千葉県

2019年11月13日 (水)

二十世紀梨の町

散歩に出たが、スッキリしない空模様。 浅草橋から浅草線に乗り、車中で『どこで降りようか?』下車駅を考えたが決まらないまま、押上・青砥・高砂と過ぎ、北総線に突入した。 天気も悪そうなので、『やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たない』と、寅さん気分で北国分駅で降りてみた。 駅を出たら『東西南北 どちらに行こう 駅前のバス通り マドンナ探しに 松戸へ向かう』 てなことで、今日は松戸駅まで、1万1千歩の散歩です。




●太陽が見える地下駅! ・・・・・・・・平成3年(1991)3月31日に開業した北総線北国分駅は、 掘割による半地下構造で、地表からホーム面までは11.7m程である。 地下1階は改札口・コンコースなどがあり、地下2階に相対式ホーム2面2線を有する。 ホームの両端からはトンネルが見える。、、、、一日の平均乗降客は8千人程で、通勤時間帯でも電車を待つ人はまばら。 

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●二十世紀梨の発祥地! ・・・・・・・駅の近くの幹線道路:千葉県道180号松戸原木線。 松戸市松戸の国道6号との交点である「陣ケ前交差点」を起点とし、市川市、船橋市を経て、市川市原木の終点:インターチェンジまで伸びる一般県道。 平成12年(2000)までは市川松戸有料道路として運営されてきたが、現在は無料化されている。、、、、今日は北国分駅付近から陣ケ前交差点まで歩いた。 

・・・・・・・・・・・・・・北国分駅から県道につながるバス通り。 北国分駅の北側:駅前三叉路で県道にぶつかる。、、、、この付近までは市川市、これより先は松戸市となる。

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・・・・・・・・・・・・・・県道180号は「二十世紀が丘」の町を貫いている。、、、、この町は昭和56年(1981)の町名地番整理にて、美野里町、丸山町などの7町が「二十世紀が丘」を冠する町名に改めたそうだ。 この「二十世紀が丘」 の名は、明治21年(1888)に当地で梨農家を営んでいた松戸覚之助が発見した「二十世紀梨」に由来し、さらに当地が高台にあるので“丘”を足して命名されたそうだ。、、、、私のようなよそ者が、名から想像するのは果物ではなく洒落た近代的イメージで、現実には、チョイト、ギャップがあるようだ!、、、、道路沿いに、いま流行の作業服を扱う店。 新鮮野菜を直売する店もある。 そして、多いのはファミレス等のチェーン店。 かわいらしい交番もあった。 そして最後は陣ヶ前交差点に出る。

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●木製です! ・・・・・・・松戸にあった、私好みの木造家屋、、、、一つは、チョイト倒れかけている木造倉庫(?)、、、、もう一つは、下見板張りの外塀に、木製の塀。昭和チックな平屋住宅

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●陸軍工兵学校跡! ・・・・・・松戸駅の東側のイトーヨーカドーに隣接する聖徳大学、松戸市立第一中学校、松戸中央公園は、全て陸軍工兵学校の跡地であった。、、、、陸軍工兵学校は大正8年(1919)に相模台(現在の松戸市岩瀬の高台)の松戸競馬場の跡地に開校した。(松戸競馬場は現在の中山競馬場に移転)、、、、その陸軍工兵学校の正門(大正9年完成)が現在は中央公園の正門として保存されている。 また、門の隣にはコンクリート造の歩哨哨舎(昭和10年頃完成)も残されている。、、、、(モノクロの写真は、松戸中央公園の説明板に載せられていた陸軍工兵学校正門の写真)

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・・・・・・・・・・・・・・・陸軍解体後の昭和20年(1945)からは、跡地に千葉大学工学部があったが、同校は昭和39年(1964)に千葉市へ移転した。、、、、公園内に、平成13年(2001)に千葉大工学部によって碑が建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・公園の近くに「陸軍」の境界石が残っていた。 付近には、いくつもの陸軍の境界石が残っているそうだ!

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●30分で帰宅、速い! ・・・・・・・JR常磐線の松戸駅から帰宅する。 松戸から上野まで快速電車で約20分。 我が家(浅草橋)までは約30分、速いね!

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2019年10月10日 (木)

ママに向かって、スタコラサッサ

今日も敬老パスで、浅草橋から都営地下鉄(北総線印旛日本医大行)に乗った。 「どこで降りようか?」電車の中で思案橋! 考えている間に、押上・青砥・高砂とすぎ、とうとう北総線に入った。 ついに考えがまとまらず、ヤケッパチで飛び降りた駅が秋山駅。 何度も散歩に訪れている駅で、どっちに向いて歩いても、来たことある処だ! 新しい発見は期待できず。 こういう時はよそ見せずに、ひたすら健康のため歩くことにする。 京成本線市川真間駅まで、1万1千歩の歩きです。、、、、今日の散歩コースは昨年5月15日と全く同じです。




●寂しい駅ですね ・・・・・・一日の乗降客数は約7,300人と少ない、千葉県松戸市の南に位置する秋山駅。 いつまでたっても、駅前にコンビニ、パチンコ屋、居酒屋が開店する気配はなく、寂しい駅。 訪れたよそ者には、駅構内の売店が唯一の店舗だ!、、、、駅前ロータリーには、バスも、タクシーも、自家用車も止まっていない。 止まっているのは、駐輪場の自転車のみ。

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●ここは市川市稲越町 ・・・・・・・ネギの香りが鼻をピリピリ刺激する畑を抜け、住宅地を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から700m程歩くと、千葉県市川市の北部に位置する稲越町に入る。 北総台地の西の端でもある。、、、、判るかな、稲越町から眺めるスカイツリー? (18/5/15の記事に答えがある)

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・・・・・・・・・・・・・・この辺りにでは梨御殿をアッチ・コッチに見ることができる。 梨って儲かるようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・稲越町の南端:県立国分高等学校前から市川駅行のバスが出ている。 ここは、バスの終点であり、起点でもある。 生活の足として、多くの乗客が利用している。 市川駅まで、15分、240円は、高いか?安いか?スルメイカ。

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●次は市川市曽谷の町 ・・・・・・・北総台地を下り、曽谷貝塚で有名な市川市曽谷の町を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・国分川調整池に出てきた。 大きな緑地となっており、池ではサギが遊んでいる。 サギが舞う公園になると、住民に喜ばれそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・曽谷橋の交差点(曽谷と東国分の境)に国分交番がある。 国分交番の歴史は古く、昭和19年(1944)に国分交番の前進となる国分村立勤一所が当時の国分村に設置され、その後幾多の組織変更・移転を行い、昭和50年(1975)に現在の交番が建てられた。 これぞ、“ポリスボックス”と言うような、飾り気のない四角い箱型の建物である。


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●さて市川市国分の町 ・・・・・・下総国分寺の東側で外環道を越え市川市国分の町に入る。

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●続いて、市川市須和田の町 ・・・・・・・・・・・須和田は真間川の北側に広がる町。 バス通り沿いに六所神社が鎮座する。、、、、六所神社というのは、“下総の国”、“上総の国”と呼ばれていた時代、国府の近くに造られた総社の一つ。 国司はここに参拝すれば、国内の一ノ宮から六ノ宮までを巡ったことと同義となり、効率を良くすることができた。 よくよく考えると、国司は「手抜き」していたことになる。 昔も今も、要領良くルールを変える者がいる。、、、、神社の賽銭箱は鉄の檻に入れられ、鎖で縛られ、チョイト痛々しい状態だ。 大金は入っていないと思うが、取り出すのも大変だ!

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・・・・・・・・・・・・・・夏の名残と秋到来

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●ママはすぐそこ! ・・・・・・真間川を渡り真間の町に入れば、市川真間駅はスグそこ。

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2019年9月27日 (金)

県道1号は松戸街道

北総線矢切駅から松戸街道(県道1号)沿いに歩いて京成本線国府台駅まで、1万歩の散歩です。




●朝の通勤ラッシュがない! ・・・・・・江戸川を挟み柴又と矢切を結ぶ「矢切の渡し」、今は観光で利用する人が大半だろう。 まして、朝の通勤に渡し舟を利用する人はいない。(利用したくても、運行開始は10時から) 通勤客は運賃がチョイト高めだが、矢切駅から北総線を利用して都心に向かう。 その矢切駅、一日の乗降客は8,000人程で朝のホームに並ぶ人も少ない。、、、、地下駅であるため、特急電車がものすごいスピード、ものすごい騒音で通過していく。

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●県道1号をスタコラ・サッサ! ・・・・・・・矢切駅前をとおり千葉県市川市と千葉県松戸市を結ぶ松戸街道(県道1号)。 私も駅前から県道を市川方面に歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・県道から顔を西に向けると、平成29年国の登録有形文化財に指定された、千葉県水道創設時の円筒形高架水槽「栗山浄水場配水塔」(昭和12年完成)が見える。、、、、チョイトかわいらしい給水塔だ!


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・・・・・・・・・・・・・・浄水場の見える交差点から南側は、住所が松戸市栗山から市川市国府台となる。 その市境に天台宗寺院の泉養寺(醫王山無量院)がある。 泉養寺は、深川を開拓した深川八郎右衛門が開基となり、秀順法師が慶長元年(1596)深川元町に創建、元禄6年(1693)猿江へ移転した。 その後、関東大震災にて被災し、昭和2年(1927)現在地へ移転した。、、、、江戸深川にあった寺で、俳人:松尾芭蕉とも縁ある寺らしい。


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・・・・・・・・・・・・・・泉養寺から100m程行くと、浄土宗寺院の源光寺がある、この寺は両国回向院の別院である。 源光寺は、両国回向院が関東大震災で被災したことから、両国回向院の上人が開山となり、江東区の専受院も合併して昭和4年(1929)に開創した。、、、、寺の本堂は平成21年(2009)にモダンな本堂に建て替えられた。 この本堂は、建築家:河原秦の設計で「千葉県建築文化賞」を受賞したそうだ。、、、、赤い山門をくぐり、緑豊かな参道を歩き、コンクリートを木造で覆った本堂の前に出る。 堂の中には本尊の阿弥陀如来像。、、、、本堂の2階はカフェになっているそうだ、また写経などもできるらしい。 これぞ、“カフェ寺ス”!


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・・・・・・・・・・・・・・源光寺から南(市川寄りに)に歩くと、松戸街道の東側には「じゅん采池緑地」があり、西側には「国府台緑地」がある。 今日は、どちらの緑地も寄らずに歩く。、、、、国府台4丁目の「飛地天満宮」に寄ってみた。 かつて、この地は国府台村の飛地であった。 この地の村人は、本来は「国府台天満宮」を信仰するのであるが、国府台天満宮から離れているため、近くの栗山(松戸市)にある天満宮を信仰していた。 ところが、栗山の天満宮が祭神を変えたため、天神様を信仰したい村人と争議が起こった。 村人は向島(墨田区)の三囲神社に相談し、河内(大阪府)の道明寺天満宮から分祀を受け国府台道明寺天満宮とした。 こうして、一件落着したそうだ。 以来、今もここは三囲神社の神主さん兼務している。、、、、、まさに、信仰もここまですると、頭(こうべ)も下がる、神様、天神様々! 


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・・・・・・・・・・・・・・バス停「公民館」が見えた。 バス停の前に公民館があった。 今どき“公民館”とは、懐かしい響きである。、、、、今は“公民館”と言わず、“生涯学習センター”、“交流館”などと称する処が多いと思う。

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・・・・・・・・・・・・・・国立国府台病院の前を歩く。 国府台病院は、平成22年(2010)に独立行政法人に移行し、『国立研究開発法人』となり、正式名称も国立研究開発法人 国立国際医療研究センター国府台病院となった。、、、、かつては国府台陸軍病院と称したこともある国府台病院。 今は高度医療を追求するナショナルセンターであり、地域の総合病院でもある。


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・・・・・・・・・・・・・・ここまで県道1号を歩いてきたが、県立国府台高校の前に来て、思い出した! 『そうだ、この高校の奥に赤レンガ造りの旧千葉県血清研究所の建物があるはず、ヨシ、見に行こう!』(私はまだ見たことがない建物)、、、、急遽、県道をそれて和洋女子大の西側(裏側)に向かう。 ところが残念なことに、旧千葉県血清研究所に向かう道は封鎖され、工事中の警備員に注意され、建物を見ることができず。 ガッカリ!  

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●汗をかきかきスタコラ・サッサ! ・・・・・・県道1号から江戸川の土手に出た。 残暑厳しく汗をかきかき、国府台駅まで土手を歩く。 

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●学生の駅! ・・・・・・・・京成本線の国府台駅、降りてくるのは学生ばかり。 和洋女子大、千葉商科大、東京医科歯科大の最寄り駅。 一日当たり13,000人が乗り降りする駅。 客の多くは学生さんか?

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2019年9月22日 (日)

綺麗な花には毒がある

明日は彼岸中日、運悪く台風17号の襲来と重なり、天気はどうなることやら? 我が家の墓は、東京の外れにあり、千葉の台地にあり、どちらにしても都心でないため、チョイト簡単に『行って来るよ!』とはならない処。 朝の天気予報では、昼過ぎまではもちそうだ。 ヨシ、今日は千葉方面の墓参りに行って来よう! 夫婦で花を携え霊園へ。、、、、(散歩は休み)

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・・・・・・・・・・・・・・墓を掃除していると、隅に一輪の愛らしい白い花が咲いていた、摘まずにそのままにしてきた。、、、、後で、調べてみたら、花の名はゼフィランサス (タマスダレ)で、6~9月頃に咲く野生化した外来種であった。 茎はノビルに似ているが有毒でアブナイ!、、、、綺麗な花、愛らしい花は、やはり手を出さない方がいいようだ! 

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2019年9月13日 (金)

寺院・火葬場・墓地、一式あり!

正午の気温23℃、湿度68%、半袖ではチョイト肌寒い人もいる、秋風が優しく吹く天気。 昨日まで夏、今日から秋だ! 夏場は熱中症が恐くて歩けなかった北総線沿線の散歩に出た。 手始めに、北総線大町駅で下車し、市川霊園を抜けて、武蔵野線市川大野駅まで、1万1千歩の散歩。




●ラッシュ時間がない駅! ・・・・・平成3年(1991)3月31日に開業した北総線の大町駅。 駅の1日平均乗降人員は1,700人に満たず、市川市内さらに北総線内でも、鉄道駅として最も乗降客が少ない。 駅の南側はゴルフ場、市営公園、市営霊園で、住宅地は北側だけで、駅勢圏も狭く、鉄道駅としての需要が少ないことによる。、、、、通勤・通学時間にホームに立つ客の数が正確に数えられる駅。 特急スカイライナーが猛スピードで通過するホームに、危険を知らせるアナウンスも必要ないようだ!

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●大町から大野への道 ・・・・・・・大町駅を通る「大町梨街道(国道464号)」からチョイト脇にそれて、ゴルフ場と市営公園に挟まれた間の道を南へ歩く。
・・・・・・・・・・・・・・市川の名産“梨”を売る農家が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、道沿いの梨園を拝見。 先日の台風15号にヤラレタか、美味しそうな梨が落ちていた。

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・・・・・・・・・・・・・・約10,000坪の広さがあるフィールドアスレチックが楽しめる「ありのみコース」。 BBQも楽しめる処。 まだ、営業前で閉まってます!

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・・・・・・・・・・・・・・アスレチックの隣り、「市川市動植物園」も台風にヤラレタようだ、“立入禁止”の貼り紙がある。、、、、倒木・落下物で園内を歩けないらしい! オラウータンも、ロバも、猿も、しばらく仕事は休み、檻の中で昼寝もOK!

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・・・・・・・・・・・・・・道路の反対側には、木立に囲まれ市川市斎場がある。 火葬炉は10基、通夜・告別式にも利用できる式場もある。(結婚式はダメ) お一人様の火葬料は非課税で、市内居住者は6,750円、子供は割引で4,720円也。、、、、私も何度か訪れたことがある斎場、結構利用されているようで、毎日が順番待ちのようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・市川市霊園、市川霊園、総武霊園など、複数の霊園が火葬場を取り囲むようにある。 広い丘陵に墓石の波形を作り並ぶんでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・火葬場・霊園と続けば、坊さんの需要もあるはずで、近くには寺院もある。、、、、まずは、火葬場に近い浄願寺。 浄願寺では、直送から家族葬まで規模に応じて、低価格で厳粛な葬儀を行うことができるそうだ。 お寺の宗派は?(何でもOKかも)

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト奥に入った処には、日蓮宗寺院の曽谷山礼林寺がある。 礼林寺は、曽谷城主曽谷教信(法蓮阿闍梨日礼)の菩提を弔うため、娘の芝崎姫(妙林日貞法尼)が当地に創建したと云われている。 手入れの行き届いた境内には、本堂、庫裏のほか、稲荷大明神と釈迦を祀る感応殿や牛頭天王神社がある。、、、、今日は、本堂にカーテンがひかれ、内部を見ることができなかった、休日だったのかも!

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・・・・・・・・・・・・・・キリスト教の方は、浄願寺の近くに、市川北バブテスト教会もある。 昭和55年(1980)総武線下総中山駅近くの肉屋)の二階を借り、開拓伝道によりスタートした。 昭和63年(1988)に市川市大野町に200坪の土地を購入し、現:教会堂が建設された。

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・・・・・・・・・・・・・・教会前の上り坂の細い道を奥へ歩く。 両側に梨の木を見ながら、さらに奥へ道は続く。 痴漢にでも襲われたらどうしよう、チョイト不安になった頃、正面に鳥居が見えた。

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・・・・・・・・・・・・・・・出てきた処は、駒形大神社(こまがただいじんじゃ)の脇の鳥居だったので、正面参道から参ることにした。、、、、駒形大神社は市川市大野町に鎮座する神社で、旧社格は村社、大野町(旧大柏村)の鎮守である。 香取信仰の経津大神を御祭神にしており、市川大野の地に残る平将門伝説から将門公を合祀している。 拝殿は平成27年(2015)に改装された。、、、、大神社というだけあって、境内は広く、社殿・社務所も立派です。 村の多くの神社が合祀されたみたいで境内社も多い。 神輿の倉も立派です。 立派なわりには、村人以外には参拝に訪れる人も少ないようだ。 観光地化されておらず、ちょっと勿体ないね!

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●ワースト5にランクイン! ・・・・・・・武蔵野線の市川大野駅は昭和53年(1978)に開業した。 相対式2面2線と中線のある高架駅。 一日24,000人程が乗降する駅である。 武蔵野線の中ではワースト5に入る、乗降客の少ないである。

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2019年6月14日 (金)

市川にもあった,,,,新田

江戸川区とは川を挟んで隣りの千葉県市川市にも「新田」がある。 今日の散歩は、JR総武線市川駅で下車し、駅に隣接する新田の町を歩き、市川駅に戻る、1万3千歩。

・・・・・・・・・・市川市新田(しんでん)の町は、JR総武線市川駅の東側に隣接し、総武線の北側に新田1丁目と新田5丁目、南側に新田2丁目~4丁目がある。 新田1丁目と5丁目の北側の端には、京成本線の線路が走り、「市川真間駅」と隣の「菅野駅」が新田の町に隣接する。 南側は市川市大洲の町と接する。




●朝のラッシュ時の駅・・・・・朝8時市川駅に到着。 これから学校へ、会社へ、皆さまご苦労さま!、、、、仕事がなくなった私には、通勤していた頃が懐かしい。

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●歴史ある建物がなくなった! ・・・・・・市川駅から千葉街道に出ると、西消防署の隣りに自然幼稚園がある。、、、、同支社大学で神学・哲学を修め、市川三本松教会で牧師をしていた創設者:石田締は、「人の”心の教育”は大人になってからでは遅い。幼児の頃から始めなければならない」と悟り、昭和6年(1931)市川市の人口が6万人あまりだった頃、静かな松林の中、しかも掘れば掘るほど綺麗な砂の出る地で、自然の中での純な人間教育を念願して自然幼稚園を設立した。 当時の建物が残っていると思い本日寄ってみたら、三年程前に取り壊し、新しい園舎に変わっていた。 また一つ歴史ある建物が消えた、残念!

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●新田はイチゴの産地だった! ・・・・・自然幼稚園の北側(市川1)に、松の木でこんもりとおおわれた墓地がある。 その墓地の中央が小高くなって、チョイト大きなお地蔵さまがある。 これぞ「新田」の由来となる、市川新田開拓の功労者:田中正成の墓碑である。 この場所は「地蔵山」と呼ばれている。、、、、「新田」の地名はこの田中正成によって開拓された地域を「市川新田」と呼んだことに由来する。 正成は明暦元年(1655)9月4日に没しており、子孫は代々新田村の名主を努めていた。 江戸時代の新田村は、今の国道14号線(千葉街道)に沿ってわずかに農家がその両側に並ぶ程度であった。明治35年(1902)に、ある農家がイチゴの栽培に成功し、新田一帯にイチゴ栽培が広まった。 大正6年(1917)には市川新田果物組合が結成され、イチゴの共同出荷が行われる。昭和に入ると露地イチゴ「マーシャル」も栽培された。 戦後もイチゴの出荷は続いたが、昭和40年代には宅地化が進み、栽培面積は減少の一途をたどり、市場から姿を消した。、、、、「新田」は当初、市川新田と呼ばれていたが、昭和26年新田町1丁目~4丁目となり、昭和43年(1968)の住居表示では新田1丁目~5丁目となる。

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●総武線の北側で市川駅より ・・・・・新田5丁目、、、、総武線の北側で、JR市川駅、京成市川真間駅に隣接する町。 中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・「地蔵山」の北側は京成本線の市川真間駅。 駅と線路は「市川市真間」だが、線路沿いの道路は「新田5丁目」。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の住宅地の奥にある洋館は国の登録有形文化財である。 東京深川で商事会社を経営していたかつてのオーナーが震災に遭遇し、大正13年に本邸をこの地に移した。 昭和2年(1927)完成のこの建物は、ゲストルームとして邸内の奥まった一画に建てられたもの。 木造3階建ての妻側の玄関ポーチ上に手摺を巡らしたバルコニーを設け、破風の拝みを押さえた半切妻、側面の軒先に付けた千鳥屋根など外観の意匠に留意している。 設計・施工は明治・大正の名大工「大亀」(私は知らない?)。、、、、現在は、「いちかわ西洋館倶楽部」として、ギャラリー&コンサートの会場となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の中央を貫く国道14号(千葉街道

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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道に面した参道入口から春日神社に参拝する。 300余年の歴史を持つ春日神社は、平成19年(2007)不審火により焼失したが、氏子、奉賛会、地元民の浄財により、平成20年(2008)に現社殿が落成した。 一年後には再建された神社、さすが、地元民は裕福なのか?、、、、社殿の後ろには、クロマツの大木が空に伸びる。

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●総武線の北側、5丁目の隣りは1丁目 ・・・・・新田1丁目、、、、総武線の北側で、5丁目に隣り合う1丁目。 ここも、中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・町のシンボル、街路樹に自然林のクロマツを活かした住宅地。 風格のある町、ナイス!、、、、もう一つ、風格ある住所案内板。

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・・・・・・・・・・・・・・春日神社に似た胡録神社。 千葉街道に面した参道、境内の大きさ、社殿の大きさ、賽銭箱の作り、、、どれも似ている! 祭神は淤母陀琉神、惶根命。 創建年代不詳だが、承応2年(1653)に再建したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・新田1丁目に接し、隣りの平田2丁目にある諏訪神社。 参道から境内までクロマツがお出迎え。
 
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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道から諏訪神社へ向かう裏道の角に石仏と道標があった。 石仏は上の方がつぶれてしまい、判別できず。 正面下に「寛政11年 富村講中」と読める。 道標には「左 宮久保山道」、横に「東京開運女人會」と彫られていた。 チョイト気になる“東京開運女人會”、若い娘の会か(?)、ババァの会か(?) わざわざ“女人”と言うからには・・・・・

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●町を分け、どこまでも続く ・・・・・総武線市川~本八幡間の高架橋。、、、、高架橋の北側が新田5丁目・1丁目、南側が新田2丁目・3丁目・4丁目。 北側は歴史を感じさせる町並みであったが、南側は新興の住宅地となる。 

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●総武線の南側、面白味のない住宅地 ・・・・・新田2丁目~新田4丁目、、、、アパート、マンション、住宅が混在する、どこもかしこも同じような雰囲気の住宅地。 まとめて紹介する!

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・・・・・・・・・・・・・・おや! 電柱に10数年前に話題となった「路上喫煙禁止」の案内。 なぜ今頃? 在留の外人向けか? それにしては、英語が見にくいね? 効果は????? 

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・・・・・・・・・・・・・・市川駅前に通じる「ゆうゆうロード」 この道が新田地区の西の端となる。

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●お疲れさま! ・・・・・1万3千歩の散歩も終わり、市川駅に到着。

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2019年5月29日 (水)

連日ついてない菖蒲!

堀切菖蒲園の感動(?)から三日目、異常に暑い日は過ぎ、今朝は一雨降り、午後は晴れた。 15時過ぎに、夕食前の散歩で小岩菖蒲園に行ってきた。 京成本線江戸川駅で下車し、JR総武線市川駅までの散歩です。




●土手の終着駅! ・・・・・・・・・・・・京成電鉄の歴史は古く、大正元年(1912)11月3日、押上~曲金(現:京成高砂)~伊予田間の開業に始まる。 この時の伊予田駅が現在の江戸川駅である。 駅は江戸川の土手にぶつかるように造られ、開業当時は貨物は伝馬船で、乗客は下流側に架かる市川橋で、対岸の市川(千葉県)に渡ったそうだ。 現在は相対式ホーム2面2線の高架駅で、ホームの端は江戸川土手に隣接している。、、、、特急も、快速も通過し、停車するのは普通のみ、一日の乗降客は6000人程で寂しい駅だ。

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・・・・・・・・・・・・・・江戸川駅の東で江戸川に架かる「京成電鉄江戸川橋梁」は、大正3年(1914)に当時千葉にあった陸軍鉄道聯隊の支援を得て、5連のトラス橋(初代)が架けられた。 現在の橋は、昭和54年(1979)に完成した2代目である。 橋長 433.2mの下路ワーレントラス橋。

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●ぼったくられた菖蒲園 ・・・・・三日前に堀切菖蒲園で体験した“あの感動”、今日も再び体験してしまった! 

・・・・・・・・・・・・・・土手の上から河川敷に造られた小岩菖蒲園を見下ろすと、人影はまばら、紫の花は見えない! アリャ、今日も失敗だ! 
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・・・・・・・・・・・・・・『5月から6月に約50,000本の花菖蒲が咲き誇る』の言葉に誘われて来たが、今日もガッカリ! 50,000本どころか、100本もない! 『カワイイ娘がいます、5000円ポッキリ』に誘われ入店したら、おばあちゃんばっかりで20,000円取られる店と同じ、来なきゃよかった!、、、、青々とした菖蒲田は、初夏の水田のように見える。

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・・・・・・・・・・・・・・100本の中から厳選した “カワイイ娘・美しい娘”のプロフィール。

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●関所があった旧伊予田村 ・・・・・・・・・・・・・江戸川駅前の南北にとおる道は「岩槻道」。 また駅の南側で岩槻道は東からの「佐倉道」と、西からの「元佐倉道」にぶつかる。 ここ旧伊予田村(現:江戸川区北小岩3・4)は旧道の要所で、関所が置かれていた処である。

・・・・・・・・・・・・・・江戸川駅前の北野神社は旧伊予田村の鎮守。 江戸時代にはこの地にあった稲荷神社と北方の北野神社が明治42年(1909)に合祀され、今の北野神社となった。 祭神には稲荷神社の倉稲魂命と北野神社の菅原道真、それに素戔鳴尊を加えた三柱を祀っている。

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・・・・・・・・・・・・・・北野神社の南隣には真言宗豊山派の寶林寺がある。 大秀法印(慶長12年(1607)没)が創建したと云われている。 本尊は不動明王。、、、、門前には寛文10年(1670)の地蔵庚申塔がある。

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・・・・・・・・・・・・・・寶林寺の南隣は、日蓮宗の本蔵寺。 寺は、元和8年(1622)浅草新寺町に大雄山本蔵寺と号して創建した。 明治43年(1910)に、当地にあった晴立寺と合併して当地に移転、晴立山本蔵寺と改称した。 また、当地にあった晴立寺は、正保4年(1647)に創建されたと云われている。


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●江戸川橋が市川橋に! ・・・・・・・・・・・・・・・・・国道14号(千葉街道)を通し江戸川に架かる「市川橋」。 旧名は「江戸川橋」であった。 現在の橋は、全長399m、2径間鋼平行弦連続ワーレントラス橋。 下り線は昭和38年(1963)、上り線は昭和42年(1967)に、事業費:約14.4億円にて開通した。、、、、江戸時代には佐倉街道上にあり、関所と渡し船が設けられていた。 明治維新後も渡し船による輸送が続けられていたが、国府台に陸軍が設置されると、東京防衛のための役割があるにも関わらず、江戸川に阻まれて東京との陸路が閉ざされているという問題点が生じた。 そのため、明治38年(1905)江戸川最初の木造橋である江戸川橋(現:市川橋)が設置された。 その後、江戸川橋と並行する形で京成電鉄の鉄橋が架けられた。

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・・・・・・・・・・・・・・市川橋を渡り千葉県側の土手上には「市川関所跡」の碑がある。 江戸時代に入り参勤交代の制度が確立すると、市川と小岩の間には渡しが設けられ、定船場として番所が置かれた。後に関所に昇格したが、明治2年に廃止になった。、、、、碑の後ろには、近代的な山崎製パンの研究所の建物がある。 “あんぱん”でも売ってくれると嬉しいのだが?

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●山崎製パンの城下町 ・・・・・市川駅に到着。 明治27年(1894)7月20日、総武鉄道の市川~佐倉間の起点駅として開業し、同年12月9日には本所(現:錦糸町)~市川間が延伸開業し、中間駅となる。 明治40年(1907)鉄道国有法により買収され、国鉄の駅となる。、、、、市川市の中心的な町として栄えているが、行政・商業の中心は隣の本八幡駅である。 市川駅は山崎製パンの城下町。

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2019年4月20日 (土)

馬に縁ある県道180号

北総線秋山駅から県道180号松戸原木線をひたすら歩き中山競馬場に至る。 競馬場から長~い地下道を抜け武蔵野線船橋法典駅まで、1万4千歩の散歩です。




●千客万来を祈願しよう! ・・・・・・平成3年(1991)3月31日 北総線の京成高砂~新鎌ヶ谷間(12.7km)開業のとき、同時に秋山駅は開業した。 相対式ホーム2面2線、掘割に造られた半地下駅である。、、、、ホームの上にある駅前ロータリーに出ても、コンビニの一軒すらもない寂しい駅。 日本橋まで乗り換えなしで、所要32分の都心近郊の駅としては、一日当たりの乗降客は約6900人は少ないね。

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●パッカパッカ歩いた馬街道 ・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・秋山駅の南250m程に、県道180号松戸原木線が通っている。 今日の散歩は、この道を南(船橋方面)へ歩くことにした。、、、、散歩にこの道を選んだ特段の理由はなく、単に秋山駅で下車し、『どっち行こうか?』、『考えるの面倒だから、この県道を歩いてみよう!』、ただそれだけ。

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・・・・・・・・・・・・・・県道180号沿い、松戸市高塚新田の一画に小さな「日露軍馬観世(音?)」(明治38年銘)の碑があった。、、、、 まだ戦場には自動車のない時代、軍馬が徴発され活躍した。 東葛飾郡(現:市川、松戸、野田、浦安、流山、船橋、柏、鎌ケ谷の各市)で徴発された馬は、飼育されていた馬の2割程度(約1000頭)になるらしい。 軍馬は終戦となっても、帰ってくることはなく死んでいったそうだ。 この碑は、愛おしいめんこい仔馬(?)を供養したものか?

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・・・・・・・・・・・・・・県道に面し緑に覆われた高塚八幡神社の参道がある。 県道は交通量も多いが、奥まった境内は別空間だ。、、、、平安時代からこの地は小金牧という馬の放牧地で、 高塚八幡神社は源義経が木曽義仲を追討した宇治川の合戦で活躍した、小金牧地産の名馬「生月(いけずき)」が眠る塚の上に祀られ、「高塚」の謂れともなっている。、、、、またまた、“馬”がらみの話題となった。

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・・・・・・・・・・・・・・県道の右手(西側)にURの「梨香台団地」が見える。 昭和50年(1975)に完成した11階建て、10棟、960戸の団地である。、、、、団地名、地元産のナシが香る台地で“梨香台”(りこうだい)とはいいね! 馬鹿じゃないよ、利口だい!

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・・・・・・・・・・・・・・高塚新田の付近は梨の産地。 県道沿いに“もぎとり”の看板が並ぶ。 残念だが、“タダで、もぎとり”の看板は見あたらない!
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・・・・・・・・・・・・・・農家の庭に見事なフジの木を見つけた。 樹齢は何百年ではなく、何十年だそうだ。 大きく枝を広げ彩鮮やかに咲き、御立派!、、、、電柱に枝を絡め、巻き付く姿、想像を掻き立て、たまらなく色っぽい!

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・・・・・・・・・・・・・・県道180号松戸原木線の一部は、昭和43年(1968)から平成12年(2000)まで有料道路「市川松戸有料道路」だった。  その名残か、松戸市高田新田と市川市大野町のさかい付近では、陸橋に歩道がないので、下の道を歩くことにした。 陸橋が平坦な道となり一般道化したあたりで、旧有料道路に入ってしまった、こんどは切通しとなりここも歩道がない。 歩いてる人はいない自転車も通らない、あっヤバイ! こんなところで轢かれて御陀仏になるには、まだ早い! 念仏を唱えひたすら歩くと、オ~、ラブホテルが見えた、どうやら俗界に戻ったようだ。、、、、旧有料道路はこの先、中山競馬場正門付近まで続いていたそうだ。 現在は市川市南大野から一般道路と変わらずの形態となり、歩道もある。 

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・・・・・・・・・・・・・・市川市北方町に入ると、かわいらしいオシャレな外観の建物が目に入る。 喫茶店か、レストランか、ケーキ屋さんか、チョイト覗いてみようか? アレ、どなたもいない、ユリの花がイッパイ。 皇室御用達のユリの花の専門店だった。

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・・・・・・・・・・・・・・中山競馬場正門脇の北方十字路交差点に到着。 ここまで来たら馬の御縁で、競馬場をチョイト拝見しよう!

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●胴元は金持ちだ! ・・・・・・中山競馬のは、大正9年(1920)に松戸競馬倶楽部が松戸競馬場から移転し、中山競馬倶楽部と称したのが始まり。 その後、中山競馬倶楽部は昭和12年(1937)に日本競馬会(現:日本中央競馬会)へ統合し、中山競馬場となる。、、、、黙っていても儲かる、ギャンブルの胴元だ! 建物は大きく、トイレも綺麗、まして案内嬢は若くてピチピチ、可愛くてキラキラ、これじゃあ胴元はヤメラレナイ。

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・・・・・・・・・・・・・・競馬場から最寄り駅JR船橋法典駅改札までは、JRAの専用地下道でつながっている。 さすがに、胴元の儲けで造ったと思われる、約1kmの長い地下道である。、、、、都心の地下道、高架下もこのぐらい明るく綺麗にしたら犯罪が減ると思われる。

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●ギャンブル・ツアーに行ってみては? ・・・・・・船橋法典駅は昭和53年(1978)に国鉄の武蔵野線の駅として開業。 1面2線の島式ホームは掘割の下にあり、駅舎は掘割の上に在る。、、、、武蔵野線沿線は、府中本町駅の東京競馬と多摩川競艇、新秋津からチョイト遠い西武園競輪、武蔵浦和と南浦和から足をのばして戸田ボートと川口オート、南浦和では浦和競馬、船橋法典は中山競馬、南船橋は船橋競馬。 10連休のお薦めは、お子様連れで武蔵野線のギャンブル・ツアーはいかが? 小さいお子さんには馬券・舟券・車券集めのイベントなんかもあるかも?

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2019年3月17日 (日)

お墓の玉突き

明日は彼岸の入り。 我が家の墓参りは、“西”の八王子と“東”の松戸の2箇所の霊園が必須。 今日はチョイと早いが、彼岸モードに切り替えて、“東”の墓参り。 
 
 
 
●飛行場が駅になった ・・・・・・・・・・・・“東”の墓は千葉県松戸市の南側、北総線の松飛台駅に近い都営八柱霊園である。 北総線が開通する以前、車を持たない我が家(浅草橋)では、浅草橋駅からJR総武線で西船橋まで行き、武蔵野線に乗換て八柱駅まで、駅からは霊園正門までが徒歩25分(1.5km)、霊園に着いてもバカでかい霊園で、正門から墓まで、これまた徒歩25分(1.5km)、途中で石屋に寄ったり、供物を買ったり、墓の前に着くとグッタリ。 墓まで行くのに片道2時間を要した。、、、、、平成3年(1991)に北総線の松飛台駅が開業すると、浅草橋から都営浅草線が京成線・北総線に乗り入れ、所要時間31分で到着。 松飛台駅は八柱霊園の裏門(正確には松飛台門)に至近で、駅から徒歩5分で墓前に到着。 超便利となった。、、、、北総線の運賃は高ことで有名だが、私にはこの便利さが“安い!”
 
・・・・・・・・・・・・・・北総線の松飛台駅(まつひだい)は平成3年(1991)3月31日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。 ホームの西側は松戸市、東側の一部が市川市に掛かる駅である。、、、、「松飛台」とは、現在の八柱霊園の南東側の一部と、霊園の東に隣接する町の町名である。 この町名は、かつてこの辺りに、松戸飛行場(逓信省中央航空機乗員養成所)があったことから名付けられたそうだ。
 
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●千葉県にあって都営とは? ・・・・・・・・・・「都営八柱霊園」は、なぜ千葉県松戸市にあるのか? 最近、NHKで人気のおかっぱ頭の女の子に叱られそうな疑問である。、、、答えは、、、、、明治になって、従来、江戸であった域内で埋葬が禁止となった。 そこで埋葬地が定められ、青山、谷中、染井、雑司が谷の墓地が定められたが、大正期には人口増加によって、四ヶ所の埋葬地も余裕が無くなってきた。 そこで、郊外に新しい市営墓地を作ることが計画された。 大正10年(1921)に西に多磨墓地が完成、昭和10年(1935)に東に八柱霊園が完成した。 昭和23年(1948)には北の小平霊園も完成した。 東の霊園用地を決めるにあたっては、当時東京府内東部には広大な用地が見つからず、千葉県東葛飾郡八柱村の田中新田に用地を求めたそうだ。(この時、鎌ケ谷村にも候補地があった)、、、、、八柱霊園は広さ105万㎡、23区内最大の青山霊園が26万㎡だからざっと4倍の広さ。 東京ドーム20個分のひろさである。(都営霊園の最大は多磨霊園130万㎡)だそうです。、、、、、見渡す限り、墓・墓・墓の霊園。 大人でも迷子になって、野垂れ死にしそうだ。
 
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・・・・・・・・・・・・【余談】 松戸市の市営霊園は土地がなかったため、昭和63年(1988)に隣の白井市に開園した。 白井市の公営墓地は印西市の印西霊園にもあるそうだ。 お墓の玉突き!

2019年2月 4日 (月)

産土神を祀る根頭神社

我が家のある浅草橋駅からは、印旛日本医大行の電車に乗ると、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線と、乗り換えなしで新鎌ヶ谷・印旛日本医大方面に行ける。、、、、今日は、北陸では“春一番”が吹き、東京でも19℃のポカポカ陽気、押上乗り換えで草加方面(東武伊勢崎線)に行く予定で家を出た。 浅草橋で乗った電車は、たまたま印旛日本医大行。 乗ったら乗り換えるのが面倒になり、そのまま新鎌ヶ谷駅まで乗ってしまった。 予定外の行先変更である。 毎度のことだが、またまた私の“いい加減さ”が表れた。
 
北総線新鎌ヶ谷駅から、東武野田線の西側に広がる新興住宅街南下し、馬込沢駅手前の道野辺のまで歩き、バスで馬込沢駅に出て帰宅。 1万2千歩。
 
 
 
●スカイライナーは通過 ・・・・・・・・北総線の新鎌ヶ谷駅は、平成3年(1991)3月31日に開業した。 島式ホーム2面4線の高架駅。 隣には、ホームが並ぶように新京成の高架ホーム(下り)があり、高架下には新京成の地上ホーム(上り、現在高架化工事中のため仮ホーム)がある。 北総線・新京成線と交差する形で、東武野田線の新鎌ヶ谷駅(隣り駅は鎌ヶ谷駅)が掘割にある。、、、、相互の乗り換え口は、1階の同一平面上にあり便利がよさそうだ。
 
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●開拓地の守護神・・・・・・・・・・・・・東武野田線沿いに鎌ヶ谷駅方向に歩くと、初富稲荷神社(はつとみいなりじんじゃ、初富本町)がある。 初富の鎮守様で、祭神は宇迦之御魂神。 明治初期の旧幕府の武士による初富地区の開拓が始まり、ご守護と繁栄を願うため、伏見稲荷大社より御分神を遷奉したのが始まりである。、、、、現社殿は昭和41年(1966)に再建された。
 
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・・・・・・・・・・・・・社殿の裏側に公園があり、そこには「内閣総理大臣 岸信介」と表書きされた「忠霊塔」が建てられている。、、、、岸信介がどうして、ここに建てたのか? 何も説明されていない。
 
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●老後の散策路・・・・・・・初富神社の西に、水鳥の泳ぐ池を中心とした貝柄山公園(かいがらやまこうえん)がある。 周辺の土地からは下がったところにある湿地帯を生かした公園とのこと!、、、ご近所のお年寄りと思われる方が、あちらに一人、こちらに一人。
 
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●平成の団地・・・・・・・・・・新京成の初富駅、東武野田線の鎌ヶ谷駅を最寄り駅とする、UR都市機構のパークサイド鎌ヶ谷団地。 平成13年(2001)頃に完成した、全24棟(752戸)の新しい大きな団地。、、、、新しい団地で、お年寄りの姿は見えなかった。
 
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・・・・・・・・・・・・・・団地の周辺に古い家は見あたらず、平成の世に建てたと思われる、洒落た家が並んでいる。 (鎌ヶ谷市富岡)
 
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●鎌ケ谷市の総鎮守・・・・・・・・・・鎌ヶ谷駅の南西、鎌ケ谷市道野辺に、誉田別尊を祭神とする、長い参道の八幡神社(通称:道野辺八幡神社)がある。 創建は資料もなく不詳であるが、鎌倉時代と伝えられているそうだ。 現在は鎌ケ谷市及び近隣の総鎮守とされている。、、、御神徳として、厄除開運、殖産興業、学芸成就、子守育成、安全息災、勝運守護に著しく霊験あらたかなものがあるらしい。 裏を返せば、家内安全、交通安全、子宝成就、ボケ防止などは、あまり御利益ないかも?
 
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●日蓮ママの寺・・・・・・・・道野辺八幡神社の南に、日蓮宗の寺院:妙蓮寺がある。 妙蓮寺は、日蓮の母親、妙蓮尼がここで生まれたという話が残っている由緒ある寺。 日蓮聖人から道野辺は妙蓮誕生の地と聞かされた弟子の日進上人(総本山身延山久遠時 第三世)は、鎌倉期(1329年)に妙蓮尼追善供養の意を表して妙蓮寺と称し建立したそうだ。、、、、日蓮上人のパパは「妙日」(法名)といい、ママは「妙蓮」(法名)、二人の子が「日蓮」である。
 
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●住宅地の道祖神・・・・・・アップ・ダウンのある道野辺の裏道を歩くと、崖の中に道祖神が祀られている。、、、、住宅地の先に、道祖神が残されていた、嬉しいね!
 
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●長~い、長~い、参道・・・・・・・道祖神に合掌し、フト横を見ると鳥居がある。 『コリャ、参拝せずばなるまい』、階段を上がると、長い長い参道。(この参道は、「ちば遺産100選」に選定されている) “凄いね!”と思いつつ、参道を鍵の手に折れるとさらに参道は続く。 正面に社殿が見えた、「根頭神社」(ねずじんじゃ)である。、、、、根頭神社が鎮座している地域は道野辺村(現:鎌ケ谷市道野辺)。 この辺りは、鎌倉時代以前からの古い集落で、江戸時代は大名:本多氏の領地であった。 神社は、道野辺村の土着の神:根頭之大神を祀っている。、、、、神社の本殿は旧千葉県立師範学校の御真影奉安殿にして、一時、千葉県護国神社の仮本殿として使用された建物である。
 
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●可愛いバス ・・・・・・・・・・時刻は16時、風が出てきた、空は曇ってきた、田舎道とも別れて、そろそろ帰るか。、、、、ちょうど、バス停が見つかり駅まで乗って行こう! 小型のバスで馬込沢駅まで出る。 
 
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