞江駅周辺はアパート、マンションが並ぶ新興住宅街。 歩きながら『この辺は、新しい建物ばかりで面白くないな!』と、一人愚痴る。

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・・・・・・・・・・・・・・瑞江1丁目で、首都高速7号小松川線の下を抜け、京葉道路を横断すると、東京都住宅供給公社の春江町住宅が見える。 ここで気がつく、『アッ、数ヵ月前に来た団地だ! とうとう、自分も呆けが始まったな、同じ処に来るなんて!』 『脇道に入り、知らない処を歩くぞ!』と、裏道に入り込んでいく。

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・・・・・・・・・・・・・・『数か月前と同じ処を歩く自分に、チョイトがっかり!』しながら、裏道を曲がりくねり谷河内日枝神社に出てきた。 『どこか見たことある神社だ?』と、手持ちの地図を取り出し確認すると、間違いなくこの神社も来たことがある。、、、、なんだか、狐狸に化かされているようだ!

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●一人撮影会! ・・・・・・・今日は、どうもおかしい? また裏道を歩くと、どこか知っている処に出るような気がする。、、、、今日は、新しい発見を求めて歩くのは諦めた。 近くの篠崎公園に行って気分転換することにした。、、、、篠崎公園の起源は昭和15年(1940)に紀元2600年の事業の一つとして計画された防空大緑地である。 戦時中は高射砲陣地などか置かれた。 当初は面積約154haの大緑地帯であったが、当時は公園ではなく、多くは農地などに転用し利用されていた。 戦後、公園化の計画があがったが、付近の都市化・宅地化の流れが進んでいたこともあって計画面積は86.8haに見直され、都立公園として昭和42年(1967)に開園した。 現在では運動場や多目的広場なども完成しているが、公園自体は複数個所に点在している。、、、、人影の少ない公園で、狐狸に化かされることもなく、のんびり秋の一人撮影会。

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●駅までは遠い! ・・・・・・公園を後にして、柴又街道を歩き南小岩二丁目からバスに乗り帰る。

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2019年11月25日 (月)

もやもやの宇喜田

三日間降り続いた雨も今朝6時頃にやっと止んだ。 7時半過ぎに散歩に出る。 道路は雨で濡れあちらこちらに水溜まり。、、、、都営新宿線に乗車、東大島駅手前で電車が地下から地上に顔を出すと、雨上がりの霧と荒川からの水蒸気がブレンドされ視界不良。 コリャ、何かが起きることを期待して次の船堀駅で下車した。 船堀駅から南へ、宇喜田の町を歩いてみた。 散歩中に視界は良くなり、期待に反し何も起きず。 多少の靄(もや)の中、西葛西駅近くの「宇喜田」バス停まで。 1万歩の散歩です。




●金魚の船堀 ・・・・・・・船堀駅は、昭和58年(1983)12月23日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。

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・・・・・・・・・・・・船堀は、かつて金魚の養殖が盛んだった街で、駅舎の壁面には金魚の絵が描かれている。 私は、「江戸川区の名物は、船堀の金魚、鹿骨のシクラメン、篠崎の風鈴」と記憶しているが、今では養殖業者は数軒となったそうだ。
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・・・・・・・・・・・・駅前のタワーホール船堀」は、平成11年(1999)にオープンした江戸川区のシンボル施設です。 高さ103mの展望室は靄の中。

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●秋の新川 ・・・・・・・駅前の篠崎街道を南に歩く。、、、、枯れ葉が舞い落ち、秋を感じる。、、、、♪♪秋が来た 飽きが来た どこに来た 鼻に来た 口にきた 眼にも来た♪♪ 枯れ落ちないよう、すぐに整形しましょう!
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・・・・・・・・・・・・・童謡を口ずさみながら、中川と旧江戸川を結ぶ運河:新川に架かる宇喜田橋(昭和32年完成)を渡る。、、、、続いて、隣りに架かる擬宝珠橋(平成20年完成)の際を歩く。

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●ボウボウの3社 ・・・・・・・北葛西1丁目の「第一三共 葛西研究開発センター」の南側、北葛西1丁目から2丁目にかけ半円状に通る「棒茅場通り」がある。 この通り名「棒茅場」は、難読地名と有名である。 さて何と読むのでしょうか?、、、、答えは、かつての宇喜田村の小名:「ぼうしば」。 由来は不明であるが、「棒」の音読みは“ぼう”、「茅」の音読みも“ぼう”で、“ ぼうぼうば ”なのだが、茅を“し”と読み“ぼうしば”と読む。、、、、北葛西八雲神社前のバス停名にその名が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・棒茅場通りの小さな三社を紹介する。、、、、まずは、家と家の間に鎮座する七軒町水神宮(北葛西1-20)。 謂れは知らないが、私の推測では、昔、この付近の農業用水の守り神だったのかも?

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・・・・・・・・・・・・次は、第一三共の研究所に隣接する豊栄稲荷神社(北葛西1-16)。 豊栄稲荷神社は、元禄3年(1690)に創建された、歴史ある小さい神社。 豊受姫命を主神とし誉田別神を合祀する。

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・・・・・・・・・・・・最後は、“赤いポストと緑のバス停”に鳥居が挟まれた北葛西八雲神社(北葛西1-6)。 ここが棒茅場バス停

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●眺望良し! ・・・・・・・半円状の棒茅場通り、その半円の中心(北葛西2-19)に都住宅供給公社の宇喜田第二住宅がある。 ここは、昭和46年(1971)に建てられた、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上12階、5棟(710戸)の団地である。 

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・・・・・・・・・・・・・・12階から見下ろすと、写真中央奥に「第一三共 研究開発センター」の高層ビルが数棟、右端奥には「タワーホール船堀」の展望塔、左端奥には中川とその堤防上を走る首都高がある。

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●隣接する公園 ・・・・・・宇喜田第二住宅から船堀街道に出ると都立宇喜田公園(北葛西3)がある。 野球場、草花広場など、身近なスポーツ、レクリエーションが楽しめる、広々とした公園である。

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・・・・・・・・・・・・・・都立宇喜田公園の隣りに区立行船公園(ぎょうせんこうえん)がある。 両公園は一体化されてるようで、都立公園がスポーツ中心、区立公園が庭園・釣り堀が中心。、、、、行船公園は、昭和8年(1933)地元の府会議員田中源が、区民福祉の増進と生活文化向上のための公園用地として東京市に寄付したことにより開園。 行船の名は、田中家の屋号「行船」に由来する。 昭和25年(1950)には区に地上権・管理権が移管された。 昭和58年(1983)に無料で動物に触れられる「江戸川区自然動物園」が、平成元年(1989)には築山池泉回遊式庭園として「江戸川平成庭園」が、それぞれオープンした。、、、、今日の散歩の〆として、ユックリ庭園を散策。

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●秀家とは無縁! ・・・・・行船公園の南側:葛西橋通りに「宇喜田」バス停がある。 今日は、ここから帰ることにした。、、、、ところで、「宇喜田」の地名は、“宇”田川“喜”兵衛新“田”を略したもので、戦国武将:宇喜多秀家とは一切無縁。 宇喜田の地は慶長元年(1596)、宇田川定氏によって開発された。 元は小松川地先の海辺であり、旧中川や旧江戸川の三角州の南端にあった萱(かや)生地・荒地だった。、、、、今日の散歩は、視界不良で靄靄(もやもや)だった。

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2019年11月10日 (日)

厳重警戒を避け下町へ

「祝賀御列の儀」が執り行われる今日は、都内の警備は厳重と思われる。 警備も手薄でブラブラ歩いても怪しまれないよう下町へ。 京成押上線・都営浅草線の押上駅からJR総武線平井駅まで歩いてきた。 1万2千歩。




●チョイト、どいて! ・・・・・・・京成押上線と都営浅草線が乗り入れている押上駅から、散歩を始める。、、、、京成押上線の開業は大正元年(1912)11月3日。 昭和35年(1960)12月4日に都営地下鉄1号線(現:浅草線)が地下化した押上駅に開業し、京成押上線と相互直通運転を行う。、、、、現在の押上駅は島式ホーム2面4線で、それぞれのホームは上り下り別に使用。 地下ホームを造った昭和30年代にはスカイツリー建設の話は当然なく、今の賑わいは想定外だったようだ、日中の観光客が多くホームは日常的に手狭となっている。、、、、キャリーバッグを持った外人観光客が多く、『チョイト、どいてくれ!』と言いたくなるが、悲しいかな日本語しか喋れない、通じない。 ここは、ニッコリ笑って会釈して『お・も・て・な・し』

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・・・・・・・・・・・・・・京成・都営の改札を出ると、スカイツリーへの入口、その先に東武・東京メトロの押上駅改札と続く。

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・・・・・・・・・・・・・・地上に出れば、もちろんスカイツリーの足下だ!

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●地蔵さんの還暦? ・・・・・・押上駅から四ツ目通り(都道465号)を歩き、東武亀戸線の踏切を越えると木造家屋の密集する京島地区。 今日は裏道・路地に深入りせず、サラリと通り抜ける。、、、、踏切を抜ける2両編成の亀戸線、、、、遊園地のビックリハウスを思い出させる傾いた家屋、、、、玄関軒下の赤い電球と大きな看板がチョイト懐かしい医院、、、、木造の長屋はこの町ではまだ多い、、、、緊急車両も入れない路地、、、、徐々に区画は整理され、不燃建築で建て替えられた、、、、リヤカーは健在か?

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・・・・・・・・・・・・・・京島地区南端に近い原公園の中央に、「財がたまる」・「幸のたまる」田丸稲荷神社がある。、、、、公園の隣りには、京島地区のメインストリートである下町風情溢れるキラキラ橘商店街がある、賑やかな公園だ。 しかし、この公園は、昭和20年(1945)3月10日のアメリカ軍の空襲で亡くなった364名の犠牲者を仮埋葬した場所である。 平成元年(1989)3月、原公園の改修では遺骨や毛髪が出土したそうだ。 警察の鑑識により、戦後改葬されたはずの戦没者のものと判明し、慰霊堂へ合祀された。、、、、戦後間もなく地元有志により田丸稲荷神社の横に地蔵尊が建てられた。、、、、スカートはいて、赤いちゃんちゃんこを着て赤の大黒頭巾をかぶった、チョイト派手な地蔵尊。 ひょっとすると建立から60年の還暦かもね?

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●アレ!お巡りさんがいない ・・・・・・・今日の祝賀御列の儀には、全国から26,000人の警察官が警備に動員されたそうだ。 ここ向島警察署からも大勢の警察官が警備に当たっていたのであろう。 普段は玄関前に立っているお巡りさんが今日はいない! 多分、動員され日曜出勤したのであろう、ご苦労様です。

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●外廊下に弱いのだ! ・・・・・・旧中川に近い都営立花六丁目アパートに、チョイトおじゃましてみた。 昭和51年(1976)に建てられた、2棟(411戸)の都営住宅。、、、、上層階に上がってみたが、高所恐怖症の私は、エレベーターをおりるや、共用部分の外廊下に水勾配がついているのを足裏で感じ取り、チョイト、ゾク・ゾク~~としたら、もうダメ怖い~~! 早々と、階段で1階まで駆け降りた。

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・・・・・・・・・・・・・・アパートから見る北の方向。 写真中央のはるか奥に葛飾区東四つ木で、綾瀬川に架かる首都高環状線の「かつしかハープ橋」が写っているのが判るかな? 手前の川は旧中川。

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●お後は、こちら! ・・・・・・この後、北向地蔵尊平井橋平井諏訪神社燈明寺と巡り、最後は平井駅

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