杉並区

2019年11月 6日 (水)

只の饅頭を祀る神社

京王線笹塚駅から東京メトロ丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。




●お勤め御苦労さま! ・・・・・・笹塚駅渋谷区笹塚にある京王線・京王新線の高架駅。 大正2年(1913)4月15日、当時の京王電気軌道最初の営業区間である笹塚~調布間開業時に設置された駅。 昭和53年(1978)7月21日に高架化され、同年10月には都営地下鉄新宿線直通の新宿までの複々線別線である京王新線が開業している。 ホームは島式2面4線で、外側の1・4番線を従来の京王線、内側の2・3番線を京王新線が使用しているようだ。、、、、朝の上りホームは新宿線の始発電車を待つ人で超満員。 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 痛筋客』 

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●笹塚は一里塚! ・・・・・・・駅の北側、甲州街道(国道4号)沿いに、一里塚であった笹塚の跡を記す案内板がある。、、、、案内板には、『笹塚跡  笹塚2丁目12番  昔、この辺りの甲州街道の南北両側に、直径1mほどの塚(盛土)がありました。その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから、笹塚と呼ばれていたようです。 その塚が、慶長九年(1604)に設置された塚かどうかははっきりしませんが、この塚一里塚の印を記載している古図もあります。 また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正5年に発刊された『豊多摩郡誌』には「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。この塚があったことからこの地域一帯を昔から「笹塚」と呼び、今もそれが町名として残っています。  渋谷区教育委員会』、、、、甲州街道の起点:お江戸日本橋から三里目の一里塚がここ笹塚であった。 ちなみに、一里目は最高裁判所のある千代田区隼町、二里目は「追分だんご」の新宿区新宿三丁目(追分)。 

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●一列横隊! ・・・・・・甲州街道の笹塚跡から裏道を200m程北に歩くと水道道路に出る。 水道道路は玉川上水を淀橋浄水場(現:新宿副都心)まで導いた水路跡に造られた道路。 水路は盛土して造られていたため、水道道路に変わった現在でも、道路面は周辺の地盤より高い位置にある。、、、、水道道路の南側には昭和40年代に建てられた都営アパートがズラリと横一列に並んでいる。 遠くまで並ぶ団地は“お見事”である。

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・・・・・・・・・・・・・・笹塚二丁目交差点で水道道路とは別れ裏道に入る。、、、、水道道路からチョイト下ったところに、和泉川(神田川笹塚支流)に掛かっていた「堺橋」の跡(欄干)がある。 特に意識して見ていないと、車止めのようで見逃すしてしまう。 川は暗渠化された。、、、、堺橋の先60m程で、杉並区方南の町となる。

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●ド派手な神社! ・・・・・・・方南の町に入ると、赤い旗が境内を囲むようにビッシリ立ち並ぶ谷中稲荷神社があった。 坂の上の小さな神社。 京王井の頭線西永福駅の近くに在る大宮八幡宮(杉並区)の境外摂社。、、、、チョイト派手すぎる神社だ!

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・・・・・・・・・・・・・・神社は坂の上にあり、方南町駅の方からは上り、チョイトきつそうだ。

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●祭神は“只の饅頭” ・・・・・・・・・・・坂を下り道なりに北へ向かうと、いつの間にか杉並区方南から中野区南台に入った。 東京メトロの中野車両基地の南側である。、、、、チョイとした高台に多田神社がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物)、、、、当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、社殿は昭和35年(1960)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・多田神社の社殿北隣に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂はただいま再建中。

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●稼ぎに出て居ない! ・・・・・・東京メトロ中野車両基地の前に出たが、基地は背の高い塀で目隠しされ、中は見えずらくなっている。 それでも、マニアはしつこく内部が見える隙間を探し、写真を撮る。 私もその一人!、、、、隙間発見、アレ!電車の多くは稼ぎに出ている。

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●リニューアルした駅! ・・・・・・車両基地から西へ歩くと、再び杉並区に入り丸ノ内線方南町駅である。、、、、方南町駅の改良工事が終わり、今年(2019)7月5日から6両編成で運行されるようになった。 電車も方南町から池袋行が運転され、途中中野坂上での乗り換えは不要。 

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2019年6月26日 (水)

井の頭線 (浜田山~明大前)

井の頭線沿いの散歩も三日目。 今日は浜田山駅から明大前駅まで歩いてきた。 途中大圓寺に寄り道し、1万4千歩の散歩です。




●乗客の質が違うのか? ・・・・・・浜田山駅の出入口は一か所のみ。 電車が到着すると、通勤・通学客で混雑する。 乗る人、降りる人、どちらも、私の住む浅草橋駅(台東区)とはチョイト違うようだ、気のせいか、上品な人が多いように感じる。 “おばちゃん”、“おじちゃん”と呼ぶような人が少ないね!

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●山を見に行く! ・・・・・・地名「浜田山」なる“山”はどこだ?、、、、探してみましたが“山”らしき所はありません。 答えは、江戸時代、内藤新宿の商人:浜田屋が所有する林が近く(現:杉並区浜田山4付近)にあった。 この林の中には、浜田屋の墓地もあり、彼岸の時期などには浜田屋の人が墓参に詣で、その折には村人に銭・菓子が配られ賑わったそうだ。 そこで、村人はこの林を「浜田屋の山」と呼び、「浜田山」となった。 “林”を“山”と呼んだのだ。、、、、現在は林もなく、墓は永福にある理性寺の境内に移された。 
・・・・・・・・・・・・・・浜田山駅から、駅前の商店街、鎌倉街道のホンの一部を歩き、井の頭通りに出る。 浜田山4丁目、井の頭通りに面し「杉並南郵便局」がある。 この郵便局の付近に浜田屋の林があったと云われている。  

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭通りから、井の頭線沿いの道に戻り、隣り駅「西永福」に向かう。 線路脇のアジサイは、そろそろ色も茶色に変わり、今年はお終い。

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●モダンな駅だ! ・・・・・・西永福駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、平成20年(2008)に橋上駅舎化工事も完了し、小さいながらも、ユニバーサルデザインによるモダンな駅となった。  

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●隣り駅まで700m ・・・・・・・・西永福駅から隣の永福町駅までは700mしか離れていない。 西永福駅から線路沿いに駐輪場があるが、いずれいつの日か永福町駅まで繋がりそうだ! 駐輪場が切れると、かつての永福町検車区跡が見える。 検車区は昭和41年(1966)に廃止となり、現在は京王バスの営業所として利用されている。

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●またまたモダンな駅 ・・・・・・永福町駅も昭和8年(1933)8月1日の開業。 島式ホーム2面4線の地上駅。 平成22年(2010)より、それまでの地下駅舎に代わって橋上駅舎の供用を開始し、駅ビルも出来、これまたモダンな駅に変身した。、、、、エスカレーターのない総武線浅草橋駅を日々利用する私にとっては、エスカレーターのある駅は羨ましいかぎり。 年寄りには階段はキツイ!、、、、永福町という名の由来は、永福町駅の南400mにある、大永2年(1522)開創の古刹曹洞宗永福寺による。 

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●葵と丸に十 ・・・・・・永福町駅から北へ歩き、杉並区和泉3の薩摩島津家の江戸菩提寺:大圓寺(だいえんじ)に寄った。、、、、曹洞宗寺院の大圓寺は、泉谷山と号し、本尊は釈迦如来坐像。 大圓寺は、慶長8年(1603)江戸赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって創建した。 寛永18年(1641)伊皿子(港区三田高輪辺)へ移転。 島津家の江戸菩提寺となり、明治維新後、寺院の発展を計り明治41年(1908)当地へ移転した。、、、、山門には葵の紋、本堂には葵の紋と丸に十の字。 ナットク!、、、、大きな寺ではないが、閑静な趣きのある寺である。 墓地には西郷隆盛の娘の墓もあるそうだが、どれもこれも古い墓で、どれがどれやら、サッパリ判らん!

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、石像の仁王尊や寛永2年(1625)芝浦の海中から出現したといわれる潮見地蔵尊石像、また島津家の宝篋印塔・六地蔵尊があり、墓地には益満休之助他75名が刻されている「明治元年戊辰の役戦死者の墓」などがある。

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●2社1寺 ・・・・・・大圓寺から井の頭線に戻るついでに、和泉3丁目の2社1寺も訪ねてみた。

・・・・・・・・・・・・・・和泉熊野神社は、文永4年(1267)の創建と伝えられ、江戸期には別当龍光寺で和泉村の鎮守。

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・・・・・・・・・・・・・・和泉貴船神社は、和泉熊野神社の境外末社。 和泉貴船神社は、文永年間(1264~1275)に創建されたと伝えられている。 当社境内にある”御手洗の小池”はいかなる時でも涸れることがなかった湧水で、地名和泉の発祥地と云われている。

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・・・・・・・・・・・・・・真言宗室生寺派寺院の龍光寺は、泉涌山医王院と号す。 龍光寺は承安2年(1172)開創。 もと和泉熊野神社・貴船神社の別当であった。、、、、住宅街のなかに佇む、緑豊かな寺。 紅葉の時期には、綺麗な境内を見ることができるそうだ。 人も少なそうなので穴場かも?

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●・・・・・・・・・・・・・・井の頭線は、明治大学和泉キャンパス脇の切通しを走り、甲州街道の下を抜けて、明大前駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・明治大学の正門前を玉川上水が流れ、井の頭線はその下を抜ける。 そのため、江戸時代に造られた玉川上水を導水管で流し、人道橋も併設した「井の頭線玉川上水橋」が造られた。 ここには4本の線路が敷設できるように設計されていたが、2本は未使用のままだ。 この未使用の部分が、幻の鉄道である「東京山手急行電鉄」の遺構である。

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●チョイト狭いね! ・・・・・・明大前駅は、京王線、井の頭線の接続駅で、両線は当駅で立体交差している。 京王線・井の頭線ともに相対式ホーム2面2線を有し、2階が京王線ホーム、1階が改札口、地下1階が井の頭線ホームの3層構造である。、、、、明大前駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道(現:京王線)の火薬庫前駅として開業した。 その後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄(現:井の頭線)の西松原駅として開業。 昭和10年(1935)には明大前駅に改称した。、、、、乗降客の増加で、駅全体に手狭感がある。

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2019年6月21日 (金)

井の頭線 (久我山~浜田山)

京王井の頭線沿線の散歩。 一昨日の吉祥寺駅~久我山駅間に続き、今日は久我山駅~浜田山駅まで、4駅間2.7kmを歩いてきた。 1万1千歩




●今日も来ました久我山駅へ ・・・・・朝、久我山駅に降り立ち、“久我山”とは何処だ? チョイト考えたが、よそ者には判らない。 そこで、調べてみた。、、、、「くが」とは空閑地や陸地のことらしく、古くからの地名で、武蔵野の新開地を指す言葉らしい。 江戸時代から明治22年(1889)までは、江戸幕府領久我山村であった。 文化文政時代は64戸、水利は玉川上水、鎮守神は久我山稲荷神社ということらしい。 新開地として村には「農業を営もうとする者は重罪人でも許す」旨の高札が立ててあったとか(?)。

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅では、夏に向け新兵器の試験が行われていた。 水タンクを乗せた台車の上に扇風機を置いて、ミストを発生する新兵器だ? ケッコウ、涼しいね!

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●川と電車に挟まれた遊歩道 ・・・・・久我山駅から隣りの富士見ヶ丘駅の間は、線路の南側に神田川が流れ、線路と川の間には富士見ヶ丘検車区が広がっている。 検車区は150両程の井の頭線全車両を留置する広さがある。、、、、遊歩道の右手には、神田川の清流が流れ、鯉も、水鳥も、見られる。 左手は長いフェンスに囲まれ検車区が続く。 検車区全体を見渡す写真を撮りたいのだが構内には入れず、あきらめた!

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●富士山が見えた駅! ・・・・・昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の富士見ヶ丘駅として開業。 その名のごとく、開業当時は富士山が拝めた駅だったであろう。 現在、駅の所在地は杉並区久我山であり、駅周辺には「富士見ヶ丘」の地名は無い。 ただし、駅の南側に富士見丘小学校と富士見丘中学校などがある。

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●緑豊かな最新の老人ホーム ・・・・・富士見ヶ丘駅の南東(杉並区高井戸西1)にある、高齢者の福祉施設「浴風会」に寄ってみた。、、、、浴風会は、関東大震災のために自活することができなくなった老廃疾者及び扶養者を失った人々の救護を行うため、御下賜金及び一般義捐金を設立資金として、大正14年(1925)に内務大臣の許可を受けて財団法人として設立された。 初代会長は若槻禮次郎である。 当時の内務省によって、90,750㎡のこの地に、本館・入居棟・付属建物合わせて54棟の建物、建坪8,415㎡の施設を設置したのが始まりだ。 浴風会の事業は、養老事業の模範として、また老年医学の発祥として、創立後暫くの間は順調に事業遂行をしたが、第二次世界大戦によって施設建物の大半が軍に接収され、また運営資金も凍結されて、事業は不振を極めた。 終戦に伴い事業施設は、昭和21年(1946)の生活保護法による保護施設として再生復興することとなった。 さらに昭和38年(1963)老人福祉法の施行に伴い、同法による老人福祉施設として事業が運営され、平成12年(2000)の介護保険法の施行を経て今日に至っている。 現在は高齢者医療を専門とする浴風会病院を始め、養護老人ホーム、軽費老人ホーム、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、デイサービス、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター等の施設・在宅サービスを運営している。 また、認知症介護研究・研修東京センターや浴風会ケアスクールなどの施設も備わっている。、、、、現在の浴風会施設の大半は平成に入ってから新築されたもので、殆どの建物は緑豊かな木々に囲まれて近代的で大きな建物である。、、、、私もそろそろヨイヨイの生活を考える歳だが、こちらのような環境にある老人ホームに入ることが出来れば素晴らしいかも・・・

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・・・・・・・・・・・・・・新しい建物に囲まれるように、「浴風会本館」と「礼拝堂」が敷地の中央にある。 「浴風会本館」は、東京大学の内田祥三らにより設計されたもので、大正15年(1926)に竣工した。 中央に塔を配置し、垂直線が強調された姿は、内田祥三が手がけた東京大学安田講堂と共通するものだ。

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・・・・・・・・・・・・・・本館とは中庭を挟み南側に、昭和2年(1927)竣工の「礼拝堂」が建っている。 阿弥陀如来を祀った祭壇がある仏教の礼拝堂で、毎週水曜日に法要が行われているそうだ。 今日は施錠されて内部を拝見することはできなかった。 設計者は不明。
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・・・・・・・・・・・・・・再び井の頭線の線路沿いを歩き、高井戸駅に向かう。

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●高いところにある駅 ・・・・・高井戸駅も、昭和8年(1933)8月1日 に開業した。 当時は築堤上の駅だったが、現在は、井の頭線では数少ない高架駅となっている。、、、、高井戸の由来については、①高いところに井戸があった、②高いお堂があった、と2説あるそうだ。 どっちも、どっちと云う感じ、どっちでもいいか!

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●閑静な住宅街を抜ける ・・・・・・・・・・・・・・高井戸駅から隣の浜田山駅までは、神田川沿い、閑静な住宅街を歩き駅に向かう。 線路わきのアジサイも見事だ。

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●地下からホームに上る駅 ・・・・・浜田山駅は、これまでの駅と同様に、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。 平成8年(1996)には、ホームの延伸と駅舎の地下化を行う。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、駅前は落ち着いた商店街となっている。 私もチョイト買い物に参加し、駅前の花屋さんで小ぶりの観葉植物を買ってきた。(安かったのでついつい3鉢購入)

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2019年6月19日 (水)

井の頭線 (吉祥寺~久我山)

久しぶりに京王井の頭線沿線を歩いてみることとした。 まず今日は、京王吉祥寺駅から久我山まで、4駅(駅間距離2.5km)を歩いた。 1万歩。

・・・・・・・・・・・・・渋谷(起点)と吉祥寺(終点)を結び、途中小田急小田原線・京王線と接続し、武蔵野台地を走り抜ける京王井の頭線。 吉祥寺からはほぼ下り勾配で渋谷までの全線距離は12.7km、駅数は17。 井の頭線の歴史は、チョイトややっこしく、昭和8年(1933)に帝都電鉄が渋谷~井の頭公園間を開通した。 翌昭和9年(1934)、井の頭公園~吉祥寺間を開通する。 昭和15年(1940)に帝都電鉄は小田原急行電鉄と合併し、現:井の頭線は同社の帝都線となる。 昭和17年(1942)には、小田原急行電鉄が東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(大東急)の路線となり、帝都線を井の頭線と改称。 昭和23年(1948)、東京急行電鉄の再編成により、井の頭線は京王帝都電鉄の所有路線となる。 つまり井の頭線は、帝都電鉄で生まれ、小田急・東急と契り、戦後になり、京王と再婚し落ち着いた。、、、、現在運転されている車両は、9種のパステル系の色でカラーリングされている。「次に来る電車の色は?」と、楽しめる!



●出発は吉祥寺駅 ・・・・・・JR吉祥寺駅は明治32年(1899)の開業であるが、井の頭線の吉祥寺駅は35年後の昭和9年(1934)4月1日である。 5両編成の電車が停まる、頭端式ホーム2面2線を有する高架駅。 一日約15万人が乗降し、京王電鉄の駅の中では新宿駅、渋谷駅に次いで3番目に多いそうだ。

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●吉祥寺駅を後にして ・・・・井の頭線の踏切を越えると、3回の掻い掘りで水質が綺麗になった井の頭池(井の頭公園)に出る。 この池は神田川の源流で、流れ下る水は、我が家(浅草橋)の近くに架かる柳橋で隅田川に合流する。 写真の石橋は神田川最上流に架かる「水門橋」。
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・・・・・・・・・・・・・・水門橋から100m程下流で、井の頭線は橋梁を渡り神田川を越える。 この橋梁には、「竹内清鉄工所製作 昭和七年拾月」のプレートがある。 井の頭公園~吉祥寺間の開通は昭和9年であり、この橋梁は開通時からのものだ!

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●井の頭公園駅に到着 ・・・・・・・・・・・・・・井の頭線開通時の昭和8年(1933)8月1日に同時開業した井の頭公園駅。 開通時は井の頭線の終着駅である。 翌年開業した隣の吉祥寺駅との距離は600m程しか離れていない。、、、、開業時の駅名は「井之頭公園駅」で、戦後になって「井ノ頭公園駅」→「井の頭公園駅」と変わった。

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●神田川に沿って走る! ・・・・・・・・・・・・・・・井の頭公園駅から次の三鷹台駅まで、電車は神田川沿いに走る。 沿線にはアジサイが咲き、絵になる風景だ!

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台駅の手前に立教女学院のキャンパスが見える。 ここでは、小・中・高の女学生が学んでいる。 学校は立教大学と姉妹校の関係にあり、大学へは推薦入学もあるそうだ。 卒業生には、野際陽子、鮎川いずみ、松任谷由実など美人・才女がいる。、、、、私は、昭和7年竣工の礼拝堂などの校舎が見たかった。 男子禁制、助平親爺は絶対ダメ、校門前で怖そうな警備員が睨んでいる、まだ命が惜しいので、今日はパスする。
 
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●見たか、三鷹台駅 ・・・・・・・・・・三鷹台駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 駅と駅の南側は三鷹市であるが、駅の北側は杉並区。、、、、【極秘情報】三鷹市には“三鷹”とつく地名は無い。 この駅が、なぜ“三鷹台”となったか、不明?

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●杉並区に入る! ・・・・・三鷹台駅の東端で井の頭線は再び神田川を越える。 この先は杉並区。

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台~久我山間は切通しとなっている。 跨線橋の一つで、右親柱に「ぎんざうばし」と書かれた「銀蔵橋」がある。 左の親柱には「昭和八秊七月造」と書かれているので、井の頭線開通時に架けられた橋だ。、、、、昭和の初め井の頭線の開通に向け、切通しとなった線路の南側の畑へ行けなくなる「秦銀蔵さん」のために、当時の帝都電鉄が建設したもの。 橋は古レールで造られており、現在は重量制限(2t以上通行不可)がある。、、、、今では畑は探しても見つからない!

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅の手前300m程西側に、中規模の久我山稲荷神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、古くから久ヶ山村の鎮守社だったと云われており、明治40年には字北原の天祖神社を合祀、昭和16年村社に列格した。、、、、境内に元禄16年(1703)の庚申塔がある。 保存状態良好!

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●久我山駅到着! ・・・・・・・・・久我山駅も昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業する。 現在は、島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎の構造をもつ。 急行の停車駅。、、、、今日の散歩はココまで!

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2019年5月13日 (月)

今はなき今川家の菩提寺

西武新宿線上井草駅から南下し、今川氏の菩提寺観泉寺を訪ね、中央線荻窪駅まで、1万歩の散歩です。




●寝むりたくなる腰掛のある駅 ・・・・・・・・・・・・・上井草駅は、昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場~東村山間の開通と同時に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別で、下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。 乗降客は少なく、朝の下りホームは人影もまばら。 さすがに、上りは多いね!、、、、木造のホーム上屋に長~~いベンチ式の腰掛、のんびりした気分になれ嬉しいね。

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・・・・・・・・・・・・・・【うわさ話】 西武新宿線では、上井草駅をはさむ井荻駅~西武柳沢駅間の5.1kmを高架線にして、19カ所の踏切りを解消する高架化工事が計画されているそうだ。、、、、私が生きている間に完成するか?



●バス通りを歩く ・・・・・・・・・・・・上井草駅から駅前のバス通りを荻窪駅に向かい南下する。 私にはゴチャゴチャした裏道が無いのが残念であるが、この辺りは直線道路ばかりで方向感覚はしっかり掴め歩きやすい。

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・・・・・・・・・・・・・・旧井草川の跡が遊歩道となっている。、、、、今やセイタカアワダチソウに負けず、爆発的に勢力範囲を拡大している雑草「ナガミヒナゲシ」がここでも侵食していた。 ポピーに似た可愛いオレンジの花で、“雑草”と云っては失礼にあたるかも。 でも、地中海原産のこの花、精力絶倫で一つの果実に約1600粒の種子が内包され、風に乗ってばら蒔いているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・上井草2丁目のマンション入口脇に、聖観音塔と庚申塔が祀られている。 いずれも、この付近にあった塔で、区画整理のため大正14年(1925)にこの地に移したものだ。 向って右側の聖観音は「富士向観音」の名で親しまれたもので、寛延2年(1749)の造立。 左側の庚申塔は、享保7年(1722)の造立。、、、、何処の誰かさんが、掃除・献花・供養しているようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・早稲田通りを横断し、杉並区今川の町に入る。 「今川」の地名は、“今川”なる川、“今川村”なる村があったわけではない。 この地は江戸時代から上井草村の一部であった。 そこには、今川氏の菩提寺である観泉寺があった。 昭和7年(1932)の住居表示にて観泉寺を中心とする一画が「今川町」となった。 昭和39年(1964)の住居表示では今川町を含む広い範囲で、“町”のとれた「今川」となった。、、、、この時、祝儀に配った餡入りの饅頭が“今川焼き”である。 コレ、本当の嘘! 

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●一度は参拝したい凄い寺 ・・・・・・・今川2丁目の宝珠山観泉寺は曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来である。 戦国時代、桶狭間で織田信長に敗れた名門今川氏ゆかりの寺。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。、、、、私がこの寺を訪れるのは4回目であるが、来るたびに感心させられるのは、緑の多い広い境内だが隅々まで手入れが行届き美しい、さらに小鳥のさえずりが聞こえる静けさがあり、都内の住宅地にある寺院とは思えない。 一度は参拝したい寺だ!

・・・・・・・・・・・・・・門前町を感じさせる、広い周囲の寺域を抜けると山門が迎える。 山門をくぐると、緑がより広がり正面に本堂がある。
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左に観音堂、右に鐘楼

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・境内には誰も居らず小鳥だけ。 芝の緑と、苔の緑が競う庭。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・駿河・遠江・三河を統一し、天下に号令しようとした今川義元が、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、討死した。 その後、今川氏は3ヶ国を維持できず領国を武田・徳川・北条らに奪われて滅亡した。 子孫は代々高家として江戸幕府に仕え、上・下井草・鷺宮などを所領に持ったが、維新後最後の当主は子孫を残さぬまま行方不明となり絶家した。 観泉寺には今川家の菩提寺として、義元の子氏眞以降の当主、一族の墓が祀られている。 現在墓域は都の旧跡として、維持管理は都が受け持っている。 墓は20基程あるが、形も様々な、小ぶりの墓である。

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・・・・・・・・・・・・・・観泉寺には、山門前、墓地などに、苔をかぶった多くの石仏、石塔などが残されている。

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●チョックラ手を合わせて帰る ・・・・・・・観泉寺からさらに南下し、青梅街道沿いの荻窪八幡神社に寄って、荻窪駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)の創建。 永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。 神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。

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・・・・・・・・・・・・・・荻窪駅に到着!

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2018年11月28日 (水)

高円寺の高円寺

今月初めの眼科の定期診断で、右目に小さな炎症が見つかった。 早期発見早期治療で只今、点眼薬で治療中。 今日の診察では、もうしばらく点眼薬を続けるように云われた。、、、、「目は心の窓」、「目は口ほどに物を言う」、、、私の輝く瞳で、受付の女性を見つめてみたが、私の気持ちが通じないようだ、無反応。 「コリャ、間違いなく、目が侵されている」と、自覚した。
 
診察の後、中野の病院から高円寺駅まで歩いてきた。 8千歩。 
 
 
 
●落ち着いた都市(まち)・・・・・・・・・・・「中野四季の都市(なかのしきのまち)」は、平成20年(2008)頃から警察大学校の跡地 にできた再開発地域である。、、、、ここには、中央の公園を囲むように、オフィスビル、明治・帝京平成・早稲田の各大学キャンパス、警察病院、中学校などが建ち並んでいる。、、、、一番高い建物はオフィスビルの22階、病院、大学などは10数階建てで、公園も広く、超高層ビルに囲まれた威圧感はない。
 
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●電車がGO!・・・・・・・・・中野駅の西側に架かる跨線橋を渡り、中央線の北側から南側に移る。 中央線の快速・特快・特急、中央総武線の緩行、東京メトロ東西線が、しきりなしに走り抜ける鉄道ファンには楽しい処。
 
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●家光は駅名の名付け親?・・・・・・・・・・・・JR高円寺駅の南東に高円寺がある。 宿鳳山高円寺は、弘治元年(1555)に開山した曹洞宗の寺院である。 本尊は観音菩薩で、寺の周辺に桃の木が多くあったことから「桃園観音」と呼ばれている。(チョイと艶っぽい名で、ぜひ一度、拝んでみたい) 将軍徳川家光が鷹狩りの際、度々立ち寄り、お茶の接待をした徳川家ゆかりの寺でもある。 山門、本堂の瓦に三つ葉葵の紋が見られる。 また、高円寺のある地は、かつて小沢村と呼ばれていたが、家光によって高円寺村と改めさせられたそうだ。 寺の高円寺が地名となり、駅名となった。、、、、、高円寺は寛保2年(1742)、弘化4年(1847)、明治33年(1900)、昭和20年(1945)と4度罹災した。 現在の本堂は昭和28年(1953)に、木彫りの名人でもある気仙沼の宮大工:中村青雲により再建された。
 
・・・・・・・・・・・・・・・山門を入ると、両側に楓の木が並ぶ。 チョイト紅葉には早かったようだ!  小さい写真は、三年前(12月20日)に訪れた時の紅葉。
 
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・・・・・・・・・・・・・扁額と中村青雲の彫刻が迎える本堂。 本尊の桃園観音はこの中に! ぜひとも、拝観したいが無理だな。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の手前には地蔵堂がある。 中央に「桃園子育地蔵尊」、右に三匹のサルと小さな子供の石仏、左に子づくり道具の石仏。、、、、手を合わせたが、はて(?)何を願っていいのやら。
 
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・・・・・・・・・・・・・本堂の隣りに稲荷社。 ここの石造の鳥居は、門柱に龍の細工が施されている「双龍鳥居」である。 双龍鳥居は同じ杉並区の馬橋稲荷神社と品川区の品川神社にもあるが、珍しい鳥居だ。
 
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●御朱印で客寄せ?・・・・・・・・・・・高円寺駅の南東100m程の位置に、高円寺が別当寺であった氷川神社がある。 創建年代は不詳であるが、高円寺が開かれたと同時期の鎌倉時代の創建か(?)、、、、、戦災で社殿は焼失し、現社殿は昭和46年(1971)に再建された。 鉄筋コンクリート造の社殿はシンプルでモダンな感じがするが、正面のガラス戸などは埃にまみれ汚れが目立つ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内社の一つに、馬橋4丁目の陸軍気象部に祀られていた気象神社が、戦後、昭和23年(1948)に氷川神社の境内に遷座された。 全国唯一の神社である。 気象予報士を目指す受験生、脱雨男・脱雨女を願う人で、結構、参拝する人が多いようだ。、、、、、神社の絵馬は、天気占いの下駄型である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、聞きかじった話、、、、、氷川神社の御朱印は押されるハンコのデザインが、毎月、季節に合わせた絵柄に替わるそうだ。 また、気象神社の御朱印は、その日の天気によりハンコのデザインを、お日さま、傘、雪だるまなどに替えているそうだ。、、、、、私は御朱印をお受けしていないので問題ないが、受けている人は毎月参拝したくなるね。 出来たら、一年分(12ヵ月)御朱印を授かったら、パーフェクト賞で巫女さんとの握手券を貰えるといいね!      (写真はなし、ゴメン!)
 
 
 
●エライコッチャ・エライコッチャ・電車が着たぞ!・・・・・・・・・・大正11年(1922)に開業した高円寺駅。 駅の名物は「高円寺阿波おどり」で、発車メロディはお囃子をアレンジした曲である。 
 
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2018年5月29日 (火)

荻窪~下井草

JR中央線荻窪駅から北上して西武新宿線下井草駅まで、1万歩の裏道散歩です。 
 
 
 
荻窪駅 ・・・・・・・・・・・・荻窪駅は明治24年(1891)12月21日、甲武鉄道の駅として開業。 2面4線の地上駅で、八王子側の西口は橋上駅舎となっている。 新宿側は地下駅舎となっており、改札は地下通路にあり、地下通路から南口・北口に出る構造。、、、、、今日の散歩のスタートは北口である。
 
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②ことぶき通り商店街・・・・・・・・・・荻窪駅前の青梅街道に商店街の入り口がある。 「なないろこみち」と命名されたゲートにチョイト気を引かれた。 英語でいえば「レインボー・ロード」、何となく大きな賑わいのある商店街というイメージだが、「なないろこみち」と言われると、何となくビル裏に呑み屋が並ぶチョイト寂しげな小路をイメージ。、、、、、とにかく、歩いてみよう!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地元密着型の雰囲気で、全長170m程のこじんまりとした商店街だった。
 
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③天沼八幡神社・・・・・・・・・・杉並区天沼2に鎮座する八幡さま。 天沼八幡神社は、応神天皇を祭神とする神社。 神社は、旧天沼村字中谷戸の鎮守社として天正年間(1573~1591)に創建。 主祭神は応神天皇(誉田別命)。、、、、、現社殿は、昭和52年(1977)に鉄筋コンクリート造にて改築した。
 
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④天沼2丁目・・・・・・・・・天沼(あまぬま)2丁目の裏道は、静かな住宅地を巡る道である。 けして高級住宅地とは思えないが、小柄で落ち着いた戦後の建物が多く、住み心地のよさそうな町である。
 
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・・・・・・・・・・・・・天沼2丁目北側のバス通りを境に、「本天沼」の町に入る。 バス通りは「天沼協和会」という商店街。、、、、、“バス通り”と書いていたら、60年程前のNHKのテレビドラマ「バス通り裏」を思い出した。 平日の19時過ぎに放送されていた15分の帯ドラマで、現在の朝ドラに似た、夕ドラであった。 ストーリはよく覚えていないが、主題歌は覚えているし、歌えるぞ! ♪♪ 小さな庭をまんなかに おとなりの窓 家の窓 いっしょに開く窓ならば ヤー こんにちはと手を振って こんなせまいバス通り裏にも ぼくらの心が かよいあう ♪♪ 十朱幸代、岩下志麻、佐藤英夫、田中邦衛などが出演していた、覚えているかな?、、、、、天沼の町は、「バス通り裏」の町だったかも?
 
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⑤本天沼稲荷神社・・・・・・・・・・本天沼稲荷神社は、杉並区本天沼2にある神社。 創建年代は不詳。 近くの蓮華寺に残る過去帳の記録などから、1600年前後に創建されたと推定されている。、、、、現本殿は山王日枝神社(現:港区赤坂)の内殿を移築したもの、拝殿は平成15年(2003)に新たに造営したものである。
 
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⑥蓮華寺・・・・・・・・・・・本天沼稲荷神社から東へ約250m歩くと、真言宗室生寺派に属する天沼山蓮華寺がある。 (この寺には、昨年9月に訪れている)、、、、、、開創は室町時代らしい。 昭和37年(1962)に建立された本堂には不動明王坐像と昭和19年に出羽湯殿山から請来した不動明王立像が安置されている。、、、、、寺は草木が茂り、田舎の素朴な寺を感じさせる雰囲気だ。 写真は、山門、本堂、弁財天堂。
 
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・・・・・・・・・・・・・旧本堂は杉並第五小学校の前身である桃野尋常高等小学校の分教場に使用されていたそうで、現本堂前にその記念の石碑がある。、、、、ところで、昔の校名は「桃野」、いい名だ。 今の校名は「杉並第五」、味気ない、色気ない、つまらない名だ。
 
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⑦旧早稲田通り・・・・・・・・・・・・旧早稲田通りに沿って歩き、下井草駅へ向かう。
 
・・・・・・・・・・・・・・早稲田通りの本天沼二丁目交差点に出た。 ここから、旧早稲田通りが分岐して北上し、下井草駅前を抜け、西東京市保谷方面へ伸びている。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・下井草2丁目の民家の角に祀られた地蔵堂。 謂れ・由緒不明。
 
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・・・・・・・・・・・・・妙正寺川に架かる松下橋。 その北詰に発見! 今は珍しいハト小屋があった。 しかも、多くのハトが居る、居る、居る。、、、、、今どき珍しい、伝書鳩か? 100羽以上いそうだ!
 
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⑧下井草駅・・・・・・・・・・・・西武新宿線の駅で、昭和2年(1927)4月16日に開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅、現橋上駅舎は平成19年(2007)に完成した。
 
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2018年2月 3日 (土)

永福寺

京王井の頭線の永福町駅の謂れとなる永福寺、一度行ってみたいと前々から思っていた。 今日の散歩、『何処に行こうか?』。 家を出たら、思い出し『永福寺に行こう!』。
京王線下高井戸駅で下車し、永福寺、井の頭線永福町駅、荒玉水道道路を歩き、丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①下高井戸駅(京王線)・・・・・・・・・・・大正2年(1913)に、京王電気軌道の下高井戸駅として開業。 その後、大正14年(1925)に東急世田谷線の下高井戸駅が隣接して開業。 両線の軌間は同じ1372mmで、戦時中は、線路は繋がっていたいたそうだが、現在は接続していない。、、、京王線のホームは相対式2面2線で、ものすごい急カーブ上にある。 駅舎は橋上。
 
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・・・・・・・・・・・・・駅前の商店街に残る柏木精米店。 店は10数年前に閉められたままである。、、、、昭和初期の建築と思われる。
 
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・・・・・・・・・・・・・狭い商店街を抜け、まだ雪の残る甲州街道を横断する。 滑って、転んで、糞踏んで、匂い着いたら、一生の恥、注意、注意、要注意!
 
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②永昌寺・・・・・・・・・・甲州街道の北側、明治大学和泉校舎の西側に曹洞宗寺院の天長山永昌寺がある。 永昌寺は、寛永元年(1624)に江戸四ツ谷塩町で創建された。 明治43年(1910)、下高井戸にあった永泉寺を合併し、当所へ移転した。、、、、旧本堂は戦災にて焼失した。、、、、、門前では、庚申塔と地蔵尊が迎えてくれる。
 
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③永福橋・・・・・・・・・・神田川に架かる永福橋。 現在、この辺りの地名となっている“永福”は、橋の北側にある永福寺に由来する。 この橋の橋名も、かつては大橋と呼ばれていたが、現在は永福橋と呼んでいる。、、、、現橋は昭和43年(1968)に完成した。
 
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④永福寺・・・・・・・・・・神田川の北側、杉並区永福1丁目に入ると、町角のアッチ・コッチに『永福寺→』看板が見える。
 
・・・・・・・・・・・・永福橋を渡り北に進むと、道筋で子育地蔵尊が迎えてくれる。
 
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・・・・・・・・・・・・・『永福寺→』看板に従い奥へ進むと、山門が見える。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門をくぐると、目の前に本堂がある。 境内は広いが、多くは墓地となっているようだ。、、、、、万歳山永福寺は曹洞宗の寺で、本尊は十一面観音像。 寺伝によると、開創は大永2年(1522)。、、、、昭和20年(1945)の空襲で本堂は焼失したが、当時、出征中であった住職の母親が燃え盛る炎の中、命がけで本尊・古文書などを運び出し、現在では永福寺村を知る貴重な資料となっている。 また、本堂は昭和36年(1961)に再建された。、、、、、地名・駅名・橋名になるほどの寺としては、チョイト期待ハズレであった。もう少し境内も広く、重文級の建物が残り、緑豊かな寺を想像していたのだがね。 ま~~、しょうがないかな。
 
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・・・・・・・・・・・・・寺の西門脇には、正保3年(1646)の五輪塔、天和元年(1681)の庚申塔、元禄4年(1691)の地蔵石像が安置されている。
 
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⑤永福稲荷神社・・・・・・・・永福寺西門の前に永福稲荷神社がある。 永福稲荷神社は、享禄3年(1530)に永福寺の和尚が、永福寺境内の鎮守として創建た。、、、、今日は節分、氏子が出て豆まきの準備中。 邪魔しないように、手を合わせ、境内を去る。
 
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⑥永福町駅・・・・・・・・・永福寺の北400m程、井ノ頭通りに面し、京王電鉄井の頭線の永福長駅がある。 昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。、、、現在は、3階建ての駅ビルに併設する橋上駅舎を持つ、島式ホーム2面4線の地上駅。
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅構内に貼ってあった、昭和35年頃の永福町駅
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅に入って来る渋谷行電車。
 
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⑦荒玉水道道路・・・・・・・・・・・大正から昭和中頃にかけ、多摩川の水を砧(世田谷区)から野方(中野区)と大谷口(板橋区)の給水施設に送水するために使用された地下水道管を荒玉水道(あらたますいどう)と称する。 その水道管が敷設された上が、世田谷区喜多見から杉並区梅里に至るほぼ一直線の都道となっている。、、、、、荒玉水道道路の下には水道管が埋設されているため、車両に重量制限が設けられ、4.0tを超える車両の通行は制限されている。、、、、、今日はその一部、井ノ頭通りから方南通りまでの約500mを歩いてきた。
 
・・・・・・・・・・・・・・井ノ頭通り
 
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・・・・・・・・・・・・・・井ノ頭通りと荒玉水道道路の交差点
 
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・・・・・・・・・・・・・・一車線の荒玉水道道路は重量制限され、車幅もガードレールで規制されている。、、、、、消防車は通れるかな?
 
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⑧方南通り・・・・・・・・・・大宮八幡前交差点(杉並区)で荒玉水道道路から方南通りを歩き、地下鉄丸ノ内線方南町駅に向かう。
 
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・・・・・・・・・・・・・・方南町駅 から帰宅。
 
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2018年1月16日 (火)

中野~高円寺

中央線中野駅で下車し、JR線路の南側をぶらついて、お隣の高円寺駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
①中野駅南口・・・・・・・・・・・中野駅は、明治22年(1889)、甲武鉄道(新宿~立川)の開通と同時に開業した歴史ある駅。 駅には南と北の2か所の改札口がある。 北口には、区役所、サンプラザ、ブロードウェイなどがあり、中野駅の表口のようだ。 南口は、北口とくらべチョイト元気がないようだ。、、、、今日の散歩は、南口に出て裏通りを南西方向に歩いてみることにした。
 
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②中野3丁目の裏道・・・・・・・・・小さなスナック、劇場、居酒屋、ブティックなどが点在する裏通り。 夜は楽しそうな町だが、朝は何処も閉まって、まだ寝ているようだ。
 
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③高円寺天祖神社・・・・・・・・・大久保通りの南側、杉並区高円寺南1丁目に天照大御神を祀る天祖神社がある。 寛治元年(1087)に信仰心の強い郷土民:山下久七なる人物が、伊勢神宮へ参拝し、霊を賜り、この地に社殿を建てて奉納したことが始まり。 現在の拝殿は天保2年(1831)、幣殿と本殿は明治21年(1888)に建てられた。
 
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④庚申塔・供養塔・・・・・・・・青梅街道と環七通りが交差する高円寺陸橋下の交差点に、5基の庚申塔と供養塔が祀られている。 正徳3年(1713)銘・元禄7年(1694)銘の庚申塔、寛文10年(1670)銘、享保6年(1721)銘の阿弥陀塔と享保13年(1728)銘の供養塔計5基。 この辺りが、高円寺村と呼ば江ていた頃、村人の素朴な信仰で、悪病退散、村民安全などを祈願して建立したものであろう。、、、、、今は、ビルの横の狭いスペースに集団で祀られ、交差点の交通安全もめんどうをみてくれている。
 
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⑤カトリック高円寺教会・・・・・・・・・高円寺教会は、昭和3年(1928)、まだ農村の名残りをとどめる杉並村字高円寺に東京で10番目の教会として誕生した。 初代主任司祭として着任したギュスターブ・マイエ神父は、この地に昭和3年11月に仮聖堂を建てた。 当時、高円寺教会信徒数は298人程であったそうだ。 昭和6年(1931)に本格的な聖堂が地下聖堂として建てられたが第二次世界大戦で焼失した、昭和24年(1949)にこの地下聖堂の上に現在の聖堂が建てられた。、、、、終戦直後の昭和24年の建築で、内外装ともシンプルな教会だ。 
 
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⑥華徳院・・・・・・・・・・地下鉄丸ノ内線新高円寺駅から南に150m、杉並区松ノ木3に天台宗の寺院:華徳院(けとくいん)がある。 下野国佐野に創建されました。 天正年間に武蔵国霞ヶ関に移転、慶長年間に浅草蔵前に再転し、寛永寺末となる。 江戸時代には、新宿太宗寺巣鴨善養寺とともに江戸三閻魔として有名であった。、、、、1月と7月の16日は、地獄の釜の蓋もあく閻魔王の斎日。 今日がその斎日である。 華徳院では本堂を開き閻魔様のお姿を見ることができた。、、、、これで、私も江戸三閻魔との御対面が達成できた。 もう地獄へ行っても閻魔と顔なじみで優遇してもらえるだろう。
 
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⑦フヂヤ薬局・・・・・・・・・・高円寺南の商店街にある薬局。 蔵のような造りの大正時代の建物。 チョイト劣化が激しいようだ。
 
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高円寺駅 ・・・・・・・・・・・高円寺駅南口に到着。
 
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2017年11月16日 (木)

観泉寺

今夏に訪れた杉並区今川の観泉寺に、秋の色を求めて歩いてきた。 西荻窪から、荻窪八幡神社、観泉寺、妙正寺と1社2寺を巡って荻窪駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
荻窪八幡神社 ・・・・・・・・・・杉並区上荻の荻窪八幡神社は、第59代・宇多天皇の寛平年間(889~898、平安時代前期)に創祀されたものと伝えられている。 旧上荻窪村の鎮守。、、、、、永承6年(1051)、源頼義が奥州の安倍貞任征伐の途中、当社で戦勝を祈願し、後の康平5年(1062)に凱旋の折、神恩に感謝して当社を厚く祀ったと言われている。 その後の文明9年(1477)に江戸城主であった太田道灌は石神井城主:豊島泰経を攻める際に、この故事にならって当神社に武運を祈願した。 この時植えた槇の樹一株が、500年経ったいまなお神社の境内にそびえる「道灌槇」で、御神木として崇められている。、、、、、、本殿は明治28年(1895)、拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。
 
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観泉寺 ・・・・・・・・・・・・こちらは、地名も杉並区今川にある、今川氏の菩提寺観泉寺。 夏に訪れたときは、緑豊かに手入れの行き届いた庭であった。 秋の色に染まった庭も見たく、今日の再訪となった。、、、、、慶長2年(1597)観音寺として創建。 正保2年(1645)今川13代直房(桶狭間で織田信長に敗れた今川義元の子孫)は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤めました。 その功により井草村など三か村五百石の加増をうけ、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。
 
・・・・・・・・・・・・・山門から本堂へ、、、、、東京の紅葉は京都みたいに、一斉に赤くならないようだ!
 
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・・・・・・・・・・・・・横の鐘楼は無ゴ~~ン
 
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・・・・・・・・・・・・・閻魔堂は、秋の陽射しを受け眩しそう。
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・・・・・・・・・・・・・庭の樹々もチョイと色づいた。
 
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・・・・・・・・・・・・・今川の御先祖さんは墓地で熟睡!
 
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妙正寺 ・・・・・・・・・・・観泉寺から東へ向かい杉並区清水にある、日蓮宗の寺院:法光山妙正寺に参る。 妙正寺は十界諸尊を本尊とし、ほかに大黒天・鬼子母神・三十番神・弁財天などの諸像が祀られている、仏様の揃い踏み。、、、、、約六百年前の文和元年(1352)、中山法華経寺の第三世日祐上人が、妙正寺のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神など三十番神を勧請したのが始まり。 正保3年(1646)に堂を再建し中興する。 慶安2年(1649)、三代将軍徳川家光が鷹狩りの折、神前に武運長久を祈願し、葵の紋幕と朱印地五石を寄進してからは、「御朱印寺」として一層有名になった。 なお、隣の妙正寺公園を源として、王子から隅田川に注ぐ川は妙正寺川である。、、、、、本堂は昭和6年(1931)に改築し、鐘楼は昭和38年(1963)に建て替えられた。
 
・・・・・・・・・・・・・・山門の脇には、紅葉ならぬ、桜がお出迎え。
 
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・・・・・・・・・・・・・山門を抜ければ、スグ前に本堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・鐘楼をチョイと見上げて、ゴーン。
 
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・・・・・・・・・・・・・・妙正寺の墓地に眠る、囲碁の本因坊:知伯。 本因坊知伯(ちはく)は、宝永7年(1710)に生まれ、享保18年(1733)に没した、江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。、、、、知伯の本姓は井口であるが、妙正寺の墓地には井口姓の墓が多く、アッチャ、コッチャ、墓を覗き探すこと15分。 やっと見つけた、小さな墓石!
 
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