大田区

2024年6月17日 (月)

西糀谷・大森中

近ごろ起床時間が早くなり、4時過ぎには目が覚めていることが多い。 今朝も4時半過ぎに起床し、5時には新聞を読んでいた。 私が早起きになったため、妻もつられて起きてくる。 6時には朝食も済ませ、『さて、今日は何処へ散歩に行こうかな?』と声をかけると、妻は『私も一緒に行くよ!』と返事。 しかし、5分後には『やっぱり、行かない。 一人で行ってきな!』 その妻の心は『高島屋(デパート)で孫の服を買ってくる』、、、、と、云うことで、今日は一人で散歩する。

6時半に浅草橋の地下鉄ホームに立ち『どこへ行こうか』思案橋。 次の電車は『羽田空港行だ。 ヨシ、これに乗ろう』、、、、乗っては見たが『どこで降りよか?』迷い橋。 いつの間にか、京急蒲田を過ぎ “次は 糀谷!こうじや”と、聞いて慌てて飛び降りて、気まりが悪い、照れ屋橋。 糀谷で降りてみたが、東西南北何処へ行く? 気ままに歩いて9000歩、着いたところは「大森町」(京急の駅)

 

● 京浜急行の「糀谷駅(こうじやえき)」は、明治35年(1902)6月28日に羽田支線として蒲田~稲荷橋間 (3.6km) の開通と同時に開業した。 思った以上に古い駅である。 現在の高架駅に変わったのは平成22年(2010)~平成24年(2012)。、、、、“糀谷”の地名の由来は判らないが、現在は糀谷駅の北側が“西糀谷”で、西糀谷と羽田空港に挟まれた一帯が“東糀谷”。 東西を冠しない、単なる“糀谷”の地名は消滅した。

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● 糀谷駅から駅前商店街をさけて、西糀谷の裏通りを歩く

・・・・・・・・・・ まずは、“裏通り”と言うより“裏路地”(西糀谷4)を歩いて見たら、ズ~ット奥で行止まり。 

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・・・・・・・・・・ 西糀谷4丁目に「糀谷神社」がある。 糀谷神社の創建年代は不詳だが、村民久左衛門が創建したといわれてる。(久左衛門と言われても、知ってる人はいるのだろうか? もちろん私も知らない) 明治維新後には村社に列格した。、、、、ここの神社の鳥居の横には天祖神社の社号標がある。(この糀谷・羽田地区付近には天祖神社が多いので間違いやすい)

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・・・・・・・・・・ 糀谷小学校の前を歩き、右に曲がって、また右に、次は左に歩いていたら、「叶仏堂(かなぶつどう)」(西糀谷1)の前に出た。、、、、堂内の中央に「庚申塔」がある。延宝6年(1678)に糀谷村庶民有氏で造立。 右隣には大日如来像がのった「六十六部供養塔」がある。 糀谷村の信仰を物語る石仏だ!

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・・・・・・・・・・ 叶仏堂から北へ歩くと、住宅地の路地の奥に「仲江名天祖神社」と刻まれた社号標がある神社が見える。 小さな境内だが、踏石が敷かれた参道を進むと鉄筋コンクリート造の社殿があります。 社殿も含めて境内が近年整備されたようだ、この神社も村民久左衛門が創建したと伝えられてる。 現在の社名は「東仲江名天祖神社」(西糀谷2)である。

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● 西糀谷の北端に流れる呑川。 そこに架かる「北糀谷橋」を渡ると北糀谷の町。

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● 北糀谷小学校の前をとおり、「大森中(おおもりなか)」の町に入る。 下町の雰囲気が残る町。

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・・・・・・・・・・ またまたあった小さな神社「堀之内三輪神社」、、、、大森周辺は武蔵国大森と称し、堀之内は大森の本村として伝承された古い地名だ。 堀之内は本村として早くから開け、住民は農業と漁業を生業として集落を形成し、氏神が住民の支柱だった。 三輪神社は、享徳年間(1452~1456)に土地開拓の神として大国主命を祀り、村人の崇敬を集めたのが創始と伝わる。

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● 大森中の町を抜けると第一京浜(=国道15号)に出る。 国道を横断すれば京急の「大森町駅」

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● 「大森町駅(おおもりまちえき)」は、明治34年(1901)2月1日、六郷橋~官設大森駅間開通時に開業。 開業時は道路上の停留所であったが、明治39年(1906)に新設軌道上に移行し、のちに大森山谷駅と改称した。 現在は高架駅となった。、、、、綺麗で立派な駅だが、普通列車しか停車しない駅、チョイト可哀そう!

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2023年11月28日 (火)

羽田の下町

京浜急行空港線の天空橋駅で降り、大田区羽田6丁目と羽田3丁目の町をじっくり散歩して、穴守稲荷駅から帰って来た。 1万歩の散歩




● 京浜急行空港線で、海老取川を渡り羽田空港のある空港島に入ってスグの位置に在る天空橋駅で下車する。 駅は空港島の地下に造られた、相対式2面2線の地下駅。 同じく地下駅の東京モノレールの天空橋駅と乗り換えできる。、、、、京浜急行空港線は、明治35年(1902)穴守線として大森~穴守稲荷間が開業した。 その後、海老取川を越えて空港島に延伸したが、戦後は空港島が連合軍に接収され、しばらく海老取川を越えることなく、川の手前に羽田空港駅を開業した。 平成5年(1993)、空港の沖合展開事業が進み、現在の天空橋駅がある位置に地下駅:羽田駅を開業した。 同時期に東京モノレールも羽田駅を開業し、共に地下で接続した。 その後、空港のターミナル(ビックバード)に京浜急行と東京モノレールが乗り入れ、羽田駅は単なる途中駅となり、名前も海老取川に架かる人道橋名の「天空橋」に変えた。、、、、京浜急行の天空橋駅は、出入口が1ヶ所のみ。 地下から地上に出ると幅広い道路の先に、複合施設のイノベーションシティが見えるが、駅の出入口周辺は殺風景だ!

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● 天空橋駅から海老取川に沿って歩き、羽田の大鳥居がある弁天橋を渡る。、、、、弁天橋を渡り、左側(多摩川河口側)一帯が羽田6丁目の町である。

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● 空港島が埋め立てられる以前は、多摩川河口の先端の町であった羽田6丁目と3丁目。 かつて漁村であった。 現在は、6丁目に約1200世帯(約2300人)、3丁目には約1300世帯(約2500人)が暮らす、下町の匂い漂う街。 弁天橋から蒲田駅方面に向かうバス通り:弁天橋通り沿いにはビル・マンション・工場が建っている。 しかし、一本裏道に入ると、主に住宅とアパートが密集し、防災上最も危険な木造密集地区である。、、、、今日の散歩は、多摩川と弁天橋通りに挟まれた、羽田6丁目・3丁目の細い裏道を、神社を探しながら行ったり来たり。


・・・・・・・・・・ 多摩川河口に長さ50間(90m)にわたって、洪水による侵食から守るために護岸として石積みの沈床が設けられたことが“五十間鼻”の名の由来。 もともと、多摩川河口は、潮流の影響で海からの漂流物が多い場所。 関東大震災の火災、昭和20年の東京大空襲(死者は11万5000人超)による火災で、多くの市民が多摩川などの河川に逃げ、河口の五十間鼻に漂着し、無縁物となった水難者も多かった。  水難者を供養する角塔婆が、地元の人々によって河口の川の中に「五十間鼻無縁仏堂」として建立されている。、、、、海に突き出すように祀られている。 犠牲者のご冥福を祈り 合掌

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・・・・・・・・・・ 五十間鼻無縁仏堂から多摩川沿いに50m程歩くと、堤防の下、民家に挟まれ小さなお稲荷様が祀られている。 福守稲荷だ。

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・・・・・・・・・・ さらに堤防上を50m程歩くと、公園のような境内に、玉川弁財天、水神社、妙力地蔵尊が祀られている。、、、、玉川弁財天の創建年代は不詳だが、古くより弁天社として祀られ、弘法大師が護摩の灰を固めて自ら制作した神体があり、龍王院が別当寺となっていたと言われてる。 昭和20年(1945)連合軍の強制立退命令により、玉川弁財天は水神社のあった当地に遷し現在に至ってる。、、、、弁財天の向かいに、なぜか白い鳥居(?)と一回り小さな社殿の水神社が祀られてる。 水神社の創建年代は不明。 毎年5月11日に「水神祭」が執り行われ、船で羽田沖に向かい、神酒を海に捧げ、海上安全と大漁を祈願しているそうだ。、、、、境内の隅に祀られている妙力地蔵尊は、数年前までは、弁天橋通りに面し、穴守稲荷の残された鳥居や白魚稲荷神社の近くに祀られていたが、付近一帯の取り壊しで現在地に移った。

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・・・・・・・・・・ 玉川弁財天前の堤防沿いの道路に、煉瓦造の旧堤防が残っている。 煉瓦堤防は大師橋の先まで約2㎞ほど続く。、、、、かつての多摩川は、かなりの暴れ川で、たびたび洪水を起こしていた。 大正7年(1918)から行われた河川改修工事で、この煉瓦造りの堤防が築かれた。、、、、今ではこの堤防の外側にシッカリとした堤防が築かれており、この煉瓦堤防は役割を終えた。 堤防沿いの住宅は、この煉瓦堤防をチョイト低い塀と思い利用しているようだ!

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・・・・・・・・・・ 玉川弁財天の北西60~80m程の処に、新しい鳥居の小さな藤崎稲荷神社がある。 由緒書など無く一切不明、、、、ひょっとすると。 藤崎家の邸内社かも? どうでもいいか!

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・・・・・・・・・・ 緊急車両はもちろん軽自動車も入れない裏道。 でも、生活道路だ!

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・・・・・・・・・・ 芸術的なタイル張りの塀。 色も模様も異なるデザインの塀で囲まれた住宅。 御主人はタイル屋さんかも? 

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・・・・・・・・・・ 羽田6丁目の多摩川べりに国土交通省が管理する羽田第一水門がある。 昭和63年(1988)竣工、大成建設施工の堂々とした水門で、水門の裏側には高潮時緊急避難用の船溜まりがある。、、、、羽田の住民を高潮から守る、頼れる水門らしい。

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・・・・・・・・・・ 水門から北西に100m程、道幅の狭い住宅地の中に鷗稲荷神社がある。 鷗稲荷神社は、付近には鷗が多く、大漁の兆しとしてまつられたことから鷗稲荷神社と称されるようになったと言われてる。 鷗稲荷神社の創建年代は不詳だが、境内鳥居に弘化2年乙巳年3月吉祥日と刻まれていることから、弘化2年(1845)には創建されていたものと推測される。

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・・・・・・・・・・ 鷗稲荷神社の前の道は“羽田道”である。 羽田道は、東海道から内川橋際(大森東2丁目)で分かれ、羽田方面に至る道。 内川橋から大鳥居交差点(東糀谷3丁目)まで旧道が残っている。 産業道路ができるまで、羽田でとれた魚などを運ぶ生活道路であった。

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・・・・・・・・・・ 羽田3丁目に入る、、、、3丁目も道幅の狭い通りが多い(私好みの路だ!)

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・・・・・・・・・・ 狭い路の片隅に鎮座するのは弥五エ門稲荷神社。 神社の由緒は不明だが、弥五エ門は恐らく江戸時代の猟師町の名主:鈴木弥五右衛門のこと。 多摩川河口にできた低湿地の土地を、羽田村の名主石井四朗右衛門に折衝し譲り受け、羽田請負新田として幕府に願い出て開墾し、“鈴木新田”を作った。 その鈴木弥五エ衛門に因んで祀られたお稲荷さんか?

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・・・・・・・・・・ 引き続き、裏道を歩き京浜急行穴守稲荷駅に向かう

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● 今日は穴守稲荷には立ち寄らず、穴守稲荷駅から帰る

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2023年6月13日 (火)

チョッピリ旧街道

朝から雨が上がり、梅雨の晴れ間か? 京浜急行梅屋敷駅から立会川駅まで旧東海道を歩いて来た。 1万1千歩



● 普通列車しか停車しない「梅屋敷駅」だが、駅の開業は明治34年(1901)2月1日と古い、今年で開業122年になる。 開業当時は道路上の停留所だったそうだ(私はまだ生まれておらず、知らない!) 今は立派な高架駅。

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● 京急線の東側に平行する国道15号(=第一京浜)を横断し、大田区大森中の「梅屋敷東通り」商店街を歩く。 戦後発足した地元密着型の商店街、まだ9時前なのでシャッターが下りてる店が多い。

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・・・・・・・・・・ 商店街の中に数件(5件以上ありそうだ)の八百屋がある。 なぜか、八百屋だけはどの店もシャッターを上げ営業準備中。、、、、そんな中に、一軒の粋な店があった、その名は『八百長』 屋号に“激安”を冠し、本当か?

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・・・・・・・・・・ 八百長の正面奥に、日蓮宗の寺「大林寺(だいりんじ)」がある。 創建年代は不詳、旧真言宗薬王院として創建され、長享2年(1488)に日蓮宗に改めた。 

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・・・・・・・・・・ 大林寺山門脇に「池上道道標」が残されてる、、、、享保14年(1729)に、大森村の日蓮徒で組織された甲子講の人々が建てたもので、東海道から分かれて池上本門寺に至る大森中宿の池上道の追分にあったが、京浜急行梅屋敷駅付近に移され、さらに道路拡張などの事情により現在地に移された。 道標の旧位置から、十五町(約1.5㎞)で池上本門寺に至り、更にそのまま品川宿に行けることを示している。 旧東海道の道筋にあった、現存する道標としては極めて少なく、しかも高さ1.6mという大型のもので貴重なものだ。

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● 大森警察署前交差点から「旧東海道」に入り、品川方向に歩く。 国道15号から1車線の細い道に入る、これが旧東海道。 現在は「美原通り」の愛称がある(以前は「三原通り」と呼ばれていた) 美原通りは、途中で環七通りと交差し、京急平和島駅の北側で国道15号に出る。、、、、旧東海道と言っても、街道の雰囲気を残す旅籠・茶屋などの建物はない。 チョイト残念!

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・・・・・・・・・・ 旧東海道(美原通り)の途中に大小二寺がある。、、、、まずは、浄土真宗本願寺派の「海松山 徳浄寺」 徳浄寺は、寛永4年(1627)四ツ谷に創建され、元禄年間(1688~1704)に現在地へ移転した。 ガンダーラ風の現本堂は昭和35年(1960)に建てられた。

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・・・・・・・・・・ もう一寺は、真言宗の寺院で昭和25年(1950)に建てられた比較的新しい寺。 こじんまりとした境内は、正面に本堂、右手にお稲荷さん、お地蔵さん。 そして、お百度石もある。 趣のある寺だ!、、、、でもチョイト一言、「美原不動院」と言う名は、私には、何となく“美原美容院”と聞こえるような?

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● 国道15号を北へ約400m歩くと、大森海岸駅の手前に「磐井神社(いわいじんじゃ)」がある。 チョイトお立ち寄り。、、、、磐井神社は、敏達天皇(在位572~585)の代に創建された、延喜式神名帳にも記載されている式内社の古社である。 貞観元年(859)に武蔵国従五位磐井神社官社に列し、武州八幡社の惣社に定められた。、、、、参道にはアジサイの鉢が並び、参拝者をお出迎え!

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・・・・・・・・・・ 神社前の歩道の縁にある井戸が社名の謂れとなった「磐井の井戸」 神社の真ん前の歩道にあるのだが、チョイト気づきにくい。 この井戸は、かつて神社の境内にあったが、国道15号の拡張で境内が削られたためこうなった。、、、、江戸期には東海道を行き交う人々の渇きを癒し、名水の名が高かった井戸である。

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● 大森海岸駅の付近で、北に向かってる私は大田区から品川区に入る。、、、、大森海岸駅鈴ヶ森刑場遺跡旧東海道天祖神社に立ち寄って、立会川駅から帰宅。(大森海岸駅から立会川駅までは、こちらをみてね!

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2023年6月 6日 (火)

雑色から梅屋敷

京浜急行の雑色駅から、裏通りを歩いて、糀谷駅前を抜け梅屋敷駅まで、1万歩の散歩です。




● 京浜急行本線の「雑色駅(ぞうしきえき)」で下車し、散歩を始める。 駅前に立ってはみたが、行先決まらず『さて、いずれの方向に歩くか?』 しばし、駅前で考え、これまでに歩いたことのない裏通りを歩いて見ることにした。、、、、雑色駅は普通列車のみが停車する駅だが、乗降客は比較的多く、京急線全72駅中16位である。 

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・・・・・・・・・・ 駅からの通勤客の多くは、駅前の国道15号(=第一京浜国道)を横断し、海側の工場が多い町へ向かって行く。 私も、
昭和の雰囲気が残る商店街「水門通り」を歩く!

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● 水門通りから、東六郷の町の裏道に入る。、、、、細い裏道、おはよう!、路地にアジサイ、通学時間、ゲートボール 

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● 東六郷・
荻中(はぎなか)の町を抜けると、京浜急行空港線の「糀谷(こうじや)駅、、、、今日は駅前を通過!

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● 糀谷駅前の商店街から横に入ると「西仲天祖神社」がある、チョイト手を合わせて行こう!、、、、西仲天祖神社の創建年代は不詳、村民久左衛門が創建したといわれてる。 村民久左衛門とは?、謎の人物か? 

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・・・・・・・・・・ 天祖神社から北へ、呑川に架かる宝来橋を渡ると東蒲田の町である。、、、、橋の両側は大田区の下町で、景色も大差なし!

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● 裏通りから東蒲田の「大田区総合体育館」の脇に出てきた。、、、、大田区総合体育館は以前の体育館が老朽化したため、平成24年(2012)に、現在のモダンな体育館に、「みる」スポーツと「する」スポーツを基本コンセプトに建て替えられた。 総工費は約51億円。 収容人数:約4,000人、設計者:石本建築事務所、施工:フジタ・幸建設・河津建設・甲田建設JV、鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造、地上2階/地下2階の建物である。

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● 大田区総合体育館の正面に駅名:梅屋敷の由来となった「梅屋敷跡」がある。、、、、現在は「聖蹟蒲田梅屋敷公園」となっている。、、、、公園の案内板には、『梅屋敷と和中散売薬所跡  「和中散」は、食あたり、暑気あたり等に効く、道中常備薬としてつくられ、旅人に珍重された。 元禄から正徳にかけて(1688~1716)大森村中原、谷戸、南原に三店が開業した。 このうち南原にあった店が、のちに北蒲田村の忠左衛門に譲られ、この地に移転したという。 文政年間(1818~1830)の初め、忠左衛門の子の久三郎の代に庭園に梅の銘木を集めて、休み茶屋を開いた。 亀戸の梅林とともに梅の名所「梅屋敷」として有名になり、広重の浮世絵にも描かれた。 昭和50年3月19日指定 大田区教育委員会』と記されてる。

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・・・・・・・・・・ 梅屋敷跡から約300m歩き、京浜急行本線の「梅屋敷駅」から帰ることにした。

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2023年6月 1日 (木)

雑色へ

東急池上線池上駅から、京急本線雑色駅まで、9千歩の散歩です。




● 今日は、2年前の令和3年(2021)に駅ビル「etomo池上」が開業した「池上駅」から散歩を始める。、、、、駅ビルは相対式ホーム2面2線の地上駅の跨ぐように、線路上に建てられた5階建てビル。 1階はホーム、2階は改札、3階はスーパー、4階は区立池上図書館、5階は池上総合病院付属クリニックが入居している。 レトロな雰囲気の残っていた木造の旧駅舎はモダンな駅ビルとなり、本門寺参拝の風情はなくなりチョイト残念! これも時代の流れかな!

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● 池上駅から、本門寺を背にして、南の多摩川へ向かって歩く。

・・・・・・・・・・ 駅前の踏切を越え、池上6丁目の町を抜ける。 私の興味を引き付けるものは見当たらない。 

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・・・・・・・・・・ 東矢口1丁目に入っても、街並みは変わらず、もくもくと歩くだけ! 『何か面白そうなものはないかな!』、、、、【おまけの話】“東矢口(ひがしやぐち)”の地名は、“矢口”の東側の町だから。 では、“矢口”の地名の由来は、日本武尊が東征のとき矢合わせ(矢合戦)をしたところといわれている。 多摩川の対岸の川崎市には、“矢向”・“矢上”の地名が残っている。 話の真偽は???

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・・・・・・・・・・ 東急多摩川線の踏切を越えると新蒲田の町

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・・・・・・・・・・ 新蒲田3丁目に「道塚神社」がある。 道塚神社の創建年代は不詳だが、江戸期には日月宮と称し、隣接する大楽寺が別当寺を勤めていた。 天保2年(1831)天祖神社と改称し、大正3年(1914)に近隣の油山稲荷大明神、神明宮、熊野大権現、茅場稲荷大明神を合祀し、旧地名に因んで道塚神社となる。、、、、“道塚”は新蒲田に変わる前の旧地名

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・・・・・・・・・・ 道塚神社の隣りにあるのは、真言宗智山派寺院の「金剛法山 大楽寺」。 天応3年(1319)、当地に一宇を建立したのが始まりと伝えられている。、、、、山門は2階式の立派なもの。 本堂は黒塗りの鉄筋コンクリート造、、、、ペットの霊園もある!

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・・・・・・・・・・ 池上から道なりに真直ぐ歩き、西六郷の町に入る。 町の西側には多摩川が流れてる。 私は東側に折れ、雑色駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ 東海道線・京浜東北線の「雑色踏切」を越えると雑色駅は近い

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● 踏切を越え、商店街を抜けると、京浜急行本線の「雑色駅(ぞうしきえき)」、、、、雑色駅は、明治34年(1901)2月1日、京浜電気鉄道の駅として六郷橋 ~ 官設大森間の開通と同時に開業。 平成22年(2010)から平成24年(2012)にかけ、ホームの高架化を行い、相対式ホーム2面2線の高架駅となった。、、、、“雑色(ぞうしき)”とは辞典によると『 平安時代以後、公家・武家の家の従者。 雑役をつとめる

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2023年5月28日 (日)

西馬込から池上へ

朝食時に『これから歩いてくる』と言うと、妻が『どこへ?』 『西馬込から池上方面かな?』と応えると、年寄り二人の生活はする事がない“閑な生活”、運動不足が心配な妻は『私も行く!』、、、、と言うことで、夫婦で池上本門寺詣り、、、、帰りは日本橋のデパートでお買い物

都営浅草線の西馬込駅で下車し、本門寺に参り、池上線の池上駅まで、1万歩の散歩です、、、、このコースは以前歩いた処と全く同じなので、ブログの内容もチョイト省略する。 6年前のブログはコチラ!




● 都営浅草線の終点「西馬込駅」で下車し、国道1号(=第二京浜国道)を南へ歩く、、、、この付近、天下の“国道1号”なのに、歩道の幅が狭すぎる! 車椅子のすれ違いは要注意!

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● 駅から400m程歩くと、都営浅草線の馬込検車場(車庫)を跨ぐ、跨線橋「道々女木橋(どどめきばし)」がある。 車庫を橋の上から見るのは、嬉しい、楽しい一時だ!、、、、年寄り夫婦が橋の上から、嬉しそうに電車を眺める姿、人に見られて恥ずかしい!

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● お山を裏(北側)から上り日蓮宗大本山「池上本門寺」へ入る、、、、今日は日曜日だが特別な行事もなく、境内は空き空き、ガラガラ。 本殿・日蓮上人御廟所・大堂(祖師堂)・墓地など一通り参拝する。

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・・・・・・・・・・ 参拝済ませて帰りは石段を下り、総門から出る。、、、、【ところで、余談だが】 毎度思うことだが、都営浅草線の検車場(車庫)のある所に新駅を設置すると、本門寺に近く、参拝が楽になるのだが。 新駅から本門寺までは階段を上らず、エスカレーターで上れば、“全て良し!”

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● 東急池上線「池上駅」から電車に乗る

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2023年5月16日 (火)

山王越え

三日続いた雨も上がり、今日はポカポカ陽気。 JR京浜東北線の大森駅から、山王の山を越えて都営浅草線西馬込駅まで、1万歩の散歩です。




● 久しぶりに山王の住宅地を歩いて見ようと思い、「大森駅」は西口に出る。、、、、大森駅の改札は山王口、中央口があり、それぞれ東口と西口の出口がある。 西口側は山王の丘陵が迫っているので駅前に広場がないが、東口側(海側)は広くて多数のバス停がある。 今日は中央口改札をとおり西口に出た。 駅ビルの前は「池上通り」で、飲食店が多い商店街。 朝から鰻を焼く、いい匂いがする店もある、朝食を満足に食べず家を出た人には残酷だ!

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● 大森駅西口前の急な石段を登ると「天祖神社」である。 天祖神社は、その名の通り祭神が天照大神。 草創の年代は明らかではない。、、、、八幡太郎義家が奥州征伐におもむく途中、この社で戦勝の祈願をした。 そのとき境内にあった松の木の枝に鎧を掛けたと言われる”鎧掛の松”の伝説がある。 この松の木は安藤広重の絵になって、八景坂とともに名勝として広く世間に知られていたが、残念ながら枯れてしまい、今は跡形もない。、、、、やぶ蚊に注意の貼り紙がある、チョイト危険な神社!

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● 山王の地に、木造二階建地下室付の住宅「塚崎邸」がある。 大谷石を多用し、深い水平軒を伸ばす。 外観は一階をスクラッチタイル、二階をハーフティンバーでまとめた洋風住宅。 建物に合わせたスクラッチタイル貼の塀もモダンなデザインだ! 大正13年(1924)築のこの建物は国の登録有形文化財

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● 山王にある「大森テニスクラブ」の駐車場の一角に「日本帝國小銃射的協會跡」の碑がある。、、、、ここのテニスクラブは明治21年(1888)頃~昭和12年(1937)の間、小銃の民間訓練場だった。 明治15年(1882)、西郷従道らが本郷向ヶ岡に射的場を創立し、東京共同射的会社と称した。 明治21年(1888)に大森に移転が決まり、翌年に完成した。 昭和12年(1937)頃になると、周辺に住宅が増えはじめ、射的場は鶴見に移転した。 現在跡地は、多面のコートを備えたテニスクラブに変わった。、、、、昔も今も、球を打つ(撃つ)ことに変わりなし!

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大田区山王2丁目の住宅地、、、、山王は、大正12年の関東大震災後、安全利便な郊外住宅地として人気を博し、各界の名士が移り住んだほか、大森停車所もあり外国人も多く住んでいた。 昭和初期には時代を代表する文学者が数多く集まり、馬込文士村の一角を形成した。 住宅は“お屋敷”と呼ばれる建物、洋館も多く、高級住宅地であった。 今は、広いお屋敷も遺産相続等により分割され、木造建物は劣化し、往時を偲ばせる建物は年々少なくなっている。 今は、建て替えが進み洒落たマンションも建ち並ぶ。、、、、『SECOM』のステッカーに違和感を感じさせない町だ!

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● 山王の山を下り環七通りを横断し南馬込の町に入り、馬込東中学校の西側を歩くと、天文年間(1532~1555)に創建された「北野神社」がある。、、、、松とイチョウの大木が境内を演出してる。

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・・・・・・・・・・ 北野神社の先(南馬込2-24)には、小さな庚申堂。 花も水も供えられ、今なを続く庚申信仰

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・・・・・・・・・・ 庚申堂の斜め向かいには、文政7年(1824)に馬込村を中心とするの富士講の人々が寄進した常夜灯「富士講燈籠」がある。 台石に刻まれた銘文から、品川と池上に至る道に、道標を兼ねて建てられたことが判る。

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● 南馬込の曹洞宗「萬福寺」に6年ぶりに立ち寄った、、、、萬福寺は慈眼山無量院と号す。 建久年間(1190~99)大井村丸山の地に密教寺院として創建された。 開基は梶原平三景時公と伝えられている。 元応2年(1320)火災にあい、第六代の梶原掃部助景嗣が居城とともに馬込へ移転した。 天文3年(1534)鎌倉の禅僧明堂文竜が曹洞宗に改め中興し、現在の萬福寺へと続いた。 本尊は阿弥陀三尊。

・・・・・・・・・・万福寺の山門は切妻造り茅葺きの山門で、小高い位置にあり、見上げる景色が印象的。

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・・・・・・・・・・ 本堂前では3名のお年寄が玉砂利を清掃中。 邪魔をしないように、合掌する

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・・・・・・・・・・ 境内から眺める南馬込

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● 「大田区立郷土博物館」にも立ち寄って、、、、大森貝塚に代表される古代遺跡が多く存在する区なので、展示品も関連する土器・石器などの遺物が多い。 また、馬込文士村に関連する遺品・書・原稿・本などもある。 3階建ての立派な区の施設だが、見学者は数名、しかも無料。 コスパは最高!

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● 帰りは都営浅草線の起点駅「西馬込駅」から、浅草橋まで乗り換えなしの30分。 

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2023年5月11日 (木)

多い大盛り

長いGWが終り平時の状態の戻ると、我が家では耳鼻科で検査だ!、内科で喉の薬もらうのだ!、眼科は定期診断だ!、整形外科で腰のリハビリだ!、銀行の営業が来る日だ!、ワクチン接種でつながりにくい電話予約だ!、さらに私は補聴器買うのだ!、妻は春の服を買うのだ!、旅行の宿を予約するのだ!、とここ数日大忙し。 今日は身も心も落ち着き、朝は4時16分に地震で起こされ、5時にベッドから立ち、6時にゴミ出し、6時半に朝食、そして7時に『散歩してくる!』と妻に言い、8時前には大井町駅に到着。 大井町駅から大森駅まで、チョイト少なめ9千歩の散歩です。




● 京浜東北線の「大井町駅」から散歩を始める。、、、、明治5年(1872)新橋~横浜間が開業し、4年後の明治9年(1876)大森駅が開業。 明治13年(1880)には品川~大森間の複線化完了。 大正3年(1914)東京~横浜高島町間が開通、京浜線(京浜東北線の前身)の電車運転が開始される。 この時、大井町駅も同時開業した。 大正14年(1925)上野と東京が繋がって山手線が環状線になると、同じ線路を走る京浜線も東京駅から上野駅まで延伸される。 東北線田端駅~赤羽駅間が電化された昭和3年(1928)には、京浜線が東北線に乗り入れて赤羽駅まで延伸され「京浜東北線」と呼ばれるようになった。 現在の大井町駅、大森駅は京浜東北線の駅である。、、、、東急の大井町線、東京臨海高速鉄道のりんかい線が乗り入れ、乗降客の多い(大井)駅だ。

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● 京浜東北線の西側を大森に向かって歩く、、、、京浜東北線、東海道線の列車がひっきりなしに走り去る。、、、、【蛇足】私は“江戸っ子”なので、“ひ”と“し”が区別できず発音は全て“し”となってしまう。 “あさししんぶん”である! “ひっきりなし”も“しっきりなし”だ。

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● 大井4丁目の住宅地に小さな社の「作守稲荷」がある。、、、、作守稲荷は、元薩州侯抱屋敷内に祀られていた稲荷社を、慶応年間(1865~1868)に平林九兵衛が譲り受け、その稲荷社を平林九兵衛が当地開拓に際して当地に勧請、作守稲荷と称したもので、社地は明治30年に平林氏が寄附したと言われてる。 作物を守る、ってことから「作守」となったのだろうか?、、、、「美化推進モデル地区」にある稲荷は、境内も綺麗に掃き清められ、ゴミがない!

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● 作守稲荷から南へ200m程、「西光寺」(品川区大井4)がある。 西光寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、栄松山と号し、もと麻布善福寺末である。 昨年も訪れたが、今日も門前を素通りするわけにはいかず、チョイト手を合わせてきた。

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・・・・・・・・・・ 本堂脇の奥に「石造地蔵菩薩供養塔」がある。 最前列の三基の供養塔は、寺の東にあった倉田地蔵堂の本尊だった。 左側の明暦元年(1655)のもので、おたつ・おこちよ・およめなど16名のご婦人が建立したもので、また右側の寛文9年(1669)の阿弥陀如来を刻んだ念仏供養塔もおいな・おむつ・おはななど12名の女性によって建立されたもの。 もう一基、中央の寛文13年(1673)大井村講中によって造立された阿弥陀如来立像を彫った「笠塔姿型庚申塔」がある。 いずれも、江戸初期に造立されたもので、石像美術品としても保存状態がよく貴重なものであるらしい。、、、、今の時代、女性の名も『美波、史緒里、珠美、楓、麗乃』などと、指名したくなる名前が多く石仏に刻むとモダンだね!

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● 京浜線複々線時代の橋台が使用されている、JRの「鹿島谷架道橋」をくぐりぬけ、品川区大井4から南大井5の町に入る。

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● 大森駅の北東に東京都住宅供給公社の「大森駅前住宅」がある。、、、、昭和45年(1970)に建てられた、13階建て、総戸数 759戸の集合住宅。、、、、築後50年が経過したが、建物は健在? 現在の売買価格は2LDK/55.31㎡で4000万円程、高い? 安い?

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● 大森駅東口駅前広場の一画に、明治45年(1912)に当時の鐵道院の命によって鋳造された、かつて大森駅の階段に使用された鉄柱が保存されている。 2本の鉄柱には、
「鉄道院」の銘と、製造元の「合資会社高田商会柳島製作所」の社名、「明治四十五年七月製造」の製造年月が鋳造されている。、、、、現在は公園のオブジェかな?

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● 「大森駅」は、鉄道開業4年後の明治9年(1876)にできた駅。 隣の蒲田駅の開業は明治37年(1904)なので、駅としてはかなり先輩格である。都内では、新橋駅、品川駅に次いで3番目に古い駅である。、、、、現在のホームは地上島式1面2線構造。 改札口は中央口と北口の2ヶ所で、それぞれ別々の橋上駅舎内にある。 中央口側の駅舎は駅ビルを併設するたいへん立派なものだ。、、、、ホームには、「日本考古学発祥の地」と書かれ、上に“深鉢式土器”の模型が載せられた碑がある。

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2022年10月23日 (日)

大井の井

JR大森駅から北に歩き、東大井に入り、京急の立会川駅まで、9千歩の散歩です。



● 今年は鉄道開業150年。 京浜東北線の停車場:JR「大森駅」は、鉄道開業4年後の明治9年(1876)にできた駅。 都内では新橋駅、品川駅に次いで3番目に古い駅だ!、、、、島式ホーム1面2線の地上駅。 改札口は中央口と北口の2ヶ所で、それぞれ別々の橋上駅舎内にある。、、、、今日の散歩は大森駅西口から歩くことにした。 大森駅のホーム中央には「日本考古学発祥の地」の石碑がある。 石碑の側面には『E.S.モース発掘100周年記念建立』と書かれ、以下の説明文が続く、『 アメリカの動物学者モース博士が1877(明治10年)横浜より新橋に向かう汽車の窓から 大森貝塚を発見し, これが契機となって日本の考古学が発達しました。 このブロンズは当貝塚出土の土器を約2倍に拡大したものです。 1979年12月 東京大森ロータリークラブ 東京大森ライオンズクラブ 東京都大森貝塚保存会 』、、、、今年が発見から145年目である。

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● 大森駅西口から池上通りを北へ300m程歩くと、NTTデータのビルがある。 ビルの植え込みに、「大森貝墟」碑の約二分の一寸法のレプリカがある。、、、、大森貝墟」碑の実物は、NTTデータ敷地通路奥の階段を下りた先に鎮座する。 早朝の散歩であり、民有地の敷地内に勝手に入るとヤバイので実物はパス。 近くの、品川区立大森貝塚遺跡庭園公園は開園が9時であり、こちらもパス。

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● NTTデータのビルの向かいには「大森山王日枝神社」がある。、、、、大森山王日枝神社は、遠く古のころ、土地の豪族酒井氏が、近江の国比叡山麓にある日吉神社の祭神、山王権現を当地に勧進祭祀したものである。 その後、延宝5年(1677)、円能寺が別当し、明治初年まで同寺の管理下となった。 その頃は『山王権現』又は単に『山王さま』と呼ばれ、この地を山王村と称した。 現在の地名「大田区山王」の由来である。、、、、現在の社殿は昭和28年(1953)の建設。 只今、社殿屋根改修工事中につき、残念ながら足場で覆われてる。、、、、池上通りに面しているが、境内は静かで落ち着いた佇まい。

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・・・・・・・・・・・・大森山王日枝神社とは地続きで、かつて別当であった「成田山円能寺」がある。、、、、円能寺は真言宗智山派寺院で、天正年間(1573~1592)に開創。 現在は成田山新勝寺の末寺となっている。、、、、本堂、斜め前に幼稚園が併設されており、平日はチョイト参拝しにくい雰囲気だ!

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● 池上通りを品川区に入ると、鹿島神社がある。 「大井鹿島神社」(品川区大井6)は、安和2年(969)に常陸の鹿島明神を勧請し創建したと伝えられます。 古くからの祭礼として相撲が奉納されており、当社の相撲は、渋谷氷川神社、世田谷八幡宮とともに江戸郊外三大相撲の一つとされていたそうだ(知らなかった!)、、、、現在の社殿は、設計を日本建築界の権威である帝室技芸員:佐々木岩次郎に、施工を名古屋の名匠:伊藤平左衛門氏に命じ、総工費十数万円で昭和6年(1931)に竣工した。

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・・・・・・・・・・・・また、旧社殿は文久2年(1862)の造営で精巧を極めた鎌倉彫の彫刻が施されており、これを後世に伝えるため境内末社として移設し現存する。、、、、素晴らしい彫刻が残されている、必見!

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・・・・・・・・・・・・鹿島神社の隣りには、別当であった「来迎院」がある。、、、、天台宗寺院の来迎院は、鹿島山常林寺と号す。 安和2年(969)、南品川の常行三昧寺(現、常行寺)の僧により鹿島神社と共に当寺を創建した。

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・・・・・・・・・・・・来迎院の門前、道路を挟んで向かいに「来迎院石造念仏講供養塔」がある。 元来この場所は来迎院の境内であったが、道路建設により、現在のようになった。、、、、石造念仏講供養塔は、江戸時代に行われて念仏講の供養塔です。舟形の二基の塔は、明暦2年(1656)と万治2年(1659)の建立、笠塔婆型の塔は寛文7年(1667)で、いずれも江戸時代初期のものです。 全部で10基の石仏がある。

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● 来迎時の北200m程に、延暦元年(782)、天台宗神宮寺として開創されたと伝えられ、現在は浄土真宗の「光福寺」(品川区大井6)がある。、、、、境内には、幹の周り7.2m、高さ40m、樹齢約800年の大イチョウがある。 垂れた乳もデカイ! 触って撫でると御利益ありそうだ!!

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・・・・・・・・・・・・本堂裏手、墓地の中央に、地名「大井」の由来となった井戸がある。 縁起によれば、名僧了海上人誕生の際の産湯の井戸で、今なお水をたたえてる。

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● 光福寺から道なりに北へ約300m、浄土真宗本願寺派寺院の「西光寺」がある。 西光寺は、栄松山と号し、もと麻布善福寺末。 弘安9年(1268)栄順律師が開創し、後浄土真宗に改宗した。、、、、本堂の正面で枝を伸ばす兒桜(ちござくら)という名木があり江戸名所の一つになっていた。 春の開花が楽しみだ。

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● 東海道線・京浜東北線の下を抜け、大井4丁目と南大井5丁目を結ぶ、歩行者専用の「関道地下道」。 昭和42年(1967)の竣工。、、、、以前は地上に踏切があったと思われる、事故防止のため踏切をなくし地下道にしたのであろう。 車はもちろん、自転車も乗ったままでは通れない地下道。

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● 関道地下道を抜け、東大井3丁目の町に入ると「大福生寺」がある。 天台宗寺院の大福生寺は、明治14年(1881)に宇賀神寶海和尚が目黒不動瀧泉寺を退き、 隠居の寺として日本橋蛎殻町(水天宮の近所)に一寺を建立した。 昭和24年(1949)に現在地へ移転。 東海三十三観音霊場16番札所。、、、、寺か、神社か? 入口の三角形の山王鳥居をくぐると、小さな境内に聖天がある。 御本尊は、大聖歓喜天(聖天さま)で、その他大勢として、十一面観世音、聖観世音、福生稲荷、福生弁財天、福生地蔵尊、宝性地蔵などが勢揃い!

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● 国道15号(=第一京浜)を越えて、京浜急行「立会川駅」まで歩く。、、、、立会川駅は明治37年(1904)5月8日開業。 平成2年(1990)12月2日に上下線が高架駅となる。 ホームは高架相対式2面2線構造で、3階にある(2階は改札階)。 改札口は1所のみ。、、、、大井競馬場まで、徒歩10分。 行きは近いが、負けると遠い!

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2022年10月11日 (火)

東急多摩川線

蒲田駅から東急多摩川線に沿って、終点駅の蒲田駅からスタートし、各駅に立ち寄りながら起点駅の多摩川駅まで歩いて来た。 久しぶりに1万6千歩の散歩。

東急多摩川線・・・・・起点の多摩川駅と終点の蒲田駅を結ぶ、5.6㎞、7駅(起終点駅を含む)の比較的短い路線。 線路は多摩川に沿い、全区間が大田区内に所在位する。、、、、東急多摩川線の歴史は、大正12年(1923)の目蒲線(目黒~蒲田間)開通に始まる。 平成12年(2000)に、多摩川~蒲田間を分離し、東急多摩川線に改称するまで、目蒲線として親しまれてきた。(目黒~多摩川駅間は目黒線となり、目蒲線は消滅した)

注・注・蛸かいな!、、、、「東急多摩川線」は正式な路線名である。 必ず“東急”を冠すること。 単に“多摩川線”と言うと、「西武多摩川線」と混同するから。 また、過去には「玉川線」、「新玉川線」が実在し、こちらとも区別するため。、、、、ただし、駅・車内などの東急電鉄内では“東急”をはずし、「多摩川線」と称することもある。



● 東急電鉄の「蒲田駅」はJR蒲田駅と直結し、乗換は便利である。、、、改札を入ると頭端式ホーム5面4線を有する高架駅である。 ホームは池上線と東急多摩川線がそれぞれ2線ずつ使用している。、、、、駅の歴史は、、、大正11(1922)10月6日、池上電気鉄道線(現:池上線)が蒲田~池上駅まで開通。大正12年(1923)11月1日 、目黒蒲田電鉄目蒲線(現:東急多摩川線)が蒲田~沼部駅まで開通。 昭和10年(1934)には目黒蒲田電鉄が池上電気鉄道を吸収合併したことに伴い、池上線から目蒲線への連絡線が設置される。 昭和43年(1968)東急の蒲田駅が高架化され、頭端式5面4線化され池上線・目蒲線ホームが現在の形になる。、、、、多摩川線の発着は概ね1時間に10本程度と、頻発してるので待ち時間でイライラすることは少なそうだ!

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・・・・・・・・・・駅の高架下は、居酒屋がしっかりとかため、約60軒の店舗の呑み屋街「東急駅前通り会」だ、通称「バーボンロード」。 暗くなると歩いて見たくなる横丁だ!  

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・・・・・・・・・・高架駅2階から地上に下って来る!(写真:右側2線が東急多摩川線、左側2線は池上線、正面は蒲田駅)

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・・・・・・・・・・地上に下った先で、池上線(写真右へ向かう2線)と東急多摩川線(左側を直進する2線)は別れる。

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・・・・・・・・・・東急多摩川線には主として7000系の車両が運用されている。 (池上線と共用)

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● 蒲田駅の次は「矢口渡駅(やぐちのわたしえき)」、、、、大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業。 この時同時に開業した途中駅は次の武蔵新田駅だけで、鵜の木駅と下丸子駅は数ヶ月ほど遅れて開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 上下ホームは完全分離されていて、駅舎・改札も別々。、、、、駅名になっている「矢口の渡し」とは、昭和24年(1979)まで存在した多摩川の渡船だ。 ♪♪ 夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し 親のこころに そむいてまでも 恋に生きたい 二人です ♪♪ の「矢切の渡し」は江戸川、間違いないで!

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・・・・・・・・・・東急多摩川線は国道1号(=第二京浜)を越える。 国道を過ぎると、線路は下り、再び地上に戻る。

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● 三番目の駅は「武蔵新田駅(むさしにったえき)」、、、、1923年(大正12年(1923)11月1日 、新田駅として開業し、翌年に武蔵新田駅に改称。、、、、駅の構造は矢口渡駅と似て、相対式ホーム2面2線の地上駅で、駅舎・改札も上下別々。、、、、駅名の“新田”は、ご近所の「新田神社」に由来する。 “武蔵”は東京(武蔵国)を示す。

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・・・・・・・・・・線路脇を歩く

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● 四番目は「下丸子駅(しもまるこえき)」、、、、東急多摩川線の中間駅の中では最大の乗降客数を誇る駅。 一日当たりの乗降客数は3万5千人を超える(駅から500m程の処にキャノン本社があり、電車通勤の社員が多いのかも?)、、、、駅は大正13年(1924)5月2日の開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 ここも、上下線別々にホーム、駅舎、改札がある。 かつて下丸子駅には、構内踏切があり、改札は一か所であった。

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・・・・・・・・・・下丸子駅と次の鵜の木駅間は最も短い0.6㎞、駅間で最も長いのは蒲田駅~矢口渡駅間で1.3㎞。

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● 五番目の駅は「鵜の木駅(うのきえき)」、、、、下丸子駅に似たデザインの鵜の木駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で、こちらも上下線別々の改札となっている。、、、、大正13年(1924)2月28日に目蒲線の鵜ノ木駅として開業、、、、駅名の“鵜の木”は古くからの地名で、この付近一帯は昔、鵜が非常に多く住み着いており、豊かな森が広がっていたことから、「鵜ノ森」と呼ばれていた。 その「鵜ノ森」が「鵜ノ木」と変化したそうだ。

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・・・・・・・・・・鵜の木駅から次の沼部までは長い直線区間。 沼部駅の手前では、東海道新幹線・横須賀線の下を抜ける。

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● 六番目の駅は「沼部駅(ぬまべえき)」、、、、大正12年(1923)3月11日に目黒蒲田電鉄の丸子駅として開業。 翌大正13年(1924)、武蔵丸子駅に改称し、さらに大正15年(1926)、沼部駅に改称。 沼部駅も、これまでの駅と同様で、相対式ホーム2面2線の地上駅。 改札も上下線別々。、、、、“沼部”は駅所在地の旧字名

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・・・・・・・・・・駅の北側に真言宗智山派寺院の「東光院」がある。 有慶山と号す、、、、開創の年代は不明だが、文禄3年(1594)頃に創立されたと推察される。、、、、東光寺の山門脇から北西の国道2号(=中原街道)まで道路に沿って、江戸時代に灌漑用水路として造られた「六郷用水」が復元されている。 現在は親水公園のように整備され、水が流れ、コイが泳ぎ、亀が首を出している。

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● 東急多摩川線の起点駅「多摩川駅(たまがわえき)」に到着、、、、線路名称上で当駅に乗り入れているのは、東横線と東急多摩川線の2路線である。ただし東横線には、田園調布駅~日吉駅間の複々線を利用して、東横線の列車と目黒線の列車も乗り入れており、それぞれ別路線として案内されている。そのため、当駅は東横線・目黒線・東急多摩川線の3路線の接続駅として案内されている。  駅の歴史は、大正12年(1923)3月11日の目黒蒲田電鉄・目黒~丸子駅(現:沼部)間開通と同時に多摩川駅として開業した。 大正15年(1926)には、駅名を丸子多摩川駅に改称し、さらに昭和6年(1931)に近くにある「多摩川園遊園地」の名前を取って駅名を多摩川園前駅に改称。 まだまだ、昭和52年(1977)に駅名を多摩川園駅に改称。 そして、平成12年(2000)に、目蒲線が目黒線+東急多摩川線に分割されるとともに、駅名を再び「多摩川駅」に改称。、、、、東横線ホームの高架化、目蒲線ホームの地下化は平成8年(1996)に工事が完了。 現在は、東横線と目黒線が使用する1~4番線ホームは高架島式2面4線構造。 外側を東横線、内側を目黒線が使用する。 東急多摩川線は地下の5・6番線ホームを使用、島式1面2線構造である。

・・・・・・・・・・2階は東横線・目黒線、東急多摩川線は地下。

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・・・・・・・・・・東急多摩川線の田園調布寄りのホームに立つと、線路は地上に向かって伸びている、目黒線と東急多摩川線の線路はつながっているのだ! この部分を走る定期列車はないので、回送用の線路か?

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・・・・・・・・・・・・地下ホームから顔を出す東急多摩川線蒲田行き!

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