千葉県

2025年12月 6日 (土)

生と死の画家

● 今日は妻と、千葉市美術館で開催してる「千葉美術散歩」(25/11/1~26/1/8)を観てきた。 この美術展は“千葉”という土地に縁のある画家の作品を展示したものである。 多くの作品の中に、洋画家:宮嶋美明(みやじま みめい1912~1985)の大作が展示されていた。 宮嶋美明は千葉医科大学(現:千葉大医学部)の技官として勤務しながら絵を描き続けた大正生まれの洋画家である。 昨年ヒョンナことから、宮嶋美明の関係者と縁ができ、この度の展示会の招待券を頂戴した。
20251206115616
20251206122238


・・・・・・・・・・ 展示されてる作品「いつかはやってくる」は100号の大きな絵で、横長のキャンバス下部に納棺され横たわる女性、キャンバス上半分には棺を覗き込み別れを惜しむ多くの人が描かれている。 医療現場に携わり日々生と死に向かい合ってきた画家ならでは描けることのできる大作である。 私は初めて見る作品ですが、輪郭線のはっきりしたタッチで描かれた人々の顔はイタリアの画家:モジリアニを思い出した。 また棺を覗き込む多くの人の構図は、ダ・ヴィンチ の「最後の晩餐」を連想させられた。 私も好きになった絵だ!、、、、、画家でもないズブノ素人の私が、宮嶋美明と作品について述べることはできないが、ぜひ興味があらば千葉市美術館へ足を運んでみて下さい。 ショップに作品集もあるので、こちらもどうぞ!
Dsc04010_20251207155301



千葉市美術館(千葉市中央区中央)のある建物は、昭和2年(1927)竣工の旧川崎銀行千葉支店(設計:矢部又吉)を曳き家により移動させ、鞘堂方式にて建物ごと保存し市民ホールとして再生してる。、、、、、美術館に来たら帰りに、旧川崎銀行の内部を観て帰ろうと思ったが、あいにく『さや堂 貸切中』の貼紙があり、見学できず残念!、、、、、2014年に撮影した、千葉市美術館と旧川崎銀行(市民ホール)の内部
20140114-006
20140114-038



● こちらは美術館の近くにある「千葉教会教会堂」(中央区市場町、県指定有形文化財)、、、、、明治12年に伝道を開始した千葉教会は、その7年後講義所を設けた。 しかし何かと不便が多く、明治28年(1895)に本格的洋風の教会堂の献堂に至った。 当時活躍していたドイツ人建築家リヒアルトゼールが設計。
20251206104301



● 『天にそびえる白亜の天守!』と、言いたいところだが、ここは天守型の千葉市郷土博物館(中央区亥鼻)。 そもそも千葉城は中世の城郭であり、天守は初めから存在していません。、、、、、 千葉市にある千葉城は、昭和42年(1967)と古くから建っているので、ちゃんとした由来のある天守なのかと思ってしまうのだが、そんなものではないということは、実際にここを訪れてみるとよく分かる。 城跡の遺構とこの天守がアンバランスなのだ。 千葉城の天守内部は、郷土資料館・プラネタリウムとなっている。 早くに公園化されたせいか、千葉市街地内という立地条件にしては、よく遺構が残されている方だろう。 同館は、1967年、四層五階建ての天守閣様式、つまり"城郭"の形で千葉市より工事が発注され、築城には大成建設があたった。 高さ約30m、「現代の千葉城」として、市民はもとより、県民にも広く親しまれてる。
20251206104957



● こちらも千葉市美術館の近くに鎮座する「千葉神社」(中央区院内)。、、、、、神社の創建年代は不詳ですが、千葉氏の祖平良文が妙見(北辰)を篤く崇拝していたことから千葉氏も妙見を崇拝、当地には千葉家三代忠常が勧請したと伝えられ、忠常の次男、覚算大僧正により伽藍整備、長保2年(1000年)、北斗山金剛授寺と号して中興開山したといいます。 天正19年には妙見社として社領200石の御朱印状を拝領、明治元年千葉神社と改称、明治7年県社に列格していました。、、、、、七五三参りで数組の親子が参拝してた。 おめでとう!
20251206131924


● 今日の散歩は1万歩でした。

2025年9月22日 (月)

墓掃除で腰が痛い

明日は彼岸の中日、今日は朝から涼しい。 我妻と娘二人を伴い、千葉県松戸市の都営八柱霊園に墓参りしてきた。 墓の樹木が大きく成長し前々から気になっていたため、今日は娘にも手伝ってもらい樹木の手入れにもすることにした。 11時から2時まで、たっぷり時間をかけて墓の掃除。、、、、、最後は腰が痛くて、ギブアップ!



● 我が家(浅草橋)から霊園のある北総線松飛台駅までは、都営浅草線・京成押上線・北総線と直通運転する列車で約35分と便利である。、、、、、松飛台駅(まつひだい)は、平成3年(1991)3月31日に開業した、相対式ホーム2面2線の高架駅。 ホームの北側は松戸市、南側の一部が市川市に掛かる市境界上の駅である。 駅名の「松飛台」とは、現在の八柱霊園の南東側の一部と、霊園の東に隣接する町の町名である。 この町名は、かつてこの辺りに、松戸飛行場(旧陸軍が監督する逓信省中央航空機乗員養成所)があったことから名付けられたそうだ。、、、、、松飛台駅から徒歩5分で八柱霊園の裏門(正確には松飛台門)に到着する。 超便利だ!
20250922114634
20250922113242
20250922113300
20250922114038



● “都営”の施設が千葉県にある? その施設とは「都営八柱霊園」。 なぜ“都営”の霊園が千葉県松戸市にあるかと問えば、答えは、、、、、明治になって、従来、江戸であった域内で埋葬が禁止となった。 そこで埋葬地が定められ、青山、谷中、染井、雑司が谷の墓地が定められたが、大正期には人口増加によって、四ヶ所の埋葬地も余裕が無くなってきた。 そこで、郊外に新しい市営墓地を作ることが計画された。 大正10年(1921)に西に多磨墓地が完成した。 しかし、東の霊園用地を決めるにあたっては、当時東京府内東部には広大な用地が見つからず、千葉県東葛飾郡八柱村の田中新田に霊園用地を求めた。(この時、鎌ケ谷村にも候補地があった) そして昭和10年(1935)に東に八柱霊園が完成した。 東京府は、その後昭和23年(1948)に北の小平霊園も完成した。 東には霊園用地が見つからず、隣の松戸市にその用地を見つけたということだ。、、、、、八柱霊園は広さ105万㎡、23区内最大の青山霊園が26万㎡だからざっと4倍の広さ。 東京ドーム20個分のひろさである。(都営霊園の最大は多磨霊園130万㎡) 広い霊園は当たり前だが、見渡す限り、墓・墓・墓の霊園。 大人でも迷子になって、野垂れ死にしそうだ。
20250922115218
20250922134154


・・・・・・・・・・早速手を合わせたいところだが、まずは以前から気になっていた、墓石の両側に植えられた樹木の手入れを行う。 家族4人で枝の伐採、草むしり、墓石を洗い、小一時間、綺麗・さっぱりした! “Before”、“After”の写真で紹介 
20250922115844
20250922132222


・・・・・・・・・・ 八柱霊園内にもう一つ墓(我が家の親戚の墓)がある。 我が家の墓が東側で、親戚の墓は西側、園内を歩くこと1.5㎞。 墓の前まで来ると墓石が見えない! この夏の暑さで草茫々。 雑草は根を深く広げ、取り除くのに一苦労! こちらも、一時間ほどかけて、さっぱりさせた。 “Before”、“After”で紹介 
20250922135516
20250922143551


・・・・・・・・・・ 八柱霊園には、昭和10年(1935)に建てられた納骨堂がある。(写真右手の平屋部分は昭和47年の増築)、、、、、周囲腰下を人造石、壁面はクリーム色のタイルで仕上げ、入口は花崗岩で組み扉を建てこんでいる。 屋根頂上には仏寺における塔婆のシンボルが掲げられている。 また、同時期の配水塔も残されている。 (2022年4月撮影)
2204171037350
2204171030580

2025年6月 7日 (土)

松戸のあじさい寺

梅雨入り前の暑い真夏日、夫婦で松戸の花の寺「本土寺」へ行ってきた。 8千歩



● 常磐緩行線(東京メトロ千代田線が乗り入れてる)で松戸から4駅目の「北小金駅(きたこがねえき)」で下車する。、、、、、“北小金”という地名は歴史的には存在せず、水戸街道の小金宿の北側に駅はあり、名付けられたものと思う。、、、、、北小金駅は明治44年(1911)3月18日に鉄道院の駅として開業。 島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有している。 当駅から都心の大手町までは、常磐緩行線に乗り、途中から千代田線に乗り入れ、約40分で到着する。 通勤に便利な町で、駅周辺は東京のベッドタウンとして、マンション、戸建て住宅などがたつ住宅地となっている。
2506071012110
2506071012460
2506071015050
2506071015460



● 北小金駅から本土寺参道を歩く
・・・・・・・・・・ “参道”と言っても、道の両側に土産物屋、飲食店が並んでいるわけではない。 駅前から参道は始まり途中までは、“狭い裏通り”と云うような道である。 
2506071018420
2506071021160


・・・・・・・・・・ 行程の半ばから、“参道”らしい並木道が現れた。、、、、、この並木道は、水戸光圀が伯父武田信吉(家康五男)の生母:於都摩の方(家康の側室)の墓所の改葬にあわせて本土寺参道に松や杉を植えて整備したものだ。 昭和30年代、参道は松戸市に寄付され舗装されて道路となった。 しかし、参道の交通量が増えたためか、両側の樹木は劣化し、痛々しい状態となった。、、、、、寺に近づくと、団子、漬物などを売る数件の店が営業してる。 店員は忙しそうに動きまわり、この週末は稼ぎ時のようだ。
2506071021390
2506071022140
2506071023080
2506071122290



● やって来ました「本土寺(ほんどじ)」へ、、、、、日蓮宗寺院の本土寺は、長谷山と号し、日蓮宗由緒寺院の一つ。 本土寺は、豪族の平賀忠晴の屋敷内に、日蓮聖人の弟子日朗を導師として建治3年(1277)創建された。 天正19年(1591)徳川家康寺領10石の御朱印状を拝領、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗門の三長三本の本山」と称されている。 「朗門」とは日蓮の弟子日朗の門流という意味であり、「三長三本」とは、上記3か寺の山号寺号にいずれも「長」「本」の字が含まれることによる。、、、、近年、境内には茶室も整備され、1000本のカエデ・5000株のハナショウブ・10000株のアジサイの名所として人気を集め、鎌倉の明月院とともに「あじさい寺」として親しまれている。

・・・・・・・・・・ まずは仁王門をぬけ、五重塔を見上げ、正面の本堂に向かう。 建造物としての文化財はない。、、、、、さらに、本堂右奥には家康五男:信吉の生母:於都摩の方(秋山虎康の娘:秋山夫人)の墓がある。
2506071030300
2506071034560
2506071117050
2506071037040
2506071040510


・・・・・・・・・・ 本堂で合掌したあとは、花の観賞!、、、、、まずは、境内に咲き始めたアジサイ。 まだ咲きはじめで、チョイト彩付きがわるいようだ。
2506071035580
2506071044130
2506071113200
2506071114340
2506071127130


・・・・・・・・・・ 本堂脇から下って来ると菖蒲池に咲き誇るハナショウブ
2506071046169_stitch
2506071046270
2506071048020
2506071051230
2506071055590


・・・・・・・・・・・ 池にはスイレンも!
2506071110470
2506071111170



● 花を終え、次は腹、食事処を探しながら駅に向かう・・・・・

2025年5月26日 (月)

谷津バラ園

バラの花が見頃と聞いて、夫婦で千葉県習志野市にある谷津(やつ)バラ園に行ってきた。



● 京成本線の「谷津駅」で下車する。、、、、、京成船橋駅から3駅目、京成津田沼駅の1駅手前、各駅停車しか停まらない東京近郊の住宅街の駅である。 今の爺さん婆さんには、「谷津遊園」の駅と言えば、知る人もいると思う。 私も小学生の頃、近くの船橋ヘルスセンターや谷津遊園に連れてきてもらった。 その頃の谷津遊園は東京湾に面し、海水浴、潮干狩りもできたと記憶している。 その谷津遊園のあった駅が名を変えて「谷津駅」となった。、、、、、現在の谷津駅は、大正10年(1921)7月17日、谷津海岸駅として開業。 昭和2年(1927)から昭和9年(1934)までは、京成遊園地(後の谷津遊園)のために支線が存在し、その支線上に谷津遊園地駅が存在した。  昭和11年(1936)に支線は廃止され、谷津海岸駅が谷津遊園駅と名称変更した。 昭和14年(1939)、戦時下のため谷津海岸駅と名称を戻す。 昭和23年(1948)再び谷津遊園駅と名称変更。 昭和59年(1984)には、その前々年に谷津遊園が閉園していたため谷津駅に名称変更。 今日までに4回の駅名変更をした。、、、、、島式ホーム1面2線の地上駅で、駅舎は駅ホームの真上にあり、ホーム北側には台地が迫っている。 山側の北口は崖上の住宅地に続いている。 海側の南口は、昔の海岸側でホームの隣りの国道14号(千葉街道)をまたぐ階段を下り道路面に立つことになる。、、、、、私も妻も、谷津遊園時代に来たが、それ以降来たことのない駅で、数十年ぶりに下車した駅だ! “当時の面影は?”と問われても、何も覚えていないので、答えようなし!
2505261021340
2505261021520
2505261026520
2505261027190



● 谷津駅から徒歩5分、住宅地の中に「谷津バラ園」がある。、、、、、谷津バラ園は、昭和32年(1957)に京成電鉄の谷津遊園バラ園として設立された。 当時東洋一の大バラ園と言われた。 昭和57年に谷津遊園の閉園によりバラ園も閉鎖された。 その後、隣接する団地建設にともない、再び谷津バラ園が習志野市の都市公園として、昭和63年(1988)に開園した。、、、、、約12,600平方メートルの敷地内には800種、7,500株のバラが噴水を中心に整然と咲き、植栽されているバラは名花・名品種と呼ばれるものや、原種及び歴史的にも優れた価値を持つ品種が多くある。 5月中旬~6月下旬頃と10月中旬~11月中旬頃が見頃と言われてる。 私達が来た今日の日は、園内のバラ全てに花が咲き、鮮やかな色と香りで歓迎してくれた。
2505261145560
2505261040399_stitch
2505261046420
2505261052060
2505261128500
2505261135410


・・・・・・・・・・ 色も形も異なるバラが800種、呆けが心配になってきた私はバラの名前なんて覚えられない! ただただ美しければそれで良し! パチリ、写真を撮ってきた。
2505261041310
2505261049580
2505261104320
2505261105230
2505261117500
2505261120020


・・・・・・・・・・ 多くの人がバラを楽しんでる
2505261045250
2505261124160
2505261129140
2505261131540
2505261139330
2505261141440

2025年5月 8日 (木)

秋山から本八幡へ

北総線の秋山駅から、ほぼ南に向かってJR総武線の本八幡駅まで、1万2千歩の散歩です。



● 早朝7時半に北総線「秋山駅」に降り立つ。 そろそろ通勤通学時間、駅にはゾロゾロと乗客が歩いて、走って、バスで、来る!、、、、、秋山駅は地下鉄の出入口のように、地下へ向かって階段を下ると地下1階に改札がある。 さらに階段を下り地下2階に半地下の堀割構造で造られた相対式2面2線のホームがある。、、、、、駅名標には、最寄りの学校名「聖徳小・光英VERITAS中高前」 が表示されている。 2校とも私立の学校なので、広告なのかも?
2505080718141
2505080718010
2505080723390



● 秋山駅前にはマンションが立ち並んでいるが、南側の高台に上ると、戸建て住宅が多い住宅街となる。 住宅街からは通勤通学する人が途切れることなく階段を降り駅に向かう。 
2505080727320


・・・・・・・・・・ 高台の上には、松戸市秋山、市川市稲越の街が広がる。 空き地からは、市川市国府台方面を見下ろすことができる。 江戸川は見えるようで、見えないね! 
2505080737040
2505080739539_stitch


・・・・・・・・・・ 稲越の住宅地の奥に隠れるように厳島神社がある。 主柱を4本の支柱で支える朱塗りの両部鳥居が迎える小さな神社だ。   神社の創建年代は不明。、、、、、、由緒を知りたい、気になる神社だ!?
2505080751100
2505080752060


・・・・・・・・・・ 千葉県立国分高等学校前を通過し、市川市曽谷7丁目に入る。 約600mの桜並木が伸びる曽谷小学校前の道を進む。
2505080758400
2505080814590


・・・・・・・・・・ 曽谷6丁目には、首をブルブル震わす置物がズラリと並ぶ住宅がある。 何体あるのか数えてみたくなる。 また、どうして集めたのかな? よくぞ集めたね、壮観!
2505080827410
2505080827500


・・・・・・・・・・ 宮久保橋を渡り、真間川を越える。 真間川は千葉県西部で江戸川から分かれ東京湾に注ぐ利根川水系の一級河川であるが、橋の上から覗くと川幅は狭く農業用水路のようだ!
2505080849040
2505080849360


・・・・・・・・・・ 真間川を越えると市川市東菅野の町。 昭和学院中・高等学校がある。、、、、、昭和学院は昭和15年(1940)創立、現在は幼稚園から短期大学までを一貫して併設する総合学園に発展した。
2505080852300


・・・・・・・・・・ 京成八幡駅前を通過、まもなくJR本八幡駅だ! チョイト足が棒になってきた!
2505080914380



● 本日のゴール「本八幡駅」に到着。 
2505080920560
2505080927530

2025年2月16日 (日)

流鉄流山線

暖かな日となった今日、妻と久しぶりに「流鉄流山線」に乗ってきた。 常磐線馬橋駅から流鉄に乗って流山まで、歴史ある流山本町を散策し、新興住宅地であるつくばエキスプレスの「流山おおたかの森駅」まで歩いた。 1万1千歩


流鉄流山線とは?
、、、、流鉄の流山線(ながれやません)は、千葉県松戸市の馬橋駅と流山市の流山駅を結ぶ、両端を含む6駅、単線5.7kmの短い路線である。 運行会社の「流鉄(りゆうてつ)株式会社」は平成20年(2008)の社名変更まで「総武流山電鉄株式会社」と称していた。 私を含め年配の人は“流山電鉄”と呼んでいた。 起点はJR常磐線の馬橋駅に隣り合う流鉄の馬橋駅、終点は流山市の中心部にある流山駅。 列車は全て2両編成の電車である。 沿線は首都圏のベッドタウンとして宅地化が進み、農地・山地の景色は消え去り、住宅地に変わった。


● JR常磐線の馬橋駅で下車し常磐線ホームに立つと、5本の線路を隔て流山線のホームが見える。、、、、橋上の改札を抜ける、、、、跨線橋から、右に常磐線ホーム、左に流山線ホームを見る。、、、、黄色の「菜の花」号が到着
2502161037070
2502161040030
2502161040490
2502161041150


・・・・・・・・・・ 跨線橋から流山線のホームに下りると、ホーム上に券売機と改札がある。(終点:流山までは運賃220円也)、、、、木組みの上屋に時刻表ある。 日中は20分間隔で運行してる。(全線所要時間は11分)
2502161044240
25021610443702502161046230


・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの開業、新型コロナの影響などで、年々乗客は少なくなっている。 一日の輸送人員は約4000人で少ない。ピーク時(1993年)の1/3となってしまった! 残念ながら、2000年代に入ると営業損益は赤字となり続いている。
2502161046030
2502161046410


・・・・・・・・・・ 流山線は単線であるが、途中の小金城址駅では、列車交換が行われる。 やって来たのはピンク色の「さくら」号
2502161055360


・・・・・・・・・・ 馬橋駅を発して10分とチョイトで終点流山駅到着。 流山駅の本屋は流山線敷設当初の大正5年(1916)の建築である。 構内には、黄緑色の
「若葉」号、橙色の「流星」号、臙脂色の「あかぎ」号などの車両も見える。
2502161105190
2502161102440
2502161103139


・・・・・・・・・・ 流山駅ホームですれ違った方は、山高帽にマント(トンビ)姿で大正時代へカムバック!
2502161103279



● 江戸川沿いに位置する流山の町は、江戸時代から明治大正にかけて商業の中心地として栄えてきた。 夫婦でブラリ町歩き。

・・・・・・・・・・まずは、「新選組陣屋跡」、、、、慶応4年(1868)に新選組が本陣とした醸造家の跡地。 現在は修繕工事中。
2502161116240


・・・・・・・・・・ つぎは「閻魔堂」、、、、江戸時代の閻魔像を祀るお堂。 当時の義賊:金子市之亟と恋人の三千歳の墓もある。
2502161118170


・・・・・・・・・・ 歴史ある建物が並ぶ江戸時代の街道(流山本町通り)脇を流れる「江戸川」2502161124520


・・・・・・・・・・ 「浅間神社」、、、、江戸時代初期の創建。 新選組を包囲した新政府軍が境内裏に仮本陣を敷いたと言われてる。
2502161136280


・・・・・・・・・・ 「呉服 新川屋」、、、、流山本町通りに東面して建つ、弘化3年(1846)創業の老舗呉服屋。 蔵づくりの現店舗は、大工の土屋熊五郎によって明治23年(1890)に建築され、国登録有形登録文化財に指定された。 特徴的なのは鬼瓦が招福の恵比寿、大黒天で、店内は太い梁や漆喰の白壁で趣のある日本建築となっている。、、、、女主人が出てこられ、昔話、建物建設時の写真、古い小屋組、NHKの取材話など、私達にいろいろとお話を聞かせてくれた。 有難うございます。
2502161153350
2502161139560


・・・・・・・・・・ 百数十年の歴史ある老舗が点在する流山の古き建物をブラリと見てまわる。
2502161128550
2502161137100
2502161242130


・・・・・・・・・・ ブラリの後は、創業70年の歴史を刻む“地焼き”のうなぎ店「江戸屋」で昼食。 メニューはもちろん“うなぎ”
2502161210230



● 流山本町を歩いた後は、食後の運動を兼ね、つくばエキスプレスの「流山おおたかの森」駅まで歩く。
2502161308040
2502161324010


・・・・・・・・・・ 駅前の大型ショッピングセンターが並ぶ光景を見て、妻は『浅草橋より住みやすそうね』(あたり前田のクラッカー! 浅草橋にはショッピングセンターなんてありゃしない!)と声が出た「流山おおたかの森駅」に到着。 駅はつくばエクスプレスと東武野田線が乗入れる接続駅となっている。、、、、つくばエキスプレスの駅は、島式ホーム2面4線を有する高架駅である。 開業は平成17年(2005)8月24日。、、、、“おおたかの森”とは、当駅から見て西方にある、約50ヘクタール(ha)の森林「市野谷の森」のことであり、絶滅危惧種にかつて指定されていたオオタカが生息することから、駅名の一部に採用された。
2502161330130
2502161334010
2502161337370

2025年1月27日 (月)

千葉街道に沿って

京成本線の海神駅から、千葉街道沿いに歩いて、総武線下総中山駅まで、1万歩の散歩です。



● 都心から京成本線で千葉方面に向かうと、京成船橋駅の一つ手前に海神駅(かいじんえき)」はある。、、、、海神駅は千葉街道(国道14号)の北側の一段高い丘陵部に位置している。 この付近は昭和初期に富裕層の別荘が建ち始めたことに由来する大邸宅の多い高級住宅街として開発されたが、約100年を経た現在は小規模住宅も増えたようで、一般の住宅街に変わってきた。 海神駅は大正8年(1919)10月25日に京成電気軌道の駅として開業した。 住宅街の駅で1日平均乗降人員は約6,000人、京成線内では乗降人員の少ない駅である。 もちろん、普通列車しか停車しない、私好みの駅である。
2501270814320
2501270819290
2501270820110



● 今日は海神駅の近くに在る龍神社(船橋市海神6)へ、几号水準点を見に行く。、、、、龍神社(りゅうじんじゃ)は、西海神の鎮守で大綿津見命(仏名:娑竭羅龍王、別名:阿須波の神)を祀る。 明治以前まで近くの大覚院が別当をしていたと伝えられ、同寺の山号を龍王山と称する。 万葉集巻二十に「庭中の阿須波の神に小柴さし 我れは斎はむ帰り来までに」の歌が伝えられている。、、、、明治中期に造営された総欅造の本殿には、技巧をこらした彫り物があり、一見の価値あり!
2501270831260
2501270833290
2501270834480
2501270835360


・・・・・・・・・・ 龍神社の鳥居の内側で狛犬台座前に独立して几号水準点らしき標石が設置されている。 この標石は一辺15㎝、地上高さ30㎝程の花崗岩でできた角柱。 上面には球状のふくらみがあることから、明治初期に内務省の設置した几号水準点よりも比較的新しい時期(私の推定では、昭和に入って設置されたものか?)に設置されたものと思われる。 標石の一面に6㎝角の「不」に似た記号が彫られている。 各地の几号水準点を見て歩いてる私にとっては、偽物もどきの標石にチョイトがっかり。、、、、【注記】几号(きごう)水準点とは、明治9年前後に内務省地理寮(国土地理院の前身の一つ)が高低測量を行うために設けた基準となる測量点。 イギリス式の測量法に従い、漢字の「不」に似た記号を恒久的に残るであろう石等に刻印し、水準点としたものである。 しかし、明治17年(1884)に陸軍の陸地測量部がドイツ式の測量方式を採用したため、この方式は使われなくなった。 現在、設置された几号水準点の一部は各地に現存しているが、水準点としては機能していない。
2501270832519
2501270832180



● 千葉街道に出て、東京方面に向かうと、船橋中央病院の北側の小高い処に、木花咲耶姫命を祭神とする「山野浅間神社」(船橋市西船1)がある。 千葉街道から階段を上り、船橋市内で最も長い参道と言われてる約200mの参道を進むと社殿がある。 神社は、奈良・平安時代から山野浅間神社と称するといい、明治時代には村社に列格していたといいます。 現社殿は昭和47年(1972)に新築された。
2501270851150
2501270852220
2501270855340



● 再び千葉街道に戻り、西船橋駅の北側でJR武蔵野線のガードを抜けると、一昨年(23/10/31)歩いた「印内春日神社」、「葛飾神社」、「東明寺」、「多聞寺」、「稲荷神社と続く。(一昨年の記事を見てください!)
2501270926020
2501270931330
2501270943410
2501270953140
2501271001510



● 千葉街道から南に折れて、JR総武線の下総中山駅に到着。 下総中山駅は日蓮宗本山の中山法華経寺へ続く参道が駅前から伸びる。 参道はチョイトした商店街となっている。、、、、下総中山駅は明治28年(1895)4月12日に総武鉄道の中山駅として開業した。 明治40年(1907)には鉄道国有法により買収され国有鉄道の駅となる。 大正4年(1915)下総中山駅に改称する。、、、、普通列車しか停まらない駅。 なんとなく薄暗く、不思議な静けさを感じるのは私だけか?
2501271019000
2501271018220
2501271019430
2501271022000

2024年6月20日 (木)

汚い春木川?

我が家のある都営浅草線浅草橋駅から北総線の印旛日本医大行きに乗ると、都営浅草線・京成押上線・京成本線・北総線と乗りれて秋山駅まで乗り換えなしに行くことができる。 今日の散歩は北総線秋山駅から、京成本線の菅野駅まで歩いてきた。 1万1千歩の散歩




● そろそろ通勤通学時間にとなる朝8時、北総線「秋山駅」で下車する。 秋山駅は、平成3年(1991)3月31日、北総線の京成高砂駅~新鎌ヶ谷駅間開業のとき、同時に秋山駅も開業した。 秋山駅は北総台地の住宅地に、掘割による半地下構造で、相対式ホーム2面2線のホームを有する駅である。、、、、駅前は10数年前とチットモ変わらず、コンビニ、喫茶店などはなく、マンションに囲まれた静かなロータリーがあるのみ。 

2406200751380

2406200752041

2406200759270

2406200802130




● 秋山駅から南のJR総武線市川駅・本八幡駅方面には幾度か歩いているので、今日はなるべく歩いたことのない裏道を散歩する。 駅前から大型スーパーの横を抜け、戦後宅地化されたと思われる住宅地(松戸市秋山)を歩く。

2406200809530

2406200812460

2406200818380



・・・・・・・・・・ この辺りには地名を表すものは少なく、たまに見る住宅の表札に示された住所がたより。 マンホールの蓋に示された「まつどし」の文字、矢切の渡しのイラストをみて、『私は今、松戸市を歩いてる!』と実感する。

2406200815230




● 松戸市秋山から市川市稲越に入ると、商店の建物がチラホラ現れ、自分が何処を歩いているか判断できて一安心! 千葉県立国分高校の裏から市川市曽谷の町へ。

2406200819490

2406200823230

2406200828270

2406200831440

2406200845450




● バス通りに出ると、「曽谷春雨橋」のバス停、その脇に用水路のような川に架かる「春雨橋」、川の名は「春木川」。、、、、“春木川”と知ると、思い出すのは故松尾和子の歌う、湯村温泉(兵庫県、夢千代日記の舞台)をイメージした「春来川慕情」(昭和65年リリース)、私の好きな歌だ!

2406200849310

2406200850170



・・・・・・・・・・ 歌のイメージとは大きく異なるが、この先、春木川に沿って歩くことにした。、、、、春木川は、千葉県市川市・松戸市を流れる利根川水系国分川の旧称。 市川市内を流れる春木川は度々、名誉の「日本一汚い川」にランクインしてる。 それゆえ、現在でも水質改良工事が行われている。 『春木川を、きれいにしましょう』の看板も剥げてきた!

2406200850220

2406200903040

2406200904330



・・・・・・・・・・ 市川市東国分の町を南下した春木川は、「春木川排水機場」の先で「真間川」に合流し、東京湾へ流れ込む。

2406200915290

2406200915440

2406200918160


● 外郭環状道路がホーム下を走る、京成本線の「菅野駅(すがのえき)」に到着。 菅野駅は大正5年(1916)2月9日に開設された。 開設当初の駅は相対式ホーム2面2線で、上りホーム側に駅舎があったそうだ。 しかし現在は、島式ホーム1面2線を有する地上駅で、ホームの頭上に橋上駅舎がある。、、、、この付近は、砂地に松並木が映える江戸〜大正期の別荘地の名残が今も残る、都心から東に位置する高級住宅街だが、駅周辺には店舗も、スーパーも見当たらない。

2406200945070

2406200947210

2406200949150

2406200952270

2024年5月14日 (火)

普通列車だけ停まる

『さて、今日の散歩、何処に行こうか?』と、都営地下鉄の浅草橋駅ホームで思案する。 ホーム上の路線図を眺め、押上駅で接続する京成本線の駅を目で追うと久しく降りてない海神駅が目に入り、今日の散歩は海神駅で下車し歩くことにした。 海神駅で下車し北へ向かい、行田公園を抜けてJR武蔵野線の船橋法典駅まで、1万歩の散歩となった。


● 京成船橋駅の一つ上野寄りに海神(かいじん)駅がある。 大正8年(1919)10月25日 に開業した駅で、現在の駅舎出入口は下り線ホーム側に一か所あるのみ。 たった1ヶ所の改札口には、自動改札機は2基あるのみ。 トイレは上りホーム上にある1ヶ所のみ。 停車するのは普通列車のみ。 2023年度の1日平均乗降人員は5,812人で、京成線内69駅中第49位と少ない。
2405140746220
2405140744210
2405140737450
2405140744520

・・・・・・・・・・ 【チョイト一言】 京成本線の普通列車が全て6両編成なのは?、、、、京成本線全線で、ホームの有効長が6両編成分しかないのは、ここ海神駅と京成中山駅の2駅のみ。 両駅ともホームの両端に踏切が在り、ホームを延長できないため。 他駅では8両編成分のホームが確保されており、この2駅の有効長が解消しないと普通列車の8両編成は難しい。

・・・・・・・・・・ 【チョイト一言】 海神駅はかって乗り換え駅であった?、、、、海神駅から現在の東武野田線の船橋駅まで、かつて総武鉄道海神線(海神~船橋間、1.4㎞)という路線があった。 京成と東武の船橋駅が離れているため、客の乗り換えをスムーズにできるよう、海神駅から(東武の)船橋駅まで総武鉄道海神線が開業した。 昭和4年(1929)に開業し、昭和9年(1934)に廃止された。 廃止理由は利用者が少ないから。

・・・・・・・・・・ 【チョイト、もう一言】 海神の駅名由来は?、、、、駅の東側の海神山(海神山緑地)に由来するらしい。 海神山には昭和初期に富裕層の別荘が建ち、大邸宅の多い高級住宅街となっている。 現在は大邸宅が分割し、小規模住宅地となった。、、、、もともと「海神(かいじん)」は、「船橋海神(わたつみ)」と呼ばれていたらしい。



● 海神駅前の寂れた狭い商店街(バス通り)を道なりに北へ歩く。 200m程歩くと店舗は無くなり普通の住宅地。 一日に5往復しか走らないバス停を見ると「山手二丁目」と言う所だ。 この先に行田公園がある。
2405140748010
2405140753510
2405140806350

・・・・・・・・・・ 山手二丁目の
細い路地の中程に、「海軍」と標記したコンクリート製の標柱がある。 おそらくこの先「行田公園」にあった旧日本海軍の無線基地に関連するものと思われる。
2405140816280


● 行田公園に着いた! あの有名な、真珠湾攻撃開始を告げた『ニイタカヤマノボレ1208 』の電文を発信した海軍の無線電信施設の跡地である。 行田公園は、終戦後米軍により接収されていた旧日本海軍の無線電信施設の跡地(約53ヘクタール)が、
昭和41年(1966)日本に返還され、その内の11.9ヘクタールが千葉県へ無償借与され都市公園として整備された。 昭和46年(1971)に行田公園として開園した。 公園は中央の大通りにより東側と西側に分かれており、歩道橋にて接続されている。、、、、現在は地元住民の体力作りの場として利用されているようだ!
2405140843330
2405140829340
2405140827370
2405140842310



● 行田公園から武蔵野線沿いに北へ歩き船橋法典駅に向かう。
2405140852530
2405140912300

・・・・・・・・・・ 中山競馬場の最寄り駅「船橋法典駅」に着いた! 今日は競馬の開催もなく、駅は混んでない。 
2405140915560
2405140918340

2024年3月 9日 (土)

強風の千本桜

昨日までの寒い雪の日とは変わり、今日は暖かな日となる天気予報を信じて、妻と新川千本桜(千葉県八千代市米本)を見に行くことにした。




● 朝9時に家を出た、『チョイト風が強いね、チョイ寒だ、マフラー持ってきてよかった、地下鉄で行こう!』 我が家から地下鉄の駅(浅草橋)までは徒歩1分強と近い。 地下駅に潜ると、寒さは忘れてしまった。 都営浅草線から京成本線に乗り入れ勝田台駅へ向かう

 

勝田台駅到着、暖かな電車からホームに出ると、北風が吹き荒れてる。 『タワマンが近くに在るのか(?)ビル風かも(?)寒い!』

2403091000520

2403091005280

2403091014320




● 駅前のバス停へ、米本団地行きのバスが出た直後だ! 日陰に北風が吹きすさぶバス停で15分程待つ。 桜を見に行く人が多く、バス停はスグに長蛇の列。 『オイ オイ こんな寒い日に花見に行くのか?』 自分のことを忘れ、愚痴が出る。

2403091021300




● バスの終点:米本団地で花見客を満載したバスから下車。 バス停の脇には米本団地(よなもとだんち)が並び建っている。 米本団地は、昭和45年(1970)に旧日本住宅公団が造成した賃貸住宅で、住棟数106棟、管理戸数3020戸の巨大団地。 浅草橋の我が家からここまで1時間半程だが、物凄く遠くに来た感じだ! こんな遠くに、こんな大きな団地があるとは、ビックリ!

2403091106470

・・・・・・・・・・ バス停の近くに立て看板。 強風の寒さに震えながら見ると、『県下有数 約700本 河津桜』 ここまで来たら、見ておかないと、妻と励まし合って新川へ向かう。

2403091107140




● 印旛沼から流れ、幕張付近で東京湾に注ぐ新川の土手約4.6㎞に、700本の河津桜が咲く「新川千本桜」がある。、、、、妻と端から歩き始めた。 『強風にめげず咲いてる!』 『小さな葉が出てきてる、そろそろ葉桜となるな』 『それにしても、風が強く寒いね!』 

2403091119140

2403091120420

2403091124490

2403091125480

2403091129170



・・・・・・・・・・ 強風にあおられ、衣装がフラフラ、髪の毛もフラフラ、コスプレ写真は撮れそうにないね!

2403091137010



・・・・・・・・・・ 千本桜はまだまだ続くが、寒さに勝てず『もう帰ろう!』の一言。 100本程見た、来た道を戻る。

2403091131330

2403091133430




● 夫婦の帰りの話題は“桜”にあらず、“駅に着いたら何食べる?”、“暖かいラーメン!”、“鰻もいいね!”、“コーヒー飲みたい!

より以前の記事一覧