大田区

2021年12月 4日 (土)

夢見る白蛇

JR大森駅から、北の方角(山手線の駅に向かい)に歩いてみようと、裏通りを歩き都営浅草線の戸越駅まで、1万歩の散歩です。




大森駅から今日の散歩を始める、、、、今日は、どこか山手線の駅まで歩いてみようと思い、大森駅は山王北口から出ることにした。 出口はホーム北端の階段上にある。 池上通りに面する山王北口は、雑居ビルの入口のような構えで、またJR東日本のコーポレートカラーである緑の駅名表示がないので、駅入り口とは思えない。

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● 大森駅山王北口から250m程の処にある山王交番前交差点から北に入る裏通りがある。 交差点角には、明治・大正の政治家:井上馨の別荘地を譲り受けて開校した現在の「大田区立山王小学校」(大田区山王1)がある。 山王小学校には何度か来たが、地図を見ると、この小学校前の裏通りは大田区山王、品川区西大井の町を北に向かって伸びている。 何となく旧街道の雰囲気が漂う道だ『決めた! 今日はこの道を歩いてみよう!』、、、、ということで、この無名(?)の裏通りを道なりに歩いてみた。

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・・・・・・・・・・・・商店街として名があるわけではないが、道沿いにはシャレた店舗が点在し、大森駅へ向かう通行人も多そうだ!

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・・・・・・・・・・・・山王交番前から400m程歩くと、大田区山王から品川区西大井の町になる。 西大井に入ると、道幅はさらに狭くなるが、旧街道のような雰囲気は残ってる。 チョイト古びた家もある。

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・・・・・・・・・・・・西大井4丁目に入ると道幅も多少広く、車は交互通行可能となった。、、、、横道の奥に赤い鳥居が見えた。 昭和10年(1935)にこの地に祀られた「金子山稲荷神社」という小さな神社。 地元の文化財。

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・・・・・・・・・・・・道の先には東海道新幹線の高架橋が見える。 新幹線の下では、切通しの中を横須賀線が走る。 頭上に新幹線、足下に横須賀線の三重構造。 その切通しに架かる「金子跨線橋」を渡ると西大井5丁目。、、、、おそらく、この跨線橋は昭和39年(1964)の東海道新幹線開通以前に架け替えられたものと思われる。

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・・・・・・・・・・・・新幹線の下をぬけ200m程歩くと、「品川区立伊藤小学校」がある、、、、明治の元勲である伊藤博文は、晩年、現在の西大井付近に居住し、別邸・墓所も近くにあったことから、町名を「大井伊藤町」とした。 その伊藤町に昭和11年(1936)に開校した小学校で、東京市伊藤尋常小学校と命名された。 大井伊藤町の町名は昭和39年(1964)に西大井となる。、、、、地名として、“西大井”より“伊藤”の方が歴史を感じる、復活できるといいね!

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・・・・・・・・・・・・伊藤小学校の先、西大井5丁目で歩いてきた裏通りはT字路にぶつかり、『道なりに』はココまで!

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● 西大井の町から進路を北へ! 品川区二葉の町に入ると「蛇窪神社(天祖神社)」の前に出た。、、、、私の大嫌いな“ヘビ”の神社。 寄って行こうか、素通りするか、決断の時が来た! 神社の前で躊躇すると、若い娘が二人鳥居をくぐる。 これで決まり、寄って行こう!、、、、蛇窪天祖神社は、文永8年(1272)以降、当地蛇窪村を開拓した北条四朗左近太夫陸奥守重時五男の時千代の家臣が、元享2年(1322)の旱魃時の雨乞祈願による降雨を感謝し、蛇窪村の鎮守として創建された。 江戸期に入り、蛇窪村は上蛇窪村と下蛇窪村は分村したが、当社は上蛇窪村の鎮守となり、下蛇窪村には下神明天祖神社が創建された。

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・・・・・・・・・・・・撫で撫でしたくない「撫で白蛇」 これを撫でたら、今夜夢見る気がした、怖いのでやめておく!、、、、この他に、白蛇清水の銭洗い所、境内社の蛇窪龍神社、白蛇弁財天社など、ヘビ尽くし。 コリャ、本格的に夢見るかもね?

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● 早々に蛇窪神社の参拝を終え、裏通りを北へ向かうと、戸越6丁目に「子育て地蔵」という地蔵様を祀ったお堂がある。 昭和初期までは、この地蔵様は今の処より少し南にあり「首なし地蔵」と呼ばれていた。、、、、江戸時代から明治時代にかけて、この地蔵様は願かけ地蔵として評判を呼び、願いをかける人が地蔵様の首を畑のあぜに転がしたり、ときには胴体も倒し、願がかなったときに元通りにするという、変わった風習があった。 ところが、願掛けしたが叶わなかったためしばらく首がない状態が続いた。 大正末期になって、地蔵様の熱心な信者だった目黒の植木職人が、「このままでは、地蔵様がかわいそうだ」と他の首をつけた。 その後、願かけのために首を外す習わしはなくなり、今では子育て地蔵として慕われている。

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● 東急大井町線の戸越公園4号踏切を越える、、、、戸越公園付近では、鉄道の立体化が求められており、都・区などで基本計画がまとめられているそうだ。

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国道1号の地下に都営浅草線「戸越駅」がある。、、、戸越駅は、昭和43年(1968)11月15日都営1号線(現:浅草線)の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。、、、、近くに有名な戸越銀座商店街があるが、駅は商店街とは無縁なのかあまりパッとしない造りである。

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2021年11月28日 (日)

入三通り

平和島駅からどちらに歩こうか? 地図を見てると、駅の北側から西に向かって「入三通り(いりさんとおり)」という道がある。 その道を道なりに西へ向かうと、東海道本線を越えて、大田区山王の善慶寺にぶつかる。 何やら超長い参道のような感じがするので、『決めた、この道を歩いてみよう!』

・・・・・ということで、今日の散歩は平和島駅から、入三通りを通り抜けて、善慶寺に参り、その後は山王3丁目を抜けて大森駅までの1万歩の歩きです。




● 日曜の朝、チョイ寒の「平和島駅」で下車する。、、、、寒い日は、コロナ予防のマスクが、北風除けとなり防寒に役立つ、重宝するね!

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● 平和島駅の北側、第一京浜(=国道15号)に面して「大森神社」(大田区大森北6)が鎮座する。 祭神の久久能智命(くくのちのみこと)は関東圏では珍しい木の神である。 チョックラ、手を合わせて行く!、、、、天正年間の創建と伝えられている。 当時この辺りは海辺であり、里人達は漁業をもって生活をしていた。 ある時黄金色に輝く像が岸辺に流れつき里人達は畏れて沖へ流すこと三度に及んだが元の場所に寄り来たるので社を建てて、この像を祀ったのが当社の起源といわれている。 そのため、この社を寄来神社と称したそうだ。 昭和7年に大森神社と改称した。 社殿は東京大空襲で焼失し、昭和38年(1963)に再建した。

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● 平和島駅から北へ約350m、第一京浜の大森スポーツセンター前交差点が「入三通り」の東端である。 入三通りの西端はJR東海道本線を越える山谷道踏切と思われる。 そして、入三通りは東端から西端までが現在の大田区大森北に属する。 その“大森北”の町は、昭和39年住居表示以前の“入新井”と“新井宿”の町を合わせたものである。 私の推定では、“入三”とは“入新井三丁目”の略称と思われる。、、、、今日は、東端の大森スポーツセンター前交差点から、西端のJR東海道線本線の山谷道踏切まで、入三通りをぶっ通して歩いてみた。

・・・・・・・・・・・・入三通りの東端:第一京浜の大森スポーツセンター前交差点。、、、、2枚目の写真の中央の狭い通りが「入三通り」

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・・・・・・・・・・・・入三通りは京浜急行本線のガードを抜ける、、、、人も車も写らない、交通量の少ない(?)道幅の狭い通り

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・・・・・・・・・・・・入三通り沿いに祀られている穀豊稲荷神社。 町会会館と併設され、綺麗な社となった稲荷。、、、、町会の名は「入新井二丁目北町会

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・・・・・・・・・・・・入三通りに面する「入新井第五小学校」、、、、地名では無くなった“入新井”だが、校名で残っていた。

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・・・・・・・・・・・・『ありました! “
銀座”です!』 ウインドショッピングしたくともウインドのない「入三銀座商店街

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・・・・・・・・・・・・入三通りは幹線道路の「沢田通り」を横切りさらに西へ伸びる。、、、、入三銀座商店街はココまで!、、、、この交差点名は「入三通り入口」 交差点の東西両側に“入三”の商店街がある、この“入口”はどちらの商店街の入口だ!

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・・・・・・・・・・・・沢田通りを越えると、「入三商店街」となる。 “銀座”が無くなった! ショッピングする店舗も無い!

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・・・・・・・・・・・・入三通りの西端と思われるJR東海道本線の山谷道踏切。、、、、入三商店街はココまで! 入三通りと称するのもココまでか?

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・・・・・・・・・・・・入三通りの先は無名の通りで、大森郵便局の脇で池上通りに出る。、、、、平和島からココまで、ほぼ西に向かって道なりに一直線! 

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● 大森郵便局前に「新井宿義民六人衆霊場参道」と書かれた灯篭に迎えられ、善慶寺山門に向かう通りが続く。

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・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の「善慶寺」は、法光山と号し、天正年間(1573~1592)に開創した。 正応4年(1291)、当地の増田三郎右衛門が善慶寺を創建、以来身延山末であったが、12世日好の代に品川本光寺末となった。 現本堂は昭和5年(1930)に建立された。、、、、都内では珍しく寺にはほたるが自生しているとのこと、一般公開もしているらしい。 境内は綺麗に手入れされている。

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・・・・・・・・・・・・境内の墓地には「新井宿義民六人衆の墓」がある、、、、新井宿村の農民は、延宝年間(1673~1681)に領主木原氏の厳しい年貢の取立てに耐えかねて、村役人6人が直訴することを計画した。しかし事前に領主に知られ、延宝5年(1677)6人全員が斬罪に処せられた。 しかしその結果、年貢は半減され、6人は義民として当寺境内の墓所に葬られた。 

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・・・・・・・・・・・・善慶寺本堂脇に鳥居がある。 鳥居の後ろは裏山となっており、その上には「熊野神社」がある。 かつて善慶寺は熊野神社の別当であった。、、、、善慶寺の山門が熊野神社の表参道となっているのだ!、、、、現社殿は昭和44年(1969)に鉄筋コンクリート造で改築された。

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・・・・・・・・・・・・熊野神社は高台に位置し、神社裏手から
山王3丁目の住宅地を歩く。

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山王の住宅地を抜けて「大森駅西口」に出た。 今日の散歩はココまで!

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2021年11月27日 (土)

寺のない墓地

京浜急行雑色駅からスタートし、西糀谷、北糀谷の町を抜け、大森町駅へ。 まだ、体力が残っていたので、もう一駅、平和島駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 朝7時半、京浜急行本線「雑色駅」に到着。 空気は冷たく、身体も冷える、そろそろ股引を穿くかな! 今日の散歩は、ここから糀谷駅付近で京急空港線を横切り、都心に向かい北の方角に歩いてみることにした。

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● 第一京浜(=国道15号)を横切り、東六郷の町に入る。 中小工場が点在する住宅地の中、裏通りを歩く。 

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・・・・・・・・・・・・『アッ、ここは七辻(ななつじ)だ!』 南蒲田2丁目30番10号・萩中1丁目1番19号・荻中1丁目14番31号・東六郷1丁目9番5号・東六郷1丁目10番7号・東六郷1丁目16番10号・南六郷1丁目1番4号の接する7差路。 言うまでもなく7本の道が1ヶ所で交差する珍しい処だ。 どの道も道幅は狭いが、それなりの交通量はある、しかも信号はない。、、、辻の角に、七辻の由来が書かれてる。 この辺りは、昔六郷村といって、田畑の中に畔道が通っていて、荷車が通れるような道は1本だけだった。 大正6年(1917)に始まった耕地整理で、畔道を残した上に幹道を作ったので、現在のような7差路となったそうだ。、、、、ここを通る人は、それぞれがゆずり合い信号は必要がないらしい。、、、、パノラマ写真で撮ってみたが、7本の道路判るかな?

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・・・・・・・・・・・・七辻から東に裏道を歩くと、糀谷商店街を過ぎた処に「新宿東児童公園(荻中2-4)」があり、そこに「白瀬中尉の旧居跡」の案内板がある。、、、、白瀬轟(1861~1946)陸軍中尉は秋田県で生まれ、明治時代に活躍した世界的な探険家、昭和初期の数年間、この地に在住した。 彼は最初、北極探検を志し、明治26年(1893)郡司成忠を隊長とする千島調査探検隊に参加したが、アメリカ人ピアリーが先に北極点に到達したため、目標を前人未踏の南極に変更した。 明治43年、白瀬隊長は26名の隊員とともに、開南丸で南極点をめざし、東京を出航した。 一度は氷にはばまれ挫折したが、明治45年(1912)1月、南極大陸上陸に成功した。 南極点到達は果たしえなかったが、彼らの命名した「大和雪原」「開南湾」などは、現在も世界の地図に用いられている。、、、、北極点がダメなら南極点とは、ものすごい目標変更だ!

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● 「白瀬中尉の旧居跡」がある公園の北側には環八通りが東西にとおり、さらにその北側には平行して京浜急行空港線(糀谷~大鳥居間)が走っている。、、、、線路の向こうには、「神明大神宮」なる宗教団体の本宮の建物がデーンと構えてる。

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● 踏切から、西糀谷の町を南北に貫くように北へ向かうと、呑川(のみかわ)にぶつかる。 呑川に架かる「八幡橋」を渡ると正面には「子安八幡神社」がある。、、、、呑川の北側は北糀谷である。

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● 子安八幡神社で手を合わせた後は、再び神社脇の裏通りに入り、北糀谷、大森中の町を北上し、第一京浜(=国道15号)の「森大町駅入口交差点」まで歩く。

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・・・・・・・・・・・・神社脇の通りに入ると、民家の裏(北糀谷1-23)の空き地に墓石が並んでいる。 この地“下袋(現:北糀谷一帯)”には六郷用水を開削した小泉次太夫吉次(1529~1623)の末孫が菩提寺とした日蓮宗の円龍寺があった。 しかし、同寺が幕府禁制の不受布施派に属したことから廃寺となり、その跡には小泉家の末孫たちの29基の供養碑が残るだけとなった。 なお、次太夫夫妻は川崎市川崎区宮前妙遠寺に葬られているそうだ。、、、、ここは「廃寺円龍寺墓地」である。 現在は誰が維持・管理しているのやら? 

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京浜急行「大森町に到着。 『まだ歩く体力が残っている! もうチョイ歩くか!』という気分で、隣の平和島駅まで高架沿いに歩いた。 “散歩のおまけ”だ!

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● 京浜急行「平和島駅」まで歩いた。 平和島駅は明治34年(1901)2月1日に沢田駅として開業。 開業後すぐ(時期不明)に学校裏駅に改称し、さらに昭和36年(1961)平和島駅に改称した。、、、、ビックファン平和島(レジャーランド平和島)の最寄り駅。 中高年には懐かしい「天然温泉平和島」もある。

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2021年11月23日 (火)

池上から雑色へ

池上線池上駅から多摩川線矢口渡駅をとおり、東海道本線を越えて、京浜急行雑色駅まで、1万1千歩の散歩です。




東急池上線「池上駅が今日の出発地。 駅前で『さて、本門寺に行こうか? 大森方面に歩くか? 多摩川の方に向かうか? それとも洗足池に戻ろうか?』 悩み悩んだ結果『ここからは歩いた記憶がない、多摩川方面に歩いてみよう!』

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・・・・・・・・・・・・池上駅脇の踏切で、緑一色にリバイバル塗装した1000系車両に遭遇、、、、懐かしさを感じる鉄道マニアも多いのだろう!

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・・・・・・・・・・・・踏切を渡ると「池上南口商店会」がある。 バス通りに、コンビニ、医院、塾、居酒屋、不動産屋など50店舗ほどが点在している。 日用雑貨、総菜、魚屋などは無く“商店”とは言えない、ここは“商店”だった!

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● 私の興味を引くような店もない商店会から裏道に入ると、白い建物の「池上ルーテル教会」(大田区池上6)があった。、、、、この聖堂は昭和64年(1989)に建て替えられたそうだ、純白のシンプルな建物で私の興味を引き付け、内部を拝見したくなった。 『ドアは施錠されてる!』時刻は8時、まだ牧師さんは熟睡中(?) 

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● 教会の次はお寺である、池上7丁目、曹洞宗の「大乗山曹禅寺」、、、、曹禅寺は、昭和7年(1932)、矢口町に教会を開設、牛込白銀町にあった盛高院の寺号を継いで昭和14年(1939)創建した。 昭和に創建した、新しい寺!

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● 15店舗程の小さな「安方商店街」を抜けると東急多摩川線「矢口渡駅やぐちのわたしえき )」に出る。

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・・・・・・・・・・・・矢口渡駅は東急多摩川線の停車場。 大正12年(1923)11月1日の目蒲線全通時に開業した。、、、、ホームは地上相対式2面2線で、上下ホームは完全分離されているため行き来ができない、また駅舎は上下線にそれぞれある。 三角屋根の木造駅舎は風情あるね!、、、、駅名は昭和24年(1949)まで当駅近くに存在した多摩川の渡し船の一つである「矢口の渡し」に由来する。 ♪♪ 夕暮れの 雨が降る 矢切の渡し ♪♪は葛飾区柴又の江戸川にある、間違えないように!

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● 矢口渡駅の蒲田寄りに踏切がある、この踏切の脇に一方通行の裏道があった。 多摩川に方面に歩くのを止めて、この裏道を歩いてみることにした。、、、、道の線形、道幅、両側の家並みを見ていると、かつての用水路を暗渠化した道路のようだ! 行ける処まで行ってみよう!、、、、大田区西六郷の「大田西六郷郵便局」の前で、バス通りに合流!

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・・・・・・・・・・・・途中で国旗を掲げる家を見る、『今日は勤労感謝の日、チョイト前までは新嘗祭、何だか国旗が懐かしいものに見える』 今、祝日に国旗を出す家は少なくなった、チョイト寂しいね!

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● 西六郷1丁目を右へ左へ歩き、JR東海道本線の「雑色踏切」に出る。、、、、東海道本線(上野東京ラインも)に京浜東北線、4本の線路に引っ切り無しに電車が通る。 爺さん婆さん渡るの怖い、自転車乗る人イライラ愚痴る、スマホ姉ちゃん知らん顔、電車に手を振る三歳児。

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・・・・・・・・・・・・雑色踏切を渡ると「雑色商店街」が京急雑色駅まで続く、、、、雑色商店街は戦後の昭和23年(1948)に設立した、現在でも個人商店が残る元気な下町商店街。

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● 京浜急行本線「雑色駅」から帰宅

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2021年11月14日 (日)

荏原病院通り

池上線洗足池駅から荏原通りを歩いて上池上へ、上池上から呑川沿いに歩き国道1号(=第二京浜)に出て池上線池上駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 朝7時50分、池上線「洗足池駅」で下車する。 日曜の朝なので乗降客は少ないようだ。 コロナの影響も薄れ、行楽姿の人もいる。、、、、電車を待つ客の中に『洗足池駅の真下にリニア中央新幹線が通るのを知ってる人は何人いるのかな?』と、一人で思う。 駅の西側200m程の処に、仮囲いがありそこがリニアの「第一首都圏トンネル:東雪谷非常口」の工事現場だ。 洗足池駅が陥没しないよう、工事の安全を祈るばかり。

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● 洗足池駅と西隣りの石川台駅の中間地点付近で、池上線に平行する中原街道(国道2号)から分岐する「荏原病院通り」がある。 その名のごとく、都立荏原病院前を南東に伸びて、「東雪谷五丁目交差点」で学研通りと合流する。、、、、この道を歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・中原街道から分岐する「荏原病院通り」、、、、写真を左右に横切るのが中原街道。 歩道橋の下から手前に伸びる通りが荏原病院通り。

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・・・・・・・・・・・・池上線は荏原病院通りの下を切通しで抜ける。、、、、ここの架かる橋が「笹丸橋」で、昭和2年(1927)に架けられた鋼製アーチ橋。 大田区が管理する最も古い橋である。 橋名の“笹丸”は、かつてのこの周辺の字名である。、、、、絵になる橋だ!

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・・・・・・・・・・・・笹丸橋から荏原病院前をとおり池雪小学校前あたりまでの「荏原病院通り」は、バスも救急車も通る尾根道となっており、通りの左右は下り坂となっている。 右へ下る坂の先には川崎(武蔵小杉?)のタワーマンションが見える。 左へ下る坂の先は何処だか判らないが、品川区戸越方面と思われる。

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・・・・・・・・・・・・荏原病院の手前、「
東中」バス停の前に、「北向庚申」とよばれる小堂があり、庚申塔と供養塔が祀られている。、、、、右側の題目供養塔は天和3年(1683)の造立。 舟形に釈迦如来像を陽刻し、雪谷村一結25人、読唱記念と書かれている。 釈迦如来像の脇には「南無妙法蓮華経南無釈迦如来」「奉唱満首題壱千部成就問題」とある。 左側の庚申塔は、駒型で享保14年(1729)の造立。 これが北向庚申である。、、、、この尾根道は中原街道から池上本門寺に至る主要道であることから、石仏も多く祀られていたらしい。

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・・・・・・・・・・・・大田区東雪谷にある「荏原病院」は、町のランドマークである。、、、、昭和9年(1934)現在地に東京市立荏原病院として診療開始。 昭和18年には東京都立荏原病院と改称。 昭和33年(1958)に総合病院となる。 現在は23の診療科、461の病床を有する総合病院。 只今、コロナで大活躍!

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・・・・・・・・・・・・荏原病院通りの尾根から下る途中に「池雪(ちせつ)小学校」がある。、、、、明治11年(1878)に公立池雪小学校として児童数98名をもって開校。 140年以上の歴史を有する学校だ!

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・・・・・・・・・・・・荏原病院通りが学研通りと一体になる「東雪谷5丁目交差点」の角に、日蓮宗寺院「
雪谷山 長慶寺」がある。 長慶寺は、十法院日親(慶長3年1598年寂)が開山となり碑文谷に創建、後に当地へ移転した。 池上本門寺の末寺。、、、、現在の本堂・庫裏は昭和31年(1956)に再建されたもの。、、、、庫裏の奥に庭園があるそうだが、見ることはできなかった、残念!

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・・・・・・・・・・・・「荏原病院通り」はここまで!




● 東雪谷2丁目交差点から100m程南に東海道新幹線のガードがある。 このガードを抜けると、東雪谷から仲池上の町となる。、、、、ガード下のバス停は「上池上」、上から読んでも下から読んでも上池上。、、、、“上池上”という地名は現存せず、大田区“上池台”となっている町の南側(新幹線側)を“上池上”と呼ぶそうだ。

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● 仲池上の子安八幡神社」、「林昌寺に立ち寄る。 子安八幡神社は社殿を新築中。 

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● 仲池上から呑川沿いに歩き池上線「池上駅」へ、、、、池上駅は大正11年(1922)10月6日、池上電気鉄道の開通とともに開業。 当時は主に池上本門寺への参拝客のための鉄道として運営していた。 令和2年(2020)には、新しく建て替えられた橋上駅舎が供用開始となり、翌令和3年(2021)の春から駅ビル:商業施設「etomo池上」がオープンした。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅であるが、駅ビル2階の改札から1階のホームに下りる。、、、さすが、今年オープンした駅ビルはピッカピッカ! 下町:帝釈天の柴又駅に似た雰囲気だった旧駅は完全に消え去り、山の手の雰囲気漂うオシャレナ駅に変わった。 駅ビルの中に、本門寺門前のくず餅屋があるか探してみたが無し。 ケーキ屋、コーヒーショップなどが店を構え、参拝客の駅から若者の駅に変身!

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2021年11月11日 (木)

海舟のお気に入り

今日は、東急目黒線武蔵小山駅から歩き始める。 行きついた先は、東急池上線の洗足池駅。 ココまで、1万2千歩の散歩です。




● 目黒線の「武蔵小山駅」は、大正12年(1923)3月11日に、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(沼部駅)間を開業させた時に小山駅として同時開業した。 大正13年(1924)に武蔵小山駅に改称。 平成18年(2006)に地下化し、平成22年(2010)に駅ビルが開業。 島式ホーム2面4線を有する地下駅。、、、、駅名は地名に由来する。 近隣の小山八幡神社にちなんで、開業当初は「小山」だったが、同名駅がすでに東北本線に設置されていたため、旧国名“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」となった。、、、、すれ違う通勤通学客を見ていると、下町の駅とは違う雰囲気を感じる。 特に女性は、チョイト、美しさを感じる!

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● 駅前のロータリーに出て、『さて、どっちに向かって歩こうか?』 とりあえず、人が流れて来る駅前の商店街を歩くことにした。、、、、駅の南側から南東方向に伸びる「武蔵小山商店街(パルム)」は、かつて「東洋一のアーケード街」と謳われたそうだ。 約800mのアーケードには約200軒の店舗が並び、日中は相当のにぎわいらしい。 今日は、まだ朝8時前、商店街を駅に向かって歩く人は多いが、開いている店は少なく、多くはシャッターが下りている。 見るべきものもない商店街は歩いていてもつまらない。 商店街中程から、横道にそれた。

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● 武蔵小山商店街から右(南西方向)に折れると「栄通り」の表示がある“商店街”とは言いづらい道があった。 こちらの通りの方が自分の性に合っている。 『ヨシ、この道を道なりに行けるとこまで行ってみよう!』、、、、品川区荏原の町を、4丁目、5丁目、6丁目と貫いている裏通り。 最後はチョイト旗の台1丁目に首を突っ込んで中原街道(都道2号)で終点となった。 「栄通り」の表示は4丁目部分だけであった。

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・・・・・・・・・・・・旗の台1丁目、中原街道(都道2号)に出る処(昭和大病院前交差点)に庚申供養塔と札場の跡がある。

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・・・・・・・・・・・・「旗の台一丁目石造庚申供養塔」は案内板によると、『中原街道から分かれて小山に至る旧道の分岐点にあり、寛文五年(1665)旧中延村の庚申講中が造立したもので、区内現存の庚申塔50基のうち3番目に古い。中央に「南無妙法蓮華経」の髭題目を彫り、その下に石塔を造立した7名の氏名が刻まれている。本塔は高さ92cm、板碑型で材質は安山岩、向かって右上部に一部欠損がみられるが、保存状態は概して良好である。日蓮宗の影響か、青面金剛、三猿、日月が彫られていない文字塔として特色がある。全村のほとんどが日蓮宗といわれる中延村に、日蓮宗の僧が指導したと思われる庚申講の存在を示す資料として貴重である。  平成13年3月30日  品川区教育委員会 』と記されている。

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・・・・・・・・・・・・庚申塔と旧道を挟み向かい側に、ズングリムックリした形の「札場の跡」がある。 ここは昔、高札場だったところで、石碑が据えられてる。 中原街道沿いの、この辺りは江戸時代から大正時代まで「札場」と呼ばれていた。 高札場は、江戸時代、幕府や領主が法度(法令・禁令)などを立て札に書いて掲示した場所だ。、、、、今は交通量の多い中原街道沿いに、ひっそりと静かに立つ石碑に、家康が行き来していた時代の歴史を感じる。

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● 中原街道を歩き「旗の台交差点」を過ぎ、坂を上がった右手に「日本聖公会三光教会」がある。 三光教会は、大正元年(1912)11月2日芝白金三光町の地で、聖ステパノ教会、聖十字教会、喜望教会の三つの教会が合同、一つの教会として誕生した。 「三光」という名前は「白金三光町で生まれた教会」という意味に加え、三つの教会が合同した教会ということにも由来しているそうだ。 昭和15年(1940)に現在の品川区旗の台に移った直後、戦火により礼拝堂は焼失した。 昭和29年(1954)に礼拝堂は再建。 平成22年(2010)に入口部分を残して建て替えが行われ、三廊式の礼拝堂として献堂された。 100年以上に至る歴史ある教会。、、、、教会の隣りには中高一貫の女学校「香蘭女学校」がある。 香蘭女学校は、英国聖公会主教により創られ、伝統をもつミッションスクール。 キリスト教信仰に基づいた女子教育を旨とし、三光教会とは親戚ともいえる学校です。、、、、残念ながら香蘭女学校には入れなかったが、教会には入れてもらえた。 厳粛だが、新しさっも感じることができる、歴史ある教会。

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● 中原街道を歩き、東急大井町線の「中原架道橋」をくぐり、環七通りと交差する「長原陸橋」をくぐると、品川区から大田区に入ったことになる。

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● 洗足池公園の一角に、勝海舟夫妻の墓所、南洲留魂詩碑、勝海舟記念館があるので、チョイトお立ち寄り。

・・・・・・・・・・・・洗足池公園は、大田区南千束にある洗足池を囲む区立公園。 洗足池は、 武蔵野台地の末端の湧水をせきとめた池で、 昔は灌漑用水としても利用された。 江戸時代には、初代広重の浮世絵「名所江戸百景」に描かれるなど、江戸近郊における景勝地として知られていたそうだ。 昭和3年(1928)に池上線が開通すると、公園として整備された。

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・・・・・・・・・・・・勝海舟は池上本門寺に本陣を置いた西郷隆盛をしばしば訪ね、国の将来などについて語り合ったそうだ。 その時の洗足池の風光が大層お気に入りとなり、池の畔に別荘を建て「洗足軒」と呼んだ。 さらに、この地を自身の埋葬地と定めたそうだ。 「勝海舟夫妻の墓」は海舟の遺言によって建てられた。、、、、勝海舟は明治32年1月19日に死去。

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・・・・・・・・・・・・海舟の墓の隣りには、西郷隆盛(南洲)を悼み、表面に西郷の作詩を、裏面に勝海舟の西郷への述懐が刻まれている石碑「南洲留魂詩碑」がある。 明治12年(1879)、勝海舟が自費で南葛飾群木下川の浄光寺に建立した石碑。 大正2年(1913)荒川放水路の開鑿工事があり、碑祠のある浄光寺が河川敷になるに及んで現在地に移した。、、、、風化したのか読みにくい!

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・・・・・・・・・・・・南洲留魂詩碑の隣りには、昭和12年(1937)に数名の有志が計画し、海舟を師と仰ぐ徳富蘇峰に詩を書いてもらい建立した「南洲海舟両雄詠嘆之詩碑」がある。、、、、こちらは、文字の判読はできたが、内容は? 漢詩は難しい!

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・・・・・・・・・・・・勝海舟の墓の近くには、海舟没後その海舟に関する資料などを収集・閲覧・講演する目的で、(財)清明会が昭和8年(1933)に建てた「清明文庫」の建物がある。 正面玄関から立ち上がる4本のネオゴシックスタイルの柱型やアール・デコ調の建具などに特色がある、国の登録文化財。、、、、大田区は鳳凰閣(旧清明文庫)を勝海舟記念館として整備し、公開している。 海舟ファンにとっては必見の場所!

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● 洗足池公園の前(南側)に中原街道を挟んで、東急池上線の洗足池駅がある。

・・・・・・・・・・・・洗足池駅に行く前に、チョイトお立ち寄り。 駅の横50m程の処に、東京で一番低い桁高(?)のガードがある。 車はもちろん通れない、人間は腰を曲げて頭を下げて通るだけ。 桁高は1.5~1.6mぐらいか。路面は砂利。

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・・・・・・・・・・・・「洗足池駅」は昭和2年(1927)8月、池上電気鉄道洗足池駅として開業。 ホームは高架相対式2面2線構造。、、、、昭和の匂いが残る駅。

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2021年6月27日 (日)

馬込の縦走路

西馬込駅から、北に向かい東海道新幹線を跨ぎ、上池台と中馬込の町の境を北へ向かい、環七通りを横切り、旗の台を抜け、東急池上線の荏原中延駅まで、9千歩の散歩です。




● 日曜の朝8時前、コロナの心配は無用なガラ空きの電車が終点「西馬込」に到着。 今日の散歩はここから歩いてみよう!、、、、駅前の通りは国道1号線(=第二京浜国道)、交通量は案外少ない!

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● 特に行く宛のない散歩なので、国道1号線の西側に向かう裏道に入る。 道はさっそく上り坂となる。 坂を上り馬込西公園の辺りで道は平らになった。 公園は斜面に造られており、自分がいるのは斜面の上部。 ここから、公園の先の住宅の裏側に「馬込給水塔」の丸い屋根が2個見える。

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● 給水塔の屋根を左手に見ながら、公園上部の道を行くと、小さな十字路がある。 右へ向かうと下り坂、左へ向かうと下り坂、『そうか! この道は西馬込の尾根だ!』 この道(写真中央)を境に、右は西馬込1丁目、左は西馬込2丁目。 左右どちらに曲がっても、下り坂だが、せっかく上った坂なので下りたくない、道なりに真直ぐ歩くことにした。、、、、この時点で、今日の散歩は『この尾根を、道なりに歩く』ことにした。 “馬込の縦走路”(勝手に命名!)

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● “馬込の縦走路”は、東海道新幹線・横須賀線を跨ぐ「大谷橋」に出た。 この橋を渡ると中馬込3丁目に入る。、、、、この辺りは、マンション、戸建て住宅が並ぶ住宅地。(お金持ちも住んでいるかも?)

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● 中馬込3丁目に入り、“馬込の縦走路”はまだまだ続く! 大谷橋から700m程北まで尾根歩きは続く、この辺りでは“馬込の縦走路”は、西側の上池台5丁目と、東側の中馬込1丁目の町境となっている。

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● 上池台4丁目と5丁目の境は通称「学研通り」(かつて学習研究社の本社があった)と呼ばれる道路で、その北の端には坂道「貝塚坂」がある。 私が歩いてきた“馬込の縦走路”はこの貝塚坂にて、学研通りと合体する。 坂名の「貝塚坂」は、坂周辺に貝塚を伴う集落遺跡があったことによる。(大田区内の鵜の木、池上、山王と連なる台地には縄文時代から古墳時代にかけて遺跡が多いそうだ)、、、、今日の散歩は“馬込の縦走路”を道なりに歩いてきたので、ここより先も引き続き学研通りを道なりに歩く!!

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● 貝塚坂のチョイト北側から、今度は「夫婦坂(めおとざか)」がある。 貝塚坂上部から下り、環七通りと「夫婦坂交差点」で交差し、上り坂となって馬込1丁目に伸びる。 つまり、環七通りが最も低く、南と北の両側に向かって上る坂だある。 二つの坂が向かい合っていることから「夫婦坂」と名付けられたそうだ。

・・・・・・・・・・・・貝塚坂側から夫婦坂を見る、、、、“下り坂”が判るかな?

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・・・・・・・・・・・・環七通りと交差する「夫婦坂交差点」

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・・・・・・・・・・・・北へ向かって上る夫婦坂

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・・・・・・・・・・・・夫婦坂の北の端、、、、私は道なりに、坂の正面、材木屋の横の細い道を進む(道なりに直進する!)

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● 材木屋の横を入り、坂を下る。 東急大井町線の荏原町駅と旗の台駅の中間でガードを抜ける。 道は徐々に東に向けカーブする。 

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・・・・・・・・・・・・最後は品川区西中延3丁目、「健康ランド八幡温泉」(旧八幡湯)の脇に出た。 ここで、道はT字にぶつかり、これ以上直進できず。 これにて終了!、、、、なお、八幡温泉は温泉銭湯である。 湯量は豊富で、色は褐色透明。黒湯というほどは濃くなく、ちょうど紅茶のような色合いらしい。 

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● “馬込の縦走路”を歩き、最後は温泉につかることもなく、チョイト疲れた足で、さらに東急池上線の「荏原中延駅まで歩く。、、、、地下化された池上線の線路跡は所どころ公園化されている。、、、、道幅の狭い商店街の中に荏原中延駅がある。 初めて訪れる人には、見つけにくい駅だ! 交番で聞こうと思っても、その交番は駅にある、アリャリャ!、、、、3両編成の池上線はホームも短くコンパクトな造り。

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2021年6月24日 (木)

平和島から西馬込

昨日の続きで、平和島から品川方面に歩こうと思い下車したが、駅を出たら気が変わり西馬込へ向かって歩いた。 1万歩の散歩。 




● 京浜急行本線の平和島駅で下車し駅前に出ると、商店街を駅に向かう通勤客とすれ違う。 何となく人の流れに逆らいたくなり、商店街を歩くことにした(もちろん朝なので店は開いてない) 

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・・・・・・・・・・・・商店街の先は、いつの間にか何処にでもある裏道に変わり、人通りも少ない。 興味を引くものもなく、単調な歩み。

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・・・・・・・・・・・・環七通り補助27号線(=東邦医大通り沢田通り)が交差する「沢田交差点」に出た。 これより環七通りを西に歩く。

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● 環七通りがJR東海道線を跨ぐ「春日橋」を渡る。、、、、環七通りは戦後整備されたが、大田区内の沢田交差点からJRを越えて国道1号馬込交差点までは、昭和12年(1937)に完成している。 東海道線と立体交差する「春日橋」は昭和16年(1941)の完成である。 戦前から、踏切にせず立体交差にしたのは、それだけ交通の要所だったと思われる! 

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・・・・・・・・・・・・環七通りは、春日橋に続き、池上通りとの交差点に「春日橋陸橋」がある(紛らわしいね!)

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● 春日橋陸橋のある春日橋交差点から西へ150m程、「新井宿春日神社」(大田区中央1)がある。 おそらく“春日橋”の名のルーツであろう。、、、、春日神社の祭神は、天児屋根神〔あめのこやねのかみ〕、建御賀豆智神〔たけみかづちのかみ〕、伊波比主神〔いわいぬしのかみ〕の三神。 創建年代は不詳だが、鎌倉時代の創建と伝えられている。 奈良の春日神社から勧請した。 住宅と商店が混在する旧街道沿いに鎮座する由緒ある神社。 神社前の旧街道は、かつて「奥州街道」、「相州鎌倉街道」、「平間街道」、「池上往還」と呼ばれていた古道である。、、、、現在の本殿は、昭和13年(1938)の建設で、木造春日造りの堂々たるものである。 また、旧本殿という神楽殿は風格がある。

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● 春日神社から住宅地の裏道を歩き、西へ向かう・・・・・この辺りは、作家・画家の多くが住んでいた馬込文士村。 私の住む“下町の浅草橋”とは、だいぶ雰囲気が異なるね!

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・・・・・・・・・・・・「大田区立龍子記念館」の前に出た。 日本画の巨匠として知られる川端龍子(1885~1966)が、昭和38(1963)に自身の喜寿の記念に、自らの発意と設計によって建てた記念館である。 当初は法人により運営されていたが、平成2年(1990)に記念館と所蔵作品などが大田区に寄贈され公開されている。、、、、私が立ち寄るのは、今日で3回目となる。 何回来ても“良いものは良い!” 内緒だけれど、年寄りは入館料無料、これもいいね! チョイト、拝見していくことにした。

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● 龍子記念館をあとにして、坂を上り池上本門寺裏(北側)を歩き、都営浅草線の車両基地を見ていくことにした。

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・・・・・・・・・・・・「馬込総合車両基地」に到着。 基地の中央を横切る歩道橋の上から電車を眺めて、ニコニコ・ニヤニヤ楽しそう!

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● 車両基地の先には浅草線の「西馬込駅」がある。 我が家の浅草橋駅までは、乗り換えなしの一本! 寝て帰ろ~~

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2021年6月23日 (水)

京急蒲田から平和島

京急蒲田駅で下車し、京急本線の西側を気の向くままブラブラ歩いて平和島駅まで、1万歩の散歩です。




● 平成22年(2010)~平成24年(2012)にかけ、高架化された「京急蒲田駅 駅舎は高さ24mの三層構造で、一層部(実質は2階で、高架下は駐車場や駐輪場が整備されている)は駅事務所・改札があり、出入口はペデストリアンデッキにてJR蒲田駅方面に向かう駅前商店街などと結ばれている。 二層部は、1面2線の島式市ホームで、上り本線と空港線が使用。 三層部は1面2線の島式ホームで、下り本線と空港線が使用。 389mの長いホームには、12両編成電車と6両編成電車が同時に直列停車することが可能だ。 私の大雑把な見方では、長さ約400m、幅約20m、高さ24mの巨大な細長い駅である。、、、、工事は市街地の中の難工事で、担当した京急建設+鹿島建設には、ご苦労様!

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・・・・・・・・・・・・三層部のホームから見える駅周辺。 高層建物が少なく、見晴らしがよい。

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● 京急蒲田駅前に一社一寺が隣り合う・・・・・

・・・・・・・・・・・・永禄年間(1558~1569)の当地の地頭:行方修理亮義安が戦死の後、その室円光院妙安尼が、兄斉藤政賢の屋敷内に庵室を結んだのが、この地(京急蒲田駅前一等地で先見の明あり?)である。 尼は法華宗を信奉して、池上本門寺第12世仏寿院日現に帰依していたが、天正17年(1589)尼が没した後、庵室を寺とし、開山を日現として開創した。 開基は円光院妙安尼、行方の家号を以って山号とし、尼の法号を寺号としている「行方山妙安寺」。 堂は戦災で被災し、戦後の再建。 お隣の蒲田八幡神社の元別当寺。、、、、山門から緑豊かな参道を通り本堂正面に出るが、駅前とは思えない静かな境内である。

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・・・・・・・・・・・・妙安寺の隣りに、「蒲田八幡神社」がある。 蒲田八幡神社は、北蒲田村より新宿村として分村した慶長年間に、薭田神社(後述)を勧請して新宿村鎮守として創建された。 明治期に村社に列格。、、、、こちらも駅前の一等地、チョイト広い境内に改修し綺麗になった社殿がたつ。 こちらも、戦災に遭遇し旧社殿は被災し、現社殿は昭和33年(1958)の造営。
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● 京急蒲田駅前商店街を横切り、柳通りを抜け、呑川を越え、蒲田八幡神社から北へ向かう・・・・・

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・・・・・・・・・・・・蒲田八幡神社から500mほど行くと「薭田神社(ひえだじんじゃ)」がある。 蒲田八幡神社が勧請した神社である。、、、、薭田神社の隣りは「栄林寺」、鳥居の先100m程には「円頓寺」があるが、山門は閉じられ境内には入れない、コリャマタ残念!
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● 梅屋敷駅前の「ぶらもーる梅屋敷」、大森町駅前の「大森町共栄会」と、二つの商店街を横切り「大森西」の町を北へ歩く・・・・・

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● 町中に高層の「都営大森西三丁目アパート」がある。 昭和44年(1969)建設、11階建て、総戸数282戸の都営住宅。、、、、築後52年、建物は劣化したね。 昭和44年は雅万歩が大学を卒業した年である。 私の身体も劣化したが、まだボケてないぞ!

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・・・・・・・・・・・・チョイト、上層階におじゃまして、大田区の町を拝見!、、、、都心(大崎方面)を眺めるが、遠い!、、、、手前は「区立大森第八中学校

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● 裏通りを歩き、「大森諏訪神社」(大森西2)に出てきた。 祭神は建御名方命。 大森諏訪神社の創建年代は不詳であるが、江戸時代には大森村山谷の鎮守社であったそうだ。、、、、神社の由来を見ると、その昔、大森海岸袖ヶ浦へ着岸された御神体を、村民が尊崇して、一祠を建立したといわれてる(類似の謂れが多い、よく聞く話だ!)、、、、漁村であった頃の江戸時代からの古い、鳥居、狛犬、灯篭、手水屋、玉垣、記念碑等が多数残されている。  

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● 「平和島駅」に到着、今日の散歩はここまで!、、、、のんびりと、空いている普通電車で帰ることにした。

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2021年3月 7日 (日)

若き日、思い出の地

緊急事態宣言解除は2週間延期された。 私はマイペースで、自粛生活を続けている。 今日は日曜日なので通勤時間帯の電車も空いていると思い、行先を決めずに浅草橋で京急の三崎口行きに乗車。 日本橋・銀座・新橋・品川の混雑地を通り抜け、京急蒲田の隣り駅:雑色で下車した。 駅から西へ歩き多摩川土手へ、若き日の思い出の地を訪れJR蒲田駅まで、“密”を避けながら1万2千歩の散歩。




● 浅草橋で特急:三崎口行きに乗り、『さて何処で降りようか?』 空いてる車中で思案すれども決まらず京急蒲田駅に到着、この先まで乗ってると川崎・横浜となり、隣りの県に入ることになる。 とりあえず京急蒲田で電車を降り、ホームのベンチで思案の続き、ふと駅名表示を見て隣り駅『雑色(ぞうしき)』の文字が眼に入る。 『決まり!雑色で下車しよう!』(雑色駅は普通のみ停車する駅で、感染リスクは低そうだ)、、、、雑色駅は明治34年(1901)に京浜電気鉄道の駅として開業。 平成22年(2010)に上りホームを、2年後には下りホームをそれぞれ高架にし、平成29年(2017)に高架化事業が完成した。 相対式ホーム2面2線の高架駅。、、、、京急のHPでは『駅名の由来は、当時の地名から名付けたもので、この地名も明治の末頃六郷村に編入され、現在は駅名にその名を残すのみとなっている。』と解説されている。 何か判ったような判らない解説だ! 辞書では、“雑色は、律令制における品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)の総称”とのこと、つまり昔の下級役人のことらしい。 このあたりに、下級役人の官舎でも在ったのか?

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・・・・・・・・・・・・高架化の前(2013年2月)の雑色駅

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● 雑色駅前、アーケードのある雑色商店街(店舗数では大田区最大級?らしい)を西へ向かうと、JR東海道線の雑色踏切がある。 ここにも、“雑色”の名が残っていた。

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● 雑色踏切を越えて裏道に入ると、白山神社と別当寺であった薬王寺が隣同士で並んでる。

・・・・・・・・・・・・白山神社の創建年代は不詳。 正徳甲午年(1707)銘の手水石が残されていることや、別当寺の薬王寺が宥範法印(延宝5年(1677)寂)により創建されていることから、薬王寺と共に創建されたものと推定されている。、、、、境内社の赤い鳥居の「正善坊稲荷」はインスタ映えするのか?、地元では人気があるらしい。


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・・・・・・・・・・・・白山神社のお隣には、真言宗智山派寺院の東輝山薬王寺がある。 宥範法印(延宝5年(1677)寂)が開山したと伝えられている。 昭和20年(1945)の戦災で本堂・庫裡焼失、昭和35年(1960)現本堂を完成した。、、、、境内は綺麗に整備されており、緑豊かな落ち着いた感じ。

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● 薬王寺から、さらに西へ歩くと多摩川土手に出た。 独身時代の昭和45年(1970)、数カ月間暮した思い出多い懐かしの多摩川土手である。
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・・・・・・・・・・・・昭和45年頃、写真中央のマンションがある処に、某化学メーカの中央研究所があった。 私が働いていたゼネコンが、研究所の建物の新築・改築などを行っており、若手で独身の私は、会社の同僚と共に現場宿舎に寝泊まりしていた。 その頃の私は、朝食前に河川敷で早朝ゴルフ(下手だった)、夕食後はボーリング場(そこそこの成績)、そのあとは蒲田・川崎のキャバレー(ダンスが楽しい)に、同僚と仲良く思い出を作っていた。、、、、その後、研究所は千葉に移転し、跡地には14階建て、約400戸のマンション「多摩川芙蓉ハイツ」(飛島建設+大成建設の施工、昭和58年竣工)が建っている。

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● 若い頃を思い出し、寝泊まりしていた研究所跡地(多摩川芙蓉マンション)から、蒲田駅まで当時のコースで歩いてみることにした。

・・・・・・・・・・・・研究所跡から、東に向かう、、、、写真の道はJRの車輛基地と富士通の研究所に出る道。

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・・・・・・・・・・・・車両基地(現:太田運輸区、旧:蒲田電車区)の先端部に出た! 電車を見ながら基地の脇を歩く。 鉄道オタク(私もその一人)には嬉しい散歩道だ!

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・・・・・・・・・・・・車両基地の隣りには「富士通ソリューションスクエア」(旧:富士通システムラボラトリ―)がある。、、、、建物は10数年前に現在のモダンな建物に建て替えられた。 私が多摩川に居た頃は、旧:富士通システムラボラトリーが西松建設の施工で建設中であった。、、、、25年程前、ゼネコンを退職し、IT業界に移った私は、この建物にも通いシステム構築のお世話になった思い出もある。

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・・・・・・・・・・・・JR蒲田駅に到着、、、、今日の散歩では、“密”な場所もなく、人との会話もなく、新型コロナには感染していないと思う。 家に帰って、“うがい”、“手洗い”を済ませて、一安心!

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