練馬区

2019年11月 7日 (木)

下練馬宿

自衛隊の哨所をぜひ見たく、東武東上線の東武練馬駅で下車し、陸上自衛隊練馬駐屯地へ行ってきた。 1万歩の散歩です。




●宿場の駅! ・・・・・・・・池袋から東武東上線に乗って7駅目、東武練馬駅で下車した。、、、、東武練馬駅は昭和6年(1931)12月29日に開業。 10両編成の電車が発着する相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。 駅舎・改札口は上りホーム側の北口と下りホーム側の南口の2か所があり、それぞれホーム西端に直結している。 上りホーム中央部には平日朝7時30分から8時30分までの1時間限定で供用される入場専用の臨時改札口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・下りホームにあった水道の蛇口。 これは、乗客の手洗い用か、スグ近くにトイレがあり、こちらにはきれいな洗面台もあるだが? または、飲料用か、上向いて蛇口に口開けて飲むの? 掃除用か、ホームの中央に置く必要はないね? 考えると謎は深まる! 

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・・・・・・・・・・・・・・『板橋区に在って東武“練馬”駅とは是如何に』『品川区に在って目黒駅と云うが如し』 東武練馬駅が開業した昭和6年(1931)の時点では、駅の北側は北豊島郡赤塚村(駅の所在地)、南側は北豊島郡練馬町であった。(まだ区にはなっていない) 駅名として、駅南側を通る旧川越街道の下練馬宿にちなみ、「練馬」を使うことにしたが、当時すでに武蔵野鉄道(現:西武池袋線)に「練馬駅」があったことから「東武練馬」と命名した。 翌昭和7年(1932)には、北豊島郡は板橋区となる。 戦後、昭和22年(1947)広大な広さであった旧板橋区が、新たな板橋区と練馬区に分割され、現在の23区となる。 この時、駅のある赤塚村、駅の南側の練馬町がそれぞれ新板橋区、練馬区に属し、駅南口に面する道路が区境となった。 東武練馬駅は板橋区に残ることとなった。



●宿場の一画! ・・・・・・東武練馬駅南口前の通りから一本南側の通りに出ると、そこは旧川越街道で商店街となっている。 その出たところに、仁王、聖観音、馬頭観音がそれぞれ門と堂に納まっている、北町観音堂がある。 江戸周辺を探訪した小石川の僧が著した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があるそうだ。 往来の人々の信仰や、赤塚村への分岐道の目印だったらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、仁王門の阿形像・吽形像。 両像とも天和3年(1683)の銘がある。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥、観音堂には高さ270cmの聖観音像。天和2年(1682)の銘。  小さい堂には、高さ138cmの馬頭観音像。 製作年代不詳だが、江戸時代の作らしい。、、、、どちらも、小さい像であるが重そうだ、盗まないで!

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・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂の横に、昭和の純喫茶「喫茶 ボタン」があった! モーニングにおにぎりセットもあるらしい。
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●宿場は下練馬宿! ・・・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂のある東武練馬駅周辺(練馬区北町2)はかつて下練馬宿であった。 今は立派な駅前商店街。 街では宿場町として売り出し中!

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・・・・・・・・・・・・・・街の中の街、北町観音堂から40m程の「北町楽天地」。 素敵な、昭和の歓楽街、会社帰りに寄ってみては!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも、昭和で時間が止まったディープスポット、北町楽天地からすぐの「北町アーケード・ショッピングセンター 」。 アーケードの色あせ焼け焦げたネオンがに誘われそう!

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●宿場の富士山! ・・・・・・北町アーケード・ショッピングセンターの斜め前に北町浅間神社の鳥居が見える。、、、、北町浅間神社は、下練馬宿の中程に位置する神社であるが、創建は明治期前後と比較的新しい。、、、、鳥居は、明治5年(1872)建立の明神鳥居(一の鳥居)と社殿前の大正4年(1915)建立(二の鳥居)があり、社殿は珍しい石造。、、、、社殿の左側には、傾斜面を利用した立派な「下練馬の冨士塚」がある。 登山道は、つづら折り道、直登道、下山道、お中道など、複数のコースが用意されている。 標高37.76mのここなら、遭難の心配はないと思う!

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●宿場の小さな堂! ・・・・・・旧川越街道の家並みの裏手に回ると、参道の両側にたくさんの石仏が並ぶ阿弥陀堂(練馬区北町2)がある。 一見すると普通の住宅と間違えるような、小さな堂である。、、、、阿弥陀堂の墓地には、千川上水開設の功労者である千川家の累代の墓があります。 千川上水は元禄9年(1696)江戸下町方面の飲料水として玉川上水から分水された水道で、工事には徳兵衛・太兵衛の二人が当たる。 私費を投じて工事を完成させた功績により、両人は江戸幕府から苗字帯刀を許され、千川家の姓を賜る。 開通から10年後の宝永4年(1707)、上水は附近の20ヶ村の農民の願いで、灌漑用水として利用できるようになった。 両人の子孫は代々下練馬村(現:北町)に住み、千川上水の取締役として維持管理に努めた。

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●宿場近くの駐屯地! ・・・・・・・・本日の散歩の目的地、陸上自衛隊練馬駐屯地に来た!、、、、ココ練馬の駐屯地は、昭和5年(1930)東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫として始まった。 戦後は、昭和26年(1951)に警察予備隊が久里浜から移転。この時、敷地面積を8万坪に拡張。 昭和29年(1954)には保安隊を経て、陸上自衛隊へ移管。 平成14年(2002)に、第1師団が政経中枢師団へ改編。、、、、この駐屯地の中に自衛隊の資料館があると道すがら聞いていたので、門の前に立つ隊員に尋ねると、『資料館はありますが、イベントがある日に公開しますので、その時おこしください』 ヤッパリ、見学できなかった。 今日の今日は無理だね!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋(我が家)から遠路はるばる散歩にやってきたのは、資料館を観たかったのではなく、西門の側にある連隊門哨所を見るためだ。 こちらは、門の外にあるので365日24時間見学可能。、、、、この連隊門哨所について、『第一普通科連隊の前身「警察予備隊普通科第1連隊」は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移駐した。 この哨所は、移駐から約2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。』と説明されている。、、、、歴史を感じるコンクリート製の哨所、今日の散歩は、これが見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、駐屯地前に立ち並ぶ官舎。 “イザ鎌倉”の際は、この官舎から大勢の自衛官が出動するのだろね!


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●宿場から遠くはずれ! ・・・・・哨所を見たら、駐屯地前の川越街道を西へ歩き、東京メトロの地下鉄赤塚駅から帰宅。、、、、地下鉄赤塚駅は有楽町線と副都心線が乗り入れる駅。 昭和58年(1983)6月24日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線の営団赤塚駅として開業。 平成16年(2004)4月1日には、交通営団の民営化に伴い、駅名を「地下鉄赤塚駅」に改称。 平成20年(2008)6月14日、副都心線開業により、当駅は有楽町線と副都心線の共用駅となる。 島式ホーム1面2線の地下駅で、川越街道(国道254号)の直下にある。

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2019年4月12日 (金)

暴れん坊将軍の御膳所

3月19日に「雅万歩」を作成・掲載・管理する、ブログ作成ツール「ココログ」(ニフティー提供)が更新されました。 以来、「ココログ」に大量のトラブルが発生し、提供元では今だソフトの修正が完了しておりません。 「雅万歩」も投稿しにくい状態が続いております。 これまでと同じような表示に戻るまでには、まだ相当の時間を要すると思います。、、、、、しばらく、我慢してください。

今日の散歩は、西武池袋線桜台駅で下車し、練馬区豊玉北をぶらついて、中野区江古田3丁目まで歩いてきた。 1万歩。




●桜並木が地名になった ・・・・・・70余年の東京暮らしで私がこれまで一度も下車したことのない駅が桜台駅である。 今日は駅名の“桜”に魅せられ、下車して見た。、、、、、桜台駅は、昭和11年(1936)7月10日1936に武蔵野鉄道武蔵野線の駅として開業。 昭和20年(1945)に戦時中につき営業を休止する。 昭和23年(1948)4月1日営業再開。 現在は、島式ホーム1面2線を有する高架駅。 駅は住宅街の中に無理矢理・強引に造ったような駅で、駅前広場はなく、広い道路に面しているわけでもない。 “表通りから裏道に入ると駅がある”、そんな感じだ!、、、、、昭和9年(1934)に昭和天皇誕生記念で石神井川沿いに桜が植えられ、大正4年(1915)に大正天皇即位の御大礼記念に千川上水堤に桜が植えられ、駅周辺に桜並木があることと、石神井川南岸の台地であることから、「桜台」の駅名が創られたそうだ。 

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・・・・・・・・・・・・・・・駅から50m程で「千川通り」(江戸川橋~目白~保谷~清瀬市)に出る、通りには「桜の碑」がある。、、、、、この付近の千川通りの脇に、かつて千川上水が流れていた。 千川上水は、元禄9年(1696)江戸下町方面の飲み水として玉川上水より分水された上水道。 開通から10年後の宝永4年(1707)には近隣20ヶ村の願いで、灌漑用水として利用することが許され、用水の管理は工事を完成させた功により代々千川家に任されたそうだ。 千川上水沿いには桜が植えられ並木となる。、、、、、これが駅名「桜台」の謂れとなり、昭和38年(1963)には地名「桜台」ともなった。、、、、、“平成最後の桜”も散り始めた。

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●観てみたい博物館 ・・・・・・豊玉陸橋をの下で「環七通り」と「目白通り」を横断し豊玉北3丁目に足が入ると、「唐澤博物館」が目に入る。、、、、、「唐澤博物館」には、10年ほど前に来たことがあるが、入館できなかった。 ここは来館者が少ないようで、11時すぎないと開かない、私の時計は9時『今日もダメだ!』 またの機会とする。、、、、、ところで、「唐澤博物館」とは、教育学・教育史研究家の唐澤富太郎(1911~2004 )が長い歳月をかけて収集した、日本の子どもの教育と遊びに関する数万点におよぶ研究資料の中から、特に選りすぐった7000点余りを展示する個人博物館。 何だかよく判らんが、「百聞は一見に如かず」見てみたいものだ。

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●終末期の施設、全て揃っています ・・・・・・江古田の森公園(えごたのもりこうえん)は、中野区江古田にある中野区立の公園である。 三方を江古田川に囲まれた小高い丘がある、樹木や芝生の豊富な公園。 当地は長く国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。当病院は1993年に新宿区の国立国際医療センターへ移転統合し、跡地が公園として整備されたものである。、、、、、現在公園の周囲には、私のカウントで、病院(4軒)、老人ホーム(5軒)、教会(2軒)、修道院(2軒)などが立ち並んでいる。、、、、、なんだか、身も心も終末期の準備が出来そうだ。 アッ、寺と墓地も近くにあった!

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●氷川神社と別当寺 ・・・・・・・・・・江古田3丁目に江古田村の鎮守である氷川神社がある。 祭神は素盞雄尊。 鎮座の年代は不明。 口碑によると寛正元年(1460)に村人が素戔嗚の武徳を慕い、この地に小祠を建てたのが始めらしい。 当初は牛頭天王社といい、元禄9年(1696)に氷川社に改めた。、、、、、現在の拝殿は昭和7年(1932)に建築したもの。 

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・・・・・・・・・・・・・・・氷川神社の東に別当寺であった、真言宗豊山派寺院の東福寺がある。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと言われている。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定した。 境内に御膳所跡の碑が建てられている。、、、、、昭和42年(1967)に本堂は鉄筋コンクリート造に改築された。(現在、本堂改修工事中) 歴史ある寺だけど、歴史ある建物は残っていないようだ。 【ナイショの話】寺の北側に61戸が入る大きなマンションがある。 ここは、三波春夫御殿跡で没後、息子の豊和が財産保全のため建てたそうだ。 賢いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・東福寺から南西に250m程、氷川神社参道の入口付近に地蔵尊と馬頭観音が祀られている。 ここは「お経塚」と云うそうだ。 昔、東福寺が火事に遭った時、燃えた経典などを埋めて塚を作り供養したところなのでその名となった。 大正の頃、この土地を均した時、地中から人骨と一緒に、茶筒形をした金属製のものを掘り出した。 恐らく経筒だったのだろうと考えられているが、何時の間にか無くなり、誰も中を改めた者がなく、その確証はないそうだ。 人骨はこの地の片隅に埋めて、その上に地蔵の石像が建てられた。

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●お帰りの時刻です ・・・・・・・東福寺前のバス停「江古田三丁目」から中野に向かい帰宅。

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2018年10月22日 (月)

練馬の南蔵院

一昨日、散歩(氷川台~豊島園)から帰り『雅万歩』を書いていたら、練馬駅近くに南蔵院と云う大きな寺があることを知った。 今日はこの寺を訪ねてみることにした、大江戸線練馬駅から西武新宿線鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●秋がきたかよ ステテコシャンシャン・・・・・・・・・大江戸線練馬駅で下車し、駅前の大鳥神社に朝の御挨拶をし、練馬区役所の裏を抜け、南蔵院のある練馬区中村1丁目へ向かう。、、、、、秋晴れの下、気分よろしく、スタコラ・スタコラ・ステテコ・シャンシャン
 
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●万能薬「白龍丸」の販売元・・・・・・・・・南蔵院は、真言宗豊山派のお寺で瑠璃光山医王寺と号し、良弁塚に納経をした良弁僧都が延文2年(1357)に中興したお寺です。 江戸時代には12石8斗の御朱印領を拝領していた。、、、、、お寺では 古くから万病に効く「白龍丸」を頒布し、明治10年頃に売薬法で禁止されるまで全国的に広まり、お寺の経済的基礎ともなったそうだ。 恋の病、金欠病、夫婦病に効くなら、私もぜひ試してみたかった! 
 
・・・・・・・・・・・・・・南蔵院通りに面する山門
 
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・・・・・・・・・・・・・・山門脇で慈母観音像のお出迎え。 アリガタヤ!
 
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・・・・・・・・・・・・文禄年中(1592~1596)火災にあい堂塔伽藍、諸記録をほとんど焼失した。 宝暦3年(1753)には寺内の設備を整え、現在の本堂も完成した。 御本尊の薬師如来は秘仏で、33年毎に御開帳されるそうだ。、、、、、明治9年(1876)には、本堂を利用して豊玉小学校が開設された。
 
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・・・・・・・・・・・・本堂の右には、同年に建てられた庫裏がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左には、宝永4年(1707)に再建された薬師堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・薬師堂の前には、宝暦3年(1753)に建立された閻魔堂がある。 チョイト、中を覗いてみた、、、照明のない薄暗い堂内に、剥げ落ちた閻魔大王がいた。 閻魔大王の後ろの壁には病気平癒祈願成就によって奉納された15cmほどの木彫の地蔵尊がズラリ千躰程並べてあると言われている。、、、、、『本当に千躰あるのか(?) ウソだろう。 閻魔の嘘つき!』 
 
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・・・・・・・・・・・・・江戸時代中期に建てられた鐘楼門。 三間一戸、入母屋造りで赤く塗られている。 門の左右には仁王像、上階には正徳5年(1715)銘の梵鐘がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・この他に、赤門長屋門がある。 また、なぜか北海道開拓時代の建物を思い出させる、木造の集会場
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)首のない地蔵様が中村の道端にあった。 近所の住人が地蔵の首を酒代の形に持っていたので、継ぎ合わせたところピッタリと合った。 この不思議な仏縁から、「首継地蔵尊」と呼ばれている。、、、、、バラバラ事件の被害者となった地蔵さま、首が繋がり一安心。、、、、、首継地蔵尊は昭和60年頃(1985)までは、中村の八幡神社に祀られていたが、その後南蔵院に移された。
 
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●大根のない畑・・・・・・・・・・南蔵院を後にして西へ歩く。 ここは“練馬”だ、畑の大根を探しながら歩く。、、、、、住宅地の中に小さな畑を見つけた。 期待はずれで、大根畑ではなかった。 しばらくすると、向かいを歩くお姉さんの足もとに“大根”を発見!(失礼)
 
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●バラバラ事件の現場?・・・・・・・・・中村南3丁目に八幡神社がある。 この神社は旧中村の産土神で江戸時代からの総鎮守。 祭神は応神天皇。 社殿は江戸時代のものと言われているが“?”。、、、、八幡神社の別当は南蔵院であった。 神社の地は、南蔵院の末寺・西光寺(現:廃寺)の旧地である。 首継地蔵尊は、南蔵院に移されるまで当社の一画に祀られていた。 ここで、首と胴体がバラされたのか? はたまた、ここで、首と胴体が継がれたのか? どちらにしても殺人事件である。
 
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●子連れ地蔵尊・・・・・・・中野区上鷺宮1丁目の中杉通り沿いに、北向きに建っている子連れの上鷺宮願かけ地蔵尊。 大きい舟型地蔵尊は、高さ約1.5m で正徳5年(1715)の銘がある。 小さい舟型地蔵尊は80cmほどの高さで、造立年は不明。、、、、、この2体の地蔵に祈願をする人は、白装束で夜中にお参りし、一心に祈願しながら子どもの地蔵を倒すのだ。 そうすると親の地蔵は子どもを起こして貰いたいため、願い事を聞き届けてくれる。 願い事が叶ったら、祈願した人は、自分が倒した地蔵を起こしに行くのだそうだ。、、、、、このような風変わりで、面白い信仰は、人家もまばらだった昭和30年頃(1955)まで続いたそうだ。 今の時代、こんなことしたら、付近の防犯カメラに撮られ、器物損壊で捕まり、ニュースに出演し、恥ずかしい思いをするだけ。
 
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●閻魔と地蔵がコラボして天罰・・・・・・・・・・新青梅街道を渡り、西武新宿線鷺ノ宮駅 まで歩き帰ることにした。 歩きながら頭上に違和感を感じ、右手が頭を撫でる。 『アレ? 帽子がない! お気に入りのハンチングがない!』 カバンの中、ポケットを探すが、何処にも無い。 『ガァ~~ン! 南蔵院か、八幡神社か、置き忘れたようだ』 どうやら、今日は閻魔大王、首継地蔵尊に悪態をつき、天罰が当たった。 『あきらめきれずに あきらめた 去らば高価な ハンチング』、、、、、電車に乗っても、ハンチングのことが忘れられず、寂しく帰宅。
 
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2018年10月20日 (土)

練馬の氷川神社

地図を見ていたら、練馬区桜台6丁目に「氷川神社発祥之地」を発見。 『あれ、大宮の氷川神社はここが発祥地?』、疑問と興味が湧く。 さらに地図を見ると最寄りの駅は地下鉄有楽町線の『氷川台』。 氷川台駅の北には『氷川神社』がある。、、、、、今日の散歩は、この地を訪れることにした。 氷川台駅から、氷川神社・氷川神社発祥之地を巡り、都営大江戸線豊島園駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●ネリカンの駅・・・・・・・・・・東京メトロ有楽町線・副都心線の氷川台駅 は、昭和58年(1983)6月24日に開業した。 ホームは相対式2面2線で地下3階にある。、、、、、駅名の氷川台、駅所在地の地名:練馬区氷川台の“氷川”は、近くの氷川神社に由来する。、、、、、藤圭子も歌った「ネリカン・ブルース」の舞台:東京練馬少年鑑別所もこの近く。
 
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●町(小)は嫌よ、台(大)にして!・・・・・・・・・・地名「氷川台」は、氷川神社のある高台の意。、、、、、明治・大正時代は下練馬村と称していた。 昭和7年(1932)には板橋区練馬仲町となり、昭和22年(1947)板橋区から分離し練馬区に所属。 昭和40年(1965)に、新住居表示にて「氷川台」とした。 この時「氷川町」にする予定だったが、同名の地名が板橋区にあるため、“台”を付けたそうだ。
 
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●村の鎮守の神さま・・・・・・・・・・町名の由来となった氷川神社(通称「大氷川」)、古くからの下練馬村の鎮守。 長禄元年(1457)渋川氏が足利氏との戦いの途上、武運長久を祈って建てたと伝えられている。 社伝によると、もとの神社は石神井川付近の、泉が湧きでていた「お浜井戸」のところにあったが、江戸時代の延享年間(1744~1748)に現在地に遷座した。
 
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●商圏は埼玉・東京・・・・・・・・・・全国の“氷川神社”は、さいたま市大宮区の総本社:氷川神社より勧請を受けている。 祭神は須佐之男命。 全国で250社程度存在するが、うち約230社は埼玉県(160)と東京都(70)に分布する、ローカル色豊かな神社系列である。、、、、、ちなみに、練馬区内では、豊玉氷川神社、大松氷川神社、谷原氷川神社、石神井台氷川神社、大泉氷川神社などもある。、、、、、『七五三はぜひ氷川神社で! 先着10組のお父さんには、巫女さんとのツーショット写真をプレゼント』な~んて、あるかも?
 
 
●臭わない、ゴミがない・・・・・・・・・・氷川台の氷川神社から、四宮宿橋(よんのみやじゅくはし)で石神井川を越え桜台6丁目に入る。、、、、石神井川の水質は生活用水が流れ込んでいないらしく、綺麗で、臭わない、ゴミも浮いていない、川底が見える、水草も見える、魚が住めるようだ。 深い川底に下りて、水辺に近づけるといいね!、、、、、ところで、橋名の「四宮宿」とは? (気になるので調べてみたが、“?”)
 
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●発祥地は草茫々・・・・・・・・・・四宮宿橋を渡り桜台6丁目の一画に、小公園ほどの空き地がある。 鎖で閉じられた敷地には、白砂利が敷かれているが雑草に覆われている。 その中に「氷川神社発祥之地」と標された石碑と、井戸のように組まれた石がある。 この地が、先に訪れた氷川台の氷川神社発祥地で、井戸のような石組みが「お浜井戸」であろう。、、、、現在の氷川台氷川神社のご神体が石神井川を流れてきたのを、拾って祭った最初の地とされている。 その後、ご神体は氷川神社の地に遷座した。 このため、春の祭りには「お里帰り」と呼ばれる神事が行われているそうだ。、、、、つまり、この地は“全国的な氷川神社発祥の地”にあらず、超ローカルな“氷川台の氷川神社の発祥地”であった。
 
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●駅名から地名に・・・・・・・・・・「桜台」の町は、南に西武池袋線、北に石神井川で挟まれた、ほぼ1km四方の町である。、、、、、、昭和11年(1936)、池袋線の駅が造られたとき、石神井川南岸の台地に高稲荷神社があり、桜の名所として有名であった。 そこで、駅名は「桜台」と創作し、命名した。 昭和37年(1962)からの住居表示では、桜台駅の北側一帯(以前は「練馬南町」)に駅名を利用し桜台1丁目~6丁目とした。
 
・・・・・・・・・・・・・・高台に鎮座する高稲荷神社。 現社殿は昭和55年(1980)に新築。
 
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・・・・・・・・・・・・・・高稲荷神社下の公園に祀られている庚申塔。 元禄2年(1689)造立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・桜台6丁目の町は、坂の多い閑静な住宅街、そんな町の中に小さな都営住宅が点在する。 超豪邸と言える住宅はないようだ。
 
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●拝観謝絶・・・・・・・・・桜台6丁目の西端に臨済宗大徳寺派の円満山広徳禅寺がある。、、、、、広徳寺は、箱根湯本早雲寺の子院として、元亀、天正の頃(1570~92)小田原に建立された。 天正18年(1590)徳川家康に招かれ神田昌平橋に広徳寺と称して建立、寛永12年(1635)下谷へ移転。 江戸時代には『びっくり下谷の広徳寺 おそれ入谷の鬼子母神』と言われ隆盛し、塔頭15院を擁していた。 明治になり寺は衰退し、関東大震災後の区画整理で、現在地へ徐々に移転し、昭和53年(1978)に移転を完了した。、、、、、現在の20,000坪の敷地は、東京の寺では第2位。 ちなみに、規模ではトップの浅草寺が約30,000坪、3位の芝増上寺は16,000坪。、、、、、、参道を奥へ、山門には『拝観謝絶』の四文字が見える。 修業が足りない私はここまで、剃髪して出直さなければ入れないね!
 
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●お隣の禅寺を拝見・・・・・・・・・・オヤ、広徳禅寺の敷地内に隣接して塔頭の桂徳禅院がある。 慶長7年(1602)滝川壱岐守正利が建立した広徳寺塔頭の一つ。 大正12年(1923)震災で焼失後、当地へ移転し、昭和30年(1955)現在地に完成しました。 禅の修行場で墓地はない。 こじんまりした寺であるが、手入れの行き届いた庭が美しい。 こちらはチョイト拝見。
 
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●チョイト秋色・・・・・・・・・・・・・練馬総合運動場横の石神井川沿いを歩き豊島園に向かう。
 
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●遊園地に来たのは何十年前・・・・・・・・・豊島園駅に到着。 平成3年(1991)12月10日、都営地下鉄12号線(後の大江戸線)の駅が開業。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 、、、、何十年前になるか(?)ウォーターシュートがあった頃、来た覚えがある豊島園遊園地。 入園する機会は無くなったようだ!
 
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2018年6月 1日 (金)

練馬~沼袋

都営大江戸線の練馬駅で下車し、西武新宿線の沼袋駅までの散歩です。 1万歩。
 
 
 
①大江戸線練馬駅・・・・・・・・・・・平成3年(1991)12月10日、都営地下鉄12号線の駅として開業した。 島式ホーム1面2線の地下駅である。、、、、、西武池袋線練馬駅(高架駅)は至近にあり、乗換客が多い。、、、、、ついでの話、東武練馬駅は遥か彼方、直線距離で3.5km程北にある。 しかも、駅は板橋区にある。
 
・・・・・・・・・・・・・・光が丘行に乗る人は少なく、多くの通勤客は新宿方面に向かう。 あたり前田のクラッカー!
 
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・・・・・・・・・・・・・・地下改札口
 
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・・・・・・・・・・・・・・駅出入口は手前ビルの1階、後ろに高架の西武池袋線練馬駅がある。
 
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②大鳥神社・・・・・・・・・・・練馬駅の南側の横町に大鳥神社はある。 正保2年(1645)、三羽の鶴が飛来し保護したが、死んでしまったことから鶴の霊を祀ったのが起源である。 その名のごとく、11月の酉の日の祭礼は、福徳円満・開運熊手を購う人で賑わうそうだ。、、、、、現社殿と神楽殿は鉄筋コンクリート造で、ともに昭和59年(1984)に改築した。
 
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・・・・・・・・・・・・・・境内には、石の薬師如来が祀られている。 この薬師は、神社から南に500m程の路傍にあったもの。 薬師には万病を治癒し、延命を願う信仰が昔からあり、特に眼の病に効があると今も線香を灯す人が絶えないらしい。
 
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③練馬区役所庁舎・・・・・・・・・・庁舎は平成8年(1996)3月に竣工した、東京23区の区役所の中では文京区役所(通称・文京シビックセンター 、地上28階・高さ142 m)に次ぐ高さ(地上21階・地下3階、93.82m)を誇る建物。 20階には展望ロビー、展望レストランがあるそうだ。(9時過ぎから利用可)、、、、チョイト、ロビー部分だけでも拝見。
 
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④三の橋庚申・・・・・・・・・・練馬駅から南に向かうバス通りに「こうしん通り 商栄会」と標した街路灯が並んでいる。 商店街とは思えぬ商店街。、、、、、“こうしん通り”とは? ひょっとすると、“庚申塔”のことでは。 歩きながら、キョロキョロ、コソコソ、、、、、あった! 庚申塔があった!
 
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・・・・・・・・・・・・・通り名はこの庚申塔に因むそうだ。 しかし、この庚申塔は昭和41年(1966)に建立された二代目で、初代の庚申塔は壊れて正覚院に納められているそうだ。
 
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④環七通りを越える・・・・・・・・・・・練馬区豊玉中3丁目で、環七通りを横断し、豊玉南に入る。
 
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⑤正覚院・・・・・・・・・・・正覚院は豊玉南2にある真言宗豊山派の寺院で、山号を天満山という。 寺伝では、太田道灌が長禄年間(1457~1460)江戸城築城の際、ここ中荒井の陣屋にあった道灌崇敬の天満宮(現:豊玉氷川神社の境内社)を守るため別当寺として創建したのが正覚院で、市ヶ谷から立退かせた一農家を開基檀徒としたといわれます。、、、、、、本堂および観音堂は、昭和51年(1976)に改築され、平成3年(1900)には多宝塔も建立されて、寺観もいちだんと整った。
 
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・・・・・・・・・・・・・多宝塔前の「八子地蔵尊」は、昭和13年(1938)、町内有志によって、不幸な厄にあった8人の幼児の霊を供養するために建立されたそうだ。、、、、、境内には、地蔵尊、不動明王、庚申塔など村内各所にあった石造物が多数祀られている。
 
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⑥豊玉氷川神社・・・・・・・・・・正覚院(別当)の隣りに氷川神社はある。 神社の創建年代不詳であるが、古い神社だ!、、、、、社殿は昭和3年(1928)の建築である。
 
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・・・・・・・・・・・・・鳥居の脇には、「ビール麦 金子ゴールデン 発祥の地」の石碑がある。、、、、、中新井村(現:豊玉)の金子丑五郎が明治33年(1900)、六条大麦の四国とゴールデンメロンの自然交雑によって生じた雑種の中から「金子ゴールデン」を育成した。 早生で草丈が低いため成熟しても倒れにくいので、関東一円に栽培が広がった。 この品種を親にエビス1号、ニューヨークゴールデン等の優良品種が育成され、初期のわが国ビール醸造に大きく貢献した。
 
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⑦江古田の町を歩く・・・・・・・・・・・・江古田の住宅地を歩き、沼袋駅に向かう。
 
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沼袋駅 ・・・・・・・・・・只今実施中、西武新宿線の中井駅~野方駅間の連続立体交差事業では約2.4kmの区間を地下化し、合計7カ所の踏切を除去する。 これに伴い、新井薬師前駅と沼袋駅は地下化される。 総事業費は726億円で、2020年度の事業完了を目指しているそうだ。 
 
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・・・・・・・・・・・・・工事の為か、路線バスも踏切の直前で停まり、お客は乗降する。
 
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2017年6月20日 (火)

東中野~江古田

JR東中野駅で下車し、北へ向かうか南にするか、それとも、西へ歩くか東へ行くか? 困った、迷った、悩んだときは、現世の観音様に決めてもらう。 ちょうど駅から可愛い娘が出て来た、『あの娘の行く方向に歩こう!』。 決まった!駅から北西に向かうことにした。 西武新宿線の新井薬師前駅、大江戸線の新江古田駅を抜けて、西武池袋線江古田駅まで、1万2千歩の散歩です。
 
 
 
①東中野駅・・・・・・・・・明治39年(1906)6月14日、甲武鉄道の柏木駅として開業し、大正6年(1917)1月1日より東中野と改称した。、、、、、駅は山手通りに面し、平成9年(1997)には都営大江戸線の駅も開業し、乗り換え駅となった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・チョイと古い時代の東中野駅
 
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②東中野ギンザ通り・・・・・・・・・・東中野駅前から北西方向に約600mの長さで伸びる商店街。、、、、、、私が歩く、午前8時過ぎ、狭い道は駅へ向かう人が速足で通り過ぎる。
 
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・・・・・・・・・・・・・・商店街の中程に朝顔の苗が置かれ、「御自由にお持ち帰り下さい」と。、、、、、つい、手が出て苗を3つ貰ってきた。 開花するのが楽しみだ!
 
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③正見寺・・・・・・・・・・ギンザ通りを抜けると早稲田通りに出る。 ここ(中野区上高田1)に、浄土真宗本願寺派寺院の正見寺がある。 正見寺は、滋賀県栗田郡駒井城主・駒井掃部介高植、次代右近大夫宗高が菩提のため、応永年間(1394~1427)に建立された。 その後、寺は赤坂・四谷と移転し、明治42年(1909)に現在の中野に再移転した。 昭和20年、戦災により堂宇は灰塵に帰し、昭和46年(1971)に本堂を鉄筋コンクリート造で再建し現在に至る。 正見寺には、明和時代(1765年前後)の江戸三美人のNo.1といわれた“笠森お仙”の墓がある。 、、、、私は、現在の美人と遭遇することに期待し寺の脇の道。 誰が名付けたか、「上高田中通り」を行く。 
 
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④上高田4丁目の寺院・・・・・・・・・・・上高田4丁目の高台に、功運寺・願正寺・境妙寺・宝泉寺などの寺院が並んでいる。、、、これらの寺院には以前来たので、詳細はこちらで。
 
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・・・・・・・・・・・・・・寺院が集まる処から約200m北に、桜ヶ池不動院という寺がある。 その名の通り、小さな池があり脇のお堂に不動明王像が安置されたている。
 
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・・・・・・・・・・・・・・さらに、不動院の裏には素戔鳴尊を祭神とする上高田氷川神社がある。 上高田一円の鎮守として享徳2年(1453)に創建した。 現社殿は大正15年(1926)に造営された。
 
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⑤西武新宿線踏切・・・・・・・・・・・・西武新宿線新井薬師前駅の東側で、踏切を越える。、、、、、、西武新宿線中井駅~野方駅間は、連続立体交差工事の真っ最中。
 
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・・・・・・・・・・・・・・工事用の車両などにぶつけられたのか、踏切の脇には、チョイと石の角が欠けた痛々しい庚申塔がある。、、、、祠に入れるなど、しっかり祀ってあげて欲しいね。
 
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・・・・・・・・・・・・・踏切の北側で道は分かれる。 右は哲学堂公園・新宿区落合方面、左は江古田方面。 私は、左へ向かうことにした。
 
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⑥キク薬局・・・・・・・・・・新井薬師前駅の北側(中野区松が丘1)に、2009年頃に廃業したらしい、仕舞屋から廃屋となってしまった薬局がある。 二階は歯科だった。、、、、、2階に並ぶ窓がモダンな感じの建物だが、1階の窓はボロボロ。 猫の通り抜けも自由!
 
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⑦中野通り・・・・・・・・・・・・笹塚から中野駅をとおり、江古田で新青梅街道にぶつかる中野通り。、、、、、我が脚は、松が丘1丁目から、中野通りを横断し、松が谷2丁目に入る。
 
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⑧妙正寺川・・・・・・・・・・・・杉並区妙正寺から中野区江古田地区を流れ新宿区下落合で神田川に合流する妙正寺川。 我が脚は、江古田橋で妙正寺川を越える。
 
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・・・・・・・・・・・・・・大雨の度に氾濫していた妙正寺川は、流域・護岸も整備され、深い川底が見える。、、、、、、、水は綺麗になった。 念のため遊泳禁止。
 
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⑨東福寺・・・・・・・・・・妙正寺川を越えて江古田3丁目に、真言宗豊山派の東福寺がある。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)に江古田村の村民が開基となり、創建した。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの休息所(御膳所)として指定されていた。、、、、、現本堂は昭和42年(1967)に鉄筋コンクリート造で建てられた。、、、、境内は広く、本堂は高台にある。 
 
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⑩江古田駅・・・・・・・・・・・・「江古田」の町は中野区にある。 大江戸線「新江古田駅」は中野区の北端「江原町」にある。 そして、西武池袋線の「江古田駅」は練馬区旭丘に位置する。 つまり、江古田の町には鉄道の駅は無い! ついでに、東電江古田変電所、日大江古田キャンパス、江古田斎場など、有名処の施設は練馬区に位置する。
 
・・・・・・・・・・・・・・大江戸線新江古田駅
 
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・・・・・・・・・・・・・西武池袋線江古田駅
 
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2017年5月24日 (水)

平和台~高島平

『東京大佛でも見てくる』と家を出た、地下鉄成増で下車する予定で有楽町線に乗った。 途中、『次は平和台』の車内アナウンスを聞くと、“平和台球場”を思い出し、急遽飛び降りてみた。 あとは成り行き任せで高島平まで、“平”から“平”まで、1万2千歩の散歩です。

 
 
①平和台駅・・・・・・・・・・私が下車するのは、おそらく、生まれて初めてである。 特に変わったものがある、特別面白い、特徴的な駅員がいる、、、、そんな、こんなことは何もない、ごく普通の駅であった。、、、、平和台駅は昭和58年(1983)6月24日に有楽町線の駅として開業し、平成20年(2008)6月14日には新たに開業した副都心線とも共用する島式ホーム1面2線の駅となった。
 
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●・・・・・・・・・・・駅名の由来は、駅東側の町:「平和台」に由来する。 では、地名の由来は、明治時代は北豊島郡下練馬村であった。 昭和7年には東京市に編入し、板橋区練馬仲町となり、昭和22年には板橋区から独立し、練馬区仲町となる。 昭和40年の新住居表示では、あっさりと公募で決めた平和台となる。、、、、歴史を捨て、意味不明の平和台を選んだ町の隣には、陸上自衛隊練馬駐屯地がある。 どうせなら、福岡にあった西鉄ライオンズの本拠地:「平和台球場」を移設すれば良かったかもね。
 
●・・・・・・・・・・・国内にある“平和”な駅は、ここ「平和台駅」と、流鉄流山線に同名の「平和台駅」がある。 他には、JR千歳線「平和駅」、京急本線「平和島駅」、北九州モノレール「平和通駅」、伊予鉄道城北線・城南線「平和通一丁目停留場」がある。、、、、私が“平和”ボケしていなければ、これが全てである。、、、、こんなこと調べていたら、麻雀の役の平和(ピンフ)の語源は? 今夜は眠れるかな?
 
・・・・・・・・・・・・・駅前の平和台4丁目にある馬頭観世音、、、、この馬頭観音は、江戸時代中期に建立されたもので、石には像などは彫られておらず文字だけである。 道標を兼ねており、正面には富士・大山・東高野、右には新井薬師・堀之内(妙法寺)・雑司ヶ谷(鬼子母神)など信仰の道にふさわしい地名が見られる。 また板橋・赤塚・戸田・所沢など近郷の地名と里程も刻まれている。 この塔があった、旧は富士街道丸久保の十字路とは、交通の要所でもあったようだ。
 
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②練馬北町六丁目アパート・・・・・・・・・・平和台駅を出ると、環状八号線の北側に3~5階建ての都営アパートが並んでいる。 私は24号棟まで確認した。 昭和51年(1976)から昭和62年(1987)にかけ建てられた、約500戸の団地。
 
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③大松氷川神社・・・・・・・・・・・平和台の北側、板橋区との境に近い北町8丁目に「大松氷川神社」がある。 大松とは下練馬村の小字名。 創建年代は不詳、祭神は建速須佐之男命。、、、、、一般道となった参道の正面奥に、昭和3年(1928)10月20日に建てられた社殿がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿の脇には、幹の太さ3.1m、高さ23mのクスノキが茂る。

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④カトリック北町教会・・・・・・・・・・・東武東上線下赤塚駅の東側で川越街道を横断し、練馬区北町3丁目に入ると、裏通りに十字架が見えた。
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和34年(1959)に創立したカトリック北町教会である。、、、、施錠された聖堂前の園庭では、幼稚園児が遊んでいる、若い先生もいる。 ここで先生に声をかけ、聖堂の中を見せてもらうには勇気がいる。 『怪しい親爺が門の前でうろついている、全員緊急避難!』とならないように、今日は我慢して素通りすることにした。
 
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板橋区徳丸の町 ・・・・・・・・・・・
 
・・・・・・・・・・・・・・東武東上線のガードを抜けて、板橋区徳丸の町に向かう。、、、、チョイト雲行きが怪しくなってきた。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・徳丸の町はアップ・ダウンの激しい山岳コースのような町である。 肺活量が小さくなった私にはキツイ! 暑さもキツイ! 呼吸はゼイゼイ、汗はダラダラ、ひたすら高島平駅を目指し歩くのみ。
 
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・・・・・・・・・・・・・・足が疲れたころに、赤塚公園交差点に到着。 首都高上で火災が発生したようだ、一般道は消火活動のため交通規制が行われていた。、、、、私の到着が遅く、黒煙が上がる場面には遭遇できず、決定的瞬間に立ち会うことはできなかった、残念。
 
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⑥高島平団地・・・・・・・・・・・・高島平団地への入居開始は昭和47年(1972)から始まった。 高島平団地の総戸数は約10,000戸、人口は約17,000人、ここも少子高齢化問題が発生している団地である。 高齢者の一人住まいも多く、自殺者も多い団地となったそうだ。、、、、、そろそろ団地の役割を終える時代になったのか? 
 
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⑦高島平駅・・・・・・・・・団地の正面に高島平の駅はある。 昭和43年(1968)12月27日、都営地下鉄6号線開業と同時に志村駅として開業し、昭和44年(1969)8月1日に高島平駅と改称した。 島式ホーム2面4線の高架駅。
 
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2017年4月 4日 (火)

江古田~沼袋

千葉鉄道聯隊で活躍していた「E18機関車」が見たくなり西武池袋線の江古田駅から、西武新宿線の沼袋駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
江古田駅 ・・・・・・・・・大正11年(1922)11月1日、“1”並びの日に開業した駅。 旧制武蔵高等学校(現:武蔵大学)の設立に合わせて「武蔵高等学校用仮停留所」として開業し、翌年、駅名を「江古田」に改称し本営業を開始した。、、、、、駅名は「えこた」と読む、地名としては「えごた」の読みが正解である。 ただし、駅が所在する練馬区には“江古田”はなく、隣の中野区に地名が残っている。 ついでに、大江戸線の「新江古田」駅(練馬区・中野区の区境にある)では“しんえごた”と称している。
 
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●・・・・・・・・・・・『江古田まで来たので武蔵大キャンパスでも覗いてみるか。』と思い、武蔵野稲荷神社の境内を抜けて大学前の通りに出たら、『ナンジャ・コリャ!』学生がゾロゾロ、『ソ~~カ、越谷の手前だ! 新入生のオリエンテーションだ!』 今日は立ち寄るのを諦めた。
 
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②鉄道聯隊E18機関車・・・・・・・・・・・練馬区豊玉北1丁目の「エリエイ」という鉄道関連図書出版社に置かれている。、、、、、この機関車は、鉄道聯隊で使われた機関車で、大正10年(1921)にドイツ・オーレンシュタイン&コッペル社にて製造された。 軌間600ミリのE型タンク機関車である。、、、、このE型タンク機関車は、小回りの利く機関車として、軽便鉄道・森林鉄道、工場構内などで多く使用された。 大正10年(1921)、陸軍はこのE型機関車を25両発注し、「E1」~「E25」機関車とした。 昭和20年(1945)までは、千葉の鉄道第一聯隊または津田沼の鉄道第二聯隊の演習線で活躍した。 戦後、聯隊はなくなり、E18は砂利運搬用に西武鉄道に引きとられた。 数年間使用された後は、西武鉄道関連の工場・倉庫に放置され、ボロボロの状態となった。 平成5年(1993)、こちらの会社に移され、大井川鉄道新金谷工場で外観の修復が行われた。 平成24年(2012)から、現在の状態で保存されている。、、、、ボロボロの身体となったE18の再活躍は難しいと思うが、玄関前に大切に保存してもらい、延命しているようだ。
 
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③江古田の森公園・・・・・・・・・・・・・中野区江古田にある中野区立の公園である。 樹木や芝生の広場などがある広い公園は、住民の憩いの場であるようだ。 敷地は、大正8年(1911)にできた国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。 その病院も平成4年(1993)に新宿区の国立国際医療センターへ移転した。 跡地は中野区により公園として整備された。 公園に隣接し、「江古田の森」という老人ホーム、東京警察病院看護学校、総合東京病院など、医療・介護関連施設が集まっている。
 
・・・・・・・・・・・・・・公園は春、、、、、
 
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・・・・・・・・・・・・・・・公園の中央に福祉センター:「江古田の森」がある。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・道路を挟み向かいの東京警察病院看護学校は、本日が親子揃っての入学式。、、、、いずれ私が病院で世話になる娘がいるかもね?
 
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・・・・・・・・・・・・・・・こちらは総合東京病院、デカい病院だ!、、、、、病院の診察券を蒐集するのが趣味の私も、ここの診察券は持ってないね! 
 
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④カトリック徳田教会・・・・・・・・・・総合東京病院(中野区)とは江古田川を挟み練馬区側の豊玉中1丁目にカトリック徳田教会(とくでんきょうかい)がある。、、、、、こちらの教会は、明治42年(1909)にパリ外国宣教会から日本に派遣されたヨゼフ・フロジャック神父の歩みと共に活動してきた。 神父は、昭和初期、中野区江古田にあった結核療養所の入院患者が、退院を強いられ行き場を失っていたのを見て、一軒の家を借りて収容された。 その後、この家の周りに、患者を支える社会福祉法人慈生会、ベタニア修道女会、徳田教会などがつくられていった。 昭和28年(1953)には、神父の尽力により、現在の聖堂・司祭館が造られた。 その後、神父は昭和34年(1959)に他界した。、、、、、「徳田」(とくでん)は豊玉にあった旧地名である。
 
・・・・・・・・・・・・・・・正面から拝見、中世の教会のような後ろ姿も拝見。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・鐘楼に向かい左側が聖堂、右側は司祭館。
 
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・・・・・・・・・・・・・・聖堂の内部も拝見!
 
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⑤沼袋駅・・・・・・・・・・・西武新宿線の沼袋駅(ぬまぶくろえき)から帰宅する。、、、、、沼袋駅は隣の新井薬師駅とともに地下化工事が進められている。 工事はまだまだこれから、只今はヤードの整備中、完成まではあと数年はかかる?
 
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2016年11月14日 (月)

小竹向原~落合南長崎

地下鉄有楽町線に乗り、『さて、どこで降りようか?』。 今だ、下車したことがない「小竹向原(こたけむかいはら)」で下車してみた。 いつものように、裏道を気ままに歩き、江古田をとおり、都営大江戸線「落合南長崎」駅まで、1万1千歩、8kmの散歩です。
 
 
①小竹向原駅・・・・・・・・・・・都心から、和光市、森林公園方面に向かう有楽町線と、小手指、飯能方面に向かう西武・有楽町線の分岐駅である。 池袋駅からは3駅目で練馬区の中では、最も都心寄りの駅である。、、、、、昭和58年(1983)6月24日、有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通時に同時営業した。 同年10月1日には、西武有楽町線の小竹向原駅~新桜台駅間も開通した。、、、、、島式ホーム2面4線の地下駅である。 駅舎は練馬区立小竹小学校敷地の直下にあり、出入り口はせせこましい裏通りにある。 そのため、商店街、バス停などは何もない。 駅からタクシーに乗りたければ、近くの環七通りまで歩かないと乗れないね!、、、、、駅名「小竹向原」は、駅が所在する練馬区小竹町と板橋区向原を合成して命名された。
 
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②練馬区小竹町・・・・・・・・・・・町の北側は有楽町線の小竹向原駅がある、南側は西武池袋線の江古田駅がある。 両駅に挟まれ、武蔵野音大、日大芸術学部に隣接する、静かな中級住宅街。、、、、コンビニ、商店、スーパーなどはなさそうで、チョイと不便かも?
 
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江古田駅 ・・・・・・・・・・小竹町をさまよい歩き、出てきたところは日大芸術学部の前、『なんだ、ここに出るのか。 何度か来て、見て、知ってるぞ!』
 
・・・・・・・・・・・・・まずは、日大芸術学部に御挨拶。、、、、どこぞの新興の高等学校のような校舎。 もう少し芸術的な校舎にして欲しいね!
 
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・・・・・・・・・・・・・・・続いて、江古田駅に御挨拶。
 
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・・・・・・・・・・・・・・江古田駅北口前の浅間神社。、、、、、拝殿前のケヤキは樹高:27m、幹の太さ:3.1mの大木である。 拝殿後ろには、「江古田の富士」と言われる富士塚もある。
 
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④寛政の地蔵尊・・・・・・・・・・・・中野区江原町3丁目、マンションの角にひっそりと佇むお地蔵様。 寛政年間にこの地で疫病がはやり、その祈願のために建立された。、、、、、疫病魔払いの御利益があるそうだ。 私のボケ防止は期待できないかな?
 
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⑤江原屋敷森緑地・・・・・・・・・・大江戸線新江古田駅近にある、屋敷一軒分ほどの小さな緑地。 ちょうどモミジが色づき始め綺麗だったのでパチリ!
 
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⑥末日聖徒イエス・キリスト教会・・・・・・・・・・・・目白通りを江古田から目白方面に向かうと、中野区と新宿区の区境近くで、右手奥に教会が見えた。 教会が『チョイと、兄さん見ていきな。』と呼んでいるようで、私の足は教会に向かった。、、、、、、建物を眺めていたら、二人の若くてカッコいい米国人宣教師がちょうど教会に入るところで、私にも『どうぞ』と入れてくれ、教会の説明をしてもらった。
 
・・・・・・・・・・・・・建物の外観からは、カトリック教会のような、荘厳さ、威厳、重厚感、芸術性などは感じられない、いたってシンプルで質素な建物である。
 
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・・・・・・・・・・・・・・・内部は、これまた質素な造りである。 カトリック教会のように、正面の十字架、周囲のステンドグラス、壁に飾られた聖徒の画/像など、何もない。
 
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・・・・・・・・・・・・・・宣教師の話で、印象的だったのは『イエス・キリストは現世に生きている』ということだった。 私は、末日聖徒イエス・キリスト教(=モルモン教)では、宣教師・信者は、互いに経験・体験を語り・聞き、キリストの教えを学び、実践することで『幸せ』を得ることだと勝手に理解した。
 
 
 
●・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・教会を出て、近くの大江戸線「落合南長崎駅」から帰宅。

2016年6月30日 (木)

石神井公園~荻窪

今日も降りそうな天気。 “近場の散歩にしよう!”と思い家を出て、山手線に乗ったら池袋に着いた。 “池袋まできたから、チョイと足を延して江古田あたりを歩いてみるか!” 西武線の池袋駅で、5番線の普通電車に乗るのを、発車まぎわの3番線の急行に飛び乗ってしまった。 気づいた時は、すでに遅し、急行は石神井公園まで止まらない。、、、、と言うことで、今日の散歩は、西武線石神井公園駅から中央線荻窪駅まで歩いてきた。



①石神井公園駅
・・・・・・・・・・大正4年(1915)4月15日に、石神井駅として開業し、昭和8年(1933)に石神井公園駅と改称した。 開業時は島式ホーム1面2線の地上駅であったが、その後、島式ホーム2面3線に変更し、平成20年(2008)頃から高架化工事が始まり、平成24年(2012)には島式ホーム2面4線の高架駅が完成した。、、、、、ホームを覆う屋根は大きく、明るい。 また屋根を支える支柱も少なく、広さを感じる。 コンコースは天井も高く、大きな空間がつくられている。

・・・・・・・・・・・・・・・あまり立派過ぎて、田んぼの中の新幹線駅のようだ!

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・・・・・・・・・・・・・上り(池袋方面)ホームは通勤通学客が電車待ち、下り(所沢方面)はガラガラ。

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・・・・・・・・・・・・・・大きなコンコースを見ると、この空間に我が家が何軒分か考えてしまう。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前広場に建つ、高さ約3mの「石神井火車站之碑」(しゃくじいかしゃたんのひ)、、、、、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅(現:石神井公園駅)の開業を記念し、大正9年に造立された石碑。 碑文は漢文・漢詩でつづられ、駅周辺の石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所が記されてる。

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②和田稲荷神社
・・・・・・・・・石神井公園駅の南150m程の処に鎮座するお稲荷さん。 創立年代不詳。、、、、、かなり昔は伝五郎稲荷として知られ、旧字和田地区の鎮守であったそうだ。 渡辺伝五郎が伏見から遷し、祀ったそうだ。、、、、、“渡辺”姓は多く、良い奴もいるが、悪い奴もいて、私はあんまり好きになれない苗字だ!

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③石神井公園
・・・・・・・・・・園内には、石神井池、三宝寺池がある。 三宝寺池は古くからある池で、武蔵野台地からの地下水が湧き出ていたらしい。 昭和34年(1959)に市民が散策できる公園として整備されたそうだ。 ボートに乗れる石神井池は、三宝寺池一帯が風致地区に指定された際、三宝寺池とともに武蔵野の景観を保護する目的で、昭和8年(1933)に人工的に作られたそうだ。、、、、私の70年の歴史の中では、数回しか訪れたことがないマイナーな公園。 でも、ここ数年、ワニ出没事件、矢ガモ事件、露出狂女性徘徊事件などで、知名度は高くなっている。 、、、、、今日は、公園の東側をチラット拝見。

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④禅定院
・・・・・・・・・・・石神井公園の南隣に、真言宗智山派の禅定院がある。 今から約600年前、願行上人によって開かれた寺と伝えられているそうだ。、、、、、、現在、寺の近くにある石神井小学校の前身:豊島小学校は、明治7年(1874)区内初の公立小学校としてこの寺に創立された。、、、、、現在の本堂は昭和53年(1978)に建てられた。

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⑤下石神井天祖神社
・・・・・・・・・・禅定院の前で石神井川を渡り、下石神井6丁目に入ると下石神井小の前に天祖神社がある。、、、、、創建年代は不詳であるが、江戸時代の風土記には、存在が記されている。、、、、、、古い神社かも? 

・・・・・・・・・・・・・・石神井川

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・・・・・・・・・・・・・・下石神井天祖神社、、、、、、現社殿は明治18年(1885)の建築。
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・・・・・・・・・・・・・・・境内には安政年間(1854~1860)の燈籠や享保二年(1717)の延命地蔵などの石像物がある。

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⑥下石神井の町
・・・・・・・・・・・田畑が都市化によって新興住宅地に変わったと思われる。
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⑦井草四丁目交差点
・・・・・・・・・・新青梅街道と千川通り、さらに1本の区道が交わる6差路。、、、、、、私の散歩は、この交差点を横断し、練馬区から杉並区に入る。
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⑧西武新宿線
・・・・・・・・・・上井草では、西武新宿線の踏切を越える。、、、、、細い道路だが、交通量も多く、“開かずの踏切”となっている。、、、、、私の気持ちは踏切を残して欲しいのだが、住民の安全対策を考えると、そろそろ高架化/地下化に着手する時期かも?

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⑨今川・桃井の町
・・・・・・・・・・・杉並区今川と桃井の町を抜け、荻窪駅方面に向かう。
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・・・・・・・・・・・・・・・環八通りの四面道交差点を越えると、天沼教会 のある天沼の町。

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⑩荻窪駅北口
・・・・・・・・・・・・・荻窪駅 は、明治24年(1891)12月21日、甲武鉄道の駅として開業した、開業時は北口はまだなく、南口のみであった。 その後、明治39年(1906)に甲武鉄道は国有化されたが、まだ北口は設置されていない。 昭和2年(1927)に北口が新設された。、、、、、北口は青梅街道に面しているが、出入口部分は小さいため目立つことのない地味な出入口である。

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