千葉県

2022年9月10日 (土)

船橋の田園

秋らしい風が吹いてきた! 今日は夫婦で北総線小室駅から、庚申塔、馬頭観音を見ながら田園地帯(千葉県船橋市の北端部)を歩いて来た。、、、、田畑の続く道を庚申塔を探し地図をたよりに西・東、いつのまにか道に迷って北・南、行ったり来たりで1万2千歩あるいたら、妻は疲れてギブアップ。 郊外の総合病院前からバスに乗り、新京成線の三咲駅経由で帰宅。



● 東京湾から北東に伸びて広がる船橋市、その伸びた先が北総線の小室駅を完全にカバーする。 「小室駅」は船橋市にある駅で、市内の駅としては最も北に位置する。 昭和54年(1979)3月8日に開業した、島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線、計2面3線の地上駅で、橋上駅舎を有する。、、、、駅の出入口は北口のみである。東西に線路が伸びる小室駅は掘割の中にあり、南側に行くにはいったん北口に出て線沿いに歩き跨線橋を渡り南側に向かう。 面倒くさい駅だ!(今日の散歩は南側を歩き、東葉高速鉄道の駅に向かう予定だった)

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● 北総線の南側に広がる田圃、ここも船橋市。 “船橋”と言えば、「船橋ヘルスセンター」、「ららぽーと」、「西武百貨店」に「若松劇場」を思い出す。 田圃の広がる景色は、私には想像できない!

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● 船橋市からチョイトはずれて八千代市小池にある「安房神社」、、、、安房神社の創建年代等は不詳。 当地浅野七郎左ヱ門家の氏神として祀られていた。 明治維新後は村社として、小池地区の鎮守と定められた。 現社殿は明治8年(1875)の改築によるもの。、、、、蜘蛛の巣をよけて、チョイト階段を上ると社があった!

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● 安房神社の南西、道路沿いに「馬頭観音」、「庚申塔」が並ぶ。(八千代市小池)、、、、全て古い石仏かと思ったら、なんと平成31年(2019)建立の庚申塔が2基あった!(庚申信仰、いまだ健在なり!)

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● 竹藪を抜け、船橋市車方町の集落に入ると、日蓮宗「法井寺」(法華経寺末、由緒不詳)がある。 小さな山寺という感じ、チョイト、手を合わせて行く。

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・・・・・・・・・・・・法井寺から50m程西側に入ると、大きな榎の下に小さな道祖神が祀られてる。

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・・・・・・・・・・・・道祖神の50m程先には「馬頭観音」と「庚申塔群」がある。

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● 色づき始めた柿を見て秋を感じ、南の東葉高速鉄道の駅に向かって歩く。

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・・・・・・・・・・・・歩く先に大きな病院が見えた、キットここには患者のためにバスが運行しているはずだ! 1万2千歩あるいた妻は疲れと空腹で『バスに乗ろう!』 女性に優しい私は、素直に了解する。、、、、バスの行先は新京成線の三咲駅行き。 今日の散歩はココまで。 帰りは途中で食事して・・・・・食事を済ますと元気な妻(?)

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2022年9月 4日 (日)

成宗電気軌道跡

“サボり癖がついてしまった!” “コロナ”、“熱中症”、“大雨”で、今年の夏は外出の機会が減り、遠出の散歩より、家でゴロゴロ・ごろ寝がいいね! そんなこんなで、カレンダーは9月に突入。

今朝の食事時、妻に『北総線沿線に、秋風を求め、散歩に行こう!』と誘ってみた。 返事は『行く、行く、行こう!』・・・・・9時過ぎ、浅草橋から電車に乗ると、『日射しが強そう、日傘持って来ればよかった』と言い出した。 汗をかきかき、田んぼの畦道を歩くのは、妻はイヤみたいだ。 車内で急遽行先変更を提案された『暑そうだから、成田詣でにしようよ! ウナギもあるよ!』・・・・・と言うことで、高砂駅で北総線に乗らず、京成本線に乗って“成田詣で”。 私は“ウナギ”に負けた! 久々に1万歩の散歩



● 現在の「京成成田駅」は3面3線の地上駅で、昭和34年(1959)に建て替えられた寺院風の2階建て駅舎。、、、、京成成田駅の歴史は、大正15年(1926)12月24日、現在駅から400m程、公津の杜駅に寄った位置に、津田沼から成田へ延伸した終着駅として「成田花咲町駅」が開業したことに始まる。 昭和5年(1930)には、路線が延伸され、成田花咲町駅を廃止し、本設駅として成田駅が誕生した。 昭和6年(1931)、駅名を京成成田駅に改称。 昭和53年(1978)5月、当駅~成田空港駅(初代、現在の東成田駅)間が延伸開業し、中間駅となる。、、、、JR成田駅とは、表参道に繋がる大通りを挟み向かい合う配置となっている。、、、、我が家のある浅草橋から成田までは、午前9時半過ぎに出発すると、浅草線(押上経由)京成線では所要時間1時間29分、切符利用で970円。 JRでは総武線各停(千葉乗換)成田線で所要時間1時間33分、切符利用で1170円。 時間は大差なし! 料金は200円違い、微妙な差! 

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● 今日の“成田詣で”は突然決めたことであるが、以前から歩いて見たいと思っていた「成宗電気軌道(せいそうでんききどう)」の軌道跡を歩くチャンスが訪れた。、、、、成宗電気軌道とは、明治43年(1910)から44年(1911)にかけ、成田山新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ参詣路線として開通した、不動尊~宗吾間5.3㎞の軌道である。 戦時下の昭和19年(1944)不要不急線として廃止となった。 この軌道跡が京成成田駅前から成田山新勝寺の門前まで、2本のトンネルとともに「電車道」として残されている。、、、、『行きは電車道を歩こう、帰りは鰻屋と羊羹屋が並ぶ表参道を歩こう』と、妻に言い聞かせ“出発進行!”


・・・・・・・・・・・・京成成田駅前のバス停脇に「会社創立百周年記念碑 千葉交通株式会社」がある。 碑文には『千葉交通は明治四十一年十一月、成田山新勝寺と宗吾霊堂を結ぶ成宗電軌鉄道㈱として設立されました。 県内初の電車として明治四十三年に成田山門前〜成田駅前間、翌年に成田駅前〜宗吾間が開業しましたが、昭和十九年に太平洋戦争の資材提供のため廃線となり、以降、バス専業会社として現在に至っています。 この度、会社創立百周年を迎えるにあたり、成宗電車に名残のある当地に記念碑を建立します。 平成二十年十一月十六日』、、、、太陽の光と御影石の黒光り、なんとも読みにくい碑文だ。 「電車道」はここから始まる。

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・・・・・・・・・・・・電車道は京成成田駅前から左に、線路に沿って坂を下る。

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・・・・・・・・・・・・電車道は、かつて電車が走っていた築堤上に出る。 築堤からは京成成田駅から東成田駅に向かう線路が見える。

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・・・・・・・・・・・・築堤の先には「成宗電車第二トンネル」、「成宗電車第一トンネル」と続く。 二つの短い(全長約12m)トンネルは、ともに明治43年(1910)の竣工。 施工は野村組(現・フジタ)だが、設計者は不明。 このトンネルは「明治43年に建設された煉瓦造の鉄道トンネルで、形態的にほぼ同一な2つのトンネルが連続している姿は趣がある貴重な土木遺産」として平成26年度に指定された。

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・・・・・・・・・・・・二つのトンネルの中間に「幼稚園下停留所」があったそうだ。 その付近を走る電車の写真がトンネル脇にあった。 風雨にさらされた写真で、チョイト残念!

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・・・・・・・・・・・・トンネルの先に電車道は続くが、遺構らしきものは見つけることができず、成田山新勝寺「総門」前の参道に突き当たる。 この辺りが成宗電気軌道の終点か?

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● 8年ぶりの「成田詣で」、、、、前回来たのは、私が大動脈解離で手術し、退院後の御礼参りであった。 我が夫婦と、当時91歳の母の三人で訪れた。 我が母は杖も使わず足腰元気に歩いて来たが、今春他界した。 今日は夫婦二人で参詣。、、、、各堂を一巡し、母の弔いと、二人の延命福寿を祈願する。

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● 帰りは表参道を歩く。 ちょうど時間となりました、ウナギの匂いに誘われて。 

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2022年8月20日 (土)

美女“手児奈”

一週間ぶりの外出は、北総線矢切駅からJR総武線市川駅まで、1万3千歩の散歩です。


北総線「矢切駅は、平成3年(1991)に開業した、島式ホーム2面4線の地下駅である。 地下から階段を上がると、駅前にはバス停があるのだが、なぜかバス停に背を向け、何もない民家の空き地側に出るような配置となっている。 階段の取り付け方向を間違えた設計か?

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● 今朝の天気予報では、最高気温30℃、湿度60%、終日曇り空であった。 熱中症の心配はなさそうだが念のため、途中で倒れても誰か(できたら若い女性が)助けてくれるように住宅地を歩くことにした。 そこで国際医療福祉大学 市川病院」の東側をぬけ、「国分尼寺跡」、「国分寺」、京成本線「市川真間駅」まで歩く(この道は昨年3月に歩いたルートとほぼ同じ)。 、、、、暑くないと思い歩いていたが、途中から汗が吹き出し、あわててペットボトルを買い、頭から水をかぶる(服はビショビショ)。 冷えてたので気持ちいいこと、Good! 

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・・・・・・・・・・・・ 途中に点在する庚申塔、、、、襲われると怖いので、“ちかんに注意”して歩く!

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・・・・・・・・・・・・ 国分寺から南へ、国府台の台地を下ると、手児奈(てごな)という美しい女性を祀った、「手児奈霊堂」がある。、、、、 今から1300年ほど前、真間の井(亀井院)に水を汲みに行く一人の女性がいた。 名は手児奈。 身なりはそまつだったが、とても美しい女性だったそうで、多くの男性からプロポーズされたそうだ。 「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます。」となやみ、海に身を投げてしまった。(当時は真間山(台地)の下は海だった) 多くの人が、これを悲しみ手児奈霊堂を建てて祀ったと言われてる。、、、、女性が不細工であったなら、この話は無かったと思うよ! 

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● 市川真間駅から南の千葉街道に出る途中に、国登録有形文化財の「西洋館倶楽部(渡辺家住宅)」がある。、、、、大正時代の東京株式取引所の仲買人であった丸水渡辺商会の店主・渡辺善十郎により、日本家屋の母屋に隣接するゲストハウスとして建てられたもの。 かつてこの地域一帯には、黒松林の中に洋館が点在していたが、時とともに姿を消し、完全な形で残っているのは、この建物だけとなっている。 建物は昭和2年(1927)に建てられた木造3階建て洋館。 玄関ホールはベイウインドウ状に張り出しており、その上には手摺りを廻らせたバルコニーが設けられている。また、南・西・北側の3面は、破風の拝みを押さえた袴腰型切妻破風を中心とする屋根で、側面の軒先に千鳥屋根を設けた構成の特徴ある外観を備えている。、、、、現在はギャラリーやコンサートに利用されてるそうだ。

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JR総武線「市川駅は島式ホーム2面4線と快速ホーム(3・4番線)外側に本線2線を有する高架駅。 明治27年(1894)7月20日に総武鉄道(私鉄)の起点駅として開業。 明治40年(1907)に鉄道国有法により買収され、国有鉄道の駅となる。、、、、久しぶりに1万歩超歩いたので、駅到着時にはチョイト足が痛い、男は我慢!

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2022年6月 1日 (水)

嫁入り舟

雨も上がり、晴天の下、夫婦で潮来花嫁さんを見に行った。 東京(我が家)から電車に乗って2時間10分で佐原(千葉県)に到着、ここからさらに鹿島線に乗り換え9時30分に潮来(いたこ、茨城県)で下車。 『水郷潮来 あやめまつり』の観光です。 『あやめ園』、『嫁入り舟』を見た後は、佐原に出て名物を食し、伊能忠敬旧宅のある町並み観光。、、、、往復5時間のガッタンゴットン電車移動と1万7千歩のブラブラ歩きは、チョイト疲れた!



● 佐原駅で成田線から降りると、鹿島神宮行き2両連結の鹿島線がお出迎え。 慌てて乗らなくても空いている。

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・・・・・・・・・・・・「潮来駅」は島式ホーム1面2線の高架駅。 駅は昭和45年(1970)8月20日に国鉄の駅として開業。 あやめまつりが行われる観光シーズン以外は、一日の乗降客数は300人程と少ない!、、、、潮来駅周辺にはビジネスホテル、観光ホテルなどもあるが、観光スポットは少なく静かそうな町だ!

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● まずは駅で教えてもらった地元の「旧家磯山邸」を見に行く、、、、『明治32年(1899)建築の古民家』ただそれだけ!

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● 『水郷潮来 あやめまつり』は「水郷潮来あやめ園」で開催されていた。、、、、潮来といえばアヤメといわれるほど、潮来のアヤメはよく知られており、あやめ園は「前川」と呼ばれる川沿いにあり、園内には利根の河原に群生していた原種を改良した約500種100万株の花菖蒲のほか、カキツバタなどが植えられていた。 今日は、白、紫、黄の色とりどりの花が一斉に咲き、一番の見頃だったかも!、、、、私達、夫婦を地元の美女がお出迎え。 こちらの花も美しい!!! 

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花村菊江が歌う「潮来花嫁さん」 ♪♪ 潮来花嫁さんは 潮来花嫁さんは 舟でゆく 月の出潮を ギッチラ ギッチラ ギッチラコ ・・・・・♪♪、、、、この地:潮来では、昭和30年前半までは水路が交通手段であった。 そのため、嫁入りする際の花嫁や嫁入り道具等を運搬するときにもサッパ舟が使われており、これが「嫁入り舟」のはじまりと言われている。 その再現が、『あやめまつり』の開催に合わせ毎年行われるそうだ。 花嫁さんは、モデルではなく、その年に結婚するカップルの応募から選ばれるそうだ。

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● 潮来から「佐原」に戻る、、、、明治31年(1898)2月3日に、成田鉄道の駅として開業し、大正9年(1920)には国に買収され国有鉄道の駅となる。、、、、駅舎に面した単式ホーム1面1線、島式ホーム1面2線ならびに単式ホームの南西側香取方を切り欠いた切欠きホーム1線の計2面4線を有する地上駅。 駅南側に、平成23年(2011)、佐原の町並みをイメージした和風の2代目駅舎がオープンした。 雰囲気が出ている、良い感じの駅舎である。

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・・・・・・・・・・・・古くから水郷の町として栄え、市街地の小野川沿いは「重要伝統的建造物群保存地区」 『小江戸』とも呼ばれる当時の町並みが残っている。 「伊能忠敬の旧宅」が残る『地図の町』でもある。、、、、川沿いの風景はあまりにも有名!

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・・・・・・・・・・・・町歩きの途中で食す。 旨い、満腹だ、満足した!

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2022年4月28日 (木)

元気が出た!

今日は朝から『何の予定も無い』のフリーの日、久々にチョイト緑の中の散歩で、脚力回復・気分転換をしてきた。 北総線印旛日本医大駅から、緑の森と田圃が広がる印旛沼の西を歩き、京成本線京成臼井駅まで、1万5千歩、約9㎞を夫婦で歩いた。

 

● 午前10時、「印旛日本医大駅」で下車する。 降りる人は少なく、駅の広いコンコースは閑散としてる。 駅前ロータリーには人影も・車影もなく寂しい。 まるで、ゼロコロナでロックダウンしているような町である。

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● 駅前の小綺麗なニュータウンの中を歩く。 各家は新しく、住宅展示場のようだ! ここでも、人影は見えず、時おり車が通るだけ。、、、、この時間、父ちゃんは都心の会社、母ちゃんはスーパーでパート、僕は小学校、妹は保育園、家では猫が一人でお留守番。 静かな町です。

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● ニュータウンを抜け、日本医科大学千葉北総病院と印旛沼の間の道を南に向かって歩く。 森の中の道沿いには此れと言うほどの名所・寺社もなく、老いた夫婦の会話は、健康を願い『お昼、何食べる?』、沿道の花を見て『この花の名は?』『知らないよ!』、鳥・蛙の声を聴き『のどかだね!』、、、、これで二人の愛は深まるのかな?

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● 森を抜けると、視界が広がり印旛沼が見える。 ここからは左右に田んぼが広がる。、、、、田んぼには白鷺がいる、トラクターがいる! 

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● 架け替え工事が完了し、令和3年(2021)3月9日に開通した「船戸大橋」を渡る。 印西市師戸(もろと)と佐倉市臼井(うすい)を結ぶ船戸大橋は、県道千葉臼井印西線の西印旛沼に架かる橋梁。 以前の端は、昭和38年(1963)に架橋された。 それ以前は、渡し船があったそうだ。(渡し船を記念する碑がある)

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● 船戸大橋を渡ると、『うなぎ、川魚料理』の看板が目に入る。 昼食だ!、、、、名物の『うな重』と『肝焼き』で、二人の疲れも吹き飛んだ!

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● 鰻を食し元気が出たら、京成臼井駅までスタコラサッサ。、、、、京成臼井駅は大正15年(1926)12月9日に「臼井駅」として開業した。 昭和6年(1931)に「京成臼井駅」に改称した。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。

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2022年4月21日 (木)

まだ散歩は休みです

ここ一週間散歩に出られず、外出といえば、家の周辺や役所などに出向く程度で、足腰の退化が心配になってきた。 今日は松戸駅前の銀行に行く所用があり『歩く、チャンス!』と思い、北総線「北国分駅」で下車し常磐線「松戸駅」まで歩いてきた。 途中、明治21年(1888)に当地で「二十世紀梨」が発見されたことに由来する「二十世紀が丘」の町を通り抜けてきた。 約4㎞、7千歩の散歩であったが、帰りにデパートに寄りいろいろ買い物し、我が家に着けば万歩計は1万歩を表示していた。、、、、もうしばらく、この忙しさは続くようだ!

 

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2022年4月12日 (火)

新京成線に沿って

今朝は、新京成線の八柱駅(JR武蔵野線は新八柱駅)前のクリニックに、病とは無関係の所用で訪れた(自身はいたって健康だ!) 用事を済ませ、八柱駅から新京成線沿いに松戸駅まで歩いてきた。 途中駅は3駅、約4㎞の行程。 1万3千歩の散歩。

 

● 昭和30年(1955)4月21日に開業した新京成線「八柱駅」 隣には昭和51年(1976)に開業したJR武蔵野線の新八柱駅がある。 同じ駅名にすればよいと思うが、京成は濁って八柱(やばしら)、JRは濁らず新八柱(しんやはしら)と読みまで違う。 昔の村名は“やはしら”と言ったそうだ、でも“やばしら”とも言われたそうだ、何だか判らず???、、、、八柱駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有してる。

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・・・・・・・・・・・・隣の「新八柱駅」、、、、ホームは掘割式の地下にある

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・・・・・・・・・・・・線路沿いを歩く。 今日は夏日で25度超、空のブルーと電車のピンクに鮮やかな刺激を得る! 水分補給のお茶を飲み飲みスタコラサ!

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● 八柱駅から、ゆっくり歩いて20分、隣の「みのり台駅」、、、、昭和30年(1955)4月21日に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。 一日平均乗降客数は8000人以下と少ない。 特記すべき事項なし!

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・・・・・・・・・・・・駅から西へ500m、線路際には地元で親しまれているであろうお稲荷さんが、その名は「松戸新田稲荷神社」(わざわざ見に行く神社ではないと断言する!)

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● 次は「松戸新田駅」、、、、こちらの駅も、昭和30年4月21日開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 一日平均乗降客数は6000人に満たず、新京成24駅中22位の栄誉に輝く。

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・・・・・・・・・・・・平成5年(1993)に登場した、新京成では初のステンレス車体の8900形電車

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● 松戸駅の一駅手前は「上本郷駅」 こちらも、島式ホーム1面2線の橋上駅。 そして、開業は昭和30年4月21日。、、、、ホームに停車中の車両は平成17年(2005)に登場したN800形電車

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・・・・・・・・・・・・国道6号(=水戸街道)を過ぎるとまもなく松戸駅

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・・・・・・・・・・・・松戸駅から600m程、松戸市役所の北側に新京成とJRの線路に挟まれて、小高い丘の上に「根本金山神社」(“根本”は地名)がある。 金山神社の創建年代等は不詳である。 ここには戦国時代に根本城(はじめて聞いた城の名だ!)があったそうだ。 参道は登山道で、階段はキツイ。

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● 「松戸駅」に到着。 新京成の松戸駅改札はJRの改札と並んでいる。 JRと平行に並ぶ島式ホーム1面2線を有する。

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2022年4月10日 (日)

矢切から高砂まで

晴天の日曜日、散歩の“感”を取り戻すべく、夫婦で北総線矢切駅から『野菊の墓文学碑』を訪れ、江戸川土手を歩き常磐線の金町駅へ、金町から裏通りを歩き京成本線の高砂駅まで、久々に1万歩超えの歩きとなった。 1万3千歩の散歩

 

● 浅草橋から約25分、北総線の矢切駅で下車。 降りる人も少ない。

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● 矢切駅の北、500m程にある「矢切神社」(駅名・歌は濁って“やぎり”、地名・神社名は濁らず“やきり”)、、、、宝永元年(1704)の長雨により、江戸川氾濫し多数の死者が出た。 村人は災害から逃れるため高台に移住し、稲荷を勧請し祀ったのが矢切神社である。、、、、お賽銭をチョッピリ奮発、二人揃って『長生きできますように!』 二礼二拝一礼

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● 神社近くの「矢喰村庚申塚」、、、、室町時代には、この地の地形から“谷切れ”(ヤキレ)と称したそうだ。 しかし、この地が北条氏と里見氏の国府台合戦の主戦場となったことから、この地の民は弓矢を呪い「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれたそうだ。 その矢喰村に残る庚申塔群。、、、、戦乱のない安らぎと健康を願い祀り、祈られてきた庚申塔群。 中央の大きな庚申塔は寛文8年(1668)銘も庚申塔、、、、ウクライナとロシアの戦、早期終結を願い、合掌

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● 庚申塔から西へ300m程、江戸川を望む高台、真宗大谷派の西蓮寺境内に、「野菊の墓文学碑」がある。、、、、明治時代の矢切地方の風情が豊かに描かれた伊藤左千夫の処女作「野菊の墓」の文学碑。 左千夫の門人であった土屋文明の題字と小説の一説が刻まれている。(小説は15歳の政夫と、その従姉である17歳の民子の悲恋の物語。 興味あったらぜひ読んで!)

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● 農業用水の坂川に架かる矢切橋を渡り江戸川土手を目指す。、、、、暑い、暑い! 初夏の気温だ! 

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江戸川土手に上ると、菜の花がお出迎え! 散りはじめたサクラの下でお花見する家族。、、、、対岸には金町のタワーマンションが見える。

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● 金町浄水場の取水塔を見ながら、新葛飾橋で江戸川を越え金町に入る。、、、、ここまで、約8千歩、チョイト疲れた! しばらく散歩しないと、足が弱くなってきた!

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京成金町駅を通り、京成金町線の西側(帝釈天とは線路挟んで反対側)の住宅地を抜けて、柴又の「古録天神社」前を通り、京成高砂駅にでる。、、、、久しぶりの1万3千歩はキツイ!

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2021年12月14日 (火)

チョッピリ木下街道

今朝、散歩に出るとJR総武線が動いていない。 浅草橋駅で動いているのは都営浅草線。 急遽予定を変更し、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線で鎌ケ谷へ、新京成線に乗り換え鎌ヶ谷大仏へ。 鎌ヶ谷大仏から木下街道を歩いて東武野田線の馬込沢まで。 馬込沢から船橋に出て、JR総武線で浅草橋へ戻る。、、、、歩く楽しさと、7路線にまたがり電車に乗る楽しさも満喫した散歩です。 1万2千歩


・・・・・・・・・・・・木下街道(きおろしかいどう)は、江戸から下利根川方面への最短路として江戸時代に整備された街道。 街道の途中、行徳、八幡、鎌ヶ谷、白井、大森、木下の6か所に宿場がおかれた。 街道は、銚子方面から日本橋の魚市場へと鮮魚を送る道としても重宝された。、、、、今日の散歩は、その一部分、新京成線の鎌ヶ谷大仏駅から、東武野田線の馬込沢駅までを歩いた。 




● 朝7時半過ぎ、キティちゃんをイメージさせるピンクと白の電車から「鎌ヶ谷大仏駅」に降り立つ。、、、、駅は昭和24年(1949)1月8日に開業した。 島式ホームを持つ地上駅で、現在は橋上駅舎を有する。 駅名はそのものズバリで、駅前に千葉県道59号市川印西線「木下街道」が走り、駅の近くには古くから鎌ヶ谷宿一帯のシンボルである鎌ヶ谷大仏がある。

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・・・・・・・・・・・・駅前の木下街道は車がノロノロ、通勤通学客は駅へゾロゾロ、不慣れな私は車と人を避けオロオロ!

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● 駅の斜め向かい側、木下街道に面する墓地の入口奥に、日本一小さいといわれる「鎌ヶ谷大仏」が座している。 鋳造青銅製で高さ1.80m、台座含めて2.30m。、、、、案内文では、『安永5年(1776年)鎌ヶ谷村の豪商福田文左衛門が先祖供養のため作らせました。 伝聞では開眼供養の時には街道約3町(327m)を50人以上の僧侶が音楽に合わせ練り歩き供養したと言われています。 近年奈良や鎌倉の大仏様を想像して来訪される方がその質素なサイズにレプリカと間違われたりしておりますが、駅前に安置されているそれが鎌ヶ谷大仏の本体です。 同墓地内に同じく指定文化財の官軍兵士の墓もあります。 ※現在鎌ヶ谷大仏は福田家個人所有で、大仏がある墓地は当山(延命寺)の管理となっております』

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● 駅の北側には、寛永6年(1629)に創建された村社「鎌ヶ谷八幡神社」がある。 神社の長い参道と参道沿いにズラリ並んだ庚申塔が出迎えてくれる。 庚申塔は全部で100基あり、百庚申と呼ばれている。、、、、ところで、以前私がこの神社に訪れた時には、木々が鬱蒼と繁っていたが、平成29年(2017)に境内の樹木が伐採されたそうで、大木のない明るい境内となった。

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・・・・・・・・・・・・境内の片隅に、庚申塔に道標を記した「庚申道標」がある。、、、、三基ある中央の庚申塔、正面に「青面金剛王」、右側面に「寛政七卯年(1795)」、左側面に「十一月吉日」と刻印され、台座左右にはそれぞれ「東さくら道」「西こがね道」ど書かれている。
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● 鎌ヶ谷大仏駅から木下街道をチョイト江戸に向かって歩くと、鎌ヶ谷宿に明治時代に建てられたという「旧旅籠丸屋」が残されている。 鎌ヶ谷宿には、明治初年に旅籠屋が4軒あり、その内の一軒が丸屋。 当時の建物は火事で焼失し、明治30年頃に再建された丸屋。、、、、丸屋は、明治35年にはすでに旅籠としての利用を終え、明治末期に改修された後は、住居として使用され、さらに昭和31年にアパートとして改修され、現在の姿となっています。、、、、令和2年(2020)に国の登録有形文化財に指定された

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● 鎌ヶ谷大仏駅から400m程歩くと、鎌ヶ谷大仏を管理するに日蓮宗寺院「
延命寺」がある。 寛永年間(1624~1644:江戸時代)に市川中山法華経寺の末寺として建てられた日蓮宗の寺。 

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● 車の通行量は減ったが、幅の狭い歩きにくい歩道をスタコラサッサ!、、、、途中、戦後に建てられた馬頭観音もある

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● 鎌ヶ谷大仏駅と馬込沢駅の中間ぐらい、木下街道から100mぐらい入ったアカシア児童遊園内(鎌ケ谷市東道野辺6)に数基の「鉄道聯隊の橋脚」が残っている。、、、、説明板に次のように記されている『史跡 鉄道連隊橋脚  この橋脚は、昭和初期に旧日本軍の鉄道大隊が、訓練や物資等の輸送のため、建設した鉄道の一部です。近代の戦争では、鉄道は人や物資の輸送のために重要な役割を担っていました。千葉県でも、鉄道大隊から独立した第1鉄道連隊が千葉町(現在の千葉市)に、第2鉄道連隊が津田沼町(現在の新京成新津田沼駅の辺り)に配備され、昭和20年(1945年)第2次世界大戦終了まで活躍しました。この橋脚は、第2鉄道連隊が、大戦中、鉄道を敷く訓練として津田沼~松戸間に設けた路線の一部でしたが、終戦後は放置されていたため、この部分を除くほとんどを京成電鉄が買い受けました。その後、昭和21年(1946年)に京成電鉄の出資により新京成電鉄が設立され、当路線の整備を行いました。しかし、この部分は整備から除かれ、この橋脚だけが残りました。現在の新京成電鉄の全線が、整備を終え開通したのは、昭和30年(1955年)のことでした。平成11年3月 鎌ヶ谷市教育委員会』、、、、戦後75年が過ぎたが、今も残る戦争遺跡、後世に語り継がれるよう祈る

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・・・・・・・・・・・・旧陸軍の鉄道連隊橋脚がある公園の北側のマンション付近に、ここが陸軍の敷地である境界を示す「旧日本帝国陸軍の標柱」が残っている。 これも戦争の遺物。

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● 木下街道沿い鎌ヶ谷新田郵便局の近くに「清長庵」(寺は山号・院号不明(?))なる小さな寺院がある。、、、、ココの境内に、市内最古の道標である「道標地蔵」がある。 道標を兼ねた地蔵。、、、、木下街道がかつては「かしま道」とも呼ばれていた頃。 この道標地蔵には、次のように各面に道案内が彫られている。 右側面「志゛ん本うみち」(神保道) 正面「ゐんざい見ち」(印西道) 「加志ま道奈里」(鹿島道なり)  左側面 「可ま加゛い道」(釜ケ谷道)、、、、彫が浅く読みづらいが、読める!

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● 鎌ヶ谷市から船橋市に入ると馬込十字路交差点がある。 その交差点の手前に「戊辰戦争兵士の墓」(船橋市馬込町913)がある。、、、、慶応4年(1868)は途中の9月に明治に改元されるが、改元前の閏4月3日に、船橋地方は未曽有の大事件に巻き込まれた。 戊辰戦争の局地戦が船橋周辺で起こり、中心街の大半が兵火で焼失させられてしまった。 この戦闘は市川・船橋戦争と称され、4月11日の江戸城明け渡しと、5月15日の彰義隊の上野戦争との中間の時点で起こった。 現在では、戦争の遺跡はわずかに残る戦死者の墓のみで、船橋市では海神念仏堂・宮本了源寺・慈雲寺など7ヶ所にある。、、、、ここ馬込町の墓地もその内の1ヶ所、、、、“兵士”の墓で、有名人の墓ではないらしい、でも合掌。

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・・・・・・・・・・・・木下街道の散歩はココまで、馬込十字路交差点から馬込沢駅に向かい裏道を歩く
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● 東武野田線の「馬込沢駅」は大正12年(1923)12月27日に法典駅として開業した。 翌年、馬込沢駅に改称。、、、、駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅だが、築堤上にホームがあり、その下に改札口がある。、、、、終点の船橋駅まではココから3駅。 東武野田線の中では乗降客の多い駅の一つ。(1日平均乗降客数は約27,000人) ただし、急行は全て通過し、普通のみ停車する。

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2021年10月29日 (金)

印西市の古刹

秋風がチョッピリ吹く昼下がり、北総線の印旛日本医大駅で下車し、のどかな農村風景の中で古刹二寺を巡ってきた。(本日は妻も同伴)




● 千葉ニュータウンの最東端の駅、北総線の終点駅(成田スカイアクセス線はさらに先の成田空港駅まで伸びている)、その名は「印旛日本医大駅」。 我が家のある都営浅草線の浅草橋駅からは、直通の電車で約1時間、片道1200円程(チョイト高いね)である。、、、、駅は平成12年(2000)7月22日に開業した。 千葉ニュータウン内をほぼ直線的にカットした掘割内に位置し、島式ホーム1面2線の地上駅で、展望台と言われてる塔のある橋上駅舎は、関東駅百選に選ばれている。 コンコースはドーム状で天井が高く明るい。、、、、駅名は、日本医科大学の付属である、近くの「日本医科大学千葉北総病院」に因み名付けられた。 副駅名として「松虫姫」と( )書きされている。 松虫姫は奈良時代に病の完治のためにこの地にやってきた不破内親王の別名。、、、、この駅の最大の欠点は、駅前にコンビニ、カラオケ、パチンコ屋、飲み屋、食堂など、一切の商店がないこと! ここから通うサラリーマンは、帰宅する楽しみがないね!

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● 駅からチョイト離れた、県道沿いのレストランで昼食を済ませ、これよりブラブラ田舎道を歩き、栄福寺を目指す。、、、、青空の下、ススキも揺れてる道を行く、、、、道端には庚申塔が並ぶ、、、、林の中も気持ちよい、、、、林を抜けると集落がある

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● 集落の奥(印西市角田)に、天台宗寺院「栄福寺」がある。、、、、
栄福寺は行基による開基と伝えられるが、その沿革は明らかではなく、今も熊野神社(平成16年改築)と同じ境内に共存し、かつては神仏習合の形態として、篤く信仰されていたことがうかがえる。

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・・・・・・・・・・・・室町時代後期(1472年)に建立されたといわれている「薬師堂」(国登録重要文化財)は、正面側面ともに3間の堂で、屋根は茅葺寄棟造である。 正面階段部分の向拝(ごはい)は、江戸時代中期に設けられたものである。 正面には桟唐戸が備えられ、側面の前1間は舞良戸(まいらど)、中の間は板戸、その他は縦板壁となっている。 内部は拝見できなかったが、鏡天井に極彩色で天女図を描き、内陣は来迎柱を立て、その前に極彩色で飾った須弥壇が設けられているそうだ。、、、、ここの薬師堂は県下最古の建造物である。 また、印西市小倉の宝珠院観音堂(光堂)と似ている。

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・・・・・・・・・・・・境内に並ぶ、薬師堂と熊野神社

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● 次は、栄福寺から直線で1.5㎞程南にある東祥寺へ向かう、、、、栄福寺から林の中を下る、、、、林の次は田んぼが広がる、、、、田んぼの縁をトンボと歩く、、、、イノシシ除けの電気柵があった、『触ってみたら』(妻の声)、、、、ぬかるんだ道を歩き再び林の中へ、、、、印西市鎌苅の集落に出た、、、、東祥寺参道脇に小さな鷲宮神社

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● 印西市鎌苅の曹洞宗寺院「東祥寺」は、550余年の歴史がある古刹。 大本山總持寺の直末の普蔵院、又末の龍門寺、孫末の長國寺、曾孫末の東祥寺と直列に続く由緒正しき寺。 東祥寺の開山は、了山分曉(りょうさんぶんぎょう)大和尚、開基は、渡邊信濃守と言われている。

・・・・・・・・・・・・東祥寺山門は、境内の建物で一番古く、明治7年(1874)の祝融で唯一残った建物。 万治元年以前の建築と言われている。 鐘楼堂と一体になった珍しい建物である。

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・・・・・・・・・・・・現本堂は、明治29年(1896)に再建され、修復を重ねた上で、現在に至っている。 本尊は、南無釈迦牟尼佛。

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● 東祥寺参道前のバス停で時刻表を見ると、2時間に1本。 『コリャだめだ! 待っているより歩いたほうが早い!』 東祥寺から日本医大千葉北総病院まで歩く。、、、、民家の庭から突き出した果樹を見て『コレ何だ!』 渋柿だ! 夏みかんだ! ユズだ! 干し柿だ! 知識のない者どうし、何を言っても正解!

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・・・・・・・・・・・・「日本医科大学千葉北総病院」が見えた! 大きな総合病院である。 ヘリポートにはドクターヘリもある。、、、、病院玄関前から無料の送迎バスが印旛日本医大駅まで出ている。 ナイショで便乗!

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・・・・・・・・・・・・今日は1万3千歩の散歩でした。

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