品川区

2021年12月 7日 (火)

残された退助

JR山手線でたった一駅間、大崎駅から品川駅まで歩いてきた。 ほぼ線路沿いに歩いたのだが、寄り道が多かったのか、1万2千歩の散歩となった。




● 品川駅は港区高輪にあり、目黒駅は品川区上大崎にある、これは有名な話。 では、大崎駅は品川区大崎にあるので『面白くない!』と思ったら、明治34年2月25日の駅開業時には、現在地の住所は“大崎町大字居木橋(いるきばし)”であった。 10年後の明治44年に開業した隣の五反田駅の当時の住所は“大崎町”であった。 当時“大崎町”の中心は、“上大崎”と呼んでいた目黒・五反田の辺りである。 本来“大崎”と名のるべきは五反田駅で、大崎駅は“居木駅”が妥当かな?、、、、以上、どうでもいい話!、、、、私は、朝7時半、「大崎駅」に下車し、散歩をはじめる。

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● 山手通りが目黒川を渡る橋、品川区大崎と北品川を結ぶ橋を、「居木橋(いるきばし)」という。、、、、橋名の由来は判らない?

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リニア中央新幹線工事現場、、、、、品川駅から大崎駅方向に向かう山手線・東海道新幹線と、大井町方向に向かう京浜東北線・東海道本線と、目黒川・山手通りに囲まれた三角地帯に、上空から見るとポッカリと大きな穴があいた工事現場がある(Googleマップの航空写真を見てね!) ココが、JR東海が工事中のリニア中央新幹線の工事現場で、穴(立坑、直径約36m、深さ約90m)は「北品川非常口」で、ほぼ完成している。 この立坑から「第一首都圏トンネル(北品川工区)」の掘削も行われている。、、、、仮囲いで覆われた現場は見ることも難しく、現場前の歩道橋、隣の墓地と、場所を変え・苦労して、穴の一部が撮影できた! 

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・・・・・・・・・・・・この現場のある処は、官営品川硝子製造所跡で、現在は工事現場の角に「近代硝子工業発祥の碑」がある。 説明書きによると、『日本における近代硝子工業発展のもとになったのは、明治6年に東海寺境内に創設された興業社である。興業社は、明治9年に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。 

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● 東海道本線とリニア中央新幹線工事現場の仮囲いに挟まれた狭い参道を進むと、三角地帯の先端に「東海禅寺大山墓地」がある。 ここには、沢庵和尚墓(国指定史跡)、賀茂真淵墓(国指定史跡)、井上勝墓、島倉千代子墓などが眠っている。

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・・・・・・・・・・・・・「沢庵の墓」は、自然の丸石を置いただけの無字の墓石で、人柄を窺わせる。 小堀遠州の設計といわれ、台石の上に直径1m、高さ50cmほどの大石を置き、周りに高さ約50cmの玉垣を巡らせただけの、凡そ正規の墓制にはない形だ。 これは本人の遺言だそうで、まさに沢庵漬けの漬物石だ。 沢庵最後の洒落か(?)

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・・・・・・・・・・・・「賀茂真淵の墓」は自然石である。 彼は元禄10年(1697)遠江国岡部新宮の禰宜の家に生まれる。 享保8年(1733)京都に上り荷田春満(かだのあずままろ)の門に入って神道国学を学び、国学を復興する。 後に江戸に下り、御三卿の田安家に召し出され優遇される。 その教えを受けた者300人を超えるそうだ。 後世、荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに〝国学の4大人(うし)〟と称される。明和6年(1769)に没し、東海禅寺塔頭少林院に神式で葬られた。

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・・・・・・・・・・・・「井上勝の墓」(鉄道記念物)は、墓地の北端で東海道新幹線を見守るように、自然石に「正一位勲一等子爵井上勝」と刻んである。初代の国鉄総裁で、鉄道の父と言われてる。 東京駅前に銅像が建っている。

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・・・・・・・・・・・・新幹線を見る井上勝の墓を見つめるように、「島倉千代子の墓」がある。 流雅之のデザインによるモニュメントのような墓。 今日は「藤あや子」、「坂本冬美」と書かれた生花が手向けられていた。

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● 東海禅寺墓地へ行ったら、近くの東海禅寺に寄らねばならない。、、、、臨済宗大徳寺派の「萬松山東海寺」は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山した。 寺領5,000石、境内地4万7000坪の別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭でだった。 明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至っている。

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● 第一京浜(国道15号)に出ると、国道に面する小高い丘の上に「品川神社」がある。、、、、品川神社は、文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建された。 天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜わる。 明治時代には准勅祭社の一社に、現在東京十社の一社に指定されている。、、、、現社殿は昭和39年(1964)に再建された

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・・・・・・・・・・・・品川神社社殿の奥に、かつて100円札のモデルであった、軍人・政治家の「板垣退助の墓」がある。 墓地は品川神社の境内ではないようだが、境内から行かないと墓地に辿り着かない! 神社では、板垣退助の墓について説明も、道案内もない。、、、、品川神社の隣り、板垣退助の菩提寺があったが、墓を残したまま移転してしまったらしい。 哀れな退助!、、、、『板垣死すとも自由は死なず 』 『坊主去れども墓石は残る』

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京急電鉄の品川駅地平化ならびに北品川駅の高架化工事が始まる、、、、工事では、品川駅の再開発に伴い、京急品川駅をJR品川駅と同じ高さに地平化し、客の動線をスムースにする。 また、北品川駅を高架化し八ツ山橋付近の踏切を撤去する。、、、、工事が始まったようだ、撮影し記録に残しておこう!

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品川駅にたどり着く直前に降ってきた。 カメラも濡れて、チョイト心配。、、、、今日の散歩はここまで!

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2021年12月 5日 (日)

拾うんじゃなかった!

都営浅草線戸越駅からJR山手線大崎駅まで、9千歩の散歩です。




● 昨日の続きで、都営浅草線「戸越駅」で下車する。、、、、戸越駅は、昭和43年(1968)の都営1号線(現:浅草線)西馬込~泉岳寺間開業時に設けられた駅。 この区間の開業によって浅草線は全通した。 ホームは島式1面2線構造で地下2階、改札は地下1階。、、、、近くには、戸越銀座商店街に面する東急池上線の戸越銀座駅(昭和2年開業)がある。 戸越銀座駅から約200m離れているが、こちらも商店街に近い戸越駅は“銀座”を付けず名乗るのみ。

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戸越銀座商店街は、東急池上線の「戸越銀座駅」に接する、全長約1.3kmにわたる関東有数の長さを誇る商店街で、3つの商店街振興組合で構成されている。 商店街沿いには約400件の店舗が軒を連ね、生鮮三品を扱う店も多い、地元密着型の商店街だ。 大正12年(1923)の関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の下町や横浜方面の商業者たちが、当時発展の著しかった大崎周辺の工場地帯であるこの地に活路を見出して集まってきたことと、昭和2年に東急池上線「戸越銀座駅」が開業し、それまで散在していた周辺の商店が駅を中心に集まってきたことで、戸越銀座商店街が形成されてきた。、、、、朝8時前の商店街は、どこの店もまだ熟睡中! シャッターの下りている商店街を延々1㎞以上歩くのは面白くないので、商店街の裏を歩くことにした。

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● 商店街の南側(戸越2-1)に「戸越銀座温泉」がある。 数人の客が8時に開く、日曜の朝風呂を待っている。、、、、美人の湯として愛される天然黒湯温泉で、入浴料は460円、これは安い!、、、、昭和35年(1960)に創業した銭湯「中の湯」が、平成19年(2007)にリニューアルし、モダンな戸越銀座温泉に生まれ変わったそううだ。

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● 戸越銀座温泉から南東へ200m程の処にある「戸越八幡神社」に寄ってみた。、、、、鳥居をくぐり、拝殿へ、アレ? 変なのがある? 「仮拝所」と書いてある? 聞いたら『只今、御社殿は改修工事中』 仮拝所の後ろで、安政2年(1855)に落成した総欅造りの社殿の改修工事が行われていた。

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・・・・・・・・・・・・戸越八幡神社の隣りには、浄土宗寺院の「八幡山成就院行慶寺」がある。 行慶寺は、もと戸越八幡神社の別当であった。 大永年中(1521~1527)の創建。、、、、只今、モミジが色づいてます

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● 戸越八幡神社から南へ100m、「文庫の森公園」がある。 国文学研究資料館跡にできた品川区立公園。 元々は三井家の修史事業のために設立された「三井家編纂室」が、日本橋から「三井文庫」としてこの地に移転したのが始まりの「文庫の森」。 この地は、江戸時代には熊本藩細川家の下屋敷だった場所だ。、、、、池では水鳥が寒そうに泳いでた!

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・・・・・・・・・・・・公園内には「旧三井文庫第二史料庫」(国の登録有形文化財)の建物が残されている。 建物は大正11年(1922)に完成した、鉄筋コンクリート造3階建て。

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● 文庫の森公園から、再び戸越銀座商店街に出て。今度は商店街の北側の裏道を歩いた。 ここからは、19/2/8に歩いたルートを逆に歩いてきた。、、、、西品川三丁目石造庚申供養塔」、「貴船神社」、「文政11年(1828)銘の道標」、「大正六年銘道標 」と巡る。

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● 品川方面に歩いて行こうと思い、百反歩道橋を渡ると、可愛らしいポシェットを拾ってしまった。 中には、児童スポーツ教室の会員証と会費の領収書だけ。 拾った所に置いて行こうと思ったが、会員証に親の名前と児童の名前さらに住所に電話番号が画いてある。 コリャ、個人情報がヤバそうだ!と思い、拾ったことを電話で知らせてやろうと掛けてみたら。 留守のようだ! 拾った私が、どうしたものか困った! ヨシ、交番に届けておこうと、交番探すも見つからない。 人に訊ねると、大崎駅前にあると教えてくれた。 やれやれ、品川方面へ歩く予定が逆戻りだ! 交番を探し届けると、今度は書類を書いて、状況説明、ナンダカンダで30分のロス! 拾わなければ良かった!!!、、、、散歩を継続する気分は薄れ、帰る!

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大崎駅から帰宅、、、、気持ちは疲れた!

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2021年12月 4日 (土)

夢見る白蛇

JR大森駅から、北の方角(山手線の駅に向かい)に歩いてみようと、裏通りを歩き都営浅草線の戸越駅まで、1万歩の散歩です。




大森駅から今日の散歩を始める、、、、今日は、どこか山手線の駅まで歩いてみようと思い、大森駅は山王北口から出ることにした。 出口はホーム北端の階段上にある。 池上通りに面する山王北口は、雑居ビルの入口のような構えで、またJR東日本のコーポレートカラーである緑の駅名表示がないので、駅入り口とは思えない。

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● 大森駅山王北口から250m程の処にある山王交番前交差点から北に入る裏通りがある。 交差点角には、明治・大正の政治家:井上馨の別荘地を譲り受けて開校した現在の「大田区立山王小学校」(大田区山王1)がある。 山王小学校には何度か来たが、地図を見ると、この小学校前の裏通りは大田区山王、品川区西大井の町を北に向かって伸びている。 何となく旧街道の雰囲気が漂う道だ『決めた! 今日はこの道を歩いてみよう!』、、、、ということで、この無名(?)の裏通りを道なりに歩いてみた。

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・・・・・・・・・・・・商店街として名があるわけではないが、道沿いにはシャレた店舗が点在し、大森駅へ向かう通行人も多そうだ!

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・・・・・・・・・・・・山王交番前から400m程歩くと、大田区山王から品川区西大井の町になる。 西大井に入ると、道幅はさらに狭くなるが、旧街道のような雰囲気は残ってる。 チョイト古びた家もある。

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・・・・・・・・・・・・西大井4丁目に入ると道幅も多少広く、車は交互通行可能となった。、、、、横道の奥に赤い鳥居が見えた。 昭和10年(1935)にこの地に祀られた「金子山稲荷神社」という小さな神社。 地元の文化財。

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・・・・・・・・・・・・道の先には東海道新幹線の高架橋が見える。 新幹線の下では、切通しの中を横須賀線が走る。 頭上に新幹線、足下に横須賀線の三重構造。 その切通しに架かる「金子跨線橋」を渡ると西大井5丁目。、、、、おそらく、この跨線橋は昭和39年(1964)の東海道新幹線開通以前に架け替えられたものと思われる。

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・・・・・・・・・・・・新幹線の下をぬけ200m程歩くと、「品川区立伊藤小学校」がある、、、、明治の元勲である伊藤博文は、晩年、現在の西大井付近に居住し、別邸・墓所も近くにあったことから、町名を「大井伊藤町」とした。 その伊藤町に昭和11年(1936)に開校した小学校で、東京市伊藤尋常小学校と命名された。 大井伊藤町の町名は昭和39年(1964)に西大井となる。、、、、地名として、“西大井”より“伊藤”の方が歴史を感じる、復活できるといいね!

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・・・・・・・・・・・・伊藤小学校の先、西大井5丁目で歩いてきた裏通りはT字路にぶつかり、『道なりに』はココまで!

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● 西大井の町から進路を北へ! 品川区二葉の町に入ると「蛇窪神社(天祖神社)」の前に出た。、、、、私の大嫌いな“ヘビ”の神社。 寄って行こうか、素通りするか、決断の時が来た! 神社の前で躊躇すると、若い娘が二人鳥居をくぐる。 これで決まり、寄って行こう!、、、、蛇窪天祖神社は、文永8年(1272)以降、当地蛇窪村を開拓した北条四朗左近太夫陸奥守重時五男の時千代の家臣が、元享2年(1322)の旱魃時の雨乞祈願による降雨を感謝し、蛇窪村の鎮守として創建された。 江戸期に入り、蛇窪村は上蛇窪村と下蛇窪村は分村したが、当社は上蛇窪村の鎮守となり、下蛇窪村には下神明天祖神社が創建された。

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・・・・・・・・・・・・撫で撫でしたくない「撫で白蛇」 これを撫でたら、今夜夢見る気がした、怖いのでやめておく!、、、、この他に、白蛇清水の銭洗い所、境内社の蛇窪龍神社、白蛇弁財天社など、ヘビ尽くし。 コリャ、本格的に夢見るかもね?

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● 早々に蛇窪神社の参拝を終え、裏通りを北へ向かうと、戸越6丁目に「子育て地蔵」という地蔵様を祀ったお堂がある。 昭和初期までは、この地蔵様は今の処より少し南にあり「首なし地蔵」と呼ばれていた。、、、、江戸時代から明治時代にかけて、この地蔵様は願かけ地蔵として評判を呼び、願いをかける人が地蔵様の首を畑のあぜに転がしたり、ときには胴体も倒し、願がかなったときに元通りにするという、変わった風習があった。 ところが、願掛けしたが叶わなかったためしばらく首がない状態が続いた。 大正末期になって、地蔵様の熱心な信者だった目黒の植木職人が、「このままでは、地蔵様がかわいそうだ」と他の首をつけた。 その後、願かけのために首を外す習わしはなくなり、今では子育て地蔵として慕われている。

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● 東急大井町線の戸越公園4号踏切を越える、、、、戸越公園付近では、鉄道の立体化が求められており、都・区などで基本計画がまとめられているそうだ。

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国道1号の地下に都営浅草線「戸越駅」がある。、、、戸越駅は、昭和43年(1968)11月15日都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、近くに有名な戸越銀座商店街があるが、駅は商店街とは無縁なのかあまりパッとしない造りである。

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2021年11月11日 (木)

海舟のお気に入り

今日は、東急目黒線武蔵小山駅から歩き始める。 行きついた先は、東急池上線の洗足池駅。 ココまで、1万2千歩の散歩です。




● 目黒線の「武蔵小山駅」は、大正12年(1923)3月11日に、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部駅)間を開業させた時に小山駅として同時開業した。 大正13年(1924)に武蔵小山駅に改称。 平成18年(2006)に地下化し、平成22年(2010)に駅ビルが開業。 島式ホーム2面4線を有する地下駅。、、、、駅名は地名に由来する。 近隣の小山八幡神社にちなんで、開業当初は「小山」だったが、同名駅がすでに東北本線に設置されていたため、旧国名“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」となった。、、、、すれ違う通勤通学客を見ていると、下町の駅とは違う雰囲気を感じる。 特に女性は、チョイト、美しさを感じる!

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● 駅前のロータリーに出て、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 とりあえず、人が流れて来る駅前の商店街を歩くことにした。、、、、駅の南側から南東方向に伸びる「武蔵小山商店街(パルム)」は、かつて「東洋一のアーケード街」と謳われたそうだ。 約800mのアーケードには約200軒の店舗が並び、日中は相当のにぎわいらしい。 今日は、まだ朝8時前、商店街を駅に向かって歩く人は多いが、開いている店は少なく、多くはシャッターが下りている。 見るべきものもない商店街は歩いていてもつまらない。 商店街中程から、横道にそれた。

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● 武蔵小山商店街から右(南西方向)に折れると「栄通り」の表示がある“商店街”とは言いづらい道があった。 こちらの通りの方が自分の性に合っている。 『ヨシ、この道を道なりに行けるとこまで行ってみよう!』、、、、品川区荏原の町を、4丁目、5丁目、6丁目と貫いている裏通り。 最後はチョイト旗の台1丁目に首を突っ込んで中原街道(都道2号)で終点となった。 「栄通り」の表示は4丁目部分だけであった。

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・・・・・・・・・・・・旗の台1丁目、中原街道(都道2号)に出る処(昭和大病院前交差点)に庚申供養塔と札場の跡がある。

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・・・・・・・・・・・・「旗の台一丁目石造庚申供養塔」は案内板によると、『中原街道から分かれて小山に至る旧道の分岐点にあり、寛文五年(1665)旧中延村の庚申講中が造立したもので、区内現存の庚申塔50基のうち3番目に古い。中央に「南無妙法蓮華経」の髭題目を彫り、その下に石塔を造立した7名の氏名が刻まれている。本塔は高さ92cm、板碑型で材質は安山岩、向かって右上部に一部欠損がみられるが、保存状態は概して良好である。日蓮宗の影響か、青面金剛、三猿、日月が彫られていない文字塔として特色がある。全村のほとんどが日蓮宗といわれる中延村に、日蓮宗の僧が指導したと思われる庚申講の存在を示す資料として貴重である。  平成13年3月30日  品川区教育委員会 』と記されている。

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・・・・・・・・・・・・庚申塔と旧道を挟み向かい側に、ズングリムックリした形の「札場の跡」がある。 ここは昔、高札場だったところで、石碑が据えられてる。 中原街道沿いの、この辺りは江戸時代から大正時代まで「札場」と呼ばれていた。 高札場は、江戸時代、幕府や領主が法度(法令・禁令)などを立て札に書いて掲示した場所だ。、、、、今は交通量の多い中原街道沿いに、ひっそりと静かに立つ石碑に、家康が行き来していた時代の歴史を感じる。

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● 中原街道を歩き「旗の台交差点」を過ぎ、坂を上がった右手に「日本聖公会三光教会」がある。 三光教会は、大正元年(1912)11月2日芝白金三光町の地で、聖ステパノ教会、聖十字教会、喜望教会の三つの教会が合同、一つの教会として誕生した。 「三光」という名前は「白金三光町で生まれた教会」という意味に加え、三つの教会が合同した教会ということにも由来しているそうだ。 昭和15年(1940)に現在の品川区旗の台に移った直後、戦火により礼拝堂は焼失した。 昭和29年(1954)に礼拝堂は再建。 平成22年(2010)に入口部分を残して建て替えが行われ、三廊式の礼拝堂として献堂された。 100年以上に至る歴史ある教会。、、、、教会の隣りには中高一貫の女学校「香蘭女学校」がある。 香蘭女学校は、英国聖公会主教により創られ、伝統をもつミッションスクール。 キリスト教信仰に基づいた女子教育を旨とし、三光教会とは親戚ともいえる学校です。、、、、残念ながら香蘭女学校には入れなかったが、教会には入れてもらえた。 厳粛だが、新しさっも感じることができる、歴史ある教会。

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● 中原街道を歩き、東急大井町線の「中原架道橋」をくぐり、環七通りと交差する「長原陸橋」をくぐると、品川区から大田区に入ったことになる。

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● 洗足池公園の一角に、勝海舟夫妻の墓所、南洲留魂詩碑、勝海舟記念館があるので、チョイトお立ち寄り。

・・・・・・・・・・・・洗足池公園は、大田区南千束にある洗足池を囲む区立公園。 洗足池は、 武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、 昔は灌漑用水としても利用された。 江戸時代には、初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地として知られていたそうだ。 昭和3年(1928)に池上線が開通すると、公園として整備された。

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・・・・・・・・・・・・勝海舟は池上本門寺に本陣を置いた西郷隆盛をしばしば訪ね、国の将来などについて語り合ったそうだ。 その時の洗足池の風光が大層お気に入りとなり、池の畔に別荘を建て「洗足軒」と呼んだ。 さらに、この地を自身の埋葬地と定めたそうだ。 「勝海舟夫妻の墓」は海舟の遺言によって建てられた。、、、、勝海舟は明治32年1月19日に死去。

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・・・・・・・・・・・・海舟の墓の隣りには、西郷隆盛(南洲)を悼み、表面に西郷の作詩を、裏面に勝海舟の西郷への述懐が刻まれている石碑「南洲留魂詩碑」がある。 明治12年(1879)、勝海舟が自費で南葛飾群木下川の浄光寺に建立した石碑。 大正2年(1913)荒川放水路の開鑿工事があり、碑祠のある浄光寺が河川敷になるに及んで現在地に移した。、、、、風化したのか読みにくい!

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・・・・・・・・・・・・南洲留魂詩碑の隣りには、昭和12年(1937)に数名の有志が計画し、海舟を師と仰ぐ徳富蘇峰に詩を書いてもらい建立した「南洲海舟両雄詠嘆之詩碑」がある。、、、、こちらは、文字の判読はできたが、内容は? 漢詩は難しい!

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・・・・・・・・・・・・勝海舟の墓の近くには、海舟没後その海舟に関する資料などを収集・閲覧・講演する目的で、(財)清明会が昭和8年(1933)に建てた「清明文庫」の建物がある。 正面玄関から立ち上がる4本のネオゴシックスタイルの柱型やアール・デコ調の建具などに特色がある、国の登録文化財。、、、、大田区は鳳凰閣(旧清明文庫)を勝海舟記念館として整備し、公開している。 海舟ファンにとっては必見の場所!

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● 洗足池公園の前(南側)に中原街道を挟んで、東急池上線の洗足池駅がある。

・・・・・・・・・・・・洗足池駅に行く前に、チョイトお立ち寄り。 駅の横50m程の処に、東京で一番低い桁高(?)のガードがある。 車はもちろん通れない、人間は腰を曲げて頭を下げて通るだけ。 桁高は1.5~1.6mぐらいか。路面は砂利。

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・・・・・・・・・・・・「洗足池駅」は昭和2年(1927)8月、池上電気鉄道洗足池駅として開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。、、、、昭和の匂いが残る駅。

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2021年11月 6日 (土)

寄生虫はまだ寝てる

JR目黒駅で降り、『さて、どっちへ歩こうか?』 考えた後の結論は、『久しぶりに、大鳥神社の先にある目黒寄生虫館に行ってみよう!』 目黒駅から、行人坂を下り、大鳥神社に参り、目黒寄生虫館へ、その後、目黒不動尊へ参り、東急目黒線武蔵小山駅まで、1万1千歩の散歩です。



● 土曜の朝、サラリーマンの多くは休み、目黒駅は近くの私立中学・高等学校に通う生徒でいっぱい。ただいま通学時間だ! 聞こえる会話は勉強の話ではなく、何かのゲームの話。 後ろから一人仲間に入らずついていく生徒もいる。 いろいろな生徒がいるが、みんな楽しそうに学校へ向かう。

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● 目黒駅から西の目黒雅叙園に向かって下る坂道がある。 その名は「行人坂(ぎょうにんざか)」、長さ210m程の急坂(平均斜度7度)だ。 坂上は品川区、坂下は目黒区になる。、、、、名前の謂れは、『行人坂  寛永の頃、出羽(山形県)の湯殿山の行人が、このあたりに大日如来堂を建立し修行を始めました。 次第に多くの行人が集まり住むようになったので、行人坂と呼ばれるようになったといわれています。』と、目黒区教育委員会名で案内板がある。

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・・・・・・・・・・・・行人坂の中程、大円寺の門の東脇の小堂に「目黒川架橋供養勢至菩薩石像」がある、、、、案内板によると『小堂の中にある石造物は3段の台石を含め総高190㎝で、一番上は蓮華座の上で合掌し、右膝を立てて座る勢至菩薩像です。 小堂の前を通る行人坂を下りた先には目黒川がありますが、江戸時代中期の目黒川の架橋について台座石の前面と両側面に銘文が刻まれています。 銘文は宝永元年(1704)のもので、西蓮という僧が目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、往復の途中で人々から受けた寄進により、川の両岸に石壁を築き、雁歯橋を架けたということが書かれています。 目黒川架橋の歴史を示す、貴重な文化財です。 平成31年3月  目黒区教育委員会』、、、、可愛らしい顔の勢至菩薩である。

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● 行人坂の途中には、勢至菩薩の小堂に続き天台宗寺院「松林山 大圓寺」がある。、、、、大圓寺は、寛永年間(1624~1644)湯殿山修験道の行者大海が創建したと伝えられる。 明和9年(1772)2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元となった寺であることから、江戸幕府から再建の許可が得られなかった。 江戸時代後期の嘉永元年(1848)になって薩摩藩主島津斉興の帰依を得て、その菩提寺としてようやく再建された。 明治に入り隣接した明王院がこの寺に統合されている。、、、、大円寺の三面大黒天像は、山手七福神の大黒天となっている。

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・・・・・・・・・・・・山門をくぐり左手に、石像がズラリと並ぶ「大円寺石仏群」は圧巻!、、、、明和9年(1772)の大火で、火元と見られたのが大円寺であった。大円寺では焼死した人々を供養するために、天明頃(1781~1789)境内に五百羅漢像等を建立したと記録が残されている。 

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・・・・・・・・・・・・大圓寺は、八百屋お七の恋人・吉三(出家後は西運と改名)ゆかりのお寺でもあり、境内にはお七地蔵吉三のお墓もある。、、、、大圓寺隣の目黒雅叙園の入口には「お七の井戸」がある。 八百屋お七は、恋こがれた寺小姓吉三に会いたくて自宅に放火し、鈴ヶ森刑場所で火炙りの刑に処された。 吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め、目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行をなし遂げ、この井戸で水垢離を行ったと云われている。

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● 行人坂を下りると、南側(左に)は目黒雅叙園で、北側(右に)にレトロな感じの建物がある。 「東電下目黒変電所」だ、おそらく戦前の建物と思われるが、詳細は不明。

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● 行人坂を下り、目黒川を越えて、酉の市でも知られる「大鳥神社」(下目黒3)に来た、、、、言い伝えによると景行天皇の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に、当社に立ち寄って祈願したと言われている。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806)に社殿が完成したという。この年を大鳥神社では創建の年とした。 これは目黒区最古となっている。、、、、現在の社殿は昭和37年(1962)の竣工。、、、、3日後の11月9日は一の酉、境内では熊手を扱う店が軒を連ね準備中。 ブルーシートで隠しているが、すでに大きな熊手も搬入済みのようだ。

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● 大鳥神社から、目黒通りを西へ150m程歩くと「目黒寄生虫館」がある、、、、着いてビックリ、来てガッカリ、只今時刻は8時50分、開館は10時。 『まだ寝てます、開館まで、1時間お待ちください』 

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・・・・・・・・・・・・『1時間も待っておれるか、気が短いのだ!』入館は諦めた。 




● 寄生虫がダメなら、薩摩芋にしよう!、、、、寄生虫館から南東に約500m、目黒不動尊(瀧泉寺)の本堂裏手の道を歩き、瀧泉寺の墓地を目指す。 ここに江戸時代中期の、幕臣御家人で書物奉行で儒学者で蘭学者で、サツマイモ(甘藷)の普及を図り、甘藷先生と呼ばれた、青木昆陽の墓がある。、、、、青木昆陽は大鳥神社の近くに別邸を持っていた(これホントの話)そうだ、ここに妾を住まわせた(これ私の推測)かも?

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● ココまで来たら、目黒のお不動様にも寄って行かねばなるまい!、、、、ということで、目黒不動尊「瀧泉寺」でお参りを済ませ、武蔵小山駅まで歩く。

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2021年11月 4日 (木)

目黒通りに嫌われた

白金高輪駅から目黒通りを目黒駅方面に歩くと、沿道には見るべき施設が多い。 今日の散歩は、寄る処が多そうだと気持ちを弾ませ、白金高輪駅から目黒駅まで歩いてみた。




● 東京メトロの南北線と、都営地下鉄の三田線が乗り入れている「白金高輪駅」から散歩を始める。、、、、白金高輪駅から目黒方は、南北線と三田線の重複区間であり、当該区間は東京メトロが第一種鉄道事業者、東京都交通局が第二種鉄道事業者である。 そのため当駅と白金台駅は東京メトロと都交通局が共用する共同使用駅となっている。 ただし、駅の運営・管理は東京メトロが行っている。、、、、白金高輪駅は島式ホーム2面4線の地下駅で、外側2線を三田線、内側2線を南北線が使用し、方向別に配置されている。 平成12年(2000)9月26日開業。、、、、垢抜けした綺麗な駅だ!

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● 白金高輪駅の西側100m程の処に、法華宗陣門流の「智光山 立行寺」がある。、、、、立行寺(りゅうぎょうじ)は、日通聖人(延宝5年(1677)寂)が開山、旗本大久保彦左衛門(大久保忠教)が開基となり、寛永7年(1630)麻布六本木に創建、寛文8年(1668)当地に移転した。、、、、境内には大久保彦左衛門の立派な墓魚屋一心太助の墓がある。 一心太助は実在の人物か(?  架空の人物で墓が実在するのも珍しい!)

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● 白金高輪駅から南へ200m程歩くと、「清正公前交差点」がある。 ここは国道1号(桜田通り)と、ここを起点とする都道312号(目黒通り)の交差点。

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● 清正公前交差点の南側に、日蓮宗の寺院の最正山 覚林寺(かくりんじ)」、通称「清正公(せいしょうこう)」があるので、去年も参ったが今日も立ち寄ってい行く。、、、、覚林寺は弘化2年(1845)の大火で全焼し、山門は安政3年(1856)清正公堂は慶応元年(1865)に再建されたものです。 清正公堂は拝殿・幣殿・本殿からなる権現造形式です。拝殿は間口三間奥行三間、幣殿は間口一間奥行三間。本殿は土蔵造で明治中期頃の再建と考えられている。 三門は覚林寺の表門で、木造・銅板葺の薬医門である。

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● 目黒通りに入り、覚林寺の西隣には「シェラトン都ホテル東京」がある。、、、、ホテルは昭和54年(1979)7月7日、閑静な港区白金台の旧藤山愛一郎邸跡地に、「都ホテル東京」として開業。 建物の設計は、かつての世界貿易センタービルなどで知られるアメリカの建築家:ミノル・ヤマサキ、内装は日生劇場などで知られる建築家:村野藤吾の設計であった。 だが平成の改装により内部のデザインの大きく変わり、村野によるデザインは一部を残すのみである。、、、、今日の私は泊まる予定もなく(お金もなく)玄関前を素通りする。

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● シェラトン都ホテル東京前から南西に目黒通りを上る坂が「日吉坂(ひよしざか)」 300m程上ると「日吉坂上交差点」があり、ここまでである。、、、、坂の名は、能役者:日吉喜兵衛(? 知らん!)が付近に住んでいたことに由来するそうだ。 

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● 日吉坂を上がり、地下鉄「白金台」駅前に港区の複合施設として活用されている建物「旧公衆衛生院」がある。、、、、時刻はチョウド9時、開館時間だ、『寄って行こう!』、、、、この建物と向かい合わせに建つ「旧伝染病研究所」(現:東京大学医科学研究所)には、2年前にも来た!、、、、今日は内部をチョイト拝見し、帰りにはショップで『図説 港区の歴史』を購入(重たい本を買ってシマッタ!)

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● 地続きの隣りである、「東京大学医科学研究所」にも寄って行こうと思ったが、、、、コロナの為、厳重警戒中、関係者外立入禁止、守衛さんが怖そうな目でチェック、自分は正真正銘の関係者外、構内立入を諦め、残念!

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● 医科学研究所がダメなら、その先にある「国立博物館付属 自然教育園」に寄って行くか!、、、、『アリャリャ、コリャ、ガッカリ、休園だ!』 昨日は文化の日で開園したので、今日は休園。 ついてない!

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● ならば隣の「東京都庭園美術館」へ、いざ行かん!、、、、『開園している、ヨシ、入園するか!』、、、、門の前に『事前予約制』の貼り紙が、ガ~~ン! ココも駄目だ!、、、、今日は厄日か(?)

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● どこもかしこも入場できず、肩を落としてしょぼくれて、駅へ向かう。 駅の手前、下黒通りに面して「高福院」なる寺に遭遇。 コリャ、“幸福”になれるかも?(単純な思い) とりあえず手を合わせて帰ろう!、、、、高福院は、もと高野山金剛峰寺の塔頭として創建、弁財天の高福に因んで寺名が付けられたと言われてる。 江戸時代に入り、当地近くに松平讃岐守侯下屋敷が造営され、松平讃岐守侯が、讃岐の偉人弘法大師にゆかりのある寺建立を願い、高野山に招請し、高福院を当地へ引寺、慶安元年(1648)に阿闍梨頼順が開山、高野山東京在番所(高野山東京別院)の控寺だったといわれてる。、、、、現在の本堂は、天保15年(1844)に当時の和尚が天保の改革を断行した水野越前守忠邦侯から拝領して移築した堂。、、、、本堂正面のバカでかい石灯篭が気になるね!

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● 目黒駅は、明治18年(1885)3月16日に日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)11月1日に国有化され、国有鉄道の駅となる。 開業後130余年、“駅”の老舗。 乗降客の多い、賑やかな駅だ!

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● 今日は、結局、目黒通りに嫌われて、歩数も少なく、9千歩。

2021年6月28日 (月)

標高35mの絶景!

『今日は何処へ散歩に行こうか?』考えるのも面倒だ! 安直に『昨日の続き』と、いうことで、荏原中延駅から足の向くまま気の向くままに歩きはじめた。 足跡をたどると、荏原中延駅~荏原警察署~摩耶寺・小山八幡神社~洗足会館~環七通り~目黒区平町~都立大学駅。 1万2千歩の散歩。 アップ・ダウンもあり疲れた!




● 今朝、「荏原中延駅」に降り立つ、、、、荏原中延駅は、昭和2年(1927)8月28日、蒲田側から伸びてきた池上電気鉄道が雪が谷駅(雪が谷大塚駅)~桐ヶ谷駅(現在廃駅、大崎広小路駅近く)間を開業させたときに同時開業した駅。 平成元年(1989)に地下化された相対式ホーム2面2線の地下駅。

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・・・・・・・・・・・・『さて、どっちへ行こうか?』駅前で思案。 とりあえず、昨日きた方向は避けて、西へ向かって歩き出す。

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● 荏原中延駅のある品川区東中延から隣の西中延に入る。 特別に私を引き付けるような物は見当たらない町だ! 足早に町を抜ける。

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・・・・・・・・・・・・西中延から中原街道(=都道2号)に出ると、正面に「荏原警察署」がある。 なにやら、警察署の前に私服・制服の警官が20名程待機している。 『チョイト、ヤバイかな!』と思ったとき、私を待っていたのではなく、護送車のお出迎えであった。 男か女か、どんな凶悪犯か知ることもなく、署の中に消えた!、、、、【余談】荏原警察署は、昭和3年(1928)9月1日に大崎警察署より分離し開設された。 現庁舎は昭和60年(1985)に完成。

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・・・・・・・・・・・・荏原警察署の裏側に、ヨーロピアンテイストのマンションがある。 この地は、旧法務大臣公邸跡地という歴史ある土地で、前には警察署があり、防犯にはいいようだ。 鴻池組の施工で、平成16年(2004)に建てられた、全131戸の大規模レジデンスです。、、、、参考に、1LDK(54㎡)の賃料は185,000円/月

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● 荏原警察署から西へ荏原7丁目に、日蓮宗寺院の「佛母山摩耶寺」がある。、、、、創建年代は不詳だが、寛文7年(1667)の創建と伝えられている。 震災・戦災には免れたそうだが、本堂は昭和53年(1978)に完成した。 天保年間(1830~1843)に造られた摩耶堂には、摩耶夫人(釈迦の生母)像が祀られている。 また、寺には荏原七福神の一つ、寿老人も祀っている。、、、、静かな落ち着いた雰囲気の寺。

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・・・・・・・・・・・・【蛇足】「お寺は佛母山、更年期には実母散」 い~い薬です!、、、、1袋/1回 440円 お試しあれ!




● 摩耶寺が別当寺であった、「小山八幡神社」が寺の隣にある。、、、、神社の由緒は不明だが、長元3年(1030)頃に源頼信がこの地に誉田別尊を氏神として奉ったのが始まりであると言われている。 境内は小高い丘(古墳跡といわれている)の上に位置しているため、『小山(こやま)』と呼ばれそれが現在の近辺の『小山』の地名の由来になっている。 標高35mの境内からの眺めは“絶景かな、絶景かな” 

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● 東急目黒線の洗足駅周辺は、実業家:渋沢栄一が大田区の田園調布の開発以前に手掛けた高級住宅街である。 小山八幡神社から西に向かうと、現在でも静かな高級住宅街の雰囲気が漂う街である。

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・・・・・・・・・・・・・小山八幡神社裏の通りを西に向かい、東急目黒線にぶつかった処に「洗足会館」がある。、、、、この会館の地は、かつて、渋沢栄一が計画した町づくりを実施した「田園都市株式会社」と小山の住民で結成された「洗足会」の拠点であった。 会では自主的に美しい街並みを守るための活動が行われていた。、、、、現在の自治会活動の場であったと思われる。 当時の木造の建物は老朽化と地盤沈下の為に建て替えを余儀なくされ、平成23年(2011)に現在の新しい建物が竣工した。

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・・・・・・・・・・・・洗足会館前の掘割を走る東急目黒線

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● 洗足会館の前で目黒線を越え、品川区小山から目黒区洗足・南・平町の町を歩く。 この辺りは住宅地であるが、特に面白そうなものは無し! 途中で環七通りを横断する。

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● 環七通りを横断したあたりから足に疲れが出てきた。 どうやら、コロナによる運動不足かも?、、、、疲れた足で、東急東横線の「都立大学駅」に到着。、、、、都立大学駅は、昭和2年(1927)8月28日、東京横浜電鉄丸子多摩川(多摩川)駅→渋谷駅延伸の時「柿ノ木坂駅」として開業した。 昭和4年に目黒区碑衾町に府立東京高等学校開校し、昭和6年「府立高等前駅」に改称。 昭和7年には、「府立高等駅」に改称。 さらに、昭和18年、都制施行により府立東京高等学校を都立東京高等学校に改称し、同年12月「都立高校駅」に改称。 昭和24年学制改革により都立東京高等学校は東京都立大学として発足する。 昭和27年「都立大学駅」に改称。 平成3年、都立大学は八王子市に移転。 平成17年には、統合により「首都大学東京」となり、東京都立大学の名称は消滅した。 主をなくして15年以上、東急は名称変更をやる気なし。 そうこうしていると、首都大学東京を「東京都立大学」に戻すことになり。 駅名もこのままかもね?!、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅。

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2021年6月27日 (日)

馬込の縦走路

西馬込駅から、北に向かい東海道新幹線を跨ぎ、上池台と中馬込の町の境を北へ向かい、環七通りを横切り、旗の台を抜け、東急池上線の荏原中延駅まで、9千歩の散歩です。




● 日曜の朝8時前、コロナの心配は無用なガラ空きの電車が終点「西馬込」に到着。 今日の散歩はここから歩いてみよう!、、、、駅前の通りは国道1号線(=第二京浜国道)、交通量は案外少ない!

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● 特に行く宛のない散歩なので、国道1号線の西側に向かう裏道に入る。 道はさっそく上り坂となる。 坂を上り馬込西公園の辺りで道は平らになった。 公園は斜面に造られており、自分がいるのは斜面の上部。 ここから、公園の先の住宅の裏側に「馬込給水塔」の丸い屋根が2個見える。

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● 給水塔の屋根を左手に見ながら、公園上部の道を行くと、小さな十字路がある。 右へ向かうと下り坂、左へ向かうと下り坂、『そうか! この道は西馬込の尾根だ!』 この道(写真中央)を境に、右は西馬込1丁目、左は西馬込2丁目。 左右どちらに曲がっても、下り坂だが、せっかく上った坂なので下りたくない、道なりに真直ぐ歩くことにした。、、、、この時点で、今日の散歩は『この尾根を、道なりに歩く』ことにした。 “馬込の縦走路”(勝手に命名!)

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● “馬込の縦走路”は、東海道新幹線・横須賀線を跨ぐ「大谷橋」に出た。 この橋を渡ると中馬込3丁目に入る。、、、、この辺りは、マンション、戸建て住宅が並ぶ住宅地。(お金持ちも住んでいるかも?)

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● 中馬込3丁目に入り、“馬込の縦走路”はまだまだ続く! 大谷橋から700m程北まで尾根歩きは続く、この辺りでは“馬込の縦走路”は、西側の上池台5丁目と、東側の中馬込1丁目の町境となっている。

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● 上池台4丁目と5丁目の境は通称「学研通り」(かつて学習研究社の本社があった)と呼ばれる道路で、その北の端には坂道「貝塚坂」がある。 私が歩いてきた“馬込の縦走路”はこの貝塚坂にて、学研通りと合体する。 坂名の「貝塚坂」は、坂周辺に貝塚を伴う集落遺跡があったことによる。(大田区内の鵜の木、池上、山王と連なる台地には縄文時代から古墳時代にかけて遺跡が多いそうだ)、、、、今日の散歩は“馬込の縦走路”を道なりに歩いてきたので、ここより先も引き続き学研通りを道なりに歩く!!

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● 貝塚坂のチョイト北側から、今度は「夫婦坂(めおとざか)」がある。 貝塚坂上部から下り、環七通りと「夫婦坂交差点」で交差し、上り坂となって馬込1丁目に伸びる。 つまり、環七通りが最も低く、南と北の両側に向かって上る坂だある。 二つの坂が向かい合っていることから「夫婦坂」と名付けられたそうだ。

・・・・・・・・・・・・貝塚坂側から夫婦坂を見る、、、、“下り坂”が判るかな?

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・・・・・・・・・・・・環七通りと交差する「夫婦坂交差点」

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・・・・・・・・・・・・北へ向かって上る夫婦坂

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・・・・・・・・・・・・夫婦坂の北の端、、、、私は道なりに、坂の正面、材木屋の横の細い道を進む(道なりに直進する!)

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● 材木屋の横を入り、坂を下る。 東急大井町線の荏原町駅と旗の台駅の中間でガードを抜ける。 道は徐々に東に向けカーブする。 

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・・・・・・・・・・・・最後は品川区西中延3丁目、「健康ランド八幡温泉」(旧八幡湯)の脇に出た。 ここで、道はT字にぶつかり、これ以上直進できず。 これにて終了!、、、、なお、八幡温泉は温泉銭湯である。 湯量は豊富で、色は褐色透明。黒湯というほどは濃くなく、ちょうど紅茶のような色合いらしい。 

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● “馬込の縦走路”を歩き、最後は温泉につかることもなく、チョイト疲れた足で、さらに東急池上線の「荏原中延駅まで歩く。、、、、地下化された池上線の線路跡は所どころ公園化されている。、、、、道幅の狭い商店街の中に荏原中延駅がある。 初めて訪れる人には、見つけにくい駅だ! 交番で聞こうと思っても、その交番は駅にある、アリャリャ!、、、、3両編成の池上線はホームも短くコンパクトな造り。

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2021年4月11日 (日)

祐天寺の祐天寺

ヤン坊・マー坊は気象予報士、小池さんは千葉坊・神奈坊・玉坊とも別れ、明日から一人で“まん防”に取り組み、都民はじばらく辛抱するのだ!、、、、まん防がはじまると、またまた勝手気ままな散歩がしずらくなる。 “まん防”前日の今日は、チョイト武蔵小山から祐天寺まで歩いてきた。 1万1千歩




● 東急電鉄目黒線の「武蔵小山駅」は、今から98年と1ヵ月前の大正12年(1923)3月11日、小山駅として開業。 現在は、島式ホーム2面4線の近代的な地下駅である。、、、、駅前にタワーマンションも建ち、何だか名も似てる、武蔵小杉駅に似てきたな?

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・・・・・・・・・・・・駅の西側、都立小山台高校のグランド沿いに店舗が並ぶ「西口通り」を抜けると、品川区から目黒区に変わる。

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● 西口通りを抜け、「林試の森公園」の西側を迂回するように、目黒本町3丁目を北西に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・私が好きになりそうな路地、子供が飛び出してくるような路地が、目黒本町3丁目(入間湯の脇)にあった。 四角のブロックを並べた長い路地は行き止まりになることもなく、抜けられた!、、、、この辺りは、かって「月光町」という町名だったそうで、町会名に残っている。 きっと、月がよく見える夜空の綺麗な町だったのか? また、近くには「月光原小学校」もある。 (ベートーベンとは無関係だ!)

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・・・・・・・・・・・・林試の森公園の西隣、大木に囲まれた国家公務員用の小山台住宅(約3hr)があるが、現在は空き家である。 今年取り壊されるようだ、跡地は林試の森公園の拡張と、荏原消防署小山出張所の新設、品川区の福祉施設の新設などに充てられるそうだ。 前面の道路が品川区(公務員住宅側)と目黒区(一般住宅)の境。

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● 目黒本町3丁目から北へ下目黒6丁目の住宅地に、三角の国旗がはためく駐日ネパール大使館があった。 ネパールと云えば、ヒマラヤ登山の国として知るのみ(知識不足で申し訳ない)、、、、かつては王制であったが、平成20年(2008)に共和制移行した。 退位した元のギャネンドラ国王は富豪としてネパールで過ごしているらしい。

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・・・・・・・・・・・・同じ下目黒6丁目、こちらは目黒通りに面する6階建てと思われるビル。 タイ王国大使館駐在武官事務所である。 タイ国の陸・海・空三軍の軍人詰所なり。 大使館そのものは、品川区大崎にある。、、、、ネパールとは国力が違うようだ!

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● 中町(なかちょう)1丁目に、「日本基督教団 新栄教会」がある。、、、、新栄教会は明治3年(1873)に創立された東京最初の教会である。 (創立時の場所は現在地とは異なる)、、、、現在の教会は可愛らしい建物。

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● 中町1丁目と目黒4丁目の町境に「油面(あぶらめん)地蔵通り」という商店街がある。 目黒通りの「油面交差点」から祐天寺方面へ約600m延びている商店街。 この通りの中程に「油面子育地蔵尊」が鎮座している。 元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。 そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。 それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。、、、、この地蔵さまは、子育て・眼病にも霊験あらたからしい、私も(今さら子育てはしたくないが、眼は美人が美人に見えるように)手を合わせてきた。、、、、【油面の由来】 油面(あぶらめん)は目黒区中町から中央町2丁目に及ぶ目黒村の旧字名。 江戸時代中ごろ菜種の栽培が盛んになり、採取された菜種油は芝増上寺などに奉納され、そのため租税が免除されていたので「油免」の名が生まれ「油面」に転化したという説と、韓国では「面」は村を意味し、油面は菜種油の採れる村の意だとする説がある。

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● 油面地蔵通りから、北に向かうと、谷戸前地域安全センターがある。 さらに、道なりに北へ歩くと駒沢通りに面し、浄土宗寺院の「祐天寺(ゆうてんじ)」がある。、、、、祐天寺は、中目黒5丁目にある寺院で山号は明顕山。 本尊は、阿弥陀如来で阿弥陀堂に安置される。 本堂には、開山祐天上人坐像が安置されている。 広い境内と墓地を持ち、東急東横線の駅名になるほどの寺だ!、、、、祐天寺は目黒区一の大地主でらしい!(噂)

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・・・・・・・・・・・・表門(山門)は祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建てられ、格式高い門構えであることから国の登録有形文化財となっている。 只今、大林組にて改修工事中。

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・・・・・・・・・・・・仁王門は仁王像とともに、享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。
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・・・・・・・・・・・・鐘楼梵鐘は6代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進された。 現在でも、朝6時と正午前には撞かれているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・阿弥陀堂は享保9年(1724)に、こちらも竹姫から寄進された。 江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物。 堂内には阿弥陀如来座像が安置されている。

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂は天明8年(1788)の建立。 寛政12年(1800)に増築して現在の姿となった。 堂内には本尊の地蔵菩薩像が安置されている。 延命と火消しのご利益があるとして信仰を集めた。

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・・・・・・・・・・・・創建時の本堂は明治27年(1894)の火災で焼失し、明治31年(1898)に現:本堂が再建された。 本堂の大きな賽銭箱には江戸・町火消しのまといの図柄が描かれている。、、、、賽銭箱の大きさから推測すると、数十億円は入りそうだ!

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● 東横線祐天寺駅から帰宅!、、、、祐天寺駅は昭和2年(1927)8月28日に開設した。 その後駅舎の改修、高架化工事などがあり、平成30年(2018)には現駅ビルが完成した。、、、、現在は、相対式ホーム2面3線の高架駅で、各駅停車の電車以外は全て通過するチョイト悲しい駅。 一日当たり約32,000人が乗り降りする駅。 

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2021年2月11日 (木)

コロナ禍のお不動さん

今日は「建国記念の日」。 通勤ラッシュもないので、新型コロナに感染するリスクも低いと勝手に思い込み、チョイト気を緩めて、目黒不動に行ってきた。、、、、東急目黒線不動前駅で下車し、蛸薬師、目黒不動に参拝し、武蔵小山駅まで歩いてきた。 9千歩




不動前駅(ふどうまええき)は、品川区西五反田にある東急目黒線の駅である、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業したが、同年10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)、目黒駅~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い、駅は高架駅となった。 現在は高架相対式ホーム2面2線の構造。、、、、駅名の由来となっている「目黒不動」は駅の北西約500mのところにあり、不動前とはいっても参道があるわけでもなく、道も複雑で不動尊に繋がっている訳ではない、けして“近い駅”とは思えない。、、、、早朝8時、ガラガラ・空き空きの電車を降り、一ヵ所しかない高架下の改札から出ると、駅前商店街が左右に伸びている。 

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の周辺案内図を見て、蛸薬師、五百羅漢寺、目黒不動尊のコースを歩くことにした!

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● 不動前駅から商店街を抜け、「かむろ坂通り」を横断し、「五百羅漢寺」の案内に従って歩く。

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● 五百羅漢寺の手前に「蛸薬師(たこやくし)」の成就院があった。 まずは、御挨拶をして行かねばなるまい。、、、、天台宗寺院の成就院は、天安2年(858)慈覚大師が開山した。 本尊が3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像であることから、蛸薬師とも呼ばれている。、、、、俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々に崇められている。 慈覚大師が唐の国から帰る時、暴風に遭い、守本尊の小像を海に投じて風波を静めた。 その後この小像が蛸の頭上に乗って海岸に漂着したので、その形を採って薬師像を作り、胎内に小像を納めたと伝わる。 本堂側面の看板に『ありがたや福を吸い寄せる蛸薬師』と大書している。、、、、看板の下には、徳川2代将軍秀忠の側室お静の方の発願で奉納された7体の石仏「お静地蔵尊」が並んでいる。、、、、時刻は8時30分、寺はまだ営業時間前で本堂の扉も閉まってる。 タコを拝むことも出来ず去る。

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・・・・・・・・・・・【蛇足】大正時代から、おできの膿を吸い出す薬として「たこの吸い出し」
(町田製薬)という軟膏があるのを知っているかな? お尻におできができたら、お医者に行くには恥ずかしい、こんな時には、家庭の常備薬として、一家に一つあるといいかも?、、、、蛸薬師の看板を見て思い出した!



● 蛸薬師前から北に伸びる道を入ると正面に「五百羅漢寺」がある。、、、、天恩山五百羅漢寺は、元禄8年(1695)鉄眼禅師を開山として江戸本所(現:江東区大島)に創建された黄檗宗の寺院。 当時、境内には「さざい堂(三匝堂)」という建物があり、内部が螺旋階段になっていて、一堂に諸仏像を拝見できる構造になっていた。 明治41年(1908)ここ下目黒の地へ移り、現在は浄土宗系単立の寺となっている。、、、、現在は昭和56年(1981)に完成した新しい本堂および回廊に、305体の木造釈迦三尊及び五百羅漢像が安置されているそうだ。 内部の拝観は9時の開門以降で、拝観料500円。 『せっかく来たが、開門まで待つのは嫌だ! 拝観料払うのも嫌だ!』と云うことでパスした。 『またのおこしをお待ちしてます!』と羅漢さまの声が聞こえたようだ!

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● 五百羅漢寺をあとにして、隣りの瀧泉寺(りゅうせんじ)」(目黒不動に参拝する。、、、、瀧泉寺は天台宗の寺院で、山号は泰叡山。 不動明王を本尊とし、一般には「目黒不動」の通称で呼ばれる。 江戸五色不動の一つ。、、、、本堂は入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981)再建の鉄筋コンクリート造建築。、、、、コロナ禍の今は、「水かけ不動」に水かけはダメ、本堂内部へは立ち入りできず、諸堂の参拝も10cm程開いている扉の隙間から合掌、何やら物足りず早々と参拝を済ます。

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・・・・・・・・・・・・コロナで仏は拝めなくとも、ウメは身近に観賞できた!

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● 地下化された東急目黒線の線路敷跡に整備された不動前緑道公園を抜けて、武蔵小山駅に向かう。、、、、駅前のタワマン(41階建て)が見える(私の住む浅草橋には、こんな高いビルはない!)

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● 不動前駅の隣りが「武蔵小山駅」である。、、、、大正12年(1923)3月11日「小山駅」として開業したが、駅名が東北本線の小山(おやま)駅と類似しているため、翌大正13年に“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」に改称した。、、、、平成18年(2006)には地下化され、その後駅ビルも開業。

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