埼玉県

2024年10月 6日 (日)

武蔵一宮 女体神社

武蔵一宮である氷川女体神社と氷川神社を巡り、1万1千歩の散歩。



● 今朝、食事前に地図を見てると、JR東浦和駅の北3㎞程に“氷川女体神社”がある。 20年程前、JR川崎駅前(神奈川県)の“女体神社”に参ったことがある。 この時は、“女体”と称してもそれらしき謂れや関連する物も無く、極々普通の神社であった。 東浦和の“女体神社”も同様に普通の神社と変わりはないと思ったが、“女体”の文字の前に“武蔵一宮”と冠し、「武蔵一宮 氷川女体神社」と称してる。 起きがけの寝ぼけた状態で、助平爺の要らぬ妄想が始まり、ひょっとしたら、“御神体は女体かも?”、“拝殿前には撫で牛ならぬ、撫で女体があるかも?”、“御守りは女体を模したフィギュアかも?”  『ヨシ早速、武蔵一宮の氷川女体神社へ行ってみよう!』・・・・・と言うことで、早めの昼食後、一雨降りそうな曇り空の下、武蔵一宮氷川女体神社へ“Let's go!”

・・・・・・・・・・ JR東浦和駅前からバスに乗り、神社に近い朝日坂上バス停で下車。 歩いて数分、神社に向かう。 住宅地の坂を下ると「見沼代用水西線」と称する小川が流れ、そこに朱塗りの橋が架かり、正面に高台の境内に向かう階段と鳥居が見える。
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● やってきました「武蔵一宮 氷川女体神社」へ。、、、、氷川女体神社の由緒は、社伝によると、第10代崇神天皇の時代に勧請をしたと伝えられている。 氷川女体神社の“女体”は、祭神である稲田姫命(いなだひめのみこと、女神)に由来し、日本書紀のなかでは、稲田姫命は須佐之男命(すさのおのみこと)がヤマタノオロチ退治の際に助けて妃にした姫とされている。 また、一説には、当社である氷川女体神社(女体社)と、大宮区高鼻町にある大宮氷川神社(祭神:須佐之男命・男体社)、見沼区中川にある中山神社(祭神:大己貴命・王子社)の三社を合わせて、“武蔵一宮”と称したと伝えられている。 この三社は、地図上では氷川女体神社から北西へ、中山神社、大宮氷川神社へ向かい、一直線上に並んでいる。 また中山神社はその中間に位置する。 氷川女体神社の拝殿には、武蔵国一宮の扁額が掲げられてる。 中世以来、武門の崇敬を集めており、鎌倉北条氏、岩槻太田氏、小田原北条氏などにゆかりある書物や宝物が多く所蔵され、徳川将軍家からも社領50石を寄進されたそうだ。、、、、現在の社殿は、寛文7年(1667)徳川幕府四代将軍家綱が忍城主阿部忠秋に命じて建立した。 本殿は三間社流れ造りで全面に朱の漆が塗られ、拝殿と相の間で結ばれており、形式的には権現造りに近い建造物です。
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・・・・・・・・・・ 祭神は古の女神、生身の女神ではない! 撫で牛ならぬ撫で女体もなし! 御守りはフィギュアではなく普通の御札! せめて社務所の巫女さんは若い女性を期待したが、登場したのは60歳ほどの古の女性。 妄想の全ては幻想であった! 、、、、罰当たりな妄想は封印し『神さまゴメンナサイ!』 賽銭箱に100円硬貨数枚を投げ入れ、神聖な気持ちで二礼二拍手一礼する。




● 女体神社から、曼殊沙華の咲く見沼代用水西線沿いにしばらく歩き、“芝原”と言う所からバスに乗る。 乗ったバスは浦和駅行き。 ここまで来たら、ついでに大宮氷川神社に寄って行こう!
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● 大宮駅から氷川神社の長い参道を歩き「武蔵一宮 氷川神社」に参る。、、、、氷川神社の祭神は男体である須佐之男命(すさのおのみこと)。 ここ大宮の氷川神社は関東一円(約280社)に広がり信仰される各地の“氷川神社”の中心的となる総本社である。 また、歴史も古く、地名“大宮”は氷川神社を指すものである。、、、、氷川神社は、孝昭天皇3年(紀元前473)に創建、日本武尊が東征の際には当社に祈願したと伝えられている。成務天皇(130~190)の代に出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となり当社を奉崇し、出雲国斐伊川の名より氷川神社と称するようになったそうだ。、、、、現在の社殿の多くは紀元2600年(=昭和15年(1940))を記念して造替されたものである。 国の文化財と称する古い建物はないと思われる。
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・・・・・・・・・・ 氷川神社に参った後は、参道沿いの“氷川だんご”にお立ち寄り!、、、、今日の散歩は、女体が団子に変わった!

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2024年4月29日 (月)

谷塚から八潮まで

東武伊勢崎線の谷塚駅から東に歩いて、つくばエキスプレスの八潮駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ゴールデンウィーク前半の最終日、何処にも行く予定の無い私は谷塚駅で降り、東の八潮駅まで散歩することにした。 連休中とあって、通勤通学客はいないが行楽地に行く人が多いのか、電車はチョッピリ混んでいた。

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● 谷塚駅の東、県道を越えると真言宗豊山派寺院の寶光山安楽院善福寺がある。 善福寺の創建年代は不詳だが、江戸時代中期までには既に存在していたものと推測されている。 昭和15年(1940)まで西新井大師の総持寺の末寺であったが、同宗派総本山の長谷寺に変更した。、、、、道を歩いていると立派な山門が目に入る、静かな境内に入ると本堂の優美な姿がまたまた目に入る。

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・・・・・・・・・・  門前に正徳3年(1713)銘の庚申塔、境内に元禄4年(1681)奉納の六地蔵がある
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● 草加市瀬崎の裏通りを歩く。瀬崎(せざき)の町は毛長川を境にして東京都足立区と接する住宅地。

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・・・・・・・・・・ 瀬崎の町の東端、伝右川の際に立派な「草加市スポーツ健康都市記念体育館」がある。、、、、草加市は昭和53年(1978)に「スポーツ健康都市宣言」を行った。 市民のスポーツ運動に関する基礎調査を行い、市民スポーツの拠点と国際大会等の公式試合が行える施設として「総合スポーツセンター」構想をまとめて、総工事費は23億8800万円を投じ、建設した体育館。 昭和59年(1984)に着工し、昭和61年(1986)供用開始。、、、、収容人数 1,277人のメインアリーナ、サブアリーナ、柔道場、剣道場、相撲場、卓球場、弓道場、1周220mのランニングコースなど施設も充実してる。

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● 伝右川を越えると、埼玉県草加市と八潮市の境に割り込むように「都営花畑第四アパート」(東京都足立区)がある。 おそらく23区で最北端の都営アパートと思われる。 大きな団地だが、団地内の多くの商店はシャッターをおろしたみたいだ! 近くの大型スーパーに負けたか?

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● 都営アパートを抜け、桑袋大橋(くわぶくろおおはし)を渡り綾瀬川を渡ると八潮市に入る。

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● 八潮市大曾根にある「大曽根八幡神社」に寄って行く、、、、大曽根八幡神社の創建は文亀2年(1502)の勧請といわれてる。 古くより当地の鎮守社であった。 江戸時代には当地の領主旗本森川家の崇敬を受けていた。 明治期には村社に列格していた。、、、、現社殿は明治28年(1895)の再建で、本殿は総欅一間社流れ造り、向拝正面を唐破風、上部を千鳥破風、桂間の壁面は神話を題材とした浮彫りをはめこむ。 拝殿は入母屋造りの銅板葺き屋根、向拝中央を唐破風、上部を千鳥破風とし、八幡太郎義家父子等の武将の活躍を浮彫りで表現してる。 社殿周りの彫刻は素晴らしい!

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● 大曽根八幡神社の南側に、真言宗豊山派寺院の光林山福壽院がある。 こちらにもチョイトお立ち寄り。 福壽院の創建年代は不詳だが、江戸時代前期には創建していたらしい。

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● 福壽院から八潮駅までは約2㎞、新興住宅地の中を駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの八潮駅に到着。 連休だからか(?)つくば方面に向かう親子連れが多い。 

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2024年2月15日 (木)

住みやすい谷塚

天気も良さそうなので、『歩いてくる!』と一言残し家を出る。 『さて、どこへ行こうか?』 迷える爺は、とりあえず浅草線に乗り押上で降り。 東武伊勢崎線に乗り西新井で降り。 再び伊勢崎線に乗り谷塚で降り。 ここから歩こうと決めたが、東西南北いずれに向かう? またまた迷える爺となり。 駅前の地図を眺めて、見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万1千歩の散歩です。




谷塚駅は東武伊勢崎線が東京都足立区から埼玉県草加市に入って最初の停車駅。 私にとっては、『東京から埼玉に行ってきた』と言える駅だ。 我が家のある浅草橋から30分程の処にあり、お手軽に来られる駅でもある。、、、、東口は駅前ロータリーがあり、バスも停まり、スーパーや100年ショップなどもあり整備されている。 西口は駅前に空き地が広がり、車は入りずらく、これから整備するようだ。、、、、駅前の地図を眺めて、今日は県道104号線の北側を西へ向かって日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。

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● 住宅情報サイトの記事によると、谷塚駅東側は『①駅前に交番がある ②スーパーや日用品店が揃っていて買い物に困らない ⓷コンビニと飲食店は少なめ ④全体的に人通りが少なく静かな雰囲気』と書かれているが、今日歩いた西側の特徴は『①全体的に店が少なくて田舎の雰囲気 ②家賃は低いがやや古い物件が目立つ ⓷自然が多くてのどかな住宅街が広がる ④スーパーが少なくて買い物が不便』と書かれてる。 たしかに、歩いてみて西側は、まさに田舎の雰囲気が残る新興の住宅地である。 店は少なく、道路は狭く、歩く面白みに欠ける町。

・・・・・・・・・・ 駅近くで県道104号線を横断し、北側(谷塚町・柳島町)の裏道を歩く。

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・・・・・・・・・・ さっそく農地が現れた! セールストークで『高い建物がないので、見晴らしが良いです。人通りも少なく、緑が多いのどかな住宅街が広がってます』 

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・・・・・・・・・・ 新しいアパートが並ぶ! セールストークで『戸建てに混ざって、一人暮らし向けの低層アパートも多いですよ』

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・・・・・・・・・・ 畑の向こうにマンションがある! セールストーク『眺望の良い1LDK、家賃は7万円で、安いですよ』

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・・・・・・・・・・ 草加市を南北に貫く国道4号線 セールストーク『国道に出れば お店がいっぱい並んで便利です』

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・・・・・・・・・・ チョイト狭い裏道。 セールストーク『住宅街は人通りが少なく、静かな雰囲気です』

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・・・・・・・・・・ 草加南高等学校(草加市柳島町)がある。 セールストーク『学校も近く 東大受験まちがいなし』

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・・・・・・・・・・ 高等学校の西には、素朴な感じの柳島氷川神社がある。 セールストーク『お受験の神頼みもできますよ』

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・・・・・・・・・・ 氷川神社の裏には柳島コミニティセンターがある。 セールストーク『地域との触れ合いはこちらでできます 谷塚での充実した生活をおくってみてはいかがですか』

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● 東京都足立区と埼玉県草加市の境を流れる毛長川(けながかわ)に出た。 毛長川は利根川水系綾瀬川支流の一級河川。、、、、昭和23年(1948)より40年にかけて改修拡張された。 人口急増による生活排水の増加などの影響により20世紀後半に水質がきわめて悪化したが、流域の下水道の普及などにより水質は次第に改善した。 現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み、綾瀬川同様、毛長川に注ぐことで水質を改善する試みが行われている。、、、、川を越えたら、見沼代親水公園駅がある

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● 日暮里舎人ライナーの終着駅「見沼代親水公園駅」に到着。 東京23区内最北端の駅、平成20年(2008)の開業。

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2023年12月14日 (木)

秩父(町歩き)

昨夜は和銅鉱泉に泊まり、今日(12/14)はのんびり秩父の町を歩いて見た。




● 宿の車で和銅黒谷駅まで送ってもらい、2つ先の駅:秩父駅へ向かう。

・・・・・・・・・・ 和銅黒谷駅で電車を待っていると、ホーム向かいの待避線に秩父鉄道デキ100形電気機関車が石灰石を積んだ貨車を牽引して入線してきた。 デキ100形は、第二次世界大戦後(1951~1956)に日立製作所が日本各地の私鉄や専用線に供給した50t級電気機関車の一つで、秩父鉄道には3両が現存している。、、、、シャッター・チャンス!

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・・・・・・・・・・ 秩父鉄道の秩父駅は、大正3年(1914)10月27日に当時の上武鉄道(現:秩父鉄道の前身)が秩父までの延伸に伴い開業した。、、、、現在は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームと改札口は地下通路により連絡している。 駅舎はホームの西側にあり、秩父地域地場産業振興センター(地場産センター)を兼ねている。、、、、かつての木造駅舎(国登録有形文化財)は昭和59年(1984)に、駅北東の公園内に移築し保存されている。 見に行きたいと思ったが、平日は内部を公開していないそうで諦めた。 残念!

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● 秩父市内観光の始めは、昨日訪れた浦山ダムの天端(本体の一番上の部分)のデザインで、モチーフにした旧秩父橋を見に行くことにした。、、、、旧秩父橋(二代目の秩父橋)は、昭和6年(1931)に竣工した鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋で、橋長134.6m、幅員6m、現在は人道橋として利用している。 県内では初期の大型コンクリートアーチ橋で、貴重な近代化遺産の一つである。 旧秩父橋の隣りには、明治18年に架設された初代秩父橋の橋脚部分が残されている。、、、、(小さな写真は、浦山ダムの天端)

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● 旧秩父橋から秩父駅に戻り、駅の近く、秩父夜祭の屋台を展示する「秩父まつり会館」を見学。、、、、高さ15m前後の屋台の展示と3Ⅾ立体映像による秩父市内の各祭りの紹介、そして夜祭りの資料展示。、、、、祭りの雰囲気を十分堪能でき、祭り気分で会館前の秩父神社へ直行!

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秩父神社は秩父まつり会館の前に鎮座する。、、、、秩父地方の総社で、創建は二千年前と言われています。 知恵の神様とされる八意思兼金命をはじめ四柱の神々をお祀りする本殿は埼玉県重要文化財。 徳川家康が再建した権現造りの本殿、幣殿、拝殿が並び、なかでも左甚五郎作の「つなぎの龍」は有名。また、「子育ての虎」、「お元気三猿」も人気があります。 秩父神社の例大祭は世に名高い秩父夜祭(12月2・3日)である。、、、、社殿の彫刻は、派手な色使いで綺麗で、表情は漫画チックで面白い! 一言、冗談でもいいたくなるね!

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● 秩父神社の周辺には、江戸、明治、大正、昭和の建築が数多く残されている。 ダイジェストのダイジェストで、チョッピリ紹介する。 なお、全て国登録有形文化財。、、、、順に、秩父ふるさと館そば処入船旧大月旅館別館旧岩田醫院小池煙草店カフェ・パリー安田屋旧片山醫院御花畑駅(副駅名:芝桜駅)

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● 街歩きも疲れてきた、夫婦で蕎麦屋に入りひと休み。 疲れが取れ、腹ごしらえもOKだ! 観光客が行きそうな処からチョイトはずれて、市役所の近くにある「ちちぶ銘仙館」へ行く。、、、、ちちぶ銘仙館は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管及び展示し、これらの資料を永く後世に伝え、あわせて、伝統的技術を継承することを目的として設置された施設。 秩父銘仙の製作工程のガイド、体験教室や製品のショップなどもある。、、、、建物は、秩父絹織物同業組合(現:秩父織物商工組合)が昭和5年(1930)に建築したもの。 埼玉県繊維工業試験場として使われてきたが、秩父銘仙を伝承する施設として、平成28年(2016)にリニューアルオープンした。 建築家フランク・ロイド・ライトが考案した大谷石積みの外装や昭和初期の装飾を生かした建物として、国の登録有形文化財に登録されている。、、、、見学者は少なく、私達夫婦の為に銘仙の作り方をレクチャーして頂いた。 御礼のつもりか(?)帰りには妻が銘仙の生地を買い求めていた。

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● 帰りは西武秩父駅から特急で池袋へ、、、、秩父鉄道の秩父駅とは離れた位置にあり、乗換はできない。 近くに秩父鉄道の御花畑駅があり、ここで乗り換えができる。、、、、西武秩父駅は昭和44年(1969)10月14日に、埼玉県立秩父農工高等学校(現:埼玉県立秩父農工科学高等学校)跡地に開業した。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線の地上駅。 平成35年(2017)にリニューアルされた西武秩父駅はグッドデザイン賞を受賞したモダンな駅だ!

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2023年12月13日 (水)

秩父(浦山ダム)

今年は、ほぼ毎月のように夫婦で温泉旅行をしてきた。 その〆として、今年最後の旅行先を埼玉県秩父の和銅鉱泉とし、13日に行ってきた。 近場の温泉(鉱泉)なので宿の予約だけ優先し、観光ルートなどは決めておらず、当日のぶっつけ本番旅となった。

 

● 目的地の和銅鉱泉は秩父市にあるので、東京(池袋)から西武鉄道(池袋線・秩父線)を利用すれば2時間弱で着く処だ。 しかし閑な夫婦の旅なので、東武東上線を利用して寄居まで行き、寄居から秩父鉄道に乗換え、車窓から長瀞を眺め荒川沿いに遡り秩父へ行くことにした。、、、、寄居には10時頃到着し、このまま秩父鉄道の和銅黒谷駅で下車して宿に向かうには早すぎる。 秩父の町は明日観光することにしていたので、今日は秩父駅から3駅先にある浦山口駅で下車し、浦山ダムを見に行くことにした。

・・・・・・・・・・ 東武鉄道の8000系リバイバルカラーの車両(1981年製)で寄居駅に到着。 旧東急のステンレスカーであった、秩父鉄道の車両に乗換える。、、、、東武鉄道、秩父鉄道、JR八高線が乗り入れる寄居駅、山並みが見える構内は広い! 

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・・・・・・・・・・ 秩父鉄道の浦山口駅(うらやまぐちえき)にて下車する。、、、、昭和5年(1930)3月15日に開業した駅は、昨年まで業務委託駅であったが、ICカード「PASMO」の利用が可能となり、無人駅となった。 ここ数年、1日平均乗車人員は約90人である。、、、、木造の小さな駅舎に、誰もいないホーム、のんびりした雰囲気が流れる駅。、、、、ホームから正面の山中にダムの堤頂を眺めることができる。

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・・・・・・・・・・ 駅からはダムの下まで歩いて行く(タクシー、バスなんてありません!) 歩く道には、人影は無し、車は数台、猿は数十匹。 ダムの下まで緩やかな上り坂を歩くこと20分。 チョイト疲れた!

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・・・・・・・・・・ ダムの下に、一般開放された監査廊(浦山ダムの歴史を解説したパネル展示)があり、さらにダムの底部に設置されているダムのたわみを計測するプライムラインを見ることができる。、、、、妻はダムの監査廊を歩くのは初めて、ワクワク、ドキドキ!

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・・・・・・・・・・ ダムの底部から堤頂まで、ダム本体の中を一気に上る昇降行程132.6mのエレベータがあり、あっという間にダム堤頂に出ることができる。

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・・・・・・・・・・ 浦山ダム(うらやまダム)は、埼玉県秩父市、荒川水系浦山川に建設された重力式コンクリートダムである。 浦山ダムは、荒川の洪水調節・東京と埼玉の水道用水・埼玉県営の発電・河川環境の保全を目的として造られたそうだ。 ダム建設は昭和47年(1972)の予備調査開始から始まり、昭和65年(1990)から本体工事が進められ、平成10年(1998)に28年の歳月を掛けて完成にこぎ着け、翌平成11年(1999)より使用を開始した。、、、、ダムの諸元は、ゲート:自然調節方式、堤高:156m(重力式コンクリートダムとしては、奥只見の157mに次ぐ全国2番目の高さ)、堤頂長:372m、総貯水容量:5,800万㎥m3、管理者:水資源機構、本体施工業者:飛島建設・間組・竹中土木、、、、堤頂を歩き、ダムの大きさを実感する、スゲ~~!! 秩父の町が一望できる。

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・・・・・・・・・・ 浦山ダム資料館のレストランでは「浦山ダムカレー」を、美味しく頂く。、、、、隣でダム管理所の職員も美味しそうに食べてた、浦山ダムラーメンも名物らしい!

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・・・・・・・・・・ ダム見学も終え浦山口駅に戻る

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● 再び秩父鉄道に乗り、和銅黒谷駅(わどうくろやえき)で下車する。、、、、和銅黒谷駅は、大正3年(1914)10月27日、黒谷駅として開業し、平成20年(2008)に和銅黒谷駅と改称した。 島式ホーム1面2線の地上駅。 一日の平均乗車人員は200名程と少なく、無人駅である。、、、、日本通貨発祥の地とされている。「和銅開珎」で有名な和銅はこの駅の近くで採掘されていたそうだ。 ホームには「和同開珎」のモニュメントが置かれてる。

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和銅鉱泉は、武田信玄公が和銅金山を開始した当時より開業したと称する古き歴史を有しているそうで、昔、この鉱泉を目薬や切傷に使用し特効したという伝承から、“薬師の湯”と呼ばれているそうだ。 本日のお宿「ゆの宿 和どう」で、熱い湯に入り、美味しい食事に、暖かいもてなし、今年の夫婦二人旅を締めくくる。

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2023年12月11日 (月)

谷塚から六町へ

東武伊勢崎線の谷塚駅(埼玉県草加市)から、つくばエキスプレスの六町駅(東京都足立区)まで、1万3千歩の散歩です。




● 朝7時半、谷塚(やつか)駅はすでに通勤通学の時間帯に入ってる。 “普通”しか停まらないホームには、多くの乗客が地下鉄の日比谷線に乗り入れる上り電車を待っている。 やって来た電車は既に満員状態、座れる余地はナシ、チョイト辛いね!

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・・・・・・・・・・ 駅前ロータリーに設置されてる案内板には、旧谷塚駅の写真と共に、『東武伊勢崎線谷塚駅は、1925(大正14)年10月に開設された駅です。1920(大正9)年3月に西新井・草加間が複線化された後、地元の人たちの要望と路線の電化により誕生しました。駅名は旧村名によるものです。 開業当初、付近は低湿地帯でした。1962(昭和37)年に地下鉄日比谷線の乗り入れ後、都心へわずか30分という立地条件から急速に開発が進み、利用者が急増しました。1988(昭和63)年8月、鉄道高架複々線化事業にともない高架ホームが完成しました。』と記されてる。

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● 谷塚駅入口交差点の角に浅間神社がある。 これまでに何度か参拝してるので、今日は手を合わせるだけ。

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● 浅間神社から裏通りを歩き、花畑大鷲神社を目指す。 毛長川を挟み東京都足立区接する草加市瀬崎は、住宅の中に工場が混在する町。、、、、私の興味を引き付けるものは少なく、ひたすら歩くだけ!

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・・・・・・・・・・ 住宅地の中にある公園で、絵になるような2本の大木(?)を見つけた

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・・・・・・・・・・ 毛長川に架かる大鷲(おおとり)さくら橋を渡ると、東京都足立区に入る。、、、、大鷲さくら橋は、令和2年(2020)に開通し、足立区花畑地区と埼玉県草加市を結ぶ、橋長:34.9m、幅員:16.8mの鋼単純合成床版橋。 事業費約17億円で架けられた。

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● 毛長川を越えて足立区に入ると、花畑大鷲神社(はなばたけおおとりじんじゃ)がある。、、、、大鷲神社の創建は古く、平安時代、新羅三郎義光が奥州の役に赴く途中、社前に戦勝を祈願したと伝えられるゆかりの社である。 台東区千束の鷲神社(おおとりじんじゃ)と同様に、応徳(1084)の頃から毎年11月の酉の日に例祭が行われ大変なにぎわいを呈しているそうだ。、、、、現在の本殿は嘉永7年(1854)に上棟、明治8年竣工、総欅方3間四方唐破風造りである。、、、、大鳥居をくぐると、チョイト長めの参道が伸び、途中に和風の庭園もある、緑豊かな静かな神社です。 

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● 大鷲神社の東側で毛長川は綾瀬川に合流する。 綾瀬川は南に流れ、つくばエキスプレスと平行して北千住方面に流れ下る。 私は、大鷲神社入口のバス停付近から綾瀬川沿いに歩き、約3㎞先の六町駅に向かう。

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● 足が棒になってきた頃、六町駅が見えた!、、、、六町駅は平成17年(2005)8月24日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。 ホームは地下3階にあり、チョイト深い!、、、、駅周辺の開発が進み、住宅地域が広がっているらしい。 電車の利用者も増えているようだ。 開業時の平成17年の一日平均乗車人員は約5000人であったが、昨年令和4年(2022)の乗車人員は3倍の約15,000人となった。 

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2023年12月 8日 (金)

SKIPシティ

京浜東北線の蕨駅から、東に向かって埼玉高速鉄道の鳩ケ谷駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 朝7時半過ぎに蕨(わらび)駅で下車する。 私が乗って来た大宮行きの下り電車はチョウド全員が座れる程度の乗車率。 しかし、蕨駅から東京方面に向かう上り電車は立ってる人も多く着席が難しそうだ。 都心のオフィスに9時までに入るには、蕨駅は通勤時間帯の真只中だ! 通勤客の人波は駅前からホームまで延々と続いている(凄い!)

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・・・・・・・・・・ 蕨駅は明治26年(1893)7月16日に日本鉄道の駅として開業し、明治39年(1906)には国有化された。 蕨駅は京浜東北線の電車のみ停車し、線路名称の東北本線の列車は停車しない。 島式ホーム1面2線の地上駅である(駅舎は橋上)、、、、1日平均乗車人員は約52,000人である。 通勤通学客が多い駅だ!

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● 蕨駅で下車したが、行先は定まらず、地図を見て東西南北どちらに歩こうか? 駅前の交差点で迷い、駅に向かう美人が一番多そうな、東に向かって伸びる大通り(塚越本通り)沿いに歩くことにした。、、、、歩きはじめて、美人どころか歩いてる人が少なく、チョイトがっかり!

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● 蕨駅から1㎞程歩いたところに塚越稲荷神社があり、立ち寄ってみた。、、、、神社の創建年代は不詳だが、明応年間(1492~1501)の創建と伝わる。 鎮座する丘は、玄快という廻国の出家僧が伏見稲荷大社に折誓の折り、お告げを受けて法華経一万部を埋納し、経塚としたところで、これが塚越の地名の由来となったそうだ。、、、、印象的な赤い鳥居をくぐり参道の先、階段の上には、伏見稲荷を意識したのか真っ赤な本堂がある。、、、、境内には、延命観音、力石、天満宮、観音堂など、話題となるようないろいろなものがある。

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● 表通りは、マンション、住宅が並ぶだけで面白くない。 蕨市から川口市の裏通りに入り、チョウド通学時間の埼玉県立川口工業高等学校前を歩き、清流とは言い難い黒く汚れた堅川を越え、川口市立上青木中学校前を通り過ぎると、SKIPシティの前に出た!

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● 「SKIP CITY(=SKIPシティ)」とは、川口市にある映像制作を目的とした施設。 NHK川口ラジオ放送所跡地の産官学連携による再開発事業として、2003年2月1日にオープンした。 SKIPは 英語: Saitama Kawaguchi Intelligent Park の頭文字から。、、、、NHK放送所の跡地は広大な土地で、現在は4街区に分かれている。 A街区には、2棟の大きな建物があり、1棟は埼玉県・川口市が主体となり、「埼玉県産業技術総合センター」、「川口市立科学館」などが使用してる。 もう1棟は「NHKアーカイブス」などが使用してる。 B街区は仮囲いに囲われ、現在大林組の施工で、約22,000m2の敷地に4棟のNHKのスタジオを建築中。 C街区はこれも広大な敷地だが、現在は更地。 今後川口市が庁舎の建て替えで使用する予定らしい。 Ⅾ街区は放送衛星システムの地上運用局として使用中。、、、、なにしろ広い! 広大だ! NHKの経営が苦しいとは思えない広さだ!

・・・・・・・・・・ まずは、A街区の埼玉県・川口市が主体の建物

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・・・・・・・・・・ 「NHKアーカイブス」のある建物

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・・・・・・・・・・ B街区はスタジオ建築中、、、、長~い仮囲いの内側は全てB街区

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・・・・・・・・・・ C街区は更地、、、、奥に見えるパラボラはD街区の衛星放送施設

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・・・・・・・・・・ Ⅾ街区のパラボラが並ぶ衛星放送施設

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● SKIPシティの北東500m程の処に、浄土宗の専称寺(せんしょうじ)がある。 専称寺は青木山聖冏院と号す。 専稱寺は、浄土宗中興の祖・酉蓮社了譽聖冏上人(応永27年1420年寂)が開山、江戸期までは近隣に末寺を擁していました。 現在の建物は明治以降の建築らしい。、、、、なんとなく懐かしさを感じる寺

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● 専称寺の先で芝川を越えると鳩ケ谷駅(はとがやえき)がある。 鳩ヶ谷駅は、平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道線の駅。 島式ホーム1面2線の地下駅。

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2022年11月22日 (火)

三郷の正光山

「天王山 淵富院 正光寺」(北区岩淵町)の次は「瑠璃山 正光院」(港区元麻布)と続き、さてその次は“正光山”と言うことで・・・・・調べてみたら・・・・・東京23区内にはないが、隣の埼玉県にあった。 場所は、葛飾区の水元公園に近い三郷市高州に! 「正光山 大雄寺」というお寺があった。

今日の散歩は、あらかじめ地図で場所・ルートを確認し「正光山 大雄寺」へ行くことにした。 浅草橋の我が家からは、京成金町駅まで行って、駅からは旧水戸街道沿い(江戸川沿い)に大雄寺まで歩き、参る。 帰りは近くからバスで金町駅に出て帰宅。



● 浅草橋駅から、都営浅草線・京成線に乗り、薄っすらと朝霧の残る「京成金町駅」で下車。 今日の散歩は、ここからスタート!

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・・・・・・・・・・ 京成金町駅から東に歩き「旧水戸街道」に出る。 常磐線のガードをくぐり、旧水戸街道は江戸川土手に沿って北へ向かう。、、、、(2枚目の写真)幅の広い都道から、右に分岐する道が旧水戸街道。

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● 都道から細い旧道に入ると、江戸川に出る手前(葛飾区東金町)に「葛西神社」の鳥居がある、、、、、葛西神社は、平安末期の元暦2年(1185)に葛西清重が、上葛西・下葛西33郷の総鎮守として、香取神宮の分霊を勧請したと言われてる。 江戸時代には徳川家康から御朱印10石を賜った。 祭神は、経津主神、日本武尊、徳川家康命の三神。、、、、東京周辺の祭り囃子の祖とされる「葛西囃子」発祥の地と言うが、私は葛西囃子を知らないので、ゴメン!

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・・・・・・・・・・ 葛西神社前、旧水戸街道の路傍に庚申塔がある。 駒型・日月・青面金剛像・邪鬼・三猿の庚申塔。 私は判読不能だが「文政二己卯歳正月吉辰再興」の銘あり。、、、、街道の名残か?

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・・・・・・・・・・ なんとなく、旧街道らしい道を歩く

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● チョイト、脇に入ると浄土宗寺院の「摂取山 蓮池院 光増寺」がある。 光増寺は、貞応元年(1222)に草庵を起源とし、元仁元年(1224)親鸞聖人が立ちより、浄土真宗光増寺となった。 戦国時代の国府台合戦により堂宇を消失、天正15年(1587)、江戸増上寺の僧が浄土宗として中興した。 当地は旧水戸街道沿いにあたり、水戸徳川家の立ち寄り所となっていたことから、徳川家の紋所を使用している。 その後、数度の火災に遭い多くの寺宝と記録を失い、明治43年(1910)の再建を経て、昭和49年、現在の堂舎に改築された。、、、、境内は手入れが行き届き、気持ちよく参拝できる。

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・・・・・・・・・・ 旧水戸街道に戻り、江戸川土手の下の道を歩く、、、、昔の人は、土手の上をのんびり歩いていたのかも?

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● 歩く先には、東京外環自動車道(=外環道)が見える。、、、、外環道の下を抜けると、「都立水元公園」の東端に接し、都下水道局東金町ポンプ所の建物がある。 ポンプ所前に「金町関所跡之記」碑がある。、、、、関所の正確な位置はここではないらしい。 明治時代の河川改修と堤防の構築により旧態は残っておらず、もう正しい位置は判らなくなっているそうだ。 金町関所は「金町松戸関所」といい、慶長年間(1596~1614)水戸街道の要所として江戸防衛のため徳川幕府によって設置されたもので、水戸街道が江戸川を渡る地点に置かれた江戸の東の関門で、江戸川の渡船場を監視した関所だった。 関所の施設がある一帯は金町御番所町と呼ばれて、4名の関所番が、廃止となる明治2年2月までその任に当たっていた。、、、、碑の後ろの土手に上がると、対岸には松戸の街が広がっている。 旧水戸街道も対岸の松戸市へ続くそうだ。

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● ポンプ所の前から北へ300m程歩くと、東京都葛飾区と埼玉県三郷市の境である。 三郷市に入って200m程で今日の散歩の目的地「正光山 大雄寺」(三郷市高州)がある。、、、、日蓮宗寺院の大雄寺は、教學院日利が開山となり、文禄元年(1593)創建 、江戸川の河川改修に伴い江戸・大正・昭和時代と3度の移転を経て当地へ移転した。 三郷七福神「戸ケ崎めぐり」の大黒天を祀る、、、、 山門を入ると、すぐ左手に本堂。 想像していた通りの小さなお寺。 本堂に手を合わせ、ハイ、さようなら! 

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・・・・・・・・・・ これにて、「正光寺」、「正光院」、「正光山」の山院寺号を制覇、一人悦に入る!



・・・・・・・・・・ 大雄寺の隣りには、大雄寺より境内の広そうな「三福神社(三輪神社)」がある。、、、、三福神社(三輪神社)は、寛永16年(1639)の江戸川の氾濫の時、三輪野江(現吉川市)の三輪神社の神体が当地に流れ着き、これを村人が拾い上げて創祀、稲荷社・秋葉社とともに小向村の鎮守社となった。 明治43年(1910)には、大雄寺持ちの稲荷社を合祀した。、、、、 おらが村の鎮守さま!

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● 本日の散歩はココまで、「高州四丁目バス停」から金町駅へ戻る。、、、、金町駅からここまで1万歩、健康的な散歩だ!

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2022年10月26日 (水)

蔵造りの町 川越

昨日のニュースで“鰻重を食べる”シーンが放送された、その時私が『美味そうだ、食べたいね!』と一言発した。 一夜明け、朝食中に妻から『今日の昼食は川越?』と、やんわり誘いがかかる。 誘いに弱い私は『よし、食べに行こう!』、、、、と言うことで、今日の散歩は川越の町歩き。 1万7千歩

 

 

● 高田馬場から西武新宿線の特急「小江戸」に乗って、10時半に「本川越駅」に到着。、、、、西武鉄道の本川越駅、東武鉄道の川越市駅、JR東日本の川越駅、3駅とも比較的近い距離にあるが、蔵造りの街並み観光には本川越駅で下車するのが一番“楽”そうだ!、、、、本川越駅は明治28年(1895)3月21日に川越鉄道の川越駅として開業。 現在川越市の中心にある3駅(川越駅・川越市駅・本川越駅)の中では、最も古い駅である。 昭和15年(1940)には鉄道省川越線開業に伴い、駅名を本川越駅に改称した。 【注】川越鉄道は甲武鉄道の子会社であったが、大正11年(1922)に、鉄軌道事業が分離されて西武鉄道の路線となった。、、、、本川越駅は、ショッピングモール「ペペ」やプリンスホテルを併設し、巨大で綺麗で近代的だ、ビックリした。

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● 喜多院に向かう前に、喜多院の南側の一隅に祀られてる「仙波東照宮」へ行く。 徳川初代将軍家康公を祀る、日光・久能山とともに日本三大東照宮のひとつである神社。 現在の社殿(国指定重要文化財)は寛永17年(1640)に完成した。、、、、周囲を壕で囲む築山の上にこじんまりとした社殿がある。 階段上の拝殿前の門は閉められており、隙間からチョイトだけ拝見。、、、、“仙波”とは、この地の山の名“仙波山”に因む。

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● 川越の古刹「喜多院」に参る、、、、まずは、慈恵大師を祀っている「慈恵堂」(本堂)で手を合わせる。 慈恵大師とはこの寺の創始者、平安時代の僧良源です。 良源は今では全国的にはなったおみくじを始めた人といわれている。、、、、現本堂は、川越大火の翌年、寛永16年(1639)に大火以後、いち早く再建された。 堂内は静かで耳をすませば潮の音が聞こえると言われ、「潮音殿」とも呼ばれている。(耳の良い人が居たもんだ!)

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・・・・・・・・・・ 古墳を利用した小高い丘の上に、
慈眼大師天海をまつる御堂「慈眼堂」(国指定重要文化財)がある。 天海僧正は、寛永20年(1643)、寛永寺において入寂した。 正保2年(1645)に家光公の命により、この堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置された。 建物は、桁行3間、梁間3間の比較的小さな堂で、屋根は中央から四方の隅へ流れる宝行造り。、、、、厨子は見えるが、天海像は見えないゾ~~

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・・・・・・・・・・ 3代将軍家光誕生の間春日局化粧の間などが、江戸城から移築されてる。 見学できたが、撮影禁止のため写真なし。 


・・・・・・・・・・ 天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立された全部で538体の羅漢像が、境内の一隅に鎮座している。、、、、一体一体それぞれ動作、表情が異なり、自分に合った像を探すのは一苦労! でも、多くの参拝客は探して楽しんでいた。

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● 時刻は12時、喜多院をあとにして蔵造りの町の中心部に向かって歩くと、本日の散歩の目的地:鰻屋があった! 迷わず入店、迷わず注文、美味しく頂き大満足、幸せになって店を出る!

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● 「大正浪漫夢通り」と称する、蔵造りの町とは一味違う通りに出た! 約200mの通りの両側には、大正時代をイメージしたレトロな店舗がおよそ30軒並んでいる。 この通りはかつてアーケードのある「銀座商店街」であったが、平成13年(2001)頃にリニューアルした。 観光客も集まる通りに生まれ変わったそうだ!

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・・・・・・・・・・ 通りの北端には、ドーリア式の柱が並ぶ重厚な「旧武州銀行川越支店(現:川越商工会議所)」の建物もある。 建物は、高島屋日本橋店などを手掛けた前田健二郎の設計、清水組(現:清水建設)の施工で、昭和2年(1927)に建てられた。 国登録有形文化財、、、、玄関わきの赤いポストは“ワン・ポイント”

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● 蔵造りの街並みの中に、建築家:保岡勝也(やすおかかつや  明治10年~昭和17年)が設計した建物3棟が残っている。 保岡勝也は三菱の丸の内赤煉瓦オフィス街(三菱一号館など)を設計した。

・・・・・・・・・・ まずは、大正7年(1918)に保岡勝也が設計した「第八十五銀行本店(現:埼玉りそな銀行川越支店)」 ネオ・ルネサンス様式の建物で、青緑の塔屋が印象的な銀行建築。 国登録有形文化財、、、、建物は銀行の店舗で、チョイト中には入れない、外から眺めてハイ・ソレマデ~ヨ~

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・・・・・・・・・・ 川越の老舗菓子店「亀屋」の5代目山崎嘉七の隠居邸宅として、大正13年(1924)に上棟された「旧山崎家別邸」 旧山崎家別邸は、約2300㎡の敷地に、和洋折衷の建物と風情ある庭園が印象的だ。 国指定重要文化財、、、、入場料100円で建物内部も公開されており、当時の建築図面など貴重な工事資料も見ることができる。 川越に芋を食べに来たら、必見! 

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・・・・・・・・・・ 三つ目の作品は、蔵造り街並みの表通りに面して建つ「旧山吉デパート」(登録有形文化財)、、、、保岡勝也の設計により昭和11年(1936)に建築された。 昭和39年までは丸広百貨店が使用していた。 現在は保刈歯科醫院として利用されている。、、、、虫歯ができたら行ってみたい歯科だけど。 浅草橋から通うにはチョイト遠い!

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● 旧山崎家別邸から北へ50m程歩くと、大正2年(1913)に建てられたステキな洋風建築の「中成堂歯科医院」がある。 建物は薄緑の外壁でイギリス下見という方法で板を重ね合わせ暖かみを感じる。 敷地は煉瓦塀で囲まれ、チョイト、メルヘンチックだ。 ここは歯医者さん、なんだか安心して診てもらえそうだ!

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● 欽明天皇2年(540)に大宮氷川神社を勧請して分祀奉斎した、川越市役所の北側に位置する「川越氷川神社」に立ち寄った。、、、、神社は“七五三詣り”の家族連れで満員状態。 七五三は11月15日なのだが、最近は親の都合、子の都合、写真屋さんの都合などで、特に日にこだわらず適当に行ってるようだ。 社殿周辺には着飾った親子がお祓い待ちか?、、、、『コリャダメだ! 一般人の参拝はチョイト遠慮しよう!』 我が夫婦は、手を合わせ、早々に立ち去ることにした。(注意散漫、社殿の写真を撮り損ねた、失敗!)

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・・・・・・・・・・ 境内の入り口に大きくそびえ立つ大鳥居は、木製の鳥居としては日本一の大きさ、高さ約15m、平成の大典奉祝行事で建立した。 扁額の文字は勝海舟の筆。

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● 川越観光の目玉『蔵造りの街並み』を歩くため、御存じ蔵造りが並ぶ表通りを、北から南へ歩くことにした。 平日で人出は少ないが、若い人の割合が高い。 どの家も、“芋”を売る、民芸品を売る、漬物を売る、店舗と化した。、、、、女性が好みそうな店ばかり、我が妻もそろそろ出番で、ショッピングを開始!

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● 帰りも、本川越駅から「小江戸」で帰る。

2022年9月12日 (月)

赤いポストに緑の電話

東武伊勢崎線草加駅から日暮里舎人ライナーの舎人駅まで、草加市谷塚、足立区北部の新興住宅地を歩く、1万3千歩、約7㎞の散歩です。



● 浅草橋から都営浅草線で押上へ、押上からは半蔵門線から乗り入れる南栗橋行き急行に乗り換える。 今日の散歩の目的地は未定、車中で『どこで降りようか?』思案橋。 遠くに行ってもしょうがないので、草加駅」で降りる。、、、、通勤ラッシュの時間だ、上りホームは混んでる。 座れそうもないね!、、、、急行の停車駅でもあり、バスは各本面にでており、駅周辺には多くのショッピングセンターがあり、市役所が近くにあり、住みやすそうな街だ。 でも噂では、夜は客引きが多い駅前、暴力団もいるそうで、チョイト治安は悪そうだ。、、、、今日は駅前から南西方向に、日暮里舎人ライナーの駅に向かって歩くことにした。

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● 草加駅から徒歩5分程の処に草加神社はある。 草加神社の創建年代は不詳。 天正年間(1573~1592)に大宮氷川神社を勧請、氷川社と称して創建、南草加村の鎮守社であった。、、、、明治42年(1909)に谷古宇稲荷神社、高砂八幡神社、宿篠葉神明神社など近隣の11社を合祀し、草加神社と改称した。(神社の合併で、生き残り戦略か?) 明治の合併から100年経過し、現在は兼務神社も20社以上となり、手広くネットワークを構築したようだ!、、、、七五三詣では、ぜひ当社で! “県民割”があるといいね!

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● 氷川神社から300m程歩くと、商店の隅に数基の馬頭観音・庚申塔がある。 「長沼庚申」と言うらしい。

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● 草加市を南北に走る国道4号(=日光街道)を横断する。 さすが、国道だ、交通量が多い。、、、、信号があっても、押しボタン式の信号は色がなかなか変わらない。 人をイラつかせる信号だ!

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● 草加市谷塚町の住宅地の奥に「兎田稲荷神社」があった。 この神社は、草加神社に11社ある兼務神社の一つである。、、、“兎田(うさぎだ)”は旧地名のようだ。

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● 草加南高等学校の南で一級河川「辰井川(たついかわ)」を越える。、、、、この辰井川は昭和56年(1981)から6年がかりで開削された人工の川。 総事業費109億1300万円、川幅10m、深さ2.5m、市内延長は2.4km。 かつて草加には、「辰井堀」という、川口市から苗塚町に入り、西町を経て、谷塚町で河内堀と合流する幅1.8mほどの用水があった。 辰井川は、苗塚町からこの辰井堀の流れを南に変え、柳島町、谷塚上町、谷塚仲町を下り、毛長川に合流する。 市街化が急激に進行した草加市谷塚の西部一帯は、主要な排水路を持たないことから、少しの雨でも浸水の被害があり、治水対策として整備された。 

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● 草加市立両新田小学校の西50m程の処に、昭和の赤いポストと緑の公衆電話が道路際に設置されてた。 ポストも公衆電話も昭和を懐かしむ置物としてたまに目にすることもあるが、ここのはセットで両方とも利用できる現役だ! 

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● 埼玉県草加市と東京都足立区の境を流れる毛長川(けながかわ)に架かる「毛長橋」を渡り足立区に入る。、、、、毛長川は利根川水系綾瀬川支流の一級河川である。 かつては毛長堀と呼ばれていた。 昭和23年(1948)より昭和40年(1965)にかけて改修拡張された。 人口急増による生活排水の増加などの影響により20世紀後半に水質がきわめて悪化したが、流域の下水道の普及などにより2000年代から次第に改善した。現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み毛長川に注ぐことで水質を改善する工夫が行われている。 水質改善の効果が出てきたそうで魚類の生息が確認されたそうだ。 アユが釣れる川に生まれ変わって欲しいものだ!(欲か?)

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● 毛長橋から西へ約1㎞、日暮里舎人ライナーの「舎人駅」がある。、、、、平成20年(2008)3月30日に開業。 終点の見沼代親水公園駅の一つ手前の駅。 もう一方の終点:日暮里駅までは11駅ある、車窓から東京を見下ろしながら、ゆっくり帰る。

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