笹塚から東高円寺まで
昨日の早朝、我が家では夜明けのカラスより大きな声で『ギャー・イテ・イテテ・イテテオ~』と叫び声が響く。 隣で寝てる妻も目を覚まし、キョトン『どうしたの?』 私の足が“つった”(こむら返り)のだ! 刺すような痛みは1分程で引いたが、筋肉痛の痛みは残り、散歩に出る余裕はなかった。
今朝は慎重に起き、何事も起こらずに起床。 しかし筋肉痛は残ってる、『この程度なら歩いてるうちに痛みは取れるだろう』と散歩に出ることにした。 東日本橋駅から都営新宿線に乗り、京王線の笹塚駅で下車する。 チョイト足が痛むが、駅から北の方角に歩き、丸ノ内線の東高円寺駅まで、1万1千歩の散歩となった。、、、、家に帰り、このブログを書いてる今も筋肉痛は治らず、老いたせいで治りも鈍くなったようだ!
● 笹塚駅は島式ホーム2面4線と福本線(京王新線)側へ繋がる引上線2線を有する高架駅。、、、、大正2年(1913)4月15日に京王電気軌道線(現:京王線)の開業と同時に当駅も開業。 京王電鉄で最も古い駅の一つ。 昭和53年(1978)には駅は高架化された。、、、、駅のある当地は内藤新宿からの距離により、一里塚が甲州街道の両脇にあって、その塚が笹やぶで覆われていたことから、「幡ヶ谷村笹塚」と命名され、駅名の由来ともなっている。、、、、朝8時、下りホームは空いている、上りホームは混んでるね! 笹塚から上りの始発電車が出てるので、それを待ってる人もいるようだ! 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 通勤客』
● 笹塚駅から甲州街道を渡り、「十号通り商店街」を北へ向かって歩く。、、、、十号通り商店街は、甲州街道から北へ入る細い通りの商店街。 チェーン店も見かけるが、ほとんどが昔からこの地に根づいて商売を営んできた店ばかり、にぎやかそうな商店街だ。 行列のできるカレー店や、昔ながらのそば屋、中華料理屋といった下町情緒をたっぷり感じさせてくれる店も揃っている。、、、、朝は駅に向かうサラリーマンと、駅から学校へ向かう女学生が、それぞれ南へ北へ歩き、狭い商店街に人影が途切れることはない。
・・・・・・・・・・ 十号通り商店街は水道道路にぶつかり、女学生は校舎に吸い込まれて行く。、、、、「水道道路」とは、明治31年(1898)、淀橋浄水場の新設に伴い、現在の和泉給水所地点から分岐し浄水場まで、ほぼ真直ぐな一本の水路が開削された。 水路は、関東大震災で決壊し、その後は並行して通る甲州街道の下に管を埋設し、淀橋浄水場に水を供給した。 そして、水路跡のほとんどは「水道道路」と都営住宅に転用されている。、、、、今日の散歩は水道道路を横断し、校舎脇の「十号坂」を下り、さらに北へ。、、、、影が長く伸び、まもなく冬至だ、寒いはず!
● 笹塚から北北西へ約1.0kmの所(中野区南台3)、チョイとした高台に「多田神社」がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物) 当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、現在の社殿は昭和35年(1960)に再建された。
● 多田神社の北側(社殿の後ろ側)に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 本尊は聖徳太子。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。 多田神社の旧別当寺である。 、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂も再建された。
● 宝福寺から300m程北に歩くと、東京メトロの「中野車両管理所」がある。 丸ノ内線の車両基地である。 寄った時刻は午前9時、車両の多くは通勤時間に合わせ、稼ぎで走りまくっていると思われる。 基地内に残っている車両はわずか、空いた線路が目立つね!
● 中野車両管理所の北側を流れる神田川。 神田川を「和田見橋」で越える。 この橋は、杉並区の和田、中野区の富士見(旧町名)の区界に架かっており、両区の顔を立てて“和田”+“見”=“和田見”と命名された。
● 神田川を越えて杉並区に入り、細い裏道を歩いていると「長延寺」があった。 長延寺は曹洞宗のおで、山号は万昌山。 文禄3年(1594)市谷(現:新宿区市ヶ谷)に十世喚英長応によって開山。 当地には明治42年(1909)に移転した。 今川義元の曾孫直房が寛文元年(1661)当寺に葬られて以来、今川家の菩提寺にもなっています。 本尊は釈迦如来坐像。
・・・・・・・・・・ 境内には江戸時代市ヶ谷でとくに有名だった「ぼたもち地蔵」が祀られている。 その由来は、当時門前に信心深い夫婦が住んでおり、この地蔵に願いをかけて男児を得たが、産後の肥立ちが悪く、母子ともに明日をも知れない状態になったところ、地蔵が化身した小僧がぼた餅を持って現れ、それを食べた母子がともに元気になった。 以来この地蔵は子育て地蔵として信仰を集めたと伝えられている。
● 長延寺の北側(杉並区和田1)には曹洞宗寺院の「常仙寺」がある。 山号は石雲山。 常仙寺は、中野竜昌寺四世祥岩存吉和尚(慶長19年寂)が開山となり慶長7年(1602)麹町に創建、明治41年(1908)当地へ移転した。 存吉和尚は出家前に山麓で狼に襲われた折、鳳来寺山麓に祀られていた薬師が虎(寅)に化身して救われたことから、存吉和尚は出家、この薬師を当寺の本尊に迎えたといい、このことから「災難除けの寅薬師」と呼ばれている。、、、、足の筋肉痛を治してもらいたく、念入りに手を合わたが、効き目は?
● 筋肉痛で痛い痛い足をなだめすかして裏道を歩き、着いた駅は丸ノ内線の「東高円寺駅」。 荻窪線(現:丸ノ内線)新中野~南阿佐ヶ谷間延伸から約3年後の、昭和39年(1964)9月18日に追加開業した。 ホームは相対式2面2線で地下1階にある。、、、、比較的古い駅で地上に近いところを通っているため、池袋方面と荻窪方面の行き来には地下2階の連絡通路を通る必要がある。 エスカレーターの無い昇り降りは、年寄りには辛いね!