千葉県

2020年10月14日 (水)

梨は無し

北総線大町駅から船橋法典駅に向かって歩いてみた。 途中で、買い物に行く二人ずれの地元のおばさんに道を尋ねたのが運の尽き、“何処行くの?”、“わざわざ遠くからお散歩?”、“ファイタース・スタジアムへ行ってみた?”、“この辺はバスの便悪いよ!”、“もう梨は無し!”、いろいろ話してタイムオバー。 途中からバスで船橋法典駅に向かい、帰宅。 1万歩の散歩です。




● 我が家のある浅草橋駅から、都営浅草線・京成線・北総線と乗り換えなしの直通電車でぴったし40分、千葉県市川市の最北端の駅「大町駅」で下車。 時刻は朝8時、通勤時間帯なのに、乗る人も、降りる人もまばら、チョイト寂しい!、、、、大町駅は平成3年(1991)3月31日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。 まもなく開業30周年である。 一日当たりの平均乗降客数は1700人程と少なく、北総線内でもワースト3にランクイン。

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● 大町駅前の通りは「大町梨街道」と呼ばれ、梨農家が点在する。、、、、『おや?こんなところに大名屋敷!』と言いたくなる、堂々たる構えの長屋門、主屋はこの奥だ! これぞ『梨御殿!』 この辺りの梨農家はコロナ禍の中でも、しっかり稼いだのかな?、、、、それにしてもデカイ門だ、我が家はこの門の中にすっぽり収まりそうだ!

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・・・・・・・・・・・・梨の収穫は終わり、直売場も営業終了。 梨園の木には一個の梨も無く、農家は翌年の収穫準備(農薬散布、ネットの補修)に入っていた。
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・・・・・・・・・・・・梨街道からはずれ、フィールドアスレチックを楽しむ「ありのみコース」前を行く。、、、、70超えた私には、アスレチックをやる気力・体力なし。
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・・・・・・・・・・・・この先、市川霊園の手前から狭い農道を歩く。 右手は霊園のコンクリート塀、左手は鎌ケ谷カントリークラブ。 プレーする人は少ないようだ!
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・・・・・・・・・・・・ゴルフ場と霊園の間を抜けると、視界がひろがる。 梨園の木を切り倒したようだ。 ピクニック気分になったが、一人じゃチョイト侘しいね! カップルなら、この辺りでチョイト御休憩となるのだが、、、、
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・・・・・・・・・・・・「ファイターズ鎌ケ谷スタジアム」を見下ろす台地の上に出た。 グランドまでは距離も、高さあり、選手は誰がいるのかサッパリ判らん!、、、、この後、道路の関係で、この球場の外周を大きく半周することになった。

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● 球場を半周すると、日蓮宗寺院「延壽山萬福寺」がある。、、、、境内は「萬福寺遺跡」とも言われ、鎌倉時代から室町時代の墓地であったことがわかっている。 萬福寺前の道路「根郷梨通り」から階段を上り本堂に参る。 地形的には、萬福寺の高台を利用した砦の跡かも?

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・・・・・・・・・・・・本堂の手前には立派な鐘楼がある。 年末に、この高台から聞こえる除夜の鐘の音は、きっと、素晴らしいものだと思う。

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● 萬福寺をあとにして、船橋法典に向かい歩くが、途中で、地元のおばさんにチョイト道を尋ねた。 これが、神のいたずらか、時間をついやし、歩くことを断念し、「戸崎交差点」からバスに乗る。

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2020年10月 2日 (金)

観音堂はどこだ?

『天気も良さそうだ、チョイト、田圃を見に行こう!』と、妻をさそい北総線千葉ニュータウン中央駅の北にあるという「宝珠院観音堂」へ行ってきた。 千葉ニュータウン中央駅から寺を巡り再び駅にもどる、全行程約7kmの散策です。




● 線路・駅など鉄道施設を保有する千葉ニュータウン鉄道の路線に、北総鉄道と京成電鉄の車輛が乗り入れ利用している北総線。 その北総線の千葉ニュータウン中央駅で下車した。、、、、昭和59年(1984)3月19日、千葉ニュータウン中央駅開業時は、駅の施設は住宅・都市整備公団によって建てられた。 その後、平成16年(2004)に構造物の所有は、京成電鉄の100%子会社である千葉ニュータウン鉄道に移った。 なお、駅の運営は北総鉄道が行っている。(鉄道各社は、いろいろ、ややっこしい関係にあるので、詳細は自習してね!)、、、、中止となった成田新幹線用の広い掘割状の敷地内に駅はある。 一日当たり約3万人の乗降客が利用している。

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● 千葉ニュータウン中央駅の北側に広がる、新興の町を抜ける。 駅前はイオンなどの商業施設、そのさらに北側にUR都市機構の住宅団地、東側にはカッコイイ銀行の事務センター、企業の研究所等が建ち並ぶ。 間違いなく、私の住む下町:浅草橋と比べると、近代的でオシャレな町だ、負けたかな?!

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● 千葉ニュータウンの町を抜けると、少々車が頻繁に通りうるさいが、雰囲気は一変し、懐かしい田舎町に入った。 茅葺き屋根を鉄板で覆った勾配のキツイ屋根の家も点在する、納屋もある、畑も見える。 道端には、ズラリと並んだ庚申塔がお出迎え。 古びた鳥居(鳥見神社)の奥には朽ちてきた祠が一つ、二つ、三つ。 この辺りは“印西市小倉”と云う地名らしい。

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● しばらく歩くと集落があり、天台宗の寺院「泉倉寺(せんぞうじ)」の前に着いた。 泉倉寺は、大同2年(807)飢餓民救済のため平城天皇の命を受け、空海の弟子である慈観上人によって建立された古刹。 かつては、延命院勝光寺と称し本埜村(現:印西市)にあったそうだ。 延喜17年(917)には天龍山龍腹寺と称し、永禄6年(1563)に現在地(印西市和泉)に移転した。 その後、地名の“和泉”、“小倉”から一字頂戴し「泉倉寺」となる。 本尊は阿弥陀如来。、、、、本堂は、青磁色の“重層銅板葺き”の阿弥陀堂形式。 堂の優美な姿は庭の緑と一体となり、“Wonderful  Beautiful!” 

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● 私の持つタブレットでGoogleマップを見ると、泉倉寺の西側100m程の処に、今日の目的地「宝珠院観音堂」があるのだが? 下調べせずに来たので、参道が判らない、困った! 何度地図を見てもそれらしき参道がない。 航空写真を見ると、堂は写っているが、周囲は森のような樹々に囲まれ参道が見えない、集落の誰かに尋ねたくとも人影がない、ますます困った! “ポツント一軒家”みたいだ! とりあえず妻と二人で、周囲を歩き廻り堂への参道を探す、見つからず元の泉倉寺前に出た。 妻は『あきらめよう!』と云うが、ここは男の意地で探すことに・・・・・・・
・・・・・・・・・・・あきらめられぬ男が、泉倉寺前で再び地図を取り出した時、、、、ふと、脇を見ると、塀の横の古びた石柱の後ろに、かすれた文字で『国宝光堂入口』と読める案内が見えた。 『これだ、ここだ、これだ!』 思わす叫んだ。 誰が見ても、国の重要文化財がある寺への参道とは思えない、民家の裏へ抜ける路地のような道があった。

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・・・・・・・・・・・・・・木立の奥に、さほど広くはない平坦な境内に、宝珠院観音堂(光堂)が静かに表れた。 感動した一瞬である。 寺務所のような建物はあるが、施錠し誰もいない、居るのは私達夫婦だけ。、、、、宝珠院は貞観年間(859~877)の開基と伝えられる古刹である。 しかし、現在はこの観音堂のみとなっているらしい。 境内の隅で、庚申塔が並んで、悪さする者を見張っているようだ!


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・・・・・・・・・・・・・・観音堂正面には、これが正面の参道かと、これまた首をかしげたくなる道があった。 急な下りの階段坂、幅は狭く、手摺もない。 下っていくと、ケモノ道のようになり、田圃の前の農道に出た!、、、、これじゃ~、いくら参道を探しても見つからないね、二人で納得!

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● 宝珠院観音堂からは田圃の中を歩く。 暑い日射しの下、野の花を見ながら、カマキリ・トンボと遊び、夫婦で健脚を競う。 道の先に駅前の高層ビルが見えてきた。 千葉ニュータウン中央駅はスグそこだ!

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2020年9月28日 (月)

巨大やかん

北総線矢切駅から、じゅんさい池、国分寺を巡る散歩です。



● 朝、印西牧の原行きの電車はガラガラ、コロナ感染の不安も小さい。 我が家(浅草橋)から北総線直通電車で乗り換えなしの27分、矢切駅到着。 『さー、歩くぞ!』

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● 矢切駅から「じゅん采池緑地」に向かい裏道を歩くと、浄土真宗本願寺派の寺院「瑞雲山中原寺」がある。、、、、古くは天台宗で、甲斐国山梨郡牛奥村に一寺を建立したことに始まる中原寺は、幾多の歴史を経て、昭和22年(1947)に荒川区より現在地に移転し今日に至った。、、、、境内は斜面にあり、こじんまりとした寺だが、檀家は多そうだ。

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● 中原寺の南、国府台と国分の台地間に深く入り込んだ地に、古くからの沼がある。 この沼を国分沼と呼んでいたが、沼にはじゅん菜がたくさん生えていたことから、じゅん菜池と呼ばれるようになった。 昔は近隣の農家の人々が、じゅん菜を摘んで出荷したこともあったらしいが、昭和初期に沼が何度も干上がり、ついにじゅん菜は絶滅してしまった。 戦後、沼は田んぼに変わったが、地元からの“じゅん菜池”復元の要望を受け、 昭和54年(1979)に、現在の「じゅん菜池緑地」に整備された。、、、、緑地の周囲には住宅が建ち並び、住民の利用が多そうだ、緑多い癒しの公園として大切に利用して欲しいね。
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・・・・・・・・・・・・じゅん采池緑地の入口前にある庚申塔。 道端にある庚申塔には青面金剛の文字が彫られている。 “文化十三年”(1816)と標されていた。


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● じゅん采池緑地から南東へ500m程、一面芝の公園として「下総国分尼寺跡」がある。 遺跡は地下に埋め戻されているので見えないが、講堂跡、金堂跡には、それを記したプレートが置かれてる。、、、、国分尼寺は、国分僧寺と同じように、聖武天皇が天平13年(741)に発した「国分寺建立の詔」によって、「法華滅罪之寺」(尼寺の正式名称)として各国々に建立した。 建立の実年代は不詳。 この地はかつて「昔堂(むかしどう)」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていたが、昭和8年に多くの瓦とともに底部に「尼寺」と墨書された土器が発見され、尼寺跡であると判明した。 伽藍配置は、南北の直線上に講堂を北にして金堂が南にあります。昭和42年夏に行われた発掘調査では、東西25.5メートル、南北22.4メートルの金堂基壇と、東西27メートル、南北19メートルの講堂基壇が発見されています。

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・・・・・・・・・・・・【チョイト雑談】聖武天皇が法華寺を総本山として国分尼寺を建立したが、同時期に日本に設置された戒壇では、女性の授戒を禁じたために、女性は正式に尼になることが出来ず、国分尼寺をはじめとした尼寺もほどなく衰退したそうだ。(これ本当の話)、、、、天皇は“尼寺をつくれ”、戒律は“女はダメ”、廃れた寺では“女賭博師尼寺開帳”  “昇り竜のお銀”姐さん(江波杏子)が活躍した?

・・・・・・・・・・・・【まじめな話】廃れた国分尼寺跡は、かつて馬捨て場だったそうだ。 周辺には、馬を弔う馬頭観音が複数存在している。

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● 下総国分尼寺跡の東500m程に、臨済宗大徳寺派の寺院、竺園寺(ちくおんじ)がある。 創建は鎌倉時代末期から南北朝初期と推定される。 本堂前の前には四方に枝を巡らせた臥龍の松があるのだが、今日は葬儀がありチョイト本堂には近づけない、離れた位置からパチリ!

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・・・・・・・・・・・・竺園寺は下総観音十八番札所として知られ、園通堂は600年前に建立され十一面観音が祀られ古くから修行と信仰の場とされてきた。 
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● 竺園寺から坂を上がり南へ向かうと、日枝神社に隣接する真言宗豊山派の寺院、護国山龍珠院般若寺がある。 本尊は不動明王立像。 本堂前の弘法大師像と、建物にかかるように植えられたカエデの木が印象的です。 墓地には陸軍兵士の石碑があり、かつて陸軍の町であった戦前の市川の面影を今に伝えています。

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・・・・・・・・・・・・龍珠院と地続きで隣に国分日枝神社がある。、、、、国分日枝神社の創建年代は不詳だが、鳥居に元禄2年(1689)建立の銘があり、江戸時代中期以前の創建であることが判る。 現在の拝殿は昭和56年(1981)に改築された。

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● 下総国分寺跡の伽藍は現在の国分寺と重複する位置にあり、金堂跡は現在の本堂の場所にあたる。金堂と塔が東西に並ぶ法隆寺式伽藍配置である。ただし、塔は西に、金堂・講堂は東に傾いており、堂塔の向きは一定ではない。 一帯は須和田遺跡や国府跡推定地が残り、古くから文化的中心地であった。国分僧寺も国分尼寺と同様に変遷は明らかでないが、9世紀代は充実している一方で10世紀代から衰退が見られ、大きな変容が認められている。 現在の国分寺の北側に、「下総国分寺跡」があるが、本日は雑草を刈っていたため、仕事のジャマをしないようチョイトだけ拝見!

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・・・・・・・・・・・・現在の国分寺は真言宗豊山派の寺院。 山号は国分山。 本尊は薬師如来。 下総国国分寺の後継寺院にあたる。

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● 国分寺の隣りは、真言宗豊山派寺院の宝珠院。 山号は玉王山。 宝珠院は、順光法印が開基となり元和7年(1621)に創建した。 といいます。

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・・・・・・・・・・・・本堂横に鎮座する、巨大やかん。 『コリャ、何だ?』 高さは黒い取っ手のところで150cm程、球体の直径は100cm程、やかんの注ぎ口は蓋がされている。 実用的でないやかんだ! 材質は???不明、金属ではないかも? やかんが境内にある理由は、ただただなんとなく、らしいが、住職いわく『昼だけでなく夜間(=やかん)も、 ご利益がありますように』と、思いを込めて置いてるそうだ。

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● 国分の台地から下り、市川駅へ向かう・・・・・・ 

2020年9月11日 (金)

本多忠勝、嘆くかも?

早朝に家を出て外房線(以前は、房総東線と呼んでいた)大原駅から、菜の花と桜で有名な「いすみ鉄道」に乗り大多喜駅まで行ってきた。 野暮用で来たので、町をブラつくひまもなく、ただただ「いすみ鉄道」に乗るだけとなった。 用事済ませば 夕暮時刻 昼ぬき腹ペコ 眠れぬ車中



● 8時過ぎ、早朝の大原駅に到着。 戦後の昭和20年代、私は両国から蒸気機関車でここまで来た。 大原では汽車が停まると給水したものだ。 その間、駅弁・冷凍ミカン・アイスなどが売られてた。 今は、なにもない、乗降客も少ない。 駅前は寂しい町となった!

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● 9時、JR大原駅の脇にある、「いすみ鉄道」大原駅から乗車する。 ほぼ50年ぶりの乗車にワクワク!、、、、一輌のワンマンカーに乗客は三人、儲かるのか?

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● 列車はのんびり、ゆっくり走る、車窓の景色はそれでも速い。 窓にくいつき、カメラでパチパチ。、、、、50年前の記憶が甦り、『アッ、思い出した、この橋だ!』、『アッ、よく親爺と降りたのは、この駅だ!』、『アッ、懐かしの車両、キハだ!』、『アッ、遊びに来たのは、こんな家だった!』

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● いすみ鉄道、30分の乗車はアッという間に過ぎ、目的地:大多喜駅に到着。、、、、アレレ、ここで三人降りたら、この先乗客なしのカラ列車、マジか(?) この鉄道経営には、本多忠勝(大多喜城主)も嘆いているかも?

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2020年2月19日 (水)

昔の残る稲越町!

新型コロナウィルスから身を護るため人混みを避け、我が家のある浅草橋から楽々と座って行ける北総線沿線を歩くことにした。 北総線北国分駅から総武線本八幡駅まで、1万2千歩の散歩。




●駅もガラガラ! ・・・・・・・・早朝の都営浅草線は、京成押上線から乗り入れて来る上り電車は超満員、成田方面に向かう下り普通電車は空き空きのガラガラ。 浅草橋駅ホームに着いたらタイミングよく印西牧の原行き普通電車が来たので、今日の散歩はこの電車で『行ってきま~~す』、、、、北国分駅で下車し、総武線本八幡駅に向かって歩いてみることにした。、、、、北国分駅は、地表からホーム面までの深さ11.7m、天井には青空が見える半地下式駅。 一日平均乗降客は8,000人程と、チョイト寂しい駅。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前にはコンビニ、金融機関なんて一軒もなし、駅前ホテルなんて20年後でも建ちそうにない! 『あった! なんと、畑が駅前に!』

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●北総の東照宮! ・・・・・・・・・北国分駅から100m程東に、伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)がある。 この地は旧名:字権現原で、神社にはかつて相殿に徳川家康が祀られていたそうだ。 地元では、この神社を「権現様」と称している。、、、、神社の鳥居脇には、文化6年(1809)建立の道標を兼ねた庚申塔(高さ約1m)がある。 正面に「青面金剛」、右側面には「西 松戸 東 堀之内  南 国分寺 北 大はし 道」、左側面には「文化六己巳十一月吉日」と刻まれている。、、、、伊弉諾神社は、北国分の“東照宮”だった。 現社殿は、昭和12年(1937)に再建されたもの、拝殿の社額は江戸時代のもの。 あらたかな神様で、出征兵士がこの神社にお参りしてから戦地に赴いたところ、皆、生存して戻られたそうだ。 

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●稲越は昔のままです! ・・・・・・北国分駅から本八幡駅へ向かうには、国分寺跡をとおり南へ歩くと近いのだが、私は南東の稲越町(いなごしまち)を通り抜けることにした。、、、、稲越町は市川市北部に位置する住宅地。 畑・梨園も点在し緑の濃い地域である。 この町、かつては葛飾県葛飾郡稲越村であった、その後市川市稲越町となった。 昭和の住居表示未施行の町。 東は松戸市高塚新田、西は東国分・堀之内、南は曽谷、北は松戸市秋山と接している。

・・・・・・・・・・・・・・・・新型コロナウィルスは居そうにない緑の中を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・稲越町に「千葉商科大学稲越グラウンド 」がある。 このグランドは平成2年(2014)に誕生したのだが、大学のグランドにしては、建物がやたら綺麗で、チョイト乙女チック。 気になり調べてみた、なんとここは「旧国府台女子学院附属高等学校英文科」の校舎であった。 同校は京成本線市川真間駅の近くに、小・中・高一貫の新校舎が完成して移転した。、、、、国府台女子学院は浄土宗本願寺派の教えを重視しているので、仏教であるが教会のような女子高の校舎が大学の施設に変身した。

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・・・・・・・・・・・・・・・稲越町の中心部(?)、、、、農家らしい古い家が立ち並ぶ

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・・・・・・・・・・・・・・市川市稲越町にある県立国分高校の東側100m程の処に「稲越霊園」がある。 霊園の正面に、題目塔を中央にして、左右には合掌形釈迦如来塔が並んでる。 左側の釈迦如来塔は、天和3年(1683)造立の題目塔、真ん中の題目塔は寛政6年(1794)。 題目塔は法華経の表題である「妙法蓮華経」または「南無妙法連華経」と彫った塔。

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・・・・・・・・・・・・・・「稲越霊園」の斜め前には、12基の馬頭観音などがブロック塀を背にして祀られている。 よく見ると、年代などはバラバラで、点在していた馬頭観音などをここに集めたようだ。、、、、「明治37年(1904) 日露軍馬観世音」、「文政5年(1822) 馬頭観音」と彫られたものもある。

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●この道はいつか来た道♪ ・・・・・・・・稲越町を抜け、隣り町の松戸市高塚新田の町も抜けると、再び市川市に入り下貝塚の町では「木戸口庚申塔」の前に出た。
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・・・・・・・・・・・・・・『アッ、ここは来たことがある!』 庚申塔前の道は、南に歩くと、曽谷・宮久保・菅野の各町をとおり、本八幡駅に出るバス通りだ。、、、、木戸口庚申塔から、本八幡駅までは、18年2月16日に歩いてる。

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・・・・・・・・・・・・・・バス通りを歩くと、白幡神社の参道下に来た。 神社の参道は、海食崖の陸地側の縁にあたり、 本八幡の町を一望する崖上にある。、、、、チョイト、寄って行こう!、、、、祭神として、誉田別命・竹内宿禰・天満天神を祀る、創建年代不明の古い神社。

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・・・・・・・・・・・・・・本八幡駅到着、今日はココまで!

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2020年2月 1日 (土)

子之神社は展望台

京成本線鬼越駅から、北の北方(きたかた)を廻って法華経寺の境内を抜け京成中山駅まで、1万歩の散歩です。




●鬼が居た処! ・・・・・・・京成本線の鬼越駅(おにごええき)は、昭和10年(1935)8月3日、中山鬼越駅として開業した。 島式ホーム1面2線の地上駅。 駅舎は京成八幡寄りの踏切脇にあり、駅舎と島式ホームの間には構内踏切がある。 一日当たりの平均乗降客は5,696人(2018年度実績)と少なく、もちろん特急も快速もビュンビュン通過する。 乗客の少ないホームに立つと、チョッピリ、ローカル駅の懐かしい雰囲気を感じることができる。、、、、地名の「鬼越」は、かつて、このあたりに恐しい鬼が住んでいたといわれ「鬼子居」と呼ばれていたが、その後、鬼子居が「鬼越」となったそうだ。 明治2年(1869)の地名は、葛飾県葛飾郡鬼越村であった。

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●いろいろな神様が居ます! ・・・・・・・・鬼越の鎮守さまである神明社。 鬼越神明社は、元和2年(1616)伊勢の皇太神宮を勧請して創建、大正年間に村内にあった道祖神、天神社、諏訪社、与力・与直社、浅間神社を当地に遷座し、境内社とする。 境内社が増えたことで、耳の道祖神(耳の神様)、大神様(学問の神様)、お諏訪様(商売の神様)、与力様(鎮世の神)、浅間神社(富士信仰)いろいろな神様が揃っている。 お好みの神様を、チョイスできます!、、、、現在の社殿は明治年間の造営であるが、昨年の台風でヤラレタか、ブルーシートをかぶり痛々しい姿となった。 また、社殿前の「大クスノキ」は樹齢400年以上、幹回りは4mを越える大木。、、、、鳥居の前には、京成電車が通過する踏切があり、チョイト絵になる。

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●絶景かな、絶景かな! ・・・・・鬼越の北に離接する「北方(きたかた)」の町を歩く。 北方は、住居表示実施以前は北方町(ぼっけまち)と称していた。 明治2年(1869)には葛飾県葛飾郡北方(ぼっけ)村と呼んでいたそうだ。、、、、「北方」の由来は、●崖の意味である「ほき」が訛って「ぼっけ」となった。 ●当地に住んだ閑院家の呼び名が北家(ほっけ)であったから。 ●中山領主の北の方が住んでいたことから北方と呼ばれていたから。 ●近くの法華経寺の法華から。 諸説イロイロ、お好きな説を!

・・・・・・・・・・・・「鬼越駅前通り商店会」の通りを少し北へ、「アーデル通り」と交差する。 アーデル通りに沿って右折し、東へ向かう。、、、、『ところで、“アーデル”て何?』 ナント、企業名であった。 市川市が命名権を売り、「アーデルフィットネスリーゾト」という企業と契約したそうだ。 市の税収アップに貢献したらしいが、私のようなよそ者には馴染みがないし、覚えにくいし、企業が変わったら道路名も変わるでは、困ったもんだ。 「恵方巻通り」の方が、親しみがあり、覚えやすいね! 

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・・・・・・・・・・・・アーデル通りの終点と思われる北方3丁目付近で、赤い華奢な鳥居があった。 「子之神社 参道」と書かれている。 素通りするにはチョイト気になるので、ネズミに騙されたつもりで参道を奥へ進むと、チャンとした石の鳥居が見え一安心!、、、、公民館のような建物がある。 神社は? 建物の後ろ(北方3)に、チャンとあった。 どうやら、神社の横にでてきたらしい拝殿と本殿がみえる。

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・・・・・・・・・・・・さっそく拝殿へ、、、、ワォ~~、スゲェ~~、山頂展望台だ、国府台の台地を一望する崖上の展望台、これが子之神社(ねのじんじゃ)か、感動した!、、、、拝殿は崖上ギリギリの処に造られていた。 手を合わせるのは後まわし、まずは景色を堪能する。

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・・・・・・・・・驚きも一段落し、サテ・サテ、神社を拝見!、、、、子之神社は、閑静な住宅街の中にあり、拝殿前に表参道らしき急な階段がある。 心肺の弱い我が身にはキツイ階段だが、一度下りてみた。、、、、神社は、大己貴命を祭神とし、亀山天皇の御代文永年間(1270年代)に建立されたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・子之神社を後にしアーデル通りに戻り、チョイト歩くと「東山魁夷記念館 」の前に出た。 まだ10時前で開館していないので、パスする。
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●南妙法蓮華経! ・・・・・・・東山魁夷記念館からは、裏道を歩いて法華経寺の境内に出てきた。 境内を通り抜けるように、祖師堂で手を合わせ京成中山駅へ向かう。 

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・・・・・・・・・・・・京成中山駅に到着! 大正4年(1915)11月3日に中山駅として開業。 昭和6年(1931)に京成中山駅と改称。、、、、相対式ホーム2面2線の地上駅。 

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2020年1月 5日 (日)

三つめの行徳橋

総武本線の本八幡駅から、行徳橋を渡り、江戸川水門・閘門を見て、篠崎ポニーランド前バス停からバスで小岩駅に戻る。 1万1千歩の散歩です。




●南口は裏口? ・・・・・・・JR総武本線の本八幡駅は昭和10年(1935)9月1日に開業した。 駅は緩行線の島式ホーム1面2線と特急・快速がダッシュで通過する快速通過線2線の高架駅。 高架下に改札口があり、出入口は 北口と南口の2か所と駅ビルShapo口がある。 都営地下鉄新宿線の本八幡駅とは駅ビル内の連絡通路で結ばれている。、、、、みずほ、三井住友、三菱UFJ、りそな、千葉、千葉興業、三菱UFJ信託、各銀行の支店は全て北口側にある。 南口側には、駅前からチョイト外れた所に京葉銀行の支店があった!、、、、まだ松の内の日曜日、駅はガラガラ、人影の少ないい南口から散歩をスタートする!

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●県道は旧街道? ・・・・・・・・駅から
県道6号(市川浦安線)沿いに歩き、行徳橋を目指す。、、、、人も、車も少なく、歩きやすい道を行く! 

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・・・・・・・・・・・・市川市立大和田小学校近くの交差点角に『未来(みき)ちゃん』の像があった。、、、、渡辺成良:作で、平成17年(2005)に設置された。 「アメリカ・ソビエトに桜の苗木をおくる会」が、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ市(1983)、ソビエト社会主義共和国連邦ナホトカ沿海地区(1984)、市川市立大和田小学校(1985)と桜植樹を行い、その20周年記念碑として設置したそうだ。、、、、会が、なぜ桜の木を贈るのか? 経緯は不明だが、街角の癒しの像としていいね!

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・・・・・・・・・・・・県道に沿って歩いて行くと、市川市文化会館が見える。 昭和60年(1985)に総事業費約92億円で建てられた、約2000人収容の大ホールなどを備えた芸術文化の拠点である。、、、、チョイト見たかったが、時間が早すぎ開館前なので残念であったのが、「井上ひさし記念室」だ! 井上ひさしは「ひょっこりひょうたん島」の原作者で、劇団「こまつ座」の創設者で、小説「浅草鳥越あずま床」の作家。 昭和42年(1967)から昭和62年(1987)まで、市川で暮らした。 その資料が展示されているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・埼玉県の人を一挙にディズニーランドに引き寄せる東京外環自動車道を、市川市大和町1丁目で横切る。、、、、歩道橋の上に立つと、何か物を投げたくなる気持ち、なんとなく判るね!

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・・・・・・・・・・・・大和田2丁目の甲大神社(かぶとだいじんじゃ)に立ち寄る。、、、、甲大神社の祭神は応神天皇と言われているが、大神の兜を祭るとも伝えられている。 創建は永延2年(988)当地に鎮座、葛飾八幡宮の摂社で「注連下」と称し、大和田村の鎮守社であった。 一の鳥居、二の鳥居とも、太い柱で重量感がある。

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・・・・・・・・・・・・京葉道路の下を抜けたところに、延命地蔵尊が祀られている。、、、、稲荷木 一本松」と記された案内板には、地名「稲荷木」のふりがなが「とうかき」と標されていた。 これまで「稲荷木」を“いなりぎ”と読んでいた、“とうかき”とは難読地名だ!、、、、さらにその案内板によると、かつて、行徳から市川に向かうには、今の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺(そうりんじ)の前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田→大洲→市川南を経て国道14号線(上総道・佐倉道・千葉街道)に出て市川に至ったと記されている。 そして、この地には「一本松」が植えられていた。 しかし、一本松は京葉道路などの車の排気ガスの影響から、昭和48年(1973)に伐採され、現在は根元の部分が残されている。、、、、一本松の前には、「馬頭観世音菩薩」が立ち、そして左隣に「延命地蔵尊」、さらにその右手前の石には、「これより右やわたみち 正徳三癸巳歳」「これより左市川国分寺みち(?)」と刻まれている。 つまりここは、行徳橋方面から来ると市川方面と八幡方面の分岐点である。、、、、なんと、この県道は旧街道の一部だったようだ!

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・・・・・・・・・・・・建物は新しくとも、道幅もチョイト狭くなり、なんとなく旧街道らしい雰囲気が出てきた!

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・・・・・・・・・・・・市川市稲荷木(とうかぎ)3丁目に、稲荷木稲荷神社がある。 稲荷木稲荷神社は、稲荷木村の鎮守社として寛永12年(1635)創建した。、、、、社殿は昭和41年(1966)に改築され、拝殿は鉄筋コンクリート造、本殿は木造で覆堂の中にある。 本殿の彫刻はなかなかのできばいで見ごたえ有り!、、、、地名「稲荷木」とは、“稲を干す木”、稲木に由来するそうだ。

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・・・・・・・・・・・・稲荷木稲荷神社から200m程歩くと、享保6年(1721)の創建、新義真言宗の雙輪寺がある。 
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●どの橋が行徳橋となるか? ・・・・・・・行徳橋は、市川市の行徳地区と八幡地区を結ぶ県道6号市川浦安線が走る行徳橋。 全長は約422m、幅7mの道路橋で、国が管理する可動堰(ぜき)との一体構造となっている。 昭和31年(1956)3月完成後、昭和51年(1976)に歩道拡張工事を行っただけで、改修工事は行っておらず、老朽化が著しく進んでいる。 現在可動堰の上流側に新しい橋を架け替え中(工事は遅れているが今年中に供用開始となるか?)、、、、【チョイトややっこしい話】 現在の行徳橋の下流側にバイパスとして昭和47年(1972)に開通した新行徳橋が架かっている。 そこで現在は昭和31年の行徳橋を「旧行徳橋」と呼んでいるのだが・・・新しい橋ができると“新”の字を冠して「新旧行徳橋」と呼ぶのか? チョイト名の整理をしてほしいね。

・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(別名:旧行徳橋)は、バスがヤットコサすれ違うことのできる幅7m、歩道は可動堰側に1.2mの幅である。 歩道上で自転車に乗ったまま、両方がすれ違うことは不可能。

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・・・・・・・・・・・・上流側に新しい行徳橋(?)を建設中。、、、、新しい橋と可動堰はタラップで結ばれている。 新しい橋が供用されると古い行徳橋は可動堰と切り離され、撤去されるかもね?

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・・・・・・・・・・・・現在の行徳橋(写真手前)から下流側約150mに架かる新行徳橋(写真奥)。 “新”を冠した名が残るのか?
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●海水を阻止する水門! ・・・・・・・行徳橋を渡り江戸川水閘門に出る。、、、、江戸川と旧江戸川の分流点の直下流側に位置し、旧江戸川をとおり東京湾の海水が遡ることを阻止する水門+閘門。 昭和18年(1943)、戦時真っ最中の中で竣工し、東京市民のため、金町の浄水場で安定的な取水を可能とした。、、、、空襲で破壊されず、よかった!

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●お帰りです! ・・・・・・・・江戸川土手を遡り、京葉道路:江戸川大橋の際にある「ポニーランド」バス停から小岩駅行きのバスに乗る。

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2019年12月 4日 (水)

北国分トンネル

北総線秋山駅から北西に歩き常磐線松戸駅まで、1万2千歩の散歩です。




●チョイト寂しい秋山駅! ・・・・・・朝の秋山駅は、都心から来る電車からは降りる人は数えるほど、都心へ向かう電車に乗る人もさほど多くはない。 一日当たりの乗降客数は7,300人程で、北総線内の駅で下位から6番目だ。 一ヵ所しかない出入口も利用する人はまばらで寂しい駅。

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●たかが門柱されど門柱! ・・・・・・駅の北側、住宅地の裏道を松戸駅方向に歩く。 小高い所に松戸市立東部小学校(松戸市高塚新田)があった。 門は閉まっていたが、石の門柱に学校の古さを感じパチリ!、写真を撮ってきた。 調べてみると、明治6年(1873)の創立で、約150年続く歴史ある小学校である。 現在地には大正13年(1924)に移転したそうだ。 石の門柱も、この時期の物であれば、約100年の歴史が沁みこんでいる。、、、、もう一つおまけの話題で、小学校の近くに在る松戸市立第五中学校と統合し、小中一貫校「東部学園」を創る構想が松戸市教育委員会にあるそうだ。 実現すると、生徒数:東部小学校700名+第五中学校1,300名=合計2,000名の超マンモス校が誕生するらしい。 2000名にもなると、運動会・学芸会で生徒の出番が少なくなり、個人演技はなしで、全て集団演技になるのか、どうするの?

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●遺跡を踏んで台地を歩く! ・・・・・・・のどかに青空の下、北総台地(松戸市紙敷)を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ? こんな処に遺跡が?、、、、ネギ畑の脇に「新田前遺跡」の表示がある。 松戸市は縄文遺跡の宝庫で、市内には140か所の縄文遺跡があるそうだ。 ネギの下に国宝級の土偶が埋まっているかも? ネギを引き抜くときは“お宝”探しで、注意深く行動すると良いかも?

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●仲間を失ったトンネル! ・・・・・・・松戸市和名ヶ谷に入ると、北東の八柱駅方向から国分川が北総台地を流れ下り、この地で流れは曲がり南の市川方面に向かう。 総武線本八幡駅の南で、国分川は真間川に合流し東京湾に注いでいる。 ここ和名ヶ谷に国分川上流の洪水を江戸川に放流するバイパス「国分川分水路」の地下トンネル坑口がある。
・・・・・・・・・・・・・・八柱方面から国分川が流れ下る。 ここ和名ヶ谷で国分川(写真奥から中央手前に流れる)の越流提(写真中央の仕切り状の壁)を越えた水は国分川分水路(写真左へ流れる)に流れる。

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・・・・・・・・・・・・・・分流した分水路は和名ヶ谷水門を抜けその奥にあるトンネルに流れ下る。、、、、水門は清水建設の施工で平成6年(1994)完成。

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・・・・・・・・・・・・・・水門に続いて国分川分水路トンネルがある。 トンネルは長さ2555mで、松戸市二十世紀が丘のとちの木通りの下を抜けて、松戸市中矢切で坂川に合流する。 その後、坂川は江戸川に注ぐ。、、、、平成5年(1993)7月にトンネル工事が完了、平成6年(1994)3月22日に通水開始。 飛島建設施工。 

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・・・・・・・・・・・・・・トンネルの坑口の上部に国分川分水路竣工記念碑トンネル水没事故の犠牲者慰霊碑がある。 記念碑の後ろの高台には展望台がつくられており、ここからは国分川分水路と水門が直下に見える。 

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・・・・・・・・・・・・・・この分水路トンネルの工事では、平成3年(1991)9月19日、台風による豪雨の影響で作業中の作業員4名と係員3名の計7名を水死させてしまった。 台風であふれた水が坑口に設置した仮締切を決壊させ坑内に流れ込んだ。 坑口から約1600m離れた場所で作業をしていた7名を、濁流が襲ったのである。 この事故では、台風時の危険を予知し作業を中断すべく指示を出す発注者側の責任者の過失責任を問われた。、、、、事故の慰霊碑には7名の名が刻まれている。 この中に、私が勤務していた会社の仲間の名もある。 慰霊碑に小さな野花をひとつ添えて、手を合わせてきた。 治水対策として造った分水路も、その工事に尊い命がかかっていたのだ。



●スタコラ・サッサ! ・・・・・・・・・・・松戸市和名ヶ谷クリーンセンター野菊野団地聖徳大学と、歩き松戸駅に向かう。 
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●住宅の下に倉庫! ・・・・・・・・聖徳大学の西隣に、閉鎖された公務員住宅(相模台住宅)がある。 この住宅の一号棟近くの階段を少し下ると、斜面に口を開けるように旧陸軍工兵学校の倉庫跡がある。 倉庫は軽油保管庫だったらしい。 錆びた鉄扉が時間の経過を物語っている。、、、、上り階段が分岐する角には「陸軍用地」と書かれた境界杭が残っていた。

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●帰るぞ! ・・・・・・・・・松戸駅に到着。

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2019年11月13日 (水)

二十世紀梨の町

散歩に出たが、スッキリしない空模様。 浅草橋から浅草線に乗り、車中で『どこで降りようか?』下車駅を考えたが決まらないまま、押上・青砥・高砂と過ぎ、北総線に突入した。 天気も悪そうなので、『やけのやんぱち日焼けのなすび 色は黒くて食いつきたいが わたしゃ入れ歯で歯が立たない』と、寅さん気分で北国分駅で降りてみた。 駅を出たら『東西南北 どちらに行こう 駅前のバス通り マドンナ探しに 松戸へ向かう』 てなことで、今日は松戸駅まで、1万1千歩の散歩です。




●太陽が見える地下駅! ・・・・・・・・平成3年(1991)3月31日に開業した北総線北国分駅は、 掘割による半地下構造で、地表からホーム面までは11.7m程である。 地下1階は改札口・コンコースなどがあり、地下2階に相対式ホーム2面2線を有する。 ホームの両端からはトンネルが見える。、、、、一日の平均乗降客は8千人程で、通勤時間帯でも電車を待つ人はまばら。 

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●二十世紀梨の発祥地! ・・・・・・・駅の近くの幹線道路:千葉県道180号松戸原木線。 松戸市松戸の国道6号との交点である「陣ケ前交差点」を起点とし、市川市、船橋市を経て、市川市原木の終点:インターチェンジまで伸びる一般県道。 平成12年(2000)までは市川松戸有料道路として運営されてきたが、現在は無料化されている。、、、、今日は北国分駅付近から陣ケ前交差点まで歩いた。 

・・・・・・・・・・・・・・北国分駅から県道につながるバス通り。 北国分駅の北側:駅前三叉路で県道にぶつかる。、、、、この付近までは市川市、これより先は松戸市となる。

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・・・・・・・・・・・・・・県道180号は「二十世紀が丘」の町を貫いている。、、、、この町は昭和56年(1981)の町名地番整理にて、美野里町、丸山町などの7町が「二十世紀が丘」を冠する町名に改めたそうだ。 この「二十世紀が丘」 の名は、明治21年(1888)に当地で梨農家を営んでいた松戸覚之助が発見した「二十世紀梨」に由来し、さらに当地が高台にあるので“丘”を足して命名されたそうだ。、、、、私のようなよそ者が、名から想像するのは果物ではなく洒落た近代的イメージで、現実には、チョイト、ギャップがあるようだ!、、、、道路沿いに、いま流行の作業服を扱う店。 新鮮野菜を直売する店もある。 そして、多いのはファミレス等のチェーン店。 かわいらしい交番もあった。 そして最後は陣ヶ前交差点に出る。

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●木製です! ・・・・・・・松戸にあった、私好みの木造家屋、、、、一つは、チョイト倒れかけている木造倉庫(?)、、、、もう一つは、下見板張りの外塀に、木製の塀。昭和チックな平屋住宅

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●陸軍工兵学校跡! ・・・・・・松戸駅の東側のイトーヨーカドーに隣接する聖徳大学、松戸市立第一中学校、松戸中央公園は、全て陸軍工兵学校の跡地であった。、、、、陸軍工兵学校は大正8年(1919)に相模台(現在の松戸市岩瀬の高台)の松戸競馬場の跡地に開校した。(松戸競馬場は現在の中山競馬場に移転)、、、、その陸軍工兵学校の正門(大正9年完成)が現在は中央公園の正門として保存されている。 また、門の隣にはコンクリート造の歩哨哨舎(昭和10年頃完成)も残されている。、、、、(モノクロの写真は、松戸中央公園の説明板に載せられていた陸軍工兵学校正門の写真)

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・・・・・・・・・・・・・・・陸軍解体後の昭和20年(1945)からは、跡地に千葉大学工学部があったが、同校は昭和39年(1964)に千葉市へ移転した。、、、、公園内に、平成13年(2001)に千葉大工学部によって碑が建てられた。

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・・・・・・・・・・・・・・公園の近くに「陸軍」の境界石が残っていた。 付近には、いくつもの陸軍の境界石が残っているそうだ!

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●30分で帰宅、速い! ・・・・・・・JR常磐線の松戸駅から帰宅する。 松戸から上野まで快速電車で約20分。 我が家(浅草橋)までは約30分、速いね!

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2019年10月10日 (木)

ママに向かって、スタコラサッサ

今日も敬老パスで、浅草橋から都営地下鉄(北総線印旛日本医大行)に乗った。 「どこで降りようか?」電車の中で思案橋! 考えている間に、押上・青砥・高砂とすぎ、とうとう北総線に入った。 ついに考えがまとまらず、ヤケッパチで飛び降りた駅が秋山駅。 何度も散歩に訪れている駅で、どっちに向いて歩いても、来たことある処だ! 新しい発見は期待できず。 こういう時はよそ見せずに、ひたすら健康のため歩くことにする。 京成本線市川真間駅まで、1万1千歩の歩きです。、、、、今日の散歩コースは昨年5月15日と全く同じです。




●寂しい駅ですね ・・・・・・一日の乗降客数は約7,300人と少ない、千葉県松戸市の南に位置する秋山駅。 いつまでたっても、駅前にコンビニ、パチンコ屋、居酒屋が開店する気配はなく、寂しい駅。 訪れたよそ者には、駅構内の売店が唯一の店舗だ!、、、、駅前ロータリーには、バスも、タクシーも、自家用車も止まっていない。 止まっているのは、駐輪場の自転車のみ。

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●ここは市川市稲越町 ・・・・・・・ネギの香りが鼻をピリピリ刺激する畑を抜け、住宅地を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・駅から700m程歩くと、千葉県市川市の北部に位置する稲越町に入る。 北総台地の西の端でもある。、、、、判るかな、稲越町から眺めるスカイツリー? (18/5/15の記事に答えがある)

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・・・・・・・・・・・・・・この辺りにでは梨御殿をアッチ・コッチに見ることができる。 梨って儲かるようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・稲越町の南端:県立国分高等学校前から市川駅行のバスが出ている。 ここは、バスの終点であり、起点でもある。 生活の足として、多くの乗客が利用している。 市川駅まで、15分、240円は、高いか?安いか?スルメイカ。

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●次は市川市曽谷の町 ・・・・・・・北総台地を下り、曽谷貝塚で有名な市川市曽谷の町を歩く。

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・・・・・・・・・・・・・・国分川調整池に出てきた。 大きな緑地となっており、池ではサギが遊んでいる。 サギが舞う公園になると、住民に喜ばれそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・曽谷橋の交差点(曽谷と東国分の境)に国分交番がある。 国分交番の歴史は古く、昭和19年(1944)に国分交番の前進となる国分村立勤一所が当時の国分村に設置され、その後幾多の組織変更・移転を行い、昭和50年(1975)に現在の交番が建てられた。 これぞ、“ポリスボックス”と言うような、飾り気のない四角い箱型の建物である。


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●さて市川市国分の町 ・・・・・・下総国分寺の東側で外環道を越え市川市国分の町に入る。

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●続いて、市川市須和田の町 ・・・・・・・・・・・須和田は真間川の北側に広がる町。 バス通り沿いに六所神社が鎮座する。、、、、六所神社というのは、“下総の国”、“上総の国”と呼ばれていた時代、国府の近くに造られた総社の一つ。 国司はここに参拝すれば、国内の一ノ宮から六ノ宮までを巡ったことと同義となり、効率を良くすることができた。 よくよく考えると、国司は「手抜き」していたことになる。 昔も今も、要領良くルールを変える者がいる。、、、、神社の賽銭箱は鉄の檻に入れられ、鎖で縛られ、チョイト痛々しい状態だ。 大金は入っていないと思うが、取り出すのも大変だ!

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・・・・・・・・・・・・・・夏の名残と秋到来

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●ママはすぐそこ! ・・・・・・真間川を渡り真間の町に入れば、市川真間駅はスグそこ。

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