練馬区

2023年11月 4日 (土)

「らんまん」の庭園

NHKの朝ドラ『らんまん』の主人公のモデル・牧野富太郎博士が晩年を過ごした地に開園した、「牧野記念庭園」に我が妻のリクエストで行ってきた。 庭園は、西武池袋線の大泉学園駅近くにあり、同駅で下車し庭園を見て、西武新宿線の武蔵関駅前をとおり、さらにJR中央線の吉祥寺駅まで歩く、1万6千歩の散歩です。

 

● 西武鉄道池袋線の大泉学園駅(おおいずみがくえんえき)は、大正13年(1924)11月1日、武蔵野鉄道の東大泉駅として開業した。 昭和8年(1933)には大泉学園駅に改称。 昭和20年(1945)9月に、武蔵野鉄道は合併・改称により西武農業鉄道となるが、翌昭和21年(1946)に西武農業鉄道は西武鉄道と社名変更する。 現在の大泉学園駅は、島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。、、、、池袋から各停で約20分、横浜中華街まで乗り換えなしで行ける便利な駅だ! 令和4年(2022)度の1日平均乗降人員は75,513人であり、西武鉄道全92駅中第8位。、、、、駅周辺には、色々なお店があり、ショッピングモールやレストランも多く、住みやすそうだ。

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・・・・・・・・・・ 【ここでクイズ】 “大泉学園”の校舎はどこにある?、、、、答え:どこにもありません。 東急王国を築き上げた五島慶太と張り合った箱根土地(コクド)の堤康次郎は昭和8年(1933)東大泉駅を大泉学園駅に改称し、小田急の成城学園や玉川学園のような学園都市を目指して東京商科大学(一橋大学)の転地を待ったのだが、大学の教授陣が汚穢鉄道(おわいてつどう)のイメージの強い武蔵野鉄道を嫌い、他地(国立市)へ移転してしまい。 大学などの高等教育機関を誘致できずに名前だけが残った。 残念でした、大泉には学芸大附属の小学校・中等教育学校があるので、これで我慢して!




● 大泉学園駅から南に徒歩5分、バス通りからチョイト脇に入ると「練馬区立 牧野記念庭園」がある。 ここは、日本が生んだ世界的な植物学者、故牧野富太郎博士が、大正15年から亡くなる昭和32年まで住み、植物の研究に没頭し「我が植物園」としてこよなく愛した自宅を、遺族から提供を受け、整備し保存した文化施設と公園だ。 記念館では、博士が20歳の時、博覧会見物を兼ねて初めて上京した際に購入したドイツ製の顕微鏡、自分の研究成果をとりまとめた『植物学雑誌』『日本植物志図篇』など、貴重な資料を見ることができる。 博士の書斎と書庫の一部は覆屋内に保存、公開されている。、、、、私は朝ドラを見てなかったので、普通に博物館の展示品を見てる気持で見学した。 朝ドラを毎日見ていた妻は、ドラマと重なる部分があるようで、かなりしつこく食らいつくように見ていた。 展示品を見る周囲の見学者(主に中高年のおばさん)も我が妻と同じようにしつこいね! テレビの影響の凄さを実感できた。

・・・・・・・・・・ あまり大きくない庭園だが、朝ドラの余韻が残り、見学者の多いこと!

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・・・・・・・・・・ 書斎に書庫。 凄いね、本に埋もれて研究だ!

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・・・・・・・・・・ スエコザサに囲まれた博士の胸像

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● 庭園を見たら、生まれて初めて歩く南大泉の裏道を行く。 目指すは西武新宿線の武蔵関駅。、、、、住宅地の中に生産緑地が点在する。 野菜の無人販売もある。

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● 西武新宿線の武蔵関駅前にでた!、、、、武蔵関駅は、昭和2年(1927)4月16日西武鉄道村山線高田馬場~東村山間の開業と同時にできた。 ホームは、相対式2面2線の地上ホーム。 駅舎は橋上にある。、、、、23区内最西端の駅。 ちなみに、東京都の最西端の駅はJR青梅線の奥多摩駅。

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● 武蔵関駅前からJR中央線の吉祥寺駅に向かう。

・・・・・・・・・・ 吉祥寺駅の北500m程に処に、今日は七五三で賑わっている吉祥寺の氏神様「武蔵野八幡宮」がある。、、、、明暦の大火(1657)により住居を無くした水道橋付近(吉祥寺村)の住民が、当地周辺に移住し、寛文元年(1661)に吉祥寺村を開村するにあたり、村の鎮守として信仰していたと言われている。 境内は約1300坪の広さで、ケヤキやクスノキなどの大木が繁り、平時は荘厳な雰囲気を漂わせているものと思われる。 今日は、七五三詣でで子供連れの参拝客も多くにぎやかだ!

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・・・・・・・・・・ 吉祥寺サンロード商店街は、五日市街道から吉祥寺駅までの約300mのアーケード商店街。 ここを抜けると吉祥寺駅。

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・・・・・・・・・・ 吉祥寺駅は、JR東日本の中央本線と、京王電鉄の井の頭線が乗り入れる接続駅。、、、、明治32年(1899)12月30日に、甲武鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)に甲武鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。 昭和44年(1969)にいは、高架複々線化が完了する。 2面4線の高架駅。、、、、JRと京王の両駅合計で、一日当たり30万人以上が乗降するターミナル。 しかもオシャレナ若い娘が多く、羨ましい駅だ!

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2023年3月 7日 (火)

小槌と地蔵に願掛け

大江戸線の練馬春日町駅から、南に向かい西武新宿線の鷺ノ宮駅まで、1万1千歩の散歩。




● 浅草橋の我が家から、中央・総武線で東中野駅へ、そこで大江戸線に乗り換え「練馬春日町駅」まで、所要時間約50分、チョイト遠いね! 練馬春日町駅は都道443号と環八通りが交差する地点の真下にある、出口は環八通りを挟んで東西にある。 駅は平成3年(1991)12月10日の開業、約30年過ぎたが、目立った汚れも無く清潔そうな駅だ。、、、、今日は豊島園方向に歩こうと思い、東側の出口に出た。 

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● 「豊島園通り」を歩きはじめたが、すぐに気が変わり裏道を歩く。、、、、静かな住宅地をぬけ、気が付けば豊島園とは反対の方向に向かってた。 “豊島園”はアキラメタ! 

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・・・・・・・・・・ 練馬区高松1丁目の道角に「庚申塔」があった。 説明板には『高松の板碑型庚申塔 江戸時代の寛文三年(1663)に建てられた庚申塔で、区内では古いものです。青面金剛上部は山形、横から見ると船形状で、裏面は石を整形した鐫の痕がそのままになっています。正面中央に「みざる・言わざる・いわざる」の三猿浮き彫りされ、その上部には現在は風化して判読が難しいですが、「寛文三年」「十一月吉日」の年記が刻まれています。(以下省略) 』と書かれてた。、、、、なんとなく昔からここにあったと思われる情景。

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・・・・・・・・・・ 「西田中橋」(平成9年(1997)完成)で石神井川を越える、、、、石神井川の水はきれいだが、護岸が高すぎる!

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● 西田中橋の南西(貫井5)に「円光院」と云う寺があった。、、、、円光院は、南池山貫井寺といい、真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王である。 昔、寺の南に大きな池があったので「南池山」と号し、土地の名が貫井であるので「貫井寺」と称した。、、、、堂宇は昭和20年の戦災で焼失しその後再建された。

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・・・・・・・・・・ 本堂前に権現小槌観音様の化身とされる小槌の石像がある、、、、打ち出の小槌なら、願掛けて一言、『宝くじ、一等当選、よろしく!』

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● 円光院から南へ約500m歩くと西武池袋線の「中村橋駅」がある。 中村橋駅は大正13年(1924)に開業。 平成7年(1997)に高架化工事が完了し、現在は高架駅となっている。

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・・・・・・・・・・ 以前中村橋駅の街路灯の案内板にあった、平成9年(1997)まで使用されていた旧駅舎の写真

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● 中村橋駅から南に西武新宿線の鷺ノ宮駅前へ伸びる「中杉通り」と呼ばれるバス通りを歩く。 商店街の延長のような通りであるが、バスの運行頻度は多く、引っ切り無しにバスと遭遇した。、、、、交通量も多そうだ、年寄りは事故に注意! 

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・・・・・・・・・・ 途中、中野区上鷺宮1の中杉通り「こぶし園入口」交差点の角に「子連れ願かけ地蔵」ある。 北向きに建っているので「北向地蔵」ともいわれ、大きい舟型地蔵尊は、高さ約1.5m で「正徳五乙未十月」(1715)と刻まれている。 小さい舟型地蔵尊は80㎝ほどの高さで、造立年は不明。 この2体の地蔵に祈願をする人は、白装束で夜中にお参りし、一心に祈願しながら子ども(小さい方)の地蔵を倒すのだそうだ。 そうすると親の地蔵は子どもを起こして貰いたいため、願い事を聞き届けてくれるという。 願い事が叶ったら、祈願した人は、自分が倒した地蔵を起こしに行く。 昭和30年(1955)まで、この奇妙な風習は続いたそうだ。、、、、私も、地蔵を倒すことはしないが、願をかけてきた、『宝くじ、一等当選よろしく!』

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西武新宿線「
鷺ノ宮駅(さぎのみやえき)」に到着。 鷺ノ宮駅は、昭和2年(1927)4月16日の開業した、単式ホーム1面1線(上り)と島式ホーム1面2線(下り)を併せ持つ地上駅。

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2023年2月26日 (日)

練馬は大根

東武東上線の東武練馬駅から、南西に歩いて都営大江戸線の練馬春日町駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 東武東上線の「東武練馬駅」は、昭和6年(1931)12月29日に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅である。、、、、東武練馬駅には各駅停車しか止まらず、しかも中板橋駅か上板橋駅で必ず快速電車を待ち・抜かされるので、池袋駅から20分もかかる。 極めて不便な駅だ。、、、、駅の所在地は板橋区徳丸、駅前の道路が板橋区と練馬区の境、練馬区の区役所は西武池袋線の練馬駅にあり、練馬駅と東武練馬駅は直線で約3.5㎞離れてる、極めて判りずらい駅だ。

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● 駅周辺には“夜”が楽しいお店が並び、昭和レトロな町である。 その町に「北町アーケード」という、L字型の商店街がある。 50m程の長さだが、両側にスナック、居酒屋が並んでる。 アーケード入口には「ショッピングセンター」と表示してるが、“ショッピング”できる店はない!、、、、夜来ると楽しそうだ、呑めない私も雰囲気だけは感じてみたい!

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● 東武練馬駅から南下し、飲食店街を抜け川越街道に出る手前の緑道脇に、「徳川綱吉御殿跡」の碑が建ってる。、、、、この付近一帯はかつて『御殿』と呼ばれた土地であった。 後に江戸幕府第五代将軍となる徳川綱吉が寛文年間(17世紀後半)にこの土地を鷹場として、宿泊所と「鷹場御殿」を建てたとして由来する。、、、、練馬と言えば“練馬大根”、その大根は綱吉がこの地の百姓に三浦大根の種を与えたことがきっかけだと、一説では言われてる。(ほんとかいな?)

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● 川越街道(=国道254号)に出ると、街道の南側はアンテナの鉄塔がたつ「陸上自衛隊 練馬駐屯地」、向かい側(北側)は自衛隊の官舎と思われる高層の集合住宅が道路に沿ってズラリと並ぶ。 道路を挟んで職場と住居、
通勤時間数分で職住接近が便利なのか?仕事帰りの寄り道が無くつまらないのか?、ドッチ!

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・・・・・・・・・・ 駐屯地の西門の前に残る「
連隊門哨所」、、、、第一普通科連隊『警察予備隊普通科第1連隊』は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移動した。 この哨所は、移駐から2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。

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・・・・・・・・・・ 練馬駐屯地を半周するように、長い塀沿いに歩き南へ向かう。、、、、塀の中には、自衛隊の車両が見えるが写真撮影はひかえた。(過去に、自衛隊の基地の中に外からカメラを向けて撮影したら、監視カメラに私が映り。 自衛隊職員が基地から飛んで出て、注意されたことが数回あり、これがトラウマとなる。 『スパイとして捕まったら大変だ!』)

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● 地下鉄副都心線・有楽町線の平和台駅前の交差点を越えて、環八通りの北側「春日町2丁目」の裏通りを歩く。

・・・・・・・・・・ 床屋さんの入口横に建つ、笠付角柱型青面金剛三猿の庚申塔。、、、、台座部分には、三猿が彫られ、正面金剛の下に「中田柄村 施主 吉田 施主 拾人」の文字。 側面には「奉造立庚申像一基 二世安楽祈依 元禄九丙子天 十二月十四日」の文字が刻まれている。 花立に赤や白の造花が供えられていた。

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・・・・・・・・・・ 住宅の前には、“道しるべ”と“布袋さま”、、、、どう見ても、最近の作品!

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・・・・・・・・・・ この付近では、畑は無く、練馬大根の姿を見ることもない。 代わりに目についたのが、広い駐車場と隣のアパート・マンション。 農家は大根を止めて、アパート・マンション経営に転職したか?

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● 春日町2丁目9番の環八通り角地に「一里塚子育地蔵」が祀られている。 一里塚といわれている元々「ふじ大山道」の道標があった場所である。 近くにあった一里塚子育地蔵がここに越してきて、今は地蔵の脇にふじ大山道の道標が建っている。、、、、川越街道から大山(神奈川県)へ向かう“大山道”がここにあった。 今は環八通り!

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● 都営大江戸線の練馬春日町駅に着く手前に真言宗豊山派寺院「練月山 愛染院 観音寺」(春日町4)がある。 愛染院は、永享9年(1437)能円坊尊岳が尾崎(現春日小学校付近)に開山、寛永年間(1624~1644)に権大僧都尊智によって当地へ移転した。 江戸時代には12石1斗の朱印地を拝領した御朱印寺。 御本尊の愛染明王は秘仏で観られない。 、、、、また寛政年間(1789~1801)の火災により、元禄10年(1697)の山門と元禄14年(1701)の梵鐘を残して建造物はことごとく焼失したといいます。昭和55年(1980)、3年の歳月を費やし本堂・大師堂・表書院・鐘楼・稲荷社・山門など諸堂伽藍が完成した。、、、、境内は結構広く、落ち着いた雰囲気の寺である。

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・・・・・・・・・・ 山門前の参道に「練馬大根碑」がある。 その説明板には『練馬といえば大根、大根といえば練馬といわれるほど、練馬の名は、大根によって、人々に親しまれてきました。 練馬大根のはじまりについては、将軍徳川綱吉が尾張(愛知県)から種子をとりよせ、百姓大木金兵衛に作らせたとか、上練馬村の百姓又六が作り出したとかの、話が伝えられています。 江戸の発展、さらに東京都なって、大量の大根が作られるようになりました。練馬大根の沢庵漬けは、特産として全国的に有名になりました。これを記念して昭和16年4月に建てられたのが、この大根碑です。 練馬大根の品種改良と普及育成に生涯をささげた鹿島安太郎の顕彰碑も、これと並んで昭和40年4月に建てられました。 この奥の練月山愛染院は、真言宗の寺です。江戸時代に寺領二十石を与えられました。境内の、沢庵石を磁石とした鐘楼には、元禄十四年(1710)鋳造の梵鐘が残されています。 平成2年10月 練馬区教育委員会』、、、、この説明では、徳川綱吉が尾張から種子を取り寄せたことになってる。 三浦大根を取り寄せた話はウソだった!

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● 都営大江戸線「練馬春日町駅」から帰宅。

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2022年6月13日 (月)

宗徳、無念!

東京メトロ有楽町線氷川台駅から西武池袋線桜台駅を通り抜け、さらに西武新宿線沼袋駅まで、1万3千歩、約6㎞の散歩です。



● 朝8時の「氷川台駅」、下りホームに降りる客は少なく、都心に向かう通勤通学客の流れが上りホームへ向かう。

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・・・・・・・・・・・・「氷川台駅」から、道路工事中でスッキリしない地上に出る。 駅前の通り(放射第36号線、地下に有楽町線が走る)は幅員40m道路に拡張工事中。 

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・・・・・・・・・・・・駅前で『さて? どっち方向に歩こうか?』 考えても答えなし、とりあえず駅裏を流れる石神井川に沿って上流に歩いてみよう! 駅脇の「正久保橋」に出ると、橋の横で何やら土木工事中。 『何の工事だ?』と興味が湧き、チョイト看板を拝見! 『お~~、懐かしい社名』 自分が30年程前まで勤めていたゼネコンだ! 放射36号線が石神井川を越える橋梁の下部工工事である。、、、、小さな声で『工事、頑張れよ! 事故起こすなよ!』

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正久保橋丸山橋四宮宿橋鎌田橋高稲荷橋と、順に石神井川を上る。、、、、いずれも昭和50年代、60年代に架けられた小さな橋で、書くべき特徴もない。 石神井川は水も澄み、川底が深くなければ泳げそうだ!

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・・・・・・・・・・・・高稲荷橋の右岸(南岸)の高台に「高稲荷神社」(練馬区桜台)がある。 高稲荷神社は、文政5年(1822)の頃より下練馬村三軒在家の守護神として、勧請されたものと言われてる。、、、、よそ者には、“下練馬村三軒在家”が判らんね!

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・・・・・・・・・・・・再び石神井川に戻り、早宮橋新大橋まで来た。 新大橋の南詰に「広徳寺塔頭 円照院」の山門があり、そこに広徳寺の墓地には柳生宗徳・十兵衛父子が眠っているとの記述があった。、、、、これを読んだら『広徳寺に行かねばなるまい!』

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円照院の裏手に回るように、敷地に沿って200m程歩くと「広徳寺」の総門がある。、、、、臨済宗大徳寺派の広徳寺は、円満山広徳寺と号す。 広徳寺は、箱根湯本早雲寺の子院として、元亀、天正の頃(1570-92)小田原に建立された。天正18年(1590)徳川家康に招かれ、神田昌平橋の内に広徳寺と称して建立、寛永12年(1635)下谷の地(廣徳禅寺遺趾)へ移転した。 江戸時代には「ビックリ下谷の広徳寺…」と隆盛し、塔頭15院を擁していたが、明治維新後衰退、関東大震災後の区画整理で、現在地(練馬区桜台)へ徐々に移転、昭和53年(1978)に移転を完了した。、、、、墓地も含めた境内はおよそ2万m2で、加賀前田氏や久邇宮家より譲り受けた建物や立派な庭園などがあるそうだ。 紅葉が美しく、その静寂に包まれた寺域は東京都内とは思えないほどの静けさと言われている。 

・・・・・・・・・・・・・総門から入ると奥に山門があり、山門の前には『拝観謝絶』と、門柱に『非公開』の文字。 私のように興味半分でブラリとやってくる参拝者は、境内を拝見すること叶わず、残念無念! 宗徳の墓も見られず、無念であるぞ、十兵衛!

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● 広徳寺でチョイト・ガッカリ。 総門をあとにして南に向かい、石神井川に戻るのを忘れてしまった! 練馬区桜台の裏道を歩き、西武池袋線の「桜台駅高架下を通り抜ける。

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● 桜台駅からは、バス通りを南へ歩き、西武新宿線の「沼袋駅」を目指す。、、、、広い通りは見るべきものなし、ただただ歩くのみ!

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● 西武新宿線の中井駅~野方駅間(約2.4km)の連続立体交差化工事が平成26年(2014)1月から着手された。 「沼袋駅」はその工事区間に含まれ、島式ホーム2面4線の地下駅となる。 工事は現在の駅の真下、地下約18~19m、幅約28~36mの地下駅を構築している。、、、、残念だが地下の工事の様子は見られない。 令和8年(2026)度に、地下ホームに切り替える予定らしい。、、、、事故を起こさないように頑張って!

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2022年6月 9日 (木)

霧雨の安養院

朝の天気予報で『日中は雨もあがり曇り空』 予報を信じて散歩に出る。 東上線の中板橋駅から、途中板橋区東新町の安養院によって、東京メトロ氷川台駅まで、1万1千歩、4㎞の散歩です。 予報はチョイト、ハズレて、時折霧雨が降る『雨中行軍』



東武東上線「中板橋駅、乗客の姿もまばらな鈍行電車から下りホームに降り立つ。 向かいの上りホームには、跨線橋から多くの乗客が降りて来る。 当駅からは『終点:池袋まで座れません!』

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● 駅前のお散歩案内図を見て「案養院」へ行ってみたくなり、しっとり濡れた駅前の中板橋南口商店街を西へ向かい歩く。、、、、石神井川に架かる「下頭橋(げとうばし)」にでる。、、、、“下頭(げとう)橋”とは珍しい橋名、チョイト由来を調べる。 橋名の由来は3つある。 その①:この橋の近くに六蔵という者がいた。 その六蔵は、この場所に村人の為に橋を架けることを願い、旧川越街道を通る人々に物乞いをして金を貯めたそうだ。 その頭を下げた物乞いの姿はから“物乞い=下頭”となる。 六蔵は志し半ばで他界してしまう。 六蔵死後、六蔵の世話をしていた人が、その遺志に気づき、足りない分は寄付で賄い橋を完成させたそうだ。  その②:旅の僧(弘法大師?)が持っていた榎の杖を突き立てて去ったところ、その杖が根付いて〝逆さ榎〟となった。 逆さ榎だから頭が下で“下頭榎”と呼んだという。  その⓷:川越藩主が出府の際、江戸詰めの家老らがこの橋畔で頭を下げて出迎えるという仕来たりがあり、その様から名付けられた。  有力な説は①で、橋は寛政10年(1798)それまでの丸太を2本架け渡しただけの橋が、六蔵が残した金を基にして半永久的な石橋に架け替えられたそうだ。 その後橋は、明治時代に木橋に、昭和2年(1927)には再び石橋に、昭和54年(1979)に現在の鋼橋に架け替えられた。

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・・・・・・・・・・・・下頭橋のたもとに、六蔵の遺徳を讃えて建てられた「下頭橋六蔵尊」が祀られている。、、、、地元の人々に愛され、丁寧に祀られている六蔵尊

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● 下頭橋から旧川越街道を歩き、環七通りの「板橋中央陸橋交差点」に出ると、交差点角から石段を登り、小高い処に「長命寺」(板橋区東山町)の本堂がある。、、、、長命寺は真言宗豊山派の寺で、東光山医王院と号す。 江戸時代前期の創建と言われ、江戸時代には東新町の氷川神社の別当寺だった。、、、、当寺周辺は、室町時代「お東山」にあったといわれる「板橋城跡」の伝承地の一つである。 本堂前から交差点を見下ろすロケーションは、“城跡”というのも納得できるね! かっては、川越街道・環七通りまで境内は広がっていたそうだ、道路に敷地を取られ小さくなった哀れな寺!

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● 長命寺の裏側(西側500m程)に、かつて長命寺が別当であった「板橋東新町氷川神社」(板橋区東新町)がある。、、、、武蔵一宮氷川神社より勧請した祭神:速須佐之男命を祀る旧村社。 創建は明らかでないが、文政6年(1823)の文書に神社は記載されている。、、、、昭和20年(1945)の空襲で社殿は破損し、昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造の覆殿・内拝殿・幣殿を造営した。 境内は広く“杜”を成し、 整備も行き届き、綺麗で清々しい神社。、、、、チョイト、雨が降ってきたが、傘はいらない程度。

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● 板橋東新町氷川神社鳥居前の道を西へ歩くと、真言宗豊山派寺院の「
武王山最明寺安養院」の門前に出る。、、、、鎌倉中期正嘉元年(1257)に、最明寺北条時頼が諸国行脚のみぎり、持仏「摩利支天」を此地に安置し一宇を建立して創建したと言われてる。 延宝年中火災により諸堂宇灰燼に帰したのを、元禄元年(1688)に再興し、阿弥陀三尊を本尊として、本堂・庫裡・大師堂・鐘楼・山門等を造立して寺院の形態を整え、安養院と称した。、、、、池袋から4㎞程の地にこんなステキな寺があるとは驚き! 今日は、霧雨がチョイト邪魔だ!

・・・・・・・・・・・・山門、、、、昭和59年(1984)新築、総檜造り四脚門。 参道両側にはしっとり濡れたアジサイが梅雨の季節を演出!

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・・・・・・・・・・・・本堂、、、、昭和59年(1984)新築、入母屋
総檜造り、本尊は阿弥陀如来。、、、、本堂前には6本のケヤキが天を指す!

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・・・・・・・・・・・・書院・客殿、、、、明治34年(1901)麹町松平元則候の屋敷として新築。 昭和9年(1934)安養院書院として移築。 玄関は唐破風車寄せで、今日は車が寄せられ邪魔だ!

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・・・・・・・・・・・・起伏にとんだ緑多い約5000坪境内には、他に護摩堂多宝塔鐘楼・庫裏・墓地などが配されてる。 境内のいたるところ多くは苔で覆われ、雨に濡れた苔が鮮やかな緑を放って、山の中にいるような寺だ!

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● 安養院前の区立いこいの家に残る、「上板橋村役場跡」、、、、昭和2年(1927)から5年間この地に役場が置かれていた。 当時の石の門柱が残されている。 この門柱、平成14年(2002)に板橋区の文化財に指定されたそうだ。 “たかが門柱、されど門柱” しかし、わざわざ、見に行くには及ばず!

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● 安養院から
台橋にて再び石神井川を渡り練馬区に入る、羽根木で三度石神井川を越える。 この辺り、石神井川が蛇行している。、、、、練馬区に入ったら、雨も上がったようだ!

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● 東京メトロ有楽町線と副都心線が乗り入れる「
氷川台駅(ひかわだいえき)」に到着。 当駅を含む和光市駅~小竹向原駅の区間は、有楽町線と副都心線が線路を共有している。 練馬区内にナント『元町・中華街行き』の電車が走っているのだ、横浜中華街直行できるなんて便利で羨ましいね! 

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2021年7月21日 (水)

猛暑は散歩に不向き!

『猛暑は散歩に不向き』、、、、今日の散歩はこの一言であった。

西武池袋線江古田駅から歩きはじめ、直線距離で東へ1.5㎞程先の東京メトロ有楽町線の千川駅まで、1万歩の散歩です。




● 出がけの天気予報では、東京は朝6時に27℃、今日の最高気温は34℃。 35℃以上の「猛暑日」にはならないと信じ、出かけることにした。、、、、口の周囲が蒸れ息苦しいが、マスクをして電車に乗って、江古田駅に降りた。 ホームに立つと強烈な日差しでまぶしい!(車中に、まぶしい美人がいたが、日差しのまぶしさはそれ以上!)、、、、学生は休みになったのか、ホームには人影は少ない。 武蔵野音大側の北口に出るが、歩く人も少ない。 

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● 江古田駅北口正面に「茅原浅間神社(江古田浅間神社)」はある、、、、茅原浅間神社の創建年代は不詳だが、社伝によれば承平元年(931)からと言われている。 社名は、かつてこの辺りは茅原だったことにより、その名がある。、、、、昔、小竹町(神社の北側)と江古田町(神社の南側)の人々がこの神社の所有をめぐって争ったところ、夏にもかかわらず雪が降る天変地異が起きた。 これに驚いた双方は争いをやめ、共有の氏神として祀ることにし争いを収めたという伝説が残る。 なお、このあと訪れる、別当寺である能満寺の山号は「夏雪山」であり、やはり夏に降る雪の伝説が残る。

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・・・・・・・・・・・・江戸時代の中頃になると、富士講の盛んな上板橋・中新井・下練馬の人々の信仰も集めるようになった。天保10年(1839)には小竹丸祓講の人々により「江古田の富士塚」が築かれた。 高さ8m、直径約30m。 富士塚の頂にある石祠はこの時の建立。 昭和54年(1979)江古田の富士塚は台東区下谷の下谷坂本富士、豊島区高松の長崎富士、川口市東内野の木曽呂富士とともに国の重要有形民俗文化財に指定された。、、、、本殿の後ろに隠れるように富士塚がある。 本日は、登山禁止!

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・・・・・・・・・・・・境内にある、高さ27m、幹の太さ3.1mのケヤキは、“練馬大根”ならぬ“練馬の巨木

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● 「江古田」と云えば“大学の街”、駅の東には「日本大学 芸術学部」、北には「武蔵野音楽大学」、西には「武蔵大学」がある。、、、、チョイト「日本大学 芸術学部」に寄ってみる。 守衛さんが入口で検温中、大学関係者以外は入校できず。 そ~だ!コロナ禍の今、どこの大学も関係者以外構内立入禁止。 今日もあきらめ、キャンパスの外を回る。、、、、日本大学芸術学部は、写真学科・映画学科・美術学科・音楽学科・文芸学科・演劇学科・放送学科・デザイン学科の8学科からなる芸術総合学部。 大正10年(1921年) 、東京神田三崎町に日本大学法文学部内に美学科(芸術学部の前身)が誕生し、昭和14年、板橋区江古田(現在の江古田校舎)に移転した。

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・・・・・・・・・・・・キャンパスの外周に沿って歩き出したが、気温が上がり大変なことを忘れてた! 『アッ!コンビニで飲料水を買ってない』 駅を出て目の前の神社に気を取られ、大学構内には入れず、水なしで線路沿いを歩く。 どこかで“水分補給”しないと、ヤバイ! 大学東側の住宅地を歩けどもコンビニはなく、自販機でお茶を買う。 命をつないだ気分になり、一安心!

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●  日大の東側(練馬区旭丘2)に真言宗の寺院「能満寺」があった。 駅前の茅原浅間神社の別当寺である。、、、、能満寺は、「元和の頃(1615~1623)、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした。 のち数代を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)再建し、あわせて大日堂を造営した」との記録がある。、、、、寺はあったが、山門手前のゲートが閉じられている。 目の前に山門が見えるが入れない。 『今日は、暑いので寺も休みか? 残念だが、あきらめよう!』

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・・・・・・・・・・・・能満寺に来たのは午前9時、気温は上がり30℃は超えていると思われる。 私の頭の天辺は暑い、汗も出ている、水分摂取より体を濡らしたい! いつもなら、公園か、コンビニか、どこかで、濡れた手ぬぐいで汗を拭くのだが、今日は公園もコンビニもなく手ぬぐいは乾いたままだ! 頭の中を熱中症の恐怖が襲う、どこかに“水道”はないものか? “水分補給”用に買ったペットボトルのお茶で手ぬぐいを濡らし体温を下げる。 これで、再び一安心! 猛暑の中の散歩は、水分補給に体温調節が必須、面倒だ!




● 汗とお茶のミックスで濡れた体の雅万歩、歩みは元気で、豊島区に入り都立千早高校の前に出てきた。 日陰になった学校側の歩道を歩く。 学校のフェンスの脇に「千早庚申塔」がある。、、、、しっかりとした台座の上に4基ある石造物の内、左側の大きな三基が庚申塔。掲げられた由緒によると、この庚申塔はかつて千川上水にかかる橋(庚申橋)の脇に祀られていた。 併し昭和40年から50年代前半にかけて、千川通り周辺で道路の拡張や建物の建て替えなどの工事が行われているうちに、いつのまにか行方不明になってしまった。 その後、豊島区外(練馬区北大泉)の山林に放棄されていたのが発見され、現在地に戻されたが、元々橋際にあった5基の内1基(庚申塔)はみつからなかった。、、、、よく見つかったと思うね。

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● 太陽はギラギラ、身体は汗でビショビショ・グシャグシャだ! チョイト、万歩計を見ると、1万歩クリヤー! 熱中症が怖いので、「千川駅」から帰ることにした。、、、、東京メトロ千川駅は昭和58年(1983)6月24日、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線営団成増駅~池袋駅間の開通により同時開業。 平成20年(2008)には副都心線の駅も開業。、、、、千川駅は上下2層構造で、各層に島式ホーム1面2線を有する地下駅。 要町通りの直下にある。 現在の副都心線ホームは有楽町線建設時に既に構築済みであったが、副都心線開業までは未供用(通過)とされた。このため、有楽町線ホームから副都心線ホームへの階段用スペースは蓋で覆われていた。、、、、駅の近くには、飲食店も多く、スーパーや商店街もあり、池袋へは2駅、生活するには良さそうだ。

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2021年7月19日 (月)

新宿線から池袋線へ

梅雨も明け、いよいよ猛暑到来。、、、、『チョックラ、散歩に行ってくる、あとは頼んだ!』と、家を出るのは銭形平次気取りの雅万歩。 『あいよ、お前さん』と、右の背に切り火する妻のお静は我が女房。、、、、昔は主人が家から出るときに奥さんが後ろから火打石でカンカンと火花を作り、清めてくれた。、、、、我が家では、さすがに“切り火”はしないけど、出がけの玄関先で注意が多いこと! 『車に気を付けて』、『傘持った』、『財布持った』のフェレーズは昨日まで。 今日からは、『日陰を歩いてね』、『水分補給してね』、『首を冷やしながら歩いてね』、『気分悪くなったらスグ帰っておいで』

今日の散歩は、西武新宿線の沼袋駅から北に向かって、西武池袋線の江古田駅まで、汗をかきかき1万1千歩。




● 「沼袋駅」ではホームも駅舎も仮のものとなり、狭いホームに、狭い改札、安全に、早く工事が終わることを願うばかり。

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・・・・・・・・・・・・下りホームに降り南口から出て、踏切を渡って駅の北側の商店街を歩く。 商店街の狭い道路は渋滞中、どうやら毎度のことらしい。、、、、新宿線が地下化すれば、渋滞解消、それまであと数年の辛抱! 

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● 沼袋4丁目に真言宗豊山派の「実相院」がある、、、、正平7年(1352)に新田一族が足利軍と戦ったとき、 新田六郎左衛門政義の三男、矢島三郎信氏の子孫である矢島内匠、同図書が戦いに破れ、結城氏一族とともに沼袋村に来て 一家屋を建立したのが起源であるらしい。 現在でも矢島姓を名乗る檀信徒が半数以上を占め、別名「矢島寺」とも呼ばれているそうだ。、、、、軒先に黄金の燈籠が連なっている本堂は昭和56年(1981)に鉄筋コンクリート造で改築された。 明かりが灯ったときに、ぜひ見てみたい!、、、、境内には、歴史を物語るような苔むした、馬頭観音、庚申塔、石仏が多く並んでいる。

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沼袋2丁目には、いくつかの寺がある。 今日は3ヵ寺に寄ってきた。

・・・・・・・・・・・・まずは「明治寺(めいじでら)」、、、、明治寺は真言宗東寺派の寺院。山号は、「新浮侘落山」(しんふだらくさん)、院号は「世尊院」、本尊は如意輪観世音菩薩、創建は大正元年(1912年)12月17日。 明治45年に明治天皇の病気平癒を祈るため、榮照法尼によって観音菩薩石像の建立されたのがそもそもの始まりである。 しかし観音開眼を待たずして明治天皇が崩御されたため、明治天皇のご冥福と明治時代という波乱の時代を振り返り、大正元年に観音開眼供養が行われた。 その後当寺に一大観音霊場を築きたいと呼びかけたところ、政財界から庶民に至るまで多くの賛同者が現れ、大正5年までに百観音が整った。 百観音とは近畿一円に広がる西国三十三箇所と、関東地方の坂東三十三箇所、それに秩父の周辺に広がる秩父三十四箇所の札所の合わせて百箇所の札所を総称したもので、それらの仏像の写しを当寺院の境内に祀ったものである。 境内本堂前の「観音霊場」には百体の以上の石仏がありそうだ!、、、、現本堂は、銅板葺き、コンクリート造、宝形造り屋根で、シンプルな美しい造りである。

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・・・・・・・・・・・・真言宗御室派の「密蔵院」は、十善山蓮花寺と号す。 密蔵院は徳川家康の招きにより、慶長16年(1611)矢之倉(現:中央区東日本橋)に寺地を拝領して創建した。 明治43年(1910)に現在地に移転した。、、、、小さな寺で、山門の冠木門が珍しい。 本堂は普通の家で、中央の広間を本堂にして仏壇を置き、開けっ放しにしている。

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・・・・・・・・・・・・日蓮宗寺院の「久成寺」は、法光山と号します。 久成寺は、慶長12年(1607)に創建、明治44年(1911)現在地へ移転した。

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● 中野区沼袋から新青梅街道を横断し、江古田通りを北上し、江古田3丁目に入ると、真言宗豊山派寺院の「東福寺」がある。 東福寺は、金峯山世尊院と号す。 東福寺の創建年代は不詳だが、天正年間(1573~1593)江古田村の村民が開基となり、村内御嶽山に創建したと伝えられます。 江戸時代には3代将軍家光が鷹狩りの際に休息し、3代将軍吉宗は御膳所に指定した。、、、、この東福寺がある小高い処は、御嶽山と呼ばれている。 この寺の上には、かつて「国立療養所中野病院」があったが、平成5年(1983)に閉院した。 跡地は東京警察病院看護専門学校、国立医療センター宿舎などに変わった。 また、東福寺の北隣りにあるマンション「ベルテ中野江古田」は、大スター三波春夫の邸宅跡である。

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● 目白通りをこえて練馬区に入ると、豊玉北1丁目のビルの1階玄関脇に機関車が置かれている。、、、、機関車は「旧陸軍鉄道聯隊 E18型 蒸気機関車」である。 大正10年(1921) ドイツのOrenstein&Koppe社製 機番9538 陸軍鉄道聯隊に納入。 千葉市の兵器補給廠で活躍したそうだ。 昭和20年、大蔵省に移管され西武鉄道に譲渡。同47年からユネスコ村に保存展示された。 ユネスコ村で見た人も多いと思う、懐かしい機関車だ!

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● 西武池袋線「江古田駅」に、汗ダラダラで熱中症にならず無事到着。 雅万歩、いたって快調、体調に問題なし。 早く帰ってシャワーを浴びたい!

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2020年10月 3日 (土)

上石神井と上井草

今日は、西武新宿線の上石神井駅から散歩はスタート。 西武新宿線の上石神井車両基地を一回りしてから、進路を南に取りJR中央線西荻窪駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 高田馬場で西武新宿線の急行に乗って、二駅目、上石神井駅で下車した。(この駅に来た特段の目的は無い。 ただ次の田無駅まで乗ると、散歩の時間が少なくなるので、下車しただけ)、、、、昭和2年(1927)4月16日、西武村山線(西武新宿線の前身)高田馬場~東村山間の開業と同時にできた駅。 駅は、島式ホーム2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有している。、、、、町名:上石神井(練馬区)の北には下石神井(練馬区)がある、元々は上・下合わせて石神井村であった。 明治の町村制で“上”と“下”に分かれた。 ちなみに“上”は京都に近い方を指す。 西武池袋線の石神井公園駅は下石神井のさらに北側の石神井町にあり、当駅とは直線で2.3km程離れている。(近くはないよ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅の上井草寄りには上石神井車両基地がある。 ここまで来たら、車両基地を一巡り!、、、、現在、西武新宿線(井荻~西武柳沢駅間)の連続立体交差化計画が検討されており、案においては当車両基地は高架化され、上下本線の間に5本、下り本線の南側に2本の計7本の車庫線が整備されるそうだ。 いつになったら実現するのか不明?

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● 練馬区上石神井の町には、西武新宿線の上石神井駅があるが、その他には“これと言ったもの”は無い。 東隣の杉並区上井草の町も似ている上井草駅はあるが、その他には話の種になるものが無い。 あるのは、高級住宅でもなく、バラックでもなく、中流サラリーマンが住んでいそうな住宅である。 “上石神井”と“上井草”似てるね、間違えないで要注意!、、、、あまり、キョロキョロすることもなく町を抜け、都立杉並工業高校の前をとおり早稲田通りに出た。

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● 早稲田通りの向こうは、杉並区今川の町。 “今川”と云えば観泉寺だ! 今日は、あえて寄らずに、早稲田通りを西へ向かい、杉並区善福寺の「井草八幡宮」に寄ってみた。、、、、青梅街道と早稲田通りの交差点にある。 都内でも有数の広大な社叢を誇る井草八幡宮の創建年代は不詳だが、建久年間(1190~1199)の創建といわれている。 源頼朝や太田道灌が戦勝を祈願、慶安2年(1649)には、江戸幕府より社領6石の御朱印状を拝領した。 昭和3年郷社に列格し、昭和41年(1966)には別表神社に列格。、、、、明治神宮とは比べられないが、かなり広い境内である。 スケールの大きな神社だが、歴史ある建物、話題の少ない神社だ!

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● 杉並区善福寺1丁目の住宅地を抜け、善福寺川を越えれば西荻窪駅

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2020年2月17日 (月)

練馬のアパート

西武池袋線の練馬駅から歩いてみようと思い、池袋駅で停車駅を確かめずに発車直前の電車に乗った、ドアが閉まり『次は石神井公園です』の車内アナウンス、『アリャ、シマッタ!』 電車は急行で、練馬駅を通過し、石神井公園までノンストップ。 練馬駅はアキラメタ。、、、、今日の散歩は、石神井公園駅から、西武新宿線の井荻駅まで、1万歩。




●練馬のモダンな駅? ・・・・・・・現在の石神井公園駅は、大正4年(1915)4月15日、武藏野鉄道開通と同時に「石神井駅」とし開業した。 昭和5年(1930)には、三宝寺池周辺が風致地区に指定され、その後、石神井池(ボート池)が造成されるなどし公園化が進められ、昭和8年(1933)に「石神井公園駅」に改称した。、、、、平成19年(2007)から高架化工事に着手し、平成24年(2012)には上下線の高架化が完了した。 現在は島式ホーム2面4線の大きくモダンな高架駅である。 乗客のセンスもよさそうで、“西武線”というより“小田急線”の駅と云っても通用しそうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・・駅前ロータリーにあった「石神井火車站之碑(しゃくじいかしゃたんのひ)」、、、、大正4年(1915)の武蔵野鉄道石神井駅開業を記念し、大正9年5月に造立された石碑です。 高さは、3m50cmある。、、、、碑の上部には「石神井火車站之碑」と刻み、「火車」は中国語で「汽車」、「站」は「駅」の意だ。 下部の銘文は漢文・漢詩で、近くにある石神井城・三宝寺池・長命寺などの歴史や見所を記し、鉄道完成による利便や喜びを刻んでいるそうだ。 残念だが、私には漢文は“わからん文”で、“チンプン漢文”

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●練馬の名木! ・・・・・・・駅から南東に150m程に和田稲荷神社がある。 神社の創立年代等は不詳ながら、江戸期には旧和田地区の鎮守として祀られ、伝五郎稲荷、和田稲荷と呼ばれているそうだ。、、、、社殿前のシラカシは高さ18m、幹の周長3.8mで、練馬区内では最大級。 神社はどうでもいいが、シラカシは風格がある!

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●練馬最大の都営住宅! ・・・・・・・・石神井公園駅の南から、一つ手前(池袋寄り)の練馬高野台駅へ流れる石神井川の両側にズラリと立ち並ぶ都営住宅団地、これが「都営南田中アパート」である。、、、、昭和41年(1966)から昭和59年(1984)までに建てられた、1,753戸(約50棟)の練馬区内最大の都営住宅団地。、、、、この団地も少子高齢化により、年寄りが増えたようだ。 私が団地内を歩いていると、認知症らしいお婆さんと、サポートしている女性がいた。 団地近くの整形外科の前は老人の行列。 買い物カートにもたれて歩くお婆さん。 団地内を行きかう車はデイサービスの送迎車。、、、、噂によると、この団地には中国人も多く住んでいるそうだ。 それらしき人とは出会うことはなかったが、中国語で書かれた書類が掲示板に貼られていた。
・・・・・・・・・・・・・・石神井川の両側に連なる集合住宅、、、、川岸にはサクラも連なり、花見の季節が待ち遠しい!

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・・・・・・・・・・・・・・・ボロボロになった団地の案内図、、、、見ても、サッパリ?????

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・・・・・・・・・・・・・・・人気のない団地、、、、静かだ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地内の店舗は廃業?、、、、『おや、2・3の店が営業している』と思ったら、デイサービスの事務所であった

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●練馬の古刹! ・・・・・・・・南田中アパートから南へ300m程、南田中4丁目に、真言宗智山派寺院:観蔵院がある。 観蔵院は、慈雲山曼荼羅寺と号し、創建年月は不詳だが、文明9年(1477)現在地へ移転したそうだ。 昭和60年(1985)に落成した本堂と、その右隣には「日の出薬師堂」がある。 本堂裏の墓には元和元年(1615)という銘の墓もあるそうで、練馬の古刹だ。、、、、寺には曼荼羅美術館があり、観蔵院両部曼荼羅などが展示されているらしい、土日のみ開館で今日はダメ! 残念!

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●練馬の竹林! ・・・・・・・・観蔵院の南側に「おくらやま憩いの森」という区立公園がある。 この公園、“公園”と言っても竹林である。 土地所有者の好意で公開されているそうだ。 もちろん、その時期になると竹の子ができるそうだ。、、、、竹林の中に入ると、癒しの空間となる。

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●練馬から杉並に! ・・・・・・・・環八通りを南下して、練馬区から杉並区に入り、西武新宿線井荻駅に来た。 井荻駅は昭和2年(1927)4月16日に開業。 現在は、相対式ホーム2面3線の地上駅で、上下線ホームにそれぞれ南口、北口駅舎がある。 駅前の環八通りは、自動車は跨線橋で、人は地下道でそれぞれ線路を横断する。

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・・・・・・・・・・・・・・今日の散歩はココ井荻駅までとする、井荻駅前からバスで荻窪駅へ。 

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2019年11月 7日 (木)

下練馬宿

自衛隊の哨所をぜひ見たく、東武東上線の東武練馬駅で下車し、陸上自衛隊練馬駐屯地へ行ってきた。 1万歩の散歩です。




●宿場の駅! ・・・・・・・・池袋から東武東上線に乗って7駅目、東武練馬駅で下車した。、、、、東武練馬駅は昭和6年(1931)12月29日に開業。 10両編成の電車が発着する相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。 駅舎・改札口は上りホーム側の北口と下りホーム側の南口の2か所があり、それぞれホーム西端に直結している。 上りホーム中央部には平日朝7時30分から8時30分までの1時間限定で供用される入場専用の臨時改札口がある。

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・・・・・・・・・・・・・・下りホームにあった水道の蛇口。 これは、乗客の手洗い用か、スグ近くにトイレがあり、こちらにはきれいな洗面台もあるだが? または、飲料用か、上向いて蛇口に口開けて飲むの? 掃除用か、ホームの中央に置く必要はないね? 考えると謎は深まる! 

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・・・・・・・・・・・・・・『板橋区に在って東武“練馬”駅とは是如何に』『品川区に在って目黒駅と云うが如し』 東武練馬駅が開業した昭和6年(1931)の時点では、駅の北側は北豊島郡赤塚村(駅の所在地)、南側は北豊島郡練馬町であった。(まだ区にはなっていない) 駅名として、駅南側を通る旧川越街道の下練馬宿にちなみ、「練馬」を使うことにしたが、当時すでに武蔵野鉄道(現:西武池袋線)に「練馬駅」があったことから「東武練馬」と命名した。 翌昭和7年(1932)には、北豊島郡は板橋区となる。 戦後、昭和22年(1947)広大な広さであった旧板橋区が、新たな板橋区と練馬区に分割され、現在の23区となる。 この時、駅のある赤塚村、駅の南側の練馬町がそれぞれ新板橋区、練馬区に属し、駅南口に面する道路が区境となった。 東武練馬駅は板橋区に残ることとなった。



●宿場の一画! ・・・・・・東武練馬駅南口前の通りから一本南側の通りに出ると、そこは旧川越街道で商店街となっている。 その出たところに、仁王、聖観音、馬頭観音がそれぞれ門と堂に納まっている、北町観音堂がある。 江戸周辺を探訪した小石川の僧が著した紀行文『遊歴雑記』にも、文化12年(1815)にここを訪れた記述があるそうだ。 往来の人々の信仰や、赤塚村への分岐道の目印だったらしい。

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・・・・・・・・・・・・・・まずは、仁王門の阿形像・吽形像。 両像とも天和3年(1683)の銘がある。

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・・・・・・・・・・・・・・仁王門の奥、観音堂には高さ270cmの聖観音像。天和2年(1682)の銘。  小さい堂には、高さ138cmの馬頭観音像。 製作年代不詳だが、江戸時代の作らしい。、、、、どちらも、小さい像であるが重そうだ、盗まないで!

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・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂の横に、昭和の純喫茶「喫茶 ボタン」があった! モーニングにおにぎりセットもあるらしい。
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●宿場は下練馬宿! ・・・・・・・・・・・・・・・・・北町観音堂のある東武練馬駅周辺(練馬区北町2)はかつて下練馬宿であった。 今は立派な駅前商店街。 街では宿場町として売り出し中!

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・・・・・・・・・・・・・・街の中の街、北町観音堂から40m程の「北町楽天地」。 素敵な、昭和の歓楽街、会社帰りに寄ってみては!

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・・・・・・・・・・・・・・こちらも、昭和で時間が止まったディープスポット、北町楽天地からすぐの「北町アーケード・ショッピングセンター 」。 アーケードの色あせ焼け焦げたネオンがに誘われそう!

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●宿場の富士山! ・・・・・・北町アーケード・ショッピングセンターの斜め前に北町浅間神社の鳥居が見える。、、、、北町浅間神社は、下練馬宿の中程に位置する神社であるが、創建は明治期前後と比較的新しい。、、、、鳥居は、明治5年(1872)建立の明神鳥居(一の鳥居)と社殿前の大正4年(1915)建立(二の鳥居)があり、社殿は珍しい石造。、、、、社殿の左側には、傾斜面を利用した立派な「下練馬の冨士塚」がある。 登山道は、つづら折り道、直登道、下山道、お中道など、複数のコースが用意されている。 標高37.76mのここなら、遭難の心配はないと思う!

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●宿場の小さな堂! ・・・・・・旧川越街道の家並みの裏手に回ると、参道の両側にたくさんの石仏が並ぶ阿弥陀堂(練馬区北町2)がある。 一見すると普通の住宅と間違えるような、小さな堂である。、、、、阿弥陀堂の墓地には、千川上水開設の功労者である千川家の累代の墓があります。 千川上水は元禄9年(1696)江戸下町方面の飲料水として玉川上水から分水された水道で、工事には徳兵衛・太兵衛の二人が当たる。 私費を投じて工事を完成させた功績により、両人は江戸幕府から苗字帯刀を許され、千川家の姓を賜る。 開通から10年後の宝永4年(1707)、上水は附近の20ヶ村の農民の願いで、灌漑用水として利用できるようになった。 両人の子孫は代々下練馬村(現:北町)に住み、千川上水の取締役として維持管理に努めた。

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●宿場近くの駐屯地! ・・・・・・・・本日の散歩の目的地、陸上自衛隊練馬駐屯地に来た!、、、、ココ練馬の駐屯地は、昭和5年(1930)東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫として始まった。 戦後は、昭和26年(1951)に警察予備隊が久里浜から移転。この時、敷地面積を8万坪に拡張。 昭和29年(1954)には保安隊を経て、陸上自衛隊へ移管。 平成14年(2002)に、第1師団が政経中枢師団へ改編。、、、、この駐屯地の中に自衛隊の資料館があると道すがら聞いていたので、門の前に立つ隊員に尋ねると、『資料館はありますが、イベントがある日に公開しますので、その時おこしください』 ヤッパリ、見学できなかった。 今日の今日は無理だね!

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・・・・・・・・・・・・・・浅草橋(我が家)から遠路はるばる散歩にやってきたのは、資料館を観たかったのではなく、西門の側にある連隊門哨所を見るためだ。 こちらは、門の外にあるので365日24時間見学可能。、、、、この連隊門哨所について、『第一普通科連隊の前身「警察予備隊普通科第1連隊」は、昭和26年9月28日に、久里浜駐屯地から練馬駐屯地に移駐した。 この哨所は、移駐から約2か月後の昭和26年(1951)11月15日に竣工し、以来、昭和46年(1971)11月にこの連隊門(西門)閉門するまでの約20年間、駐屯地警備に使用された。』と説明されている。、、、、歴史を感じるコンクリート製の哨所、今日の散歩は、これが見たかった! 

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・・・・・・・・・・・・・・ついでに、駐屯地前に立ち並ぶ官舎。 “イザ鎌倉”の際は、この官舎から大勢の自衛官が出動するのだろね!


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●宿場から遠くはずれ! ・・・・・哨所を見たら、駐屯地前の川越街道を西へ歩き、東京メトロの地下鉄赤塚駅から帰宅。、、、、地下鉄赤塚駅は有楽町線と副都心線が乗り入れる駅。 昭和58年(1983)6月24日に帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線の営団赤塚駅として開業。 平成16年(2004)4月1日には、交通営団の民営化に伴い、駅名を「地下鉄赤塚駅」に改称。 平成20年(2008)6月14日、副都心線開業により、当駅は有楽町線と副都心線の共用駅となる。 島式ホーム1面2線の地下駅で、川越街道(国道254号)の直下にある。

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