大田区

2021年3月 7日 (日)

若き日、思い出の地

緊急事態宣言解除は2週間延期された。 私はマイペースで、自粛生活を続けている。 今日は日曜日なので通勤時間帯の電車も空いていると思い、行先を決めずに浅草橋で京急の三崎口行きに乗車。 日本橋・銀座・新橋・品川の混雑地を通り抜け、京急蒲田の隣り駅:雑色で下車した。 駅から西へ歩き多摩川土手へ、若き日の思い出の地を訪れJR蒲田駅まで、“密”を避けながら1万2千歩の散歩。




● 浅草橋で特急:三崎口行きに乗り、『さて何処で降りようか?』 空いてる車中で思案すれども決まらず京急蒲田駅に到着、この先まで乗ってると川崎・横浜となり、隣りの県に入ることになる。 とりあえず京急蒲田で電車を降り、ホームのベンチで思案の続き、ふと駅名表示を見て隣り駅『雑色(ぞうしき)』の文字が眼に入る。 『決まり!雑色で下車しよう!』(雑色駅は普通のみ停車する駅で、感染リスクは低そうだ)、、、、雑色駅は明治34年(1901)に京浜電気鉄道の駅として開業。 平成22年(2010)に上りホームを、2年後には下りホームをそれぞれ高架にし、平成29年(2017)に高架化事業が完成した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。、、、、京急のHPでは『駅名の由来は、当時の地名から名付けたもので、この地名も明治の末頃六郷村に編入され、現在は駅名にその名を残すのみとなっている。』と解説されている。 何か判ったような判らない解説だ! 辞書では、“雑色は、律令制における品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)の総称”とのこと、つまり昔の下級役人のことらしい。 このあたりに、下級役人の官舎でも在ったのか?

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・・・・・・・・・・・・高架化の前(2013年2月)の雑色駅

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● 雑色駅前、アーケードのある雑色商店街(店舗数では大田区最大級?らしい)を西へ向かうと、JR東海道線の雑色踏切がある。 ここにも、“雑色”の名が残っていた。

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● 雑色踏切を越えて裏道に入ると、白山神社と別当寺であった薬王寺が隣同士で並んでる。

・・・・・・・・・・・・白山神社の創建年代は不詳。 正徳甲午年(1707)銘の手水石が残されていることや、別当寺の薬王寺が宥範法印(延宝5年(1677)寂)により創建されていることから、薬王寺と共に創建されたものと推定されている。、、、、境内社の赤い鳥居の「正善坊稲荷」はインスタ映えするのか?、地元では人気があるらしい。


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・・・・・・・・・・・・白山神社のお隣には、真言宗智山派寺院の東輝山薬王寺がある。 宥範法印(延宝5年(1677)寂)が開山したと伝えられている。 昭和20年(1945)の戦災で本堂・庫裡焼失、昭和35年(1960)現本堂を完成した。、、、、境内は綺麗に整備されており、緑豊かな落ち着いた感じ。

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● 薬王寺から、さらに西へ歩くと多摩川土手に出た。 独身時代の昭和45年(1970)、数カ月間暮した思い出多い懐かしの多摩川土手である。
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・・・・・・・・・・・・昭和45年頃、写真中央のマンションがある処に、某化学メーカの中央研究所があった。 私が働いていたゼネコンが、研究所の建物の新築・改築などを行っており、若手で独身の私は、会社の同僚と共に現場宿舎に寝泊まりしていた。 その頃の私は、朝食前に河川敷で早朝ゴルフ(下手だった)、夕食後はボーリング場(そこそこの成績)、そのあとは蒲田・川崎のキャバレー(ダンスが楽しい)に、同僚と仲良く思い出を作っていた。、、、、その後、研究所は千葉に移転し、跡地には14階建て、約400戸のマンション「多摩川芙蓉ハイツ」(飛島建設+大成建設の施工、昭和58年竣工)が建っている。

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● 若い頃を思い出し、寝泊まりしていた研究所跡地(多摩川芙蓉マンション)から、蒲田駅まで当時のコースで歩いてみることにした。

・・・・・・・・・・・・研究所跡から、東に向かう、、、、写真の道はJRの車輛基地と富士通の研究所に出る道。

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・・・・・・・・・・・・車両基地(現:太田運輸区、旧:蒲田電車区)の先端部に出た! 電車を見ながら基地の脇を歩く。 鉄道オタク(私もその一人)には嬉しい散歩道だ!

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・・・・・・・・・・・・車両基地の隣りには「富士通ソリューションスクエア」(旧:富士通システムラボラトリ―)がある。、、、、建物は10数年前に現在のモダンな建物に建て替えられた。 私が多摩川に居た頃は、旧:富士通システムラボラトリーが西松建設の施工で建設中であった。、、、、25年程前、ゼネコンを退職し、IT業界に移った私は、この建物にも通いシステム構築のお世話になった思い出もある。

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・・・・・・・・・・・・JR蒲田駅に到着、、、、今日の散歩では、“密”な場所もなく、人との会話もなく、新型コロナには感染していないと思う。 家に帰って、“うがい”、“手洗い”を済ませて、一安心!

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2021年2月 7日 (日)

国道131号の裏通り

日曜で乗客も少ない浅草線に乗り、京急空港線の大鳥居駅で下車、駅前から北に伸びる国道131号(=産業道路)に沿って裏道を歩き京浜急行大森町駅まで、1万歩の散歩です。、、、、電車は往復空き空き状態、散歩中はすれ違う人も少なく、コロナ感染の心配無用!




● 浅草橋にて羽田空港行に乗り、乗降客の少なそうな大鳥居駅で下車した。、、、、大鳥居駅は明治35年(1902)6月28日、蒲田~稲荷橋間開通と同時に開業。 駅名は、当時、穴守稲荷の大きな鳥居が現在の大鳥居駅付近にあったことに由来する。 平成9年(1997)に駅は環八通りと産業道路が交差する大鳥居交差点の地下に移設された。

・・・・・・・・・・・・空いてる電車で、のんびりと散歩に向かう

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・・・・・・・・・・・・大鳥居駅は地下ホーム

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・・・・・・・・・・・・駅前の大鳥居交差点、この真下にホームがある。

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● 大鳥居駅から国道131号(=産業道路)の西側の裏道を北上すると、西糀谷3丁目に濱竹天祖神社がある。、、、、濱竹天祖神社は、村民長左衛門が西暦1687年頃に創建したらしい(濱竹は部落名:糀谷村濱竹厨子から命名) 社殿は昭和13年(1938)に建てられた。、、、、樹木の少ない境内は、町内の盆踊りに丁度良い広さがある。

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西糀谷の町を北に向かう、、、、町工場は休み、人影も少ない。

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● 呑川(のみかわ)に架かる「八幡橋」を渡る、、、、現在の八幡橋は平成25年(2013)に架け替えられた。 以前の八幡橋は昭和15年(1960)に竣工した。 橋の北側には橋名となった「子安八幡神社」がある。、、、、浄化され年々綺麗になる呑川に、朱塗りの八幡橋が姿を映している!

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● 八幡橋の向かいに「子安八幡神社」がある、、、、子安八幡神社は北糀谷1にある。 応永年間(1394~1428)に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し創建したと伝えられる。 六郷用水を開拓した小泉次太夫吉次がその功績により慶長2年(1597)に当地を賜ると、幕末(江戸時代末)まで代々領主を勤めることとなった。 安永3年(1774)には時の領主である小泉藤三郎包教の武運長久を願って氏子らが石鳥居を当社に奉納しており、現在でも境内に文化財として残っている。、、、、正面の鳥居は平成24年(2012)に白木で新造された。

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● 子安八幡神社から北へ約500m、旧呑川の跡が緑地公園として残されている。 旧呑川に架かっていた昭和橋(昭和45年架橋)も残されてる。

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● 旧呑川緑地公園の昭和橋から道なりに北へ向かうと、真言宗智山派寺院の密乗院(大森中2)の前に出る。、、、、密乗院は、海光山大森寺と号し、真栄が約800年前の承久年間(1219~1222)に創建したと云われている。 江戸時代に寺領20石の御朱印状を拝領、大森の諸神社の別当時であった。 本尊は不動明王。、、、、立派な山門も備わった、清浄で美しい寺!


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● 国道131号(=産業道路)が国道15号(=第一京浜)にぶつかる大森警察署前に近づいた。 私は、西に折れ国道15号を横断し京浜急行本線の大森町駅から電車に乗る!
・・・・・・・・・・・・警察署近くの国道131号(=産業道路)

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・・・・・・・・・・・・警察署前の国道15号(=第一京浜)

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・・・・・・・・・・・・国道を横断すれば大森町駅(おおもりまちえき)、、、、明治34年(1901)2月1日、六郷橋~官設大森駅間開通時に開業。 創業100年超の駅の老舗!

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2020年9月30日 (水)

最古のトンネル

東急目黒線・東横線の多摩川駅から川向こうの新丸子駅までの散歩です。




● 「多摩川駅」は大田区田園調布にある東横線・目黒線・東急多摩川線の駅。 大正12年(1923)、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部)間を開業させたのと同時にできた駅。 大正15年(1926)には東横線の多摩川~神奈川間が開業、昭和2年(1927)には渋谷~多摩川間も開業した。、、、、現在の「多摩川駅」は、東横線と目黒線が使用する1~4番線ホームは高架島式2面4線構造。 外側を東横線、内側を目黒線が使用する。 東急多摩川線が使用する5・6番線ホームは地下1階で、島式1面2線構造。、、、、この駅は、4回の駅名改称で、開業時の駅名に戻った稀有な例だ! まず最初は、今と同じ「多摩川駅」として大正12年3月11日に開業した。 大正15年1月1日、僅か3年で「丸子多摩川駅」に改称。 その後近くに“多摩川遊園地”という遊園地が近くにできると、昭和6年(1931)1月1日「多摩川園前駅」に改称する。 さらに昭和52年(1977)12月26日には、“前”がなくなり「多摩川園駅」となる。 さてさて、それから1年半後には多摩川遊園地が閉園となり、“多摩川園”という施設が無くなった。 駅名はそのままで暫く続いたが、平成12年(2000)8月6日目蒲線の目黒線・東急多摩川線への分割とともに、“園”をとり駅名を再び「多摩川駅」に改称した。 

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● 多摩川駅の西側、多摩川沿いの丘陵地に約750メートルにわたって、広い区立公園「多摩川台公園」がある。 晴れた日には遠く丹沢の山並みや富士山を見ることができるらしい、今日は快晴だったが見えたのは対岸の高層ビルだけ。(先日、眼の手術をしたので、見えなくなったのかな?)

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・・・・・・・・・・・・この公園の敷地内には、昭和47年(1972)まで「調布浄水場」があった、その跡地は現公園の一部となり、大田区によって整備された。 沈殿池だったところには池を作り湿性植物を植え、濾過池だったところには四季の野草などが植えられている。

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・・・・・・・・・・・・高台の公園からは多摩川に架かる東横線・目黒線の橋梁が見える。

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● 多摩川台公園の舌状台地の先(南側)に東急の線路を挟んで、浅間神社古墳の上に建つ「多摩川浅間神社」がある。、、、、創建は鎌倉時代の文治年間(1185~1190)と伝えられる。 源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。 その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。 富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。 それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。、、、、さすが“浅間神社”! 鳥居から社殿まで、富士登山にならい階段が続く登山道、年寄りには堪えるね! 現在の社殿は、昭和48年(1973)に完成した優美な浅間造り様式で、都内では唯一のもの。


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・・・・・・・・・境内から眺める多摩川。 右に東急(東横線・目黒線)の橋梁、左に丸子橋、対岸は新丸子・武蔵小杉の町。

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● 丸子橋をとおる中原街道(都道2号)の下(大田区田園調布本町)に、大田区最古のトンネルがある。 トンネル名は? 大きさは、幅:4m、高さ:3m、長さ:15m。、、、、中原街道のこの付近の道路指定が大正9年(1920)で、初代丸子橋の開通が昭和10年(1935)、トンネルは丸子橋の付け根にあることから、大正末期から昭和初期の間に造られたものと推定できそうだ。

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・・・・・・・・・・・・トンネルの中には、“東京府”時代のものと思われる、“東”をデザインしたマンホールがある。

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・・・・・・・・・・・・中原街道の下にトンネルを造り、道路を立体交差にしたのは、現在の狛江市で取水した多摩川の水を世田谷区・大田区に引き込む六郷用水を通すためと思われる。 トンネルの先には六郷用水が復元されている。、、、、綺麗な水の中をコイが泳いでる。

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● 東京都大田区田園調布本町と神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町の間に架けられている橋が、二代目の丸子橋。 橋の上は片側2車線の中原街道が通っている。、、、、昭和初期までは中原街道には多摩川を渡る橋はなく、丸子の渡しと呼ばれる渡し舟が存在していた。 初代の丸子橋は、長さ400m程、鋼トラス式タイドアーチ橋3連 + 鉄筋コンクリート上路式アーチ橋10連の橋で、昭和9年(1934)に架けられたた。、、、、現在の丸子橋は二代目、初代のイメージを踏襲したデザインで、橋長405.6m、幅員25.0mの鋼ローゼ(2連)+3径間連続PC箱桁橋である。 平成12年(2000)5月に完成。 事業費142億円。(旧橋の工事費用は約52万円)、、、、PC桁とアーチで変化をつけたデザインが、橋の長さを感じさせない歩きやすい橋。 また、大きな橋に多い、大型車が通った時の揺れも少なく、臆病な私が不安を感じることがなかった橋。

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・・・・・・・・・・・・旧橋の親柱が残されてる。

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● 丸子橋を渡り川崎市に入る。 新丸子駅近くを通り過ぎ、チョイト先へ行くと「京浜伏見稲荷神社」があるので、お立ち寄り!、、、、初代宮司:冨澤冠受大人之命(とみざわかんじゅうしのみこと、1905~1978)が昭和26年(1951)に京都伏見稲荷の神示により創建したとされる。、、、、『こんなところにこんなすごい稲荷があるなんて! なぜだ!』と言いたくなる神社。 商売繁盛の神の御利益は、神自身が授かっているようだ、社殿は『日本最大級の九棟稲荷造り』と自慢するスゴイ建築。 

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● 散歩のお帰りは「新丸子駅」から。、、、、新丸子駅は、大正15年(1926)2月14日東横線に開業した。 現在は東横線・目黒線が乗り入れる高架駅。 ホームも島式ホーム2面4線で、東横線・目黒線それぞれが使用している。

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2020年9月 5日 (土)

切断された水門

今朝はモノレールに乗ってみたくなり、東京モノレール昭和島駅から西へ向かい京浜急行梅屋敷駅までの散歩となった。




● 東京モノレールは昭和39年(1964)9月に、浜松町駅~旧羽田空港駅間が開通する。 東京モノレールの車両基地は現:昭和島駅にあるが、当初は昭和島には駅は無かった。 昭和60年(1985)2月7日、昭和島駅が無人駅として開業する。 平成4年(1992)からは、全普通列車が停車するようにいなる。 現在は「普通」のみ停車、「空港快速」、「区間快速」は気持ちよく通過する。、、、、駅は当初、相対式2面2線の地上駅であったが、快速運行に合わせ待避線・追い越し線を兼ね島式ホーム2面4線に変更された。、、、、【注】昭和島は、大田区にある人工島で、同区の町名である。 昭和島一丁目及び昭和島二丁目がある。 人口は0人。

・・・・・・・・・・・・一日当たりの乗降客は6000人弱。 ホーム幅は狭く、ホーム上には自販機などは一切なし! 乗務員の交替も当駅で行われる。

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・・・・・・・・・・・・ホームの前後は車両基地だが、一般人は近づけない! ホーム横に止まっている車両を見るのみ。

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・・・・・・・・・・・・ホーム端から地下通路を通り出入り口に向かう。

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● 昭和島と運河を挟み向かいの大森東5丁目は、人道橋の「大森東避難橋」により結ばれている。 地元の住民はこの橋で昭和島駅へ向かう。 昭和47年(1972)架橋。 

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● 大森東避難橋を渡ると、すぐ横に呑川水門があったのだが? あれ、ゲートがない?、、、、なんと、鋼製のゲートを両サイドで支えていた鉄筋コンクリート製の支柱が見事に切断され、鋭利な刃物でスパッと切ったような綺麗な切断面が見えている。 ゲートはもちろん撤去され、水門の内側は船溜まりとして整備されていた。

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● 船溜まりの先には、呑川を埋め立て「旧呑川緑地公園」が整備されている。、、、、昭和30年代、東京オリンピックをむかえるため、東京湾の埋め立て・整備がはじまり、旧呑川も埋め立てがはじまった。 昭和50年代には旧呑川は完全に埋め立てられた。、、、、世田谷区から流れ東京湾に注ぐ呑川は、京急蒲田駅付近から東(東京湾)に一直線に流れ下る新呑川が造られた。 時は昭和10年代のことである。

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● 大森東4丁目にて・・・・・・
・・・・・・・・・・・・屋敷稲荷だったのか「朝田稲荷」。 境内には「朝田代々之霊」と標した墓石があった。

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・・・・・・・・・・・・昭和の香りが残る「〇〇〇荘」アパート、、、、この付近には多くの「〇〇〇荘」がある。
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三輪厳島神社は大田区大森東4にある神社です。 三輪厳島神社は、冶承4年(1180)源義経が平泉から鎌倉に向かう途次の船に乗船中強風により漂流、当地の社に護られたことを感謝して一宇となった。 当地には三輪神社が鎮座していたが、明治42年(1909)白山神社を合祀、昭和3年(1928)に現在の社務所の位置にあった厳島神社を合祀して三輪厳島神社とした。、、、、大森海苔の守護神として古来より伝わっているそうだ!


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● 産業道路を横断し、大森中2丁目に入ると、真言宗智山派寺院の密乗院がある。 密乗院は海光山大森寺と号し、約800年前に創建した。 江戸時代に寺領20石の御朱印状を拝領し、大森の諸神社の別当寺であった。 本尊は不動明王 、、、、瓦ぶき山門が出迎えてくれる、本堂は白壁が眩しい、スッキリした綺麗な建物である。 境内はよく整備された日本庭園のような落ち着く空間。

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● 明治34年(1901)2月1日に開業した梅屋敷駅。 開業当時は道路上の停留所であったが、今は、ホーム長113mの相対式ホーム2面2線を有する高架駅となった。 一日の乗降客は約1万5千人、普通列車のみ停車する、のんびりした駅である。

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2020年6月17日 (水)

大井の大仏

大仏”とは、その言葉どうり大きな仏様のことである。 もう少し判りやすい基準を探すと、釈迦の背丈が1丈6尺(約4.85m)あったということから、その高さで造られた仏像を丈六仏(じょうろくぶつ)と称し、丈六仏より大きい仏像を「大仏」というそうだ。 さらに、背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分ほどの大きさ(約2.5m)になる。 でも、世の中には仏様を売り込み、参拝客を増やしたい坊さんもおり、丈六仏より小さくとも「大仏」と称する仏像もある。、、、、私が知る有名処の大仏は、奈良大仏(東大寺、14.7m)、鎌倉大仏(高徳院、11.39m)、東京大仏(乗蓮寺、8.2m)、鎌ケ谷大仏(1.8m)、越前大仏(清大寺、17.0m)、牛久大仏(牛久浄苑、100.0m)、飛鳥大仏(飛鳥寺、2.75m)など。 「〇〇大仏」と称する仏様は、全国で100箇所以上ある。

今日は、「大井の大仏(おおぼとけ)」と言われている如来寺の「五智如来」を拝観してきた。 都営浅草線馬込駅から、如来寺・山王草堂記念館・尾崎士郎記念館を巡り、JR大森駅まで、9千歩の散歩です。




●コロナは忘れた! ・・・・・・・環七通りと第二京浜が交差する松原橋交差点は、日本初の立体式交差点である。 その交差点、第二京浜の直下、環七通りに面して馬込駅の出入口がある。、、、、馬込駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。、、、、“コロナ禍”は終わり、忘れたように、通勤客が駅に吸い込まれていく。

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●五体の如来! ・・・・・・・馬込駅から東へ歩き、大田区と品川区の区境(品川区西大井5)に、天台宗の寺院、帰命山養玉院如来寺がある。 寺は、かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が大正12年(1923)に合併して成立した。、、、、如来寺は寛永年間(1624~1644)に木喰但唱が、芝高輪に創立した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が 安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、明治41年(1908)年に現在地に移転した。  養玉院は寛永12年(1635)に創立された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、 寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。 元禄11年(1698)に下谷坂本に移って養玉院と改めた。 大正12年(1923)如来寺と合併して、現在の場所に移った。、、、、昭和63年(1988)建立の山門は、通常閉ざされていて、脇に参詣路がある。 参詣路は緑が多く、一息つける。 本堂は、大正12年に下谷から移築した。 

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・・・・・・・・・・・・本堂の右に赤い如来堂の「瑞應殿(ずいおうでん)」がある。 ここに「大井の大仏(おおぼとけ)」である五智如来を祀っている。 堂の正面には、丈六の五体の如来像が、横一列に安置されている。 五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名で、向って左から北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝生如来、そして右端に東方世界の薬師如来が並んでる。 厳かな尊容のうちに限りない慈悲の念を籠め、五体が並んでのお出迎えである、アリガタヤ! 五智とは五種の仏智ということで、深遠な密教教理に基づくもので、江戸時代には、広大無辺の仏智にすがり、さまざまの苦難から逃れようとする願望が、深い民間信仰となって世に広まった。 大日如来には万物を慈しむ太陽の功徳、薬師如来には医薬の功徳、宝生如来には福徳財宝・五穀豊穣の功徳、そして阿弥陀如来には往生極楽の功徳というように現世利益を願う信仰が強くなった。 “コロナ”の現世でも、願うことは同じようだ! 堂内に足を踏み入れると、荘厳な雰囲気に圧倒される。

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・・・・・・・・・・・・瑞應殿裏の墓地には、対馬厳原の藩主宗対馬守の墓所、高取藩藩主植村家の墓所もある。


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●広い公園、全部が居宅跡! ・・・・・・・如来寺から、東海道新幹線・横須賀線の高架下を抜け再び大田区に入る。 この辺は坂が多くアップ・ダウンが多い! 大田区山王1丁目の住宅地に「蘇峰公園」がある。 ここは、大正13年(1924)から昭和18年(1943)まで徳冨蘇峰が住んだ居宅跡である。 公園となった広い起伏ある敷地の片隅に、鉄筋コンクリート造の山王草堂記念館があり、蘇峰の旧宅「山王草堂」の2階部分と玄関部分が復元保存されている。 山王草堂の設計は黒田記念館などの作品が残る岡田信一郎らしい。、、、、館内には、近世日本国民史の原稿、弟の徳富蘆花の原稿、坪内逍遥や与謝野晶子などからの書簡蘇峰愛用の文房具や印鑑の類、勝海舟との親交の資料などが展示されている。、、、、7年ぶりに記念館に訪れてみたが、展示内容に変化なし! 何回訪れても、知らないことを知る、チャンス!

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●人生劇場の記念館! ・・・・・・・蘇峰公園から70m程歩くと「尾崎士郎記念館」もある。 こちらも7年ぶりの訪問だが、人影はない。、、、、作家:尾崎士郎が昭和29年(1954)山王に転居し、同39年(1964)2月19日に永眠するまで生活をした場所である。 建物は、昭和29年(1954)に建てられた居宅のうち書庫、客間、書斎を再現し、庭も整備して平成20年(2008)に記念館としてオープンした。 愛用した机や遺品などが展示されている。(建物内部に立ち入ることはできない)、、、、こちらは、平屋の住宅で“記念館”と知らされてなければ、通り過ぎてしまうと思うね!

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●チョイト汚れてきた! ・・・・・・・・多くの店舗が入居しているビルの地下からホームに出られる大森駅北口。 改札を入ると、大宮寄りのホーム端部に出られる。 昭和34年(1959)の北口開設から60年余り経過し、改札周辺・駅ビルなどそろそろリニューアルする時期だ!

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2020年1月19日 (日)

池上の山裾を行く

京急蒲田駅から、呑川沿いに歩き、池上本門寺の山裾を廻って西馬込駅まで、1万1千歩の散歩です。




●要塞のような駅! ・・・・・・・京急蒲田駅は京急本線と空港線の分岐駅であり、快速特急など優等列車の停車駅でもある。 私には、乗換でホームに立つことの多い駅であるが、改札の外に出ることは少ない駅である。 今日は、久しぶりに駅から出てみることにした。、、、、明治34年(1901)2月1日、まだJR蒲田駅の無い時、蒲田駅として開業した。 大正14年(1925)京浜蒲田駅に改称し、昭和62年(1987)京急蒲田駅に改称する。、、、、名は変わっても、駅は変わらず、特に空港線が横断する第一京浜(国道15号)の“開かずの踏切”では、慢性的な交通渋滞が発生していた。 そこで、平成12年(2000)に、京急蒲田駅周辺の高架化工事に着手し、平成24年(2012)10月21日の下り線高架化完成により、京急蒲田駅は全面高架化となる。、、、、駅は三層構造で最上層の3階は下りホーム、2階が上りホーム、1階が改札階となっている。しかし改札階は、外部とペデストリアンデッキでつながっており、実質2階にあるようだ。 また、駅の高さは24mで一般のビルの8階程、ホームの長さは389mでJR総武線浅草橋駅ホーム(260m、10両編成の電車が停車する)の約1.5倍ある。 

・・・・・・・・・・・・3階の下りホームで電車から降りる、、、、長~いホームが伸びている

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・・・・・・・・・・・・エスカレーターで2階の上りホームへ

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・・・・・・・・・・・・1階の改札口を出る、、、、広~いコンコース

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・・・・・・・・・・・・駅の出入口はペデストリアンデッキにつながる、、、、駅の壁が要塞のように伸びている

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●この道はいつか来た道! ・・・・・・今日も改札を出て、『さて、何処へ行こうか? どっちに歩くか?』、、、、駅構内の地図を見て、呑川(のみかわ)沿いに上流に向かって歩くことにした。、、、、呑川は世田谷区・目黒区と流れ、大岡山の東工大付近で暗渠から顔を出し、大田区の雪谷・池上・蒲田・仲糀谷と下り、羽田空港で東京湾に注ぐ二級河川。、、、、このルートで池上までは、2年前に散歩をしていた、私としたことが“後で気がつくてんかん病み”であった、ゴメン!
・・・・・・・・・・・・ホーム下を流れる呑川。 上流側に柳橋が架かっている。、、、、我が家の近く、神田川最下流に架かる柳橋の方が風情があるね!(大人げないが、なぜか勝った気分だ) 

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・・・・・・・・・・・・柳橋付近の呑み屋街「柳通り」は、まだ熟睡中。

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・・・・・・・・・・・・呑川を越えるJR東海道線・京浜東北線が見える。、、、、その線路をくぐり抜けるアンダーパスを見て、『あっ! ここ、いつぞや(?)歩いたことがある』 気がついた!

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・・・・・・・・・・・・アンダーパスを抜けた線路脇に、何やら機械設備が入るような小屋を建設中。 私の長年の感で、『あやしい小屋だ!』、、、、当たり、この小屋は生物が居ないと言われていた呑川を浄化するために、高濃度酸素水を川底に供給する施設を収納する建物であった。 設備の稼働は来年(2021)2月頃らしい。 うまく稼働し、呑川の水質改善が実現することを期待!

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・・・・・・・・・・・・大田区西蒲田の付近を流れる呑川には昭和50年代に完成したPCコンクリート桁の橋が架かっている。、、、、馬引橋・山野橋・太平橋・若宮橋・日蓮橋・上堰橋・一本橋など、どの橋も昭和55年~昭和58年頃に完成した橋だ! 景気の良い時に架けたのかな。

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・・・・・・・・・・・・池上通り(都道421号)をとおす堤方橋(つつみかたはし)に出た!、、、、橋上からは正面に池上本門寺のある小高い山が見え、呑川は山裾を左に曲がって遡る。(ここまでは、2年前に歩いたルートと同じ)

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●住宅地を歩く! ・・・・・・・・堤方橋で呑川に別れ、本門寺の山裾を北に廻り込むようにして、大田区中央と大田区池上の町の境になる道を、西馬込駅を目指して歩く。、、、、朽ちかけた土蔵のある家、チョイとモダンな洋館風のアパート、静かな落ち着いた住宅、、、、いずれも、住みやすそうな街を創っている。

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・・・・・・・・・・・・歩く先には貴船坂(きぶねさか)がある、、、、池上1丁目と中央5丁目の境、長さ200m程のやや急な坂。 坂名は、本門寺公園の中にあった東之院の貴船明神にちなむと言われてる。 東之院は本門寺の子院の一つで、貴船明神はその鬼門よけとして置かれていたが、明治初年の神仏分離令により同寺院と分離され、明治45年(1912)になって近くの太田神社(中央六丁目3番)に合祀された。、、、、チョイト、肺活量の少ない私にはキツイ! 池上の町を坂から眺めながら、ゆっくり上る。

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・・・・・・・・・・・・貴船坂を上がると、スグ下り坂となり東京都交通局の車両基地前をとおり馬込駅に出る。

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●国道の地下だ! ・・・・・・・西馬込駅都営地下鉄浅草線の起点駅で、駅の先(南側)には浅草線の車両基地である馬込車両検修場がある。、、、、昭和43年(1968)11月15日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅は国道1号(第二京浜)の地下にある。 
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2020年1月10日 (金)

多摩川で若き頃を思い出す

出がけの夫婦の会話、『散歩してくる』 『何処へ?』 『まだ決めてない、駅まで歩きながら決める』 『それなら、京成か東武方面ね(浅草線押上方面)』 『なぜ?』 『京急方面(浅草線泉岳寺方面)は、銀座・新橋を通るから混んで座れないでしょ。押上へ行く電車はガラガラ』、、、、そうなんです、都営浅草線の浅草橋駅では泉岳寺方面行きは通勤客で満員、押上方面行きはスカスカのスカパーで、ホームに立つと、つい空いている押上方面行きの電車に乗ってしまうのです。、、、、ところがドッコイ、天の邪鬼の私、今日は満員の三崎口行きに乗ってしまった。 品川まで座れず、『何処で降りようか?』考えても、私の前に立つ女性がスマホを激しくいじり、『何してるんだ?』女性の手の動きが気にかかりイライラ、とうとう品川まで来てしまった。 車内は空いたので座り、女性はどこかにいなくなった。 これで、やっと心安らかに、自分が下車する駅を決められる。 車内アナウンス『次は京急蒲田、雑色、六郷土手はお乗り換え下さい』を聞いて、久しぶりに雑色で下車してみることにした。

雑色駅で下車してみたが、行く先は定まらず。 気の向くままに歩き、行った先は多摩川。 JR蒲田駅方面に方向転換し、再び気の向くままに歩き、着いた所はナント雑色駅。、、、、結局、雑色駅と多摩川土手の間を往復した、1万歩の散歩です。




●宮中の役人が居たのか? ・・・・・・・雑色駅明治34年(1901)2月1日に京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業した。 開通時は道路上の停留所であったが、その後、大正12年(1923)に新設軌道に変わり位置も変わった。 昭和54年(1979)には、ホームが延長され4両編成から6両編成用に改良された。 そして、平成22年(2010)~平成24年(2012)にかけ、駅の高架化が進められ現在の駅が完成した。、、、、駅名の「雑色(ぞうしき)」は鎌倉時代、宮中の雑役の役目をしていた職業のこと。 また、身分が低い者という意味もあるそうだ。 駅のある周辺はかつての地名:雑色村であった。 この地名は明治末期に六郷村(現在の仲六郷)に編入されたため、駅名に残るのみである。

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・・・・・・・・・・・・駅周辺は再開発事業が予定されていたためか、駅前は広く大きな空間が創られている。 ただ、再開発事業は現在中断されているようだ。

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・・・・・・・・・・・・駅前で、『どっちに歩くか?』思案橋。 駅前のアーケード街を見て、賑やかそうな方向(西側)に歩くことにした。

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●西六郷に入る! ・・・・・・・雑色駅から西へ歩き、JR東海道線の宮前踏切に出てきた。 踏切を越え、西六郷2丁目の町に入る。、、、、中高年の方は「西六郷少年少女合唱団」を思い出す人もいるでしょう。 NHKの「みんなのうた」で活躍した児童合唱団の地元。 合唱団は指導者の死去に伴い平成11年(1999)に解団した。 現在は、新しい合唱団が立ち上がり活躍されているそうだ! 

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●双子の寺と神社! ・・・・・・・・西六郷の裏道を歩くと、隣り合わせで「白山神社」と「薬王寺」があった。(西六郷2)

・・・・・・・・・・・・白山神社の創建年代は不詳。 正徳甲午年(1707)銘の手水石が残されていることや、隣りの別当寺:薬王寺が宥範法印(延宝5年1677年寂)により創建されていることから、薬王寺と共に創建されたものらしい。、、、、境内のウメは、近頃の陽気のせいか開花していた。

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・・・・・・・・・・・・白山神社の隣り、薬王寺は宝幢院末東輝山といい、開山は宥範で、延宝5年(1677)に寂しているから、その近年に創建されたものと思われる。 寺伝によると古川薬師安養寺の隠居寺といわれている。 昭和20年(1945)の戦災で本堂・庫裡焼失、昭和35年(1960)現本堂を完成した。、、、、境内には馬頭観音が祀られている。、、、、境内は綺麗に手入れされ、気持ち良い寺だ。  

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●街道のロマン! ・・・・・・西六郷の裏道をぶらつき、多摩川の土手が見えた。 土手の手前に、真言宗智山派寺院の医王山安養寺がある。 永禄11年(1568)頃、永伝法印が創建。 境内の薬師堂は行基(667~749)の創建と伝えられ、安養寺は、薬師堂(古川薬師)の別当寺を務めていた。 安養寺は江戸名所図絵にも画かれており、江戸時代当時は平間寺(川崎大師)、新田神社と共に江戸名所巡りの散策コースとして賑わったそうだ。  現在の安養寺本堂は、正徳5年(1715)の建築。 明冶末から大正の初めにかけて行われた多摩川の河川改修の結果、元の河川敷から現在地の西六郷に移転した。 また、それにともなって堂宇も移築された。、、、、大正の震災や、昭和の戦災による被害は少なく、火災による全焼はまぬがれた。

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・・・・・・・・・・・・安養寺の門前にある「古川薬師道 道標」、、、、延宝2年(1674)東海道筋の雑色から、多摩川道に入る分岐点に建てられた道しるべで、のち区画整理のため現在の安養寺(古川薬師)の門前に移された。 正面と両側面に、古川薬師への分かれ道であることを示す銘文が刻まれている。 道標正面には、上部に梵字のマークと「古川 藥師如來江之道 六郷之内古川村・別当安養寺」 右側面には「是よりふる川屋くし江のみち」、左の側面には「これより里ふ類かわやくしへ乃ミち」と彫られている。、、、、江戸時代の道筋にロマン感じさせる道標だ!
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●ゴルフの難しさを知った! ・・・・・・・安養寺から多摩川土手に上ってみた。 今から50年前、ピカピカの若い頃を思い出した!、、、、写真右端のマンションが建つ以前、そこは私が約半年間、ゼネコンの新人監督として現場で寝泊まりしていた懐かしい処である。 写真左端には、当時河川敷のゴルフ場があった。 毎朝、起きては朝食前に通ったが、サッパリ上達しないので、ゴルフはあきらめた! 川向こうは川崎市、ゴルフをあきらめボーリングに目覚め、川崎へ通った思い出の地。
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●戻ってきた! ・・・・・・・・多摩川土手に別れを告げてJR蒲田駅へ向かうつもりで歩いたが、どこかで足がもつれたか、蒲田駅に向かわず、雑色駅方向に歩いていた。、、、、西六郷小学校前を通り、都営西六郷一丁目アパートの横に出て、東海道線の踏切を越え、再び雑色の商店街を歩き、雑色駅に到着。

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2019年12月29日 (日)

初詣を待つ神社

令和元年も残すところあと三日、我が家の正月の準備は妻に任せて、「チョイト散歩してくる!」と家を出た。 さてさて、どっちへ行こうか? 考えながらも足は地下鉄浅草橋駅に向かい、久里浜行きに飛び乗った。 車中で「どこで降りようか?」、停車駅案内図を見て「穴守稲荷」が目に入る。 きょうは、神社の正月準備でも見てみるか! 穴守稲荷駅で下車することにした。 神社は静かで期待ハズレ、羽田の大鳥居を見て、糀谷駅まで、1万1千歩の散歩。




●寂しい駅! ・・・・・・・明治35年(1902)6月28日、穴守駅(あなもりえき)として開業。 大正2年(1913)に、穴守駅を東へ800m、現在の羽田空港敷地内に移設し、旧穴守駅の位置に羽田駅が開業。 その後、羽田駅を稲荷橋駅に改称。 昭和15年(1940)には、稲荷橋駅は西に約200m移設。 戦後、昭和20年(1945)連合軍による穴守線(現:空港線)接収により、稲荷橋駅より東の区間は営業休止となる。 昭和27年(1952)、稲荷橋駅はさらに約340m西に移設。 昭和31年(1956)に、やっと稲荷橋駅から東の空港に向かって線路は延伸され羽田空港駅が開業する。 同時に稲荷橋駅は穴守稲荷駅と改称する。 さらに、平成3年(1991)から平成5年まで、穴守稲荷駅から東の羽田空港駅までは、空港島に線路延伸するため、またまた営業休止。 駅の移設・駅名変更・線路の延伸・営業休止など、何かと騒がしい空港線(旧:穴守線)であり、穴守稲荷駅である。、、、、現在の穴守稲荷駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅。 一日当たりの乗降客数も18,000人程で、空港線の中では最も少ない客数である。

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・・・・・・・・・・・・駅改札を出たところに、穴守稲荷神社を象徴する狐の石像:コンちゃんが鎮座している。 平成3年設置。 正月向けか、ピンクの花飾りに、赤い上着、そして松飾り。

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●コンちゃんの実家? ・・・・・・文化元年(1804)の羽田沖(現:羽田空港の敷地内)の新田開墾の折り、海が荒れて沿岸の堤防が決壊し、村々は海水による甚大な被害を受けた。 村民が堤防の上に祠を勧請し、稲荷大神を祀ると、海が静まって大きな実りをもたらした。 これが穴守稲荷神社の起こりとされている。穴守という名の由来は、堤防に開いた穴の害から人々を守るという神徳にちなむ。 元々は新田開拓を行った鈴木家の土地にある、小さな祠であった。 明治17年(1884)には暴風雨に襲われ崩壊してしまうが、翌年には再建の認可を取り付け、さらに2年後には「穴守稲荷社」から「穴守稲荷神社」へと改称を行った。 再建した穴守稲荷神社は境内も広くなり、さらに周辺で潮干狩りもできることや温泉が湧いたこともあり、門前には温泉旅館や芸者の置屋ができ、賑わいを見せていった。 この繁栄を見て、京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)は京浜蒲田から穴守稲荷神社へ向けて支線を伸ばし穴守駅が開業した。 交通の整備もあり、穴守稲荷神社の界隈はさらに賑わっていった。 然るに昭和20年(1945)8月の終戦では、米軍による羽田空港拡張のため、従来の鎮座地(東京国際空港内)より48時間以内の強制退去を命ぜられた。 同年9月、地元崇敬者有志による熱意により現在地が寄進され、仮社殿を復興再建した。、、、、神社は只今、境内整備と奥之宮改修工事を実施中、漸次昔日の面影を取り戻しつつある。 お稲荷さんのシンボル、朱塗りの鳥居も一か所に集められ退避中。 境内では、正月準備は終わっているようだ!

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●空港に残った大鳥居! ・・・・・・穴守稲荷神社の社殿や他の鳥居は、終戦直後、GHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居(大鳥居)だけは撤去されず、そのまま羽田空港の駐車場に残っていた。 平成の初め、羽田空港の沖合展開事業にあたり新B滑走路整備の障害になるため、鳥居を撤去する話が出たが、地域住民らから穴守稲荷神社や強制接収の憂き目にあった旧住民らのシンボルとして残したいと要望が上がった。 平成11年(1999)に、同じ空港島の弁天橋脇(現在地)に移設された。、、、、空港島の隅に鳥居だけがポツント、東京湾と多摩川の風に晒されながら、日々、飛行機の離発着を見守っている。 今日は鳥居の前に門松が置かれていた! 

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●勝手に思う! ・・・・・・・チョイト古そうな建物を見て、一人で何かを感じて歩く!

・・・・・・・・・・・・穴守稲荷神社の参道前にあったビジネスホテル。 「梅月」という名が旅館を連想させる、ひょっとしたら戦後、現在地に移った穴守稲荷神社の参拝客を当て込んで開業したのか? 近くには割烹料理の店もあった。

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・・・・・・・・・・・・環八通りを歩くと、「羽田民生アパート」(羽田1)が目にとまる。 公営住宅なので差別しているわけではないだろうが、“母子アパート”、“民生アパート”など、なんだか特定の入居者を対象とした名前が気になるね。

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・・・・・・・・・・・・西糀谷3丁目では、戦後の中小金属加工工場が当時の雰囲気を残していた。、、、、何となく、日活青春映画に出てきそうな工場だ!

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・・・・・・・・・・・・西糀谷1丁目で、雑草と木が茂るチョイト大きな空き地があった。 以前は釣り堀、今は猫の住まい? 今後はマンションでも建つのかな?、、、、腹のふくれた野良猫が堂々と塀の中に入って行く、釣り堀の魚を食べて肥満体か? 

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●便利で活気づいた駅! ・・・・・・・糀谷駅に到着、、、、平成24年(2012)に糀谷駅の上下線の高架化が完成し、現在の駅の構造となる。、、、 大きな一か所だけの改札の前には、高架下のスーパーなどがあり便利になった。 また、以前からある駅前の商店街も活気づき、明るい雰囲気の町となった。

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2019年11月15日 (金)

まごまごせずに馬込を歩く

都営浅草線中延駅(なかのぶえき)から、裏通りを歩き途中で大田区立郷土博物館に寄り、二駅先の西馬込駅まで、9千歩の散歩です。




●乗れても座れない! ・・・・・・・朝8時過ぎ、私が乗ってきた西馬込行きはガラガラ状態で中延駅に到着。 逆に、都心に向かう電車は、始発駅(西馬込駅)から二駅目の当駅で既に満員状態。 通勤する皆さま、朝からお疲れさま。

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・・・・・・・・・・・・・・改札は西馬込寄りに1か所、押上寄りの東急大井町線中延駅に近い1か所、計2か所。 今日は西馬込寄りの改札から地上に出てみた。 出入口は第二京浜(国道1号)に面している。、、、、国道を歩いても面白くないので、裏通りを歩くことにする。

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●バス通りに出る! ・・・・・・・第二京浜沿いの裏通りを南へ歩く。 かつて源氏の陣屋前であったことに由来する地名「源氏前」。 その源氏前小学校裏を通り坂を上ると、品川区中延から大田区北馬込となる。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、右に折れて、左に折れると、第二京浜と並行するバス通りに出る。 

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・・・・・・・・・・・・・・バス通りには、曹洞宗寺院の金光山宗福寺(北馬込)がある。 天正年間(1575年頃)の開山。、、、、この寺の名物(?)は、見守り地蔵の「登志子地蔵」である。 この地蔵は、昭和10年(1935)、近くの八幡様の祭礼の日に、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、建立しその霊を祀ったものである。 当時は、寺に捜査本部が設置され、犯人は24日目に逮捕された。 

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●新馬込橋の変遷 ・・・・・・・バス通りは、環状7号線を跨ぐ新馬込橋を渡る。、、、、この新馬込橋は
昭和14年(1939)に竣工し、北馬込地区と中馬込地区を南北に結ぶ生活道路として架けられた。 しかし、架橋後70余年経過し劣化もあり、平成23年から架け替え工事が行われ、平成27年(2015)に現在の橋に架け替えられた。
・・・・・・・・・・・・・・今日撮影した新馬込橋。 橋際の説明板にあった昭和15年の新馬込橋。

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・・・・・・・・・・・・・・・架け替え直前の平成24年に撮影した新馬込橋の旧橋。 コンクリート製の欄干が印象的。


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●馬の背を行くバス通り! ・・・・・・馬込の台地上をバス通りは抜けていく。

・・・・・・・・・・・・・・ちょうど馬の背のようにバス通りの左右は下り坂だ!

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・・・・・・・・・・・・・・バス通りは第二京浜を東海道新幹線が跨ぐ馬込架道橋の下に出る。、、、、馬込架道橋は昭和39年(1964)3月、大田区馬込で東海道新幹線の陸橋架設工事が夜を徹して行われ、当時話題となった。 地下には地下鉄浅草線、その上に貨物線、さらに国道の第二京浜、そしてさらに新幹線が重なる複雑な四重立体構造。 国道は1日の交通量が8万台もある工事の難所で、あらかじめ造った全長86.4m、重さ約580トンのアーチ橋を午前0時から夜明けまでにかけてしまう「引き出し式架設工法」が採用された。 当時私は高校生、工事を見たかったが、勉強に没頭して寝てしまった!



●有料でも見たくなる! ・・・・・湯殿神社の東に大田区立郷土博物館がある。 只今ココで、『嶺の御嶽山と一山行者』と題する特別展が開かれていた。 チョイト寄り道。、、、、木曽御嶽山の関東第一分社である御嶽神社(大田区北嶺町)について、社宝・文化財の扁額・絵馬などど多くの資料によって紹介されてる。 ナント無料、見ないと損する展示だ!

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2019年9月14日 (土)

駄菓子屋を覗いた大鳥居

京浜急行空港線大鳥居駅から、多摩川の六郷水門を見て、京急本線の雑色駅まで、9千歩の散歩です。




●霧雨の寒い駅 ・・・・・・久しぶりに多摩川の六郷水門が見たくなり、京浜急行空港線の大鳥居駅下車して歩くことにした。 我が家(浅草橋)を出る時は降っていなかったが、大鳥居駅は霧雨の中で、半袖の私には肌寒いスタートとなった。、、、、かつての地上駅は、環状8号線と産業道路が交わる大鳥居交差点のところにあったため、踏切渋滞を解消するために平成9年(2021)11月に地下駅となった。 相対式2面2線のホームは地下1階にあり、駅舎(改札口・出口)は交差点を挟み西口・東口の2ヶ所となった。、、、、駅名の大鳥居は、穴守稲荷神社の大鳥居が付近にあったことに由来する。 現在は空港島の端、天空橋駅付近に移設されている。

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・・・・・・・・・・・・・・大鳥居駅の西側、線路が地下にもぐる部分。 “線路が地上に出る部分”とも言う!(好みで、お好きな方を)

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●機関車で喜ぶ親爺 ・・・・・・大鳥居駅の南にある萩中公園(大田区萩中3)、ここに鉄道ファンが嬉しがるものが静態保存されている。、、、、9:00開園の公園に、子供より先に大人の一番乗り!

・・・・・・・・・・・・・・蒸気機関車:大正3年(1914)に英国マンチェスターのベーヤ―・ピーコック社で製造された蒸気機関車。 昭 和41年(1966)9月まで、東武鉄道に最後の蒸気機関車として走っていたもので、大田区が譲り受けた。

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・・・・・・・・・・・・・・尼ヶ崎駅、玉造駅などで、駅構内での車両の入換え、トロの牽引をしていた軌道モーターカー、昭和30年(1955)加藤製作所製。

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・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線7008号車:都内唯一の路面電車である都電荒川線の主力車両として平成24年(2012)12月まで運行し、親しまれていた車両。 都から譲渡されたもの。

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●寺の隣りは駄菓子屋さん ・・・・・・・・萩中公園の南(本羽田3)には、いくつかの寺院が集まっている。 その内の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の長照寺は羽田山と号す。 長照寺は、池上本門寺第12世惺(1550~98)が大師橋付近に創建したと云われている。 明治11年(1878)の大洪水で諸堂宇を流失し、翌年現在地に移転再興した。 震災・戦災で被災し、現堂宇は昭和39年(1964)に建立。、、、、山門だけは戦火を免れ、修復され現在に至っている。 大きな境内の寺だが、事務所・諸堂が大きく、墓地も大きく、本堂前の庭は小さい。

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・・・・・・・・・・・・・・長照寺の西側には、浄土真宗本願寺派の放光山海岸寺がある。 海岸寺の創建年代は不詳。 震災後の昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転した。、、、、こじんまりした寺で、木々は庭師によりよく手入れされている。 茶室のような寺。 

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・・・・・・・・・・・・・・海岸寺の南隣に小さな駄菓子屋を発見。 店主のおかみさんと駄菓子屋談議で、チョイト昔を懐かしむ。、、、、煙を愛する大人向けにタバコも販売していた。

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●あと100年もすれば世界遺産登録されるかも? ・・・・・・・木造の骨組みが残る戦前の金属加工工場。 内部にはクレーンも取り付けられているが、そのクレーンは木造で支えられている。、、、、現在は車の整備工場として使用。 先日の台風で屋根の一部が壊されたが、建物が世界遺産登録されるのを待っているそうだ!(オーナー談)

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●煉瓦造りの水門は町のシンボル ・・・・・・・多摩川の土手に出た、チョイトばかり上流側に歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・昭和に入り、六郷地区の住宅化が進むにつれ 生活用水が増し大雨時には排水しきれずに浸水する事態が起こった。 そこで、地元六郷町が国と東京府の補助金を受けて昭和6年(1931)にこの六郷水門を設けた。 水門は、下水道が普及するまで六郷用水の末流をはじめ、六郷や池上、矢口、羽田の一部地域の雨水、汚水を排除していた。、、、、水門に架かる橋の高欄には、「郷」の字を、「口」の字が9個で囲む六郷町の町章を用いている。 船溜まりは、かつて舟運にも利用され、雑色運河とよばれた水路下流の様子を今に伝えている。、、、、昭和47年(1972)、新たにポンプの圧力によって強制的に排水できる施設が東京都下水道局によって設置され、さらに下水道の整備もすすみ、六郷水門はその機能を保ちつつ使われる事はなくなった。、、、、水門は地元のシンボルとして、多摩川と共に公園のように整備されている。

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・・・・・・・・・・・・・・この六郷水門船溜まりの先から、真直ぐ「水門通り商店街」が京急本線の雑色駅まで続く。、、、、全長600mぐらいある長~い商店街、大きな店舗はないが活気はありそうだ。 

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●モダンな駅だ! ・・・・・・・雑色駅は明治34年(1901)2月1日、京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業。 平成22年(2010)から平成24年(2012)に、上下線のホームを高架線へ切り替える。 現在は、私が住む浅草橋駅よりモダンでカッコイイ高架駅である。 負けた!、、、、駅名の雑色は当時の地名:雑色村から名付けられたが、“雑色”の名は駅名に残るだけとなった。 

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