埼玉県

2020年7月29日 (水)

単調な道を行く

“新型コロナ”の第2波に突入し、感染者は連日“最高記録”を出している。 私も散歩を自粛し家に籠もろうとするが、気が緩み、チョイトだけならいいだろうと今日も散歩に出てしまった。、、、、行き先の当てもなく地下鉄浅草橋駅のホームに立ち、空いている成田空港行き電車に乗る。 車内で、『今日は松原団地でも見に行こう』と決める。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えたが、車中でまたまた気が変わり草加から2駅先の新田で下車し、埼玉高速鉄道の戸塚安行駅まで歩いてきた。 1万2千歩の散歩。



● 空いてる電車はどっち? 地下鉄浅草橋駅で、品川方面行き、押上方面行き、どちらに乗るか迷っていると、島式ホームの両側に西馬込行きと成田空港行きが入って来た。 時刻は7時20分、西馬込行きは途中、日本橋・銀座・新橋を通るので、ケッコウ混んでいる。 向かいの成田空港行きは都心から離れるので、スキ・スキ・空きの空席あり。 “密”を避け、空いている成田空港行きに乗る。、、、、それにしても、まだ7時半前、今からだと、おそらく8時前後に会社に着くのでは? 皆さん出社が早いのでは? それとも、家に居られない事情でもあるのか?

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● 草加駅から北へ2つ目、普通電車しか停車しない「新田駅」。 しかし、駅の開業は早く、明治27年(1894)12月20日に埼玉県北足立郡新田村に開業した。 その後、駅は廃止となるが、大正14年(1925)11月10日に再開する。、、、、島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームの両外側には特急・急行など通過列車用の線路がある。、、、、時刻は8時、ホームには通勤・通学客が電車を待つ。 今から都心に向かえば、9時過ぎには出社できそうだ!

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・・・・・・・・・・・・駅東口は、駅前ロータリーがある“昭和チック”な郊外の小さな駅と云う感じだ。 大型の商業施設などは無く、飲み屋が並ぶ横丁が駅前にある。

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・・・・・・・・・・・・駅西口は、これまたビックリ・シャックリ・おくちパックリ。 駅前広場が無く、タクシーも止められない。 私営の駐輪場が並んでいる。 1台1ヵ月2200円の料金は、オーナーにとってはいい収入になるね! 100台の利用で月収22万円、笑いが止まらん!

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● 新田駅の北側に、市道「金明通り」がとおっている。 通りは国道4号線と交差すると、「川戸通り」と名を変えさらに西へ向かう。 今日は、天気も悪そうなので、この市道沿いに歩くことにした。 市道は草加市長栄で、県道161号との交差点する。 ここより県道に足を移して戸塚安行駅に向かう。、、、、この辺りは新興住宅街で、私を喜ばせる、変わったもの、楽しいもの、面白いものは無い。 歩き終われば、残念ながら単調な道であった。

・・・・・・・・・・・・まずは、駅から裏道を歩き金明通りに向かう。、、、、所々に田畑が残る。

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・・・・・・・・・・・・金明通りに出る。、、、、草加せんべいのイメージで、草加市のコミニティバス「パリポリくん」のバス停を通過。(残念ながらバスは見られず)

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・・・・・・・・・・・・国道4号を交差し「川戸通り」と名を変える。、、、、「新栄」バス停まで、スタコラサ! 途中、柿の実があった、『アレ、もう秋か? 夏がまだ来てないぞ!』

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・・・・・・・・・・・・県道に入ると、霧雨が肌を湿らす。 『アリャ・コリャ・困った 駅へいそごう!』 草加市と川口市の境である伝右川伝右橋で越える。 伝右川は埼玉県さいたま市見沼区を源に、草加市、八潮市を流れ、東京都足立区で毛長川とともに綾瀬川に合流する一級河川。 この川が、ここ辺りでは川口市と草加市の境界である。、、、、ドブ川ではないが、ホタルが飛ぶ川でもない。

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・・・・・・・・・・・・霧雨は続き、お肌はしっとり潤う。 まだ、すれ違う人も傘はさしていない、いそごう!

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● 着いた、戸塚安行駅! 平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道の駅。 駅名は現在の地区名の「戸塚(とづか)」と「安行」をくっ付けた。、、、、島式1面2線のホームをもつ地下駅で、地下1階が改札階、地下2階がホーム階になっている。

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2020年7月20日 (月)

忘れてた八幡さん

● コロナの感染が拡大し、市中感染が恐くなってきた。 三密を避ける行動が大事、わかっちゃいるけど、散歩は止められない! 今日も混んだ電車は止めて、浅草橋から押上経由で東武伊勢崎線に乗ってみた。(都心から離れる方向なので、電車も空いている) 相変わらず、下車駅を決めていないので、車中で地図を見ると、草加と鳩ケ谷の中間地点付近に「峯ヶ岡八幡神社」の文字が目に入る。 『決めた! 草加で下車してここに行こう!』(もちろん、参拝したことのない神社だ)、、、、朝8時過ぎに草加駅に降り立つ。

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● 草加駅から西に向かい歩く。 表通りを避け、なるべく裏道を歩く。(脛に傷ある身でお日さまの下を歩けないからではなく、裏道の方が予期せぬ出会いがありそうだ!)、、、、、「草加市西町」の先で国道4号(日光街道)を横断する。

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● 国道を横断し、再び「西町」を西へ向かうと、真言宗智山派寺院の浄龍寺がある。 浄龍寺の創建年代は不詳だが、元禄年間頃に庵室から一寺となり、浄観寺と号したそうだ。 その後、明治41年(1908)庄左衛門新田字稗田(現:草加市栄町)にあった新龍寺と合併し、浄龍寺と改称した。、、、、大きな寺ではないが、境内は良く手入れされ、心地よく手を合わせられる。 また、墓地は古い墓石が並び、歴史を感じる。


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● 西町の隣り「草加市苗塚町」に入ると、道は蛇行し方向感覚もあやしくなる。 その苗塚町で、住宅一軒程の空き地に舟形の庚申塔のようなものが2基あった。、、、、一基は不動明王像の下に「元禄九年 〇〇〇〇〇居士」(1696年)、もう一基は菩薩像の下に「寛文十一年 〇〇〇〇〇信女」(1671年)と彫られてる。 これは墓だ! ご近所の方に聞いてみると『古くからある墓だが、身分の高い人の墓のようだ、ただし地元の寺でも誰の墓だか判らないらしい』 きっと、仲の良かった夫婦の墓だろう。、、、、私の墓もこれを参考にして、私はミッキー、妻はミニーを彫った墓にでもするか?

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● 庚申塔のような墓の次は、本物の庚申塔が苗塚町にあった。 年代などは不明。、、、、住宅が並ぶ草加市であるが、庚申塔・墓石・道標などが、まだまだ道路脇に残されているようだ。 歩いてて見つけると、思わず『あった~』と叫びたくなるね!

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● 気温29℃、熱中症とコロナを心配しながら、草加市苗塚町から隣の川口市峯の町に入る、暑い・暑い・アッチッチ! あと少しで今日の目的地「峯ヶ岡八幡神社」に着くはずだ! 

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・・・・・・・・・・・・汗がダラダラ、上り坂もダラダラ。 地元のおじさんに聞く「八幡様はどこですか?」 坂の先の森を指し「あの森の中にあるので、ぐるーと道なりに回っていけば神社に出るよ!」、、、、チョイト疲れた!

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● 道なりに八幡さまへ向かうと、神社の手前に天台宗寺院の新光寺がある。、、、、新光寺は御幣山神寶院と号す。 寺は慈覚大師(794~864)が開山となり創建したとも、承久年間(1219~1221)の創建ともいいます。どちらかは判らないので、お好きな方で! また、江戸時代には峯ヶ岡八幡神社の別当寺を務めていた。、、、、小さな本堂、緑豊かに整備された境内、鎌倉の寺のようだ!(ここは、拝観料必要なし)

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・・・・・・・・・・・・境内の一隅には、赤い鮮やかな不動堂もある

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● 新光寺の隣りに、本日の目的地「峯ヶ岡八幡神社(峯八幡)」があった。、、、、峯ヶ岡八幡神社の創建年代は不詳だが、当地谷古田領が鶴岡八幡宮の社領であった頃に遥拝所として創建されたのではないかと云われてる。 天正19年(1591)には社領30石の御朱印状を拝領、谷古田領の総鎮守社であった。 神社は川口市峯の小高い丘の上にあり、約7700㎡の境内には、樹齢約600年の県内有数の大銀杏を初めとした400余本の樹木が繁茂しており、これらは「峯ヶ岡八幡宮神社の社叢」として、市の天然記念物に指定されてる。、、、、現在の本殿は、大永7年(1527)に造営されたものを、元禄10年(1697)に再営、拝殿は昭和39年(1964)に再営されたもの。、、、、神社では、子供守護・家庭円満・安産に御神徳があるので、安産祈願、初宮詣、七五三、合格祈願、成人式、結婚式、厄払い、年祝いなど、人生の美味しい処で祈願してくれるそうだ。(一生の間に、神社に幾ら御礼するのだろうか? 私の素朴な疑問) 

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● 峯ヶ岡八幡神社で本日の散歩の目的達成! 疲れた、熱中症も心配、散歩はココまでで帰ることとする。 神社近くの宮脇バス停から川口駅行きに乗って一眠り・・・・・?  (ここまで、1万歩)

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【ナイショ話】 おはずかしいが、峯ヶ岡八幡神社には、数年前に参拝したことがあった。 このブログを書いていて気づいたのだ、“後で気がつくてんかん病み”、、、、なぜ気付かなかったか、悲しい言い訳は、当時持ってきたカメラの電池が途中で無くなり、写真が残っておらず。 私も年で、チョイト、記憶が薄れボケたようだ! 

2020年7月19日 (日)

糞尿を運んだ運河

新型コロナの感染が拡大しているなか、自分が感染しないためには、散歩の行き先も慎重に選ばなくてはならなくなった。 今日は、久しぶりに「つくばエキスプレス」乗ったが、行き先を決めてない。 空いた車中、『どこで降りようか?』と悩んだが決まらず、斜め前に座っていた女性が「八潮駅」で降りたので、私もつられて降りてみた。

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・・・・・・・・・・・・・とりあえず、電車とホームをカメラに収め、改札を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 しばらく地図とにらっめっこ。 数年前に歩いた花畑運河に行って、六町駅から帰ることにして、朝8時、八潮駅から散歩をスタート。 

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・・・・・・・・・・・・雨上がり、靄がモヤモヤ。 中川右岸の土手に出る。 八潮駅から南へ約1kmの、この土手には「古新田(こしんでん)」と云うバス停があった。 現在のこの地は、八潮市古新田といい、中川の対岸も同じ地名である。、、、、当地は、江戸初期に大瀬村字新田と唱え、寛永4年(1627)に大瀬村から村切りした当時は大瀬新田と称し、正保年中(1644~1648)に古新田となった。 一般に、“古新田”とは元禄~享保の間に検地した耕地を言うそうだ、ちなみに元禄以前に検地した耕地は“本田畑”、享保以後の検地した耕地は“新田”と云うそうだ。(チョイト、知ったかぶりして書いた!)


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・・・・・・・・・・・・古新田バス停付近から中川の対岸(左岸)を望むと、水色のゲートの大場川水門が見える。 水門の左側は埼玉県八潮市古新田、右側は東京都葛飾区西水元。 水門は埼玉県と東京都の境にあるのだ!

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・・・・・・・・・・・・中川右岸の土手を歩き、対岸に大場川水門の正面が見える位置付近に来ると、垳川(がけがわ)排水機場がある。 垳川の東端、中川との接続点に昭和54年(1979)に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。 現在の垳川は、北から八潮市を貫いて流れ下る葛西用水路の溜め池となっている。 大雨などによる増水時には水害防止の為、垳川の両端部の排水施設により、綾瀬川や中川に排水する機能を有している。 その一端が、埼玉県の管理する垳川排水機場。 5台のポンプで1秒間に40立方メートルの水を中川に排水する能力を有している。、、、、「垳川」の北側は埼玉県八潮市、南側は東京都足立区で、垳川が都県境の一部となっている。


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・・・・・・・・・・・・中川土手を、もう少し南へ歩くと花畑運河がある。 東京近郊農村地帯と都心を連絡する舟運の利便化のために昭和6年(1931)に、第一級河川「中川」と「綾瀬川」を結ぶ、全長1.4kmの運河として開削された。 終戦直後は都心の下肥(糞尿)を農業用肥料として近郊の農家へ、運河をとおり舟で運んでいた。 現在は、舟の通行はほとんど無くなり、真っ直ぐに伸びた細長い釣り堀となっている。、、、、名前は綺麗なんだが運河沿いには、花壇があるわけでもなく、サクラ並木があるわけでもない、花に縁のない運河。 また、“釣り堀”と云っても、愛好家が勝手に河岸で釣りを楽しんでいるだけ。 もうすこし住民がよろこびそうな運河の有効利用は考えられないかな?

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・・・・・・・・・・・・内匠橋綾瀬川を越え、足立区南花畑地区に入る。 この辺りはつくばエキスプレスが開通する以前は“陸の孤島”で、畑が多かった。 今は完全に新興住宅街となり、新しい住宅が建ち並んでいる。、、、、どこを歩いても、花畑は無い、大根畑も無い!、、、、【チョイト一言】 “花畑”は“はなはた”と読む、“はなばたけ”と読むと、私のように綺麗な花が咲いている土地を期待してしまう。

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・・・・・・・・・・・・南花畑の町を抜けると、つくばエキスプレス六町駅。 平成17年(2005)8月24日に開業した地下駅。、、、、六町駅から秋葉原駅までは、約16分。 速いね! 秋葉原駅から浅草橋の我が家までは、徒歩15分。 でも、つくばエキスプレスの秋葉原駅は「ヨドバシカメラ」の地下深くにあり、電車を降りてから地上に出るまでチョイト時間を要す。 さらに、“ヨドバシ”に寄ってブラブラすると、この時間が最も長くなる。

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・・・・・・・・・・・・今日の散歩は1万歩。 車中以外はマスクなしで歩くことができ、楽だった!

2020年2月14日 (金)

観梅の穴場

連日のポカポカ・ポッカレモン陽気で、ウメが咲き、サクラがほころび、チンチョウゲも咲いて、ひょっとすると間違ってヒマワリも咲きそうな暖かさ。 ウメが散らないうちに観ておこうと、夫婦で観梅に行くことにした。 人混みは、新型コロナに感染するかも(?)と思い、交通機関も空いていそうな処で、“知る人ぞ知る 知らない人は黙ってろ”、観梅の穴場「足立区都市農業公園」に行ってきた。 日暮里・舎人ライナーの西新井西駅から西へ歩き、足立区鹿浜にある「足立区都市農業公園」に行き、さらに西へ歩いて埼玉高速鉄道の川口元郷駅まで、1万3千歩の散歩です。




●寺から西へ1km! ・・・・・・・日暮里駅から先頭車両の一番前の席に、還暦はとっくの昔に過ぎた夫婦が座り、遊園地気分で「西新井大師西駅」でライナーから降りる。、、、、西新井大師西駅から西新井大師の山門までは、直線距離で約1.0km。 普通に歩けば約20分以上はかかる。 駅名に騙されて、当駅から西新井大師へ参拝するのは後々後悔することになる、高齢者は“死の行進”となるかも? 後悔する人が多いようだ、駅の壁に西新井大師行きのバス乗り場までの案内があった!、、、、駅は平成20年(2008)3月30日に開業。

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●西へ、西へと歩く! ・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・まずは、駅前にある、URの江北六丁目団地の中を通り抜ける。、、、、昭和46年(1971)に竣工した、総戸数:860戸の団地。 数年前にリニューアルされ綺麗だ!、、、、駅出入口の真ん前にあるので、会社帰りのチョイト一杯は家の前を通ることになるので行き難いね!

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・・・・・・・・・・・・つづいて、都営の上沼田第3アパート。 昭和43年(1968)に建てられた総戸数:569戸の団地。 築50年経過し、住民の多くは高齢化し寂しくなったそうだ。、、、、団地内の商店は店を閉じたようだ!

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・・・・・・・・・・・・鹿浜4丁目の民家の軒先に立つ“出世の狸”、、、、立て札にいろいろ書いてるね。


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・・・・・・・・・・・・鹿浜3丁目、真言宗智山派の寶蔵寺は、医壷山福寿院と号す。 寶蔵寺は、弘安年間(1278~1288)、良算和尚によって鹿浜村南部に創建され、江戸時代には末寺8ヶ寺を擁する小本寺格の寺院だった。 荒川水除堤(熊谷堤)の造成により堤外となり、また水害も多いため、寛保2年(1742)以降に当地に移転した。 現在の堂宇は大正14年(1925)に再建されたもので、江戸期の隆盛を偲ぶべくもないが、風情ある寺だ!

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・・・・・・・・・・・・寶蔵寺の裏(北側)に北鹿浜公園があり、そこに昭和2年(1927)に製造され、昭和46年(1971)まで現役で走り続けた蒸気機関車:C5075(中距離用小型テンダ機関車)が保存されている。 塗装は剥げ、車体は劣化し、ボロボロ。 可哀そうで泣きたくなるね! 

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●ウメも、サクラも、満開! ・・・・・・・足立区の端(鹿浜2)にある「足立区都市農業公園」に来た!、、、、ウメの木は40本弱ぐらいで、梅林というほどではないが、静かに観梅することのできる穴場である。、、、、初めて来た妻は、綺麗に咲いたウメに感動し、ウメの花の香に爽やかさを感じ、再び感動。、、、、また、ウメに魅せられ、負けじと咲いたカンザクラは既に満開、一部散り始めた。

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・・・・・・・・・・・・・・せっかく来たのだから、古民家長屋門などもチョイト拝見。

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●さらに西へ、川口へ! ・・・・・・・・・・・公園の脇を流れる芝川は、東京都足立区と埼玉県川口市の境である。 荒川への注ぎ口である芝川水門の近くで芝川を越えて川口市に入る。、、、、降りだしそうな、いやな空模様、気持ちはあせって、足はヨタヨタ、埼玉高速鉄道の川口元郷駅へ向かう。

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2020年2月 3日 (月)

芝川で芝川を浄化

今日の散歩は、西川口駅から、東へ歩き、川口オートレース場の脇にある堅川樋門公園まで歩いてきた。 往復、1万3千歩。

西川口駅から堅川樋門公園までのルートは、以下の2つの記事を参照してね!・・・・2015/11/3(西川口~鳩ケ谷)2018/6/8(西川口~鳩ケ谷)




●新オートレース通りを行く! ・・・・・・・西川口駅から、駅前の「新オートレース通り」を歩き「川口オートレース場」まで。 

・・・・・・・・・・・・・・新型コロナウィルスで、マスクする人は多いが、隔離されている人はまだいないようだ、上り電車は相変わらず混んでいる!

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・・・・・・・・・・・・・・西川口駅東口には、平成19年(2007)に建てられた、シャレた店舗が入っている駅ビル「beansにしかわぐち」がある。 私が住む浅草橋駅には駅ビルは無い、高架下に飲み屋・ソバ屋などが数店舗あるのみ、負けた!

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・・・・・・・・・・・・・・今日はオートレースの非開催日、駅前からのレース場行きの無料送迎バスは運転されていないようだ。

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・・・・・・・・・・・・・・駅前から東にほぼ真っ直ぐ伸びる「新オートレース通り」を歩く。 川口市営のオートレース場なので、道路の愛称も堂々とマイ名されている。 

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・・・・・・・・・・・・・・チョイト表通りから外れ、近くの青木町公園に立ち寄って、「9600型蒸気機関車」を見て行く。 、、、、ここは屋根の下に保存され、かつ手入れも良く保存状態良し! 屋根のないところで雨ざらし状態で保存されている機関車では、手入れもおろそかにされ、劣化がひどくボロボロのものもある。 機関車と言えど可哀そうなものもある!、、、、この機関車は国鉄の前身である鉄道院が大正2年(1913)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車。

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・・・・・・・・・・・・・・明日は立春、早くもウメが咲き誇っていた。、、、、節分の今日も12℃、春の陽気

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・・・・・・・・・・・・・・「川口オートレース場」に着いた。 せっかくだから、チョイト、レース場を一回り!、、、、50年ぶりに車券を買ってみたかった! 本日は非開催日、残念!

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くっついたり離れたり! ・・・・・・・・川口オートレース場の北側に芝川と堅川が合流する地点「堅川樋門公園」がある。 芝川は桶川に源を発し埼玉県東部を流れ荒川に至る一級河川。 堅川は蕨市の方から川口市を流れ芝川に合流する人工河川。 また、新芝川は昭和40年(1965)に開削が完了した放水路で、荒川に合流する芝川水門の直前で旧芝川ともご流する。、、、、堅川樋門公園と云っても、堅川の中にある中洲状の部分で、児童遊具があったり、老人憩いの施設があるわけでもない。 空中写真と地図を見て!

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・・・・・・・・・・芝川は川口市内を流れるため水質の悪い川であった。 芝川再生のため、ヘドロの除去、埼玉高速鉄道トンネルを利用して上流の浦和美園駅付近から荒川の水を流するなど取り組んできた。 さらに、芝川の支流である緑川・堅川には芝川の水を流し、浄化に取り組んできた。 河川再生の取り組みは効果あり、芝川も堅川も水質は改善されてる。、、、、綺麗になってきた堅川の水は、堅川樋門公園の処で、旧芝川にその一部を流すことにより、旧芝川の水質改善にも役立てる仕組みが出来ている。 それが、「堅川樋門」、「堅川排水路樋門」、「堅川取水施設」である。

・・・・・・・・・・・堅川上流から見ると、右岸側(写真右側)に「堅川排水路樋門」、左岸側(写真左側)に「堅川樋門」が見える。

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・・・・・・・・・・・・平常時は竪川樋門は開いており、堅川排水路樋門は閉じてる。 堅川樋門を通った水は、公園の人道橋「ふれあい橋」を過ぎた先で芝川に合流する。

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・・・・・・・・・・・・・・平常時、堅川樋門を通った水の一部は、樋門のスグ直後にある「堅川取水施設」から、公園の下をとおり、「堅川排水路」へ流れる。

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・・・・・・・・・・・・・・公園の下を通ってきた水は、堅川排水路に流れ込み旧芝川に清流を復活させる仕組みである。 写真中央で、護岸の下から流れ込んでいるのが判る。

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・・・・・・・・・・・・・・大雨時は堅川樋門は閉じられ、堅川の水は、堅川排水路樋門を通じて竪川排水路を流れ、旧芝川に流れる。、、、、今日は穏やかな晴天で、堅川排水路樋門は閉じられている。 ゲート前には、ペットボトルがプッカプッカ、ビニール袋もプッカプッカ、汚いね!

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・・・・・・・・・・・・・芝川は青木水門によって、新芝川と旧芝川に分流するのだが、水量のほぼ大半は新芝川に流れて行くようだ!、、、、ここで、別れた新芝川と旧芝川は芝川水門の手前で再び合流する。

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・・・・・・・・・・・・・・・旧芝川は青木水門の先で堅川排水路と合流し、オートレース場の脇を流れる。 川筋には遊歩道が造られ、綺麗になった旧芝川を散策できる。

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●来た道を戻る! ・・・・・・この後、新オートレース通りを西川口駅へ戻る!

2020年1月31日 (金)

戸田のオリンピック通り

埼玉県戸田市と東京都板橋区を結ぶ「戸田橋」に行くつもりで、JR京浜東北線の川口駅から歩きはじめた。 かなり強い風が吹きまくり、砂ぼこりで視界がボケる、頭もそろそろ惚ける頃。 戸田橋へ向かう途中であきらめ、埼京線の戸田公園駅までの散歩とした。 1万3千歩




●タワマンの街! ・・・・・・JR京浜東北線の「川口駅」は、これまで散歩で度々下車した駅だ。 いつも利用するのは、錫杖寺・川口神社などの名所がある東口であるが、今日は、戸田橋を渡るつもりで西口に出た。、、、、西口駅前には、緑豊かなロータリーがあり、駅出口はペデストリアンデッキの上へ出る。 眼前には、鋳物工場跡地が変身したのか高層マンションが立ち並び、「キューポラの街」のイメージはない。

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・・・・・・・・・・・・川口駅西口にはかつて通産省の公害資源研究所があった。 昭和55年(1980)に筑波に移転して跡地は高層住宅が立ち並んでいる。 その研究所があった証しとしてモニュメントが駅前の川口西公園の陸橋下に残されている。 駅へ急ぐサラリーマンが無関心にその前を通り過ぎる、チョイト寂しい光景!、、、、この地の元々は、大正9年(1920)に建てられた「燃料研究所」でモダンな建物だったそうだ。 日劇、銀座和光、東京国立博物館本館を設計した渡辺仁がデザインした建物。 戦後、研究所は「資源技術試験所」となり、昭和45年(1970)には「公害資源研究所」と改称し、さらにその後、筑波に移転した。、、、、モニュメントに描かれた建物をみると、残しておいて欲しかったね!

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●歴史の少ない、三寺! ・・・・・・駅前のバス通りを道なりに西へ向かう。 途中、道沿いの3寺にお立ち寄り、これが“本堂の瓦見えるが、山門見えず”で、チョイト脇道に入らないと行けないなど、余分な時間をとらされた!

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・・・・・・・・・・・・まずは妙仙寺(川口市川口6)、、、、日蓮宗寺院の遠光山妙仙寺は、日蓮上人に深く帰依していた伊藤仙太郎翁が、寺院建立を発願し当地造成を開始したものの半ばにして逝去、子息一同がその願いを継承して昭和13年(1938)に本堂竣工、昭和44年(1969)の伊藤仙太郎翁の命日に大本山本門寺貫主日慎大導師を迎えて開堂、新曽妙顕寺の山内にあった了源院を移す形で一寺としたそうだ。、、、、つまり、昭和に起こされた新しい寺院だった、一見、歴史ありそうな寺院だったが!  

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・・・・・・・・・・・・次は、真言宗智山派寺院で、珍珠山多門寺吉祥院(川口市南町2)、、、、吉祥院は、文明7年(1475)に開山した。 山門を入ると正面にそびえ立つ荘厳な本堂に圧倒される。 この二階建ての本堂は昭和46年(1971)の建立。 本堂2階には正面奥に本尊毘沙門天が安置されているそうだ。 1階は不動明王を祀った大広間などがあるらしい。 ちょいと、建築費がいくら掛かったのか知りたくなった。、、、、境内には板碑がほぼ完全なかたちで残されています。いちばん大きいものは、弘安9年(1286)につくられた阿弥陀如来の種字を刻んだものなど、貴重なものがある。

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・・・・・・・・・・・・次は、川口市宮町の日蓮宗寺院の本覚寺。 光輝山と号す。 本覚寺は、日現(大永6年(1526)寂)が開山。、、、、手を合わせてきたが、特筆すべき物なし。 風が強く、雲も吹っ飛び、青空が綺麗に写っている!

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●埼玉にオリンピック? ・・・・・・・・・・・・・菖蒲川を越えて、川口市から戸田市に入ると、「オリンピック通り」と記した標識が立っている。 『ありゃ?なんじゃこりゃ、早々とパクられたか』、、、、この「オリンピック通り」は 昭和39年(1964)の東京オリンピック漕艇競技場(現:戸田漕艇場)までの交通のために整備された道路であった。 ナント、50年前のオリンピック通り。、、、、この辺りで、強い風に負け、戸田橋はあきらめ、駅に向かうことにした。

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●35年前に開業! ・・・・・・・・昭和60年(1985)9月30日、まだ日本国有鉄道(国鉄)と称していた時代に開業した戸田公園駅。 JRとなるのは、2年後の昭和62年(1987)4月1日。、、、、島式ホーム1面2線とその外側に2線の通過線を有する高架駅である。 駅舎はモダンで、高架下店舗もオシャレで、キレイだ!

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2020年1月16日 (木)

皿沼不動の罰が当たる?

日暮里舎人ライナーの谷在家駅から、川口市の元郷五丁目バス停まで、1万1千歩の散歩です。




●嬉しい誤算? ・・・・・・・谷在家駅(やざいけえき)は尾久橋通りの頭上にある日暮里舎人ライナーの駅。 平成20年(2008)3月30日、日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 他の駅と似た造りで、ホームは島式1面2線で3階にある。 改札口は1ヶ所のみで2階にある。 出口は道路の両側に出られるように設置されている。、、、、開業の年(2008)の当駅の一日平均乗降客数は5,061人、10年後の平成30年(2018)には10,532人と、ほぼ倍となった。 通勤・通学客も増え、既に開通以前に予想した目標の乗降客数を達成し、輸送力増強に取り組まねばならない状況らしい。 東京都交通局にとっては嬉しい誤算かも?

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●罰当たり? ・・・・・・・谷在家駅で、駅構内の周面地図を見ると、“血沼不動”の文字が目に入る。、、、、血で赤く染まったドロドロの沼の脇で、邪鬼と戦う不動明王。 そのしぐさを天から見つめる美人の観音菩薩。 私の妄想が始まり、地図の前で一人ニヤニヤ。 これはぜひとも行って見よう、“血沼不動”へ!

・・・・・・・・・・・・途中の交差点で立ち止まり、何気なく交差点名を見ると、「皿沼二丁目 Saranuma 2」と表記されている。 ガァ~~ン! “血”と“皿”の見間違い。 一気に疲れた! 回転ずしで皿を積み上げ、ニコニコして寿司を口に入れる不動明王。 私の妄想は破壊する!

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・・・・・・・・・・・・「皿沼」の地は、雅万歩にとっては初めての地である。 恥ずかしながらのカン違い、苦笑いで済ます!、、、、ところで「皿沼」の謂れは不明だが、地名用語では「さら」は、「新しい・浅い、または崖」の意、とすると「さらぬま」は「浅い沼=湿地」ということになるそうだ。 現在の足立区皿沼と西隣の足立区加賀のあたりは、19世紀半ばに成立した加々皿沼村であった。 そのむかしは加々と皿沼は別々であった。 昭和50年、新住居表示により「足立区皿沼」が誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・皿沼農協前の江北北部緑道公園にワシントンからの「里帰り桜」が植えられている。 昭和56年(1981)に植えられた。、、、、チョイ見ると、ピンクの花が咲いていた。 暖冬のせいかも?

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・・・・・・・・・・・・サクラを見て、スグありました、『血で染まった沼』のお不動さんの寺。、、、、関東三十六不動の第25番「皿沼不動」。 天台宗系単立の皿沼不動永昌院は、修験道中尾玉林院賢義の法弟明善が、慶応3年(1867)に創建した。 入口に風邪封じの観音が建ち、入って左手は墓地、都会の寺院なみに庭がなく庫裏も一緒で、チョイト手狭な鉄筋コンクリート2階建ての本堂である。 御本尊の御前立不動明王は、身丈は六尺三寸(約1.9m)、総高十二尺(約3.6m)で、日本最大欅(けやき)材の一本彫御前立不動尊である。、、、、9時ジャストに到着、寺のおばさんが扉を開けてくれて手を合わせる。 外の賽銭箱(100円投入)の位置からお不動さまを見ると、手前の天狗の面に隠れ顔が見えない。 アリャコリャ・モジモジしていると、『靴を脱いでお上がりください、前へどうぞ』の一言。 気の弱い私、只で厚意を受けるのは“男の恥”、あらためてローソクを200円で買い、灯をつけ手を合わせる。 なぜか、見られているようだ! ここで、カメラを取り出し仏の写真を撮ると罰当たりになるかも、今度は正座をしながらモジモジ・キョロキョロ。 仏壇前に暦が置いてある、手に取り中を見るふりをして、躰の位置を変えカメラを出してパチリ、撮ったー! おばさんが見てたかも? すかさず仏壇前の賽銭箱に500円硬貨を入れ、暦を手に『これ頂戴できますか?』 ニッコリ『いいですよ』 どうやらお咎めなし、こちらも笑顔で『もらって行きます』 迫力ある不動明王に別れを告げた。、、、、この記事を書いている今、まだ罰が当たっていないようだ!

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●見晴らしバツグン! ・・・・・・お不動さまの隣り町:足立区加賀にたつ、11階建ての都営住宅「足立加賀二丁目アパート」。 各戸の
面積は約60㎡(3DK)で、全485戸(7棟)の団地。 昭和53年(1978)~昭和59(1984)の建築。 スグ横に首都高川口線が走っている。、、、、新芝川、首都高川口線、舎人公園に近く、環境は良し!

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・・・・・・・・・・・・・・・チョイト首都高を上から見たくなり、10階の展望台(?)を拝借! 素晴らしい眺望である。 川口駅周辺のタワマンが見える、後ろには秩父の山も見える!

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●綺麗な川! ・・・・・・・この辺りでは新芝川が足立区と川口市のほぼ境となっている。 新芝川橋(昭和59年完成)を渡り川口市に入る。、、、、新芝川橋はその名のごとく新芝川に架かる。 新芝川は埼玉県桶川市と上尾市に発する芝川が源流で、見沼田圃を流れ、川口オートレース場の北側で芝川と新芝川に分かれる。 新芝川は足立区との境を流れ下り、芝川水門で荒川に注ぐ。、、、、近頃、どこの川も不法投棄は少なく、水質も良く、川を見ること自体に癒し効果も期待できそうだ。

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●急がなくちゃ! ・・・・・・・・・チョイトお不動さま、展望台などで時間を使いすぎた、いそぎ川口駅へ向かう。 新芝川橋よりバス通りをスタコラ歩くが、途中でギブアップ。 「元郷五丁目」からバスで川口駅に向かう。

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2019年12月27日 (金)

毛長川

日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅から歩きはじめた。 東京都足立区と埼玉県草加市の境となる一級河川:毛長川沿いに草加市側をしばらく歩き、毛長橋からは足立区に入り竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩です。




●空中で切れる軌道! ・・・・・・平成20年(2008)3月30日に開業した日暮里・舎人ライナーの軌道は、終点の見沼代親水公園駅の先で、空中に突き出したままで終わっている。 これより先は埼玉県草加市で、都交通局では『知らないよ、勝手にしたら!』で、無視・ムシ・ムシ!、、、、今年8月埼玉県知事選があり、野党系の新知事が誕生した。 新知事の公約に「あと数マイルプロジェクト」と称し、埼玉高速鉄道、日暮里・舎人ライナー、都営三田線&大江戸線、多摩都市モノレールの5つの鉄道路線を埼玉県内まで延伸して、県内の交通網をより便利にすると云う目玉公約がある。 実現性には、埼玉高速鉄道は別にして他の4路線は都の事業だから、都との合意を得ないとできない、小池知事がOKするかな? 難しいと思うね、果たしてどうなることやら?

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●生まれ変わるか毛長川! ・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側に一級河川の毛長川(けながかわ) が流れている。 毛長川は足立区と草加市の都県境を流れ、足立区花畑と埼玉県八潮市大曽根の県境付近で綾瀬川に合流し、さらに下流では中川となり東京湾に注ぐ。、、、、毛長川では、都県境となる足立区舎人4丁目付近から下流にかけて、河床掘削工事が行われている。 この工事は、洪水に備えると共に、川底の堆積物を取り除き、河川環境の改善を図るものである。 川底の泥・ヘドロはポンプで吸い上げ、川に浮かしたパイプで下流の処理施設に送っている。、、、、下流の工事を終えたところでは、川面は綺麗になり、魚も住めそうだ!
・・・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側、舎人二ツ橋付近の毛長川。 橋上には都道58号台東・川口線が通っている。、、、、ゴミの浮いていない毛長川、この光景はいつまで続く?

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・・・・・・・・・・・・ヘドロを送るパイプが浮いている。

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・・・・・・・・・・・・下流の毛長橋付近。、、、、綺麗な川!、、、、ココまで埼玉県側を歩いてきた。 ここより、毛長川から離れ、竹ノ塚駅に向かう。

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●神仏いろいろ! ・・・・・・・毛長川沿い、草加市新里町の一寺一社

・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院の泉蔵院は、御幣山阿弥陀寺と号す。 泉蔵院は、宥阿上人(応長元年1311年寂)が開創、乗秀法印(永禄2年1559年寂)が中興開山したそうだ。 本尊は不動明王。、、、、本堂、山門は平成3年(1991)に完成。

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・・・・・・・・・・・・本堂の脇に閻魔堂がある。 こちらには、平成25年(2013)に修復された閻魔大王が安置されていた。、、、、小ぶりの像で、顔は酔いの回った赤ら顔にちかい。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院には、「泉蔵院十三仏石像」と呼ばれる十三体の仏像がある。 不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、弥陀、 阿閦 、大日、虚空蔵の十三仏で、享保6年(1721)に造立された。、、、、整然と13仏が並ぶ姿は「ありがたや!」
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・・・・・・・・・・・・もう一つ、「泉蔵院六地蔵」もある。 こちらは、釈迦如来の付託をうけて、六道界の衆性を化導するといわれている地蔵菩薩が並んでいる。 六地蔵は、元禄4年(1661)の造立。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院山門の前方に、泉蔵院が別当寺であったと言われている毛長神社がある。 毛長神社の創建年代は不詳だが、舎人諏訪神社(男神)と対になって当社が女神と称されていたらしい。 御神体は女性の髪の毛である。 髪は素盞嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。 女の長い髪の毛を神体とする神社は全国的に珍しいいそうだ。(“毛長”の由来か?)、、、、“女の長い髪の毛”ならセクシー、“男の短い脛毛”ではグロテスク!

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●伊興最古の寺! ・・・・・・毛長橋を渡り足立区に入ると、伊興本町に時宗の西嶋山煎雲院應現寺がある。 應現寺の創建年代は不詳。 天台宗寺院として創建され、八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区最古の寺院でもある。 現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しい遺構。 また、天文7年(1538)の逆修板碑2基、永禄4年(1561)のもの1基、承応3年(1654)の石燈籠2基等がある。 さらに、足利時代築造の経塚が、旧寺域から発掘され出土した兜・経筒・五鈷鈴・唐宋の古銭等は、東京国立博物館に保管されている。、、、、お宝の多い寺院だ!

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●西口は裏口? ・・・・・・・竹ノ塚駅西口に到着。 今日の散歩はココまで!

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2019年12月18日 (水)

川口の文化財

京浜東北線赤羽駅で下車し、国道122号(北本通り、岩槻街道)沿いに歩いて南鳩ケ谷へ行くつもりで出たが、川口市に入ると、裏道に古い建物を見つけた。 今日の散歩は、この建物の発見に始まり、京浜東北線川口駅までとなる。 9千歩



●出社前からお疲れさん! ・・・・・・通勤・通学客で混雑する赤羽駅。 赤羽駅ホームは、平成10年(1998)に高架化工事が完成し、島式4面8線の大規模な高架駅となった。 東側から1・2番線の京浜東北線南行きと北行きホーム、3・4番線は宇都宮線・高崎線の上下線ホーム、5・6番線は湘南新宿ラインの南行きと北行きのホーム、7・8番線は埼京線の北行きと南行きホームで、各ホームとも緩行・快速・通勤快速の総てが停車する。 各ホームでは、乗換客であふれている。、、、、大宮方面から来る南行きの京浜東北線電車はすでに満員状態、赤羽から乗るのは難しそう。 向かいのホームの上野行きの宇都宮線・高崎線も満員のようだ!

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●国道122号(北本通り)に出る! ・・・・・・戦後、赤羽駅前の焼け跡に誕生した商店街:「一番街」も、多くの店はまだ休眠中、開いてる店も準備中。、、、、一番街を抜け、東京地下鉄南北線の赤羽岩淵駅に出る。 平成3年(1991)11月29日駒込~赤羽岩淵間開業と同時に設けられた。 この駅から北は、平成13年(2001)に埼玉高速鉄道が開業し、浦和美園駅まで直通運転されている。、、、、北本通りに面してたつ、シブい銅板建築の建物は吉安自転車店。 昭和初期の木造2階て、銅板葺きの典型的な看板建築である。 銅板の緑青がいい味を出している。

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●タワマンが消える! ・・・・・・国道122号(北本通り)を歩き、荒川の近くまで来ると濃霧が発生していた。 新河岸川(隅田川の上流)と荒川に架かる新荒川大橋の上から見ると、川口のタワマンの上層階が消えている。、、、、国道122号の愛称:北本通りはこの橋まで、ココから岩槻街道となる。

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●目的地の変更! ・・・・・・濃霧の新荒川大橋を渡り終えると、チョイト裏道が歩きたくなり国道からそれた。

・・・・・・・・・・・・川口市本町の路地を歩くと、チョイとした空き地の裏に煉瓦塀が見える。 よく見ると煉瓦塀の奥には蔵が見えた。 『煉瓦塀に蔵、コリャ御大尽様の屋敷かな?』 塀を頼りに表に回ってみると、木造の主屋を改装した浜田接骨院。、、、、地元の旦那に聞いてみると、蔵は明治40年(1907)の建てられたもの、母屋は大正期の建築であった。 

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・・・・・・・・・・・・地元の旦那の話では、この接骨院の裏には大砲がある。 またここからもう少し歩くと、鋳物問屋の邸宅が残っている、内部も見せてくれると、教えてくれた。 『一見の価値あり』だ、そうだ!、、、、これにて、南鳩ヶ谷へ向かう散歩は、急遽中止。

・・・・・・・・・・・・浜田接骨院の裏の方へ入って行くと、増幸産業という会社の一画に「18ポンド カノン砲」が展示されてる。、、、、案内文によると、『この大砲は幕末の嘉永5年 (1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(増幸産業の代表の増田家初代)が、後の砲術奉行となった高島秋帆と協力して作り上げたものの復元品で、当時は制作不可能とされていた大型砲です。 嘉永5年から安政5年の5年間に213門の大砲と41,323発の砲弾が製造され、諸外国から日本を守るため全国各地に配備された。 全長3.5m  重量3トン  口径15cm  射程距離2500m 』、、、、せっかく復元したのだから、チョイト、試し撃ちしてみたら迫力あるだろう!

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●文化財のトイレ! ・・・・・・川口市金山町の「川口市母子・父子福祉センター」は、市内の母子・父子家庭の生活向上を図ることを目的とした施設。 これは、この建物を所有していた、旧鋳物問屋「鍋平」の4代目嶋崎平五郎氏が、昭和57年(1982)に建物を川口市に寄付する時の希望であったそうだ。、、、、建物は旧鋳物問屋の別邸として明治後期に建てられた和風建築。 鋳物商人の接待用施設だったためか、内装は、随所にこだわり、贅を尽くしている。 特にステンドグラスやタイルの装飾にこだわったトイレには思わず圧倒された。 現在は国の登録有形文化財。、、、、玄関のある主屋は明治末期の和風建築。 10畳の座敷に、床、棚、書院を備えた「離れ」は、昭和14年(1939)の建築。 「離れ」には、“ウン”で汚しずらい匠の技がピッカピカに光るトイレが配されている。 また、邸内には昭和2年(1927)に建てられた土蔵もある。、、、、訪れたのは私一人、じっくり内部を拝見できたが、文化財のトイレは汚したら処罰されるかもしれず、使用はひかえたよ!

・・・・・・・・・・・・・まずは、玄関のある母屋から。、、、、何処にでもありそうな和風建築。 

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・・・・・・・・・・・・・・次は離れ。 黒檀の床柱、色ガラスが嵌め込まれた窓、竹細工が組み込まれた廊下の壁、見るべきものは多い。

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・・・・・・・・・・・・・・次は必見!離れのトイレ。 トイレ入口の壁には帆掛け舟のモザイクがあり、帆の部分は鏡が嵌め込まれている。 入口からの正面には手洗いがある。 カタツムリの焼き物が組み込まれ、鉢も合わせたデザインだ。

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・・・・・・・・・・・・・・さてさて、男子用の個室。 床壁は大理石張り、小便器の上にはステンドグラスの窓がある、天井にもガラスが嵌め込まれている。 用をたしながら、キョロキョロ、窓・天井・床を見ていると、チョイト、脇に飛び散るかも?

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・・・・・・・・・・・・・・つぎは、男女兼用の個室。 こちらは、松に帆掛け舟の丸いステンドグラス、天井は臭気抜きか?細工が施された板張り。 洋式に慣れた方は、小さな便器の脇に落とさないように注意・注意! くれぐれも、文化財であることをお忘れなきように!

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・・・・・・・・・・・・・・トイレ部分の外観、そして最後にを拝見。

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●アッ、帰えろう! ・・・・・・川口市母子・父子福祉センターで、タップリ時間を掛け、拝見したので、そろそろお帰りの時間。 帰りは、川口神社に寄り、川口駅から帰宅。

2019年10月26日 (土)

松原遠く消えた団地

東武伊勢崎線の松原団地駅が獨協大学前駅と改称したのは平成29年(2017)4月1日、それから約2年半が経過した。 駅名改称の時に訪れ(団地の詳細はココを見て!)今回は2度目の訪問である。 松原団地の古い建物が残っているか、新しい建物はどの程度できたか、興味があった。、、、、今日は、獨協大学前駅で下車し、松原団地が建っていた処をタップリ歩いてきた。 1万2千歩




●乗降客6万人の駅! ・・・・・・・・獨協大学前駅(旧松原団地駅)は、東洋一のマンモス団地と言われた住宅公団の「松原団地」入居開始に合わせて、昭和37年(1962)12月1日、新田~草加間に開業した。 開業当時は島式ホームの地上駅であったが、昭和60年代初めに現在の島式ホーム1面2線の高架駅となる。 普通列車のみ停車する駅だが、一日当たりの乗降客は約6万人と意外と多い。(私が住む都営浅草線浅草橋駅の乗降客数は約6万1千人で、いい勝負だ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅コンコースに、昭和37年(1962)当時の団地全景を撮影したパネルがあった。、、、、団地の周りは一面畑で、下の方に地上駅だった松原団地前駅が写っている。、、、、建てた処から一部ずつ、徐々に入居するのではなく、約6000戸の住居を全部作ってから、入居を開始したようだ。  当時の公団は、やることが凄いね!

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・・・・・・・・・・・・・・駅改札からは、東口(旧日光街道側)と西口(旧松原団地側)に出ることができる。 東口は駅前のロータリー付近から飲み屋、パチンコ屋、コンビニ、レンタルビデオ屋などが並び、“これぞベッドタウンの駅前”を演出している。

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・・・・・・・・・・・・・・西口は駅前ロータリーはあるものの、その正面には草加市立中央図書館と30階建てのタワマン「ハーモネスタワー松原」(平成11年完成)。 チョイト、面白味が欠ける駅前だ!、、、、キャンパスが西口にある獨協大学の学生さん、勉強帰りは東口で遊んで帰るのか? 

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●まぼろしとなった松原団地 ・・・・・・・駅前に広がっていた、総敷地面積60ヘクタール、住戸5926戸、東洋一のマンモス団地「松原団地」は、都市再生機構により、事業面積約54ヘクタール、整備計画戸数約6,000戸の大規模な団地「コンフォール松原」建替事業を計画し、平成17年(2005)から工事に着手した。 平成30年(2018)までに、UR賃貸住宅3,050戸が完成。 現在は残っていた古い建物も全て取り壊され、計画の残りを工事中。 また、民間事業者への売却も行われたようだ。、、、、最後まで残っていた建物は数カ月前に取り壊されたそうだ、工事のオッサンに『もうちょっと早く来ればあったよ、残念だね!』と慰めの言葉を貰う。

・・・・・・・・・・・・・まずは、建て替えられ、巨大な住宅都市に変わり、モダンな名となった「コンフォール松原」 “団地”の文字が消えた!

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・・・・・・・・・・・・・・再開発はまだまだ続く、コンフォート松原の隣りから日光街道沿いまで、松原団地の全敷地の4割程が残っている。 民間事業者によるマンション建設、雨水の貯水槽構築などインフラ整備、雑草の中でボーリング調査、既存建物撤去工事など、多岐にわたり当分は終わりそうにない。

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・・・・・・・・・・・・・・松原団地内で現存する古い建物として、昭和40年(1965)に開園した藤幼稚園の園舎がある。 建物は当時のままらしい。、、、、松原団地で育った人の多くが通ったであろう幼稚園、今は工事現場に囲まれているが、数年後にはマンションに囲まれた幼稚園となるだろう。

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●大学も週休二日? ・・・・・・・コンフォート松原とは道路向かい合わせに校舎が建つている獨協大学キャンパス。 チョイト覗いてきた。
・・・・・・・・・・・写真右側にコンフォート松原、左側奥に獨協大学。

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・・・・・・・・・・・・・語学・経済学・法学・リベラルアーツなどの4学部4研究科を置く、人文科学・社会科学系総合大学である。 昭和39年(1964)、第2次吉田内閣で文部大臣を務めた天野貞祐を初代学長として設立。、、、、今日は土曜日だからなのか、学生が少ない! 図書館・学生会館はガラガラだ。、、、、大学キャンパスに入ると、自分が学生の頃を思い出し、も一度、勉強したくなるね。 出来れば、女子大生と一緒に! 

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