千葉県

2022年4月28日 (木)

元気が出た!

今日は朝から『何の予定も無い』のフリーの日、久々にチョイト緑の中の散歩で、脚力回復・気分転換をしてきた。 北総線印旛日本医大駅から、緑の森と田圃が広がる印旛沼の西を歩き、京成本線京成臼井駅まで、1万5千歩、約9㎞を夫婦で歩いた。

 

● 午前10時、「印旛日本医大駅」で下車する。 降りる人は少なく、駅の広いコンコースは閑散としてる。 駅前ロータリーには人影も・車影もなく寂しい。 まるで、ゼロコロナでロックダウンしているような町である。

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● 駅前の小綺麗なニュータウンの中を歩く。 各家は新しく、住宅展示場のようだ! ここでも、人影は見えず、時おり車が通るだけ。、、、、この時間、父ちゃんは都心の会社、母ちゃんはスーパーでパート、僕は小学校、妹は保育園、家では猫が一人でお留守番。 静かな町です。

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● ニュータウンを抜け、日本医科大学千葉北総病院と印旛沼の間の道を南に向かって歩く。 森の中の道沿いには此れと言うほどの名所・寺社もなく、老いた夫婦の会話は、健康を願い『お昼、何食べる?』、沿道の花を見て『この花の名は?』『知らないよ!』、鳥・蛙の声を聴き『のどかだね!』、、、、これで二人の愛は深まるのかな?

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● 森を抜けると、視界が広がり印旛沼が見える。 ここからは左右に田んぼが広がる。、、、、田んぼには白鷺がいる、トラクターがいる! 

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● 架け替え工事が完了し、令和3年(2021)3月9日に開通した「船戸大橋」を渡る。 印西市師戸(もろと)と佐倉市臼井(うすい)を結ぶ船戸大橋は、県道千葉臼井印西線の西印旛沼に架かる橋梁。 以前の端は、昭和38年(1963)に架橋された。 それ以前は、渡し船があったそうだ。(渡し船を記念する碑がある)

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● 船戸大橋を渡ると、『うなぎ、川魚料理』の看板が目に入る。 昼食だ!、、、、名物の『うな重』と『肝焼き』で、二人の疲れも吹き飛んだ!

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● 鰻を食し元気が出たら、京成臼井駅までスタコラサッサ。、、、、京成臼井駅は大正15年(1926)12月9日に「臼井駅」として開業した。 昭和6年(1931)に「京成臼井駅」に改称した。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。

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2022年4月21日 (木)

まだ散歩は休みです

ここ一週間散歩に出られず、外出といえば、家の周辺や役所などに出向く程度で、足腰の退化が心配になってきた。 今日は松戸駅前の銀行に行く所用があり『歩く、チャンス!』と思い、北総線「北国分駅」で下車し常磐線「松戸駅」まで歩いてきた。 途中、明治21年(1888)に当地で「二十世紀梨」が発見されたことに由来する「二十世紀が丘」の町を通り抜けてきた。 約4㎞、7千歩の散歩であったが、帰りにデパートに寄りいろいろ買い物し、我が家に着けば万歩計は1万歩を表示していた。、、、、もうしばらく、この忙しさは続くようだ!

 

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2022年4月12日 (火)

新京成線に沿って

今朝は、新京成線の八柱駅(JR武蔵野線は新八柱駅)前のクリニックに、病とは無関係の所用で訪れた(自身はいたって健康だ!) 用事を済ませ、八柱駅から新京成線沿いに松戸駅まで歩いてきた。 途中駅は3駅、約4㎞の行程。 1万3千歩の散歩。

 

● 昭和30年(1955)4月21日に開業した新京成線「八柱駅」 隣には昭和51年(1976)に開業したJR武蔵野線の新八柱駅がある。 同じ駅名にすればよいと思うが、京成は濁って八柱(やばしら)、JRは濁らず新八柱(しんやはしら)と読みまで違う。 昔の村名は“やはしら”と言ったそうだ、でも“やばしら”とも言われたそうだ、何だか判らず???、、、、八柱駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有してる。

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・・・・・・・・・・・・隣の「新八柱駅」、、、、ホームは掘割式の地下にある

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・・・・・・・・・・・・線路沿いを歩く。 今日は夏日で25度超、空のブルーと電車のピンクに鮮やかな刺激を得る! 水分補給のお茶を飲み飲みスタコラサ!

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● 八柱駅から、ゆっくり歩いて20分、隣の「みのり台駅」、、、、昭和30年(1955)4月21日に開業した、相対式ホーム2面2線の地上駅。 一日平均乗降客数は8000人以下と少ない。 特記すべき事項なし!

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・・・・・・・・・・・・駅から西へ500m、線路際には地元で親しまれているであろうお稲荷さんが、その名は「松戸新田稲荷神社」(わざわざ見に行く神社ではないと断言する!)

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● 次は「松戸新田駅」、、、、こちらの駅も、昭和30年4月21日開業。 相対式ホーム2面2線の地上駅。 一日平均乗降客数は6000人に満たず、新京成24駅中22位の栄誉に輝く。

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・・・・・・・・・・・・平成5年(1993)に登場した、新京成では初のステンレス車体の8900形電車

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● 松戸駅の一駅手前は「上本郷駅」 こちらも、島式ホーム1面2線の橋上駅。 そして、開業は昭和30年4月21日。、、、、ホームに停車中の車両は平成17年(2005)に登場したN800形電車

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・・・・・・・・・・・・国道6号(=水戸街道)を過ぎるとまもなく松戸駅

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・・・・・・・・・・・・松戸駅から600m程、松戸市役所の北側に新京成とJRの線路に挟まれて、小高い丘の上に「根本金山神社」(“根本”は地名)がある。 金山神社の創建年代等は不詳である。 ここには戦国時代に根本城(はじめて聞いた城の名だ!)があったそうだ。 参道は登山道で、階段はキツイ。

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● 「松戸駅」に到着。 新京成の松戸駅改札はJRの改札と並んでいる。 JRと平行に並ぶ島式ホーム1面2線を有する。

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2022年4月10日 (日)

矢切から高砂まで

晴天の日曜日、散歩の“感”を取り戻すべく、夫婦で北総線矢切駅から『野菊の墓文学碑』を訪れ、江戸川土手を歩き常磐線の金町駅へ、金町から裏通りを歩き京成本線の高砂駅まで、久々に1万歩超えの歩きとなった。 1万3千歩の散歩

 

● 浅草橋から約25分、北総線の矢切駅で下車。 降りる人も少ない。

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● 矢切駅の北、500m程にある「矢切神社」(駅名・歌は濁って“やぎり”、地名・神社名は濁らず“やきり”)、、、、宝永元年(1704)の長雨により、江戸川氾濫し多数の死者が出た。 村人は災害から逃れるため高台に移住し、稲荷を勧請し祀ったのが矢切神社である。、、、、お賽銭をチョッピリ奮発、二人揃って『長生きできますように!』 二礼二拝一礼

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● 神社近くの「矢喰村庚申塚」、、、、室町時代には、この地の地形から“谷切れ”(ヤキレ)と称したそうだ。 しかし、この地が北条氏と里見氏の国府台合戦の主戦場となったことから、この地の民は弓矢を呪い「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれたそうだ。 その矢喰村に残る庚申塔群。、、、、戦乱のない安らぎと健康を願い祀り、祈られてきた庚申塔群。 中央の大きな庚申塔は寛文8年(1668)銘も庚申塔、、、、ウクライナとロシアの戦、早期終結を願い、合掌

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● 庚申塔から西へ300m程、江戸川を望む高台、真宗大谷派の西蓮寺境内に、「野菊の墓文学碑」がある。、、、、明治時代の矢切地方の風情が豊かに描かれた伊藤左千夫の処女作「野菊の墓」の文学碑。 左千夫の門人であった土屋文明の題字と小説の一説が刻まれている。(小説は15歳の政夫と、その従姉である17歳の民子の悲恋の物語。 興味あったらぜひ読んで!)

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● 農業用水の坂川に架かる矢切橋を渡り江戸川土手を目指す。、、、、暑い、暑い! 初夏の気温だ! 

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江戸川土手に上ると、菜の花がお出迎え! 散りはじめたサクラの下でお花見する家族。、、、、対岸には金町のタワーマンションが見える。

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● 金町浄水場の取水塔を見ながら、新葛飾橋で江戸川を越え金町に入る。、、、、ここまで、約8千歩、チョイト疲れた! しばらく散歩しないと、足が弱くなってきた!

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京成金町駅を通り、京成金町線の西側(帝釈天とは線路挟んで反対側)の住宅地を抜けて、柴又の「古録天神社」前を通り、京成高砂駅にでる。、、、、久しぶりの1万3千歩はキツイ!

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2021年12月14日 (火)

チョッピリ木下街道

今朝、散歩に出るとJR総武線が動いていない。 浅草橋駅で動いているのは都営浅草線。 急遽予定を変更し、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線で鎌ケ谷へ、新京成線に乗り換え鎌ヶ谷大仏へ。 鎌ヶ谷大仏から木下街道を歩いて東武野田線の馬込沢まで。 馬込沢から船橋に出て、JR総武線で浅草橋へ戻る。、、、、歩く楽しさと、7路線にまたがり電車に乗る楽しさも満喫した散歩です。 1万2千歩


・・・・・・・・・・・・木下街道(きおろしかいどう)は、江戸から下利根川方面への最短路として江戸時代に整備された街道。 街道の途中、行徳、八幡、鎌ヶ谷、白井、大森、木下の6か所に宿場がおかれた。 街道は、銚子方面から日本橋の魚市場へと鮮魚を送る道としても重宝された。、、、、今日の散歩は、その一部分、新京成線の鎌ヶ谷大仏駅から、東武野田線の馬込沢駅までを歩いた。 




● 朝7時半過ぎ、キティちゃんをイメージさせるピンクと白の電車から「鎌ヶ谷大仏駅」に降り立つ。、、、、駅は昭和24年(1949)1月8日に開業した。 島式ホームを持つ地上駅で、現在は橋上駅舎を有する。 駅名はそのものズバリで、駅前に千葉県道59号市川印西線「木下街道」が走り、駅の近くには古くから鎌ヶ谷宿一帯のシンボルである鎌ヶ谷大仏がある。

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・・・・・・・・・・・・駅前の木下街道は車がノロノロ、通勤通学客は駅へゾロゾロ、不慣れな私は車と人を避けオロオロ!

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● 駅の斜め向かい側、木下街道に面する墓地の入口奥に、日本一小さいといわれる「鎌ヶ谷大仏」が座している。 鋳造青銅製で高さ1.80m、台座含めて2.30m。、、、、案内文では、『安永5年(1776年)鎌ヶ谷村の豪商福田文左衛門が先祖供養のため作らせました。 伝聞では開眼供養の時には街道約3町(327m)を50人以上の僧侶が音楽に合わせ練り歩き供養したと言われています。 近年奈良や鎌倉の大仏様を想像して来訪される方がその質素なサイズにレプリカと間違われたりしておりますが、駅前に安置されているそれが鎌ヶ谷大仏の本体です。 同墓地内に同じく指定文化財の官軍兵士の墓もあります。 ※現在鎌ヶ谷大仏は福田家個人所有で、大仏がある墓地は当山(延命寺)の管理となっております』

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● 駅の北側には、寛永6年(1629)に創建された村社「鎌ヶ谷八幡神社」がある。 神社の長い参道と参道沿いにズラリ並んだ庚申塔が出迎えてくれる。 庚申塔は全部で100基あり、百庚申と呼ばれている。、、、、ところで、以前私がこの神社に訪れた時には、木々が鬱蒼と繁っていたが、平成29年(2017)に境内の樹木が伐採されたそうで、大木のない明るい境内となった。

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・・・・・・・・・・・・境内の片隅に、庚申塔に道標を記した「庚申道標」がある。、、、、三基ある中央の庚申塔、正面に「青面金剛王」、右側面に「寛政七卯年(1795)」、左側面に「十一月吉日」と刻印され、台座左右にはそれぞれ「東さくら道」「西こがね道」ど書かれている。
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● 鎌ヶ谷大仏駅から木下街道をチョイト江戸に向かって歩くと、鎌ヶ谷宿に明治時代に建てられたという「旧旅籠丸屋」が残されている。 鎌ヶ谷宿には、明治初年に旅籠屋が4軒あり、その内の一軒が丸屋。 当時の建物は火事で焼失し、明治30年頃に再建された丸屋。、、、、丸屋は、明治35年にはすでに旅籠としての利用を終え、明治末期に改修された後は、住居として使用され、さらに昭和31年にアパートとして改修され、現在の姿となっています。、、、、令和2年(2020)に国の登録有形文化財に指定された

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● 鎌ヶ谷大仏駅から400m程歩くと、鎌ヶ谷大仏を管理するに日蓮宗寺院「
延命寺」がある。 寛永年間(1624~1644:江戸時代)に市川中山法華経寺の末寺として建てられた日蓮宗の寺。 

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● 車の通行量は減ったが、幅の狭い歩きにくい歩道をスタコラサッサ!、、、、途中、戦後に建てられた馬頭観音もある

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● 鎌ヶ谷大仏駅と馬込沢駅の中間ぐらい、木下街道から100mぐらい入ったアカシア児童遊園内(鎌ケ谷市東道野辺6)に数基の「鉄道聯隊の橋脚」が残っている。、、、、説明板に次のように記されている『史跡 鉄道連隊橋脚  この橋脚は、昭和初期に旧日本軍の鉄道大隊が、訓練や物資等の輸送のため、建設した鉄道の一部です。近代の戦争では、鉄道は人や物資の輸送のために重要な役割を担っていました。千葉県でも、鉄道大隊から独立した第1鉄道連隊が千葉町(現在の千葉市)に、第2鉄道連隊が津田沼町(現在の新京成新津田沼駅の辺り)に配備され、昭和20年(1945年)第2次世界大戦終了まで活躍しました。この橋脚は、第2鉄道連隊が、大戦中、鉄道を敷く訓練として津田沼~松戸間に設けた路線の一部でしたが、終戦後は放置されていたため、この部分を除くほとんどを京成電鉄が買い受けました。その後、昭和21年(1946年)に京成電鉄の出資により新京成電鉄が設立され、当路線の整備を行いました。しかし、この部分は整備から除かれ、この橋脚だけが残りました。現在の新京成電鉄の全線が、整備を終え開通したのは、昭和30年(1955年)のことでした。平成11年3月 鎌ヶ谷市教育委員会』、、、、戦後75年が過ぎたが、今も残る戦争遺跡、後世に語り継がれるよう祈る

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・・・・・・・・・・・・旧陸軍の鉄道連隊橋脚がある公園の北側のマンション付近に、ここが陸軍の敷地である境界を示す「旧日本帝国陸軍の標柱」が残っている。 これも戦争の遺物。

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● 木下街道沿い鎌ヶ谷新田郵便局の近くに「清長庵」(寺は山号・院号不明(?))なる小さな寺院がある。、、、、ココの境内に、市内最古の道標である「道標地蔵」がある。 道標を兼ねた地蔵。、、、、木下街道がかつては「かしま道」とも呼ばれていた頃。 この道標地蔵には、次のように各面に道案内が彫られている。 右側面「志゛ん本うみち」(神保道) 正面「ゐんざい見ち」(印西道) 「加志ま道奈里」(鹿島道なり)  左側面 「可ま加゛い道」(釜ケ谷道)、、、、彫が浅く読みづらいが、読める!

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● 鎌ヶ谷市から船橋市に入ると馬込十字路交差点がある。 その交差点の手前に「戊辰戦争兵士の墓」(船橋市馬込町913)がある。、、、、慶応4年(1868)は途中の9月に明治に改元されるが、改元前の閏4月3日に、船橋地方は未曽有の大事件に巻き込まれた。 戊辰戦争の局地戦が船橋周辺で起こり、中心街の大半が兵火で焼失させられてしまった。 この戦闘は市川・船橋戦争と称され、4月11日の江戸城明け渡しと、5月15日の彰義隊の上野戦争との中間の時点で起こった。 現在では、戦争の遺跡はわずかに残る戦死者の墓のみで、船橋市では海神念仏堂・宮本了源寺・慈雲寺など7ヶ所にある。、、、、ここ馬込町の墓地もその内の1ヶ所、、、、“兵士”の墓で、有名人の墓ではないらしい、でも合掌。

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・・・・・・・・・・・・木下街道の散歩はココまで、馬込十字路交差点から馬込沢駅に向かい裏道を歩く
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● 東武野田線の「馬込沢駅」は大正12年(1923)12月27日に法典駅として開業した。 翌年、馬込沢駅に改称。、、、、駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅だが、築堤上にホームがあり、その下に改札口がある。、、、、終点の船橋駅まではココから3駅。 東武野田線の中では乗降客の多い駅の一つ。(1日平均乗降客数は約27,000人) ただし、急行は全て通過し、普通のみ停車する。

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2021年10月29日 (金)

印西市の古刹

秋風がチョッピリ吹く昼下がり、北総線の印旛日本医大駅で下車し、のどかな農村風景の中で古刹二寺を巡ってきた。(本日は妻も同伴)




● 千葉ニュータウンの最東端の駅、北総線の終点駅(成田スカイアクセス線はさらに先の成田空港駅まで伸びている)、その名は「印旛日本医大駅」。 我が家のある都営浅草線の浅草橋駅からは、直通の電車で約1時間、片道1200円程(チョイト高いね)である。、、、、駅は平成12年(2000)7月22日に開業した。 千葉ニュータウン内をほぼ直線的にカットした掘割内に位置し、島式ホーム1面2線の地上駅で、展望台と言われてる塔のある橋上駅舎は、関東駅百選に選ばれている。 コンコースはドーム状で天井が高く明るい。、、、、駅名は、日本医科大学の付属である、近くの「日本医科大学千葉北総病院」に因み名付けられた。 副駅名として「松虫姫」と( )書きされている。 松虫姫は奈良時代に病の完治のためにこの地にやってきた不破内親王の別名。、、、、この駅の最大の欠点は、駅前にコンビニ、カラオケ、パチンコ屋、飲み屋、食堂など、一切の商店がないこと! ここから通うサラリーマンは、帰宅する楽しみがないね!

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● 駅からチョイト離れた、県道沿いのレストランで昼食を済ませ、これよりブラブラ田舎道を歩き、栄福寺を目指す。、、、、青空の下、ススキも揺れてる道を行く、、、、道端には庚申塔が並ぶ、、、、林の中も気持ちよい、、、、林を抜けると集落がある

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● 集落の奥(印西市角田)に、天台宗寺院「栄福寺」がある。、、、、
栄福寺は行基による開基と伝えられるが、その沿革は明らかではなく、今も熊野神社(平成16年改築)と同じ境内に共存し、かつては神仏習合の形態として、篤く信仰されていたことがうかがえる。

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・・・・・・・・・・・・室町時代後期(1472年)に建立されたといわれている「薬師堂」(国登録重要文化財)は、正面側面ともに3間の堂で、屋根は茅葺寄棟造である。 正面階段部分の向拝(ごはい)は、江戸時代中期に設けられたものである。 正面には桟唐戸が備えられ、側面の前1間は舞良戸(まいらど)、中の間は板戸、その他は縦板壁となっている。 内部は拝見できなかったが、鏡天井に極彩色で天女図を描き、内陣は来迎柱を立て、その前に極彩色で飾った須弥壇が設けられているそうだ。、、、、ここの薬師堂は県下最古の建造物である。 また、印西市小倉の宝珠院観音堂(光堂)と似ている。

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・・・・・・・・・・・・境内に並ぶ、薬師堂と熊野神社

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● 次は、栄福寺から直線で1.5㎞程南にある東祥寺へ向かう、、、、栄福寺から林の中を下る、、、、林の次は田んぼが広がる、、、、田んぼの縁をトンボと歩く、、、、イノシシ除けの電気柵があった、『触ってみたら』(妻の声)、、、、ぬかるんだ道を歩き再び林の中へ、、、、印西市鎌苅の集落に出た、、、、東祥寺参道脇に小さな鷲宮神社

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● 印西市鎌苅の曹洞宗寺院「東祥寺」は、550余年の歴史がある古刹。 大本山總持寺の直末の普蔵院、又末の龍門寺、孫末の長國寺、曾孫末の東祥寺と直列に続く由緒正しき寺。 東祥寺の開山は、了山分曉(りょうさんぶんぎょう)大和尚、開基は、渡邊信濃守と言われている。

・・・・・・・・・・・・東祥寺山門は、境内の建物で一番古く、明治7年(1874)の祝融で唯一残った建物。 万治元年以前の建築と言われている。 鐘楼堂と一体になった珍しい建物である。

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・・・・・・・・・・・・現本堂は、明治29年(1896)に再建され、修復を重ねた上で、現在に至っている。 本尊は、南無釈迦牟尼佛。

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● 東祥寺参道前のバス停で時刻表を見ると、2時間に1本。 『コリャだめだ! 待っているより歩いたほうが早い!』 東祥寺から日本医大千葉北総病院まで歩く。、、、、民家の庭から突き出した果樹を見て『コレ何だ!』 渋柿だ! 夏みかんだ! ユズだ! 干し柿だ! 知識のない者どうし、何を言っても正解!

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・・・・・・・・・・・・「日本医科大学千葉北総病院」が見えた! 大きな総合病院である。 ヘリポートにはドクターヘリもある。、、、、病院玄関前から無料の送迎バスが印旛日本医大駅まで出ている。 ナイショで便乗!

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・・・・・・・・・・・・今日は1万3千歩の散歩でした。

2021年6月21日 (月)

開門前の散歩

北総線東松戸駅から同線の北国分駅まで、線路沿いに歩いて、1万1千歩の散歩です。




● 押上で成田空港行きのアクセス特急に乗り換えて、3駅目(途中、青砥・高砂の2駅に停車)の北総線「東松戸駅」で、朝7時40分、下車する。 この駅はJR武蔵野線との乗り換え駅で、乗降する通勤通学客が多い。(北総線からJR武蔵野線に乗り換える人が多いようだ!)

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・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーに出ると、人は少ない。、、、、駅構内の人の多くは乗換客だった!

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・・・・・・・・・・・・東松戸駅から、北総線の北側を線路に沿って、東京方面に向かって歩くことにした。 新しい戸建て住宅とマンションの町。 賑やかさはナイ・ナイ・つまらない!

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● 駅から5分、東松戸3丁目の日蓮宗寺院の妙見山廣龍寺に立ち寄る。 廣龍寺は室町時代(1338~1573)に創建された。 境内にある妙見堂には、千葉氏の守護神として知られる妙見菩薩像が安置されているそうだ。 時刻は8時チョウド、まだ住職は朝食中か? 開門しておらず、境内には入れず、残念!、、、、門の外から本堂を撮影

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・・・・・・・・・・・・山門前には数基の石塔が並んでいる。 その中に、嘉永5年(1852)銘で、高さは191.5㎝の庚申塔がある。 庚申塔は青面金剛を主尊にもちいたものが多いが、この庚申塔は珍しく帝釈天を刻んでいる。 

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● 廣龍寺の北西150m程の小高い処(松戸市紙敷)に「紙敷春日神社」がある。 紙敷春日神社の創建年代等は不詳。、、、、住宅街の一角、緑豊かな境内にある神社で、由緒は不明。 盆踊りが開かれそうな神社。

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● 畑を見ながら、北総線の脇を歩く。、、、、この付近、アチラ・コチラの畑の下から縄文時代の遺跡が発掘されるらしい。 「掘って 調べて 埋め戻し 遺跡は野菜の下 消えてゆく」

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・・・・・・・・・・・・しばらく歩くと、住宅地の中に細長い空き地が続く。 この地下に、北総線のトンネルがある。

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・・・・・・・・・・・・北総線「秋山駅に着いた。 半地下式の駅で、ホームは地下にある。

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・・・・・・・・・・・・秋山駅前を過ぎると、北総線が地下駅から地上に出て、この先は高架橋が続く。

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・・・・・・・・・・・・チョロチョロ流れる用水路? ナント、一級河川の国分川。 北総線は国分川を越え北国分駅へ向かう。

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● 北国分駅の北に広がる松戸市大橋地区、その中心に鎮守さまの「大橋胡籙神社」がある。 大橋胡籙神社の創建年代等は不詳。大橋地区の鎮守として祀られ、明治41年(1908)に字南台無格社道祖神・無格社天満神社・字稲荷山無格社稲荷神社、字北台無格社淡洲神社、字白幡無格社白幡神社を合祀した。、、、、大橋胡籙神社で行われる獅子舞は、市の無形文化財に指定されているそうだ。 一見してみたいね!

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● 大橋胡籙神社の南西200m程、「浄念坊」という廃寺跡がある。、、、、旧大橋村の寺院跡で、今は墓地のみが残されて元檀家が管理しているそうだ。 寛文6年(1666)建立の庚申塔をはじめ古い石造仏が集められ、保存されている。 かつて大橋に浄念坊という大日如来を本尊とする真言宗の寺院があった。 当地域の寺院の殆どが真言宗であったが、日蓮宗の進出によって、真言・法華混在となり、やがて浄念坊は廃寺となったそうだ。、、、、墓地は雑草が茂り、寺務所らしき建物は無人で廃墟化しつつある。 寺務所には、檀家向けに8月に墓地の掃除をする旨、出席を願う貼り紙があった。 宗派は違えども、日蓮宗の寺で墓地を管理できないものなのか? 寂しさを感じるね!

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北総線「北国分駅に到着。 半地下式の駅は地上から地下ホームに降りて乗車。、、、、コロナ禍で、ナンダ・カンダと運動不足、今日の散歩はここまで!

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2021年6月11日 (金)

美しさで勝負!

東京は連日の真夏日、夫婦で小岩菖蒲園に行ってきた。 帰りはJR市川駅に出て、私にとっては恐怖の超高層展望台に立ち寄って帰宅。、、、、京成本線江戸川駅から小岩菖蒲園によって市川駅までは、2年前にも歩いている。 




● 特急も、快速もすべて爆走して通過し、6両編でガラガラ・スキスキの普通列車のみ止まる京成本線の「江戸川駅」。 駅は江戸川土手に接し、改札を出ればスグに江戸川右岸の土手に出られる。 土手上から河川敷を見下ろせば、そこには「小岩菖蒲園」がある。、、、、駅周辺には、賑やかさは無い、コロナ感染は心配無用!

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● 江戸川河川敷に広がる「小岩菖蒲」園は、地元から寄贈された花菖蒲をもとに、区が回遊式の庭園にしたもの。 約4,900㎡の菖蒲田には約50,000本の花菖蒲が咲き誇り、葛飾区の堀切菖蒲園水元公園とともに、都内の菖蒲の名所となっている。、、、、今日は、天気も良く、菖蒲の花は一斉に咲き、美しさで勝負! 我が妻も、菖蒲に交ざって、マスクで勝負?

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● 江戸川区北小岩の小岩菖蒲園から、京成本線江戸川橋梁の下を抜け、市川橋(国道14号、千葉街道)を渡り千葉県市川市に入る。

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・・・・・・・・・・・・「アイ・リンクタウン展望施設」(市川市)から見た、左端:JR総武本線江戸川橋梁、中央:市川橋、右端:京成本線江戸川橋梁。、、、、3本のトラス橋が並んで架かる。

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● JR市川駅の南口前にある2本のタワーマンション、その西側の建物の最上階45階に「市川市アイ・リンクタウン展望施設」がある。 入館料は無料、地上150mから360度の展望ができる嬉しい施設である。、、、、が、高所恐怖症の私にとっては最悪の施設。 45階へ向かうシースルーエレベーターが怖いのだ! ガラス張りの箱に入り、空へ向かって見る景色、恐怖の世界である。 エレベーターに乗るやいなや、手摺を握りしめ、景色は見ずに目をつぶる、心の中では南無阿弥陀仏! 妻がいるので、男気・強がり・痩せ我慢・小便チビリそうだ! 【チョイト蛇足】・・・外が見えないスカイツリーのエレベーターは、なぜか恐怖を感じない!

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・・・・・・・・・・・・展望デッキでは、なるべくカラス窓に近づかず、ソーシャルディスタンス! 妻にはニッコリ笑って景色の案内、心の中では南妙法蓮華経・南無阿弥陀仏、アーメン・ソーメン・冷そうめん!

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● 無事に展望施設から降り、ホット一息。 写真撮るのも忘れて、市川駅から電車で帰宅!

2021年4月 8日 (木)

珍しい庚申五層塔

コロナ感染者数が大阪より少なくなった東京、このまま黙っていることはない、首都の面目をかけ(?)、東京は感染者数トップの座に帰り着くと思われる。 東京に住み、ワクチン接種を待っている高齢者の一人としては、外出を避け、おとなしく家に籠っているのが一番安全であろう。 でも、マスクを着用し、“密”な場を避け、チョットの時間なら、『外出もOK』と勝ってに決めつけ、今日も人知れず散歩に行ってきた。、、、、通勤・通学とは逆の方向に向かう空いてる電車で、JR武蔵野線の船橋法典駅で下車し、隣りの市川大野駅まで、郊外の散歩。 1万1千歩




● 西船橋で武蔵野線に乗り換えて、隣りの「船橋法典駅」で下車。、、、、昭和53年(1978)10月2日、国鉄の駅として開業した。 駅は台地に位置しており、ホームは掘割に1面2線の島式で造られ、その上の地上面に駅舎がある。、、、、駅名の“船橋法典”は、“ふなばしほうてん”と読む。 地名としての読みは、この地域の前身が千葉県東葛飾郡法典村(ほうでんむら)であり、“ほうでん”が正しい。 地名“法典”の由来は諸説(私は知らん!)あるそうだが、その昔、この地域を日蓮上人が通った時に法を伝えたことから、法伝が法典となったという説もある。 この付近、中山法華経寺を拠点とし、日蓮宗の勢力圏内だ!

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・・・・・・・・・・・・・・新松戸方面府中本町行きは『多少空席あり』、西船橋方面南船橋行きは『満員御礼』

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● 船橋法典駅から市川大野駅に向かい、武蔵野線の東側を歩きはじめる・・・・・・

・・・・・・・・・・・・この付近では、古い農家の建物は見あたらず、広い敷地を囲むチョイト侵入しにくい塀と門。 温泉旅館のような建物に、外車ならぬ、三菱トラクタ!

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・・・・・・・・・・・・住宅展示場のように、新しいモダンな住宅が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・こちらはモダンな低層マンション。 現代版の長屋かも?

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・・・・・・・・・・・・畑の先には、新しそうな住宅と大きなマンションがみえる。

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● 船橋法典駅から、市川市柏井1丁目の住宅地を歩き、しばらく歩くと『史跡 姥山貝塚・姥山会館』の道標があった。 住宅地の坂道を上ると、森の中に「八幡神社」がある。 鳥居奥の拝殿と思われる処が「姥山会館」で、集会所となっているようだ。 八幡神社は姥山会館の裏に本殿らしき姿で祀られている。、、、、何だか、怪しげであり、神秘的であり、素朴であり、お粗末な神社! 神社の由緒などは、もちろん不明!

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● 八幡神社の裏に広大な草地がある。 ここが「史跡 姥山貝塚」(国指定史跡)だ。、、、、姥山貝塚は、千葉県市川市柏井町にある縄文時代中期~後期(今から約5000年~3000年前)に形成された貝塚で、大柏川左岸の標高約24mの台地上に広がった東西130m・南北120mの南に開口した馬蹄形である。 現在は、姥山貝塚公園として整備されている。、、、、貝塚からは、ハマグリを主体としてアサリ、シオフキなど30種以上の貝が出土し、比較的早い時期からその存在が知られ、明治26年(1893)以後何度か調査が行われていたが、本格的な調査は昭和元年(1926)の東京人類遠足会及び東京帝国大学人類学教室による発掘調査である。 その結果、縄文時代の竪穴式住居跡が完全な形で発掘されたばかりではなく、計5名の人骨なども発掘され、当時の生活を推測する手掛かりとなった。 発掘品は東京大学・南山大学・明治大学などに保管されているほか、同じ市川市内の堀之内貝塚に隣接して建設された市川考古博物館にも展示されている。、、、、大事な発掘品は博物館、住居跡は土の中。 史跡に立って見えるのは、下に埋まっているものを説明する案内板だけ。 見るものもなく、つまらないね!

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● 姥山貝塚から北へ約1km、樹木に囲まれて「子安神社」(市川市柏井3)がある。 県道9号(船橋松戸線)に面し石の鳥居が建ち、奥へ進むと参道中程に朱塗りの木の鳥居、さらに奥に進むと拝殿・本殿が見えた。、、、、拝殿横の木陰に、「庚申五層塔」という珍しい庚申塔がある、元禄3年(1690)の銘あり。、、、、この神社も神秘的で、安産の御利益ありそうだ。(高齢の爺には、安産の御利益いらないよ!)

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県道船橋松戸線を歩き、大柏川(おおかしわがわ)に近づくと視界が開けた。、、、、歩く左手には武蔵野線の高架橋が見える。、、、、大柏川を越えれば市川大野駅は近い!

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● 万葉植物園前の跨線橋を渡り、市川大野駅へ到着。、、、、市川大野駅から私の住む浅草橋駅までは、西船橋経由で約40分。 意外と近いね!

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2021年3月30日 (火)

ありゃ、こりゃ、庚申塔

東京では10年ぶりに黄砂が観測され、視界の悪い曇り空のような日となった。 今日は夫婦で、北総の「百庚申」を見ながら、北総線の千葉ニュータウン中央駅から隣りの小室駅まで歩いてきた。 1万3千歩、約7kmの散歩です。



【チョイト予備知識】・・・・・・・庚申信仰は、中国の道教「三尸(サンシ)説」に由来するもので人の体内に棲む三尸という虫が庚申の夜に人が熟睡している間に抜け出し、天帝にその人がした悪事などを告げて寿命を縮めてしまうので、その夜は村人が集まり飲食をしながら眠らずに夜を明かし、人々の無病息災や長寿などを祈願するもの。 室町時代ごろから庚申講が行われるようになり、その供養の証として庚申塔を建てるようになった。 この風習は江戸時代に各地に定着した。 千葉県北部の下総地区では、江戸時代前期から三猿、地蔵像、観音像、如来像などを彫った石塔が造られる。 中期に入ると、青面金剛像の石塔が主流となり、江戸時代後期に入ると「青面金剛」銘、「庚申塔」銘など文字塔が主流となる。 千葉県の北総では、青面金剛像の石塔が10基、その各石塔の間にそれぞれ9基づつ「庚申塔」銘の石塔を計90基配し、全部で100基の庚申塔を一度に造り並べる「百庚申」が江戸時代後期から明治時代まで流行したそうだ。 「百庚申」は、より多くの庚申塔を建てることにより、より多くの功徳を得たいという人々の気持ちの表れである。、、、、印西市、柏市、鎌ケ谷市などの北総では、現在でも各所に「百庚申」が残っている。 しかし、石塔は風化・破損したもの、地震などで倒壊し埋もれたものなどがあり、100基揃っているものは少ない。

 

 

 

● 北総線千葉ニュータウン駅で下車し、駅の南西側、東京電機大学千葉ニュータウンキャンパス(印西市武西1183-2)の前の武西学園台南街区公園内にある「武西の百庚申」を見に行く。 武西の百庚申は文久3年(1863)の造立で、刻像塔10基、文字塔90基から成り、当時の形態を最も良く残しています。、、、、ちなみに我が妻が100基あるか疑い、数えてみたら、間違いなく100基あった! 景観、壮観、奇観で、スバラシイ~~! 

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・・・・・・・・・・・・千葉ニュータウン駅の北側、印西市小倉鳥見神社にも数は少ないが庚申塔が並んでいる。 100基揃っているのは、鎌ケ谷大仏前の鎌ケ谷八幡神社こちらもパーフェクト!



● 駅前の住宅街を外れると、一気に田畑が広がる田舎の匂いがしてきた。 サクラはそろそろ散りはじめた。

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道(ししばふなおかいどう)」と称する道に出た処。 「武西観世音堂」という建物と小さな大師堂、月待塔・供養塔・庚申塔・出羽三山参拝記念碑などの数基の石塔が並んでいる。、、、、おそらく、昔から村の祠があった処であろう。

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・・・・・・・・・・・・観世音堂の前に広がる畑。 何を育てるのか、ジャガイモ? 落花生? ネギ? 

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・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」を、観世音堂から北東方向に300m程歩くと、8基の地蔵像が路傍に並んでいる(印西市武西954付近) 交通事故の地蔵か? 水子地蔵か? それとも餓死・水死・病死か? いずれにしても、南無阿弥陀仏。、、、、チョイト横に3基の石塔が、右端は庚申塔、中央は不明、左にナント!猫が彫られている、そして「明治二十四年」と刻まれている。 どうみても、猫だ、コリャ何だ!(私には判らない)


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・・・・・・・・・・・・再び「神々廻・船尾街道」を歩くと、印西市から白井市谷田の町に入る。 ここでも、路傍に20基ほどの庚申塔が基壇の上に並んでいた。、、、、写真3枚目の左端の庚申塔は「谷田の三猿庚申塔」と称し、寛文10年(1670)に造立されたもので、総高191cm、笠付角柱型で下部には三猿を彫出する三猿庚申塔。 白井市内には数多くの庚申塔があるが、この庚申塔は市内でも最古かつ最大のものである。 庚申信仰の歴史を理解する上で重要なものだそうだ。

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・・・・・・・・・・・・さて、ここでクエスチョンです。 歩いてきた「神々廻・船尾街道」の『神々廻』は何と読むのでしょうか? 地元の関係者以外で読める人は変人か、神様か、どちらにしても普通の人ではない!、、、、読みの正解は『ししば』で、北総線小室駅のある小室町(船橋市)の北側に隣接する町。 どうやら元禄14年(1702)には既に「神々廻」という言葉は存在していた。 江戸時代から明治22年(1889)までは「神々廻村」として、その後は複数の村と合併して「白井村」となってからは大字名として残ったそうだ。 また、地名「神々廻」の由来は諸説あり・ありで、本当のところは不明らしい!

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・・・・・・・・・・・・北総線を南から北に越えて、さらに「神々廻・船尾街道」を歩く。


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・・・・・・・・・・・・北総線を越え谷田地区の北側に天台宗の西福寺がある。 寺は無人らしい。、、、、境内に所在する、公孫樹(イチョウ)は子育て観音の「乳房公孫樹」と呼ばれ、『観音にすがり乳柱の一部を削って煎じ、これを愛飲すると忽ち乳が出る』とされ信仰を集め、近郷からも乳飲み子を抱えた母親の参詣で賑わったと云われてる。 特に第二次大戦前は東京からも人々が訪れたそうだ。 幹周り510センチメートルは市内でも最大級のもので、市内を代表する巨樹のひとつです。、、、、境内は苔むし、点在する石碑・石仏にも苔が生え、風情あり・ありの寺。

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・・・・・・・・・・・・西福寺から北西へ約300m、短い階段を上がると、創建が大同年間(806~809)といわれてる薬王寺がある。 天台宗の古刹である。 本尊は阿弥陀如来。、、、、平成13年(2001)に現本堂が新造された。境内には薬師堂もある。、、、、よく吠える犬がいて、静かに参拝できない寺!

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」の歩きもここまで、白井市清戸の宗像神社に参る。 貞観18年(876)の創建と伝わる。慶長8年(1604)と天保2年(1831)に再建された。 印旛沼の北岸台地周辺に多くある宗像神社の総鎮守といわれていて、当地の宗像神社の中で最古の社といわれている。、、、、平成27年(2015)頃に、老朽化した本殿の解体修復を行い、境内の諸施設の整備、参道の拡幅・敷石の敷設替え事業が行われた。 境内には、鳥居右側に江戸時代中期の享保9年(1724)銘のある、両側面に童子像のある青面金剛像や、天明7年(1787)銘の仏像碑などがある。、、、、総鎮守と云う割には、境内も本殿も小さい、しかし本殿の彫刻は圧巻である。

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● 宗像神社本殿の後ろ奥に、「清戸の庚申塚」がある。、、、、並ぶ石塔の前の道路は只今工事中! 柵があり、チョイト離れて見る!

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● 田舎道を歩き北総線小室駅へ向かう。 スカット晴れていれば青空の下で気持ち良いのだが、黄砂の影響か視界不良なり、残念!

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・・・・・・・・・・・・小室駅到着。 北総線の駅では唯一船橋市にある駅であり、市内の駅としては最も北に位置する(JR船橋駅近くの海岸線から約14km離れている、あらためて船橋市の広さを実感できるね!)、、、、昭和54年(1979)3月8日に開業した、島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線の計2面3線の地上駅。 駅舎は橋上で、出入口は北口のみである。、、、、北総線内の駅では、乗客の少なさはワースト2!

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