中野区

2020年8月 6日 (木)

都内最後のスターハウス

今日は午後から中野の病院で白内障手術後の診察日。 先生から、綺麗に回復しているので問題なし、との言葉をもらう。、、、“綺麗”と云うことは、私の瞳は10000ボルトで見る人を悩殺する力がついたか? チョイト、眼科受付のお姉さんを見つめてみたが、怪しまれた! 恥ずかしい!!




● 診察が早く終わったので、暇な人間は、野方駅近くの「野方団地」へ行ってみることにした。 病院前のバス停から野方駅行きに乗る。(バス代は敬老パスで無料?)

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● 外は晴天、気温は30℃超、熱中症に注意しながら「野方団地」に行く。、、、、団地は西武新宿線野方駅の南側(徒歩7分ぐらい)、住宅地の中にある。 昭和34年(1959)に建設された住宅公団の団地で、総戸数92戸(全5棟)の小さな団地である。 10年程前には全面建て替えの話があったが、築後60余年経過した今、建て替えの話はどこか消えて、リニューアル工事も終わり団地は健在のようだ! この団地の特徴は、古さだけでなく、Y字型の平面形状で1フロア3住戸を有するスターハウスが2棟ある。 かつては全国的にみられたスターハウスも、平成時代に入ると次々と建て替えられ、ここ野方団地が都内最後の入居可能なスターハウスとなった。(注:赤羽台団地にあったスターハウスは登録有形文化財に指定され保存されている) 各戸の面積は44㎡2~48m2で、単身者またはお二人さん向き。 家賃は10万円強。、、、、なお、この団地の敷地は、明治の元勲山本権兵衛の別荘跡だった。

・・・・・・・・・・・・駅前の商店街を抜け住宅地をチョッピリ歩き、妙正寺川の手前(中野区野方5)に団地はある。 団地入り口にはオシャレな書体で「野方団地」と標されている。

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・・・・・・・・・・・・入り口の脇には、団地案内図、公衆電話、ゴミ集積場が並んでいる。、、、、案内図には、中層フラット型の1~3号棟、スターハウスの4、5号棟、管理集会所が標されている。 全体的にゆとりある配置で、緑が多い。

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・・・・・・・・・・・・3号棟から、1、2、5号棟を眺める。、、、、緑も多く、“新型コロナ”には縁のなさそうな環境だ!

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・・・・・・・・・・・・1~3号棟、、、、ベランダ前の庭も芝が綺麗だ、野菜を植えた個人農園が無いのは気持ちいいね!、、、、公園まで芝が占領しているのは、遊ぶ子供がいないのか?

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・・・・・・・・・・・・スターハウスの4、5号棟、、、、スターハウスは全2棟24戸で、入居するにはあくのを待つ以外にはなさそうだ。、、、、スターハウスの階段は三角形をつくり上っていく。

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・・・・・・・・・・・・1号棟前に古くて大きな石灯籠がある。 これは、山本権兵衛の別荘であった当時からのもの。

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● 野方駅前の「野方本町通り」を歩いてみると「野方文化マーケット」の文字が見えた。 懐かしい“マーケット”の響きで、狭い路地を入りチョイト覗いてみた。 路地はV字型になって入った通りに戻るようになっている。 終戦直後のバラックから始まったマーケットらしい。 呑み屋、おでん屋、玩具屋、骨董品屋などの店がある。、、、、“昭和”が残っている街!

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● 熱中症を避け、野方駅から早めに帰ることにした。

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2020年7月16日 (木)

お礼参りⅡ

午後、中野の病院で白内障手術後2回目の診察があり、その前に新井薬師へお礼参りに行ってきた。 西武新宿線新井薬師前駅で下車し、薬師に寄って病院まで、診察後はJR中野駅へ出て帰宅。 




●四ヶ月ぶり! ・・・・・・・今年3月に手術の成功を願い夫婦で願掛けに来た。 おかげさまで、視界は明るく、視力は回復し、美人がより美人に見え、ブスはまあまあそれなりに見えるようになった。 今日はお礼参り!

・・・・・・・・・・・・地下駅化工事真っ最中の新井薬師前駅で降りる。 見た目には4ヶ月前と大きく変わっておらず、地下駅完成まではマダマダ!

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・・・・・・・・・・・・サクラの木は緑が茂り夏バージョンの参道を歩く。、、、、新井薬師もコロナ対策で、本堂は飛沫感染除けのビニールが下がっている。 さすが坊さん、しっかりしている、賽銭箱には投入できるようにビニールがかかっていない! 私は、お礼の意を込め1万円札を投入しようと、財布を見たら万札が無い。 仕方なく、残念だが、500円硬貨+財布にあった33円にした。

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・・・・・・・・・・・・本日(7月16日)の東京の感染者は286人、過去最多。 「Go To トラベル」が「Go To 天国」とならないように、コロナ撲滅のほうも宜しく、薬師に合掌。



●4つの建物 ・・・・・・・新井薬師をあとにして、中野区新井2丁目の町を抜けて病院へ向かう。 気になった建物を紹介する。

・・・・・・・・・・・・新井2丁目と3丁目の境となる裏通りにあった洋風の木造住宅(M邸)。 かなり古そうだ!(年代不詳)、、、、誰か住んでいるのか?

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・・・・・・・・・・・・M邸の前を道なりに南へ歩くと、ビルの窓に北島三郎、大江裕、原田悠里などのポスターが目にとまる。 ここは、“演歌の大御所”の事務所らしい。、、、、演歌がながれ聞こえるビルだと楽しいと思うよ!

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・・・・・・・・・・・・さらに道なりに歩くと、昭和13年(1938)の建築と云われているA邸がある。、、、、丁寧に使われているらしく、綺麗な建物である。

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・・・・・・・・・・・・・・道を変えると、住宅の角に鉄道の三灯式信号機がある。 おそらく鉄道オタクの住人が、中古の信号機を買って玄関前に置いたものだろう?、、、、できることなら、点灯させて欲しいね!、、、、一般に、このての趣味は、『本人には宝物、家族にはガラクタ』 こちらのお宅では???

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●PCR検査? ・・・・・・・・東京警察病院に到着すると、正面玄関とは違う出入口付近に、テントを張って人が並んでいる?、、、、オヤ、ナンジャ・コリャ? すぐにピンときたね、これはコロナのPCR検査だ!、、、、気を引き締め直し、再び外出自粛だ! 
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2020年5月14日 (木)

中野から高円寺

新型コロナのクラスターとなり4月25日から診療制限が行われていた東京警察病院、今週11日から外来診療が再開された。 3月初旬に定期検診の予約をしておいたのが、ちょうど今日である。 朝一で、家を出て中野の病院まで行ってきた。、、、、病院は診療再開後4日目で、玄関先で体温チェック、院内のマスク着用、手の消毒など、感染防止措置が徹底されていた。 しかし、患者数は少なく平常時の3割程度、ガラガラ。、、、、医師・看護師など病院関係の皆様は、恐ろしい見えぬ敵と戦いながら、私達患者を診てくれる、これには『感謝』の一言。

朝8時にJR中野駅で下車し、今日はブラブラ歩いて警察病院へ、診察の後は隣の高円寺駅まで歩いてきた。、、、、今日は、久しぶりの遠出。 改札でSUIKAを取り出すのに戸惑い、カメラの操作を忘れ、マスク着用で呼吸に苦しみ、オタオタ。




●通勤ラッシュが無い! ・・・・・・・窓のあいた開いた電車で中野駅到着。 上りホームの乗客は少ない、改札もスムーズ、普段の30%程か?、、、、普段がこの程度なら通勤も楽なのだが、コロナはいつまで続くのか、このままだと通勤ラッシュが懐かしくなるね!

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●大人用/子供用? ・・・・・・・・中野駅前に中野区役所庁舎がある。 この庁舎は、徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」を出して元禄8年(1670)に「犬小屋」(=かこい)を設け、多数の犬を飼育した地である。 また、明治以降、中野電信隊、鉄道隊、気球大隊があり、次いで陸軍中野学校が設置された場所でもある。、、、、庁舎玄関前にはその歴史を刻んだ、大人でも読みにくい「史跡」がある。 また、庁舎前のバス停のそばには、お子様用(?)か数匹の犬の像と簡単な説明「かこい」がある。、、、、両方を足して2で割った説明文が欲しいね!

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●病院の北側? ・・・・・・・私が、眼科で診てもらう「東京警察病院」、、、、チョイト、コロナでお休みしましたが、今週から営業再開、、、、救急入口の脇にはテントがあった、コロナ対応か?

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・・・・・・・・・・・・病院の北側、野方警察署の前(早稲田通り)に、角柱に浮き彫りした地蔵尊が建っている。 このお地蔵は、子育地蔵として付近の人々が花を供えているそうだ。 寛保元年(1741)の建立で願主は浄念(?)とある。 地蔵尊の脇には小さな角柱の道標もある。コチラには「此方中野宝仙寺」、「此方上高田」と彫ってある。、、、、どちらも、交通の要所に建つ必須アイテム!

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・・・・・・・・・・・・警察病院北側、早稲田通りを挟んだ向かい側に鎮座するのは妻戀神社。、、、、明治の初めまでこの土地に住んでいた「矢島源左衛門家」によって祀られていた。 そのため、別名を「源左稲荷」ともいう。 現在は土地の旧家の人たちが年番交代で管理しており、矢島源左衛門の一族で、信心の深かった者がこの土地を去る際、周辺の土地を人に貸し、その地代で稲荷社を管理してほしいとお願いしていったとか。 俗には源左衛門が亡くなった妻を偲んで妻恋稲荷を祀ったといわれている。、、、、祭神は、日本古代史の英雄である日本武尊(やまとたけるのみこと)、その妃である弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)、穀物・食物の神様である倉稲魂命(うかのみたまのかみ)。 文京区湯島の「妻恋神社」から分霊を勧請したそうだ。

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●ポッント建ってる! ・・・・・・・・東京警察病院の西側は杉並区高円寺北1丁目。 高級住宅街ではないが、この町は静かな落ち着いた庶民の住宅街である。

・・・・・・・・・・・・まずは、「高円寺北一丁目アパート 8号棟」がポッント1棟のみ! 、、、、昭和53年(1978)に建てられた、総戸数:12戸、3階建ての都営住宅1棟のみ。 周囲を見ても、この1棟以外には都営住宅は無い、なぜ「8号棟」なのか? 周囲には、法務局庁舎、教育センター、特別養護老人ホーム、公園などの公共施設があるので、いずれかに建て替えられたのかも?

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・・・・・・・・・・・・住宅街の中に、ポッント洋風の一軒家!、、、、戦前建てられた木造2階建ての洋館風の建物(M邸)がある。 切妻からせり出した玄関部分は特徴的で、“可愛らしさ”を強調している。 窓廻りのデザインもお見事!

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・・・・・・・・・・・・樹木の中に、ポツント一軒屋!、、、、緑深い樹々に囲まれたアトリエ風の建物(S邸)がある。 玄関をチョイト見ると、昭和初期の建物か?

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●マスク着用は疲れる! ・・・・・・高円寺北2丁目と3丁目の境となる、「庚申通り商店街」、「純情商店街」を歩き高円寺駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・高円寺北2丁目の裏道を歩くと、玄関先に大きな招き猫がいた! 首の鈴には「FUJICOLOR」と記してある。 フイルムカメラ全盛時代の“客寄せ猫”か? 今はデジタルの時代、撮った瞬間に写真が見れる。 20年ぐらい前までは、フイルムカメラで写真を撮って、フイルムをDPEに出し、一週間後に焼いた写真をカメラ屋さんに貰いに行った、あの時のワクワク・ドキドキ感が懐かしく思える。

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・・・・・・・・・・・・「庚申通り商店街」に出た、その名のごとく商店街の中程に庚申塔がある。、、、、この庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のため建立したもの。 はじめ現在の所で真南に向って鎮座していたこの塔は、大正 12年の関東大震災で横転し、その後西向きに建立した。 また、昭和20年(1945)の東京大空襲の際、戦火をかぶり塔の一部が破損したので、昭和37年現状の如く修復され今に至る。 私好みの形をした庚申塔、いいね!

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・・・・・・・・・・・・庚申通り商店街は、「純情商店街」に続く。 商店街を抜けると高円寺駅に出る。、、、、コロナの感染を予防し、マスクを着用して歩いてきたが、初夏に近い暑さとマスクの息苦しさで、もう~疲れた~~!

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2020年3月17日 (火)

眼病の薬師

今日は夫婦で中野の新井薬師に行ってきた。 新型コロナに勝つため、そしてついでに夫婦とも眼病予防、さらに“ぼけ封じ“もお願いしたが、こちらは産婦人科で前立腺癌の検査をしてもらうようなもので、結果は期待薄である。、、、、西武新宿線新井薬師前駅から、新井薬師に参り、中央線中野駅までの散歩。 7千歩




●完成はいつ? ・・・・・・・JR山手線高田馬場駅で西武新宿線の普通電車に乗り換えて3駅目「新井薬師前」駅で下車する。 駅は現在、中井~野方間の連続立体交差事業で地下駅化(島式1面2線)の工事中。  西武鉄道新宿線   歴史:1927年(昭和2年)4月16日 - 開業。1981年(昭和56年)10月30日 - 新駅舎使用開始。、、、、西武新宿線は、明治27年(1894)に川越鉄道川越線として国分寺~米川間が開業し、以後、都心に向かい順次開業していった。昭和2年(1927)には、村山線として高田馬場~東村山間が開業し、同時に新井薬師前駅も開業した。、、、、まだ地下駅の掘削は始まってないようだ。 地下駅の完成はいつだろう?

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●目には効く、コロナには? ・・・・・・・中野区新井にある「新井薬師」は、正式には「新井山梅照院薬王寺」と称し、真言宗豊山派の寺院。 中野区最大の寺院で、駅名にもなる著名な寺院。 昨日訪れた西新井大師と同じ真言宗豊山派の寺院で、天正4年(1586)に開山。、、、、寺伝では、鎌倉末期、相模国から行春という僧が新井の里を訪れた。 清水の湧き出るこの地こそ、真言密教の修行道場にふさわしいと感じて草庵を結んだ。 この草庵は、徳川初期頃になると廃寺同然に荒れ果てた。 あるとき、庭に植わる梅の古木が夜毎に光るという現象(ライトアップか?)が起こり、天正14年3月21日、梅の木を調べると薬師如来が現れた。 中野郷新井の郷士であり、元新田義興の臣:窪寺某が太田金山城に祀られていた尊像であることを確認し、薬師堂を建立したのが梅照院の始まり。 本尊は、弘法大師が彫ったと言われている薬師如来と如意輪観音像。 秘仏とされており、寅年のみに御開帳される。 また堂宇は、元禄、明和、明治の各期に度々焼失し、昭和20年(1945)の空襲でも本堂・太子堂・庫裏などすべて焼失した。 しかし本尊は、火災のたびに無事救出されている。 現在は本堂・庫裏などが復興・整備されている。

・・・・・・・・・・・・新井薬師前駅から駅前商店街・参道をチョイト歩くと、簡素な山門が見える。

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・・・・・・・・・・・・山門の手前には、綺麗に咲いた桜の木が迎えてくれた。、、、、この桜は現天皇の御成婚を記念して、「プリンセス・雅」と命名登録された新種の桜。 

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・・・・・・・・・・・・山門をくぐると、正面に本堂が見える。

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・・・・・・・・・・・・本堂には、空海作と伝わる御本尊の薬師如来如意輪観音があるはず。 御本尊は二仏一体の黄金仏で、鎌倉時代に活躍した武将、新田家ゆかりの守護仏であったと伝えられている。 12年毎の寅年に開帳される、次回は再来年の2022年。 御本尊が隠れている間は御前立が代行。、、、、新型コロナが猛威をふるっている今、特別の御開帳でチラリとお出ましすると嬉しいのだが、無理かな!

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・・・・・・・・・・・・薬師如来という仏様は、人々を苦しみから救い出したいと「十二大願」 を立てて、 苦行に励まれた。 その苦行によって、全ての衆生を無明の病疾から救い出すことができる仏である。 病や苦悩を癒すことにすぐれている薬師如来は「医王」とも呼ばれ、阿弥陀如来の西方極楽浄土と対をなす東方浄瑠璃という浄土に住み、現世での肉体的な病苦のみならず、来世にまで福徳・利楽を与えてくれる仏。 この「十二大願」が成就してしまうと困る者もいるそうで、人々を惑わし苦しめる多くの魔障たちは、薬師如来の願いが成就せぬように多くの妨害を企てている。 この時、薬師如来を守護するため、魔障たちと戦った十二体の善神を、「十二神將」という。 チョイト薄暗い本堂で見ずらいけれど、その像を本堂の左右に見ることができる。

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・・・・・・・・・・・・新井薬師は、二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれている。 また、第五世玄鏡が元和3年(1617)に如来の啓示によって、 秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれている。、、、、眼下通いをしている私も「めめ絵馬鈴守」を貰ってきた。 以前にも買ったが、眼は悪くなるばかり、効き目は???? まして、新型コロナには効きそうにないね!

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・・・・・・・・・・・・山門を入り右には、不動堂と水掛けのねがい地蔵がある。

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・・・・・・・・・・・・山門を入り左には、鉄筋コンクリート造の薬師霊堂がある。

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●夫婦で散歩は痩せないね! ・・・・・・・新井薬師をあとにして、中野駅に向かう。 遅めのランチは、イタリアンで腹一杯、ダイエットにならないね!

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2020年2月 5日 (水)

上野介の眠る寺

西武新宿線沼袋駅から中央緩行線東中野駅まで、1万歩の散歩です。




●跨線橋が無くなった! ・・・・・・・・高田馬場から西武新宿線に乗り、沼袋駅で降りてみた。  沼袋駅は、昭和2年(1927)4月16日、西武村山線(西武新宿線の前身)高田馬場~東村山間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線と中線1線の地上駅である。、、、、只今、西武新宿線(中井駅~野方駅間)連続立体交差事業の真っ最中で、当駅と隣の新井薬師前駅は地下駅となる。 その為、工事着工前には、上下別に2線あった中線が上下線共用の1線となっている。 また、跨線橋も撤去され、地下連絡通路に変わった。 

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・・・・・・・・・・・・工事前の沼袋駅(2015年撮影)、、、、跨線橋がある、中線も2線ある


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・・・・・・・・・・・・ホームの脇では地下駅を造るため、土留壁工事が行われていた。 地下駅ができるまで、まだまだ時間がかかりそうだ! 
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●お賽銭をはずむ! ・・・・・・・沼袋駅の東側に鎮座する沼袋氷川神社。、、、、沼袋氷川神社の創建年代は不詳だが、文明9年(1477)太田道灌が、江古田ヶ原・沼袋の戦いの際に当地に陣営を置いたといい、江戸時代には下沼袋村の鎮守社だったそうだ。 正保年間(1644~1648)代官:野村彦太夫が社殿を修築し、文久4年(1864)石鳥居が建てられ、明治13年(1880)には社殿を改築、大正11年(1922)幣殿を増築。、、、、境内には、道灌が戦勝を祈願して植えた「道灌杉」があったが、昭和19年(1944)に枯れた。、、、、風格のある神社で、境内は綺麗に整備されている。 “優しい女性の神職”、“境内を掃除する美人の奥様”、“初詣に来た欅坂46”、いろいろ楽しい噂があるようだ! お賽銭をはずみ、200円入れてシマッタ!

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●壊される駅、さらば! ・・・・・・・・線路脇を歩き新井薬師前駅に来た! 新井薬師前駅はまだ既存の駅舎を使用しているが、いずれ取り壊されることになる。 線路は地下へ、駅も地下駅、写真は撮りにくくなり、チョイト残念!

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●歌いたくなる道! ・・・・・・・・新井薬師前駅の南東、上高田3丁目、民家を囲む竹組の垣根は、童謡『たきび』の一番の歌詞「垣根の垣根の曲がり角」のモデルとなった垣根。、、、、説明板によると、『この童謡の作詞者:巽聖歌(たつみせいか 本名野村七蔵 1905~1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した詩人で、多くの優れた児童詩を残しました。 聖歌は、この詩が作られた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでいました。朝な夕なにこのあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩情をわかせたといわれています。歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていく中で、けやきの大木がそびえ、垣根の続くこの一画は, 今もほのかに当時の面影をしのぶことができる場所といえましょう。』 、、、、かっては大きな農家であったらしい、童謡の歌詞がピッタリする情景はなんとも言えない懐かしさを感じる。 人通りは少なく、青空の下、緑に囲まれた静かな道を、ゆっくり散策できる。 いいね!

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●上野介の墓 ・・・・・・・「上高田中通り」を南へ向かって歩き、「上高田交番」を過ぎた処に、曹洞宗寺院の萬昌院功運寺がある。 萬昌院功運寺は、今川氏真の第4子長得が開基となり天正2年に仏照円鑑禅師が開山した久宝山万昌院と、永井信濃守尚政が開基となり慶長3年に黙室芳誾禅師が開山した龍谷山功運寺とが、昭和23年(1948)に合併した寺院である。  お寺には、吉良家14代から17代の墓がある。 忠臣蔵の悪役:吉良上野介義央は吉良家17代目に当り、ここに墓がある。 、、、、境内には幼稚園があり、児童が本堂前で遊んでいるためか、警備が厳しく女性ガードマンが立っている。 また、園児を送迎する若いお母さんも山門前で立ち話中、よそ者の私にはチョイト入りずらい。、、、、今日は勇気を出して、『吉良家の墓を見せてもらえますか?』 女性ガードマンの応え、『いいですよ、だけど境内での写真撮影はダメです!』 残念だが了解して、吉良上野介の墓に手を合わせてきた。 (写真は2010年撮影の山門、本堂、吉良家墓所)、、、、ここには、吉良の忠臣も供養されている。 また、『放浪記』の作家:林芙美子の墓もある。

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●ここにもギンザ! ・・・・・・・「上高田中通り」は早稲田通りにぶつかり、道なりに直進すると「東中野ギンザ通り」と名を変え、東中野駅前に出る。 散歩はココまで!

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2019年11月 6日 (水)

只の饅頭を祀る神社

京王線笹塚駅から東京メトロ丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。




●お勤め御苦労さま! ・・・・・・笹塚駅渋谷区笹塚にある京王線・京王新線の高架駅。 大正2年(1913)4月15日、当時の京王電気軌道最初の営業区間である笹塚~調布間開業時に設置された駅。 昭和53年(1978)7月21日に高架化され、同年10月には都営地下鉄新宿線直通の新宿までの複々線別線である京王新線が開業している。 ホームは島式2面4線で、外側の1・4番線を従来の京王線、内側の2・3番線を京王新線が使用しているようだ。、、、、朝の上りホームは新宿線の始発電車を待つ人で超満員。 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 痛筋客』 

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●笹塚は一里塚! ・・・・・・・駅の北側、甲州街道(国道4号)沿いに、一里塚であった笹塚の跡を記す案内板がある。、、、、案内板には、『笹塚跡  笹塚2丁目12番  昔、この辺りの甲州街道の南北両側に、直径1mほどの塚(盛土)がありました。その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから、笹塚と呼ばれていたようです。 その塚が、慶長九年(1604)に設置された塚かどうかははっきりしませんが、この塚一里塚の印を記載している古図もあります。 また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正5年に発刊された『豊多摩郡誌』には「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。この塚があったことからこの地域一帯を昔から「笹塚」と呼び、今もそれが町名として残っています。  渋谷区教育委員会』、、、、甲州街道の起点:お江戸日本橋から三里目の一里塚がここ笹塚であった。 ちなみに、一里目は最高裁判所のある千代田区隼町、二里目は「追分だんご」の新宿区新宿三丁目(追分)。 

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●一列横隊! ・・・・・・甲州街道の笹塚跡から裏道を200m程北に歩くと水道道路に出る。 水道道路は玉川上水を淀橋浄水場(現:新宿副都心)まで導いた水路跡に造られた道路。 水路は盛土して造られていたため、水道道路に変わった現在でも、道路面は周辺の地盤より高い位置にある。、、、、水道道路の南側には昭和40年代に建てられた都営アパートがズラリと横一列に並んでいる。 遠くまで並ぶ団地は“お見事”である。

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・・・・・・・・・・・・・・笹塚二丁目交差点で水道道路とは別れ裏道に入る。、、、、水道道路からチョイト下ったところに、和泉川(神田川笹塚支流)に掛かっていた「堺橋」の跡(欄干)がある。 特に意識して見ていないと、車止めのようで見逃すしてしまう。 川は暗渠化された。、、、、堺橋の先60m程で、杉並区方南の町となる。

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●ド派手な神社! ・・・・・・・方南の町に入ると、赤い旗が境内を囲むようにビッシリ立ち並ぶ谷中稲荷神社があった。 坂の上の小さな神社。 京王井の頭線西永福駅の近くに在る大宮八幡宮(杉並区)の境外摂社。、、、、チョイト派手すぎる神社だ!

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・・・・・・・・・・・・・・神社は坂の上にあり、方南町駅の方からは上り、チョイトきつそうだ。

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●祭神は“只の饅頭” ・・・・・・・・・・・坂を下り道なりに北へ向かうと、いつの間にか杉並区方南から中野区南台に入った。 東京メトロの中野車両基地の南側である。、、、、チョイとした高台に多田神社がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物)、、、、当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、社殿は昭和35年(1960)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・多田神社の社殿北隣に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂はただいま再建中。

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●稼ぎに出て居ない! ・・・・・・東京メトロ中野車両基地の前に出たが、基地は背の高い塀で目隠しされ、中は見えずらくなっている。 それでも、マニアはしつこく内部が見える隙間を探し、写真を撮る。 私もその一人!、、、、隙間発見、アレ!電車の多くは稼ぎに出ている。

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●リニューアルした駅! ・・・・・・車両基地から西へ歩くと、再び杉並区に入り丸ノ内線方南町駅である。、、、、方南町駅の改良工事が終わり、今年(2019)7月5日から6両編成で運行されるようになった。 電車も方南町から池袋行が運転され、途中中野坂上での乗り換えは不要。 

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2019年5月15日 (水)

あなたのやさしさが 恐かった

朝一の8時半に、中野の病院で眼科検診。 本日最初の患者です。 右目の炎症は完治し、『次回は一年後の来年5月に検査しましょう』と、嬉しいお言葉を頂戴して病院を出る。 心晴ればれ、天気も上々、帰りは中央線大久保駅まで歩いてきた。 1万1千歩。




●6年後に完成? ・・・・・朝8時、青空の中野駅前。 これから電車に乗る人、電車から降りてきた人、互いに入り交じり駅前は人の渦。、、、、駅前の混雑解消、利便性向上を狙い、駅西側(区役所、サンプラザ前)で南北連絡通路新設、中野駅西口改札新設、5階建ての駅ビル建設などの工事が始まっている。 完成は令和7年.(2026)らしい。 この間の、令和4年頃、中野区役所(写真:中央)が現在地の北側に新築移転し、令和5年頃に中野サンプラザ(写真:右端)は解体されるそうだ。

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●東中野方面に向かいスタコラサ! ・・・・・・・診察を終え、早稲田通りを東へ歩く。 中野駅前付近では、飲み屋街の細い裏通り、新井薬師への参道など、歩いてみたい道もあるが、今日は無視。 しばらく早稲田通りを歩き、途中から住宅街の裏道を歩くと、打越天神北野神社にでた。

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・・・・・・・・・・・・・・打越天神北野神社は、中野区中野5丁目にある北野神社。 神社の創建年代は不詳。 「打越」とは、昭和初期までのこの辺りの一帯で呼ばれていた地名。 また、現在の中野5丁目の東側は昭和41年(1966)まで、この神社を由来として天神町と呼ばれていたそうだ。、、、、境内は盆踊りできる広さがあるが、樹木は少なく、社殿・神輿庫の他はなにもない境内で、チョイト味気ない!

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・・・・・・・・・・・・・・東中野3丁目で明大付属中野中・高等学校前に出た。 学校前の中央線に架かる跨線橋から、嬉しそうに電車を眺める。、、、、私も70歳を過ぎ、電車・線路を見ると撮りたくなる、鉄オタの変な親爺になってしまった!

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●都会の美しい煙突! ・・・・・・・・・・東中野駅前を通る山手通り、その地下には首都高中央環状線の山手トンネルが走っている。 山手トンネルは渋谷・新宿・池袋を結ぶ11kmの路線であり、周辺環境への配慮からトンネル構造が採用された。 そのため、沿線に7箇所の地下換気所と高さ45mの換気塔を14本が、山手通りの中央分離帯に建設された。 東中野2丁目では、その内の2本の換気塔を見ることができる。 塔は、「圧迫感の低減」「周辺景観との調和」「時の移り変わりに配慮」されたデザインが採用された。 一辺が3mの六角形平面で出隅部に面違いを設け、さらに外壁面には斜めリブを設け、光と影の変化を与えた、高さ45mの塔である。 この塔は、2008年度グッドデザイン賞を受賞。、、、、都会にあって、その景観と調和したデザインで、私も大いに気に入っている塔である。

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●中野の鎮守さま
・・・・・東中野1丁目に中野氷川神社がある。 当社は、長元3年(1030)源頼信が平忠常討伐の際に武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請し祠を建立したことに始まる。 文明9年(1477)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。 旧中野村の総鎮守社である。、、、、現社殿は、鉄筋コンクリート造/権現造りで、50年前の昭和44年(1969)に総工費5000万円で竣工した。、、、、境内には歴史を語る、安政6年(1859)の敷石供養塔をはじめ、力石、鍋屋勘右衛門寄進の石鳥居などが、木立のなかに点在している。

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●やさしさが恐かった ・・・・・・・・・・・・・中野氷川神社の前から、大久保通りを東に進むと神田川にかかる「末広橋」がある。 橋の際にある遊歩道横の公園の植え込みの中に、1970年代の名曲:かぐや姫の「神田川」(作詞:喜多條忠、作曲:南こうせつ)の歌詞碑がある。、、、、「昭和」の匂い漂う唄。 唄われた「二人で行った横丁の風呂屋」は、この末広橋からもう少し下流の西早稲田3丁目にあったそうだ。 「三畳一間の小さな下宿」は何処だ!、、、、「若かったあの頃 何も恐くなかった ただあなたのやさしさが 恐かった」、いい文句だ! 私も、女房に一度言ってみたいね!

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●韓国の大久保駅 ・・・・・・・・・・・・明治28年(1895)5月5日、甲武鉄道の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は南口と北口の2カ所ある。、、、、大久保は日本の中の韓国で、駅周辺には韓国料理店が多い。 タイ料理屋、アジア系料理店も多いね! あっ、ラーメン屋も多いね!

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2019年4月15日 (月)

十三仏の寺

西武新宿線鷺ノ宮駅で下車し、中野区白鷺1丁目の町を重点に歩いてきた。 帰りは高円寺駅から帰宅。 1万歩。




●見つめ合えないホーム ・・・・・・鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)は、昭和2年(1927)4月16日に西武村山線(現:西武新宿線)高田馬場~東村山間の開業と同時にできた駅。 ホームは地上で、上りが片面ホーム、下りが島式ホームの変則2面3線構造である。 改札口は1ヶ所で橋上駅舎内にある。、、、、、この駅では、上り線が外側にあるため、乗客の多くは下り線ホームに背を向けている。 互いのホームで見つめ合い、恋が芽生えることもなさそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅の脇の踏切りは、いつまでも開かず、ストレス溜まる、イライラ!、、、、、誰が、遮断機を切断するのか、チョイト興味津々!

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●交通安全を願う地蔵尊 ・・・・・・・鷺ノ宮駅の踏切脇(中杉通りに面し)、小さな堂があり中には交通安全厄除地蔵尊が祀られている。 この地蔵尊は、日本で最初の交通の地蔵尊で昭和12年(1937)に建立されたそうだ。、、、、、地蔵尊の脇には、数体の石仏と庚申塔などが建っている。これらは近くに流れる妙正寺川を改修した時に近隣から集められたそうだ。、、、、、一般歩行者向け標語 「危ないよ スマホじゃなくて 周り見て」、助平親爺向け標語 「危ないよ 若い娘じゃなくて 周り見て」

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・地蔵堂の奥に妙正寺川改修記念塔がある。 かつては、のどかな小川だった妙正寺川は鉄道の開通により、市街地化による氾濫・沿岸住民の浸水被害などが甚大となった。 改修工事を待ち望んでいた沿岸住民の願いが達成された、昭和43年(1968)の工事完工を記念してここに塔が建てられた。、、、、、前時代的なデザインの記念塔だ!

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●いろいろな石仏が居ます! ・・・・・・鷺ノ宮駅の南側小高い処に、真言宗豊山派寺院の福蔵院がある。 白鷺山正幡寺と号す。 本尊は不動明王の坐像。福蔵院は、僧頼珍が大永元年(1521)に創建したと言われてる。 江戸時代には、隣接する鷺宮八幡神社の別当寺を務めていた。、、、、、大寺院ではないが境内は広く緑も多く、気持ちの和らぐ寺である。、、、、、地名の「白鷺(しらさぎ)」は鷺宮八幡神社とは関係なく、当福蔵院の山号「白鷺山(はくろさん)」から来ている。 昭和7年(1932)住居表示変更の時、住民等は〝南鷺宮〟など〝鷺〟か〝宮〟かの字を残したいと考えていたところ、偶然福蔵院の山号に気づいた者がいて「しらさぎ」と読み替えて採用したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・山門の脇に十三仏が並んでいる。、、、、、案内板の説明によると、、、これは、不動明王(初七日)、釈迦如来(二七日)、文殊菩薩(三七日)、普賢菩薩(四七日)、地蔵菩薩(五七日)、弥勒菩薩(六七日)、薬師如来(七七日)、観世音菩薩(百箇日)、勢至菩薩(一周忌)、阿弥陀如来(三回忌)、阿閦如来(七回忌)、大日如来(十三回忌)、虚空蔵菩薩(三十三回忌)のことである。 この13の仏菩薩は、死後の忌日を司るもので、冥界で生前の審判を受ける死者の救済を願って祀られた。 このように自他の供養が纏めて修められることから、室町時代以降、民間で広く信仰された。 銘によれば8体は、寛文6年(1666)の大日如来像を最古として、貞享2年(1685)の普賢菩薩像に至る19年間に造立された。残る5体は破損したものと見られ、現存するものは100余年後の寛政8年(1796)に真言講中の27人によって再建されたものだ、このように13体揃った石像は都内でも珍しく、他の石仏と同様、江戸時代後期の日常生活に深く根付いていた庶民信仰の現れといえる。、、、、、私も手を合わせてきた。 

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・・・・・・・・・・・・・・・福蔵院本堂の裏側にも参道らしき道がある。 その途中、崖地に穴を掘られた石室があり、2体の不動尊が安置されている。 「垢離不動尊」と書かれている。 垢離は“こり”と読み、“水ごり”の“こり”で、神仏に祈願する前に海水や冷水を浴びて心身の穢れを落とし清めること。、、、、、チョイト赤く塗られたお不動さん。 剣を持つ右手が重く、肩こりか?

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・・・・・・・・・・・・・・・福蔵院山門の向かいの側に小堂がある、ここには「こぶとり地蔵」が祀られている。 最近は瘤(こぶ)のある人を見る機会は減ったようだが、私の幼い頃(終後)には顔に瘤のある人が結構いたように記憶している。 昔は衛生観念も悪く、いい薬もない、医療も進んでいないなどで、いろんな病気に罹っても、治す機会も少なく、そのままにして瘤となってしまったようだ。 そんな時代に、最高の治療は神頼みだった。 各地に残る「瘤取り地蔵」の一つ。、、、、、現在の「こぶとり地蔵」は「小太り地蔵」と書いて、「ライザップ」と読むのかも? 菊池亜美の進化を見たら、効果あり! 森永卓郎の失敗見たら、ヤッパリね!

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●本当に、鷺はいたのか? ・・・・・・福蔵院(旧別当寺)西隣に鷺宮八幡神社がある。 康平7年(1064=鎌倉時代)、源頼が東国征伐の後、鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられている。 この地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称された。 現在の本殿・幣殿・拝殿は昭和35年(1960)に改築。、、、、、この付近は老樹林の鬱蒼とした森で、神社はその中に鎮座していたそうだ。 昔は電車も走っておらず、この辺りはド田舎だったと思われる。

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●重文に指定したいね! ・・・・・鷺宮八幡神社から南へ500m程歩くと、屋根が“へ”の字型になっている2階建て集合住宅が並ぶ、「鷺の宮住宅」がある。 ここの建物は、「テラスハウス」(境界壁を共有する複数の戸建て住宅が連続している形式の低層集合住宅)と呼ばれ、7棟(20戸)が並んでいる。 このテラスハウスは、東京文化会館などを手掛けた建築家:前川國男(1905~1986)の設計で、昭和33年(1958)に建てられた貴重な建築だ。 建設時は公団の住宅であったが、現在は企業・民間に譲渡され、寮・住宅となっている。 そのため、北側(玄関側)は建築時の姿を残してはいるが、南側(庭側)には部屋を増築した棟が多く、南面は雑然とした景観となっている。 チョイト残念だ!、、、、、テラスハウスとして有名だった杉並区成田東の公団阿佐ヶ谷住宅の350戸は数年前に取り壊されので、現存するここ「鷺の宮住宅」はより貴重なものとなった。 私が文科大臣なら、取り壊されないうちに、重要文化財に指定するのだが、ますます残念!

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●シンデレラ親爺 ・・・・・白鷺の町を歩きすぎた! 帰宅時間が近づき、シンデレラ親爺は、急ぎ足でハアハア息切らし、食欲旺盛でペコペコ腹空かし、高円寺駅に向かう!

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2019年4月12日 (金)

暴れん坊将軍の御膳所

3月19日に「雅万歩」を作成・掲載・管理する、ブログ作成ツール「ココログ」(ニフティー提供)が更新されました。 以来、「ココログ」に大量のトラブルが発生し、提供元では今だソフトの修正が完了しておりません。 「雅万歩」も投稿しにくい状態が続いております。 これまでと同じような表示に戻るまでには、まだ相当の時間を要すると思います。、、、、、しばらく、我慢してください。

今日の散歩は、西武池袋線桜台駅で下車し、練馬区豊玉北をぶらついて、中野区江古田3丁目まで歩いてきた。 1万歩。




●桜並木が地名になった ・・・・・・70余年の東京暮らしで私がこれまで一度も下車したことのない駅が桜台駅である。 今日は駅名の“桜”に魅せられ、下車して見た。、、、、、桜台駅は、昭和11年(1936)7月10日1936に武蔵野鉄道武蔵野線の駅として開業。 昭和20年(1945)に戦時中につき営業を休止する。 昭和23年(1948)4月1日営業再開。 現在は、島式ホーム1面2線を有する高架駅。 駅は住宅街の中に無理矢理・強引に造ったような駅で、駅前広場はなく、広い道路に面しているわけでもない。 “表通りから裏道に入ると駅がある”、そんな感じだ!、、、、、昭和9年(1934)に昭和天皇誕生記念で石神井川沿いに桜が植えられ、大正4年(1915)に大正天皇即位の御大礼記念に千川上水堤に桜が植えられ、駅周辺に桜並木があることと、石神井川南岸の台地であることから、「桜台」の駅名が創られたそうだ。 

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・・・・・・・・・・・・・・・駅から50m程で「千川通り」(江戸川橋~目白~保谷~清瀬市)に出る、通りには「桜の碑」がある。、、、、、この付近の千川通りの脇に、かつて千川上水が流れていた。 千川上水は、元禄9年(1696)江戸下町方面の飲み水として玉川上水より分水された上水道。 開通から10年後の宝永4年(1707)には近隣20ヶ村の願いで、灌漑用水として利用することが許され、用水の管理は工事を完成させた功により代々千川家に任されたそうだ。 千川上水沿いには桜が植えられ並木となる。、、、、、これが駅名「桜台」の謂れとなり、昭和38年(1963)には地名「桜台」ともなった。、、、、、“平成最後の桜”も散り始めた。

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●観てみたい博物館 ・・・・・・豊玉陸橋をの下で「環七通り」と「目白通り」を横断し豊玉北3丁目に足が入ると、「唐澤博物館」が目に入る。、、、、、「唐澤博物館」には、10年ほど前に来たことがあるが、入館できなかった。 ここは来館者が少ないようで、11時すぎないと開かない、私の時計は9時『今日もダメだ!』 またの機会とする。、、、、、ところで、「唐澤博物館」とは、教育学・教育史研究家の唐澤富太郎(1911~2004 )が長い歳月をかけて収集した、日本の子どもの教育と遊びに関する数万点におよぶ研究資料の中から、特に選りすぐった7000点余りを展示する個人博物館。 何だかよく判らんが、「百聞は一見に如かず」見てみたいものだ。

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●終末期の施設、全て揃っています ・・・・・・江古田の森公園(えごたのもりこうえん)は、中野区江古田にある中野区立の公園である。 三方を江古田川に囲まれた小高い丘がある、樹木や芝生の豊富な公園。 当地は長く国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。当病院は1993年に新宿区の国立国際医療センターへ移転統合し、跡地が公園として整備されたものである。、、、、、現在公園の周囲には、私のカウントで、病院(4軒)、老人ホーム(5軒)、教会(2軒)、修道院(2軒)などが立ち並んでいる。、、、、、なんだか、身も心も終末期の準備が出来そうだ。 アッ、寺と墓地も近くにあった!

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●氷川神社と別当寺 ・・・・・・・・・・江古田3丁目に江古田村の鎮守である氷川神社がある。 祭神は素盞雄尊。 鎮座の年代は不明。 口碑によると寛正元年(1460)に村人が素戔嗚の武徳を慕い、この地に小祠を建てたのが始めらしい。 当初は牛頭天王社といい、元禄9年(1696)に氷川社に改めた。、、、、、現在の拝殿は昭和7年(1932)に建築したもの。 

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・・・・・・・・・・・・・・・氷川神社の東に別当寺であった、真言宗豊山派寺院の東福寺がある。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと言われている。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定した。 境内に御膳所跡の碑が建てられている。、、、、、昭和42年(1967)に本堂は鉄筋コンクリート造に改築された。(現在、本堂改修工事中) 歴史ある寺だけど、歴史ある建物は残っていないようだ。 【ナイショの話】寺の北側に61戸が入る大きなマンションがある。 ここは、三波春夫御殿跡で没後、息子の豊和が財産保全のため建てたそうだ。 賢いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・東福寺から南西に250m程、氷川神社参道の入口付近に地蔵尊と馬頭観音が祀られている。 ここは「お経塚」と云うそうだ。 昔、東福寺が火事に遭った時、燃えた経典などを埋めて塚を作り供養したところなのでその名となった。 大正の頃、この土地を均した時、地中から人骨と一緒に、茶筒形をした金属製のものを掘り出した。 恐らく経筒だったのだろうと考えられているが、何時の間にか無くなり、誰も中を改めた者がなく、その確証はないそうだ。 人骨はこの地の片隅に埋めて、その上に地蔵の石像が建てられた。

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●お帰りの時刻です ・・・・・・・東福寺前のバス停「江古田三丁目」から中野に向かい帰宅。

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2019年2月20日 (水)

目薬より効く、目の薬師

中野の病院に行った帰り、新井薬師に参り、西武新宿線の新井薬師前駅まで、9千歩の散歩です。
 
 
 
●眼科の帰りは薬師へ ・・・・・・・・・・・目に炎症があり点眼治療していたが、本日の検診で治ったようだ、『薬はもう点さなくていいです。 3ヶ月後に、また、いらしてください』との言葉を頂戴して、病院をあとにする。、、、、さて、これから何処へ行こうか? 眼科に来た帰りなので、『目の薬師』と言われてる「新井薬師」に行くことにした。 その前に、「旧豊多摩監獄表門」にも寄って行こう!
 
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●一人でニヤニヤ ・・・・・・・中野区新井の町に、住宅の敷地の角に立てられた、鉄道の三灯式信号機があった。 電球は点いていない。 だいぶ古そうだ、鉄道オタクの住人が立てたのか?、、、、、鉄道オタクはこういう鉄道関連の機器・備品を集める人が多いね。 鉄道に関心がない家族にとっては、無用の長物、ガラクタ、邪魔物、と言われ嫌われる。、、、、私も、旅先で拾ってきた、線路の敷き石、犬釘などを眺めて、『これは〇〇駅』の物と悦に入り、ニヤニヤ。
 
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●檻の中の監獄 ・・・・・・・・・・・中野区新井3の「平和の森公園」の一画に、法務省矯正研修所があり、その敷地内に「旧豊多摩監獄表門」が残されている。 4年ぶりに見に来たら、フェンスで立ちふさがれ近寄れない。 アリャ!コリャ!どうした!監獄ロック!オット・マチガエ、監獄フェンス!、、、、この場所には明治43年(1910)から昭和58年(1983)の廃庁まで、「豊多摩監獄」、「豊多摩刑務所」、「中野刑務所」と改称しながら、73年の歴史を刻んだ施設があった。 その表門が残されている。 煉瓦造りの表門は高さ約9m、幅18m、奥行き13m。 当時の司法省の技師:後藤慶二の設計で大正4年(1915)に完成し、震災・戦災を免れてきた建築である。、、、、法務省の研修所は移転し、跡地を中野区が購入した。 区は跡地に小学校を建てる計画があるそうだ。 昨年、区は文化財的観点の高い表門を、現地保存して都の文化財指定を目指す方針を明らかにしたそうだ。、、、、檻の中の監獄が整備され再び見られるのを楽しみにしよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・平成27年(2015)撮影の旧豊多摩監獄表門
 
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●刑務所でお勤めしたお稲荷さん ・・・・・・・・・・・プレスリーの気分で監獄ロックのリズムにのって、新井薬師に向かう手前に新井天神北野神社がある。、、、、新井天神北野神社の祭神は菅原道真。 創建は不明だが、天正年間(1573~1592)に新井薬師梅照院の開祖行春が、村人とともに小祠を改めて天満宮としたのが始まり。、、、、天神様なのにウメの木は少なく、チョイト寂しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・参道の横に、寶樹稲荷神社がある。 このお稲荷さんは、江戸時代後期の文化14年(1817)に市ヶ谷の板倉勝政の屋敷内に祀られた。 その後、明治8年(1875)に板倉屋敷跡は市ヶ谷囚獄となり、当神社はそのまま残されていた。 大正4年(1915)には、監獄が豊多摩監獄に移転した際に当稲荷も共に遷ってきた。 その後、法務省矯正研修所と変わっても、敷地内に残り鎮座していたが、研修所の移転により、当神社は平成27年(2015)に現在の北野神社に遷座された。、、、、長きにわたり監獄・刑務所で過ごしたお稲荷さん、お勤めご苦労さんです!
 
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●目薬より効くか? ・・・・・・・・・・一般に「新井薬師」として知られている新井山梅照院薬王寺は、中野区最大の寺院である。 足立区の西新井大師と同じ真言宗豊山派の寺院。、、、、、梅照院の本尊は、薬師如来と如意輪観音のニ仏一体の黄金仏で、高さ一寸八分(約5.5cm)の像と言われている。 この本尊は弘法大師作と言われ、鎌倉時代の武将:新田家代々の守護仏であった。 ところが、鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに、ある日の夕方、像を納めたお城の仏間から忽然と光が放たれ、それとともに像は消え失せた。 その後、相模国から行春という僧が、清水の湧きいずるこの地こそ、真言密教の行にふさわしい土地と感じ、新井の里を訪れて草庵を結んだ。 不思議なことに、草庵の庭の梅の古木から光が発せられる現象が夜毎に起こり、天正14年(1586)、その梅の木の穴から新田家ゆかりの像が発見された。 行春はこの像を安置するために、新たに堂を建立した。 これが、梅照院の始まりである。、、、、、魔訶不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、その後、広く、深く信仰されるようになる。 特に、二代将軍秀忠公の第五子和子の方(東福門院)が患った 悪質な眼病が、祈願して快癒したことなどから「目の薬師」と呼ばれ、 あるいは第五世玄鏡が元和3年(1617)に如来の啓示によって、秀れた小児薬を調整したことなどから「子育て薬師」とも呼ばれて、多くの人々に篤く信仰されている。、、、、、、私も、目の炎症が治ったので、賽銭を奮発し、手を合わせてきた。
 
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●地下駅になる! ・・・・・・・・・梅照院から東へ500m程、西武新宿線の新井薬師前駅がある。 昭和2年(1927)4月16日に高田馬場~東村山間の路線開業と同時に駅も開業した。、、、、現在工事が進められている、中井~野方間の連続立体交差事業では島式ホーム1面2線の地下駅となる予定。 工事は2020年度完成予定。 遅れなければいいのだが、安全第一で!
 
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