隅田川テラス
●隅田川テラス・・・・・・・・ 東京都が昭和60年(1985)から進めている事業で、隅田川両岸のほぼ全域総延長46.9kmの堤防を、人が水辺に親しみ遊歩道として歩けるように、親水テラス:「隅田川テラス」として整備されてきた。、、、、これまでは、橋の直下や水門の前は歩けなかったが、このほどテラス上を連続して歩けるように整備された。、、、、今日は隅田川右岸の台東区内に属する部分(総武線隅田川橋梁~白鬚橋)を歩いてきた。
①総武線隅田川橋梁・・・・・・・・ 神田川が隅田川に合流する地点の上流側に架かるJR総武線の隅田川橋梁。 元土木学会会長:東京大学教授:田中豊(明治21年(1888)~昭和39年(1964))の設計で、昭和7年(1932)に竣工。 形式は3径間ゲルバー下路式ランガー桁で、橋長は172m、軽快な姿を隅田川に映す橋。
・・・・・・・・・・ 橋の横(台東区柳橋)に隅田川テラスの入口がある
・・・・・・・・・・ ここから見るスカイツリーは雅万歩では、おなじみ、、、、
・・・・・・・・・・ ここ辺りの堤防は「なまこ壁」風にデザインされ、所々に大名の家紋が埋め込まれている。、、、、、昭和40年頃までは、「柳橋」の花柳界があり、川べりには桟敷が作られ夏の夜は提灯も下がっていた。 政財界人、文筆家、相撲取などが遊んだ処。
②NTT蔵前専用橋・・・・・・・・・ NTT東日本蔵前通信ビル(台東区蔵前)と対岸(墨田区横網)を結ぶ。 昭和42年(1967)の竣工当時は旧電電公社時代であり、「電電蔵前専用橋」と呼ばれた。 日本で初めての洞道(通信線トンネル)専用橋であるが、中央には水道管も敷設され水道橋を兼ねている。、、、、、蔵前橋の南側(下流側)に近接しており、チョイト武骨な白い箱形の躯体が景観を損ねているね。 川底に通せばよかった!
④厩橋 ・・・・・・・・ 西岸の台東区蔵前・駒形と、東岸の墨田区本所を結ぶ、橋長151.4mの3径間下路式タイドアーチ橋。 昭和4年(1929)に竣工した、こちらも復興橋の一つ。、、、、、橋下にもぐると、“綺麗”とか“面白い”という言葉より、なんだか変質者になったような気がした。 色のなす魔力か?
・・・・・・・・・・ 厩橋から駒形橋にかけこの辺りの堤防はレンガ調で仕上げられている。 みんなでジョギングを楽しむ人、一人で観光地を調べる人、二人で記念撮影する人。
⑥吾妻橋 ・・・・・・・・ 吾妻橋は、「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所に、安永3年(1774)に初めて架けられた。 以来、幾度か架け替えられ、明治20年(1887)には、隅田川最初の鉄橋が架橋された。 鋼製プラットトラス橋で、人道橋、車道橋、鉄道(東京市電)橋の3本が平行して架けられていた。 しかし、この橋は関東大震災で被災したため、昭和6年(1931)に現在の橋に架け替えられた。
・・・・・・・・・・ 隅田川テラスは吾妻橋の両端にある橋台の中をトンネルのように通り抜ける。
⑦東武伊勢崎線隅田川鉄橋 ・・・・・・・・・ 東武鉄道伊勢崎線を通す、中路カンチレバーワーレントラス橋という形式の橋長166mの橋。 昭和6年(1931)竣工。 この橋も、総武線隅田川橋梁を設計した東京大学教授の田中豊である。、、、、川に架かる景観と車窓から見る景色に配慮し、トラス部分を低くしたデザインが特徴的な鉄道橋。
・・・・・・・・・・ 橋の南側(下流側)では、対岸にスカイツリー、墨田区庁舎、アサヒビール本社など、おなじみの景色が見える。
・・・・・・・・・・ この付近ではテラスに水生植物がみられる。 緑も多く癒される散歩道
⑧言問橋 ・・・・・・・・ 昭和3年(1928)に竣工した復興橋。 3径間ゲルバー鈑桁橋と云う形式で、橋長は238.7mの橋。 橋の上からは、スカイツリーが正面に見える、“絵”になる橋。、、、、、、橋下は、チョイト薄暗く、湿っぽくもあり、鉄骨が骨のように見え、恐竜の胃袋に入っている感じだ!
・・・・・・・・・・ この付近では、隅田川テラスに彩も鮮やかに花が植えられていた。、、、、持って帰っちゃ、ダメだ!
⑨桜橋 ・・・・・・・・・ 台東区と墨田区が共同で架けた歩行者専用橋。 隅田川上でX字形に広がる特異な平面形の橋。、、、、、両側(両区)の隅田公園を結ぶ、お花見に盛り上がる橋。、、、、、、桜橋付近になると、外人観光客の姿もなく隅田川テラスにも人影がまばらとなる。
・・・・・・・・・・ 桜橋から白鬚橋までは、チョイト距離がある。、、、、、堤防側には緑が続き、歩きやすい
・・・・・・・・・・ 白鬚橋に近づいたと思ったら、隅田川テラスは工事中、これ以上先にはテラスを歩けない。、、、、、、今日の散歩はココまでとする。