大田区

2020年6月17日 (水)

大井の大仏

大仏”とは、その言葉どうり大きな仏様のことである。 もう少し判りやすい基準を探すと、釈迦の背丈が1丈6尺(約4.85m)あったということから、その高さで造られた仏像を丈六仏(じょうろくぶつ)と称し、丈六仏より大きい仏像を「大仏」というそうだ。 さらに、背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分ほどの大きさ(約2.5m)になる。 でも、世の中には仏様を売り込み、参拝客を増やしたい坊さんもおり、丈六仏より小さくとも「大仏」と称する仏像もある。、、、、私が知る有名処の大仏は、奈良大仏(東大寺、14.7m)、鎌倉大仏(高徳院、11.39m)、東京大仏(乗蓮寺、8.2m)、鎌ケ谷大仏(1.8m)、越前大仏(清大寺、17.0m)、牛久大仏(牛久浄苑、100.0m)、飛鳥大仏(飛鳥寺、2.75m)など。 「〇〇大仏」と称する仏様は、全国で100箇所以上ある。

今日は、「大井の大仏(おおぼとけ)」と言われている如来寺の「五智如来」を拝観してきた。 都営浅草線馬込駅から、如来寺・山王草堂記念館・尾崎士郎記念館を巡り、JR大森駅まで、9千歩の散歩です。




●コロナは忘れた! ・・・・・・・環七通りと第二京浜が交差する松原橋交差点は、日本初の立体式交差点である。 その交差点、第二京浜の直下、環七通りに面して馬込駅の出入口がある。、、、、馬込駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。、、、、“コロナ禍”は終わり、忘れたように、通勤客が駅に吸い込まれていく。

202006170807140000

202006170805480000

202006170803470000



●五体の如来! ・・・・・・・馬込駅から東へ歩き、大田区と品川区の区境(品川区西大井5)に、天台宗の寺院、帰命山養玉院如来寺がある。 寺は、かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が大正12年(1923)に合併して成立した。、、、、如来寺は寛永年間(1624~1644)に木喰但唱が、芝高輪に創立した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が 安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、明治41年(1908)年に現在地に移転した。  養玉院は寛永12年(1635)に創立された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、 寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。 元禄11年(1698)に下谷坂本に移って養玉院と改めた。 大正12年(1923)如来寺と合併して、現在の場所に移った。、、、、昭和63年(1988)建立の山門は、通常閉ざされていて、脇に参詣路がある。 参詣路は緑が多く、一息つける。 本堂は、大正12年に下谷から移築した。 

202006170827410000

202006170829420000

202006170830330000

202006170835140000

・・・・・・・・・・・・本堂の右に赤い如来堂の「瑞應殿(ずいおうでん)」がある。 ここに「大井の大仏(おおぼとけ)」である五智如来を祀っている。 堂の正面には、丈六の五体の如来像が、横一列に安置されている。 五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名で、向って左から北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝生如来、そして右端に東方世界の薬師如来が並んでる。 厳かな尊容のうちに限りない慈悲の念を籠め、五体が並んでのお出迎えである、アリガタヤ! 五智とは五種の仏智ということで、深遠な密教教理に基づくもので、江戸時代には、広大無辺の仏智にすがり、さまざまの苦難から逃れようとする願望が、深い民間信仰となって世に広まった。 大日如来には万物を慈しむ太陽の功徳、薬師如来には医薬の功徳、宝生如来には福徳財宝・五穀豊穣の功徳、そして阿弥陀如来には往生極楽の功徳というように現世利益を願う信仰が強くなった。 “コロナ”の現世でも、願うことは同じようだ! 堂内に足を踏み入れると、荘厳な雰囲気に圧倒される。

202006170854290000

202006170837190000

202006170923230000

202006170916050000

202006170922320000

202006170922210000

・・・・・・・・・・・・瑞應殿裏の墓地には、対馬厳原の藩主宗対馬守の墓所、高取藩藩主植村家の墓所もある。


202006170847550000

202006170847250000



●広い公園、全部が居宅跡! ・・・・・・・如来寺から、東海道新幹線・横須賀線の高架下を抜け再び大田区に入る。 この辺は坂が多くアップ・ダウンが多い! 大田区山王1丁目の住宅地に「蘇峰公園」がある。 ここは、大正13年(1924)から昭和18年(1943)まで徳冨蘇峰が住んだ居宅跡である。 公園となった広い起伏ある敷地の片隅に、鉄筋コンクリート造の山王草堂記念館があり、蘇峰の旧宅「山王草堂」の2階部分と玄関部分が復元保存されている。 山王草堂の設計は黒田記念館などの作品が残る岡田信一郎らしい。、、、、館内には、近世日本国民史の原稿、弟の徳富蘆花の原稿、坪内逍遥や与謝野晶子などからの書簡蘇峰愛用の文房具や印鑑の類、勝海舟との親交の資料などが展示されている。、、、、7年ぶりに記念館に訪れてみたが、展示内容に変化なし! 何回訪れても、知らないことを知る、チャンス!

202006170945490000

202006171001240000

202006170947110000

202006170950530000

202006170951130000

202006170959150000

202006170951500000



●人生劇場の記念館! ・・・・・・・蘇峰公園から70m程歩くと「尾崎士郎記念館」もある。 こちらも7年ぶりの訪問だが、人影はない。、、、、作家:尾崎士郎が昭和29年(1954)山王に転居し、同39年(1964)2月19日に永眠するまで生活をした場所である。 建物は、昭和29年(1954)に建てられた居宅のうち書庫、客間、書斎を再現し、庭も整備して平成20年(2008)に記念館としてオープンした。 愛用した机や遺品などが展示されている。(建物内部に立ち入ることはできない)、、、、こちらは、平屋の住宅で“記念館”と知らされてなければ、通り過ぎてしまうと思うね!

202006171004160000

202006171006070000

202006171005560000

202006171006580000

202006171005230000



●チョイト汚れてきた! ・・・・・・・・多くの店舗が入居しているビルの地下からホームに出られる大森駅北口。 改札を入ると、大宮寄りのホーム端部に出られる。 昭和34年(1959)の北口開設から60年余り経過し、改札周辺・駅ビルなどそろそろリニューアルする時期だ!

202006171021490000

202006171028360000

202006171029310000

2020年1月19日 (日)

池上の山裾を行く

京急蒲田駅から、呑川沿いに歩き、池上本門寺の山裾を廻って西馬込駅まで、1万1千歩の散歩です。




●要塞のような駅! ・・・・・・・京急蒲田駅は京急本線と空港線の分岐駅であり、快速特急など優等列車の停車駅でもある。 私には、乗換でホームに立つことの多い駅であるが、改札の外に出ることは少ない駅である。 今日は、久しぶりに駅から出てみることにした。、、、、明治34年(1901)2月1日、まだJR蒲田駅の無い時、蒲田駅として開業した。 大正14年(1925)京浜蒲田駅に改称し、昭和62年(1987)京急蒲田駅に改称する。、、、、名は変わっても、駅は変わらず、特に空港線が横断する第一京浜(国道15号)の“開かずの踏切”では、慢性的な交通渋滞が発生していた。 そこで、平成12年(2000)に、京急蒲田駅周辺の高架化工事に着手し、平成24年(2012)10月21日の下り線高架化完成により、京急蒲田駅は全面高架化となる。、、、、駅は三層構造で最上層の3階は下りホーム、2階が上りホーム、1階が改札階となっている。しかし改札階は、外部とペデストリアンデッキでつながっており、実質2階にあるようだ。 また、駅の高さは24mで一般のビルの8階程、ホームの長さは389mでJR総武線浅草橋駅ホーム(260m、10両編成の電車が停車する)の約1.5倍ある。 

・・・・・・・・・・・・3階の下りホームで電車から降りる、、、、長~いホームが伸びている

202001190825250000

・・・・・・・・・・・・エスカレーターで2階の上りホームへ

202001190826260000

202001190827250000
・・・・・・・・・・・・1階の改札口を出る、、、、広~いコンコース

202001190831440000

・・・・・・・・・・・・駅の出入口はペデストリアンデッキにつながる、、、、駅の壁が要塞のように伸びている

202001190832550000

202001190832320000



●この道はいつか来た道! ・・・・・・今日も改札を出て、『さて、何処へ行こうか? どっちに歩くか?』、、、、駅構内の地図を見て、呑川(のみかわ)沿いに上流に向かって歩くことにした。、、、、呑川は世田谷区・目黒区と流れ、大岡山の東工大付近で暗渠から顔を出し、大田区の雪谷・池上・蒲田・仲糀谷と下り、羽田空港で東京湾に注ぐ二級河川。、、、、このルートで池上までは、2年前に散歩をしていた、私としたことが“後で気がつくてんかん病み”であった、ゴメン!
・・・・・・・・・・・・ホーム下を流れる呑川。 上流側に柳橋が架かっている。、、、、我が家の近く、神田川最下流に架かる柳橋の方が風情があるね!(大人げないが、なぜか勝った気分だ) 

202001190841310000

202001190841460000

・・・・・・・・・・・・柳橋付近の呑み屋街「柳通り」は、まだ熟睡中。

202001190844380000

・・・・・・・・・・・・呑川を越えるJR東海道線・京浜東北線が見える。、、、、その線路をくぐり抜けるアンダーパスを見て、『あっ! ここ、いつぞや(?)歩いたことがある』 気がついた!

202001190858350000

202001190902390000

・・・・・・・・・・・・アンダーパスを抜けた線路脇に、何やら機械設備が入るような小屋を建設中。 私の長年の感で、『あやしい小屋だ!』、、、、当たり、この小屋は生物が居ないと言われていた呑川を浄化するために、高濃度酸素水を川底に供給する施設を収納する建物であった。 設備の稼働は来年(2021)2月頃らしい。 うまく稼働し、呑川の水質改善が実現することを期待!

202001190905190000

202001190906370000

・・・・・・・・・・・・大田区西蒲田の付近を流れる呑川には昭和50年代に完成したPCコンクリート桁の橋が架かっている。、、、、馬引橋・山野橋・太平橋・若宮橋・日蓮橋・上堰橋・一本橋など、どの橋も昭和55年~昭和58年頃に完成した橋だ! 景気の良い時に架けたのかな。

202001190910030000



202001190923360000

202001190927460000

202001190938560000

・・・・・・・・・・・・池上通り(都道421号)をとおす堤方橋(つつみかたはし)に出た!、、、、橋上からは正面に池上本門寺のある小高い山が見え、呑川は山裾を左に曲がって遡る。(ここまでは、2年前に歩いたルートと同じ)

202001190945280000

202001190947220000

202001190948210000

202001190950560000



●住宅地を歩く! ・・・・・・・・堤方橋で呑川に別れ、本門寺の山裾を北に廻り込むようにして、大田区中央と大田区池上の町の境になる道を、西馬込駅を目指して歩く。、、、、朽ちかけた土蔵のある家、チョイとモダンな洋館風のアパート、静かな落ち着いた住宅、、、、いずれも、住みやすそうな街を創っている。

202001190952380000

202001190959410000

202001190959270000

・・・・・・・・・・・・歩く先には貴船坂(きぶねさか)がある、、、、池上1丁目と中央5丁目の境、長さ200m程のやや急な坂。 坂名は、本門寺公園の中にあった東之院の貴船明神にちなむと言われてる。 東之院は本門寺の子院の一つで、貴船明神はその鬼門よけとして置かれていたが、明治初年の神仏分離令により同寺院と分離され、明治45年(1912)になって近くの太田神社(中央六丁目3番)に合祀された。、、、、チョイト、肺活量の少ない私にはキツイ! 池上の町を坂から眺めながら、ゆっくり上る。

202001191008060000

202001191013280000

202001191012000000

・・・・・・・・・・・・貴船坂を上がると、スグ下り坂となり東京都交通局の車両基地前をとおり馬込駅に出る。

202001191019300000



●国道の地下だ! ・・・・・・・西馬込駅都営地下鉄浅草線の起点駅で、駅の先(南側)には浅草線の車両基地である馬込車両検修場がある。、、、、昭和43年(1968)11月15日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅は国道1号(第二京浜)の地下にある。 
202001191025090000

202001191028250000

2020年1月10日 (金)

多摩川で若き頃を思い出す

出がけの夫婦の会話、『散歩してくる』 『何処へ?』 『まだ決めてない、駅まで歩きながら決める』 『それなら、京成か東武方面ね(浅草線押上方面)』 『なぜ?』 『京急方面(浅草線泉岳寺方面)は、銀座・新橋を通るから混んで座れないでしょ。押上へ行く電車はガラガラ』、、、、そうなんです、都営浅草線の浅草橋駅では泉岳寺方面行きは通勤客で満員、押上方面行きはスカスカのスカパーで、ホームに立つと、つい空いている押上方面行きの電車に乗ってしまうのです。、、、、ところがドッコイ、天の邪鬼の私、今日は満員の三崎口行きに乗ってしまった。 品川まで座れず、『何処で降りようか?』考えても、私の前に立つ女性がスマホを激しくいじり、『何してるんだ?』女性の手の動きが気にかかりイライラ、とうとう品川まで来てしまった。 車内は空いたので座り、女性はどこかにいなくなった。 これで、やっと心安らかに、自分が下車する駅を決められる。 車内アナウンス『次は京急蒲田、雑色、六郷土手はお乗り換え下さい』を聞いて、久しぶりに雑色で下車してみることにした。

雑色駅で下車してみたが、行く先は定まらず。 気の向くままに歩き、行った先は多摩川。 JR蒲田駅方面に方向転換し、再び気の向くままに歩き、着いた所はナント雑色駅。、、、、結局、雑色駅と多摩川土手の間を往復した、1万歩の散歩です。




●宮中の役人が居たのか? ・・・・・・・雑色駅明治34年(1901)2月1日に京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業した。 開通時は道路上の停留所であったが、その後、大正12年(1923)に新設軌道に変わり位置も変わった。 昭和54年(1979)には、ホームが延長され4両編成から6両編成用に改良された。 そして、平成22年(2010)~平成24年(2012)にかけ、駅の高架化が進められ現在の駅が完成した。、、、、駅名の「雑色(ぞうしき)」は鎌倉時代、宮中の雑役の役目をしていた職業のこと。 また、身分が低い者という意味もあるそうだ。 駅のある周辺はかつての地名:雑色村であった。 この地名は明治末期に六郷村(現在の仲六郷)に編入されたため、駅名に残るのみである。

202001100842510001


・・・・・・・・・・・・駅周辺は再開発事業が予定されていたためか、駅前は広く大きな空間が創られている。 ただ、再開発事業は現在中断されているようだ。

202001100853320000

202001100852370000

202001100847400000

・・・・・・・・・・・・駅前で、『どっちに歩くか?』思案橋。 駅前のアーケード街を見て、賑やかそうな方向(西側)に歩くことにした。

202001100854070000

202001100857240000



●西六郷に入る! ・・・・・・・雑色駅から西へ歩き、JR東海道線の宮前踏切に出てきた。 踏切を越え、西六郷2丁目の町に入る。、、、、中高年の方は「西六郷少年少女合唱団」を思い出す人もいるでしょう。 NHKの「みんなのうた」で活躍した児童合唱団の地元。 合唱団は指導者の死去に伴い平成11年(1999)に解団した。 現在は、新しい合唱団が立ち上がり活躍されているそうだ! 

202001100902400000

202001100905560000

202001100908220000



●双子の寺と神社! ・・・・・・・・西六郷の裏道を歩くと、隣り合わせで「白山神社」と「薬王寺」があった。(西六郷2)

・・・・・・・・・・・・白山神社の創建年代は不詳。 正徳甲午年(1707)銘の手水石が残されていることや、隣りの別当寺:薬王寺が宥範法印(延宝5年1677年寂)により創建されていることから、薬王寺と共に創建されたものらしい。、、、、境内のウメは、近頃の陽気のせいか開花していた。

202001100911380000

202001100913090000

202001100913440000

・・・・・・・・・・・・白山神社の隣り、薬王寺は宝幢院末東輝山といい、開山は宥範で、延宝5年(1677)に寂しているから、その近年に創建されたものと思われる。 寺伝によると古川薬師安養寺の隠居寺といわれている。 昭和20年(1945)の戦災で本堂・庫裡焼失、昭和35年(1960)現本堂を完成した。、、、、境内には馬頭観音が祀られている。、、、、境内は綺麗に手入れされ、気持ち良い寺だ。  

202001100922270000

202001100919530000

202001100921050000



●街道のロマン! ・・・・・・西六郷の裏道をぶらつき、多摩川の土手が見えた。 土手の手前に、真言宗智山派寺院の医王山安養寺がある。 永禄11年(1568)頃、永伝法印が創建。 境内の薬師堂は行基(667~749)の創建と伝えられ、安養寺は、薬師堂(古川薬師)の別当寺を務めていた。 安養寺は江戸名所図絵にも画かれており、江戸時代当時は平間寺(川崎大師)、新田神社と共に江戸名所巡りの散策コースとして賑わったそうだ。  現在の安養寺本堂は、正徳5年(1715)の建築。 明冶末から大正の初めにかけて行われた多摩川の河川改修の結果、元の河川敷から現在地の西六郷に移転した。 また、それにともなって堂宇も移築された。、、、、大正の震災や、昭和の戦災による被害は少なく、火災による全焼はまぬがれた。

202001100937470000

202001100940350000

・・・・・・・・・・・・安養寺の門前にある「古川薬師道 道標」、、、、延宝2年(1674)東海道筋の雑色から、多摩川道に入る分岐点に建てられた道しるべで、のち区画整理のため現在の安養寺(古川薬師)の門前に移された。 正面と両側面に、古川薬師への分かれ道であることを示す銘文が刻まれている。 道標正面には、上部に梵字のマークと「古川 藥師如來江之道 六郷之内古川村・別当安養寺」 右側面には「是よりふる川屋くし江のみち」、左の側面には「これより里ふ類かわやくしへ乃ミち」と彫られている。、、、、江戸時代の道筋にロマン感じさせる道標だ!
202001100938210000



●ゴルフの難しさを知った! ・・・・・・・安養寺から多摩川土手に上ってみた。 今から50年前、ピカピカの若い頃を思い出した!、、、、写真右端のマンションが建つ以前、そこは私が約半年間、ゼネコンの新人監督として現場で寝泊まりしていた懐かしい処である。 写真左端には、当時河川敷のゴルフ場があった。 毎朝、起きては朝食前に通ったが、サッパリ上達しないので、ゴルフはあきらめた! 川向こうは川崎市、ゴルフをあきらめボーリングに目覚め、川崎へ通った思い出の地。
202001100948380011_stitch



●戻ってきた! ・・・・・・・・多摩川土手に別れを告げてJR蒲田駅へ向かうつもりで歩いたが、どこかで足がもつれたか、蒲田駅に向かわず、雑色駅方向に歩いていた。、、、、西六郷小学校前を通り、都営西六郷一丁目アパートの横に出て、東海道線の踏切を越え、再び雑色の商店街を歩き、雑色駅に到着。

202001100959080000

202001101000260000

202001101007440000

202001101012530000

202001101014040000

202001101026520000

202001101028340000

2019年12月29日 (日)

初詣を待つ神社

令和元年も残すところあと三日、我が家の正月の準備は妻に任せて、「チョイト散歩してくる!」と家を出た。 さてさて、どっちへ行こうか? 考えながらも足は地下鉄浅草橋駅に向かい、久里浜行きに飛び乗った。 車中で「どこで降りようか?」、停車駅案内図を見て「穴守稲荷」が目に入る。 きょうは、神社の正月準備でも見てみるか! 穴守稲荷駅で下車することにした。 神社は静かで期待ハズレ、羽田の大鳥居を見て、糀谷駅まで、1万1千歩の散歩。




●寂しい駅! ・・・・・・・明治35年(1902)6月28日、穴守駅(あなもりえき)として開業。 大正2年(1913)に、穴守駅を東へ800m、現在の羽田空港敷地内に移設し、旧穴守駅の位置に羽田駅が開業。 その後、羽田駅を稲荷橋駅に改称。 昭和15年(1940)には、稲荷橋駅は西に約200m移設。 戦後、昭和20年(1945)連合軍による穴守線(現:空港線)接収により、稲荷橋駅より東の区間は営業休止となる。 昭和27年(1952)、稲荷橋駅はさらに約340m西に移設。 昭和31年(1956)に、やっと稲荷橋駅から東の空港に向かって線路は延伸され羽田空港駅が開業する。 同時に稲荷橋駅は穴守稲荷駅と改称する。 さらに、平成3年(1991)から平成5年まで、穴守稲荷駅から東の羽田空港駅までは、空港島に線路延伸するため、またまた営業休止。 駅の移設・駅名変更・線路の延伸・営業休止など、何かと騒がしい空港線(旧:穴守線)であり、穴守稲荷駅である。、、、、現在の穴守稲荷駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅。 一日当たりの乗降客数も18,000人程で、空港線の中では最も少ない客数である。

201912290834010001

201912290835050000

201912290837240000

・・・・・・・・・・・・駅改札を出たところに、穴守稲荷神社を象徴する狐の石像:コンちゃんが鎮座している。 平成3年設置。 正月向けか、ピンクの花飾りに、赤い上着、そして松飾り。

201912290835540000



●コンちゃんの実家? ・・・・・・文化元年(1804)の羽田沖(現:羽田空港の敷地内)の新田開墾の折り、海が荒れて沿岸の堤防が決壊し、村々は海水による甚大な被害を受けた。 村民が堤防の上に祠を勧請し、稲荷大神を祀ると、海が静まって大きな実りをもたらした。 これが穴守稲荷神社の起こりとされている。穴守という名の由来は、堤防に開いた穴の害から人々を守るという神徳にちなむ。 元々は新田開拓を行った鈴木家の土地にある、小さな祠であった。 明治17年(1884)には暴風雨に襲われ崩壊してしまうが、翌年には再建の認可を取り付け、さらに2年後には「穴守稲荷社」から「穴守稲荷神社」へと改称を行った。 再建した穴守稲荷神社は境内も広くなり、さらに周辺で潮干狩りもできることや温泉が湧いたこともあり、門前には温泉旅館や芸者の置屋ができ、賑わいを見せていった。 この繁栄を見て、京浜電気鉄道(現:京浜急行電鉄)は京浜蒲田から穴守稲荷神社へ向けて支線を伸ばし穴守駅が開業した。 交通の整備もあり、穴守稲荷神社の界隈はさらに賑わっていった。 然るに昭和20年(1945)8月の終戦では、米軍による羽田空港拡張のため、従来の鎮座地(東京国際空港内)より48時間以内の強制退去を命ぜられた。 同年9月、地元崇敬者有志による熱意により現在地が寄進され、仮社殿を復興再建した。、、、、神社は只今、境内整備と奥之宮改修工事を実施中、漸次昔日の面影を取り戻しつつある。 お稲荷さんのシンボル、朱塗りの鳥居も一か所に集められ退避中。 境内では、正月準備は終わっているようだ!

201912290845070000

201912290847320000

201912290849040000

201912290850060000



●空港に残った大鳥居! ・・・・・・穴守稲荷神社の社殿や他の鳥居は、終戦直後、GHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居(大鳥居)だけは撤去されず、そのまま羽田空港の駐車場に残っていた。 平成の初め、羽田空港の沖合展開事業にあたり新B滑走路整備の障害になるため、鳥居を撤去する話が出たが、地域住民らから穴守稲荷神社や強制接収の憂き目にあった旧住民らのシンボルとして残したいと要望が上がった。 平成11年(1999)に、同じ空港島の弁天橋脇(現在地)に移設された。、、、、空港島の隅に鳥居だけがポツント、東京湾と多摩川の風に晒されながら、日々、飛行機の離発着を見守っている。 今日は鳥居の前に門松が置かれていた! 

201912290901460000

201912290912310000

201912290909430000



●勝手に思う! ・・・・・・・チョイト古そうな建物を見て、一人で何かを感じて歩く!

・・・・・・・・・・・・穴守稲荷神社の参道前にあったビジネスホテル。 「梅月」という名が旅館を連想させる、ひょっとしたら戦後、現在地に移った穴守稲荷神社の参拝客を当て込んで開業したのか? 近くには割烹料理の店もあった。

201912290925540000

・・・・・・・・・・・・環八通りを歩くと、「羽田民生アパート」(羽田1)が目にとまる。 公営住宅なので差別しているわけではないだろうが、“母子アパート”、“民生アパート”など、なんだか特定の入居者を対象とした名前が気になるね。

201912290934580000

201912290935240000

・・・・・・・・・・・・西糀谷3丁目では、戦後の中小金属加工工場が当時の雰囲気を残していた。、、、、何となく、日活青春映画に出てきそうな工場だ!

201912290948140000

201912291001430000

201912291002080000

・・・・・・・・・・・・西糀谷1丁目で、雑草と木が茂るチョイト大きな空き地があった。 以前は釣り堀、今は猫の住まい? 今後はマンションでも建つのかな?、、、、腹のふくれた野良猫が堂々と塀の中に入って行く、釣り堀の魚を食べて肥満体か? 

201912291004340000



●便利で活気づいた駅! ・・・・・・・糀谷駅に到着、、、、平成24年(2012)に糀谷駅の上下線の高架化が完成し、現在の駅の構造となる。、、、 大きな一か所だけの改札の前には、高架下のスーパーなどがあり便利になった。 また、以前からある駅前の商店街も活気づき、明るい雰囲気の町となった。

201912291020340000

201912291019500000

201912291033100000

2019年11月15日 (金)

まごまごせずに馬込を歩く

都営浅草線中延駅(なかのぶえき)から、裏通りを歩き途中で大田区立郷土博物館に寄り、二駅先の西馬込駅まで、9千歩の散歩です。




●乗れても座れない! ・・・・・・・朝8時過ぎ、私が乗ってきた西馬込行きはガラガラ状態で中延駅に到着。 逆に、都心に向かう電車は、始発駅(西馬込駅)から二駅目の当駅で既に満員状態。 通勤する皆さま、朝からお疲れさま。

201911150817110

201911150816170

・・・・・・・・・・・・・・改札は西馬込寄りに1か所、押上寄りの東急大井町線中延駅に近い1か所、計2か所。 今日は西馬込寄りの改札から地上に出てみた。 出入口は第二京浜(国道1号)に面している。、、、、国道を歩いても面白くないので、裏通りを歩くことにする。

201911150823020

201911150826300

201911150827470



●バス通りに出る! ・・・・・・・第二京浜沿いの裏通りを南へ歩く。 かつて源氏の陣屋前であったことに由来する地名「源氏前」。 その源氏前小学校裏を通り坂を上ると、品川区中延から大田区北馬込となる。

201911150830340

201911150835310

201911150841350

201911150847080
 
・・・・・・・・・・・・・・チョイト、右に折れて、左に折れると、第二京浜と並行するバス通りに出る。 

201911150850310

・・・・・・・・・・・・・・バス通りには、曹洞宗寺院の金光山宗福寺(北馬込)がある。 天正年間(1575年頃)の開山。、、、、この寺の名物(?)は、見守り地蔵の「登志子地蔵」である。 この地蔵は、昭和10年(1935)、近くの八幡様の祭礼の日に、10歳の女の子が乱暴され殺害されたことを不憫に思った人達が、建立しその霊を祀ったものである。 当時は、寺に捜査本部が設置され、犯人は24日目に逮捕された。 

201911150857040

201911150855210

201911150854540



●新馬込橋の変遷 ・・・・・・・バス通りは、環状7号線を跨ぐ新馬込橋を渡る。、、、、この新馬込橋は
昭和14年(1939)に竣工し、北馬込地区と中馬込地区を南北に結ぶ生活道路として架けられた。 しかし、架橋後70余年経過し劣化もあり、平成23年から架け替え工事が行われ、平成27年(2015)に現在の橋に架け替えられた。
・・・・・・・・・・・・・・今日撮影した新馬込橋。 橋際の説明板にあった昭和15年の新馬込橋。

201911150910090

201911150918330

201911150917260

・・・・・・・・・・・・・・・架け替え直前の平成24年に撮影した新馬込橋の旧橋。 コンクリート製の欄干が印象的。


2012_0711_083341

2012_0711_082654


●馬の背を行くバス通り! ・・・・・・馬込の台地上をバス通りは抜けていく。

・・・・・・・・・・・・・・ちょうど馬の背のようにバス通りの左右は下り坂だ!

201911150921030


201911150922090


201911150923480


・・・・・・・・・・・・・・バス通りは第二京浜を東海道新幹線が跨ぐ馬込架道橋の下に出る。、、、、馬込架道橋は昭和39年(1964)3月、大田区馬込で東海道新幹線の陸橋架設工事が夜を徹して行われ、当時話題となった。 地下には地下鉄浅草線、その上に貨物線、さらに国道の第二京浜、そしてさらに新幹線が重なる複雑な四重立体構造。 国道は1日の交通量が8万台もある工事の難所で、あらかじめ造った全長86.4m、重さ約580トンのアーチ橋を午前0時から夜明けまでにかけてしまう「引き出し式架設工法」が採用された。 当時私は高校生、工事を見たかったが、勉強に没頭して寝てしまった!



●有料でも見たくなる! ・・・・・湯殿神社の東に大田区立郷土博物館がある。 只今ココで、『嶺の御嶽山と一山行者』と題する特別展が開かれていた。 チョイト寄り道。、、、、木曽御嶽山の関東第一分社である御嶽神社(大田区北嶺町)について、社宝・文化財の扁額・絵馬などど多くの資料によって紹介されてる。 ナント無料、見ないと損する展示だ!

201911151012420

201911150948030

201911150950450

201911150950530

201911150953490

2019年9月14日 (土)

駄菓子屋を覗いた大鳥居

京浜急行空港線大鳥居駅から、多摩川の六郷水門を見て、京急本線の雑色駅まで、9千歩の散歩です。




●霧雨の寒い駅 ・・・・・・久しぶりに多摩川の六郷水門が見たくなり、京浜急行空港線の大鳥居駅下車して歩くことにした。 我が家(浅草橋)を出る時は降っていなかったが、大鳥居駅は霧雨の中で、半袖の私には肌寒いスタートとなった。、、、、かつての地上駅は、環状8号線と産業道路が交わる大鳥居交差点のところにあったため、踏切渋滞を解消するために平成9年(2021)11月に地下駅となった。 相対式2面2線のホームは地下1階にあり、駅舎(改札口・出口)は交差点を挟み西口・東口の2ヶ所となった。、、、、駅名の大鳥居は、穴守稲荷神社の大鳥居が付近にあったことに由来する。 現在は空港島の端、天空橋駅付近に移設されている。

1909140833300

1909140833490

1909140837080

1909140838120

・・・・・・・・・・・・・・大鳥居駅の西側、線路が地下にもぐる部分。 “線路が地上に出る部分”とも言う!(好みで、お好きな方を)

1909140845190



●機関車で喜ぶ親爺 ・・・・・・大鳥居駅の南にある萩中公園(大田区萩中3)、ここに鉄道ファンが嬉しがるものが静態保存されている。、、、、9:00開園の公園に、子供より先に大人の一番乗り!

・・・・・・・・・・・・・・蒸気機関車:大正3年(1914)に英国マンチェスターのベーヤ―・ピーコック社で製造された蒸気機関車。 昭 和41年(1966)9月まで、東武鉄道に最後の蒸気機関車として走っていたもので、大田区が譲り受けた。

1909140904130

1909140904340


・・・・・・・・・・・・・・尼ヶ崎駅、玉造駅などで、駅構内での車両の入換え、トロの牽引をしていた軌道モーターカー、昭和30年(1955)加藤製作所製。

1909140906380


・・・・・・・・・・・・・・都電荒川線7008号車:都内唯一の路面電車である都電荒川線の主力車両として平成24年(2012)12月まで運行し、親しまれていた車両。 都から譲渡されたもの。

1909140905060



●寺の隣りは駄菓子屋さん ・・・・・・・・萩中公園の南(本羽田3)には、いくつかの寺院が集まっている。 その内の2寺。
・・・・・・・・・・・・・・日蓮宗の長照寺は羽田山と号す。 長照寺は、池上本門寺第12世惺(1550~98)が大師橋付近に創建したと云われている。 明治11年(1878)の大洪水で諸堂宇を流失し、翌年現在地に移転再興した。 震災・戦災で被災し、現堂宇は昭和39年(1964)に建立。、、、、山門だけは戦火を免れ、修復され現在に至っている。 大きな境内の寺だが、事務所・諸堂が大きく、墓地も大きく、本堂前の庭は小さい。

1909140924360

1909140923330

・・・・・・・・・・・・・・長照寺の西側には、浄土真宗本願寺派の放光山海岸寺がある。 海岸寺の創建年代は不詳。 震災後の昭和3年(1928)築地本願寺寺中から当地へ移転した。、、、、こじんまりした寺で、木々は庭師によりよく手入れされている。 茶室のような寺。 

1909140930350

・・・・・・・・・・・・・・海岸寺の南隣に小さな駄菓子屋を発見。 店主のおかみさんと駄菓子屋談議で、チョイト昔を懐かしむ。、、、、煙を愛する大人向けにタバコも販売していた。

1909140938450

1909140935200

1909140935050



●あと100年もすれば世界遺産登録されるかも? ・・・・・・・木造の骨組みが残る戦前の金属加工工場。 内部にはクレーンも取り付けられているが、そのクレーンは木造で支えられている。、、、、現在は車の整備工場として使用。 先日の台風で屋根の一部が壊されたが、建物が世界遺産登録されるのを待っているそうだ!(オーナー談)

1909140950330

1909140949100

1909140952240


●煉瓦造りの水門は町のシンボル ・・・・・・・多摩川の土手に出た、チョイトばかり上流側に歩く。

1909141000140

・・・・・・・・・・・・・・昭和に入り、六郷地区の住宅化が進むにつれ 生活用水が増し大雨時には排水しきれずに浸水する事態が起こった。 そこで、地元六郷町が国と東京府の補助金を受けて昭和6年(1931)にこの六郷水門を設けた。 水門は、下水道が普及するまで六郷用水の末流をはじめ、六郷や池上、矢口、羽田の一部地域の雨水、汚水を排除していた。、、、、水門に架かる橋の高欄には、「郷」の字を、「口」の字が9個で囲む六郷町の町章を用いている。 船溜まりは、かつて舟運にも利用され、雑色運河とよばれた水路下流の様子を今に伝えている。、、、、昭和47年(1972)、新たにポンプの圧力によって強制的に排水できる施設が東京都下水道局によって設置され、さらに下水道の整備もすすみ、六郷水門はその機能を保ちつつ使われる事はなくなった。、、、、水門は地元のシンボルとして、多摩川と共に公園のように整備されている。

1909141008010

1909141009360

1909141006400

1909141011040

1909141006110

・・・・・・・・・・・・・・この六郷水門船溜まりの先から、真直ぐ「水門通り商店街」が京急本線の雑色駅まで続く。、、、、全長600mぐらいある長~い商店街、大きな店舗はないが活気はありそうだ。 

1909141015080

1909141021350



●モダンな駅だ! ・・・・・・・雑色駅は明治34年(1901)2月1日、京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業。 平成22年(2010)から平成24年(2012)に、上下線のホームを高架線へ切り替える。 現在は、私が住む浅草橋駅よりモダンでカッコイイ高架駅である。 負けた!、、、、駅名の雑色は当時の地名:雑色村から名付けられたが、“雑色”の名は駅名に残るだけとなった。 

1909141026210

1909141027140

1909141029530

1909141031190

1909141037520

2019年7月20日 (土)

大田区の下町

梅雨寒から一転し、湿度100%・気温28℃、ムシムシ・ベトベト・ジメジメのスッキリしない空模様。 散歩には、汗拭きタオルと扇子を忘れずに! 、、、、 今日は、京急空港線の糀谷駅で下車し、第一京浜(国道15号)と産業道路(国道131号)に挟まれた大田区の“下町”を歩き、京急本線の大森町駅まで、1万歩の散歩です。




●近代的な駅に変身! ・・・・・・・糀谷駅(こうじやえき)は、明治35年(1902)6月28日に京浜電気鉄道の穴守線(=羽田支線)として蒲田~稲荷橋間 (3.6km) の開通と同時に開業した。 平成22年(2010)、高架化工事の進捗により、それまで地上を走っていた上り線が高架となる。 その2年後、下り線も高架となり、平成29年(2017)に全ての高架化事業が完了した。 駅前にはロータリーもでき、高層ビルも建ち、シャレた近代的な駅に生まれ変わった。

1907200806370

1907200807390

1907200819500

1907200813540

1907200812500

・・・・・・・・・・・・・・昔ながらの駅前商店街(写真1枚目)。 高架化工事中は写真:左端の「丼丸」の左隣りに仮の改札口があった(写真2枚目、平成24年撮影)。 また、撮影している足下に踏切があった(写真3枚目、平成24年撮影)。 

1907200828350

2012_0929_0921081

2012_0929_0920202

・・・・・・・・・・・・・・糀谷駅を出た羽田空港行の電車は、急勾配を下り一気に地下に潜って産業道路と環八通りの交差点の直下に位置する大鳥居駅の地下ホームへ進入する。

1907200837430



●大田区の“下町” ・・・・・・・・・・・・・・・海側にどんどん広がる大田区は平成5年(1993)に世田谷区を抜いて、東京23区で最も面積の広い区となった。 山側の田園調布は一度は住んでみたい高級住宅地、海側の羽田に近い処は町工場の多い下町、その先の羽田空港と東京湾の中にある中央防波堤埋立地は未来都市、いずれも全て大田区である。、、、、今日の散歩はその下町の一角、西糀谷、北糀谷、大森中の町をブラブラ。
・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の裏道で見つけた板塀の一種で大和塀の住宅。 大和塀は、板を一枚おきにずらして張り、凸凹を造ることで、目隠し効果を得ると同時に、通風をよくする先人の知恵。、、、、チョイト曲がりくねった裏道は、昔、子供の遊び場だった。

1907200838530

1907200839510

・・・・・・・・・・・・・・西糀谷の西仲天祖神社。 神社の創建年代は不詳。 祭神は、太陽を信仰し発展した神霊であるといわれている天照皇大神と、一般的に商業・工業方面で霊威を発揮するといわれている豊受姫大神の二神、以上最強のペアである。

1907200844380

・・・・・・・・・・・・・・なんと!レトロな外観の床屋さん、看板の文字が消えかかっていますが「ハセガワ理容所」と読める。 丁寧な仕事をしてくれそうな床屋さんだ!

1907200849530

・・・・・・・・・・・・・・白無垢の袋を着せられ姿の見えないブドウ、酔い覚ましの効用があるカリン、収穫はまだか?

1907200854010

1907200854220

・・・・・・・・・・・・・・複数の神社・公園で櫓を組んでいるのが見られた。 今日・明日は納涼盆踊りが、日本全国で始まる日かも?、、、、我が家のある浅草橋でも、「柳橋 納涼盆おどり」が昨日から明日までの3日間行われている。 我が妻も毎年参加していたが、今年は五十肩(還暦過ぎても五十肩?)で参加できず、残念!

1907200859100

・・・・・・・・・・・・・・西糀谷から呑川を越えると北糀谷。 平成9年(1997)に架けられて北糀谷橋を渡る。、、、、呑川は、昭和の時代は黒く濁った臭い川だった。 都・大田区では、河床の清掃、都営浅草線の湧水放流などで、呑川の水質浄化に取り組んでおり、平成7年頃から環境基準を達成し、現在は魚も戻ってきた。 

1907200907200

1907200908200

・・・・・・・・・・・・・・北糀谷の小学校、校庭の隅にたつ“あの人”の像。 像の前には生徒が栽培する鉢が並んでいる。

1907200917120

・・・・・・・・・・・・・・大森中3丁目に鎮座する三輪神社。 この地は古く堀之内と呼ばれた処で、北条時頼の時代(1247~1259)の陣屋跡といわれている。 三輪神社は、享徳年間(1452~1456)に土地開拓の神として、大国主命を祀り第六天社と呼び、村人の崇敬を集めたのが創始と云われている。 昭和20年(1945)空襲で被災し、その後昭和27年(1952)に社殿を新築した。

1907200923580

・・・・・・・・・・・・・・三輪神社の近くに、もう一社。 かつての村の鎮守であった前方八幡神社。 創建年代は建武年間(1334~1336)らしい。 大田区の下町には神社が多く、歴史ある土地を物語っている。

1907200931050

1907200932390

・・・・・・・・・・・・・・大林寺は大森中にある日蓮宗の寺。 創建年代は不詳、旧真言宗薬王院として創建、薬王院の住職だった日円が、法華宗日位と法論した結果、長享2年(1488)に日蓮宗に改めた。、、、、山門横にある池上道道標は、享保14年(1729)に、大森村の日蓮徒で組織された甲子講の人々が建てたもので、東海道から分かれて池上本門寺に至る大森中宿の池上道の追分にあったもの。 高さ1.6mの大きな道標である。、、、、大林寺参道正面にある八百屋さんは安さで評判の店らしい。 チョイト、店名が気にかかる。

1907200947320

1907200948150

1907200948590



●垢抜けした駅! ・・・・・昭和24年(1947)までは近くに「大森山谷駅」という駅があったが廃止され、昭和27年(1952)12月25日に「大森町駅」として追加開業した。  高架化工事に伴い、平成22年(2010)から上下線別にホームを高架に切り替えられた。、、、、旧駅を知っている人には、『これが今の大町駅なのか・・・』と叫ばれそうな、垢抜けしたデザインだ!

1907201005390

1907201006160

1907201010270

1907201013050

2019年6月 6日 (木)

“新田”は人名だった!

一昨日、東京から北の草加市「新田駅」から歩いてきた。 今日は東京の南、東急多摩川線「武蔵新田駅」を目指し蒲田駅から歩いてみた。 1万2千歩



●逆走は危険! ・・・・・JR蒲田駅とは“L”字形に接続する東急の蒲田駅。 現在は、「東急プラザ」の3階に頭端式5面4線構造のホームを有する高架駅である。、、、、大正11年(1922)10月6日、池上電気鉄道線(現:池上線)が蒲田から池上駅まで開通。 大正12(1923)11月1日には、目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)が蒲田から沼部駅まで開通。 東急の蒲田駅には池上線と東急多摩川線の2路線が乗り入れてるが、後者は会社名である「東急」を冠し「東急多摩川線」が正式な路線名である。、、、、頭端式ホームは電車の始発駅であり、人生の旅立ちを感じる雰囲気がいいね! 夜の頭端式ホームでは、終着駅を感じ、人生の終わりに頭を巡らせ、線路に飛び込まないで!

1906060811450

1906061018220

1906061018180

1906061018110

1906061016560

1906061015230

・・・・・・・・・・・・・・朝、ラッシュ時の蒲田駅は、電車が到着するたびにJRに乗り換える人が流れ出てくる。 人の流れは一方通行状態で、流れに逆らうと“高齢者の逆走”で事故のもと。

1906060806430

1906060805570

・・・・・・・・・・・・・・高架沿いの飲食店街を抜けて行く。 どの店も、まだ閉まっている!

1906060820160

1906060820470



●隣の矢口渡駅に向かう ・・・・・・東急多摩川線の南側を歩き、隣り駅:矢口渡駅へ、スタコラ・サッサ!

・・・・・・・・・・・・・・東急多摩川線(写真:手前)と池上線(写真:奥)が蒲田駅に到着する直前に並行して通過する蓮沼4号踏切

1906060828320

1906060830190

1906060831190

・・・・・・・・・・・・・・2社にお立ち寄り!、、、、まずは、大田区東矢口にある若宮八幡神社です。若宮八幡神社は、この地(旧小林村)が開村した際に村の鎮守として、鶴岡八幡宮を勧請したそうだ。、、、、次は、大田区多摩川の多摩川諏訪神社。 600年前の創建と言われている。 丈夫そうな鉄筋コンクリート造の朱塗りの社殿は戦後の建築。

1906060841090

1906060840430

1906060855260

1906060854370

・・・・・・・・・・・・・・矢口渡駅前に通じる「矢口の渡商店街」の一隅に、「放光地蔵尊」と称する小祠がある。、、、、この地では、昭和20年(1945)4月15日夜半、B29の爆撃を受け無数の焼夷弾と爆弾が投下されて矢口渡駅から多摩川の土手に至るまで焼野原となり多数の焼死者が出た。 当時、地蔵を祀るこの家の主:鈴木三郎は一人焼跡の遺骨を拾い集めて供養をした。 何の罪もないこれ等戦災横死者の霊を慰めたく、このお地蔵さまの建立を思いつき、昭和32年に「放光地蔵」と名づけて末の世までも平和である事を願ったそうだ。 合掌

1906060904470

1906060903360



●トイレはありません! ・・・・・・多摩川に架かり国道1号(第二京浜)を通す多摩川大橋まで800m程の距離に、東急多摩川線の停車場:矢口渡駅(やぐちのわたしえき)がある。 駅は大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業した。、、、、ホームは相対式2面2線の地上駅。 上下線のホームは完全分離され、それぞれに改札・駅舎がある。、、、、トイレは2番線(多摩川方面行)にしかないので、1番線(蒲田方面行)で漏れそうな人は、ライフリーを着用すると安心!

1906060908250

1906060908370

1906060910360

1906060909140

1906060910050

・・・・・・・・・・・・・・【注】 江戸川にあるのは「矢切の渡し」、ここ多摩川は「矢口の渡し」。 「矢口の渡し」は、昭和24年(1949)まで存在した。



●次は武蔵新田駅に向かう ・・・・・・次の隣り駅:武蔵新田駅へ、スタコラ・サッサ・ホイ・サッサ!

・・・・・・・・・・・・・・矢口渡駅から200m程歩き、国道1号(第二京浜)を横断する。、、、、思ったほど混んでない国道、わざわざ歩道橋を渡らなくても、横断歩道を歩けばよかった!

1906060918560

1906060919050

・・・・・・・・・・・・・・国道を越え、大田区矢口2丁目、浄土宗寺院の願海山延命寺に、お立ち寄り。 弘安年間(1278~1298)蓮花寺と号して創建された。 永緑年間(1558~1570)に現在地に再興し、延命寺と改称した。 現本堂は昭和33年(1958)に再建されたものである。

1906060926580

・・・・・・・・・・・・・・延命寺の西、町角の祠は「今泉北向庚申」 正面に青面金剛・三猿を刻み、右面に「文化五戊辰十二月吉日」と刻む。 文化5年(1808)から約200年、往来する人の安全を見守ってきたそうだ。

1906060933160

・・・・・・・・・・・・・・「むさしにった」商店街のゲート横に祠があり、阿弥陀如来尊石像と庚申塔が祀られている。 庚申塔は元文5年(1740)の建立。、、、、商店街の守り本尊?

1906060943300

1906060945250

・・・・・・・・・・・・・・「むさしにった」商店街の中程に新田神社がある。 正平13年(1358)創祀。 新田義興は、正平13年畠山国清等の奸計により、矢口の渡に於て討たれ憤死した。 このことがあってから、矢口の渡に夜々「光り物」が表はれ、往来の人を悩ましたので、村老等が墳墓を築き、社祠を興し、新田大明神として奉斎したのが始まりである。、、、、ナイショの話だが、新田義興は畠山の腹心:竹沢右京亮が潜入させた美女のハニートラップ(甘い罠)を受けたそうだ。 私も一生に一回ぐらいハニートラップを経験してみたかった。、、、、旧社殿は、昭和20年(1945)の空襲で焼かれてしまった。 そこで明治神宮で仮社殿として建てられていた「本殿並びに幣殿」(神明造)を特別に下付され、それを昭和35年(1960)に復元奉建し、新たに「拝殿」(流れ造)を新築した。
 
1906060949510

1906060956200

・・・・・・・・・・・・・・境内にある「うなる狛犬」とは、、、、、謀略を企てた足利基氏家臣の畠山一族の者、またその血縁者末裔が新田神社付近に来ると、きまって雨が降り、この狛犬がうなったと云われている。 しかし残念ながら昭和20年の戦災で一体が壊れてしまった。、、、、AIロボの犬みたいだ、泥棒除けに一匹いたらいいね!

1906060952520



●“新田”の由来は人名だった! ・・・・・東武伊勢崎線の新田駅に続き、今日は“新田”がらみの駅を訪れたのだが、伊勢崎線の「新田」は“しんでん”と読み開墾地、ここ東急多摩川線の「武蔵新田」は“にった”と読み人名だ。 駅名「武蔵新田」の“新田”は、駅近くにある新田神社に由来し、他の地にある新田と書いて「にった」や「しんでん」と呼ぶ駅が存在していることから、旧国名を冠して「武蔵新田」としたそうだ。、、、、大正12年(1923)11月1日、新田駅として開業。 大正13年(1924)4月1日、武蔵新田駅に改称。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、当駅も「矢口渡駅」と同様で、上下線で駅舎・改札が別となっており、さらにトイレも2番線にあるのみ。

1906061002090

1906061002260

1906061003420

1906061004400

1906061005050

・・・・・・・・・・・・・・駅の北側は環八通りが東急多摩川線と20m程の間隔で並行にとおり、駅前の町並みが途切れている。

1906061007000

2019年4月16日 (火)

嶺の御嶽山はナンジャラホイ

久しぶりに東急池上線の御嶽山駅に行ってみたくなった。 今日の散歩は蒲田から池上線に乗り御嶽山駅で下車し、都営浅草線の西馬込駅までの1万歩。


●富士山が見える御嶽山 ・・・・・・・・23区中最も面積の広い大田区にあって、その西側で東海道新幹線と池上線が交差する位置に御嶽山駅(おんたけさんえき)がある。 駅は大正12年(1923)5月に、池上電気鉄道御嶽山前駅として開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。、、、、、駅名の「御嶽山」とは山の名前ではなく、駅の近くにある「御嶽神社」のこと。 ならば、駅名を“御嶽さん”にしたほうがいいね。

1904160901221

1904160827360


・・・・・・・・・・・・・・御嶽山駅の改札は上りホームと下りホーム、それぞれ別に設置されている。 改札内に入ると、ホーム間の移動はできない。 トイレは五反田方面行ホームにしかないため、蒲田方面行ホームで“行きたくなったら”大変なことになる、『男は我慢、女は愛嬌』でごまかすか!

1904160838090

1904160902500

1904160901540


・・・・・・・・・・・・・・五反田方面行ホームは中央が狭く1m程の幅。 電車が来ると、『黄色い線の内側までお下がりください』、『壁にぶつかりました!』

1904160837260

1904160836310

・・・・・・・・・・・・・・ホームの蒲田寄りの端には金網がはられている。 金網の隙間からホームの真下に、掘割内を走る東海道新幹線、横須賀線、湘南新宿ラインを見ることができる。 ナント、御嶽山から富士山が見える!

1904160911260

1904160830120

1904160830130



●嶺の御嶽神社 ・・・・・御嶽山駅まで来たら駅の北に鎮座する「御嶽神社」に御挨拶。 御嶽神社の創祀は、嶺村(現在地の旧村名)ができた天文4年(1535)頃と云われている。 当時は小社で、祠に近いものであったそうだ。 天保年間(1830~1844、江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業した一山行者(いっさんぎょうじゃ、相模国津久井村出身の僧)が来社して、神のお告げを聞き、ここに木曾御嶽神社の分社を祀った。 以来信者が激増し、天保2年(1831)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。 信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようだ。 関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。 「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われているそうだ。

1904160845440

1904160854360

・・・・・・・・・・・・・・社殿は天保二年(1831)の建築で、周囲の木彫も同時代に、藤原篤意(とくおき)によって制作された。本殿の背面、側面には浦島太郎・養老の滝・司馬温公甕割り・など和漢の物語、故事に因んだ彫刻が施され、柱間/縦約160cm、横約130cmの刻面を有する。、、、、、彫が深く細かな表現の見事な社殿彫刻である。 できれば、艶っぽい女性が彫られていると、もっと注目されると思うね。

1904160850110

1904160852050

1904160852360

・・・・・・・・・・・・・・・境内には明治時代に建てられた、木造鉄板葺、切妻造りの水行堂がある。 御嶽神社の信徒が水行をするための建物である。 花頭窓など仏教的様式が取り入れられ神社としては興味ある建築様式だ。 

1904160847380



●注連飾りをかけた狛犬 ・・・・・・御嶽山駅から東へ、久が原の住宅地を歩き、久が原1丁目の「道々橋八幡神社」(どどばしはちまんじんじゃ)に出た。 神社の創建年代等は不詳ながら正保年間(1644~1647)に創建、道々橋村の鎮守社だった。 現在の社殿は昭和35年(1960)の建造。

1904160934190

1904160935140

1904160934570



●坂を上って下りて息切らし ・・・・・・道々橋八幡神社から、久根橋を渡り呑川を越える。 仲池上の住宅地では坂を上り、西馬込では坂を下り、息は切れハアハア、ゼイゼイ。 可愛い娘を見ると、ピタリと息は止まる、アラ不思議? そんなこんなで西馬込駅到着!
1904160939250

1904160942090

1904160949160

1904160951430

1904160955030

1904161004180

2019年4月 5日 (金)

女狐に会いたかった!

JR蒲田駅から歩きはじめて、池上線の蓮沼駅・池上駅を通り、第二京浜(国道1号)沿いの池上署の前まで、1万歩の散歩です。 特に池上署を訪ねる用件は無し、誤解なきように。 池上署からはバスで大森へ出て帰宅。




●115年の歴史ある駅 ・・・・・・・・・・明治37年(1904)4月11日、国有鉄道東海道本線の蒲田駅が開業。 大正3年(1914)12月20日からは、京浜線(現:京浜東北線の前身)が運行され、東海道線の列車は停車しなくなる。 大正11年(1922)に池上電気鉄道線(現:東急池上線)が、大正12年(1913)に目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)がそれぞれ開通。、、、、、JR蒲田駅は島式ホーム2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 一日の乗降客数は約30万人で、JR東日本の中では20位ぐらいである。(私が住む浅草橋駅は約11万人、90位。完敗!)、、、、、朝のホームは、上り、下りも人・人・人。 混雑時は「蒲田行進曲」より、「トルコ行進曲」の方が、人の流れがスムーズかもね?

1904050819080

1904050823140

1904050826190

1904050830540



●変身する学校 ・・・・・・・蒲田と言えば、電車の車窓から見えた「日本テレビ技術専門学校」が、名を変え「日本電子工学院」と思っているのは、かなり古い人だ!(ゴメン、自分のことです) 40年程前から「日本工学院専門学校」と、大学もできて「東京工科大学」に変身! そのモダンな校舎が駅前にそびえる。、、、、、ところで、この学校の前身は、戦後の昭和22年(1947)に絵画科と洋裁科で開校した「創美学園」である。 絵からテレビに、そして今はITも、医療も、デザインも、時代と共に大変身!

1904050836480



●女狐を期待し、賽銭はずむ ・・・・・・小さな呑み屋が並ぶ西蒲田の裏通りを歩いていると、「女塚神社」(おなづかじんじゃ)があった。 名前に魅せられ早速参拝。 女塚神社の創建年代は不詳だが、新田義興公憤死の時、侍女少将局が忠節を尽くし共に害した。 村民は憐れみ此の地に祀った(現社殿の横に女塚古墳がある)と言われている。 新田義興が戦死した矢口渡の戦いが正平13年(1358)であることから、南北朝時代の創建と推定しているそうだ。 この辺りの旧地名は女塚村で、女塚小学校(現:おなづか小学校)などに名が残っている。、、、、、社殿の脇には境内社の女塚稲荷大明神がある。 朝っぱらから女狐でも出て、惑わされるかと期待して賽銭を奮発。

1904050839210

1904050839570

1904050844150

1904050851360

1904050849560



●蒲田の匂いが続く町 ・・・・・・・・西蒲田の町を、右に左に気ままに歩いているうち、蓮沼駅に出た。 大正11年(1922)10月、池上電気鉄道の駅として開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札は上下ホームにそれぞれ設置されている。、、、、、蒲田駅から直線距離で650m程で、駅周辺は蒲田駅前の商店街、呑み屋街の雰囲気が流れ、続いている感じだ!

1904050902550

1904050903060

1904050911250

1904050904570

1904050912420



●サクラ咲く神社 ・・・・・・・・蓮沼駅の北150m程に蓮沼熊野神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、隣接するもと別当寺の蓮華寺の創建年代とほぼ同時期の寛弘年中(1004~1011)と推定される。 社殿は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリート造/権現造で竣工した。

1904050920460

1904050922560

・・・・・・・・・・・・・・・蓮沼熊野神社の隣りには、もと別当寺であった真言宗智山派寺院の福田山蓮沼院蓮花寺がある。 山門は綺麗に手入れされているが閉じられていたので、チョイト立ち入ると怒られそうなのでヤメタ!

1904050919060



●只今、工事中です!・・・・・・・池上駅は、2020年の完成を目指して、只今、駅舎の改良工事を進めている。 改札口を橋上化し、南口を新設する。 駅ビルは5階建てとし、保育園、公共施設などの生活支援施設や、店舗が入る予定。 外観は、池上本門寺を中心とした門前町の歴史性をデザインにするそうだ! 乞うご期待!

1904050947171



●罵倒したい馬頭観音 ・・・・・・池上駅から、裏道をブラブラすると、池上3丁目で馬頭観音菩薩塔に遭遇。 案内板がない、供養塔か?道標か? 訳の判らん塔だ、どうでもいいか!

1904050957510

1904050959550

・・・・・・・・・・・・・・・50m程歩くと、裏道に「池上七福神」の文字が見えた。 階段の上には「馬頭観世音」と書いた札と、荒れたお堂がある。 しかし、鉄の柵で立入禁止。 何じゃ?、貼られた紙には『お参りご苦労様です 現在、馬頭観音堂の改修工事のため、大黒様は、養源寺でお預かりして、恵比寿様と並んで、安置されております。』 要は、ここは馬頭観音堂という処で、内部はもぬけの殻らしい。、、、、、馬頭観音はどこにあるのだ? 大黒様は夜逃げしたのか? なんだか、訳が判らん!

1904051001490

1904051002060

1904051002560



●池上署から帰る ・・・・・・馬頭観音堂は第二京浜に面した池上署の真裏であった。 お巡りさんに、馬頭観音の所在を尋ねたら教えてくれたかも?、、、、、そろそろ帰宅時間となり、池上署前からバスに乗ることにした。

1904051008161

より以前の記事一覧