千葉県

2020年2月19日 (水)

昔の残る稲越町!

新型コロナウィルスから身を護るため人混みを避け、我が家のある浅草橋から楽々と座って行ける北総線沿線を歩くことにした。 北総線北国分駅から総武線本八幡駅まで、1万2千歩の散歩。




●駅もガラガラ! ・・・・・・・・早朝の都営浅草線は、京成押上線から乗り入れて来る上り電車は超満員、成田方面に向かう下り普通電車は空き空きのガラガラ。 浅草橋駅ホームに着いたらタイミングよく印西牧の原行き普通電車が来たので、今日の散歩はこの電車で『行ってきま~~す』、、、、北国分駅で下車し、総武線本八幡駅に向かって歩いてみることにした。、、、、北国分駅は、地表からホーム面までの深さ11.7m、天井には青空が見える半地下式駅。 一日平均乗降客は8,000人程と、チョイト寂しい駅。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前にはコンビニ、金融機関なんて一軒もなし、駅前ホテルなんて20年後でも建ちそうにない! 『あった! なんと、畑が駅前に!』

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●北総の東照宮! ・・・・・・・・・北国分駅から100m程東に、伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)がある。 この地は旧名:字権現原で、神社にはかつて相殿に徳川家康が祀られていたそうだ。 地元では、この神社を「権現様」と称している。、、、、神社の鳥居脇には、文化6年(1809)建立の道標を兼ねた庚申塔(高さ約1m)がある。 正面に「青面金剛」、右側面には「西 松戸 東 堀之内  南 国分寺 北 大はし 道」、左側面には「文化六己巳十一月吉日」と刻まれている。、、、、伊弉諾神社は、北国分の“東照宮”だった。 現社殿は、昭和12年(1937)に再建されたもの、拝殿の社額は江戸時代のもの。 あらたかな神様で、出征兵士がこの神社にお参りしてから戦地に赴いたところ、皆、生存して戻られたそうだ。 

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●稲越は昔のままです! ・・・・・・北国分駅から本八幡駅へ向かうには、国分寺跡をとおり南へ歩くと近いのだが、私は南東の稲越町(いなごしまち)を通り抜けることにした。、、、、稲越町は市川市北部に位置する住宅地。 畑・梨園も点在し緑の濃い地域である。 この町、かつては葛飾県葛飾郡稲越村であった、その後市川市稲越町となった。 昭和の住居表示未施行の町。 東は松戸市高塚新田、西は東国分・堀之内、南は曽谷、北は松戸市秋山と接している。

・・・・・・・・・・・・・・・・新型コロナウィルスは居そうにない緑の中を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・稲越町に「千葉商科大学稲越グラウンド 」がある。 このグランドは平成2年(2014)に誕生したのだが、大学のグランドにしては、建物がやたら綺麗で、チョイト乙女チック。 気になり調べてみた、なんとここは「旧国府台女子学院附属高等学校英文科」の校舎であった。 同校は京成本線市川真間駅の近くに、小・中・高一貫の新校舎が完成して移転した。、、、、国府台女子学院は浄土宗本願寺派の教えを重視しているので、仏教であるが教会のような女子高の校舎が大学の施設に変身した。

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・・・・・・・・・・・・・・・稲越町の中心部(?)、、、、農家らしい古い家が立ち並ぶ

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・・・・・・・・・・・・・・市川市稲越町にある県立国分高校の東側100m程の処に「稲越霊園」がある。 霊園の正面に、題目塔を中央にして、左右には合掌形釈迦如来塔が並んでる。 左側の釈迦如来塔は、天和3年(1683)造立の題目塔、真ん中の題目塔は寛政6年(1794)。 題目塔は法華経の表題である「妙法蓮華経」または「南無妙法連華経」と彫った塔。

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・・・・・・・・・・・・・・「稲越霊園」の斜め前には、12基の馬頭観音などがブロック塀を背にして祀られている。 よく見ると、年代などはバラバラで、点在していた馬頭観音などをここに集めたようだ。、、、、「明治37年(1904) 日露軍馬観世音」、「文政5年(1822) 馬頭観音」と彫られたものもある。

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●この道はいつか来た道♪ ・・・・・・・・稲越町を抜け、隣り町の松戸市高塚新田の町も抜けると、再び市川市に入り下貝塚の町では「木戸口庚申塔」の前に出た。
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・・・・・・・・・・・・・・『アッ、ここは来たことがある!』 庚申塔前の道は、南に歩くと、曽谷・宮久保・菅野の各町をとおり、本八幡駅に出るバス通りだ。、、、、木戸口庚申塔から、本八幡駅までは、18年2月16日に歩いてる。

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・・・・・・・・・・・・・・バス通りを歩くと、白幡神社の参道下に来た。 神社の参道は、海食崖の陸地側の縁にあたり、 本八幡の町を一望する崖上にある。、、、、チョイト、寄って行こう!、、、、祭神として、誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祀る、創建年代不明の古い神社。

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・・・・・・・・・・・・・・本八幡駅到着、今日はココまで!

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2020年2月 1日 (土)

子之神社は展望台

京成本線鬼越駅から、北の北方(きたかた)を廻って法華経寺の境内を抜け京成中山駅まで、1万歩の散歩です。




●鬼が居た処! ・・・・・・・京成本線の鬼越駅(おにごええき)は、昭和10年(1935)8月3日、中山鬼越駅として開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅。 駅舎は京成八幡寄りの踏切脇にあり、駅舎と島式ホームの間には構内踏切がある。 一日当たりの平均乗降客は5,696人(2018年度実績)と少なく、もちろん特急も快速もビュンビュン通過する。 乗客の少ないホームに立つと、チョッピリ、ローカル駅の懐かしい雰囲気を感じることができる。、、、、地名の「鬼越」は、かつて、このあたりに恐しい鬼が住んでいたといわれ「鬼子居」と呼ばれていたが、その後、鬼子居が「鬼越」となったそうだ。 明治2年(1869)の地名は、葛飾県葛飾郡鬼越村であった。

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●いろいろな神様が居ます! ・・・・・・・・鬼越の鎮守さまである神明社。 鬼越神明社は、元和2年(1616)伊勢の皇太神宮を勧請して創建、大正年間に村内にあった道祖神、天神社、諏訪社、与力・与直社、浅間神社を当地に遷座し、境内社とする。 境内社が増えたことで、耳の道祖神(耳の神様)、大神様(学問の神様)、お諏訪様(商売の神様)、与力様(鎮世の神)、浅間神社(富士信仰)いろいろな神様が揃っている。 お好みの神様を、チョイスできます!、、、、現在の社殿は明治年間の造営であるが、昨年の台風でヤラレタか、ブルーシートをかぶり痛々しい姿となった。 また、社殿前の「大クスノキ」は樹齢400年以上、幹回りは4mを越える大木。、、、、鳥居の前には、京成電車が通過する踏切があり、チョイト絵になる。

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●絶景かな、絶景かな! ・・・・・鬼越の北に離接する「北方(きたかた)」の町を歩く。 北方は、住居表示実施以前は北方町(ぼっけまち)と称していた。 明治2年(1869)には葛飾県葛飾郡北方(ぼっけ)村と呼んでいたそうだ。、、、、「北方」の由来は、●崖の意味である「ほき」が訛って「ぼっけ」となった。 ●当地に住んだ閑院家の呼び名が北家(ほっけ)であったから。 ●中山領主の北の方が住んでいたことから北方と呼ばれていたから。 ●近くの法華経寺の法華から。 諸説イロイロ、お好きな説を!

・・・・・・・・・・・・「鬼越駅前通り商店会」の通りを少し北へ、「アーデル通り」と交差する。 アーデル通りに沿って右折し、東へ向かう。、、、、『ところで、“アーデル”て何?』 ナント、企業名であった。 市川市が命名権を売り、「アーデルフィットネスリーゾト」という企業と契約したそうだ。 市の税収アップに貢献したらしいが、私のようなよそ者には馴染みがないし、覚えにくいし、企業が変わったら道路名も変わるでは、困ったもんだ。 「恵方巻通り」の方が、親しみがあり、覚えやすいね! 

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・・・・・・・・・・・・アーデル通りの終点と思われる北方3丁目付近で、赤い華奢な鳥居があった。 「子之神社 参道」と書かれている。 素通りするにはチョイト気になるので、ネズミに騙されたつもりで参道を奥へ進むと、チャンとした石の鳥居が見え一安心!、、、、公民館のような建物がある。 神社は? 建物の後ろ(北方3)に、チャンとあった。 どうやら、神社の横にでてきたらしい拝殿と本殿がみえる。

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・・・・・・・・・・・・さっそく拝殿へ、、、、ワォ~~、スゲェ~~、山頂展望台だ、国府台の台地を一望する崖上の展望台、これが子之神社(ねのじんじゃ)か、感動した!、、、、拝殿は崖上ギリギリの処に造られていた。 手を合わせるのは後まわし、まずは景色を堪能する。

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・・・・・・・・・驚きも一段落し、サテ・サテ、神社を拝見!、、、、子之神社は、閑静な住宅街の中にあり、拝殿前に表参道らしき急な階段がある。 心肺の弱い我が身にはキツイ階段だが、一度下りてみた。、、、、神社は、大己貴命を祭神とし、亀山天皇の御代文永年間(1270年代)に建立されたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・子之神社を後にしアーデル通りに戻り、チョイト歩くと「東山魁夷記念館 」の前に出た。 まだ10時前で開館していないので、パスする。
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●南妙法蓮華経! ・・・・・・・東山魁夷記念館からは、裏道を歩いて法華経寺の境内に出てきた。 境内を通り抜けるように、祖師堂で手を合わせ京成中山駅へ向かう。 

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・・・・・・・・・・・・京成中山駅に到着! 大正4年(1915)11月3日に中山駅として開業。 昭和6年(1931)に京成中山駅と改称。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。 

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2020年1月 5日 (日)

三つめの行徳橋

総武本線の本八幡駅から、行徳橋を渡り、江戸川水門・閘門を見て、篠崎ポニーランド前バス停からバスで小岩駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。




●南口は裏口? ・・・・・・・JR総武本線の本八幡駅は昭和10年(1935)9月1日に開業した。 駅は緩行線の島式ホーム1面2線と特急・快速がダッシュで通過する快速通過線2線の高架駅。 高架下に改札口があり、出入口は 北口と南口の2か所と駅ビルShapo口がある。 都営地下鉄新宿線の本八幡駅とは駅ビル内の連絡通路で結ばれている。、、、、みずほ、三井住友、三菱UFJ、りそな、千葉、千葉興業、三菱UFJ信託、各銀行の支店は全て北口側にある。 南口側には、駅前からチョイト外れた所に京葉銀行の支店があった!、、、、まだ松の内の日曜日、駅はガラガラ、人影の少ないい南口から散歩をスタートする!

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●県道は旧街道? ・・・・・・・・駅から
県道6号(市川浦安線)沿いに歩き、行徳橋を目指す。、、、、人も、車も少なく、歩きやすい道を行く! 

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・・・・・・・・・・・・市川市立大和田小学校近くの交差点角に『未来(みき)ちゃん』の像があった。、、、、渡辺成良:作で、平成17年(2005)に設置された。 「アメリカ・ソビエトに桜の苗木をおくる会」が、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ市(1983)、ソビエト社会主義共和国連邦ナホトカ沿海地区(1984)、市川市立大和田小学校(1985)と桜植樹を行い、その20周年記念碑として設置したそうだ。、、、、会が、なぜ桜の木を贈るのか? 経緯は不明だが、街角の癒しの像としていいね!

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・・・・・・・・・・・・県道に沿って歩いて行くと、市川市文化会館が見える。 昭和60年(1985)に総事業費約92億円で建てられた、約2000人収容の大ホールなどを備えた芸術文化の拠点である。、、、、チョイト見たかったが、時間が早すぎ開館前なので残念であったのが、「井上ひさし記念室」だ! 井上ひさしは「ひょっこりひょうたん島」の原作者で、劇団「こまつ座」の創設者で、小説「浅草鳥越あずま床」の作家。 昭和42年(1967)から昭和62年(1987)まで、市川で暮らした。 その資料が展示されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・埼玉県の人を一挙にディズニーランドに引き寄せる東京外環自動車道を、市川市大和町1丁目で横切る。、、、、歩道橋の上に立つと、何か物を投げたくなる気持ち、なんとなく判るね!

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・・・・・・・・・・・・大和田2丁目の甲大神社(かぶとだいじんじゃ)に立ち寄る。、、、、甲大神社の祭神は応神天皇と言われているが、大神の兜を祭るとも伝えられている。 創建は永延2年(988)当地に鎮座、葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田村の鎮守社であった。 一の鳥居、二の鳥居とも、太い柱で重量感がある。

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・・・・・・・・・・・・京葉道路の下を抜けたところに、延命地蔵尊が祀られている。、、、、稲荷木 一本松」と記された案内板には、地名「稲荷木」のふりがなが「とうかき」と標されていた。 これまで「稲荷木」を“いなりぎ”と読んでいた、“とうかき”とは難読地名だ!、、、、さらにその案内板によると、かつて、行徳から市川に向かうには、今の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺(そうりんじ)の前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田→大洲→市川南を経て国道14号線(上総道・佐倉道・千葉街道)に出て市川に至ったと記されている。 そして、この地には「一本松」が植えられていた。 しかし、一本松は京葉道路などの車の排気ガスの影響から、昭和48年(1973)に伐採され、現在は根元の部分が残されている。、、、、一本松の前には、「馬頭観世音菩薩」が立ち、そして左隣に「延命地蔵尊」、さらにその右手前の石には、「これより右やわたみち 正徳三癸巳歳」「これより左市川国分寺みち(?)」と刻まれている。 つまりここは、行徳橋方面から来ると市川方面と八幡方面の分岐点である。、、、、なんと、この県道は旧街道の一部だったようだ!

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・・・・・・・・・・・・建物は新しくとも、道幅もチョイト狭くなり、なんとなく旧街道らしい雰囲気が出てきた!

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・・・・・・・・・・・・市川市稲荷木(とうかぎ)3丁目に、稲荷木稲荷神社がある。 稲荷木稲荷神社は、稲荷木村の鎮守社として寛永12年(1635)創建した。、、、、社殿は昭和41年(1966)に改築され、拝殿は鉄筋コンクリート造、本殿は木造で覆堂の中にある。 本殿の彫刻はなかなかのできばいで見ごたえ有り!、、、、地名「稲荷木」とは、“稲を干す木”、稲木に由来するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・稲荷木稲荷神社から200m程歩くと、享保6年(1721)の創建、新義真言宗の雙輪寺がある。 
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●どの橋が行徳橋となるか? ・・・・・・・行徳橋は、市川市の行徳地区と八幡地区を結ぶ県道6号市川浦安線が走る行徳橋。 全長は約422m、幅7mの道路橋で、国が管理する可動堰(ぜき)との一体構造となっている。 昭和31年(1956)3月完成後、昭和51年(1976)に歩道拡張工事を行っただけで、改修工事は行っておらず、老朽化が著しく進んでいる。 現在可動堰の上流側に新しい橋を架け替え中(工事は遅れているが今年中に供用開始となるか?)、、、、【チョイトややっこしい話】 現在の行徳橋の下流側にバイパスとして昭和47年(1972)に開通した新行徳橋が架かっている。 そこで現在は昭和31年の行徳橋を「旧行徳橋」と呼んでいるのだが・・・新しい橋ができると“新”の字を冠して「新旧行徳橋」と呼ぶのか? チョイト名の整理をしてほしいね。

・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(別名:旧行徳橋)は、バスがヤットコサすれ違うことのできる幅7m、歩道は可動堰側に1.2mの幅である。 歩道上で自転車に乗ったまま、両方がすれ違うことは不可能。

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・・・・・・・・・・・・上流側に新しい行徳橋(?)を建設中。、、、、新しい橋と可動堰はタラップで結ばれている。 新しい橋が供用されると古い行徳橋は可動堰と切り離され、撤去されるかもね?

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・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(写真手前)から下流側約150mに架かる新行徳橋(写真奥)。 “新”を冠した名が残るのか?
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●海水を阻止する水門! ・・・・・・・行徳橋を渡り江戸川水閘門に出る。、、、、江戸川と旧江戸川の分流点の直下流側に位置し、旧江戸川をとおり東京湾の海水が遡ることを阻止する水門+閘門。 昭和18年(1943)、戦時真っ最中の中で竣工し、東京市民のため、金町の浄水場で安定的な取水を可能とした。、、、、空襲で破壊されず、よかった!

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●お帰りです! ・・・・・・・・江戸川土手を遡り、京葉道路:江戸川大橋の際にある「ポニーランド」バス停から小岩駅行きのバスに乗る。

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2019年12月 4日 (水)

北国分トンネル

北総線秋山駅から北西に歩き常磐線松戸駅まで、1万2千歩の散歩です。




●チョイト寂しい秋山駅! ・・・・・・朝の秋山駅は、都心から来る電車からは降りる人は数えるほど、都心へ向かう電車に乗る人もさほど多くはない。 一日当たりの乗降客数は7,300人程で、北総線内の駅で下位から6番目だ。 一ヵ所しかない出入口も利用する人はまばらで寂しい駅。

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●たかが門柱されど門柱! ・・・・・・駅の北側、住宅地の裏道を松戸駅方向に歩く。 小高い所に松戸市立東部小学校(松戸市高塚新田)があった。 門は閉まっていたが、石の門柱に学校の古さを感じパチリ!、写真を撮ってきた。 調べてみると、明治6年(1873)の創立で、約150年続く歴史ある小学校である。 現在地には大正13年(1924)に移転したそうだ。 石の門柱も、この時期の物であれば、約100年の歴史が沁みこんでいる。、、、、もう一つおまけの話題で、小学校の近くに在る松戸市立第五中学校と統合し、小中一貫校「東部学園」を創る構想が松戸市教育委員会にあるそうだ。 実現すると、生徒数:東部小学校700名+第五中学校1,300名=合計2,000名の超マンモス校が誕生するらしい。 2000名にもなると、運動会・学芸会で生徒の出番が少なくなり、個人演技はなしで、全て集団演技になるのか、どうするの?

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●遺跡を踏んで台地を歩く! ・・・・・・・のどかに青空の下、北総台地(松戸市紙敷)を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ? こんな処に遺跡が?、、、、ネギ畑の脇に「新田前遺跡」の表示がある。 松戸市は縄文遺跡の宝庫で、市内には140か所の縄文遺跡があるそうだ。 ネギの下に国宝級の土偶が埋まっているかも? ネギを引き抜くときは“お宝”探しで、注意深く行動すると良いかも?

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●仲間を失ったトンネル! ・・・・・・・松戸市和名ヶ谷に入ると、北東の八柱駅方向から国分川が北総台地を流れ下り、この地で流れは曲がり南の市川方面に向かう。 総武線本八幡駅の南で、国分川は真間川に合流し東京湾に注いでいる。 ここ和名ヶ谷に国分川上流の洪水を江戸川に放流するバイパス「国分川分水路」の地下トンネル坑口がある。
・・・・・・・・・・・・・・八柱方面から国分川が流れ下る。 ここ和名ヶ谷で国分川(写真奥から中央手前に流れる)の越流提(写真中央の仕切り状の壁)を越えた水は国分川分水路(写真左へ流れる)に流れる。

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・・・・・・・・・・・・・・分流した分水路は和名ヶ谷水門を抜けその奥にあるトンネルに流れ下る。、、、、水門は清水建設の施工で平成6年(1994)完成。

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・・・・・・・・・・・・・・水門に続いて国分川分水路トンネルがある。 トンネルは長さ2555mで、松戸市二十世紀が丘のとちの木通りの下を抜けて、松戸市中矢切で坂川に合流する。 その後、坂川は江戸川に注ぐ。、、、、平成5年(1993)7月にトンネル工事が完了、平成6年(1994)3月22日に通水開始。 飛島建設施工。 

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・・・・・・・・・・・・・・トンネルの坑口の上部に国分川分水路竣工記念碑トンネル水没事故の犠牲者慰霊碑がある。 記念碑の後ろの高台には展望台がつくられており、ここからは国分川分水路と水門が直下に見える。 

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・・・・・・・・・・・・・・この分水路トンネルの工事では、平成3年(1991)9月19日、台風による豪雨の影響で作業中の作業員4名と係員3名の計7名を水死させてしまった。 台風であふれた水が坑口に設置した仮締切を決壊させ坑内に流れ込んだ。 坑口から約1600m離れた場所で作業をしていた7名を、濁流が襲ったのである。 この事故では、台風時の危険を予知し作業を中断すべく指示を出す発注者側の責任者の過失責任を問われた。、、、、事故の慰霊碑には7名の名が刻まれている。 この中に、私が勤務していた会社の仲間の名もある。 慰霊碑に小さな野花をひとつ添えて、手を合わせてきた。 治水対策として造った分水路も、その工事に尊い命がかかっていたのだ。



●スタコラ・サッサ! ・・・・・・・・・・・松戸市和名ヶ谷クリーンセンター野菊野団地聖徳大学と、歩き松戸駅に向かう。 
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●住宅の下に倉庫! ・・・・・・・・聖徳大学の西隣に、閉鎖された公務員住宅(相模台住宅)がある。 この住宅の一号棟近くの階段を少し下ると、斜面に口を開けるように旧陸軍工兵学校の倉庫跡がある。 倉庫は軽油保管庫だったらしい。 錆びた鉄扉が時間の経過を物語っている。、、、、上り階段が分岐する角には「陸軍用地」と書かれた境界杭が残っていた。

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●帰るぞ! ・・・・・・・・・松戸駅に到着。

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2019年11月13日 (水)

二十世紀梨の町

散歩に出たが、スッキリしない空模様。 浅草橋から浅草線に乗り、車中で『どこで降りようか?』下車駅を考えたが決まらないまま、押上・青砥・高砂と過ぎ、北総線に突入した。 天気も悪そうなので、『やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たない』と、寅さん気分で北国分駅で降りてみた。 駅を出たら『東西南北 どちらに行こう 駅前のバス通り マドンナ探しに 松戸へ向かう』 てなことで、今日は松戸駅まで、1万1千歩の散歩です。




●太陽が見える地下駅! ・・・・・・・・平成3年(1991)3月31日に開業した北総線北国分駅は、 掘割による半地下構造で、地表からホーム面までは11.7m程である。 地下1階は改札口・コンコースなどがあり、地下2階に相対式ホーム2面2線を有する。 ホームの両端からはトンネルが見える。、、、、一日の平均乗降客は8千人程で、通勤時間帯でも電車を待つ人はまばら。 

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●二十世紀梨の発祥地! ・・・・・・・駅の近くの幹線道路:千葉県道180号松戸原木線。 松戸市松戸の国道6号との交点である「陣ケ前交差点」を起点とし、市川市、船橋市を経て、市川市原木の終点:インターチェンジまで伸びる一般県道。 平成12年(2000)までは市川松戸有料道路として運営されてきたが、現在は無料化されている。、、、、今日は北国分駅付近から陣ケ前交差点まで歩いた。 

・・・・・・・・・・・・・・北国分駅から県道につながるバス通り。 北国分駅の北側:駅前三叉路で県道にぶつかる。、、、、この付近までは市川市、これより先は松戸市となる。

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・・・・・・・・・・・・・・県道180号は「二十世紀が丘」の町を貫いている。、、、、この町は昭和56年(1981)の町名地番整理にて、美野里町、丸山町などの7町が「二十世紀が丘」を冠する町名に改めたそうだ。 この「二十世紀が丘」 の名は、明治21年(1888)に当地で梨農家を営んでいた松戸覚之助が発見した「二十世紀梨」に由来し、さらに当地が高台にあるので“丘”を足して命名されたそうだ。、、、、私のようなよそ者が、名から想像するのは果物ではなく洒落た近代的イメージで、現実には、チョイト、ギャップがあるようだ!、、、、道路沿いに、いま流行の作業服を扱う店。 新鮮野菜を直売する店もある。 そして、多いのはファミレス等のチェーン店。 かわいらしい交番もあった。 そして最後は陣ヶ前交差点に出る。

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●木製です! ・・・・・・・松戸にあった、私好みの木造家屋、、、、一つは、チョイト倒れかけている木造倉庫(?)、、、、もう一つは、下見板張りの外塀に、木製の塀。昭和チックな平屋住宅

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●陸軍工兵学校跡! ・・・・・・松戸駅の東側のイトーヨーカドーに隣接する聖徳大学、松戸市立第一中学校、松戸中央公園は、全て陸軍工兵学校の跡地であった。、、、、陸軍工兵学校は大正8年(1919)に相模台(現在の松戸市岩瀬の高台)の松戸競馬場の跡地に開校した。(松戸競馬場は現在の中山競馬場に移転)、、、、その陸軍工兵学校の正門(大正9年完成)が現在は中央公園の正門として保存されている。 また、門の隣にはコンクリート造の歩哨哨舎(昭和10年頃完成)も残されている。、、、、(モノクロの写真は、松戸中央公園の説明板に載せられていた陸軍工兵学校正門の写真)

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・・・・・・・・・・・・・・・陸軍解体後の昭和20年(1945)からは、跡地に千葉大学工学部があったが、同校は昭和39年(1964)に千葉市へ移転した。、、、、公園内に、平成13年(2001)に千葉大工学部によって碑が建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・公園の近くに「陸軍」の境界石が残っていた。 付近には、いくつもの陸軍の境界石が残っているそうだ!

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●30分で帰宅、速い! ・・・・・・・JR常磐線の松戸駅から帰宅する。 松戸から上野まで快速電車で約20分。 我が家(浅草橋)までは約30分、速いね!

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2019年10月10日 (木)

ママに向かって、スタコラサッサ

今日も敬老パスで、浅草橋から都営地下鉄(北総線印旛日本医大行)に乗った。 「どこで降りようか?」電車の中で思案橋! 考えている間に、押上・青砥・高砂とすぎ、とうとう北総線に入った。 ついに考えがまとまらず、ヤケッパチで飛び降りた駅が秋山駅。 何度も散歩に訪れている駅で、どっちに向いて歩いても、来たことある処だ! 新しい発見は期待できず。 こういう時はよそ見せずに、ひたすら健康のため歩くことにする。 京成本線市川真間駅まで、1万1千歩の歩きです。、、、、今日の散歩コースは昨年5月15日と全く同じです。




●寂しい駅ですね ・・・・・・一日の乗降客数は約7,300人と少ない、千葉県松戸市の南に位置する秋山駅。 いつまでたっても、駅前にコンビニ、パチンコ屋、居酒屋が開店する気配はなく、寂しい駅。 訪れたよそ者には、駅構内の売店が唯一の店舗だ!、、、、駅前ロータリーには、バスも、タクシーも、自家用車も止まっていない。 止まっているのは、駐輪場の自転車のみ。

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●ここは市川市稲越町 ・・・・・・・ネギの香りが鼻をピリピリ刺激する畑を抜け、住宅地を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から700m程歩くと、千葉県市川市の北部に位置する稲越町に入る。 北総台地の西の端でもある。、、、、判るかな、稲越町から眺めるスカイツリー? (18/5/15の記事に答えがある)

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・・・・・・・・・・・・・・この辺りにでは梨御殿をアッチ・コッチに見ることができる。 梨って儲かるようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・稲越町の南端:県立国分高等学校前から市川駅行のバスが出ている。 ここは、バスの終点であり、起点でもある。 生活の足として、多くの乗客が利用している。 市川駅まで、15分、240円は、高いか?安いか?スルメイカ。

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●次は市川市曽谷の町 ・・・・・・・北総台地を下り、曽谷貝塚で有名な市川市曽谷の町を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・国分川調整池に出てきた。 大きな緑地となっており、池ではサギが遊んでいる。 サギが舞う公園になると、住民に喜ばれそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・曽谷橋の交差点(曽谷と東国分の境)に国分交番がある。 国分交番の歴史は古く、昭和19年(1944)に国分交番の前進となる国分村立勤一所が当時の国分村に設置され、その後幾多の組織変更・移転を行い、昭和50年(1975)に現在の交番が建てられた。 これぞ、“ポリスボックス”と言うような、飾り気のない四角い箱型の建物である。


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●さて市川市国分の町 ・・・・・・下総国分寺の東側で外環道を越え市川市国分の町に入る。

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●続いて、市川市須和田の町 ・・・・・・・・・・・須和田は真間川の北側に広がる町。 バス通り沿いに六所神社が鎮座する。、、、、六所神社というのは、“下総の国”、“上総の国”と呼ばれていた時代、国府の近くに造られた総社の一つ。 国司はここに参拝すれば、国内の一ノ宮から六ノ宮までを巡ったことと同義となり、効率を良くすることができた。 よくよく考えると、国司は「手抜き」していたことになる。 昔も今も、要領良くルールを変える者がいる。、、、、神社の賽銭箱は鉄の檻に入れられ、鎖で縛られ、チョイト痛々しい状態だ。 大金は入っていないと思うが、取り出すのも大変だ!

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・・・・・・・・・・・・・・夏の名残と秋到来

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●ママはすぐそこ! ・・・・・・真間川を渡り真間の町に入れば、市川真間駅はスグそこ。

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2019年9月27日 (金)

県道1号は松戸街道

北総線矢切駅から松戸街道(県道1号)沿いに歩いて京成本線国府台駅まで、1万歩の散歩です。




●朝の通勤ラッシュがない! ・・・・・・江戸川を挟み柴又と矢切を結ぶ「矢切の渡し」、今は観光で利用する人が大半だろう。 まして、朝の通勤に渡し舟を利用する人はいない。(利用したくても、運行開始は10時から) 通勤客は運賃がチョイト高めだが、矢切駅から北総線を利用して都心に向かう。 その矢切駅、一日の乗降客は8,000人程で朝のホームに並ぶ人も少ない。、、、、地下駅であるため、特急電車がものすごいスピード、ものすごい騒音で通過していく。

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●県道1号をスタコラ・サッサ! ・・・・・・・矢切駅前をとおり千葉県市川市と千葉県松戸市を結ぶ松戸街道(県道1号)。 私も駅前から県道を市川方面に歩くことにした。

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・・・・・・・・・・・・・・県道から顔を西に向けると、平成29年国の登録有形文化財に指定された、千葉県水道創設時の円筒形高架水槽「栗山浄水場配水塔」(昭和12年完成)が見える。、、、、チョイトかわいらしい給水塔だ!


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・・・・・・・・・・・・・・浄水場の見える交差点から南側は、住所が松戸市栗山から市川市国府台となる。 その市境に天台宗寺院の泉養寺(醫王山無量院)がある。 泉養寺は、深川を開拓した深川八郎右衛門が開基となり、秀順法師が慶長元年(1596)深川元町に創建、元禄6年(1693)猿江へ移転した。 その後、関東大震災にて被災し、昭和2年(1927)現在地へ移転した。、、、、江戸深川にあった寺で、俳人:松尾芭蕉とも縁ある寺らしい。


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・・・・・・・・・・・・・・泉養寺から100m程行くと、浄土宗寺院の源光寺がある、この寺は両国回向院の別院である。 源光寺は、両国回向院が関東大震災で被災したことから、両国回向院の上人が開山となり、江東区の専受院も合併して昭和4年(1929)に開創した。、、、、寺の本堂は平成21年(2009)にモダンな本堂に建て替えられた。 この本堂は、建築家:河原秦の設計で「千葉県建築文化賞」を受賞したそうだ。、、、、赤い山門をくぐり、緑豊かな参道を歩き、コンクリートを木造で覆った本堂の前に出る。 堂の中には本尊の阿弥陀如来像。、、、、本堂の2階はカフェになっているそうだ、また写経などもできるらしい。 これぞ、“カフェ寺ス”!


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・・・・・・・・・・・・・・源光寺から南(市川寄りに)に歩くと、松戸街道の東側には「じゅん采池緑地」があり、西側には「国府台緑地」がある。 今日は、どちらの緑地も寄らずに歩く。、、、、国府台4丁目の「飛地天満宮」に寄ってみた。 かつて、この地は国府台村の飛地であった。 この地の村人は、本来は「国府台天満宮」を信仰するのであるが、国府台天満宮から離れているため、近くの栗山(松戸市)にある天満宮を信仰していた。 ところが、栗山の天満宮が祭神を変えたため、天神様を信仰したい村人と争議が起こった。 村人は向島(墨田区)の三囲神社に相談し、河内(大阪府)の道明寺天満宮から分祀を受け国府台道明寺天満宮とした。 こうして、一件落着したそうだ。 以来、今もここは三囲神社の神主さん兼務している。、、、、、まさに、信仰もここまですると、頭(こうべ)も下がる、神様、天神様々! 


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・・・・・・・・・・・・・・バス停「公民館」が見えた。 バス停の前に公民館があった。 今どき“公民館”とは、懐かしい響きである。、、、、今は“公民館”と言わず、“生涯学習センター”、“交流館”などと称する処が多いと思う。

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・・・・・・・・・・・・・・国立国府台病院の前を歩く。 国府台病院は、平成22年(2010)に独立行政法人に移行し、『国立研究開発法人』となり、正式名称も国立研究開発法人 国立国際医療研究センター国府台病院となった。、、、、かつては国府台陸軍病院と称したこともある国府台病院。 今は高度医療を追求するナショナルセンターであり、地域の総合病院でもある。


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・・・・・・・・・・・・・・ここまで県道1号を歩いてきたが、県立国府台高校の前に来て、思い出した! 『そうだ、この高校の奥に赤レンガ造りの旧千葉県血清研究所の建物があるはず、ヨシ、見に行こう!』(私はまだ見たことがない建物)、、、、急遽、県道をそれて和洋女子大の西側(裏側)に向かう。 ところが残念なことに、旧千葉県血清研究所に向かう道は封鎖され、工事中の警備員に注意され、建物を見ることができず。 ガッカリ!  

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●汗をかきかきスタコラ・サッサ! ・・・・・・県道1号から江戸川の土手に出た。 残暑厳しく汗をかきかき、国府台駅まで土手を歩く。 

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●学生の駅! ・・・・・・・・京成本線の国府台駅、降りてくるのは学生ばかり。 和洋女子大、千葉商科大、東京医科歯科大の最寄り駅。 一日当たり13,000人が乗り降りする駅。 客の多くは学生さんか?

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2019年9月22日 (日)

綺麗な花には毒がある

明日は彼岸中日、運悪く台風17号の襲来と重なり、天気はどうなることやら? 我が家の墓は、東京の外れにあり、千葉の台地にあり、どちらにしても都心でないため、チョイト簡単に『行って来るよ!』とはならない処。 朝の天気予報では、昼過ぎまではもちそうだ。 ヨシ、今日は千葉方面の墓参りに行って来よう! 夫婦で花を携え霊園へ。、、、、(散歩は休み)

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・・・・・・・・・・・・・・墓を掃除していると、隅に一輪の愛らしい白い花が咲いていた、摘まずにそのままにしてきた。、、、、後で、調べてみたら、花の名はゼフィランサス (タマスダレ)で、6~9月頃に咲く野生化した外来種であった。 茎はノビルに似ているが有毒でアブナイ!、、、、綺麗な花、愛らしい花は、やはり手を出さない方がいいようだ! 

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2019年9月13日 (金)

寺院・火葬場・墓地、一式あり!

正午の気温23℃、湿度68%、半袖ではチョイト肌寒い人もいる、秋風が優しく吹く天気。 昨日まで夏、今日から秋だ! 夏場は熱中症が恐くて歩けなかった北総線沿線の散歩に出た。 手始めに、北総線大町駅で下車し、市川霊園を抜けて、武蔵野線市川大野駅まで、1万1千歩の散歩。




●ラッシュ時間がない駅! ・・・・・平成3年(1991)3月31日に開業した北総線の大町駅。 駅の1日平均乗降人員は1,700人に満たず、市川市内さらに北総線内でも、鉄道駅として最も乗降客が少ない。 駅の南側はゴルフ場、市営公園、市営霊園で、住宅地は北側だけで、駅勢圏も狭く、鉄道駅としての需要が少ないことによる。、、、、通勤・通学時間にホームに立つ客の数が正確に数えられる駅。 特急スカイライナーが猛スピードで通過するホームに、危険を知らせるアナウンスも必要ないようだ!

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●大町から大野への道 ・・・・・・・大町駅を通る「大町梨街道(国道464号)」からチョイト脇にそれて、ゴルフ場と市営公園に挟まれた間の道を南へ歩く。
・・・・・・・・・・・・・・市川の名産“梨”を売る農家が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト、道沿いの梨園を拝見。 先日の台風15号にヤラレタか、美味しそうな梨が落ちていた。

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・・・・・・・・・・・・・・約10,000坪の広さがあるフィールドアスレチックが楽しめる「ありのみコース」。 BBQも楽しめる処。 まだ、営業前で閉まってます!

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・・・・・・・・・・・・・・アスレチックの隣り、「市川市動植物園」も台風にヤラレタようだ、“立入禁止”の貼り紙がある。、、、、倒木・落下物で園内を歩けないらしい! オラウータンも、ロバも、猿も、しばらく仕事は休み、檻の中で昼寝もOK!

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・・・・・・・・・・・・・・道路の反対側には、木立に囲まれ市川市斎場がある。 火葬炉は10基、通夜・告別式にも利用できる式場もある。(結婚式はダメ) お一人様の火葬料は非課税で、市内居住者は6,750円、子供は割引で4,720円也。、、、、私も何度か訪れたことがある斎場、結構利用されているようで、毎日が順番待ちのようだ! 

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・・・・・・・・・・・・・・市川市霊園、市川霊園、総武霊園など、複数の霊園が火葬場を取り囲むようにある。 広い丘陵に墓石の波形を作り並ぶんでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・火葬場・霊園と続けば、坊さんの需要もあるはずで、近くには寺院もある。、、、、まずは、火葬場に近い浄願寺。 浄願寺では、直送から家族葬まで規模に応じて、低価格で厳粛な葬儀を行うことができるそうだ。 お寺の宗派は?(何でもOKかも)

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト奥に入った処には、日蓮宗寺院の曽谷山礼林寺がある。 礼林寺は、曽谷城主曽谷教信(法蓮阿闍梨日礼)の菩提を弔うため、娘の芝崎姫(妙林日貞法尼)が当地に創建したと云われている。 手入れの行き届いた境内には、本堂、庫裏のほか、稲荷大明神と釈迦を祀る感応殿や牛頭天王神社がある。、、、、今日は、本堂にカーテンがひかれ、内部を見ることができなかった、休日だったのかも!

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・・・・・・・・・・・・・・キリスト教の方は、浄願寺の近くに、市川北バブテスト教会もある。 昭和55年(1980)総武線下総中山駅近くの肉屋)の二階を借り、開拓伝道によりスタートした。 昭和63年(1988)に市川市大野町に200坪の土地を購入し、現:教会堂が建設された。

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・・・・・・・・・・・・・・教会前の上り坂の細い道を奥へ歩く。 両側に梨の木を見ながら、さらに奥へ道は続く。 痴漢にでも襲われたらどうしよう、チョイト不安になった頃、正面に鳥居が見えた。

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・・・・・・・・・・・・・・・出てきた処は、駒形大神社(こまがただいじんじゃ)の脇の鳥居だったので、正面参道から参ることにした。、、、、駒形大神社は市川市大野町に鎮座する神社で、旧社格は村社、大野町(旧大柏村)の鎮守である。 香取信仰の経津大神を御祭神にしており、市川大野の地に残る平将門伝説から将門公を合祀している。 拝殿は平成27年(2015)に改装された。、、、、大神社というだけあって、境内は広く、社殿・社務所も立派です。 村の多くの神社が合祀されたみたいで境内社も多い。 神輿の倉も立派です。 立派なわりには、村人以外には参拝に訪れる人も少ないようだ。 観光地化されておらず、ちょっと勿体ないね!

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●ワースト5にランクイン! ・・・・・・・武蔵野線の市川大野駅は昭和53年(1978)に開業した。 相対式2面2線と中線のある高架駅。 一日24,000人程が乗降する駅である。 武蔵野線の中ではワースト5に入る、乗降客の少ないである。

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2019年6月14日 (金)

市川にもあった,,,,新田

江戸川区とは川を挟んで隣りの千葉県市川市にも「新田」がある。 今日の散歩は、JR総武線市川駅で下車し、駅に隣接する新田の町を歩き、市川駅に戻る、1万3千歩。

・・・・・・・・・・市川市新田(しんでん)の町は、JR総武線市川駅の東側に隣接し、総武線の北側に新田1丁目と新田5丁目、南側に新田2丁目~4丁目がある。 新田1丁目と5丁目の北側の端には、京成本線の線路が走り、「市川真間駅」と隣の「菅野駅」が新田の町に隣接する。 南側は市川市大洲の町と接する。




●朝のラッシュ時の駅・・・・・朝8時市川駅に到着。 これから学校へ、会社へ、皆さまご苦労さま!、、、、仕事がなくなった私には、通勤していた頃が懐かしい。

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●歴史ある建物がなくなった! ・・・・・・市川駅から千葉街道に出ると、西消防署の隣りに自然幼稚園がある。、、、、同支社大学で神学・哲学を修め、市川三本松教会で牧師をしていた創設者:石田締は、「人の”心の教育”は大人になってからでは遅い。幼児の頃から始めなければならない」と悟り、昭和6年(1931)市川市の人口が6万人あまりだった頃、静かな松林の中、しかも掘れば掘るほど綺麗な砂の出る地で、自然の中での純な人間教育を念願して自然幼稚園を設立した。 当時の建物が残っていると思い本日寄ってみたら、三年程前に取り壊し、新しい園舎に変わっていた。 また一つ歴史ある建物が消えた、残念!

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●新田はイチゴの産地だった! ・・・・・自然幼稚園の北側(市川1)に、松の木でこんもりとおおわれた墓地がある。 その墓地の中央が小高くなって、チョイト大きなお地蔵さまがある。 これぞ「新田」の由来となる、市川新田開拓の功労者:田中正成の墓碑である。 この場所は「地蔵山」と呼ばれている。、、、、「新田」の地名はこの田中正成によって開拓された地域を「市川新田」と呼んだことに由来する。 正成は明暦元年(1655)9月4日に没しており、子孫は代々新田村の名主を努めていた。 江戸時代の新田村は、今の国道14号線(千葉街道)に沿ってわずかに農家がその両側に並ぶ程度であった。明治35年(1902)に、ある農家がイチゴの栽培に成功し、新田一帯にイチゴ栽培が広まった。 大正6年(1917)には市川新田果物組合が結成され、イチゴの共同出荷が行われる。昭和に入ると露地イチゴ「マーシャル」も栽培された。 戦後もイチゴの出荷は続いたが、昭和40年代には宅地化が進み、栽培面積は減少の一途をたどり、市場から姿を消した。、、、、「新田」は当初、市川新田と呼ばれていたが、昭和26年新田町1丁目~4丁目となり、昭和43年(1968)の住居表示では新田1丁目~5丁目となる。

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●総武線の北側で市川駅より ・・・・・新田5丁目、、、、総武線の北側で、JR市川駅、京成市川真間駅に隣接する町。 中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・「地蔵山」の北側は京成本線の市川真間駅。 駅と線路は「市川市真間」だが、線路沿いの道路は「新田5丁目」。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の住宅地の奥にある洋館は国の登録有形文化財である。 東京深川で商事会社を経営していたかつてのオーナーが震災に遭遇し、大正13年に本邸をこの地に移した。 昭和2年(1927)完成のこの建物は、ゲストルームとして邸内の奥まった一画に建てられたもの。 木造3階建ての妻側の玄関ポーチ上に手摺を巡らしたバルコニーを設け、破風の拝みを押さえた半切妻、側面の軒先に付けた千鳥屋根など外観の意匠に留意している。 設計・施工は明治・大正の名大工「大亀」(私は知らない?)。、、、、現在は、「いちかわ西洋館倶楽部」として、ギャラリー&コンサートの会場となっている。

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・・・・・・・・・・・・・・5丁目の中央を貫く国道14号(千葉街道

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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道に面した参道入口から春日神社に参拝する。 300余年の歴史を持つ春日神社は、平成19年(2007)不審火により焼失したが、氏子、奉賛会、地元民の浄財により、平成20年(2008)に現社殿が落成した。 一年後には再建された神社、さすが、地元民は裕福なのか?、、、、社殿の後ろには、クロマツの大木が空に伸びる。

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●総武線の北側、5丁目の隣りは1丁目 ・・・・・新田1丁目、、、、総武線の北側で、5丁目に隣り合う1丁目。 ここも、中央を国道14号(千葉街道)が走る。

・・・・・・・・・・・・・・町のシンボル、街路樹に自然林のクロマツを活かした住宅地。 風格のある町、ナイス!、、、、もう一つ、風格ある住所案内板。

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・・・・・・・・・・・・・・春日神社に似た胡録神社。 千葉街道に面した参道、境内の大きさ、社殿の大きさ、賽銭箱の作り、、、どれも似ている! 祭神は淤母陀琉神、惶根命。 創建年代不詳だが、承応2年(1653)に再建したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・新田1丁目に接し、隣りの平田2丁目にある諏訪神社。 参道から境内までクロマツがお出迎え。
 
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・・・・・・・・・・・・・・千葉街道から諏訪神社へ向かう裏道の角に石仏と道標があった。 石仏は上の方がつぶれてしまい、判別できず。 正面下に「寛政11年 富村講中」と読める。 道標には「左 宮久保山道」、横に「東京開運女人會」と彫られていた。 チョイト気になる“東京開運女人會”、若い娘の会か(?)、ババァの会か(?) わざわざ“女人”と言うからには・・・・・

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●町を分け、どこまでも続く ・・・・・総武線市川~本八幡間の高架橋。、、、、高架橋の北側が新田5丁目・1丁目、南側が新田2丁目・3丁目・4丁目。 北側は歴史を感じさせる町並みであったが、南側は新興の住宅地となる。 

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●総武線の南側、面白味のない住宅地 ・・・・・新田2丁目~新田4丁目、、、、アパート、マンション、住宅が混在する、どこもかしこも同じような雰囲気の住宅地。 まとめて紹介する!

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・・・・・・・・・・・・・・おや! 電柱に10数年前に話題となった「路上喫煙禁止」の案内。 なぜ今頃? 在留の外人向けか? それにしては、英語が見にくいね? 効果は????? 

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・・・・・・・・・・・・・・市川駅前に通じる「ゆうゆうロード」 この道が新田地区の西の端となる。

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●お疲れさま! ・・・・・1万3千歩の散歩も終わり、市川駅に到着。

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