杉並区

2021年7月24日 (土)

エライヤッチャ!

オリンピック開会式のTV中継をジーッと見ていた寝不足の目を擦りながら、朝一番の眼科診察(8時半)に間に合うよう、中野の病院へ行ってきた。、、、、眼科検診では異常なし、また1カ月後にお会いしましょうと、約束して終了。

時刻は9時、このまま帰るのはもったいないので、チョイト、高円寺と、氷川神社に立ち寄ってきた。 病院から跨線橋を渡り、中央線の南側を歩き、高円寺・氷川神社に参るルートは、まったく同じルートを以前に歩いていた。→→→ 当時の記事はコチラ! 詳しい解説もコチラを読んで!

 

 

● 『世間では四連休なのに、病院はなぜ今日も営業しているの?』てな、疑問が頭をかすめ、つまらんことを考えながら駅を出る。 連休で中野駅前は通勤・通学の人は少ない。 オヤ、雨が降ってきた。、、、、病院までは歩いて10分、雨が降ってきたので、バスに乗る。

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● 病院を出ると雨はやみ、跨線橋から線路を眺め、電車より線路が好きな私には“至福の時間”

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高円寺南5丁目の住宅地の抜けると、環七通りに出る。 通りの向こうは高円寺のある4丁目。、、、、雨は完全にあがったが湿度は高く、ムシムシの蒸し風呂状態。 汗が吹き出し、下着はベットリ!

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● まずは、『ご本尊の観音菩薩に手を合わそう』と本堂へ、扉は閉まり姿は拝めず。、、、、生身の観音様もいない、静かな境内。

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・・・・・・・・・・・・本堂前の地蔵堂、「子育地蔵尊」の脇に、大きな“子作り珍宝”が祀られている。 最近、ご利益が無くなってきたので、珍宝の頭を撫で撫でする。

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● 高円寺駅近くの氷川神社にも寄っていく。 こちらの境内社に「気象神社」が祀られている。 戦時中、旧馬橋4丁目にあった陸軍気象部内にあったもので、戦後、関係者の要請で当氷川神社の境内に遷された。、、、、最近の異常気象は困ったもんだ! 多少なりとも、まともな天気となるよう祈願する。、、、、下駄の絵馬にテルテル坊主、いいね!

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● 去年は中止だったけど、“エライヤッチャエライヤッチャ ”「高円寺の阿波踊り」今年は開かれるのか?、、、、毎年8月の最終土曜日が開催日で、浅草のサンバカーニバルと同じ日だ! 今年も、屋外での開催は中止になったらしい!(屋内会場での開催を検討中とか?) 楽しみにしているファンの皆様、どうなるのかね? “エライヤッチャ”が“えらいこっちゃ”!

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2021年7月15日 (木)

大きな大聖堂!

昨日の続き。 東京メトロ丸ノ内線方南町駅から北へ、立正佼成会大聖堂、立法寺、蚕糸の森公園に立ち寄って、JR中央線中野駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 四ツ谷駅で中央線から丸ノ内線に乗り換えると、浅草橋(我が家の玄関先)から方南町駅までは45分程である。 案外近いものだ!、、、、丸ノ内線分岐線の終点「方南町駅(ほうなんちょうえき)」は“杉並区方南”にある。 駅周辺の一帯は明治時代には“和田村字方南”と称していた、字名“方南”は江戸時代から存在していたと思われる。  その字名“方南”は、どこから生まれたか? その答えの一つ、“野方領(今の中野、杉並、練馬、豊島、板橋の各区にまたる広い領域)の南端”の意味で“方南”になった。 確証はないが、当たらずしも遠からずで納得しよう! 『ほうなんですか?』 『ほうなんですよ!』、、、、方南町駅は頭端式ホーム1面2線の地下駅で、環七通りと方南通りに小さな出入口がある。

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・・・・・・・・・・・・今朝は方南通りに出た! 駅から北へ、裏通りを歩いてみよう! 目の先には、同じ道を男子高校生(?)が数人歩いてる。 『オヤ、男バッカシ、女子高生はいないのか? どこの学校だ?』 しばらく、後について歩くと円形の巨大な建物が見えた。 『ナットク、あれは立正佼成会の大聖堂。 高校生は、キット「佼成学園」の生徒だ!』 途中から高校生は善福寺川沿いにたつ校舎へ向かった。

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● 佼成学園の東側に、善福寺川を越える、立派な鉄筋コンクリート造の歩道橋がある。 この歩道橋は、方南町から来る信者の為に架けたと思われる。 歩道橋正面には、金色の宝珠を戴いたインド風 の「立正佼成会大聖堂」(昭和39年完成)が堂々たる姿で迎えてる。 私は信者ではないが、大聖堂の中を見たく、チョッピリ玄関から中へ入ってみた(聖堂内は何やら使用中でダメ) 『スゲェ~~、素人でも判る金をかけた建物だ!』、、、、大聖堂前の池に咲く蓮の花も、特別仕様なのか大きく・色鮮かに見える。

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・・・・・・・・・・・・せっかくの機会、ほかの建物もチョイト撮影。 動きが怪しいと、守衛さんがこちらを見てる!、、、、まずは、世界の宗教者をはじめ各界の指導者が平和について語り合う場としての「法輪閣」(昭和53年完成)とその庭園、、、、建物1階では新型コロナのワクチン接種が行われていた。 2回目の接種を終えた私だが、最近のインド株の拡大をみると、もう1回接種したくなるね! 

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・・・・・・・・・・・・参拝する信者が旅の疲れを癒し、心安らかに修行できるよう配慮された2000人収容の宿泊施設「第二団参会館」、、、、この他、周辺には、事務庁舎、病院、看護学校、発祥の地など、諸施設が点在する。

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● 大聖堂の東、杉並区和田2丁目の二寺に寄る。

・・・・・・・・・・・・まずは、真言宗豊山派寺院「東円寺」、、、、東円寺は、天正元年(1573)に、村民半六が開基、備後国の僧祐海が当地に開山した。 江戸時代からこの地にある寺。

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・・・・・・・・・・・・次は、東円寺の北東に隣接する日蓮宗寺院「長廣山立法寺」、、、、立法寺は、長廣院日立上人を開山、秋里氏が開基となり、永正3年(1506)赤坂に創建、その後青山権田原(元赤坂)への移転を経て、元文2年(1732)当寺七世境妙院日性上人の代に千駄ヶ谷村(現国立競技場内、場内のどのへんか知りたいね)へ移転、明治神宮外苑造営に伴い寺地を接収されて大正8年当地へ移転した。、、、、本堂は昭和56年(1981)、仁王門は平成15年(2003)の造営。

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● 立法寺の山門前には「救世軍ブース記念病院」がある、、、、年末の社会鍋で有名なプロテスタントの救世軍が運営する病院。 明治45年(1912)東京市下谷区仲御徒町に『救世軍病院』開設された。 大正5年(1916)和田堀村(現:杉並区和田1)に日本初の一般市民を対象とした結核サナトリウムの『救世軍杉並療養所』を開設(50床)。 昭和43年(1968)には、救世軍の創立者ウイリアム・ブースを記念し『救世軍ブース記念病院』と改名し、医療二一ズの変化に合わせて一般病院へ転換。、、、、この病院の周辺には、特別養護老人ホーム、老人保健施設、婦人保護施設、教会などの諸施設が裏通りの奥まで点在する。

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● 杉並区和田の裏道を左へ右へ歩き蚕糸(さんし)の森公園の南側に出てきた。 環七通りに面する「蚕糸の森公園」は、昭和55年(1980)に筑波に移転した農林省の蚕糸試験場の跡地である。 公園入口には、歴史を感じさせるレンガ造りの門柱と大正元年(1912)に建てられた守衛所が、管理棟として残されている。 優美なデザインの門扉と門柱。 門柱の照明がかわいい。、、、、レンガ造りの管理棟は、門柱と同じく、赤レンガの間に帯を配したデザイン。 小さいながらもどっしりとした風格があり、歴史を感じる。 銅葺きの屋根にはアーチ形のドーマ・ウィンドウが設けられている。

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・・・・・・・・・・・・公園内には、涼を求め散策する人もいる

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● 蚕糸の森公園から、裏通りの小さな商店街を抜けて、中野駅に出る、、、、今日の散歩はココまで!(ナイショの話:中野駅で、東京行の電車に乗るのを違えて、高尾行きに乗ってしまい、我が家は遠くなりにけり。 失敗!)

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2021年7月14日 (水)

島津藩菩提寺

京王線明大前駅から、築地本願寺和田堀廟所、永福寺、大圓寺と巡り地下鉄丸ノ内線方南町駅まで、1万1千歩の散歩。




● 朝8時前の京王線「明大前駅、、、、これから都心へ出社のサラリーマン、多摩の方へ通う学生が電車に乗る時刻となった。 上りも下りも、ホームには人が並ぶ。 新宿と多摩方面を結ぶ京王本線、渋谷と吉祥寺を結ぶ京王井の頭線の乗り換え駅でもあり、駅構内を行き来する人も多い。、、、、明治大学学生の登校時間にはまだ早い! 8時半頃になると、明治の可愛い女子大生も登校してくるはずだが、待てない!

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● 明大前駅は世田谷区、駅前の甲州街道を渡り明治大学は杉並区にある。 明大前駅が誕生した大正2年には「火薬庫前駅」という名であった。、、、、この“火薬庫”というのは、明治大学和泉キャンパスと大学の西隣にある築地本願寺和田堀廟所の敷地にあった、江戸幕府の塩硝蔵(鉄砲弾薬等の貯蔵庫)の跡のこと。 塩硝蔵は、当初、多摩郡上石原宿(調布市)にあったと伝えられ、宝暦年中(1750代)に「和泉新田御塩硝蔵」としてこの地に設置され、敷地はおよそ18,896坪(約62,000㎡)あり、御蔵地(貯蔵庫)は5棟・2町2反9畝5歩(約23,000㎡)の規模であったといわれている。 当時塩硝蔵は、御鉄砲玉薬方同心3人が年番で交代居住し、警備や雑用には付近の16ヶ村に対して、昼夜交代で3人づつの課役が徴せられていた。 明治維新の際、塩硝蔵は官軍に接収され、その弾薬は上野彰義隊や奥州諸藩の平定に使用され、その威力を発揮したといわれている。 その後兵部省管理を経て、陸軍省和泉新田火薬庫として再開され、中に当番官舎、衛兵所等が設けられ、麻布の歩兵連隊が警備を任されていたが、大正12年の軍縮で廃止された。、、、、現在は遺構らしきものもなく、大学のフェンスの前に説明版が設置されているだけ。

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・・・・・・・・・・・・明治大学の西隣に浄土真宗築地本願寺の墓地「築地本願寺 和田堀廟所」がある。、、、、大蔵省から払い下げを受けた12,000坪の陸軍火薬庫跡地に京橋区内にあった檀家墓地を移し、富士が望める閑静な我国初の近代的公園式墓地(霊園)を作って一般から墓地の分譲を募集し霊園経営の新形式を作り、昭和11年(1936)に真宗寺を置いた。 入口直ぐの建物は光寿閣といい信徒会館。 正面の極楽橋を渡った先の建物は本堂。、、、、広い墓苑には多くの著名人が眠っている。 一世を風靡したお笑い芸人のレオナルド・熊、横綱吉葉山、内閣総理大臣佐藤栄作、明大マンドリン倶楽部創設者古賀政男、作家樋口一葉、青い山脈の服部良一、ブギの女王笠置シズ子、俳人中村汀女、などなど書ききれない!

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● 和田堀廟所の西側、永福橋で神田川を越えて北へ300m程歩くと、町名「永福」、駅名「永福町」の由来元である、「万歳山永福寺」がある。、、、、万歳山永福寺は曹洞宗の寺。 本尊は十一面観音像で、脇侍の不動・毘沙門両像とともに、鎌倉期の仏師快慶の手になるものと伝えられている。 寺伝によれば、開創は大永2年(1522、室町時代)、、、、寺の歴史は古いが、昭和20年(1945)被災し建物は鉄筋コンクリート造にて昭和36年(1961)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・また寺の西門脇には正保3年(1646)・天和元年(1681)銘の庚申塔元禄4年(1691)銘の地蔵石像が安置されている。、、、、400年余りこの地で祀られている像であるが、保存状態良好。 仏を大事にしましょう!

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・・・・・・・・・・・・永福寺西門前には「永福稲荷神社」がある。 永福稲荷神社は、享禄3年(1530)に永福寺の開山秀天和尚が、永福寺境内の鎮守として創建した。

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● 井の頭線永福町駅前を通過し、井の頭通りを横断し、北へ向かう。

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● 永福町駅から北へ700m程、杉並区和泉3丁目の「泉谷山大圓寺」に立ち寄る。 この寺には2年ぶりだ。、、、、大圓寺(だいえんじ)は曹洞宗(禅宗)の寺院で、本尊は阿弥陀如来。 慶長8年(1603)赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって建立され、開山は諦巌桂察和尚(武田信玄の弟)とされる。 寛永18年(1681)正月、江戸の大火に遭い伊皿子に移転。 その頃から大渕寺の寺名を大圓寺に改める。延宝元年(1632)薩摩藩主島津光久の嫡子綱久の葬儀を行って以来、島津家の江戸における菩提寺となり、福寿院・門能院の塔頭二院もそれぞれ大名保科・旗本五井・松平・本多・土方の諸家中、町人衆を檀家として隆盛を極めた。 明治41年に塔頭二院を併合して現在地(杉並区和泉)に移転した。、、、、今日も山門前の石像の仁王がお出迎え。 顔を見ていると、浅草仲見世で売っている人形焼きを思い出した。、、、、山門には徳川の葵紋、本堂にはさらに島津の十字紋、苔むした墓地には明治元年戊辰の役戦死者没者の墓、日向都城主島津筑後守の墓及び殉死者の墓、大刀八木八郎の墓(君命にて巨石を捧げ、死後墓石となす十九才)、赤﨑海門・鞍岡蘇山(共に儒学者)の墓、横山正太郎安武(政府に建白、自刃)の墓などがある、徳川家や島津家とも縁のある寺院である。 また、飯野藩保科家墓所もある。 しかし、いずれの墓も案内がなく、どれが誰の墓か、この墓は誰のか、この人はいずれの士か、いずれの姫か、さっぱり判らん! 教えて欲しいが、墓の数がありすぎて聞いても馬の耳に念仏かも?

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● 大圓寺から東へ歩き、東京メトロ丸ノ内線の「方南町駅」から帰宅する。、、、、熱中症予防に歩きながら飲んだ、「ソルティーライチ」、「コカ・コーラ」の合計500㎖×2本=1000㎖が効きすぎて、熱中症の症状はなし。 でも、腹痛と尿意は限界に達する! 急げ!!

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2021年4月 3日 (土)

閻魔と顔なじみに!

週末で電車も空き『コロナには感染しない』と自分に言い聞かせ、新宿・明大前経由、井の頭線の西永福で下車し、大宮八幡宮、和田堀公園を歩き、華養院の閻魔大王を拝んできた。 1万1千歩




井の頭線の西永福駅は、私にはまったく縁のない駅で、散歩で数回来たことがあるだけだ。 今日は降りてみることにした。、、、、昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 現在は島式ホーム1面2線の地上駅であるが、平成20年(2008)にモダンなデザインの橋上駅舎となった。

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● 駅の北側に
法華宗陣門流の法真山理性寺がある。、、、、理性寺は、承応3年(1654)、大久保越中守忠辰・甚兵衛尉忠陰兄弟が両親の父荒之助忠富(法眞院日堯)、母久世氏(理性院日然)のため、久世氏より土地を譲り受けて内藤新宿に創建した。 大正3年(1914)に現在地へ移転した。、、、、浜田山の地名の起源となった新宿の米問屋浜田屋弥兵衛の墓、杵屋三五郎の三味線塚、初代杵屋三五郎夫妻の墓、芝居作者伊庭可笑の墓、徳川家康の側室で紀伊頼宣・水戸頼房を生んだお万の方(養珠院)の墓がある。、、、、朱塗りの山門に、散る桜の花びらが風情を添える。

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● 駅前の西永福商店街を抜け、方南通りの北側に大宮八幡宮がある。 23区内では、明治神宮(約21万1750坪)、靖国神社(約2万8000坪)に次いで、3番目に大きい大宮八幡宮境内の総面積は約1万5000坪。、、、、大宮八幡宮は、康平6年(1063)、源頼義凱旋の際、記念の地として、岩清水八幡宮を勧請し創建されたといわれている。 江戸時代には、別当寺であった大宮寺(明治期に廃寺)と併せて30石を拝領していた。 明治5年に郷社、明治18年に府社に昇格、また戦後には別表神社に定められた。、、、、「大宮」の名は埼玉県大宮とは無関係で、この神社の社域が広大であるところから「大宮」と呼ばれ、地名(町名)にもなった。
・・・・・・・・・・・・・・・一の鳥居から参道は樹々に覆われ森に入るのだが、参道両側に駐車する車もありチョイト静寂さに欠ける!

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・・・・・・・・・・・・・・神門をくぐると拝殿が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・何やら、境内は慌ただしく、巫女さんは掃除、神職一同整列し行進、記念撮影もあり、今日は何の日だ? (後にWebで神社を検索し、調べてみたが特別な行事はなさそうだ。 毎朝の日課なのか?)

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・・・・・・・・・・・・・・拝殿脇に植えられた菩提樹、、、、松平秀康(1574~1607)は、徳川家康の次男として生まれ、初め豊臣秀吉の養子となり結城の姓を授かる。 慶長5年(1600)関ケ原の戦功により越前藩主に封ぜられ松平秀康と名乗る時に清涼院を側室に迎える。 清涼院は当神社を崇敬し、参拝の折に、この菩提樹を植樹したと伝えられているらしい。


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● 大宮八幡宮の北側付近から善福寺川に沿って下流側に広がる公園が「和田堀公園」である。 なお、上流側に広がる公園は「善福寺川緑地」、、、、戦後は氾濫する川、汚い川として有名だった善福寺川も、今は水害対策も整備され、水質改善もなされ、水鳥が遊び、魚が見られる川に変身した。 綺麗だ!

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● 和田堀公園から離れ、松ノ木2丁目の住宅地の一角に庚申塔・馬頭観音などが祀られている。、、、、杉並区の案内では、「民間信仰石塔」として『6基の石塔は、右から元禄4年(1691)銘の聖観音塔、享保8年(1723)銘の地蔵塔、宝永5年(1708)銘の庚申塔、そして大正14年銘・嘉永4年(1851)銘・明治11年銘の馬頭観音塔』である。 この他にも、墓石などもある。、、、、この土地は「ほっけばか(法華墓)」と呼ばれているそうだ!


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● 松ノ木3丁目、五日市街道沿いに天台宗寺院「華徳院(けとくいん)」がある。 華徳院は下野国佐野に創建されました。 天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。 浅草蔵前(現:台東区浅草橋2)では「閻魔堂」と呼ばれていた。 しかし大正12年の関東大震災によりこれら仏像も伽藍とともに焼失してしまい、その跡には日光輪王寺より閻魔王を迎え、境外堂としてお堂が建てられた。 伽藍は大正2年より区画整理のために墓地を現在地に移していたことから、移転先を現在地と定め、昭和3年本堂を再建し、牛込千手院行元寺の閻魔王像を本尊として迎えました。 蔵前のお堂は昭和20年の戦火により焼失しましたが、閻魔王像は焼失を免れ、現:華徳院に安置されています。、、、、今日は本堂に上がらせてもらい、本尊の閻魔王像、蔵前にあった閻魔王像の二閻魔像と御対面、これで閻魔王とますます顔なじみとなり、地獄へ行っても特別待遇で楽させてもらえるだろう!

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● 華徳院の近く、杉並車庫前のバス停からバスに乗り中野駅に出て帰宅。

2020年11月14日 (土)

昔の名前で出ています

久しぶりに西武新宿線の都立家政駅で降りてみた。 駅から南のJR高円寺駅に向かって歩きはじめたが、途中で進路を西へ「八幡通り」と称する裏通りを行き、日蓮宗寺院:蓮華寺の山門前に出た。 蓮華寺からは南西に歩きJR阿佐ヶ谷駅まで、1万歩の散歩です。

 



● 高田馬場から普通に乗って6駅目、西武新宿線の「都立家政駅」で下車。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、改札は上りホーム側に北口、下りホーム側に南口がそれぞれある。 また、昭和59年(1984)に完成した両ホームを結ぶ地下道もある。 一日当たりの平均乗降客数は1万9千人程で、各駅停車以外は全て通過する小さな駅。、、、、駅は昭和12年12月25日に「府立家政駅」として開業した。 開業時、近くにあった「東京府立中野高等家政女学校」の父母と地元有志による陳情・土地提供で設置された。 昭和18年(1943)10月1日、東京府が東京都になった時に、駅名も現在の「都立家政」に改称された。 昭和21年(1946)3月、家政女学校は廃止され都立鷺宮高等学校に変わったが、以来60余年たった現在も駅名は変わらず健在である。 地元では「都立家政」の名に愛着があるようで、駅名変更の要望はないらしい。、、、、最近の似た話だが、「豊島園駅」は遊園地がなくなり、駅名改称するのかな(?)

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● 駅前で北へ(西武池袋線練馬駅方面)行くか、南へ(JR中央線高円寺駅方面)行くか、悩み悩んでいると、脇を短いスカート女子高生が通過。 目が女子高生の方に向くと、引き続いて男子高生が数人脇を通過、その瞬間ひらめいた『駅名の由来となった旧都立家政(鷺宮高校)を見に行こう!』、、、、と云うことで、駅から南の商店街をチョイト歩いて、都立鷺宮高等学校に寄ってみた。 もちろん、校内には入れないので外からギョロギョロ・ジ~と拝見すれど、特に私を喜ばすもの、感動させるもの、驚かすもの、何も見えず、つまらない! 早々に、学校を立ち去る。

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● 高校から、もと来た商店街に戻り南(高円寺方面)へ歩くと、商店街の外れ(中野区若宮2)に庚申塔があった。、、、、祠には「享保十乙巳年十月吉日」(1725)銘の月日青面金剛二鶏邪鬼三猿の庚申塔がある。 近所の方が、面倒を見ているそうだ。、、、、庚申塔がある地点は、早稲田通りと青梅街道を結ぶ間道で、さらに都立家政駅の方から(歩いてきた)道がぶつかる“追分”であったと推測される。 300年前の庚申塔に合掌!

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● 妙正寺川に架かる川北橋を渡ると「大和町中央通り」となり、この道を道なりに歩くと高円寺駅前の「純情商店街」に出る。、、、、橋を渡り大和町中央通りを歩いてみたが、道路拡張のため両側は、立ち退いた後の空き地と、新しい建物ばかり、この道は面白味が無い! 少し行くと「八幡通り」と書いた裏道と交差した。 細い道の方が面白そうだと、直角に曲がり八幡通りを西へ向かう。(後に気付いたのだが、この道を東に向かうと大和町八幡神社がある)

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・・・・・・・・・・・・八幡通りの西端に到着、なんとココは以前訪れた蓮華寺(大和町4)の門前であった。

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● 蓮華寺門前まで来たので、チョイト手を合わせて行こう!、、、、早稲田通りから北西へ入った裏道の傍に朱塗りの山門がある日蓮宗の大寺「泉光山蓮華寺」 鬱蒼とした樹林に囲まれた大きな池のある寺。、、、、蓮華寺は、増山弾正少弼正利の母で徳川家綱外祖母のむらさき(法名:泉光院殿妙澄日行)と、増山正利の妹女毛利刑部少弼室(法名:蓮華院殿妙通日香大姉)開基となり、万治元年(1658)関口台町(文京区)に創建、幕府より寺領20石を拝領した。 明治44年(1911)現在地へ移転した。 本門寺末。


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● 早稲田通りを横断し、杉並区に入る。 南西方向に1km程歩き、小さな商店街を抜けるとJR阿佐ヶ谷駅に出る。、、、、阿佐ヶ谷駅は大正11年(1922)7月15日に国鉄の駅として開業。 昭和41年(1966)に高架複々線化工事完了した。、、、、平日は快速電車が停車するが、土休日は停車しないため、快速線のホームは閉鎖されてしまう。 今日は土曜、快速は停まらないので、中央・総武緩行線に乗る。 緩行線は我が家のある浅草橋を通り千葉方面へ向かうので、乗ったら一本。 気持ちよく、チョイト一眠り。

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2020年10月 3日 (土)

上石神井と上井草

今日は、西武新宿線の上石神井駅から散歩はスタート。 西武新宿線の上石神井車両基地を一回りしてから、進路を南に取りJR中央線西荻窪駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 高田馬場で西武新宿線の急行に乗って、二駅目、上石神井駅で下車した。(この駅に来た特段の目的は無い。 ただ次の田無駅まで乗ると、散歩の時間が少なくなるので、下車しただけ)、、、、昭和2年(1927)4月16日、西武村山線(西武新宿線の前身)高田馬場~東村山間の開業と同時にできた駅。 駅は、島式ホーム2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、町名:上石神井(練馬区)の北には下石神井(練馬区)がある、元々は上・下合わせて石神井村であった。 明治の町村制で“上”と“下”に分かれた。 ちなみに“上”は京都に近い方を指す。 西武池袋線の石神井公園駅は下石神井のさらに北側の石神井町にあり、当駅とは直線で2.3km程離れている。(近くはないよ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅の上井草寄りには上石神井車両基地がある。 ここまで来たら、車両基地を一巡り!、、、、現在、西武新宿線(井荻~西武柳沢駅間)の連続立体交差化計画が検討されており、案においては当車両基地は高架化され、上下本線の間に5本、下り本線の南側に2本の計7本の車庫線が整備されるそうだ。 いつになったら実現するのか不明?

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● 練馬区上石神井の町には、西武新宿線の上石神井駅があるが、その他には“これと言ったもの”は無い。 東隣の杉並区上井草の町も似ている上井草駅はあるが、その他には話の種になるものが無い。 あるのは、高級住宅でもなく、バラックでもなく、中流サラリーマンが住んでいそうな住宅である。 “上石神井”と“上井草”似てるね、間違えないで要注意!、、、、あまり、キョロキョロすることもなく町を抜け、都立杉並工業高校の前をとおり早稲田通りに出た。

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● 早稲田通りの向こうは、杉並区今川の町。 “今川”と云えば観泉寺だ! 今日は、あえて寄らずに、早稲田通りを西へ向かい、杉並区善福寺の「井草八幡宮」に寄ってみた。、、、、青梅街道と早稲田通りの交差点にある。 都内でも有数の広大な社叢を誇る井草八幡宮の創建年代は不詳だが、建久年間(1190~1199)の創建といわれている。 源頼朝や太田道灌が戦勝を祈願、慶安2年(1649)には、江戸幕府より社領6石の御朱印状を拝領した。 昭和3年郷社に列格し、昭和41年(1966)には別表神社に列格。、、、、明治神宮とは比べられないが、かなり広い境内である。 スケールの大きな神社だが、歴史ある建物、話題の少ない神社だ!

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● 杉並区善福寺1丁目の住宅地を抜け、善福寺川を越えれば西荻窪駅

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2020年8月 4日 (火)

夏の大田黒公園

梅雨が明けて一気に夏到来。 まだ、猛暑日ではないが身体が慣れておらず、マスクをしているだけで全身から汗が噴き出ている感じだ! 今日は、家内と荻窪へ行ってきた、行ったついでに駅周辺の文化財級の建物巡り。




● JR中央線荻窪駅は、明治24年(1891)12月21日に甲武鉄道の駅として開業した。 明治39年、甲武鉄道は国有化される。 昭和7年(1932)7月、中央線・総武線の直通運転が開始され、我が家のある浅草橋からも緩行線で乗り換えなしの一本で行けるようになる。 昭和37年(1962)には、地下鉄荻窪線(現:丸ノ内線)が開業。 昭和41年(1966)には、地下鉄東西線も中野駅から荻窪まで緩行線に乗り入れ、ターミナル駅に変身していく。、、、、荻窪駅は島式ホーム2面4線を有する地上駅。 新宿側は地下部分に駅舎があり、改札口から南北にそれぞれ出入口があり、地下駅のようになっている。 また、三鷹側は橋上駅舎で、南北双方に出入口が設けられている。、、、、今日は、新宿寄りの改札から南口に出た。 

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● 南口を出て150m程東に歩くと、「明治天皇荻窪御小休所」(杉並区荻窪4)の碑が建つ長屋門がある。、、、、ここは、明治16年(1883)の行幸の際、明治天皇が2度にわたり休憩した場所と云われている。 今は屋敷の建物は姿を消し、江戸時代に建造された門だけが残されています。 門の中は高層のオフィスビルが建ち、チョイト違和感を感じる。、、、、以前はこの門の説明板があったのだが、今日行って見ると無くなっていた。 また、歴史的建造物なんだけど、なぜか公的な文化財には登録されていないようだ。

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● 長屋門の前の道をさらに150m程歩くと、昭和レトロな旅館「西郊」(荻窪3)の前に出る。 建物は、ドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築、現:西郊ロッヂング)と、和室の本館(昭和6年築)が連結された造りになっている。 和室の本館は旅館として営業中。 新館は集合住宅として利用しているようだ。、、、、本館・新館とも国登録の有形文化財。 昭和初期の表現主義風建物であるが、内部は自腹で泊まって、見てね!
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● 旅館:西郊から南へ歩くと、杉並区立「大田黒公園」(荻窪3)がある。 今日は4年ぶりに訪れたが、公園の静寂と美しさは以前と変わっていない。、、、、公園は音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた。 約2719坪の面積を有する公園で、ケヤキ・クロマツ・アカマツ・シイノキなどの巨木がうっそうと茂っている。 池には、多くの“お高そうな”錦鯉が悠々と泳いでいる。、、、、大田黒元雄氏(明治43年(1910)~昭和54年(1979)) 大正初期から、ドビッシー、ストラビンスキーを日本に紹介し、欧米音楽の普及に努めた。 戦後は、NHKラジオ番組「話の泉」のレギュラー出演者として歯切れの良い語り口で人気を博した。 私が知るのは、この番組の回答者としての大田黒氏である。 残念だが音楽の世界での大田黒氏の活躍は、よく知らなかった。

・・・・・・・・・・・・総檜造りの正門を入ると、70mの御影石敷かれ、両側には樹齢100年を経た27本のイチョウが並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・イチョウ並木の先には、茶室と和風の管理事務所がある。 ここで、茶会など行われるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・その奥には、大木が茂る芝の庭と、鯉の遊ぶ池、秋には60本以上の紅葉が色づくそうだ。、、、、今は、セミの音と、石組みの間を水が流れ落ちる音のコラボで、森の中にいるようだ!

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・・・・・・・・・・・・公園のシンボル的建物は、大田黒氏の仕事部屋であったベンガラ色の記念館。 昭和8年(1933)に建築された当時としては珍しい西洋風の建物。(国の登録有形文化財) 内部には生前氏が愛用していたスタインウェイ製のピアノ、蓄音機などが残されている。

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● ここまで来たら、もう一ヵ所! 俳人で、角川書店創設者の角川源義氏の邸宅(荻窪3)が、ご遺族から寄贈され、「角川庭園・幻戯山房(すぎなみ詩歌館)」として公開されている。、、、、建物の幻戯山房(すぎなみ詩歌館)は、建築家:加倉井昭夫が設計した、近代数奇屋造りの建物。 平成21年(2009)に、国の登録有形文化財に指定された。
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2020年5月14日 (木)

中野から高円寺

新型コロナのクラスターとなり4月25日から診療制限が行われていた東京警察病院、今週11日から外来診療が再開された。 3月初旬に定期検診の予約をしておいたのが、ちょうど今日である。 朝一で、家を出て中野の病院まで行ってきた。、、、、病院は診療再開後4日目で、玄関先で体温チェック、院内のマスク着用、手の消毒など、感染防止措置が徹底されていた。 しかし、患者数は少なく平常時の3割程度、ガラガラ。、、、、医師・看護師など病院関係の皆様は、恐ろしい見えぬ敵と戦いながら、私達患者を診てくれる、これには『感謝』の一言。

朝8時にJR中野駅で下車し、今日はブラブラ歩いて警察病院へ、診察の後は隣の高円寺駅まで歩いてきた。、、、、今日は、久しぶりの遠出。 改札でSUIKAを取り出すのに戸惑い、カメラの操作を忘れ、マスク着用で呼吸に苦しみ、オタオタ。




●通勤ラッシュが無い! ・・・・・・・窓のあいた開いた電車で中野駅到着。 上りホームの乗客は少ない、改札もスムーズ、普段の30%程か?、、、、普段がこの程度なら通勤も楽なのだが、コロナはいつまで続くのか、このままだと通勤ラッシュが懐かしくなるね!

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●大人用/子供用? ・・・・・・・・中野駅前に中野区役所庁舎がある。 この庁舎は、徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」を出して元禄8年(1670)に「犬小屋」(=かこい)を設け、多数の犬を飼育した地である。 また、明治以降、中野電信隊、鉄道隊、気球大隊があり、次いで陸軍中野学校が設置された場所でもある。、、、、庁舎玄関前にはその歴史を刻んだ、大人でも読みにくい「史跡」がある。 また、庁舎前のバス停のそばには、お子様用(?)か数匹の犬の像と簡単な説明「かこい」がある。、、、、両方を足して2で割った説明文が欲しいね!

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●病院の北側? ・・・・・・・私が、眼科で診てもらう「東京警察病院」、、、、チョイト、コロナでお休みしましたが、今週から営業再開、、、、救急入口の脇にはテントがあった、コロナ対応か?

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・・・・・・・・・・・・病院の北側、野方警察署の前(早稲田通り)に、角柱に浮き彫りした地蔵尊が建っている。 このお地蔵は、子育地蔵として付近の人々が花を供えているそうだ。 寛保元年(1741)の建立で願主は浄念(?)とある。 地蔵尊の脇には小さな角柱の道標もある。コチラには「此方中野宝仙寺」、「此方上高田」と彫ってある。、、、、どちらも、交通の要所に建つ必須アイテム!

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・・・・・・・・・・・・警察病院北側、早稲田通りを挟んだ向かい側に鎮座するのは妻戀神社。、、、、明治の初めまでこの土地に住んでいた「矢島源左衛門家」によって祀られていた。 そのため、別名を「源左稲荷」ともいう。 現在は土地の旧家の人たちが年番交代で管理しており、矢島源左衛門の一族で、信心の深かった者がこの土地を去る際、周辺の土地を人に貸し、その地代で稲荷社を管理してほしいとお願いしていったとか。 俗には源左衛門が亡くなった妻を偲んで妻恋稲荷を祀ったといわれている。、、、、祭神は、日本古代史の英雄である日本武尊(やまとたけるのみこと)、その妃である弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)、穀物・食物の神様である倉稲魂命(うかのみたまのかみ)。 文京区湯島の「妻恋神社」から分霊を勧請したそうだ。

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●ポッント建ってる! ・・・・・・・・東京警察病院の西側は杉並区高円寺北1丁目。 高級住宅街ではないが、この町は静かな落ち着いた庶民の住宅街である。

・・・・・・・・・・・・まずは、「高円寺北一丁目アパート 8号棟」がポッント1棟のみ! 、、、、昭和53年(1978)に建てられた、総戸数:12戸、3階建ての都営住宅1棟のみ。 周囲を見ても、この1棟以外には都営住宅は無い、なぜ「8号棟」なのか? 周囲には、法務局庁舎、教育センター、特別養護老人ホーム、公園などの公共施設があるので、いずれかに建て替えられたのかも?

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・・・・・・・・・・・・住宅街の中に、ポッント洋風の一軒家!、、、、戦前建てられた木造2階建ての洋館風の建物(M邸)がある。 切妻からせり出した玄関部分は特徴的で、“可愛らしさ”を強調している。 窓廻りのデザインもお見事!

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・・・・・・・・・・・・樹木の中に、ポツント一軒屋!、、、、緑深い樹々に囲まれたアトリエ風の建物(S邸)がある。 玄関をチョイト見ると、昭和初期の建物か?

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●マスク着用は疲れる! ・・・・・・高円寺北2丁目と3丁目の境となる、「庚申通り商店街」、「純情商店街」を歩き高円寺駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・高円寺北2丁目の裏道を歩くと、玄関先に大きな招き猫がいた! 首の鈴には「FUJICOLOR」と記してある。 フイルムカメラ全盛時代の“客寄せ猫”か? 今はデジタルの時代、撮った瞬間に写真が見れる。 20年ぐらい前までは、フイルムカメラで写真を撮って、フイルムをDPEに出し、一週間後に焼いた写真をカメラ屋さんに貰いに行った、あの時のワクワク・ドキドキ感が懐かしく思える。

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・・・・・・・・・・・・「庚申通り商店街」に出た、その名のごとく商店街の中程に庚申塔がある。、、、、この庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のため建立したもの。 はじめ現在の所で真南に向って鎮座していたこの塔は、大正 12年の関東大震災で横転し、その後西向きに建立した。 また、昭和20年(1945)の東京大空襲の際、戦火をかぶり塔の一部が破損したので、昭和37年現状の如く修復され今に至る。 私好みの形をした庚申塔、いいね!

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・・・・・・・・・・・・庚申通り商店街は、「純情商店街」に続く。 商店街を抜けると高円寺駅に出る。、、、、コロナの感染を予防し、マスクを着用して歩いてきたが、初夏に近い暑さとマスクの息苦しさで、もう~疲れた~~!

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2020年2月17日 (月)

練馬のアパート

西武池袋線の練馬駅から歩いてみようと思い、池袋駅で停車駅を確かめずに発車直前の電車に乗った、ドアが閉まり『次は石神井公園です』の車内アナウンス、『アリャ、シマッタ!』 電車は急行で、練馬駅を通過し、石神井公園までノンストップ。 練馬駅はアキラメタ。、、、、今日の散歩は、石神井公園駅から、西武新宿線の井荻駅まで、1万歩。




●練馬のモダンな駅? ・・・・・・・現在の石神井公園駅は、大正4年(1915)4月15日、武藏野鉄道開通と同時に「石神井駅」とし開業した。 昭和5年(1930)には、三宝寺池周辺が風致地区に指定され、その後、石神井池(ボート池)が造成されるなどし公園化が進められ、昭和8年(1933)に「石神井公園駅」に改称した。、、、、平成19年(2007)から高架化工事に着手し、平成24年(2012)には上下線の高架化が完了した。 現在は島式ホーム2面4線の大きくモダンな高架駅である。 乗客のセンスもよさそうで、“西武線”というより“小田急線”の駅と云っても通用しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーにあった「石神井火車站之碑(しゃくじいかしゃたんのひ)」、、、、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅開業を記念し、大正9年5月に造立された石碑です。 高さは、3m50cmある。、、、、碑の上部には「石神井火車站之碑」と刻み、「火車」は中国語で「汽車」、「站」は「駅」の意だ。 下部の銘文は漢文・漢詩で、近くにある石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所を記し、鉄道完成による利便や喜びを刻んでいるそうだ。 残念だが、私には漢文は“わからん文”で、“チンプン漢文”

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●練馬の名木! ・・・・・・・駅から南東に150m程に和田稲荷神社がある。 神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれているそうだ。、、、、社殿前のシラカシは高さ18m、幹の周長3.8mで、練馬区内では最大級。 神社はどうでもいいが、シラカシは風格がある!

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●練馬最大の都営住宅! ・・・・・・・・石神井公園駅の南から、一つ手前(池袋寄り)の練馬高野台駅へ流れる石神井川の両側にズラリと立ち並ぶ都営住宅団地、これが「都営南田中アパート」である。、、、、昭和41年(1966)から昭和59年(1984)までに建てられた、1,753戸(約50棟)の練馬区内最大の都営住宅団地。、、、、この団地も少子高齢化により、年寄りが増えたようだ。 私が団地内を歩いていると、認知症らしいお婆さんと、サポートしている女性がいた。 団地近くの整形外科の前は老人の行列。 買い物カートにもたれて歩くお婆さん。 団地内を行きかう車はデイサービスの送迎車。、、、、噂によると、この団地には中国人も多く住んでいるそうだ。 それらしき人とは出会うことはなかったが、中国語で書かれた書類が掲示板に貼られていた。
・・・・・・・・・・・・・・石神井川の両側に連なる集合住宅、、、、川岸にはサクラも連なり、花見の季節が待ち遠しい!

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・・・・・・・・・・・・・・・ボロボロになった団地の案内図、、、、見ても、サッパリ?????

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・・・・・・・・・・・・・・・人気のない団地、、、、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地内の店舗は廃業?、、、、『おや、2・3の店が営業している』と思ったら、デイサービスの事務所であった

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●練馬の古刹! ・・・・・・・・南田中アパートから南へ300m程、南田中4丁目に、真言宗智山派寺院:観蔵院がある。 観蔵院は、慈雲山曼荼羅寺と号し、創建年月は不詳だが、文明9年(1477)現在地へ移転したそうだ。 昭和60年(1985)に落成した本堂と、その右隣には「日の出薬師堂」がある。 本堂裏の墓には元和元年(1615)という銘の墓もあるそうで、練馬の古刹だ。、、、、寺には曼荼羅美術館があり、観蔵院両部曼荼羅などが展示されているらしい、土日のみ開館で今日はダメ! 残念!

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●練馬の竹林! ・・・・・・・・観蔵院の南側に「おくらやま憩いの森」という区立公園がある。 この公園、“公園”と言っても竹林である。 土地所有者の好意で公開されているそうだ。 もちろん、その時期になると竹の子ができるそうだ。、、、、竹林の中に入ると、癒しの空間となる。

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●練馬から杉並に! ・・・・・・・・環八通りを南下して、練馬区から杉並区に入り、西武新宿線井荻駅に来た。 井荻駅は昭和2年(1927)4月16日に開業。 現在は、相対式ホーム2面3線の地上駅で、上下線ホームにそれぞれ南口、北口駅舎がある。 駅前の環八通りは、自動車は跨線橋で、人は地下道でそれぞれ線路を横断する。

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・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はココ井荻駅までとする、井荻駅前からバスで荻窪駅へ。 

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2020年1月14日 (火)

粗忽者は堀の内

今日は夫婦で散歩。 東京メトロ丸ノ内線の終点「方南町」で下車し、落語『堀の内』の舞台、お祖師さまの妙法寺に参り、JR中央線の「高円寺」まで、1万歩の散歩です。




●失敗しないように! ・・・・・・・東京メトロ丸の内線の終着駅「方南町」。 昨年1月にホーム延伸工事が終わり、6両編成の電車が発着するようになった。、、、、今日は、商店街の間の狭い東口から地上出てみた。 ホーム端の東口は、通路・階段・改札口などのスペースは狭く、エスカレーター、エレベーター、トイレを設置する余裕がない出入口である。、、、、電車に乗ってるときにチョイト“行きたくなり”、方南町駅であわてて降りて東口に向かったら災難である。 私のような生意気な中高年は、過活動膀胱で一刻の猶予もなく、さらにボケる前はスタイルを気にし尿漏れパンツを穿かず、一触即発の状態でトイレを探し回る。 悲しいかな、東口にはありません! ホームの反対端の西口まで行かなければならない! ホームに戻り西口へ向かうが、神にも仏にも見放され、未曾有の大惨事となるかも? 濡れたズボンは目立つので、人生の最後と思いつめ、電車に飛び込もうとしても、ホームドアが設置され死ぬこともままならず! 生きるはずかしめ受けることとなる、アーメン!

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●お祖師さまへの道 ・・・・・・・昔の「堀之内」は現在の杉並区堀ノ内2丁目・3丁目一帯を指す。 町の中心は、“厄除けのお祖師さま”と言われている日蓮宗寺院の妙法寺である。(今日は妙法寺に参拝すべく家を出た!) ところで、「堀ノ内」の由来は不明である。 一般に「堀の内」と言えば、大きな城・館の堀内を指すが、室町時代には既にあった堀之内村では、誰の城・誰の館が何処にあったのか、“堀”はどれなのか、サッパリ判らんらしい。(それらしいという話はあるが未確定)


・・・・・・・・・・・・・方南町駅西口は「環七通り」と「方南通り」の方南町交差点の角にある。、、、、私は東口に出たので、交差点まで無駄な動きをした!

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・・・・・・・・・・・・・・方南町交差点から北西に100m程、区立泉南中学校がある。 この学校の正門前の道が、妙法寺へ向かう参道につながる。、、、、昔の、浅草寺参りは吉原通い、海晏寺(かいあんじ)参りは品川通い、ここ妙法寺参りは新宿通いと、いずれも信仰に名を借り近くの遊里通いが男の楽しみだった頃、この道にも助平が通ったことであろう。

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・・・・・・・・・・・・・・妙法寺への道は堀之内橋善福寺川を越える。 平成22年(2010)完成。、、、、普段は川底深くに水が流れている善福寺川も、大雨になると氾濫する川として有名だ。 最近は川沿いに調整池も造られ、氾濫の話を聞かなくなった!

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・・・・・・・・・・・・・・善福寺川を渡り堀ノ内2丁目に入ると「堀之内熊野神社」がある。 チョイト、お立ち寄り!、、、、旧堀之内村の鎮守で、社伝によれば、文永4年(1267)に紀州の熊野三山を勧請したことが始まりとされる。 室町時代に北条氏綱が江戸を攻略したとき社殿を修築し、その後寛永11年(1634)にさらに修繕が加えられたと伝えられている。 総欅造りの本殿は安政4年(1857)の建造、その精緻さと豪華さは区内随一といわれている。 文化5年(1808)の奉納の銘のある石鳥居は区内で最古。、、、、なにしろ古い神社で、別当は明治維新まで妙法寺が務めたそうだ。、、、、祭礼では、大正12年の関東大震災当日、浅草で買い求め猛火の中を無事帰着して納められた「火伏の神興」が、町内を渡御するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・熊野神社の数十米先に庚申堂・地蔵堂がある。 内部には9体の石仏が祀られ、「于時元禄十三庚辰稔十月初日」(1700)、「于時万延元庚申歳世話人再建」(1860)、「享保元丙申天十月吉日」(1716)と刻まれた庚申塔もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「参道商店会」と記された街路灯が道の両側に見えるようになったら、妙法寺は近い。、、、、商店街は寂れて賑わいは感じられない。、、、、道は妙法寺山門の正面に突き当たる。

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●佐和子が佐和子を思い出す! ・・・・・・・妙法寺の由来は、三百数十年前、元和(1615~1623)の頃、元真言宗の尼寺であった。 覚仙院日逕上人は老母妙仙院日圓法尼の菩提のため、日蓮宗に改宗し、老母を開山とし、日逕上人自らは開基第二祖となっている。山号は開山日圓上人にちなみ日圓山とし、寺号を妙法寺と号した。 当初は目黒碑文谷の法華寺の末寺であったが、元禄12年(1699)、身延山久遠寺の直末となった。 この時、法華寺(現:円融寺)からやくよけ日蓮大聖人の霊像を迎えています。この像があらゆる災難除けに霊験あらたかなことから人々の信仰を集め、世に「堀ノ内 厄除けお祖師さま」と呼ばれ、江戸時代から現代に至るまで、霊験あらたかなことでひろく信仰を集めている。

・・・・・・・・・・・・まずは山門から、、、、境内の南正面に建つ「仁王門」(山門)は、天明7年(1787)の再建で二層造りのため桜門とも呼ばれ、上層に廻縁をめぐらし、獅子・龍・華などの彫刻が絢爛にほどこされている。、、、、重たそうな屋根が、力強い感じ! 

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・・・・・・・・・・・・次は鉄門、、、、山門をくぐり右奥に見えるこの鉄門は、明治11年(1878)、鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂などを設計し、日本の近代建築学会の恩人でもある英国人ジョサイア・コンドルの設計により作られた。 和洋折衷様式の鉄門として類の少ないもので、国の重要文化財である。 門柱左右の漢詩は当時の身延山第七十四世吉川法主の筆跡で「花は浄界に飛んで、香りは雨となる、金は祇園に布て福は田に有り」との意味。、、、、門上部中央の鳥は、コンドルにあらず、鳳凰なり。

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・・・・・・・・・・・・山門をくぐると正面に祖師堂、、、、正面の御簾の奥に「祖師御尊像」つまり「除厄け祖師像」つまり「日蓮像」が祀られている。 この祖師像は、「おそっさま」と呼ばれ、開帳されると御尊顔を拝することができる。 除厄け・家内安全・病気平癒の祈願は、この祖師堂で受けている。 堂内は、天井や壁が金箔で覆われており、仏教で極楽または雪山にいるという想像上の鳥の彫物がある、まさに絢爛豪華な内部だ。 境内では、最も大きな建物。、、、、内部は撮影禁止、コッソリ・パチリ・失敗だった!

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・・・・・・・・・・・・祖師堂の右手奥に本堂、、、、本堂は三軌堂」とも称され、主に檀家の方々の法要行事等が営まれるところ。「三軌」とは、如来の衣・座・室を表し、法華経を信じ説く人の三つの心構えを表している。 正面に奉安されている「おそっさま」は、昔、出開帳といって多くの人々がお参りできるように他所に持ち出された祖師像。 文政5年(1819)に建立された本堂は、絢爛さが目を引く祖師堂と対照的に、落ち着いた佇まいである。、、、、まだ作った直後のように光輝いている(頭のことじゃない)、眩しい像だ!

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・・・・・・・・・・・・本堂と書院を結ぶ廊下、、、、バナナの皮を踏んだようにスベル廊下。 もちろん、スケートは禁止。

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・・・・・・・・・・・・本堂のさらに後ろにある日朝堂、、、、文政11年(1828)第20世日憲上人の代に創立され、身延山11世行学院日朝上人の尊像が祀られている。 室町時代に多くの学業を成し遂げた日朝上人は、眼病を患うほど勉学に精進された。 回復後自身と同じように眼病を患った人々を救いたいと大願をたてたところから、「学問と眼病の守護」としても崇められるようになった。 稀世の学匠として高名であったことから、学業増進・受験合格等、勉学の願いが叶えられることで有名になり、受験シーズンになると多くの人々が訪れるそうだ。、、、、お賽銭の額で、合格、補欠、不合格と決まるかも?

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・・・・・・・・・・・・日朝堂の横奥に、小さな堂の二十三夜堂がある、、、、二十三夜を祀っている堂。 二十三日の夜、月待をすれば願い事が叶うとされる「二十三夜信仰」は、妙法寺では第18世日観上人の頃から始まり、毎月23日には縁日も並び賑わいをみせている。 毎月23日には「二十三夜堂」も開かれ、財運・縁結びを願う人々が祈願に訪れている。白蛇が石になったとされる「なで石」に触れるとご利益があるとして評判となっている。 手で撫でるだけでなく、財布で石を擦るという人もいて、参詣者の人気を集めている。、、、、財布の中はカラだと御利益ないかも! 

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・・・・・・・・・・・・日朝堂の横に有吉佐和子の碑、、、、『複合汚染』『恍惚の人』などのベストセラーで知られる作家:有吉佐和子は、妙法寺のすぐ近くに住んでいた。 本人は、キリスト教信者であったが、妙法寺が好きで、境内を通って帰宅することも多かったと言われてる。 彼女を偲んで建てられた。、、、、私の妻と同名で、妻、曰く『若い時、秋葉原で佐和子どうしで会ったことがある』 『本当か?』 相手は、有吉佐和子か、阿川佐和子(サワコの朝)か、渡邊佐和子(NHKのアナウンサー)か、秦佐和子(SKE48の元メンバー)か、はたまた北原佐和子(女優)か、アツ、コーラスグループ・フォレスタにソプラノ歌手:白石佐和子さんもいる。 『もちろん、有吉佐和子さんです』 『へーー、スゲェー』、、、、ついでに私の頭は、白石佐和子を思い出したら、白石麻衣(乃木坂46を卒業予定)も、ソロで活躍に期待!

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●何で行ったの妙法寺? ・・・・・・・妙法寺をあとにして、高円寺駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・丸ノ内線が地下を走る青梅街道を横断する。 パトカーが走っていると信号無視できない!
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・・・・・・・・・・・・高円寺の商店街をウィンド・ショッピング。 買う物なし! 70代のジジイには20代の服は合わない!

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・・・・・・・・・・・・高円寺駅に到着、ここで気がついた、『アッ、厄除け祈願を忘れた、大失敗!』 今度は、『呆け封じだ!』、、、、落語の「堀の内」を地でいく粗忽物かも!

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