埼玉県

2026年2月15日 (日)

人形の町:岩槻

今朝の新聞に『わたしのふるさと便 埼玉県 さいたま市「岩槻」 ひな飾りが彩る城下町』と題した記事があった。 記事には東武野田線岩槻駅の東口周辺の町(人形の町)で行われている「まちかど雛めぐり」が紹介されていた。 ひな祭りシーズンに愛宕神社の参道石段で行われてる「大雛段飾り」も写真つきで紹介されていた。 この記事を見た私と妻は、朝食を済ませ、岩槻に行ってみることにした。、、、、、ということで、春到来の日曜日、夫婦で岩槻の町を歩いてきた。



● 私の住む浅草橋からは、都営浅草線で押上へ、押上からは東武伊勢崎線で春日部へ、野田線に乗り換え岩槻まで。 所要時間約1時間、岩槻駅で下車する。、、、、、岩槻駅(いわつきえき)は昭和4年(1929)11月17日、北総鉄道野田線粕壁駅(現:春日部駅)~大宮駅間開通時に「岩槻町駅」として開設。 その後、北総鉄道は総武鉄道に社名を変更。 昭和14年(1939)に岩槻町駅から岩槻駅へ改称。  昭和19年(1944)東武鉄道が総武鉄道を吸収合併したことに伴い、同社野田線の駅となる。、、、、、単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線と電留線3線を有する橋上駅である。 2024年度の1日平均乗降人員は35,091人である。 駅舎は落ち着いた清潔感漂う駅。、、、、、日曜日でもあり、岩槻駅では“人形の町”の歓迎イベントをしているかもと期待して下車したが、なにもなくただ静かな駅であった。 
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・・・・・・・・・・ 駅舎2階の観光案内所は開いているが人影は無し、ドアの前に町歩きマップが置かれていたので、それを黙って頂戴した。 マップを見て、観光地を巡るコースを妻と相談する。 駅から反時計回りに町を巡ることにした。



● まずは駅の南側にある、曹洞宗寺院の太平山芳林寺に参る。 芳林寺は戦国時代の岩槻城主太田家の菩提寺。、、、、、芳林寺は、かつて比企郡松山にあり地蔵寺と号していた、太田道灌が文明18年(1486)上杉定正の館で暗殺された際には、道灌の遺骨や遺髪を越生町の龍穏寺と当寺に納められたといわれてる。 永正17年(1520)八月火災に罹ったため、太田大和守資高が自分の居城であった岩槻へ当寺を移転、太田資朝の母(陽光院殿芳林妙春大姉)が永禄10年(1567)逝去した際に、芳林寺と寺号を改めた。、、、、明治4年(1871)、県庁が一時岩槻に置かれた際、芳林寺は仮庁舎として使用された。、、、、、境内には人影もなく(町ぐるみでひな祭りのイベントをしているとは思えない)、紅白の梅が咲いていた、河津桜も開花し、静かな寺のワンポイント!
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● 次は岩槻郷土資料館へ行く。、、、、、この建物は、
昭和5年(1930)に建てられた岩槻警察署旧庁舎。 天井の梁や窓にみられるアーチ状の造形やアールデコ調の装飾が随所に施され、警察署庁舎としての機能性と装飾性を兼ね備えた建物のデザインがみられる。 平成28年(2016)に、国の有形文化財に登録された。、、、、資料館としての展示面積・量はそれほど多くない、疲れず、時間を気にせず全部を見切れる。 岩槻城の解説は多く、地元の歴史を知る上では、良き資料となると思う。 
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● 町の所々には、城下町の雰囲気を残す建物が点在する。、、、、、歩きながら観光客と思われる何組かの人とはすれ違うが、人形店はどこも閉まっており、私『雛まつりのイベント・飾りが見当たらないね? 日曜日だからか?』、妻『日曜日だからやるんじゃないの! チョイと寂しいね』
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・・・・・・・・・・ 大正10年(1921)に建設された旧中井銀行の建物。 その後は銀行の建物として存続したものの経営統合を経て昭和32年(1957)に富士銀行(現:みずほ銀行)岩槻支店から人形の東玉に譲渡された。 現在は東玉大正館。 国登録有形文化財。、、、、、ここも閉まってた! 
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「岩槻藩遷喬館(せんきょうかん)は、寛政11年(1799)に、岩槻藩に仕えていた儒者・児玉南柯(こだま なんか)が開いた私塾。 後に藩校となり、岩槻藩の武士の子弟が勉学や武芸の稽古に励んだ。 明治4年(1871)に藩校が廃止になった後は、おおむね民家として使用されていたが、昭和14年(1939)に埼玉県の史跡に指定された。 平成15年(2003)から3年間、解体修理・復原工事を行い、公開している。 埼玉県内では唯一現存する藩校の建物。 ここでは藩士の子弟が6~7歳で入学し、20歳で終了するまで学んでいた。 最大40人ほどの生徒が学んでいた。、、、、、 「遷喬館」の名前の由来は、詩経(中国最古の詩集)の「伐木」の一節、「出自幽谷 遷于喬木(幽谷より出でて 喬木に遷る)」に由来している。 学問を欲し友を求めることを「鳥が友を求めて深い谷から高い木に飛び移ること」にたとえた内容で、学ぶ者に高い志を持つことを促す意味が込められている。、、、、、児玉南柯とは、江戸時代の後半、延享3年(1746)に甲州の豊島家で生まれ、11歳で岩槻藩士の児玉親繁(ちかしげ)の養子になり、16歳のとき藩主大岡忠喜(ただよし)に仕えた。 18歳で江戸の藩邸に勤務し、以後様々な要職を歴任し、35歳の安永9年(1780)南京船漂着事件の処理で名声を上げました。43歳のときに職を辞し、54歳の寛政11年(1799)に私塾・遷喬館を開設し、岩槻藩の子弟教育に情熱を注いだそうだ。、、、、、建物は極めて質素な造作だが、子弟の教育に私財を投げ打った儒学者の心意気に関心する。偉い!202602151126162026021511242420260215111848



岩槻人形博物館は、人形のまち岩槻にある人形をテーマとした日本初の公立博物館。 外見程大きくはないが、展示室は3つある。 まずは、人形製作の道具や材料などが展示された展示室1。 次に、日本画家で人形玩具研究家の西澤笛畝(にしざわてきほ 1889〜1965)コレクションをはじめとした日本人形を展示した展示室2がある。 展示室3では、様々なテーマにもとづく企画展が開催され、今日は「ミニチュア×にんぱく雛祭り ~江戸の職人芸から近代の創作まで~」が開かれ、小さなお雛さまが展示されていた。、、、、、日本全国の人形が展示されてはおらず、岩槻の人形が中心の博物館である。 私の期待とはチョイト違ったが、ここはここで、岩槻のひな人形を中心とした展示で面白さがあった。
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● 市指定文化財「時の鐘」は、江戸時代中期の享保5年(1720)に鋳造された銅鐘。もとは、その49年前の寛文11年(1671)に当時の岩槻城主阿部正春が鋳造させたものであるが、ひびにより鐘の音に不具合が生じたため、改鋳されました。 それが、現在の鐘です。そしてこの鐘は、江戸時代以来の場所で、江戸時代に建てられた鐘楼にかけられ、今なお一日に3回(朝6時、正午、夕方6時)、鐘がつかれ、その音色が時を告げているとのこと。(残念ながら、私は音色を聴くことができなかった)
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● 岩槻人形博物館の向かい側にある、曹洞宗寺院の大龍寺は、雲居山と号す。 大龍寺は、
徳川家光の傅役を務めた老中、岩槻城主青山伯耆守忠俊(大龍寺殿春室宗心居士、寛永2年1625年寂)が開基となり、一峯麟曹(元和9年1623年寂)が開山したといいます。、、、、、昭和29年(1954)本堂が火災により焼失し、平成17年(2005)に再建された。 山門や本堂には立派な龍が彫刻されています。 境内には、岩槻人形の中興の祖と言われている橋本重兵衛の墓があるとのこと。
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● 岩槻の町を反時計回りに巡り、最後は石段に飾られたひな人形を見るため、駅の近く、大龍寺の裏手にある愛宕神社にやって来た。 歩く先に鳥居が見える、近づくと石段と拝殿が見える。 私『アレ? ひな人形が飾られてない、どうなってんの?』 妻『何か間違っていない』 神社の掲示板に「大雛段飾り」の写真付きの案内があった。 私『なんじゃ、実施日は2/21・22・23・28・3/1の5日だけだ!』 社務所の女性も同情してくれたようだ。 『見たかった~!』、、、、、岩槻愛宕神社の創建年代等は不詳ながら、天正年間(1580代頃)に築かれた土塁(岩槻城大構)の上に鎮座、火防の神として愛宕神を祀り、寛永年間に創建した三光寺(廃寺)の境内社だったといいます。
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● 我が家に帰宅後、新聞をよく見ると、記事の隅に枠入りで、開催日が示されていた。 さらに、岩槻の町のイベントも2/21(土)~3/8(日)までと記述されていた。 完全に私の早とちり・失敗・ミス! 

2026年2月10日 (火)

クイズ神社

東武伊勢崎線の北越谷駅から、クイズ神社に参拝して、越谷駅までの散歩です。



● 東武伊勢崎線には“越谷(こしがや)”の名が付く駅が3駅ある。 南側(都心側)から順に、新越谷駅、越谷駅、北越谷と並ぶ。 3駅の中で最も古い駅が北越谷駅である。 「北越谷駅」は東武鉄道開通当初からある駅の1つであり、宿場町である南埼玉郡越ヶ谷町の最寄駅として、明治32年(1899)8月27日に、東武鉄道北千住駅 ~ 久喜駅間開通時に越ヶ谷駅として開設された。 大正8年(1919)に、当駅の南方に越ヶ谷駅(現:越谷駅)が新設されることとなり駅名を譲り、所在する町名(南埼玉郡大沢町)に従って武州大沢駅に改称する。 さらに、昭和29年(1954)に越ヶ谷町・大沢町などが合併し越谷町(現:越谷市)が発足した後、昭和31年(1956)に北越谷駅に改称された。、、、、、開業時の駅舎は、近くに皇族が来場する埼玉鴨場(昨年は愛子様が各国大使らを接待)があるため、貴賓室が備わった駅舎であった。 その後、昭和37年(1962)に帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄)日比谷線との相互直通運転が開始されることを機に、当駅は東武鉄道初の橋上駅となる。 さらに、連続立体交差事業に伴い平成11年(1999)には、島式ホーム2面4線の高架駅となった。、、、、、当駅始発の日比谷線直通列車もあり(通勤時に絶対座れる)、都心への通勤客には人気のありそうな駅だ!
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● 北越谷駅の東側200m程に越谷香取神社がある。、、、、、香取神社は応永年間(1394~1428)に創建された。当時、この地は下総国であり、同国一宮の香取神宮から分霊を勧請したものと伝えられる。 寛永年間(1624~1644)に奥州街道の整備とともに現在地に移転した。、、、、、越谷香取神社の本殿の板壁には、大黒天や高砂の翁・龍など多彩な彫刻がほどこされている。 この壮麗な本殿は、棟札によると慶応2年(1866)に再建された。、、、、、越谷香取神社は、500年以上の歴史を誇る埼玉県屈指のパワースポット。 武勇の神様経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を主祭神として祀り、勝運・厄除・交通安全・商売繁盛・縁結びなどの御神徳がある。 他に14柱の祭神が祀られており、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の御加護による安産、子授け、子宝の神社としても広く知られている。(ゴメン、私は知らなかった!)
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● 香取神社から東南へ500m程の処に、用水路のような逆川(さかさがわ)に架かる小さな地蔵橋がある。 その地蔵橋の際に、これまた小さな地蔵堂があった。 堂の中をチョイと拝見すると、地蔵尊が彫られている駒形の石塔が中央に、両脇には小さな地蔵が祀られている。 地蔵尊の造立年代については、元分2年(1737、江戸中期)とする説、宝暦9年(1759)とする説、の2説あるそうだ。 いずれにしても、300年前の話である。 当時、この地に住む人々はこの地蔵に何を願ったのか(?) 生花が供えられているので、300年後の今も地蔵尊を守っている人がいるようだ。 
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● 地蔵橋から300m程歩くと、元荒川に架かる宮前橋(人道橋)の正面に天嶽寺と久伊豆神社の参道が隣り合わせにある。
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● 寺は「
至登山 遍照院 天嶽寺(しとさん へんじょういん てんがくじ)」といい浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来である。 天嶽寺は太田道灌の伯父と伝えられる専阿源照が文明10年(1478)に開山、当時は小田原北条氏の城砦に用いられたため北条氏により寺領の寄進を受けていたといわれている。 天正19年(1591)には徳川家康から寺領15石の御朱印を拝領して五ケ寺(雲光院・法久院・遍照院・美樹院・松樹院)の塔頭を擁していた。 また当寺第四代住職の城誉は正親町天皇第三皇子と云われていて、そのため十六葉菊花紋の使用が許され触頭にも指定された格式の高い寺であった。

・・・・・・・・・・ 久伊豆神社参道脇に当寺の入り口がある。 天嶽寺と書かれた看板のたつ、こんもりと盛り上がった所には、多くの庚申塔馬頭観音、道標などが並んでいる。 歴史を感じる銘が読み取れるものもある。
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・・・・・・・・・・ 山門をくぐると、奥に楼門が見える。 楼上には釈迦を祀っているとのこと。(どちらも、古そうだが年代?) 楼門をくぐり本堂の前に出る。
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● 天嶽寺の隣りには、社名の“
久伊豆”が “くいず”とも読めることから「クイズ神社」とも呼ばれることから、久伊豆神社の知名度が高まり、近年クイズ番組での優勝祈願に訪れる者も増えている「久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)」がある。、、、、、伊豆神社は、越谷の総鎮守とされている。  創建は鎌倉時代とされている。 神紋は立葵である。これは、近くに徳川将軍家が鷹狩などを行う越ヶ谷御殿があったことから、葵紋の使用が特別に許可されたものとされている。 久伊豆神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社で、祭神は大己貴命(大国主)である。 久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。

・・・・・・・・・・ 宮前橋前の参道入口から拝殿まで、真っ直ぐに伸びる約500mの長い参道が続く。 参道の途中には第一鳥居、第二鳥居、第三鳥居と続く。 “
たかが500m、されど500m” 年寄には辛い!
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・・・・・・・・・・ 拝殿に詣で、『宝くじ一等当選 宜しく!』 賽銭は奮発して100円、、、、、本殿は国登録有形文化財である。
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・・・・・・・・・・ 本殿の後ろに、第二次世界大戦中、パラオ共和国コロール島に建立され日本人入植者などの信仰を集めた「南洋神社」をしのぶ旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿 」がある。 こちらにも手を合わせてきた。
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● 越谷の町をぶらつき駅に出る。 「越谷駅」は大正9年(1920)4月17日、越ヶ谷駅として開業。 昭和31年(1956)越谷駅に改称。 平成9年(1997)に高架複々線化完了し、島式ホーム2面6線を有する高架駅。 島式ホーム2面4線の両側に特急列車等が走行する通過線がある。、、、、、越谷から東武で押上へ、都営浅草線に乗り換えて浅草橋(我が家の最寄り駅)まで、所要時間42分。 早い! 
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2025年9月14日 (日)

草加宿から松原へ

東武伊勢崎線の草加駅から日光街道沿いに歩いて隣の獨協大学前駅まで、久しぶりの散歩です。 1万歩


● 猛暑日の続いた夏もいよいよ終わりに近づいた。 きょうは、押上から南栗橋行きに乗り草加で降りてみた。 『久しぶりの散歩は、日光街道をチョイと歩いてみることにする』と、自分に言い聞かせスタートする。、、、、、草加駅は明治32年(1899)に開業した古参の駅。 草加市は埼玉県の町であるが、東京都足立区に隣接する町で、スカイツリーのある押上駅からは、東武伊勢崎線の急行で4駅目が草加。 我が家(浅草橋)の玄関から約40分で、草加駅前に到着できる。、、、、、日曜の午後電車は空いてた。 平日の朝も、通勤通学の時間帯にこの程度の空き具合なら嬉しいのだが、贅沢かな?
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● 東口から駅前の通りを歩き、旧日光街道(宿場通り)に出る。 旧日光街道は一車線の一方通行の道路で、かつての宿場の面影を残す商店街となっている。
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・・・・・・・・・ 宿場町として栄えた往時を偲ぶ草加の貴重な古民家が二軒。 江戸時代からの旧家で、明治以降は米屋、味噌製造をしていた
藤城家。 草加宿の北端に位置し、町屋建築の形式を持つ瓦葺きの建物は久野家。 二軒とも国登録有形文化財。、、、、、川越の街並みのように古い建物が連なって残っていないのが残念だが、この二軒は草加宿に残る貴重な建物だ!
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・・・・・・・・・・ また、宿場の南には、享保年間に稲荷社を祀ったのが始まりと言われている八幡神社。 北端には、正徳3年(1713)に草加宿の総鎮守として現在地に建てられた宿篠葉神明神社(神明宮)が鎮座する。、、、、、両社とも、大きな神社とは言い難いが、300年以上の歴史をがあり、宿場を守ってきた神社である。
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・・・・・・・・・・ 両神社の中程(宿場の中程)に草加宿の本陣跡がある。 現在は、平成24年に建てられた記念碑が高層マンションの前にあるのみ。、、、、、参勤交代、日光東照宮詣でなど、全国の大名が泊まったシティーホテルである。 宿場の中には、アパホテル、東横インのようなビジネスホテルもあったと思うね。、、、、、 “
大川本陣”とは、草加開宿から当地で宿を営んでいた“大川家”に由来するようだ。
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・・・・・・・・・・ 本陣跡があるマンションの西側に旧草加小学校西校舎が保存されている。、、、、、建物は大正15年(1926)に建築された、県内で最初の鉄筋コンクリート造校舎である。 正面中央上部のとんがり屋根が印象的な建物です。 国登録有形文化財、、、、、内部は現在、草加市立歴史民俗資料館として公開されている。、、、、、草加宿の歴史を学ぶことができる施設である。
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・・・・・・・・・・ 本陣跡から北へ200m程歩くと、真言宗智山派寺院の東福寺がある。 東福寺は、松寿山不動院と号す。 草加宿を開宿した大川図書が開基、僧賢宥(元和5年1619年寂)が開山となり1606年(慶長11)に創建した。、、、、、本堂・山門・鐘楼は江戸時代後期の建物で、山門、鐘楼は市の指定文化財となっている。、、、、、本堂の扉は閉ざされ、内部を拝見することができず残念!
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● 草加宿の北端に流れる伝右川(でんうがわ)に架かる草加六丁目橋の両端に、松尾芭蕉と弟子の河合曾良の像が、一人づつ立っている。 共に奥の細道を旅をした師弟だが、ここの像は二人が一緒に並んで立っているのではなく、川を挟んで、弟子の曾良が『師匠、チョイと待ってて!』と手を差し出して叫んでいる。 松尾芭蕉は『遅いぞ、早くコッチャ来い!』と振り返っているスタイルだ!、、、、、この像は、草加市の彫刻家麦倉忠彦氏の作で、平成20年に建てられた。、、、、、この芭蕉の像が立っているのは、草加松原遊歩道の南端。
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● 芭蕉像のある処から、綾瀬川沿いに北に延びる遊歩道が草加松原遊歩道である。、、、、、遊歩道は旧日光街道で綾瀬川と平行する約1.5kmに、600本以上の松が茂る並木で、「日本の道100選」にも選ばれている。 この松は寛政4年(1792)に1230本植樹したことに始まるそうだ。、、、、、遊歩道の途中には和風の太鼓橋なども整備され、歩きやすい、癒される道として整備されている。
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● 遊歩道から外れ、獨協大学前駅から電車に乗る。、、、、、獨協大学前駅は、草加松原団地入居開始に合わせて、昭和37年(1962)12月1日に松原団地駅として開設した。 その後、松原団地の建て替え事業などに伴い、当駅は平成29年(2017)4月1日に獨協大学前駅と改称した。 島式ホーム1面2線を有する高架駅で、緩行線のみ停車する。
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2025年6月12日 (木)

西川口から南鳩ケ谷まで

今日は久しぶりにJR京浜東北線の西川口駅で下車し、途中で鎮守氷川神社に寄り、東の方角に当たる埼玉高速鉄道の南鳩ヶ谷駅まで歩いて見た。 1万歩



● 「西川口駅」は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 2階には、橋上駅舎となっており、コンコースと自由通路がある。、、、、、西川口駅は昭和29年(1954)9月1日に橋上駅舎としては日本国有鉄道最初の駅として開業した。 約70年前の駅舎建築の設計仕様なのか、朝8時前後の通勤通学時間帯は乗降客が多く、ホーム幅の狭さ、狭いトイレ、自動改札の混雑具合、自由通路の狭さなど、全体的に手狭な規模が気になる駅だ。、、、、、出入口は東西2ヵ所あるが、駅西口側は大人の歓楽街として有名である。 駅東口は、駅前ロータリーから放射状に商店会が伸び、店も多い。 今日の散歩は東口から東の方角にある鎮守氷川神社に向かって歩くことにした。
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● バス通りである「西川口陸橋通り」を歩き、川口オートレース場の方に向かう。、、、、、流石に“サスガ”、ここは鋳物の川口市、歩道沿いには町名を示す鋳物の案内板がたっている。 錆びて茶色くなった案内板は、“これぞ鋳物”と存在感を出している。、、、、、戦後、事業を拡大してきた、濃淡2系統の緑色で塗装した国際興業バスとすれ違うと、『オゥ~~、ここは埼玉だ!』と不思議な感動を感じる!
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・・・・・・・・・・ 途中に、鎮守氷川神社の案内があり、それに従い裏道へ入る。
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● 氷川神社へ行く途中に、「龍泉寺 地蔵堂」があった。 地蔵堂と言っても、小さな祠があるだけ。 祠の周囲には、墓石が建ち並び墓地と思われる。 堂の脇の立札によると、この地蔵堂は近くの龍泉寺が見守っているようだ。、、、、、地蔵堂の詳細は判らない!
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● 来たついで、これも何かの縁、チョイト寄ってみよう「龍泉寺」、、、、、真言宗智山派寺院の龍泉寺は、大聖山広傳院と号す。 龍泉寺の創建年代等は不詳だが、正和2年(1313)の青石塔婆が残されていることから中世の創建かも(?)、、、、、歴史ある建物は無く、近代的な納骨堂と檀信徒会館、本堂は鉄筋コンクリート造。
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● 「鎮守 氷川神社」に面白い厄落としの作法があると聞いたことがあり、いずれ参拝してみようと思っていた、それが今日の散歩となった。、、、、、鎮守氷川神社は、川口市青木にあるので青木氷川神社とも言う。 鎮守氷川神社の創建年代は不詳だが、応永年間(1394~1428)の創建と伝えられ、江戸時代には本山修験宗般若院が別当寺を務め、下青木村の鎮守社となっていたと言われてる。、、、、、現在の社殿は昭和61年(1986)造営。、、、、、歴史と伝統の光が神徳を照らし続ける鎮守氷川神社は、年間を通して全国各地より多くの参拝客があり、『小さな大社』といわれてる。(神社のHPより) ヤマタノオロチを退治した神話で知られる、『邪』を裂き『魔』を祓う強い力を持つ『スサノオノミコト』を
祀ることから、厄除け・除災招福に神徳があるとされ、また祭神に夫婦神である『クシナダヒメ』と共にまつられていることから、縁結び・安産にも強い霊験があるといわれてる。
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・・・・・・・・・・ 境内にありました。 「厄割石」と「厄割玉」、、、、、厄落としの作法とは、まず、不安・恐れを手放したい、プライドを取り戻したい、勇気や希望を持ちたい、自分を信じたい、こんな人は“黒玉”、ストレス・怒りを発散させたい、勝負に勝ちたい、モチベーションを上げたい、大好きな人へ告白したい、こんな人は“赤玉”を取る。 次に、厄割石の前で一礼し、厄割玉を胸の前で両手で持ち、『厄よ去れ!』と念ずる。 そして、厄割玉を厄割石に投げつけ厄を落とす。 最後に厄割石に一礼して終わる。、、、、ストレス発散にGood! 面白いね!
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川口オートレース場の南側を通り、鳩ケ谷駅に向かう。、、、、、今日は開催日ではないようで、レース場に人影なし!
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● 川口オートレース場を過ぎると鳩ケ谷の町に入る。 南鳩ケ谷5丁目に、十二柱の神々を祀った事から名付けられた「十二神社」がある。、、、、、
十二所神社の創建年代等は不詳である。 平成5年(1993)に再建された新しい社殿で、境内も綺麗によく手入れされている。 宮司は、鳩ヶ谷総鎮守氷川神社(青木の鎮守氷川神社とは異なる)で兼務している。
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● 埼玉高速鉄道の「南鳩ケ谷駅」は平成13年(2001)3月28日に開業。 開通前までは鉄道空白地帯であり、この地区への鉄道開通は悲願であった。、、、、、駅は島式ホーム1面2線の地下駅で、構内はチョイト狭い感じがする。 令和5年(2023)度の1日平均乗車人員は8,131人と少ない。
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2025年5月 3日 (土)

GWの川越

ゴールデンウィークの真只中、川越(埼玉県)の街を歩いてきた。、、、、、先日、私の長女(40代、既婚)と話してると、“川越”に行ったことがなく、『ぜひ行ってみたい』と言うことになった。 連休中は混雑が予想されるが、『その混雑する川越を見てみたい』と言う。 蔵造りの街並みは人混みで歩けず、昼食に名物“うなぎ”は行列待ちで食べられず、川越名物「芋菓子」は並んでも購入できず、民芸品の店は満員の客で入れず、これら予想される場面を事前に納得させての川越行きとなった。、、、、私達夫婦、長女とその子(私の孫、小6)の計4名にて出発!




● 高田馬場から西武新宿線の特急「小江戸」で川越へ向かう、、、、連休中の観光地行きの電車だというのに、車内はガラガラ。 西武は儲かっているのかな? 
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・・・・・・・・・・ 駅の観光案内所で“散策マップ”をもらい、大筋の行程を決めた。 本川越駅➡仙波東照宮➡喜多院➡大正浪漫夢通り➡蔵造りの街並み➡時の鐘➡川越氷川神社➡菓子屋横丁➡蔵造りの街並み➡本川越駅  『この順で歩こう!』



● 東照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮と久能山東照宮が有名だが、「仙波東照宮」は日本三大東照宮の一つで、喜多院の南側に隣接している。、、、、、元和2年(1616)駿府で徳川家康が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、寛永10年(1633)建立された。 それから5年後の寛永15年(1638)、「寛永の大火」と呼ばれる大火事によって、喜多院山門を残し、焼け落ちたが、徳川家光より喜多院復興の命令が下ると、まず東照宮の再建が行われ寛永17年(1640)に完成した。、、、、、朱色の東照宮随身門(左右に控える随身像は見当たらず“もぬけの殻”)、その先にある石の鳥居を潜りジャスト50段ある石段を上がると葵紋が嵌め込まれた金属の門の先に拝殿・幣殿がある。 さらに奥に瑞垣に囲まれ漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかな本殿がある。 これらの建造物全てが重要文化財。、、、、、本殿内部には甲冑を身に着けた馬上の家康の像が祀られていると、ボランティアの案内人が教えてくれたが、非公開で拝見できず、残念!、、、、、仙波東照宮は観光客に人気が無いのか、人影はチラホラ
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● 仙波東照宮の隣りには、慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹で、正式名「星野山無量寿寺喜多院」がある。、、、、、江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として有名。 徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築された。 客殿・書院・庫裏・慈眼堂・山門などは国指定重要文化財。、、、、、我が家の一同、厄除祈願でナンマイダ!
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● 喜多院を参拝したらランチタイム。 ココまで来たら並んでも「うなぎ」を制覇したい、女の執念には逆らえず、30分待ちで鰻重を食す。 食べた後は、皆ニコニコ。
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● 蔵造りの街並みを通り抜け「川越氷川神社」を訪れた。、、、、、川越総鎮守氷川神社は、約1500年の歴史を持つ埼玉県川越市にある古社で、「縁結びの神」として親しまれています。夫婦神を祀っていることから、特に家庭円満や夫婦円満のご利益があるとされている。 それゆえか、若いカップルがやたら多い!、、、、、ジジ、ババの姿は少なく、チョイト場違いかな? 早々に立ち去る。
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● 川越と言えば、「大正浪漫夢通り」、「蔵造りの街並み」、「時の鐘」、「菓子屋横丁」が連なる、川越の中心地に入る。 “期待通り”ものすごい人混み、どの店も行列状態、年寄りは店内に入ることも難しい、スゲェ~~!、、、、、ひたすら通り抜けることに意識は集中、、、、、それでも、我が妻・長女はここでも女の執念か(?)、チャンと買い物を済ませる。 帰りの電車で、3つの膨らんだレジ袋に土産がイッパイ!
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● 川越の散策は1万5千歩、、、、、チョイト疲れたね!  

2025年2月14日 (金)

草加から見沼代親水公園へ

朝、今日は三月並みの陽気になると、お天気お姉さんのお告げがあった。 早速『散歩してくる!』と妻に告げ、押上で行先定まらないまま電車に乗った。 とりあえず草加駅で下車し、思案の末、日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩いてきた。 1万歩



● 押上で半蔵門線から乗り入れる南栗橋行きに乗り、『どこで降りようか』考えがまとまらないまま草加に着いた。 しばし駅で思案し、西に向かって裏道を歩き日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。、、、、草加駅は明治32年(1899)に開業した古参の駅。 急行も停まる主要な駅である。 都心への通勤通学客も多いが、下車する人も多い。 行き交う人の多い駅でカメラを持ってブラブラしていると、“盗撮マニア”と疑われそうなので、足早に駅を離れる。
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● 草加駅西口から西に向かって裏道を歩き、草加市西町の西町小学校(昭和42年開校)前をとおり、国道4号(=草加バイパス)を横断する。
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● 草加バイパスからチョッピリ西に入ると、真言宗智山派の真蔵院がある。 寺は長渓山興精寺と号す。 真蔵院の創建年代は不詳、当寺の本尊背面の銘には享保5年(1720)に完成したと記されているそうだ。 甲斐武田氏の元家臣吉沢氏が当地に定着し、一族の菩提寺として創建したと言われてる。、、、、、小さな本堂に、緑の多い境内、民話に出てくる山寺を思い出させる素朴な風景を創り出している。 いいね!
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● 「新郷スポーツセンター通り」と称するバス通りを歩き、辰井川に架かる「沖田(おきだ)橋」(平成4年(1992)竣工)を渡り、草加市から川口市に入る。、、、、辰井川(たついかわ)は、川口市東部に源を発し東へ流れ、草加市に入り南へ転じ、草加市谷塚上町で毛長川に合流する一級河川。流路延長は約5.4㎞。 沖田橋から見る辰井川は農業用水路のようだ、どう見ても一級河川とは思えない!
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川口市榛松に入り、再び裏通りを歩く。 ここらは新興住宅地なのか、比較的新しい住宅がの並んでいる。
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● 川口市榛松の真言宗智山派寺院の不動院は、三嶋山龍蔵寺と号す。 創建年代は不詳。 住宅街の中にあり、静かな佇まいで落ち着いた雰囲気の寺である。、、、、山門脇に4基の石仏がある。 右から、寛保3年(1743)の馬頭観音立像、庚申塔 元文5年(1740)の庚申塔、寛保3年(1743)の庚申塔、延宝8年(1680)の庚申塔。
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● 不動院から約1㎞歩くと、毛長川を越えて東京都足立区に入る。 川の先には日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。
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2025年1月18日 (土)

“和樂備”?

このところ、寒さに負けて出不精となっていた、『今日は寒くても歩くぞ!』と気合を入れて散歩することにした。 散歩は、京浜東北線の蕨駅からスタートすることにした。



● 京浜東北線の蕨駅(わらびえき)は、明治26年(1893)7月16日に日本鉄道の駅として開業した。 明治39年(1906)には、鉄道国有法により国有化された。 開業130年以上経た“老舗の駅”だ! 現在の駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 改札は橋上の1ヶ所だけだが、出入口は東西にそれぞれ1ヶ所ずつある。、、、、令和5年(2023)度のJR東日本エリア内の1日平均の乗車人員では、私が住む浅草橋駅は90位の48,054人であるが、蕨駅はなんと78位で53,921人、完敗である。(チョイト悔しいね!)、、、、【蛇足】駅名(市名も同じ)の『蕨』を“わらび”と読める人は多いが、漢字を書ける人は少ないと思うね! 私もその一人である。 ついでの話で、蕨市は全国で最も面積の小さな市、全国で最も人口密度の高い市である。
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・・・・・・・・・・ さて、相変わらず散歩の行先を具体的に決めていない私は、改札を出て東口に出るか?西口に出るか?悩んでしまう。 駅コンコースから町を眺め、以前東口に出て歩いたこと
思いだした。 そして『今日は西口から歩くことにする!』、、、、西口の階段脇には「蕨駅 開設記念碑」がある。
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● 蕨駅西口正面の「駅前通り」を歩くが、人通りも少なく、店もオープン前、キョロキョロする楽しみも無い。 チョイト裏道を歩く。
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・・・・・・・・・・ 「和樂備神社」の前に出た。 “和樂備”? 何て読むのだ! “わがくび”かな? “我が首”とは? チョイト悩んだが、神社の案内を呼んで納得!、、、、和樂備神社の社名は、全国的な神社合祀令により蕨町内に元々あった八幡社と18の鎮守社を明治44年(1911)に合祀して減らした際に、各集落の合意を得るため町長の草案を基に万葉仮名を用いた「和樂備(わらび)神社」と名付けられたそうだ。 境内に末社や石碑、歌碑、力石などが多くあり、合祀によって集約した名残と思われる。、、、、大正2年(1913)から本殿の覆屋を新築、引き続き社務所を建設。 さらに、昭和25年(1950)からは神楽殿の新築、昭和39年(1964)に幣殿・拝殿の改築、昭和49年(1974)に社務所の改築と続く。 また、平成8年(1996)には不審火により社殿全焼し、翌9年には再建を果す。 よって、和樂備神社の建造物は比較的新しい建物である。 また、境内は広く、大きな池などもある。 おそらく蕨市民にとっては、お宮参り七五三、初詣などで参拝した人も多いことと思われる。
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● 和樂備神社に参拝した後は、裏通りを抜けて再び「駅前通り」に出た。 駅前通りと旧中山道が交差する、蕨市中央5丁目の交差点の歩道部分に、「中山道 六十九次 蕨宿」(“蕨”の部分欠落)と標されている。 中山道は日本橋から京三条大橋まで、蕨宿は最初の宿場である「板橋」の次、二番目の宿場であった。 現在は何となく旧街道らしい雰囲気の街並みが残っているが、その当時の建物などは残っていないらしい。
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・・・・・・・・・・ “蕨宿”の標示の脇に「蕨町道路元標」が残っている。 この道路元標は、「蕨町」のときに造られたもの。 明治22年(1889)に蕨宿・塚越村が合併し、蕨町として発足した。 その後、一度も市町村合併を経験せず、昭和34年(1959)4月1日市制施行する。
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● 国道17号(=中山道)を越えると戸田市となる。 戸田市に入るとJR埼京線の戸田駅がある。、、、、戸田駅は、昭和60年(1985)9月30日に、国鉄の駅として開業する。 昭和62年(1987)JR東日本の駅になる。 島式ホーム1面2線の高架駅。 1日平均乗車人員は約2万人。
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・・・・・・・・・・ 埼京線の隣りを、新幹線が疾走する
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● 今日の散歩はここまで、戸田駅から帰る。 9千歩の散歩

2024年12月20日 (金)

埼玉から東京へ

今日も行先が定まらず、何となく東武伊勢崎線で押上・北千住と進み、草加の一駅手前「谷塚駅」で下車する。 駅前で東西南北いずれに歩くか? 足の向くまま、気の向くままに、何となく西に向かって歩く。 辿り着いたのは日暮里舎人ライナーの「舎人駅」。 1万歩の散歩です。



東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)である。 谷塚駅の駅前は西口と東口で大きく印象が異なる。 東口は広々としたロータリーがあり、タワーマンションもある、銀行、スパー、飲食店、交番など多くの施設があり、生活に困ることもないと思われる。 一方の西口は、広い更地が駅前に構え、これから再開発でもするのかと思わせるように閑散としている。 今日の散歩は西口からスタート。
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● 谷塚駅から、人通りの少ない裏道を南西方向(歩いてる時は西に向かってると思った)に歩く。 駅から500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の寶持院がある。 『お~、この寺は以前来たことがある!』数年前に立ち寄った寺だ!、、、、寶持院は、寺の本尊十一面観音の背面の銘から推定すると、江戸時代中期には創建していたそうだ。 創建以来、谷塚地区の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。、、、、現在の本堂は、平成4年(1992)に建設された。 また、山門の左手には御堂が、右手には六地蔵、本堂裏には庚申塔と不動尊が並んでる。 チョッピリ歴史を感じる寺だ!

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● 創建年代は不詳だが、地元の鎮守さま「谷塚氷川神社」の前を通る。 氏子らしき数人の男性が境内の大掃除、正月を迎える準備かな?
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● “のどかな田園風景”とは言わないが、チョッピリ農村の匂いが残る谷塚の裏道を歩く。
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● 埼玉県草加市と東京都足立区の界を流れる毛長川、そこに架かる谷塚橋を渡り足立区に入る。 毛長川に架かる毛長橋の西側まで川沿いを歩く。、、、、1車線の道で交通量も少なく、年寄りには歩きやすいね。 冬の青空の下、のんびり歩く!
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● 「見沼代親水公園」の大きな木が迎える古千谷橋(こじやばし)交差点に出てきた。 近くには「古千谷氷川神社」もある。、、、、古千谷氷川神社の創建年代は不詳だが、古千谷村が出来た頃の創建で、古千谷村の鎮守社であったらしい。
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● 古千谷氷川神社からさらに西へ、日暮里舎人ライナーの「舎人駅が見えた。 今日の散歩はここまで。
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2024年10月 6日 (日)

武蔵一宮 女体神社

武蔵一宮である氷川女体神社と氷川神社を巡り、1万1千歩の散歩。



● 今朝、食事前に地図を見てると、JR東浦和駅の北3㎞程に“氷川女体神社”がある。 20年程前、JR川崎駅前(神奈川県)の“女体神社”に参ったことがある。 この時は、“女体”と称してもそれらしき謂れや関連する物も無く、極々普通の神社であった。 東浦和の“女体神社”も同様に普通の神社と変わりはないと思ったが、“女体”の文字の前に“武蔵一宮”と冠し、「武蔵一宮 氷川女体神社」と称してる。 起きがけの寝ぼけた状態で、助平爺の要らぬ妄想が始まり、ひょっとしたら、“御神体は女体かも?”、“拝殿前には撫で牛ならぬ、撫で女体があるかも?”、“御守りは女体を模したフィギュアかも?”  『ヨシ早速、武蔵一宮の氷川女体神社へ行ってみよう!』・・・・・と言うことで、早めの昼食後、一雨降りそうな曇り空の下、武蔵一宮氷川女体神社へ“Let's go!”

・・・・・・・・・・ JR東浦和駅前からバスに乗り、神社に近い朝日坂上バス停で下車。 歩いて数分、神社に向かう。 住宅地の坂を下ると「見沼代用水西線」と称する小川が流れ、そこに朱塗りの橋が架かり、正面に高台の境内に向かう階段と鳥居が見える。
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● やってきました「武蔵一宮 氷川女体神社」へ。、、、、氷川女体神社の由緒は、社伝によると、第10代崇神天皇の時代に勧請をしたと伝えられている。 氷川女体神社の“女体”は、祭神である稲田姫命(いなだひめのみこと、女神)に由来し、日本書紀のなかでは、稲田姫命は須佐之男命(すさのおのみこと)がヤマタノオロチ退治の際に助けて妃にした姫とされている。 また、一説には、当社である氷川女体神社(女体社)と、大宮区高鼻町にある大宮氷川神社(祭神:須佐之男命・男体社)、見沼区中川にある中山神社(祭神:大己貴命・王子社)の三社を合わせて、“武蔵一宮”と称したと伝えられている。 この三社は、地図上では氷川女体神社から北西へ、中山神社、大宮氷川神社へ向かい、一直線上に並んでいる。 また中山神社はその中間に位置する。 氷川女体神社の拝殿には、武蔵国一宮の扁額が掲げられてる。 中世以来、武門の崇敬を集めており、鎌倉北条氏、岩槻太田氏、小田原北条氏などにゆかりある書物や宝物が多く所蔵され、徳川将軍家からも社領50石を寄進されたそうだ。、、、、現在の社殿は、寛文7年(1667)徳川幕府四代将軍家綱が忍城主阿部忠秋に命じて建立した。 本殿は三間社流れ造りで全面に朱の漆が塗られ、拝殿と相の間で結ばれており、形式的には権現造りに近い建造物です。
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・・・・・・・・・・ 祭神は古の女神、生身の女神ではない! 撫で牛ならぬ撫で女体もなし! 御守りはフィギュアではなく普通の御札! せめて社務所の巫女さんは若い女性を期待したが、登場したのは60歳ほどの古の女性。 妄想の全ては幻想であった! 、、、、罰当たりな妄想は封印し『神さまゴメンナサイ!』 賽銭箱に100円硬貨数枚を投げ入れ、神聖な気持ちで二礼二拍手一礼する。




● 女体神社から、曼殊沙華の咲く見沼代用水西線沿いにしばらく歩き、“芝原”と言う所からバスに乗る。 乗ったバスは浦和駅行き。 ここまで来たら、ついでに大宮氷川神社に寄って行こう!
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● 大宮駅から氷川神社の長い参道を歩き「武蔵一宮 氷川神社」に参る。、、、、氷川神社の祭神は男体である須佐之男命(すさのおのみこと)。 ここ大宮の氷川神社は関東一円(約280社)に広がり信仰される各地の“氷川神社”の中心的となる総本社である。 また、歴史も古く、地名“大宮”は氷川神社を指すものである。、、、、氷川神社は、孝昭天皇3年(紀元前473)に創建、日本武尊が東征の際には当社に祈願したと伝えられている。成務天皇(130~190)の代に出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となり当社を奉崇し、出雲国斐伊川の名より氷川神社と称するようになったそうだ。、、、、現在の社殿の多くは紀元2600年(=昭和15年(1940))を記念して造替されたものである。 国の文化財と称する古い建物はないと思われる。
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・・・・・・・・・・ 氷川神社に参った後は、参道沿いの“氷川だんご”にお立ち寄り!、、、、今日の散歩は、女体が団子に変わった!

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2024年4月29日 (月)

谷塚から八潮まで

東武伊勢崎線の谷塚駅から東に歩いて、つくばエキスプレスの八潮駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ゴールデンウィーク前半の最終日、何処にも行く予定の無い私は谷塚駅で降り、東の八潮駅まで散歩することにした。 連休中とあって、通勤通学客はいないが行楽地に行く人が多いのか、電車はチョッピリ混んでいた。

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● 谷塚駅の東、県道を越えると真言宗豊山派寺院の寶光山安楽院善福寺がある。 善福寺の創建年代は不詳だが、江戸時代中期までには既に存在していたものと推測されている。 昭和15年(1940)まで西新井大師の総持寺の末寺であったが、同宗派総本山の長谷寺に変更した。、、、、道を歩いていると立派な山門が目に入る、静かな境内に入ると本堂の優美な姿がまたまた目に入る。

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・・・・・・・・・・  門前に正徳3年(1713)銘の庚申塔、境内に元禄4年(1681)奉納の六地蔵がある
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● 草加市瀬崎の裏通りを歩く。瀬崎(せざき)の町は毛長川を境にして東京都足立区と接する住宅地。

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・・・・・・・・・・ 瀬崎の町の東端、伝右川の際に立派な「草加市スポーツ健康都市記念体育館」がある。、、、、草加市は昭和53年(1978)に「スポーツ健康都市宣言」を行った。 市民のスポーツ運動に関する基礎調査を行い、市民スポーツの拠点と国際大会等の公式試合が行える施設として「総合スポーツセンター」構想をまとめて、総工事費は23億8800万円を投じ、建設した体育館。 昭和59年(1984)に着工し、昭和61年(1986)供用開始。、、、、収容人数 1,277人のメインアリーナ、サブアリーナ、柔道場、剣道場、相撲場、卓球場、弓道場、1周220mのランニングコースなど施設も充実してる。

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● 伝右川を越えると、埼玉県草加市と八潮市の境に割り込むように「都営花畑第四アパート」(東京都足立区)がある。 おそらく23区で最北端の都営アパートと思われる。 大きな団地だが、団地内の多くの商店はシャッターをおろしたみたいだ! 近くの大型スーパーに負けたか?

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● 都営アパートを抜け、桑袋大橋(くわぶくろおおはし)を渡り綾瀬川を渡ると八潮市に入る。

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● 八潮市大曾根にある「大曽根八幡神社」に寄って行く、、、、大曽根八幡神社の創建は文亀2年(1502)の勧請といわれてる。 古くより当地の鎮守社であった。 江戸時代には当地の領主旗本森川家の崇敬を受けていた。 明治期には村社に列格していた。、、、、現社殿は明治28年(1895)の再建で、本殿は総欅一間社流れ造り、向拝正面を唐破風、上部を千鳥破風、桂間の壁面は神話を題材とした浮彫りをはめこむ。 拝殿は入母屋造りの銅板葺き屋根、向拝中央を唐破風、上部を千鳥破風とし、八幡太郎義家父子等の武将の活躍を浮彫りで表現してる。 社殿周りの彫刻は素晴らしい!

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● 大曽根八幡神社の南側に、真言宗豊山派寺院の光林山福壽院がある。 こちらにもチョイトお立ち寄り。 福壽院の創建年代は不詳だが、江戸時代前期には創建していたらしい。

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● 福壽院から八潮駅までは約2㎞、新興住宅地の中を駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの八潮駅に到着。 連休だからか(?)つくば方面に向かう親子連れが多い。 

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