三郷の正光山
「天王山 淵富院 正光寺」(北区岩淵町)の次は「瑠璃山 正光院」(港区元麻布)と続き、さてその次は“正光山”と言うことで・・・・・調べてみたら・・・・・東京23区内にはないが、隣の埼玉県にあった。 場所は、葛飾区の水元公園に近い三郷市高州に! 「正光山 大雄寺」というお寺があった。
今日の散歩は、あらかじめ地図で場所・ルートを確認し「正光山 大雄寺」へ行くことにした。 浅草橋の我が家からは、京成金町駅まで行って、駅からは旧水戸街道沿い(江戸川沿い)に大雄寺まで歩き、参る。 帰りは近くからバスで金町駅に出て帰宅。
● 浅草橋駅から、都営浅草線・京成線に乗り、薄っすらと朝霧の残る「京成金町駅」で下車。 今日の散歩は、ここからスタート!
・・・・・・・・・・ 京成金町駅から東に歩き「旧水戸街道」に出る。 常磐線のガードをくぐり、旧水戸街道は江戸川土手に沿って北へ向かう。、、、、(2枚目の写真)幅の広い都道から、右に分岐する道が旧水戸街道。
● 都道から細い旧道に入ると、江戸川に出る手前(葛飾区東金町)に「葛西神社」の鳥居がある、、、、、葛西神社は、平安末期の元暦2年(1185)に葛西清重が、上葛西・下葛西33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われてる。 江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜った。 祭神は、経津主神、日本武尊、徳川家康命の三神。、、、、東京周辺の祭り囃子の祖とされる「葛西囃子」発祥の地と言うが、私は葛西囃子を知らないので、ゴメン!
・・・・・・・・・・ 葛西神社前、旧水戸街道の路傍に庚申塔がある。 駒型・日月・青面金剛像・邪鬼・三猿の庚申塔。 私は判読不能だが「文政二己卯歳正月吉辰再興」の銘あり。、、、、街道の名残か?
・・・・・・・・・・ なんとなく、旧街道らしい道を歩く
● チョイト、脇に入ると浄土宗寺院の「摂取山 蓮池院 光増寺」がある。 光増寺は、貞応元年(1222)に草庵を起源とし、元仁元年(1224)親鸞聖人が立ちより、浄土真宗光増寺となった。 戦国時代の国府台合戦により堂宇を消失、天正15年(1587)、江戸増上寺の僧が浄土宗として中興した。 当地は旧水戸街道沿いにあたり、水戸徳川家の立ち寄り所となっていたことから、徳川家の紋所を使用している。 その後、数度の火災に遭い多くの寺宝と記録を失い、明治43年(1910)の再建を経て、昭和49年、現在の堂舎に改築された。、、、、境内は手入れが行き届き、気持ちよく参拝できる。
・・・・・・・・・・ 旧水戸街道に戻り、江戸川土手の下の道を歩く、、、、昔の人は、土手の上をのんびり歩いていたのかも?
● 歩く先には、東京外環自動車道(=外環道)が見える。、、、、外環道の下を抜けると、「都立水元公園」の東端に接し、都下水道局東金町ポンプ所の建物がある。 ポンプ所前に「金町関所跡之記」碑がある。、、、、関所の正確な位置はここではないらしい。 明治時代の河川改修と堤防の構築により旧態は残っておらず、もう正しい位置は判らなくなっているそうだ。 金町関所は「金町松戸関所」といい、慶長年間(1596~1614)水戸街道の要所として江戸防衛のため徳川幕府によって設置されたもので、水戸街道が江戸川を渡る地点に置かれた江戸の東の関門で、江戸川の渡船場を監視した関所だった。 関所の施設がある一帯は金町御番所町と呼ばれて、4名の関所番が、廃止となる明治2年2月までその任に当たっていた。、、、、碑の後ろの土手に上がると、対岸には松戸の街が広がっている。 旧水戸街道も対岸の松戸市へ続くそうだ。
● ポンプ所の前から北へ300m程歩くと、東京都葛飾区と埼玉県三郷市の境である。 三郷市に入って200m程で今日の散歩の目的地「正光山 大雄寺」(三郷市高州)がある。、、、、日蓮宗寺院の大雄寺は、教學院日利が開山となり、文禄元年(1593)創建 、江戸川の河川改修に伴い江戸・大正・昭和時代と3度の移転を経て当地へ移転した。 三郷七福神「戸ケ崎めぐり」の大黒天を祀る、、、、 山門を入ると、すぐ左手に本堂。 想像していた通りの小さなお寺。 本堂に手を合わせ、ハイ、さようなら!
・・・・・・・・・・ これにて、「正光寺」、「正光院」、「正光山」の山院寺号を制覇、一人悦に入る!
・・・・・・・・・・ 大雄寺の隣りには、大雄寺より境内の広そうな「三福神社(三輪神社)」がある。、、、、三福神社(三輪神社)は、寛永16年(1639)の江戸川の氾濫の時、三輪野江(現吉川市)の三輪神社の神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げて創祀、稲荷社・秋葉社とともに小向村の鎮守社となった。 明治43年(1910)には、大雄寺持ちの稲荷社を合祀した。、、、、 おらが村の鎮守さま!
● 本日の散歩はココまで、「高州四丁目バス停」から金町駅へ戻る。、、、、金町駅からここまで1万歩、健康的な散歩だ!