大田区

2022年10月23日 (日)

大井の井

JR大森駅から北に歩き、東大井に入り、京急の立会川駅まで、9千歩の散歩です。



● 今年は鉄道開業150年。 京浜東北線の停車場:JR「大森駅」は、鉄道開業4年後の明治9年(1876)にできた駅。 都内では新橋駅、品川駅に次いで3番目に古い駅だ!、、、、島式ホーム1面2線の地上駅。 改札口は中央口と北口の2ヶ所で、それぞれ別々の橋上駅舎内にある。、、、、今日の散歩は大森駅西口から歩くことにした。 大森駅のホーム中央には「日本考古学発祥の地」の石碑がある。 石碑の側面には『E.S.モース発掘100周年記念建立』と書かれ、以下の説明文が続く、『 アメリカの動物学者モース博士が1877(明治10年)横浜より新橋に向かう汽車の窓から 大森貝塚を発見し, これが契機となって日本の考古学が発達しました。 このブロンズは当貝塚出土の土器を約2倍に拡大したものです。 1979年12月 東京大森ロータリークラブ 東京大森ライオンズクラブ 東京都大森貝塚保存会 』、、、、今年が発見から145年目である。

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● 大森駅西口から池上通りを北へ300m程歩くと、NTTデータのビルがある。 ビルの植え込みに、「大森貝墟」碑の約二分の一寸法のレプリカがある。、、、、大森貝墟」碑の実物は、NTTデータ敷地通路奥の階段を下りた先に鎮座する。 早朝の散歩であり、民有地の敷地内に勝手に入るとヤバイので実物はパス。 近くの、品川区立大森貝塚遺跡庭園公園は開園が9時であり、こちらもパス。

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● NTTデータのビルの向かいには「大森山王日枝神社」がある。、、、、大森山王日枝神社は、遠く古のころ、土地の豪族酒井氏が、近江の国比叡山麓にある日吉神社の祭神、山王権現を当地に勧進祭祀したものである。 その後、延宝5年(1677)、円能寺が別当し、明治初年まで同寺の管理下となった。 その頃は『山王権現』又は単に『山王さま』と呼ばれ、この地を山王村と称した。 現在の地名「大田区山王」の由来である。、、、、現在の社殿は昭和28年(1953)の建設。 只今、社殿屋根改修工事中につき、残念ながら足場で覆われてる。、、、、池上通りに面しているが、境内は静かで落ち着いた佇まい。

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・・・・・・・・・・・・大森山王日枝神社とは地続きで、かつて別当であった「成田山円能寺」がある。、、、、円能寺は真言宗智山派寺院で、天正年間(1573~1592)に開創。 現在は成田山新勝寺の末寺となっている。、、、、本堂、斜め前に幼稚園が併設されており、平日はチョイト参拝しにくい雰囲気だ!

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● 池上通りを品川区に入ると、鹿島神社がある。 「大井鹿島神社」(品川区大井6)は、安和2年(969)に常陸の鹿島明神を勧請し創建したと伝えられます。 古くからの祭礼として相撲が奉納されており、当社の相撲は、渋谷氷川神社、世田谷八幡宮とともに江戸郊外三大相撲の一つとされていたそうだ(知らなかった!)、、、、現在の社殿は、設計を日本建築界の権威である帝室技芸員:佐々木岩次郎に、施工を名古屋の名匠:伊藤平左衛門氏に命じ、総工費十数万円で昭和6年(1931)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・また、旧社殿は文久2年(1862)の造営で精巧を極めた鎌倉彫の彫刻が施されており、これを後世に伝えるため境内末社として移設し現存する。、、、、素晴らしい彫刻が残されている、必見!

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・・・・・・・・・・・・鹿島神社の隣りには、別当であった「来迎院」がある。、、、、天台宗寺院の来迎院は、鹿島山常林寺と号す。 安和2年(969)、南品川の常行三昧寺(現、常行寺)の僧により鹿島神社と共に当寺を創建した。

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・・・・・・・・・・・・来迎院の門前、道路を挟んで向かいに「来迎院石造念仏講供養塔」がある。 元来この場所は来迎院の境内であったが、道路建設により、現在のようになった。、、、、石造念仏講供養塔は、江戸時代に行われて念仏講の供養塔です。舟形の二基の塔は、明暦2年(1656)と万治2年(1659)の建立、笠塔婆型の塔は寛文7年(1667)で、いずれも江戸時代初期のものです。 全部で10基の石仏がある。

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● 来迎時の北200m程に、延暦元年(782)、天台宗神宮寺として開創されたと伝えられ、現在は浄土真宗の「光福寺」(品川区大井6)がある。、、、、境内には、幹の周り7.2m、高さ40m、樹齢約800年の大イチョウがある。 垂れた乳もデカイ! 触って撫でると御利益ありそうだ!!

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・・・・・・・・・・・・本堂裏手、墓地の中央に、地名「大井」の由来となった井戸がある。 縁起によれば、名僧了海上人誕生の際の産湯の井戸で、今なお水をたたえてる。

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● 光福寺から道なりに北へ約300m、浄土真宗本願寺派寺院の「西光寺」がある。 西光寺は、栄松山と号し、もと麻布善福寺末。 弘安9年(1268)栄順律師が開創し、後浄土真宗に改宗した。、、、、本堂の正面で枝を伸ばす兒桜(ちござくら)という名木があり江戸名所の一つになっていた。 春の開花が楽しみだ。

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● 東海道線・京浜東北線の下を抜け、大井4丁目と南大井5丁目を結ぶ、歩行者専用の「関道地下道」。 昭和42年(1967)の竣工。、、、、以前は地上に踏切があったと思われる、事故防止のため踏切をなくし地下道にしたのであろう。 車はもちろん、自転車も乗ったままでは通れない地下道。

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● 関道地下道を抜け、東大井3丁目の町に入ると「大福生寺」がある。 天台宗寺院の大福生寺は、明治14年(1881)に宇賀神寶海和尚が目黒不動瀧泉寺を退き、 隠居の寺として日本橋蛎殻町(水天宮の近所)に一寺を建立した。 昭和24年(1949)に現在地へ移転。 東海三十三観音霊場16番札所。、、、、寺か、神社か? 入口の三角形の山王鳥居をくぐると、小さな境内に聖天がある。 御本尊は、大聖歓喜天(聖天さま)で、その他大勢として、十一面観世音、聖観世音、福生稲荷、福生弁財天、福生地蔵尊、宝性地蔵などが勢揃い!

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● 国道15号(=第一京浜)を越えて、京浜急行「立会川駅」まで歩く。、、、、立会川駅は明治37年(1904)5月8日開業。 平成2年(1990)12月2日に上下線が高架駅となる。 ホームは高架相対式2面2線構造で、3階にある(2階は改札階)。 改札口は1所のみ。、、、、大井競馬場まで、徒歩10分。 行きは近いが、負けると遠い!

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2022年10月11日 (火)

東急多摩川線

蒲田駅から東急多摩川線に沿って、終点駅の蒲田駅からスタートし、各駅に立ち寄りながら起点駅の多摩川駅まで歩いて来た。 久しぶりに1万6千歩の散歩。

東急多摩川線・・・・・起点の多摩川駅と終点の蒲田駅を結ぶ、5.6㎞、7駅(起終点駅を含む)の比較的短い路線。 線路は多摩川に沿い、全区間が大田区内に所在位する。、、、、東急多摩川線の歴史は、大正12年(1923)の目蒲線(目黒~蒲田間)開通に始まる。 平成12年(2000)に、多摩川~蒲田間を分離し、東急多摩川線に改称するまで、目蒲線として親しまれてきた。(目黒~多摩川駅間は目黒線となり、目蒲線は消滅した)

注・注・蛸かいな!、、、、「東急多摩川線」は正式な路線名である。 必ず“東急”を冠すること。 単に“多摩川線”と言うと、「西武多摩川線」と混同するから。 また、過去には「玉川線」、「新玉川線」が実在し、こちらとも区別するため。、、、、ただし、駅・車内などの東急電鉄内では“東急”をはずし、「多摩川線」と称することもある。



● 東急電鉄の「蒲田駅」はJR蒲田駅と直結し、乗換は便利である。、、、改札を入ると頭端式ホーム5面4線を有する高架駅である。 ホームは池上線と東急多摩川線がそれぞれ2線ずつ使用している。、、、、駅の歴史は、、、大正11(1922)10月6日、池上電気鉄道線(現:池上線)が蒲田~池上駅まで開通。大正12年(1923)11月1日 、目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)が蒲田~沼部駅まで開通。 昭和10年(1934)には目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を吸収合併したことに伴い、池上線から目蒲線への連絡線が設置される。 昭和43年(1968)東急の蒲田駅が高架化され、頭端式5面4線化され池上線・目蒲線ホームが現在の形になる。、、、、多摩川線の発着は概ね1時間に10本程度と、頻発してるので待ち時間でイライラすることは少なそうだ!

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・・・・・・・・・・駅の高架下は、居酒屋がしっかりとかため、約60軒の店舗の呑み屋街「東急駅前通り会」だ、通称「バーボンロード」。 暗くなると歩いて見たくなる横丁だ!  

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・・・・・・・・・・高架駅2階から地上に下って来る!(写真:右側2線が東急多摩川線、左側2線は池上線、正面は蒲田駅)

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・・・・・・・・・・地上に下った先で、池上線(写真右へ向かう2線)と東急多摩川線(左側を直進する2線)は別れる。

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・・・・・・・・・・東急多摩川線には主として7000系の車両が運用されている。 (池上線と共用)

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● 蒲田駅の次は「矢口渡駅(やぐちのわたしえき)」、、、、大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業。 この時同時に開業した途中駅は次の武蔵新田駅だけで、鵜の木駅と下丸子駅は数ヶ月ほど遅れて開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 上下ホームは完全分離されていて、駅舎・改札も別々。、、、、駅名になっている「矢口の渡し」とは、昭和24年(1979)まで存在した多摩川の渡船だ。 ♪♪ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し 親のこころに そむいてまでも 恋に生きたい 二人です ♪♪ の「矢切の渡し」は江戸川、間違いないで!

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・・・・・・・・・・東急多摩川線は国道1号(=第二京浜)を越える。 国道を過ぎると、線路は下り、再び地上に戻る。

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● 三番目の駅は「武蔵新田駅(むさしにったえき)」、、、、1923年(大正12年(1923)11月1日 、新田駅として開業し、翌年に武蔵新田駅に改称。、、、、駅の構造は矢口渡駅と似て、相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎・改札も上下別々。、、、、駅名の“新田”は、ご近所の「新田神社」に由来する。 “武蔵”は東京(武蔵国)を示す。

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・・・・・・・・・・線路脇を歩く

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● 四番目は「下丸子駅(しもまるこえき)」、、、、東急多摩川線の中間駅の中では最大の乗降客数を誇る駅。 一日当たりの乗降客数は3万5千人を超える(駅から500m程の処にキャノン本社があり、電車通勤の社員が多いのかも?)、、、、駅は大正13年(1924)5月2日の開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ここも、上下線別々にホーム、駅舎、改札がある。 かつて下丸子駅には、構内踏切があり、改札は一か所であった。

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・・・・・・・・・・下丸子駅と次の鵜の木駅間は最も短い0.6㎞、駅間で最も長いのは蒲田駅~矢口渡駅間で1.3㎞。

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● 五番目の駅は「鵜の木駅(うのきえき)」、、、、下丸子駅に似たデザインの鵜の木駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、こちらも上下線別々の改札となっている。、、、、大正13年(1924)2月28日に目蒲線の鵜ノ木駅として開業、、、、駅名の“鵜の木”は古くからの地名で、この付近一帯は昔、鵜が非常に多く住み着いており、豊かな森が広がっていたことから、「鵜ノ森」と呼ばれていた。 その「鵜ノ森」が「鵜ノ木」と変化したそうだ。

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・・・・・・・・・・鵜の木駅から次の沼部までは長い直線区間。 沼部駅の手前では、東海道新幹線・横須賀線の下を抜ける。

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● 六番目の駅は「沼部駅(ぬまべえき)」、、、、大正12年(1923)3月11日に目黒蒲田電鉄の丸子駅として開業。 翌大正13年(1924)、武蔵丸子駅に改称し、さらに大正15年(1926)、沼部駅に改称。 沼部駅も、これまでの駅と同様で、相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札も上下線別々。、、、、“沼部”は駅所在地の旧字名

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・・・・・・・・・・駅の北側に真言宗智山派寺院の「東光院」がある。 有慶山と号す、、、、開創の年代は不明だが、文禄3年(1594)頃に創立されたと推察される。、、、、東光寺の山門脇から北西の国道2号(=中原街道)まで道路に沿って、江戸時代に灌漑用水路として造られた「六郷用水」が復元されている。 現在は親水公園のように整備され、水が流れ、コイが泳ぎ、亀が首を出している。

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● 東急多摩川線の起点駅「多摩川駅(たまがわえき)」に到着、、、、線路名称上で当駅に乗り入れているのは、東横線と東急多摩川線の2路線である。ただし東横線には、田園調布駅~日吉駅間の複々線を利用して、東横線の列車と目黒線の列車も乗り入れており、それぞれ別路線として案内されている。そのため、当駅は東横線・目黒線・東急多摩川線の3路線の接続駅として案内されている。  駅の歴史は、大正12年(1923)3月11日の目黒蒲田電鉄・目黒~丸子駅(現:沼部)間開通と同時に多摩川駅として開業した。 大正15年(1926)には、駅名を丸子多摩川駅に改称し、さらに昭和6年(1931)に近くにある「多摩川園遊園地」の名前を取って駅名を多摩川園前駅に改称。 まだまだ、昭和52年(1977)に駅名を多摩川園駅に改称。 そして、平成12年(2000)に、目蒲線が目黒線+東急多摩川線に分割されるとともに、駅名を再び「多摩川駅」に改称。、、、、東横線ホームの高架化、目蒲線ホームの地下化は平成8年(1996)に工事が完了。 現在は、東横線と目黒線が使用する1~4番線ホームは高架島式2面4線構造。 外側を東横線、内側を目黒線が使用する。 東急多摩川線は地下の5・6番線ホームを使用、島式1面2線構造である。

・・・・・・・・・・2階は東横線・目黒線、東急多摩川線は地下。

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・・・・・・・・・・東急多摩川線の田園調布寄りのホームに立つと、線路は地上に向かって伸びている、目黒線と東急多摩川線の線路はつながっているのだ! この部分を走る定期列車はないので、回送用の線路か?

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・・・・・・・・・・・・地下ホームから顔を出す東急多摩川線蒲田行き!

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2021年12月 4日 (土)

夢見る白蛇

JR大森駅から、北の方角(山手線の駅に向かい)に歩いてみようと、裏通りを歩き都営浅草線の戸越駅まで、1万歩の散歩です。




大森駅から今日の散歩を始める、、、、今日は、どこか山手線の駅まで歩いてみようと思い、大森駅は山王北口から出ることにした。 出口はホーム北端の階段上にある。 池上通りに面する山王北口は、雑居ビルの入口のような構えで、またJR東日本のコーポレートカラーである緑の駅名表示がないので、駅入り口とは思えない。

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● 大森駅山王北口から250m程の処にある山王交番前交差点から北に入る裏通りがある。 交差点角には、明治・大正の政治家:井上馨の別荘地を譲り受けて開校した現在の「大田区立山王小学校」(大田区山王1)がある。 山王小学校には何度か来たが、地図を見ると、この小学校前の裏通りは大田区山王、品川区西大井の町を北に向かって伸びている。 何となく旧街道の雰囲気が漂う道だ『決めた! 今日はこの道を歩いてみよう!』、、、、ということで、この無名(?)の裏通りを道なりに歩いてみた。

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・・・・・・・・・・・・商店街として名があるわけではないが、道沿いにはシャレた店舗が点在し、大森駅へ向かう通行人も多そうだ!

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・・・・・・・・・・・・山王交番前から400m程歩くと、大田区山王から品川区西大井の町になる。 西大井に入ると、道幅はさらに狭くなるが、旧街道のような雰囲気は残ってる。 チョイト古びた家もある。

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・・・・・・・・・・・・西大井4丁目に入ると道幅も多少広く、車は交互通行可能となった。、、、、横道の奥に赤い鳥居が見えた。 昭和10年(1935)にこの地に祀られた「金子山稲荷神社」という小さな神社。 地元の文化財。

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・・・・・・・・・・・・道の先には東海道新幹線の高架橋が見える。 新幹線の下では、切通しの中を横須賀線が走る。 頭上に新幹線、足下に横須賀線の三重構造。 その切通しに架かる「金子跨線橋」を渡ると西大井5丁目。、、、、おそらく、この跨線橋は昭和39年(1964)の東海道新幹線開通以前に架け替えられたものと思われる。

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・・・・・・・・・・・・新幹線の下をぬけ200m程歩くと、「品川区立伊藤小学校」がある、、、、明治の元勲である伊藤博文は、晩年、現在の西大井付近に居住し、別邸・墓所も近くにあったことから、町名を「大井伊藤町」とした。 その伊藤町に昭和11年(1936)に開校した小学校で、東京市伊藤尋常小学校と命名された。 大井伊藤町の町名は昭和39年(1964)に西大井となる。、、、、地名として、“西大井”より“伊藤”の方が歴史を感じる、復活できるといいね!

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・・・・・・・・・・・・伊藤小学校の先、西大井5丁目で歩いてきた裏通りはT字路にぶつかり、『道なりに』はココまで!

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● 西大井の町から進路を北へ! 品川区二葉の町に入ると「蛇窪神社(天祖神社)」の前に出た。、、、、私の大嫌いな“ヘビ”の神社。 寄って行こうか、素通りするか、決断の時が来た! 神社の前で躊躇すると、若い娘が二人鳥居をくぐる。 これで決まり、寄って行こう!、、、、蛇窪天祖神社は、文永8年(1272)以降、当地蛇窪村を開拓した北条四朗左近太夫陸奥守重時五男の時千代の家臣が、元享2年(1322)の旱魃時の雨乞祈願による降雨を感謝し、蛇窪村の鎮守として創建された。 江戸期に入り、蛇窪村は上蛇窪村と下蛇窪村は分村したが、当社は上蛇窪村の鎮守となり、下蛇窪村には下神明天祖神社が創建された。

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・・・・・・・・・・・・撫で撫でしたくない「撫で白蛇」 これを撫でたら、今夜夢見る気がした、怖いのでやめておく!、、、、この他に、白蛇清水の銭洗い所、境内社の蛇窪龍神社、白蛇弁財天社など、ヘビ尽くし。 コリャ、本格的に夢見るかもね?

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● 早々に蛇窪神社の参拝を終え、裏通りを北へ向かうと、戸越6丁目に「子育て地蔵」という地蔵様を祀ったお堂がある。 昭和初期までは、この地蔵様は今の処より少し南にあり「首なし地蔵」と呼ばれていた。、、、、江戸時代から明治時代にかけて、この地蔵様は願かけ地蔵として評判を呼び、願いをかける人が地蔵様の首を畑のあぜに転がしたり、ときには胴体も倒し、願がかなったときに元通りにするという、変わった風習があった。 ところが、願掛けしたが叶わなかったためしばらく首がない状態が続いた。 大正末期になって、地蔵様の熱心な信者だった目黒の植木職人が、「このままでは、地蔵様がかわいそうだ」と他の首をつけた。 その後、願かけのために首を外す習わしはなくなり、今では子育て地蔵として慕われている。

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● 東急大井町線の戸越公園4号踏切を越える、、、、戸越公園付近では、鉄道の立体化が求められており、都・区などで基本計画がまとめられているそうだ。

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国道1号の地下に都営浅草線「戸越駅」がある。、、、戸越駅は、昭和43年(1968)11月15日都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、近くに有名な戸越銀座商店街があるが、駅は商店街とは無縁なのかあまりパッとしない造りである。

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2021年11月28日 (日)

入三通り

平和島駅からどちらに歩こうか? 地図を見てると、駅の北側から西に向かって「入三通り(いりさんとおり)」という道がある。 その道を道なりに西へ向かうと、東海道本線を越えて、大田区山王の善慶寺にぶつかる。 何やら超長い参道のような感じがするので、『決めた、この道を歩いてみよう!』

・・・・・ということで、今日の散歩は平和島駅から、入三通りを通り抜けて、善慶寺に参り、その後は山王3丁目を抜けて大森駅までの1万歩の歩きです。




● 日曜の朝、チョイ寒の「平和島駅」で下車する。、、、、寒い日は、コロナ予防のマスクが、北風除けとなり防寒に役立つ、重宝するね!

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● 平和島駅の北側、第一京浜(=国道15号)に面して「大森神社」(大田区大森北6)が鎮座する。 祭神の久久能智命(くくのちのみこと)は関東圏では珍しい木の神である。 チョックラ、手を合わせて行く!、、、、天正年間の創建と伝えられている。 当時この辺りは海辺であり、里人達は漁業をもって生活をしていた。 ある時黄金色に輝く像が岸辺に流れつき里人達は畏れて沖へ流すこと三度に及んだが元の場所に寄り来たるので社を建てて、この像を祀ったのが当社の起源といわれている。 そのため、この社を寄来神社と称したそうだ。 昭和7年に大森神社と改称した。 社殿は東京大空襲で焼失し、昭和38年(1963)に再建した。

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● 平和島駅から北へ約350m、第一京浜の大森スポーツセンター前交差点が「入三通り」の東端である。 入三通りの西端はJR東海道本線を越える山谷道踏切と思われる。 そして、入三通りは東端から西端までが現在の大田区大森北に属する。 その“大森北”の町は、昭和39年住居表示以前の“入新井”と“新井宿”の町を合わせたものである。 私の推定では、“入三”とは“入新井三丁目”の略称と思われる。、、、、今日は、東端の大森スポーツセンター前交差点から、西端のJR東海道線本線の山谷道踏切まで、入三通りをぶっ通して歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・入三通りの東端:第一京浜の大森スポーツセンター前交差点。、、、、2枚目の写真の中央の狭い通りが「入三通り」

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・・・・・・・・・・・・入三通りは京浜急行本線のガードを抜ける、、、、人も車も写らない、交通量の少ない(?)道幅の狭い通り

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・・・・・・・・・・・・入三通り沿いに祀られている穀豊稲荷神社。 町会会館と併設され、綺麗な社となった稲荷。、、、、町会の名は「入新井二丁目北町会

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・・・・・・・・・・・・入三通りに面する「入新井第五小学校」、、、、地名では無くなった“入新井”だが、校名で残っていた。

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・・・・・・・・・・・・『ありました! “
銀座”です!』 ウインドショッピングしたくともウインドのない「入三銀座商店街

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・・・・・・・・・・・・入三通りは幹線道路の「沢田通り」を横切りさらに西へ伸びる。、、、、入三銀座商店街はココまで!、、、、この交差点名は「入三通り入口」 交差点の東西両側に“入三”の商店街がある、この“入口”はどちらの商店街の入口だ!

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・・・・・・・・・・・・沢田通りを越えると、「入三商店街」となる。 “銀座”が無くなった! ショッピングする店舗も無い!

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・・・・・・・・・・・・入三通りの西端と思われるJR東海道本線の山谷道踏切。、、、、入三商店街はココまで! 入三通りと称するのもココまでか?

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・・・・・・・・・・・・入三通りの先は無名の通りで、大森郵便局の脇で池上通りに出る。、、、、平和島からココまで、ほぼ西に向かって道なりに一直線! 

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● 大森郵便局前に「新井宿義民六人衆霊場参道」と書かれた灯篭に迎えられ、善慶寺山門に向かう通りが続く。

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・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の「善慶寺」は、法光山と号し、天正年間(1573~1592)に開創した。 正応4年(1291)、当地の増田三郎右衛門が善慶寺を創建、以来身延山末であったが、12世日好の代に品川本光寺末となった。 現本堂は昭和5年(1930)に建立された。、、、、都内では珍しく寺にはほたるが自生しているとのこと、一般公開もしているらしい。 境内は綺麗に手入れされている。

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・・・・・・・・・・・・境内の墓地には「新井宿義民六人衆の墓」がある、、、、新井宿村の農民は、延宝年間(1673~1681)に領主木原氏の厳しい年貢の取立てに耐えかねて、村役人6人が直訴することを計画した。しかし事前に領主に知られ、延宝5年(1677)6人全員が斬罪に処せられた。 しかしその結果、年貢は半減され、6人は義民として当寺境内の墓所に葬られた。 

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・・・・・・・・・・・・善慶寺本堂脇に鳥居がある。 鳥居の後ろは裏山となっており、その上には「熊野神社」がある。 かつて善慶寺は熊野神社の別当であった。、、、、善慶寺の山門が熊野神社の表参道となっているのだ!、、、、現社殿は昭和44年(1969)に鉄筋コンクリート造で改築された。

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・・・・・・・・・・・・熊野神社は高台に位置し、神社裏手から
山王3丁目の住宅地を歩く。

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山王の住宅地を抜けて「大森駅西口」に出た。 今日の散歩はココまで!

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2021年11月27日 (土)

寺のない墓地

京浜急行雑色駅からスタートし、西糀谷、北糀谷の町を抜け、大森町駅へ。 まだ、体力が残っていたので、もう一駅、平和島駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 朝7時半、京浜急行本線「雑色駅」に到着。 空気は冷たく、身体も冷える、そろそろ股引を穿くかな! 今日の散歩は、ここから糀谷駅付近で京急空港線を横切り、都心に向かい北の方角に歩いてみることにした。

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● 第一京浜(=国道15号)を横切り、東六郷の町に入る。 中小工場が点在する住宅地の中、裏通りを歩く。 

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・・・・・・・・・・・・『アッ、ここは七辻(ななつじ)だ!』 南蒲田2丁目30番10号・萩中1丁目1番19号・荻中1丁目14番31号・東六郷1丁目9番5号・東六郷1丁目10番7号・東六郷1丁目16番10号・南六郷1丁目1番4号の接する7差路。 言うまでもなく7本の道が1ヶ所で交差する珍しい処だ。 どの道も道幅は狭いが、それなりの交通量はある、しかも信号はない。、、、辻の角に、七辻の由来が書かれてる。 この辺りは、昔六郷村といって、田畑の中に畔道が通っていて、荷車が通れるような道は1本だけだった。 大正6年(1917)に始まった耕地整理で、畔道を残した上に幹道を作ったので、現在のような7差路となったそうだ。、、、、ここを通る人は、それぞれがゆずり合い信号は必要がないらしい。、、、、パノラマ写真で撮ってみたが、7本の道路判るかな?

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・・・・・・・・・・・・七辻から東に裏道を歩くと、糀谷商店街を過ぎた処に「新宿東児童公園(荻中2-4)」があり、そこに「白瀬中尉の旧居跡」の案内板がある。、、、、白瀬轟(1861~1946)陸軍中尉は秋田県で生まれ、明治時代に活躍した世界的な探険家、昭和初期の数年間、この地に在住した。 彼は最初、北極探検を志し、明治26年(1893)郡司成忠を隊長とする千島調査探検隊に参加したが、アメリカ人ピアリーが先に北極点に到達したため、目標を前人未踏の南極に変更した。 明治43年、白瀬隊長は26名の隊員とともに、開南丸で南極点をめざし、東京を出航した。 一度は氷にはばまれ挫折したが、明治45年(1912)1月、南極大陸上陸に成功した。 南極点到達は果たしえなかったが、彼らの命名した「大和雪原」「開南湾」などは、現在も世界の地図に用いられている。、、、、北極点がダメなら南極点とは、ものすごい目標変更だ!

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● 「白瀬中尉の旧居跡」がある公園の北側には環八通りが東西にとおり、さらにその北側には平行して京浜急行空港線(糀谷~大鳥居間)が走っている。、、、、線路の向こうには、「神明大神宮」なる宗教団体の本宮の建物がデーンと構えてる。

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● 踏切から、西糀谷の町を南北に貫くように北へ向かうと、呑川(のみかわ)にぶつかる。 呑川に架かる「八幡橋」を渡ると正面には「子安八幡神社」がある。、、、、呑川の北側は北糀谷である。

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● 子安八幡神社で手を合わせた後は、再び神社脇の裏通りに入り、北糀谷、大森中の町を北上し、第一京浜(=国道15号)の「森大町駅入口交差点」まで歩く。

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・・・・・・・・・・・・神社脇の通りに入ると、民家の裏(北糀谷1-23)の空き地に墓石が並んでいる。 この地“下袋(現:北糀谷一帯)”には六郷用水を開削した小泉次太夫吉次(1529~1623)の末孫が菩提寺とした日蓮宗の円龍寺があった。 しかし、同寺が幕府禁制の不受布施派に属したことから廃寺となり、その跡には小泉家の末孫たちの29基の供養碑が残るだけとなった。 なお、次太夫夫妻は川崎市川崎区宮前妙遠寺に葬られているそうだ。、、、、ここは「廃寺円龍寺墓地」である。 現在は誰が維持・管理しているのやら? 

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京浜急行「大森町に到着。 『まだ歩く体力が残っている! もうチョイ歩くか!』という気分で、隣の平和島駅まで高架沿いに歩いた。 “散歩のおまけ”だ!

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● 京浜急行「平和島駅」まで歩いた。 平和島駅は明治34年(1901)2月1日に沢田駅として開業。 開業後すぐ(時期不明)に学校裏駅に改称し、さらに昭和36年(1961)平和島駅に改称した。、、、、ビックファン平和島(レジャーランド平和島)の最寄り駅。 中高年には懐かしい「天然温泉平和島」もある。

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2021年11月23日 (火)

池上から雑色へ

池上線池上駅から多摩川線矢口渡駅をとおり、東海道本線を越えて、京浜急行雑色駅まで、1万1千歩の散歩です。




東急池上線「池上駅が今日の出発地。 駅前で『さて、本門寺に行こうか? 大森方面に歩くか? 多摩川の方に向かうか? それとも洗足池に戻ろうか?』 悩み悩んだ結果『ここからは歩いた記憶がない、多摩川方面に歩いてみよう!』

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・・・・・・・・・・・・池上駅脇の踏切で、緑一色にリバイバル塗装した1000系車両に遭遇、、、、懐かしさを感じる鉄道マニアも多いのだろう!

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・・・・・・・・・・・・踏切を渡ると「池上南口商店会」がある。 バス通りに、コンビニ、医院、塾、居酒屋、不動産屋など50店舗ほどが点在している。 日用雑貨、総菜、魚屋などは無く“商店”とは言えない、ここは“商店”だった!

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● 私の興味を引くような店もない商店会から裏道に入ると、白い建物の「池上ルーテル教会」(大田区池上6)があった。、、、、この聖堂は昭和64年(1989)に建て替えられたそうだ、純白のシンプルな建物で私の興味を引き付け、内部を拝見したくなった。 『ドアは施錠されてる!』時刻は8時、まだ牧師さんは熟睡中(?) 

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● 教会の次はお寺である、池上7丁目、曹洞宗の「大乗山曹禅寺」、、、、曹禅寺は、昭和7年(1932)、矢口町に教会を開設、牛込白銀町にあった盛高院の寺号を継いで昭和14年(1939)創建した。 昭和に創建した、新しい寺!

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● 15店舗程の小さな「安方商店街」を抜けると東急多摩川線「矢口渡駅やぐちのわたしえき )」に出る。

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・・・・・・・・・・・・矢口渡駅は東急多摩川線の停車場。 大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業した。、、、、ホームは地上相対式2面2線で、上下ホームは完全分離されているため行き来ができない、また駅舎は上下線にそれぞれある。 三角屋根の木造駅舎は風情あるね!、、、、駅名は昭和24年(1949)まで当駅近くに存在した多摩川の渡し船の一つである「矢口の渡し」に由来する。 ♪♪ 夕暮れの 雨が降る 矢切の渡し ♪♪は葛飾区柴又の江戸川にある、間違えないように!

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● 矢口渡駅の蒲田寄りに踏切がある、この踏切の脇に一方通行の裏道があった。 多摩川に方面に歩くのを止めて、この裏道を歩いてみることにした。、、、、道の線形、道幅、両側の家並みを見ていると、かつての用水路を暗渠化した道路のようだ! 行ける処まで行ってみよう!、、、、大田区西六郷の「大田西六郷郵便局」の前で、バス通りに合流!

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・・・・・・・・・・・・途中で国旗を掲げる家を見る、『今日は勤労感謝の日、チョイト前までは新嘗祭、何だか国旗が懐かしいものに見える』 今、祝日に国旗を出す家は少なくなった、チョイト寂しいね!

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● 西六郷1丁目を右へ左へ歩き、JR東海道本線の「雑色踏切」に出る。、、、、東海道本線(上野東京ラインも)に京浜東北線、4本の線路に引っ切り無しに電車が通る。 爺さん婆さん渡るの怖い、自転車乗る人イライラ愚痴る、スマホ姉ちゃん知らん顔、電車に手を振る三歳児。

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・・・・・・・・・・・・雑色踏切を渡ると「雑色商店街」が京急雑色駅まで続く、、、、雑色商店街は戦後の昭和23年(1948)に設立した、現在でも個人商店が残る元気な下町商店街。

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● 京浜急行本線「雑色駅」から帰宅

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2021年11月14日 (日)

荏原病院通り

池上線洗足池駅から荏原通りを歩いて上池上へ、上池上から呑川沿いに歩き国道1号(=第二京浜)に出て池上線池上駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 朝7時50分、池上線「洗足池駅」で下車する。 日曜の朝なので乗降客は少ないようだ。 コロナの影響も薄れ、行楽姿の人もいる。、、、、電車を待つ客の中に『洗足池駅の真下にリニア中央新幹線が通るのを知ってる人は何人いるのかな?』と、一人で思う。 駅の西側200m程の処に、仮囲いがありそこがリニアの「第一首都圏トンネル:東雪谷非常口」の工事現場だ。 洗足池駅が陥没しないよう、工事の安全を祈るばかり。

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● 洗足池駅と西隣りの石川台駅の中間地点付近で、池上線に平行する中原街道(国道2号)から分岐する「荏原病院通り」がある。 その名のごとく、都立荏原病院前を南東に伸びて、「東雪谷五丁目交差点」で学研通りと合流する。、、、、この道を歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・中原街道から分岐する「荏原病院通り」、、、、写真を左右に横切るのが中原街道。 歩道橋の下から手前に伸びる通りが荏原病院通り。

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・・・・・・・・・・・・池上線は荏原病院通りの下を切通しで抜ける。、、、、ここの架かる橋が「笹丸橋」で、昭和2年(1927)に架けられた鋼製アーチ橋。 大田区が管理する最も古い橋である。 橋名の“笹丸”は、かつてのこの周辺の字名である。、、、、絵になる橋だ!

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・・・・・・・・・・・・笹丸橋から荏原病院前をとおり池雪小学校前あたりまでの「荏原病院通り」は、バスも救急車も通る尾根道となっており、通りの左右は下り坂となっている。 右へ下る坂の先には川崎(武蔵小杉?)のタワーマンションが見える。 左へ下る坂の先は何処だか判らないが、品川区戸越方面と思われる。

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・・・・・・・・・・・・荏原病院の手前、「
東中」バス停の前に、「北向庚申」とよばれる小堂があり、庚申塔と供養塔が祀られている。、、、、右側の題目供養塔は天和3年(1683)の造立。 舟形に釈迦如来像を陽刻し、雪谷村一結25人、読唱記念と書かれている。 釈迦如来像の脇には「南無妙法蓮華経南無釈迦如来」「奉唱満首題壱千部成就問題」とある。 左側の庚申塔は、駒型で享保14年(1729)の造立。 これが北向庚申である。、、、、この尾根道は中原街道から池上本門寺に至る主要道であることから、石仏も多く祀られていたらしい。

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・・・・・・・・・・・・大田区東雪谷にある「荏原病院」は、町のランドマークである。、、、、昭和9年(1934)現在地に東京市立荏原病院として診療開始。 昭和18年には東京都立荏原病院と改称。 昭和33年(1958)に総合病院となる。 現在は23の診療科、461の病床を有する総合病院。 只今、コロナで大活躍!

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・・・・・・・・・・・・荏原病院通りの尾根から下る途中に「池雪(ちせつ)小学校」がある。、、、、明治11年(1878)に公立池雪小学校として児童数98名をもって開校。 140年以上の歴史を有する学校だ!

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・・・・・・・・・・・・荏原病院通りが学研通りと一体になる「東雪谷5丁目交差点」の角に、日蓮宗寺院「
雪谷山 長慶寺」がある。 長慶寺は、十法院日親(慶長3年1598年寂)が開山となり碑文谷に創建、後に当地へ移転した。 池上本門寺の末寺。、、、、現在の本堂・庫裏は昭和31年(1956)に再建されたもの。、、、、庫裏の奥に庭園があるそうだが、見ることはできなかった、残念!

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・・・・・・・・・・・・「荏原病院通り」はここまで!




● 東雪谷2丁目交差点から100m程南に東海道新幹線のガードがある。 このガードを抜けると、東雪谷から仲池上の町となる。、、、、ガード下のバス停は「上池上」、上から読んでも下から読んでも上池上。、、、、“上池上”という地名は現存せず、大田区“上池台”となっている町の南側(新幹線側)を“上池上”と呼ぶそうだ。

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● 仲池上の子安八幡神社」、「林昌寺に立ち寄る。 子安八幡神社は社殿を新築中。 

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● 仲池上から呑川沿いに歩き池上線「池上駅」へ、、、、池上駅は大正11年(1922)10月6日、池上電気鉄道の開通とともに開業。 当時は主に池上本門寺への参拝客のための鉄道として運営していた。 令和2年(2020)には、新しく建て替えられた橋上駅舎が供用開始となり、翌令和3年(2021)の春から駅ビル:商業施設「etomo池上」がオープンした。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、駅ビル2階の改札から1階のホームに下りる。、、、さすが、今年オープンした駅ビルはピッカピッカ! 下町:帝釈天の柴又駅に似た雰囲気だった旧駅は完全に消え去り、山の手の雰囲気漂うオシャレナ駅に変わった。 駅ビルの中に、本門寺門前のくず餅屋があるか探してみたが無し。 ケーキ屋、コーヒーショップなどが店を構え、参拝客の駅から若者の駅に変身!

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2021年11月11日 (木)

海舟のお気に入り

今日は、東急目黒線武蔵小山駅から歩き始める。 行きついた先は、東急池上線の洗足池駅。 ココまで、1万2千歩の散歩です。




● 目黒線の「武蔵小山駅」は、大正12年(1923)3月11日に、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部駅)間を開業させた時に小山駅として同時開業した。 大正13年(1924)に武蔵小山駅に改称。 平成18年(2006)に地下化し、平成22年(2010)に駅ビルが開業。 島式ホーム2面4線を有する地下駅。、、、、駅名は地名に由来する。 近隣の小山八幡神社にちなんで、開業当初は「小山」だったが、同名駅がすでに東北本線に設置されていたため、旧国名“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」となった。、、、、すれ違う通勤通学客を見ていると、下町の駅とは違う雰囲気を感じる。 特に女性は、チョイト、美しさを感じる!

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● 駅前のロータリーに出て、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 とりあえず、人が流れて来る駅前の商店街を歩くことにした。、、、、駅の南側から南東方向に伸びる「武蔵小山商店街(パルム)」は、かつて「東洋一のアーケード街」と謳われたそうだ。 約800mのアーケードには約200軒の店舗が並び、日中は相当のにぎわいらしい。 今日は、まだ朝8時前、商店街を駅に向かって歩く人は多いが、開いている店は少なく、多くはシャッターが下りている。 見るべきものもない商店街は歩いていてもつまらない。 商店街中程から、横道にそれた。

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● 武蔵小山商店街から右(南西方向)に折れると「栄通り」の表示がある“商店街”とは言いづらい道があった。 こちらの通りの方が自分の性に合っている。 『ヨシ、この道を道なりに行けるとこまで行ってみよう!』、、、、品川区荏原の町を、4丁目、5丁目、6丁目と貫いている裏通り。 最後はチョイト旗の台1丁目に首を突っ込んで中原街道(都道2号)で終点となった。 「栄通り」の表示は4丁目部分だけであった。

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・・・・・・・・・・・・旗の台1丁目、中原街道(都道2号)に出る処(昭和大病院前交差点)に庚申供養塔と札場の跡がある。

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・・・・・・・・・・・・「旗の台一丁目石造庚申供養塔」は案内板によると、『中原街道から分かれて小山に至る旧道の分岐点にあり、寛文五年(1665)旧中延村の庚申講中が造立したもので、区内現存の庚申塔50基のうち3番目に古い。中央に「南無妙法蓮華経」の髭題目を彫り、その下に石塔を造立した7名の氏名が刻まれている。本塔は高さ92cm、板碑型で材質は安山岩、向かって右上部に一部欠損がみられるが、保存状態は概して良好である。日蓮宗の影響か、青面金剛、三猿、日月が彫られていない文字塔として特色がある。全村のほとんどが日蓮宗といわれる中延村に、日蓮宗の僧が指導したと思われる庚申講の存在を示す資料として貴重である。  平成13年3月30日  品川区教育委員会 』と記されている。

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・・・・・・・・・・・・庚申塔と旧道を挟み向かい側に、ズングリムックリした形の「札場の跡」がある。 ここは昔、高札場だったところで、石碑が据えられてる。 中原街道沿いの、この辺りは江戸時代から大正時代まで「札場」と呼ばれていた。 高札場は、江戸時代、幕府や領主が法度(法令・禁令)などを立て札に書いて掲示した場所だ。、、、、今は交通量の多い中原街道沿いに、ひっそりと静かに立つ石碑に、家康が行き来していた時代の歴史を感じる。

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● 中原街道を歩き「旗の台交差点」を過ぎ、坂を上がった右手に「日本聖公会三光教会」がある。 三光教会は、大正元年(1912)11月2日芝白金三光町の地で、聖ステパノ教会、聖十字教会、喜望教会の三つの教会が合同、一つの教会として誕生した。 「三光」という名前は「白金三光町で生まれた教会」という意味に加え、三つの教会が合同した教会ということにも由来しているそうだ。 昭和15年(1940)に現在の品川区旗の台に移った直後、戦火により礼拝堂は焼失した。 昭和29年(1954)に礼拝堂は再建。 平成22年(2010)に入口部分を残して建て替えが行われ、三廊式の礼拝堂として献堂された。 100年以上に至る歴史ある教会。、、、、教会の隣りには中高一貫の女学校「香蘭女学校」がある。 香蘭女学校は、英国聖公会主教により創られ、伝統をもつミッションスクール。 キリスト教信仰に基づいた女子教育を旨とし、三光教会とは親戚ともいえる学校です。、、、、残念ながら香蘭女学校には入れなかったが、教会には入れてもらえた。 厳粛だが、新しさっも感じることができる、歴史ある教会。

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● 中原街道を歩き、東急大井町線の「中原架道橋」をくぐり、環七通りと交差する「長原陸橋」をくぐると、品川区から大田区に入ったことになる。

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● 洗足池公園の一角に、勝海舟夫妻の墓所、南洲留魂詩碑、勝海舟記念館があるので、チョイトお立ち寄り。

・・・・・・・・・・・・洗足池公園は、大田区南千束にある洗足池を囲む区立公園。 洗足池は、 武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、 昔は灌漑用水としても利用された。 江戸時代には、初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地として知られていたそうだ。 昭和3年(1928)に池上線が開通すると、公園として整備された。

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・・・・・・・・・・・・勝海舟は池上本門寺に本陣を置いた西郷隆盛をしばしば訪ね、国の将来などについて語り合ったそうだ。 その時の洗足池の風光が大層お気に入りとなり、池の畔に別荘を建て「洗足軒」と呼んだ。 さらに、この地を自身の埋葬地と定めたそうだ。 「勝海舟夫妻の墓」は海舟の遺言によって建てられた。、、、、勝海舟は明治32年1月19日に死去。

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・・・・・・・・・・・・海舟の墓の隣りには、西郷隆盛(南洲)を悼み、表面に西郷の作詩を、裏面に勝海舟の西郷への述懐が刻まれている石碑「南洲留魂詩碑」がある。 明治12年(1879)、勝海舟が自費で南葛飾群木下川の浄光寺に建立した石碑。 大正2年(1913)荒川放水路の開鑿工事があり、碑祠のある浄光寺が河川敷になるに及んで現在地に移した。、、、、風化したのか読みにくい!

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・・・・・・・・・・・・南洲留魂詩碑の隣りには、昭和12年(1937)に数名の有志が計画し、海舟を師と仰ぐ徳富蘇峰に詩を書いてもらい建立した「南洲海舟両雄詠嘆之詩碑」がある。、、、、こちらは、文字の判読はできたが、内容は? 漢詩は難しい!

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・・・・・・・・・・・・勝海舟の墓の近くには、海舟没後その海舟に関する資料などを収集・閲覧・講演する目的で、(財)清明会が昭和8年(1933)に建てた「清明文庫」の建物がある。 正面玄関から立ち上がる4本のネオゴシックスタイルの柱型やアール・デコ調の建具などに特色がある、国の登録文化財。、、、、大田区は鳳凰閣(旧清明文庫)を勝海舟記念館として整備し、公開している。 海舟ファンにとっては必見の場所!

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● 洗足池公園の前(南側)に中原街道を挟んで、東急池上線の洗足池駅がある。

・・・・・・・・・・・・洗足池駅に行く前に、チョイトお立ち寄り。 駅の横50m程の処に、東京で一番低い桁高(?)のガードがある。 車はもちろん通れない、人間は腰を曲げて頭を下げて通るだけ。 桁高は1.5~1.6mぐらいか。路面は砂利。

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・・・・・・・・・・・・「洗足池駅」は昭和2年(1927)8月、池上電気鉄道洗足池駅として開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。、、、、昭和の匂いが残る駅。

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2021年6月27日 (日)

馬込の縦走路

西馬込駅から、北に向かい東海道新幹線を跨ぎ、上池台と中馬込の町の境を北へ向かい、環七通りを横切り、旗の台を抜け、東急池上線の荏原中延駅まで、9千歩の散歩です。




● 日曜の朝8時前、コロナの心配は無用なガラ空きの電車が終点「西馬込」に到着。 今日の散歩はここから歩いてみよう!、、、、駅前の通りは国道1号線(=第二京浜国道)、交通量は案外少ない!

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● 特に行く宛のない散歩なので、国道1号線の西側に向かう裏道に入る。 道はさっそく上り坂となる。 坂を上り馬込西公園の辺りで道は平らになった。 公園は斜面に造られており、自分がいるのは斜面の上部。 ここから、公園の先の住宅の裏側に「馬込給水塔」の丸い屋根が2個見える。

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● 給水塔の屋根を左手に見ながら、公園上部の道を行くと、小さな十字路がある。 右へ向かうと下り坂、左へ向かうと下り坂、『そうか! この道は西馬込の尾根だ!』 この道(写真中央)を境に、右は西馬込1丁目、左は西馬込2丁目。 左右どちらに曲がっても、下り坂だが、せっかく上った坂なので下りたくない、道なりに真直ぐ歩くことにした。、、、、この時点で、今日の散歩は『この尾根を、道なりに歩く』ことにした。 “馬込の縦走路”(勝手に命名!)

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● “馬込の縦走路”は、東海道新幹線・横須賀線を跨ぐ「大谷橋」に出た。 この橋を渡ると中馬込3丁目に入る。、、、、この辺りは、マンション、戸建て住宅が並ぶ住宅地。(お金持ちも住んでいるかも?)

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● 中馬込3丁目に入り、“馬込の縦走路”はまだまだ続く! 大谷橋から700m程北まで尾根歩きは続く、この辺りでは“馬込の縦走路”は、西側の上池台5丁目と、東側の中馬込1丁目の町境となっている。

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● 上池台4丁目と5丁目の境は通称「学研通り」(かつて学習研究社の本社があった)と呼ばれる道路で、その北の端には坂道「貝塚坂」がある。 私が歩いてきた“馬込の縦走路”はこの貝塚坂にて、学研通りと合体する。 坂名の「貝塚坂」は、坂周辺に貝塚を伴う集落遺跡があったことによる。(大田区内の鵜の木、池上、山王と連なる台地には縄文時代から古墳時代にかけて遺跡が多いそうだ)、、、、今日の散歩は“馬込の縦走路”を道なりに歩いてきたので、ここより先も引き続き学研通りを道なりに歩く!!

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● 貝塚坂のチョイト北側から、今度は「夫婦坂(めおとざか)」がある。 貝塚坂上部から下り、環七通りと「夫婦坂交差点」で交差し、上り坂となって馬込1丁目に伸びる。 つまり、環七通りが最も低く、南と北の両側に向かって上る坂だある。 二つの坂が向かい合っていることから「夫婦坂」と名付けられたそうだ。

・・・・・・・・・・・・貝塚坂側から夫婦坂を見る、、、、“下り坂”が判るかな?

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・・・・・・・・・・・・環七通りと交差する「夫婦坂交差点」

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・・・・・・・・・・・・北へ向かって上る夫婦坂

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・・・・・・・・・・・・夫婦坂の北の端、、、、私は道なりに、坂の正面、材木屋の横の細い道を進む(道なりに直進する!)

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● 材木屋の横を入り、坂を下る。 東急大井町線の荏原町駅と旗の台駅の中間でガードを抜ける。 道は徐々に東に向けカーブする。 

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・・・・・・・・・・・・最後は品川区西中延3丁目、「健康ランド八幡温泉」(旧八幡湯)の脇に出た。 ここで、道はT字にぶつかり、これ以上直進できず。 これにて終了!、、、、なお、八幡温泉は温泉銭湯である。 湯量は豊富で、色は褐色透明。黒湯というほどは濃くなく、ちょうど紅茶のような色合いらしい。 

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● “馬込の縦走路”を歩き、最後は温泉につかることもなく、チョイト疲れた足で、さらに東急池上線の「荏原中延駅まで歩く。、、、、地下化された池上線の線路跡は所どころ公園化されている。、、、、道幅の狭い商店街の中に荏原中延駅がある。 初めて訪れる人には、見つけにくい駅だ! 交番で聞こうと思っても、その交番は駅にある、アリャリャ!、、、、3両編成の池上線はホームも短くコンパクトな造り。

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2021年6月24日 (木)

平和島から西馬込

昨日の続きで、平和島から品川方面に歩こうと思い下車したが、駅を出たら気が変わり西馬込へ向かって歩いた。 1万歩の散歩。 




● 京浜急行本線の平和島駅で下車し駅前に出ると、商店街を駅に向かう通勤客とすれ違う。 何となく人の流れに逆らいたくなり、商店街を歩くことにした(もちろん朝なので店は開いてない) 

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・・・・・・・・・・・・商店街の先は、いつの間にか何処にでもある裏道に変わり、人通りも少ない。 興味を引くものもなく、単調な歩み。

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・・・・・・・・・・・・環七通り補助27号線(=東邦医大通り沢田通り)が交差する「沢田交差点」に出た。 これより環七通りを西に歩く。

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● 環七通りがJR東海道線を跨ぐ「春日橋」を渡る。、、、、環七通りは戦後整備されたが、大田区内の沢田交差点からJRを越えて国道1号馬込交差点までは、昭和12年(1937)に完成している。 東海道線と立体交差する「春日橋」は昭和16年(1941)の完成である。 戦前から、踏切にせず立体交差にしたのは、それだけ交通の要所だったと思われる! 

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・・・・・・・・・・・・環七通りは、春日橋に続き、池上通りとの交差点に「春日橋陸橋」がある(紛らわしいね!)

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● 春日橋陸橋のある春日橋交差点から西へ150m程、「新井宿春日神社」(大田区中央1)がある。 おそらく“春日橋”の名のルーツであろう。、、、、春日神社の祭神は、天児屋根神〔あめのこやねのかみ〕、建御賀豆智神〔たけみかづちのかみ〕、伊波比主神〔いわいぬしのかみ〕の三神。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代の創建と伝えられている。 奈良の春日神社から勧請した。 住宅と商店が混在する旧街道沿いに鎮座する由緒ある神社。 神社前の旧街道は、かつて「奥州街道」、「相州鎌倉街道」、「平間街道」、「池上往還」と呼ばれていた古道である。、、、、現在の本殿は、昭和13年(1938)の建設で、木造春日造りの堂々たるものである。 また、旧本殿という神楽殿は風格がある。

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● 春日神社から住宅地の裏道を歩き、西へ向かう・・・・・この辺りは、作家・画家の多くが住んでいた馬込文士村。 私の住む“下町の浅草橋”とは、だいぶ雰囲気が異なるね!

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・・・・・・・・・・・・「大田区立龍子記念館」の前に出た。 日本画の巨匠として知られる川端龍子(1885~1966)が、昭和38(1963)に自身の喜寿の記念に、自らの発意と設計によって建てた記念館である。 当初は法人により運営されていたが、平成2年(1990)に記念館と所蔵作品などが大田区に寄贈され公開されている。、、、、私が立ち寄るのは、今日で3回目となる。 何回来ても“良いものは良い!” 内緒だけれど、年寄りは入館料無料、これもいいね! チョイト、拝見していくことにした。

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● 龍子記念館をあとにして、坂を上り池上本門寺裏(北側)を歩き、都営浅草線の車両基地を見ていくことにした。

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・・・・・・・・・・・・「馬込総合車両基地」に到着。 基地の中央を横切る歩道橋の上から電車を眺めて、ニコニコ・ニヤニヤ楽しそう!

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● 車両基地の先には浅草線の「西馬込駅」がある。 我が家の浅草橋駅までは、乗り換えなしの一本! 寝て帰ろ~~

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