目黒区

2021年6月30日 (水)

柿の木坂は駅まで何里?

時おり雨粒が落ちてくるが、傘を必要とするほどでもない、チョイトいやな空模様である。 一昨日の散歩の終点、都立大学駅から歩きはじめ、最初は西へ、途中から北へ、たどり着いたは東急田園都市線の三軒茶屋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 朝7時半、通勤・通学客が行きかう「都立大学駅」で下車、、、、東急東横線は、電車通学する小中高の子女が多いようだ。 沿線には有名私立が多く、資産家・セレブも多く、わかる・判る・なんとなく判るね! 女学生が可愛く見えるね!

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● 駅から東西南北どっちへ歩こうか? とりあえず、駅から西へ目黒通りを横断し、以前参拝したことがある「八雲氷川神社」(目黒区八雲2)に寄ってみた。、、、、チョイト長い参道を歩き、緑多い境内の八雲氷川神社に参る。 神社は古くより創建され、旧衾(ふすま)村(八雲周辺)の鎮守である。 祭神は素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴命の三柱。 創建の年代は詳らかではないが、内陣に文化14年(1817)奉納の記載があり、また社殿の改築が安政2年(1855)に行われているところからみて、かなり古いと推察できる。、、、、この神社は、古くから「癪封じの神」として広く知られ、下総や相模からも参詣人が詰めかけたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・【地名の八雲?】明治22年頃、この辺りは碑衾(ひぶすま)村大字衾(ふすま)であった。 昭和7年には、目黒区衾町・宮前町。 昭和39年の新住居表示により衾町・宮前町の全部に大原町・芳窪町・中根町の各一部をあわせた町域を現行の「八雲」とした。、、、、何処から「八雲」の名を持ってきたか? 新住居表示の時、当然のこととして「衾町」としたかったし誰にも異論はなかったが、「衾」が当用漢字にないので却下された。 さらに、“衾”を「ふすま」と読むことが時の日本人に難しいということで、「それでは別の名前」というんで思いついたのが〝八雲〟だった。 由来は、明治4年太子堂郷学校(現世田谷区立若林小学校)の分校として創立した衾村分校が、明治7年に独立するとき、村の鎮守の氷川神社に伝わる奉納舞「剣の舞」、素盞雄尊が奇稲田姫を救うために八岐大蛇を退治してその尾から天叢雲剣を得て、奇稲田姫と新居を持つときに詠んだ歌。『八雲立つ出雲八重垣妻ごみに 八重垣作るその八重垣を』から校名を拝借して「八雲学校」(現八雲小学校、目黒区最古の学校)とした。 地名はこの八雲を採用した。 小学校の校名でパクリ、地名でパクリ!



・・・・・・・・・・・・八雲氷川神社の西隣に真言宗智山派の寺院「金蔵院」がある。 金蔵院は、氷川山虚空蔵寺と号す。 慶長5年(1600)頃に頼栄上人が創建、明治7年に一旦廃寺となったものの明治14年(1881)には再興された。 氷川神社の別当寺。、、、、檀家のない寺で、無住となった時(明治4年)、八雲小学校が創立して、この寺を教室としたという。

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● 氷川神社で近くに吉良家の菩提寺があると聞いた。 “吉良”と聞いて、私の頭は“上野介” 忠臣蔵の話が好きな私にはとっては、行かねばならない菩提寺だ! その名は「東光寺」、来た道を戻る方角にある。 金蔵院から再び氷川神社の境内を横切り、足は東へ、、、、曹洞宗寺院の東光寺は、泰陽山霊徳院と号します。東光寺は、世田谷城主吉良冶部大輔冶家が、その嫡子祖朝の追福のために臨済宗東岡寺として貞治4年(1365)に創建したといいます。その後東光寺と改め、天文19年(1550)には寺領30石の御朱印状を拝領、後曹洞宗に宗旨を改めています。、、、、東光寺が祀る“吉良家”は、忠臣蔵よりはるか昔、南北朝時代の世田谷城主:吉良治家と子の祖朝の時代のことであった。 ちなみに、忠臣蔵の上野介の墓は中野の万昌院功運寺にある。

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● 東光寺の東隣にもう一寺あった、、、、日蓮宗寺院の「小杉山常円寺」である。 常円寺は、江戸谷中の感応寺(現谷中天王寺)の住僧日長上人の師でもあった日信上人が営んでいた庵室をはじめとし、日信上人の没後の天正18年に、世田谷城主の近臣:小杉甚七が開基となり、常円寺と号した。

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● 常円寺は「柿の木坂通り」に面してる。 ここまで来たら、柿の木坂通りを歩いてみることにした、、、、、柿の木坂通りは、都立大学駅付近から北にのびて環七通りの目黒区と世田谷区の境「野沢交差点」までである。 道路の愛称となった「柿の木坂」があるのは、環七通りと目黒通りの交差点“柿の木坂陸橋”付近から,東横線のガードをくぐって南西側までの目黒通り上の350m程。 つまり、“柿の木坂通り”には“柿の木坂”はない! なぜだ? 実は、目黒通りと柿の木坂通りと環七通りで囲まれる三角形の地域の地名が「目黒区柿の木坂」で、“柿の木坂通り”はその町の一辺となる、、、、整理すると、昔からあったのは目黒通りの坂で「柿の木坂」、その柿の木坂の北側の町が「目黒区柿の木坂」(昭和7年命名)、その柿の木坂の町を囲う道路の一本を「柿の木坂通り」とした。、、、、ついでに、都立大学駅は昭和2年(1927)に開業し、開業後4年間の駅名は「柿の木坂」であった。、、、、さらに、話はややっこしく、青木光一のヒット曲『柿の木坂の家』の柿の木坂はモデルが広島県で目黒区柿の木坂とは無関係!

さて、「柿の木坂通り」を歩いてビックリ、見てビックリ、なんと小さな店が並ぶシャレた通りで、高級住宅地を歩いてる感じだ! 道の途中にはコンサートホールもあり、文化の薫りも漂うね!

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● 野沢交差点で環七通りを横断し、世田谷区に入ると野沢3丁目に臨済宗妙心寺派寺院の「大沢山龍雲寺」がある。、、、、龍雲寺は、節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が廃寺となっていた下馬引沢村(下馬)の智見寺を引き継ぐ形で野沢に元禄12年(1699)創建した。、、、、現本堂は昭和38年(1963)に起工。 同40年(1965)に鉄筋コンクリート平屋造りの本堂をはじめ、山門、鐘楼、庫裡の諸堂を落慶した。、、、、広い境内に、美しい樹木が良く手入れされている。 落ち着いた静かな寺。

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● 龍雲寺の山門前を北東に歩くと下馬4丁目に、天台宗系単立寺院の「世田谷山観音寺」がある、、、、古い由緒ある寺かと思ったら、観音寺は、事業家であった大僧正睦賢和尚(パン屋「静養堂」の主人:太田陸賢)が昭和25年に創建した寺(?) 本尊は聖観世音菩薩、他に不動明王・阿弥陀如来・仁王尊・特攻観音をまつる御堂があります。  パン屋の主人は金を持っていたらしく、保有する文化財は関東一といっても過言ではないそうだ。 仏教オタクのパン屋が創った、私設仏教博物館といったところ。、、、、広い大きな境内には、三重塔のほか数々の建物があります。 また、特攻隊の慰霊碑もあり、都会の中の静かなお寺で平和を祈るとともに、英霊の安らかな眠りを祈るほかない場所でないかと思います。、、、、百聞は一見に如かず!

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● 観音寺から裏通りを抜けて、東急田園都市線の「三軒茶屋駅から帰宅、、、、改札から出てくるのは、若い娘バッカシ、なんだ!コリャ! しばし、改札前で“
茫然自失”、顔は“喜色満面”、そして“顔厚忸怩”  何はともあれ、嬉し楽しい駅だ!

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2021年6月28日 (月)

標高35mの絶景!

『今日は何処へ散歩に行こうか?』考えるのも面倒だ! 安直に『昨日の続き』と、いうことで、荏原中延駅から足の向くまま気の向くままに歩きはじめた。 足跡をたどると、荏原中延駅~荏原警察署~摩耶寺・小山八幡神社~洗足会館~環七通り~目黒区平町~都立大学駅。 1万2千歩の散歩。 アップ・ダウンもあり疲れた!




● 今朝、「荏原中延駅」に降り立つ、、、、荏原中延駅は、昭和2年(1927)8月28日、蒲田側から伸びてきた池上電気鉄道が雪が谷駅(雪が谷大塚駅)~桐ヶ谷駅(現在廃駅、大崎広小路駅近く)間を開業させたときに同時開業した駅。 平成元年(1989)に地下化された相対式ホーム2面2線の地下駅。

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・・・・・・・・・・・・『さて、どっちへ行こうか?』駅前で思案。 とりあえず、昨日きた方向は避けて、西へ向かって歩き出す。

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● 荏原中延駅のある品川区東中延から隣の西中延に入る。 特別に私を引き付けるような物は見当たらない町だ! 足早に町を抜ける。

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・・・・・・・・・・・・西中延から中原街道(=都道2号)に出ると、正面に「荏原警察署」がある。 なにやら、警察署の前に私服・制服の警官が20名程待機している。 『チョイト、ヤバイかな!』と思ったとき、私を待っていたのではなく、護送車のお出迎えであった。 男か女か、どんな凶悪犯か知ることもなく、署の中に消えた!、、、、【余談】荏原警察署は、昭和3年(1928)9月1日に大崎警察署より分離し開設された。 現庁舎は昭和60年(1985)に完成。

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・・・・・・・・・・・・荏原警察署の裏側に、ヨーロピアンテイストのマンションがある。 この地は、旧法務大臣公邸跡地という歴史ある土地で、前には警察署があり、防犯にはいいようだ。 鴻池組の施工で、平成16年(2004)に建てられた、全131戸の大規模レジデンスです。、、、、参考に、1LDK(54㎡)の賃料は185,000円/月

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● 荏原警察署から西へ荏原7丁目に、日蓮宗寺院の「佛母山摩耶寺」がある。、、、、創建年代は不詳だが、寛文7年(1667)の創建と伝えられている。 震災・戦災には免れたそうだが、本堂は昭和53年(1978)に完成した。 天保年間(1830~1843)に造られた摩耶堂には、摩耶夫人(釈迦の生母)像が祀られている。 また、寺には荏原七福神の一つ、寿老人も祀っている。、、、、静かな落ち着いた雰囲気の寺。

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・・・・・・・・・・・・【蛇足】「お寺は佛母山、更年期には実母散」 い~い薬です!、、、、1袋/1回 440円 お試しあれ!




● 摩耶寺が別当寺であった、「小山八幡神社」が寺の隣にある。、、、、神社の由緒は不明だが、長元3年(1030)頃に源頼信がこの地に誉田別尊を氏神として奉ったのが始まりであると言われている。 境内は小高い丘(古墳跡といわれている)の上に位置しているため、『小山(こやま)』と呼ばれそれが現在の近辺の『小山』の地名の由来になっている。 標高35mの境内からの眺めは“絶景かな、絶景かな” 

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● 東急目黒線の洗足駅周辺は、実業家:渋沢栄一が大田区の田園調布の開発以前に手掛けた高級住宅街である。 小山八幡神社から西に向かうと、現在でも静かな高級住宅街の雰囲気が漂う街である。

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・・・・・・・・・・・・・小山八幡神社裏の通りを西に向かい、東急目黒線にぶつかった処に「洗足会館」がある。、、、、この会館の地は、かつて、渋沢栄一が計画した町づくりを実施した「田園都市株式会社」と小山の住民で結成された「洗足会」の拠点であった。 会では自主的に美しい街並みを守るための活動が行われていた。、、、、現在の自治会活動の場であったと思われる。 当時の木造の建物は老朽化と地盤沈下の為に建て替えを余儀なくされ、平成23年(2011)に現在の新しい建物が竣工した。

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・・・・・・・・・・・・洗足会館前の掘割を走る東急目黒線

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● 洗足会館の前で目黒線を越え、品川区小山から目黒区洗足・南・平町の町を歩く。 この辺りは住宅地であるが、特に面白そうなものは無し! 途中で環七通りを横断する。

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● 環七通りを横断したあたりから足に疲れが出てきた。 どうやら、コロナによる運動不足かも?、、、、疲れた足で、東急東横線の「都立大学駅」に到着。、、、、都立大学駅は、昭和2年(1927)8月28日、東京横浜電鉄丸子多摩川(多摩川)駅→渋谷駅延伸の時「柿ノ木坂駅」として開業した。 昭和4年に目黒区碑衾町に府立東京高等学校開校し、昭和6年「府立高等前駅」に改称。 昭和7年には、「府立高等駅」に改称。 さらに、昭和18年、都制施行により府立東京高等学校を都立東京高等学校に改称し、同年12月「都立高校駅」に改称。 昭和24年学制改革により都立東京高等学校は東京都立大学として発足する。 昭和27年「都立大学駅」に改称。 平成3年、都立大学は八王子市に移転。 平成17年には、統合により「首都大学東京」となり、東京都立大学の名称は消滅した。 主をなくして15年以上、東急は名称変更をやる気なし。 そうこうしていると、首都大学東京を「東京都立大学」に戻すことになり。 駅名もこのままかもね?!、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅。

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2021年4月11日 (日)

祐天寺の祐天寺

ヤン坊・マー坊は気象予報士、小池さんは千葉坊・神奈坊・玉坊とも別れ、明日から一人で“まん防”に取り組み、都民はじばらく辛抱するのだ!、、、、まん防がはじまると、またまた勝手気ままな散歩がしずらくなる。 “まん防”前日の今日は、チョイト武蔵小山から祐天寺まで歩いてきた。 1万1千歩




● 東急電鉄目黒線の「武蔵小山駅」は、今から98年と1ヵ月前の大正12年(1923)3月11日、小山駅として開業。 現在は、島式ホーム2面4線の近代的な地下駅である。、、、、駅前にタワーマンションも建ち、何だか名も似てる、武蔵小杉駅に似てきたな?

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・・・・・・・・・・・・駅の西側、都立小山台高校のグランド沿いに店舗が並ぶ「西口通り」を抜けると、品川区から目黒区に変わる。

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● 西口通りを抜け、「林試の森公園」の西側を迂回するように、目黒本町3丁目を北西に向かって歩く。

・・・・・・・・・・・・私が好きになりそうな路地、子供が飛び出してくるような路地が、目黒本町3丁目(入間湯の脇)にあった。 四角のブロックを並べた長い路地は行き止まりになることもなく、抜けられた!、、、、この辺りは、かって「月光町」という町名だったそうで、町会名に残っている。 きっと、月がよく見える夜空の綺麗な町だったのか? また、近くには「月光原小学校」もある。 (ベートーベンとは無関係だ!)

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・・・・・・・・・・・・林試の森公園の西隣、大木に囲まれた国家公務員用の小山台住宅(約3hr)があるが、現在は空き家である。 今年取り壊されるようだ、跡地は林試の森公園の拡張と、荏原消防署小山出張所の新設、品川区の福祉施設の新設などに充てられるそうだ。 前面の道路が品川区(公務員住宅側)と目黒区(一般住宅)の境。

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● 目黒本町3丁目から北へ下目黒6丁目の住宅地に、三角の国旗がはためく駐日ネパール大使館があった。 ネパールと云えば、ヒマラヤ登山の国として知るのみ(知識不足で申し訳ない)、、、、かつては王制であったが、平成20年(2008)に共和制移行した。 退位した元のギャネンドラ国王は富豪としてネパールで過ごしているらしい。

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・・・・・・・・・・・・同じ下目黒6丁目、こちらは目黒通りに面する6階建てと思われるビル。 タイ王国大使館駐在武官事務所である。 タイ国の陸・海・空三軍の軍人詰所なり。 大使館そのものは、品川区大崎にある。、、、、ネパールとは国力が違うようだ!

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● 中町(なかちょう)1丁目に、「日本基督教団 新栄教会」がある。、、、、新栄教会は明治3年(1873)に創立された東京最初の教会である。 (創立時の場所は現在地とは異なる)、、、、現在の教会は可愛らしい建物。

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● 中町1丁目と目黒4丁目の町境に「油面(あぶらめん)地蔵通り」という商店街がある。 目黒通りの「油面交差点」から祐天寺方面へ約600m延びている商店街。 この通りの中程に「油面子育地蔵尊」が鎮座している。 元は目黒通りの前身、下野毛道に面して、油面交番の向かいの角にあった。 そこは、三田・白金方面から続く下野毛道が、祐天寺方面と碑文谷、九品仏方面に分岐するところであり、地蔵尊を載せる台石に刻まれた(右面)「是より右ゆうてん寺」、(左面)「是より左九ほんぶつ」の文字から、道標でもあったことがわかる。 それが、関東大震災後、目黒通りの拡張や周辺の宅地化により、現在地へ移転された。、、、、この地蔵さまは、子育て・眼病にも霊験あらたからしい、私も(今さら子育てはしたくないが、眼は美人が美人に見えるように)手を合わせてきた。、、、、【油面の由来】 油面(あぶらめん)は目黒区中町から中央町2丁目に及ぶ目黒村の旧字名。 江戸時代中ごろ菜種の栽培が盛んになり、採取された菜種油は芝増上寺などに奉納され、そのため租税が免除されていたので「油免」の名が生まれ「油面」に転化したという説と、韓国では「面」は村を意味し、油面は菜種油の採れる村の意だとする説がある。

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● 油面地蔵通りから、北に向かうと、谷戸前地域安全センターがある。 さらに、道なりに北へ歩くと駒沢通りに面し、浄土宗寺院の「祐天寺(ゆうてんじ)」がある。、、、、祐天寺は、中目黒5丁目にある寺院で山号は明顕山。 本尊は、阿弥陀如来で阿弥陀堂に安置される。 本堂には、開山祐天上人坐像が安置されている。 広い境内と墓地を持ち、東急東横線の駅名になるほどの寺だ!、、、、祐天寺は目黒区一の大地主でらしい!(噂)

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・・・・・・・・・・・・表門(山門)は祐天上人の100回忌にあたる文化14年(1817)に建てられ、格式高い門構えであることから国の登録有形文化財となっている。 只今、大林組にて改修工事中。

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・・・・・・・・・・・・仁王門は仁王像とともに、享保20年(1735)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。
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・・・・・・・・・・・・鐘楼梵鐘は6代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進された。 現在でも、朝6時と正午前には撞かれているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・阿弥陀堂は享保9年(1724)に、こちらも竹姫から寄進された。 江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物。 堂内には阿弥陀如来座像が安置されている。

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂は天明8年(1788)の建立。 寛政12年(1800)に増築して現在の姿となった。 堂内には本尊の地蔵菩薩像が安置されている。 延命と火消しのご利益があるとして信仰を集めた。

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・・・・・・・・・・・・創建時の本堂は明治27年(1894)の火災で焼失し、明治31年(1898)に現:本堂が再建された。 本堂の大きな賽銭箱には江戸・町火消しのまといの図柄が描かれている。、、、、賽銭箱の大きさから推測すると、数十億円は入りそうだ!

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● 東横線祐天寺駅から帰宅!、、、、祐天寺駅は昭和2年(1927)8月28日に開設した。 その後駅舎の改修、高架化工事などがあり、平成30年(2018)には現駅ビルが完成した。、、、、現在は、相対式ホーム2面3線の高架駅で、各駅停車の電車以外は全て通過するチョイト悲しい駅。 一日当たり約32,000人が乗り降りする駅。 

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2021年2月11日 (木)

コロナ禍のお不動さん

今日は「建国記念の日」。 通勤ラッシュもないので、新型コロナに感染するリスクも低いと勝手に思い込み、チョイト気を緩めて、目黒不動に行ってきた。、、、、東急目黒線不動前駅で下車し、蛸薬師、目黒不動に参拝し、武蔵小山駅まで歩いてきた。 9千歩




不動前駅(ふどうまええき)は、品川区西五反田にある東急目黒線の駅である、、、、大正12年(1923)3月11日、「目黒不動前駅」として開業したが、同年10月には「不動前駅」に改称した。 平成11年(1999)、目黒駅~洗足駅間の連続立体交差事業に伴い、駅は高架駅となった。 現在は高架相対式ホーム2面2線の構造。、、、、駅名の由来となっている「目黒不動」は駅の北西約500mのところにあり、不動前とはいっても参道があるわけでもなく、道も複雑で不動尊に繋がっている訳ではない、けして“近い駅”とは思えない。、、、、早朝8時、ガラガラ・空き空きの電車を降り、一ヵ所しかない高架下の改札から出ると、駅前商店街が左右に伸びている。 

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の周辺案内図を見て、蛸薬師、五百羅漢寺、目黒不動尊のコースを歩くことにした!

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● 不動前駅から商店街を抜け、「かむろ坂通り」を横断し、「五百羅漢寺」の案内に従って歩く。

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● 五百羅漢寺の手前に「蛸薬師(たこやくし)」の成就院があった。 まずは、御挨拶をして行かねばなるまい。、、、、天台宗寺院の成就院は、天安2年(858)慈覚大師が開山した。 本尊が3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来像であることから、蛸薬師とも呼ばれている。、、、、俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々に崇められている。 慈覚大師が唐の国から帰る時、暴風に遭い、守本尊の小像を海に投じて風波を静めた。 その後この小像が蛸の頭上に乗って海岸に漂着したので、その形を採って薬師像を作り、胎内に小像を納めたと伝わる。 本堂側面の看板に『ありがたや福を吸い寄せる蛸薬師』と大書している。、、、、看板の下には、徳川2代将軍秀忠の側室お静の方の発願で奉納された7体の石仏「お静地蔵尊」が並んでいる。、、、、時刻は8時30分、寺はまだ営業時間前で本堂の扉も閉まってる。 タコを拝むことも出来ず去る。

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・・・・・・・・・・・【蛇足】大正時代から、おできの膿を吸い出す薬として「たこの吸い出し」
(町田製薬)という軟膏があるのを知っているかな? お尻におできができたら、お医者に行くには恥ずかしい、こんな時には、家庭の常備薬として、一家に一つあるといいかも?、、、、蛸薬師の看板を見て思い出した!



● 蛸薬師前から北に伸びる道を入ると正面に「五百羅漢寺」がある。、、、、天恩山五百羅漢寺は、元禄8年(1695)鉄眼禅師を開山として江戸本所(現:江東区大島)に創建された黄檗宗の寺院。 当時、境内には「さざい堂(三匝堂)」という建物があり、内部が螺旋階段になっていて、一堂に諸仏像を拝見できる構造になっていた。 明治41年(1908)ここ下目黒の地へ移り、現在は浄土宗系単立の寺となっている。、、、、現在は昭和56年(1981)に完成した新しい本堂および回廊に、305体の木造釈迦三尊及び五百羅漢像が安置されているそうだ。 内部の拝観は9時の開門以降で、拝観料500円。 『せっかく来たが、開門まで待つのは嫌だ! 拝観料払うのも嫌だ!』と云うことでパスした。 『またのおこしをお待ちしてます!』と羅漢さまの声が聞こえたようだ!

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● 五百羅漢寺をあとにして、隣りの瀧泉寺(りゅうせんじ)」(目黒不動に参拝する。、、、、瀧泉寺は天台宗の寺院で、山号は泰叡山。 不動明王を本尊とし、一般には「目黒不動」の通称で呼ばれる。 江戸五色不動の一つ。、、、、本堂は入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981)再建の鉄筋コンクリート造建築。、、、、コロナ禍の今は、「水かけ不動」に水かけはダメ、本堂内部へは立ち入りできず、諸堂の参拝も10cm程開いている扉の隙間から合掌、何やら物足りず早々と参拝を済ます。

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・・・・・・・・・・・・コロナで仏は拝めなくとも、ウメは身近に観賞できた!

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● 地下化された東急目黒線の線路敷跡に整備された不動前緑道公園を抜けて、武蔵小山駅に向かう。、、、、駅前のタワマン(41階建て)が見える(私の住む浅草橋には、こんな高いビルはない!)

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● 不動前駅の隣りが「武蔵小山駅」である。、、、、大正12年(1923)3月11日「小山駅」として開業したが、駅名が東北本線の小山(おやま)駅と類似しているため、翌大正13年に“武蔵”を冠して「武蔵小山駅」に改称した。、、、、平成18年(2006)には地下化され、その後駅ビルも開業。

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2020年12月 9日 (水)

西小山から碑文谷

この世に生を受け70余年、長い年月東京に住んでいるが、下車する機会の少なかった東急目黒線西小山駅で降りてみることにした。 降りたら『さて、どっち方面に歩こうか?』 駅で地図を見ると、“円融寺通り”の文字が眼に入る。 『あっ!以前来たことがある大きな寺だ! ヨシ、円融寺へ行ってみよう』 これで決まり。 円融寺へ参った後は、近くに「目黒サレジオ教会」があるので、こちらにも参り。 帰りは、都立大学駅へ向かうが、途中、環七通り付近で丁度来た目黒駅行きのバスに乗る。 9千歩の散歩です。




● 都営三田線に乗り、電車はそのまま東急目黒線に乗り入れる。 『何年ぶり、イヤ、何十年ぶりかもしれない』、下車した記憶がない東急目黒線の西小山駅で降りる。、、、、昭和3年(1928)8月1日、地上駅として開業。 平成18年(2006)7月2日に地下駅となる。 平成20年には駅ビルの完成する。、、、、ピンクのホームドアが明るい感じでいいね!

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● 駅前から西に向かって歩く・・・・・
・・・・・・・・・・・・西小山駅付近では、東急目黒線が品川区と目黒区のほぼ境となっている(駅を含め東急目黒線は品川区に属す) その西小山駅前に、二つの「西小山商店街」がある。 駅の改札を出て、すぐ左手(東側)見えるアーケードのある「西小山商店街」は品川区。 反対に右側(西側)の空が良く見える開放的な「西小山商店街」は目黒区。、、、、どちらも、活気ある元気な商店街らしい。、、、、私は、目黒区側の商店街を西へ歩く。

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・・・・・・・・・・・・西小山商店街を抜け、目黒区原町1丁目付近で、昭和36年(1961)に立会川を暗渠化し、その後造られた立会川緑道に出る。(立会川は、碑文谷・清水の両池を水源とし、目黒区・品川区を流れ東京湾に注ぐ川) この緑道は碑文谷八幡宮から始まり、円融寺山門前を通り、西小山駅付近まで続いてる。 春には嬉しい約1kmの桜並木である。、、、、ここを歩いて円融寺山門に向かう。

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● 碑文谷1丁目、立会川緑道から北側を見ると円融寺の山門が見える。 昨年の夏に寄った時は、緑豊かで森の中にあるような寺、今日は木の葉が散り晩秋の風情である。、、、、円融寺は、かつて、妙光山法服寺と称し、天台宗の寺院であった。 寺伝では仁寿3年(853)慈覚大師が法服寺を建立した。 弘安6年(1283)日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称した。 中世から近世にかけては吉良氏や徳川氏の外護を受け、坊舎18、末寺75箇寺を数えた。 寛永7年(1630)身池対論には法華寺から日進が臨んでいる。 法華寺は不受不施派の寺院として江戸幕府の弾圧を受け、改宗を余儀なくされ、元禄11年(1698)再び天台宗の寺院となった。 天保5年(1834)経王山円融寺に改称する。、、、、広い境内に、堂宇がゆったりと配され、訪れた人には心地よい安らぎを与えると思う。

・・・・・・・・・・・・・山門は、昭和26年(1951)に品川御殿山の原邦造邸から移築されたもの。 天保4年(1833)、元播磨国の寺の山門として造られた。、、、、山門をくぐると参道が続く。

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・・・・・・・・・・・・・・参道を過ぎ、仁王門の右手に平成2年(1990)に新築された鐘楼がある。、、、、梵鐘は寛永20年(1643)の鋳造。

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・・・・・・・・・・・・・・参道の先には、簡素な造りの仁王門がある。 建立時期は不明だが、 唐風に和風を取り入れ、虹梁、蟇股、懸魚などにも様々な装飾が加えられている。、、、、両脇の仁王像は、永禄2年(1559)の作。(二重のガラス張りの中にあり、光が反射して仁王像の姿が見えない! どうにかして欲しいね)

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の先には、入母屋造の釈迦堂。 釈迦堂は室町初期の建立とされ、23区内最古の木造建築でる。 明治44年(1911)に関野貞博士による調査があり、国の古社寺保存法により国宝に指定された。 戦後は、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きでしたが、火災予防の見地から昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。、、、、円融寺では山門、仁王門、釈迦堂、阿弥陀堂が一直線に並ぶ伽藍配置となっている。 優美な配置は、境内の奥行の深さを感じる。

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・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂の後ろに阿弥陀堂(本堂)が控えている。 阿弥陀堂は、昭和50年(1975)の建立で、設計は佐々木嘉平、設計顧問に早稲田大学名誉教授工学博士・田辺泰をむかえ、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された。、、、、本尊の阿弥陀如来は、堂の扉が閉じられており姿は見えず!

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● 円融寺から西へ直線で250m程に、「カトリック碑文谷教会(目黒サレジオ教会)」がある。 過去に数回訪れているが、ここまで来たら、寄らねばなるまい。、、、、、この教会は、昭和22年(1967)にここ碑文谷に創設されたサレジオ修道会によって、同29年(1954)に建築された教会である。 ローマ・カトリック教会の男子修道会「サレジオ修道会」に所属するため「サレジオ教会」と呼ばれて親しまれている。聖堂はロマネスク式で、壮大と優美の点で日本1、2を争う。祭壇には十字架のキリスト像、ヨハネ・ドン・ボスコの木像、悲しみの聖母の絵などが祀られている。奥行き47m、幅16m、高さ36m。、、、、木彫りの美しい聖マリア像に、しばしの間、恋してしまった。

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● 教会から都立大学駅へ向かうが、環七通りの手前まで来ると、丁度バスが来た。、、、、乗車オーライ!

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2020年1月22日 (水)

緑の街「海軍村」

昨日、TVを見ていると、“自衛隊の中東派遣”と、“駐韓米国大使の髭”のニュースが流れた。 私の頭の中で、2つのニュースが化学反応を起こし“東郷元帥”が思い出され、“日本海軍”を思い、さらになぜか“海軍村”を思い出した。 『数年前に見た古い建物は取り壊されたか?』、気になり今日の散歩では「海軍村」に行ってきた。

東急目黒線の奥沢駅で下車し、「海軍村」の跡を求めて奥沢2丁目を歩き廻り、東急大井町線の緑が丘駅まで、8千歩の散歩。




●ここは世田谷だ! ・・・・・・・奥沢駅(おくさわえき)は東急目黒線で唯一世田谷区の駅である。 両隣の大岡山駅、田園調布駅は、それぞれ、目黒区、大田区にある。、、、、大正12年(1923)3月11日、目黒蒲田電鉄が目黒~丸子(現:沼部)間を開業させた時にできた。 ホームは下り用の単式ホーム1面1線と上り用の島式ホーム1面2線で構成される地上駅。 改札は上下ホームにそれぞれある。 駅の横には留置線があり、電車のお休み処。、、、、駅名の奥沢は元の地名「荏原郡玉川村字奥沢」から頂戴した。 その「奥沢」は、呑川支流の九品仏川の奥深い沢(九品仏浄真寺の北側の湿地帯)に由来するそうだ。、、、、駅を利用する、女学生・OL・パートのおばさん・病院通いのお婆さん、世田谷の駅では誰もが美人に見える、私の住む下町の浅草橋駅とは質が違うのか?
年をとり目もイカレテきたか?

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●大蛇がいた! ・・・・・・・・駅の北側150m程に奥澤神社はある。 奥澤神社の創建年代は不詳ですが、世田谷城吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり、世田谷郷東部の守護として八幡社を勧請したと伝えられている。、、、、社殿は昭和45年(1970)に完成し、尾州檜材を用い、室町期の様式を採用したもので、都内においても他に類を見ない。、、、、江戸中期、疫病が流行した時、名主の夢枕に八幡様が立たれ、藁で造った蛇を祀るとよいというところから「厄除大蛇」が鳥居にかけられるようになり、今も続いている。 今日、もう一匹の大蛇が、社殿の中で、とぐろを巻いてお休み中であった。

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・・・・・・・・・・・・鳥居をくぐって、スグ左にある如意輪観音の道標。 大音寺(奥沢1)近くの呑川脇の何処かにあったものらしい。 観音の下部に、「右品川ミち 左めぐろミち」と標されている。 なぜか裏を見ると出羽三山(出羽山・月山・湯殿山)の名が出てくる?

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・・・・・・・・・・・・そして、神社鳥居前から東に向かい緑が丘駅前に至るバス通りは「奥沢大蛇通り」と言う。 毎年9月の祭礼では、藁で造った長さ約9m、直径26cm、重さ150㎏の大蛇が、町を練り歩く(?)そうだ。 この大蛇通りを!

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●緑豊かな海軍村! ・・・・・・・世田谷区奥沢2丁目、奥沢大蛇通りと、東急大井町線で挟まれた一帯をかつて通称「海軍村」と云った。、、、、数年前、世田谷に「海軍村」があると聞いて、なぜ“海軍”が海のない世田谷に居るのか疑問であった。 大正12年(1923)の関東大震災後の郊外移転ラッシュ、同じ年の目蒲線開通による利便性向上、奥沢は虎ノ門の海軍省と横須賀鎮守府の間、セレブの住む“あこがれの田園調布”の隣町、などなどで、海軍士官がこの地に魅力を感じたらしい。 そこで、当時この地の地主であった原家が独力で区画整理を行い、海軍士官たちに借地として貸し与えた。 高いか安いか判らんが、賃借料は坪単価8銭だったそうだ。 昭和11年頃には30戸以上も集まり、主に主計関係の海軍士官が集住したので俗称「海軍村」と呼ばれたそうだ。(一部、陸軍軍人もいた)、、、、海軍村の建物は、特別な様式、材料、デザインなどで珍しいわけではない。ゴク普通の建物である。 現存する当時の建物は数棟で、殆どは建て替えられた。、、、、現在、奥沢2丁目の街全体を緑豊かな、季節感のある街にすべく、住民が街づくりに取り組んでいるようだ。

・・・・・・・・・・・・昭和初期頃の建築と思われる住宅、、、、現在、どの建物も住まわれており、覗き見はダメ!

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・・・・・・・・・・・・村の中心と思われる位置に建つ「海軍村跡」の碑、、、、電柱の陰で恥ずかし気に建っている
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・・・・・・・・・・・・建て替えられた家もおしゃれだ!

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●“ヶ”を“が”にした駅! ・・・・・・・東急大井町線の「緑が丘駅」は大岡山の東京工業大学のキャンパスに隣接する駅であるが、東工大の表門の駅が大岡山で、裏門の駅が緑が丘と云う感じ。 緑が丘駅は目黒区であるが、駅前の道路を横断すると世田谷区奥沢となる。、、、、昭和4年(1929)12月25日、中丸山駅として開業。 昭和8年(1933)に緑ヶ丘駅に改称。 昭和41年(1966)には“ヶ”を“が”に変えて緑が丘駅となる。、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅で、出入口は高架下の1箇所のみ。、、、、一日の平均乗降客数は、10,000人程と少ない。

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2019年7月24日 (水)

宗派が変わった円融寺

「今日の散歩は何処にしようか?」と地図を見ていたら、「円融寺通り」の文字が目に入った。 決まり!今日は「円融寺通り」を歩くことにした。 もちろん、円融寺にも寄ることにした。 東急目黒線洗足駅から、東急バス清水バス停まで、1万歩の散歩。

・・・・・・・・・・・「円融寺」は、天台宗寺院で、経王山と号す。 仁寿3年(853)に慈覚大師が当地(目黒区碑文谷1)に創建した天台宗法服寺を起源とし、日蓮上人の高弟日源上人が日蓮宗に改め、弘安6年(1283)妙光山法華寺と改号した。 末寺75ヶ寺を擁し、日蓮宗の名刹寺院として栄えた。 しかし、不受不施派(法華経信者以外からは施しを受けず、施しもしないと主張した、日蓮宗の一派)の拠点であったことから江戸幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)に再び天台宗に改宗し、天保5年(1831)には経王山円融寺に改めた。、、、、天台宗から、日蓮宗へ、そして天台宗に戻り、次は何宗か?

・・・・・・・・・・・「円融寺通り」は、その名のごとく円融寺の近くをとおる通りの名である。 東急目黒線の洗足駅から南東に150m程にある「小山七丁目交差点」を起点に、洗足駅前、原町と抜け、碑文谷の円融寺の東250m程を北上し、目黒本町の町中を抜けて、目黒通りの「東急バス目黒車庫前交差点」までの2車線のバス道路である。、、、、通り名を知っているのは地元の人だけだと思うね! 




●池がない洗足駅 ・・・・・・・東急目黒線の洗足駅は大正12年(1923)3月11日に開業。 昭和40年(1965)には、環七通りとの立体交差のため地下化された。 深さ約7mの相対式ホーム2面2線を有する地下駅。、、、、目黒線の「洗足駅」と池上線の「洗足池駅」は、名が似ているが前身となるの会社が異なっていたため、直線距離で約1.1km離れている。 両駅を利用する時は、間違えないで!

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● 女子高が消えた円融寺通り ・・・・・・・まずは円融寺まで、円融寺通りを歩く。

・・・・・・・・・・・・・・まずは、南端の「小山七丁目交差点」 写真中央の通りが「円融寺通り」で、ここから駅前を通り洗足2丁目の交差点までは、「洗足 いちょう通り」と称している。、、、、本名は円融寺通りで、源氏名はいちょう通り?

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・・・・・・・・・・駅前の洗足いちょう通りは、シャレた店が多く(早朝なので、店はまだ開いていない)、駅に向かう若い娘もモデルみたい! この町には皇后さまの実家があるそうだ。 さすが私の住む浅草橋(台東区)とはチョイト違うね! 
  
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・・・・・・・・・・・・・・昭和40年代に建てられたマンション、現在でも“高級賃貸マンション”として入居者募集中。 この辺りは、やはり浅草橋とは違い高級住宅街なのか?

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・・・・・・・・・・・・・・江戸時代の面影を残す緑豊かな古民家と屋敷林が、原町2に「宮野古民家自然園」として残されている。 入園は10時から、まだ開いてないので、残念だがまたの機会とする。

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・・・・・・・・・・・・・・原町2のバス停「洗足学園前」  停留場名となった「洗足学園第一高等学校」は平成20年(2008)に閉校した。 跡地には大きなマンションが建っている。、、、、学校は、敬虔なクリスチャンでもあった創設者:前田若尾により大正13年(1924)に開校した私立女子高等学校であった。 歌手:由紀さおりは卒業生の一人である。 バス停は残れども、校舎は残らず、残念!

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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りから、西にある円融寺参道に向かう。 途中、住宅(原町2-13)の軒下に薬師寺と東塔・西塔、金閣寺、銀閣寺、平等院などの寺社の手作り模型が並んでいた。 その家の主:寿司屋を廃業された80歳の御主人が趣味で作ったものだ。 最近作、2カ月かけた作品「国家 令和元年」というものもあった。 今後は姫路城の築城に取り組むそうだ、お元気で!

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●23区最古の建築! ・・・・・・・円融寺通りから約300m西側によった碑文谷1-22に天台宗の円融寺(えんゆうじ)はある。 都心に在る寺とは思えない静けさと、綺麗に手入れされた境内で、癒される空間が創られている。

・・・・・・・・・・・・・・現在の山門は昭和26年(1951)に品川御殿山の原邸から移築されたものである。 この門は天保4年(1833)播磨の国の寺の山門として造られたもので、明治時代に原邸に移されたものだ。、、、、山門をくぐると、仁王門に向かい真直ぐに参道が伸びている。
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・・・・・・・・・・・・・・参道の先で、数段の階段を上ると仁王門がある。 簡素な造りの仁王門であるが、唐風に和風を取り入れ、虹梁、蟇股、懸魚などにも様々な装飾が加えられている。 建立時期は不明であるが、永禄2年(1559)に仁王像が作成されるのとほぼ同時期と考えられる。 茅葺きだった屋根は、平成19年(2007)に銅葺きに改められた。


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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の先に入母屋造の釈迦堂が見える。 円融寺では山門、仁王門、釈迦堂、阿弥陀堂が一直線に並んだ伽藍配置となって、境内の奥行の深さを感じる。、、、、釈迦堂は室町初期の建立とされ、23区内最古の木造建築でる。 明治44年(1911)に国の古社寺保存法により国宝に指定され、昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定されました。 本来の屋根は茅葺きでしたが、火災予防の見地から昭和27年(1952)に銅葺きに改められた。 全体に調和のとれた優美な姿の堂である。

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・・・・・・・・・・・・・・釈迦堂の後ろに阿弥陀堂(本堂)が控えている。 阿弥陀堂は、昭和50年(1975)の建立で、設計は佐々木嘉平、設計顧問に早稲田大学名誉教授工学博士・田辺泰をむかえ、平安朝阿弥陀堂様式に則って建設された。、、、、本尊の阿弥陀如来は、仏像彫刻家の第一人者:松本昇の作で、日野法界寺の国宝・阿弥陀如来の様式を模して作られたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の横の梵鐘は、寛永20年(1643)に鋳造されたものである。 国重要美術品、、、、撞いてみたくなったが、撞木がない、ガ~~ン!

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・・・・・・・・・・・・・・この他、境内には、小さな五重塔のような石塔がある。 これは円融寺の前身である日蓮宗法華寺の開基日源上人(~1315)の供養塔。 また、法華寺と彫られた水鉢もある。、、、、天台宗に残る日蓮宗だ。

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●住みたくない家がある円融寺通り ・・・・・・また、円融寺通りに戻り歩くことに、、、、、

・・・・・・・・・・・・・・円融寺東門から出ると、アリャ・コリャ・ナンジャ?、、、、内部はどうなっていることやら???
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りの五差路角(目黒本町6-24)に法界塚なるものがある。 法界塚の名は16世紀末の古文書にも見られることから由緒あるものと考えられるが、塚自体は法華寺に関係する経塚とも古墳とも伝えられ、詳しいことは不明。 隣に建つ鬼子母神堂は、江戸時代に安藤氏が勧請したもので、明治末に品川区西小山の摩耶寺からこの地へ移された。

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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りもあと少し目黒本町1の町を抜ける。
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・・・・・・・・・・・・・・円融寺通りが目黒通りにぶつかる「東急バス目黒車庫前交差点」、、、、これにて、「円融寺通り」を踏破。

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・・・・・・・・・・・・・・目黒通り「清水バス停」からバスにて渋谷へ向かう。

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2019年7月 8日 (月)

井の頭線 (駒場東大前~渋谷)

今年の梅雨は、飽きもせずに連日の雨。 今朝は、ヤットコドッコイ、やっとのことで雨も上がった。 井の頭線沿線の散歩は、本日が最終日となった。 駒場東大前から渋谷まで、途中に神泉駅があるだけの、二駅間(1.4km)であるが見どころは多い。 1万歩。



●東大生の気分で! ・・・・・・・渋谷から井の頭線に乗り、二つ目の駒場東大前駅で下車。 チョイト、東大生になった気分で、学生と一緒に下車し東大口から出ると、二十歳代の学生の中に七十歳代の親爺一人、このギャップに気付き、恥ずかしい!

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●チョイト東大見学!・・・・・・東大口の正面には東大駒場キャンパスの正門が見える。 守衛さんに呼び止められないか? ドキドキしながら堂々と正門を通過。、、、、駒場キャンパス(教養学部)の正門は旧制第一高等学校正門として昭和13年(1938)頃に完成した。 門扉には、柏葉と橄欖(カンラン)を図案化した一高の校章が入れられている。 平成20年(2008)に門扉は復元された。

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・・・・・・・・・・・・・・正門を入ると正面に、国の登録文化財である旧制第一高等学校本館がある。 内田祥三、清水幸重の設計、銭高組の施工により、昭和8年(1933)完成。 現在は教養学部1号館として教室を使用している。、、、、キャンパスの象徴的建物。 私が受験生の頃の蛍雪時代(旺文社の受験雑誌)の表紙に載っていたかも?、、、、教室はゴク普通の教室だ!

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の左側に教養学部900番教室がある。 旧制第一高等学校の講堂で、昭和13年(1938)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。

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・・・・・・・・・・・・・・キャンパス西側の奥に研究者交流と外国人研究者宿泊のための施設がある。 この建物は昭和12年(1937)に完成した旧一高同窓会館。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は多田工務店。 平成16年(2004)に改築されて、現在はフランス料理のレストランもある、駒場ファカルティハウスと称している。

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・・・・・・・・・・・・・・1号館の右側には教養学部900番教室と対をなすように、東京大学駒場博物館がある。 旧制第一高等学校の書庫・閲覧室で、昭和10年(1935)に完成。設計は内田祥三、清水幸重。 施工は銭高組。、、、、閉まって入れません!

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・・・・・・・・・・・・・・博物館の北側には学教養学部101号館があり、旧制第一高等学校特設高等科の建物であった。 こちらも、内田祥三、清水幸重の設計で、多田工務店の施工により、昭和10年(1935)に完成。

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・・・・・・・・・・・・・・以上は古い建物の紹介。 これらの建物を囲むように、近代的な校舎が並んでいる。 

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●・・・・・・・・・・・・・東大駒場キャンパスの東側の門から出て、井の頭線沿いに神泉駅に向かう。 この辺りは、住宅も密集し学生向けのアパート、マンションがアッチニモ・コッチニモ!

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・・・・・・・・・・・・・・神泉駅に近づくと線路脇から、切通しの先に神泉トンネルが見える。 300m程のトンネルの渋谷寄りには神泉駅がある。 トンネルの上には住宅が建っている。

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●ホームはトンネルの中 ・・・・・・神泉トンネルの渋谷寄りにある神泉駅。 神泉駅は、昭和8年(1933)8月1日の帝都電鉄渋谷~井の頭公園間開業と同時にできた駅。 ホームは相対式2面2線で、そのほとんどがトンネルの中にある珍しい構造である。 かつての神泉駅はホームの長さが3両分しかなく、吉祥寺寄りの2両がはみ出して停車していた。 そこで神泉トンネルを削って5両分に延長する工事が平成7年(1995)に行われた。 現在は、神泉トンネルと渋谷寄りに駅ビルがつくられ、その中に5両分のホームがある。

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・・・・・・・・・・・・・・渋谷へ行く電車は、神泉駅を出るとスグに渋谷トンネル(渋谷隧道)に入り、円山町のラブホテル街、道玄坂の飲み屋街などを地下で抜けて渋谷駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅名の「神泉」は、この辺りの地形が谷間になっており、その谷の名「神泉谷」に由来する。、、、、江戸時代の本『江戸砂子』によると、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」とあって、古くから霊泉として知られていました。 江戸時代から明治20年ころまで、弘法湯として栄え、後の円山を中心とする盛り場の発祥地となりました。、、、、駅近くのコンビニの脇にポツンと立つ神泉湯石碑。 石碑には弘法様らしきが刻まれ、微笑んでいる。 

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●昔も今も、二人の街! ・・・・・渋谷トンネルの上の地には、湯治目的で神泉湯に人が集まり、さらに芸妓さんも住み、湯治場は花街となり、戦後はホテル街と変わってきた。 今でも料亭だった建物が残っている。 知る人ぞ知る「円山町」 円山町から道玄坂を歩き駅へ・・・・一度、夜行ってみたい、楽しそうな街!
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・・・・・・・・・・・・・・その町の中に、長禄元年(1457)に太田道潅が江戸城を建築した際、城内に京都の伏見稲荷を勧請したことに始まる、千代田稲荷神社がある。 その後、徳川家康が江戸城を拡張した慶長7年(1602)に城内から渋谷宮益に移し、「千代田稲荷」と称した。、、、、知る人ぞ知る、道玄坂のパワースポット。 道玄坂で焼肉食べて、神社でパワーを授かり、いざ、円山町はラブホへ出陣!

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●ゴールした! ・・・・・井の頭線沿線の散歩もいよいよゴール。 誰もが知ってる渋谷駅に到着。、、、、明治18年(1885)に日本鉄道の駅が開業(現:JR渋谷駅)。 明治40年(1907)には玉川電気鉄道玉川線(後の東急玉川線)が開業し、その後、東京市電(後の東京都電)、玉川電気鉄道天現寺橋線(後の東京都電天現寺橋線)、東京横浜電鉄(現:東急)東横線などが開業。 さらにその後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄渋谷線(現:京王井の頭線)が開業した。、、、、いまは、地下鉄銀座線、半蔵門線、副都心線なども開通し、さらに、渋谷駅は大改造中。 何が何だか判らない駅だ!

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2019年7月 3日 (水)

井の頭線 (下北沢~駒場東大前)

雨の上がった午前中に散歩をすべく、朝7時過ぎに家を出た。 行先は井の頭線の下北沢駅、今日はココから歩きはじめ駒場東大前駅まで、1万1千歩の散歩です。




●すし詰めラッシュ ・・・・・井の頭線沿線の散歩、今日は下北沢駅から。 まずは、井の頭線の下北沢駅で下車。

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・・・・・・・・・・・・・・吉祥寺方面から渋谷に出る通勤客にとっては、中央線新宿経由で渋谷に出ると、乗換1回、所要28分、運賃216円。 井の頭線で渋谷に出ると、直行、30分、195円。 自宅・勤務先の事情もあるだろうが、井の頭線の利用に魅力を感じる人も多いはずだ。 それ故に、朝8時の井の頭線下北沢駅ホームに到着する渋谷行の電車は超満員、“乗せて! 押して! 詰め込んで!”のラッシュ。 一方、吉祥寺行は“楽々座れますね!”

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●落ち着かない町! ・・・・・・下北沢の隣り駅:池ノ上駅まではわずか600m。 チョイト、裏道、回り道、寄り道を!

・・・・・・・・・・・・・・地下化された小田急線の地上の旧線路跡。 広い空間が、まだ整備されず・・・

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・・・・・・・・・・・・・・駅周辺には、大きな劇場、小さな劇場、数えたことはないが、自分の知るだけでも10軒以上はある!

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・・・・・・・・・・・・・・踏切を一つ、また一つ、線路の先には池ノ上駅が見える!

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●駅名の由来は単純! ・・・・・下北沢駅から600m、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した池ノ上駅。 駅名は“いけのうえ”と読む。 ノーなしは東急池上線の池上駅、間違えないで! 島式ホーム1面2線の地上駅で橋上駅舎を持つ。、、、、かつて駅の南方に細長い池があり、それから駅周辺の高台を「池の上」と呼ぶようになる。 その地名から駅名を「池ノ上」としたそうだ。
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●研究の成果を見たい! ・・・・・・池ノ上駅の西側、目黒区駒場に東大駒場リサーチキャンパスがある。 ここは、元々は駒場農学校(東大農学部の前身)の敷地だった。 関東大震災後は東大の工学部系の研究施設がつくられる。 現在は、先端科学技術研究センター、生産技術研究所、国際産学共同研究センターがつくられ、先端工学系の研究施設が集まるキャンパスとなっている。、、、、“駒場”の東大と言えば、誰もが東大教養学部の駒場キャンパスを思いだすが、そのキャンパスは「駒場東大前駅」の北側に広がっている。 ここは、教養学部のキャンパスとは駒場公園を挟んで西側にあるキャンパス。 東大でも一般にあまり知られていない、超最先端の研究をしている施設である。 セキュリティがシッカリしているので、内緒で機密情報をパクることは出来ません!、、、、文化財級の建物を除いて、研究室などがある近代的な建物は、京都駅を設計した原広司の設計である。、、、、

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 ・・・・・・・・・・・・・・最先端の研究をする施設群の中で、キャンパスの中央にシンボル的にたつのは「先端科学技術研究センター13号館」。 旧航空研究所本館で、登録有形文化財。 昭和4年(1929)完成。 設計は内田祥三、清水幸重。 施工は大倉土木(現:大成建設)。、、、、現在は、事務室と教室として使用されているようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の真後ろたつ14号館。

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・・・・・・・・・・・・・・正門から入ると、13号館の右にたつ「試作工場」は、旧東京帝国大学航空研究所中央工場第1号館として昭和4年(1929)に建てられた。 鉄筋コンクリート造2階建て。 設計は内田祥三と清水幸重ほか、施工は大倉土木(現:大成建設)。

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・・・・・・・・・・・・・・13号館の左には、「旧:東京帝国大学航空研究所風洞部研究室」であった1号館がある。 設計:内田祥三、清水幸重など、施工は竹中工務店。
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●東西駒場駅の合作! ・・・・・・「駒場東大前駅」は、昭和40年(1965)7月11日に「駒場駅」と「東大前駅」を統合して開業した。 井の頭線で唯一戦後に開業した駅で、最も新しい駅である。 現:駒場東大前駅より吉祥寺寄りに駒場駅が、渋谷寄りに東大前駅があった。 両駅がその中間点に移動し、統合したものだ。

・・・・・・・・・・・・・・まず「駒場駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の「西駒場駅」として開業。 昭和12年(1937)に「駒場駅」に改称した。、、、、駒場駅は現:駒場小学校の前辺りにあった。 (写真1枚目の中央)上り側:京王電鉄の保線詰所のような小さい建物が建っている処。  (写真2枚目の中央)下り側:ホームのようなコンクリート構造物がある処。

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・・・・・・・・・・・・・・「東大前駅」について、、、、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の東駒場駅が開業。 昭和10年(1935)には「一高前駅」に改称し、昭和26年(1951)に「東大前駅」に改称した。、、、、次の写真では、現駒場東大前駅の渋谷寄り東口階段を下り20m程渋谷側に寄ったあたりに、写真左端の看板がある処。 この付近ではコンクリートの中に鉄骨の一部が埋められたものを2m程の間隔に見ることができる。 当時の駅に関係する構造物の一部か?

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・・・・・・・・・・・・・・現在の駒場東大前駅は、島式ホーム1面2線の構造。 傾斜地にあるため、吉祥寺寄りは高架ホーム、渋谷寄りは通常の地平ホームとなっている。 改札口は、吉祥寺寄りホーム階下の西口と渋谷寄りの路盤上にある東口・東大口の2か所がある。

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2018年12月19日 (水)

挙式もできる目黒区役所

久しぶりに東急東横線中目黒駅で下車してみた。 駅前の商店街を歩き目黒区役所に立ち寄って、祐天寺にて手を合わせ学芸大学駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●埼玉の電車も停まる駅・・・・・・・・・東横線と、東京メトロの日比谷線が乗り入れている中目黒駅は、東急が駅を管轄している。 1番線ホーム(横浜方面)に立つと、東京メトロ副都心線を介して相互直通運転している東武東上線、西武池袋線、横浜高速鉄道みなとみらい線などの車両が入線し、隣りの2番線ホームは日比谷線の終点で乗客は全員降りて、乗り換える客も多い。 ホームの上は、通勤・通学で朝から忙しそうだ。、、、、昭和2年(1927)8月28日、渋谷~丸子多摩川(現:多摩川)間の開業に合わせ、同時に中目黒駅も相対式2面2線の高架駅で開業した。(東横線の始まりである) 昭和39年(1964)、日比谷線が乗り入れ東横線日吉駅まで相互直通運転が始まる。 平成25年(2013)、副都心線がみなとみらい線・東横線に乗り入れ、相互直通運転が始まる。 この時から、日比谷線の乗り入れは終わり、中目黒駅は日比谷線の終着駅となる。、、、、女性憧れの東横線に、埼玉の電車:東上線・池袋線が乗り入れたので、東横線沿線の価値は下がったかな?
 
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●馬面から銀座のお姉さんに!・・・・・・・・・・東横線の南側に「目黒銀座」商店街がある。 朝、駅に向かう人がせわしなく通り過ぎて行く。 人を避けたた時、「目黒馬頭観音」の提灯が目にとまり、路地を入ると商店街の裏に小堂があった。、、、、大正時代の終わりごろ、乳牛牧場や馬力運送する業者がこの辺りに多かったことから、何名かが発起人となり牛馬の息災を護り、亡くなった動物の霊を弔うために建てたそうだ。 現社殿は昭和10年(1935)の建築。、、、、、昭和31年(1956)から“馬頭観音”改め、「目黒銀座観音」と改称したらしい。 観音さまの姿は拝見していないが、馬面の観音さまより、銀座のお姉さんをイメージする観音さまの方がいいね。 私も好きになれそうな名だ!
 
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●挙式もできる区役所・・・・・・・・目黒銀座をもう少し歩くと、目黒区役所に向かう道が目にとまる。 今度は、目黒区役所にお立ち寄り。、、、、、昭和42年(1967)の文化勲章受章者である建築家:村野藤吾(1891~1984)の作品の一つ旧千代田生命保険相互会社本社ビルで、現在は目黒区総合庁舎となっている。 区役所の建物を見てきた。、、、、地上6階/地下3階の本館と、地上9階、地下3階の別館で構成、延床面積 48,075m2の建物は、昭和41年(1966)の竣工。 外壁の白色アルミ鋳物製ルーバーが印象的な建物。 平成15年(2003)から区役所庁舎に生まれ変わり使用されている。、、、、民間の建物から役所の建物に変わり、建物の汚れも目立ち、チョイト使い方が荒い気もするが、致し方ないか!
 
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・・・・・・・・・・・・・・内部は住民への窓口が並ぶ。 一部、茶室、和室もある。 広いエントランスホールと螺旋階段に設計者:村野の特徴が現れている。 目黒区では、この庁舎を利用したウエディングの応募者を募っていた、私も若ければ・・・・?
 
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●移設された庚申塔・・・・・・・・・・・・・目黒区役所の近く、駒沢通りに面し、天照大神を祀っている上目黒天祖神社がある。 創建年代は不詳。 現社殿は昭和8年(1933)の造営。、、、、、境内には、2基の庚申塔がある。 ともに青面金剛と三猿が彫られたものだ。一方は宝永五年(1708)の年号、もう一方は享保元年(1716)の年号が刻まれており、享保の年号を持つ塔は道標にもなっていたという。 道標の銘には、道をまっすぐ行けば九品仏、右に行けば世田谷、左に行けば目黒不動と、標されている。 なお、庚申塔は、昭和15年、駒沢通りがオリンピックの準備で拡張された時に、ここ神社の境内に移された。
 
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●REITで儲けた寺・・・・・・・・・・・・・駒沢通りを南に歩くと、浄土宗の名刹:明顕山祐天寺 の前に出た。、、、、江戸中期祐天上人を開山とし弟子の祐海が創建した。 祐海は経営の才があり、寺の経済的基盤を固めることに努め、寺憲を作って、喜捨された金が100両になる毎に地所を購入するように定めた。 その後も祐全・祐東などの努力によって、寺運は発展し、その所有地は幕末には4町歩を越えた。 現在でも目黒区一の大地主らしい。 明治27年(1894)日清戦争の時、目黒火薬製造所が増産で出てくる弾丸の貯蔵に困り、寺に預けたものが爆発し、堂塔の大半を失ってしまった。 しかしそれでもなお多くの寺宝、文化財を今日に伝えている。 江戸時代から不動産投資(REIT)で儲けていたらしいね。、、、、山門前にはすでに門松が用意され、境内は初詣のため参道沿いに電球が用意されていた。 
 
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●どこを歩いても古道か?・・・・・・・・祐天寺から学芸大学駅へ向かう駒沢通り沿いに石仏・道標が3か所にあった。 この辺りは、どの道も古道なのか? あちら、こちら、石仏・石碑のたぐいが残されているようだ。、、、、、私の住む浅草橋には“古道”と呼ばれる道はないが、現江戸通り(水戸街道)は吉原へ通じる道だった。 出来れば“廓(くるわ)古道”とでも命名して欲しいね!
 
・・・・・・・・・・・・・中町2丁目、「祐天寺2丁目交差点」近くに「さわら庚申と道標」がある。 五叉路の一角に木を背にして小さいながら立派な堂があり、中には3基の庚申塔がある。 また、その右側に道標があり正面に“おく沢、ひもんや、いけかみ道”左面に“あさふ、あを山道”右面に“ごほん木、ふたご道”と彫られている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・五本木2丁目、ビルの角に石仏の観音像が祀られている。 この石仏は、もと上目黒にあったものを、再開発のため現在地に移転したそうだ。 この観音像は、目黒川にあった水車の無事やそこで働く人々の安全、また川で水死した子供の供養のために造られたといわれている。 ただそれが何時頃、誰によって造られたか不明。
 
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・・・・・・・・・・・・・・小堂内に庚申塔が4基、地蔵1基が納められ、その手前に念仏塔1基、堂の外にも庚申塔が建っている、ここは五本木2丁目の「五本木庚申塔群」。、、、貞享3年(1686)から文化8年(1810)にかけての年号や五本木庚申塔講中の氏名が刻まれている。 庚申塔群の前の道は、鎌倉古道であったそうだ。 やっぱり古道か!
 
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●シャレた名の稲荷・・・・・・・・・・・・・・・・中央町2丁目、駒沢通りに面して十日森稲荷神社の鳥居がある。、、、、、この神社は、もと五本木の旧家である島崎佐五衛門の邸内にあった屋敷神を移されたと伝えられ、旧上目黒村五本木組の鎮守であった。 五本木田圃の豊作守護神としてあがめ、信仰のもとにこの神社を祀ったと言われている。 蒼稲魂命を例神として今もこの地域の人々に深く崇敬されている。、、、、現本殿は明治17年(1884)に、拝殿は昭和32年(1957)の建築。、、、、社名の“十日森”は、“稲荷の森”を“稲荷(とうか)の森”と読んで転じたと言われている。
 
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●名を変えてきた駅・・・・・・・・・・学芸大学駅に着いた。、、、、駅名の由来となった東京学芸大学は昭和39年(1964)に小金井市へ移転したが、東京学芸大学附属高等学校は当駅を最寄り駅として現存している。、、、、、昭和2年(1927)8月28日の開業時は碑文谷駅と称していた。 その後、碑文谷駅→青山師範駅→第一師範駅→昭和27年(1952)7月1日学芸大学駅に改称してきた。、、、、島式ホーム1面2線の高架駅。
 
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