品川区

2021年6月28日 (月)

標高35mの絶景!

『今日は何処へ散歩に行こうか?』考えるのも面倒だ! 安直に『昨日の続き』と、いうことで、荏原中延駅から足の向くまま気の向くままに歩きはじめた。 足跡をたどると、荏原中延駅~荏原警察署~摩耶寺・小山八幡神社~洗足会館~環七通り~目黒区平町~都立大学駅。 1万2千歩の散歩。 アップ・ダウンもあり疲れた!




● 今朝、「荏原中延駅」に降り立つ、、、、荏原中延駅は、昭和2年(1927)8月28日、蒲田側から伸びてきた池上電気鉄道が雪が谷駅(雪が谷大塚駅)~桐ヶ谷駅(現在廃駅、大崎広小路駅近く)間を開業させたときに同時開業した駅。 平成元年(1989)に地下化された相対式ホーム2面2線の地下駅。

2106280746370

2106280750120

2106280754210



・・・・・・・・・・・・『さて、どっちへ行こうか?』駅前で思案。 とりあえず、昨日きた方向は避けて、西へ向かって歩き出す。

2106280752130




● 荏原中延駅のある品川区東中延から隣の西中延に入る。 特別に私を引き付けるような物は見当たらない町だ! 足早に町を抜ける。

2106280806420

2106280811270


・・・・・・・・・・・・西中延から中原街道(=都道2号)に出ると、正面に「荏原警察署」がある。 なにやら、警察署の前に私服・制服の警官が20名程待機している。 『チョイト、ヤバイかな!』と思ったとき、私を待っていたのではなく、護送車のお出迎えであった。 男か女か、どんな凶悪犯か知ることもなく、署の中に消えた!、、、、【余談】荏原警察署は、昭和3年(1928)9月1日に大崎警察署より分離し開設された。 現庁舎は昭和60年(1985)に完成。

2106280813430



・・・・・・・・・・・・荏原警察署の裏側に、ヨーロピアンテイストのマンションがある。 この地は、旧法務大臣公邸跡地という歴史ある土地で、前には警察署があり、防犯にはいいようだ。 鴻池組の施工で、平成16年(2004)に建てられた、全131戸の大規模レジデンスです。、、、、参考に、1LDK(54㎡)の賃料は185,000円/月

2106280820360




● 荏原警察署から西へ荏原7丁目に、日蓮宗寺院の「佛母山摩耶寺」がある。、、、、創建年代は不詳だが、寛文7年(1667)の創建と伝えられている。 震災・戦災には免れたそうだが、本堂は昭和53年(1978)に完成した。 天保年間(1830~1843)に造られた摩耶堂には、摩耶夫人(釈迦の生母)像が祀られている。 また、寺には荏原七福神の一つ、寿老人も祀っている。、、、、静かな落ち着いた雰囲気の寺。

2106280845320

2106280842110

2106280842450


・・・・・・・・・・・・【蛇足】「お寺は佛母山、更年期には実母散」 い~い薬です!、、、、1袋/1回 440円 お試しあれ!




● 摩耶寺が別当寺であった、「小山八幡神社」が寺の隣にある。、、、、神社の由緒は不明だが、長元3年(1030)頃に源頼信がこの地に誉田別尊を氏神として奉ったのが始まりであると言われている。 境内は小高い丘(古墳跡といわれている)の上に位置しているため、『小山(こやま)』と呼ばれそれが現在の近辺の『小山』の地名の由来になっている。 標高35mの境内からの眺めは“絶景かな、絶景かな” 

2106280847510

2106280852500

2106280853380




● 東急目黒線の洗足駅周辺は、実業家:渋沢栄一が大田区の田園調布の開発以前に手掛けた高級住宅街である。 小山八幡神社から西に向かうと、現在でも静かな高級住宅街の雰囲気が漂う街である。

2106280903180

2106280905260



・・・・・・・・・・・・・小山八幡神社裏の通りを西に向かい、東急目黒線にぶつかった処に「洗足会館」がある。、、、、この会館の地は、かつて、渋沢栄一が計画した町づくりを実施した「田園都市株式会社」と小山の住民で結成された「洗足会」の拠点であった。 会では自主的に美しい街並みを守るための活動が行われていた。、、、、現在の自治会活動の場であったと思われる。 当時の木造の建物は老朽化と地盤沈下の為に建て替えを余儀なくされ、平成23年(2011)に現在の新しい建物が竣工した。

2106280907110



・・・・・・・・・・・・洗足会館前の掘割を走る東急目黒線

2106280913251




● 洗足会館の前で目黒線を越え、品川区小山から目黒区洗足・南・平町の町を歩く。 この辺りは住宅地であるが、特に面白そうなものは無し! 途中で環七通りを横断する。

2106280919420

2106280939410

2106280941130

2106280951060




● 環七通りを横断したあたりから足に疲れが出てきた。 どうやら、コロナによる運動不足かも?、、、、疲れた足で、東急東横線の「都立大学駅」に到着。、、、、都立大学駅は、昭和2年(1927)8月28日、東京横浜電鉄丸子多摩川(多摩川)駅→渋谷駅延伸の時「柿ノ木坂駅」として開業した。 昭和4年に目黒区碑衾町に府立東京高等学校開校し、昭和6年「府立高等前駅」に改称。 昭和7年には、「府立高等駅」に改称。 さらに、昭和18年、都制施行により府立東京高等学校を都立東京高等学校に改称し、同年12月「都立高校駅」に改称。 昭和24年学制改革により都立東京高等学校は東京都立大学として発足する。 昭和27年「都立大学駅」に改称。 平成3年、都立大学は八王子市に移転。 平成17年には、統合により「首都大学東京」となり、東京都立大学の名称は消滅した。 主をなくして15年以上、東急は名称変更をやる気なし。 そうこうしていると、首都大学東京を「東京都立大学」に戻すことになり。 駅名もこのままかもね?!、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅。

2106280959380

2106281000110

2106281000230

2106281007260

2021年6月27日 (日)

馬込の縦走路

西馬込駅から、北に向かい東海道新幹線を跨ぎ、上池台と中馬込の町の境を北へ向かい、環七通りを横切り、旗の台を抜け、東急池上線の荏原中延駅まで、9千歩の散歩です。




● 日曜の朝8時前、コロナの心配は無用なガラ空きの電車が終点「西馬込」に到着。 今日の散歩はここから歩いてみよう!、、、、駅前の通りは国道1号線(=第二京浜国道)、交通量は案外少ない!

2106270743480

2106270749030

2106270752100




● 特に行く宛のない散歩なので、国道1号線の西側に向かう裏道に入る。 道はさっそく上り坂となる。 坂を上り馬込西公園の辺りで道は平らになった。 公園は斜面に造られており、自分がいるのは斜面の上部。 ここから、公園の先の住宅の裏側に「馬込給水塔」の丸い屋根が2個見える。

2106270754210

2106270757260

2106270801590




● 給水塔の屋根を左手に見ながら、公園上部の道を行くと、小さな十字路がある。 右へ向かうと下り坂、左へ向かうと下り坂、『そうか! この道は西馬込の尾根だ!』 この道(写真中央)を境に、右は西馬込1丁目、左は西馬込2丁目。 左右どちらに曲がっても、下り坂だが、せっかく上った坂なので下りたくない、道なりに真直ぐ歩くことにした。、、、、この時点で、今日の散歩は『この尾根を、道なりに歩く』ことにした。 “馬込の縦走路”(勝手に命名!)

2106270805369_stitch




● “馬込の縦走路”は、東海道新幹線・横須賀線を跨ぐ「大谷橋」に出た。 この橋を渡ると中馬込3丁目に入る。、、、、この辺りは、マンション、戸建て住宅が並ぶ住宅地。(お金持ちも住んでいるかも?)

2106270809150

2106270810370




● 中馬込3丁目に入り、“馬込の縦走路”はまだまだ続く! 大谷橋から700m程北まで尾根歩きは続く、この辺りでは“馬込の縦走路”は、西側の上池台5丁目と、東側の中馬込1丁目の町境となっている。

2106270816040

2106270824320




● 上池台4丁目と5丁目の境は通称「学研通り」(かつて学習研究社の本社があった)と呼ばれる道路で、その北の端には坂道「貝塚坂」がある。 私が歩いてきた“馬込の縦走路”はこの貝塚坂にて、学研通りと合体する。 坂名の「貝塚坂」は、坂周辺に貝塚を伴う集落遺跡があったことによる。(大田区内の鵜の木、池上、山王と連なる台地には縄文時代から古墳時代にかけて遺跡が多いそうだ)、、、、今日の散歩は“馬込の縦走路”を道なりに歩いてきたので、ここより先も引き続き学研通りを道なりに歩く!!

2106270836250




● 貝塚坂のチョイト北側から、今度は「夫婦坂(めおとざか)」がある。 貝塚坂上部から下り、環七通りと「夫婦坂交差点」で交差し、上り坂となって馬込1丁目に伸びる。 つまり、環七通りが最も低く、南と北の両側に向かって上る坂だある。 二つの坂が向かい合っていることから「夫婦坂」と名付けられたそうだ。

・・・・・・・・・・・・貝塚坂側から夫婦坂を見る、、、、“下り坂”が判るかな?

2106270839260


・・・・・・・・・・・・環七通りと交差する「夫婦坂交差点」

2106270841340

・・・・・・・・・・・・北へ向かって上る夫婦坂

2106270846200

・・・・・・・・・・・・夫婦坂の北の端、、、、私は道なりに、坂の正面、材木屋の横の細い道を進む(道なりに直進する!)

2106270848300




● 材木屋の横を入り、坂を下る。 東急大井町線の荏原町駅と旗の台駅の中間でガードを抜ける。 道は徐々に東に向けカーブする。 

2106270849370

2106270851070

2106270903460

2106270918540


・・・・・・・・・・・・最後は品川区西中延3丁目、「健康ランド八幡温泉」(旧八幡湯)の脇に出た。 ここで、道はT字にぶつかり、これ以上直進できず。 これにて終了!、、、、なお、八幡温泉は温泉銭湯である。 湯量は豊富で、色は褐色透明。黒湯というほどは濃くなく、ちょうど紅茶のような色合いらしい。 

2106270921090

2106270922370




● “馬込の縦走路”を歩き、最後は温泉につかることもなく、チョイト疲れた足で、さらに東急池上線の「荏原中延駅まで歩く。、、、、地下化された池上線の線路跡は所どころ公園化されている。、、、、道幅の狭い商店街の中に荏原中延駅がある。 初めて訪れる人には、見つけにくい駅だ! 交番で聞こうと思っても、その交番は駅にある、アリャリャ!、、、、3両編成の池上線はホームも短くコンパクトな造り。

2106270916130

2106270911090

2106270935590

2106270936260

2106270938040

2021年4月11日 (日)

祐天寺の祐天寺

ヤン坊・マー坊は気象予報士、小池さんは千葉坊・神奈坊・玉坊とも別れ、明日から一人で“まん防”に取り組み、都民はじばらく辛抱するのだ!、、、、まん防がはじまると、またまた勝手気ままな散歩がしずらくなる。 “まん防”前日の今日は、チョイト武蔵小山から祐天寺まで歩いてきた。 1万1千歩




● 東急電鉄目黒線の「武蔵小山駅」は、今から98年と1ヵ月前の大正12年(1923)3月11日、小山駅として開業。 現在は、島式ホーム2面4線の近代的な地下駅である。、、、、駅前にタワーマンションも建ち、何だか名も似てる、武蔵小杉駅に似てきたな?

2104110746170

2104110753340

2104110755370


・・・・・・・・・・・・駅の西側、都立小山台高校のグランド沿いに店舗が並ぶ「西口通り」を抜けると、品川区から目黒区に変わる。

2104110801000



● 西口通りを抜け、「林試の森公園」の西側を迂回するように、目黒本町3丁目を北西に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・私が好きになりそうな路地、子供が飛び出してくるような路地が、目黒本町3丁目(入間湯の脇)にあった。 四角のブロックを並べた長い路地は行き止まりになることもなく、抜けられた!、、、、この辺りは、かって「月光町」という町名だったそうで、町会名に残っている。 きっと、月がよく見える夜空の綺麗な町だったのか? また、近くには「月光原小学校」もある。 (ベートーベンとは無関係だ!)

2104110807290

2104110808220

2104110809000


・・・・・・・・・・・・林試の森公園の西隣、大木に囲まれた国家公務員用の小山台住宅(約3hr)があるが、現在は空き家である。 今年取り壊されるようだ、跡地は林試の森公園の拡張と、荏原消防署小山出張所の新設、品川区の福祉施設の新設などに充てられるそうだ。 前面の道路が品川区(公務員住宅側)と目黒区(一般住宅)の境。

2104110812230



● 目黒本町3丁目から北へ下目黒6丁目の住宅地に、三角の国旗がはためく駐日ネパール大使館があった。 ネパールと云えば、ヒマラヤ登山の国として知るのみ(知識不足で申し訳ない)、、、、かつては王制であったが、平成20年(2008)に共和制移行した。 退位した元のギャネンドラ国王は富豪としてネパールで過ごしているらしい。

2104110844240


・・・・・・・・・・・・同じ下目黒6丁目、こちらは目黒通りに面する6階建てと思われるビル。 タイ王国大使館駐在武官事務所である。 タイ国の陸・海・空三軍の軍人詰所なり。 大使館そのものは、品川区大崎にある。、、、、ネパールとは国力が違うようだ!

2104110857520


● 中町(なかちょう)1丁目に、「日本基督教団 新栄教会」がある。、、、、新栄教会は明治3年(1873)に創立された東京最初の教会である。 (創立時の場所は現在地とは異なる)、、、、現在の教会は可愛らしい建物。

2104110901500



● 中町1丁目と目黒4丁目の町境に「油面(あぶらめん)地蔵通り」という商店街がある。 目黒通りの「油面交差点」から祐天寺方面へ約600m延びている商店街。 この通りの中程に「油面子育地蔵尊」が鎮座している。 元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。 そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。 それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。、、、、この地蔵さまは、子育て・眼病にも霊験あらたからしい、私も(今さら子育てはしたくないが、眼は美人が美人に見えるように)手を合わせてきた。、、、、【油面の由来】 油面(あぶらめん)は目黒区中町から中央町2丁目に及ぶ目黒村の旧字名。 江戸時代中ごろ菜種の栽培が盛んになり、採取された菜種油は芝増上寺などに奉納され、そのため租税が免除されていたので「油免」の名が生まれ「油面」に転化したという説と、韓国では「面」は村を意味し、油面は菜種油の採れる村の意だとする説がある。

2104110906500

2104110909151

2104110911020



● 油面地蔵通りから、北に向かうと、谷戸前地域安全センターがある。 さらに、道なりに北へ歩くと駒沢通りに面し、浄土宗寺院の「祐天寺(ゆうてんじ)」がある。、、、、祐天寺は、中目黒5丁目にある寺院で山号は明顕山。 本尊は、阿弥陀如来で阿弥陀堂に安置される。 本堂には、開山祐天上人坐像が安置されている。 広い境内と墓地を持ち、東急東横線の駅名になるほどの寺だ!、、、、祐天寺は目黒区一の大地主でらしい!(噂)

2104110952290


・・・・・・・・・・・・表門(山門)は祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建てられ、格式高い門構えであることから国の登録有形文化財となっている。 只今、大林組にて改修工事中。

2104110952590


・・・・・・・・・・・・仁王門は仁王像とともに、享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。
2104110945310


・・・・・・・・・・・・鐘楼梵鐘は6代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進された。 現在でも、朝6時と正午前には撞かれているそうだ。

2104110943400


・・・・・・・・・・・・阿弥陀堂は享保9年(1724)に、こちらも竹姫から寄進された。 江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物。 堂内には阿弥陀如来座像が安置されている。

2104110940250

・・・・・・・・・・・・地蔵堂は天明8年(1788)の建立。 寛政12年(1800)に増築して現在の姿となった。 堂内には本尊の地蔵菩薩像が安置されている。 延命と火消しのご利益があるとして信仰を集めた。

2104110947100


・・・・・・・・・・・・創建時の本堂は明治27年(1894)の火災で焼失し、明治31年(1898)に現:本堂が再建された。 本堂の大きな賽銭箱には江戸・町火消しのまといの図柄が描かれている。、、、、賽銭箱の大きさから推測すると、数十億円は入りそうだ!

2104110935500

2104110938040



● 東横線祐天寺駅から帰宅!、、、、祐天寺駅は昭和2年(1927)8月28日に開設した。 その後駅舎の改修、高架化工事などがあり、平成30年(2018)には現駅ビルが完成した。、、、、現在は、相対式ホーム2面3線の高架駅で、各駅停車の電車以外は全て通過するチョイト悲しい駅。 一日当たり約32,000人が乗り降りする駅。 

2104111001350

2104111002370

2104111007210

2104111011100

2021年2月11日 (木)

コロナ禍のお不動さん

今日は「建国記念の日」。 通勤ラッシュもないので、新型コロナに感染するリスクも低いと勝手に思い込み、チョイト気を緩めて、目黒不動に行ってきた。、、、、東急目黒線不動前駅で下車し、蛸薬師、目黒不動に参拝し、武蔵小山駅まで歩いてきた。 9千歩




不動前駅(ふどうまええき)は、品川区西五反田にある東急目黒線の駅である、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業したが、同年10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)、目黒駅~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い、駅は高架駅となった。 現在は高架相対式ホーム2面2線の構造。、、、、駅名の由来となっている「目黒不動」は駅の北西約500mのところにあり、不動前とはいっても参道があるわけでもなく、道も複雑で不動尊に繋がっている訳ではない、けして“近い駅”とは思えない。、、、、早朝8時、ガラガラ・空き空きの電車を降り、一ヵ所しかない高架下の改札から出ると、駅前商店街が左右に伸びている。 

2102110801330

2102110804471

2102110810080

2102110812090

・・・・・・・・・・・・・・駅前の周辺案内図を見て、蛸薬師、五百羅漢寺、目黒不動尊のコースを歩くことにした!

2102110811480



● 不動前駅から商店街を抜け、「かむろ坂通り」を横断し、「五百羅漢寺」の案内に従って歩く。

2102110818580

2102110822320



● 五百羅漢寺の手前に「蛸薬師(たこやくし)」の成就院があった。 まずは、御挨拶をして行かねばなるまい。、、、、天台宗寺院の成就院は、天安2年(858)慈覚大師が開山した。 本尊が3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像であることから、蛸薬師とも呼ばれている。、、、、俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々に崇められている。 慈覚大師が唐の国から帰る時、暴風に遭い、守本尊の小像を海に投じて風波を静めた。 その後この小像が蛸の頭上に乗って海岸に漂着したので、その形を採って薬師像を作り、胎内に小像を納めたと伝わる。 本堂側面の看板に『ありがたや福を吸い寄せる蛸薬師』と大書している。、、、、看板の下には、徳川2代将軍秀忠の側室お静の方の発願で奉納された7体の石仏「お静地蔵尊」が並んでいる。、、、、時刻は8時30分、寺はまだ営業時間前で本堂の扉も閉まってる。 タコを拝むことも出来ず去る。

2102110825220

2102110833180

2102110826380


・・・・・・・・・・・【蛇足】大正時代から、おできの膿を吸い出す薬として「たこの吸い出し」
(町田製薬)という軟膏があるのを知っているかな? お尻におできができたら、お医者に行くには恥ずかしい、こんな時には、家庭の常備薬として、一家に一つあるといいかも?、、、、蛸薬師の看板を見て思い出した!



● 蛸薬師前から北に伸びる道を入ると正面に「五百羅漢寺」がある。、、、、天恩山五百羅漢寺は、元禄8年(1695)鉄眼禅師を開山として江戸本所(現:江東区大島)に創建された黄檗宗の寺院。 当時、境内には「さざい堂(三匝堂)」という建物があり、内部が螺旋階段になっていて、一堂に諸仏像を拝見できる構造になっていた。 明治41年(1908)ここ下目黒の地へ移り、現在は浄土宗系単立の寺となっている。、、、、現在は昭和56年(1981)に完成した新しい本堂および回廊に、305体の木造釈迦三尊及び五百羅漢像が安置されているそうだ。 内部の拝観は9時の開門以降で、拝観料500円。 『せっかく来たが、開門まで待つのは嫌だ! 拝観料払うのも嫌だ!』と云うことでパスした。 『またのおこしをお待ちしてます!』と羅漢さまの声が聞こえたようだ!

2102110841500



● 五百羅漢寺をあとにして、隣りの瀧泉寺(りゅうせんじ)」(目黒不動に参拝する。、、、、瀧泉寺は天台宗の寺院で、山号は泰叡山。 不動明王を本尊とし、一般には「目黒不動」の通称で呼ばれる。 江戸五色不動の一つ。、、、、本堂は入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981)再建の鉄筋コンクリート造建築。、、、、コロナ禍の今は、「水かけ不動」に水かけはダメ、本堂内部へは立ち入りできず、諸堂の参拝も10cm程開いている扉の隙間から合掌、何やら物足りず早々と参拝を済ます。

2102110846440

2102110851120

2102110853170

2102110909500

2102110910430

2102110920090

・・・・・・・・・・・・コロナで仏は拝めなくとも、ウメは身近に観賞できた!

2102110918300

2102110918080

2102110856100



● 地下化された東急目黒線の線路敷跡に整備された不動前緑道公園を抜けて、武蔵小山駅に向かう。、、、、駅前のタワマン(41階建て)が見える(私の住む浅草橋には、こんな高いビルはない!)

2102110942130



● 不動前駅の隣りが「武蔵小山駅」である。、、、、大正12年(1923)3月11日「小山駅」として開業したが、駅名が東北本線の小山(おやま)駅と類似しているため、翌大正13年に“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」に改称した。、、、、平成18年(2006)には地下化され、その後駅ビルも開業。

2102110950250

2102110949440

2102110956200

2102110957380

2020年12月 9日 (水)

西小山から碑文谷

この世に生を受け70余年、長い年月東京に住んでいるが、下車する機会の少なかった東急目黒線西小山駅で降りてみることにした。 降りたら『さて、どっち方面に歩こうか?』 駅で地図を見ると、“円融寺通り”の文字が眼に入る。 『あっ!以前来たことがある大きな寺だ! ヨシ、円融寺へ行ってみよう』 これで決まり。 円融寺へ参った後は、近くに「目黒サレジオ教会」があるので、こちらにも参り。 帰りは、都立大学駅へ向かうが、途中、環七通り付近で丁度来た目黒駅行きのバスに乗る。 9千歩の散歩です。




● 都営三田線に乗り、電車はそのまま東急目黒線に乗り入れる。 『何年ぶり、イヤ、何十年ぶりかもしれない』、下車した記憶がない東急目黒線の西小山駅で降りる。、、、、昭和3年(1928)8月1日、地上駅として開業。 平成18年(2006)7月2日に地下駅となる。 平成20年には駅ビルの完成する。、、、、ピンクのホームドアが明るい感じでいいね!

2012090807320

2012090811540

2012090813010



● 駅前から西に向かって歩く・・・・・
・・・・・・・・・・・・西小山駅付近では、東急目黒線が品川区と目黒区のほぼ境となっている(駅を含め東急目黒線は品川区に属す) その西小山駅前に、二つの「西小山商店街」がある。 駅の改札を出て、すぐ左手(東側)見えるアーケードのある「西小山商店街」は品川区。 反対に右側(西側)の空が良く見える開放的な「西小山商店街」は目黒区。、、、、どちらも、活気ある元気な商店街らしい。、、、、私は、目黒区側の商店街を西へ歩く。

2012090815470

2012090814430

2012090821020


・・・・・・・・・・・・西小山商店街を抜け、目黒区原町1丁目付近で、昭和36年(1961)に立会川を暗渠化し、その後造られた立会川緑道に出る。(立会川は、碑文谷・清水の両池を水源とし、目黒区・品川区を流れ東京湾に注ぐ川) この緑道は碑文谷八幡宮から始まり、円融寺山門前を通り、西小山駅付近まで続いてる。 春には嬉しい約1kmの桜並木である。、、、、ここを歩いて円融寺山門に向かう。

2012090832560

2012090840030





● 碑文谷1丁目、立会川緑道から北側を見ると円融寺の山門が見える。 昨年の夏に寄った時は、緑豊かで森の中にあるような寺、今日は木の葉が散り晩秋の風情である。、、、、円融寺は、かつて、妙光山法服寺と称し、天台宗の寺院であった。 寺伝では仁寿3年(853)慈覚大師が法服寺を建立した。 弘安6年(1283)日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。 中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、坊舎18、末寺75箇寺を数えた。 寛永7年(1630)身池対論には法華寺から日進が臨んでいる。 法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、元禄11年(1698)再び天台宗の寺院となった。 天保5年(1834)経王山円融寺に改称する。、、、、広い境内に、堂宇がゆったりと配され、訪れた人には心地よい安らぎを与えると思う。

・・・・・・・・・・・・・山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邦造邸から移築されたもの。 天保4年(1833)、元播磨国の寺の山門として造られた。、、、、山門をくぐると参道が続く。

2012090846070

2012090847150

・・・・・・・・・・・・・・参道を過ぎ、仁王門の右手に平成2年(1990)に新築された鐘楼がある。、、、、梵鐘は寛永20年(1643)の鋳造。

2012090849150

・・・・・・・・・・・・・・参道の先には、簡素な造りの仁王門がある。 建立時期は不明だが、 唐風に和風を取り入れ、虹梁、蟇股、懸魚などにも様々な装飾が加えられている。、、、、両脇の仁王像は、永禄2年(1559)の作。(二重のガラス張りの中にあり、光が反射して仁王像の姿が見えない! どうにかして欲しいね)

2012090850160

2012090858120

・・・・・・・・・・・・・・仁王門の先には、入母屋造の釈迦堂。 釈迦堂は室町初期の建立とされ、23区内最古の木造建築でる。 明治44年(1911)に関野貞博士による調査があり、国の古社寺保存法により国宝に指定された。 戦後は、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きでしたが、火災予防の見地から昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。、、、、円融寺では山門、仁王門、釈迦堂、阿弥陀堂が一直線に並ぶ伽藍配置となっている。 優美な配置は、境内の奥行の深さを感じる。

2012090851520

2012090904330

・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂の後ろに阿弥陀堂(本堂)が控えている。 阿弥陀堂は、昭和50年(1975)の建立で、設計は佐々木嘉平、設計顧問に早稲田大学名誉教授工学博士・田辺泰をむかえ、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された。、、、、本尊の阿弥陀如来は、堂の扉が閉じられており姿は見えず!

2012090902500



● 円融寺から西へ直線で250m程に、「カトリック碑文谷教会(目黒サレジオ教会)」がある。 過去に数回訪れているが、ここまで来たら、寄らねばなるまい。、、、、、この教会は、昭和22年(1967)にここ碑文谷に創設されたサレジオ修道会によって、同29年(1954)に建築された教会である。 ローマ・カトリック教会の男子修道会「サレジオ修道会」に所属するため「サレジオ教会」と呼ばれて親しまれている。聖堂はロマネスク式で、壮大と優美の点で日本1、2を争う。祭壇には十字架のキリスト像、ヨハネ・ドン・ボスコの木像、悲しみの聖母の絵などが祀られている。奥行き47m、幅16m、高さ36m。、、、、木彫りの美しい聖マリア像に、しばしの間、恋してしまった。

2012090914200

2012090924410

2012090921450

2012090917010

2012090920070

2012090921010



● 教会から都立大学駅へ向かうが、環七通りの手前まで来ると、丁度バスが来た。、、、、乗車オーライ!

2012090947020

2020年10月19日 (月)

六地蔵の一番目

久しぶりに「江戸六地蔵」巡りをしてみようと思う。 今日はその一番目で品川寺に行ってきた。 京浜急行青物横丁駅で下車し、品川寺とその周辺を歩き、隣りの鮫洲駅まで、8千歩の散歩です。

・・・・・・・・・江戸六地蔵とは、、、、深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したので、京都の六地蔵に倣って造立の願を発し、人々の浄財を集め造立された。 宝永5年(1708)から順次、江戸の街道出入口6ヵ所に丈六の金銅地蔵菩薩を安置した。 この金銅地蔵菩薩像を「江戸六地蔵」と云う。、、、、6ヵ寺は、品川寺(旧東海道、品川)・太宗寺(甲州街道、四谷)・真性寺(旧中山道、巣鴨)・東禅寺(奥州街道、山谷)・霊巌寺(水戸街道、深川)・永代寺(千葉街道、深川、明治元年に廃寺となり像は失われ現存しない)、、、、鋳造は神田鍋町鋳物師:太田駿河守正儀により鋳造された。 像高はいずれも270cm前後で、造立時には鍍金が施されていた。(東禅寺の像は弁柄色の漆) それぞれの像内には小型の銅造地蔵菩薩坐像や寄進者名簿などが納められ、像や蓮台には寄進者の名前が刻まれており、寄進者は合計すると72,000名以上になる。、、、、【注】「江戸六地蔵」とは別に、元禄3年に「東都六地蔵」が造立されたが、寺も作者も別ものである。 トリンプとワコールの違いのようなもの(何だか判らん?)




● 京浜急行本線の青物横丁駅で下車する。 乗る人と同じくらい降りる人がいる、電車が停まると、ホーム、改札に人が溢れ、駅の東側にできた「品川シーサイド」の超高層ビル群に向かうようだ。、、、、駅名の“横丁”は、横丁の実体が無いのでチョイト寂しいが、駅名は変えずに残して欲しいね!

2010190800180

2010190805260

2010190758080

2010190809560

2010190814200



● 旧東海道に面して営業する「竹内医院」はノスタルジックな素敵な建物。 以前は竹内外科医院と称していたが、今は耳鼻咽喉科の医院に変わった。 建物は明治40年(1907)築。 一度、内部を拝見したいね。

2010190824010

2010190823340



● 竹内医院の前から旧東海道を南へ歩いて100m程、品川寺(ほんせんじ)の参道と六地蔵が見える。、、、、「品川寺」は、“しながわでら”ではなく、“ほんせんじ”と読む。 真言宗醍醐派の品川寺は、海照山普門院と号し、真言宗醍醐派の別格本山。 品川寺の開創は、平安時代のショッパナである大同年間(806~810)で区内最古刹。 本尊は聖観音菩薩。

2010190850140

2010190832110

2010190836310


・・・・・・・・・・・・参道脇で、参拝客を迎える地蔵菩薩に手を合わせる、今日の散歩の目的達成!、、、、この像は、江戸六地蔵の内、宝永5年(1708)に造られた第一号である。 像高は現存する江戸六地蔵の中では最大の2.75m。 この像は、東海道の尊像として、「天下安全・仏法繁栄・衆人快楽」の祈願のもと奉安されている。、、、、優しい顔をした地蔵菩薩。 チョイト、顔の汚れを拭いてあげたくなるね!

2010190827310

2010190828120

2010190847410



● 品川寺の南側、江戸時代から「品川の荒神さん」として知られている「海雲寺(かいうんじ)」がある。 海雲寺は、曹洞宗の寺院、山号は龍吟山。 「千躰荒神」を祀る寺として知られる。 この寺は、建長3年(1251=鎌倉時代)に近くの海晏寺内に建てた「庵瑞林」に始まるそうだ。 慶長元年(1596)に海晏寺の和尚により開山し、曹洞宗に改められ、寛文元年(1661=江戸時代)海雲寺になった。

・・・・・・・・・・・・立派な造りの山門をくぐり、正面右に本尊の十一面観音を安置する本堂がある。 本堂は扉を閉め静かだ!

2010190852500

2010190903380


・・・・・・・・・・・・本堂の左側に、千躰荒神を祀っている荒神堂、、、、寛永14年(1637、島原の乱が起こり、討伐を命じられた佐賀藩鍋島勝茂が、天草にある「荒神宮」に祈って勝利を収めたので、江戸藩邸に荒神宮を祀り、のちこの寺の境内に別堂を建てたのが、品川の荒神祭の始まりだ。 荒神は竈(かまど、へっつい)の神様として信仰され、大祭日には参拝者は箱入りの荒神を風呂敷に包み、首にかけて参拝し、新しいお札を納め、途中寄り道や立ち止まらず、また後を振り返らないで家に持ち帰る。 また、当日は境内でお釜型の菓子「おこし」を売る店が出て賑わうそうだ。 これは「お釜を起こす」の駄洒落から名づけられたらしい。 今年はコロナの影響で、11月の大祭は中止らしい。、、、、堂に上がり多くの扁額を拝見。 浪曲家廣澤虎造夫妻の文字額もある。(最近は浪曲を聴く機会も無くなり、生活様式の変化を感じるね!)

2010190902500

2010190901530

2010190900010



● 荒神様から東へ、京急の高架下を抜け第一京浜国道に出ると、曹洞宗の寺院「海晏寺(かいあんじ)」がある。 建長3年(1251)の開山。本尊は聖観音菩薩、山号は補蛇落山。、、、、今春に参ったので、詳細はカット!

2010190937560

2010190927360



● 再び旧東海道に戻り、鮫洲(さめず)駅前の「鮫洲八幡神社」に寄ってみた、、、、旧御林町(のち大井鮫洲町、現在は東大井1・2の一部と4丁目)の総鎮守。 創立の年代は不詳とされているが、寛文年間(1661~1673)の頃には、すでにあったとされている。、、、、社殿は鉄筋コンクリート造で戦後の建築と思われる。 境内の社務所らしき木造建築にチョイト古さを感じた。

2010191002560

2010190958070

2010190957330



● 私と同じ終戦前後の年代の人に“鮫洲に行ってくるよ”と言えば、免許取得・免許更新で鮫洲運転免許試験場へ行くことであった。 最近は最寄りの警察署でも更新でき、鮫洲へ行く用事も無くなったね! 昭和60年頃までの鮫洲駅では、早朝の電車から人がゾロゾロ降りて、駅前にズラリ代書屋が並ぶ道を歩き、空いている代書屋に飛びこむ人達が見られた。 私もその一人で、スピード写真を撮ってもらい、おばさんにタイプで書類を作ってもらい、茶封筒に入れてもらったものだ。、、、、その代書屋が1軒、鮫洲駅前に残っていた。 まだ、“昭和”が残っている!

2010190955200



● 「鮫洲駅」は島式ホーム1面2線の外側に通過線を2線を有する高架駅。 ホーム有効長は6両編成分で、普通列車以外の優等列車は停まれない。 普通列車が停まると、外側の通過線をエアポート急行・特急・快特などが、複数本まとめて通過して行くこともある。 イライラし、精神的に悪い!

2010191006140

2010191008490

2010191012520

2010191019050


_____________________________________
● 20/11/3追記、、、、「江戸六地蔵」の記事をまとめました。
     江戸六地蔵(一番)・・・品川寺(東海道)
     江戸六地蔵(二番)・・・太宗寺(甲州街道)
     江戸六地蔵(三番)・・・真性寺(旧中山道)
     江戸六地蔵(四番)・・・東禅寺(奥州街道)
     江戸六地蔵(五番)・・・霊巌寺(水戸街道)
     江戸六地蔵(六番)・・・永代寺(千葉街道)
     江戸六地蔵(番外)・・・浄名院(  ?   )
     江戸六地蔵(鋳造)・・・神田鍋町
● 20/11/9追記、、、、「京都六地蔵」の記事を追加。
     京都六地蔵(一番)・・・大善寺(奈良街道)

2020年6月29日 (月)

岩倉具視が眠る寺

京浜急行青物横丁駅で下車し、第一京浜国道の西側を歩いてきた。 我が家を出る時は、JR大森駅まで歩くつもりであったが、途中でチョイト時間を浪費し、京急の立会川駅までの散歩となった。 1万歩



●横町が横丁に! ・・・・・・・京急本線の「青物横丁駅」は、明治37年(1904)に開業した。 開業当初は「青物横町」という漢字表記で、その後(時期は不明)現在の「青物横丁」に改称された。 “横丁”は特定の目的地に行く道で、“横町”は表通り・街道から脇に入った小路で、「青物市場のある側の路地」ということで、ここでは青物横町の方が正しいと思う。 でも、誰も気にしてい居らず、使い慣れた用法でいいか! 

202006290759140000

202006290759410000

202006290759480000



●国道を越える! ・・・・・・・・青物横丁駅の出入口は第一京浜(国道)の脇にある。また、歴史好きのお散歩コース「旧東海道」は京急線の東側である。 今日の散歩は京急線・第一京浜の西側を歩いて、大森駅に向かう予定であった。 まずは、駅前の国道を横断する。

202006290808440000

202006290808560000



●紅葉の名所! ・・・・・・・・南品川三丁目交差点角に、曹洞宗系単立の海晏寺(かいあんじ)がある。 海晏寺は補陀落山と号す。 建長3年(1251)頃鮫洲に浮上がった大鮫の死体から正観音木像が出てきたことから、その正観音木像を安置するための堂宇として、建長寺開山大覚禅師を迎え創建された。戦国時代には荒廃したが、徳川家康により再建され、文禄2年(1593)本多佐渡守正信を迎えて、臨済宗建長寺派から曹洞宗寺院として中興開山し、現在に至る。、、、、海晏寺の立地は、国道側の海岸線を間近にした平野部と仙台坂のある台地部の接際にあって、墓地となっているその台地からの見晴らしは海を臨める絶景で、紅葉が色づく秋の頃には観楓の名所にもなっていたそうだ。(今、海は見えない) 

202006290814170000

202006290831360000

202006290831040000

202006290816000000

202006290822430000

202006290826410000

・・・・・・・・・・・・日本において、国葬の第1号は明治16年(1883)7月25日に行われた、右大臣:岩倉具視である。 岩倉具視(文政8年(1825)9月15日 ~ 明治16年(1883)7月20日)は、幕末・明治の公卿・政治家。 公武合体を唱え大久保利通らと王政復古を画策。新政権樹立後、参与・大納言等を歴任し廃藩置県を断行。 右大臣となり、条約改正交渉と米欧視察のため特命全権大使として外国を巡回。 憲法体制の基本方針を定めた。 癌により、59才で没す。、、、、その岩倉具視の墓が海晏寺の一画にある。 さすが偉い人で、私のような者は墓前まで行くことができず、チョイト遠くから墓をパチリ。

202006290822070000



●容堂の隠居所! ・・・・・・・京急鮫洲駅の西側、大きく緑が茂る品川区立「大井公園」がある。 その南隣には、品川区立立会小学校がある。、、、、大井公園の外側に沿って裏道を小学校の方に歩いてゆくと、鉄の門があり、階段坂がある。 門の管理は小学校が行っているのか、校長名で開門時間が標されていた。 数十段程上ると、校庭の隅の一画に土佐藩主山内容堂の墓がある。、、、、大井公園は、江戸時代には〝土佐山〟と俗称された下総山、土佐藩の下屋敷が置かれていたところだ。 大政奉還の建白を果たした大名のものとは思えないような狭苦しい場所に土饅頭型の墓があり、その脇に石製の墓碑が建っていて「贈従一位山内豊信公之墓」と刻んでいる。裏面は「明治五年六月二十一日薨」とある。 入口に一番近い場所には第13代藩主山内豊熈の妻の、やはり土饅頭の墓がある。 墓碑「嶋津常候之墓」、裏「従四位下山内豊熈朝目室 明治十三年十一月十六日逝」と刻してある。、、、、コロナの影響で、墓参に訪れる人も少ないと思われる!

202006290844550000

202006290849460000

202006290850140000

202006290849060000

・・・・・・・・・・・・墓のある立会小学校から、約500m南下した国道沿いに品川区立浜川中学校がある。 校門の脇に「土佐高知藩山内家下屋敷跡」の説明板がある。、、、、『立会川沿いの土佐藩山内家の下屋敷16,800坪余と抱屋敷(揚場869)は、東海道往還を挟んで東西に位置し、抱屋敷は河口に位置していた。 共に万治元年(1658)に拝領、囲込によって取得したもので、表門通りで結ばれていた。下屋敷は大井村の他に、木挽町築地(中央区築地)にもあった。 第15代藩主山内豊信(容堂)は、松平慶永、島津斉彬、伊達宗城らと共に、国政の方向について論議建策したため、「幕末の四賢侯」と称されている。安政の大獄に関連して隠居・謹慎を命ぜられ、蟄居したのがこの下屋敷であった。また、河口の抱屋敷の地には、嘉永六年(1853)に砲台が造られ、浜川砲台と呼ばれていた。 安政二年(1855)頃の土佐藩主山内土佐守豊信は242,000石の家禄があり、上屋敷は鍛冶橋御門内大名小路(千代田区丸の内)にあった』

202006290945060000



●古都の寺? ・・・・・・・・浜川中学校の北側(東大井3)に、真言宗の寺「海賞山地蔵院来福寺」がある。 京都御室仁和寺末。正暦元年(990)智弁阿闍利の草創と伝える。嘗ては日本の東西を結ぶ古い道の近くにあり、眼下に海を見下ろす台地の外れに位置していた。 広大な寺領をもった大きな寺院だった。 昭和20年(1945)の戦災で、本堂、書院、宝庫など多くの建物を失った。 昭和27年に本堂、同47年に客殿が再建された。 本尊と共に戦災を免れた山門および聖天堂は、安政から万延頃の建築というという古い建物だ。 山門から参道が緩やかな坂道を辿ると美しい境内へと導かれる。その境内に、饅頭の製造法を伝えたといわれる赤坂の老菓子舗塩瀬の祖林浄因の碑があり、墓地には阿波の藍商人の集団墓碑などがある。、、、、只今、コロナの影響で、檀家以外は立入禁止。 私は檀家ではないので、もちろん立入禁止。 今日は忍法“コロナの術”で、こっそりと拝見してきた!

202006290927370000

202006290929190000

202006290938360000

202006290940100000

・・・・・・・・・・・・墓地の中央付近に「阿波藍商人墓標群」がある。、、、、説明板では、『藍はタデ科の植物で藍染めの染料として、江戸時代になり木綿の普及とともに需要が高まりました。 阿波徳島藩(現在の徳島県)の蜂須賀家では、藩の財政を支える特産品として藍の栽培を保護奨励し阿波藍の名声は全国的なものとなります。 この墓標群は、阿波藍商人として江戸に進出した大坂屋庄三郎(江戸での町人名、本名は久次来兵次郎)家関係者のものです。 大坂屋は本八丁堀(現在の中央区八丁堀)に店を構え、藍のほかに材木も取り扱う店となりました。 大坂屋の江戸における菩提寺が来福寺です。 墓標は来福寺境外の地蔵堂墓域に建てられていましたが、道路拡張工事のため、昭和2年に現在の場所に移され合葬されました』
202006290935010000



●裏道は方向感覚が? ・・・・・・・このあと、仙台坂、見晴らし通りと歩いて、裏道を抜け、チョイト方向感覚が鈍った! 気がつくと、立会川駅前に出た。

202006290833540000

202006290903390000

202006290910260000

202006290926300000

・・・・・・・・・・・・家を出る時は大森駅まで歩くつもりだったが、立合川駅に出てしまい、ココまでとする!

202006290957270000

202006290959360000

2020年6月17日 (水)

大井の大仏

大仏”とは、その言葉どうり大きな仏様のことである。 もう少し判りやすい基準を探すと、釈迦の背丈が1丈6尺(約4.85m)あったということから、その高さで造られた仏像を丈六仏(じょうろくぶつ)と称し、丈六仏より大きい仏像を「大仏」というそうだ。 さらに、背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分ほどの大きさ(約2.5m)になる。 でも、世の中には仏様を売り込み、参拝客を増やしたい坊さんもおり、丈六仏より小さくとも「大仏」と称する仏像もある。、、、、私が知る有名処の大仏は、奈良大仏(東大寺、14.7m)、鎌倉大仏(高徳院、11.39m)、東京大仏(乗蓮寺、8.2m)、鎌ケ谷大仏(1.8m)、越前大仏(清大寺、17.0m)、牛久大仏(牛久浄苑、100.0m)、飛鳥大仏(飛鳥寺、2.75m)など。 「〇〇大仏」と称する仏様は、全国で100箇所以上ある。

今日は、「大井の大仏(おおぼとけ)」と言われている如来寺の「五智如来」を拝観してきた。 都営浅草線馬込駅から、如来寺・山王草堂記念館・尾崎士郎記念館を巡り、JR大森駅まで、9千歩の散歩です。




●コロナは忘れた! ・・・・・・・環七通りと第二京浜が交差する松原橋交差点は、日本初の立体式交差点である。 その交差点、第二京浜の直下、環七通りに面して馬込駅の出入口がある。、、、、馬込駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。、、、、“コロナ禍”は終わり、忘れたように、通勤客が駅に吸い込まれていく。

202006170807140000

202006170805480000

202006170803470000



●五体の如来! ・・・・・・・馬込駅から東へ歩き、大田区と品川区の区境(品川区西大井5)に、天台宗の寺院、帰命山養玉院如来寺がある。 寺は、かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が大正12年(1923)に合併して成立した。、、、、如来寺は寛永年間(1624~1644)に木喰但唱が、芝高輪に創立した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が 安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、明治41年(1908)年に現在地に移転した。  養玉院は寛永12年(1635)に創立された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、 寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。 元禄11年(1698)に下谷坂本に移って養玉院と改めた。 大正12年(1923)如来寺と合併して、現在の場所に移った。、、、、昭和63年(1988)建立の山門は、通常閉ざされていて、脇に参詣路がある。 参詣路は緑が多く、一息つける。 本堂は、大正12年に下谷から移築した。 

202006170827410000

202006170829420000

202006170830330000

202006170835140000

・・・・・・・・・・・・本堂の右に赤い如来堂の「瑞應殿(ずいおうでん)」がある。 ここに「大井の大仏(おおぼとけ)」である五智如来を祀っている。 堂の正面には、丈六の五体の如来像が、横一列に安置されている。 五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名で、向って左から北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝生如来、そして右端に東方世界の薬師如来が並んでる。 厳かな尊容のうちに限りない慈悲の念を籠め、五体が並んでのお出迎えである、アリガタヤ! 五智とは五種の仏智ということで、深遠な密教教理に基づくもので、江戸時代には、広大無辺の仏智にすがり、さまざまの苦難から逃れようとする願望が、深い民間信仰となって世に広まった。 大日如来には万物を慈しむ太陽の功徳、薬師如来には医薬の功徳、宝生如来には福徳財宝・五穀豊穣の功徳、そして阿弥陀如来には往生極楽の功徳というように現世利益を願う信仰が強くなった。 “コロナ”の現世でも、願うことは同じようだ! 堂内に足を踏み入れると、荘厳な雰囲気に圧倒される。

202006170854290000

202006170837190000

202006170923230000

202006170916050000

202006170922320000

202006170922210000

・・・・・・・・・・・・瑞應殿裏の墓地には、対馬厳原の藩主宗対馬守の墓所、高取藩藩主植村家の墓所もある。


202006170847550000

202006170847250000



●広い公園、全部が居宅跡! ・・・・・・・如来寺から、東海道新幹線・横須賀線の高架下を抜け再び大田区に入る。 この辺は坂が多くアップ・ダウンが多い! 大田区山王1丁目の住宅地に「蘇峰公園」がある。 ここは、大正13年(1924)から昭和18年(1943)まで徳冨蘇峰が住んだ居宅跡である。 公園となった広い起伏ある敷地の片隅に、鉄筋コンクリート造の山王草堂記念館があり、蘇峰の旧宅「山王草堂」の2階部分と玄関部分が復元保存されている。 山王草堂の設計は黒田記念館などの作品が残る岡田信一郎らしい。、、、、館内には、近世日本国民史の原稿、弟の徳富蘆花の原稿、坪内逍遥や与謝野晶子などからの書簡蘇峰愛用の文房具や印鑑の類、勝海舟との親交の資料などが展示されている。、、、、7年ぶりに記念館に訪れてみたが、展示内容に変化なし! 何回訪れても、知らないことを知る、チャンス!

202006170945490000

202006171001240000

202006170947110000

202006170950530000

202006170951130000

202006170959150000

202006170951500000



●人生劇場の記念館! ・・・・・・・蘇峰公園から70m程歩くと「尾崎士郎記念館」もある。 こちらも7年ぶりの訪問だが、人影はない。、、、、作家:尾崎士郎が昭和29年(1954)山王に転居し、同39年(1964)2月19日に永眠するまで生活をした場所である。 建物は、昭和29年(1954)に建てられた居宅のうち書庫、客間、書斎を再現し、庭も整備して平成20年(2008)に記念館としてオープンした。 愛用した机や遺品などが展示されている。(建物内部に立ち入ることはできない)、、、、こちらは、平屋の住宅で“記念館”と知らされてなければ、通り過ぎてしまうと思うね!

202006171004160000

202006171006070000

202006171005560000

202006171006580000

202006171005230000



●チョイト汚れてきた! ・・・・・・・・多くの店舗が入居しているビルの地下からホームに出られる大森駅北口。 改札を入ると、大宮寄りのホーム端部に出られる。 昭和34年(1959)の北口開設から60年余り経過し、改札周辺・駅ビルなどそろそろリニューアルする時期だ!

202006171021490000

202006171028360000

202006171029310000

2019年11月15日 (金)

まごまごせずに馬込を歩く

都営浅草線中延駅(なかのぶえき)から、裏通りを歩き途中で大田区立郷土博物館に寄り、二駅先の西馬込駅まで、9千歩の散歩です。




●乗れても座れない! ・・・・・・・朝8時過ぎ、私が乗ってきた西馬込行きはガラガラ状態で中延駅に到着。 逆に、都心に向かう電車は、始発駅(西馬込駅)から二駅目の当駅で既に満員状態。 通勤する皆さま、朝からお疲れさま。

201911150817110

201911150816170

・・・・・・・・・・・・・・改札は西馬込寄りに1か所、押上寄りの東急大井町線中延駅に近い1か所、計2か所。 今日は西馬込寄りの改札から地上に出てみた。 出入口は第二京浜(国道1号)に面している。、、、、国道を歩いても面白くないので、裏通りを歩くことにする。

201911150823020

201911150826300

201911150827470



●バス通りに出る! ・・・・・・・第二京浜沿いの裏通りを南へ歩く。 かつて源氏の陣屋前であったことに由来する地名「源氏前」。 その源氏前小学校裏を通り坂を上ると、品川区中延から大田区北馬込となる。

201911150830340

201911150835310

201911150841350

201911150847080
 
・・・・・・・・・・・・・・チョイト、右に折れて、左に折れると、第二京浜と並行するバス通りに出る。 

201911150850310

・・・・・・・・・・・・・・バス通りには、曹洞宗寺院の金光山宗福寺(北馬込)がある。 天正年間(1575年頃)の開山。、、、、この寺の名物(?)は、見守り地蔵の「登志子地蔵」である。 この地蔵は、昭和10年(1935)、近くの八幡様の祭礼の日に、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、建立しその霊を祀ったものである。 当時は、寺に捜査本部が設置され、犯人は24日目に逮捕された。 

201911150857040

201911150855210

201911150854540



●新馬込橋の変遷 ・・・・・・・バス通りは、環状7号線を跨ぐ新馬込橋を渡る。、、、、この新馬込橋は
昭和14年(1939)に竣工し、北馬込地区と中馬込地区を南北に結ぶ生活道路として架けられた。 しかし、架橋後70余年経過し劣化もあり、平成23年から架け替え工事が行われ、平成27年(2015)に現在の橋に架け替えられた。
・・・・・・・・・・・・・・今日撮影した新馬込橋。 橋際の説明板にあった昭和15年の新馬込橋。

201911150910090

201911150918330

201911150917260

・・・・・・・・・・・・・・・架け替え直前の平成24年に撮影した新馬込橋の旧橋。 コンクリート製の欄干が印象的。


2012_0711_083341

2012_0711_082654


●馬の背を行くバス通り! ・・・・・・馬込の台地上をバス通りは抜けていく。

・・・・・・・・・・・・・・ちょうど馬の背のようにバス通りの左右は下り坂だ!

201911150921030


201911150922090


201911150923480


・・・・・・・・・・・・・・バス通りは第二京浜を東海道新幹線が跨ぐ馬込架道橋の下に出る。、、、、馬込架道橋は昭和39年(1964)3月、大田区馬込で東海道新幹線の陸橋架設工事が夜を徹して行われ、当時話題となった。 地下には地下鉄浅草線、その上に貨物線、さらに国道の第二京浜、そしてさらに新幹線が重なる複雑な四重立体構造。 国道は1日の交通量が8万台もある工事の難所で、あらかじめ造った全長86.4m、重さ約580トンのアーチ橋を午前0時から夜明けまでにかけてしまう「引き出し式架設工法」が採用された。 当時私は高校生、工事を見たかったが、勉強に没頭して寝てしまった!



●有料でも見たくなる! ・・・・・湯殿神社の東に大田区立郷土博物館がある。 只今ココで、『嶺の御嶽山と一山行者』と題する特別展が開かれていた。 チョイト寄り道。、、、、木曽御嶽山の関東第一分社である御嶽神社(大田区北嶺町)について、社宝・文化財の扁額・絵馬などど多くの資料によって紹介されてる。 ナント無料、見ないと損する展示だ!

201911151012420

201911150948030

201911150950450

201911150950530

201911150953490

2019年9月26日 (木)

二つの内田ゴシック

台風17号のため、出足が遅れた彼岸の墓参りを昨日やっと終え、今日は朝から散歩。 都営地下鉄浅草線の高輪台駅から、都営地下鉄三田線の白金台駅まで、1万歩の散歩です。




●狭い駅です! ・・・・・・高輪台駅昭和43年(1968)11月15日に都営地下鉄1号線(現:浅草線)の駅として開業。 駅ホームは上下線それぞれ単線シールド工法で建設された。 ホーム途中に上下線ホームを結ぶ数本の連絡通路が設けられている、またホーム階と改札階を結ぶ階段・エスカレーターはホーム中央に一ヵ所あるのみ、チョイト狭苦しい構造の駅である。、、、、一日当たりの乗降弱数は15,000人に満たず、浅草線内では最も乗降客の少ない駅。 客が少ないためか、地上の出入口も、国道1号沿いに向かい合わせで2カ所しかない。

1909260807220

1909260811010

1909260813580

1909260817400



●寺町に出た! ・・・・・・・高輪台駅で下車したが、地上に出るとそこは港区白金台2丁目。 白金台の裏道を西へ向かう。

1909260823500


1909260832360

・・・・・・・・・・・・・・・道の先は階段となり、高台から下る。、、、、階段を下りた処が、港区と品川区の境で、階段の下は品川区上大崎1丁目
1909260835480


1909260836140

・・・・・・・・・・・・・・・階段下には日本郵政の宿舎が並んでいる。 宿舎脇の坂を下る。、、、、引き続き、坂を上ると、上大崎2丁目の宝蔵寺の前に出た。 この辺りは、9ヶ寺が集まっている寺町である。

1909260841200

1909260846350

1909260852100



●福沢諭吉が眠っていた寺! ・・・・・寺町の中に常光寺という寺がある。 浄土宗寺院の常光寺は、正福山と号し、元和元年(1615)芝金杉に開山した。 その後、高輪北町への移転を経て、明治42年(1909)に当地にあった正福寺と合併、明治43年に現在地へ移転した。、、、、この辺りは、上皇后美智子様の実家などがあった高級住宅街。 ここに、元々芝公園の増上寺の子院であった、常光寺を含む浄土宗の9ヶ寺が、明治末期に集団移転してきたのである。 このことが、死後の福沢諭吉を悲しませることとなった。(詳細はこの後)

1909260902440_20190926192901

・・・・・・・・・・・・・・さて、福沢諭吉の話。、、、、福沢諭吉は明治34年(1901)2月3日に脳溢血で亡くなる。 葬儀は福沢家の菩提寺:麻布善福寺執り行われたが、しかし、諭吉は善福寺には埋葬されず、正福寺(現:常光寺)の墓地に埋葬された。 これは、諭吉が生前、この地:正福寺の眺望が気に入って、生前に自分の墓地を用意していたからである。(ちなみに、現在でも常光寺の墓地からは高輪の台地を見渡すことができ。眺望抜群!) 昭和50年頃、常光寺は本堂の建て替えを行い、その時、墓の所有者は浄土宗信徒であることを条件とした。 福沢家の菩提寺:善福寺は浄土真宗であったため、常光寺に墓を持てなくなり、昭和52年(1977)に墓は、常光寺から菩提寺の善福寺に改装された。、、、、諭吉が自ら建てた墓は無くなり、現在常光寺には、「福沢諭吉先生永眠の地」の碑と、慶大三田キャンパスにある胸像の原型を復元したものがある。

1909260855050

1909260856040

1909260858580



●これぞ、ゴシック建築! ・・・・・・寺町から北へ向かい目黒通りの白金台駅に出る。 駅前にある「東京大学 医科学研究所」と隣の港区立「ゆかしの杜」にお立ち寄り。(本日の散歩のハイライト!)

・・・・・・・・・・・・・・まずは、東京大学 医科学研究所、、、、医科学研究所は明治25年(1892)に設立された伝染病研究所を前身とし、附属の研究病院を持つ我が国随一の医学・生命科学の研究所。、、、、研究所に入り正面に建つ1号館は、設計は内田祥三の設計により、昭和12年(1937)に完成した旧伝染病研究所である。 (正面玄関は改装中)

1909260936130

1909260941590

・・・・・・・・・・・・・・旧伝染病研究所と同じ敷地内にあった旧国立公衆衛生院の建物が隣にある。、、、、内田祥三により設計され、昭和15年(1940)に建てられた。 「内田ゴシック」と呼ばれる、ゴシック様式の特徴が取り入れられ、両翼を広げた、城壁のような造りの建物である。 鉄骨鉄筋コンクリート造5階建て(一部8階)。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、昨年(2018)この建物は、港区の郷土歴史資料館を中心とした複合施設「ゆかしの杜」に生まれ変わり、開館した。、、、、今日は1階から5階まで、ジックリ、ユックリ、タップリ拝見。 外観も素晴らしいが、340席を有する階段状の講堂が当初の姿で、そのまま残されていた。、、、、明日にでも国宝に指定したいね!

1909260933580

1909261025470

1909260958480

1909261024070

1909260946170

1909260948500

1909260951070

1909260955290

1909260957060

1909260958210



●羨ましい駅! ・・・・・・・白金台駅東京地下鉄(東京メトロ)南北線と都交通局(都営地下鉄)三田線の共同使用駅。 両線を合計すると、一日当たり約40,000人の乗降客が利用する駅。、、、、気のせいか、乗降する女性客の質が違うようだ! 私が住む浅草橋駅は問屋に来るおばさんが多い、白金台駅は女子大生が多い。 気のせいでなく、事実だ!

1909261027520

1909261030090

1909261030130

1909261033010

より以前の記事一覧