品川区

2023年6月20日 (火)

モノレールとゆりかもめ

チョイ曇りの空に涼しい風が吹く梅雨の中休み、東京モノレール天王洲アイル駅から、海岸沿いに歩いて山手線の浜松町駅まで、1万3千歩の散歩です。



● “天王洲アイル”は、東品川2丁目の再開発地区の総称。 品川区の北東部の京浜運河、天王洲運河に面した東京湾沿岸に位置する埋立地。 総面積約22haの埋立地は、複数のオフィス商業複合ビル、商業店舗、飲食店、アートギャラリー、イベントスペース等が建ち並ぶ。 その埋立地の北側に、平成4年(1992)6月19日、現在の東京モノレール羽田空港線の「天王洲アイル駅」が追加開業した。、、、、ホームは高架相対式2面2線構造。 上下ホームは中央改札口のある通路のほか、南側の跨線橋でも結ばれている。、、、、りんかい線との乗り換え駅だが、りんかい線の天王洲アイル駅とはチョイト離れてる、さらに天空を走るモノレールと地下を走るりんかい線では上下の移動も大変そうだ!

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● 天王洲アイル駅から、「海岸通り」に沿って平行するモノレールを眺めながら歩く。 前歩を眺め、後方を振り返り、頭上を見上げ、すれ違う可愛い娘に視線が向いて、首はグルグル、眼はキョロキョロ、疲れること! 下から見上げる写真を撮ると、何だか盗撮しているようで、お巡りさんがチョイ怖い!

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・・・・・・・・・・ 港南4丁目交差点の先で、海岸通りの頭上に首都高1号線、東京モノレールが走り、さらにそれを横切るように東海道新幹線の車両基地への引き込み線、隣には東海道貨物線。 『スゲ~エ!、上空から見てみたい!』

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・・・・・・・・・・ 新幹線が来ないかな?、跨道橋を見上げながら下を抜けると、今度はモノレールの脇(東京港建設事務所前)にひっそりと船が保存されていた。 石碑には『 第一芝浦丸  この船は、東京港の埋立が盛んに行われていた大正15年(1926年)に建造された蒸気船です。 この船の目的は埋立に使う土砂を運ぶ船(土運船・バージ)を引くための船(引き船・タグボート)です。  東京都東京港建設事務所』と記されてる。、、、、約100年前に造船された船は、木製の船室のドア、鉄製の船体、垂直に立つ長い煙突、どれもいい味を出してる! 船の“大正ロマン”

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・・・・・・・・・・ オリンピックマーク五輪の五色にちなんで名づけられた「五色橋」の手前でモノレールとはお別れ!、、、、モノレールは首都高を跨ぎ、JR東海道線にすり寄っていく。、、、、私は、昭和37年(1962)に高浜運河に完成した、長さ93m、幅14.3mの鋼橋を渡り、海岸通りを引き続き歩く。

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● 港区の芝浦とお台場を結ぶ吊り橋「レインボーブリッジ(Rainbow Bridge)」が見える芝浦に来た!、、、、レインボーブリッジは昭和62年(1987)着工し、平成5年(1933)に竣工した。 橋長798m、幅 49m、高さ 塔高126m/橋げた52m(いずれも海面より)の吊り橋。 夜のライトアップはTVニュースなどで紹介され有名。 特にコロナの時は、緊急事態で赤くなったり、医療関係者に“ご苦労さま”と青くなったり、色々とライトアップで変化する橋でもある。

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● レインボーブリッジから浜松町方面には、新交通“ゆりかもめ”の高架を見上げて歩く。 芝浦ふ頭駅、日の出駅、竹芝駅と歩く。

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● 空は晴れてきた、暑い、熱中症が心配になる。 汗をかきかき、「浜松町駅」に着く。、、、、浜松町駅は、只今、大型再開発プロジェクトで大規模工事中(橋上駅舎となるそうだ!)

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2023年6月16日 (金)

京浜運河沿い

ギラギラと日が射す梅雨の晴れ間、京浜急行立会川駅から散歩を始める。 東京湾の運河沿いに歩いて、東京モノレール天王洲アイル駅まで、1万歩の散歩です。




● 京浜急行本線の「立会川駅」は、明治37年(1904)5月8日に追加開業した駅。 現在の駅は、平成2年(1990)12月に高架駅に改良された。 3階のホームは相対式2面2線構造、2階は改札口、1階の出口は1ヶ所だけである。

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・・・・・・・・・・ 立会川の駅名は、駅前を流れる立会川(たちあいがわ)から命名。 その“立会川”は、近くの鈴ヶ森刑場(慶安4年(1651)に設けられた)へ送られる罪人を、その親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)場所であることから“立会川”となったらしい。 立会川に架かる「浜川橋」(旧東海道が通る)は、ひそかに見送りに来た親族らが涙を流しながら、この橋でともに別れたという事から涙橋と呼ばれてたそうだ。、、、、現在のコンクリート橋は昭和9年(1934)竣工

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● 立会川駅に東側に、「坂本龍馬像」がある。、、、、なぜ、ここに龍馬が???、、、、嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬は土佐藩品川下屋敷(立会川駅の北100m程)の近く、立会川河口付近にあった浜川砲台の警護にあたった。

・・・・・・・・・・ 駅から職場へ向かう人々に、『カードは誰にも渡したらいかんぜよ!』と、大井警察署に協力し、注意を促す龍馬像。

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・・・・・・・・・・ 立会川河口左岸には、ペリー再来航後の安政初年に砲台が設置された。 若き日の龍馬は、砲台の警護にあたってた。、、、、河口の脇、新浜川公園内に浜川砲台跡がある。 そこには「30ポンド6貫目ホーイッスル砲」が原寸大(全長 3m、車輪の直径1.8m)で復元されてる。(実弾は発射できず、チョイト残念!)

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● 浜川砲台の前には「勝島運河」がある。 龍馬の時代には、もちろん運河はなく、大砲の先は東京湾であった。、、、、昭和初期、立会川河口の先で、埋め立てがはじまり、昭和17年頃、「勝島」が誕生する。 勝島運河はこの埋め立て地との間に誕生した運河である。 現在は、船溜まりとなっている。、、、、運河沿いには、地元の人により花が植えられ、お薦めの散歩道となってる。

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・・・・・・・・・・ 勝島運河が京浜運河に合流する手前に、勝島と東大井の町を結ぶ「鮫洲橋(さめずばし)」がある。、、、、今日は梅雨の中休み、気温は30℃、私の身体は、ムシムシ暑く、汗はダラダラ、歩きながら年齢を感じた!

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● 鮫洲橋から、京浜運河沿いに北に向かい、東京モノレール天王洲アイル駅に向かう。、、、、道の両側には新しい大きなビルが並び、私が知る、潮の香りが残る“昭和の景色”は無くなった。

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・・・・・・・・・・ 鮫洲橋の北詰には、運転免許証をもらいに何度も訪れた警視庁の「鮫洲運転免許試験場」がある。、、、、私は若い頃、京急の鮫洲駅で下車し、代書屋が多く並び客引きのおじさん・おばさんの声が飛び交う裏道を歩きながら、『すいてる代書屋はないか?』、『視力検査でダメになったらどうしよう?』、『スピード写真の写りは良いか?』など、いろいろ考えながら来たものだ!

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・・・・・・・・・・ 東京臨海高速鉄道(TWR)りんかい線の「品川シーサイド駅」前を通過する。 平成14年(2002)12月1日に開業した駅だ、開業後21年経過したが、鉄道大好き人間の私にとって、いまだに乗降したことがない駅の一つである。 死ぬまでに、一度はホームに立ってみたいね!

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・・・・・・・・・・ チョイト、橋の上から京浜運河モノレールを撮影

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● 東京モノレール「天王洲アイル駅」から帰宅する。、、、、天王洲アイル駅は平成4年(1992)6月19日に開業した、相対式ホーム2面2線を有する高架駅。、、、、駅に着いたら、汗ぐっしょり、チョイト恥ずかしいね!

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2023年6月13日 (火)

チョッピリ旧街道

朝から雨が上がり、梅雨の晴れ間か? 京浜急行梅屋敷駅から立会川駅まで旧東海道を歩いて来た。 1万1千歩



● 普通列車しか停車しない「梅屋敷駅」だが、駅の開業は明治34年(1901)2月1日と古い、今年で開業122年になる。 開業当時は道路上の停留所だったそうだ(私はまだ生まれておらず、知らない!) 今は立派な高架駅。

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● 京急線の東側に平行する国道15号(=第一京浜)を横断し、大田区大森中の「梅屋敷東通り」商店街を歩く。 戦後発足した地元密着型の商店街、まだ9時前なのでシャッターが下りてる店が多い。

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・・・・・・・・・・ 商店街の中に数件(5件以上ありそうだ)の八百屋がある。 なぜか、八百屋だけはどの店もシャッターを上げ営業準備中。、、、、そんな中に、一軒の粋な店があった、その名は『八百長』 屋号に“激安”を冠し、本当か?

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・・・・・・・・・・ 八百長の正面奥に、日蓮宗の寺「大林寺(だいりんじ)」がある。 創建年代は不詳、旧真言宗薬王院として創建され、長享2年(1488)に日蓮宗に改めた。 

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・・・・・・・・・・ 大林寺山門脇に「池上道道標」が残されてる、、、、享保14年(1729)に、大森村の日蓮徒で組織された甲子講の人々が建てたもので、東海道から分かれて池上本門寺に至る大森中宿の池上道の追分にあったが、京浜急行梅屋敷駅付近に移され、さらに道路拡張などの事情により現在地に移された。 道標の旧位置から、十五町(約1.5㎞)で池上本門寺に至り、更にそのまま品川宿に行けることを示している。 旧東海道の道筋にあった、現存する道標としては極めて少なく、しかも高さ1.6mという大型のもので貴重なものだ。

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● 大森警察署前交差点から「旧東海道」に入り、品川方向に歩く。 国道15号から1車線の細い道に入る、これが旧東海道。 現在は「美原通り」の愛称がある(以前は「三原通り」と呼ばれていた) 美原通りは、途中で環七通りと交差し、京急平和島駅の北側で国道15号に出る。、、、、旧東海道と言っても、街道の雰囲気を残す旅籠・茶屋などの建物はない。 チョイト残念!

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・・・・・・・・・・ 旧東海道(美原通り)の途中に大小二寺がある。、、、、まずは、浄土真宗本願寺派の「海松山 徳浄寺」 徳浄寺は、寛永4年(1627)四ツ谷に創建され、元禄年間(1688~1704)に現在地へ移転した。 ガンダーラ風の現本堂は昭和35年(1960)に建てられた。

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・・・・・・・・・・ もう一寺は、真言宗の寺院で昭和25年(1950)に建てられた比較的新しい寺。 こじんまりとした境内は、正面に本堂、右手にお稲荷さん、お地蔵さん。 そして、お百度石もある。 趣のある寺だ!、、、、でもチョイト一言、「美原不動院」と言う名は、私には、何となく“美原美容院”と聞こえるような?

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● 国道15号を北へ約400m歩くと、大森海岸駅の手前に「磐井神社(いわいじんじゃ)」がある。 チョイトお立ち寄り。、、、、磐井神社は、敏達天皇(在位572~585)の代に創建された、延喜式神名帳にも記載されている式内社の古社である。 貞観元年(859)に武蔵国従五位磐井神社官社に列し、武州八幡社の惣社に定められた。、、、、参道にはアジサイの鉢が並び、参拝者をお出迎え!

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・・・・・・・・・・ 神社前の歩道の縁にある井戸が社名の謂れとなった「磐井の井戸」 神社の真ん前の歩道にあるのだが、チョイト気づきにくい。 この井戸は、かつて神社の境内にあったが、国道15号の拡張で境内が削られたためこうなった。、、、、江戸期には東海道を行き交う人々の渇きを癒し、名水の名が高かった井戸である。

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● 大森海岸駅の付近で、北に向かってる私は大田区から品川区に入る。、、、、大森海岸駅鈴ヶ森刑場遺跡旧東海道天祖神社に立ち寄って、立会川駅から帰宅。(大森海岸駅から立会川駅までは、こちらをみてね!

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2023年5月11日 (木)

多い大盛り

長いGWが終り平時の状態の戻ると、我が家では耳鼻科で検査だ!、内科で喉の薬もらうのだ!、眼科は定期診断だ!、整形外科で腰のリハビリだ!、銀行の営業が来る日だ!、ワクチン接種でつながりにくい電話予約だ!、さらに私は補聴器買うのだ!、妻は春の服を買うのだ!、旅行の宿を予約するのだ!、とここ数日大忙し。 今日は身も心も落ち着き、朝は4時16分に地震で起こされ、5時にベッドから立ち、6時にゴミ出し、6時半に朝食、そして7時に『散歩してくる!』と妻に言い、8時前には大井町駅に到着。 大井町駅から大森駅まで、チョイト少なめ9千歩の散歩です。




● 京浜東北線の「大井町駅」から散歩を始める。、、、、明治5年(1872)新橋~横浜間が開業し、4年後の明治9年(1876)大森駅が開業。 明治13年(1880)には品川~大森間の複線化完了。 大正3年(1914)東京~横浜高島町間が開通、京浜線(京浜東北線の前身)の電車運転が開始される。 この時、大井町駅も同時開業した。 大正14年(1925)上野と東京が繋がって山手線が環状線になると、同じ線路を走る京浜線も東京駅から上野駅まで延伸される。 東北線田端駅~赤羽駅間が電化された昭和3年(1928)には、京浜線が東北線に乗り入れて赤羽駅まで延伸され「京浜東北線」と呼ばれるようになった。 現在の大井町駅、大森駅は京浜東北線の駅である。、、、、東急の大井町線、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、乗降客の多い(大井)駅だ。

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● 京浜東北線の西側を大森に向かって歩く、、、、京浜東北線、東海道線の列車がひっきりなしに走り去る。、、、、【蛇足】私は“江戸っ子”なので、“ひ”と“し”が区別できず発音は全て“し”となってしまう。 “あさししんぶん”である! “ひっきりなし”も“しっきりなし”だ。

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● 大井4丁目の住宅地に小さな社の「作守稲荷」がある。、、、、作守稲荷は、元薩州侯抱屋敷内に祀られていた稲荷社を、慶応年間(1865~1868)に平林九兵衛が譲り受け、その稲荷社を平林九兵衛が当地開拓に際して当地に勧請、作守稲荷と称したもので、社地は明治30年に平林氏が寄附したと言われてる。 作物を守る、ってことから「作守」となったのだろうか?、、、、「美化推進モデル地区」にある稲荷は、境内も綺麗に掃き清められ、ゴミがない!

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● 作守稲荷から南へ200m程、「西光寺」(品川区大井4)がある。 西光寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、栄松山と号し、もと麻布善福寺末である。 昨年も訪れたが、今日も門前を素通りするわけにはいかず、チョイト手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・ 本堂脇の奥に「石造地蔵菩薩供養塔」がある。 最前列の三基の供養塔は、寺の東にあった倉田地蔵堂の本尊だった。 左側の明暦元年(1655)のもので、おたつ・おこちよ・およめなど16名のご婦人が建立したもので、また右側の寛文9年(1669)の阿弥陀如来を刻んだ念仏供養塔もおいな・おむつ・おはななど12名の女性によって建立されたもの。 もう一基、中央の寛文13年(1673)大井村講中によって造立された阿弥陀如来立像を彫った「笠塔姿型庚申塔」がある。 いずれも、江戸初期に造立されたもので、石像美術品としても保存状態がよく貴重なものであるらしい。、、、、今の時代、女性の名も『美波、史緒里、珠美、楓、麗乃』などと、指名したくなる名前が多く石仏に刻むとモダンだね!

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● 京浜線複々線時代の橋台が使用されている、JRの「鹿島谷架道橋」をくぐりぬけ、品川区大井4から南大井5の町に入る。

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● 大森駅の北東に東京都住宅供給公社の「大森駅前住宅」がある。、、、、昭和45年(1970)に建てられた、13階建て、総戸数 759戸の集合住宅。、、、、築後50年が経過したが、建物は健在? 現在の売買価格は2LDK/55.31㎡で4000万円程、高い? 安い?

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● 大森駅東口駅前広場の一画に、明治45年(1912)に当時の鐵道院の命によって鋳造された、かつて大森駅の階段に使用された鉄柱が保存されている。 2本の鉄柱には、
「鉄道院」の銘と、製造元の「合資会社高田商会柳島製作所」の社名、「明治四十五年七月製造」の製造年月が鋳造されている。、、、、現在は公園のオブジェかな?

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● 「大森駅」は、鉄道開業4年後の明治9年(1876)にできた駅。 隣の蒲田駅の開業は明治37年(1904)なので、駅としてはかなり先輩格である。都内では、新橋駅、品川駅に次いで3番目に古い駅である。、、、、現在のホームは地上島式1面2線構造。 改札口は中央口と北口の2ヶ所で、それぞれ別々の橋上駅舎内にある。 中央口側の駅舎は駅ビルを併設するたいへん立派なものだ。、、、、ホームには、「日本考古学発祥の地」と書かれ、上に“深鉢式土器”の模型が載せられた碑がある。

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2023年4月29日 (土)

戸越銀座

一週間前の散歩が武蔵小山で終ったのを妻が知り、『こんどは戸越銀座だね!』の一言。 暗に“連れて行け!”と言ってる。 そして、今日の散歩は妻の期待に応え、武蔵小山から戸越銀座を抜けて大井町まで歩いて来た。 1万1千歩




● 今日からゴールデンウィークが始まった! 行楽地は人出が多く、年寄りは無理せず近場で暇つぶしと思い、妻と東急目黒線「武蔵小山駅」で下車。、、、、武蔵小山駅は、大正12年(1923)3月11日、島式ホーム1面2線で「小山駅」として開業。 翌大正13年4月20日に武蔵小山駅に改称した。 開業時の駅名“小山”は、当時すでに開業していた東北本線の“小山”(おやま)駅と紛らわしいので、“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」となったらしい。 なお、“小山”は近くの小山八幡神社に因み地名に由来する。、、、、私の住む、下町の浅草橋駅とは大違い、シャレた綺麗な駅で、乗客も皆、紳士・淑女に見える。 2棟のタワマンがたつ駅前も賑やかだ!

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● 駅前ロータリーから南東方向に「武蔵小山商店街 パルム」が伸びている。 パルムは、約230店が並ぶ全長800mのビックなアーケードが特徴! 両側の商店もオシャレナ構えの店舗が多く、若者受けする品揃えで、どの店も賑わっていた。、、、、商店街の歴史は古く、昭和12年(1937)には「武蔵小山商店街商業組合」が発足した。 しかし戦中には組合も解散し、戦後の昭和22年(1947)に、現在の組合の前身「武蔵小山商店街協同組合」が発足した。 昭和60年(1985)にアーケードの建替えを実施、さらに、商店街の愛称を「パルム」と定め、よりお客に寄り添う商店街として新たなスタートを切ったそうだ。、、、、歩いてると、買いたくなる食べたくなる入りたくなる店が多い。 私の妻もその一人!

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都道2号(=中原街道)にパルムがぶつかり商店街の出口となる。 国道に沿いに東へ200m程歩くと、次は「戸越銀座商店街」の入口が待ってる。、、、、チョイトどうでもいい疑問『商店街の“入口”と“出口”はどのようにして決める?』

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● 「戸越銀座商店街」は、都道2号側の西端から東南東方向に、東急池上線の戸越銀座駅、都営浅草線の戸越駅(国道1号の地下)をとおり西品川2丁目まで伸び、約400件の店舗が軒を連ねる約1.3㎞の長い長い地元密着型の商店街。、、、、戸越銀座商店街の成り立ちは、戸越周辺では、大正12年の関東大震災で被災地から移住した住民も増え、商店街を作ろうと云う機運が高まったいった。 ちょうどその頃、被災した銀座通りでも復興に向け、煉瓦舗装であった道路をアスファルト舗装にするため煉瓦を撤去することとなった。 戸越の人は、撤去する煉瓦を銀座から運び、谷間の湿地帯敷き詰め商店街を形成した。 昭和2年(1927)商店街は発足した。 つまり、“銀座の煉瓦”でつくられた、“戸越銀座”商店街である。、、、、“戸越銀座”(品川区)は、“砂町銀座”(江東区)、“向島橘銀座”(墨田区)とともに三大下町銀座と言われてる。


・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街の西詰(品川区平塚2)付近

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・・・・・・・・・・ スマホ屋さんの脇に、商店街の由来を記した碑が建っている。 そこには、ローマ字で 「SHINAGAWA」(区名ではなく、煉瓦製造元“品川白煉瓦株式会社”の社名) と刻まれた往時のレンガも展示されている。平成7年に戸越銀座誕生70周年を記念して商店街組合が建てたものである。

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・・・・・・・・・・東急池上線の「戸越銀座駅」は昭和2年(1927)8月28日に開業した。 ホームは地上相対式2面2線構造で、上下ホームは完全分離され、改札口・出口はホームごとに設けられている。、、、、【ついでの話】日本で最初に「銀座」という名前のついた駅は、ここ戸越銀座なのだ。 本家本元の地下鉄銀座線の銀座駅(昭和9年開業)より7年も早い、昭和2年に命名された。 元祖“銀座”と言うものだ、凄い!、、、、【おまけの話】木造駅舎の雰囲気をデザインした現駅舎は、2017年度のグッドデザイン賞、土木学会デザイン賞2018奨励賞を受賞した。

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・・・・・・・・・・ ほぼ東西に直線状に伸びる戸越銀座商店街の中程で、商店街を二等分するように交差するのは国道1号(第二京浜)。 この道路の地下には都営浅草線の「戸越駅」がある(戸越銀座駅と比べると、地上にポッカリ口を開けた面白みのない駅だ!)

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・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街、国道1号の東側を歩く。 唐揚げ屋、リサイクルショップ、アンティークショップの多さが印象的だ!、、、、妻もアンティークショップで気に入ったものを発見! 『この陶器のフクロウの置物、買ってみようかな?』(可否を問う口調ではなく、断定的に聞こえた) 私の応え『好きにしたら』 この後、妻は、壊れないように包装してもらい、大きな袋を抱えて歩くことになる。

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・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街から、チョイトわき道に入り、戸越銀座温泉」、「戸越八幡神社にお立ち寄り。

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・・・・・・・・・・ 戸越銀座商店街の東端、ここで商店街巡りは終了

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● 戸越銀座から、歩みを南に向け東急大井町線の下神明駅を目指す。 妻が持つ置物が重たそうだ!


・・・・・・・・・・ 大きな賑やかな商店街のつぎは、小さな静かな商店街、その名は「平和坂通り商店会」、、、、品川区西品川2丁目の平和坂に沿って14店舗ほどの商店が並ぶ小さな商店街。 平和坂入口にある、目印の時計のモニュメントが印象的。

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・・・・・・・・・・ 下神明駅の北側に、弘田三枝子、島倉千代子、小向美奈子、工藤静香などの出身校:日本音楽高等学校」(本年、品川学藝高等学校と改称) の「1号館」校舎がある。 この建物は、もともと、味の素のうまみ成分であるグルタミン酸を発見した化学者:池田菊苗(1864年10月8日~1936年5月3日)の私邸だった。、、、、現在は個別レッスンの教室として利用

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・・・・・・・・・・ 下神明駅のすぐ脇に、新幹線・東急大井町線・湘南新宿ラインの3路線を同時に見ることができるポイントがある。 鉄オタの間では有名なポイントだが、その路線を3つの電車が同時に走る景色を見る事は奇跡と言ってもよいだろう。

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・・・・・・・・・・ 東急大井町線の「下神明駅」は、昭和2年(1927)7月6日に戸越駅として開業。 昭和11年(1936)、下神明駅に改称。

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● 重たい置物を抱えて「大井町駅」に到着。 浅草橋の我が家まで、あと30分、しっかり抱えて持ち帰りましょう!

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2022年10月23日 (日)

大井の井

JR大森駅から北に歩き、東大井に入り、京急の立会川駅まで、9千歩の散歩です。



● 今年は鉄道開業150年。 京浜東北線の停車場:JR「大森駅」は、鉄道開業4年後の明治9年(1876)にできた駅。 都内では新橋駅、品川駅に次いで3番目に古い駅だ!、、、、島式ホーム1面2線の地上駅。 改札口は中央口と北口の2ヶ所で、それぞれ別々の橋上駅舎内にある。、、、、今日の散歩は大森駅西口から歩くことにした。 大森駅のホーム中央には「日本考古学発祥の地」の石碑がある。 石碑の側面には『E.S.モース発掘100周年記念建立』と書かれ、以下の説明文が続く、『 アメリカの動物学者モース博士が1877(明治10年)横浜より新橋に向かう汽車の窓から 大森貝塚を発見し, これが契機となって日本の考古学が発達しました。 このブロンズは当貝塚出土の土器を約2倍に拡大したものです。 1979年12月 東京大森ロータリークラブ 東京大森ライオンズクラブ 東京都大森貝塚保存会 』、、、、今年が発見から145年目である。

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● 大森駅西口から池上通りを北へ300m程歩くと、NTTデータのビルがある。 ビルの植え込みに、「大森貝墟」碑の約二分の一寸法のレプリカがある。、、、、大森貝墟」碑の実物は、NTTデータ敷地通路奥の階段を下りた先に鎮座する。 早朝の散歩であり、民有地の敷地内に勝手に入るとヤバイので実物はパス。 近くの、品川区立大森貝塚遺跡庭園公園は開園が9時であり、こちらもパス。

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● NTTデータのビルの向かいには「大森山王日枝神社」がある。、、、、大森山王日枝神社は、遠く古のころ、土地の豪族酒井氏が、近江の国比叡山麓にある日吉神社の祭神、山王権現を当地に勧進祭祀したものである。 その後、延宝5年(1677)、円能寺が別当し、明治初年まで同寺の管理下となった。 その頃は『山王権現』又は単に『山王さま』と呼ばれ、この地を山王村と称した。 現在の地名「大田区山王」の由来である。、、、、現在の社殿は昭和28年(1953)の建設。 只今、社殿屋根改修工事中につき、残念ながら足場で覆われてる。、、、、池上通りに面しているが、境内は静かで落ち着いた佇まい。

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・・・・・・・・・・・・大森山王日枝神社とは地続きで、かつて別当であった「成田山円能寺」がある。、、、、円能寺は真言宗智山派寺院で、天正年間(1573~1592)に開創。 現在は成田山新勝寺の末寺となっている。、、、、本堂、斜め前に幼稚園が併設されており、平日はチョイト参拝しにくい雰囲気だ!

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● 池上通りを品川区に入ると、鹿島神社がある。 「大井鹿島神社」(品川区大井6)は、安和2年(969)に常陸の鹿島明神を勧請し創建したと伝えられます。 古くからの祭礼として相撲が奉納されており、当社の相撲は、渋谷氷川神社、世田谷八幡宮とともに江戸郊外三大相撲の一つとされていたそうだ(知らなかった!)、、、、現在の社殿は、設計を日本建築界の権威である帝室技芸員:佐々木岩次郎に、施工を名古屋の名匠:伊藤平左衛門氏に命じ、総工費十数万円で昭和6年(1931)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・また、旧社殿は文久2年(1862)の造営で精巧を極めた鎌倉彫の彫刻が施されており、これを後世に伝えるため境内末社として移設し現存する。、、、、素晴らしい彫刻が残されている、必見!

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・・・・・・・・・・・・鹿島神社の隣りには、別当であった「来迎院」がある。、、、、天台宗寺院の来迎院は、鹿島山常林寺と号す。 安和2年(969)、南品川の常行三昧寺(現、常行寺)の僧により鹿島神社と共に当寺を創建した。

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・・・・・・・・・・・・来迎院の門前、道路を挟んで向かいに「来迎院石造念仏講供養塔」がある。 元来この場所は来迎院の境内であったが、道路建設により、現在のようになった。、、、、石造念仏講供養塔は、江戸時代に行われて念仏講の供養塔です。舟形の二基の塔は、明暦2年(1656)と万治2年(1659)の建立、笠塔婆型の塔は寛文7年(1667)で、いずれも江戸時代初期のものです。 全部で10基の石仏がある。

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● 来迎時の北200m程に、延暦元年(782)、天台宗神宮寺として開創されたと伝えられ、現在は浄土真宗の「光福寺」(品川区大井6)がある。、、、、境内には、幹の周り7.2m、高さ40m、樹齢約800年の大イチョウがある。 垂れた乳もデカイ! 触って撫でると御利益ありそうだ!!

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・・・・・・・・・・・・本堂裏手、墓地の中央に、地名「大井」の由来となった井戸がある。 縁起によれば、名僧了海上人誕生の際の産湯の井戸で、今なお水をたたえてる。

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● 光福寺から道なりに北へ約300m、浄土真宗本願寺派寺院の「西光寺」がある。 西光寺は、栄松山と号し、もと麻布善福寺末。 弘安9年(1268)栄順律師が開創し、後浄土真宗に改宗した。、、、、本堂の正面で枝を伸ばす兒桜(ちござくら)という名木があり江戸名所の一つになっていた。 春の開花が楽しみだ。

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● 東海道線・京浜東北線の下を抜け、大井4丁目と南大井5丁目を結ぶ、歩行者専用の「関道地下道」。 昭和42年(1967)の竣工。、、、、以前は地上に踏切があったと思われる、事故防止のため踏切をなくし地下道にしたのであろう。 車はもちろん、自転車も乗ったままでは通れない地下道。

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● 関道地下道を抜け、東大井3丁目の町に入ると「大福生寺」がある。 天台宗寺院の大福生寺は、明治14年(1881)に宇賀神寶海和尚が目黒不動瀧泉寺を退き、 隠居の寺として日本橋蛎殻町(水天宮の近所)に一寺を建立した。 昭和24年(1949)に現在地へ移転。 東海三十三観音霊場16番札所。、、、、寺か、神社か? 入口の三角形の山王鳥居をくぐると、小さな境内に聖天がある。 御本尊は、大聖歓喜天(聖天さま)で、その他大勢として、十一面観世音、聖観世音、福生稲荷、福生弁財天、福生地蔵尊、宝性地蔵などが勢揃い!

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● 国道15号(=第一京浜)を越えて、京浜急行「立会川駅」まで歩く。、、、、立会川駅は明治37年(1904)5月8日開業。 平成2年(1990)12月2日に上下線が高架駅となる。 ホームは高架相対式2面2線構造で、3階にある(2階は改札階)。 改札口は1所のみ。、、、、大井競馬場まで、徒歩10分。 行きは近いが、負けると遠い!

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2021年12月 7日 (火)

残された退助

JR山手線でたった一駅間、大崎駅から品川駅まで歩いてきた。 ほぼ線路沿いに歩いたのだが、寄り道が多かったのか、1万2千歩の散歩となった。




● 品川駅は港区高輪にあり、目黒駅は品川区上大崎にある、これは有名な話。 では、大崎駅は品川区大崎にあるので『面白くない!』と思ったら、明治34年2月25日の駅開業時には、現在地の住所は“大崎町大字居木橋(いるきばし)”であった。 10年後の明治44年に開業した隣の五反田駅の当時の住所は“大崎町”であった。 当時“大崎町”の中心は、“上大崎”と呼んでいた目黒・五反田の辺りである。 本来“大崎”と名のるべきは五反田駅で、大崎駅は“居木駅”が妥当かな?、、、、以上、どうでもいい話!、、、、私は、朝7時半、「大崎駅」に下車し、散歩をはじめる。

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● 山手通りが目黒川を渡る橋、品川区大崎と北品川を結ぶ橋を、「居木橋(いるきばし)」という。、、、、橋名の由来は判らない?

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リニア中央新幹線工事現場、、、、、品川駅から大崎駅方向に向かう山手線・東海道新幹線と、大井町方向に向かう京浜東北線・東海道本線と、目黒川・山手通りに囲まれた三角地帯に、上空から見るとポッカリと大きな穴があいた工事現場がある(Googleマップの航空写真を見てね!) ココが、JR東海が工事中のリニア中央新幹線の工事現場で、穴(立坑、直径約36m、深さ約90m)は「北品川非常口」で、ほぼ完成している。 この立坑から「第一首都圏トンネル(北品川工区)」の掘削も行われている。、、、、仮囲いで覆われた現場は見ることも難しく、現場前の歩道橋、隣の墓地と、場所を変え・苦労して、穴の一部が撮影できた! 

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・・・・・・・・・・・・この現場のある処は、官営品川硝子製造所跡で、現在は工事現場の角に「近代硝子工業発祥の碑」がある。 説明書きによると、『日本における近代硝子工業発展のもとになったのは、明治6年に東海寺境内に創設された興業社である。興業社は、明治9年に工部省に買収されて官営品川硝子製造所となり、全国のガラス工業の発展に貢献した。 

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● 東海道本線とリニア中央新幹線工事現場の仮囲いに挟まれた狭い参道を進むと、三角地帯の先端に「東海禅寺大山墓地」がある。 ここには、沢庵和尚墓(国指定史跡)、賀茂真淵墓(国指定史跡)、井上勝墓、島倉千代子墓などが眠っている。

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・・・・・・・・・・・・・「沢庵の墓」は、自然の丸石を置いただけの無字の墓石で、人柄を窺わせる。 小堀遠州の設計といわれ、台石の上に直径1m、高さ50cmほどの大石を置き、周りに高さ約50cmの玉垣を巡らせただけの、凡そ正規の墓制にはない形だ。 これは本人の遺言だそうで、まさに沢庵漬けの漬物石だ。 沢庵最後の洒落か(?)

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・・・・・・・・・・・・「賀茂真淵の墓」は自然石である。 彼は元禄10年(1697)遠江国岡部新宮の禰宜の家に生まれる。 享保8年(1733)京都に上り荷田春満(かだのあずままろ)の門に入って神道国学を学び、国学を復興する。 後に江戸に下り、御三卿の田安家に召し出され優遇される。 その教えを受けた者300人を超えるそうだ。 後世、荷田春満・本居宣長・平田篤胤とともに〝国学の4大人(うし)〟と称される。明和6年(1769)に没し、東海禅寺塔頭少林院に神式で葬られた。

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・・・・・・・・・・・・「井上勝の墓」(鉄道記念物)は、墓地の北端で東海道新幹線を見守るように、自然石に「正一位勲一等子爵井上勝」と刻んである。初代の国鉄総裁で、鉄道の父と言われてる。 東京駅前に銅像が建っている。

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・・・・・・・・・・・・新幹線を見る井上勝の墓を見つめるように、「島倉千代子の墓」がある。 流雅之のデザインによるモニュメントのような墓。 今日は「藤あや子」、「坂本冬美」と書かれた生花が手向けられていた。

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● 東海禅寺墓地へ行ったら、近くの東海禅寺に寄らねばならない。、、、、臨済宗大徳寺派の「萬松山東海寺」は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山した。 寺領5,000石、境内地4万7000坪の別格本山格の寺院で、臨済宗大徳寺派の江戸触頭でだった。 明治維新で廃寺となったものを、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いで現在に至っている。

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● 第一京浜(国道15号)に出ると、国道に面する小高い丘の上に「品川神社」がある。、、、、品川神社は、文治3年(1185)に源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建された。 天正18年(1590)8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜わる。 明治時代には准勅祭社の一社に、現在東京十社の一社に指定されている。、、、、現社殿は昭和39年(1964)に再建された

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・・・・・・・・・・・・品川神社社殿の奥に、かつて100円札のモデルであった、軍人・政治家の「板垣退助の墓」がある。 墓地は品川神社の境内ではないようだが、境内から行かないと墓地に辿り着かない! 神社では、板垣退助の墓について説明も、道案内もない。、、、、品川神社の隣り、板垣退助の菩提寺があったが、墓を残したまま移転してしまったらしい。 哀れな退助!、、、、『板垣死すとも自由は死なず 』 『坊主去れども墓石は残る』

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京急電鉄の品川駅地平化ならびに北品川駅の高架化工事が始まる、、、、工事では、品川駅の再開発に伴い、京急品川駅をJR品川駅と同じ高さに地平化し、客の動線をスムースにする。 また、北品川駅を高架化し八ツ山橋付近の踏切を撤去する。、、、、工事が始まったようだ、撮影し記録に残しておこう!

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品川駅にたどり着く直前に降ってきた。 カメラも濡れて、チョイト心配。、、、、今日の散歩はここまで!

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2021年12月 5日 (日)

拾うんじゃなかった!

都営浅草線戸越駅からJR山手線大崎駅まで、9千歩の散歩です。




● 昨日の続きで、都営浅草線「戸越駅」で下車する。、、、、戸越駅は、昭和43年(1968)の都営1号線(現:浅草線)西馬込~泉岳寺間開業時に設けられた駅。 この区間の開業によって浅草線は全通した。 ホームは島式1面2線構造で地下2階、改札は地下1階。、、、、近くには、戸越銀座商店街に面する東急池上線の戸越銀座駅(昭和2年開業)がある。 戸越銀座駅から約200m離れているが、こちらも商店街に近い戸越駅は“銀座”を付けず名乗るのみ。

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戸越銀座商店街は、東急池上線の「戸越銀座駅」に接する、全長約1.3kmにわたる関東有数の長さを誇る商店街で、3つの商店街振興組合で構成されている。 商店街沿いには約400件の店舗が軒を連ね、生鮮三品を扱う店も多い、地元密着型の商店街だ。 大正12年(1923)の関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京の下町や横浜方面の商業者たちが、当時発展の著しかった大崎周辺の工場地帯であるこの地に活路を見出して集まってきたことと、昭和2年に東急池上線「戸越銀座駅」が開業し、それまで散在していた周辺の商店が駅を中心に集まってきたことで、戸越銀座商店街が形成されてきた。、、、、朝8時前の商店街は、どこの店もまだ熟睡中! シャッターの下りている商店街を延々1㎞以上歩くのは面白くないので、商店街の裏を歩くことにした。

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● 商店街の南側(戸越2-1)に「戸越銀座温泉」がある。 数人の客が8時に開く、日曜の朝風呂を待っている。、、、、美人の湯として愛される天然黒湯温泉で、入浴料は460円、これは安い!、、、、昭和35年(1960)に創業した銭湯「中の湯」が、平成19年(2007)にリニューアルし、モダンな戸越銀座温泉に生まれ変わったそううだ。

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● 戸越銀座温泉から南東へ200m程の処にある「戸越八幡神社」に寄ってみた。、、、、鳥居をくぐり、拝殿へ、アレ? 変なのがある? 「仮拝所」と書いてある? 聞いたら『只今、御社殿は改修工事中』 仮拝所の後ろで、安政2年(1855)に落成した総欅造りの社殿の改修工事が行われていた。

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・・・・・・・・・・・・戸越八幡神社の隣りには、浄土宗寺院の「八幡山成就院行慶寺」がある。 行慶寺は、もと戸越八幡神社の別当であった。 大永年中(1521~1527)の創建。、、、、只今、モミジが色づいてます

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● 戸越八幡神社から南へ100m、「文庫の森公園」がある。 国文学研究資料館跡にできた品川区立公園。 元々は三井家の修史事業のために設立された「三井家編纂室」が、日本橋から「三井文庫」としてこの地に移転したのが始まりの「文庫の森」。 この地は、江戸時代には熊本藩細川家の下屋敷だった場所だ。、、、、池では水鳥が寒そうに泳いでた!

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・・・・・・・・・・・・公園内には「旧三井文庫第二史料庫」(国の登録有形文化財)の建物が残されている。 建物は大正11年(1922)に完成した、鉄筋コンクリート造3階建て。

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● 文庫の森公園から、再び戸越銀座商店街に出て。今度は商店街の北側の裏道を歩いた。 ここからは、19/2/8に歩いたルートを逆に歩いてきた。、、、、西品川三丁目石造庚申供養塔」、「貴船神社」、「文政11年(1828)銘の道標」、「大正六年銘道標 」と巡る。

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● 品川方面に歩いて行こうと思い、百反歩道橋を渡ると、可愛らしいポシェットを拾ってしまった。 中には、児童スポーツ教室の会員証と会費の領収書だけ。 拾った所に置いて行こうと思ったが、会員証に親の名前と児童の名前さらに住所に電話番号が画いてある。 コリャ、個人情報がヤバそうだ!と思い、拾ったことを電話で知らせてやろうと掛けてみたら。 留守のようだ! 拾った私が、どうしたものか困った! ヨシ、交番に届けておこうと、交番探すも見つからない。 人に訊ねると、大崎駅前にあると教えてくれた。 やれやれ、品川方面へ歩く予定が逆戻りだ! 交番を探し届けると、今度は書類を書いて、状況説明、ナンダカンダで30分のロス! 拾わなければ良かった!!!、、、、散歩を継続する気分は薄れ、帰る!

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大崎駅から帰宅、、、、気持ちは疲れた!

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2021年12月 4日 (土)

夢見る白蛇

JR大森駅から、北の方角(山手線の駅に向かい)に歩いてみようと、裏通りを歩き都営浅草線の戸越駅まで、1万歩の散歩です。




大森駅から今日の散歩を始める、、、、今日は、どこか山手線の駅まで歩いてみようと思い、大森駅は山王北口から出ることにした。 出口はホーム北端の階段上にある。 池上通りに面する山王北口は、雑居ビルの入口のような構えで、またJR東日本のコーポレートカラーである緑の駅名表示がないので、駅入り口とは思えない。

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● 大森駅山王北口から250m程の処にある山王交番前交差点から北に入る裏通りがある。 交差点角には、明治・大正の政治家:井上馨の別荘地を譲り受けて開校した現在の「大田区立山王小学校」(大田区山王1)がある。 山王小学校には何度か来たが、地図を見ると、この小学校前の裏通りは大田区山王、品川区西大井の町を北に向かって伸びている。 何となく旧街道の雰囲気が漂う道だ『決めた! 今日はこの道を歩いてみよう!』、、、、ということで、この無名(?)の裏通りを道なりに歩いてみた。

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・・・・・・・・・・・・商店街として名があるわけではないが、道沿いにはシャレた店舗が点在し、大森駅へ向かう通行人も多そうだ!

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・・・・・・・・・・・・山王交番前から400m程歩くと、大田区山王から品川区西大井の町になる。 西大井に入ると、道幅はさらに狭くなるが、旧街道のような雰囲気は残ってる。 チョイト古びた家もある。

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・・・・・・・・・・・・西大井4丁目に入ると道幅も多少広く、車は交互通行可能となった。、、、、横道の奥に赤い鳥居が見えた。 昭和10年(1935)にこの地に祀られた「金子山稲荷神社」という小さな神社。 地元の文化財。

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・・・・・・・・・・・・道の先には東海道新幹線の高架橋が見える。 新幹線の下では、切通しの中を横須賀線が走る。 頭上に新幹線、足下に横須賀線の三重構造。 その切通しに架かる「金子跨線橋」を渡ると西大井5丁目。、、、、おそらく、この跨線橋は昭和39年(1964)の東海道新幹線開通以前に架け替えられたものと思われる。

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・・・・・・・・・・・・新幹線の下をぬけ200m程歩くと、「品川区立伊藤小学校」がある、、、、明治の元勲である伊藤博文は、晩年、現在の西大井付近に居住し、別邸・墓所も近くにあったことから、町名を「大井伊藤町」とした。 その伊藤町に昭和11年(1936)に開校した小学校で、東京市伊藤尋常小学校と命名された。 大井伊藤町の町名は昭和39年(1964)に西大井となる。、、、、地名として、“西大井”より“伊藤”の方が歴史を感じる、復活できるといいね!

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・・・・・・・・・・・・伊藤小学校の先、西大井5丁目で歩いてきた裏通りはT字路にぶつかり、『道なりに』はココまで!

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● 西大井の町から進路を北へ! 品川区二葉の町に入ると「蛇窪神社(天祖神社)」の前に出た。、、、、私の大嫌いな“ヘビ”の神社。 寄って行こうか、素通りするか、決断の時が来た! 神社の前で躊躇すると、若い娘が二人鳥居をくぐる。 これで決まり、寄って行こう!、、、、蛇窪天祖神社は、文永8年(1272)以降、当地蛇窪村を開拓した北条四朗左近太夫陸奥守重時五男の時千代の家臣が、元享2年(1322)の旱魃時の雨乞祈願による降雨を感謝し、蛇窪村の鎮守として創建された。 江戸期に入り、蛇窪村は上蛇窪村と下蛇窪村は分村したが、当社は上蛇窪村の鎮守となり、下蛇窪村には下神明天祖神社が創建された。

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・・・・・・・・・・・・撫で撫でしたくない「撫で白蛇」 これを撫でたら、今夜夢見る気がした、怖いのでやめておく!、、、、この他に、白蛇清水の銭洗い所、境内社の蛇窪龍神社、白蛇弁財天社など、ヘビ尽くし。 コリャ、本格的に夢見るかもね?

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● 早々に蛇窪神社の参拝を終え、裏通りを北へ向かうと、戸越6丁目に「子育て地蔵」という地蔵様を祀ったお堂がある。 昭和初期までは、この地蔵様は今の処より少し南にあり「首なし地蔵」と呼ばれていた。、、、、江戸時代から明治時代にかけて、この地蔵様は願かけ地蔵として評判を呼び、願いをかける人が地蔵様の首を畑のあぜに転がしたり、ときには胴体も倒し、願がかなったときに元通りにするという、変わった風習があった。 ところが、願掛けしたが叶わなかったためしばらく首がない状態が続いた。 大正末期になって、地蔵様の熱心な信者だった目黒の植木職人が、「このままでは、地蔵様がかわいそうだ」と他の首をつけた。 その後、願かけのために首を外す習わしはなくなり、今では子育て地蔵として慕われている。

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● 東急大井町線の戸越公園4号踏切を越える、、、、戸越公園付近では、鉄道の立体化が求められており、都・区などで基本計画がまとめられているそうだ。

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国道1号の地下に都営浅草線「戸越駅」がある。、、、戸越駅は、昭和43年(1968)11月15日都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、近くに有名な戸越銀座商店街があるが、駅は商店街とは無縁なのかあまりパッとしない造りである。

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2021年11月11日 (木)

海舟のお気に入り

今日は、東急目黒線武蔵小山駅から歩き始める。 行きついた先は、東急池上線の洗足池駅。 ココまで、1万2千歩の散歩です。




● 目黒線の「武蔵小山駅」は、大正12年(1923)3月11日に、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部駅)間を開業させた時に小山駅として同時開業した。 大正13年(1924)に武蔵小山駅に改称。 平成18年(2006)に地下化し、平成22年(2010)に駅ビルが開業。 島式ホーム2面4線を有する地下駅。、、、、駅名は地名に由来する。 近隣の小山八幡神社にちなんで、開業当初は「小山」だったが、同名駅がすでに東北本線に設置されていたため、旧国名“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」となった。、、、、すれ違う通勤通学客を見ていると、下町の駅とは違う雰囲気を感じる。 特に女性は、チョイト、美しさを感じる!

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● 駅前のロータリーに出て、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 とりあえず、人が流れて来る駅前の商店街を歩くことにした。、、、、駅の南側から南東方向に伸びる「武蔵小山商店街(パルム)」は、かつて「東洋一のアーケード街」と謳われたそうだ。 約800mのアーケードには約200軒の店舗が並び、日中は相当のにぎわいらしい。 今日は、まだ朝8時前、商店街を駅に向かって歩く人は多いが、開いている店は少なく、多くはシャッターが下りている。 見るべきものもない商店街は歩いていてもつまらない。 商店街中程から、横道にそれた。

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● 武蔵小山商店街から右(南西方向)に折れると「栄通り」の表示がある“商店街”とは言いづらい道があった。 こちらの通りの方が自分の性に合っている。 『ヨシ、この道を道なりに行けるとこまで行ってみよう!』、、、、品川区荏原の町を、4丁目、5丁目、6丁目と貫いている裏通り。 最後はチョイト旗の台1丁目に首を突っ込んで中原街道(都道2号)で終点となった。 「栄通り」の表示は4丁目部分だけであった。

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・・・・・・・・・・・・旗の台1丁目、中原街道(都道2号)に出る処(昭和大病院前交差点)に庚申供養塔と札場の跡がある。

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・・・・・・・・・・・・「旗の台一丁目石造庚申供養塔」は案内板によると、『中原街道から分かれて小山に至る旧道の分岐点にあり、寛文五年(1665)旧中延村の庚申講中が造立したもので、区内現存の庚申塔50基のうち3番目に古い。中央に「南無妙法蓮華経」の髭題目を彫り、その下に石塔を造立した7名の氏名が刻まれている。本塔は高さ92cm、板碑型で材質は安山岩、向かって右上部に一部欠損がみられるが、保存状態は概して良好である。日蓮宗の影響か、青面金剛、三猿、日月が彫られていない文字塔として特色がある。全村のほとんどが日蓮宗といわれる中延村に、日蓮宗の僧が指導したと思われる庚申講の存在を示す資料として貴重である。  平成13年3月30日  品川区教育委員会 』と記されている。

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・・・・・・・・・・・・庚申塔と旧道を挟み向かい側に、ズングリムックリした形の「札場の跡」がある。 ここは昔、高札場だったところで、石碑が据えられてる。 中原街道沿いの、この辺りは江戸時代から大正時代まで「札場」と呼ばれていた。 高札場は、江戸時代、幕府や領主が法度(法令・禁令)などを立て札に書いて掲示した場所だ。、、、、今は交通量の多い中原街道沿いに、ひっそりと静かに立つ石碑に、家康が行き来していた時代の歴史を感じる。

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● 中原街道を歩き「旗の台交差点」を過ぎ、坂を上がった右手に「日本聖公会三光教会」がある。 三光教会は、大正元年(1912)11月2日芝白金三光町の地で、聖ステパノ教会、聖十字教会、喜望教会の三つの教会が合同、一つの教会として誕生した。 「三光」という名前は「白金三光町で生まれた教会」という意味に加え、三つの教会が合同した教会ということにも由来しているそうだ。 昭和15年(1940)に現在の品川区旗の台に移った直後、戦火により礼拝堂は焼失した。 昭和29年(1954)に礼拝堂は再建。 平成22年(2010)に入口部分を残して建て替えが行われ、三廊式の礼拝堂として献堂された。 100年以上に至る歴史ある教会。、、、、教会の隣りには中高一貫の女学校「香蘭女学校」がある。 香蘭女学校は、英国聖公会主教により創られ、伝統をもつミッションスクール。 キリスト教信仰に基づいた女子教育を旨とし、三光教会とは親戚ともいえる学校です。、、、、残念ながら香蘭女学校には入れなかったが、教会には入れてもらえた。 厳粛だが、新しさっも感じることができる、歴史ある教会。

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● 中原街道を歩き、東急大井町線の「中原架道橋」をくぐり、環七通りと交差する「長原陸橋」をくぐると、品川区から大田区に入ったことになる。

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● 洗足池公園の一角に、勝海舟夫妻の墓所、南洲留魂詩碑、勝海舟記念館があるので、チョイトお立ち寄り。

・・・・・・・・・・・・洗足池公園は、大田区南千束にある洗足池を囲む区立公園。 洗足池は、 武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、 昔は灌漑用水としても利用された。 江戸時代には、初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地として知られていたそうだ。 昭和3年(1928)に池上線が開通すると、公園として整備された。

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・・・・・・・・・・・・勝海舟は池上本門寺に本陣を置いた西郷隆盛をしばしば訪ね、国の将来などについて語り合ったそうだ。 その時の洗足池の風光が大層お気に入りとなり、池の畔に別荘を建て「洗足軒」と呼んだ。 さらに、この地を自身の埋葬地と定めたそうだ。 「勝海舟夫妻の墓」は海舟の遺言によって建てられた。、、、、勝海舟は明治32年1月19日に死去。

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・・・・・・・・・・・・海舟の墓の隣りには、西郷隆盛(南洲)を悼み、表面に西郷の作詩を、裏面に勝海舟の西郷への述懐が刻まれている石碑「南洲留魂詩碑」がある。 明治12年(1879)、勝海舟が自費で南葛飾群木下川の浄光寺に建立した石碑。 大正2年(1913)荒川放水路の開鑿工事があり、碑祠のある浄光寺が河川敷になるに及んで現在地に移した。、、、、風化したのか読みにくい!

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・・・・・・・・・・・・南洲留魂詩碑の隣りには、昭和12年(1937)に数名の有志が計画し、海舟を師と仰ぐ徳富蘇峰に詩を書いてもらい建立した「南洲海舟両雄詠嘆之詩碑」がある。、、、、こちらは、文字の判読はできたが、内容は? 漢詩は難しい!

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・・・・・・・・・・・・勝海舟の墓の近くには、海舟没後その海舟に関する資料などを収集・閲覧・講演する目的で、(財)清明会が昭和8年(1933)に建てた「清明文庫」の建物がある。 正面玄関から立ち上がる4本のネオゴシックスタイルの柱型やアール・デコ調の建具などに特色がある、国の登録文化財。、、、、大田区は鳳凰閣(旧清明文庫)を勝海舟記念館として整備し、公開している。 海舟ファンにとっては必見の場所!

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● 洗足池公園の前(南側)に中原街道を挟んで、東急池上線の洗足池駅がある。

・・・・・・・・・・・・洗足池駅に行く前に、チョイトお立ち寄り。 駅の横50m程の処に、東京で一番低い桁高(?)のガードがある。 車はもちろん通れない、人間は腰を曲げて頭を下げて通るだけ。 桁高は1.5~1.6mぐらいか。路面は砂利。

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・・・・・・・・・・・・「洗足池駅」は昭和2年(1927)8月、池上電気鉄道洗足池駅として開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。、、、、昭和の匂いが残る駅。

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