中野区

2025年11月 8日 (土)

高円寺の高円寺

JR中央線の高円寺駅で下車し、高円寺、蚕糸の森公園を巡り、中野駅まで、8千歩の散歩です。



● 中央・総武緩行線で新宿から4駅目に、1日平均の乗車人員が約48,000人の「高円寺駅」がある。 毎年8月に行われる「東京高円寺阿波おどり」で有名な駅だ!、、、、、大正11年(1922)7月15日、国鉄の駅として開業した。 島式ホーム2面4線の高架駅。、、、、、JRの乗車人員数は私の住む浅草橋駅の方が約50,000人と少々多いのだが、駅と駅周辺の雰囲気は高円寺駅の方が山の手らしく洗練されている、浅草橋駅は誰が何と言おうとも下町の駅でチョイとガサツ、上品さでは負けてる感じ!
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● 高円寺駅から南東へ約100m、ビルの間に素盞嗚尊を祀る「高円寺氷川神社」が鎮座する。 創建年代は不詳であるが、同じ村内にある曹洞宗高円寺の創建と同じ頃の天文年間(1532~1515)の創建といわれてる。、、、、、戦災で社殿は焼失し、現社殿は昭和46年(1971)に再建された。 総鋼鉄製の社殿はシンプルでモダンな感じがする。
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・・・・・・・・・・ 境内社の一つに、馬橋4丁目の陸軍気象部に祀られていた気象神社が、戦後、昭和23年(1948)に氷川神社の境内に遷座された。 全国唯一の神社である。 気象予報士を目指す受験生、脱雨男・脱雨女を願う人で、結構、参拝する人が多いようだ。、、、、、神社の絵馬は、天気占いの下駄とテルテル坊主。 当たるも予報・当たらぬも予報 所詮は雲(運)だ!
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JR高円寺駅の南東300m程に宿鳳山高円寺」がある。 高円寺は、弘治元年(1555)に開山した曹洞宗の寺院である。 本尊は観音菩薩で、寺の周辺に桃の木が多くあったことから「桃園観音」と呼ばれている。(チョイと艶っぽい名で、ぜひ一度、拝んでみたい) 将軍徳川家光が鷹狩りの際、度々立ち寄り、お茶の接待をした徳川家ゆかりの寺でもある。 山門、本堂の瓦に三つ葉葵の紋が見られる。 また、高円寺のある地は、かつて小沢村と呼ばれていたが、家光によって高円寺村と改めさせられたそうだ。 寺の高円寺が地名となり、駅名となった。、、、、、高円寺は寛保2年(1742)、弘化4年(1847)、明治33年(1900)、昭和20年(1945)と4度罹災した。 現在の本堂は昭和28年(1953)に、木彫りの名人でもある気仙沼の宮大工:中村青雲により再建された。

・・・・・・・・・・ 山門を入ると、両側に楓の木が並ぶ。 チョイト紅葉には早かった!、、、、、参拝する人影はなく、静かな、緑豊かな境内である。
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・・・・・・・・・・ 扁額と中村青雲の彫刻が迎える本堂。 本尊の桃園観音はこの中に! ぜひとも、拝観したいが無理だな!
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・・・・・・・・・・ 本堂の手前には地蔵堂がある。 中央に「桃園子育地蔵尊」、右に三匹のサルと小さな子供の石仏、左に子づくり道具の石仏。、、、、手を合わせるが、子育てはとっくに終わり、子作りは相手がおらず、子守するより介護される身。 
はて(?)私は何を願っていいのやら。
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● 高円寺の山門前から南へ250m程歩くと、曹洞宗の「瑞祥山鳳林寺」がある。 本尊は釈迦牟尼仏。 鳳林寺は、江戸牛込御門外舟河原(現:新宿区市ヶ谷飯田橋駅周辺)に永禄元年(1558)草創、駒込吉祥寺の和尚が開山、旗本荒川長右衛門重照(1657年歿)が開基したといわれてる。 寛永12年(1635)牛込に移転、明治7年(1874)西早稲田夾山寺を合併、大正3年(1914)当地へ移転した。
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・・・・・・・・・・ 境内には延命地蔵尊がある。 当地蔵尊は行者晴雲が願主となり諸国の神社仏閣巡拝でうけたお札を納めるため元文2年(1737)夾山寺に造立され、「大石仏の地蔵」(高さ4m程)といい伝えられたそうだ。
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● 高円寺陸橋を過ぎると、青梅街道沿いに「蚕糸(さんし)の森公園」がある。 ここはもともと、蚕糸の試験場があり、その跡地にこの公園ができたことが由来する。 かつて、試験所の本館など貴重な建物もあったが、防災上の理由によりほとんどが取り壊されて、今は、歴史を感じさせるレンガ造りの門柱と大正元年(1912)に建てられた守衛所が、管理棟として残されている。 優美なデザインの門扉と門柱。 門柱の照明がかわいい。 レンガ造りの管理棟は、門柱と同じく、赤レンガの間に帯を配したデザイン。 小さいながらもどっしりとした風格がある。 屋根は歴史を感じさせる銅葺き。 アーチ形のドーマ・ウィンドウが設けられている。 
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● 蚕糸の森公園から裏通りを歩き、中野駅へ出て帰る。
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2025年7月12日 (土)

はやく治して薬師さま!

原因不明のアレルギーとなり、全身に赤いボツボツが出た私は、そろそろ発症してから1ヵ月となる。 朝晩の一日2回、病院でもらった塗り薬を全身に塗っているが完治せず。 うだるような暑さの中で、ベトベトする薬を塗ると、気持ちは『もうダメ! 何もする気なし! 風呂に入って薬を流し、サッパリしたい!』・・・・・こんな気持ちが続く毎日であった。
長く続いた真夏日・猛暑日もストップし、今日は涼しい日となった。 朝、久しぶりにエアコン、扇風機の動いていない部屋で朝食となった。 食後、『そうだ、今日これから新井薬師へ行って、アレルギーの完治を祈願してくる!』と家を出る。



● 浅草橋から中央・総武線各駅停車で約28分、朝8時、中野駅に降りる。 
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・・・・・・・・・・ 中野駅は、西口改札・南北通路・新駅ビルなどの工事が着々と進んでいる。 令和元年(2019)に工事に着手し、南北通路と橋上駅舎の完成は令和8年(2026)を目指す。 橋上駅舎の商業施設などは令和9年度開業予定らしい。
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・・・・・・・・・・ 高さ約92mの中野サンプラザは、再開発計画が白紙撤回され、取壊しも手付かずとなり、どうなる事か?
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● 中野駅北口から、早朝の商店街、飲食街を歩き新井薬師に向かう。
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● 中野区新井にある「新井薬師」は、正式には「新井山梅照院薬王寺」と称し、中野区最大の寺院で、駅名にもなる著名な寺院。 真言宗豊山派の寺院で、天正4年(1586)に開山。、、、、寺伝では、鎌倉末期、相模国から行春という僧が新井の里を訪れた。 清水の湧き出るこの地こそ、真言密教の修行道場にふさわしいと感じて草庵を結んだ。 この草庵は、徳川初期頃になると廃寺同然に荒れ果てた。 あるとき、庭に植わる梅の古木が夜毎に光るという現象(ライトアップか?)が起こり、天正14年3月21日、梅の木を調べると薬師如来が現れた。 中野郷新井の郷士であり、元新田義興の臣:窪寺某が太田金山城に祀られていた尊像であることを確認し、薬師堂を建立したのが梅照院の始まり。 本尊は、弘法大師が彫ったと言われている薬師如来如意輪観音像。 秘仏とされており、寅年のみに御開帳される。 また堂宇は、元禄、明和、明治の各期に度々焼失し、昭和20年(1945)の空襲でも本堂・太子堂・庫裏などすべて焼失した。 しかし本尊は、火災のたびに無事救出されている。 現在は本堂・庫裏などが復興・整備されている。、、、、、お賽銭を奮発し500円、『薬師如来さま、謎のアレルギーを早いとこ消し去ってください、お願いします!』 お札所では、記念にお札か御守りを買おうかと思ったが、気に入るものが無く、止めた! 
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● 参詣を終え、西武新宿線の新井薬師前駅へ、、、、、新井薬師前駅は、現在工事中の中井~野方間の連続立体交差事業では地下駅化(島式1面2線)となる予定である。 地下化されて、ホームのきついカーブが解消されると良いのだが?(ホームのカーブはそのまま残るかも
?)、、、、、西武新宿線は、明治27年(1894)に川越鉄道川越線として国分寺~久米川間が開業し、以後、都心に向かい順次開業していった。昭和2年(1927)には、村山線として高田馬場~東村山間が開業し、同時に新井薬師前駅も開業した。
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● 新井薬師前駅の北側を歩くと、上高田5丁目に「三井文庫・三井家野方墓所」があった。、、、、、三井文庫には、三井家、三井グループの史料・資料が保管されているそうだ。 三井家野方墓所には、三井高利の墓碑や三井越後屋・三井両替店の奉公人の戒名を刻んだ惣石塔(総墓)などを置いて、一族や奉公人の霊を祀っつているそうだ。、、、、、門扉は閉まり、公開されていないようで、立ち入らず通過。
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● 三井文庫の脇の坂を下ると、真言宗豊山派の寺院「光徳院」がある。 チョイト、お立ち寄り。、、、、、当院は開山当時半蔵門にあったが、江戸城構築に際し、牛込市ヶ谷田町に転じ、さらに牛込柳町に移り明治43年(1910)にこの地に移る。 寺宝の千手観世音は木像で、高さ3尺3寸子育観音と号し、第60代醍醐天皇の御代延喜元年に右大臣菅原道真公が筑紫へ左遷のみぎり自ら刻みて供養礼拝した。その後久しく筑紫の千手坊にあったが、縁あって中野宝仙寺の14世秀雄法印に預ける。秀雄法印は中野宝仙寺より、光徳院に転住となりこの尊像を守護して一宇を建立し安置した。 境内には平成7年に落成した五重塔(木像瓦葺き)もある。
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● 上高田5丁目に柿の実を見つけた。 まだ、秋は遠く、夏も来ていないのに、たくさんの実がついている。 都会育ちの私には、柿の実は夏から秋になるものと思っていた。 これも異常気象か? 
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● 妙正寺川を渡り、中野区上高田から新宿区中井の町に入る。 目白大学の近くに「中井御霊神社」があった。 こちらもチョイトお立ち寄り。、、、、、「中井御霊神社」は、創建が不明であるが、古くから落合村中井の鎮守であった。 当社で行われる、五穀豊穣を祈念する祭礼として有名な備射祭は、葛谷御霊神社と共に新宿区の指定民俗文化財となっている。、、、、、住宅地の奥にあるあまり大きくない神社だが歴史は有りそうだ!
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● 再び西武新宿線の踏切を越えて、東中野駅まで歩く。、、、、、久しぶりの散歩は、1万1千歩
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2024年12月16日 (月)

笹塚から東高円寺まで

昨日の早朝、我が家では夜明けのカラスより大きな声で『ギャー・イテ・イテテ・イテテオ~』と叫び声が響く。 隣で寝てる妻も目を覚まし、キョトン『どうしたの?』 私の足が“つった”(こむら返り)のだ! 刺すような痛みは1分程で引いたが、筋肉痛の痛みは残り、散歩に出る余裕はなかった。
今朝は慎重に起き、何事も起こらずに起床。 しかし筋肉痛は残ってる、『この程度なら歩いてるうちに痛みは取れるだろう』と散歩に出ることにした。 東日本橋駅から都営新宿線に乗り、京王線の笹塚駅で下車する。 チョイト足が痛むが、駅から北の方角に歩き、丸ノ内線の東高円寺駅まで、1万1千歩の散歩となった。、、、、家に帰り、このブログを書いてる今も筋肉痛は治らず、老いたせいで治りも鈍くなったようだ!



笹塚駅は島式ホーム2面4線と福本線(京王新線)側へ繋がる引上線2線を有する高架駅。、、、、大正2年(1913)4月15日に京王電気軌道線(現:京王線)の開業と同時に当駅も開業。 京王電鉄で最も古い駅の一つ。 昭和53年(1978)には駅は高架化された。、、、、駅のある当地は内藤新宿からの距離により、一里塚が甲州街道の両脇にあって、その塚が笹やぶで覆われていたことから、「幡ヶ谷村笹塚」と命名され、駅名の由来ともなっている。、、、、朝8時、下りホームは空いている、上りホームは混んでるね! 笹塚から上りの始発電車が出てるので、それを待ってる人もいるようだ! 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 通勤客』
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● 笹塚駅から甲州街道を渡り、「十号通り商店街」を北へ向かって歩く。、、、、十号通り商店街は、甲州街道から北へ入る細い通りの商店街。 チェーン店も見かけるが、ほとんどが昔からこの地に根づいて商売を営んできた店ばかり、にぎやかそうな商店街だ。 行列のできるカレー店や、昔ながらのそば屋、中華料理屋といった下町情緒をたっぷり感じさせてくれる店も揃っている。、、、、朝は駅に向かうサラリーマンと、駅から学校へ向かう女学生が、それぞれ南へ北へ歩き、狭い商店街に人影が途切れることはない。
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・・・・・・・・・・ 十号通り商店街は水道道路にぶつかり、女学生は校舎に吸い込まれて行く。、、、、「水道道路」とは、明治31年(1898)、淀橋浄水場の新設に伴い、現在の和泉給水所地点から分岐し浄水場まで、ほぼ真直ぐな一本の水路が開削された。 水路は、関東大震災で決壊し、その後は並行して通る甲州街道の下に管を埋設し、淀橋浄水場に水を供給した。 そして、水路跡のほとんどは「水道道路」と都営住宅に転用されている。、、、、今日の散歩は水道道路を横断し、校舎脇の「十号坂」を下り、さらに北へ。、、、、影が長く伸び、まもなく冬至だ、寒いはず!
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● 笹塚から北北西へ約1.0kmの所(中野区南台3)、チョイとした高台に「多田神社」がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物) 当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、現在の社殿は昭和35年(1960)に再建された。
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● 多田神社の北側(社殿の後ろ側)に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 本尊は聖徳太子。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。 多田神社の旧別当寺である。 、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂も再建された。
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● 宝福寺から300m程北に歩くと、東京メトロの「
中野車両管理所」がある。 丸ノ内線の車両基地である。 寄った時刻は午前9時、車両の多くは通勤時間に合わせ、稼ぎで走りまくっていると思われる。 基地内に残っている車両はわずか、空いた線路が目立つね!
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● 中野車両管理所の北側を流れる神田川。 神田川を「和田見橋」で越える。 この橋は、杉並区の和田、中野区の富士見(旧町名)の区界に架かっており、両区の顔を立てて“和田”+“見”=“和田見”と命名された。
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● 神田川を越えて杉並区に入り、細い裏道を歩いていると「長延寺」があった。 長延寺は曹洞宗のおで、山号は万昌山。 文禄3年(1594)市谷(現:新宿区市ヶ谷)に十世喚英長応によって開山。 当地には明治42年(1909)に移転した。 今川義元の曾孫直房が寛文元年(1661)当寺に葬られて以来、今川家の菩提寺にもなっています。 本尊は釈迦如来坐像。
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・・・・・・・・・・ 境内には江戸時代市ヶ谷でとくに有名だった「ぼたもち地蔵」が祀られている。 その由来は、当時門前に信心深い夫婦が住んでおり、この地蔵に願いをかけて男児を得たが、産後の肥立ちが悪く、母子ともに明日をも知れない状態になったところ、地蔵が化身した小僧がぼた餅を持って現れ、それを食べた母子がともに元気になった。 以来この地蔵は子育て地蔵として信仰を集めたと伝えられている。
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● 長延寺の北側(杉並区和田1)には曹洞宗寺院の「常仙寺」がある。 山号は石雲山。 常仙寺は、中野竜昌寺四世祥岩存吉和尚(慶長19年寂)が開山となり慶長7年(1602)麹町に創建、明治41年(1908)当地へ移転した。 存吉和尚は出家前に山麓で狼に襲われた折、鳳来寺山麓に祀られていた薬師が虎(寅)に化身して救われたことから、存吉和尚は出家、この薬師を当寺の本尊に迎えたといい、このことから「災難除けの寅薬師」と呼ばれている。、、、、足の筋肉痛を治してもらいたく、念入りに手を合わたが、効き目は?
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● 筋肉痛で痛い痛い足をなだめすかして裏道を歩き、着いた駅は丸ノ内線の「東高円寺駅」。 荻窪線(現:丸ノ内線)新中野~南阿佐ヶ谷間延伸から約3年後の、昭和39年(1964)9月18日に追加開業した。 ホームは相対式2面2線で地下1階にある。、、、、比較的古い駅で地上に近いところを通っているため、池袋方面と荻窪方面の行き来には地下2階の連絡通路を通る必要がある。 エスカレーターの無い昇り降りは、年寄りには辛いね!
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2024年12月 3日 (火)

大久保から中野

我が家(浅草橋駅)からJR中央・総武線で乗り換えなしの23分、JR大久保駅で下車、今日の散歩の始まり。 いつものように裏通りを歩き、途中で宝仙寺(中野)によって、JR中野駅まで1万1千歩の散歩です。



● 中央・総武線の大久保駅は、明治28年(1895)5月5日に甲武鉄道の駅として開業した。 明治39年(1906)には甲武鉄道の国有化により国鉄の駅となる。 大久保駅は昭和6年(1931)に高架化工事があ完成する。 現在は、島式ホーム1面2線の高架駅で、出入口は北口と南口の2ヶ所。、、、、ホーム上屋は古いレールと木組みでできてる、歴史を感じるね!
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・・・・・・・・・・ 南口(新宿寄り)は大久保駅の裏口である。 裏通りの高架下に口を開けたスタイルの出入口がある。 また、自動改札機は何やら怪しげな古レールに囲まれている。 古レールが高架の天井を支えているようだ?
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・・・・・・・・・・ 北口は大久保通りに面する高架下にある。 大久保駅の表玄関、チャント売店もある。 山手線の新大久保駅までは約300mだ!
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● 大久保駅から大久保通りを西(中野方面)に歩き、神田川の手前で裏通りに入る。
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● 「柏橋」は新宿区と中野区の区界(神田川)に架かる橋。 
新宿側の現町名は「北新宿」という味気ない名前になってしまっているが、以前は「柏木」であった。 「柏木」という旧地名は「柏木小中学校」などに残っているが、JR中央・総武線東中野駅も昔は「柏木駅」という名前であった。 中野区側の町名は「東中野」、これまた、味気ない名前だ!
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・・・・・・・・・・ 柏橋から神田川の上流側を眺めると、先の橋(末広橋)の手前に開口部が見える。 この開口部は、杉並区、中野区を流れる桃園川(ももぞのがわ、別名:中野川)が神田川に合流する出口である。 桃園川は全区間暗渠化され、流れを見ることはできない。
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● 柏橋を渡り、道なりに歩くと正面に小さな社の「第六天神社
」がある。、、、、この神社、元々は中野区内有数の旧家が奉納した屋敷神で江戸時代には耕作地の片隅に奉られていた。 しかし後に小作人たちの多くがここに参詣するようになった為、明治の初めに共同祭祀とされ社格も与えられた。 境内の石碑には、『御由緒 悠久の昔江戸蔵前の第六天神宮(榊神社)御分霊を奉斎 古来より第一 の別宮として尊祀せられて居ります』と彫られてる。
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● 第六天神社から西へ300m程歩くと、「氷川神社」がある。 今年3月に訪れた神社だ!
 、、、、今日は、年末ジャンボの当選を祈願してきた。、、、、境内のイチョウの黄葉は御見事!
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● 氷川神社からは、暗渠化された桃園川の上に造られた桃園川緑道を歩き、宝仙寺に向かう。
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● 中野区中央2丁目にある「宝仙寺(ほうせんじ)」は、真言宗豊山派の寺院。 山号は明王山。 千年近くの歴史を誇る古刹で、境内も広い寺院。、、、、広い境内には、戦前、中野町役場が置かれていた。、、、、後三年の役(1083~)の時、護持していた不動明王像を安置するために寛治年間(1087~1094)に源義家によって現在の杉並区・阿佐ヶ谷にて開かれた。 本尊は鎌倉時代には秘仏になった。室町時代になり、現在の位置に移転した。 江戸時代には、優れた僧を出し、歴代の将軍から厚い保護を受け発展した。 また、当寺院の僧侶が将軍の御前論議に参加することもあった。、、、、堂宇は戦災を被ったものの、戦後再建され、三重塔や本堂を見ることができる。、、、、寺の周囲には付属の宝仙学園が運営する、こども教育宝仙大学、宝仙学園中学校・高等学校、宝仙学園小学校、宝仙学園幼稚園の校舎が取り囲んでいる。 寺より大きな敷地面積を有しているかも? 賽銭・お布施より入学金・授業料かな?
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● 宝仙寺の墓地の向かいに小さな公園がある。 そこには、「山政醤油醸造所のレンガ塀」の一部が残されてる。 塀の建造は、明治32年(1899)と推定されている。 中野での初期洋風レンガ構造物と言われている浅田銀行本店を手掛けた中野在住の棟梁と弟子たちによって、 醸造所の蔵とともに築かれました。 石灰、海草のつのまた、砂などで固める日本の伝統的なしっくい壁の技術とフランス積みといわれるレンガ積み工法で造られている。 当時、レンガ塀の築かれた青梅街道沿いは、中野の商工業の中心地として賑わっていたらしい。 また、みそ・醤油の醸造は、そば粉製造とともに中野の代表的な地場産業であったそうだ。
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● 宝仙寺から裏道を、右に・左に・折れ・曲がり、「
中野区立紅葉山公園」に着いた。、、、、その名の如く、紅葉見物。 ついでに、園内に保存されている「C11蒸気機関車」もパチリ!
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中野駅南口に到着。、、、、これまでの南口は北口と比べると大きな施設もなく、商店街・飲食街とも規模も小さく、元気がなかった。 しかし、ここ数年の間に、駅前の公団住宅が壊され巨大な中野駅前ビルが建てられ、駅前ロータリーの再整備が行われた。 活気が出てきた!
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2024年5月22日 (水)

朽ちかけた閻魔堂

閻魔さまが好きな私は、南蔵院(練馬)の閻魔大王を思い出し、久々に寺を訪れてきた。 大江戸線の練馬駅から、南蔵院に参拝し、帰りは西武新宿線の都立家政駅から帰宅。 1万歩の散歩



練馬駅(ねりまえき)は、西武池袋線と都営大江戸線の駅である。 両線の練馬駅は至近距離にあり乗り換え駅であるが、駅舎は西武池袋線の高架駅、大江戸線の地下駅で、別々な構造となっている。 どちらの練馬駅とも、一日当たりの乗降客は、西武の約11万人、都営の約7万人と多い。、、、、近くには立派な練馬区役所が有る、駅周辺には昼のお店、夜のお店が半端なく多く、さすが練馬区の中心の駅。
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● 駅前の飲食店が並ぶ裏通りを抜ける。
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・・・・・・・・・・ 目白通りに面して高くそびえる、練馬区役所本庁舎は平成8年(1996)3月竣工。 地上21階・地下3階、高さ93.82 m。 東京23区の区役所の中では文京区役所(通称・文京シビックセンター、地上28階・高さ142 m)に次ぐ高さ。 最上階(20階)は展望ロビー、展望レストランがあるらしい。(一度は行ってみたいね!)
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● 真言宗豊山派の南蔵院(練馬区中村1) は、瑠璃光山医王寺と号す。 南蔵院は、永正年間(1504~1520)或いは延文年間(1356~1361)、いずれにしても室町幕府の時代に開創したと言われてる。 江戸期には12石8斗の御朱印領を拝領、西光寺(廃寺、中村八幡神社境内にあった)、大日堂(廃寺)を末寺に擁していた。、、、、寺は、古くから、万病にきく「白龍丸」という薬を製造・頒布していた。「南蔵院の投げ込み」と称され、諸病に効験があるとして名高かったが、明治10年(1877)の「売薬規則」の発布により中止された。、、、、境内は街中にありながら緑にあふれ広い、その中に諸堂が並ぶ。 薬師堂は宝永4年(1707)、本堂・庫裏・閻魔堂などは宝暦3年(1753)の再建。 また、鐘楼門は江戸中期の様式と推定されており、区指定の文化財である。

・・・・・・・・・・ 南蔵院通りに面する山門
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・・・・・・・・・・ 文禄年中(1592~1596)火災にあい堂塔伽藍、諸記録をほとんど焼失した。 宝暦3年(1753)には寺内の設備を整え、現在の本堂も完成した。 御本尊の薬師如来は秘仏で、33年毎に御開帳されるそうだ。、、、、、明治9年(1876)には、本堂を利用して豊玉小学校が開設された。
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・・・・・・・・・・ 本堂の右には、同時期に建てられた庫裏がある
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・・・・・・・・・・ 本堂の左には、宝永4年(1707)に再建された薬師堂
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薬師堂の前には、宝暦3年(1753)に建立された閻魔堂がある。 6年ほど前に南蔵院に訪れた時、朽ちた閻魔堂、剥げ落ちた閻魔大王を見てから、閻魔大王の住環境が気になっていた。 今日の散歩は、その後どうなったか知りたく、訪れた次第なり。、、、、早速、中を覗いてみた。 照明のない薄暗い朽ちた堂内に、埃にまみれ剥げ落ちた閻魔大王が静かに座していた。 閻魔大王の後ろの壁には病気平癒祈願成就によって奉納された15cmほどの木彫の地蔵尊がズラリ千躰程並んでいるが、こちらもなんとなく薄汚れているみたい。、、、、悲しいかな、閻魔大王の住環境はますます悪化してるようだ! 閻魔堂は仏堂というよりガラクタ倉庫という感じ!
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・・・・・・・・・・  江戸時代中期に建てられた鐘楼門。 三間一戸、入母屋造りで赤く塗られている。 門の左右には仁王像、上階には正徳5年(1715)銘の梵鐘がある。
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・・・・・・・・・・ 昭和7
年(1932)首のない地蔵様が中村の道端にあった。 近所の住人が地蔵の首を酒代の形に持っていたので、継ぎ合わせたところピッタリと合った。 この不思議な仏縁から、「首継地蔵尊」と呼ばれている。 バラバラ事件の被害者となった地蔵さま、首が繋がり一安心。、、、、、首継地蔵尊は昭和60年頃(1985)までは、中村の八幡神社に祀られていたが、その後南蔵院に移された。
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● 所々にマンションと畑が残る練馬区を南に向かって歩く。 道端には道標を兼ねた庚申塔もある。 新青梅街道を横断し中野区に入る。
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● 西武新宿線の都立家政駅から帰る
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2024年4月 8日 (月)

阿佐ヶ谷から都立家政

浅草橋から中央・総武緩行線に乗車し、御茶ノ水で座席に座る。『さて、どこで降りようか?』 新宿過ぎるとチョイト車内は空いてきた。 東中野で多くの学生が下車し、中野を過ぎたらガラガラ。 このまま乗ってると終点の三鷹まで行くことになる、どこかで降りなくては! 阿佐ヶ谷に着くと、入学式に向かう真新しい制服の女子中学生の親子が降りる、仲の良さそうな親子を見ていた私もつられて降りた。 阿佐ヶ谷駅前で暫し思案、とりあえず駅の北側にある神明宮に行ってみよう。 その後は、なりゆきまかせ・・・・・

 

阿佐ヶ谷駅は、大正11年(1922)7月15日、国鉄の駅として中央線に追加開業した。 昭和39年(1964)には複線のみ高架化、2年後の昭和41年に高架複々線化工事完了。、、、、住宅街の駅であり、駅周囲には商店街も多い。 南口の大きな商店街、北口のアーケード街などもある。、、、、朝の時間は都心に向かう通勤客が駅に向かって来る。 駅から出ていく人は学生ぐらいかな。

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● 駅前の小学校は入学式、親子で新調した服を着て、新入生とお母さんが校門を入る。(お父さんは数年前のよれよれスーツ!)




● 小学校の前に阿佐ヶ谷神明宮がある。 阿佐ヶ谷神明宮は、建久元年(1190)頃の創祀と言われてる。 建久年間(1190~1198)には土豪横井兵部が伊勢神宮に参拝し、神の霊示を受け、宮川 (三重県)の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられ、この霊石は今も御神体として祀られているとのこと。 天照大神を主祭神に、月読命・須佐之男命を配祀する。、、、、、桜が咲く境内は広く、風格を感じさせる立派な社殿が並んでる。 見通しの良い拝殿からは、白砂の庭の奥に三棟の美しい御殿が見える。 中央に天照大御神、右に月読命、左に須佐之男命が祀られているとのこと。

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● 参拝も終え、『さてさて どっちに向かおうか?』 向かう先のあてもないので、気ままに裏道をあることにした。 阿佐谷北5丁目の住宅地をブラブラ。、、、、アトリエ風の建物、小さな庭のある木造住宅、綺麗に清掃された裏道、まさしく東京の中流住宅地だ!

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● 裏道を歩いていたら「Aさんの庭」公園があった。、、、、チョイトかわった名前:「Aさんの庭」の公園は、阿佐谷北5丁目の裏通りにある小さな可愛い公園(約830㎡)で、平成22年(2010)に開園した。 「Aさん」とは特定した人物ではなく“皆さん”と言うことらしい。、、、、ここにはかつて、昭和初期の杉並の文化・生活を今に伝える貴重な住宅があった。 庭にはバラが咲くかわいらしい住宅だったそうだ。 地元では、「ばらの家」と呼ばれ親しまれていた。 「トトロが喜んで住みそうな家」として、宮崎駿監督著「トトロの住む家」でも紹介されたそうだ。 平成21年(2009)2月、火災により住宅は焼失し、その跡地に、宮崎駿監督の公園デザインによる区立公園が整備された。

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早稲田通りを横断し、杉並区阿佐谷北から中野区大和町に入る。 再び裏道を歩く。

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● 流れる水量の少ない妙正寺川を越えると、中野区若宮の町に入る。

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● 西武新宿線の都立家政駅に伸びる、“かせいチャンの町”と称する「都立家政商店街」に出た。 この道を歩けば駅に着く、迷わず歩くだけだ!

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● 西武鉄道新宿線の都立家政駅は、昭和12年(1937)12月25日、旧制東京府立高等家政女学校(現:東京都立鷺宮高等学校)の近くに「府立家政駅」として開業した。 昭和18年(1943)、東京府から東京都に変わり、駅名も都立家政駅に改称。、、、、各駅停車しか停まらない小さな駅だが味がある。

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● 阿佐ヶ谷駅から都立家政駅まで9千歩の散歩でした

2024年3月11日 (月)

塔ノ山の三重塔

『今日は天気が良さそうだ、散歩日和だ』 何処に行こうか悩んだあげく、東中野駅で下車。、、、、東中野駅前を通り西新宿に向かう山手通りに沿って、東側の裏道を歩いて西新宿五丁目駅まで、1万歩の散歩です。

● 我が家(浅草橋)から中央・総武緩行線で26分、今日は東中野駅で下車した。、、、、東中野駅は、明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅(かしわぎえき)として開業。 4か月後の明治39年10月1日には甲武鉄道の国有化により国鉄の駅となる。 大正6年(1917)1月1日に、駅名を東中野駅と改称した。、、、、駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、西口・東口それぞれに橋上駅舎がある。 西口は駅前に山手通りがあり、その地下には都営地下鉄大江戸線が走ってる。 賑わいはないが、明るく、シャレた感じの駅だ!

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・・・・・・・・・・ 駅前の山手通り、、、、この通りの東側の裏道を、中野坂上、西新宿方向に歩くことにした。

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中野区東中野1丁目の裏道を歩く、、、、なだらか起伏の多い町

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● 東中野駅から裏道を歩いて約10分、緑に囲まれた広い境内の中野氷川神社がある。、、、、中野氷川神社は長元3年(1030)、源頼信が武蔵国の平忠常の乱を平定すべく武蔵一宮・大宮氷川神社から分祠し戦勝を祈願したのが始まり。 文明9年(1477)には、太田道灌が豊島泰経・泰明兄弟討伐の際に当社で戦勝祈願し、凱旋後社殿を造営した。 現在の社殿は昭和44年築である。、、、、長い参道を歩き、大木の茂る境内は癒しの空気が漂ってる。

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● 氷川神社の参道入口は大久保通りにあり、通りの南側は中野区中央1丁目の町である。 この町には「塔山小学校」があり、その町の町会は「塔ノ山町会」、マンションは「塔の山ハイツ」と、何だか“塔山”、“塔ノ山”などの地名が存在していたようだ。 調べてみたら、現在の中央1丁目には、昭和6年から昭和42年頃まで“中野区塔ノ山町”という町があった。

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・・・・・・・・・・ 塔山小学校の脇の道を南へ歩くと、地名の由来があった!、、、、ナント! この地に三重塔があったのだ。 地名は“塔のある山”と言うことだ。 その塔は昭和20年(1945)の空襲で焼失した「宝仙寺の三重塔」である。 宝仙寺は、塔のあったこの地から約400m西に在り、塔のあったこの地は寺の飛び地であった。 また、この三重塔は中野村の農民:飯塚惣兵衛夫妻が施主となって建てられたそうだ。、、、、塔の跡地は、中野東中学校の北端にフェンスで囲われ保存されている。

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● 宝仙寺の三重塔跡から20m程歩くと、小さなお堂に祀られている庚申塔があった。 その形は、一見してアレだ!、、、、この庚申塔は、元々は山手通りの旧道にあたる道と青梅街道の旧道の交差するあたりに祀られていた庚申塔らしい。 昭和20年(1945)の空襲で破壊されてしまったが、地元の人々が崩れ落ちた石片を集めてセメントで固め改めて奉ったそうだ。 元々の破壊される前の庚申塔には『宝永五戊子十月吉日』と刻まれていたそうで、“宝永五”とは宝永5年(1708)のことで、江戸時代中期に作られたそうだ。、、、、この庚申塔は地元では「石棒さま」と呼ばれてるらしい。

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● 山手通りと青梅街道が交差する「中野坂上交差点」に出た。 これより、交差点角の「ハーモ二-タワー」(地上28階/地下2階 高さ125m 1997年竣工 )の裏通りを歩く。

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・・・・・・・・・・ 西新宿の高層ビルを見上げる中野区本町1丁目の裏通り歩き、豊水橋で神田川を越え、中野区から新宿区に入る。

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● 西新宿に入ると、寂れた商店街の一画(西新宿5-23)に「淀橋庚申堂」がある。 堂の中に3基の庚申塔が祀られてた。 この庚申堂は、元々は、寛文4年(1664)に造られた、その後、昭和の空襲で焼失したそうだ。 昭和29年(1954)に庚申堂は地元の庚申講の人々により再建された。、、、、西新宿の再開発はドンドン進み、いずれこの庚申堂も移設される運命かも(?)

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● 都営大江戸線の西新宿五丁目駅に着いた。 今日の散歩はココまで!

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2023年3月15日 (水)

お釜のお寺!

地下鉄丸ノ内線方南町駅から裏道を歩き、京王新線の幡ヶ谷駅まで、1万歩の散歩です。




● 朝8時過ぎ、通勤通学のピーク時間、丸ノ内線分岐線の終着駅「方南町駅」に電車が到着すると、折り返しの池袋行きはスグに満席となる。 座れない乗客は、次の折り返し電車の到着を待ちホームに並ぶ。 こんな光景を見てると、自分のサラリーマン時代が懐かしく思いだす!

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・・・・・・・・・・ 方南町駅の改札・出入口は、ホームの両端に1ヶ所づつある。 東側の出入口は方南通りの商店街の並びにあり、幅も狭く、『こんなとこにあるの!』と言いたくなる。

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・・・・・・・・・・ 駅出入口の脇に、「方南銀座商店街」がある。 方南町駅から南に延びる、地域密着型の商店街。 通勤・通学の人が足早に駅に向かう。

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● 商店街を抜けた所に、「身代地蔵尊」と標した堂がある。 この堂は、安寿と厨子王の守り本尊の身代り地蔵尊を祀る東運寺の門前の地蔵堂。 守り本尊は東運寺の秘仏であり、4月8日の花まつりに御開帳するそうだ。 この地蔵堂はいわば御前立ともいえる普段お参りできる身代地蔵尊。 子育て地蔵尊も一緒に並んでる。

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・・・・・・・・・・ 地蔵堂の隣りの空き地に
、2基の石柱があり、「釜寺近道」、もう1基に「享和元年」と刻まれてる。 ここで、“釜寺”とはナンダ? この付近に“釜寺”と云う寺があったっけ? しばし考えるが判らない!、、、、数分後に判明した! “釜寺”とは地蔵堂の正面に山門がある東運寺の通称であった。 目の前にあって“近道”はないね!

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● 地蔵堂の正面(杉並区方南2)に「東運寺」の山門がある。 この山門は元禄の頃、元田村家の脇門であった。 明治末期、三井総本家がこれを今井町に移し元織田有楽齋如庵の茶室(国宝)の表門としたが、使用する機会は少なく『開けずの門』と言われてた。 昭和28年(1953)三井高公が東運寺に寄進したものである。

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・・・・・・・・・・ 浄土宗寺院の東運寺は、念仏山と号す。 東運寺は、天正元年(1573)備前の僧が、奉じていた安寿と厨子王の守り本尊「身代わり地蔵尊」を安置して当地に念仏堂としてはじまりました。 大正11年(1922)、下谷入谷町にあった東運寺と合併し、念仏山東運寺と改称した。 当寺には、釜ゆでにされそうになった厨子王をお坊さんになって助けたという身代わり地蔵尊が秘仏として祀られている。 また、本堂の屋根上には“釜”が逆さに置かれてる。 これが通称“釜寺”と呼ばれる謂れ。

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● 東運寺の南側を流れる「神田川」を越え、杉並区方南から中野区南台、渋谷区笹塚の町に入る。 この辺りでは、何か面白いものはないかと、裏道を歩いたが、何もない! 面白くないね!

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● 大通りに出た! 笹塚三丁目では「水道道路(都道431号)」、続いて「甲州街道(国道20号)」、どちらも横断すると、京王新線の「笹塚駅」だ! 

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・・・・・・・・・・ 笹塚駅から南に「笹塚観音通り商店街」を歩く。 その名が示すとおり、商店街の中に観音さまが祀られている。、、、、この観音さまは、江戸時代からあり大きなお堂だったそうだが、昭和20年(1945)の米軍の空爆により焼失した。 ところがこれが観音の力の凄いところで、堂は焼け落ちたものの、焼け跡から観音さまが焼けずに発見された。 そこで、当時貧乏な住民には堂の復元はならず、やっとこさ小さな堂を建立して再建した。 その地が、今の観音会館となっているそうだ。、、、、観音さまは、普段、ガラス扉の中に祀られており、毎月18日に御開帳になるそうだ。

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● 商店街を抜け、京王新線の幡ヶ谷駅近くに来ると、玉川上水を暗渠化した「幡ヶ谷緑道」、「西原緑道」がある。、、、、初台付近から代田橋付近まで、途切れ途切れに続く緑道の一部。、、、、これから暖かくなり、樹々が色づけば散歩に良いかも!

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● 「幡ヶ谷駅」は、大正2年(1913)11月11日、京王電気軌道の駅として開業。 昭和53年(1978)京王新線開通に伴い、現在地に移設し、同時に地下駅となる。 駅本体は首都高速4号新宿線と国道20号(甲州街道)の地下にあり、ホームは相対式2面2線構造で地下2階にある。、、、、京王新線は、ここから都営地下鉄新宿線に乗り入れ、馬喰横山まで直行。 馬喰横山駅(東日本橋駅)から浅草線に乗り換え、次の駅が我が家のある浅草橋。 便利で、楽だ! 

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2023年3月 9日 (木)

妙正寺川を歩く

西武新宿線鷺ノ宮駅から、妙正寺川の水源:妙正寺池に向かい、そこより南下しJR中央線の荻窪駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 朝8時、「鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)」は出勤・登校時間で乗客も多い。 ホームは地上で、上りの1番線が片面ホーム、下りの2・3番線が島式ホームの変則2面3線構造である。 上りホームの乗客は下りホームの乗客に背を向けて電車を待つている。

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・・・・・・・・・・ 鷺ノ宮駅の出口は北口と南口の2か所。 南口の正面には妙正寺川が流れ、人道橋が架けられている。、、、、人道橋の上から妙正寺川を見ると、川底は深い、水は綺麗だがゴミが散見される、水量は少ない。 なんとなく『ヨシ! 今日は妙正寺川の上流を歩こう!』と決めた!

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● 鷺ノ宮駅から妙正寺川に沿って歩きはじめた。

・・・・・・・・・・ 駅の西400m程に、妙正寺川を挟んで左右両岸に集合住宅が建ち並ぶ都住宅供給公社の「鷺宮西住宅」がある。 昭和36年(1961)築の5階建て建物、19棟(約690戸)が並んでる。 2DKの間取りで、家賃は5万~7万円ほどらしい。 建物は古くなったが、住みやすそうな広々とした住環境だ!

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・・・・・・・・・・ 鷺宮西住宅を過ぎると、妙正寺川は中野区から杉並区に入る。 「井草橋」(昭和41年架橋)付近を通過。 散歩道の所々には、『チョイト一休み』用のベンチが置かれてる、優しい心遣い。

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・・・・・・・・・・ 「日向橋」(下井草3)の近くに「地蔵堂」がある。 この地蔵堂は、正徳3年(1713)に観泉寺(今川2-16-1)持として、旧下井草村字向井草の現在地に創立された。 天保5年(1834)には、すでに、観泉寺が下井草村の年寄田中惣兵衛にこの堂の管理をまかせていた。 その後、天保12年(1841)に間口5間・奥行3間の堂を焼失。 翌天保13年(1842)、田中惣兵衛が村民の代表者となって、鳥見役にその再建を願い出たという記録が残っている。 明冶初年には、観泉寺廃室となり、慈照という尼僧が住むようになった。 その当時は、境内は90坪の年貢地でしたが、明治10年代初めには、境内は130坪となり、信徒も31人を数えるにいたった。 その後、観泉寺から独立し、現在の境内は3坪、堂宇は2間四方となる。 地元有志約30人で結ばれた地蔵講中が今もあり、毎年11月24日に夜、堂前左右に行燈を立て、燈明を献じ、般若心経を唱和した後、酒食を共にするならわしが続いているそうだ。、、、、堂の中には本尊の地蔵菩薩が祀られているらしい。(像の姿は見えず!)

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・・・・・・・・・・ 「寺前橋」(本天沼3)の近くには浄土真宗本願寺派寺院の「応供山 等正寺」がある。 等正寺は、江戸湯島に元和8年(1622)創建、元禄17年湯島内を移転したといいます。 関東大震災で罹災、区画整理に伴い、昭和4年井荻へ移転、昭和16年には当地(本天沼3)へ移転した。、、、、本堂は昭和46年(1971)に建立したモダンな建物

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・・・・・・・・・・ 「妙正寺橋」(清水3)を過ぎると、上流側にレンガ調のデザインの「落合橋」があり、その先には「妙正寺公園」があり。 公園内に妙正寺川の水源になる「妙正寺池」がある。 妙正寺池は古来より武蔵野台地の湧水池のひとつとしてあり、文和元年(1352)に池のほとりに日蓮宗の寺院である妙正寺が建てられた。 池の名前・川の名前はそれに因んでいる。

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● 「法光山 妙正寺」(清水3)は、日蓮宗の寺で十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている。 約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺(千葉県)の上人が、妙正池のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが草創であり、正保三年(1646)には社殿を再建して、広く信仰されるようになった。 慶安二年(1649)、御朱印寺となる。、、、、静かな住宅街の中にあり、緑豊かな寺。 規模も街中にある寺にしては大きな方だ。

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・・・・・・・・・・ 墓所には「
本因坊六世知伯の墓」がある、、、、本因坊とは本因坊算砂日海を初代とする囲碁の家元である。徳川家康がことに碁を好み、京都にいた初代の算砂を江戸へ呼び寄せた。 三世の道悦までは没後京都の寂光寺に葬ったが、四世の道策から二十一世の秀哉までの歴代本因坊は豊島区巣鴨の「本妙寺」に葬られているはずだが。 『アレ? 六世知伯の墓はどっちだ! 分骨したのか?』

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● 妙正寺から「荻窪駅」まで歩き、中央・総武線で帰宅。

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2023年3月 7日 (火)

小槌と地蔵に願掛け

大江戸線の練馬春日町駅から、南に向かい西武新宿線の鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩。




● 浅草橋の我が家から、中央・総武線で東中野駅へ、そこで大江戸線に乗り換え「練馬春日町駅」まで、所要時間約50分、チョイト遠いね! 練馬春日町駅は都道443号と環八通りが交差する地点の真下にある、出口は環八通りを挟んで東西にある。 駅は平成3年(1991)12月10日の開業、約30年過ぎたが、目立った汚れも無く清潔そうな駅だ。、、、、今日は豊島園方向に歩こうと思い、東側の出口に出た。 

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● 「豊島園通り」を歩きはじめたが、すぐに気が変わり裏道を歩く。、、、、静かな住宅地をぬけ、気が付けば豊島園とは反対の方向に向かってた。 “豊島園”はアキラメタ! 

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・・・・・・・・・・ 練馬区高松1丁目の道角に「庚申塔」があった。 説明板には『高松の板碑型庚申塔 江戸時代の寛文三年(1663)に建てられた庚申塔で、区内では古いものです。青面金剛上部は山形、横から見ると船形状で、裏面は石を整形した鐫の痕がそのままになっています。正面中央に「みざる・言わざる・いわざる」の三猿浮き彫りされ、その上部には現在は風化して判読が難しいですが、「寛文三年」「十一月吉日」の年記が刻まれています。(以下省略) 』と書かれてた。、、、、なんとなく昔からここにあったと思われる情景。

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・・・・・・・・・・ 「西田中橋」(平成9年(1997)完成)で石神井川を越える、、、、石神井川の水はきれいだが、護岸が高すぎる!

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● 西田中橋の南西(貫井5)に「円光院」と云う寺があった。、、、、円光院は、南池山貫井寺といい、真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王である。 昔、寺の南に大きな池があったので「南池山」と号し、土地の名が貫井であるので「貫井寺」と称した。、、、、堂宇は昭和20年の戦災で焼失しその後再建された。

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・・・・・・・・・・ 本堂前に権現小槌観音様の化身とされる小槌の石像がある、、、、打ち出の小槌なら、願掛けて一言、『宝くじ、一等当選、よろしく!』

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● 円光院から南へ約500m歩くと西武池袋線の「中村橋駅」がある。 中村橋駅は大正13年(1924)に開業。 平成7年(1997)に高架化工事が完了し、現在は高架駅となっている。

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・・・・・・・・・・ 以前中村橋駅の街路灯の案内板にあった、平成9年(1997)まで使用されていた旧駅舎の写真

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● 中村橋駅から南に西武新宿線の鷺ノ宮駅前へ伸びる「中杉通り」と呼ばれるバス通りを歩く。 商店街の延長のような通りであるが、バスの運行頻度は多く、引っ切り無しにバスと遭遇した。、、、、交通量も多そうだ、年寄りは事故に注意! 

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・・・・・・・・・・ 途中、中野区上鷺宮1の中杉通り「こぶし園入口」交差点の角に「子連れ願かけ地蔵」ある。 北向きに建っているので「北向地蔵」ともいわれ、大きい舟型地蔵尊は、高さ約1.5m で「正徳五乙未十月」(1715)と刻まれている。 小さい舟型地蔵尊は80㎝ほどの高さで、造立年は不明。 この2体の地蔵に祈願をする人は、白装束で夜中にお参りし、一心に祈願しながら子ども(小さい方)の地蔵を倒すのだそうだ。 そうすると親の地蔵は子どもを起こして貰いたいため、願い事を聞き届けてくれるという。 願い事が叶ったら、祈願した人は、自分が倒した地蔵を起こしに行く。 昭和30年(1955)まで、この奇妙な風習は続いたそうだ。、、、、私も、地蔵を倒すことはしないが、願をかけてきた、『宝くじ、一等当選よろしく!』

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西武新宿線「
鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)」に到着。 鷺ノ宮駅は、昭和2年(1927)4月16日の開業した、単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。

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