練馬区

2022年6月13日 (月)

宗徳、無念!

東京メトロ有楽町線氷川台駅から西武池袋線桜台駅を通り抜け、さらに西武新宿線沼袋駅まで、1万3千歩、約6㎞の散歩です。



● 朝8時の「氷川台駅」、下りホームに降りる客は少なく、都心に向かう通勤通学客の流れが上りホームへ向かう。

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・・・・・・・・・・・・「氷川台駅」から、道路工事中でスッキリしない地上に出る。 駅前の通り(放射第36号線、地下に有楽町線が走る)は幅員40m道路に拡張工事中。 

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・・・・・・・・・・・・駅前で『さて? どっち方向に歩こうか?』 考えても答えなし、とりあえず駅裏を流れる石神井川に沿って上流に歩いてみよう! 駅脇の「正久保橋」に出ると、橋の横で何やら土木工事中。 『何の工事だ?』と興味が湧き、チョイト看板を拝見! 『お~~、懐かしい社名』 自分が30年程前まで勤めていたゼネコンだ! 放射36号線が石神井川を越える橋梁の下部工工事である。、、、、小さな声で『工事、頑張れよ! 事故起こすなよ!』

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正久保橋丸山橋四宮宿橋鎌田橋高稲荷橋と、順に石神井川を上る。、、、、いずれも昭和50年代、60年代に架けられた小さな橋で、書くべき特徴もない。 石神井川は水も澄み、川底が深くなければ泳げそうだ!

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・・・・・・・・・・・・高稲荷橋の右岸(南岸)の高台に「高稲荷神社」(練馬区桜台)がある。 高稲荷神社は、文政5年(1822)の頃より下練馬村三軒在家の守護神として、勧請されたものと言われてる。、、、、よそ者には、“下練馬村三軒在家”が判らんね!

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・・・・・・・・・・・・再び石神井川に戻り、早宮橋新大橋まで来た。 新大橋の南詰に「広徳寺塔頭 円照院」の山門があり、そこに広徳寺の墓地には柳生宗徳・十兵衛父子が眠っているとの記述があった。、、、、これを読んだら『広徳寺に行かねばなるまい!』

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円照院の裏手に回るように、敷地に沿って200m程歩くと「広徳寺」の総門がある。、、、、臨済宗大徳寺派の広徳寺は、円満山広徳寺と号す。 広徳寺は、箱根湯本早雲寺の子院として、元亀、天正の頃(1570-92)小田原に建立された。天正18年(1590)徳川家康に招かれ、神田昌平橋の内に広徳寺と称して建立、寛永12年(1635)下谷の地(廣徳禅寺遺趾)へ移転した。 江戸時代には「ビックリ下谷の広徳寺…」と隆盛し、塔頭15院を擁していたが、明治維新後衰退、関東大震災後の区画整理で、現在地(練馬区桜台)へ徐々に移転、昭和53年(1978)に移転を完了した。、、、、墓地も含めた境内はおよそ2万m2で、加賀前田氏や久邇宮家より譲り受けた建物や立派な庭園などがあるそうだ。 紅葉が美しく、その静寂に包まれた寺域は東京都内とは思えないほどの静けさと言われている。 

・・・・・・・・・・・・・総門から入ると奥に山門があり、山門の前には『拝観謝絶』と、門柱に『非公開』の文字。 私のように興味半分でブラリとやってくる参拝者は、境内を拝見すること叶わず、残念無念! 宗徳の墓も見られず、無念であるぞ、十兵衛!

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● 広徳寺でチョイト・ガッカリ。 総門をあとにして南に向かい、石神井川に戻るのを忘れてしまった! 練馬区桜台の裏道を歩き、西武池袋線の「桜台駅高架下を通り抜ける。

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● 桜台駅からは、バス通りを南へ歩き、西武新宿線の「沼袋駅」を目指す。、、、、広い通りは見るべきものなし、ただただ歩くのみ!

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● 西武新宿線の中井駅~野方駅間(約2.4km)の連続立体交差化工事が平成26年(2014)1月から着手された。 「沼袋駅」はその工事区間に含まれ、島式ホーム2面4線の地下駅となる。 工事は現在の駅の真下、地下約18~19m、幅約28~36mの地下駅を構築している。、、、、残念だが地下の工事の様子は見られない。 令和8年(2026)度に、地下ホームに切り替える予定らしい。、、、、事故を起こさないように頑張って!

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2022年6月 9日 (木)

霧雨の安養院

朝の天気予報で『日中は雨もあがり曇り空』 予報を信じて散歩に出る。 東上線の中板橋駅から、途中板橋区東新町の安養院によって、東京メトロ氷川台駅まで、1万1千歩、4㎞の散歩です。 予報はチョイト、ハズレて、時折霧雨が降る『雨中行軍』



東武東上線「中板橋駅、乗客の姿もまばらな鈍行電車から下りホームに降り立つ。 向かいの上りホームには、跨線橋から多くの乗客が降りて来る。 当駅からは『終点:池袋まで座れません!』

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● 駅前のお散歩案内図を見て「案養院」へ行ってみたくなり、しっとり濡れた駅前の中板橋南口商店街を西へ向かい歩く。、、、、石神井川に架かる「下頭橋(げとうばし)」にでる。、、、、“下頭(げとう)橋”とは珍しい橋名、チョイト由来を調べる。 橋名の由来は3つある。 その①:この橋の近くに六蔵という者がいた。 その六蔵は、この場所に村人の為に橋を架けることを願い、旧川越街道を通る人々に物乞いをして金を貯めたそうだ。 その頭を下げた物乞いの姿はから“物乞い=下頭”となる。 六蔵は志し半ばで他界してしまう。 六蔵死後、六蔵の世話をしていた人が、その遺志に気づき、足りない分は寄付で賄い橋を完成させたそうだ。  その②:旅の僧(弘法大師?)が持っていた榎の杖を突き立てて去ったところ、その杖が根付いて〝逆さ榎〟となった。 逆さ榎だから頭が下で“下頭榎”と呼んだという。  その⓷:川越藩主が出府の際、江戸詰めの家老らがこの橋畔で頭を下げて出迎えるという仕来たりがあり、その様から名付けられた。  有力な説は①で、橋は寛政10年(1798)それまでの丸太を2本架け渡しただけの橋が、六蔵が残した金を基にして半永久的な石橋に架け替えられたそうだ。 その後橋は、明治時代に木橋に、昭和2年(1927)には再び石橋に、昭和54年(1979)に現在の鋼橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・下頭橋のたもとに、六蔵の遺徳を讃えて建てられた「下頭橋六蔵尊」が祀られている。、、、、地元の人々に愛され、丁寧に祀られている六蔵尊

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● 下頭橋から旧川越街道を歩き、環七通りの「板橋中央陸橋交差点」に出ると、交差点角から石段を登り、小高い処に「長命寺」(板橋区東山町)の本堂がある。、、、、長命寺は真言宗豊山派の寺で、東光山医王院と号す。 江戸時代前期の創建と言われ、江戸時代には東新町の氷川神社の別当寺だった。、、、、当寺周辺は、室町時代「お東山」にあったといわれる「板橋城跡」の伝承地の一つである。 本堂前から交差点を見下ろすロケーションは、“城跡”というのも納得できるね! かっては、川越街道・環七通りまで境内は広がっていたそうだ、道路に敷地を取られ小さくなった哀れな寺!

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● 長命寺の裏側(西側500m程)に、かつて長命寺が別当であった「板橋東新町氷川神社」(板橋区東新町)がある。、、、、武蔵一宮氷川神社より勧請した祭神:速須佐之男命を祀る旧村社。 創建は明らかでないが、文政6年(1823)の文書に神社は記載されている。、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿は破損し、昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造の覆殿・内拝殿・幣殿を造営した。 境内は広く“杜”を成し、 整備も行き届き、綺麗で清々しい神社。、、、、チョイト、雨が降ってきたが、傘はいらない程度。

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● 板橋東新町氷川神社鳥居前の道を西へ歩くと、真言宗豊山派寺院の「
武王山最明寺安養院」の門前に出る。、、、、鎌倉中期正嘉元年(1257)に、最明寺北条時頼が諸国行脚のみぎり、持仏「摩利支天」を此地に安置し一宇を建立して創建したと言われてる。 延宝年中火災により諸堂宇灰燼に帰したのを、元禄元年(1688)に再興し、阿弥陀三尊を本尊として、本堂・庫裡・大師堂・鐘楼・山門等を造立して寺院の形態を整え、安養院と称した。、、、、池袋から4㎞程の地にこんなステキな寺があるとは驚き! 今日は、霧雨がチョイト邪魔だ!

・・・・・・・・・・・・山門、、、、昭和59年(1984)新築、総檜造り四脚門。 参道両側にはしっとり濡れたアジサイが梅雨の季節を演出!

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・・・・・・・・・・・・本堂、、、、昭和59年(1984)新築、入母屋
総檜造り、本尊は阿弥陀如来。、、、、本堂前には6本のケヤキが天を指す!

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・・・・・・・・・・・・書院・客殿、、、、明治34年(1901)麹町松平元則候の屋敷として新築。 昭和9年(1934)安養院書院として移築。 玄関は唐破風車寄せで、今日は車が寄せられ邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・起伏にとんだ緑多い約5000坪境内には、他に護摩堂多宝塔鐘楼・庫裏・墓地などが配されてる。 境内のいたるところ多くは苔で覆われ、雨に濡れた苔が鮮やかな緑を放って、山の中にいるような寺だ!

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● 安養院前の区立いこいの家に残る、「上板橋村役場跡」、、、、昭和2年(1927)から5年間この地に役場が置かれていた。 当時の石の門柱が残されている。 この門柱、平成14年(2002)に板橋区の文化財に指定されたそうだ。 “たかが門柱、されど門柱” しかし、わざわざ、見に行くには及ばず!

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● 安養院から
台橋にて再び石神井川を渡り練馬区に入る、羽根木で三度石神井川を越える。 この辺り、石神井川が蛇行している。、、、、練馬区に入ったら、雨も上がったようだ!

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● 東京メトロ有楽町線と副都心線が乗り入れる「
氷川台駅(ひかわだいえき)」に到着。 当駅を含む和光市駅~小竹向原駅の区間は、有楽町線と副都心線が線路を共有している。 練馬区内にナント『元町・中華街行き』の電車が走っているのだ、横浜中華街直行できるなんて便利で羨ましいね! 

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2021年7月21日 (水)

猛暑は散歩に不向き!

『猛暑は散歩に不向き』、、、、今日の散歩はこの一言であった。

西武池袋線江古田駅から歩きはじめ、直線距離で東へ1.5㎞程先の東京メトロ有楽町線の千川駅まで、1万歩の散歩です。




● 出がけの天気予報では、東京は朝6時に27℃、今日の最高気温は34℃。 35℃以上の「猛暑日」にはならないと信じ、出かけることにした。、、、、口の周囲が蒸れ息苦しいが、マスクをして電車に乗って、江古田駅に降りた。 ホームに立つと強烈な日差しでまぶしい!(車中に、まぶしい美人がいたが、日差しのまぶしさはそれ以上!)、、、、学生は休みになったのか、ホームには人影は少ない。 武蔵野音大側の北口に出るが、歩く人も少ない。 

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● 江古田駅北口正面に「茅原浅間神社(江古田浅間神社)」はある、、、、茅原浅間神社の創建年代は不詳だが、社伝によれば承平元年(931)からと言われている。 社名は、かつてこの辺りは茅原だったことにより、その名がある。、、、、昔、小竹町(神社の北側)と江古田町(神社の南側)の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。 これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。 なお、このあと訪れる、別当寺である能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

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・・・・・・・・・・・・江戸時代の中頃になると、富士講の盛んな上板橋・中新井・下練馬の人々の信仰も集めるようになった。天保10年(1839)には小竹丸祓講の人々により「江古田の富士塚」が築かれた。 高さ8m、直径約30m。 富士塚の頂にある石祠はこの時の建立。 昭和54年(1979)江古田の富士塚は台東区下谷の下谷坂本富士、豊島区高松の長崎富士、川口市東内野の木曽呂富士とともに国の重要有形民俗文化財に指定された。、、、、本殿の後ろに隠れるように富士塚がある。 本日は、登山禁止!

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・・・・・・・・・・・・境内にある、高さ27m、幹の太さ3.1mのケヤキは、“練馬大根”ならぬ“練馬の巨木

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● 「江古田」と云えば“大学の街”、駅の東には「日本大学 芸術学部」、北には「武蔵野音楽大学」、西には「武蔵大学」がある。、、、、チョイト「日本大学 芸術学部」に寄ってみる。 守衛さんが入口で検温中、大学関係者以外は入校できず。 そ~だ!コロナ禍の今、どこの大学も関係者以外構内立入禁止。 今日もあきらめ、キャンパスの外を回る。、、、、日本大学芸術学部は、写真学科・映画学科・美術学科・音楽学科・文芸学科・演劇学科・放送学科・デザイン学科の8学科からなる芸術総合学部。 大正10年(1921年) 、東京神田三崎町に日本大学法文学部内に美学科(芸術学部の前身)が誕生し、昭和14年、板橋区江古田(現在の江古田校舎)に移転した。

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの外周に沿って歩き出したが、気温が上がり大変なことを忘れてた! 『アッ!コンビニで飲料水を買ってない』 駅を出て目の前の神社に気を取られ、大学構内には入れず、水なしで線路沿いを歩く。 どこかで“水分補給”しないと、ヤバイ! 大学東側の住宅地を歩けどもコンビニはなく、自販機でお茶を買う。 命をつないだ気分になり、一安心!

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●  日大の東側(練馬区旭丘2)に真言宗の寺院「能満寺」があった。 駅前の茅原浅間神社の別当寺である。、、、、能満寺は、「元和の頃(1615~1623)、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした。 のち数代を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)再建し、あわせて大日堂を造営した」との記録がある。、、、、寺はあったが、山門手前のゲートが閉じられている。 目の前に山門が見えるが入れない。 『今日は、暑いので寺も休みか? 残念だが、あきらめよう!』

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・・・・・・・・・・・・能満寺に来たのは午前9時、気温は上がり30℃は超えていると思われる。 私の頭の天辺は暑い、汗も出ている、水分摂取より体を濡らしたい! いつもなら、公園か、コンビニか、どこかで、濡れた手ぬぐいで汗を拭くのだが、今日は公園もコンビニもなく手ぬぐいは乾いたままだ! 頭の中を熱中症の恐怖が襲う、どこかに“水道”はないものか? “水分補給”用に買ったペットボトルのお茶で手ぬぐいを濡らし体温を下げる。 これで、再び一安心! 猛暑の中の散歩は、水分補給に体温調節が必須、面倒だ!




● 汗とお茶のミックスで濡れた体の雅万歩、歩みは元気で、豊島区に入り都立千早高校の前に出てきた。 日陰になった学校側の歩道を歩く。 学校のフェンスの脇に「千早庚申塔」がある。、、、、しっかりとした台座の上に4基ある石造物の内、左側の大きな三基が庚申塔。掲げられた由緒によると、この庚申塔はかつて千川上水にかかる橋(庚申橋)の脇に祀られていた。 併し昭和40年から50年代前半にかけて、千川通り周辺で道路の拡張や建物の建て替えなどの工事が行われているうちに、いつのまにか行方不明になってしまった。 その後、豊島区外(練馬区北大泉)の山林に放棄されていたのが発見され、現在地に戻されたが、元々橋際にあった5基の内1基(庚申塔)はみつからなかった。、、、、よく見つかったと思うね。

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● 太陽はギラギラ、身体は汗でビショビショ・グシャグシャだ! チョイト、万歩計を見ると、1万歩クリヤー! 熱中症が怖いので、「千川駅」から帰ることにした。、、、、東京メトロ千川駅は昭和58年(1983)6月24日、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通により同時開業。 平成20年(2008)には副都心線の駅も開業。、、、、千川駅は上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 要町通りの直下にある。 現在の副都心線ホームは有楽町線建設時に既に構築済みであったが、副都心線開業までは未供用(通過)とされた。このため、有楽町線ホームから副都心線ホームへの階段用スペースは蓋で覆われていた。、、、、駅の近くには、飲食店も多く、スーパーや商店街もあり、池袋へは2駅、生活するには良さそうだ。

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2021年7月19日 (月)

新宿線から池袋線へ

梅雨も明け、いよいよ猛暑到来。、、、、『チョックラ、散歩に行ってくる、あとは頼んだ!』と、家を出るのは銭形平次気取りの雅万歩。 『あいよ、お前さん』と、右の背に切り火する妻のお静は我が女房。、、、、昔は主人が家から出るときに奥さんが後ろから火打石でカンカンと火花を作り、清めてくれた。、、、、我が家では、さすがに“切り火”はしないけど、出がけの玄関先で注意が多いこと! 『車に気を付けて』、『傘持った』、『財布持った』のフェレーズは昨日まで。 今日からは、『日陰を歩いてね』、『水分補給してね』、『首を冷やしながら歩いてね』、『気分悪くなったらスグ帰っておいで』

今日の散歩は、西武新宿線の沼袋駅から北に向かって、西武池袋線の江古田駅まで、汗をかきかき1万1千歩。




● 「沼袋駅」ではホームも駅舎も仮のものとなり、狭いホームに、狭い改札、安全に、早く工事が終わることを願うばかり。

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・・・・・・・・・・・・下りホームに降り南口から出て、踏切を渡って駅の北側の商店街を歩く。 商店街の狭い道路は渋滞中、どうやら毎度のことらしい。、、、、新宿線が地下化すれば、渋滞解消、それまであと数年の辛抱! 

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● 沼袋4丁目に真言宗豊山派の「実相院」がある、、、、正平7年(1352)に新田一族が足利軍と戦ったとき、 新田六郎左衛門政義の三男、矢島三郎信氏の子孫である矢島内匠、同図書が戦いに破れ、結城氏一族とともに沼袋村に来て 一家屋を建立したのが起源であるらしい。 現在でも矢島姓を名乗る檀信徒が半数以上を占め、別名「矢島寺」とも呼ばれているそうだ。、、、、軒先に黄金の燈籠が連なっている本堂は昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造で改築された。 明かりが灯ったときに、ぜひ見てみたい!、、、、境内には、歴史を物語るような苔むした、馬頭観音、庚申塔、石仏が多く並んでいる。

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沼袋2丁目には、いくつかの寺がある。 今日は3ヵ寺に寄ってきた。

・・・・・・・・・・・・まずは「明治寺(めいじでら)」、、、、明治寺は真言宗東寺派の寺院。山号は、「新浮侘落山」(しんふだらくさん)、院号は「世尊院」、本尊は如意輪観世音菩薩、創建は大正元年(1912年)12月17日。 明治45年に明治天皇の病気平癒を祈るため、榮照法尼によって観音菩薩石像の建立されたのがそもそもの始まりである。 しかし観音開眼を待たずして明治天皇が崩御されたため、明治天皇のご冥福と明治時代という波乱の時代を振り返り、大正元年に観音開眼供養が行われた。 その後当寺に一大観音霊場を築きたいと呼びかけたところ、政財界から庶民に至るまで多くの賛同者が現れ、大正5年までに百観音が整った。 百観音とは近畿一円に広がる西国三十三箇所と、関東地方の坂東三十三箇所、それに秩父の周辺に広がる秩父三十四箇所の札所の合わせて百箇所の札所を総称したもので、それらの仏像の写しを当寺院の境内に祀ったものである。 境内本堂前の「観音霊場」には百体の以上の石仏がありそうだ!、、、、現本堂は、銅板葺き、コンクリート造、宝形造り屋根で、シンプルな美しい造りである。

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・・・・・・・・・・・・真言宗御室派の「密蔵院」は、十善山蓮花寺と号す。 密蔵院は徳川家康の招きにより、慶長16年(1611)矢之倉(現:中央区東日本橋)に寺地を拝領して創建した。 明治43年(1910)に現在地に移転した。、、、、小さな寺で、山門の冠木門が珍しい。 本堂は普通の家で、中央の広間を本堂にして仏壇を置き、開けっ放しにしている。

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・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の「久成寺」は、法光山と号します。 久成寺は、慶長12年(1607)に創建、明治44年(1911)現在地へ移転した。

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● 中野区沼袋から新青梅街道を横断し、江古田通りを北上し、江古田3丁目に入ると、真言宗豊山派寺院の「東福寺」がある。 東福寺は、金峯山世尊院と号す。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと伝えられます。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、3代将軍吉宗は御膳所に指定した。、、、、この東福寺がある小高い処は、御嶽山と呼ばれている。 この寺の上には、かつて「国立療養所中野病院」があったが、平成5年(1983)に閉院した。 跡地は東京警察病院看護専門学校、国立医療センター宿舎などに変わった。 また、東福寺の北隣りにあるマンション「ベルテ中野江古田」は、大スター三波春夫の邸宅跡である。

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● 目白通りをこえて練馬区に入ると、豊玉北1丁目のビルの1階玄関脇に機関車が置かれている。、、、、機関車は「旧陸軍鉄道聯隊 E18型 蒸気機関車」である。 大正10年(1921) ドイツのOrenstein&Koppe社製 機番9538 陸軍鉄道聯隊に納入。 千葉市の兵器補給廠で活躍したそうだ。 昭和20年、大蔵省に移管され西武鉄道に譲渡。同47年からユネスコ村に保存展示された。 ユネスコ村で見た人も多いと思う、懐かしい機関車だ!

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● 西武池袋線「江古田駅」に、汗ダラダラで熱中症にならず無事到着。 雅万歩、いたって快調、体調に問題なし。 早く帰ってシャワーを浴びたい!

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2020年10月 3日 (土)

上石神井と上井草

今日は、西武新宿線の上石神井駅から散歩はスタート。 西武新宿線の上石神井車両基地を一回りしてから、進路を南に取りJR中央線西荻窪駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 高田馬場で西武新宿線の急行に乗って、二駅目、上石神井駅で下車した。(この駅に来た特段の目的は無い。 ただ次の田無駅まで乗ると、散歩の時間が少なくなるので、下車しただけ)、、、、昭和2年(1927)4月16日、西武村山線(西武新宿線の前身)高田馬場~東村山間の開業と同時にできた駅。 駅は、島式ホーム2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、町名:上石神井(練馬区)の北には下石神井(練馬区)がある、元々は上・下合わせて石神井村であった。 明治の町村制で“上”と“下”に分かれた。 ちなみに“上”は京都に近い方を指す。 西武池袋線の石神井公園駅は下石神井のさらに北側の石神井町にあり、当駅とは直線で2.3km程離れている。(近くはないよ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅の上井草寄りには上石神井車両基地がある。 ここまで来たら、車両基地を一巡り!、、、、現在、西武新宿線(井荻~西武柳沢駅間)の連続立体交差化計画が検討されており、案においては当車両基地は高架化され、上下本線の間に5本、下り本線の南側に2本の計7本の車庫線が整備されるそうだ。 いつになったら実現するのか不明?

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● 練馬区上石神井の町には、西武新宿線の上石神井駅があるが、その他には“これと言ったもの”は無い。 東隣の杉並区上井草の町も似ている上井草駅はあるが、その他には話の種になるものが無い。 あるのは、高級住宅でもなく、バラックでもなく、中流サラリーマンが住んでいそうな住宅である。 “上石神井”と“上井草”似てるね、間違えないで要注意!、、、、あまり、キョロキョロすることもなく町を抜け、都立杉並工業高校の前をとおり早稲田通りに出た。

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● 早稲田通りの向こうは、杉並区今川の町。 “今川”と云えば観泉寺だ! 今日は、あえて寄らずに、早稲田通りを西へ向かい、杉並区善福寺の「井草八幡宮」に寄ってみた。、、、、青梅街道と早稲田通りの交差点にある。 都内でも有数の広大な社叢を誇る井草八幡宮の創建年代は不詳だが、建久年間(1190~1199)の創建といわれている。 源頼朝や太田道灌が戦勝を祈願、慶安2年(1649)には、江戸幕府より社領6石の御朱印状を拝領した。 昭和3年郷社に列格し、昭和41年(1966)には別表神社に列格。、、、、明治神宮とは比べられないが、かなり広い境内である。 スケールの大きな神社だが、歴史ある建物、話題の少ない神社だ!

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● 杉並区善福寺1丁目の住宅地を抜け、善福寺川を越えれば西荻窪駅

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2020年2月17日 (月)

練馬のアパート

西武池袋線の練馬駅から歩いてみようと思い、池袋駅で停車駅を確かめずに発車直前の電車に乗った、ドアが閉まり『次は石神井公園です』の車内アナウンス、『アリャ、シマッタ!』 電車は急行で、練馬駅を通過し、石神井公園までノンストップ。 練馬駅はアキラメタ。、、、、今日の散歩は、石神井公園駅から、西武新宿線の井荻駅まで、1万歩。




●練馬のモダンな駅? ・・・・・・・現在の石神井公園駅は、大正4年(1915)4月15日、武藏野鉄道開通と同時に「石神井駅」とし開業した。 昭和5年(1930)には、三宝寺池周辺が風致地区に指定され、その後、石神井池(ボート池)が造成されるなどし公園化が進められ、昭和8年(1933)に「石神井公園駅」に改称した。、、、、平成19年(2007)から高架化工事に着手し、平成24年(2012)には上下線の高架化が完了した。 現在は島式ホーム2面4線の大きくモダンな高架駅である。 乗客のセンスもよさそうで、“西武線”というより“小田急線”の駅と云っても通用しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーにあった「石神井火車站之碑(しゃくじいかしゃたんのひ)」、、、、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅開業を記念し、大正9年5月に造立された石碑です。 高さは、3m50cmある。、、、、碑の上部には「石神井火車站之碑」と刻み、「火車」は中国語で「汽車」、「站」は「駅」の意だ。 下部の銘文は漢文・漢詩で、近くにある石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所を記し、鉄道完成による利便や喜びを刻んでいるそうだ。 残念だが、私には漢文は“わからん文”で、“チンプン漢文”

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●練馬の名木! ・・・・・・・駅から南東に150m程に和田稲荷神社がある。 神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれているそうだ。、、、、社殿前のシラカシは高さ18m、幹の周長3.8mで、練馬区内では最大級。 神社はどうでもいいが、シラカシは風格がある!

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●練馬最大の都営住宅! ・・・・・・・・石神井公園駅の南から、一つ手前(池袋寄り)の練馬高野台駅へ流れる石神井川の両側にズラリと立ち並ぶ都営住宅団地、これが「都営南田中アパート」である。、、、、昭和41年(1966)から昭和59年(1984)までに建てられた、1,753戸(約50棟)の練馬区内最大の都営住宅団地。、、、、この団地も少子高齢化により、年寄りが増えたようだ。 私が団地内を歩いていると、認知症らしいお婆さんと、サポートしている女性がいた。 団地近くの整形外科の前は老人の行列。 買い物カートにもたれて歩くお婆さん。 団地内を行きかう車はデイサービスの送迎車。、、、、噂によると、この団地には中国人も多く住んでいるそうだ。 それらしき人とは出会うことはなかったが、中国語で書かれた書類が掲示板に貼られていた。
・・・・・・・・・・・・・・石神井川の両側に連なる集合住宅、、、、川岸にはサクラも連なり、花見の季節が待ち遠しい!

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・・・・・・・・・・・・・・・ボロボロになった団地の案内図、、、、見ても、サッパリ?????

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・・・・・・・・・・・・・・・人気のない団地、、、、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地内の店舗は廃業?、、、、『おや、2・3の店が営業している』と思ったら、デイサービスの事務所であった

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●練馬の古刹! ・・・・・・・・南田中アパートから南へ300m程、南田中4丁目に、真言宗智山派寺院:観蔵院がある。 観蔵院は、慈雲山曼荼羅寺と号し、創建年月は不詳だが、文明9年(1477)現在地へ移転したそうだ。 昭和60年(1985)に落成した本堂と、その右隣には「日の出薬師堂」がある。 本堂裏の墓には元和元年(1615)という銘の墓もあるそうで、練馬の古刹だ。、、、、寺には曼荼羅美術館があり、観蔵院両部曼荼羅などが展示されているらしい、土日のみ開館で今日はダメ! 残念!

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●練馬の竹林! ・・・・・・・・観蔵院の南側に「おくらやま憩いの森」という区立公園がある。 この公園、“公園”と言っても竹林である。 土地所有者の好意で公開されているそうだ。 もちろん、その時期になると竹の子ができるそうだ。、、、、竹林の中に入ると、癒しの空間となる。

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●練馬から杉並に! ・・・・・・・・環八通りを南下して、練馬区から杉並区に入り、西武新宿線井荻駅に来た。 井荻駅は昭和2年(1927)4月16日に開業。 現在は、相対式ホーム2面3線の地上駅で、上下線ホームにそれぞれ南口、北口駅舎がある。 駅前の環八通りは、自動車は跨線橋で、人は地下道でそれぞれ線路を横断する。

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・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はココ井荻駅までとする、井荻駅前からバスで荻窪駅へ。 

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2019年11月 7日 (木)

下練馬宿

自衛隊の哨所をぜひ見たく、東武東上線の東武練馬駅で下車し、陸上自衛隊練馬駐屯地へ行ってきた。 1万歩の散歩です。




●宿場の駅! ・・・・・・・・池袋から東武東上線に乗って7駅目、東武練馬駅で下車した。、、、、東武練馬駅は昭和6年(1931)12月29日に開業。 10両編成の電車が発着する相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。 駅舎・改札口は上りホーム側の北口と下りホーム側の南口の2か所があり、それぞれホーム西端に直結している。 上りホーム中央部には平日朝7時30分から8時30分までの1時間限定で供用される入場専用の臨時改札口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・下りホームにあった水道の蛇口。 これは、乗客の手洗い用か、スグ近くにトイレがあり、こちらにはきれいな洗面台もあるだが? または、飲料用か、上向いて蛇口に口開けて飲むの? 掃除用か、ホームの中央に置く必要はないね? 考えると謎は深まる! 

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・・・・・・・・・・・・・・『板橋区に在って東武“練馬”駅とは是如何に』『品川区に在って目黒駅と云うが如し』 東武練馬駅が開業した昭和6年(1931)の時点では、駅の北側は北豊島郡赤塚村(駅の所在地)、南側は北豊島郡練馬町であった。(まだ区にはなっていない) 駅名として、駅南側を通る旧川越街道の下練馬宿にちなみ、「練馬」を使うことにしたが、当時すでに武蔵野鉄道(現:西武池袋線)に「練馬駅」があったことから「東武練馬」と命名した。 翌昭和7年(1932)には、北豊島郡は板橋区となる。 戦後、昭和22年(1947)広大な広さであった旧板橋区が、新たな板橋区と練馬区に分割され、現在の23区となる。 この時、駅のある赤塚村、駅の南側の練馬町がそれぞれ新板橋区、練馬区に属し、駅南口に面する道路が区境となった。 東武練馬駅は板橋区に残ることとなった。



●宿場の一画! ・・・・・・東武練馬駅南口前の通りから一本南側の通りに出ると、そこは旧川越街道で商店街となっている。 その出たところに、仁王、聖観音、馬頭観音がそれぞれ門と堂に納まっている、北町観音堂がある。 江戸周辺を探訪した小石川の僧が著した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があるそうだ。 往来の人々の信仰や、赤塚村への分岐道の目印だったらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、仁王門の阿形像・吽形像。 両像とも天和3年(1683)の銘がある。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥、観音堂には高さ270cmの聖観音像。天和2年(1682)の銘。  小さい堂には、高さ138cmの馬頭観音像。 製作年代不詳だが、江戸時代の作らしい。、、、、どちらも、小さい像であるが重そうだ、盗まないで!

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・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂の横に、昭和の純喫茶「喫茶 ボタン」があった! モーニングにおにぎりセットもあるらしい。
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●宿場は下練馬宿! ・・・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂のある東武練馬駅周辺(練馬区北町2)はかつて下練馬宿であった。 今は立派な駅前商店街。 街では宿場町として売り出し中!

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・・・・・・・・・・・・・・街の中の街、北町観音堂から40m程の「北町楽天地」。 素敵な、昭和の歓楽街、会社帰りに寄ってみては!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも、昭和で時間が止まったディープスポット、北町楽天地からすぐの「北町アーケード・ショッピングセンター 」。 アーケードの色あせ焼け焦げたネオンがに誘われそう!

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●宿場の富士山! ・・・・・・北町アーケード・ショッピングセンターの斜め前に北町浅間神社の鳥居が見える。、、、、北町浅間神社は、下練馬宿の中程に位置する神社であるが、創建は明治期前後と比較的新しい。、、、、鳥居は、明治5年(1872)建立の明神鳥居(一の鳥居)と社殿前の大正4年(1915)建立(二の鳥居)があり、社殿は珍しい石造。、、、、社殿の左側には、傾斜面を利用した立派な「下練馬の冨士塚」がある。 登山道は、つづら折り道、直登道、下山道、お中道など、複数のコースが用意されている。 標高37.76mのここなら、遭難の心配はないと思う!

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●宿場の小さな堂! ・・・・・・旧川越街道の家並みの裏手に回ると、参道の両側にたくさんの石仏が並ぶ阿弥陀堂(練馬区北町2)がある。 一見すると普通の住宅と間違えるような、小さな堂である。、、、、阿弥陀堂の墓地には、千川上水開設の功労者である千川家の累代の墓があります。 千川上水は元禄9年(1696)江戸下町方面の飲料水として玉川上水から分水された水道で、工事には徳兵衛・太兵衛の二人が当たる。 私費を投じて工事を完成させた功績により、両人は江戸幕府から苗字帯刀を許され、千川家の姓を賜る。 開通から10年後の宝永4年(1707)、上水は附近の20ヶ村の農民の願いで、灌漑用水として利用できるようになった。 両人の子孫は代々下練馬村(現:北町)に住み、千川上水の取締役として維持管理に努めた。

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●宿場近くの駐屯地! ・・・・・・・・本日の散歩の目的地、陸上自衛隊練馬駐屯地に来た!、、、、ココ練馬の駐屯地は、昭和5年(1930)東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫として始まった。 戦後は、昭和26年(1951)に警察予備隊が久里浜から移転。この時、敷地面積を8万坪に拡張。 昭和29年(1954)には保安隊を経て、陸上自衛隊へ移管。 平成14年(2002)に、第1師団が政経中枢師団へ改編。、、、、この駐屯地の中に自衛隊の資料館があると道すがら聞いていたので、門の前に立つ隊員に尋ねると、『資料館はありますが、イベントがある日に公開しますので、その時おこしください』 ヤッパリ、見学できなかった。 今日の今日は無理だね!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋(我が家)から遠路はるばる散歩にやってきたのは、資料館を観たかったのではなく、西門の側にある連隊門哨所を見るためだ。 こちらは、門の外にあるので365日24時間見学可能。、、、、この連隊門哨所について、『第一普通科連隊の前身「警察予備隊普通科第1連隊」は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移駐した。 この哨所は、移駐から約2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。』と説明されている。、、、、歴史を感じるコンクリート製の哨所、今日の散歩は、これが見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、駐屯地前に立ち並ぶ官舎。 “イザ鎌倉”の際は、この官舎から大勢の自衛官が出動するのだろね!


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●宿場から遠くはずれ! ・・・・・哨所を見たら、駐屯地前の川越街道を西へ歩き、東京メトロの地下鉄赤塚駅から帰宅。、、、、地下鉄赤塚駅は有楽町線と副都心線が乗り入れる駅。 昭和58年(1983)6月24日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線の営団赤塚駅として開業。 平成16年(2004)4月1日には、交通営団の民営化に伴い、駅名を「地下鉄赤塚駅」に改称。 平成20年(2008)6月14日、副都心線開業により、当駅は有楽町線と副都心線の共用駅となる。 島式ホーム1面2線の地下駅で、川越街道(国道254号)の直下にある。

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2019年4月12日 (金)

暴れん坊将軍の御膳所

3月19日に「雅万歩」を作成・掲載・管理する、ブログ作成ツール「ココログ」(ニフティー提供)が更新されました。 以来、「ココログ」に大量のトラブルが発生し、提供元では今だソフトの修正が完了しておりません。 「雅万歩」も投稿しにくい状態が続いております。 これまでと同じような表示に戻るまでには、まだ相当の時間を要すると思います。、、、、、しばらく、我慢してください。

今日の散歩は、西武池袋線桜台駅で下車し、練馬区豊玉北をぶらついて、中野区江古田3丁目まで歩いてきた。 1万歩。




●桜並木が地名になった ・・・・・・70余年の東京暮らしで私がこれまで一度も下車したことのない駅が桜台駅である。 今日は駅名の“桜”に魅せられ、下車して見た。、、、、、桜台駅は、昭和11年(1936)7月10日1936に武蔵野鉄道武蔵野線の駅として開業。 昭和20年(1945)に戦時中につき営業を休止する。 昭和23年(1948)4月1日営業再開。 現在は、島式ホーム1面2線を有する高架駅。 駅は住宅街の中に無理矢理・強引に造ったような駅で、駅前広場はなく、広い道路に面しているわけでもない。 “表通りから裏道に入ると駅がある”、そんな感じだ!、、、、、昭和9年(1934)に昭和天皇誕生記念で石神井川沿いに桜が植えられ、大正4年(1915)に大正天皇即位の御大礼記念に千川上水堤に桜が植えられ、駅周辺に桜並木があることと、石神井川南岸の台地であることから、「桜台」の駅名が創られたそうだ。 

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・・・・・・・・・・・・・・・駅から50m程で「千川通り」(江戸川橋~目白~保谷~清瀬市)に出る、通りには「桜の碑」がある。、、、、、この付近の千川通りの脇に、かつて千川上水が流れていた。 千川上水は、元禄9年(1696)江戸下町方面の飲み水として玉川上水より分水された上水道。 開通から10年後の宝永4年(1707)には近隣20ヶ村の願いで、灌漑用水として利用することが許され、用水の管理は工事を完成させた功により代々千川家に任されたそうだ。 千川上水沿いには桜が植えられ並木となる。、、、、、これが駅名「桜台」の謂れとなり、昭和38年(1963)には地名「桜台」ともなった。、、、、、“平成最後の桜”も散り始めた。

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●観てみたい博物館 ・・・・・・豊玉陸橋をの下で「環七通り」と「目白通り」を横断し豊玉北3丁目に足が入ると、「唐澤博物館」が目に入る。、、、、、「唐澤博物館」には、10年ほど前に来たことがあるが、入館できなかった。 ここは来館者が少ないようで、11時すぎないと開かない、私の時計は9時『今日もダメだ!』 またの機会とする。、、、、、ところで、「唐澤博物館」とは、教育学・教育史研究家の唐澤富太郎(1911~2004 )が長い歳月をかけて収集した、日本の子どもの教育と遊びに関する数万点におよぶ研究資料の中から、特に選りすぐった7000点余りを展示する個人博物館。 何だかよく判らんが、「百聞は一見に如かず」見てみたいものだ。

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●終末期の施設、全て揃っています ・・・・・・江古田の森公園(えごたのもりこうえん)は、中野区江古田にある中野区立の公園である。 三方を江古田川に囲まれた小高い丘がある、樹木や芝生の豊富な公園。 当地は長く国立療養所中野病院があったところで、主に結核患者の養生所であった。当病院は1993年に新宿区の国立国際医療センターへ移転統合し、跡地が公園として整備されたものである。、、、、、現在公園の周囲には、私のカウントで、病院(4軒)、老人ホーム(5軒)、教会(2軒)、修道院(2軒)などが立ち並んでいる。、、、、、なんだか、身も心も終末期の準備が出来そうだ。 アッ、寺と墓地も近くにあった!

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●氷川神社と別当寺 ・・・・・・・・・・江古田3丁目に江古田村の鎮守である氷川神社がある。 祭神は素盞雄尊。 鎮座の年代は不明。 口碑によると寛正元年(1460)に村人が素戔嗚の武徳を慕い、この地に小祠を建てたのが始めらしい。 当初は牛頭天王社といい、元禄9年(1696)に氷川社に改めた。、、、、、現在の拝殿は昭和7年(1932)に建築したもの。 

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・・・・・・・・・・・・・・・氷川神社の東に別当寺であった、真言宗豊山派寺院の東福寺がある。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと言われている。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、8代将軍吉宗は御膳所に指定した。 境内に御膳所跡の碑が建てられている。、、、、、昭和42年(1967)に本堂は鉄筋コンクリート造に改築された。(現在、本堂改修工事中) 歴史ある寺だけど、歴史ある建物は残っていないようだ。 【ナイショの話】寺の北側に61戸が入る大きなマンションがある。 ここは、三波春夫御殿跡で没後、息子の豊和が財産保全のため建てたそうだ。 賢いね!

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・・・・・・・・・・・・・・・東福寺から南西に250m程、氷川神社参道の入口付近に地蔵尊と馬頭観音が祀られている。 ここは「お経塚」と云うそうだ。 昔、東福寺が火事に遭った時、燃えた経典などを埋めて塚を作り供養したところなのでその名となった。 大正の頃、この土地を均した時、地中から人骨と一緒に、茶筒形をした金属製のものを掘り出した。 恐らく経筒だったのだろうと考えられているが、何時の間にか無くなり、誰も中を改めた者がなく、その確証はないそうだ。 人骨はこの地の片隅に埋めて、その上に地蔵の石像が建てられた。

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●お帰りの時刻です ・・・・・・・東福寺前のバス停「江古田三丁目」から中野に向かい帰宅。

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2018年10月22日 (月)

練馬の南蔵院

一昨日、散歩(氷川台~豊島園)から帰り『雅万歩』を書いていたら、練馬駅近くに南蔵院と云う大きな寺があることを知った。 今日はこの寺を訪ねてみることにした、大江戸線練馬駅から西武新宿線鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩です。
 
 
 
●秋がきたかよ ステテコシャンシャン・・・・・・・・・大江戸線練馬駅で下車し、駅前の大鳥神社に朝の御挨拶をし、練馬区役所の裏を抜け、南蔵院のある練馬区中村1丁目へ向かう。、、、、、秋晴れの下、気分よろしく、スタコラ・スタコラ・ステテコ・シャンシャン
 
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●万能薬「白龍丸」の販売元・・・・・・・・・南蔵院は、真言宗豊山派のお寺で瑠璃光山医王寺と号し、良弁塚に納経をした良弁僧都が延文2年(1357)に中興したお寺です。 江戸時代には12石8斗の御朱印領を拝領していた。、、、、、お寺では 古くから万病に効く「白龍丸」を頒布し、明治10年頃に売薬法で禁止されるまで全国的に広まり、お寺の経済的基礎ともなったそうだ。 恋の病、金欠病、夫婦病に効くなら、私もぜひ試してみたかった! 
 
・・・・・・・・・・・・・・南蔵院通りに面する山門
 
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・・・・・・・・・・・・・・山門脇で慈母観音像のお出迎え。 アリガタヤ!
 
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・・・・・・・・・・・・文禄年中(1592~1596)火災にあい堂塔伽藍、諸記録をほとんど焼失した。 宝暦3年(1753)には寺内の設備を整え、現在の本堂も完成した。 御本尊の薬師如来は秘仏で、33年毎に御開帳されるそうだ。、、、、、明治9年(1876)には、本堂を利用して豊玉小学校が開設された。
 
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・・・・・・・・・・・・本堂の右には、同年に建てられた庫裏がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・・本堂の左には、宝永4年(1707)に再建された薬師堂
 
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・・・・・・・・・・・・・・薬師堂の前には、宝暦3年(1753)に建立された閻魔堂がある。 チョイト、中を覗いてみた、、、照明のない薄暗い堂内に、剥げ落ちた閻魔大王がいた。 閻魔大王の後ろの壁には病気平癒祈願成就によって奉納された15cmほどの木彫の地蔵尊がズラリ千躰程並べてあると言われている。、、、、、『本当に千躰あるのか(?) ウソだろう。 閻魔の嘘つき!』 
 
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・・・・・・・・・・・・・江戸時代中期に建てられた鐘楼門。 三間一戸、入母屋造りで赤く塗られている。 門の左右には仁王像、上階には正徳5年(1715)銘の梵鐘がある。 
 
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・・・・・・・・・・・・・この他に、赤門長屋門がある。 また、なぜか北海道開拓時代の建物を思い出させる、木造の集会場
 
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・・・・・・・・・・・・・・昭和7年(1932)首のない地蔵様が中村の道端にあった。 近所の住人が地蔵の首を酒代の形に持っていたので、継ぎ合わせたところピッタリと合った。 この不思議な仏縁から、「首継地蔵尊」と呼ばれている。、、、、、バラバラ事件の被害者となった地蔵さま、首が繋がり一安心。、、、、、首継地蔵尊は昭和60年頃(1985)までは、中村の八幡神社に祀られていたが、その後南蔵院に移された。
 
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●大根のない畑・・・・・・・・・・南蔵院を後にして西へ歩く。 ここは“練馬”だ、畑の大根を探しながら歩く。、、、、、住宅地の中に小さな畑を見つけた。 期待はずれで、大根畑ではなかった。 しばらくすると、向かいを歩くお姉さんの足もとに“大根”を発見!(失礼)
 
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●バラバラ事件の現場?・・・・・・・・・中村南3丁目に八幡神社がある。 この神社は旧中村の産土神で江戸時代からの総鎮守。 祭神は応神天皇。 社殿は江戸時代のものと言われているが“?”。、、、、八幡神社の別当は南蔵院であった。 神社の地は、南蔵院の末寺・西光寺(現:廃寺)の旧地である。 首継地蔵尊は、南蔵院に移されるまで当社の一画に祀られていた。 ここで、首と胴体がバラされたのか? はたまた、ここで、首と胴体が継がれたのか? どちらにしても殺人事件である。
 
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●子連れ地蔵尊・・・・・・・中野区上鷺宮1丁目の中杉通り沿いに、北向きに建っている子連れの上鷺宮願かけ地蔵尊。 大きい舟型地蔵尊は、高さ約1.5m で正徳5年(1715)の銘がある。 小さい舟型地蔵尊は80cmほどの高さで、造立年は不明。、、、、、この2体の地蔵に祈願をする人は、白装束で夜中にお参りし、一心に祈願しながら子どもの地蔵を倒すのだ。 そうすると親の地蔵は子どもを起こして貰いたいため、願い事を聞き届けてくれる。 願い事が叶ったら、祈願した人は、自分が倒した地蔵を起こしに行くのだそうだ。、、、、、このような風変わりで、面白い信仰は、人家もまばらだった昭和30年頃(1955)まで続いたそうだ。 今の時代、こんなことしたら、付近の防犯カメラに撮られ、器物損壊で捕まり、ニュースに出演し、恥ずかしい思いをするだけ。
 
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●閻魔と地蔵がコラボして天罰・・・・・・・・・・新青梅街道を渡り、西武新宿線鷺ノ宮駅 まで歩き帰ることにした。 歩きながら頭上に違和感を感じ、右手が頭を撫でる。 『アレ? 帽子がない! お気に入りのハンチングがない!』 カバンの中、ポケットを探すが、何処にも無い。 『ガァ~~ン! 南蔵院か、八幡神社か、置き忘れたようだ』 どうやら、今日は閻魔大王、首継地蔵尊に悪態をつき、天罰が当たった。 『あきらめきれずに あきらめた 去らば高価な ハンチング』、、、、、電車に乗っても、ハンチングのことが忘れられず、寂しく帰宅。
 
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2018年10月20日 (土)

練馬の氷川神社

地図を見ていたら、練馬区桜台6丁目に「氷川神社発祥之地」を発見。 『あれ、大宮の氷川神社はここが発祥地?』、疑問と興味が湧く。 さらに地図を見ると最寄りの駅は地下鉄有楽町線の『氷川台』。 氷川台駅の北には『氷川神社』がある。、、、、、今日の散歩は、この地を訪れることにした。 氷川台駅から、氷川神社・氷川神社発祥之地を巡り、都営大江戸線豊島園駅まで、1万歩の散歩です。
 
 
 
●ネリカンの駅・・・・・・・・・・東京メトロ有楽町線・副都心線の氷川台駅 は、昭和58年(1983)6月24日に開業した。 ホームは相対式2面2線で地下3階にある。、、、、、駅名の氷川台、駅所在地の地名:練馬区氷川台の“氷川”は、近くの氷川神社に由来する。、、、、、藤圭子も歌った「ネリカン・ブルース」の舞台:東京練馬少年鑑別所もこの近く。
 
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●町(小)は嫌よ、台(大)にして!・・・・・・・・・・地名「氷川台」は、氷川神社のある高台の意。、、、、、明治・大正時代は下練馬村と称していた。 昭和7年(1932)には板橋区練馬仲町となり、昭和22年(1947)板橋区から分離し練馬区に所属。 昭和40年(1965)に、新住居表示にて「氷川台」とした。 この時「氷川町」にする予定だったが、同名の地名が板橋区にあるため、“台”を付けたそうだ。
 
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●村の鎮守の神さま・・・・・・・・・・町名の由来となった氷川神社(通称「大氷川」)、古くからの下練馬村の鎮守。 長禄元年(1457)渋川氏が足利氏との戦いの途上、武運長久を祈って建てたと伝えられている。 社伝によると、もとの神社は石神井川付近の、泉が湧きでていた「お浜井戸」のところにあったが、江戸時代の延享年間(1744~1748)に現在地に遷座した。
 
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●商圏は埼玉・東京・・・・・・・・・・全国の“氷川神社”は、さいたま市大宮区の総本社:氷川神社より勧請を受けている。 祭神は須佐之男命。 全国で250社程度存在するが、うち約230社は埼玉県(160)と東京都(70)に分布する、ローカル色豊かな神社系列である。、、、、、ちなみに、練馬区内では、豊玉氷川神社、大松氷川神社、谷原氷川神社、石神井台氷川神社、大泉氷川神社などもある。、、、、、『七五三はぜひ氷川神社で! 先着10組のお父さんには、巫女さんとのツーショット写真をプレゼント』な~んて、あるかも?
 
 
●臭わない、ゴミがない・・・・・・・・・・氷川台の氷川神社から、四宮宿橋(よんのみやじゅくはし)で石神井川を越え桜台6丁目に入る。、、、、石神井川の水質は生活用水が流れ込んでいないらしく、綺麗で、臭わない、ゴミも浮いていない、川底が見える、水草も見える、魚が住めるようだ。 深い川底に下りて、水辺に近づけるといいね!、、、、、ところで、橋名の「四宮宿」とは? (気になるので調べてみたが、“?”)
 
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●発祥地は草茫々・・・・・・・・・・四宮宿橋を渡り桜台6丁目の一画に、小公園ほどの空き地がある。 鎖で閉じられた敷地には、白砂利が敷かれているが雑草に覆われている。 その中に「氷川神社発祥之地」と標された石碑と、井戸のように組まれた石がある。 この地が、先に訪れた氷川台の氷川神社発祥地で、井戸のような石組みが「お浜井戸」であろう。、、、、現在の氷川台氷川神社のご神体が石神井川を流れてきたのを、拾って祭った最初の地とされている。 その後、ご神体は氷川神社の地に遷座した。 このため、春の祭りには「お里帰り」と呼ばれる神事が行われているそうだ。、、、、つまり、この地は“全国的な氷川神社発祥の地”にあらず、超ローカルな“氷川台の氷川神社の発祥地”であった。
 
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●駅名から地名に・・・・・・・・・・「桜台」の町は、南に西武池袋線、北に石神井川で挟まれた、ほぼ1km四方の町である。、、、、、、昭和11年(1936)、池袋線の駅が造られたとき、石神井川南岸の台地に高稲荷神社があり、桜の名所として有名であった。 そこで、駅名は「桜台」と創作し、命名した。 昭和37年(1962)からの住居表示では、桜台駅の北側一帯(以前は「練馬南町」)に駅名を利用し桜台1丁目~6丁目とした。
 
・・・・・・・・・・・・・・高台に鎮座する高稲荷神社。 現社殿は昭和55年(1980)に新築。
 
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・・・・・・・・・・・・・・高稲荷神社下の公園に祀られている庚申塔。 元禄2年(1689)造立。
 
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・・・・・・・・・・・・・・桜台6丁目の町は、坂の多い閑静な住宅街、そんな町の中に小さな都営住宅が点在する。 超豪邸と言える住宅はないようだ。
 
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●拝観謝絶・・・・・・・・・桜台6丁目の西端に臨済宗大徳寺派の円満山広徳禅寺がある。、、、、、広徳寺は、箱根湯本早雲寺の子院として、元亀、天正の頃(1570~92)小田原に建立された。 天正18年(1590)徳川家康に招かれ神田昌平橋に広徳寺と称して建立、寛永12年(1635)下谷へ移転。 江戸時代には『びっくり下谷の広徳寺 おそれ入谷の鬼子母神』と言われ隆盛し、塔頭15院を擁していた。 明治になり寺は衰退し、関東大震災後の区画整理で、現在地へ徐々に移転し、昭和53年(1978)に移転を完了した。、、、、、現在の20,000坪の敷地は、東京の寺では第2位。 ちなみに、規模ではトップの浅草寺が約30,000坪、3位の芝増上寺は16,000坪。、、、、、、参道を奥へ、山門には『拝観謝絶』の四文字が見える。 修業が足りない私はここまで、剃髪して出直さなければ入れないね!
 
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●お隣の禅寺を拝見・・・・・・・・・・オヤ、広徳禅寺の敷地内に隣接して塔頭の桂徳禅院がある。 慶長7年(1602)滝川壱岐守正利が建立した広徳寺塔頭の一つ。 大正12年(1923)震災で焼失後、当地へ移転し、昭和30年(1955)現在地に完成しました。 禅の修行場で墓地はない。 こじんまりした寺であるが、手入れの行き届いた庭が美しい。 こちらはチョイト拝見。
 
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●チョイト秋色・・・・・・・・・・・・・練馬総合運動場横の石神井川沿いを歩き豊島園に向かう。
 
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●遊園地に来たのは何十年前・・・・・・・・・豊島園駅に到着。 平成3年(1991)12月10日、都営地下鉄12号線(後の大江戸線)の駅が開業。 島式ホーム1面2線を有する地下駅。 、、、、何十年前になるか(?)ウォーターシュートがあった頃、来た覚えがある豊島園遊園地。 入園する機会は無くなったようだ!
 
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