千葉県

2021年6月21日 (月)

開門前の散歩

北総線東松戸駅から同線の北国分駅まで、線路沿いに歩いて、1万1千歩の散歩です。




● 押上で成田空港行きのアクセス特急に乗り換えて、3駅目(途中、青砥・高砂の2駅に停車)の北総線「東松戸駅」で、朝7時40分、下車する。 この駅はJR武蔵野線との乗り換え駅で、乗降する通勤通学客が多い。(北総線からJR武蔵野線に乗り換える人が多いようだ!)

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・・・・・・・・・・・・駅前のロータリーに出ると、人は少ない。、、、、駅構内の人の多くは乗換客だった!

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・・・・・・・・・・・・東松戸駅から、北総線の北側を線路に沿って、東京方面に向かって歩くことにした。 新しい戸建て住宅とマンションの町。 賑やかさはナイ・ナイ・つまらない!

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● 駅から5分、東松戸3丁目の日蓮宗寺院の妙見山廣龍寺に立ち寄る。 廣龍寺は室町時代(1338~1573)に創建された。 境内にある妙見堂には、千葉氏の守護神として知られる妙見菩薩像が安置されているそうだ。 時刻は8時チョウド、まだ住職は朝食中か? 開門しておらず、境内には入れず、残念!、、、、門の外から本堂を撮影

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・・・・・・・・・・・・山門前には数基の石塔が並んでいる。 その中に、嘉永5年(1852)銘で、高さは191.5㎝の庚申塔がある。 庚申塔は青面金剛を主尊にもちいたものが多いが、この庚申塔は珍しく帝釈天を刻んでいる。 

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● 廣龍寺の北西150m程の小高い処(松戸市紙敷)に「紙敷春日神社」がある。 紙敷春日神社の創建年代等は不詳。、、、、住宅街の一角、緑豊かな境内にある神社で、由緒は不明。 盆踊りが開かれそうな神社。

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● 畑を見ながら、北総線の脇を歩く。、、、、この付近、アチラ・コチラの畑の下から縄文時代の遺跡が発掘されるらしい。 「掘って 調べて 埋め戻し 遺跡は野菜の下 消えてゆく」

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・・・・・・・・・・・・しばらく歩くと、住宅地の中に細長い空き地が続く。 この地下に、北総線のトンネルがある。

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・・・・・・・・・・・・北総線「秋山駅に着いた。 半地下式の駅で、ホームは地下にある。

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・・・・・・・・・・・・秋山駅前を過ぎると、北総線が地下駅から地上に出て、この先は高架橋が続く。

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・・・・・・・・・・・・チョロチョロ流れる用水路? ナント、一級河川の国分川。 北総線は国分川を越え北国分駅へ向かう。

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● 北国分駅の北に広がる松戸市大橋地区、その中心に鎮守さまの「大橋胡籙神社」がある。 大橋胡籙神社の創建年代等は不詳。大橋地区の鎮守として祀られ、明治41年(1908)に字南台無格社道祖神・無格社天満神社・字稲荷山無格社稲荷神社、字北台無格社淡洲神社、字白幡無格社白幡神社を合祀した。、、、、大橋胡籙神社で行われる獅子舞は、市の無形文化財に指定されているそうだ。 一見してみたいね!

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● 大橋胡籙神社の南西200m程、「浄念坊」という廃寺跡がある。、、、、旧大橋村の寺院跡で、今は墓地のみが残されて元檀家が管理しているそうだ。 寛文6年(1666)建立の庚申塔をはじめ古い石造仏が集められ、保存されている。 かつて大橋に浄念坊という大日如来を本尊とする真言宗の寺院があった。 当地域の寺院の殆どが真言宗であったが、日蓮宗の進出によって、真言・法華混在となり、やがて浄念坊は廃寺となったそうだ。、、、、墓地は雑草が茂り、寺務所らしき建物は無人で廃墟化しつつある。 寺務所には、檀家向けに8月に墓地の掃除をする旨、出席を願う貼り紙があった。 宗派は違えども、日蓮宗の寺で墓地を管理できないものなのか? 寂しさを感じるね!

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北総線「北国分駅に到着。 半地下式の駅は地上から地下ホームに降りて乗車。、、、、コロナ禍で、ナンダ・カンダと運動不足、今日の散歩はここまで!

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2021年6月11日 (金)

美しさで勝負!

東京は連日の真夏日、夫婦で小岩菖蒲園に行ってきた。 帰りはJR市川駅に出て、私にとっては恐怖の超高層展望台に立ち寄って帰宅。、、、、京成本線江戸川駅から小岩菖蒲園によって市川駅までは、2年前にも歩いている。 




● 特急も、快速もすべて爆走して通過し、6両編でガラガラ・スキスキの普通列車のみ止まる京成本線の「江戸川駅」。 駅は江戸川土手に接し、改札を出ればスグに江戸川右岸の土手に出られる。 土手上から河川敷を見下ろせば、そこには「小岩菖蒲園」がある。、、、、駅周辺には、賑やかさは無い、コロナ感染は心配無用!

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● 江戸川河川敷に広がる「小岩菖蒲」園は、地元から寄贈された花菖蒲をもとに、区が回遊式の庭園にしたもの。 約4,900㎡の菖蒲田には約50,000本の花菖蒲が咲き誇り、葛飾区の堀切菖蒲園水元公園とともに、都内の菖蒲の名所となっている。、、、、今日は、天気も良く、菖蒲の花は一斉に咲き、美しさで勝負! 我が妻も、菖蒲に交ざって、マスクで勝負?

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● 江戸川区北小岩の小岩菖蒲園から、京成本線江戸川橋梁の下を抜け、市川橋(国道14号、千葉街道)を渡り千葉県市川市に入る。

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・・・・・・・・・・・・「アイ・リンクタウン展望施設」(市川市)から見た、左端:JR総武本線江戸川橋梁、中央:市川橋、右端:京成本線江戸川橋梁。、、、、3本のトラス橋が並んで架かる。

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● JR市川駅の南口前にある2本のタワーマンション、その西側の建物の最上階45階に「市川市アイ・リンクタウン展望施設」がある。 入館料は無料、地上150mから360度の展望ができる嬉しい施設である。、、、、が、高所恐怖症の私にとっては最悪の施設。 45階へ向かうシースルーエレベーターが怖いのだ! ガラス張りの箱に入り、空へ向かって見る景色、恐怖の世界である。 エレベーターに乗るやいなや、手摺を握りしめ、景色は見ずに目をつぶる、心の中では南無阿弥陀仏! 妻がいるので、男気・強がり・痩せ我慢・小便チビリそうだ! 【チョイト蛇足】・・・外が見えないスカイツリーのエレベーターは、なぜか恐怖を感じない!

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・・・・・・・・・・・・展望デッキでは、なるべくカラス窓に近づかず、ソーシャルディスタンス! 妻にはニッコリ笑って景色の案内、心の中では南妙法蓮華経・南無阿弥陀仏、アーメン・ソーメン・冷そうめん!

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● 無事に展望施設から降り、ホット一息。 写真撮るのも忘れて、市川駅から電車で帰宅!

2021年4月 8日 (木)

珍しい庚申五層塔

コロナ感染者数が大阪より少なくなった東京、このまま黙っていることはない、首都の面目をかけ(?)、東京は感染者数トップの座に帰り着くと思われる。 東京に住み、ワクチン接種を待っている高齢者の一人としては、外出を避け、おとなしく家に籠っているのが一番安全であろう。 でも、マスクを着用し、“密”な場を避け、チョットの時間なら、『外出もOK』と勝ってに決めつけ、今日も人知れず散歩に行ってきた。、、、、通勤・通学とは逆の方向に向かう空いてる電車で、JR武蔵野線の船橋法典駅で下車し、隣りの市川大野駅まで、郊外の散歩。 1万1千歩




● 西船橋で武蔵野線に乗り換えて、隣りの「船橋法典駅」で下車。、、、、昭和53年(1978)10月2日、国鉄の駅として開業した。 駅は台地に位置しており、ホームは掘割に1面2線の島式で造られ、その上の地上面に駅舎がある。、、、、駅名の“船橋法典”は、“ふなばしほうてん”と読む。 地名としての読みは、この地域の前身が千葉県東葛飾郡法典村(ほうでんむら)であり、“ほうでん”が正しい。 地名“法典”の由来は諸説(私は知らん!)あるそうだが、その昔、この地域を日蓮上人が通った時に法を伝えたことから、法伝が法典となったという説もある。 この付近、中山法華経寺を拠点とし、日蓮宗の勢力圏内だ!

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・・・・・・・・・・・・・・新松戸方面府中本町行きは『多少空席あり』、西船橋方面南船橋行きは『満員御礼』

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● 船橋法典駅から市川大野駅に向かい、武蔵野線の東側を歩きはじめる・・・・・・

・・・・・・・・・・・・この付近では、古い農家の建物は見あたらず、広い敷地を囲むチョイト侵入しにくい塀と門。 温泉旅館のような建物に、外車ならぬ、三菱トラクタ!

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・・・・・・・・・・・・住宅展示場のように、新しいモダンな住宅が並ぶ。

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・・・・・・・・・・・・こちらはモダンな低層マンション。 現代版の長屋かも?

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・・・・・・・・・・・・畑の先には、新しそうな住宅と大きなマンションがみえる。

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● 船橋法典駅から、市川市柏井1丁目の住宅地を歩き、しばらく歩くと『史跡 姥山貝塚・姥山会館』の道標があった。 住宅地の坂道を上ると、森の中に「八幡神社」がある。 鳥居奥の拝殿と思われる処が「姥山会館」で、集会所となっているようだ。 八幡神社は姥山会館の裏に本殿らしき姿で祀られている。、、、、何だか、怪しげであり、神秘的であり、素朴であり、お粗末な神社! 神社の由緒などは、もちろん不明!

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● 八幡神社の裏に広大な草地がある。 ここが「史跡 姥山貝塚」(国指定史跡)だ。、、、、姥山貝塚は、千葉県市川市柏井町にある縄文時代中期~後期(今から約5000年~3000年前)に形成された貝塚で、大柏川左岸の標高約24mの台地上に広がった東西130m・南北120mの南に開口した馬蹄形である。 現在は、姥山貝塚公園として整備されている。、、、、貝塚からは、ハマグリを主体としてアサリ、シオフキなど30種以上の貝が出土し、比較的早い時期からその存在が知られ、明治26年(1893)以後何度か調査が行われていたが、本格的な調査は昭和元年(1926)の東京人類遠足会及び東京帝国大学人類学教室による発掘調査である。 その結果、縄文時代の竪穴式住居跡が完全な形で発掘されたばかりではなく、計5名の人骨なども発掘され、当時の生活を推測する手掛かりとなった。 発掘品は東京大学・南山大学・明治大学などに保管されているほか、同じ市川市内の堀之内貝塚に隣接して建設された市川考古博物館にも展示されている。、、、、大事な発掘品は博物館、住居跡は土の中。 史跡に立って見えるのは、下に埋まっているものを説明する案内板だけ。 見るものもなく、つまらないね!

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● 姥山貝塚から北へ約1km、樹木に囲まれて「子安神社」(市川市柏井3)がある。 県道9号(船橋松戸線)に面し石の鳥居が建ち、奥へ進むと参道中程に朱塗りの木の鳥居、さらに奥に進むと拝殿・本殿が見えた。、、、、拝殿横の木陰に、「庚申五層塔」という珍しい庚申塔がある、元禄3年(1690)の銘あり。、、、、この神社も神秘的で、安産の御利益ありそうだ。(高齢の爺には、安産の御利益いらないよ!)

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県道船橋松戸線を歩き、大柏川(おおかしわがわ)に近づくと視界が開けた。、、、、歩く左手には武蔵野線の高架橋が見える。、、、、大柏川を越えれば市川大野駅は近い!

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● 万葉植物園前の跨線橋を渡り、市川大野駅へ到着。、、、、市川大野駅から私の住む浅草橋駅までは、西船橋経由で約40分。 意外と近いね!

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2021年3月30日 (火)

ありゃ、こりゃ、庚申塔

東京では10年ぶりに黄砂が観測され、視界の悪い曇り空のような日となった。 今日は夫婦で、北総の「百庚申」を見ながら、北総線の千葉ニュータウン中央駅から隣りの小室駅まで歩いてきた。 1万3千歩、約7kmの散歩です。



【チョイト予備知識】・・・・・・・庚申信仰は、中国の道教「三尸(サンシ)説」に由来するもので人の体内に棲む三尸という虫が庚申の夜に人が熟睡している間に抜け出し、天帝にその人がした悪事などを告げて寿命を縮めてしまうので、その夜は村人が集まり飲食をしながら眠らずに夜を明かし、人々の無病息災や長寿などを祈願するもの。 室町時代ごろから庚申講が行われるようになり、その供養の証として庚申塔を建てるようになった。 この風習は江戸時代に各地に定着した。 千葉県北部の下総地区では、江戸時代前期から三猿、地蔵像、観音像、如来像などを彫った石塔が造られる。 中期に入ると、青面金剛像の石塔が主流となり、江戸時代後期に入ると「青面金剛」銘、「庚申塔」銘など文字塔が主流となる。 千葉県の北総では、青面金剛像の石塔が10基、その各石塔の間にそれぞれ9基づつ「庚申塔」銘の石塔を計90基配し、全部で100基の庚申塔を一度に造り並べる「百庚申」が江戸時代後期から明治時代まで流行したそうだ。 「百庚申」は、より多くの庚申塔を建てることにより、より多くの功徳を得たいという人々の気持ちの表れである。、、、、印西市、柏市、鎌ケ谷市などの北総では、現在でも各所に「百庚申」が残っている。 しかし、石塔は風化・破損したもの、地震などで倒壊し埋もれたものなどがあり、100基揃っているものは少ない。

 

 

 

● 北総線千葉ニュータウン駅で下車し、駅の南西側、東京電機大学千葉ニュータウンキャンパス(印西市武西1183-2)の前の武西学園台南街区公園内にある「武西の百庚申」を見に行く。 武西の百庚申は文久3年(1863)の造立で、刻像塔10基、文字塔90基から成り、当時の形態を最も良く残しています。、、、、ちなみに我が妻が100基あるか疑い、数えてみたら、間違いなく100基あった! 景観、壮観、奇観で、スバラシイ~~! 

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・・・・・・・・・・・・千葉ニュータウン駅の北側、印西市小倉鳥見神社にも数は少ないが庚申塔が並んでいる。 100基揃っているのは、鎌ケ谷大仏前の鎌ケ谷八幡神社こちらもパーフェクト!



● 駅前の住宅街を外れると、一気に田畑が広がる田舎の匂いがしてきた。 サクラはそろそろ散りはじめた。

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道(ししばふなおかいどう)」と称する道に出た処。 「武西観世音堂」という建物と小さな大師堂、月待塔・供養塔・庚申塔・出羽三山参拝記念碑などの数基の石塔が並んでいる。、、、、おそらく、昔から村の祠があった処であろう。

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・・・・・・・・・・・・観世音堂の前に広がる畑。 何を育てるのか、ジャガイモ? 落花生? ネギ? 

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・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」を、観世音堂から北東方向に300m程歩くと、8基の地蔵像が路傍に並んでいる(印西市武西954付近) 交通事故の地蔵か? 水子地蔵か? それとも餓死・水死・病死か? いずれにしても、南無阿弥陀仏。、、、、チョイト横に3基の石塔が、右端は庚申塔、中央は不明、左にナント!猫が彫られている、そして「明治二十四年」と刻まれている。 どうみても、猫だ、コリャ何だ!(私には判らない)


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・・・・・・・・・・・・再び「神々廻・船尾街道」を歩くと、印西市から白井市谷田の町に入る。 ここでも、路傍に20基ほどの庚申塔が基壇の上に並んでいた。、、、、写真3枚目の左端の庚申塔は「谷田の三猿庚申塔」と称し、寛文10年(1670)に造立されたもので、総高191cm、笠付角柱型で下部には三猿を彫出する三猿庚申塔。 白井市内には数多くの庚申塔があるが、この庚申塔は市内でも最古かつ最大のものである。 庚申信仰の歴史を理解する上で重要なものだそうだ。

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・・・・・・・・・・・・さて、ここでクエスチョンです。 歩いてきた「神々廻・船尾街道」の『神々廻』は何と読むのでしょうか? 地元の関係者以外で読める人は変人か、神様か、どちらにしても普通の人ではない!、、、、読みの正解は『ししば』で、北総線小室駅のある小室町(船橋市)の北側に隣接する町。 どうやら元禄14年(1702)には既に「神々廻」という言葉は存在していた。 江戸時代から明治22年(1889)までは「神々廻村」として、その後は複数の村と合併して「白井村」となってからは大字名として残ったそうだ。 また、地名「神々廻」の由来は諸説あり・ありで、本当のところは不明らしい!

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・・・・・・・・・・・・北総線を南から北に越えて、さらに「神々廻・船尾街道」を歩く。


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・・・・・・・・・・・・北総線を越え谷田地区の北側に天台宗の西福寺がある。 寺は無人らしい。、、、、境内に所在する、公孫樹(イチョウ)は子育て観音の「乳房公孫樹」と呼ばれ、『観音にすがり乳柱の一部を削って煎じ、これを愛飲すると忽ち乳が出る』とされ信仰を集め、近郷からも乳飲み子を抱えた母親の参詣で賑わったと云われてる。 特に第二次大戦前は東京からも人々が訪れたそうだ。 幹周り510センチメートルは市内でも最大級のもので、市内を代表する巨樹のひとつです。、、、、境内は苔むし、点在する石碑・石仏にも苔が生え、風情あり・ありの寺。

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・・・・・・・・・・・・西福寺から北西へ約300m、短い階段を上がると、創建が大同年間(806~809)といわれてる薬王寺がある。 天台宗の古刹である。 本尊は阿弥陀如来。、、、、平成13年(2001)に現本堂が新造された。境内には薬師堂もある。、、、、よく吠える犬がいて、静かに参拝できない寺!

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・・・・・・・・・・・・「神々廻・船尾街道」の歩きもここまで、白井市清戸の宗像神社に参る。 貞観18年(876)の創建と伝わる。慶長8年(1604)と天保2年(1831)に再建された。 印旛沼の北岸台地周辺に多くある宗像神社の総鎮守といわれていて、当地の宗像神社の中で最古の社といわれている。、、、、平成27年(2015)頃に、老朽化した本殿の解体修復を行い、境内の諸施設の整備、参道の拡幅・敷石の敷設替え事業が行われた。 境内には、鳥居右側に江戸時代中期の享保9年(1724)銘のある、両側面に童子像のある青面金剛像や、天明7年(1787)銘の仏像碑などがある。、、、、総鎮守と云う割には、境内も本殿も小さい、しかし本殿の彫刻は圧巻である。

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● 宗像神社本殿の後ろ奥に、「清戸の庚申塚」がある。、、、、並ぶ石塔の前の道路は只今工事中! 柵があり、チョイト離れて見る!

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● 田舎道を歩き北総線小室駅へ向かう。 スカット晴れていれば青空の下で気持ち良いのだが、黄砂の影響か視界不良なり、残念!

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・・・・・・・・・・・・小室駅到着。 北総線の駅では唯一船橋市にある駅であり、市内の駅としては最も北に位置する(JR船橋駅近くの海岸線から約14km離れている、あらためて船橋市の広さを実感できるね!)、、、、昭和54年(1979)3月8日に開業した、島式ホーム1面2線と単式ホーム1面1線の計2面3線の地上駅。 駅舎は橋上で、出入口は北口のみである。、、、、北総線内の駅では、乗客の少なさはワースト2!

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2021年3月25日 (木)

三色の桃の花

北総線の矢切駅から、「じゅん采池緑地」の北東側の中国分の町を歩き下総国分寺へ、さらに京成本線の市川真間駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 江戸川を越えて、矢切の渡しで有名な矢切駅から歩くことにした。 矢切駅は北総線では唯一の地下駅。 上下線に待避線のある2面4線の地下ホームは、人影は少ない(一日平均乗降客数は約8000人)

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● 今日は、これまで歩いたことがない「じゅん采池緑地」の北東側の住宅地を歩いてみることにした。・・・・・

・・・・・・・・・・・・まず、駅の東側にある「国際医療福祉大学 市川病院」の方へ歩く。 国際医療福祉大学市川病院のある敷地には、戦前から「化学療法研究所附属病院」(通称:化研病院)があった。 化研病院は、昭和14年(1939)、当時国民病といわれた結核の化学療法研究を目的に設立さた。 その社会的重要性から三井財閥の支援を受ける一方、明治天皇ゆかりの「恩賜館」を宮内省(当時)より下賜されるほど、結核の治療において多大なる貢献を果たしてきた。 戦後は結核患者減少に伴い一般病棟を建設し、地域の病院としても貢献してきた。 平成19年(2007)には、モダンな現在の国際医療福祉大学市川病院が建てられ、より広い医療領域で貢献している。

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・・・・・・・・・・・・・・国際医療福祉大学市川病院の敷地を回るように北へ歩くと、松戸市と市川市の市界の路傍に庚申塔(市川市国府台)がある。、、、、青面金剛像と三猿の組み合わせの庚申塔の、右側面には「右 市川道」「元文三戌午天(1738年)」と刻まれ、道標の役割も果たしている。 左側面は、何やら刻まれているようだが、私には判読できない。、、、、約300年、この地の歴史を見てきた庚申塔だ!

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・・・・・・・・・・・・庚申塔の脇をチョイト歩くと、市川病院の駐車場に向かい裏道がある。 その裏道の写真を見ると、中央奥に病院の建物が見え、左手前の住宅の後ろから道路を横切るように、草が生えた法面がある。 見えないけれど、この地下に北総線が走っているのだ!

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・・・・・・・・・・・・再び、病院の周囲を歩き、北側から東側に廻ると、国府台6丁目、北国分1丁目の町に入る。 この辺りは、北総台地の面影を残しているのか、住宅地はアップ・ダウンがキツイく、所々には雑木林の名残がある。

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・・・・・・・・・・・・中国分5丁目で、アレ? 一本の木に紅白の花、いやいやよく見ると赤・ピンク・白の三色だ! 『 サクラのようで サクラでない ウメのようで ウメでない それは何かと尋ねたら ゲンペイシダレモモ 源平枝垂れ桃 』 綺麗だ!お見事!
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・・・・・・・・・・・・【連想】梅・桜・桃の三つ揃うと思い出す都都逸の名作(?)、、、、『梅もきらいよ 桜もいやよ ももとももとの間(あい)が良い』 私も若い頃はモモが好きだった、年老いた今は・・・・・


・・・・・・・・・・・・中国分の町は綺麗で静かな住宅地である。 豪邸、屋敷と呼ぶような建物は無く、どの家も戦後の中産階級の住宅であるが、小さな庭のあるモダンなデザインの建物。

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・・・・・・・・・・・・中国分の住宅地を抜けると、「和洋国府台女子中学校」の前に出た。 校門前には守衛さんがいる、女学生狙いの変質者と間違えられるとヤバイので、チョイト、守衛さんを外してパチリ!

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● 和洋国府台女子中学校から先は、下総国分寺跡下総国分寺、宝珠院 と巡る。

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● 国分の台地の南端から眺める市川市。 右端に市川駅前のタワマン、左端に本八幡駅前のタワマン。 180度、視界良好! 

2021年3月17日 (水)

松飛台から市川大野

春の陽気に誘われて、コロナ忘れたふりをして、のんきに歩くダメおやじ。 今日は、北総線の松飛台で下車し、南の武蔵野線市川大野駅まで、1万3千歩の散歩です。




● 我が家のある浅草橋駅(地下鉄)から、印旛日本医大行で乗り換えなしの約30分、北総線の「松飛台駅(まつひだいえき)」に到着、、、、平成3年(1991)3月31日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。 この駅は、松戸市紙敷と市川市大町の境界線上に駅舎とホームがある。 駅の北側(松戸市)には、なぜか東京都民が眠る都立八柱霊園がある。 この霊園付近には、戦時中、飛行場があった。 当時の誘導路西側の一部が、この八柱霊園の敷地の一部にあたるそうだ。 松戸にあり、飛行場があった処の台地と云うことで、「松飛台」の地名がつけられたと云われてる。、、、、松飛台駅の1日平均乗降人員(2018年度)は5,218人で、北総線15駅の中では秋山駅に次ぎ第11位。 下から4番目と乗降客は少ない!

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● 松飛台駅から南側の市川市を歩く。 駅周辺には、商店は少なく、戸建て住宅・マンション・アパートが並ぶ。 道の両側が梨園に変わる。 南へしばらく歩くと、国道464号(この付近では、愛称「大町梨街道」)に出る。、、、、梨のシーズンは秋、今は道路沿いの梨園もシャッターを下ろし休業中。 梨は“無し”!

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● 国道沿いに「日枝神社」(市川市大町)がある。 綺麗に掃き清められた境内は気持ち良い!、、、、由緒などの詳細は不明? 拝殿の後ろにまわると、本殿を囲む玉垣の横についてる扉が開かれており、本殿をより近くで拝見することができる。 また、境内には庚申塔・馬頭観音・帝釈天・妙法蓮華経題目などがある。、、、、木立に囲まれた清々しい空間の小さな神社。 

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● 大町梨街道から、再び梨園の中を南に歩く。、、、、大町4丁目の路傍に青面金剛が立っている。 梨泥棒を見張っているのか?、、、、人とすれ違うこともなく、コロナの心配も不要、マスクをはずして、青空の下を歩く。

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● 市川市大野町の小高い丘の上に、木立に囲まれて「駒形大神社」がある。、、、、境内の掲示では、『駒形大神社は経津主神を主神に、大野の地域に伝説として残っている。平将門を合祀した神社です。この、駒形大神社には、古くから五穀豊穣と村内安全を祈願する御奉謝の行事が伝えられています。かつては一月十九日、当番宿に集まった氏子たちによって、神社に飾る注連縄がつくられ、次に三臼の餅がつかれました。最初の一臼は供物の下に敷く、経五寸(15cm)ばかりの煎餅をつくり、二臼目は烏帽子型兜・擬宝珠型兜・皿頭型兜の型をした供物をつくります。三臼目の餅は集まった氏子たちが、互いに投げあう餅ぶつけに使います。餅に当たるとその歳の厄を払うといい、またこの餅は、風邪除けに効き目があるともいわれています。これで一日目の行事は終わりです。二十日は前日用意した供物・注連縄・酒肴等を捧げて神社に参拝、太鼓を打ち鳴らして題目を唱え、終わって御神酒を頂き、当番宿に引きあげます。このあと、宿では二組に分かれて行事役を中央に、両組から一人ずつ出て向い合い、互いににらみ合って行事役の合図をまち酒を呑みあいます。このとき笑った方が負けとなり、さらに大盃につがれた酒を呑むことになります。こうした行事のあるところから、俗に「にらめっこおびしゃ」の異名が付けられています。これらの行事は安政六年(1859)の記録を、明治十一年(1878)に書き写したものによって踏襲されてきましたが、太平洋戦争後は一月二十日の一日で、総ての行事を済ませるように改められ、毎年、神社の社務所で行われています。この行事は昭和四十年、市の民俗文化財に指定されています。  平成十六年九月  市川市教育委員会』と記されていた。、、、、酒飲みには都合のいい行事が残っている神社だが、飲めない私はどうしたものか?

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● 駒形大神社の南、市川大野駅の西、山号を「曽谷山」とする日蓮宗の寺院が4寺点在する。 曽谷山禮林寺、曽谷山法蓮寺、曽谷山圓行院、曽谷山充行院である。 今日は、曽谷山禮林寺と曽谷山法蓮寺に立ち寄ってきた。

・・・・・・・・・・・・禮林寺は、曽谷城主曽谷教信(法蓮阿闍梨日礼、1224~1291)の菩提を弔うため、娘の芝崎姫(妙林日貞法尼)が当地に創建したといわれてる。、、、、なぜか、信楽焼の狸が多いこと!

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・・・・・・・・・・・・法蓮寺は、日蓮聖人の高弟日礼上人(曾谷入道教信、正応4年(1291)寂)が創建。


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・・・・・・・・・・・・法蓮寺から見晴らしの良い坂を下ると、庚申塔などが数基並んでる。

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● 武蔵野線の「市川大野駅」に到着。 北隣りの駅は「東松戸」、松戸市と市川市が接していることを感じられる隣同士の駅である。、、、、これより、西船橋経由で浅草橋へ帰る。

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2021年3月14日 (日)

中山競馬場前駅

春の陽気に、ついついコロナはさておいて、散歩に出た! 京成本線の鬼越駅で下車し、中山法華経寺をグルリと大きくまわるように、北方・若宮・東中山の町を巡り、東中山駅までの1万歩の歩きです。

昨年2月に、鬼越駅~神明社~子之神社~法華経寺~京成中山駅のルートで散歩した。 今日は、鬼越駅~神明社~八幡神社~子之神社~奥之院(法華経寺奥之院)~若宮八幡神社~東中山駅と、歩いてきた。 



● 京成八幡駅の東隣の駅:「鬼越駅(おにごええき)」で下車。 鬼越駅は、昭和10年(1935)8月3日、中山鬼越駅として開業し、昭和18年(1943)に現在の鬼越駅に改称した。、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は京成八幡寄りの踏切脇にあり、駅舎と島式ホームの間には構内踏切がある。 一日当たりの平均乗降客は5,696人(2018年度実績)で、京成線内69駅中第50位である。 下から数えると堂々の19位。 当駅には、全ての普通列車が停まるが、特急、快速などの全ての優等列車は通過する。 かつては田圃の中にあったと思われる雰囲気が残る駅だ。、、、、地名の「鬼越」は、かつて、このあたりに恐しい鬼が住んでいたといわれ「鬼子居(おにごい)」と呼ばれていたが、その後、鬼子居が「鬼越」となったそうだ。 明治2年(1869)の地名は、葛飾県葛飾郡鬼越村であった。

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● 駅の北側に鎮座する鬼越の鎮守様である「神明社」、、、、由緒書きによると、元和2年(1616)伊勢の皇大神宮より遷宮され、祭神は天照大神である。 現在の社殿は明治年間の造営で、一昨年(2019)台風の被害にあい、昨年修復された。 境内には耳の道祖神(耳の神様)、大神様(学問の神様)、お諏訪様(商売の神様)、与力様(力の神)、浅間神社(富士信仰)などが祭られている。 また、境内には松・楠などの大樹も多い。、、、、尋常小学唱歌「村祭」を思い出させる雰囲気の境内、ドンドンヒャララ ・ドンヒャララ

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● 神明社の北側に「市川市北方」の住宅地が広がる。 北方は静かな住宅地で、俳人、小説家などが好んで住んだ地である。 チョイト坂が多く、道が狭いのが、玉に瑕!

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・・・・・・・・・・・・北方の町にある「八幡神社」(北方3)は小高い処にある、地域のお社らしい。 急な階段を上るとスグにコンクリート造の社殿があるのみ。

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・・・・・・・・・・・・八幡神社の北にもう一社、「子之神社(ねのじんじゃ)」(北方3)がある。 こちらも小高い丘の上にあるが、急な階段を上ると市川市の北部を一望するような、素晴らしい眺望に出会う。

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● 中山法華経寺の北側の住宅地(中山2)を歩くと、法華経寺が所有する重要文化財64点を保管するために昭和6年(1931)に建てられた「法華経寺聖教殿」の頂部が木立の陰に見える。

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● 法華経寺の東側:若宮2丁目に入ると、法華経寺の奥之院の立て看板が見えた! 『チョイト、寄ってみよう!』、、、、奥之院は、日蓮聖人が文応元年(1260)富木常忍(中山法華経寺初世日常聖人)の館に逃れてきて、当地に建立した法華堂の地と云われてる。 法華堂は後に法華寺と改称、さらに中山の本妙寺と合寺して法華経寺となり、当地は奥之院と称されるようになった。、、、、当寺の弁財天は市川七福神の一つ。

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● 奥之院から南東へ150m程に「若宮 八幡神社」(若宮2)がある。 若宮八幡神社は、富木常忍(1216~1299)の館の鎮守社として創建され、中山法華経寺文書嘉暦4年(1329)の條にも記載されているそうだ。 日蓮聖人も八幡神社に参ったか?、、、、今は、盆踊りができそうな公園の片隅に鉄筋コンクリート造の社があるのみ。

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● 奥之院から南へ歩き、京成本線の「東中山駅」についた。 東中山駅は昭和10年(1935)10月4日、中山競馬場前駅という臨時駅として設置され、昭和28年(1953)に常設の東中山駅として開業した。 昭和53年(1978)に国鉄武蔵野線船橋法典駅が開業するまでは中山競馬場への最寄駅であった。 その頃は、特急(スカイライナーは除く)、快速など、全ての列車が停車する駅であった。 現在は、重賞レースが開催される日以外は、普通列車だけが停車する寂しい駅。、、、、島式ホーム2面4線の地上駅で、駅舎は只今リニューアル工事中の橋上駅舎。 チョッピリ、モダンな駅となる。

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2021年3月 3日 (水)

葛飾の本家?

緊急事態宣言の解除判断に悩む首相官邸、私も“不要不急の外出”は避け家に籠っているつもりであったが、チョイと気が緩み歩きたくなった。 人混みを避けるように、総武線西船橋駅から山側(北側)を歩き下総中山駅まで、1万1千歩の散歩です。




西船橋駅は、JR東日本(総武線緩行・武蔵野線・京葉線)・東京メトロ(東西線)・東葉高速鉄道の3社5路線が乗り入れる駅である。 一日当たり乗降客数はJRが約27万人、東京メトロが約29万人、京葉高速鉄道が約12万人。 千葉県内の最大の乗降客数を誇るターミナル駅である。 最大のターミナル駅ではあるが、快速電車は停まらない、駅前にはデパートもない、お客はタダタダ乗り換えるだけの駅。、、、、昭和33年(1958)11月10日、国鉄総武本線の駅(旧駅舎)として開業。 昭和44年(1969)には東西線が乗り入れる。 昭和53年(1978)には武蔵野線が開業、平成8年(1996)には京葉高速鉄道が開業し、乗降客は激増した。、、、、開業時の西船橋駅は何もない田んぼの中の駅であった。 何もないその駅周辺にできたのが、ストリップ劇場(今はない)とラブホテル(今だ盛況)。 隣りの船橋のように、ショッピング、飲食、映画などを中心とした繁華街には成長しなかった町! 核となる商業・娯楽施設が無いから、今後も発展しそうにないね!!

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● 西船橋駅の北側に総武線と並行して千葉街道がある。 駅前から千葉街道に出ると、「印内春日神社」(船橋市印内町)の社が森の中の小高い処にある。 春日神社の創建年代等は不詳ながら、享保年間(1716~1736)には既に名前が残されていたらしい。 旧社殿は昭和38年(1963)に火災にて焼失し、昭和43年(1968)に現社殿が再建された。

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● 西船橋駅から北に400m程歩くと京成西船駅がある。 京成本線の「京成西船駅」(けいせいにしふなえき)は、大正5年(1916)12月30日 に葛飾駅として開業した。 昭和62年(1987)に京成西船駅に改称。 大正の開業当時、当駅周辺は東葛飾郡葛飾町(その前は葛飾村)であり、駅名を葛飾駅とした。 葛飾町は昭和12年(1937)の合併で船橋市の一部となり、その後周囲の地名が「葛飾町」から「西船」になったこと、また域外の客が東京都葛飾区(旧・南葛飾郡の一部)内の駅と間違えやすいことも要因となり、西船と改めた。、、、、「葛飾」は、かつて、下総国で船橋、柏から西を指す広域の地名であった、千葉県ができたときに半分近くを茨城、埼玉、東京に割譲した。 東京の葛飾区も、かつての葛飾の一部であった。 ここ西船は「葛飾」の本家である。、、、、駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅。 上りホームに改札口がある。 青空駐車場が駅前まで迫り、駅前に車を横付けすることも出来ない。 かろうじて自転車は横付けできる。

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・・・・・・・・・・・・京成西船駅から見る、駅前の駐車場。 駐車場はフェンスで仕切られ、駅から入ることはできない。

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・・・・・・・・・・・・駅名を改称した後も、駅北側の「船橋市立葛飾小学校」や「船橋市立葛飾中学校」に「葛飾」の名が残っている。 JR西船橋駅は、駅開業の為移転した旧葛飾小学校の跡地にできたそうだ。 また、西船橋駅に隣接して、駅の南西部に「葛飾町」の町名が残っている。

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● 京成西船駅の北西300m程に、曹洞宗寺院「宝成寺」がある。 宝成寺は、僧智泉を開山として葛西茂春六郎が創建、領主成瀬之成が中興開基となり僧大譽(承応元年1652年寂)が中興開山、慶安元年(1648)年には徳川家光より寺領30石の御朱印状を拝領した。、、、、成瀬正成は幼少より徳川家康に仕え、家康の子の義直が尾張徳川家を創設した際、お付家老として後見した。 正成は当所、栗原郷に四千石を与えられ、やがて三万石余の犬山城主となった。 正成の跡は、長男正虎が犬山城主を継ぎ次男之成が栗原藩を継いだが、栗原藩は之成の子之虎が早逝して廃絶し、幕府直轄地となった。 当寺は江戸時代の初めに成瀬氏の江戸における菩提所の一つである。、、、、立派な堂と、多くの無縁墓を祀り、歴史を感じさせるお寺。

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・・・・・・・・・・・・墓地には成瀬氏の墓がある。 県内最大級の大きさ(高さ3.6m、幅90cm、厚さ40cm)を誇る、第7代犬山城主:成瀬正寿の墓を中心に、成瀬家の墓が並んでいる。

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● 宝成寺から北西方向に、マンション、社宅が建ち並ぶ住宅地を歩く。、、、、坂が多くアップ・ダウンがキツイ!、、、、住所は船橋市西船から船橋市東中山・市川市若宮・市川市中山と移り変わる。、、、、北風吹き抜く 寒い町 男一匹 どこへ行く! 

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● 出てきた処は、中山法華経寺の仁王門前、日蓮上人像の後ろ姿が見えた!

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・・・・・・・・・・・・ここまで来たら、中山法華経寺に挨拶して帰らねば罰が当たる。 祖師堂だけでも手を合わせて帰ろう! 桜も咲き始めた参道を抜け、祖師堂に参る。

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● 参道を真直ぐ下総中山駅に向かい、JRで帰宅・・・・・今日の散歩は、北風強く、寒かった!

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2021年2月22日 (月)

ちかんに注意の町

暖かい日射しに気も緩み、隣りの千葉県に侵入した。 北総線の北国分駅から、曽谷の住宅地を通り、総武線の本八幡駅まで、1万3千歩の散歩です。、、、、丁度、一年前(20/2/19)に北国分駅から本八幡駅まで歩いた。 その時は、庚申塔、馬頭観音などが残る旧道沿いに歩いた。 今日は新興の住宅地の中を歩いてみた。 




● 浅草橋(我が家)から北総線の印旛日本医大行に乗り、高砂を過ぎ江戸川を越えて2駅目「北国分」(所要30分)で下車。 北国分駅は30年前に農地の中に開業し、駅周辺には今だ商店街などはない。

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● 北国分は、右から読んでも左から読んでも同じ千葉県「市川市」の北端に位置する。 約9km離れた南端の「行徳」周辺とは、町の雰囲気、生活スタイル等々、大きく異なり、北国分は農村の匂いが残る新興住宅街。 駅からチョイト歩けば畑が見える。 春の陽気で、こっちでは菜の花に鼻がピクピク、あっちでは堆肥の臭いで鼻がムズムズ!
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・・・・・・・・・・・【ここで問題】千葉県内にある右から読んでも左から読んでも同じ、もう一つの“市”の名は?



● 用水路のような「国分川」を越えると「市川市稲越」の町、裏道を歩くと“ちかんに注意”の立札・看板が目立つ!

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・・・・・・・・・・・・すれ違う女学生も、なぜか私を避け、走り去る

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● 稲越の南側は「市川市曽谷」の町、、、、「曽谷貝塚」で有名な町。 今日は貝塚に寄らず、住宅地を歩く。

・・・・・・・・・・・・住宅の裏を覗くと、お世辞にも“綺麗な町”とは言いにくい! あちらにも、こちらにも、ビニール袋やビニールシート、ポリの手袋も!

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・・・・・・・・・・・・表通りは綺麗だ。 蕾も膨らみ花見が近くなった桜並木

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・・・・・・・・・・・・「まちのペンキ屋さん」、玄関前にズラリと並ぶ人形。 全て人形は、太陽光を受けて、一日中首や手を振っている。 よくぞ集めた!

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・・・・・・・・・・・・住宅の先に、本八幡駅前のタワマンのシルエットが見える!

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● 江戸川から別れ東京湾に注ぐ真間川を、弁天橋(平成7年竣工)で越える。 真間川の水質も良くなった、綺麗だ!、、、、本八幡駅まで、あと2km!

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・・・・・・・・・・・・弁天橋の両側には、昭和15年(1940)創立の昭和学院の幼稚園から小・中・高校、そして短大の校舎が並んでいる。 80年の歴史を持つ、地元市川の総合学院、、、、キャンパスの一画に、何やら民家風の木造家屋がある。 学院の創立者の自宅として千葉市内に建てられ、その後、昭和女子商業学校(現:昭和学院)の創立にともない、現在地に移築された。 現在は「創立記念館」として活用されている。 昭和6年(1931)の建築で、入母屋造、2階建て。 国の登録文化財。

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● 京成八幡駅の踏切りを越え、JR総武線の本八幡駅に到着。、、、、疲れた!

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2021年2月17日 (水)

江戸川区に城?

今日からコロナのワクチン接種が始まったが、高齢者に属する私が接種できるまでには、1ヵ月半以上待たねばならないらしい。 まだまだ、感染予防に気を緩めることはできない。、、、、マスクして、空いた電車で、人混み避けて、無言で歩く男が一人。 早朝の浦安駅に姿を現した! 寒波襲来の日本列島、時おり強風が吹き、飛ばされそうな帽子を押さえ、浦安橋を渡り東葛西の町へ向かう。 江戸川区に在った城跡を訪ね、行ってビックリ、見てビックリ、あきれてヒャックリ、ドッと疲れてギックリ腰、これで死んだらポックリだ! ありました「長島高城跡」と称す寺が。 その後は、東葛西の寺社を巡り、葛西駅から帰宅。 1万歩




● 東京メトロ東西線の「浦安駅」は、昭和44年(1969)3月29日に開業。 それまで陸の孤島と呼ばれた東葛飾郡浦安町は、以後一気にベッドタウン化をし、昭和56年(1981)には“浦安町”が“浦安市”に昇格。 さらに、昭和58年(1983)には東京ディズニーランドが開園。 令和元年のデータでは、一日平均乗降客数が8万人を超える駅となった。 私が住む、浅草橋駅の一日平均乗降客数は、JRが約11万人、都営地下鉄が6万人程。 JRは勝った(?)、地下鉄は負けた(?)、、、、相対式ホーム2面2線の高架駅。 駅前は浅草橋より賑やかそうだ!

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● 浦安駅の西側を流れ下る旧江戸川。 旧江戸川は東京都江戸川区と千葉県浦安市の境でもある。 そこには南北700m、東西200m程の細長い中洲状の「妙見島」(江戸川区東葛西)という島がある。 この島の南端部分を跨ぐように「浦安橋」が架かっている。、、、、妙見島は周囲をカミソリ護岸(=コンクリート護岸)で囲まれているが、23区内唯一の自然の島である。 島には浦安橋から降りられるようになっている。 島の中には、10社以上の工場、数軒の船宿、1軒のラブホテルと妙見神社などがある。、、、、浦安橋は、江戸川区と浦安市を結び、都道・千葉県道10号東京浦安線を通す。 初代の橋は昭和15年(1940)に架けられた。 その後、橋の老朽化と交通量の増大により、現在の浦安橋が昭和53年(1978)に建設された。 橋中央部には妙見島への進入路が設けられている。 橋長は211.5mの下路単純トラス橋、ちなみに下部工は銭高組の施工である。
・・・・・・・・・・・・・・妙見島南端側と浦安橋

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・・・・・・・・・・・・・・妙見島は高いコンクリート護岸に囲まれている(写真左側)


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・・・・・・・・・・・・・・浦安橋橋上と妙見島への降りる歩道・自転車道(車の降り口は反対側にある)

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● 妙見島の西側(江戸川区東葛西3)に、浄土宗寺院の清光寺がある。 清光寺は、一向山無量院と号し、徳誉法印が文亀2年(1502)に開山したといわれてる。、、、、清光寺のある地には、小田原衆所領役帳に記載されている「長島高城(ながしまたかじょう)」があったと推定され、中世には豪族:長島氏の館があったと考えられる。 しかし、現在では遺構など当時のものは一切ない。、、、、今日、寺の前に立ち、『アレ? この寺、去年来たぞ!』 僧です、遭難です、沈没です! 歳で、ボケが始まったようだ。 私は、ほぼ一年前にこの清光寺に来てた。 当時は城跡の話を知らず、この付近に多く点在する寺社を単に巡り歩いただけだった。 その時、城跡のことを知っておれば、今日の散歩はちがう処を歩いていたかも。 、、、、江戸川区にも“城”があったとは、“お釈迦様でも気がつくめえ”

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● 清光寺に参拝し、その後は昨年と同じ寺社を巡り、葛西駅に向かう。



● 環七通りと東西線は直交し、道路上に葛西駅のホームがある。 昭和44年(1969)3月29日に開業した東西線葛西駅。 高架線の中央にある2線は通過線となっており、その外側に各駅停車用の相対式ホームの2線がある。、、、、現在は“葛西”と称する町はなく、町名は東葛西、西葛西、南葛西、北葛西、中葛西として、“東西南北中”を冠している。 “白”と“発”を冠したら、麻雀なら“四喜和”から“大三元”狙い。 “白葛西(シロカサイ)”、“発葛西(アオカサイ)”という名の町ができたら、
“字一色”で役満、ウケルこと間違いなし!

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