埼玉県

2021年4月21日 (水)

谷塚の寺社

連日の晴天で、気分はコロナを忘れそう。 今日は東武伊勢崎線で東京都から埼玉県に入って最初の駅:谷塚駅から歩くことにした。 谷塚駅から伊勢崎線の西側を南下し、谷塚橋を渡り足立区に入る。 足立区入ると伊勢崎線の東側に建ち並ぶ都営竹の塚7丁目アパートを抜けて竹ノ塚駅まで歩いた。 1万1千歩




● 東武伊勢崎線で最も東京寄りの駅が谷塚駅である。 「谷塚」は“たにづか”とは読まず、“やつか”と読む。 所在地は埼玉県草加市で、浅草から所要30分と近い、もちろん駅周辺には、マンション、アパート、住宅などが並ぶ、東京のベッドタウンであるが、知名度は低い。 都会の人間を呼び込むような施設は何もない駅! 東口側は駅前ロータリーがあるが、西口側は広い空き地となっている。、、、、駅は大正14年(1925)10月1日に開業。

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● 谷塚駅から南西へ500m程、住宅地の中に真言宗豊山派寺院の長久山宝持院がある。 宝持院は、江戸時代初めに建立された寺院で、以来谷塚地区の方々の菩提寺として、宝灯を守っている。 本尊は大和の長谷寺の十一面観音を模した御丈八尺有余の金色に輝く大観音さま。 現本堂は、平成4年(1992)に建てられた。、、、、緑豊かな境内には四季折々の花が咲くそうだ。 今はツツジ。

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● 宝持院から国道4号(日光街道)を越えると「谷塚氷川神社」がある。 神社の創建年代は不詳だが、江戸時代の創建と思われる。

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● 谷塚仲町を流れる辰井川に朱塗りの氷川橋がある。 氷川橋は「草加八景」に選ばれた「辰井川十橋」のうちの1つ(隅田川十三橋は知ってるが、辰井川十橋なんて知らないね!)、、、、橋の際には小さな社の氷川神社がある

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● 氷川橋の際には寺もある、その名は曹洞宗寺院の「中野山常福寺」、、、、常福寺は、心應祖傳和尚(天正19年寂)が開山となり天正7年(1579)に創建した。、、、、参道の脇には、彫りの深いスバラシイ庚申塔(天文8年(1539)の銘あり)が2基で御出迎え。

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● 埼玉県と東京都の境を流れる毛長川を谷塚橋で越えて、寺院が軒を連ねる足立区東伊興の町に入る。、、、、伊興寺町はコチラ

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● 足立区に入り、伊勢崎線の東側にまわると、都営西保木間四丁目アパート、都営竹の塚七丁目アパート、都営竹の塚アパート、竹の塚第3団地など、都営住宅・旧公団住宅が線路沿いに竹ノ塚駅まで続く!、、、、昭和40年代は憧れの集合住宅だった。 そんな住宅も今は老朽化し、アチラコチラで建て替えラッシュ。

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竹ノ塚駅東口に着いた、高架化工事が終わるまでは仮駅舎。

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2020年11月28日 (土)

名前に魅せられて

今日はチョイト早起きして、埼玉県草加市の北東、中川の岸にある女体神社(草加市柿木町)へ行ってきた。 社名から想像すると、何やら艶めかしい気がするが、実体はゴク普通の神社である。 いずれの女体神社も主祭神は、櫛名田比売(くしなだひめ)、伊弉冉尊/伊邪那美命(いざなみのみこと)など女神である。 女体神社は、草加・越谷・春日部・松戸付近に分布する。 また、神奈川県川崎にも数社ある。 10数年前、「武蔵国一宮」を称するさいたま市緑区の「氷川女体神社」へ参拝したのを始めとして、川崎の「女体神社」、越谷川柳町の「麦塚女体神社」など、これまでに数社に参って来た。、、、、いずれも、生身の女体に手を触れることもなく、静かに、真剣に、祈願する。 ご利益は、女の神様ということもあって、恋愛・結婚成就、良縁祈願、安産祈願、そして子孫繁栄、などが相場!

東武伊勢崎線の新田駅で下車し、ひたすら東に向かって歩き中川の岸まで、約6kmの散歩です。 1万3千歩。




● 北春日部行きの普通列車で新田駅に到着。 北千住から乗ってきた車両番号は「77707」、残念だがオール7とはいかなかったが、縁起の良さそうな番号だ、帰りに宝くじ買おう! 「77707」の車輛は、2018年1月、近畿車輛(徳庵工場)で製造された東武鉄道 70000系 ( モハ77700形 )、グッドデザイン賞を受賞車両、チョイト鉄道オタク的に紹介。、、、、江戸時代の開墾により関東平野には多くの新田が生まれ、草加市域だけでも「新田」と呼ばれた村は120ヵ村にのぼった。 新田駅付近では、明治時代に9ヵ村を合併して新しい村が誕生した、合併した村のうち6ヵ村が近世の新田開発で生まれた村であったところから、新たな村を「新田」と命名し駅名にもなったそうだ。 駅の開業は明治32年(1899)12月20日。、、、、現在は一日当たりの乗降人数約32,000人、普通列車しか停まらない高架駅。

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● 駅から、ひたすら東に向かって歩く。 東京都葛飾区の中央を北から南に流れ、江戸川区西葛西付近で荒川に合流し東京湾に注ぐ中川の岸(草加市柿木町1)まで、約5.5km程ある。
・・・・・・・・・・・・新田駅東口前は一応ロータリが造られ、良く言えば“昭和レトロな飲食店街”もあるが、悪く言えば“店は狭く寂れた感じの飲み屋が数軒”、これでは東京のベッドタウンの駅前とは言えない! どうやら再開発するようだ、駅前の区画整理事業が始まっている。

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・・・・・・・・・・・・駅前から、「そうか公園通り」と呼ばれる両側一車線のバス通りを歩く。 この道のどん詰まりが中川である。、、、、まずは、綾瀬川に架かる「槐戸橋」を渡る。 さて、「槐戸」と書いて何と読む? 難読、「さいかちど」と読むのです。 サイカチ(梍・皀莢)は、マメ科の落葉高木。 “槐”は、本来「エンジュ」と読み、鬼門除けなどに使われるりマメ科の高木。 “梍”と“槐”は、ともにマメ科の木で、漢字も似ており、どうでもいいから『一緒にしちゃえ』で、“槐戸”と書いて「サイカチド」になったようだ。 橋の東側の八幡町はかつて「槐戸村」と呼ばれたそうだ。、、、、橋の親柱にカブトムシがいる、なぜ? カブトムシは梍(さいかち)の樹液が好きな虫で、「サイカチ虫」と呼ばれることもあるそうだ。、、、、【ついでの話】 現在の東京都台東区千束3丁目、板橋区西台、神奈川県藤沢市高倉のいずれにも小字名として「槐戸」があったそうだ。(雑学に強くなるブログは雅万歩!)
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・・・・・・・・・・・・草加市八幡町、法務局、そうか公園通りの標識前、現役の赤いポスト前、古綾瀬川に架かる古川橋、葛西用水に架かる青上橋(せいじょうばし)、川柳小学校と、通り過ぎていく。

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・・・・・・・・・・・「八条用水橋」を渡ると、左手に「そうか公園」が広がる。、、、、その先で、東埼玉道路(=国道4号)を横断するのだが、道路には幅20m程もある中央分離帯があり、全体の幅は40m以上。 横断歩道の手前に『歩行者は青信号2回で渡って下さい』と書いてある。 実際、私が横断を始めると、中央分離帯で信号が赤になった!

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・・・・・・・・・・・・埼玉県柿木浄水場を過ぎると、「女体神社(南)」交差点。 ここはT字路で、歩いてきた「そうか公園通り」の終点。 交差点正面の民家の裏には、中川が流れている。 対岸は埼玉県吉川市。

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● 本日の目的地である、「柿木女体神社」に着いた!、、、、柿木女体神社は、伊弉冉尊を祀り、柿木の鎮守として人々に厚く敬われてきた。 柿木は、中川沿いに下妻街道があり、草加市内にあって最も古くから開発された土地といわれ、伝承では、この土地の開発の祖を豊田氏と伝えている。 豊田氏は、平将門の伯父国香を祖とし、下総国豊田荘の地頭を務め、のち石毛に本城を構えた。しかし、天正3年(1575)城主豊田治親が恒例の雷電神社参拝の時、下妻の多賀谷氏の侵略にあい、治親は討たれ本城も陥ちてしまった。 残された婦人と遺子は急変により石毛を捨て縁をたよってここ柿木まで落ちのび、この地を永世の地と定めたというのである。 豊田氏は信仰心厚く、殊に筑波山女体神社を崇拝していた。 それによって分霊をこの地に勧請し創建したのが当尿体神社である。 社殿は北方、筑波山に向けて建てられている。、、、、ここは無人の神社。 若い巫女さん(学生アルバイトでもOK)でも居て、女体を模った根付け、キーホルダー、お守りでも売っていれば、買ってあげるのだが、残念!

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・・・・・・・・・・・・これで、また一ヵ所の女体神社を制覇した! まだ、10ヶ所以上の女体神社が残っているので、私の「女体神社巡り」は、まだまだ続く。



● 来た道を、浄水場の先まで戻り、バスで新田駅へ向かう。

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2020年11月18日 (水)

戸田橋と荒川橋梁

一昨日笹目橋を渡り戸田公園駅まで歩いたので、今日は戸田公園駅から戸田橋を渡り浮間舟渡駅まで、1万2千歩の散歩です。




● 赤羽で埼京線に乗換て戸田公園駅まで来た、我が家(浅草橋)からは所要時間:約40分。 多くの通勤客の移動方向とは逆なので、電車は比較的すいており座れた。 都心に向かう電車は乗車率120%ぐらい、着席するのは無理だね!、、、、戸田公園駅に到着した時、反対側のホームに上り(都心方面)列車が停まっており、見ると・ナント!相鉄線直通の海老名行きであった。 武蔵浦和駅始発で新宿・大崎・武蔵小杉・西谷経由で相鉄線の海老名駅まで、所要時間:1時間36分の列車である。 埼玉県のベッドタウンから都心を貫いて神奈川県のベッドタウンまで、端から端まで乗る人は、どんな人かチョイト興味が湧いてきた。(きっと、私ような鉄道オタクのヒマジンかな)

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● 駅から戸田橋へ向かう前に、戸田漕艇場地蔵堂に寄ってみた。、、、、、、

・・・・・・・・・・・・まずは、漕艇場の手前にある戸田橋親水公園に保存されている「三代目戸田橋の親柱」を見る。 三代目戸田橋は、長さ545m、幅11m、当時の橋梁技術の粋を集めた近代的な鉄製トラス橋で、完成当時は日本一美しい橋として話題を呼んだそうだ。 親水公園には、三代目戸田橋の埼玉県側の親柱一対が移設されている。、、、、戸田橋の設計者は、昭和初期の著名な橋梁設計士であった増田淳であり、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、凝ったデザインが目を引く。 橋は総工費101万9000円で、昭和7年(1932)に完成した。 現在の戸田橋の完成後、昭和53年(1978)に撤去された。

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・・・・・・・・・・・・戸田橋親水公園の前に、長~い戸田漕艇場が見える。両側には、大学・企業の艇庫が並ぶ。 コロナの影響か(?)、練習している姿が見えない!、、、、オリンピックに向け、選手強化は大丈夫か?

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・・・・・・・・・・・・新幹線・埼京線の高架橋を抜けて、漕艇場とは反対側の戸田市川岸1丁目の「地蔵堂」に寄る。 この地蔵堂は、ナント・戸田市最古の木造建築である。 江戸時代の「中山道分間延絵図」にも記されているそうだ。、、、、墓地には、これまた古そうな、庚申塔・板碑・地蔵・墓がゴロゴロ。 “戸田市最古”では、重要文化財にならないのかな!(国・県・市のいずれも無指定)

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・・・・・・・・・・・・地蔵堂の南、荒川の土手下に「水神社」がある。 神社の創立など詳細は不明だが、御神体の「水神宮」の石碑には寛政8年(1796)の銘がある。 古くは荒川の端にあったもので、新堤防ができてから移され、川岸に住む人々の氏神様のようになっていた。、、、、小さな神社で、かつて渡しがあった時代、街道脇に祀られていたのかも?

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● 荒川には、国道17号(中山道)を通す戸田橋が架かり、その下流側にはJR東北新幹線・埼京線の荒川橋梁が並行して架かっている。
・・・・・・・・・・・・・・現在の戸田橋は、昭和53年(1978)8月13日に完成した、橋長519.0m、幅員21.0mの鋼連続箱桁橋。 四代目の戸田橋である。、、、、初代戸田橋は、明治7年(1874)に民間人が私財を投じ戸田橋の工事に着手した。 途中資金不足で、オーナーは変わったが明治8年(1875)に木製、橋長136.0m、幅員4.2mの戸田橋が竣工した。 通行は有料であった。、、、、二代目の戸田橋は、初代の橋が傷んだため、東京都と埼玉県が資金を折半し、大正元年(1912)に木製の土橋に架け替えられた。 橋長129.0m、幅員5.0m。 大正12年(1923)の関東大震災と翌年の大水で破損した。、、、、三代目の戸田橋は、先に説明した通り、昭和7年(1932)に完成し、昭和53年(1978)に撤去された。

・・・・・・・・・・・・・・戸田橋から下流に70m程離れて、東北新幹線・埼京線が走る複々線の荒川橋梁が架かっている。 橋長は521.2m、総幅員20.7m、最大スパン86.7mの鉄道橋。 工費は約100億円。 橋梁の開通は、先ず昭和60年(1985)3月14日の東北新幹線部分の供用が開始され、次いで昭和60年9月30日に埼京線部分の供用が開始された。


・・・・・・・・・・・・・・まず埼玉県戸田市の土手から、右(上流側)に戸田橋、左(下流側)に荒川橋梁が見える。(橋上に外路灯がたっているのが戸田橋、架線柱がたっているのは荒川橋梁)

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・・・・・・・・・・・・戸田橋を渡る


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・・・・・・・・・・・・東京都板橋区の土手から、左(上流側)に戸田橋、右(下流側)に荒川橋梁が見える。

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● 戸田橋を渡ると、JRの高架橋は大きくカーブして、浮間舟渡駅に向かう。 浮間舟渡駅は北区浮間と板橋区舟渡にまたがる駅。(ホームの中程に区境があるようだ) 昭和60年(1985)に埼京線の駅として開業。 島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームからは隣に並走する新幹線が良く見える。、、、、サラリーマン時代には、東北方面へ出張した帰り、夜、大宮を過ぎるとマンション・団地の明りが灯る夜景の中に、浮間舟渡駅の駅名が見えると、『あ、東京に入った、もうすぐ上野だ!』とホッとする思い出がある。

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2020年11月16日 (月)

終点、西高新平

地図を眺めていたら笹目橋を渡って埼玉県に入ってみたくなり、今日は都営三田線の終点:西高島平駅から笹目橋を渡りJR埼京線の戸田公園駅まで、1万歩の散歩です。




● 巣鴨でJR山手線から都営三田線に乗換て、約23分で西高島平駅に到着。 我が家(浅草橋)からは、約50分要する、“散歩”にしてはチョイト遠いね!、、、、三田線の終点:西高島平駅は相対式ホーム2面2線の高架駅である。 列車は両方のホームから交互に発車するので、先発列車がどちらのホームから出るか、乗る前に確認する必要がある。 ホームの先に、国道17号新大宮バイパスの上を走る首都高5号が至近距離にあるため、列車停車位置から車止めまでの過走距離は短かく、停車位置に止まらずオバーランすると、車止めに激突する確率は高い! 事故が起きないように慎重に運転して欲しいね。、、、、駅名の“西高島平”は地名としては存在せず、高島平の西端の駅という意味合いらしい。 駅から西へ400m程歩けば埼玉県和光市である。 

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● 駅から大宮バイパス沿いに北へ500m程歩くと笹目橋(ささめばし)がある。 笹目橋は、東京都板橋区高島平と埼玉県戸田市堤外の間で荒川および新河岸川(下流で隅田川に合流)に架かる橋。 国道17号新大宮バイパス上り線の橋と下り線の橋と、それらの間にある首都高速5号池袋線の橋の、計3本の橋の総称である。 上流側から新大宮バイパス下り(4車線+自歩道)、首都高速5号池袋線(上下各2車線)、新大宮バイパス上り(4車線+自歩道)の3本の橋が並んで架かっており、竣工年が最も古い下り線の橋のみ一段低くなっている。、、、、初代の笹目橋は、昭和17年(1942)に開通した、欄干のない木造橋で、河川増水時は水面下に沈む冠水橋だったそうだ。 戦後、昭和29年(1954)には2代目の笹目橋(冠水橋)が竣工する。 昭和39年(1964)に現在の大宮バイパスの下り線に該当する笹目橋第一橋が完成する。 昭和52年(1977)に第二橋(現在の首都高5号線)が、昭和63年(1988)に第三橋(現在の大宮バイパス上り線)が完成する。 全長はいずれも621.7 mの鋼製連続箱桁橋。 戦後も造られた冠水橋、残しておいて欲しかったね!、、、、橋の名前は現在の戸田市南西部にあった、旧笹目村に由来する。

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・・・・・・・・・・・・笹目橋上の都県境は橋の中央ではなく、荒川の右岸より(新河岸川より)にある。 新河岸川は東京都板橋区に属す。 また、埼玉県の部分で、板橋区側の100m程は埼玉県和光市に属し、その北側の左岸までが埼玉県戸田市に属す。 橋上には、都県境、市境の標識が並ぶ。、、、、両岸は板橋区と戸田市なので、橋上の和光市の標識は“不要”と思う人もいるだろうね。 私もその一人!

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● 笹目橋を渡り戸田市に入ると、県道68号(オリンピック通り)を歩き、戸田公園駅に向かう。、、、、「オリンピック通り」は、1964年東京オリンピックの漕艇競技場(現在:戸田漕艇場)までの交通のために整備された道路である。 道路の両側は大型の工場・倉庫とマンションが並び、興味を引くものもない、面白くない道だ。 ひたすら歩くだけ!

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オリンピック通りは私をJR埼京線戸田公園駅まで誘導してくれた!、、、、昭和60年(1985)9月30日に国鉄の駅として開業。 島式ホーム1面2線とその外側に2線の通過線を有する高架駅。 快速の停車駅で、新宿まで23分と便利な処なので、駅周辺にはマンションが並んでいる。
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2020年10月18日 (日)

谷在家アパート

今朝の天気お姉さんは、関東地方南部は曇り、北部は晴れ間もありそうとの予報。 それを聞いて妻がすかさず、『舎人ライナーで北へ行ったら』 この一言で決まり! 日暮里舎人ライナー谷在家駅から、西へ向かって埼玉高速鉄道川口元郷駅まで、約5km、1万3千歩の散歩です。




日暮里舎人ライナーの谷在家駅(やざいけえき)で下車する。 今日は日曜日、降りる人、乗る人、どちらも少ない。 『さて、東西南北いずれに参る?』、駅の案内図を見ながらチョイト考える。 名所も、大型施設も、なにもない西方の川口方面に向かい、歩くことにした。

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● 駅の西側には、昭和43年(1968)に建てられた都営谷在家アパートがある。 12棟(578戸)の集合住宅。、、、、建てられた当時、日暮里舎人ライナー(平成20年(2008)開業)は開通しておらず、都バスで最寄り駅(竹ノ塚、西新井など)に出たと思うが、きっと、陸の孤島だったであろう。 陸の孤島も40年後には駅前団地となった!

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● 都営住宅の西に浄土宗寺院の清徳寺がある。、、、、慶長16年(1611)に両国矢ノ倉(現:中央区東日本橋)に創建され、正保元年(1644)浅草に移る。 文化3年(1806)江戸の大火により類焼し、大正12年9月関東大震災のため本堂・庫裡・山門・鐘楼など、ことごとく焼失した。 昭和8年(1933)に現在地へ移転。 現在の本堂は昭和15年(1940)に建てられた。 広い墓地に比べると、本堂はチョイト小振りである。

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● 秋空の下、特に話題となるものもない道を、たんたんと西へ歩く。

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・・・・・・・・・・・・足立区加賀2丁目、首都高川口線の脇に二社、加賀稲荷神社加賀天満宮が向かいあってあった。、、、、加賀稲荷神社の創建は不詳。 嘉永の頃(1848~1853)に現在地に遷座して村の鎮守とした。、、、、小さな社の加賀天満宮は加賀稲荷神社の境外末社。

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● 首都高川口線の下を抜けると、その先は埼玉県川口市であった。 この付近は、首都高が県境となっている。

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・・・・・・・・・・・・川口市に入ると、スグに新芝川に架かる「花の枝橋」を渡る。、、、、橋の上に、何だか訳の判らんオブジェの柱が並ぶ奇妙な橋。

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・・・・・・・・・・・・川口駅に向かって歩く道、今日は日曜、工場が休みですいている。

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・・・・・・・・・・・・川口市の公園・公共施設に鋳物の柵が使われていた。 柵の中央には市章もデザインされ、さすが鋳物の街!

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● 川口元郷駅に近くに、元郷氷川神社がある。、、、、16世紀中頃の創建で、室町期の武将:平柳蔵人が大宮氷川神社を勧請したことに始まる。 創建当時は武蔵國四之宮と称されていた。 そのためか、当神社には「四ノ宮 氷川大明神」と記された社号額が存在する。 主祭神は素盞嗚尊で、相殿神は市杵島姫命。 父娘神であることから、子宝成就・子孫繁栄の神様として崇敬を集めている。 また、狛犬が安産に霊験があるとされ、狛犬の頭やお腹を撫でる妊婦もいるそうだ。、、、、今日は例大祭の日であったが、コロナのため神輿の御渡り・カラオケ大会は中止、役員のみの神事が行われていた。 役員の中には、自分のお腹を撫でる男性もいた。


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● 埼玉高速鉄道線の川口元郷駅(かわぐちもとごうえき)から帰ることにした。、、、、平成13年(2001)3月28日に開業した、島式ホーム1面2線の地下駅。 ここから隣りの東京メトロ赤羽岩淵駅までは、2.4kmで乗車3分、運賃210円、チョイト高いね!

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2020年10月 7日 (水)

最北の都営アパート

明日からは台風14号の来襲で、天気は荒れ模様。 今朝はまだ晴れているようなので、東武伊勢崎線谷塚駅から、つくばエキスプレスの八潮駅まで歩く予定で家を出た。 途中、花畑の団地で地元の人と話がはずみ、タイムオバーとなり、散歩はココまでとした。 団地からバスで谷塚駅まで戻り帰宅。 1万歩の散歩です。




● 東武伊勢崎線の谷塚駅(やつかえき)は、今から95年前の大正14年(1925)10月1日に開業した。 昭和63年(1988)から、上下線外側にそれぞれ通過線を持つ、島式ホーム1面4線の現在の高架駅となる。 現在、谷塚駅発着の電車は全て地下鉄日比谷線直通の普通列車である。 都心へ“お急ぎの人”は西新井駅・北千住駅で急行などに乗り換える必要がある。 コロナの感染予防に、“密”を避け、空いている普通列車でのんびり出勤すればいいのにね!

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・・・・・・・・・・・・・・住民の要望で、大正14年、谷塚駅は開業したそうだが、当時の駅周辺は湿地帯であったそうだ。 都心へわずか30分という立地条件から、昭和40年(1965)頃から急速に開発が進んだ。 特に、昭和37年(1962)に地下鉄日比谷線の乗り入れが始まると、利用者は急増した。 現在は、一日平均乗降客数:約39,000人の駅である。 駅前の案内プレートにあった昭和33年の谷塚駅

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● 谷塚駅の東側に広がる「瀬崎」の町を歩く。 瀬崎の町は、谷塚駅と伝右川の間に位置し、伝右川のさらに東側は東京都足立区である。・・・・・

・・・・・・・・・・・・谷塚駅東口から150m程歩くと、瀬崎浅間神社がある。 神社の創建年代は不詳だが、他所に祀られていた当社を明暦年間(1655~1657)に現在地へ遷座したと云われている。 明治6年には村社に列格、明治40年・明治42年に周辺の無格社9社を合祀したそうだ。、、、、現在の本殿は天保13年(1842)に再建されたもので、木彫は宮彫刻の粋といわれている。(本殿は網で覆われ、彫刻も判りずらい)、、、、社殿の東側には小御嶽神社(瀬崎の富士塚)と云われる、見事な富士塚がある。 高さ4m、幅10m程。 登山禁止だが、登りたくなるね!


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・・・・・・・・・・・・瀬崎の裏道を行く、、、、秋晴れの下、気持ちよく歩く!

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・・・・・・・・・・・・特筆すべきものがない、浄土宗寺院の松林山西往寺に立ち寄る。 西往寺は、三蓮社宝誉義山が開山となり、元和6年(1620)西性寺と号して創建したそうだ。

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・・・・・・・・・・・・西往寺のチョイ先には追手風部屋がある。 遠藤・大栄翔・大翔鵬・翔猿などの力士がいるのだが、誰も見えない、巡業中か?、、、、それにしても、両国(国技館)からは、チョイト遠いね、場所中、通うのが大変そう!

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・・・・・・・・・・・・谷塚駅からはか、大分外れた伝右川に近い場所にある。 洲崎稲荷大神は、語り伝えによると、「この稲荷様は、大雨の時、伝右川に御神体が流れ着いたので、それを奉った」ことが、始まりとらしい。(ホントか?)

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・・・・・・・・・・・・草加市の南東端(瀬崎6)となる伝右川沿いに、東京ガス草加整圧所の巨大なガスタンクが二基並んでいる。 川の向こうは東京都足立区となるので、草加市の外れに近い。 同じ敷地内に、何やら鉄塔も立っており、見上げてるとゴジラとか怪獣が登場しそうな雰囲気である。、、、、もし、このタンクが爆発したらその被害はどれ程になるのか? 怪獣が暴れないことを願う! 
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・・・・・・・・・・・・伝右川(中央)岸に立つ鉄塔、左手前の建物は草加市スポーツ健康都市記念体育館

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・・・・・・・・・・・・花畑第四アパートから見る東京ガスのガスタンク(中央の体育館の後ろに球形のタンクが見える)

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● 伝右川を越えると、足立区の北端である花畑第四アパート(はなはただんち)がある。、、、、花畑第四アパートは、足立区花畑の綾瀬川と伝右川に挟まれた足立区最北端の地にあるアパートです。 昭和46年(1971)の建設、管理戸数1004戸(全22棟)の都営住宅。、、、、花畑地区には、この他にも複数の「花畑〇〇アパート」と称する都営住宅がある。 また、旧住宅公団(現:UR都市機構)が運営する花畑団地(80棟、2700戸)と称する大規模団地もある。、、、、今日の散歩は八潮駅まで歩く予定であった、それ故、花畑第4アパートを見るつもりもなかったが、通りかかった次いでにチョイトお立ち寄り!(これが予定を狂わせた) 

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・・・・・・・・・・・・草加市スポーツ健康都市記念体育館から、伝右川の対岸に見える花畑第四アパート(団地)

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・・・・・・・・・・・・10階から北側のアパートを見る、、、、団地の後ろは八潮市。 左端の鉄塔は草加市。

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・・・・・・・・・・・・団地の中をウロウロ、、、、人影は少ない。 みんな、会社・学校・保育園、年寄りは老人ホーム・デイサービス。 居るのは空き巣かな?、、、、そんな団地の中で、団地の住人(高齢男性)と話が合い。 中高年の病気自慢合戦となった。 病気自慢なら自信があるので、時間を忘れ勝負する。 もちろん、私の勝ち。 続いて、病院(医者)の悪口、これには地元の病院を知らない私は聞き役。 終わってみれば、1時間のタイムロス!

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・・・・・・・・・・・・もう、八潮駅へ行くことはあきらめた! 最北端の都営住宅:花畑第四アパートの22号棟を見て帰ることにした。 この建物の北側は八潮市である。

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・・・・・・・・・・・・団地内の「花畑桑袋団地」バス停から、谷塚駅へ戻り帰る。

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2020年9月13日 (日)

獣一面観音って?

昨日、新しい『東京都シルバーパス』が送られてきた。 このパスは年間2万円程払うと、東京都交通局のバス・地下鉄・都電・日暮里舎人ライナーと、都内を走る主要路線バスが乗り放題となる。 早速、パスが使えるか試すため、日暮里舎人ライナーで見沼代親水公園まで乗ってきた。 チャンと自動改札機も通過し、パスが偽物でないことも確認でき、ひと安心!

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今日の散歩は、見沼代親水公園駅(東京都足立区)から、北に向かい峯ヶ岡八幡神社に近い“川口市大字東貝塚”まで歩き、「大竹」バス停から川口駅にでて帰宅。



● コロナ禍の日曜日、日暮里舎人ライナーは空いていた。 終点、都内最北端の駅、見沼代親水公園駅の改札を新しいシルバーパスで無事通過。、、、、なんだか、もう2万円分乗車した気分で、シルバーパスの元を取った!

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・・・・・・・・・・・・ここからは、東へ(草加・竹ノ塚方面)、西へ(鳩ヶ谷方面)、度々歩いているので、今日は北へ向かうことにした。 駅から200m程北へ歩くと埼玉県草加市、さらに150m程歩くと埼玉県川口市に入る。 ここ見沼代は足立区・草加市・川口市の交点である。 

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● 川口に入り、「川口市 榛松(はえまつ)一丁目」(今まで知ることも無かった住所)の住所表示前の裏道を北上する。、、、、どこに行くのやら、本人も半信半疑で、ただただ歩く!

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● 裏道の五差路に出た。 その角(川口市大字東本郷727)に庚申塔が並ぶ、小堂が立っている。 小堂の中には5基の庚申塔が並び、いずれも風化が進んでいるが、年号の読めるものがある。 享和3年(1803)、元文元年(1736)、天明8年(1788)、元禄2年(1689)など、200~300年前の川口の歴史を語っている。、、、、“江戸時代の川口の農村”て、いわれても想像できないね!

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● さらに、道なりに北上すると、東本郷氷川神社(川口市大字東本郷1249)の正面に出た!、、、、アリャ・コリャ、神社に御挨拶しないと!、、、、当社は、もともと東本郷の南方にある本郷谷下に鎮座していたが、大風が吹き、北の本郷の水田に飛ばされ、現在地に鎮まったと云われている。 風に吹き飛ばされるほど軽い神社だったらしい。(御利益も軽いかも?)、、、、覆屋内の本殿は室町時代の建造、現拝殿は大正14年(1925)の建造。、、、、神社入口には、辰井堀の架橋である享保四年の宮前橋という小さな石橋が残っている。

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● 道は徐々に坂を上っていく。 明治時代に開校した「新郷小学校」、昭和36年から給水を開始した「新郷浄水場」の前を行く。、、、、今日の気温は30℃以下、坂道も楽に上れ、助かった!

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● 坂をあがると、曹洞宗寺院の長久山宝泉寺(川口市大竹)がある。 宝泉寺は、安行吉岡金剛寺四世高庵永薫大和尚を開山に迎え、新井太郎右エ門勝行(慶長15年1610年歿)が開基となり創建したといわれてる。、、、、境内には水子地蔵尊があり、水子供養はぜひ当寺にて!

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・・・・・・・・・・・・境内では、「獣一面観音」に手を合わせてきた。、、、、仏の姿をし、やさしい童顔だが、頭には二本の角がはえた竜らしき顔がのっている。 “十”と“獣”をもじった仏である。

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● 宝泉寺からさらに北へ、川口市安行の近く、川口市大字東貝塚に「新郷貝塚」がある。 縄文時代後期の大規模な貝塚。 原形を留めている数少ない遺跡で、1m以上貝殻が堆積している部分もあり、竪穴住居跡や縄文人の骨も発見されているらしい。、、、、行ってはみたが、“貝塚”は地下に埋め戻され、見えるのは雑草の生えた地べただけ! 面白くない! 帰ろう!

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● 貝塚に近い、大竹バス停から川口駅にでて、帰る。

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2020年7月29日 (水)

単調な道を行く

“新型コロナ”の第2波に突入し、感染者は連日“最高記録”を出している。 私も散歩を自粛し家に籠もろうとするが、気が緩み、チョイトだけならいいだろうと今日も散歩に出てしまった。、、、、行き先の当てもなく地下鉄浅草橋駅のホームに立ち、空いている成田空港行き電車に乗る。 車内で、『今日は松原団地でも見に行こう』と決める。 押上で東武伊勢崎線に乗り換えたが、車中でまたまた気が変わり草加から2駅先の新田で下車し、埼玉高速鉄道の戸塚安行駅まで歩いてきた。 1万2千歩の散歩。



● 空いてる電車はどっち? 地下鉄浅草橋駅で、品川方面行き、押上方面行き、どちらに乗るか迷っていると、島式ホームの両側に西馬込行きと成田空港行きが入って来た。 時刻は7時20分、西馬込行きは途中、日本橋・銀座・新橋を通るので、ケッコウ混んでいる。 向かいの成田空港行きは都心から離れるので、スキ・スキ・空きの空席あり。 “密”を避け、空いている成田空港行きに乗る。、、、、それにしても、まだ7時半前、今からだと、おそらく8時前後に会社に着くのでは? 皆さん出社が早いのでは? それとも、家に居られない事情でもあるのか?

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● 草加駅から北へ2つ目、普通電車しか停車しない「新田駅」。 しかし、駅の開業は早く、明治27年(1894)12月20日に埼玉県北足立郡新田村に開業した。 その後、駅は廃止となるが、大正14年(1925)11月10日に再開する。、、、、島式ホーム1面2線の高架駅。 ホームの両外側には特急・急行など通過列車用の線路がある。、、、、時刻は8時、ホームには通勤・通学客が電車を待つ。 今から都心に向かえば、9時過ぎには出社できそうだ!

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・・・・・・・・・・・・駅東口は、駅前ロータリーがある“昭和チック”な郊外の小さな駅と云う感じだ。 大型の商業施設などは無く、飲み屋が並ぶ横丁が駅前にある。

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・・・・・・・・・・・・駅西口は、これまたビックリ・シャックリ・おくちパックリ。 駅前広場が無く、タクシーも止められない。 私営の駐輪場が並んでいる。 1台1ヵ月2200円の料金は、オーナーにとってはいい収入になるね! 100台の利用で月収22万円、笑いが止まらん!

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● 新田駅の北側に、市道「金明通り」がとおっている。 通りは国道4号線と交差すると、「川戸通り」と名を変えさらに西へ向かう。 今日は、天気も悪そうなので、この市道沿いに歩くことにした。 市道は草加市長栄で、県道161号との交差点する。 ここより県道に足を移して戸塚安行駅に向かう。、、、、この辺りは新興住宅街で、私を喜ばせる、変わったもの、楽しいもの、面白いものは無い。 歩き終われば、残念ながら単調な道であった。

・・・・・・・・・・・・まずは、駅から裏道を歩き金明通りに向かう。、、、、所々に田畑が残る。

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・・・・・・・・・・・・金明通りに出る。、、、、草加せんべいのイメージで、草加市のコミニティバス「パリポリくん」のバス停を通過。(残念ながらバスは見られず)

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・・・・・・・・・・・・国道4号を交差し「川戸通り」と名を変える。、、、、「新栄」バス停まで、スタコラサ! 途中、柿の実があった、『アレ、もう秋か? 夏がまだ来てないぞ!』

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・・・・・・・・・・・・県道に入ると、霧雨が肌を湿らす。 『アリャ・コリャ・困った 駅へいそごう!』 草加市と川口市の境である伝右川伝右橋で越える。 伝右川は埼玉県さいたま市見沼区を源に、草加市、八潮市を流れ、東京都足立区で毛長川とともに綾瀬川に合流する一級河川。 この川が、ここ辺りでは川口市と草加市の境界である。、、、、ドブ川ではないが、ホタルが飛ぶ川でもない。

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・・・・・・・・・・・・霧雨は続き、お肌はしっとり潤う。 まだ、すれ違う人も傘はさしていない、いそごう!

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● 着いた、戸塚安行駅! 平成13年(2001)3月28日に開業した埼玉高速鉄道の駅。 駅名は現在の地区名の「戸塚(とづか)」と「安行」をくっ付けた。、、、、島式1面2線のホームをもつ地下駅で、地下1階が改札階、地下2階がホーム階になっている。

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2020年7月20日 (月)

忘れてた八幡さん

● コロナの感染が拡大し、市中感染が恐くなってきた。 三密を避ける行動が大事、わかっちゃいるけど、散歩は止められない! 今日も混んだ電車は止めて、浅草橋から押上経由で東武伊勢崎線に乗ってみた。(都心から離れる方向なので、電車も空いている) 相変わらず、下車駅を決めていないので、車中で地図を見ると、草加と鳩ケ谷の中間地点付近に「峯ヶ岡八幡神社」の文字が目に入る。 『決めた! 草加で下車してここに行こう!』(もちろん、参拝したことのない神社だ)、、、、朝8時過ぎに草加駅に降り立つ。

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● 草加駅から西に向かい歩く。 表通りを避け、なるべく裏道を歩く。(脛に傷ある身でお日さまの下を歩けないからではなく、裏道の方が予期せぬ出会いがありそうだ!)、、、、、「草加市西町」の先で国道4号(日光街道)を横断する。

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● 国道を横断し、再び「西町」を西へ向かうと、真言宗智山派寺院の浄龍寺がある。 浄龍寺の創建年代は不詳だが、元禄年間頃に庵室から一寺となり、浄観寺と号したそうだ。 その後、明治41年(1908)庄左衛門新田字稗田(現:草加市栄町)にあった新龍寺と合併し、浄龍寺と改称した。、、、、大きな寺ではないが、境内は良く手入れされ、心地よく手を合わせられる。 また、墓地は古い墓石が並び、歴史を感じる。


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● 西町の隣り「草加市苗塚町」に入ると、道は蛇行し方向感覚もあやしくなる。 その苗塚町で、住宅一軒程の空き地に舟形の庚申塔のようなものが2基あった。、、、、一基は不動明王像の下に「元禄九年 〇〇〇〇〇居士」(1696年)、もう一基は菩薩像の下に「寛文十一年 〇〇〇〇〇信女」(1671年)と彫られてる。 これは墓だ! ご近所の方に聞いてみると『古くからある墓だが、身分の高い人の墓のようだ、ただし地元の寺でも誰の墓だか判らないらしい』 きっと、仲の良かった夫婦の墓だろう。、、、、私の墓もこれを参考にして、私はミッキー、妻はミニーを彫った墓にでもするか?

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● 庚申塔のような墓の次は、本物の庚申塔が苗塚町にあった。 年代などは不明。、、、、住宅が並ぶ草加市であるが、庚申塔・墓石・道標などが、まだまだ道路脇に残されているようだ。 歩いてて見つけると、思わず『あった~』と叫びたくなるね!

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● 気温29℃、熱中症とコロナを心配しながら、草加市苗塚町から隣の川口市峯の町に入る、暑い・暑い・アッチッチ! あと少しで今日の目的地「峯ヶ岡八幡神社」に着くはずだ! 

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・・・・・・・・・・・・汗がダラダラ、上り坂もダラダラ。 地元のおじさんに聞く「八幡様はどこですか?」 坂の先の森を指し「あの森の中にあるので、ぐるーと道なりに回っていけば神社に出るよ!」、、、、チョイト疲れた!

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● 道なりに八幡さまへ向かうと、神社の手前に天台宗寺院の新光寺がある。、、、、新光寺は御幣山神寶院と号す。 寺は慈覚大師(794~864)が開山となり創建したとも、承久年間(1219~1221)の創建ともいいます。どちらかは判らないので、お好きな方で! また、江戸時代には峯ヶ岡八幡神社の別当寺を務めていた。、、、、小さな本堂、緑豊かに整備された境内、鎌倉の寺のようだ!(ここは、拝観料必要なし)

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・・・・・・・・・・・・境内の一隅には、赤い鮮やかな不動堂もある

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● 新光寺の隣りに、本日の目的地「峯ヶ岡八幡神社(峯八幡)」があった。、、、、峯ヶ岡八幡神社の創建年代は不詳だが、当地谷古田領が鶴岡八幡宮の社領であった頃に遥拝所として創建されたのではないかと云われてる。 天正19年(1591)には社領30石の御朱印状を拝領、谷古田領の総鎮守社であった。 神社は川口市峯の小高い丘の上にあり、約7700㎡の境内には、樹齢約600年の県内有数の大銀杏を初めとした400余本の樹木が繁茂しており、これらは「峯ヶ岡八幡宮神社の社叢」として、市の天然記念物に指定されてる。、、、、現在の本殿は、大永7年(1527)に造営されたものを、元禄10年(1697)に再営、拝殿は昭和39年(1964)に再営されたもの。、、、、神社では、子供守護・家庭円満・安産に御神徳があるので、安産祈願、初宮詣、七五三、合格祈願、成人式、結婚式、厄払い、年祝いなど、人生の美味しい処で祈願してくれるそうだ。(一生の間に、神社に幾ら御礼するのだろうか? 私の素朴な疑問) 

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● 峯ヶ岡八幡神社で本日の散歩の目的達成! 疲れた、熱中症も心配、散歩はココまでで帰ることとする。 神社近くの宮脇バス停から川口駅行きに乗って一眠り・・・・・?  (ここまで、1万歩)

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【ナイショ話】 おはずかしいが、峯ヶ岡八幡神社には、数年前に参拝したことがあった。 このブログを書いていて気づいたのだ、“後で気がつくてんかん病み”、、、、なぜ気付かなかったか、悲しい言い訳は、当時持ってきたカメラの電池が途中で無くなり、写真が残っておらず。 私も年で、チョイト、記憶が薄れボケたようだ! 

2020年7月19日 (日)

糞尿を運んだ運河

新型コロナの感染が拡大しているなか、自分が感染しないためには、散歩の行き先も慎重に選ばなくてはならなくなった。 今日は、久しぶりに「つくばエキスプレス」乗ったが、行き先を決めてない。 空いた車中、『どこで降りようか?』と悩んだが決まらず、斜め前に座っていた女性が「八潮駅」で降りたので、私もつられて降りてみた。

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・・・・・・・・・・・・・とりあえず、電車とホームをカメラに収め、改札を出て『さて、どっちへ歩こうか?』 しばらく地図とにらっめっこ。 数年前に歩いた花畑運河に行って、六町駅から帰ることにして、朝8時、八潮駅から散歩をスタート。 

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・・・・・・・・・・・・雨上がり、靄がモヤモヤ。 中川右岸の土手に出る。 八潮駅から南へ約1kmの、この土手には「古新田(こしんでん)」と云うバス停があった。 現在のこの地は、八潮市古新田といい、中川の対岸も同じ地名である。、、、、当地は、江戸初期に大瀬村字新田と唱え、寛永4年(1627)に大瀬村から村切りした当時は大瀬新田と称し、正保年中(1644~1648)に古新田となった。 一般に、“古新田”とは元禄~享保の間に検地した耕地を言うそうだ、ちなみに元禄以前に検地した耕地は“本田畑”、享保以後の検地した耕地は“新田”と云うそうだ。(チョイト、知ったかぶりして書いた!)


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・・・・・・・・・・・・古新田バス停付近から中川の対岸(左岸)を望むと、水色のゲートの大場川水門が見える。 水門の左側は埼玉県八潮市古新田、右側は東京都葛飾区西水元。 水門は埼玉県と東京都の境にあるのだ!

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・・・・・・・・・・・・中川右岸の土手を歩き、対岸に大場川水門の正面が見える位置付近に来ると、垳川(がけがわ)排水機場がある。 垳川の東端、中川との接続点に昭和54年(1979)に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。 現在の垳川は、北から八潮市を貫いて流れ下る葛西用水路の溜め池となっている。 大雨などによる増水時には水害防止の為、垳川の両端部の排水施設により、綾瀬川や中川に排水する機能を有している。 その一端が、埼玉県の管理する垳川排水機場。 5台のポンプで1秒間に40立方メートルの水を中川に排水する能力を有している。、、、、「垳川」の北側は埼玉県八潮市、南側は東京都足立区で、垳川が都県境の一部となっている。


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・・・・・・・・・・・・中川土手を、もう少し南へ歩くと花畑運河がある。 東京近郊農村地帯と都心を連絡する舟運の利便化のために昭和6年(1931)に、第一級河川「中川」と「綾瀬川」を結ぶ、全長1.4kmの運河として開削された。 終戦直後は都心の下肥(糞尿)を農業用肥料として近郊の農家へ、運河をとおり舟で運んでいた。 現在は、舟の通行はほとんど無くなり、真っ直ぐに伸びた細長い釣り堀となっている。、、、、名前は綺麗なんだが運河沿いには、花壇があるわけでもなく、サクラ並木があるわけでもない、花に縁のない運河。 また、“釣り堀”と云っても、愛好家が勝手に河岸で釣りを楽しんでいるだけ。 もうすこし住民がよろこびそうな運河の有効利用は考えられないかな?

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・・・・・・・・・・・・内匠橋綾瀬川を越え、足立区南花畑地区に入る。 この辺りはつくばエキスプレスが開通する以前は“陸の孤島”で、畑が多かった。 今は完全に新興住宅街となり、新しい住宅が建ち並んでいる。、、、、どこを歩いても、花畑は無い、大根畑も無い!、、、、【チョイト一言】 “花畑”は“はなはた”と読む、“はなばたけ”と読むと、私のように綺麗な花が咲いている土地を期待してしまう。

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・・・・・・・・・・・・南花畑の町を抜けると、つくばエキスプレス六町駅。 平成17年(2005)8月24日に開業した地下駅。、、、、六町駅から秋葉原駅までは、約16分。 速いね! 秋葉原駅から浅草橋の我が家までは、徒歩15分。 でも、つくばエキスプレスの秋葉原駅は「ヨドバシカメラ」の地下深くにあり、電車を降りてから地上に出るまでチョイト時間を要す。 さらに、“ヨドバシ”に寄ってブラブラすると、この時間が最も長くなる。

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・・・・・・・・・・・・今日の散歩は1万歩。 車中以外はマスクなしで歩くことができ、楽だった!

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