埼玉県

2022年5月29日 (日)

美熟女の御年寄

川口元郷駅から荒川を渡り赤羽駅まで、今年最初の真夏日、熱中症に警戒しながら1万1千歩の散歩です。



● 朝8時30分、すでに気温は25度超、埼玉高速鉄道「川口元郷駅」に降り立つ。、、、、ブラブラ隠居の年寄りが口から泡ふき、熱中症で救急搬送される自分の姿を想像すると耐え難く恥ずかしい。 『今日は 無理せず 無茶せず 無謀せず』、大人しく静かに散歩することを駅前で胆に銘じスタート!

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● 駅前ロータリーの西に架かる「さくら橋」で芝川を越えて、川口本町の裏道を歩くと錫杖寺がある、チョイト寄って行こう!

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・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院「錫杖寺(しゃくじょうじ)」は、宝珠山光照院と号す。 錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられてる。 寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、宥鎮和尚が中興となった。 江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領し、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していたそうだ。、、、、寺院の顔である現山門「御成門」は明治41年(1908)に再建された。 戸田忠寛(七万七千石)の居城であった宇都宮城の資材を移し建立したもので、柱には戊辰戦争の名残として刀傷が見られる。、、、、徳川十三代将軍家定の寄進による前本堂は老朽化に耐えられず、昭和50年(1975)に現在の本堂に建て替えられた。 内陣正面に本尊「延命地蔵菩薩」が安置されているのだが“遠くて、よく判らん!”

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・・・・・・・・・・・・江戸城大奥の総取締役である御年寄「瀧山」の墓が錫杖寺本堂裏にある。、、、、御年寄「瀧山」は文政6年(1823)に16歳で大奥へ上がり、類い稀なる才幹をみとめられ、大奥の総取締役“御年寄”に昇進した。 瀧山は十三代将軍家定が世子(世嗣)の頃から西の丸の御年寄をつとめ、家定が将軍位を嗣ぐとそのまま家定に従って本丸に移り御年寄となり、十四代将軍家茂の代にわたって御年寄をつとめた。 十四代将軍継嗣問題で、紀州の徳川慶福を擁立する「南紀派」と一橋慶喜を擁立する「一橋派」が対立し、幕府の重臣や有力諸侯はもちろん、江戸城大奥の中にも激しい対立と抗争がおこり、瀧山はこの対立抗争にあたって、大奥の慣例に従い慶喜の擁立を阻止したことで知られている。 結果として十五代将軍位を慶喜が嗣ぐことに伴い大奥を退いた。 瀧山は大奥を退いた後は侍女の「仲野」の生家があった川口で過ごし、明治9年(1876)に71歳で歿し、錫杖寺に葬られた。(写真:中央が瀧山の墓、左は侍女仲野の墓、右は大奥に仕えた叔母の染島の墓)、、、、NHK大河「篤姫」では稲盛いずみが演じ、フジ「大奥」では浅野ゆう子が演じ、その他に栗原小巻、草笛光子などが演じている御年寄、テレビで見る瀧山は“年寄”ではなく“美熟女”揃いだ! 大奥ていいな!

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・・・・・・・・・・・・錫杖寺山門前の道路隅に「凱旋橋の跡」がある、、、、明治39年(1906)1月に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡が残されている。 この凱旋橋跡は、江戸時代に日光御成道川口宿の北の玄関口に位置し、錫杖寺前に当時流れていた錫杖寺杁(いり)用水に架けられた石造アーチ型橋の遺跡。 現在は欄干が残るのみ。

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● 錫杖寺をあとにし、川口市本町1丁目の裏道を歩く。 


・・・・・・・・・・・・明治35年頃竣工した「中西日進堂薬局」 大正時代に掛けられた看板は、右から左に書かれていて味わい深いものである。

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・・・・・・・・・・・・住宅の奥、木立に囲われ洋館風の建物も見える。 煉瓦造の小屋のような建物も・・・・・?

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・・・・・・・・・・・・日光御成街道の宿場町だった川口宿の跡が御成街道からチョイト入った処にある。 築300年が過ぎ、現在も現役の門として残る「旧川口宿本陣表門」である。 建物は地元有力者の家である。

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・・・・・・・・・・・・本町1丁目の増幸産業という会社の一画に「18ポンド カノン砲」が展示されてる。 説明文によると、『この大砲は幕末の嘉永5年 (1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(増幸産業の代表の増田家初代)が、後の砲術奉行となった高島秋帆と協力して作り上げたものの復元品で、当時は制作不可能とされていた大型砲です。 嘉永5年から安政5年の5年間に213門の大砲と41,323発の砲弾が製造され、諸外国から日本を守るため全国各地に配備された。 全長3.5m  重量3トン  口径15cm  射程距離2500m 』、、、、ウクライナに持っていったら活躍するかも?

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● 埼玉県川口市と東京都北区を結ぶ「新荒川大橋」を渡り、北区に入る。、、、、新荒川大橋は、川口市舟戸町と北区岩淵町との間で荒川および新河岸川(隅田川の上流)に架かる、橋上は国道122号(岩槻街道・北本通り)が走り、連続するの2本の橋である。 下り線が昭和41年(1966)竣工、上り線が昭和45年(1970)竣工の橋。、、、、長い・長い橋! ジリジリ・ガンガン照りの日差しが私の頭上を直撃し、橋の上で倒れるかと心配になる。 

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● 新荒川大橋で北区に入ると、去年立ち寄った「寳幢院で手を合わせ、飲食店の並ぶ「一番街」を抜け、JR赤羽駅に向かう。 今日は熱中症が心配なので、ここまでとする。

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2022年5月24日 (火)

川の交差点

見沼代親水公園駅から埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、約5㎞、1万2千歩の散歩です。



● 通勤時間となった朝7時45分、日暮里舎人ライナーの終点「見沼代親水公園駅」で降りる。 乗車する人は多いが、降りる人は数える程度。、、、、今日の散歩は、ここから西に向かって歩くことにした。、、、、【独り言】最近、日中に外出や人に会うことが多く、疲れて夜の寝付きは早く、その分朝の起床も早い(半分は歳のせいでもある) 今朝も4時半には起きていたので、6時からゆっくり朝食、7時には『散歩してくる!』

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● 先週は足立区古千谷から見沼代親水公園に入り見沼代親水公園駅まで(約1.3㎞)歩いてきたが、今日は駅から西に(川口・鳩ケ谷)方向に「見沼代親水公園」の残りの部分(約0.5㎞)を歩いてみた。、、、、公園は東京都足立区と埼玉県草加市・川口市との県境となる「毛長川」にぶつかる地点で終了となる。、、、、公園の水路には、カキツバタ、アヤメなどが植えられ、ただいまの時期黄色い花・紫の花が咲いていた。

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● 見沼代親水公園が毛長川にぶつかる地点は、かつて江戸時代から二本の河川が十文字に交差する場所であった。、、、、西(川口市)から東(草加市)へ流れる「毛長川」 北(川口市鳩ケ谷の方)から南(現:見沼代親水公園)へ流れる「見沼代用水東縁」の二本の河川が交差し、見沼代用水東縁が水道橋(もしくは懸樋)によって毛長川を越えて流れ下っていたそうだ。、、、、現在は、見沼代用水東縁の水は、交差部で大半が毛長川に流れ込み、一部だけが毛長川の川底を流れ見沼代親水公園に流れている。

・・・・・・・・・・・・北から流れて来る見沼代用水東縁

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・・・・・・・・・・・・東に流れ下る毛長川、、、、写真左側の流れは、見沼代用水東縁の水が流れ込んでいる部分

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・・・・・・・・・・・・二本の川が交差する部分、、、、井桁状に4本橋が架かっていたと思われるが、見沼代用水東縁の下流側は親水公園となり橋は無い。 現在は見沼代用水東縁のッ上流側に「一本橋」、毛長川上流側に「舎人橋」、下流側に「砂子橋」の三本の橋が架かっている。 写真は一本橋の上から撮影した交差部、右側の端が舎人橋、左側の端が砂子橋、中央正面奥に見沼代新公園が伸びている。、、、、見沼代用水東縁の水は写真中央手前のプールに入り左側の砂子橋の下の水路に流れ毛長川に合流する。 一部の水は中央の籠状の中に入り、その奥に流れる毛長川の川底を通り、向かい側の親水公園に流れ込む。

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● 河川の交差部からは、毛長川に沿って東京都足立区側(対岸は埼玉県川口市)を歩く。、、、、毛長川の川幅も狭くなり、川に沿って歩く。 途中には、都営住宅「舎人町アパート」の建物が並ぶ。 首都高の下には足立区と川口市を結ぶ「中居橋

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● 足立区入谷から川口市八幡木に踏み入ると、「あずま橋通り」と称する、交通量の多い通りを歩く。 やたら、大型のトラック、バスが行き交い、歩道から外れて歩くと“イチコロ”で彼の世行き!、、、、新芝川に架かる「あずま橋」渡る。 川岸には「川口市 朝日環境センター」の煙突がシンボリックに立つ。

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・・・・・・・・・・・・あずま橋通りを歩き、岩槻街道(=国道122号)に出る手前に「十二月田中学前」と書いた交差点がある。 さて!何と読む?、、、、答えは「しわすだちゅうがくまえ」 “十二月田(しわすだ)”は地名だった、現在は川口市末広。

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● 岩槻街道に出ると川口市末広1丁目に、味噌屋の「旧田中家住宅がある。、、、、地元の味噌屋であった田中徳兵衞が、大正10年(1921)から大正12年(1923)にかけて、木造煉瓦造3階の洋館を建設した。 イギリス式に煉瓦を積んだ壁に化粧用煉瓦を貼り、正面から見ると完全な煉瓦造りの洋館で、当時としては非常にモダンで立派な建物だった。 洋館に続き、昭和9年(1934)にには和館も増築された。 現在、これらの建物は登録有形文化財(建造物)に指定されている。、、、、ここまで来たら、チョイトお立ち寄り。 入場料210円は安い!

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● 埼玉高速鉄道線の「川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)」に到着。 今日の散歩はココまでとする。、、、、川口元郷駅は平成13年(2001)3月28日の開業。 島式1面2線の地下駅。 ここから隣りの東京メトロ赤羽岩淵駅までは、営業距離は2.4km、乗車時間は3分、運賃は210円、チョイト高いね! 

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2021年4月21日 (水)

谷塚の寺社

連日の晴天で、気分はコロナを忘れそう。 今日は東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅:谷塚駅から歩くことにした。 谷塚駅から伊勢崎線の西側を南下し、谷塚橋を渡り足立区に入る。 足立区入ると伊勢崎線の東側に建ち並ぶ都営竹の塚7丁目アパートを抜けて竹ノ塚駅まで歩いた。 1万1千歩




● 東武伊勢崎線で最も東京寄りの駅が谷塚駅である。 「谷塚」は“たにづか”とは読まず、“やつか”と読む。 所在地は埼玉県草加市で、浅草から所要30分と近い、もちろん駅周辺には、マンション、アパート、住宅などが並ぶ、東京のベッドタウンであるが、知名度は低い。 都会の人間を呼び込むような施設は何もない駅! 東口側は駅前ロータリーがあるが、西口側は広い空き地となっている。、、、、駅は大正14年(1925)10月1日に開業。

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● 谷塚駅から南西へ500m程、住宅地の中に真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 宝持院は、江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚地区の方々の菩提寺として、宝灯を守っている。 本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した御丈八尺有余の金色に輝く大観音さま。 現本堂は、平成4年(1992)に建てられた。、、、、緑豊かな境内には四季折々の花が咲くそうだ。 今はツツジ。

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● 宝持院から国道4号(日光街道)を越えると「谷塚氷川神社」がある。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代の創建と思われる。

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● 谷塚仲町を流れる辰井川に朱塗りの氷川橋がある。 氷川橋は「草加八景」に選ばれた「辰井川十橋」のうちの1つ(隅田川十三橋は知ってるが、辰井川十橋なんて知らないね!)、、、、橋の際には小さな社の氷川神社がある

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● 氷川橋の際には寺もある、その名は曹洞宗寺院の「中野山常福寺」、、、、常福寺は、心應祖傳和尚(天正19年寂)が開山となり天正7年(1579)に創建した。、、、、参道の脇には、彫りの深いスバラシイ庚申塔(天文8年(1539)の銘あり)が2基で御出迎え。

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● 埼玉県と東京都の境を流れる毛長川を谷塚橋で越えて、寺院が軒を連ねる足立区東伊興の町に入る。、、、、伊興寺町はコチラ

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● 足立区に入り、伊勢崎線の東側にまわると、都営西保木間四丁目アパート、都営竹の塚七丁目アパート、都営竹の塚アパート、竹の塚第3団地など、都営住宅・旧公団住宅が線路沿いに竹ノ塚駅まで続く!、、、、昭和40年代は憧れの集合住宅だった。 そんな住宅も今は老朽化し、アチラコチラで建て替えラッシュ。

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竹ノ塚駅東口に着いた、高架化工事が終わるまでは仮駅舎。

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2020年11月28日 (土)

名前に魅せられて

今日はチョイト早起きして、埼玉県草加市の北東、中川の岸にある女体神社(草加市柿木町)へ行ってきた。 社名から想像すると、何やら艶めかしい気がするが、実体はゴク普通の神社である。 いずれの女体神社も主祭神は、櫛名田比売(くしなだひめ)、伊弉冉尊/伊邪那美命(いざなみのみこと)など女神である。 女体神社は、草加・越谷・春日部・松戸付近に分布する。 また、神奈川県川崎にも数社ある。 10数年前、「武蔵国一宮」を称するさいたま市緑区の「氷川女体神社」へ参拝したのを始めとして、川崎の「女体神社」、越谷川柳町の「麦塚女体神社」など、これまでに数社に参って来た。、、、、いずれも、生身の女体に手を触れることもなく、静かに、真剣に、祈願する。 ご利益は、女の神様ということもあって、恋愛・結婚成就、良縁祈願、安産祈願、そして子孫繁栄、などが相場!

東武伊勢崎線の新田駅で下車し、ひたすら東に向かって歩き中川の岸まで、約6kmの散歩です。 1万3千歩。




● 北春日部行きの普通列車で新田駅に到着。 北千住から乗ってきた車両番号は「77707」、残念だがオール7とはいかなかったが、縁起の良さそうな番号だ、帰りに宝くじ買おう! 「77707」の車輛は、2018年1月、近畿車輛(徳庵工場)で製造された東武鉄道 70000系 ( モハ77700形 )、グッドデザイン賞を受賞車両、チョイト鉄道オタク的に紹介。、、、、江戸時代の開墾により関東平野には多くの新田が生まれ、草加市域だけでも「新田」と呼ばれた村は120ヵ村にのぼった。 新田駅付近では、明治時代に9ヵ村を合併して新しい村が誕生した、合併した村のうち6ヵ村が近世の新田開発で生まれた村であったところから、新たな村を「新田」と命名し駅名にもなったそうだ。 駅の開業は明治32年(1899)12月20日。、、、、現在は一日当たりの乗降人数約32,000人、普通列車しか停まらない高架駅。

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● 駅から、ひたすら東に向かって歩く。 東京都葛飾区の中央を北から南に流れ、江戸川区西葛西付近で荒川に合流し東京湾に注ぐ中川の岸(草加市柿木町1)まで、約5.5km程ある。
・・・・・・・・・・・・新田駅東口前は一応ロータリが造られ、良く言えば“昭和レトロな飲食店街”もあるが、悪く言えば“店は狭く寂れた感じの飲み屋が数軒”、これでは東京のベッドタウンの駅前とは言えない! どうやら再開発するようだ、駅前の区画整理事業が始まっている。

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・・・・・・・・・・・・駅前から、「そうか公園通り」と呼ばれる両側一車線のバス通りを歩く。 この道のどん詰まりが中川である。、、、、まずは、綾瀬川に架かる「槐戸橋」を渡る。 さて、「槐戸」と書いて何と読む? 難読、「さいかちど」と読むのです。 サイカチ(梍・皀莢)は、マメ科の落葉高木。 “槐”は、本来「エンジュ」と読み、鬼門除けなどに使われるりマメ科の高木。 “梍”と“槐”は、ともにマメ科の木で、漢字も似ており、どうでもいいから『一緒にしちゃえ』で、“槐戸”と書いて「サイカチド」になったようだ。 橋の東側の八幡町はかつて「槐戸村」と呼ばれたそうだ。、、、、橋の親柱にカブトムシがいる、なぜ? カブトムシは梍(さいかち)の樹液が好きな虫で、「サイカチ虫」と呼ばれることもあるそうだ。、、、、【ついでの話】 現在の東京都台東区千束3丁目、板橋区西台、神奈川県藤沢市高倉のいずれにも小字名として「槐戸」があったそうだ。(雑学に強くなるブログは雅万歩!)
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・・・・・・・・・・・・草加市八幡町、法務局、そうか公園通りの標識前、現役の赤いポスト前、古綾瀬川に架かる古川橋、葛西用水に架かる青上橋(せいじょうばし)、川柳小学校と、通り過ぎていく。

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・・・・・・・・・・・「八条用水橋」を渡ると、左手に「そうか公園」が広がる。、、、、その先で、東埼玉道路(=国道4号)を横断するのだが、道路には幅20m程もある中央分離帯があり、全体の幅は40m以上。 横断歩道の手前に『歩行者は青信号2回で渡って下さい』と書いてある。 実際、私が横断を始めると、中央分離帯で信号が赤になった!

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・・・・・・・・・・・・埼玉県柿木浄水場を過ぎると、「女体神社(南)」交差点。 ここはT字路で、歩いてきた「そうか公園通り」の終点。 交差点正面の民家の裏には、中川が流れている。 対岸は埼玉県吉川市。

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● 本日の目的地である、「柿木女体神社」に着いた!、、、、柿木女体神社は、伊弉冉尊を祀り、柿木の鎮守として人々に厚く敬われてきた。 柿木は、中川沿いに下妻街道があり、草加市内にあって最も古くから開発された土地といわれ、伝承では、この土地の開発の祖を豊田氏と伝えている。 豊田氏は、平将門の伯父国香を祖とし、下総国豊田荘の地頭を務め、のち石毛に本城を構えた。しかし、天正3年(1575)城主豊田治親が恒例の雷電神社参拝の時、下妻の多賀谷氏の侵略にあい、治親は討たれ本城も陥ちてしまった。 残された婦人と遺子は急変により石毛を捨て縁をたよってここ柿木まで落ちのび、この地を永世の地と定めたというのである。 豊田氏は信仰心厚く、殊に筑波山女体神社を崇拝していた。 それによって分霊をこの地に勧請し創建したのが当尿体神社である。 社殿は北方、筑波山に向けて建てられている。、、、、ここは無人の神社。 若い巫女さん(学生アルバイトでもOK)でも居て、女体を模った根付け、キーホルダー、お守りでも売っていれば、買ってあげるのだが、残念!

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・・・・・・・・・・・・これで、また一ヵ所の女体神社を制覇した! まだ、10ヶ所以上の女体神社が残っているので、私の「女体神社巡り」は、まだまだ続く。



● 来た道を、浄水場の先まで戻り、バスで新田駅へ向かう。

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2020年11月18日 (水)

戸田橋と荒川橋梁

一昨日笹目橋を渡り戸田公園駅まで歩いたので、今日は戸田公園駅から戸田橋を渡り浮間舟渡駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 赤羽で埼京線に乗換て戸田公園駅まで来た、我が家(浅草橋)からは所要時間:約40分。 多くの通勤客の移動方向とは逆なので、電車は比較的すいており座れた。 都心に向かう電車は乗車率120%ぐらい、着席するのは無理だね!、、、、戸田公園駅に到着した時、反対側のホームに上り(都心方面)列車が停まっており、見ると・ナント!相鉄線直通の海老名行きであった。 武蔵浦和駅始発で新宿・大崎・武蔵小杉・西谷経由で相鉄線の海老名駅まで、所要時間:1時間36分の列車である。 埼玉県のベッドタウンから都心を貫いて神奈川県のベッドタウンまで、端から端まで乗る人は、どんな人かチョイト興味が湧いてきた。(きっと、私ような鉄道オタクのヒマジンかな)

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● 駅から戸田橋へ向かう前に、戸田漕艇場地蔵堂に寄ってみた。、、、、、、

・・・・・・・・・・・・まずは、漕艇場の手前にある戸田橋親水公園に保存されている「三代目戸田橋の親柱」を見る。 三代目戸田橋は、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一美しい橋として話題を呼んだそうだ。 親水公園には、三代目戸田橋の埼玉県側の親柱一対が移設されている。、、、、戸田橋の設計者は、昭和初期の著名な橋梁設計士であった増田淳であり、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、凝ったデザインが目を引く。 橋は総工費101万9000円で、昭和7年(1932)に完成した。 現在の戸田橋の完成後、昭和53年(1978)に撤去された。

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・・・・・・・・・・・・戸田橋親水公園の前に、長~い戸田漕艇場が見える。両側には、大学・企業の艇庫が並ぶ。 コロナの影響か(?)、練習している姿が見えない!、、、、オリンピックに向け、選手強化は大丈夫か?

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・・・・・・・・・・・・新幹線・埼京線の高架橋を抜けて、漕艇場とは反対側の戸田市川岸1丁目の「地蔵堂」に寄る。 この地蔵堂は、ナント・戸田市最古の木造建築である。 江戸時代の「中山道分間延絵図」にも記されているそうだ。、、、、墓地には、これまた古そうな、庚申塔・板碑・地蔵・墓がゴロゴロ。 “戸田市最古”では、重要文化財にならないのかな!(国・県・市のいずれも無指定)

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂の南、荒川の土手下に「水神社」がある。 神社の創立など詳細は不明だが、御神体の「水神宮」の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 古くは荒川の端にあったもので、新堤防ができてから移され、川岸に住む人々の氏神様のようになっていた。、、、、小さな神社で、かつて渡しがあった時代、街道脇に祀られていたのかも?

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● 荒川には、国道17号(中山道)を通す戸田橋が架かり、その下流側にはJR東北新幹線・埼京線の荒川橋梁が並行して架かっている。
・・・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、昭和53年(1978)8月13日に完成した、橋長519.0m、幅員21.0mの鋼連続箱桁橋。 四代目の戸田橋である。、、、、初代戸田橋は、明治7年(1874)に民間人が私財を投じ戸田橋の工事に着手した。 途中資金不足で、オーナーは変わったが明治8年(1875)に木製、橋長136.0m、幅員4.2mの戸田橋が竣工した。 通行は有料であった。、、、、二代目の戸田橋は、初代の橋が傷んだため、東京都と埼玉県が資金を折半し、大正元年(1912)に木製の土橋に架け替えられた。 橋長129.0m、幅員5.0m。 大正12年(1923)の関東大震災と翌年の大水で破損した。、、、、三代目の戸田橋は、先に説明した通り、昭和7年(1932)に完成し、昭和53年(1978)に撤去された。

・・・・・・・・・・・・・・戸田橋から下流に70m程離れて、東北新幹線・埼京線が走る複々線の荒川橋梁が架かっている。 橋長は521.2m、総幅員20.7m、最大スパン86.7mの鉄道橋。 工費は約100億円。 橋梁の開通は、先ず昭和60年(1985)3月14日の東北新幹線部分の供用が開始され、次いで昭和60年9月30日に埼京線部分の供用が開始された。


・・・・・・・・・・・・・・まず埼玉県戸田市の土手から、右(上流側)に戸田橋、左(下流側)に荒川橋梁が見える。(橋上に外路灯がたっているのが戸田橋、架線柱がたっているのは荒川橋梁)

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・・・・・・・・・・・・戸田橋を渡る


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・・・・・・・・・・・・東京都板橋区の土手から、左(上流側)に戸田橋、右(下流側)に荒川橋梁が見える。

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● 戸田橋を渡ると、JRの高架橋は大きくカーブして、浮間舟渡駅に向かう。 浮間舟渡駅は北区浮間と板橋区舟渡にまたがる駅。(ホームの中程に区境があるようだ) 昭和60年(1985)に埼京線の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームからは隣に並走する新幹線が良く見える。、、、、サラリーマン時代には、東北方面へ出張した帰り、夜、大宮を過ぎるとマンション・団地の明りが灯る夜景の中に、浮間舟渡駅の駅名が見えると、『あ、東京に入った、もうすぐ上野だ!』とホッとする思い出がある。

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2020年11月16日 (月)

終点、西高新平

地図を眺めていたら笹目橋を渡って埼玉県に入ってみたくなり、今日は都営三田線の終点:西高島平駅から笹目橋を渡りJR埼京線の戸田公園駅まで、1万歩の散歩です。




● 巣鴨でJR山手線から都営三田線に乗換て、約23分で西高島平駅に到着。 我が家(浅草橋)からは、約50分要する、“散歩”にしてはチョイト遠いね!、、、、三田線の終点:西高島平駅は相対式ホーム2面2線の高架駅である。 列車は両方のホームから交互に発車するので、先発列車がどちらのホームから出るか、乗る前に確認する必要がある。 ホームの先に、国道17号新大宮バイパスの上を走る首都高5号が至近距離にあるため、列車停車位置から車止めまでの過走距離は短かく、停車位置に止まらずオバーランすると、車止めに激突する確率は高い! 事故が起きないように慎重に運転して欲しいね。、、、、駅名の“西高島平”は地名としては存在せず、高島平の西端の駅という意味合いらしい。 駅から西へ400m程歩けば埼玉県和光市である。 

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● 駅から大宮バイパス沿いに北へ500m程歩くと笹目橋(ささめばし)がある。 笹目橋は、東京都板橋区高島平と埼玉県戸田市堤外の間で荒川および新河岸川(下流で隅田川に合流)に架かる橋。 国道17号新大宮バイパス上り線の橋と下り線の橋と、それらの間にある首都高速5号池袋線の橋の、計3本の橋の総称である。 上流側から新大宮バイパス下り(4車線+自歩道)、首都高速5号池袋線(上下各2車線)、新大宮バイパス上り(4車線+自歩道)の3本の橋が並んで架かっており、竣工年が最も古い下り線の橋のみ一段低くなっている。、、、、初代の笹目橋は、昭和17年(1942)に開通した、欄干のない木造橋で、河川増水時は水面下に沈む冠水橋だったそうだ。 戦後、昭和29年(1954)には2代目の笹目橋(冠水橋)が竣工する。 昭和39年(1964)に現在の大宮バイパスの下り線に該当する笹目橋第一橋が完成する。 昭和52年(1977)に第二橋(現在の首都高5号線)が、昭和63年(1988)に第三橋(現在の大宮バイパス上り線)が完成する。 全長はいずれも621.7 mの鋼製連続箱桁橋。 戦後も造られた冠水橋、残しておいて欲しかったね!、、、、橋の名前は現在の戸田市南西部にあった、旧笹目村に由来する。

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・・・・・・・・・・・・笹目橋上の都県境は橋の中央ではなく、荒川の右岸より(新河岸川より)にある。 新河岸川は東京都板橋区に属す。 また、埼玉県の部分で、板橋区側の100m程は埼玉県和光市に属し、その北側の左岸までが埼玉県戸田市に属す。 橋上には、都県境、市境の標識が並ぶ。、、、、両岸は板橋区と戸田市なので、橋上の和光市の標識は“不要”と思う人もいるだろうね。 私もその一人!

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● 笹目橋を渡り戸田市に入ると、県道68号(オリンピック通り)を歩き、戸田公園駅に向かう。、、、、「オリンピック通り」は、1964年東京オリンピックの漕艇競技場(現在:戸田漕艇場)までの交通のために整備された道路である。 道路の両側は大型の工場・倉庫とマンションが並び、興味を引くものもない、面白くない道だ。 ひたすら歩くだけ!

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オリンピック通りは私をJR埼京線戸田公園駅まで誘導してくれた!、、、、昭和60年(1985)9月30日に国鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線とその外側に2線の通過線を有する高架駅。 快速の停車駅で、新宿まで23分と便利な処なので、駅周辺にはマンションが並んでいる。
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2020年10月18日 (日)

谷在家アパート

今朝の天気お姉さんは、関東地方南部は曇り、北部は晴れ間もありそうとの予報。 それを聞いて妻がすかさず、『舎人ライナーで北へ行ったら』 この一言で決まり! 日暮里舎人ライナー谷在家駅から、西へ向かって埼玉高速鉄道川口元郷駅まで、約5km、1万3千歩の散歩です。




日暮里舎人ライナーの谷在家駅(やざいけえき)で下車する。 今日は日曜日、降りる人、乗る人、どちらも少ない。 『さて、東西南北いずれに参る?』、駅の案内図を見ながらチョイト考える。 名所も、大型施設も、なにもない西方の川口方面に向かい、歩くことにした。

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● 駅の西側には、昭和43年(1968)に建てられた都営谷在家アパートがある。 12棟(578戸)の集合住宅。、、、、建てられた当時、日暮里舎人ライナー(平成20年(2008)開業)は開通しておらず、都バスで最寄り駅(竹ノ塚、西新井など)に出たと思うが、きっと、陸の孤島だったであろう。 陸の孤島も40年後には駅前団地となった!

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● 都営住宅の西に浄土宗寺院の清徳寺がある。、、、、慶長16年(1611)に両国矢ノ倉(現:中央区東日本橋)に創建され、正保元年(1644)浅草に移る。 文化3年(1806)江戸の大火により類焼し、大正12年9月関東大震災のため本堂・庫裡・山門・鐘楼など、ことごとく焼失した。 昭和8年(1933)に現在地へ移転。 現在の本堂は昭和15年(1940)に建てられた。 広い墓地に比べると、本堂はチョイト小振りである。

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● 秋空の下、特に話題となるものもない道を、たんたんと西へ歩く。

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・・・・・・・・・・・・足立区加賀2丁目、首都高川口線の脇に二社、加賀稲荷神社加賀天満宮が向かいあってあった。、、、、加賀稲荷神社の創建は不詳。 嘉永の頃(1848~1853)に現在地に遷座して村の鎮守とした。、、、、小さな社の加賀天満宮は加賀稲荷神社の境外末社。

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● 首都高川口線の下を抜けると、その先は埼玉県川口市であった。 この付近は、首都高が県境となっている。

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・・・・・・・・・・・・川口市に入ると、スグに新芝川に架かる「花の枝橋」を渡る。、、、、橋の上に、何だか訳の判らんオブジェの柱が並ぶ奇妙な橋。

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・・・・・・・・・・・・川口駅に向かって歩く道、今日は日曜、工場が休みですいている。

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・・・・・・・・・・・・川口市の公園・公共施設に鋳物の柵が使われていた。 柵の中央には市章もデザインされ、さすが鋳物の街!

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● 川口元郷駅に近くに、元郷氷川神社がある。、、、、16世紀中頃の創建で、室町期の武将:平柳蔵人が大宮氷川神社を勧請したことに始まる。 創建当時は武蔵國四之宮と称されていた。 そのためか、当神社には「四ノ宮 氷川大明神」と記された社号額が存在する。 主祭神は素盞嗚尊で、相殿神は市杵島姫命。 父娘神であることから、子宝成就・子孫繁栄の神様として崇敬を集めている。 また、狛犬が安産に霊験があるとされ、狛犬の頭やお腹を撫でる妊婦もいるそうだ。、、、、今日は例大祭の日であったが、コロナのため神輿の御渡り・カラオケ大会は中止、役員のみの神事が行われていた。 役員の中には、自分のお腹を撫でる男性もいた。


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● 埼玉高速鉄道線の川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)から帰ることにした。、、、、平成13年(2001)3月28日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。 ここから隣りの東京メトロ赤羽岩淵駅までは、2.4kmで乗車3分、運賃210円、チョイト高いね!

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2020年10月 7日 (水)

最北の都営アパート

明日からは台風14号の来襲で、天気は荒れ模様。 今朝はまだ晴れているようなので、東武伊勢崎線谷塚駅から、つくばエキスプレスの八潮駅まで歩く予定で家を出た。 途中、花畑の団地で地元の人と話がはずみ、タイムオバーとなり、散歩はココまでとした。 団地からバスで谷塚駅まで戻り帰宅。 1万歩の散歩です。




● 東武伊勢崎線の谷塚駅(やつかえき)は、今から95年前の大正14年(1925)10月1日に開業した。 昭和63年(1988)から、上下線外側にそれぞれ通過線を持つ、島式ホーム1面4線の現在の高架駅となる。 現在、谷塚駅発着の電車は全て地下鉄日比谷線直通の普通列車である。 都心へ“お急ぎの人”は西新井駅・北千住駅で急行などに乗り換える必要がある。 コロナの感染予防に、“密”を避け、空いている普通列車でのんびり出勤すればいいのにね!

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・・・・・・・・・・・・・・住民の要望で、大正14年、谷塚駅は開業したそうだが、当時の駅周辺は湿地帯であったそうだ。 都心へわずか30分という立地条件から、昭和40年(1965)頃から急速に開発が進んだ。 特に、昭和37年(1962)に地下鉄日比谷線の乗り入れが始まると、利用者は急増した。 現在は、一日平均乗降客数:約39,000人の駅である。 駅前の案内プレートにあった昭和33年の谷塚駅

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● 谷塚駅の東側に広がる「瀬崎」の町を歩く。 瀬崎の町は、谷塚駅と伝右川の間に位置し、伝右川のさらに東側は東京都足立区である。・・・・・

・・・・・・・・・・・・谷塚駅東口から150m程歩くと、瀬崎浅間神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、他所に祀られていた当社を明暦年間(1655~1657)に現在地へ遷座したと云われている。 明治6年には村社に列格、明治40年・明治42年に周辺の無格社9社を合祀したそうだ。、、、、現在の本殿は天保13年(1842)に再建されたもので、木彫は宮彫刻の粋といわれている。(本殿は網で覆われ、彫刻も判りずらい)、、、、社殿の東側には小御嶽神社(瀬崎の富士塚)と云われる、見事な富士塚がある。 高さ4m、幅10m程。 登山禁止だが、登りたくなるね!


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・・・・・・・・・・・・瀬崎の裏道を行く、、、、秋晴れの下、気持ちよく歩く!

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・・・・・・・・・・・・特筆すべきものがない、浄土宗寺院の松林山西往寺に立ち寄る。 西往寺は、三蓮社宝誉義山が開山となり、元和6年(1620)西性寺と号して創建したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・西往寺のチョイ先には追手風部屋がある。 遠藤・大栄翔・大翔鵬・翔猿などの力士がいるのだが、誰も見えない、巡業中か?、、、、それにしても、両国(国技館)からは、チョイト遠いね、場所中、通うのが大変そう!

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・・・・・・・・・・・・谷塚駅からはか、大分外れた伝右川に近い場所にある。 洲崎稲荷大神は、語り伝えによると、「この稲荷様は、大雨の時、伝右川に御神体が流れ着いたので、それを奉った」ことが、始まりとらしい。(ホントか?)

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・・・・・・・・・・・・草加市の南東端(瀬崎6)となる伝右川沿いに、東京ガス草加整圧所の巨大なガスタンクが二基並んでいる。 川の向こうは東京都足立区となるので、草加市の外れに近い。 同じ敷地内に、何やら鉄塔も立っており、見上げてるとゴジラとか怪獣が登場しそうな雰囲気である。、、、、もし、このタンクが爆発したらその被害はどれ程になるのか? 怪獣が暴れないことを願う! 
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・・・・・・・・・・・・伝右川(中央)岸に立つ鉄塔、左手前の建物は草加市スポーツ健康都市記念体育館

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・・・・・・・・・・・・花畑第四アパートから見る東京ガスのガスタンク(中央の体育館の後ろに球形のタンクが見える)

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● 伝右川を越えると、足立区の北端である花畑第四アパート(はなはただんち)がある。、、、、花畑第四アパートは、足立区花畑の綾瀬川と伝右川に挟まれた足立区最北端の地にあるアパートです。 昭和46年(1971)の建設、管理戸数1004戸(全22棟)の都営住宅。、、、、花畑地区には、この他にも複数の「花畑〇〇アパート」と称する都営住宅がある。 また、旧住宅公団(現:UR都市機構)が運営する花畑団地(80棟、2700戸)と称する大規模団地もある。、、、、今日の散歩は八潮駅まで歩く予定であった、それ故、花畑第4アパートを見るつもりもなかったが、通りかかった次いでにチョイトお立ち寄り!(これが予定を狂わせた) 

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・・・・・・・・・・・・草加市スポーツ健康都市記念体育館から、伝右川の対岸に見える花畑第四アパート(団地)

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・・・・・・・・・・・・10階から北側のアパートを見る、、、、団地の後ろは八潮市。 左端の鉄塔は草加市。

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・・・・・・・・・・・・団地の中をウロウロ、、、、人影は少ない。 みんな、会社・学校・保育園、年寄りは老人ホーム・デイサービス。 居るのは空き巣かな?、、、、そんな団地の中で、団地の住人(高齢男性)と話が合い。 中高年の病気自慢合戦となった。 病気自慢なら自信があるので、時間を忘れ勝負する。 もちろん、私の勝ち。 続いて、病院(医者)の悪口、これには地元の病院を知らない私は聞き役。 終わってみれば、1時間のタイムロス!

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・・・・・・・・・・・・もう、八潮駅へ行くことはあきらめた! 最北端の都営住宅:花畑第四アパートの22号棟を見て帰ることにした。 この建物の北側は八潮市である。

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・・・・・・・・・・・・団地内の「花畑桑袋団地」バス停から、谷塚駅へ戻り帰る。

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2020年9月13日 (日)

獣一面観音って?

昨日、新しい『東京都シルバーパス』が送られてきた。 このパスは年間2万円程払うと、東京都交通局のバス・地下鉄・都電・日暮里舎人ライナーと、都内を走る主要路線バスが乗り放題となる。 早速、パスが使えるか試すため、日暮里舎人ライナーで見沼代親水公園まで乗ってきた。 チャンと自動改札機も通過し、パスが偽物でないことも確認でき、ひと安心!

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今日の散歩は、見沼代親水公園駅(東京都足立区)から、北に向かい峯ヶ岡八幡神社に近い“川口市大字東貝塚”まで歩き、「大竹」バス停から川口駅にでて帰宅。



● コロナ禍の日曜日、日暮里舎人ライナーは空いていた。 終点、都内最北端の駅、見沼代親水公園駅の改札を新しいシルバーパスで無事通過。、、、、なんだか、もう2万円分乗車した気分で、シルバーパスの元を取った!

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・・・・・・・・・・・・ここからは、東へ(草加・竹ノ塚方面)、西へ(鳩ヶ谷方面)、度々歩いているので、今日は北へ向かうことにした。 駅から200m程北へ歩くと埼玉県草加市、さらに150m程歩くと埼玉県川口市に入る。 ここ見沼代は足立区・草加市・川口市の交点である。 

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● 川口に入り、「川口市 榛松(はえまつ)一丁目」(今まで知ることも無かった住所)の住所表示前の裏道を北上する。、、、、どこに行くのやら、本人も半信半疑で、ただただ歩く!

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● 裏道の五差路に出た。 その角(川口市大字東本郷727)に庚申塔が並ぶ、小堂が立っている。 小堂の中には5基の庚申塔が並び、いずれも風化が進んでいるが、年号の読めるものがある。 享和3年(1803)、元文元年(1736)、天明8年(1788)、元禄2年(1689)など、200~300年前の川口の歴史を語っている。、、、、“江戸時代の川口の農村”て、いわれても想像できないね!

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● さらに、道なりに北上すると、東本郷氷川神社(川口市大字東本郷1249)の正面に出た!、、、、アリャ・コリャ、神社に御挨拶しないと!、、、、当社は、もともと東本郷の南方にある本郷谷下に鎮座していたが、大風が吹き、北の本郷の水田に飛ばされ、現在地に鎮まったと云われている。 風に吹き飛ばされるほど軽い神社だったらしい。(御利益も軽いかも?)、、、、覆屋内の本殿は室町時代の建造、現拝殿は大正14年(1925)の建造。、、、、神社入口には、辰井堀の架橋である享保四年の宮前橋という小さな石橋が残っている。

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● 道は徐々に坂を上っていく。 明治時代に開校した「新郷小学校」、昭和36年から給水を開始した「新郷浄水場」の前を行く。、、、、今日の気温は30℃以下、坂道も楽に上れ、助かった!

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● 坂をあがると、曹洞宗寺院の長久山宝泉寺(川口市大竹)がある。 宝泉寺は、安行吉岡金剛寺四世高庵永薫大和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が開基となり創建したといわれてる。、、、、境内には水子地蔵尊があり、水子供養はぜひ当寺にて!

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・・・・・・・・・・・・境内では、「獣一面観音」に手を合わせてきた。、、、、仏の姿をし、やさしい童顔だが、頭には二本の角がはえた竜らしき顔がのっている。 “十”と“獣”をもじった仏である。

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● 宝泉寺からさらに北へ、川口市安行の近く、川口市大字東貝塚に「新郷貝塚」がある。 縄文時代後期の大規模な貝塚。 原形を留めている数少ない遺跡で、1m以上貝殻が堆積している部分もあり、竪穴住居跡や縄文人の骨も発見されているらしい。、、、、行ってはみたが、“貝塚”は地下に埋め戻され、見えるのは雑草の生えた地べただけ! 面白くない! 帰ろう!

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● 貝塚に近い、大竹バス停から川口駅にでて、帰る。

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2020年7月29日 (水)

単調な道を行く

“新型コロナ”の第2波に突入し、感染者は連日“最高記録”を出している。 私も散歩を自粛し家に籠もろうとするが、気が緩み、チョイトだけならいいだろうと今日も散歩に出てしまった。、、、、行き先の当てもなく地下鉄浅草橋駅のホームに立ち、空いている成田空港行き電車に乗る。 車内で、『今日は松原団地でも見に行こう』と決める。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えたが、車中でまたまた気が変わり草加から2駅先の新田で下車し、埼玉高速鉄道の戸塚安行駅まで歩いてきた。 1万2千歩の散歩。



● 空いてる電車はどっち? 地下鉄浅草橋駅で、品川方面行き、押上方面行き、どちらに乗るか迷っていると、島式ホームの両側に西馬込行きと成田空港行きが入って来た。 時刻は7時20分、西馬込行きは途中、日本橋・銀座・新橋を通るので、ケッコウ混んでいる。 向かいの成田空港行きは都心から離れるので、スキ・スキ・空きの空席あり。 “密”を避け、空いている成田空港行きに乗る。、、、、それにしても、まだ7時半前、今からだと、おそらく8時前後に会社に着くのでは? 皆さん出社が早いのでは? それとも、家に居られない事情でもあるのか?

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● 草加駅から北へ2つ目、普通電車しか停車しない「新田駅」。 しかし、駅の開業は早く、明治27年(1894)12月20日に埼玉県北足立郡新田村に開業した。 その後、駅は廃止となるが、大正14年(1925)11月10日に再開する。、、、、島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームの両外側には特急・急行など通過列車用の線路がある。、、、、時刻は8時、ホームには通勤・通学客が電車を待つ。 今から都心に向かえば、9時過ぎには出社できそうだ!

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・・・・・・・・・・・・駅東口は、駅前ロータリーがある“昭和チック”な郊外の小さな駅と云う感じだ。 大型の商業施設などは無く、飲み屋が並ぶ横丁が駅前にある。

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・・・・・・・・・・・・駅西口は、これまたビックリ・シャックリ・おくちパックリ。 駅前広場が無く、タクシーも止められない。 私営の駐輪場が並んでいる。 1台1ヵ月2200円の料金は、オーナーにとってはいい収入になるね! 100台の利用で月収22万円、笑いが止まらん!

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● 新田駅の北側に、市道「金明通り」がとおっている。 通りは国道4号線と交差すると、「川戸通り」と名を変えさらに西へ向かう。 今日は、天気も悪そうなので、この市道沿いに歩くことにした。 市道は草加市長栄で、県道161号との交差点する。 ここより県道に足を移して戸塚安行駅に向かう。、、、、この辺りは新興住宅街で、私を喜ばせる、変わったもの、楽しいもの、面白いものは無い。 歩き終われば、残念ながら単調な道であった。

・・・・・・・・・・・・まずは、駅から裏道を歩き金明通りに向かう。、、、、所々に田畑が残る。

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・・・・・・・・・・・・金明通りに出る。、、、、草加せんべいのイメージで、草加市のコミニティバス「パリポリくん」のバス停を通過。(残念ながらバスは見られず)

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・・・・・・・・・・・・国道4号を交差し「川戸通り」と名を変える。、、、、「新栄」バス停まで、スタコラサ! 途中、柿の実があった、『アレ、もう秋か? 夏がまだ来てないぞ!』

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・・・・・・・・・・・・県道に入ると、霧雨が肌を湿らす。 『アリャ・コリャ・困った 駅へいそごう!』 草加市と川口市の境である伝右川伝右橋で越える。 伝右川は埼玉県さいたま市見沼区を源に、草加市、八潮市を流れ、東京都足立区で毛長川とともに綾瀬川に合流する一級河川。 この川が、ここ辺りでは川口市と草加市の境界である。、、、、ドブ川ではないが、ホタルが飛ぶ川でもない。

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・・・・・・・・・・・・霧雨は続き、お肌はしっとり潤う。 まだ、すれ違う人も傘はさしていない、いそごう!

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● 着いた、戸塚安行駅! 平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道の駅。 駅名は現在の地区名の「戸塚(とづか)」と「安行」をくっ付けた。、、、、島式1面2線のホームをもつ地下駅で、地下1階が改札階、地下2階がホーム階になっている。

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