千葉県

2024年3月 9日 (土)

強風の千本桜

昨日までの寒い雪の日とは変わり、今日は暖かな日となる天気予報を信じて、妻と新川千本桜(千葉県八千代市米本)を見に行くことにした。




● 朝9時に家を出た、『チョイト風が強いね、チョイ寒だ、マフラー持ってきてよかった、地下鉄で行こう!』 我が家から地下鉄の駅(浅草橋)までは徒歩1分強と近い。 地下駅に潜ると、寒さは忘れてしまった。 都営浅草線から京成本線に乗り入れ勝田台駅へ向かう

 

勝田台駅到着、暖かな電車からホームに出ると、北風が吹き荒れてる。 『タワマンが近くに在るのか(?)ビル風かも(?)寒い!』

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● 駅前のバス停へ、米本団地行きのバスが出た直後だ! 日陰に北風が吹きすさぶバス停で15分程待つ。 桜を見に行く人が多く、バス停はスグに長蛇の列。 『オイ オイ こんな寒い日に花見に行くのか?』 自分のことを忘れ、愚痴が出る。

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● バスの終点:米本団地で花見客を満載したバスから下車。 バス停の脇には米本団地(よなもとだんち)が並び建っている。 米本団地は、昭和45年(1970)に旧日本住宅公団が造成した賃貸住宅で、住棟数106棟、管理戸数3020戸の巨大団地。 浅草橋の我が家からここまで1時間半程だが、物凄く遠くに来た感じだ! こんな遠くに、こんな大きな団地があるとは、ビックリ!

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・・・・・・・・・・ バス停の近くに立て看板。 強風の寒さに震えながら見ると、『県下有数 約700本 河津桜』 ここまで来たら、見ておかないと、妻と励まし合って新川へ向かう。

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● 印旛沼から流れ、幕張付近で東京湾に注ぐ新川の土手約4.6㎞に、700本の河津桜が咲く「新川千本桜」がある。、、、、妻と端から歩き始めた。 『強風にめげず咲いてる!』 『小さな葉が出てきてる、そろそろ葉桜となるな』 『それにしても、風が強く寒いね!』 

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・・・・・・・・・・ 強風にあおられ、衣装がフラフラ、髪の毛もフラフラ、コスプレ写真は撮れそうにないね!

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・・・・・・・・・・ 千本桜はまだまだ続くが、寒さに勝てず『もう帰ろう!』の一言。 100本程見た、来た道を戻る。

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● 夫婦の帰りの話題は“桜”にあらず、“駅に着いたら何食べる?”、“暖かいラーメン!”、“鰻もいいね!”、“コーヒー飲みたい!

2024年3月 2日 (土)

本八幡から西船橋へ

北風が吹き付ける中、総武線の本八幡駅から、中山の法華経寺を避けるように、その北側を歩いて西船橋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 土曜の朝8時、通勤通学する人がチョイト多い本八幡駅で下車する。、、、、ホームに立つと、北風が身体に痛くあたる。

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・・・・・・・・・・ 本八幡駅へ来るまでの電車の中で、『今日は本八幡駅から北東に向かい、中山の法華経寺の北側へ行ってみよう』と決めてきた。 細かいルートは気分に任せて!




● 本八幡駅から呑み屋が並ぶ小路を抜け千葉街道に出る。 葛飾八幡宮一の鳥居の斜め前に「八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)」がある。 奥行・幅ともに20m弱のほぼ四角な藪である。 ここはのは、「禁足地」とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。 しかし藪は、千葉街道に面し、20m四方もない広さ、こんな処で迷う人も居ないであろう。 おそらく、昔は鬱蒼とした藪がもっと広い範囲にあったことと思われる。、、、、平将門の怨念と言われてることもあり、藪の中央にある不知森神社に手を合わせて行く。

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● 「八幡の藪知らず」の斜め前、市川市役所庁舎の脇道に、京成本線の踏切がある。、、、、写真奥の建物は市川市役所

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・・・・・・・・・・ 踏切を越え、市川市八幡の住宅地を歩く。 この町も、隣の菅野の町と同様に、静かで綺麗な高級住宅地である。 どこの家も洒落た造りで街並みを形成してる。

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● 八幡の住宅地の一画に、「龍馬がゆく」などを手掛けた脚本家「水木洋子邸」(現:市川市所有)がある。、、、、10時から公開してるようだが、今は8時半、内部拝見はまたの機会に!

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● 水木洋子邸からチョッピリ北へ歩くと、「アーデル通り」に出た。、、、、“アーデル”? 『はて? アーデルとは?』、、、、調べてみたら、市道0125号はネーミングライツ事業で企業名を冠した道路名になっているそうだ。 その企業とはフィットネスクラブを運営する「株式会社アーデル・フィットネス・リゾート」という名の会社。(な~んだ!)

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・・・・・・・・・・ アーデル通りの八方橋を渡り真間川を越える。 ここからは市川市北方の町。2403020842530

・・・・・・・・・・ 北方(きたかた)の町も住宅地である。 文人も多く住んでたそうだ。 中山競馬場にも近い町で、競馬好きは住んでみたい町かも。 中山の法華経寺にも近い町。、、、、“北方”は、住居表示実施以前は北方町(ぼっけまち)と称した。 読みが難読なので読みやすくしたそうだ。

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● 北方3丁目の小高い処に鎮座する「子之神社(ねのじんじゃ)」、、、、子之神社は、高台の閑静な住宅街の中にある。 大己貴命を祭神とし、亀山天皇の御代文永年間(1270年代)に建立された。、、、、一の鳥居をくぐると、69段の急な階段がある。 登りきると拝殿がスグ目の前にある。 年寄りには少々きつい。、、、、拝殿前から市川の町を見渡すことができる。 眺望バツグン!

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中山の法華経寺の北側を大きく迂回し、市川市若宮2丁目に来ると、法華経寺の「奥の院前に出た。 奥の院は、日蓮宗の創始者・日蓮がはじめて説法をした場所であり、又、日常が法華寺(後の法華経寺)を建立した場所でもある。 チョイト立ち寄って行こう!

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● 所々に畑が残る船橋市西船の町を歩く。 朝から北風が吹き、高台の町を歩くと、吹き飛ばされそうになる。

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京成西船駅を遠くに見て、京成本線の踏切を越えると千葉街道に出る。

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● 総武線のJR西船橋駅に着いた。 今日は、北風が吹き付ける寒い散歩だった!

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2024年2月26日 (月)

梅の白幡天神社

今日は散歩の帰り新小岩の眼鏡屋へ行く用があり、新小岩に近いJR総武線の市川駅から歩くことにした。 市川駅から平行する京成本線の北側(菅野地区)を歩き、総武線の本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。




● JR総武線の市川駅に降りると、北風が強くチョイト寒い。 ホームを歩く乗客は皆、無言で、防寒着にマスク・襟巻、冬支度で寒そう!

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● 市川駅北口から、千葉街道(=国道14号)を横断し、自然幼稚園( 敬虔なクリスチャン石田締により、昭和6年に開園。 幼児を自然の中で教育しようという理念に基づき命名された幼稚園 )前の小路を北へ向かい、京成本線の市川真間駅の脇に出る。

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● 京成本線の市川真間駅は大正3年(1914)8月30日に開業した。 現在は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅名は“真間(まま)”という地名に由来する。、、、、JR市川駅から直線で500m程、駅周辺にはファミレスや飲食店、居酒屋もあるが、普通列車しか停車しない駅。 乗降客も少なく、うら寂しい駅だ。

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● かつては、どこの小学校にもあった二宮金次郎像だが、今は消え去る運命にあるようだ。 そんな金次郎像が、真間の住宅の門の脇にあった。 雨で濡れていたが石像のようだ。 多少劣化しているので、作られてからだいぶ経っているものと思われる。 よく見ると、背負ってる薪は本物の“木”だ。、、、、薪を背負いながら学習をつづけ、やがては農村出の金次郎が幕臣にまで出世し偉人となったことを通し、現代の子供たちに“質素”・“勤勉”を教える手本として、再登場するかな。

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● 京成本線菅野駅の北側に広がる市川市菅野(すがの)の町、、、、大豪邸の並ぶ高級住宅街ではないが、静かに洒落た住宅が並ぶ高級住宅街である。 幸田露伴、永井荷風、幸田文などの小説家や、随筆家が居住した地でもある。、、、、実際に歩いて見ると、人影は少なく、緑豊かで、静かで清潔な町だ、文豪に愛されたことを感じることができる。

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● 市川市菅野1丁目、住宅地の奥に2000坪の境内を持つ白幡天神社がある。 広い境内には、緑の木々が生い茂り、梅、桜、椿、ツツジ、サツキ、ユリ、萩、彼岸花、サザンカと四季折々に花々が咲き、訪れる人には安らぎのひとときを提供している。 梅を期待して訪れてみたが、どうやら遅かったようだ(残念)、、、、今よりおよそ850年前の治承4年(1180)に、源頼朝が下総に入った際、当地に源氏の御印である白旗を掲げたことが社名の由来と伝えられている。 その後、天正12年(1584)正親町天皇の代に、本殿が再建された。 現在の本殿は明治13年(1880)の造営で、拝殿・幣殿は、昭和36年(1961)に造営された。

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・・・・・・・・・・ 境内には「幸田露伴 文学之碑」、「永井荷風 文学碑」などもある

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● 白幡天神社から東へ250m程歩くと、市川市東菅野1丁目に真言宗豊山派の山王山不動院がある。 不動院の創建年代等は不詳。 天慶3年(940)の平将門の乱に際して京都より房総へ下向した寛朝大僧正が、不動明王像一体を成田山新勝寺に、もう一体を当地に安置、その一体が当寺本尊とされている。 豊臣秀吉も小田原征伐に際して当寺本尊に祈念、寺領の寄進を受け、火災に際しても本尊は免れたことから火防の不動として信仰を集めたらしい。

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● 不動院から本八幡駅へ向かう途中で葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)にもチョイト立ち寄って行く。 葛飾八幡宮は寛平年間(889~898)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられている。 下総の国を守護する総鎮守として崇敬されている。 武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士の信仰を集めた。、、、、誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依比売命を祭神とする。

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● 昭和10年(1935)9月1日、総武本線の駅として本八幡駅が開業した。 平成3年(1991)からは、都営地下鉄の本八幡駅とも、駅ビルの連絡通路で結ばれていて、便利になっている。 JR、都営の両線を合わせると、隣の市川駅よりも乗降人員は多く、また市川市役所も当駅の近くに新築し、名実ともに市川市の中心となってきた。

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2024年2月20日 (火)

リベンジで市川まで

昨日は何となく、いつの間にか小岩まで歩く予定になり、平井まで歩いてギブアップ。 今日はそのリベンジで、平井から歩き、新小岩、小岩と通り過ぎ、隣の千葉県に入って市川まで、1万5千歩の散歩となった。




● 昨夜降った雨でまだ道路は濡れているが、今日の午前中は晴天となる予報を信じて、平井駅(総武緩行線)に降り立つ。、、、、昨日痛かった足も、今日は調子良さそうだ!

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● 今日も蔵前橋通りを東(小岩方面)へ歩くつもりだ。 蔵前橋通りに出る。

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● 荒川に架かる平井大橋は歩道の幅員を2mから3mに広げる工事が進められている。 工事は橋の中間部分まで完成したようだ、中程で施工前と施工後の違いがよく判る。 歩行者も自転車も快適に通れるようになった! 完成は来年の春らしい。

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● 平井大橋を渡ると、大きな新小岩公園がある。 園内にはまだ水溜りが残ってる。 私のお腹に残った水溜りは溢れそうだ、緊急事態! チョイト、トイレを拝借。

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● 新小岩駅前、通勤で小走りに駅に向かう人も見える。 「北口商店会」を横切る。 

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● 暗渠化されコンクリート造の欄干だけ残された巽橋。 その巽橋跡がある「たつみ橋交差点」 こちらも、新小岩駅に向かう多くの人が信号待ち!、、、、、ここまで平井駅から約40分歩いた。 私の足は快調だ、この状態なら次の小岩駅までは楽勝だ! 

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● 葛飾区東新小岩の町を蔵前橋通りが貫いていく。、、、、通りの両側はカーディーラーと、ファミレス、マンションが並び、歩く私には面白みが無い! 単調な歩きで疲れてきたかな? 

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● 一日2~3本の貨車しか通らない新金貨物線のガードを抜ける。 ガードは昭和33年(1958)に熊谷組の施工で竣工した。
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● 続いて新中川に架かる上一色橋(かみいっしきばし)を渡る。 橋は昭和41年(1966)に架橋(既に50年以上経過した)、、、、この橋を渡ると小岩駅がある。 季節外れの暖かさ、歩く私は汗ばんできた。

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● 小岩駅に向かう商店街「西小岩通り会」の曲がり角。 『ここを曲がれば小岩駅、今日の目標を達成する。 でも、次の市川駅まで歩くと、さすが男だ、よく頑張ったと妻の一言! 市川まで歩くか、ここで止めるか、これが問題だ!』 心の葛藤があったが、市川まで歩くことにした。(チョイト、足と腰が痛くなってきた。 我慢、我慢、やせ我慢!)

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● 小岩駅前の通過は9時半、平井駅からは1時間半ほど経過した。 柴又街道との交差点を通過する。、、、、『もう少しで市川橋だ、ガンバレ!』チョイト疲れた自分にいいきかせる。

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● 市川橋の西詰(小岩側)で、蔵前橋通り千葉街道(国道14号)とぶつかる。 ここが蔵前橋通りの東端になる。 道路名を表示している案内板も、蔵前橋通りを示す矢の方向が一方だけとなっている。(ヤ~ね!)

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● 江戸川に架かる市川橋まで来た! 全長399mの橋は、歩いて渡るには長~~い。 『歩けど 歩けど 橋の上 川に飛び込みたくもなるね』 

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● 市川橋を渡り市川市に入ると、高宮山観音寺がある。天正17年(1362)に開山した真言宗豊山派の寺。 『疲れたが、駅まであと少し、無事帰れますように(合掌)』

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● 足・腰の痛みこらえて市川駅に到着。 1万5千歩、歩いたぞ!

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2023年10月31日 (火)

ちょいと千葉街道

JR総武線西船橋駅から千葉街道に沿って西(東京方面)へ向かって本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 我家の最寄り駅:浅草橋から行先未定で総武線に乗り、『さて、今日はどこで降りようか?』 考えても決まらない、乗車した電車は西船橋行き。 終点の西船橋から歩くことにした。、、、、西船橋駅(にしふなばしえき)は、3社5路線が乗り入れる、JR東日本(総武線、武蔵野線、京葉線)・東京メトロ(東西線)・東葉高速鉄道(東葉高速線)の駅である。 利用客数は、すべての路線を合計すると千葉県の駅では最も多く、県内最大のターミナル駅である。 最大のターミナルだが駅前の賑わいは“いま一つ”、隣の船橋駅の賑わいには負ける! 集客力の無い駅前のラブホテル街と乱立するマンションが邪魔をしてるのかも?

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● 西船橋駅から市川駅の西で江戸川を越えた処までは、千葉街道(=国道14号)がJR総武線(海側)と京成本線(山側)の間を平行してる。(千葉街道からJR、京成の線路までは約200m以内) 今日の散歩は千葉街道沿いに西(東京側)に歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 西船橋駅前の千葉街道に出る。 脇には千葉街道を跨ぐJR武蔵野線のガードが見える。、、、、武蔵野線の新松戸駅~西船橋駅間(14.3km)が完工したのは昭和53年(1978)5月26日。 その年の10月2日から同区間の旅客営業が開始された。 このガードも同年に完成したものかも(?)

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・・・・・・・・・・ 西船橋駅から北に200m程、小高い森の中に印内町春日神社が鎮座する。 印内町春日神社の創建年代は不詳だが、享保年間(1716~1736)には既に名前が残されているそうだ。 

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・・・・・・・・・・ 西船橋駅から徒歩5分位、千葉街道から脇道を覗くとブロック塀の中に“庚申”の文字が見える。 庚申塔があった。、、、、庚申塔には、寛政12年(1800)の銘があり「是より かまがやみち」と記されてる。 この庚申塔は近くからここへ移されたらしい。、、、、庚申塔の横に御影石に「無線電信所道」と書かれた道標があった(スゴイものを発見した気持ち、ヤッター!) これは、千葉街道のこの地から、北(現:行田団地)にあった、旧海軍の無線電信施設への道を示しているものらしい。 この海軍無線電信施設から、太平洋戦争開戦時、真珠湾攻撃の開始を司令する「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が打電されたのである。 

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・・・・・・・・・・ 京成本線の西船駅近く、千葉街道に面して葛飾神社がある。 葛飾神社の創建年代等は不詳。 葛羅(かずら)の井戸の西側に鎮座し元惣社明神とも一郡総社葛飾大明神とも称していたが、大正5年(1916)当地にあった熊野権現社に合祀され、葛飾神社と改称した。、、、、本殿を囲む玉垣の中に聳え立つクロマツは、幹が二股に分かれて社殿を覆うように枝が笠状に伸長し、その姿は社殿と一体化した景色を演出している。 クロマツの樹高は13m、幹回り3.42m、葉張り16.5mで、市内では最も太いクロマツと言うことだ。、、、、【ついでの話】神社のある船橋市の西隣:市川市の“市の木”はクロマツ。 市川・本八幡・中山の付近では、クロマツが多くみられる。

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・・・・・・・・・・ 葛飾神社の西100m程の斜面に、庚申塔と薬師如来坐像が祀られている。 これは、薬師如来を主尊とする庚申塔だそうで珍しいものらしい。 薬師如来の顔がよく見えず、チョイト残念。

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・・・・・・・・・・ 千葉街道の「中山競馬場入口交差点」付近で見つけた「競馬場入口」バス停。 『アリャ・マー なんと一日1本の運行だ! しかも18時台だ!』 反対方向行きのバスは、朝6時台に1本のみ。、、、、朝6時台に乗って何処かへ行き、18時台に帰って来る人向けの運行ダイヤと思われる。 どんな人が、どんな用事で利用すのか気になるね!

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・・・・・・・・・・ 京成本線の東中山駅近くに来ると、千葉街道に2寺が続く。、、、、まずは、船橋市東中山にある浄土宗寺院の薬王山神将院東明寺。 東明寺は、弘治3年(1557)の創建。 古い寺らしいが、境内は狭く、建物は新しそうだ。

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・・・・・・・・・・ 続いて、日蓮宗寺院の多聞寺は、寳珠山と号す。 多聞寺は、永仁6年(1298)に創建した。、、、、こちらの寺も、建物は比較的新しい。

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・・・・・・・・・・ 多聞寺から100m程歩くと小栗原稲荷神社がある。 稲荷神社から多聞寺の裏山まで、かつては小栗原城があったそうだ。 小栗原城は標高20mほどの舌状台地先端部にあった城で、この稲荷神社が主郭と言われてるらしい。、、、、境内を綺麗に清掃されている方に出会いました。 本殿の床下を掃除しながら『本殿にシロアリが大量発生して困ったもんだ!』 拝殿前に来ると落ち葉を掻き集めながら『床下にホームレスが住み着いて、これまた困ったもんだ!』 シロアリもホームレスも、綺麗に清掃された社殿の床は住みやすいのかもね(?)

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・・・・・・・・・・ 船橋市から市川市に入り、中山法華経寺へ向かう参道入口を通過

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・・・・・・・・・・ 千葉街道から木下街道が分岐する地点(市川市鬼越2)に古い煉瓦作りの蔵のある中村家の建物がある。 中村家は、木下街道と千葉街道の交差点付近に位置することから、地の利を生かし、明治期においては陸軍御用達の馬糧商(ばりょうしょう)を営み、大正期になると味噌醸造業に転じた。 馬糧商時代の倉庫を転用するなどして、広大な味噌工場を有し、東京方面に出荷するほどの大規模醸造所であった。 敷地内の各建造物はおおむね明治後期のものらしい。 出桁造の主屋、煉瓦造りの蔵、石造風に化粧目地を施した洋風建築の事務所などが国の登録有形文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・ 京成本線鬼越駅の近くには日蓮宗寺院の塚原山常開寺がある。、、、、常開寺は、中山法華経寺の上人が応安7年(1374)に創建した。

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・・・・・・・・・・ 常開寺参道入口前で気になった床屋さん「アイカワ」 どうやら昭和レトロな雰囲気の床屋さん、赤青白のサインポールもグルグル回ってた、営業中だ!

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・・・・・・・・・・ 真間川を越えると市川市役所前に不知八幡森」、その先には「葛飾八幡宮」の参道がある。 本日の千葉街道の散歩はココまで、左に曲がれば本八幡駅だ。

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本八幡駅から帰る、我が家のある浅草橋駅までは、電車に揺られて8駅、20分。 

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2023年10月 2日 (月)

栗山配水塔

朝から爽やかな秋風が吹き、鈴虫の声を聴きたくなった。 『今日は江戸川を歩いてくる!』と妻に言い、早速、北総線矢切駅から江戸川沿いに京成本線国府台駅まで散歩。 1万歩




矢切駅は、千葉県松戸市と市川市の市境に位置する北総鉄道北総線の駅。 “矢切の渡し”の千葉県側の最寄り駅である。、、、、平成3年(1991)3月31日に開業。 栗山トンネル(延長1,827m)内にある、島式ホーム2面4線の地下駅。 極々、特徴のない普通の駅である。、、、、“矢切”の地名は“やきり”と読み、駅やバス停の“やぎり”と濁る。

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・・・・・・・・・・ 駅前ロータリーに水上勉旧居跡の碑がある。 碑文は『水上勉氏旧居跡 現在矢切駅敷地内 水上勉氏は、昭和三十二年九月から昭和三十四年十月まで下矢切の地に居住。矢切の豊かな自然に触れ、不遇時代を過ごし直木賞候補作となった「霧と影」(三十四年八月刊行)を執筆。昭和二十三年「フライパンの歌」刊行以来約十年の沈黙を超え、作家としての再出発を遂げた』

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● 矢切駅から駅前の松戸街道を南へ200m程歩くと右手奥に栗山配水塔が見える。、、、、栗山配水塔は、千葉県松戸市にある栗山浄水場の内にあり、松戸市・市川市などに現在も現役で配水してるそうだ。 構造は、円形・ドーム屋根の円筒型高架水槽。 塔体は鉄筋コンクリート造で、高さ31.9m、内径15m、有効水深20m、有効容量3,356立方m。、、、、現在の千葉県松戸市・市川市・船橋市などへ水を供給する施設として、昭和9年(1934)に栗山浄水場の建設が開始され、栗山配水塔は昭和12年(1937)3月31日に完成した。 平成18年(2006)土木学会選奨土木遺産に認定、平成29年(2017)国の登録有形文化財となる。、、、、地元はもとより、江戸川の対岸、葛飾区柴又からも良く見える、ランドマーク的な建物だ!

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● 栗山配水塔のある浄水場裏から、急な階段で北総台地を江戸川敷へ下る。

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・・・・・・・・・・ 階段を下ると、台地の崖を背にして、寺社が並んでる。 北側には、江戸時代中期以降の創建と言われてる栗山日枝神社が鎮座する。、、、、キツイ階段の参道を上りきると、すぐ拝殿。 境内は狭そうだ!

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・・・・・・・・・・ 南隣には、日蓮宗西木山本久寺がある。、、、、本久寺は、大宝3年(703)の創建と伝えられ、のちには真善光寺と称する真言宗の寺院となった。 慶安3年(1650)、大本山中山法華経寺の上人により日蓮宗に改宗。 以降、宗門の霊場として栗山村落の信仰を集めてきた。、、、、古寺であるこの寺は、「西木山 本久寺」が正式名であるが、この名“西木山”を縦書きにしたものを“栗山”と誤読し、この地の地名となったらしい。

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● 本久寺前の「ちば野菊の里浄水場」に沿って西へ、江戸川土手に向かうと柳原排水機場がある。 排水機場の前には柳原橋と水閘橋が連なってる、両橋に挟まれ煉瓦造りの柳原水閘がある。 今年の猛暑の影響か(?)、水閘の周囲は大きく成長した雑草が茂り、水閘を隠してる。、、、、4連アーチの煉瓦造りの水閘は丁寧に美しく積まれ、明治時代の煉瓦積み工法を伝える貴重な土木構造物である。 手賀沼の干拓に取り組んだ土木技師の井上二郎の設計により、明治37年(1904)に完成した。 現在は、国の『近代化産業遺産』として選定され、水門の役目を柳原水門・柳原排水機場に譲り、親水公園の一部として保存されている。、、、、公園の一部なら、公園管理者の松戸市は雑草を除去して、水閘の全容を見せて欲しいね!

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● 柳原水閘の近くから、秋風に吹かれ江戸川土手を歩く

・・・・・・・・・・ 対岸は葛飾柴又

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・・・・・・・・・・ 土手の下では畑仕事

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・・・・・・・・・・ 下流側、かなり先に市川駅前のタワマン2棟

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・・・・・・・・・・ この付近、対岸は江戸川区北小岩

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・・・・・・・・・・ 台地の上には女子大の建物が見えるが、学生までは見えないね、残念!

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● 土手上を歩き「京成電鉄 江戸川橋梁」に来た。、、、、大正元年(1912)京成電鉄の開業当初の路線は、押上駅~伊予田駅(現在の江戸川駅)間と曲金駅(現在の高砂駅)~柴又駅間であり、汽車が江戸川を渡る鉄橋は無かった。 江戸川の小岩側に伊予田駅を設置し、江戸川を越えて運搬する貨物などは、市川側へは伝馬船で渡すという方法がとられた。 旅客については、明治38年(1905)に架けられた江戸川橋を使って市川側へ渡ったと思われる。 渡河に時間も手間もかかり不便この上もなく、特に市川の国府台に駐屯する陸軍にとっては、鉄道橋架橋が命題であった。 大正3年(1914)鉄道専門の部隊であった鉄道連隊の支援により、5連トラス橋が架橋された。 現在の橋梁は下流側に架けられた2代目である。、、、、現橋は、昭和54年(1979)11月1日に完成した、5径間下路ワーレントラス橋、橋長433.2m、幅員11m

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● 京成本線の国府台(こうのだい)駅に到着、ここから電車で帰宅する。、、、、大正3年(1914)8月30日、市川鴻の台駅として開業。 同年12月、市川駅に改称。 さらに、大正10年(1921)4月、市川国府台駅に改称。 さらにさらに、昭和23年(1948)4月、国府台駅に改称。、、、、当初の駅名“市川鴻の台”は、日本武尊が東征で平定した下総から武蔵に向かうおり、デルタに阻まれた、その時、一羽のコウノトリが浅瀬を教え兵を武蔵の国へ渡らせた。 尊はコウノトリの功を讃え、台地を“鴻之台”とした。 この話が駅名になったそうだ。

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2023年5月 4日 (木)

部民の居住地

GWの真っ只中、若いカップルはデート、子持ち夫婦は家族旅行、熟年夫婦は温泉旅行、さてさて我が初老夫婦はどうする! 『何処に行っても混んでるから東京にいよう!』 『GW中は我が家でジットしてよう!』 『夫婦で東京の留守番だ!』、、、、と、話しながら二人静に朝食をとる。 TVのニュースでは今日の天気は気温25℃の行楽日和と話してる。 外出したくなってきた、人の少ない所へ行くか! 私が『今日は、千葉へ墓参りに行こう』と提案すると、妻は『行く、行く』の返事、即決(妻は、どこでもいいから外出したかったのだ!)

千葉には私の祖父母の墓があり、久しぶりの墓参である。 JR総武線西千葉駅で下車し、作草部の寺まで歩き、帰りは千葉駅から帰る。




● 浅草橋(我が家)から中央・総武緩行線(各駅停車)の電車に乗って、乗り換えなしの18駅目、所要45分で「西千葉駅」に到着。、、、、西千葉駅は昭和17年(1942)10月1日に国鉄の駅として開業。 開業当初は地上駅であったが、現在は1面2線の島式ホームを有する高架駅である。 駅付近では高架橋の高さが低く、駅出口は半地下となっている。、、、、駅の東側には千葉大学西千葉キャンパス、千葉経済大学などがあり、平日は学生の多い駅。 今日は連休でもあり、駅前はガラガラ。

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● 西千葉駅前のロータリーの脇に「西千葉稲荷大明神」が鎮座している。 大きな社ではなく極々小さなお稲荷さん。 この場所は駅前の一等地だ!、、、、ここらはその昔(江戸時代)佐倉藩の刑場跡だったそうだ。 大明神の由緒書きによると、『江戸時代に与助と言う20代の若者が、ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、小さな石を積み上げて供養した』のがはじまり。

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● 西千葉駅前から「ゆりの木通り」を歩くと、千葉都市モノレールの「作草部駅(さくさべえき)」がある。 作草部駅の開業は平成3年(1991)6月12日。、、、、“作草部”は古くからある地名で、普通に読んだら“さく・くさ・べ”で、“く”の一音が無くなってる!

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● 作草部駅から東へ約500m、「作草部神社」がある、、、、神社の由緒書によると、作草部の地は、平安期に下総国千葉郡七郷の一つとして、福草部(三枝部)という部民の居住地があったことに由来するらしい。 鎌倉末期まで皇室領であった。 かなり、歴史ある土地のようだ。、、、、社殿は文久元年(1861)の建築で、御祭神の12神(大雷神・大山祇神・高龗神・伊邪那岐命・伊邪那美命・事解男命・高皇産霊命・猿田毘古命・應神天皇・菅原道眞・素戔嗚命・市寸島比売命)が祀られている。 狭い社殿に12神とは、すし詰め状態、チョイト可哀そうだ!

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● 作草部神社の近くには四基の馬頭観音がある。 写真右から、弘化元年(1844)、昭和4年(1929)、安政3年(1856)、天保13年(1842)の馬頭観世音、、、、200年近く、この地の住民に見守られてきた馬頭観音に合掌

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● 私の祖父母が眠る寺に来た。 静かだ、観光客はいない(あたりまえだ!)、線香を手向け、合掌!

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● 墓参りを済ませ、千葉駅に出て帰宅。 1万2千歩

2023年2月15日 (水)

ブラリ安房鴨川

暖かな春の陽気を期待して、昨日(2/14)から一泊で安房鴨川に行ってきた。 夫婦二人旅なので、宿と清澄寺・誕生寺の2か所の行先だけは決め、年寄りの、のんびり気まま旅とした。

 

● 9時に東京発の特急で約2時間、11時に外房線の終着駅「安房鴨川」に到着。 ポカポカの春を期待したが、ホームに立つと、ヒエビエとした冬の出迎えを受ける。、、、、安房鴨川駅は、線路は繋がっているが、内房線と外房線それぞれの終着駅である。 それゆえ、当駅から発車するのは全て上り列車、到着するのは全て下り列車。 クイズに出そうな駅だ!、、、、大正14年(1925)7月11日、北条線(現在の内房線にあたる)の駅として開業。 昭和4年(1929)4月、房総線の安房鴨川延伸により北条線を房総線に編入し、安房鴨川駅は房総線の駅となる。 昭和8年(1933)に房総線が当駅で房総西線と房総東線に分割される。房総西線所属駅となる。 昭和47年(1972)には路線名称変更により、房総西線が内房線、房総東線が外房線となる。

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● 『ちょっぴり寒いけど、どこへ行こうか?』 『街並み拝見は?』 とりあえず、駅前の観光案内所で聞いてみると、『見るべき街並みは無いですね。 一にシーワールド、二、三もシーワールド、これしかないですよ!』 そこまで言われて行かないと、『何しに鴨川へ来たの?』と言われそう。、、、、寺巡りは明日にして、今日は鴨川シーワールドへ行くことにした。




● テレビを見ていると、イルカ、アザラシなどが海岸に接近すると、その捕獲・保護などのニュースで、年に数回はここ「鴨川シーワールド」が登場してくる。 結構有名な施設だが、動物園?、水族館?となると、私の年齢ではあまり面白くないかも、入館にチョイト躊躇した。 同行する妻は『寺よりイルカ』、嬉しさを笑顔で表しチケット購入。、、、、入ってビックリ、見てビックリ、入館料2700円(老人一人)も安く感じた大規模レジャー施設であった。、、、水族館を回り、イルカ、シャチのショーを見て、孫の土産をチョット買い、楽しむこと4時間。

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・・・・・・・・・・ショーが始まる時間になると、広い館内から人がゾロゾロ・魁傑ゾロ、『平日なのに、こんなに大勢の人が来てるのか!』 若いカップルも多い、平和な日本を感じる一瞬。

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● 今日のお宿は、安房天津駅に近い旅館。 風呂に入って疲れを癒し、海鮮づくしの料理を食し、あとは寝るだけ、一夜の終わり。

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● 今日(2/15)は昨日より厳しい寒さ、風も強いので宿から清澄寺までタクシー利用。 20分程で山門前に到着。、、、、「清澄寺」は、千光山と号し、鴨川市清澄にある日蓮宗の大本山の一つ。 「清澄寺」は“せいちょうじ”と読む、恥ずかしながら、私はこれまで“きよすみでら”と呼んでいた。、、、、日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山久遠寺(山梨県身延)・大本山本門寺(東京都池上)・大本山誕生寺(千葉県鴨川)とともに日蓮宗四霊場と呼ばれてる。、、、、清澄寺は、天台宗の寺として不思議法師が刻した虚空蔵菩薩像を祀り宝亀2年(771)に開基、慈覚大師円仁が僧坊12祠堂25を建立し、房総第一の大寺としたといいます。天福元年(1233)には小湊出身の日蓮聖人が当寺に入門、建長5年(1253)には当山旭の森で立教開宗の第一声をあげています。その後徳川家康公の帰依を得た真言宗の僧侶仲恩坊頼勢法印が当寺を真言宗の寺として再興、10万石の格式と、寺領500石の御朱印状を受領、京都醍醐三宝院別院となり本山格の寺院だったといいます。明治維新後の廃仏毀釈や台風による被害などもあり衰微、昭和24年に日蓮宗に改め、宗祖日蓮聖人出家得度・立教開宗の霊跡、日蓮宗大本山となっています。、、、、天台宗に始まり、真言宗、日蓮宗と移り変わった清澄寺は変わり身が早いのか?


・・・・・・・・・・ 大本山なので、多くの信者がバスなどで参拝に来ているものと想像していたが、私たちが到着した朝9時には誰もいない!(門前の茶屋もシャッターが下りてる) コロナ禍の影響か? それとも、信者離れか? 寂しい大本山。 私たちが参拝を終えた頃、何人かの人が参拝に来た!

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・・・・・・・・・・ 文久3年(1863)建立の「仁王門」、、、、阿像(那羅延金剛)と吽像(密迹金剛)を祀る。大棟には十六葉菊紋が付され真言宗時代の格式の高さが窺える。

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・・・・・・・・・・ 天和2年(1682)の建立と伝えられる「本堂(摩尼殿) 」、大堂とも呼ばれる。

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中門」は正保4年(1647)に建てられ天保8年(1837)に改修された、茅葺の四足門である。

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・・・・・・・・・・ 清澄寺門前のバス停から見た景色、、、、歌川
広重が描いた景色と同じだ! 遠くに仁右衛門島も見える。

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● 清澄寺から山を下り、今度は誕生寺へ向かう。 安房鴨川駅の隣り駅「安房天津駅」からバスに乗る。、、、、昭和4年(1929)4月15日に開業した、現在は無人駅。 一日当たりの乗降客数は200人に足りず、チョイト寂しいね!

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● 清澄寺の次は「誕生寺」、、、、誕生寺入口のバス停から小湊の海沿いを歩き、旅館・ホテルが並ぶ通りに面して誕生寺がある。 日蓮宗寺院の誕生寺は、小湊山と号し、日蓮宗の大本山。 誕生寺は、日蓮の誕生を記念して出身地に建立された寺である。、、、、建治2年(1276)、日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立。 しかし明応7年(1498)の明応地震、元禄16年(1703)の元禄地震と2度の大地震、大津波により現在地に移転した。 現在、生家跡伝承地は沖合いの海中にある(日蓮は海の中で生まれたか?)。 その後、水戸光圀の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称した。 宝暦8年(1758)に、仁王門を残して焼失し、天保13年(1842)に現在ある祖師堂を再建した。

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・・・・・・・・・・ 総門を入り、まずは大きな「仁王門」、、、、間口8間、母屋造二重門で宝永3年(1703)の建立。 宝暦の大火の際焼け残った誕生寺最古の建造物。

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・・・・・・・・・・ 仁王門をくぐると正面に「祖師堂」が構えてる。、、、、天保13年(1842)建立の入母屋造、総欅造り、高さ95尺(高い! ??m)。 建材は江戸城改築用として、伊達家の藩船が江戸へ運ぶ途中遭難し、譲りうけたもの。

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● 清澄寺・誕生寺と参拝を終え、内浦湾(小湊)を眺めながら安房小湊駅へ向かう。

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● 帰りは「安房小湊駅」から乗車。、、、、安房小湊駅は、昭和4年(1929)4月15日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する地上駅。 特急も停車する駅だが、一日当たりの乗降客数は300~400名程。

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2022年10月 1日 (土)

城下町 佐倉

青空の下、夫婦で城下町「佐倉」の町歩きをしてきた。 京成本線の京成佐倉駅で下車し、散策のスタート。 佐倉城址にたつ国立歴史民俗博物館、佐倉武家屋敷を見学。 佐倉の町を縦断して、佐倉順天堂記念館を見る。 佐倉藩主の邸宅である旧堀田邸にも立ち寄って、ゴールはJR佐倉駅。、、、、約5時間の町歩きです。



● 佐倉の城下町は、町の北側を走る京成本線と町の南側を走るJR総武本線に挟まれた、南北約1.8㎞の間にある。 今日の町歩きは「京成佐倉駅」からスタートする。、、、、大正15年(1926)12月9日、「佐倉駅」と称し開業。 昭和6年(1931)、「京成佐倉駅」に改称。 島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 佐倉市の玄関口となる駅だが、駅自体はさほど大きくはない。 駅前には広い大きなロータリーがあるが、周囲には大きな建物もなく閑散としている。、、、、城下町「佐倉」を大々的にうたい、駅前をもう少し整備して観光客を誘致すれば賑やかになるかも?

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・・・・・・・・・・・・京成佐倉駅の橋上駅舎から西を見ると、線路の先、緑の丘の上に何やらコンクリートの構造物(写真のど真ん中)が見える。 これぞ、われらの目的地:国立歴史民俗博物館。

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・・・・・・・・・・・・駅からの道すがら、民家の屋根の先に“歴博”の文字!

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・・・・・・・・・・・・国立歴史民俗博物館への道に面し、茅葺屋根の建物

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● 駅から歩いて15分、佐倉城址がある。 佐倉城は石垣のない城で、小高い丘の上にあり城の周囲には土塁が巧みに配されていた。 博物館はその丘の上の城跡に建てられている。 

国立歴史民俗博物館」は日本の歴史、民俗学、考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。 展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件。、、、、明治時代から東京、京都、奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館が存在したが、戦後、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見があり、日本政府は昭和41年(1966)に「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定した。 国の機関としての国立歴史民俗博物館は昭和56年(1981)に発足した。、、、、博物館の設計は芦原建築設計事務所が行い、昭和55年(1980)10月竣工。 敷地面積129,496m2、延床面積35,548m2、建築面積17,124m2。周辺は佐倉城址公園として整備された。 建物はなにしろデカイ! しかも丘の上にあるため、建物の全体像が目に入らず、巨大な要塞に訪れた感じがする。 城址の下から坂を上がってきても、見えるのは建物の一部だけ!

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・・・・・・・・・・・・大人600円の入館料を払い中へ。 6室に別れた展示室を順に回る。 全室見るのに、早足で、展示物を横目で見て、つまらないのはパスしても、ナント2時間!(足が痛くなるね)  展示物が多すぎる! 入館料600円分は十分堪能、最高のコスパ! 入館者より館員の多いことにもビックリ!、、、、展示物の人形は気持ち悪くなるほどのリアルさ! 模型は大きく模型愛好者には大いに参考になる!

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● 佐倉城址公園と武家屋敷の間にある、竹林の中を歩く坂道。 「ひよどり坂」と称し、江戸時代に武士が登城する道だったらしく、「サムライ古径」とも呼ばれている。 竹林は手入れも良くされており、階段も歩きやすい! 階段を上がると武家屋敷がある。、、、、京都の竹林とは違い、観光客も少ないようで、ゆっくりのんびり歩ける。(ちなみに、我が夫婦以外には歩く人無し!)

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● ひよどり坂を上ると、江戸時代の数棟の「武家屋敷」が並んでいる。 並んで残っている三棟の武家屋敷は、いずれも2DKの間取り程で、質素な造り、江戸城の周囲に残る大名の武家屋敷とは月とスッポン、提灯に釣鐘、雲泥の差。 華美を排した佐倉の武士の心意気かも!

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● 佐倉の町のほぼ中央に残る「旧川崎銀行佐倉支店」(現:佐倉市立美術館)は、大正7年(1918)の建築。 昭和12年(1937)、この建物は佐倉町に売却され、佐倉町役場となった。、、、、現在は、佐倉市、房総地区ゆかりの作家の作品を集めた市立美術館の一部として活用してる。

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・・・・・・・・・・・・旧川崎銀行佐倉支店前の通りは旧成田街道。 旧街道沿いには歴史のありそうな建物も残っている。

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● 旧川崎銀行から東に1.5㎞程歩くと「佐倉順天堂記念館」がある。 佐倉順天堂は佐倉藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が天保14年(1843)に開いた蘭医学の塾兼診療所。 西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中(後に、東京で順天堂医院を開く。順天堂大学の前身)をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出した。 現在、安政5年(1858)に建てられた建物の一部が残っています。 記念館では、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具(骨を切るノコギリ、止血用の焼きごて)などを展示しています。、、、、ノコギリで切られ、焼きごてで止血される外科手術は痛そうだ! 私が患者なら、手術台を見て失禁し、手術台の上で失神し、手術終れば失敗だ! 

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・・・・・・・・・・・・記念館の隣りには「佐倉順天堂醫院」がある。、、、、順天堂の創始者である佐藤泰然先生の子孫の方が、ここで病院を経営しているそうだ。 佐藤家が“順天堂”を引き継ぎ、守っているのかも!

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● 順天堂記念館から南西に約1㎞、明治23年(1860)に竣工した最後の佐倉藩主:堀田正乱倫の邸宅であった「旧堀田邸」(国指定重要文化財)も見学。 明治期の旧大名の邸宅、伝統的和風建築である。 建設工事は明治22年(1889)着工、翌23年に竣工している。 、、、、木造平屋建て(一部二階建て)の建物5棟(玄関棟、座敷棟、居間棟、書斎棟・湯殿)が廊下で結ばれている大きな和風住宅。 私が数えると、「××の間」と呼ばれる部屋数だけでも20部屋程度、「雪隠」は6ヶ所もある。 往時の旧堀田邸は約3万坪の広さがあったそうだ、羨ましいね!

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● 疲れた足で、JR総武本線「佐倉駅」に到着。、、、、1894年(明治27年)7月20日:総武鉄道の市川駅 - 当駅間開業により開設。 1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道が買収され、帝国鉄道庁の駅となる。 佐倉駅は、総武本線を建設した私鉄である総武鉄道により、明治27年(1894)7月20日に開設された。 高台の上にある市街地とは約1㎞離れた位置に駅があり、地元が鉄道建設に反対したためにやむなく隣村の根郷村六崎の田んぼの中に駅が建設されたそうだ。、、、、京成佐倉駅より駅舎は立派!

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● 今日の散策は1万9千歩であった。 同行した妻は1万7千歩。 同じ万歩計で計っているのに、私の歩数は妻の歩数より約1割アップ。 先日、桐生に出かけた時も同じ現象で、私の方が1割ほど多い。 妻の身長155㎝、私の身長165㎝。 身長の大きな私の方が、当然歩幅も大きいはず! 何か変だ?、、、、結論妻曰く『計測に誤りなし。 単に歩幅が短いだけ。』 私『身長が高く、歩幅が短ければ、短足ということか!』(残念だが、カッコ悪いね!) 

2022年9月10日 (土)

船橋の田園

秋らしい風が吹いてきた! 今日は夫婦で北総線小室駅から、庚申塔、馬頭観音を見ながら田園地帯(千葉県船橋市の北端部)を歩いて来た。、、、、田畑の続く道を庚申塔を探し地図をたよりに西・東、いつのまにか道に迷って北・南、行ったり来たりで1万2千歩あるいたら、妻は疲れてギブアップ。 郊外の総合病院前からバスに乗り、新京成線の三咲駅経由で帰宅。



● 東京湾から北東に伸びて広がる船橋市、その伸びた先が北総線の小室駅を完全にカバーする。 「小室駅」は船橋市にある駅で、市内の駅としては最も北に位置する。 昭和54年(1979)3月8日に開業した、島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線、計2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有する。、、、、駅の出入口は北口のみである。東西に線路が伸びる小室駅は掘割の中にあり、南側に行くにはいったん北口に出て線沿いに歩き跨線橋を渡り南側に向かう。 面倒くさい駅だ!(今日の散歩は南側を歩き、東葉高速鉄道の駅に向かう予定だった)

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● 北総線の南側に広がる田圃、ここも船橋市。 “船橋”と言えば、「船橋ヘルスセンター」、「ららぽーと」、「西武百貨店」に「若松劇場」を思い出す。 田圃の広がる景色は、私には想像できない!

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● 船橋市からチョイトはずれて八千代市小池にある「安房神社」、、、、安房神社の創建年代等は不詳。 当地浅野七郎左ヱ門家の氏神として祀られていた。 明治維新後は村社として、小池地区の鎮守と定められた。 現社殿は明治8年(1875)の改築によるもの。、、、、蜘蛛の巣をよけて、チョイト階段を上ると社があった!

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● 安房神社の南西、道路沿いに「馬頭観音」、「庚申塔」が並ぶ。(八千代市小池)、、、、全て古い石仏かと思ったら、なんと平成31年(2019)建立の庚申塔が2基あった!(庚申信仰、いまだ健在なり!)

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● 竹藪を抜け、船橋市車方町の集落に入ると、日蓮宗「法井寺」(法華経寺末、由緒不詳)がある。 小さな山寺という感じ、チョイト、手を合わせて行く。

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・・・・・・・・・・・・法井寺から50m程西側に入ると、大きな榎の下に小さな道祖神が祀られてる。

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・・・・・・・・・・・・道祖神の50m程先には「馬頭観音」と「庚申塔群」がある。

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● 色づき始めた柿を見て秋を感じ、南の東葉高速鉄道の駅に向かって歩く。

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・・・・・・・・・・・・歩く先に大きな病院が見えた、キットここには患者のためにバスが運行しているはずだ! 1万2千歩あるいた妻は疲れと空腹で『バスに乗ろう!』 女性に優しい私は、素直に了解する。、、、、バスの行先は新京成線の三咲駅行き。 今日の散歩はココまで。 帰りは途中で食事して・・・・・食事を済ますと元気な妻(?)

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