杉並区

2020年10月 3日 (土)

上石神井と上井草

今日は、西武新宿線の上石神井駅から散歩はスタート。 西武新宿線の上石神井車両基地を一回りしてから、進路を南に取りJR中央線西荻窪駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 高田馬場で西武新宿線の急行に乗って、二駅目、上石神井駅で下車した。(この駅に来た特段の目的は無い。 ただ次の田無駅まで乗ると、散歩の時間が少なくなるので、下車しただけ)、、、、昭和2年(1927)4月16日、西武村山線(西武新宿線の前身)高田馬場~東村山間の開業と同時にできた駅。 駅は、島式ホーム2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、町名:上石神井(練馬区)の北には下石神井(練馬区)がある、元々は上・下合わせて石神井村であった。 明治の町村制で“上”と“下”に分かれた。 ちなみに“上”は京都に近い方を指す。 西武池袋線の石神井公園駅は下石神井のさらに北側の石神井町にあり、当駅とは直線で2.3km程離れている。(近くはないよ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅の上井草寄りには上石神井車両基地がある。 ここまで来たら、車両基地を一巡り!、、、、現在、西武新宿線(井荻~西武柳沢駅間)の連続立体交差化計画が検討されており、案においては当車両基地は高架化され、上下本線の間に5本、下り本線の南側に2本の計7本の車庫線が整備されるそうだ。 いつになったら実現するのか不明?

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● 練馬区上石神井の町には、西武新宿線の上石神井駅があるが、その他には“これと言ったもの”は無い。 東隣の杉並区上井草の町も似ている上井草駅はあるが、その他には話の種になるものが無い。 あるのは、高級住宅でもなく、バラックでもなく、中流サラリーマンが住んでいそうな住宅である。 “上石神井”と“上井草”似てるね、間違えないで要注意!、、、、あまり、キョロキョロすることもなく町を抜け、都立杉並工業高校の前をとおり早稲田通りに出た。

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● 早稲田通りの向こうは、杉並区今川の町。 “今川”と云えば観泉寺だ! 今日は、あえて寄らずに、早稲田通りを西へ向かい、杉並区善福寺の「井草八幡宮」に寄ってみた。、、、、青梅街道と早稲田通りの交差点にある。 都内でも有数の広大な社叢を誇る井草八幡宮の創建年代は不詳だが、建久年間(1190~1199)の創建といわれている。 源頼朝や太田道灌が戦勝を祈願、慶安2年(1649)には、江戸幕府より社領6石の御朱印状を拝領した。 昭和3年郷社に列格し、昭和41年(1966)には別表神社に列格。、、、、明治神宮とは比べられないが、かなり広い境内である。 スケールの大きな神社だが、歴史ある建物、話題の少ない神社だ!

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● 杉並区善福寺1丁目の住宅地を抜け、善福寺川を越えれば西荻窪駅

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2020年8月 4日 (火)

夏の大田黒公園

梅雨が明けて一気に夏到来。 まだ、猛暑日ではないが身体が慣れておらず、マスクをしているだけで全身から汗が噴き出ている感じだ! 今日は、家内と荻窪へ行ってきた、行ったついでに駅周辺の文化財級の建物巡り。




● JR中央線荻窪駅は、明治24年(1891)12月21日に甲武鉄道の駅として開業した。 明治39年、甲武鉄道は国有化される。 昭和7年(1932)7月、中央線・総武線の直通運転が開始され、我が家のある浅草橋からも緩行線で乗り換えなしの一本で行けるようになる。 昭和37年(1962)には、地下鉄荻窪線(現:丸ノ内線)が開業。 昭和41年(1966)には、地下鉄東西線も中野駅から荻窪まで緩行線に乗り入れ、ターミナル駅に変身していく。、、、、荻窪駅は島式ホーム2面4線を有する地上駅。 新宿側は地下部分に駅舎があり、改札口から南北にそれぞれ出入口があり、地下駅のようになっている。 また、三鷹側は橋上駅舎で、南北双方に出入口が設けられている。、、、、今日は、新宿寄りの改札から南口に出た。 

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● 南口を出て150m程東に歩くと、「明治天皇荻窪御小休所」(杉並区荻窪4)の碑が建つ長屋門がある。、、、、ここは、明治16年(1883)の行幸の際、明治天皇が2度にわたり休憩した場所と云われている。 今は屋敷の建物は姿を消し、江戸時代に建造された門だけが残されています。 門の中は高層のオフィスビルが建ち、チョイト違和感を感じる。、、、、以前はこの門の説明板があったのだが、今日行って見ると無くなっていた。 また、歴史的建造物なんだけど、なぜか公的な文化財には登録されていないようだ。

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● 長屋門の前の道をさらに150m程歩くと、昭和レトロな旅館「西郊」(荻窪3)の前に出る。 建物は、ドーム屋根を持つ洋室の新館(昭和13年築、現:西郊ロッヂング)と、和室の本館(昭和6年築)が連結された造りになっている。 和室の本館は旅館として営業中。 新館は集合住宅として利用しているようだ。、、、、本館・新館とも国登録の有形文化財。 昭和初期の表現主義風建物であるが、内部は自腹で泊まって、見てね!
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● 旅館:西郊から南へ歩くと、杉並区立「大田黒公園」(荻窪3)がある。 今日は4年ぶりに訪れたが、公園の静寂と美しさは以前と変わっていない。、、、、公園は音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡地につくられた。 約2719坪の面積を有する公園で、ケヤキ・クロマツ・アカマツ・シイノキなどの巨木がうっそうと茂っている。 池には、多くの“お高そうな”錦鯉が悠々と泳いでいる。、、、、大田黒元雄氏(明治43年(1910)~昭和54年(1979)) 大正初期から、ドビッシー、ストラビンスキーを日本に紹介し、欧米音楽の普及に努めた。 戦後は、NHKラジオ番組「話の泉」のレギュラー出演者として歯切れの良い語り口で人気を博した。 私が知るのは、この番組の回答者としての大田黒氏である。 残念だが音楽の世界での大田黒氏の活躍は、よく知らなかった。

・・・・・・・・・・・・総檜造りの正門を入ると、70mの御影石敷かれ、両側には樹齢100年を経た27本のイチョウが並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・イチョウ並木の先には、茶室と和風の管理事務所がある。 ここで、茶会など行われるそうだ。

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・・・・・・・・・・・・その奥には、大木が茂る芝の庭と、鯉の遊ぶ池、秋には60本以上の紅葉が色づくそうだ。、、、、今は、セミの音と、石組みの間を水が流れ落ちる音のコラボで、森の中にいるようだ!

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・・・・・・・・・・・・公園のシンボル的建物は、大田黒氏の仕事部屋であったベンガラ色の記念館。 昭和8年(1933)に建築された当時としては珍しい西洋風の建物。(国の登録有形文化財) 内部には生前氏が愛用していたスタインウェイ製のピアノ、蓄音機などが残されている。

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● ここまで来たら、もう一ヵ所! 俳人で、角川書店創設者の角川源義氏の邸宅(荻窪3)が、ご遺族から寄贈され、「角川庭園・幻戯山房(すぎなみ詩歌館)」として公開されている。、、、、建物の幻戯山房(すぎなみ詩歌館)は、建築家:加倉井昭夫が設計した、近代数奇屋造りの建物。 平成21年(2009)に、国の登録有形文化財に指定された。
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2020年5月14日 (木)

中野から高円寺

新型コロナのクラスターとなり4月25日から診療制限が行われていた東京警察病院、今週11日から外来診療が再開された。 3月初旬に定期検診の予約をしておいたのが、ちょうど今日である。 朝一で、家を出て中野の病院まで行ってきた。、、、、病院は診療再開後4日目で、玄関先で体温チェック、院内のマスク着用、手の消毒など、感染防止措置が徹底されていた。 しかし、患者数は少なく平常時の3割程度、ガラガラ。、、、、医師・看護師など病院関係の皆様は、恐ろしい見えぬ敵と戦いながら、私達患者を診てくれる、これには『感謝』の一言。

朝8時にJR中野駅で下車し、今日はブラブラ歩いて警察病院へ、診察の後は隣の高円寺駅まで歩いてきた。、、、、今日は、久しぶりの遠出。 改札でSUIKAを取り出すのに戸惑い、カメラの操作を忘れ、マスク着用で呼吸に苦しみ、オタオタ。




●通勤ラッシュが無い! ・・・・・・・窓のあいた開いた電車で中野駅到着。 上りホームの乗客は少ない、改札もスムーズ、普段の30%程か?、、、、普段がこの程度なら通勤も楽なのだが、コロナはいつまで続くのか、このままだと通勤ラッシュが懐かしくなるね!

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●大人用/子供用? ・・・・・・・・中野駅前に中野区役所庁舎がある。 この庁舎は、徳川5代将軍綱吉が「生類憐みの令」を出して元禄8年(1670)に「犬小屋」(=かこい)を設け、多数の犬を飼育した地である。 また、明治以降、中野電信隊、鉄道隊、気球大隊があり、次いで陸軍中野学校が設置された場所でもある。、、、、庁舎玄関前にはその歴史を刻んだ、大人でも読みにくい「史跡」がある。 また、庁舎前のバス停のそばには、お子様用(?)か数匹の犬の像と簡単な説明「かこい」がある。、、、、両方を足して2で割った説明文が欲しいね!

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●病院の北側? ・・・・・・・私が、眼科で診てもらう「東京警察病院」、、、、チョイト、コロナでお休みしましたが、今週から営業再開、、、、救急入口の脇にはテントがあった、コロナ対応か?

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・・・・・・・・・・・・病院の北側、野方警察署の前(早稲田通り)に、角柱に浮き彫りした地蔵尊が建っている。 このお地蔵は、子育地蔵として付近の人々が花を供えているそうだ。 寛保元年(1741)の建立で願主は浄念(?)とある。 地蔵尊の脇には小さな角柱の道標もある。コチラには「此方中野宝仙寺」、「此方上高田」と彫ってある。、、、、どちらも、交通の要所に建つ必須アイテム!

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・・・・・・・・・・・・警察病院北側、早稲田通りを挟んだ向かい側に鎮座するのは妻戀神社。、、、、明治の初めまでこの土地に住んでいた「矢島源左衛門家」によって祀られていた。 そのため、別名を「源左稲荷」ともいう。 現在は土地の旧家の人たちが年番交代で管理しており、矢島源左衛門の一族で、信心の深かった者がこの土地を去る際、周辺の土地を人に貸し、その地代で稲荷社を管理してほしいとお願いしていったとか。 俗には源左衛門が亡くなった妻を偲んで妻恋稲荷を祀ったといわれている。、、、、祭神は、日本古代史の英雄である日本武尊(やまとたけるのみこと)、その妃である弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)、穀物・食物の神様である倉稲魂命(うかのみたまのかみ)。 文京区湯島の「妻恋神社」から分霊を勧請したそうだ。

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●ポッント建ってる! ・・・・・・・・東京警察病院の西側は杉並区高円寺北1丁目。 高級住宅街ではないが、この町は静かな落ち着いた庶民の住宅街である。

・・・・・・・・・・・・まずは、「高円寺北一丁目アパート 8号棟」がポッント1棟のみ! 、、、、昭和53年(1978)に建てられた、総戸数:12戸、3階建ての都営住宅1棟のみ。 周囲を見ても、この1棟以外には都営住宅は無い、なぜ「8号棟」なのか? 周囲には、法務局庁舎、教育センター、特別養護老人ホーム、公園などの公共施設があるので、いずれかに建て替えられたのかも?

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・・・・・・・・・・・・住宅街の中に、ポッント洋風の一軒家!、、、、戦前建てられた木造2階建ての洋館風の建物(M邸)がある。 切妻からせり出した玄関部分は特徴的で、“可愛らしさ”を強調している。 窓廻りのデザインもお見事!

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・・・・・・・・・・・・樹木の中に、ポツント一軒屋!、、、、緑深い樹々に囲まれたアトリエ風の建物(S邸)がある。 玄関をチョイト見ると、昭和初期の建物か?

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●マスク着用は疲れる! ・・・・・・高円寺北2丁目と3丁目の境となる、「庚申通り商店街」、「純情商店街」を歩き高円寺駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・高円寺北2丁目の裏道を歩くと、玄関先に大きな招き猫がいた! 首の鈴には「FUJICOLOR」と記してある。 フイルムカメラ全盛時代の“客寄せ猫”か? 今はデジタルの時代、撮った瞬間に写真が見れる。 20年ぐらい前までは、フイルムカメラで写真を撮って、フイルムをDPEに出し、一週間後に焼いた写真をカメラ屋さんに貰いに行った、あの時のワクワク・ドキドキ感が懐かしく思える。

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・・・・・・・・・・・・「庚申通り商店街」に出た、その名のごとく商店街の中程に庚申塔がある。、、、、この庚申塔は正徳6年(1716)高円寺村の講中10人が、悪病退散、村民安全祈願のため建立したもの。 はじめ現在の所で真南に向って鎮座していたこの塔は、大正 12年の関東大震災で横転し、その後西向きに建立した。 また、昭和20年(1945)の東京大空襲の際、戦火をかぶり塔の一部が破損したので、昭和37年現状の如く修復され今に至る。 私好みの形をした庚申塔、いいね!

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・・・・・・・・・・・・庚申通り商店街は、「純情商店街」に続く。 商店街を抜けると高円寺駅に出る。、、、、コロナの感染を予防し、マスクを着用して歩いてきたが、初夏に近い暑さとマスクの息苦しさで、もう~疲れた~~!

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2020年2月17日 (月)

練馬のアパート

西武池袋線の練馬駅から歩いてみようと思い、池袋駅で停車駅を確かめずに発車直前の電車に乗った、ドアが閉まり『次は石神井公園です』の車内アナウンス、『アリャ、シマッタ!』 電車は急行で、練馬駅を通過し、石神井公園までノンストップ。 練馬駅はアキラメタ。、、、、今日の散歩は、石神井公園駅から、西武新宿線の井荻駅まで、1万歩。




●練馬のモダンな駅? ・・・・・・・現在の石神井公園駅は、大正4年(1915)4月15日、武藏野鉄道開通と同時に「石神井駅」とし開業した。 昭和5年(1930)には、三宝寺池周辺が風致地区に指定され、その後、石神井池(ボート池)が造成されるなどし公園化が進められ、昭和8年(1933)に「石神井公園駅」に改称した。、、、、平成19年(2007)から高架化工事に着手し、平成24年(2012)には上下線の高架化が完了した。 現在は島式ホーム2面4線の大きくモダンな高架駅である。 乗客のセンスもよさそうで、“西武線”というより“小田急線”の駅と云っても通用しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーにあった「石神井火車站之碑(しゃくじいかしゃたんのひ)」、、、、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅開業を記念し、大正9年5月に造立された石碑です。 高さは、3m50cmある。、、、、碑の上部には「石神井火車站之碑」と刻み、「火車」は中国語で「汽車」、「站」は「駅」の意だ。 下部の銘文は漢文・漢詩で、近くにある石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所を記し、鉄道完成による利便や喜びを刻んでいるそうだ。 残念だが、私には漢文は“わからん文”で、“チンプン漢文”

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●練馬の名木! ・・・・・・・駅から南東に150m程に和田稲荷神社がある。 神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれているそうだ。、、、、社殿前のシラカシは高さ18m、幹の周長3.8mで、練馬区内では最大級。 神社はどうでもいいが、シラカシは風格がある!

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●練馬最大の都営住宅! ・・・・・・・・石神井公園駅の南から、一つ手前(池袋寄り)の練馬高野台駅へ流れる石神井川の両側にズラリと立ち並ぶ都営住宅団地、これが「都営南田中アパート」である。、、、、昭和41年(1966)から昭和59年(1984)までに建てられた、1,753戸(約50棟)の練馬区内最大の都営住宅団地。、、、、この団地も少子高齢化により、年寄りが増えたようだ。 私が団地内を歩いていると、認知症らしいお婆さんと、サポートしている女性がいた。 団地近くの整形外科の前は老人の行列。 買い物カートにもたれて歩くお婆さん。 団地内を行きかう車はデイサービスの送迎車。、、、、噂によると、この団地には中国人も多く住んでいるそうだ。 それらしき人とは出会うことはなかったが、中国語で書かれた書類が掲示板に貼られていた。
・・・・・・・・・・・・・・石神井川の両側に連なる集合住宅、、、、川岸にはサクラも連なり、花見の季節が待ち遠しい!

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・・・・・・・・・・・・・・・ボロボロになった団地の案内図、、、、見ても、サッパリ?????

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・・・・・・・・・・・・・・・人気のない団地、、、、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地内の店舗は廃業?、、、、『おや、2・3の店が営業している』と思ったら、デイサービスの事務所であった

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●練馬の古刹! ・・・・・・・・南田中アパートから南へ300m程、南田中4丁目に、真言宗智山派寺院:観蔵院がある。 観蔵院は、慈雲山曼荼羅寺と号し、創建年月は不詳だが、文明9年(1477)現在地へ移転したそうだ。 昭和60年(1985)に落成した本堂と、その右隣には「日の出薬師堂」がある。 本堂裏の墓には元和元年(1615)という銘の墓もあるそうで、練馬の古刹だ。、、、、寺には曼荼羅美術館があり、観蔵院両部曼荼羅などが展示されているらしい、土日のみ開館で今日はダメ! 残念!

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●練馬の竹林! ・・・・・・・・観蔵院の南側に「おくらやま憩いの森」という区立公園がある。 この公園、“公園”と言っても竹林である。 土地所有者の好意で公開されているそうだ。 もちろん、その時期になると竹の子ができるそうだ。、、、、竹林の中に入ると、癒しの空間となる。

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●練馬から杉並に! ・・・・・・・・環八通りを南下して、練馬区から杉並区に入り、西武新宿線井荻駅に来た。 井荻駅は昭和2年(1927)4月16日に開業。 現在は、相対式ホーム2面3線の地上駅で、上下線ホームにそれぞれ南口、北口駅舎がある。 駅前の環八通りは、自動車は跨線橋で、人は地下道でそれぞれ線路を横断する。

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・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はココ井荻駅までとする、井荻駅前からバスで荻窪駅へ。 

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2020年1月14日 (火)

粗忽物は堀の内

今日は夫婦で散歩。 東京メトロ丸ノ内線の終点「方南町」で下車し、落語『堀の内』の舞台、お祖師さまの妙法寺に参り、JR中央線の「高円寺」まで、1万歩の散歩です。




●失敗しないように! ・・・・・・・東京メトロ丸の内線の終着駅「方南町」。 昨年1月にホーム延伸工事が終わり、6両編成の電車が発着するようになった。、、、、今日は、商店街の間の狭い東口から地上出てみた。 ホーム端の東口は、通路・階段・改札口などのスペースは狭く、エスカレーター、エレベーター、トイレを設置する余裕がない出入口である。、、、、電車に乗ってるときにチョイト“行きたくなり”、方南町駅であわてて降りて東口に向かったら災難である。 私のような生意気な中高年は、過活動膀胱で一刻の猶予もなく、さらにボケる前はスタイルを気にし尿漏れパンツを穿かず、一触即発の状態でトイレを探し回る。 悲しいかな、東口にはありません! ホームの反対端の西口まで行かなければならない! ホームに戻り西口へ向かうが、神にも仏にも見放され、未曾有の大惨事となるかも? 濡れたズボンは目立つので、人生の最後と思いつめ、電車に飛び込もうとしても、ホームドアが設置され死ぬこともままならず! 生きるはずかしめ受けることとなる、アーメン!

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●お祖師さまへの道 ・・・・・・・昔の「堀之内」は現在の杉並区堀ノ内2丁目・3丁目一帯を指す。 町の中心は、“厄除けのお祖師さま”と言われている日蓮宗寺院の妙法寺である。(今日は妙法寺に参拝すべく家を出た!) ところで、「堀ノ内」の由来は不明である。 一般に「堀の内」と言えば、大きな城・館の堀内を指すが、室町時代には既にあった堀之内村では、誰の城・誰の館が何処にあったのか、“堀”はどれなのか、サッパリ判らんらしい。(それらしいという話はあるが未確定)


・・・・・・・・・・・・・方南町駅西口は「環七通り」と「方南通り」の方南町交差点の角にある。、、、、私は東口に出たので、交差点まで無駄な動きをした!

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・・・・・・・・・・・・・・方南町交差点から北西に100m程、区立泉南中学校がある。 この学校の正門前の道が、妙法寺へ向かう参道につながる。、、、、昔の、浅草寺参りは吉原通い、海晏寺(かいあんじ)参りは品川通い、ここ妙法寺参りは新宿通いと、いずれも信仰に名を借り近くの遊里通いが男の楽しみだった頃、この道にも助平が通ったことであろう。

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・・・・・・・・・・・・・・妙法寺への道は堀之内橋善福寺川を越える。 平成22年(2010)完成。、、、、普段は川底深くに水が流れている善福寺川も、大雨になると氾濫する川として有名だ。 最近は川沿いに調整池も造られ、氾濫の話を聞かなくなった!

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・・・・・・・・・・・・・・善福寺川を渡り堀ノ内2丁目に入ると「堀之内熊野神社」がある。 チョイト、お立ち寄り!、、、、旧堀之内村の鎮守で、社伝によれば、文永4年(1267)に紀州の熊野三山を勧請したことが始まりとされる。 室町時代に北条氏綱が江戸を攻略したとき社殿を修築し、その後寛永11年(1634)にさらに修繕が加えられたと伝えられている。 総欅造りの本殿は安政4年(1857)の建造、その精緻さと豪華さは区内随一といわれている。 文化5年(1808)の奉納の銘のある石鳥居は区内で最古。、、、、なにしろ古い神社で、別当は明治維新まで妙法寺が務めたそうだ。、、、、祭礼では、大正12年の関東大震災当日、浅草で買い求め猛火の中を無事帰着して納められた「火伏の神興」が、町内を渡御するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・熊野神社の数十米先に庚申堂・地蔵堂がある。 内部には9体の石仏が祀られ、「于時元禄十三庚辰稔十月初日」(1700)、「于時万延元庚申歳世話人再建」(1860)、「享保元丙申天十月吉日」(1716)と刻まれた庚申塔もある。

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・・・・・・・・・・・・・・「参道商店会」と記された街路灯が道の両側に見えるようになったら、妙法寺は近い。、、、、商店街は寂れて賑わいは感じられない。、、、、道は妙法寺山門の正面に突き当たる。

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●佐和子が佐和子を思い出す! ・・・・・・・妙法寺の由来は、三百数十年前、元和(1615~1623)の頃、元真言宗の尼寺であった。 覚仙院日逕上人は老母妙仙院日圓法尼の菩提のため、日蓮宗に改宗し、老母を開山とし、日逕上人自らは開基第二祖となっている。山号は開山日圓上人にちなみ日圓山とし、寺号を妙法寺と号した。 当初は目黒碑文谷の法華寺の末寺であったが、元禄12年(1699)、身延山久遠寺の直末となった。 この時、法華寺(現:円融寺)からやくよけ日蓮大聖人の霊像を迎えています。この像があらゆる災難除けに霊験あらたかなことから人々の信仰を集め、世に「堀ノ内 厄除けお祖師さま」と呼ばれ、江戸時代から現代に至るまで、霊験あらたかなことでひろく信仰を集めている。

・・・・・・・・・・・・まずは山門から、、、、境内の南正面に建つ「仁王門」(山門)は、天明7年(1787)の再建で二層造りのため桜門とも呼ばれ、上層に廻縁をめぐらし、獅子・龍・華などの彫刻が絢爛にほどこされている。、、、、重たそうな屋根が、力強い感じ! 

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・・・・・・・・・・・・次は鉄門、、、、山門をくぐり右奥に見えるこの鉄門は、明治11年(1878)、鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂などを設計し、日本の近代建築学会の恩人でもある英国人ジョサイア・コンドルの設計により作られた。 和洋折衷様式の鉄門として類の少ないもので、国の重要文化財である。 門柱左右の漢詩は当時の身延山第七十四世吉川法主の筆跡で「花は浄界に飛んで、香りは雨となる、金は祇園に布て福は田に有り」との意味。、、、、門上部中央の鳥は、コンドルにあらず、鳳凰なり。

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・・・・・・・・・・・・山門をくぐると正面に祖師堂、、、、正面の御簾の奥に「祖師御尊像」つまり「除厄け祖師像」つまり「日蓮像」が祀られている。 この祖師像は、「おそっさま」と呼ばれ、開帳されると御尊顔を拝することができる。 除厄け・家内安全・病気平癒の祈願は、この祖師堂で受けている。 堂内は、天井や壁が金箔で覆われており、仏教で極楽または雪山にいるという想像上の鳥の彫物がある、まさに絢爛豪華な内部だ。 境内では、最も大きな建物。、、、、内部は撮影禁止、コッソリ・パチリ・失敗だった!

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・・・・・・・・・・・・祖師堂の右手奥に本堂、、、、本堂は三軌堂」とも称され、主に檀家の方々の法要行事等が営まれるところ。「三軌」とは、如来の衣・座・室を表し、法華経を信じ説く人の三つの心構えを表している。 正面に奉安されている「おそっさま」は、昔、出開帳といって多くの人々がお参りできるように他所に持ち出された祖師像。 文政5年(1819)に建立された本堂は、絢爛さが目を引く祖師堂と対照的に、落ち着いた佇まいである。、、、、まだ作った直後のように光輝いている(頭のことじゃない)、眩しい像だ!

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・・・・・・・・・・・・本堂と書院を結ぶ廊下、、、、バナナの皮を踏んだようにスベル廊下。 もちろん、スケートは禁止。

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・・・・・・・・・・・・本堂のさらに後ろにある日朝堂、、、、文政11年(1828)第20世日憲上人の代に創立され、身延山11世行学院日朝上人の尊像が祀られている。 室町時代に多くの学業を成し遂げた日朝上人は、眼病を患うほど勉学に精進された。 回復後自身と同じように眼病を患った人々を救いたいと大願をたてたところから、「学問と眼病の守護」としても崇められるようになった。 稀世の学匠として高名であったことから、学業増進・受験合格等、勉学の願いが叶えられることで有名になり、受験シーズンになると多くの人々が訪れるそうだ。、、、、お賽銭の額で、合格、補欠、不合格と決まるかも?

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・・・・・・・・・・・・日朝堂の横奥に、小さな堂の二十三夜堂がある、、、、二十三夜を祀っている堂。 二十三日の夜、月待をすれば願い事が叶うとされる「二十三夜信仰」は、妙法寺では第18世日観上人の頃から始まり、毎月23日には縁日も並び賑わいをみせている。 毎月23日には「二十三夜堂」も開かれ、財運・縁結びを願う人々が祈願に訪れている。白蛇が石になったとされる「なで石」に触れるとご利益があるとして評判となっている。 手で撫でるだけでなく、財布で石を擦るという人もいて、参詣者の人気を集めている。、、、、財布の中はカラだと御利益ないかも! 

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・・・・・・・・・・・・日朝堂の横に有吉佐和子の碑、、、、『複合汚染』『恍惚の人』などのベストセラーで知られる作家:有吉佐和子は、妙法寺のすぐ近くに住んでいた。 本人は、キリスト教信者であったが、妙法寺が好きで、境内を通って帰宅することも多かったと言われてる。 彼女を偲んで建てられた。、、、、私の妻と同名で、妻、曰く『若い時、秋葉原で佐和子どうしで会ったことがある』 『本当か?』 相手は、有吉佐和子か、阿川佐和子(サワコの朝)か、渡邊佐和子(NHKのアナウンサー)か、秦佐和子(SKE48の元メンバー)か、はたまた北原佐和子(女優)か、アツ、コーラスグループ・フォレスタにソプラノ歌手:白石佐和子さんもいる。 『もちろん、有吉佐和子さんです』 『へーー、スゲェー』、、、、ついでに私の頭は、白石佐和子を思い出したら、白石麻衣(乃木坂46を卒業予定)も、ソロで活躍に期待!

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●何で行ったの妙法寺? ・・・・・・・妙法寺をあとにして、高円寺駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・丸ノ内線が地下を走る青梅街道を横断する。 パトカーが走っていると信号無視できない!
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・・・・・・・・・・・・高円寺の商店街をウィンド・ショッピング。 買う物なし! 70代のジジイには20代の服は合わない!

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・・・・・・・・・・・・高円寺駅に到着、ここで気がついた、『アッ、厄除け祈願を忘れた、大失敗!』 今度は、『呆け封じだ!』、、、、落語の「堀の内」を地でいく粗忽物かも!

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2019年11月 6日 (水)

只の饅頭を祀る神社

京王線笹塚駅から東京メトロ丸ノ内線方南町駅まで、1万歩の散歩です。




●お勤め御苦労さま! ・・・・・・笹塚駅渋谷区笹塚にある京王線・京王新線の高架駅。 大正2年(1913)4月15日、当時の京王電気軌道最初の営業区間である笹塚~調布間開業時に設置された駅。 昭和53年(1978)7月21日に高架化され、同年10月には都営地下鉄新宿線直通の新宿までの複々線別線である京王新線が開業している。 ホームは島式2面4線で、外側の1・4番線を従来の京王線、内側の2・3番線を京王新線が使用しているようだ。、、、、朝の上りホームは新宿線の始発電車を待つ人で超満員。 『並んで待って 乗って座れば あとは寝るだけ 痛筋客』 

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●笹塚は一里塚! ・・・・・・・駅の北側、甲州街道(国道4号)沿いに、一里塚であった笹塚の跡を記す案内板がある。、、、、案内板には、『笹塚跡  笹塚2丁目12番  昔、この辺りの甲州街道の南北両側に、直径1mほどの塚(盛土)がありました。その上に笹(または竹)が生い茂っていたことから、笹塚と呼ばれていたようです。 その塚が、慶長九年(1604)に設置された塚かどうかははっきりしませんが、この塚一里塚の印を記載している古図もあります。 また、江戸時代の文書にも笹塚のことが簡単に述べられています。大正5年に発刊された『豊多摩郡誌』には「甲州街道の北側に石塚があったが、今は見られない」と書いてあります。この塚があったことからこの地域一帯を昔から「笹塚」と呼び、今もそれが町名として残っています。  渋谷区教育委員会』、、、、甲州街道の起点:お江戸日本橋から三里目の一里塚がここ笹塚であった。 ちなみに、一里目は最高裁判所のある千代田区隼町、二里目は「追分だんご」の新宿区新宿三丁目(追分)。 

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●一列横隊! ・・・・・・甲州街道の笹塚跡から裏道を200m程北に歩くと水道道路に出る。 水道道路は玉川上水を淀橋浄水場(現:新宿副都心)まで導いた水路跡に造られた道路。 水路は盛土して造られていたため、水道道路に変わった現在でも、道路面は周辺の地盤より高い位置にある。、、、、水道道路の南側には昭和40年代に建てられた都営アパートがズラリと横一列に並んでいる。 遠くまで並ぶ団地は“お見事”である。

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・・・・・・・・・・・・・・笹塚二丁目交差点で水道道路とは別れ裏道に入る。、、、、水道道路からチョイト下ったところに、和泉川(神田川笹塚支流)に掛かっていた「堺橋」の跡(欄干)がある。 特に意識して見ていないと、車止めのようで見逃すしてしまう。 川は暗渠化された。、、、、堺橋の先60m程で、杉並区方南の町となる。

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●ド派手な神社! ・・・・・・・方南の町に入ると、赤い旗が境内を囲むようにビッシリ立ち並ぶ谷中稲荷神社があった。 坂の上の小さな神社。 京王井の頭線西永福駅の近くに在る大宮八幡宮(杉並区)の境外摂社。、、、、チョイト派手すぎる神社だ!

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・・・・・・・・・・・・・・神社は坂の上にあり、方南町駅の方からは上り、チョイトきつそうだ。

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●祭神は“只の饅頭” ・・・・・・・・・・・坂を下り道なりに北へ向かうと、いつの間にか杉並区方南から中野区南台に入った。 東京メトロの中野車両基地の南側である。、、、、チョイとした高台に多田神社がある。 多田神社は寛治6年(1092)源義家が大宮八幡宮(杉並区大宮)に参詣のおり、当地に先祖多田満仲を奉祀したことにはじまると云われている。、、、、多田満仲とは、お供えの饅頭を摘み食いしたので、「ただの まんじゅう」と読むそうだ。(ゴメン、摘み食いは私のウソ。読みはホントウ) 源満仲(みなもとのみつなか)の別称である。 平安中期の武将で、多田源氏の祖と云われている。(勉強不足で、私は知らなかった人物)、、、、当地(旧雑色村)の鎮守。、、、、社殿は昭和35年(1960)に再建された。

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・・・・・・・・・・・・・・多田神社の社殿北隣に、真言宗豊山派寺院の宝福寺がある。 山号は如意山。 寺の創建年代は不詳だが、江戸三十三観音霊場17番。、、、、平成21年(2009)の火災で焼失した観音堂はただいま再建中。

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●稼ぎに出て居ない! ・・・・・・東京メトロ中野車両基地の前に出たが、基地は背の高い塀で目隠しされ、中は見えずらくなっている。 それでも、マニアはしつこく内部が見える隙間を探し、写真を撮る。 私もその一人!、、、、隙間発見、アレ!電車の多くは稼ぎに出ている。

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●リニューアルした駅! ・・・・・・車両基地から西へ歩くと、再び杉並区に入り丸ノ内線方南町駅である。、、、、方南町駅の改良工事が終わり、今年(2019)7月5日から6両編成で運行されるようになった。 電車も方南町から池袋行が運転され、途中中野坂上での乗り換えは不要。 

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2019年6月26日 (水)

井の頭線 (浜田山~明大前)

井の頭線沿いの散歩も三日目。 今日は浜田山駅から明大前駅まで歩いてきた。 途中大圓寺に寄り道し、1万4千歩の散歩です。




●乗客の質が違うのか? ・・・・・・浜田山駅の出入口は一か所のみ。 電車が到着すると、通勤・通学客で混雑する。 乗る人、降りる人、どちらも、私の住む浅草橋駅(台東区)とはチョイト違うようだ、気のせいか、上品な人が多いように感じる。 “おばちゃん”、“おじちゃん”と呼ぶような人が少ないね!

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●山を見に行く! ・・・・・・地名「浜田山」なる“山”はどこだ?、、、、探してみましたが“山”らしき所はありません。 答えは、江戸時代、内藤新宿の商人:浜田屋が所有する林が近く(現:杉並区浜田山4付近)にあった。 この林の中には、浜田屋の墓地もあり、彼岸の時期などには浜田屋の人が墓参に詣で、その折には村人に銭・菓子が配られ賑わったそうだ。 そこで、村人はこの林を「浜田屋の山」と呼び、「浜田山」となった。 “林”を“山”と呼んだのだ。、、、、現在は林もなく、墓は永福にある理性寺の境内に移された。 
・・・・・・・・・・・・・・浜田山駅から、駅前の商店街、鎌倉街道のホンの一部を歩き、井の頭通りに出る。 浜田山4丁目、井の頭通りに面し「杉並南郵便局」がある。 この郵便局の付近に浜田屋の林があったと云われている。  

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・・・・・・・・・・・・・・井の頭通りから、井の頭線沿いの道に戻り、隣り駅「西永福」に向かう。 線路脇のアジサイは、そろそろ色も茶色に変わり、今年はお終い。

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●モダンな駅だ! ・・・・・・西永福駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、平成20年(2008)に橋上駅舎化工事も完了し、小さいながらも、ユニバーサルデザインによるモダンな駅となった。  

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●隣り駅まで700m ・・・・・・・・西永福駅から隣の永福町駅までは700mしか離れていない。 西永福駅から線路沿いに駐輪場があるが、いずれいつの日か永福町駅まで繋がりそうだ! 駐輪場が切れると、かつての永福町検車区跡が見える。 検車区は昭和41年(1966)に廃止となり、現在は京王バスの営業所として利用されている。

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●またまたモダンな駅 ・・・・・・永福町駅も昭和8年(1933)8月1日の開業。 島式ホーム2面4線の地上駅。 平成22年(2010)より、それまでの地下駅舎に代わって橋上駅舎の供用を開始し、駅ビルも出来、これまたモダンな駅に変身した。、、、、エスカレーターのない総武線浅草橋駅を日々利用する私にとっては、エスカレーターのある駅は羨ましいかぎり。 年寄りには階段はキツイ!、、、、永福町という名の由来は、永福町駅の南400mにある、大永2年(1522)開創の古刹曹洞宗永福寺による。 

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●葵と丸に十 ・・・・・・永福町駅から北へ歩き、杉並区和泉3の薩摩島津家の江戸菩提寺:大圓寺(だいえんじ)に寄った。、、、、曹洞宗寺院の大圓寺は、泉谷山と号し、本尊は釈迦如来坐像。 大圓寺は、慶長8年(1603)江戸赤坂溜池の辺りに徳川家康が開基となって創建した。 寛永18年(1641)伊皿子(港区三田高輪辺)へ移転。 島津家の江戸菩提寺となり、明治維新後、寺院の発展を計り明治41年(1908)当地へ移転した。、、、、山門には葵の紋、本堂には葵の紋と丸に十の字。 ナットク!、、、、大きな寺ではないが、閑静な趣きのある寺である。 墓地には西郷隆盛の娘の墓もあるそうだが、どれもこれも古い墓で、どれがどれやら、サッパリ判らん!

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・・・・・・・・・・・・・・境内には、石像の仁王尊や寛永2年(1625)芝浦の海中から出現したといわれる潮見地蔵尊石像、また島津家の宝篋印塔・六地蔵尊があり、墓地には益満休之助他75名が刻されている「明治元年戊辰の役戦死者の墓」などがある。

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●2社1寺 ・・・・・・大圓寺から井の頭線に戻るついでに、和泉3丁目の2社1寺も訪ねてみた。

・・・・・・・・・・・・・・和泉熊野神社は、文永4年(1267)の創建と伝えられ、江戸期には別当龍光寺で和泉村の鎮守。

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・・・・・・・・・・・・・・和泉貴船神社は、和泉熊野神社の境外末社。 和泉貴船神社は、文永年間(1264~1275)に創建されたと伝えられている。 当社境内にある”御手洗の小池”はいかなる時でも涸れることがなかった湧水で、地名和泉の発祥地と云われている。

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・・・・・・・・・・・・・・真言宗室生寺派寺院の龍光寺は、泉涌山医王院と号す。 龍光寺は承安2年(1172)開創。 もと和泉熊野神社・貴船神社の別当であった。、、、、住宅街のなかに佇む、緑豊かな寺。 紅葉の時期には、綺麗な境内を見ることができるそうだ。 人も少なそうなので穴場かも?

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●・・・・・・・・・・・・・・井の頭線は、明治大学和泉キャンパス脇の切通しを走り、甲州街道の下を抜けて、明大前駅に向かう。

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・・・・・・・・・・・・・・明治大学の正門前を玉川上水が流れ、井の頭線はその下を抜ける。 そのため、江戸時代に造られた玉川上水を導水管で流し、人道橋も併設した「井の頭線玉川上水橋」が造られた。 ここには4本の線路が敷設できるように設計されていたが、2本は未使用のままだ。 この未使用の部分が、幻の鉄道である「東京山手急行電鉄」の遺構である。

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●チョイト狭いね! ・・・・・・明大前駅は、京王線、井の頭線の接続駅で、両線は当駅で立体交差している。 京王線・井の頭線ともに相対式ホーム2面2線を有し、2階が京王線ホーム、1階が改札口、地下1階が井の頭線ホームの3層構造である。、、、、明大前駅は、大正2年(1913)4月15日、京王電気軌道(現:京王線)の火薬庫前駅として開業した。 その後、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄(現:井の頭線)の西松原駅として開業。 昭和10年(1935)には明大前駅に改称した。、、、、乗降客の増加で、駅全体に手狭感がある。

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2019年6月21日 (金)

井の頭線 (久我山~浜田山)

京王井の頭線沿線の散歩。 一昨日の吉祥寺駅~久我山駅間に続き、今日は久我山駅~浜田山駅まで、4駅間2.7kmを歩いてきた。 1万1千歩




●今日も来ました久我山駅へ ・・・・・朝、久我山駅に降り立ち、“久我山”とは何処だ? チョイト考えたが、よそ者には判らない。 そこで、調べてみた。、、、、「くが」とは空閑地や陸地のことらしく、古くからの地名で、武蔵野の新開地を指す言葉らしい。 江戸時代から明治22年(1889)までは、江戸幕府領久我山村であった。 文化文政時代は64戸、水利は玉川上水、鎮守神は久我山稲荷神社ということらしい。 新開地として村には「農業を営もうとする者は重罪人でも許す」旨の高札が立ててあったとか(?)。

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅では、夏に向け新兵器の試験が行われていた。 水タンクを乗せた台車の上に扇風機を置いて、ミストを発生する新兵器だ? ケッコウ、涼しいね!

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●川と電車に挟まれた遊歩道 ・・・・・久我山駅から隣りの富士見ヶ丘駅の間は、線路の南側に神田川が流れ、線路と川の間には富士見ヶ丘検車区が広がっている。 検車区は150両程の井の頭線全車両を留置する広さがある。、、、、遊歩道の右手には、神田川の清流が流れ、鯉も、水鳥も、見られる。 左手は長いフェンスに囲まれ検車区が続く。 検車区全体を見渡す写真を撮りたいのだが構内には入れず、あきらめた!

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●富士山が見えた駅! ・・・・・昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の富士見ヶ丘駅として開業。 その名のごとく、開業当時は富士山が拝めた駅だったであろう。 現在、駅の所在地は杉並区久我山であり、駅周辺には「富士見ヶ丘」の地名は無い。 ただし、駅の南側に富士見丘小学校と富士見丘中学校などがある。

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●緑豊かな最新の老人ホーム ・・・・・富士見ヶ丘駅の南東(杉並区高井戸西1)にある、高齢者の福祉施設「浴風会」に寄ってみた。、、、、浴風会は、関東大震災のために自活することができなくなった老廃疾者及び扶養者を失った人々の救護を行うため、御下賜金及び一般義捐金を設立資金として、大正14年(1925)に内務大臣の許可を受けて財団法人として設立された。 初代会長は若槻禮次郎である。 当時の内務省によって、90,750㎡のこの地に、本館・入居棟・付属建物合わせて54棟の建物、建坪8,415㎡の施設を設置したのが始まりだ。 浴風会の事業は、養老事業の模範として、また老年医学の発祥として、創立後暫くの間は順調に事業遂行をしたが、第二次世界大戦によって施設建物の大半が軍に接収され、また運営資金も凍結されて、事業は不振を極めた。 終戦に伴い事業施設は、昭和21年(1946)の生活保護法による保護施設として再生復興することとなった。 さらに昭和38年(1963)老人福祉法の施行に伴い、同法による老人福祉施設として事業が運営され、平成12年(2000)の介護保険法の施行を経て今日に至っている。 現在は高齢者医療を専門とする浴風会病院を始め、養護老人ホーム、軽費老人ホーム、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設、デイサービス、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター等の施設・在宅サービスを運営している。 また、認知症介護研究・研修東京センターや浴風会ケアスクールなどの施設も備わっている。、、、、現在の浴風会施設の大半は平成に入ってから新築されたもので、殆どの建物は緑豊かな木々に囲まれて近代的で大きな建物である。、、、、私もそろそろヨイヨイの生活を考える歳だが、こちらのような環境にある老人ホームに入ることが出来れば素晴らしいかも・・・

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・・・・・・・・・・・・・・新しい建物に囲まれるように、「浴風会本館」と「礼拝堂」が敷地の中央にある。 「浴風会本館」は、東京大学の内田祥三らにより設計されたもので、大正15年(1926)に竣工した。 中央に塔を配置し、垂直線が強調された姿は、内田祥三が手がけた東京大学安田講堂と共通するものだ。

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・・・・・・・・・・・・・・本館とは中庭を挟み南側に、昭和2年(1927)竣工の「礼拝堂」が建っている。 阿弥陀如来を祀った祭壇がある仏教の礼拝堂で、毎週水曜日に法要が行われているそうだ。 今日は施錠されて内部を拝見することはできなかった。 設計者は不明。
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・・・・・・・・・・・・・・再び井の頭線の線路沿いを歩き、高井戸駅に向かう。

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●高いところにある駅 ・・・・・高井戸駅も、昭和8年(1933)8月1日 に開業した。 当時は築堤上の駅だったが、現在は、井の頭線では数少ない高架駅となっている。、、、、高井戸の由来については、①高いところに井戸があった、②高いお堂があった、と2説あるそうだ。 どっちも、どっちと云う感じ、どっちでもいいか!

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●閑静な住宅街を抜ける ・・・・・・・・・・・・・・高井戸駅から隣の浜田山駅までは、神田川沿い、閑静な住宅街を歩き駅に向かう。 線路わきのアジサイも見事だ。

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●地下からホームに上る駅 ・・・・・浜田山駅は、これまでの駅と同様に、昭和8年(1933)8月1日に帝都電鉄の駅として開業した。 平成8年(1996)には、ホームの延伸と駅舎の地下化を行う。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。、、、、駅前は落ち着いた商店街となっている。 私もチョイト買い物に参加し、駅前の花屋さんで小ぶりの観葉植物を買ってきた。(安かったのでついつい3鉢購入)

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2019年6月19日 (水)

井の頭線 (吉祥寺~久我山)

久しぶりに京王井の頭線沿線を歩いてみることとした。 まず今日は、京王吉祥寺駅から久我山まで、4駅(駅間距離2.5km)を歩いた。 1万歩。

・・・・・・・・・・・・・渋谷(起点)と吉祥寺(終点)を結び、途中小田急小田原線・京王線と接続し、武蔵野台地を走り抜ける京王井の頭線。 吉祥寺からはほぼ下り勾配で渋谷までの全線距離は12.7km、駅数は17。 井の頭線の歴史は、チョイトややっこしく、昭和8年(1933)に帝都電鉄が渋谷~井の頭公園間を開通した。 翌昭和9年(1934)、井の頭公園~吉祥寺間を開通する。 昭和15年(1940)に帝都電鉄は小田原急行電鉄と合併し、現:井の頭線は同社の帝都線となる。 昭和17年(1942)には、小田原急行電鉄が東京横浜電鉄に合併され、東京急行電鉄(大東急)の路線となり、帝都線を井の頭線と改称。 昭和23年(1948)、東京急行電鉄の再編成により、井の頭線は京王帝都電鉄の所有路線となる。 つまり井の頭線は、帝都電鉄で生まれ、小田急・東急と契り、戦後になり、京王と再婚し落ち着いた。、、、、現在運転されている車両は、9種のパステル系の色でカラーリングされている。「次に来る電車の色は?」と、楽しめる!



●出発は吉祥寺駅 ・・・・・・JR吉祥寺駅は明治32年(1899)の開業であるが、井の頭線の吉祥寺駅は35年後の昭和9年(1934)4月1日である。 5両編成の電車が停まる、頭端式ホーム2面2線を有する高架駅。 一日約15万人が乗降し、京王電鉄の駅の中では新宿駅、渋谷駅に次いで3番目に多いそうだ。

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●吉祥寺駅を後にして ・・・・井の頭線の踏切を越えると、3回の掻い掘りで水質が綺麗になった井の頭池(井の頭公園)に出る。 この池は神田川の源流で、流れ下る水は、我が家(浅草橋)の近くに架かる柳橋で隅田川に合流する。 写真の石橋は神田川最上流に架かる「水門橋」。
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・・・・・・・・・・・・・・水門橋から100m程下流で、井の頭線は橋梁を渡り神田川を越える。 この橋梁には、「竹内清鉄工所製作 昭和七年拾月」のプレートがある。 井の頭公園~吉祥寺間の開通は昭和9年であり、この橋梁は開通時からのものだ!

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●井の頭公園駅に到着 ・・・・・・・・・・・・・・井の頭線開通時の昭和8年(1933)8月1日に同時開業した井の頭公園駅。 開通時は井の頭線の終着駅である。 翌年開業した隣の吉祥寺駅との距離は600m程しか離れていない。、、、、開業時の駅名は「井之頭公園駅」で、戦後になって「井ノ頭公園駅」→「井の頭公園駅」と変わった。

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●神田川に沿って走る! ・・・・・・・・・・・・・・・井の頭公園駅から次の三鷹台駅まで、電車は神田川沿いに走る。 沿線にはアジサイが咲き、絵になる風景だ!

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台駅の手前に立教女学院のキャンパスが見える。 ここでは、小・中・高の女学生が学んでいる。 学校は立教大学と姉妹校の関係にあり、大学へは推薦入学もあるそうだ。 卒業生には、野際陽子、鮎川いずみ、松任谷由実など美人・才女がいる。、、、、私は、昭和7年竣工の礼拝堂などの校舎が見たかった。 男子禁制、助平親爺は絶対ダメ、校門前で怖そうな警備員が睨んでいる、まだ命が惜しいので、今日はパスする。
 
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●見たか、三鷹台駅 ・・・・・・・・・・三鷹台駅は昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 駅と駅の南側は三鷹市であるが、駅の北側は杉並区。、、、、【極秘情報】三鷹市には“三鷹”とつく地名は無い。 この駅が、なぜ“三鷹台”となったか、不明?

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●杉並区に入る! ・・・・・三鷹台駅の東端で井の頭線は再び神田川を越える。 この先は杉並区。

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・・・・・・・・・・・・・・三鷹台~久我山間は切通しとなっている。 跨線橋の一つで、右親柱に「ぎんざうばし」と書かれた「銀蔵橋」がある。 左の親柱には「昭和八秊七月造」と書かれているので、井の頭線開通時に架けられた橋だ。、、、、昭和の初め井の頭線の開通に向け、切通しとなった線路の南側の畑へ行けなくなる「秦銀蔵さん」のために、当時の帝都電鉄が建設したもの。 橋は古レールで造られており、現在は重量制限(2t以上通行不可)がある。、、、、今では畑は探しても見つからない!

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・・・・・・・・・・・・・・久我山駅の手前300m程西側に、中規模の久我山稲荷神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、古くから久ヶ山村の鎮守社だったと云われており、明治40年には字北原の天祖神社を合祀、昭和16年村社に列格した。、、、、境内に元禄16年(1703)の庚申塔がある。 保存状態良好!

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●久我山駅到着! ・・・・・・・・・久我山駅も昭和8年(1933)8月1日、帝都電鉄の駅として開業する。 現在は、島式ホーム1面2線を持つ地上駅で、橋上駅舎の構造をもつ。 急行の停車駅。、、、、今日の散歩はココまで!

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2019年5月13日 (月)

今はなき今川家の菩提寺

西武新宿線上井草駅から南下し、今川氏の菩提寺観泉寺を訪ね、中央線荻窪駅まで、1万歩の散歩です。




●寝むりたくなる腰掛のある駅 ・・・・・・・・・・・・・上井草駅は、昭和2年(1927)4月16日西武村山線(西武新宿線の前身)の高田馬場~東村山間の開通と同時に開業した。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 それぞれのホームは完全に独立していて、跨線橋がないため双方の行き来はできない。 それゆえ、駅舎は上下線それぞれ別で、下り側が南口、上り側が北口で、駅事務室も双方にある。 乗降客は少なく、朝の下りホームは人影もまばら。 さすがに、上りは多いね!、、、、木造のホーム上屋に長~~いベンチ式の腰掛、のんびりした気分になれ嬉しいね。

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・・・・・・・・・・・・・・【うわさ話】 西武新宿線では、上井草駅をはさむ井荻駅~西武柳沢駅間の5.1kmを高架線にして、19カ所の踏切りを解消する高架化工事が計画されているそうだ。、、、、私が生きている間に完成するか?



●バス通りを歩く ・・・・・・・・・・・・上井草駅から駅前のバス通りを荻窪駅に向かい南下する。 私にはゴチャゴチャした裏道が無いのが残念であるが、この辺りは直線道路ばかりで方向感覚はしっかり掴め歩きやすい。

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・・・・・・・・・・・・・・旧井草川の跡が遊歩道となっている。、、、、今やセイタカアワダチソウに負けず、爆発的に勢力範囲を拡大している雑草「ナガミヒナゲシ」がここでも侵食していた。 ポピーに似た可愛いオレンジの花で、“雑草”と云っては失礼にあたるかも。 でも、地中海原産のこの花、精力絶倫で一つの果実に約1600粒の種子が内包され、風に乗ってばら蒔いているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・上井草2丁目のマンション入口脇に、聖観音塔と庚申塔が祀られている。 いずれも、この付近にあった塔で、区画整理のため大正14年(1925)にこの地に移したものだ。 向って右側の聖観音は「富士向観音」の名で親しまれたもので、寛延2年(1749)の造立。 左側の庚申塔は、享保7年(1722)の造立。、、、、何処の誰かさんが、掃除・献花・供養しているようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・早稲田通りを横断し、杉並区今川の町に入る。 「今川」の地名は、“今川”なる川、“今川村”なる村があったわけではない。 この地は江戸時代から上井草村の一部であった。 そこには、今川氏の菩提寺である観泉寺があった。 昭和7年(1932)の住居表示にて観泉寺を中心とする一画が「今川町」となった。 昭和39年(1964)の住居表示では今川町を含む広い範囲で、“町”のとれた「今川」となった。、、、、この時、祝儀に配った餡入りの饅頭が“今川焼き”である。 コレ、本当の嘘! 

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●一度は参拝したい凄い寺 ・・・・・・・今川2丁目の宝珠山観泉寺は曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来である。 戦国時代、桶狭間で織田信長に敗れた名門今川氏ゆかりの寺。 慶長2年(1597)今の下井草二丁目付近に開山創建され、観音寺といわれていた。 正保2年(1645)今川13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を勤め、その功により井草村など三か村五百石の加増をうけた。 これを機に、当寺を菩提寺と定め、現在地に移して寺号を観泉寺と改め、祖父氏真を開基とし、信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とした。 その後万昌院(現中野区)から祖父氏真の墓所を当寺に改葬した。、、、、私がこの寺を訪れるのは4回目であるが、来るたびに感心させられるのは、緑の多い広い境内だが隅々まで手入れが行届き美しい、さらに小鳥のさえずりが聞こえる静けさがあり、都内の住宅地にある寺院とは思えない。 一度は参拝したい寺だ!

・・・・・・・・・・・・・・門前町を感じさせる、広い周囲の寺域を抜けると山門が迎える。 山門をくぐると、緑がより広がり正面に本堂がある。
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左に観音堂、右に鐘楼

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・境内には誰も居らず小鳥だけ。 芝の緑と、苔の緑が競う庭。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・駿河・遠江・三河を統一し、天下に号令しようとした今川義元が、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで織田信長に敗れ、討死した。 その後、今川氏は3ヶ国を維持できず領国を武田・徳川・北条らに奪われて滅亡した。 子孫は代々高家として江戸幕府に仕え、上・下井草・鷺宮などを所領に持ったが、維新後最後の当主は子孫を残さぬまま行方不明となり絶家した。 観泉寺には今川家の菩提寺として、義元の子氏眞以降の当主、一族の墓が祀られている。 現在墓域は都の旧跡として、維持管理は都が受け持っている。 墓は20基程あるが、形も様々な、小ぶりの墓である。

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・・・・・・・・・・・・・・観泉寺には、山門前、墓地などに、苔をかぶった多くの石仏、石塔などが残されている。

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●チョックラ手を合わせて帰る ・・・・・・・観泉寺からさらに南下し、青梅街道沿いの荻窪八幡神社に寄って、荻窪駅に向かう。

・・・・・・・・・・・・・・荻窪八幡神社は、第59代:宇多天皇の寛平年間(889~898)の創建。 永承6年(1051)に、鎮守府将軍:源頼義が奥州東征の折この地に陣し戦捷を祈願した。 康平5年(1062)の凱旋では、八幡神を勧請し武将を拠らしめた。 神社の境内は約2,600坪の広さを有し、チョットした森となっている。 姿を拝めない本殿は明治28年(1895)、回廊に囲まれた拝殿は昭和11年(1936)に建てられた。 回廊と神門は昭和43年(1968)の造営である。

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・・・・・・・・・・・・・・荻窪駅に到着!

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