千葉県

2025年6月 7日 (土)

松戸のあじさい寺

梅雨入り前の暑い真夏日、夫婦で松戸の花の寺「本土寺」へ行ってきた。 8千歩



● 常磐緩行線(東京メトロ千代田線が乗り入れてる)で松戸から4駅目の「北小金駅(きたこがねえき)」で下車する。、、、、、“北小金”という地名は歴史的には存在せず、水戸街道の小金宿の北側に駅はあり、名付けられたものと思う。、、、、、北小金駅は明治44年(1911)3月18日に鉄道院の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 当駅から都心の大手町までは、常磐緩行線に乗り、途中から千代田線に乗り入れ、約40分で到着する。 通勤に便利な町で、駅周辺は東京のベッドタウンとして、マンション、戸建て住宅などがたつ住宅地となっている。
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● 北小金駅から本土寺参道を歩く
・・・・・・・・・・ “参道”と言っても、道の両側に土産物屋、飲食店が並んでいるわけではない。 駅前から参道は始まり途中までは、“狭い裏通り”と云うような道である。 
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・・・・・・・・・・ 行程の半ばから、“参道”らしい並木道が現れた。、、、、、この並木道は、水戸光圀が伯父武田信吉(家康五男)の生母:於都摩の方(家康の側室)の墓所の改葬にあわせて本土寺参道に松や杉を植えて整備したものだ。 昭和30年代、参道は松戸市に寄付され舗装されて道路となった。 しかし、参道の交通量が増えたためか、両側の樹木は劣化し、痛々しい状態となった。、、、、、寺に近づくと、団子、漬物などを売る数件の店が営業してる。 店員は忙しそうに動きまわり、この週末は稼ぎ時のようだ。
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● やって来ました「本土寺(ほんどじ)」へ、、、、、日蓮宗寺院の本土寺は、長谷山と号し、日蓮宗由緒寺院の一つ。 本土寺は、豪族の平賀忠晴の屋敷内に、日蓮聖人の弟子日朗を導師として建治3年(1277)創建された。 天正19年(1591)徳川家康寺領10石の御朱印状を拝領、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本の本山」と称されている。 「朗門」とは日蓮の弟子日朗の門流という意味であり、「三長三本」とは、上記3か寺の山号寺号にいずれも「長」「本」の字が含まれることによる。、、、、近年、境内には茶室も整備され、1000本のカエデ・5000株のハナショウブ・10000株のアジサイの名所として人気を集め、鎌倉の明月院とともに「あじさい寺」として親しまれている。

・・・・・・・・・・ まずは仁王門をぬけ、五重塔を見上げ、正面の本堂に向かう。 建造物としての文化財はない。、、、、、さらに、本堂右奥には家康五男:信吉の生母:於都摩の方(秋山虎康の娘:秋山夫人)の墓がある。
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・・・・・・・・・・ 本堂で合掌したあとは、花の観賞!、、、、、まずは、境内に咲き始めたアジサイ。 まだ咲きはじめで、チョイト彩付きがわるいようだ。
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・・・・・・・・・・ 本堂脇から下って来ると菖蒲池に咲き誇るハナショウブ
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・・・・・・・・・・・ 池にはスイレンも!
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● 花を終え、次は腹、食事処を探しながら駅に向かう・・・・・

2025年5月26日 (月)

谷津バラ園

バラの花が見頃と聞いて、夫婦で千葉県習志野市にある谷津(やつ)バラ園に行ってきた。



● 京成本線の「谷津駅」で下車する。、、、、、京成船橋駅から3駅目、京成津田沼駅の1駅手前、各駅停車しか停まらない東京近郊の住宅街の駅である。 今の爺さん婆さんには、「谷津遊園」の駅と言えば、知る人もいると思う。 私も小学生の頃、近くの船橋ヘルスセンターや谷津遊園に連れてきてもらった。 その頃の谷津遊園は東京湾に面し、海水浴、潮干狩りもできたと記憶している。 その谷津遊園のあった駅が名を変えて「谷津駅」となった。、、、、、現在の谷津駅は、大正10年(1921)7月17日、谷津海岸駅として開業。 昭和2年(1927)から昭和9年(1934)までは、京成遊園地(後の谷津遊園)のために支線が存在し、その支線上に谷津遊園地駅が存在した。  昭和11年(1936)に支線は廃止され、谷津海岸駅が谷津遊園駅と名称変更した。 昭和14年(1939)、戦時下のため谷津海岸駅と名称を戻す。 昭和23年(1948)再び谷津遊園駅と名称変更。 昭和59年(1984)には、その前々年に谷津遊園が閉園していたため谷津駅に名称変更。 今日までに4回の駅名変更をした。、、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は駅ホームの真上にあり、ホーム北側には台地が迫っている。 山側の北口は崖上の住宅地に続いている。 海側の南口は、昔の海岸側でホームの隣りの国道14号(千葉街道)をまたぐ階段を下り道路面に立つことになる。、、、、、私も妻も、谷津遊園時代に来たが、それ以降来たことのない駅で、数十年ぶりに下車した駅だ! “当時の面影は?”と問われても、何も覚えていないので、答えようなし!
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● 谷津駅から徒歩5分、住宅地の中に「谷津バラ園」がある。、、、、、谷津バラ園は、昭和32年(1957)に京成電鉄の谷津遊園バラ園として設立された。 当時東洋一の大バラ園と言われた。 昭和57年に谷津遊園の閉園によりバラ園も閉鎖された。 その後、隣接する団地建設にともない、再び谷津バラ園が習志野市の都市公園として、昭和63年(1988)に開園した。、、、、、約12,600平方メートルの敷地内には800種、7,500株のバラが噴水を中心に整然と咲き、植栽されているバラは名花・名品種と呼ばれるものや、原種及び歴史的にも優れた価値を持つ品種が多くある。 5月中旬~6月下旬頃と10月中旬~11月中旬頃が見頃と言われてる。 私達が来た今日の日は、園内のバラ全てに花が咲き、鮮やかな色と香りで歓迎してくれた。
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・・・・・・・・・・ 色も形も異なるバラが800種、呆けが心配になってきた私はバラの名前なんて覚えられない! ただただ美しければそれで良し! パチリ、写真を撮ってきた。
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・・・・・・・・・・ 多くの人がバラを楽しんでる
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2025年5月 8日 (木)

秋山から本八幡へ

北総線の秋山駅から、ほぼ南に向かってJR総武線の本八幡駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 早朝7時半に北総線「秋山駅」に降り立つ。 そろそろ通勤通学時間、駅にはゾロゾロと乗客が歩いて、走って、バスで、来る!、、、、、秋山駅は地下鉄の出入口のように、地下へ向かって階段を下ると地下1階に改札がある。 さらに階段を下り地下2階に半地下の堀割構造で造られた相対式2面2線のホームがある。、、、、、駅名標には、最寄りの学校名「聖徳小・光英VERITAS中高前」 が表示されている。 2校とも私立の学校なので、広告なのかも?
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● 秋山駅前にはマンションが立ち並んでいるが、南側の高台に上ると、戸建て住宅が多い住宅街となる。 住宅街からは通勤通学する人が途切れることなく階段を降り駅に向かう。 
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・・・・・・・・・・ 高台の上には、松戸市秋山、市川市稲越の街が広がる。 空き地からは、市川市国府台方面を見下ろすことができる。 江戸川は見えるようで、見えないね! 
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・・・・・・・・・・ 稲越の住宅地の奥に隠れるように厳島神社がある。 主柱を4本の支柱で支える朱塗りの両部鳥居が迎える小さな神社だ。   神社の創建年代は不明。、、、、、、由緒を知りたい、気になる神社だ!?
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・・・・・・・・・・ 千葉県立国分高等学校前を通過し、市川市曽谷7丁目に入る。 約600mの桜並木が伸びる曽谷小学校前の道を進む。
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・・・・・・・・・・ 曽谷6丁目には、首をブルブル震わす置物がズラリと並ぶ住宅がある。 何体あるのか数えてみたくなる。 また、どうして集めたのかな? よくぞ集めたね、壮観!
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・・・・・・・・・・ 宮久保橋を渡り、真間川を越える。 真間川は千葉県西部で江戸川から分かれ東京湾に注ぐ利根川水系の一級河川であるが、橋の上から覗くと川幅は狭く農業用水路のようだ!
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・・・・・・・・・・ 真間川を越えると市川市東菅野の町。 昭和学院中・高等学校がある。、、、、、昭和学院は昭和15年(1940)創立、現在は幼稚園から短期大学までを一貫して併設する総合学園に発展した。
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・・・・・・・・・・ 京成八幡駅前を通過、まもなくJR本八幡駅だ! チョイト足が棒になってきた!
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● 本日のゴール「本八幡駅」に到着。 
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2025年2月16日 (日)

流鉄流山線

暖かな日となった今日、妻と久しぶりに「流鉄流山線」に乗ってきた。 常磐線馬橋駅から流鉄に乗って流山まで、歴史ある流山本町を散策し、新興住宅地であるつくばエキスプレスの「流山おおたかの森駅」まで歩いた。 1万1千歩


流鉄流山線とは?
、、、、流鉄の流山線(ながれやません)は、千葉県松戸市の馬橋駅と流山市の流山駅を結ぶ、両端を含む6駅、単線5.7kmの短い路線である。 運行会社の「流鉄(りゆうてつ)株式会社」は平成20年(2008)の社名変更まで「総武流山電鉄株式会社」と称していた。 私を含め年配の人は“流山電鉄”と呼んでいた。 起点はJR常磐線の馬橋駅に隣り合う流鉄の馬橋駅、終点は流山市の中心部にある流山駅。 列車は全て2両編成の電車である。 沿線は首都圏のベッドタウンとして宅地化が進み、農地・山地の景色は消え去り、住宅地に変わった。


● JR常磐線の馬橋駅で下車し常磐線ホームに立つと、5本の線路を隔て流山線のホームが見える。、、、、橋上の改札を抜ける、、、、跨線橋から、右に常磐線ホーム、左に流山線ホームを見る。、、、、黄色の「菜の花」号が到着
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・・・・・・・・・・ 跨線橋から流山線のホームに下りると、ホーム上に券売機と改札がある。(終点:流山までは運賃220円也)、、、、木組みの上屋に時刻表ある。 日中は20分間隔で運行してる。(全線所要時間は11分)
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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの開業、新型コロナの影響などで、年々乗客は少なくなっている。 一日の輸送人員は約4000人で少ない。ピーク時(1993年)の1/3となってしまった! 残念ながら、2000年代に入ると営業損益は赤字となり続いている。
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・・・・・・・・・・ 流山線は単線であるが、途中の小金城址駅では、列車交換が行われる。 やって来たのはピンク色の「さくら」号
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・・・・・・・・・・ 馬橋駅を発して10分とチョイトで終点流山駅到着。 流山駅の本屋は流山線敷設当初の大正5年(1916)の建築である。 構内には、黄緑色の
「若葉」号、橙色の「流星」号、臙脂色の「あかぎ」号などの車両も見える。
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・・・・・・・・・・ 流山駅ホームですれ違った方は、山高帽にマント(トンビ)姿で大正時代へカムバック!
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● 江戸川沿いに位置する流山の町は、江戸時代から明治大正にかけて商業の中心地として栄えてきた。 夫婦でブラリ町歩き。

・・・・・・・・・・まずは、「新選組陣屋跡」、、、、慶応4年(1868)に新選組が本陣とした醸造家の跡地。 現在は修繕工事中。
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・・・・・・・・・・ つぎは「閻魔堂」、、、、江戸時代の閻魔像を祀るお堂。 当時の義賊:金子市之亟と恋人の三千歳の墓もある。
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・・・・・・・・・・ 歴史ある建物が並ぶ江戸時代の街道(流山本町通り)脇を流れる「江戸川」2502161124520


・・・・・・・・・・ 「浅間神社」、、、、江戸時代初期の創建。 新選組を包囲した新政府軍が境内裏に仮本陣を敷いたと言われてる。
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・・・・・・・・・・ 「呉服 新川屋」、、、、流山本町通りに東面して建つ、弘化3年(1846)創業の老舗呉服屋。 蔵づくりの現店舗は、大工の土屋熊五郎によって明治23年(1890)に建築され、国登録有形登録文化財に指定された。 特徴的なのは鬼瓦が招福の恵比寿、大黒天で、店内は太い梁や漆喰の白壁で趣のある日本建築となっている。、、、、女主人が出てこられ、昔話、建物建設時の写真、古い小屋組、NHKの取材話など、私達にいろいろとお話を聞かせてくれた。 有難うございます。
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・・・・・・・・・・ 百数十年の歴史ある老舗が点在する流山の古き建物をブラリと見てまわる。
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・・・・・・・・・・ ブラリの後は、創業70年の歴史を刻む“地焼き”のうなぎ店「江戸屋」で昼食。 メニューはもちろん“うなぎ”
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● 流山本町を歩いた後は、食後の運動を兼ね、つくばエキスプレスの「流山おおたかの森」駅まで歩く。
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・・・・・・・・・・ 駅前の大型ショッピングセンターが並ぶ光景を見て、妻は『浅草橋より住みやすそうね』(あたり前田のクラッカー! 浅草橋にはショッピングセンターなんてありゃしない!)と声が出た「流山おおたかの森駅」に到着。 駅はつくばエクスプレスと東武野田線が乗入れる接続駅となっている。、、、、つくばエキスプレスの駅は、島式ホーム2面4線を有する高架駅である。 開業は平成17年(2005)8月24日。、、、、“おおたかの森”とは、当駅から見て西方にある、約50ヘクタール(ha)の森林「市野谷の森」のことであり、絶滅危惧種にかつて指定されていたオオタカが生息することから、駅名の一部に採用された。
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2025年1月27日 (月)

千葉街道に沿って

京成本線の海神駅から、千葉街道沿いに歩いて、総武線下総中山駅まで、1万歩の散歩です。



● 都心から京成本線で千葉方面に向かうと、京成船橋駅の一つ手前に海神駅(かいじんえき)」はある。、、、、海神駅は千葉街道(国道14号)の北側の一段高い丘陵部に位置している。 この付近は昭和初期に富裕層の別荘が建ち始めたことに由来する大邸宅の多い高級住宅街として開発されたが、約100年を経た現在は小規模住宅も増えたようで、一般の住宅街に変わってきた。 海神駅は大正8年(1919)10月25日に京成電気軌道の駅として開業した。 住宅街の駅で1日平均乗降人員は約6,000人、京成線内では乗降人員の少ない駅である。 もちろん、普通列車しか停車しない、私好みの駅である。
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● 今日は海神駅の近くに在る龍神社(船橋市海神6)へ、几号水準点を見に行く。、、、、龍神社(りゅうじんじゃ)は、西海神の鎮守で大綿津見命(仏名:娑竭羅龍王、別名:阿須波の神)を祀る。 明治以前まで近くの大覚院が別当をしていたと伝えられ、同寺の山号を龍王山と称する。 万葉集巻二十に「庭中の阿須波の神に小柴さし 我れは斎はむ帰り来までに」の歌が伝えられている。、、、、明治中期に造営された総欅造の本殿には、技巧をこらした彫り物があり、一見の価値あり!
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・・・・・・・・・・ 龍神社の鳥居の内側で狛犬台座前に独立して几号水準点らしき標石が設置されている。 この標石は一辺15㎝、地上高さ30㎝程の花崗岩でできた角柱。 上面には球状のふくらみがあることから、明治初期に内務省の設置した几号水準点よりも比較的新しい時期(私の推定では、昭和に入って設置されたものか?)に設置されたものと思われる。 標石の一面に6㎝角の「不」に似た記号が彫られている。 各地の几号水準点を見て歩いてる私にとっては、偽物もどきの標石にチョイトがっかり。、、、、【注記】几号(きごう)水準点とは、明治9年前後に内務省地理寮(国土地理院の前身の一つ)が高低測量を行うために設けた基準となる測量点。 イギリス式の測量法に従い、漢字の「不」に似た記号を恒久的に残るであろう石等に刻印し、水準点としたものである。 しかし、明治17年(1884)に陸軍の陸地測量部がドイツ式の測量方式を採用したため、この方式は使われなくなった。 現在、設置された几号水準点の一部は各地に現存しているが、水準点としては機能していない。
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● 千葉街道に出て、東京方面に向かうと、船橋中央病院の北側の小高い処に、木花咲耶姫命を祭神とする「山野浅間神社」(船橋市西船1)がある。 千葉街道から階段を上り、船橋市内で最も長い参道と言われてる約200mの参道を進むと社殿がある。 神社は、奈良・平安時代から山野浅間神社と称するといい、明治時代には村社に列格していたといいます。 現社殿は昭和47年(1972)に新築された。
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● 再び千葉街道に戻り、西船橋駅の北側でJR武蔵野線のガードを抜けると、一昨年(23/10/31)歩いた「印内春日神社」、「葛飾神社」、「東明寺」、「多聞寺」、「稲荷神社と続く。(一昨年の記事を見てください!)
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● 千葉街道から南に折れて、JR総武線の下総中山駅に到着。 下総中山駅は日蓮宗本山の中山法華経寺へ続く参道が駅前から伸びる。 参道はチョイトした商店街となっている。、、、、下総中山駅は明治28年(1895)4月12日に総武鉄道の中山駅として開業した。 明治40年(1907)には鉄道国有法により買収され国有鉄道の駅となる。 大正4年(1915)下総中山駅に改称する。、、、、普通列車しか停まらない駅。 なんとなく薄暗く、不思議な静けさを感じるのは私だけか?
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2024年6月20日 (木)

汚い春木川?

我が家のある都営浅草線浅草橋駅から北総線の印旛日本医大行きに乗ると、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線と乗りれて秋山駅まで乗り換えなしに行くことができる。 今日の散歩は北総線秋山駅から、京成本線の菅野駅まで歩いてきた。 1万1千歩の散歩




● そろそろ通勤通学時間にとなる朝8時、北総線「秋山駅」で下車する。 秋山駅は、平成3年(1991)3月31日、北総線の京成高砂駅~新鎌ヶ谷駅間開業のとき、同時に秋山駅も開業した。 秋山駅は北総台地の住宅地に、掘割による半地下構造で、相対式ホーム2面2線のホームを有する駅である。、、、、駅前は10数年前とチットモ変わらず、コンビニ、喫茶店などはなく、マンションに囲まれた静かなロータリーがあるのみ。 

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● 秋山駅から南のJR総武線市川駅・本八幡駅方面には幾度か歩いているので、今日はなるべく歩いたことのない裏道を散歩する。 駅前から大型スーパーの横を抜け、戦後宅地化されたと思われる住宅地(松戸市秋山)を歩く。

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・・・・・・・・・・ この辺りには地名を表すものは少なく、たまに見る住宅の表札に示された住所がたより。 マンホールの蓋に示された「まつどし」の文字、矢切の渡しのイラストをみて、『私は今、松戸市を歩いてる!』と実感する。

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● 松戸市秋山から市川市稲越に入ると、商店の建物がチラホラ現れ、自分が何処を歩いているか判断できて一安心! 千葉県立国分高校の裏から市川市曽谷の町へ。

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● バス通りに出ると、「曽谷春雨橋」のバス停、その脇に用水路のような川に架かる「春雨橋」、川の名は「春木川」。、、、、“春木川”と知ると、思い出すのは故松尾和子の歌う、湯村温泉(兵庫県、夢千代日記の舞台)をイメージした「春来川慕情」(昭和65年リリース)、私の好きな歌だ!

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・・・・・・・・・・ 歌のイメージとは大きく異なるが、この先、春木川に沿って歩くことにした。、、、、春木川は、千葉県市川市・松戸市を流れる利根川水系国分川の旧称。 市川市内を流れる春木川は度々、名誉の「日本一汚い川」にランクインしてる。 それゆえ、現在でも水質改良工事が行われている。 『春木川を、きれいにしましょう』の看板も剥げてきた!

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・・・・・・・・・・ 市川市東国分の町を南下した春木川は、「春木川排水機場」の先で「真間川」に合流し、東京湾へ流れ込む。

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● 外郭環状道路がホーム下を走る、京成本線の「菅野駅(すがのえき)」に到着。 菅野駅は大正5年(1916)2月9日に開設された。 開設当初の駅は相対式ホーム2面2線で、上りホーム側に駅舎があったそうだ。 しかし現在は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームの頭上に橋上駅舎がある。、、、、この付近は、砂地に松並木が映える江戸〜大正期の別荘地の名残が今も残る、都心から東に位置する高級住宅街だが、駅周辺には店舗も、スーパーも見当たらない。

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2024年5月14日 (火)

普通列車だけ停まる

『さて、今日の散歩、何処に行こうか?』と、都営地下鉄の浅草橋駅ホームで思案する。 ホーム上の路線図を眺め、押上駅で接続する京成本線の駅を目で追うと久しく降りてない海神駅が目に入り、今日の散歩は海神駅で下車し歩くことにした。 海神駅で下車し北へ向かい、行田公園を抜けてJR武蔵野線の船橋法典駅まで、1万歩の散歩となった。


● 京成船橋駅の一つ上野寄りに海神(かいじん)駅がある。 大正8年(1919)10月25日 に開業した駅で、現在の駅舎出入口は下り線ホーム側に一か所あるのみ。 たった1ヶ所の改札口には、自動改札機は2基あるのみ。 トイレは上りホーム上にある1ヶ所のみ。 停車するのは普通列車のみ。 2023年度の1日平均乗降人員は5,812人で、京成線内69駅中第49位と少ない。
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・・・・・・・・・・ 【チョイト一言】 京成本線の普通列車が全て6両編成なのは?、、、、京成本線全線で、ホームの有効長が6両編成分しかないのは、ここ海神駅と京成中山駅の2駅のみ。 両駅ともホームの両端に踏切が在り、ホームを延長できないため。 他駅では8両編成分のホームが確保されており、この2駅の有効長が解消しないと普通列車の8両編成は難しい。

・・・・・・・・・・ 【チョイト一言】 海神駅はかって乗り換え駅であった?、、、、海神駅から現在の東武野田線の船橋駅まで、かつて総武鉄道海神線(海神~船橋間、1.4㎞)という路線があった。 京成と東武の船橋駅が離れているため、客の乗り換えをスムーズにできるよう、海神駅から(東武の)船橋駅まで総武鉄道海神線が開業した。 昭和4年(1929)に開業し、昭和9年(1934)に廃止された。 廃止理由は利用者が少ないから。

・・・・・・・・・・ 【チョイト、もう一言】 海神の駅名由来は?、、、、駅の東側の海神山(海神山緑地)に由来するらしい。 海神山には昭和初期に富裕層の別荘が建ち、大邸宅の多い高級住宅街となっている。 現在は大邸宅が分割し、小規模住宅地となった。、、、、もともと「海神(かいじん)」は、「船橋海神(わたつみ)」と呼ばれていたらしい。



● 海神駅前の寂れた狭い商店街(バス通り)を道なりに北へ歩く。 200m程歩くと店舗は無くなり普通の住宅地。 一日に5往復しか走らないバス停を見ると「山手二丁目」と言う所だ。 この先に行田公園がある。
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・・・・・・・・・・ 山手二丁目の
細い路地の中程に、「海軍」と標記したコンクリート製の標柱がある。 おそらくこの先「行田公園」にあった旧日本海軍の無線基地に関連するものと思われる。
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● 行田公園に着いた! あの有名な、真珠湾攻撃開始を告げた『ニイタカヤマノボレ1208 』の電文を発信した海軍の無線電信施設の跡地である。 行田公園は、終戦後米軍により接収されていた旧日本海軍の無線電信施設の跡地(約53ヘクタール)が、
昭和41年(1966)日本に返還され、その内の11.9ヘクタールが千葉県へ無償借与され都市公園として整備された。 昭和46年(1971)に行田公園として開園した。 公園は中央の大通りにより東側と西側に分かれており、歩道橋にて接続されている。、、、、現在は地元住民の体力作りの場として利用されているようだ!
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● 行田公園から武蔵野線沿いに北へ歩き船橋法典駅に向かう。
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・・・・・・・・・・ 中山競馬場の最寄り駅「船橋法典駅」に着いた! 今日は競馬の開催もなく、駅は混んでない。 
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2024年3月 9日 (土)

強風の千本桜

昨日までの寒い雪の日とは変わり、今日は暖かな日となる天気予報を信じて、妻と新川千本桜(千葉県八千代市米本)を見に行くことにした。




● 朝9時に家を出た、『チョイト風が強いね、チョイ寒だ、マフラー持ってきてよかった、地下鉄で行こう!』 我が家から地下鉄の駅(浅草橋)までは徒歩1分強と近い。 地下駅に潜ると、寒さは忘れてしまった。 都営浅草線から京成本線に乗り入れ勝田台駅へ向かう

 

勝田台駅到着、暖かな電車からホームに出ると、北風が吹き荒れてる。 『タワマンが近くに在るのか(?)ビル風かも(?)寒い!』

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● 駅前のバス停へ、米本団地行きのバスが出た直後だ! 日陰に北風が吹きすさぶバス停で15分程待つ。 桜を見に行く人が多く、バス停はスグに長蛇の列。 『オイ オイ こんな寒い日に花見に行くのか?』 自分のことを忘れ、愚痴が出る。

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● バスの終点:米本団地で花見客を満載したバスから下車。 バス停の脇には米本団地(よなもとだんち)が並び建っている。 米本団地は、昭和45年(1970)に旧日本住宅公団が造成した賃貸住宅で、住棟数106棟、管理戸数3020戸の巨大団地。 浅草橋の我が家からここまで1時間半程だが、物凄く遠くに来た感じだ! こんな遠くに、こんな大きな団地があるとは、ビックリ!

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・・・・・・・・・・ バス停の近くに立て看板。 強風の寒さに震えながら見ると、『県下有数 約700本 河津桜』 ここまで来たら、見ておかないと、妻と励まし合って新川へ向かう。

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● 印旛沼から流れ、幕張付近で東京湾に注ぐ新川の土手約4.6㎞に、700本の河津桜が咲く「新川千本桜」がある。、、、、妻と端から歩き始めた。 『強風にめげず咲いてる!』 『小さな葉が出てきてる、そろそろ葉桜となるな』 『それにしても、風が強く寒いね!』 

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・・・・・・・・・・ 強風にあおられ、衣装がフラフラ、髪の毛もフラフラ、コスプレ写真は撮れそうにないね!

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・・・・・・・・・・ 千本桜はまだまだ続くが、寒さに勝てず『もう帰ろう!』の一言。 100本程見た、来た道を戻る。

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● 夫婦の帰りの話題は“桜”にあらず、“駅に着いたら何食べる?”、“暖かいラーメン!”、“鰻もいいね!”、“コーヒー飲みたい!

2024年3月 2日 (土)

本八幡から西船橋へ

北風が吹き付ける中、総武線の本八幡駅から、中山の法華経寺を避けるように、その北側を歩いて西船橋駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 土曜の朝8時、通勤通学する人がチョイト多い本八幡駅で下車する。、、、、ホームに立つと、北風が身体に痛くあたる。

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・・・・・・・・・・ 本八幡駅へ来るまでの電車の中で、『今日は本八幡駅から北東に向かい、中山の法華経寺の北側へ行ってみよう』と決めてきた。 細かいルートは気分に任せて!




● 本八幡駅から呑み屋が並ぶ小路を抜け千葉街道に出る。 葛飾八幡宮一の鳥居の斜め前に「八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)」がある。 奥行・幅ともに20m弱のほぼ四角な藪である。 ここはのは、「禁足地」とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。 しかし藪は、千葉街道に面し、20m四方もない広さ、こんな処で迷う人も居ないであろう。 おそらく、昔は鬱蒼とした藪がもっと広い範囲にあったことと思われる。、、、、平将門の怨念と言われてることもあり、藪の中央にある不知森神社に手を合わせて行く。

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● 「八幡の藪知らず」の斜め前、市川市役所庁舎の脇道に、京成本線の踏切がある。、、、、写真奥の建物は市川市役所

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・・・・・・・・・・ 踏切を越え、市川市八幡の住宅地を歩く。 この町も、隣の菅野の町と同様に、静かで綺麗な高級住宅地である。 どこの家も洒落た造りで街並みを形成してる。

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● 八幡の住宅地の一画に、「龍馬がゆく」などを手掛けた脚本家「水木洋子邸」(現:市川市所有)がある。、、、、10時から公開してるようだが、今は8時半、内部拝見はまたの機会に!

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● 水木洋子邸からチョッピリ北へ歩くと、「アーデル通り」に出た。、、、、“アーデル”? 『はて? アーデルとは?』、、、、調べてみたら、市道0125号はネーミングライツ事業で企業名を冠した道路名になっているそうだ。 その企業とはフィットネスクラブを運営する「株式会社アーデル・フィットネス・リゾート」という名の会社。(な~んだ!)

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・・・・・・・・・・ アーデル通りの八方橋を渡り真間川を越える。 ここからは市川市北方の町。2403020842530

・・・・・・・・・・ 北方(きたかた)の町も住宅地である。 文人も多く住んでたそうだ。 中山競馬場にも近い町で、競馬好きは住んでみたい町かも。 中山の法華経寺にも近い町。、、、、“北方”は、住居表示実施以前は北方町(ぼっけまち)と称した。 読みが難読なので読みやすくしたそうだ。

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● 北方3丁目の小高い処に鎮座する「子之神社(ねのじんじゃ)」、、、、子之神社は、高台の閑静な住宅街の中にある。 大己貴命を祭神とし、亀山天皇の御代文永年間(1270年代)に建立された。、、、、一の鳥居をくぐると、69段の急な階段がある。 登りきると拝殿がスグ目の前にある。 年寄りには少々きつい。、、、、拝殿前から市川の町を見渡すことができる。 眺望バツグン!

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中山の法華経寺の北側を大きく迂回し、市川市若宮2丁目に来ると、法華経寺の「奥の院前に出た。 奥の院は、日蓮宗の創始者・日蓮がはじめて説法をした場所であり、又、日常が法華寺(後の法華経寺)を建立した場所でもある。 チョイト立ち寄って行こう!

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● 所々に畑が残る船橋市西船の町を歩く。 朝から北風が吹き、高台の町を歩くと、吹き飛ばされそうになる。

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京成西船駅を遠くに見て、京成本線の踏切を越えると千葉街道に出る。

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● 総武線のJR西船橋駅に着いた。 今日は、北風が吹き付ける寒い散歩だった!

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2024年2月26日 (月)

梅の白幡天神社

今日は散歩の帰り新小岩の眼鏡屋へ行く用があり、新小岩に近いJR総武線の市川駅から歩くことにした。 市川駅から平行する京成本線の北側(菅野地区)を歩き、総武線の本八幡駅まで、1万1千歩の散歩です。




● JR総武線の市川駅に降りると、北風が強くチョイト寒い。 ホームを歩く乗客は皆、無言で、防寒着にマスク・襟巻、冬支度で寒そう!

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● 市川駅北口から、千葉街道(=国道14号)を横断し、自然幼稚園( 敬虔なクリスチャン石田締により、昭和6年に開園。 幼児を自然の中で教育しようという理念に基づき命名された幼稚園 )前の小路を北へ向かい、京成本線の市川真間駅の脇に出る。

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● 京成本線の市川真間駅は大正3年(1914)8月30日に開業した。 現在は島式ホーム2面4線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 駅名は“真間(まま)”という地名に由来する。、、、、JR市川駅から直線で500m程、駅周辺にはファミレスや飲食店、居酒屋もあるが、普通列車しか停車しない駅。 乗降客も少なく、うら寂しい駅だ。

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● かつては、どこの小学校にもあった二宮金次郎像だが、今は消え去る運命にあるようだ。 そんな金次郎像が、真間の住宅の門の脇にあった。 雨で濡れていたが石像のようだ。 多少劣化しているので、作られてからだいぶ経っているものと思われる。 よく見ると、背負ってる薪は本物の“木”だ。、、、、薪を背負いながら学習をつづけ、やがては農村出の金次郎が幕臣にまで出世し偉人となったことを通し、現代の子供たちに“質素”・“勤勉”を教える手本として、再登場するかな。

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● 京成本線菅野駅の北側に広がる市川市菅野(すがの)の町、、、、大豪邸の並ぶ高級住宅街ではないが、静かに洒落た住宅が並ぶ高級住宅街である。 幸田露伴、永井荷風、幸田文などの小説家や、随筆家が居住した地でもある。、、、、実際に歩いて見ると、人影は少なく、緑豊かで、静かで清潔な町だ、文豪に愛されたことを感じることができる。

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● 市川市菅野1丁目、住宅地の奥に2000坪の境内を持つ白幡天神社がある。 広い境内には、緑の木々が生い茂り、梅、桜、椿、ツツジ、サツキ、ユリ、萩、彼岸花、サザンカと四季折々に花々が咲き、訪れる人には安らぎのひとときを提供している。 梅を期待して訪れてみたが、どうやら遅かったようだ(残念)、、、、今よりおよそ850年前の治承4年(1180)に、源頼朝が下総に入った際、当地に源氏の御印である白旗を掲げたことが社名の由来と伝えられている。 その後、天正12年(1584)正親町天皇の代に、本殿が再建された。 現在の本殿は明治13年(1880)の造営で、拝殿・幣殿は、昭和36年(1961)に造営された。

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・・・・・・・・・・ 境内には「幸田露伴 文学之碑」、「永井荷風 文学碑」などもある

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● 白幡天神社から東へ250m程歩くと、市川市東菅野1丁目に真言宗豊山派の山王山不動院がある。 不動院の創建年代等は不詳。 天慶3年(940)の平将門の乱に際して京都より房総へ下向した寛朝大僧正が、不動明王像一体を成田山新勝寺に、もう一体を当地に安置、その一体が当寺本尊とされている。 豊臣秀吉も小田原征伐に際して当寺本尊に祈念、寺領の寄進を受け、火災に際しても本尊は免れたことから火防の不動として信仰を集めたらしい。

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● 不動院から本八幡駅へ向かう途中で葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)にもチョイト立ち寄って行く。 葛飾八幡宮は寛平年間(889~898)に宇多天皇の勅命により石清水八幡宮を勧請して建立されたと伝えられている。 下総の国を守護する総鎮守として崇敬されている。 武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士の信仰を集めた。、、、、誉田別命(応神天皇)、息長帯姫命(神功皇后)、玉依比売命を祭神とする。

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● 昭和10年(1935)9月1日、総武本線の駅として本八幡駅が開業した。 平成3年(1991)からは、都営地下鉄の本八幡駅とも、駅ビルの連絡通路で結ばれていて、便利になっている。 JR、都営の両線を合わせると、隣の市川駅よりも乗降人員は多く、また市川市役所も当駅の近くに新築し、名実ともに市川市の中心となってきた。

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