江戸川区

2020年1月 9日 (木)

小松菜の里

困ったもので、顔は良いのだが眼が悪く、最近メガネの度が合わず新調することにした。 私のメガネは二十年程前から同じ眼鏡屋さんから購入してる。 同じ眼鏡屋さんだと、検眼、購入履歴などの情報を保存しており、客側としても何かと相談しやすく便利である。 その眼鏡屋さんは秋葉原にあり、浅草橋の我が家から歩いても20分程で行けた。 しかし2年前に店舗を整理統合し、秋葉原の店は新小岩の店に統合された。 仕様がない、“生姜は八百屋で売ってるよ”、新小岩の店に行って買うことにした。、、、、今日は、その新調したメガネを受け取りに新小岩に行ってきた。 眼鏡屋へ行く前に香取神社へチョイト寄ってきた。




●小松が消えた! ・・・・・・現在、新小岩駅のある位置には大正15年(1926)に設置された新小岩信号所があった。 昭和3年(1928)7月10日、信号所が駅に昇格し新小岩駅が開業した。、、、、新小岩駅周辺は元々「小松」という地名であった。 駅の開業にあったっては、駅名を地名に由来して「下総小松」とか「小松」とする予定だった。 ところが、周辺住民の要望によって信号所の名前のままの新小岩駅となった。 さらに、昭和40年代の住居表示実施の際、周辺の地名も駅名に合わせて新小岩・東新小岩・西新小岩となり、「小松」の地名は消え去った。

202001091527050000

202001091530010000

202001091531050000

・・・・・・・・・・・・ホームから見る駅前ロータリー。 手前は旧駅舎を撤去中。
202001091525460000



●小松菜の里 ・・・・・・・眼鏡屋へ行く前に、駅ホーム下を抜けるバス通り「平和橋通り」南下し、江戸川区中央4丁目の新小岩香取神社に寄ってみた。、、、、新小岩香取神社の創建年代は不詳だが、昔この辺一帯が芦原で船が自由に往来できた頃、その中に浮かぶ道ヶ島(堂ヶ島)という小高い島に、下総の香取大神宮より経津主命の分霊を祀ったのが、香取神社勧請の由緒と言われている。 元和3年(1617)に再建、西小松川村の鎮守であった。 当時国府台間々の入江から、武蔵国上野の台地に向かう船は、この神社の森を船路の目安としたので、間々井宮と称したと伝えられている。、、、、この社は元和5年(1619)の棟札を所蔵する古社で、亀井和泉守源永好以来代々亀井家が宮司をつとめている。、、、、明治時代以降、近隣の神社を当社に合祀、また数多くの神社の兼務を行っている。 まさに、神社のM&Aと、出先店舗の増設だ!

・・・・・・・・・・・・平和橋通りを南に歩き、新小岩親水公園の手前をチョイト東に入ると、住宅地の中に神社がある。
202001091554020000

202001091555040000

・・・・・・・・・・・・現在の本殿は総欅造りで、氏子大工牧野八郎次が十年の歳月を費やし、天保4年(1833)に竣工した建物。

202001091600200000

・・・・・・・・・・・・境内社としては、稲荷神社水神社道祖神鷲神社大雷神などが祀られている。

202001091559520000

202001091603030000

202001091603440000

・・・・・・・・・・・・境内には、すき焼きに入れる小松菜に因む石碑がある。、、、、「小松菜」は、享保4年(1719)、八代将軍吉宗が鷹狩をする時の食事をする場所として、当香取神社が選ばれ、時の神主亀井和泉守永範がそのお役を受けました。 しかしこれといって差し上げるものもなかったので、餅のすまし汁に青菜を少々、彩りとしてあしらって差し出すと、吉宗は大変喜ばれ、この菜をこの地にちなんで「小松菜」と命名されたと伝えられています。、、、、と、説明板に書かれている。 写真は「小松菜ゆかりの里」、「小松菜産土神」の石碑。

202001091608080000

202001091601040000

・・・・・・・・・・・・神社の隣りには、小松菜の発祥の地といわれている屋敷「小松菜屋敷」がある。 将軍が鷹狩りに訪れた際、御膳所として小松菜の入った餅の澄まし汁を出した神主亀井和泉守の屋敷跡。 現在も子孫である地域歴史研究家亀井千歩子の住居となっている。

202001091552470000

・・・・・・・・・・・・神社前の道を西へ100m程歩くと「亀井家墳墓」がある。 香取神社を代々祀ってきた亀井家の墓所。

202001091550060000



●元気な商店街! ・・・・・・・JR新小岩駅の駅前ロータリーの真ん前にルミエール商店街がある。 全長420m、約140店舗が軒を連ねる下町の元気な商店街。 昭和34年(1959)に設置した長いアーケードが駅前から続き、雨でも安心して買い物ができるようだ。、、、、商店街の中に眼鏡屋さんが5軒もあった。 もちろんスーパー、コンビニも、パチンコ屋も、生活に必要なものは全てあるようだ。

202001091705530000

202001091647300000

202001091645030000

202001091637120000

202001091636580000

202001091634260000



●メガネ新調! ・・・・・・・私は若く見えるようで、これまで70代の自分が、世間さまには60代に見られていた。 今日、新調したメガネではもっと若く50代に見えるらしい。 店員さんが嬉しいこと言ってくれる!、、、、早速、新しいメガネをかけて電車に乗ったが、誰もふりむいてくれない! やっぱり!!!

2020年1月 5日 (日)

三つめの行徳橋

総武本線の本八幡駅から、行徳橋を渡り、江戸川水門・閘門を見て、篠崎ポニーランド前バス停からバスで小岩駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。




●南口は裏口? ・・・・・・・JR総武本線の本八幡駅は昭和10年(1935)9月1日に開業した。 駅は緩行線の島式ホーム1面2線と特急・快速がダッシュで通過する快速通過線2線の高架駅。 高架下に改札口があり、出入口は 北口と南口の2か所と駅ビルShapo口がある。 都営地下鉄新宿線の本八幡駅とは駅ビル内の連絡通路で結ばれている。、、、、みずほ、三井住友、三菱UFJ、りそな、千葉、千葉興業、三菱UFJ信託、各銀行の支店は全て北口側にある。 南口側には、駅前からチョイト外れた所に京葉銀行の支店があった!、、、、まだ松の内の日曜日、駅はガラガラ、人影の少ないい南口から散歩をスタートする!

202001050813210000

202001050813500000

202001050818040000

202001050822050000



●県道は旧街道? ・・・・・・・・駅から
県道6号(市川浦安線)沿いに歩き、行徳橋を目指す。、、、、人も、車も少なく、歩きやすい道を行く! 

202001050832290000

・・・・・・・・・・・・市川市立大和田小学校近くの交差点角に『未来(みき)ちゃん』の像があった。、、、、渡辺成良:作で、平成17年(2005)に設置された。 「アメリカ・ソビエトに桜の苗木をおくる会」が、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ市(1983)、ソビエト社会主義共和国連邦ナホトカ沿海地区(1984)、市川市立大和田小学校(1985)と桜植樹を行い、その20周年記念碑として設置したそうだ。、、、、会が、なぜ桜の木を贈るのか? 経緯は不明だが、街角の癒しの像としていいね!

202001050836410000

・・・・・・・・・・・・県道に沿って歩いて行くと、市川市文化会館が見える。 昭和60年(1985)に総事業費約92億円で建てられた、約2000人収容の大ホールなどを備えた芸術文化の拠点である。、、、、チョイト見たかったが、時間が早すぎ開館前なので残念であったのが、「井上ひさし記念室」だ! 井上ひさしは「ひょっこりひょうたん島」の原作者で、劇団「こまつ座」の創設者で、小説「浅草鳥越あずま床」の作家。 昭和42年(1967)から昭和62年(1987)まで、市川で暮らした。 その資料が展示されているそうだ。

202001050841050011_stitch

・・・・・・・・・・・・埼玉県の人を一挙にディズニーランドに引き寄せる東京外環自動車道を、市川市大和町1丁目で横切る。、、、、歩道橋の上に立つと、何か物を投げたくなる気持ち、なんとなく判るね!

202001050845250000

202001050845340000

・・・・・・・・・・・・大和田2丁目の甲大神社(かぶとだいじんじゃ)に立ち寄る。、、、、甲大神社の祭神は応神天皇と言われているが、大神の兜を祭るとも伝えられている。 創建は永延2年(988)当地に鎮座、葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田村の鎮守社であった。 一の鳥居、二の鳥居とも、太い柱で重量感がある。

202001050916410000

202001050913310000

・・・・・・・・・・・・京葉道路の下を抜けたところに、延命地蔵尊が祀られている。、、、、稲荷木 一本松」と記された案内板には、地名「稲荷木」のふりがなが「とうかき」と標されていた。 これまで「稲荷木」を“いなりぎ”と読んでいた、“とうかき”とは難読地名だ!、、、、さらにその案内板によると、かつて、行徳から市川に向かうには、今の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺(そうりんじ)の前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田→大洲→市川南を経て国道14号線(上総道・佐倉道・千葉街道)に出て市川に至ったと記されている。 そして、この地には「一本松」が植えられていた。 しかし、一本松は京葉道路などの車の排気ガスの影響から、昭和48年(1973)に伐採され、現在は根元の部分が残されている。、、、、一本松の前には、「馬頭観世音菩薩」が立ち、そして左隣に「延命地蔵尊」、さらにその右手前の石には、「これより右やわたみち 正徳三癸巳歳」「これより左市川国分寺みち(?)」と刻まれている。 つまりここは、行徳橋方面から来ると市川方面と八幡方面の分岐点である。、、、、なんと、この県道は旧街道の一部だったようだ!

202001050920000000

202001050920360000

202001050922540000

202001050922150000

202001050921590000

・・・・・・・・・・・・建物は新しくとも、道幅もチョイト狭くなり、なんとなく旧街道らしい雰囲気が出てきた!

202001050924260000


202001050938000000

・・・・・・・・・・・・市川市稲荷木(とうかぎ)3丁目に、稲荷木稲荷神社がある。 稲荷木稲荷神社は、稲荷木村の鎮守社として寛永12年(1635)創建した。、、、、社殿は昭和41年(1966)に改築され、拝殿は鉄筋コンクリート造、本殿は木造で覆堂の中にある。 本殿の彫刻はなかなかのできばいで見ごたえ有り!、、、、地名「稲荷木」とは、“稲を干す木”、稲木に由来するそうだ。

202001050934060000

202001050932150000

202001050930500000

202001050931230000

・・・・・・・・・・・・稲荷木稲荷神社から200m程歩くと、享保6年(1721)の創建、新義真言宗の雙輪寺がある。 
202001050939220000
202001050942530000


●どの橋が行徳橋となるか? ・・・・・・・行徳橋は、市川市の行徳地区と八幡地区を結ぶ県道6号市川浦安線が走る行徳橋。 全長は約422m、幅7mの道路橋で、国が管理する可動堰(ぜき)との一体構造となっている。 昭和31年(1956)3月完成後、昭和51年(1976)に歩道拡張工事を行っただけで、改修工事は行っておらず、老朽化が著しく進んでいる。 現在可動堰の上流側に新しい橋を架け替え中(工事は遅れているが今年中に供用開始となるか?)、、、、【チョイトややっこしい話】 現在の行徳橋の下流側にバイパスとして昭和47年(1972)に開通した新行徳橋が架かっている。 そこで現在は昭和31年の行徳橋を「旧行徳橋」と呼んでいるのだが・・・新しい橋ができると“新”の字を冠して「新旧行徳橋」と呼ぶのか? チョイト名の整理をしてほしいね。

・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(別名:旧行徳橋)は、バスがヤットコサすれ違うことのできる幅7m、歩道は可動堰側に1.2mの幅である。 歩道上で自転車に乗ったまま、両方がすれ違うことは不可能。

202001050953480000

202001050955220000

202001050957300000

202001050954300000

・・・・・・・・・・・・上流側に新しい行徳橋(?)を建設中。、、、、新しい橋と可動堰はタラップで結ばれている。 新しい橋が供用されると古い行徳橋は可動堰と切り離され、撤去されるかもね?

202001050951280000

202001051004410000

202001051000090000

・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(写真手前)から下流側約150mに架かる新行徳橋(写真奥)。 “新”を冠した名が残るのか?
202001050952260000



●海水を阻止する水門! ・・・・・・・行徳橋を渡り江戸川水閘門に出る。、、、、江戸川と旧江戸川の分流点の直下流側に位置し、旧江戸川をとおり東京湾の海水が遡ることを阻止する水門+閘門。 昭和18年(1943)、戦時真っ最中の中で竣工し、東京市民のため、金町の浄水場で安定的な取水を可能とした。、、、、空襲で破壊されず、よかった!

202001051021200000

202001051017380000

202001051015300000

202001051011420000

202001051009120000



●お帰りです! ・・・・・・・・江戸川土手を遡り、京葉道路:江戸川大橋の際にある「ポニーランド」バス停から小岩駅行きのバスに乗る。

202001051036360000

2019年12月16日 (月)

排水機場は只今工事中

中川は、荒川(旧荒川放水路、昭和5年(1930)完成)の開削によって、JR総武線、京成押上線それぞれの荒川橋梁に挟まれた中間地点で流路が分断された。 荒川の西側に分断された中川(右岸は墨田区・江東区、左岸は江戸川区)は旧中川と名を変えた。 その旧中川の上流端、荒川に分断された位置に、木下川排水機場がある。、、、、今日の散歩は、『なぜ、旧中川の最上流部に排水機場があるのか?』と疑問がわき、答えを探しに行った。、、、、京成押上線八広駅から、総武線平井駅まで、1万1千歩の散歩です。




●墨田区の荒川駅? ・・・・・・荒川橋梁を挟み、葛飾区側の四ツ木駅と結ぶ、墨田区側の八広駅。 荒川の土手に至近で、ホームからは荒川橋梁も見える。、、、、駅名は大正12年(1923)の開業時から荒川駅と名乗っていた。 荒川放水路開削工事は、大正13年(1924)の岩淵水門完成によって上流から下流までが繋がり、通水が行われた。 さらにその後、関連する工事が進められ、昭和5年(1930)に荒川放水路は完成した。 つまり、駅は荒川放水路が完成する以前から「荒川駅」を名乗っていたのである。 昭和7年、荒川区が誕生した時には、“墨田区にあって荒川とは”何ぞや! チョイトもめたようだ。 その後、平成6年(1994)に地元の地名を採用し「八広駅」に変えた。

201912160749010000

201912160759030000



●神社を見下ろす土手! ・・・・・・八広駅から荒川土手沿いに下流方向へ歩くと、日枝神社がある。 慶長19年(1614)に鎮座し、この辺りを開墾した元木之下村の氏神様である。 境内には摂社として木下稲荷神社が祀られている。

201912160807080000

201912160808330000

・・・・・・・・・・・・境内に、この地が0メートル地帯であることを示す表示があった。 神社の前は荒川土手、チョイト上ってみたら、3階建ての家を見下げるほどの高さ、高~~い! 自分は高所恐怖症、チョイト足がすくむ高さだ!

201912160806160000

201912160813580000

・・・・・・・・・・・・・・対岸の葛飾区東四つ木を結ぶ木根川橋。 両端とも主要道と接続していない木根川橋は地元密着型の橋で、大型車両は通らず、都心に在って他と違う雰囲気がある。

201912160816130001_stitch

201912160816570000



●只今工事中! ・・・・・・・荒川右岸の土手上から見える木下川排水機場(きねがわはいすいきじよう )。 毎度のことだが、木下川排水機場の下調べもせずに飛び出してきたので、排水機場は只今、耐震工事の真っ最中で立ち入り禁止。 工事関係者以外は誰も居らず、排水機場の機能・能力などを説明は河川事務所(江東区大島)に行って聞いてくれとの返事。 どうやら、自分の知りたかった『なぜ、旧中川の上流部に排水機場があるのか?』の疑問に応えてくれる人はいないようだ!、、、、帰宅後、自分の調べでは、、、、旧中川は墨田区・江東区の0メートル地帯にあり、この地は戦後急激に地盤沈下し、現在では海水面より低くなっている。 そのため、周囲を流れる荒川・隅田川の水位に比べると、一番低い処にあるのが旧中川だ。 0メートル地帯に降った雨は旧中川に流れ込む、しかし旧中川の水は外に流れる出ることがないため、強制的に24時間ポンプで排水を行い、東京湾の干潮位より1m低い水位を保っているらしい。 また、旧中川とそれに繋がる、小名木川・横十間川などの運河は、勾配がなく巨大な池のようでもある。 つまり、旧中川には上流も下流もないから、荒川に近いこの位置(旧中川の上流端)で排水を行っている。 下流端には荒川ロックゲートと云う大きな閘門がある。
201912160848530000

201912160903130000

201912160927410000

・・・・・・・・・・・・・・木下川排水機場前の荒川土手には木下川排水樋門がある。 木下川排水機場から荒川に排水する出口である。、、、、対岸には、中川が荒川開削事業で分断された位置付近に、中川水門が見える。、、、、【蛇足】「木下川」は“川”の名ではなく、昔の村名である。

201912160851210000

201912160855180000

201912160855360000



●川の中に建つ住宅! ・・・・・・木下川排水機場の南側、分断された旧中川の跡地に建てられた平井住宅。 昭和58~59年(1983~1984)に建てられた、7棟(210戸)の公務員用集合住宅である。 川の蛇行に合わせ、建物も緩やかにカーブしている。 ちなみに、建物の標高は海抜0m。

201912160918560000

201912160920130000



●癒されるね! ・・・・・・・穏やかに流れているのか? それとも、流れは止まっているのか? 静かな水面に水鳥が遊ぶ旧中川。 川の両岸は公園として下流へ続く。、、、、今日の天気の下で、両岸とも心地よく歩ける遊歩道となっている。 私も、平井橋まで川沿いを歩いてきた。

201912160933280000

201912160939390000

201912160953090000

201912161016510000



●お帰りは平井から! ・・・・・・旧中川の平井橋からは総武線平井駅はスグソコ!、、、、電車に乗ってしまえば、我が家までは15分。

201912161027370000

201912161034040000

2019年12月13日 (金)

スタコラ、京葉道路

台東区浅草橋の我が家から中央区の浅草橋交差点に出て、京葉道路をひたすら東へ墨田区、江東区を抜け、江戸川区の中央二丁目交差点で曲がり、近くの大杉小学校前バス停まで、1万5千歩、約10kmの散歩です。




●何処も彼処も“浅草橋”  ・・・・・・我が家から徒歩45秒、浅草橋一二丁目交差点に台東区のコミュニティバス乗り場「浅草橋駅北」がある。、、、、ここから徒歩2分で江戸通りの下を走る都営地下鉄浅草線の「浅草橋駅」、そこから徒歩40秒JR総武線の「浅草橋駅」東口。、、、、さらに徒歩1分で神田川に架かり台東区浅草橋と中央区日本橋馬喰町を結ぶ橋「浅草橋」がある。 「浅草橋」は、江戸通り(=水戸街道)が神田川を渡る橋で、橋の全長と同じくらいの幅員を持つ幅広の橋梁である。 江戸時代初期この場所は、奥州方面から江戸中心部への入口となるため、江戸城の見附「浅草橋御門」が設置され、同時に見附橋としての木橋「浅草橋」が架けられた。 最初の橋は寛永13年(1636)頃の架橋と伝えられている。(私が誕生する以前の話で、本当かどうか知らない!) 現在の橋は大正12年(1923)の架橋で、私の母と同年で、今年で96年目(橋も母も、いまだ健在!)、、、、中央区に側に、京葉道路、靖国通り、江戸通り、清杉通りが交差する「浅草橋交差点」がある。

201912130742250000

201912130746180000

201912130751170000

201912130754100000

201912130753490000

201912130757400000



●京葉道路をスタコラサッサ! ・・・・・・・・今日は10時半までの間、京葉道路をひたすら歩区ことにした。 “10時半”とは、我が家を出てから約3時間、私に疲れが出る頃だ! そして、あまり長く歩くと、靴底の減りも早く、また高価な靴を買うことになるので!

・・・・・・・・・・・・中央区の浅草橋交差点は、新宿から伸びてきた靖国通りの終点で、その延長上を東に向かう京葉道路の始点である。

201912130759160000

・・・・・・・・・・・・両国橋で隅田川を越える。 橋の東詰(墨田区側)には、明日(12月14日)に義士祭が行われる赤穂浪士の一人:大高源吾の「日の恩やたちまちくだく厚氷」の句碑がある。 この句は、討ち入りの夜、向島に住む俳句の師匠宝井其角と両国橋で出会い詠んだものといわれている。 句碑は昭和3年(1928)に建立されたもの。

201912130804450000

201912130808160000

201912130809370000

・・・・・・・・・・・・・・・両国3丁目の京葉道路の歩道上に建っている「本所松坂町跡」の碑。 もともとこの周辺は、吉良邸のあった本所松坂町と呼ばれていたが、関東大震災後の区画整理により町名が消えた。 この碑は「松坂町」を偲んで、昭和7年(1932)に住民によって建立された。、、、近くには、明日の義士祭・吉良祭のポスターもある。 チョイトついでに、吉良邸跡の本所松坂町公園にお立ち寄り!

201912130815170000

201912130816360000

201912130817570000

・・・・・・・・・・・・清澄通り三ツ目通り江東橋と通り過ぎ、錦糸町駅前は我が家を出てから1時間後に通過。

201912130825150000

201912130837080000

201912130841460000

201912130849550000

・・・・・・・・・・・・・・錦糸町と亀戸の間を流れる運河:横十間川を昭和44年(1969)に完成した松代橋で越えて、墨田区から江東区に入る。 亀戸駅の手前で越中島支線(JR貨物)のガードをくぐり、亀戸駅前では歩道橋で交差点を横断し、亀戸七丁目交差点で丸八通りと交差する。

201912130900200000

201912130859160000

201912130905220000

201912130909120000

201912130910050000

201912130921480000

・・・・・・・・・・・・・中川新橋(平成15年完成)で旧中川を越える。 この橋を渡ると江東区亀戸から、江戸川区平井・小松川に入る。、、、、中川新橋では、大勢のユリカモメが私を歓迎してくれた。

201912130940210000

201912130941590000

201912130942350000

201912130944130000

・・・・・・・・・・・・・・旧中川の次は、荒川越えだ! 小松川橋で荒川と中川を一挙に越える。 全長約500mの小松川橋を渡りきるのに15分を要した、長い橋だ! 歩く先には首都高が、振り返ればスカイツリーが見える。、、、、渡り終わると時計の針は10時を回っていた!

201912130957420000

201912131002570000

201912130959560000

・・・・・・・・・・・・・・署員数480名の大きな小松川警察署の前を通り、境川橋を渡る。 境川橋はその名のごとく境川に架かる橋で、昭和15年(1940)に完成した。 只今、橋の下の親水公園と共に修復中。 東小松川交差点の角には、宝くじが良く当たると評判の宝くじセンターがある。 年末ジャンボの時期である、10億円ゲットするには何処で買うか迷うね?

201912131012450000

201912131015300000

201912131018080000

201912131022260000

・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩は、京葉道路の「中央二丁目交差点」(江戸川区)までとする。 時刻は10時半を過ぎ、お帰りの時刻となった。、、、、交差点角のチョイト裏側(江戸川区松江3-31)に、昭和初期に建てられたと思われる同潤会の木造住宅が、朽ちて残っている。 おそおらく、いずれ取り壊されると思うね!

201912131032120000



●ラッキー! ・・・・・・お帰りは、何処から乗るか? 新小岩方面に歩くと、「大杉小学校前」バス停にバスが来た。 ラッキー、これで新小岩駅に出ることにした。

201912131041540000

2019年12月 6日 (金)

狐狸に化かされ篠崎公園へ

都営地下鉄新宿線の瑞江駅から、柴又街道(都道307号)に沿って歩きはじめたが、数ヵ月前に散歩した時と同じ処に出てきた。 同じ処を再度歩いても面白くないので、途中から篠崎公園に回り、南小岩2丁目よりバスで帰宅。 1万2千歩




●とうとう呆けたか? ・・・・・・瑞江駅から谷河内日枝神社までは、今年の4月に歩いていた。(その時の記事はコチラ!)

・・・・・・・・・・・・・・数ヵ月前に下車したことも忘れ、新宿線瑞江駅で降りてみた。 駅で地図を見て、東西南北どっちに向かう? 近くに柴又街道が通っているので、街道沿いの裏通りを歩いてJR総武線の小岩駅を目指すことにした。

201912060806140000

201912060805020000

201912060809380000

201912060812550000

・・・・・・・・・・・・・・瑞江駅周辺はアパート、マンションが並ぶ新興住宅街。 歩きながら『この辺は、新しい建物ばかりで面白くないな!』と、一人愚痴る。

201912060831460000

201912060833080000

201912060834440000

201912060835130000

・・・・・・・・・・・・・・瑞江1丁目で、首都高速7号小松川線の下を抜け、京葉道路を横断すると、東京都住宅供給公社の春江町住宅が見える。 ここで気がつく、『アッ、数ヵ月前に来た団地だ! とうとう、自分も呆けが始まったな、同じ処に来るなんて!』 『脇道に入り、知らない処を歩くぞ!』と、裏道に入り込んでいく。

201912060838350000

201912060846000000

201912060847060000

・・・・・・・・・・・・・・『数か月前と同じ処を歩く自分に、チョイトがっかり!』しながら、裏道を曲がりくねり谷河内日枝神社に出てきた。 『どこか見たことある神社だ?』と、手持ちの地図を取り出し確認すると、間違いなくこの神社も来たことがある。、、、、なんだか、狐狸に化かされているようだ!

201912060858570000

201912060859500000



●一人撮影会! ・・・・・・・今日は、どうもおかしい? また裏道を歩くと、どこか知っている処に出るような気がする。、、、、今日は、新しい発見を求めて歩くのは諦めた。 近くの篠崎公園に行って気分転換することにした。、、、、篠崎公園の起源は昭和15年(1940)に紀元2600年の事業の一つとして計画された防空大緑地である。 戦時中は高射砲陣地などか置かれた。 当初は面積約154haの大緑地帯であったが、当時は公園ではなく、多くは農地などに転用し利用されていた。 戦後、公園化の計画があがったが、付近の都市化・宅地化の流れが進んでいたこともあって計画面積は86.8haに見直され、都立公園として昭和42年(1967)に開園した。 現在では運動場や多目的広場なども完成しているが、公園自体は複数個所に点在している。、、、、人影の少ない公園で、狐狸に化かされることもなく、のんびり秋の一人撮影会。

201912060911210000

201912060912300000

201912060913240000

201912060921470000

201912060944400000

201912060953120000

201912060954140000

201912060954430000



●駅までは遠い! ・・・・・・公園を後にして、柴又街道を歩き南小岩二丁目からバスに乗り帰る。

201912060929350000

201912060932310000

201912060938110000

201912060940160000

201912061011150000

2019年11月25日 (月)

もやもやの宇喜田

三日間降り続いた雨も今朝6時頃にやっと止んだ。 7時半過ぎに散歩に出る。 道路は雨で濡れあちらこちらに水溜まり。、、、、都営新宿線に乗車、東大島駅手前で電車が地下から地上に顔を出すと、雨上がりの霧と荒川からの水蒸気がブレンドされ視界不良。 コリャ、何かが起きることを期待して次の船堀駅で下車した。 船堀駅から南へ、宇喜田の町を歩いてみた。 散歩中に視界は良くなり、期待に反し何も起きず。 多少の靄(もや)の中、西葛西駅近くの「宇喜田」バス停まで。 1万歩の散歩です。




●金魚の船堀 ・・・・・・・船堀駅は、昭和58年(1983)12月23日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。

201911250817321

201911250820480

201911250825220

・・・・・・・・・・・・船堀は、かつて金魚の養殖が盛んだった街で、駅舎の壁面には金魚の絵が描かれている。 私は、「江戸川区の名物は、船堀の金魚、鹿骨のシクラメン、篠崎の風鈴」と記憶しているが、今では養殖業者は数軒となったそうだ。
201911250829380

・・・・・・・・・・・・駅前のタワーホール船堀」は、平成11年(1999)にオープンした江戸川区のシンボル施設です。 高さ103mの展望室は靄の中。

201911250833190



●秋の新川 ・・・・・・・駅前の篠崎街道を南に歩く。、、、、枯れ葉が舞い落ち、秋を感じる。、、、、♪♪秋が来た 飽きが来た どこに来た 鼻に来た 口にきた 眼にも来た♪♪ 枯れ落ちないよう、すぐに整形しましょう!
201911250838190

201911250838270

201911250846500

・・・・・・・・・・・・・童謡を口ずさみながら、中川と旧江戸川を結ぶ運河:新川に架かる宇喜田橋(昭和32年完成)を渡る。、、、、続いて、隣りに架かる擬宝珠橋(平成20年完成)の際を歩く。

201911250850320

201911250852400

201911250852090

201911250901060



●ボウボウの3社 ・・・・・・・北葛西1丁目の「第一三共 葛西研究開発センター」の南側、北葛西1丁目から2丁目にかけ半円状に通る「棒茅場通り」がある。 この通り名「棒茅場」は、難読地名と有名である。 さて何と読むのでしょうか?、、、、答えは、かつての宇喜田村の小名:「ぼうしば」。 由来は不明であるが、「棒」の音読みは“ぼう”、「茅」の音読みも“ぼう”で、“ ぼうぼうば ”なのだが、茅を“し”と読み“ぼうしば”と読む。、、、、北葛西八雲神社前のバス停名にその名が残っている。

201911250920580

201911250920580-2

・・・・・・・・・・・・・棒茅場通りの小さな三社を紹介する。、、、、まずは、家と家の間に鎮座する七軒町水神宮(北葛西1-20)。 謂れは知らないが、私の推測では、昔、この付近の農業用水の守り神だったのかも?

201911250908340

・・・・・・・・・・・・次は、第一三共の研究所に隣接する豊栄稲荷神社(北葛西1-16)。 豊栄稲荷神社は、元禄3年(1690)に創建された、歴史ある小さい神社。 豊受姫命を主神とし誉田別神を合祀する。

201911250910180

201911250912080

・・・・・・・・・・・・最後は、“赤いポストと緑のバス停”に鳥居が挟まれた北葛西八雲神社(北葛西1-6)。 ここが棒茅場バス停

201911250920270



●眺望良し! ・・・・・・・半円状の棒茅場通り、その半円の中心(北葛西2-19)に都住宅供給公社の宇喜田第二住宅がある。 ここは、昭和46年(1971)に建てられた、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上12階、5棟(710戸)の団地である。 

201911250931300

201911250938510

201911250940250

・・・・・・・・・・・・・・12階から見下ろすと、写真中央奥に「第一三共 研究開発センター」の高層ビルが数棟、右端奥には「タワーホール船堀」の展望塔、左端奥には中川とその堤防上を走る首都高がある。

201911250935391_stitch



●隣接する公園 ・・・・・・宇喜田第二住宅から船堀街道に出ると都立宇喜田公園(北葛西3)がある。 野球場、草花広場など、身近なスポーツ、レクリエーションが楽しめる、広々とした公園である。

201911250952120

・・・・・・・・・・・・・・都立宇喜田公園の隣りに区立行船公園(ぎょうせんこうえん)がある。 両公園は一体化されてるようで、都立公園がスポーツ中心、区立公園が庭園・釣り堀が中心。、、、、行船公園は、昭和8年(1933)地元の府会議員田中源が、区民福祉の増進と生活文化向上のための公園用地として東京市に寄付したことにより開園。 行船の名は、田中家の屋号「行船」に由来する。 昭和25年(1950)には区に地上権・管理権が移管された。 昭和58年(1983)に無料で動物に触れられる「江戸川区自然動物園」が、平成元年(1989)には築山池泉回遊式庭園として「江戸川平成庭園」が、それぞれオープンした。、、、、今日の散歩の〆として、ユックリ庭園を散策。

201911251007340


201911250956480

201911250958000

201911250958250

201911250958330

201911250959100

201911251004580



●秀家とは無縁! ・・・・・行船公園の南側:葛西橋通りに「宇喜田」バス停がある。 今日は、ここから帰ることにした。、、、、ところで、「宇喜田」の地名は、“宇”田川“喜”兵衛新“田”を略したもので、戦国武将:宇喜多秀家とは一切無縁。 宇喜田の地は慶長元年(1596)、宇田川定氏によって開発された。 元は小松川地先の海辺であり、旧中川や旧江戸川の三角州の南端にあった萱(かや)生地・荒地だった。、、、、今日の散歩は、視界不良で靄靄(もやもや)だった。

201911251020060

2019年11月10日 (日)

厳重警戒を避け下町へ

「祝賀御列の儀」が執り行われる今日は、都内の警備は厳重と思われる。 警備も手薄でブラブラ歩いても怪しまれないよう下町へ。 京成押上線・都営浅草線の押上駅からJR総武線平井駅まで歩いてきた。 1万2千歩。




●チョイト、どいて! ・・・・・・・京成押上線と都営浅草線が乗り入れている押上駅から、散歩を始める。、、、、京成押上線の開業は大正元年(1912)11月3日。 昭和35年(1960)12月4日に都営地下鉄1号線(現:浅草線)が地下化した押上駅に開業し、京成押上線と相互直通運転を行う。、、、、現在の押上駅は島式ホーム2面4線で、それぞれのホームは上り下り別に使用。 地下ホームを造った昭和30年代にはスカイツリー建設の話は当然なく、今の賑わいは想定外だったようだ、日中の観光客が多くホームは日常的に手狭となっている。、、、、キャリーバッグを持った外人観光客が多く、『チョイト、どいてくれ!』と言いたくなるが、悲しいかな日本語しか喋れない、通じない。 ここは、ニッコリ笑って会釈して『お・も・て・な・し』

201911100812591

201911100813220

201911100814100

201911100808470

・・・・・・・・・・・・・・京成・都営の改札を出ると、スカイツリーへの入口、その先に東武・東京メトロの押上駅改札と続く。

201911100818520

201911100818310

・・・・・・・・・・・・・・地上に出れば、もちろんスカイツリーの足下だ!

201911100826460

201911100823050



●地蔵さんの還暦? ・・・・・・押上駅から四ツ目通り(都道465号)を歩き、東武亀戸線の踏切を越えると木造家屋の密集する京島地区。 今日は裏道・路地に深入りせず、サラリと通り抜ける。、、、、踏切を抜ける2両編成の亀戸線、、、、遊園地のビックリハウスを思い出させる傾いた家屋、、、、玄関軒下の赤い電球と大きな看板がチョイト懐かしい医院、、、、木造の長屋はこの町ではまだ多い、、、、緊急車両も入れない路地、、、、徐々に区画は整理され、不燃建築で建て替えられた、、、、リヤカーは健在か?

201911100843310

201911100847150

201911100848370

201911100850530

201911100851220

201911100851450

201911100852190

201911100856170

201911100857030

・・・・・・・・・・・・・・京島地区南端に近い原公園の中央に、「財がたまる」・「幸のたまる」田丸稲荷神社がある。、、、、公園の隣りには、京島地区のメインストリートである下町風情溢れるキラキラ橘商店街がある、賑やかな公園だ。 しかし、この公園は、昭和20年(1945)3月10日のアメリカ軍の空襲で亡くなった364名の犠牲者を仮埋葬した場所である。 平成元年(1989)3月、原公園の改修では遺骨や毛髪が出土したそうだ。 警察の鑑識により、戦後改葬されたはずの戦没者のものと判明し、慰霊堂へ合祀された。、、、、戦後間もなく地元有志により田丸稲荷神社の横に地蔵尊が建てられた。、、、、スカートはいて、赤いちゃんちゃんこを着て赤の大黒頭巾をかぶった、チョイト派手な地蔵尊。 ひょっとすると建立から60年の還暦かもね?

201911100901210

201911100901530

201911100902260



●アレ!お巡りさんがいない ・・・・・・・今日の祝賀御列の儀には、全国から26,000人の警察官が警備に動員されたそうだ。 ここ向島警察署からも大勢の警察官が警備に当たっていたのであろう。 普段は玄関前に立っているお巡りさんが今日はいない! 多分、動員され日曜出勤したのであろう、ご苦労様です。

201911100918230



●外廊下に弱いのだ! ・・・・・・旧中川に近い都営立花六丁目アパートに、チョイトおじゃましてみた。 昭和51年(1976)に建てられた、2棟(411戸)の都営住宅。、、、、上層階に上がってみたが、高所恐怖症の私は、エレベーターをおりるや、共用部分の外廊下に水勾配がついているのを足裏で感じ取り、チョイト、ゾク・ゾク~~としたら、もうダメ怖い~~! 早々と、階段で1階まで駆け降りた。

201911100942070

201911100956170


201911100949430

・・・・・・・・・・・・・・アパートから見る北の方向。 写真中央のはるか奥に葛飾区東四つ木で、綾瀬川に架かる首都高環状線の「かつしかハープ橋」が写っているのが判るかな? 手前の川は旧中川。

201911100951201_stitch



●お後は、こちら! ・・・・・・この後、北向地蔵尊平井橋平井諏訪神社燈明寺と巡り、最後は平井駅

201911100959490

201911101009370

201911101022480

201911101028170

201911101038420

2019年9月 3日 (火)

コレ!地蔵さま?

東大島にある荒川ロックゲートが見たくなり行ってきた。 都営新宿線東大島駅で下車し、大島小松川公園を抜け、荒川土手のロックゲートの開閉をジックリ見て、江東区東砂3丁目の生田神社まで南下し、神社からは東砂の町を北上し小名木川を越えて、東大島駅に戻る。 1万1千歩




●出口を間違えたら一大事! ・・・・・・・東大島の所在は駅長室がある江東区大島9丁目である。 『江東区と江戸川区の区境の河川橋上駅で全国でも珍しい駅』として、2000年に関東の駅百選に定められた。 同じような河川橋上駅として、東京では北赤羽駅がある。、、、、東大島駅は昭和53年(1978)12月21日に都営新宿線の駅として開業した。 駅は江東区と江戸川区の区境となっている旧中川の真上にホームがあるため、西側の大島口は江東区、東側の小松川口は江戸川区にある。 東西の出口を間違えて下車すると、川を渡って戻ることになり一大事! 今日の私は荒川に行くので、間違えずに小松川口から出た。

・・・・・・・・・・・・・昨年改修工事が終わり、明るく眺望が良くなったホーム。

1909030741200

1909030742580

1909030740340

1909030744040

・・・・・・・・・・・・・・こちらは、江戸川区側の小松川口。、、、、乗降客は反対側:江東区側の大島口の方が多いようだ。

1909030752540

1909030800280

・・・・・・・・・・・・・・川の上の駅、、、、『来年からは釣り人にホームを開放して、釣りをできるようにする』という話は、アリマセン!

1909030802590

1909030806440



●閘門を20分で通過! ・・・・・大島・小松川公園旧小松川閘門荒川ロックゲートの詳細は、こちら 2016/11/29の記事を見て!
・・・・・・・・・・・・・・東大島駅の南側で、東に荒川、西に旧中川に挟まれて都立の「大島・小松川公園」がある。、、、、公園の中央にはシンボル的に旧小松川閘門が、下半身を埋められ頭だけ出している。、、、、今日は昨夜からの雨で、公園は湿っぽく、雑草は茂り、暑さでムンムン・ムレムレ・ムシムシ。 空は一雨降りそうでムズムズ。 

1909030814120

1909030821130

・・・・・・・・・・・・・・荒川ロックゲートは、閘門を通れる大きさの船であれば、いつでも通行できるそうだ。 ただし、利用は平日の8:45~16:30で、無料。、、、、今日はチョウド8:45に、ここ荒川ロックゲートに到着した。 朝一番に通る船があり、閘門を通過する一部始終を見ることができた。 

              ① 8:40 荒川側のゲート前に到着

1909030824070

              ② 8:40 ローラーゲートが巻き上げられる
1909030824320

              ③      ゲートが上る
1909030824580

              ④ 8:40 ゲートの外(荒川)で待機していた船が閘門に入る
1909030826300

              ⑤ 8:43 閘門の両側のゲートが下ろされる1909030827560
              ⑥ 8:47 閘門内の水位を下げ始める。 荒川と中川の本日の水位差は2.3m





1909030831000
              ⑦ 8:47 水位が下がり始めた。 両側の壁が濡れて、水位の低下が判る

1909030831070

              ⑧ 8:51 荒川の水位に比べ2.3m低くなり、水位調整完了!
1909030835080

              ⑨ 8:52 旧中川側のゲートが上り始める
1909030836340

              ⑩ 8:54 ゲートは上がり船は出ていく。 約20分間の出来事だった。
1909030838270



●神社でUターン! ・・・・・・・荒川ロックゲートから裏道を歩き、江東区東砂3丁目の生田神社に出てきた。、、、生田神社は、当地開拓の際に旧太郎兵衛新田村の鎮守として慶安年間(1648~1651)に創建したと云われている。、、、、元禄初年(1688~1703)疫病のさい、里民当社に祈願し安全を得、特に産婦の安全を守護し、神徳を崇め遠近より参詣が多いそうだ。(私には、本当に参拝人が多いとは思えない)、、、、東大島駅からここまで歩いてきたが、雨粒が落ちてきた、チョイト寂れた商店街沿いに東大島駅に戻ることにした。 
1909030855550

●“地蔵”をイメージできない! ・・・・・・小名木川にくると、雨粒も落ちてこず、蒸し暑さが残るだけ!

1909030926300

・・・・・・・・・・・・・・川を渡り、大島8丁目に入ると宝塔寺がある。 真言宗智山派寺院の宝塔寺は、稲荷山小名院と号す。 宝塔寺は、慶長15年(1610)法印賢意が創建。、、、、境内に安置されている塩なめ地蔵は、もとは、小名木川沿いにあったものを昭和初期に移したものです。江戸時代に、小名木川や行徳道を通る商人たちが、この地蔵の前で休憩し、商売繁盛を願って塩を供えたのが由来と伝えられています。また仏前の塩をもらっていぼにぬると治るともいわれ、別名「いぼ取り地蔵」とも呼ばれていました。、、、、私は、どう見ても“地蔵”の姿をイメージできず、“アレ”をイメージしてしまう。 “アレ”に塩を供えると、何となくナメクジみたいに縮んでしまいそうだね!

1909030933350

1909030934250

2019年8月 7日 (水)

猛暑の浅間神社

連日の猛暑だが今日は特に暑い、朝7時半、我が家から外に出た瞬間、モワ~~とした熱気が身体を囲み、2分程の歩いて地下鉄の駅に着いた頃には汗が吹き出し始めた。 「アリャリャ、この暑さでは散歩は危ないかな?」 しばし悩み、なるべく涼しい電車に長い間乗って行ける新宿線の篠崎駅で降りることにした。、、、、と云うことで、今日の散歩は都営新宿線篠崎駅からJR総武線小岩駅まで、殺されそうな猛暑の中、1万3千歩の死の行軍。




●千葉県まで電車で2分! ・・・・・東京都の最東端に位置する駅が、都営新宿線の篠崎駅(江戸川区篠崎町)。 昭和61年(1986)9月14日、新宿線船堀~篠崎間延伸時に開業した。 その後、平成元年(1989)に新宿線が本八幡(千葉県市川市)まで延伸し中間駅となった。、、、、ホームは島式1面2線構造で地下2階にある。 駅ビルにはスーパーが入居しており、駅前には別のスーパー、パチンコ屋、薬屋などもあり、生活には便利そうな駅である。 駅からチョイト外れると静かな住宅街となる。 都会の駅でもなく、田舎の駅でもなく、特徴が見つからない駅。

1908070758270

1908070802380

1908070756490


1908070807410

1908070822010

1908070813530




●駅から徒歩2分、静かです! ・・・・・・・篠崎駅前も暑い! 早速「ソルティライチ」を買い、身体を冷やす。 イザ、北に向かい暑い暑い行軍開始! 

・・・・・・・・・・・・・・診療開始は9時から、只今8時20分、まだ40分前。 ここは名医なのか? それにしても、この行列、並んでいる間に体調が悪くなっても、診てもらうからいいか!

1908070819420

・・・・・・・・・・・・・・駅前から徒歩2分、駅前通り鹿骨街道ともに、人通りは少なく、マンションが建ち並ぶ住宅地。

1908070824580

1908070827530

・・・・・・・・・・・・・・早くも、ママチャリの後ろでグッタリした熊を発見! 頭の上にはウンコ!?

1908070831160

・・・・・・・・・・・・・・この道は、上篠崎2丁目の商店街「ニコニコ奉仕会」 会員店舗数は22店舗の完全地域密着型商店街。 

1908070830590

1908070833440

・・・・・・・・・・・・・・目の前に広がる畑、ここは上篠崎1丁目。 200m程東に行くと江戸川の川底だ! 写真:奥の民家の後ろの森は浅間神社。

1908070842241_stitch



●お好みの神様がお出迎え! ・・・・・・上篠崎1丁目、江戸川を背にする大社:浅間神社。 天慶元年(938)5月15日に創建された江戸川区内では最古の神社。 祭神は木花開耶姫命。 境内は広く、社殿は数メートル程の小山の上に鎮座している。、、、、摂社に下浅間・下浅間御嶽宮・香取・天満宮・八幡・白髭・天祖・須賀・稲荷・霧島・水神・弁天・靖国宮・道祖神など、境内社が14社もある神様のデパート。 ついでに、昭和40年創立の幼稚園もある。 多角経営の神社。、、、、境内は約4000坪で、樹木が鬱蒼と茂る「浅間さまの森」にある。

・・・・・・・・・・・・・・・表参道から参拝する。 参道脇には、2年に1回行われる「
幟祭」に使用する丸太が置かれてる。 幟の大きさは12間(21.72m)で日本一の大きさと云われている。 祭りでは、この幟が10本立てられるそうだ。、、、、高さ30mの杉丸太を人力で立てる作業は一度見てみたいものだ!

1908070845450

1908070846270

1908070847110

・・・・・・・・・・・・・・鳥居をくぐると広い境内が現れる。 その正面の小高い処に浅間神社が鎮座する。 小高い山を富士山に見立てている。 祭神の木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)は、最も美しい神様と言われており、安産、火防、子育ての神様。、、、、速報で知ってれば、滝川クリステルの安産を祈ってきたのに、残念!

1908070847570

1908070851390

1908070852430

1908070853300

・・・・・・・・・・・・・・境内社の一部をご紹介。 天満宮、御嶽宮、稲荷、天祖神社・須賀神社

1908070856330

1908070857570

1908070859070

1908070850540



●公園に変わった畑! ・・・・・・都立篠崎公園上篠崎1丁目にある約28haの広大な都立公園。 芝生公園、バーベキュー広場、児童遊園、野球場、テニスコート、壁打ちコート、河川敷には10数面のサッカー場がある。、、、、公園の起源は昭和15年(1940)に紀元2600年の事業のひとつとして計画された防空大緑地である。 戦時中は高射砲陣地などか置かれていた。 当初は面積約154haの大緑地帯であったが、当時は 公園として整備されていたのではなく多くは農地などに転用されていた。 戦後再び当地を公園にする計画があがったが、付近の都市化・宅地化の流れが進んでいたこともあって計画は縮小された。 公園としては昭和42年(1967)に開園。、、、、あまりの暑さのせいか、公園を歩く人は数人。 木陰に入っても今日の暑さは効果なし、暑い!

1908070918460

1908070912300

1908070919310



生還した、暑い、暑い散歩! ・・・・・・篠崎公園を抜けた頃、いよいよ熱中症が心配になってきた。 水分補給し、首に濡れ手拭、意識が正常かセルフ・チェック、足のふらつきもチェック、“まだ、正常だ、生きている” 小岩駅に向かい頑張るぞ!

・・・・・・・・・・・・・・北篠崎2丁目会館の脇にある石仏と庚申塔。 どれも年代物。
 
1908070920500

・・・・・・・・・・・・・・篠崎の地元のせんべい屋さん。 瓦せんべい、あられ、など、多種類のせんべいの製造元で、お安く買えるそうだ。

1908070925100

・・・・・・・・・・・・・・住宅地に点在するビニールハウス。 篠崎にはまだ農業が残っている。

1908070930250

・・・・・・・・・・・・・・まだ生きてる、気も確かだ! どうにか、千葉街道に出てきた。 駅まではあと15分、「死ぬなよ!」と自分に言い聞かせる。
1908070955380

・・・・・・・・・・・・・・小岩駅南口正面に出る「昭和通り商店街」を歩き駅に向かう。 太陽は頭上に居るのか、建物の陰が無い! 

1908070958060

1908071005390

1908071010050

・・・・・・・・・・・・・・小岩駅に生きて到着。 身体じゅうから汗が吹き出している!、、、、JR総武線で帰る。

1908071012140

2019年8月 5日 (月)

一之江のお寺

都営新宿線の一之江駅で下車し、一之江・西一之江の寺社を巡りながら南から北へ歩き、西一之江二丁目バス停まで、1万1千歩の散歩です。

・・・・・・・・・・・・江戸川区一之江(いちのえ)・西一之江の町は、現在の江戸川区のほぼ中央部に位置する。 葛飾区高砂付近で中川から分流した新中川(旧:中川放水路)がJR総武線の新小岩と小岩の中間(上一色付近)で江戸川区に入り南へ流れ下り、浦安市のチョイト北側で旧江戸川に合流する。 その新中川の右岸に広がる町の一つが一之江・西一之江である。



●都内のベッドタウン? ・・・・・・都営新宿線「一之江駅」は、昭和61年(1989)9月14日に開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅で、東京交通会館所有の駅ビルの下にある。 駅の乗降客数は一日に平均44,000人である。 若い人も多そうだ、ベッドタウンだな!

1908050752160

1908050754520

1908050759140

 

●中山法華経寺末の三寺 ・・・・・・日蓮宗の三寺(感応寺、長勝寺、妙覚寺)が並んでいる一之江。

・・・・・・・・・・・・・・一之江駅前の環七通りを横断し西へ歩くと住宅地の奥(一之江7)に、一之江白鬚神社がある。 一之江白鬚神社は、江戸時代に東一之江村の名主宇田川源蔵の祖先と、伝左衛門とが祭神:猿田彦大神を勧請し創建した。、、、、猿田彦珈琲とは無縁と思われる小さな神社。

1908050811180

1908050816210

1908050815430


・・・・・・・・・・・・・・一之江白鬚神社から住宅地の曲がりくねった道を進むと、立派な寺の前に出た。、 日蓮宗寺院の感応寺である、江久山蓮光院と号す。 感応寺は、元久2年(1205)に建立した真言宗寺院を、正応元年(1288)日蓮聖人が日蓮宗寺院に改めて開山したと云われている。 日蓮が真言宗の寺を乗っ取った!、、、、本堂、鐘楼堂、客殿、庫裡などすべての堂宇は、平成20年(2008)に再建したので、綺麗な寺である。 境内は大きな松の古木を移植し、更に植樹を加え、広々とした空間が創られ癒される庭園となっている。

1908050822070

1908050824540

・・・・・・・・・・・・・・感応寺の北側200m程(一之江6)に、日蓮宗で利栄山善学院といって中山法華経寺の末であった長勝寺がある。 長勝寺は、妙覚寺の日住上人の弟子善学院日信が開山となり、天正11年(1583)に創建した。 この寺の位置が、妙覚寺と感応寺の中間にあるので「中寺」と呼ばれていたそうだ。 本尊として一尊四士と鬼子母神を祀っている。 、、、、青空に映える寺。

1908050828500

1908050833070

・・・・・・・・・・・・・・引き続いて、長勝寺の西隣に、これまた、日蓮宗で金鳥山等覚院と号す、もと中山法華経寺の末の妙覚寺がある。 弘安7年(1284)等覚院日全上人の開山した、700年の歴史を有す古刹。、、、、境内には妙見堂もあり、菩薩が祀られている。 勝負事、眼病、安産、縁結びに御利益があるそうだ。 私も懇ろに手を合わせてきた。

1908050836420

1908050839020



●コイが泳ぐ親水公園! ・・・・・・妙覚寺の裏には「一之江境川親水公園」がある。 一之江1丁目1番、船堀7丁目1番を終始点とする旧一之江用水暗渠上に、江戸川区内3番目に造られた親水公園。 多くの区民からの「自然に近い水辺を」という声に応えたもので、季節の移り変わりを楽しめ、豊かな自然を満喫できる。 多くの区民が毎日公園を清掃し、いつ来てもゴミの無い綺麗な親水公園を歩くことができる。 水質も綺麗で、コイが泳ぐ処もある。 夜は若い二人の恋が泳いでいるかも?、、、、今日の散歩は、南から北へ親水公園沿いに歩く。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、妙覚寺裏、一之江境川親水公園と今井街道の交差する地点に保存されている「城東電車線路」、、、、城東電車は大正2年に創立し、江戸川線は大正14年(1925)に東荒川~今井間で開通した。 車両が1両で「マッチ箱電車」と呼ばれたり、発車合図の発車ベルの音から「チンチン電車」と呼ばれ、昭和27年(1952)まで運行していた。 城東電車の廃止の翌日より、無軌道電車(トロリーバス)が今井街道をはしり、昭和43年(1968)までの約17年間運行されていた。、、、、トロリーバスは上野公園でよく見ていたが、乗った記憶が無い、一度は乗ってみたかった!

1908050846070

1908050846370

・・・・・・・・・・・・・・一之江5丁目と西一之江3丁目の境となっている親水公園。、、、、道路中央に流れる用水跡に整備された親水公園、、、、コイが泳ぐ、、、、花も咲く、、、、見えないけれど蚊も飛んでいる

1908050851480

1908050853090

1908050854190

1908050850000

・・・・・・・・・・・・・・親水公園沿いに、、、、農家の小屋が残っていた、、、、八幡さま、水神宮など神様も点在する、、、、地主のモダンな建物は玄関前に高そうな庭石がゴロゴロ、、、、別な地主は門構えが立派で主屋が見えない

1908050859550

1908050901430

1908050904350

1908050908120

・・・・・・・・・・・・・・一之江5丁目の妙音寺は真言宗豊山派で医王山不動院と号す。 建久元年(1190)開山といわれ、区内でも有数の古刹です。 本尊は木造十一面観音立像で桃山時代の作と云われている。(私は拝見したことがない)、、、、寺に残る「片目の鮒の伝説」とは、むかし、ひとりの目の不自由な娘がいた。 その娘は、目を治そうと、妙音寺の薬師如来に21日の願をかけ、食を断って祈願した。 すると満願の日に、目が見えるようになった。 娘はお礼にと薬師の池にたくさんの鮒を放ったところ、鮒は全て片目になったと云われている。 今の時代なら「ナニコレ珍百景」で“登録”間違いなし!

1908050909500

1908050912520

・・・・・・・・・・・・・・一之江境川親水公園は環七通りと首都高7号小松川線が交差する「一之江ランプ交差点」に出てきた。、、、、 ここには水神宮が祀られ、、、、公園の表示もある

1908050933410

1908050931370

1908050932550



●命あるうちに帰ろう! ・・・・・そろそろ、頭の天辺が暑くなってきた、まだ舌のシビレはない、まだ自分の名前が言える、水分は「ソルティーライチ」を2本飲んだから十分だ! いまなら、救急車に乗らずにバスで帰れる! 京葉道路「西一之江交差点」に出たので、ここからバスで最寄り駅まで行くことにする。、、、、本日の散歩はココまで! 

1908050956060

1908051000160

より以前の記事一覧