大田区

2021年6月27日 (日)

馬込の縦走路

西馬込駅から、北に向かい東海道新幹線を跨ぎ、上池台と中馬込の町の境を北へ向かい、環七通りを横切り、旗の台を抜け、東急池上線の荏原中延駅まで、9千歩の散歩です。




● 日曜の朝8時前、コロナの心配は無用なガラ空きの電車が終点「西馬込」に到着。 今日の散歩はここから歩いてみよう!、、、、駅前の通りは国道1号線(=第二京浜国道)、交通量は案外少ない!

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● 特に行く宛のない散歩なので、国道1号線の西側に向かう裏道に入る。 道はさっそく上り坂となる。 坂を上り馬込西公園の辺りで道は平らになった。 公園は斜面に造られており、自分がいるのは斜面の上部。 ここから、公園の先の住宅の裏側に「馬込給水塔」の丸い屋根が2個見える。

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● 給水塔の屋根を左手に見ながら、公園上部の道を行くと、小さな十字路がある。 右へ向かうと下り坂、左へ向かうと下り坂、『そうか! この道は西馬込の尾根だ!』 この道(写真中央)を境に、右は西馬込1丁目、左は西馬込2丁目。 左右どちらに曲がっても、下り坂だが、せっかく上った坂なので下りたくない、道なりに真直ぐ歩くことにした。、、、、この時点で、今日の散歩は『この尾根を、道なりに歩く』ことにした。 “馬込の縦走路”(勝手に命名!)

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● “馬込の縦走路”は、東海道新幹線・横須賀線を跨ぐ「大谷橋」に出た。 この橋を渡ると中馬込3丁目に入る。、、、、この辺りは、マンション、戸建て住宅が並ぶ住宅地。(お金持ちも住んでいるかも?)

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● 中馬込3丁目に入り、“馬込の縦走路”はまだまだ続く! 大谷橋から700m程北まで尾根歩きは続く、この辺りでは“馬込の縦走路”は、西側の上池台5丁目と、東側の中馬込1丁目の町境となっている。

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● 上池台4丁目と5丁目の境は通称「学研通り」(かつて学習研究社の本社があった)と呼ばれる道路で、その北の端には坂道「貝塚坂」がある。 私が歩いてきた“馬込の縦走路”はこの貝塚坂にて、学研通りと合体する。 坂名の「貝塚坂」は、坂周辺に貝塚を伴う集落遺跡があったことによる。(大田区内の鵜の木、池上、山王と連なる台地には縄文時代から古墳時代にかけて遺跡が多いそうだ)、、、、今日の散歩は“馬込の縦走路”を道なりに歩いてきたので、ここより先も引き続き学研通りを道なりに歩く!!

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● 貝塚坂のチョイト北側から、今度は「夫婦坂(めおとざか)」がある。 貝塚坂上部から下り、環七通りと「夫婦坂交差点」で交差し、上り坂となって馬込1丁目に伸びる。 つまり、環七通りが最も低く、南と北の両側に向かって上る坂だある。 二つの坂が向かい合っていることから「夫婦坂」と名付けられたそうだ。

・・・・・・・・・・・・貝塚坂側から夫婦坂を見る、、、、“下り坂”が判るかな?

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・・・・・・・・・・・・環七通りと交差する「夫婦坂交差点」

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・・・・・・・・・・・・北へ向かって上る夫婦坂

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・・・・・・・・・・・・夫婦坂の北の端、、、、私は道なりに、坂の正面、材木屋の横の細い道を進む(道なりに直進する!)

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● 材木屋の横を入り、坂を下る。 東急大井町線の荏原町駅と旗の台駅の中間でガードを抜ける。 道は徐々に東に向けカーブする。 

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・・・・・・・・・・・・最後は品川区西中延3丁目、「健康ランド八幡温泉」(旧八幡湯)の脇に出た。 ここで、道はT字にぶつかり、これ以上直進できず。 これにて終了!、、、、なお、八幡温泉は温泉銭湯である。 湯量は豊富で、色は褐色透明。黒湯というほどは濃くなく、ちょうど紅茶のような色合いらしい。 

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● “馬込の縦走路”を歩き、最後は温泉につかることもなく、チョイト疲れた足で、さらに東急池上線の「荏原中延駅まで歩く。、、、、地下化された池上線の線路跡は所どころ公園化されている。、、、、道幅の狭い商店街の中に荏原中延駅がある。 初めて訪れる人には、見つけにくい駅だ! 交番で聞こうと思っても、その交番は駅にある、アリャリャ!、、、、3両編成の池上線はホームも短くコンパクトな造り。

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2021年6月24日 (木)

平和島から西馬込

昨日の続きで、平和島から品川方面に歩こうと思い下車したが、駅を出たら気が変わり西馬込へ向かって歩いた。 1万歩の散歩。 




● 京浜急行本線の平和島駅で下車し駅前に出ると、商店街を駅に向かう通勤客とすれ違う。 何となく人の流れに逆らいたくなり、商店街を歩くことにした(もちろん朝なので店は開いてない) 

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・・・・・・・・・・・・商店街の先は、いつの間にか何処にでもある裏道に変わり、人通りも少ない。 興味を引くものもなく、単調な歩み。

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・・・・・・・・・・・・環七通り補助27号線(=東邦医大通り沢田通り)が交差する「沢田交差点」に出た。 これより環七通りを西に歩く。

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● 環七通りがJR東海道線を跨ぐ「春日橋」を渡る。、、、、環七通りは戦後整備されたが、大田区内の沢田交差点からJRを越えて国道1号馬込交差点までは、昭和12年(1937)に完成している。 東海道線と立体交差する「春日橋」は昭和16年(1941)の完成である。 戦前から、踏切にせず立体交差にしたのは、それだけ交通の要所だったと思われる! 

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・・・・・・・・・・・・環七通りは、春日橋に続き、池上通りとの交差点に「春日橋陸橋」がある(紛らわしいね!)

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● 春日橋陸橋のある春日橋交差点から西へ150m程、「新井宿春日神社」(大田区中央1)がある。 おそらく“春日橋”の名のルーツであろう。、、、、春日神社の祭神は、天児屋根神〔あめのこやねのかみ〕、建御賀豆智神〔たけみかづちのかみ〕、伊波比主神〔いわいぬしのかみ〕の三神。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代の創建と伝えられている。 奈良の春日神社から勧請した。 住宅と商店が混在する旧街道沿いに鎮座する由緒ある神社。 神社前の旧街道は、かつて「奥州街道」、「相州鎌倉街道」、「平間街道」、「池上往還」と呼ばれていた古道である。、、、、現在の本殿は、昭和13年(1938)の建設で、木造春日造りの堂々たるものである。 また、旧本殿という神楽殿は風格がある。

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● 春日神社から住宅地の裏道を歩き、西へ向かう・・・・・この辺りは、作家・画家の多くが住んでいた馬込文士村。 私の住む“下町の浅草橋”とは、だいぶ雰囲気が異なるね!

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・・・・・・・・・・・・「大田区立龍子記念館」の前に出た。 日本画の巨匠として知られる川端龍子(1885~1966)が、昭和38(1963)に自身の喜寿の記念に、自らの発意と設計によって建てた記念館である。 当初は法人により運営されていたが、平成2年(1990)に記念館と所蔵作品などが大田区に寄贈され公開されている。、、、、私が立ち寄るのは、今日で3回目となる。 何回来ても“良いものは良い!” 内緒だけれど、年寄りは入館料無料、これもいいね! チョイト、拝見していくことにした。

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● 龍子記念館をあとにして、坂を上り池上本門寺裏(北側)を歩き、都営浅草線の車両基地を見ていくことにした。

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・・・・・・・・・・・・「馬込総合車両基地」に到着。 基地の中央を横切る歩道橋の上から電車を眺めて、ニコニコ・ニヤニヤ楽しそう!

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● 車両基地の先には浅草線の「西馬込駅」がある。 我が家の浅草橋駅までは、乗り換えなしの一本! 寝て帰ろ~~

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2021年6月23日 (水)

京急蒲田から平和島

京急蒲田駅で下車し、京急本線の西側を気の向くままブラブラ歩いて平和島駅まで、1万歩の散歩です。




● 平成22年(2010)~平成24年(2012)にかけ、高架化された「京急蒲田駅 駅舎は高さ24mの三層構造で、一層部(実質は2階で、高架下は駐車場や駐輪場が整備されている)は駅事務所・改札があり、出入口はペデストリアンデッキにてJR蒲田駅方面に向かう駅前商店街などと結ばれている。 二層部は、1面2線の島式市ホームで、上り本線と空港線が使用。 三層部は1面2線の島式ホームで、下り本線と空港線が使用。 389mの長いホームには、12両編成電車と6両編成電車が同時に直列停車することが可能だ。 私の大雑把な見方では、長さ約400m、幅約20m、高さ24mの巨大な細長い駅である。、、、、工事は市街地の中の難工事で、担当した京急建設+鹿島建設には、ご苦労様!

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・・・・・・・・・・・・三層部のホームから見える駅周辺。 高層建物が少なく、見晴らしがよい。

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● 京急蒲田駅前に一社一寺が隣り合う・・・・・

・・・・・・・・・・・・永禄年間(1558~1569)の当地の地頭:行方修理亮義安が戦死の後、その室円光院妙安尼が、兄斉藤政賢の屋敷内に庵室を結んだのが、この地(京急蒲田駅前一等地で先見の明あり?)である。 尼は法華宗を信奉して、池上本門寺第12世仏寿院日現に帰依していたが、天正17年(1589)尼が没した後、庵室を寺とし、開山を日現として開創した。 開基は円光院妙安尼、行方の家号を以って山号とし、尼の法号を寺号としている「行方山妙安寺」。 堂は戦災で被災し、戦後の再建。 お隣の蒲田八幡神社の元別当寺。、、、、山門から緑豊かな参道を通り本堂正面に出るが、駅前とは思えない静かな境内である。

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・・・・・・・・・・・・妙安寺の隣りに、「蒲田八幡神社」がある。 蒲田八幡神社は、北蒲田村より新宿村として分村した慶長年間に、薭田神社(後述)を勧請して新宿村鎮守として創建された。 明治期に村社に列格。、、、、こちらも駅前の一等地、チョイト広い境内に改修し綺麗になった社殿がたつ。 こちらも、戦災に遭遇し旧社殿は被災し、現社殿は昭和33年(1958)の造営。
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● 京急蒲田駅前商店街を横切り、柳通りを抜け、呑川を越え、蒲田八幡神社から北へ向かう・・・・・

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・・・・・・・・・・・・蒲田八幡神社から500mほど行くと「薭田神社(ひえだじんじゃ)」がある。 蒲田八幡神社が勧請した神社である。、、、、薭田神社の隣りは「栄林寺」、鳥居の先100m程には「円頓寺」があるが、山門は閉じられ境内には入れない、コリャマタ残念!
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● 梅屋敷駅前の「ぶらもーる梅屋敷」、大森町駅前の「大森町共栄会」と、二つの商店街を横切り「大森西」の町を北へ歩く・・・・・

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● 町中に高層の「都営大森西三丁目アパート」がある。 昭和44年(1969)建設、11階建て、総戸数282戸の都営住宅。、、、、築後52年、建物は劣化したね。 昭和44年は雅万歩が大学を卒業した年である。 私の身体も劣化したが、まだボケてないぞ!

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・・・・・・・・・・・・チョイト、上層階におじゃまして、大田区の町を拝見!、、、、都心(大崎方面)を眺めるが、遠い!、、、、手前は「区立大森第八中学校

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● 裏通りを歩き、「大森諏訪神社」(大森西2)に出てきた。 祭神は建御名方命。 大森諏訪神社の創建年代は不詳であるが、江戸時代には大森村山谷の鎮守社であったそうだ。、、、、神社の由来を見ると、その昔、大森海岸袖ヶ浦へ着岸された御神体を、村民が尊崇して、一祠を建立したといわれてる(類似の謂れが多い、よく聞く話だ!)、、、、漁村であった頃の江戸時代からの古い、鳥居、狛犬、灯篭、手水屋、玉垣、記念碑等が多数残されている。  

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● 「平和島駅」に到着、今日の散歩はここまで!、、、、のんびりと、空いている普通電車で帰ることにした。

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2021年3月 7日 (日)

若き日、思い出の地

緊急事態宣言解除は2週間延期された。 私はマイペースで、自粛生活を続けている。 今日は日曜日なので通勤時間帯の電車も空いていると思い、行先を決めずに浅草橋で京急の三崎口行きに乗車。 日本橋・銀座・新橋・品川の混雑地を通り抜け、京急蒲田の隣り駅:雑色で下車した。 駅から西へ歩き多摩川土手へ、若き日の思い出の地を訪れJR蒲田駅まで、“密”を避けながら1万2千歩の散歩。




● 浅草橋で特急:三崎口行きに乗り、『さて何処で降りようか?』 空いてる車中で思案すれども決まらず京急蒲田駅に到着、この先まで乗ってると川崎・横浜となり、隣りの県に入ることになる。 とりあえず京急蒲田で電車を降り、ホームのベンチで思案の続き、ふと駅名表示を見て隣り駅『雑色(ぞうしき)』の文字が眼に入る。 『決まり!雑色で下車しよう!』(雑色駅は普通のみ停車する駅で、感染リスクは低そうだ)、、、、雑色駅は明治34年(1901)に京浜電気鉄道の駅として開業。 平成22年(2010)に上りホームを、2年後には下りホームをそれぞれ高架にし、平成29年(2017)に高架化事業が完成した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。、、、、京急のHPでは『駅名の由来は、当時の地名から名付けたもので、この地名も明治の末頃六郷村に編入され、現在は駅名にその名を残すのみとなっている。』と解説されている。 何か判ったような判らない解説だ! 辞書では、“雑色は、律令制における品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)の総称”とのこと、つまり昔の下級役人のことらしい。 このあたりに、下級役人の官舎でも在ったのか?

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・・・・・・・・・・・・高架化の前(2013年2月)の雑色駅

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● 雑色駅前、アーケードのある雑色商店街(店舗数では大田区最大級?らしい)を西へ向かうと、JR東海道線の雑色踏切がある。 ここにも、“雑色”の名が残っていた。

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● 雑色踏切を越えて裏道に入ると、白山神社と別当寺であった薬王寺が隣同士で並んでる。

・・・・・・・・・・・・白山神社の創建年代は不詳。 正徳甲午年(1707)銘の手水石が残されていることや、別当寺の薬王寺が宥範法印(延宝5年(1677)寂)により創建されていることから、薬王寺と共に創建されたものと推定されている。、、、、境内社の赤い鳥居の「正善坊稲荷」はインスタ映えするのか?、地元では人気があるらしい。


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・・・・・・・・・・・・白山神社のお隣には、真言宗智山派寺院の東輝山薬王寺がある。 宥範法印(延宝5年(1677)寂)が開山したと伝えられている。 昭和20年(1945)の戦災で本堂・庫裡焼失、昭和35年(1960)現本堂を完成した。、、、、境内は綺麗に整備されており、緑豊かな落ち着いた感じ。

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● 薬王寺から、さらに西へ歩くと多摩川土手に出た。 独身時代の昭和45年(1970)、数カ月間暮した思い出多い懐かしの多摩川土手である。
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・・・・・・・・・・・・昭和45年頃、写真中央のマンションがある処に、某化学メーカの中央研究所があった。 私が働いていたゼネコンが、研究所の建物の新築・改築などを行っており、若手で独身の私は、会社の同僚と共に現場宿舎に寝泊まりしていた。 その頃の私は、朝食前に河川敷で早朝ゴルフ(下手だった)、夕食後はボーリング場(そこそこの成績)、そのあとは蒲田・川崎のキャバレー(ダンスが楽しい)に、同僚と仲良く思い出を作っていた。、、、、その後、研究所は千葉に移転し、跡地には14階建て、約400戸のマンション「多摩川芙蓉ハイツ」(飛島建設+大成建設の施工、昭和58年竣工)が建っている。

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● 若い頃を思い出し、寝泊まりしていた研究所跡地(多摩川芙蓉マンション)から、蒲田駅まで当時のコースで歩いてみることにした。

・・・・・・・・・・・・研究所跡から、東に向かう、、、、写真の道はJRの車輛基地と富士通の研究所に出る道。

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・・・・・・・・・・・・車両基地(現:太田運輸区、旧:蒲田電車区)の先端部に出た! 電車を見ながら基地の脇を歩く。 鉄道オタク(私もその一人)には嬉しい散歩道だ!

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・・・・・・・・・・・・車両基地の隣りには「富士通ソリューションスクエア」(旧:富士通システムラボラトリ―)がある。、、、、建物は10数年前に現在のモダンな建物に建て替えられた。 私が多摩川に居た頃は、旧:富士通システムラボラトリーが西松建設の施工で建設中であった。、、、、25年程前、ゼネコンを退職し、IT業界に移った私は、この建物にも通いシステム構築のお世話になった思い出もある。

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・・・・・・・・・・・・JR蒲田駅に到着、、、、今日の散歩では、“密”な場所もなく、人との会話もなく、新型コロナには感染していないと思う。 家に帰って、“うがい”、“手洗い”を済ませて、一安心!

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2021年2月 7日 (日)

国道131号の裏通り

日曜で乗客も少ない浅草線に乗り、京急空港線の大鳥居駅で下車、駅前から北に伸びる国道131号(=産業道路)に沿って裏道を歩き京浜急行大森町駅まで、1万歩の散歩です。、、、、電車は往復空き空き状態、散歩中はすれ違う人も少なく、コロナ感染の心配無用!




● 浅草橋にて羽田空港行に乗り、乗降客の少なそうな大鳥居駅で下車した。、、、、大鳥居駅は明治35年(1902)6月28日、蒲田~稲荷橋間開通と同時に開業。 駅名は、当時、穴守稲荷の大きな鳥居が現在の大鳥居駅付近にあったことに由来する。 平成9年(1997)に駅は環八通りと産業道路が交差する大鳥居交差点の地下に移設された。

・・・・・・・・・・・・空いてる電車で、のんびりと散歩に向かう

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・・・・・・・・・・・・大鳥居駅は地下ホーム

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・・・・・・・・・・・・駅前の大鳥居交差点、この真下にホームがある。

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● 大鳥居駅から国道131号(=産業道路)の西側の裏道を北上すると、西糀谷3丁目に濱竹天祖神社がある。、、、、濱竹天祖神社は、村民長左衛門が西暦1687年頃に創建したらしい(濱竹は部落名:糀谷村濱竹厨子から命名) 社殿は昭和13年(1938)に建てられた。、、、、樹木の少ない境内は、町内の盆踊りに丁度良い広さがある。

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西糀谷の町を北に向かう、、、、町工場は休み、人影も少ない。

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● 呑川(のみかわ)に架かる「八幡橋」を渡る、、、、現在の八幡橋は平成25年(2013)に架け替えられた。 以前の八幡橋は昭和15年(1960)に竣工した。 橋の北側には橋名となった「子安八幡神社」がある。、、、、浄化され年々綺麗になる呑川に、朱塗りの八幡橋が姿を映している!

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● 八幡橋の向かいに「子安八幡神社」がある、、、、子安八幡神社は北糀谷1にある。 応永年間(1394~1428)に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し創建したと伝えられる。 六郷用水を開拓した小泉次太夫吉次がその功績により慶長2年(1597)に当地を賜ると、幕末(江戸時代末)まで代々領主を勤めることとなった。 安永3年(1774)には時の領主である小泉藤三郎包教の武運長久を願って氏子らが石鳥居を当社に奉納しており、現在でも境内に文化財として残っている。、、、、正面の鳥居は平成24年(2012)に白木で新造された。

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● 子安八幡神社から北へ約500m、旧呑川の跡が緑地公園として残されている。 旧呑川に架かっていた昭和橋(昭和45年架橋)も残されてる。

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● 旧呑川緑地公園の昭和橋から道なりに北へ向かうと、真言宗智山派寺院の密乗院(大森中2)の前に出る。、、、、密乗院は、海光山大森寺と号し、真栄が約800年前の承久年間(1219~1222)に創建したと云われている。 江戸時代に寺領20石の御朱印状を拝領、大森の諸神社の別当時であった。 本尊は不動明王。、、、、立派な山門も備わった、清浄で美しい寺!


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● 国道131号(=産業道路)が国道15号(=第一京浜)にぶつかる大森警察署前に近づいた。 私は、西に折れ国道15号を横断し京浜急行本線の大森町駅から電車に乗る!
・・・・・・・・・・・・警察署近くの国道131号(=産業道路)

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・・・・・・・・・・・・警察署前の国道15号(=第一京浜)

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・・・・・・・・・・・・国道を横断すれば大森町駅(おおもりまちえき)、、、、明治34年(1901)2月1日、六郷橋~官設大森駅間開通時に開業。 創業100年超の駅の老舗!

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2020年9月30日 (水)

最古のトンネル

東急目黒線・東横線の多摩川駅から川向こうの新丸子駅までの散歩です。




● 「多摩川駅」は大田区田園調布にある東横線・目黒線・東急多摩川線の駅。 大正12年(1923)、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部)間を開業させたのと同時にできた駅。 大正15年(1926)には東横線の多摩川~神奈川間が開業、昭和2年(1927)には渋谷~多摩川間も開業した。、、、、現在の「多摩川駅」は、東横線と目黒線が使用する1~4番線ホームは高架島式2面4線構造。 外側を東横線、内側を目黒線が使用する。 東急多摩川線が使用する5・6番線ホームは地下1階で、島式1面2線構造。、、、、この駅は、4回の駅名改称で、開業時の駅名に戻った稀有な例だ! まず最初は、今と同じ「多摩川駅」として大正12年3月11日に開業した。 大正15年1月1日、僅か3年で「丸子多摩川駅」に改称。 その後近くに“多摩川遊園地”という遊園地が近くにできると、昭和6年(1931)1月1日「多摩川園前駅」に改称する。 さらに昭和52年(1977)12月26日には、“前”がなくなり「多摩川園駅」となる。 さてさて、それから1年半後には多摩川遊園地が閉園となり、“多摩川園”という施設が無くなった。 駅名はそのままで暫く続いたが、平成12年(2000)8月6日目蒲線の目黒線・東急多摩川線への分割とともに、“園”をとり駅名を再び「多摩川駅」に改称した。 

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● 多摩川駅の西側、多摩川沿いの丘陵地に約750メートルにわたって、広い区立公園「多摩川台公園」がある。 晴れた日には遠く丹沢の山並みや富士山を見ることができるらしい、今日は快晴だったが見えたのは対岸の高層ビルだけ。(先日、眼の手術をしたので、見えなくなったのかな?)

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・・・・・・・・・・・・この公園の敷地内には、昭和47年(1972)まで「調布浄水場」があった、その跡地は現公園の一部となり、大田区によって整備された。 沈殿池だったところには池を作り湿性植物を植え、濾過池だったところには四季の野草などが植えられている。

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・・・・・・・・・・・・高台の公園からは多摩川に架かる東横線・目黒線の橋梁が見える。

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● 多摩川台公園の舌状台地の先(南側)に東急の線路を挟んで、浅間神社古墳の上に建つ「多摩川浅間神社」がある。、、、、創建は鎌倉時代の文治年間(1185~1190)と伝えられる。 源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣した時、夫の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来た。 その時わらじの傷が痛んだため、この地で傷の治療をすることにして逗留した際に亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。 富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てたという。 それ以来、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったのが、この神社の起こりとされている。、、、、さすが“浅間神社”! 鳥居から社殿まで、富士登山にならい階段が続く登山道、年寄りには堪えるね! 現在の社殿は、昭和48年(1973)に完成した優美な浅間造り様式で、都内では唯一のもの。


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・・・・・・・・・境内から眺める多摩川。 右に東急(東横線・目黒線)の橋梁、左に丸子橋、対岸は新丸子・武蔵小杉の町。

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● 丸子橋をとおる中原街道(都道2号)の下(大田区田園調布本町)に、大田区最古のトンネルがある。 トンネル名は? 大きさは、幅:4m、高さ:3m、長さ:15m。、、、、中原街道のこの付近の道路指定が大正9年(1920)で、初代丸子橋の開通が昭和10年(1935)、トンネルは丸子橋の付け根にあることから、大正末期から昭和初期の間に造られたものと推定できそうだ。

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・・・・・・・・・・・・トンネルの中には、“東京府”時代のものと思われる、“東”をデザインしたマンホールがある。

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・・・・・・・・・・・・中原街道の下にトンネルを造り、道路を立体交差にしたのは、現在の狛江市で取水した多摩川の水を世田谷区・大田区に引き込む六郷用水を通すためと思われる。 トンネルの先には六郷用水が復元されている。、、、、綺麗な水の中をコイが泳いでる。

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● 東京都大田区田園調布本町と神奈川県川崎市中原区上丸子八幡町の間に架けられている橋が、二代目の丸子橋。 橋の上は片側2車線の中原街道が通っている。、、、、昭和初期までは中原街道には多摩川を渡る橋はなく、丸子の渡しと呼ばれる渡し舟が存在していた。 初代の丸子橋は、長さ400m程、鋼トラス式タイドアーチ橋3連 + 鉄筋コンクリート上路式アーチ橋10連の橋で、昭和9年(1934)に架けられたた。、、、、現在の丸子橋は二代目、初代のイメージを踏襲したデザインで、橋長405.6m、幅員25.0mの鋼ローゼ(2連)+3径間連続PC箱桁橋である。 平成12年(2000)5月に完成。 事業費142億円。(旧橋の工事費用は約52万円)、、、、PC桁とアーチで変化をつけたデザインが、橋の長さを感じさせない歩きやすい橋。 また、大きな橋に多い、大型車が通った時の揺れも少なく、臆病な私が不安を感じることがなかった橋。

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・・・・・・・・・・・・旧橋の親柱が残されてる。

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● 丸子橋を渡り川崎市に入る。 新丸子駅近くを通り過ぎ、チョイト先へ行くと「京浜伏見稲荷神社」があるので、お立ち寄り!、、、、初代宮司:冨澤冠受大人之命(とみざわかんじゅうしのみこと、1905~1978)が昭和26年(1951)に京都伏見稲荷の神示により創建したとされる。、、、、『こんなところにこんなすごい稲荷があるなんて! なぜだ!』と言いたくなる神社。 商売繁盛の神の御利益は、神自身が授かっているようだ、社殿は『日本最大級の九棟稲荷造り』と自慢するスゴイ建築。 

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● 散歩のお帰りは「新丸子駅」から。、、、、新丸子駅は、大正15年(1926)2月14日東横線に開業した。 現在は東横線・目黒線が乗り入れる高架駅。 ホームも島式ホーム2面4線で、東横線・目黒線それぞれが使用している。

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2020年9月 5日 (土)

切断された水門

今朝はモノレールに乗ってみたくなり、東京モノレール昭和島駅から西へ向かい京浜急行梅屋敷駅までの散歩となった。




● 東京モノレールは昭和39年(1964)9月に、浜松町駅~旧羽田空港駅間が開通する。 東京モノレールの車両基地は現:昭和島駅にあるが、当初は昭和島には駅は無かった。 昭和60年(1985)2月7日、昭和島駅が無人駅として開業する。 平成4年(1992)からは、全普通列車が停車するようにいなる。 現在は「普通」のみ停車、「空港快速」、「区間快速」は気持ちよく通過する。、、、、駅は当初、相対式2面2線の地上駅であったが、快速運行に合わせ待避線・追い越し線を兼ね島式ホーム2面4線に変更された。、、、、【注】昭和島は、大田区にある人工島で、同区の町名である。 昭和島一丁目及び昭和島二丁目がある。 人口は0人。

・・・・・・・・・・・・一日当たりの乗降客は6000人弱。 ホーム幅は狭く、ホーム上には自販機などは一切なし! 乗務員の交替も当駅で行われる。

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・・・・・・・・・・・・ホームの前後は車両基地だが、一般人は近づけない! ホーム横に止まっている車両を見るのみ。

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・・・・・・・・・・・・ホーム端から地下通路を通り出入り口に向かう。

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● 昭和島と運河を挟み向かいの大森東5丁目は、人道橋の「大森東避難橋」により結ばれている。 地元の住民はこの橋で昭和島駅へ向かう。 昭和47年(1972)架橋。 

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● 大森東避難橋を渡ると、すぐ横に呑川水門があったのだが? あれ、ゲートがない?、、、、なんと、鋼製のゲートを両サイドで支えていた鉄筋コンクリート製の支柱が見事に切断され、鋭利な刃物でスパッと切ったような綺麗な切断面が見えている。 ゲートはもちろん撤去され、水門の内側は船溜まりとして整備されていた。

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● 船溜まりの先には、呑川を埋め立て「旧呑川緑地公園」が整備されている。、、、、昭和30年代、東京オリンピックをむかえるため、東京湾の埋め立て・整備がはじまり、旧呑川も埋め立てがはじまった。 昭和50年代には旧呑川は完全に埋め立てられた。、、、、世田谷区から流れ東京湾に注ぐ呑川は、京急蒲田駅付近から東(東京湾)に一直線に流れ下る新呑川が造られた。 時は昭和10年代のことである。

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● 大森東4丁目にて・・・・・・
・・・・・・・・・・・・屋敷稲荷だったのか「朝田稲荷」。 境内には「朝田代々之霊」と標した墓石があった。

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・・・・・・・・・・・・昭和の香りが残る「〇〇〇荘」アパート、、、、この付近には多くの「〇〇〇荘」がある。
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三輪厳島神社は大田区大森東4にある神社です。 三輪厳島神社は、冶承4年(1180)源義経が平泉から鎌倉に向かう途次の船に乗船中強風により漂流、当地の社に護られたことを感謝して一宇となった。 当地には三輪神社が鎮座していたが、明治42年(1909)白山神社を合祀、昭和3年(1928)に現在の社務所の位置にあった厳島神社を合祀して三輪厳島神社とした。、、、、大森海苔の守護神として古来より伝わっているそうだ!


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● 産業道路を横断し、大森中2丁目に入ると、真言宗智山派寺院の密乗院がある。 密乗院は海光山大森寺と号し、約800年前に創建した。 江戸時代に寺領20石の御朱印状を拝領し、大森の諸神社の別当寺であった。 本尊は不動明王 、、、、瓦ぶき山門が出迎えてくれる、本堂は白壁が眩しい、スッキリした綺麗な建物である。 境内はよく整備された日本庭園のような落ち着く空間。

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● 明治34年(1901)2月1日に開業した梅屋敷駅。 開業当時は道路上の停留所であったが、今は、ホーム長113mの相対式ホーム2面2線を有する高架駅となった。 一日の乗降客は約1万5千人、普通列車のみ停車する、のんびりした駅である。

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2020年6月17日 (水)

大井の大仏

大仏”とは、その言葉どうり大きな仏様のことである。 もう少し判りやすい基準を探すと、釈迦の背丈が1丈6尺(約4.85m)あったということから、その高さで造られた仏像を丈六仏(じょうろくぶつ)と称し、丈六仏より大きい仏像を「大仏」というそうだ。 さらに、背丈を基準としているため坐像の場合は、約半分ほどの大きさ(約2.5m)になる。 でも、世の中には仏様を売り込み、参拝客を増やしたい坊さんもおり、丈六仏より小さくとも「大仏」と称する仏像もある。、、、、私が知る有名処の大仏は、奈良大仏(東大寺、14.7m)、鎌倉大仏(高徳院、11.39m)、東京大仏(乗蓮寺、8.2m)、鎌ケ谷大仏(1.8m)、越前大仏(清大寺、17.0m)、牛久大仏(牛久浄苑、100.0m)、飛鳥大仏(飛鳥寺、2.75m)など。 「〇〇大仏」と称する仏様は、全国で100箇所以上ある。

今日は、「大井の大仏(おおぼとけ)」と言われている如来寺の「五智如来」を拝観してきた。 都営浅草線馬込駅から、如来寺・山王草堂記念館・尾崎士郎記念館を巡り、JR大森駅まで、9千歩の散歩です。




●コロナは忘れた! ・・・・・・・環七通りと第二京浜が交差する松原橋交差点は、日本初の立体式交差点である。 その交差点、第二京浜の直下、環七通りに面して馬込駅の出入口がある。、、、、馬込駅は昭和43年(1968)11月15日に、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 ホームは島式1面2線構造で、地下2階にある。、、、、“コロナ禍”は終わり、忘れたように、通勤客が駅に吸い込まれていく。

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●五体の如来! ・・・・・・・馬込駅から東へ歩き、大田区と品川区の区境(品川区西大井5)に、天台宗の寺院、帰命山養玉院如来寺がある。 寺は、かつて上野(台東区)にあった養玉院と芝高輪(港区)にあった如来寺の2寺が大正12年(1923)に合併して成立した。、、、、如来寺は寛永年間(1624~1644)に木喰但唱が、芝高輪に創立した寺で、但唱の発起によって造立された五智如来が 安置されているところから、俗に高輪の大仏と呼ばれ、明治41年(1908)年に現在地に移転した。  養玉院は寛永12年(1635)に創立された、上野寛永寺の塔頭三明院がその前身で、開山として天海を迎えていますが、 寺を創立したのは天海の弟子賢海、二代目は賢海の弟子念海であります。 元禄11年(1698)に下谷坂本に移って養玉院と改めた。 大正12年(1923)如来寺と合併して、現在の場所に移った。、、、、昭和63年(1988)建立の山門は、通常閉ざされていて、脇に参詣路がある。 参詣路は緑が多く、一息つける。 本堂は、大正12年に下谷から移築した。 

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・・・・・・・・・・・・本堂の右に赤い如来堂の「瑞應殿(ずいおうでん)」がある。 ここに「大井の大仏(おおぼとけ)」である五智如来を祀っている。 堂の正面には、丈六の五体の如来像が、横一列に安置されている。 五智如来とは、大日如来を中尊とする五体の如来を総称した呼び名で、向って左から北方世界の釈迦如来、西方世界の阿弥陀如来、中央の大日如来の右隣が南方世界の宝生如来、そして右端に東方世界の薬師如来が並んでる。 厳かな尊容のうちに限りない慈悲の念を籠め、五体が並んでのお出迎えである、アリガタヤ! 五智とは五種の仏智ということで、深遠な密教教理に基づくもので、江戸時代には、広大無辺の仏智にすがり、さまざまの苦難から逃れようとする願望が、深い民間信仰となって世に広まった。 大日如来には万物を慈しむ太陽の功徳、薬師如来には医薬の功徳、宝生如来には福徳財宝・五穀豊穣の功徳、そして阿弥陀如来には往生極楽の功徳というように現世利益を願う信仰が強くなった。 “コロナ”の現世でも、願うことは同じようだ! 堂内に足を踏み入れると、荘厳な雰囲気に圧倒される。

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・・・・・・・・・・・・瑞應殿裏の墓地には、対馬厳原の藩主宗対馬守の墓所、高取藩藩主植村家の墓所もある。


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●広い公園、全部が居宅跡! ・・・・・・・如来寺から、東海道新幹線・横須賀線の高架下を抜け再び大田区に入る。 この辺は坂が多くアップ・ダウンが多い! 大田区山王1丁目の住宅地に「蘇峰公園」がある。 ここは、大正13年(1924)から昭和18年(1943)まで徳冨蘇峰が住んだ居宅跡である。 公園となった広い起伏ある敷地の片隅に、鉄筋コンクリート造の山王草堂記念館があり、蘇峰の旧宅「山王草堂」の2階部分と玄関部分が復元保存されている。 山王草堂の設計は黒田記念館などの作品が残る岡田信一郎らしい。、、、、館内には、近世日本国民史の原稿、弟の徳富蘆花の原稿、坪内逍遥や与謝野晶子などからの書簡蘇峰愛用の文房具や印鑑の類、勝海舟との親交の資料などが展示されている。、、、、7年ぶりに記念館に訪れてみたが、展示内容に変化なし! 何回訪れても、知らないことを知る、チャンス!

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●人生劇場の記念館! ・・・・・・・蘇峰公園から70m程歩くと「尾崎士郎記念館」もある。 こちらも7年ぶりの訪問だが、人影はない。、、、、作家:尾崎士郎が昭和29年(1954)山王に転居し、同39年(1964)2月19日に永眠するまで生活をした場所である。 建物は、昭和29年(1954)に建てられた居宅のうち書庫、客間、書斎を再現し、庭も整備して平成20年(2008)に記念館としてオープンした。 愛用した机や遺品などが展示されている。(建物内部に立ち入ることはできない)、、、、こちらは、平屋の住宅で“記念館”と知らされてなければ、通り過ぎてしまうと思うね!

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●チョイト汚れてきた! ・・・・・・・・多くの店舗が入居しているビルの地下からホームに出られる大森駅北口。 改札を入ると、大宮寄りのホーム端部に出られる。 昭和34年(1959)の北口開設から60年余り経過し、改札周辺・駅ビルなどそろそろリニューアルする時期だ!

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2020年1月19日 (日)

池上の山裾を行く

京急蒲田駅から、呑川沿いに歩き、池上本門寺の山裾を廻って西馬込駅まで、1万1千歩の散歩です。




●要塞のような駅! ・・・・・・・京急蒲田駅は京急本線と空港線の分岐駅であり、快速特急など優等列車の停車駅でもある。 私には、乗換でホームに立つことの多い駅であるが、改札の外に出ることは少ない駅である。 今日は、久しぶりに駅から出てみることにした。、、、、明治34年(1901)2月1日、まだJR蒲田駅の無い時、蒲田駅として開業した。 大正14年(1925)京浜蒲田駅に改称し、昭和62年(1987)京急蒲田駅に改称する。、、、、名は変わっても、駅は変わらず、特に空港線が横断する第一京浜(国道15号)の“開かずの踏切”では、慢性的な交通渋滞が発生していた。 そこで、平成12年(2000)に、京急蒲田駅周辺の高架化工事に着手し、平成24年(2012)10月21日の下り線高架化完成により、京急蒲田駅は全面高架化となる。、、、、駅は三層構造で最上層の3階は下りホーム、2階が上りホーム、1階が改札階となっている。しかし改札階は、外部とペデストリアンデッキでつながっており、実質2階にあるようだ。 また、駅の高さは24mで一般のビルの8階程、ホームの長さは389mでJR総武線浅草橋駅ホーム(260m、10両編成の電車が停車する)の約1.5倍ある。 

・・・・・・・・・・・・3階の下りホームで電車から降りる、、、、長~いホームが伸びている

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・・・・・・・・・・・・エスカレーターで2階の上りホームへ

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・・・・・・・・・・・・1階の改札口を出る、、、、広~いコンコース

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・・・・・・・・・・・・駅の出入口はペデストリアンデッキにつながる、、、、駅の壁が要塞のように伸びている

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●この道はいつか来た道! ・・・・・・今日も改札を出て、『さて、何処へ行こうか? どっちに歩くか?』、、、、駅構内の地図を見て、呑川(のみかわ)沿いに上流に向かって歩くことにした。、、、、呑川は世田谷区・目黒区と流れ、大岡山の東工大付近で暗渠から顔を出し、大田区の雪谷・池上・蒲田・仲糀谷と下り、羽田空港で東京湾に注ぐ二級河川。、、、、このルートで池上までは、2年前に散歩をしていた、私としたことが“後で気がつくてんかん病み”であった、ゴメン!
・・・・・・・・・・・・ホーム下を流れる呑川。 上流側に柳橋が架かっている。、、、、我が家の近く、神田川最下流に架かる柳橋の方が風情があるね!(大人げないが、なぜか勝った気分だ) 

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・・・・・・・・・・・・柳橋付近の呑み屋街「柳通り」は、まだ熟睡中。

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・・・・・・・・・・・・呑川を越えるJR東海道線・京浜東北線が見える。、、、、その線路をくぐり抜けるアンダーパスを見て、『あっ! ここ、いつぞや(?)歩いたことがある』 気がついた!

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・・・・・・・・・・・・アンダーパスを抜けた線路脇に、何やら機械設備が入るような小屋を建設中。 私の長年の感で、『あやしい小屋だ!』、、、、当たり、この小屋は生物が居ないと言われていた呑川を浄化するために、高濃度酸素水を川底に供給する施設を収納する建物であった。 設備の稼働は来年(2021)2月頃らしい。 うまく稼働し、呑川の水質改善が実現することを期待!

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・・・・・・・・・・・・大田区西蒲田の付近を流れる呑川には昭和50年代に完成したPCコンクリート桁の橋が架かっている。、、、、馬引橋・山野橋・太平橋・若宮橋・日蓮橋・上堰橋・一本橋など、どの橋も昭和55年~昭和58年頃に完成した橋だ! 景気の良い時に架けたのかな。

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・・・・・・・・・・・・池上通り(都道421号)をとおす堤方橋(つつみかたはし)に出た!、、、、橋上からは正面に池上本門寺のある小高い山が見え、呑川は山裾を左に曲がって遡る。(ここまでは、2年前に歩いたルートと同じ)

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●住宅地を歩く! ・・・・・・・・堤方橋で呑川に別れ、本門寺の山裾を北に廻り込むようにして、大田区中央と大田区池上の町の境になる道を、西馬込駅を目指して歩く。、、、、朽ちかけた土蔵のある家、チョイとモダンな洋館風のアパート、静かな落ち着いた住宅、、、、いずれも、住みやすそうな街を創っている。

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・・・・・・・・・・・・歩く先には貴船坂(きぶねさか)がある、、、、池上1丁目と中央5丁目の境、長さ200m程のやや急な坂。 坂名は、本門寺公園の中にあった東之院の貴船明神にちなむと言われてる。 東之院は本門寺の子院の一つで、貴船明神はその鬼門よけとして置かれていたが、明治初年の神仏分離令により同寺院と分離され、明治45年(1912)になって近くの太田神社(中央六丁目3番)に合祀された。、、、、チョイト、肺活量の少ない私にはキツイ! 池上の町を坂から眺めながら、ゆっくり上る。

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・・・・・・・・・・・・貴船坂を上がると、スグ下り坂となり東京都交通局の車両基地前をとおり馬込駅に出る。

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●国道の地下だ! ・・・・・・・西馬込駅都営地下鉄浅草線の起点駅で、駅の先(南側)には浅草線の車両基地である馬込車両検修場がある。、、、、昭和43年(1968)11月15日、都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地下駅。 駅は国道1号(第二京浜)の地下にある。 
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2020年1月10日 (金)

多摩川で若き頃を思い出す

出がけの夫婦の会話、『散歩してくる』 『何処へ?』 『まだ決めてない、駅まで歩きながら決める』 『それなら、京成か東武方面ね(浅草線押上方面)』 『なぜ?』 『京急方面(浅草線泉岳寺方面)は、銀座・新橋を通るから混んで座れないでしょ。押上へ行く電車はガラガラ』、、、、そうなんです、都営浅草線の浅草橋駅では泉岳寺方面行きは通勤客で満員、押上方面行きはスカスカのスカパーで、ホームに立つと、つい空いている押上方面行きの電車に乗ってしまうのです。、、、、ところがドッコイ、天の邪鬼の私、今日は満員の三崎口行きに乗ってしまった。 品川まで座れず、『何処で降りようか?』考えても、私の前に立つ女性がスマホを激しくいじり、『何してるんだ?』女性の手の動きが気にかかりイライラ、とうとう品川まで来てしまった。 車内は空いたので座り、女性はどこかにいなくなった。 これで、やっと心安らかに、自分が下車する駅を決められる。 車内アナウンス『次は京急蒲田、雑色、六郷土手はお乗り換え下さい』を聞いて、久しぶりに雑色で下車してみることにした。

雑色駅で下車してみたが、行く先は定まらず。 気の向くままに歩き、行った先は多摩川。 JR蒲田駅方面に方向転換し、再び気の向くままに歩き、着いた所はナント雑色駅。、、、、結局、雑色駅と多摩川土手の間を往復した、1万歩の散歩です。




●宮中の役人が居たのか? ・・・・・・・雑色駅明治34年(1901)2月1日に京浜電気鉄道の駅として六郷橋~官設大森間の開通と同時に開業した。 開通時は道路上の停留所であったが、その後、大正12年(1923)に新設軌道に変わり位置も変わった。 昭和54年(1979)には、ホームが延長され4両編成から6両編成用に改良された。 そして、平成22年(2010)~平成24年(2012)にかけ、駅の高架化が進められ現在の駅が完成した。、、、、駅名の「雑色(ぞうしき)」は鎌倉時代、宮中の雑役の役目をしていた職業のこと。 また、身分が低い者という意味もあるそうだ。 駅のある周辺はかつての地名:雑色村であった。 この地名は明治末期に六郷村(現在の仲六郷)に編入されたため、駅名に残るのみである。

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・・・・・・・・・・・・駅周辺は再開発事業が予定されていたためか、駅前は広く大きな空間が創られている。 ただ、再開発事業は現在中断されているようだ。

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・・・・・・・・・・・・駅前で、『どっちに歩くか?』思案橋。 駅前のアーケード街を見て、賑やかそうな方向(西側)に歩くことにした。

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●西六郷に入る! ・・・・・・・雑色駅から西へ歩き、JR東海道線の宮前踏切に出てきた。 踏切を越え、西六郷2丁目の町に入る。、、、、中高年の方は「西六郷少年少女合唱団」を思い出す人もいるでしょう。 NHKの「みんなのうた」で活躍した児童合唱団の地元。 合唱団は指導者の死去に伴い平成11年(1999)に解団した。 現在は、新しい合唱団が立ち上がり活躍されているそうだ! 

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●双子の寺と神社! ・・・・・・・・西六郷の裏道を歩くと、隣り合わせで「白山神社」と「薬王寺」があった。(西六郷2)

・・・・・・・・・・・・白山神社の創建年代は不詳。 正徳甲午年(1707)銘の手水石が残されていることや、隣りの別当寺:薬王寺が宥範法印(延宝5年1677年寂)により創建されていることから、薬王寺と共に創建されたものらしい。、、、、境内のウメは、近頃の陽気のせいか開花していた。

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・・・・・・・・・・・・白山神社の隣り、薬王寺は宝幢院末東輝山といい、開山は宥範で、延宝5年(1677)に寂しているから、その近年に創建されたものと思われる。 寺伝によると古川薬師安養寺の隠居寺といわれている。 昭和20年(1945)の戦災で本堂・庫裡焼失、昭和35年(1960)現本堂を完成した。、、、、境内には馬頭観音が祀られている。、、、、境内は綺麗に手入れされ、気持ち良い寺だ。  

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●街道のロマン! ・・・・・・西六郷の裏道をぶらつき、多摩川の土手が見えた。 土手の手前に、真言宗智山派寺院の医王山安養寺がある。 永禄11年(1568)頃、永伝法印が創建。 境内の薬師堂は行基(667~749)の創建と伝えられ、安養寺は、薬師堂(古川薬師)の別当寺を務めていた。 安養寺は江戸名所図絵にも画かれており、江戸時代当時は平間寺(川崎大師)、新田神社と共に江戸名所巡りの散策コースとして賑わったそうだ。  現在の安養寺本堂は、正徳5年(1715)の建築。 明冶末から大正の初めにかけて行われた多摩川の河川改修の結果、元の河川敷から現在地の西六郷に移転した。 また、それにともなって堂宇も移築された。、、、、大正の震災や、昭和の戦災による被害は少なく、火災による全焼はまぬがれた。

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・・・・・・・・・・・・安養寺の門前にある「古川薬師道 道標」、、、、延宝2年(1674)東海道筋の雑色から、多摩川道に入る分岐点に建てられた道しるべで、のち区画整理のため現在の安養寺(古川薬師)の門前に移された。 正面と両側面に、古川薬師への分かれ道であることを示す銘文が刻まれている。 道標正面には、上部に梵字のマークと「古川 藥師如來江之道 六郷之内古川村・別当安養寺」 右側面には「是よりふる川屋くし江のみち」、左の側面には「これより里ふ類かわやくしへ乃ミち」と彫られている。、、、、江戸時代の道筋にロマン感じさせる道標だ!
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●ゴルフの難しさを知った! ・・・・・・・安養寺から多摩川土手に上ってみた。 今から50年前、ピカピカの若い頃を思い出した!、、、、写真右端のマンションが建つ以前、そこは私が約半年間、ゼネコンの新人監督として現場で寝泊まりしていた懐かしい処である。 写真左端には、当時河川敷のゴルフ場があった。 毎朝、起きては朝食前に通ったが、サッパリ上達しないので、ゴルフはあきらめた! 川向こうは川崎市、ゴルフをあきらめボーリングに目覚め、川崎へ通った思い出の地。
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●戻ってきた! ・・・・・・・・多摩川土手に別れを告げてJR蒲田駅へ向かうつもりで歩いたが、どこかで足がもつれたか、蒲田駅に向かわず、雑色駅方向に歩いていた。、、、、西六郷小学校前を通り、都営西六郷一丁目アパートの横に出て、東海道線の踏切を越え、再び雑色の商店街を歩き、雑色駅に到着。

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