千葉県

2023年10月31日 (火)

ちょいと千葉街道

JR総武線西船橋駅から千葉街道に沿って西(東京方面)へ向かって本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。




● 我家の最寄り駅:浅草橋から行先未定で総武線に乗り、『さて、今日はどこで降りようか?』 考えても決まらない、乗車した電車は西船橋行き。 終点の西船橋から歩くことにした。、、、、西船橋駅(にしふなばしえき)は、3社5路線が乗り入れる、JR東日本(総武線、武蔵野線、京葉線)・東京メトロ(東西線)・東葉高速鉄道(東葉高速線)の駅である。 利用客数は、すべての路線を合計すると千葉県の駅では最も多く、県内最大のターミナル駅である。 最大のターミナルだが駅前の賑わいは“いま一つ”、隣の船橋駅の賑わいには負ける! 集客力の無い駅前のラブホテル街と乱立するマンションが邪魔をしてるのかも?

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● 西船橋駅から市川駅の西で江戸川を越えた処までは、千葉街道(=国道14号)がJR総武線(海側)と京成本線(山側)の間を平行してる。(千葉街道からJR、京成の線路までは約200m以内) 今日の散歩は千葉街道沿いに西(東京側)に歩くことにした。

・・・・・・・・・・ 西船橋駅前の千葉街道に出る。 脇には千葉街道を跨ぐJR武蔵野線のガードが見える。、、、、武蔵野線の新松戸駅~西船橋駅間(14.3km)が完工したのは昭和53年(1978)5月26日。 その年の10月2日から同区間の旅客営業が開始された。 このガードも同年に完成したものかも(?)

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・・・・・・・・・・ 西船橋駅から北に200m程、小高い森の中に印内町春日神社が鎮座する。 印内町春日神社の創建年代は不詳だが、享保年間(1716~1736)には既に名前が残されているそうだ。 

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・・・・・・・・・・ 西船橋駅から徒歩5分位、千葉街道から脇道を覗くとブロック塀の中に“庚申”の文字が見える。 庚申塔があった。、、、、庚申塔には、寛政12年(1800)の銘があり「是より かまがやみち」と記されてる。 この庚申塔は近くからここへ移されたらしい。、、、、庚申塔の横に御影石に「無線電信所道」と書かれた道標があった(スゴイものを発見した気持ち、ヤッター!) これは、千葉街道のこの地から、北(現:行田団地)にあった、旧海軍の無線電信施設への道を示しているものらしい。 この海軍無線電信施設から、太平洋戦争開戦時、真珠湾攻撃の開始を司令する「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が打電されたのである。 

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・・・・・・・・・・ 京成本線の西船駅近く、千葉街道に面して葛飾神社がある。 葛飾神社の創建年代等は不詳。 葛羅(かずら)の井戸の西側に鎮座し元惣社明神とも一郡総社葛飾大明神とも称していたが、大正5年(1916)当地にあった熊野権現社に合祀され、葛飾神社と改称した。、、、、本殿を囲む玉垣の中に聳え立つクロマツは、幹が二股に分かれて社殿を覆うように枝が笠状に伸長し、その姿は社殿と一体化した景色を演出している。 クロマツの樹高は13m、幹回り3.42m、葉張り16.5mで、市内では最も太いクロマツと言うことだ。、、、、【ついでの話】神社のある船橋市の西隣:市川市の“市の木”はクロマツ。 市川・本八幡・中山の付近では、クロマツが多くみられる。

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・・・・・・・・・・ 葛飾神社の西100m程の斜面に、庚申塔と薬師如来坐像が祀られている。 これは、薬師如来を主尊とする庚申塔だそうで珍しいものらしい。 薬師如来の顔がよく見えず、チョイト残念。

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・・・・・・・・・・ 千葉街道の「中山競馬場入口交差点」付近で見つけた「競馬場入口」バス停。 『アリャ・マー なんと一日1本の運行だ! しかも18時台だ!』 反対方向行きのバスは、朝6時台に1本のみ。、、、、朝6時台に乗って何処かへ行き、18時台に帰って来る人向けの運行ダイヤと思われる。 どんな人が、どんな用事で利用すのか気になるね!

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・・・・・・・・・・ 京成本線の東中山駅近くに来ると、千葉街道に2寺が続く。、、、、まずは、船橋市東中山にある浄土宗寺院の薬王山神将院東明寺。 東明寺は、弘治3年(1557)の創建。 古い寺らしいが、境内は狭く、建物は新しそうだ。

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・・・・・・・・・・ 続いて、日蓮宗寺院の多聞寺は、寳珠山と号す。 多聞寺は、永仁6年(1298)に創建した。、、、、こちらの寺も、建物は比較的新しい。

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・・・・・・・・・・ 多聞寺から100m程歩くと小栗原稲荷神社がある。 稲荷神社から多聞寺の裏山まで、かつては小栗原城があったそうだ。 小栗原城は標高20mほどの舌状台地先端部にあった城で、この稲荷神社が主郭と言われてるらしい。、、、、境内を綺麗に清掃されている方に出会いました。 本殿の床下を掃除しながら『本殿にシロアリが大量発生して困ったもんだ!』 拝殿前に来ると落ち葉を掻き集めながら『床下にホームレスが住み着いて、これまた困ったもんだ!』 シロアリもホームレスも、綺麗に清掃された社殿の床は住みやすいのかもね(?)

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・・・・・・・・・・ 船橋市から市川市に入り、中山法華経寺へ向かう参道入口を通過

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・・・・・・・・・・ 千葉街道から木下街道が分岐する地点(市川市鬼越2)に古い煉瓦作りの蔵のある中村家の建物がある。 中村家は、木下街道と千葉街道の交差点付近に位置することから、地の利を生かし、明治期においては陸軍御用達の馬糧商(ばりょうしょう)を営み、大正期になると味噌醸造業に転じた。 馬糧商時代の倉庫を転用するなどして、広大な味噌工場を有し、東京方面に出荷するほどの大規模醸造所であった。 敷地内の各建造物はおおむね明治後期のものらしい。 出桁造の主屋、煉瓦造りの蔵、石造風に化粧目地を施した洋風建築の事務所などが国の登録有形文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・ 京成本線鬼越駅の近くには日蓮宗寺院の塚原山常開寺がある。、、、、常開寺は、中山法華経寺の上人が応安7年(1374)に創建した。

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・・・・・・・・・・ 常開寺参道入口前で気になった床屋さん「アイカワ」 どうやら昭和レトロな雰囲気の床屋さん、赤青白のサインポールもグルグル回ってた、営業中だ!

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・・・・・・・・・・ 真間川を越えると市川市役所前に不知八幡森」、その先には「葛飾八幡宮」の参道がある。 本日の千葉街道の散歩はココまで、左に曲がれば本八幡駅だ。

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本八幡駅から帰る、我が家のある浅草橋駅までは、電車に揺られて8駅、20分。 

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2023年10月 2日 (月)

栗山配水塔

朝から爽やかな秋風が吹き、鈴虫の声を聴きたくなった。 『今日は江戸川を歩いてくる!』と妻に言い、早速、北総線矢切駅から江戸川沿いに京成本線国府台駅まで散歩。 1万歩




矢切駅は、千葉県松戸市と市川市の市境に位置する北総鉄道北総線の駅。 “矢切の渡し”の千葉県側の最寄り駅である。、、、、平成3年(1991)3月31日に開業。 栗山トンネル(延長1,827m)内にある、島式ホーム2面4線の地下駅。 極々、特徴のない普通の駅である。、、、、“矢切”の地名は“やきり”と読み、駅やバス停の“やぎり”と濁る。

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・・・・・・・・・・ 駅前ロータリーに水上勉旧居跡の碑がある。 碑文は『水上勉氏旧居跡 現在矢切駅敷地内 水上勉氏は、昭和三十二年九月から昭和三十四年十月まで下矢切の地に居住。矢切の豊かな自然に触れ、不遇時代を過ごし直木賞候補作となった「霧と影」(三十四年八月刊行)を執筆。昭和二十三年「フライパンの歌」刊行以来約十年の沈黙を超え、作家としての再出発を遂げた』

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● 矢切駅から駅前の松戸街道を南へ200m程歩くと右手奥に栗山配水塔が見える。、、、、栗山配水塔は、千葉県松戸市にある栗山浄水場の内にあり、松戸市・市川市などに現在も現役で配水してるそうだ。 構造は、円形・ドーム屋根の円筒型高架水槽。 塔体は鉄筋コンクリート造で、高さ31.9m、内径15m、有効水深20m、有効容量3,356立方m。、、、、現在の千葉県松戸市・市川市・船橋市などへ水を供給する施設として、昭和9年(1934)に栗山浄水場の建設が開始され、栗山配水塔は昭和12年(1937)3月31日に完成した。 平成18年(2006)土木学会選奨土木遺産に認定、平成29年(2017)国の登録有形文化財となる。、、、、地元はもとより、江戸川の対岸、葛飾区柴又からも良く見える、ランドマーク的な建物だ!

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● 栗山配水塔のある浄水場裏から、急な階段で北総台地を江戸川敷へ下る。

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・・・・・・・・・・ 階段を下ると、台地の崖を背にして、寺社が並んでる。 北側には、江戸時代中期以降の創建と言われてる栗山日枝神社が鎮座する。、、、、キツイ階段の参道を上りきると、すぐ拝殿。 境内は狭そうだ!

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・・・・・・・・・・ 南隣には、日蓮宗西木山本久寺がある。、、、、本久寺は、大宝3年(703)の創建と伝えられ、のちには真善光寺と称する真言宗の寺院となった。 慶安3年(1650)、大本山中山法華経寺の上人により日蓮宗に改宗。 以降、宗門の霊場として栗山村落の信仰を集めてきた。、、、、古寺であるこの寺は、「西木山 本久寺」が正式名であるが、この名“西木山”を縦書きにしたものを“栗山”と誤読し、この地の地名となったらしい。

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● 本久寺前の「ちば野菊の里浄水場」に沿って西へ、江戸川土手に向かうと柳原排水機場がある。 排水機場の前には柳原橋と水閘橋が連なってる、両橋に挟まれ煉瓦造りの柳原水閘がある。 今年の猛暑の影響か(?)、水閘の周囲は大きく成長した雑草が茂り、水閘を隠してる。、、、、4連アーチの煉瓦造りの水閘は丁寧に美しく積まれ、明治時代の煉瓦積み工法を伝える貴重な土木構造物である。 手賀沼の干拓に取り組んだ土木技師の井上二郎の設計により、明治37年(1904)に完成した。 現在は、国の『近代化産業遺産』として選定され、水門の役目を柳原水門・柳原排水機場に譲り、親水公園の一部として保存されている。、、、、公園の一部なら、公園管理者の松戸市は雑草を除去して、水閘の全容を見せて欲しいね!

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● 柳原水閘の近くから、秋風に吹かれ江戸川土手を歩く

・・・・・・・・・・ 対岸は葛飾柴又

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・・・・・・・・・・ 土手の下では畑仕事

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・・・・・・・・・・ 下流側、かなり先に市川駅前のタワマン2棟

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・・・・・・・・・・ この付近、対岸は江戸川区北小岩

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・・・・・・・・・・ 台地の上には女子大の建物が見えるが、学生までは見えないね、残念!

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● 土手上を歩き「京成電鉄 江戸川橋梁」に来た。、、、、大正元年(1912)京成電鉄の開業当初の路線は、押上駅~伊予田駅(現在の江戸川駅)間と曲金駅(現在の高砂駅)~柴又駅間であり、汽車が江戸川を渡る鉄橋は無かった。 江戸川の小岩側に伊予田駅を設置し、江戸川を越えて運搬する貨物などは、市川側へは伝馬船で渡すという方法がとられた。 旅客については、明治38年(1905)に架けられた江戸川橋を使って市川側へ渡ったと思われる。 渡河に時間も手間もかかり不便この上もなく、特に市川の国府台に駐屯する陸軍にとっては、鉄道橋架橋が命題であった。 大正3年(1914)鉄道専門の部隊であった鉄道連隊の支援により、5連トラス橋が架橋された。 現在の橋梁は下流側に架けられた2代目である。、、、、現橋は、昭和54年(1979)11月1日に完成した、5径間下路ワーレントラス橋、橋長433.2m、幅員11m

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● 京成本線の国府台(こうのだい)駅に到着、ここから電車で帰宅する。、、、、大正3年(1914)8月30日、市川鴻の台駅として開業。 同年12月、市川駅に改称。 さらに、大正10年(1921)4月、市川国府台駅に改称。 さらにさらに、昭和23年(1948)4月、国府台駅に改称。、、、、当初の駅名“市川鴻の台”は、日本武尊が東征で平定した下総から武蔵に向かうおり、デルタに阻まれた、その時、一羽のコウノトリが浅瀬を教え兵を武蔵の国へ渡らせた。 尊はコウノトリの功を讃え、台地を“鴻之台”とした。 この話が駅名になったそうだ。

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2023年5月 4日 (木)

部民の居住地

GWの真っ只中、若いカップルはデート、子持ち夫婦は家族旅行、熟年夫婦は温泉旅行、さてさて我が初老夫婦はどうする! 『何処に行っても混んでるから東京にいよう!』 『GW中は我が家でジットしてよう!』 『夫婦で東京の留守番だ!』、、、、と、話しながら二人静に朝食をとる。 TVのニュースでは今日の天気は気温25℃の行楽日和と話してる。 外出したくなってきた、人の少ない所へ行くか! 私が『今日は、千葉へ墓参りに行こう』と提案すると、妻は『行く、行く』の返事、即決(妻は、どこでもいいから外出したかったのだ!)

千葉には私の祖父母の墓があり、久しぶりの墓参である。 JR総武線西千葉駅で下車し、作草部の寺まで歩き、帰りは千葉駅から帰る。




● 浅草橋(我が家)から中央・総武緩行線(各駅停車)の電車に乗って、乗り換えなしの18駅目、所要45分で「西千葉駅」に到着。、、、、西千葉駅は昭和17年(1942)10月1日に国鉄の駅として開業。 開業当初は地上駅であったが、現在は1面2線の島式ホームを有する高架駅である。 駅付近では高架橋の高さが低く、駅出口は半地下となっている。、、、、駅の東側には千葉大学西千葉キャンパス、千葉経済大学などがあり、平日は学生の多い駅。 今日は連休でもあり、駅前はガラガラ。

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● 西千葉駅前のロータリーの脇に「西千葉稲荷大明神」が鎮座している。 大きな社ではなく極々小さなお稲荷さん。 この場所は駅前の一等地だ!、、、、ここらはその昔(江戸時代)佐倉藩の刑場跡だったそうだ。 大明神の由緒書きによると、『江戸時代に与助と言う20代の若者が、ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、小さな石を積み上げて供養した』のがはじまり。

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● 西千葉駅前から「ゆりの木通り」を歩くと、千葉都市モノレールの「作草部駅(さくさべえき)」がある。 作草部駅の開業は平成3年(1991)6月12日。、、、、“作草部”は古くからある地名で、普通に読んだら“さく・くさ・べ”で、“く”の一音が無くなってる!

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● 作草部駅から東へ約500m、「作草部神社」がある、、、、神社の由緒書によると、作草部の地は、平安期に下総国千葉郡七郷の一つとして、福草部(三枝部)という部民の居住地があったことに由来するらしい。 鎌倉末期まで皇室領であった。 かなり、歴史ある土地のようだ。、、、、社殿は文久元年(1861)の建築で、御祭神の12神(大雷神・大山祇神・高龗神・伊邪那岐命・伊邪那美命・事解男命・高皇産霊命・猿田毘古命・應神天皇・菅原道眞・素戔嗚命・市寸島比売命)が祀られている。 狭い社殿に12神とは、すし詰め状態、チョイト可哀そうだ!

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● 作草部神社の近くには四基の馬頭観音がある。 写真右から、弘化元年(1844)、昭和4年(1929)、安政3年(1856)、天保13年(1842)の馬頭観世音、、、、200年近く、この地の住民に見守られてきた馬頭観音に合掌

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● 私の祖父母が眠る寺に来た。 静かだ、観光客はいない(あたりまえだ!)、線香を手向け、合掌!

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● 墓参りを済ませ、千葉駅に出て帰宅。 1万2千歩

2023年2月15日 (水)

ブラリ安房鴨川

暖かな春の陽気を期待して、昨日(2/14)から一泊で安房鴨川に行ってきた。 夫婦二人旅なので、宿と清澄寺・誕生寺の2か所の行先だけは決め、年寄りの、のんびり気まま旅とした。

 

● 9時に東京発の特急で約2時間、11時に外房線の終着駅「安房鴨川」に到着。 ポカポカの春を期待したが、ホームに立つと、ヒエビエとした冬の出迎えを受ける。、、、、安房鴨川駅は、線路は繋がっているが、内房線と外房線それぞれの終着駅である。 それゆえ、当駅から発車するのは全て上り列車、到着するのは全て下り列車。 クイズに出そうな駅だ!、、、、大正14年(1925)7月11日、北条線(現在の内房線にあたる)の駅として開業。 昭和4年(1929)4月、房総線の安房鴨川延伸により北条線を房総線に編入し、安房鴨川駅は房総線の駅となる。 昭和8年(1933)に房総線が当駅で房総西線と房総東線に分割される。房総西線所属駅となる。 昭和47年(1972)には路線名称変更により、房総西線が内房線、房総東線が外房線となる。

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● 『ちょっぴり寒いけど、どこへ行こうか?』 『街並み拝見は?』 とりあえず、駅前の観光案内所で聞いてみると、『見るべき街並みは無いですね。 一にシーワールド、二、三もシーワールド、これしかないですよ!』 そこまで言われて行かないと、『何しに鴨川へ来たの?』と言われそう。、、、、寺巡りは明日にして、今日は鴨川シーワールドへ行くことにした。




● テレビを見ていると、イルカ、アザラシなどが海岸に接近すると、その捕獲・保護などのニュースで、年に数回はここ「鴨川シーワールド」が登場してくる。 結構有名な施設だが、動物園?、水族館?となると、私の年齢ではあまり面白くないかも、入館にチョイト躊躇した。 同行する妻は『寺よりイルカ』、嬉しさを笑顔で表しチケット購入。、、、、入ってビックリ、見てビックリ、入館料2700円(老人一人)も安く感じた大規模レジャー施設であった。、、、水族館を回り、イルカ、シャチのショーを見て、孫の土産をチョット買い、楽しむこと4時間。

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・・・・・・・・・・ショーが始まる時間になると、広い館内から人がゾロゾロ・魁傑ゾロ、『平日なのに、こんなに大勢の人が来てるのか!』 若いカップルも多い、平和な日本を感じる一瞬。

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● 今日のお宿は、安房天津駅に近い旅館。 風呂に入って疲れを癒し、海鮮づくしの料理を食し、あとは寝るだけ、一夜の終わり。

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● 今日(2/15)は昨日より厳しい寒さ、風も強いので宿から清澄寺までタクシー利用。 20分程で山門前に到着。、、、、「清澄寺」は、千光山と号し、鴨川市清澄にある日蓮宗の大本山の一つ。 「清澄寺」は“せいちょうじ”と読む、恥ずかしながら、私はこれまで“きよすみでら”と呼んでいた。、、、、日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山久遠寺(山梨県身延)・大本山本門寺(東京都池上)・大本山誕生寺(千葉県鴨川)とともに日蓮宗四霊場と呼ばれてる。、、、、清澄寺は、天台宗の寺として不思議法師が刻した虚空蔵菩薩像を祀り宝亀2年(771)に開基、慈覚大師円仁が僧坊12祠堂25を建立し、房総第一の大寺としたといいます。天福元年(1233)には小湊出身の日蓮聖人が当寺に入門、建長5年(1253)には当山旭の森で立教開宗の第一声をあげています。その後徳川家康公の帰依を得た真言宗の僧侶仲恩坊頼勢法印が当寺を真言宗の寺として再興、10万石の格式と、寺領500石の御朱印状を受領、京都醍醐三宝院別院となり本山格の寺院だったといいます。明治維新後の廃仏毀釈や台風による被害などもあり衰微、昭和24年に日蓮宗に改め、宗祖日蓮聖人出家得度・立教開宗の霊跡、日蓮宗大本山となっています。、、、、天台宗に始まり、真言宗、日蓮宗と移り変わった清澄寺は変わり身が早いのか?


・・・・・・・・・・ 大本山なので、多くの信者がバスなどで参拝に来ているものと想像していたが、私たちが到着した朝9時には誰もいない!(門前の茶屋もシャッターが下りてる) コロナ禍の影響か? それとも、信者離れか? 寂しい大本山。 私たちが参拝を終えた頃、何人かの人が参拝に来た!

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・・・・・・・・・・ 文久3年(1863)建立の「仁王門」、、、、阿像(那羅延金剛)と吽像(密迹金剛)を祀る。大棟には十六葉菊紋が付され真言宗時代の格式の高さが窺える。

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・・・・・・・・・・ 天和2年(1682)の建立と伝えられる「本堂(摩尼殿) 」、大堂とも呼ばれる。

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中門」は正保4年(1647)に建てられ天保8年(1837)に改修された、茅葺の四足門である。

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・・・・・・・・・・ 清澄寺門前のバス停から見た景色、、、、歌川
広重が描いた景色と同じだ! 遠くに仁右衛門島も見える。

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● 清澄寺から山を下り、今度は誕生寺へ向かう。 安房鴨川駅の隣り駅「安房天津駅」からバスに乗る。、、、、昭和4年(1929)4月15日に開業した、現在は無人駅。 一日当たりの乗降客数は200人に足りず、チョイト寂しいね!

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● 清澄寺の次は「誕生寺」、、、、誕生寺入口のバス停から小湊の海沿いを歩き、旅館・ホテルが並ぶ通りに面して誕生寺がある。 日蓮宗寺院の誕生寺は、小湊山と号し、日蓮宗の大本山。 誕生寺は、日蓮の誕生を記念して出身地に建立された寺である。、、、、建治2年(1276)、日蓮の弟子の日家が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立。 しかし明応7年(1498)の明応地震、元禄16年(1703)の元禄地震と2度の大地震、大津波により現在地に移転した。 現在、生家跡伝承地は沖合いの海中にある(日蓮は海の中で生まれたか?)。 その後、水戸光圀の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称した。 宝暦8年(1758)に、仁王門を残して焼失し、天保13年(1842)に現在ある祖師堂を再建した。

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・・・・・・・・・・ 総門を入り、まずは大きな「仁王門」、、、、間口8間、母屋造二重門で宝永3年(1703)の建立。 宝暦の大火の際焼け残った誕生寺最古の建造物。

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・・・・・・・・・・ 仁王門をくぐると正面に「祖師堂」が構えてる。、、、、天保13年(1842)建立の入母屋造、総欅造り、高さ95尺(高い! ??m)。 建材は江戸城改築用として、伊達家の藩船が江戸へ運ぶ途中遭難し、譲りうけたもの。

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● 清澄寺・誕生寺と参拝を終え、内浦湾(小湊)を眺めながら安房小湊駅へ向かう。

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● 帰りは「安房小湊駅」から乗車。、、、、安房小湊駅は、昭和4年(1929)4月15日に開業。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する地上駅。 特急も停車する駅だが、一日当たりの乗降客数は300~400名程。

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2022年10月 1日 (土)

城下町 佐倉

青空の下、夫婦で城下町「佐倉」の町歩きをしてきた。 京成本線の京成佐倉駅で下車し、散策のスタート。 佐倉城址にたつ国立歴史民俗博物館、佐倉武家屋敷を見学。 佐倉の町を縦断して、佐倉順天堂記念館を見る。 佐倉藩主の邸宅である旧堀田邸にも立ち寄って、ゴールはJR佐倉駅。、、、、約5時間の町歩きです。



● 佐倉の城下町は、町の北側を走る京成本線と町の南側を走るJR総武本線に挟まれた、南北約1.8㎞の間にある。 今日の町歩きは「京成佐倉駅」からスタートする。、、、、大正15年(1926)12月9日、「佐倉駅」と称し開業。 昭和6年(1931)、「京成佐倉駅」に改称。 島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 佐倉市の玄関口となる駅だが、駅自体はさほど大きくはない。 駅前には広い大きなロータリーがあるが、周囲には大きな建物もなく閑散としている。、、、、城下町「佐倉」を大々的にうたい、駅前をもう少し整備して観光客を誘致すれば賑やかになるかも?

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・・・・・・・・・・・・京成佐倉駅の橋上駅舎から西を見ると、線路の先、緑の丘の上に何やらコンクリートの構造物(写真のど真ん中)が見える。 これぞ、われらの目的地:国立歴史民俗博物館。

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・・・・・・・・・・・・駅からの道すがら、民家の屋根の先に“歴博”の文字!

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・・・・・・・・・・・・国立歴史民俗博物館への道に面し、茅葺屋根の建物

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● 駅から歩いて15分、佐倉城址がある。 佐倉城は石垣のない城で、小高い丘の上にあり城の周囲には土塁が巧みに配されていた。 博物館はその丘の上の城跡に建てられている。 

国立歴史民俗博物館」は日本の歴史、民俗学、考古学を総合的に研究・展示する歴史博物館。 展示総件数は約9千件、収蔵資料件数は約22万件。、、、、明治時代から東京、京都、奈良の3か所に美術系の博物館である帝室博物館が存在したが、戦後、これらとは別に歴史系の国立博物館を設置すべきだとの意見があり、日本政府は昭和41年(1966)に「明治百年」記念事業の一環として歴史民俗博物館の設置を決定した。 国の機関としての国立歴史民俗博物館は昭和56年(1981)に発足した。、、、、博物館の設計は芦原建築設計事務所が行い、昭和55年(1980)10月竣工。 敷地面積129,496m2、延床面積35,548m2、建築面積17,124m2。周辺は佐倉城址公園として整備された。 建物はなにしろデカイ! しかも丘の上にあるため、建物の全体像が目に入らず、巨大な要塞に訪れた感じがする。 城址の下から坂を上がってきても、見えるのは建物の一部だけ!

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・・・・・・・・・・・・大人600円の入館料を払い中へ。 6室に別れた展示室を順に回る。 全室見るのに、早足で、展示物を横目で見て、つまらないのはパスしても、ナント2時間!(足が痛くなるね)  展示物が多すぎる! 入館料600円分は十分堪能、最高のコスパ! 入館者より館員の多いことにもビックリ!、、、、展示物の人形は気持ち悪くなるほどのリアルさ! 模型は大きく模型愛好者には大いに参考になる!

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● 佐倉城址公園と武家屋敷の間にある、竹林の中を歩く坂道。 「ひよどり坂」と称し、江戸時代に武士が登城する道だったらしく、「サムライ古径」とも呼ばれている。 竹林は手入れも良くされており、階段も歩きやすい! 階段を上がると武家屋敷がある。、、、、京都の竹林とは違い、観光客も少ないようで、ゆっくりのんびり歩ける。(ちなみに、我が夫婦以外には歩く人無し!)

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● ひよどり坂を上ると、江戸時代の数棟の「武家屋敷」が並んでいる。 並んで残っている三棟の武家屋敷は、いずれも2DKの間取り程で、質素な造り、江戸城の周囲に残る大名の武家屋敷とは月とスッポン、提灯に釣鐘、雲泥の差。 華美を排した佐倉の武士の心意気かも!

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● 佐倉の町のほぼ中央に残る「旧川崎銀行佐倉支店」(現:佐倉市立美術館)は、大正7年(1918)の建築。 昭和12年(1937)、この建物は佐倉町に売却され、佐倉町役場となった。、、、、現在は、佐倉市、房総地区ゆかりの作家の作品を集めた市立美術館の一部として活用してる。

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・・・・・・・・・・・・旧川崎銀行佐倉支店前の通りは旧成田街道。 旧街道沿いには歴史のありそうな建物も残っている。

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● 旧川崎銀行から東に1.5㎞程歩くと「佐倉順天堂記念館」がある。 佐倉順天堂は佐倉藩主堀田正睦の招きを受けた蘭医佐藤泰然が天保14年(1843)に開いた蘭医学の塾兼診療所。 西洋医学による治療と同時に医学教育が行われ、佐藤尚中(後に、東京で順天堂医院を開く。順天堂大学の前身)をはじめ明治医学界をリードする人々を輩出した。 現在、安政5年(1858)に建てられた建物の一部が残っています。 記念館では、当時の順天堂で用いられていた医学書や医療器具(骨を切るノコギリ、止血用の焼きごて)などを展示しています。、、、、ノコギリで切られ、焼きごてで止血される外科手術は痛そうだ! 私が患者なら、手術台を見て失禁し、手術台の上で失神し、手術終れば失敗だ! 

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・・・・・・・・・・・・記念館の隣りには「佐倉順天堂醫院」がある。、、、、順天堂の創始者である佐藤泰然先生の子孫の方が、ここで病院を経営しているそうだ。 佐藤家が“順天堂”を引き継ぎ、守っているのかも!

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● 順天堂記念館から南西に約1㎞、明治23年(1860)に竣工した最後の佐倉藩主:堀田正乱倫の邸宅であった「旧堀田邸」(国指定重要文化財)も見学。 明治期の旧大名の邸宅、伝統的和風建築である。 建設工事は明治22年(1889)着工、翌23年に竣工している。 、、、、木造平屋建て(一部二階建て)の建物5棟(玄関棟、座敷棟、居間棟、書斎棟・湯殿)が廊下で結ばれている大きな和風住宅。 私が数えると、「××の間」と呼ばれる部屋数だけでも20部屋程度、「雪隠」は6ヶ所もある。 往時の旧堀田邸は約3万坪の広さがあったそうだ、羨ましいね!

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● 疲れた足で、JR総武本線「佐倉駅」に到着。、、、、1894年(明治27年)7月20日:総武鉄道の市川駅 - 当駅間開業により開設。 1907年(明治40年)9月1日:総武鉄道が買収され、帝国鉄道庁の駅となる。 佐倉駅は、総武本線を建設した私鉄である総武鉄道により、明治27年(1894)7月20日に開設された。 高台の上にある市街地とは約1㎞離れた位置に駅があり、地元が鉄道建設に反対したためにやむなく隣村の根郷村六崎の田んぼの中に駅が建設されたそうだ。、、、、京成佐倉駅より駅舎は立派!

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● 今日の散策は1万9千歩であった。 同行した妻は1万7千歩。 同じ万歩計で計っているのに、私の歩数は妻の歩数より約1割アップ。 先日、桐生に出かけた時も同じ現象で、私の方が1割ほど多い。 妻の身長155㎝、私の身長165㎝。 身長の大きな私の方が、当然歩幅も大きいはず! 何か変だ?、、、、結論妻曰く『計測に誤りなし。 単に歩幅が短いだけ。』 私『身長が高く、歩幅が短ければ、短足ということか!』(残念だが、カッコ悪いね!) 

2022年9月10日 (土)

船橋の田園

秋らしい風が吹いてきた! 今日は夫婦で北総線小室駅から、庚申塔、馬頭観音を見ながら田園地帯(千葉県船橋市の北端部)を歩いて来た。、、、、田畑の続く道を庚申塔を探し地図をたよりに西・東、いつのまにか道に迷って北・南、行ったり来たりで1万2千歩あるいたら、妻は疲れてギブアップ。 郊外の総合病院前からバスに乗り、新京成線の三咲駅経由で帰宅。



● 東京湾から北東に伸びて広がる船橋市、その伸びた先が北総線の小室駅を完全にカバーする。 「小室駅」は船橋市にある駅で、市内の駅としては最も北に位置する。 昭和54年(1979)3月8日に開業した、島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線、計2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有する。、、、、駅の出入口は北口のみである。東西に線路が伸びる小室駅は掘割の中にあり、南側に行くにはいったん北口に出て線沿いに歩き跨線橋を渡り南側に向かう。 面倒くさい駅だ!(今日の散歩は南側を歩き、東葉高速鉄道の駅に向かう予定だった)

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● 北総線の南側に広がる田圃、ここも船橋市。 “船橋”と言えば、「船橋ヘルスセンター」、「ららぽーと」、「西武百貨店」に「若松劇場」を思い出す。 田圃の広がる景色は、私には想像できない!

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● 船橋市からチョイトはずれて八千代市小池にある「安房神社」、、、、安房神社の創建年代等は不詳。 当地浅野七郎左ヱ門家の氏神として祀られていた。 明治維新後は村社として、小池地区の鎮守と定められた。 現社殿は明治8年(1875)の改築によるもの。、、、、蜘蛛の巣をよけて、チョイト階段を上ると社があった!

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● 安房神社の南西、道路沿いに「馬頭観音」、「庚申塔」が並ぶ。(八千代市小池)、、、、全て古い石仏かと思ったら、なんと平成31年(2019)建立の庚申塔が2基あった!(庚申信仰、いまだ健在なり!)

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● 竹藪を抜け、船橋市車方町の集落に入ると、日蓮宗「法井寺」(法華経寺末、由緒不詳)がある。 小さな山寺という感じ、チョイト、手を合わせて行く。

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・・・・・・・・・・・・法井寺から50m程西側に入ると、大きな榎の下に小さな道祖神が祀られてる。

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・・・・・・・・・・・・道祖神の50m程先には「馬頭観音」と「庚申塔群」がある。

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● 色づき始めた柿を見て秋を感じ、南の東葉高速鉄道の駅に向かって歩く。

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・・・・・・・・・・・・歩く先に大きな病院が見えた、キットここには患者のためにバスが運行しているはずだ! 1万2千歩あるいた妻は疲れと空腹で『バスに乗ろう!』 女性に優しい私は、素直に了解する。、、、、バスの行先は新京成線の三咲駅行き。 今日の散歩はココまで。 帰りは途中で食事して・・・・・食事を済ますと元気な妻(?)

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2022年9月 4日 (日)

成宗電気軌道跡

“サボり癖がついてしまった!” “コロナ”、“熱中症”、“大雨”で、今年の夏は外出の機会が減り、遠出の散歩より、家でゴロゴロ・ごろ寝がいいね! そんなこんなで、カレンダーは9月に突入。

今朝の食事時、妻に『北総線沿線に、秋風を求め、散歩に行こう!』と誘ってみた。 返事は『行く、行く、行こう!』・・・・・9時過ぎ、浅草橋から電車に乗ると、『日射しが強そう、日傘持って来ればよかった』と言い出した。 汗をかきかき、田んぼの畦道を歩くのは、妻はイヤみたいだ。 車内で急遽行先変更を提案された『暑そうだから、成田詣でにしようよ! ウナギもあるよ!』・・・・・と言うことで、高砂駅で北総線に乗らず、京成本線に乗って“成田詣で”。 私は“ウナギ”に負けた! 久々に1万歩の散歩



● 現在の「京成成田駅」は3面3線の地上駅で、昭和34年(1959)に建て替えられた寺院風の2階建て駅舎。、、、、京成成田駅の歴史は、大正15年(1926)12月24日、現在駅から400m程、公津の杜駅に寄った位置に、津田沼から成田へ延伸した終着駅として「成田花咲町駅」が開業したことに始まる。 昭和5年(1930)には、路線が延伸され、成田花咲町駅を廃止し、本設駅として成田駅が誕生した。 昭和6年(1931)、駅名を京成成田駅に改称。 昭和53年(1978)5月、当駅~成田空港駅(初代、現在の東成田駅)間が延伸開業し、中間駅となる。、、、、JR成田駅とは、表参道に繋がる大通りを挟み向かい合う配置となっている。、、、、我が家のある浅草橋から成田までは、午前9時半過ぎに出発すると、浅草線(押上経由)京成線では所要時間1時間29分、切符利用で970円。 JRでは総武線各停(千葉乗換)成田線で所要時間1時間33分、切符利用で1170円。 時間は大差なし! 料金は200円違い、微妙な差! 

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● 今日の“成田詣で”は突然決めたことであるが、以前から歩いて見たいと思っていた「成宗電気軌道(せいそうでんききどう)」の軌道跡を歩くチャンスが訪れた。、、、、成宗電気軌道とは、明治43年(1910)から44年(1911)にかけ、成田山新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ参詣路線として開通した、不動尊~宗吾間5.3㎞の軌道である。 戦時下の昭和19年(1944)不要不急線として廃止となった。 この軌道跡が京成成田駅前から成田山新勝寺の門前まで、2本のトンネルとともに「電車道」として残されている。、、、、『行きは電車道を歩こう、帰りは鰻屋と羊羹屋が並ぶ表参道を歩こう』と、妻に言い聞かせ“出発進行!”


・・・・・・・・・・・・京成成田駅前のバス停脇に「会社創立百周年記念碑 千葉交通株式会社」がある。 碑文には『千葉交通は明治四十一年十一月、成田山新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ成宗電軌鉄道㈱として設立されました。 県内初の電車として明治四十三年に成田山門前〜成田駅前間、翌年に成田駅前〜宗吾間が開業しましたが、昭和十九年に太平洋戦争の資材提供のため廃線となり、以降、バス専業会社として現在に至っています。 この度、会社創立百周年を迎えるにあたり、成宗電車に名残のある当地に記念碑を建立します。 平成二十年十一月十六日』、、、、太陽の光と御影石の黒光り、なんとも読みにくい碑文だ。 「電車道」はここから始まる。

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・・・・・・・・・・・・電車道は京成成田駅前から左に、線路に沿って坂を下る。

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・・・・・・・・・・・・電車道は、かつて電車が走っていた築堤上に出る。 築堤からは京成成田駅から東成田駅に向かう線路が見える。

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・・・・・・・・・・・・築堤の先には「成宗電車第二トンネル」、「成宗電車第一トンネル」と続く。 二つの短い(全長約12m)トンネルは、ともに明治43年(1910)の竣工。 施工は野村組(現・フジタ)だが、設計者は不明。 このトンネルは「明治43年に建設された煉瓦造の鉄道トンネルで、形態的にほぼ同一な2つのトンネルが連続している姿は趣がある貴重な土木遺産」として平成26年度に指定された。

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・・・・・・・・・・・・二つのトンネルの中間に「幼稚園下停留所」があったそうだ。 その付近を走る電車の写真がトンネル脇にあった。 風雨にさらされた写真で、チョイト残念!

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・・・・・・・・・・・・トンネルの先に電車道は続くが、遺構らしきものは見つけることができず、成田山新勝寺「総門」前の参道に突き当たる。 この辺りが成宗電気軌道の終点か?

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● 8年ぶりの「成田詣で」、、、、前回来たのは、私が大動脈解離で手術し、退院後の御礼参りであった。 我が夫婦と、当時91歳の母の三人で訪れた。 我が母は杖も使わず足腰元気に歩いて来たが、今春他界した。 今日は夫婦二人で参詣。、、、、各堂を一巡し、母の弔いと、二人の延命福寿を祈願する。

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● 帰りは表参道を歩く。 ちょうど時間となりました、ウナギの匂いに誘われて。 

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2022年8月20日 (土)

美女“手児奈”

一週間ぶりの外出は、北総線矢切駅からJR総武線市川駅まで、1万3千歩の散歩です。


北総線「矢切駅は、平成3年(1991)に開業した、島式ホーム2面4線の地下駅である。 地下から階段を上がると、駅前にはバス停があるのだが、なぜかバス停に背を向け、何もない民家の空き地側に出るような配置となっている。 階段の取り付け方向を間違えた設計か?

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● 今朝の天気予報では、最高気温30℃、湿度60%、終日曇り空であった。 熱中症の心配はなさそうだが念のため、途中で倒れても誰か(できたら若い女性が)助けてくれるように住宅地を歩くことにした。 そこで国際医療福祉大学 市川病院」の東側をぬけ、「国分尼寺跡」、「国分寺」、京成本線「市川真間駅」まで歩く(この道は昨年3月に歩いたルートとほぼ同じ)。 、、、、暑くないと思い歩いていたが、途中から汗が吹き出し、あわててペットボトルを買い、頭から水をかぶる(服はビショビショ)。 冷えてたので気持ちいいこと、Good! 

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・・・・・・・・・・・・ 途中に点在する庚申塔、、、、襲われると怖いので、“ちかんに注意”して歩く!

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・・・・・・・・・・・・ 国分寺から南へ、国府台の台地を下ると、手児奈(てごな)という美しい女性を祀った、「手児奈霊堂」がある。、、、、 今から1300年ほど前、真間の井(亀井院)に水を汲みに行く一人の女性がいた。 名は手児奈。 身なりはそまつだったが、とても美しい女性だったそうで、多くの男性からプロポーズされたそうだ。 「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に身を投げてしまった。(当時は真間山(台地)の下は海だった) 多くの人が、これを悲しみ手児奈霊堂を建てて祀ったと言われてる。、、、、女性が不細工であったなら、この話は無かったと思うよ! 

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● 市川真間駅から南の千葉街道に出る途中に、国登録有形文化財の「西洋館倶楽部(渡辺家住宅)」がある。、、、、大正時代の東京株式取引所の仲買人であった丸水渡辺商会の店主・渡辺善十郎により、日本家屋の母屋に隣接するゲストハウスとして建てられたもの。 かつてこの地域一帯には、黒松林の中に洋館が点在していたが、時とともに姿を消し、完全な形で残っているのは、この建物だけとなっている。 建物は昭和2年(1927)に建てられた木造3階建て洋館。 玄関ホールはベイウインドウ状に張り出しており、その上には手摺りを廻らせたバルコニーが設けられている。また、南・西・北側の3面は、破風の拝みを押さえた袴腰型切妻破風を中心とする屋根で、側面の軒先に千鳥屋根を設けた構成の特徴ある外観を備えている。、、、、現在はギャラリーやコンサートに利用されてるそうだ。

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JR総武線「市川駅は島式ホーム2面4線と快速ホーム(3・4番線)外側に本線2線を有する高架駅。 明治27年(1894)7月20日に総武鉄道(私鉄)の起点駅として開業。 明治40年(1907)に鉄道国有法により買収され、国有鉄道の駅となる。、、、、久しぶりに1万歩超歩いたので、駅到着時にはチョイト足が痛い、男は我慢!

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2022年6月 1日 (水)

嫁入り舟

雨も上がり、晴天の下、夫婦で潮来花嫁さんを見に行った。 東京(我が家)から電車に乗って2時間10分で佐原(千葉県)に到着、ここからさらに鹿島線に乗り換え9時30分に潮来(いたこ、茨城県)で下車。 『水郷潮来 あやめまつり』の観光です。 『あやめ園』、『嫁入り舟』を見た後は、佐原に出て名物を食し、伊能忠敬旧宅のある町並み観光。、、、、往復5時間のガッタンゴットン電車移動と1万7千歩のブラブラ歩きは、チョイト疲れた!



● 佐原駅で成田線から降りると、鹿島神宮行き2両連結の鹿島線がお出迎え。 慌てて乗らなくても空いている。

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・・・・・・・・・・・・「潮来駅」は島式ホーム1面2線の高架駅。 駅は昭和45年(1970)8月20日に国鉄の駅として開業。 あやめまつりが行われる観光シーズン以外は、一日の乗降客数は300人程と少ない!、、、、潮来駅周辺にはビジネスホテル、観光ホテルなどもあるが、観光スポットは少なく静かそうな町だ!

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● まずは駅で教えてもらった地元の「旧家磯山邸」を見に行く、、、、『明治32年(1899)建築の古民家』ただそれだけ!

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● 『水郷潮来 あやめまつり』は「水郷潮来あやめ園」で開催されていた。、、、、潮来といえばアヤメといわれるほど、潮来のアヤメはよく知られており、あやめ園は「前川」と呼ばれる川沿いにあり、園内には利根の河原に群生していた原種を改良した約500種100万株の花菖蒲のほか、カキツバタなどが植えられていた。 今日は、白、紫、黄の色とりどりの花が一斉に咲き、一番の見頃だったかも!、、、、私達、夫婦を地元の美女がお出迎え。 こちらの花も美しい!!! 

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花村菊江が歌う「潮来花嫁さん」 ♪♪ 潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 舟でゆく 月の出潮を ギッチラ ギッチラ ギッチラコ ・・・・・♪♪、、、、この地:潮来では、昭和30年前半までは水路が交通手段であった。 そのため、嫁入りする際の花嫁や嫁入り道具等を運搬するときにもサッパ舟が使われており、これが「嫁入り舟」のはじまりと言われている。 その再現が、『あやめまつり』の開催に合わせ毎年行われるそうだ。 花嫁さんは、モデルではなく、その年に結婚するカップルの応募から選ばれるそうだ。

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● 潮来から「佐原」に戻る、、、、明治31年(1898)2月3日に、成田鉄道の駅として開業し、大正9年(1920)には国に買収され国有鉄道の駅となる。、、、、駅舎に面した単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線ならびに単式ホームの南西側香取方を切り欠いた切欠きホーム1線の計2面4線を有する地上駅。 駅南側に、平成23年(2011)、佐原の町並みをイメージした和風の2代目駅舎がオープンした。 雰囲気が出ている、良い感じの駅舎である。

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・・・・・・・・・・・・古くから水郷の町として栄え、市街地の小野川沿いは「重要伝統的建造物群保存地区」 『小江戸』とも呼ばれる当時の町並みが残っている。 「伊能忠敬の旧宅」が残る『地図の町』でもある。、、、、川沿いの風景はあまりにも有名!

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・・・・・・・・・・・・町歩きの途中で食す。 旨い、満腹だ、満足した!

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2022年4月28日 (木)

元気が出た!

今日は朝から『何の予定も無い』のフリーの日、久々にチョイト緑の中の散歩で、脚力回復・気分転換をしてきた。 北総線印旛日本医大駅から、緑の森と田圃が広がる印旛沼の西を歩き、京成本線京成臼井駅まで、1万5千歩、約9㎞を夫婦で歩いた。

 

● 午前10時、「印旛日本医大駅」で下車する。 降りる人は少なく、駅の広いコンコースは閑散としてる。 駅前ロータリーには人影も・車影もなく寂しい。 まるで、ゼロコロナでロックダウンしているような町である。

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● 駅前の小綺麗なニュータウンの中を歩く。 各家は新しく、住宅展示場のようだ! ここでも、人影は見えず、時おり車が通るだけ。、、、、この時間、父ちゃんは都心の会社、母ちゃんはスーパーでパート、僕は小学校、妹は保育園、家では猫が一人でお留守番。 静かな町です。

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● ニュータウンを抜け、日本医科大学千葉北総病院と印旛沼の間の道を南に向かって歩く。 森の中の道沿いには此れと言うほどの名所・寺社もなく、老いた夫婦の会話は、健康を願い『お昼、何食べる?』、沿道の花を見て『この花の名は?』『知らないよ!』、鳥・蛙の声を聴き『のどかだね!』、、、、これで二人の愛は深まるのかな?

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● 森を抜けると、視界が広がり印旛沼が見える。 ここからは左右に田んぼが広がる。、、、、田んぼには白鷺がいる、トラクターがいる! 

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● 架け替え工事が完了し、令和3年(2021)3月9日に開通した「船戸大橋」を渡る。 印西市師戸(もろと)と佐倉市臼井(うすい)を結ぶ船戸大橋は、県道千葉臼井印西線の西印旛沼に架かる橋梁。 以前の端は、昭和38年(1963)に架橋された。 それ以前は、渡し船があったそうだ。(渡し船を記念する碑がある)

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● 船戸大橋を渡ると、『うなぎ、川魚料理』の看板が目に入る。 昼食だ!、、、、名物の『うな重』と『肝焼き』で、二人の疲れも吹き飛んだ!

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● 鰻を食し元気が出たら、京成臼井駅までスタコラサッサ。、、、、京成臼井駅は大正15年(1926)12月9日に「臼井駅」として開業した。 昭和6年(1931)に「京成臼井駅」に改称した。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。

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