西川口から南鳩ケ谷まで
今日は久しぶりにJR京浜東北線の西川口駅で下車し、途中で鎮守氷川神社に寄り、東の方角に当たる埼玉高速鉄道の南鳩ヶ谷駅まで歩いて見た。 1万歩
● 「西川口駅」は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 2階には、橋上駅舎となっており、コンコースと自由通路がある。、、、、、西川口駅は昭和29年(1954)9月1日に橋上駅舎としては日本国有鉄道最初の駅として開業した。 約70年前の駅舎建築の設計仕様なのか、朝8時前後の通勤通学時間帯は乗降客が多く、ホーム幅の狭さ、狭いトイレ、自動改札の混雑具合、自由通路の狭さなど、全体的に手狭な規模が気になる駅だ。、、、、、出入口は東西2ヵ所あるが、駅西口側は大人の歓楽街として有名である。 駅東口は、駅前ロータリーから放射状に商店会が伸び、店も多い。 今日の散歩は東口から東の方角にある鎮守氷川神社に向かって歩くことにした。
● バス通りである「西川口陸橋通り」を歩き、川口オートレース場の方に向かう。、、、、、流石に“サスガ”、ここは鋳物の川口市、歩道沿いには町名を示す鋳物の案内板がたっている。 錆びて茶色くなった案内板は、“これぞ鋳物”と存在感を出している。、、、、、戦後、事業を拡大してきた、濃淡2系統の緑色で塗装した国際興業バスとすれ違うと、『オゥ~~、ここは埼玉だ!』と不思議な感動を感じる!
・・・・・・・・・・ 途中に、鎮守氷川神社の案内があり、それに従い裏道へ入る。
● 氷川神社へ行く途中に、「龍泉寺 地蔵堂」があった。 地蔵堂と言っても、小さな祠があるだけ。 祠の周囲には、墓石が建ち並び墓地と思われる。 堂の脇の立札によると、この地蔵堂は近くの龍泉寺が見守っているようだ。、、、、、地蔵堂の詳細は判らない!
● 来たついで、これも何かの縁、チョイト寄ってみよう「龍泉寺」、、、、、真言宗智山派寺院の龍泉寺は、大聖山広傳院と号す。 龍泉寺の創建年代等は不詳だが、正和2年(1313)の青石塔婆が残されていることから中世の創建かも(?)、、、、、歴史ある建物は無く、近代的な納骨堂と檀信徒会館、本堂は鉄筋コンクリート造。
● 「鎮守 氷川神社」に面白い厄落としの作法があると聞いたことがあり、いずれ参拝してみようと思っていた、それが今日の散歩となった。、、、、、鎮守氷川神社は、川口市青木にあるので青木氷川神社とも言う。 鎮守氷川神社の創建年代は不詳だが、応永年間(1394~1428)の創建と伝えられ、江戸時代には本山修験宗般若院が別当寺を務め、下青木村の鎮守社となっていたと言われてる。、、、、、現在の社殿は昭和61年(1986)造営。、、、、、歴史と伝統の光が神徳を照らし続ける鎮守氷川神社は、年間を通して全国各地より多くの参拝客があり、『小さな大社』といわれてる。(神社のHPより) ヤマタノオロチを退治した神話で知られる、『邪』を裂き『魔』を祓う強い力を持つ『スサノオノミコト』を
祀ることから、厄除け・除災招福に神徳があるとされ、また祭神に夫婦神である『クシナダヒメ』と共にまつられていることから、縁結び・安産にも強い霊験があるといわれてる。
・・・・・・・・・・ 境内にありました。 「厄割石」と「厄割玉」、、、、、厄落としの作法とは、まず、不安・恐れを手放したい、プライドを取り戻したい、勇気や希望を持ちたい、自分を信じたい、こんな人は“黒玉”、ストレス・怒りを発散させたい、勝負に勝ちたい、モチベーションを上げたい、大好きな人へ告白したい、こんな人は“赤玉”を取る。 次に、厄割石の前で一礼し、厄割玉を胸の前で両手で持ち、『厄よ去れ!』と念ずる。 そして、厄割玉を厄割石に投げつけ厄を落とす。 最後に厄割石に一礼して終わる。、、、、ストレス発散にGood! 面白いね!
● 川口オートレース場の南側を通り、鳩ケ谷駅に向かう。、、、、、今日は開催日ではないようで、レース場に人影なし!
● 川口オートレース場を過ぎると鳩ケ谷の町に入る。 南鳩ケ谷5丁目に、十二柱の神々を祀った事から名付けられた「十二神社」がある。、、、、、十二所神社の創建年代等は不詳である。 平成5年(1993)に再建された新しい社殿で、境内も綺麗によく手入れされている。 宮司は、鳩ヶ谷総鎮守氷川神社(青木の鎮守氷川神社とは異なる)で兼務している。
● 埼玉高速鉄道の「南鳩ケ谷駅」は平成13年(2001)3月28日に開業。 開通前までは鉄道空白地帯であり、この地区への鉄道開通は悲願であった。、、、、、駅は島式ホーム1面2線の地下駅で、構内はチョイト狭い感じがする。 令和5年(2023)度の1日平均乗車人員は8,131人と少ない。