江戸川区

2024年11月16日 (土)

中途半端に四福神

3日前に足立区梅田の「ゆめろーど千代田商店街」を歩いてきたが、“千代田”の名がつく商店街が葛飾区鎌倉にもあることを思い出し、久々に行ってみたくなった。 朝の掃除も終えて、夫婦で京成小岩駅から柴又帝釈天まで歩いてきた。 9千歩



● 我が家の在る浅草橋からは、都営浅草線に乗り入れてる京成本線経由特急成田空港行きに乗ると、乗り換えなしで「京成小岩」まで行ける。、、、、京成小岩駅からJR小岩駅までは歩ける距離であるが、チョイト離れている。(年寄りにはキツイね!) 駅自体は柴又街道の裏手に位置し、地元以外の人には解りづらい奥まった場所にある。 駅前には20分間隔で、亀有行きの「京成タウンバス」が発着してる。、、、、山手の駅前に多い、大型ショッピングセンター、タワーマンション、綺麗に整備された街路などは一切見あたらない。 ここ京成小岩駅は何故か懐かしい下町の私鉄駅って感じがする。
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● 京成小岩駅前から北に向かい「京成小岩商栄会」という商店街が伸びている。 長さ300m程の商店街はバスも通る道路の両側に、約60店舗の店が並んでいるが、シャッターの下りている店、住宅なども点在し、チョイト寂しい。 交通量は少なく、電柱の地中化もされており年寄りには歩きやすい道路であった。、、、、この商店街の北端まで、江戸川区北小岩の町
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● 京成小岩商栄会の商店街が終ると、その先に引き続いて「千代田通り商店街」となる。 ここからは葛飾区鎌倉の町でなる。 つまり、商店街は京成小岩駅から北に伸びているが、区境が商店街の境でもあり名称も道路幅も雰囲気も変わる。、、、、千代田通り商店街は昭和32年(1957)に設立され、後に葛飾区で第一号となるモデル商店街となった。 約300mの長さ、道幅は車1台分程の商店街は、アーケードがなくほぼ同様の構えの店が30店舗程ズラリと並び、自然発生的な商店街ではなく、おそらく計画的に作られた商店街と思われる。 浅草の「仲見世通り」を地元密着型の商店街にした感じである。、、、、ここもシャッターを下ろした店舗が目立つが、年に数回のイベントが催され、多くの買い物客で賑わっているらしい。、、、、戦後誕生した昭和レトロな商店街、頑張って続けて欲しいね!
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● 千代田通り商店街を通り抜けて北へ進むと、北総線新柴又駅の近くに、真言宗豊山派の医王寺がある。、、、、医王寺は、薬王山瑠璃光院と号す。 応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。 本尊は薬師如来(秘仏) 当時流行した赤目病平癒の祈願所として建立された。 建立後間もなく、小田原の北條氏と安房の里見氏が利根川(現在の江戸川)を挟んで対峙し、天文7年(1538)・永禄7年(1564)の二度の国府台合戦に、北條方の陣屋として使用されたため什物の大部分が失われた。 その後、中興されたが、しばらくすると、寺は無住となり多くの資料が散逸した。 寛永年間(1624~1644)金蓮院の僧某が再興し医王寺と改めた。、、、、この寺には、七福神の一つ、恵比寿天を祀っているが、正月の「柴又七福神巡り」で顔見世するためか(?)、本堂に閉じられ御対面は叶わず!
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● 北総線の高架下を抜けて柴又帝釈天に向かうと、柴又七福神の一つ大黒天を祀る真言宗智山派寺院の宝生院がある。 宝生院は大黒山と号す。 寛永元年(1624)常陸国大聖寺末宝性院として京橋付近の創建、下谷谷中への移転を経て、明暦年間に池之端茅町へ移転したといわれてる。 関東大震災で罹災し、昭和2年(1927)に当地へ移転した。 柴又七福神の一つとなっている本尊の大黒天は、江戸期から信仰を集めていたそうだ。、、、、ここでも、本堂の引き戸は閉じられ、ガラス戸越しに大黒様はいずこにおるや? 
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● 宝生院からさらに北へ向かうと、またまた柴又七福神の一つ福禄寿を祀る曹洞宗寺院の聖閣山万福寺がある。 この寺は、昭和3年(1928)の創建で新しい。 こちらにある柴又七福神の福禄寿は、年代不明であるが、宍戸家(?)に伝えられた家宝仏で、奉納され万福寺で祀っている。、、、、ここも本堂は閉じられ、福禄寿はいずれにいるや?
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● 柴又帝釈天に着いた、、、、日蓮宗寺院の題経寺は、経栄山と号し、柴又帝釈天として著名です。 題経寺は市川市中山法華経寺第19世禅那日忠が当地にあった草庵を一寺とし成し、寛永6年(1629)開山したといいます。 本堂改築に際して、梁の上から日蓮聖人自刻と伝えられる帝釈天像の板木(板本尊)を安永8年(1779)の庚申の日に発見、柴又帝釈天として著名となり、現在に至るまで庚申の日を縁日としています。、、、、ここにも柴又七福神の内の一つ、毘沙門天が祀られている。 七福神の内、四福神の寺に来たが、どこもかしこも御尊顔を拝せず。 『賽銭もって、正月のお越しをお待ちしてます!』と、言われてるようだ! 今日は七福神巡りに来たわけではないが、何となく中途半端な気持ちで帰ることにした。
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・・・・・・・・・・ 帰りは参道を通り、鰻を食し、草だんご買って、柴又駅へ。 2411161216240
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2024年11月 8日 (金)

鹿骨街道

都営新宿線の篠崎駅で下車し散歩を始める。 篠崎駅の北側を東西にのびる鹿骨街道に出て西に歩き、鹿骨新橋で新中川を越え、その後は鹿骨街道と分かれてJR総武線の新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




都営新宿線の篠崎駅は昭和61年(1986)9月14日、新宿線船堀~篠崎間延伸時に設けられた。 その後、平成元年(1989)3月に新宿線が本八幡駅まで延伸し、以来篠崎駅は中間駅となった。 ホームは島式1面2線構造で地下2階にある。 朝は都心へ向かう通勤通学客が多く、新宿方面行の電車は座れないかも? 反対方向行きの、隣の本八幡行き電車はガラガラ!

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● 篠崎駅から北へ400m程歩くと鹿骨街道(ししぼねかいどう)に出る。(「鹿骨」を“しかほね”・“しかぼね”と読むのはよそ者である、地元では“ししぼね”と、、、、江戸川区の地名:鹿骨由来は、その昔、常陸国(現:茨城県)の鹿島大神という神様が大和国(奈良県)の春日社に向かう途中でお供の鹿が病死した。 この時、地元(鹿骨)の人々が手厚く埋葬したことから名付けられたといわれてる。 その鹿のために作られた塚を「鹿見塚(ししみづか)」といい、今も「鹿見塚神社」に残されている。、、、、今日の散歩では、この鹿骨街道を西へ歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 上篠崎4丁目付近から西へ向かう、、、、“街道”と言っても、街道らしき昔の面影が残っていない!
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・・・・・・・・・・ 上篠崎3丁目の一隅に庚申塔がある「柳島の庚申塔 河原道石造道標」である。、、、、文化13年(1816)建立の道標で、正面に「右かわら道、講中」、左側面に「左江戸道」と刻まれている。 上部に青面金剛像の庚申塔を載せ、その台座が道標部分となっている。、、、、庚申塔の猿は消され、金剛像は劣化し、台座の彫りは読みづらく、チョイト悲しい運命の庚申塔!
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・・・・・・・・・・  柴又街道との交差点を越えて200m程歩くと、「鹿骨」の発祥地:鹿見塚神社(ししみづかじんじゃ)がある。 ここには鹿を葬って祀ったと言われてる鹿見塚が昭和44年(1969)頃まではあった場所である。 現在は、「鹿骨発祥の地 鹿見塚」の碑がある。 また近くには鹿骨鹿島神社もある。、、、、本店が鹿島神宮、その支店が鹿骨鹿島神社、その営業所が鹿見塚神社というような関係だ、最近は知られざるパワースポットとして売り出し中とか、ホントかな?
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・・・・・・・・・・ 鹿骨街道をさらに西へ300m程歩くと、バス停「鹿骨」の前に、真言宗豊山派寺院の密蔵院がある。 密蔵院は、本命山明光寺と号す。 密蔵院の創建年代は不詳だが、江戸時代中期の創建と伝えられます。 明治期に小岩善養寺の境外仏堂となったものの、平成2年(1990)に宗教法人となった。、、、、境内の一画に、閻魔大王が鎮座してる。 その脇に『・・略・・ 嘘をついても屁と思わず、否それおも正当化しようとする昨今の風潮にいたく立腹され、このたび憤怒の姿をこの地にあらわされた。 心からの反省の念をもって水をかけ、願うべし。「どうか私のついた嘘を水に流してください」と。』書かれてた。 私もチョイト水をかけ、これまで70数余年の嘘を流そうと思ったが、柄杓では流しきれないので諦めた。 
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・・・・・・・・・・ 新中川に架かる鹿骨新橋を渡り、
東岸の江戸川区鹿骨6丁目から西岸の江戸川区松本2丁目の町に入る。 鹿骨新橋は、平成7年(1995)12月に架橋された。 橋長119.3m、幅員18.0mの3径間連続非合成箱桁橋。 工事費は16億4千万円だったそうだ、高いか安いかサッパリ判らん!、、、、対岸にはスカイツリーが見える
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・・・・・・・・・・ 鹿骨新橋を渡り松本2丁目で鹿骨街道と分かれ、JR新小岩駅に向かって歩く。



● 駅前の商店街を抜けると新小岩駅。 JR総武線の新小岩駅から浅草橋の我が家までは所要約15分。 今日の散歩はここまで!
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2024年9月 5日 (木)

鳳凰堂を模した燈明寺

昨日は爽やかな風が吹く一日であった。 今日も秋風を期待し早朝の散歩に出た。 私の住む浅草橋からJR総武線で千葉方向に4駅目「平井駅」で下車し、スカイツリーのある押上まで歩いてきた。 ただし、持参したカメラのバッテリーが切れ、写真は途中の小村井駅まで、チョイト残念!




平井駅(江戸川区)は明治32年(1899)4月28日に総武鉄道(私鉄)の駅として開業。 明治40年(1907)には総武鉄道が鉄道国有法により買収、国有化され、官設鉄道の駅となる。 中央・総武線各駅停車しか停車しない浅草橋駅と同様に都心の冴えない駅である。 1日平均乗車人員は約3万人である。

・・・・・・・・・・ 朝8時頃、乗る人、降りる人、通勤通学客で駅は混んでる。 お勤め、ご苦労様です! 
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・・・・・・・・・・ 平井駅に到着する千葉方面から都心に向かう電車は、既に満員状態。 乗れない人もいるようだ、可哀そうに遅刻しちゃうぞ!

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・・・・・・・・・・ まだまだ夏の名残り、暑い暑い!

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・・・・・・・・・・ 駅北口の真ん前に建築中のタワマン、もうすぐ出来上がり! ちなみにネットを見ると、29階・3LDK(120.59m2 )で、価格は約2億5千万円也。 チョイト、私には買えないね!

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● 平井駅から北西に歩いて徒歩10分、旧中川の近くに「燈明寺」がある。 燈明寺は、新義真言宗に属し明雅山明王院と称し、本尊の不動明王(私は拝見したことがないが)は身長1丈3勺(3.9m)で胎内に弘法大師1刀3札の不動明王を安置してるそうだ。 燈明寺の創建年代については不詳であるが、元暁という僧により開山されたそうだ。 江戸時代中期の寛延2年(1749)に示寂した恵祐がこの寺を中興して聖天を勧請して堂を建て、以後「平井聖天」として有名になった寺である。
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・・・・・・・・・・ 燈明寺は、安政の地震(1855)で堂宇を損傷、関東大震災(1923)では本堂全壊という災禍にあう。 当時の関澄道貫主(26世)によって京都宇治平等院風の三屋根造りの優雅で荘厳な本堂が建立された。 昭和4年(1929)に起工し同19年(1944)に完成した。 建物は総高14.4m、幅17.1m、奥行27mの金堂造りである。、、、、たしかに、平等院鳳凰堂を模したという本堂は、近建築でありながら風格ある佇まいだ! (平等院鳳凰堂を知らない人は10円硬貨をよく見てチョ!)

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・・・・・・・・・・ 燈明寺の別堂である聖天堂は「平井聖天」といわれ、昔から待乳山聖天、妻沼聖天とならぶ関東三聖天の一つである。 江戸時代には歴代将軍の鷹狩の時、聖天に参詣され、また御膳所にもなっていた。 この聖天堂は、里見八犬伝の物語や桧山騒動の相馬大作の祈願したことなどでもその名を知られ、昔から多くの人の信仰を集めている。 毎年節分会に柴燈護摩(火渡り)を行っているそうだ。、、、、大根と巾着など、聖天さまと縁のあるものを探して見たら、賽銭箱に大根の文様があった! 

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● 燈明寺の隣りには「平井諏訪神社」がある。 創建年代は享保年間(1716~1736) 祭神は建御名方命で、信濃国一ノ宮諏訪神社の分社である。 享保年間に燈明寺の恵祐法印が、自分が生まれた国である信州の諏訪大明神の神霊をここに祀ったのが始まりと言われてる。 境内の中央の現社殿は昭和44年(1969)に新築。 再来週は例大祭なので、準備が進められている。、、、、広い境内ではないが、よく整備され気持ちよく参拝できる。

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● 平井諏訪神社の西側、旧中川に「平井橋」が架かっている。 江戸川区平井と墨田区立花を結ぶ長さ55.4mの橋である。 昔はここに平井の渡しがあり、行徳、船橋へとつないでいた。
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● 平井橋から1㎞程西へ歩くと、東武鉄道亀戸線の小村井駅(おむらいえき)がある。 小村井駅は、墨田区文花2丁目にある駅で、昭和3年(1928)4月15日に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 駅舎は曳舟方面ホームの東あずま寄りにあり、上下線ホーム間を連絡する地下通路が設置されている。、、、、小さな駅舎、2両編成の列車が停まる短い地上ホーム、昭和の香りが漂う大都会のローカル駅。
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● ここで、カメラのバッテリー容量が無くなっていることに気づき、撮影中断、残念無念!

2024年7月17日 (水)

古代東海道を歩く

今朝の東京は、雨は止んだが太陽は顔を出さずの曇り空、湿度が高く歩きはじめると、スグに服の中は汗でびっしょりとなる。 気温は28度ぐらい熱中症を心配しながら、京成小岩駅から立石駅まで歩いてきた。 1万1千歩




● 久しぶりに京成本線の「京成小岩駅で下車し歩くことにした。、、、、京成小岩駅は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 出口は駅前にバス停がある北口と路地の奥にある裏口のような南口の2ヵ所。 駅の開業は、90年以上前の昭和7年(1932)5月15日。(開業当時はおそらく畑の中の駅だったと思うね?)、、、、JR総武線の小岩駅と京成小岩駅は、直線距離で1.0㎞程離れており、乗換は現実的ではない。 乗換えるなら、隣のJR市川駅と京成の市川真間駅で乗り替えた方が楽だ!

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● 京成小岩駅北口を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 北口付近から西に向かって奥戸橋を渡り、京成押上線の立石駅方面に伸びるバス通りがある。 歩いてる途中で雨が降ってきたらバスに乗れそうなので、今日の散歩はこの道を歩くことにした。 

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● 京成小岩駅から数分の所に「愛国学園」(江戸川区西小岩)の中学校・高等学校がある。 学校は昭和13年(1938)設立の女子校。 千葉県四街道市には系列の大学もある。、、、、『ちょいと、女学生のお顔を拝見!』と校門近くに行ってみたが、時刻は8時数分前、まだ通学時間には早すぎる、誰もいないので校舎だけ拝見して早々に立ち去る。

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● 愛国学園正門から50m程西に歩くと、「鎌倉かなえ通り」と交差する角に「古代東海道道標」なるものがある。 石碑自体は比較的新しいものと思われる。 碑文には『日本は七世紀以降、都を中心に畿内参道の整備を行いました。都から東国へは東海道と東山道の二本の官道が敷設され、人や文物が往来していました。墨田区隅田と江戸川区小岩を結ぶ道は、武蔵国と下総国を連絡する古代東海道の一部と考えられます。』と彫られてる。

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・・・・・・・・・・ バス通りに出てしばらく歩き、新中川に架かる「三和橋」を渡ると「奥戸小学校」がある。 小学校の正門の脇に、同様の要旨の案内図がある。 地図は南北逆さまであるが、京成小岩駅の先から隅田川岸まで赤い線で古代東海道が標されてる。(地図はクリックすると拡大します)、、、、今日の散歩は、まさしく古代東海道を歩いてた。

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● 新中川に架かる「三和橋(さんわばし)」は、昭和36年(1961)の新中川掘削工事に伴い架橋された。 その後、橋の劣化も進み、 平成24年(2012)現在の橋に架け替えられた。 橋の形式は、3径間連続プレビーム合成桁橋、橋長119.0m、幅員18.0m。

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● 三和橋に続き、中川に架かる「奥戸橋(おくどばし)」を渡る。、、、、奥戸橋は、右岸 (西詰) の東京都葛飾区立石八丁目と左岸 (東詰) の奥戸七丁目の間を結んでいる。 現在の橋は、昭和47年(1972)竣工であり、過去に幾度かの架け替えが行われている。 現橋は、旧橋の下流に、6億7500万円で建設された。 形式はゲルバー式鋼I桁 + 活荷重合成I桁・H鋼桁 + PCホロースラブ橋、全長299.6m、幅11.0m。

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● 奥戸橋の西側に、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、陰陽師阿部晴明の勧請によると伝えられている「熊野神社」がある。 葛飾区内で最も古い神社の一つである。 本殿は総公孫樹材を用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年(1961)に、夫々改築造営された。、、、、古代東海道沿いの古社なので、チョイト参拝していく。

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● 「立石」の地名は、葛飾区立石八丁目にある立石様という石に由来する。 この立石様は、現在児童公園に併設する祠の中に鎮座している。 付近にかつて古墳があったことやその材質(房州石という凝灰石の一種)から、古墳の石室などと同様、千葉県鋸山付近より当地に持ち込まれたと推定される。 また、奈良・平安時代には立石付近を横断していた古代東海道の道標として転用されていたらしい。 江戸時代には高さ60センチ以上の大きさだったらしいが、後に、立石様を欠いて持つと病気に効くという信仰や日清・日露戦争時に弾よけのお守りとして欠いて持つ人が現れたこと、また地盤沈下などの結果、現在では地表に頭だけだしてる、チョイト悲しい状況だ。

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● 古代東海道の一部を歩き、工事中の京成押上線「立石駅に到着。 今日はここまで! 

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2024年2月20日 (火)

リベンジで市川まで

昨日は何となく、いつの間にか小岩まで歩く予定になり、平井まで歩いてギブアップ。 今日はそのリベンジで、平井から歩き、新小岩、小岩と通り過ぎ、隣の千葉県に入って市川まで、1万5千歩の散歩となった。




● 昨夜降った雨でまだ道路は濡れているが、今日の午前中は晴天となる予報を信じて、平井駅(総武緩行線)に降り立つ。、、、、昨日痛かった足も、今日は調子良さそうだ!

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● 今日も蔵前橋通りを東(小岩方面)へ歩くつもりだ。 蔵前橋通りに出る。

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● 荒川に架かる平井大橋は歩道の幅員を2mから3mに広げる工事が進められている。 工事は橋の中間部分まで完成したようだ、中程で施工前と施工後の違いがよく判る。 歩行者も自転車も快適に通れるようになった! 完成は来年の春らしい。

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● 平井大橋を渡ると、大きな新小岩公園がある。 園内にはまだ水溜りが残ってる。 私のお腹に残った水溜りは溢れそうだ、緊急事態! チョイト、トイレを拝借。

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● 新小岩駅前、通勤で小走りに駅に向かう人も見える。 「北口商店会」を横切る。 

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● 暗渠化されコンクリート造の欄干だけ残された巽橋。 その巽橋跡がある「たつみ橋交差点」 こちらも、新小岩駅に向かう多くの人が信号待ち!、、、、、ここまで平井駅から約40分歩いた。 私の足は快調だ、この状態なら次の小岩駅までは楽勝だ! 

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● 葛飾区東新小岩の町を蔵前橋通りが貫いていく。、、、、通りの両側はカーディーラーと、ファミレス、マンションが並び、歩く私には面白みが無い! 単調な歩きで疲れてきたかな? 

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● 一日2~3本の貨車しか通らない新金貨物線のガードを抜ける。 ガードは昭和33年(1958)に熊谷組の施工で竣工した。
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● 続いて新中川に架かる上一色橋(かみいっしきばし)を渡る。 橋は昭和41年(1966)に架橋(既に50年以上経過した)、、、、この橋を渡ると小岩駅がある。 季節外れの暖かさ、歩く私は汗ばんできた。

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● 小岩駅に向かう商店街「西小岩通り会」の曲がり角。 『ここを曲がれば小岩駅、今日の目標を達成する。 でも、次の市川駅まで歩くと、さすが男だ、よく頑張ったと妻の一言! 市川まで歩くか、ここで止めるか、これが問題だ!』 心の葛藤があったが、市川まで歩くことにした。(チョイト、足と腰が痛くなってきた。 我慢、我慢、やせ我慢!)

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● 小岩駅前の通過は9時半、平井駅からは1時間半ほど経過した。 柴又街道との交差点を通過する。、、、、『もう少しで市川橋だ、ガンバレ!』チョイト疲れた自分にいいきかせる。

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● 市川橋の西詰(小岩側)で、蔵前橋通り千葉街道(国道14号)とぶつかる。 ここが蔵前橋通りの東端になる。 道路名を表示している案内板も、蔵前橋通りを示す矢の方向が一方だけとなっている。(ヤ~ね!)

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● 江戸川に架かる市川橋まで来た! 全長399mの橋は、歩いて渡るには長~~い。 『歩けど 歩けど 橋の上 川に飛び込みたくもなるね』 

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● 市川橋を渡り市川市に入ると、高宮山観音寺がある。天正17年(1362)に開山した真言宗豊山派の寺。 『疲れたが、駅まであと少し、無事帰れますように(合掌)』

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● 足・腰の痛みこらえて市川駅に到着。 1万5千歩、歩いたぞ!

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2024年2月19日 (月)

意地で1万3千歩

最近歩く機会が少なく、体力が落ちてきたかも?? 今朝、食事をしながら『チョイト、歩いてくるね』 TVの天気予報は、文京区の椿山荘からLIVE中継。 『アレ、傘さしてる!』 食事が済んで外を見ると、我が家の周辺は濡れているが、雨は止んでる。 妻『傘を持って行ってね!』 私『雨は降らない、もし降ったらすぐに帰って来る。 男の散歩に傘は邪魔だ!』 傘を持たずに飛び出した。




● 家を出たが、さてさて何処へ行こうかな? 家を出て1分『アレ、雨粒が落ちてきた。 コリャ、遠くに行けないな』 本降りになっても、すぐにバスに乗って帰れるように浅草方面に歩きだす。 我が家と同じ町にある「須賀神社」に手を合わせ、『雨がやみますように!』と神頼み。

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蔵前一丁目交差点に来ると、傘をさす人も多い。 ココまで、我が家から真直ぐ歩いて、徒歩8分。 いまさら、我が家に戻って『散歩は止めた!』と妻に言うのは男として情けない! もう少し歩いて、本降りになったら帰ることにしようと決める。、、、、『この雨、本降りになるかも?』チョイト、不安がよぎる。 『そうだ、川向こうの東京都慰霊堂に行こう!』雨が降っても雨宿りできる。 これより、蔵前橋通りを歩く。

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● 小雨がパラパラ。 カメラが濡れるのを拭きながら蔵前橋を渡る。

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東京都慰霊堂に来ると、傘をさす学生も少ない。 雨は霧雨となった。 これなら、もうチョイト歩いて見よう!

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石原三丁目交差点まで来ると、雨は止んだ。 服は湿っぽくなったが、『ヨシ、もう少し散歩を続けよう!』 

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法恩寺橋を渡る頃には、道は乾き、雨は完全に止んだ。 これで、今日散歩に出た、男の面目が立った!

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錦糸町駅近くを通過。 傘をさす人はいない。

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天神橋を渡り、くず餅屋さん亀戸天神前を通過。 男の意地で小岩駅まで歩くつもり。

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東武亀戸線を越える頃、チョイト足が痛くなってきた。 アリャ、コリャ、歳だな、脚力が弱くなったか?、、、、江東新橋を渡り、江戸川区に入る。

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● 江戸川区に入り、平井駅前のタワマン工事現場まで来ると、足の疲れが出た! 我が家の家訓(?)、“年寄りの 無理は禁物”を思い出し、今日の散歩はここ平井駅までとする。 小岩まで歩くつもりが平井でギブアップ、1万3千歩の散歩でした。

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2024年1月19日 (金)

船堀から新小岩

都営新宿線の船堀駅から、総武線の新小岩駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 都営新宿線の船堀駅は、東大島駅からの延伸に伴い終着駅として、昭和58年(1983)12月23日に開業した。 駅は相対式ホーム2面2線の高架駅。 令和4年の1日平均乗降人員は約54,000人 、、、、駅舎の壁面には大きな金魚が描かれているが、船堀駅周辺は金魚の養殖が盛んな地であった。 駅が開業した昭和50年代には、周辺に養殖業者が20軒ほどあった。 今は都内でも、養殖業者は2軒だけになったそうだ。 50年歳月は都会の環境を大きく変えていくね!

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● 船堀駅の正面に「タワーホール船堀(タワーホールふなぼり)」(別称:江戸川区総合区民ホール)がある。 高さ115m、展望台は103mのタワーがある区民ホールである。 タワー下のビルの中には、大ホールをはじめ、17室の会議室や映画館、結婚式場などもある。、、、、展望台は9時から上れるが、時刻は今8時半、またの機会に上ることにした。、、、、ホールの内部は吹き抜けのある洒落た造りとなっている。

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● 船堀駅前の大通り「船堀街道」を北へ歩くと、新小岩駅に行くことができる。 

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・・・・・・・・・・ 道なりにストレートに歩くと、約4.2㎞で新小岩駅に着くのだが、私は船堀街道の西側の裏通りを歩いて新小岩駅に向かうことにした。




● 東小松川4丁目に「渡し場 水神宮」がある。、、、、当地区は昔は低湿地帯であったので、洪水に悩まされていたため洪水除けの神として、さらに川を交通の場として利用していたので水難除けの神として祀られていた。 旧東小松川村には、上之庭、新道、中之庭、入之庭、大江川、渡し場、品清の集落があり、それぞれに水神様が祀られていたそうだ。 (竜神様(水神宮)の脇に観音堂が建てられ観音様が祀られているが、その由緒は不明)

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● 東小松川、迷路のように曲がりくねった住宅地の裏道を歩く。、、、、おや、色褪せた文字で「たばこ」の看板が見える。 廃業したタバコ屋さんだが、なんとなく“昭和の匂い”だ! 向かいの家の角には、錆びてきた「ファミリープラン」の自販機が置かれ、“昭和”にワンポイント添えている。 

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● 東小松川2丁目に、真言宗豊山派寺院の無量山 光明院 永福寺がある。 本尊は行基作と伝えられる木造阿弥陀如来坐像。 開基年月は不詳だが、開山の宥賢上人は永禄11年(1568)正月15日に入寂した。 はじめは長福寺と称したが、九代将軍家重の幼名長福丸をはばかって永福寺と改称した。、、、、綺麗に手入れされた参道をとおり、木立の奥に本堂がある。 癒される寺だ!

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● 永福寺の西側から「小松川境川親水公園」を歩く。 江戸川区内の親水公園は、どこも地元の方が清掃・整備し、いつ歩いても、ペットボトル、空缶、ポリ袋などゴミのない公園として維持されてる。 今日も、数名の方が川筋の笹を刈って、整備されていた。(いつも綺麗にしていただき、ありがとうございます!) 首都高下のトンネルもご覧のとおり、ゴミが1つも落ちておらず、気持ちよく歩けるように清掃されていた。

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● 親水公園をとおり抜け、松島2丁目の「五分一通り」の一画に「五分一橋跡」がある。 “五分一(ごぶいち)”とは(?)、チョイト気になるネーミングなので、地名の由来について調べてみたが、結論は不明。、、、、江戸時代から五分一橋は既に架けられていたらしい。 この地は、江戸と下総佐倉を結ぶ元佐倉道の要衝にあり、古くから賑わっていたそうだ。 昭和5年(1930)に、五分一橋は鉄筋コンクリート橋に架け替えられた。 昭和57年(1982)には、下に流れていた川が埋め立てられ、五分一橋の使命も終えた。、、、、今は五分一橋の親柱が残るのみ。

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● 江戸川区松島の町の北に、江戸川区と葛飾区にまたがる「ルミエール」商店街のアーケードがある。、、、、ルミエール商店街はJR新小岩駅の南口正面に出る、全長約420m、約140店舗の専門店が軒を連ねる東京・下町の超元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置されたアーケードは葛飾区内で初めてのもの。、、、、時刻は10時過ぎ、すでに店を開けた商店もある。 この時間帯は中高年の客が中心のなのか、年寄りが目立つね!

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● 総武線の新小岩駅に着いた、ここから我が家(浅草橋)までは15分。 今日は、チョイト疲れたね!

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2023年10月11日 (水)

京成小岩

散歩の行先が未定のときは、とりあえず都営交通の全路線について乗り降り自由な敬老パスを利用して、都営浅草線に乗ることが多い。 車中で『どこで降りようか?』自問自答、今日は京成高砂行きに乗車したが車中で行先が決まらず終点の高砂に到着。 高砂駅から散歩する機会は多くチョイト飽きたので、電車を乗換え隣の京成小岩で下車することにした。、、、、京成本線の京成小岩駅からブラブラ歩いて京成高砂駅まで、1万歩の散歩です。




● かつては特急が停車し、始発電車もあった京成小岩駅、今は快速と普通だけが停まる、江戸川区最北端のチョイト寂しい駅だ!、、、、島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅の開業は昭和7年(1932)5月15日。 令和4年度(2022年度)の1日平均乗降人員は16,763人である。、、、、JR総武線の小岩駅は、京成小岩駅の南約500~600m程(徒歩で約20分)と離れており、わざわざ歩いて乗り換えるメリットはない。 もしJR総武線に乗換えたければ、成田側に5駅先の京成八幡駅での乗り換えをお薦めする。

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・・・・・・・・・・ “京成”が頭につく駅名を表示する際、“京成”を省略して表示することもあり、「京成小岩」は「小岩」と表示されている。

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・・・・・・・・・駅の住所は江戸川区北小岩にあるが、となりの葛飾区鎌倉とも至近で、この付近は住宅地が密集している。 駅北側には地域密着型の商店街「京成小岩商栄会」が伸びている。、、、、まだ8時半、どこの店もシャッターが下りてるね!

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・・・・・・・・・・ 線路沿いに少し歩いてみる

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● 葛飾区鎌倉の町に入ると、真言宗豊山派の輪福寺がある。 輪福寺は、正法山蓮蔵院と号す。 寛永2年(1625)の創建。 享保7年(1723年)徳川吉宗八代将軍が鷹狩の折休息した謂れある寺です。、、、、山門風の門は無く、小さな本堂が正面に見える、簡素な寺。

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・・・・・・・・・・ 門前には煉瓦造りの祠があり、地蔵菩薩像が祀られている。、、、、一見、シャレた犬小屋かと!(失礼しました)

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・・・・・・・・・・ なぜこの地が「鎌倉」に?、、、、相模国鎌倉郡から来た源左衛門という者がこの地を開拓して、村の鎮守として鎌倉の鶴岡八幡を勧請したことによる。 その八幡神社は、現在の鎌倉4丁目にある。(写真は2015/1/5撮影)

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● 京成本線の南側(葛飾区鎌倉2)都営鎌倉二丁目第三アパートの近くに、「小岩用水の沿革」という碑がある。、、、、この碑文によると、小岩用水は、小合溜井(現在の水元公園)を用水源とする、複数の灌漑用水の一つである。 江戸時代中期の享保14年(1729)、8代将軍徳川吉宗の幕府勘定方であった井沢弥惣兵衛が、利根川の旧河道を締め切って小合溜井を設け、現在の江戸川区に小岩用水などの灌漑用水を整備した。 江戸川区は用水の下流の地で、農作物の大消費地江戸を支える農村地帯として重要な役割を担ったそうだ。、、、、戦後は工場や家庭からの排水が流れ込む排水路となった。 その後下水道の完備とともに緑道として整備されて現在に至ってる。

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● 小岩用水の碑から、上流側(京成本線の北側)の踏切の角に「鼎(かなえ)地蔵」がある。 昔の民間信仰で、村民や旅人の安全を守るという道祖神です。 鼎地蔵の右隣りには、同じく道祖神の青面金剛が祀られていて、その側面に「右 江戸みち、左 矢切渡し」と書かれています。道しるべも兼ねていた。、、、、小さな敷地に、地蔵尊、庚申塔、石灯籠など多くが綺麗に整備されている。 小岩用水沿いに祀られていた石仏だったかも?

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● コンクリート板で覆われた小岩用水の跡(小岩用水緑道)を上流側に歩くと、左側に背の高いコンクリート塀が現れ、続く。 まるで刑務所の塀のようだ!、、、、ここは、京成電鉄の高砂車庫。 鉄道オタクが侵入しないよう、高い塀を造ったのか? チョイト私も覗いてみたく、金網の隙間からパチリ!

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● 高砂車庫沿いにあるいて京成高砂駅に到着。 今日の散歩はココまで!

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2023年5月 6日 (土)

八広から平井

GW中は、観光地に行かず家でじっとしていようと思ったが、天気がいいと歩きたくなるね! 今日も天気が良さそうなので、人混みを避け、京成押上線の八広駅から、JR中央・総武緩行線の平井駅まで、人影少ない下町を歩いてきた。 1万1千歩




● 「八広駅」の乗降人員は京成線全69駅中34位。 押上線の駅では最も少ない一日当たり約5000人。 23区内の駅だが、残念ながら影の薄い駅。 おそらく都内在住の人でも、駅の所在を知らない人もいる、下車したことがない人も多そうだ。 高架駅のホーム先端からは荒川がスグ目の前に流れてる。 高架下の出口の前は下町の裏道だ! 駅の周辺には人を集める施設もなく、万年、静かな駅。

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● 八広駅から南東へ200m程、木根川橋の西詰に「日枝神社」が鎮座する。 400年程前の慶長19年(1614)の創建といわれ、歴史は古いが詳しい由緒は判らない。、、、、境内には人気無し、静かなGW!

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・・・・・・・・・・ 日枝神社の境内に、もう一社「木下稲荷神社(きのしたいなりじんじゃ)」が鎮座する。 こちらは、慶長19年(1614)の鎮座で元木之下村宝蔵寺境内にあって、日枝神社の摂社として創立された。 明治初年の改正により木下村に移転され、さらに大正8年(1919)に荒川放水路(現:荒川)の用地に入ったために現在の場所に移転した。

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八広から東墨田の町をブラブラ

・・・・・・・・・・ 八広の裏通り、、、、東京スカイツリーのお膝元

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・・・・・・・・・・ 吾妻西公園の戦災殉難者之精霊供養塔、、、、太平洋戦争当時ここの公園は空地だったため、東京大空襲の犠牲者250名程が仮埋葬された。 昭和23年頃から改葬のために遺体は火葬されて東京都慰霊堂に合祀されたが、これらの犠牲者の冥福を祈り慰霊するために、平和地蔵尊と墓誌(慰霊碑)が建立された。

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・・・・・・・・・・ 荒川土手の下を歩く、、、、もちろん海抜0m以下 歩く人がいない!

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・・・・・・・・・・ 東墨田の革工場もGWで仕事は休み 人影がない!

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・・・・・・・・・・ 東墨田の連結送水管の専門企業にズラリと並んだ、“まっ赤なポルシェ”とはちょいと違うがまっ赤なポンプ車。 ポンプ車もGWでひと休み!

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● 葛飾区を北から南に流れ東墨田の東側で荒川と平行に流れ下る中川。 その中川が荒川でちょん切られ、下流側(墨田区側)が「旧中川岸辺公園」として江東区まで続く。、、、、煙突は「墨田清掃工場

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● 旧中川の南は江戸川区、江戸川区平井に「平井天祖神社」が鎮座。 平井天祖神社の創建年代は不詳だが、貞和4年(1349)に再興した旨の棟札が、江戸時代には残されていたそうだ。 江戸時代には中平井村の鎮守で、明治7年(1874)に村社に列格した。 祭神は天照皇大御神、合殿に布都主命、武甕槌命を祀る。、、、、ここも、人の姿が見えず、今日はGWだ!

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● 蔵前橋通りを越えるとJRの「平井駅」 今日の散歩はココまで!

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2022年8月 7日 (日)

鰻にニッコリ

我が妻が嫁ぐまでの20年間(戦後の昭和時代)、過ごしてきた実家の家(江戸川区南小岩)を取り壊すことにした。 両親は30年程前に他界し、その後家を守ってきた義兄も他界し、空き家となっていた。 主の居ない家は老朽化も早く、放置しておくこともできず、更地にして売却することにした。 今日は最後の見納めで、取壊しがはじまり屋根の無くなった家を、感慨深く妻と見てきた。 ボロ家といえども、思い出多い家が無くなるのは寂しいもので、妻は合掌!

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● 小岩駅に戻り、『もうすぐ昼だ、食事はどうしよう?』 『ここまで来たら、帝釈天で鰻はどうだ!』、、、、寂しさ吹っ飛び 鰻にニッコリ  妻の顔

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● 曇り空の東京、気温30℃、熱中症は心配無用、コロナはチョイト心配だった! 5千歩のミニ散歩 

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