埼玉県

2020年1月16日 (木)

皿沼不動の罰が当たる?

日暮里舎人ライナーの谷在家駅から、川口市の元郷五丁目バス停まで、1万1千歩の散歩です。




●嬉しい誤算? ・・・・・・・谷在家駅(やざいけえき)は尾久橋通りの頭上にある日暮里舎人ライナーの駅。 平成20年(2008)3月30日、日暮里~見沼代親水公園間の開業と同時にできた。 他の駅と似た造りで、ホームは島式1面2線で3階にある。 改札口は1ヶ所のみで2階にある。 出口は道路の両側に出られるように設置されている。、、、、開業の年(2008)の当駅の一日平均乗降客数は5,061人、10年後の平成30年(2018)には10,532人と、ほぼ倍となった。 通勤・通学客も増え、既に開通以前に予想した目標の乗降客数を達成し、輸送力増強に取り組まねばならない状況らしい。 東京都交通局にとっては嬉しい誤算かも?

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●罰当たり? ・・・・・・・谷在家駅で、駅構内の周面地図を見ると、“血沼不動”の文字が目に入る。、、、、血で赤く染まったドロドロの沼の脇で、邪鬼と戦う不動明王。 そのしぐさを天から見つめる美人の観音菩薩。 私の妄想が始まり、地図の前で一人ニヤニヤ。 これはぜひとも行って見よう、“血沼不動”へ!

・・・・・・・・・・・・途中の交差点で立ち止まり、何気なく交差点名を見ると、「皿沼二丁目 Saranuma 2」と表記されている。 ガァ~~ン! “血”と“皿”の見間違い。 一気に疲れた! 回転ずしで皿を積み上げ、ニコニコして寿司を口に入れる不動明王。 私の妄想は破壊する!

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・・・・・・・・・・・・「皿沼」の地は、雅万歩にとっては初めての地である。 恥ずかしながらのカン違い、苦笑いで済ます!、、、、ところで「皿沼」の謂れは不明だが、地名用語では「さら」は、「新しい・浅い、または崖」の意、とすると「さらぬま」は「浅い沼=湿地」ということになるそうだ。 現在の足立区皿沼と西隣の足立区加賀のあたりは、19世紀半ばに成立した加々皿沼村であった。 そのむかしは加々と皿沼は別々であった。 昭和50年、新住居表示により「足立区皿沼」が誕生したそうだ。

・・・・・・・・・・・・皿沼農協前の江北北部緑道公園にワシントンからの「里帰り桜」が植えられている。 昭和56年(1981)に植えられた。、、、、チョイ見ると、ピンクの花が咲いていた。 暖冬のせいかも?

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・・・・・・・・・・・・サクラを見て、スグありました、『血で染まった沼』のお不動さんの寺。、、、、関東三十六不動の第25番「皿沼不動」。 天台宗系単立の皿沼不動永昌院は、修験道中尾玉林院賢義の法弟明善が、慶応3年(1867)に創建した。 入口に風邪封じの観音が建ち、入って左手は墓地、都会の寺院なみに庭がなく庫裏も一緒で、チョイト手狭な鉄筋コンクリート2階建ての本堂である。 御本尊の御前立不動明王は、身丈は六尺三寸(約1.9m)、総高十二尺(約3.6m)で、日本最大欅(けやき)材の一本彫御前立不動尊である。、、、、9時ジャストに到着、寺のおばさんが扉を開けてくれて手を合わせる。 外の賽銭箱(100円投入)の位置からお不動さまを見ると、手前の天狗の面に隠れ顔が見えない。 アリャコリャ・モジモジしていると、『靴を脱いでお上がりください、前へどうぞ』の一言。 気の弱い私、只で厚意を受けるのは“男の恥”、あらためてローソクを200円で買い、灯をつけ手を合わせる。 なぜか、見られているようだ! ここで、カメラを取り出し仏の写真を撮ると罰当たりになるかも、今度は正座をしながらモジモジ・キョロキョロ。 仏壇前に暦が置いてある、手に取り中を見るふりをして、躰の位置を変えカメラを出してパチリ、撮ったー! おばさんが見てたかも? すかさず仏壇前の賽銭箱に500円硬貨を入れ、暦を手に『これ頂戴できますか?』 ニッコリ『いいですよ』 どうやらお咎めなし、こちらも笑顔で『もらって行きます』 迫力ある不動明王に別れを告げた。、、、、この記事を書いている今、まだ罰が当たっていないようだ!

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●見晴らしバツグン! ・・・・・・お不動さまの隣り町:足立区加賀にたつ、11階建ての都営住宅「足立加賀二丁目アパート」。 各戸の
面積は約60㎡(3DK)で、全485戸(7棟)の団地。 昭和53年(1978)~昭和59(1984)の建築。 スグ横に首都高川口線が走っている。、、、、新芝川、首都高川口線、舎人公園に近く、環境は良し!

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・・・・・・・・・・・・・・・チョイト首都高を上から見たくなり、10階の展望台(?)を拝借! 素晴らしい眺望である。 川口駅周辺のタワマンが見える、後ろには秩父の山も見える!

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●綺麗な川! ・・・・・・・この辺りでは新芝川が足立区と川口市のほぼ境となっている。 新芝川橋(昭和59年完成)を渡り川口市に入る。、、、、新芝川橋はその名のごとく新芝川に架かる。 新芝川は埼玉県桶川市と上尾市に発する芝川が源流で、見沼田圃を流れ、川口オートレース場の北側で芝川と新芝川に分かれる。 新芝川は足立区との境を流れ下り、芝川水門で荒川に注ぐ。、、、、近頃、どこの川も不法投棄は少なく、水質も良く、川を見ること自体に癒し効果も期待できそうだ。

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●急がなくちゃ! ・・・・・・・・・チョイトお不動さま、展望台などで時間を使いすぎた、いそぎ川口駅へ向かう。 新芝川橋よりバス通りをスタコラ歩くが、途中でギブアップ。 「元郷五丁目」からバスで川口駅に向かう。

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2019年12月27日 (金)

毛長川

日暮里・舎人ライナーの終点、見沼代親水公園駅から歩きはじめた。 東京都足立区と埼玉県草加市の境となる一級河川:毛長川沿いに草加市側をしばらく歩き、毛長橋からは足立区に入り竹ノ塚駅まで、1万1千歩の散歩です。




●空中で切れる軌道! ・・・・・・平成20年(2008)3月30日に開業した日暮里・舎人ライナーの軌道は、終点の見沼代親水公園駅の先で、空中に突き出したままで終わっている。 これより先は埼玉県草加市で、都交通局では『知らないよ、勝手にしたら!』で、無視・ムシ・ムシ!、、、、今年8月埼玉県知事選があり、野党系の新知事が誕生した。 新知事の公約に「あと数マイルプロジェクト」と称し、埼玉高速鉄道、日暮里・舎人ライナー、都営三田線&大江戸線、多摩都市モノレールの5つの鉄道路線を埼玉県内まで延伸して、県内の交通網をより便利にすると云う目玉公約がある。 実現性には、埼玉高速鉄道は別にして他の4路線は都の事業だから、都との合意を得ないとできない、小池知事がOKするかな? 難しいと思うね、果たしてどうなることやら?

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●生まれ変わるか毛長川! ・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側に一級河川の毛長川(けながかわ) が流れている。 毛長川は足立区と草加市の都県境を流れ、足立区花畑と埼玉県八潮市大曽根の県境付近で綾瀬川に合流し、さらに下流では中川となり東京湾に注ぐ。、、、、毛長川では、都県境となる足立区舎人4丁目付近から下流にかけて、河床掘削工事が行われている。 この工事は、洪水に備えると共に、川底の堆積物を取り除き、河川環境の改善を図るものである。 川底の泥・ヘドロはポンプで吸い上げ、川に浮かしたパイプで下流の処理施設に送っている。、、、、下流の工事を終えたところでは、川面は綺麗になり、魚も住めそうだ!
・・・・・・・・・・・・見沼代親水公園駅の北側、舎人二ツ橋付近の毛長川。 橋上には都道58号台東・川口線が通っている。、、、、ゴミの浮いていない毛長川、この光景はいつまで続く?

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・・・・・・・・・・・・ヘドロを送るパイプが浮いている。

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・・・・・・・・・・・・下流の毛長橋付近。、、、、綺麗な川!、、、、ココまで埼玉県側を歩いてきた。 ここより、毛長川から離れ、竹ノ塚駅に向かう。

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●神仏いろいろ! ・・・・・・・毛長川沿い、草加市新里町の一寺一社

・・・・・・・・・・・・真言宗智山派寺院の泉蔵院は、御幣山阿弥陀寺と号す。 泉蔵院は、宥阿上人(応長元年1311年寂)が開創、乗秀法印(永禄2年1559年寂)が中興開山したそうだ。 本尊は不動明王。、、、、本堂、山門は平成3年(1991)に完成。

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・・・・・・・・・・・・本堂の脇に閻魔堂がある。 こちらには、平成25年(2013)に修復された閻魔大王が安置されていた。、、、、小ぶりの像で、顔は酔いの回った赤ら顔にちかい。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院には、「泉蔵院十三仏石像」と呼ばれる十三体の仏像がある。 不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、弥陀、 阿閦 、大日、虚空蔵の十三仏で、享保6年(1721)に造立された。、、、、整然と13仏が並ぶ姿は「ありがたや!」
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・・・・・・・・・・・・もう一つ、「泉蔵院六地蔵」もある。 こちらは、釈迦如来の付託をうけて、六道界の衆性を化導するといわれている地蔵菩薩が並んでいる。 六地蔵は、元禄4年(1661)の造立。

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・・・・・・・・・・・・泉蔵院山門の前方に、泉蔵院が別当寺であったと言われている毛長神社がある。 毛長神社の創建年代は不詳だが、舎人諏訪神社(男神)と対になって当社が女神と称されていたらしい。 御神体は女性の髪の毛である。 髪は素盞嗚尊の妹姫のものとも、村の長者の娘のものとも云われている。 女の長い髪の毛を神体とする神社は全国的に珍しいいそうだ。(“毛長”の由来か?)、、、、“女の長い髪の毛”ならセクシー、“男の短い脛毛”ではグロテスク!

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●伊興最古の寺! ・・・・・・毛長橋を渡り足立区に入ると、伊興本町に時宗の西嶋山煎雲院應現寺がある。 應現寺の創建年代は不詳。 天台宗寺院として創建され、八幡太郎義家からの墨付及び寺領の朱印があったと伝えられ、伊興地区最古の寺院でもある。 現存する瓦葺破風の四脚門は、寛永14年(1637)の建設で江戸時代初期の山門様式を伝える珍しい遺構。 また、天文7年(1538)の逆修板碑2基、永禄4年(1561)のもの1基、承応3年(1654)の石燈籠2基等がある。 さらに、足利時代築造の経塚が、旧寺域から発掘され出土した兜・経筒・五鈷鈴・唐宋の古銭等は、東京国立博物館に保管されている。、、、、お宝の多い寺院だ!

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●西口は裏口? ・・・・・・・竹ノ塚駅西口に到着。 今日の散歩はココまで!

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2019年12月18日 (水)

川口の文化財

京浜東北線赤羽駅で下車し、国道122号(北本通り、岩槻街道)沿いに歩いて南鳩ケ谷へ行くつもりで出たが、川口市に入ると、裏道に古い建物を見つけた。 今日の散歩は、この建物の発見に始まり、京浜東北線川口駅までとなる。 9千歩



●出社前からお疲れさん! ・・・・・・通勤・通学客で混雑する赤羽駅。 赤羽駅ホームは、平成10年(1998)に高架化工事が完成し、島式4面8線の大規模な高架駅となった。 東側から1・2番線の京浜東北線南行きと北行きホーム、3・4番線は宇都宮線・高崎線の上下線ホーム、5・6番線は湘南新宿ラインの南行きと北行きのホーム、7・8番線は埼京線の北行きと南行きホームで、各ホームとも緩行・快速・通勤快速の総てが停車する。 各ホームでは、乗換客であふれている。、、、、大宮方面から来る南行きの京浜東北線電車はすでに満員状態、赤羽から乗るのは難しそう。 向かいのホームの上野行きの宇都宮線・高崎線も満員のようだ!

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●国道122号(北本通り)に出る! ・・・・・・戦後、赤羽駅前の焼け跡に誕生した商店街:「一番街」も、多くの店はまだ休眠中、開いてる店も準備中。、、、、一番街を抜け、東京地下鉄南北線の赤羽岩淵駅に出る。 平成3年(1991)11月29日駒込~赤羽岩淵間開業と同時に設けられた。 この駅から北は、平成13年(2001)に埼玉高速鉄道が開業し、浦和美園駅まで直通運転されている。、、、、北本通りに面してたつ、シブい銅板建築の建物は吉安自転車店。 昭和初期の木造2階て、銅板葺きの典型的な看板建築である。 銅板の緑青がいい味を出している。

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●タワマンが消える! ・・・・・・国道122号(北本通り)を歩き、荒川の近くまで来ると濃霧が発生していた。 新河岸川(隅田川の上流)と荒川に架かる新荒川大橋の上から見ると、川口のタワマンの上層階が消えている。、、、、国道122号の愛称:北本通りはこの橋まで、ココから岩槻街道となる。

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●目的地の変更! ・・・・・・濃霧の新荒川大橋を渡り終えると、チョイト裏道が歩きたくなり国道からそれた。

・・・・・・・・・・・・川口市本町の路地を歩くと、チョイとした空き地の裏に煉瓦塀が見える。 よく見ると煉瓦塀の奥には蔵が見えた。 『煉瓦塀に蔵、コリャ御大尽様の屋敷かな?』 塀を頼りに表に回ってみると、木造の主屋を改装した浜田接骨院。、、、、地元の旦那に聞いてみると、蔵は明治40年(1907)の建てられたもの、母屋は大正期の建築であった。 

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・・・・・・・・・・・・地元の旦那の話では、この接骨院の裏には大砲がある。 またここからもう少し歩くと、鋳物問屋の邸宅が残っている、内部も見せてくれると、教えてくれた。 『一見の価値あり』だ、そうだ!、、、、これにて、南鳩ヶ谷へ向かう散歩は、急遽中止。

・・・・・・・・・・・・浜田接骨院の裏の方へ入って行くと、増幸産業という会社の一画に「18ポンド カノン砲」が展示されてる。、、、、案内文によると、『この大砲は幕末の嘉永5年 (1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師として名にあった増田安次郎(増幸産業の代表の増田家初代)が、後の砲術奉行となった高島秋帆と協力して作り上げたものの復元品で、当時は制作不可能とされていた大型砲です。 嘉永5年から安政5年の5年間に213門の大砲と41,323発の砲弾が製造され、諸外国から日本を守るため全国各地に配備された。 全長3.5m  重量3トン  口径15cm  射程距離2500m 』、、、、せっかく復元したのだから、チョイト、試し撃ちしてみたら迫力あるだろう!

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●文化財のトイレ! ・・・・・・川口市金山町の「川口市母子・父子福祉センター」は、市内の母子・父子家庭の生活向上を図ることを目的とした施設。 これは、この建物を所有していた、旧鋳物問屋「鍋平」の4代目嶋崎平五郎氏が、昭和57年(1982)に建物を川口市に寄付する時の希望であったそうだ。、、、、建物は旧鋳物問屋の別邸として明治後期に建てられた和風建築。 鋳物商人の接待用施設だったためか、内装は、随所にこだわり、贅を尽くしている。 特にステンドグラスやタイルの装飾にこだわったトイレには思わず圧倒された。 現在は国の登録有形文化財。、、、、玄関のある主屋は明治末期の和風建築。 10畳の座敷に、床、棚、書院を備えた「離れ」は、昭和14年(1939)の建築。 「離れ」には、“ウン”で汚しずらい匠の技がピッカピカに光るトイレが配されている。 また、邸内には昭和2年(1927)に建てられた土蔵もある。、、、、訪れたのは私一人、じっくり内部を拝見できたが、文化財のトイレは汚したら処罰されるかもしれず、使用はひかえたよ!

・・・・・・・・・・・・・まずは、玄関のある母屋から。、、、、何処にでもありそうな和風建築。 

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・・・・・・・・・・・・・・次は離れ。 黒檀の床柱、色ガラスが嵌め込まれた窓、竹細工が組み込まれた廊下の壁、見るべきものは多い。

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・・・・・・・・・・・・・・次は必見!離れのトイレ。 トイレ入口の壁には帆掛け舟のモザイクがあり、帆の部分は鏡が嵌め込まれている。 入口からの正面には手洗いがある。 カタツムリの焼き物が組み込まれ、鉢も合わせたデザインだ。

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・・・・・・・・・・・・・・さてさて、男子用の個室。 床壁は大理石張り、小便器の上にはステンドグラスの窓がある、天井にもガラスが嵌め込まれている。 用をたしながら、キョロキョロ、窓・天井・床を見ていると、チョイト、脇に飛び散るかも?

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・・・・・・・・・・・・・・つぎは、男女兼用の個室。 こちらは、松に帆掛け舟の丸いステンドグラス、天井は臭気抜きか?細工が施された板張り。 洋式に慣れた方は、小さな便器の脇に落とさないように注意・注意! くれぐれも、文化財であることをお忘れなきように!

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・・・・・・・・・・・・・・トイレ部分の外観、そして最後にを拝見。

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●アッ、帰えろう! ・・・・・・川口市母子・父子福祉センターで、タップリ時間を掛け、拝見したので、そろそろお帰りの時間。 帰りは、川口神社に寄り、川口駅から帰宅。

2019年10月26日 (土)

松原遠く消えた団地

東武伊勢崎線の松原団地駅が獨協大学前駅と改称したのは平成29年(2017)4月1日、それから約2年半が経過した。 駅名改称の時に訪れ(団地の詳細はココを見て!)今回は2度目の訪問である。 松原団地の古い建物が残っているか、新しい建物はどの程度できたか、興味があった。、、、、今日は、獨協大学前駅で下車し、松原団地が建っていた処をタップリ歩いてきた。 1万2千歩




●乗降客6万人の駅! ・・・・・・・・獨協大学前駅(旧松原団地駅)は、東洋一のマンモス団地と言われた住宅公団の「松原団地」入居開始に合わせて、昭和37年(1962)12月1日、新田~草加間に開業した。 開業当時は島式ホームの地上駅であったが、昭和60年代初めに現在の島式ホーム1面2線の高架駅となる。 普通列車のみ停車する駅だが、一日当たりの乗降客は約6万人と意外と多い。(私が住む都営浅草線浅草橋駅の乗降客数は約6万1千人で、いい勝負だ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅コンコースに、昭和37年(1962)当時の団地全景を撮影したパネルがあった。、、、、団地の周りは一面畑で、下の方に地上駅だった松原団地前駅が写っている。、、、、建てた処から一部ずつ、徐々に入居するのではなく、約6000戸の住居を全部作ってから、入居を開始したようだ。  当時の公団は、やることが凄いね!

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・・・・・・・・・・・・・・駅改札からは、東口(旧日光街道側)と西口(旧松原団地側)に出ることができる。 東口は駅前のロータリー付近から飲み屋、パチンコ屋、コンビニ、レンタルビデオ屋などが並び、“これぞベッドタウンの駅前”を演出している。

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・・・・・・・・・・・・・・西口は駅前ロータリーはあるものの、その正面には草加市立中央図書館と30階建てのタワマン「ハーモネスタワー松原」(平成11年完成)。 チョイト、面白味が欠ける駅前だ!、、、、キャンパスが西口にある獨協大学の学生さん、勉強帰りは東口で遊んで帰るのか? 

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●まぼろしとなった松原団地 ・・・・・・・駅前に広がっていた、総敷地面積60ヘクタール、住戸5926戸、東洋一のマンモス団地「松原団地」は、都市再生機構により、事業面積約54ヘクタール、整備計画戸数約6,000戸の大規模な団地「コンフォール松原」建替事業を計画し、平成17年(2005)から工事に着手した。 平成30年(2018)までに、UR賃貸住宅3,050戸が完成。 現在は残っていた古い建物も全て取り壊され、計画の残りを工事中。 また、民間事業者への売却も行われたようだ。、、、、最後まで残っていた建物は数カ月前に取り壊されたそうだ、工事のオッサンに『もうちょっと早く来ればあったよ、残念だね!』と慰めの言葉を貰う。

・・・・・・・・・・・・・まずは、建て替えられ、巨大な住宅都市に変わり、モダンな名となった「コンフォール松原」 “団地”の文字が消えた!

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・・・・・・・・・・・・・・再開発はまだまだ続く、コンフォート松原の隣りから日光街道沿いまで、松原団地の全敷地の4割程が残っている。 民間事業者によるマンション建設、雨水の貯水槽構築などインフラ整備、雑草の中でボーリング調査、既存建物撤去工事など、多岐にわたり当分は終わりそうにない。

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・・・・・・・・・・・・・・松原団地内で現存する古い建物として、昭和40年(1965)に開園した藤幼稚園の園舎がある。 建物は当時のままらしい。、、、、松原団地で育った人の多くが通ったであろう幼稚園、今は工事現場に囲まれているが、数年後にはマンションに囲まれた幼稚園となるだろう。

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●大学も週休二日? ・・・・・・・コンフォート松原とは道路向かい合わせに校舎が建つている獨協大学キャンパス。 チョイト覗いてきた。
・・・・・・・・・・・写真右側にコンフォート松原、左側奥に獨協大学。

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・・・・・・・・・・・・・語学・経済学・法学・リベラルアーツなどの4学部4研究科を置く、人文科学・社会科学系総合大学である。 昭和39年(1964)、第2次吉田内閣で文部大臣を務めた天野貞祐を初代学長として設立。、、、、今日は土曜日だからなのか、学生が少ない! 図書館・学生会館はガラガラだ。、、、、大学キャンパスに入ると、自分が学生の頃を思い出し、も一度、勉強したくなるね。 出来れば、女子大生と一緒に! 

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2019年9月20日 (金)

お江戸の隣りの江戸

9月に入り、都が発行する敬老パス(年20,510円で都内のバス、都営交通の電車が乗り放題)を昨日更新した。 新しいパスの使い始めは、遠距離の交通機関がいいだろうと思い、都が運行する日暮里・舎人ライナーで終点の見沼代親水公園駅まで行き、そこから埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで歩く予定で家を出た。 山手線で日暮里まで行く予定が、車内のテレビCMの若い娘に見とれ日暮里駅で下車するのを忘れてしまった。 気づいたのは、“時すでに遅し”、ドアが閉まった。シマッタ! しかたない逆回りで、鳩ヶ谷駅から見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万4千歩。

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●旧市のターミナル ・・・・・・・王子駅から地下鉄南北線に乗換え、そのまま埼玉高速鉄道の鳩ヶ谷駅まで行く。、、、、鳩ヶ谷駅は、平成13年(2001)3月28日に開業。 島式ホーム1面2線の地下駅。 開業時は鳩ヶ谷市の駅であったが、平成23年(2011)に鳩ヶ谷市は川口市に編入され川口市の駅となる。、、、、鳩ヶ谷市は東京都足立区に隣接し、蕨市に次ぎ面積の小さな埼玉県南部の市であった。 鳩ヶ谷駅は鳩ヶ谷市の中心部、市民センターの地下に造られており、当時財政難と云われていた鳩ヶ谷市としては贅を尽くした建物である。

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●かつては宿場町! ・・・・・・鳩ヶ谷駅付近の建物、、、、今年の春に、鳩ヶ谷駅周辺を歩いていた。コチラを!
・・・・・・・・・・・・・・駅から300m程、北東の高台に鎮座する鳩ヶ谷氷川神社。 鳩ヶ谷氷川神社は、鳩ヶ谷宿・辻村・里村の鎮守で、応永元年(1394)に造営された。 明治以降、周辺の神社18社を合祀し、社殿の周囲には境内社が並んでいる。

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・・・・・・・・・・・・・・神社の東側をとおる日光御成道に残る、鳩ヶ谷宿のシンボル的な建物は十一屋北西商店。 昭和5年(1930)に建てられた店舗と蔵は、国の登録有形文化財に指定されている。 酒屋としての創業は明治初期で、現在の主人はソムリエの資格を持っているそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・日光御成街道沿いに、もう一軒、旧船津眼科医院がある。 昭和初期の木造建築。、、、、現在も住居として利用されている。 レトロチックなこの建物に住んでおられる方が羨ましいね!

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・・・・・・・・・・・・・・オゥ~~懐かしい、最近は見られなくなった、赤く塗られた地上式消火栓。 地上式消火栓の規格は昭和44年(1969)に廃止となった。 しかし、積雪の多い地方ではまだ使用されているそうだ!

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●面白いことないかな~ ・・・・・・・・鳩ヶ谷から見沼代親水公園駅に向かい。バス通りを歩く。 

・・・・・・・・・・・・・・私を引きつけるものがない、美人も歩いていない、単調で、面白みがない道を、ホイサカホイサカ歩く。 

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・・・・・・・・・・・・・・オヤ! “もう東京に着いたか”と言いたくなる地名「江戸」に来た! 江戸は、川口市の東部、毛長川沿いの町。 中小企業の工場・倉庫や、住居兼工場が多く住宅地とは言いずらい。、、、、この辺りの旧地名は“江戸袋村”である。

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・・・・・・・・・・・・・・「江戸」の隣り町は「江戸袋」、こちらは「新郷工業団地」を中心とした町。 地名の由来は、徳川家とは一切関係なく、「水が淀み、悪水が溜まりやすい低湿地」であったから名付けられたそうだ。

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・・・・・・・・・・・・・・江戸袋1丁目にある真言宗智山派の東光院は、古桂山大山寺と号します。 東光院は、聖政(慶安元年(1648)寂)が開山したと云われている。 大きくなく素朴な感じの寺である。 今日は“彼岸の入り”、檀家の人々が線香をあげていた。(私も、三連休に墓参りしなければ!)

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・・・・・・・・・・・・・・本堂前の「女人開運・所願成就 願いがかなう お地蔵さま」と標された立札が目にとまる。 六面それぞれに地蔵菩薩立像が彫られている、一石六地蔵石が立っていた。 女性はハッピー、男性はアンラッキー!

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・・・・・・・・・・・・・・川口市江戸袋・川口市本蓮を抜け、東京都足立区舎人に入ると、2つの川、見沼代用水東縁と毛長川が直交している。 ここには舎人橋が架かっている。 2つの川は水位が異なり、ここで全てが合流するのではなく、交差するのである。、、、、北から流れてきた見沼代用水東縁(写真1)は、舎人橋で毛長川にぶつかり(写真2)、水量の多くは毛長川の方に流れ合流する(写真3)が、用水の一部は毛長川の下を通り川向こうに流れるように仕組まれている。(文章で説明しずらい仕組み、実物をご覧あれ!)

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●着きました! ・・・・・・・見沼代親水公園を通り抜けると日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。

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・・・・・・・・・・・・・・新しい敬老パスで改札を通過できた、これで向う一年間、“乗り放題”で利用できる。 ヨシ・ヨシ!、、、、先頭車両の一番前に座って、日暮里まで嬉しそうに乗車!

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2019年6月 4日 (火)

草加のゴーストタウン?

今日は、東武伊勢崎線の「新田駅」で下車し、駅から西へ向かい、埼玉高速鉄道の「戸塚安行駅」まで、1万2千歩の散歩です。



●駅前は未整備? ・・・・・草加駅から二つ目、普通電車のみ停車する新田駅。 有名な駅ではないので、駅名の読みも、“しんでん”、“にった”、“あらた”、“しんだ(死んだ?)”など、いろいろ考えてしまう。 正解は単純で、“しんでん”と読む。、、、、駅の開設は古く、明治32年(1899)12月20日であるが、9年後の明治41年(1908)に廃止となる。 さらに17年後の大正14年(1925)11月10日、復活再開する。 昭和63年(1988)には上下線の高架化が完了し、島式ホーム1面2線の高架駅となる

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・・・・・・・・・・・・・・新田駅のメインとなる東口。 東口前にはロータリーがあるが、道幅が狭く、バスは駅前まで入ってこられない。 (バスの発着は駅から少し離れた処にバスロータリーがある)、、、、駅前は飲食店(飲み屋)を中心とする、懐かしさを感じさせる昭和の商店街である。

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・・・・・・・・・・・・・・西口(?)と言うより、西側の勝手口と言いたくなるほど、駅ギリギリのところまで民間の駐輪場が並び迫ってる。せせこましい処だ!、、、、駅前にある数か所の駐輪場、どこも、100台・200台は駐輪できそうだ! 1ヵ月100台が駐輪したとして、27万円の売り上げ、コリャ、コンビニやるより、いい商売かも?

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●草加市の北のはずれ、ソウか! ・・・・・駅を後にして、西に向かい歩く。、、、、湿度は高く、気温は暑い、お肌の日焼けに注意し、スタコラ・スタコラ。

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・・・・・・・・・・・・・・途中、ファミリーマート駐車場の隅に、成田山の道標と三基の庚申塔があった。 成田山道標は、文久2年(1862)、幕末の動乱期に建てられようだ。 道標の左面に天下泰平・五穀成就と彫られている。 道標の右側には、3基の庚申塔が建っている。 左にある板碑型の庚申塔は延宝5年(1677)の年代物。 中央の青面金剛は享保4年(1719)で二世安楽と彫られている。右端にある石塊のようなものは、貞享4年(1687)の庚申塔。 いずれも宅地開発により、近隣にあった庚申塔を集めたものであろう。

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・・・・・・・・・・・・・・草加市清門で、国道4号(日光街道)を横切る。、、、、地名「清門」(せいもん)は、明治期には新田村大字清右衛門新田で、昭和30年には草加町大字清右衛門新田と変わり、昭和33年(1958)には草加市清門町に、そして平成26年(2014)に草加市清門となった。

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・・・・・・・・・・・・・・「清門」は草加市の北部に位置する町。 平成の時代でも区画整理が実施され、北隣の「新栄」、「長栄」の町とともに、主に住宅地となっている。 西端には、川口市との境界となる伝右川が流れている。、、、、道路は広いが走っている車は少なく、どの建物も戦後の建築で新しい。 また、夫婦共稼ぎのようで、どの家も人の気配はなく、洗濯物が留守番をしている。 ゴーストタウンのようだ!

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・・・・・・・・・・・・・・清門町会館の裏に鎮座する小さな神社が清門稲荷神社。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代には名主田中八右衛門氏の所有で、清右衛門新田村の鎮守社であったと云われている。 境内には、庚申塔、成田山道標などもある。

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・・・・・・・・・・・・・・草加市の西北端に位置する、伝右川に架かる伝右橋。 伝右川は埼玉県さいたま市見沼区を源に、草加市、八潮市を流れ、東京都足立区で毛長川とともに綾瀬川に合流する一級河川。 この川が、ここ辺りでは川口市と草加市の境界である。、、、、ドブ川ではないが、ホタルとぶ川でもない。 ホタルとぶ川に変身して欲しいね!

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●植木屋がない! ・・・・・・川口市の北のはずれと云ってもいい埼玉高速鉄道の戸塚安行駅に到着。 戸塚安行駅は、平成13年(2001)3月28日に開業した。 駅名は現在の地区名の戸塚と安行を合成した。 駅は、地下1階が改札階、地下2階がホーム階となっている。 地上の出入口前には、バスが発着するロータリーがつくられている。、、、、安行は植木の街なのだが、駅前に植木屋・花屋が見つからない。 買えずに残念なり!

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2019年5月31日 (金)

足立の孤島

東武伊勢崎線の谷塚駅から、花畑団地を抜けて、つくばエクスプレス六町駅まで、1万3千歩の散歩です。




●東京の隣り駅 ・・・・・谷塚駅(やつかえき)は、大正14年(1925)10月1日に開業した東武鉄道伊勢崎線の駅。 昭和63年(1988)8月から、上下線外側にそれぞれ通過線を持つ、現在の1面4線高架駅となる。 電車は普通しか停車しないローカル駅。、、、、谷塚駅(埼玉県草加市)は竹ノ塚駅(東京都足立区)の隣りにあって、海抜3.45mで埼玉県では最も低いところの駅です。 「谷」は“やつ”とか“やち”と呼ばれ低い土地をさし、「塚」は近在に塚が多かったために村名となった。 村名を駅名にして開設した当時は、桑畑であった駅周辺も、道路・住宅が整備された東京の隣り町に変わってきた。 朝のホームには、学生・サラリーマンなど若い人が目立つ。 (ナイショだけど、美人が多い駅だ!)

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・・・・・・・・・・・・・・駅前の案内にあった、昭和33年(1958)の谷塚駅の写真。 

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●ハイヒールで登れる富士山! ・・・・・・駅前を東に真っ直ぐ進むと、旧日光街道との交差点に富士浅間神社がある。 木花開耶姫命を祀っている当神社の創建年代は不詳だが、他所に祀られていた当神社を明暦年間(1655~1657)に、現在地へ遷座したといわれている。、、、、本殿の建物は天保13年(1842)に再建されたもので、随所に彫刻を配した建物は市の文化財に指定されている。

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・・・・・・・・・・・・・・「社殿の後ろ」と云っても広い境内で社殿の東側には、盆踊りの会場となる程のスペースがある。 そのスペースの先に霊峰富士山がそびえ立つ。、、、、ここの立派な富士塚は「瀬崎の富士塚」と呼ばれ、大正5年(1916)に竣工した、高さ4.0m、幅10.4m、奥行8.6mほどである。 富士講は現在も受け継がれているそうだ。 毎年元日と7月1日は、浅間神社の拝殿で講の行事が行われるそうだ。

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●陸の孤島にある団地 ・・・・・・・・・・・・・・・・足立区の北のはずれ、最寄り駅竹ノ塚からバスに揺られて20分(11停留場)、広い団地内を歩いて自分の住む棟に、腰の曲がった年寄りには5階までの階段が辛い! 途中の3階で天国に直行するかも? ここが終の棲家か?
・・・・・・・・・・・・・・草加市から花畑大橋を渡ると足立区花畑5丁目で、そこは左右に集合住宅が立ち並ぶ花畑団地の中央である。 花畑大橋は、橋長31.4m、幅15.8mのPCポストテンション箱桁橋。 昭和58年(1983)に竣工。 橋の下には、綺麗になってきた毛長川が流れる。
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・・・・・・・・・・・・・・花畑団地は独立行政法人都市再生機構(UR)により、東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)に入居が開始された。 東京ドーム約4.7個分(約22ha)の広大な敷地に2,725戸(約80棟)の住棟が並ぶ、都内でも最大級の大規模団地。 現在、団地では築後50年経過し老朽化に伴い、URによる建て替え事業が始まっている。 

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・・・・・・・・・・・・・・団地の中央にはスーパーがある。 「リハビリテーション病院」と称する大きな病院もあった。 年寄りが多いのだろうか、リハビリの需要が高そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・団地の横に、「花畑団地」のバス停を見つけた。 ここは、足立区の北のはずれ、最寄りの駅は東武伊勢崎線の谷塚駅、竹ノ塚駅、つくばエクスプレスの六町駅だが、いずれも歩いて行ける距離ではない。 バスが無ければ電車に乗れない陸の孤島である。、、、、お年寄りにとっては、日々、団地で軟禁状態の生活をおくっているのかも?

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・・・・・・・・・・・・・・団地に隣接する花畑浅間神社は、古墳と思われる上に造られた富士塚。 創建年代は不詳ですが、富士塚の築造は、石鳥居の年代や伝承から明治初年と思われる。

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●お経を唱えて駅へ! ・・・・・・花畑団地を後にして六町駅に向かう。 

・・・・・・・・・・・・・・チョイト寺に寄って! 真言宗豊山派寺院の正覚院は、鷲王山宝蔵寺と号す。正覚院の創建年代は不詳だが、平安時代中頃の創建と伝えられ、江戸時代には大鷲神社(足立区花畑)の別当寺であった。、、、、真言宗豊山派のお経「光明真言」(梵字)を唱える。『おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん 』

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・・・・・・・・・・・・・・高圧送電線の下に、長く伸びる遊歩道をひたすら歩く。、、、、雅万歩のお経を唱える。『おん あるきゃ あしいたいのう くつずれだ たまにゃあ じどうしゃ のりたいのう うん 』

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・・・・・・・・・・・・・・公園で拾った、“えなちゃん”の靴。 まだ新しそうだ、片方だけ? 今頃、泣いているかも?、、、、かわいい女の子を想像し、雅万歩はお経を唱える。 『おん えなちゃん かわいそうだのう おとしたくつ ひろってあげたぞよ べんちにおいとく みつけてくれや うん 』

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●深~~い駅 ・・・・・・・・・・・・・平成17年(2005)8月24日に開業した、つくばエクスプレスの六町駅(ろくちょうえき)。 六町駅は都内で最も北に位置する地下駅で、ホームはかなり深い処にありエスカレータを4回のって下りる。 戸田建設の施工。

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2019年5月 2日 (木)

令和初の散歩は・・・

なにをやっても「令和初の・・」が頭につく、めでたい2日目。 いまにも降ってきそうな空模様の朝、「令和初の雅万歩・・・・ 今日はどこに行くの?」妻の問いに、「電車に乗ってから降りる駅を決めるよ!」と応えて家を出る。、、、、令和初の雅万歩は、川口駅から錫杖寺に寄って、赤羽駅までの1万2千歩となった。(川口は、特に“令和”とは関係なし)



●令和初の宿場は ・・・・・京浜東北線川口駅東口に出る。 駅前のペデストリアンデッキで、どちらに向かうかキョロキョロ、上から眺め「川口本町大通り」を歩くことにした。、、、、「本町」は、かつて川口宿が所在した地で川口の中心街であった。 今は、駅周辺に大きなマンションが並ぶ町だが、過去には発砲事件があったそうだ。 歩いてみると、東南アジア系の飲食・エステ・マッサージの看板が目に入ってくる。

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●令和初の町歩きは ・・・・・・本町とその周辺に残るレトロな建物。

・・・・・・・・・・・・・・W邸、、、、昭和初期頃の建物か? 

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・・・・・・・・・・・・・・某宗教団体の教会だったが今は使われていないようだ。 昭和の建物。

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・・・・・・・・・・・・・・芝貞鋳工所、、、、こちらも古そうだ!

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・・・・・・・・・・・・・・バーバーオバタ、、、、元は4軒程の長屋だった。 以前は隣りにも似たような長屋の建物があった。

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・・・・・・・・・・・・・・銅板建築の福田屋洋品店旧江嶋屋履物店(右)、、、、昭和11年(1936)頃の建物、、、、店の前の本町大通りの植え込みの中に「川口町道路元標」が残っている。

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・・・・・・・・・・・・・・錫杖寺山門前の本町二丁目会館、、、、町内会の会館にしては立派な木造建物、昭和15年(1940)築。、、、、会館の横に、明治39年(1906)に日露戦争出征兵士の凱旋を祝し、旧川口町の町長以下町民たちによって架設された凱旋橋の跡がある。 現在は、欄干しか残されていないが、石造アーチ型橋の遺跡。

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●令和初の神社は ・・・・・・川口市金山町に鎮座する川口神社。 川口神社は、平安時代の天慶年間(940年頃)、武蔵一の宮大宮の氷川神社より分祀勧請し、「氷川社」と称していた。 川口町の鎮守社で、明治6年(1873)に村社に列格、明治27年天神社を合祀、明治42年に、旧川口町内に鎮座していた天神社、稲荷社(三宇)、金山社を合祀、川口神社と改称した。、、、、都会の神社としては広く緑の多い境内に、多くの祭神が祀られている。、、、、何でも叶えてくれそうな、オールマイティの神社だ!

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●令和初の寺院は ・・・・・本町2丁目にある、真言宗智山派寺院の錫杖寺(しゃくじょうじ)は、宝珠山光照院と号す。 錫杖寺は、養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと云われている。 後、鎌倉長楽寺を開創した願行上人が再興、寛正元年(1460)には、室町幕府八代将軍足利義政により七堂伽藍が整備された。 江戸時代には、徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を擁していた。、、、、現本堂は、堂々とした鉄筋コンクリート造でチョイト味気ない。

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●令和初の橋は ・・・・・北区岩淵町と川口市舟戸町との間に架かる新荒川大橋。 国道122号(北本通り)を通す。 初代の橋は昭和3年(1928)に開通した。 現在の橋は昭和41年(1966)に開通した2代目で、構造は桁橋で橋長は673.957m、幅員は7.25m。 昭和45年(1970)に平行して新橋を架設し(橋長792m、幅員7.25m)、旧橋を下り線に使用している。 橋は荒川と新河岸川(隅田川の上流)に架かる。、、、、大きな橋は、トラック、バスが横を通ると、かなり揺れるが、この揺れを感じると私の足はすくむのだ。 学生・社会人として、建築・土木に携わってきた私は、理屈では壊れないことを知っているが、高層と揺れには弱く、怖い! 今日は祝日だからか、交通量は少なく橋の揺れも感じることなく渡ることができた。 令和初の恐怖を体験せず、ホットしたね!

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●令和初の壁画は ・・・・・・国道122号(北本通り)が国道311号(環八通り)にぶつかる赤羽交差点の角に、週刊新潮でお馴染みであった谷内六郎の壁画がある。 この壁画のある建物は元「金竜堂書店」という書店であった。 50年ほど前のある日、青山付近を歩いていた書店の御主人が青山の「山陽堂」ビルの壁画(この壁画も谷内六郎の絵)を見て「素晴らしい!ウチの店にも欲しい」と早速新潮社に依頼したものらしい。、、、、この壁画は「砂山」というタイトルで、「週刊新潮」昭和31年5月29日号の表紙絵を元に作成されたもの。 海の絵であるが、ゴク自然に赤羽の町に溶け込み、違和感なく見てしまう絵だ。

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●「令和初」に慣れた! ・・・・・赤羽駅で我が家に“令和初の手みやげ(饅頭)”を買って帰る。(自分が食べたかっただけだけ!)

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2019年4月18日 (木)

草加八潮

散歩日和の空の下、家を出たが行く先のあてはなし、とりあえず敬老パスで乗れる都営浅草線の浅草橋駅ホーム立つと、ちょうど北総線印旛日本医大行が来た。 迷わず乗って、車中で何処で降りようか迷う。 押上駅に到着、時間調整で電車が停まっている間に、気分が変わり東武伊勢崎線に乗りかえることにした。 伊勢崎線の南栗橋行急行に乗る、停車駅は曳舟・北千住・西新井・草加・越谷とつづく。 またまた、『どこで降りようか?』、行くへ定まらず。 我が家を出てから30分を超えたので、迷いながら草加で降りた。 駅前で地図を見て、近そうなつくばエキスプレス八潮駅まで歩くことにした。 1万2千歩の散歩です。




●せんべいの町、ソゥカ~ ・・・・・明治32年(1899)に開業した古参の駅。 浅草橋の我が家から約40分で草加駅前に立つことができる、意外と近い埼玉県である。、、、、、駅前(東口)には、マルイとイトーヨーカドーが空中廊下で結ばれ店を構えている。 駅前のシンボルか?、、、、、草加と云えば「草加せんべい」。 その草加には、「ミス草加せんべい」がいるそうだ。 2名の若い女性で、写真を拝見すると可愛い! また、草加せんべいの歌もある。 あの「チェリッシュ」が歌う「まるい しあわせ」という歌で、♪♪ まるく まる まる まる ♪♪のフレーズが繰り返し流れてくる楽しい歌。

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●松原智恵子をおもいだした ・・・・・・・・・・草加駅前から東にのびるメイン道路があるが、その南側に並行する旧道がある。 道端の道標、子育地蔵尊、大師像が迎えてくれる。 チョイト、松原智恵子が歌を歌いながら橋を渡って来るような、昭和40年代の日活青春映画のワンシーンに出てきそうなコンクリート製欄干を懐かしく感じる手代橋(てしろばし)。 綾瀬川に架かる。

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●かまどの匂い、いいね! ・・・・・・・綾瀬川を越えると八潮市。 川からチョイト裏道に入ると、以前来たことのある「八潮市立資料館」がある。 どこにもある郷土の歴史を語る資料館で、立派な建物だ。 今日もチョイト拝見!、、、、、無料は安い、感無量!

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・・・・・・・・・・・・・・・資料館の敷地内に移設された「旧藤波家住宅」も拝見。 藤波家は埼玉郡八條領後谷村の開発名主であった。 その主屋は明治9年(1876)の建築で、当時としては珍しい瓦葺き屋根の民家である。、、、、、建物を保存するため、今でも“かまど”で火を起こしているそうだ。 懐かしい、藁や薪を燃やし燻した匂いがする! 餅でも焼いてご馳走してくれると、なお嬉しいのだが!
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●駅に向かってスタコラサッサ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・つくばエキスプレス八潮駅に向かい、ひたすら歩く!

・・・・・・・・・・・・・・・空の青、草木の緑、鮮やかな彩り。

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・・・・・・・・・・・・・・・羽生市の利根川から始まり、埼玉県を久喜・春日部・草加・八潮と縦断し、東京都亀有へ流れる葛西用水。 江戸時代に開削された25kmの用水路である。

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・・・・・・・・・・・・・・・葛西用水沿いにある八幡図書館(八潮市中央3)の敷地に「八幡村道路元標」がある。 この地(旧南埼玉郡八幡村)は、上馬場村、中馬場村、大原村、大曽根村、浮塚村、西袋村、柳之宮村、南後谷村の8村が合併して、明治22年(1889)に誕生した旧八幡村役場の跡地だった。 道路元標は、大正8年(1919)に公布された道路法施行令にて、市町村単位での道路の起点・終点および町村の位置を示す指標として、道路元標の設置が義務付けられていた。(現在は、道路元標の設置・保守義務はない) 

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・・・・・・・・・・・・・・・八幡図書館の東隣にある中馬場諏訪神社。 創建年代不詳だが、延徳3年(1491)に当地の鎮守として祀られた。 さらに、古くから安産守護の神として信仰されたそうだ。 明治時代までは、境内の一角に「屋形」と呼ばれる小屋があり、ここで妊婦が出産していたといわれている。 お産婆さんの時代の話かな、今の人には嫌がられそうなお産だね! 

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・・・・・・・・・・・・・・・無事、八潮駅到着!

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2019年4月 4日 (木)

男二人が守る閘門橋

つくばエキスプレス八潮駅で下車し、潮止橋で中川を越え、チョッピリ三郷市戸ヶ崎に入り、大場川の閘門橋を渡り葛飾区水元地区に入る。 旧水元小学校校舎の近くからバスで金町駅へ出て帰る。 1万2千歩の散歩です。




●どこにある市? ・・・・・足立区の北隣の埼玉県八潮市。 「八潮市と言えば・・・・・?」と問われ、考え込んでも、名所、名物、産業、どれもこれもサッパリ思い浮かばない、存在感のない“市”である。 その町を走る唯一の鉄道はつくばエキスプレス、そして唯一の駅が八潮駅。、、、、、平成17年(2005)8月24日に開業した、島式ホーム2面4線を有する高架駅。、、、、、ちなみに市名は、昭和31年(1956)の大合併で誕生した。 “八潮市”=“八条村”+“八幡村”+“潮止村”。

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●自転車が怖い県道! ・・・・・・・中川に架かり、八潮市と三郷市を結ぶ県道が通る潮止橋(しおどめはし)。 橋名は上流にかつて潮止村があったことによる。 東京湾の潮はここで打止め!ゆえに、潮止と云ったそうだ。 、、、、、橋上の県道は交通量が多く、トラック、バスなど大型自動車が引切り無しに通る。 よそ見して歩くと、自転車に轢かれそうだ!

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●社務所もない! ・・・・・・・潮止橋を渡ると、櫛稲田姫命、須佐之男命を祭神とする大瀬氷川神社がある。 創建年代は不詳。 大瀬は猿俣(葛飾区水元)・戸ケ崎などとの水運拠点として古くから栄えたそうだ、神社は大瀬の鎮守社として祀られていた。 明治42年(1909)に浅間神社を合祀、中川河川改修のため大正9年(1920)現在地へ遷座した。、、、、、広い境内だが、社殿、鳥居、石碑の他は何もなく、実に殺風景である。 駐車場にしている様子もないね。

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●いつの間にか三郷市だ! ・・・・・・・・・大瀬氷川神社から200m程歩くと三郷市である。 八潮・三郷の両市の境界らしきものは案内標識以外にはなく、なんとなく八潮市から三郷市に入ったという感じ。、、、、、境界の三郷市側にある郵便ポスト、なんと戦前の丸型ポストで現在も使われているようだ。 このポストに投函すると、良い知らせが戻ってくるような気がするね。

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・・・・・・・・・・・・・・・三郷市戸ヶ崎の吹上天神社は、建武2年(1335)夏の暴風で吹き上げられた梅の老木と白蛇のお告げから、当地を吹上と名付け、天神を祀ったと言われている。 明治43年(1910)戸ケ崎香取神社に合祀されたが、昭和32年(1957)還座した。、、、、、大きくはない地元の神社。

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●面白い名の用水路 ・・・・・・・三郷市戸ヶ崎から南下すると、大場川(葛飾区水元公園)の手前で、二郷半領用水逃樋(にごうはんりょうようすい にげひ)と二郷半領用不動堀樋(にごうはんりょうふどうぼりひ)がある。、、、、、二郷半領用水とは、埼玉県南東部から吉川市を抜けて、三郷市戸ヶ崎で大場川に合流する、延長16.7kmのチョイト汚い用水路である。(二郷半領は地名。面白い!)

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・・・・・・・・・・・・・・・二郷半領用水逃樋、、、、、この樋管は明治43年(1910)の大洪水で大破した木製樋管を、煉瓦造りで復旧したもの。 逃樋の建設工事は、明治45年(1912)1月12日に起工し、同年3月31日に竣工した。 県の直轄工事であったが、担当は北葛飾郡技手の金子峯吉。 建設費は7,818円。 樋管長は19.1m。 現在、上部には県道が通っているが、煉瓦部分はひび割れもなく綺麗な状態である。

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・・・・・・・・・・・・・・・二郷半領不動堀樋は、逆流防止用として造られた樋管である。 こちらも、県直轄工事だが、逃樋と同じ金子峯吉が担当し、建設費約11,014円で、大正3年(1914)4月1日に着工し、同年5月30日に竣工している。 樋管の長さ22.4m。

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●像の二人はカッコいいね! ・・・・・・二郷半領不動堀樋の南側50m程に、大場川に架かる閘門橋(こうもんばし、葛飾区西水元)がある。 この橋は、明治43年(1910)に完成した、煉瓦造りのアーチ橋(上流側:4連、下流側:6連)である。 長さ30m、高さ5.5mで、上流側と下流側ではアーチの連数が異なる珍しい形式の煉瓦水門。 下流側の中央アーチ部には、堰板を落とし込む二人の男のブロンズ像が設置されている。 都内唯一の煉瓦アーチ橋で、平成25年(2013)の土木学会推奨土木遺産に選定された。

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●最古の木造校舎  ・・・・・・・閘門橋から水元公園と離れ、金町方向にバス道路を歩き水元小学校に着いた。 ここには、大正14年(1925)に建てられた水元尋常小学校の建物が保存されている。 昭和57年(1982)まで同校の校舎として使用されが、現在は使用していない。 都内に残る貴重な23区最古の木造校舎校。、、、、、大事に保存して欲しいね!

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●お帰りです ・・・・・・チョイト疲れたので、「水元四丁目」からバスで金町駅に向かうことにした。、、、、、今日の散歩はココまで!

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