埼玉県

2025年6月12日 (木)

西川口から南鳩ケ谷まで

今日は久しぶりにJR京浜東北線の西川口駅で下車し、途中で鎮守氷川神社に寄り、東の方角に当たる埼玉高速鉄道の南鳩ヶ谷駅まで歩いて見た。 1万歩



● 「西川口駅」は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 2階には、橋上駅舎となっており、コンコースと自由通路がある。、、、、、西川口駅は昭和29年(1954)9月1日に橋上駅舎としては日本国有鉄道最初の駅として開業した。 約70年前の駅舎建築の設計仕様なのか、朝8時前後の通勤通学時間帯は乗降客が多く、ホーム幅の狭さ、狭いトイレ、自動改札の混雑具合、自由通路の狭さなど、全体的に手狭な規模が気になる駅だ。、、、、、出入口は東西2ヵ所あるが、駅西口側は大人の歓楽街として有名である。 駅東口は、駅前ロータリーから放射状に商店会が伸び、店も多い。 今日の散歩は東口から東の方角にある鎮守氷川神社に向かって歩くことにした。
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● バス通りである「西川口陸橋通り」を歩き、川口オートレース場の方に向かう。、、、、、流石に“サスガ”、ここは鋳物の川口市、歩道沿いには町名を示す鋳物の案内板がたっている。 錆びて茶色くなった案内板は、“これぞ鋳物”と存在感を出している。、、、、、戦後、事業を拡大してきた、濃淡2系統の緑色で塗装した国際興業バスとすれ違うと、『オゥ~~、ここは埼玉だ!』と不思議な感動を感じる!
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・・・・・・・・・・ 途中に、鎮守氷川神社の案内があり、それに従い裏道へ入る。
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● 氷川神社へ行く途中に、「龍泉寺 地蔵堂」があった。 地蔵堂と言っても、小さな祠があるだけ。 祠の周囲には、墓石が建ち並び墓地と思われる。 堂の脇の立札によると、この地蔵堂は近くの龍泉寺が見守っているようだ。、、、、、地蔵堂の詳細は判らない!
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● 来たついで、これも何かの縁、チョイト寄ってみよう「龍泉寺」、、、、、真言宗智山派寺院の龍泉寺は、大聖山広傳院と号す。 龍泉寺の創建年代等は不詳だが、正和2年(1313)の青石塔婆が残されていることから中世の創建かも(?)、、、、、歴史ある建物は無く、近代的な納骨堂と檀信徒会館、本堂は鉄筋コンクリート造。
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● 「鎮守 氷川神社」に面白い厄落としの作法があると聞いたことがあり、いずれ参拝してみようと思っていた、それが今日の散歩となった。、、、、、鎮守氷川神社は、川口市青木にあるので青木氷川神社とも言う。 鎮守氷川神社の創建年代は不詳だが、応永年間(1394~1428)の創建と伝えられ、江戸時代には本山修験宗般若院が別当寺を務め、下青木村の鎮守社となっていたと言われてる。、、、、、現在の社殿は昭和61年(1986)造営。、、、、、歴史と伝統の光が神徳を照らし続ける鎮守氷川神社は、年間を通して全国各地より多くの参拝客があり、『小さな大社』といわれてる。(神社のHPより) ヤマタノオロチを退治した神話で知られる、『邪』を裂き『魔』を祓う強い力を持つ『スサノオノミコト』を
祀ることから、厄除け・除災招福に神徳があるとされ、また祭神に夫婦神である『クシナダヒメ』と共にまつられていることから、縁結び・安産にも強い霊験があるといわれてる。
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・・・・・・・・・・ 境内にありました。 「厄割石」と「厄割玉」、、、、、厄落としの作法とは、まず、不安・恐れを手放したい、プライドを取り戻したい、勇気や希望を持ちたい、自分を信じたい、こんな人は“黒玉”、ストレス・怒りを発散させたい、勝負に勝ちたい、モチベーションを上げたい、大好きな人へ告白したい、こんな人は“赤玉”を取る。 次に、厄割石の前で一礼し、厄割玉を胸の前で両手で持ち、『厄よ去れ!』と念ずる。 そして、厄割玉を厄割石に投げつけ厄を落とす。 最後に厄割石に一礼して終わる。、、、、ストレス発散にGood! 面白いね!
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川口オートレース場の南側を通り、鳩ケ谷駅に向かう。、、、、、今日は開催日ではないようで、レース場に人影なし!
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● 川口オートレース場を過ぎると鳩ケ谷の町に入る。 南鳩ケ谷5丁目に、十二柱の神々を祀った事から名付けられた「十二神社」がある。、、、、、
十二所神社の創建年代等は不詳である。 平成5年(1993)に再建された新しい社殿で、境内も綺麗によく手入れされている。 宮司は、鳩ヶ谷総鎮守氷川神社(青木の鎮守氷川神社とは異なる)で兼務している。
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● 埼玉高速鉄道の「南鳩ケ谷駅」は平成13年(2001)3月28日に開業。 開通前までは鉄道空白地帯であり、この地区への鉄道開通は悲願であった。、、、、、駅は島式ホーム1面2線の地下駅で、構内はチョイト狭い感じがする。 令和5年(2023)度の1日平均乗車人員は8,131人と少ない。
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2025年5月 3日 (土)

GWの川越

ゴールデンウィークの真只中、川越(埼玉県)の街を歩いてきた。、、、、、先日、私の長女(40代、既婚)と話してると、“川越”に行ったことがなく、『ぜひ行ってみたい』と言うことになった。 連休中は混雑が予想されるが、『その混雑する川越を見てみたい』と言う。 蔵造りの街並みは人混みで歩けず、昼食に名物“うなぎ”は行列待ちで食べられず、川越名物「芋菓子」は並んでも購入できず、民芸品の店は満員の客で入れず、これら予想される場面を事前に納得させての川越行きとなった。、、、、私達夫婦、長女とその子(私の孫、小6)の計4名にて出発!




● 高田馬場から西武新宿線の特急「小江戸」で川越へ向かう、、、、連休中の観光地行きの電車だというのに、車内はガラガラ。 西武は儲かっているのかな? 
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・・・・・・・・・・ 駅の観光案内所で“散策マップ”をもらい、大筋の行程を決めた。 本川越駅➡仙波東照宮➡喜多院➡大正浪漫夢通り➡蔵造りの街並み➡時の鐘➡川越氷川神社➡菓子屋横丁➡蔵造りの街並み➡本川越駅  『この順で歩こう!』



● 東照宮といえば徳川家康を祀った日光東照宮と久能山東照宮が有名だが、「仙波東照宮」は日本三大東照宮の一つで、喜多院の南側に隣接している。、、、、、元和2年(1616)駿府で徳川家康が没し、その遺骸を静岡から日光山へ移葬する途中、天海僧正によって喜多院で四日間の法要が営まれたことから、寛永10年(1633)建立された。 それから5年後の寛永15年(1638)、「寛永の大火」と呼ばれる大火事によって、喜多院山門を残し、焼け落ちたが、徳川家光より喜多院復興の命令が下ると、まず東照宮の再建が行われ寛永17年(1640)に完成した。、、、、、朱色の東照宮随身門(左右に控える随身像は見当たらず“もぬけの殻”)、その先にある石の鳥居を潜りジャスト50段ある石段を上がると葵紋が嵌め込まれた金属の門の先に拝殿・幣殿がある。 さらに奥に瑞垣に囲まれ漆塗りの極彩色の飾りが鮮やかな本殿がある。 これらの建造物全てが重要文化財。、、、、、本殿内部には甲冑を身に着けた馬上の家康の像が祀られていると、ボランティアの案内人が教えてくれたが、非公開で拝見できず、残念!、、、、、仙波東照宮は観光客に人気が無いのか、人影はチラホラ
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● 仙波東照宮の隣りには、慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹で、正式名「星野山無量寿寺喜多院」がある。、、、、、江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として有名。 徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受け、江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築された。 客殿・書院・庫裏・慈眼堂・山門などは国指定重要文化財。、、、、、我が家の一同、厄除祈願でナンマイダ!
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● 喜多院を参拝したらランチタイム。 ココまで来たら並んでも「うなぎ」を制覇したい、女の執念には逆らえず、30分待ちで鰻重を食す。 食べた後は、皆ニコニコ。
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● 蔵造りの街並みを通り抜け「川越氷川神社」を訪れた。、、、、、川越総鎮守氷川神社は、約1500年の歴史を持つ埼玉県川越市にある古社で、「縁結びの神」として親しまれています。夫婦神を祀っていることから、特に家庭円満や夫婦円満のご利益があるとされている。 それゆえか、若いカップルがやたら多い!、、、、、ジジ、ババの姿は少なく、チョイト場違いかな? 早々に立ち去る。
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● 川越と言えば、「大正浪漫夢通り」、「蔵造りの街並み」、「時の鐘」、「菓子屋横丁」が連なる、川越の中心地に入る。 “期待通り”ものすごい人混み、どの店も行列状態、年寄りは店内に入ることも難しい、スゲェ~~!、、、、、ひたすら通り抜けることに意識は集中、、、、、それでも、我が妻・長女はここでも女の執念か(?)、チャンと買い物を済ませる。 帰りの電車で、3つの膨らんだレジ袋に土産がイッパイ!
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● 川越の散策は1万5千歩、、、、、チョイト疲れたね!  

2025年2月14日 (金)

草加から見沼代親水公園へ

朝、今日は三月並みの陽気になると、お天気お姉さんのお告げがあった。 早速『散歩してくる!』と妻に告げ、押上で行先定まらないまま電車に乗った。 とりあえず草加駅で下車し、思案の末、日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩いてきた。 1万歩



● 押上で半蔵門線から乗り入れる南栗橋行きに乗り、『どこで降りようか』考えがまとまらないまま草加に着いた。 しばし駅で思案し、西に向かって裏道を歩き日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。、、、、草加駅は明治32年(1899)に開業した古参の駅。 急行も停まる主要な駅である。 都心への通勤通学客も多いが、下車する人も多い。 行き交う人の多い駅でカメラを持ってブラブラしていると、“盗撮マニア”と疑われそうなので、足早に駅を離れる。
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● 草加駅西口から西に向かって裏道を歩き、草加市西町の西町小学校(昭和42年開校)前をとおり、国道4号(=草加バイパス)を横断する。
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● 草加バイパスからチョッピリ西に入ると、真言宗智山派の真蔵院がある。 寺は長渓山興精寺と号す。 真蔵院の創建年代は不詳、当寺の本尊背面の銘には享保5年(1720)に完成したと記されているそうだ。 甲斐武田氏の元家臣吉沢氏が当地に定着し、一族の菩提寺として創建したと言われてる。、、、、、小さな本堂に、緑の多い境内、民話に出てくる山寺を思い出させる素朴な風景を創り出している。 いいね!
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● 「新郷スポーツセンター通り」と称するバス通りを歩き、辰井川に架かる「沖田(おきだ)橋」(平成4年(1992)竣工)を渡り、草加市から川口市に入る。、、、、辰井川(たついかわ)は、川口市東部に源を発し東へ流れ、草加市に入り南へ転じ、草加市谷塚上町で毛長川に合流する一級河川。流路延長は約5.4㎞。 沖田橋から見る辰井川は農業用水路のようだ、どう見ても一級河川とは思えない!
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川口市榛松に入り、再び裏通りを歩く。 ここらは新興住宅地なのか、比較的新しい住宅がの並んでいる。
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● 川口市榛松の真言宗智山派寺院の不動院は、三嶋山龍蔵寺と号す。 創建年代は不詳。 住宅街の中にあり、静かな佇まいで落ち着いた雰囲気の寺である。、、、、山門脇に4基の石仏がある。 右から、寛保3年(1743)の馬頭観音立像、庚申塔 元文5年(1740)の庚申塔、寛保3年(1743)の庚申塔、延宝8年(1680)の庚申塔。
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● 不動院から約1㎞歩くと、毛長川を越えて東京都足立区に入る。 川の先には日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅が見える。
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2025年1月18日 (土)

“和樂備”?

このところ、寒さに負けて出不精となっていた、『今日は寒くても歩くぞ!』と気合を入れて散歩することにした。 散歩は、京浜東北線の蕨駅からスタートすることにした。



● 京浜東北線の蕨駅(わらびえき)は、明治26年(1893)7月16日に日本鉄道の駅として開業した。 明治39年(1906)には、鉄道国有法により国有化された。 開業130年以上経た“老舗の駅”だ! 現在の駅は島式ホーム1面2線の地上駅で、橋上駅舎を有する。 改札は橋上の1ヶ所だけだが、出入口は東西にそれぞれ1ヶ所ずつある。、、、、令和5年(2023)度のJR東日本エリア内の1日平均の乗車人員では、私が住む浅草橋駅は90位の48,054人であるが、蕨駅はなんと78位で53,921人、完敗である。(チョイト悔しいね!)、、、、【蛇足】駅名(市名も同じ)の『蕨』を“わらび”と読める人は多いが、漢字を書ける人は少ないと思うね! 私もその一人である。 ついでの話で、蕨市は全国で最も面積の小さな市、全国で最も人口密度の高い市である。
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・・・・・・・・・・ さて、相変わらず散歩の行先を具体的に決めていない私は、改札を出て東口に出るか?西口に出るか?悩んでしまう。 駅コンコースから町を眺め、以前東口に出て歩いたこと
思いだした。 そして『今日は西口から歩くことにする!』、、、、西口の階段脇には「蕨駅 開設記念碑」がある。
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● 蕨駅西口正面の「駅前通り」を歩くが、人通りも少なく、店もオープン前、キョロキョロする楽しみも無い。 チョイト裏道を歩く。
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・・・・・・・・・・ 「和樂備神社」の前に出た。 “和樂備”? 何て読むのだ! “わがくび”かな? “我が首”とは? チョイト悩んだが、神社の案内を呼んで納得!、、、、和樂備神社の社名は、全国的な神社合祀令により蕨町内に元々あった八幡社と18の鎮守社を明治44年(1911)に合祀して減らした際に、各集落の合意を得るため町長の草案を基に万葉仮名を用いた「和樂備(わらび)神社」と名付けられたそうだ。 境内に末社や石碑、歌碑、力石などが多くあり、合祀によって集約した名残と思われる。、、、、大正2年(1913)から本殿の覆屋を新築、引き続き社務所を建設。 さらに、昭和25年(1950)からは神楽殿の新築、昭和39年(1964)に幣殿・拝殿の改築、昭和49年(1974)に社務所の改築と続く。 また、平成8年(1996)には不審火により社殿全焼し、翌9年には再建を果す。 よって、和樂備神社の建造物は比較的新しい建物である。 また、境内は広く、大きな池などもある。 おそらく蕨市民にとっては、お宮参り七五三、初詣などで参拝した人も多いことと思われる。
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● 和樂備神社に参拝した後は、裏通りを抜けて再び「駅前通り」に出た。 駅前通りと旧中山道が交差する、蕨市中央5丁目の交差点の歩道部分に、「中山道 六十九次 蕨宿」(“蕨”の部分欠落)と標されている。 中山道は日本橋から京三条大橋まで、蕨宿は最初の宿場である「板橋」の次、二番目の宿場であった。 現在は何となく旧街道らしい雰囲気の街並みが残っているが、その当時の建物などは残っていないらしい。
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・・・・・・・・・・ “蕨宿”の標示の脇に「蕨町道路元標」が残っている。 この道路元標は、「蕨町」のときに造られたもの。 明治22年(1889)に蕨宿・塚越村が合併し、蕨町として発足した。 その後、一度も市町村合併を経験せず、昭和34年(1959)4月1日市制施行する。
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● 国道17号(=中山道)を越えると戸田市となる。 戸田市に入るとJR埼京線の戸田駅がある。、、、、戸田駅は、昭和60年(1985)9月30日に、国鉄の駅として開業する。 昭和62年(1987)JR東日本の駅になる。 島式ホーム1面2線の高架駅。 1日平均乗車人員は約2万人。
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・・・・・・・・・・ 埼京線の隣りを、新幹線が疾走する
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● 今日の散歩はここまで、戸田駅から帰る。 9千歩の散歩

2024年12月20日 (金)

埼玉から東京へ

今日も行先が定まらず、何となく東武伊勢崎線で押上・北千住と進み、草加の一駅手前「谷塚駅」で下車する。 駅前で東西南北いずれに歩くか? 足の向くまま、気の向くままに、何となく西に向かって歩く。 辿り着いたのは日暮里舎人ライナーの「舎人駅」。 1万歩の散歩です。



東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅が谷塚駅(やつかえき)である。 谷塚駅の駅前は西口と東口で大きく印象が異なる。 東口は広々としたロータリーがあり、タワーマンションもある、銀行、スパー、飲食店、交番など多くの施設があり、生活に困ることもないと思われる。 一方の西口は、広い更地が駅前に構え、これから再開発でもするのかと思わせるように閑散としている。 今日の散歩は西口からスタート。
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● 谷塚駅から、人通りの少ない裏道を南西方向(歩いてる時は西に向かってると思った)に歩く。 駅から500m程歩くと、真言宗豊山派寺院の寶持院がある。 『お~、この寺は以前来たことがある!』数年前に立ち寄った寺だ!、、、、寶持院は、寺の本尊十一面観音の背面の銘から推定すると、江戸時代中期には創建していたそうだ。 創建以来、谷塚地区の人々の菩提寺として、宝灯を守っている。、、、、現在の本堂は、平成4年(1992)に建設された。 また、山門の左手には御堂が、右手には六地蔵、本堂裏には庚申塔と不動尊が並んでる。 チョッピリ歴史を感じる寺だ!

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● 創建年代は不詳だが、地元の鎮守さま「谷塚氷川神社」の前を通る。 氏子らしき数人の男性が境内の大掃除、正月を迎える準備かな?
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● “のどかな田園風景”とは言わないが、チョッピリ農村の匂いが残る谷塚の裏道を歩く。
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● 埼玉県草加市と東京都足立区の界を流れる毛長川、そこに架かる谷塚橋を渡り足立区に入る。 毛長川に架かる毛長橋の西側まで川沿いを歩く。、、、、1車線の道で交通量も少なく、年寄りには歩きやすいね。 冬の青空の下、のんびり歩く!
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● 「見沼代親水公園」の大きな木が迎える古千谷橋(こじやばし)交差点に出てきた。 近くには「古千谷氷川神社」もある。、、、、古千谷氷川神社の創建年代は不詳だが、古千谷村が出来た頃の創建で、古千谷村の鎮守社であったらしい。
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● 古千谷氷川神社からさらに西へ、日暮里舎人ライナーの「舎人駅が見えた。 今日の散歩はここまで。
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2024年10月 6日 (日)

武蔵一宮 女体神社

武蔵一宮である氷川女体神社と氷川神社を巡り、1万1千歩の散歩。



● 今朝、食事前に地図を見てると、JR東浦和駅の北3㎞程に“氷川女体神社”がある。 20年程前、JR川崎駅前(神奈川県)の“女体神社”に参ったことがある。 この時は、“女体”と称してもそれらしき謂れや関連する物も無く、極々普通の神社であった。 東浦和の“女体神社”も同様に普通の神社と変わりはないと思ったが、“女体”の文字の前に“武蔵一宮”と冠し、「武蔵一宮 氷川女体神社」と称してる。 起きがけの寝ぼけた状態で、助平爺の要らぬ妄想が始まり、ひょっとしたら、“御神体は女体かも?”、“拝殿前には撫で牛ならぬ、撫で女体があるかも?”、“御守りは女体を模したフィギュアかも?”  『ヨシ早速、武蔵一宮の氷川女体神社へ行ってみよう!』・・・・・と言うことで、早めの昼食後、一雨降りそうな曇り空の下、武蔵一宮氷川女体神社へ“Let's go!”

・・・・・・・・・・ JR東浦和駅前からバスに乗り、神社に近い朝日坂上バス停で下車。 歩いて数分、神社に向かう。 住宅地の坂を下ると「見沼代用水西線」と称する小川が流れ、そこに朱塗りの橋が架かり、正面に高台の境内に向かう階段と鳥居が見える。
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● やってきました「武蔵一宮 氷川女体神社」へ。、、、、氷川女体神社の由緒は、社伝によると、第10代崇神天皇の時代に勧請をしたと伝えられている。 氷川女体神社の“女体”は、祭神である稲田姫命(いなだひめのみこと、女神)に由来し、日本書紀のなかでは、稲田姫命は須佐之男命(すさのおのみこと)がヤマタノオロチ退治の際に助けて妃にした姫とされている。 また、一説には、当社である氷川女体神社(女体社)と、大宮区高鼻町にある大宮氷川神社(祭神:須佐之男命・男体社)、見沼区中川にある中山神社(祭神:大己貴命・王子社)の三社を合わせて、“武蔵一宮”と称したと伝えられている。 この三社は、地図上では氷川女体神社から北西へ、中山神社、大宮氷川神社へ向かい、一直線上に並んでいる。 また中山神社はその中間に位置する。 氷川女体神社の拝殿には、武蔵国一宮の扁額が掲げられてる。 中世以来、武門の崇敬を集めており、鎌倉北条氏、岩槻太田氏、小田原北条氏などにゆかりある書物や宝物が多く所蔵され、徳川将軍家からも社領50石を寄進されたそうだ。、、、、現在の社殿は、寛文7年(1667)徳川幕府四代将軍家綱が忍城主阿部忠秋に命じて建立した。 本殿は三間社流れ造りで全面に朱の漆が塗られ、拝殿と相の間で結ばれており、形式的には権現造りに近い建造物です。
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・・・・・・・・・・ 祭神は古の女神、生身の女神ではない! 撫で牛ならぬ撫で女体もなし! 御守りはフィギュアではなく普通の御札! せめて社務所の巫女さんは若い女性を期待したが、登場したのは60歳ほどの古の女性。 妄想の全ては幻想であった! 、、、、罰当たりな妄想は封印し『神さまゴメンナサイ!』 賽銭箱に100円硬貨数枚を投げ入れ、神聖な気持ちで二礼二拍手一礼する。




● 女体神社から、曼殊沙華の咲く見沼代用水西線沿いにしばらく歩き、“芝原”と言う所からバスに乗る。 乗ったバスは浦和駅行き。 ここまで来たら、ついでに大宮氷川神社に寄って行こう!
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● 大宮駅から氷川神社の長い参道を歩き「武蔵一宮 氷川神社」に参る。、、、、氷川神社の祭神は男体である須佐之男命(すさのおのみこと)。 ここ大宮の氷川神社は関東一円(約280社)に広がり信仰される各地の“氷川神社”の中心的となる総本社である。 また、歴史も古く、地名“大宮”は氷川神社を指すものである。、、、、氷川神社は、孝昭天皇3年(紀元前473)に創建、日本武尊が東征の際には当社に祈願したと伝えられている。成務天皇(130~190)の代に出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となり当社を奉崇し、出雲国斐伊川の名より氷川神社と称するようになったそうだ。、、、、現在の社殿の多くは紀元2600年(=昭和15年(1940))を記念して造替されたものである。 国の文化財と称する古い建物はないと思われる。
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・・・・・・・・・・ 氷川神社に参った後は、参道沿いの“氷川だんご”にお立ち寄り!、、、、今日の散歩は、女体が団子に変わった!

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2024年4月29日 (月)

谷塚から八潮まで

東武伊勢崎線の谷塚駅から東に歩いて、つくばエキスプレスの八潮駅まで、1万2千歩の散歩です。




● ゴールデンウィーク前半の最終日、何処にも行く予定の無い私は谷塚駅で降り、東の八潮駅まで散歩することにした。 連休中とあって、通勤通学客はいないが行楽地に行く人が多いのか、電車はチョッピリ混んでいた。

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● 谷塚駅の東、県道を越えると真言宗豊山派寺院の寶光山安楽院善福寺がある。 善福寺の創建年代は不詳だが、江戸時代中期までには既に存在していたものと推測されている。 昭和15年(1940)まで西新井大師の総持寺の末寺であったが、同宗派総本山の長谷寺に変更した。、、、、道を歩いていると立派な山門が目に入る、静かな境内に入ると本堂の優美な姿がまたまた目に入る。

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・・・・・・・・・・  門前に正徳3年(1713)銘の庚申塔、境内に元禄4年(1681)奉納の六地蔵がある
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● 草加市瀬崎の裏通りを歩く。瀬崎(せざき)の町は毛長川を境にして東京都足立区と接する住宅地。

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・・・・・・・・・・ 瀬崎の町の東端、伝右川の際に立派な「草加市スポーツ健康都市記念体育館」がある。、、、、草加市は昭和53年(1978)に「スポーツ健康都市宣言」を行った。 市民のスポーツ運動に関する基礎調査を行い、市民スポーツの拠点と国際大会等の公式試合が行える施設として「総合スポーツセンター」構想をまとめて、総工事費は23億8800万円を投じ、建設した体育館。 昭和59年(1984)に着工し、昭和61年(1986)供用開始。、、、、収容人数 1,277人のメインアリーナ、サブアリーナ、柔道場、剣道場、相撲場、卓球場、弓道場、1周220mのランニングコースなど施設も充実してる。

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● 伝右川を越えると、埼玉県草加市と八潮市の境に割り込むように「都営花畑第四アパート」(東京都足立区)がある。 おそらく23区で最北端の都営アパートと思われる。 大きな団地だが、団地内の多くの商店はシャッターをおろしたみたいだ! 近くの大型スーパーに負けたか?

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● 都営アパートを抜け、桑袋大橋(くわぶくろおおはし)を渡り綾瀬川を渡ると八潮市に入る。

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● 八潮市大曾根にある「大曽根八幡神社」に寄って行く、、、、大曽根八幡神社の創建は文亀2年(1502)の勧請といわれてる。 古くより当地の鎮守社であった。 江戸時代には当地の領主旗本森川家の崇敬を受けていた。 明治期には村社に列格していた。、、、、現社殿は明治28年(1895)の再建で、本殿は総欅一間社流れ造り、向拝正面を唐破風、上部を千鳥破風、桂間の壁面は神話を題材とした浮彫りをはめこむ。 拝殿は入母屋造りの銅板葺き屋根、向拝中央を唐破風、上部を千鳥破風とし、八幡太郎義家父子等の武将の活躍を浮彫りで表現してる。 社殿周りの彫刻は素晴らしい!

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● 大曽根八幡神社の南側に、真言宗豊山派寺院の光林山福壽院がある。 こちらにもチョイトお立ち寄り。 福壽院の創建年代は不詳だが、江戸時代前期には創建していたらしい。

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● 福壽院から八潮駅までは約2㎞、新興住宅地の中を駅に向かう。

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・・・・・・・・・・ つくばエキスプレスの八潮駅に到着。 連休だからか(?)つくば方面に向かう親子連れが多い。 

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2024年2月15日 (木)

住みやすい谷塚

天気も良さそうなので、『歩いてくる!』と一言残し家を出る。 『さて、どこへ行こうか?』 迷える爺は、とりあえず浅草線に乗り押上で降り。 東武伊勢崎線に乗り西新井で降り。 再び伊勢崎線に乗り谷塚で降り。 ここから歩こうと決めたが、東西南北いずれに向かう? またまた迷える爺となり。 駅前の地図を眺めて、見沼代親水公園駅まで歩くことにした。 1万1千歩の散歩です。




谷塚駅は東武伊勢崎線が東京都足立区から埼玉県草加市に入って最初の停車駅。 私にとっては、『東京から埼玉に行ってきた』と言える駅だ。 我が家のある浅草橋から30分程の処にあり、お手軽に来られる駅でもある。、、、、東口は駅前ロータリーがあり、バスも停まり、スーパーや100年ショップなどもあり整備されている。 西口は駅前に空き地が広がり、車は入りずらく、これから整備するようだ。、、、、駅前の地図を眺めて、今日は県道104号線の北側を西へ向かって日暮里舎人ライナーの見沼代親水公園駅まで歩くことにした。

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● 住宅情報サイトの記事によると、谷塚駅東側は『①駅前に交番がある ②スーパーや日用品店が揃っていて買い物に困らない ⓷コンビニと飲食店は少なめ ④全体的に人通りが少なく静かな雰囲気』と書かれているが、今日歩いた西側の特徴は『①全体的に店が少なくて田舎の雰囲気 ②家賃は低いがやや古い物件が目立つ ⓷自然が多くてのどかな住宅街が広がる ④スーパーが少なくて買い物が不便』と書かれてる。 たしかに、歩いてみて西側は、まさに田舎の雰囲気が残る新興の住宅地である。 店は少なく、道路は狭く、歩く面白みに欠ける町。

・・・・・・・・・・ 駅近くで県道104号線を横断し、北側(谷塚町・柳島町)の裏道を歩く。

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・・・・・・・・・・ さっそく農地が現れた! セールストークで『高い建物がないので、見晴らしが良いです。人通りも少なく、緑が多いのどかな住宅街が広がってます』 

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・・・・・・・・・・ 新しいアパートが並ぶ! セールストークで『戸建てに混ざって、一人暮らし向けの低層アパートも多いですよ』

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・・・・・・・・・・ 畑の向こうにマンションがある! セールストーク『眺望の良い1LDK、家賃は7万円で、安いですよ』

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・・・・・・・・・・ 草加市を南北に貫く国道4号線 セールストーク『国道に出れば お店がいっぱい並んで便利です』

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・・・・・・・・・・ チョイト狭い裏道。 セールストーク『住宅街は人通りが少なく、静かな雰囲気です』

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・・・・・・・・・・ 草加南高等学校(草加市柳島町)がある。 セールストーク『学校も近く 東大受験まちがいなし』

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・・・・・・・・・・ 高等学校の西には、素朴な感じの柳島氷川神社がある。 セールストーク『お受験の神頼みもできますよ』

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・・・・・・・・・・ 氷川神社の裏には柳島コミニティセンターがある。 セールストーク『地域との触れ合いはこちらでできます 谷塚での充実した生活をおくってみてはいかがですか』

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● 東京都足立区と埼玉県草加市の境を流れる毛長川(けながかわ)に出た。 毛長川は利根川水系綾瀬川支流の一級河川。、、、、昭和23年(1948)より40年にかけて改修拡張された。 人口急増による生活排水の増加などの影響により20世紀後半に水質がきわめて悪化したが、流域の下水道の普及などにより水質は次第に改善した。 現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み、綾瀬川同様、毛長川に注ぐことで水質を改善する試みが行われている。、、、、川を越えたら、見沼代親水公園駅がある

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● 日暮里舎人ライナーの終着駅「見沼代親水公園駅」に到着。 東京23区内最北端の駅、平成20年(2008)の開業。

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2023年12月14日 (木)

秩父(町歩き)

昨夜は和銅鉱泉に泊まり、今日(12/14)はのんびり秩父の町を歩いて見た。




● 宿の車で和銅黒谷駅まで送ってもらい、2つ先の駅:秩父駅へ向かう。

・・・・・・・・・・ 和銅黒谷駅で電車を待っていると、ホーム向かいの待避線に秩父鉄道デキ100形電気機関車が石灰石を積んだ貨車を牽引して入線してきた。 デキ100形は、第二次世界大戦後(1951~1956)に日立製作所が日本各地の私鉄や専用線に供給した50t級電気機関車の一つで、秩父鉄道には3両が現存している。、、、、シャッター・チャンス!

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・・・・・・・・・・ 秩父鉄道の秩父駅は、大正3年(1914)10月27日に当時の上武鉄道(現:秩父鉄道の前身)が秩父までの延伸に伴い開業した。、、、、現在は島式ホーム1面2線を有する地上駅。 ホームと改札口は地下通路により連絡している。 駅舎はホームの西側にあり、秩父地域地場産業振興センター(地場産センター)を兼ねている。、、、、かつての木造駅舎(国登録有形文化財)は昭和59年(1984)に、駅北東の公園内に移築し保存されている。 見に行きたいと思ったが、平日は内部を公開していないそうで諦めた。 残念!

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● 秩父市内観光の始めは、昨日訪れた浦山ダムの天端(本体の一番上の部分)のデザインで、モチーフにした旧秩父橋を見に行くことにした。、、、、旧秩父橋(二代目の秩父橋)は、昭和6年(1931)に竣工した鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋で、橋長134.6m、幅員6m、現在は人道橋として利用している。 県内では初期の大型コンクリートアーチ橋で、貴重な近代化遺産の一つである。 旧秩父橋の隣りには、明治18年に架設された初代秩父橋の橋脚部分が残されている。、、、、(小さな写真は、浦山ダムの天端)

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● 旧秩父橋から秩父駅に戻り、駅の近く、秩父夜祭の屋台を展示する「秩父まつり会館」を見学。、、、、高さ15m前後の屋台の展示と3Ⅾ立体映像による秩父市内の各祭りの紹介、そして夜祭りの資料展示。、、、、祭りの雰囲気を十分堪能でき、祭り気分で会館前の秩父神社へ直行!

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秩父神社は秩父まつり会館の前に鎮座する。、、、、秩父地方の総社で、創建は二千年前と言われています。 知恵の神様とされる八意思兼金命をはじめ四柱の神々をお祀りする本殿は埼玉県重要文化財。 徳川家康が再建した権現造りの本殿、幣殿、拝殿が並び、なかでも左甚五郎作の「つなぎの龍」は有名。また、「子育ての虎」、「お元気三猿」も人気があります。 秩父神社の例大祭は世に名高い秩父夜祭(12月2・3日)である。、、、、社殿の彫刻は、派手な色使いで綺麗で、表情は漫画チックで面白い! 一言、冗談でもいいたくなるね!

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● 秩父神社の周辺には、江戸、明治、大正、昭和の建築が数多く残されている。 ダイジェストのダイジェストで、チョッピリ紹介する。 なお、全て国登録有形文化財。、、、、順に、秩父ふるさと館そば処入船旧大月旅館別館旧岩田醫院小池煙草店カフェ・パリー安田屋旧片山醫院御花畑駅(副駅名:芝桜駅)

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● 街歩きも疲れてきた、夫婦で蕎麦屋に入りひと休み。 疲れが取れ、腹ごしらえもOKだ! 観光客が行きそうな処からチョイトはずれて、市役所の近くにある「ちちぶ銘仙館」へ行く。、、、、ちちぶ銘仙館は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管及び展示し、これらの資料を永く後世に伝え、あわせて、伝統的技術を継承することを目的として設置された施設。 秩父銘仙の製作工程のガイド、体験教室や製品のショップなどもある。、、、、建物は、秩父絹織物同業組合(現:秩父織物商工組合)が昭和5年(1930)に建築したもの。 埼玉県繊維工業試験場として使われてきたが、秩父銘仙を伝承する施設として、平成28年(2016)にリニューアルオープンした。 建築家フランク・ロイド・ライトが考案した大谷石積みの外装や昭和初期の装飾を生かした建物として、国の登録有形文化財に登録されている。、、、、見学者は少なく、私達夫婦の為に銘仙の作り方をレクチャーして頂いた。 御礼のつもりか(?)帰りには妻が銘仙の生地を買い求めていた。

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● 帰りは西武秩父駅から特急で池袋へ、、、、秩父鉄道の秩父駅とは離れた位置にあり、乗換はできない。 近くに秩父鉄道の御花畑駅があり、ここで乗り換えができる。、、、、西武秩父駅は昭和44年(1969)10月14日に、埼玉県立秩父農工高等学校(現:埼玉県立秩父農工科学高等学校)跡地に開業した。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線の地上駅。 平成35年(2017)にリニューアルされた西武秩父駅はグッドデザイン賞を受賞したモダンな駅だ!

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2023年12月13日 (水)

秩父(浦山ダム)

今年は、ほぼ毎月のように夫婦で温泉旅行をしてきた。 その〆として、今年最後の旅行先を埼玉県秩父の和銅鉱泉とし、13日に行ってきた。 近場の温泉(鉱泉)なので宿の予約だけ優先し、観光ルートなどは決めておらず、当日のぶっつけ本番旅となった。

 

● 目的地の和銅鉱泉は秩父市にあるので、東京(池袋)から西武鉄道(池袋線・秩父線)を利用すれば2時間弱で着く処だ。 しかし閑な夫婦の旅なので、東武東上線を利用して寄居まで行き、寄居から秩父鉄道に乗換え、車窓から長瀞を眺め荒川沿いに遡り秩父へ行くことにした。、、、、寄居には10時頃到着し、このまま秩父鉄道の和銅黒谷駅で下車して宿に向かうには早すぎる。 秩父の町は明日観光することにしていたので、今日は秩父駅から3駅先にある浦山口駅で下車し、浦山ダムを見に行くことにした。

・・・・・・・・・・ 東武鉄道の8000系リバイバルカラーの車両(1981年製)で寄居駅に到着。 旧東急のステンレスカーであった、秩父鉄道の車両に乗換える。、、、、東武鉄道、秩父鉄道、JR八高線が乗り入れる寄居駅、山並みが見える構内は広い! 

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・・・・・・・・・・ 秩父鉄道の浦山口駅(うらやまぐちえき)にて下車する。、、、、昭和5年(1930)3月15日に開業した駅は、昨年まで業務委託駅であったが、ICカード「PASMO」の利用が可能となり、無人駅となった。 ここ数年、1日平均乗車人員は約90人である。、、、、木造の小さな駅舎に、誰もいないホーム、のんびりした雰囲気が流れる駅。、、、、ホームから正面の山中にダムの堤頂を眺めることができる。

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・・・・・・・・・・ 駅からはダムの下まで歩いて行く(タクシー、バスなんてありません!) 歩く道には、人影は無し、車は数台、猿は数十匹。 ダムの下まで緩やかな上り坂を歩くこと20分。 チョイト疲れた!

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・・・・・・・・・・ ダムの下に、一般開放された監査廊(浦山ダムの歴史を解説したパネル展示)があり、さらにダムの底部に設置されているダムのたわみを計測するプライムラインを見ることができる。、、、、妻はダムの監査廊を歩くのは初めて、ワクワク、ドキドキ!

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・・・・・・・・・・ ダムの底部から堤頂まで、ダム本体の中を一気に上る昇降行程132.6mのエレベータがあり、あっという間にダム堤頂に出ることができる。

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・・・・・・・・・・ 浦山ダム(うらやまダム)は、埼玉県秩父市、荒川水系浦山川に建設された重力式コンクリートダムである。 浦山ダムは、荒川の洪水調節・東京と埼玉の水道用水・埼玉県営の発電・河川環境の保全を目的として造られたそうだ。 ダム建設は昭和47年(1972)の予備調査開始から始まり、昭和65年(1990)から本体工事が進められ、平成10年(1998)に28年の歳月を掛けて完成にこぎ着け、翌平成11年(1999)より使用を開始した。、、、、ダムの諸元は、ゲート:自然調節方式、堤高:156m(重力式コンクリートダムとしては、奥只見の157mに次ぐ全国2番目の高さ)、堤頂長:372m、総貯水容量:5,800万㎥m3、管理者:水資源機構、本体施工業者:飛島建設・間組・竹中土木、、、、堤頂を歩き、ダムの大きさを実感する、スゲ~~!! 秩父の町が一望できる。

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・・・・・・・・・・ 浦山ダム資料館のレストランでは「浦山ダムカレー」を、美味しく頂く。、、、、隣でダム管理所の職員も美味しそうに食べてた、浦山ダムラーメンも名物らしい!

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・・・・・・・・・・ ダム見学も終え浦山口駅に戻る

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● 再び秩父鉄道に乗り、和銅黒谷駅(わどうくろやえき)で下車する。、、、、和銅黒谷駅は、大正3年(1914)10月27日、黒谷駅として開業し、平成20年(2008)に和銅黒谷駅と改称した。 島式ホーム1面2線の地上駅。 一日の平均乗車人員は200名程と少なく、無人駅である。、、、、日本通貨発祥の地とされている。「和銅開珎」で有名な和銅はこの駅の近くで採掘されていたそうだ。 ホームには「和同開珎」のモニュメントが置かれてる。

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和銅鉱泉は、武田信玄公が和銅金山を開始した当時より開業したと称する古き歴史を有しているそうで、昔、この鉱泉を目薬や切傷に使用し特効したという伝承から、“薬師の湯”と呼ばれているそうだ。 本日のお宿「ゆの宿 和どう」で、熱い湯に入り、美味しい食事に、暖かいもてなし、今年の夫婦二人旅を締めくくる。

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